牛女 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)村《むら》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)一|面《めん》 -------------------------------------------------------  ある村《むら》に、脊《せ》の高《たか》い、大《おお》きな女《おんな》がありました。あまり大《おお》きいので、くびを垂《た》れて歩《ある》きました。その女《おんな》は、おしでありました。性質《せいしつ》は、いたってやさしく、涙《なみだ》もろくて、よく、一人《ひとり》の子供《こども》をかわいがりました。  女《おんな》は、いつも黒《くろ》いような着物《きもの》をきていました。ただ子供《こども》と二人《ふたり》ぎりでありました。まだ年《とし》のいかない子供《こども》の手《て》を引《ひ》いて、道《みち》を歩《ある》いているのを、村《むら》の人《ひと》はよく見《み》たのであります。そして、大女《おおおんな》でやさしいところから、だれがいったものか「牛女《うしおんな》」と名《な》づけたのであります。  村《むら》の子供《こども》らは、この女《おんな》が通《とお》ると、「牛女《うしおんな》」が通《とお》ったといって、珍《めずら》しいものでも見《み》るように、みんなして、後《うし》ろについていって、いろいろのことをいいはやしましたけれど、女《おんな》はおしで、耳《みみ》が聞《き》こえませんから、黙《だま》って、いつものように下《した》を向《む》いて、のそりのそりと歩《ある》いてゆくようすが、いかにもかわいそうであったのであります。  牛女《うしおんな》は、自分《じぶん》の子供《こども》をかわいがることは、一通《ひととお》りでありませんでした。自分《じぶん》が不具者《ふぐしゃ》だということも、子供《こども》が、不具者《ふぐしゃ》の子《こ》だから、みんなにばかにされるのだろうということも、父親《ちちおや》がないから、ほかにだれも子供《こども》を育《そだ》ててくれるものがないということも、よく知《し》っていました。  それですから、いっそう子供《こども》に対《たい》する不憫《ふびん》がましたとみえて、子供《こども》をかわいがったのであります。  子供《こども》は男《おとこ》の子《こ》で、母親《ははおや》を慕《した》いました。そして、母親《ははおや》のゆくところへは、どこへでもついてゆきました。  牛女《うしおんな》は、大女《おおおんな》で、力《ちから》も、またほかの人《ひと》たちよりは、幾倍《いくばい》もありましたうえに、性質《せいしつ》が、やさしくあったから、人々《ひとびと》は、牛女《うしおんな》に力仕事《ちからしごと》を頼《たの》みました。たきぎをしょったり、石《いし》を運《はこ》んだり、また、荷物《にもつ》をかつがしたり、いろいろのことを頼《たの》みました。牛女《うしおんな》は、よく働《はたら》きました。そして、その金《かね》で二人《ふたり》は、その日《ひ》、その日《ひ》を暮《く》らしていました。  こんなに大《おお》きくて、力《ちから》の強《つよ》い牛女《うしおんな》も、病気《びょうき》になりました。どんなものでも、病気《びょうき》にかからないものはないでありましょう。しかも、牛女《うしおんな》の病気《びょうき》は、なかなか重《おも》かったのであります。そして働《はたら》くこともできなくなりました。  牛女《うしおんな》は、自分《じぶん》は死《し》ぬのでないかと思《おも》いました。もし、自分《じぶん》が死《し》ぬようなことがあったなら、子供《こども》をだれが見《み》てくれようと思《おも》いました。そう思《おも》うと、たとえ死《し》んでも死《し》にきれない。自分《じぶん》の霊魂《たましい》は、なにかに化《ば》けてきても、きっと子供《こども》の行《ゆ》く末《すえ》を見守《みまも》ろうと思《おも》いました。牛女《うしおんな》の大《おお》きなやさしい目《め》の中《なか》から、大粒《おおつぶ》の涙《なみだ》が、ぽとりぽとりと流《なが》れたのであります。  しかし、運命《うんめい》には牛女《うしおんな》も、しかたがなかったとみえます。病気《びょうき》が重《おも》くなって、とうとう牛女《うしおんな》は死《し》んでしまいました。  村《むら》の人々《ひとびと》は、牛女《うしおんな》をかわいそうに思《おも》いました。どんなに置《お》いていった子供《こども》のことに心《こころ》を取《と》らたろうと、だれしも深《ふか》く察《さっ》して、牛女《うしおんな》をあわれまぬものはなかったのであります。  人々《ひとびと》は寄《よ》り集《あつ》まって、牛女《うしおんな》の葬式《そうしき》を出《だ》して、墓地《ぼち》にうずめてやりました。そして、後《あと》に残《のこ》った子供《こども》を、みんながめんどうを見《み》て育《そだ》ててやることになりました。  子供《こども》は、ここの家《うち》から、かしこの家《うち》へというふうに移《うつ》り変《か》わって、だんだん月日《つきひ》とともに大《おお》きくなっていったのであります。しかし、うれしいこと、また、悲《かな》しいことがあるにつけて、子供《こども》は死《し》んだ母親《ははおや》を恋《こい》しく思《おも》いました。  村《むら》には、春《はる》がき、夏《なつ》がき、秋《あき》となり、冬《ふゆ》となりました。子供《こども》は、だんだん死《し》んだ母親《ははおや》をなつかしく思《おも》い、恋《こい》しく思《おも》うばかりでありました。  ある冬《ふゆ》の日《ひ》のこと、子供《こども》は、村《むら》はずれに立《た》って、かなたの国境《こっきょう》の山々《やまやま》をながめていますと、大《おお》きな山《やま》の半腹《はんぷく》に、母《はは》の姿《すがた》がはっきりと、真《ま》っ白《しろ》な雪《ゆき》の上《うえ》に黒《くろ》く浮《う》き出《だ》して見《み》えたのであります。これを見《み》ると、子供《こども》はびっくりしました。けれど、このことを口《くち》に出《だ》してだれにもいいませんでした。  子供《こども》は、母親《ははおや》が恋《こい》しくなると、村《むら》はずれに立《た》って、かなたの山《やま》を見《み》ました。すると、天気《てんき》のいい晴《は》れた日《ひ》には、いつでも母親《ははおや》の黒《くろ》い姿《すがた》をありありと見《み》ることができたのです。ちょうど母親《ははおや》は、黙《だま》って、じっとこちらを見《み》つめて、我《わ》が子《こ》の身《み》の上《うえ》を見守《みまも》っているように思《おも》われたのでありました。  子供《こども》は、口《くち》に出《だ》して、そのことをいいませんでしたけれど、いつか村人《むらびと》は、ついにこれを見《み》つけました。 「西《にし》の山《やま》に、牛女《うしおんな》が現《あらわ》れた。」と、いいふらしました。そして、みんな外《そと》に出《で》て、西《にし》の山《やま》をながめたのであります。 「きっと、子供《こども》のことを思《おも》って、あの山《やま》に現《あらわ》れたのだろう。」と、みんなは口々《くちぐち》にいいました。子供《こども》らは、天気《てんき》のいい晩方《ばんがた》には、西《にし》の国境《こっきょう》の山《やま》の方《ほう》を見《み》て、 「牛女《うしおんな》! 牛女《うしおんな》!」と、口々《くちぐち》にいって、その話《はなし》でもちきったのです。  ところが、いつしか春《はる》がきて、雪《ゆき》が消《き》えかかると、牛女《うしおんな》の姿《すがた》もだんだんうすくなっていって、まったく雪《ゆき》が消《き》えてしまう春《はる》の半《なか》ばごろになると、牛女《うしおんな》の姿《すがた》は見《み》られなくなってしまったのです。  しかし、冬《ゆふ》となって、雪《ゆき》が山《やま》に積《つ》もり里《さと》に降《ふ》るころになると、西《にし》の山《やま》に、またしても、ありありと牛女《うしおんな》の黒《くろ》い姿《すがた》が現《あらわ》れました。村《むら》の人々《ひとびと》や子供《こども》らは冬《ふゆ》の間《あいだ》、牛女《うしおんな》のうわさでもちきりました。そして、牛女《うしおんな》の残《のこ》していった子供《こども》は、恋《こい》しい母親《ははおや》の姿《すがた》を、毎日《まいにち》のように村《むら》はずれに立《た》ってながめたのであります。 「牛女《うしおんな》が、また西《にし》の山《やま》に現《あらわ》れた。あんなに子供《こども》の身《み》の上《うえ》を心配《しんぱい》している。かわいそうなものだ。」と、村人《むらびと》はいって、その子供《こども》のめんどうをよく見《み》てやったのす。  やがて春《はる》がきて、暖《あたた》かになると、牛女《うしおんな》の姿《すがた》は、その雪《ゆき》とともに消《き》えてしまったのでありました。  こうして、くる年《とし》も、くる年《とし》も、西《にし》の山《やま》に牛女《うしおんな》の黒《くろ》い姿《すがた》は現《あらわ》れました。そのうちに、子供《こども》は大《おお》きくなったものですから、この村《むら》から程近《ほどちか》い、町《まち》のある商家《しょうか》へ、奉公《ほうこう》させられることになったのであります。  子供《こども》は、町《まち》にいってからも、西《にし》の山《やま》を見《み》て恋《こい》しい母親《ははおや》の姿《すがた》をながめました。村《むら》の人々《ひとびと》は、その子供《こども》がいなくなってからも、雪《ゆき》が降《ふ》って、西《にし》の山《やま》に牛女《うしおんな》の姿《すがた》が現《あらわ》れると、母親《ははおや》と、子供《こども》の情合《じょうあ》いについて、語《かた》り合《あ》ったのでありました。 「ああ、牛女《うしおんな》の姿《すがた》があんなにうすくなったもの、暖《あたた》かになったはずだ。」と、しまいには、季節《きせつ》の移《うつ》り変《か》わりを、牛女《うしおんな》について人々《ひとびと》はいうようになったのでした。  牛女《うしおんな》の子供《こども》は、ある年《とし》の春《はる》、西《にし》の山《やま》に現《あらわ》れた母親《ははおや》の許《ゆる》しも受《う》けずに、かってにその商家《しょうか》から飛《と》び出《だ》して、汽車《きしゃ》に乗《の》って、故郷《ふるさと》を見捨《みす》てて、南《みなみ》の方《ほう》の国《くに》へいってしまったのであります。  村《むら》の人《ひと》も、町《まち》の人《ひと》も、もうだれも、その子供《こども》のことについて、その後《のち》のことを知《し》ることができませんでした。そのうちに、夏《なつ》も過《す》ぎ、秋《あき》も去《さ》って、冬《ふゆ》となりました。  やがて、山《やま》にも、村《むら》にも、町《まち》にも、雪《ゆき》が降《ふ》って積《つ》もりました。ただ不思議《ふしぎ》なのは、どうしたことか、今年《ことし》にかぎって、西《にし》の山《やま》に牛女《うしおんな》の姿《すがた》が見《み》えないことでありました。  人々《ひとびと》は、牛女《うしおんな》の姿《すがた》が見《み》えないのをいぶかしがって、 「子供《こども》が、もう町《まち》にいなくなったから、牛女《うしおんな》は見守《みまも》る必要《ひつよう》がなくなったのだろう。」と、語《かた》り合《あ》いました。  その冬《ふゆ》も、いつしか過《す》ぎて春《はる》がきたころであります。町《まち》の中《なか》には、まだところどころに雪《ゆき》が消《き》えずに残《のこ》っていました。ある日《ひ》の夜《よる》のことであります。町《まち》の中《なか》を大《おお》きな女《おんな》が、のそりのそりと歩《ある》いていました。それを見《み》た人々《ひとびと》は、びっくりしました。まさしく、それは牛女《うしおんな》であったからであります。  どうして牛女《うしおんな》が、どこからきたものかと、みんなは語《かた》り合《あ》いました。人々《ひとびと》はその後《のち》もたびたび真夜中《まよなか》に、牛女《うしおんな》がさびしそうに町《まち》の中《なか》を歩《ある》いている姿《すがた》を見《み》たのでありました。 「きっと牛女《うしおんな》は、子供《こども》が故郷《こきょう》から出《で》ていってしまったのを知《し》らないのだろう。それで、この町《まち》の中《なか》を歩《ある》いて、子供《こども》を探《さが》しているのにちがいない。」と、人々《ひとびと》はいいました。  雪《ゆき》がまったく消《き》えて、町《まち》の中《なか》には跡《あと》をも止《と》めなくなりました。木々《きぎ》は、みんな銀色《ぎんいろ》の芽《め》をふいて、夜《よる》もうす明《あか》るくていい季節《きせつ》となりました。  ある夜《よ》、人《ひと》は牛女《うしおんな》が町《まち》の暗《くら》い路次《ろじ》に立《た》って、さめざめと泣《な》いているのを見《み》たといいます。しかしその後《のち》、だれひとり、また牛女《うしおんな》の姿《すがた》を見《み》たものがありません。牛女《うしおんな》はどうしたことか、もはやこの町《まち》にはおらなかったのです。  その年《とし》以来《いらい》、冬《ふゆ》になっても、ふたたび山《やま》には牛女《うしおんな》の黒《くろ》い姿《すがた》は見《み》えなかったのであります。  牛女《うしおんな》の子供《こども》は、南《みなみ》の方《ほう》の雪《ゆき》の降《ふ》らない国《くに》へいって、そこでいっしょうけんめいに働《はたら》きました。そして、かなりの金持《かねも》ちとなりました。そうすると、自分《じぶん》の生《う》まれた国《くに》がなつかしくなったのであります。国《くに》へ帰《かえ》っても、母親《ははおや》もなければ、兄弟《きょうだい》もありませんけれど、子供《こども》の時分《じぶん》に自分《じぶん》を育《そだ》ててくれたしんせつな人々《ひとびと》がありました。彼《かれ》は、その人《ひと》たちや、村《むら》のことを思《おも》い出《だ》しました。その人《ひと》たちに対《たい》して、お礼《れい》をいわなければならぬと思《おも》いました。  子供《こども》は、たくさんの土産物《みやげもの》と、お金《かね》とを持《も》って、はるばると故郷《こきょう》に帰《かえ》ってきたのであります。そして、村《むら》の人々《ひとびと》に厚《あつ》くお礼《れい》を申《もう》しました。村《むら》の人《ひと》たちは、牛女《うしおんな》の子供《こども》が出世《しゅっせ》をしたのを喜《よろこ》び、祝《いわ》いました。  牛女《うしおんな》の子供《こども》は、なにか、自分《じぶん》は事業《じぎょう》をしなければならぬと考《かんが》えました。そこで村《むら》に広《ひろ》い地面《じめん》を買《か》って、たくさんのりんごの木《き》を植《う》えました。大《おお》きないいりんごの実《み》を結《むす》ばして、それを諸国《しょこく》に出《だ》そうとしたのであります。  彼《かれ》は、多《おお》くの人《ひと》を雇《やと》って、木《き》に肥料《ひりょう》をやったり、冬《ふゆ》になると囲《かこ》いをして、雪《ゆき》のために折《お》れないように手《て》をかけたりしました。そのうちに木《き》はだんだん大《おお》きく伸《の》びて、ある年《とし》の春《はる》には、広《ひろ》い畑《はたけ》一|面《めん》に、さながら雪《ゆき》の降《ふ》ったように、りんごの花《はな》が咲《さ》きました。太陽《たいよう》は終日《しゅうじつ》、花《はな》の上《うえ》を明《あか》るく照《て》らして、みつばちは、朝《あさ》から日《ひ》の暮《く》れるまで、花《はな》の中《なか》をうなりつづけていました。  初夏《しょか》のころには、青《あお》い、小《ちい》さな実《み》が鈴生《すずな》りになりました。そして、その実《み》がだんだん大《おお》きくなりかけた時分《じぶん》に、一|時《じ》に虫《むし》がついて、畑全体《はたぜんたい》にりんごの実《み》が落《お》ちてしまいました。  明《あ》くる年《とし》も、その明《あ》くる年《とし》も、同《おな》じように、りんごの実《み》は落《お》ちてしまいました。それはなんとなく、子細《しさい》のあるらしいことでありました。村《むら》のもののわかったじいさんは、牛女《うしおんな》の子供《こども》に向《む》かって、 「なにかのたたりかもしれない。おまえさんには、心《こころ》あたりになるようなことはないかな。」と、あるとき、聞《き》きました。牛女《うしおんな》の子供《こども》は、そのときは、なにもそれについて思《おも》い出《だ》すことはありませんでした。  しかし、彼《かれ》は独《ひと》りとなって、静《しず》かに考《かんが》えたとき、自分《じぶん》は町《まち》から出《で》て、遠方《えんぽう》へいった時分《じぶん》にも、母親《ははおや》の霊魂《たましい》に無断《むだん》であったことを思《おも》いました。また、故郷《こきょう》へ帰《かえ》ってきてからも、母親《ははおや》のお墓《はか》におまいりをしたばかりで、まだ法事《ほうじ》も営《いとな》まなかったことを思《おも》い出《だ》しました。  あれほど、母親《ははおや》は、自分《じぶん》をかわいがってくれたのに、そして、死《し》んでからもああして自分《じぶん》の身《み》の上《うえ》を守《まも》ってくれたのに、自分《じぶん》はそれに対《たい》して、あまり冷淡《れいたん》であったことに、心《こころ》づきました。きっと、これは母《はは》の怒《いか》りであろうと思《おも》いましたから、子供《こども》は、懇《ねんご》ろに母親《ははおや》の霊魂《たましい》を弔《とむら》って、坊《ぼう》さんを呼《よ》び、村《むら》の人々《ひとびと》を呼《よ》び、真心《まごころ》をこめて母親《ははおや》の法事《ほうじ》を営《いとな》んだのでありました。  明《あ》くる年《とし》の春《はる》、またりんごの花《はな》は真《ま》っ白《しろ》に雪《ゆき》のごとく咲《さ》きました。そして、夏《なつ》には、青々《あおあお》と実《みの》りました。毎年《まいとし》このころになると、悪《わる》い虫《むし》がつくのでありましたから、今年《ことし》は、どうか満足《まんぞく》に実《み》を結《むす》ばせたいと思《おも》いました。  すると、その年《とし》の夏《なつ》の日暮《ひぐ》れ方《がた》のことであります。どこからとなく、たくさんのこうもりが飛《と》んできて、毎晩《まいばん》のようにりんご畑《ばたけ》の上《うえ》を飛《と》びまわって、悪《わる》い虫《むし》をみんな食《た》べたのであります。その中《なか》に、一ぴき大《おお》きなこうもりがありました。その大《おお》きなこうもりは、ちょうど女王《じょおう》のように、ほかのこうもりを率《ひき》いているごとく、見《み》えました。月《つき》が円《まる》く、東《ひがし》の空《そら》から上《のぼ》る晩《ばん》も、また、黒雲《くろくも》が出《で》て外《そと》の真《ま》っ暗《くら》な晩《ばん》も、こうもりは、りんご畑《ばたけ》の上《うえ》を飛《と》びまわりました。その年《とし》は、りんごに虫《むし》がつかずよく実《みの》って、予想《よそう》したよりも、多《おお》くの収穫《しゅうかく》があったのであります。村《むら》の人々《ひとびと》は、たがいに語《かた》らいました。 「牛女《うしおんな》が、こうもりになってきて、子供《こども》の身《み》の上《うえ》を守《まも》るんだ。」と、そのやさしい、情《じょう》の深《ふか》い、心根《こころね》を哀《あわ》れに思《おも》ったのであります。  また、つぎの、つぎの年《とし》も、夏《なつ》になると、一ぴきの大《おお》きなこうもりが、多《おお》くのこうもりを率《ひき》いてきて、りんご畑《ばたけ》の上《うえ》を毎晩《まいばん》のように飛《と》びまわりました。そして、りんごには、おかげで悪《わる》い虫《むし》がつかずによく実《みの》りました。  こうして、それから四、五|年《ねん》の後《のち》には、牛女《うしおんな》の子供《こども》は、この地方《ちほう》での幸福《こうふく》な身《み》の上《うえ》の百|姓《しょう》となったのであります。 底本:「定本小川未明童話全集 1」講談社    1976(昭和51)年11月10日第1刷発行    1982(昭和57)年9月10日第7刷発行 初出:「おとぎの世界」    1919(大正8)年5月 ※表題は底本では、「牛女《うしおんな》」となっています。 入力:ぷろぼの青空工作員チーム入力班 校正:ぷろぼの青空工作員チーム校正班 2011年11月2日作成 2012年1月10日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。