ろうそくと貝がら 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)海《うみ》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)一|軒《けん》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#7字下げ] ------------------------------------------------------- [#7字下げ]一[#「一」は中見出し]  海《うみ》の近《ちか》くに一|軒《けん》の家《いえ》がありました。家《いえ》には母親《ははおや》と娘《むすめ》とがさびしく暮《く》らしていました。けれど二人《ふたり》は働《はたら》いて、どうにかその日《ひ》を暮《く》らしてゆくことができました。  父親《ちちおや》は二|年前《ねんまえ》に、海《うみ》へ漁《りょう》に出《で》かけたきり帰《かえ》ってきませんでした。その当座《とうざ》、たいへんに海《うみ》が荒《あ》れて、難船《なんせん》が多《おお》かったといいますから、きっと父親《ちちおや》も、その中《なか》に入《はい》っているのだろうと悲《かな》しみ嘆《なげ》きました。  けれど、また、遠《とお》いところへ風《かぜ》のために吹《ふ》きつけられて、父親《ちちおや》はまだ生《い》き残《のこ》っていて、いつか帰《かえ》ってくるのではないかというような気《き》もしまして、二人《ふたり》は、おりおり海《うみ》の方《ほう》をながめて、あてなき思《おも》いにふけっていました。 「お母《っか》さん、お父《とっ》さんは死《し》んでしまわれたんでしょうか。」と、娘《むすめ》は目《め》に涙《なみだ》をためて、母親《ははおや》に問《と》いますと、 「いまだにたよりがないところをみると、きっとそうかもしれない。」と、母親《ははおや》も、さびしそうな顔《かお》つきをして答《こた》えました。 「ほんとうに、お父《とっ》さんが生《い》きていて帰《かえ》ってきてくだされたら、どんなにうれしいかしれない。」と、娘《むすめ》はいいました。 「生《い》きていなされば、きっと帰《かえ》ってきなさるから、そう心配《しんぱい》せずに待《ま》っていたほうがいい。」と、母親《ははおや》は娘《むすめ》をなぐさめました。  娘《むすめ》は昼間《ひるま》仕事《しごと》に出《で》て、日《ひ》が暮《く》れかかると家《いえ》に帰《かえ》ってきました。窓《まど》を開《あ》けると、かなたに青《あお》い海《うみ》が見《み》えました。静《しず》かに、海《うみ》のかなたが、赤《あか》く夕焼《ゆうや》けがして暮《く》れてゆくときもあります。また、灰色《はいいろ》に曇《くも》ったまま暮《く》れてゆくときもあります。またあるときは、風《かぜ》が吹《ふ》いて、海《うみ》の上《うえ》があわだって見《み》えるときもありました。  月《つき》のいい晩《ばん》には、往来《おうらい》する船《ふね》も、なんとなく安全《あんぜん》に思《おも》われますが、海《うみ》が怒《いか》って、真《ま》っ暗《くら》な、波音《なみおと》のすさまじいときには、どんなに航海《こうかい》をする船《ふね》は難儀《なんぎ》をしたかしれません。  そんなとき、娘《むすめ》はきっと父親《ちちおや》のことを思《おも》い出《だ》すのでありました。もし父親《ちちおや》が、こんな嵐《あらし》の強《つよ》い晩《ばん》に、海《うみ》をこいで帰《こえ》ってこられたなら、方角《ほうがく》もわからないので、どんなにか難儀《なんぎ》をなされるだろうと、こう考《かんが》えると、娘《むすめ》はもはや、じっとしていることができませんでした。立《た》ち上《あ》がって、窓《まど》からいっしんに沖《おき》の方《ほう》を見《み》つめていました。 [#7字下げ]二[#「二」は中見出し]  父親《ちちおや》の行方《ゆくえ》がわからなくなってから、二人《ふたり》は、毎晩《まいばん》仏壇《ぶつだん》に燈火《ともしび》をあげて拝《おが》みました。 「お母《っか》さん、外《そと》はたいへんな風《かぜ》ですね。お父《とっ》さんが、今夜《こんや》あたり帰《かえ》っておいでなさるなら、沖《おき》は荒《あ》れて真《ま》っ暗《くら》でどんなにお困《こま》りでしょうね。」と、娘《むすめ》はいいました。 「そんなことはないよ。こんな晩《ばん》にどうしてお父《とっ》さんが、あの船《ふね》で帰《かえ》っておいでなさるものか。そんなことを考《かんが》えないほうがいいよ。」と、母親《ははおや》は答《こた》えました。 「だって、帰《かえ》っておいでなさるかもしれないわ。わたしは、お父《とっ》さんが見当《けんとう》のつくように、ろうそくの火《ひ》を点《とも》してあげるわ。」と、娘《むすめ》はいって、窓《まど》ぎわに幾本《いくほん》となく、ろうそくに火《ひ》をつけてならべました。  なにしろ風《かぜ》が強《つよ》いので、ろうそくの火《ひ》は幾《いく》たびとなく消《け》されました。けれど、娘《むすめ》は消《き》えると、点《つ》け、消《き》えると点《つ》けして、沖《おき》から、遠《とお》く陸《りく》に燈火《ともしび》が見《み》えるようにと、熱心《ねっしん》にろうそくの火《ひ》を点《とぼ》していたのであります。  娘《むすめ》は、ついに家《うち》にありったけのろうそくを燃《も》やしつくしてしまいました。もはや、このうえは、遠《とお》く離《はな》れた町《まち》にまでいって買《か》ってこなければ、点《つ》けるろうそくはなかったのであります。 「おまえの志《こころざし》は、よくお父《とっ》さんにとどいたと思《おも》います。もうろうそくがなくなったから、さあ休《やす》みましょう。」と、母親《ははおや》はいいました。  夜《よ》も、いつしか更《ふ》けていました。娘《むすめ》もしかたがないと考《かんが》えて、二人《ふたり》は戸《と》を閉《し》めて床《とこ》に入《はい》ろうとしました。  そのとき、だれか戸《と》をたたくようなけはいがしました。 「だれかきたようだ。」と、母親《ははおや》はいいました。 「ほんとうに、だれか戸《と》をたたくようですね。いま時分《じぶん》だれだろう。きっと、お父《とっ》さんが帰《かえ》っていらっしたのですよ。」と、娘《むすめ》は勇《いさ》んで、さっそく、戸口《とぐち》のところへ走《はし》っていきました。 「お父《とっ》さんですか。」と、娘《むすめ》は叫《さけ》びました。けれど、戸《と》の外《そと》の人《ひと》は返答《へんとう》をしませんでした。 「どなた。」といいながら、娘《むすめ》は戸《と》を開《あ》けました。すると、黒《くろ》い装束《しょうぞく》をした脊《せ》の高《たか》い、知《し》らぬ男《おとこ》が突《つ》っ立《た》っていました。娘《むすめ》はびっくりして、後《あと》ずさりをしました。黒《くろ》い装束《しょうぞく》の男《おとこ》は、家《いえ》の中《なか》へ入《はい》ってきました。 [#7字下げ]三[#「三」は中見出し] 「あなたは、どこからおいでなされました。この真夜中《まよなか》に家《いえ》ちがいじゃありませんか。」と、母親《ははおや》は驚《おどろ》いた顔《かお》つきで、男《おとこ》をながめながらいいました。 「いや、家《いえ》ちがいじゃありません。じつはお父《とっ》さんからの言《こと》づてがあったのでまいりました。」と、黒《くろ》い装束《しょうぞく》をした男《おとこ》は、穏《おだ》やかに答《こた》えました。 「え、家《うち》のお父《とっ》さんからですか?」と、娘《むすめ》はびっくりして、男《おとこ》のそばに駆《か》け寄《よ》りました。 「そうです。あなたのお父《とっ》さんはいま、遠《とお》くにいられます。けれど、それはじつに暮《く》らしいいところです。あなたのお祖父《じい》さんも、いっしょに住《す》んでいられます。あなたが毎夜《まいよ》、思《おも》っていてくださることは、よくお父《とっ》さんにわかっていますので、どうか心配《しんぱい》せずにいてくれるようにとのお言《こと》づてでございました。」と、その男《おとこ》はいいました。  娘《むすめ》と母親《ははおや》は、なおいろいろと、その男《おとこ》に父親《ちちおや》の身《み》の上《うえ》を聞《き》こうと思《おも》いましたが、 「今夜《こんや》は、もう遅《おそ》いから、いずれまたお伺《うかが》いいたします。」と、男《おとこ》はいって、袋《ふくろ》に包《つつ》んだものを差《さ》し出《だ》して、 「これは、ほんの土産《みやげ》です。私《わたし》が帰《かえ》った後《あと》でごらんください。」と、娘《むすめ》にその袋《ふくろ》を渡《わた》して、男《おとこ》はこの家《いえ》を出《で》て、どこへか闇《やみ》の中《なか》に消《き》えてしまいました。  男《おとこ》が去《さ》った後《あと》で、娘《むすめ》は袋《ふくろ》を開《あ》けてみますと、その中《なか》には、無数《むすう》の金銀《きんぎん》の粉《こな》が入《はい》っていて、目《め》もくらむばかりでありました。二人《ふたり》は、いったいこれはなんだろうと不思議《ふしぎ》がりましたが、夜《よ》が明《あ》けたらよく見《み》ようといって、床《とこ》に就《つ》きました。  明《あ》くる日《ひ》、二人《ふたり》はその袋《ふくろ》を開《あ》けて子細《しさい》に見《み》ますと、金《きん》でも銀《ぎん》でもなければ、よごれた貝《かい》がらでありました。 「あれはきっと、きつねかなにかの化《ば》け物《もの》だ。こんな貝《かい》がらなどを持《も》って、おまえをだましにきたのだ。こんなものは捨《す》てておしまい。」と、母親《ははおや》はいって、袋《ふくろ》の中《なか》の貝《かい》がらを、すっかり窓《まど》の外《そと》に投《な》げ捨《す》ててしまいました。娘《むすめ》は、二、三|日《にち》たって窓《まど》の外《そと》を見《み》ますと、捨《す》てた貝《かい》がらが、すっかり、美《うつく》しいかわいらしい黄色《きいろ》な花《はな》になっていました。  その日《ひ》から娘《むすめ》は、朝晩《あさばん》唄《うた》をうたいながら、その花《はな》を摘《つ》んで遊《あそ》びました。 底本:「定本小川未明童話全集 1」講談社    1976(昭和51)年11月10日第1刷    1977(昭和52)年C第3刷 ※表題は底本では、「ろうそくと貝《かい》がら」となっています。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:江村秀之 2013年9月23日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。