すみだ川 永井荷風 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)俳諧師《はいかいし》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)事|膳《ぜん》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数) (例)噯 /\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号) (例)いへ/\ *濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」 ------------------------------------------------------- [#5字下げ]一[#「一」は中見出し]  俳諧師《はいかいし》松風庵蘿月《しようふうあんらげつ》は今戸《いまど》で常磐津《ときはづ》の師匠《しゝやう》をしてゐる実《じつ》の妹《いもうと》をば今年は盂蘭盆《うらぼん》にもたづねずにしまつたので毎日その事のみ気にしてゐる。然《しか》し日盛《ひざか》りの暑さにはさすがに家《うち》を出かねて夕方《ゆふかた》になるのを待つ。夕方《ゆふかた》になると竹垣《たけがき》に朝顔のからんだ勝手口で行水《ぎやうずゐ》をつかつた後《のち》其《そ》のまゝ真裸体《まつぱだか》で晩酌《ばんしやく》を傾けやつとの事|膳《ぜん》を離れると、夏の黄昏《たそがれ》も家々《いへ/\》で焚《た》く蚊遣《かやり》の烟《けむり》と共にいつか夜となり、盆栽《ぼんさい》を並《なら》べた窓の外《そと》の往来《わうらい》には簾越《すだれご》しに下駄《げた》の音|職人《しよくにん》の鼻唄《はなうた》人の話声《はなしごゑ》がにぎやかに聞《きこ》え出す。蘿月《らげつ》は女房のお滝《たき》に注意されてすぐにも今戸《いまど》へ行《ゆ》くつもりで格子戸《かうしど》を出るのであるが、其辺《そのへん》の凉台《すゞみだい》から声をかけられるがまゝ腰を下《おろ》すと、一杯機嫌《いつぱいきげん》の話好《はなしずき》に、毎晩きまつて埒《らち》もなく話し込んでしまふのであつた。  朝夕《あさゆふ》がいくらか凉《すゞ》しく楽になつたかと思ふと共に大変|日《ひ》が短くなつて来た。朝顔《あさがほ》の花が日毎《ひごと》に小さくなり、西日《にしび》が燃える焔《ほのほ》のやうに狭《せま》い家中《いへぢゆう》へ差込《さしこ》んで来る時分《じぶん》になると鳴きしきる蝉《せみ》の声が一際《ひときは》耳立《みゝだ》つて急《せは》しく聞《きこ》える。八月もいつか半《なかば》過ぎてしまつたのである。家《いへ》の後《うしろ》の玉蜀黍《たうもろこし》の畠《はたけ》に吹き渡る風の響《ひゞき》が夜なぞは折々《をり/\》雨かと誤《あやま》たれた。蘿月《らげつ》は若い時分《じぶん》したい放題《はうだい》身を持崩《もちくづ》した道楽《だうらく》の名残《なごり》とて時候《じこう》の変目《かはりめ》といへば今だに骨の節々《ふし/″\》が痛むので、いつも人より先《さき》に秋の立つのを知るのである。秋になつたと思ふと唯《たゞ》わけもなく気がせはしくなる。  蘿月《らげつ》は俄《にはか》に狼狽《うろた》へ出し、八日頃《やうかごろ》の夕月《ゆふづき》がまだ真白《ましろ》く夕焼《ゆふやけ》の空にかゝつてゐる頃《ころ》から小梅瓦町《こうめかはらまち》の住居《すまひ》を後《あと》にテク/\今戸《いまど》をさして歩いて行つた。  堀割《ほりわり》づたひに曳舟通《ひきふねどほり》から直《す》ぐさま左へまがると、土地のものでなければ行先《ゆくさき》の分《わか》らないほど迂囘《うくわい》した小径《こみち》が三囲稲荷《みめぐりいなり》の横手《よこて》を巡《めぐ》つて土手《どて》へと通じてゐる。小径《こみち》に沿うては田圃《たんぼ》を埋立《うめた》てた空地《あきち》に、新しい貸長屋《かしながや》がまだ空家《あきや》のまゝに立並《たちなら》んだ処《ところ》もある。広々《ひろ/″\》した構《かま》への外には大きな庭石《にはいし》を据並《すゑなら》べた植木屋《うゑきや》もあれば、いかにも田舎《ゐなか》らしい茅葺《かやぶき》の人家《じんか》のまばらに立ちつゞいてゐる処《ところ》もある。それ等《ら》の家《うち》の竹垣《たけがき》の間《あひだ》からは夕月《ゆふづき》に行水《ぎやうずゐ》をつかつてゐる女の姿《すがた》の見える事もあつた。蘿月宗匠《らげつそうしやう》はいくら年をとつても昔《むかし》の気質《かたぎ》は変《かは》らないので見て見ぬやうに窃《そつ》と立止《たちどま》るが、大概《たいがい》はぞつとしない女房ばかりなので、落胆《らくたん》したやうに其《そ》のまゝ歩調《あゆみ》を早める。そして売地《うりち》や貸家《かしや》の札《ふだ》を見て過《すぎ》る度々《たび/\》、何《なん》ともつかず其《そ》の胸算用《むなざんよう》をしながら自分も懐手《ふところで》で大儲《おほまうけ》がして見たいと思ふ。然《しか》しまた田圃《たんぼ》づたひに歩いて行《ゆ》く中《うち》水田《みづた》のところ/″\に蓮《はす》の花の見事に咲き乱れたさまを眺《なが》め青々《あを/\》した稲《いね》の葉に夕風《ゆふかぜ》のそよぐ響《ひゞき》をきけば、さすがは宗匠《そうしやう》だけに、銭勘定《ぜにかんぢやう》の事よりも記憶に散在してゐる古人《こじん》の句をば実《じつ》に巧《うま》いものだと思返《おもひかへ》すのであつた。  土手《どて》へ上《あが》つた時には葉桜《はざくら》のかげは早《は》や小暗《をぐら》く水を隔《へだ》てた人家《じんか》には灯《ひ》が見えた。吹きはらふ河風《かはかぜ》に桜《さくら》の病葉《わくらば》がはら/\散る。蘿月《らげつ》は休まず歩きつゞけた暑さにほつと息をつき、ひろげた胸をば扇子《せんす》であふいだが、まだ店をしまはずにゐる休茶屋《やすみぢやや》を見付《みつ》けて慌忙《あわて》て立寄《たちよ》り、「おかみさん、冷《ひや》で一杯。」と腰を下した。正面《しやうめん》に待乳山《まつちやま》を見渡《みわた》す隅田川《すみだがは》には夕風《ゆふかぜ》を孕《はら》んだ帆《ほ》かけ船が頻《しき》りに動いて行《ゆ》く。水の面《おもて》の黄昏《たそが》れるにつれて鴎《かもめ》の羽の色が際立《きはだ》つて白く見える。宗匠《そうしやう》は此《こ》の景色《けしき》を見ると時候《じこう》はちがふけれど酒なくて何《なん》の己《おの》れが桜《さくら》かなと急に一杯|傾《かたむ》けたくなつたのである。  休茶屋《やすみぢやゝ》の女房《にようぼ》が縁《ふち》の厚い底の上《あが》つたコツプについで出す冷酒《ひやざけ》を、蘿月《らげつ》はぐいと飲干《のみほ》して其《そ》のまゝ竹屋《たけや》の渡船《わたしぶね》に乗つた。丁度《ちやうど》河《かは》の中程《なかほど》へ来た頃《ころ》から舟のゆれるにつれて冷酒《ひやざけ》がおひ/\にきいて来る。葉桜《はざくら》の上に輝きそめた夕月《ゆふづき》の光がいかにも凉《すゞ》しい。滑《なめらか》な満潮の水は「お前どこ行《ゆ》く」と流行唄《はやりうた》にもあるやうにいかにも投遣《なげや》つた風《ふう》に心持《こゝろもち》よく流れてゐる。宗匠《そうしやう》は目をつぶつて独《ひとり》で鼻唄《はなうた》をうたつた。  向河岸《むかうがし》へつくと急に思出《おもひだ》して近所の菓子屋《くわしや》を探して土産《みやげ》を買ひ今戸橋《いまどばし》を渡つて真直《まつすぐ》な道をば自分ばかりは足許《あしもと》のたしかなつもりで、実《じつ》は大分《だいぶ》ふら/\しながら歩いて行つた。  そこ此処《こゝ》に二三|軒《けん》今戸焼《いまどやき》を売る店にわづかな特徴を見るばかり、何処《いづこ》の場末《ばすゑ》にもよくあるやうな低い人家《じんか》つゞきの横町《よこちやう》である。人家《じんか》の軒下《のきした》や路地口《ろぢぐち》には話しながら凉《すゞ》んでゐる人の浴衣《ゆかた》が薄暗《うすぐら》い軒燈《けんとう》の光に際立《きはだ》つて白く見えながら、あたりは一体にひつそりして何処《どこ》かで犬の吠《ほ》える声と赤児《あかご》のなく声が聞《きこ》える。天《あま》の川《がは》の澄渡《すみわた》つた空に繁つた木立《こだち》を聳《そびや》かしてゐる今戸八幡《いまどはちまん》の前まで来ると、蘿月《らげつ》は間《ま》もなく並んだ軒燈《けんとう》の間に常磐津《ときはづ》文字豊《もじとよ》と勘亭流《かんていりう》で書いた妹の家の灯《ひ》を認めた。家の前の往来《わうらい》には人が二三人も立止《たちどま》つて内《なか》なる稽古《けいこ》の浄瑠璃《じやうるり》を聞いてゐた。  折々《をり/\》恐《おそろ》しい音して鼠《ねずみ》の走る天井《てんじやう》からホヤの曇つた六分心《ろくぶしん》のランプがところ/″\宝丹《はうたん》の広告や都新聞《みやこしんぶん》の新年|附録《ふろく》の美人画なぞで破《やぶ》れ目《め》をかくした襖《ふすま》を始め、飴色《あめいろ》に古びた箪笥《たんす》、雨漏《あまもり》のあとのある古びた壁なぞ、八|畳《でふ》の座敷《ざしき》一体をいかにも薄暗《うすぐら》く照《てら》してゐる。古ぼけた葭戸《よしど》を立てた縁側《えんがは》の外《そと》には小庭《こには》があるのやら無いのやら分《わか》らぬほどな闇《やみ》の中に軒《のき》の風鈴《ふうりん》が淋《さび》しく鳴り虫が静《しづか》に鳴いてゐる。師匠《ししやう》のお豊《とよ》は縁日《えんにち》ものゝ植木鉢《うゑきばち》を並《なら》べ、不動尊《ふどうそん》の掛物《かけもの》をかけた床《とこ》の間《ま》を後《うしろ》にしてべつたり坐《すわ》つた膝《ひざ》の上に三味線《しやみせん》をかゝへ、樫《かし》の撥《ばち》で時々|前髪《まへがみ》のあたりをかきながら、掛声《かけごゑ》をかけては弾《ひ》くと、稽古本《けいこぼん》を広げた桐《きり》の小机《こづくゑ》を中にして此方《こなた》には三十前後の商人らしい男が中音《ちゆうおん》で、「そりや何《なに》を云《い》はしやんす、今さら兄よ妹と云《い》ふに云《い》はれぬ恋中《こひなか》は………。」と「小稲半兵衛《こいなはんべゑ》」の道行《みちゆき》を語る。  蘿月《らげつ》は稽古《けいこ》のすむまで縁近《えんぢか》くに坐つて、扇子《せんす》をぱちくりさせながら、まだ冷酒《ひやざけ》のすつかり醒《さ》めきらぬ処《ところ》から、時々は我知《われし》らず口の中で稽古《けいこ》の男と一しよに唄《うた》つたが、時々は目をつぶつて遠慮《ゑんりよ》なく噯《おくび》をした後《のち》、身体《からだ》を軽く左右《さいう》にゆすりながらお豊《とよ》の顔をば何《なん》の気《き》もなく眺《なが》めた。お豊《とよ》はもう四十以上であらう。薄暗《うすぐら》い釣《つるし》ランプの光が痩《や》せこけた小作《こづく》りの身体《からだ》をば猶更《なほさら》に老《ふ》けて見せるので、ふいと此《こ》れが昔《むかし》は立派《りつぱ》な質屋の可愛《かあい》らしい箱入娘《はこいりむすめ》だつたのかと思ふと、蘿月《らげつ》は悲しいとか淋《さび》しいとか然《さ》う云《い》ふ現実の感慨《かんがい》を通過《とほりこ》して、唯《た》だ/\不思議《ふしぎ》な気がしてならない。其《そ》の頃《ころ》は自分も矢張《やはり》若くて美しくて、女にすかれて、道楽して、とう/\実家《じつか》を七生《しちしやう》まで勘当《かんだう》されてしまつたが、今になつては其《そ》の頃《ころ》の事はどうしても事実ではなくて夢としか思はれない。算盤《そろばん》で乃公《おれ》の頭をなぐつた親爺《おやぢ》にしろ、泣いて意見をした白鼠《しろねずみ》の番頭にしろ、暖簾《のれん》を分けて貰《もら》つたお豊《とよ》の亭主《ていしゆ》にしろ、さう云《い》ふ人達は怒《おこ》つたり笑つたり泣いたり喜んだりして、汗をたらして飽《あ》きずによく働いてゐたものだが、一人々々《ひとり/\》皆《みな》死んでしまつた今日《けふ》となつて見れば、あの人達はこの世の中に生れて来ても来なくてもつまる処《ところ》は同じやうなものだつた。まだしも自分とお豊《とよ》の生きてゐる間《あひだ》は、あの人達は両人《ふたり》の記憶の中《うち》に残されてゐるものゝ、やがて自分達も死んでしまへばいよ/\何《なに》も彼《か》も煙《けむり》になつて跡方《あとかた》もなく消え失《う》せてしまふのだ………。 「兄《にい》さん、実《じつ》は二三日|中《うち》に私《わたし》の方《はう》からお邪魔《じやま》に上《あが》らうと思つてゐたんだよ。」とお豊《とよ》が突然《とつぜん》話しだした。  稽古《けいこ》の男は小稲半兵衛《こいなはんべゑ》をさらつた後《のち》同じやうなお妻《つま》八郎兵衛《はちろべゑ》の語出《かたりだ》しを二三度|繰返《くりかへ》して帰つて行つたのである。蘿月《らげつ》は尤《もつと》もらしく坐《すわ》り直《なほ》して扇子《せんす》で軽く膝《ひざ》を叩《たゝ》いた。 「実《じつ》はね。」とお豊《とよ》は同じ言葉を繰返《くりかへ》して、「駒込《こまごめ》のお寺が市区改正《しくかいせい》で取払《とりはら》ひになるんだとさ。それでね、死んだお父《とツ》つアんのお墓を谷中《やなか》か染井《そめゐ》か何処《どこ》かへ移さなくつちやならないんだつてね、四五日|前《まへ》にお寺からお使《つかひ》が来たから、どうしたものかと、其《そ》の相談に行かうと思つてたのさ。」 「成程《なるほど》。」と蘿月《らげつ》は頷付《うなづ》いて、「さういふ事なら打捨《うつちや》つても置けまい。もう何年になるかな、親爺《おやぢ》が死んでから………。」  首を傾《かし》げて考へたが、お豊《とよ》の方《はう》は着々《ちやく/\》話《はな》しを進めて染井《そめゐ》の墓地の地代《ぢだい》が一|坪《つぼ》いくら、寺への心付《こゝろづ》けが何《ど》うのかうのと、それについては女の身よりも男の蘿月《らげつ》に万事を引受《ひきう》けて取計《とりはか》らつて貰《もら》ひたいと云《い》ふのであつた。  蘿月《らげつ》はもと小石川表町《こいしかはおもてまち》の相模屋《さがみや》と云《い》ふ質屋の後取息子《あととりむすこ》であつたが勘当《かんだう》の末《すゑ》若隠居《わかゐんきよ》の身となつた。頑固《ぐわんこ》な父が世を去つてからは妹お豊《とよ》を妻にした店の番頭が正直に相模屋《さがみや》の商売をつゞけてゐた。処《ところ》が御維新《ごゐつしん》此《こ》の方《かた》時勢《じせい》の変遷《へんせん》で次第に家運《かうん》の傾いて来た折《をり》も折《をり》火事にあつて質屋はそれなり潰《つぶ》れてしまつた。で、風流三昧《ふうりうざんまい》の蘿月《らげつ》は已《や》むを得ず俳諧《はいかい》で世を渡るやうになり、お豊《とよ》は其《そ》の後《ご》亭主《ていしゆ》に死別《しにわか》れた不幸つゞきに昔《むかし》名《な》を取つた遊芸《いうげい》を幸ひ常磐津《ときはづ》の師匠《ししやう》で生計《くらし》を立てるやうになつた。お豊《とよ》には今年十八になる男の子が一人ある。零落《れいらく》した女親《をんなおや》がこの世の楽しみと云《い》ふのは全《まつた》く此《こ》の一人息子《ひとりむすこ》長吉《ちやうきち》の出世《しゆつせ》を見やうと云《い》ふ事ばかりで、商人はいつ失敗するか分《わか》らないと云《い》ふ経験から、お豊《とよ》は三度の飯《めし》を二度にしても、行く/\はわが児《こ》を大学校に入れて立派《りつぱ》な月給取《げつきふと》りにせねばならぬと思つて居《ゐ》る。  蘿月宗匠《らげつそうしやう》は冷えた茶を飲干《のみほ》しながら、「長吉《ちやうきち》はどうしました。」  するとお豊《とよ》はもう得意らしく、「学校は今《いま》夏休みですがね、遊ばしといちやいけないと思つて本郷《ほんがう》まで夜学《やがく》にやります。」 「ぢや帰りは晩《おそ》いね。」 「えゝ。いつでも十時過ぎますよ。電車はありますがね、随分《ずゐぶん》遠路《とほみち》ですからね。」 「我輩《こちとら》とは違つて今時《いまどき》の若いものは感心だね。」宗匠《そうしやう》は言葉を切つて、「中学校だつけね、乃公《おれ》は子供を持つた事がねえから当節《たうせつ》の学校の事はちつとも分《わか》らない。大学校まで行くにやまだ余程《よほど》かゝるのかい。」 「来年卒業してから試験を受けるんでさアね。大学校へ行く前に、もう一ツ………大きな学校があるんです。」お豊《とよ》は何《なに》も彼《か》も一口に説明してやりたいと心ばかりは急《あせ》つても、矢張《やは》り時勢《じせい》に疎《うと》い女の事で忽《たちま》ち云淀《いひよど》んでしまつた。 「たいした経費《かゝり》だらうね。」 「えゝ其《それ》ア、大抵《たいてい》ぢや有《あ》りませんよ。何《なに》しろ、あなた、月謝《げつしや》ばかりが毎月《まいげつ》一円、本代だつて試験の度々《たんび》に二三円ぢやきゝませんしね、其《そ》れに夏冬《なつふゆ》ともに洋服を着るんでせう、靴だつて年に二足は穿《は》いてしまひますよ。」  お豊《とよ》は調子《てうし》づいて苦心の程《ほど》を一倍強く見せやうためか声に力を入れて話したが、蘿月《らげつ》はその時、其《そ》れ程《ほど》にまで無理をするなら、何《なに》も大学校へ入れないでも、長吉《ちやうきち》にはもつと身分|相応《さうおう》な立身《りつしん》の途《みち》がありさうなものだといふ気がした。しかし口へ出して云《い》ふほどの事でもないので、何《なに》か話題の変化をと望む矢先《やさき》へ、自然に思ひ出されたのは長吉《ちやうきち》が子供の時分《じぶん》の遊び友達でお糸《いと》と云《い》つた煎餅屋《せんべいや》の娘の事である。蘿月《らげつ》は其《そ》の頃《ころ》お豊《とよ》の家を訪ねた時にはきまつて甥《をひ》の長吉《ちやうきち》とお糸《いと》をつれては奥山《おくやま》や佐竹《さたけ》ツ原《ぱら》の見世物《みせもの》を見に行つたのだ。 「長吉《ちやうきち》が十八ぢや、あの娘《こ》はもう立派《りつぱ》な姉《ねえ》さんだらう。矢張《やはり》稽古《けいこ》に来るかい。」 「家《うち》へは来ませんがね、この先《さき》の杵屋《きねや》さんにや毎日|通《かよ》つてますよ。もう直《ぢ》き葭町《よしちやう》へ出るんだつて云《い》ひますがね………。」とお豊《とよ》は何《なに》か考へるらしく語《ことば》を切つた。 「葭町《よしちやう》へ出るのか。そいつア豪儀《がうぎ》だ。子供の時からちよいと口のきゝやうのませた、好《い》い娘《こ》だつたよ。今夜《こんや》にでも遊びに来りやアいゝに。ねえ、お豊《とよ》。」と宗匠《そうしやう》は急に元気づいたが、お豊《とよ》はポンと長煙管《ながぎせる》をはたいて、 「以前とちがつて、長吉《ちやうきち》も今が勉強ざかりだしね………。」 「はゝゝゝは。間違ひでもあつちやならないと云《い》ふのかね。尤《もつと》もだよ。この道ばかりは全《まつた》く油断がならないからな。」 「ほんとさ。お前《まへ》さん。」お豊《とよ》は首を長く延《のば》して、「私の僻目《ひがめ》かも知れないが、実《じつ》はどうも長吉《ちやうきち》の様子《やうす》が心配でならないのさ。」 「だから、云《い》はない事《こ》ツちやない。」と蘿月《らげつ》は軽く握《にぎ》り拳《こぶし》で膝頭《ひざがしら》をたゝいた。お豊《とよ》は長吉《ちやうきち》とお糸《いと》のことが唯《たゞ》何《なん》となしに心配でならない。と云《い》ふのは、お糸《いと》が長唄《ながうた》の稽古《けいこ》帰りに毎朝《まいあさ》用もないのに屹度《きつと》立寄《たちよ》つて見る、其《そ》れをば長吉《ちやうきち》は必ず待つてゐる様子《やうす》で其《そ》の時間|頃《ごろ》には一足《ひとあし》だつて窓の傍《そば》を去らない。其《そ》れのみならず、いつぞやお糸《いと》が病気で十日|程《ほど》も寝てゐた時には、長吉《ちやうきち》は外目《よそめ》も可笑《をか》しい程《ほど》にぼんやりして居《ゐ》た事などを息もつかずに語りつゞけた。  次の間《ま》の時計が九時を打出《うちだ》した時|突然《とつぜん》格子戸《かうしど》ががらりと明いた。其《そ》の明け様《やう》でお豊《とよ》はすぐに長吉《ちやうきち》の帰つて来た事を知り急に話を途切《とぎら》し其《そ》の方《はう》に振返《ふりかへ》りながら、 「大変早いやうだね、今夜《こんや》は。」 「先生が病気で一時間早くひけたんだ。」 「小梅《こうめ》の伯父《をぢ》さんがおいでだよ。」  返事は聞《きこ》えなかつたが、次《つぎ》の間《ま》に包《つゝみ》を投出《なげだ》す音がして、直様《すぐさま》長吉《ちやうきち》は温順《おとな》しさうな弱さうな色の白い顔を襖《ふすま》の間《あひだ》から見せた。 [#5字下げ]二[#「二」は中見出し]  残暑《ざんしよ》の夕日《ゆふひ》が一しきり夏の盛《さかり》よりも烈《はげ》しく、ひろ/″\した河面《かはづら》一帯に燃え立ち、殊更《ことさら》に大学の艇庫《ていこ》の真白《まつしろ》なペンキ塗《ぬり》の板目《はめ》に反映してゐたが、忽《たちま》ち燈《ともしび》の光の消えて行《ゆ》くやうにあたりは全体に薄暗《うすぐら》く灰色に変色《へんしよく》して来て、満ち来《く》る夕汐《ゆふしほ》の上を滑《すべ》つて行《ゆ》く荷船《にぶね》の帆《ほ》のみが真白《まつしろ》く際立《きはだ》つた。と見る間《ま》もなく初秋《しよしう》の黄昏《たそがれ》は幕の下《おり》るやうに早く夜に変《かは》つた。流れる水がいやに眩《まぶ》しくきら/\光り出して、渡船《わたしぶね》に乗つて居《ゐ》る人の形をくつきりと墨絵《すみゑ》のやうに黒く染《そ》め出した。堤《つゝみ》の上に長く横《よこた》はる葉桜《はざくら》の木立《こだち》は此方《こなた》の岸から望めば恐《おそろ》しいほど真暗《まつくら》になり、一時《いちじ》は面白《おもしろ》いやうに引きつゞいて動いてゐた荷船《にぶね》はいつの間《ま》にか一|艘《さう》残らず上流の方《はう》に消えてしまつて、釣《つり》の帰りらしい小舟《こぶね》がところ/″\木《こ》の葉《は》のやうに浮いてゐるばかり、見渡《みわた》す隅田川《すみだがは》は再びひろ/″\としたばかりか静《しづか》に淋《さび》しくなつた。遥《はる》か川上《かはかみ》の空のはづれに夏の名残《なごり》を示す雲の峰《みね》が立つてゐて細い稲妻《いなづま》が絶間《たえま》なく閃《ひら》めいては消える。  長吉《ちやうきち》は先刻《さつき》から一人ぼんやりして、或時《あるとき》は今戸橋《いまどばし》の欄干《らんかん》に凭《もた》れたり、或時《あるとき》は岸の石垣《いしがき》から渡場《わたしば》の桟橋《さんばし》へ下《お》りて見たりして、夕日《ゆふひ》から黄昏《たそがれ》、黄昏《たそがれ》から夜になる河《かは》の景色《けしき》を眺《なが》めて居《ゐ》た。今夜《こんや》暗くなつて人の顔がよくは見えない時分《じぶん》になつたら今戸橋《いまどばし》の上でお糸《いと》と逢《あ》ふ約束をしたからである。然《しか》し丁度《ちやうど》日曜日に当《あた》つて夜学校《やがくかう》を口実《こうじつ》にも出来《でき》ない処《ところ》から夕飯《ゆふめし》を済《すま》すが否《いな》やまだ日《ひ》の落ちぬ中《うち》ふいと家《うち》を出てしまつた。一しきり渡場《わたしば》へ急ぐ人の往来《ゆきゝ》も今では殆《ほとん》ど絶え、橋の下に夜泊《よどま》りする荷船《にぶね》の燈火《ともしび》が慶養寺《けいやうじ》の高い木立《こだち》を倒《さかさ》に映した山谷堀《さんやぼり》の水に美しく流れた。門口《かどぐち》に柳《やなぎ》のある新しい二階|家《や》からは三味線《しやみせん》が聞《きこ》えて、水に添ふ低い小家《こいへ》の格子戸外《かうしどそと》には裸体《はだか》の亭主《ていしゆ》が凉《すゞ》みに出はじめた。長吉《ちやうきち》はもう来る時分《じぶん》であらうと思つて一心《いつしん》に橋|向《むか》うを眺《なが》めた。  最初に橋を渡つて来た人影は黒い麻《あさ》の僧衣《ころも》を着た坊主《ばうず》であつた。つゞいて尻端折《しりはしをり》の股引《もゝひき》にゴム靴をはいた請負師《うけおひし》らしい男の通《とほ》つた後《あと》、暫《しばら》くしてから、蝙蝠傘《かうもりがさ》と小包《こづゝみ》を提《さ》げた貧し気《げ》な女房が日和下駄《ひよりげた》で色気もなく砂を蹴立《けた》てゝ大股《おほまた》に歩いて行つた。もういくら待つても人通《ひとゞほ》りはない。長吉《ちやうきち》は詮方《せんかた》なく疲れた眼を河《かは》の方《はう》に移した。河面《かはづら》は先刻《さつき》よりも一体に明《あかる》くなり気味悪《きみわる》い雲の峯《みね》は影もなく消えてゐる。長吉《ちやうきち》は其《そ》の時|長命寺辺《ちやうめいじへん》の堤《つゝみ》の上の木立《こだち》から、他分《たぶん》旧暦《きうれき》七月の満月であらう、赤味《あかみ》を帯びた大きな月の昇りかけて居《ゐ》るのを認めた。空は鏡のやうに明《あかる》いのでそれを遮《さへぎ》る堤《つゝみ》と木立《こだち》はます/\黒く、星は宵《よひ》の明星《みやうじやう》の唯《たつ》た一つ見えるばかりで其《そ》の他《た》は尽《こと/″\》く余りに明《あかる》い空の光に掻《か》き消され、横ざまに長く棚曳《たなび》く雲のちぎれが銀色に透通《すきとほ》つて輝いてゐる。見る/\中《うち》満月が木立《こだち》を離れるに従ひ河岸《かはぎし》の夜露《よつゆ》をあびた瓦屋根《かはらやね》や、水に湿《ぬ》れた棒杭《ぼうぐひ》、満潮《まんてう》に流れ寄る石垣下《いしがきした》の藻草《もぐさ》のちぎれ、船の横腹《よこはら》、竹竿《たけざを》なぞが、逸早《いちはや》く月の光を受けて蒼《あを》く輝き出した。忽《たちま》ち長吉《ちやうきち》は自分の影が橋板《はしいた》の上に段々に濃《こ》く描《ゑが》き出されるのを知つた。通《とほ》りかゝるホーカイ節《ぶし》の男女が二人、「まア御覧《ごらん》よ。お月様。」と云《い》つて暫《しばら》く立止《たちどま》つた後《のち》、山谷堀《さんやぼり》の岸辺《きしべ》に曲《まが》るが否《いな》や当付《あてつけ》がましく、 [#ここから2字下げ、折り返して3字下げ] 〽書生さん橋の欄干《らんかん》に腰|打《うち》かけて――― [#ここで字下げ終わり] と立ちつゞく小家《こいへ》の前で歌つたが金にならないと見たか歌ひも了《をは》らず、元の急足《いそぎあし》で吉原土手《よしはらどて》の方《はう》へ行つてしまつた。  長吉《ちやうきち》はいつも忍会《しのびあひ》の恋人が経験するさま/″\の懸念《けねん》と待ちあぐむ心のいらだちの外《ほか》に、何《なん》とも知れぬ一種の悲哀《ひあひ》を感じた。お糸《いと》と自分との行末《ゆくすゑ》………行末《ゆくすゑ》と云《い》ふよりも今夜《こんや》会つて後《のち》の明日《あした》はどうなるのであらう。お糸《いと》は今夜《こんや》兼《かね》てから話のしてある葭町《よしちやう》の芸者屋まで出掛《でか》けて相談をして来ると云《い》ふ事で、其《そ》の道中《だうちゆう》をば二人一緒に話しながら歩かうと約束したのである。お糸《いと》がいよ/\芸者になつてしまへば此《こ》れまでのやうに毎日|逢《あ》ふ事ができなくなるのみならず、それが萬事《ばんじ》の終《をは》りであるらしく思はれてならない。自分の知らない如何《いか》にも遠い国へと再び帰る事なく去《い》つてしまふやうな気がしてならないのだ。今夜《こんや》のお月様は忘れられない。一生に二度見られない月だなアと長吉《ちやうきち》はしみじみ思つた。あらゆる記憶の数々《かず/\》が電光のやうに閃《ひらめ》く。最初|地方町《ぢかたまち》の小学校へ行く頃《ころ》は毎日のやうに喧嘩《けんくわ》して遊んだ。やがては皆《みん》なから近所の板塀《いたべい》や土蔵《どざう》の壁に相々傘《あひ/\がさ》をかゝれて囃《はや》された。小梅《こうめ》の伯父《をぢ》さんにつれられて奥山《おくやま》の見世物《みせもの》を見に行つたり池の鯉《こひ》に麩《ふ》をやつたりした。  三社祭《さんじやまつり》の折《をり》お糸《いと》は或年《あるとし》踊屋台《をどりやたい》へ出て道成寺《だうじやうじ》を踊つた。町内一同で毎年《まいとし》汐干狩《しほひがり》に行《ゆ》く船の上でもお糸《いと》はよく踊つた。学校の帰り道には毎日のやうに待乳山《まつちやま》の境内《けいだい》で待合《まちあは》せて、人の知らない山谷《さんや》の裏町《うらまち》から吉原田圃《よしはらたんぼ》を歩いた………。あゝ、お糸《いと》は何故《なぜ》芸者なんぞになるんだらう。芸者なんぞになつちやいけないと引止《ひきと》めたい。長吉《ちやうきち》は無理にも引止《ひきと》めねばならぬと決心したが、すぐ其《そ》の傍《そば》から、自分はお糸《いと》に対しては到底《たうてい》それだけの威力《ゐりよく》のない事を思返《おもひかへ》した。果敢《はかな》い絶望と諦《あきら》めとを感じた。お糸《いと》は二ツ年下の十六であるが、此頃《このごろ》になつては長吉は殊更《ことさら》に日《ひ》一|日《にち》とお糸《いと》が遥《はる》か年上の姉であるやうな心持《こゝろもち》がしてならぬのであつた。いや最初からお糸《いと》は長吉《ちやうきち》よりも強かつた。長吉《ちやうきち》よりも遥《はるか》に臆病《おくびやう》ではなかつた。お糸《いと》長吉《ちやうきち》と相々傘《あひ/\がさ》にかゝれて皆《みん》なから囃《はや》された時でもお糸《いと》はびく[#「びく」に傍点]ともしなかつた。平気な顔で長《ちやう》ちやんはあたいの旦那《だんな》だよと怒鳴《どな》つた。去年初めて学校からの帰り道を待乳山《まつちやま》で待ち合はさうと申出《まをしだ》したのもお糸《いと》であつた。宮戸座《みやとざ》の立見《たちみ》へ行《ゆ》かうと云《い》つたのもお糸《いと》が先《さき》であつた。帰りの晩《おそ》くなる事をもお糸《いと》の方が却《かへつ》て心配しなかつた。知らない道に迷つても、お糸《いと》は行《ゆ》ける処《ところ》まで行《い》つて御覧《ごらん》よ。巡査《おまはり》さんにきけば分《わか》るよと云《い》つて、却《かへつ》て面白《おもしろ》さうにづん/\歩いた………。  あたりを構《かま》はず橋板《はしいた》の上に吾妻下駄《あづまげた》を鳴《なら》す響《ひゞき》がして、小走《こばし》りに突然《とつぜん》お糸《いと》がかけ寄つた。 「おそかつたでせう。気に入らないんだもの、母《おつか》さんの結《ゆ》つた髪なんぞ。」と馳《か》け出した為《た》めに殊更《ことさら》ほつれた鬢《びん》を直しながら、「をかしいでせう。」  長吉《ちやうきち》はたゞ眼を円《まる》くしてお糸《いと》の顔を見るばかりである。いつもと変りのない元気のいゝはしやぎ切つた様子《やうす》がこの場合|寧《むし》ろ憎《にく》らしく思はれた。遠い下町《したまち》に行つて芸者になつてしまふのが少《すこ》しも悲しくないのかと長吉《ちやうきち》は云《い》ひたい事も胸一ぱいになつて口には出ない。お糸《いと》は河水《かはみづ》を照《てら》す玉のやうな月の光にも一向《いつかう》気のつかない様子《やうす》で、 「早く行《ゆ》かうよ。私《わたい》お金持ちだよ。今夜《こんや》は。仲店《なかみせ》でお土産《みやげ》を買つて行《ゆ》くんだから。」とすた/\歩きだす。 「明日《あした》、きつと帰るか。」長吉《ちやうきち》は吃《ども》るやうにして云《い》ひ切つた。 「明日《あした》帰らなければ、明後日《あさつて》の朝はきつと帰つて来てよ。不断着《ふだんぎ》だの、いろんなもの持つて行かなくつちやならないから。」  待乳山《まつちやま》の麓《ふもと》を聖天町《しやうでんちやう》の方《はう》へ出やうと細い路地《ろぢ》をぬけた。 「何故《なぜ》黙つてるのよ。どうしたの。」 「明後日《あさつて》帰つて来てそれから又《また》彼方《あつち》へ去《い》つてしまふんだらう。え。お糸《いと》ちやんはもう其《そ》れなり向《むか》うの人になつちまふんだらう。もう僕《ぼく》とは会へないんだらう。」 「ちよい/\遊びに帰つて来るわ。だけれど、私《わたい》も一生懸命にお稽古《けいこ》しなくつちやならないんだもの。」  少《すこ》しは声を曇《くもら》したものゝ其《そ》の調子《てうし》は長吉《ちやうきち》の満足するほどの悲愁《ひしふ》を帯びてはゐなかつた。長吉《ちやうきち》は暫《しばら》くしてから又《また》突然《とつぜん》に、 「なぜ芸者なんぞになるんだ。」 「又《また》そんな事きくの。をかしいよ。長《ちやう》さんは。」  お糸《いと》は已《すで》に長吉《ちやうきち》のよく知つてゐる事情をば再びくど/\しく繰返《くりかへ》した。お糸《いと》が芸者になると云《い》ふ事は二三年いやもつと前から長吉《ちやうきち》にも能《よ》く分《わか》つてゐた事である。其《そ》の起因《おこり》は大工《だいく》であつたお糸《いと》の父親がまだ生きて居《ゐ》た頃《ころ》から母親《おふくろ》は手内職《てないしよく》にと針仕事をしてゐたが、その得意先《とくいさき》の一|軒《けん》で橋場《はしば》の妾宅《せふたく》にゐる御新造《ごしんぞ》がお糸《いと》の姿《すがた》を見て是非《ぜひ》娘分《むすめぶん》にして行末《ゆくすゑ》は立派《りつぱ》な芸者にしたてたいと云出《いひだ》した事からである。御新造《ごしんぞ》の実家《じつか》は葭町《よしちやう》で幅《はゞ》のきく芸者家《げいしやや》であつた。然《しか》し其《そ》の頃《ころ》のお糸《いと》の家《うち》はさほどに困つても居《ゐ》なかつたし、第一に可愛《かあい》い盛《さかり》の子供を手放すのが辛《つら》かつたので、親の手元《てもと》でせいぜい芸を仕込ます事になつた。其後《そのご》父親が死んだ折《をり》には差当《さしあた》り頼りのない母親は橋場《はしば》の御新造《ごしんぞ》の世話で今の煎餅屋《せんべいや》を出したやうな関係もあり、萬事《ばんじ》が金銭上の義理ばかりでなくて相方《さうはう》の好意から自然とお糸《いと》は葭町《よしちやう》へ行《ゆ》くやうに誰《た》れが強《し》ひるともなく決《きま》つて居《ゐ》たのである。百も承知してゐるこんな事情を長吉《ちやうきち》はお糸《いと》の口からきく為《た》めに質問したのでない。お糸《いと》がどうせ行《ゆ》かねばならぬものなら、もう少《すこ》し悲しく自分の為《た》めに別《わかれ》を惜《を》しむやうな調子《てうし》を見せて貰《もら》ひたいと思つたからだ。長吉《ちやうきち》は自分とお糸《いと》の間《あひだ》にはいつの間《ま》にか互《たがひ》に疎通《そつう》しない感情の相違の生じて居《ゐ》る事を明《あきら》かに知つて、更《さら》に深い悲《かなし》みを感じた。  この悲《かなし》みはお糸《いと》が土産物《みやげもの》を買ふ為《た》め仁王門《にわうもん》を過ぎて仲店《なかみせ》へ出た時|更《さら》に又《また》堪《た》へがたいものとなつた。夕凉《ゆふすゞみ》に出掛《でか》ける賑《にぎや》かな人出《ひとで》の中にお糸《いと》はふいと立止《たちどま》つて、並《なら》んで歩く長吉《ちやうきち》の袖《そで》を引き、「長《ちやう》さん、あたいも直《ぢ》きあんな扮装《なり》するんだねえ。絽縮緬《ろちりめん》だねきつと、あの羽織《はおり》………。」  長吉《ちやうきち》は云《い》はれるまゝに見返《みかへ》ると、島田《しまだ》に結《ゆ》つた芸者と、其《そ》れに連立《つれだ》つて行《ゆ》くのは黒絽《くろろ》の紋付《もんつき》をきた立派《りつぱ》な紳士《しんし》であつた。あゝお糸《いと》が芸者になつたら一緒に手を引いて歩く人は矢張《やつぱり》あゝ云《い》ふ立派《りつぱ》な紳士《しんし》であらう。自分は何年たつたらあんな紳士《しんし》になれるのか知ら。兵児帯《へこおび》一ツの現在《いま》の書生|姿《すがた》が云《い》ふに云《い》はれず情《なさけ》なく思はれると同時に、長吉《ちやうきち》は其《そ》の将来どころか現在に於《おい》ても、已《すで》に単純なお糸《いと》の友達たる資格さへないものゝやうな心持《こゝろもち》がした。  いよ/\御神燈《ごしんとう》のつゞいた葭町《よしちやう》の路地口《ろぢぐち》へ来た時、長吉《ちやうきち》はもう此《こ》れ以上|果敢《はかな》いとか悲しいとか思ふ元気さへなくなつて、唯《た》だぼんやり、狭《せま》く暗い路地裏《ろぢうら》のいやに奥深《おくふか》く行先《ゆくさき》知れず曲込《まがりこ》んでゐるのを不思議さうに覗込《のぞきこ》むばかりであつた。 「あの、一《ひ》ィ二《ふ》ゥ三《み》ィ………四つ目の瓦斯燈《ガスとう》の出てるところだよ。松葉屋《まつばや》と書いてあるだらう。ね。あの家《うち》よ。」とお糸《いと》は屡《しば/\》橋場《はしば》の御新造《ごしんぞ》につれて来られたり、又《また》はその用事で使ひに来たりして能《よ》く知つてゐる軒先《のきさき》の燈《あかり》を指し示した。 「ぢやア僕《ぼく》は帰るよ。もう………。」と云《い》ふばかりで長吉《ちやうきち》は矢張《やは》り立止《たちどま》つてゐる。その袖《そで》をお糸《いと》は軽く捕《つかま》へて忽《たちま》ち媚《こび》るやうに寄添《よりそ》ひ、 「明日《あした》か明後日《あさつて》、家《うち》へ帰つて来た時きつと逢《あ》はうね。いゝかい。きつとよ。約束してよ。あたいの家《うち》へお出《いで》よ。よくツて。」 「あゝ。」  返事をきくと、お糸《いと》は其《そ》れですつかり安心したものゝ如《ごと》くすた/\路地《ろぢ》の溝板《どぶいた》を吾妻下駄《あづまげた》に踏みならし振返《ふりかへ》りもせずに行つてしまつた。其《そ》の足音が長吉《ちやうきち》の耳には急いで馳《か》けて行《ゆ》くやうに聞《きこ》えた、かと思ふ間《ま》もなく、ちりん/\と格子戸《かうしど》の鈴の音がした。長吉《ちやうきち》は覚えず後《あと》を追つて路地内《ろぢうち》へ這入《はい》らうとしたが、同時に一番近くの格子戸《かうしど》が人声《ひとごゑ》と共に開《あ》いて、細長い弓張提灯《ゆみはりぢやうちん》を持つた男が出て来たので、何《なん》と云《い》ふ事なく長吉は気後《きおく》れのしたばかりか、顔を見られるのが厭《いや》さに、一散《いつさん》に通《とほ》りの方《はう》へと遠《とほざ》かつた。円《まる》い月は形が大分《だいぶ》小《ちひさ》くなつて光が蒼《あを》く澄《す》んで、静《しづか》に聳《そび》える裏通《うらどほ》りの倉《くら》の屋根《やね》の上、星の多い空の真中《まんなか》に高く昇つて居《ゐ》た。 [#5字下げ]三[#「三」は中見出し]  月の出《で》が夜毎《よごと》おそくなるにつれて其《そ》の光は段々|冴《さ》えて来た。河風《かはかぜ》の湿《しめ》ツぽさが次第に強く感じられて来て浴衣《ゆかた》の肌《はだ》がいやに薄寒《うすさむ》くなつた。月はやがて人の起きて居《ゐ》る頃《ころ》にはもう昇らなくなつた。空には朝も昼過《ひるす》ぎも夕方《ゆふがた》も、いつでも雲が多くなつた。雲は重《かさな》り合つて絶えず動いてゐるので、時としては僅《わづ》かに其《そ》の間々《あひだ/\》に殊更《ことさら》らしく色の濃《こ》い青空の残りを見せて置きながら、空《そら》一面に蔽《おほ》ひ冠《かぶ》さる。すると気候は恐《おそろ》しく蒸暑《むしあつ》くなつて来て、自然と浸《し》み出る脂汗《あぶらあせ》が不愉快《ふゆくわい》に人の肌《はだ》をねば/\させるが、然《しか》し又《また》、さう云《い》ふ時にはきまつて、其《そ》の強弱と其《そ》の方向の定まらない風が突然《とつぜん》に吹き起《おこ》つて、雨もまた降《ふ》つては止《や》み、止《や》んではまた降りつゞく事がある。この風やこの雨には一種特別の底深《そこぶか》い力が含まれて居《ゐ》て、寺の樹木《じゆもく》や、河岸《かはぎし》の葦《あし》の葉や、場末《ばすゑ》につゞく貧しい家の板屋根《いたやね》に、春や夏には決して聞かれない音響《おんきやう》を伝へる。日が恐《おそろ》しく早く暮れてしまふだけ、長い夜《よ》はすぐに寂々《しん/\》と更《ふ》け渡つて来て、夏ならば夕凉《ゆふすゞ》みの下駄《げた》の音に遮《さへぎ》られてよくは聞《きこ》えない八時か九時の時《とき》の鐘《かね》があたりをまるで十二時の如《ごと》く静《しづか》にしてしまふ。蟋蟀《こほろぎ》の声はいそがしい。燈火《ともしび》の色はいやに澄《す》む。秋。あゝ秋だ。長吉《ちやうきち》は初めて秋といふものは成程《なるほど》いやなものだ。実《じつ》に淋《さび》しくつて堪《たま》らないものだと身にしみ/″\感じた。  学校はもう昨日《きのふ》から始《はじま》つてゐる。朝早く母親の用意して呉《く》れる弁当箱を書物と一所に包んで家《うち》を出て見たが、二日目三日目にはつく/″\遠い神田《かんだ》まで歩いて行《ゆ》く気力がなくなつた。今までは毎年《まいねん》長い夏休みの終《をは》る頃《ころ》と云《い》へば学校の教場《けうぢやう》が何《なん》となく恋しく授業の開始する日が心待《こゝろまち》に待たれるやうであつた。其《そ》のうひ/\しい心持《こゝろもち》はもう全《まつた》く消えてしまつた。つまらない。学問なんぞしたつてつまるものか。学校は己《おの》れの望むやうな幸福を与へる処《ところ》ではない。………幸福とは無関係のものである事を長吉《ちやうきち》は物新《ものあたら》しく感じた。  四日目の朝いつものやうに七時前に家《うち》を出て観音《くわんおん》の境内《けいだい》まで歩いて来たが、長吉《ちやうきち》はまるで疲れきつた旅人《たびびと》が路傍《みちばた》の石に腰《こし》をかけるやうに、本堂の横手《よこて》のベンチの上に腰《こし》を下《おろ》した。いつの間《ま》に掃除《さうぢ》をしたものか朝露《あさつゆ》に湿《しめ》つた小砂利《こじやり》の上には、投捨《なげす》てた汚《きたな》い紙片《かみきれ》もなく、朝早い境内《けいだい》はいつもの雑沓《ざつたふ》に引かへて妙《めう》に広く神々《かう/″\》しく寂《しん》としてゐる。本堂の廊下《らうか》には此処《こゝ》で夜明《よあか》ししたらしい迂散《うさん》な男が今だに幾人《いくにん》も腰《こし》をかけて居《ゐ》て、其《そ》の中には垢《あか》じみた単衣《ひとへ》の三尺帯《さんじやくおび》を解いて平気で褌《ふんどし》をしめ直してゐる奴《やつ》もあつた。此頃《このごろ》の空癖《そらくせ》で空は低く鼠色《ねずみいろ》に曇《くも》り、あたりの樹木《じゆもく》からは虫噛《むしば》んだ青いまゝの木葉《このは》が絶え間なく落ちる。烏《からす》や鶏《にはとり》の啼声《なきごゑ》鳩《はと》の羽音《はおと》が爽《さはや》かに力強く聞《きこ》える。溢《あふ》れる水に濡《ぬ》れた御手洗《みたらし》の石が飜《ひるが》へる奉納《ほうなふ》の手拭《てぬぐひ》のかげにもう何《なん》となく冷《つめた》いやうに思はれた。其《そ》れにも拘《かゝは》らず朝参《あさまゐ》りの男女は本堂の階段を上《のぼ》る前に何《いづ》れも手を洗ふ為《た》めにと立止《たちど》まる。其《そ》の人々の中に長吉《ちやうきち》は偶然《ぐうぜん》にも若い一人の芸者が、口には桃色のハンケチを啣《くは》へて、一重羽織《ひとへばおり》の袖口《そでぐち》を濡《ぬら》すまい為《た》めか、真白《まつしろ》な手先《てさき》をば腕までも見せるやうに長くさし伸《のば》してゐるのを認めた。同時にすぐ隣《となり》のベンチに腰をかけてゐる書生が二人、「見ろ/\、ジンゲルだ。わるくないなア。」と云《い》つてゐるのさへ耳にした。  島田《しまだ》に結《ゆ》つて弱々しく両肩《りやうかた》の撫《な》で下《さが》つた小作《こづく》りの姿《すがた》と、口尻《くちじり》のしまつた円顔《まるがほ》、十六七の同じやうな年頃《としごろ》とが、長吉《ちやうきち》をして其《そ》の瞬間《しゆんかん》危《あやふ》くベンチから飛び立たせやうとした程《ほど》お糸《いと》のことを連想せしめた。お糸《いと》は月のいゝあの晩に約束した通り、其《そ》の翌々日《よく/\じつ》に、其《そ》れからは長く葭町《よしちやう》の人たるべく手荷物《てにもつ》を取りに帰つて来たが、其《そ》の時|長吉《ちやうきち》はまるで別の人のやうにお糸《いと》の姿《すがた》の変《かは》つてしまつたのに驚いた。赤いメレンスの帯ばかり締《し》めて居《ゐ》た娘姿《むすめすがた》が、突然《とつぜん》たつた一日の間《あひだ》に、丁度《ちやうど》今|御手洗《みたらし》で手を洗つてゐる若い芸者その儘《まゝ》の姿《すがた》になつてしまつたのだ。薬指《くすりゆび》にはもう指環《ゆびわ》さへ穿《は》めてゐた。用もないのに幾度《いくたび》となく帯の間《あひだ》から鏡入《かゞみい》れや紙入《かみいれ》を抜き出して、白粉《おしろい》をつけ直したり鬢《びん》のほつれを撫《な》で上げたりする。戸外《そと》には車を待たして置いていかにも急《いそが》しい大切な用件を身に帯びてゐると云《い》つた風《ふう》で一時間もたつかたゝない中《うち》に帰つてしまつた。其《そ》の帰りがけ長吉《ちやうきち》に残した最後の言葉は其《そ》の母親の「御師匠《おししやう》さんのをばさん」にもよろしく云《い》つてくれと云《い》ふ事であつた。まだ何時《いつ》出るのか分《わか》らないから又《また》近い中《うち》に遊びに来るわと云《い》ふ懐《なつか》しい声も聞《きか》れないのではなかつたが、其《そ》れはもう今までのあどけない約束ではなくて、世馴《よな》れた人の如才《じよさい》ない挨拶《あいさつ》としか長吉《ちやうきち》には聞取《きゝと》れなかつた。娘であつたお糸《いと》、幼馴染《をさななじみ》の恋人のお糸《いと》はこの世にはもう生きてゐないのだ。路傍《みちばた》に寝て居《ゐ》る犬を驚《おどろか》して勢《いきほひ》よく駈《か》け去つた車の後《あと》に、えも云《い》はれず立迷《たちまよ》つた化粧《けしやう》の匂《にほ》ひが、いかに苦しく、いかに切《せつ》なく身中《みうち》にしみ渡つたであらう………。  本堂の中にと消えた若い芸者の姿《すがた》は再び階段の下に現《あらは》れて仁王門《にわうもん》の方《はう》へと、素足《すあし》の指先《ゆびさき》に突掛《つゝか》けた吾妻下駄《あづまげた》を内輪《うちわ》に軽く踏みながら歩いて行《ゆ》く。長吉《ちやうきち》は其《そ》の後姿《うしろすがた》を見送《みおく》ると又《また》更《さら》に恨《うら》めしいあの車を見送《みおく》つた時の一|刹那《せつな》を思起《おもひおこ》すので、もう何《なん》としても我慢《がまん》が出来《でき》ぬといふやうにベンチから立上《たちあが》つた。そして知らず/\其《そ》の後《あと》を追ふて仲店《なかみせ》の尽《つき》るあたりまで来たが、若い芸者の姿《すがた》は何処《どこ》の横町《よこちやう》へ曲《まが》つてしまつたものか、もう見えない。両側《りやうがは》の店では店先を掃除《さうぢ》して品物を並《なら》べたてゝゐる最中《さいちゆう》である。長吉《ちやうきち》は夢中《むちゆう》で雷門《かみなりもん》の方《はう》へどん/\歩いた。若い芸者の行衛《ゆくゑ》を見究《みきは》めやうと云《い》ふのではない。自分の眼にばかりあり/\見えるお糸《いと》の後姿《うしろすがた》を追つて行《ゆ》くのである。学校の事も何《なに》も彼《か》も忘れて、駒形《こまがた》から蔵前《くらまへ》、蔵前《くらまへ》から浅草橋《あさくさばし》………其《そ》れから葭町《よしちやう》の方へとどん/\歩いた。然《しか》し電車の通《とほ》つてゐる馬喰町《ばくろちやう》の大通《おほどほ》りまで来て、長吉《ちやうきち》は何《ど》の横町《よこちやう》を曲《まが》ればよかつたのか少《すこ》しく当惑《たうわく》した。けれども大体の方角はよく分《わか》つてゐる。東京に生れたものだけに道をきくのが厭《いや》である。恋人の住む町と思へば、其《そ》の名を徒《いたづら》に路傍《ろばう》の他人に漏《もら》すのが、心の秘密を探られるやうで、唯《たゞ》わけもなく恐《おそろ》しくてならない。長吉《ちやうきち》は仕方《しかた》なしに唯《た》だ左へ左へと、いゝかげんに折《を》れて行《ゆ》くと蔵造《くらづく》りの問屋らしい商家《しやうか》のつゞいた同じやうな堀割《ほりわり》の岸に二度も出た。其《そ》の結果|長吉《ちやうきち》は遥《はる》か向《むか》うに明治座《めいぢざ》の屋根《やね》を見てやがて稍《やゝ》広い往来《わうらい》へ出た時、其《そ》の遠い道のはづれに河蒸汽船《かはじようきせん》の汽笛《きてき》の音の聞《きこ》えるのに、初めて自分の位置と町の方角とを覚《さと》つた。同時に非常な疲労《つかれ》を感じた。制帽《せいぼう》を冠《かぶ》つた額《ひたひ》のみならず汗は袴《はかま》をはいた帯のまはりまでしみ出してゐた。然《しか》しもう一|瞬間《しゆんかん》とても休む気にはならない。長吉《ちやうきち》は月の夜《よ》に連れられて来た路地口《ろぢぐち》をば、これは又《また》一層の苦心、一層の懸念《けねん》、一層の疲労を以《も》つて、やつとの事で見出《みいだ》し得たのである。  片側《かたかは》に朝日《あさひ》がさし込んで居《ゐ》るので路地《ろぢ》の内《うち》は突当《つきあた》りまで見透《みとほ》された。格子戸《かうしど》づくりの小《ちひさ》い家《うち》ばかりでない。昼間《ひるま》見ると意外に屋根《やね》の高い倉《くら》もある。忍返《しのびがへ》しをつけた板塀《いたべい》もある。其《そ》の上から松《まつ》の枝も見える。石灰《いしばひ》の散つた便所の掃除口《さうぢぐち》も見える。塵芥箱《ごみばこ》の並《なら》んだ処《ところ》もある。其《そ》の辺《へん》に猫がうろ/\して居《ゐ》る。人通《ひとゞほ》りは案外に烈《はげ》しい。極《きは》めて狭《せま》い溝板《どぶいた》の上を通行の人は互《たがひ》に身を斜《なゝ》めに捻向《ねぢむ》けて行《ゆ》き交《ちが》ふ。稽古《けいこ》の三味線《しやみせん》に人の話声《はなしごゑ》が交《まじ》つて聞《きこ》える。洗物《あらひもの》する水音《みづおと》も聞《きこ》える。赤い腰巻《こしまき》に裾《すそ》をまくつた小女《こをんな》が草箒《くさばうき》で溝板《どぶいた》の上を掃《は》いてゐる。格子戸《かうしど》の格子《かうし》を一本々々一生懸命に磨《みが》いて居《ゐ》るのもある。長吉《ちやうきち》は人目《ひとめ》の多いのに気後《きおく》れしたのみでなく、さて路地内《ろぢうち》に進入《すゝみい》つたにした処《ところ》で、自分はどうするのかと初めて反省の地位に返つた。人知《ひとし》れず松葉屋《まつばや》の前を通つて、そつとお糸《いと》の姿《すがた》を垣間見《かいまみ》たいとは思つたが、あたりが余りに明過《あかるす》ぎる。さらば此《こ》のまゝ路地口《ろぢぐち》に立つてゐて、お糸《いと》が何かの用で外へ出るまでの機会を待たうか。然《しか》しこれもまた、長吉《ちやうきち》には近所の店先《みせさき》の人目《ひとめ》が尽《こと/″\》く自分ばかりを見張《みは》つて居《ゐ》るやうに思はれて、とても五分と長く立つてゐる事はできない。長吉《ちやうきち》は兎《と》に角《かく》思案《しあん》をしなほすつもりで、折《をり》から近所の子供を得意にする粟餅屋《あはもちや》の爺《ぢゝ》がカラカラカラと杵《きね》をならして来る向《むか》うの横町《よこちやう》の方へと遠《とほざ》かつた。  長吉《ちやうきち》は浜町《はまちやう》の横町《よこちやう》をば次第に道の行《ゆ》くまゝに大川端《おほかはばた》の方へと歩いて行つた。いか程《ほど》機会を待つても昼中《ひるなか》はどうしても不便である事を僅《わづ》かに悟《さと》り得たのであるが、すると、今度はもう学校へは遅《おそ》くなつた。休むにしても今日《けふ》の半日《はんにち》、これから午後の三時までをどうして何処《どこ》に消費しやうかと云《い》ふ問題の解決に迫《せ》められた。母親のお豊《とよ》は学校の時間割までをよく知抜《しりぬ》いてゐるので、長吉《ちやうきち》の帰りが一時間早くても、晩《おそ》くても、すぐに心配して煩《うるさ》く質問する。無論《むろん》長吉《ちやうきち》は何《なん》とでも容易《たやす》く云紛《いひまぎ》らすことは出来《でき》ると思ふものゝ、其《そ》れだけの嘘《うそ》をつく良心の苦痛に逢《あ》ふのが厭《いや》でならない。丁度《ちやうど》来かゝる川端《かはゞた》には、水練場《すゐれんば》の板小屋《いたごや》が取払《とりはら》はれて、柳《やなぎ》の木蔭《こかげ》に人が釣《つり》をしてゐる。其《そ》れをば通りがゝりの人が四人も五人もぼんやり立つて見てゐるので、長吉《ちやうきち》はいゝ都合だと同じやうに釣《つり》を眺《なが》める振《ふり》で其《そ》のそばに立寄《たちよ》つたが、もう立つてゐるだけの力さへなく、柳《やなぎ》の根元《ねもと》の支木《さゝへぎ》に背《せ》をよせかけながら蹲踞《しやが》んでしまつた。  さつきから空の大半《たいはん》は真青《まつさを》に晴れて来て、絶えず風の吹き通《かよ》ふにも拘《かゝは》らず、ぢり/\人の肌《はだ》に焼附《やきつ》くやうな湿気《しつけ》のある秋の日は、目の前なる大川《おほかは》の水一面に眩《まぶ》しく照り輝くので、往来《わうらい》の片側に長くつゞいた土塀《どべい》からこんもりと枝を伸《のば》した繁りの蔭《かげ》がいかにも凉《すゞ》しさうに思はれた。甘酒屋《あまざけや》の爺《ぢゝ》がいつか此《こ》の木蔭《こかげ》に赤く塗《ぬ》つた荷《に》を下《おろ》してゐた。川向《かはむかう》は日の光の強い為《ため》に立続《たちつゞ》く人家《じんか》の瓦屋根《かはらやね》をはじめ一帯の眺望《てうばう》がいかにも汚《きたな》らしく見え、風に追ひやられた雲の列が盛《さかん》に煤煙《ばいえん》を吐《は》く製造場《せいぞうば》の烟筒《けむだし》よりも遥《はるか》に低く、動かずに層をなして浮《うか》んでゐる。釣《つり》道具を売る後《うしろ》の小家《こいへ》から十一時の時計が鳴つた。長吉《ちやうきち》は数へながら其《そ》れを聞いて、初めて自分はいかに長い時間を歩き暮《くら》したかに驚《おどろ》いたが、同時に此《こ》の分《ぶん》で行けば三時までの時間を空費《くうひ》するのもさして難《かた》くはないと稍《やゝ》安心することも出来《でき》た。長吉《ちやうきち》は釣師《つりし》の一人が握飯《にぎりめし》を食ひはじめたのを見て、同じやうに弁当箱《べんたうばこ》を開いた。開いたけれども何《なん》だか気《き》まりが悪くて、誰《たれ》か見てゐやしないかときよろ/\四辺《あたり》を見𢌞《みまは》した。幸ひ午近《ひるぢか》くのことで見渡《みわた》す川岸に人の往来《わうらい》は杜絶《とだ》えてゐる。長吉《ちやうきち》は出来《でき》るだけ早く飯《めし》でも菜《さい》でも皆《みん》な鵜呑《うの》みにしてしまつた。釣師《つりし》はいづれも木像のやうに黙つてゐるし、甘酒屋《あまざけや》の爺《ぢゝ》は居眠《ゐねむ》りしてゐる。午過《ひるすぎ》の川端《かはゞた》はます/\静《しづか》になつて犬さへ歩いて来ない処《ところ》から、流石《さすが》の長吉《ちやうきち》も自分は何故《なぜ》こんなに気《き》まりを悪がるのであらう臆病《おくびやう》なのであらうと我ながら可笑《をか》しい気にもなつた。  両国橋《りやうごくばし》と新大橋《しんおほはし》との間《あひだ》を一𢌞《ひとまはり》した後《のち》、長吉《ちやうきち》はいよ/\浅草の方《はう》へ帰らうと決心するにつけ、「もしや」といふ一念にひかされて再び葭町《よしちやう》の路地口《ろぢぐち》に立寄《たちよ》つて見た。すると午前ほどには人通《ひとゞほ》りがないのに先《ま》ず安心して、おそる/\松葉屋《まつばや》の前を通《とほ》つて見たが、家《うち》の中は外から見ると非常に暗く、人の声|三味線《しやみせん》の音さへ聞《きこ》えなかつた。けれども長吉《ちやうきち》には誰《たれ》にも咎《とが》められずに恋人の住む家《うち》の前を通《とほ》つたと云《い》ふそれだけの事が、殆《ほと》んど破天荒《はてんくわう》の冒険を敢《あへ》てしたやうな満足を感じさせたので、これまで歩きぬいた身の疲労と苦痛とを長吉《ちやうきち》は遂《つひ》に後悔《こうくわい》しなかつた。 [#5字下げ]四[#「四」は中見出し]  その週間の残りの日数《ひかず》だけはどうやらかうやら、長吉《ちやうきち》は学校へ通《かよ》つたが、日曜日一日を過《すご》すと其《そ》の翌朝《あくるあさ》は電車に乗つて上野まで来ながらふいと下《お》りてしまつた。教師に差出《さしだ》すべき代数の宿題を一つもやつて置かなかつた。英語と漢文の下読《したよみ》をもして置かなかつた。それのみならず今日《けふ》は又《また》、凡《およ》そ世の中で何《なに》よりも嫌《きら》ひな何《なに》よりも恐《おそろ》しい機械体操のある事を思ひ出したからである。長吉《ちやうきち》には鉄棒から逆《さかさ》にぶらさがつたり、人の丈《たけ》より高い棚《たな》の上から飛下《とびお》りるやうな事は、いかに軍曹上《ぐんさうあが》りの教師から強《し》ひられても全級《ぜんきふ》の生徒から一|斉《せい》に笑はれても到底《たうてい》出来得《できう》べきことではない。何《なに》によらず体育の遊戯《いうぎ》にかけては、長吉《ちやうきち》はどうしても他《た》の生徒一同に伴つて行《ゆ》く事が出来《でき》ないので、自然と軽侮《けいぶ》の声の中に孤立《こりつ》する。其《そ》の結果は、遂《つひ》に一同から意地悪《いぢわる》くいぢめられる事になり易《やす》い。学校は単にこれだけでも随分《ずゐぶん》厭《いや》な処《ところ》、苦しいところ、辛《つら》い処《ところ》であつた。されば長吉《ちやうきち》はその母親がいかほど望んだ処《ところ》で今になつては高等学校へ這入《はい》らうと云《い》ふ気は全《まつた》くない。若《も》し入学すれば校則として当初《はじめ》の一年間は是非《ぜひ》とも狂暴《きやうぼう》無残《むざん》な寄宿舎《きしゆくしや》生活をしなければならない事を聴知《きゝし》つてゐたからである。高等学校|寄宿舎《きしゆくしや》内に起《おこ》るいろ/\な逸話《いつわ》は早くから長吉《ちやうきち》の胆《きも》を冷《ひや》してゐるのであつた。いつも画学《ぐわがく》と習字にかけては全級《ぜんきふ》誰《たれ》も及ぶものゝない長吉《ちやうきち》の性情《せいじやう》は、鉄拳《てつけん》だとか柔術《じうじゆつ》だとか日本魂《やまとだましひ》だとか云《い》ふものよりも全《まつた》く異《ちが》つた他の方面に傾いてゐた。子供の時から朝夕《あさゆふ》に母が渡世《とせい》の三味線《しやみせん》を聴《き》くのが大好きで、習はずして自然に絃《いと》の調子《てうし》を覚え、町を通《とほ》る流行唄《はやりうた》なぞは一度|聴《き》けば直《す》ぐに記憶《きおく》する位《くらゐ》であつた。小梅《こうめ》の伯父《をぢ》なる蘿月宗匠《らげつそうしやう》は早くも名人になるべき素質があると見抜いて、長吉《ちやうきち》をば檜物町《ひものちやう》でも植木店《うゑきだな》でも何処《どこ》でもいゝから一流の家元《いへもと》へ弟子入《でしいり》をさせたらばとお豊《とよ》に勧《すゝ》めたがお豊《とよ》は断じて承諾《しようだく》しなかつた。のみならず以来は長吉《ちやうきち》に三味線《しやみせん》を弄《いぢ》る事をば口喧《くちやかま》しく禁止した。  長吉《ちやうきち》は蘿月《らげつ》の伯父《をぢ》さんの云《い》つたやうに、あの時分《じぶん》から三味線《しやみせん》を稽古《けいこ》したなら、今頃《いまごろ》は兎《と》に角《かく》一人前《いちにんまへ》の芸人になつてゐたに違ひない。さすればよしやお糸《いと》が芸者になつたにした処《ところ》で、こんなに悲惨《みじめ》な目に遇《あ》はずとも済《す》んだであらう。あゝ実《じつ》に取返《とりかへ》しのつかない事をした。一生の方針を誤《あやま》つたと感じた。母親が急に憎《にく》くなる。例《たと》へられぬほど怨《うらめ》しく思はれるに反して、蘿月《らげつ》の伯父《をぢ》さんの事が何《なん》となく取縋《とりすが》つて見たいやうに懐《なつか》しく思返《おもひかへ》された。これまでは何《なん》の気もなく母親からも亦《また》伯父《をぢ》自身の口からも度々《たび/\》聞かされてゐた伯父《をぢ》が放蕩三昧《はうたうざんまい》の経歴が恋の苦痛を知り初《そ》めた長吉《ちやうきち》の心には凡《すべ》て新しい何《なに》かの意味を以《もつ》て解釈されはじめた。長吉《ちやうきち》は第一に「小梅《こうめ》の伯母《をば》さん」と云《い》ふのは元《もと》金瓶大黒《きんぺいだいこく》の華魁《おいらん》で明治の初め吉原《よしはら》解放の時|小梅《こうめ》の伯父《をぢ》さんを頼つて来たのだとやら云《い》ふ話を思出《おもひだ》した。伯母《をば》さんは子供の頃《ころ》自分をば非常に可愛《かはい》がつて呉《く》れた。其《そ》れにも係《かゝは》らず、自分の母親のお豊《とよ》はあまり好《よ》くは思つてゐない様子《やうす》で、盆暮《ぼんくれ》の挨拶《あいさつ》もほんの義理一|遍《ぺん》らしい事を構《かま》はず素振《そぶり》に現《あらは》してゐた事さへあつた。長吉《ちやうきち》は此処《こゝ》で再び母親の事を不愉快《ふゆくわい》に且《か》つ憎《にく》らしく思つた。殆《ほとん》ど夜《よ》の目も離さぬ程《ほど》自分の行《おこな》ひを目戍《みまも》つて居《ゐ》るらしい母親の慈愛《じあい》が窮屈《きゆうくつ》で堪《たま》らないだけ、もしこれが小梅《こうめ》の伯母《をば》さん見たやうな人であつたら―――小梅《こうめ》のをばさんはお糸《いと》と自分の二人を見て何とも云《い》へない情《なさけ》のある声で、いつまで[#「いつまで」に傍点]も仲よくお遊びよと云《い》つて呉《く》れた事がある―――自分の苦痛の何物《なにもの》たるかを能《よ》く察《さつ》して同情して呉《く》れるであらう。自分の心がすこしも要求してゐない幸福を頭から無理に強《し》ひはせまい。長吉《ちやうきち》は偶然《ぐうぜん》にも母親のやうな正しい身の上の女と小梅《こうめ》のをばさんのやうな或種《あるしゆ》の経歴ある女との心理を比較した。学校の教師のやうな人と蘿月伯父《らげつをぢ》さんのやうな人とを比較した。  午頃《ひるごろ》まで長吉《ちやうきち》は東照宮《とうせうぐう》の裏手《うらて》の森の中で、捨石《すていし》の上に横《よこた》はりながら、こんな事を考へつゞけた後《あと》は、包《つゝみ》の中にかくした小説本を取出《とりだ》して読み耽《ふけ》つた。そして明日《あした》出すべき欠席|届《とゞけ》にはいかにして又《また》母の認印《みとめいん》を盗《ぬす》むべきかを考へた。 [#5字下げ]五[#「五」は中見出し]  一《ひと》しきり毎日|毎夜《まいよ》のやうに降《ふ》りつゞいた雨の後《あと》、今度は雲一ツ見えないやうな晴天が幾日《いくにち》と限《かぎ》りもなくつゞいた。然《しか》しどうかして空が曇《くも》ると忽《たちま》ちに風が出て乾《かわ》ききつた道の砂を吹散《ふきちら》す。この風と共に寒さは日にまし強くなつて閉切《しめき》つた家の戸や障子《しやうじ》が絶間《たえま》なくがたり/\と悲しげに動き出した。長吉《ちやうきち》は毎朝七時に始《はじま》る学校へ行《ゆ》くため晩《おそ》くも六時には起きねばならぬが、すると毎朝の六時が起《おき》るたびに、だん/\暗くなつて、遂《つひ》には夜と同じく家の中には燈火《ともしび》の光を見ねばならぬやうになつた。毎年《まいとし》冬のはじめに、長吉《ちやうきち》はこの鈍《にぶ》い黄《きいろ》い夜明のランプの火を見ると、何《なん》とも云《い》へぬ悲しい厭《いや》な気がするのである。母親はわが子を励《はげ》ますつもりで寒さうな寝衣姿《ねまきすがた》のまゝながら、いつも長吉《ちやうきち》よりは早く起きて暖《あたゝか》い朝飯《あさめし》をばちやんと用意して置く。長吉《ちやうきち》は其《そ》の親切をすまないと感じながら何分《なにぶん》にも眠くてならぬ。もう暫《しばら》く炬燵《こたつ》にあたつてゐたいと思ふのを、無暗《むやみ》と時計ばかり気にする母にせきたてられて不平《ふへい》だら/\、河風《かはかぜ》の寒い往来《わうらい》へ出るのである。或時《あるとき》はあまりに世話を焼かれ過《すぎ》るのに腹を立てゝ、注意される襟巻《えりまき》をわざと解《と》きすてゝ風邪《かぜ》を引いてやつた事もあつた。もう返らない幾年《いくねん》か前《まへ》蘿月《らげつ》の伯父《をぢ》につれられお糸《いと》も一所《いつしよ》に酉《とり》の市《いち》へ行つた事があつた………毎年《まいとし》その日の事を思ひ出す頃《ころ》から間《ま》もなく、今年《ことし》も去年と同じやうな寒い十二月がやつて来るのである。  長吉《ちやうきち》は同じやうな其《そ》の冬の今年《ことし》と去年、去年とその前年《ぜんねん》、それから其《そ》れと幾年《いくねん》も溯《さかのぼ》つて何心《なにごゝろ》なく考へて見ると、人は成長するに従つていかに幸福を失つて行《ゆ》くものかを明《あきら》かに経験した。まだ学校へも行《ゆ》かぬ子供の時には朝寒ければゆつくりと寝たいだけ寝て居《ゐ》られたばかりでなく、身体《からだ》の方《はう》もまた其程《それほど》に寒さを感ずることが烈《はげ》しくなかつた。寒い風や雨の日には却《かへ》つて面白《おもしろ》く飛び歩いたものである。あゝ其《そ》れが今の身になつては、朝早く今戸《いまど》の橋の白い霜《しも》を踏むのがいかにも辛《つら》くまた昼過ぎにはいつも木枯《こがらし》の騒《さわ》ぐ待乳山《まつちやま》の老樹《らうじゆ》に、早くも傾く夕日《ゆふひ》の色がいかにも悲しく見えてならない。これから先の一年/\は自分の身にいかなる新しい苦痛を授《さづ》けるのであらう。長吉《ちやうきち》は今年《ことし》の十二月ほど日数《ひかず》の早くたつのを悲しく思つた事はない。観音《くわんおん》の境内《けいだい》にはもう年《とし》の市《いち》が立つた。母親のもとへとお歳暮《せいぼ》のしるしにお弟子《でし》が持つて来る砂糖袋《さたうぶくろ》や鰹節《かつぶし》なぞがそろ/\床《とこ》の間《ま》へ並《なら》び出した。学校の学期試験は昨日《きのふ》すんで、一方《ひとかた》ならぬ其《そ》の不成績に対する教師の注意書《ちゆういがき》が郵便で母親の手許《てもと》に送り届けられた。  初めから覚悟《かくご》してゐた事なので長吉《ちやうきち》は黙つて首をたれて、何かにつけてすぐに「親一人子一人」と哀《あはれ》ツぽい事を云出《いひだ》す母親の意見を聞いてゐた。午前《ひるまへ》稽古《けいこ》に来る小娘《こむすめ》達が帰つて後《のち》午過《ひるすぎ》には三時過ぎてからでなくては、学校帰りの娘《むすめ》達はやつて来ぬ。今が丁度《ちやうど》母親が一番手すきの時間である。風がなくて冬の日が往来《わうらい》の窓一面にさしてゐる。折《をり》から突然《とつぜん》まだ格子戸《かうしど》をあけぬ先《さき》から、「御免《ごめん》なさい。」と云《い》ふ華美《はで》な女の声《こゑ》、母親が驚《おどろ》いて立つ間《ま》もなく上框《あがりがまち》の障子《しやうじ》の外から、「をばさん、わたしよ。御無沙汰《ごぶさた》しちまつて、お詫《わ》びに来たんだわ。」  長吉《ちやうきち》は顫《ふる》へた。お糸《いと》である。お糸《いと》は立派《りつぱ》なセルの吾妻《あづま》コオトの紐《ひも》を解《と》き/\上《あが》つて来た。 「あら、長《ちやう》ちやんも居《ゐ》たの。学校がお休み………あら、さう。」其《そ》れから付《つ》けたやうに、ほゝゝほと笑つて、さて丁寧《ていねい》に手をついて御辞儀《おじぎ》をしながら、「をばさん、お変《かは》りもありませんの。ほんとに、つい家《うち》が出にくいものですから、あれツきり御無沙汰《ごぶさた》しちまつて………。」  お糸《いと》は縮緬《ちりめん》の風呂敷《ふろしき》につゝんだ菓子折《くわしをり》を出した。長吉は呆気《あつけ》に取られたさまで物《もの》も云《い》はずにお糸《いと》の姿《すがた》を目戍《みまも》つてゐる。母親も一寸《ちよつと》烟《けむ》に巻かれた形で進物《しんもつ》の礼を述べた後《のち》、「きれいにおなりだね。すつかり見違《みちが》へちまつたよ。」と云《い》つた。 「いやにふけ[#「ふけ」に傍点]ちまつたでせう。皆《みんな》さう云《い》つてよ。」とお糸《いと》は美しく微笑《ほゝゑ》んで紫縮緬《むらさきちりめん》の羽織《はおり》の紐《ひも》の解けかゝつたのを結び直すついでに帯の間《あひだ》から緋天鵞絨《ひびろうど》の煙草入《たばこいれ》を出して、「をばさん。わたし、もう煙草《たばこ》喫《の》むやうになつたのよ。生意気《なまいき》でせう。」  今度は高く笑つた。 「此方《こつち》へおよんなさい。寒いから。」と母親のお豊《とよ》は長火鉢《ながひばち》の鉄瓶《てつびん》を下《おろ》して茶を入れながら、「いつお弘《ひろ》めしたんだえ。」 「まだよ。ずつと押詰《おしづま》つてからですつて。」 「さう。お糸《いと》ちやんなら、きつと売れるわね。何《なに》しろ綺麗《きれい》だし、ちやんともう地《ぢ》は出来《でき》てゐるんだし………。」 「おかげさまでねえ。」とお糸《いと》は言葉を切つて、「あつちの姉さんも大変に喜んでたわ。私なんかよりもつと大きな癖《くせ》に、それア随分《ずゐぶん》出来《でき》ない娘《こ》がゐるんですもの。」 「この節《せつ》の事《こツ》たから………。」お豊《とよ》はふと気がついたやうに茶棚《ちやだな》から菓子鉢《くわしばち》を出して、「あいにく何《なん》にも無くつて………道了《だうれう》さまのお名物《めいぶつ》だつて、鳥渡《ちよつと》おつなものだよ。」と箸《はし》でわざ/\摘《つま》んでやつた。 「お師匠《ツしよ》さん、こんちは。」と甲高《かんだか》な一本調子《いつぽんてうし》で、二人づれの小娘《こむすめ》が騒々《さう/″\》しく稽古《けいこ》にやつて来た。 「をばさん、どうぞお構ひなく………。」 「なにいゝんですよ。」と云《い》つたけれどお豊《とよ》はやがて次の間《ま》へ立つた。  長吉《ちやうきち》は妙に気《き》まりが悪くなつて自然に俯向《うつむ》いたが、お糸《いと》の方《はう》は一|向《かう》変《かは》つた様子《やうす》もなく小声《こごゑ》で、 「あの手紙|届《とゞ》いて。」  隣《となり》の座敷《ざしき》では二人の小娘《こむすめ》が声を揃《そろ》へて、嵯峨《さが》やお室《むろ》の花ざかり。長吉《ちやうきち》は首ばかり頷付《うなづか》せてもぢ[#「もぢ」に傍点]/\してゐる。お糸《いと》が手紙を寄越《よこ》したのは一《いち》の酉《とり》の前時分《まへじぶん》であつた。つい家《うち》が出にくいと云《い》ふだけの事である。長吉《ちやうきち》は直様《すぐさま》別れた後《のち》の生涯《しやうがい》をこま/″\と書いて送つたが、然《しか》し待ち設《まう》けたやうな、折返《をりかへ》したお糸《いと》の返事は遂《つひ》に聞く事が出来《でき》なかつたのである。 「観音《くわんおん》さまの市《いち》だわね。今夜《こんや》一所《いつしよ》に行かなくつて。あたい今夜《こんや》泊《とま》つてツてもいゝんだから。」  長吉《ちやうきち》は隣座敷《となりざしき》の母親を気兼《きがね》して何《なん》とも答へる事ができない。お糸《いと》は構《かま》はず、 「御飯《ごはん》たべたら迎《むか》ひに来てよ。」と云《い》つたが其《そ》の後《あと》で、「をばさんも一所《いつしよ》にいらツしやるでせうね。」 「あゝ。」と長吉《ちやうきち》は力の抜けた声になつた。 「あの………。」お糸《いと》は急に思出《おもひだ》して、「小梅《こうめ》の伯父《をぢ》さん、どうなすつて、お酒に酔《ゑ》つて羽子板屋《はごいたや》のお爺《ぢい》さんと喧嘩《けんくわ》したわね。何時《いつ》だつたか。私《わたし》怖《こは》くなツちまツたわ。今夜《こんや》いらツしやればいゝのに。」  お糸《いと》は稽古《けいこ》の隙《すき》を窺《うかゞ》つてお豊《とよ》に挨拶《あいさつ》して、「ぢや、晩ほど。どうもお邪魔《じやま》いたしました。」と云《い》ひながらすた/\帰つた。 [#5字下げ]六[#「六」は中見出し]  長吉《ちやうきち》は風邪《かぜ》をひいた。七草《なゝくさ》過ぎて学校が始《はじま》つた処《ところ》から一日無理をして通学した為《た》めに、流行のインフルヱンザに変《かは》つて正月一ぱい寝通《ねとほ》してしまつた。  八幡《はちまん》さまの境内《けいだい》に今日《けふ》は朝から初午《はつうま》の太鼓《たいこ》が聞《きこ》える。暖《あたゝか》い穏《おだやか》な午後《ひるすぎ》の日光が一面にさし込む表《おもて》の窓の障子《しやうじ》には、折々《をり/\》軒《のき》を掠《かす》める小鳥の影が閃《ひらめ》き、茶の間《ま》の隅《すみ》の薄暗《うすぐら》い仏壇《ぶつだん》の奥までが明《あかる》く見え、床《とこ》の間《ま》の梅がもう散りはじめた。春は閉切《しめき》つた家《うち》の中までも陽気におとづれて来たのである。  長吉《ちやうきち》は二三日|前《まへ》から起きてゐたので、此《こ》の暖《あたゝか》い日をぶら/\散歩に出掛《でか》けた。すつかり全快《ぜんくわい》した今になつて見れば、二十日《はつか》以上も苦しんだ大病《たいびやう》を長吉《ちやうきち》はもつけの幸ひであつたと喜んでゐる。とても来月の学年試験には及第《きふだい》する見込《みこ》みがないと思つてゐた処《ところ》なので、病気欠席の後《あと》と云《い》へば、落第《らくだい》しても母に対して尤至極《もつともしごく》な申訳《まをしわけ》ができると思ふからであつた。  歩いて行《ゆ》く中《うち》いつか浅草公園の裏手《うらて》へ出た。細い通《とほ》りの片側《かたがは》には深い溝《どぶ》があつて、それを越した鉄柵《てつさく》の向《むか》うには、処々《ところ/″\》の冬枯《ふゆが》れして立つ大木《たいぼく》の下《した》に、五区《ごく》の揚弓店《やうきゆうてん》の汚《きたな》らしい裏手《うらて》がつゞいて見える。屋根《やね》の低い片側町《かたかはまち》の人家《じんか》は丁度《ちやうど》後《うしろ》から深い溝《どぶ》の方《はう》へと押詰《おしつ》められたやうな気がするので、大方《おほかた》其《そ》のためであらう、其《そ》れ程《ほど》に混雑もせぬ往来《わうらい》がいつも妙《めう》に忙《いそが》しく見え、うろ/\徘徊《はいくわい》してゐる人相《にんさう》の悪い車夫《しやふ》が一寸《ちよつと》風采《みなり》の小綺麗《こぎれい》な通行人の後《あと》に煩《うるさ》く付き纏《まと》つて乗車を勧《すゝ》めてゐる。長吉《ちやうきち》はいつも巡査《じゆんさ》が立番《たちばん》してゐる左手の石橋《いしばし》から淡島《あはしま》さまの方《はう》までがずつと見透《みとほ》される四辻《よつゝじ》まで歩いて来て、通《とほ》りがゝりの人々が立止《たちどま》つて眺《なが》めるまゝに、自分も何《なん》といふ事なく、曲《まが》り角《かど》に出してある宮戸座《みやとざ》の絵看板《ゑかんばん》を仰《あふ》いだ。  いやに文字《もんじ》の間《あひだ》をくツ付けて模様《もやう》のやうに太く書いてある名題《なだい》の木札《きふだ》を中央《まんなか》にして、その左右には恐《おそろ》しく顔の小《ちひさ》い、眼の大《おほき》い、指先《ゆびさき》の太い人物が、夜具《やぐ》をかついだやうな大《おほき》い着物を着て、さまざまな誇張的《こちやうてき》の姿勢《しせい》で活躍《くわつやく》して居《ゐ》るさまが描《ゑが》かれてある。この大きい絵看板《ゑかんばん》を蔽《おほ》ふ屋根形《やねがた》の軒《のき》には、花車《だし》につけるやうな造《つく》り花《ばな》が美しく飾りつけてあつた。  長吉《ちやうきち》はいか程《ほど》暖《あたゝか》い日和《ひより》でも歩いてゐると流石《さすが》にまだ立春になつたばかりの事とて暫《しばら》くの間《あひだ》寒い風をよける処《ところ》をと思ひ出した矢先《やさき》、芝居《しばゐ》の絵看板《ゑかんばん》を見て、其《そ》のまゝ狭《せま》い立見《たちみ》の戸口へと進み寄つた。内《うち》へ這入《はい》ると足場《あしば》の悪い梯子段《はしごだん》が立つてゐて、其《そ》の中程《なかほど》から曲《まが》るあたりはもう薄暗《うすぐら》く、臭《くさ》い生暖《なまあたゝか》い人込《ひとごみ》の温気《うんき》が猶更《なほさら》暗い上の方《はう》から吹き下《お》りて来る。頻《しきり》に役者の名を呼ぶ掛声《かけごゑ》が聞《きこ》える。それを聞くと長吉《ちやうきち》は都会育ちの観劇者ばかりが経験する特種《とくしゆ》の快感と特種《とくしゆ》の熱情とを覚《おぼ》えた。梯子段《はしごだん》の二三段を一躍《ひとと》びに駈上《かけあが》つて人込《ひとご》みの中に割込《わりこ》むと、床板《ゆかいた》の斜《なゝめ》になつた低い屋根裏《やねうら》の大向《おほむかう》は大きな船の底へでも下《お》りたやうな心持《こゝろもち》。後《うしろ》の隅々《すみ/″\》についてゐる瓦斯《ガス》の裸火《はだかび》の光は一ぱいに詰《つま》つてゐる見物人の頭に遮《さへぎ》られて非常に暗く、狭苦《せまくる》しいので、猿《さる》のやうに人のつかまつてゐる前側《まへがは》の鉄棒から、向《むか》うに見える劇場の内部は天井《てんじやう》ばかりがいかにも広々《ひろ/″\》と見え、舞台は色づき濁《にご》つた空気の為《ため》に却《かへつ》て小さく甚《はなはだ》遠く見えた。舞台はチヨンと打つた拍子木《ひやうしぎ》の音に今|丁度《ちやうど》𢌞《まは》つて止《とま》つた処《ところ》である。極《きは》めて一直線な石垣《いしがき》を見せた台の下に汚《よご》れた水色の布《ぬの》が敷いてあつて、後《うしろ》を限《かぎ》る書割《かきわり》には小《ちひさ》く大名屋敷《だいみやうやしき》の練塀《ねりべい》を描《ゑが》き、其《そ》の上の空一面をば無理にも夜だと思はせるやうに隙間《すきま》もなく真黒《まつくろ》に塗《ぬ》りたてゝある。長吉《ちやうきち》は観劇に対する此《こ》れまでの経験で「夜」と「川端《かはばた》」と云《い》ふ事から、きつと殺《ころ》し場《ば》に違ひないと幼《をさな》い好奇心から丈伸《せの》びをして首を伸《のば》すと、果《はた》せるかな、絶えざる低い大太鼓《おほだいこ》の音に例の如《ごと》く板をバタバタ叩《たゝ》く音が聞《きこ》えて、左手の辻番《つじばん》小屋の蔭《かげ》から仲間《ちゆうげん》と蓙《ござ》を抱《かゝ》へた女とが大きな声で争ひながら出て来る。見物人が笑つた。舞台の人物は落《おと》したものを捜《さが》す体《てい》で何《なに》かを取り上げると、突然《とつぜん》前《まへ》とは全《まつた》く違つた態度になつて、極《きは》めて明瞭《めいれう》に浄瑠璃外題梅柳中宵月《じやうるりげだいうめやなぎなかもよひづき》、勤《つと》めまする役人………と読みはじめる。それを待構《まちかま》へて彼方此方《かなたこなた》から見物人が声をかけた。再び軽い拍子木《ひやうしぎ》の音《おと》を合図《あひづ》に、黒衣《くろご》の男が右手の隅《すみ》に立てた書割《かきわり》の一部を引取《ひきと》ると裃《かみしも》を着た浄瑠璃語《じやうるりかたり》三人、三味線弾《しやみせんひき》二人《ふたり》が、窮屈《きうくつ》さうに狭《せま》い台の上に並《なら》んで居《ゐ》て、直《す》ぐに弾出《ひきだ》す三味線《しやみせん》からつゞいて太夫《たいふ》が声を合《あは》してかたり出した。長吉《ちやうきち》はこの種の音楽にはいつも興味を以《もつ》て聞き馴《な》れてゐるので、場内《ぢやうない》の何処《どこ》かで泣き出す赤児《あかご》の声と其《そ》れを叱咤《しつた》する見物人の声に妨《さまた》げられながら、而《しか》も明《あきら》かに語る文句と三味線《しやみせん》の手までを聴《き》き分ける。 [#ここから2字下げ、折り返して3字下げ] 〽|朧夜《おぼろよ》に星の影さへ二ツ三ツ、四ツか五ツか鐘《かね》の音《ね》も、もしや我身《わがみ》の追手《おつて》かと……… [#ここで字下げ終わり]  又《また》しても軽いバタ/\が聞《きこ》えて夢中になつて声をかける見物人のみならず場中《ぢやうちゆう》一体が気色立《けしきだ》つ。それも道理だ。赤い襦袢《じゆばん》の上に紫繻子《むらさきじゆす》の幅広い襟《えり》をつけた座敷着《ざしきぎ》の遊女が、冠《かぶ》る手拭《てぬぐひ》に顔をかくして、前《まへ》かゞまりに花道《はなみち》から駈出《かけだ》したのである。「見えねえ、前《まへ》が高いツ。」「帽子をとれツ。」「馬鹿野郎。」なぞと怒鳴《どな》るものがある。 [#ここから2字下げ、折り返して3字下げ] 〽落ちて行衛《ゆくゑ》も白魚《しらうを》の、舟のかゞりに網《あみ》よりも、人目《ひとめ》いとうて後先《あとさき》に……… [#ここで字下げ終わり]  女に扮《ふん》した役者は花道《はなみち》の尽《つ》きるあたりまで出て後《うしろ》を見返《みかへ》りながら台詞《せりふ》を述べた。其《そ》の後《あと》に唄《うた》がつづく。 [#ここから2字下げ、折り返して3字下げ] 〽しばし彳《たゝず》む上手《うはて》より梅見返《うめみがへ》りの舟の唄《うた》。〽忍ぶなら/\闇《やみ》の夜《よ》は置かしやんせ、月に雲のさはりなく、辛気《しんき》待つ宵《よひ》、十六夜《いざよひ》の、内《うち》の首尾《しゆび》はエーよいとのよいとの。〽聞く辻占《つじうら》にいそいそと雲足《くもあし》早き雨空《あまぞら》も、思ひがけなく吹き晴れて見かはす月の顔と顔……… [#ここで字下げ終わり]  見物が又《また》騒《さわ》ぐ。真黒《まつくろ》に塗《ぬ》りたてた空の書割《かきわり》の中央《まんなか》を大きく穿抜《くりぬ》いてある円《まる》い穴に灯《ひ》がついて、雲形《くもがた》の蔽《おほ》ひをば糸で引上《ひきあ》げるのが此方《こなた》からでも能《よ》く見えた。余《あま》りに月が大きく明《あかる》いから、大名屋敷《だいみやうやしき》の塀《へい》の方《はう》が遠くて月の方《はう》が却《かへ》つて非常に近く見える。然《しか》し長吉《ちやうきち》は他《た》の見物も同様《どうやう》少《すこ》しも美しい幻想《げんさう》を破られなかつた。それのみならず去年の夏の末《すゑ》、お糸《いと》を葭町《よしちやう》へ送るため、待合《まちあは》した今戸《いまど》の橋から眺《なが》めた彼《あ》の大きな円《まる》い/\月を思起《おもひおこ》すと、もう舞台は舞台でなくなつた。  着流《きなが》し散髪《ざんぱつ》の男がいかにも思ひやつれた風《ふう》で足許《あしもと》危《あやふ》く歩《あゆ》み出る。女と摺《す》れちがひに顔を見合《みあは》して、 「十六夜《いざよひ》か。」 「清心《せいしん》さまか。」  女は男に縋《すが》つて、「逢《あ》ひたかつたわいなア。」  見物人が「やア御両人《ごりやうにん》。」「よいしよ。やけます。」なぞと叫《さけ》ぶ。笑ふ声。「静かにしろい。」と叱《しか》りつける熱情家《ねつじやうか》もあつた。  舞台は相愛《あひあい》する男女の入水《じゆすゐ》と共に𢌞《まは》つて、女の方《はう》が白魚舟《しらうをぶね》の夜網《よあみ》にかゝつて助けられる処《ところ》になる。再び元《もと》の舞台に返つて、男も同じく死ぬ事が出来《でき》なくて石垣《いしがき》の上に這《は》ひ上《あが》る。遠くの騒《さわ》ぎ唄《うた》、富貴《ふうき》の羨望《せんばう》、生存の快楽、境遇《きやうぐう》の絶望、機会と運命、誘惑、殺人。波瀾《はらん》の上にも脚色《きやくしよく》の波瀾《はらん》を極《きは》めて、遂《つひ》に演劇の一幕《ひとまく》が終る。耳元《みゝもと》近くから恐《おそろ》しい黄《きいろ》い声が、「変《かは》るよ―――ウ」と叫《さけ》び出した。見物人が出口の方《はう》へと崩《なだれ》を打つて下《お》りかける。  長吉《ちやうきち》は外へ出ると急いで歩いた。あたりはまだ明《あかる》いけれどもう日は当《あた》つて居《ゐ》ない。ごた/\した千束町《せんぞくまち》の小売店《こうりみせ》の暖簾《のれん》や旗なぞが激《はげ》しく飜《ひるがへ》つて居《ゐ》る。通《とほ》りがゝりに時間を見るため腰《こし》をかゞめて覗《のぞ》いて見ると軒《のき》の低い其《そ》れ等《ら》の家《いへ》の奥は真暗《まつくら》であつた。長吉《ちやうきち》は病後《びやうご》の夕風《ゆふかぜ》を恐《おそ》れてます/\歩《あゆ》みを早めたが、然《しか》し山谷堀《さんやぼり》から今戸橋《いまどばし》の向《むかう》に開ける隅田川《すみだがは》の景色《けしき》を見ると、どうしても暫《しばら》く立止《たちどま》らずにはゐられなくなつた。河《かは》の面《おもて》は悲しく灰色に光つてゐて、冬の日の終《をは》りを急がす水蒸気《すゐじようき》は対岸の堤《つゝみ》をおぼろに霞《かす》めてゐる。荷船《にぶね》の帆《ほ》の間《あひだ》をば鴎《かもめ》が幾羽《いくは》となく飛び交《ちが》ふ。長吉《ちやうきち》はどん/\流れて行《ゆ》く河水《かはみづ》をば何《なに》がなしに悲しいものだと思つた。川向《かはむかう》の堤《つゝみ》の上には一ツ二ツ灯《ひ》がつき出した。枯《か》れた樹木《じゆもく》、乾《かわ》いた石垣《いしがき》、汚《よご》れた瓦屋根《かはらやね》、目に入《い》るものは尽《こと/″\》く褪《あ》せた寒い色をして居《ゐ》るので、芝居《しばゐ》を出てから一|瞬間《しゆんかん》とても消失《きえう》せない清心《せいしん》と十六夜《いざよひ》の華美《はで》やかな姿《すがた》の記憶《きおく》が、羽子板《はごいた》の押絵《おしゑ》のやうに又《また》一段と際立《きはだ》つて浮《うか》び出す。長吉《ちやうきち》は劇中《げきちゆう》の人物をば憎《にく》い程《ほど》に羨《うらや》んだ。いくら羨《うらや》んでも到底《たうてい》及びもつかないわが身の上を悲しんだ。死んだ方《はう》がましだと思ふだけ、一緒に死んでくれる人のない身の上を更《さら》に痛切に悲しく思つた。  今戸橋《いまどばし》を渡りかけた時、掌《てのひら》でぴしやりと横面《よこつら》を張撲《はりなぐ》るやうな河風《かはかぜ》。思はず寒さに胴顫《どうぶる》ひすると同時に長吉《ちやうきち》は咽喉《のど》の奥から、今までは記憶《きおく》してゐるとも心付《こゝろづ》かずにゐた浄瑠璃《じやうるり》の一節《いつせつ》がわれ知らずに流れ出るのに驚《おどろ》いた。 [#ここから2字下げ、折り返して3字下げ] 〽今さら云《い》ふも愚痴《ぐち》なれど……… [#ここで字下げ終わり] と清元《きよもと》の一派が他流の模《も》すべからざる曲調《きよくてう》の美麗《びれい》を托《たく》した一節《いつせつ》である。長吉《ちやうきち》は無論《むろん》太夫《たいふ》さんが首と身体《からだ》を伸上《のびあが》らして唄《うた》つたほど上手《じやうず》に、且《かつ》又《また》そんな大きな声で唄《うた》つたのではない。咽喉《のど》から流れるままに口の中で低唱《ていしやう》したのであるが、其《そ》れによつて長吉《ちやうきち》は已《や》みがたい心の苦痛が幾分《いくぶん》か柔《やはら》げられるやうな心持《こゝろもち》がした。今更《いまさら》云《い》ふも愚痴《ぐち》なれど………ほんに思へば………岸より覗《のぞ》く青柳《あをやぎ》の………と思出《おもひだ》す節《ふし》の、ところ/″\を長吉《ちやうきち》は家《うち》の格子戸《かうしど》を開《あ》ける時まで繰返《くりかへ》し繰返《くりかへ》し歩いた。 [#5字下げ]七[#「七」は中見出し]  翌日《あくるひ》の午後《ひるすぎ》に又《また》もや宮戸座《みやとざ》の立見《たちみ》に出掛《でか》けた。長吉《ちやうきち》は恋の二人が手を取つて嘆《なげ》く美しい舞台から、昨日《きのふ》始めて経験した云《い》ふべからざる悲哀《ひあい》の美感に酔《ゑ》ひたいと思つたのである。其《そ》ればかりでなく黒ずんだ天井《てんじやう》と壁襖《かべふすま》に囲《かこ》まれた二階の室《へや》がいやに陰気臭《いんきくさ》くて、燈火《とうくわ》の多い、人の大勢《おほぜい》集《あつま》つてゐる芝居《しばゐ》の賑《にぎは》ひが、我慢《がまん》の出来《でき》ぬほど恋しく思はれてならなかつたのである。長吉《ちやうきち》は失つたお糸《いと》の事以外に折々《をり/\》は唯《た》だ何《なん》と云《い》ふ訳《わけ》もなく淋《さび》しい悲しい気がする。自分にも何《ど》う云《い》ふ訳《わけ》だか少《すこ》しも分《わか》らない。唯《た》だ淋《さび》しい、唯《た》だ悲しいのである。この寂寞《せきばく》この悲哀《ひあい》を慰《なぐさ》める為《た》めに、長吉《ちやうきち》は定め難《がた》い何物《なにもの》かを一刻《いつこく》/\に激しく要求して止《や》まない。胸の底に潜《ひそ》んだ漠然《ばくぜん》たる苦痛を、誰《たれ》と限らず優《やさ》しい声で答へてくれる美しい女に訴《うつた》へて見たくてならない。単《たん》にお糸《いと》一人の姿《すがた》のみならず、往来《わうらい》で摺《す》れちがつた見知《みし》らぬ女の姿《すがた》が、島田《しまだ》の娘になつたり、銀杏返《いてふがへし》の芸者になつたり、又《また》は丸髷《まるまげ》の女房姿《にようばうすがた》になつたりして夢の中に浮《うか》ぶ事さへあつた。  長吉《ちやうきち》は二度見る同じ芝居《しばゐ》の舞台をば初めてのやうに興味深く眺《なが》めた。其《そ》れと同時に、今度は賑《にぎや》かな左右の桟敷《さじき》に対する観察をも決して閑却《かんきやく》しなかつた。世の中にはあんなに大勢《おほぜい》女がゐる。あんなに大勢《おほぜい》女のゐる中で、どうして自分は一人も自分を慰《なぐさ》めてくれる相手に邂逅《めぐりあ》はないのであらう。誰《た》れでもいゝ。自分に一言《ひとこと》やさしい語《ことば》をかけてくれる女さへあれば、自分はこんなに切《せつ》なくお糸《いと》の事ばかり思ひつめては居《ゐ》まい。お糸《いと》の事を思へば思ふだけ其《そ》の苦痛をへらす他《た》のものが欲《ほ》しい。さすれば学校とそれに関連した身の前途《ぜんと》に対する絶望のみに沈められて居《ゐ》まい………。  立見《たちみ》の混雑の中に其《そ》の時|突然《とつぜん》自分の肩を突《つ》くものがあるので驚《おどろ》いて振向《ふりむ》くと、長吉《ちやうきち》は鳥打帽《とりうちぼう》を眉深《まぶか》に黒い眼鏡《めがね》をかけて、後《うしろ》の一段高い床《ゆか》から首を伸《のば》して見下《みおろ》す若い男の顔を見た。 「吉《きち》さんぢやないか。」  さう云《い》つたものゝ、長吉《ちやうきち》は吉《きち》さんの風采《ふうさい》の余《あま》りに変《かは》つて居《ゐ》るのに暫《しばら》くは二の句がつげなかつた。吉《きち》さんと云《い》ふのは地方町《ぢかたまち》の小学校時代の友達で、理髪師《とこや》をしてゐる山谷通《さんやどほ》りの親爺《おやぢ》の店で、此《こ》れまで長吉《ちやうきち》の髪をかつてくれた若衆《わかいしゆ》である。それが絹《きぬ》ハンケチを首に巻いて二重𢌞《にぢゆうまはし》の下から大島紬《おほしまつむぎ》の羽織《はおり》を見せ、いやに香水を匂《にほ》はせながら、 「長《ちやう》さん、僕《ぼく》は役者だよ。」と顔をさし出して長吉《ちやうきち》の耳元《みゝもと》に囁《さゝや》いた。  立見《たちみ》の混雑の中でもあるし、長吉《ちやうきち》は驚《おどろ》いたまゝ黙つてゐるより仕様《しやう》がなかつたが、舞台はやがて昨日《きのふ》の通りに河端《かはばた》の暗闘《だんまり》になつて、劇の主人公が盗《ぬす》んだ金を懐中《ふところ》に花道《はなみち》へ駈出《かけい》でながら石礫《いしつぶて》を打つ、其《そ》れを合図《あひづ》にチヨンと拍子木《ひやうしぎ》が響《ひゞ》く。幕《まく》が動く。立見《たちみ》の人中《ひとなか》から例の「変《かは》るよーウ」と叫《さけ》ぶ声。人崩《ひとなだ》れが狭《せま》い出口の方《はう》へと押合《おしあ》ふ間《うち》に幕《まく》がすつかり引かれて、シヤギリの太鼓《たいこ》が何処《どこ》か分《わか》らぬ舞台の奥から鳴り出す。吉《きち》さんは長吉《ちやうきち》の袖《そで》を引止《ひきと》めて、 「長《ちやう》さん、帰るのか。いゝぢやないか。もう一幕《ひとまく》見ておいでな。」  役者の仕着《しき》せを着た賤《いや》しい顔の男が、渋紙《しぶかみ》を張つた小笊《こざる》をもつて、次の幕《まく》の料金を集めに来たので、長吉《ちやうきち》は時間を心配しながらも其《そ》のまゝ居残《ゐのこ》つた。 「長《ちやう》さん、綺麗《きれい》だよ、掛《か》けられるぜ。」吉《きち》さんは人のすいた後《うしろ》の明《あか》り取《と》りの窓へ腰《こし》をかけて長吉《ちやうきち》が並《なら》んで腰《こし》かけるのを待つやうにして再び「僕《ぼく》ア役者だよ。変《かは》つたらう。」と云《い》ひながら友禅縮緬《いうぜんちりめん》の襦袢《じゆばん》の袖《そで》を引き出して、わざとらしく脱《はづ》した黒い金縁眼鏡《きんぶちめがね》の曇《くも》りを拭《ふ》きはじめた。 「変《かは》つたよ。僕ア始め誰《だれ》かと思つた。」 「驚《おどろ》いたかい。はゝゝゝは。」吉《きち》さんは何《なん》とも云《い》へぬほど嬉《うれ》しさうに笑つて、「頼むぜ。長《ちやう》さん。かう見えたつて憚《はゞか》りながら役者だ。伊井《いゐ》一座の新俳優だ。明後日《あさつて》から又《また》新富町《しんとみちやう》よ。出揃《でそろ》つたら見に来給《きたま》へ。いゝかい。楽屋口《がくやぐち》へ𢌞《まは》つて、玉水《たまみづ》を呼んでくれつて云《い》ひたまへ。」 「玉水《たまみづ》………?」 「うむ、玉水三郎《たまみづさぶらう》………。」云《い》ひながら急《せは》しなく懐中《ふところ》から女持《をんなもち》の紙入《かみいれ》を探《さぐ》り出して、小さな名刺を見せ、「ね、玉水三郎《たまみづさぶらう》。昔の吉《きち》さんぢやないぜ。ちやんともう番附《ばんづけ》に出て居《ゐ》るんだぜ。」 「面白《おもしろ》いだらうね。役者になつたら。」 「面白《おもしろ》かつたり、辛《つら》かつたり………然《しか》し女にやア不自由しねえよ。」吉《きち》さんは鳥渡《ちよつと》長吉の顔を見て、「長《ちやう》さん、君は遊ぶのかい。」  長吉《ちやうきち》は「まだ」と答へるのが其《そ》の瞬間《しゆんかん》男の恥《はぢ》であるやうな気がして黙つた。 「江戸一の梶田楼《かぢたろう》ツて云《い》ふ家《うち》を知つてるかい。今夜《こんや》一緒にお出《い》でな。心配しないでもいゝんだよ。のろけるんぢや無いが、心配しないでもいゝわけが有《あ》るんだから。お安くないだらう。はゝゝゝは。」と吉《きち》さんは他愛《たわい》もなく笑つた。長吉《ちやうきち》は突然《とつぜん》に、 「芸者は高いんだらうね。」 「長《ちやう》さん、君は芸者が好きなのか、贅沢《ぜいたく》だ。」と新俳優の吉《きち》さんは意外らしく長吉《ちやうきち》の顔を見返《みかへ》したが、「知れたもんさ。然《しか》し金で女を買ふなんざア、ちツとお人《ひと》が好過《よすぎ》らア。僕《ぼく》ア公園で二三|軒《けん》待合《まちあひ》を知つてるよ。連れてツてやらう。万事《ばんじ》方寸《はうすん》の中《うち》にありさ。」  先刻《さつき》から三人四人と絶えず上《あが》つて来る見物人で大向《おほむかう》はかなり雑沓《ざつたふ》して来た。前《まへ》の幕《まく》から居残《ゐのこ》つてゐる連中《れんぢゆう》には待ちくたびれて手を鳴《なら》すものもある。舞台の奥から拍子木《ひやうしぎ》の音《おと》が長い間《ま》を置きながら、それでも次第《しだい》に近く聞《きこ》えて来る。長吉《ちやうきち》は窮屈《きうくつ》に腰《こし》をかけた明《あか》り取《と》りの窓から立上《たちあが》る。すると吉《きち》さんは、 「まだ、なか/\だ。」と独言《ひとりごと》のやうに云《い》つて、「長《ちやう》さん。あれア𢌞《まは》りの拍子木《ひやうしぎ》と云《い》つて道具立《だうぐだて》の出来上《できあが》ツたつて事を、役者の部屋の方《はう》へ知らせる合図《あひづ》なんだ。開《あ》く迄《まで》にやアまだ、なか/\よ。」  悠然《いうぜん》として巻煙草《まきたばこ》を吸ひ初める。長吉《ちやうきち》は「さうか」と感服したらしく返事をしながら、然《しか》し立上《たちあが》つたまゝに立見《たちみ》の鉄格子《てつがうし》から舞台の方《はう》を眺《なが》めた。花道《はなみち》から平土間《ひらどま》の桝《ます》の間《あひだ》をば吉《きち》さんの如《ごと》く𢌞《まは》りの拍子木《ひやうしぎ》の何《なに》たるかを知らない見物人が、すぐにも幕《まく》があくのかと思つて、出歩《である》いてゐた外《そと》から各自の席に戻《もど》らうと右方左方《うはうさはう》へと混雑してゐる。横手《よこて》の桟敷裏《さじきうら》から斜《なゝめ》に引幕《ひきまく》の一方《いつぱう》にさし込む夕陽《ゆふひ》の光が、其《そ》の進み入る道筋《みちすぢ》だけ、空中に漂《たゞよ》ふ塵《ちり》と煙草《たばこ》の煙《けむり》をばあり/\と眼に見せる。長吉《ちやうきち》はこの夕陽《ゆふひ》の光をば何《なん》と云《い》ふ事なく悲しく感じながら、折々《をり/\》吹込《ふきこ》む外の風《かぜ》が大きな波を打《うた》せる引幕《ひきまく》の上を眺《なが》めた。引幕《ひきまく》には市川《いちかは》○○|丈《ぢやう》へ、浅草公園|芸妓連中《げいぎれんぢゆう》として幾人《いくたり》となく書連《かきつら》ねた芸者の名が読まれた。暫《しばら》くして、 「吉《きち》さん、君、あの中で知つてる芸者があるかい。」 「たのむよ。公園は乃公《おいら》達の縄張中《なはばりうち》だぜ。」吉《きち》さんは一種の屈辱《くつじよく》を感じたのであろう、嘘《うそ》か誠《まこと》か、幕の上にかいてある芸者の一人々々の経歴、容貌《ようばう》、性質を限りもなく説明しはじめた。  拍子木《ひやうしぎ》がチヨン/\と二《ふた》ツ鳴つた。幕開《まくあき》の唄《うた》と三味線《しやみせん》が聞《きこ》え引かれた幕《まく》が次第《しだい》に細《こま》かく早める拍子木《ひやうしぎ》の律《りつ》につれて片寄《かたよ》せられて行《ゆ》く。大向《おほむかう》から早くも役者の名をよぶ掛《か》け声。たいくつした見物人の話声が一時《いちじ》に止《や》んで、場内《ぢやうない》は夜の明けたやうな一種の明るさと一種の活気《くわつき》を添《そ》へた。 [#5字下げ]八[#「八」は中見出し]  お豊《とよ》は今戸橋《いまどばし》まで歩いて来て時節《じせつ》は今《いま》正《まさ》に爛漫《らんまん》たる春の四月である事を始めて知つた。手一《てひと》ツの女世帯《をんなじよたい》に追はれてゐる身は空が青く晴れて日が窓に射込《さしこ》み、斜向《すぢむかう》の「宮戸川《みやとがは》」と云《い》ふ鰻屋《うなぎや》の門口《かどぐち》の柳《やなぎ》が緑色の芽をふくのにやつと時候《じこう》の変遷《へんせん》を知るばかり。いつも両側の汚《よご》れた瓦屋根《かはらやね》に四方《あたり》の眺望《てうばう》を遮《さへぎ》られた地面の低い場末《ばすゑ》の横町《よこちやう》から、今《いま》突然《とつぜん》、橋の上に出て見た四月の隅田川《すみだがは》は、一年に二三度と数へるほどしか外出《そとで》する事のない母親お豊《とよ》の老眼《らうがん》をば信じられぬほどに驚《おどろ》かしたのである。晴れ渡つた空の下に、流れる水の輝き、堤《つゝみ》の青草《あをくさ》、その上につゞく桜《さくら》の花、種々《さま/″\》の旗が閃《ひらめ》く大学の艇庫《ていこ》、その辺《へん》から起《おこ》る人々の叫《さけ》び声、鉄砲の響《ひゞき》。渡船《わたしぶね》から上下《あがりお》りする花見の人の混雑。あたり一面の光景は疲れた母親の眼には余《あま》りに色彩が強烈《きやうれつ》すぎる程《ほど》であつた。お豊《とよ》は渡場《わたしば》の方《はう》へ下《お》りかけたけれど、急に恐《おそ》るゝ如《ごと》く踵《くびす》を返して、金龍山下《きんりゆうざんした》の日蔭《ひかげ》になつた瓦町《かはらまち》を急いだ。そして通《とほ》りがゝりの成るべく汚《きたな》い車、成《な》るべく意気地《いくぢ》のなさゝうな車夫を見付《みつ》けて恐《おそ》る/\、 「車屋《くるまや》さん、小梅《こうめ》まで安くやつて下《くだ》さいな。」と云《い》つた。  お豊《とよ》は花見どころの騒《さわ》ぎではない。もう何《どう》していゝのか分らない。望みをかけた一人息子《ひとりむすこ》の長吉《ちやうきち》は試験に落第してしまつたばかりか、もう学校へは行《ゆ》きたくない、学問はいやだと云《い》ひ出した。お豊《とよ》は途法《とはふ》に暮れた結果、兄の蘿月《らげつ》に相談して見るより外《ほか》に仕様《しやう》がないと思つたのである。  三度目に掛合《かけあ》つた老車夫《らうしやふ》が、やつとの事でお豊《とよ》の望む賃銀《ちんぎん》で小梅《こうめ》行《ゆ》きを承知した。吾妻橋《あづまばし》は午後の日光と塵埃《ぢんあい》の中におびたゞしい人出《ひとで》である。着飾《きかざ》つた若い花見の男女を載《の》せて勢《いきほひ》よく走る車の間《あひだ》をば、お豊《とよ》を載《の》せた老車夫は梶《かぢ》を振《ふ》りながらよた/\歩いて橋を渡るや否《いな》や桜花《あうくわ》の賑《にぎは》ひを外《よそ》に、直《す》ぐと中《なか》の郷《がう》へ曲《まが》つて業平橋《なりひらばし》へ出ると、この辺《へん》はもう春と云《い》つても汚《きたな》い鱗葺《こけらぶき》の屋根《やね》の上に唯《た》だ明《あかる》く日があたつてゐると云《い》ふばかりで、沈滞《ちんたい》した堀割《ほりわり》の水が麗《うらゝか》な青空の色を其《そ》のまゝに映してゐる曳舟通《ひきふねどほ》り。昔《むかし》は金瓶楼《きんぺいろう》の小太夫《こだいふ》と云《い》はれた蘿月《らげつ》の恋女房は、綿衣《ぬのこ》の襟元《えりもと》に手拭《てぬぐひ》をかけ白粉焼《おしろいや》けのした皺《しわ》の多い顔に一ぱいの日《ひ》を受けて、子供の群《むれ》がめんこ[#「めんこ」に傍点]や独楽《こま》の遊びをしてゐる外《ほか》には至つて人通《ひとゞほ》りの少《すくな》い道端《みちばた》の格子戸先《かうしどさき》で、張板《はりいた》に張物《はりもの》をして居《ゐ》た。駈《か》けて来て止《とま》る車と、其《そ》れから下《お》りるお豊《とよ》の姿《すがた》を見て、 「まアお珍《めづら》しいぢやありませんか。ちよいと今戸《いまど》の御師匠《おししやう》さんですよ。」と開《あ》けたまゝの格子戸《かうしど》から家《うち》の内《なか》へと知らせる。内《なか》には主人《あるじ》の宗匠《そうしやう》が万年青《おもと》の鉢《はち》を並《なら》べた縁先《えんさき》へ小机《こづくゑ》を据《す》ゑ頻《しきり》に天地人《てんちじん》の順序をつける俳諧《はいかい》の選《せん》に急《いそ》がしい処《ところ》であつた。  掛《か》けてゐる眼鏡《めがね》をはづして、蘿月《らげつ》は机《つくゑ》を離れて座敷《ざしき》の真中《まんなか》に坐《すわ》り直つたが、襷《たすき》をとりながら這入《はい》つて来る妻のお滝《たき》と来訪《らいはう》のお豊《とよ》、同じ年頃《としごろ》の老いた女同士は幾度《いくど》となくお辞儀《じぎ》の譲合《ゆづりあひ》をしては長々しく挨拶《あいさつ》した。そしてその挨拶《あいさつ》の中《なか》に、「長《ちやう》ちやんも御丈夫《ごぢやうぶ》ですか。」「はア、然《しか》し彼《あれ》にも困りきります。」と云《い》ふやうな問答《もんだふ》から、用件は案外に早く蘿月《らげつ》の前に提出される事になつたのである。蘿月《らげつ》は静《しづか》に煙草《たばこ》の吸殻《すひがら》をはたいて、誰《たれ》にかぎらず若い中《うち》は兎角《とかく》に気の迷ふことがある。気の迷つてゐる時には、自分にも覚《おぼ》えがあるが、親の意見も仇《あだ》としか聞《きこ》えない。他《はた》から余《あま》り厳《きび》しく干渉《かんせふ》するよりは却《かへ》つて気まかせにして置く方《はう》が薬になりはしまいかと論じた。然《しか》し目に見えない将来の恐怖《きようふ》ばかりに満《みた》された女親《をんなおや》の狭《せま》い胸には斯《かゝ》る通人《つうじん》の放任《はうにん》主義は到底《たうてい》容《い》れられべきものでない。お豊《とよ》は長吉《ちやうきち》が久しい以前から屡《しば/\》学校を休む為《た》めに自分の認印《みとめいん》を盗《ぬす》んで届書《とゞけしよ》を偽造《ぎざう》してゐた事をば、暗黒な運命の前兆《ぜんてう》である如《ごと》く、声まで潜《ひそ》めて長々しく物語る……… 「学校がいやなら如何《どう》するつもりだと聞いたら、まアどうでせう、役者になるんだツて云《い》ふんですよ。役者に。まア、どうでせう。兄《にい》さん。私やそんなに長吉《ちやうきち》の根性《こんじやう》が腐《くさ》つちまツたのかと思つたら、もう実《じつ》に口惜《くや》しくツてならないんですよ。」 「へーえ、役者になりたい。」訝《いぶか》る間《ま》もなく蘿月《らげつ》は七ツ八ツの頃《ころ》によく三味線《しやみせん》を弄物《おもちや》にした長吉《ちやうきち》の生立《おひた》ちを囘想《くわいさう》した。「当人《たうにん》がたつてと望むなら仕方《しかた》のない話だが………困つたものだ。」  お豊《とよ》は自分の身こそ一家の不幸の為《た》めに遊芸《いうげい》の師匠《ししやう》に零落《れいらく》したけれど、わが子までもそんな賤《いや》しいものにしては先祖の位牌《ゐはい》に対して申訳《まをしわけ》がないと述べる。蘿月《らげつ》は一家の破産|滅亡《めつばう》の昔《むかし》を云出《いひだ》されると勘当《かんだう》までされた放蕩三昧《はうたうざんまい》の身は、何《なん》につけ、禿頭《はげあたま》をかきたいやうな当惑《たうわく》を感ずる。もと/\芸人社会は大好《だいすき》な趣味性《しゆみせい》から、お豊《とよ》の偏屈《へんくつ》な思想をば攻撃したいと心では思ふものゝそんな事から又《また》しても長《なが》たらしく「先祖の位牌《ゐはい》」を論じ出されては堪《たま》らないと危《あやぶ》むので、宗匠《そうしやう》は先《ま》づ其《そ》の場を円滑《ゑんくわつ》に、お豊《とよ》を安心させるやうにと話をまとめかけた。 「兎《と》に角《かく》一応は私《わし》が意見しますよ、若い中《うち》は迷ふだけに却《かへ》つて始末《しまつ》のいゝものさ。今夜《こんや》にでも明日《あした》にでも長吉《ちやうきち》に遊びに来るやうに云《い》つて置きなさい。私《わし》が屹度《きつと》改心《かいしん》さして見せるから、まアそんなに心配しないがいゝよ。なに世の中は案じるより産《う》むが安いさ。」  お豊《とよ》は何分《なにぶん》よろしくと頼んでお滝《たき》が引止《ひきと》めるのを辞退《じたい》して其《そ》の家《いへ》を出た。春の夕陽《ゆふひ》は赤々と吾妻橋《あづまばし》の向《むか》うに傾いて、花見帰りの混雑を一層|引立《ひきた》てゝ見せる。其《そ》の中《うち》にお豊《とよ》は殊更《ことさら》元気よく歩いて行《ゆ》く金ボタンの学生を見ると、それが果《はた》して大学校の生徒であるか否《いな》かは分《わか》らぬながら、我児《わがこ》もあのやうな立派《りつぱ》な学生に仕立てたいばかりに、幾年間《いくねんかん》女の身一人《みひとつ》で生活と戦つて来たが、今は生命《いのち》に等《ひと》しい希望の光も全《まつた》く消えてしまつたのかと思ふと実《じつ》に堪《た》へられぬ悲愁《ひしう》に襲《おそ》はれる。兄の蘿月《らげつ》に依頼しては見たものゝ矢張《やつぱり》安心が出来《でき》ない。なにも昔の道楽者《だうらくもの》だからと云《い》ふ訳《わけ》ではない。長吉《ちやうきち》に志《こゝろざし》を立てさせるのは到底《たうてい》人間業《にんげんわざ》では及《およば》ぬ事、神仏《かみほとけ》の力に頼らねばならぬと思ひ出した。お豊《とよ》は乗つて来た車から急に雷門《かみなりもん》で下《お》りた。仲店《なかみせ》の雑沓《ざつたふ》をも今では少《すこ》しも恐《おそ》れずに観音堂《くわんおんだう》へと急いで、祈願《きぐわん》を凝《こら》した後《のち》に、お神籤《みくじ》を引いて見た。古びた紙片《かみきれ》に木版摺《もくはんずり》で、 [#お神籤の図(fig50448_01.png、横540×縦605)入る]  お豊《とよ》は大吉《だいきち》と云《い》ふ文字を見て安心はしたものゝ、大吉は却《かへ》つて凶《きよう》に返り易《やす》い事を思ひ出して、又《また》もや自分からさま/″\な恐怖《きようふ》を造出《つくりだ》しつゝ、非常に疲《つか》れて家《うち》へ帰つた。 [#5字下げ]九[#「九」は中見出し]  午後《ひるすぎ》から亀井戸《かめゐど》の龍眼寺《りゆうがんじ》の書院《しよゐん》で俳諧《はいかい》の運座《うんざ》があるといふので、蘿月《らげつ》はその日の午前に訪《たづ》ねて来た長吉《ちやうきち》と茶漬《ちやづけ》をすました後《のち》、小梅《こうめ》の住居《すまひ》から押上《おしあげ》の堀割《ほりわり》を柳島《やなぎしま》の方《はう》へと連れだつて話しながら歩いた。堀割《ほりわり》は丁度《ちやうど》真昼《まひる》の引汐《ひきしほ》で真黒《まつくろ》な汚《きた》ない泥土《でいど》の底《そこ》を見せてゐる上に、四月の暖《あたゝか》い日光に照付《てりつ》けられて、溝泥《どぶどろ》の臭気《しうき》を盛《さかん》に発散して居《ゐ》る。何処《どこ》からともなく煤烟《ばいえん》の煤《すゝ》が飛んで来て、何処《どこ》といふ事なしに製造場《せいざうば》の機械の音が聞《きこ》える。道端《みちばた》の人家《じんか》は道よりも一段低い地面に建てられてあるので、春の日の光を外《よそ》に女房共がせつせと内職《ないしよく》して居《ゐ》る薄暗《うすぐら》い家内《かない》のさまが、通《とほ》りながらにすつかりと見透《みとほ》される。さう云《い》ふ小家《こいへ》の曲《まが》り角《かど》の汚《よご》れた板目《はめ》には売薬《ばいやく》と易占《うらなひ》の広告に交《まじ》つて至る処《ところ》女工募集《ぢよこうぼしふ》の貼紙《はりがみ》が目についた。然《しか》し間《ま》もなくこの陰鬱《いんうつ》な往来《わうらい》は迂曲《うね》りながらに少《すこ》しく爪先上《つまさきあが》りになつて行《ゆ》くかと思ふと、片側《かたがは》に赤く塗《ぬ》つた妙見寺《めうけんじ》の塀《へい》と、それに対して心持《こゝろもち》よく洗ひざらした料理屋|橋本《はしもと》の板塀《いたべい》のために突然《とつぜん》面目《めんもく》を一変《いつぺん》させた。貧しい本所《ほんじよ》の一|区《く》が此処《こゝ》に尽《つ》きて板橋《いたばし》のかゝつた川向《かはむか》うには野草《のぐさ》に蔽《おほ》はれた土手《どて》を越して、亀井戸村《かめゐどむら》の畠《はたけ》と木立《こだち》とが美しい田園の春景色《はるげしき》をひろげて見せた。蘿月《らげつ》は踏み止《とゞま》つて、 「私《わし》の行《ゆ》くお寺はすぐ向《むか》うの川端《かはゞた》さ、松の木のそばに屋根《やね》が見えるだらう。」 「ぢや、伯父《をぢ》さん。こゝで失礼しませう。」長吉《ちやうきち》は早くも帽子を取る。 「いそぐんぢや無い。咽喉《のど》が乾《かわ》いたから、まア長吉《ちやうきち》、鳥渡《ちよつと》休んで行《ゆ》かうよ。」  赤く塗《ぬ》つた板塀《いたべい》に沿うて、妙見寺《めうけんじ》の門前に葭簀《よしず》を張つた休茶屋《やすみぢやゝ》へと、蘿月《らげつ》は先《さき》に腰《こし》を下《おろ》した。一直線の堀割《ほりわり》はこゝも同じやうに引汐《ひきしほ》の汚《きたな》い水底《みなそこ》を見せてゐたが、遠くの畠《はたけ》の方《はう》から吹いて来る風はいかにも爽《さわや》かで、天神様《てんじんさま》の鳥居《とりゐ》が見える向《むか》うの堤《つゝみ》の上には柳《やなぎ》の若芽《わかめ》が美しく閃《ひらめ》いてゐるし、すぐ後《うしろ》の寺の門の屋根《やね》には雀《すゞめ》と燕《つばめ》が絶え間《ま》なく囀《さへづ》つてゐるので、其処此処《そここゝ》に製造場《せいざうば》の烟出《けむだ》しが幾本《いくほん》も立つてゐるに係《かゝは》らず、市街《まち》からは遠い春の午後《ひるすぎ》の長閑《のどけ》さは充分に心持《こゝろもち》よく味《あぢは》はれた。蘿月《らげつ》は暫《しばら》くあたりを眺《なが》めた後《のち》、其《そ》れとなく長吉《ちやうきち》の顔をのぞくやうにして、 「さつきの話は承知してくれたらうな。」  長吉《ちやうきち》は丁度《ちやうど》茶を飲みかけた処《ところ》なので、頷付《うなづ》いたまゝ、口に出して返事はしなかつた。 「兎《とに》に角《かく》もう一年|辛抱《しんばう》しなさい。今の学校さへ卒業しちまへば………母親《おふくろ》だつて段々取る年だ、さう頑固《ぐわんこ》ばかりも云《い》やアしまいから。」  長吉《ちやうきち》は唯《た》だ首を頷付《うなづ》かせて、何処《どこ》と当《あて》もなしに遠くを眺《なが》めてゐた。引汐《ひきしほ》の堀割《ほりわり》に繋《つな》いだ土船《つちぶね》からは人足《にんそく》が二三人して堤《つゝみ》の向《むか》うの製造場《せいざうば》へと頻《しきり》に土を運んでゐる。人通《ひとどほ》りと云《い》つては一人もない此方《こなた》の岸をば、意外にも突然《とつぜん》二台の人力車が天神橋《てんじんばし》の方《はう》から駈《か》けて来て、二人の休んでゐる寺の門前《もんぜん》で止《とま》つた。大方《おほかた》墓参《はかまゐ》りに来たのであらう。町家《ちやうか》の内儀《ないぎ》らしい丸髷《まるまげ》の女が七八《なゝやつ》ツになる娘の手を引いて門の内《なか》へ這入《はい》つて行つた。  長吉《ちやうきち》は蘿月《らげつ》の伯父《をぢ》と橋の上で別れた。別れる時に蘿月《らげつ》は再び心配さうに、 「ぢや………。」と云《い》つて暫《しばら》く黙つた後《のち》、「いやだらうけれど当分|辛抱《しんばう》しなさい。親孝行して置けば悪い報《むくい》はないよ。」  長吉《ちやうきち》は帽子を取つて軽く礼をしたが其《そ》のまゝ、駈《か》けるやうに早足《はやあし》に元《もと》来た押上《おしあげ》の方《はう》へ歩いて行つた。同時に蘿月《らげつ》の姿《すがた》は雑草の若芽《わかめ》に蔽《おほ》はれた川|向《むか》うの土手《どて》の陰《かげ》にかくれた。蘿月《らげつ》は六十に近いこの年まで今日《けふ》ほど困つた事、辛《つら》い感情に迫《せ》められた事はないと思つたのである。妹お豊《とよ》のたのみも無理ではない。同時に長吉《ちやうきち》が芝居道《しばゐだう》へ這入《はい》らうといふ希望《のぞみ》もまたわるいとは思はれない。一寸《いつすん》の虫にも五分《ごぶ》の魂《たましひ》で、人にはそれ/″\の気質《きしつ》がある。よかれあしかれ、物事を無理に強《し》ひるのはよくないと思つてゐるので、蘿月《らげつ》は両方から板ばさみになるばかりで、何《いづ》れにとも賛同する事ができないのだ。殊《こと》に自分が過去の経歴を囘想《くわいさう》すれば、蘿月《らげつ》は長吉《ちやうきち》の心の中《うち》は問はずとも底の底まで明《あきら》かに推察《すゐさつ》される。若い頃《ころ》の自分には親代々《おやだい/\》の薄暗《うすぐら》い質屋の店先《みせさき》に坐《すわ》つて麗《うらゝ》かな春の日を外《よそ》に働きくらすのが、いかに辛《つら》くいかに情《なさけ》なかつたであらう。陰気《いんき》な燈火《ともしび》の下で大福帳《だいふくちやう》へ出入《でいり》の金高《きんだか》を書き入れるよりも、川添《かはぞ》ひの明《あかる》い二階|家《や》で洒落本《しやれほん》を読む方《はう》がいかに面白《おもしろ》かつたであらう。長吉《ちやうきち》は髯《ひげ》を生《はや》した堅苦《かたくる》しい勤《つと》め人《にん》などになるよりも、自分の好きな遊芸《いうげい》で世を渡りたいと云《い》ふ。それも一生、これも一生である。然《しか》し蘿月《らげつ》は今よんどころ無く意見|役《やく》の地位に立つ限り、そこまでに自己の感想を暴露《ばくろ》してしまふわけには行《ゆ》かないので、其《そ》の母親に対したと同じやうな、其《そ》の場かぎりの気安《きやす》めを云《い》つて置くより仕様《しやう》がなかつた。  長吉《ちやうきち》は何処《いづこ》も同じやうな貧しい本所《ほんじよ》の街《まち》から街《まち》をばてく/\歩いた。近道《ちかみち》を取つて一直線に今戸《いまど》の家《うち》へ帰らうと思ふのでもない。何処《どこ》へか𢌞《まは》り道して遊んで帰らうと考へるのでもない。長吉《ちやうきち》は全《まつた》く絶望してしまつた。長吉《ちやうきち》は役者になりたい自分の主意《しゆい》を通《とほ》すには、同情の深い小梅《こうめ》の伯父《をぢ》さんに頼るより外《ほか》に道がない。伯父《をぢ》さんはきつと自分を助けてくれるに違ひないと予期してゐたが、その希望は全《まつた》く自分を欺《あざむ》いた。伯父《をぢ》は母親のやうに正面から烈《はげ》しく反対を称《とな》へはしなかつたけれど、聞いて極楽《ごくらく》見て地獄《ぢごく》の譬《たとへ》を引き、劇道《げきだう》の成功の困難、舞台の生活の苦痛、芸人社会の交際の煩瑣《はんさ》な事なぞを長々《なが/\》と語つた後《のち》、母親の心をも推察《すゐさつ》してやるやうにと、伯父《をぢ》の忠告を待たずともよく解《わか》つてゐる事を述べつゞけたのであつた。長吉《ちやうきち》は人間といふものは年を取ると、若い時分《じぶん》に経験した若いものしか知らない煩悶《はんもん》不安をばけろり[#「けろり」に傍点]と忘れてしまつて、次の時代に生れて来る若いものゝ身の上《うへ》を極《きは》めて無頓着《むとんちやく》に訓戒《くんかい》批評する事のできる便利な性質を持つてゐるものだ、年を取つたものと若いものゝ間《あひだ》には到底《たうてい》一致されない懸隔《けんかく》のある事をつくづく感じた。  何処《どこ》まで歩いて行つても道は狭《せま》くて土が黒く湿《しめ》つてゐて、大方《おほかた》は路地《ろぢ》のやうに行《ゆ》き止《どま》りかと危《あやぶ》まれるほど曲《まが》つてゐる。苔《こけ》の生えた鱗葺《こけらぶ》きの屋根《やね》、腐《くさ》つた土台、傾いた柱、汚《よご》れた板目《はめ》、干《ほ》してある襤褸《ぼろ》や襁褓《おしめ》や、並《なら》べてある駄菓子《だぐわし》や荒物《あらもの》など、陰鬱《いんうつ》な小家《こいへ》は不規則に限りもなく引きつゞいて、其《そ》の間《あひだ》に時々|驚《おどろ》くほど大きな門構《もんがまへ》の見えるのは尽《こと/″\》く製造場《せいざうば》であつた。瓦屋根《かはらやね》の高く聳《そび》えて居《ゐ》るのは古寺《ふるでら》であつた。古寺《ふるでら》は大概《たいがい》荒れ果てゝ、破《やぶ》れた塀《へい》から裏手《うらて》の乱塔場《らんたふば》がすつかり見える。束《たば》になつて倒《たふ》れた卒塔婆《そとば》と共に青苔《あをごけ》の斑点《しみ》に蔽《おほ》はれた墓石《はかいし》は、岸と云《い》ふ限界さへ崩《くづ》れてしまつた水溜《みづたま》りのやうな古池《ふるいけ》の中へ、幾個《いくつ》となくのめり込んで居《ゐ》る。無論《むろん》新しい手向《たむけ》の花なぞは一つも見えない。古池《ふるいけ》には早くも昼中《ひるなか》に蛙《かはづ》の声《こゑ》が聞《きこ》えて、去年のまゝなる枯草《かれくさ》は水にひたされて腐《くさ》つて居《ゐ》る。  長吉《ちやうきち》はふと近所の家の表札《へうさつ》に中郷竹町《なかのがうたけちやう》と書いた町《まち》の名を読んだ。そして直様《すぐさま》、此《こ》の頃《ころ》に愛読した為永春水《ためながしゆんすゐ》の「梅暦《うめごよみ》」を思出《おもひだ》した。あゝ、薄命《はくめい》なあの恋人達はこんな気味《きみ》のわるい湿地《しつち》の街《まち》に住んでゐたのか。見れば物語の挿絵《さしゑ》に似た竹垣《たけがき》の家もある。垣根《かきね》の竹は枯《か》れきつて其《そ》の根元《ねもと》は虫に喰《く》はれて押せば倒《たふ》れさうに思はれる。潜門《くゞりもん》の板屋根《いたやね》には痩《や》せた柳《やなぎ》が辛《から》くも若芽《わかめ》の緑をつけた枝を垂《たら》してゐる。冬の昼過《ひるす》ぎ窃《ひそ》かに米八《よねはち》が病気の丹次郎《たんじらう》をおとづれたのもかゝる佗住居《わびずまひ》の戸口《とぐち》であつたらう。半次郎《はんじらう》が雨の夜《よ》の怪談《くわいだん》に始めてお糸《いと》の手を取つたのも矢張《やはり》斯《かゝ》る家の一間《ひとま》であつたらう。長吉《ちやうきち》は何《なん》とも云《い》へぬ恍惚《くわうこつ》と悲哀《ひあい》とを感じた。あの甘《あま》くして柔《やはら》かく、忽《たちま》ちにして冷淡《れいたん》な無頓着《むとんちやく》な運命の手に弄《もてあそ》ばれたい、と云《い》ふ止《や》み難《がた》い空想に駆《か》られた。空想の翼《つばさ》のひろがるだけ、春の青空が以前よりも青く広く目に映《えい》じる。遠くの方《はう》から飴売《あめうり》の朝鮮笛《てうせんぶえ》が響《ひゞ》き出した。笛の音《ね》は思ひがけない処《ところ》で、妙《めう》な節《ふし》をつけて音調《おんてう》を低めるのが、言葉に云《い》へない幽愁《いうしう》を催《もよほ》させる。  長吉《ちやうきち》は今まで胸に蟠《わだかま》つた伯父《をぢ》に対する不満を暫《しばら》く忘れた。現実の苦悶《くもん》を暫《しばら》く忘れた………。 [#5字下げ]十[#「十」は中見出し]  気候が夏の末から秋に移つて行《ゆ》く時と同じやう、春の末《すゑ》から夏の始めにかけては、折々《をり/\》大雨《おほあめ》が降《ふり》つゞく。千束町《せんぞくまち》から吉原田圃《よしはらたんぼ》は珍《めづら》しくもなく例年の通《とほ》りに水が出た。本所《ほんじよ》も同じやうに所々《しよ/\》に出水《しゆつすゐ》したさうで、蘿月《らげつ》はお豊《とよ》の住む今戸《いまど》の近辺《きんぺん》はどうであつたかと、二三日|過《す》ぎてから、所用《しよゝう》の帰りの夕方《ゆふがた》に見舞《みまひ》に来て見ると、出水《でみづ》の方《はう》は無事であつた代《かは》りに、それよりも、もつと意外な災難《さいなん》にびつくりしてしまつた。甥《をひ》の長吉《ちやうきち》が釣台《つりだい》で、今しも本所《ほんじよ》の避病院《ひびやうゐん》に送られやうと云《い》ふ騒《さわぎ》の最中《さいちゆう》である。母親のお豊《とよ》は長吉《ちやうきち》が初袷《はつあはせ》の薄着《うすぎ》をしたまゝ、千束町《せんぞくまち》近辺《きんぺん》の出水《でみづ》の混雑を見にと夕方《ゆふがた》から夜おそくまで、泥水《どろみづ》の中を歩き𢌞《まは》つた為《た》めに、其《そ》の夜《よ》から風邪《かぜ》をひいて忽《たちま》ち腸窒扶斯《ちやうチブス》になつたのだと云《い》ふ医者の説明をそのまゝ語つて、泣きながら釣台《つりだい》の後《あと》について行つた。途法《とはふ》にくれた蘿月《らげつ》はお豊《とよ》の帰つて来るまで、否応《いやおう》なく留守番《るすばん》にと家《うち》の中に取り残されてしまつた。  家《うち》の中は区役所の出張員《しゆつちやういん》が硫黄《いわう》の煙と石炭酸《せきたんさん》で消毒した後《あと》、まるで煤掃《すゝは》きか引越《ひつこ》しの時のやうな狼藉《らうぜき》に、丁度《ちやうど》人気《ひとけ》のない寂《さび》しさを加へて、葬式《さうしき》の棺桶《くわんおけ》を送出《おくりだ》した後《あと》と同じやうな心持《こゝろもち》である。世間を憚《はゞか》るやうにまだ日の暮れぬ先《さき》から雨戸《あまど》を閉《し》めた戸外《おもて》には、夜と共に突然《とつぜん》強い風が吹き出したと見えて、家中《いへぢゆう》の雨戸《あまど》ががた/\鳴り出した。気候はいやに肌《はだ》寒くなつて、折々《をり/\》勝手口《かつてぐち》の破障子《やぶれしやうじ》から座敷《ざしき》の中まで吹き込んで来る風が、薄暗《うすぐら》い釣《つるし》ランプの火をば吹き消しさうに揺《ゆす》ると、其《そ》の度々《たび/\》、黒い油煙《ゆえん》がホヤを曇《くも》らして、乱雑に置き直された家具の影が、汚《よご》れた畳《たゝみ》と腰張《こしばり》のはがれた壁の上に動く。何処《どこ》か近くの家で百萬遍《ひやくまんべん》の念仏《ねんぶつ》を称《とな》へ始める声が、ふと物哀《ものあは》れに耳についた。蘿月《らげつ》は唯《たつ》た一人で所在《しよざい》がない。退屈《たいくつ》でもある。薄淋《うすさび》しい心持《こゝろもち》もする。かう云《い》ふ時には酒がなくてはならぬと思つて、台所《だいどころ》を探し𢌞《まは》つたが、女世帯《をんなじよたい》の事とて酒盃《さかづき》一ツ見当《みあた》らない。表《おもて》の窓際《まどぎは》まで立戻《たちもど》つて雨戸《あまど》の一枚を少《すこ》しばかり引き開《あ》けて往来《わうらい》を眺《なが》めたけれど、向側《むかうがは》の軒燈《けんとう》には酒屋らしい記号《しるし》のものは一ツも見えず、場末《ばすゑ》の街《まち》は宵《よひ》ながらにもう大方《おほかた》は戸を閉《し》めてゐて、陰気《いんき》な百萬遍《ひやくまんべん》の声が却《かへ》つてはつきり聞《きこ》えるばかり。河《かは》の方《はう》から烈《はげ》しく吹きつける風が屋根《やね》の上の電線をヒユー/\鳴《なら》すのと、星の光の冴《さ》えて見えるのとで、風のある夜は突然《とつぜん》冬が来たやうな寒い心持《こゝろもち》をさせた。  蘿月《らげつ》は仕方《しかた》なしに雨戸《あまど》を閉《し》めて、再びぼんやり釣《つるし》ランプの下《した》に坐《すわ》つて、続けざまに煙草《たばこ》を喫《の》んでは柱時計《はしらどけい》の針の動くのを眺《なが》めた。時々|鼠《ねずみ》が恐《おそろ》しい響《ひゞき》をたてゝ天井裏《てんじやううら》を走る。ふと蘿月《らげつ》は何《なに》かその辺《へん》に読む本でもないかと思ひついて、箪笥《たんす》の上や押入《おしいれ》の中を彼方此方《あつちこつち》と覗《のぞ》いて見たが、書物と云《い》つては常磐津《ときはづ》の稽古本《けいこぼん》に綴暦《とぢごよみ》の古いもの位《くらゐ》しか見当《みあた》らないので、とう/\釣《つるし》ランプを片手《かたて》にさげて、長吉《ちやうきち》の部屋になつた二階まで上《あが》つて行つた。  机《つくゑ》の上に書物は幾冊《いくさつ》も重《かさ》ねてある。杉板《すぎいた》の本箱も置かれてある。蘿月《らげつ》は紙入《かみいれ》の中にはさんだ老眼鏡《らうがんきやう》を懐中《ふところ》から取り出して、先《ま》づ洋装の教科書をば物珍《ものめづら》しく一冊々々ひろげて見てゐたが、する中《うち》にばたりと畳《たゝみ》の上に落ちたものがあるので、何《なに》かと取上《とりあ》げて見ると春着《はるぎ》の芸者|姿《すがた》をしたお糸《いと》の写真であつた。そつと旧《もと》のやうに書物の間《あひだ》に収めて、猶《なほ》もその辺《へん》の一冊々々を何心《なにごゝろ》もなく漁《あさ》つて行《ゆ》くと、今度は思ひがけない一通の手紙に行当《ゆきあた》つた。手紙は書き終《をは》らずに止《や》めたものらしく、引き裂《さ》いた巻紙《まきがみ》と共に文句《もんく》は杜切《とぎ》れてゐたけれど、読み得《う》るだけの文字で十分に全体の意味を解する事ができる。長吉《ちやうきち》は一度《ひとたび》別れたお糸《いと》とは互《たがひ》に異なる其《そ》の境遇《きやうぐう》から日《ひ》一|日《にち》と其《そ》の心までが遠《とほざ》かつて行つて、折角《せつかく》の幼馴染《をさなゝじみ》も遂《つひ》にはあか[#「あか」に傍点]の他人に等《ひと》しいものになるであらう。よし時々に手紙の取りやりはして見ても感情の一致して行《ゆ》かない是非《ぜひ》なさを、こま/″\と恨《うら》んでゐる。それにつけて、役者か芸人になりたいと思定《おもひさだ》めたが、その望みも遂《つひ》に遂《と》げられず、空《むな》しく床屋《とこや》の吉《きち》さんの幸福を羨《うらや》みながら、毎日ぼんやりと目的のない時間を送つてゐるつまらなさ、今は自殺する勇気もないから病気にでもなつて死ねばよいと書いてある。  蘿月《らげつ》は何《なん》と云《い》ふわけもなく、長吉《ちやうきち》が出水《でみづ》の中を歩いて病気になつたのは故意《こい》にした事であつて、全快《ぜんくわい》する望《のぞみ》はもう絶え果てゝゐるやうな実《じつ》に果敢《はか》ない感《かんじ》に打たれた。自分は何故《なぜ》あの時あのやうな心にもない意見をして長吉《ちやうきち》の望みを妨《さまた》げたのかと後悔《こうくわい》の念に迫《せ》められた。蘿月《らげつ》はもう一度思ふともなく、女に迷つて親の家《いへ》を追出《おひだ》された若い時分《じぶん》の事を囘想《くわいさう》した。そして自分はどうしても長吉《ちやうきち》の味方にならねばならぬ。長吉《ちやうきち》を役者にしてお糸《いと》と添はしてやらねば、親《おや》代々の家《うち》を潰《つぶ》してこれまでに浮世《うきよ》の苦労をしたかひがない。通人《つうじん》を以《もつ》て自任《じにん》する松風庵蘿月宗匠《しようふうあんらげつそうしやう》の名に愧《はぢ》ると思つた。  鼠《ねずみ》がまた突如《だしぬけ》に天井裏《てんじやうゝら》を走る。風はまだ吹き止《や》まない。釣《つるし》ランプの火は絶えず動揺《ゆらめ》く。蘿月《らげつ》は色の白い眼のぱつちりした面長《おもなが》の長吉《ちやうきち》と、円顔《まるがほ》の口元《くちもと》に愛嬌《あいきやう》のある眼尻《めじり》の上《あが》つたお糸《いと》との、若い美しい二人の姿《すがた》をば、人情本《にんじやうぼん》の作者が口絵《くちゑ》の意匠《いしやう》でも考へるやうに、幾度《いくたび》か並《なら》べて心の中《うち》に描きだした。そして、どんな熱病に取付《とりつ》かれてもきつと死んでくれるな。長吉《ちやうきち》、安心しろ。乃公《おれ》がついてゐるんだぞと心に叫《さけ》んだ。 [#地付き](明治42[#「42」は縦中横]年12[#「12」は縦中横]月「新小説」) 底本:「明治の文学 第25巻 永井荷風・谷崎潤一郎」筑摩書房    2001(平成13)年11月20日初版第1刷発行 底本の親本:「荷風全集 第5巻」岩波書店    1963(昭和38)年1月 初出:「新小説 第14年第12巻」    1909(明治42)年12月 入力:阿部哲也 校正:米田 2014年8月7日作成 青空文庫作成ファイル: 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