塩を載せた船 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)赤《あか》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)一|軒《けん》 -------------------------------------------------------  赤《あか》ん坊《ぼう》をおぶった、男《おとこ》の乞食《こじき》が町《まち》へはいってきました。その男《おとこ》は、まだそんなに年《とし》をとったというほどではありませんでした。  男《おとこ》の乞食《こじき》は、りっぱな構《かま》えをした家《うち》の前《まえ》へきますと、立《た》ち止《ど》まって、考《かんが》え込《こ》みました。それから、おそるおそる門《もん》の中《なか》へ入《はい》ってゆきました。 「どうか、なにかやってくださいまし。」と、声《こえ》をふるわせて頼《たの》みました。  しかし、家《うち》の中《なか》では、その小《ちい》さい声《こえ》が聞《き》こえなかったものか、返事《へんじ》がありませんでした。  乞食《こじき》は、つぎには、もっと大《おお》きな声《こえ》を出《だ》していいました。 「なにか、この哀《あわ》れな子供《こども》にやってくださいまし。」といいました。すると、家《うち》の中《なか》から、声《こえ》ばかりで、だれも、顔《かお》を出《だ》さずに、 「なにも、やるようなものはない!」と、しかるように答《こた》えました。  その日《ひ》は、どういうものか、乞食《こじき》は、何家《どこ》へいきましても、同《おな》じようなことをいって断《ことわ》られました。 「こんなに、りっぱな、大《おお》きな家《うち》に住《す》んでいながら、くれるようなものがないとは、不思議《ふしぎ》なことだ。」と、乞食《こじき》は、つくづく思《おも》わずにはいられませんでした。  脊中《せなか》におぶさっている赤《あか》ん坊《ぼう》が、腹《はら》が減《へ》ったので泣《な》き出《だ》しました。乞食《こじき》は、どうしたらいいか、ほんとうに困《こま》ってしまいました。  太陽《たいよう》は、やがて西《にし》に傾《かたむ》きかかっています。その日《ひ》の光《ひかり》をながめて、ぼんやりと思案《しあん》にふけっていますと、太陽《たいよう》は、にこやかな円《まる》い顔《かお》をして、 「いつまでも、こんな人情《にんじょう》のない町《まち》にいたのではしかたがない。早《はや》く、日《ひ》の暮《く》れないうちに、ほかの町《まち》へいったほうがいい。」と、諭《さと》しているように思《おも》われました。  男《おとこ》の乞食《こじき》は、自分《じぶん》たちに、不人情《ふにんじょう》であった町《まち》をうらめしそうに、幾《いく》たびも見《み》かえりながら、疲《つか》れた足《あし》をひきずって、とぼとぼと、また遠《とお》い道《みち》を歩《ある》いて、ほかの町《まち》をさしていったのであります。  それから三日《みっか》ばかりたちました。ある町《まち》をあるきまわっていますときに、乞食《こじき》は、三日《みっか》ばかり前《まえ》に自分《じぶん》がたってきた町《まち》が、すっかり海嘯《つなみ》のためにさらわれてしまった、というようなうわさを聞《き》きました。  乞食《こじき》は、夢《ゆめ》のような気《き》がしました。そして、あの町《まち》はどうなったろうと、りっぱな構《かま》えをした、いろいろな形《かたち》をしていた家《うち》などを、目《め》に思《おも》い浮《う》かべたのであります。 「人間《にんげん》というものは、不幸《ふこう》にあわなければ、人情《にんじょう》というものを悟《さと》るものでない。」と、彼《かれ》は、いつか聞《き》いた言葉《ことば》を思《おも》い出《だ》しました。 「そうだ。あの不《ふ》しんせつであった町《まち》の人々《ひとびと》も、きっと思《おも》いあたったろう。いまごろはどんなにやさしい人《ひと》たちになっているかしれない。きっと、手《て》がなくて弱《よわ》っているものもあろう。自分《じぶん》のようなものにも、される仕事《しごと》がないとはかぎらない。どれ、ひとつ、その変《か》わった町《まち》へもどってみようか。」と思《おも》いました。  そして、彼《かれ》は、いつも、自分《じぶん》の胸《むね》に思《おも》ったことは、はたしていいかどうであるかたずねてみるように、太陽《たいよう》を仰《あお》いだのであります。  太陽《たいよう》は、あいかわらず、にこにことしていました。 「おまえが、そう思《おも》うならいってみるがいい。」といっているようでありました。  乞食《こじき》は、赤《あか》ん坊《ぼう》をおぶって、いつかたった町《まち》へもどってゆきました。海辺《うみべ》には、白《しろ》い、海鳥《うみどり》が空《そら》を舞《ま》っていました。日《ひ》の光《ひかり》は、彼《かれ》のゆく道《みち》を暖《あたた》かに照《て》らしていました。  まだ、日《ひ》がまったく沈《しず》みきらないうちに、乞食《こじき》は、その町《まち》のあったところに着《つ》きました。きてみると、びっくりしました。一|軒《けん》として満足《まんぞく》な家《うち》が建《た》っていないばかりか、たいていは、波《なみ》にさらわれてしまったとみえて、一|面《めん》荒《あ》れ果《は》てた野原《のはら》に変《か》わっていたのです。  人《ひと》たちは、どうなったものか、影《かげ》さえ見《み》えませんでした。ただ、ところどころに木立《こだち》がそびえていて、その枝《えだ》に、髪《かみ》の毛《け》のからんだようにいろいろなものが引《ひ》っかかっている、ものすごい、みすぼらしい有《あ》り様《さま》が見《み》られるばかりでした。 「まあ、こんなになってしまったのか?」と、彼《かれ》は、その荒《あ》れ果《は》てた野原《のはら》の中《なか》に立《た》って、足《あし》もとに散《ち》らばった材木《ざいもく》や、ものの壊《こわ》れたのや、大《おお》きな家《うち》が建《た》っていた跡《あと》らしい、礎《いしずえ》などを見《み》まわしながら、いろいろの思《おも》いにふけったのです。  彼《かれ》は、あまりのはげしい変《か》わり方《かた》と、あわただしいできごとのために、なにを思《おも》うともなく、しばらくは、ただぼんやりとしていました。  そのうちに、青《あお》ざめた月《つき》が空《そら》に上《のぼ》りました。そして、この荒《あ》れはてた景色《けしき》と、ぼんやりと考《かんが》え込《こ》んでいる哀《あわ》れな乞食《こじき》とを照《て》らしたのです。  そのとき、月《つき》が、うなだれている乞食《こじき》の耳《みみ》もとにささやいたのであります。 「大《おお》きな海嘯《つなみ》で、みんな沖《おき》へ持《も》っていかれてしまった。しかし、まだすこしは残《のこ》っていよう。おまえが、いつかなにかくださいと頼《たの》んだとき、なにもやるようなものはないといったが、まあ、あすこをごらん、あんなに光《ひか》っているものがある。あれはダイヤモンドだ。ぜいたくな女《おんな》の指《ゆび》にはめた、指輪《ゆびわ》についていたのだ。まあ、あすこをごらん、あんなにぴかぴか光《ひか》っているものがある。あれは、強欲《ごうよく》なじいさんが大事《だいじ》にしまっておいた黄金《こがね》の塊《かたまり》だ。しかし、もうみんなその人《ひと》たちは、どこへかいってしまった。おそらく永久《えいきゅう》に帰《かえ》ってくることがあるまい。また、その人《ひと》たちを捜《さが》したとて、永久《えいきゅう》に捜《さが》しあてることができまい。あの宝《たから》は、みんな腐《くさ》ってしまうか、地《ち》の中《なか》にしぜんにうずもれてしまうのだ。おまえはあの宝《たから》で、もう一|度《ど》、りっぱな町《まち》をこのところに建《た》てる考《かんが》えはないか。そうすれば、私《わたし》は今夜《こんや》、宝《たから》の残《のこ》っているところを教《おし》えてやろう……。」  青《あお》ざめた月《つき》は、太陽《たいよう》のように、けっして、にこやかな顔《かお》はしていなかったけれど、まじめになって、乞食《こじき》にいいました。 「私《わたし》みたいなものに、そんなことができようか?」と、乞食《こじき》はうなだれて思案《しあん》をしました。 「なに、いっしょうけんめいになってやれば、できないということはないはずだ。おまえにできなかったときは、おまえの子供《こども》の時代《じだい》にできるにちがいない。おまえは赤《あか》ん坊《ぼう》をおぶっているではないか。」と、月《つき》は、はっきりとさえた声《こえ》でいいました。  乞食《こじき》は、ついにやってみる気《き》をおこしました。 「どうか、お月《つき》さま、私《わたし》に宝《たから》の落《お》ちているところを教《おし》えてください。」と、月《つき》を見上《みあ》げて願《ねが》いました。  月《つき》の光線《こうせん》は、身軽《みがる》にどんな狭《せま》いところへもくぐり込《こ》みました。またどんなものの上《うえ》へもはいまわりました。こうして乞食《こじき》は、月《つき》の助《たす》けによって、たくさんの宝物《たからもの》を拾《ひろ》い集《あつ》めることができました。  夜《よ》が明《あ》けると、太陽《たいよう》が彼《かれ》を励《はげ》ましました。乞食《こじき》は、境遇《きょうぐう》で貧乏《びんぼう》をしましたけれど、りこうで正直《しょうじき》な人間《にんげん》でありましたから、四|方《ほう》から、あらゆる方面《ほうめん》の知識《ちしき》があり、勤勉《きんべん》に働《はたら》く人《ひと》たちを呼《よ》び集《あつ》めて、町《まち》を新《あたら》しく造《つく》りはじめたのであります。  数年《すうねん》の後《のち》には、その町《まち》はりっぱにできあがりました。そして、煙突《えんとつ》からは、黒《くろ》い煙《けむり》が流《なが》れていました。工場《こうじょう》や、製造場《せいぞうじょう》などが、いくつも建《た》てられました。しかし、だれも、この美《うつく》しい町《まち》が乞食《こじき》の手《て》によって造《つく》られたということを、おそらく知《し》るものがなかったでありましょう。  昔《むかし》の赤《あか》ん坊《ぼう》は、大《おお》きくなって、いまでは、いい若者《わかもの》となりました。父親《ちちおや》は、財産《ざいさん》を残《のこ》して亡《な》くなりました。その後《あと》で、若者《わかもの》は、父親《ちちおや》の仕事《しごと》をついで、よく働《はたら》いていました。  ある日《ひ》のこと、若者《わかもの》は夢《ゆめ》を見《み》ました。  なんでも、あまりにぎやかでない、はじめて通《とお》るような町《まち》を歩《ある》いてゆきました。すると、あちらに白《しろ》い桃《もも》の花《はな》だか、すももの花《はな》だか、白《しろ》くこんもりと浮《う》き出《で》たように咲《さ》いていました。彼《かれ》は、その花《はな》を目《め》あてに歩《ある》いていますと、その木《き》の下《した》に、小《ちい》さな理髪店《りはつてん》がありました。主人《しゅじん》というのは、顔《かお》つきの四|角《かく》な人《ひと》でして、がみがみと小僧《こぞう》をしかっていました。小僧《こぞう》は汚《よご》れた白《しろ》い上着《うわぎ》を着《き》て働《はたら》いていました。顔色《かおいろ》が青《あお》くて、体《からだ》がやせて目《め》ばかり大《おお》きく飛《と》び出《で》ていました。 「おまえは、どこから雇《やと》われてきたのか?」と、若者《わかもの》はたずねますと、小僧《こぞう》は、大《おお》きな目《め》に、いっぱい涙《なみだ》をためて、 「私《わたし》には、お父《とう》さんがありません。お母《かあ》さんもありません。ただ一人《ひとり》の妹《いもうと》がありましたが、いまは、どこにいるか知《し》らないのです。」と答《こた》えた。  目《め》がさめると、それは夢《ゆめ》でありました。けれど若者《わかもの》は、小僧《こぞう》の顔《かお》が、目《め》についていてどうしても離《はな》れませんでした。 「私《わたし》には、弟《おとうと》も、妹《いもうと》もないはずだ。」  彼《かれ》は、終日《しゅうじつ》、昨夜《ゆうべ》の夢《ゆめ》を思《おも》い出《だ》して考《かんが》え込《こ》んでいました。  二、三|日《にち》すると、彼《かれ》は、また、不思議《ふしぎ》な夢《ゆめ》を見《み》ました。  ある工場《こうじょう》で、まだ十三、四の少女《しょうじょ》が、下《した》を向《む》いて糸《いと》を採《と》っていました。すると、いつか夢《ゆめ》で見《み》たことのある理髪店《りはつてん》の主人《しゅじん》よりは、もっと、恐《おそ》ろしい顔《かお》つきをして、黒《くろ》い洋服《ようふく》を着《き》た、脊《せ》の高《たか》い男《おとこ》が、ふいに少女《しょうじょ》をむちでなぐりました。 「なにを、ぐずぐずしているのか!」  少女《しょうじょ》は震《ふる》えあがりました。そして、真《ま》っ赤《か》な顔《かお》をして、泣《な》きながら、せっせと糸《いと》を採《と》っていました。  目《め》がさめると、これもやはり夢《ゆめ》でありました。若者《わかもの》は、どういうものか、この少女《しょうじょ》の顔《かお》もこのときから忘《わす》れることができませんでした。 「俺《おれ》は、どうしてこんな夢《ゆめ》を見《み》るのだろう。もっと愉快《ゆかい》な夢《ゆめ》を、なぜ見《み》ることができないのか。おもしろい、愉快《ゆかい》な夢《ゆめ》は、みんなほかの人《ひと》が見《み》つくしてしまったというわけでもあるまいが。」と、彼《かれ》は思《おも》いました。  この世《よ》の中《なか》におもしろい、楽《たの》しい夢《ゆめ》がなくなってしまった時分《じぶん》には、どこからか船《ふね》に乗《の》せていろいろな夢《ゆめ》をもってきて、港《みなと》に着《つ》いてから、人《ひと》の知《し》らぬ間《ま》にまき散《ち》らすのだと、いつかこの町《まち》に入《はい》ってきた巫女《みこ》がいったということでした。  どんな船《ふね》が、どんなような色《いろ》の帆《ほ》を掛《か》けて夢《ゆめ》を運《はこ》んでくるか、まだだれも見《み》たものはなかったのです。  ある夜《よ》、若者《わかもの》は、第《だい》三の夢《ゆめ》を見《み》ました。  暗《くら》い晩《ばん》に、雪《ゆき》の凍《こお》った、細道《ほそみち》を歩《ある》いてゆくと、あちらから笛《ふえ》を吹《ふ》いて、とぼとぼと歩《ある》いてくる年《とし》とった盲目《めくら》の女按摩《おんなあんま》に出《で》あいました。 「おまえさんはこの年《とし》になって、どうしてこんな寒《さむ》い晩《ばん》に働《はたら》かなければならないのか。」と聞《き》きますと、 「私《わたし》は不幸《ふこう》な女《おんな》です。最初《さいしょ》夫《おっと》をもって、かわいらしい男《おとこ》の子《こ》が生《う》まれると、夫《おっと》は、その子供《こども》を連《つ》れて家《いえ》を出《で》てしまったっきり帰《かえ》ってきませんでした。しかたなく、それから三|年《ねん》ばかりたってから、私《わたし》は二|番《ばん》めの夫《おっと》をもちました。そして、一人《ひとり》の男《おとこ》の子《こ》と、一人《ひとり》の女《おんな》の子《こ》を生《う》みました。しかし、私《わたし》たちの幸福《こうふく》は、長《なが》くはつづきませんでした。夫《おっと》は病気《びょうき》をして死《し》んでしまいました。まもなく私《わたし》は目《め》を患《わずら》って、両方《りょうほう》の目《め》とも見《み》えなくなってしまいました。私《わたし》は、二人《ふたり》の子供《こども》を親類《しんるい》にあずけました。その親類《しんるい》は、しんせつではありませんでした。二人《ふたり》の子供《こども》をどこかへやってしまいました。それからというもの、私《わたし》は、所《ところ》を定《さだ》めず、さまよっているのであります……。」  目《め》がさめると、それもやはり夢《ゆめ》であったが、どういうものか、その年《とし》とった盲目《めくら》の女《おんな》のようすが、なんとなくみじめで、目《め》から取《と》れませんでした。  若者《わかもの》は、このごろつづけて見《み》た夢《ゆめ》が、深《ふか》く、彼《かれ》の心《こころ》をとらえて、仕事《しごと》も思《おも》うように手《て》につかなく、海辺《うみべ》へ出《で》ては、沖《おき》をながめながらぼんやりと暮《く》らしていました。  彼《かれ》は、父親《ちちおや》のいったことを思《おも》い出《だ》したのです。 「私《わたし》は、まだほんとうに哀《あわ》れな人《ひと》というのを見《み》なかったが、もし、この後《のち》、おまえが、哀《あわ》れな人《ひと》を見《み》たときは、その人《ひと》を救《すく》ってやらなければならない。これが、私《わたし》のただ一つおまえにいい残《のこ》しておく、大事《だいじ》なことだ。おまえは、それを守《まも》らなければならない。」  父親《ちちおや》は、子供《こども》に向《む》かってこういいました。若者《わかもの》は、遠《とお》く沖《おき》の方《ほう》を赤《あか》く色《いろ》づけて、日《ひ》の暮《くれ》れかかる海《うみ》の上《うえ》を見《み》ながら、父親《ちちおや》のいったことを思《おも》い出《だ》していたのであります。 「俺《おれ》の夢《ゆめ》は、ほんとうのことなのか? それなら、俺《おれ》は、あの哀《あわ》れな少年《しょうねん》と、娘《むすめ》と、あの哀《あわ》れな子供《こども》を失《うしな》った母親《ははおや》とを助《たす》けてやらなければならない。」  ある日《ひ》、沖《おき》に不思議《ふしぎ》な、見《み》なれない船《ふね》が泊《と》まっていました。若者《わかもの》は、すぐにその船《ふね》を見《み》つけて、 「どこからきたのだろう。あの船《ふね》はなにかおもしろい夢《ゆめ》を乗《の》せてやってきた、魔《ま》の船《ふね》ではないかしらん。」と思《おも》いました。  すると、昼《ひる》ごろ、年《とし》とった白髪《しらが》の脊《せ》の低《ひく》い船長《せんちょう》が陸《おか》に上《あ》がってきて、このあたりをぶらぶらと散歩《さんぽ》していました。  若者《わかもの》は、船長《せんちょう》がそばを通《とお》りかかったときに、呼《よ》び止《と》めました。 「あの船《ふね》はどこからきました? いろいろな夢《ゆめ》を乗《の》せてくるといううわさの船《ふね》ではありませんか。」と、若者《わかもの》はたずねました。すると、船長《せんちょう》は、大《おお》きな口《くち》を開《あ》けて笑《わら》いました。 「お伽噺《とぎばなし》に、そんな話《はなし》があるが、あの船《ふね》は、そんなものじゃない。毎年《まいねん》のように、この港《みなと》へ昔《むかし》からやってくる船《ふね》なのじゃ。」 「昔《むかし》から?」  若者《わかもの》は、びっくりして、年《とし》とった船長《せんちょう》をながめました。 「おまえさんは、だれなのじゃ。」  船長《せんちょう》は、こう若者《わかもの》にたずねました。  若者《わかもの》は、自分《じぶん》の父親《ちちおや》が、海嘯《つなみ》で滅《ほろ》びてしまったこの町《まち》を、ふたたび新《あたら》しく建《た》てた人《ひと》であることを語《かた》りました。船長《せんちょう》は、うなずきました。 「なかなかりっぱな町《まち》になった。私《わたし》は、昔《むかし》の町《まち》もよく知《し》っている。私《わたし》は、昔《むかし》から、この町《まち》に塩《しお》を積《つ》んでくるのだ。」と、船長《せんちょう》はいいました。 「塩《しお》をですか?」 「そうじゃ、この町《まち》では、塩《しお》ができないのだ。」と、船長《せんちょう》は答《こた》えました。  船長《せんちょう》は、しばらく若者《わかもの》の顔《かお》を見《み》ていましたが、 「おまえさんは、夢《ゆめ》でも見《み》なかったかな。」といいました。  若者《わかもの》は、このごろになって、不思議《ふしぎ》な夢《ゆめ》をつづけて見《み》たことを話《はな》しました。すると船長《せんちょう》は、 「それはみんなほんとうのことなのだ。おまえさんと、おまえさんのお父《とう》さんの昔《むかし》のことを知《し》っているものは、私《わたし》ばかりじゃ。哀《あわ》れな小僧《こぞう》や、娘《むすめ》や、母親《ははおや》がいるのは、そんなに遠方《えんぽう》の町《まち》ではあるまいから、おまえさんはその小僧《こぞう》と娘《むすめ》と盲目《めくら》の按摩《あんま》を探《さが》しなさるがいい。人間《にんげん》というものは、意外《いがい》なところに、不思議《ふしぎ》な因縁《いんねん》がつながっているものだ。私《わたし》は、また来年《らいねん》か、来々年《さらいねん》、もう一|度《ど》この港《みなと》に塩《しお》を積《つ》んではいってこよう。そのときには、不幸《ふこう》な人《ひと》たちが、しあわせになって、みんなが喜《よろこ》んでいる姿《すがた》を見《み》たいものじゃ。」と、船長《せんちょう》はいいました。  若者《わかもの》は、船長《せんちょう》の話《はなし》によって、深《ふか》く感動《かんどう》しました。そして、自分《じぶん》には、不幸《ふこう》な母《はは》と、腹《はら》ちがいの弟《おとうと》と妹《いもうと》があることを知《し》りました。  まったく、あてのない望《のぞ》みを抱《いだ》いて、彼《かれ》は、その父《ちち》の造《つく》った美《うつく》しい町《まち》を去《さ》って、終《お》わりない旅《たび》へと出《で》たのであります。  太陽《たいよう》は、あいかわらず、にこやかに、彼《かれ》の歩《ある》いてゆく道《みち》を照《て》らしていました。 「昔《むかし》、おまえの父《ちち》は、赤《あか》ん坊《ぼう》のおまえをおぶって、このように、あてもなく歩《ある》いたものだ。おまえも希望《きぼう》を捨《す》てずに歩《ある》くがいい。」  太陽《たいよう》は、こういいました。  夜《よ》になると、若者《わかもの》は、大空《おおぞら》の月《つき》の光《ひかり》を仰《あお》ぎました。月《つき》は、また語《かた》ったのです。 「町《まち》よりも、宝石《ほうせき》よりも、どんな富《とみ》よりも、人間《にんげん》の愛《あい》というものは貴《とうと》いものだ。私《わたし》は、それらの不幸《ふこう》な人《ひと》たちを毎夜《まいよ》のように照《て》らしている。おまえは、いつまでも美《うつく》しい、貴《とうと》い真心《まごころ》を捨《す》ててはならない。」  若者《わかもの》の旅《たび》は、それから、夜《よる》となく、昼《ひる》となくつづきました。 底本:「定本小川未明童話全集 3」講談社    1977(昭和52)年1月10日第1刷    1981(昭和56)年1月6日第7刷 初出:「童話」    1923(大正12)年5月 ※表題は底本では、「塩《しお》を載《の》せた船《ふね》」となっています。 入力:ぷろぼの青空工作員チーム入力班 校正:江村秀之 2014年1月28日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。