一本のかきの木 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)山《やま》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)二|羽《わ》 -------------------------------------------------------  山《やま》にすんでいるからすがありましたが、そのからすは、もうだいぶん年《とし》をとってしまいました。若《わか》い時分《じぶん》には、やはり、いま、ほかの若《わか》いからすのように、元気《げんき》よく高《たか》い嶺《みね》の頂《いただき》を飛《と》んで、目《め》の下《した》に、谷《たに》や松林《まつばやし》や、また村《むら》などをながめて、あるときは、もっと山奥《やまおく》へ、あるときは、荒波《あらなみ》の岸《きし》を打《う》つ浜《はま》の方《ほう》へと飛《と》んでいき、また、町《まち》の方《ほう》まで飛《と》んでいったことがあります。  どんなに強《つよ》い風《かぜ》も怖《おそ》ろしくはありませんでした。身《み》を軽《かる》く風《かぜ》に委《まか》せて、木《き》の葉《は》のように空《そら》へひるがえりながら、おもしろ半分《はんぶん》に駆《か》けたこともありました。太陽《たいよう》のまだ上《あ》がらない、うす暗《ぐら》いうちから、そして星《ほし》の光《ひかり》が見《み》える時分《じぶん》、空《そら》を、鳴《な》いていったこともあります。  その鳴《な》き声《ごえ》に、眠《ねむ》っている林《はやし》や、森《もり》や、野原《のはら》が目《め》を醒《さ》ましました。中《なか》には、「元気《げんき》のいいからす。」といって、この早起《はやお》きのからすをほめました。  ほんとうにこのからすは、若《わか》い時分《じぶん》は、元気《げんき》のいい幸福者《こうふくしゃ》であったのです。けれど、いまは、からすは、もう年《とし》をとってしまいました。そして、だんだんと翼《つばさ》も弱《よわ》ってくれば、また目《め》もよく見《み》えなくなりました。  それは、山《やま》に大雪《おおゆき》の降《ふ》った、ある寒《さむ》い日《ひ》のことでありました。この年《とし》をとったからすは、ほかの若《わか》い者《もの》が、村《むら》の方《ほう》や、また、海《うみ》の方《ほう》まで出《で》かせぎをしにいったのに、自分《じぶん》は、ひとり木《き》の枝《えだ》に止《と》まって、つくねんとしていました。ちょうどそのとき、雪《ゆき》のために餌《えさ》がなくて、ひもじがっているわしが、このからすを見《み》つけました。  からすは、寒《さむ》さと疲《つか》れに、目《め》を半分《はんぶん》閉《と》じていますと、ふいに、空《そら》のあちらから、異様《いよう》の響《ひび》きがきこえたのです。からすは、この音《おと》を聞《き》くと、思《おも》わずぞっとしました。よく遠方《えんぽう》のかすんで見《み》えない目《め》で、じっとその方《ほう》を見《み》ますと、たしかに、日《ひ》ごろからおそれているわしが、自分《じぶん》を目《め》がけて飛《と》んでくることがわかりました。  からすは、命《いのち》のあらんかぎり逃《に》げようと思《おも》いました。しかし、海《うみ》の方《ほう》へいっても、また、谷《たに》の方《ほう》へいってもだめだ。これは、村《むら》か町《まち》の方《ほう》へゆくにかぎると思《おも》いました。なんでも人間《にんげん》のいるところへゆけば、わしは引《ひ》っ返《かえ》してしまうだろうと思《おも》ったからです。  からすは、里《さと》の方《ほう》をさして、いっしょうけんめいに飛《と》びました。雪《ゆき》まじりの寒《さむ》い風《かぜ》は、はげしく吹《ふ》きつけました。翼《つばさ》は破《やぶ》れてしまいました。そして、怖《おそ》ろしい、大《おお》きな羽音《はおと》は、だんだん迫《せま》ってくるような気《き》がいたしました。からすは、もはや、命《いのち》が助《たす》からないものと思《おも》いました。しかし、このとき、はるかあちらに、人家《じんか》のところどころにある村《むら》が見《み》えたのです。からすは、悲《かな》しそうな声《こえ》で鳴《な》いて、救《すく》いを求《もと》めながら村《むら》の森《もり》へ下《お》りてきました。  わしは、人家《じんか》を見《み》ると、急《きゅう》に、からすを追《お》うことをあきらめて、山《やま》の方《ほう》へ引《ひ》きかえしてしまいました。からすは、ようようのことで、命《いのち》は助《たす》かりましたけれど、翼《つばさ》は傷《きず》ついて、体《からだ》は、うえと寒《さむ》さのために、綿《わた》のように疲《つか》れて、木《き》の枝《えだ》にしっかり止《と》まっているだけの気力《きりょく》もなくなってしまいました。気《き》がゆるんで、そのままばたりと、からすは、下《した》の真《ま》っ白《しろ》な雪《ゆき》の上《うえ》に転《ころ》がり落《お》ちてしまったのです。  この村《むら》の少年《しょうねん》が、ちょうど、そのとき、森《もり》へ枯《か》れた枝《えだ》を拾《ひろ》いにきました。そしてこのからすを見《み》つけました。 「かわいそうに、羽《はね》がたいへんに傷《いた》んでいる。なにかに追《お》われて逃《に》げてきたのか、それとも、病気《びょうき》なのだろう。」と、少年《しょうねん》は、からすのそばに寄《よ》ってきて、羽《はね》をなでながらいいました。少年《しょうねん》は家《いえ》に引《ひ》きかえして、まだつきたての柔《やわ》らかいもちを持《も》ってきて、小《ちい》さく幾《いく》つにもちぎって、それをからすに与《あた》えました。  からすは、それを食《た》べると元気《げんき》づきました。そして、少年《しょうねん》が枯《か》れ枝《えだ》を集《あつ》めて家《うち》へ帰《かえ》る時分《じぶん》には、もう、からすはどこかへ飛《と》び去《さ》ってしまった後《あと》でありました。  からすは、少年《しょうねん》の恩《おん》に深《ふか》く感《かん》じました。その冬《ふゆ》も無事《ぶじ》に過《す》ぎて、あくる年《とし》になりますと、ある日《ひ》、少年《しょうねん》は庭《にわ》でからすがしきりに鳴《な》くのを聞《き》きました。見《み》ると二|羽《わ》のからすが木《き》の枝《えだ》に止《と》まって、一|羽《わ》のからすが地《ち》になにか埋《う》めていたのでした。その日《ひ》も過《す》ぎて、幾日《いくにち》かたつうちに、雨《あめ》が降《ふ》って日《ひ》の光《ひかり》がそこを暖《あたた》かに照《て》らしますと、一|本《ぽん》のくるみの木《き》が芽《め》を出《だ》しました。そして、日《ひ》にまし大《おお》きくなりました。少年《しょうねん》は、その木《き》を大事《だいじ》にしました。秋《あき》のころには、一|尺《しゃく》ばかりになりました。それだのに、冬《ふゆ》になって雪《ゆき》が降《ふ》ると、その木《き》は根《ね》もとから折《お》れてしまいました。  少年《しょうねん》は、たいそう悲《かな》しみました。すると、また、ある日《ひ》のこと、庭《にわ》でからすがしきりに鳴《な》いていました。見《み》るといつかのように、二|羽《わ》のからすが、木《き》の上《うえ》に止《と》まって、一|羽《わ》のからすが、またなにやら地《ち》に埋《う》めているのです。  今度《こんど》は、そこからかきの木《き》が芽《め》を出《だ》しました。少年《しょうねん》は、地《ち》にかきの種子《たね》をまいたのは、いつかの哀《あわ》れなからすであった、木《き》の枝《えだ》に止《と》まっていた一|羽《わ》のからすが、あのからすと友《とも》だちか、さもなければ子供《こども》たちであろうと思《おも》いました。少年《しょうねん》は、このかきの木《き》をいたわりました。冬《ふゆ》になると棒《ぼう》を立《た》てて倒《たお》れないようにしてやりました。二、三|年《ねん》のうちには、そのかきの木《き》も、だんだん目《め》だって大《おお》きくなりました。  いつしか、少年《しょうねん》は年《とし》をとって大人《おとな》になりました。この人《ひと》は、大《おお》きくなっても、やはりあわれみの深《ふか》い、しんせつな人《ひと》でありましたから、村《むら》の人々《ひとびと》からも慕《した》われました。そして、この人《ひと》にもかわいらしい子供《こども》が産《う》まれました。  その時分《じぶん》には、かきの木《き》も、太《ふと》く大《おお》きくなっていました。  そして毎年《まいねん》、たくさんの実《み》を結《むす》びました。 「このかきの木《き》は、からすが植《う》えてくれたのだ。」と、昔《むかし》の少年《しょうねん》で、いまのお父《とう》さんは、子供《こども》らに向《む》かって話《はな》しました。 「どうして、からすが植《う》えたの?」といって、子供《こども》らは問《と》いました。  昔《むかし》の少年《しょうねん》であった、いまのお父《とう》さんは、昔《むかし》のことを、くわしく子供《こども》らに話《はな》して聞《き》かせたのです。  そして、 「そのからすは、もうとっくに死《し》んでしまったのだよ。」といわれました。  秋《あき》になると、かきの木《き》の実《み》がたくさんになります。村《むら》の子供《こども》らがみんな集《あつ》まってきて、そのかきをもいで食《た》べました。  そして、あとは木《き》に残《のこ》しておくと、あの哀《あわ》れなからすの子供《こども》らや、孫《まご》たちが、山《やま》からやってきて、木《き》に止《と》まって食《た》べたのでありました。 底本:「定本小川未明童話全集 2」講談社    1976(昭和51)年12月10日第1刷    1982(昭和57)年9月10日第7刷 初出:「赤い鳥」    1921(大正10)年9月 ※表題は底本では、「一|本《ぽん》のかきの木《き》」となっています。 ※初出時の表題は「一本の柿の木」です。 入力:ぷろぼの青空工作員チーム入力班 校正:雪森 2013年4月10日作成 2013年8月24日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。