酒倉 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)甲《こう》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)二|国《こく》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#7字下げ] ------------------------------------------------------- [#7字下げ]上[#「上」は中見出し]  甲《こう》と乙《おつ》の二つの国《くに》は、隣《とな》り合《あ》っているところから、よく戦争《せんそう》をいたしました。  あるときの戦争《せんそう》に、甲《こう》の国《くに》は乙《おつ》の国《くに》に破《やぶ》られて、乙《おつ》の軍勢《ぐんぜい》は、どしどし国境《こっきょう》を越《こ》えて、甲《こう》の国《くに》に入《はい》ってきました。甲《こう》の大将《たいしょう》は、とても正当《せいとう》の力《ちから》では乙《おつ》の軍勢《ぐんぜい》を防《ふせ》ぐことができない、そうして降参《こうさん》しなければならないと思《おも》いましたから、これはなにか策略《さくりゃく》を巡《めぐ》らして、乙《おつ》の兵隊《へいたい》や、大将《たいしょう》どもを殺《ころ》してしまわなければならぬと考《かんが》えたのであります。  そこで、乙《おつ》の軍勢《ぐんぜい》が、甲《こう》のある小《ちい》さな町《まち》を占領《せんりょう》したときに、甲《こう》の大将《たいしょう》は、すっかりその町《まち》の食物《しょくもつ》を焼《や》き払《はら》って、ただ、酒《さけ》と水《みず》ばかりを残《のこ》しておきました。そうして、その酒《さけ》と水《みず》には、ことごとく毒《どく》を入《い》れておきました。大将《たいしょう》は、敵《てき》がきっと腹《はら》を減《へ》らして、のどを渇《かわ》かしてくるにちがいない。そのとき、食物《しょくもつ》がないから、きっと酒《さけ》を飲《の》み、水《みず》を飲《の》むにちがいないと思《おも》ったのです。そうして、この町《まち》から逃《に》げてゆきました。  はたして、乙《おつ》の軍勢《ぐんぜい》はえらい勢《いきお》いでこの町《まち》を占領《せんりょう》しましたけれど、食物《しょくもつ》がありません。みんなは腹《はら》が空《す》いてのどが渇《かわ》きますものですから、大将《たいしょう》はじめ兵士《へいし》は、いずれも酒《さけ》を飲《の》み、水《みず》をがぶがぶ飲《の》んだのであります。すると、急《きゅう》に腹《はら》が痛《いた》みだしてきて、みんなは苦《くる》しみはじめました。そうして、時《とき》を移《うつ》さずにごろごろと倒《たお》れて死《し》んでしまいました。  はるかに、このようすを見《み》ていました甲《こう》の国《くに》の大将《たいしょう》は、このときだと思《おも》いました。負《ま》けた兵士《へいし》を勇気《ゆうき》づけて逆襲《ぎゃくしゅう》をいたし、さんざんに弱《よわ》った乙《おつ》の国《くに》の軍勢《ぐんぜい》を破《やぶ》りました。  思《おも》わぬことにほこ先《さき》をくじいた乙《おつ》の軍勢《ぐんぜい》は敗《ま》けて退却《たいきゃく》いたしますと、今度《こんど》は甲《こう》の軍勢《ぐんぜい》は急《きゅう》に勢《いきお》いを盛《も》り返《かえ》して、逃《に》げる乙《おつ》の軍勢《ぐんぜい》を追《お》ってゆきました。  いつしか乙《おつ》の軍勢《ぐんぜい》は国境《こっきょう》を越《こ》えてわが国《くに》に逃《に》げ帰《かえ》り、とうとうこの戦争《せんそう》は、甲《こう》の勝利《しょうり》に帰《き》してしまいました。そうして、甲《こう》の国《くに》の大将《たいしょう》が奇略《きりゃく》を用《もち》いたから戦争《せんそう》に勝《か》ったというので、たいそうその大将《たいしょう》は人々《ひとびと》にほめられました。  けれど、平和《へいわ》はただちに破《やぶ》れて、また二|国《こく》は戦争《せんそう》を始《はじ》めました。 [#7字下げ]下[#「下」は中見出し]  今度《こんど》は甲《こう》の国《くに》が勝《か》ちつづけて、その軍勢《ぐんぜい》は、国境《こっきょう》を越《こ》えて乙《おつ》の国《くに》へ侵入《しんにゅう》したのであります。  ある日《ひ》のこと、甲《こう》の軍勢《ぐんぜい》は乙《おつ》の国《くに》のある村《むら》を占領《せんりょう》いたしました。その村《むら》の人々《ひとびと》は、すでにどこへか逃《に》げてしまって、村《むら》にはまったく人影《ひとかげ》が見《み》えなかったのです。たまたま家《いえ》を失《うしな》った犬《いぬ》がその辺《へん》をうろついている姿《すがた》を見《み》ますばかりで、豚《ぶた》も、鶏《にわとり》も、馬《うま》も、牛《うし》も見《み》なかったのであります。それは、村人《むらびと》が逃《に》げるときに敵《てき》に渡《わた》すのを惜《お》しんで連《つ》れていったり、また殺《ころ》して焼《や》き捨《す》ててしまったりしたのであります。  甲《こう》の国《くに》の大将《たいしょう》は、このさびしい火《ひ》の消《き》えたような村《むら》の中《なか》を見《み》まわりました。どこかに食《た》べ物《もの》が隠《かく》してないかと思《おも》ったのであります。けれどどこにも、食糧品《しょくりょうひん》がなかったのです。大将《たいしょう》は微笑《ほほえ》みました。そうして心《こころ》の中《うち》でいったのです。 「ははあ、これは、いつかおれが敵《てき》を困《こま》らしてやった策略《さくりゃく》をそのまま、おれに当《あ》てはめようとするのだな。ばかなやつらめ。」と、見《み》まわって歩《ある》きました。  すると、草原《くさはら》の中《なか》に、ただ一人《ひとり》の少年《しょうねん》がすわっていました。太陽《たいよう》の光《ひかり》は、その少年《しょうねん》の頭《あたま》を熱《あつ》そうに照《て》らしています。 「おまえは、そこでなにをしているのだ。」と、大将《たいしょう》は少年《しょうねん》に声《こえ》をかけました。 「私《わたし》は、びっこです。みんなといっしょに逃《に》げることができませんから、しかたなくこうしています。」と答《こた》えました。 「おまえは、どの井戸《いど》や、酒倉《さかぐら》に毒《どく》を入《い》れたか知《し》っているにちがいない。それを教《おし》えればよし、教《おし》えないと承知《しょうち》をしないぞ。」と、大将《たいしょう》はいいました。  少年《しょうねん》は、この村《むら》の三|軒《げん》の酒倉《さかぐら》だけには毒《どく》が入《はい》っているが、ほかは毒《どく》が入《はい》っていないと告《つ》げました。これを聞《き》いた大将《たいしょう》は考《かんが》えていましたが、やがてみんなに命令《めいれい》を下《くだ》して、 「みんなは三|軒《げん》の酒倉《さかぐら》の酒《さけ》を飲《の》め、そのほかは、どれも毒《どく》が入《はい》っているぞ。」と叫《さけ》びました。兵士《へいし》たちは争《あらそ》って、その三|軒《げん》の酒倉《さかぐら》へ飛《と》び込《こ》みました。大将《たいしょう》もいって酒《さけ》を飲《の》みました。そして一人残《ひとりのこ》らず死《し》んでしまいました。少年《しょうねん》は、うそはいわなかったのであります。 底本:「定本小川未明童話全集 1」講談社    1976(昭和51)年11月10日第1刷    1977(昭和52)年C第3刷 初出:「読売新聞」    1918(大正7)年10月24日〜25日 ※表題は底本では、「酒倉《さかぐら》」となっています。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:江村秀之 2013年9月23日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。