眠い町 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)少年《しょうねん》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)一|本《ぽん》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#7字下げ]一[#「一」は中見出し] ------------------------------------------------------- [#7字下げ]一[#「一」は中見出し]  この少年《しょうねん》は、名《な》を知《し》られなかった。私《わたし》は仮《かり》にケーと名《な》づけておきます。  ケーがこの世界《せかい》を旅行《りょこう》したことがありました。ある日《ひ》、彼《かれ》は不思議《ふしぎ》な町《まち》にきました。この町《まち》は「眠《ねむ》い町《まち》」という名《な》がついておりました。見《み》ると、なんとなく活気《かっき》がない。また音《おと》ひとつ聞《き》こえてこない寂然《しん》とした町《まち》であります。また建物《たてもの》といっては、いずれも古《ふる》びていて、壊《こわ》れたところも修繕《しゅうぜん》するではなく、烟《けむり》ひとつ上《あ》がっているのが見《み》えません。それは工場《こうば》などがひとつもないからでありました。  町《まち》はだらだらとして、平地《へいち》の上《うえ》に横《よこ》たわっているばかりであります。しかるに、どうしてこの町《まち》を「眠《ねむ》い町《まち》」というかといいますと、だれでもこの町《まち》を通《とお》ったものは、不思議《ふしぎ》なことには、しぜんと体《からだ》が疲《つか》れてきて眠《ねむ》くなるからでありました。それで日《ひ》に幾人《いくにん》となくこの町《まち》を通《とお》る旅人《たびびと》が、みなこの町《まち》にきかかると、急《きゅう》に体《からだ》に疲《つか》れを覚《おぼ》えて眠《ねむ》くなりますので、町《まち》はずれの木《こ》かげの下《した》や、もしくは町《まち》の中《なか》にある石《いし》の上《うえ》に腰《こし》を下《お》ろして、しばらく休《やす》もうといたしまするうちに、まるで深《ふか》い深《ふか》い穴《あな》の中《なか》にでも引《ひ》き込《こ》まれるように眠《ねむ》くなって、つい知《し》らず知《し》らず眠《ねむ》ってしまいます。  ようやく目《め》がさめた時分《じぶん》には、もういつしか日《ひ》が暮《く》れかかっているので、驚《おどろ》いて起《た》ち上《あ》がって道《みち》を急《いそ》ぐのでありました。この話《はなし》がだれからだれに伝《つた》わるとなく広《ひろ》がって、旅《たび》する人々《ひとびと》はこの町《まち》を通《とお》ることをおそれました。そして、わざわざこの町《まち》を通《とお》ることを避《さ》けて、ほかのほうを遠《とお》まわりをしてゆくものもありました。  ケーは、人々《ひとびと》のおそれるこの「眠《ねむ》い町《まち》」が見《み》たかったのです。人《ひと》の恐《おそ》ろしがる町《まち》へいってみたいものだ。己《おれ》ばかりはけっして眠《ねむ》くなったとて、我慢《がまん》をして眠《ねむ》りはしないと心《こころ》に決《き》めて、好奇心《こうきしん》の誘《さそ》うままに、その「眠《ねむ》い町《まち》」の方《ほう》を指《さ》して歩《ある》いてきました。 [#7字下げ]二[#「二」は中見出し]  なるほどこの町《まち》にきてみると、それは人々《ひとびと》のいったように気味《きみ》の悪《わる》い町《まち》でありました。音《おと》ひとつ聞《き》こえるではなく、寂然《しん》として昼間《ひるま》も夜《よる》のようでありました。また烟《けむり》ひとつ上《あ》がっているではなく、なにひとつ見《み》るようなものはありません。どの家《いえ》も戸《と》を閉《し》めきっています。まるで町全体《まちぜんたい》が、ちょうど死《し》んだもののように静《しず》かでありました。  ケーは壊《こわ》れかかった黄色《きいろ》な土《つち》のへいについて歩《ある》いたり、破《やぶ》れた戸《と》のすきまから中《なか》のようすをのぞいたりしました。けれど、家《いえ》の中《なか》には人《ひと》が住《す》んでいるのか、それともだれも住《す》んでいないのかわからないほど静《しず》かでありました。たまたまやせた犬《いぬ》が、どこからきたものか、ひょろひょろとした歩《あゆ》みつきで町《まち》の中《なか》をうろついているのを見《み》ました。ケーは、この犬《いぬ》はきっと旅人《たびびと》が連《つ》れてきた犬《いぬ》であろう、それがこの町《まち》の中《なか》で主人《しゅじん》を見失《みうしな》って、こうしてうろついているのであろうと思《おも》いました。ケーはこうして、この町《まち》の中《なか》を探検《たんけん》していますうちに、いつともなしに体《からだ》が疲《つか》れてきました。 「ははあ、なんだか疲《つか》れて、眠《ねむ》くなってきたぞ。ここで眠《ねむ》っちゃならない。我慢《がまん》をしていなくちゃならない。」 と、ケーは独《ひと》り言《こと》をして、自分《じぶん》で気《き》を励《はげ》ましました。  けれど、それは、ちょうど麻酔薬《ますいやく》をかがされたときのように、体《からだ》がだんだんしびれてきました。そして、もうすこしでもこうしていることができなくなったほど、眠《ねむ》くなってきましたので、ケーはついに我慢《がまん》がしきれなくなって、そこのへいの辺《へん》に倒《たお》れたまま、前後《ぜんご》も忘《わす》れて高《たか》いいびきをかいて寝入《ねい》ってしまいました。 [#7字下げ]三[#「三」は中見出し]  よく眠《ねむ》ったと思《おも》いますと、だれか自分《じぶん》を揺《ゆ》り起《お》こしているようでありましたから、ケーは驚《おどろ》いて目《め》をみはって起《お》き上《あ》がりますと、いつのまにやら日《ひ》はまったく暮《く》れていて、四辺《あたり》には青《あお》い月《つき》の光《ひかり》が冷《ひ》ややかに彩《いろど》っていました。 「もう何時《なんじ》ごろだろう、これはしまったことをしてしまった。いくら眠《ねむ》くても、我慢《がまん》をして眠《ねむ》るのではなかったが。」 と、ケーは大《おお》いに後悔《こうかい》しました。けれども、もはやしかたがありません。  彼《かれ》は、そこに落《お》ちていた自分《じぶん》の帽子《ぼうし》を拾《ひろ》い上《あ》げて、それをかぶりました。  そして四辺《あたり》を見《み》まわしますと、すぐ自分《じぶん》のそばに一人《ひとり》のじいさんが、大《おお》きな袋《ふくろ》をかついで立《た》っていました。  ケーは、このじいさんを見《み》ると、だれか自分《じぶん》を揺《ゆ》り起《お》こしたように思《おも》ったが、このじいさんであったかと考《かんが》えましたから、彼《かれ》は臆《おく》する色《いろ》なく、そのじいさんの方《ほう》に歩《ある》いて近《ちか》づきました。月《つき》の光《ひかり》で、よくそのじいさんの姿《すがた》を見守《みまも》ると、破《やぶ》れた洋服《ようふく》を着《き》て、古《ふる》くなったぼろぐつをはいていました。もうだいぶの年《とし》とみえて、白《しろ》いひげが伸《の》びていました。 「あなたはだれですか。」 と、少年《しょうねん》は声《こえ》に力《ちから》を入《い》れて問《と》いました。  するとじいさんは、とぼとぼとした歩《ある》きつきをして、ケーの方《ほう》に寄《よ》ってきて、 「私《わし》だ、おまえを起《お》こしたのは! 私《わし》はおまえに頼《たの》みがある。じつは私《わし》がこの眠《ねむ》い町《まち》を建《た》てたのだ。私《わし》はこの町《まち》の主《ぬし》である。けれど、おまえも見《み》るように、私《わし》はもうだいぶ年《とし》を取《と》っている。それで、おまえに頼《たの》みがあるのだが、ひとつ私《わし》の頼《たの》みを聞《き》いてくれぬか。」 と、そのじいさんは、この少年《しょうねん》に話《はな》しかけました。  ケーは、こういってじいさんから頼《たの》まれれば、男子《だんし》として聞《き》いてやらぬわけにはゆきません。 「僕《ぼく》の力《ちから》でできることなら、なんでもしてあげよう。」  ケーは、このじいさんに誓《ちか》いました。じいさんは、この少年《しょうねん》の言葉《ことば》を聞《き》いて、ひじょうに喜《よろこ》びました。 「やっと私《わし》は安心《あんしん》した。そんならおまえに話《はな》すとしよう。私《わし》は、この世界《せかい》に昔《むかし》から住《す》んでいた人間《にんげん》である。けれど、どこからか新《あたら》しい人間《にんげん》がやってきて、私《わし》の領土《りょうど》をみんな奪《うば》ってしまった。そして私《わし》の持《も》っていた土地《とち》の上《うえ》に鉄道《てつどう》を敷《し》いたり汽船《きせん》を走《はし》らせたり、電信《でんしん》をかけたりしている。こうしてゆくと、いつかこの地球《ちきゅう》の上《うえ》は、一|本《ぽん》の木《き》も一つの花《はな》も見《み》られなくなってしまうだろう。私《わし》は昔《むかし》から美《うつく》しいこの山《やま》や、森林《しんりん》や、花《はな》の咲《さ》く野原《のはら》を愛《あい》する。いまの人間《にんげん》はすこしの休息《やすみ》もなく、疲《つか》れということも感《かん》じなかったら、またたくまにこの地球《ちきゅう》の上《うえ》は砂漠《さばく》となってしまうのだ。私《わし》は疲労《ひろう》の砂漠《さばく》から、袋《ふくろ》にその疲労《ひろう》の砂《すな》を持《も》ってきた。私《わし》は背中《せなか》にその袋《ふくろ》をしょっている。この砂《すな》をすこしばかり、どんなものの上《うえ》にでも振《ふ》りかけたなら、そのものは、すぐに腐《くさ》れ、さび、もしくは疲《つか》れてしまう。で、おまえにこの袋《ふくろ》の中《なか》の砂《すな》を分《わ》けてやるから、これからこの世界《せかい》を歩《ある》くところは、どこにでもすこしずつ、この砂《すな》をまいていってくれい。」 と、じいさんは、ケーに頼《たの》んだのでありました。 [#7字下げ]四[#「四」は中見出し]  少年《しょうねん》は、じいさんから、不思議《ふしぎ》な頼《たの》みを受《う》けて、袋《ふくろ》を持《も》って、この地球《ちきゅう》の上《うえ》を歩《ある》きました。ある日《ひ》、彼《かれ》はアルプス山《さん》の中《なか》を歩《ある》いていますと、いうにいわれぬいい景色《けしき》のところがありました。そこには幾《いく》百|人《にん》の土方《どかた》や工夫《こうふ》が入《はい》っていて、昔《むかし》からの大木《たいぼく》をきり倒《たお》し、みごとな石《いし》をダイナマイトで打《う》ち砕《くだ》いて、その後《あと》から鉄道《てつどう》を敷《し》いておりました。そこで少年《しょうねん》は、袋《ふくろ》の中《なか》から砂《すな》を取《と》り出《だ》して、せっかく敷《し》いたレールの上《うえ》に振《ふ》りかけました。すると、見《み》るまに白《しろ》く光《ひか》っていた鋼鉄《こうてつ》のレールは真《ま》っ赤《か》にさびたように見《み》えたのでありました……。  またある繁華《はんか》な雑沓《ざっとう》をきわめた都会《とかい》をケーが歩《ある》いていましたときに、むこうから走《はし》ってきた自動車《じどうしゃ》が、危《あや》うく殺《ころ》すばかりに一人《ひとり》のでっち小僧《こぞう》をはねとばして、ふりむきもせずゆきすぎようとしましたから、彼《かれ》は袋《ふくろ》の砂《すな》をつかむが早《はや》いか、車輪《しゃりん》に投《な》げかけました。すると見《み》るまに車《くるま》の運転《うんてん》は止《と》まってしまいました。で、群集《ぐんしゅう》は、この無礼《ぶれい》な自動車《じどうしゃ》を難《なん》なく押《お》さえることができました。  またあるとき、ケーは土木工事《どぼくこうじ》をしているそばを通《とお》りかかりますと、多《おお》くの人足《にんそく》が疲《つか》れて汗《あせ》を流《なが》していました。それを見《み》ると気《き》の毒《どく》になりましたから、彼《かれ》は、ごくすこしばかりの砂《すな》を監督人《かんとくにん》の体《からだ》にまきかけました。と、監督《かんとく》は、たちまちの間《あいだ》に眠気《ねむけ》をもよおし、 「さあ、みんなも、ちっと休《やす》むだ。」 といって、彼《かれ》は、そこにある帽子《ぼうし》を頭《あたま》に当《あ》てて日《ひ》の光《ひかり》をさえぎりながら、ぐうぐうと寝《ね》こんでしまいました。  ケーは、汽車《きしゃ》に乗ったり、汽船《きせん》に乗《の》ったり、また鉄工場《てつこうじょう》にいったりして、この砂《すな》をいたるところでまきましたから、とうとう砂《すな》はなくなってしまいました。 「この砂《すな》がなくなったら、ふたたびこの眠《ねむ》い町《まち》に帰《かえ》ってこい。すると、この国《くに》の皇子《おうじ》にしてやる。」 と、じいさんのいった言葉《ことば》を思《おも》い出《だ》し、少年《しょうねん》は、じいさんにあおうと思《おも》って、「眠《ねむ》い町《まち》」に旅出《たびで》をしました。  幾日《いくにち》かの後《のち》「眠《ねむ》い町《まち》」にきました。けれども、いつのまにか昔《むかし》見《み》たような灰色《はいいろ》の建物《たてもの》は跡形《あとかた》もありませんでした。のみならず、そこには大《おお》きな建物《たてもの》が並《なら》んで、烟《けむり》が空《そら》にみなぎっているばかりでなく、鉄工場《てつこうじょう》からは響《ひび》きが起《お》こってきて、電線《でんせん》はくもの巣《す》のように張《は》られ、電車《でんしゃ》は市中《しちゅう》を縦横《じゅうおう》に走《はし》っていました。  この有《あ》り様《さま》を見《み》ると、あまりの驚《おどろ》きに、少年《しょうねん》は声《こえ》をたてることもできず、驚《おどろ》きの眼《まなこ》をみはって、いっしょうけんめいにその光景《こうけい》を見守《みまも》っていました。 底本:「定本小川未明童話全集 1」講談社    1976(昭和51)年11月10日第1刷発行    1982(昭和57)年9月10日第7刷発行 初出:「日本少年」    1914(大正3)年5月 ※表題は底本では、「眠《ねむ》い町《まち》」となっています。 入力:ぷろぼの青空工作員チーム入力班 校正:ぷろぼの青空工作員チーム校正班 2011年11月2日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。