海ほおずき 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)梅雨《つゆ》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)四|軒《けん》め -------------------------------------------------------  梅雨《つゆ》のうちに、花《はな》という花《はな》はたいていちってしまって、雨《あめ》が上《あ》がると、いよいよ輝《かがや》かしい夏《なつ》がくるのであります。  ちょうどその季節《きせつ》でありました。遠《とお》い、あちらにあたって、カン、カン、カンカラカンノカン、……という磬《けい》の音《おと》がきこえてきました。 「また、あのお祭《まつ》りの時節《じせつ》になった。ほんとうに月日《つきひ》のたつのは早《はや》いものだ。」と、お母《かあ》さんはいわれました。  あや子《こ》はある日《ひ》のこと、学校《がっこう》の帰《かえ》り途《みち》に、その小《ちい》さなお寺《てら》の境内《けいだい》にはいってみました。するとそこには、いろいろの店《みせ》が出《で》ていました。そして、子供《こども》らがたくさん、どの店《みせ》の前《まえ》にも集《あつ》まっていました。赤《あか》い風船球《ふうせんだま》を売《う》っているのや、あめ屋《や》や、またおもちゃなどを売《う》っているのが目《め》にはいりました。  あや子《こ》はそれらの前《まえ》を通《とお》りぬけて、にぎやかなところから、すこしさびしい裏通《うらどお》りに出《で》ようとしますと、そこにも一人《ひとり》のおばあさんが店《みせ》を出《だ》していました。やはり、駄菓子《だがし》やおもちゃの類《るい》に、そのほか子供《こども》の好《す》きそうなものを並《なら》べていました。あや子《こ》は、べつにそれまではなにもほしいとは思《おも》いませんでした。ただ、いろいろな店《みせ》の前《まえ》を過《す》ぎて、それらをながめてきたのでありますが、いま、おばあさんの店《みせ》の前《まえ》にさしかかって、ふと歩《あゆ》みを止《と》めたのであります。  それは、一つのさらの中《なか》に、海《うみ》ほおずきがぬれて光《ひか》っていたからであります。  あや子《こ》は、これがなんというものであるか知《し》らなかったのです。ほおずきであろうとは思《おも》ったけれど、かつてこんな珍《めずら》しいものは、見《み》たことがなかったからです。 「おばあさん、これはなんというものですか。」と、あや子《こ》はほおを染《そ》めながら、店《みせ》に腰《こし》をかけていたおばあさんにききました。  おばあさんはもう、頭《あたま》の髪《かみ》の毛《け》がだいぶ白《しろ》くなっていて、人《ひと》のよさそうなおばあさんでありましたから、あや子《こ》はつい、そういって聞《き》く気《き》になったのでした。 「これですか、海《うみ》ほおずきですよ。ここらでは、めったに売《う》っていませんよ。」と、おばあさんは答《こた》えました。  あや子《こ》は、家《うち》へ帰《かえ》ってからお母《かあ》さんの許《ゆる》しを受《う》けて、買《か》おうと思《おも》いました。それで、途《みち》すがらも海《うみ》ほおずきのことを、頭《あたま》の中《なか》で考《かんが》えながら歩《ある》いてきました。  彼女《かのじょ》は、あのたんぼにできる真紅《まっか》なほおずきよりは、どんなに、この、海《うみ》にある珍《めずら》しいほおずきを、ほしいと思《おも》ったかしれませんでした。 「お母《かあ》さん、海《うみ》ほおずきを買《か》ってきてもよろしゅうございますか。」と、あや子《こ》はお母《かあ》さんにいいました。 「おまえがそんなにほしければ、用事《ようじ》をしまったらいっておいでなさい。」と、お母《かあ》さんはいわれました。  あや子《こ》が用事《ようじ》をすましますと、かれこれ晩方《ばんがた》になったのであります。しかし、毎日《まいにち》、学校《がっこう》へゆく途《みち》すがらであり、また町《まち》つづきでありますから、急《いそ》いでいってこようと家《うち》を出《で》かけたのです。  さっきまで、よく晴《は》れていた空《そら》が、いつのまにか曇《くも》っていました。そして、もうすぐお寺《てら》が間近《まぢか》になった時分《じぶん》に、ぽつり、ぽつりと雨《あめ》が落《お》ちてきました。  あや子《こ》は帰《かえ》ろうかと思《おも》いましたが、せっかくここまできて、買《か》わずに帰《かえ》るのが残念《ざんねん》だという気《き》がしましたので、急《いそ》いでお寺《てら》へゆきますと、もういろいろな店《みせ》は、片《かた》づきかけています。  おばあさんの店《みせ》はと思《おも》って、あや子《こ》はさっそくそのお店《みせ》までゆきますと、おばあさんも片《かた》づけていました。 「海《うみ》ほおずきをおくんなさい。」と、あや子《こ》はせきこんでいいました。海《うみ》ほおずきのはいっていたさらは、もうそこには見《み》えませんでした。 「おお、海《うみ》ほおずきは、もうこの箱《はこ》の底《そこ》のほうにしまいましたよ。」と、おばあさんは答《こた》えました。あや子《こ》はがっかりしました。  そのうちに、雨《あめ》がだんだん降《ふ》ってきました。おばあさんは、あわてて箱《はこ》の中《なか》へ残《のこ》りの品物《しなもの》を入《い》れています。あや子《こ》は、おばあさんが気《き》の毒《どく》になって、自分《じぶん》の急《いそ》いで帰《かえ》らなければならぬことも忘《わす》れて、おばあさんにてつだってやりました。おばあさんはたいそう喜《よろこ》びました。  やがてそれらの箱《はこ》を小《ちい》さな車《くるま》に積《つ》んで、おばあさんはみすぼらしいふうをして、その車《くるま》をだれも助《たす》けてくれるものもなく、一人《ひとり》で引《ひ》いて、暗《くら》い道《みち》を帰《かえ》ってゆくのです。そのとき、おばあさんはあや子《こ》を振《ふ》り向《む》いて、 「私《わたし》の家《うち》は、この道《みち》をどこまでもまっすぐにいって、突《つ》き当《あ》たったら左《ひだり》に曲《ま》がって、一丁《ちょう》ばかりゆくと車屋《くるまや》がある。それから四軒《けん》めの家《うち》です。海《うみ》ほおずきがたくさんありますよ。」といいました。あや子《こ》はしばらく立《た》って、おばあさんのゆくのを見送《みおく》っていました。そして、家《うち》に帰《かえ》る時分《じぶん》には、もう町《まち》には燈火《ともしび》がついて、銀《ぎん》のような雨《あめ》が、そんなにひどくはなかったけれど、降《ふ》っていました。  あくる日《ひ》もやはり雨《あめ》が降《ふ》っていました。  カン、カン、カンカラカンノカン、……と雨《あめ》の中《なか》に、遠《とお》く磬《けい》をたたく音《おと》がきこえていました。  そのつぎの日《ひ》には、雨《あめ》が晴《は》れて、めっきり暑《あつ》くなりましたが、もうお祭《まつ》りは終《お》わってしまって、あや子《こ》は学校《がっこう》の帰《かえ》りに、そのお寺《てら》の境内《けいだい》を通《とお》りましたけれど、なんの店《みせ》もなかったのです。ただ青々《あおあお》とした木立《こだち》が、空《そら》にしげっていました。  しかし、彼女《かのじょ》はどうしても海《うみ》ほおずきを目《め》から忘《わす》れることができませんでした。家《うち》に帰《かえ》ってもそのことばかり思《おも》い出《だ》していました。 「お母《かあ》さん、あのおばあさんの家《うち》へ、海《うみ》ほおずきを買《か》いにいってきてはいけませんか。」と、ある晩《ばん》、たまりかねてききました。  するとお母《かあ》さんは笑《わら》いながら、 「その家《うち》がわかっているならいっておいで。しかし、おまえ一人《ひとり》ではいけないから、ねえやをいっしょにつれておいでなさい。」といわれました。  あや子《こ》は喜《よろこ》んで女中《じょちゅう》をつれて、二人《ふたり》はいっしょにおばあさんの家《うち》をたずねてゆきました。  いい月夜《つきよ》でありました。二人《ふたり》は長《なが》い長《なが》い町《まち》を歩《ある》いてゆきました。だんだんゆくにつれて場末《ばすえ》になるとみえて、町《まち》の中《なか》はさびしく、人通《ひとどお》りも少《すく》なく、暗《くら》くなってきました。けれどもまだ宵《よい》のうちで、どこの家《うち》も起《お》きています。  やっと二人《ふたり》は、その町《まち》はずれに突《つ》きあたりました。それから左《ひだり》に曲《ま》がりました。なるほど、おばあさんのいったように、一丁《ちょう》ばかりゆくと一軒《けん》の車屋《くるまや》がありました。このあたりは、どの家《うち》も狭《せま》く、汚《きたな》く、屋根《やね》が低《ひく》うございました。  あや子《こ》は車屋《くるまや》から四軒《けん》めの家《うち》を数《かぞ》えてゆきますと、その家《うち》は、はや、戸《と》が閉《し》まっていました。が、戸《と》のすきまから燈火《あかり》がさしていました。 「今晩《こんばん》は、今晩《こんばん》は。」と、あや子《こ》と女中《じょちゅう》は、かわるがわるにいって、その戸《と》をたたきました。するとやっと、ことことと人《ひと》の出《で》てくるけはいがしました。そして戸《と》が開《あ》いて、 「だれですかえ。」と、頭《あたま》の髪《かみ》の白《しろ》いおばあさんが顔《かお》を出《だ》していいました。 「海《うみ》ほおずきをおくんなさい。」と、あや子《こ》はいいました。 「どこからおいでなすったの。」と、おばあさんは目《め》をくしゃくしゃさしてききました。 「おばあさん、私《わたし》ですよ。いつかお祭《まつ》りのとき雨《あめ》が降《ふ》って買《か》われなかったので、今晩《こんばん》買《か》いにきたのです。」と、あや子《こ》は答《こた》えました。 「あ、そうですか。」と、おばあさんは思《おも》い出《だ》したとみえて、うなずきました。そして、そのまま奥《おく》へはいりました。二人《ふたり》は外《そと》の戸口《とぐち》のところに待《ま》っていますと、おばあさんは、海《うみ》ほおずきの一《ひと》かたまりになっているのをつまみ出《だ》して、安《やす》くあや子《こ》に売《う》ってくれました。二人《ふたり》は大喜《おおよろこ》びでありました。そして、その家《うち》から出《で》て、また長《なが》い町《まち》を歩《ある》いて家《うち》へ帰《かえ》りますと、夜《よる》もいつしか更《ふ》けていました。  お父《とう》さんやお母《かあ》さんまでが、その海《うみ》ほおずきを珍《めずら》しがって、手《て》にとってながめられました。あくる日《ひ》、あや子《こ》は学校《がっこう》へ持《も》っていって、お友《とも》だちにも分《わ》けてやりました。  その年《とし》の夏《なつ》も暮《く》れてしまったのです。お母《かあ》さんのおっしゃられたように、月日《つきひ》のたつのはほんとうに早《はや》いものです。  また夏《なつ》がめぐってきました。するとあや子《こ》は、去年《きょねん》買《か》った海《うみ》ほおずきのことを思《おも》い出《だ》しました。ある日《ひ》、あや子《こ》はおばあさんの家《うち》をたずねてゆきました。車屋《くるまや》から四|軒《けん》めの家《うち》をさがしますと、そこは綿屋《わたや》になって、ほかの若《わか》い人《ひと》たちが住《す》んでいました。  お祭《まつ》りの日《ひ》になりました。磬《けい》の音《おと》が遠《とお》くあちらできこえました。あや子《こ》はある晩《ばん》、おばあさんがまた店《みせ》を出《だ》していないかと思《おも》って、お寺《てら》の境内《けいだい》へきてみますと、去年《きょねん》出《で》たようないろいろの店《みせ》はありましたが、おばあさんの姿《すがた》は、やはり見《み》えませんでした。そして、いつかおばあさんの店《みせ》を出《だ》していた場所《ばしょ》には、知《し》らぬ背《せ》の高《たか》い男《おとこ》が、ダリアを地面《じめん》にたくさん並《なら》べていました。カンテラの火《ひ》は、それらのダリアの花《はな》を照《て》らしていました。中《なか》に、黒《くろ》いダリアの花《はな》が咲《さ》いていました。  あや子《こ》は家《うち》へ帰《かえ》ってからも、なおその花《はな》が目《め》についていたのであります。 底本:「定本小川未明童話全集 3」講談社    1977(昭和52)年1月10日第1刷    1981(昭和56)年1月6日第7刷 ※表題は底本では、「海《うみ》ほおずき」となっています。 入力:ぷろぼの青空工作員チーム入力班 校正:本読み小僧 2012年10月15日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。