おかしいまちがい 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)田舎《いなか》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)一|度《ど》 -------------------------------------------------------  ある田舎《いなか》に、一人《ひとり》の男《おとこ》がありました。その男《おとこ》は、貧乏《びんぼう》な暮《く》らしをしていました。 「ほんとうに、つまらない、なにひとつおもしろいことはなし、毎日《まいにち》おなじようなことをして、日《ひ》を送《おく》っているのだが、それにも飽《あ》きてしまった。」  男《おとこ》は、そう思《おも》いました。そして、あう人《ひと》に向《む》かって愚痴《ぐち》をもらしました。  これを聞《き》いた人々《ひとびと》の中《なか》には、 「これは、おまえさんばかりがそうなのではない、みんながそうなのですよ、しかし、いったからとてしかたがないから黙《だま》っているのですよ。」といったものもあります。  しかし、男《おとこ》は、それを聞《き》いただけでは、あきらめられませんでした。もっと、おもしろいことや、しあわせのことがなかったら、生《い》きているかいはないように考《かんが》えました。  男《おとこ》は、お膳《ぜん》に向《む》かって飯《めし》を食《た》べますときに、 「いつも、こんなまずいものばかり食《く》っているのでは、生《う》まれてきたかいがない。」と思《おも》いました。  また、仰向《あおむ》いて、家《いえ》の内《うち》をじろじろと見《み》まわしては、 「いつも、こんな汚《きたな》らしい、狭《せま》い家《いえ》に住《す》んでいるようでは、生《う》まれてきたかいがない。」と思《おも》いました。  そして、男《おとこ》は、人《ひと》の顔《かお》を見《み》ると不平《ふへい》をもらしました。なかには、 「あなたのおっしゃるとおりですよ、人間《にんげん》はいつまでも生《い》きていられるものではありませんから、せめて生《い》きている間《うち》だけでも、おもしろいめや、好《す》きなことをしなくては、生《い》きているかいはありません。世間《せけん》には、そうしたりっぱな暮《く》らしをしているものもあるのですから……。」と答《こた》えたものもあったのです。  男《おとこ》は、仕事《しごと》をするのも、なんだかばからしくなって、ぼんやりとして日《ひ》を送《おく》っていますと、そのうちに秋《あき》となり、冬《ふゆ》となりました。冬《ふゆ》になると、雪《ゆき》が降《ふ》ってきて、田《た》も圃《はた》もまた家《いえ》も、雪《ゆき》の中《なか》に埋《う》もれてしまったのです。小鳥《ことり》は、毎日《まいにち》のように枯《か》れた林《はやし》にきては、いい声《こえ》でさえずっていました。 「あんなに、あちらは雲切《くもぎ》れがしていますよ。あっちへいったら、きっとおもしろいことがあるでしょう。」  こんなふうに、小鳥《ことり》はいっているように聞《き》こえました。するとある日《ひ》のこと、男《おとこ》は、また人《ひと》にあって、 「ほんとうに、毎日《まいにち》、おもしろくなくてしょうがありません。もっと暮《く》らしのいいところはないものでしょうか。」といいました。  すると、その人《ひと》は、男《おとこ》に向《む》かって、 「おまえさん、旅《たび》へゆきなさると、金《かね》がもうかるそうですよ。いま、あちらは景気《けいき》がいいといいますから、きっと暮《く》らし向《む》きも、いいにちがいありません。」と答《こた》えました。 「旅《たび》といいますと、どこですか?」と、男《おとこ》はうれしそうに、どきどきする胸《むね》を押《お》さえてたずねました。  この人《ひと》は、雲切《くもぎ》れのした、あちらの空《そら》を指《ゆび》さして、 「あの国境《くにざかい》の山《やま》を越《こ》しますと、もう雪《ゆき》はありません。いまごろは、暖《あたた》かい花《はな》が咲《さ》いています。そこへゆけば、いつだって仕事《しごと》のないことはありませんよ。」と答《こた》えました。  男《おとこ》は、雪《ゆき》がないと聞《き》いただけでも、もはやじっとしていられませんでした。さっそく、その旅《たび》へ出《で》かける用意《ようい》をいたしました。 「俺《おれ》は旅《たび》へゆこう。そして雪《ゆき》のない、いい国《くに》で働《はたら》こう。金《かね》がもうかり、おもしろいことがたくさんあって、いい暮《く》らしができるだろう。そうすれば、俺《おれ》は、もう一|度《ど》この村《むら》に帰《かえ》って、みんな家《うち》も圃《はたけ》も売《う》って、後始末《あとしまつ》をつけて出直《でなお》すつもりだ。そして、旅《たび》で一|生《しょう》を送《おく》ることにしよう。」と、男《おとこ》は考《かんが》えました。  男《おとこ》は、家《うち》を閉《し》めて、留守《るす》を隣《となり》の人《ひと》に頼《たの》んで旅《たび》へ出《で》かけたのであります。もとよりたくさんの旅費《りょひ》を持《も》っているわけではありません。やっと、あちらへ着《つ》くだけの金《かね》しかなかったのを懐《ふところ》に入《い》れて出《で》かけました。  男《おとこ》は、ただ、雲切《くもぎ》れのした明《あか》るい空《そら》を望《のぞ》んで、道《みち》を急《いそ》ぎました。山《やま》に近《ちか》づくにつれて、雪《ゆき》はますます深《ふか》くなりました。しかし一の山《やま》をあちらにまわれば、雪《ゆき》がなくなるのだ、そして、そこには、暖《あたた》かな風《かぜ》が吹《ふ》いて、花《はな》が咲《さ》いている。そればかりでない、自分《じぶん》のかつて見《み》たことのないような、美《うつく》しい、にぎやかな町《まち》があるのだ。そこで自分《じぶん》は、いい暮《く》らしをすることができる。きっと、その町《まち》の人《ひと》は、遠《とお》くから出《で》かけてきた自分《じぶん》をあわれんでくれるにちがいない。またしんせつにしてくれるにちがいない。ほんとうに、そうであったら自分《じぶん》は、どんなにしあわせだろう?  男《おとこ》は、さまざまな空想《くうそう》にふけりました。そして幾日《いくにち》も幾日《いくにち》も旅《たび》をつづけました。男《おとこ》は、夜《よる》になるとさびしい宿屋《やどや》に泊《と》まりました。しかし、にぎやかな町《まち》や、たのしい生活《せいかつ》のことを空想《くうそう》すると、男《おとこ》は、すこしもさびしいとは思《おも》いませんでした。  男《おとこ》がいなくなった後《あと》は、村《むら》は雪《ゆき》にうずもれて、その家《いえ》は閉《し》まっていました。そして、裏《うら》の木立《こだち》には、いつもの小鳥《ことり》がきて止《と》まって、男《おとこ》がいたときのようにさえずっていました。  男《おとこ》は、山《やま》を越《こ》えて、あちらの村《むら》へ入《はい》ってきました。もうそこは雪《ゆき》が降《ふ》らなかったのです。けれど、花《はな》は咲《さ》くどころでありませんでした。寒《さむ》い風《かぜ》が、林《はやし》や森《もり》の上《うえ》に吹《ふ》いていました。  故郷《ふるさと》にいる時分《じぶん》、明《あか》るい、なつかしい空《そら》の色《いろ》は、その国《くに》に入《はい》っては見《み》られませんでした。やはり、曇《くも》ったり、また晴《は》れたりすることがあっても、明《あか》るい、オレンジ色《いろ》のなつかしい空《そら》を毎日《まいにち》見《み》ているわけにはゆかなかったのです。男《おとこ》はにぎやかな町《まち》を探《さが》して歩《ある》きました。すると、やや大《おお》きな繁華《はんか》な町《まち》があったのです。 「どれ、この町《まち》に、いい仕事《しごと》の口《くち》があるか、聞《き》いてみよう。」と、男《おとこ》は、その町《まち》の人《ひと》たちにたずねました。  町《まち》の人々《ひとびと》は、この男《おとこ》のようすをつくづくとながめましたが、 「おまえさんは、この国《くに》のものでないようだが、どこからこられましたか。」とたずねました。 「私《わたし》は山《やま》のあちらの国《くに》からやってまいりました。いま国《くに》のほうは雪《ゆき》が降《ふ》っています。こちらへくれば仕事《しごと》があって、いいお金《かね》になるとききましたので出《で》かせぎにやってまいりました。」と、男《おとこ》は答《こた》えました。  町《まち》の人々《ひとびと》は顔《かお》を見合《みあ》わせていました。 「それはうそですよ。こちらの不景気《ふけいき》といってはお話《はなし》になりません。みんなは、あちらの山《やま》をながめて、あの山《やま》を越《こ》すと雪《ゆき》はあるというが、今年《ことし》は豊作《ほうさく》で暮《く》らし向《む》きがいいという。こちらにぼんやり遊《あそ》んでいるよりか出《で》かせぎにいったほうがましだといって、せんだってから、もう何人《なんにん》も出《で》かけましたよ。」と、町《まち》の人々《ひとびと》は、あきれた顔《かお》つきをして話《はな》しました。  男《おとこ》は、途方《とほう》に暮《く》れはててしまいました。なお、そこここと口《くち》を探《さが》して歩《ある》きましたが、やはりいい口《くち》が見《み》つかりませんでした。 「それは、一|日《にち》も早《はや》くお国《くに》へお帰《かえ》りなさいまし、まだ、お国《くに》のほうが、どんなに暮《く》らし向《む》きがいいかしれません。今年《ことし》は、こちらは不作《ふさく》で困《こま》っています。」と、ある人《ひと》は、男《おとこ》にいいました。  男《おとこ》は、持《も》ってきた金《かね》をすっかり遣《つか》い果《は》たしてしまいました。しかたなくまた、山《やま》を越《こ》えて自分《じぶん》の村《むら》へ帰《かえ》ろうとしました。  雪《ゆき》は、だんだん深《ふか》くなって寒《さむ》く、そして腹《はら》は空《す》いてきました。宿屋《やどや》はあっても泊《と》まる金《かね》もなかったのです。夜《よる》は寺《てら》の縁《えん》の下《した》にガタガタと寒《さむ》さに震《ふる》えながら、寝《ね》たこともあります。そのとき、男《おとこ》は、どんなに、いままで自分《じぶん》の家《うち》にいて気《き》ままに暮《く》らしていたことをありがたいことだと思《おも》ったでしょう。  それよりか、男《おとこ》は、もう二日《ふつか》もなにも食《た》べずにいました。腹《はら》が空《す》いて、頭《あたま》がぼんやりとして、どこをどう歩《ある》いているやらわからずに、前《まえ》へのめりそうなかっこうをして雪道《ゆきみち》をたどっていました。  そのとき、いままで、毎日《まいにち》、まずいものを食《た》べているのを不平《ふへい》に思《おも》ったことが、まちがっていたのを気《き》づきました。  男《おとこ》は泣《な》きたくなりました。またうらめしくなりました。家《うち》に帰《かえ》ったら、腹《はら》いっぱい飯《めし》を食《た》べようと考《かんが》えました。  やっと村《むら》へ帰《かえ》ると、いつか、旅《たび》へ出《で》かせぎにゆけば困《こま》るようなことはないと教《おし》えてくれた人《ひと》に出会《であ》いました。 「おまえさん、どこへいっておいでなすった。旅《たび》へゆかれたという、うわさを聞《き》きましたが、もう帰《かえ》ってきなすったのか。」と、その人《ひと》は怪《あや》しみながら、見《み》る影《かげ》もない男《おとこ》のようすを見守《みまも》って問《と》いました。  男《おとこ》は、なにかいいたかったが、疲《つか》れやら、腹《はら》がへっているやらで、なにも口《くち》がきけませんでした。ただ、その人《ひと》の顔《かお》を見《み》ると腹《はら》だたしくなって、いきなり顔《かお》をたたきました。  その人《ひと》は、びっくりして、飛《と》びのきました。 「気《き》が狂《くる》いなすったのか?」 と、その人《ひと》はわめきました。  男《おとこ》は、またとぼとぼと、のめりそうに歩《ある》いてくると、隣《となり》のおばあさんに出会《であ》いました。 「まあ、おまえさんは、どうして、そんなふうをして帰《かえ》ってきなすったか。ものもいえないのは腹《はら》がへっているからだろうが、まあ、上《あ》がって、ご飯《はん》をおあがんなさい。」と、おばあさんは、しんせつに男《おとこ》を自分《じぶん》の家《うち》に入《い》れてお膳《ぜん》を出《だ》して、茶《ちゃ》わんに飯《めし》を盛《も》ってやりました。  男《おとこ》は、じっと茶《ちゃ》わんをにらんでいましたが、いきなり、その茶《ちゃ》わんを取《と》って投《な》げ捨《す》てました。そして、おばあさんのかたわらにあったおひつを引《ひ》ったくって、頭《あたま》からかぶりました。  おばあさんは、びっくりして、あわてて家《いえ》の外《そと》へ飛《と》び出《だ》しました。 「だれかきてくれ! 隣《となり》の人《ひと》が気《き》が狂《くる》った。」と叫《さけ》びました。  村《むら》の中《なか》は大騒《おおさわ》ぎでした。そのとき、男《おとこ》の家《いえ》の裏《うら》では、木《き》に小鳥《ことり》が止《と》まって、おかしそうにさえずっていました。 底本:「定本小川未明童話全集 2」講談社    1976(昭和51)年12月10日第1刷    1982(昭和57)年9月10日第7刷 入力:ぷろぼの青空工作員チーム入力班 校正:雪森 2013年4月10日作成 2013年8月25日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。