びっこのお馬 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)二郎《じろう》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)一|本《ぽん》 -------------------------------------------------------  二郎《じろう》は、ある日《ひ》、外《そと》に立《た》っていますと、びっこの馬《うま》が、重《おも》い荷《に》を背中《せなか》につけて、引《ひ》かれていくのでありました。  二郎《じろう》は、その馬《うま》を見《み》て、かわいそうに思《おも》いました。どんなに不自由《ふじゆう》だろう。そう思《おも》うと、達者《たっしゃ》な馬《うま》は、威勢《いせい》よく、はやく歩《ある》いていくのに、びっこの馬《うま》はそれに負《ま》けまいとして、汗《あせ》を流《なが》していっしょうけんめいに歩《ある》いているけれど、どうしてもおくれがちになるのでありました。 「このびっこめ、はやく歩《ある》け……。」と、その馬《うま》を引《ひ》いている親方《おやかた》は、ピシリ、ピシリとこの馬《うま》のしりを打《う》つのでした。  二郎《じろう》は、ぼんやりと立《た》って、それを見送《みおく》っていますと、やがて、往来《おうらい》をあちらの方《ほう》へと、遠《とお》ざかっていったのであります。二郎《じろう》は、まだ六つになったばかりでした。  家《うち》に入《はい》ってから、兄《にい》さんや、姉《ねえ》さんに、今日《きょう》、あちらの道《みち》をかわいそうなびっこの馬《うま》が通《とお》ったことを話《はな》しました。しかし、兄《にい》さんも、姉《ねえ》さんも、自分《じぶん》たちは、それを見《み》なかったから、 「二郎《じろう》ちゃんは、なにを見《み》たんだか……。」といって、笑《わら》っていました。  二郎《じろう》は、自分《じぶん》の見《み》た、悲《かな》しい、哀《あわ》れな馬《うま》について、よく兄《あに》や、姉《あね》にわからせたいと、いろいろにあせって、どもりながら、訴《うった》えましたけれど、相手《あいて》にしてくれないので、 「そんなら、あしたの晩方《ばんがた》、外《そと》に出《で》ていてごらん、きっと、あの馬《うま》が通《とお》るだろうから……。」と、二郎《じろう》は、兄《にい》さんや姉《ねえ》さんにいいました。 「ああ、通《とお》ったら、知《し》らしておくれ。」と、兄《にい》さんや、姉《ねえ》さんは答《こた》えました。  二郎《じろう》は、あくる日《ひ》の晩方《ばんがた》、友《とも》だちらが外《そと》に出《で》て、鬼《おに》ごっこをしたり、独楽《こま》をまわしたりして遊《あそ》んでいる時分《じぶん》に、独《ひと》り、みんなから離《はな》れて、ぼんやりと往来《おうらい》の上《うえ》に立《た》って、通《とお》る馬《うま》や、車《くるま》をながめていました。また、昨日《きのう》のびっこの馬《うま》が通《とお》るかと思《おも》ったからです。  二郎《じろう》の立《た》っている前《まえ》を通《とお》る車《くるま》や、馬《うま》は、黄色《きいろ》なほこりをたててゆきました。ほこりは、これらの馬《うま》や車《くるま》がいってしまった後《あと》でも、なお空中《くうちゅう》にただよっていましたが、ついに昨日《きのう》のびっこの馬《うま》は通《とお》りませんでした。 「二郎《じろう》ちゃん、びっこの馬《うま》は通《とお》った?」と、家《うち》に入《はい》ったときに、兄《にい》さんや、姉《ねえ》さんは、二郎《じろう》に問《と》いました。二郎《じろう》は、さびしそうに頭《あたま》を左右《さゆう》に振《ふ》りました。しかし、たとえ、今日《きょう》、この道《みち》を通《とお》らなくとも、どこかの往来《おうらい》の上《うえ》を、今日《きょう》もまたあのびっこの馬《うま》は通《とお》るであろうと、二郎《じろう》は子供心《こどもごころ》ながらにも想像《そうぞう》されたのです。そして、そのいじらしい姿《すがた》を思《おも》うと、二郎《じろう》は、哀《あわ》れになって涙《なみだ》ぐまれたのであります。  二郎《じろう》は、自分《じぶん》の机《つくえ》のひきだしの中《なか》に、色紙《いろがみ》と、はさみとを持《も》っていました。彼《かれ》は、それを取《と》り出《だ》してきて、びっこの青《あお》い馬《うま》を切《き》り抜《ぬ》いたのでした。  その紙《かみ》の馬《うま》は、よくようすが、あのとき見《み》た、びっこの馬《うま》に似《に》ているように、自分《じぶん》に思《おも》われました。  彼《かれ》は、その馬《うま》を立《た》つように工夫《くふう》しました。そして、それを机《つくえ》の上《うえ》にのせてみては、いろいろと空想《くうそう》にふけっていたのであります。 「かわいそうな馬《うま》が、こうして、今日《きょう》も、どこかの道《みち》の上《うえ》を歩《ある》くであろう。」  こう、二郎《じろう》は、紙《かみ》の青《あお》い馬《うま》をながめて思《おも》っていました。あのとき見《み》た馬《うま》は、青《あお》い馬《うま》ではなかったのです。しかし、彼《かれ》が紙《かみ》の青《あお》い馬《うま》を見《み》ているうちに、頭《あたま》の中《なか》の馬《うま》も、いつしか青《あお》い色《いろ》に変《か》わってしまったのであります。  ちょうど春《はる》で、ぼけの花《はな》の咲《さ》く時分《じぶん》でありました。兄《あに》は、どこからか、ぼけの植《う》わっている鉢《はち》を持《も》ってきました。いまその木《き》には、真紅《まっか》な花《はな》がもみつけたように盛《さか》りでありました。兄《あに》は、それを庭先《にわさき》の石《いし》の上《うえ》にのせて、朝晩《あさばん》、水《みず》をやって、大事《だいじ》にしていました。  ある夜《よ》のこと、庭先《にわさき》でねこがたいへんにないて、けんかをしました。翌日《よくじつ》、戸《と》を開《あ》けてみると、ぼけの枝《えだ》が一|本《ぽん》折《お》れていました。それは、ねこがけんかをしたときに、さわって折《お》ったので、そこには、白《しろ》い毛《け》がたくさんに落《お》ちていました。これを見《み》たとき、驚《おどろ》いたのは、兄《にい》さんばかりでありません。姉《ねえ》さんも、また二郎《じろう》もたいそう驚《おどろ》いたのです。しかし、その中《うち》でも、兄《あに》は、いちばん悲《かな》しみました。 「どうしたら、また、もとのような枝《えだ》ぶりになるだろう?」と、兄《にい》さんはいって、ねこをうらんだのであります。  このとき、ちょうど、叔父《おじ》さんがおいでになりました。そして、兄《あに》の悲《かな》しんでいるそばへやってこられて、 「そんなに、悲《かな》しまなくたっていい。雨《あめ》の降《ふ》る日《ひ》に、外《そと》へ出《だ》してやれば、じきに、折《お》れたところから新《あたら》しい芽《め》をふくから。」と、叔父《おじ》さんは申《もう》されました。  兄《あに》は、これを聞《き》くとたいそう喜《よろこ》びました。そして、雨《あめ》の降《ふ》る日《ひ》に、兄《あに》は、ぼけの鉢《はち》を外《そと》に出《だ》してやりました。  二郎《じろう》は、兄《にい》さんのすることを黙《だま》って、よく見《み》ていました。折《お》れた枝《えだ》も雨《あめ》に当《あ》たれば、芽《め》をふくというから、びっこの馬《うま》も、雨《あめ》に当《あ》たったら、きっと足《あし》が伸《の》びるだろうと、考《かんが》えたのであります。  天気《てんき》の曇《くも》った日《ひ》のことでありました。二郎《じろう》は、姉《ねえ》さんに、紙《かみ》の青《あお》い馬《うま》を渡《わた》して、 「姉《ねえ》さん、どうかこの馬《うま》を二|階《かい》の屋根《やね》の上《うえ》に出《だ》しておいてください。」といいました。 「なぜ、二郎《じろう》ちゃんはそんなことをするの?」と、姉《ねえ》さんは不思議《ふしぎ》がりました。脊《せ》の低《ひく》い二郎《じろう》には、自分《じぶん》独《ひと》りでは、それを窓《まど》の外《そと》に出《だ》すことができなかったのです。 「いいから、出《だ》しておくれよ。」と、二郎《じろう》は頼《たの》みました。 「いまじきに雨《あめ》が降《ふ》ってきますよ。すると、お馬《うま》がぬれてしまいますよ。」と、姉《ねえ》さんはいいました。 「雨《あめ》に当《あ》たったら、お馬《うま》の足《あし》が伸《の》びるだろう。」と、二郎《じろう》がいいましたので、姉《ねえ》さんも、この話《はなし》を聞《き》いていた兄《にい》さんも、また、家《うち》じゅうの人《ひと》がみんなで笑《わら》いました。 「ああ、伸《の》びますよ。」と、姉《ねえ》さんはいって、また笑《わら》われました。  みんなは、二郎《じろう》が、ぼけの枝《えだ》に芽《め》をふくから、お馬《うま》の足《あし》も伸《の》びるだろうと思《おも》っているのを、無理《むり》に打《う》ち消《け》すのをかわいそうに思《おも》ったからです。 「じゃ、出《だ》しておいてあげようね。」と、姉《ねえ》さんは、二郎《じろう》の造《つく》ったびっこの馬《うま》を二|階《かい》の屋根《やね》の上《うえ》にのせておきました。  そのうちに、雨《あめ》が降《ふ》ってきました。雨《あめ》は、庭先《にわさき》のぼけの花《はな》に当《あ》たると、紅《あか》い花片《はなびら》が雨《あめ》に打《う》たれてばらばらと、とれて落《お》ちました。また、雨《あめ》は二|階《かい》の屋根《やね》に出《で》ていた紙《かみ》の青《あお》い馬《うま》にあたりました。するとまもなく、紙《かみ》の馬《うま》はびっしょりとぬれてしまいました。  一晩《ひとばん》、雨《あめ》は降《ふ》りつづきました。夜《よ》が明《あ》けると、二郎《じろう》は、まず起《お》きて、庭先《にわさき》のぼけの折《お》れたところに、芽《め》がふいたかと見《み》ました。しかし、そこはただ白《しろ》くなって、昨日《きのう》のままでありました。 「兄《にい》さんのぼけは、まだ芽《め》を出《だ》さないが、僕《ぼく》のお馬《うま》は、足《あし》が伸《の》びたろうか?」と、二郎《じろう》は思《おも》いました。  そして、さっそく、二|階《かい》へ上《あ》がっていって、窓《まど》ぎわに立《た》ちましたけれど、脊《せ》が低《ひく》くて、二郎《じろう》は、屋根《やね》の上《うえ》をのぞくことができませんでした。 「姉《ねえ》さん、僕《ぼく》のお馬《うま》の足《あし》はどうなった? 見《み》さしておくれよ。」と、二郎《じろう》は、姉《ねえ》さんに抱《だ》いて見《み》せてくれるように頼《たの》みました。  姉《ねえ》さんは、窓《まど》のところへきてのぞいてみますと、青《あお》いお馬《うま》は、雨《あめ》に打《う》たれて、紙《かみ》の青《あお》い色《いろ》はみんなとれてしまって、いまは汚《きたな》らしく、見《み》る影《かげ》もなくなっているのでした。姉《あね》は、こんな姿《すがた》を二郎《じろう》に見《み》せたくありませんでしたから、 「二郎《じろう》ちゃん、お馬《うま》は、いま雨《あめ》にぬれて、ねんねしているのよ。足《あし》は、伸《の》びかけていますの。」といいました。 「どれ、僕《ぼく》に見《み》さしておくれ……。」と、二郎《じろう》は、足踏《あしぶ》みをして頼《たの》みました。 「いいえ、いまだれも見《み》ないほうがいいのよ。お馬《うま》は、見《み》られるのがいやだといっていますよ。」と、姉《ねえ》さんはいいました。  二郎《じろう》は、我慢《がまん》をして、もうすこしの間《あいだ》、見《み》ないことにしました。その日《ひ》の午後《ごご》から、雨《あめ》が晴《は》れて、青《あお》い空《そら》があらわれたのであります。風《かぜ》はさやさやと新緑《しんりょく》の葉《は》の上《うえ》を渡《わた》っていました。それは、心地《ここち》のいい景色《けしき》であります。 「姉《ねえ》さん、僕《ぼく》のお馬《うま》を見《み》せておくれよ。」と、二郎《じろう》は、また姉《あね》に頼《たの》みました。  姉《あね》は、二|階《かい》に上《あ》がってきました。あとから二郎《じろう》がついてきました。しかし、姉《あね》が窓《まど》からのぞいてみると、紙《かみ》のお馬《うま》はいつのまにか乾《かわ》いて、風《かぜ》に吹《ふ》かれて飛《と》んで、あちらの屋根《やね》のといにかかっていました。 「姉《ねえ》さん、どうなった?」ときいている弟《おとうと》に対《たい》して、姉《あね》は、ありのままに知《し》らせる気《き》にはなれませんでした。 「二郎《じろう》ちゃん、お馬《うま》は足《あし》がなおったものだから、元気《げんき》よくどこかへ駆《か》け出《だ》していってしまいましたよ。」と答《こた》えました。  二郎《じろう》は、いつか、みんなから遅《おく》れて、汗《あせ》を流《なが》して歩《ある》いていったびっこの馬《うま》を思《おも》い出《だ》しました。また、同時《どうじ》に、足早《あしばや》に歩《ある》いていった健康《けんこう》な馬《うま》の姿《すがた》を思《おも》い出《だ》しました。  びっこの馬《うま》が、足《あし》がなおって、元気《げんき》よくどこかへいったということは、どんなに二郎《じろう》に、うれしいことであったでしょう。  雨《あめ》のために足《あし》が伸《の》びて、馬《うま》が、どこかへいってしまったことを、二郎《じろう》は、ほんとうだと思《おも》いました。 (この哀《あわ》れな少年《しょうねん》は、大《おお》きくなったら、すべてを知《し》るでしょう。)  その夜《よ》は、いい月夜《つきよ》でした。二郎《じろう》は、田圃《たんぼ》の中《なか》の真《ま》っ白《しろ》に花《はな》の咲《さ》いた、あんずの木《き》の下《した》に立《た》っていますと、あちらの往来《おうらい》を青《あお》いお馬《うま》が、月《つき》の光《ひかり》に照《て》らされて歩《ある》いていくのを、ありありと見《み》ました。そのことを姉《ねえ》さんに話《はな》すと、姉《ねえ》さんは、そのときは笑《わら》わずに、泣《な》いていました。 底本:「定本小川未明童話全集 3」講談社    1977(昭和52)年1月10日第1刷    1981(昭和56)年1月6日第7刷 初出:「童話」    1922(大正11)年5月 ※表題は底本では、「びっこのお馬《うま》」となっています。 ※初出時の表題は「跛のお馬」です。 入力:ぷろぼの青空工作員チーム入力班 校正:本読み小僧 2014年4月23日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。