めくら星 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)遠《とお》い |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)一|羽《わ》 -------------------------------------------------------  それは、ずっと、いまから遠《とお》い昔《むかし》のことであります。  あるところに目《め》のよく見《み》えない娘《むすめ》がありました。お母《かあ》さんは、娘《むすめ》が、まだ小《ちい》さいときに、娘《むすめ》をのこして、病気《びょうき》のため死《し》んでしまいました。その後《あと》にきましたお母《かあ》さんは、この娘《むすめ》を、ほんとうの自分《じぶん》の産《う》んだ子供《こども》のようにかわいがらずに、なにかにつけて娘《むすめ》につらくあたりました。  娘《むすめ》は、目《め》こそあまりよく見《み》えませんでしたけれど、まことにりこうな女《おんな》の子《こ》でありました。そして、後《あと》にきたお母《かあ》さんに産《う》まれた、弟《おとうと》の三郎《さぶろう》の守《も》りをしたり、自分《じぶん》のできるかぎりの世話《せわ》をしたのであります。  こんなに、弟《おとうと》をかわいがりましたのにかかわらず、お母《かあ》さんは、やはり娘《むすめ》を目《め》の敵《かたき》にしました。お母《かあ》さんは、じつにものの道理《どうり》のわからない人《ひと》でありましたけれど、弟《おとうと》の三郎《さぶろう》はこの姉《あね》を慕《した》い、そのいうことをよくきく、いい子《こ》でありました。  三郎《さぶろう》は、一|羽《わ》のかわいらしい小鳥《ことり》を飼《か》っていました。その小鳥《ことり》は、羽《はね》の色《いろ》が美《うつく》しいばかりでなく、いい声《こえ》を出《だ》して、朝《あさ》から晩《ばん》までかごの中《なか》でさえずりうたいましたから、三郎《さぶろう》はこの小鳥《ことり》を愛《あい》したことは一通《ひととお》りでありませんでした。また三郎《さぶろう》のいちばん大事《だいじ》にしていたのは、この小鳥《ことり》であったことはいうまでもありませんでした。  いじの悪《わる》い母親《ははおや》は、娘《むすめ》に向《む》かって、 「おまえは、毎日《まいにち》鳥《とり》に餌《え》と水《みず》をやりなさい。そして、もし鳥《とり》をにがすようなことがあったなら、そのときはたいへんだ。そうすれば、もう、おまえはこの家《うち》から出《で》ていくのだ。けっして、家《うち》に置《お》きはしないから。」といいました。  おとなしい、目《め》のよく見《み》えない娘《むすめ》は、どんなに、この母親《ははおや》のいいつけを当惑《とうわく》したでありましょう。  小鳥《ことり》は、そんなこととは知《し》らず、朝《あさ》からかごの中《なか》でとまり木《ぎ》にとまって、ないたり、さえずったりしていました。そして、細《ほそ》いかごの目《め》から、遠《とお》い空《そら》などをながめていますうちに、小鳥《ことり》はどうかして、広《ひろ》い世《よ》へ出《で》て、自由《じゆう》に、あの青々《あおあお》とした空《そら》を飛《と》んでみたいものだと思《おも》ったのであります。  小鳥《ことり》は、自分《じぶん》の友《とも》だちらが、木《き》の枝《えだ》や、かなたの空《そら》でないているのを聞《き》きますと、その気《き》ままな生活《せいかつ》がうらやまれたのでありました。自分《じぶん》もどうかして、このかごの中《なか》から逃《に》げて出《で》て、せめて一目《ひとめ》なりとも、世《よ》の中《なか》のさまざまな景色《けしき》を見《み》たいものだと思《おも》いました。  こう小鳥《ことり》が外《そと》にあこがれていますうちに、ある日《ひ》のこと、目《め》のよく見《み》えない娘《むすめ》は、餌猪口《えちょこ》をかごの中《なか》に倒《たお》して、それを直《なお》そうと気《き》をもんでいました。小鳥《ことり》は、娘《むすめ》の手《て》とかごの入《い》り口《ぐち》のところにすきまのあるのを発見《はっけん》しましたので、すばやく身《み》をすぼめて、ついとそこから、外《そと》に逃《に》げ出《だ》してしまいました。  小鳥《ことり》は、まず屋根《やね》の上《うえ》に止《と》まりました。そして、これからどっちへ向《む》かって逃《に》げていったらいいかと、しばし思案《しあん》にふけったのです。そのとき、家《いえ》の内《うち》では、なんだか大騒《おおさわ》ぎをするようなようすでありましたから、まごまごしていて捕《と》らえられてはつまらないと思《おも》いましたので、一声《ひとこえ》高《たか》くないて、遠方《えんぽう》に見《み》える、こんもりとした森影《もりかげ》を目《め》あてに、飛《と》んでいってしまいました。  娘《むすめ》は、小鳥《ことり》を逃《に》がしてしまうと、たいへんに驚《おどろ》き悲《かな》しみました。どうしらいいだろうと気《き》をもみましたけれど、なにぶんにも目《め》がよく見《み》えませんので、どうすることもできないので、ただ、うろうろ騒《さわ》いでいました。  このとき、三郎《さぶろう》は姉《あね》のそばに駆《か》けてきまして、 「姉《ねえ》さん、鳥《とり》はどこへいったの! 僕《ぼく》の大事《だいじ》にしておいた鳥《とり》はいなくなってしまった。僕《ぼく》は、どうしたらいいだろう。」と泣《な》き出《だ》しました。  やさしい姉《あね》は、弟《おとうと》をいたわって、 「三郎《さぶろう》さん、わたしが悪《わる》かったのだから、どうか堪忍《かんにん》しておくれ。あんなに三郎《さぶろう》さんがかわいがっていた鳥《とり》を逃《に》がしてしまって、わたしが悪《わる》かったから、どうか堪忍《かんにん》しておくれ。きっと、わたしが鳥《とり》を探《さが》して捕《つか》まえてきてあげるから、泣《な》かないでおくれ。」といいました。  この物音《ものおと》を聞《き》きつけた母親《ははおや》は、なにごとが起《お》こったかと思《おも》って、奥《おく》から出《で》てきました。そして、その次第《しだい》を知《し》ると、たいへんに怒《おこ》りました。 「三郎《さぶろう》のあんなに大事《だいじ》にしておいた鳥《とり》を逃《に》がしてしまって、おまえはどうするつもりです。いつかの約束《やくそく》ですから、さあ、おまえは、この家《うち》から出《で》ていってしまうのです。どこへでもかってにいってしまうがいい。」と、母親《ははおや》はいいました。  娘《むすめ》は手《て》を合《あ》わせて、けっして悪《わる》い気《き》でしたのではないから、許《ゆる》してくださいと泣《な》いてわびましたけれど、もとより、これを機会《きかい》に娘《むすめ》を追《お》い出《だ》してしまう考《かんが》えでありましたから、母親《ははおや》はなんといっても娘《むすめ》の過《あやま》ちを許《ゆる》しませんでした。弟《おとうと》の三郎《さぶろう》は、姉《あね》がかわいそうになりましたので、ともに母親《ははおや》のたもとにすがって許《ゆる》しを請《こ》いましたけれど、母親《ははおや》はついに許《ゆる》さなかったばかりでなく、娘《むすめ》を家《いえ》から外《そと》へ追《お》い出《だ》してしまいました。 「そんなに家《うち》へ入《はい》りたければ、逃《に》げた鳥《とり》を探《さが》して捕《つか》まえてくるがいい。」と、母親《ははおや》は、娘《むすめ》を後目《しりめ》にかけてしかりました。  娘《むすめ》はやっと顔《かお》を上《あ》げて、 「三郎《さぶろう》さん、わたしは、きっと鳥《とり》を探《さが》して捕《つか》まえてきてあげますよ。」と、涙《なみだ》ながらにいいました。そして、彼女《かのじょ》は、いずこへともなく立《た》ち去《さ》ってしまったのであります。  娘《むすめ》は、空《から》になったかごをぶらさげて、あてもなく町《まち》から村《むら》へ出《で》て、村《むら》からまた野原《のはら》へと、さまよい歩《ある》いたのであります。  もしやどこかで、聞《き》き覚《おぼ》えのある鳥《とり》の声《こえ》はしないかと、耳《みみ》を傾《かたむ》けましたけれども、あたりは、しんとして、なんの鳥《とり》のなく声《こえ》もしなかったのであります。 「どうか、鳥《とり》! 鳥《とり》! このかごの中《なか》へ帰《かえ》っておくれ。おまえが帰《かえ》ってくれないと、わたしは家《うち》へ帰《かえ》られないのだから、どうかこのかごの中《なか》に帰《かえ》ってきておくれ。」と、娘《むすめ》は、あてもなく逃《に》げていってしまった鳥《とり》に向《む》かって、独《ひと》り言《ごと》のように頼《たの》みました。しかし、どこからも鳥《とり》の飛《と》んで帰《かえ》ってくるようすがありませんでした。  娘《むすめ》はしかたなく、野原《のはら》をさまよって、だんだん森《もり》の中《なか》から、山《やま》のふもとへ歩《ある》いてきました。そのうちに日《ひ》はしだいに暮《く》れかかったのです。 「どうしたらいいだろう。もし鳥《とり》がこのかごの中《なか》に帰《かえ》ってきてくれなければ、わたしは、弟《おとうと》に対《たい》してすまない。お母《かあ》さんは、わたしの過《あやま》ちをけっして許《ゆる》してはくださるまい。しかたがないから、わたしは死《し》んでしまおう。」と、決心《けっしん》しながら、とぼとぼと、なおも途《みち》を歩《ある》いてきました。  高《たか》い山《やま》の端《はし》が、赤《あか》く、黄色《きいろ》く色《いろ》づいては、いつしか沈《しず》んでしまいました。娘《むすめ》は悲《かな》しく、日《ひ》の沈《しず》むのをながめました。もう家《いえ》を出《で》てからだいぶ遠《とお》く歩《ある》いてきました。いまごろ、弟《おとうと》や、お母《かあ》さんは、どうしていられるだろうと思《おも》うと、さびしく、頼《たよ》りなくなって涙《なみだ》がわいて出《で》てきました。  そのうちに、彼女《かのじょ》の歩《ある》いている路《みち》は、いつしか尽《つ》きてしまって、目《め》の前《まえ》に青《あお》い青《あお》い池《いけ》が見《み》えました。日《ひ》はまったく暮《く》れて、空《そら》の星《ほし》がちらちらとその静《しず》かな水《みず》の上《うえ》に映《うつ》っていました。  娘《むすめ》は、目《め》がよく見《み》えませんけれど、この深《ふか》そうに青黒《あおぐろ》く見《み》える、池《いけ》の面《おもて》に映《うつ》った星《ほし》の光《ひかり》だけはわかりました。彼女《かのじょ》は、ずっとその池《いけ》の面《おもて》を見《み》つめて、死《し》んでしまおうかと思案《しあん》していました。  ちょうどそのとき、水《みず》の中《なか》から、 「姫《ひめ》、姫《ひめ》、どの星《ほし》になる。金《きん》の星《ほし》か。銀《ぎん》の星《ほし》か。それとも紫色《むらさきいろ》の星《ほし》か。」という声《こえ》が聞《き》こえたのであります。  娘《むすめ》は、これはきっと、神《かみ》さまが自分《じぶん》を救《すく》ってくださるのだろうと思《おも》いました。お星《ほし》さまになったら、もういままでのように悲《かな》しいこともなければ、またつらいこともなかろう。そして、なつかしい真実《ほんとう》のお母《かあ》さんにあうこともできれば、また三郎《さぶろう》さんの大事《だいじ》にしていた鳥《とり》を、世界《せかい》じゅうめぐりめぐって探《さが》すこともできるだろうと思《おも》いました。  また、このとき、水《みず》の中《なか》から、先刻《さっき》と同《おな》じ声《こえ》で、 「姫《ひめ》、姫《ひめ》、どの星《ほし》になる。金《きん》の星《ほし》か。銀《ぎん》の星《ほし》か。それとも紫色《むらさきいろ》の星《ほし》か。」と、姿《すがた》が見《み》えないけれど、同《おな》じことをいいました。  娘《むすめ》は考《かんが》えて、 「金《きん》の星《ほし》になる。」と答《こた》えました。すると、 「金《きん》の星《ほし》は早《はや》いぞ。早《はや》く出《で》て、遅《おそ》く入《はい》る。」と、また水《みず》の中《なか》からいいました。  娘《むすめ》は、これは、金星《きんせい》は、早《はや》く空《そら》に出《で》て、遅《おそ》く海《うみ》に入《はい》るのだから、早《はや》く池《いけ》の中《なか》に飛《と》び込《こ》めというのだろうと思《おも》いましたから、さっそく手《て》を合《あ》わせて、神《かみ》さまに祈《いの》りながら、ざんぶりとばかり、水《みず》の中《なか》に身《み》を投《な》げ込《こ》んでしまったのであります。  その夜《よ》から、空《そら》に、金色《きんいろ》の新《あたら》しい星《ほし》が一つ増《ふ》えました。  けれど、その星《ほし》は、めくら星《ぼし》でありました。ほかのお星《ほし》さまのように、遠《とお》く、高《たか》く、地《ち》から離《はな》れて、天上界《てんじょうかい》に住《す》むことができないのであります。毎夜《まいよ》、森《もり》や、林《はやし》や、野《の》の上《うえ》近《ちか》くさまよって、このお星《ほし》さまは、なにか探《たず》ねています。それは、死《し》んだ姉《あね》が、なお、弟《おとうと》のかわいがっていた鳥《とり》を探《さが》しているのであります。  ある日《ひ》のこと、山《やま》や、森《もり》や、林《はやし》や、河《かわ》は、みんないっしょに集《あつ》まって相談《そうだん》いたしました。 「あのめくらの星《ほし》は、ほんとうにかわいそうだ。」 「毎夜《まいよ》、この下界《げかい》の近《ちか》くにまで降《お》りてくる。もし、山《やま》や、森《もり》に突《つ》きあたったらどうするつもりだろう。」と、彼《かれ》らはたがいに話《はな》し合《あ》いました。 「こりゃ、おれたちが、あの星《ほし》に注意《ちゅうい》してやらなけりゃならない。」 「そうだ。それがおれたちのすべきことだ。」と、彼《かれ》らは、またいいあいました。相談《そうだん》がすむと、彼《かれ》らはたがいに別《わか》れてしまいました。  どんな晩《ばん》も、雨《あめ》の降《ふ》らないかぎりは、めくら星《ぼし》は、金色《きんいろ》に光《ひか》って、下界《げかい》に近《ちか》く空《そら》をさまよいます。みなさんは、金色《きんいろ》に輝《かがや》くお星《ほし》さまが、山《やま》の頂《いただき》にとどきそうになって過《す》ぎるのを見《み》るでありましょう。そのとき、ふもとの谷川《たにがわ》は、声《こえ》をかぎりに叫《さけ》びます。また、森《もり》には、風《かぜ》が起《お》こって、ゴーゴーと鳴《な》ります。ある山《やま》は、赤《あか》い火《ひ》を噴《ふ》いて、星《ほし》に警戒《けいかい》します。  めくら星《ぼし》は、高《たか》い山《やま》の頂《いただき》につきそうになって、この物音《ものおと》を聞《き》きつけて、さも寒《さむ》そうに身《み》ぶるいしながら、青《あお》い青《あお》い夜《よる》の空《そら》をあてもなく、無事《ぶじ》に過《す》ぎてゆきます。  神《かみ》さまは、めくら星《ぼし》となった娘《むすめ》を、かわいそうだと思《おも》われました。けれど、逃《に》げた小鳥《ことり》にべつに罪《つみ》のあるわけでありませんから、それを罰《ばっ》することができませんでした。ただ、めくら星《ぼし》が毎夜《まいよ》、地《ち》に近《ちか》く降《お》りて鳥《とり》を探《さが》しているのを不憫《ふびん》と思《おも》われて、これはいくら探《さが》してもわかろうはずはないから、逃《に》げた鳥《とり》は、ほかの鳥《とり》のように昼間《ひるま》はないたり、さえずったりさせずに、夜《よる》にかぎってないたり、さえずったりさせてやろう。そうすれば、めくら星《ぼし》はきっと、そのなき声《こえ》を聞《き》きつけて探《さが》しあてることができるだろうと、神《かみ》さまは思《おも》われたのであります。  森《もり》に、山《やま》に、林《はやし》に、みんなほかの鳥《とり》は昼間《ひるま》太陽《たいよう》の輝《かがや》いている間《あいだ》は、おもしろく、楽《たの》しく、こずえからこずえにさえずり渡《わた》っているのを、独《ひと》り、昼間《ひるま》は眠《ねむ》って、真《ま》っ暗《くら》な夜《よる》の間《あいだ》眠《ねむ》ることができずに、反対《はんたい》にないている鳥《とり》があります。これは、昔《むかし》、かごから逃《に》げていなくなった鳥《とり》の子孫《しそん》らであります。しかし、めくら星《ぼし》は、永久《えいきゅう》に森《もり》の中《なか》に近《ちか》づくことができません。空《むな》しく、はるかにほととぎすや、ふくろうのなき声《ごえ》を聞《き》きながら、高《たか》い山《やま》の頂《いただき》を過《す》ぎるのです。 底本:「定本小川未明童話全集 1」講談社    1976(昭和51)年11月10日第1刷発行    1982(昭和57)年9月10日第7刷発行 初出:「おとぎの世界」    1919(大正8)年6月 ※表題は底本では、「めくら星《ぼし》」となっています。 入力:ぷろぼの青空工作員チーム入力班 校正:ぷろぼの青空工作員チーム校正班 2011年11月2日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。