木菟俗見 泉鏡太郎 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)苗賣《なへうり》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)千倉《ちくら》ヶ|沖《おき》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数) (例)哃 /\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号) (例)なか/\ *濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」 -------------------------------------------------------  苗賣《なへうり》の聲《こゑ》は、なつかしい。 [#ここから4字下げ] ……垣《かき》の卯《う》の花《はな》、さみだれの、ふる屋《や》の軒《のき》におとづれて、朝顏《あさがほ》の苗《なへ》や、夕顏《ゆうがほ》の苗《なへ》…… [#ここで字下げ終わり]  またうたに、 [#ここから4字下げ] ……田舍《ゐなか》づくりの、かご花活《はないけ》に、づツぷりぬれし水色《みづいろ》の、たつたを活《い》けし樂《たの》しさは、心《こゝろ》の憂《う》さもどこへやら…… [#ここで字下げ終わり]  小《こ》うたの寄《よ》せ本《ぼん》で讀《よ》んだだけでも一寸《ちよつと》意氣《いき》だ、どうして惡《わる》くない。が、四疊半《よでふはん》でも六疊《ろくでふ》でも、琵琶棚《びはだな》つきの廣間《ひろま》でも、そこは仁體《にんてい》相應《さうおう》として、これに調子《てうし》がついて、別嬪《べつぴん》の聲《こゑ》で聞《き》かうとすると、三味線《さみせん》の損料《そんれう》だけでもお安《やす》くない。白《しろ》い手《て》の指環《ゆびわ》の税《ぜい》がかゝる。それに、われら式《しき》が、一念發起《いちねんほつき》に及《およ》んだほどお小遣《こづかひ》を拂《はた》いて、羅《うすもの》の褄《つま》に、すツと長《なが》じゆばんの模樣《もやう》が透《す》く、……水色《みづいろ》の、色氣《いろけ》は(たつた)で……斜《なゝめ》に座《すわ》らせたとした所《ところ》で、歌澤《うたざは》が何《なん》とかで、あのはにあるの、このはにないのと、淺間《あさま》の灰《はひ》でも降《ふ》つたやうに、その取引《とりひき》たるや、なか/\むづかしいさうである。  先哲《せんてつ》いはく……君子《くんし》はあやふきに近《ちか》よらず、いや頬杖《ほゝづゑ》で讀《よ》むに限《かぎ》る。……垣《かき》の卯《う》の花《はな》、さみだれの、ふる屋《や》の軒《のき》におとづれて……か。  惡《わる》いことは申《まを》さぬ。これに御同感《ごどうかん》の方々《かた/″\》は、三味線《さみせん》でお聞《き》きになるより、字《じ》でお讀《よ》みになる方《はう》が無事《ぶじ》である。――  下町《したまち》の方《はう》は知《し》らない。江戸《えど》のむかしよりして、これを東京《とうきやう》の晝《ひる》の時鳥《ほとゝぎす》ともいひたい、その苗賣《なへうり》の聲《こゑ》は、近頃《ちかごろ》聞《き》くことが少《すくな》くなつた。偶《たま》にはくるが、もう以前《いぜん》のやうに山《やま》の手《て》の邸町《やしきまち》、土《ど》べい、黒《くろ》べい、幾曲《いくまが》りを一聲《ひとこゑ》にめぐつて、透《とほ》つて、山王樣《さんわうさま》の森《もり》に響《ひゞ》くやうなのは聞《き》かれない。  久《ひさ》しい以前《いぜん》だけれども、今《いま》も覺《おぼ》えて居《ゐ》る。一度《いちど》は本郷《ほんがう》龍岡町《たつをかちやう》の、あの入組《いりく》んだ、深《ふか》い小路《こうぢ》の眞中《まんなか》であつた。一度《いちど》は芝《しば》の、あれは三田《みた》四國町《しこくまち》か、慶應大學《けいおうだいがく》の裏《うら》と思《おも》ふ高臺《たかだい》であつた。いづれも小笠《をがさ》のひさしをすゑ、脚半《きやはん》を輕《かる》く、しつとりと、拍子《ひやうし》をふむやうにしつゝ聲《こゑ》にあやを打《う》つてうたつたが……うたつたといひたい。私《わたし》は上手《じやうず》の名曲《めいきよく》を聞《き》いたと同《おな》じに、十年《じふねん》、十五年《じふごねん》の今《いま》も忘《わす》れないからである。  この朝顏《あさがほ》、夕顏《ゆふがほ》に續《つゞ》いて、藤豆《ふぢまめ》、隱元《いんげん》、なす、さゝげ、唐《たう》もろこしの苗《なへ》、また胡瓜《きうり》、糸瓜《へちま》――令孃方《れいぢやうがた》へ愛相《あいさう》に(お)の字《じ》をつけて――お南瓜《たうなす》の苗《なへ》、……と、砂村《すなむら》で勢《せい》ぞろひに及《およ》んだ、一騎當千《いつきたうせん》、前栽《せんざい》の強物《つはもの》の、花《はな》を頂《いたゞ》き、蔓手綱《つるたづな》、威毛《をどしげ》をさばき、裝《よそほ》ひに濃《こ》い紫《むらさき》を染《そめ》などしたのが、夏《なつ》の陽炎《かげろふ》に幻影《まぼろし》を顯《あら》はすばかり、聲《こゑ》で活《い》かして、大路《おほぢ》小路《こうぢ》を縫《ぬ》つたのも中頃《なかごろ》で、やがて月見草《つきみさう》、待《まつ》よひ草《ぐさ》、くじやく草《さう》などから、ヒヤシンス、アネモネ、チウリツプ、シクラメン、スヰートピイ。笛《ふえ》を吹《ふ》いたら踊《をど》れ、何《なん》でも舶來《はくらい》ものの苗《なへ》を並《なら》べること、尖端《モダン》新語辭典《しんごじてん》のやうになつたのは最近《さいきん》で、いつか雜曲《ざつきよく》に亂《みだ》れて來《き》た。  決《けつ》して惡《わる》くいふのではない、聲《こゑ》はどうでも、商賣《しやうばい》は道《みち》によつて賢《かしこ》くなつたので、この初夏《しよか》も、二人《ふたり》づれ、苗賣《なへうり》の一組《ひとくみ》が、下六番町《しもろくばんちやう》を通《とほ》つて、角《かど》の有馬家《ありまけ》の黒塀《くろべい》に、雁《がん》が歸《かへ》るやうに小笠《をがさ》を浮《う》かして顯《あら》はれた。  ――紅花《べにばな》の苗《なへ》や、おしろいの苗《なへ》――特《とく》に註《ちう》するに及《およ》ぶまい、苗賣《なへうり》の聲《こゑ》だけは、草《くさ》、花《はな》の名《な》がそのまゝでうたになること、波《なみ》の鼓《つゞみ》、松《まつ》の調《しら》べに相《あひ》ひとしい。床《とこ》の間《ま》ものの、ぼたん、ばらよりして、缺摺鉢《かけすりばち》、たどんの空箱《あきばこ》の割長屋《わりながや》、松葉《まつば》ぼたん、唐辛子《たうがらし》に至《いた》るまで聲《こゑ》を出《だ》せば節《ふし》になる。むかし、下《しも》の句《く》に(それにつけても金《かね》の欲《ほ》しさよ)と吟《ぎん》ずれば、前句《まへく》はどんなでもぴつたりつく。(ほとゝぎすなきつるかたをながむれば)――(それにつけてもかねのほしさよ、)――一寸《ちよつと》見本《みほん》がこんなところ。古池《ふるいけ》や、でも何《なん》でも構《かま》はぬ、といつた話《はなし》がある。もつともだ。うら盆《ぼん》で餘計《よけい》身《み》にしみて聞《き》こえるのと、卑《さも》しいけれども、同《おな》じであらう。  その…… [#ここから4字下げ] ――紅花《べにばな》の苗《なへ》や、おしろいの苗《なへ》―― [#ここで字下げ終わり]  小《こ》うたなるかな。ふる屋《や》の軒《のき》におとづれた。何《なに》、座《すわ》つて居《ゐ》ても、苗屋《なへや》の笠《かさ》は見《み》えるのだが、そこは凡夫《ぼんぷ》だ、おしろいと聞《き》いたばかりで、破《やれ》すだれ越《ごし》に乘《のり》だして見《み》たのであるが、續《つゞ》いて、 [#ここから4字下げ] ――紅鷄頭《あかけいとう》、黄鷄頭《きげいとう》、雁來紅《がんらいこう》の苗《なへ》。……とさか鷄頭《けいとう》、やり鷄頭《けいとう》の苗《なへ》―― [#ここで字下げ終わり]  と呼《よ》んだ。繪《ゑ》で見《み》せないと、手《て》つきや口《くち》の説明《せつめい》では、なか/\形《かた》が見《み》せられないのに、この、とさか鷄頭《けいとう》、やり鷄頭《けいとう》は、いひ得《え》てうまい。……學者《がくしや》の術語《じゆつご》ばなれがして、商賣《しやうばい》によつて賢《かしこ》しである、と思《おも》つたばかりは二人組《ふたりぐみ》かけ合《あひ》の呼聲《よびごゑ》も、實《じつ》は玄米《げんまい》パンと、ちんどん屋《や》、また一所《いつしよ》になつた……どぢやう、どぢやう、どぢやう――に紛《まぎ》れたのであつた。  こちらで氣《き》をつけて、聞迎《きゝむか》へるのでなくつては、苗賣《なへうり》は、雜音《ざつおん》のために、どなたも、一寸《ちよつと》氣《き》がつかないかも知《し》れぬと思《おも》ふ。  まして深夜《しんや》の鳥《とり》の聲《こゑ》。  俳諧《はいかい》には、冬《ふゆ》の季《き》になつて居《ゐ》たはずだが、みゝづくは、春《はる》の末《すゑ》から、眞夏《まなつ》、秋《あき》も鳴《な》く。……ともすると梅雨《つゆ》うちの今頃《いまごろ》が、あの、忍術《にんじゆつ》つかひ得意《とくい》の時《とき》であらうも知《し》れぬ。魔法《まはふ》、妖術《えうじゆつ》、五月暗《さつきやみ》にふさはしい。……よひの間《ま》のホウ、ホウは、あれは、夜鷹《よたか》だと思《おも》はれよ。のツホウホー、人魂《ひとだま》が息吹《いぶき》をするとかいふ聲《こゑ》に、藍暗《らんあん》、紫色《ししよく》を帶《たい》して、のりすれ、のりほせのないのは木菟《みゝづく》で。……大抵《たいてい》眞夜中《まよなか》の二時《にじ》過《す》ぎから、一時《ひととき》ほどの間《あひだ》を遠《とほ》く、近《ちか》く、一羽《いちは》だか、二羽《には》だか、毎夜《まいよ》のやうに鳴《な》くのを聞《き》く。寢《い》ねがての夜《よる》の慰《なぐさ》みにならないでもない。  陽氣《やうき》の加減《かげん》か、よひまどひをして、直《ぢ》き町内《ちやうない》の大銀杏《おほいてふ》、ポプラの古樹《ふるき》などで鳴《な》く事《こと》があると、梟《ふくろ》だよ、あゝ可恐《こは》い。……私《わたし》の身邊《しんぺん》には、生《あい》にくそんな新造《しんぞ》は居《ゐ》ないが、とに角《かく》、ふくろにして不氣味《ぶきみ》がる。がふくろの聲《こゑ》は、そんな生優《なまやさ》しいものではない。――相州《さうしう》逗子《づし》に住《すま》つた時《とき》、秋《あき》もややたけた頃《ころ》、雨《あめ》はなかつたが、あれじみた風《かぜ》の夜中《よなか》に、破屋《あばらや》の二階《にかい》のすぐその欄干《らんかん》と思《おも》ふ所《ところ》で、化《ば》けた禪坊主《ぜんばうず》のやうに、哃喝《どうかつ》をくはしたが、思《おも》はず、引《ひ》き息《いき》で身震《みぶる》ひした。唐突《だしぬけ》に犬《いぬ》がほえたやうな凄《すさ》まじいものであつた。  だから、ふくろの聲《こゑ》は、話《はなし》に聞《き》く狼《おほかみ》がうなるのに紛《まぎ》れよう。……みゝづくの方《はう》は、木精《こだま》が戀《こひ》をする調子《てうし》だと思《おも》へば可《い》い。が、いづれ魔《ま》ものに近《ちか》いのであるから、又《また》ばける、といはれるのを慮《おもんぱか》つて、内々《ない/\》遠慮《ゑんりよ》がちに話《はな》したけれども、實《じつ》は、みゝづくは好《す》きである。第一《だいいち》形《かたち》が意氣《いき》だ。――閨《ねや》、いや、寢床《ねどこ》の友《とも》の、――源語《げんご》でも、勢語《せいご》でもない、道中膝栗毛《だうちうひざくりげ》を枕《まくら》に伏《ふ》せて、どたりとなつて、もう鳴《な》きさうなものだと思《おも》ふのに、どこかの樹《き》の茂《しげ》りへ顯《あら》はれない時《とき》は、出來《でき》るものなら、内懷《うちぶところ》に隻手《せきしゆ》の印《いん》を結《むす》んで、屋《や》の棟《むね》に呼《よ》びたい、と思《おも》ふくらゐである。  旅行《りよかう》をしても、この里《さと》、この森《もり》、この祠《ほこら》――どうも、みゝづくがゐさうだ、と直感《ちよくかん》すると、果《はた》して深更《しんかう》に及《およ》んで、ぽツと、顯《あら》はれ出《い》づるから則《すなは》ち話《はな》せる。――のツほーほう、ほツほウ。 「おいでなさい、今晩《こんばん》は。……」  つい先月《せんげつ》の中旬《ちうじゆん》である。はじめて外房州《そとばうしう》の方《はう》へ、まことに緊縮《きんしゆく》な旅行《りよかう》をした、その時《とき》――  待《ま》て、旅《たび》といへば、内《うち》にゐて、哲理《てつり》と岡《をか》ぼれの事《こと》にばかり凝《こ》つてゐないで、偶《たま》には外《そと》へ出《で》て見《み》たがよい。よしきり(よし原《はら》すゞめ、行々子《ぎやう/\し》)は、麥《むぎ》の蒼空《おほぞら》の雲雀《ひばり》より、野趣《やしゆ》横溢《わういつ》して親《した》しみがある。前《まへ》にいつたその逗子《づし》の時分《じぶん》は、裏《うら》の農家《のうか》のやぶを出《で》ると、すぐ田越川《たごえがは》の流《なが》れの續《つゞ》きで、一本橋《いつぽんばし》を渡《わた》る所《ところ》は、たゞ一面《いちめん》の蘆原《あしはら》。滿潮《まんてう》の時《とき》は、さつと潮《さ》してくる浪《なみ》がしらに、虎斑《とらふ》の海月《くらげ》が乘《の》つて、あしの葉《は》の上《うへ》を泳《およ》いだほどの水場《みづば》だつたが、三年《さんねん》あまり一度《いちど》もよしきりを聞《き》いた事《こと》……無論《むろん》見《み》た事《こと》もない。  後《のち》に、奧州《あうしう》の平泉《ひらいづみ》中尊寺《ちうそんじ》へ詣《まう》でたかへりに、松島《まつしま》へ行《ゆ》く途中《とちう》、海《うみ》の底《そこ》を見《み》るやうな岩《いは》の根《ね》を拔《ぬ》ける道々《みち/\》、傍《かたはら》の小沼《こぬま》の蘆《あし》に、くわらくわいち、くわらくわいち、ぎやう、ぎやう、ぎやう、ちよツ、ちよツ、ちよツ……を初音《はつね》に聞《き》いた。  まあ、そんなに念《ねん》いりにいはないでも、凡《およそ》烏《からす》の勘左衞門《かんざゑもん》、雀《すゞめ》の忠三郎《ちうざぶらう》などより、鳥《とり》でこのくらゐ、名《な》と聲《こゑ》の合致《がつち》したものは少《すくな》からう、一度《いちど》もまだ見聞《みき》きした覺《おぼ》えのないものも、聲《こゑ》を聞《き》けば、すぐ分《わか》る…… [#ここから4字下げ] ぎやうぎやうし、ぎやうぎやうし、ぎやうぎやうし、ぎやうぎやうし。 [#ここで字下げ終わり]  もし/\、久保田《くぼた》さん、と呼《よ》んで、こゝで傘雨《さんう》さんにお目《め》にかゝりたい。これでは句《く》になりますまいか。 [#ここから4字下げ] ぎやうぎやうし、ぎやうぎやうし、ぎやうぎやうし。 [#ここで字下げ終わり]  顏《かほ》と腹《はら》を横《よこ》に搖《ゆす》つて、万《まん》ちやんの「折合《をりあ》へません」が目《め》に見《み》える。  加賀《かが》の大野《おほの》、根生《ねぶ》の濱《はま》を歩行《ある》いた時《とき》は、川口《かはぐち》の洲《す》の至《いた》る所《ところ》、蘆《あし》一《ひと》むらさへあれば、行々子《ぎやう/\し》の聲《こゑ》が渦《うづ》を立《た》てた、蜷《にな》の居《ゐ》る渚《なぎさ》に寄《よ》れば、さら/\と袖《そで》ずれの、あしのもとに、幾十羽《いくじつぱ》ともない、くわらくわいち、くわらくわいち、ちよツ、ちよツで。ぬれ色《いろ》の、うす紅《あか》らんだ莖《くき》を傳《つた》ひ、水《みづ》をはねて、羽《はね》の生《は》えた鮒《ふな》で飛囘《とびまは》る。はら/\と立《た》つて、うしろの藁屋《わらや》の梅《うめ》に五六羽《ごろつぱ》、椿《つばき》に四五羽《しごは》、ちよツちよツと、旅人《たびびと》を珍《めづら》しさうに、くちばしを向《む》けて共音《ともね》にさへづつたのである。――なじみに成《な》ると、町中《まちなか》の小川《をがは》を前《まへ》にした、旅宿《やどや》の背戸《せど》、その水《みづ》のめぐる柳《やなぎ》の下《もと》にも來《き》て、朝《あさ》はやくから音信《おとづ》れた。  ……次手《ついで》に、おなじ金澤《かなざは》の町《まち》の旅宿《りよしゆく》の、料理人《れうりにん》に聞《き》いたのであるが、河蝉《かはせみ》は黐《もち》を恐《おそ》れない。寧《むし》ろ知《し》らないといつても可《い》い。庭《には》の池《いけ》の鯉《こひ》を、大小《だいせう》計《はか》つてねらひにくるが、仕《し》かけさへすれば、すぐにかゝる。また、同國《どうこく》で、特産《とくさん》として諸國《しよこく》に貨《くわ》する、鮎釣《あゆつり》の、あの蚊針《かばり》は、すごいほど彩色《さいしき》を巧《たくみ》に昆蟲《こんちう》を模《も》して造《つく》る。針《はり》の稱《な》に、青柳《あをやぎ》、女郎花《をみなへし》、松風《まつかぜ》、羽衣《はごろも》、夕顏《ゆふがほ》、日中《ひなか》、日暮《ひぐれ》、螢《ほたる》は光《ひか》る。(太公望《たいこうばう》)は諷《ふう》する如《ごと》くで、殺生道具《せつしやうだうぐ》に阿彌陀《あみだ》は奇《き》なり。……黒海老《くろえび》、むかで、暗《やみ》がらす、と不氣味《ぶきみ》になり、黒虎《くろとら》、青蜘蛛《あをぐも》とすごくなる。就中《なかんづく》、ねうちものは、毛卷《けまき》におしどりの羽毛《うまう》を加工《かこう》するが、河蝉《かはせみ》の羽《はね》は、職人《しよくにん》のもつとも欲《ほつ》するところ、特《とく》に、あの胸毛《むなげ》の火《ひ》の燃《も》ゆる緋《ひ》は、魔《ま》の如《ごと》く魚《うを》を寄《よ》せる、といつて價《あたひ》を選《えら》ばないさうである。たゞ斷《ことわ》つて置《お》くが、その搖《ゆる》る篝火《かゞりび》の如《ごと》き、大紅玉《だいこうぎよく》を抱《いだ》いた彼《か》のをんなは、四時《しじ》ともに殺生禁斷《せつしやうきんだん》のはずである。  さて、よしきりだが、あのおしやべりの中《なか》に、得《え》もいはれない、さびしい情《じやう》の籠《こも》つたのがうれしい。いふまでもなく番町邊《ばんちやうあたり》では、あこがれる蛙《かへる》さへ聞《き》かれない。どこか近郊《きんこう》へ出《で》たら、と近《ちか》まはりで尋《たづ》ねても、湯屋《ゆや》も床屋《とこや》も、釣《つり》の話《はなし》で、行々子《ぎやう/\し》などは對手《あひて》にしない。ひばり、こま鳥《どり》、うぐひすを飼《か》ふ町内《ちやうない》名代《なだい》の小鳥《ことり》ずきも、一向《いつかう》他人《たにん》あつかひで對手《あひて》にせぬ。まさか自動車《じどうしや》で、ドライブして、搜《さが》して囘《まは》るほどの金《かね》はなし……縁《えん》の切《き》れめか、よし原《はら》すゞめ、當分《たうぶん》せかれたと斷念《あきら》めて居《ゐ》ると、當年《たうねん》五月《ごぐわつ》――房州《ばうしう》へ行《い》つた以前《いぜん》である。  馬鹿《ばか》の一覺《ひとつおぼ》え、といふのだらう。あやめは五月《ごぐわつ》と心得《こゝろえ》た。一度《いちど》行《い》つて見《み》よう見《み》ようで、まだ出《で》かけた事《こと》のない堀切《ほりきり》へ……急《いそ》ぎ候《さふらふ》ほどに、やがて着《つ》くと、引《ひ》きぞ煩《わづ》らはぬいづれあやめが、憚《はゞか》りながら葉《は》ばかりで伸《の》びて居《ゐ》た。半出來《はんでき》の藝妓《げいしや》――淺草《あさくさ》のなにがしと札《ふだ》を建《た》てた――活人形《いきにんぎやう》をのぞくところを、唐突《だしぬけ》に、くわら/\、くわら、と蛙《かへる》に高笑《たかわら》ひをされたのである。よしよしそれも面白《おもしろ》い。あれから柴又《しばまた》へお詣《まゐ》りしたが、河甚《かはじん》の鰻《うなぎ》……などと、贅《ぜい》は言《い》はない。名物《めいぶつ》と聞《き》く切干大根《きりぼしだいこん》の甘《あま》いにほひをなつかしんで、手製《てせい》ののり卷《まき》、然《しか》も稚氣《ちき》愛《あい》すべきことは、あの渦卷《うづまき》を頬張《ほゝば》つたところは、飮友達《のみともだち》は笑《わら》はば笑《わら》へ、なくなつた親《おや》どもには褒美《はうび》に預《あづ》からうといふ、しをらしさのおかげかして、鴻《こう》の臺《だい》を向《むか》うに見《み》る、土手《どて》へ上《あが》ると、鳴《な》く、鳴《な》く、鳴《な》くぞ、そこに、よしきり。  巣立《すだ》ちの頃《ころ》か、羽音《はおと》が立《た》つて、ひら/\と飛交《とびか》はす。  あしの根《ね》に近《ちか》づくと、またこの長汀《ちやうてい》、風《かぜ》さわやかに吹通《ふきとほ》して、人影《ひとかげ》のないもの閑《しづ》かさ。足音《あしおと》も立《た》つたのに、子供《こども》だらう、恐《おそ》れ氣《げ》もなく、葉先《はさき》へ浮《うき》だし、くちばしを、ちよんと黒《くろ》く、顏《かほ》をだして、ちよ、ちよツ、とやる。根《ね》に潛《ひそ》んで、親鳥《おやどり》が、けたゝましく呼《よ》ぶのに、親《おや》の心《こゝろ》、子《こ》知《し》らずで、きよろりとしてゐる。 「おつかさんが呼《よ》んでるぢやないか。葉《は》の中《なか》へ早《はや》くお入《はひ》り――人間《にんげん》が居《ゐ》て可恐《こは》いよ。」 「人間《にんげん》は飛《と》べませんよ、ちよツ、ちよツ、ちよツちよツ。」 「犬《いぬ》がくるぞ。」 「をぢちやんぢやあるまいし……」  やゝ長《なが》めな尾《を》をぴよんと刎《は》ねた――こいつ知《し》つて居《ゐ》やあがる。前後左右《ぜんごさいう》、たゞ犬《いぬ》は出《で》はしまいかと、内々《ない/\》びく/\もので居《ゐ》る事《こと》を。 「犬《いぬ》なんか可恐《こは》くないよ。ちツちツちツ。」  畜生《ちくしやう》め。 「これ/\一坊《いちばう》や、一坊《いちばう》や、くわらかいち、くわらかいち。」  それお母《つか》さんが叱《しか》つて居《ゐ》る。  可愛《かはい》いこの一族《いちぞく》は、土手《どて》の續《つゞ》くところ、二里《にり》三里《さんり》、蘆《あし》とともに榮《さか》えて居《ゐ》る喜《よろこ》ぶべきことを、日《ひ》ならず、やがて發見《はつけん》した。――房州《ばうしう》へ行《ゆ》く時《とき》である。汽車《きしや》が龜戸《かめゐど》を過《す》ぎて――あゝ、このあひだの堤《どて》の續《つゞ》きだ、すぐに新小岩《しんこいは》へ近《ちか》づくと、窓《まど》の下《した》に、小兒《こども》が溝板《どぶいた》を驅《か》けだす路傍《みちばた》のあしの中《なか》に、居《ゐ》る、居《ゐ》る。ぎやうぎやうし、ぎやうぎやうし。 「をぢさんどこへ。……」  と鳴《な》いて居《ゐ》た。  白鷺《しらさぎ》が――私《わたし》はこれには、目覺《めざ》むるばかり、使《つか》つて居《ゐ》た安扇子《やすせんす》の折目《をりめ》をたゝむまで、えりの涼《すゞ》しい思《おも》ひがした。嘗《かつ》て、ものに記《しる》して、東海道中《とうかいだうちう》、品川《しながは》のはじめより、大阪《おほさか》まはり、山陰道《さんいんだう》を通《つう》じて、汽車《きしや》から、婀娜《あだ》と、しかして、窈窕《えうてう》と、野《や》に、禽類《きんるゐ》の佳人《かじん》を見《み》るのは、蒲田《かまた》の白鷺《しらさぎ》と、但馬《たじま》豐岡《とよをか》の鶴《つる》ばかりである、と知《し》つたかぶりして、水上《みなかみ》さんに笑《わら》はれた。 「少《すこ》しお歩行《ある》きなさい、白鷺《しらさぎ》は、白金《しろかね》(本家《ほんけ》、芝《しば》)の庭《には》へも來《き》ますよ。」つい小岩《こいは》から市川《いちかは》の間《あひだ》、左《ひだり》の水田《すゐでん》に、すら/\と三羽《さんば》、白《しろ》い褄《つま》を取《と》つて、雪《ゆき》のうなじを細《ほつそ》りとたゝずんで居《ゐ》たではないか。  のみならず、汽車《きしや》が千葉《ちば》まはりに譽田《ほんだ》……を過《す》ぎ、大網《おほあみ》を本納《ほんなふ》に近《ちかづ》いた時《とき》は、目《め》の前《まへ》の苗代田《なはしろだ》を、二羽《には》銀翼《ぎんよく》を張《は》つて、田毎《たごと》の三日月《みかづき》のやうに飛《と》ぶと、山際《やまぎは》には、つら/\と立並《たちなら》んで、白《しろ》い燈《ひ》のやうに、青葉《あをば》の茂《しげ》みを照《てら》すのをさへ視《み》たのである。  目的《めあて》の海岸《かいがん》――某地《ぼうち》に着《つ》くと、海《うみ》を三方《さんぱう》――見晴《みはら》して、旅館《りよくわん》の背後《うしろ》に山《やま》がある。上《うへ》に庚申《かうしん》のほこらがあると聞《き》く。……町並《まちなみ》、また漁村《ぎよそん》の屋根《やね》を、隨處《ずゐしよ》に包《つゝ》んだ波状《はじやう》の樹立《こだち》のたゝずまひ。あの奧《おく》遙《はるか》に燈明臺《とうみやうだい》があるといふ。丘《をか》ひとつ、高《たか》き森《もり》は、御堂《みだう》があつて、姫神《ひめがみ》のお庭《には》といふ。丘《をか》の根《ね》について三所《みところ》ばかり、寺院《じゐん》の棟《むね》と、ともにそびえた茂《しげ》りは、いづれも銀杏《いてふ》のこずゑらしい。  ……と表二階《おもてにかい》、三十室《さんじふま》ばかり、かぎの手《て》にづらりと並《なら》んだ、いぬゐの角《すみ》の欄干《らんかん》にもたれて見《み》まはした所《ところ》、私《わたし》の乏《とぼ》しい經驗《けいけん》によれば、確《たしか》にみゝづくが鳴《な》きさうである。思《おも》つたばかりで、その晩《ばん》は疲《つか》れて寢《ね》た。が次《つぎ》の夜《よ》は、もう例《れい》によつて寢《ね》られない。刻《きざみ》と、卷《まき》たばこを枕元《まくらもと》の左右《さいう》に、二嬌《にけう》の如《ごと》く侍《はべ》らせつゝも、この煙《けむり》は、反魂香《はんごんかう》にも、夢《ゆめ》にもならない。とぼけて輪《わ》になれ、その輪《わ》に耳《みゝ》が立《た》つてみゝづくの影《かげ》になれ、と吹《ふ》かしてゐると、五月《さつき》やみが屋《や》を壓《あつ》し、波《なみ》の音《おと》も途絶《とだ》ゆるか、鐘《かね》の音《ね》も聞《き》こえず、しんとする。  刻限《こくげん》、到限《こくげん》。  ――のツ、ほツほウ―― 「あゝ、おいでなさい。……今晩《こんばん》は。」  隣《となり》の間《ま》の八疊《はちでふ》に、家内《かない》とその遠縁《とほえん》にあたる娘《むすめ》を、遊《あそ》びに一人《ひとり》預《あづ》かつたのと、ふすまを並《なら》べてゐる。兩人《りやうにん》の裾《すそ》の所《ところ》が、床《とこ》の間《ま》横《よこ》、一間《いつけん》に三尺《さんじやく》、張《はり》だしの半戸《はんと》だな、下《した》が床張《ゆかば》り、突當《つきあた》りがガラス戸《ど》の掃《はき》だし窓《まど》で、そこが裏山《うらやま》に向《むか》つたから、丁《ちやう》どその窓《まど》へ、松《まつ》の立樹《たちき》の――二階《にかい》だから――幹《みき》がすく/\と並《なら》んでゐる。枝《えだ》の間《あひだ》を白砂《はくさ》のきれいな坂《さか》が畝《うね》つて拔《ぬ》けて、その丘《をか》の上《うへ》に小學校《せうがくかう》がある。ほんの拔裏《ぬけうら》で、ほとんど學校《がくかう》がよひのほか、用《よう》のない路《みち》らしいが、それでも時々《とき/″\》人通《ひとどほ》りがある。――寢《ね》しなに女連《をんなれん》のこれが問題《もんだい》になつた。ガラスを通《とほ》して、ふすまが松葉越《まつばご》しに外《そと》から見《み》えよう。友禪《いうぜん》を敷《し》いた鳥《とり》の巣《す》のやうだ。あら、裾《すそ》の方《はう》がくすぐつたいとか、何《なん》とかで、娘《むすめ》が騷《さわ》いで、まづ二枚折《にまいをり》の屏風《びやうぶ》で圍《かこ》つたが、尚《なほ》隙《すき》があいて、燈《ひ》が漏《も》れさうだから、淡紅色《ときいろ》の長《なが》じゆばんを衣桁《いかう》からはづして、鹿《か》の子《こ》の扱帶《しごき》と一所《いつしよ》に、押《おし》つくねるやうに引《ひつ》かけて塞《ふさ》いだのが、とに角《かく》一寸《ちよつと》媚《なま》めかしい。  魔《ま》ものの鳥《とり》が、そこを、窓《まど》をのぞくやうに鳴《な》いたのである。――晝《ひる》見《み》た、坂《さか》の砂道《すなみち》には、青《あを》すすき、蚊帳《かや》つり草《ぐさ》に、白《しろ》い顏《かほ》の、はま晝顏《ひるがほ》、目《ま》ぶたを薄紅《うすべに》に染《そめ》たのなどが、松《まつ》をたよりに、ちらちらと、幾人《いくたり》も花《はな》をそろへて咲《さ》いた。いまその露《つゆ》を含《ふく》んで、寢顏《ねがほ》の唇《くちびる》のやうにつぼんだのを、金色《こんじき》のひとみに且《か》つ青《あを》く宿《やど》して……木菟《みゝづく》よ、鳴《な》く。  が、鳥《とり》の事《こと》はいはれない。今朝《けさ》、その朝《あさ》、顏《かほ》を洗《あら》つたばかりの所《ところ》、横縁《よこえん》に立《た》つた娘《むすめ》が、「まあ容子《ようす》のいゝ、あら、すてきにシヤンよ、をぢさん、幼稚園《えうちゑん》の教員《けうゐん》さんらしいわ。」「おつと來《き》たり。」「お前《まへ》さんお茶《ちや》がこぼれますよ。」「知《し》つてる。」と下《した》に置《お》けばいゝものを、滿々《まん/\》とあるのを持《も》ちかへようとして沸《わ》き立《た》つて居《ゐ》るから振《ふ》りこぼして、あつゝ。「もうそつちへ行《ゆ》くわ、靴《くつ》だから足《あし》が早《はや》い。」「心得《こゝろえ》た。」下《した》のさか道《みち》の曲《まが》れるを、二階《にかい》から突切《つきき》るのは河川《かせん》の彎曲《わんきよく》を直角《ちよくかく》に、港《みなと》で船《ふね》を扼《やく》するが如《ごと》し、諸葛孔明《しよかつこうめい》を知《し》らないか、とひよいと立《た》つて件《くだん》の袋戸《ふくろと》だなの下《した》へ潛込《もぐりこ》む。「それ、頭《あたま》が危《あぶな》いわ。」「合點《がつてん》だ。」といふ下《した》から、コツン。おほゝゝほ。「あゝ殘念《ざんねん》だ、後姿《うしろすがた》だ。いや、えり脚《あし》が白《しろ》い。」といふ所《ところ》を、シヤンに振向《ふりむ》かれて、南無三寶《なむさんばう》。向直《むきなほ》らうとして、又《また》ゴツン。おほほほゝ。……で、戸《と》だなを落《おと》した喜多八《きたはち》といふ身《み》ではひだすと、「あの方《かた》、ね、友禪《いうぜん》のふろ敷包《しきづつみ》を。……かうやつて、少《すこ》し斜《なゝめ》にうつむき加減《かげん》に、」とおなじ容子《ようす》で、ひぢへ扇子《せんす》の、扇子《せんす》はなしに、手《て》つきで袖《そで》へ一寸《ちよつと》舞振《まひぶり》。……娘《むすめ》の舞振《まひぶり》は、然《さ》ることだが、たれかの男振《をとこぶり》は、みゝづくより苦々《にが/\》しい。はツはツはツはツ。  叱《しつ》!……これ丑滿時《うしみつどき》と思《おも》へ。ひとり笑《わら》ひは怪《ばけ》ものじみると、獨《ひとり》でたしなんで肩《かた》をすくめる。と、またしんとなる。  ――のツほツほ――五聲《いつこゑ》ばかり窓《まど》で鳴《な》いて、しばらくすると、山《やま》さがりに、ずつと離《はな》れて、第一《だいいち》の寺《てら》の銀杏《いてふ》の樹《き》と思《おも》ふあたりで、聲《こゑ》がする。第二《だいに》の銀杏《いてふ》――第三《だいさん》へ。――やがて、もつとも遠《とほ》くかすかになるのが――峰《みね》の明神《みやうじん》の森《もり》であつた。  東京《とうきやう》――番町《ばんちやう》――では、周圍《しうゐ》の廣《ひろ》さに、みゝづくの聲《こゑ》は南北《なんぼく》にかはつても、その場所《ばしよ》の東西《とうざい》をさへわきまへにくい。……こゝでは町《まち》も、森《もり》も、ほとんど一浦《ひとうら》のなぎさの盤《ばん》にもるが如《ごと》く、全幅《ぜんぷく》の展望《てんばう》が自由《じいう》だから、瀬《せ》も、流《なが》れも、風《かぜ》の路《みち》も、鳥《とり》の行方《ゆくへ》も知《し》れるのである。又《また》禽類《きんるゐ》の習性《しふせい》として、毎夜《まいよ》、おなじ場處《ばしよ》、おなじ樹《き》に、枝《えだ》に、かつ飛《と》び、かつ留《とま》るものださうである。心得《こゝろえ》て置《お》く事《こと》で……はさんでは棄《す》てる蛇《へび》の、おなじ場所《ばしよ》に、おなじかま首《くび》をもたげるのも、敢《あへ》て、咒詛《じゆそ》、怨靈《をんりやう》、執念《しふねん》のためばかりではない事《こと》を。  ……こゝに、をかしな事《こと》がある。みゝづくのあとへ鼠《ねずみ》が出《で》る。蛇《へび》のあとでさへなければ可《い》い。何《なん》のあとへ鼠《ねずみ》が出《で》ても、ちつとも差支《さしつかへ》はないのであるが、そのみゝづくが窓《まど》を離《はな》れて、第一《だいいち》のいてふへ飛移《とびうつ》つたと思《おも》ふ頃《ころ》、おなじガラス窓《まど》の上《うへ》の、眞片隅《まかたすみ》、ほとんど鋭角《えいかく》をなした所《ところ》で、トン、と音《おと》がする。……續《つゞ》いて、トン、と音《おと》がする。女《をんな》二人《ふたり》の眠《ねむ》つた天井裏《てんじやううら》を、トコ、トン、トコ、トン、トコ、トン、トコ、トン。はゝあ鼠《ねずみ》だ。が、大《おほ》げさではない、妙《めう》な歩行《ある》きかただ、と、誰方《どなた》も思《おも》はれようと考《かんが》へる。  お互《たがひ》に――お互《たがひ》は失禮《しつれい》だけれど、破屋《あばらや》の天井《てんじやう》を出《で》てくる鼠《ねずみ》は、忍《しの》ぶにしろ、荒《あ》れるにしろ、音《おと》を引《ひき》ずつて囘《まは》るのであるが、こゝのは――立《た》つて後脚《あとあし》で歩行《ある》くらしい。はてな、じつと聞《き》くと、小《ちひ》さな麻《あさ》がみしもでも着《き》て居《ゐ》さうだ、と思《おも》ふうち、八疊《はちでふ》に、私《わたし》の寢《ね》た上《うへ》あたりで、ひつそりとなる。一呼吸《ひといき》拔《ぬ》いて置《お》いて、唐突《だしぬけ》に、ばり/\ばり/\、びしり、どゞん、廊下《らうか》の雨戸外《あまどそと》のトタン屋根《やね》がすさまじく鳴響《なりひゞ》く。ハツと起《お》きて、廊下《らうか》へ出《で》た。退治《たいぢ》る氣《き》ではない、逃路《にげみち》を搜《さが》したのである。  屋根《やね》に、忍術《にんじゆつ》つかひが立《た》つたのでも何《なん》でもない。それ切《きり》で、第二《だいに》の銀杏《いてふ》にみゝづくの聲《こゑ》が冴《さ》えた。  更《さら》に人間《にんげん》に別條《べつでう》はない。しかし、おなじ事《こと》が三晩《みばん》續《つゞ》いた。刻限《こくげん》といひ、みゝづくの窓《まど》をのぞくのから、飛移《とびうつ》るあとをためて、天井《てんじやう》の隅《すみ》へトン、トコ、トン、トコ、トン――三晩《みばん》めは、娘《むすめ》も家内《かない》も三人《さんにん》起《お》き直《なほ》つて聞《き》いたのである。が、びり/\、がらん、どゞん、としても、もう驚《おどろ》かない。何事《なにごと》もないとすると、寢覺《ねざ》めのつれ/″\には面白《おもしろ》し、化鼠《ばけねずみ》。  どれ、これを手《て》づるに、鼠《ねずみ》をゑさに、きつね、たぬき、大《おほ》きくいへば、千倉《ちくら》ヶ|沖《おき》の海坊主《うみばうず》、幽靈船《いうれいぶね》でも釣《つり》ださう。  如何《いか》に、所《ところ》の人《ひと》はわたり候《さふらふ》か。――番頭《ばんとう》を呼《よび》だすも氣《き》の毒《どく》だ。手近《てぢか》なのは――閑靜期《かんせいき》とかで客《きやく》がないので、私《わたし》どもが一番《いちばん》の座敷《ざしき》だから――一番《いちばん》さん、受持《うけもち》の女中《ぢよちう》だが、……そも/\これには弱《よわ》つた。  旅宿《やど》に着《つ》いて、晩飯《ばんめし》と……お魚《さかな》は何《ど》ういふものか、と聞《き》いた、のつけから、「銀座《ぎんざ》のバーから來《き》たばかりですからねえ。」――「姉《ねえ》さん、向《むか》うに見《み》える、あの森《もり》は。」「銀座《ぎんざ》のバーから來《き》たばかりですからねえ。」うつかりして「海《うみ》へは何町《なんちやう》ばかりだえ。」「さあ、銀座《ぎんざ》のバーから來《き》たばかりですからねえ。」あゝ、修業《しゆげふ》はして置《お》く事《こと》だ。人《ひと》の教《をし》へを聞《き》かないで、銀座《ぎんざ》にも、新宿《しんじゆく》にも、バーの勝手《かつて》を知《し》らないから、旅《たび》さきで不自由《ふじいう》する。もつとも、後《のち》に番頭《ばんとう》の陳《ちん》じたところでは、他《た》の女中《ぢよちう》との詮衡上《せんかうじやう》、花番《はなばん》とかに當《あた》つたからださうである。が、ぶくりとして、あだ白《じろ》い、でぶ/\と肥《ふと》つた肉貫《にくかん》――(間違《まちが》へるな、めかたでない、)――肉感《にくかん》の第一人者《だいいちにんしや》が、地響《ぢひゞき》を打《う》つて、外房州《そとばうしう》へ入《はひ》つた女中《ぢよちう》だから、事《こと》が起《おこ》る。  たしか、三日目《みつかめ》が土曜《どえう》に當《あた》つたと思《おも》ふ。ばら/\と客《きやく》が入《はひ》つた。中《なか》に十人《じふにん》ばかりの一組《ひとくみ》が、晩《ばん》に藝者《げいしや》を呼《よ》んで、箱《はこ》が入《はひ》つた。申兼《まをしか》ねるが、廊下《らうか》でのぞいた。田舍《ゐなか》づくりの籠花活《かごはないけ》に、一寸《いつすん》(たつた)も見《み》える。内々《ない/\》一聲《ひとこゑ》ほとゝぎすでも聞《き》けようと思《おも》ふと、何《ど》うして……いとが鳴《な》ると立所《たちどころ》に銀座《ぎんざ》の柳《やなぎ》である。道頓堀《だうとんぼり》から糸屋《いとや》の娘《むすめ》……女朝日奈《をんなあさひな》の島《しま》めぐりで、わしが、ラバさん酋長《しうちやう》の娘《むすめ》、と南洋《なんやう》で大氣焔《だいきえん》。踊《をど》れ、踊《をど》れ、と踊《をど》り囘《まは》つて、水戸《みと》の大洗節《おほあらひぶし》で荒《あ》れるのが、殘《のこ》らず、銀座《ぎんざ》のバーから來《き》た、大女《おほをんな》の一人藝《ひとりげい》で。……醉《よ》つた、食《く》つた、うたつた、踊《をど》つた。宴席《えんせき》どなりの空部屋《あきべや》へ轉《ころ》げ込《こ》むと、ぐたりと寢《ね》たが、したゝか反吐《へど》をついて、お冷水《ひや》を五杯《ごはい》飮《の》んだとやらで、ウイーと受持《うけもち》の、一番《いちばん》さんへ床《とこ》を取《と》りに來《き》て、おや、旦那《だんな》は醉《よ》つて轉《ころ》げてるね、おかみさん、つまんで布團《ふとん》へ載《の》つけなさいよ。枕《まくら》もとの煙草盆《たばこぼん》なんか、娘《むすめ》さんが手傳《てつだ》つてと、……あゝ、私《わたし》は大儀《たいぎ》だ。」「はい。」「はい。」と女《をんな》どもが、畏《かしこ》まると、「翌日《あした》は又《また》おみおつけか。オムレツか、オートミルでも取《と》ればいゝのに。ウイ……」廊下《らうか》を、づし/\歩行《ある》きかけて、よた/\と引返《ひきかへ》し「おつけの實《み》は何《なん》とかいつたね。さう、大根《だいこん》か。大根《だいこん》、大根《だいこん》、大根《だいこん》でセー」と鼻《はな》うたで、一《ひと》つおいた隣座敷《となりざしき》の、男《をとこ》の一人客《ひとりきやく》の所《ところ》へ、どしどしどしん、座《すわ》り込《こ》んだ。「何《なに》をのんびりしてるのよ、あはゝゝは、ビールでも飮《の》まんかねえ。」前代未聞《ぜんだいみもん》といツつべし。  宴會客《えんくわいきやく》から第一《だいいち》に故障《こしやう》が出《で》た、藝者《げいしや》の聲《こゑ》を聞《き》かないさきに線香《せんかう》が切《き》れたのである。女中《ぢよちう》なかまが異議《いぎ》をだして、番頭《ばんとう》が腕《うで》をこまぬき、かみさんが分別《ふんべつ》した。翌日《よくじつ》、鴨川《かもがは》とか、千倉《ちくら》とか、停車場前《ていしやぢやうまへ》のカフエーへ退身《たいしん》、いや、榮轉《えいてん》したさうである。寧《むし》ろ痛快《つうくわい》である。東京《とうきやう》うちなら、郡部《ぐんぶ》でも、私《わたし》は訪《たづ》ねて行《い》つて、飮《の》まうと思《おも》ふ。  といつたわけで……さしあたり、たぬきの釣《つり》だしに間《ま》に合《あ》はず、とすると、こゝに當《たう》朝日新聞《あさひしんぶん》のお客分《きやくぶん》、郷土學《きやうどがく》の總本山《そうほんざん》、内々《ない/\》ばけものの監査取《かんさとり》しまり、柳田《やなぎだ》さん直傳《ぢきでん》の手段《しゆだん》がある。直傳《ぢきでん》が行《い》きすぎならば、模倣《もはう》がある。  土地《とち》の按摩《あんま》に、土地《ところ》の話《はなし》を聞《き》くのである。 「――木菟《みゝづく》……木菟《みゝづく》なんか、あんなものは……」  いきなり麻《あさ》がみしもの鼠《ねずみ》では、いくら盲人《まうじん》でも付合《つきあ》ふまい。そこで、寢《ね》ころんで居《ゐ》て、まづみゝづくの目金《めがね》をさしむけると、のつけから、ものにしない。 「直《ね》になりませんな、つかまへたつて食《く》へはせずぢや。」  あつ氣《け》に取《と》られたが、しかし悟《さと》つた。……嘗《かつ》て相州《さうしう》の某温泉《ぼうをんせん》で、朝夕《あさゆふ》ちつともすゞめが居《ゐ》ないのを、夜分《やぶん》按摩《あんま》に聞《き》いて、歎息《たんそく》した事《こと》がある。みんな食《く》つてしまつたさうだ。「すゞめ三羽《さんば》に鳩《はと》一羽《いちは》といつてね。」と丁《ちやん》と格言《かくげん》まで出來《でき》て居《ゐ》た。それから思《おも》ふと、みゝづくを以《もつ》て、忽《たちま》ち食料問題《しよくれうもんだい》にする土地《とち》は人氣《にんき》が穩《おだや》かである。 「からすの方《はう》がましぢやね、無駄鳥《むだどり》だといつても、からすの方《はう》がね、あけの鐘《かね》のかはりになるです、はあ、あけがらすといつてね。時《とき》にあんた方《がた》はどこですか。東京《とうきやう》かね――番町《ばんちやう》――海水浴《かいすゐよく》、避暑《ひしよ》にくる人《ひと》はありませんかな。……この景氣《けいき》だから、今年《ことし》は勉強《べんきやう》ぢやよ。八疊《はちでふ》に十疊《じふでふ》、眞新《まあたら》しいので、百五十圓《ひやくごじふゑん》の所《ところ》を百《ひやく》に勉強《べんきやう》するですわい。」  大《おほ》きな口《くち》をあけて、仰向《あふむ》いて、 「七八九、三月《みつき》ですが、どだい、安《やす》いもんぢやあろ。」  家内《かない》が氣《き》の毒《どく》がつて、 「たんと山《やま》がありますが、たぬきや、きつねは。」 「じよ、じようだんばかり、直《ね》が安《やす》いたつて、化物屋敷《ばけものやしき》……飛《と》んでもない、はあ、えゝ、たぬき、きつね、そんなものは鯨《くぢら》が飮《の》んでしまうた、はゝは。いかゞぢや、それで居《ゐ》て、二階《にかい》で、臺所《だいどころ》一切《いつさい》つき、洗面所《せんめんじよ》も……」  喟然《きぜん》として私《わたし》は歎《たん》じた。人間《にんげん》は斯《そ》の徳《とく》による。むかし、路次裏《ろじうら》のいかさま宗匠《そうしやう》が、芭蕉《ばせを》の奧《おく》の細道《ほそみち》の眞似《まね》をして、南部《なんぶ》のおそれ山《やま》で、おほかみにおどされた話《はなし》がある。柳田《やなぎだ》さんは、旅籠《はたご》のあんまに、加賀《かが》の金澤《かなざは》では天狗《てんぐ》の話《はなし》を聞《き》くし、奧州《あうしう》飯野川《いひのがは》の町《まち》で呼《よ》んだのは、期《き》せずして、同氏《どうし》が研究《けんきう》さるゝ、おかみん、いたこの亭主《ていしゆ》であつた。第一《だいいち》儼然《げんぜん》として絽《ろ》の紋付《もんつき》を着《き》たあんまだといふ、天《てん》の授《さづ》くるところである。  みゝづくで食《しよく》を論《ろん》ずるあんまは、容體《ようだい》倨然《きよぜん》として、金貸《かねかし》に類《るゐ》して、借家《しやくや》の周旋《しうせん》を強要《きやうえう》する……どうやら小金《こがね》でその新築《しんちく》をしたらしい。  女教員《ぢよけうゐん》さんのシヤンを覗《のぞ》いて、戸《と》だなで、ゴツンの量見《りやうけん》だから、これ、天《てん》の戒《いまし》むる所《ところ》であらう。  但《たゞ》、いさゝか自《みづか》ら安《やす》んずる所《ところ》がないでもないのは、柳田《やなぎだ》さんは、身《み》を以《もつ》てその衝《しよう》に當《あた》るのだが、私《わたし》の方《はう》は間接《かんせつ》で、よりに立《た》つた格《かく》で、按摩《あんま》に上《かみ》をもませて居《ゐ》るのは家内《かない》で、私《わたし》は寢《ね》ころんで聞《き》くのである。ご存《ぞん》じの通《とほ》り、品行方正《ひんかうはうせい》の點《てん》は、友《とも》だちが受合《うけあ》ふが、按摩《あんま》に至《いた》つては、然《しか》も斷《だん》じて處女《しよぢよ》である。錢湯《せんたう》でながしを取《と》つても、ばんとうに肩《かた》を觸《さは》らせた事《こと》さへない。揉《もむ》ほどの手《て》つきをされても、一《ひと》ちゞみに縮《ちゞ》み上《あが》る……といつただけでもくすぐつたい。このくすぐつたさを處女《しよぢよ》だとすると、つら/\惟《おもんみ》るに、媒灼人《なかうど》をいれた新枕《にひまくら》が、一種《いつしゆ》の……などは、だれも聞《き》かないであらうか、なあ、みゝづく。……  鳴《な》いて居《ゐ》る……二時半《にじはん》だ。……やがて、里見《さとみ》さんの眞向《まむか》うの大銀杏《おほいてふ》へ來《く》るだらう。  みゝづく、みゝづく。苗屋《なへや》が賣《う》つた朝顏《あさがほ》も、もう咲《さ》くよ。  夕顏《ゆふがほ》には、豆府《とうふ》かな――茄子《なすび》の苗《なへ》や、胡瓜《きうり》の苗《なへ》、藤豆《ふぢまめ》、いんげん、さゝげの苗《なへ》――あしたのおつけの實《み》は…… [#地から5字上げ]昭和六年八月 底本:「鏡花全集 巻二十七」岩波書店    1942(昭和17)年10月20日第1刷発行    1988(昭和63)年11月2日第3刷発行 初出:「東京朝日新聞 第一六二五六号〜第一六二六一号」東京朝日新聞社    1931(昭和6)年8月2日〜7日 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 ※「形」に対するルビの「かた」と「かたち」の混在は、底本の通りです。 ※表題は底本では、「木菟《みゝづく》俗見《ぞくけん》」となっています。 ※題名の下にあった年代の注を、最後に移しました。 入力:門田裕志 校正:岡村和彦 2017年10月30日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。