北の国のはなし 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)人間《にんげん》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)一|面《めん》 -------------------------------------------------------  あるところにぜいたくな人間《にんげん》が住《す》んでいました。時節《じせつ》をかまわずに、なんでも食《た》べたくなると、人々《ひとびと》を方々《かたがた》に走《はし》らしてそれを求《もと》めたのであります。 「いくら金《かね》がかかってもいいから、さがしてこい。」と、その人《ひと》はいいました。  ある日《ひ》のこと、その人《ひと》は、川魚《かわうお》が食《た》べたいから、釣《つ》ってきてくれと、下男《げなん》にいいつけました。  下男《げなん》は当惑《とうわく》をしました。外《そと》を見《み》ると真《ま》っ白《しろ》に雪《ゆき》が積《つ》もっていました。どこを見《み》ましても、一|面《めん》に雪《ゆき》が地《ち》を隠《かく》していました。その村《むら》は、北《きた》の寒《さむ》い国《くに》のさびしいところであったからであります。  しかし、いいだしたうえは、なんでもそのことを通《とお》す主人《しゅじん》の気質《きしつ》をよく知《し》っていましたので、彼《かれ》は、急《きゅう》に返事《へんじ》をせずに思案《しあん》をしていました。 「なんで、そんなに考《かんが》え込《こ》んでいるか。そのかわり、もしおまえが魚《さかな》を釣《つ》ってきたら、お金《かね》をたくさんやる。またおまえのほしいというものはなんでもやろう。そうすれば、おまえは、家《いえ》を持《も》って、こんどは主人《しゅじん》になることができる。」と、主人《しゅじん》はいいました。  下男《げなん》は、そう聞《き》くとまた喜《よろこ》ばずにはいられませんでした。お金《かね》をもらい、品物《しなもの》をもらって家《うち》を持《も》つことができたら、どんなにしあわせなことだろう。これが夏《なつ》か、春《はる》か、秋《あき》のことであったら、なんでもないこと、自分《じぶん》はたのしんで釣《つ》りをするだろう。ただ、いま時分《じぶん》のような冬《ふゆ》であっては、どうすることもできない。しかし、できないことをするからこそ、そんなにほうびももらわれるのだと考《かんが》えましたから、 「そんなら、釣《つ》りに出《で》かけてきます。」と、下男《げなん》は申《もう》しました。 「一|匹《ぴき》でも釣《つ》れたら帰《かえ》ってこい。釣《つ》れなければ帰《かえ》ってきてはならぬぞ。」と、主人《しゅじん》はいいました。  下男《げなん》は、いいつけをきいて家《うち》を出《で》かけました。その前《まえ》に、彼《かれ》は、いまごろどこをほってもみみずの見《み》つからないことを知《し》っていましたから、飯粒《めしつぶ》を餌《えさ》にして釣《つ》る考《かんが》えで、自分《じぶん》の食《た》べる握《にぎ》り飯《めし》をその分《ぶん》に大《おお》きく造《つく》って持《も》ってゆきました。  小川《おがわ》は、みんな雪《ゆき》にうずまっていました。また池《いけ》にもいっぱい雪《ゆき》が積《つ》もっていて、どこが田《た》やら、圃《はたけ》やら、また流《なが》れであるやらわからなかったほどであります。それに、寒《さむ》さは強《つよ》くて、水《みず》が凍《こお》っていました。  下男《げなん》は、寒《さむ》い風《かぜ》に吹《ふ》かれながら、あちら、こちらをさまよっていましたが、やっと一筋《ひとすじ》の川《かわ》らしいところに出《で》ましたので、雪《ゆき》を分《わ》けて、わずかばかり現《あらわ》れている流《なが》れの上《うえ》に糸《いと》を垂《た》れていました。 「どうか、早《はや》く釣《つ》れるように。」と、下男《げなん》は心《こころ》で祈《いの》っていました。  そのとき、一|羽《わ》の鳥《とり》が飛《と》んできて、あちらの森《もり》の中《なか》に降《お》りました。なに鳥《どり》だろうと、下男《げなん》はその方《ほう》を見《み》ていると、ズドンといって鉄砲《てっぽう》を打《う》つ音《おと》が聞《き》こえました。すると、さっき見《み》た鳥《とり》は飛《と》びあがって、今度《こんど》ははるかかなたをさして飛《と》んでいってしまいました。だれか、打《う》ちそこなったのだなと思《おも》っていると、そこへ猟師《りょうし》がやってきました。 「いまごろ、おまえさんは、なにを釣《つ》っていなさるんだい。」と、猟師《りょうし》はききまました。 「なんということはなしに、釣《つ》っているのです。」と、下男《げなん》は答《こた》えました。 「こんな川《かわ》に、なにがいるもんか。もっと水《みず》の深《ふか》い、日当《ひあ》たりのいいところでなくては、魚《さかな》も寄《よ》ってきはしない。」と、猟師《りょうし》はいいました。  下男《げなん》は、そうかと思《おも》いました。そこで糸《いと》を巻《ま》いて猟師《りょうし》の教《おし》えてくれたような川《かわ》を探《さが》して歩《ある》きました。  すると、ある橋《はし》の際《きわ》に、水《みず》の深《ふか》そうな、日《ひ》の当《あ》たるところがありました。そのときは、日《ひ》がかげっていましたが、そこは天気《てんき》ならば、きっとよく日《ひ》の当《あ》たるところにちがいありませんでした。  下男《げなん》は、ここならだいじょうぶだと思《おも》って、糸《いと》を下《さ》げていました。そして、一|匹《ぴき》でも釣《つ》れたら急《いそ》いで帰《かえ》ろうと、そればかりを楽《たの》しみにしていましたから、寒《さむ》いのもあまり感《かん》じなかったのでありました。  しばらくすると、ほおかぶりをして、えり巻《ま》きをした百|姓《しょう》が、その橋《はし》の上《うえ》を通《とお》りかかりながら彼《かれ》の釣《つ》りをしているのをながめました 「おまえさん、こんなところでなにが釣《つ》れるものかな。こんな川《かわ》に魚《さかな》などすんでいやしない。」と、百|姓《しょう》はいいました。 「ほんとうに、この川《かわ》には、魚《さかな》がいないのですか。」と、下男《げなん》は、百|姓《しょう》にききました。 「ああ、いやしない。」 「そんなら、どこへいったら釣《つ》れましょうか。」と、下男《げなん》は、絶望《ぜつぼう》して問《と》いました。 「それは俺《わし》にもわからないが、いま時分《じぶん》、釣《つ》りをするのがまちがっている。」と、百|姓《しょう》はいい残《のこ》して、さっさといってしまいました。  下男《げなん》は絶望《ぜつぼう》のあまり泣《な》き出《だ》したくなりました。また糸《いと》を巻《ま》いて、そこからあてなく、すごすごと歩《ある》きはじめました。  頼《たよ》りなく思《おも》うと、じきに寒《さむ》さが骨肉《ほねみ》にしみこんできました。しかし、彼《かれ》は、一|匹《ぴき》でいいから魚《さかな》が釣《と》れたときのことを空想《くうそう》して、もうそんな寒《さむ》さなどは身《み》に感《かん》じなかったのであります。彼《かれ》は見《み》なれない人《ひと》に出《で》あいました。なんとなく、その人《ひと》は、なんでもよく知《し》っているように思《おも》われました。彼《かれ》は、さっそく、その人《ひと》にどの川《かわ》へいったら魚《さかな》がすんでいるかをきいたのであります。 「おまえさんは、そんなことを人《ひと》にきくのはむりというもんだ。考《かんが》えてみるがいい。だれも目《め》にみえないところにすんでいるものを、釣《つ》れるとか、釣《つ》れないとかいうことはできない。根気《こんき》ひとつだ。釣《つ》れるまで待《ま》っているよりかしかたがない。」と、その見《み》なれないようすをした人《ひと》はいいました。下男《げなん》は、なるほどそれにちがいないと考《かんが》えました。  釣《つ》れなければ、主人《しゅじん》のもとへは帰《かえ》れないのだから、どこまでもひとつしんぼうをしてみようと思《おも》いました。  見《み》なれない人《ひと》は、ゆき過《す》ぎましたが、振《ふ》り返《かえ》って、 「冬《ふゆ》は、川《かわ》よりも池《いけ》が釣《つ》れないのですか。私《わたし》は、いつか池《いけ》の魚《さかな》をすくっている人《ひと》を見《み》たことがありますよ。」と、その人《ひと》はいいました。  下男《げなん》は、釣《つ》りについては、あまり知識《ちしき》がなかったものですから、そうきくと喜《よろこ》びました。そして、池《いけ》をさがして歩《ある》きました。  やっと池《いけ》をさがしあてると雪《ゆき》が一|面《めん》に積《つ》もって水《みず》をうずめていました。しかも寒《さむ》さで、その上《うえ》は凍《こお》っていました。 「ああ、ここでしんぼうをするんだ。」と、下男《げなん》は思《おも》いました。そして、雪《ゆき》を分《わ》け、氷《こおり》を破《やぶ》って、そのすきまから、糸《いと》を垂《た》れました。氷《こおり》の下《した》には蒼黒《あおぐろ》い水《みず》が顔《かお》を見《み》せていました。いかにも深《ふか》そうに思《おも》われたのであります。  彼《かれ》は、そこにうずくまりました。いつしか雪《ゆき》の上《うえ》に腰《こし》を下《お》ろして、じっと暗《くら》い水《みず》の上《うえ》にただよっているうきを見《み》つめていました。いまにもそれが動《うご》きはしないかと、そのときばかりを考《かんが》えていました。  寒《さむ》い風《かぜ》が空《そら》を吹《ふ》いています。哀《あわ》れな下男《げなん》はいつしか疲《つか》れてうとうととなったかと思《おも》うと、いつのまにか、短《みじか》い冬《ふゆ》の日《ひ》が暮《く》れてしまいました。彼《かれ》は、夢《ゆめ》とも現《うつつ》ともなくうとうととした気持《きも》ちになりました。  いくつも、いくつも魚《さかな》が釣《つ》れた。なんという自分《じぶん》は幸福《こうふく》なことだろう。頭《あたま》の上《うえ》には振《ふ》りまいたように、金色《こんじき》の星《ほし》や、銀色《ぎんしょく》の星《ほし》が輝《かがや》いている。よく見《み》ると、それは、みんな星《ほし》ではなく、金貨《きんか》に、銀貨《ぎんか》に、宝石《ほうせき》や、宝物《ほうもつ》の中《なか》に自分《じぶん》はすわっているのである。もう、こんなうれしいことはない。  彼《かれ》は、りっぱな家《うち》を持《も》って、その家《うち》の主人《しゅじん》となっていました。  あくる日《ひ》、木《き》の枝《えだ》でからすがなきました。ちょうど彼《かれ》の頭《あたま》の上《うえ》でないていました。  けれど、彼《かれ》は釣《つ》りざおを握《にぎ》ったままじっとしていました。雪《ゆき》の上《うえ》に凍《こお》りついて、目《め》はガラスのように光《ひか》っていました。 底本:「定本小川未明童話全集 2」講談社    1976(昭和51)年12月10日第1刷    1982(昭和57)年9月10日第7刷 初出:「赤い鳥」    1921(大正10)年4月 ※表題は底本では、「北《きた》の国《くに》のはなし」となっています。 入力:ぷろぼの青空工作員チーム入力班 校正:富田倫生 2012年5月23日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。