死線を越えて ―太陽を射るもの― 賀川豊彦 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)誤謬《あやまり》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)当時|琺瑯鍋《はうらうなべ》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数) (例)茰 /\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号) (例)ぶり/\ *濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」 ------------------------------------------------------- [#7字下げ]一[#「一」は中見出し]  検事審問室は静かであつた。  その室は白壁を塗つた、無風流なものであつたが、栄一はそれをあまり気にもしなかつた。彼は一時間以上そこで待たされた。生憎、書物も何にも持たずに来たものだから、その間彼は冥想と祈りに費した。  東向の窓は大きな硝子張のものであるが、日あたりの悪い故か、何となしに陰気であつた。窓の向うに赤煉瓦三階立の検事詰所が見える。  何人かの検事や書記が繁く出入をして居る。そこには、人を罰することを専門にして居る検事が毎日詰めて居るのだと思ふと淋しい感じがする。  呼び出しの小使が一寸覗いて通る。栄一は天井の煤けた斑点や、蜘蛛の巣のかゝつた四隅、窓硝子の屈曲して居る為めに、外側にある樹木が伸縮して見える工合、机の上の墨やインキで染め出された色々な模様を次から次へ見て居た。  凡てが静かである。  時々、もし治安警察法にでも触れて居たなら、どうなるであらうと云ふ不安な念も湧いて来るが、栄一はすぐそれを打消した。  彼の胸中には正義の外何物も恐れるものは無かつた。 [#ここから2字下げ] 『汝、審判者の前に立ちて、何事を云はんと思ひ患ふ勿れ、その時聖霊汝に示すべし』 [#ここで字下げ終わり]  彼は聖書の中にこんな文句のあることを思ひ出して、別に恐れなかつた。  彼は英国のお伽噺『アリス・イン・ザ・ウオンダー・ランド』に出てくる、トランプ・カルタの女王がお台所にあつたお饅頭を一つ、少女アリスが盗んだと云つて、法廷に引き出し、大審判を開いた話を思ひ出し乍ら、くすくすひとりで苦笑した。  そこへ、検事が出て来た。  栄一は敬意を示して、起立した。  検事は栄一を椅子に坐らせて『波瀾録』と上に書いたノート・ブツクを机の上に置いて栄一と正反対に坐つた。 『君は新見栄一と云ふのか?』 『ハイ』 『何を職業にして居るのか?』 『キリスト教の伝道を致して居ります』 『学校はどこまで行つたのか?』 『中学校を卒業して四五年あちらこちらの学校で勉強して居りました。』 『君には両親があるか?』 『いゝえ、ありません』 『君は年齢は幾つぢや?』 『二十三歳で御座ります』  検事は頬の筋肉をちつとも緩めないで、怒つたやうな面付をして聞く。栄一は気の毒な職業だと思つた。もう少し人間味があつても善ささうなものだと思ふ。 『現住所は何処だ?』 『神戸市北本町六丁目二二〇で御座ります』 『そこには何年前から住んで居るのか?』 『足懸け三年住んで居ります』 『そこで、君は何をして居るのぢや』  寒い空気が足に沁みるやうに感じる。検事は火鉢に手をあぶり乍ら、栄一の顔を凝視して居る。栄一も検事の顔を見詰める。 『困つた者を助けて居るのです』 『君が、社会主義の宣伝をやつて居ると云ふ評判があるが、それはほんとうか?』 『……………………』 『君は「勝」と云ふ男とはどんな関係があるのか?』 『勝と云ふのは山内勝之助のことですか、私の隣りに住んで居るので極く眤懇にして居ります』 『君は、何故、その青年にストライキをするやうに勧めたのか?』 『私はストライキを勧めた覚えはありません』 『だつて、「勝」はさう云うて居るが……』 『それは明かに誤謬《あやまり》です……ストライキになつた後に、私の処に相談に来たのです』 『然し、君が要求書を書けと云つたと、勝は云うて居るよ』 『それは、違ひます。思つた通り書けば善いと云つたのです』 『それでは、君に聞くがね、君は何故神戸燐寸会社へ秋山や勝と一緒になつて重役に面会を求めに行つたか?』 『勝が附いて行つてくれと云ひましたから参りました』 『君は平生から頗る過激な議論をするさうぢやが、君の主義と云ふのは一体何主義か?』 『私の主義は基督教社会主義です』 『さうすると、××はいらないと云ふのか?』 『いゝえ、そんなことを云ふのではありませぬ。貧しい人々や、虐げられた労働者が、正当な取扱を受けることを要求するのです』  検事は静かに何かノート・ブツクに書いて居たが、暫くしてまた尋ねた。 『その正当な取扱と云ふのは、どんなことを意味するんだね、それは財産を平等に分配すると云ふことを意味するのかね?』 『いゝえ、働いたものが正当な報酬を与へられ、遊んで居ても配当金が懐の中にころげ込んで来るやうな事の無いやうにすることなのです』 『そんな時代が来ると君は思ふか?』 『来ると思ひます』 『さうすると君は、革命を希望するのだね』  検事は、栄一を睨み付けるやうにして尋ねた。 『いゝえ、私は必ずしも革命を希望するものではありませぬ』 『ぢや、どうして、そんな空想が実現せられるか? 革命なくして来る方法があるかね』 『私は人心の更改と労働組合の発達によつて来ると思うて居るのです』 『さうぢやないんだらう。矢張り革命を希望して居るのだらう。君は貧民や労働者を煽動して、日本の国を顛覆する積りなんだらう。どうも君の平生の言動から見て、さう見えるなア! 違ふかね?』 『さうお取りになるならば、御勝手です……』 『勝手とは何だ?』  検事は眉をつりあげて大声でさう叫んだ。栄一は検事の大声に吃驚したので、伏目勝で居たが、検事の顔を熟視する為めに、眼をあげた。  検事は栄一を馬鹿にして居るのか、 『何だ? その眼付は?』 と、呶鳴る。栄一は此検事は余程ひとりで昂奮して居ると思つたから黙つて居た。否、栄一は寧ろ、心理的に考へて、検事の顔の上を過ぎる感情の雲行が刻一刻に変化するのが如何にも面白いので、実験心理の教室で精神病者の対物実験をやつて居る心持で、こちらは平気で、少しも心を乱さずに、被実験者の即ち検事の心理的過程を読まんと努力して居た。考へて見れば、検事と云ふ職業もいやな職業である。職業的に怒らねばならず、職業的に義人の積りで居らねばならず、人間の審判を職業的にせねばならない。  それよりいやなことは、凡ての人間を必ず罪人だと思つて審判せねばならぬ悲哀である。それで栄一は寧ろ検事に同情して居た。いつも過去のことのみに生きて、現在のことと将来のことに生き得ない――古い事件になると五年も六年も昔の犯罪を――然も中には腰巻一枚を盗んだ貧民窟のおかみさんの事件もあるだらうし、樽一挺を盗んで一年半の懲役にやられる事件もある――そんなつまらないことばかりに、一生を棒に振つて居るのだと思ふと、全く検事そのものに同情したくなるのであつた。 『生意気な、我輩を睨むと云ふのは何だ!』  検事はひとりぶり/\怒つて居る。顳顱《こめかみ》の上の筋肉が激しく震へ唇が青くなつて居る。 『革命なくして、今日の社会は顛覆出来ないぢやないか? その点をもう少し明瞭に教へて貰ひたい――』 『……………………』  一分、二分、時間が経つ。雀が五六匹、裁判所の庭の樟の木の枝から枝に飛び廻つて、嬉しさうに遊んで居る。雀の世界にも検事さんが居るのだらうかと栄一は考へてみた。  栄一は判らない検事の前で、何を云つたつて仕方がないから、別に何にも云はないことにして居た。  三分、四分、五分と時間が経つ。検事は眼を伏せて『波瀾録』を意味も無く、見詰めて居る。指先がぶるぶる震へて居る。どちらが裁判官だか薩張りわからない。被告の方が落付いて居て、裁判官の方が慌てゝ居るのである。  栄一は検事のつまらぬ繰返した質問には答へ無いと考へたので、眼を大きく見張つたまゝ机の上を凝視して居た。  沈黙せる間だけは、人間は凡て黙せる万物の一部分として、優しい形を持つている。  然し、検事の職業は、沈黙の出来ない職業である。 『君は、答へないのか?』 『……………………』 『答へなければ、答へないでこちらには考へがあるのだ』  かう検事が云ふので、栄一は初めて口を開いた。 『検事さん、あなたは、私を昂奮させるお積りなんですか? あなたが、いくら私を昂奮させようとせられても、私は決して昂奮しませんから、私はあなたがそんなに昂奮して居らつしやる時にいくら答へても駄目だと思ひますから、私は答へませぬ』  かう云つたことが、少しは検事を反省させたと見えて、検事は黙つて了つた。そんなにしてまた三四分二人の間に沈黙が続いた後に、検事は警察からの調書も、『波瀾録』も、何にもかも凡てそのまゝにして、審問室から出て行つた。  それで栄一は、またひとり審問室に残されて、冥想に耽つて居た。十分以上も経つのに検事が帰つて来ないので、頸をのばして、机の上にひろげてある警察署の調書を逆倒に読むと、栄一の素行調査が書いてある。 [#ここから2字下げ] 『本人は温順と見ゆれども陰険にして、過激の言論を弄するが故に革命思想を抱けるかの感を与へしむることあり』 [#ここで字下げ終わり]  こんな文句が第一行から二行半に渡つて書いてある。それで革命のことに就いて激しく聞かれたことが了解せられたのである。  検事はコンクリートの廊下を歩いてまた帰つて来た。何だか審問するのが面倒臭いと云つた態度が見える。  検事が這入つて来て間もなく検事局書記が硯箱を片手に持つて這入つて来た。そして検事はまた繰返して栄一の審問を始めた。 『君の云ふ労働組合とは何か?』  栄一はこんな質問に答へなくてはならぬかと思つた時に、ガツカリ[#「ガツカリ」に傍点]した。 『労働組合は資本主義の圧制を脱れる為めの労働者の組合であります』 『つまり社会主義と同じことか?』 『社会主義は主義ですが、労働組合は生きた労働者の団体であります』 『それぢやストライキをする為めの組合か?』 『いゝえ、ストライキするのが目的ではありませぬ、労働者の地位を向上せしめるのが目的であります』  検事はそれからまた燐寸会社のストライキのことに就いて色々尋ねた。検事も余程落付いて来たので、栄一はそれに対して静かに答へた。そして書記はそれを一々書きとめた。  栄一は牢屋に行くことを覚悟して居た。然し栄一自ら考へてみても別に犯罪とも見えるものはなかつた。  灯がとぼる頃になつて、全部の聴取書が出来上つて、栄一は一先づ帰宅を許されることになつた。それで栄一は賑かな元町筋を、とぼとぼと、ひとり考へ乍ら歩いて帰つて来た。  今日の社会組織なるものが存外つまらぬ、薄弱な基礎の上に載つかつて居ることを、ひとり笑ひ乍ら、葺合新川の貧民窟に帰つて来た。  路次に栄一の姿が見えるや否や、子供等は群がり来つて、栄一の両手、袖、裾、帯の端―凡そ掴み得る所をみな掴んで、栄一を家まで送り届けてくれた。  栄一はその中でも今年五つになる美しい『絹ちやん』と云ふ糞尿汲取人夫の娘の頬ぺたを撫でて、検事の顔と思ひ較べて見た。矢張り、絹ちやんの顔に較べると検事の顔は明かに変質して居る。 『矢張り貧民窟が善い! 貧民窟が善い! こんなに子供等に愛せられ慕はれては、とても貧民窟の外側に出る気はしない』と栄一は自分に云うた。  栄一は冷たい資本主義国家を呪うても、貧しい乍らも、美しい子供等の世界の執着から逃れることは出来なかつた。  今日は裁判所から何かの沙汰があるか、明日は警察署から何とか云つて来るかと思つたが、別に何の沙汰もなかつた。不安な中にも栄一は、貧民生活を享楽して、月を送り、月を迎へた。  そして、栄一はゆつくりした心持ちで貧しい人々に仕へてゐた。 [#7字下げ]二[#「二」は中見出し]  六甲の山の上は晴れて居た。  秋の木葉が散つた後で、青いものとてはたゞ松の葉ばかりであるが、高原のやうになつた広い台地の美しく造られた道の上をポカ/\一人歩くことは、愉快で無いこともなかつた。  栄一は一人歩くことがすきである。彼は山地を、平原を、台地を、市街をたゞぽか/\と歩くことがすきである。たゞあて[#「あて」に傍点]も無く一人考へ込んで、そよ吹く風に頬ぺたを甜められ乍ら、光線の架空線《スカイライン》のことを深く考へ乍ら歩くのが何よりすきである。その中でも栄一の好きなことは、ぽつかり真夜中に、貧民窟の傍を流れて居る平常水の無い新生田川のほとりを、うろつくことと、超人気取りで誰れも居ら無い海抜二千四百尺の六甲山頂の台地を歩むことが何よりの楽しみであつた。  一人居ることは善いことだ、と栄一は口癖のやうに云うて居た。  こんなに落付いた気分になれるのであればなぜ、もう少し前から高原気分を味つて落付きの工夫を考案しなかつたらうと考へるのである。  枯れかゝつた茅の細い曲線、薄の花のその絹のやうな艶々したところ、土の色、小石の縞模様、青い空、打開いた淀川平原の美しさ、……さては鏡のやうに凪いだ茅《ちぬ》の海の輝き、玩具のやうに愛らしく見える神戸の港と、そこに繋つて居る数十隻の汽船、瓦の太陽の反射で光ること、――今日は和泉、紀州の山々、村々までが、ハツキリ見えるよ。そして今栄一は一人で六甲の山頂を高地から高地へ伝ひ乍ら、一人この栄えある大自然を楽しんで居るのである。栄一は六甲の山に就いては思ひ出すことが色々ある。過ぐる夏竹田を連れて博物学の実地研究に六甲に登つた時、蛙の解剖をして面白かつた谿のことを思ひ出せば、高商の学生の師井と野村と自分と三人で暑い夏の日を半日この山頂の松蔭に、哲学の議論をしながら送つたことを思ひ出す。  六甲と云へば、栄一は心臓が躍るやうにうれしい。恰度カアライルの『衣裳哲学』に出てくるトイエスドルフのやうに、またはニーチエの云ふ雪線を越えた山頂を峰から峰へ一直線に歩む『ツロアストラ』のやうに、栄一は六甲の山頂から、神戸と大阪の市街を一瞥の下に見降ろして世俗を離れて、大自然の懐に隠れることが出来るから、彼は一人で微笑んで居るのである。  近頃彼には微笑が絶え無かつた。彼はほんとに一人で生の凡てを楽しんで居たのであつた。彼が貧民窟に這入つて張りつめた生活を送り出してからは、数年前に持つて居たやうな厭世的な考へは全く何処へか消えて了つて、そんなことだに考へる暇の無い程に生活を楽しむやうになつた。刹那、刹那が厳粛にそして面白くなつた。生活することは刻々が結婚の華典を挙げて居るやうなもので、実に華やかなものだと、彼は自分自らを、自分で祝賀した。  恋しようとも思はなくなつた。神に抱かれて居ることがこの上なく嬉しい甘いものになつて来たので、歩いて居てもうれしいし、寝て居てもうれしいし、叫んで居てもうれしいし、散歩して居てもうれしいし、病気になつて居てもうれしいし、貧民窟の病人を看護して居てもうれしいし、破戸漢《ならずもの》に擲られて居てもうれしいし、まるでうれしいことの病み付きでは無いかと思ふ程、生命の歓喜に酔うて居た。  それで栄一は自己の法悦を一層深めたい為めに科学書類を勉めて多く読んだ。その中でも生物学を多く読んだ。『ダアヴヰン全集』、ワレエスの書いたもの、レイ・ランケスタアの生物学の論文集、ヘンリイ・フラワイ・オスボルンの著作、それから多くの植物学に砿物学の書物、月の研究、天文学の色々な書物、なんでも自然に対する熱愛をそゝるために、栄一は関西学院の図書館、大阪府立図書館、神戸図書館などから書物を借り出して耽読した。そして読んだ眼を直に自然に移すのであつた。  彼は小説よりか、自然に関する論文集を愛した。そして自然に関する研究を自然のローマンスだと呼んだ。そんな風で彼の自然に関する知識と愛情は可成深く這入つて居た。彼の読書は彼の冥想を助け、彼の瞑想は彼の読書を助けた。彼が六甲の山頂をうろついて居る時でも彼は羊歯類の採集に頭を用ゐたり、木蜂の種類に意を用ゐたりするのがいつものことであつた。  彼は六甲の植物帯に就いては植木屋の戸田に就いて既に実地に教へられて居るので、何処に何があつて、何が何処にあると云ふことはよく知つて居た。それで、六甲山脈は新見に取つては一つの大きな生きた博物館であつた。  今、彼は山頂を摩耶山から歩き出して東へ東へと歩いて居る。ゴルフ・グラウンドが美しく盆形になつて、あちらこちらに見える。誰れも遊んで居るものとては無い。粗末な西洋人の別荘が赤く塗られてあちらこちらに散在して居る。勿論新見はそんな家に住みたいとも思はないし、彼はただすたすたと山頂としては珍らしい位ゐ平坦に出来て居る広い道を歩んでゐた。考へ乍ら歩いて居るそのことが彼れには愉快でたまらなかつた。  別に何を考へると云ふでもなし、彼は貧民窟に一週間も打続いてくすぼつて[#「くすぼつて」に傍点]居ると、神経質になるので、彼は大自然の懐に接するために毎週日課のやうに六甲山の山頂を訪問することにしてゐた。  相変らず十四銭の下駄を穿いて、縞の袷の筒袖に黒の兵児帯を締めて、手にいつも山登りに用ゐる六尺位の竹の杖を持つて居る。竹の杖は山に登る時にも、山を降りる時にも非常に便利なので彼は山登りに之を放したことはない。  彼は六甲に来なければ布引の滝の裏山から水源地へ抜けて、神戸の西洋人が Twenty Crossings(二十の渡り)と名をつけて居る彼の最もすきな小さい谷から再度山の原生林を見舞つて、それから諏訪山に出て北野山の天神のうしろに出るか、または兵庫の島原の水源地から鍋蓋山附近までうろつくことが毎週月曜日のプログラムであつた。  神戸の裏山は一体に美しい。或は『アダムの池』だとか、『エデンの園』とか西洋人の名をつけた面白い変化のある自然は、貧民窟で疲れた栄一の頭を休めるには充分であつた。彼は毎月曜にそれを繰返すのを習慣にして居た。或時は聖書を持つて、また或時は博物学の本を、また或時は詩集を持つて、彼は一人山の中をぶらついた。  今日、彼が十月の小春日和に月曜を利用して、六甲を峰から峰に辿るのも、彼のその日課から来たものであつた。  彼は午前十一時頃から摩耶山に登つたのであつたが、太陽は目映ゆい位よく輝いて居た。彼は太陽の光と、清く澄んだ空気に蜘蛛が網の上に躍るやうに躍つた。  貧民窟を出る時に彼は駄菓子を十銭程買うて、それを懐に捻ぢ込んで山に駈け登つた。彼は山登りには自信がある。小笠原に行かぬ前には富士山を午前六時から登つて、午後三時に頂上に達し、賽の河原などを廻つて、吉田口の方へ降り五合目から須走へ廻り、午後の九時には須走に出て泊つたことのある程、山登りには身軽なのである。それで貧民窟の教会に出入りする青年は『山登りには先生にかなはぬ』と云うて居る。  栄一は殆ど有馬に降りる道の近くまで歩いて来たが、南側の打開いた北手は小山になつて居る所で止つて笹の上に身体を横たへ乍ら神戸を見下ろした。神戸が小さく見える。葺合新川も見える。島上町の波止場も見える。花隈も見える。樋口さんの働いて居る工場も見える。  栄一は懐からエヴリイ・マンス・ライブラリーの『アマゾン河上の自然研究者』を百二十三頁から読み出した。  移る日脚に少し寒けがする。神戸の海岸のオリエンタル・ホテルの烟筒からポーと白い蒸気が立つ。何だか山の上よりかホテルの軟かいソフアの上の方が、安楽であるやうに思はれる。  あまり自然が美しいので、眼を活字にむけるのがいやになる。玩具のやうに見える汽車の走る跡を凝視してみたり、神戸港に這入つてくる二本烟突の大きな汽船を見て居たりすると、色々なことが思ひ浮べられる。恋は全く忘れて了つたやうだ。然し鶴子に対する愛情はまだ冷えずに居る。徳島で鶴子と約束して、 『何年でも、私は待ちますから』と云つたあの言葉に自分は二年や三年位待つことを、待つことのその数に入れられぬやうに考へる。  栄一は鶴子が永遠に自分のもので無いことを知つてゐる。然し栄一は鶴子の外に新しい恋人を作る勇気は無いのである。 『女は一人ぢやあるまいし』と折々胸の中で云つてみても、そんな浮気なことでは、自分が自分にすまないやうな気がするのである。小秀は頻りに誘惑する(少なくも自分にはさう考へて居る)。然し栄一は美に対する感激の外には小秀に対して捧ぐべきものを持たない。樋口さんも親切である。然し栄一は樋口さんと自分がとても夫婦になれるとは思へ無い。それは教育も違ふし、身分も違ふやうに思ふし、樋口さんがなんだかあまりふけて見えるので、人の妻君であるやうな気がしてならないのである。殊に栄一が世話したことのある樋口さんと同じ工場で労働して居る職工が樋口さんの悪口を云うて聞かせるので、栄一は樋口さんを尊敬はするが結婚なんか勿論出来るものでは無いと考へた。  小秀が相も変らず借金に苦しみ乍ら二月に一遍か三月に一遍か貧民窟に顔を見せるのは不思議な位であつた。栄一は小秀に会ふ度毎に何だかすまないやうな気がするのである。小秀は勿論その後恋愛問題なぞ口にも出したことは無い。たゞ遊びに来るのだと云つて顔だけ出した。然しその度毎に『鶴子さんは?』と云つて聞くのが普通であつた。然し栄一はそれを別に悪くも取らず笑つて迎へるのであつた。  栄一は兎に角鶴子が再び何とか返事をするまで決して他の女には振り向くまいと云ふ決心をして居た。それは恰も貞淑な妻女が出征軍人の夫を待つて居る心持で、一旦約束したことに対しては飽迄忠実に男子としての貞節を守りたいと考へたのであつた。それで小秀に対しても他人行儀ではないが、決して取り乱した態度で接することはしなかつた。小秀は色々と自分の家庭の事情を話した。初めの中はなか/\事情を明さなかつたが、よく聞いて見ると小秀の両親は秋田県のもので、小秀の幼少の時に横浜で貿易商をしてゐたが失敗して横浜にゐられなくなつて、小秀が十一の時に神戸に逃げて来て、今も、年の寄つた両親と姉との三人が兵庫の松本通り四丁目の長屋に住んでゐると云ふことであつた。そして栄一の所に遊びに来るのは、その両親を訪問する度に廻つてくるのだと云ふことがわかつた。  栄一は山の上でぢつと大自然を凝視し乍ら自分のこと、貧民窟のこと、勉強のこと、宗教運動のこと、社会運動のことを考へた。そして静かに眼を閉ぢて祈りもした――祈つてゐるうちに眼を閉ぢてゐることが、大自然に対して済まないやうに思はれるので、祈りの途中から眼を開いて祈つた。誰れも見てゐる人もなければ、聞いてゐる人もないので、彼は小さい声を出して祈つた。 『貧民窟を与へて下さい、父なる神さま、神戸を与へて下さい、日本を与へて下さい――私の愛する日本に愛と正義の火が燃え上るやうにして下さい』と云ふやうなことを静かに口籠つて祈つた。  貧民窟の煩雑から免れて一人山の上で静かにしてゐることの喜びは何に譬へることも出来ない程よい。近処の喧嘩の怒号の声も聞こえず、破戸漢や酔漢の脅かしの憂ひも無く、静かに草葉をゆする風と鶺鴒《せきれい》がピイピイと鳴く声を松の蔭に聞くのみである。  日脚が移るので、谷の間から靄が立つ。太陽が西に傾くと共に静かな海に反射して全面が溶鉱爐のやうに光る。  新見は見捨てられないこの景色に、こんなところに朝晩暮らせたらどんなに幸福であらうと思ふ。昔は雲の日誌もつけたし、気流の研究などもして、自然とピツタリ合つた生活を楽しみ得たが、貧民窟に入ると、雲も気流も忘れて了つて、たゞ次の瞬間にどんな脅迫がくるかと云ふことのみ気兼ねにするので、なんだか自分が自分手に可哀想になるのであつた。充分の金でもあればまだ何とか工夫もつかうが[#「工夫もつかうが」は底本では「工夫もつかうか」]、ただ信仰の中に祈つて与へられた金で頼つてくる凡てのものに善意を以て施して行くことは苦痛《くる》しい、言葉にたとへ難ない仕事である。それこそ革命を叫んで社会組織を顛覆させて新しくつくり換へることの方がどれだけ自由で面倒がなくて善いか知れないのである。然し栄一を頼つてくるものはみんな低脳であるか、発狂者であるか、病人であるか、アルコオールの変質者であるか、堕落したものであるか、何か身に欠点のあるものばかりである。栄一は葺合新川に来てから、美しい人間の型とも見る可きものは一つも見たことがない、少なくも自分に頼つてくるものには、十人が十人とも破壊せられた土人形のやうなものである。自分で自分の始末に困つてゐるやうなものである。之等の人々が無産者階級の革命を行うて社会の上層に坐ることがあるにしても、矢張り我等は之等の人々を世話をしてあげなければやつて行けない人達ばかりである。           ×     ×     ×  今栄一の閉ぢた眼の前に幾つかの幻が通る――  一人の青年は栄一の噂を大阪の木賃宿で聞いて大阪から歩いてやつて来たといふ十九の極度に近眼の青年である。その青年の自白するところによると彼は米屋に奉公して居たが、東京に行きたさに主人の金を百円盗んで東京に出た、然しそれも二週間とたゝぬ中に費ひ果して了ひ、また大阪に舞ひ戻り、木賃宿を彷徨して居る中に、今度は本屋に住み込んだが、そこで不正なことをしてそこを出ねばならぬやうになり、遂に大阪では誰れも就職に保証してくれる人が無いので神戸の貧民窟に居る新見を頼つて来たと云ふ。それで新見はその青年を自宅に寝させて、新見が徳島に法事があつて留守の間に岸本のお爺さん、お婆さんに頼んで仕事の口があれば、その方にやつて下さいと十日ばかり留守して居ると、その青年は朝は十時、十一時まで寝て、口入屋に行つて歳を聞かれると 『なんで、俺の年など聞く必要があるんか、俺の歳か、俺の歳は一才ぢや』 と答へ、従前の職業を聞かれると 『そんなことは知らぬ、俺の前の勤め先は聞かないでくれ』との権幕で、口入屋の人も驚いて、宅に忠告に来てくれると云ふ始末である。お爺さんが障子を張りかへるから、手伝つてくれと云ふと手に糊がつくからいやだと答へるので、お爺さんも吃驚したと云うて新見に報告して居るのである。栄一が阿波から帰つて来るとその青年は直ちに立ち去つたが、お爺さんやお婆さんはその青年の嘘吐《うそつき》には驚いて居た。大阪から来たと云ふのも全くの嘘で神戸に居て悪いことをして追ひ出されたのであらうと云うて居た。  近頃栄一を脅迫する酔漢が数人ある。一人は遠藤と云ふ男で、この男は栄一を見ると、『この耶蘇、己《わし》の病気を癒せ、繃帯をくれ』と叫ぶ。そして栄一の長屋について来て動かない。三期梅毒で足が腐つて居るのである。それで栄一は一言も云はないで、黙つて繃帯を取り出して繃帯すると、遠藤はコソ/\と帰つて行く。もう一人の酔漢は支那人のやうな名のついた男で『張』『張』と貧民窟で呼んで居るが、この男はまた実にうるさい男である。どんな時でも栄一を見れば『金をくれ、金をくれ』と云ふ。そしていつでも酔うて居るのである。  もう一人は蹇跛《ゐざり》の[#「蹇跛の」は底本では「躄跛の」]熊公である。彼は前科のある悪漢であつたが怪俄をして両足を切断し、それから乞食になつて居るが、持つた悪性は捨てられ無いで、蹇跛で[#「蹇跛で」は底本では「躄跛で」]居乍ら、栄一を追駈けて居て、脅迫する。膝につけた草履のまゝ座敷の上へ飛び上つて来て、『くだ』をまくのである。そして金を寄こせと云ふ。  そんな時には栄一は地獄で足の無い猛獣に追駈けられたより悲しく思つて、黙つてその男を見詰めて泣くのであつた。  そんな時に『ゐざりの熊公』はあらん限りの毒舌を振るつて栄一を罵倒する。栄一は凡ての罵倒を黙つて聞く。そして黙つて人間の最後の肖像の頽れてくる有様を見て泣くのであつた。熊公は黄昏に栄一を追ひかけて、栄一の座敷をその土まびれのしめつた草履でぼとぼとにして十時過ぎまで栄一をいぢめた。それは唯金をくれと云ふ脅迫であるが、栄一が耶蘇の偽坊主のくわせものであると云うて罵ることを繰返すのに三時間も四時間もかゝるのである。栄一が逃げ出すと、そこについてくる。そのまた『ゐざり』の走り方が活溌で早いのは驚く程である。栄一は少し心臓が悪いので遠くは走れない。それですぐ足を捕へて栄一を引倒すのである。『ゐざり』の熊公の乱暴には栄一も全く吃驚した。  さうかと思ふと、新聞配達の青年と云ふのが二人も三人も寄付いてくる。多くは病的で、栄一には少しも話をさせないで、自分だけ二時間も喋りつゞけるやうなものもくる。さうかと思ふと、之は純粋の発狂者で一寸見ると少しも発狂して居らないが、樋口さんの友人だと称して栄一と宗教上の事に就いて議論を戦はしたいと云うてやつてくるが、どうかすると、地球は平面であつて、板のやうなものである。旅順口の閉塞船で杉野兵曹長が死んだやうに云うて居るがあれは嘘だ、杉野兵曹長は生きて居る。我輩の虫がそれを知らせた。……宇宙の中心は地球で太陽が動くと云ふのは嘘だ……キリストとわしとは同じ位偉い。然しわしは少し病気があるので酒を呑まなければやつて行けぬと云ひ出すと、そこから大きな声で泣き出すと云ふ始末、どうかこの煩悶を癒やしてくれと合掌して栄一を拝む。  そんなものが来るかと思へば、それはそれは善人であるやうな顔付をした四国巡礼の中年の男が喘息で旅行がつゞけられぬから置いてくれと云うてくる。  或者は木賃宿に泊つて居るのだが、人が認めてくれぬから、あなたに人格を認めて貰ひたいと云つてくる。そんなものに限つて、何か知らよく喋る。  或者は聾唖《つんぼ》であつたが、信仰によつて唖《おふし》が癒つたから、その信仰の宣伝に廻つて居るから金をくれと云うてくる。或者は殺人犯で入獄して居たが、信仰によつて救はれて、伝道師になりたいから助手にしてくれと申込んでくる。  旅行して居るから明石までの旅費をくれとか、大阪までの旅費をくれとか云つてくるものは三日に一人位は必ずある。甚しい時には一日にそんなものが二人も来る。それらを真にうけて金を少しでも恵むと悦んで帰るが、二三日するとひよつくり[#「ひよつくり」に傍点]貧民窟の木賃宿から出てくるのに遇ふ。つまり高等乞食だとわかつて見ると、何だか嫌やになるが気の毒にもなる。  貧民窟を通る多くの人々は多くは普通の人に較べて何か欠くる所のある人である。それで余程辛棒しなければ彼等と一緒に行くことは出来ない。で新見は貧民窟ではあらん限りの辛棒と緊張を持つて人間と神に奉仕せんと努力してゐる。  貧民窟の仕事は毀れた土人形を修繕するやうなものである。その効果は実に少ないものである。然し貧民窟の間に据ゑられた以上、栄一は今更退くわけには行かない。栄一は黙つて尽し得るだけ尽さねばならぬと覚悟してゐる。  栄一は自分が何故こんな弱い身体でこんな重荷を神から負はせられたかと、かこたないわけには行かなかつた。人間の修繕は神の仕事である。それを彼が手伝はせられることの光栄を思はぬではないが、自分が足らぬ様であるにかゝはらず、神の代用をせねばならぬと云ふ野心を起させられた神はいぢらしくもあり、勿体ない程ありがたい。           ×     ×     ×  栄一は両股の間に顔をつきこんでこんな幻の過ぎ行くのを見て、また眼をあげて暮れ行く神戸の港を見降ろした。  あゝ光栄ある神戸よ、光栄ある神戸よ、予言者を殺し、予言者に石うつのも神戸であらうが、また人間の修繕の行はれるのも神戸だと思へば、新見はその海から続く光栄の港、神戸を讃美せずには居られないのである。ランチが港内を走り廻る。帆前船が幾千隻となく胡蝶のやうに翼を拡げて銀のやうな海の上を走る。悠然とした二万噸もあると思はれる青筒の船からはゆつたり[#「ゆつたり」に傍点]した烟が立ち上る。川崎造船所のガントリーイ・クレンが巨人の寝台のやうに市の中央に立つ。それが如何にも美しい。居留地の赤い屋根、青い屋根、丸い屋根、尖つた屋根が夕日に輝く。汽車が幾列車となく、往き来する。瀬戸内海通ひの小蒸汽船が繁く港に出入をする。須磨の鉄拐山が夕日を背《バツク》にして紫色に見える。斜面の上に立つ灘、東明、西宮の村々が[#「村々が」は底本では「村村が」]油画のやうに浮き出して来る。  新見は静かに立ち上がつて、今日一日の自然の恩恵を感謝しつつ、山を駈け下りる。 [#7字下げ]三[#「三」は中見出し]  栄一が街から帰つて来て居ると、貧民窟の入口で栄一のすきな仙人のやうな生活をしてゐる猫のお婆さんに出会つた。猫のお婆さんは栄一に――『先生に進上しようと思うて芥箱からこんなに江戸絵を拾つて来たのや』と云ひ乍ら、手に持つて居る広告ビラのやうなものを二三枚、栄一に渡した。  栄一は微笑み乍ら 『ありがたう、美しい画だね』  と受取つた。見れば、郵船会社の広告ビラと桜正宗の広告ビラと外に小さい正月にまく江戸絵であつた。郵船会社のものは比較的完全だが、桜正宗のものは真中で裂けて居るのである。若い女の絵がついて居て如何にも美しい。勿論美術と云ふものにはなつて居ないが、お婆さんが栄一のことを思うて拾つて来てくれたと思へば嬉しい。多分どこか町の大掃除に捨てられて有つたものを拾つて来たものらしい。然し栄一に取つてはこの種の捧げ物は万金の宝物よりも嬉しかつた。栄一はそれを退ける勇気は無かつた。喜んでそれを受取つた。  実際貧民窟の中で栄一の最も好きなお婆さんは猫のお婆さんであつた。お婆さんの本名は林つると云ふのであつたが、八十二歳の老人で、柔和なそれは愛らしい顔をした『芥《ごみ》拾ひ』であつた。  猫のお婆さんの住んで居た家は小森の借屋の二畳敷で、……その附近には一軒の家で二畳しか敷けないものが四十八戸もある――なんでもずつと[#「ずつと」に傍点]前にその家で首を吊つて死んだ人が有つたとかで、幽霊が出ると云ひふらされて永らく借り手もなかつたが、猫のお婆さんは日家賃三銭でその家に這入ることになつたのである。  然しお婆さんは幽霊が怖くて夜も碌々睡れないので、たうとう一思案の後、猫を二三匹飼ふことに定めた。元来お婆さんは不幸な人で、夫には早く死に別れ、娘も有つたがそれにも死に別れ、早くから葺合新川の貧民窟に流れ込んで来たのであつたが、そこで繩屑を拾つたり、ブリキ罐を拾つてゐる中に女の子を貰つてくれないかと云ふものがあつたので、お婆さんはそれを貰ふことにした。その子も今は成長して人の妻となり、今日では美しい孫娘を三人も産んで居るといふ次第である。然し不幸なことにはその娘がほんとの母親で無いと云ふことを知つて居るものであるから、人に片付いてからは何となしにお婆さんを疎じて他人のやうに取扱ふのでお婆さんは相も変らず八十の坂を越して、まだ乞食の真似をして屑物拾ひに出てゐるのである。  それで栄一の顔を見ると、 『先生頼みまつせ、(それから声を急に小さくして栄一の耳の近くにやつて来て囁くやうにして)赤児の時から襁褓ぢや何ぢやと心配してやつた娘が、あアだつしやろ、私は自分の葬式が気になりますよつてに、先生どうぞ私の死に水汲んでおくれやすや、その代り私はあなたの宗旨を信心して、天のお父さんばつかりお念じしますよつてに……』  之は林のおつるさんが栄一に最初会つた日から、おつるさんが天国に帰つて行く日まで毎度繰返したことであつた。  お婆さんは猫を三匹、四匹、五匹――七匹、十匹、十三匹まで拾つて来た。そして食べられ無い中から猫の為めに多くの食物をわけてやつた。  お婆さんの家と云へば、それはそれは穢い家である。芥箱から拾つて来たブリキ罐やゴム人形のやうなもの、さては土鍋類から七輪の毀れたもので一杯になつて居た。それでお婆さんはいつでも家の中から出てくる時には鼻の先を真黒けにして穴の中から這ひ出て来た狸のやうな顔をして居た。  然し栄一は何とはなしにこのお婆さんがすきでならなかつた。少しもいやみの無い真実なところが栄一の気に入つた。それで栄一は紐育の救世軍の女士官達がよくする真似をして、お婆さんの家を掃除に行つた。紐育ではホワイト・エプロン・パアチイ(白前垂隊)と云つて居るさうだが、お婆さんの家には白前垂などで出掛けようものならそれこそ大変である。  幾十枚前垂があつても足らない。掃除に行つて気のつくことはいくら掃除したつて綺麗にはならぬことだ。お婆さんの愛玩のブリキ罐を竝べてみると相変らず芥箱の中に坐つて居るやうな気がする。それに十三匹の猫が小便した為めに腐つて居る畳は捨てて了ふかどうかしなければ、掃除と云ふのは無意味である。縁の下には炭俵を一杯つめて居るし――炭俵は一枚四厘で売るのである――天井は炭のやうに黒いし、壁は落ちて居るし、とても人間の住む処では無い。それに気のつくのはお婆さんが蒲団を持つて居らぬことである。 『お婆さん、どうしたの、あんたの処には蒲団は無いのかね?』 『おまへんね――』 『どうしたんや?』 『向への呑太が貸してくれと云つて持つて行つた切り、賭博に敗けたんか、返してくれまへんのや、ほんとに悪い奴でおます』  さう云ひ乍らもお婆さんは別に罵るやうな態度に出ない。新見はトルストイの無抵抗主義的聖人を見るやうな気がした。こんなところが栄一には馬鹿に猫のお婆さんが気に入るのである。それで栄一は半町足らずの自分の宅に飛んで帰つて大蒲団一枚を持つて来て、 『おばさん、これやるわ、くるまつて寝てもいゝや無いか?』 『先生、すみまへんな、これはありがたい、勿体なうござります』  お婆さんは年が寄つても癪気があるので癪気が起るとすぐ孫娘(貰つた娘の子)を使に寄越す。 『先生、猫のおばんがな、来てくれつて云うとるわ』  可愛い、頬ぺたの赤い、眼のくりくりとした貧民窟に似合はない美しい子が、猫のお婆さんの使に来る。  それで栄一がデオゲネスの桶のやうな二畳敷の入口に立つと、中から、 『先生、もうなほりました、先生が来てると聞いただけで、痛みが何処かへ逃げて行つた』  まるで福音書に出て居るカペナウムの百卒長の僕のやうに、主が来ぬ先に癒されると云ふ物語を現実に見て居るやうである。  それから、猫のお婆さんは癪気が起ると必ず栄一の処に使を送つて、『天のお父様にお祈りして下さい』と云つてくるのであつた。そして栄一が祈れば直ぐ痛みの去るのが普通であつた。  お婆さんはこんなことで度々先生にお世話になると云ふので、新見のところには芥箱から拾つて来た色々なものを持つてくる。或時にはゴム人形、或時には江戸絵――ゴム人形は日曜学校の子供にやつてくれと云ふのである。新見としては『そんな穢ないものを持つて来てはならぬ』と云ひたいのであるけれども、お婆さんにすれば、心より思ひ込んだ御恩報じの為めにと思うて持つて来てくれるので、栄一に取つては樺太島半分よりか有難いのである。  新見はお婆さんに貰つたビラ三枚を恭々しく持つて帰つて三畳敷の新聞紙を貼つた壁に貼りつけた。 『よく見えるね、岸本のお爺さん――猫のお婆さんは美《い》い人だね、私はほんとに、お婆さんのやうに思うてくれるとうれしいよ』  新見は裏で炊事をして居る岸本のお爺さんにさう云つた。  鼠と灰と煤けた色の外は何にもない貧民窟には、誠に猫のお婆さんの拾つて来てくれた色刷のビラは善く似合つた。栄一は心から色と云ふものが世界にあることを感謝した。  栄一は、静かに薄れ行く貧民窟の樺色の光線の中に、赤色――青色――紫――緑と云ふ色のあることを不思議なやうに考へ乍ら凝視した。貧民窟も何にも忘れたかのやうに、凡てが不可思議の異象に包まれた世界でもあるかのやうに、栄一は色彩と云ふものを考へ乍ら冥想に沈んだ。貧民窟と簡易生活が、パアと明るい浄土のやうに考へられる。……そして栄一は凝視のまゝ静かに黙祷に移つた。 [#7字下げ]四[#「四」は中見出し]  栄一の処に何人かの病人が病気を癒してくれと頼んで来た。そして栄一はそれを適当に医者の処に送つた。勿論その医者の料金は栄一が支払ふ約束であつた。  然しなかには、たゞ栄一の祈りがして貰ひたいが為めに連れて来られた病人もあつた。戸田(植木屋)の一家族の如きは新見が手をおいて祈れば万病必ず直ると云ふ信仰を持つて居るので、子供が腹が痛いと云へば祈つて貰ひにつれて来る、頭痛がすると云へば連れてくる。風邪だと云つてつれてくる、なんでも先づ祈つてそれからで無ければ医者に見せるとは云はなかつた。そして不思議にも祈ると直に癒されるのであつた。  そんなことが伝はつて、遠いところは大石灘の田舎から―― 『耶蘇のお加持をしておくんなはれ!』 と、云つて二里も三里もの田舎から頼みに来るものもあつた。どうして、そんな田舎のものが知つて居るかと問へば、これは葺合新川から出て行く乞食が、耶蘇の御祈祷がよくきくと云ふことを伝播させると云ふことがわかつたのである。  新見は今や流行神さんである。毎日毎日あちらの長屋から、またこちらの長屋から、 『先生、耶蘇の御祈祷しておくんなはれ』 と云ふまねきを受けた。  そしてまた不思議に栄一の祈りがよくきくのであつた。  淫売の親分をして居る坂東の妻のおつるさん――(猫の婆さんの名と同一である。貧民窟には同一の名が実に多い、神戸の長田の貧民窟では『松本こまん』と云ふ名が十人近くもある)も梅毒がもとでその上に風邪をひいて寝て居たが、栄一が祈ると不思議に大病人がその次の日から起きて来た。又或場合には、癪気が起つて、三日も苦しんで居る者が、家には誰れも顧みてくれるものが無いので、散ばら髪をして、杖にすがり乍ら貧民窟の路次の入口まで、薬を買ひに出かけた処を、栄一に出会して、栄一が立つたまゝ祈ると、すぐ癒つて薬が不用になりスタ/\家に帰つて行くと云ふやうなこともあつた。  栄一は奇蹟のやうに多くの人が癒されるのを色々に解釈してみた。栄一は勿論それを催眠術であると考へた。然し貧民は同情してくれるものが無いから、僅かの同情を表しただけでも、病気が癒されるのであることも考へた。そして医者を呼ぶ金はなし、薬代はなし、神様が直して下さらなければ方法もつかないのだから、神様は自分をミデイアムにお使ひ下さるなら喜んで使はれようと考へた。  然し病人を癒すことは栄一には実に骨の折れることであつた。それは栄一の身体から精力が流れ出るやうに考へられた。そして栄一は何となしに痩せ衰へるやうに考へた。それで真剣に病人を癒して居ては、精力がすぐ尽きるから、勉めて医者の処に病人を送ることにした。  新見は辻説教を相変らず気違ひのやうにして居た。毎土曜日には朝から晩まで神戸全市の貧民窟八ヶ所の路次々々を廻つて、東西屋のやうな真似をして説教して廻つた。然し慣れてくると聞いてくれる人はなし、声は嗄れ、それは可哀想な程疲れた姿になつて貧民窟に帰つてくるのであつた。  栄一はあちらの路次の石の上に腰を下ろしては祈り、こちらの路次の入口に立つては、そこに居る人々の一人でも救はれるやうにと祈つた。  それから大声をあげて讃美歌を唱つた。多勢の人々が戸口から顔を出してジロ/\と栄一の顔を見る。栄一はその貧相な姿を見られることを恥かしいとは思はぬでもなかつたが、凡べてがイエスの為だと思つて辛抱した。或時はまた巡礼のやうに、鈴を振つて、山上の垂訓を諳記してゐて、他の家の入口に立つてそれをお経のやうに繰返さうかとも考へてみた。然しそれまでする勇気はなかつた。  栄一は時々、イエスの山上の垂訓をそのまゝ辻説教で字句を言文一致にして説教したこともあつた。栄一は世界がイエスのやうな心にならなければ改造が出来ないと云ふことをよく知つて居るものだから、一生懸命にイエスを宣伝したのであつた。そしてその宣伝に対する熱情も使徒パウロが持つた熱情をそのまゝ現代に活かさんとした。  彼は神に愛せられて居ると云ふ感じが一刻だに去らなかつた。彼の行くところに後光がさして居るやうに考へられて、世界がパアと明るくなるやうに考へたのであつた。  彼は『イリユミネエシヨン! イリユミネエシヨン』と叫んだ。  誠に彼は神の光明遍照に浸つて居た。  栄一は与へられた光明を出来るだけ多くの人に分ち与へんと、凡ての機会を逃さないで努力した。彼は暗黒の中に据ゑられた聖像のやうにいつでも死棺と一緒になつて居た。 [#7字下げ]五[#「五」は中見出し]  巡査が走る、子供の群が走る、大人が走る、何のことだらうと通りの人が立ち止る。  子供の群の最も小さいのが掴まつた。それを巡査が南本町四丁目の交番所に連れて行く。大勢の大人や遊んで居た子供等がそれを見物に行く。  交番所からはまた私服の巡査が出て来た。一生懸命に貧民窟の方に走つて行つた。そして吾妻通五丁目の屑屋の前に立つて居る三四人の子供等を見付けると急ぎ足でそこに駈けつけた。然し子供等はそれを知らなかつた。  私服の巡査は静かに近づいて行つて二人の子供の頸筋をフム掴まへた。 『をつさん、何にしよんの?』 『それは何処で盗んで来たんな?』  刑事は五六百目もあらうと思はれる電線を輪にして石で目茶苦茶にたゝいてある銅屑を足で蹴り乍ら叫んだ。  古手屋の阿爺は吃驚して居る。近処の人々が見物に飛んで来た。 『刑事や! 刑事や!』とみんなが叫んだ。  二人の子供は刑事の手から脱れようと努力したが、それは無効であつた。 『暴れたら縛るぞ』と一言云ふと二人は静かになつて、 『旦那さん、勘忍して下さい! 旦那さん悪う御座りました』と大声で泣き出した。  刑事は返事もしないで二人を遮二無二大通の方へ引張つて行つた。五六十人の子供は物珍らしさうにそれに随いて行つた。  栄一が一日貧民窟を留守にすると何かの不祥事がある。  それで外から帰つてくる時に貧民窟に近づくと、いつでも何となしに変事が身に起ることを予覚するのである。  今日も一寸した用事で外に出て居て、午後四時に帰つて来ると、家の前がドヤ/\してゐる。何のことか近寄つて見ると、栄一が世話をしてゐる不良少年の岩沼松蔵が電信柱の電線を盗んで来てゐたのを巡査に掴つて交番所に引張られて行つたと云ふのである。それを悪少年の仲間の者や近所の子供等が先生に注進に来てゐるのである。  岩沼松蔵は栄一の世話になつてから、もうかれこれ一年にもなるのである。栄一から毎日貰ふ小使ひ銭では足らなくて、或時は古釘を拾ひに出て、それを売つて活動写真館の入場料にしたり、或時は他所《よそ》の亜鉛《とたん》製の桶を盗んで来てはそれを売つて小遣銭にする。折々は栄一の財布の中から金を盗み出す、一二度は全部をぬすんで了つたこともあつた。栄一はその度毎に叱りつけるが、貧民窟に居てはとても教育が出来ないと、栄一はほんとに困つてゐるのである。然し栄一は松蔵を毎晩自分の子のやうに抱いて寝て、どうかこの子供を立派な人になりますやうにとお祈りして寝るのである。  栄一にしては、もしこの松蔵すら、よう感化しないやうなことではイエスの弟子にはなれないと、今日まで随分努力してゐるのである。然し今日まで数回警察署に御厄介になつてゐるものだから警官などは何とも思つて居らない。少し激しく叱ると、一晩帰つて来なくて大きな芥箱の中に這入つて寝ると云ふやうなやりかたをする。  そして朝方になつて、裏の葬礼人夫の『喧嘩安』の戸口に顔を出す。すると喧嘩安が松蔵を連れてあやまりに来る。そんな時は栄一はたゞ黙つて松蔵を許す。  少しも叱らないものだから、松蔵は猶恐ろしがる。二日か三日はおとなしくしてゐる。四日目位にはまた平常と同じやうに捻がもどる。  学校へ行くにも衣服が穢いからいやだと云ひ、祭日や、式のある日は決して学校に行かない。それは、着物が穢いからいやだといふのである。それで、栄一は自分は着替へはなくとも松蔵だけには着替へを買うて来て与へたが、それでもいやだと云ふ。どうしても袴と黒の筒袖の紋付きが入るのだと云ひ張つてきかない。之には栄一も弱つて了つた。簡易生活主義の新見も養つて居る松蔵に自分の主義を実行せしめることが出来ないのである。それでも初めの程は栄一は松蔵のいやがる儘に、質素の教育を高調して強ひて学校の式にも出よとは云はなかつたが、そんな日に限つて、朝から泥棒に行くので、之は一時間でも、貧民窟の外側に出しておく必要があると考へたものだから袴も買ひ、羽織も買うて与へて見ると、松蔵は得々として満面に微笑をたゝへ、何処かの坊ちやんであるかのやうな態度をして、学校に出て行つた。  その時に新見の思つたことは、矢張り[#「矢張り」は底本では「矢蔵り」]形式が心を移すものであると云ふことであつた。野人も衣冠をつくることによつて聖人の真似が出来ると荘子も云うてゐるが、もし松蔵の心を移すにたゞ簡単な着物一枚や袴一つで足りるなら、そんな便利なことはないと思うたのだから、栄一は、子供の教育の為めには、今迄の考へと全く変つた方法を取つて、松蔵には出来るだけ、小薩張りとした風をさせることにした。  小薩張りとした風をするやうになつてから松蔵は非常によくなつた。柔順にお辞儀もすれば、成績もよくなつた。栄一はこんなに境遇が児童の心に反影するものとは、あまりその時まで気がつかなかつた。その時までは精神的に質素は尊ぶ可きものだと教へ、また自分がそれを実行して示せば善いのだと一図に考へてゐたのであつた。然し世界は自分が出来ることを、凡て出来るものばかりが住んでは居らない。人の魂をよくするのにたゞ質素ばかり云ふので無く、普通の身態《みなり》をさせることも、その人間をよくする道だと教へられたのであつた。  ほんとに貧民窟では質素ばかりを説く可きでは無かつたのだ。より豊かになることも悪いことではなかつたのだ――と気がついてみたが、さて人口一万人もある葺合新川の貧民に凡て相当の身態をして下さいと頼むことも出来ない相談である。つまり、たゞ救済や救霊のみを説いて居ても、之等の人々が一人前の人間になるのでは無いとは、昔から考へて居たことであつたが、こんな時に一層それを深く考へさせられるのであつた。  然し松蔵が殊勝な態度を示してゐたのは束の間であつた、その着てゐる着物が古びると共に、松蔵の心はまた元の通りになつて了つた。  そしてまた電柱の避雷よけの頂上から地中まで埋めてある針金を自分の背の届くところで切り取つて、それを貧民窟に持ち帰つて売るやうになつたのであつた。それを発見した時に、栄一は松蔵を大声で叱り付けたのであつたが、松蔵はそれつきり自分の宅に帰つて行つて、毎日泥棒に行つて学校に行くことなどはやめて了つた。  栄一は毎日それを見るにつけても、残念で堪らなかつたが仕方が無いものだから祈つてゐたが、また喧嘩安が酒の酔にまかせてあやまつて来たので、松蔵を引取つたのである。  今日も今日とて栄一が外から帰つてくると、松蔵はこの態である。栄一は松蔵が巡査に掴つたと聞いてホロリと涙を流した。  そして庭に立つて泣いて居た。然し泣いても居られぬから南本町四丁目の交番所に走つて行つた。然しそこにはもう居らなかつた。そこに居る巡査は三宮警察署に廻したと云うて居た。それでまた三宮まで十二三町の道を急ぎ足で駈けつけた。  受付の巡査は冷酷であつた。栄一は自分が穢ない風釆をして居ることを知つて居た。然し自分の精神を知つてくれるなら、巡査だつて尊敬してくれる筈だと考へた。  受付の巡査は、栄一にかう云つた。 『駄目です、松蔵は明日署長が御出ましになりませんと出すことは出来ないさうです』  結局、栄一は何の事だか薩張わからずに貧民窟に帰つて来た。  栄一は沈んだ心で暮れ行く新生田川の御幸橋の上に立つて泣いた。誰れも慰めてくれるものの無い自分の聖い慾望が寂しく自分の心の中に葬られる。  汚物の捨てられてある両岸に雑草が生え繁り、下水だけの流れる涸れ切つた川に、今点いたばかりの瓦斯の光が美しく反射して、秋の淋しさが一層加はる。  空は夕闇の前に来る薄紫の透明性が増して実に美しい。  新見は静かにその空を見上げて冥想に沈んだ。――岩沼松蔵が悪くなるのも理由の無いことでは無かつた。いくら栄一が努力して愛を注いだ処で、栄一は毎日毎日松蔵の後から随いては回れるわけでは無いし、松蔵は栄一が何となしに、威厳があつてこわいものだから食事時に家に帰るだけで、その他は家に居たことは無いのである。栄一の家にくるまでには毎日拾ひものに行つて、二三十銭の金を儲けそれで活動を見に行つたり、間食をしたりして居たものが、栄一の処に来てからは、僅か毎日五銭の白銅貨一つを渡されるばかりで、拾ひものに行かなくとも善い代りに、それは松蔵に対しては、実に僅かであつた。栄一はそれが多少松蔵に不足の額であることは知つて居たけれど、純良な習慣をつける為めに、他の不良少年がするやうに浪費の癖をつけてはならぬと、色々と浪費の慎む可きことを説いたのであつたが、それは無効であつた。  貧民窟の親達は自分の子供等が、貧のあまり、泥棒しないやうにと良家の子弟が与へられる小遣銭よりか遥かに多くの小遣銭を子供に与へることの習慣がある。最も極端な例としては水田の長男は一日六十銭の小遣銭を費ふと云ふのが一つの誇りになつて居る。それでどんな貧乏な家の子供でも四五銭の金を費はぬことは無い。それで松蔵としては栄一のやうな金持の内に貰はれて来て(松蔵は栄一の子になつたやうな気になつて居る)小遣銭が一日五銭とは第一松蔵の面目にかかると思つて居るのである。  獰猛な顔をして鼻の丸い反つ歯の松蔵は怒つた時には豹のやうな態度に出て食事時に少しでも叱らうものなら茶碗であらうが箸であらうが庭に投げつけておいて、飛び出して行くのである。そんな時に限つて大きな塵箱の中で寝たり、人の軒先で寝て帰つて来ない。  然し近処の子供等は多く小遺銭に不足を感じて居るから、みな拾ひものに行き、銅の泥棒に行く。そして松蔵は近来それら一部の餓鬼大将と云ふ格である。  近処の不良少年には一から二十一までの表までが出来てゐる。一つ、ひんがら目の音吉、二つ、ふくれの辰、三つ、みにくいせむしの徳、四つ、よこはげの新公、五つ、鰯のチー、六つ、むけまらの梅、七つ、泣き味噌藤井、八つ、八釜敷山田、九つ、こせつき河井、十、とぼけの安、十一、暄嘩しいの竜、十二、にくまれもの竹、十三、さかなくひの虎、十四、尻かららつきよの出るチン、十五、豪傑の松蔵、十六、ろくろ首の猪さん、十七、質屋行の直、十八、はぬけの角、十九、首つりのお照、二十、逃げて行く鶴たん、二十一、ぼぼのけんさん。  此表は凡てその少年の個性の特徴を最もよく現はしたあだ名又は形容詞をその上に冠らせたものであつて、見醜い佝僂の徳が幼年監に入獄中に作つて来たものである。此中に第十五、豪傑の松蔵と云ふのが、栄一の世話してゐる岩沼松蔵のことである。これを見ても松蔵の地位がどんなものであるかがよくわかるのである。  これらの中にも、僅か十一才にしかならぬ癖に親の金を盗んで千歳座へ芝居見物に行き、友達四人を連れて二階に陣取つて酒を呑み観客が困るほどふざけ散らかし、たうとう警察に御厄介になつた十二、憎まれもの竹と云ふ頗る付の豪傑も居る。松蔵がこんなものと交つて居る為めに、段々悪くなつて行き、栄一の手にはとても及ばぬと、ほとほと自分が自分に愛想をつかすのである。  松蔵は一晩警察に留め置かれて許されるとすぐ朝早く北本町の栄一の家に顔を見せた。栄一はその時食事をして居たが、松蔵の顔を見るや否や箸をおいて、 『松蔵、帰つて来たか! 朝飯は未だだらう、早くお上り……』 と、云つた切りでその外別に何にも云はなかつた。さう云はれて松蔵は黙つてツクンと庭先に立つて居たが、 『先生――もう悪いこと為いしまへんさかい、勘忍しておくんなはれ――』と簡単に云つて、猶もきまり悪るさうに庭先に立つて居た。  それを見てゐた、岸本の阿爺さん阿婆さんは、 『な、これ松蔵、これからもう悪いことしたらいかんぞ、今度だけ先生に免して貰つてやるさかい、な、これから悪いことしないやうにな、さア、早く飯を食うて出て行かんと学校の時間に遅れるぞ――』  さう云つて岸本のお爺さんは、松蔵の茶碗を取り出した。さう云はれても松蔵は相も変らず、庭に佇立して動かうとはしなかつた。  栄一はそれを見て、眼を閉ぢて泣いた。 [#7字下げ]六[#「六」は中見出し]  樋口さんは、その後忠実に教会に出席をした。そしてどんな寒い朝でも、どんな雨の激しく降る晩でも、教会の礼拝には一度として欠かしたことは無かつた。樋口さんの妹さんは折々病気だと云ふので礼拝に来られないことが有つたが、樋口さんはいつでも達者で、すた/\早足で、脇の浜から毎日曜日と毎木曜日には欠かさずやつて来た。一年近くも一緒に礼拝し、一緒に貧しい人々の友達になると、もう他人とは考へられ無いで、まる切り家内のやうであつた。  それで朔日《ついたち》十五日の休みには、或時にはお寿司を造つて貧民窟に持つて来たり、おはぎを造らへて持つて来た。あまり金持でも無い樋口さんが栄一に対する心尽しには、彼も心から感謝して居た。  それでも樋口さんの家には樋口さんが新川の教会に通ふことに就いて随分激しい反対もあつた。第一お父様が反対であつた。樋口さんのお父様は姉がクリスチヤンであり、自分も現在基督教に関係のある神戸印刷会社に人事掛として出て居るのだが、色々な理由で基督教に反対した。お父様が反対するので、お父様思ひの三番娘の初子も反対した。それに連れられて母親もあまり賛成ではなかつた。  然し栄一は喜恵子さんの熱心な要求によつて二三ヶ月引続いて毎土曜日の晩に、喜恵子さんのお母さんに伝道する為めに聖書研究を脇の浜の樋口さんの家で開くことになつた。  樋口さんの家を訪問することが、何だか罪でも造るやうに考へてゐた栄一は、訪問してみて安心したことは、樋口さんの内には三四人の印刷会社の年若い年期職工が下宿して居ることであつた。それで、栄一は女姉妹ばかりの中にぽかんと一人混るのかと思つて居たら、それらの徒弟職工もみな聖書研究に出席してくれるので安心した。  樋口さんの家庭はきちん[#「きちん」に傍点]と引しまつたもので家の手入などをみても室の整理をみても隅々まで何一つとして散ばつたものとては無く、貧民窟の取乱した家ばかりをみて居る栄一には、こんな整理のよくついた家を見ると心持が善かつた。金が有つて家を美しく持つことは誰でもするが、職工を下宿させて居る位の家庭で而も相当に趣味のある室の手入をみると、栄一は樋口さんのお母さんと云ふ人が余程賢い、つゝましやかな人だと云ふことを想像するのである。  家庭では凡ての人が江戸弁で、歯切れの善い美しい言葉を使つてゐる。栄一はこの家庭の雰囲気が少なからず気に入つた。  それかと云つて、栄一が樋口さんと妙な関係が出来るとは、栄一としては夢にも考へぬことで、栄一は女弟子の善いものを持つたと云ふよりしか以上に何にも考へなかつた。  それにも色々な理由がある。自分の病身であることを心配したのも第一だが、栄一はまだ恋の根本要求は美であると考へた。それでもし鶴子や小秀のやうな、美しい女に恋が出来ないならば、恋などはしないとも考へてみた。それに矢張り身分を考へてゐた。自分は樋口さんよりは一種上の階級の人間であるかのやうに考へることが、貧民窟に来てゐても退かないのである。  樋口さんの宅の聖書研究がすむのはいつも九時頃であつたが、脇の浜から北本町までは十四町あるので喜恵子さんはすぐの妹さんのあき子さんと二人で電燈会社の裏のあたりまで見送りしてくれるのが普通であつた。  秋がたけて冷い風が吹く晩でも、喜恵子は心から新見を思うて見送りしてくれた。あき子さんが、病気で見送れぬと云ふときは、電燈会社の裏が暗いからと云うて、一人で見送つてくれた。 『それは恋だ!』  栄一はそんなに考へたが、さう取りたくは無かつた。二十三の若々しい福々とした白い顔に、薄紅色の頬ぺたをして、東京の下町の女のやうに、伊達な蝶々を水々しく結うて、女工とは決して見え無い絹物の羽織を引つかけて、キユ/\と裾ずれをさせて新見を見送る、喜恵子の姿を提灯の火ですかして見ると、実に凛々しい賢い可愛いものであつた。  鶴子を見た眼や、小秀を見た眼で喜恵子を見ると見当が全く違ふ。鶴子や小秀は一眼見ると美しい。然し長く話をして居ると、話がすぐ尽きて了つて、底には何にも無い。喜恵子は美人と云ふのでは無いが、交際をして居れば、為て居る程雅味が出て来る女で、彼女のしな[#「しな」に傍点]は一つ一つ曲線美を持つて居て踊の美しいものを見て居るやうである。殊に喜恵子の言葉遣の美しいことには栄一も全く魅せられる程であつた。  聖書を読んでも、お祈りをしても、感想を述べても、その言葉遣は全く芸術的であつた。  色々と過去の経験談や、学問のことを話してみると、高等小学校を卒業した後は、読書が好きで、曲亭馬琴や、源氏物語などを愛読したと云うて、馬琴の物語などをよく知つて居るのである。  喜恵子をみて、新見は人間を作るのは必ずしも学校では無いとつくづく考へたことであつた。しかしそれでもまた栄一はたゞ一つ喜恵子が職工であり、自分が市長の息子であると云ふことの感じが、理性に於ては取り去られて居ても感情に於て除くことの出来ない程強いものであることを感じた。  それでも、もう少し喜恵子が美人ででもあればローマンスにもなるがと思つたが、さればとて、美しい小秀を金で手に入れる勇気も無かつた。  そんな風であるから、喜恵子に対して栄一は鶴子に対するやうに熱狂的ではあり得なかつた。然し新見としては、喜恵子に愛せられて居ることを、此上なき幸福と感じ始めた。それは母の愛のやうに温いものであつたからである。たゞ栄一はその喜恵子の愛に対して報いるだけの多くのものを持つて居なかつたことを悲しく思つてゐた。 [#7字下げ]七[#「七」は中見出し]  十一月過ぎ阿波の方から便りが有つて、鶴子は阿波郡の山奥で小学校の教師をして居ると云ふことを聞いた。  なんでも縁談が持ち上つて居るのがうるさくて、一生結婚せぬと云うて山の中へ這入つたと云ふことであつた。  之を伝へてくれたのは聖書売の春木さんと云ふ人であつた。  その後岐阜の牧師で明治学院では栄一と相当親密であつて音無音次の友人である谷田惣一が徳島教会に転任すると云うて、赴任の途中栄一を尋ねて来たので、四方山の話の出た序でに、栄一は鶴子の意志を、もう一度、谷田に確めて貰ふことにした。 [#7字下げ]八[#「八」は中見出し] 『出来るだけお助けしませう』 と云つて小秀を貧民窟の長屋から送り出した栄一は、小秀が不憫に思へてならなかつた。小秀は出来るだけ新見を頼寄《たより》にしようとして居た。栄一もたよりにされることを喜こんで居た。然しそれ以上に深く立ち入つて恋愛を構成するだけの勇気は無かつた。  栄一は小秀が来る前からそこに倒れて居るモルヒネ中毒の患者と、酔払ひを静かに眺めて物思ひに沈んだ。  第一期の恋愛の練習は鶴子で済んだのである。その甘い恋と熱い血の若々しさは、今考へて見ると自分ながら自分の若々しさを思ひ出して、ゾツ[#「ゾツ」に傍点]とする程である。あの時にはよくもまア父に反抗してまでも恋人の処に通つたものであると思ふと、恋の道にはボスポラス海峡を泳いで渡つた人もあると云ふから、実に危いものであると考へられる。  栄一は静かに庭の柱にもたれて、モルヒネ中毒の患者を見詰めた。自分と――小秀と――モルヒネ中毒の患者の間には何等の関係も無かつたものであるが、因果の引合せとは云へ、貧民窟で一緒になつたのである。  モルヒネ患者は元は俳優であつた。両三年前に肋間神経痛にモルヒネを注射し始めてからは、もうモルヒネが無ければ一日として生きて居れなくなつたのである。 『ア、痛い、痛い、ア、痛い』 と云つて新見の内へ這入つて来出したのが、二三ヶ月前からであるが、栄一が親切に田沢のお医者さんから消毒に使ふアルコールとモルヒネを貰つて来てあげるものだから、毎日栄一にそれを貰ひに来るのである。  おそろしく大きな眼玉をギラ[#「ギラ」に傍点]つかせて、青ざめた、髪の毛の延びた元俳優であつた男は、紺の袢纒に猿股を穿いたまゝで、そこに倒れて、身動きもようしないで、ヂツとして居る。その側には『江州』と云ふ呑んだくれが[#「呑んだくれが」に傍点]屁理屈を云つて奴鳴り込んで来たまゝ、倒れ込んで前後も知らずに眠つて居る。  小秀はもう少し長く居りたかつたのであらうが、この様子を見て吃驚して逃げ出したのであつた。勿論小秀としては静かな落付いた女であるから、あまりいやな風をして逃げ出しはしなかつたが、それでも、 『私、こわいわ!』 と一言言つて帰つて行つたのであつた。小秀の願ひは、姉にあたる『おりん』さんが、今度或大工の所に縁付くので金を貸してくれと云ふ要求であつたのだ。その金と云ふのも僅かに三十円で善いと云ふので、勿論栄一は喜んでその金のことを心配したのであつた。  栄一としては、小秀が三十円位の金に困る筈は無いと思ふのであるが、実際事情を聞いて見ると、小秀は借金に困つて居るらしいのである。何でも最初に玉の家に始めてつとめに出た時に衣裳料として借りた三百五十円が未だに支払へないのみならず、その後正月を二つして却つて借金が倍になつたので、最初両親が借りた五百円を加へると、かれこれ千二三百円の借金になつて居つて、とても此上借金をさせてくれないから困ると云ふのであつた。  小秀はその他色々と内間話をして居た。おてかけ[#「おてかけ」に傍点]になれば毎月百円は取れる口はあるのだけれどもと口籠つて云うて居たことも栄一は覚えて居る。そして、 『あなたは今迄におてかけ[#「おてかけ」に傍点]になつたことがあるの?』 と聞くと、小秀は黙つて答へ無かつた。それで、聞くだけ野暮だとわかつたので尋ねただけ気の毒な気がした。 『しかし、こんなことをして、ぐづ/\して居れば一生つまらぬものになつてしまひますからね――』 と小秀が真面目腐つて、云ひ直つて居たことを見ると、小秀は頗る煩悶して居るらしかつた。  栄一の推測する処により、小秀の老母の口振りによると、小秀が現在関係して居る旦那と云ふのは元町の質屋の大将であつて、子供が五人もあり、とても長くは関係して居れ無いので、最近その旦那と、小秀との関係が切れたらしいのである。その為めに、小秀は老いた両親の処へ多少なりとも、之れまで小遣を仕送りして居たものが、もう出来なくなつたので、新見にその世話を頼みに度々来るものらしい。  然し新見としては、どれだけの程度で深入して善いものかわからないし、何だかそんな関係に自分が置かれることによつて、小秀を金で買ふやうな気になつてならないので、新見は深く立ち入つて世話をしようとは、之れまで一度も云うたことは無いのである。たゞ、今度は姉が結婚するのに僅かな金が無いと云ふものだから、御用立てしようと云つたまでゝあつた。  小秀は栄一の確たる答を聞いて喜んで帰つて行つた。それを栄一は必しも憎いとは思は無かつた。然し何とはなしに小秀と自分の間に益々遠い遠い距離が出来て行くやうに考へた。  モルヒネ中毒の男は死んだやうにヂツ[#「ヂツ」に傍点]として居る。江州だけは足を動かしてみたり手を動かしてみたりして居る。  モルヒネ中毒の患者――江州――小秀――自分――貧民窟――恋愛――に栄一は人物に事件とをとり/″\に並べて考へてみた。そしてたゞ妙な世界に住んで居ると云ふことだけは間違ひではなかつた。  小秀は栄一でなければならぬと云つたことは一度も無い、たゞ近い中に大阪の新町にでも鞍換へをせねば今の処ではやつて行けぬと云ふことを繰返して居た。それかと云つて栄一を誘惑しないでも無い。小秀は芸者屋に居ることが永くなればなる程、男を操ること手が上になるやうに、栄一には見える。  折々は栄一も小秀と自分の関係を聖アントニイの弟子のパプナチユウスと美女タイスの関係に等しいとも考へた。  何しろ、現在栄一が関係を持つて居る女の中では小秀が最も美しい女である。それを取り逃がすことは惜しくないことも無い。然し日一日すさんで[#「すさんで」に傍点]行く小秀の姿を見ると、あれで貧民窟の生活に堪えて自分と偕老同穴の苦労が出来ると少しも考へられない。  何となく若いだけに、うぶ/\した処はあるが宴会の席上で男にからかわれ[#「からかわれ」に傍点]るだけあつて、一体に締りが無いやうな気がする。そしてその恋愛が早や営業的に崩されて居る。  殊に小秀の家庭が救済させられることになると、相互的関係の恋愛は全く失はれて了つて、救済者の立場から小秀を眺めることになるのである。  つまり小秀は自分の位置まで登つて来てくれ無いのである。小秀は自分を玩弄物として甘じる覚悟はあるらしいが、労働者の解放を語り、世界の改造を夢みるやうな女ではないのである。勿論自分が引取つて教育する段になると、賢い女であるから多少の進歩はしようが、既に生理的に色慾には疲れて居る彼女に一番奮励して、真理の奥の院を探求する大きな慾求が起るか否かは実際、問題である。  さう思ふと、新見は自分の立場を小秀に明白にしないことによつて、小秀自身を欺いて居るやうにも思はれた。  小秀としては、もしや、新見が自分を落籍《ひか》してくれるなら万更いやでも無い気で居ることは今迄度々謎をかけることによつて知れるのである。  それを栄一は知らぬでも無い。然し栄一はそれを真正面から受取るわけには行かないし、さればとて、全然小秀に『貧民窟に訪ねてくるな』と云ふやうなこともよう云はない。然し、栄一は小秀を性慾の対照にするだけの勇気もなし、ただ、今迄の惰力をそのまゝ引張つて居ると云ふだけで、自分の至聖所の中へ、小秀だけを引張り入れて居るやうな気がしないでもないのである。  然し栄一は今でも鶴子から何とか明確な答が無ければ、他の女には決して云ひ寄らないと云ふ堅き決心はして居るのである。  騎士のやうな堅い決心――そして恋愛に対する神聖な尊敬――それを栄一は自分ひとりできめて居つた。それで自分は今健康もまだほんものでは無いが、いよ/\健康が回復して、自分のやうなものにでも結婚してくれる女があるとしても栄一としては先づ鶴子に一度約束した自分であるから、決して他の女には見向きもし無いで、自分だけは永遠に、男子としての童貞を守りたいなどとも考へた。  何にしても新見は救済者として貧民窟の中に据ゑられた。タイスの誘惑が強く無いこともない。然しどう云ふわけであるか、自分の性慾は制御の出来ない程強いものでは無いことを知つて、信仰の勝利を心の中にいつでも勝ち誇つて居た。  それで、小秀に会ふ度毎に、彼は一段上から小秀を見下すやうになつた。何だか小秀には気の毒ではあつたが、聖人になりたいと云ふ妙な野心が、進んで小秀の誘惑にかゝることを堅く禁じた。  冷たい男と云へば冷たい男である。然し栄一は貧民窟の幾十人の淫売婦と接触して、性慾のドン底を知つて居るものだから、気の毒ではあるが、小秀を取扱ふ時に一人の比較的純潔な淫売婦を救済する気持ちより以上に愛着が湧かなくなつた。  今の気分と、たゞ性慾にのみ支配せられて脆くも、自己の童貞を破らうとした兵庫の店に居た時の危機と較べて、自分にも少し計り意志が強くなつたと云ふのか、硬くなつたと云ふのか、禁止的の意志を頑強に使用し得るやうになつたことを自覚する。  それで艶つぽい、小秀を見送つて、モルヒネ患者に眼を移すと、栄一は早や女のことは全く忘れて、モルヒネ患者の運命を考へ、他念も無く心も取乱さずに居れるやうになつたのである。  雨上りの泥濘の深い貧民窟の路次に秋の夕日が早く移る。  栄一は銀行が閉ぢない中に、早くおりん[#「おりん」に傍点]さんに渡す為めに三十円の金を取り出して来ようと預金帳を淋しさうに眺め乍ら、路次を西に出て行つた。  モルヒネ中毒の患者と、酔払ひの江州は相変らず頭をならべて上り口に死人のやうに倒れて居る。 [#7字下げ]九[#「九」は中見出し]  朝から戸田のおかみさんが泣き乍ら飛び込んで来た。そして大きな声で夫が自分を迫害する有様を述べたてる。  と、隣の虎さんところにも喧嘩があるらしい。虎さんがあまり賭博をうつので妻君が気に入らぬと云うて罵つてゐる。  向うにも親子の喧嘩の罵り声が起る。喧嘩安も何か叫び乍ら夫婦喧嘩をして居る。  戸田の妻君は焼火箸でこんなにせられたと云うて右の股を栄一に見せる。美しい白い膚が焼火箸に焼かれた処だけが三四寸一直線に爛れて居る。 『非道いことするね!』 『いつでもかうなんですぜ、私が身重になるといつでも外に女を拵へて私をこんなに虐待するんで御座ります。私、腹が立つて、腹が立つて仕方が無いんですけれども、イエス様をお念じ申して辛抱して居るんだすがな。  昨夜も、夜遅く帰つて――あれが一時頃でしたかな、酒を買つて来いと云ひまつしやろがな、お金が一文もおまへんさかい、 「お酒買うて来いつて、おまはんが一銭のおあしだつて此頃は家に入れてくれるのではなし、お酒の一合だつて買ふ金なんかありやしませんがな」 と云ひますと、 「甲斐性なし奴が、亭主の好きな酒一合さへよう買うて来んやうな奴が何の役に立つんな」 と云ひまつしやろ。  さう云はれたところで、夜の一時に、どこの酒屋が起きて居りますか? 昼であればいつも行く質屋で袢纒の一枚でも質入して二十銭のお金でも借りて来て、お酒の一合でも呑ましてあげるのですけれども、近頃は何日も何日も家には帰つて来てくれず、一銭のお金だつて入れてくれないでおいて、偶々帰つて来ては「お酒を買へ」なんてよく云へたもんぢやと、ちつと云うてやりましたのだす。  すると、あの肝癪持ちだつしやろ、火鉢の脇で何かしよると思つてゐたら、急に立ち上つて来ましてない、私の両手を後ろ手に手拭で縛つて置いてない。私を足蹴にまでかけて、焼火箸で股をこの通り焼いたのだんがいな……』  戸田の細君はさう云うて、栄一に倒れかゝるやうにして泣き崩れて了つた。  涙脆い栄一は、それを聞いてホロリと涙の滴を落した。  裏も、表も喧嘩は盛んに連続してやられて居る。喧嘩安の所では膳を投げる音がする。ガタン、ピツシヤン、チヤリンチヤリンと膳の毀れる音、茶碗の毀れる音がする。それと共に二三人の幼児が一度に声を立てゝ泣き叫んで居る。  その子供の喚き声を聞いて、戸田のおかみさんがまた物語を始めた。 『然しそれ位ならまだよろしうおますのや、先生、こつちの太股を見ておくんなはれ!』  戸田のおかみさんは左の股を見せて繃帯を取り始めた。 『辰は、焼火箸で私をこんなにして[#「して」に傍点]おいてまだ癪が納まらんと云うて奥からドスを持ち出して来まして、私を殺すと云ふのです。――それで私は――(戸田のおかみさんはこのあたりになつて話がとぎれ、とぎれになつて、纒まつて云ふことが出来なくなつた)――云ひました――辰よ、考へてみい! なア、子供の五人まで慥らへた仲を今になつて、外にいゝ女が出来たからと云うて、面目もない、今日まで辛抱して連れ添うて来たものを、お腹が大きくなつたからと云うて非道い目に合はすと云ふ道理がどこにあるのかつて? ――そしたらない、先生、女だてら、男に口があき過ぎると云うて、私の髪の毛を掴んで引張り廻すんだす、それで私も肝癪玉が破裂しましたから、辰の手に喰ひ付いてやりました――すると、辰は今度は、ドスを抜きましてない、私の上に馬乗りになつて、――私の口に手拭を押込んで声の出ないやうにしておいて―― 「覚悟せえ! お前の生命は今夜限りもらつてやる」 と云つて、ドスを私の咽喉の所に突きつけるですがな。  私はこれまでだと諦めてぐつともすつとも云は無いで息をこらして殺されたらそれまでだと観念して居りました。然し、……おそろしうございましたよ、……然しその時こそ、私は心の底からエス様にお祈りをしました。 [#ここから2字下げ] 『エス様どうか、このわけのわからぬ夫の罪を赦してやつて下さい。私は命をとられることは何ともありませぬが、後に残る五人の子供が可哀想ですから――どうか、もしも神様がお許し下さるならば、私の命を御救ひ下さいませ』と。 [#ここで字下げ終わり]  さうしますとない、十分間位も、辰の野郎ドス(刄)を私の喉笛の上に向けとりましたやろかな、然したうとう喉笛はよう切りまへなかつた。そして此処をこんなにして切りましてん』  栄一は、戸田のおかみさんが繃帯を解くまゝに辰が傷つけたと云ふ股の傷口を検べた。そこに三針縫うてあるが二寸位ゐ切れて居る。おかみさんが云ふ通り中へは余程深く這入つて居るらしい。口が柘榴のやうに裂けて、縫目の糸がまだそのままになつて居る。  それを見て、栄一は眼から涙をほろ/\と流した。そして慰める言葉もなかつた。  然しまた油紙をあてゝ、繃帯を終つた時に、栄一は戸田のおかみさんに云うた。 『をばさん、何にも心配する必要はないよ、辰さんがあまり非道いことをするのなら、この前のやうにみんな私の宅にお出でなさい。私はをばさんが好きだから、をばさんなら、いつでも世話をしてあげます』  おかみさんは岸本老人夫婦に慰められ乍ら台所の上りかばち[#「かばち」に傍点]で泣いて居る。栄一は裏の戸口の柱に立つて居た。  裏の喧嘩は一層激しくなつた、安が燗瓶を庭に打付けたらしい。けたゝましい音がする。疳高い細君の声だ。 『したいやうにするが善いわ…………葬礼にも行きくさらんと、酒ばり呑みくさ[#「くさ」に傍点]つて……』  子供等の泣き声が一度に大きくなる。  賭博ばかりして居る裏の『虎』の内でも夫婦喧嘩が親子喧嘩に変つた。盲の女親と『虎』の細君とキーキー声を出して争つて居る。その間々に之も同じく盲である男親が自分の妻の味方をして熊の妻を口穢く罵つて居る。賭博しても息子は可愛いらしい。『虎』の向筋の紙屑拾ひの家でも喧嘩して居る。此処は細君の連れ子を父親が関係したとかで夫婦喧嘩をして居るのである。  裏の筋の騒ぎを涙を拭きながら聞いて居たおかみさんは茫然庭に立つて居る栄一に云つた。 『此のあたりも存外喧嘩が多うおますな、恥しや……他所の喧嘩を聞くと、喧嘩はいかぬこつちやと気がつくんやけど、その場合になると知らず識らず罪に誘はれるのですわ……なんでもエス様を一生懸命信心して、善い心にならなつまらぬ。  私も元は、こんな、邪慳な心は持つては居ませんでしたんだつせ……ねえ先生――』 『なにも、をばさんが悪いことは無いぢやありませんか?』  側に聞いて居た佝僂の岸本の婆さんが慰めるやうにかう云つた。 『いやそれでも……私も向うが三口云ふ中に一口は出ますからな……その中にはこのあたりのおかみさん達と少しも変らぬやうに頬げたをあげる[#「あげる」に傍点]やうになるのです……ほんとに悪いこつちや……いや、おそろしい、おそろしい。然しね、先生、私だつて元はもう少しましな女でしたんですよ、――之でも、な、お婆さん(岸本のお婆さんを顧みて)二十歳前後には、なんでも甲斐性のある世帯を持たうと思うて表の呉服屋の丸屋に奉公してゐた時は、そら相当に御主人にも可愛がられたのだつせ……然しな、先生、何にも運や……(おなほさんはまた涙をこぼして居る)……私の二十三の時に辰さんは出来の善い人ぢや、男としても立派なものぢやと云ふので、つい、之ぢやと知らずに仲に立つものがあつて嫁入つたのだつしやろな。あとになつて見れば、之ぢやとわかつて、恨んで見ても追ひつかず、ぐづぐづして居る中に後から後から子が産れて、たうとう五人まで産んで見ましたが、辰の心はいつまで立つても変つてくれず、女郎買もすれば外に女も拵へる。それで居て、自分の嬶には子は産ます。その癖産ました子は女にぶちまかして置いて北海道でも、九州へでも自分の思つた処へ飛んで行く……私は、もうどうしようか知らん……こんなことならいつそ海へでも這入つて死んで了はうか知らんと幾度考へたやら知れまへんのです……』 『をばさん、そんなことはどうでも善いでせう、明治になつてから、非人だつて乞食だつてみんな平民なんだから、どんな人だつて区別があらう筈はなし、また特別にイエス様からみれば、どんな大悪人でも救うてやらうと仰しやるのですから、そんな区別が人間にあらう筈はなしね……なんなら私も、乞食の子か、非人の子でも嫁さんに貰はうかと思つて居る位だから、をばさんだつてそんなことを気にしてはいけませんよ』 『……いや、一寸云うてみただけですけれども、私が先生に度々世話になつて、後で知れて先生がお困りぢやとこまるよつてに一寸云うてみただけです。エス様にそんな区別があらう筈はないとは思つて居りましたが、それでも、えらう気にしやはるおかたもおますよつてにな、……私の大阪の叔母などは、そればつかり云うてかいもく[#「かいもく」に傍点]寄せ附けてくれまへんね――私が辰の処に縁付きまして八九年もなりますのに――』 『いや、をばさん、そんな心配はいりませんよ、をばさん、うちの松さん[#「松さん」に傍点]知つて居るだらうな、あれは四国の讃岐の人なんですよ、然し私は松さん[#「松さん」に傍点]を自分の子のやうにして毎晩抱いて寝てやりまつしやろ。神様の眼からみたら、今頃そんな区別は人間にないんですよ。そんなことを今頃くよくよ思うて居ると駄目ですよ』 『そら、先生のやうに学問が出来て、豪うにおなりなしたら、少しもそんなことは気になさらんでせうが、私らのやうな下々のものでは、そんなことが朝から晩まで気になつて仕方が無いのですわ』 『然し、そこがイエス様を信じて、凡ての世の間違ひから救はなければならんところでせう』  先きから表の入口の敷居を美しく拭いて居た岸本のお爺さんは声をかけた。 『さうや/\。おなほさん、もうあんまり心配しないで、みんな先生にまかしいな[#「しいな」に傍点]、何にもそんなことを心配する必要が無いと先生が云ははつとるやないか、子供を連れて先生に世話になりにお出で……』 『それぢや、さうしまつさ……それでは先生、まアよろしくお願ひいたします。お爺さんもお婆さんもよろしく御頼み申します』 さう云うて、おなほさんは路次から姿を消した。それを見送つて岸本のお爺さんは独り言のやうに云つた。 『よう出来た女やけど、ほんとに不憫なもんやな、辰はもう少し甲斐性のある男やと思うたけど、ほんまのあかんたれ[#「あかんたれ」に傍点]やな。』 [#7字下げ]十[#「十」は中見出し]  それから四五日経つた日の晩であつた、裏に人殺しのあつたのは。それは丁度、水曜日の祈祷会がすんで、竹田や、浅田等の青年を始め、藤田、伊豆等の中老株の信者などがぼつぼつ帰つて、栄一は遅がけに来た樋口さんや(樋口さんは九時の残業を了つて祈祷会に出て来たのであつた)竹田などと、四方山の話をして居る最中であつた。 『人殺し! 人殺し!』 と云ふ叫びが、若い女の声で裏の通にした。  そしてそれに続いて、声も無く、跣足で四五人のものが慌ててドヤドヤと走る足音がする。  するとまた女の声で、 『キヤツ!』と云ふ声がしてバツタリ倒れる音がする。  また男の声で、 『やられた! やられた!』 『あむない! あむない!』 『常のドスを取つて了へ』 と云ふ叫びがする。足音が西に東にする。  そしてまた次の瞬間は静かになつた。  栄一はすぐ裏に飛んで出て見たが、十一月の秋の澄み切つた空には星の光がキラ/\して居た。  栄一に続いて、竹田も樋口さんも飛び出して来た。栄一の飛び出す頃には近所の誰彼とも無く、みんな騒動が何であらうかと飛び出して来て居た。  栄一は虎さんの庭を素通りにさせて貰つて、散髪屋の前に来てみると、 『もうあかん! もうあかん!』 と云つて居た。  そして娘――それは昼義理の父親と関係があるとか云ふので、その母が父親と喧嘩して居た――その娘を大勢が抱へて、おしん[#「おしん」に傍点]の筋の一番西側の家に担ぎ込んで居る処であつた。  血が沢山で、抱へた人々の手は真赤に染つて居る。世話好きなおしん[#「おしん」に傍点]は此時こそと云つたやうな風をして世話をして居る。  栄一がそこに顔を出したので、おしん[#「おしん」に傍点]は、 『先生、この娘はもうあきまへん、えらいことになりました。(側をふり向いて)――医者へ誰か走つたか、早う行つて来な、あかんがな』  娘を見ると、それは栄一のよく知つて居る娘である。近頃仲居して居たのが帰つて来たとかで、今度は福原へ娼妓に売られるのだと云ふ噂のある娘で、顔立の可愛らしい一方の眼が他方より少しく大きくて、頬ぺたの赤い面長の蝶々に髪を結うた娘である。  噂せられて居る父親と云ふのもそこに居る。此男は栄一のよく知つて居る男である。五分刈の白髪頭に味噌髯を生やし、鼻の上に皺をよせて狡猾さうな顔をして居るが、あばたの痕があるので、一層おそろしくいやにみえる。  母親もそこに居る。母親は紙屑買である。顔の面積の広い支那人のやうな顔付をして居る。ようまアこの母親に切られた娘のような美人が生れたものだなアと思はされる程である。然しよくみると若い時には之れでも美しかつたらうと思はされる節々もある。  そこには近所のものは大抵よつて来て居る。  おしんが娘の名を呼んで居る。 『おことさん、しつかりしいや!』 『おことさん、しつかりしいや』  義理の父は奥の二畳の間でぼんやりと煙草を吹かしてゐる。母親は小さい声で、 『おしんさん、この娘はもうあかんな、こんなに血がたんと出たら……』 『あかん[#「あかん」に傍点]やろな、わしやなにもわからんが……誰か脈みてやつてか、わしや脈なんて、ようみんわ……』とおしんは大声で笑ひ乍ら云うて居る。  それで新見は進んで、おこと[#「おこと」に傍点]の左の手を取つてみたが、脈が微かに摶つて居る。然しそれも時々止るのである。 『おしんさん、脈は非常に悪いわ……医者はどうしたの……』 『医者へ――誰れか走つて行つてくれたかな?』  誰も返事するものが無い。 『誰れも行つてくれたのや無いのか? さいぜんからわし[#「わし」に傍点]があんなに云うて居るのに。』 『おしんさん、何処の医者な――(此処まで大きい声で云うて、独り言のやうに)――このあたりのお医者さんは、お金を先に出さな薬一つ呉れへんのやけんな、やア車を連れて来うとか、車代を置いて行けとか……この貧乏人の多い街に、人力車が居るもんかな――』と虎の妻君が、喧嘩安の妻君と話をしてゐる。  これを聞いて、おしんは叱り付けるやうに、 『姉川でも、田沢でも、何処でも善いのや』と呶鳴つて居る。 『田沢のお爺さんが来てくれるもんか、――』 『姉川は車呼んで来いと云ふぜ――』  おしんは新見に振り向いて云つた。 『先生、この娘の生命を助けると思うて田沢さんでも、誰れでもかまひませんよつて、呼んで来ておくれやすか? お使ひだて申しましてすみまへんな――』  それで新見が走らうとすると、先きからこの光景をみて居た竹田が、 『先生、私が走つて行つて来ます、上の田沢でせう』と走り出す。  樋口さんも、やさしい声で、 『私が行つてもよう御座りますよ』 『ぢや、竹田君、君、頼む、私の名を云つてね。お金は私が払ひますからと云つてね』 『先生、誠に済みまへんな』とおしんも母親も二人ともお辞儀をして居る。  そこへ二三人大きな男が胸をはだけて這入つて来た。一人は松蔵の兄だ。外の二人は向側の相田の息子で市役所の塵芥曳をして居る堅気の青年である。  松蔵の兄は大きな吐息をついて、 『あゝ、しんど[#「しんど」に傍点]、常の野郎、掴へてやらうと思うて、走つたんやけんど、あいつよく走るね……鉄道を越えてな、ずつと上へ行つたわ……あいつ、今夜鉄道往生でもせえへんかと思うて心配なんや……』 『一度掴まへるは、掴まへたんやで、三人でな……然し常は力が強いからな、すぐはい[#「はい」に傍点]起きて上へ上へと走つたんや』と相田の下の弟が云ふ。  松蔵の兄は中の庭に這入つて行つた。さうして娘の様子を聞いて居る。向うの青年二人は尚も表に立つて大勢の近所の人々と話をして居る。 『わしはもう生きて居られんのや……と常は泣くやうに云ふのは云つて居たがな、それで或は鉄道の方へでも飛んで行くのでは無いかと思つて心配して跡を追駆けたのやがな、向うは一生懸命やろな、こちらが平常から走りつけとらんやろ、上の風呂屋の処まで行くと、もう走れへんね、種公一人走つて行つたのや……それも鉄道を越えてすぐに姿を見失うたので、帰つて来たのや……』  表で相田の息子等が大きな声でみんなと話をして居る中に、紙屑買の家ではおしんが中心になつて生命を取り止めようと思つて一生懸命になつて居る。  軽微な痙攣が来たらしい。おこと[#「おこと」に傍点]の左の顔面筋が痙《つ》る。切られて居るのは右の肺部を刺し貫かれて居るのである。そこに古い手拭を巻きつけて居るのが真赤に染つて、見るも惨酷な様な光景である。おことの息はもう無くなつた。  おしんが、 『水! 水! 水!』と叫んだが、  身動きの鈍いおことの母親は裏に行つて何かコトン、カタン云はして居るばかりで、出てくるのに暇がかゝる。  おしんは表に向いて呶鳴つた。 『按摩さんところのお爺さん、お婆さん、早うお燈明あげて、おことの生命のとり止めるやうな御祈祷をしていな!』  おしんがさう命令すると、それを受継いで、 『おぢん、御祈祷や、御祈祷や』と聾の――耳の遠い盲の阿爺さんに虎公の妻が呶鳴つて居る。  按摩の爺と婆は危なげな歩みで家に帰つて行つて、急いで御神前にお燈明をつけて居る。軈て太鼓が鳴り出す。見物人がその表にも立つ。 『南無妙法蓮華経々々々々』が繰返される。そこへ竹田に連れられて田沢さんが来る。大勢のものが戸口への道をあける。  新見は静かに礼をして 『毎度、御足労をかけましてすみません……この娘で御座います……』 『どんなにしたんや?』  おしんは、笑ひ乍ら、 『この児の兄きが一寸の間違ひで、斬付けたので御座ります』 『どれ、その手拭を取つてみい!』  脈を取つてみて――驚いた様な風をして、 『こら、もうあかんがな、事切れになつて了つてゐる。脈がもうちつとも無いがな!』  おしんは吃驚したやうな顔をして、 『もうあきまへんか?』  おことの母親は水を取りに行つた儘庭に立つて、蔭から斜に顔を出したなりで恥かしさうに覗いて何にも云は無い。 『――さうやろ、これだけ、たんと[#「たんと」に傍点]血が出たらな、誰れでもあかんが』――おしんはさう云ひ乍ら、おことの首の廻りにある古手拭を取つて居る。  田沢さんは老眼鏡の上からすかせて見て、 『外からはわからぬ――肌を少しぬがせてみい!』 と云うた。それでおしんは、新見の手をかりておことの肌を少し脱がせた。  美しい白い肌に刄の跡が美しく這入つて居る。それが細い身体なものだから、背部から腹部まで突き通つて居る。  おしんは今更の如く、不思議がつて居る。 『非道いことやつたものやな……どうしてこんな非道いめに合はしたのやろな……どんなにしとつたのやろな……』  それで庭に立つて居た松蔵の兄が、 『あの穴門の溝の処で何かに蹴躓いて倒れたらしいわ――逃げて行きよる時な――その上へ馬乗りになつて背中から指し通したものやろな――』  表に居る相田の兄弟がその声に合して、 『さうや、さうや、わし等が出た時には常公はまだ、ことちやんの背中に馬乗りになつて居る処であつた――「奴畜生めが」とか云つて、刀を突きさしたらしい』  田沢先生は例の小さい手帳を懐から出して、おことの住所、姓名、族籍、親子関係などを聞いて居た。そして帰ると云ふ間際になつて、 『こりや、早く警察に云はな、いかんぜ!』  と云ひ置いて一人とぼ/\帰つて行つた。  おしんは、ひとり言のやうに、 『えらいことになつたな!』と云うて、  向ひのお爺に大声で、 『おぢん[#「ぢん」に傍点]、もう御祈祷あかん、あかん、娘はもう息が切れたわ!』と叫んで居る。それを聞いて大勢のものは、みな自ら笑つた。おしんがさう云つて喚らぶ[#「らぶ」に傍点]と、南無妙法蓮華経の声はやみ、太鼓の音も自ら止んだ。  急に路次は静かになつた。その瞬間に四五十人寄つて居る近所のもので、一言だつてもの云ふものもなかつた。 『……………………』  栄一は静かに俯いて、祈つて居た。竹田も樋口さんも祈つて居た。  母親が台所で涙をすゝる音が聞こえた。           ×     ×     ×  翌朝『常』が三の宮の踏切で鉄道往生を遂げて居ると近所で噂が立つたので、栄一はおしんの処に聞きに行つたが、それは真実《ほんと》であつた。  その日の午後四時頃、秋の太陽はもう既に暮に近かつたが、二つの棺が新見の宅の裏から出た。  お葬式の鐘が、路次へと出棺を知らせた時に、新川の貧民窟は全く魔性に憑りつかれて居るかのやうに感ぜられた。  人殺しがあると妙に、人殺しが流行るのが新川の癖でそれからまた二三日経つて、吾妻通六丁目の二畳敷でも人殺しがあつた。之は細君が姦通したとか云ふのに憤慨して、細君を斬り殺したのであるが、すぐ掴まつた。  それは新見の小さい教会の信者の繩屑拾ひの伊藤の隣りの家であつたことだから、伊藤は如何にも珍らしげにそれを新見に話した。 『そら、先生、そら、新川は、先生などがお出でたので善くなつたんだつせ、そら、此処二三年前と云つたら、毎日のやうに斬つたり、はつたりと云ふことが有つたものです。私が知つとるだけでも、一昨々年が十三人殺されとりますわ、一昨年が十人、昨年は先生などの御尽力や警察が八釜敷いので六人、今年は、まだ之れで四人か五人かと思ふとりまんな。それでも来る年、来る年に、人殺しが減つて行きよるのを見ると、新川も少し善くなつて行きよると見えますな。  之で新刑法の布かれ無い前と云へば、どんなものでしたかいな、女でも子供でもみな懐刀を持つか、ピストルを持つかして居つて、何ぞことがあると云へば、すぐやるんだすよつて、そら危いことと云へば話になりませんなんだがな。然し新刑法になつてみんな懐刀を取りあげられたのと、あなたがたが、かうやつて新川へお越しになつて子供なぞでも、お辞儀の一つを覚え、『先生』『先生』と云つて、まびれ行きますし、色々困つたものゝ面倒は見ておくれやすよつてに、人の気がな、段々軟らいでな、人三人殺すところが、二人に減り、人二人殺すところが一人に減ると云ふ具合に、段々善くなるのだすな。  いや、全く先生などの御尽力が無ければ今日のやうな此の不景気な時に、とてもぢや無い人殺しが減ると云ふことはありやしませんぜ。第一、先生が来られて賭博が減つたのは吃驚する程ですわ。一昨年までは女でも子供でも、チーハー[#「チーハー」に傍点]賭博に夜の眼も睡ずに一生懸命になつたものですがな、先生が、日曜の毎朝讃美歌をお唱ひになつて路次をお通りになり、辻々で説教をなさるものですから、 「ほんとに、さうかいな」と、 感心するものと見えますな、近頃は私らの近処でも、ほん[#「ほん」に傍点]に賭博をうつものが少なくなりました。  然し、もう一つ人殺しが新川に無くならんと新川は文明になつたと云へまへんな。……然し無理御座いまへんわ、お内の裏の紙屑買ひだつてさうだすが、私の隣りの仲仕の留公の内だつてさうだす。僅か二畳か三畳の所へ親子四五人が二枚か三枚の蒲団の中へ這入つて寝るんだすよつてに、いくら悪い気が起らん聖人でも、ついない[#「ついない」に傍点]若い女の膚に触れて見れば妙な気が起ると云ふこともありましてない。  たゞ頭から姦通《まをとこ》するな、悪いことをするなと云うた処で、新川のやうな貧乏人の多い処ではつい/\間違ひが起りますとない。……それぢやから、新川をよくしようと思へば新川を焼き払ふより外におまへんな――』  こんなことを、伊藤は云うて居た。道理のあることであるから、新見は面白くそれを聞いた。 [#7字下げ]十一[#「十一」は中見出し]  イエス団に居た髯さんの谷本が仕事が無いので何にか仕事につけてくれぬかと新見に依頼して来た。  元来谷本は金筋のお坊さんで、いつも市中を廻り歩いて何々寺の[#「何々寺の」は底本では「何何寺の」]金堂を建造するから応分の寄附を頼むとか、今度は何々講の[#「何々講の」は底本では「何何講の」]発願で何処そこへ何々塔を建てるとか云つて毎日それを専門に廻つて、その寄附金を全部自分の生活の使途に用ゐるのである。之を無頼漢仲間では金筋と云うて最も放胆なものがすることになつて居るのである。  それが、教ヶ島の紹介で谷本がイエス団に来てからは、何を思つたか彼は一心面目を改めて、専心今迄の悪徳を恥ぢ、心より新見の云ふ通りになつて、之から新見の為めならば一命を投げ棄てゝも構はないと云ふ覚悟を示したのみならず、実際彼は有力な新見の援助者となり片腕となつたのである。  最初の程は耳掻き楊子を削つて居たが、それも少の間しか纒まつた註文が続かなかつたので、彼は小森から下の三畳敷の附近一帯二十七軒の差配にして貰つて兎に角辛うじて家賃だけはたゞの家に住むことになつた。それで自分の食ふ分は耳掻きの註文が日に百でも百五十でもあればどうぞかうぞ食へるのであつた。然し近頃の様に不景気になつて、大阪からの註文が途絶すると、彼は全く食へないので遂にまた新見にどうか生活の道をつけてくれと依頼して来た。  新見はその当時、病人の世話ばかりでなく積極的に簡易食堂を貧民窟の為めに設けたいと思うてゐたから、直にウヰリアムス博士と相談して谷本にそれをやらすことにした。  その為めに新見の住んで居る街の一町上の広い表筋に一軒の店を借りて、そこで『天国屋』と云ふ一膳飯屋を開業することにした。  開業の費用万端は勿論凡て新見の負担することにして、もし利益があるなら谷本が六分取つて残りの四分は新川の貧民救済費に使用する。その代り損害があるなら毎月家賃八円と外に十円位までは新見が入れ足しをしても善いと云ふ約定で、開店することにした。  谷本は色々古手屋を漁ることが上手なものだから、表の格子から大釜、中釜、小釜、それから汁鍋、煮附皿から、うどんの鉢、ざる籠から、火鉢、十能、茶碗は大きな奴が百人分、小さい奴は昨年のクリスマスに貧民接待に使用したものがあると云ふので、それで辛抱することになり、表の暖簾には、大きく紺地に白で『天国屋』と染め出したものを作り、かれこれ、百二三十円の経費をかけて準備万端整うたのが十一月の十七日であつた。新甞祭を期して開業しようと云ふのであつたけれども、それでは出資の利子の五日分だけでも損をするからと云ふので、十八日の朝から直ちに開業することにした。実際百円の金を高利で借りる日分の利子にすれば大きなものになるから、谷本の云ふのも尤もであると考へられたのであつた。  十七日は朝から貧民窟に住んで居る栄一の知つてゐる東西屋を頼んで貧民窟を布れて廻つてもらつた。  その東西屋の布れかたが、あまり露骨で、凡ての飯は無代価のやうに布れたものだから十八日に来るわ来るわ、朝の三時半から詰めかけて、二斗炊いた飯が五時頃には早や売り切れて居たのであつた。谷本は、 『之は少し見当が違うた』とまた炊直して居たが、今度慌てて炊いた飯は大失敗であつた。  今度の飯は半分しか炊けて居らなくて、売ることは出来なかつた。それで裏の二畳敷の人々に貰ひに来いと布れて廻つた。すると瞬く間にそれも無くなつて了つた。  天国屋の商売は思つたやうに面白くは行かなかつた。  新川の木賃宿には狡猾な無頼漢が多く居て食ふことは一人前以上食うておいて、勘定を払ふ段になると、 『おつさん、今夜は、仕事に行つてな、勘定貰つて来たらな払ふからな……貸しといてや』 と出て行くと、サアもう決して再び食ひには来ないのである。つまり上手に食ひ逃げするのである。それかと云うてこちらは貸さぬと云ふわけには行かぬし、元来が困つた人々を助ける為めにして居ることであるから朝飯の金さへ無いものには特別に貸してやりたいのであるけれども、或種の無頼漢の間では賭博をする金は持つて居ても、飯屋に払ふ金は持たぬと云ふのだから始末に終へ無い。  之等に対する決算は全く、新見が最初天国屋を経営することを目論見した時には頭に入れておかなかつたのである。  ところが毎日こんなものがどうしても三四人は出てくる。  帳につけるから名前だけ知らせてくれと云うても、 『夕方にな、持つてくるから、帳につけ無いでおいてくれ』とかう云ふのである。そしてその夕方に帰つてくるかと思へば決して帰つて来ない。毎日売上金が十四五円あるが、その中一円四五十銭から、一円五六十銭までは、この種の無銭飲食に奪はれて了ふのである。之では一膳飯屋のやうな、薄口銭の商売はとても立ち行かないのである。  それで谷本も新見にすまない/\と云ひ出した。  然し他と比較して善いものでも食はせるかと云ふに、とても善いものを提供出来てゐるらしくも無いのである。新川の貧民窟に八軒の飯屋があるが、天国屋が最も清潔で、食器が美しいと云ふ定評はあるが、『天国屋は味付が甘過ぎて労働者には向かぬ』と云ふ批評もあれば『魚の切身が小さ過ぎる』と云ふものもある。  然しそれはその筈で、他所であれば、少々腐りかゝつて居るのを炊いて売つても少しもかまはないのであるが、こちらは、天国屋の名にふさわしからぬものを売つて、一人の病人でも出してはならぬと思うて少々高いかと思はれても、新鮮なものを炊いて売るものだから、それが値段の上に現れてくるのである。  然し天国屋を常得意にする沖仲仕達や手伝人足も七十人や八十人はある。その外天国屋のお菜はよく煮けて居ると云つて、お昼のお菜だけ買ひに来る長屋のおかみさんもあり、天国屋を常食堂のやうに利用して居る不良少年の二三人もあつた。  栄一も折々朝早く大鍋に煮た味噌汁をみんなと一緒に啜る為めに出掛けることもあるが、頗る甘いもので長屋で二三人が食ふよりかズツトうまかつた。  そんな時には栄一はお給仕の手伝をするのであるが、大盛飯と云つて、鉢のやうになつて居る茶碗に一合五勺位の飯を円錐形に盛り上げたものが四銭五厘で、それよりも小さい中盛が三銭、小盛が二銭と云ふのであるが、善く食ふものは大盛を三杯も平らげるものがある。栄一などは中盛一つも食へば腹が一杯になるが、労働者はよく食ふものだと栄一は屡々吃驚したのであつた。  然し一度に食ひ溜める人には注意をしなくてはならぬので、そんな人間に限つて、最後に金は払は無い。そして貸してくれとか、忘れて来たとか云うて居る。  谷本は新見の心をよく知つて居るからそんな時には少しも腹立たしいことは云は無い。 『ア、よろしう御座ります。また今度持つて来ておくれたらよろしう御座ります』 と云つた様な調子である。  時によると、 『酒くれ!』 と云つて威張る人間もあるが、『こちらは耶蘇ですから酒はありません』と答へると、自分手に向ひの酒屋へ酒を買ひに行つて、それを御丁寧にも、天国屋へ持ち込んで独り酌でチビリ/\やる人間もあつた。  栄一へのせめての慰めはあまり損をし無い範囲内で、貧しい人々に純良な食物が供給出来ると云ふことであつた。  然し困つたことが一つそこに出来た。それは植木屋の戸田が谷本は資本を出して貰つて一本立にして貰つて居るが、自分は少しも顧みてくれぬと云うてぐずり出した事であつた。 [#7字下げ]十二[#「十二」は中見出し]  ちやうど、十一月の三十日の日であつた。昼から酔うて、そこらあたりの散髪屋の木賃宿で管を巻いて居た戸田辰次郎は、午後の四時過ぎ、近江屋と云ふ水田の親分の向う側にある一膳めしやから出て来たかと思ふと、すぐその足で、約一町程西の天国屋へ暴れ込んだ。  戸口の天国屋と印した紙を一面に貼つてある格子戸を砕ける位引き開け、 『こら、髯! 居るか? 出てうせ! 今日は一つおまへの細首を引抜いてかましてやるんぢや!』  谷本は内で勘定して居たが、笑ひ乍ら出て来た。表には早や一面の人だかりである。 『まアそんなに怒らんでも善いがな! 今日は少し御酒《おみき》がきゝすぎて[#「きゝすぎて」は底本では「ききすぎて」]居るから、まア静かにせんかい!』  幸にも飯屋にはお客さんは、一人も無くて――昼飯と夕飯の間なものだから――中はひつ[#「ひつ」に傍点]そりして居た。 『辰』は大勢が見て居るので調子に乗つて、 『こら、髯、ちつと金貸せ、金を。』 『金つていくらいるんな?』  谷本は至極真面目である。 『百円貸せ! 百円! わしもおまへのやうに、飯屋するのや』  さう云ひ乍ら辰は、チヤブ台の上に腰をかけて、巻煙草をふかして居る。谷本は黙つて居る。 『こら、返事せえ! 百円貸せと云へば、百円貸さんかい……無い! 有るぢや無いか! 立派にこんな商売が出来てゐるぢや無いか! 人を嬲《なぶ》りよつたら殺して了ふぞ』  谷本は奥へ這入つて、黙つて五円紙幣を持つて来て、 『そら、辰、今日はこれで堪忍してくれ!』  と辰に差出した。  辰はそれを見て、 『フム、それ何ぢや、奴畜生が! そんなはした金で飯屋が出来るかい! 此餓鬼め! 馬鹿にすない! こら髯! 貴様は元何ぢやい、金筋の生ぐさ坊主ぢや無いか! 詐欺取財で前科三犯ある大悪人ぢや無いか! 今度も、あの青瓢箪の新見の野郎を訛《だま》くらかしやがつて、百円も金を巻き上げて、一軒の店でも出した積りで大きな顔をしやがつて、えらそうに、人に会つても、ろく/\挨拶も為やがらへん!  こら髯! 辰公はな、五円や十円の端した金で、こんなに云うて来るんぢやない!』  辰は、チヤブ台から飛び下りるとすぐ汁鍋の処にやつて来て、鉄の汁鍋を砕けよとばかり、土べたに擲きつけた。汁鍋はこつぱ微塵に打砕けた。  その次に辰は竹の格子の向う側に積み重ねてある二三十人前の茶碗に目をつけた。そしてそれを突き落した。  くはへて居た巻煙草を捨てゝ、 『之から、新見の処へ暴れ込んでやらう!』と独り言のやうに云うて表へ出た!  大勢のものゝ中には、辰を止めるものは一人もなかつた。辰の走ると共に大勢のものも走つた。  何処から走つたか、谷本は注進する為めに辰より先に新見の処に飛んで来た。それは辰は路次の抜け道を知らないので表の方から廻つたのを、谷本は抜け道から来たのであつた。  新見は此間上の広場で拾つた蹇跛のおみつと云ふ病人の世話をして居たが、慌たゞしく谷本が飛んで這入つて来たので、 『何ですか? 谷本さん!』  と尋ねると、谷本はあわたゞしく、 『辰の嬶や子供等は何処へ行きましたかいな、唯今、辰がこちらへ暴れ込んで来ますからな、早く逃がしてもらつて欲しいのです』 『おなほさんは子供を連れて綿屋に行つて居ります……家は大丈夫です』  さう云うて居る中に、辰は大きな斧を持つてやつて来た。斧は近江屋の薪を割る斧である。  谷本はそれだけ云うて置いて逃げるやうにして馳せ帰つたが、辰は栄一がいつも居る台所の戸が閉つて居たのを、斧で擲き割つて這入つて来た。  その擲き方があまり非道いので、向ひの塵芥曳の河津の爺さんが出て来て、 『これ、これ、あんた何にしなはるので、そこは先生とこやないかいな。なんでそんなに斧などを持つて来て、擲き割るやうな怨みがあるのだす。ほんとにあなたは無茶やな』と叫びつゝ這入つて来た。  河津の婆さんは大急ぎで交番所へ走つて行つた。  辰は栄一が台所にして居る所に這入つたが、栄一が居らなくて、岸本のお婆さんだけしか居らないので、あまりあつけ[#「あつけ」に傍点]無いので弱つて居る。 『お婆! 青瓢箪は何処へ行つたんなら? うちの嬶は何処に隠れくさつたのか知ら?』 『えい!』 と辰は大斧を振りあげて、そこに立つて居た障子と云はず棚と云はず、土瓶から釜から、テーブルまですつくり擲き壊して了つた。  岸本のお婆さんは奥の方で小さくなつて身震ひして居た。  この物音を聞いて飛び込んで来たのは裏の喧嘩安である。赤く錆びた刀を引き抜いて裸体の儘やつて来た。  裏口に立つや否や、大声で、 『こら辰! 喧嘩なら来い! 俺は喧嘩安ぢや!』  それを見て驚いたのは新見である。二人の酔払ひを喧嘩させてはどんなことが出来るか知れ無いと、 『安さん、わかつた、わかつた!』  と後から飛び付いた。  河津の娘婿で、辰と一緒に手伝人足に出て居る、通名『秀』と云ふ男も、消防手の風体をした儘飛び込んで来た。  然し『秀』が止めた位のことできくものか。辰は喧嘩安に眼もくれないで表から隣りの家に廻はつたかと思うと、つか/\と下駄のまま座敷に上つてオルガンの処へ飛んで行つて、また大斧で、オルガンを擲き毀して居る。蓋は飛ぶ。鍵盤は散る。それこそ阿修羅の荒れるやうである。  戸田はまた暴れて居る。椅子を一生懸命に破壊して居る。それでとても危険で寄りつけない。  栄一は辛うじて喧嘩安を自宅へ連れて帰つて細君に渡して置いて、引返して来たが、二つの椅子を目茶苦茶に壊し、三つの椅子にかかる間際であつたので、戸田は栄一を見るなり椅子は捨てて置いて、栄一に飛びかゝつて来た。 『こら、青瓢箪!』と云ふや否や豹が獲物を取扱ふやうに、栄一の胸倉掴んで腹を下駄穿きの儘の足で蹴る。その時に『秀』は後ろから飛びかゝつて、 『辰! 何にしとなんな、此恩知らずめが!』と辰を掴まへた。 『お爺《やじ》! 早やうほそびき[#「ほそびき」に傍点](麻繩)持つておいで、こいつ縛り上げてやるね、少し此奴のぼせ[#「のぼせ」に傍点]上つてけつかるから、懲しめてやらないかん』 『秀』にかゝると、辰は存外弱い。それに酒に酔うて居るものだから思つたより力が出ないものと見えて、安々と『秀』に捻ぢ伏せられた。  さうなると、近処の誰れもかれも飛び出て来て『秀』に加勢して居る。  恰度その時燐寸工場から帰つて来た隣りの『勝』も『秀』に加勢すれば裏の虎さんも加勢をする。ひよろつく[#「ひよろつく」に傍点][#「ひよろつく[#「ひよろつく」に傍点]」は底本では「ひよろつ[#「ひよろつ」に傍点]く」]けれども元気な河津の爺さんも加勢をする。女房連も加勢をする。  それで巡査が来るまでに、辰は綺麗に後手に縛り上げられた。辰は縛り上げられた儘教会になつて居る広い方の入口の庭にぐつすり酔ひ潰れて睡つて了つて居る。唇を自分に噛んだか血がふき出てゐる。  そこへ三人の巡査が、サーベルをがたつかせ乍らやつて来た。 『秀』は表へ出て巡査を迎へて云うた。 『あまり暴れ方が非道うおますさかいな、あんなに縛り上げてやりましてん』  新見は腹を蹴られたのが痛んで居たが表に出て巡査にお辞儀をした。 『お怪我はありませんでしたか?』 と一人の巡査が尋ねた。  も一人の巡査は家の内へ這入つて破壊した後を見て驚いて居る。 『よう、まアこんなに暴れたもんぢやなア!』  岸本のお婆さんは佝僂の躯を運んで表へ出て来た。そして向ひの河津のおかみさんに聞いて居る。 『私の頭はどうかなつて居りまへんかな、少し血がつくやうですが。さいぜん、辰さんが障子を壊した時に、障子の壊れた木片が一つ飛んで来ましてな、私の頭に当りましたのです。その時は何ともなかつたのですが、今触つてみると血がつくのです……』 『あ、ほんに、おばん、少し……ちよつと[#「ちよつと」に傍点]だすけど、切れとりまつさ! あまり非道うなうて結構や』 と河津のおかみさんが親切に云うてゐる。  三人の巡査は縛り上げられた儘そこに打倒れて居る辰公を、交番所に持つて帰る工夫に就いて色々と工夫をこらして居る。栄一は酔が醒めると本性に帰るから、此儘にしておいてやつてくれと巡査に頼んだ。が巡査は聞き入れない。辰を引起して、一人は左の腕を持ち、一人は右の腕を持ち、最後の一人は辰の首筋を掴まへて前の方へ引張つて行つた。  物珍らしげに貧民窟の女や子供はその後について、小野柄橋際の交番所まで従いて行つた。  辰は交番の中でも暴れるので、巡査は消防手を頼んで来て、荷車の上に辰を縛り付けて本署に送ることにした。  辰は荷車の上にがんじがらめに縛りつけられて死人のやうに成つて居た。  荷車の上に縛りつけられて居る最中に、辰の妻の『なほ』が夫のことを聞いて四人の子供を連れて――一人は背負ひ、一人は手を引き、一人は姉娘に背負はせてやつて来た。そして夫が今荷車に縛りつけられた儘[#「縛りつけられた儘」は底本では「縛りれつけられた儘」]警察署に送られる光景をみて、荷車に取りついて泣き倒れた。四人の子供は母が泣き崩れたので、何事か知らぬが、一度に大声を立てゝ泣き出した。  そんなことには遠慮なく、五六人の消防手は細長い提灯に火をつけて、巡査二人が先に立つて辰を載せた荷車を曳き出した。  その光景を遠くから見て居た栄一は、小野柄橋の欄干に凭れて、泣いた。 『なほ』は三四間離れた処について[#「ついて」に傍点]荷車の跡を追つた。西へ、西へ、その荷車の轍の音が消え、四人の子供を連れた悩める母の姿も夕闇に消えた。  街には、たつた今、とぼつたばかりの電燈が澄み切つた秋の夕空に、ちらついて居た。 [#7字下げ]十三[#「十三」は中見出し]  おみつを拾ふたのは十月の半頃であつた。松蔵が上の広場で、乞食のおみつが病気して居ると云ふことを栄一の耳に入れてからであつた。  猶詳しく松蔵におみつのことを聞くと、おみつは、此二三年間も上の広場の車の下や、小屋がけをして貰つて、その日その日を暮して居たものである。ところが近頃は全くの病気で乞食にさへ出られぬ位で、近くのものが不憫に思うて毎日食物を運んでやつて居るのだが秋も段々深くなるに、夜具も何にも持たないおみつの病気は益々重くなる一方で、咳は甚しくなり、それに毎日のやうに下痢して居るので、誰も引取り手はなし、警察では街の上に倒れて居るものなら引受けるが、二年も小屋の内に住んで居るものは引取ることは出来ぬと云ふので途方にくれて居ると云ふ次第であつた。  栄一は松蔵に連れられて、おみつの住んで居る上の広場に行つてみた。元の鶏小屋の中におみつは住んで居るので、栄一は之まで屡々此処を通つたのだけれども、人間が住んで居るとは少しも考へなかつたのであつた。  然し、今来て驚くことは、鶏の代りにおみつが這入つて居ることであつた。  おみつは垂れ流しとみえて、そのあたりは糞だらけで、その臭いことお話にならない。鶏であれば床換へもしてくれるが、不具な人間であるばかりに、顧みもしてくれないのだと思ふと、世の中の矛盾に、栄一も少なからず憤慨せざるを得ない。  それで、栄一は親切に声をかけて、自分が引取つてあげるからと、おみつを背に負うて北本町の自宅まで帰つて来た。  子供は、それを面白がつて、 『おみつは、先生処へ嫁入に行くのやな!』 と叫ぶと、おみつも面白がつて、そのひら[#「ひら」に傍点]ぺたい顔を、子供の方に振り向けて、微笑を湛え乍ら…… 『ウム、先生とこに行くのやで!』 と云うて居る。おみつは何故か『先生』と云ふことをよく知つて居る。此処の人が愈々困つたら、耶蘇の先生の処へ連れて行つてやるからと、平常から云うて聞かせてあるらしい。  栄一は、おみつを教会の方の広間の入口の処に床を取らせ、柔かい蒲団を与へ、温かくして寝かせるやうにした。  田沢のお医者さんに来て貰つて診察して貰つたが、肺は悪いが、腸の方は結核性のものではないから、すぐ癒るであらうとのことであつた。  何を云うても、おみつの看護で面倒なのは、半身が全く不随なものだから、自分手に便所によう行かないで、凡て誰かゞ一々採つてやらなければならないことであつた。  岸本の老人などは、おみつを以前から知つて居て、穢がつて居たが、栄一が進んで糞便の世話までするものだから、『否だ』と云ふことが出来ないで、栄一がする通り尻の世話まで厭ひなくしてくれるのであつた。  然し、おみつに最も同情を持つてよく世話をしてくれるのは樋口さんであつた。樋口さんは暇があれば教会に来て、おみつの糞便の世話から着物の洗濯のことまで気をつけてくれた。  栄一はそれが身に泌みるやうに有難かつた。おみつは今年三十六の年寄ではあるが、頭は丸坊主の尼さんだから五十以上の老人に見えた。身体には筒袖の単衣を着て、栄一の処に来たのであるが、樋口さんが自分の寝巻にして居た赤裏地のついた袖付の着物をやると、それが嬉しくてならず、教会に来る人毎に、口がもとらぬ[#「もとらぬ」は底本では「もとほらぬ」]ものだから笑顔をして両袖を振つてみせて、袖裏に赤い布のついて居るのを指差すのであつた。  三十六にもなるけれども、毎日おちん[#「おちん」に傍点]が要るので、栄一は日に日に二銭づゝのおちん[#「おちん」に傍点]をお金でやつた。  すると、世の中はよく出来たもので、路次に遊んで居る子供等が、おみつの使ひをしてやるのである。それで、おみつは焼芋を買うたり飴ん棒を買うたりなどして閑散な日を送つて居るのである。  栄一が、おみつの食物によく注意したものだから、十月の末頃には、さしも六ヶ敷いかと思はれた、おみつの腸カタルも全治して、おみつは普通の便通をするやうになつた。おみつを世話する有様を見て居る近隣の人々は、栄一を神様だと云うて賞めた。殊に河津の老寄のおかみさんは、 『先生の真似は銭金では出来まへん!』 と感心して居た。それで栄一がおみつの下のものを便所に拾てに行く処を、深沢の親切なをばさんが見付けると、すぐに走つて捨ててくれるのであつた。  殊に戸田のおかみさんが一族をつれて世話になりに来てからは、おみつの下の世話は朝々、おかみさんが綿屑撰りに行く前にしてくれるのであつた。それでみんなの親切の持ち寄りで、一人の病人の世話が、楽々と出来るやうになつたことを、栄一は心から神に感謝した。 [#7字下げ]十四[#「十四」は中見出し]  年の暮が近づくと、病人や老衰者で行く処の無いものを世話をしてやつてくれと、多くのものが申込んでくる。  豆腐屋の藤田三蔵はその後長く新見の世話になつてゐたが、少し身体の具合が善いと葬礼人足などになつて、兎に角どうやらかうやら食うて行きよつたが、夏過ぎて流行病も減り、死人も少なくなると、 『先生、もう食へまへんわ! 助けておくんなはれ! 近頃はとんと死ぬ人が少なくなりましたので、とても食へません!』と云うて哀訴歎願して来た。 『死人が少なくなつたから、食へぬか? ……アハハ』と云つて栄一は笑つたことであつたが、実際貧しい人達の間では、人の死ぬのを待つて居るやうなものが多いので、三公のやうなものは、霜枯期の居場を求める為めに師走になると共に、栄一に身を寄せて来たのである。 『先生とこへ来ると、親船に乗つたやうなものや』 とかう云うて、前歯の抜けた平べつたい[#「平べつたい」に傍点]顔に三公は、微笑を湛えて喜んで居た。  伊豆は相も変らず、梅毒の為めに頸が動かないので、夜だけ泊らしてくれと泊りに来て居る。うかれ節の市公も梅毒で一方の脚が動かぬからと云うて八月の月から厄介になつて来た。彼は昼の間は何処へか遊びに行つて夕方になると、あちらこちらと、うかれ節を語つて小遣銭を貰つて――つまり高等な乞食だが――夜遅く栄一の処に帰つて来た。  肺結核の松永吉人と云ふ病人も頼寄つて来た。中山と云ふリユウマチの男も頼寄つて来た。それらを栄一は凡て教会の方に寝さしたいと思つたが、狭いので例の向側の最も西の端の家を引続いてかりて、松永と中山とを入れて置いた。栄一の内に来るとなか/\動かうとは云はない。  新見は近頃、青年の為めに、早朝学校と夜学校を開いて居る。  早朝学校には生徒は僅かに二人であるけれども、新見は之を楽しみにして居る。  それは竹田の教育である。竹田は元来悧発な方ではないが、実に善良ないい青年であるから、新見は個人教授的にこの青年だけなりとも立派なものにしたいと云ふ希望を抱いたのである。  それで、毎朝五時から起きて数学を教へ、晩になると中学程度の学科を全部教へることにしたのであつた。  それは、夏から引続いて居た。最初は、竹田も家から通ふて居たが、しまひ[#「しまひ」に傍点]には教会に寝泊りするやうになつたのである。そして朝は疾《はや》くから起きて勉強し、夕も遅くまで起きて居て勉強するやうになつた。  月謝は勿論一文も取らない。その代り、竹田は実に特志な青年であるから、栄一のすることには何一つとして反対したことはなく、一々賛成して、当時栄一は毎晩路傍説教をしてゐたが、晩の八時頃に夕の勉強がすむと、必ず栄一と一緒に路傍説教をした。  もう一人の少年は『神の子』とあだ名のついた少年で、路傍説教に『あかし』をすると云うて大勢の前で、 『私は、神の子であります!』 と一言云つた切りで引き込んだ、可愛い今年十五になる少年である。竹田と一緒に労働して居るが、竹田を真似て朝学校と晩学校に来て居るのである。従つて、竹田と一緒にイエス団に寝泊りをして居るのである。  何か知ら栄一はこの種の学校が愉快で堪らなかつた。徳島の寺島尋常小学校を教へた時には木像に教へるやうな気がしたが、毎朝五時から、そして晩には六時から九時過ぎまで、労働の間に一緒になつて勉強することは、生木地に彫刻するやうな気がした。  それで栄一は二人を教へることを此上なく楽しみにした。それで二人の学生も一生懸命に勉強した。  竹田の仕事はその当時|琺瑯鍋《はうらうなべ》を焼くことであつて、毎日三百度もあるやうな熱い竈の前に立つて琺瑯鍋や琺瑯塗の茶瓶や杓子を作るのであつた。  いつもその職場には、そこの息子と三人で仕事をして居るのだが、いつ行つても讃美歌を大きな声で――その癖竹田は少しも上手ではない――唱ひ乍ら一生懸命に仕事をして居る。  樋口さんは、頻つてこの勉強の仲間に入れてくれと頼むのだけれども新見は社会の誤解があつても善くないと云つて強ひて断つた。  新宮から来た高見は近頃は大阪朝報をやめて通信社に勤務して折々顔を見せるが、学校の手伝をしてくれと云ふのも気の毒だから敢て云はなかつた。 [#7字下げ]十五[#「十五」は中見出し]  此頃の新見の日課は朝五時から青年を教へ、七時からは病人達の世話を一通り見て廻り、それから、著述に従事し、午後になると貧民窟を見て廻つて困つた人を病院に送つたり、お葬式をしたり、戸籍をつけたり、子供と遊んだり、そして晩になると六時から夜学校を始めて、八時に辻説教に出て、九時半頃に帰つて十時頃に寝るのが普通であつた。  そして毎火曜日は例の通りに沖仲仕の為めに弁天の浜に行つて船の中で説教をし、土曜日には神戸市内八ヶ所に散つてゐる貧民窟の路次から路次に、東西屋のやうに路傍説教をして廻り、晩は貧民窟の家庭訪問に力を尽した。  親切な竹田はこの家庭訪問も手伝つてくれて、栄一には無二の助け人となつた。栄一は『基督伝研究史』の著作を急いでゐた。貧民窟の板間に大きな一円で買うて来た机を取り出して、その上で昼の間、貧民窟が静かになつて居る間を利用して一生懸命に著作した。  イエスと云ふ人物を反射鏡として、十六世紀の宗教革命以来のあらゆる学者思想家が、勝手な議論をしてゐるのが面白くてならなかつた。彼は静かに考へた……。  そして栄一は基督伝の研究史はまづ一種の人間の無智の歴史であるやうな気がして面白かつた。つまり知つたか振りする学者が矢張り何事も知らない――彼等の強大な知識と云ふものが結局は大きな自然の波動の一局部に蠢動してゐる衝動の一部分であつて、自己の生活意志に合さんが為めに知識を捏造してゐるものであると云ふやうなことが考へられてならなかつた。  然し、知識と云ふものも結局生活衝動の産物であるといふことを教へられることが、栄一に取つては、どれだけ、開かれた大きな門であつたか知れない。  科学の歴史も、宗教の歴史も、芸術の歴史も――凡ての凡てが、ただ人間の範囲を越えて、何かその奥深いところから湧いてくる、生命衝動の切線の連続であると云ふことが判明してみれば、人間の誤謬の歴史は即ち亦人間の生命探求の歴史であることが納得せられるのであつた。  つまり、知識と云ふものは、生命衝動の附録であるのだ! 生命を断滅させて、知識も何にもあつたものでは無い。生きんとする意志が、生え上るに従つて、知識の根が深くなり、生命のドン底に知識の綱が降ろされるのである。  知識は生命の芽である。枯れんとする生命には、知識も枯れ、生命と知識が游離し、生きんとする生命には、知識と生命が融和する。それはたゞ表面的の知識では無くして生命そのものを体得する直観の世界が顕示せられるからである。  その体得せられた、生命の知識から較べるなら、基督伝研究史に現れた知識の配列の歴史は実に笑ふ可きものである。  それは信ぜんとする意志と、疑はんとする意志の相衝突した場面を、平面的な投影法によつて真理らしく見せんとした誤謬の歴史である。  然しイエスの人格は全く信ぜんとする意志の上に立つてゐた人物であり、生きんとする衝動を持つてゐる人間のみに顕現する暗示の習作であるから、それは数学と物理学には全く超越したものであつた。  彼は海の上を歩き、五つのパンで五千人を養ひ得た。数学と物理学は、そんなことを彼に許す筈は無い――今日我等の持つて居る物理学は。然し信ぜんとする意志のあるものには、キリストが白日の中に昇天する位のことは何でもない。人間は飛ばんとして、飛んだ。信ぜんとする意志は、生きんとする意志である。海をも暴風をも飢餓をも越えて、生きんとする意志である。それで信ぜんとする意志を持つもので無ければ、福音書のイエスは全く虚偽の人間である。それは暗示の結晶物である。  然し、人間の心理的激動の記録として福音書程大きな記録は無い。人の子が神にならんとする野心はイエスに於て最も熾烈に燃え上つて、また成功してゐる。  神にならんとする野心――それは神を人間にまで呼び下し、人間を神にまで押しあげんとする冒険は、イエスの時代で無ければ出来なかつたのだ。  それは、歴史上に、たつた[#「たつた」に傍点]一遍だけ与へられた機会であつた。宇宙の生命意志から云へば最大の冒険である。人間歴史から云へば最も痛快な日であつた。実際その後遂にイエスの時代のやうな冒険的な厳粛な時代はこなかつた。イエスはこの冒険的な奇蹟的な時代に生れたものだから奇蹟的に成長したのであつた。  イエスが救世主にならんとする野心が、たとひ大きな誤謬であるにしても、それは彼の責任では無い。あれまで突き込んだなら、イエスの意志は、実際イエスの意志では無く、宇宙の隠密の意志――即ちイエスの背後に動く神の意志であるのだ。実際、イエスが最も厳粛な贖罪思想に導かれたなど云ふことは、それがイエスに於ける大きな誤謬であるにしても、最も尊き荘厳な誤謬である。否その誤謬は、彼一人が引受く可きものでは無くして、宇宙意志が当然引き受くべき責任のある誤謬である。つまり、イエスの誤謬は、神の誤謬である。  否、神が誤謬をしたとしても、イエスは誤謬をしたとは思へぬ程、厳粛なものである。つまりイエスに於ては凡てが全くの勝利である。従つて、イエスの勝利は神の勝利であり、人間の勝利である。  こんなに思ふと、イエスに免じて、神は人間の誤謬を凡て赦免してくれるやうに思はれるのである。  イエスの楷調《オクターヴ》は高い。Cの所ではイエスの音は聞こえない。それはあまりに鋭過ぎる。然し、イエスはオクターヴを高めるものには――それが何人であらうかがよくわかる。  共鳴《レソナンス》が胸から胸へと伝はる。イエスは人間として最も厳粛な時代に住み、人間の歴史に与へられた、タツタ一度の好機会に失敗せずして贖罪的野心に成功したのであつた。  之を一生懸命で物理的に解説せんとする人がある。自然科学的に説明せんとする人がある。そしてその失敗の歴史がイエス伝研究史である。  つまりイエス伝研究史は、又文科学の貧民窟である。然し、神――イエスの意識に這入つた神であれば、必ず赦してくれる人間の智慧の失敗の歴史である。  ――こんなことを考へ乍ら、栄一は人間の智慧の行詰まり――つまり、信ぜんとする意志の産物である暗示的人格を、軸の違つた物理的又は科学的平面的軸で書き現はさんとして失敗した歴史の跡を面白く綴つてみた。  栄一の書斎と云ふのは別になかつた。栄一は或時にはお台所に自分の本箱を移してみたり、或時には教会の方に持つて行つたり、結局、教会の方が静かで善いと云ふことになつて、大きな教会――三軒の家を打抜いた十七畳敷の教会の奥に自分の本箱をたてて、その側に机を据ゑ、椅子に凭《よ》つて読書をしたり著述をしたりすることにした。  本箱と云つても、古手屋から四十銭で買うて来た、戸棚と、その後、竹で作つた本棚を三つ買ひたして、それを積み重ねて壁に寄せて立てかけたものである。然し高く積んでみると本がずらりと並んで一寸立派に見えた。  栄一は凡て簡素を愛した。趣味と云ふのは面白い所にあるもので貧乏世帯を豊かに送ると云ふのも確かに趣味の一つで、栄一は貧乏世帯を少しも苦にしなかつた。彼には一定の書斎と云ふものが無く、彼がものを書いて居る後から、おみつが―― 『先生、しつこ[#「しつこ」に傍点]がしたい!』 と呼びかけるのが常であつたが、栄一はそれを別に面倒だとも[#「面倒だとも」は底本では「面例だとも」]考へなかつた。呼びかけると栄一はすぐ『おまる』をおみつの為めに床下から取つてやる。そしてまた我を忘れて筆を運んだ。  然し、うるさいのは子供らであつた。おみつの[#「おみつの」に傍点]所に遊びにくる子供等は、おみつと遊び飽くと、栄一に相手になるのである。路次に向いた硝子障子から首だけ届くものだから、三十分でも、一時間でも、栄一のすることを覗いて居る。 『先生――遊ばう』 『先生――鬼ごつこしよう』 『先生はね、今忙がしいからね、また昼から遊びましようね』 と答へても承知しない。 『いや、どうしても遊ぶね』  硝子窓に低い鼻をぺつちやんこ[#「ぺつちやんこ」に傍点]にして、飽きもせずに覗いてゐる、七つになる娘の繁さんは一週間も髪を梳らないとみえて、髪の毛は蓬のやうに乱れてゐる。朝起きても顔を洗はないものだから顔に黒い斑点がついてゐる。その娘の顔は五角形の時計のやうに見える。  鼻垂れ小僧の蛸ちんは垢まびれの着物を着てそこを動かない。この児は美しい愛くるしい顔をしてゐる。細目の、眉毛の薄い子で、顔は綺麗に洗つて居る。  向隣りの吉田の西二軒目に居る乞食の親分大師さんの家に居る『長』と云ふ児は最も大きくて、眼玉の大きな顎の尖つた、痩せた児であるが、天気も善いのに今日はどうして乞食に行かないのか、矢張覗いて居る。  花枝さんも、佝僂で盲目の児をお守りし乍ら覗いて居る。  蛸ちんは、硝子を嘗め廻して唾で画を書いて居る。花枝さんは、 『よしれ[#「よしれ」に傍点]、蛸ちん! 穢ない』と云うて居る。  向ひの花莚曳きの浜崎の宅に雛を飼うて居るのがピーピーと云つてなく。犬が何処からかやつて来たとみえて『長』が大きな声で呼んで居る。犬が大きな声で吠えて居る。秋のお日様がぽか/\と煤けた障子を照らす。光線の威力で、障子が張り裂けるかと思ふ程、美しく照り付ける。風が障子をガタつかせる。それは、お日様が太鼓を打つて居るように思へる。路次がよく乾いて、下駄がカラカラと鳴る。みんな仕事に行つてゐるものだから静かである。それで路次に起る出来事が、凡て澄み切つた秋の朝の空気を通じて、栄一の耳に入る。  岸本のお爺さんは掃除好きで、穢い長屋の内でも塵一本だつて残さない程掃き清めて、皆の着て寝る蒲団などでも、きちん[#「きちん」に傍点]と畳んで積み上げ、見ても美しいやうにしてある。万事がキチンと整頓されてゐる。それで栄一は貧民窟に居ても、何の苦も無く落付いた心持ちで読書も出来れば筆も執れるのである。  子供等が硝子障子から覗くことは全く余興である。それが五月蠅くないこともないが、栄一はそれを追払ふ勇気を持たなかつた。何となしに生き生きして面白いのである。栄一は硝子障子から覗き込む五角形の繁さんと鶏の糞と路次に下駄の鳴る音はベルグソンの哲学より、エラ・ヴヰタルに富んで居るなど云つて一人で微笑んだ。  貧民生活で、岸本の老夫婦が栄一に与へた快感も見逃すことの出来ないものであつた。お爺さんは疳性だと考へられる程潔癖で、お爺さんの一日の仕事は掃除することにあつた。七十近くなつて――六十八歳であつた[#「――六十八歳であつた」は底本では「――――六十八歳であつた」]――睡眠が短かくて善いと見え、毎朝四時頃に起きて、早や竈の下に火をつけて居る。そして六時にはちやんと味噌汁のうまいものが出来てゐた。  それからお爺さんは入口の敷居を拭いて廻る。便所を掃除する。格子を拭く。天井が煤だらけであるから、いくら掃いても掃いても、風が一度、天井裏を通ると埃が畳一面に落ちるのだが、根気よくお爺さんはそれを掃く。それで路次の内の前だけは貧民窟の他と比較していつでも美しく薩張して居り、室内も貧乏なりにも、いつもきちん[#「きちん」に傍点]として居た。またお爺さんとしては、その外に何にも用事がないから、掃除するより仕方がなかつたのであらうが、教ヶ島のやうに暇があれば寝てゐるのと違つて、掃除してくれるのはうれしかつた。新見は割にぞんざいな方で遣り放しなものだから、自分の出来ないことをお爺さんがしてくれるのをうれしく思つた。恰度禅宗の寺に行つたやうに貧乏臭くても、きちん[#「きちん」に傍点]と掃除が行届いてゐるので、心の底まで整頓して居るやうに見えてうれしかつた。  それに岸本の老夫婦が栄一を思ふことは封建時代の足軽が大名を思ふやうに、注意の行届いたものであつたから、栄一は両人が自分を思うてくれる忠義の心をうれしく思はずには居れなかつた。  栄一のやうにデモクラチツクな人間でも、お爺さんが栄一に対して忠僕のやうな態度を取ることに別に反対も出来なかつた。  お爺さんは裏のおしんさんが連れて来たのであつたが、息子があつても親不孝もので前科四犯の竊盗で、現在息子は天王寺で立派に靴屋をして居るのだが、それには頼寄つてゆくことは出来ないのであつた。  お婆さんはおみよさんと云つて江戸の家老の娘であつたさうだが、だん/\落ぶれてお爺さんの先妻が死んで息子が監獄に這入るとすぐお爺さんと一緒になつたのであつた。色の白い顔立の上品な、どんなに見ても貧民窟の人とは考へられなかつた。矢張り話を聞いてみて、家老の娘だと聞かされてみると、なるほどと頷かれる点が多くあつた。江戸辯で歯切れの美しい言葉を使つて栄一を喜ばした。然しお婆さんは年が寄つて脊髄を患つて佝僂になり、真直に歩くことが出来なかつた。その上に胃癌があるので二月に一度か、三月に一度は必ず多量に胃から血のやうなものを吐くのであつた。胃癌と云へばお爺さんの方も胃癌であつて、お婆さんと競争のやうにして、胃から血塊のやうなものを吐いてゐた。  おしんが岸本の老夫婦を世話をしてくれるやうにと頼んで来たのは栄一が貧民窟に来てからすぐであつたが、愈々家に来たのは、お爺さんが夏の暑いのに『らうすげかへ』に行つて日射病に倒れた後のことであつた。お爺さんが寝込んで終ふと、お姿さんは不自由な身体の人であるから、思つたやうにお爺さんの看病は出来ず、おしんさんが気をきかして新見に頼んで来たのであつた。お爺さんは死に水を汲んでくれるのは新見だと思ひ込んで居るものだから、 『なア、おばん(お婆さんのこと)有難いことぢやないか、現在我子は有つても極道で何の役にもたゝず、それに人もあらうに、先生さんに死に水を汲んで戴くと云ふことになつたと云ふのは』  さう云うて、お爺さんは全く栄一に凡てを委せたのであつた。そして栄一の家に世話になつて来た日から、真面目に『天のお父様』と云つて、大きな声を出してその日その日の感謝の祈りを隅の方に坐つて捧げてゐた。  世話になるから宗旨換へをしたと云へばそれまでであるけれども頑固なお爺さんが、自分の身の落付き所が出来たと思つて心持ちまで換へたと思うて気の毒でもあり可哀想でもあつた。新見は被保護者に宗教を強制することは大嫌ひで『先生、キリストのことを詳しく教へて下さい』と向うが云ふまでは決して強ふることはしなかつた。それでお爺さんの宗旨換へもあまりあてにはして居らなかつたが、お爺さんと一年以上も住んで見るとなか/\お爺さんは本気である。そしてお婆さんも賢いわかりの早い人であるから――寧ろお爺さんより耄碌して居らないから――キリスト教がよくわかるやうになつた。お婆さんは字も読めるし四号活字の『新約聖書』を与へるとそれを大事にして、毎日眼鏡をかけて読んで居る。  お爺さんは若い時は大井川の渡しの雲助をして居たこともあるとかで、昔の面白い話を沢山する。若い時は賭博もうてば、放蕩もする、一筋繩では行かなかつた人らしい。然し、曲つたことは一つもしたことが無いと云ふのが自慢で、堅苦しい程礼儀や作法を八釜敷く云うのである。それには松蔵も弱つて居る。  お爺さんは、朝起きると、ちやんと手をついて栄一に『お早やう御座ります』と丁寧に挨拶をする。松蔵は決してそれをしない。彼は貧民窟で育つたものだから、『そんなこと云ふの恥かしいわ、うち』と云うて決して云はない。  お爺さんの口は歪んで居て、眼が少し薄いものだから――右の眼に曇りがかゝつて居る――いかにも老いぼれたやうな顔付をして居る。――どうかするとよちよち[#「よちよち」に傍点]して居て真直に歩くことが出来ないのである。なんでも若い時から大酒を呑んだのが今頃影響して居るらしいのである。新見の家に来るまでは、晩餐には五銭か十銭かの御酒が必ず附いて居たさうである。然しそれも栄一に世話になると共に一大決心で已《や》めて了つた。  お爺さんは喜んでいつも繰返して云うて居る、『先生にお世話になるやうになつてからは、酒も煙草もやめて何の楽しみがあるかと思うて居たのに、どえらい元気になつて身体がしつかりするやうになり、朝早やう起きても仕事が面白うに出来るやうになつた』と。  栄一は岸本の夫婦のやうな醇朴な老夫婦と一緒に生活の出来ることを何よりの幸福と感じた。  ほんとに人の善い老人の昔物語を聞き、丁寧な世話を受けるものは幸福なものである。栄一は貧民窟に来て、一家族の中に老人も居れば子供もある、女もあれば、弟子もあると云つたやうな面白い和気靄々たる大家族を持つことが出来るやうになつたので、貧民窟生活を充分享楽するやうになつたのである。  お爺さんの煮てくれる味噌汁は甘かつた。阿波味噌に大根や蕪や小芋を切り込んで、グツ/\煮て、煮立つた時に竈の下から火を引いたものを、そのまゝ食ふと実に何とも云へぬ美味があつた。栄一の食慾は朝特別に進むものだから、栄一は六時の朝飯をどれだけ楽しみにしたか知れなかつた。  栄一は其当時日本社会主義界の快男子自称米国伯爵山崎今朝弥氏の紹介せられた『粗食養生論』と云ふ薄ぺらな――然し実に有益な書物を読み返して、菜食主義の理論を知つて喜んだのであつたが、貧民窟に這入つて、もうかれこれ二年近くも菜食主義をやつて、ただ一回だつて下痢したこともなく、貧民窟生活者には菜食主義は薬であると考へさせた位であつた。実際貧民窟で腐つた鯨肉や売れ残りの魚肉などを食はされた日にはとても、貧民窟で長生きは出来ない。そこを永年貧民窟生活で身を鍛えて居るお爺さんなどは、どんなものを貧民窟で食つて善いか、よく知つてゐる。お爺さんは栄一の菜食主義を気の毒に思つたが――一つは自分等も偶には新しい魚が食べられると思つてゐたのがあてがはづれたのもあらう――然し栄一の為めなら何でも辛抱すると云ひ、凡て栄一の云ふ通りになり、何から何まで栄一の気に入るやうにして、喜び勇んで仕事をして食物の不平などは一言だつて口に出さない。それがどれだけ新見を喜ばせたか知れなかつた。松蔵や三公や浮れ節の市公はさうではなかつた。栄一の菜食主義には大反対で時々『先生、ちツと御馳走もわたいらに食はしておくんなはれ』と云ふのであつた。  自分が食はないから、人に食はさぬと云ふやうな、けち[#「けち」に傍点]な考へを栄一は持つて居るのでは無いが、菜食主義が栄一の気分に合ふので、栄一は三公に云つた。 『お釈迦さんは、虫さへ殺すなと仰しやつたぢやないかね。私もお釈迦さんの真似をするのだよ――』  さう云うと三公は、眉毛の尻をぴりぴりつとつり上げて笑つた。 『なに、云つてやはんの、先生ンたら、仏さんの真似をしやはんのかいな――そんならお線香とお花とをお供へしてあげまひようか?』  菜食主義を基準として生活すると、生活に対する各方面の面白さが色々と変つて来る。そして人間と云ふものが随分残忍なものであると云ふことが、つくづくと考へられるのであつた。菜食主義をしてから栄一は果物に対する趣味と感覚が全く変化した。世界で最も善き御馳走は果物が与へてくれる各種の芳香と、色彩と風味だと云ふことが判つた。  栄一は必ずその季節の果物を食ふことにしてゐた。またたとひ食はなくとも、色彩と芳香と種々の形に祝福せられて居る果物屋の店先に立つことは、栄一に取つては何よりうれしいことであつた。  冬は蜜柑に祝福せられた。栄一は蜜柑を食ふよりか、あのオレンヂ色の艶々した皮を剥ぐ心持ちが好きであつた。指先を皮の中に突き込むと霧のやうになつて汁が飛ぶ、そして香がそのあたりに立つ。その瞬間を栄一は愛した。林檎は食ふよりか見るのが好きであつた。何故か林檎の酸が栄一の胃に合はなかつた。然し、栄一はカナダ林檎のオリブ色の艶合ひ、弘前林檎の紅色の美しさを、地上に於ける最も美しい、神の芸術の一つに算へた。  干柿は栄一の好物の一つであつた。その雅致のあるセピア色と甘味に引きつけられて栄一は冬になると何より干柿を楽しみにした。  蜜柑と、苺の出るまでの間に一寸果物が切れる。それでも五月になると早や真紅の色をした苺が畑から市場に飛び出してくる。栄一はいつもそれを楽しみにした。仏蘭西の学者で、菜食主義者であつたフオンテーヌが春になると毎朝苺を食つて長生きをしたと云ふことを何かで読んで、栄一は菜食主義者は必ず苺を食つて長生きをせねばならぬものだと何とはなしに、ドグマチツクに信じ、紅色の苺を若き血潮の表象の上に考へて、白い大理石の溶けたやうな乳をかけて(苺に牛乳をかけた時だけにさう思うた)栄一は苺を食うた。  苺を食ふ頃になると、神戸へは南洋から美しいバナナが沢山這入つてくる。あの黄ばんだ脂肪の多い質の緻《こまか》な艶のあつて舌の触りの誠に善いバナナを栄一は見逃さなかつた。山桃は束の間しか食へないが、栄一はあの果物の色――干柿と同じ色――と形に引きつけられて初夏の賜として喜んで食つた。それから、ルビー色をした桜の実の婀婉《あだ》やかな艶と色合に歓迎せられ、桜桃《ゆすらうめ》が出てくる頃になると早や夏は来て居る。柘榴に会ふことは、初夏の楽みの一つであつた。柘榴は恥らつた乙女の姿で栄一を迎へた。あの宝石のやうに美しい粒を一つ一つサツクのやうになつて居る厚い皮の中から採り出して血の湧く唇に持つて行くことは実にうれしいことであつた。  茱萸《ぐみ》を[#「茱萸を」は底本では「茱茰を」]貧民窟の子供等が山から取つて来て、栄一に呉れるのも此頃である。茱萸は渋くて、よう食はないとは知りつゝも、あの俳味のある橢円形の実と、高雅な色彩と斑点に引つけられて必ず一度は口にせねば気がすまなかつた。  栄一は『ぐみ』を食ふと仙人になつたやうな気がいつもした。  青梅だけはどんなにしてもよう食はなかつた。たゞ紫蘇に漬けて真赤になつて居る物は酸つぱくつても必ず食つた。夏の果物で栄一の好物は水蜜桃であつた。あの色の艶麗なところ又、蜜の醇沢な、肉の豊かなところを愛玩するのであつた。夏蜜柑も悪くはなかつた。皮を剥いて水分の多い実だけを取り出して、それに砂糖をつけて食つた。黄ろい薙刀ほうづきのやうな形をした夏蜜柑の果粒の竝んだ上に雪のやうに白い砂糖をかけて皿に盛り、匙で食ふと夏の日などを忘れるやうに思うた。杏桃《すもも》はあまり多く食はなかつた。小さい時にあてられたことを思ひ出して瑪瑙色の色彩には惚々《ほれぼれ》するのであるがあまり手が出なかつた。葡萄は自然と地上の恩恵を教へてくれる最もよい表象であり、あの薄紫色の実に気が引かれたが、貧民窟ではとても高くて口に入れることは稀であつた。然し奮発して夏に一度は必ず一房は食つた。  秋の待たれるのは、栗と柿が出てくるからであつた。柿は栄一を最もよく引きつけた。然し栗は栄一を仙人生活に導くやうに思へて毎年食ふのが待たれた。十一月になつて栄一はよく六甲の裏山に栗拾ひに行つた。海胆《うに》のやうに棘の生えた皮の中から爆《は》ぜ出たあの鳶色の栗の実は栄一には一つのインスピレーシヨンであつた。北長狭の三番の踏切りを山手に越した所にいつも丹波栗だと云つて売つてゐる焼栗を栄一は人目もかまはず五銭の白銅一つ出して買つて悦んだ。それはこの仙人気分が味はへるからであつた。  こんなに果物が好きであつたにしても、金があり余つて買へると云ふわけではないから、たゞほんの趣味として僅かな金で買つて食ふのであるから……自分と自然とに何等かの素朴的な関係――それは料理も何もしなくて、すぐ肉となり、血となる豊かな天の恵があると云ふことを、最もよく知る為めに、果物を愛したのであつた。  お爺さんは凡てのことに気をつけてくれ、栄一は簡易な生活も満足してゐたから、貧民窟の生活を享楽するやうになつて来た。足らなければ足らないやうに、余れば余るやうに、伸縮自在に出来る融通のきく生活は、生活としても面白味があつた。  栄一は他所の人のやうに筋肉労働には行かなかつたが、毎月七八円の生活費で満足して、精神的労働に従事する事が罪であるとは少しも考へなかつた。朝早く仕事に出られる人々がみな出て行つた後、貧民窟は静かになつて、栄一はよく勉強が出来た。  栄一は貧民窟に住んで居て、山奥に居る仙人のやうな心持で居た。 [#7字下げ]十六[#「十六」は中見出し]  十二月に這入つてから間もなく、市公の友達だと云ふ沖仲仕の男と、谷本の知つて居るものの子供で木管工場に行つて居て機械で片手をもぎ取られた津田梅吉と云ふ子供が世話になつて来た。津田は両親があつても病身であり兄があつてもとても此子を世話するだけの力が無いから世話をしてくれと云ふ事であつた。世話をしてくれといふ市公の友人と云ふのは上杉と云ふのであるが、沖が不景気で宿銭に困るから夜寝するだけ置いてくれと云ふのであつた。それで栄一は市公の顔を立てゝ上杉を泊らすやうにしてやつたが、どう云ふわけか上杉は一人威張るので、家の中には毎日喧嘩が絶えなかつた。最初に上杉と衝突したのは藤田三蔵であつた。上杉は仲仕で力が強いから、三公を擲りつけて三公は一日よう起き上り得無いやうにせられた。理由は簡単なので、三公は懶けもので穀潰しだと云つて上杉が侮辱したので、三公が反対したのが生意気だと云ふのである。栄一は上杉に退去を命じたが、上杉は行くところが無いからどうしても出ないと頑張るのである。実際よく聞いて見ると葺合新川に十四軒の木賃宿があるが、上杉はその凡ての木賃宿にあしこに一年、此処に三ヶ月と居つたのであるが、凡てに愛想をつかされて追ひ出されたのださうで、……それも凡てが此流儀で自分の気に喰はないものは凡て擲き出すと云ふ乱暴なことをするものだから、みんなに嫌はれて追ひ出されたのであつた。  それを聞くと可哀想になつて、また二三日黙つて居ると、今度は病人の『おみつ』を踏んだり蹴つたりする。それで栄一は手厳しく叱りつけて、そんなに弱いものをいぢめるのなら、栄一の主義に反するから出て行つてくれと云ふと、何にも云はずに出て行つた。栄一の眠つた後に市公に戸を開けて貰つてこつそり[#「こつそり」に傍点]寝床に這入つて居るのである。  毎晩そんなにして三日も四日も、栄一に顔をよう会はさずに居ると、栄一もまた可哀想になつて黙つて居ると、今度は泥酔して来て、宵の口から竹田や『神の子』の夜学を妨害して、乱暴をする。沖仲仕に行つて片言の英語と西洋の水夫の酔払つて喧嘩する所を見て居るものだから、その通り真似をする。 『Go to hell! Go, damn!』 と云つて拳を握つて、栄一の鼻柱を挫くと云ふ意味で、栄一の顔の真中にそれをすり寄せてくる。栄一が黙つて居ると、今度は胸倉を掴まへて、金をくれと云ふ。栄一が黙つて居ると、ものを云へと云ふ。栄一が睨むと、生意気だと云つて、栄一を座敷の真中に擲げつける。それでも栄一は黙つて居る。岸本のお爺さんが出て来て、それを制止するとお爺さんを打倒す。まるで野獣のやうに荒れるのである。  そんなにして三四時間暴れると、そこに倒れて寝込んで了ふのである。朝がたまだ暗い中に酔が醒めて目が開くと、装束をつけて沖に仕事に行くのである。そんなに悪い事をするから、よう帰らぬかと思ふと、夜の十一時頃市公を呼んで、市公の寝床に忍び込む。三四日来ないと思ふと、またひよつくりやつてくる。そして市公に小さい声で『夜遅くうろ/\して居たもんやさかい、三日の拘留になつて居たんや――浮浪罪で』と云うて居る。  それを聞くとまた可哀想なものだから黙つて見脱して居ると、平気になつて宵の口から帰つてくる。そして片手の無い少年津田をいぢめる。 『おまへ見たら――仕事に行くのがいやになるわ、ほんまに。性垂れめが! 昨日の朝、仕事に行かうと思うたけれど、おまへを見た計りで、縁起が悪うて、よう仕事に行かなかつた。……まどへ! こら!』  上杉は豹のやうな顔をして抵抗の能力の無い片手の津田の胸倉を取つて揺す振つて居る。栄一が飛んで行つて、捥ぎ取るやうにして上杉の手を放さすと、執念深い上杉は津田を蹴飛ばして置いて、睨み付けて居る。津田は泣く泣く外に出て行つた。上杉はまた『Go, damn!』を始めて『金貸せ!』を云ひ出す。  上杉が片手の無い子供を嫌忌するのは全く本能的であるらしい。彼は沖の仕事に行かうと思つたのであつたが、片手の無い津田の醜い姿を見て、沖に仕事に行つてウインチに故障でもあつて、津田のやうに片手でも落すやうなことがあつてもつまらぬと考へたものか、昨日一日は仕事に行かなかつたらしいのである。それが憎いから、そんな醜い姿をして生きて居るよりか、早く死んで了へと云ふのが、上杉の要求であるのだ。  栄一は、こんな野獣的な、悪魔でも遠慮してよう云はぬやうなことを、よくまア上杉が云へることだと思つて、あきれてものも云へないのであつた。  栄一は上杉が酔うて居らぬ時に彼をとらへて云うて聞かせた。然し酔うて居らないと一言だつて口返事はよう為ないのである。  戸田は十五日の拘留になつて改心したと云つて帰つて来て、おなほさんと五人を引取つた。  そして、栄一の宅は静かになつたやうに感じた。  十二月になつて夜逃げの多いことは驚く程であつた。 [#7字下げ]十七[#「十七」は中見出し]  新見が台所にして居る西隣りの家は淫売のおしかが大阪に立ち去つた後は永く沖仲仕の通名『兵庫』と云ふものが這入つて居たが、それが夜逃げして何処かへ変ると、また淫売婦の親分のおはなが這入ることになつた。  おはなは年頃四十位の女であるが、栄一には実に愛想がよくて、おしかのやうに頭から怒らない。 『先生、みなはんなよ、恥かしいさかい。あなたの法には反対やけんど、不景気で食へまへんよつてになア、少し辛抱しておくれやすや!』 と云ふのであるから、栄一も反対するわけには行かなかつた。  それが、十一月の末から、その高利貸の㊂の番頭に苛められて居ると思つて居ると、近所では色々噂をしてゐる。 『先生、みなはれ、あしこは近い中に夜逃げしまつせ、道具をぽつぽつ売つてゐやはりまつさ』と河津のおかみさんが栄一に告げて間もなく、十二月の三日であつたが、昼過ぎまで、賑かであつた家の中が、午後になつて急にひつそり[#「ひつそり」に傍点]して、てんや(古手屋のこと)が家具一切を引取りに来たので、河津のおかみさんの予言の的中したことを知つたのであつた。  十二月になつて夜逃げしたのは栄一の近所ではおはなが第一であつたが、それから続々あつた。裏では去年栄一の教会に出入して、よく聖書を研究して居た、散髪屋の元木繁蔵が、頼母子の金をすつくり持つて夜逃げしたので、おしんさんが、今にも切腹せねばならぬやうなことを云つて来た。  おしんさんは一日中、元木夫婦を尋ねて大阪中を探ね廻つたが、晩方になつて、 『先生、居りました、居りました、大阪の南に居りました。明日は連れて帰りまつさ!』と云つて報告に来た。  その翌日であつた。例の連子事件で殺人のあつた城山の一家族が夜逃げした。之も頼母子講に関係があると云ふことであつた。  どう云ふわけか、堅気によく働いて居たと見えた新見の向ひ隣りの花莚曳きの浜崎の一家族も夜逃げした。之は人の受印をした為めにとか云ふことであつた。  おしんは元木を連れて栄一の処に挨拶に来た。さうして、 『先生、今度はわたいの番だんね、わたいも、もう夜逃げでもせなやつて行けまへんわ、春病気しました時に、川向うの高利を借りましたが利子がまだ払へて居りまへんね、それを払へつて、此間からやい/\云うて来まんね。払ふ期限はもう三月も前に切れとりまんのやけんどな――不景気だつしやろな、飴を売りに出ても、食ふだけしかおまへんしな、困つとりまんね――借りた金は十五円だすけどな――その中、日に日に二十五銭づゝかけましてな、四円だけ入れておまんのやけんど、利子がもう元金だけになつとりまんね。後はその利子半分だけになつとりまんね、その利子半分にしてこらへてやるさかいにそれを此月中に返せと云はれまんのやけど、お金は一文もありまへんしな、散髪屋さん所の頼母子の親元もして居まんのやけど、散髪屋さんは、今度のやうな始末だつしやろな――それで、どうぞ十一円だけ、春まで貸しておくんなはれ、春になつたらどうにかして、日に十銭づつでも、なし崩ししまして返さして貰ひまつさ』  さう云うて女侠客のおしんが、よくもとほる口で栄一に、十一円の借金を申込んで来た。栄一は勿論拒絶する理由が無いので、その金を貸し与へた。それでおしんは『之で、夜逃げが脱れた』と云つて喜んで飛んで返つた。元木もおしんと共に喜んで後から随いて帰つた。  おしんの報告によると、今年程、夜逃げの多いことは無いと云ふこと。然し、どれだけの金で夜逃げするのかと聞けば、高々二十円位の金に困つて逃げるので、大抵は頼母子は落したけれども、後から掛けるものを三月も滞らすと云ふやうなものが多いのである。こんな時には栄一は、少し金があつて無利子で貸してやりたいと思ふことが度々あつた。  此不景気の中に、ペストが這入つて来た。而もそれが新見の町内である。新見の家から二十間とは隔てて居らない仲仕がペストにかかつて避病院に送られ、その附近十四五軒のものは、全家族凡て残らず和田の岬の消毒所に船で送られた。  白い消毒服を着た医者や看護婦や巡査が、路次を毎日うろうろし出したが、仲仕が送られた翌日新見の住んで居る長屋の同じ竝びで恰度七軒目に当る、之も沖権蔵や建築手伝に行つて居る男であるが『米《よね》』と呼び慣されて居る播磨米吉が、同じくペストで避病院に送られた。その日の午後先の仲仕の妻君も子供も、ペストに感染して居ると云ふことが伝へられた。そして次の日、子供のお葬式が貧民窟から出た。栄一の筋では、栄一の家から三軒西までの家は全部避病院に送られた。栄一も之では自分も避病院に送られるだらうし、今年のクリスマスの催しも全く駄目だとあきらめて居た。  新聞には毎日葺合新川のペスト病の伝染力の強いことを書き立てる。巡査と鼠捕りが毎日のやうに亜砒酸団子を床下に蒔きにくる。  そして、『今日は鼠は死んで居らなかつたか』と尋ねる。  四日目に北本町五丁目の角の米屋で発見した斃鼠《へいそ》がペストの黴菌を持つて居たと云ふので、そこは全部の荷物を出して大消毒をやつて居る。鼠を捕ることに於ては日本一とか云はれて居る青木巡査が口にマスクをあて、手には白の手袋を穿き白の消毒服をつけて、鉄挺で座板をめくつて鼠の通路を探ねてゐた。  此巡査は鼠の習性に就いて詳しいことは日本一だとかで、横浜にペストがあると云へば、すぐ派遣せられ、満洲にペストがあると云へばすぐ派遣せられるのだと、昼休みに、そんな話をしてゐた。ペストは貧民窟から始まつて、全市に蔓延して行つた。  貧民窟の四辻には毎朝毎晩、厄除の呪《まじな》ひが、三宝[#「三宝」に傍点]の上に赤飯を盛つた土器《かわらけ》と赤紙の御幣を載せ、丁寧なものになるとお燈明までもつけて、捨てられてあるのが見受けられた。神戸市役所は全市の大消毒を命令した。そしてその為めに五十八万円の経費を計上した。栄一はその記事を新聞で読んで、五十八万円あれば貧民窟全部の建て換へが出来るのにと憤慨した。  何にしても暮の貧民窟は実に暗かつた。四辻の三宝[#「三宝」に傍点]の上にお燈明の火より以上の光を見ることが出来なかつた。  然し栄一は少しもそれを怖れなかつた。一方隔離せられて居る人々を慰問すると共に、日曜学校の生徒の為めにクリスマスの準備をした。 [#7字下げ]十八[#「十八」は中見出し]  日曜学校の方は今日まで、関西学院の竹田君や、八尾君、橋田君が主としてやつてくれて居たのであるが、その中にも竹田君は京都で小学校の教師を長いことして居た経験もあり、日曜学校の先生には適当した人で、お蔭で貧民の子供等も日に日に善くなるやうな気がした。 『貧民窟改良事業は先づ子供から!』と云ふ言葉は新見の堅く信ずる所であるから、栄一は関西学院の学生諸君の熱心なる努力によつて少しづゝでも、貧民窟の子供等が善くなるのを見ては悦ばずには居られなかつた。  然し栄一は日曜学校の外にも、一つの児童感化法を考へて居た。それは山手の中流の教会の信者の家庭に訴へて貧民窟の子供をクリスマスのお祝ひに招いて貰ふことであつた。  新見がその企を立てると、神戸教会の婦人会は第一に賛成してくれた。そしていつも栄一に親切な出村船長夫人、田辺船長の夫人、貿易商の番頭をして居る水野夫妻、呉服商の岩淵さんの夫婦、その他二三の家族が同情してくれて、一家族に対して三四人づゝを御馳走につれて行くことになつた。  之等の家族は必しも優れて金持と云ふのでは無いが、栄一の知つて居る範囲内ではみな美しいクリスチヤン・ホームを作つて居る人々である。それでお辞儀も碌々知らない貧民窟の子供等を之等の家庭に一日でも二日でも預けて置くならば、多少なりとも荒い気が柔げられ、世界の凡ての人が猛獣では無く、世の中には、美術的な言葉を使ふ人間があるのだと云ふこと位は、知ることが出来るであらうと、彼はクリスマスの招宴を企てた。  それで、出村さんのお宅へは乞食の『長』に、甚公と裏の虎さんの次男の三人を送ることにし、田辺さんの所へは喧嘩安の長男と次男と、隣の花枝さんと鼻垂小僧の蛸坊の四人、水野夫妻の宅へは虎市に、数さんに、おしんの長男の巳之助、岩淵さんの処へは松蔵と松蔵の友達の葬式人夫の息子の由太郎と、戸田の長女と、呑太の娘のお雪さんと、河津の娘と五人を送ることにした。  之等の子供等が優れた家庭で受けた歓迎振りは、栄一に取つては感激の種であつた。出村さんの奥さんは実にやさしいしとやかな方であるが、貧民窟の子供をまるで王子か王妃を取扱ふやうに歓待せられたものだから、乞食の『長』はのぼせ上つて了つた。感謝の意味で、 『をばさん、逆鯱立してみせてあげませうか?』と云つて、座敷の真中で逆鯱立をして見せたさうである。  多くの子供等は御馳走が出たけれども決して食はうとはせず『持つて帰つて、お母さんに上げるのや』と云つてきかなかつたさうである。栄一はメーテルリンクの『青い鳥』の中に貧乏な家の兄弟チルチル、ミチルが、富豪のクリスマスを羨ましがつて、幻の国に旅をする話を読んだが、『長』や『蛸ちん』の花枝さんが、こんなに美いクリスチヤンの家庭に優遇されて居るのを見て『青い鳥』の幻の国の舞台が現実になつたのではないかと思つた程であつた。田辺さんの家では隣りの花枝さんの身の上話を聞いて特別に同情し、『この娘はほんとに善い子ですから、今夜一晩でも、私の宅に置いて帰つて下さい!』 と要求せられた。  こんなにして、クリスマスの家庭招宴は栄一の思つた通りに運ばれた。栄一は夢想した。凡てのクリスチヤンの家庭が、みなこんなにして家庭を開放してくれるならば、世界の貧民窟は忽ちなくなるであらうと。然し進んで自らの家庭を開放しようと云ふ家庭は実に僅かであつた。それで栄一の知つて居る六歳以上の八百人の子供等に善き感化を与へるには、どうしても別の方法を取るより仕方はないと思つた。然し、栄一は極く少数でも善い、漸次に感化して行く方法を講ずれば善いのだと考へた。それと同時に八百の子供等と共にクリスマスを祝ふ方法を考へた。で、いつものやうに、十二月二十七日と二十八日の晩にクリスマスを祝つた。また去年のやうに天幕を張つてそこを子供等の集合所にした。乞食の御馳走会は、今年は教会の十七畳の間で二日にして、開くことにした。神戸教会の人々が沢山助けに来てくれた。今年は一日五十人であつたので楽であつた。去年のやうに樋口さんも助けに来てくれた。教会の青年達は勿論出た、戸田、石野、竹田君等も助けに来てくれた。  二十七日の晩、青年達は天幕の番をする為めに、その中で寝たが、朝方目を醒して見ると、また今年も、去年と同じやうに、醜い淫売婦の成り果てのやうな女が天幕の入口の席の上に倒れてゐた。そして寒気に凍えて、水気で腫れ上つた顔や身体中が冷くなつてゐた。  それを見付けた青年榎木は、竹田に注進した。『竹田さん、竹田さん、天幕の入口で淫売のやうな女が死んで居るわ――冷たうなつて』竹田は走り寄つて見たが、見覚えの無い女である。放つておくわけにも行かず竹田は北本町まで馳せつけて、栄一にまた去年と同じ様に、淫売の成れの果のやうな女が天幕に這入り込んで、もう身体が冷たくなつて居る。どうにか助けてやらなければ死ぬと云つて報告した。  それで栄一は立つて行つて、女を見ると、何だ、之は向隣りの呑太の吉田が最近一ヶ月位妻君にしてゐて、子宮が悪いからと云つて抛り出した、地廻りの淫売のお徳であつた。それで青年達に助けてもらつて、その女を戸板の上に載せて、兎に角北本町の新見の病室に舁ぎ込むことにした。  吾妻通五丁目の広場の天幕は、その晩貧児で一杯になつた。四百人に切符を出したところが五百人も集まつた。然しみな静粛にして上手に讃美歌を唱ふので、関西学院の八尾君の喜びと云つたら譬へやうも無い程であつた。八尾君は昂奮して云つた。 『大成功! 大成功!』  栄一は去年と比較して、児童の一般の空気の変つたのに満足した。去年のあたりであると貧民窟の子供がこんなに五百人も寄ると喧嘩する、殴つ、擲る、『アーメン、ソーメン』と云つて罵る。それは喧噪を極めたものであるが、今年は少しもそれが無い。子供等が日曜学校をよく理解して来たのである。  竹田君が日曜学校の校長と云ふ体裁で、児童の諳誦や独唱、対話が進行した。鼻垂小僧の蛸ちんの番になると、蛸ちんは着物が泥にまみれて穢いからと云つて、登壇をしない。それにはお守役の新見も大弱りに弱つた。それで花枝さんがすぐ出たが、発音の明晰な、立派な諳誦的演説をして大勢のものが拍手をした。兄の『勝』が何処からとなく栄一の所に出て来て、満足な目付をして―― 『先生、何か用があるなら、さしておくんなはれ』と云うてゐた。  讃美歌の合唱があり祈祷があつて、余興の講談や落し噺があり、会は九時一寸前に閉会したが、子供等は組によつて、クリスマスの贈り物と、お煎餅や蜜柑を貰つて、家に帰つて行つた。散会した後おしんは、何処からか出て来た。 『先生、新川も、かうやつて、やんちやツ児を世話やいてくれると、段々善くなりまつさ――うちの小僧が今夜は演説すると云ふので来て見ましたが、矢張り人さんの後について一人前にやりよるのを、向うから見て、今夜はほんとにうれしゆう御座りました』  かう云つて、おしんの二番息子が諳誦の出来たのを喜んでゐた。  栄一も子供等の全体の調子の変つて行くのをみて、教育の力の大きなことを神に感謝せずに居られなかつた。  翌晩もまた五百人の子供等が集つて来たが、それは大きな力であつた。讃美歌は貧民窟を震ひ動かした。そして子供等を通じて、新しい力が、貧しい人々の家庭に生えて来たことを感ぜざるを得なかつた。 [#7字下げ]十九[#「十九」は中見出し]  去年やつたやうな乞食の招待会は、今年は十二月二十八日と二十九日の両日北本町六丁目の教会で行つたが、去年より数を減らして毎日五十人づゝを招待した。去年と同じやうに神戸教会の婦人会の人々、またイエス団の婦人連が一生懸命に手伝つてくれて、狭い裏に大きな竈を二つも急造するやら、それは大混雑であつた。樋口さんは今年も中心になつてやつてくれた。  二十九日が過ぎると、急に淋しくなつた。三十日に栄一は新年の餅の準備や、天国屋で新年に雑煮の食へない人々を招待する準備をして居た。そこへ伊予から一人の青年が栄一を尋ねて来た。来春の四月に師範学校を卒業するのだが、卒業して小学校の教員になつても、日本の小学校のやうな重箱式の教育をやらねばならぬ所では、とても先に望みが無いから、もう退校してキリスト教の伝道師にならうと思うて出て来たのだが、神戸には、たゞ一人しか知つてゐる人が無くて、その人も、神戸女子神学校の舎監をして居るので、頼つて来たものの、その人の処に厄介になるわけにも行かず、困つて居るから、自分を置いてくれないかと云ふのであつた。  見れば非常に質素な面白さうな青年であつたから、直に同居することにした。  この青年の名は村山佐平と云うて、実に正直な人の善い男であつた。家は相当にして居て兄は宇和島の中学校の助教諭であるとか云うて居た。栄一は食事の時に久し振りで思想上の話が出来るのでうれしかつた。然し社会問題に就いては殆ど何にも知らないので、栄一は事毎に教へる地位に立つた。その晩恰度神戸通信に行つて居る、高見友弥もやつてくるし、神戸高等商業の学生でいつも思想問題に就いて栄一を尋ねてくる師井《もろゐ》忠次もやつて来た。師井は大の熱情家で、岩野泡鳴の刹那主義を哲学的の信条として居る男で、貧民窟へ来るのは刹那、刹那の強い刺激を受くる為めに来るのだと云うて居た。  師井は変りもので、其晩は姦通を讃美してみたり、殺人を讃美してみたり、強盗を讃美してみたりして居た。 『人を殺して、みたいな!』  かう云つて、師井は、豊かな血に燃えた美しい頬の筋肉をピク/\と震はせて笑つた。  田舎から出て来たばかりの、村山佐平は吃驚して居る。 『美人の白い膚にズブツと、白刄を突きさして、ドブ/″\と赤い血が絹のやうな皮膚を流れるのをみた時は、どんなに愉快だらうね!』かう、師井は続けて云うた。高見はそれを聞いて大きな声で笑つた。新見は黙つて居た。 『俺は貧民窟へ来ると、身体がシンとして来る。緊張してくるんだな! 然し二十四時間とこんな処に辛抱させられたら俺は死んで了ふな! あまり刺戟が強過ぎるんだ。俺のやうな受感性の強いものは、とても、新見君のやうに、こんなところで、二年も辛抱なんかしないね。その点から云へば新見君は豪い! 然し或点から云へば新見君は馬鹿だ! つまり受感性が無いわけだね……』  さう云ふのを聞いてみんなは大声で笑つた。高見は横槍を入れて、 『それでは、君は、新見君が貧民の救済なんかしなくても、ただ刺戟に生きて居れば、善いと思ふかね』 『さう云ふのでは無いぜ。然し俺は刺戟の鈍い男で無ければ、こんな所に二年も住んでは居れないと云ふんだ』 『では、君は刺戟のみに生きて居れば、善いと云ふのかね』 『勿論さうだ!』 『貧民の救済などはしなくても善いのか、さうすると』 『勿論さうだ。自己の充実の無いものが、人を救ふなど云ふことは間違つて居るよ!』 『それぢや、親が子を可愛がることも間違つて居るか?』 『それは違ふぜ――親が子を可愛がるのは立派な刺戟があるからだ――子供は可愛いからなア』 『貧民窟の赤ン坊のやうな、ひめけ[#「ひめけ」に傍点]た醜い子を持つ親はどうする』 『そんな、子供は殺して終ふさ!』  村山は高見と師井の顔を一々見て、一生懸命に聞いて居る。新見は相変らず、黙つて居る。 『つまり君の云ふやうだと、自分に都合が悪いことになると、子でも親でも殺しても善いことになるね』 『まア、さうだね! ――それは刹那の美感と充足に生きる為めには、仕方が無いのだね!』 『さうすると、イエス・キリストのやうに人の為めに犠牲になる人間は一番馬鹿だね!』 『いや、さうでも無いのだ、イエス・キリストは、犠牲になることによつて、その刹那の満足があつたから死んだので、犠牲そのものよりか、イエスが死を味つた刹那の充足意識そのものゝ経験が、我輩には尊いのだ!』 『六ヶ敷いね……君が、イエスの死をそんな風に解釈するなら、新見君が、刹那の為めに、貧民窟に居ると云へば、それで善いわけだね』 『さうだ!』 『さうすると、新見君も、全く馬鹿だと云ふわけでは無いのだね』 『だから何にも俺は、新見君を馬鹿だとは云はぬ』 『いや、君はたしかに、先ツき新見君は受感性が無いから、馬鹿だと云つた!』 『それは云つた!』 『ぢや! 受感性が無いことから来る馬鹿の新見と、犠牲に甘んじて刹那に生きる賢人の新見を君はどう調和するのだ!』 『そんなに、問ひつめられちや困る! 参つた! 参つた! 勘忍してくれ! もう少し考へてくるわ、高見君!』  かう云つて、人の善い師井は大きな声で笑つた。  それで、新見も、高見も、村山も笑つた。  高見は芸術家のやうに長く頸まで延ばした髪を撫でながら云つた。 『つまり、師井君の刹那主義の誤謬は外面的刺戟のみを求める客観主義だから、その理論に矛盾があるのだよ。新見君などは、疾に君の云ふやうな外面的《エキスターナル》な刺戟主義の時代を通過して、内的《インターナル》な――内包的《インクルウシーフ》――内側から湧いてくる、生命の創造的刺戟を自ら創つて行くから、君のやうに外部的な刺戟によつて生きなくても、立派に自らの環境を作つて行くことが出来るのだよ。君等の云ふ刹那主義は実に浅薄な皮下一分しか徹底しない刹那主義で――新見君などの刹那主義は全人的刹那主義で――内側から湧き出づる泉だ、外面的な世界の醜悪が、少なくとも自己に対してだけは隠れ消されるのだ。だから新見君は、自己に失望しない間は、貧民窟の醜悪に対しては、あまり感じないので、――それは新見君が、馬鹿であるからでなくて、また感じないからではなくて、自己の内面に働く生命衝動が、客観から来る刹那的刺戟より強いから、充分客観世界を征服し得るのだ。君等の云ふ刹那主義は、客観に征服せられた状態を云ふのであつて、つまり個性の亡失を意味するのだ。世界を創造する精神はこんな弱いものではいかないのだよ!』 『大きいことを云ふない! 高見君!』  師井は笑つて腕を延して、隣の椅子に腰をかけて居る、高見の背を掌で叩いた。 『全くさうだぞ! 師井君! 君等の刹那主義はあまりに浅薄だからいかぬ。刹那と云へばたゞ外面的の刺戟にのみよつて生きることのやうに考へて、やれ、姦通してみたいとか、淫売を買つてみたいとか、人殺しをしてみたいとか云うて居るが、そんなことは内面的に造られた人間の云ふ可きことでは無いのだ。人間の真の刺戟は、彼自らの中に発見さる可きものだ。彼は彼自らの中に創造さる可きものなのだ』 『そのあたり、誰やらの口調そつくりだなア、もう受売はよせよ、高見君!』 『そら、君、僕は新見君の哲学に大に共鳴して居るのだから、新見君の口調の出てくるのはあたりまへだよ』 『もう参つた! 参つた! 頭が痛くなつて来た! 今夜は高見君にウンと参つた!』 『それぢや、もう人殺しがしたいなど云ひはしないか?』 『もう云はない! 云はない!』  師井は手を振つて、さう云うた。  新見は笑ひ乍ら師井に云うた。 『ぢや、師井君、此間のやうに、ミセスTに恋がしたいと云うたのも、取消しますか!』 『あれは取消しませんぜ! あれを取消しちや、僕の生命が無くなる……あれを取消しちや!』 『然し姦淫は君の生命を枯らして了ふよ』  厳粛に新見は云うた。 『それは知つて居るさ――然し、そこは高見君の説に従つて内面的に恋をするさ……片思ひでも善いからな……あんな美しい女に恋をしなければ、世界に恋すべき女が無いぢやないか!』  一段と黄ろい声で師井が叫んだので、みんなは笑つた。 『君はT夫人を愛して居ることを先方に話したか!』  高見は笑ひ乍ら尋ねた。 『いや! それが云へるやうなことであれば、俺はこんなに煩悶しないがな……然し云は無い所に俺の恋の神聖な所があり、悲痛の快感があるんだよ』 『また悲痛の快感が出て来たね』  かう新見は云うて笑つた。 『然し新見君、僕も近頃、もう一人の少女を発見したのだ――そして僕は幸福なのだ』 『君は何人の女に恋をして居るのだ?』  高見は師井の方に向き直つて尋ねた。 『三人だよ!』師井は右の手の指を三本出して、さう答へた。 『ミセス遠山に、その少女に、もう一人は誰だ?』  高見は侮辱した口調で尋ねた。 『――ミセス遠山つて――君も知つて居るのか? 誰れがそんなことを云うてゐた――新見君?』 『君は誰れにでも云うて居るぢや無いかいや!』 『それを知つて居るのは、新見君と野村君とだけの筈だがなア――君は誰から聞いた?』 『野村君と此間一緒に散歩して聞いたよ』 『さうか? 困るなア!』 『もう一人のラヴアの名前を云はないか?』 『それは、もうやめとこ/\……云ふと迷惑する人があるから、少なくとも此処に居る一人の人は迷惑するよ』 『此処の人であれば、善いぢやないか、少し位迷惑しても――』 『それぢや云はうか?……君の妻君だ!』  みんなはそれを聞いて噴き出した。 『馬鹿を云へ』  かう高見は云うて、長い髯を上に撫であげた。 『ほんとを云はうか? 高見君?』 『ほんとを云へ、ほんとを!』 『それはな、小秀さんだ!』  師井は小さい声で、かう云つて、新見の顔を見て笑つた。高見も、村山も、新見も、師井の顔を見て附いて笑つた。高見は一段高い声で、 『小秀さんて、誰れだ?――』 『君は小秀さんを知らんのか?』  栄一は電気の光を凝視し乍ら苦笑して居る。 『新見君、小秀さんで誰れですか?』  高見は真面目になつて聞いて居る。それをみて師井は大声で云つた。 『さうだ、さうだ、高見君、新見君に聞けば小秀さんのことは最もよくわかるよ[#「わかるよ」は底本では「わるるよ」]、君は、新見君の所に長く居て、小秀さんのことを知らないのか? 駄目だなア』  高見の質問に対して新見は笑つて答へなかつた。 『師井君、君はその小秀さんと云ふ人を知つて居るのか?』 『いや』 『知らない? それに、どうして恋が出来るのだ』 『俺は、恋を恋して居るのだよ、高見君、君知らなければ云うてやろか』 『師井君、云つちやいかぬよ、云つちやいかぬよ』  新見は手を左右に振つてさう云うた。それを見て師井は真面目になつて、 『新見君、あの女は一体どうなりました?』 『此間姉さんに会つたら、名古屋へ鞍替をしたとか、云つて居たがね――どうなつたか僕は知ら無い!』 『知ら無いつて、新見君は存外薄情な人間だなア――ぢや、駄目でしたんですか?』 『何が?』 『何がつて、新見君、他所のやうに云ふちや困りますよ、小秀さんが可哀想ですよ』 『何ンだい――師井君、君達は何を云つて居るンだい?』  高見は話に連絡が取れ無くて困つて居る。師井は高見の質問など顧みない。 『可哀想なことをしたなア――新見君は非道いなア、あれだけ恋して居た女を捨てるつてなア』 『僕は何にも知らんよ』 『知らんよぢやありませんよ、小秀は最近は随分、あなたに熱中して居たのですよ。私の知つて居るもので随分その方面の消息に詳しい新聞記者が居てね、その男から小秀さんの煩悶して居ることを此間詳しく聞いたのですよ。それで、実はその辺の事実を確かめる為めに来たのです』 『然し、師井君、とても金銭で恋愛を買ふことは僕には出来ませんからね』 『然し、小秀さんのあなたに対する恋は、金銭の問題ではないでせう』 『だつて、小秀は、少しも、恋愛のことを云は無いから僕にはわからない』 『何にも云はないのですか?』 『何にも云はない』 『をかしいな!』 『その新聞記者の云うて居たのは、余程君等二人は深く行つて居ると云うて居たが……』 『それは昔のことだ、僕は未だクリスチヤンにならない前のことだ……、勿論その後小秀は度々色々なことを頼みに来たけれども、私としては、深く立入らなかつたのですよ』 『然し、私が六甲の山の上で、野村と二人で、小秀さんのことを、あなたから聞いた時には、あなたは多少本気になつてゐたのぢやないのですか!』 『いや別に……あの時はたゞ、こんな女もあると云つただけですよ』 『あの時に小秀さんの話を聞いてね、僕はまだ一度も会つたことも見たことも無いのだけれども小秀さんが馬鹿に好きになつて一度でも善い、会つて見たいと思つて居たのですよ、残念なことをした。それぢや、あなたと小秀さんの関係はもう切れたのですね』 『切れるも切れ無いも、初めから関係が無いのだもの』 『どうかしら。怪しいなア』  新見と師井の会話を、高見と村山は静かに聞いて居たが、高見は笑ひ乍ら、師井の肩を叩いて云つた。 『此男は、ほんとに呑気な男だよ、見たことも会つたことも無い、人の恋人を恋して居るのか?』 『それだから、善いのぢやないか! 会つた女であれば危険性があるが、見たことの無い女に恋すれば、実に安全ぢやないか!』  そこで、新見は改まつて、 『然しミセス遠山に、君はあまり接近し過ぎて居るぜ、余程注意しなくちやいかぬよ、ほんとに注意し給へよ』 『ウム、注意するよ、君にそんなに云はれなくとも、……新見君、君、僕を今夜此処で泊めてくれないか、僕はイエス団が馬鹿に好きになつた。此処にくると、何となしに、人間味があつて善い――(さう云つて師井は高見に抱き付いて)――高見君、どうだ、君の妻君の健康は善いか?』  師井は情熱の男であるから、そのなすことがまた実に情熱的である。  たゞ驚いて居るのは、村山である。話の最初からたゞ黙つてみんなの顔を、キヨロ/\見詰め乍ら、何か考へて居る。 『今夜、師井君は、村山君と一緒に寝てくれたら善いンだ、うちは蒲団があまり無いから、二人が一緒に寝てくれないと困るんだ』  暮の三十日の夜は静かであつた。竹田も『神の子』も促《せ》く仕事があるとかで、今夜は徹夜をして居る。三公も、市公もみな留守である。宅には手の無い少年の津田とおみつが隅の方に寝て居るばかりである。  九時過ぎて、上杉が沖から帰つてくる。松蔵も遊びから帰つてくる。十時過ぎて高見は『今夜は久し振りに話込んで愉快であつた』と云つて帰つて行つたが、間も無く、市公も、三公も、そして最後に伊豆も帰つて来たので、みんな寝ることにした。栄一が寝る準備をして居ると、おみつが、 『先生、おまる!』と床の中から叫ぶ。  それで栄一は『おまる』を床の下から取り出しておみつに宛がつた。  師井は床の上に坐つて不思議さうに大きな眼を見張つた。 『新見君、あの人は病気なのか?……君はあアやつて毎日世話して居るのか?』と聞いて居た。  新見はたゞ『ウム』と答へただけであつた。貧民窟は珍らしい程静かで、屋根裏を猫が歩くのが聞こえる位であつた。 [#7字下げ]二十[#「二十」は中見出し]  大晦日は栄一には淋しい日であつた。栄一は朝から天国屋の総勘定に掛つて居たが、師走の月の欠損は家賃を別にして二十四五円であつた。そして、その殆ど全部は喰ひ逃げから来て居るのである。髯の谷本は『人間と云ふものが、こんなに穢ないものだと知らなかつた』と云うて居た。  然し天国屋で元日の朝の雑煮を食はしてやると云ふことは既に決定したことであつたから、谷本は五斗の小餅を別について居た。栄一はその為めに二十四円ばかり別に飛ぶと思へば、とても決算が持て無いからと云うたが、既に支払つたことであつたから仕方がなかつた。  栄一は色々と毎月の入費の計算をしてみたが、天国屋の今の欠損では此上二月と持ちこたへることは出来ないと谷本に云うた。  谷本はそれを承知して居た。 『実際つまらんですがな……たゞ喰ひ逃げばかりに二十円も二十五円も損をしましてな、こちらとしては外に利を儲けて居るんでないんだすさかいな』 『こんなに損をするのであつたら、たゞ喰ひ逃げされるばかりに。之を薬代に費つて、大勢の病人を世話した方がどれだけか役に立つか知れない』  かう栄一も答へた。喰ひ逃げする多くのものは木賃宿に泊つて歩く不良の分子であつた。堅気の労働者は決して喰ひ逃げなんかはしない。多くは欠乏して居るとか、賭博に負けたとか、淫売を買うて金に窮したものが喰ひ逃げをするのであつた。之は植木虎太郎に餅屋をさせた時にも訴へた不平であつたが、天国屋にもそれが現れて来たので、新見は力の無いものが貧しい人々の為めに飲食店を開くことの如何に困難であるかを知つた。  勿論、見積を高くして、喰ひ逃げせられる金高を、他の購売者に割付ける勇気があるならば、どうやら、かうやらやれ無いことは無いが、天国屋のやうに多少救済の意味の含まれた飲食店は到底成功する望みは無いのである。  然し需要は多くなつた。狭い天国屋は毎日二度満員であつた。そしてみな満足して帰つて行つた。之は栄一が誇りに感ずるところであつた。それで今更それを閉づることが何だか新川の長屋の人々に対して可哀想な気がしないのでもなかつた。  質屋は何処も満員であつた。栄一が郵便を入れに行つた時に、南本町の六丁目の山根の店先には、栄一の知つて居る顔ばかりでも二十人位居つた。その中にはお隣りの山内花枝さんも質物を持つて混つて居た。  栄一が帰つてくると間もなく、花枝さんも質屋から帰つて来た。そして淋しさうに表の硝子障子の前を過《よ》ぎつた。  栄一は花枝さんを呼びとめて―― 『一寸、花枝さん、あんたのところ、今年はお餅をつかず?』 『つかず、だんね、お金がおまへんね』 『それぢや、明日うちで一緒にお雑煮を戴きませうか』 『有難う……うちんところな、先生、家賃が三月も溜つて居りましてな、出て行けと云はれとりまんね、それで今お母はんの綿入と私の綿入を質入して来ましてん』  見れば花枝さんは袷衣一枚と襦袢で居る。 『寒くない?』 『いや、子供負うてると暖《ぬく》い暖い!』 『さうやつて、一人居たら寒いでせう?』 『走つて帰つて来たから、少しも寒く無い!』  花枝さんは今年十四の蕾の花である。美しい肌を持つて居る娘で、お母さんや勝に似て顔の容子も非常によく整うて居る。栄一は隣りの困つて居ることは聞いてゐたが、それでも勝の収入が相当あることだと思うてゐた。然し花枝さんに聞くと、勝の兄さんが大阪で役者になつて居るのが、近頃病気して居るとかで、それで金が足らないのだと云うて居た。  大晦日の晩に栄一は竹田と『神の子』と昨日伊予の宇和島から来た村山と四人で中道筋に路傍説教に出た。街は何となしに落付きがなかつた。路傍説教から帰つてくる途中で、神戸教会の信者に会つたら、除夜会に行くのだと云つて居た。  竹田は除夜会に行きたいと云うたが、新見は『帰つて寝よう、寝よう、明日は一日路傍説教だから』と云つて反対した。  遅くまで貧民窟の路次を借金取りがうろついて居た。岸本のお爺さんは雑煮の餅を一斗ばかり餅屋から買うて来て、明日の準備をして居る。  十一時過ぎにみなのものは寝に就いたが、栄一は独り机に倚つて、一年の最後の祈りを捧げた。  そして雑記帳の片端に自由詩を書きつけた。 [#ここから2字下げ] 明日は正月 今日節季 今年も之で 経つて行く。 のび上らうと してみたが 寸が足らぬか まだのびず 年は寄《と》つても 豪くはならぬ もうもうこれで すくんだか? 明日は正月 今日節季 今年も之で 経つて行く。 神のみすがた まだみえず めぐみのみ手を 探りつゝ 深い狭い ため息に 小さい胸が 痛みます。 あゝあゝ今年も之で すんだなあ? 明日は正月 今日節季 今年も之で 経つて行く。 [#ここで字下げ終わり]  そして猶も祈り続けて居ると、師井が何を思つてか突然硝子障子から覗き込んで、 『新見君、俺はまた来たぞ、貧民窟の強烈な刺戟を味はなくちや、どうも俺の反逆性が納りさうにないからやつて来た。今夜も一晩、君の処で泊めてくれ……そこでな淫売婦に引張られてなア……俺れは逃げて来た処だ!……袖を引張るものだから、こんなに綻びちやつた……非道いことを仕やがるから!』  かう云ひ乍ら、新見に袖の綻びた所を見せて居る。 『貧民窟は実に悲惨だな、俺は驚いちやつた。此寒いのに、単衣一枚で、表をうろ/\して居るものを見たぜ。俺の来る道の質屋と云ふ質屋はみな満員であつた。大晦日だけは質屋も夜間開業をして居ると見えるなア』  そんなこと云つて居る中に、宵の中は非常に静かであつた、裏の筋に喧嘩が二つ三つ始まつた。喧嘩安の内では夫婦喧嘩をやつてゐる。虎さんの宅では親子喧嘩を始めた。おしんさんの隣りの内ではヒステリーのおかみさんが何やらぼや[#「ぼや」に傍点]いて居る。 『俺にはもう貧民窟の刺戟は強過ぎらア、昨夜はかうでもなかつたぢやないか?』  師井は若々しい血のたぎつた善い血色をして、昂奮し切つた口調で云つた。  栄一は極く落付いて答へた。 『いつでも、かうなのだ、まだ之で善い方なのだ……まアそんなに昂奮し給ふな、明日の朝が早いから、今夜はもう之で寝ようぢやないか?』  その時に、百八つの寺の鐘が鳴り出した。  栄一は静かに頭を垂れて、黙祷をして居る。  師井は、『あゝ、人世は淋しいなア』 と泣き声で絶叫した。  路次にはまだ高利貸の提灯がうろうろ[#「うろうろ」に傍点]して居る。 [#7字下げ]二十一[#「二十一」は中見出し]  元日の朝から裏では喧嘩をして居る。栄一は教会の十七畳の大広間でみんなと一緒にお雑煮を祝ふことになつてゐたが、手伝人足の紀州も仲仕の上杉も面を洗ひに水道側に行つたなり帰つて来ない。それでお隣りの勝の一家族――一家族と云つても勝と花枝さんとそのお母さんの三人――を招いて一緒にお雑煮を戴くことになつた。すると、昨夜の喧嘩の持越しと見えて、喧嘩安の所も喧嘩して居れば、虎さんの所も喧嘩をして居る。おしんの隣りの手伝人夫の宅でも喧嘩して居るらしい。その喧嘩が散つたと見えて裏の筋にはあちらこちらに膳を投げつける音、茶碗の砕ける音などがして居る。  その中に、『紀州』が片肌脱いでやつて来て、台所に這入つて何かこそこそして居る。何だか変だから栄一が行つて見ると、出刄庖丁を握つて出て行く所であつた。顔は酒の酔が廻つて真赤になつて居る。 『紀州、何をするの、そんなものもつて?』 『別に何にもしまへんね』 『出刄庖丁など持つて何するの』 『あまり胸糞が悪いによつてに之でぐツといつたりまんね』 『それで?……どうしたの、一体? 何処で飲んで居るの?』 『おしんの隣りで御祝儀に来いと云うてくれましたさかいな、今朝は上杉と一緒に行きましてん、そしたら私の身内のものも来とりましてん、その身内の中の若いものがな、私を馬鹿にしまんね』  さう云つて話の充分済んで居らない中に紀州は下駄も穿かずに跣足で裏に飛出さうとする。それを栄一は引止めて、 『乱暴しちやいかない!』 と叱り付けた。で栄一は紀州の着物を掴まへた。それでも紀州は泣き面をして黙つて振り切らうとする。そこに師井と村山が飛んで来る。勝も飛び出して来て押し宥める。[#「押し宥める。」は底本では「押し宥める」]  そこへ上杉が裏口から飛び込んでくる。 『出刄庖丁をかせ、出刄庖丁を!……あいついはしてやるんぢや! 奴畜生めが!』 と出刄庖丁を探して居る。後からおしんが多勢の仲仕風の男と一緒に紀州と上杉を宥めに来た。おしんは新見をみて、 『先生、元日の朝からえらいことだんがいな、困りまつさ!』 『酒を呑むとかうなるから困るね、どうも』  栄一は去年のお正月もうかれ節の松公がおしんさんの宅で喧嘩して火箸を焼いて走つて行つたことを話して笑つた。お雑煮がすんで早朝の辻説教に出ようと思つて路次を出かけると、何処から飛び出して来たか、平常は実におとなしい、炭曳きの通名『尼ヶ崎』と呼ばれて居る二十四五の大きな身体をした青年が、酒に酔つ払つて長い抜身の刀を持つて、路次を浜の方へ走り去つた。後から細君らしい女が泣きながら跣足で追つかけて居る。 『初ツつん! 帰りんかい!』  その声が耳に入らぬか、男の姿は下の二畳敷の方に消えた。  表に出ると、八百屋の前に大勢のものが立つて居た。そして街は何となしに騒々して居た。新見は立つて居るものの一人に聞いてみた。その答には人殺しが此下にあつたと云ふのであつた。それで栄一はその方に行つた。小野柄橋に出る迄の角の煙草や蜜柑を売つて居る店屋の前に、血が凹《くぼ》い所に一杯溜つて居た。そしてそのあたり一面が血だらけであつた。元日早々であるから、あたりの家はみな戸を閉めて居て、そのあたりに人の気も無かつたが、確かにそこで人が殺されたに違ひ無いのである。  散髪屋のおかみさんが茫然郵便局の前に立つて居るから聞いてみた。然しおかみさんは別に深いことは知らなかつた。それで再び八百屋の前に帰つてくると、今度は伊豆さんが痛い頸を傾けて立つて居た。そして詳しく栄一に人殺しの様子を話してくれた。 『なんでも、此処の人の云はれるのには、坂本屋に泊つて居た土方が兄弟分と、昨夜からお酒を呑んで居て、一寸のことから言ひ逆ひになつて、それを仲裁した別の男の人を弟分の若い方の男が抜き身で斬りつけたのださうな。それで交番所へ訴へて行く所を小野柄橋の脇まで追つて行つて、あしこで追ひついて後ろから、ブツスリやつて了つたのださうな。可哀想にな、まだ年も若うおますのだすと。三十二三の男ですと』 『その死体は?』 『坂本屋に置いておますのやろ――検視が来るまで――お酒はほんまにいきまへんな!』  坂本屋の前には別に人影も見えない。日の出前の灰色の元日の空は、門松も何にも立つて居らぬ木賃宿の竝んで居る鼠色の狭い街に映えて、実に陰気に見える。  このまゝで太陽がこの街に登らなければ善いのにと、栄一は考へた程であつた。太陽にこの元日の人間の醜体が見られることはすまないことであると云ふ気がした。  栄一は心の裡で泣き出しさうになつた。何の為めに貧民窟で、二年も辛抱して居るのであらうか? 而も何の効果もなく、凡てが水の上に[#「水の上に」は底本では「水に上に」]画かれた波紋のやうに、効果もなくして過ぎ行くのである。この大きな貧民窟を悔改めに導くと云ふことは、それは余りに大きな仕事である。人の心は一片の説教では動くものでは無い。彼が百万遍叫んでも、それは全く効果の無いものであると、自らを罵りたくなつた。――『我は福音を恥とせず、この福音は滅ぶるものには愚かなるもの、されど我等救はるゝものには神の力たるなり』と云ふ使徒パウロの言葉が、何だか嘘のやうに聞こえて、本気で説教することの力が抜けたやうに思はれた。然し、新見には、説教と祈の外に貧民窟の人間悪と戦ふ武器はなかつた。  それで栄一は、決心して一人唱ふことにした、それは小野柄橋の殺された人の血が流れて居る角の所に立つて、寂しく担はされた十字架を恥ぢずに……。  彼は、元日の空に向つて一人で声をあげた。 [#ここから2字下げ] エスよこの身をゆかせたまへ あいのこぼるゝ十字架さして われは誇らんたゞ十字架を あまついこひにいる時まで [#ここで字下げ終わり]  彼がコーラスの『我は誇らん、たゞ十字架を』と歌ふ時に自ら涙が彼の頬を伝うて流れた。彼は歌ふ言葉を一言一言我身にあてはめ次の句を歌つた。 [#ここから2字下げ] 十字架にすがる弱きわれは いまぞ知りぬるふかきめぐみ 十字架の上によろこびあり たえず御蔭によらせたまへ [#ここで字下げ終わり]  栄一は大きなベース声を持つて居る。或音楽家は狂的の大声だと批評したが、八百人位のソプラノに対して二人でベースを受持つ位の大声である。栄一は自分の声が美しいと考へたことは一度も無い。  然しかうやつて、予言者のやうに元日の寒空にひとり殺人のあつた血の跡に立つて、世界に悔改めを勧めると云ふ厳粛な境遇に、自らを置くと、自分の声がどんなに醜いものであつても、銀の鈴のやうな響を持つて居るだらうと考へた。彼の声は朝の空気に反響して、川の向うの学校の塀を伝うて学校の裏の路次まで這入つて行くらしい。そこから女の人が二三人覗いて居る。寒い空の空気は特別に引緊つて居て、歌つて心持が善い。震動が充分であると見えて声が美しく聞える。  栄一は小野柄橋の側では長く歌はなかつたが北本町五丁目、六丁目の四つ角に来て久しく歌つた。そこには早や『ハツタ! ハツタ』の賭博の帳場が二ヶ所も出て居たが、栄一が長く歌ふので手持ち無沙汰で困つて居た。それは、栄一の歌の節が面白いので、そこに居る子供等がみんな栄一の方に引きつけられて寄つて来るのと、その声があまり大きなので賭博の勘定をしても聞こえないからであつた。胴元の一人は新川で、有名な『眼玉の由』と云ふ博徒の中の顔役である。 『奴畜生! あつちへ行きあがれば善いのに、こんな処で、歌つたら、こつちは少しも儲けにならへん!』  かう云つて凄い位ゐ眼瞼から飛び出して居る斜視《やぶにらみ》で大眼玉の由公が栄一を睨みつけた。  それ位のことは栄一は平気である。 『えい、縁起が悪い! 上の四辻に変つてやれ!』と由公は台にして居る石油箱と賽ころ[#「ころ」に傍点]と茶碗を持つて上の方に変ると、後の男もそれに見習つてついて行つた。  四辻は広くなつたので、栄一は簡単に神と正義の話をして引き上げた。  うちに帰つてくると、西隣りの乞食の大師さんの宅では『長』が乞食に行く準備をして、大師さんの出てくるのを待つて居る。軈て大師が出て来た。大師さんは梅毒で顔の全く潰れた年恰好五十位の眼も鼻も無い男で、眼は、どう云ふわけか表皮が瞼の上下を喰付けちやつて、眼玉が中で動くと、皮がピク/\波動するのであつた。  然し口はよく立つ方で、大師さんの向隣りは乞食仲間の合宿所になつて居るので、そこの乞食連も問答をして居る。 『今日はわしは、此財布に一杯貰つてくるが、賭けるか?』 『今頃から行つて、その財布が一杯になるものか――』と内側から声がする。 『ウム、わしが乞《もら》つて来たらどうする、お酒一合驕るか?』 『お酒二合位なら驕つても善いなア』 『よし、それぢや、今夜は驕らしてやる!』 『その財布が一杯にならなんだら、どうするのや? さかさまに一合驕るか?』 『よし驕つてやる――まア行つてくるわ、「長」、早う杖を引かんかい』 と云つて大師さんは元気さうに『長』の方に六角の杖を投げ出して、路次を西の方に出て行つた。  喧嘩はまだ続いて居た。喧嘩安はおしんの宅の喧嘩を引き受けてまだぐず/″\云うて居る。下の二畳敷では『チー』と云ふ男が石で朋輩を擲ぐつたとか云つて大喧嘩をして居た。河津のお爺さんもだいぶお酒に酔うて脱線して娘婿を擲つて居た。呑太の吉田は豚のやうになつて岡山屋の前で擲ぐられて居た。賭博の帳場を荒らしたとか云ふので。仲仕風体の男が木賃宿の岐阜屋で暴れて巡査が三人で取り押へに来て居る。上杉は血みどろになつて帰つてくる。水田の兄分は日暮通六丁目の四つ角で何処の破戸漢か知らぬ男と繩張の争ひでドスで渡り合ひをして居る。午前九時頃までに十九組の喧嘩を数へた。  北本町五丁目と六丁目の間の通りには、三十組も四十組もの『ハツタリ』賭博が開帳されて、千人から千五百人の人々が群がつて居る。路次の所々には呑太くれが溝の中に半分身体を突き込んで打倒れて居る。一月元旦は完全に悪魔の支配するところとなつた。  さうかと思ふと、八時過ぎに天国屋を覗いてみると、今朝は百五十人からの来客で、うちに居てお雑煮の食へ無い人が、我れ勝ちにお雑煮を食ひに来たので、午前五時半頃には五斗の餅が八分通りは無くなつてゐたと、谷本が云うて居る。  下の二畳敷の元日の景気は、どんな風かと見に行くと、七五三《しめ》も張らず、お雑煮も炊かず、ブリキの金盥の底に土を詰めて、其上で芥箱から拾うて来た古下駄を焚いて居るのが四五軒あつたが、多くは、何にもせずに寝て居た。  猫のお婆はどんな具合かと尋ねてみると、貰つたお餅が七つ有つたので、それを焼いて食つたが、お正月は屑も休みなので屑拾ひに行つてもつまらぬし、さうかと云つても食ふものは無いしするから寝るのだと云つて寝て居た。そのあたりの近所はみな同じやうなことを云うて居た。 『お正月は少しも目出度くはない。お正月は反つていやぢや。平常であれば仕事があつて達者でありさへすれば、その日の米代には困らぬが、お正月は仕事に行きたくても仕事は無いし、さうかと云つて米代の貯蓄と云ふのがあるではないし、つまりお正月は貧乏人泣かせや』 と、乞食のお春が云うて居た。  二畳敷の子供で、正月らしい着物をきて居たのは、僅か二三人で――阿呆の梅吉と、癲癇やみのかづ[#「かづ」に傍点]さんと、便所掃除の娘のおつやの三人が眼についた。その他のものはみな冬歳と同じ襤褸を纒うて、煉瓦を並べた小溝の脇や、便所の側で、三銭五銭をかけて『ガメ』(賭博の一種)をしてゐた。  こちらの人々の正月は旗も無ければ、お七五三《かざり》も無い。お酒もなければ、お餅も無い。お餅のある家は乞食の家に限つて居るので、それで無い範囲はお正月は実に殺風景である。一面から云へば哲学的である。  それで栄一は二畳敷を廻つた時に、気の毒な子供等に『昼から上の広場でマラソン競走や、旗取りをするから、出ておいでよ』と案内して廻つた。  家に帰ると、路次の表に竹田や、『神の子』や豆腐屋の町田与三五郎や、村山や、樋口さんなどが待つて居た。それは九時過ぎから、湊川公園に行つて路傍説教をみんなでする約束であつたからである。  栄一はみんなに一寸待つて貰つて『おみつ』におまるを宛てがつて、便を取つてやつて、表に出た。  町田はひやかすやうに新見に云うた――『先生、あんたの娘はなか/\厄介だんな、まだ一人でおしつこ[#「おしつこ」に傍点]は出来まへんか?』  元日の太陽は靄を破つて、うらゝかに路次を照らした。そして鬱積した貧民窟の気分が凡て発散するやうに見えた。  路傍説教の一隊は、元気よく路次を西に出て行つた。恰も世界の征服者であるかのやうな歩なみをしながら……。  小野柄橋の所に来ると、血は早や殆ど人に踏みつけられて残つて居らなかつた。然し西詰の交番所には、喧嘩して引かれて来た破戸漢風の男が、シヤツと腰巻の儘で立つて居た。それを見物人が黒山のやうになつてみて居た。  中道通はさすがに祭日気分で、日の丸の旗もひらめいて居るし、軒には幔幕を引き廻らして、門松の色が如何にも青々として春が来たやうな気分が漂うて居る。貧民窟の毒々しい灰色の処から出てくると、橋一つ越えて別天地に逃れて来たやうな心持になつた。  美しい帯をして、振袖をひら/\させて、羽根をついて居る乙女達を見て、新見は町田に云うた。 『世の中と云ふものは妙な所ぢやね、町田君。新川では、正月に反つて食ふものが無いと云つて寝て居る人があるのに、橋一つ越すと、帯一つが百円もするやうなものをして、用事が無くて遊んで居れるんだからね』 『正月や、冥途の旅の一里塚、めでたくもあり目出度くもなしですがな』  その日六人の同志は、十時から一時頃まで湊川の新開地で叫び続けて、大勢の人々に説教した。  その中でも町田の悔改めの経験談は多数のものに非常な感動を与へた。  栄一は昼過ぎに貧民窟に帰つてくると、すぐ村山に助けてもらつて、下の二畳敷の子供等の遊戯を指導した。子供等は吾妻通四丁目の広場で薄暗くなるまで栄一と一緒に遊んで居た。栄一は彼等に自由をさすとすぐ賭博をするので、出来るだけ彼等を牽制したのであつた。然し子供と遊ぶことによつて、栄一は餓鬼大将のやうな気になつて、貧民窟の殺人のことも、賭博のことも、淫売婦のことも、みな打忘れて、真に幼児のやうに真剣になつて遊び興じた。  一月元旦の祝福多き日が、須磨の鉄拐山の後に隠れると、栄一が貧しい多勢の子供に取り巻かれて『ほんとに元日はうれしい日であつた』と心の裏で繰返し乍ら、長屋に帰つて来た。然し長屋に帰つてくると、すぐ心配することが起つてくる。  未だ松蔵が新開地から帰つて来て居らない。隣りの花枝さんに聞くと、菊次郎や卯之助など五六人と一緒に、芝居を見に行つたと云うて居る。その友達が心配である。菊次郎や卯之助は近頃、掏摸の手先に使はれて居るチンピラである。  栄一は心配でならない。五燭の電燈が台所に灯いた。然し松蔵はまだ帰つて来ない。栄一は四角い古手屋から三十銭で買うて来た火鉢によつて、灰を掻き乍ら、頻りに神に祈つた。  村山は心配して、 『新見さん、私が之から松さんを探しに、新開地に行つて来うか』と云うてくれた。  朝からの混乱に、貧民窟は反つてひつそり[#「ひつそり」に傍点]して居る。裏の虎さんのところで、カルタを切つて居る音がよく聞こえる。鉄瓶がジンと鳴る。栄一は岸本夫婦が寝て居る表三畳と、自分が坐つて居る台所の三畳の間に立つて居る障子の破れ目を凝視して居る。  静かに、寂しい元日の夕が過ぎて行く。北の裏口から寒い風が這入つてくる。栄一は何を考へるともなく、黙祷をしてゐた。そこへ『新見さん、お目出度う』と植木虎太郎が泥酔して這入つて来たが、台所の框の上で倒れたなり、寝込んで了つた。  栄一は植木に答へもせずに黙つたまゝ尚も火鉢に凭つて灰を掻いて居た。  灰は美しく均《な》らされては掻きかへされ、均らされては掻きかへされ、大きな灰の塊は隅に積まれて、栄一はその上に二重文字で『超然』と云ふ文字を繰返し繰返し書いてゐた。  栄一は消えかゝつた火を起さうともせずに、頭を鉄瓶にすれすれに置いて泣いて居た。貧民窟を救ふことを教へられたことは、栄一には、あまりに重荷であると感じたからであつた。  涙が鉄瓶の上に落ちた。栄一はそれを指先で延ばして十の字を続けて書いた――  植木は大きな鼾をかいて寝て居る。十一時過ぎて、松蔵はこつそり裏口から帰つて来た。栄一はそれを敢て咎めもしなかつた。 [#7字下げ]二十二[#「二十二」は中見出し]  一月二日の朝、栄一は早く起きて祈祷や読書をして、みなのものの起きるのを待つてゐた。松蔵は昨夜遅かつたので七時過ぎまで眠つて居たが、岸本のお爺さんに起されて、寝床もあげないで面を洗ひに裏に出た。親切なお爺さんは松蔵の寝床をあげて外の蒲団の上に積み畳ねた。すると、松蔵の寝床の下から銀の鎖のついたニツケル製の懐中時計が一個出て来た。お爺さんは大きな声を張り上げて呶鳴つた。 『誰れか、時計を落せへんか?』  松蔵は顔を半分洗ひくさしにして、 『お爺さん、それうちのや! それうちのや!』 『えらい善いもの持つて居るな、いつ買うたのや?』  お爺さんは冷かすやうに云つた。栄一は机に凭つてゐたが、後ろに振り向いてその時計を見た。そして胸を慟悸つかせた、松蔵はたうとう掏摸の乾分になつたと思つたからである。  松蔵は時計を受取る為めに裏口から座敷に飛び上つて来た。その時に新見は松蔵に尋ねた―― 『松蔵、その時計はどうしたの?』 『昨日「菊」に貰ひましてん』 『そんな時計を、菊ちやんに貰つて善いの』 『菊はこんな時計沢山持つて居りまンね、先生、菊は掏摸だつしやろ[#「掏摸だつしやろ」は底本では「掬摸だつしやろ」]、こんな時計を五つも六つも持つとりまンね、そして、遣る、遣ると云うてしようおまへんね。昨日、私がいらんと云ふのに、遣ると云うて無理矢理に此時計を呉れましてん――自分は十八金の二百円もするやうな金時計を兵児帯の間に入れて伊達しとりますさ』  かう松蔵は笑ひ乍ら、それが少しも悪いことで無いかのやうに云うた。 『松蔵、それを返しておいで……そんなもの貰つて居れば、何時刑事に掴まるかわからないよ』  松蔵は素直にそれを聞いて、 『さうですか、先生、掏摸が[#「掏摸が」は底本では「菊摸が」]取つて来たもん貰つただけでも監獄へ入れられますか、怖いな、うち返してこう……』  松蔵はさう云つて、朝飯も喫べずに時計を持つて出て行つた。然し半時間経つても、一時間経つても帰つて来ないので、栄一は心配して松蔵を探しに表に出て見た。  すると木賃宿の岐阜屋の表の床几の上に掏摸に[#「掏摸に」は底本では「掬摸に」]なつてゐる不良少年が五六人集つて、金時計をいぢつたり、玩具のピストルをいぢつたりして居る。中には財布の中から春画を取り出して笑ひ乍ら見て居るものもある。菊次郎はまだ十六歳にしかならないのに、紳士が着るやうな銘仙の着物に黒の羽二重の羽織を着て博多の角帯を伊達に締めて、立派な表付の下駄を穿き、四円もするやうな中折帽子を冠つて居るものだから、一寸見れば何処の『ぼんち』かと見違ふ程である。  それをまた羨しさうに五六人の貧しい子供等が羽織をいぢつてみたり、下駄を賞めてみたり、小遣銭をねだつてみたりして居る。栄一はそつと電柱に隠れてみて居たが、菊次郎は背のひよろ高い十五六の貧相な卯之助に大きな声で云うて居る。 『卯之助[#「卯之助」は底本では「卯之郎」]、商売に行かうか? 今日は七十両位ゐ儲けて来うか?――』  卯之助は松蔵と二人でニツケル製の懐中時計の裏を開けて何か頻りと不思議さうに見て居る。卯之助は別に『菊』に返事をしさうもない。菊次郎は手を延ばして、十二三の少年の手から春画を取りあげて、大きな声で云うて居る。 『岩沼、今夜女郎買に連れて行つてやろか? 卯之助、こら、卯よ、こん夜福原へ冷やかしに行かうか? 面白いぞ』  これ等の不良少年等の間に交換せられる会話を聞いて居ると、新見には全く予想外のことばかりであつた。如何にも大びらで、少しも恥しいと思はずに、掏摸を[#「掏摸を」は底本では「掬摸を」]することが如何にも一つの功名であり、女郎買に行くことがあたりまへであるやうに考へて居る之等の少年は、新見には驚きの種であつた。  栄一はすぐ声をかけて松蔵を呼んだ。松蔵は時計を卯之助にぶちつけるやうにして新見の方に飛んで来た。  栄一はまだ松蔵に命脈があると思つて喜んだ。  クリスマスの朝天幕の中に寝て居たお徳の病気は、田沢のお医者さんに診て貰つたが、どうも腸結核らしいと云ふので、栄一は全く困つて了つた。市役所に引渡すことに心できめて居た。然し一月四日までは市役所は休みでもある為めに行路病人として引取つてくれ無い。それで病室は狭いのだけれどもお徳を四日まで世話することにした。  一月二日三日栄一は熱心な竹田や町田と一緒に湊川公園に行つて路傍説教をして、午後は子供等が賭博の方に誘惑されないやうに広場で一緒に遊んだ。賭博の盛んなことは驚く程で二日三日は元日どころではなかつた。北本町五丁目と六丁目の間の筋には日暮通に出るまで百五十組近くも『ハツタリ』賭博の開帳があつて、三人や五人の巡査では、それをどうすることも出来ないのであつた。三の宮警察署の監房はすぐ一杯になつた。日に一二回騎馬巡査が廻つて来て賭博の台や賽ころを蹴散らかしても立ち去る時には『万歳』と連呼してまたもとの通りである。松蔵は菊次郎などと新開地の方に行くことを禁止されると、栄一が路傍説教に行つて居る留守の賭博場に行つて勝負を争うて居たが、二日の午後一寸交番所まで引張られてすぐ釈放された。  その晩栄一は松蔵を叱り付けたが、松蔵は平気な顔をして、 『先生、正月にな賭博しても巡査はんもあまり八釜敷云はへんね、すぐにこらえてくれるわ、掴つても罰金二十円払つたらこらへてくれるのだす。それで、みんな何とも思うとりまへんのや、掴まつたら親分がみな罰金は払うてくれるつて云うて』  それから松蔵は、賭博場の仕組を栄一に話して聞かせた。 『それは百組以上も出て居る胴元はみな親分から金を借りて、ああやつて賭博をやつて居るので、儲けは親分の所へ半分だけ持つて行くのだ』など云ふことまで詳しく報告した。  三日にお徳を市役所に渡して、栄一は少しく暇になつたものだから、病人の世話は村山と岸本のお爺さんに頼んでおいて久し振りに上京して東京の貧民窟を研究しようと定め、その晩の七時半の三等急行で行かうと旅行の準備をして居た。  そこへ、徳島の谷田牧師が尋ねて来てくれた。そして例の問題に就いて田宮鶴子に会つてくれた話をしてくれた。 『全く、駄目! 駄目! 鶴子さんは東京の高商出の金満家の息子と結婚すると云ふことだぜ。会ふは会つたがね、話にならぬ。僕はもう少ししつかりした女かと思つたら存外つまらぬ女だね』  かう谷田は頭から鶴子をやツつけた。 『近頃は、全く教会に出ないしね、内にばかり引込んで居るやうだ。学校の方は去年きりでやめたと云つて居た。なかなかハイカラにして居たぞ。あれぢや、とても貧民窟に来る勇気なんかありやしないよ』  谷田はよく肥つた立派な体格をした軍人上りの男である。新見はそれに対して尋ねた。 『君は鶴子さんが、結婚すると云ふのは誰から聞いた?』 『君は知つて居るだらう、君と同窓だと云ふ近頃岡山の医専を出て来た林と云ふ若いお医者さんが居るよ、あの男が近頃教会へ出てくるものだから、あの男がよく鶴子さんの噂をして居て、そんなことを云うて居た。結婚することは確実なことだと云つて居たよ』  それを聞いて、栄一は別に何とも云はなかつた。既に覚悟して居たことでもあるし、鶴子が貧民窟に来てくれるやうな女でもないことを知つて居るから、もう諦める決心をして居た。 『もう、諦め給へ、新見君! 善いのがあつたら世話してあげるよ!』と谷田は大声で云つたが、新見は黙つて居た。  そしてその晩七時半の急行で二人は東に立つた。谷田は家族を纒めて徳島に引移る為めに名古屋に用事があつたので、一緒になつた。 [#7字下げ]二十三[#「二十三」は中見出し]  汽車で走ることは、栄一には珍らしかつた。東京は四年目ではあるし、栄一は外国にでも行くやうな気がした。三等室は窮窟であつても貧民窟よりは余程よかつた。第一窓や柱が真直に立つて居るのが栄一には不思議に見えた。いつも貧民窟の曲つたり歪んだりして居る取付けを見て居るものだから、キチンとした世界に坐ると外国に行つたやうな気になるのであつた。それに栄一は三年以上も神戸にこびり付いて居たので遠くまで旅行する機会と云ふのは全くなかつたから、最大速力で走ると云ふことが何とはなしにうれしいことであつた。貧民窟には進歩もなければ発明もない。凡てが遅鈍な進行であるが、一度貧民窟の外側に踏み出してくると、世界は長足の進歩をして居るのであつた。  谷田と名古屋で別れて、それから先は一人になつたが、沼津で夜が明けた。富士の眺めは実に偉観であつた。何でも因襲的《コンベンシヨナル》なことの嫌いな新見も、丸二年の間、頽れかゝつた顔と衰へ果てた病人をのみ見て居たものだから、巍然《ぎぜん》として雲の上に聳え立つ白扇を逆倒にしたやうな美しい姿をみて『美しい』と云はざるを得なかつた。『矢張り富士は美しい!』と栄一は汽車の窓によつて、独り言のやうに云うた。沼津から三島の方に走る間に富士の姿は色々と変る。愛鷹山《あしたかさん》の含まつた富士は、実に壮大なものであつた。その斜面の美しいことと云へば、とても口にも筆にも現はすことの出来ないやうなものであつた。三島から汽車は御殿場に登つて行つたが、新見は雪の中に立つて居る杉や檜の緑葉をこの上もなく美しいと思つた。貧民窟の戦ひに疲れた眼には富士の裾野の凡てのものは美しく見えた。箱根の小川も美しかつた。火山岩も美しく見えた。小山の富士瓦斯紡績会社の小滝までが美しく見えた。  箱根を越すと、平原にある樹木までが関西と大いに違ふ、欅や椋の木が非常に多くなる。それが如何にも軟かく見えて、美しく思はれる。国府津、大磯の別荘が美しく見える。中流以上の人々がこんな処に来たがる筈だと思ふ。汽車は東京に近づいて鶴見、大森、品川と郊外の停車場を過ぎたが、新見は大森附近の華族の庭園らしいものを特別に美しいと思つた。 『日本も段々に美しくなる!』と、かう新見は心の衷で云うてみた。品川に来ると美しい令嬢風の娘が美しい若い夫人と一緒になつて幾組もプラツトフオームに並んで居るのが眼に付いたので、また『日本の女は美しくなる』と一人で云つてみた。  四年前に東京を立つた時には此種類の美しい女の顔は見なかつたのであつた。それに女は何となしに落付いた様子をして皮膚が段々美しくなり、顔は叡智に溢れて居るやうに見える。自分だけが野蛮人の間に捨てられてあるやうに考へられる。  新橋に降りて、新見は上野まで電車にのり、それから上野の山の下を谷中の時田の家まで歩いて行つた。  銀座通は神戸の居留地を知つて居る眼には貧相に見えた。少しも統一の無い、がさつな[#「がさつな」に傍点]日本文明を表象したやうなその街の不恰好を不愉快に思うた。凡てが木と竹と紙で出来て居るやうに考へられる。下谷清水町の時田の宅を尋ねると、時田の宅も、一種中流以下の階級が多く住む長屋であつた。東京にこんな家が頗る多いのには今更の如く驚いた。  新見は荷物を時田の宅に預けて置いて直に下谷の万年町の貧民窟をみた。余程改良せられたとみえて『いろは』長屋が少し残つて居る外、さう非道くもなかつた。それから新見は川向うに渡つた。本所花町の木賃宿の並んで居る所を尋ねて行つた。本所区、深川区の一体の空気はとても神戸で経験するやうなやさしいものではなかつた。殊に本所花町や深川菊川町のやうに木賃宿ばかりが幾百軒となく並んで、それに幾万の労働者が蟄居して居るのをみると、之も葺合新川の十四軒の木賃宿の比ではなかつた。  栄一は、そこらあたりうろつき乍ら考へた――  ――この儘放つておけば、日本は今にえらいことになる。これらの貧しい人々は今に必ず生きて居ることに就いての権利を要求するであらう。その時は大変だ、矢張り問題は必ず東京から起るのだ――雪がちらつく。それに、会ふ人、会ふ人はみな袷せの印絆纒一枚である。栄一は自分が綿入の着物を着て居るのがすまないやうな気がした。その晩は救世軍の一膳めし屋で飯を食つて、富士見館と云ふ木賃宿に十五銭を払つて、寒さに震え乍ら寝た。  翌日、栄一は三井慈善病院と東京養育院とをみた。そして三井慈善病院の美しいのに満足した。然しその反面にはこの金を作る為めに、どれだけの搾取が行はれたかと思つた時に、あまり有難くも思はなかつた。金持ちの遊戯と思へてならなかつた。  東京養育院の惨憺たるには栄一は見て廻つた後で身震ひがした。千何百人と収容されて居る行路病者のなかで完全な血の循りの善さそうな人間と云ふのには一人も会はなかつた。その上に年寄が随分沢山来て居る。それらの人々が寝台の蒲団が重い為めか尻を半分つき出して寝て居る。栄一を案内してくれた小使がその尻を手で叩いて『また尻を出す!』と云つて叱りつける。返事もなにもしないやうな今にも死にさうに見える老婆は黙つて尻を蒲団の中に入れる。  凡てが倦怠である! 廃頽である! 此処には人生の再生の力は全くみることが出来ない。こんなに多くの人間の屑を竝べてみると、人間社会に活力が湧いて、新生命を開いて行くことが如何にも不思議のやうに考へられる。生き乍らの地獄である。東京養育院に来て栄一は自分の宅の病室に入れられて居る病人が矢張りこれと同じやうな態度で取扱はれて居るか否かをもう一度反省してみた。そして人間を助けることが如何に困難であるかをつく/″\考へた。  東京養育院をみて居る中に栄一は嘔吐を催すやうな気がした。それで大急ぎで辞し去つて、他の方向に足を転じた。  それから新見は四谷鮫ヶ橋、芝新網、新宿南町の貧民窟、市外日暮里の貧民窟等を研究して歩いた。その中最もうれしいかつたことは四谷鮫ヶ橋の二葉幼稚園で、園児に福音唱歌を歌つて聞かせてもらつたことであつた。彼等の小さい口から、 [#ここから2字下げ] 『十字架にかゝりたる 主エスを仰ぎみよ こはわが犯したる罪のため たゞ信ぜよ、たゞ信ぜよ 信ずるものは誰れも みな救はれん……』 [#ここで字下げ終わり] と云ふ讃美歌がオルガンに合はせて歌はれた。園長の野田香蘭女史は見えなかつたが、主任の婦人が居られて詳しく保育児の様子を知ることが出来た。そして養育院で失望した魂は二葉幼稚園で取り返した。栄一は貧民窟を救ふ道はただ一つしか無いことを固く信ずるやうになつた――それは子供と共に成長すると云ふことであつた。  一週間ばかり毎日貧しい人々の間をのみ走り廻つて調査すると、何だか息がつまるやうに思へてならなかつた。それで新見は出来るだけ早く東京を立つことにした。それで恰度、東京に来てから八日目に、神戸に向けて東京を立つた。汽車の中で印象に残つて居るのは、東京の四隅の角に立つて敗残の無産者が襤褸に纒はつて世界を罵つて居ると云ふ幻のやうなことであつた。  東京には何か近い中に起ると耳の中で云ふものがあるやうな気がした。新橋をたつて品川駅の沢山な電燈と別れてから、新見は窓に頭を倚せかけて、無産者から見た日本の運命を考へてみた。それは明るいものではなかつた。 [#7字下げ]二十四[#「二十四」は中見出し]  東京から帰つて来た新見は非常に陰鬱であつた。東京の人々はあの幾十万の労働者の群に対して何等の設備もして居らないし、またしようとはして居らない。然しそれが必ず近い中に噴火するのだと思へば、栄一は陰鬱にならざるを得なかつた。  それに栄一は近頃眼が悪くなつて、瞭然《はつきり》長時間読書が出来ない上に、耳も悪かつたのである。眼はトラホームが感染したのだと感付いて居たが、自分の為めにはどうも金が無い。人の為めには眼科医にもやるが、自分は毎日眼医者に通ふ時間も金も無い。毎朝結膜の充血して居るのを鏡で見てみると、自分の眼が可哀想に思へる。  東京から帰つてくると、天国屋は休業して居た。谷本に聞くと、とてもあのまゝではやつて行けぬと云うて居る。そして谷本は元の家に帰つて行つて、古手屋でもしようと思ふと云うて居る。後をやつてくれる候補者は誰か善い人は無いかと聞くと、信者の出口にやらせてはどうか、あの男なら、病気あげくで非道い仕事は出来ないが、飯を炊くこと位のことは出来るだらうし『関東焚』の商売をして居たから『おかず』を煮ることは上手だらうと思ふと云うて居る。  仕方が無いものだから、出口の所に行つて『天国屋の後をやつてくれ無いか』と頼むと『しやうおまへんぜ、私がやつてもあしこは一月か半月とか続かぬと思ひますな』と云つて、初めから見切りをつけて居る。強ひて頼むと、『そんなら善う考へて置きまつさ、明日でも御返事しまつさ』と答へた。  二畳敷の出口の家を出かけると、出口が呼び止めて、こんな話をした。 『――石野は教会に出入をさせて頂いて居りますものゝあいつは駄目です。元来が惰けもので働く気がないんですよつてにな、此間もまたお正月で仕事は閑だし何にも食ふものが無いよつてに、わたしの所に米一升借りに来ましたから、善く云うて聞かせてやりましたが、一昨日の晩からまたお寺の前に嬶を立たせて自分が立番をして居るやうな始末だんね。もうあいつもあきまへんわ――  なんでも近所の云ふところによると、石野の嬶は川向ひに旦那があつて、それと縁が切れないらしい風だんな。石野もそれを善いことにして、旦那が遊びに来ても知つて知らん振りして居るやうだす。  此間も、旦那が来たと云ふことを近所のものが云うて居りました。なんでも六十過ぎの老爺だつさうな。石野もとん[#「とん」に傍点]とあきまへん』  かう出口は石野のことに就いて述べた。  それで栄一の思ひ出すことは、暮に石野が度々彼のところに金を借りに来て、それとはなしに嬶のことを白状して居ることであつた。石野は自分の嬶の不身持を攻撃して『私がいくら云つて聞かせても改心しようと云ふ気は少しもおまへんのです。私が仕事に行つて居る留守に昔馴染のお客さんが来ても、もう耶蘇教を信心しとりますよつてにと云つて断るのだぞよ、と云うておますのやけど、お客の方で承知しませんとかぬかしましてな、とんと改心する気がおまへんね』と云うて居た。  石野の妻と云ふのは五尺四五寸もあらうと思はれる大きな女で、一人の連子をして石野と数年前から一緒になつて居るので、石野に較べると、年齢も二十近く違ふのである。皺の沢山ある浅黒い顔して、眼瞼の一方がのびて居る為めに片ちんばの眼をして居る醜い女である。貧民窟の淫売婦に醜婦が多いが、石野の嬶もその一人であつた。二年前の正月に栄一が貰ひ子のお葬式をしてやつてから、石野に連れられて一年以上もイエス団に来て、お祈りもすれば、真面目になつて、煉瓦のケレン(家を崩した煉瓦について居るセメントを落す仕事で、鉄の槌のやうなもので落すのでケレンケレン[#「ケレンケレン」に傍点]と音がするのでかう云ふのである)に行つて居たので出口夫婦などと一緒に洗礼も受けたのだが、仕事が暇になつて、米代が無くなるとまた、再び元の黙阿弥になつて、夫の知らぬ間に淫売に出て、信仰もなにも捨てゝしまつたのである。  栄一は石野の妻が信仰を捨てゝ再び堕落したことを聞かされてまた憂鬱の種を増した。税吏や娼婦は先に天国に入るのだと思つて一生懸命に石野の妻の信仰に就いて祈つたのだが、石野の妻は、やはり労働より寺の前に立つことの方を選ぶのである。さうすると娼婦はやはり天国に遠いのかなと考へ乍ら、栄一は自分の家に帰つて来た。  その翌日の出口の答は栄一には満足なものであつた。『天国屋は儲けようと思へばあきまへんよつてに、一身を犠牲に供したつもりで一つやらして貰ひまつさ』と云つて来た。  谷本は北本町六丁目の散髪屋の下隣りに引移つて古手屋を始めて、その跡に出口が二畳敷から引移つて天国屋を経営した。  出口が天国屋に這入ると、繩屑拾ひの伊藤がすぐ金を貸せと云うて来た。伊藤は相当にやつて居ると思つたから断つたが、それから伊藤は教会に全く顔を見せなくなつた。そして間も無く何処へ行つたか二畳敷から姿を消した。  そんな風で、イエス団は少し古い信者が遠ざかるやうになつた。無理も無いことで聖書が読めるのではなし、説教も六ヶ敷いことになると全くわからないので、絵解きでもして聞かすより外に工夫は無いのである。  それで新見は村山に云つた。貧民窟の伝道には聖書は全く役に立たぬ。一冊二銭位の絵本を作つて広くわけるより道はないと。  最初から考へると、教ヶ島にしても、石野夫婦にしても、植木屋の戸田にしても、散髪屋の元木繁蔵にしても、繩屑拾ひの伊藤にしても、どう云ふわけか信仰が安定的でない。年が寄つてから信仰に這入つたものはどうも長続きしない。その外に栄一が失望するやうな実例は沢山ある。鶴岡と云ふ老人は栄一に病気の際に世話になつたからと云つて長く教会に来て居たが、或時一円の金を借りに来たので、それを断つたが、それ切り教会に来ない。池本と云ふ一家族は子供を十人も産んで居る家庭で、おやぢさんが浜に行つて仲仕をして居る中に上から鉄板が落ちて長いことの間|負傷《けが》をして居たが、栄一は毎日お米一升とお金二十銭を宛がつて助けてやり、主人が少し善くなると、細君がまた肋膜炎で寝込んで了つたものを、上の田沢の医者さんにかけて、五ヶ月も六ヶ月も世話をし全快させてやつたが、全快して一二ヶ月の間は御礼参りの積りか、教会に来てゐたが、すぐ止めて了つた。貧民窟の表に住んで居る手伝人の人夫を入れる小さい親分株の湯谷四郎がそれである。此男は栄一から金が引き出せると思つて居たが少しの程は熱心であつた。然し五六ヶ月求道してゐても聖書は読めないし、煙草も酒も女郎買も出来ないと云ふので窮屈だと云つて止めて了ふ。勿論止める前に五十両貸してくれと栄一に申込んだが、栄一が体裁よく断つたのであつた。  こんな米櫃信者の類は栄一にはよくわかるから、栄一は信仰と云ふこととパンと云ふことは決して一つにしなかつた。困つて居れば戸田の一家族のやうに何から何まで世話はするけれども、それは彼等の信仰を維持させんが為めでは無くて、同胞としての関係からであつた。病人も沢山世話したが彼等に信仰は強ひなかつた。教会に来たいと云ふものだけは喜び迎へた。然し総じて貧民は信仰心が浅薄で、意志の弱いのが常であつた。  然し青年はさうではなかつた。竹田にしても、浅田、元山、久保、笹井、榎本、井上、山内等の青年にしても、尋常小学校を卒業して居る程度の青年は一旦キリスト教に這入ると教会に少し位い遠ざかつて居ても、信仰は持つて居た。  女子にしても若いものは同様であつた。樋口さんは勿論のこと、その妹のあき子さん、樋口さんと一緒に初めから来て居る梶さん、富海さんは、足掛け三年越に来て、まだ信仰を落さずに来て居る。そして若い人達の導いてくる人達の性格はみな立派である。竹田が導いて来た市村の如き、浅田の友人だと云ふダンロツプ・ゴム会社の職工の田所の如き、みなしつかりした青年である。  然しこれ等の人々は新川の部落民では無い。みな栄一の徳を慕つて真にキリスト教を信じたいと思つて外側から貧民窟に集つてくる労働者である。  毎土曜日に、栄一は竹田に助けてもらつて宅廻りの聖書研究会を開いたが、聖書をよう読まない葬式人夫の近藤と云ふ男の家などは六ヶ月も続けて行つても効果がない。それに反して田所の如きは一度の路傍説教でよくわかつて了ふのである。  それで栄一は『われ探ねざる者に、われ会へり』だから、労働者に伝道する積りで貧民窟に来たのでは無いのだが、労働者によくわかるなら、その方に行つても仕方がないと覚悟して居た。  栄一は子供等に力を入れて居た。それでどうかして、貧民窟の子供等だけでも救うてやりたいと思つて、小僧を送れとか、子守を送れとか云うてくれる時に随分努力した。然しどう云ふものか子供等の成績は悪かつた。  河津の子供は、東郷と云ふ元町の大きな雑貨屋に丁稚にやつたが、三月もたゝぬ中に帰つて来た。その児は洗ひ屋に丁稚に行つて居て、家を洗ふのを専門にしてゐたが、先の見込が無いと云ふので、河津のおかみさんに頼まれたので、基督教信者である東郷さんの宅へ送つたのであるけれども、朝から晩まで狭い店先で番をして居るのがいやだと云つて逃げて帰つて来た。その児の名は芳蔵と云ふのであつたが、『やつぱり洗ひ屋の方が呑気で善うおまツすさ』と云うて、帰つて来た翌日からまた洗ひ屋になつて居た。  松蔭女学校の音楽の教師の宅には子守がいるからと云ふので、裏の池田の子を送つたが、十五になるのに、僅か十一か十二の子供の体格しか無くて、子供のお守が充分出来ない上に、狭い家に一日立て籠つて居るのが辛いと云つて三日目に帰つて来た。  そんなにして、比較的善い子供だと思ふ子供を丁稚に送つてみたり女中奉公にやつてみても貧民窟の子供は辛抱が無い、それには色々の理由があつた。栄一の観察によると、貧民窟の子供はどうも発育不完全で忍耐力が足りない。それに最も賢い子供だと思うても何処かに低能なところがあるらしいのである。その上に中流の家庭に行くと、賃銀が安い。貧民窟に居て洗ひ屋に行つても、食はしてもらつて一日に現金で二十銭にも四十銭にもなるのに、雑貨店に丁稚に行くと、一ヶ月にせいぜい多くて五円しか呉れ無い。子守に行つても三四円にしかならぬ。それがマツチ会社に箱詰に行けば、一日に五十銭にもなることがある。勿論先きに行つて望みはあるにしても、今の所を云へば収入に於てとても話にならない。その代り、十年たつても、百年たつても、洗ひ屋は洗ひ屋で葬式人夫は葬式人夫で決して頭上りは無いが、貧しい町に住んで居ると、先きのことはどうでも善いと云ふ風に考へられるのである。  それに、今日の日本の中流階級の奉公人が長く辛抱出来ないのにも相当の理由がある。貧民窟は兎に角デモクラシーで無差別平等である。親であらうが子であらうが、六ヶ敷い礼儀もなければ、遠慮もない。そんなものは無くても生きて行ける。それに一旦中流階級に這入ると、あんまり大きくもない家でも玄関から座敷へ上るまでに十五六遍お辞儀をする。座敷を歩くのにも走つてはいかぬと云ひ、朝起きると『お早やう』と云へ、飯を食ふ時には旦那さんより先にお箸を取つてはいかぬとか、貧民窟の子供等としてはとても煩雑に堪へられない階級的足枷があるのである。而もその生活は決して貧民窟より気楽なものでは無い。狭い庭と玄関はついて居るが奥は三間か四間しか無い。貧民窟から送られた子供はいつも虐待せられて玄関のあたりで寝さされる。貧民窟であれば跣足で飛び廻れるものが、一寸庭に降りる場合でも下駄を穿かされる。それに何か厄介物扱ひにして、特別のお慈悲をかけて居るやうな口調を折々子供等に漏らす。子供等は先きに望みがあるからと思つて来たけれども、足|枷《かせ》手枷の煩ひに堪へられなくて逃げ出してくるのである。  それで栄一は日本の奉公人制度を呪ふばかりでなしに、今の儘では日本の中流階級が自らの足枷手枷で滅亡しないかと悲しんだ。こんな風であるから栄一は貧民窟の子供を長く中流階級の家庭に入れて置くことは、人間を殺して了ふものだとも考へ、また一面から云つて、貧民窟の子供等の多くが低能であることを見て、再び貧民窟の子供は中流社会に世話しないと心の底で誓つたことであつた。  貧民窟の子供等の運命は、大きくなれば立派な熟練職工になれば善いので、貧民窟から出て大旦那にならうと考へたり、大奥様にならうと考へることが大きな誤謬であると、栄一は大いに発明するところがあつた。  之で栄一が貧民窟の改良事業に従事すべき大体の方針は二年間の苦い経験によつて略見当がついてきたのである。  然し困つたのは会計の窮乏である。家賃や薬代や十三人の保護して居るものの食料を入れると毎月どうしても百円は要る上に天国屋の損害と云ふものを見ねばならぬ。それで今のようにやると米国の友人が毎月送つてくれる五十弗ではとても足らないのである。一昨年の春、米国紐育第五街のプレスビチリアン教会の牧師ピアソン氏の夫人が呉れた五百五十円と篠田のくれた四百円はもう全部なくなつて了つて、之からは、ウヰリアムス博士の[#「ウヰリアムス博士の」は底本では「ウヰリアム博士の」]友人の煉瓦会社の重役が毎月五十弗づゝ送つてくれる金でやつて行かねばならなかつた。  然し家の出費はなか/\百円では追付かないから、栄一は何か考へねばならない。栄一の書いた書物は少しも売れない。『基督伝研究史』は去年の七月中旬に稿が了つて十一月に出版されたけれども少しも売れない。売れたのは僅かに二百冊で残りの八百冊の中五百冊は製本もせられずに神戸印刷会社の二階にほりあげられて居る。  栄一は何か職業を求めねばならぬことになつた。それでウヰリアムス博士の処に相談に行つた。すると、ウヰリアムス博士は女子神学校に通訳が一人欲しいと云うて居るから月給は僅かだらうが週に二日だけ行けば善いのだと云うてくれた。それで喜んで女子神学校の方に廻ると、去年来たばかりの、ミス・ムーアと云ふ女教師が旧約聖書と教会史を教へるに通訳が入るから、来てくれるなら来てくれ、月給は十五円で毎週火曜日と金曜日の午前九時から十二時まで来てくれたら善いのだと云ふことであつた。  それで栄一は十五円だけでも助かると思つたから、それを承諾して、毎火曜と毎金曜に通訳に出かけた。  女ばかりの中に妻もなにも持たない栄一が長時間這入つて教授の手伝をすることは何だか変な気持であつたが、学校では男子禁断であつたが新見だけは信じて彼だけには間違ひが無いものとして歓迎してくれた。  新見もたゞ十五円の月給が欲しさに通訳に来て居ると云ふことが頭よりのかなかつたが、教会歴史も旧約聖書もミス・ムーアより、ズツト詳しく知つて居るので、つまらない講義を通訳することがほんとに悲しいことであつた。通訳の代りに自分が一人で自分の創見の講義してやらうかと思つたことは度々あつた。  女子神学校から十五円受取つてもまだ[#「受取つてもまだ」は底本では「受取つてまもだ」]足らなかつた。それでまたウヰリアムス博士の寄附金を復活して乞《もら》つた。そして毎月約百三十円は定まつた収入であることになつた。  そして栄一は比較的販路の広い子供向きの聖書物語を書くことにした。それで『預言者エレミヤ』の伝記を執筆することにした。それで伝道の暇々病人の看護の間々に、例の一円で買うて来た広い大きな机に凭り掛つてエレミヤを研究した。凝り性の栄一は研究しだすと面白くなつて、多少金儲けの考へも含まれて居ることも忘れて了つて、小さい小冊子を書くのに三十冊以上の参考書を引張り廻ることになつた。  エレミヤの性格は非常に彼をひきつけた。彼が警世の予言者として幼少の時から先覚者の重任を負はされ、涙と共に一人で悪戦苦闘したこと、その譬喩の巧妙で諧謔性に富んで居ること、五十年の長き予言者生活に少しも疲労の色を現さずに始終真面目に自己の使命を果したこと、自然の中に神を見たこと、その他、歴代の王に対する×××××や、路傍説教をすることや、万国主義的であることや、××××を見て超然たるところや、労働者の味方をして賃銀を払はないエコニヤ王を宮廷の前で罵つて居ることなどが大いに栄一の気に入つた。殊にエレミヤが一生独身生活を送つたと云ふことは、栄一をして心からエレミヤに共鳴せしめた処であつた。  独身生活と云へば、栄一は予言者の生活にはとても妻帯することは不可能であると云ふことなども考へた。長いことの間性慾のことも忘れて居る彼には、オリゲンのやうに去勢する心配もなければトマス・ムーアのやうに馬の毛で編んだシヤツを着る必要も無く、何十人の女の中に裸体で寝させられても充分性慾に打ち勝つ力は持つて居た。  然し栄一だつて男である。美しい希臘彫刻にあるプリキラスのヴヰナスのやうな女が現れてくれば一生懸命に恋をしても善いとも考へて居た。然しこんな貧民窟に這入り込んで了ふとヴヰナスも尋ねて来てくれなければ、アテネの女神も尋ねて来てくれない。小秀は尋ねて来てくれたが、何だか商売根性があつて、一生懸命になれなかつたし、鶴子はローマンスになるかと思つて居たが逃げられて了つた。  結局は貧民窟を探ねて、栄一に惚れてくれるやうな美人は今の処現れて来る望みは一寸無い。それで栄一は已むを得ず、哲人生活を唱道し、独身主義に傾いた。スピノザは失恋して一生独身主義であつた。カントも、デカルトも、シヨペンハウエルも、ニイチエも、釈迦も、基督も、パウロも、アウガスチンも、シルチユリアンも、みな独身主義者であつた。その外歴史上偉大な独身主義者を数へ挙げると幾百千人を数へることが出来ようか、栄一の今の考へによると、哲人生活を送り宗教生活を送る人間には、矢張り独身で居る方が簡便であるのだ。妻を迎へると、大きな鏡も要るし、櫛も要るし、美術的の女の肌を保存する為めにクリームも要れば、色々な白粉も要るだらう。美しい羽蒲団も欲しいし、ピアノも欲しいだらう。凡て芸術的である為めには女中の一人位もおかねばならぬだらう――細君の手にあかぎれがせぬやうに。貧民窟のおかみさんのやうな瘤のある手で触られてもあまりうれしくもない。  然し一番困ることは女が妊娠してからである。子が出来ると、とても貧民窟で子供を育てることは出来ない。それで貧民窟を出なくちやならぬ。貧民窟を出ると事業が出来ない。事業が出来なければ生きて居る価値が無い。さうすると結局は、女と同棲しない方が善いと云ふことになり、哲人生活が尊いと云ふことになるのである。  つまり栄一は独身主義が貧民窟の哲人に適すると云つて自ら大きな声で笑つた。 [#7字下げ]二十五[#「二十五」は中見出し]  一月中旬の寒い日のよく晴れた朝であつた。例の芥挽の植木が久しく顔を見せなかつたにかゝはらず、朝から勢よく、栄一の家にやつて来て、 『先生、人ひとり助けてか? 死によるね?』 『死による?……どうしたの?』 と栄一が驚いて尋ねると、 『そら、可哀想なのや、あんな可哀想なのは新川にだつてたんと[#「たんと」に傍点]あらしまへんわ!』 『どうしたんだね?』 『そら可哀想や、もう三日も御飯も喫べずに死にさうになつて居るのや』 『何処だね!』 『北本町五丁目の橋本の借屋や……先生、医者にかけてやつてか? まだ医者にも見て貰つて居らへんね……病み付きは、もう二週間も前からやさうなけど。子供はあるしな、男の子が一人――それも数へ六つで、何にも判らへんし、そらあんな可哀想なの、わしも新川で育つたけれども、あんまり見たこと無いわ!』  新見は植木がこんな処に親切気のあるのを見ていつも喜んで居るのであるが、侫奸《ねいかん》と見える植木でもさすがに哀れな病人を見ると、同情と侠気が起るらしいのである。  それで新見は橋本の長屋へその病人を見に行つた。そこは狭い暗い家で、窓は入口だけしか無いから自分等が戸口に立つと病人の顔は見えない。今日の晴れた空でも此処は全く暗くて内を覗ふことも出来なかつた。 『嘉助さん、先生や、先生や――先生がお見舞に来てくれたのやで――』  植木が大きな声で叫ぶと、嘉助さんは持ち上らぬ頭を一寸あげて、叩頭《おじぎ》をした積りであらう、口の中で何かまご/\云うて居た。  栄一は嘉助の顔を凝視した。眼のぐるりは黒くなつて、眼瞼は栄養不良の人々によくあるやうに赤く腐つたやうになつて居た。折々栄一を見んと努力するのだけれども眼瞼が重くてあかぬらしい。やつと、打開いた眼をみると、角膜はもう魚のうるん[#「うるん」に傍点]だ眼のやうになつて居て、之で生きて居ると思はれるのが不思議なやうである。  ――今迄ようまア知らずに捨てられてあつたものだと栄一は考へた。この人は飢ゑ死にしつゝあるのであつた。  世界はあまりに無情だと云へば無情だ、六十万の賑やかな都にこのやうな死の影に魅せられた哀れな人があるとは考へられなかつた。トーア・ホテルや、オリエンタル・ホテルに行けば食物は余る程あるに、此処では病人が看護する人もなく飢ゑ死にしつゝあるのである。  栄一は病人の顔をジツと見詰めて、大きな涙の粒を眼にたたへた。  もう病人には望みは無ささうである。  植木も黙つて居る。太陽が軒を越えて風呂屋の東側の板壁にヂリ/\照りつけた。光線をみるにつけてもいぢらしい。外は夜が明けても、嘉助の家には夜が明けて居らぬ。栄一の涙はまだ乾いて居らぬ。植木も黙つて居る。栄一も黙つて居る。家は二畳敷の穢ない家である。蒲団は貸し蒲団で垢でギチ/\して居る。火の気と云ふのは少しも無い。縁の下から寒い風が吹き上げてくる。庭先に立つて居ても足先が冷える。植木は一寸新見を外に呼び出して、 『先生あきまへんやろか? うち[#「うち」に傍点]はもうだめやと思ふがな、今朝は特別に弱つて居りまんなア、昨夜まであゝまで衰弱し居らなかつたのだすがな。――死んだら困るな、誰れも葬式代を出してやる人はなしな、それに子供がありましてな――』 『その子供はどうしたの?』 『裏の本間と云ふお婆さんの処へ預けておまんね、昨夜から――その子は、親が死んだらどうしませうな。うちにくれ、うちにくれと近処でも云うて居るのだんが、新川では人間になりまへんが。先生のお世話で孤児院にでもやつてもらへんやろか?』 『そんなことはなんでもないことだが、あの病人を、今どうすれば善いかな?』  植木は走つて行つて田沢のお医者さんを呼んで来た。田沢さんはもう嘉助は駄目だと云ひ切つた。  植木は一日芥挽を休んで、新見と二人で嘉助を看護した。嘉助は元来が沖仲仕で頑丈な身体をして居るのであるが、寄る年波に五十の坂を越して、肺炎をやられて倒れると、鰥《やもめ》の彼には誰れも顧みてくれるものとても無かつたのである。妻は子供が生れるとすぐ死んだので、子供は六つにもなつて居たが、何の役にも立たないのであつた。  その晩、栄一は夜寝ずに嘉助の看病をすることになつた。奇特にも植木はどこまでも世話してくれる。炭を一俵買うて来て、二月の寒い夜を庭に炭をそのまゝあけて火をカン/\起して温まりながら居睡をして居る。  新見は細いカンテラの火で、今死に就く病人の死顔を眺めて、物思ひに沈んだ――  ――六平さんの貰ひ子をお葬式したのが去年の正月であつた。六平さんは眼腐りの男で、背の小さい梅干の実のやうな顔をした醜い男である。その男が医者にかけてくれと云うて来た子が貰ひ子であつた。おも湯で育てたためにひぬけた切り干しのやうになつて居た。医者に見せると、薬などはいらぬ、牛乳をやれと云ふので、牛乳を買うてやつて居ると、牛乳をやり出して五日目に死んで了つた。死にかゝると、親が急に慌て出して、新見に耶蘇の御祈祷をしてくれ、この子を死なすと葬式代が無いから困ると云つて泣きつくので、栄一は駄目だとは思ひつゝも、子供の為めに祈つたが、祈つて帰るとすぐ死んだと云ふ知らせに接した。  お葬式代に五円与へると、六平さんは自分手に蜜柑箱を買うて来た。葬式の準備を整へたから耶蘇のお葬式にするのか仏さんでやるのか教へてくれと云うて来た。栄一は仏さんの方でやれば、お坊さんにお金を出さなければならぬから『私が行つてあげる』と云うてやつて、自ら出かけた。  行つて見ると、六平さんは死んだ屍をそのまゝ蜜柑箱に詰めると云ふのである。栄一は――『それはあまりに非道いから身体を拭いてやつて、一番善い着物をきせて旅立ちさせなければいかない』と云ふと、六平さんは、怖ろしいから死体にようさわらぬと云ふ、それではと栄一は六平さんに湯を沸させて、可愛い赤ン坊の死体を湯につけて自ら洗つた。  痩せ衰へて居ても赤ン坊である。絹のやうに柔い肌には延び上る生命がまだあつた筈である。唇は紫色と云ふよりか紺のやうになつて居ると云つた方が善い位で、顔を拭いてやると、艶々して『仏様』と云うてやりたいやうな気がした。赤ン坊は死んでも可愛い。自分手に手をかけて拭いてやると、見ず知らずの子供でも、自分の愛に感じてすぐ生き返つてくるやうに考へられた。盥の中の湯が少し微温かいので、六平さんに湯をつぎ足してもらつて、綺麗に死体を洗つた。背からお尻から、足から、足の指先まで――まア驚くこと両股がおしつこ[#「おしつこ」に傍点]の為めに水腫れして居ることである。六平さんはたゞ慾の為めに子供を貰つて、充分世話も出来ない癖に、襁褓も充分換へずに捨てゝ置いたものだから、赤ン坊の両股が腫れ上つたのである。そこにはあまりさはられないので身動きをしながらジツと赤ン坊を心ゆく計り洗つて乾いた手拭で拭いて、六平さんの出し吝《しぶ》つた赤ン坊の最も善い着物をきさせて、棺――蜜柑箱に納めることにした。  その蜜柑箱と云ふのが実にお粗末なものである。繩がしつかりして居らなければ、とても充分持て無いものである。処々隙のある荒削りさへして無い節の多いなよ/\した板で出来たものである。この中に人間の子が這入つて神の国へ行くにはあまり非道いと考へられた。  栄一は嬰児の死体の這入つた蜜柑箱の前に坐つて大きなスフヰンクスの前に立つやうな気がした。説教して善いのか、祈つてよいのか知らなかつた。五円で充分葬礼屋を一人頼める筈であるに、どうして蜜柑箱にしたかと振向いて聞いてみた。 『ずつと[#「ずつと」に傍点]前に、私が病気しました時に借金がありますので、その方に払はせて頂きたいと存じまして……』 と云ふのが答であつた。  仕方が無いものだから栄一は黙つて一人で聖書を朗読して一人で祈祷してお葬式をすませた。それから薄れ行く一月の夕暮の中を蜜柑箱のお葬式について行つたのはその時が生れて初めてであつた。然し誰れもそれがお葬式であると気のつくものは無かつた。栄一は黙つて――新川から春日野の墓地まで十五六町ある途を六平さんとは一言だつて云ひ換さずについて行つた。火葬場に着いた時には、隠亡の姿が薄黒く見える程であつた。然しその時にまた吃驚したことは、蜜柑箱の棺が六平さんのものの外に一つ預けられて有ることであつた。      ×       ×       ×  嘉助さんは黙つて寝て居るかと思ふと、首を妙に揺すつて居る。栄一が注意して嘉助さんの側近く寄り添うてあげると、また嘉助さんはジツとして了ふ。然しもう死期に近いらしい、シヤイネスシユロツクの呼吸の仕方をして蒲団が波形になつて動く。貧民窟は実に静かで、夜は漸々《だんだん》更けて行く。石油のカンテラが揺いて油烟が美しい曲線をなして立ち上る。植木は相も変らず居睡りを続けて居る。  栄一は猶も死に就いて瞑想をつゞける。      ×       ×       ×  六平さんの貰ひ子が死んで間も無いことであつた。日曜学校によく来る乞食に出て居る八つ九つの女の児が―― 『先生、おかん(お母さん)が用事があるけん、すぐ来てかと云うてるわ』 と云うて来た。それでその児について行くと湿気の多い同じ町内の小森の長屋の四畳敷に、中味の綿の這入つて居ない蒲団の上張りばかりを着て寝て居る背の高い、片目の醜い女の所に案内せられた。  栄一が這入つて行くと、その女は頭をあげないで知らぬ顔をして居る。その癖、その女は少しも病人らしく無い。顔の色艶と云へば誠に善い。それで栄一は黙つて女の顔を見て居た。女も眼をあけて栄一を見て居た。少しの間女の児も黙つて居た。すると、女の児から言葉を切つた。 『おかん、先生や、耶蘇の先生や、頼み!』  かう云うと、初めて女は―― 『先生、すんまへんな――』 と云つた切り、また黙つて了つた。そして眼をパチクリ、パチクリさせて居る。  女の児はまた、 『おかん、先生に頼みんかい! 頼み!』と繰返す。それが栄一には何を意味するかわからなかつた。 『おかん――子供――抱いてるね!』 と女の児は新見を顧みた。  栄一はまだ何のことだか、わからなかつた。母親はまだ沈黙したまゝ一言だつて云はない。女の児はぢれつた[#「ぢれつた」に傍点]さうに立ち上つて座敷の上にあがり、お母さんの上にかゝつて居る蒲団代用の布切れをめくり取つた。  すると裸そのまゝの嬰児の死体を女が膚によせつけて抱きしめて寝て居ることがわかつた。栄一の方には背が向いて居るので、その子の背中が一面に紫色になつて黒血が凝結して居ることがわかつた。  然しそれも初めの程は、栄一にはその赤ン坊が死んで居るとはわからなかつた。 然し女が、 『先生、この児は死んで居りまんね』と云うたので、初めて、栄一はそれと気がついた。女が膚に引よせて抱きしめて居るのを放すと痩せ衰へて梅干のやうになつて居る目の嬰児の死体がバタと落ちた。  見ると、それは六平さんの子供と全く同じ形をして死んで居た。それで栄一はすぐ貰ひ子殺しだと感付いた。  女は続けて黙つて居た。栄一も黙つて居た。女の児も黙つて居た。それは冬の朝の十時過ぎであつたが、湿り気の多い路次の上に朝日がキラ/\射して居た。栄一はこの光景を見て何だかお日さんにすまないやうな気がした。此処だけはお日さんが照らしてくれなければ善いがと思うた。太陽が向うの長屋のぼろ[#「ぼろ」に傍点]屋根を越えてずつ[#「ずつ」に傍点]と通り庭の奥まで照らす。栄一の足元が輝く。沈黙は猶続いた。路次には誰れも人通りが無い。長屋の人々はみな朝の仕事に出て行つたのである。  新見は静かに女に尋ねた。―― 『この子は何時死んだの?』 『今日で、死にまして三日になりまんね、一昨日の朝、死にましてん、然しあまり可愛いおますよつてにかうやつて抱いて寝てやつて居りまんね』  平気な顔をして女はそう答へた。涙などは一滴だつて出しさうにない。 『なぜお葬式を出さないの? そんなにして居たら死毒と云ふものが伝染《うつ》つてあなたが死んで了はねばならんよ――』 『お金が出来まへんのでな、おとゝひ、お葬式を出さうかと思ひましたが、金の工面が出来ず、昨日は高利の金が借れると思つて居りましたが、それも借れず、毎日お葬式が出せませんので、かうやつて、可愛がつてやつて居りまんね』 『この子は、あんたのほんとの子ですか?』 『えゝ』 『いや、違ふね、貰つた子や』と女の児が正直に答へる。女の児の確答に母親もよう反対しない。女の児はどことなくしつかりして居る。  また沈黙が三人の間に続いた。母親はまた子供を抱きしめて蒲団代用の布裂を自分の上にかけて栄一に背をむけて知らぬ顔をして居る。栄一にはその様子が何を意味して居るかすこしもわからない。それで栄一は帰つて行かうかとも思つた。戸口まで歩み出すと女の子が、急に騒ぎ出す。『おかん頼み! おかん頼みんかい! おかん葬式代が無いのやさかい!』と大声で叫んで居る。あまり声が大きいので向隣りのおかみさんが顔を出す。 『ほんとに因果やな、あやつて三日も死んだ子を抱いて葬式せんと寝とるのや――』  栄一は乞食の心理をよく知つて居るから、この親子が乞食の拗る心理を今見せて居るのだと思うたので、栄一は言葉にも云ひ現せぬ悲惨なことだと思うたが、親切な言葉のかけやうも無いので、そのまゝぼんやり庭に立つて居た。 『寒いことは無いかね?』と聞くと、 『寒うて仕様おまへん』と母親はまた栄一に振り向いて答へた。 『これでは寒いわね、蒲団は無いのかね?』 『おまへんね』  母親がよくものを云ひ出したので、栄一はすぐ尋ねてみた。 『その子は、幾何でもらうたの?』 『たつた、五円と着物七枚とだんね』 『何処から貰うたの?』 『上の六平さんの世話で貰ひましてん――』  栄一はそれを聞いてハタと胸に釘を打たれたやうに感じた。ちやんと系統を引いて居るのである。  少しの間栄一は黙つて居た。それは女が葬式をしてくれと頼むかどうかをみんためであつた。然し女は決してそんなことは云はない。それで栄一はこちらから切り出した―― 『その赤ン坊のお葬式をしてあげようか?』 『いゝえ、かうやつて、私は抱いて寝て居りますわ』 『そんなにして居ちや、臭くなるよ』 『いゝや、三日もかうやつて抱いて寝て居りますけれども、ちつとも[#「ちつとも」に傍点]変つたことおまへん』 『それでは葬式は出さない積りで居るの?』 『かうやつて抱いて寝て居りますと、死んだやうに思へまへんね』 『医者に見せたの?』 『いゝや』 『ほんとに死んで居ることは死んで居るのだね?』 『息はおまへんのやがな!』 『さうして抱いて居ると、親の方が危いよ』 『……………………』 『私が葬式代を出してあげるから、お葬式をしなさいよ――あなたは起きられないの?』 『風邪を引いて居りまんね』  先きから見て居た向うのおかみさんは、憎たら[#「たら」に傍点]しいと云つた態度で、 『昨日も、近所の人が見るに見かねて、葬式を出してやらうかと云つてお金を集めかけたのだすがな、あんまりこの人が横着なさかいな、みんなほつとけ[#「ほつとけ」に傍点]と云つてそのまゝになりましてん。この人は貰ひ子してはこんなにし、貰ひ子してその子が死にかゝると家を変つてそこで葬式を出して居るんだす。ほんとにこんなごふたく[#「ごふたく」に傍点]な人もあまりおまへんな――』と真正面から攻撃して居る。  栄一は家に帰つて来てまたお金五円と、女の為めの掛蒲団に栄一の敷いて寝て居る『敷』を一枚持つて行つた。その午後また栄一は蜜柑箱のお葬式を出したのであつた。その嬰児は栄一の浴衣を着て小さい棺に納まつて永い憩ひ場に帰つて行つた。  栄一はあの嬰児の顔が今も猶眼の前にちらつくやうに思ふ。      ×       ×       ×  今夜も危ぶないと云ふ嘉助の死に行く寝顔を見守つて居ると、栄一が最近に葬つた多くの人々の顔がずら[#「ずら」に傍点]つと並ぶ。  その中には鬼のお梅の顔もある。木賃宿で死んだ河島熊吉の顔もある。火傷で死んだ東隣りのお婆さんの顔もある。東隣りのお婆さんは栄一の知つて居る乞食坊主の母であつたが、火の這入つて居る七輪を運んで居る中に顛倒して七輪の火が衣服に燃え移つて火傷して死んだのであつた。  向隣の呑太の吉田が引張つて来たどこの淫売の成れの果か知れない二人とも腹膜炎で死んだ女の顔が見える。二人とも青ざめた水腫れのしたよく似た顔の女であつた。  去年の暮になつて、息子が失業して食物が無いのに悲観して海浜に行つて飢ゑ死にして居た、栄一の日曜学校によく来る可愛い顔したお糸さん処のお爺さんの顔もある。立派な顔で、人の善ささうな顔をして居た。あんな善い人を飢ゑ死にさすのはほんたうに社会の罪だと今も腹立たしくなる。  それに縊死した大和のお婆さんの顔が見える。息子が放蕩で賭博をして、お婆さんが重い病気にかゝつたので死んだ時の用意として葬式代にと国元から送つて来た二十円をすつかり賭博に負けて了つたので、老人は悲観して食へもせぬ狐うどん[#「狐うどん」に傍点]や寿司などをその晩は食うて、これを最後にどうして死ねたか、二畳敷に親子五人も寝て居るにも気がつかれずに、隅の蚊帳の吊手の釘に細帯を引きかけて縊死した。その大和のお婆さんの顔が闇の中に見える。  あのお婆さんは息子が乞食坊主であつたにかゝはらずキリスト教が好きで、栄一の顔が見たいと度々云うて来て居たのであつたが、栄一はたつた一度だけ面と向つて坐つてキリスト教の話をしたことがあつた。      ×       ×       ×  死人の顔はまだ沢山出てくる。  殺人犯で長らく支那上海に逃げて居た上西の一家族の顔が三つ出てくる。この一家族は三人とも肺病で死んだ。違つた処ではあつたが三人とも同じ日に死んだ。三人とも栄一の手によつて世話せられたものであつたが、上西の妻の顔がお多福[#「お多福」に傍点]によく似て居たので特別に眼の前にはつきり浮んでくる。  まだ死人の顔が出てくる。淫売買ひの八百屋の春公の死んだ細君の顔が出てくる。栄一の隣りの淫売屋へ七銭の情約金で淫売買ひに来て、その金が払へないで隣りの盆屋の悪漢に非道く撲ぐられた八百屋の春公が、栄一に助けられてその場はすんだが、それから一ヶ月程して栄一の処に病人があるから世話をしてくれと云うて来たが、行つてみると、それは春公の妻であつた。三期梅毒で腹膜炎を起して居るのであつた。間も無く死んだ時には之も相変らず栄一の手によつて葬られた。      ×       ×       ×  殆んど餓死のやうな状態の老衰の極、死んだ北本町四丁目のお婆さんの顔も出てくる。死んだ時に取り片付に行つて、貸してあつた蒲団を太陽に干さうと表まで持ち出すと、灰のやうなボロ/\と落ちるものがあつた。それをよく見ると幾千となくわいた虱であつた。それが栄一の頸から胴から股から背中までゾロ/\這ひ込んで行つたので、栄一は着換へは無いし、数ヶ月その虱の為めに苦しんだことがあつた。  その虱で苦しんで居た老婆の衰へた痩せた身体を内山の助けを借りて二人で湯灌をしたことであつたが、なる程バプテズムの意味がその時によく徹底したと思うたこともあつた。      ×       ×       ×  死人の顔がまだ出てくる――  その顔を見ると戦慄する程物凄い。右の頬の半分下が全く掘れ損じて腐つて無い。顔面骨が梅毒の為めに腐つて了つたのである。そんなになつてからその男は一週間も二週間も殆ど絶食のまゝ生きて居た。それは猫の婆さんの裏の筋の『地獄小路』の角から二軒目の便所の隣りの家であつたが、(角が便所で)栄一がその便所臭い、年中日のあたつたことのない病人の家を田沢のお医者さんと訪問した時に、栄一は自分自身真正面に向いてその病人をよう慰問しなかつたことを覚えて居る。  それはあまりに悲惨であつた。その時こそは、『神は愛だ』『神は美だ』と云ふが、神様はほんとに人類を[#「人類を」は底本では「人顔を」]愛して居らつしやるのかしらと疑ひたくなつた程であつた。その病人は間もなく死んだが、栄一はそれを丁寧に葬つて、神様にかう云うた。 『天なる神様、私はこんな醜《みぐる》しい世界をよもやあなたが私にお示しにならうとは思ひませんでした。私はこの醜を見せつけられて殆ど失明しさうです。たゞ私は私を信頼して居ります。あなたは私を強いものにして下さいました。それで私は此の世の醜を見てまだ失望しませぬ。私はこの世の醜の上に私の丹《あか》い裳を蔽ひかけて見る勇気を持つてみます。私はまだあなたに望みを繋いで居ます。それは私が私に望みをつないで居るからです。私に死の線を越えさせて下さつたのはあなたです。私は猶も私を愛してみます。それで猶も私を通して世界の人を愛してみます。世界が復活するのは私の肉からです。さうです、キリストの肉からです。私もキリストのやうに美しく死にます。それは此世の醜の埋草の為めにです。それで、私は此世の醜が少し美しくなるか、も一度見直してみます。  見直してみると、愛のある世界は、美しい世界です。肉と表象に形が崩れて居ても、愛のある世界は美しい世界です。  私は世界を見直して、神様の愛にすがります。つまり私自身をも愛の源として自分の胸に愛の泉を掘つてみます。醜い世界は幾分かそれで善くなりました。自分だけの醜しさはそれで隠れるやうです。私を綺麗にして下さる神様、どうか世界をも綺麗にして下さい――』  こんな祈りをしたことを覚えて居る。      ×       ×       ×  死にかゝつて居る病人の息が苦しいやうだ。それで栄一はまた嘉助の背に寄り添うて行つて、 『嘉助さん、水をあげませうか?』 と尋ねてみた。  嘉助さんは手を出して、世間で虚空を掴むとよく云ふやうな妙な藻掻き方をして、水を呉れと云つて居るかのやうに合図をして居る。  植木は新見の大きな声に目を覚した。 『新見さん、もうあきまへんか?……水をくれと云つとるんだツか? 茶瓶に水が這入つとりまつせう?』  新見は病人の枕元にあつた茶瓶を振つて見た。水は僅かであるが底に少しあつた。それで、栄一は水を茶碗に移して、嘉助の口に柔かくあてがつた。然し、嘉助は眼も開かず、飲まうともしなかつた。唇は乾き切つて居た。  シヤイネスシユロツクの息は段々小さくなつた。それで栄一は手を延ばして嘉助の手を握つてみた。脈はもう微かに消えつゝある、体温は段々さめつゝある。生命は程近くこの人を去るのであらう。  或時には脈が全く止つて了ふ。また少しすると脈が帰つてくる。  栄一が兵古帯の間に挾んで居る懐中時計の音が聞える。静かに生命の烟が立つて行く。沖仲仕の嘉助は五十三を最後に橋本の長屋から次の世界に旅立ちするのである。  植木は死人が怖いのである。笑ひ乍ら―― 『先生、うちは怖いわ――もう嘉助さんは、あきまへんか?』 と尋ねて居る。 『もう望みは無いね、脈が消えたり、途切れたりして居る』 『可哀想にな!』  さう云うて植木は炭火のかん/\燃えて居る庭の温まりを捨てて、嘉助さんの枕元にやつて来た。 『嘉助さん、しつかりせないかんで――、嘉助さん! 嘉助さん、しつかり』と植木は叫んだが、嘉助はシヤイネスシユロツクの[#「シヤイネスシユロツクの」は底本では「シヤイネスシュロツクの」]最後の息を微かに洩らして居るだけで、もう返事も出来ない。 『もうあかんな、先生、これだけ云うてよう返事せんやうなことでは――』  新見の握つて居る左の手の脈はもう無くなつて了つた。然し呼吸はまだある。新見は祈り乍ら静かに嘉助の手を蒲団の中に入れたが、植木も新見の真似をして祈つて居る。  静かに、カンテラの火が揺られて、まるで伽藍の法燈のやうに、ひとり輝いて居る。  新見は嘉助の顔を凝視して居た。死人の最後の瞬間を見極めようと。  ガタと云ふ音がして、嘉助の頸の骨が折れたのでは無いかと思ふ程嘉助の全身が振うて、嘉助の呼吸は上つて了つた。忽ち、嘉助の頸が曲つて了つた。嘉助は遂に死んで了つたのであつた。 [#7字下げ]二十六[#「二十六」は中見出し]  可哀想なのは、喧嘩安の一家族であつた。子供は後から、後から生れても、安の儲けはなかつた。子供は毎年のやうに生れて、茂一、陽吉、おはる、恒蔵、おたま、虎吉と六人まで出来たが、安が葬礼に行つて儲けた金は全部呑んで了ふので、子供等はみな栄養不良で困つて居た。  惣領の茂一は痘瘡の為めに髪の毛も薄くなり、眉毛も抜け、痘瘡が眼に這入つて片眼になつて居る醜い児であつたが、栄一は僅か五畳の処へ、碌々掃除もしないで一家族八人も寝て居ると必然風邪をひいて、しまひには結核患者が出るのだらうと心配して居た。  それに安は呑助の喧嘩の好きな男であるけれども親切な男であるから孤児であり低能である栄蔵と云ふ男の児を世話してゐた。然し寒空に向つて栄蔵を入れて九人の大家族に蒲団がタツタ三枚しか無いので、惣領息子の茂一や、次男の陽吉は敷蒲団なしで寝てゐた。栄蔵は遠慮して茂一の側に蒲団なしで寝て居る。栄一はそれを見て同情をして栄蔵だけは教会の方で蒲団を与へて寝さすやうにし、自分の内から大蒲団を持つて行つて子供等に敷蒲団にするやうにと与へた。  然し可哀想なのは茂一であつた。喧嘩安が暮に肺炎をやつて、栄一が医者にかけてやつて、やつと癒つたのであつたが、栄一は寝具が不潔であるから或は子供に伝染しはしないかと心配して居ると、正月になつてから殆ど子供みんなが咳をし出した。その中でも、惣領の茂一と三女のおたまの咳が最も非道かつた。少しして茂一は血を吐くやうになつた。栄一は朝晩のやうに、路次を裏から出入するときに、茂一の枕元を通るものだから、その度毎に見舞つたが、何時の間にやら、栄一の与へた大蒲団は見えなくなつて、茂一はまたも黒く穢れた破れ畳の上に、ぢか[#「ぢか」に傍点]に寝て居る。おかみさんに大蒲団はどうしたかと聞くと、『米代がおまへんので質屋に持つていきました――先生に見付けられたら、叱られると思ひましたが』と云うて居る。  然し、栄一はそれを責めるだけの勇気も無かつた。なぜなら、お政さんが、―― 『安さんがあんなのらくらもんだつしやろな、茂一が、あんなに病み付いて居りましても食物をやつたり、やらなかつたりする位だすよつてにな、病気だつて平癒《なほ》れしませんわ』 と云ふのを聞くと気の毒で答への仕様もなかつたからである。  その日の午後、安は裏口から這入つて来て『米一升とお金五十銭を貸してくれ』と云うて来た。それには何日も葬礼が無いので、米代さへないのだと云ふ理由をつけて居た。栄一は勿論喜んでそれに応じたのみならず、安の自宅ではとても行届かないだらうから、栄一の病室に入れて世話して上げようかとまで提議した。安は一先づ親切を辞退したが、次の日またやつて来て、とても自分手に充分な世話は出来ぬから、死ぬものなら死ぬものとして諦めるから、栄一の方に引取つて世話してくれと申込んで来た。実際喧嘩安は不景気の為めに二日も三日も病人に何にも食はさずに放つて置くやうな始末であつた。それでおかみさんも茂一は栄一に世話をして貰ふ気になつて亭主にさう云うて寄越したのである。  実を云へば茂一は、今のおかみさんの子では無くして喧嘩安の先妻のおさよの子である。おさよは神戸で有名な大親分『ぼて牛』の妾の子で、安が掏摸の仲間で幅をきかせて居た時に、おさよは福原のおやまに出て居たのを、ひかせたのであつたが、受け出されて間も無く茂一を生んですぐ死んでしまつたのであつた。そして後に来て五人の子を安さんの家で産んだのが、お政である。  こんな関係があつたから安は特別に茂一を可愛がつた。そしてお政はそれ程にも思つて居らぬらしい。喧嘩安と親族関係に当る植木虎太郎は、お政が茂一に対してあまり親切で無いことを憤慨して、この辺の関係をすつかり栄一に打明けた。それまで栄一は少しもそんなことを知らなかつたのだが、聞いて全くなる[#「なる」に傍点]程と感付かれる点が多くあつた。  栄一は茂一を引取つて、岸本老夫婦の寝て居た三畳に入れ、老夫婦には教会の方で寝てもらつて、栄一が着て寝る最も善い蒲団を与へてミルクや卵など、凡て滋養物になるものを、出来るだけ多く与へた。然し栄一の所に来た時には、早や手遅れであつたと見えて、田沢先生は『もう長くは持つまいね』と見切りをつけてゐた。  それでも、栄一は親切にして、我子のやうに看護をした。茂一は白いシーツの中に埋つて、暖い南からくる光線を浴び乍ら一言もものを言はないで糞尿のことまで栄一と岸本の夫婦に世話になつた。之を見て、殆ど栄一の事業には何にも手を添へなかつた義母のお久までが、のこのこ[#「のこのこ」に傍点]自分の引籠つて居る長屋から出て来て、茂一の看護をするやうになつた。美しい子供を看病することは、心持ちの善いことであるけれども茂一のやうな醜い子供を、美術的に看病することは、実に困難なことであつた。然し栄一は細心の注意を払つて尽してみた。移つて来た一週間と云ふものは夜の眼も寝ないで看護した。然し病気は重くなる一方であつた。熱の高下が目茶苦茶で、栄一には殆ど見当もつかなかつたが、二週間から肉がおり出したので結核が腸に来たことを知つた。それで、栄一はもう駄目だと断念した。肉が腸からおり出すと臭気がきつくて、とてもその隣りで食事することは出来ない程であつた。それでも栄一のすることだから誰一人反対するものもなかつた。  栄一は気の毒であつたけれども、田沢先生を通じて茂一の運命の宣告をしてもらつた。それを聞いて『安』は泥酔してやつて来た。そして直ぐに連れて帰ると云ひ出した。栄一の心配したことは、栄一が世話したから反つて悪くなつたと変に取つて、脅喝したり暴行したりしはしないかと云ふことであつた。  然し安はそれ程の悪人でも無かつた。彼は大声をあげて泣いて、 『天のお父様! 天のお父様! 私が悪う御座りました! いはば私の罪の結果こんなになつたのです!』と口から泡を吹いて祈つて居る。これまでも安は勧めもしないけれども、度々酒に酔うて祈祷会にやつて来て、泣き乍ら大声に祈ることも屡々あつたが、自分の宅ではお稲荷さんを祭つて、思ひ立つた時には自分手にお燈明をあげ、一心に祈願を込めて居ることも度々みたから、栄一は安の態度を本気にしなかつた。 『安』は一名また『稲荷安』で通つて居て、数年前まではその普通では無いヒステリー的な感情を以て稲荷降ろしをして居たのであつた。実際、安は癲癇の為めにひきつけでも来たかのやうに超意識的な作用につられて打倒れることは此頃でも酒に酔ふと度々あるので、酒に酔ふと『不死身』となつて少しも痛いことを知らなくなり、血を見なければ承知をしないと云ふ異常な人間である。何だかロンブロゾウの犯罪学に出てくる異常な先天性犯人族の標本にでもなりさうな男である。  それで安のキリスト教に傾く宗教心理を推測すると、近処に居るためにたゞ一種の暗示を強く受けて、信仰的なものであれば耶蘇教であらうが、仏教であらうが、神道であらうが、その間に何の区別も設けないで反応作用を起して行くと云ふ傾向を持つて居るらしい。つまり、『安』の心には祈ると云ふことが第一であつて、その祈りを受ける神の名がなんであらうと、そんなことは少しもかまはない。それで『安』はキリストに行けば『アーメン』と云つて祈り、お稲荷さんと一緒になれば『南無妙法蓮華経』とも云ふ。(をかしいことだが貧民窟ではお稲荷さんとお題目が一緒になつて居る)『安』が茂一を自分の宅に引取ると云ふものだから、栄一は茂一が着て居る蒲団からシーツから枕まで――それは全部栄一のものであるが――その儘『安』の宅に運んだ。  然し、運んで行つた後『安』は何処に行つたか居らなかつた。その晩は相も変らず泥酔してお政と夫婦喧嘩をして居た。  翌日の午後四時頃『安』が大声をあげて泣いて居るものだから、どうしたことかと思つて、裏に飛んで行つてみると、茂一は今息を引き取らうと云ふ処であつた。 『茂一――よう――茂――一――よ――う』 と安は泣き乍ら叫んだ。お政も背中に赤ン坊を背負つて、その傍で泣いて居る。安は栄一の止めるのも聞かないで、安静を要する病人を、自分の両腕に抱きあげて、『おい、おい』涕《な》いて居る。 『茂一よ――免してくれよ――わしがおまへを殺したのぢやからな――茂一よ――免してくれよ――』  栄一は田沢さんに走つて行つた。然し田沢さんの来る前に茂一は冷たくなつて居た。  茂一が死んで、安はぼんやりして居た。そしていつもの葬礼にも行かなかつた。そして栄一の着て居た蒲団を黙つて質屋に持つて行つて、毎日酒を呑んで、煩悶して居た。  それを栄一は、知つて見ぬ振りをして居た。然し安の家の裏口を通る時に気のつくのは、近頃大勢の乞食が泊つて居ることであつた。然しそれに就いても栄一は敢て尋ねようともしなかつた。或晩のこと、安は、敷蒲団だけを返しにやつて来て、また五十銭貸してくれと申込んだ。  その理由を聞くと、乞食の大勢居る理由がよくわかつた。 『仏の供養だと思ひましてな、頼寄つてくるお乞食さんは、みな世話して上げて居りまんね。一緒に寝る蒲団はなくとも、一枚の蒲団も引き合つて寝ると云ふやうにしましてな、食ひものが無くても、お粥さんなりとも啜り合つて、むさくるしい家で破れ畳に障子の一枚も碌に這入つて居らぬ貧しい家ですけれども……そこは先生……仏のなさけ、また天のお父さんの愛によりまして(このあたりから、安の調子は全く芝居の科白のやうになる)万人は同胞であり、四海平等であると云ふことを観念致しまして、無いものを互に譲り合つて食ひ、一枚の着物があれば、それを半分に割いて着ると云ふ風にいたしまして、旅に出て困つて居る人は、みんな助けて上げとるので御座ります……へえ、今度先生にお金を借りて、一人の年寄を四国の方に帰らせて上げたら、茂一が死んでから十七人目で御座ります――助けて上げた人の数は。  今夜四国の方へ送り還さうと云ふ人も、蒸汽で還すと高くつきますよつてに、態々下の小野浜の築港まで行つて、高松の方に出る和船を探して来て上げたのです。恰度、五十銭で四国の高松まで、その人を送つてやらうと云ふ人が御座りましたので、先生に五十銭お借りをして、その巡礼さんをお送り還して上げようと思つて、かうやつてまた御無理に参つた次第で御座ります。……もう、先生に受けました大きな御恩は決して忘れは致しませぬ……茂一の時でも(安は泣き声になつて)先生の御蔭で死ぬ臨終の時まで何の不自由なく、好きなものは食はせて戴くし、お医者には毎日かけて戴くし、ほんとに勿体ないと思つて、いつも天のお父さんにお礼を云うて居るので御座ります。安も今では、昔の安でも御座りませぬ。(歯ぎしりをかんでギリ/\云はせ乍ら少し黙つてゐて……)  私も魂を入れ換へて、弱いものを助け強いものを挫くと云ふエス様の道を踏んで行きます……『安』は今酒を呑んで居ります。然し本心には決して狂ひは無いので御座ります。先生さんの所へはどうしても素面で来ては、この安はよう言《もの》を云はないので……いつも先生さんの処へくる時には一杯ひつかけて来ますけれども(このあたり活弁の口調が混つて居る――話は決して切らない、そして栄一に返事さへさせない)之は無教育のものだと御勘弁下さいまして、安には矢張り魂がある――一寸の虫にも五分の魂があると世間でも申します通り、この安はどんなに落ぶれまして――唯今では葬礼《とむらひ》人足のやうな隠亡の真似をして世間からは葬儀安とか稲荷安とは云はれましても、之でも、昔は一ぱしの侠客の仲間にも這入つて居りまして仁侠《をとこだて》と云ふこと位はよく弁へて居るので御座ります。それで私はあなたの宗旨も蔭ながら信心させてもらひまして……教会へは一度も出たことは御座りませんぜ……然し今オルガンがなるかと思へば……裏の所まで来て……障子のうしろに立つて……ほんに善い教へぢや、弱いものを助け、強いものを挫く、万人に愛を施す、ほんとにさうぢやなといつも感心さしてもらひましてな、毎朝毎朝、お日様の方に向いて『天のお父様』と云つて天の神さんを拝ませてもらつて居りまんね……私もこんなに貧乏して食ふものもよう食はず、子供等にも着せるものもよう着せず、襤褸をさげて、寒中でも、こんなに法被一枚でおますけど(実際彼の云ふ通り新見が注意して見ると、安は真裸体の上に短い印半纒一枚着て居る)困つた家で葬式もろくろくよう出さないやうな家には、親方に云うて葬式代をまけてやつて貰つて、それでもまだ足らぬ所は無いものまで質に入れて……つい先達てもそんなお葬式を一つ出してやりました。……そんな事でおますよつてに、どうか今迄のことは御勘弁下さいまし、凡てのことは水に流し、エス様に免じてお赦し下さいまして、之から安も前の安とは違ふのだと云うことを心におとめ下さいまして、どうか私を助けると思うて、あの年寄の乞食を四国の方に送り還すに付きまして、お蔭を蒙りたいので御座ります――』  安はこんなに云つて居る間、土間に蹲《つく》なんで框に両手をついて、お大名に言上するやうな調子で云うて居た。栄一は安があまり喋り続けるものだから、あんなに喋つたら酔が醒めるだらうと思つた。それで安の舌の機関車が止つた時に気がポーとして、停車場にでも着いたかのやうにうれしかつた。  それはそれとして栄一は、安の真面目なのに――今迄も感心して居たが――今更の如く感心して蒲団のことを云ふことも忘れて、五十銭の銀貨一枚を渡して、安が酒をやめて素面で人を助けることが出来るやうに云ひ聞かせて還らそうとした。すると、安は大きな声をあげて、何かに憑かれたやうな心理状態になつて、お祈りを始めた。 『天のお父様、この新川には実に難儀なものが沢山居ります。どうか之をお救ひ下さいませ。年寄、子供、何にも罪の無いものが、この寒中に着る着物も無く、食ふものもなくて震へて居ります。天のお父様、どうかこれらのものを不憫と思召下さいまして、何卒お救ひ下さいませ。私はこんな不束なものの、大酒呑の、前科九犯もある掏摸の強盗で御座ります。然し之から改心致しまして、先生の命令をよく守り、磔刑にかゝつても、天のお父様を一生懸命信心いたします。どうかあなたの愛を垂れて下さいまして、一家安全に行けますやうに、お守り下さいませ。この新川には私のやうな悪徒が沢山居ますけれども、どうかそんなものほど可愛がつて下さいまして、一人でも多く改心するものが出来ますやうにお助け下さいませ――』  かう云つて祈つて安は黙つて了つた。涙は庭に滴となつて垂れて土が濡れて居る。その祈りの立派なのに驚いたが、安の心理状態を知つて居るから、別に不思議とも思はなかつた。  安は祈つた後に、つツ[#「つツ」に傍点]と立ち上つて五十銭銀貨一枚持つて帰つて行つた。そして薄暮にもう一度来て、今巡礼を船まで届けて来たからと云つて一寸感謝を述べて今度は簡単に帰つて行つた。 [#7字下げ]二十七[#「二十七」は中見出し] 『安』の行動を解剖してみて、栄一は色々考へてみた。第一は世界には悪人と云ふものは一人も居らぬと云ふこと、第二は『安』は本能的に栄一より慈愛心に優れて居ると云ふこと、第三は、『安』には耶蘇教がよくわかつて居ると云ふこと、然し外の宗教と混和して居る純粋なものでないこと、第四には伝道はあまり安のやうに教会に来なくても感化を受けるものがあるから、さう悲観したものでは無いと云ふことなどであつた。  第一、世界に悪人は一人も居らぬと云ふことは、栄一が貧民窟に来て益々深く確信を固めたことであるが、どんな悪徒でも必ず善いところがあることと、いつでも悪人で無いことは事実であつて、前科十何犯だと云ふ男でも附き合ひして見ると実に善い人で、こんな人がと思ふことが度々あるのである。たゞそんな人が、何かの変り目に出会すと脱線するので、生理的に云へば、少年時代から青年時代に移る頃、青年時代から壮年時代に移る頃とか、健康で云へば、精神的に煩悶して神経衰弱にかゝつて居る場合、或は栄養不良で生理的に激しい変化のある場合とか、病気のあげ句とか、月経時とか、境遇から云へば新しい境遇に這入つた場合、奉公先の変つた場合、土地の変つた場合、仕事を換へた場合、若しくは急激に貧乏した場合、気候の変化が急激な場合、自己の職業上から来る利害が急変した場合に、弱い意志を持つて居るものが激しい変化を受けて、社会に対する責任を忘れて罪を犯すので、それ等の変化の起らぬ範囲に於ては、決して罪を犯すものでは無いのである。それが教育ある者であると、境遇の変化などに比較的適応する工夫を知つて居るのだから、こんな時にはかうすれば善いのだと知つて居るが、そこは無学な貧民になると、躍気になつて、つい脱線するのである。それで新見は之等の犯罪を電線の符号にたとへた。それは性格が連続性では無くて、断片的であるから、電信の符号の切れた処が犯罪となつて現れると云ふことである。  栄一は自己を守るとか、自己が之だけ所有せねばならぬとか考へる人には犯罪人は怖いものであると思へるが、彼自らのやうに自己防衛も主張しないし、所有権をも主張しないものには、世界には悪人が全く消失すると云ふことを考へた。植木にしても、戸田にしても、富田にしても、上杉にしても、また前科四犯の町田与三五郎にしても、人殺しの藤田三蔵にしても、妻君殺しのうかれ節の松公にしても、掏摸強盗の前科九犯の喧嘩安にしても、野に放たれて自由に活動して居る彼等の性格をみると、一面にはいやな所があると共に、他面には実に優しい、親切な善い所があるのである[#「あるのである」は底本では「あるである」]、それで人間はマキアヴエリーや韓非子が云ふやうに本性に於て悪人であるのでは無く――掏摸強盗前科九犯の『安』が一面他愛病患者であるのを見てもわかるやうに――進化の道程に於て途中で止つたり、屈ねつたりした精神病者であると云ふことは明かである。  犯罪者は九分九厘――否百分の百まで精神病患者である。それは社会的にも、個人的にも、病的にせしむる原因があるが、健康体に復すれば身体上の病人が平癒した後に何とも無いと同じやうに、外部的原因で犯罪を犯すものは、外部原因が取り去られると常態に復するし、内部的原因のものは心理的に生活的に常態に復すれば犯罪は全くなくなるので、真正に悪人に生れた人と云ふのは、心理的生理的に悪質を遺伝して、彼自身が個性として殆ど責任の無い位ゐのものであると、かう栄一は考へた。  それで犯罪の責任論が起るが、外部的原因或は生理的原因に対しては個性は或程度まで適応力を持つて居る筈でもあるし、殊に教育を受けたもの、宗教的情意訓練を受けたものは境遇に対する支配力が強くあらねばならぬから、此程度に於て犯罪の責任は充分持たねばならないのである。然し個性の発達を充分遂げなかつたものは従つて、その責任は持たないわけで、未丁年者とか無教育者とか、貧しい人々とかの犯罪は、社会がその犯罪の殆ど全部責任を持たねばならぬと考へた。世界に悪人と云ふものは一人も無い。どんなに悪質を遺伝して居るものでも全部遺伝したものが悪質では無い。人間の性格は一定の傾向性は持つて居るが、変化性をも持つて居るので、傾向的悪質は変化性より強いものであるとしても、その決定的方面が変化性より強いとすれば、それは個性の責任では無く、神と宇宙がその責に任ずべきであると思はれるのである。  時によると、決定性が変化性より強くて人間の性格の破産は全く、神の性格の破産であつて、人間だけが目醒めて善に傾いて居るけれども、神とその創つたものは凡て宿命的に悪に傾いて居て、善なる人間意志が、悪なる神の意志にいつも砕かれて居ると考へるやうな、ハムレツト的惨劇を宇宙に見ると、栄一は考へないでも無いが。――  既に人間の中に善に目醒め、善に傾く宿命を現して来た宇宙意志は、凡てを悪に決定した外部的宿命より強い力で、人間の衷に働いて居るやうに考へられて、新見は宇宙の意志は人間を通じて善に傾く決定を探して居るのだと深く信ずるのであつた。  否、神が悪に傾いても、人間は善に傾いて神と宇宙の悪を修正せねばならぬと云ふ覚悟を新見は持つて居たから、新見の本願を心の衷に発露せしめた、内なる神が、外部に於て必ず悪なる神であるとは信ずることが出来なかつた。  凡ての人は善人である。そしてたとひ悪に向つて決定されて居るものであつても――決定と云ふことは無く、それは断絶だとの観察を栄一はしたが――神と人間を通じての善なる意志と意識が、この凡てを修正し救ふ可きものだと深く信じた。  人は凡て救はれるものだ。救はれねばならぬと新見は深く信じた。  凡ての下に、凡ての性格の破産者の下に、神が深き隧道《トンネル》を鑿《ほ》つて、その人々の心にも愛を植ゑ、救の道を通ずるやうにして居らつしやると云ふ有難い本然の啓示を、栄一は貧民窟の多くの性格破産者を通じて教へられた。  さう思ふと、栄一は神の大なるみめぐみに、合掌して、『安』の家の方へ向いて、感謝したい程であつた。 [#7字下げ]二十八[#「二十八」は中見出し]  栄一は我儘を云はずに一生懸命に働いた。相も変らず毎朝午前五時過ぎに起きて、竹田を教へた。そして著述し、病人の世話をし、路傍説教に行き、ランバスの通訳に行つた。  然し栄一に最もこたえたのは寒の中に毎火曜日に午前四時から起き、沖の仲仕に伝道に行くこと、声が嗄れてあまり出ないのに、寒い風に面して路傍説教をすることであつた。然し寒行をする日蓮宗の人々に刺戟せられて栄一は、法華信者に敗けてはならないと一生懸命になつて居た。  それを裏の喧嘩安の宅から毎晩泊ることだけ世話になつて来て居る栄蔵がひやかすから面白い。栄蔵は少し白痴であるから言語が明晰では無いが、云ひやうが面白い。 『先生、寒行か? あれやつたら南無妙法蓮華経に敗けるわ。先生も大鼓を持ち、そして、ドロツク、ドロツクうたなあかへんわ。讃美歌な、うち、よう知つとるわ、唱へに行つてやらうか? みなで行かな敗けるわ。先生、声出てへんやないか? もう少し出し!』  松蔵がその傍に居て、 『そんなに云うたつて、先生、病気やよつてに声が出えへんのや。栄蔵、おまへ、先生の代りになつて、路傍説教せんかい!』 『よし、わし、先生の代りになつたる……』  栄蔵は讃美歌を唱ふ真似をして、 『エス、きみ、エスきみ――』しか知ら無くて、 『ワハア、ハア、ハア』 と一人で笑ひ興じて居る。 『栄蔵、もう少し、歌はんかい!』  さう云つて松蔵が催促すると、栄蔵は説教の真似をする。 『みんな改心せえよ、酒も煙草もやめて、淫売も買ふなよ、ワハ、ハア、ハア、/\/\』  口を尖らかして、栄蔵は新見の真似をした積りで居る。新見は栄蔵に『改心せよ』と云ふことだけがわかつて居ると思つたらおかしくて仕方が無い。  それから栄蔵はお調子に乗いて、をかしいこと面白いことを新見にお喋りした。  そして唯一つ新見が栄蔵に就つて驚いたことは、痛覚の非常に鈍いことであつた。  松蔵がさう云うものだから、試みに縫針を取つて、栄蔵の足の裏に立てゝみた。然し栄蔵は少しも痛く無いか、大きな笑ひを洩らして居るだけである。皮をつまみ上げて針を通しても笑つて居る。 『痛いか』と聞くと、『痛く無い』と云ふ。  そんなことをして居ると、栄蔵は突然喧嘩安の茂一の死のことを云つて、新見に覚束ない感謝をのべる。そのまた云ひ方が面白い。 『安さんなア――安さんとこの茂一なア、死んだやろな――先生とこに来て居て――病気になつてなア――血が出たやろな――可哀想やつたなア――先生が牛乳飲ましてやつたやろな、卵な、一個五銭もするのやろ――それなア三個食つたやろな――』  側に居る松蔵が、 『栄蔵の云ふこと少しもわからへん、卵三個食つたつて、栄蔵、誰が食つたのや!』 『わかつて居るやないか、それおまへ、安さんとこの茂一が食つたんや――』 『それからどうしたんな』松蔵は面白がつてきく、新見も黙つてきく。 『先生なア、善い人やなア――精出してなア――みな有難い云うとるわ、ほんまやで』  之が偽はらざる、栄蔵の感謝の辞であつたのだ。新見はこの低能な栄蔵のこの足らない言葉の中にどれだけ掬《きく》すべき人情が含まれて居るか知れないので、実にうれしかつた。白痴にも親切がよく徹底すると思へば、うれしくてならなかつた。  栄蔵は毎晩栄一の所に帰つてくるので、栄一はそれを楽しみにして居た。栄蔵も栄一を慕うやうになつた。それでよく二人で、つまらぬ話をして居ると、栄蔵は突然と、 『先生なア、うちなア、可愛がつてよ』と云つて、白痴の栄蔵が栄一に寄り添うて来て手を握つたり、頸に手を廻したりするので栄一は、自然のまゝの人々は、西洋人のする表情も日本人のする表情も少しも変りは無いと思つて、栄蔵のするが儘にさせてやつた。  栄蔵は毎日雨が降つても日が照つても葬礼人足に行つた。安が休む日があつても栄蔵は葬礼屋に行かされた。そして儲けて来た金は全部安の所に持つて来た。それで栄蔵は一文も貰はずにたゞ安の一家族の奴隷のやうに働いて居た。それでも狂人のやうな安は栄蔵を擲つたり蹴つたりするのであつた。  そんな時には栄蔵は二晩も三晩も新見の家に帰らなくて、芥箱の中に寝たり、芥挽き車の中に寝たりした。然し、少しするとまた新見の家に帰つて来た。安の家では栄養のあるものを食はぬから、痩せ衰へて、骨と皮とになつて居た。十九になる云うて居たが十四五にしかならぬ子供のやうに見えた。それで新見は折々栄蔵に小遣銭をやつたり、食物や菓子を与へた。  朔日と十五日の朝には必ず竹田のお母さんや、樋口さんの持つて来る御馳走があるので、栄蔵に御馳走をしてやつた。すると栄蔵は正直に『甘いな、この先生、善い先生やなア』と云うた。栄蔵も咳をして居るので医者にかけてやると、悦んで居る。  悪気の無い、無抵抗な、いつも陽気な白痴の栄蔵は、栄一には大きな一つの慰めであつた。新見は栄蔵が悪口を云ふのを聞いたことがなかつた。その癖をかしいことを云うてよく笑ふのであつた。栄蔵は笑ふ時には顔一面に皺を寄せて笑つたが、彼はいつでも栄一の顔をみると笑つて居た。それで栄一も彼の顔をみると笑つた。 『先生は、いつでもわしの顔をみると笑ふな、をかしい奴やな!』と栄蔵は云うたが、罪の無い彼の滑稽は、喜劇をみるより面白かつた。彼の風釆が第一面白い。髪は生えながし、着物は夏も冬も法被一枚――それで寒くないと云うて居る。痛覚が感じないやうに寒さに感じないのだと思ふが――大きな扁平な鍋のやうな顔をして、外部のことは少しも気がつかぬかのやうに見える。  それで気がむしやくしやしてくると、栄蔵と、会話するとすぐ喜劇の世界に遊ぶことが出来るのである。栄蔵は芥挽きの話をする。芥箱の話をする。犬の話をする。猫の話をする。それを繰返して話をする。 『安さんとこの犬なア、あの跛ツこの犬なア――電車で足一本、ひかれたんやで――』  そんなに云つて二年も前に轢かれて足を落した安の所に飼はれて居る三本足の犬の話をする。  芥箱で寝た時の経験をきくと、 『寒いでえ――さん俵なア、二三枚持つて来てなア、それを被つて、犬がなア、して居るやうにしてなア、丸うなつて睡るのや』と睡る真似をする。  罪のない白痴や老人に囲まれて、貧民窟に生活して居ると、栄一は非常に幸福であつた。  栄一が少し病気して寝ることがあつても之等の人々を始め貧民窟の人々は実に親切に取扱つてくれた。猫のお婆さんは五銭位の価値のある蜜柑を二三個持つて来てくれた、向隣りの河津のおかみさんは背中を撫でゝあげると云うて一時間も枕元について居てくれる。三銭五銭の見舞ものを多くの近所の貧しい人々から受けることは稀らしくなかつた。路次から声をかけて、 『先生、今日は少しおよろしう御座りますか?』と朝早く声をかけ乍ら通るものは沢山あつた。  こんなに親切に見舞つてくれると、栄一は有難くて長く寝て居られなかつた。平生はあまり挨拶までしない淫売婦までが、栄一の病気が少し永びくと、格子の外から見舞つてくれた。  四五日も寝て居ると、近処のおかみさんの代表者が四五人、一円位いのカステラの箱を持つて来て、長屋を代表して見舞に来てくれる。それには栄一も感謝の辞が無かつた。  さうかと思ふと、下の二畳敷から、追ひ立てを食つて、すんで[#「すんで」に傍点]のことで追ひ出されるところであつたものを栄一に助けられた、おふじは浜の何処で拾つて来たか、じやがたら芋を拾つて来て『先生に炊いてあげて頂戴』と云つて持つて来た。  これ等凡てが、栄一には感激の種であつた。こんなに親切にせられてみると、栄一はどうしても死ぬのなら貧民窟で死ぬに限ると云ふやうな気がした。 [#7字下げ]二十九[#「二十九」は中見出し]  病気になると、栄一は静かに休むことが出来るので、病気は栄一には楽しみの一つであつた。  そして寝て居る時だけは路傍説教もしなくても善いので、久し振りに自分の嗄れた声を自分が聞く必要が無いので、何だか静かなやうな気がしてうれしかつた。  病気になると思ひ出すのは、笑子や、二人の弟のことであつた。下の弟の義敬は東京の方にやられて、その後先方に不幸があつて、神田河岸の大きな米問屋の丁稚にやられたと云ふことを聞いたから、今頃はどうして居ることかと案ぜられる。  益則の方は一旦安井の方に引受られて、それから大阪西区平野町の大井と云ふ安井の親戚に当る肥料商の丁稚に入れられたことを聞いた。  栄一は二人の弟が丁稚になつたことをあまり悲しんで居らなかつた。自分の住んで居る町の人々は、丁稚になりたくても丁稚に使つてくれない程の信用の無い人々が多いのであつたから、丁稚にでも使つてくれて、どうにかかうにか生きて行けるなら、それで満足だと考へて居た。  然し笑子に就いては、ほんとに心配して居る。年賀状を送つて来たから生きて居ることはわかつて居るが、どんな生活をして居るかがわからない。大阪に居るらしいのは消印を見てわかるが大阪の何処にどうして居るのかがわからない。多分僧侶と一緒に住んで居るのであらうと思ふが、少しも顔をみせない。栄一は笑子が顔をみせない理由も知つて居た。それは笑子がいぢめられた義母のお久が栄一の世話になつて、貧民窟の長屋に来て居るのを知つて居たからである。  義母のお久は貧民窟とは云へ、五畳敷の小薩張した家に住んで居て、何にも用事がないので、最小極度の活動をして居た。そして栄一の救済事業には殆ど手助けをしなかつた。ただ三度の食事に出かけて来て、気が向いたら、おみつの世話を一寸する位が関の山であつた。然し、それだけでもお久に取つては大きな進歩で、大きな田舎の大庄屋のお嬢様に生れて、乞食の隣に住んで、栄一の云ふ通りな簡単な生活をすると云ふ気になつただけさへ奇蹟なのである。それが最近更に乞食のおみつの糞尿の世話までするやうになつたと云ふことは、お久の性格から云つて非常な進歩であつた。大家の御寮人様と云へば、奥の座敷に深く隠れて、人にこそ自分の糞尿の世話をさせるが、自らそんな世話まですると云ふやうなことは夢にも考へなかつたことなのである。  栄一は義母をもう少し善い所に住ませたかつたが、勿論経済の許さぬことであつたから仕方もなかつた。然し義母も、だん/\落付いて来て、近頃になると、貧しい人々がするやうに自分一人で焼芋も買ひに行けば、自分の好きな惣菜《おかず》を飯屋に買ひに行くようになられたのである。栄一は義母が自分を少しなりとも助ける気が出来たことを喜んで居た。 [#7字下げ]三十[#「三十」は中見出し]  此処に悲しむ可きことが出来た。それは出口が今の妻君に飽き足らずして、外に女をこしらへて隠れたことであつた。それで天国屋も自ら開いてから満三ヶ月もたゝぬ中に閉ぢなくてはならぬことであつた。出口は栄一に足を立たせて貰つたと信じて、信仰に這入つたのであるが、その後も一生懸命に教会に来て多くの人々を導いて居たが、どうした間違ひか、吾妻通六丁目の二畳敷長屋にある自分の近所のもので容貌の善いよく肥つた市役所人夫の若い妻君と姦通したのである。どうして姦通するやうになつたか新見もよく知らないが、出口の妻はいつも子宮病で悩んで居て、出口と一緒になつて、十四五年になるのに子が産れずに居るのであつた。出口のおかみさんは親切な柔和な、信仰の厚い女であつたが、出口は天国屋を経営して、金廻りが善いので新見に隠れて遊廓にも一二度行き、また近所の若いおかみさんに眼をつけたものらしい。その若いおかみさんと云ふのは子供の三人もある女であつたが、夫が病身で暮の十二月頃から、ずつと家の床について居たのである。それを出口は初めの程は親切から色々と慰めて居たが、遂に金を与へたり、物品を与へて慰問して居る中に、病気の亭主が動けないのに乗じて、道ならぬことをするやうになつたのである。ところが、正月になつて、亭主がそれとなしに感付いて来たので、ゴタ/\して居たが、遂に居堪らなくなつて、二人で駈落せねばならぬことになつたのである。  若いおかみさんは満一歳になるかならぬ嬰児を背中に負うて、十三も歳の違ふ出口と大阪に出奔した。最初にそれを悟つたのは出口の妻君であつた。それで直にそのことを谷本に来て話し、谷本は新見の所にその話を持つて来た。  病気の亭主の方も大弱りで、五つと三つの二人とも女の児を家に置き捨てにせられる、病気の自分を看病をしてくれるものは、誰れも無いと云ふ有様であるから、吃驚するやら、二人を呪ふやら、それは殆ど気が狂ひはしないかと心配された程であつた。勿論、近所の同情は病人の上にあつた。そして、出口が耶蘇教を信心して居ると云ふので、今度は耶蘇教攻撃になつた。  之には栄一も困つて了つて、今更の如く自分の徳の足らぬことと、出口のやりかたのあまり非道いことを悲しんだ。  栄一は深く考へた、所謂普通の悔改めよ主義の信仰では永続きしないのではないかと。出口は信仰に這入らぬ前は随分酷い悪徒であつて、やはり博徒の一人であつた。監獄にこそ一度も行かないが、随分悪い人間であつたとは自ら云うて居ることであつた。然し、彼が悔改めてイエスの弟子になつて、兎に角満二年間は、さう欠点も無かつたのである。勿論彼は町田与三五郎のやうに猛烈な信仰心は起さなかつた。彼は町田と違つて聖書は読めないし、讃美歌の仮名でさへ読めない位であるから、信仰の進むすべさへも無かつたのである。  然し、よもや姦淫しようとは、新見も考へなかつたことであつた。それが彼の期待を裏切つて、イエスの弟子として最も恥づ可き行為に出たので新見も困つて了つた。  新見は殆ど貧民窟の壮年以上で改心する信者は全く駄目だと考へるやうになつた。然し抛つても置けないので、谷本に依頼して出口を探してもらつた。然し居処が少しも知れなかつた。  すると、寒い、寒い二月の朝の三時頃であつた。出奔してから四日目の朝、ひよつくり、痩せ衰へた出口が栄一の枕元に坐り込んで、栄一を起した。あまり突飛なので、栄一は吃驚した。出口は泣くやうにして物語つた。 『私は、悪いことをしたので、また神さんの罰が当つて、殆ど足腰が立たんやうになりましたから、どうか私の為めに、イエス様にお詫して下さい。私は困つて居る人の嬶を取るやうな土根性の腐つたものでおますよつてに、あなたのやうな、神さんのお使の前に出ることは誠に恐れ多いことでおますが、一刻も早く先生にお祈りをして戴かんと、私は全く元の通りに蹇跛《ゐざり》に[#「蹇跛に」は底本では「跛蹇に」]なつて了ひますのです。……かうやつて居りましても、膝ぼうし[#「膝ぼうし」に傍点]の所がどえらい[#「どえらい」に傍点]痛むので御座ります。罰あたりで御座ります。私はエス様を信心すると口先では申して居りましたが、腹の中は墨のやうに黒い男だすよつてに、人の嬶が欲しいと思ふような土根性が出てくるので御座ります。  足掛四年前のクリスマスに、先生のお祈りで足を立たせていたゞいた神の恵も忘れて、獣のやうな心を起しましたので、女を伴れて出た日から、私はもう歩けぬやうになつて、行くところはなし、恥しうて兵庫の兄キの所へは行けず、宿屋に泊るには金を持つて居らず、北野の山で、この寒いのに女と赤ン坊と三人で碌々ものも食はずに寒さに凍えて居たので御座ります。  松の木にでも首を吊つて二人で心中しませうかとも思ひましたが、二畳敷に捨てゝある病人も可哀想ですし、赤ン坊も可哀想ですし、も一度先生にお詫びをして、天のお父様にお許しをして頂いて、その上で新川も立退くのなら立退くことにして、此処のことは、改心いたしますよつてに、どうぞ、私の足の痛いのがもう一度癒りまして、蹇跛に[#「蹇跛に」は底本では「跛蹇に」]ならないやうに、そして天のお父様のお叱りが少しでも宥められるやうに、あなたにお祈りをしていただきたいので御座ります。重々私が悪う御座りましたから、どうぞ御免し下さいませ――』  さう云つて、出口は泣き乍ら祈り出した。栄一はその真面目な悔改めに、免さないと云ふことは出来ないし、も一度出口の為めに祈つた。さうすると、出口は『痛みが止りました、先生』と叫んだ。  他のものはみな寝て居る。近所は静かである。朝の空気が冷かに身に泌みる。電気が暗いので歪んで立つて居る、煤けた柱が所々ボンヤリ光る。凡てが幻のやうである。栄一は何だかソドムとゴモラの街に住んで居て、その市の滅亡の前夜に生きて居るやうな気がした。  出口は、祈りの済んだ後に金を十円貸せとねだつた。何にするかと尋ねると、十円の金を持つて行つて先方へ謝罪に行くのだと云ふ。栄一は生憎四円の金しか持つて居らなかつた。それで十円は無いが、四円持つて居る。それをあげると云つた。四円では足らぬと云ふから、それでは栄一が神戸教会の婦人会から貰つた綿入の着物が一枚あるから、それを持つて行つて質に入れるなら三円か四円かになるから、それを持つて行けと云うて出口に与へた。  女は何処に居るかと尋ねると、表の路次で待つて居ると云ふ。そして、日が出ぬ先に吾妻通の方に行つて、謝つて来なければならぬと言つて、竹の杖をついてひよろ/\し乍ら闇の中に待つて居る嬰児を背負つた女の影と一緒になつて、西の方に消えた。栄一は闇の中に消えた迷へる三つの魂を見送つて、自分も路次の闇の中に土の上に跪いて泣きつゝ祈つた。 『人間はあまりに弱い! 人間はあまりに弱い!』と心の中で繰返し乍ら。  路次の闇は深かつた、そして路次の土は湿つぽく冷えて居た。屋根の瓦には霜が薄く降りて居た。冷い空気が栄一の病める肺の中へ針でさすやうに這入つて行つた。近処の鶏が所々で鳴いて居る。然し貧民窟はまだ深く眠つて居た。そして醒めて土に食ひついて祈つて居るのは栄一だけであつた。 [#7字下げ]三十一[#「三十一」は中見出し]  新見になにが辛いと云つたと云つても、自分が全力を注いで飼ひ養つて来た小羊を、悪魔に奪ひ去られるより辛いものはなかつた。出口が悪魔に魅入られてから、新見は全く伝道と云ふもののほんとに力の無いことを心から思うた。口先の伝道も駄目なれば、身を粉に砕いた伝道も駄目であつたのだ。人間の悪はそんなに易く贖はれるものではないとみえる。人間を焼いて粉にして、も一度造り直して、それで初めて、も一度一人前の人間になるものらしい。  人間が、三十歳を越えて、境遇の誘惑や、社会の誘惑に打勝つて、イエスの弟子にならうと決心しても、それは殆ど無効なものであるかの如く見える。自己自らの胸底に彫んだ運命と心の傷が、あまり深く這入つて居るものと見えて――若い時の心の傷と違つて――全く回復の出来ぬものらしい。  栄一は、それはあまり痛々しいことだと考へた。彼等は正しくありたいと悶えて居る。然し彼等の古い傷が承知しない。魂が分裂する。もう一度古傷から黒血潮が噴火する。そして、悔改めてはあとすざりし、悔改めてはあとすざりし、目もあてられぬ程、煉獄の苦しみに嘆き悲しんで居るのである。  栄一はその悶えた魂の姿を出口の衷に見出して心より同情した。そして自分の過去をも振返つて見て、出口の今の有様に心から同情して見た。堕落するのも人間の姿であれば、向上するのも人間の姿である。堕落と向上の間に分裂した自我が引懸つて居て、煉獄の苦しみをなめて居る。堕落し切つて了へば苦悩は無いのだが、神さまはそれを許して下さらない。それでドン底に墜ちても、まだ神に訴へて居るのである。あまりに神は無情だといえば無情だが、悪人になり切れない所にまた、人間の強味と神の手がかりがあるのである。  然し、新見は貧民窟に居る三十以上で改心した人々に、ほんとに信用が出来なくなつた。栄一は救世軍に悔改めに行く人々をも研究してみた。そして、栄一の経験したことと全く同一のことを発見した。栄一はハロルド・ベグビーの書いた『毀れた土器』に出て居る救世軍で人間になつた九人の悪漢を研究してみたが、矢張り同じやうに悔改めては堕落し、悔改めては堕落し、非道いのになると六七度そんなことを繰返して居ることを知つた。勿論ベグビーの書いて居る九人はみな最後に救はれて居るやうになつて居るが、栄一としては、あの幾万人とあると云はれて居る救世軍の悔改者の中に僅か九人しかドン底の悔改者の標本が挙げられず、それが凡てたツた一度では改心出来ないで、数回のあとすざりを経て漸く一人前になれると云ふのをみて、大いに失望するのであつた。  もう少し、大きな力が欲しい!  その力はあまりに外部的であり過ぎる。内から湧いて来るもう少し強い力が欲しい――もし、神――真の救の神の力が加はるとすれば、もう少し強いものであつて欲しいと思ふことであつた。  あとすざりものの数が多く加はると共に、栄一は、その新しい力の加はつて居るものが何であるかを尋ねるやうになつた。  そして、ひよつと[#「ひよつと」に傍点]、神がモーゼに、イスラエルの解放されるに当つて年老いたるものは凡て荒野にて死に、新しく荒野で生れたものだけが、将来の地に這入るのだと云つたことを思ひ出した。  そして、之が矢張り、新しき時代の解放に於ても真理であることを考へ及んだ。旧き人は或所まで連れ出されるのだ。少なくとも、今の境遇より解放さる可きものだと教へられて荒野に彷徨する程度までは解放せられるのであるが、それから先きはあまりに理想が高くて行けないのである。そして死の摂理が柔かく彼等を見舞つて、暗黒に葬つてくれる。そして新しい元気のよい次の代の人間の芽が先祖の失敗を回復する為めに現れてくる。そこで初めて二代かゝつて贖罪の事業が完成するのである。  こんなことを考へて、新見は老人株に対する伝道の効果のないこと、彼等は全く唯物史観的に堅くなつて居て、唯物史観と共に地獄に行くより外に道の無いことを考へた。  そして新しい芽――それは理想と光明に眼醒めて、古い穢い腐つたドン底生活を厭うて逃げ出すやうな新しい力が、子供の心の衷に涌いてくるのをみたのである。 [#7字下げ]三十二[#「三十二」は中見出し]  老人はもう腐つて居る。然し子供等は涌き溢れてくる新しき泉であつた。どれだけ肉に腐爛した餓鬼共が産んだ子供であつても、その子供等はみな愛す可きものであつた。  栄一の所に多くの淫売婦の子供等が遊びに来た。その多くは淫売婦が人形を弄ぶやうな積りで飼うて居る(かう云ふのがほんとに当つた言葉である)貰ひ子であるが、その子供等は実に無邪気で実に愛らしい。  福々しい顔をして、いつもゴ厶の『乳首』を頸にかけて居る今年二つのたか[#「たか」に傍点]ちやんは、栄一の友人の一人であつた。 『テンテイ』と云つて遊びに来るが、抱いてやらうと思つて手を延ばすと逃げ出すのがいつものことであつた。  滑らかな、輝きのある林檎のやうな頬に、鳩が豆玉うけて吃驚して居るやうな丸いキヨロンとした眼玉をしておたかちやんは、いつも新見の硝子窓に顔を出した。連れのものも同じく淫売婦の子等で一人は五つになる。何時も鼻を垂れて居て少し低能に見える女の子である。も一人は数へ三つになる女の子である。  栄一はこれらの子供等をみるにつけても、たゞ何とも云へぬうれしさを感じたのである。  蛸ちん[#「蛸ちん」に傍点]の下に、お糸ちやんと云ふ女の子が産れた。蛸ちんの宅は路次の西の端であるから、よく新見を知つて居る。お糸ちやんは満一歳になるか、ならずで、最初に発音した言葉は『テンテイ』と云ふ言葉であつた。  蛸ちんの筋向ひにあたる、鍋島のお凸と栄一の名をつけた子供も、大の栄一崇拝家で、発育が非常に遅れて居て、満二歳近くで、漸く言葉を云ひ初めたが、この子も最初に完全に発音出来た言葉は『テンテイ』と云ふ言葉であつた。  これらの子供等は兄等が日曜学校で歌を覚えて帰り、面白い話を聞いて帰るので、知らず識らず、栄一を慕ふやうになり、親が云うて聞かせるものだから、『テンテイ』と呼ぶやうになつたのである。  一度でも先生を見た子供らが、自分を呼んでくれることは実に幸福なことであつた。それで栄一は、子供らの心に、新しき生命と神を彫みつけさえすれば、彼の使命は全く成功したのであると深く考へるやうになつた。 『人もし新に生れずば、神の国に入ること能はず』とイエスは云うて居るが、心も肉も新しく生れ得るものは、貧民窟に於てはたゞ子供等だけであつた。そして青年等はまだ幾分の可能性を持つて居た。  然し栄一は考へた。十年辛抱する。さうすると、今の子供等は十歳になり、十歳のものは丁年になり、今の青年はみな子を産む。 『神は嬰児の口に讃美をおき給へり』あまりせかないで悠々とやることだと考へた。  さうかと云つて新川の人が、栄一と栄一の宗教に対して全く無頓着であるかと云ふと決してさうでは無い。  栄一の辻説教が終ると『御苦労様で御座ります』と挨拶するものは多くあつた。多少栄一に反感を持つて居るのは南本町の人々であるが、或時の如き、南本町の青年が栄一の路傍説教を妨害して、反つて栄一に同情して居る新川の無頼漢に擲りつけられたこともあつた。その時に林は栄一を最も護衛した方で、林などは栄一に無理を云つて脅迫もするかはりに、栄一を非常に尊敬して居るのである。  また夏の或晩のことであつた。木賃宿の人々で栄一のことを少しも知らないので『アーメンソーメン』と云つて栄一の路傍説教を冷かしたものがあつた。サアたまらない。新川のくすぶり連中は栄一に同情して、口々に―― 『今のは誰が云つたのや?』 『先生さんが、儲けにもならんのに、法を説いて居らつしやるのに、失礼にも程があるわ』 『出てうせ!』  こんなに聴衆が罵るものだから、その人間は恥しくなつて、こそ/\と隠れて了つた。然し承知しないのは聴衆である。 『こいつだ! こいつだ!』  床几に腰を降ろして居た二人の労働者、二人とも年頃三十四五の男であつた。この法被の男だと指差したのは河津のをぢさんであつた。 『お前、何を云つてるんや……新川の先生さん知らんのかい!』 と河津のをぢさんは大きな声で罵つて居る。 『どいつぢや! どいつぢや』と云つて溝板をはづして来るものがあると思ふ間に、その男はポツカリ敵手《あひて》の頭を擲り付けて居た。暗くて充分判らなかつたが、擲つた男は栄一のよく顔なじみのある博徒の一人であつた。  裏の喧嘩安は栄一に贔屓する余りに同じ他の基督教の伝道師が路傍説教に来ても、此処は『新見さんの繩張ぢや、新見さんの許可が無ければ一歩も此処に入れることは出来ぬ』と云つて頬ぺたを擲つて追ひ返したこともあつた。  新年に栄一が『ハツタリ』賭博の帳場を大きな声で讃美歌を唱つて、追ひ散らしたので博徒の中の顔きゝで『眼玉の由』が怒つて居るかと思ふと、少しも怒つて居らない。それから後に栄一の路傍説教を妨害して居る酔漢を見て、 『先生の説教を妨害しよつたら、殺して了ふぞ!』と云つて、酔漢を遠くに引張つて行つたのは、眼玉の由であつた。  然し眼玉の由公はすぐ報償を要求に来た。其の云ふ文句は博徒としては、お定り文句で『賭博に敗けたから貸してくれ』と云ふのであつた。栄一はお金が無いからと云つて袷の着物を一枚貸し与へた。  こんな調子であるから栄一の宗教に対して尊敬は充分持つて居るのだが、その宗教を信ずることを新川の人々は出来なかつたのである。  それでも新川としては非常な進歩であつた。それで栄一はそんなに慌てないで、新川で死ぬ積りで小さい仕事を完成しようと深く決心した。 [#7字下げ]三十三[#「三十三」は中見出し]  貧民窟の一月と二月は実に惨憺たるものであつた。栄一の処へよく酔つ払つてやつて来たり、南本町四丁目の交番所へ毎晩のやうに巡査をからかひ[#「からかひ」に傍点]に行つた『江州』は二日目の朝生田川尻の鉄橋の下で真裸体のまゝ凍死して居た。  水田の前には毎朝幾百人近くの立ちン坊が買つて行つてくれる人を待つて居たが、あぶれるものの方が多かつた。  彼等は法被にシヤツ一枚と脚絆では寒いものだから、何処で拾つてくるか、大きな板や煙草の箱などを毀して大きなトンド[#「トンド」に傍点]火を二三ヶ所に焚いてあたつて居た。栄一は毎朝路次を出て表に出る時にいつも彼等の群衆を見て気の毒になつた。彼等の顔は実に不安で地獄を見て来たと云ふやうな眼付をして居た、飢ゑて居る人も多くあつた。この不景気を知つてか、知らなくてか、施しに廻つてくる人も相当にあつた。  毎水曜日に財布を持つて廻つてくるのはカトリツクの尼さん二人であつた。この尼さんは栄一が貧民窟に来ない幾年か前から必ず毎水曜日に貧民窟を訪れたものと見えて新川の人々はよく知つて居た。尼さんは熱さましの煎じ薬を部落の人々にいつも持つて来て与へた。それがよくきくと云うて評判であつた。然し今日のやうな不景気な冬になると、尼さんが、財布からお金を取り出すのが待ち遠しくつて、財布そのものを奪ひ合ふと云ふ始末である。そんな時にはまるで餅でも拾つて居るやうな調子で、平素は乞食もしたことの無いものまでが『異人さん金をくれ』と云つてせがむ[#「せがむ」に傍点]のである。向隣りの呑太の吉田は沖仲仕に行つて一日三円なり三円五十銭を儲けてくる、貧民仲間の儲け大将であるが、そんな時にはわざと襤褸シヤツ一枚になつて飛んで出て、施しを乞うて、群衆をせり[#「せり」に傍点]まくるのであつた。吉田がかうであるから、乞食する癖のあるお内儀さん達が気狂ひのやうになつて家から飛び出して来て憐みを乞ふと云ふことも別に不思議な現象でもなかつた。  然しそれを見て居て、施しと云ふことの如何にも悲惨なものであることをつく/″\と思うた。施されることを権利のやうに考へて居る之等の人々の心理状態を考へた時に、栄一は所謂慈善と云ふものが必ずしも貧民を救ふ道で無いこともよく知つた。  貧民窟では堅実なものは決して施しを乞はなかつた。尼さんが廻つて来ても表には出ない。そして大勢のものが、ワイワイ騒ぐ時に『穢ない奴等だなア』と云つて笑つてゐた。  乞食の収入が堅気ものゝくすぶり連中よりずつと多い事がある。殊に栄一の筋に居る偽坊主の如きは、朝は托鉢の真似をして家を出て、全市を片端から貰つて廻るが、夕方は殆ど運び切れ無い程沢山の米と金を貰つて帰つてくるのが毎日のことであつた。どんなに少ない時でも、お米の一斗位とお金の三四十銭を貰つて来ない時はなかつた。それで、その偽托鉢僧は贅沢に暮してゐた。間には仲間同志朝から碁を打つたり酒を呑んで呑気にして居た。  それを憤慨して『蛸坊主等が年中遊んで居やがつて、それでも食へるのに、俺達は一生懸命に働いてもいつでも足らなくて食ふや食はずに居る』と云つて居る人夫の連中もあつた。これを見て栄一はドン底に落ち込むとどんなにしても生きて行けるものだと考へた。 [#7字下げ]三十四[#「三十四」は中見出し]  村山は少しも落ち付かぬ青年であつた。一月になつて、大阪に行つて労働者になると云つて出て行つたが、仕事の口が無いのと、仕事があつても権蔵部屋ではとても、辛抱が出来ないと見えて、また新見の処へ帰つてくる。然し新見の所に居るのも気の毒になると、また出て行く。出て行く度毎に栄一に金をねだるのであるが、栄一に金が無いと、栄一の夜具を栄一に案内もせずと質入して、黙つて出て行つて了ふやうなことをした。『未だ若いから』と栄一は竹田に云うたが竹田は妙な顔をして居た。  栄一は伝道女学校の小さい組に通訳に行くのを楽しみにして居た。それはその日だけ美しい学校の空気と善い音楽と、柔かい女性の仲間に這入るからであつた。学校と貧民窟との間には大きな距離があつた、殊に時間を正確に守らねばならぬと云ふやうなことが栄一には反つて面白いことに見えた。女学校はたつた生徒が十四五人しか無かつたが、それでも学校は学校であつた。生徒は出来さうな顔をした女は一人も居らなかつたが、若い女は若いだけあつてみな可愛い顔をして居た。わかるのかわからないのか知らないが、みな相当に急がしくつまらぬ講義を筆記して居た。それは平和な光景であつた。そこには無頼漢の飛び込んで来る心配もなければ淫売婦が怒鳴る声を聞く必要もなかつた。朝から晩まで醜いものの間に浸つて居る栄一にとつては夢のやうであつた。『こんな学問をして食へるのかしら』とも折々考へた。それでも学校の教授を助けることは栄一に取つては一種の休憩であつた。そこから貧民窟に帰つてくると何とはなしに栄一の動悸は騒がしく打ち出すのがいつものことであつた。  春もそろ/\帰つて来た三月の初め頃であつた。その日はまた特別に美しい日の照る日であつて、神戸の山手辺の洋館の軒に落ちた影がペンキの色の補色となつて、或るものは紫に見えたり、青に見えたり、緑に見えて、美しく光つて居た。  あまり人通りの無い滑かに掃き浄められた中山手通をとぼとぼと何を考へるとも無く太陽の光を浴びつゝ、貧民窟の方へ下つてくると、世界はほんとに生き心地の善いところだと考へられる。そんな時には栄一はよく、エジプト王を祝福した太陽の光線が長い手になつたと云ふ幾千年か前の古画を思ひ出すのであつた。そして、彼には太陽が慈悲深くて、エジプト王を祝福したその多くの光線の手が、今も猶彼を祝福して居るやうに思ふのであつた。  こんなに、太陽は彼を祝福してくれても、貧民窟に帰るといつも余り善い話を聞かないのが普通であつた。今日も北本町の家に這入ると、岸本のお爺さんが慌てた調子で栄一に告げた。 『先生、辰さんが、誰かと喧嘩して、仕事先から帰つて来たとかで戸田のおかみさんが大層心配して来ましてない、先生にどうか聞かせてくれと昼過ぎに云うて来ました』  それで栄一は、心配なものだから、北本町五丁目の戸田の家を尋ねて行つた。ぐるりつと廻つて、北本町五丁目の東の筋の北から四番目の路次を奥に這入つて、九軒目の北側に戸田の家がある。戸田の家も表三畳奥二畳の狭い家で、子供が多いのに夫妻とも労働に出るものだから、家の内は実に穢くして居る。  栄一が訪問すると、姉娘のおやすが幼ない妹二人を守して居た。然しおかみさんは留守であつた。『お母さんは何処へ行つたか』と聞くと、近所に居るから呼んでくると云つて、路次を西の方におやすが走つた。おなほさんは娘と二人で飛んで帰つて来た。そして戸口に立つたなり、今日あつた事件を詳しく栄一に話した。  戸田はその後謹慎して湯谷の帳場(土木建築の人夫請負の帳場)に出て居るが、仕事に精が出て、親分の気に入り、人夫の十四五人も使へる身分になつた。処が同じ帳場で幅をきかして居る『眼玉の由公』がそれを嫉み出し、何かにつけて戸田の仕事を妨害するので戸田も困つて居た。  今日も、灘の上に棟上げがあつたので、戸田は早くから仕事先に行つたが、またのらくら者の由公がやつて来て『祝儀をくれ』と戸田にねだる[#「ねだる」に傍点]ものだから、戸田はおとなしく五円札をやると、お礼も云はずに、それを懐にねぢ込んで、また大工の棟梁の所に行つて、同じことを云ふので、棟梁も五円札一枚を差出したが、今度は『そんな端た金は貰はぬ』と云つて、その五円札を引き裂いて、溝の中に叩き込むので、戸田は疳癪玉を破裂させて、由公と喧嘩した。が、その場は棟梁や、湯谷の義弟の仲裁で無事納まつたが、辰はそれから腹を立てゝすぐドス(懐刀)をとりに帰つて『由公を殺してやる』と云つて出て行つたきりまだ帰つて来ない。それが心配だから、栄一の所に辰を説諭して貰ふやうに頼みに行つたのだと、おかみさんは云うて居た。  それで栄一は、おかみさんと二人で一生懸命に辰を探した。然し辰は新川には居らなかつた。  その晩栄一は九時過ぎ、路傍説教から帰つて来て、椅子に凭れて、竹田や『神の子』と色々真面目な話をして居たが、向隣りの河津の家に飛び込んで来る女の足音がすると思ふと、河津の姉娘の声で、 『おかん大変や、由やんがたうとう殺れたわ! 早やう来て!』  河津は朝が早いので宵から眠つて居るのか内では答もなかつた。それで栄一は硝子障子をあけて河津の娘に聞いた。 『由やんが、たうとうやられましたか?』 『先生だつか? 誰れかと思うた。うち吃驚した。由やんがな、先生、たうとう殺られましてん、湯谷の入口で今倒れて居りまんね――』 『殺つたのは誰です?』 『私、充分わかりませんけどなア、戸田はんと湯谷の義弟はんと、も一人の若い者と三人だすといな。私な、今風呂から帰りだんね、家へ這入らうと思ひましたらな、うちの前が人で黒うなつて居りまつしやろな。何やろと家に這入らうとしますと、入口の所で由やんが死んどりまんね、私吃驚しましてなア、すぐ飛んで来ましてん』  こんなことを云うて居る間に河津のお母さんが起きて来た。そして娘と二人で走つた。それで栄一と竹田と一緒に走つた。湯谷の家は吾妻通六丁目の表筋で二階建の家である。湯谷は別に国香通に家を持つて居るので、此処は河津の娘の婿が番をして居るのであるが、徴兵か何かの用事で婿は国に帰つて居て娘だけが留守して居たのであつた。大勢の人を別けて、湯谷の庭に這入ると、まだ検視がすまないので、庭に蓆を被せた由公の死体が横はつて居た。大きな黒い足だけが蓆から外に出て居る。巡査が三人提灯を点して番をして居る。湯谷も湯谷のおかみさんも出て来て居る。栄一の知つて居る湯谷の子分も五六人来て居た。長火鉢を囲んで検視の来るのを待つて居た。みんなで話して居るのを綜合してきくと、由公が暴れ込んで来たものを、戸田と湯谷の義弟と、も一人の若い者の三人で殺つつけて了つたものらしい。由公の致命傷は戸田が鉄挺で擲つたのが脳の天辺に当つてまゐつたのらしいとの事であつた。  戸田などはどうしたかと尋ねると、巡査がすぐ連れて行つたと云うて居た。戸田のおかみさんの顔が見えないのでどうしたかと尋ねると、戸田を兵庫の方へ探しに行くと云うて居たから或は兵庫に行つたのかも知れぬと云うて居た。あまり長く居てもよくないと思つたから、栄一はすぐ出て来た。  兇行の翌日戸田のおかみさんは栄一の処に谷本と二人でやつて来た。そして子供は五人もあるし、亭主は監獄に這入るし生きて行くのにさし当り困るから、何分よろしく頼むと懇願して来た。栄一としては戸田の一家族でも全部引受ける積りで居ると云ふとそれには及ばない、兄弟内で頼母子講を造つて戸田の内儀にやるのでさし当りの救済は出来るし、食ふだけの米は当分湯谷から毎日一升づゝ出るさうであるから小使だけ毎日幾何かやつてくれと谷本は依頼した。それ位のことはいと易いことであるから、栄一は喜んでそれを承知した。  戸田のおかみさんは別に悲しんだ風にも見えなかつた。 『ああなりまツしやろと思うとりましたが……それでもまさか人を殺して監獄へ行くとは思ひませんでした……然しあんな悪徒でおますよつてに、殺すか殺されるか、どうせ畳の上で死ねないことはわかつて居りました。然し今になると先生が予々《かねがね》説教して聞かせて下さつたことが身に泌みて感じられとりまつしやろ』  戸田のおかみさんの云ふ通り、戸田が人を殺して監獄に行くことは殆ど宿命的にも見えた。今迄一家族に対し、新見に対して取つた態度から判断すればもう少し早く人を殺さなかつたのが、不思議な位であつた。然しこの男が谷本と一緒に二年前のクリスマスに洗礼を受けた男だと思ふと、新見も性格を見るの明のないのに自ら驚くのであつた。  然しその時は植木屋をして高山植物を夜市に持つて出たりして性格も柔和であつたが、不景気で植木屋でも食へなくなり、荒い人間の多い人夫仲間に這入ると、今迄の性格と全く違つた人間になつて酒を飲む、女を買ふ、姦通をする、そして妻君をいぢめると云つたやうに急激に悪くなつたのであつた。  栄一は戸田が堕落して行つた跡をながめて人間にはどれだけ自由意志があるかを疑つた。それは殆ど決定的のものであるかのように栄一には見えた。戸田が殺人罪をおかすのは性格の上から云つて殆ど不思議とは思はれぬ程である。戸田と同じ性格が息子等の中にも見出されるのである。彼が北海道に行つて居る留守に栄一が戸田の一家族を世話して居る時であつた。七つになる長男は何が気に入らなかつたのか、栄一の台所の畳をナイフでずた/\に切り刻んで了つた。栄一はその狂暴性に驚いたのであつたが、それは全く父からの悪質遺伝だと思つたから栄一はそれを深く咎めることもしなかつた。長男に出て居る性格が父にも確かに有つたのである。天国屋のことで暴れ込んで来た様子などは、畳を刻んだ長男の性格を一寸大きくしたものに外ならないのである。それを思うた時に栄一は神の言葉で癒されると云ふのはどの程度まで性格の上に於て事実であるかを考へ直してみねばならなかつた。――性格と云ふものも深く探つて見ると、決定的のものであるらしくみえる。それは瓜の種から瓜が実るやうに遺伝して行く、そして書く字体も、声の出しやうも、性慾も、残忍性までも父と全く相似たものが出来てくるのである。さう考へた時に、栄一は形式的な言葉の上の救の力はあまりに薄弱であることに失望せねばならぬと思つた。  あまりに凡てのものが決定し過ぎて居る。性格までが宿命的である。さう考へた時に栄一は、宇宙の力があまりに暗黒なのに驚いた。マルクスの云ふ経済的決定は悲劇になるには余りに外面的であり過ぎる。然し自己が欲せざる決定が内観的な性格の衷にまであると云ふことを、栄一が貧民の性格に多く接触すればする程発見してくるので恐ろしくなつた。  戸田が監獄へ行つてから、栄一はたゞ単純な宣伝と云ふことだけに信頼してはならぬと考へるやうになつた。路傍説教をしてもそれだけでは役にたゝぬと考へるやうになつた。烙印で押された悪魔の性格は、言葉だけの福音で救はれるにはあまりに根深く這入り込んで居る。  さうかと云つて彼は路傍説教を止めることが出来なかつた。それはその毀れた土器――遺伝的決定的性格の下に――更に一段深く神の大能の御手が動いて、潜在力と云ふか、超自然の力と云ふか、性格の下に火が廻つてそれが噴火口を求め、生物学的に云へば、一種のミユーテーシヨン(趨異)が行はれるものであると見えたからであつた。  つまり、彼の宣べ伝へることに直接力が無いものであるにしても、神の力は更に玄妙であつて、決定より決定に移す或大きな力を持つて居るのだと云ふことを信じまいとしても信ぜざるを得なかつたからであつた。  神は人間を決定より決定に移しなさる。神には予定《プレデスチネーシヨン》[#ルビの「プレデスチネーシヨン」は底本では「プレテスチネーシヨン」]がある。そして神の決定の趨異の期間に今当つて居るのだ――今が救の日であるのだと、栄一は生物学から理窟をつけてみた。  即ち人間に於ては一つの決定しか無い場合でも神には二つの決定があり、更に新しい決定が可能であると云ふことが救であるのだ。――さう考へて、神の第二の決定に這入るやうに祈ることが救の始まりだとも考へてみた。  凡ては神の摂理の中にある。つまり救とは選ばれる事なのだ。云ひ換へれば二つの決定の中の一つとして選ばれた新しき決定に移されることなのだ。それで今神が救を成就し、新しき善き道への決定に人々を移し給ふのだと信ずれば善いのだと彼は考へた。で少しも臆せずに道を説いた。栄一の周囲に悪人が多く現れてくれば現れてくる程、彼は強くなつた。雪の朝でも霙の夕でも栄一は路傍説教と讃美歌を唱つて辻に出ることを中止しなかつた。雨が降れば彼は傘をさして路傍説教をした。そして見よ、栄一は、人類社会の根柢に――人類の凡ての醜悪を越えて――救の力の動くのを見詰めたのであつた。  それで新見は、猶も戸田の救はれる為めに祈ることが無効であるとは信じなかつた。彼は静かに貧民窟の十七畳の教会の机に凭りかゝつて戸田の救はれる為めに祈つた。 [#7字下げ]三十五[#「三十五」は中見出し]  花は来た。然し栄一に花はなかつた。  栄一は猶も煤けた面をして貧しい人達の世話や、病人の看護に全力を注いで居た。  世話をして居る間に色々のことも起つた。栄一が泥棒になつたと云ふ記事が新聞に出たこともあつた。春期の大掃除に三の宮警察の警部が巡察に来て『こんな所に、こんなに多数の病人を集めてはならない』と云つて栄一を叱り付けたこともあつた。  栄一は警部に叱られる時にさう思うた。『ほんとにさうだ、こんな貧民長屋に多くの病人を集めることは間違つて居る。大きな慈善病院でも建てゝそこに収容してやればそれに越したことはないのである。然しそれが出来ないものだから、――そして道の辻の上でのたれ死にさすのもあまり可哀想だから連れて来たのであるが、実際こんな所に連れてくるものでは無いのはわかつて居る』と。  それから栄一は病人を出来るだけ少なく収容して鄭重に取扱ふことにした。然し月に一人か二人かは必ず行路病者を助けてやつてくれと頼みに来るものがある。然しもう多く収容し無いことにして居るし、病室も塞がつて居るものだから断ると、 『それでは先生、電信柱の下にでも寝さしとくわ、巡査さんでも連れて来てくれてやろな』 と帰つて行く。然し少しの間立つと、 『先生、やつぱり駄目や。小野柄橋の脇の電信柱の下に病人を寝せて置いたが、巡査が本署に云ふのを面倒臭がつて、足で蹴飛ばすやら、手で擲るやらして自分の管轄区内から追ひ出さうとして、その病人はたうとう泣く泣く西の方へ引張られて行きました。……脚気で足腰が立ちまへんのになア――先生あれやつたら今にも衝心《しようしん》で死ぬかもわからへんよつてに、助けてやつてか!』 と云うてくる。そんな時には仕方がないものだから、巡査に追ひ立てを食つて居る病人を電信柱の下から拾つてくるのであつた。  又或時には土方の人で、人を助けることが非常に好きな人があつて、東須磨の橋の下に年寄が冬中蓆を吊つて独り病気で困つて居るから助けてくれぬかと云うてくる。『市役所に頼んだらどうか』と云ふと、『市役所に頼むやうならおまいの所に頼みには来ぬ。おまいの[#「おまいの」は底本では「おまへの」]所であつたらどんな病人でも神さんの子として取扱つてくれるけれども、市役所に渡つたが最後、芥屑か何かのやうに面倒臭がられて虐待されるから、おまいんとこで世話してくれなければ、己は自分で世話する』と云ふ意気込みで頼みにくるのである。  その頼みに来た男も金に困るといつでも栄一に借りに来る男であるから、栄一がその老人を世話することを断ると恰度裏の喧嘩安と同じで、自分に持て余して、世話をする為めに金が不足になると、とどのつまりは栄一の所に金の無心に来るので、結局は栄一が世話すると同じことになるので栄一は世話をすると云つた。然し老人の世話は神戸養老院の富島のぶえ女史がいつでも世話してやると云ふ固い約束があるので、その老人に乞食根性さへ無ければ、いつでも世話して貰へるものだと思つてゐた。  富島女史は、老人の心理には明るいものだから、乞食に出たことのある老人は世話しても甲斐が無いと口癖のやうに云うて居た。それは養老院に居てもすぐ脱け出して憐みを乞ひに人の戸口に立つのが病気になつて居るからであつた。  今迄に栄一は毎年少なくて三四人の老人を富島さんに送つた。富島さんはそれを親切に世話してくれた。富島さんは看護婦会の会長をして居るが、殆ど独力で十八九人を収容することの出来る養老院を維持して居た。  富島さんは信仰の厚い婦人であるから、栄一は富島さんに色々と教へられた。富島さんは責任を重んじて、栄一の世話した老人が死亡すると何時でも知らせてくれた。そしてお葬式などでも栄一が貧民窟で出して居るやうな貧相なお葬式と違つて、ちやんと寝棺に入れて立派なお葬式を出すやうにして居られた。或時栄一の世話した老人が富島さんが有馬の修養会に行つて居る留守で死んだ。栄一は報せを受けて養老院に飛んで行つたが、有馬で電報を受けた富島さんもすぐ飛んで帰つた。然し富島さんの着くのが遅いので、お葬式は栄一が司会で済ませて、棺は門口まで出た。そこへ富島さんは車で駈け付けた。  そして我母の棺にすがるやうにして、棺の側に跪いて祈つた。その荘厳な姿に栄一はポロリと涙を落した。そして養老事業の如きは富島さんのやうな人でなければ出来ないと、つく/″\考へたことであつた。  富島さんは伊予の人で、高等小学校を卒業するとすぐ数へ年十五の何にもわからぬ時に、何もわからずと親の定めた自分より十三も年の上の男の所に嫁いで行つた。然し愛もなにもないので、その家に三日居てすぐ飛び出して、勉強に行きたいと神戸に出たなり、夫と別居して、二十五年になるのである。不思議にも夫と僅か三日一緒に居たその間に子を孕んで、その男の子を産んだが、子供と云ふのはその子ぎりで、その後富島さんは貞操を守つて、男には近づかないで、たゞ一生気の毒な老人を世話することに全力を注いで来たのである。  栄一は富島さんのローマンスを富島さんの口から聞いて、富島さんを一層尊敬した。そして何か知らないが、自分の妻となつてくれる人がありとすれば富島さんのやうな気高い魂の持主であつて欲しいと思つた。  富島さんは少しも美貌の持主ではなかつた。そして年齢から云つても、栄一とは十四五も違つて居た。富島さんに対して恋愛と云ふ観念は起り得なかつたが、富島さんのやうに崇高な性格の持主に向つては、たとひ彼女が美貌の持主で無くても、必ず栄一は抱き込まれて了ふことは強く感じた。栄一は富島さんに大事にしてもらつた。一枚の着物で居てはよく無いからと云つて、袷と羽織を貰つたことがあつた。シヤツの洗濯もしてもらつたことがあつた。そんなに親切にしてくれる度毎に栄一は、今更の如く女に接触して全く新しい或物を富島さんに発見するやうになつた。それは所謂、賢婦人と云ふものは、富島さんのやうな型を云ふのだと云ふことがわかつてきた。  富島さんに可愛がられて居る間は、女に対する不浄な考へは起さうと思つても起すことが出来なかつた。その愛の緻《こまやか》なこと、そして痒いところにまで気がつくこと、老人の世話の行き届いたこと、その一々に対して、栄一は富島さんのやうな婦人を妻とすることが出来るならば、百人の鶴子や千人の小秀を得るよりも幸福であると感じた。富島さんの家へ行くと、きちん[#「きちん」に傍点]とした日本趣味に彩られた馥郁《ふくいく》と匂うてくる或高雅なものがあつた。栄一は富島さんに於て、初めて日本婦人の尊敬すべきものであることを知つた。  美貌を抜きにして日本婦人の尊敬すべきものであることに気が附いて見ると、栄一は貧民窟の女性の中に、実に多くの尊敬すべき女性が居ることを発見した。戸田のおかみさんも確かにその一人であるが、淫売し乍ら猶且親孝行ものとして尊敬せられて居る、おまつは栄一の尊敬する一人であつた。  栄一はおまつが親孝行だと云ふので、わざわざ会ひに行つた。吾妻通六丁目の二畳敷の下の筋の西の端から二軒目の家が、おまつの家であつた。おまつは日向で母親の短かく切つた髪を櫛で梳つて居た。おまつは盲目の女親と二人の息子と四人で住んで居た。盲目の女親は二人の孫に代る代る杖を曳いてもらつて乞食に出るのを栄一は見た。然しその盲目の女親におまつが新川で評判になる程孝行であるとは栄一もあまりに気のつかぬことであつた。  おまつを栄一はよく知つて居た。然しその盲目の女の娘であるとは、尋ねて行くまで知らなかつた。おまつは淫売であるに係はらず少しも毒性な所がない。そして石野の嬶のやうに悪びれて居らない。栄一に対しても少しも卑屈でない。近処の評判がまた馬鹿によい。それはおまつは病身な亭主を長年世話して、最近まで操を守つて悪戦苦闘して、亭主が肺病で死ぬまで燐寸会社の女工として働いて来たのであつたが、亭主が死んで間もなく、父親は死ぬ、自分も夫の病気に感染して床につくやうになり、一家全滅の浮目をみることになつたが、その間を母親は乞食に出て漸く支へてくれたので少しおまつの病気も善くなつた。然しおまつはもう工場に出る勇気もなく、それかと云つて、盲目の母親の乞食して来た米と金で養うて貰ふわけにも行かず、二畳敷で内職するとまた身体が弱くなるし、結局、凡てに行詰つて、たうとう決心して、寺の前に石野の嬶などと一緒に立つやうに決心したのであるが、その時には一家四人が一日泣き暮らしたと、おまつは云うて居た。浅薄な道徳論から云へば、おまつを尊敬するのは誤つて居る。然し栄一はおまつを訪問した時に、おまつを尊敬せざるを得なかつた。娼婦の凡てが毒婦でないことを栄一は知つて居た。それは栄一の母が芸者であつたから、栄一はキリスト教信者が芸者を頭からぼろ糞に云ふ時にいつも反抗心に燃えて居た。娼婦の中にも尊敬すべきものがある。栄一の母などは確かにその一人であると彼は信じて居るが、栄一はまた貧民窟のおまつの中にそれを発見した。  おまつは淫売婦となつてから未だ一ヶ月半だと云うて居た。栄一はあまり可哀想だから、淫売婦をやめてくれ、僅かのことであれば何とかするからと云うて帰つて来た。その後おまつはまた病みついて一月とたゝぬ中に死んだが、栄一はこの気高い娼婦をも少し愛してやりたかつた。  尊敬すべき女は貧民窟にも沢山居た。十七年間木賃宿住ひをして病める夫を養ふ為めに女易者をして居る木村いくと云ふ女も、栄一は豪いと思つた。  おたまさんと云へば、葺合新川で誰知らぬことない親切な、よく人を世話をする西本のおかみさんであるが、此人も尊敬すべき人であつた。  栄一は男を尊敬することを知る前に、日本の女と貧民窟の女を尊敬することを知つた。  然しその栄一の尊敬する日本の女は、栄一に恋を与へてくれなかつた。 [#7字下げ]三十六[#「三十六」は中見出し]  栄一の健康は充分回復して来た。  それで栄一は充分恋愛に耐へ得ることゝ思うた。然しいざと云つて惚れるやうな女も手近には無かつた。小秀の外に美しい女も二三人貧民窟を見る為めに栄一を訪れて来た。しかしそれはみな人の妻君であつた。栄一は師井のやうに、人の妻に恋するだけの勇気は持つて居らなかつた。  さうかと云つて、樋口さんに恋する勇気も出なかつた。それはかう云ふ理由である。  去年の夏の末のことであつた。筒袖の浴衣を着た貧相な書生風の男が、大雨の日に突然栄一の所に頼寄つて来た。その男は喜田と云つて見付きの若いにかゝはらず、年の行つて居る男であつた。斜視《やぶにらみ》で色の浅黒い男であつた。何事にでも知つたか振りをする男で、凡ての事に議論のある男であつた。栄一には最初余程教育のあるようなことを云ふものだから、彼も可哀想に思うて世話することにした。そして神戸印刷会社の吉田又平氏に依頼して校正に入れて貰ふことにした。  処が校正をさせて見ると彼は何にも知らないので、中学の四年生を途中退学したなどと云ふことも、全く疑はれるやうになつた。ところが、此男は真面目に栄一の仕事を助けるものだから、栄一は少しは此男も信用が出来ると思うたのであつた。一月たち二月たつ中にそろ/\此男の素性を現し始めた。それは此男が病的詐嘘狂である為めに、何事によらず嘘を製造することであつた。  然しその嘘が実に巧妙なもので、殆ど誰だつて一度は欺かれないものはないのである。その最も非道いのは、彼が印刷会社の工場に這入つて居乍ら、関西神学校に入学したと故郷の友人に手紙を送つて居たことであつた。その友人は故郷の中学を出て警部補になつて居たが、喜田が伝道界に志したのを祝賀して自分も伝道界に立ちたいと云ふ決心を持つて一月に二週間の休暇を取つて遥々山陰道から出て来たのであつた。丁度その時学校も冬期休暇であつたが、喜田はその友人を欺いて自分は冬期休暇を利用して、自活の道を立てる為めに、印刷会社の校正に行つて居るのだと信ぜしめた。三月になつてその友人は一家族を全部引纒めて神戸に出て来た。それは喜田の紹介で関西神学校に入学するためであつた。故郷を出てくる前に勿論彼は警部補の職を抛ち、家具家財を売払つて、伝道界に一身を捧げる為めに凡てを犠牲にして出て来たのである。ところが出て来てみると何ぞ知らん喜田はたゞの校正で、神学校に入学して居るなど云ふのは真赤な嘘で、彼は八月から三月に至るまで半年以上も、手紙を幾十本となく出したか知れないが、その度毎に『関西神学校にて』と署名して友人を欺いて来たのであつた。そして正月わざ/\調べに来られても、彼は充分欺き得たのである。之をみても如何に彼が虚偽の天才であるかゞ知れるのである。  喜田が嘘付であることはその友人もよく知つて居たが、まさかこれ程まで大きな嘘をついて一家を全滅せしむるやうな事はあるまいと思つたのであつたが、短慮であつたのが失策で、その友人はひたすら、新見に縋つて来たので、栄一は喜田一人を世話して弱つて居る上に三人家族の喜田の友人まで世話せねばならなくなつて大いに弱つた事があつた。喜田の嘘の程度は此話を以つて知ることが出来るが、小さい嘘なら、いくらでもある。  栄一が路傍説教から帰つてくると、喜田は何を思ひ付いたか、すつと出て行つて、一時間程して帰つて来て、今そこで呉の海軍部内で有名なクリスチヤンである浅田と云ふ海軍少佐が軍艦から上つて来て路傍説教をして居たので助けて居たと云ふ。栄一にも是非浅田少佐の路傍説教振りを見て来いと云ふ。それで栄一は急いで喜田の教へてくれた南本町四丁目の角に行つてみたが、誰れも居らない。狐につまゝれたやうな思ひをして帰つてくると、喜田は真面目になつて、 『もう散会して帰つたのでせう』 と云うて居る。  ところがその翌晩も、喜田は同じことを云ふ。人の善い新見はまたそれを信じて、見に行つたが、矢張り誰れも居らない。それで栄一は全く訛されて居るのだと感付いたが、まだその反証をあげることが出来なかつた。然しあまりをかしいものだから軍艦が這入つて居るか否か海岸に行つて見たが、軍艦は影にも見ることが出来なかつた。然し猶間違つたらいかぬと思つたから葺合の築港の張番をして居る巡査に尋ねて見た。巡査は、そんなことは少しも知らぬと張子の虎のやうにかぶりを振つて居た。  それで喜田にそのことを云ふと、 『それでは、あの人は違つて居たのか知ら……私は確かに浅田海軍少佐だと思つたが……』  こんな曖眛な答をして居る。こんな調子で喜田は病的に新見を欺き、彼の周囲に近寄る凡ての人に偽つたのであつたが、彼が嘘付き病の患者であることを知る前に随分長く暇がかゝるので、是れまでの多くの人々は完全に彼の術中に陥るのである。  その中にも、新見が樋口さんに就いて喜田から教へられたことなどは、虚偽の創作としては完全なものであつた。  喜田は云つた―― 『樋口さんは決して乙女ではない。今迄に数度男を慥へて横浜の方へ逃げて行つたことがある。そして子供を一度産んだ。然しすぐ死んだので、彼女は今は独身生活を送つて居るのだ』  栄一は喜田の云ふことを信じなかつた。然しそれが全部嘘であると云ふことの反証をあげる事実を樋口さんの場合は持つて居らなかつた。之が栄一をして、樋口さんに近寄らしむることを恐れしめた最大の原因であつた。  樋口さんは、老けて見える。如何にも喜田の云ふやうに一度子を産んだ女であるかも知れない。  樋口さんは賢婦人であるやうに見える。然し喜田の云ふやうに裏面に於ては醜悪なる夜叉のやうな情欲が潜伏して居るのかも知れない。  喜田は樋口さんを毒婦のやうな奴だと云つたが、或はさうであるかも知れぬ。さうすると余程警戒せぬと、樋口さんの術中に陥るかも知れぬ。そしてもし樋口さんの術中に陥ることがあれば、樋口さんが、今日までに慥へた多くの印刷職工の情夫が、栄一に脅迫にくるに違ひない。さうすると実にうるさい。  それで誠に善い事は樋口さんに接近せぬことであると考へた。  樋口さんが宗教的に熱心であればある程、栄一は彼女が、喜田が云ふやうな過去の罪悪から懺悔して更改の生活に入る為めであるやうに思はれた。然しそれがまた栄一には怖かつた。  喜田の言葉が真実でありとすれば、樋口さんと満一年間も交際をして居るに何か問題が起りさうなものだに、樋口さんは相も変らず忠実に教会にも出てくれば、世話もしてくれる。然し喜田の話を聞いてから、その世話をしてくれるのが恐ろしかつた。さうかと云つて女の柔かい感情の中には何とも云へぬうれしさがあるので、樋口さんから離れて行くことは辛かつた。西洋人のやうに桜色の肌をして、髪の縮けた樋口さんが、福々しい下膨れの頬をして、細目に澄み切つた黒い瞳を漂はせて、いつも沈黙勝ちで、人の気のつかぬ事を一々弁じてくれる女らしい温かみは、栄一の周囲になくてならぬものであつた。  もし万一、樋口さんが結婚でもして、他所へ行くことがありとすれば、栄一の周囲には大きな欠陥が出来ると云ふことは、栄一も充分気がついて居た。  さうかと云つて恋にする程の勇気はどうしても新見には起らなかつた。妹のあき子さんに恋をしてみようかとも思つた。然し美しい娘ではあるが姉だけ冴えた性格の持主ではなかつた。姉は独立独歩したいことをすれば善いのだと彼女の父が云うて居る位であるから、実にしつかりして居るのである。それで喜恵子がジヤン・ダークのやうに思へる勝気な健気な、そして女らしい女だと云ふことは栄一の頭から離れなかつた。こんな女を妻に持つ人は幸ひだともよく思つた。世話女房としては樋口さんのやうな間違ひのない女も珍らしからうと思つた。それで、自ら進んで何人かに仲介の労を取つて、結婚をさせてあげやうかとも度々考へたこともあつた。然し飛び切りの美人と云ふのではないし、身分としては印刷会社の女工である関係上、巡査以上には紹介は出来ぬと考へたこともあつた。  然し貧民窟に居ては交際も狭いし、知つて居る人々の範囲も限られて居る為めに、樋口さんに善い配偶も探してあげる機会はなかつた。それで樋口さんはあんな立派な、たしかな人だから、自分手に配偶を探すであらう。長く教会にも来て居るから、虚栄心はないし、多分善良な優良職工の妻にでもなつて行くのだらう、さうすれば理想的の家庭が出来るわけだと、栄一は一人できめてゐた。  然し栄一の実際の心理を更に奥深くたち割つてみれば、栄一はまだ結婚する勇気を持つて居らなかつたのだ。小秀は去り、鶴子は消えても、自分が嘗て鶴子に約束した言葉が未だ残つて居る。それは鶴子の為めに何時までも待つと云ふことであつた。  その後、鶴子が東京の高商出の金持の青年と結婚して横浜に行つたと云ふことは、阿波を巡廻して居た聖書売の春木から聞いたことであつたが、まだ外の女を恋することが自分の心の貞操を破るやうに考へられてならなかつた。  男のエヴアンゼリンになつてやらう。エノツク・アーデンのやうに女が貞操を捨てゝも、男の方が、女子より、より純潔であり得る証拠を立てゝやらうと云ふローマンチツクな考へも多少あつた。自然主義文学に書き現されて居るやうな処も偶に心の奥底に起らぬでもなかつたが、それは栄一の心の全部ではなかつた。彼にはローマンチツクの方面や、偽善であるかも知れぬが禁慾をなし得る部分が更に強くあつた。  それで少なくとも此処一二年間は女を思はぬ生活をしてみようとも考へてみた。鶴子は自分を離れて行つて了つた。それで心の律法から云へば、栄一は解放せられて居るのである。他の女を恋することに何等差支へないのである。然し、今度新しく恋する以上は鶴子以上に美しい女に恋するのでなければ、馬鹿らしくて恋は出来ぬと思つた。  小秀は美しかつた。然し矢張り考へてみると中世紀式の美人で鶴子のやうにルネサンス式の強烈な美は与へてくれなかつた。今考へてみれば小秀の美にはもう栄一は飽いて居る。職業的の美にはすぐ飽きがくる。小秀はお白粉と頬紅つけると肌が美しいから、よくお白粉がのびて実に美しくみえるが、素顔で見ると色は真青で、毛穴に垢が溜つて見る眼も気の毒な程であつた。そして教育が充分無いだけに眼球が固定して居て、鶴子のやうに自然的な美しい表情が出来なかつた。  それで小秀は矢張り島田髷を結はして座敷に据ゑて置けば美しいが、活動させるとすぐ美が消えるのであつた。それに小秀としての最も損害は乙女らしい生の感情に欠けて居たことであつた。鶴子は我儘でおきやん[#「おきやん」に傍点]であつても乙女の美を持つて居ることは間違ひの無いことである。  さうすると女の美しいと云ふ時期は実に束の間であることを、栄一はつく/″\思ふのであつた。つまり昔から『鬼も十八、蛇の目も二十歳』と云ふが、人間の美は十八の蕾時から丁度花の綻んだ頃が最も美しいのだと生物学的に考へさせられるのであつた。  その頃には乙女の肉体も実に美しく発達して肉体の一つ一つの曲線が凡て無限曲線をなし、凡て造化の即妙を極めたものである。然し二十を越えて、理性が勝つてくると、美しく盛り上つた大理石の彫刻よりも猶華麗な脂肪で膨らんだ絹のやうな皮膚の無限曲線が、有限曲線に変り、不秩序屈線に代つて、少し皮膚はたるみを帯び、眼瞼には三角形の皺が先づ現れてくるのである。  此時にはもう女の美は過ぎて居る。  さう思ふと、乙女の美を永遠に所有しようと云ふことは、水の上に流れる月の影を捕へるやうなものである。それとも水の上の月影を捕へる冒険を敢てしたければ、ヴエルテルのやうに乙女の肌より、乙女の肌へと急行列車で移つて行くより仕方が無い。然しそれでも、美を所有することが出来ない時に、自己破滅を択ぶより仕方が無い。  然し、そんなことを云つて居れば、乙女の肌に永遠に触れることは出来ない。美は永遠で無くても善いのかも知れない。乙女の肌に触れることは、永遠でなくても善いのである。しとやかに降る五月雨に濡れて麦の穂が成熟するやうに、乙女のしとやかな大理石のやうな腕に、一時抱かるれば麦の芽は成熟するのである。実際五月雨のやうに一時濡れることによつて人類の元気は凡て回復する。乙女こそ五月雨である。人類の前途を永遠に祝福するものである。  かう考へると、乙女で無ければ恋が出来ぬやうに考へられる。そして最も美しい乙女を探がして恋することが出来るならば、それはいと幸福なものであると新見は考へたのであつた。  それで、ビアトリスのやうな天女が現れてくるか、グレツチエンのやうな乙女で絶世の美人が現れてくるでなければ、恋は臨時中止だと心の中で決定して居た。  こゝに美しい乙女がひとり居た。それは樋口さんの下に働いて居た製本女工で今橋玉枝と云ふ今年数へ十六で、まだ満十五歳にならない娘であつた。樋口さんのやうに桜色をした皮膚の持主ではないが、色の白い面長の美しい鼻と、大きなパツチリとした眼の持主であつた。顔の形としては新見は今迄みた女の中で最も愛くるしい顔だと思つた。  然しまだ肩上げをした縞の筒袖に、牛若丸の結つて居るやうな桃割の髪を結うて栄養不良の為めに、いつも青白い顔色をして、痩せた細い身体に穢い穢い幅の狭い帯をして居るのが、何処となく磨けて居らないやうな気がした。  樋口さんは、新川へ来出した初めから自分の部下をよく連れて来たが、玉枝さんは最近に印刷会社の製本所に入社したと見えて、まだ何にも知らぬ可愛い子供であつた。  新生田川を隔てゝ貧民窟と反対の側に沢山小さい長屋が並んで居るが、玉枝さんは新川部落ではないが、川西の旭通の長屋から印刷会社に通勤して居た。  新見は、その顔が好きであつた。  然しその顔に対して恋を起すことも出来なかつた。それは子供を訛すやうな気がしたからであつた。  兎に角、新見は暫くの間、中性で居ることに決心して居た。そしてその中性主義は少しも苦しい中性主義ではなかつた。 [#7字下げ]三十七[#「三十七」は中見出し]  四月から高見友弥は東京芝区白金明治学院の神学部に入学することになつて上京した。村山佐平も神戸の関西神学校に入学した。  高見のことに就いて高等刑事がまた尋ねに来た。誰から聞いたか加島と云ふ洋家具を販売して居る男が、自分も社会主義で新見と同一意見を持つて居るものだと云つてやつて来た。相当の年輩の男で立派な顎髯を生やして板垣退助のやうな顔をして居た。よく話をして居ると此男がKやOの事件の有つた時にスパイの役を務めて居ると噂せられて、神戸に逃げて来た男だとわかつた。それは音無が栄一によく云うて居た。それで栄一は警戒して何にも云はなかつた。  その翌日また高等刑事が来て『昨日社会主義者の男が来なかつたか』と尋ねる。『来なかつた』と云ふと『いや来た筈だ』と云ふ。 『来た人は有つたが、Kの事件の時にスパイの役を務めた男だと云ふのが来た。あの男が社会主義なのかそれは知らなかつた』と云ふと、『どんな話をしたか』と尋ねるから『家具はどこで作る』とか、『洋家具の善いのは、日本で出来ない』と云ふような話をしたと云ふと、まだその外に話はなかつたかと云ふ。話はあつたが、加島が一人で喋つて居て、自分は少しも喋らなかつたと云ふと『あの男は社会主義者か』と尋ねるから、『社会主義と云つたのは君ぢやないか』と答へると、それは失礼したと云つて謝つて居た。  喜田は友人を訛して面目ないものだから、栄一の家を出て川西に下宿して相変らず印刷会社に通勤して居た。喜田の友人は妻君を国元に帰らせて、大阪の神学校に這入つた。人の善い男なものだから、喜田に対してあまり怒りもしないで、 『もとから、あんなに嘘を付く病気を持つて居たが、矢張り年がよつても直らぬから駄目です。あの男も一生あれで頭上りはない』  かう云つた切り、別にくよ/\もしなかつた。  喜田も、その友人も出て行つたが、すぐその後に安川と云ふ中学を半途退学した男が世話になつて来た。栄一は貧民窟の人を多く救済するよりか、貧民窟外のもので、栄一に縋つてくる中流階級の落武者の救済に多くの金と時間を取られるのに弱つて了つた。  彼等が貧乏人になつて了はぬ為めに、彼等の救済に努力をすることは、実に必要なことであつた。然し彼等の中には貧民窟の無頼漢にすら、見られぬ悪い奴も偶にはあつた。英語乞食の古賀や浜井は露骨でまだ善い方であつた。九州に帰るから金をくれと云ふから、三の宮停車場まで送つてやり福岡まで切符を買うてやつて、金一円を小遣銭としてやつた。すると時間が来てプラツトホームに這入ると云ふ段になつて、『一寸用事があるから』と云つて、切符を栄一に返し金一円はそのまゝ懐中に入れて姿を消すやうな男もあつた。  数日たつて後、その男は、神戸新聞の『ハガキ通信』の処に栄一の悪口を並べたてゝ、『新見は偽善者である。外国人から金を取つて慈善を切り売りするものである』と酷評をして居る。栄一には彼の心理が全くわからなかつたが、彼が現金が欲しいのに切符を与へたのが悪かつたのかと判断に苦しんだのであつた。 『外国人に金を貰つて、慈善を切り売りする』考へてみればさう取られないこともない。たしかに外国人に金を貰つて居るのも事実なれば、月に百円そこそこしか無いから小さい会計で切廻して居ることも事実である。  慈善は賞めたものでは無い。それが社会改造の根本に触れたものでないことは栄一もよく知つて居る。慈善のやうな膏薬で、内臓の病気を栄一は直さうとは思つて居らない。栄一は慈善の為めに慈善をして居るのでは無い。それで今日迄一文の金だつて寄附してくれと云つて金持の所に行つたことはない。今日迄の恵与資金は、ピアソン夫人にしても煉瓦会社の重役にしても先方から義勇的に醵出したものである。それを以つて栄一は自分の周囲の人々に出来るだけ親切でありたいと努力して居るのに止まるのであつた。  世話をして罵るものも沢山あつた。うかれ節の市公は不景気で誰れも語らせてくれないものだから栄一を脅喝するのである。『貴様は貧民を食ひものにして居る偽善者だ――俺たちには麦飯食はせて、銀行に沢山貯金してるのやろ』と罵しり、栄一の留守に蒲団を質入して隠れて了つた。  すると、すぐ警察の刑事に掴つて、警察の監房に打込まれた。すると、市公は飽迄、その蒲団は栄一に貰つたのだと云ひ張つて、司法主任に栄一を呼び出してくれと頼んだ。それで栄一は市公の云ふことを承認して、救ひ出してやつた。そんな恥かしいことをしたからもう栄一の家に居らぬと思ふと、そこはづう/\しいものである。また平気で栄一の家の飯を食つて居る。出て行けと云つても行く処はなし、働けと云つても跛ツこでは働くわけには行かず、栄一は――小鳥を飼ふ位の気で――この種類の人間の屑を養うてやるより仕方が無いと考へて、別に居坐りに反対もしなかつた。  上杉はブルドツクのやうに膨れて居た。折々昔彼の妻になつて居た女が彼と縁を切つて仲居に出て、今は相当の男の後妻に据つて居るのを脅迫に行つて、金を絞り取つて来る話をして居た。之等の人々は新見の教をよく聞いたが、生活に困ると色々妙なことを考へ出すのであつた。  栄一の家に這入り込むと人々は仲々出なかつた。栄一も家内のやうに思うて親切にしたから生活難はないし、動かうとはしなかつた。上杉が栄一の世話になつて、宿賃がたゞだと云ふことを触れたものだから、上杉のやうに置いてくれと申込むものが頗る多くなつた。栄一は蒲団のあるだけおいてやつた。来るわ来るわ毎日四五人の申込があつた。然し栄一は被救護者の定員を十六名と限つて、それより以上は救済しなかつた。強ひて割込まうとするものもあつたが、栄一は断乎としてそれを謝絶した。さうすると、救はれることが権利のやうに考へて居る人達は、大きな声で栄一を罵つて帰つた。 『耶蘇つて、何がこんなものが耶蘇ぢやい? 尻《けつ》でも食へ! こら耶蘇!』  そして入口で、大きな放屁をして帰る。  こんな時に栄一は救済者の悲しみをつくづく考へた。人を救はなければ、こんなに悪口を云はれる必要もないのである。自分一人が自分だけ構つて居れば、人は何とも云ひはしないにと、物思ひに沈んだ。栄一が救済事業をして居るのを売名だと云つて罵つて帰るものもあつた。少しことのわかつた男は社会主義者が云ふやうなことを云うた。 『金持ちは、ありあまつた金をチビツト[#「チビツト」に傍点]だけ貧乏人の所に持つて来て、施しをして名誉を得たいために新聞に出してもらふのぢやが、だし[#「だし」に傍点]に使はれる己達は善い迷惑ぢや』  栄一としては貧民をだし[#「だし」に傍点]に使つて、それで名誉を買はうと考へるやうなことは考へて居らぬ。それなれば、栄一が有名になる為めに貧民が永遠に残されなければならないのだが、栄一は貧民が無くなる運動をして居るのである。その為めに、貧しい人達の心理も知り生活や経済状態をもよく知つて置く必要があるので、貧民窟に住んで居るのである。然し栄一は根柢に於て救霊者である。栄一はその場凌ぎの社会政策や、場当り社会革命説が、人類永遠の生命を救ふ道でないことを知つて居る。それで、人間をドン底から救ひ得る神の力はどんなものであるかを見んために貧民窟に来たのである。それで栄一は貧民窟に於ては、貧しい人々に革命せよとも云はなければ、金持だけが悪いとも云はない、たゞ救の道だけを説いて居る。それは人間の本能から性格、智能に至るまで、凡てが新しい道に更改する必要があることを説いて居るのである。つまり外部的な力では人間社会が救はれないから、内的に働く神の力を信じたいと云ふ彼の宗教心が、彼をいつも導いて居るのであつた。  それで栄一は貧民窟のドン底に最も醜悪な人間性を見ると共に、人間性には決して諦めをつける必要が無い程、強い或ものがいつも湧いてくるものであることをみたのである。どんな悪漢も貧民窟でよく凝視すると善人であつた。どんな淫売婦でも正視すると栄一自らよりも優れた至純な或ものを持つて居るのであつた。  そして生のドン底に相愛もあれば、犠牲もあり、神が人類を見捨てゝ居らぬ証拠が充分見えたのである。  三十を越えた性格の破産者の為めにすら神はまだあきらめをつけて居らぬことを知つて栄一は、人類の改造がたゞ外面の経済革命だけから来るのではなく、この深く/\横はる生命の地下水から来ることを幻を見るよりも猶明かに正視したのである。  栄一の施しの行為はそこから出たのであつた。それはたゞの救済事業の為めの救済事業ではなかつた。隣人への跪拝の印としてたゞ心尽しにして居るに止つた。それで金が無くなればすぐやめる気で居た。それで栄一は病人の世話と子供の世話に重きをおいた。その他は凡て友人として自分に接近してくる人々を世話したに止まつた。それで名誉心を買ひたいとも思はなければ、貧民が永遠に有つて欲しいとは一度だつて思つたことはなかつた。栄一は神の贖罪事業の補助者として働いて居るのであつた。それに何故人々が永遠に罪と暗黒に閉ぢ込められて居ることを希望出来ようぞ。  栄一は罵るものに罵らせた。栄一はそれをいつも善い方に取つた。そしていつもそれに対して感謝した。 [#7字下げ]三十八[#「三十八」は中見出し]  篠田の呉れた四百円とピアソン夫人の五百五十円の現金が銀行にあつた時は善かつたが、毎月五十弗を米国から送金して貰ふことになつてから、月によつて到着が十五日も二十日も遅れることがあつた。そんな時に葬式でもしなければならぬ事でもあれば、栄一はどんなに心配したか知れなかつた。或時栄一は十六人の家族を抱へて財布にはたつた[#「たつた」に傍点]七銭しかお金の無い時があつた。勿論米屋は貸してくれるが、惣菜を買ふ金が無かつた。  五月雨は路次にしとり/\と降つて、空は灰色に低く懸つて、今にも息がつまるやうに感ぜられた。心の中にも五月雨が降つて、今にも泣き出したい位であつた。  そこへ松蔵が二部教授の昼からの課業に出席する為めに、学校行の道具を持つてやつて来た。 『先生、銭おくんなはらんか? 清書の紙を買ひまんね』 と云うて来た。 『いくら?』 『一帖五銭だんね』  栄一は五銭の白銅を松蔵に渡して、後に二銭銅貨の一枚を財布に残した。そして静かに跪いて祈つた。祈つた後、彼は村山佐平や市公の真似をして、蒲団を質入しようと決心した。それで小降りになつたのを幸ひに、貧民窟の内儀さん達がよくやるやうに蒲団を肩にかけて高下駄を穿いて質屋に行つた。質屋に行くと栄一の知つて居る、おかみさん達や、子供等が五六人も居た。連日の雨で食ふものが無いので、あるもの全部を質屋に持つて来て居るのである。質屋の番頭はあまりものも云はずに、 『安うおまつせ――四円八十銭持つて帰つておくんなはれ』  栄一は黙つて居つた。四円八十銭あれば大いに助かるからであつた。  栄一は質屋から帰つてくると、北本町の二畳敷から『鬼のお婆』と呼ばれて居る女が『子供が死んだけど、お金が無くてお葬式が出来まへんよつてに、葬式するお金を借しておくんなはれ』と云つて待つて居た。栄一は手に四円八十銭握つて居たが、その中四円五十銭を黙つて、鬼のお婆に渡した。  鬼のお婆は、鬼のやうな顔に笑を浮べて飛んで帰つた。栄一は何の為めに質屋に蒲団を持つて行つたのかわからなかつた。上り框の上に身を投げて大の字になつてねてゐた。眼から涙が出て頬へ伝つて落ちる。  栄一の涙の向うに見えるのは、鬼のお婆が世話をした赤ン坊である。その児が栄養不良の為めに腸カタルを起して、もう危かつたことは貧民窟を巡回することを日課のやうにしてゐる栄一もよく知つてゐた。その子は貰ひ子で、栄一はその鬼のお婆が貰ひ子殺しであることも、近処の人々から『鬼のお婆《ばん》』と云ふあだ名をつけられて居ることも知つて居た。  そして現在世話して居る嬰児が死ぬ時には必ず栄一に頼みに来ると云ふことも知つてゐた。それは栄一が巡回する度毎に『先生お頼みします』と繰返して居たからであつた。  然しまさか栄一が一文なしで居る時に、その子が死ぬとは思ひがけなかつた。運が悪いと云ふのはこのやうなことを云ふのだと栄一はひとりで眼を瞑《つぶ》つて考へた。  さうすると、夕方雨の中を富島のぶえ女史が、被布をきて傘をさして路次に這入つて来た。 『よう、今日はどうして? 何用?』 『まア上らして貰ひますわ』 『何の用ですか?』 『今日はあなたが困つて居るだらうと思うて少しお金を持つて来てあげたのです……嫌ひでせう』  かう云つて富島さんは微笑んだ。富島さんはいつも気のつく人であるから屡々五円なり十円なり小遣にせよと云つて栄一にくれたが、今日も栄一の困窮を察して金を持つて来たのであつた。そしてまた十円札を紙に包んで置いて行つた。  栄一はこんなことを幾度、幾十度となく繰返し経験した。一文もなく、もう人を助けることが出来ないと思つて居ると、人の好意や何かで金が廻つて来て、兎に角自分の小さい群を飼ふことが出来るのであつた。  鬼のお婆は屑拾ひに出て居たが、あちらの男と喰付き、こちらの男と一緒になり、お婆と呼ばれても四十の坂を一寸越えただけであるから頻りに発展して居た。最近は海賊と一緒になつて居たが、その男が監獄に行つたのでお婆は困つて居た。そして、先の貰ひ子のお葬式が出ると、すぐ後のものを貰つた。それは僅か金五円と一ツ身の着物四枚しかついて居らなかつたが、上の六平さんから廻つて来たものであつた。沢山の人手を、くぐつて居るので、鬼のお婆の手に渡つた時には殆ど寿命の無いものであつた。おも湯ばかり呑まされて殆ど梅干の実のやうになつて居た。  栄一はその子を背負うて屑拾ひに出る鬼のお婆の後姿を見た時に尋ねた。 『鬼のお婆(かう云つても返事をした)、またその子を貰ふのかい!』 『わたし、いややと云ひましたんやけどな、六平さんが無理に押付けまんね……もう弱つて死にかけとりまんねがな、先生……』 『男の子かね? 女の子かね?』 『男やつたら善いんだがな、女の子だんね。女の子は育て易いのだつけどな』  貰ひ子殺しの間では、男の子は育てにくいと云つていやがる習慣がある。栄一はそれを知つて居るから、鬼のお婆は冒険したなと思つたがあまり詮議だてせずに、その時は黙つて帰つて来た。  それから二三日経つて、栄一は鬼のお婆のことは全く忘れて了つて居た。  カンカンとお日様の照つた如何にも夏が来たと思はれる或日のことであつた。巡査がやつて来て、栄一に三ノ宮警察署に出頭するやうと云うて来た。栄一は警察署に行くのが、大嫌ひであるが、何のことかと思つて行くと、司法主任は栄一を軽蔑したやうな調子で―― 『横川おりゆうと云ふものをお前は知つて居るか?』 『覚えがありません』 『それでもお前の宅で厄介になつて居ると云つて、本人はさう申立てゝ居るが』 『へえ?』 『それぢや、鬼のお婆と云つたら知つて居るだらう』 『その人ならよく知つて居ります』  栄一は鬼のお婆の本名をその時まで知らなかつた。 『鬼のお婆は、窃盗をしてな、未決の方に廻すことになつて居るからな――あの連れて居る子供を、お前に引取つて貰ひたいと本人が云うて居るが、どうする?』  栄一は子供のことを忘れて居たものだから、さう問はれた時には何の用意もなかつた。 『その子は此処に居るのですか?』 『ウン、母親と一緒に監房に入れてある……元来入れられん規則になつて居るンやけどな』 『……………………』 『いや、もしも、おまいの方で、あの子を連れて帰るのがいやなのなら、かまはんのやけどな……そら、こちらにも処分する方法はいくらもあるのやけど……昨夜からその子は咳が出て具合が悪いのや……おまいの方で受取らなければ仕方が無いから孤児院に送らうかと思うて居るのや』 『本人はどう云うて居ります?』 『本人はおまいに引取つて貰つてくれと云うて居る』 『それぢや、私はそれを引取ります……その子を私に下さい』  司法主任は部下の巡査を呼んで、赤ん坊を監房から出してくる様に命じた。やがて、巡査は妙に似合は無い手附きをして、赤ん坊を腕に抱いて奥から出て来た。  栄一はその子を受取つて、帰る段になつて尋ねた。 『一寸お尋ね致しますが、横川はどんな窃盗をしたので御座りませうか?』 『ウム、あまり、たいした窃盗と云ふまでのことでは無いのだがね――屑拾ひに行つて居て、干してあつた木綿の腰巻を一枚盗んだのぢや、……前科が三犯あるのでな、それで帰れんのぢや……』  栄一は『腰巻一枚で監獄行か』と心の中で反問し乍ら受取つた子供の顔と巡査の顔をヂツと見較べた。『それは横川りゆうの罪だらうか? 社会の罪だらうか? 腰巻一枚の窃盗? 警察と云ふ仕事も実に厄介な仕事だ』と考へ乍らお辞儀もそこ/\にして栄一は警察署を出た。  栄一は警察の門を出た。サア大変だ。今日からお母さんだ。然し栄一はお母さんになつたことが一面に於て非常にうれしかつた。  栄一は、百日足らずの赤ン坊を両手で抱いたり、背負つたりして新川の方に帰つて来た。赤ん坊は夏になつて居るのにまだ綿入を着せられて居る。而もその紅木綿の着物は垢でゲト[#「ゲト」に傍点]/″\になつて居る。それを負うて遉がの栄一もよう電車に乗らなかつた。そしてまた中道筋のやうな賑かな筋をもよう通らなかつた。それで栄一は電車道を考へ込んで、トボ/\と歩いた。背中の子が泣く。片手に持つて居る哺乳器の中のコンデンスミルクを溶かした水がだぶつく。泣き出した子供はなか/\泣きやまない。名前を呼んで、すか[#「すか」に傍点]さうと思つても、名を知らない。泣き止まないのは病気だからに違ひない。さア困つたことだ、赤ン坊に一日附き切りで居らなくてはならぬ。  栄一は自分の内に帰る前に下の二畳敷に立寄つて乞食のお春に、赤ン坊の名を尋ねた。  乞食のお春は親切にその子の名前が『おいし』と云ふのであることを教へてくれた。  おいしはどうしても泣き止まない。それで仕方が無いから、田沢のお医者さんの所に連れて行つた。  田沢先生は、眼鏡の上からその子を見て、 『この子は、貰ひ子やな……どうもさう思うた。貰ひ子は一寸みただけでわかる。栄養不良だからすぐ判る。(体温器を取り上げて)オヽ四十度二分ある! この子は、ひよつとしたら[#「ひよつとしたら」に傍点]助からんか知らんなア。  新見さん、あなたは子供を育てたことがあるのか?……ね、乳を解くことを知つて居るのかね……おも湯などを此子に飲ましたら死んで了ふぞな……お乳もな、出来るだけ生乳をやるが善いが、それが出来なければ鷲印のコンデンスミルクを薄く解かして、時間をきめてやるが善い、濃い程善いやうに思うて濃くする人があるけれども、それは間違ひですよ……こんな百日も経たぬ子供の時には、お乳は出来るだけ薄くなくてはいけないのですよ、それもな、瓶の中をよく洗つてやつて飲まさな、すぐ腸を悪くするから気をつけんといかん、ゴム管もよく洗つてやりなさいよ。  それから、この子は熱が出て居るから、あまり動かさんやうにしてな、少し冷やしてやらないかんですよ――負うたり抱いたりしないやうにな、ひよつ[#「ひよつ」に傍点]としたら二三日の中に危いかも知れんから。もしやのことがあつたら直ぐ云うて来て下さい。診察てあげるから。この子は余程腸がいたんで居るから余程気をつけてやらんと育たんな、まア大事にしてやりなさい』  かう田沢さんは親切に云ひきかせてくれた。云うてくれた一々の注意事項はよく頭に這入つたが、それがキチンと出来さうにも思へない。貧民窟の人々が赤ン坊をよう育てない理由が今更の如くはつきりしてくる。  栄一は竹製の椅子を二つ向ひ合せて竝べて、それで寝台を作つて十七畳の間の東の端の壁によせて、『おいし』を寝かせて見守つた。  嬰児は眼を閉ぢたまゝ眠つて居る、小さい赤らんだ顔の額には沢山な横皺がよつて居るが、頬の所だけはむくみ上つて、何とも云へぬ可愛らしさを持つて居る。二つの唇はM字形とW字形を二つ合せたやうに、小さく結ばれて、花の蕾のやうに見える。眉毛は味噌髯のやうに薄く生えて居る。顎は殆どまだ出来て居らない。然し可愛い輪廓をして居る。頸の所に皮膚が重なつて一本筋が這入つて居る。  何にも知らずに『おいし』は眠つて居る。多分おいしはまだ人間の世界に眼醒めて居らないのかも知れない。熱で呼吸が苦しいか肩の先を揺がせて呼吸して居る。五分、十分、栄一は嬰児の顔を凝視して居ると、嬰児の顔は実に平和である。まだ人類堕落の烙印は顔に現れては居らない。皮膚は羽二重より緻やかで艶がある。鼻がちよびツ[#「ちよびツ」に傍点]と面の中央に盛り上つて、可愛らしい小さい穴が二つあいて居る。その穴が何とも云へない愛らしさと色合を持つて居る。熱の為めに内側が一寸赤らんで居る。少し苦しいか頸を左右に振る。栄一は病める嬰児を見て、ほんとに天の使と云ふのはこんなものであらうと感心して居た。  栄一は何物にも勝つて美しい面白いものを天から貰つたやうに思つた。芸術としては人間の子より面白く出来上つて居るものはない。犬の子でも可愛いから、人間の子が可愛いのはあたりまへである。  栄一は世話が面倒臭いから、司法主任が云ふ通り孤児院に送らうかと思つて見たが、無二の芸術品を手に入れたと思ふと手放すのが惜しくなつた。兎に角それが栄一の手にある間は栄一はこの子を自由にすることが出来るので、夜抱いて寝ようと、キツスしようと、背中に負はうと、おいしは栄一に取つては一つの完全な玩具である。貧民窟に居て色んなことに飽いて居た時でもあるし、女にも縁の遠い時でもあるから、女に子を孕ますことなしに、子を産んだことにして――否、男に飽いて臨時に女になつたことにして、おいしと二人で浮世を放浪して居るやうな気分で居られるなら、どれだけ仕合せか知れないと思つたから、氷で冷したり乳を溶いたりすることが実に面倒なことであることを思ひつゝも、嬰児と離れることが堪へ難いことと思はれた。  栄一が警察署から赤ン坊を連れて来たことを家のものは誰れも知らなかつた。義母も岸本の老夫婦も知らなかつた。然し教会の中でピーピー泣くものだから、老爺が見にやつて来た。そして吃驚して居る。 『先生、それはどこの子だす』 『わたしの子や、お爺《やじ》さん』 『先生冗談仰しやつてはいけませんよ、どうしたんですその子は』  それで栄一はその子供の栄一の手に来た順序を話した。お爺さんはお婆さんを連れて来た。そしてお婆さんは義母のお久を連れて来た。恰度キリストを拝みに来た三人の博士のやうに、嬰児を囲んで子供の批評が始まつた。 『栄一さんも、物好きにな』  かう義母は云つてそこを立つて向うに行つた。嬰児の泣かない時は、栄一は側の机によりかゝつて、『預言者エレミヤ』の伝記を書いて居た。警察から連れて帰つて来た最初の晩は『おいし』もよく眠つた。そしてあまりに手数のいらないので悦んで居た。  然し二日目の晩も三日目の晩も夜通し泣き通したので栄一はほと/\弱つて了つた。側に寝て居る三公も、市公も、上杉もブツ/\云ふし、松蔵までが、 『その子はほんとに八釜敷い子やな、うち眠られへん』と云ふ。  市公は市公で、 『先生、そんな子、ほつて[#「ほつて」に傍点]しまいなはれ、そんな子なんか育てたつてあきまへんでや』と云ふ。  上杉はまだ非道い、 『殺してしまつてやろかな。八釜敷いな』と云ふ。  栄一は一人で、真夜中に七遍も起きて、氷を換へたり、襁褓を換へたり、乳を溶いて飲ませたり、あまり泣くので抱き上げて、眠つて居る人に喧しくないやうに路次に出たりして終夜煩悶したのであつた。その時に栄一は心から母たることの困難を考へた。この子一人でもどれだけ手数と労力と心配のいることだらう。母はそれを黙つてしてのける。真夜中に七度も八度も起きて、お襁褓を換へたり乳をのませることは労力だと思つたら出来る仕事では無い。全く本能で無ければ出来ないと思つた。さう思ふと女の仕事の如何にも高貴なものであると云ふことをしみ/″\思はれるのであつた。  四日目の昼の間、神学校に通訳に行くので子供を誰かに世話して貰はねばならなかつた。義母は世話するのはいやだと云ふし、岸本のお婆さんは子を産んだことが無いから嬰児に触るのは怖いと云つて手出しをしない。  それは一度預ると、栄一が永遠に依頼すると思つて居るらしいのである。  それで栄一は自分の背中に赤ン坊を背負つて学校の教室に現れようかとも思つた。昼の間はあまり泣かないものだから、抱き上げて誰か下の二畳敷にでも、栄一の留守の間なりとも世話してくれるものはないかと思つて戸口を出かけると、河津のをばさんに会つた。それで河津のをばさんに、その話をすると、河津のをばさんは、いと易々と自分が子守をしてやると云うてくれた。 『な、内の坊主が、いつも先生のお世話になつとりますよつてに、先生の御役に立つことでおましたら、何でもおいひ付けなしておくんなはつたら、いたしますさかいにな』  内の坊主云々と云ふのは、河津の長男を元町の雑貨店に丁稚に世話してやつたことを云うて居るのである。  栄一は此時に地獄で仏に会つたやうにうれしかつた。そして喜び勇んで学校に行つた。子供から離れて見ると、子供の無いことも幸福であつた。子供が有つても幸福で、子供が無くても幸福な生活を栄一は両側から観測してみて、ひとりで笑つた。その晩嬰児は夜通し栄一を一睡も寝かさなかつた。下痢が激しくて、熱が高くて、氷がすぐ解けて了つた。栄一は或は今夜中に、何か変動がありはしないかと心配した。それにはお葬式代を持つて居らない。  栄一は眼に涙を浮べ乍ら、またいつもよくするやうに嬰児の顔を覗き込んだ。おいしと栄一はイシマエルとその母ハガルのやうに今水の尽きたカデシの荒野に彷徨て居るやうに思うた。アブラハムに追はれたハガルがイシマエルをそこに抛げつけて、狂乱の中に神に絶叫したやうに、栄一は今にも息の切れさうなおいしをそこに置いて狂乱の中に、神に絶叫するより道はなかつた。 『アタエルロイ』――『神は見給ふ』と云つて、狂乱のハガルには救の綱が与へられたが、栄一とおいしの悲願には神も容易にお答へになるとはみえなかつた。  神は見給ふ神であるか? おいしは全人類の弱きものの表現である。そして[#「そして」は底本では「そした」]栄一は救ふべき位置に立つものの表現である。救はるゝものと救主とのゲツセマネの園であると、栄一はさう考へた。  おいしは不意に泣きやんだ。そして揺り動かしても醒めなかつた。脈を取つてみると、底の方に沈んで少しもわからない。止つて居るのではないかと心配した。 『サア大変だ』 『おいしが死んだ』 『神様、おいしの死ぬのは未だ早う御座ります。おいしは死ぬ可きものではありませぬ。こんなに、私が自分の瞳のやうにして可愛がつて居るのに、それをもぎ取りなさるのはまだ早う御座ります』  かう云つて、栄一は祈つた。  十分、十五分経つた。近所の時計が一時を打つ、厳粛な時の刻みが容赦なく進行する。栄一は一人闇の中で、泣いて居た。誰れもその涙を知らなかつた。神様もその涙を知つて下さりさうもなかつた。それで栄一は自分の悲しみをおいしに半分負担して貰ふ積りで、右の人差指で、自分の眼の涙を受けて、おいしの小さい閉ぢて居る両眼に擦りつけた。さうすると――  あれ、あれ、おいしが――死んで居た筈のおいしが声を立てゝ泣き出したのである。  栄一はおいしを四ヶ月世話してゐた。夜は向隣りの河津のお婆さんに抱いて寝てもらつた。  横川りゆうは、品価三十銭もすまいと思はれる腰巻一枚を盗んだ計りに、懲役一年の刑に処せられた。栄一は、おいしの生みの母を探して居たが、兵庫県武庫郡の或村の靴直しの私生児だと云ふことがわかつたので、その方に引取つて貰ふ交渉を開いて、四ヶ月目にその方に引取つて貰つた。 [#7字下げ]三十九[#「三十九」は中見出し]  松蔵が赤痢で入院したので、栄一は一種の社会悪に対して憤激を感ぜざるを得なかつた。  栄一が貧民窟に這入つて三年になるけれども伝染病の消えたことのない貧民窟に赤痢位いのやさしい病気で憤激するのもをかしいが、今年の夏の貧民窟の伝染病と云へば、殆どお話にならぬ程非道いのであつた。冬からチブスが絶えなくて、裏の安さんのおかみさんがやる。その西隣りの芥挽きの綱野の夫婦がやる。それから向ひ側に飛んで女侠客のおしんがやる。栄一の筋では栄一の西隣りの淫売の小梅がやる。うかれ節の市公がやると云ふ順序で、此附近だけでもその伝染力の甚しいことは譬へやうもない程であつた。その後綱野の一家族と、おしんの一家族は全部避病院行きと云ふ始末であつた。  死亡者も頗る多くあつた。チブスと知らなくて、たゞ風邪でもひいた積りで居て、充分養生もしなくて死んだものも沢山あつた。ペストとか痘瘡とか云へば、大騒ぎする当局が、ほんとに人を殺す伝染力を持つて居るチブスの場合には何等対応策をしないのである。  赤痢病の場合でもさうである。赤痢は、南本町の方から流行して来たのであるが、松蔵が伝染するまでに避病院には新川部落から二十数名のものが送られて居たのである。松蔵が送られた時などは病室は満員で、一室に六人も居たところを八人這入り、附添人はみな病人のベツトの下や廊下で寝て居た。  栄一はそれを見て、全く驚いて了つた。いくら四等の施療患者でも、こんなに詰め込まれては反つて他から伝染する怖れがありはしないかと思つて。  貧民窟では、避病院へ行けば、すぐ注射して重い病人は殺して了ふのだと云ふ評判が専らであつた。それで近所のチブス患者――特に裏の高利貸のお種さんの娘などがその善い例であるが――医者にもかけず、高い熱で頭の髪の毛が全部ぬけても避病院には行かぬと云うて居た。若い看護婦でチブスに感染して死ぬものは最近三四人もあつたと聞いた。  岩沼松蔵が赤痢に感染したのは僅か一日の間であつた。前日松蔵は海水浴から帰つて来て、『惰い』と云つて寝て居たが、その晩から筒抜けのやうに下痢を始めた。栄一は松蔵と一緒に寝て居るので自然彼れの看護を最もよくせねばならぬ地位に置かれた。一昼夜に三十六回、松蔵は便通があつて、二十四回位の時から便が赤くなつた。それで赤痢だと云ふことがすぐわかつた。それで次の日の午後四時頃であつた。田沢の老人を呼びに行つて、見てもらつたが、診察して貰ふ必要もなかつた位であつた。それで田沢のお医者さんからも市役所に電話をかけて貰ひ、自分も交番所に訴へ出て一刻も早く、松蔵を避病院に入れる手続をしようと思つたのだけれども、市役所は、なんぼしても通じない。今日は土曜日でみんな早引けで、受付け一人しか居らぬから、何にもわからぬと云ふ。そんなことはないと云つて、後からまた田沢さんのとこの電話を借りて、市の衛生課に直接電話をかけると、迎へに行く人夫も幌車もみんな一台残らず出て了つて、とても今日の間に合はぬと云ふ。  貧民窟のやうな人口の密集してゐる所だから一刻も早く引取つてくれねば駄目なのに、そこには一日も抛つて置くつもりなのである。その翌日は日曜日である。松蔵は教会の真中に寝て居る。それで集会は出来ない。それで朝からわい/\云つて市役所に電話をかけたり交番所に走つて行つても、午前中はたうとう何の音沙汰もなかつた。午後一時、二時、四時、五時と待つたが、人の影さへ見せない。その間に松蔵は何十回となく『おまる』の所に坐る。そして、終ひには、おまるの上に立ち上る勇気もなくなつて、栄一がブリキ製の便器を寝て居る儘あてゝやらなければ出来ぬやうになつた。午後六時過ぎになつて、交番所から巡査がやつて来た。 『新見さん、[#「新見さん、」は底本では「新見さん。」]今、市役所から電話が懸かつて来ましたがね、今夜も避病院から迎へに来れないさうです。なんでも人手が少ないのに患者があまり多いので、申込順に取つて行つても、人夫と車が足らないのださうです』 『それなら市役所は、人夫と車を、なぜ増加しないのだらうか』栄一は心の中で反問した。最も恐ろしい伝染性を持つて居る伝染病患者を貧民窟に捨て置いて、三日間もそのまゝにして置くと云ふのは何と云ふ不都合なことであらうと憤懣に堪へなかつた。  日曜日の晩の十二時頃であつた。医者とは見えぬ詰襟の洋服の上に消毒服を着た男が巡査ともう一人普通の洋服を着た男と三人で栄一の家を尋ねて来て、二人は庭に立つたまゝ、そして医者と見える男だけは座敷の上にあがつて来た。医者は畳の上に坐りもしないで、中腰になつて病人を見下ろして、 『矢張り、具合悪いですか?』と尋ねた。  栄一は妙な尋ね方をする男があつたものだなと思つたが、あまり理窟も云はず、 『ハイ』と答へた。  その儘、その男は庭に降りて他の二人のものと帰つて行つた。 『不愉快な検疫官だなア』と栄一は思はず心の中でさう云うたが、官僚の仕事と云ふものはこんなものかと思つた時に、栄一がイエスの弟子でなければ擲り飛ばしてやりたいと思つた程であつた。  月曜日の午前九時頃になつて漸く、幌の懸つた病車と四人の人夫が来た。子供がわい/\とそれについて来た。病車の上から消毒用のバケツや石灰などを降ろして、二人のものは岸本の老爺さんに井戸と便所とを聞いて居る。  いつも汲む井戸に石灰を入れようと云ふのである。  河津のをばさんは――おいしを預つてくれて居るので、おいしを背負つて、新見の家に飛んで来て、河津の裏にある井戸は教へないでくれと老爺さんに耳うちをして居る。  人夫の二人は、松蔵を車に乗せる準備をして居る。栄一は人夫等に心附けをとらせねば親切にしてくれぬことを知つて居るが、生憎お金の持合せがない。それでやらずに知らぬ顔をしてほつて[#「ほつて」に傍点]置くと、人夫は顰め面をして、ゴツ/\して居る。  栄一は松蔵を背負うて表に出て、岸本の爺さんが車の上にのべてくれた蒲団の上に松蔵をねかせ氷袋を額の上に置いてやつた。 『病人の使用して居たものは、みな持つて行くんだよ』  かう人夫は荒い言葉で云つた。  それで栄一は松蔵の使用してゐたものを凡て車に積んだ。 『誰が附いて行くンや?』  車が少し出かけてから、人夫は叫んだ。  栄一は『私です』と家の中から答へた。栄一は持つて行くお金がないから義母に、お金を借りる所であつた。惶《あわ》てゝ栄一は飛び出して来て、病車の側を静かに歩んだ。栄一は殆ど泣き出しさうであつた。  病車は夏の日の塵埃の多い中を、徐々《そろ/\》[#ルビの「そろ/\」は底本では「そろそろ」]と動いた。栄一は浴衣が無いので、紺の絣の単物の上に細い兵児帯を締めて看護に疲れた足を引きずつて行つた。夏の日はかん/\頭の上から照りつけた。病車の幌の中に臥て居る松蔵は苦しいので呻いて居る。車の前後に居る人夫は新川を出てから一言も栄一にものを云はない。それで栄一も色々のことを考へ乍ら、お葬式の行列にでも加はつて居るやうな調子で、黙つて歩いた。  会下山の避病院は立派なものであつた。三等以上の病室は羨しい程であつた。然し四等は満員で附添の人々はみな廊下に寝るのであつた。  それは惨憺たる光景を呈してゐた。松蔵の隣りの病人はもう死にかかつて居た。四等は室代も食費も無代償であるが、附添人を雇はねば病院の様子がわからぬから、大抵の人々は附添人を持つてゐた。栄一は余程附添婦を頼まうかと思つたが、一日一円二十銭だと聞いて、よう頼まなかつた。それで隣りの死にかゝつた患者の附添婦に色々と教へて貰つて、病人に無くてはならぬ、茶碗、箸、水を飲ます千鳥、水枕などを買ひ整へて来た。隣りの附添婦は消毒法を教へてくれた。ブリキの便器はかうやつて消毒するのだとか、茶碗は廊下で洗つて消毒せよとか、氷は札を貰つて氷庫から取つてくるのだとか一々丁寧に教へてくれた。それで栄一は疲れた足を引ずつて、長い廊下を走り廻つた。  栄一が可哀想に思つたのは、附添人の附いて居ない病人であつた。こんな人にこそ義勇的な特志看護婦のやうなものが附いてあげると善いと思つたが、その人は同室の附添人が好意で色々と世話をしてあげて居た。然し、水の飲みたい時に要求するわけには行かないし、気の毒に思うた。貧乏な人々は三人で一人附添婦を雇うて居た。  栄一は堅い後の凭れかゝるところの無い、小さい椅子に腰をかけて、病人を見詰めた。出てくる時に惶てたものだから書物もなにも手にして来なかつたのである。それで絵もなにも掛つて居ない病室や白壁や、無風流に吊り上げられた白木綿のカーテンや、垢で濁つて居るリゾール水の這入つた盥――それから松蔵の枕元の黒色のブリキ板に貼られた温度表などへ――病人の顔を見詰めることに飽くと視線を移して行つた。病室は実に蒸し熱い。栄一自身が嘔吐を催して来た。看護婦がアイスクリームを配つて来た。それを栄一は貰つて松蔵に喫べさせた。松蔵はなか/\元気である。  夜は更けた。栄一は余分の蒲団を一枚も持つて来て居らない。土曜日の晩から睡眠も充分に取らずに看護したのと、病人は一先づ避病院に連れ込んだので、安心して、宵から実に眠い。廊下に出て、何人の蒲団か知らないが、その側に足をのばさせてもらつて、蒲団に寄りかゝつて善い気持になつて居ると、いつとはなしにうと/\とする。うと/\しかけるとその蒲団の持主がそれを何処かに運び去つて了ふ。その蒲団が何処に運び去られたかを、充分見届けるだけ眼が覚めてゐない中に、先より少し蒲団の山が低くなつたので、倚りかゝるに少し心持が悪くなつたが、相変らずそこで人様の蒲団に倚りかゝらせて貰つて居ると――睡眠の乞食だと自分に云つてみて――また十分か十五分すると、その次の蒲団の持主がそれを運び去る。最後に一枚だけ残つた時には、その上に倒れることがあまりその蒲団の持主に気の毒なので遠慮して、松蔵の足元の処に椅子を持つて来て、ベツドの方に倒れて眠らんと努力した。然しそれは全く無効であつた。肺の悪かつた栄一には呼吸を苦しくすることは神経を尖らかす基であつた。眼が覚めたので、松蔵の顔を見て熱をみて、氷を換へて、椅子に凭れると、また睡い。松蔵がベツドの上で安心してよく眠つて居るのが、羨ましい。注射がよくきいたか松蔵の便通も今夜は余程少ない。  また廊下で眠らうかと思つて廊下に出ると廊下は隙間もなく競争的に地上権を争つて蒲団や茣蓙蓆が敷きつめられてある。その上には既に横になつて居るものもあつた。十二時過ぎに便所に行かうと思うて廊下に出ると、鰡《ぼら》を竝べたやうに看病人と附添婦で一杯になつて居て、細い道が足元の方にあけてあるが、歩いて行くのに余程困難であつた。看病人は寝る所がないので大廊下の方まで溢れて居た。また多くの室々にはベツトの下に附添の男女が寝て居た。  それは恰度野戦病院で負傷者を今収容したと云ふ光景であつた。栄一が悲惨と感じたのは此光景であつた。栄一はその光景を見て考へた――『なぜ市は昼日中病人の看護に当つたものをこんなに虐待するだらうか? 金がないからと云へばそれ切りであるが、現在栄一がその看病人となつて来て、その光景を見、また自分がその廊下にさへ寝ることの出来ない不運な人間であることを思ふと、一体人間と云ふものが共同生活を送るときに、金持だけは余つた空間を病室に持ち、貧乏人は馬のやうに立つた儘、避病院で眠らねばならぬかと思ふと、何かそこに世界に間違つたことがあるのではないか』と考へざるを得ないのであつた。 『今日の市政が間違つて居るのか、社会が間違つて居るのか、それは問はなくても善い。兎に角人間の心が根本から間違つて居ることは争へない事実である』 『私が一等室か、二等室に這入る事があるなら、屹度廊下に寝てゐる人々の一人か二人を呼び入れて寝させてあげるになア』  それで、一等や二等の病室の前を通る度毎に、栄一は怨めしさうに覗いて行つた。  それから栄一は、新川の衛生状態を幻のやうに眼の前に思ひ浮べてみた。  便所は二十軒に一個しか無く、それを汲み取るのがいつも遅れるものだから小溝にまで溢れて路次はいつも臭気で一杯になつて居る。そんな状態を捨てゝおいて、避病院を建てたり、一年幾十万円の防疫費を予算に組み入れてみても、それはなにもならないのである。  ペストの時でもさうであるが、凡ての伝染病の時にさうである。貧民窟のやうな恐ろしい伝染病の巣を焼却することを忘れ、伝染病の通知を発して三十六時間もかゝらねば来てくれぬやうな防疫官を雇ひ、消毒の行届かぬ避病院の廊下に数百の看護人を眠らせて、それで防疫が出来て居ると思つて居る市当局の頭脳には何か大きな穴があるのである。  然し、そんなことを、四等室の無料施療患者の附添人が考へても、それは空想であり危険思想であるのだ。  こんなことを考へ乍ら、栄一はまた松蔵の枕元の所に椅子を持つて来て、十二時過ぎまで、白壁と睨みごつこして居たが、一時を茫然聞いて、もう苦しくて仕方がなかつたので松蔵のベツトの下に這入つて堅い床板の上にその儘眠つた。朝、硝子障子が、青白く見え出した時に、栄一は鉄枠のベツドの下から這ひ出して来た。松蔵の熱を験べてみた。少し下つて居るので、またベツドの下に這入つた。理窟は云つても、睡気と疲労には勝てないので、伝染しても構はぬと云ふ気になつて板間の上に倒れるのであつた。  病室のものはみな六時頃眼をさましたが、その時栄一は、板間の上に転び乍ら、板間の上の生活も存外呑気なものだと考へてみた。然し四肢の筋肉が大いにすぢ張つて、脊髄が所々痛むことにも気が附いた。  栄一が顔を洗ひに出ると、昨夜は野戦病院の光景ともみられた廊下の茣蓙蓆や蒲団の列は、早や綺麗に片付いて、頭に手拭をかけた女小使が長い柄の附いた雑巾ブラシで板間を拭いて居た。拭かれた後の板間は朝の光線を受けて鏡のやうにピカ/\光つて居る。リゾールの匂がプーンとしてくる。幾十人の人々が病室から出たり這入つたりする。  誰かゞ死んだか、ガーゼを顔にあてた患者を担架に載せて、看護婦が運び去る。  氷を割る音があつちこつちに聞える。  その日栄一は病院の様子も判つたので、隣りの病人の附添婦に、松蔵をも兼ねて、見て貰ふことにして、一寸金の工面に家に帰つて来た。そしてまた夕刻避病院に引返したが、附添婦は上手に松蔵を看病して居た。矢張りこんなことは女でなければ駄目だと考へた。 [#7字下げ]四十[#「四十」は中見出し]  諒闇《りやうあん》の喪に服して、全国は管絃の音も聞かなかつた。日本は之から変るだらうと新見は考へたが貧民窟は相も変らず、凡て外側のことには無関係であつた。  此処だけには進歩の波も打寄せて来ぬものと考へられた。路次の四辻には見張をつけて百人近いものが晩遅くまで、下駄の上に蝋燭をつけて賭博をして居る。淫売婦は五分か十分置きに客を路次に喰へ込んで来た。屑拾ひは年中同じやうな時刻に路次を出て行つた。乞食も同じ顔のものが少しも動かずに煤ぶつて居た。たゞ近来貧民窟で育つた不良少年少女が男女一緒に表の駄菓子屋に寄つて騒ぐのが眼についた。  栄一は世の中がどんなに変化して行かうが――明治から大正への推移がどうなつて、政治がどう変り、文学がどう変らうが、それはあまり頓着するところではなかつた。自分の周囲に居る貧民を救うてくれない×××の政治がどう変化しようが、それは栄一にはどうでも善かつた。文学だつてさうである。日本全国の八割九割を占むる貧乏人に触れ得ない文学があつたところで、そんなものはどうでも善かつた。貴族の慰みか道楽者の玩弄物として、やれ何某伯爵が何々令嬢に惚れて、何々したとか、何々屋の坊ちやんが何々楼の芸妓と何々したとか、そんなことを栄一は文学と考へることは出来なかつた。芸術至上主義か何か知らないが、他人の家に黙つて這入つて魚を盗んで逃げ出して行く泥棒猫が屋根の上で交つたと云つて、それで芸術になるとは思はなかつた。  栄一は変ると思つた。変らねばならぬと思つた。  諒闇の暗があまりに深いだけ、それだけ日本は変らねばならなかつた。  預言者イザヤはウジヤの諒闇の年に、見神の霊覚を得たと云はれて居るが、貧民窟の小使兼番僧の新見には別に新しい霊覚もなかつた。たゞ彼は水のやうな恬淡たる生活に始終して自己の心底に映る社会万象を通じて何か新しい人類歴史の運命を観測し、神の奥儀を知りたいと云ふ欲望は絶えず持つてゐた。  貧民窟の子供を取扱ふのにも慣れて来、辻説教にも熟練して来たので、凡てに苦痛を感じなくなつて来た。健康も段々回復して来たので、簡易な生活が愉快に感ぜられるやうになつて来た。生活が愉快になつてくると、自然、生活が慕はしく思はれて来た。貧民窟の生活はあまりに単調である。まるで電線の延長されたやうなものである。趣味もなければ変化もない。女もなければ、恋もない。あるものは伝染病と、梅毒と、賭博と、喧嘩と、淫売と、殺人と、掏摸と、チンピラだけである。貧民窟には青草一本生えず、月も日も地平線から昇つたものを見たことがない。  天から雨が降つた時に、栄一はそれを奇蹟のやうに有難がつて、雨の中を悦んで跣足で飛び廻つた。栄一は特別に電光《いなびかり》が好きであつた。電光を凝視する時ほど栄一にはうれしい時がなかつた。  栄一は貧民窟に這入らぬ前に、雲の日記をつけたり、空気の色彩を研究した昔が恋しくてならなかつた。貧民窟に居ては、長屋の屋根の上に一寸青く光る空だけしか見ることが出来なかつた。  然し栄一はそれで満足して居た。  栄一は夏の子供等の為めに、家庭感化避暑と云ふのを試みた。それは大阪朝日新聞の神戸支局長の池田保と云ふ人に後援してもらつて、貧民窟の子供の善いものを中流の家庭に一週間位ゐ世話して貰ふことであつた。その間の期間は僅かであつても、貧児の神経が静まり、おとなしくする工夫が教へられると思つたからである。然し新聞によつて申込まれたものは僅か三軒しかなかつた。  然しその中二軒は下女を世話してくれと云ふのであつた。下女の世話や丁稚の世話なら栄一はもう懲り懲りして居るからと云つてお断りした。親切なのは矢張りクリスマス招宴をしてくれた人々であつた。その人々は二名三名の子供等をまた引取つてくれた。特別に弁護士の名取と云ふ人の夫人は、親切に子供を四人も引取つてくれたのみならず、他人にそのことを宣伝してくれた。  然し日本の家の建築と家庭に於ける階級制度が、どうも貧児と良家の子女とを融和せしめるに困難であり、従つて善き感化を与へることが困難であると、世話してくれた人々がみな云うた。日本は家の構造から何からすツくり粗造である為めに、貧民窟の子供等が少し荒くするとすぐ破損するので、貧民窟の子供等も窮屈で居堪らないらしい。思つたよりもみな早く帰つて来た。  然し栄一は之を失敗だとは決して考へなかつた。日本が変つて行くならば、少なくも今栄一が小さい規模でやつて居るそのことが大きな規模で行はれるやうになると考へたのであつた。  教会は夏にはいつも出席者の数が減るのであるが、今年は著しく増加して行つた。竹田のお母さんなどが一生懸命に伝道するので女の方が多くなつた。おしん、お政、河津のをばさん、竹田のお母さんの友達の正木の内儀さん、竹田の隣りの中谷の内儀さん、樋口さんにその妹さん、樋口さんの部下の梶さん、玉枝さん、富海さん、六平さんの妻君、戸田の妻君、猫のお婆さんに、岸本のお婆さん、その他四五人の若い婦人が教会に出入するのであつた。  青年も多く来たが、長くは留まつて居らなかつた。然し竹田は一生懸命であつた。その時計の針のやうな忠実さに栄一も感心してゐた。  八月の末にウイリアムス博士が休養させてやるから信州軽井沢に遊びに来いと云つて旅費まで送つてくれたので、出掛けることにした。  軽井沢は栄一の気に入つた。高原の空気は実に栄一に心持善く感じさせた。浅間の山がセピア色に旭日をうけて、白い煙が悠然噴き出て居る光景もよいが、高原のなだらかな曲線とその上に生えた秋草の美しさがなんとも云へなかつた。  ウイリアムス博士夫人は丁寧に新見を取扱つてくれた。夫婦して、碓氷峠などへ連れて行つてくれたし、妙義山にも連れて行つてくれた。栄一は我儘して離山の上に一人登つて九時間も日本アルプスの山を横ぎる雲を凝視して居たこともあつた。  最後の一週間は大人も子供も混ぜて西洋人九人の一行に加へられて浅間を北に越え、美しい楢の林の『六里ヶ原』を抜けて、草津温泉に出て、白根山に登り、吾妻郡を徒歩で出て、伊香保温泉に泊り、高崎から汽車で軽井沢に帰つて来た。  その旅行ほど愉快なものを栄一は生れてから経験しなかつた。殊に伊香保の柔かい濶葉樹の森には、乙女の肌に触れるやうな気持がした。その森に浪子が遊びに来たのだとも想像してみた。そしてそこに鶴子が居らないのは不都合だとも考へた。鶴子はもう結婚して横浜に来て居る。愚痴を云つたつて仕方がないとひとりで云うて見た。  旅行中は瑞典人で米国に帰化し、プリンストン大学を出たと云ふベエルクマン宣教師に色々面白い音楽談や紀行談を聞いた。八月三十日に貧民窟に帰つてくると、みな元気であつた。松蔵も病後反つて健康なやうであつた。 [#7字下げ]四十一[#「四十一」は中見出し]  教会に女のみ集ることが栄一には問題であつた。然し青年は向上心を持つて居る為めに貧民窟には長く止らないで出て行くが、女は向上心がないと云ふのではなからうが、女郎か仲居にでも売られると云ふのでもなければ、貧民窟から外には出ないで、自然長く教会に出るやうになるのであつた。そして男にくらべて女は移気ではなかつた。それに女は教会に来ても、貧民窟の男の人のやうに酒も煙草も賭博も、女郎買も喧嘩も一度に止めると云ふ必要もないので、比較的容易にクリスチヤンになれるのであつた。  時によると、教会の集会は女ばかりであるために、婦人会に話するやうなものであつたこともあつた。女が殖えてくると、益々女が集るもので水田の若親分の妻君も洗礼を受けることになり、花枝さんの友人の巴枝さんも受洗した。  かうして若い女が沢山殖えて行くので、何かしら独身の自分が日一日危険状態に置かれて居ると云ふことを感じた。自分は潔白であつても貧民窟には多くの悪漢も居るし、詐欺漢も多いことであるから、どんな口実を設けてどんな悪計を廻らすか知れないと新見は考へた。  国民の嘆きの中に御大葬も済み、秋風も立つやうになつた。日本全体に何とも云へぬ不安な空気が漲つて居た。去る可くして、去らねばならぬ或暗雲が国土の上を蔽ふて居るやうな気がして、毎日の新聞紙は不快な論調で書いて居た。凡てが行詰りであつた。政治も、外交も、芸術も、科学も、宗教も、凡てが形体のみを墨守して居るやうな形であつた。  淋しい諒闇のクリスマスは、栄一も金が無くて過ぐる年のやうに派手にやつて子供等を喜ばせることが出来なかつた。ただクリスマス招宴の方に力を入れて三十人近くの貧児を出村さん初めその他の善い家庭に招いてもらつた。そして貧民窟では、十七畳の狭い所に百五十人づゝの子供を続いて三晩打通しにクリスマスをした。  正月は来た。然し今年は去年のやうに、餅を人に恵む所か、自分の家にさへ餅がなかつた。それでも栄一は平気で居た。すると誰から聞いたか、養老院の富島さんが、餅を持つて来てくれた。  諒闇でも何でもお構ひなく博徒等は『ハツタリ』賭博を開帳して居た。それでも去年のやうに盛んではなかつた。 [#ここから2字下げ] 按摩さん 犬にけつまづいて 吠えられて むき出す眼玉が 真黒けのけ! [#ここで字下げ終わり]  こんな俗歌が貧民窟にはやつて来た。この歌を聞いて、栄一はいつもすぐ聯想したのは、下の二畳敷に住んで居るおぢんちやんの盲目のお父さんのことであつた。その人は盲目であつたが、パツチリ[#「パツチリ」に傍点]と眼だけはあいて居て、瞳も角膜もない、ただ青黒い静脈が幾筋か盛れ上つて通つて居る、飛び出た眼球が瞬きと共に特別によく動くことであつた。  凡てが諒闇であつた。喪章をつけるのは腕だけではなかつた。心にまで喪章をつけなければならなかつた。俗歌が歌つたやうに盲目の日本は盲目の手引きに連れられて、前途が『真黒けのけ』であつた。  この不安は何処にか爆発するであらうと思はれた。低気圧は急速に日本の島々を襲はんとして居た。  雨か? 風か?  暴風前の海は、反つて静かであつた。 [#7字下げ]四十二[#「四十二」は中見出し]  帝都は騒乱の巷となつた。群衆は議会を取り巻いた。そこから追払はれた群衆は新聞社の焼打を始めた。其号外が這入つて間もなく神戸市の暴民は桂派の代議士の私宅を襲撃した。  全市は鼎の湯の如く騒ぎ立つた。代議士の大きな屋敷の前には兵隊が沢山来て居た。巡査も一間置きに立つてゐた。多くの職人風の男や、侠客肌の男が二人づゝ捕繩に縛られて引つぱつて行かれた。  或者は菰を着せたやうに縛られて泣くやうに訴へた。 『旦那はん、繩が少しきつうおまんね、手頸に喰ひ込んで、血が出さうにおまんね、少しゆるめておくんなはれ』 『黙つて居れ、警察署へ行つたら解いてやるわ』 『非道いこと縛り上げやがつたな、こん畜生!』  かう云つて、呟いて居たのは、栄一の家に世話になつて居る片手の無い少年の兄津田勘次郎であつた。  彼のすぐ前には騒擾の巨魁と目されて、刑事が五六人も附き添ふて警察に送つて居る多賀末吉が歩んだ。  騒擾は晩の九時頃から起つたが、兵庫県選出代議士の××邸宅を襲うたのは十二時過ぎであつた。  侠客の多賀末吉と云ふ男は、痛快なよく事のわかつた男で、国民党の犬養木堂を非常に崇拝して居り、犬養の為めなら一生を賭しても惜しくも無いと考へて居る男である。浅黒い四角な顔にあまり大きくも無い茶色の眼を光らせ、手のくるぶしの所に桃の刺青をして居る。多賀は引張られて行くことを別に何とも思つて居らないらしく、刑事と面白さうに話をし乍ら坂道を下つて行つた。  その日に拘引せられたものは二百五十名を下らなかつたと云はれて居る。暴動の直接の原因はかうである。軍閥を以て誇り武断政治を以て使命とする桂太郎が宮中から飛び出して、立憲同志会なるものを組織し、九十余人のものと結党式をあげたに際して、多年国民党の侠骨漢と目されて居た××代議士が、その桂と共鳴したと云うて自党を捨て[#「捨て」は底本では「捨てて」]新政党に走つたことが、主義に対する変節だと云ふので神戸市民が彼に向つて激怒したのであつた。  ××代議士にも相当の弁解の辞もあつた。××は桂を深く信じて居た。実際桂は嘘をつくやうな人間である。  桂は自己の政治的生命の局面転回をする為に後藤新平と連れ添うて欧洲視察にまで出掛けた。そして日本に於ける官僚政治が行詰りであることを、チヤン[#「チヤン」に傍点]と悟つて居た。これ位のことが見えない程馬鹿な桂でもなかつた。  然し不幸にして桂は、過去の公生涯を通じて国民の同情を得ることが出来なかつた。国民は桂の改心を信ずることが出来なかつた。それで桂の膝下に馳せ参じた河野、島田、その他の面々はみな変節漢として罵倒せられた。河野や島田がそんなに自己の主義を滅却するに忙しい人々で無いことは国民も知つて居たが……国民は桂の改心の秘密を知ることが出来なかつたのであつた。桂には或深く決するものがあつた。それで自己の勢力を利用してその深く決する或ものを断行せんとした。それが政党政治の確立と云ふことであつた。然しそこに桂が誤れる第一の里程があつた。それは桂が自己の勢力で立憲政治が布かれ得ると考へた謬想である。  彼は得意の絶頂より失意のドン底に投げ入れられた。帝都は騒いだ。新聞社は焼打を喰つた。そしてその余波が神戸まで飛んで来た。××は善い男で、誰れでも信ずる方であるから、犬養に会へば犬養を信じ、桂に会へば桂を信じた。そして自己の発見した道程に猛進する勇気に欠けて居た。欧米にも留学して知識も相当に持つて居たが、悲しいかな、彼は評判の悪い親譲りの身代を守るに汲々として居た。それで市民の同情を受けることが出来なかつた。  彼はどんなに苦心して善事をしてもそれはみな反対に取られた。彼が慈善事業をすればそれは売名だと罵られ、学校を興せば野心を持つて居ると考へられた。満洲で発展をするとモノポリーをやると悪口を云はれ、少し儲けた金で、少し大きな門を立てると贅沢なお大名のやうな真似をすると批評せられた。  何にしても、××は一から十まで悪く取られる評判の悪い男であつた。  それで彼が評判の悪い桂の下に馳せ参じたと云ふだけを聞いて、市民はくわツ[#「くわツ」に傍点]とした。そして第一に飛び出したのが多賀末吉である。彼は夜の間に御丁寧にも数百個の卵の殼に墨汁を入れ、××の美しい屋敷のぐるりを取りまく、大きな高塀とその評判の門に投げつけて真黒くして置いた。  市民はそれを痛快がつた。多賀は警察から呼び出された時にかう答へた。 『あれは××の政治的生命が尽きたので葬式をしたのです――あれは黒枠のつもりなのです――』  それを新聞で読んで市民は大いに痛快なこととした。  二三日は問題も起らずにすんだ。その中に帝都が騒ぎ出した。それが神戸にも波及して来た。神戸にも演説会が劇場で開かれた。そして猛烈な桂攻撃の演説があつた。多くの弁士は『中止』を喰つた。それに憤激した聴衆は雪崩のやうになつて演説会場を出たが聴衆は或るものを期待して居た。  その中に、何人が云ふとなしに『××! ××!』と云ふ声が掛つた。そして聴衆は山手の方へ走り出した。  少数のものが走り出すと、弥次の連中が何千となくついて来た。そしてその先登に立つて居た十四五人の青年の多くは葺合新川の貧民窟のものであつた。  津田は美しい青年である。葺合新川には珍らしい美少年であつた。新見が津田を見る度に、ミケロ・アンゼロの『ダビデ』を思ひ出す位に、立派な顔をして居た。  津田は多賀を知らなかつた。そして桂が何人であるかも充分知らなかつた。然したゞ金持である××は憎いとは知つて居た。それは或金持の持つて居る会社で弟の定一が片手を失つたにかかはらず、その金持は彼の弟に対して、何の弁償もしないで解雇するやうな、非人道なことをしたからであつた。××はそれに関係はないかも知れぬ、またあるかも知れぬ。彼の持つて居る幾千となく違つた株券の中には木管会社の株券は一枚位あるかも知れぬ。然しその木管会社が、どんな非人道的な待遇を職工にして居るか、彼は知るまい。  また彼はその会社に全く関係して居らぬかも知れない。然し労働者は一体にいつまでも金持をよく思うて居らない――金持は気楽な生活をして、労働者は辛い目をして居る――そんな無法なことは無いと考へて居る。殊に津田は弟が木管会社で片手を落してから、特別にさう云ふ考へを強く持つて居た。それで今夜神戸一の金持をやるんだと聞いて大いに賛成した方であつた。津田は貧民窟に居る不良少年の部類に属しない仲間で、尾崎、榊、西岡、山内などの青年や少年に、やる話をした。或者は面白いと云ひ、或者は監獄に行くから怖いと云うた。そして兎に角十四五人は、演説会のある劇場まで行くことになつた。然し多賀には何にも云はずに隅の方に引込んで居た。  演説会がすんで凡てのものが表に飛び出す時に、津田の一団も外に出た。そして、何人が云ふともなく『××へ!』の声がかゝつた。それで彼等も一緒になつて走り出した。津田はすぐ一団の先頭へ馳せつけた。先頭のものは誰か知らないが赤い旗を持つて居た。先づ群衆は下山手六丁目の×××××××した。そして××の屋敷まで馳けつけた。  然し塀が高くて邸内に闖入することは出来なかつた。群衆は邸宅をぐるぐる馳け廻つて居た。その中に何人で持つて来たか大きな百五十貫もあらうと思はれる大巌が運ばれて来た。之は××の前栽を飾る為めに屋敷の東側に並べられてあつたものである。非番巡査の護衛は無効であつた。群衆はその大巌を取つて幾千円もするであらうと思はれる一枚の扉を打破つた。そして門内に闖入した。然しその中に数百の警官隊がやつて来た。門内に闖入したものは凡て掴まつた。そして津田も尾崎も榊も西岡等もみな掴まつた。  その夜の明けがたに軍隊が来た。そして翌日の新聞は昨夜の騒擾を報じた。騒擾の跡を見物に出かけるものが幾千人となく出た。  貧民窟ではすぐ津田、尾崎、榊、西岡などの掴まつたことが知れ渡つた。翌日新見の隣りの山内勝之助は、栄一に昨夜の報告を全部話した。 『勝』は中山手六丁目の××××××する頃から、津田と別れたので門内に闖入はしなかつた。  然し騒動がすむまで××の屋敷の向角にある学校の塀の上に登つて見物して居たので、津田や尾崎等の行動に就いて比較的詳しく知つて居た。 『先生、津田はなか/\勇敢でおまつせ、××の屋敷の西側に松の木がおまつしやろ――それに登つて群衆に何か一生懸命に演説して居りました。そして演説がすむと、手拭を打振つてなにか差図をして居りました。…………  尾崎も居りました。あいつは冒険好きだすよつてに……松の木から飛び移りましたのやろ……高塀の上を走り廻つて居りました』  栄一は初めて貧民窟の子供等が――実際子供等である。津田だけは漸く十七歳で、その他の多くは十五歳にもならない子供等であつた――××邸の襲撃に関係したと云ふことを知つた。  そして『何か起る、日本はこれではすまぬ』と自分に予言したことが、今、周囲の人々の間から起つて来たのを、我ながら怖ろしく思うた。そして時代が変りつゝあることを痛切に感じた。遂に貧民窟の子供等が富豪の高塀の上を走り廻る時代が来たと栄一は『時の兆』に就いて深く考へ込んだ。日本の闇は深くなる。そして栄一はそれに就いて非常に憂慮し始めた。 [#7字下げ]四十三[#「四十三」は中見出し]  玉枝さんは工場に行き出して段々栄養が善くなつて来た。嬰児のやうにきめのこまやかな頬が太鼓のやうに膨らんで来て何とも云へぬ美しさを持つやうになつた。その美しい鼻、大きな眼と、長い孔雀の毛のやうに美しい瞼毛、澄み切つた白青い結膜と、宝石のやうに光る瞳――はにかんだ時に流れるやうに廻る眼球の表情――眉の毛がきちんと並んで画に書いたやうに美しく植わつてゐる。  玉枝さんは自分の美しいのを自覚して居るか特別の恥しがりであつた。身振りを妙にしてすぐ袂で顔を隠した。栄一の処に一人で遊びに来ることだけは覚えたが、戸口の傍の格子に引附いて、なか/\中に這入らうとはしなかつた。栄一は玉枝さんが何故遊びに来たかを知つてゐた。それは栄一が遊びに来いと云うたから正直に遊びに来たのである。栄一は玉枝さんのやうな美しい乙女の訪問を受けることを此上なく幸福なことだと思つた。なんなら、朝から晩までその美しいロダンの彫刻によく似た顔を眺めさせてくれたら善いと思うた。  玉枝さんは長く格子のところに立つて居た。 『そんな処で立つて居ては近所の人が妙に思ひますから、中へおはひりなさい』  玉枝さんは這入つて来たが、黙つて墨で塗つた煤けた庭の壁に顔をあてゝどうしても栄一に顔をみせてくれなかつた。 『どうしたの玉枝さん、あなたはわたしの処に遊びに来てくれたのぢやないの?』 『さうですけれども……私……一人で恥かしいのですもの……樋口の姉さんでも来てゐらつしやるかと思つたに……』  玉枝はひとりであることをよく知つて居た。然し、あまりきまりが悪いものだから、そんなことを云うて居るのである。  玉枝はあまり恥かしいので巴枝さんを呼んで来た。そして急に快活になつた。それで栄一は三人で晩まで遊んだ。  それから玉枝はひとりで屡々晩遅くまで遊びに来るやうになつた。栄一は玉枝さんが薄い恋を栄一にして居ることに感付いた。  玉枝さんは決してそれを口には云はなかつた。然し手紙を送らなくても善いのに、頭痛がして工場を休んで家に居る時などは、母親に鉛筆で書いた手紙を持たして寄越したりなどした。  或時など『木曜日の集会によう出席しない』と云ふのが趣旨であるのに、その先に『先生の顔を見ないので淋しい』など書いてあつた。母親と云ふのは六十四五の無智な女で、少し気のふれたやうな顔付をして居た。娘が可愛いので娘の使に来た。『娘がいつもお世話になります……うちの玉枝が先生のお顔がみたいと云うて居りますよつてに、一度見舞に来てやつておくれやす』と云うて来た。  そんなに判然云はれると、栄一の方が玉枝を尋ねて行くのが恥かしくなる。  栄一はその日の午後、玉枝さんの宅を見舞つた。それが玉枝の家に這入つた初めである。玉枝さんの家は矢張り表三畳奥二畳合計五畳の家で、それは狭いものであつた。然し川西の貧民窟の外側にあるだけあつて、家もきちんとしてゐた。凡てに始末が善いと見えて障子などは旧い紙の上にきちんと貼紙をしてあつた。  玉枝は奥の二畳に寝て居たが、栄一が行くと穢ない例の一枚しか無い筒袖を着て起きて挨拶をした。然しすぐ頭が痛むからと云つて床に這入つた。 『わたし、先生の顔が見たかつたので、お母さんにお使に行つてもらつたのです』  たゞ之れだけ云うた切りで何にも云はない。おふくろさんはひとりで栄一を表の長火鉢の側に坐らせて話しこむ。 『玉枝は末子で御座りましてな、一番可愛がつてやりましたんでな、ほんまに我儘でな、なんでも自分の思つた通りせねばきかんたちでおます。……姉妹は姉だけでおましてな……こいつには去年の暮に左官屋さんを養子に貰ひましてな、それに私と玉枝とがかゝつて居ります。貧乏世帯でおますけれども、婿が達者な間はどうやらかうやら食へまんので御座ります』  玉枝はお母さんに一人喋らして、自分は何にも云はない。奥と表との間の古い襖を開けたまゝ栄一の顔を凝と見て居る。栄一も玉枝の顔を凝と見る。玉枝は微笑んでゐる。そしてまた蒲団の中に顔をつき込んで栄一の視線を避ける。  栄一は玉枝さんのお母さんを対手に話をして居ても少しも面白くないので、十分もたゝぬ中に帰つて来た。然し玉枝は可愛いと思つた。 [#7字下げ]四十四[#「四十四」は中見出し]  また春は帰つて来た。然し栄一は思つたやうな貧民窟改良も出来ず、伝道も出来ず、さうかと云つて自分もあまり豪くならず、たゞ辛うじて、貧民窟の小さい講義所の、いとも哀れな貧民伝道者として、塵箱の傍に埋れて居た。  栄一は春になつて、『貧民心理の研究』に手をつけた。それは物質の欠乏から起る色々な精神作用の変態を研究したいと思つたのであつた。貧民窟に来てから病人の看護や、伝道の傍ら少しも読書と執筆を廃したことのない新見は、『友情』を出版し『基督教論争史』の稿を終り、『エレミヤ伝』を纒め、更に『貧民心理の研究』に移つたのであつた。  彼は時を作つて図書館に通つた。それも貧窮の中から図書館に通ふのであつたから五銭の特別券が惜しいと思はれる程であつた。冬を通して、図書館の火の無い閲覧室で着物の綿が薄いので震へた。  彼は著作に経験が重なると共に落ち付いて来た。それで『貧民心理の研究』は二三年かゝつて悠然完成しようと考へた。  四月になつて彼は、友人が薦めるものだから、和歌山市に開かれた日本基督教会の浪速中会に行つて、キリスト教の伝道師の試験を受けて、伝道師になつた。然し彼は和歌山からの帰り途に、その准允状を落して了ふ程呑気な伝道師であつた。伝道師になつたので、伝道会社は彼に月給として十八円支給してくれるとのことであつた。之は彼に取つて嬉しくないこともなかつた。  そして四月から彼は神戸女子神学校で、たゞの通訳でなしに、教会歴史を正式に教へることになつた。それで月給が五円殖えて二十円くれることになつた。つまり月給は驚く可し合計三十八円と云ふ多額なものになつた。  菜食主義の彼は月に五円もあれば生活が出来た。それで、残りの三十三円は、一文も残らず貧しい人々に施して了つた。  伝道の効果は実に僅かであつた。然し教授は相当に面白かつた。竹田と『神の子』の進歩は実に著しいものであつた。それに較べて女子神学校生徒の進歩の遅々たるには驚く位であつた。栄一は今の宗教学校の制度が全く誤つて居るのだと云ふことを痛切に感じた。  貧民窟で、生活を共にして居る竹田や『神の子』は、神学校の生徒に比較して優秀な学生とは思へないに係はらず、善く覚えて、立派な思想の持主となる。それに反して、教義のみを教へ込まれて居る神学生は因循姑息で少しも延び上らない。栄一はもしも彼が校長であるならば教室を貧民窟の真中に持つて行つて、修道院のやうな教育法を採らうと考へた程であつた。  然し、自分の課業だけは一生懸命に調べて行つて、一生懸命に教へた。それで自分だけは愉快であつた。  女生徒を教へる時に、新見はいつも柔かい異性の温かい血を感じた。そしてもしも与へられるなら、自分の女生徒の中から、彼の妻として終身彼と共に貧民窟の犠牲になつてくれる人を探しても善いと思うた。  然し女子神学校の教授を手伝ひ始めてからもう一年以上になるけれども、誰れもそのやうな勇気のある女は、彼の生徒の中から出て来なかつた。  それで、栄一は、それ等の女学生と、樋口さんや玉枝さんなどと比較して見た。そして驚いたことは女学生に生気の無いことであつた。勿論女学生の中には玉枝さんのやうな美しい女は一人も居らなかつた。またそれと同時に樋口さんのやうに元気のあるハキ/\した女も居らなかつた。女学生はみな箱詰の人形のやうに、栄一に見えた。それに反して女工は自分の生活を自ら支へて居るだけ、それだけ凛々しく見えた。  それで新見は変則な学問した女より人間らしく生々して居る女工の中から、一生の好伴侶を選ばうと決心した。 [#7字下げ]四十五[#「四十五」は中見出し]  栄一はよく樋口さんの宅の聖書の講義に玉枝さんを連れて行つた。そして帰り途に玉枝さんと暗い道を一緒に帰つて来た。  玉枝は大理石の彫像のやうに黙つて歩いた。彼女は尋常五年しか卒業して居らぬ無学な女工であつた。然し鶴子よりは数等顔の輪廓の整つた乙女であつた。鶴子は豊頬で艶麗であつた。然しなんだかその美にはだれ[#「だれ」に傍点]気味があつた。そして鼻も眼も唇も額の生え際も玉枝のやうに美しい輪廓を持つて居らなかつた。玉枝は希臘の古代美人のやうな顔付をして居る。特種民の間にこんな顔の女がよくあるが、玉枝は細眼の大和民族には珍らしい眼と輪廓の持主であつた。眼窩のくぼみ具合などを見ても、どうしてもアイヌ種か白哲人種の型である。  栄一は妻を求めて居る。そして今美しい天女が、栄一の前に天降つて居る。栄一はその女を思つたやうに為ることが出来るのである。その女のお母さんも反対しなければ、娘自身も反対して居らない。否、娘は栄一を慕うて居るのであつた。  その女は若い! まだ皮膚は軟かく凡ての筋肉は海綿の上を絹で包んだやうにふんはり[#「ふんはり」に傍点]して居る。その側に歩くことでさへ幸福であるのに、彼はそれを抱き締める権利と機会さへ与へられて居る。  栄一は貧民窟の花に会つたのである。そしてこの花は今迄彼がみた凡ての花より数等美しい。玉枝は若い。玉枝は美しい。玉枝はプリスキラスの作のヴヰナスのやうだ。  栄一は暗闇を歩いて帰つてくる時、玉枝に飛びついて温かい接吻を与へてやらうかと思つた。四辻を越えて荒物店の軒先を過ぎると、店の電燈で、玉枝の顔の半分だけが美しく照らされる。その美しいこと! もし栄一が刹那に生きるものであれば、その時彼は必ず玉枝の所有を主張したに違ひない。  然し彼は手を出すことを敢てしなかつた。栄一は玉枝の友であると共に、教師であつた。  彼は乙女の崇拝者である、然しその崇拝は少しも性慾を意味したものではない。彼は唯性慾の満足があまりに瞬間的なものであることを知つて居た。それに反して、乙女の美とその至純なことを讃美することは永遠的である。  性慾を離れて、浄い心を持つて――天の使のやうな中性の――乙女玉枝に近づいて行く時に、玉枝は心を打ち開いて、彼女の奥殿まで導いて行つてくれるやうな気がする。  脇浜二丁目の樋口さんの家からの帰り道に、玉枝は、臨港鉄道のガードの下で、その董の花のやうな美しい形をした唇を開いて新見に聞いたことがある―― 『先生、あなた、奥さんをもらうんでせう……先生は婚礼なんかしないで、一生その儘で居らしたら善いのに……』  玉枝さんの言《もの》を云ふことは誠に珍らしいことであつた。然し玉枝さんがものを云ふ時には、その美しい眼を大きく見張つて、星のやうに瞬きをし乍ら、金糸雀《かなりや》のやうな声を出して、短い言葉にたつぷり艶をつけて云ふので、天の使にものを云うて貰ふ位美しいものであつた。  玉枝は、栄一に希望があつた。  それは、玉枝が栄一の愛を得られぬにしても玉枝は栄一を他人にはやりたくなかつたのである。それで玉枝が栄一をいつまでも慕ひ得るやうに独身で居てくれよとの要求であるのだ。  それに対する答を、栄一は知つて居た。一言玉枝を愛して居ると云つてやれば善いのである。  然し栄一には、それが出来なかつた。栄一に較べるならば、玉枝は子供である。年齢から云うても九つも十も違つて居る。玉枝がいくら美しいにしても……そして貧しい家庭の子供等の常として、幾分か早熟であるとしても、新見は彼女を妻として娶ることは生理的に許されないのである。  新見は、淫売婦の娘のお清ちやんとは違つて、玉枝の要求が性に目醒めた乙女の赤心から出た声であることは知つて居た。  然し栄一には、まだ満十五歳そこ/\の乙女が完全な人妻としての義務――それは生理的にも、家庭的にも、社会的にも――を果し得るとは思はなかつた。  それで結婚せねばならぬとすれば急がねばならぬ自分と、彼女のやうにまだ五年も六年も待てるものとの間に、妙な約束をしても反つて彼女の胸を痛めるやうなものだと思つたから、彼は慎んで、彼女の要求に向つては、笑つて何にも答へなかつた。  もし、玉枝がもう四つか、五つか歳が行つて居れば、栄一はどんな約束でもしたかも知れぬ。然し玉枝は今綻んだばかりの蕾である。それを霜にうたすことは堪へられないことであつた。  栄一はかう云うた。 『玉枝さん、あなたは美しいから、あなたの一生には色々な誘惑があるから、聖く強く生きなさいね! あなたがもう少し年が行つて居たら、私はあなたを充分愛してあげるのだけれども、あなたは、まだ若いでせう。それで、あなたのお兄さんとして、あなたを可愛がつてあげませうね』 『さう……あなた、私の兄さんになつて下さるの?……』かう云つて、玉枝は栄一の顔を覗き込んで来た。 『私……ほんとにうれしいわ……先生が私の兄さんになつて下さる……いや、あなたは私のお父様よ……私はね、病気になつた時でもね、これまでいつも淋しい淋しいのでしたのよ……それがね、神さまとあなたを知りましてね……ほんとに力付いて来ましたの、少し工合が悪くても、あなたのお顔を見たらすぐ直るのです……私ほんとにうれしいわ……』  玉枝はさう云うてひとり喜んで居る。  さうかと思ふと、玉枝はガードの下を潜つて、瓦斯会社のタンクの下を通る時にこんなことを栄一に云うた。 『先生、西岡つて云ふ児は悪い児でせう……先生知つて居るでせう……あの西岡つて云ふ児ですよ……あの、それ、此間××代議士邸の襲撃があつたでせう。あのとき新川の子が大勢行つたでせう――あの中に混つて居た児ですが――』 『あゝ知つて居る! 知つて居る。うちに居る津田の兄キなどと一緒に討入をした――あの児が、どうしました?』 『あの児ね、先生、私に妙な手紙を渡すんですよ、つい先達て』 『どんな手紙?』 『私、今持つて居ますわ』  玉枝は帯の間から半紙に鉛筆で書いた恋文を栄一に見せた。 『ねえ先生、こんな手紙に返事なんか書かなくても善いですわねえ?』  栄一は瓦斯会社の黒塀の隅に灯つて居る常夜燈の下で見てみると、 『恋しき/\黒木玉枝さま』と書き出して、『明け暮れ私はあなたのことが気になつてこがれ死にする程です。どうか私の願を聞いて、今度の日曜の晩築港の浜まで来て下さい』と云ふやうな意味のことが書いてある。  本字を知らぬ所は仮名で書いて、それは妙な恋文が出来て居る。 『私ね、先生、これを誰れにも云はないで、先生だけにお見せしやうと思つて持つて居たのですの……こんなもの捨てゝ了ひませうね……ほんとに、人を馬鹿にしてるわ……』  かう云つて、玉枝はそれを破つて溝の中に捨てゝ了つた。 『然し、先生、私ね、新川へ行くのがいつも怖いのですわ……此間もね「菊」つて云ふ児ね……あの豪さうにして居る、生意気な、ええ風[#「ええ風」に傍点]して居る……あの児が私の後から、追つかけて来て……私が教会へ行かうと思つて路次へ這入るなり……私の喉の処を掴へて、「サア、わしの云ふことを聞くか、聞かなきや殺して了ふぞ」と云ふんでせう。私ね、吃驚してね、声もよう立てなかつた処を他処の大人の人が来たので「菊」はすぐ逃げて行つて了つたのです。私、あの時にほんとにどうしようかと思ひましたわ……』  玉枝は今夜に限つて何から何までよく話しする。そして栄一には凡て初耳の事ばかりで、新川の不良少年の悪事を聞かされるのであつた。 『その時ね、先生、あなたの処に世話になつて居る、松さんね、あの子も菊について来て居るのですよ、そして私が喉笛の上をキユツ[#「キユツ」に傍点]と抑へつけられて、眼を白黒させて居るのを、脇の方で面白がつて見て居て、ゲラ/\笑ふのですよ……ほんとに松さんはいかん[#「いかん」に傍点]子ですよ、先生……』  玉枝はかう云つて、眼瞼を下に落して軽く怒つた表情をする。眼瞼の線がコンケーブの双曲線の形をとつて如何にも美しい。 『玉枝さん、そんなに、ひとり怒らなくても善いわ……松蔵は此処には居らないのよ……』 『オホヽヽヽヽ。私あまり腹が立つもんだから、ひとり怒つて居たわ……先生、これを罪と云ふのですね……私は馬鹿だから、毎日三つか四つか罪を作つて居るんですよ……もうこんなに沢山罪を作つて居ればイエスさまはお赦し下さらないでせうね』  玉枝は半分冗談のやうに、半分は真面目のやうに、かう云うた。  二人は吾妻通四丁目の角から上に曲つて日暮橋に出た。 『あゝ、早や日暮橋まで来た。もう先生、何時でせうね、もう九時過ぎでせうか……私、もう少し先生と一緒に居りたいわ……私は先生と一緒に居つたと云へばお母さんは少しも叱りはしませんわ……先生の処へであつたらやつてやる、その他の処へであつたらやらぬと云はれるんです』  水の涸れて居る新生田川は山手の方に薄靄がかゝつて、闇が格別に深い。両側の街路には光もなく道も見えないで、河底だけが闇の中に白く見えて居る。白ペンキで塗つた欄干が真暗がりの中に輪廓だけ鮮かに見えて、何とはなしに物凄い。 『然しね、玉枝さん、今夜はもう余程遅いから、帰つてお休みなさい。また明日は早くから工場でせう?』 『私、もう少し先生と一緒に居りたいの……』さう云つて北側の欄干に凭れて、北斗星を見上げて居る栄一の右腕を、玉枝は両手で抱いて居る。  丸山の架空線《スカイ・ライン》が濃い紺紫の夜の空に薄く見える。二人は黙つてそこに立つてゐたが、人通りはない。  新見の胸に乙女は飛び込んで来たが、新見はその乙女に手をつける勇気がなかつた。乙女を潔く守つてやりたい。こんな美しい乙女を間違ひなく立派に導いてやりたいと思うたが、恋に陥る勇気を持たなかつた。  たゞいとも美しい乙女に愛せられる幸福と悦びに動悸は早くうつた。  栄一は玉枝に、北斗星を指差したりなどして、十分位そこに立つて居たが、玉枝の宅は、すぐ近いので『もう少し一緒に散歩したい』と云ふ玉枝を無理に家に送り届けた。 [#7字下げ]四十六[#「四十六」は中見出し]  その後二三日して樋口さんが工場の昼の休みにやつて来た。そして玉枝の身上に就いて栄一に相談をかけた。 『玉枝さんは来ませんでしたか? 玉枝さんは、家があんなにつまらないもんですからね……着物でも、たつた、いつも着てゐる筒袖一枚しか無いのです。それであまり可哀想でしたから、此間私の古いのが有つたものですからね進上《あ》げたのです、なんでも、昨夜、私の宅に来て云ふのには、叔父さんが、仲居に売ると云ふのださうです、本人は勿論いやなのですが――それがまた実に僅かな金に困つた結果なのですとさ――たつた十一円の金なのです――それを高利貸に借りて払へないのださうです――その金と云ふのもね、姉さんが去年の夏チブスを患つた時に費つた金なのですつて――つまらぬぢやありませんか、そんな僅かな金に困つてね、あんな綺麗な善い娘を、だいなしにして了ふなんかね。それでわたしは、玉枝さんに云うたんです、その位の金なら、先生に云へば、すぐ出来ることだから、私も云つてあげますから、あなたもすぐに、うちから帰りに新川によつて、新見先生にそれだけ融通して頂くやうに仰しやいツて。本人はお伺ひするつて云つて居たのですが、……それぢや、矢張り恥かしいものですから、よう来なかつたとみえますね』  樋口さんは、いつもの通り髪は蝶々に結つて、ポツ[#「ポツ」に傍点]と赤らんだ美しい頬ぺたに、賢こさうな瞳を光らせ乍ら、歯切の善い口調で玉枝の身の上話をした。  玉枝が仲居に出されると云ふことは全く初耳であつた。 『玉枝さんは工場に出て居りますか?』 『いゝえ、此二三日休んで居ります……さうそ、私の宅に聖書の講義のあつた翌くる日は来ました』 『僅か十一円位のことでしたら、なんでもないことぢやありませんか! 私はまだ此月の月給を費はずに持つて居るから、それを提供しませう』  新見は懐から財布を取り出して十一円を樋口さんに渡した。 『之をね、玉枝さんに渡して下さいな。そして仲居などに行つてはいかないと、よく云つて聞かしてやつて下さい』 『自分は行かないと云つて居るのですが、どうも母親は行つてもらひたいらしいのです』 『……玉枝さんは会社では、日にいくら貰つて居るのです?』 『初め、見習の間は十六銭であつたのです。此間上つて……六ヶ月目、六ヶ月目に昇給するものですからね……十九銭になつたのです』 『それぢや食へないぢやありませんか?』 『そんなこともありませんが、やう/\食べるだけですね、風呂に這入つたり、髪結つたりして居たら足りません』 『樋口さん、あなたは失礼ですが、今いくら取つていらつしやるの?』 『私ですか? 私は会社に之でまる七年ちよつと勤めて居ましてね、六十一銭です』 『へえ、さうですか? それぢや月に十八九円になるんですね』 『いや、もつとになります。残業がありますから……残業は大抵夜の十時までありますから、分増がつきまして、さうですね、それでも月に二十四五円には平均なつて居りませう』 『それぢや私の月給より善いわ! ハア/\/\/\』 『わたしはそれを家に入れなくつて、みな自分手に費つて善いことに父がしてくれて居りますから、食費として幾分は入れて居りますが、わたしは充分それで足ります。然し玉枝さんはみんなお母さんに渡すのですつて。あの子も……さうですね、やはり残業や奨励金が少しつきますから、それでも月に九円にはなりませうね。此頃はお米が少し高いですけれども、仕末にすれば月六円もあれば喫べられますから、お小遣に三四円は余る筈です。……然し玉枝さんにしたら、それはお母さんに全部渡して了ふのですから……なんでも小遣として月に五十銭位い貰ふのださうです。……善い娘ですよ、全くあの娘は、そして随分親孝行なもんですからね、母親が仲居に行けと云へばよう断らないのです……然し先生に云つてもらへば、母親も聞くとは云うて居るのです』 『玉枝さんの姉さんの婿さんと云ふのは、どうして居るのです? 私はいつ[#「いつ」は底本では「つい」]訪問しても居らないが』 『左官屋さんでせう――私は一度会つたことはありますが……なんでも家が兵庫にあつて、こちらの家が狭いとかで、兵庫の方に居ることの方が多いのださうです……此頃も夫婦とも兵庫でせう……近頃は姉さんの姿が見えませんよ』 『さう云へば、姉さんの姿が見えませんね……その姉さんの方からは、玉枝さんのお母さんをあまり助けて居らないのですか?』 『月に幾分かの補助はして居るでせうが、足らないのでせうね』 『十一円位の金を左官屋さんは払つてやれば善かりさうなものですがね』 『矢張り金廻りが悪いのでせうね……よく堅気には働く人ださうですがね』  貧民窟は日中静かである。子供等も春の太陽がよく照らすので表に行つて遊んで居るらしい。路次は静かである。二人は話も切れたので暫時沈黙して居たが、 『私も一寸自分だけの問題なのですけれども、聞いて戴きたいこともあるのです……然し少しお暇な時にゆつくり聞いて戴きに参ります。……今日は私お昼の二十分に一寸走つて来まして、せいても居りますから、また出直して参ります。どうも有難う御座いました。之で玉枝さんも喜びませう、私はこの足ですぐ玉枝さんの方に廻ります』  かう云つて、樋口喜恵子さんはいつもの通り紺の筒袖の上張を着て日和下駄を穿いて路次を西へ走つて行つた。  その後姿を見送つて、 『いつみても、樋口さんは勇ましいしやん/\した女だ、あの女はほんとに下町風の姐御と云ふもんだ』と栄一は感心してゐた。  栄一は机によつて考へ込んだ。 『自分の問題に就いて聞いて貰ひたいことがある……それはゆつくりした時でなければならぬ……かう云つて喜恵子は帰つた……それは必ず結婚問題に違ひない……そしてすぐ自分に結婚を申込んでくるかも知れぬ……今日までの彼女の態度では……約二年半と云ふものは少しも変りなく自分の貧民窟に奉仕して来たあの勇ましい態度に対して、自分は心から敬服して居る……それで自分から進んでよう結婚は申込まないが、先方から切込んでくるなら、こちらは喜んで受ける。喜恵子は他の女と違ふ。独立した考へを持ち、独立した意志を持つた強い女である。充分自由結婚の出来る女である。あの女であれば縹緻《きりやう》は別として、女として実に立派なものである。あの熱烈な熱情の前に、私はいつでも陥落する』  栄一は貧民心理の材料を整理して居たが、頭は玉枝の身の上のことから、喜恵子のことに奪はれて仕事は少しも出来なかつた。先から先へ考へが浮ぶ。 『今迄一言たりとも喜恵子に「愛」するとか「恋」するとか云うたことはない。彼女は健康でもあるし、休格もよし、上品でもあるし、気前も善いが、たゞ一つ美貌の持主ではない。それでこちらから切込むことを敢てしないで居るが、強烈に恋せられる場合には、愛の熱度は美貌と充分相殺するものであると云ふことを考へる。美貌の女を愛して一生苦労する代りに、美貌でない気品の高い、そして奥ゆかしい喜恵子のやうな女に愛せられて、一生幸福な家庭を作ると云ふことは必ずしも悪くはない。  喜恵子は恰度薫りの高い香料のやうなものである。見る目には何の美感も与へない。然し彼女の雰囲気に這入ると、馥郁たる香気を放つて、何人をも、チヤームしないではおかないのである。そして彼女の去つた後にもまだその薫りが残つてゐる。それで喜恵子に対する愛の標準は顔の問題とは別にせねばならぬ。彼女はヴヰナスではなくして威厳の高い女神「ジユノー」のやうなものである。彼女は遊戯品ではなくして、至聖所の統治者である。何人の手に落ちるか知れないが、兎に角彼女を一生の友としたものは世界で最も幸福なものであらう。幸福か? 美か? 玉枝のやうな女を妻にすれば美しいことは美しいが、一生苦労をする。そして女は三十五六を過ぎると色香が失せるからすぐ飽いてくる。変らない美を持ち、年が寄ればよる程威厳をましてくるのは、それはどうしても喜恵子だ――喜恵子を手に入れたものは一生祝福せられる。――然し自分はまだ少し美の為めに苦労してみたいやうな気がして居る。その為めに喜恵子によう結婚は申込まない。然し喜恵子の方で「美より恋に生きよ」と要求するなら、喜恵子のやうな立派な女だから、自分は喜恵子の恋を満足させても善い――』  栄一は図書館で写し取つて来た貧民犯罪の統計を清書しようとしてみたが、間違ひだらけでどうしても綺麗に書けない。 『美より恋に生きる――つまり恋が美を吸収して了ふのである。否強烈な恋が美を征服するのだ! 百万の太陽を一緒に合せた熱度で外形的形式美を恋が溶かして了ふのだ。つまり清姫の熱が安珍の這入つて居た唐銅の鐘を溶かして了つたやうに、喜恵子が三年間通ひつめたその熱度に対して栄一はいつでも溶けて了ふ用意は出来て居るのである。恋の一念の前には美も醜もそんなものは何にもない。それだけ強烈に恋し得るものは、美の世界を通り越して、美の彼方に新世界を創造して居るのである。それで喜恵子が日高川を渡つて道成寺までやつてくるならば、彼女の前に溶けるのは誠に光栄なことである。私は安珍のやうに終りまで美の釣鐘の下に隠れて居らうとはしない』  こんなに考へて、栄一は喜美子の話次第でいつでも陥落する準備をしてゐた。  そこへ、また美しい女の下駄の音がして、やがてまた喜恵子さんと玉枝さんの二人が路次の硝子障子から覗き込む。 『先生、また参りました。玉枝さんを連れて来ました。……先程は有難う御座りました。あのお金は慥かに玉枝さんに渡しておきましたから……』  玉枝は例の如く壁の所に倚り沿うて、恥かしさうにして居る。新見が、 『玉枝さん、今日は』 と声をかけると、玉枝は慌たゞしく栄一の顔をみないで直角に体を曲げて礼をした。今日はどうしたか、いつも綺麗に結うて居るハイカラ髷を取り乱して鬢の毛がひどくほつれて居る。それを撫で上げながら、玉枝はまた、 『先生、唯今は有難う御座りました』 と急角度のお辞儀をした。 『いゝえ、……まアお二人共お上りなさい』  栄一は軽くお辞儀をしてさう云うた。 『私は之で失礼させて戴きます……少し遅れましたが、走つて行つて来ます』  樋口さんは大急ぎで走つて帰つた。玉枝はひとり、淋しさうに路次に立つて居たが、 『先生、何かお手伝が出来ますか?』 と云つて上つて来た。  それで栄一は、新聞の切抜をスクラツプ・ブツクに貼るのを手伝つてもらつた。玉枝は一生懸命に貼り乍ら、栄一の質問に対して色々答へてゐた。  そして玉枝は間に、美しい大きい玉のやうな眼を見張つて、栄一を見詰めて居た。  栄一も玉枝の顔を凝視した。  そして二人はニツコリと笑つた。 『心配はないわね、私が附いて居てあげる間は、あなたに仲居なんかさせないから――』 『私、ほんとに、生きて居るのが悲しうなつた……』  玉枝は孔雀の毛のやうな瞼毛《まゆげ》[#ルビの「まゆげ」はママ]に真珠のやうな涙の滴りを孕ませて居る。  栄一は、急がしくペンを運びながら、小さい声で讃美歌の歌を歌つた―― [#ここから2字下げ] 『やよ生命の、わび人よ 恩《めぐみ》の座に、来れや 天の力に、癒し得ぬ 悲しみは、地にあらじ』 [#ここで字下げ終わり]  玉枝はスクラツプ・ブツクの前に坐つたまゝ俯伏に泣き伏した。 [#7字下げ]四十七[#「四十七」は中見出し]  その後新見は玉枝を慰める為めに、色々と苦心した。或時にはお米一斗を米屋から運んで持つて行つたこともあるし、樋口さんの姉妹などと一緒に玉枝さんも加へて野原に遊びに行つたこともあつた。然し玉枝の頬の上に懸つた曇りは取り去ることが出来なかつた。それは、玉枝の母が続けて、玉枝を仲居にやるとか、芸者に売ると云ふ為めであつた。  栄一も之には弱つて了つた。栄一は之を救ふ道が唯一つあることを知つて居た。それは栄一が玉枝を引受けると、その慾なお母さんに云へば善いのであつた。栄一は幾度か、決心してさう云はうかと思うた。玉枝は綺麗だし、栄一を慕うては居るし、自分もいやでは無いのだから、之から女学校にでも入れてやつて、卒業する頃に結婚すれば善いのだとも思つた。然し玉枝をすぐ女学校に入れることが出来なかつた。彼女は昼の学校は尋常二年生しか行つて居らず、夜学校には五年生までしか行つて居らないのである。それも印刷会社に行くやうになつて止めて了つた。またすぐに入れることが出来たにしても栄一には充分金が無い。金があつたにしても妙齢の処女を女学校に入れて補助して居ると云ふことがわかつたなら、人は必ず疑ふであらう。新見はまるで不良少年がするやうなことをする、何もわからぬ処女を誘惑する……こんなに人には思はれるだらうと心配して居た。      ×       ×      ×  樋口さんは、その後も、新見に云ひ難くさうに、 『先達てもお願しましたやうにね、一寸ご相談に乗つて頂きたいこともあるのですけれども……何時でも善いですから……少しお暇な時に悠然お聞きして頂くことにいたします』 と云ふやうな言葉を、三四度繰返したが、悠然聞く機会も無く打過ぎて了つた。  もう須磨の桜が散ると、貧民窟の人々が噂をして居る花曇の日の午後であつた。栄一は著述と路傍説教の疲労の上に風邪をひいて、声が出なくなつて、少し発熱して居たから、教会の十七畳の間で寝て居た――枕元には栄一が冬になるとよく飲む杏仁剤の黄色い水薬の瓶を置いて。  そこへ工場を休んだと見えて樋口さんが黄縞の銘仙羽織を着て、ホンノリ赤い肌の上に薄くお白粉を頸の方につけ、髪を綺麗になでつけて、新見の見舞に来た。 『御病気はどうで御座りますか? もう少し早くお見舞をしなければならなかつたのでしたが、つい会社の方が忙しかつたものですから失礼いたしました……』  栄一は床の中に両手をついて重い頭をあげて答へた。 『有難う御座います……今日はお休みですか? あなたお珍らしいことですね、会社をお休みになつたのですか?』 『え、今日はね、あなたに御見舞旁々此間から度々お願しておきました話のことにつきましてね、是非聞いて頂きたいと思ひましたので御見舞旁々お伺ひいたしました』 『それは、よう来て下さいました』 『御病気はどうで御座りますか?』 『もう、起きても善いのですが、頭が重いし、まだ喉が直りませんから、寝て居るのです……さうたいしたことはないのです』 『それぢや、今日話を聞いて戴いてお差支へはないでせうか?』 『ちつとも構ひません……起きて伺ひませうか?』 『いゝえ、それには及びません……どうぞ、そのまゝで』 『それでは、之で失礼しますよ』 『先生、外でもありませんがね、私をもらひたいと云ふ人がありましてね……その人は小学校の先生なんださうです……先方も是非私をと云うて来てくれて居るのですがね……それは会社の吉田又平さんの御周旋でして、父も賛成して居るのです。私も段々婚期もすぎますので、両親とも心配してくれて居るのですが、私はこんな呑気ものですから、新川の為めに一生尽したいと思つて居りますのです。  それでね、先生、私のやうなつまらぬ者でも神様のお役に立つなら、貧しい人々の多い貧民窟の為めに、一生を捧げてと思ひましてね、それを御相談に参りましたのです』  栄一は謎をかけられるやうに思うた。それは明かに謎である。 『それぢや樋口さんは、結婚しないで貧民窟に来てお住みにならうと仰しやるのですか?』 『はい、さうなんです』  十七畳の穢い大広間には壁を打抜いて後の細い六本の柱が真中に立つて、西南の隅におみつが寝て居る。その他は誰れも居ないので静かである。 『それを御両親は御許しになりますか?』 『私の両親は極く私を自由にさせて居るもんですから、私に無理にかうせよとは云はれないのです。それで私は貧民窟の何処かで、あき家でもあれば、そこに来て住まうかと思うて居るのです』 『そして工場の方は?』 『あしこはもう止めて了つても善いのです』 『さうすれば食うて行くのは?』 『食べて行く位のことは、どうかやつて行きます――内職したつて、貯金も少しありますから当分は食べるに困るやうなことはありません……先生、かう云ふ考へは無謀な考へでせうか? それとも私は父の云ふ通り、その小学校の教師に縁付いたが善いものでせうか? 先生、私はそれに迷うて居るので御座ります? 一体女と云ふものは是非結婚せねば悪いものでせうか?』 『女は結婚したが善いと私は思ひますね。結婚しない女は女らしくありませんね。そら、中には結婚しなくて豪い女もありますけれども変態ですね……然し結婚したくない人を無理に結婚させるのも無理ですね。それでキリストも選ばれて寺人になる人があると云はれて居ります。寺人と云ふのはつまり独身で居ることですね――だから独身で居らねばならぬと自覚なさる方は――結婚するのが、普通は本当なんだけれども――その儘居たつて構はないことは構はないのですよ。然し私は人間は結婚すべきものだと思うて居ります。それは種を保存する為めの当然の義務だと思うて居ります』 『さうですかね――』  樋口は俯向いたまま畳のへり[#「へり」に傍点]をむしつて居る。二人の間に暫時沈黙があつたが樋口はまた尋ねた。 『自分が少しも知らない人と結婚するのは罪でせうか?――たとへばその小学校の教員と云ふ方ですね、私はその人を少しも知らないのです。顔もみたことがないのです……然し私が承諾すれば近い中に見合ひをすると云ふのです。性格も知らなければ何にも知らない、そんな人と一生連れ添ふといふことは善いことでせうかね……私には、そんなことは出来ないと思ふんですが。私はそんな自覚の無い結婚は出来ないのです……私は職工でも善い、自分がほんとにこの人ならと思ふ人に連れ添ひたいのです……今迄にそんな人もありませんしね……それで、ぐづ/\して居る中には婚期も過ぎますしね』 『あなたは幾つでしたかね?』 『数へ二十六です』 『私と同じ年ですね、それぢや、私は――あなたはもう少し年を取つて居ると思つて居た。何月生れです?』 『三月生れです』 『では明治二十一年三月ですか?』 『さうです』 『それぢや、私より四月上ですね』 『さうでしたか?……それでね、先生、段々年も寄りませう。結婚したらと思つても、もうその時は遅いことになりませう。私は之でも婚期は余程遅れて居るのです。私の母などは、樋口家へ十七の時に嫁に来たのですから、それから思ふと九つも遅れて居るのです。期が遅れて結婚しますと、人が馬鹿にしますしね、そしてお産が重いさうです。それで私はもういつそ決心して、一生を神に捧げたいと思つて居る処なのです……先生、あなたの処にでも置いて頂くわけにはいかないでせうか?』 『私の処へ?』 『えゝ、下女のかはりにでも……なんでも仕事をしますから月給も何にも入りませぬ。たゞ食べさして下さるばかりで結構なのです』 『お父様も、お母様も何にも仰しやいはしませんか?』 『先程申しました通り、両親はほんとに自由な方なんですから、何にも反対しはしません』  かう云つて、樋口さんは俯向いて居た面をあげて賢さうな柔和な眼で、栄一の方を静かに見た。彼女の頬は聖い決心に輝いて居た。  栄一はこの喜恵子の美しい提議に就いて全く迷うた。それが栄一に対する結婚の申込みであるのか、それともたゞ、栄一と一緒に住みたいと云ふ性慾抜きの共同生活の要求であるのか、彼にはそれがわからなかつた。然し喜恵子は賢いから、栄一に結婚を申込んで拒絶されるのが恥かしいから、上手に提議をしたのだとも、取りやうによつては取れた。栄一は『結婚してくれ』と申込んでくるなら、喜恵子と何時でも婚約を結ぶ覚悟はして居た。それで、今日は必ず結婚の申込みであらうと思うて居たが、喜恵子の要求が中性的であるから返事に困つた。  寧ろ、栄一はこちらから進んで二人が結婚せうと切出してみようかとも思つた。  穢い蒲団の中から、桜色の肌をした、でつぷり善く太つた体格の善い気品の高い喜恵子を見上げると、彼女は美しくないこともない。貧民窟に持つてくるには勿体ない位である。彼女に抱かれ彼女に世話してもらひ、病気の時など彼女に看護して貰ふならば、どれだけ幸福であらうかとも思ふ。  それで善い機会だから、今こちらから切り出さうかとも思つた。然し自分は今迄少なくも女学校出の美人を娶ることが出来ると思うて居た。そして鶴子を恋したこともあつた。その後多くの女に会つた。そして、今天の使の如き乙女に淡い恋をして居る。このことは誰も知らない。知つて居るのは神と自分だけである。その乙女にさへ云つてない。然しその乙女は栄一を唯一つの頼りにして居る。栄一が他の女と結婚するならば、その乙女は仲居に行くか、芸妓に行くか――悪く行けば娼妓に売られねばならぬ。  乙女を救はうか? 喜恵子と結婚せうか? 栄一は迷うた。  栄一はよく知つて居る。乙女も栄一を慕うて居るのだし、喜恵子も栄一を慕うて居るのである。それで栄一は二人に満足を与へる為めには二人に結婚すれば善いのだ。モルモン教徒であればさうするであらうと栄一は思うた。何故なら、喜恵子と玉枝は大の仲善しで二人は栄一を奪ひ合ひをするやうなことは決してしないであらうし、玉枝は美を与へてくれ、喜恵子は叡智を与へてくれるであらう。  実際三人が一緒に共同生活を送ればそれにも越した幸福なことは無いのである。幼少の時に阿波の故郷の吉野川の支流で、呉の水兵が二人の娼妓に抱かれて三人で胴も足もがんぢがらめ[#「がんぢがらめ」に傍点]に細帯やひしごき[#「ひしごき」に傍点]で縛つて心中して居たのを見たことがあつたが、今眼の前に、自分が何だかその水兵の位置に置かれて居るやうな気がしてならなかつた。  世の中はほんとに玉枝が此間云つて泣いたやうに、悲しい世界である。玉枝も愛してやりたいし、喜恵子も愛してやりたい。そして玉枝も愛してくれて居るし、喜恵子も愛してくれて居る。そして玉枝と喜恵子もどんなことがあつても打砕くことが出来ない程相愛し合つて居る。この三つの魂がほんとに愛に生きる為めには呉の水兵のやうにするのが一番善い道であるかも知れない。それは地上では許されない恋として地上から葬られる為めに、三つの身体を一緒に――一つの男の両側に十六と二十六の女をくゝりつけ、そのまた十六の女と二十六の女の手と手を縛つて築港の浜から海の中に投げ捨てたが善いかも知れない……かう思うた時に彼は地球の生活が、ある苦しい約束に縛られた如何にも窮屈なものであると考へた。  心の中ではかう考へて居ても、栄一はさうはよう云はなかつた。 『ね、樋口さん、あなたが新川に来てお住みになるでせう。さうすると、どうしても世の中の人があれこれ云ひますわね、そして色々な噂を立てられて居る中に、どうしても一緒になりますよ――それで、あなたは新川にいらつしやるなら、私と結婚する気でお出でなさいよ――』 『まア? 先生と結婚する気で? だつて、先生と私とは身分も違へば教育の程度も違ひませう。私はとてもあなたの奥様になれる身分ぢやありませんのに?』  かう云つて、喜恵子は顔を赤くして、眼瞼を伏せた。  栄一はそつ[#「そつ」に傍点]と手を差伸べて、それを畳の上に半身を支へて居る喜恵子の左の手に重ねた。  栄一は泣いて居た。それを隠す為めに蒲団で顔を蔽うた。  沈黙は十分十五分と続いた。喜恵子は当惑したやうな顔付をして伏眼勝ちであつた。栄一が手を引込めて喜恵子の手を離した時に、彼女はやさしい声で云うた。 『それぢやね、先生、私はもう一度よく考へて来ますから、また一二週間したら参ります』  さう云つて憂ひを帯びた喜恵子は静かにお辞儀をして帰つて行つた。  栄一は蒲団の中で泣き続けた。 [#7字下げ]四十八[#「四十八」は中見出し]  それから二週間は、栄一は床についた儘悩み続けた。  その悩みは性的であり且宗教的であつた。彼は樋口喜恵子に『新川に来る決心なら私と結婚する気でいらつしやい』と云うたが、その答が彼女にどう取られたか、それが疑問であつた。自分はさう答へたが、それは、すぐ喜恵子と結婚すると云ふ意味に取られたらうか? それとも喜恵子を甘やかす位に取られたらうか? 喜恵子に全部の身体も魂もまかしてしまへば、乙女玉枝の美を追ふことが出来ない。玉枝ばかりに倚つて居れば一生を苦悩の中に生活せねばならぬ。  それに鶴子と縁が切れてまだ三年しかならないに、早や他の女と結婚すると云ふことが、自ら守つた童貞の生活に恥かしいやうな気もする。その上に愈々性的生活をすることになると生活方式を全く改めなければならぬ。今迄貧民窟に這入つて長いことの間自慰をも忘れ、中性の生活に満足して来たものを、今更性慾を取り入れた生活をすると、禁慾生活と縁を切らなければならなかつた。禁慾生活と縁を切るならば、女優タイスか、女優ナナ位の美妓に魅せられて堕落するならまだ云ひ分があるが、喜恵子の手に易々と陥落する事はあまりに容易な陥落の如く考へられた。  女優タイスや、女優ナナほど美しくないにしても、花の蕾の玉枝に抱かれるなら堕落したとしてもまだ云ひ分がある。然しあまり美しくもあらぬ喜恵子に何を求めて結婚するのであらうか? 新見の禁慾生活はまだ充分続けられ得る。何にも今大急ぎで禁慾の奉仕生活を打破る必要はない。然し『新川へいらつしやるなら、私と結婚する積りでいらつしやい』と云うた以上は、それは処女の喜恵子を誘惑するやうにも聞こえる。自分がさう進んでも居ない結婚を他人に強ひるのは、他人の人権を蹂躙して居るのだ。  それに――まだ一つ喜恵子に関して疑問があつた。それは嘘付の喜田が話したことであるが、喜恵子が処女ではなくして既に今日まで童貞を破つて居る女であつて、甞ては或男と私通して横浜まで逃げて行つたと云ふ讒誣《ざんぶ》を受けて居ることであつた。  栄一はそれを信じたくない。然し、愈々結婚する段になると、それが真実らしく響いてくる。喜恵子が美女であれば、そんな讒誣はすぐ消えるのである。然し喜恵子が美女でないばかりに、それが八釜敷く云はれる。美女であれば、たとひ他に男があつても、それを押しのけて行くものがある。それが世の中である。さう思うて栄一は喜恵子を愛してをらないのだと心の中で考へた。  然し、今彼女が小学校の教員に嫁いだとする。そして、彼は玉枝を娶つたとする。どちらが幸福であらうか? 勿論小学校の教員が幸福である。玉枝はお雛さんのやうなものである。身体は弱く、何の役にもたゝず、貧乏人だから貧民窟に居ることは厭はないにしても、栄一の心配事は一つも話することが出来ない。彼女は性慾の対象としてのみ役に立つて、その他にはたゞ一種の玩弄物である。それに引き換へ、喜恵子は鉄のやうな意志と文珠のやうな聡明を以つて男を導いてくれる。家事は一切彼女に委すことが出来る。むづかしい性格の持主の義母お久も可愛がつてくれよう。子供もよく育てゝくれよう。仕事は愉快にさせてくれる。勤勉であり、善良である為めには彼女ほど高雅な婦人はない。  さうすると、彼の周囲から彼女を奪ひ去られることによつて、彼は再び得られない最も善き妻としての候補者を失ふのである。  実際、今日までに既に彼女は彼に対しては、妻のやうな仕事をして来た。気のつく限り彼を顧み、見舞ひ、励まして来た。それを今更振り捨てる程彼は無情ではあり得ない。  彼女が、彼の周囲から消え去るとして、最も大なる損失を受くるものは彼である。玉枝が消え去つても、たゞ一つの美術品が消え去つたと云ふだけで、それは生活そのものには別にさう大した変化を現さないかも知れぬ。  彼は喜恵子と別れることはいやである。況や喜恵子のやうな善い女を、人妻にしたくない。然し玉枝と別れるのも[#「別れるのも」は底本では「別れるも」]いやである、玉枝と一緒になれば、喜恵子とは一緒になれない。どちらかを捨てなければならぬ。  そして今すぐにものになるのは、勿論喜恵子である。それとも両方を捨てようか?  それは絶対に出来ない。喜恵子のやうなあんな善い女はまたと見付からないだらうし、玉枝のやうな美しい娘も一寸街を歩いても居らない。  どちらかに決定せねばならぬ。そしてどちらにも決定したくない。美の為めに生き得ないのも男として恥かしいし、最も善き友としての女とも別れたくない。  そして栄一は、こんなことを煩悶する前に早や約束らしいことを云うて了つたのである。その約束らしい口上『新川にくるのであれば、私と結婚する積りでいらつしやい』これを取消して、今更玉枝に行くのも男として顔が立たない。それかと云つて二重結婚するわけにも行かない。  栄一は自己を欺き、喜恵子を欺き、玉枝を欺き、神を欺き、社会を欺いて居るやうな気がして、殆ど精神病患者のやうになつて、どうしても病床を離れることが出来なかつた。  彼が今まで仕へてきた、純真の心に宿り給ふと云ふ神は遠くまで逃げ行き紿ふたやうに考へられた。彼はサムソンのやうに予言者としての霊に離れられたやうに思うた。たゞ彼が凡て結婚の提議を取消して一生独身の生活を誓約するならば神が再び帰つてくるやうに考へられた。然し彼は結婚がしたい。一生に一度だけでも善い。純真な乙女の肌に触れたい。そして乙女の胸の動悸を聞きたい。乙女の心の血を浴びるのでなければ、何だか男になつたやうな気がしない。彼も青春の血の持主である。今日まで幾度か迷うた。然し乙女の肌には一度も触れたことは無い。彼はそれ程の小胆ものである。花隈の玉の家で小秀と喜代之助が引張り合ひで栄一を二人の真中に寝させた時でも、彼は性的に関係しなかつた程小胆なものである。  然し彼も、青春の血が、湧く時がさう久しく無いことを知つて居る。殊に彼の種を後世に残す為めには今の時期を逸してまたと善き機会の無いことを知つて居る。  青春の血の湧く若い時に、若い女の肌に触れ得ないものが地上の生活に生き甲斐あるかとも思はれた。それで女郎買するもの等の方が元気があると思つたこともあつた。然し栄一は淪落の生活を送つてまでも性の甘露を吸ひたくないと思つた。  たつた一人の乙女……純真な穢れのないうら若い、絹の様な膚を持つた乙女に……一度でも善い、寄り添ひたかつた。恋はたつた一度で善い。生理的習慣に落ちた時に恋はもう消え去つて了ふ。  それで栄一は遊女通ひするものを最も卑怯な男子として侮《さげす》んだ。それは女の讃美の為めではなくして、自己満足の為めに行くからであつた。つまり一種の自慰である。真の恋は自慰ではない。それは苦難でもあり礼拝でもある。肌と肌と触れる必要があるが、それは必ずしも性的習慣に陥る必要がない。それは刹那の融合でかまはない。肉も魂も何にもかも沸騰する釜の中に叩き込んで溶かして了ふのが――真の恋である。  それで魂だけを離した恋もあり得なければ肉だけ離した恋もあり得ない。霊肉が完全に溶け合はなければ恋にはならない。こんな境地を潜る人間が幾千年に何人あるか知らないが、真の恋とは、この境地を云ふのである――  栄一はこんなに考へて真正の恋が、充分真正の宗教になり得ると思うた。宗教は恋では無い。而し恋は宗教になり得る――少なくも宗教のある表象と境地を幾分か味ひ得るとも考へた。  それで結婚することが恥づかしいこととは思はなかつた。禁慾生活を捨てることが直ちに罪を作ることだとは思はなかつた。それで青春の血の湧く間に一度は結婚したいと思つた。マルチン・ルーテルも四十になつて尼さんと恋に陥入つて結婚し、カルヴヰンも、ウエスレーも年寄つた寡婦と相愛の仲となつたが、栄一は年が寄つてから寡婦と相愛の仲などにはなりたくなかつた。  若芽の生えた時に――まだ深緑にならぬ先に、黒土の中から青芽を吹いたその瞬間に、軟かい春風に麦の青葉が抱かれるやうに、新見も軟かい大理石の膚を持つた乙女の腕に抱かれたかつた。  新見は玉枝に抱いて貰ひたかつた。然しそれは無理な註文であつた。玉枝は男を抱いてまだ泣きだす位の子供である。玉枝はまだ筒袖の着物を着て深い肩上げと腰上げをして居た。  新見を抱いて途中で泣き出す乙女を想像した時に、新見は無理な注文をして居ると考へた。矢張り、女らしく成熟した女として又威厳のあり薫りの高いジユノーは、ヴヰナスの如く美しくなくとも、妻たる可く母たる可きものであつた。  こんなに煩悶を続けて居る中に喜恵子の手紙を妹のあき子が持つて来た。それは桃色の封筒の中に這入つた同じく桃色の美しい西洋紙にペンで走り書きに書いたものであつた。その中には『わたしのやうなつまらぬものでも御用に立つなら、どうしても新川に行つて住みたいと思ひます。私は心より先生を愛して居るものです』と立派な筆蹟で書いてあつた。  栄一は喜恵子に愛せられて居ることはよく知つてゐる。ただどれだけの程度で愛してくれて居るのかが知りたかつたのである。共同生活を申込む位だから猛烈なものであることはわかつて居る。然し栄一の肉と魂の全部を要求して居るか否かが頗る疑問であつた。  然し、今日まで女にも沢山あつたが、若くて気品の高い女で共同生活までせうと云つて申込む程大胆な女は誰も無かつたのである。それを喜恵子がレコードを破つて申込んでくるのだから、栄一は喜恵子を全く憎く思ふことは出来なかつた。  共同生活が始まる。そして若い男と若い女が互に相寄る。血と血と肌と肌とが相通ふ。その場合にそれが恋にならなくてどうしよう。それも極く醜い女でもあれば特別だが、喜恵子のやうな高雅な成熟した女に栄一が靡かなければどうかして居る。  さう思つた時に、栄一は早く降参した方が善いと思つた。それで恰度床について十四日目に彼は起き上つて、原稿紙に『明日朝六時頃に築港の浜で会ひたいから、是非来てくれ』と手紙を書いた。そしてそれをすぐに郵便箱に持つて行つた。  翌朝、栄一はまだ日の充分東に上らぬ中に築港の浜に行つた。すると、喜恵子は美しく髪を結うて、血色のよい桜色の肌の上にホンノリと薄くおしろいをつけて、例の黄縞の銘仙の羽織を着て、両手を脇の下に入れて、臨海鉄道の下に待つて居た。栄一は、喜恵子の姿を見て『ハツ』とした。それは今日は特別に気高く美しく見えたからであつた。  二人は静かに話の出来るところを尋ねた。そして荒木削の大工小屋の蔭に蹲んだ。 『喜恵子さん、あなたは私をほんとに愛して居らつしやるんですか?』 『はい』 『そしてあなたは新川に来て、私と一緒に住みたいのですか?』 『はい』  喜恵子は今日に限つて、はにかんで顔を俯向けて居る。何だか元気が無いらしく見える。 『それぢや、いつそ[#「いつそ」に傍点]のこと結婚して了ひませうか?』 『あなたと私と?……もしも私のやうなつまらぬものでも愛して下さるのなら、私は身命を賭してあなたの為めにお尽しいたします』  明瞭に喜恵子は答へた。  それで、新見は両手を軟かい喜恵子の頸にかけて、温かい接吻を与へた。  その時、恰度四月の末の旭が朝の靄を破つて二人の上に輝いた。  二人の魂は旭の光に包まれて、若芽のやうに伸び上り、昇天の思ひで、空中を飛んだ。  五月二十七日の夕、讃美歌と祈祷の中に二人は神の前に夫婦になることを許され、すぐ貧民窟に帰つて来た。  花嫁は裾模様のついた黒羽二重の衣裳をつけたそのまゝ、おみつの『おまる』を縁の下から運んで居た。  喜恵子の愛は実に温かいものであつた。栄一は乙女マリアを崇拝する心持ちで喜恵子に寄り添うて行つた。 [#7字下げ]四十九[#「四十九」は中見出し]  喜恵子の全身の愛に栄一は満足した。とても尋常の女では耐えられないと思ふやうな苦労に彼女は耐へた。  彼女は見る見る中に痩せて行つた。そして、睡眠不足と過労の為めに、桜色をしてゐた皮膚の色と林檎のやうな頬の色はいつの間にか消え失せて了つた。あまり急激な変化に、栄一も喜恵子の為めに悲しくなつて来た。  彼女は『知識が足らぬ、知識が足らぬ』と云つて、一生懸命に勉強した。朝の五時から起きて竹田と一緒に代数や幾何を研究し、晩の夜学には生理学や動物学をやつた。頭がいゝものだから善く出来た。こんなに善く出来る女では無いと思つて居たが、存外善く出来る女であつた。  尚驚いたことは満七年間も製本女工をして居た女に似合はず、栄一の口で云ふことを筆記が出来ることであつた。  凡てが新見には満足であつた。それは彼の予期して居た以上であつた。  然し新見が喜恵子と結婚した為めに、教会に出なくなつた若い女も大分あつた。それは一つは嫉妬からでもあらうし、一つは喜恵子を軽蔑した処もあつたのである。  印刷会社の女工は矢張り『姉さん、姉さん』と呼んだ。松蔵は『姉さん』と呼んでみたり『奥さん』と呼んだりして居た。  竹田は初めから『奥さん』と呼んだ。然し近所のものは多く喜恵子の悪口を云うた。  喧嘩安は喜恵子が吝嗇《けち》だと云つて、ぐづまいて来た。然し家のものはみな喜恵子の注意深い取扱に喜んで居た。その中でも、おみつと岸本の老夫婦は涙を流して喜んだ。  喜恵子が栄一の為めに尽して居ることは凡ての人の眼によくわかつた。それで栄一は喜恵子の為めに一生懸命になつた。人が喜恵子を女工上りだと云つて非難する時に、彼はむき[#「むき」に傍点]になつて喜恵子を弁護した。  夏になつて南京虫が多く出て、喜恵子の美しく白い肌は、みるみる中に穢ない斑点で一杯になり、所々膿んで腫れ上つた。そして夜寝られないことが幾晩か続いたので、喜恵子は夜になると寝ないで、床の上に坐つて体をバリ/\掻いて、泣き出しさうな顔をして居る。  栄一はそれを見るに忍びなかつた。喜恵子だからこんな辛抱が出来るのだけれども、とても他の女ではこの辛抱は出来ないと思つた。それで栄一は『髭の谷本』に教へてもらつて、南京虫よけの白布の四隅を吊り上げて、箱舟のやうな中に喜恵子をねさす事にした。  夏の夜は耐へ難い程暑い。とても扇子や団扇の風ではもの足らない。それで古襖を天井に吊つて風を送る工夫をしてみた。然しそれも無効であつた。  水飢饉で貧民窟は水が無い。一里半も先の灘の酒屋が飲料水を持つて来てくれた。北本町六丁目人口千三百人に対して水道の活栓はたつた[#「たつた」に傍点]二つしか無かつたが、午後五時に一寸水が出たが、その時に喜恵子はバケツ一杯の水を汲む為めに五十八人目に立つて居た。  お米が一升十四銭から四十二銭五厘の高値に飛び上つた。それで市役所では廉売を始めた。十六人の大家族の為めに、喜恵子は四升入の袋を持つて幾千人かの列の中に佇んだ。夏の暑い晩でも喜恵子は厭ひなく、夫を助けて辻説教をした。喜恵子は雄弁であつた。  九月から喜恵子は聖書学校に午前中通学した。午後は病人の看護から、雑仕から、洗濯、買物、裁縫と、随分忙がしかつた。その間には酔払ひのお対手にもならなければならなかつた。然し沈着な喜恵子は、そんなものに少しも動かされなかつた。彼女は女丈夫の如く暴漢を一人で沈静せしめた。  或晩の如きは淫売の見張をして居る破戸漢がやつて来て、夫婦差向ひに食つて居たテーブルを顛覆させたが、喜恵子は存外平気で居た。  おみつの衣服を洗濯して裏に干してあるものを裏の子供がそのまゝ盗んで着て居る。そしてづう/\しくも米を借りにやつてくる。それでも喜恵子は黙つてそれを看過した。  喜恵子は女王の如く鷹揚であるから、そのなすことが凡て栄一には満足に見えた。  然し、栄一は相も変らず貧乏であつた。月給はみな人の為めに費つて了つた。そして喜恵子は財布に二銭しか無くて二日も送つたことがあつた。自分が持つて来た百五十円足らずの金は疾に栄一の為めだと思つて貧しき人々を助けるために費して了つた。然し喜恵子はそれを言葉には出さなかつた。  栄一等の努力が漸く見えて来た。チーハー賭博は止まり、殺人犯は本年に這入つて一人も無く、新川の犯罪件数も減退したことは警察署長も認めるところであつた。  然し、栄一は極端に貧乏であつた。十二月の末にクリスマスの御馳走は勿論のこと、お餅さへ搗くことが出来なかつた。それに就いて喜恵子は近所から吝嗇だと罵られた。 『奥さんが来てからなア……先生とこはお餅も搗けへんのやで、奥さんはほんとに吝嗇《しぶちん》や!』  かう云つて、頭から喜恵子を責めた。喜恵子の手には炊事の水仕事の為めに垢切れが甚しくなつて、皮膚の中に深く切れ込んで柘榴《ざくろ》のやうにはぜて居た。手の皮は厚く固くなり、軟かかつた掌には無数の黒い筋が這入つた。  然し二人は真に幸福であつた。  喜恵子は一生懸命に病人の世話をし、栄一は著述と、説教と、教授と、訪問をした。  二月に這入つて、毎月五十弗づゝ送つてくれて居た煉瓦会社の重役の金が四月限り止まると云ふ通知を受けた。  それで栄一は事業の縮小をせねばならなかつた。二人は相談して此際を利用して、二人は別れ別れに、栄一は米国に、喜恵子は横浜の共立女子神学校にでも這入つて勉強して、三年の後にまた資金の融通をつけて貧民伝道をする為めこゝに帰つて来ると云ふ約束をした。  それで夫婦で、そろ/\世話して居るものの処分を始めた。先づ岸本夫婦の事に就いて大阪天王寺の息子の処に相談に行つた。引取ると云ふものだから、連れて行つたが、三日目に夫婦は息子の虐待に堪へ兼ねて帰つて来た。それで富島のぶえ女史に頼んで養育院に引取つて貰つた。  岩沼松蔵はいよ/\四月尋常六年を卒業するので、兄の処に帰らせて燐寸会社にでも労働させることにした。藤田の三公は三畳敷を借りてやつてそこに引移らせた。片手の無い津田は小間物屋の小僧に周旋した。おみつと喘息持の巡礼松沢とは、最後まで世話して、出発する前に市役所に引渡すことにした。うかれ節の市公は武庫川の上流の部落に行くことになつた。権太の上杉はまた木賃宿に帰ることになつた。  栄吉は裏の安に返し、義母のお久は阿波の板野郡の親戚に世話して貰ふことにした。  そしてイエス団の跡には、竹田の一家族が這入つて、貧民窟伝道を続けて行つてくれることになつた。  ウヰリアムス博士とその義兄にあたるセース博士は栄一の旅費として、二百円づつ貸してくれた。そして義母のお久は臍繰金から百円を栄一に渡した。大阪の肥料商に務めて居る益則までが『兄さんが洋行するのさかい、奮発せなならん』と云つて貯金の中から百円を持つて来てくれた。 『貧民心理の研究』が出来上つたが、本屋はそれを出版せうと云はない。『こんなものが売れるものか?』と云つた様な顔をして居る。それで、それが旅費の足しになりさうもなかつたので、栄一は『日曜学校教授法』と云ふものの飜訳を始めた。それはウヰリアムス博士がその飜訳をすれば五十円やると云つたからであつた。その飜訳に夫婦して二ヶ月かゝつた。それで、一人あたり十二円五十銭と云ふ惨めな報酬を受取つた。然しそれでも無いよりましだからと思つて一生懸命に働いた。  春も過ぎて、夏が再び来た。そして先づ松沢を市役所の救護所に送り、おみつを最後に残して栄一が米国に立つ三日前に、之も市の救護所に送り届けた。おみつは此頃腸を害して、腸結核の兆候が有つたが、栄一夫婦はキリストに奉仕するやうな心持ちで、この不具者をいたはつた。      ×       ×       ×  墺太利の皇太子がセルヴヰアの一青年に殺されたと云ふ電報が新聞に出た。そして間もなく欧洲には大戦乱が起つたと云ふ号外が這入つた。露西亜が動員した、独逸軍が白耳義の国境を越えたと新聞は報じた。  えらいことになつたと思つたが、新見は、その欧洲大乱の起つた三日後、神戸を出帆して、米国遊学の途についた。 [#7字下げ]五十[#「五十」は中見出し]  米国の地平線は広かつた。  栄一はその曠野の空気を吸ふだけでも、数百円の金を捨てる価値があると思つた。汽車は桑港から、シーラ、ネヴアタの山脈を横断し、大砂漠を越えて、ロツキー山脈を登り、ミシシツピー河の大平野に出た。  米国は大きな国であつた。汽車は四日半日走り続けてゐた。彼はカンサス市から南に下り、ジヨウジア州のアトランタ市の郊外アテンスと云ふ小さい町を先づ尋ねて行つた。此処には、新見の事業を過去二ヶ年間補助してくれた煉瓦会社の重役ミスター・シヴリーが住んで居たからである。  彼は独身の真面目な男であつた。町長のやうなことをやつて居るので、夕刻になるとボギー(一頭立の馬車)に乗つて、町の秩序が維持されて居るか否かを見て廻つた。  彼の家はその土地の旧家で、独立戦争前から系統がちやんと系図本に載つて居る。家も古いコロニアル式の建物で、表に立つて居る四本のイオニツク式大円柱が御殿のやうな感じを与へた。  栄一はそこで二日滞留して、北に上つた。そして九月十一日に、紐育と費府《ヒラデルヒヤ》の恰度真中にあるプリンストンに着いた。  プリンストンでは先づ神学校の寄宿舎に落ちついて、神学校と大学と両方をかけもちに出席することにした。  神学校はつまらなかつたが、大学は面白かつた。大学では一年目には実験心理と数学をやり、二年目にはやはり数学と生物学をやつた。第二年目は神学校でも新見を優遇してくれて、学位の為めに論文を書けば教室に出なくても善いことにしてくれた。そしてその時間を利用して大学でウンと勉強するやうにと云うてくれた。  それで彼は神学校から毎月二十五弗の補助を貰うて大学に通うた。  心理学の教室も生理学数学の教室も栄一には実に愉快であつた。第一年目には彼は実験心理でマスター・オブ・アーツのクレデツトをもらつた。然し彼が正式に大学教育を受けて居らぬから証書はやらぬと云つた。そんなものはどうでも善いと云つて二年目に生物学の方に首を突き込んだ。  栄一は生物学の教室で比較解剖学と哺乳動物の古生物学と遺伝|発生学《ゼネチツクス》と、胎生学《エムブリオローヂ》を専修した。そして生命の不可思議に全く驚いて了つた。  栄一は骨骼の進化を研究する為めにひとり大学の博物館に薄暗くなるまで残つて居た。そして獅子の顔面骨の写生やセヴア・タイガーの椎骨の研究に余念なかつた。  朝は日出前に、夜は十二時近くまで読書した。図書館では基督教出現前のエジプト、ギリシヤ、バビロン、アツシリアなどの宗教史とその文化の推移を研究した。  栄一は無頼漢にも脅かされず、伝染病の憂ひも無いこの有名な大学に、静かに勉強の出来ることを深く感謝した。  友人は凡て彼に親切であつた。彼はすぐカルヴイン・クラブの会員に推挙せられ、小河のカヌー遊びによく連れて行つてくれた。  プリンストンの生活は実に愉快であつた。然し夏の労働は悲しかつた。欧洲戦乱の結果各方面に不景気の声が聞こえて紐育に出ても仕事の口が無かつた。彼は紐育で最も美しいと云はれて居る富豪街の第五街を泣き乍ら上下した。幸にして第一年の夏は紐育から二十哩計り離れたモント・クレーアと云ふ富豪の家の集つて居る処に一つの口があつた。そこの給仕人に彼は雇はれて行つた。そこの主人と云ふのは、ペンシルヴアニアの炭田を持つて居る大金満家の長子であまり金を使ふものだから准禁治産者のやうにされて、モント・クレーアの借家住ひに押し込められて居るのであつた。妻君と云ふのもソサイエチーの女で――社交会の婦人と云ふよりも芸者気分の多い女であつた。然し親切な婦人で、栄一を可愛がつてくれた。そこに居た二人の女の奉公人も栄一に親切であつた。有名な米国憲法の起草者であるハミルトンの末裔に関係があるとか云うて居たミセス・ハミルトンがガヴアネス(家庭差配格)で家の全部を支配して居た。五十恰好の白髪の多い女であつたが、面白い坑夫の歌など栄一に歌つて聞かせた。料理人は瑞典《スエーデン》の女で三十五六の女であつたが、名はセルマと云うた。性質の善良な読書と散歩の好きな美しい女で、三十五六とはどうしても見えなかつた。家は米国の有名なモント・クレーア公園の中にあるので、栄一もよくセルマと一緒に公園を散歩した。セルマは常に栄一を愛してくれた。  公園の東北隅に美術館があつた。その前に一基の銅像が立つて居た。  栄一は街に使に出る度毎に、その銅像の前を過《よぎ》つた。その銅像は――亜米利加印度人の少年が太陽に向つて弓をひいて立つて居る。その側に彼の父が彼を見守つて居ると云ふものであつた。それは北米の彫刻家として有名なマクネーアの作で、米国でも有名な彫刻の一つになつて居るのであつた。  初め栄一は、その彫刻の意味がわからなかつた。然し後で米国の美術史を読んで見てその意味がわかつた。  アメリカ印度人の酋長は彼の位を嗣ぐものに必ず弓を射させることになつて居る。そしてその矢が太陽にまでも届くのでなければ彼の位は嗣げないのであつた。それで酋長は、自分の位を嗣ぐ愛子をして今東天から昇つてくる太陽を射らしめて居るのである。  愛子は息をこらせて太陽面を凝視して居る。太陽面に、自分の放つた矢は届いたか、届かぬか? 矢が命中したならば、太陽面が震動するであらう。今か、今かと待つて居る。  父も愛子の為めに放たれた矢の行衛を見守つて居る。  矢は天空を飛んで、太陽面の方に突き進んで居る!  栄一は緊張した少年の顔と、その父の顔を見比べて、いつもそこに長く佇立して考へた――      ×       ×       ×  地を嗣ぐものは太陽を射ねばならぬ。太陽を射るものは雄々しくあらねばならぬ。太陽がどれだけ遠くにあらうとも、地の子等はそれに弓を引かねばならぬ。灼熱の太陽に向いて矢を引き、理想の世界を射ねばならぬ。  今、栄一の途は暗い。彼は奴隷のやうに遊び人に使はれて苦しい目をして居る。社会革命は愚かなこと、主人の家の一片のパンだつて自由にすることの出来ない身分である。彼は黒人と同じ境遇に置かれ、一ヶ月二十五弗の給料で汲々として労働に服して居る。学問も進まず、思想も纒らず、理想は太陽の如く遠くに懸つて居る。  然し――時が来る! 時が来る! 太陽を射る時が彼にくる! そして彼は光明の子となり、地を嗣ぐものとなる。精霊の世界には、太陽が魂の中に昇る。彼は毎日その太陽に弓をひいて毎日それを命中させて居る。太陽面は砕けて、火の子は星の如くに四方に飛ぶ! その光明を浴びて彼は光明を着て居る。  形態の世界には奴隷があり、屈辱があつても、彼は光明に浸つた子として、千手観音のやうに台所部屋に這入つても法悦を知り、庭掃除になつても法悦を知る、彼は今|給仕人《バトラー》となり、銀皿を磨く傭役夫になつては居るが、彼はまたそこに法悦を知つて居る。  矢は既に放たれた!――生命の矢は――太陽面に向つて突進して居る。それは七色の光を浴びつゝ進んで居る!  太陽を射るものは控え慎む。彼は耽溺の生活から遠ざからねばならぬ。彼は強く引く為めに精気を他に奪ひ取られてはならぬ。彼は常に太陽面より眼を離してはならぬ。光明を射るものは、光明を凝視せねばならぬ。その身に暗い所があつてはならぬ。彼はいつでも光に曝らされて居る必要がある。  彼は凡て四囲の誘惑に打勝つて、光明を射らねばならぬ。その為めに今暫くの屈辱を忍ばねばならぬ。こんなに考へて彼はいつも銅像を見て自らを励ました。      ×       ×       ×  四十日間栄一はモント・クレーアに居て、みんなに可愛がられた。それで日本に帰つたやうな気になつて居た。が、九月になつて大学が始まるのでプリンストンに帰つて来た。  日本からは一ヶ月に数回手紙が来た。その度毎に横浜の喜恵子からは美しい手紙が来た。たゞ一つ栄一を悲しませたことは栄一が米国に立つて間もなく、義母のお久が阿波に帰つて赤痢病で死んだと云ふ報せであつた。竹田からもよく手紙が来た。竹田は豆腐屋の町田与三五郎と一緒に一生懸命に貧民伝道をして居ると通知してくれた。喜恵子の妹のあき子と恋に陥つたと見えて、簡単な文句の中にもそれが現れて居た。  プリンストンの楽園も二年目に追はれることになつたので、栄一はまた紐育に出た。そして、第三年目をシカゴ大学に送ることにして、そのために準備した。彼は亦、ニユーヨーク市の第五街を上下して美しく磨かれたアスフアルトの上を涙にくれて歩いた。不景気の為めに仕事が無かつた。  仕事の無いのを幸にして彼は紐育の貧民窟の研究をした。支那人街からウオター・ストリート、バウアリー等の貧民窟を彷徨してみた。そして岬のやうになつて居るマンハタン――ハドンン河とイースト・リヴアに挾まれて居る――は第一街から第三街まで――長さ十哩もあらうと思はれる第一丁目から百十丁目までが細長いものであるが、之が全部貧民窟であることを知つた時に彼は全く驚いた。  バウアリー街に行くと、若い淫売婦が用も無く、自分を呼び止め、そして上衣を叩く。労働教会のある第十四街には幾千ともなく、淫売婦が客を漁る為めに、街を散歩して居た。病気で痩せ衰へたものもあるし、或者は病的に肥満して居るものもあつた。葺合新川と同じやうに見張番が所々について淫売婦を監視して居る。街の夜店には毒々しい色彩のついた裸体画の絵葉書を売つて居る。花柳病専門の医者が照滅燈までつけて患者を待つて居る。  黒人の貧民窟があるかと思へば、ユダヤ人の貧民窟がある。世界二十七ヶ国の移民が一先づこれ等の貧民窟に落ち付いて、それから米国全土に散つて行くものだから、その混雑と云へばとても話にならない。  午後六時頃にユダヤ人の貧民窟に行くと街はとても通れない程人で充満して居る。それは五階六階にある自分の家を目差して狭い道に多数のものが何処からともなく帰つてくるものだから、縁日のやうに賑やかであつた。その間を十二三のユダヤ人の少年が石鹸箱の上に立ち上つて社会主義の演説を群衆に向つてして居る。巡査が後から追つかける。子供は群衆の中に逃げ込む。あまり大勢ですぐわからなくなる。それは実に凄い光景である。  示威運動が通る! 六万人の針職職工組合《ニードルウオーカアスユニオン》の示威運動が通る! 横に十六人位並んで一時間半も通り続ける。マンハタン区にある四百五十の洋服製造所の資本家が、イースト・サイドにある六万人の貧しい職工を締出《ロツクアウト》したのである。  照り輝く八月の太陽の下に伊太利の労働者、ユダヤの労働者、ボヘミヤの労働者、殆ど世界中の労働者が一緒になつて行進する。 『パンを与へよ』 と書いてある。プラカードもある。 『資本主義を葬れ』 と書いてあるものもある。  洋服を初めて着たと云つた風態をしたシリアの女もあれば、踵の高い靴を穿いて初めて街に出て、歩き難くて困つて居ると云つたやうなボヘミヤあたりの女の一群もあつた。  各種の色彩をした組合旗が正午の太陽を浴びて揺れつゝ進む。  それは荘厳と云はうか、悲惨と云はうか、恰も屠場に引かれる小羊の大群のやうに、淋しい眼をして幾万の生霊が歩んだ!  栄一は第三街と第二十三街の角に立つて、行列を終りまで見て居たが、涙が鋪道の上に落ちるのを知らなかつた。  ――貧しい人々が、之だけあるのだ! 之だけ! そして、之だけの人々が四百五十人の人々を敵として戦つて居るのだ!  とても、救済など云うて居ても駄目なのだ! 労働組合だ! 労働組合だ! それは労働者自らの力で自ら救ふより外に道は無いのだ! 俺は日本に帰つて『労働組合から始める!』彼はこんなに考へ乍ら行列を見送つた。  栄一は紐育の社会植民館《ソシアルセツトルメント》も幾つか見た。栄一が小規模に新川でやつて居るのと同じやうなことをして居た。然し迚もこの大きな無産者階級の問題が、植民館事業などで片付くとは思はれなかつた。  世界の金が唸つて居るウオール・ストリートのすぐ裏が、紐育でも有名なバウアリーの貧民窟である! 資本主義の罪悪があまりに眼立つて見える。栄一はそれを悲しんだ。  栄一は、多年貧民窟に住んで居た眼で色々と紐育の貧民窟を研究した。そして貧しい人々には国の東西の区別の無いことを発見した。  こんな研究をして居る間にも栄一は紐育図書館のすぐ北側にある日本人の口入屋に朝晩仕事の有無を聞きに行つた。そこには多くの日本人が就職口を求めて集つて居た。然し待つて居る間にも賭博をするものが多かつた。或者はまた西洋の淫売買の話をして居た。彼等は西洋の女の美しいのを見て太陽を射損ねた人々であつた。  その口入から就職口をもらつて栄一はロング・アイルランドに邸宅を持つて居る軍需品製造会社の専務の宅に雇はれて行つた。そこの妻君は髪の毛の一本も無い女で、いつも鬘を被つて居たが、或晩家族みんな舞踏会に出て行つた跡の戸締が悪いと云つて、栄一を追ひ出して了つた。その次に彼は再びウエスト・オレンヂ山脈の森の中にある、モント・クレーアに近いロエリン公園にある大きな邸宅を持つて居るニコルスと云ふ人の宅に雇はれて行つた。ミスター・ニコルスはウオール街に事務所を持つて居る銅や諸金属品の相場師で、大きな室一杯のパイプ・オルガンを持つて居る程贅沢な生活をしてゐた。壁はみなそのオルガンの響をよくする為に共鳴板になつて居り、押込は全部オルガンの笛で詰つて居た。オルガンを引くと壁の中から押込の隅から奇《めず》らしい響が聞こえて来た。『その笛一本貰へば、大学に一年研究が出来るになア』と栄一は嘆息したが、それは呉れなかつた。  そこでは毎晩夜会に行つて午前二時に帰り、朝は午前十時に起きる、髪を小娘のやうに肩で揃へて切つて居る、十八の娘が居たが、この娘の朝飯に卵につける塩とソーダを間違へて出して、栄一はそこの家をも出なくてはならなかつた。  此処には一週間程居たが、瑞典の女やロシアの若い女が七人も下女として来て居た。そして栄一と一緒に食事して仲善くなつたものだから栄一の帰るのを口惜しがつた。中にはオペラのコーラスを歌つて居たと云ふ声の善い体の小さいマーサと云ふ瑞典の娘は、夏中栄一と一緒に遊べると云つて喜んで居た。栄一がその家に着いた二日目の晩などマーサは『トラベドオル』のアンヴヰル・コーラスを唱つて聞かせてくれたり、リゴレツトを歌つて聞かせたり、一時間位歌つてくれた。それで栄一が立つと彼女に告げた時に、 『そんな事位、なんですか? 居ると云へば居れるんですよ!』 と云つて泣くやうに止めてくれた。然し栄一はその家の空気があまり好ましくなかつたのですぐ出た。  三度目に彼はカナダ側のナイヤガラに二番の給仕人として雇はれて行つた。そこでは一緒に雇はれて行つた日本人の一番の給仕人にうん[#「うん」に傍点]と窘《いぢ》められた。彼も最初は勉強する積りで米国に来たのだが、太陽を射損ねて支那人街の無頼漢の仲間入するまで堕落して、梅毒と淋毒に悩んで居た。そこで栄一は『いぢめられ日記』を書いた。  然しカナダの広い広い原野を見て、林檎畑の間を一人逍遥したり、北極光の照る晩にナイヤガラの滝まで一人散歩して栄一は自らを慰めた。  シカゴに出るだけの旅費がそこで出来たので、シカゴに出たが、シカゴの空気は彼に合はなかつた。彼はまた咳がついて止まらなかつた。ぐづ/″\して居ると、また肺病が再発して異郷の地で倒れなくちやならぬと思つたから、すぐ日本と、そこに待つて居る良き妻の許に帰る決心をした。  旅費が無い! それでまた旅費の為めに六ヶ月間労働しなければならなかつた。彼は米国の西部の山中にある広い沙漠地方に行くことの決心をした。それは、彼が沙漠で祈り且哺乳動物の化石を拾ひたかつた為めであつた。彼はユタ州のオグデンと云ふ小さい沙漠の真中にあるモルモン教徒の開いた市の小さい日本人会の書記として一ヶ月五十弗で雇はれて行つた。そこで彼は日本人の為めに一生懸命に尽した。海抜四千尺以上ある高原地方には、雪がどんな暑い日でも残つて居た。彼は三百哩も四百哩も家一軒ない沙漠の真中にある銅山に労働してゐる日本人を訪問して行つた。そして人影の少しも見えないセーヂ・ブシユの生えて居る沙漠を一人、化石を拾ふ為めに彷徨した。  彼は甜菜《シユガービーツ》を栽培して居る日本人の小作人の為めに大に奮闘した。そしてまだ雪の深い中に、甜菜の栽培の工賃値上げの為めにモルモン教徒の白人小作人百五十名と、日本人全部との小作人組合を作つて、ストライキを宣言した。その結果小作人の大勝利となつた。そして日本人だけでも五万弗以上の収入が増した。  それで日本人の小作人組合は大悦びで早速彼の処にお礼として百弗の金を持つて来た。  百弗は彼を日本に運ぶに充分であつた。それで、彼は四月一日に、オグデンを捨てゝ沙漠を北に抜け、哺乳動物史によく出てくる第四紀層オリガシーンの地層を見る為めに、アイダホ州のスネーキ・リヴアの岸に沿うて走つて、北米で最も美しい河だと云ふ評判を取つて居るコロンバス河を下り、シヤトルに出た。  シヤトルから栄一を乗せた船は太平洋に浮び出て、北に進みアリユウシアン列島の紫に輝く氷山を右に眺め乍ら日本に向つて突き進んだ。  北氷洋のオーロラの冴えた晩、栄一は甲板に出て、そこに跪き、天の父に祈つた。彼は日本に帰つて、太陽を射る子になる。そして日本の貧しい人々とその虐げられた労働者を救ふ為めに、彼は再び貧民窟に這入る。彼は日本をより自由な国にする為めに、労働者の自由組合を作る! その為めに、彼は決して××を辞しない! 然し彼は最後までイエスの弟子として労資の戦争に暴力を用ゐまい。彼は人を屠る前に、先づ自らを十字架につける。彼は決して、悪魔と妥協しない。敵が刄《やいば》で来ても、決してこちらは刄を抜くまい。最後まで彼は公義と人道によつて敵と戦ひ、一敗地にまみれて十字架上に斃れるまで奮闘しよう。日本を救ふ道は、自由労働組合の外に道は無い! 『神よ――  北氷洋に船の針路を守り給ふ神よ、  日本の針路をも、守つて下さい!』  かう云つて、栄一は船が浪を切つて進む波の音を聞き乍ら、祈つた。  栄一はまた日本に帰つて行く幸を思うた。そこには世界の凡ての女よりも彼には尊い最愛の妻が待つて居た。彼女はセルマよりも、マーサよりも尊い女である。愛には皮膚の色の区別が無くとも、日本の女は矢張り愛らしく、柔和で優しくて善い。  彼は喜恵子が手を拡げて待つて居るのを幻のやうに見た。  五月四日、船は無事に日本に着いた。  上野の花は既に散つて居たが、富士と、新緑の日本は、矢張り美しかつた。 [#7字下げ]五十一[#「五十一」は中見出し]  横浜で第一に彼を迎へてくれたのは妻の喜恵子であつた。喜恵子は優しい柔和な賢さうな顔をして彼を迎へた。少しも女学生らしい処が無くて、如何にも奥様らしかつた。然し二年九ヶ月の間相見なかつた中に、喜恵子は好きな勉強が出来て、頬の筋肉が叡智に輝いて来たのを見た。  二人は一先づ東京の宿屋にでも落ちついて、悠然、別れて居た二年九ヶ月の色々な、うれしかつた話、辛かつた話をしようと、すぐ東京に行くことにした。  荷物は凡て横浜ステーシヨンに預けることにした。喜恵子は六月の末に学校を卒業して、その上で神戸に帰ることにきまつたので、栄一は再び横浜まで喜恵子を送つてくる約束が出来たからである。  二人は東京行の汽車に乗つた。  喜恵子は、静かに留守の間に起つた、色々の出来事に就いて語り始めた。 『……お母さんがね……ほんとに惜しいことでしたが、あなたが御出発になつて間もなく、御病気におなりになつたと云ふ電報を受取つたものですから、私は急いで、阿波の方へ飛んで行つたのです……そしたら御病気は赤痢なのでせう。全く驚きましてね、二三日看護して差上げて居たのですが、御容態が益々悪くおなりになりましてね、恰度、私が行つてから四日目の晩たうとうお亡くなりになりました。  お母さんわね……あなたが帰つていらつしやるまで是非とも生きて居りたいと云うて居られましたのでしたが、ほんとに残念なことで御座りました。あなたをほんとに頼りにして居らしたのにね』 『私も、ほんとに義母様には、もう少し尽して差上げたかつたけれども、ほんとに残念なことをしたね……然しあなたは、よく行つてくれたね……お母さんは喜んだらう……』 『ほんとに、大層およろこびになりましてね、まア、よく来てくれたと云つて囈言《うはごと》にまで仰しやるのでした――』 『誰れも頼りにする人がないからね』 『新川でも、お母さんはほんとに私によくして下さいました。あんなお方ですから、私は、初めの程は、どんなにか気を砕いたのですけれども、おやさしくいらつしやいましたから、私には、よく努めて下さいました……ほんとに惜しいことでした。  ……あゝ、それから、あなたにまだ云はないで、そのまゝにしてあることがありますね、あなた、あき子が今年の二月に死にましたのですよ!』 『あきちやんが?』 『えゝ』 『そらまた一体どうしたの?』 『あなたに云はなければ悪いと思つたのですけれども、あなたも、もう近くお帰りですし、お知らせ申し上げても、たゝ御心配の種を増すのみだと思ひましたので、お知らせせずにおいたのです――』 『何で死んだの?』 『矢張り肺なんです』 『竹田との恋愛問題はどうなつて居たの?』 『それがね、詳しく申上げなければ、おわかりにならないでせうが、かうなんです――』  汽車はすいて居るので、二人のかけて居る周囲には誰れも居らない。家の中で話して居るより、ずつと落付きがあつて善い。 『――竹田さんが、あき子と結婚すると云ふことに決まつたことはあなたの方に、竹田さんから御手紙が行つたでせう』 『いゝえ――二人が恋仲になつたことは知つて居たけれども』 『それぢや書かなかつたのです。今年の一月に愈々さうきまつてね、二人はあなたがお帰りになつたら結婚させて貰はうと云ふことになつて居たんです。その相談の為めに、私は態々去年のクリスマスには神戸に帰つて行つたんですの。あき子は感心な子でした。竹田さんを愛するやうになつてね、恰度十ヶ月と云ふものはあの貧民窟へ行つて、朝は早やうから、晩は遅くまでみんなの為めに炊事をしてあげたのですよ。私は、ほんとに出来ないことだと思ひました……竹田のお母さんが亡くなられたでせう――それはあなたも、御存知でせうね』 『それは竹田君の手紙で知つて居る』 『竹田さんのお母さんが、亡くなつたので――あき子はその前から竹田さんと恋に落ちて居たものですから、竹田さんのお母さんの看病をずうとして居たのです――誰れも炊事をするものが無いでせう。家内は大勢ですしね。青年ばかりでも九人も一緒にイエス団に寝泊りして居たのです』 『矢張り教会は続けて居るの?』 『え、いつもの通り路傍説教にも行けば、礼拝もやつて居りました――教会もなか/\盛んでしたよ。私は竹田さんはほんとに豪い人だと思ひます、あれだけの人は一寸ありませんね。昼は仕事に行つて、晩に帰つてくるとすぐ路傍説教に行く、路傍説教に行かぬ時には宅廻りの聖書研究やら家庭訪問をして居られたのです。  それで青年も相当に集まりましてね……勿論竹田さんの知つて居る方が多かつたのですけれども、それは面白い生活をして居られましたよ。山中さんと云ふ青年をあなた御存知ですか?』 『いや知らない』  汽車は鶴見駅を通過した。東京郊外の美しい野原を横切る。栄一はユダの沙漠を見た眼で、小さく区切つた花畑のやうな日本の田圃を見て美しいと思うた。汽車もあまり揺れないので、心持が善い。船にも疲れて居らないので、喜恵子が歯切れの善い口調で明確に一々物語つて行くのが、全く歴史の或頁を話して居るやうに聞こえて、面白く愉快に聞こえた。 『山中さんと云ふ方は無料宿泊所から五人の青年と一緒に逃げて来た青年の一人ですわ。その人がまた馬鹿に善い人なものですから、竹田さんも信用してずうと一緒に住んで居たのです。あなたは浅田さんや、榎本さんや、井上さんなどみんな御存知でせう』 『知つて居るよ』 『みな竹田さんと一緒にイエス団で寝泊りして居たのですよ――その他に田添と云ふ青年が山中さんと一緒に無料宿泊所から逃げて来て居りました。それに竹田さんの弟さん三人――真二さんに、要三さんに、孝四郎さんがみんな一緒に居りました。それから土佐から来た大井上さんと云ふ人が出たり這入つたりして居りました。みんな大勢の家内でせう。それにみな仕事に出て行くのでせう。竹田さんは相も変らずエナメルの琺瑯鍋を「神の子」と二人で焼きに行きますしね、浅田さんと田添さんはパシフヰツク・ゴムへ、山中さんは「日本樟脳」へ、真二さんと、要三さんはプリミヤの自転車会社でせう――みんな朝五時六時から労働に行くのでせう。誰一人炊事して上げる人が無いものですから、あき子がイエス団に泊り込んで、去年の冬からずうとみんなの世話をしてあげて居たのです。私は出来ないことだと思ひました。あき子はあんな美しい娘でしたでせう。それがね、見る見る中に痩せ衰へて了ひましてね、手と云へば皹ぎれで一杯になつて、切傷が沢山出来て、あの色艶の美しかつた子が、私が去年のクリスマスに家に帰つた時には見る影もありませんでした。それでね、うちのお母さんが、そんなにしてまでもみんなの犠牲にならなくても善いから、ちつと、内で休んだらどうかと云つたのですけれども、どうしても聞かないのです。父もあんな自由な考へを持つて居る人ですから、あまり止めも致しませずね、「なに、あき子の好きなやうにさせておけば善いのだよ」と云つてね、矢張りイエス団に泊らせてお手伝をさせて居たのです――』  喜恵子は輝いた眼で栄一を見て、また向側の座席の下を蝙蝠傘の柄の先で突き乍ら、あき子の短かい犠牲の生涯を物語つてゐた。 『イエス団に十ヶ月もあき子が行つてゐたと云ふが、それぢやもう竹田と一緒になつて居たの』 『いゝえ、結婚するのはあなたがお帰りになつてからと云ふことになつてゐて、二人は一生懸命にあなたのお帰りを楽みにして待つて居たのです――ところがね、竹田さんにそれは六ヶ敷いをばさんがあるのです。いよ/\私が去年のクリスマスに行つて二人を結婚させることにきめたでせう。さうするとね、それからと云ふものは、そのをばさんと云ふのが、あき子に非道く当るようになりましてね、それこそ鬼のやうにあき子をせめたのです』 『そのをばさんと云ふのも矢張りイエス団に来て居たの?』 『或時は来て居たのでせう。竹田さんのお母さんが亡くなる時なぞは。然し、貧民窟の外に家を持つていらして折々やつてくるのです――またその云ひやうが非道いのです――「うちの誠は馬鹿だから、あんたのやうな賢い女に取り込まれて了つたのぢや、うちに用もないのに押かけてやつて来て、御飯の食ひ潰しや、誠が夫婦になりたいと云うても、誠が嫁をもらふのぢやない、うちがもらふのぢやから、あんたのやうな邪見な人はうちに来て要らぬ、さつさつと帰つておくんなはれつて」――かう云ふ調子なんでせう。あき子はあんな内気なおとなしい子でせう。さう云はれても神様に祈つて、ずう[#「ずう」に傍点]と辛抱して来たのです。竹田さんもそれを知つて居るものだから、あき子を慰めて、「叔母はもとから、嫌はれものぢやから、あまり気にとめないでおいて下さい、あれは仕方がないのですから」と云はれて居たのですけれどもね、「やア、あき子さんが来てから雑用が多く入る」とか「あき子さんは、米代の中からまつぼり[#「まつぼり」に傍点]金を拵へて居る」とか、「お金を盗んだ」とか、ありもしないことを仰々しく大きく云ふのでせう。あき子は度々家に逃げて帰つて来たのですけれども、また思ひ直して、一旦嫁に行くと決心した以上は少し姑が六ヶ敷いからと云つて、帰つてくるやうなことではならないと気を取り直してまた出かけて行くのでせう。さうするとまたいぢめる。仕舞には擲つたり蹴つたり、非道い時には火箸で擲つて怪我させたりしたんですと。  それでね、青年達がみなあき子に同情してね、「あき子さんは天の使ぢやが、をばさんは鬼ぢや」と云ふて居たのですと。竹田さんの一番末の弟さんなども、をばさんが路次に這入つてくると、 「鬼が来た! 鬼が来た!」 と云つて叫んださうです。然し最後まで、あき子は踏み止る積りで、一生懸命に尽して居たのです。すると、一月になつてね、あれがもう末であつたでせうね、をばさんが二三日イエス団に泊りに来たことがあつたのださうです。そして不意に、「長火鉢の上に置いてあつた十円札が紛失《なくな》つた。あき子さんが盗つたのぢや」と云つて、騒ぎ出してね、あき子を裸にして探したり、父の家にまで来て怒鳴つたのださうです。それで母も見るに見兼ねて、「十円位のお金でしたら弁償いたしますから」と云つて、十円札を出したさうですけれども、それを聞かないで、たゞ怒鳴るのださうです。あき子は、それまで一厘だつて竹田さんから小遣と云ふものも貰はずに、毎月母から二円三円と貰つて行つては、自分の為めには一文も使はずに、それを、孝四郎さんの小遣にあげたり、竹田さんにお金の無い時には少しの足し前にもしたりして居たのです。竹田さんもそれを善く知つて居たものですから、 「今に出てくる」 と云つて、あまり探ねもしなかつたのです。然し、その晩に、あき子は煩悶の結果、卒倒しましてね、人事不省に陥つて、青年達に担がれ、自宅まで送られて、そのまゝ臥つた切り、遂に立たずでした』  喜恵子は涙ぐんで、暫時沈黙した。栄一の頬の上には涙が伝うて居た。汽車は音を立てゝ走る。 『或人は毒を呑んだのぢやないかと云つて心配したのだけれども、別に毒を呑んでは居らなかつたさうです。医者は急性尿毒症とかと云ふ診断を下したさうです。それが臥て居る中に段々悪くなつて、中途から肺炎を起して、喀血するやうになり、たうとう助からなかつたのです……』  喜恵子は白いハンカチを出して、鼻水を拭いて居る。 『なんでも、あき子のお友達の平田さんに聞くと、あき子は竹田さんの叔母さんにあまりいぢめられるのを苦にして、平田さんに毒薬のことを聞いてゐたさうです』 『ほんとに?……それぢや自殺する気ででも居たのだらうか?』 『さうであつたらうかとも、疑はれるのです。よく、狐川のあたりをうろついても居たさうです』 『狐川つて何処?』 『狐川つて、あなた御存知ぢや無いのですか? 新川の上にあるぢやありませんか、よく人が鉄道往生するところですよ。それ、神戸印刷会社の上の、穢ない小さい川があるぢやありませんか、お稲荷さんを祀つた』 『あの溝のやうな処かね』 『さうです、さうです』 『あそこは、恰度鉄道が曲るやうになつて居るのでせう。あそこで毎歳人が死ぬのですよ。それで、あそこへ行けば狐が魅《ばか》してレールの中へ引張り込むのだとよく云ひますよ』 『さうかね、あのあたりで人がよく死ぬとは聞いて居たが、そんな話があるとは知らなかつた』  あき子の話をして居る中に汽車は駅々に止つて、早や大森あたりまで来た。喜恵子はまた少しして黙つて了つたが、栄一は感激した口調で、 『あき子は豪い女だね、全く青年達の犠牲になつたのだね』 『私も、ほんとにあき子は豪いと思ひますわ、まだ年もいつて居りませんでしたがね』 『幾つだつたの、死んだ時は』 『十九でした――数へ』 『フム、豪いね』 『ようまア、あの年で、ひとり貧民窟の真中へ飛び込んで行つて、よくやれたものだと思ひますね』 『そして、男もあらうに、一職工に恋したと云ふのはね、実に豪いね――あの美しい身体をして居て』  さう云つて栄一はあき子の姿を思ひ浮べた。あき子は姉と同じく非常に美しい肌の持主で桜色の絹のやうな皮膚をして居た。中背のやさしい、パツチリした眼と形の整うた鼻の持主で豊頬な顔をして居た。 『あなたが竹田さんを、あまりお賞めになつたものですから、竹田さんのやうな美しい信仰を持ちたい、そして義兄さんのやうに貧民の為めに犠牲になりたいと云つて、新川に行く決心をしたのだと私に云つたことがありました。その時には豪いと思ひました、然しイエス団の青年も感心ですよ――みんなね、儲けただけのものを竹田さんの所に持つて来てね、多いものも少いものも一緒くた[#「くた」に傍点]にして、それから小遣銭としてその中から一勘定に一円づつ貰ふことにして居るのです。全く共産主義の生活をやつて居るのです』 『それで不平は無いの?』 『いゝえ、ちつとも……みんな信仰がある人ですからね、不平なんか少しも云ひはしませんよ……それで面白いのは、「孝四」さんです。孝四さんは自分が食べるだけのものもよう働いて来ないのですが、それでも一人前貰つて居るのです。それで孝四さんは大悦びです。活動へ行つたり、芝居見に行つたり、すぐそれを使つて了つて、すぐ足らなくなつて、あき子に金を貰ひに来るのです。一番損なのは山中さんのやうに一勘定に二十円も二十五円も入れる人です。そんな人でも矢張り一円しか小遣を貰はないのです。さうやつて集めたお金の残りは、全部伝道の費用や、貧民を助ける為めに遣つて居たのです。――まるで使徒時代のやうです』 『そら美しい生活をして居るのだね、もう長くやつて居るの?』 『さうですね、あなたが行かれて程なくでしたから、もうかれこれ二年も、あゝやつて居りませうね――今頃でもまだそれが続いて居りますよ、帰つて御覧なさい』 『さうかね、そら感心だね』  汽車は中央停車場についた。それで二人はプラツトホームを降りた。プラツトホームを歩いて居る時に喜恵子は云うた。 『あなたがお教へになつたものですから、その通り実行して居るのです――みんな信仰がありますから出来たことです。信仰がなければとてもあんなことは出来ません。みんなあなたの善いお弟子ですよ――』  東京の街は紐育やワシントンを見て居る目には何だか、ガシヤ/\して居た。新見夫婦は時田を尋ねたり。[#「尋ねたり。」は底本ママ]高見《たかみ》夫婦を尋ねたり、東京に出て来て居た音無信次の紹介で女詩人星野|燁子《あきこ》女史を訪れたりして、三日間を愉快に送つたが、すぐに東京に飽いて四日目に横浜に帰つて来た。  次の日は日曜であつたが、横浜教会の要求否み難かつたので、その晩に尾上町の教会で講演することになつた。  そこで彼は『精神生活に於ける発見』と云ふ題で一時間位の講演をした。聴衆は多くは無かつたが聴衆の多くは女学生であつた。  栄一は講演が了んで喜恵子の従弟の岡田の宅に行つて泊る為めに、喜恵子と別れて、大きな煉瓦造の食堂を出ると、薄暗い街の電燈の下に、美しいハイカラの婦人が最近流行の髪の結ひ方をして、銀でへりを取つた鼇甲《べつかう》の西洋櫛をさして、縞柄の大きいお召の着物をきて、派手な帯を締めて、栄一の出てくるのを待つて居た。  栄一は彼の妻の従弟の岡田と夢中になつて話し込み乍ら、入口を出て、『美しい人が居るな』と思つたが、別に深く気も止めずに、また話し乍ら街を少し歩いた。すると、後ろから彼を呼び止めるものがある。振返つてみると、さつきに入口の処で立つて居た美人である。街燈が薄暗いからよく顔はわからないが、輪廓だけでみると、余程の美人である。眼のパツチリした、色艶の善い皮膚の緻《こまや》かな、その上に厚化粧をしたハイカラである。 『何か御用ですか――私に』  栄一は、実際こんな美人に呼び止められる用件は無い筈であるのだ。 『はい、あなたは新見さんぢやありませんか?』  さう云つて、その女は近づいて来た。  善く見れば、鶴子である。 『おゝ、鶴子さん! こんな処であなたは何をして居るの?』 『私――あなたに話したいことがあるのです、少し時間を下さいませんか?』 『何の用事?』 『私――あなたに謝らなければならないことがあるのです――』  さう云つて鶴子は新見の手を両手で握つて、泣き出した。  栄一は困つたことが出来たと思つて、義従弟《いとこ》岡田を顧みて―― 『岡田君――先に帰つて居つてくれ給へ、一寸僕は用事があるので、後から帰るから』  さう云つて、岡田を先に帰して、鶴子に云うた。 『鶴子さん、済んだことはもう仕方が無いぢやありませんか? あなたは今何処に居らつしやるの?』 『神奈川の方に居るのです――あなた、之から私の家に来て泊つて下さらない?』  鶴子は実に大胆なことを云ふ。 『あなた結婚したのぢやなかつたの?』 『え、もう結婚して六年にもなるのです』 『子供は無いのですか?』 『二人あります』 『その子供さんは、今夜どうなさつたの』 『一人は、あそこに叔父の子が長女の方を連れて私を待つて居ります。下の方は家に置いて来ましたの』  鶴子が子供の方を振返つて見るものだから、栄一もその方を見た。二人が立つて居るところから五六間隔たつた暗闇の中に五つ位いの可愛い娘の子が、兄さんと見える男の子に手を引かれて立つて居る。 『あの娘が、私の長女です――その脇に立つて居るのが叔父の子供です。今、神奈川の中学に行つて居るのです』 『あなたの旦那さんは、今何をして居らつしやるの?』 『今、ロンドンに行つて居るのです……もう二年も行つて居るのです』 『何の商売?』 『貿易でせう――ね、新見さん、私ね、ゆつくり、あなたに話したいことがあるのです。どうか、今晩一晩だけで善いから、私の家に来て下さらない。私ね、もうその為めに朝も晩もヂツとして居れない程煩悶して居ることがあるのです。どうか、私の一生のお願ひだから、私の処に来て下さらない――こんな処では話が出来ないから――』 『……………………』 『ね、来られませんか?』  鶴子は若い日を思ひ出したやうに新見の手を掴まへて揺すぶつた。 『鶴子さん、あなたは、私が結婚したこと御存知ですか?』 『はあ……然し、あなたは、私の宅へ来ても善いでせう』 『妻と二人で、改めて伺ひませう』  かう云つた時に、鶴子は妙な顔をするかと思つたが、別に変な顔もしなかつた。 『ね、新見さん、あなた私を赦して下さる?』 『勿論赦して上げますよ』  鶴子は軟かい手で栄一の指をいぢり乍ら、涙の滴を栄一の手の甲の上に落して居る。  何か、鶴子の結婚生活に不幸なことがあるのだと云ふことが、之によつて察せられたが、栄一はそれ以上聞く勇気もなかつた。 『赦して下さいね、ね、どうか、罪深い私を赦して下さいね』  かう云つて、鶴子はそこに泣き倒れさうになつたから、栄一は両手で鶴子を支へた。鶴子は、昔の恋人に抱かれて処をもきらはず泣き倒れた。栄一も何だか悲しくなつて鶴子の首筋を涙で濡らした。  幸ひ、夜も十時を過ぎて往来は人通りも無いので、誰れも見る人とてはなかつたが、新見は鶴子がヒステリーを起して居るやうなのでほんとに困つて了つた。  五つになる娘は、黙つて立つて居たが、あまり母が泣くものだから、男の児に手を引かれた儘近づいて来て―― 『お母さん――帰らう』と云つて袖に縋つた。  それで鶴子は初めて正気付いたやうになつて自分手に立ち上り、美しい鬢のほつれをなで上げて、優しい声で云つた。 『はい、ね、愛ちやん、もう帰りますよ――』 『鶴子さん、あなた近頃教会へ行つていらつしやる?』 『いゝえ、ちつとも、今日はね、昼頃用があつてこの会堂の前を通つたところが、あなたのお名前が出て居たものですから、久し振りにお目にかゝることが出来ると思つて、そればつかりを楽しみにして、晩の礼拝に出て来たのです』 『それぢや、あなたは初めから教会の中にいらしたの?』 『いゝえ、途中から這入つたのです、然し後の方に坐つて居たから、あなたにはお気付きならなかつたのですよ』 『気がつきませんよ。あなたは先と違つて余程ハイカラにしていらつしやるから、一寸途で会つてもわかりませんよ。――もう何年お目にかゝらないでせうね――まる七年ですかね、八年ですかね』 『さうね、もう、八年になりますよ、最後にお目にかゝつてから――変つて居ると云へば、あなたも変つていらつしやるわ、ほんとに。あなたも御立派におなりになつたから、途中でお目にかゝつても、一寸判りませんね。これから、もう少しお豪くおなりになると私のやうなものにお言葉をかけて下さらなくなるでせうね、屹度! オホホ丶丶丶丶』 『そんなことがあるもんですか、一生、貧民伝道者が、豪くなることがあるもんですか――鶴子さん、そんなに云ふものぢやありませんよ』 『それぢや、あなた、今夜はうちへ来て下さることは出来ないのですね、ゆつくりお話したいのですけれども――明日は?』 『明日は、神戸に帰るのです』 『神戸のお住居は何処でいらつしやいますか? 教へて下さいますか――私、お手紙が差上げたいのです』  それで新見はノートブツクを破つて、万年筆で、葺合北本町六丁目二二〇と書いて渡した。  鶴子も懐から名刺を出して、新見に渡して、 『もし御都合がつくやうでしたら、明日でも御出で下さいませんか――それでは、今夜は、之で失礼します』  かう云うて娘の手を引いて栄一の行く反対の方向に消え去つた。  街の電燈はやはり暗かつた。栄一は夢心地で岡田の家に帰つて来た。 [#7字下げ]五十二[#「五十二」は中見出し]  街の辻々の電信柱の下には、赤飯を土器に盛つた「さん俵」が四つも五つも並んで置かれた。それが二十ヶ所にも三十ヶ所にも一様にさうである。  貧民窟には今や、痘瘡が這入つて蔓延するばかりである。毎日々々小さいお葬式が路次の隅から出てくる。避病院に送られる程のものは大抵重病で、とても助からなかつた。それで避病院に行くものは、殺されるのだと云ふことが云ひ伝へられた。  衛生巡査が見廻ると、みな患つて居る子供を抱へて逃げ廻つた。  竹田の住んで居るイエス団の附近だけでも一日に七人以上の新患者が東山病院に送られた。  乞食『大師さん』の一家族は、子供五人全部が痘瘡に罹つた。栄一が出村船長の宅に連れて行つた大師さんの貰ひ子『長』もその一人であつた。  毎日五人の子供等の熱が甚だしかつた。大師さんは長屋に置いておくと、子供はみな避病院に連れて行かれて殺されると思うたものだから築港の海岸へ子供等を一人々々連れて行つた。そこに海から引きあげられ、船底を干す為めに置かれてある、古船の底の下に五人の子供を全部隠した。  五人の子供等は四十度以上も熱が出て居て、赤い/\顔をして居た。そして小さい吹き出物のやうな水ぶくれが顔一面に出て、それが今にも破れるかのやうに膿んで居た。  五月の雨は毎日引つきり無しに降つて、船の底は陰気であつた。母親は燕のやうに食物をそこへ運んで来た。然しそこに来た四日目に『長』はたうとう死んで了つた。そして次の日に二人死に、その次の日に残り全部が死んで了つた。  小さいお葬式が、また北本町六丁目のイエス団の路次から出た。それは五月九日の昼過ぎであつた。  小さい大師さんの最後の二人の子供の葬式が路次を出かけた時に、新見栄一はスート・ケースを提げて、米国から再び新川に帰つて来た。  彼は電報も何にも打たずに帰つて来たので、イエス団の人々は誰れも彼の神戸に着く時間を知らなかつた。  イエス団のものは、誰れも居らなかつた。それで栄一は向隣りの河津の家を覗き込んだ。河津のをばさんは竈の下を焚きつけて居たが、栄一の姿を見るなり、飛び出して来た―― 『先生、まア、よくお帰りなすつておくれやした――まア変つておいでておます。さうやつて洋服着ておいでになつたら、どこの旦那はんかと思ひましたがいなア』  実際栄一は変つて居た。前には洋服を一度も着たこともないのに、今度は洋服で帰つて来ただけでも変つてゐた。  河津のをばさんは竹田の留守の理由を教へた。それは青年達が、栄一の帰朝を期してイエス団の発展を図る為めに、吾妻通五丁目の幼稚園の東隣りに二階建の大きな家を借りて、そこで伝道をすると云つて、此二三日前からそこに引移る準備をして居ると云ふのであつた。 『先生、あんなに近頃毎日お葬式が出ますやろ、今日もあれを寄せてこのあたりで、お葬式が八つあると云つて居りました。まアどしたんだつしやろな――昨日も、先生、なんだつせ、このあたりから十七人、痘瘡で連れて行かれたと申して居ります。そら危うてこんな処に住んで居られまへんわ、わたいも晩だけは娘の処に泊りに行つて居りまんね、竹田さんも此頃此処へは帰つて来てやおまへんわ、痘瘡が伝染ると云ははりまして、ずツと向うで――吾妻通の方で寝とつて居やはります』  新見はそれを聞いて、お葬式が何んであるかがわかつた。  新見はすぐ、その足で吾妻通五丁目の幼稚園の東隣りへ尋ねて行つた。  然しそこには、竹田の末弟で、今年十四になる少し発育の遅い孝四郎一人が留守番をして居る切りで、誰れも居らなかつた。  新見を見て、何も挨拶せぬ中から、 『ハイカラになつたなア――兄さん居らへんで――仕事に行つとるわ』  孝四郎はムキつけな挨拶をした。 『呼んで来てやるわなア』  かう云つて、孝四郎は、日暮通の方へ一生懸命に走つた。 [#7字下げ]五十三[#「五十三」は中見出し]  新見は新川の二年九ヶ月の間に変つた話を竹田から聞くだけでも三日四日かゝつた。栄一が米国へ行つて間もなく玉枝さんが播州のどこかの怪しい料理屋へ僅かの金のために仲居に出されたこと、巴枝さんが兵庫の新川の娼妓に売られ、佝僂の子の守をして居た、勝之助の妹の花枝さんが娼妓として朝鮮に売られたこと、向隣りの吉田の娘も、裏のおしんの隣りの姉妹娘も、栄一がよく世話をした山田の娘の二人も、みんな娼妓に売られたと云ふことを聞いて栄一は吃驚して了つた。  数へて行けば栄一の知つて居る娘で日曜学校に行つて居た女の子ばかりでも三十人位は、娼妓に出て居た。  栄一は自分の懐から、鴿《いへばと》三十羽を取り逃がしたとひとり悲しんだ。 [#7字下げ]五十四[#「五十四」は中見出し]  新見が帰朝したことが新聞に出たので、各方面の人々が栄一を訪ねて来てくれた。その中に栄一が最もうれしく思うたのは、師井と篠田であつた。  師井は高商を三年前に卒業して今は日本内外貿易会社の重要な地位に居た。彼は相も変らず愉快なことを云うて帰つて行つた。  篠田は、朝鮮の土地に成功してウン[#「ウン」に傍点]と金を造つて居たが、戦争の勃発と共にまた海運界に帰つて来て、栄一が昔勉めたことのある神戸海上保険の専務をやり、大いに船成金の一人として鼻息が荒かつた。  篠田は、新見の貧乏臭い生活を見廻して云うた―― 『然し、君は感心だ。之で押通して行くと云ふのだから、全く信仰の力で無くちや出来ないことだ。然し君、案じ給ふな、僕も近頃は少し儲けたから、君の貧民窟改良事業に応分の寄附をさせて貰ふよ。君のやうな人間に金を費つて貰はねば、金を費つて貰ふ人は無いよ。僕の友人にも少し物の判つた男があるから、そいつらにも少し話して、貧民病院の一つ位君の為めに建ててやりたいなア』  それから、篠田は色々面白い神戸の成金の噂をした。そして、彼等が人道を無視した遣り口に憤慨して居た。 『駄目だ、駄目だ! きやつ等はまるで畜生より劣つて居る生活をして居るんだよ。此間堀内と云ふ船成金が宴会をやつたが一人当五百円についたと云つてゐたよ。そんな時にはね。シヤンペン酒の中に金魚を浮かせて呑んだり、宴会の客一人に女一人づつつけたり、それは、全く人非人だよ――』 『宴会の客に、女一人づつつけると云ふのは何のことだね――』 『それはね、君、もう普通の宴会ぢや面白くないものだから、会席料理一人前に、その晩抱いて寝ても善い芸者一人をつけるのだよ――』  栄一はそれを聞いて日本が急に暗闇になつたやうに思うた。 [#7字下げ]五十五[#「五十五」は中見出し]  十七軒の家が取壊された。そしてたつた一軒の洋館が建築せられる準備が出来た。その為めに一軒の米屋と湯屋が移転せざるを得なくなつた。  十七軒のものは引越しするに就いても好景気につれて、神戸の市《まち》には空家と云ふものは一軒もない。株式会社扇港館と云ふ家屋ブローカーは神戸全市の借家全部の三分の一を自分の手に収めて、容易なことで、貧乏人に借家を借られないやうにして了つた。やれ手付金をくれとか、敷金をくれとか、老舗料をくれとか、権利金をくれとか、前家賃だとか、保証金だとか、色々な名前を喰付けて弱い弱い借家人の腕を捻ぢつけた。  それで、神戸の中産以下のものはみな扇港館を怨んで居たが、兎に角神戸十二万軒の借家の中四万軒まで支配して居ると云はれて居るので、借家人はこの次に引越したい時に、扇港館に邪魔せられると、神戸に居られなくなることを心配して、黙つて居た。  園池に立退きを命ぜられた借家人も、矢張り泣く泣く、扇港館などに頼んで各方面の借家をさがして引移つて行つたが、それでもいよ/\立退けと命令が来てから全部が立退くまでに六七ヶ月かゝつた。最後の二軒だけはどうしても立退かなかつたが――家が見付からないと云ふ理由で――たうとう園池は人夫を使役して屋根の瓦をめくらすと云ふ態度まで示した。そしてたうとう十七軒が全部立退いた。十七軒のもの――之を人口にすると百二十三人が這入つて居た家屋を取り壊して、園池はどうしたかと云ふに、それはたゞ庭園にせられただけであつた。新館の周囲の風致を害すると云ふので見苦しい借家を全部取り払つたのである。そして六十万円もかけて、新らしい伊太利式の植込みの繁つた庭園が出来上つた。  建築師は神戸随一の貿易成金園池権平の新住宅に就いて苦心した。園池は五十恰好の背の高い男であつたが、元は、神戸で有名な野元と云ふ貿易商の番頭であつたが、その後独立して、野元を凌ぐ程の多額納税者になつたのである。小さい時から苦労した男だけあつて、商機には一眼力を持つて居ると云はれ、何人も彼の狡猾な遣方には参らされるのであつた。  彼の系統は悪かつた。そして彼は貧乏の中から育つた。それでもしも、彼が自己の生ひ立ちを知つて居れば、此の度のやうな戦争を受けての好景気の時に多少の慈善心を出して、十七軒百二十三人の者に対して立退きなど命じなくつても善かりさうなものであるのに、そこに彼の悪質の遺伝のあるものか、彼は妙な所に力を入れて皇族を凌ぐ豪奢な振舞をしたのであつた。  それはこんな処に動機がある。  彼が商敵に堀内と云ふ男がある。彼も矢張り小僧上りの男であるが、此男も小僧から這ひ上つて今では神戸に於ける船成金として飛ぶ鳥をも落すだけの勢力を持つて居る。園池も堀内も両方共その資産は約千万円と云はれて居るが、二人が会つて話をすると両方共決して敗けなかつた。宴会の席上などで二人が会はうものなら大変だ。全く大喧嘩でもして居るかのやうな調子で資産争ひをして居る。 『己は千万円持つて居る』 『それぢや、俺は、千五百万円持つて居る』 『貴様の資産が、千五百万円あるなら己のは二千五百万円の価値は充分ある』 『貴様の処のボロ船が二千五百万円の価値があるなら、己の処の信用はどうしても五千万円ある。己は貴様のやうな近頃駆け出しのピーピーとは違ふのだ』  かう云つて二人は資産の競争をした。それからと云ふものは、堀内と園池は贅沢の競争を始めた。堀内が一人前七十円の宴会をすれば、園池は百五十円の宴会をした。園池が百五十円の宴会をすると聞いた堀内は神戸全市の芸者を呼んで、一人前五百円につく宴会を開いた。  そんな豪奢な宴会を開くものだから、神戸の料理店と云ふ料理店は大抵戦時中に多額納税者になつた。諏訪山の下の常盤花壇などは、園池や堀内の両者の御ひいきに預つたばかりで、驚く勿れ九万円からの税金を納めるやうになつたのである。大抵の成金にはお定めの料理亭があり、何人かのお抱への芸者があつた。  堀内と園池はそれで終らなかつた。二人は豪奢な邸宅の競争を始めた。堀内は園池に見せつける為めに、わざと園池の須磨の別荘の隣りに広い地面を買ひ込んで、大きなルネサンス式の石造の洋館を建て始めた。  之に癪の触つた園池は、『堀内のやうに人家も何にも無い須磨の野原に、大きな家を建てるのは何が豪いのだ。俺は神戸の山手に神戸全市から見えるやうな宮殿建築をしてやる』かう云うて彼は、山手に大きな南欧のバンガロー式の大建築をばやり始めたのである。その家には赤の間、青の間、紫の間、黄の間、緑の間と云ふやうな色で別けた間があつて、壁の色からカーテンから、床から、家具、装飾品の一切が、その部屋に適合する色彩をもつたもので飾られることになつて居た。  木曾から幾千本の杉材が伐り出されて、西洋館の隣りに全部で二三百畳敷ける御殿のやうな日本館も建てられる計画であつた。一本の床柱――それは日本館の表座敷の床柱となる可き節なしの柱を発見する為めに、木曾の檜林で五百七十三本の大木を伐り倒して、その中から漸く一本を見付けたと云つて、玉よりも大事にして、それが名古屋から船で神戸に送られて来て居た。その節なしの床柱一本だけでも、一万五千円以上かゝつて居るだらうと評判されて居た。なんでもこんな立派な柱は日本に三本とか無いので、一本は宮廷にあり、一本は伊勢の大神宮さんにあり、そしてもう一本は園池の日本館の表座敷にあるのだと云はれて居た。  その昔、足利時代に泉州堺が開港場であつて、呂宋《るそん》助左衛門と云ふ海賊が大成金振を発揮したことがある。彼は今日で云へばフヰリツピン、当時で云へば呂宋へ押し渡つて、海賊となり、大仕掛な略奪を行ひ、泉州堺にその贜品を全部船で持つて帰つて、当時随一の大成金となり、その時将軍義輝を弑して将軍を気取つて居た松永久秀に款を通じ、堺の市に全部節なしの檜材で大安寺と云ふ宏壮な寺院を建築して人々を驚かせ、松永久秀を招いて落成式を挙げたと云ふことであるが、園池権平の遣り口は恰度そのやうであつた。彼は建築師に向つて云うた。 『金はいくらかゝつても善い、神戸で一番大きな善いものを建ててくれ』  園池はそれでも満足出来なかつた。堀内に敗けない積りで須磨の別荘を拡張した、園池と堀内が須磨で別荘地の競争を始めたので、その他の須磨に別荘を持つて居る船成金や、貿易成金や土地成金もみな別荘の競争を始めた。  彼等の競争して拡げた別荘地の附近には、畏れ多くも聖上陛下の武庫離宮があつた。そして成金共が競争して拡げた別荘地の上に、競争をして善美を尽した建築物をたてたものだから、たしかに武庫離宮より立派な、そして大きなものになつた。兵庫県の警察部は之には驚き始めた。平民の別荘が聖上陛下の離宮より立派なものになることは畏れ多いことであると。それで贅沢禁止令を施行しようかと云ふ噂まで新聞に出た程であつた。  こんなにして、園池は神戸の成金気質を遠慮なく発揮したが、その収入の道は米と阿片であつた。  日本人が好景気につれて米を多く食ふのでその値は高くなつた、米は日本に足らなかつた、それでも神戸の貿易商はそんなことにお構ひなしに戦争をして居る食糧品の足らない仏蘭西などに送り出した。それで米を扱うたものはみな儲けた。阿片は不思議な方法で青島、大連から支那に這入つて行つた。そして、第二の阿片戦争の準備をする為めか、神戸の貿易商の悪い奴は日本を経ずして、阿片を取扱つた。たとへば印度から青島へ、又はフヰリツピンから上海へと外国の港から外国の港へ輸入して、大きな儲けをした。それを取扱はぬ商店は神戸に無いと云はれた程、戦争中それが大袈裟に行はれた。  園池の番頭の氷上と云ふ男は阿片を専門に取扱つて居た。そして園池は氷上の甘い汁を吸うてゐた。  こんなにして新見栄一が再び貧民窟に帰つて来た時に神戸は日本随一の成金都市であることを発見した。 [#7字下げ]五十六[#「五十六」は中見出し]  成金が一食五百円の宴会を常盤花壇でやつたと聞いた時に、神戸葺合新川の貧民窟では、仕事がなくて困つて居るものが多くあつた。  それは掏摸もやらせず、鉄工業にも関係なく、建築手伝等にも連絡のない人々であつた。それで栄一はそれ等の青年の為め何とか工夫せねばならぬと思つて居た。  貧民の数は少しも減つて居らなかつた。神戸は景気が善いと云うてやつて来た連中が、木賃宿に泊り、木賃宿で溢れたものが、倒れかゝつた二畳敷長屋の隅まで一杯になつた。  沖仲仕連中は儲けが多いので貧民窟から出て、電車道の上の方の新しい長屋の方に引移つて行つたが、何処から来るとはなしに、肺病を長く病み患つて居る労働者の亭主を世話して居る内儀さんが、亭主と子供の三人も連れて、その後に這入つたり、工場で怪我して永く寝て困つて居る鰥が、子供が五人もあるのに妻に死なれて弱つて居たり、前科者、泥酔者、賭博者、不具者、白痴、低能、発狂、変質者の一群はどんな好景気でも、少しも出世の糸口をよう発見せずに、貧民窟の真中に捨てられて居た。  栄一は、貧民の数が世の終りに至るまで――人間の種が改造せられるまで――即ち病者、白痴、低能、発狂、変質者、不具者がなくなつて了うまで減退しないことをよく知つた。  然し、現在、自分の眼の前で空前絶後の好景気にこの多数の救はれざる群衆があるのを見て全く驚いた。  前に云うた病人、変質者、不具者、反社会性を帯びた人々の外に、まだ別に罪のない気の毒な人々が居た。それはあまり家族が多い為めに、その家族を養はねばならぬので、貧民窟に繋がれて居る人々、一家族の誰かゞ病人であるか何かの性格破産者である為めに犠牲になつて居る人々であつた。  兎に角、此好景気に貧民窟に居る青年や壮年の体格の善いものは、何かの犠牲になつて、貧民窟に居るものが多くなつた。彼等はたゞ貧乏である為めに善い口にも有り付けず、穢い三畳敷か四畳敷の隅ツこに毎日大きな体を横へねばならぬものであつた。  栄一は社会主義の時代が来ても病気や、変質や、不具者や、反社会性から来る貧乏人が全部なくなるとは思はなかつた。それを救ふのは、宗教の燃ゆるが如き信仰と、その信仰から出づる真の科学の力を借らねばならぬと信じて居た。  然し、その他の人の為めに犠牲になり、社会の悪組織の為めにドン底の生活をして居る人々を何とか救うて上げたいと思つた。  殊に栄一は好景気と共に工場で怪我したり、沖で荷上げをして居て怪我をしたりして、充分養生する手当も貰はずに、貧民窟に流れ込んで来る労働者の家族の多いのに驚いた。  之等のものは労働組合を作つて資本家に打衝《ぶつか》るより道はない。又社会の悪組織から来る貧民窟は、社会を改造することによつて始めて救ふことが出来ると考へた。  それで彼は差当り、彼の仕事を三つにわけることにした、犯罪者や反社会性の人々、そして自分の身持ちの悪い為めに、ドン底に陥ち入つて居る人々を救ふ為めには矢張り、イエスの救ひの宗教を説かねばならぬこと――自らよう救済しない病人なぞを救ふ為めには救済の方法を取らねばならぬこと、社会制度の悪い為め即ち資本主義の謬つて居る為めに、そしてドン底に陥つて居る者の為めには労働組合を起さねばならぬこと、即ち貧民窟を救ふ為めに彼は同時に宗教家であり、医者であり、又労働運動者であらねばならぬと考へた。  宗教家であることゝ労働運動者であることは容易である。然し今から医学校に行くことは困難である。さうかと云つて、新見は医師を雇ふ金も持つて居らない、彼は北米ユタ州を出て来た時に月給の三ヶ月分の貯金と日本人小作組合の贈つてくれた百弗をそのまゝ持つて居たが日本に帰つてくるまでにその半分を色々なことに費つて、今僅かに日本の金にして二百円そこ/\しか持つて居らなかつた。それで彼は三四ヶ月は食ふに困らぬにしても、救済事業を起すには足らなかつた。然し彼は前のやうな救済事業をやるのはいやであつた。社会をいつまで経つても改造し得ないやうな救済事業はしたくなかつた。  それで彼は先づ、竹田等を中心として理想的の協同労作工場を起さうと考へた。そして竹田が新見の留守中にやつて居たやうな方式で私慾を離れて、独逸のモレヴヰアン教徒が、ヘルンフツトで実行して居たやうに、宗教的奉仕の精神で先づ小さい小さい、模範的の工場を作つてみたいとも考へた。そしてその工場の収益全部を投じて、貧民窟の病人を救済し、更に、その工場の労働者を中心にして、模範的に人道主義の上に立つた労働組合を造りたいと考へた。  然しそれが、どうして、実現が出来ようぞ、彼はまだ社会に認められた社会運動者ではない。日本に於ては何人も彼を認めて居らない。彼は淋しい、たよりない一伝道者である。たゞ一つの小さい教会を作るだけでも、大きな仕事であるのに、社会を改造し、貧しきものを飽かせ、労働者を解放すると云ふことに到つては、前途にどれだけの障害があるかも知れない。  そして彼には今何の手掛りもないのである。彼はたゞ、一つを知つて居る。それは強く祈ることであつた。  彼は、貧民窟の未だ目醒めぬ前に、朝早く海岸に出て祈つた。  潮がさしてくる。美しい紺碧の波が揺れる。栄一のすきな藻草が、曲線美を画いて、海の底にみえる。沖の方は白く海面が光つて居る。風を受けて、内海筋に向けて出帆する船が、帆を巻き上げて居る。団チリキ[#「チリキ」に傍点]の音がキリキリ[#「キリキリ」に傍点]と空中に鳴る。晩春の柔かい潮風が、柔かく栄一の頬を甞める。栄一は砂地の上に膝を埋めて、冥想の中に深く天の父に祈つた――『どうか、貧しきもの、虐げられたるものの、解放の日を一日も早く近づけて下さい』と。  栄一はまた、イエス団の青年十一人と手を連ねて、貧民窟の中で一緒に祈つた。 『どうか、失業の憂目より救うて下さい』と。  栄一は、凡てを神に持つて行つた。そして彼は戦ひが必ず勝利であることを知つて居た。  然し、光明は何時来るであらうか?  貧民窟の暗は、反つて、一層暗いではないか? [#7字下げ]五十七[#「五十七」は中見出し]  新見の留守の間の貧民窟と云ふものは実に非道いものであつた。また殺人が増加し、淫売婦が殖え、掏摸とチンピラが跋扈して[#「跋扈して」は底本では「跛扈して」]居た。  イエス団に関係して居なかつた、青年の多くは掏摸になつた。  内山勝之助も西岡繁蔵も、津田の兄キもみな掏摸の親分から仲間になれと勧誘を受けた。何でも東京の仕立屋銀次の乾児で、関西を股にかけて飛び廻つて居る大西とか云ふ男が日暮通一丁目に来て住むやうになつてから、みなその悪感化を受けたのだと云ふことであつた。それは日独戦争が始まつてすぐ不景気になり、貧民窟の青年等は仕事がなくて困り、西岡などは毎日よく働く善い青年であり乍ら飴売りに行つたことがあつた。  その飴売が一日に二十銭か三十銭しか売れなくて元が切れ込む方が多いので、すぐそれをやめ仕事を幾つも変へて居る中に、青年は段々悪くなつて、掏摸でもせねば食へなくなり、みなチンピラの仲間入して、ボロ[#「ボロ」に傍点]い儲けをするやうになつたのである。仲間の中に一人その方に堕落するものがあると、後から後から遊んで食うて楽な暮しをする方が面白くなつて、みんな我も我もと、掏摸の仲間入りをしたのである。  その中に不景気が直り、今度はみな成金熱に浮かされて、パツパと金を遣ひ出したが、今度は先と逆に成金が兵古帯の間に一寸揷んで居る金時計などを取る位のことは何でもないので、不景気で困つて掏摸になつた連中は、今度はもう面白くなつて已められなくなり、毎日相当に掏摸をして稼ぐやうになり、一年足らずの中に立派な掏摸専門の仕事師になつて了つたのである。 [#7字下げ]五十八[#「五十八」は中見出し]  新しく竹田等が借りた吾妻通の伝道館の前には淫売婦が群をなしてゐた。木賃宿に泊つて居る客を対手《あひて》にして、近頃の好景気に枕料は段々騰貴して行つた。栄一がアメリカに行く前には、七銭八銭と云つて居たものが、景気のよくなると共に、十五銭、二十銭と値上げした。  大阪の南区の飛田の貧民窟の淫売窟と連絡を取つて居て、こちらの警察が八釜敷なれば、向うに帰り、むかうの警察が八釜敷なればこちらに帰つて来た。それは大きな独占事業的なものになつて居て栄一が研究した処によると、満洲あたりにまで連絡を取つて居るのであつた。毎晩、伝道館の前で喧嘩の絶えたことはなかつた。それはとても聞くに堪へられない会話と、それから惹起される大喧嘩に栄一は人間が此処まで堕落するとは神さまでも想像しなかつたらうと竹田に云うた位であつた。  景気がよくなるに連れて淫売婦が跋扈した[#「跋扈した」は底本では「跛扈した」]。それを守る無頼漢連中だけでも数十人から組をなして居た。朝鮮人が淫売婦に悪戯をしたと云つて、三四十人の無頼漢が彼を擲つた。それで、朝鮮人は復讐をする為めに数十人が一団をなしてやつて来た。伝道館を真中にまるで両者の衝突で市街戦が行はれて居るやうであつた。  三人の巡査がやつて来たが、往来は幾百の人で埋められて、とても三人位の巡査の手では手につかなかつた。巡査の一人は悪漢の親分に 『頼む! 頼む!』 とただ叫んだ。その男は三人の巡査を牽制した。その隙に他の悪漢は朝鮮人二人を溝の中に擲き込んで死ぬやうな目に合はせて居た。  それを見兼ねて、栄一はそこへ飛び込んで行つたが、悲しい哉、栄一は乱視の眼鏡をすぐに叩き落された。  恰度、淋しい五月の月が、ぼんやり照らして居たから、溝の中でうめいて居る朝鮮人が血にまみれて居ることはわかつて居たが、栄一は眼鏡なしには、足どりが悪くてポカ/\するものだから、彼を救ふことが出来なかつた。然し、彼は、大声を出して、被害者の処に何人も近寄らないやうにさせた。悪漢の連中は、朝鮮人の弱いことを知つて面白がつて、みな揃うて竹の棒を持つて来た。そして、倒れて居る朝鮮人をまだ、惨酷にも擲らうとした。然しその重傷者を守つて居るものが新見だと云ふことに気が付いて、そこには近寄らず四辻の下で逃げまどうて居る五六人の朝鮮人を豚を屠場に送るやうに追ひ廻して擲つた。  栄一は、重傷した朝鮮人を守りつゝ、人間の争闘的本能がこれだけ深く這入つて居るものかと悲しんでゐた。  朝鮮人がみな無事に逃げのびたので、群衆も悪漢も漸次退散した。それで栄一は殆ど虫の息ばかりになつて居る朝鮮人を溝の中から拾ひ上げて、側にあつた『馬力』の上に乗せて、それを看護して居た。心臓でも突かれたものか彼は口から沢山血を吐いてゐるので栄一はその場で、死んで了ひはしないかと心配した。彼はグンニヤリして、車の上にへたばつて、死んだやうになつて居る。栄一はその場で死なれると処置に困ると一人心配して居たが、何処からともなく、印絆纒を着た二人の朝鮮人がやつて来て、その死にかゝつた仲間を背負うて、暗の中に消えた。  栄一は血みどろに染つた手を、駄菓子屋の店先の鈍い光にすかして見て、如何にも自分が、今、人殺しをして来たものであるかのやうな心持ちになつた。動悸が不規則にうつ。地上の凡ての曲つた人々の血の呪咀が凡て彼の上におかれてあるかのやうに感ぜられて、彼は駄菓子屋のランプの鈍い光さへ受けるのが恥かしくなつた。  それで、急いで暗闇の中に駈け込んだ栄一は、土べたの上に身を投げつけ、砂を蒙るやうにして、泣き伏して祈つた――彼が神の審判を受ける唯一人の罪人であるかのやうに。  街の四辻の電柱の根元に捨てられた、痘瘡除けの、かすかに灯つた桟俵の上のお燈明が、そよ風に揺れて、今にも消えさうである。 底本:「死線を越えて(三部作全一巻)」キリスト新聞社    1975(昭和50)年7月30日発行    1981(昭和56)年9月20日第5刷発行 初出:「死線を越えて 中巻 太陽を射るもの」改造社    1921(大正10)年11月28日初版 ※表題は底本では、「死線を越えて(中巻)」となっています。 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号586)を、大振りにつくっています。 ※「云う」と「云ふ」、「ポカ/\」と「ぽか/\」、「ぐづ/\」と「ぐづ/″\」、「近所」と「近処」、「ただ」と「たゞ」、「擲ぐつた」と「擲つた」、「捨てて」と「捨てゝ」、「刄」と「刀」、「引受く可き」と「引き受くべき」、「きちんと」と「キチンと」、「ウイリアムス博士」と「ウヰリアムス博士」、「ベツト」と「ベツド」、「彼」と「彼れ」、「何に」と「何」、「気が附いて」と「気が付いて」、「申し上げ」と「申上げ」、「アゝ」と「アヽ」と「アア」、「註文」と「注文」の混在は、底本通りです。 ※「七五三」に付くルビの「かざり」と「しめ」の混在は、底本通りです。 ※誤植を疑った箇所を、初出の表記にそって、あらためました。 ※「ぼや」、「たら」、「蛸ちん」、「ボロ」の傍点の位置のずれと不足は、初出の表記にそって、あらためました。 ※「侮んだ」に付くルビの位置のずれは、初出の表記にそって、あらためました。 入力:富田晶子 校正:雪森 2023年4月8日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。