天下一品 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)ある日《ひ》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)一|家《か》 -------------------------------------------------------  ある日《ひ》のことであります。男《おとこ》は空想《くうそう》にふけりました。 「ほんとうに、毎日《まいにち》働《はたら》いても、つまらない話《はなし》だ。大金持《おおがねも》ちになれはしないし、また、これという安楽《あんらく》もされない。ばかばかしいことだ。よく世間《せけん》には、小判《こばん》の入《はい》った大瓶《おおびん》を掘《ほ》り出《だ》したといううわさがあるが、俺《おれ》も、なにかそんなようなものでも掘《ほ》り出《だ》さなければ、大金持《おおがねも》ちとはならないだろう。」と、その男《おとこ》は、いろいろなことを、仰向《あおむ》いて考《かんが》えていました。  すると、たなの上《うえ》に乗《の》っていた、古《ふる》い仏像《ぶつぞう》に目《め》が止《と》まりました。昔《むかし》から、家《いえ》にあったので、こうしてたなの上《うえ》に乗《の》せておいたのです。仏壇《ぶつだん》の中《なか》には、あまり大《おお》きすぎて入《はい》らなかったからであります。 「あの仏像《ぶつぞう》が、金《きん》であったら、たいへんな値打《ねう》ちのものだろうが、どうせそんなものでないにはきまっている。それに手《て》が欠《か》けていて、どのみち、たいした代物《しろもの》ではない。しかし、あの仏像《ぶつぞう》がいいものであって、値《あたい》が高《たか》く売《う》れたら、どんなにしあわせだろう。俺《おれ》は、たくさんの田地《でんち》を買《か》うし、また、諸国《しょこく》を見物《けんぶつ》にも出《で》かけるし、りっぱな着物《きもの》も造《つく》ることができるだろう。」と、男《おとこ》は、黒《くろ》くすすけた仏像《ぶつぞう》を見《み》ながら考《かんが》えこんでいました。  家《いえ》の外《そと》には、もうすずめがきて餌《え》を拾《ひろ》って鳴《な》いていました。いつもなら、男《おとこ》は、くわをかついで圃《はたけ》に出《で》なければならない時刻《じこく》でありましたが、なんだか働《はたら》くということがばかばかしくなって、その気《き》になれませんでした。  男《おとこ》は、立《た》ち上《あ》がって、たなの上《うえ》からその仏像《ぶつぞう》を取《と》り下《お》ろして、つくづくとながめていました。ほんとうに、手《て》に取《と》ってこうしてながめるというようなことは、幾年《いくねん》の間《あいだ》、いままでになかったのです。また、見《み》れば見《み》るほど、それがいいもののようにも思《おも》われてきました。  もうこの世《よ》にいない父親《ちちおや》が、あるとき、旅《たび》のものからこの仏像《ぶつぞう》を買《か》ったということを聞《き》いていました。 「こりゃ、いいものではないかしらん。」と、彼《かれ》は、ますます考《かんが》えはじめました。  村《むら》に、なんの職業《しょくぎょう》ということもきまらずに、日《ひ》を送《おく》っているりこう者《もの》がありました。村《むら》の人々《ひとびと》は、その人《ひと》をりこう者《もの》といっていました。この人《ひと》に聞《き》けば、役所《やくしょ》の届《とど》けのことも、また書画《しょが》の鑑定《かんてい》も、ちょっとした法律上《ほうりつじょう》のこともわかりましたので、村《むら》の中《うち》の物識《ものし》りということになっていました。しかし、その人《ひと》は、あまりいい生活《せいかつ》をしていませんでした。地所《じしょ》の売買《ばいばい》や、訴訟《そしょう》の代理人《だいりにん》などになって出《で》て、そんなことで報酬《ほうしゅう》を得《え》て、その一|家《か》のものは暮《く》らしていたのですが、物識《ものし》りという名《な》が通《とお》っているので、このもののいったことは、村《むら》では、たいていほんとうにしていたのです。 「あの物識《ものし》りのところへ持《も》っていって、見《み》てもらおうかしらん。どうせつまらないものでも、もともとだ、万《まん》一いい代物《しろもの》であったら思《おも》わぬもうけものだ。人間《にんげん》の運《うん》というものは、どういうところにないともかぎらないから……。」と、男《おとこ》は、ほこりだらけの仏像《ぶつぞう》をひねくりながら考《かんが》えていました。  やがて、男《おとこ》は、それをふろしきに包《つつ》みました。そして、これをかかえて家《いえ》から出《で》かけました。野《の》らの間《あいだ》の細道《ほそみち》を通《とお》りますと、もうみんながせっせと働《はたら》いています。自分《じぶん》も、今日《きょう》あたり芋《いも》に肥料《こえ》をやるのであったがと、男《おとこ》は、左右《さゆう》を見《み》まわしながら歩《ある》いてゆきました。  物識《ものし》りは、家《いえ》に、つくねんとしてすわっていました。男《おとこ》が、仏像《ぶつぞう》をかかえて入《はい》ってきたので、物識《ものし》りは、きっとなにかの鑑定《かんてい》だなと思《おも》って、男《おとこ》を歓迎《かんげい》いたしました。 「さあ、ようこそお早《はや》くおいでなさいました。」と出《で》てきて、ぴかぴかはげた頭《あたま》を振《ふ》りたてていいました。 「ほかでもありませんが、これをひとつ見《み》ていただきたいとおもいまして。」と、男《おとこ》はいいました。 「なんでございますか。」と、りこう者《もの》は、包《つつ》みの上《うえ》からにらみました。 「仏像《ぶつぞう》です。」 「これは、けっこうなもので。」と、物識《ものし》りは、見《み》ぬ先《さき》から、おそれいったふうにいいました。 「そんないいものですといいのですが、どうせつまらないものです。」と、男《おとこ》はふろしき包《づつ》みを解《と》いて、黒《くろ》くなった仏像《ぶつぞう》を彼《かれ》に渡《わた》しました。 「なるほど。」と、うなずいて、りこう者《もの》は、その仏像《ぶつぞう》をいただいてから、しばらく、しみじみと見《み》入《い》っていました。  男《おとこ》は、その間《あいだ》、なんとなく胸《むね》がどきどきいたしました。恐《おそ》ろしい宣告《せんこく》を受《う》けるような気持《きも》ちがしたのです。 「どうですか?」と、男《おとこ》は、ついにたまりかねてききました。 「まことに、けっこうな品《しな》です。」と、りこう者《もの》はただいったきりで、あくまで仏像《ぶつぞう》に見入《みい》っていました。男《おとこ》は、その言葉《ことば》を信《しん》じられないような、へんな気持《きも》ちがしました。 「つまらないものでしょうが……。」と、男《おとこ》は危《あや》ぶみながらいいました。 「天下《てんか》一|品《ぴん》、安《やす》くて千|両《りょう》の値打《ねう》ちは請《う》け合《あ》いです。」と、りこう者《もの》は感歎《かんたん》いたしました。  それが、いよいよほんとうだと知《し》ると、男《おとこ》は、夢《ゆめ》のような気持《きも》ちがして、驚《おどろ》いたというよりは、頭《あたま》がぼうとしました。  彼《かれ》は、思《おも》いきってたくさんな鑑定料《かんていりょう》を出《だ》して、仏像《ぶつぞう》を堅《かた》くしっかりと抱《いだ》いて、もときた道《みち》をもどりました。みんなは、いっしょうけんめいに、せっせと太陽《たいよう》の輝《かがや》く下《した》で働《はたら》いていました。高《たか》い空《そら》のあなたから、太陽《たいよう》は、柔和《にゅうわ》な目《め》つきをして、働《はたら》いている人々《ひとびと》を見守《みまも》っているようでありました。しかし、男《おとこ》は、もう芋《いも》に肥料《こえ》をやることなどは、まったく忘《わす》れてしまったように、てんで目《め》は田圃《たんぼ》の上《うえ》などに止《とど》まりませんでした。 「あの物識《ものし》りのいうことに、まちがった、ためしがない。ことに、今日《きょう》はほんとうに感心《かんしん》したようすでいった……安《やす》くて、千|両《りょう》……まあ、なんという大金《たいきん》だろう。俺《おれ》は、夢《ゆめ》を見《み》ているのではあるまいかしらん。いや、たしかに夢《ゆめ》でない。千|両《りょう》……買《か》い手《て》によって千五百|両《りょう》にもならないともかぎらない。その金《かね》を俺《おれ》は、どうして使《つか》ったらいいだろう。」と、男《おとこ》は、もう気《き》が気《き》でなく、体《からだ》じゅうが熱《ねつ》に浮《う》かされていました。  物識《ものし》りが、「天下《てんか》一|品《ぴん》」といった仏像《ぶつぞう》が、この村《むら》の中《うち》にあるといううわさが、たちまちあたりに広《ひろ》まりました。我《われ》も、我《われ》もといって、みんなが男《おとこ》のところへ仏像《ぶつぞう》を拝《おが》みにまいりました。 「ありがたそうなお顔《かお》をしていらっしゃる。」とか、「慈悲《じひ》深《ぶか》いお目《め》をしていらっしゃる。」とか、または、「なんとなく神々《こうごう》しい。」とか、みんなが仏像《ぶつぞう》の前《まえ》に立《た》っていいました。 「これが千|両《りょう》も値打《ねう》ちのある仏《ほとけ》さまですか。」と、中《なか》には、おそるおそる近寄《ちかよ》ってながめる人《ひと》たちもあったのです。  すると、この村《むら》に、大金持《おおがねも》ちで、たくさんの小作人《こさくにん》を使用《しよう》して、また銀行《ぎんこう》に預金《よきん》をして、なにをすることもなく、日《ひ》を送《おく》っている人間《にんげん》がありました。欲《ほ》しいものは、なんでも買《か》いました。見《み》たいところへは、みんないって見《み》てきました。しかし、まだ、自分《じぶん》をなにひとつ満足《まんぞく》させるものはありませんでした。金《かね》はいくらあっても、それだけでは、この世《よ》の中《なか》がおもしろくはありませんでした。どうか天下《てんか》一|品《ぴん》のものがほしい。だれもほかに持《も》っているものがないような珍《めずら》しいものを手《て》に入《い》れたい、と、日《ひ》ごろから思《おも》っていました。  その金持《かねも》ちの耳《みみ》に、天下《てんか》一|品《ぴん》の仏像《ぶつぞう》が村《むら》にあることが入《はい》りました。しかも、目下《めした》のものの家《いえ》にあると聞《き》くと、金持《かねも》ちは、もはやじっとしてはいられませんでした。さっそく、その男《おとこ》のところへ出《で》かけてゆきました。 「今日《こんにち》は。」と、金持《かねも》ちは、男《おとこ》のところをたずねました。かつて、金持《かねも》ちが、この男《おとこ》の狭《せま》い、うす暗《ぐら》い家《いえ》を訪《たず》ねるようなことは、ありませんでした。 「だんなさまでございますか。」と、男《おとこ》はいって、金持《かねも》ちを迎《むか》えました。 「ほかではないが、天下《てんか》一|品《ぴん》という仏像《ぶつぞう》を見《み》せてもらいにきた。」と、金持《かねも》ちはいいました。「いよいよ俺《おれ》の運《うん》が向《む》いたぞ。」と、男《おとこ》は、心《こころ》の中《うち》でいいました。 「仏像《ぶつぞう》というのは、あすこに祀《まつ》ってあるあれでございます。」と、男《おとこ》はいいました。  いつのまにか、たなの上《うえ》は、きれいになって、仏像《ぶつぞう》の前《まえ》には、花《はな》やお菓子《かし》などが、並《なら》べてあったのです。  金持《かねも》ちは、それがどんな姿《すがた》であろうが、かまいません。金《かね》の力《ちから》で天下《てんか》一|品《ぴん》が手《て》に入《い》れられるものなら、なんでもそれを自分《じぶん》のものにしたかったのです。 「あ、なるほど。」と、金持《かねも》ちは、軽《かる》くうなずいて、それを手《て》に取《と》ってつくづくと見《み》ていましたが、 「なかなかいい作《さく》だ。よほど古《ふる》いものだ。私《わたし》はまだこれよりもいいものを見《み》たことがあったが、この像《ぞう》もなかなかいい。手《て》の欠《か》けているのは惜《お》しいものだ。私《わたし》は、仏像《ぶつぞう》が好《す》きなので、どうか一つ手《て》に入《い》れたいと思《おも》っていたが、どうだろう、この像《ぞう》を譲《ゆず》ってもらえまいか。」と、金持《かねも》ちはいいました。  男《おとこ》は、腹《はら》の中《なか》では、ほくほく喜《よろこ》んでいましたが、口《くち》では、そういわなかった。 「天下《てんか》一|品《ぴん》といいますので、安《やす》くて千|両《りょう》だと、あのりこう者《もの》がいいました。なにしろ先祖《せんぞ》代々《だいだい》の宝物《ほうもつ》でございまして、なるたけ売《う》りたくはないと、思《おも》っています。」と、男《おとこ》は、さもさもらしく答《こた》えました。  そう聞《き》くと、金持《かねも》ちは、ますますこの仏像《ぶつぞう》がほしくなりました。 「どうだ、千|両《りょう》で私《わたし》に売《う》ってはくれまいか。」と、金持《かねも》ちはいいました。  男《おとこ》は、二千|両《りょう》も、もっと高《たか》くも売《う》りたかったのです。 「まあ、考《かんが》えてみましょう。」と、あいさつをしました。金持《かねも》ちは、自分《じぶん》のほかには、千|両《りょう》も出《だ》して、この仏像《ぶつぞう》の買《か》い手《て》は、あまりあるまいと思《おも》いましたので、その日《ひ》は、それで帰《かえ》ったのであります。  隣村《となりむら》に、もう一人《ひとり》金持《かねも》ちがありました。この金持《かねも》ちも天下《てんか》一|品《ぴん》の仏像《ぶつぞう》がぜひ見《み》たくなりました。それで、わざわざ男《おとこ》のもとへやってきました。 「どうか、仏像《ぶつぞう》を拝《おが》ましてもらいたい。」と頼《たの》みました。 「さあ、どうぞごらんくださいまし。仏像《ぶつぞう》はあれでございます。」と、男《おとこ》は、たなの上《うえ》の仏像《ぶつぞう》を指《ゆび》さしました。 「あ、あの仏像《ぶつぞう》ですかい。地金《じがね》は黄金《おうごん》ですか、なんでできていますか。」と、隣村《となりむら》の金持《かねも》ちは聞《き》きました。 「さあ、地金《じがね》のことは、ぞんじませんが、鑑定《かんてい》してもらうと、安《やす》くて千|両《りょう》の値打《ねう》ちがあるとのことです。先刻《せんこく》も、村《むら》のだんなさまが見《み》えて、千|両《りょう》で譲《ゆず》ってほしいといわれました。」と、男《おとこ》は話《はな》しました。 「じゃ、千|両《りょう》で買《か》い手《て》があるのですかい。」 「さようでございます。」 「どうだ、私《わたし》に、千三百|両《りょう》で譲《ゆず》ってくださらんか。」と、隣村《となりむら》の金持《かねも》ちは頼《たの》みました。  男《おとこ》は、しめたものだと、心《こころ》の中《うち》で思《おも》いましたが、けっして、顔《かお》には見《み》せませんでした。 「なにしろ、先祖代々《せんぞだいだい》からの宝物《ほうもつ》ですから、なるべくなら手放《てばな》したくないと思《おも》っています。よく考《かんが》えてからご返事《へんじ》申《もう》しあげます。」と、男《おとこ》は答《こた》えました。  隣村《となりむら》の金持《かねも》ちは、またくるといって、その日《ひ》は帰《かえ》ってしまいました。  後《あと》で、男《おとこ》は、これは、またなんというしあわせが自分《じぶん》の身《み》の上《うえ》にわいてきたものかと考《かんが》えると、頭《あたま》がなんとなくぼんやりしてしまいました。そして、それからというものは、仕事《しごと》が手《て》につかず、圃《はたけ》へも出《で》ませんでした。男《おとこ》は、口《くち》の中《なか》で、千三百|両《りょう》……と、口癖《くちぐせ》になって、繰《く》り返《かえ》して、いっていました。 「地所《じしょ》を買《か》うこともできる。見物《けんぶつ》に出《で》かけることもできる。」と、独《ひと》り言《ごと》をして、夜《よ》が明《あ》けると、日《ひ》が暮《く》れるまで、夢《ゆめ》を見《み》るような気持《きも》ちでいました。すると、そのとき、 「この田舎《いなか》でさえ、千|両《りょう》や、千三百|両《りょう》で売《う》れる仏像《ぶつぞう》だ。町《まち》へいって見《み》せたら、もっと、高《たか》く売《う》れないともかぎらない。」と、ある人《ひと》は、男《おとこ》に向《む》かっていいました。  男《おとこ》も、なるほどと考《かんが》えました。そこで、その仏像《ぶつぞう》を大事《だいじ》に包《つつ》んで背中《せなか》におぶって、町《まち》へ出《で》かけてゆきました。途中《とちゅう》も、男《おとこ》は、ただ一つ事《こと》しか考《かんが》えていませんでした。そして、口《くち》の中《なか》では、千|両《りょう》……千三百|両《りょう》……といって歩《ある》いていました。  男《おとこ》は、ついに町《まち》へ出《で》ました。そこには、大《おお》きな骨董店《こっとうてん》がありました。男《おとこ》は、まずその店《みせ》へいって見《み》せようと思《おも》いました。そして、店先《みせさき》に立《た》って、なるほど、たくさんいろいろな仏像《ぶつぞう》や、彫刻《ちょうこく》があるものだと、一|通《ひととお》り飾《かざ》られてあるものに目《め》を通《とお》したのです。 「いくらいいものがあっても、俺《おれ》の背中《せなか》にあるような、天下《てんか》一|品《ぴん》はここにもあるまい。」と、男《おとこ》は心《こころ》の中《なか》でいいながら、ながめていました。  すると、たなの中《なか》ほどのところに、寸分《すんぶん》違《ちが》わない、仏像《ぶつぞう》が置《お》いてありました。男《おとこ》は、これに目《め》が止《と》まると、はっと驚《おどろ》きました。そして、自分《じぶん》の目《め》のせいでないかと、なお、大《おお》きく目《め》を開《あ》けてじっと見《み》ますと、まさしく、自分《じぶん》のおぶっている仏像《ぶつぞう》と、古《ふる》さから、形《かたち》まで違《ちが》わないばかりか、しかも手《て》も欠《か》けていず、完全《かんぜん》な仏像《ぶつぞう》でありました。 「天下《てんか》一|品《ぴん》が、ここにもあるぞ。」と、男《おとこ》はたまげてしまいました。そしていくらするものだろうと思《おも》いましたから、男《おとこ》は、店《みせ》の中《なか》に入《はい》って、きわめて平気《へいき》を装《よそお》って、その仏像《ぶつぞう》の値《あたい》を聞《き》いてみました。 「あのたなの中《なか》ほどの古《ふる》い仏像《ぶつぞう》ですか、おまけして、五|両《りょう》でよろしゅうございます。」と、番頭《ばんとう》は、答《こた》えました。 「五|両《りょう》?」と、男《おとこ》はいって、耳《みみ》を疑《うたが》いました。千|両《りょう》……千三百|両《りょう》……が、五|両《りょう》? きっとこの番頭《ばんとう》は盲目《めくら》なのだ。俺《おれ》は、一つを村《むら》の大尽《だいじん》に千|両《りょう》で売《う》り、一つを隣村《となりむら》の金持《かねも》ちに、千三百|両《りょう》で売《う》ってやろう。  こう、とっさの間《あいだ》に男《おとこ》は思《おも》いました。彼《かれ》は、財布《さいふ》をはたいて、五|両《りょう》でその仏像《ぶつぞう》を買《か》いました。そして、それを横抱《よこだ》きにして、大急《おおいそ》ぎで村《むら》を指《さ》して帰《かえ》ってきました。  家《いえ》に帰《かえ》ってから、背中《せなか》の仏像《ぶつぞう》をおろして、買《か》ってきたのと二つ前《まえ》に並《なら》べてみますと、まさしく寸分《すんぶん》も違《ちが》っていませんでした。男《おとこ》は、手《て》の欠《か》けていない仏像《ぶつぞう》をふろしきに包《つつ》んで、それを持《も》って、隣村《となりむら》の金持《かねも》ちの家《いえ》へ出《で》かけてゆきました。  金持《かねも》ちは、家《うち》にいました。男《おとこ》を見《み》ると、笑顔《えがお》で迎《むか》えました。 「仏像《ぶつぞう》を持《も》ってあがりました。」と、男《おとこ》はいいました。 「あ、それは、それは、じゃ、先日《せんじつ》の値《あたい》で売《う》ってくださるか。」と、金持《かねも》ちは、大喜《おおよろこ》びでした。そして、男《おとこ》の出《だ》した仏像《ぶつぞう》を押《お》しいただいて、眼鏡《めがね》をかけてじっと見《み》ましたが、 「これは、先日《せんじつ》の仏像《ぶつぞう》であるかな。」と、けげんな顔《かお》つきをしてたずねました。 「さようでございます。」と、男《おとこ》は、頭《あたま》を下《さ》げた。 「いや、違《ちが》う。先日《せんじつ》見《み》たのは、たしかに手《て》が欠《か》けていた。私《わたし》はその欠《か》けたぐあいが、たいそうおもしろいと思《おも》って気《き》に入《い》ったのだが……。」と、金持《かねも》ちはいいました。 「じゃ、あなたは、手《て》の欠《か》けているのがよろしいのですか、それなら家《うち》にありますが。」と、男《おとこ》はいいました。  すると、金持《かねも》ちは、目《め》を円《まる》くして、 「家《うち》にある……まだ、これと同《おな》じ仏像《ぶつぞう》が家《うち》にあるのですかい。」 「さようでございます。手《て》の欠《か》けたのなら、家《うち》にあります。」 「いや、それなら、私《わたし》は、よしておこう。天下《てんか》一|品《ぴん》と聞《き》いて、つい買《か》う気《き》になったのだが、そういくつもあっては、もう欲《ほ》しくはない。そういえば、あまりこの仏像《ぶつぞう》も好《い》い作《さく》ではないようだ。」と、金持《かねも》ちのようすは、急《きゅう》に変《か》わりました。  男《おとこ》は、失敗《しっぱい》してしまいました。その家《いえ》を出《で》ると、彼《かれ》は、残念《ざんねん》でたまりませんでした。うまくゆけば二つで二千三百|両《りょう》になるものをと思《おも》いますと、ほんとうに取《と》り返《かえ》しのつかない、失敗《しっぱい》をしたと気《き》づきました。彼《かれ》は、どうかしてこの埋《う》め合《あ》わせをしなければならぬと思《おも》いました。 「村《むら》の大尽《だいじん》に、高《たか》く売《う》りつけてやろう。」と、男《おとこ》は考《かんが》えました。  男《おとこ》は、家《いえ》に帰《かえ》り、今度《こんど》は、失敗《しっぱい》をしないつもりで、手《て》の欠《か》けた仏像《ぶつぞう》をふろしきに包《つつ》んで、村《むら》の金持《かねも》ちのところへ持《も》って出《で》かけました。  金持《かねも》ちは、男《おとこ》がやってくると、にこにこして迎《むか》えました。 「じつは、おまえさんが見《み》えるだろうと思《おも》って、待《ま》っていた。あの仏像《ぶつぞう》を持《も》ってきたかい。」と、金持《かねも》ちはいいました。 「さようでございます。」と、男《おとこ》は、さっそく、包《つつ》みを解《と》いて仏像《ぶつぞう》を出《だ》しました。  金持《かねも》ちは、仏像《ぶつぞう》を取《と》り上《あ》げて、つくづくと見《み》ていました。 「天下《てんか》一|品《ぴん》の代物《しろもの》でございます。千五百|両《りょう》で買《か》っていただきとうぞんじます。」と、男《おとこ》はいいました。 「千五百|両《りょう》でも、二千|両《りょう》でも買《か》うが、惜《お》しいことには手《て》が欠《か》けている。私《わたし》は、もとから傷物《きずもの》は大《だい》きらいなんだ。千|両《りょう》でも、じつは考《かんが》えているんだ。」と、金持《かねも》ちはいいました。 「なににしても、いい作《さく》でございます。」 「ああ、作《さく》は、まず申《もう》し分《ぶん》なしといっておこう。ただ、手《て》の欠《か》けているのが惜《お》しい。」と、金持《かねも》ちはいいました。  男《おとこ》は、もう一つの完全《かんぜん》なほうを、ここへ持《も》ってくれば好《よ》かったかとまどいました。 「じつは、先祖《せんぞ》の時代《じだい》から、もう一つほかに同《おな》じ仏像《ぶつぞう》が伝《つた》わっています。そのほうなら、手《て》も完全《かんぜん》でございます。」と、男《おとこ》はいいました。  すると、金持《かねも》ちは、喜《よろこ》ぶかと思《おも》いのほか、手《て》に持《も》っている仏像《ぶつぞう》を下《した》に投《な》げるように置《お》きました。 「この詐欺師《さぎし》めが、天下《てんか》一|品《ぴん》に、二つあって、たまるものか。おまえは、あの物識《ものし》りとぐるになって、俺《おれ》に、やくざ物《もの》を買《か》わせようとたくらんだにちがいない。そんな量見《りょうけん》だと、この村《むら》から追《お》い出《だ》してしまうぞ!」と、金持《かねも》ちは、たいそう怒《おこ》りました。  男《おとこ》は、もはや、取《と》り付《つ》く島《しま》がなく、そこから逃《に》げるように出《で》ましたが、なんだか、いままでのことが、みんなはかない夢《ゆめ》であったというような気《き》がして、いま、はじめて目《め》が覚《さ》めたのでした。  田圃《たんぼ》を通《とお》ると、ほかの田圃《たんぼ》は、みんなよくしげっていいできでしたけれど、自分《じぶん》の田圃《たんぼ》ばかりは、草《くさ》が茫々《ぼうぼう》と生《は》えていました。そして、みんなから、大金持《おおがねも》ちになったといううわさをたてられているだけに、明日《あす》から、また田圃《たんぼ》へ出《で》て、草《くさ》を取《と》る気《き》にもなれず、男《おとこ》は、二つの仏像《ぶつぞう》をいまいましそうににらんで、あきれたように家《いえ》のうちに閉《と》じこもっていたそうであります。 底本:「定本小川未明童話全集 2」講談社    1976(昭和51)年12月10日第1刷    1982(昭和57)年9月10日第7刷 初出:「北國新聞」    1922(大正11)年1月1〜2日 ※表題は底本では、「天下《てんか》一|品《ぴん》」となっています。 入力:ぷろぼの青空工作員チーム入力班 校正:江村秀之 2013年11月1日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。