飯坂ゆき 泉鏡太郎 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)旅《たび》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数) (例)眗 /\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号) (例)ぶツ/\ *濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」 ------------------------------------------------------- [#8字下げ]一[#「一」は中見出し]  旅《たび》は此《これ》だから可《い》い――陽氣《やうき》も好《よし》と、私《わたし》は熟《じつ》として立《た》つて視《み》て居《ゐ》た。  五月十三日《ごぐわつじふさんにち》の午後《ごご》である。志《こゝろざ》した飯坂《いひざか》の温泉《をんせん》へ行《ゆ》くのに、汽車《きしや》で伊達驛《だてえき》で下《お》りて、すぐに俥《くるま》をたよると、三臺《さんだい》、四臺《よだい》、さあ五臺《ごだい》まではなかつたかも知《し》れない。例《れい》の梶棒《かぢぼう》を横《よこ》に見《み》せて並《なら》んだ中《なか》から、毛《け》むくじやらの親仁《おやぢ》が、しよたれた半纏《はんてん》に似《に》ないで、威勢《ゐせい》よくひよいと出《で》て、手繰《たぐ》るやうにバスケツトを引取《ひきと》つてくれたは可《い》いが、續《つゞ》いて乘掛《のりか》けると、何處《どこ》から繰出《くりだ》したか――まさか臍《へそ》からではあるまい――蛙《かへる》の胞衣《えな》のやうな管《くだ》をづるりと伸《の》ばして、護謨輪《ごむわ》に附着《くツつ》けたと思《おも》ふと、握拳《にぎりこぶし》で操《あやつ》つて、ぶツ/\と風《かぜ》を入《い》れる。ぶツ/\……しゆツ/\と、一寸《ちよつと》手間《てま》が取《と》れる。  蹴込《けこみ》へ片足《かたあし》を掛《か》けて待《ま》つて居《ゐ》たのでは、大《おほい》に、いや、少《すくな》くとも湯治客《たうぢきやく》の體面《たいめん》を損《そこな》ふから、其處《そこ》で、停車場《ていしやぢやう》の出口《でぐち》を柵《さく》の方《はう》へ開《ひら》いて、悠然《いうぜん》と待《ま》つたのである。 「ちよツ、馬鹿親仁《ばかおやぢ》。」と年紀《とし》の若《わか》い、娑婆氣《しやばツけ》らしい夥間《なかま》の車夫《わかいしゆ》が、後歩行《うしろあるき》をしながら、私《わたし》の方《はう》へずつと寄《よ》つて來《き》て、 「出番《でばん》と見《み》たら、ちやんと拵《こしら》ツて置《お》くが可《え》いだ。お客《きやく》を待《ま》たして、タイヤに空氣《くうき》を入《い》れるだあもの。……馬鹿親仁《ばかおやぢ》。」と散溢《ちりこぼ》れた石炭屑《せきたんくづ》を草鞋《わらぢ》の腹《はら》でバラリと横《よこ》に蹴《け》つて、 「旦那《だんな》、お待遠樣《まちどほさま》づらえ。」何處《どこ》だと思《おも》ふ、伊達《だて》の建場《たてば》だ。組合《くみあひ》の面《つら》にかゝはる、と言《い》つた意氣《いき》が顯《あらは》れる。此方《こつち》で其《そ》の意氣《いき》の顯《あらは》れる時分《じぶん》には、親仁《おやぢ》は車《くるま》の輪《わ》を覗《のぞ》くやうに踞込《しやがみこ》んで、髯《ひげ》だらけの唇《くちびる》を尖《とんが》らして、管《くだ》と一所《いつしよ》に、口《くち》でも、しゆツ/\息《いき》を吹《ふ》くのだから面白《おもしろ》い。  さて、若葉《わかば》、青葉《あをば》、雲《くも》いろ/\の山々《やま/\》、雪《ゆき》を被《かつ》いだ吾妻嶽《あづまだけ》を見渡《みわた》して、一路《いちろ》長《なが》く、然《しか》も凸凹《でこぼこ》、ぐら/\とする温泉《ゆ》の路《みち》を、此《こ》の親仁《おやぢ》が挽《ひ》くのだから、途中《みち》すがら面白《おもしろ》い。  輕便鐵道《けいべんてつだう》の線路《せんろ》を蜿々《うね/\》と通《とほ》した左右《さいう》の田畑《たはた》には、ほの白《じろ》い日中《ひなか》の蛙《かへる》が、こと/\、くつ/\、と忍笑《しのびわら》ひをするやうに鳴《な》いた。  まだ、おもしろい事《こと》は、――停車場《ていしやば》を肱下《ひぢさが》りに、ぐる/\と挽出《ひきだ》すと、間《ま》もなく、踏切《ふみきり》を越《こ》さうとして梶棒《かぢぼう》を控《ひか》へて、目當《めあて》の旅宿《りよしゆく》は、と聞《き》くから、心積《こゝろづも》りの、明山閣《めいざんかく》と言《い》ふのだと答《こた》へると、然《さ》うかね、此《これ》だ、と半纏《はんてん》の襟《えり》に、其《そ》の明山閣《めいざんかく》と染《そ》めたのを片手《かたて》で叩《たゝ》いて、飯坂《いひざか》ぢやあ、いゝ宿《やど》だよと、正直《しやうぢき》を言《い》つたし。――後《のち》に、村《むら》一《ひと》つ入口《いりぐち》に樹《き》の繁《しげ》つた、白木《しらき》の宮《みや》、――鎭守《ちんじゆ》の社《やしろ》を通《とほ》つた。路傍《みちばた》に、七八臺《しちはちだい》荷車《にぐるま》が、がた/\と成《な》つて下《お》り居《ゐ》て、一《ひと》つ一《ひと》つ、眞白《まつしろ》な俵詰《たはらづめ》の粉《こな》を堆《うづたか》く積《つ》んだのを見《み》た時《とき》は…… 「磨砂《みがきずな》だ、磨砂《みがきずな》だ。」と氣競《きほ》つて言《い》つた。―― 「大層《たいそう》なものだね。」  實際《じつさい》、遠《とほ》く是《これ》を望《のぞ》んだ時《とき》は――もう二三日《にさんにち》、奧州《あうしう》の旅《たび》に馴《な》れて山《やま》の雪《ゆき》の珍《めづら》しくない身《み》も、前途《ゆくて》に偶《ふ》と土手《どて》を築《つ》いて怪《あや》しい白氣《はくき》の伏勢《ふせぜい》があるやうに目《め》を欹《そばだ》てたのであつた。 [#8字下げ]二[#「二」は中見出し]  荷車挽《にぐるまひき》は、椿《つばき》の下《もと》、石燈籠《いしどうろう》の陰《かげ》に、ごろ/\休《やす》んで居《ゐ》る。 「飯坂《いひざか》の前途《さき》の山《やま》からの、どん/\と出《で》ますだで。――いゝ磨砂《みがきずな》だの、これ。」と、逞《たくま》しい平手《ひらて》で、ドンと叩《たゝ》くと、俵《たはら》から其《そ》の白《しろ》い粉《こ》が、ふツと立《た》つ。  ぱツと、乘《の》つて居《ゐ》るものの、目《め》にも眉《まゆ》にもかゝるから、ト帽子《ばうし》を傾《かたむ》けながら、 「名《めい》ぶつかい。」 「然《さ》うで、然《さ》うで、名《めい》ぶつで。」と振向《ふりむ》いて、和笑《にやり》としながら、平手《ひらて》で又《また》敲《たゝ》いて、續《つゞ》けざまにドン/\と俵《たはら》を打《う》つと、言《い》ふにや及《およ》ぶ、眞白《まつしろ》なのが、ぱつ/\と立《た》つ――東京《とうきやう》の埃《ほこり》の中《なか》で、此《こ》の御振舞《おふるまひ》を一口《ひとくち》啖《くら》つては堪《た》まらない。書肆《ほんや》へ前借《さきがり》に行《ゆ》く途中《とちう》ででもあつて見《み》たが可《い》い、氣《き》の弱《よわ》い嫁《よめ》が、松葉《まつば》で燻《いぶ》されるくらゐに涙《なみだ》ぐみもしかねまい。が、たとへば薄青《うすあを》い樹《き》の蔭《かげ》の清《きよ》らかなる境内《けいだい》を、左《ひだり》に、右《みぎ》には村《むら》の小家《こいへ》に添《そ》つて、流《なが》れがさら/\と畔《くろ》を走《はし》る。――杜若《かきつばた》が、持《もち》ぬしの札《ふだ》も立《た》たずに好《す》きなまゝ路傍《みちばた》の其《そ》の細流《さいりう》に露《つゆ》を滴《したゝ》らして居《ゐ》るのである。  親仁《おやぢ》の掌《たなそこ》は陽炎《かげろふ》を掴《つか》んで、客《きやく》は霞《かすみ》を吸《す》ふやうであつた。  雨《あめ》も露《つゆ》も紫《むらさき》に、藍《あゐ》に、絞《しぼ》りに開《ひら》く頃《ころ》は、嘸《さ》ぞと思《おも》ふ。菖蒲《あやめ》、杜若《かきつばた》は此處《こゝ》ばかりではない、前日《ぜんじつ》――前々日《ぜん/\じつ》一見《いつけん》した、平泉《ひらいづみ》にも、松島《まつしま》にも、村里《むらざと》の小川《をがは》、家々《いへ/\》の、背戸《せど》、井戸端《ゐどばた》、野中《のなか》の池《いけ》、水《みづ》ある處《ところ》には、大方《おほかた》此《こ》のゆかりの姿《すがた》のないのはなかつた。又《また》申合《まをしあ》はせたやうに牡丹《ぼたん》を植《うゑ》てゐる。差覗《さしのぞ》く軒《のき》、行《ゆ》きずりの垣根越《かきねごし》、藏《くら》の廂合《ひあはひ》まで、目《め》に着《つ》けば皆《みな》花壇《くわだん》があつて、中《なか》には忘《わす》れたやうな、植棄《うゑす》てたかと思《おも》ふ、何《なん》の欲《よく》のないのさへ見《み》えて、嚴《いつく》しく靜《しづ》かな葉《は》は、派手《はで》に大樣《おほやう》なる紅白《こうはく》の輪《わ》を、臺《うてな》を、白日《はくじつ》に或《あるひ》は抱《いだ》き或《あるひ》は捧《さゝ》げて居《ゐ》た。が、何《なん》となく、人《ひと》よりも、空《そら》を行《ゆ》く雲《くも》が、いろ/\の影《かげ》に成《な》つて、其《そ》の花《はな》を覗《なが》めさうな、沈《しづ》んだ寂《さび》しい趣《おもむき》の添《そ》つたのは、奧州《あうしう》の天地《てんち》であらう。  此《これ》は……しかし、菖蒲《あやめ》、杜若《かきつばた》は――翌日《よくじつ》、湯《ゆ》の山《やま》の水《みづ》を處々《ところ/″\》見《み》た、其處《そこ》にも、まだ一輪《いちりん》も咲《さ》かなかつた。蕾《つぼ》んだのさへない。――盛《さかり》は丁《ちやう》ど一月《ひとつき》おくれる。……六月《ろくぐわつ》の中旬《ちうじゆん》だらうと言《い》ふのである。たゞ、さきに、伊達《だて》の停車場《ていしやぢやう》を出《で》て間《ま》もなく踏切《ふみきり》を越《こ》して、しばらくして、一二軒《いちにけん》、村《むら》の小家《こいへ》の前《まへ》に、細《ほそ》い流《ながれ》に一際《ひときは》茂《しげ》つて丈《たけ》ののびたのがあつて、すつと露《つゆ》を上《あ》げて薄手《うすで》ながら、ふつくりとした眞新《まあたら》しい蕾《つぼみ》を一《ひと》つ見《み》た。白襟《しろえり》の女《をんな》の、後姿《うしろすがた》を斜《なゝめ》に、髷《まげ》の紫《むらさき》の切《きれ》を、ちらりと床《ゆか》しく見《み》たやうな思《おも》ひがした。――  其《そ》の、いま、鎭守《ちんじゆ》の宮《みや》から――道《みち》を横《よこ》ぎる、早《は》や巖《いは》に水《みづ》のせかるゝ、……音《おと》に聞《き》く溪河《たにがは》の分《わかれ》を思《おも》はせる、流《ながれ》の上《うへ》の小橋《こばし》を渡《わた》ると、次第《しだい》に兩側《りやうがは》に家《いへ》が續《つゞ》く。――小屋《こや》が藁屋《わらや》、藁屋《わらや》茅屋《かやや》が板廂《いたびさし》。軒《のき》の數《かず》、また窓《まど》の數《かず》、店《みせ》の數《かず》、道《みち》も段々《だん/\》に上《のぼ》るやうで、家並《やなみ》は、がつくりと却《かへ》つて低《ひく》い。軒《のき》は俯向《うつむ》き、屋根《やね》は仰向《あふむ》く。土間《どま》はしめつて、鍛冶屋《かぢや》が驟雨《ゆふだち》、豆府屋《とうふや》が煤拂《すゝはき》をするやうな、忙《せは》しく暗《くら》く、佗《わび》しいのも少《すくな》くない。  猿《さる》が、蓑《みの》着《き》て向《むか》ひの山《やま》へ花《はな》をりに行《ゆ》く童謠《どうえう》に、 [#ここから4字下げ] 一本《いつぽん》折《を》つては腰《こし》にさし、 二本《にほん》折《を》つては蓑《みの》にさし、 三枝《みえだ》、四枝《よえだ》に日《ひ》が暮《く》れて。 彼方《あつち》の宿《やど》へ泊《とま》らうか。 此方《こつち》の宿《やど》へ泊《とま》らうか。 彼方《あちら》の宿《やど》は雨《あめ》が漏《も》る、 此方《こちら》の宿《やど》は煤拂《すゝはき》で…… [#ここで字下げ終わり]  と唄《うた》ふ……あはれさ、心細《こゝろぼそ》さの、謠《うた》の心《こゝろ》を思《おも》ひ出《だ》す。 [#8字下げ]三[#「三」は中見出し]  二階《にかい》が、また二階《にかい》が見《み》える。黒《くろ》い柱《はしら》に、煤《すゝ》け行燈《あんどん》。木賃《きちん》御泊宿《おとまりやど》――内湯《うちゆ》あり――と、雨《あま》ざらしに成《な》つたのを、恁《か》う……見《み》ると、今《いま》めかしき事《こと》ながら、芭蕉《ばせを》が奧《おく》の細道《ほそみち》に…… [#ここから4字下げ] 五月朔日《ごぐわつついたち》の事《こと》也《なり》。其夜《そのよ》、飯坂《いひざか》に宿《とま》る。温泉《をんせん》あれば湯《ゆ》に入《いり》て宿《やど》をかるに、土座《どざ》に筵《むしろ》を敷《し》いて、あやしき貧家《ひんか》なり。灯《ともしび》もなければ、ゐろりの火影《ほかげ》に寢所《しんじよ》を設《まう》けて云々《うん/\》。――雨《あめ》しきりに降《ふり》て臥《ね》る上《うへ》よりもり、 [#ここで字下げ終わり]  と言《い》ふのと、三百有餘年《さんびやくいうよねん》を經《へ》て、あまり變《かは》りは無《な》ささうである。  と眗《みまは》す顏《かほ》を、突然《いきなり》、燕《つばめ》も蝙蝠《かうもり》も飛《と》ばずに、柳《やなぎ》のみどりがさらりと拂《はら》ふと、其《そ》の枝《えだ》の中《なか》を掻潛《かいくゞ》るばかり、しかも一段《いちだん》づいと高《たか》く、目《め》が覺《さ》めるやうな廣《ひろ》い河原《かはら》を下《した》に、眞蒼《まつさを》な流《ながれ》の上《うへ》に、鋼鐵《かうてつ》の欄干《らんかん》のついた釣橋《つりばし》へ、ゆら/\と成《な》つて、スツと乘《の》つた。  行燈部屋《あんどんべや》を密《そつ》と忍《しの》んで、裏階子《うらばしご》から、三階見霽《さんがいみはらし》の欄干《てすり》へ駈上《かけあが》つたやうである。  ……しばらく、行燈部屋《あんどんべや》、裏階子《うらばしご》、三階見霽《さんがいみはらし》の欄干《てすり》と言《い》ふのは、何《なん》の、何處《どこ》の事《こと》だとお尋《たづ》ねがあるかも知《し》れない。  いや、實《じつ》は私《わたし》も知《し》らん。――此《これ》は後《あと》で、飯坂《いひざか》の温泉《ゆ》で、おなじ浴槽《ゆぶね》に居《ゐ》た客同士《きやくどうし》が、こゝなる橋《はし》について話《はな》して居《ゐ》たのを、傍聞《かたへぎ》きしたのである。  唯《と》見《み》ると、渡過《わたりす》ぐる一方《いつぱう》の岸《きし》は、目《め》の下《した》に深《ふか》い溪河《たにがは》――即《すなは》ち摺上川《すりかみがは》――の崖《がけ》に臨《のぞ》んで、づらりと並《なら》んだ温泉《ゆ》の宿《やど》の幾軒々々《いくけん/\》、盡《こと/″\》く皆《みな》其《そ》の裏《うら》ばかりが……三階《さんがい》どころでない、五階《ごかい》七階《しちかい》に、座敷《ざしき》を重《かさ》ね、欄干《てすり》を積《つ》んで、縁側《えんがは》が縱《たて》に繞《めぐ》り、階子段《はしごだん》が横《よこ》に走《はし》る。……  此《こ》の陽氣《やうき》で、障子《しやうじ》を開放《あけはな》した中《なか》には、毛氈《まうせん》も見《み》えれば、緞通《だんつう》も見《み》える。屏風《びやうぶ》、繪屏風《ゑびやうぶ》、衣桁《いかう》、衝立《ついたて》――お輕《かる》が下《お》りさうな階子《はしご》もある。手拭《てぬぐひ》、浴衣《ゆかた》を欄干《てすり》に掛《か》けたは、湯治場《たうぢば》のお定《さだ》まり。萌黄《もえぎ》、淡紅《ときいろ》しどけない夜《よる》の調度《てうど》も部屋々々《へや/″\》にあからさまで、下屋《したや》の端《はし》には、紅《あか》い切《きれ》も翻々《ひら/\》する。寢轉《ねころ》んだ男《をとこ》、柱《はしら》に凭《よ》つた圓髷姿《まるまげすがた》、膳《ぜん》を運《はこ》ぶ島田髷《しまだまげ》が縁側《えんがは》を――恁《か》う宙《ちう》に釣下《つりさが》つたやうに通《とほ》る。……其《そ》の下《した》の水際《みづぎは》の岩窟《いはむろ》の湯《ゆ》に、立《た》つたり、坐《すわ》つたり、手拭《てぬぐひ》を綾《あや》にした男女《だんぢよ》の裸身《はだか》があらはれたかと思《おも》ふと、横《よこ》の窓《まど》からは馬《うま》がのほりと顏《かほ》を出《だ》す、厩《うまや》であらう。山吹《やまぶき》の花《はな》が石垣《いしがき》に咲《さ》いて、卯《う》の花《はな》が影《かげ》を映《うつ》す。――宛如《さながら》、秋《あき》の掛稻《かけいね》に、干菜《ほしな》、大根《だいこん》を掛《か》けつらね、眞赤《まつか》な蕃椒《たうがらし》の束《たば》を交《まじ》へた、飄逸《へういつ》にして錆《さび》のある友禪《いうぜん》を一面《いちめん》ずらりと張立《はりた》てたやうでもあるし、しきりに一小間々々《ひとこま/\》に、徳利《とくり》にお猪口《ちよく》、お魚《さかな》に扇《あふぎ》、手桶《てをけ》と云《い》ふのまで結《むす》びつけた、小兒衆《こどもしう》がお馴染《なじみ》の、當《あて》ものの臺紙《だいがみ》で山《やま》を包《つゝ》んだ體《てい》もある。奇觀《きくわん》、妙觀《めうくわん》と謂《いつ》つべし。で、激流《げきりう》に打込《うちこ》んだ眞黒《まつくろ》な杭《くひ》を、下《した》から突支棒《つツかひぼう》にした高樓《たかどの》なぞは、股引《もゝひき》を倒《さかさま》に、輕業《かるわざ》の大屋臺《おほやたい》を、チヨンと木《き》の頭《かしら》で載《の》せたやうで面白《おもしろ》い。  湯野《ゆの》の温泉《をんせん》の一部《いちぶ》である。 [#8字下げ]四[#「四」は中見出し]  飯坂《いひざか》と、此《こ》の温泉《をんせん》は、橋《はし》一《ひと》つ隔《へだ》てるのであるが、摺上川《すりかみがは》を中《なか》にして兩方《りやうはう》から湯《ゆ》の宿《やど》の裏《うら》の、小部屋《こべや》も座敷《ざしき》も、お互《たがひ》に見《み》え合《あ》ふのが名所《めいしよ》とも言《い》ふべきである……と、後《のち》に聞《き》いた。  時《とき》に――今《いま》渡《わた》つた橋《はし》である――私《わたし》は土産《みやげ》に繪《ゑ》葉《は》がきを貰《もら》つて、此《こ》の寫眞《しやしん》を視《み》て、十綱橋《とつなばし》とあるのを、喜多八《きたはち》以來《いらい》の早合點《はやがてん》で、十網橋《とあみばし》だと思《おも》つた。何故《なぜ》なら、かみ手《て》は、然《さ》うして山《やま》が迫《せま》つて、流《ながれ》も青《あを》く暗《くら》いのに、橋《はし》を境《さかひ》に下流《かりう》の一方《いつぱう》は、忽《たちま》ち豁然《くわつぜん》として磧《かはら》が展《ひら》けて、巖《いは》も石《いし》も獲《え》ものの如《ごと》くバツと飛《と》ばして凄《すご》いばかりに廣《ひろ》く成《な》る。……山《やま》も地平線上《ちへいせんじやう》に遠霞《とほがす》んで、荒涼《くわうりやう》たる光景《くわうけい》が恰《あたか》も欄干《らんかん》で絞《しぼ》つて、網《あみ》を十《と》をばかり、ぱつと捌《さば》いて大《おほ》きく投《な》げて、末《すゑ》を廣《ひろ》げたのに譬《たとへ》たのだらう。と、狼狽《うろた》へて居《ゐ》たのである。  念《ねん》のために、訂《たゞ》すと、以《もつ》ての外《ほか》で。むかしは兩岸《りやうがん》に巨木《きよぼく》を立《た》て、之《これ》に藤《ふぢ》の綱《つな》十條《とすぢ》を曳《ひ》き、綱《つな》に板《いた》を渡《わた》したと言《い》ふ、著《いちじる》しき由緒《ゆゐしよ》があつて、いまも古制《こせい》に習《なら》つた、鐵《てつ》の釣橋《つりばし》だと言《い》ふ……おまけに歌《うた》まである。 [#ここから4字下げ] 陸奧《みちのく》の十綱《とつな》の橋《はし》に繰《く》る綱《つな》の   絶《た》えずもくるといはれたるかな――千載集《せんざいしふ》 [#ここで字下げ終わり] 「旦那《だんな》――あの藤《ふぢ》の花《はな》、何《ど》うだ。」 「はあ。」 「あれだ、見《み》さつせえ、名所《めいしよ》だにの。」 「あゝ、見事《みごと》だなあ。」  私《わたし》は俥《くるま》から、崖《がけ》の上《うへ》へ乘出《のりだ》した。對岸《たいがん》(――橋《はし》を渡《わた》つて俥《くるま》は湯《ゆ》の原《はら》の宿《しゆく》の裏《うら》を眞正面《ましやうめん》の坂《さか》を上《のぼ》る――)に五層《ごそう》七層《しちそう》を連《つら》ねた中《なか》に、一所《ひとところ》、棟《むね》と棟《むね》との高《たか》い切目《きれめ》に、樅《もみ》か欅《けやき》か、偉《おほい》なる古木《こぼく》の青葉《あをば》を卷《ま》いて、其《そ》の梢《こずゑ》から兩方《りやうはう》の棟《むね》にかゝり、廂《ひさし》に漾《たゞよ》ひ羽目《はめ》に靡《なび》いて、颯《さつ》と水《みづ》に落《お》つる、幅《はゞ》二間《にけん》ばかりの紫《むらさき》を、高樓《たかどの》で堰《せ》き、欄干《らんかん》にしぶきを立《た》たせて散《ち》つたも見《み》える、藤《ふぢ》の花《はな》なる瀧《たき》である。  私《わたし》は繰返《くりかへ》した。 「あゝ、見事《みごと》だなあ。」 「旦那《だんな》、あの藤《ふぢ》での、むかし橋《はし》を架《か》けたげだ。」 「落《お》ちても可《い》い、渡《わた》りたいな。」  と言《い》つたばかりで(考慮《かんがへ》のない恥《はづか》しさは、此《こ》れを聞《き》いた時《とき》も綱《つな》には心着《こゝろづ》かなかつた、勿論《もちろん》後《あと》の事《こと》で)其《そ》の時《とき》は……と言《い》つたばかりで、偶《ふ》と口《くち》をつぐんだ。  馬《うま》の背《せ》のやうに乘上《のりあが》つた俥《くるま》の上《うへ》の目《め》の前《まへ》に、角柱《かくばしら》の大門《おほもん》に、銅板《どうばん》の額《がく》を打《う》つて、若葉町《わかばちやう》旭《あさひ》の廓《くるわ》と鑄《い》てかゝげた、寂然《しん》とした、明《あか》るい場所《しま》を見《み》たからである。  青磁《せいじ》、赤江《あかえ》、錦手《にしきで》の皿小鉢《さらこばち》、角《かど》の瀬戸《せと》もの屋《や》がきらりとする。横町《よこちやう》には斜《なゝめ》に突出《とつしゆつ》して、芝居《しばゐ》か、何《なん》ぞ、興行《こうぎやう》ものの淺葱《あさぎ》の幟《のぼり》が重《かさ》なつて、ひら/\と煽《あふ》つて居《ゐ》た。  ぐら/\と、しかし、親仁《おやぢ》は眞直《まつすぐ》に乘込《のりこ》んだ。 「廓《くるわ》でがあすぞ、旦那《だんな》。」  屋號《やがう》、樓稱《ろうしよう》(川《かは》。)と云《い》ふ字《じ》、(松《まつ》。)と云《い》ふ字《じ》、藍《あゐ》に、紺染《こんぞめ》、暖簾《のれん》靜《しづか》に(必《かならず》。)と云《い》ふ形《かたち》のやうに、結《むす》んでだらりと下《さ》げた蔭《かげ》にも、覗《のぞ》く島田髷《しまだ》は見《み》えなんだ。 「ひつそりして居《ゐ》るづらあがね。」 「あゝ。」 「夜《よ》さりは賑《にぎや》かだ。」  出口《でぐち》の柳《やなぎ》を振向《ふりむ》いて見《み》ると、間《ま》もなく、俥《くるま》は、御神燈《ごしんとう》を軒《のき》に掛《か》けた、格子《かうし》づくりの家居《いへゐ》の並《なら》んだ中《なか》を、常磐樹《ときはぎ》の影《かげ》透《す》いて、颯《さつ》と紅《べに》を流《なが》したやうな式臺《しきだい》へ着《つ》いた。明山閣《めいざんかく》である。 [#8字下げ]五[#「五」は中見出し] 「綺麗《きれい》だなあ、此《こ》の花《はな》は?……」  私《わたし》は磨込《みがきこ》んだ式臺《しきだい》に立《た》つて、番頭《ばんとう》と女中《ぢよちう》を左右《さいう》にしたまゝ、うつかり訊《き》いた。 「躑躅《つゝじ》でござります。」と年配《ねんぱい》の番頭《ばんとう》が言《い》つた。  櫻《さくら》か、海棠《かいだう》かと思《おも》ふ、巨《おほき》なつゝじの、燃立《もえた》つやうなのを植《うゑ》て、十鉢《とはち》ばかりずらりと並《なら》べた――紅《べに》を流《なが》したやうなのは、水打《みづう》つた石疊《いしだたみ》に其《そ》の影《かげ》が映《うつ》つたのである。  が、待《ま》てよ。……玄關口《げんくわんぐち》で、躑躅《つゝじ》の鉢植《はちうゑ》に吃驚《びつくり》するやうでは――此《こ》の柄《がら》だから通《とほ》しはしまいが――上壇《じやうだん》の室《ま》で、金屏風《きんびやうぶ》で、牡丹《ぼたん》と成《な》ると、目《め》をまはすに相違《さうゐ》ない。とすると、先祖《せんぞ》へはともかく、友達《ともだち》の顏《かほ》にかゝはる……と膽《たん》を廊下《らうか》に錬《ね》つて行《ゆ》くと、女中《ぢよちう》に案内《あんない》されたのは、此《これ》は又《また》心易《こゝろやす》い。爪尖上《つまさきあが》りの廊下《らうか》から、階子段《はしごだん》を一度《いちど》トン/\と下《お》りて、バタンと扉《とびら》を開《あ》けて入《はひ》つた。縁側《えんがは》づきのおつな六疊《ろくでふ》。――床《とこ》わきの袋戸棚《ふくろとだな》に、すぐに箪笥《たんす》を取着《とりつ》けて、衣桁《いかう》が立《た》つて、――さしむかひに成《な》るやうに、長火鉢《ながひばち》が横《よこ》に、谿河《たにがは》の景色《けしき》を見通《みとほ》しに据《す》ゑてある。  火《ひ》がどツさり。炭《すみ》が安《やす》い。有難《ありがた》い。平泉《ひらいづみ》の晝食《ちうじき》でも、昨夜《ゆうべ》松島《まつしま》のホテルでも然《さ》うだつた。が、火《ひ》がどツさり。炭《すみ》が安《やす》い。有難《ありがた》い。鐵瓶《てつびん》の湯《ゆ》はたぎる。まだお茶代《ちやだい》も差上《さしあ》げないのに、相濟《あひす》まない、清《きよ》らかな菓子器《くわしき》の中《なか》は、ほこりのかゝらぬ蒸菓子《むしぐわし》であつた。 「先《ま》づ一服《いつぷく》。」  流《ながれ》の音《おと》が、颯《さつ》と座《ざ》に入《い》つて、カカカカカカカと朗《ほがらか》に河鹿《かじか》が鳴《な》く。  恰《あたか》も切立《きつたて》の崖上《がけうへ》で、縁《えん》の小庭《こには》に、飛石《とびいし》三《み》つ四《よ》つ。躑躅《つゝじ》――驚《おどろ》くな――山吹《やまぶき》などを輕《かる》くあしらつた、此《こ》の角座敷《かどざしき》。で、庭《には》が尖《とが》つて、あとが座敷《ざしき》つゞきに、むかうへすつと擴《ひろ》がつた工合《ぐあひ》が、友禪切《いうぜんぎれ》の衽前《おくみさき》と言《い》ふ體《てい》がある。縁《えん》の角《かど》の柱《はしら》に、縋《すが》りながら、恁《か》う一《ひと》つ氣取《きど》つて立《た》つと、爪尖《つまさき》が、すぐに浴室《よくしつ》の屋根《やね》に屆《とゞ》いて、透間《すきま》は、巖《いは》も、草《くさ》も、水《みづ》の滴《したゝ》る眞暗《まつくら》な崖《がけ》である。危《あぶな》つかしいが、また面白《おもしろ》い。  内《うち》のか、外《よそ》のか、重《かさ》なり疊《たゝ》んだ棟《むね》がなぞへに、次第低《しだいびく》に、溪流《けいりう》の岸《きし》に臨《のぞ》んで、通廊下《かよひらうか》が、屋根《やね》ながら、斜違《はすか》ひに緩《ゆる》く上《のぼ》り、又《また》急《きふ》に降《お》りる。……  湯《ゆ》の宿《やど》と、湯《ゆ》の宿《やど》で、川底《かはそこ》の巖《いは》を抉《ゑぐ》つた形《かたち》で、緑青《ろくしやう》に雪《ゆき》を覆輪《ふくりん》した急流《きふりう》は、颯《さつ》と白雲《はくうん》の空《そら》に浮《う》いて、下屋《げや》づくりの廂《ひさし》に呑《の》まれる。 「いゝ景色《けしき》だ。あれが摺上川《すりかみがは》だね。」  圓髷《まるまげ》の年増《としま》の女中《ぢよちう》が、 「あら、旦那《だんな》よく御存《ごぞん》じでございますこと。」 「其《そ》のくらゐな事《こと》は學校《がくかう》で覺《おぼ》えたよ。」 「感心《かんしん》、道理《だうり》で落第《らくだい》も遊《あそ》ばさないで。」 「お手柔《てやはら》かに願《ねが》ひます。」 [#8字下げ]六[#「六」は中見出し]  旅費《りよひ》が少《すくな》いから、旦那《だんな》は脇息《けふそく》とある處《ところ》を、兄哥《あにい》に成《な》つて、猫板《ねこいた》に頬杖《ほゝづゑ》つくと、又《また》嬉《うれ》しいのは、摺上川《すりかみがは》を隔《へだ》てた向《むか》う土手《どて》湯《ゆ》の原《はら》街道《かいだう》を、山《やま》の根《ね》について往來《ゆきき》する人通《ひとどほ》りが、衣《き》ものの色《いろ》、姿容《なりかたち》は、はつきりして、顏《かほ》の朧氣《おぼろげ》な程度《ていど》でよく見《み》える。旅商人《たびあきうど》も行《ゆ》けば、蝙蝠傘《かうもりがさ》張替直《はりかへなほ》しも通《とほ》る。洋裝《やうさう》した坊《ぼつ》ちやんの手《て》を曳《ひ》いて、麥藁帽《むぎわらばう》が山腹《さんぷく》の草《くさ》を縫《ぬ》つて上《のぼ》ると、白《しろ》い洋傘《パラソル》の婦人《ふじん》が續《つゞ》く。  浴室《よくしつ》の窓《まど》からも此《これ》が見《み》えて、薄《うつす》りと湯氣《ゆげ》を透《すか》すと、ほかの土地《とち》には餘《あま》りあるまい、海市《かいし》に對《たい》する、山谷《さんこく》の蜃氣樓《しんきろう》と言《い》つた風情《ふぜい》がある。  温泉《いでゆ》は、やがて一浴《いちよく》した。純白《じゆんぱく》な石《いし》を疊《たゝ》んで、色紙形《しきしがた》に大《おほき》く湛《たゝ》へて、幽《かす》かに青味《あをみ》を帶《お》びたのが、入《はひ》ると、颯《さつ》と吹溢《ふきこぼ》れて玉《たま》を散《ち》らして潔《いさぎよ》い。清々《すが/\》しいのは、かけ湯《ゆ》の樋《ひ》の口《くち》をちら/\と、こぼれ出《で》て、山《やま》の香《か》の芬《ぷん》と薫《かを》る、檜《ひのき》、槇《まき》など新緑《しんりよく》の木《き》の芽《め》である。松葉《まつば》もすら/\と交《まじ》つて、浴槽《よくさう》に浮《う》いて、潛《くゞ》つて、湯《ゆ》の搖《ゆ》るゝがまゝに舞《ま》ふ。腕《うで》へ來《く》る、乳《ちゝ》へ來《く》る。拂《はら》へば馳《はし》つて、又《また》スツと寄《よ》る。あゝ、女《をんな》の雪《ゆき》の二《に》の腕《うで》だと、松葉《まつば》が命《いのち》の黥《いれずみ》をしよう、指《ゆび》には青《あを》い玉《たま》と成《な》らう。私《わたし》は酒《さけ》を思《おも》つて、たゞ杉《すぎ》の葉《は》の刺青《ほりもの》した。  ……此《こ》の心持《こゝろもち》で晩景《ばんけい》一酌《いつしやく》。  向《むか》うの山《やま》に灯《ひ》が見《み》えて、暮《く》れせまる谿河《たにがは》に、なきしきる河鹿《かじか》の聲《こゑ》。――一匹《いつぴき》らしいが、山《やま》を貫《つらぬ》き、屋《をく》を衝《つ》いて、谺《こだま》に響《ひゞ》くばかりである。嘗《かつ》て、卯《う》の花《はな》の瀬《せ》を流《なが》す時《とき》、箱根《はこね》で思《おも》ふまゝ、此《こ》の聲《こゑ》を聞《き》いた。が、趣《おもむき》が違《ちが》ふ。彼處《かしこ》のは、横《よこ》に靡《なび》いて婉轉《ゑんてん》として流《ながれ》を操《あやつ》り、此處《こゝ》のは、縱《たて》に通《とほ》つて喨々《れう/\》として瀧《たき》を調《しら》ぶる。  すぽい/\、すぽい/\と、寂《さび》しく然《しか》も高《たか》らかに、向《むか》う斜《なゝめ》に遙《はるか》ながら、望《のぞ》めば眉《まゆ》にせまる、滿山《まんざん》は靄《もや》にして、其處《そこ》ばかり樹立《こだち》の房《ふつさ》りと黒髮《くろかみ》を亂《みだ》せる如《ごと》き、湯《ゆ》の原《はら》あたり山《やま》の端《は》に、すぽい/\、すぽい/\と唯《たゞ》一羽《いちは》鳥《とり》が鳴《な》いた。――世《よ》の中《なか》のうろたへものは、佛法僧《ぶつぽふそう》、慈悲心鳥《じひしんてう》とも言《い》ふであらう。松《まつ》の尾《を》の峰《みね》、黒髮山《くろかみやま》は、われ知《し》らず、この飯坂《いひざか》に何《なん》の鳥《とり》ぞ。 「すぽい鳥《どり》ですよ。」  と女中《ぢよちう》は言《い》つた。  星《ほし》が見《み》えつゝ、聲《こゑ》が白《しろ》い。  いま、河鹿《かじか》の流《なが》れに、たてがみを振向《ふりむ》けながら、柴《しば》積《つ》んだ馬《うま》が馬士《うまかた》とともに、ぼつと霞《かす》んで消《き》えたと思《おも》ふと、其《そ》のうしろから一《ひと》つ提灯《ちやうちん》。……鄙唄《ひなうた》を、いゝ聲《こゑ》で―― [#地から5字上げ]大正十年七月 底本:「鏡花全集 巻二十七」岩波書店    1942(昭和17)年10月20日第1刷発行    1988(昭和63)年11月2日第3刷発行 初出:「東京日日新聞 第一六〇九二号〜一六〇九八号」東京日日新聞社    1921(大正10)年7月21日〜27日 ※「づらりと」と「ずらりと」、「前途」に対するルビの「ゆくて」と「さき」、「彼方」に対するルビの「あつち」と「あちら」、「此方」に対するルビの「こつち」と「こちら」、「欄干」に対するルビの「らんかん」と「てすり」、「温泉」に対するルビの「ゆ」と「いでゆ」と「をんせん」の混在は、底本通りです。 ※表題は底本では、「飯坂《いひざか》ゆき」となっています。 ※題名の下にあった年代の注を、最後に移しました。 入力:門田裕志 校正:岡村和彦 2018年7月27日作成 2018年8月28日修正 青空文庫作成ファイル: 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