気まぐれの人形師 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)雪《ゆき》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)一|方《ぽう》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#7字下げ]一[#「一」は中見出し] ------------------------------------------------------- [#7字下げ]一[#「一」は中見出し]  雪《ゆき》の降《ふ》らない、暖《あたた》かな南《みなみ》の方《ほう》の港《みなと》町《まち》でありました。  ある日《ひ》のこと、一人《ひとり》の娘《むすめ》は、その町《まち》の中《なか》を、あちらこちらと歩《ある》いていました。しばらく避寒《ひかん》に、こちらへやってきていたのですけれど、あまり日数《ひかず》もたちましたので、お父《とう》さんにつれられて、また北《きた》の方《ほう》の故郷《こきょう》へ帰《かえ》ろうとしました。その前日《ぜんじつ》のこと、娘《むすめ》は、つぎには、いつくるかわからない、このなつかしい町《まち》の有《あ》り様《さま》をよく見《み》ておこうと、こうして歩《ある》いていたのであります。  町《まち》の郊外《こうがい》には、丘《おか》の上《うえ》に、圃《はたけ》の中《なか》に、オレンジが、美《うつく》しく、西日《にしび》に輝《かがや》いていました。青黒《あおぐろ》い、厚《あつ》みのある葉《は》の間《あいだ》から、黄色《きいろ》い宝石《ほうせき》で造《つく》られた珠《たま》のように見《み》られました。また、波《なみ》の静《しず》かな港《みなと》の口《くち》には、いくつも船《ふね》が出《で》たり入《はい》ったりしていました。遠《とお》くへいく汽船《きせん》は、おっとりとうるんだ、黄昏方《たそがれがた》の空《そら》に、黒《くろ》い一筋《ひとすじ》の煙《けむり》を上《あ》げていました。そして、高《たか》いほばしらの頂《いただき》には、赤《あか》い旗《はた》が、ちょうど真《ま》っ赤《か》な花《はな》のように風《かぜ》にゆらめいていました。  娘《むすめ》には、それらの景色《けしき》は、歩《ある》いているときは目《め》に入《はい》らなかったのです。けれど、たびたび見《み》た景色《けしき》でありまして、頭《あたま》の中《なか》に残《のこ》っていましたから、いつでも思《おも》い出《だ》しさえすれば、ありありと目《め》の中《なか》に映《うつ》ってきました。娘《むすめ》は、北《きた》の寒《さむ》い国《くに》に帰《かえ》ってからも思《おも》い出《だ》して、なつかしむにちがいありませんでした。  町《まち》の中《なか》を歩《ある》いている娘《むすめ》は、ただこのとき、汽笛《きてき》の音《おと》を耳《みみ》に聞《き》いたばかりです。それは、港《みなと》に停《と》まっている汽船《きせん》から吹《ふ》いた笛《ふえ》の音《おと》であります。彼女《かのじょ》は、この笛《ふえ》の音《おと》を聞《き》くと、これから帰《かえ》る故郷《こきょう》の景色《けしき》を目《め》に描《えが》きました。そして、考《かんが》えました。 「まだ、私《わたし》の国《くに》は寒《さむ》いだろう。しかし、じきに春《はる》になる。そうすれば、花《はな》も咲《さ》くし、いろいろの鳥《とり》がやってくる!」  こう思《おも》いますと、やはり、胸《むね》の中《なか》の血潮《ちしお》は躍《おど》ったのであります。いろいろの鳥《とり》は、この町《まち》の空《そら》に、また林《はやし》の中《なか》に鳴《な》いていました。しかし、この小鳥《ことり》も、いつかは、あの北《きた》の方《ほう》の、彼女《かのじょ》の故郷《こきょう》の方《ほう》へ飛《と》んでゆく日《ひ》があるのだと思《おも》うと、娘《むすめ》は、これらの小鳥《ことり》を自分《じぶん》の家《うち》の裏《うら》にある林《はやし》の中《なか》で、ふたたび見《み》る日《ひ》を楽《たの》しみとせずにはいられませんでした。 「私《わたし》は、なにをお土産《みやげ》に買《か》って帰《かえ》ったらいいだろうか。」と、娘《むすめ》は、この町《まち》で製造《せいぞう》されるいろいろな品物《しなもの》や、また、お菓子《かし》のようなものを買《か》い集《あつ》めました。そして、また、いつまでも自分《じぶん》が記念《きねん》にして、しまっておくようなものが、なにか見《み》つからないものかと思《おも》って、町《まち》の両側《りょうがわ》をながめながら歩《ある》いていました。  すると狭《せま》い道《みち》の上《うえ》へ、片側《かたがわ》の小《ちい》さな店先《みせさき》から、紫色《むらさきいろ》の光線《こうせん》がもれてきて、ある一《ひと》ところだけ紫色《むらさきいろ》に土《つち》の上《うえ》を彩《いろど》っていました。娘《むすめ》は、その光線《こうせん》がどこからどういうふうにもれてくるのであろうかと、思《おも》わず、店《みせ》の方《ほう》へ寄《よ》っていって、色《いろ》ガラスで張《は》られた窓《まど》の内部《なか》をのぞいてみました。  不思議《ふしぎ》にも、その小《ちい》さな店《みせ》は、人形屋《にんぎょうや》でありました。奥《おく》のたなの上《うえ》に、いくつも同《おな》じような人形《にんぎょう》が並《なら》べてありました。そして、そのそばで、一人《ひとり》のおじいさんが、筆《ふで》をとって、人形《にんぎょう》の顔《かお》を描《か》いているのでありました。  おじいさんはランプの下《した》で、人形《にんぎょう》の目《め》や、鼻《はな》や、口《くち》を描《か》いていました。そこで、いちいち筆《ふで》を動《うご》かしては、大《おお》きな眼鏡《めがね》をかけた目《め》で、じっと人形《にんぎょう》の顔《かお》をながめていました。自分《じぶん》の気《き》にいると、さもうれしそうに、それを丁寧《ていねい》に箱《はこ》の中《なか》に納《おさ》めました。そして、つぎの人形《にんぎょう》の顔《かお》を描《か》きにかかったのです。もし、どこか自分《じぶん》の気《き》にいらないところがあると、おじいさんは、いつまでもいつまでも頭《あたま》をかしげて、そのでき損《そこ》なった人形《にんぎょう》の顔《かお》をながめていましたが、しまいに前《まえ》のよくできたときとは違《ちが》って、手荒《てあら》に一|方《ぽう》の箱《はこ》の中《なか》に入《い》れてしまいました。  娘《むすめ》は、黙《だま》って、それを見《み》ていましたが、この人形《にんぎょう》こそ自分《じぶん》は買《か》って帰《かえ》って、長《なが》い間《あいだ》の忘《わす》れがたい記念《きねん》にしようと思《おも》いました。そこで、彼女《かのじょ》は店先《みせさき》の戸《と》を開《あ》けて、中《なか》に入《はい》りました。 「お人形《にんぎょう》を見《み》せてくださいな。」と、娘《むすめ》はいいました。  脊《せ》を円《まる》くして、人形《にんぎょう》の顔《かお》を描《か》いていたおじいさんは、このとき筆《ふで》を下《した》に置《お》きました。そして立《た》ってきて、娘《むすめ》の前《まえ》へ、たなの上《うえ》にあった二つの箱《はこ》を下《お》ろして並《なら》べました。 「さあ、どちらになさいますか。」といって、おじいさんは聞《き》きました。  娘《むすめ》は、二つの箱《はこ》の中《なか》から人形《にんぎょう》を手《て》に取《と》って見《み》くらべたのであります。一つの箱《はこ》には、「しあわせ人形《にんぎょう》」と書《か》いてありました。そして、もう一つの箱《はこ》には、なんとも書《か》いてありませんでした。 「こちらのほうは、すこし価《ね》が高《たこ》うございます。こちらのほうは、すこし安《やす》うございます。」と、おじいさんはいって、「しあわせ人形《にんぎょう》」と、書《か》いてある箱《はこ》の中《なか》に入《はい》っている人形《にんぎょう》は価《ね》が高《たか》いのだといいました。  娘《むすめ》は、そのどちらも手《て》に取《と》り上《あ》げて、よく見《み》ましたけれども、すこしも顔《かお》や、形《かたち》に、ちがいはありませんでした。 「どこが、ちがっているのですか?」と、彼女《かのじょ》は、おじいさんにたずねました。 「この二つは、見《み》たところでは、どこもちがいはありません。ただ、人形《にんぎょう》の顔《かお》を描《か》いた時分《じぶん》の私《わたし》の気持《きも》ちです。『しあわせ人形《にんぎょう》』と書《か》いてある箱《はこ》の中《なか》にはいっている人形《にんぎょう》は、その顔《かお》を描《か》くときに、私《わたし》の気持《きも》ちが晴《は》れ晴《ば》れとしていましたから、そう書《か》いたのです。そして、もう一|方《ぽう》の箱《はこ》の中《なか》に入《はい》っている人形《にんぎょう》の顔《かお》を描《か》いたときには、なんとなく私《わたし》の気持《きも》ちがもの足《た》らなさを覚《おぼ》えていたから、字《じ》の書《か》いてない箱《はこ》の中《なか》に納《おさ》めたのです。」と、おじいさんは答《こた》えました。  娘《むすめ》は、みょうなことをいうおじいさんも、あるものだと思《おも》いました。 「そんなら、こちらのなにも書《か》いてない箱《はこ》の中《なか》に入《はい》っているお人形《にんぎょう》さんは、不《ふ》しあわせな人形《にんぎょう》なんですか。」と、彼女《かのじょ》は、おじいさんに問《と》いました。  おじいさんは、大《おお》きな眼鏡《めがね》の底《そこ》から、落《お》ちくぼんだ目《め》を輝《かがや》かして、じっと娘《むすめ》の顔《かお》を見《み》ながら、「それは、人間《にんげん》の身《み》の上《うえ》も、人形《にんぎょう》の身《み》の上《うえ》も同《おな》じことです。だれも行《ゆ》く末《すえ》のことを知《し》るものがありません。ただ、私《わたし》が人形《にんぎょう》の顔《かお》を描《か》くときに、一|方《ぽう》は気持《きも》ちよく、一|方《ぽう》は、なにか心《こころ》の中《なか》にもの足《た》らなさを感《かん》じていたというまでです。」と、おじいさんは答《こた》えました。  娘《むすめ》は、高《たか》いほうの人形《にんぎょう》と、安《やす》いほうの人形《にんぎょう》と、二つ買《か》いました。そして、その店《みせ》から出《で》ました。空《そら》の色《いろ》は、水色《みずいろ》がかって、月《つき》がほんのりと夢《ゆめ》のように浮《う》かんで、港《みなと》の町《まち》の屋根《やね》を照《て》らしていたのです。  彼女《かのじょ》は、二つの人形《にんぎょう》の幸福《こうふく》を祈《いの》りながら道《みち》を歩《ある》いて宿《やど》に帰《かえ》りました。 [#7字下げ]二[#「二」は中見出し]  翌日《よくじつ》の晩《ばん》には、もう、娘《むすめ》は、父《ちち》といっしょに、汽車《きしゃ》の中《なか》に腰《こし》をかけていました。そして、あの夢《ゆめ》のように美《うつく》しい港《みなと》の町《まち》は、すでに遠《とお》く、あちらとなってしまったのです。二日《ふつか》めの夜《よ》は、故郷《こきょう》の家《うち》に帰《かえ》ってみんなと話《はなし》をしていました。まだ、北《きた》の国《くに》には、雪《ゆき》が地《ち》の上《うえ》に積《つ》もっていました。  その晩《ばん》は、若《わか》い叔母《おば》さんも、遊《あそ》びにきておられて、家《うち》の中《なか》は明《あか》るくにぎやかでありました。娘《むすめ》は、二つの人形《にんぎょう》を叔母《おば》さんに見《み》せました。 「こちらが、しあわせの人形《にんぎょう》よ、こちらは不《ふ》しあわせの人形《にんぎょう》なのよ。だって、叔母《おば》さんは、この二つが同《おな》じには見《み》えないこと?」と、娘《むすめ》はたずねました。  叔母《おば》さんは、二つの人形《にんぎょう》を手《て》に取《と》り上《あ》げて、 「まあ、かわいらしいお人形《にんぎょう》だこと、ほんとうにいいお人形《にんぎょう》さんなのね。二つ同《おな》じなんでしょう。どうして、一つはしあわせの人形《にんぎょう》で、一つは不《ふ》しあわせなの?」と、叔母《おば》さんは頭《あたま》をかしげて聞《き》かれました。 「だって、人形屋《にんぎょうや》のおじいさんが、こちらは、しあわせで、こちらは、不《ふ》しあわせだといったのですもの。」 「そう、私《わたし》が、着物《きもの》を造《つく》ってきてあげましょうね。」と、叔母《おば》さんはいわれました。  二、三|日《にち》たつと、叔母《おば》さんは、二つの人形《にんぎょう》に着物《きもの》を造《つく》って持《も》ってこられました。一つのは、赤《あか》い色《いろ》の勝《か》ったちりめんで、一つのは紫色《むらさきいろ》がかったメリンスで縫《ぬ》われていました。 「ちりめんがこれだけしかなかったの。だから、しあわせのお人形《にんぎょう》さんに着《き》せて、こちらのはメリンスにしておいたのよ。またこんど、いい布《きれ》があったときに、不《ふ》しあわせのお人形《にんぎょう》さんに、着物《きもの》を造《つく》ってあげましょうね。」と、叔母《おば》さんはいわれました。  二つ人形《にんぎょう》を並《なら》べておくと、赤《あか》いちりめんの着物《きもの》を着《き》たほうがお嬢《じょう》さまに見《み》えて、紫《むらさき》のメリンスの着物《きもの》を着《き》たほうがなんとなく、腰元《こしもと》のように見《み》られたのでした。  また、しばらく日数《ひかず》がたって、ある夜《よる》のことでありました。近所《きんじょ》の知《し》った家《うち》の小母《おば》さんが、子供《こども》を連《つ》れて遊《あそ》びにこられました。帰《かえ》る時分《じぶん》に子供《こども》は娘《むすめ》の人形《にんぎょう》をしっかりつかんでいて離《はな》しませんでした。 「これは、お姉《ねえ》ちゃんの大事《だいじ》な人形《にんぎょう》さんだから、坊《ぼう》が持《も》ってゆくのでないの。」と、小母《おば》さんが、いくらいっても、子供《こども》は手《て》から人形《にんぎょう》を離《はな》しませんでした。 「いいの、小母《おば》さん、貸《か》してあげますから、持《も》っていらっしゃっていいの。」と、娘《むすめ》はいいました。 「ほんとうに、すみませんね。あした、じきに持《も》ってきますから、どうか貸《か》してくださいね。」と、小母《おば》さんはいわれました。子供《こども》の持《も》っていたのは、不《ふ》しあわせのほうの人形《にんぎょう》でありました。子供《こども》をおぶって、小母《おば》さんは娘《むすめ》や、彼女《かのじょ》のお母《かあ》さんたちにあいさつをして、家《うち》から出《で》てゆきました。  外《そと》には、粉雪《こなゆき》がさらさらと降《ふ》っていました。小母《おば》さんは、もう自分《じぶん》の家《うち》へ着《つ》かれたろうと思《おも》われる時分《じぶん》でした。不意《ふい》に戸口《とぐち》で、げたに着《つ》いている雪《ゆき》をたたいたものがありました。だれかと思《おも》うと、その小母《おば》さんがもどってきました。 「まあ、途中《とちゅう》で、この子供《こども》がお人形《にんぎょう》さんを落《お》としたのですよ。いくら探《さが》しても見当《みあ》たらないので、ここまでもどってきました。」といわれました。 「そんなら、私《わたし》が探《さが》してきます。」と、娘《むすめ》は立《た》ち上《あ》がりました。娘《むすめ》のお母《かあ》さんは、ちょうちんに火《ひ》をつけてくださいました。そして、子供《こども》の小母《おば》さんと娘《むすめ》はいっしょに連《つ》れだって、人形《にんぎょう》を探《さが》しに出《で》かけました。 「ほんとうに、すみませんね。」と、小母《おば》さんは、娘《むすめ》にわびられました。 「いいえ、すぐに見《み》つかってよ。」と、娘《むすめ》は、笑《わら》いながらいって下《した》を向《む》いて歩《ある》いてゆきました。  すると、だれも人《ひと》の通《とお》らない、雪道《ゆきみち》の上《うえ》に、不《ふ》しあわせの人形《にんぎょう》は落《お》ちていました。そして、もうその顔《かお》の上《うえ》にも、体《からだ》の上《うえ》にも粉雪《こなゆき》のかかっているのが、ちょうちんの光《ひかり》に照《て》らされて見《み》られました。 「ああ、ここにありました。」といって、娘《むすめ》は雪《ゆき》のかかった人形《にんぎょう》を拾《ひろ》いあげた。そして、心《こころ》の中《なか》で、なんという不《ふ》しあわせの人形《にんぎょう》だろうと思《おも》いました。  そこで、小母《おば》さんに別《わか》れて、彼女《かのじょ》は、しっかりと人形《にんぎょう》を抱《だ》きながら家《うち》にもどってきました。そればかりでなく、その年《とし》の夏《なつ》には、不《ふ》しあわせの人形《にんぎょう》は、たんすの上《うえ》から落《お》ちて、片手《かたて》を折《お》ってしまいました。 「どうして、このお人形《にんぎょう》さんばかり不《ふ》しあわせなのでしょう?」と、彼女《かのじょ》は怪《あや》しみました。  いつしか、月日《つきひ》はたちました。いつか、南《みなみ》の方《ほう》の港《みなと》の町《まち》にいってから三|年《ねん》めになりました。冬《ふゆ》が、またやってきましたときに、 「ちょうど、子供《こども》の学校《がっこう》も休《やす》みだから、あの町《まち》へいってこよう。」と、お父《とう》さんはいわれました。そして、いっしょにゆかれるということを聞《き》いたときに、彼女《かのじょ》は、どんなに喜《よろこ》んだでありましょう。 「ああ、またおじいさんのところへいって、人形《にんぎょう》を買《か》いましょう。」と、こう彼女《かのじょ》は思《おも》いました。そして、もうけっして、不《ふ》しあわせの人形《にんぎょう》は買《か》うまいと思《おも》いました。  南《みなみ》の国《くに》の町《まち》の有《あ》り様《さま》は、三|年《ねん》前《まえ》とすこしも変《か》わりはありませんでした。港《みなと》の景色《けしき》にも、丘《おか》のながめにも変《か》わりはありませんでした。いろいろの小鳥《ことり》は、林《はやし》の中《なか》にないていましたし、オレンジの実《み》は、やはり黄色《きいろ》に熟《じゅく》していました。  娘《むすめ》は、ある日《ひ》、その町《まち》の中《なか》を歩《ある》いていました。いつかの人形屋《にんぎょうや》にゆこうと思《おも》っていました。晩方《ばんがた》の夢《ゆめ》のようにかすんだ空《そら》の下《した》を、紫色《むらさきいろ》の光《ひかり》のさす店《みせ》を探《さが》しながら見覚《みおぼ》えのある路次《ろじ》に入《はい》ってゆきました。 「ああ、あの名人《めいじん》のおじいさんは亡《な》くなりましたよ。気《き》まぐれ者《もの》で、自分《じぶん》の造《つく》った人形《にんぎょう》にさえ、好《す》ききらいをつけた人《ひと》ですが……もうあの店《みせ》はありません。いまでは、あの人《ひと》の造《つく》ったものなら、どんな壊《こわ》れた人形《にんぎょう》でも大騒《おおさわ》ぎをして、旅《たび》の人《ひと》などは集《あつ》めてゆきます。」と、町《まち》の人《ひと》は、娘《むすめ》がおじいさんの店《みせ》を問《と》うたときにいいました。  彼女《かのじょ》は、はじめて、あの人形《にんぎょう》が、そんなにいいのであるかということを知《し》りました。娘《むすめ》はこのことをお父《とう》さんに告《つ》げると、お父《とう》さんも、驚《おどろ》いた顔《かお》をしました。そして、彼女《かのじょ》は、自分《じぶん》の家《うち》に帰《かえ》ったとき、二つの人形《にんぎょう》を同《おな》じ箱《はこ》の中《なか》に入《い》れて、大事《だいじ》に飾《かざ》ることにいたしました。このときから、長《なが》い間《あいだ》不《ふ》しあわせであった人形《にんぎょう》は、もう一つのしあわせ人形《にんぎょう》と同《おな》じように、しあわせになったのであります。 底本:「定本小川未明童話全集 2」講談社    1976(昭和51)年12月10日第1刷    1982(昭和57)年9月10日第7刷 初出:「赤い鳥」    1923(大正12)年1月 ※表題は底本では、「気《き》まぐれの人形師《にんぎょうし》」となっています。 入力:ぷろぼの青空工作員チーム入力班 校正:江村秀之 2013年10月25日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。