汽車の中のくまと鶏 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)田舎《いなか》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)二|度《ど》 -------------------------------------------------------  ある田舎《いなか》の停車場《ていしゃじょう》へ汽車《きしゃ》がとまりました。その汽車《きしゃ》は、北《きた》の方《ほう》の国《くに》からきて、だんだん南《みなみ》の方《ほう》へゆくのでありました。どの箱《はこ》にも、たくさんな荷物《にもつ》が積《つ》んでありました。どこかの山《やま》から伐《き》り出《だ》されたのであろう、材木《ざいもく》や掘《ほ》り出《だ》された石炭《せきたん》や、その他《た》いろいろなものがいっぱいに載《の》せられていました。その中《なか》の、一つの箱《はこ》だけは、扉《とびら》がひとところ開《あ》いていました。そして、その中《なか》には、黒《くろ》い鉄《てつ》のがっしりしたかごの中《なか》に、一頭《とう》の大《おお》きなくまが、はいっていました。  北《きた》の寒《さむ》い国《くに》で捕《と》らえられた、この力《ちから》の強《つよ》い獣物《けもの》は、見《み》せ物《もの》にされるために、南《みなみ》の方《ほう》へ送《おく》られる途中《とちゅう》にあったのです。しかし、くまには、そんなことはわかりませんでした。ただ太《ふと》い鉄棒《てつぼう》でつくられたかごの中《なか》へ入《い》れられて、そのかわいらしい円《まる》い目《め》で、珍《めずら》しそうに、移《うつ》り変《か》わってゆく、外《そと》の景色《けしき》をながめていたのでありました。このくまにも、親《おや》や兄弟《きょうだい》はあったのでありましょう。しかし、それらは、いま険阻《けんそ》な山奥《やまおく》に残《のこ》っていて、捕《と》らえられたくまのことを思《おも》い出《だ》しているかもしれませんが、そのくまの故郷《こきょう》は、だんだん遠《とお》くなってしまったのです。このくまも、やはり毎日駆《まいにちか》けまわった山《やま》や、谷《たに》や、河《かわ》のことを思《おも》い出《だ》しているのかもしれませんでした。そのとき、ちょうど停車場《ていしゃじょう》の構内《こうない》に、鶏《にわとり》が餌《え》をさがしながら歩《ある》いていました。ふと鶏《にわとり》は頭《あたま》をあげると、貨車《かしゃ》に鉄《てつ》のかごがのせられてあって、その内《うち》から真《ま》っ黒《くろ》な怖《おそ》ろしい動物《どうぶつ》が、じっと円《まる》い光《ひか》る目《め》で、こちらを見《み》ているのに出《で》あってびっくりいたしました。鶏《にわとり》は、コッ、コッ、といって、友《とも》だちを呼《よ》ぼうとしました。すると、くまは、穏《おだ》やかに話《はな》しかけました。 「私《わたし》は、おまえさんをどうしようとするのでない。こんなかごの中《なか》へはいっているのでは、どうすることもできないではありませんか。私《わたし》は、先刻《さっき》から、おまえさんが餌《え》を探《さが》しているのを見《み》ていたが、なぜそんな砂地《すなじ》などをあちこちと歩《ある》きまわって、見《み》つかりもしないのに、餌《え》などを探《さが》しているのですか。おまえさんの大好《だいす》きな米《こめ》も、豆《まめ》も、きびも、どこの野原《のはら》にもたくさんあるじゃありませんか。なぜ、それを取《と》って食《た》べないのです。」  鶏《にわとり》は、怖《おそ》ろしいと思《おも》ったくまが、あまりやさしいので、二|度《ど》びっくりいたしました。 「そうですか、どこにそんなにたくさん、米《こめ》や、きびがあるのですか、教《おし》えてください。」と、鶏《にわとり》はいいました。くまは、かごの格子《こうし》の目《め》から、大《おお》きな体《からだ》に比較《ひかく》して、ばかに小《ちい》さく見《み》える頭《あたま》をば上下《じょうげ》に振《ふ》って、あたりをながめていました。 「なるほど、ここは家《いえ》ばかりしか見《み》えませんね。私《わたし》は、ここまでくる長《なが》い間《あいだ》、どれほど、あなたがたが自由《じゆう》にすめる、いい場所《ばしょ》を見《み》てきたかしれません。おそらく、これからゆく先《さき》の途中《とちゅう》にも、そんなようなところを見《み》るでありましょう。幸《さいわ》いいまだれも見《み》ていません。おまえさんは、私《わたし》の乗《の》っているこの貨車《かしゃ》の中《なか》へお入《はい》りなさい。そして、いいところへ、私《わたし》がつれていってあげますから。」と、くまはいいました。鶏《にわとり》は、きょときょとした目《め》つきで、くびを伸《の》ばしてあたりを見《みわ》まわしました。 「ほんとうに、だいじょうぶでしょうか?」 「だいじょうぶですとも。私《わたし》は、かごの中《なか》へ入《はい》っていてもほえられます。もし、だれか私《わたし》たちのいるところへやってきたなら、私《わたし》は、ほえてやります。みんなは怖《おそ》ろしがって、私《わたし》たちに、近《ちか》づくものはないでしょう。」と、くまはいいました。くまの力強《ちからづよ》い言葉《ことば》に、小《ちい》さな鶏《にわとり》はまったく打《う》たれてしまいました。そして、ついに、うす暗《ぐら》い貨車《かしゃ》の中《なか》へ飛《と》び上《あ》がりました。 「汽車《きしゃ》の出《で》るまで、あのすみにしゃがんでいなさい。」と、くまはいいました。鶏《にわとり》は、くまのいうままにしました。だれも、鶏《にわとり》の貨車《かしゃ》に入《はい》ったことを気《き》づくものがありませんでした。そのうちに笛《ふえ》がひびいて、ゴト、ゴト、と鳴《な》って、汽車《きしゃ》が動《うご》きはじめました。しばらくするとくまは、このときまで、まだ、うす暗《ぐら》い片《かた》すみにじっとしている鶏《にわとり》の方《ほう》を向《む》いて、 「もうだいじょうぶだ。だれも、ここへはやってこないから安心《あんしん》なさい。そして、まあここから、ちょっと外《そと》をのぞいてごらんなさい。あんなにきびが実《みの》っているじゃありませんか。あちらの田《た》には、あんなに米《こめ》が実《みの》っているじゃありませんか。おまえさんがどこへ降《お》りようとかってなんだ。」といいました。鶏《にわとり》は、怖《おそ》る怖《おそ》る、扉《とびら》の開《あ》いたすきまから、外《そと》をながめました。田《た》も圃《はたけ》も、見渡《みわた》すかぎり黄色《きいろ》に実《み》っていました。 「なるほど、みんな熟《じゅく》していますね。しかし、私《わたし》たちがあれをとって食《た》べたら、人間《にんげん》が怒《おこ》るでありましょう。」 「だれが、それを見《み》ているものですか。かってに降《お》りて、食《た》べるがいい。」と、くまはいいました。鶏《にわとり》は、震《ふる》えながら、「あぶなくはないでしょうか。こんなに汽車《きしゃ》は疾《はや》く走《はし》っています。」といいました。  これを聞《き》くと、くまは、さげすむような、また、あわれむような目《め》つきをして、鶏《にわとり》をながめていました。そしていいました。 「おまえさんは、羽《はね》を持《も》っているじゃないか。なんのための羽《はね》なんですか。私《わたし》は、羽《はね》などはなくっても、この体《からだ》が、自由《じゆう》になれば、すぐにもここから飛《と》び降《お》りてみせます。そして、この広《ひろ》い野原《のはら》も縦横《じゅうおう》に駈《か》けるであろう。」といって、くまは、かごの外《そと》の自然《しぜん》に憧《あこが》れるのでした。 「ああ、自由《じゆう》に放《はな》たれていて、しかも、羽《はね》すら持《も》ちながら、それができないとは、なんという情《なさ》けないことだ……。」と、くまは、はがゆがりました。汽車《きしゃ》は、いくつかの停車場《ていしゃじょう》にとまりました。けれど鶏《にわとり》は怖《こわ》がってどこへも降《お》りることができませんでした。晩方《ばんがた》になると、鶏《にわとり》は、心細《こころぼそ》がりました。 「私《わたし》は、どうしたらいいでしょうか。」と、ため息《いき》をもらしながら、くまに向《む》かって聞《き》きました。 「おまえさんなど、どこだって餌《え》がたくさんにあって、すみよければいいじゃないか、自由《じゆう》にいいところを探《さが》すのだね。」といいました。すると鶏《にわとり》は、さびしそうな顔《かお》つきをして、 「いいえ、私《わたし》には、そんなことができません。あなたのいうことを聞《き》かなければよかった。昨日《きのう》まですんでいました小舎《こや》が恋《こい》しくなりました。」と答《こた》えました。 「そんなことをいったって、もうだめだ。遠《とお》くなってしまって帰《かえ》れやしない。」と、くまはいいました。 底本:「定本小川未明童話全集 3」講談社    1977(昭和52)年1月10日第1刷    1981(昭和56)年1月6日第7刷 ※表題は底本では、「汽車《きしゃ》の中《なか》のくまと鶏《にわとり》」となっています。 入力:ぷろぼの青空工作員チーム入力班 校正:本読み小僧 2012年9月28日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。