海へ 小川未明 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)村《むら》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)三|日《にち》 -------------------------------------------------------  この村《むら》でのわんぱく者《もの》といえば、だれ知《し》らぬものがなかったほど、龍雄《たつお》はわんぱく者《もの》でした。親《おや》のいうこともきかなければ、また他人《たにん》のいうこともききませんでした。  よく友《とも》だちを泣《な》かしました。すると泣《な》かされた子供《こども》の親《おや》は、 「またあの龍雄《たつお》めにいじめられてきたか。」 といって、なかには怒《おこ》って親《おや》がわざわざ龍雄《たつお》の家《うち》へ告《つ》げにやってくるものもありました。こんなわけで龍雄《たつお》の両親《りょうしん》は、わが子《こ》にほとほと困《こま》ったのであります。学校《がっこう》にいる中《うち》は、成績《せいせき》はいいほうでありましたけれど、やはり友《とも》だちをいじめたり、先生《せんせい》のいうことをきかなかったりして先生《せんせい》を困《こま》らしました。しかし小学校《しょうがっこう》を卒業《そつぎょう》すると、家《うち》がどちらかといえば貧《まず》しかったので、それ以上《いじょう》学校《がっこう》へやることができなかったのであります。龍雄《たつお》は、毎日《まいにち》棒《ぼう》を持《も》って村《むら》の中《うち》をぶらぶら歩《ある》いていました。  彼《かれ》は乱暴《らんぼう》なかわりに、またあるときは、優《やさ》しく、涙《なみだ》もろかったのであります。だから、この性質《せいしつ》をよく知《し》っている年《とし》をとった人々《ひとびと》には、またかわいがる人《ひと》もあったのであります。  親《おや》は、もう十四になったのだから、いつまでもこうしておくわけにはゆかぬと考《かんが》えていました。ちょうどそのやさきへ、あるしんせつな老人《ろうじん》がありまして、そのおじいさんはふだん龍雄《たつお》をかわいがっていましたが、 「私《わたし》の知《し》った町《まち》の糸屋《いとや》で、小僧《こぞう》が欲《ほ》しいということだから、龍雄《たつお》をやったらどうだ、先方《せんぽう》はみなしんせつな人《ひと》たちばかりだ。なんなら私《わたし》から頼《たの》んであげよう。」 と、おじいさんはいいました。これを聞《き》いた龍雄《たつお》の親《おや》たちはたいそう喜《よろこ》びました。そして、さっそく龍雄《たつお》をその家《うち》へやることに決《き》めました。  いよいよ家《うち》から出《で》て、他人《たにん》の中《なか》に入《はい》るのだと思《おも》うと、いくらわんぱく者《もの》でもかわいそうになって、もう二、三|日《にち》しか家《うち》にいないというので、両親《りょうしん》はいろいろごちそうをして龍雄《たつお》に食《た》べさせたりしました。ある日《ひ》のこと、龍雄《たつお》は母親《ははおや》とおじいさんの二人《ふたり》に連《つ》れられて、町《まち》へいってしまいました。  龍雄《たつお》が村《むら》にいなくなったときくと、日《ひ》ごろ彼《かれ》からいじめられていた子供《こども》らは、みな喜《よろこ》び安心《あんしん》しました。もうこわいものがないと思《おも》ったからです。  彼《かれ》の母親《ははおや》や、また父親《ちちおや》は、 「いまごろはどうしているだろう。」 と、龍雄《たつお》のことを思《おも》い暮《く》らしました。すると、いってから二、三|日《にち》たったある日《ひ》の晩方《ばんがた》、突然《とつぜん》、戸口《とぐち》に龍雄《たつお》の姿《すがた》が現《あらわ》れたから、両親《りょうしん》はびっくりして、そのそばに駆《か》けよりました。 「どうして帰《かえ》ってきたか?」 と、母親《ははおや》は問《と》いました。  母親《ははおや》は、なにか我《わ》が子《こ》が悪《わる》いことでもして出《だ》されてきたのではないかと思《おも》ったので、こういう間《あいだ》も胸《むね》がとどろきました。 「黙《だま》って帰《かえ》ってきた。糸屋《いとや》なんかいやだ。もうどうしてもゆかない。」 と、龍雄《たつお》はいってききませんでした。 「そんなことをいうもんでない。しんぼうしなくては人間《にんげん》になれない。謝《あやま》って帰《かえ》らなければならない。」 と、父親《ちちおや》も、母親《ははおや》もいいましたけれども、どうしても龍雄《たつお》はいうことをききませんでした。  母親《ははおや》の知《し》らせによって、しんせつなおじいさんがさっそくやってきました。 「いやなものはしかたがない。さあ家《うち》へお上《あ》がり。先方《せんぽう》は私《わたし》からよくいっておく。また私《わたし》がよいところを捜《さが》してあげるから。」 と、おじいさんはいいました。  村《むら》の子供《こども》は、龍雄《たつお》が家《うち》に帰《かえ》ってきたことを知《し》ると驚《おどろ》きおそれました。また龍雄《たつお》が外《そと》に出《で》ると子供《こども》を泣《な》かしてくるので、彼《かれ》の母親《ははおや》は心配《しんぱい》し、気《き》をもみました。  一|日《にち》、しんせつなおじいさんが、龍雄《たつお》の家《うち》へやってきました。 「いいところがあった。四|里《り》ばかり離《はな》れた田舎《いなか》だが、なに、汽車《きしゃ》に乗《の》ればすぐにゆけるところだ。大《おお》きな酒屋《さかや》で小僧《こぞう》が入《い》り用《よう》だというから、そこへ龍雄《たつお》をやってはどうだ。」 といいました。両親《りょうしん》は、おじいさんの世話《せわ》だから、安心《あんしん》してすぐにやることに決《き》めました。 「龍雄《たつお》や、今度《こんど》はしんぼうしなければならんぞ。」 と父親《ちちおや》はいいました。  龍雄《たつお》は、父親《ちちおや》に連《つ》れられて汽車《きしゃ》に乗《の》って田舎《いなか》にゆきました。そしてやがて父親《ちちおや》だけが一人《ひとり》家《うち》へ帰《かえ》ってきました。龍雄《たつお》は田舎《いなか》に残《のこ》されたのであります。  それから三、四日《よっか》たって、やはり日暮《ひぐ》れ方《がた》のことでした。 「龍雄《たつお》さんが帰《かえ》ってきましたよ。」 と、外《そと》に遊《あそ》んでいた子供《こども》が家《うち》へ知《し》らせにきました。両親《ふたおや》は顔《かお》を見合《みあ》わせてびっくりしました。そして外《そと》に出《で》てみますと、まさしく龍雄《たつお》でありました。  両親《りょうしん》はわが子《こ》を家《うち》に入《い》れてからさんざんにしかりました。そして、なんで帰《かえ》ってきたか? どうして遠《とお》いところを帰《かえ》ってきたか? と聞《き》きました。 「俺《おれ》は酒屋《さかや》の小僧《こぞう》なんかになるのはいやだから家《うち》へ帰《かえ》ってきた。銭《おあし》がちっともないから鉄道線路《てつどうせんろ》を歩《ある》いてきたよ。」 と、泣《な》きながら龍雄《たつお》は答《こた》えました。  両親《りょうしん》は、そのことをおじいさんに話《はな》しますと、おじいさんは笑《わら》って、 「これは四|里《り》や五|里《り》の近《ちか》いところへやったのではだめだ。百|里《り》も二百|里《り》も遠《とお》いところへやらなければだめだ。」 といいました。  そのとき、ちょうど都《みやこ》から、この村《むら》にきている質屋《しちや》の主人《しゅじん》が、 「そんなら、私《わたし》どものところへ連《つ》れてゆきますが、奉公《ほうこう》によこしてくださらんか。」 といいました。龍雄《たつお》の両親《りょうしん》は、幸《さいわ》いと思《おも》って、その主人《しゅじん》に龍雄《たつお》を頼《たの》んで、都《みやこ》へやることにしたのであります。  龍雄《たつお》はついに、その主人《しゅじん》が都《みやこ》へ帰《かえ》るときに、連《つ》れられて都《みやこ》にきました。彼《かれ》はにぎやかで、四辺《あたり》がきれいなのに驚《おどろ》きました。しかし、それも初《はじ》めのうちだけでした。彼《かれ》は、また故郷《こきょう》が恋《こい》しくなりました。母《はは》や、父《ちち》や、友《とも》だちや、遊《あそ》んだ森《もり》や、野原《のはら》が恋《こい》しくなりました。恋《こい》しくなると、彼《かれ》の性質《せいしつ》として矢《や》も楯《たて》もたまらなくなりました。ある夜《よ》、店《みせ》から抜《ぬ》け出《で》た彼《かれ》は、足《あし》の向《む》くままに、停車場《ていしゃば》を指《さ》してやってきました。けれども、もとより汽車賃《きしゃちん》がなかったので、どうすることもできません。見《み》ますと、故郷《こきょう》の方《ほう》へ立《た》つ夜行列車《やこうれっしゃ》が出《で》ようとしています。  彼《かれ》はせめて貨車《かしゃ》の中《なか》にでも身《み》を隠《かく》すことができたら、幸福《しあわせ》だと考《かんが》えましたので、人目《ひとめ》をしのんで、貨車《かしゃ》に乗《の》り込《こ》もうとしますと、中《なか》から、思《おも》いがけなく、 「だれだ?」 と声《こえ》がしました。そして大男《おおおとこ》が龍雄《たつお》をとらえました。龍雄《たつお》はもう逃《のが》れる途《みち》はないと知《し》りましたから、すべてのことを正直《しょうじき》にうちあけました。その男《おとこ》は酔《よ》っていました。 「しようのない奴《やつ》だ。俺《おれ》だから許《ゆる》してやるのだぞ。そんなら乗《の》せてやる。そのかわり俺《おれ》は眠《ねむ》るから、汽車《きしゃ》がどの停車場《ていしゃば》に着《つ》いても、止《と》まったときはきっと俺《おれ》を起《お》こすんだぞ。さあ乗《の》れ。」 と、男《おとこ》はいいました。龍雄《たつお》はよくその約束《やくそく》を守《まも》りました。そして翌日《あくるひ》の朝《あさ》、汽車《きしゃ》が故郷《こきょう》の停車場《ていしゃば》に着《つ》いたとき、男《おとこ》に別《わか》れを告《つ》げて、男《おとこ》のおかげで無事《ぶじ》に停車場《ていしゃば》からも出《で》ることができました。  彼《かれ》は両親《りょうしん》にしかられる覚悟《かくご》をして家《うち》へ帰《かえ》りますと、圃《はたけ》に出《で》てなにかしていた母親《ははおや》は、龍雄《たつお》の姿《すがた》を見《み》つけたとき、夢《ゆめ》ではないかとびっくりしました。そしてあきれました。独《ひと》り両親《りょうしん》があきれたばかりでなく、しんせつなおじいさんも今度《こんど》は笑《わら》いませんでした。手《て》を組《く》んでじっと考《かんが》えました。そして、しばらくしてから龍雄《たつお》に向《む》かって、 「おまえは、なにになりたいつもりなのだ。」 と、おじいさんは聞《きき》きました。龍雄《たつお》は、両手《りょうて》をひざに置《お》いて考《かんが》えていましたが、 「どうせ、故郷《こきょう》にいることができないなら、いっそのこと海《うみ》へいって船乗《ふなの》りになりたいと思《おも》います。」 と答《こた》えました。これを聞《き》くと、おじいさんは黙《だま》ってうなずきました。 「なるほど、おまえの気質《きしつ》ではそうでもあろうか。いままで、私《わたし》どもが、なんにでもおまえをさせ得《う》るものと考《かんが》えていたのがまちがっていた。おまえの好《す》きな途《みち》を、おまえはゆくがいい。」 と、おじいさんはいいました。  青《あお》い青《あお》い海《うみ》はどうどうと波高《なみたか》く響《ひび》いています。見渡《みわた》すとはてしもない。その後《ご》、海《うみ》にいって船乗《ふなの》りになった龍雄《たつお》は、いま、どこを航海《こうかい》していることでしょう。もう、彼《かれ》は、故郷《こきょう》には帰《かえ》ってこなかったのです。 底本:「定本小川未明童話全集 1」講談社    1976(昭和51)年11月10日第1刷発行    1982(昭和57)年9月10日第7刷発行 初出:「日本少年」    1918(大正7)年7月 ※表題は底本では、「海《うみ》へ」となっています。 入力:ぷろぼの青空工作員チーム入力班 校正:ぷろぼの青空工作員チーム校正班 2011年11月2日作成 2012年11月4日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。