石をのせた車 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)頼《たよ》る |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)十三|里《り》 -------------------------------------------------------  あるところに、だれといって頼《たよ》るところのない、一人《ひとり》の少年《しょうねん》がありました。  少年《しょうねん》は、病気《びょうき》にかかって、いまは働《はたら》くこともできなかったのであります。 「これからさき、自分《じぶん》はどうしたらいいだろう。」と考《かんが》えても、いい思案《しあん》の浮《う》かぶはずもなかったのです。  いっそ死《し》んでしまおうかしらんと考《かんが》えながら、彼《かれ》は、下《した》を向《む》いてとぼとぼと歩《ある》いてきました。いろいろな人《ひと》たちが、その道《みち》の上《うえ》をば歩《ある》いていましたけれど、少年《しょうねん》の目《め》には、その人《ひと》たちに心《こころ》をとめてみる余裕《よゆう》もなかったのであります。  やはり、下《した》を向《む》いて歩《ある》いていますと、前《まえ》を歩《ある》いているものが、なにか道《みち》に落《お》としました。少年《しょうねん》は、はっと思《おも》って顔《かお》を上《あ》げますと、先《さき》にゆくのはおばあさんでありました。おばあさんは、自分《じぶん》がなにか落《お》としたのも気《き》づかずに、つえをついてゆきかかりましたから、少年《しょうねん》は、うしろから、おばあさんを呼《よ》び止《と》めました、 「おばあさん、なにか落《お》ちましたよ。」と、彼《かれ》がいいますと、おばあさんは、はじめて気《き》がついて、振《ふ》り向《む》きました。そして、道《みち》の上《うえ》に、自分《じぶん》の落《お》としたものを見《み》て、びっくりして、 「まあ、ありがとうございます。よく知《し》らしてくださいました。これは、私《わたし》の大事《だいじ》なものです。」と、拾《ひろ》い上《あ》げて、それから曲《ま》がった腰《こし》を伸《の》ばして、少年《しょうねん》の方《ほう》を見《み》て礼《れい》をいいました。 「おまえさんは、いくつにおなりです。」と、この人《ひと》のよいおばあさんは、話《はなし》が好《す》きとみえて少年《しょうねん》に問《と》いました。 「十五になります。」と、少年《しょうねん》は答《こた》えました。  おばあさんは、しげしげと少年《しょうねん》の顔《かお》を見《み》ていましたが、 「おまえさんは、どこかお悪《わる》いところはありませんか。」とたずねました。 「どうも弱《よわ》くて困《こま》ります。体《からだ》さえ強《つよ》ければ働《はたら》くのですが……。」と、彼《かれ》はうなだれて答《こた》えました。 「それなら、湯治《とうじ》にゆきなさるといい。ここから十三|里《り》ばかり西《にし》の山奥《やまおく》に、それはいい湯《ゆ》があります。谷《たに》は湯《ゆ》の河原《かわら》になっています。二週間《にしゅうかん》もいってきなされば、おまえさんのその体《からだ》は、生《う》まれ変《か》わったようにじょうぶになることは請《う》け合《あ》いです。」 「それはほんとうですか?」と、少年《しょうねん》は、生《う》まれ変《か》わったようにじょうぶになると聞《き》いて、驚《おどろ》きと喜《よろこ》びとに飛《と》び立《た》つように思《おも》いました。 「ああ、それはほんとうだ。」と、おばあさんは答《こた》えました。そして、さっさとあちらへいってしまいました。  少年《しょうねん》は、おばあさんから、いいことを聞《き》いたと思《おも》いました。 「しかし、その湯《ゆ》のあるところは、なんというところだろう。」と、しばらくたってから、少年《しょうねん》は思《おも》い返《かえ》しました。けれど、「なんでも、十三|里《り》ばかり西《にし》の山奥《やまおく》だということだから、西《にし》へいって、聞《き》いたらばわからないこともあるまい。」と思《おも》いました。  たとえ、そのように、いい温泉《おんせん》があったにしても、すこしの金《かね》をも持《も》たない少年《しょうねん》には、その温泉《おんせん》へいって治療《ちりょう》をすることは、容易《ようい》なことではなかったのであります。ただ、彼《かれ》は自殺《じさつ》してしまうということだけは思《おも》い止《とど》まりました。 「そんないい温泉《おんせん》があって、この体《からだ》が達者《たっしゃ》になれるものなら、いま死《し》んでしまっては、なんの役《やく》にもたたない。どうかして、その温泉《おんせん》へいって体《からだ》を強《つよ》くしてこなければならない。」と、少年《しょうねん》は思《おも》いました。  なにをするにしても、病身《びょうしん》であって、思《おも》うように力《ちから》が出《で》ず、疲《つか》れていましたから、ほんとうに、どうしたら旅費《りょひ》がつくれるだろうと考《かんが》えながら、少年《しょうねん》は路《みち》を歩《ある》いていました。  少年《しょうねん》の頭《あたま》には、このばあい浮《う》かんだものは、乞食《こじき》をするということよりほかに、いい考《かんが》えがなかったのであります。 「そうだ、乞食《こじき》をしよう。」と、少年《しょうねん》は思《おも》いました。  まだ、乞食《こじき》というものを経験《けいけん》したことのない彼《かれ》は、どこへいって、どうして知《し》らぬ人々《ひとびと》から銭《ぜに》をもらったらいいだろうかと思《おも》いました。  ほとんど途方《とほう》に暮《く》れてしまって、少年《しょうねん》は、ある道《みち》の四《よ》つ筋《すじ》に分《わ》かれたところに立《た》っていました。そこは、町《まち》を出《で》つくしてしまって、広々《ひろびろ》とした圃《はたけ》の中《なか》になっていました。そして、どの道《みち》を歩《ある》いていっても、その方《ほう》には、黒《くろ》い森《もり》があり、青々《あおあお》とした圃《はたけ》があり、遠《とお》い地平線《ちへいせん》には、白《しろ》い雲《くも》がただよって見《み》えるのでありました。 「この四《よ》つ筋《すじ》の道《みち》は、それぞれ町《まち》や村《むら》へゆくのであろうが、どんなところへゆくのだろう。」と、少年《しょうねん》はあてもなく、左右《さゆう》前後《ぜんご》を見渡《みわた》していたのであります。  そのとき、一人《ひとり》のおじいさんが、あちらからきかかりました。少年《しょうねん》はぼんやりとして見《み》ていると、おじいさんは石《いし》につまずいて、げたの鼻緒《はなお》を切《き》ってしまいました。 「ああ困《こま》ったことをした。」と、おじいさんはいって、跣足《はだし》になって、鼻緒《はなお》をたてようとしましたが、なにぶんにも目《め》が悪《わる》いので、思《おも》うように鼻緒《はなお》がたちませんでした。  少年《しょうねん》は、これを見《み》ますと、さっそくおじいさんのそばへやってきて、 「おじいさん、私《わたし》がたててあげましょう。」と、しんせつにいいました。 「これは、これは、おまえさんがたててくださいますか、ありがとうございます。」と、おじいさんは、たいそう喜《よろこ》びました。  少年《しょうねん》は、おじいさんのげたの鼻緒《はなお》をたてていますと、あごひげの白《しろ》いおじいさんは、つえによりかかってあたりを見《み》まわしていましたが、 「あすは、お寺《てら》のお開帳《かいちょう》で、どんなにかこの辺《へん》は人通《ひとどお》りの多《おお》いことだろう。お天気《てんき》であってくれればいいが。」といいました。 「おじいさん、明日《あした》は、この道《みち》をそんなに人《ひと》が通《とお》りますか。」と、少年《しょうねん》はききました。 「ああ、朝《あさ》のうちから通《とお》るにちがいない。しかし、この四《よ》つ街道《かいどう》でよくみんなが道《みち》をまちがえるのだ。知《し》らぬ人《ひと》は困《こま》るだろう。」と、おじいさんはいいました。 「おじいさん、この四《よ》つ街道《かいどう》の行《ゆ》く先《さき》は、どこと、どこだか、私《わたし》によく教《おし》えてください。」と、少年《しょうねん》は頼《たの》みました。  おじいさんは、一つの道《みち》は、お寺《てら》のある町《まち》へゆくこと、一つの道《みち》は、遠《とお》いさびしい村《むら》へゆくこと、一つの道《みち》は海《うみ》の方《ほう》へゆくこと、一つの道《みち》は山《やま》の方《ほう》へゆくことを、細《こま》かに、少年《しょうねん》に向《む》かってきかせたのでありました。  少年《しょうねん》が、おじいさんのげたの鼻緒《はなお》をたててしまいますと、おじいさんは喜《よろこ》んで、町《まち》の方《ほう》へといってしまいました。  少年《しょうねん》は、いいことを聞《き》いたと思《おも》いました。自分《じぶん》は、明日《あす》この四《よ》つ街道《かいどう》のところにすわっていよう。そして、道《みち》を迷《まよ》った人《ひと》には、よく教《おし》えてやろう。自分《じぶん》は、どうしてもほかの乞食《こじき》がするように、通《とお》る人《ひと》ごとに頭《あたま》を下《さ》げてあわれみを乞《こ》うことはできないが、ただ黙《だま》ってすわっていたら、なかには銭《ぜに》をくれてゆくものもないともかぎらないと、考《かんが》えました。  あくる日《ひ》、少年《しょうねん》は朝《あさ》早《はや》くから、そこにすわっていました。いい天気《てんき》でありましたから、おじいさんのいったように、お寺《てら》のお開帳《かいちょう》に出《で》かける人《ひと》が続《つづ》きました。よく道《みち》を知《し》っている人《ひと》たちは、さっさと少年《しょうねん》のすわっている前《まえ》を通《とお》り過《す》ぎて、道《みち》をまちがわずにその方《ほう》へとゆきました。中《なか》には、老人《ろうじん》もありました。若《わか》い女《おんな》もありました。また親《おや》たちに連《つ》れられてゆく子供《こども》などもありました。たまたまやさしそうな女《おんな》の人《ひと》が、少年《しょうねん》のすわっている姿《すがた》を見《み》ると、前《まえ》に立《た》ち止《ど》まって、懐《ふところ》から財布《さいふ》をとり出《だ》して、銭《ぜに》を前《まえ》に置《お》いていってくれました。そんなときは、少年《しょうねん》は気恥《きは》ずかしい思《おも》いがして、穴《あな》の中《なか》へでも入《はい》りたいような気《き》がしましたが、早《はや》く温泉場《おんせんば》へいって、病気《びょうき》をなおしてから働《はたら》くということを考《かんが》えると、恥《は》ずかしいのも忘《わす》れて、どんなつらいことも忍耐《にんたい》をする勇気《ゆうき》が起《お》こったのです。  こうしておおぜいが連《つ》れ合《あ》っていった後《あと》から、一人《ひとり》できかかる男《おとこ》や、女《おんな》がありました。その人々《ひとびと》には、よく道《みち》がわからないとみえて、四《よ》つ街道《かいどう》にきてから、うろうろとしていました。 「お寺《てら》へおいでなさるのですか。」と、少年《しょうねん》はいいました。 「ああそうだ。」と、その人《ひと》は答《こた》えました。 「そんなら、そちらの道《みち》をおいでなさい。」と、少年《しょうねん》は教《おし》えました。  中《なか》には、喜《よろこ》んで礼《れい》をいってゆくものもあれば、また銭《ぜに》を少年《しょうねん》に与《あた》えてゆくものもありましたが、また中《なか》には、振《ふ》り向《む》きもせず、礼《れい》をいわずにいってしまうものもありました。また、まれに、おおぜいでやってきて、みんなが道《みち》を知《し》らないばあいなどもありました。そんなとき、少年《しょうねん》がやはり道《みち》を教《おし》えてやると、 「感心《かんしん》な子供《こども》だ。かわいそうな子供《こども》だ。これにはなにか子細《しさい》があって、乞食《こじき》をするのだろう。」などとうわさしあって、みんなが銭《ぜに》をくれてゆくこともありました。  少年《しょうねん》は、その日《ひ》は思《おも》いも寄《よ》らぬたくさんな金《かね》を、人々《ひとびと》からもらいました。そして、日暮《ひぐ》れに木賃宿《きちんやど》へ帰《かえ》ってきて泊《と》まりました。彼《かれ》は、ほかにいって泊《と》まるところがなかったからです。  この木賃宿《きちんやど》には、べつに大人《おとな》の乞食《こじき》らがたくさん泊《と》まっていました。そして、彼《かれ》らは、その日《ひ》いくらもらってきたかなどと、たがいに話《はな》し合《あ》っていました。 「俺《おれ》は、一|日《にち》じゅう人《ひと》の顔《かお》さえ見《み》れば、哀《あわ》れっぽい声《こえ》を出《だ》せるだけ絞《しぼ》り出《だ》して、頭《あたま》を下《さ》げられるだけ低《ひく》く下《さ》げて頼《たの》んでみたが、これんばかりしかもらわなかった。」と、あばた面《づら》の乞食《こじき》が銭《ぜに》を算《かぞ》えながらいっていました。すると一人《ひとり》の脊《せ》の高《たか》い、青《あお》い顔《かお》をした乞食《こじき》が、 「俺《おれ》は、一|日《にち》じゅうびっこのまねをして町《まち》じゅうを歩《ある》きまわったが、やっと、こればかりしかもらわなかった。」と、やはり銭《ぜに》を掌《てのひら》にのせて、見《み》つめながら話《はな》していました。  少年《しょうねん》は、黙《だま》ってそばに小《ちい》さくなって、みんなの話《はなし》をきいていましたが、脊《せ》の高《たか》いのが、 「やい、小僧《こぞう》、おまえは、いくら今日《きょう》もらってきたか。」と、大《おお》きな声《こえ》でふいに尋《たず》ねました。  少年《しょうねん》は、正直《しょうじき》に、その日《ひ》もらってきた金《かね》の高《たか》を話《はな》しますと、みんなは、びっくりして目《め》をみはりました。 「小僧《こぞう》、だれに話《はなし》をつけて、俺《おれ》の縄張《なわば》り内《うち》を荒《あ》らしゃあがったか。その金《かね》を、みんなここへ出《だ》してしまえ。」と、脊《せ》の高《たか》いのは少年《しょうねん》をにらみつけていいました。  少年《しょうねん》は、もうすこし金《かね》がたまったら、それを旅費《りょひ》にして、西《にし》の方《ほう》の温泉場《おんせんば》をさして、出《で》かけるつもりでいましたやさきでありましたから、死《し》んでもこの金《かね》は出《だ》されないと思《おも》っていました。けれど、あまり相手《あいて》のけんまくが怖《おそ》ろしいので、どうなることかと震《ふる》えていました。 「まあ、堪忍《かんにん》してやんなさい。なんといっても、まだ子供《こども》だ。それに病身《びょうしん》とみえて、あんなに顔色《かおいろ》が悪《わる》いのだから。」と、あばた面《づら》の男《おとこ》は、仲《なか》へ入《はい》って、その場《ば》を円《まる》くおさめてくれました。  少年《しょうねん》は、心《こころ》の中《なか》で、顔《かお》つきにも似《に》ず心《こころ》のやさしい乞食《こじき》だと思《おも》って、あばた面《づら》の男《おとこ》に感謝《かんしゃ》していました。  夜中《よなか》のことであります。あばた面《づら》が少年《しょうねん》を揺《ゆ》すり起《お》こしました。そして、小《ちい》さい声《こえ》で、 「おまえは、昨日《きのう》どこでもらってきた。」とききました。少年《しょうねん》は四《よ》つ街道《かいどう》のところにすわっていたこと、そして、開帳《かいちょう》へゆく人々《ひとびと》に道《みち》を教《おし》えたことまで、すっかり話《はなし》をしました。 「なるほどな。」といって、あばた面《づら》の乞食《こじき》はうなずきました。  夜《よ》が明《あ》けると少年《しょうねん》は、今日《きょう》も四《よ》つ街道《かいどう》のところへすわって、みんなに道《みち》を教《おし》えようかとおもいました。太陽《たいよう》が上《あ》がると、彼《かれ》は、昨日《きのう》のところにやってきました。すると、いつのまにか自分《じぶん》より早《はや》く、あばた面《づら》がそこにきてすわっているのでした。 「昨夜《ゆうべ》、俺《おれ》がおまえを助《たす》けてやったんだ。今日《きょう》は、ほかをまわるか、休《やす》んで宿《やど》にいろ。そのかわり、俺《おれ》がたくさんもらったら、分《わ》けまえをくれてやるから。」と、あばた面《づら》は、目《め》をぎょろりと光《ひか》らしていいました。少年《しょうねん》は抵抗《ていこう》することもできなく、またほかを歩《ある》いて、どうしようという考《かんが》えも起《お》こらず、そのまましおしおと宿《やど》にもどってきました。  その日《ひ》の暮《く》れ方《がた》になると、外《そと》へ出歩《である》いていた乞食《こじき》らがみんなもどってきました。あばた面《づら》は、たいそう不機嫌《ふきげん》な顔《かお》つきをして帰《かえ》ってくると、少年《しょうねん》に向《む》かっていいました。 「おまえのいうことを聞《き》いて、ほんとうにしたばかりに大《おお》ばかをみてしまった。だれひとり、道《みち》を聞《き》くものもなけりゃ、銭《ぜに》をくれるものも数《かぞ》えるほどしかなかった。分《わ》けまえどころか、おまえから昨日《きのう》の分《わ》けまえをもらわなけりゃ、埋《う》め合《あ》わせがつかない。それがいやなら、この宿《やど》からさっさと外《そと》へ出《で》てゆけ。」と、怖《おそ》ろしい目《め》つきをしてにらみました。  少年《しょうねん》は、ついにその宿《やど》から追《お》い出《だ》されてしまいました。暗《くら》い夜路《よみち》をあてもなく歩《ある》いてゆきますと、いつしか山《やま》の方《ほう》へ入《はい》ってゆく道《みち》に出《で》たものとみえて、ある大《おお》きな坂《さか》にさしかかりました。  ちょうどこのとき、馬《うま》に車《くるま》を引《ひ》かせ、石《いし》を積《つ》んで坂《さか》を上《のぼ》りかけている男《おとこ》を見《み》ました。どこからきたものか、人《ひと》も馬《うま》も疲《つか》れていました。少年《しょうねん》は気《き》の毒《どく》に思《おも》って、坂《さか》を上《のぼ》るときに、その車《くるま》の後《あと》を押《お》してやりました。すると車《くるま》の上《うえ》から、小《ちい》さな石《いし》ころが一つ転《ころ》げ落《お》ちました。なんの気《き》なしに振《ふ》り向《む》いてみると、その石《いし》が不思議《ふしぎ》にきらきらと光《ひか》っていました。 「石《いし》が落《お》ちた。」と、少年《しょうねん》は、男《おとこ》に注意《ちゅうい》をしたけれど、男《おとこ》は黙《だま》っていました。返事《へんじ》をするのも物憂《ものう》かったようすであります。また、石《いし》ころ一つくらいどうでもいいと思《おも》っているようにも見《み》えました。少年《しょうねん》は、坂《さか》の上《うえ》まで押《お》してやりました。しかし、男《おとこ》は下《くだ》り坂《ざか》にかかると礼《れい》もいわずに、さっさといってしまいました。  独《ひと》り後《あと》に残《のこ》された少年《しょうねん》は、ぼんやりと立《た》っていましたが、なんとなく、光《ひか》る石《いし》に気《き》が引《ひ》かされましたので、わざわざもどってそれを拾《ひろ》ってみました。それは、黒《くろ》っぽい岩《いわ》のような石《いし》のかけらでありました。少年《しょうねん》は、その夜《よる》は、ついにこの石《いし》を抱《だ》いたまま、坂《さか》の下《した》の草原《くさはら》の中《なか》で野宿《のじゅく》をしました。  夏《なつ》の夜明《よあ》け方《がた》のさわやかな風《かぜ》が、ほおの上《うえ》を吹《ふ》いて、少年《しょうねん》は目《め》をさましますと、うす青《あお》い空《そら》に、西《にし》の山々《やまやま》がくっきりと黒《くろ》く浮《う》かんで見《み》えていました。そして、その一つの嶺《みね》の頂《いただき》に、きらきらと星《ほし》が光《ひか》っていました。少年《しょうねん》は、じっと星《ほし》の光《ひかり》を見《み》ていますうちに、熱《あつ》い涙《なみだ》がしぜんと目《め》の底《そこ》にわいてきました。それは、産《う》まれ変《か》わったように体《からだ》が強《つよ》くなって、ふたたびこの世《よ》の中《なか》に出《で》て働《はたら》くことのできる、長《なが》い、長《なが》い、未来《みらい》の生活《せいかつ》が空想《くうそう》されたからであります。  いうにいえない悲壮《ひそう》な感《かん》じが、このとき、少年《しょうねん》の胸《むね》にわき上《あ》がりました。 「どんな、遠《とお》くへでも歩《ある》いていこう。」  少年《しょうねん》は、おばあさんから聞《き》いた温泉《おんせん》を思《おも》い出《だ》して心《こころ》でいいました。  いよいよ夜《よ》が明《あ》けると太陽《たいよう》が笑《わら》いました。このとき、少年《しょうねん》は、いままで大事《だいじ》にして握《にぎ》っていた石《いし》ころをつくづくとながめたのです。昨夜《ゆうべ》草原《くさはら》にねていて、空《そら》に輝《かがや》いている星《ほし》をながめたが、その星《ほし》のかけらのように、美《うつく》しく、紫色《むらさき》に光《ひか》っている石《いし》でありました。  少年《しょうねん》は、その石《いし》を持《も》って町《まち》へ出《で》ました。そして、ある飾《かざ》り屋《や》の前《まえ》を通《とう》りかかりましたときに、その店《みせ》さきにすわっていた主人《しゅじん》にこの石《いし》を見《み》てもらいました。主人《しゅじん》は、眼鏡《めがね》をかけて、よく石《いし》を見《み》ていましたが、 「これは珍《めずら》しい石《いし》だ。」といって、どうか売《う》ってくれないかと頼《たの》みました。少年《しょうねん》は、石《いし》よりもっと自分《じぶん》の命《いのち》がたいせつだと、温泉《おんせん》行《ゆ》きのことを思《おも》って、主人《しゅじん》に美《うつく》しい紫色《むらさき》の石《いし》を売《う》ってやりました。 「こんな珍《めずら》しい石《いし》なら、いつでも買《か》いますから、また、ありましたら持《も》ってきてください。」と、飾《かざ》り屋《や》の主人《しゅじん》はいいました。  少年《しょうねん》は、その店《みせ》から出《で》て、往来《おうらい》に立《た》ちましたときに、また、今夜《こんや》も、あの坂《さか》の下《した》に待《ま》っていて、もし、あの車《くるま》がきたときに、後《あと》を押《お》してやろうかなどと考《かんが》えましたが、なんでも、いい機会《きかい》というものは、二度《にど》あるものでない。お開帳《かいちょう》の日《ひ》だって、つぎの日《ひ》には、あんなことがあったと考《かんが》えると、旅費《りょひ》のできたのを幸《さいわ》いに、はやく目的地《もくてきち》をさしてゆこうと決心《けっしん》したのであります。」 底本:「定本小川未明童話全集 3」講談社    1977(昭和52)年1月10日第1刷    1981(昭和56)年1月6日第7刷 初出:「婦人之友」    1921(大正10)年9月 ※表題は底本では、「石《いし》をのせた車《くるま》」となっています。 ※初出時の表題は「石を載せた車」です。 入力:ぷろぼの青空工作員チーム入力班 校正:本読み小僧 2012年9月26日作成 2013年8月24日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。