時計のない村 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)町《まち》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)一|方《ぽう》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#「ねじ」に傍点] -------------------------------------------------------  町《まち》から遠《とお》く離《はな》れた田舎《いなか》のことであります。その村《むら》には、あまり富《と》んだものがありませんでした。村《むら》じゅうで、時計《とけい》が、たった二つぎりしかなかったのです。  長《なが》い間《あいだ》、この村《むら》の人々《ひとびと》は、時計《とかい》がなくてすんできました。太陽《たいよう》の上《のぼ》りぐあいを見《み》て、およその時刻《じこく》をはかりました。けれど、この文明《ぶんめい》の世《よ》の中《なか》に、時計《とけい》を用《もち》いなくては話《はなし》にならぬというので、村《むら》の中《うち》での金持《かねも》ちの一人《ひとり》が、町《まち》に出《で》たときに、その町《まち》の時計屋《とけいや》から、一つの時計《とけい》を求《もと》めたのであります。  その金持《かねも》ちは、いま、自分《じぶん》はたくさんの金《かね》を払《はら》って、時計《とけい》を求《もと》めることを心《こころ》の中《うち》で誇《ほこ》りとしました。今日《きょう》から、村《むら》のものたちは、万事《ばんじ》の集《あつ》まりや、約束《やくそく》の時間《じかん》を、この時計《とけい》によってしなければならぬと思《おも》ったからであります。 「この時計《とけい》は、狂《くる》うようなことはないだろうな。」と、金持《かねも》ちは、時計屋《とけいや》の番頭《ばんとう》にたずねました。 「けっして、狂《くる》うようなことはありません。そんなお品《しな》ではございません。」と、番頭《ばんとう》は答《こた》えました。 「それなら、安心《あんしん》だが。」と、金持《かねも》ちは、ほほえみました。 「この店《みせ》の時間《じかん》は、まちがいがないだろうな。」と、金持《かねも》ちは、またききました。 「けっして、まちがってはいません。標準時《ひょうじゅんじ》に合《あ》わせてございます。」と、番頭《ばんとう》は答《こた》えました。 「それなら、安心《あんしん》だ。」と、金持《かねも》ちは思《おも》ったのであります。  金持《かねも》ちは、買《か》った時計《とけい》を大事《だいじ》にして、自分《じぶん》の村《むら》へ持《も》って帰《かえ》りました。  これまで、時計《とけい》というものを見《み》なれなかった村《むら》の人々《ひとびと》は、毎日《まいにち》のように、その金持《かねも》ちの家《うち》へ押《お》しかけてきました。そして、独《ひと》りでに動《うご》く針《はり》を見《み》て、不思議《ふしぎ》に思《おも》いました。また、金持《かねも》ちから時間《じかん》の見方《みかた》を教《おそ》わって、彼《かれ》らは、圃《はたけ》にいっても、山《やま》にいっても、寄《よ》ると時計《とけい》の話《はなし》をしたのであります。  この村《むら》に、もう一人《ひとり》金持《かねも》ちがありました。その男《おとこ》は、村《むら》のものが、一|方《ぽう》の金持《かねも》ちの家《うち》にばかり出入《でい》りするのをねたましく思《おも》いました。時計《とけい》があるばかりに、みんなが、その家《うち》へゆくのがしゃくにさわったのであります。 「どれ、俺《おれ》も、ひとつ時計《とけい》を買《か》ってこよう。そうすれば、きっと俺《おれ》のところへもみんながやってくるにちがいない。」と、その男《おとこ》は思《おも》ったのです。  男《おとこ》は、町《まち》へ出《で》ました。そして、もう一人《ひとり》の金持《かねも》ちが時計《とけい》を買《か》った店《みせ》と、ちがった店《みせ》へゆきました。その店《みせ》も、町《まち》での大《おお》きな時計屋《とけいや》であったのです。男《おとこ》は、いろいろな形《かたち》の時計《とけい》をこの店《みせ》で見《み》ました。なるたけ、珍《めずら》しいと思《おも》ったのを、男《おとこ》は選《えら》びました。 「この時計《とけい》は、狂《くる》わないだろうか。」と、男《おとこ》は、店《みせ》の番頭《ばんとう》に問《と》いました。 「そんなことは、けっしてございません。保険付《ほけんつ》きでごさいます。」と、番頭《ばんとう》は答《こた》えました。 「その時計《とけい》の時間《じかん》は、合《あ》っているだろうか。」と、男《おとこ》はたずねました。 「標準時《ひょうじゅんじ》に合《あ》っています。」と、番頭《ばんとう》は答《こた》えました。 「ねじ[#「ねじ」に傍点]さえかけておけは、いつまでたってもまちがいはないだろうか。」と、男《おとこ》は、念《ねん》のために問《と》いました。 「この時計《とけい》は、幾年《いくねん》たっても、狂《くる》うようなことはございません。」と、番頭《ばんとう》は答《こた》えました。  男《おとこ》は、これを持《も》って帰《かえ》れば、村《むら》のものたちが、みんな見《み》にやってくると思《おも》って、その時計《とけい》を買《か》って大事《だいじ》にして村《むり》へ帰《かえ》りました。  もう一人《ひとり》の金持《かねも》ちが、別《べつ》の時計《とけい》を町《まち》から買《か》ってきたといううわさが村《むら》にたつと、はたして、みんながやってきました。 「時計《とけい》をどうぞ見《み》せてください。」と、村《むら》のものたちが、口々《くちぐち》にいいました。  男《おとこ》は、そういってくるだろうと思《おも》っていたところへ、みんながやってきましたから、得意《とくい》になって、 「さあ上《あ》がって見《み》なさい。なかなか機械《きかい》のいい時計《とけい》なんだから、この時間《じかん》ばかりは安心《あんしん》していいのだ。」と、男《おとこ》はいいました。  村《むら》のものたちは、時計《とけい》の形《かたち》が変《か》わっていましたので、 「やあ、これは珍《めずら》しい。」といって、その時計《とけい》の前《まえ》に頭《あたま》を集《あつ》めてほめそやしました。  しかるに、不思議《ふしぎ》なことには、村《むら》に二つ時計《とけい》がありましたが、どうしたことか、二つの時計《とけい》は約《やく》三十|分《ぷん》ばかり時間《じかん》が違《ちが》っていました。どちらが違《ちが》っているのか、だれもそれを知《し》ることができないのであります。 「この時計《とけい》は狂《くる》っていない。標準時《ひょうじゅんじ》に合《あ》っているのだ。」と、一人《ひとり》の金持《かねも》ちがいいますと、 「この時計《とけい》こそ合《あ》っているのだ。上等《じょうとう》の機械《きかい》で、町《まち》の時計《とけい》にちゃんと合《あ》わしてきたのだ。」と、他《た》の金持《かねも》ちがいいました。  二人《ふたり》の金持《かねも》ちは、たがいに自分《じぶん》の時計《とけい》を正《ただ》しいといって譲《ゆず》りませんでした。ちょうど、二つの時計《とけい》は厳《おごそ》かなおきてのように、村《むら》のものは、二つに分《わ》かれて、一|方《ぽう》は、甲《こう》の金持《かねも》ちの時計《とけい》を正《ただ》しいといいました。一|方《ぽう》は、乙《おつ》の金持《かねも》ちの時計《とけい》を正《ただ》しいといいました。  いままで、平和《へいわ》であった村《むら》が、時計《とけい》のために、二つに分《わ》かれてしまいました。時計《とけい》は神《かみ》さまのようになってしまったのです。 「今夜《こんや》、六|時《じ》から集《あつ》まる。」と、いい合《あ》わしても、一|方《ぽう》のものは、乙《おつ》の金持《かねも》ちの時計《とけい》が六|時《じ》になると会場《かいじょう》に集《あつ》まりましたが、一|方《ぽう》のものは、甲《こう》の金持《かねも》ちの時計《とけい》が六|時《じ》にならないので集《あつ》まりませんでした。それで、三十|分《ぷん》あまりも、二つの時計《とけい》の時間《じかん》が違《ちが》っていましたから、前《まえ》に集《あつ》まったものは、後《あと》からきたものに対《たい》して、待《ま》たされた小言《こごと》をいいました。 「俺《おれ》たちは、ちゃんと六|時《じ》にきたのだ。こちらの時計《とけい》に狂《くる》いはないはずだ。それは、おまえさんたちの時計《とけい》がまちがっているからだ。」と、後《あと》からきたものはいいました。 「いいや、私《わたし》たちのほうの時計《とけい》はまちがっていない。おまえさんたちのほうの時計《とけい》こそまちがっているのだ。」と、前《まえ》に集《あつ》まったものがいいました。  こうして、時計《とけい》によって双方《そうほう》が争《あらそ》ったのです。 「待《ま》ってやって、理屈《りくつ》をいわれるようじゃつまらない。さっさと時間《じかん》がきたら、仕事《しごと》を始《はじ》めてしまうがいい。」と、早《はや》い時間《じかん》を信《しん》ずる組《くみ》は、遅《おく》れた時間《じかん》を信《しん》ずるものにかまわずに、相談《そうだん》を進《すす》めるようになりました。  こんなようなことで、つねに時間《じかん》から、双方《そうほう》の争《あらそ》いが絶《た》えませんでした。そのうちに、ふとしたことから、乙《おつ》のほうの時計《とけい》が壊《こわ》れてしまいました。いままで、毎日《まいにち》まわっていた針《はり》が、まったく動《うご》かなくなってしまったのです。  神《かみ》さまのように、その時計《とけい》の時間《じかん》を信《しん》じていた乙《おつ》のほうの組《くみ》は、その日《ひ》から真《ま》っ暗《くら》になったように、まったく時間《じかん》というものがわからなくなりました。  そうかといって、いままで、争《あらそ》っていた甲《こう》のほうへいって、時間《じかん》をきくのも恥《はじ》と感《かん》じましたから、 「俺《おれ》たちには、もう時間《じかん》がないのだ。」といって、村《むら》の相談《そうだん》があっても、時刻《じこく》がつねにまとまりませんでした。  甲《こう》の組《くみ》は、さすがに、自分《じん》たちのほうの時計《とけい》は狂《くる》わない正《ただ》しい時計《とけい》だと、いよいよその時計《とけい》のありがたみを感《かん》じたわけです。こうなれば、乙《おつ》の組《くみ》のものも、こちらにしたがわなければならぬと思《おも》っていました。それで、相談《そうだん》があるときは、 「午後《ごご》六|時《じ》より。」というように、時間《じかん》を定《き》めて、乙《おつ》のほうへ通知《つうち》をいたしました。けれど、時計《とけい》を持《も》たなくなった乙《おつ》のほうは、六|時《じ》がいつであるかわかりません。こんなことで、いつも相談《そうだん》が、はかどりませんでした。  時計《とけい》が二つあったときよりも、一つになったときのほうが、村《むら》のまとまりがつかなくなったのです。甲《こう》のほうも、案外《あんがい》乙《おつ》のほうが自分《じぶん》たちに従《したが》ってこないのを知《し》ると、困《こま》ってしまったのです。 「町《まち》へいって、時計《とけい》を直《なお》してこなければならない。」と、乙《おつ》のほうの一人《ひとり》がいいました。 「直《なお》したってしかたがない。壊《こわ》れるような時計《とけい》は、もう信用《しんよう》することができない。」と、他《た》の一人《ひとり》がいいました。 「そうすれば、どうしたらいいのか。」 「壊《こわ》れない、いい時計《とけい》を探《さが》してくるよりしかたがない。」 「そんな、いい時計《とけい》は、どこへいったら見《み》つかるだろうか。」と、乙《おつ》のほうは、寄《よ》ると集《あつ》まると口々《くちぐち》にその話《はなし》をしたのであります。  乙《おつ》の金持《かねも》ちは、 「今年《ことし》、酒《さけ》がよく造《つく》れたら、遠《とお》い町《まち》へいって、いい時計《とけい》を買《か》ってこよう。」といいました。  そうしているうちに、ふと、ある日《ひ》のこと、甲《こう》のほうの時計《とけい》も壊《こわ》れてしまったのです。自分《じぶん》たちのほうの時計《とけい》は、けっして狂《くる》うことはないといって、いばっていましたが、ついにその甲《こう》のほうの時計《とけい》も壊《こわ》れてしまったのです。 「やはり、時計《とけい》なんかというものはだめだ。すぐに壊《こわ》れてしまう。信用《しんよう》のできるものでない。」と、一人《ひとり》がいいますと、 「時計《とけい》があったって、なくたって、この一|日《にち》には変《か》わりがないじゃないか。」と、他《た》の一人《ひとり》がいいました。  甲《こう》のほうでは、乙《おつ》のほうの時計《とけい》も壊《こわ》れてしまったのだから、いまさら、急《いそ》いで新《あたら》しい時計《とけい》を、町《まち》へいって求《もと》める気《き》にもなりませんでした。  乙《おつ》のほうでも、甲《こう》のほうの時計《とけい》が壊《こわ》れたと聞《き》いて、いまさら、町《まち》へいって新《あたら》しい時計《とけい》を求《もと》めるという気持《きも》ちが起《お》こりませんでした。  村《むら》は、いつしか、時計《とけい》のなかった昔《むかし》の状態《じょうたい》にかえったのです。そして、頼《たよ》るべき時計《とけい》がないと思《おも》うと、みんなは、また、昔《むかし》のように、大空《おおぞら》を仰《あお》いで太陽《たいよう》の上《あ》がりぐあいで、時間《じかん》をはかりました。そして、それは、すこしの不自由《ふじゆう》をも彼《かれ》らに感《かん》じさせなかったのです。時計《とけい》が壊《こわ》れても、太陽《たいよう》は、けっして壊《こわ》れたり、狂《くる》ったりすることはありませんでした。 「時計《とけい》なんか、いらない、お天道《てんとう》さまさえあれば、たくさんだ。」といって、みんなは、はじめて、太陽《たいよう》をありがたがりました。そして、集会《しゅうかい》の時刻《じこく》も太陽《たいよう》のまわりぐあいできめましたために、みんなは、また昔《むかし》のように一|致《ち》して、いつとなく、村《むら》は平和《へいわ》に治《おさ》まったということであります。 底本:「定本小川未明童話全集 1」講談社    1976(昭和51)年11月10日第1刷    1977(昭和52)年C第3刷 初出:「婦人公論」    1921(大正10)年1月 ※表題は底本では、「時計《とけい》のない村《むら》」となっています。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:江村秀之 2013年9月8日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。