眞夏の梅 泉鏡太郎 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)梅《うめ》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数) (例)𢌞 /\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号) (例)そろ/\ *濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」 -------------------------------------------------------  梅《うめ》や漬梅《つけうめ》――梅《うめ》や漬梅《つけうめ》――は、……茄子《なすび》の苗《なへ》や、胡瓜《きうり》の苗《なへ》、……苗賣《なへうり》の聲《こゑ》とは別《べつ》の意味《いみ》で、これ、世帶《しよたい》の夏《なつ》の初音《はつね》である。さあ、そろ/\梅《うめ》を買《か》はなくては、と云《い》ふ中《うち》にも、馴染《なじみ》の魚屋《さかなや》、八百屋《やほや》とは違《ちが》つて、此《こ》の振賣《ふりうり》には、値段《ねだん》に一寸《ちよつと》掛引《かけひき》があつて、婦《をんな》たちが、大分《だいぶ》外交《ぐわいかう》を要《えう》する。……去年《きよねん》買《か》つたのが、もう今《いま》に來《く》るだらう、あの聲《こゑ》か、その聲《こゑ》か、と折《をり》から降《ふ》りみ降《ふ》らずみの五月雨《さみだれ》に、きいた風流《ふうりう》ではないが、一《いつ》ぱし、聲《こゑ》のめきゝをしよう量見《りやうけん》が、つい、ものに紛《まぎ》れて、うか/\と日《ひ》が經《た》つと、三聲《みこゑ》四聲《よこゑ》、一日《いちにち》に幾度《いくたび》も續《つゞ》いたのが、ばつたり來《こ》なくなる。うつかりすると、もう間《ま》に合《あ》はない。……だら/\急《きふ》で、わざ/\八百屋《やほや》へ註文《ちうもん》して取寄《とりよ》せる時分《じぶん》には、青紅《せいこう》、黄青《くわうせい》、それは可《よし》、皺《しわ》んで堅《かた》いのなど、まじりに成《な》つて、粒《つぶ》は揃《そろ》つても質《しつ》が亂《みだ》れる。然《しか》も、これだと梅《うめ》つける行事《ぎやうじ》が、奧樣《おくさま》、令夫人《れいふじん》のお道樂《だうらく》に成《な》つて、取引《とりひき》がお安《やす》くは參《まゐ》らない。お慰《なぐさ》みに遊《あそ》ばす、お臺所《だいどころ》ごつことは違《ちが》ふから、何《なん》でも、早《はや》い時《とき》、「たかいぢやないかね、お前《まへ》さん、」で、少々《せう/\》腕《うで》まくりで談判《だんぱん》する、おつかあ、山《やま》のかみの意氣《いき》でなくては不可《いけな》い。で、億劫《おつくふ》だから買《か》ひはぐす事《こと》が毎度《まいど》ある。それに、先《せん》と違《ちが》つて、近頃《ちかごろ》では、其《そ》の早《はや》いうちに用意《ようい》をしても、所々《しよ/\》の寄《よ》せあつめもの、樹《き》の雜種《ざつしゆ》が入交《いりまじ》つて、紅黄《こうくわう》、青玉《せいぎよく》の如《ごと》くあるべきが、往々《わう/\》にして烏合《うがふ》の砂利《じやり》なるが少《すくな》くない。久《ひさ》しい以前《いぜん》、逗子《づし》に居《ゐ》た時《とき》、坂東《ばんどう》二番《にばん》の靈場《れいぢやう》、岩殿寺《いはとのでら》觀世音《くわんぜおん》の庵《いほり》の梅《うめ》を分《わ》けて貰《もら》つた事《こと》がある。圓澤《ゑんたく》、光潤《くわうじゆん》、傳《つた》へきく豐後梅《ぶんごうめ》と云《い》ふのが此《これ》だらうと思《おも》ふ名品《めいひん》であつた。旅行《たび》して見《み》るに、すべて、京阪地《けいはんち》は梅《うめ》が佳《よ》い。南地《なんち》の艷《つや》の家《や》といふので、一座《いちざ》の客《きやく》は、折《をり》からの肉羹《ちり》に添《そ》へて、ぎうひ昆布《こぶ》で茶漬《ちやづ》るのに、私《わたし》は梅干《うめぼし》を頼《たの》んだが、實《まこと》に佳品《かひん》で、我慢《がまん》ではない、敢《あへ》て鯛《たひ》の目《め》を羨《うらや》まなかつた。場所《ばしよ》がらの事《こと》だし、或《あるひ》は漬《つけ》もの屋《や》から臨時《りんじ》に取寄《とりよ》せたものかも知《し》れないが、紅潤《こうじゆん》にして、柔軟《じうなん》、それで舌《した》にねばらない。瓶詰《びんづめ》ものの、赤《あか》い汁《しる》がばしやばしやと溢《あふ》れて、噛《か》むとガリヽと來《き》て、肉《み》と核《たね》との間《あひだ》から生暖《なまぬる》い水《みづ》の、ちゆうと垂《た》れるのとは撰《たて》が違《ちが》ふ。京都《きやうと》大宮通《おほみやどほり》お池《いけ》の舊家《きうか》、小川旅館《をがはりよくわん》のも、芳香《はうかう》尚《な》ほ一層《いつそう》の名品《めいひん》であつた。東北地方《とうほくちはう》のは多《おほ》く乾《から》びて堅《かた》い。汽車《きしや》の輕井澤《かるゐざは》の辨當《べんたう》には、御飯《ごはん》の上《うへ》に、一粒《ひとつぶ》梅干《うめぼし》が載《の》せてある。小《ちひ》さくて堅《かた》い、が清《きよ》く潔《いさぎよ》い事《こと》に異論《いろん》はない。最《もつと》もつい通《とほ》りの旅人《たびびと》が、道中《だうちう》で味《あぢは》ふのは、多《おほ》くは賣品《ばいひん》である。すべて香《かう》のものの中《なか》にも、梅《うめ》は我《わ》が家《や》に於《おい》て漬《つ》けるのを、色香《しきかう》ともに至純《しじゆん》とする。  うろ覺《おぼ》えの、食鑑曰《しよくかんにいはく》。―― [#ここから4字下げ] 凡梅干者《およそうめぼしは》。上下日用之供《しやうかにちようのぐ》、上有鹽梅相和義《かみにえんばいあひわするのぎあり》。下有收蓄貨殖之利而《しもにしうちくくわしよくのりありて》。不可無者也《なくんばあるべからざるものなり》。至其清氣逐邪之性《そのせいきじやをおふのせいにいたつては》。以可通清明《もつてせいめいにつうずべし》。 [#ここで字下げ終わり]  含《ふく》めば霧《きり》を桃色《もゝいろ》に披《ひら》いて、月《つき》にも紅《くれなゐ》が照添《てりそ》はう。さながら、食中《しよくちう》の紅玉《ルビイ》、珊瑚《さんご》である。  またそれだけに、梅《うめ》を漬《つ》けるのは、手輕《てがる》に、胡瓜《きうり》、茄子《なす》、即席《そくせき》、漬菜《つけな》のやうには行《い》かない。最《もつと》も、婦人《ふじん》は身《み》だしなみ、或場合《あるばあひ》つゝしみを要《えう》する、と心《こゝろ》あるものは戒《いまし》める。蓋《けだ》し山妻《さんさい》野娘《やぢやう》のうけたまはる處《ところ》、――モダンの淑女《しゆくぢよ》たちが漫《そゞ》ろに手《て》をつけたまふべきものではない。何《なに》も意固地《いこぢ》に鼻《はな》の先《さき》ばかり白《しろ》うして、爪《つめ》の垢《あか》が黒《くろ》いからとは言《い》はない。ちやんと清《きよ》めてかゝらないと、汗《あせ》、膏《あぶら》はおろかな事《こと》、香水《かうすゐ》、白粉《おしろい》の指《ゆび》をそのまゝに、梅《うめ》の實《み》を洗《あら》つて、鹽《しほ》を淹《お》した桶《をけ》の中《なか》へ觸《ふ》れると、立處《たちどころ》に黴《かび》が浮《う》く。斷髮《だんぱつ》もじやもじやの拔毛《ぬけげ》を落《おと》すこと憚《はゞか》るべく、バタ臭《くさ》い手《て》などが入《はひ》ると、忽《たちま》ち藻《も》が朽《く》ちたやうに濁《にご》つて、甚《はなはだ》しき敗《くされ》に及《およ》ぶ。……  だから、梅《うめ》漬《つ》けると言《い》へば、髮《かみ》も梳《くしけづ》り、沐浴《ゆあみ》もし、身《み》を清《きよ》めて、たゞ躾《たしなみ》は薄化粧《うすげしやう》か。友禪《いうぜん》か紅《あか》い襷《たすき》。……いづれ暑《あつ》い頃《ころ》の事《こと》だから、白地《しろぢ》、瓶《かめ》のぞきの姉《ねえ》さんかぶりの姿《すがた》を思《おも》はせて、田植《たうゑ》をはじめ、蠶飼《こかひ》、茶摘《ちやつみ》の風情《ふぜい》とは又《また》異《ことな》つた、清楚《せいそ》な風情《ふぜい》を偲《しの》ばせる。……昔《むかし》からの俳句《はいく》にも、町家《ちやうか》の行事《ぎやうじ》の恁《か》うした景趣《けいしゆ》が多《おほ》いのである。  ――内《うち》では、此《こ》の二三年《にさんねん》、伊豆《いづ》の修善寺《しゆぜんじ》にたよりがあるので、新井《あらゐ》に頼《たの》んで、土地《とち》の梅林《ばいりん》の梅《うめ》を取寄《とりよ》せる。粒《つぶ》はやゝ小《ちひさ》いが、肉《み》厚《あつ》く、皮《かは》薄《うす》く、上品《じやうひん》とする。よく洗《あら》つて、雫《しづく》を切《き》つて、桶《をけ》に入《い》れ、鹽《しほ》にする。日《ひ》を經《へ》て、水《みづ》の上《あが》つた處《ところ》で、深《ふか》く蔽《おほ》つた蓋《ふた》を拂《はら》ふと、つらりと澄《す》み切《き》つた水《みづ》の其《そ》の清《きよ》さ、綺麗《きれい》さよ。ひやりと冷《つめた》く、いゝ薫《かをり》が、ぱつとして、氷室《ひむろ》を出《い》でた白梅《しらうめ》の粧《よそほひ》である。 「御覽《ごらん》なさい、今年《ことし》もよく漬《つか》りました。」  此《こ》の時《とき》ばかりは、みそかに濁《にご》る顏《かほ》でなく、女房《にようばう》の色《いろ》も澄《す》んでゐる。 「いや、ありがたう。」  野郎《やらう》どのも、一歩《いつぽ》を讓《ゆづ》つて、女房《にようばう》の背中《せなか》から、及腰《およびごし》に拜見《はいけん》する。何《ど》うも意地《いぢ》ぎたなに、おつまなどと、桶《をけ》の縁《ふち》へも觸《ふ》れかねる。くれ/″\も、内證《ないしよう》で撮《つま》むべからずと、懇談《こんだん》に及《およ》ばれて居《ゐ》た女中《ぢよちう》も、禁《きん》が解《と》けて、吻《ほつ》として、 「まあ、おいしさうでございますこと。」  と世辭《せじ》を言《い》ふ。  煤《すゝ》けた屋根裏《やねうら》で、鶯《うぐひす》が鳴《な》きさうな氣《き》もするのである。  これから紫蘇《しそ》に合《あ》はして置《お》いて、土用《どよう》の第一《だいいち》の丑《うし》の日《ひ》を待《ま》つて、はじめて、日《ひ》に乾《ほ》すのが、一般《いつぱん》の仕來《しきた》りに成《な》つて居《ゐ》る。大抵《たいてい》いゝ工合《ぐあひ》に、其《そ》の頃《ころ》は照《てり》が續《つゞ》く。暑《あつ》い/\と言《い》ふうちに、此《こ》の日《ひ》は、炎天《えんてん》、大暑《たいしよ》、極暑《ごくしよ》、日盛《ひざかり》と、字《じ》で見《み》ても、赫《かつ》と目《め》の眩《くら》むやうなのが却《かへつ》て頼《たの》もしい。吹《ふ》きさらし……何《ど》うも些《ち》と吹《ふ》きさらしは可笑《をかし》いけれども、日光直射《につくわうちよくしや》などと言《い》ふより、吹《ふ》きさらしの方《はう》が相應《ふさは》しい……二階《にかい》の物干《ものほし》が苦《く》に成《な》らない。 「いゝ色《いろ》だなあ。」  芳紅《はうこう》にして、鮮潤也《せんじゆんなり》。思《おも》はず唇《くちびる》に蜜《みつ》を含《ふく》むで、 「すてき/\。」  と又《また》こゝでも一歩《いつぽ》を讓《ゆづ》つて、裏窓《うらまど》から覗《のぞ》くと、目《め》を射《い》る、炎天《えんてん》の物干《ものほし》では、あまり若《わか》くはないが、姉《あね》さん被《かぶ》りで、笊《ざる》に上《あ》げたのを一《ひと》つ一《ひと》つ、眞紅《しんく》の露《つゆ》の垂《た》る處《ところ》を、青《あを》いすだれに並《なら》べて居《ゐ》る。  無論《むろん》、夕立《ゆふだち》は禁物《きんもつ》だが、富士《ふじ》から、筑波《つくば》から、押上《おしあ》げる凄《すさま》じい雲《くも》の峰《みね》も、梅《うめ》を干《ほ》すには、紫《むらさき》の衝立《ついたて》、墨繪《すみゑ》の雪《ゆき》の屏風《びやうぶ》に見《み》えて、颯《さつ》と一面《いちめん》の紅《くれなゐ》は、烙《あぶ》られつゝも高山《かうざん》のお花畑《はなばたけ》の、彩霰《さいさん》、紅氷《こうひよう》の色《いろ》を思《おも》はせる。  見《み》る目《め》も潔《いさぎよ》く、邪《じや》を拂《はら》つて、蚊《か》も、蟆子《ぶよ》も近《ちか》づかない。――蜂《はち》は赤《あか》く驚《おどろ》き、蝶《てふ》は白《しろ》く猶豫《ためら》ふ。が、邪惡《じやあく》を蠢《うごめ》かす蠅《はへ》だけは、此《こ》の潔純《けつじゆん》にも遠慮《ゑんりよ》しない。隙《すき》を狙《ねら》つてはブーンと來《き》て、穢濁《あいだく》を揉《も》みつけること、御存《ごぞん》じの如《ごと》しだから、古式《こしき》には合《かな》はないが、並《なら》べた上《うへ》へ、もう一重《ひとへ》、白《しろ》い布《ぬの》を一杯《いつぱい》に蔽《おほ》ふ事《こと》にして居《ゐ》る。たゞし蠅《はへ》は、布《ぬの》の上《うへ》へ、平氣《へいき》で留《と》まつて、布《ぬの》の目越《めご》しに、無慚《むざん》に梅《うめ》の唇《くちびる》を吸《す》ふのである。  家内《かない》が工風《くふう》して、物干《ものほし》の横木《よこぎ》から横木《よこぎ》へ、棹竹《さをだけ》を渡《わた》して、絲《いと》を提《さ》げて、團扇《うちは》をうつむけに、柄《え》を結《むす》んで、梅《うめ》を干《ほ》した上《うへ》へ掛《か》ける事《こと》にした。 「では、頼《たの》みましたよ。」  此《これ》をはじめてから、最《も》う三四年《さんよねん》馴染《なじみ》だから、つい心安《こゝろやす》だてに、口《くち》を利《き》いて、すつかり、支度《したく》を爲澄《しす》ましたあとを、手《て》を離《はな》して、とんと窓《まど》を疊《たゝみ》へ下《お》りる、と、もう團扇子《うちはし》は飜然《ひらり》と動《うご》く。  ひらりと動《うご》いて、すつ/\と、右左《みぎひだり》へ大《おほ》きく捌《さば》けて、一《ひと》つくる/\と𢌞《まは》るかと思《おも》ふと、眞中《まんなか》でスーツと留《と》まつて、又《また》ひらりと翻《かへ》る。 「うまいよ。」  などと、給金《きふきん》の出《で》ない一枚看板《いちまいかんばん》だから、頻《しきり》に賞《ほ》めて、やがて又《また》洗濯《せんたく》もののしきのしなんかに、とん/\と下階《した》へ下《お》りて行《ゆ》く。いや、あとは勝手放題《かつてはうだい》。…‥[#「…‥」はママ]ふら/\、ひよい/\、ひよい、ばさ/\、ばさ、ぱツぱツと、働《はたら》く、働《はたら》く。風《かぜ》が吹添《ふきそ》はうものなら、ぽん/\ぽんと飛《と》んで、干棹《ほしざを》を横《よこ》ばたきに、中空《なかぞら》へツツと上《あが》つて、きり/\きり/\と舞流《まひなが》しに流《なが》れて戻《もど》り、スツと下《お》りて、又《また》ひら/\と舞《ま》ひ上《あが》り、ポンとはずんで、きり/\きりと舞《ま》つて來《く》る。舞《ま》ひ上《あが》るかとすれば舞《ま》ひ下《お》りる。ともすれば柄《え》を尾《を》に卷《ま》いて、化鳥《けてう》の羽搏《はたゝ》く如《ごと》く、或《あるひ》は、大《おほき》く鰭《ひれ》を伸《の》して、怪魚《くわいぎよ》の状《さま》してゆらりと泳《およ》ぐ。如何《いか》に油旱《あぶらでり》だと云《い》つても物乾《ものほし》だから風《かぜ》はある。そよりとも、また吹《ふ》かない時《とき》も、梅《うめ》の香《か》の立《た》つかと思《おも》ふばかり、團扇《うちは》は、ふは/\と、搖《ゆ》れて居《ゐ》る。  風《かぜ》はおのづから律《りつ》をなして、その狂《くる》ひかた、舞《ま》ひぶりは、なまじつかなダンスより遙《はるか》におもしろい。且《かつ》は毒蟲《どくむし》を拂《はら》ふのである。私《わたし》は、疊《たゝみ》二疊《にでふ》ばかり此方《こつち》に、安價《あんか》な籐椅子《とういす》に、枕《まくら》から摺下《ずりさが》つて、低《ひく》い處《ところ》で、腰《こし》を掛《か》けて、ひとりで莞爾々々《にこ/\》して今年《ことし》も見《み》て居《ゐ》た。氣味《きみ》を惡《わる》がつては不可《いけな》い。斷《だん》じて家内《かない》の工夫《くふう》に就《つ》いてでない、團扇《うちは》の風《かぜ》の舞振《まひぶり》である。  去年《きよねん》であつた。……をかしかつたのは、馴染《なじみ》の雀《すゞめ》で。……親《おや》たちから、まだ申傳《まをしつたへ》がなかつたと見《み》える。物干《ものほし》の下《した》に小屋根《こやね》を隔《へだ》てた、直《す》ぐ其《そ》の板塀《いたべい》の笠木《かさぎ》へ、朝《あさ》から――これで四五度《しごど》めの御馳走《ごちそう》をしめに來《き》た七八羽《しちはちは》の仔雀《こすゞめ》が、其《そ》の年《とし》の最初《はな》の事《こと》だから、即《すなは》ち土用《どよう》の丑《うし》の日《ひ》。團扇《うちは》がひら/\ひらと舞《ま》ふと、ばつと音《おと》を立《た》てて飛上《とびあが》つた [#「飛上つた 」はママ]慌《あわ》てたのは、塒《ねぐら》の枇杷《びは》の樹《き》へましぐらに飛《と》んだし、中《ちう》くらゐなのは、路次裏《ろぢうら》の棟瓦《むねがはら》へ高《たか》く遁《に》げる、一寸《ちよつと》落着《おちつ》いたのが、其《そ》の廂《ひさし》へ縋《すが》つた。はずんで、電信柱《でんしんばしら》の素天邊《すてつぺん》へ驅上《かけあが》つて、きよとんとして留《と》まつて見《み》て居《ゐ》たのがある。遁足《にげあし》は見事《みごと》だが、いづれも食《くひ》しん坊《ばう》だから、いつまでも我慢《がまん》が出來《でき》ない。見《み》るうちに、しばらくすると、ばら、ばら/\、ちよん/\と寄《よ》せて來《き》て、笠木《かさぎ》の向《むか》う上《うへ》に、其《そ》の裏家《うらや》の廂《ひさし》の樋竹《とひだけ》に半分《はんぶん》潛《ひそ》んで、づらりと並《なら》んで、横《よこ》におしたり、押《お》しかへしたり、てんでに、圓《まる》い頬邊《ほつぺた》、かはいゝ嘴《くちばし》を出《だ》して尖《と》がらかつて、お飯粒《まんまつぶ》と、翩翻《へんぽん》たる團扇《うちは》とを等分《とうぶん》に窺《うかゞ》つた。  家内《かない》が笑《わら》ひながら見《み》て居《ゐ》た。 「可恐《こは》くはないんだよ。」 「馬鹿《ばか》だな、此奴等《こいつら》、此《こ》の野郎《やらう》たち。」  娘《むすめ》も、いやお孃《ぢやう》さんも交《まじ》つては居《ゐ》るのだらうが、情《なさけ》ない事《こと》にお邸《やしき》の手飼《てがひ》でない。借家《しやくや》の野放《のばな》しだから、世《よ》につれて、雀《すゞめ》も自《おのづ》から安《やす》つぽい。野郎《やらう》よばはりをして、おたべ、と云《い》つても、きよろ/\して居《ゐ》る。  勇悍《ゆうかん》なのが一羽《いちは》――不思議《ふしぎ》に年々《ねん/\》大膽《だいたん》なのが一羽《いちは》だけ屹《きつ》と居《ゐ》る――樋《とひ》を、ちよんと出《で》たと思《おも》ふと、物干《ものほし》と摺《す》れ/\に立《た》つた隣屋《となり》の背戸《せど》なる、ラジオの、恁《か》う撓《しな》つた竹棹《たけざを》へ、ばツと付《つ》いて、羽《はね》で抱《だ》くやうに留《とま》つたが、留《とま》つて、しばらくして、する/\と、段々《だん/\》に上《うへ》へ傳《つた》つて、最《もつと》も近《ちか》い距離《きより》から、くる/\と舞《ま》ひ、ぱつ/\と躍《をど》る團扇《うちは》に、熟《じつ》と目《め》を据《す》ゑて、毛《け》が白《しろ》く見《み》ゆるまで、ぐいと、ありつたけ細《ほそ》く頸《くび》を伸《の》ばした。  處《ところ》へ、ポンとはずんだ團扇《うちは》の面《おもて》に、ハツと笑《わら》つた、私《わたし》たちの聲《こゑ》を流眄《ながしめ》に、忽《たちま》ち、チチツと鳴《な》いて、羽波《はなみ》を大《おほ》きく、U《ユウ》を描《ゑが》いて、樋竹《とひだけ》を切《き》つて飛《と》ぶと、悠然《いうぜん》と笠木《かさぎ》の餌《ゑ》に下《お》りた。  連《つ》れて集《つど》つたのは言《い》ふまでもない。  今年《ことし》は、初《はじ》めから、平氣《へいき》で居《ゐ》る。時々《とき/″\》團扇《うちは》を上下《うへした》に、チチツと鳴《な》いて遊《あそ》んで居《ゐ》る。  ……いや、面白《おもしろ》い。暑《あつ》さを忘《わす》れる。……何《ど》うかすると、飛《と》びすぎ、舞《ま》ひすぎに、草臥《くたび》れたやうに、短《みじか》く絲《いと》を卷《ま》いて、團扇子《うちはし》、小廂《こびさし》に乘《の》つて、休《やす》んで居《ゐ》る時《とき》がある。 「御苦勞《ごくらう》でした、また明日《みやうにち》。……」  實際《じつさい》、見《み》て居《ゐ》て氣《き》の毒《どく》に成《な》るほど、くる/\きり/\、ポンと飛《と》び、颯《さつ》と飜《かへ》つて、すき間《ま》なく、よく働《はたら》く。式亭三馬《しきていさんば》、製《せい》する處《ところ》の、風見《かざみ》の烏《からす》の、高《たか》く留《とま》つて、――ぶら/\と氣散《きさん》じスで、町《まち》を行《ゆ》く美婦《たぼ》を見《み》て樂《たのし》みながら、笄《かうがい》の値《ね》ぶみをする、不良《ふりやう》な奴《やつ》さへ、いたづら小僧《こぞう》に尾《を》を折《を》つぺしよられたと聞《き》けば、痛《いた》さうだし、夕風《ゆふかぜ》が吹《ふ》いて來《き》て――さあ/\さあ、俺《おら》は此《これ》からが忙《いそが》しい、アレ/\アレ又《また》吹《ふ》いて來《き》た、とくるりと𢌞《まは》つて、あゝ、又《また》くるりと𢌞《まは》るのさへ、氣《き》の毒《どく》らしいのに――  藤《ふぢ》のを使《つか》つた事《こと》がある。繪《ゑ》によつては、いた/\しい……遠慮《ゑんりよ》して今年《ことし》は、町《まち》の消防頭《かしら》の配《くば》つた水車《みづぐるま》の繪《ゑ》を使《つか》つた。物干《ものほし》にぱつと威勢《ゐせい》よく、水玉《みづたま》の露《つゆ》を飛《と》ばす。  梅《うめ》を干《ほ》さない時《とき》も……月夜《つきよ》など嘸《さぞ》と思《おも》ふ。私《わたし》は夜《よ》どほし此《こ》の團扇《うちは》を、物干《ものほし》に飛《と》ばして居《ゐ》たい。――もの知《しり》が不可《いけな》い、と言《い》ふ。 「魔《ま》がさしさうだから。――」  成程《なるほど》。……かりに、團扇《うちは》の繪《ゑ》を女《をんな》の大首《おほくび》にでもして見《み》るか、ばアと窓《まど》から覗《のぞ》きもしようし、雲《くも》暗《くら》ければ髮《かみ》も散《ち》らさう。  ――のりつけほうほう――  町内《ちやうない》の、あの、大銀杏《おほいてふ》で、眞夜中《まよなか》に梟《ふくろふ》が鳴《な》くと、 「誰《だれ》さ?……」  と、ぴたりと、靜《しづか》に其《そ》の團扇《うちは》の面《かほ》を。……稻妻《いなづま》遠《とほ》き、物干《ものほし》にて。……  もしそれ、振袖《ふりそで》をきせて、二三枚《にさんまい》、花野《はなの》に立《た》たせて見《み》るが可《い》い、團扇《かのをんな》は人《ひと》を呼《よ》ぶであらう。 [#地から5字上げ]大正十五年九月 底本:「鏡花全集 巻二十七」岩波書店    1942(昭和17)年10月20日第1刷発行    1988(昭和63)年11月2日第3刷発行 初出:「女性 第十巻第三号」プラトン社    1926(大正15)年9月1日 ※表題は底本では、「眞夏《まなつ》の梅《うめ》」となっています。 ※題名の下にあった年代の注を、最後に移しました。 ※「團扇」に対するルビの「うちは」と「かのをんな」の混在は、底本の通りです。 入力:門田裕志 校正:岡村和彦 2024年8月9日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。