歌の話 折口信夫 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)歌《うた》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#6字下げ] /\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号) (例)もつと/\ *濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」 ------------------------------------------------------- [#6字下げ]歌《うた》の話《はなし》について[#「歌の話について」は中見出し]  この度《たび》、高濱虚子《たかはまきよし》さん・柳田國男先生《やなぎだくにをせんせい》[#ルビの「やなぎだくにをせんせい」はママ]と御一《ごいつ》しょに、この一部《いちぶ》の書物《しよもつ》を作《つく》ることになりました。その高濱《たかはま》さんの御領分《ごりようぶん》の俳句《はいく》と同樣《どうよう》に、短歌《たんか》といふものは、ほんとうに、日本國民《につぽんこくみん》自身《じしん》が生《う》み出《だ》したもので、とりわけ、きはめて古《ふる》い時代《じだい》に、出來上《できあが》つてゐたものであります。さうして、それが偶然《ぐうぜん》、私《わたし》の先生《せんせい》でもあり、またあなた方《がた》のこの文庫《ぶんこ》におけるおなじみでもある、柳田國男先生《やなぎだくにをせんせい》[#ルビの「やなぎだくにをせんせい」はママ]がお書《か》きの諺《ことわざ》の成《な》り立《た》ちとも、原因《げんいん》が竝行《へいかう》してゐるのは、不思議《ふしぎ》な御縁《ごえん》だとおもひます。 [#5字下げ]一、短歌《たんか》の起《おこ》り[#「一、短歌の起り」は中見出し]  短歌《たんか》は、唯今《たゞいま》では一般《いつぱん》に、うた[#「うた」に傍点]といつてゐます。けれども大昔《おほむかし》には、うた[#「うた」に傍点]と名《な》づくべきものが多《おほ》かつたので、そのうち、一番《いちばん》後《あと》に出來《でき》て、一番《いちばん》完全《かんぜん》になつたものが、うた[#「うた」に傍点]といふ名《な》を專《もつぱ》らにしたのであります。  かういふと、不思議《ふしぎ》に思《おも》ふ方《かた》があるかも知《し》れません。あなた方《がた》の御覽《ごらん》の書物《しよもつ》には、たいてい短歌《たんか》の起《おこ》りを、神代《かみよ》のすさのを[#「すさのを」に傍点]の尊《みこと》のお作《さく》からとしてゐるでせう。もちろんこれは、古《ふる》くからのいひ傳《つた》へで、あなた方《がた》が、古代《こだい》と考《かんが》へてゐられる奈良朝《ならちよう》よりも、もつと/\以前《いぜん》から、さう信《しん》じてゐたのです。だからその點《てん》において、そのお歌《うた》が、第一番《だいゝちばん》のものでなくとも、何《なに》も失望《しつぼう》する必要《ひつよう》はありません。  短歌《たんか》の出來《でき》るまでには、いろんな形《かたち》をとほつて來《き》てゐます。第一《だいゝち》に、世間《せけん》の人《ひと》は、短《みじか》い單純《たんじゆん》なものが初《はじ》めで、それが擴《ひろ》がつて、長《なが》い複雜《ふくざつ》なものとなるといふ考《かんが》へ方《かた》の、癖《くせ》を持《も》つてゐます。ところが、物質《ぶつしつ》の進化《しんか》の方面《ほうめん》と、精神上《せいしんじよう》のことゝは反對《はんたい》で、複雜《ふくざつ》なものをだんだん整頓《せいとん》して、簡單《かんたん》にして行《ゆ》く能力《のうりよく》の出來《でき》て來《く》ることが、文明《ぶんめい》の進《すゝ》んでゆくありさまであります。短歌《たんか》などもそれで、日本《につぽん》の初《はじ》めの歌《うた》から、非常《ひじよう》な整頓《せいとん》が行《おこな》はれ/\して、かういふ簡單《かんたん》で、思《おも》ひの深《ふか》い詩《し》の形《かたち》が、出來《でき》て來《き》たのであります。 [#5字下げ]二、諺《ことわざ》と、歌《うた》と[#「二、諺と、歌と」は中見出し]  今《いま》の人《ひと》の、考《かんが》へることの出來《でき》ないほど古《ふる》い、遠《とほ》い祖先《そせん》の時代《じだい》には、稱《とな》へ言《ごと》といふものがありました。それが、も少《すこ》し進《すゝ》むと、ものがたり[#「ものがたり」に傍点]といふものになつて來《き》ました。さうして、この二《ふた》つながら、竝《なら》んで行《おこな》はれてゐました。その稱《とな》へ言《ごと》が、今日《こんにち》でも、社々《やしろ/\》の神主《かんぬし》さんたちの稱《とな》へる、祝詞《のりと》なのであります。この二《ふた》つの言葉《ことば》は、元《もと》、日本《につぽん》古代《こだい》の神樣《かみさま》のおつしやつた言葉《ことば》として、信《しん》じられてゐたのですが、そのうち、だん/\その言葉《ことば》のうちにもつと、押《お》しつめた短《みじか》い部分《ぶぶん》を、神樣《かみさま》の言葉《ことば》と考《かんが》へ、その外《ほか》の言葉《ことば》を、輕《かる》く考《かんが》へて來《く》る傾《かたむ》きが出來《でき》て來《き》ました。だから稱《とな》へ言《ごと》のうちにも、神《かみ》のお言葉《ことば》があり、ものがたり[#「ものがたり」に傍点]のうちにも、神《かみ》のお言葉《ことば》が挿《はさ》まれてゐるもの、と考《かんが》へ出《だ》したのであります。この稱《とな》へ言《ごと》のうちのある部分《ぶぶん》が、諺《ことわざ》となり、ものがたり[#「ものがたり」に傍点]の肝腎《かんじん》な部分《ぶぶん》が、歌《うた》となつたのであります。神樣《かみさま》と申《まを》し上《あ》げる方《かた》は、尊《たふと》くもありまた、恐《おそ》ろしくもある方《かた》で、われ/\の祖先《そせん》におつしやつた言葉《ことば》は、祖先《そせん》の人《ひと》たちが恐《おそ》れ愼《つゝ》しんで承《うけたまは》り、實行《じつこう》しなければならない命令《めいれい》でありました。ですから、稱《とな》へ言《ごと》全體《ぜんたい》が、元《もと》は命令《めいれい》の意味《いみ》を持《も》つてゐました。その長《なが》い命令《めいれい》の言葉《ことば》のうちに、それを押《お》しつめたものが出來《でき》て來《き》たことは、既《すで》に申《まを》しました。これが、たいてい古《ふる》くは、大體《だいたい》二《ふた》つの句《く》に、纏《まと》まるものだつたようです。ところが、その稱《とな》へ言《ごと》から變《かは》つた、ものがたり[#「ものがたり」に傍点]のうちのうた[#「うた」に傍点]も、その理《り》くつをいへば、意味《いみ》がはつきりして來《き》るとおもひます。つまり、神樣《かみさま》の仰《おほ》せに對《たい》する、お答《こた》へであります。いひ換《か》へて見《み》ると自分《じぶん》の心《こゝろ》がわかつて頂《いたゞ》くように、説明《せつめい》をし、お願《ねが》ひをし、お詑《わ》びをするもので、根本《こんぽん》の精神《せいしん》においては、このとほり、私《わたし》どもは服從《ふくじゆう》申《まを》してをります、といふ誓《ちか》ひの意味《いみ》になります。  ですから諺《ことわざ》は、命令《めいれい》の意義《いぎ》から、だん/\變化《へんか》して、社會的《しやかいてき》の訓戒《くんかい》あるひは、人間《にんげん》としての心《こゝろ》がけを説《と》くといふ方面《ほうめん》に、意味《いみ》が變化《へんか》して來《き》ました。それと共《とも》に、時代《じだい》が移《うつ》ると、言葉《ことば》の意味《いみ》や、昔《むかし》にいひ習《なら》はしたわけが、わからなくなるために、後世《こうせい》では、なんの理《り》くつもわからない『いひ習《なら》はし』となつてしまつたのであります。このことは長《なが》く申《まを》さずとも、柳田先生《やなぎだせんせい》[#ルビの「やなぎだせんせい」はママ]のお話《はなし》でゝも、おわかりになることゝおもひますから、私《わたし》の分擔《ぶんたん》に、關係《かんけい》の深《ふか》いところばかりでやめておきます。  さて歌《うた》は、どこまでも、自分《じぶん》の心《こゝろ》を詳《くは》しく、相手《あひて》の心《こゝろ》を牽《ひ》くようにいひ出《だ》すものであります。そして、低《ひく》い神樣《かみさま》、或《あるひ》は位置《いち》の高《たか》い人間《にんげん》から、神樣《かみさま》に申《まを》し上《あ》げる言葉《ことば》が、次第《しだい》に、人間《にんげん》どうしのいひかけいひあはせる、かけあひ[#「かけあひ」に傍点]の言葉《ことば》に、利用《りよう》せられて來《き》ました。さうして、神樣《かみさま》の言葉《ことば》すらも、やはり、歌《うた》で現《あらは》されることになりました。それは大方《おほかた》、三《みつ》つの句《く》の形《かたち》になつたものらしく考《かんが》へられます。 [#5字下げ]三、歌《うた》のいろ/\[#「三、歌のいろ/\」は中見出し]  この三《みつ》つの句《く》の形《かたち》の歌《うた》を、後《のち》には、片歌《かたうた》といつてゐます。これは、歌《うた》の半分《はんぶん》といふことでなく、完全《かんぜん》でない歌《うた》といふことであります。中《なか》には片歌《かたうた》を、短歌《たんか》の半分《はんぶん》といふように思《おも》つてゐる人《ひと》もあるが、これが完全《かんぜん》になると、旋頭歌《せどうか》[#1段階小さな文字](せんとうか[#「せんとうか」に傍点]とは讀《よ》みません。習慣《しゆうかん》で、せどうか[#「せどうか」に傍点]といふのです)[#小さな文字終わり]といふ形《かたち》が出來《でき》ます。  片歌《かたうた》は、三句《さんく》から出來《でき》てゐて、一番《いちばん》めの句《く》が五音《ごおん》、二番《にばん》めの句《く》が七音《しちおん》、第三《だいさん》の句《く》がまた七音《しちおん》、といふふうになつてゐるのが普通《ふつう》で、その音數《おんすう》には、多少《たしよう》の變化《へんか》があります。これは、歌《うた》ひ延《のば》したり、縮《ちゞ》めたりしたからでせう。  神武天皇《じんむてんのう》が、大和《やまと》の國《くに》のたかさじ[#「たかさじ」に傍点]野《の》といふところで、後《のち》に皇后樣《こう/″\さま》になられた、いすけより[#「いすけより」に傍点]媛《ひめ》といふお方《かた》に、初《はじ》めてお會《あ》ひなされた時《とき》、お伴《とも》のおほくめ[#「おほくめ」に傍点]の命《みこと》が、天皇樣《てんのうさま》の代理《だいり》で、お媛《ひめ》さまのところへ歩《あゆ》み寄《よ》つて、ものをいひに行《ゆ》くと、いすけより[#「いすけより」に傍点]媛《ひめ》は、おほくめ[#「おほくめ」に傍点]の命《みこと》の目《め》のさいてあるのに氣《き》がつかれて、歌《うた》をうたひかけられました。目《め》をさくとは、眦《めじり》を、刺《とげ》のようなもので割《さ》いて、墨《すみ》を入《い》れて、黥《いれずみ》をすることをいふ、古《ふる》い言葉《ことば》であります。その文句《もんく》は、昔《むかし》の大學者《だいがくしや》たちも、わからないと申《まを》してゐる、むつかしいもので、これから先《さき》、あなた方《がた》のうちから、説明《せつめい》して下《くだ》さる人《ひと》が、出《で》て來《く》るかも知《し》れません。 [#ここから3字下げ] あめつゝちとりましとゝ 何故《など》 黥《さ》ける 利目《とめ》 [#ここから2字下げ] お前《まへ》の目《め》は、なぜそんなに黥《いれずみ》がしてあるのか、といふ以上《いじよう》に、確《たし》かな説明《せつめい》の出來《でき》た人《ひと》がないのです。 [#ここで字下げ終わり]  これに對《たい》して、おほくめ[#「おほくめ」に傍点]の命《みこと》は答《こた》へました。 [#ここから3字下げ] をとめに たゞにあはむと わが黥《さ》ける 利目《とめ》 [#ここから2字下げ] あなたのような美《うつく》しい、若《わか》いお媛《ひめ》さまに會《あ》ふために、私《わたし》が黥《いれずみ》をしておいた、この眦《めじり》の黥《いれずみ》です。 [#ここで字下げ終わり]  なんのために、黥《いれずみ》することが、さうした目的《もくてき》に適《かな》ふのかわからないが、歌《うた》の意味《いみ》はともかく、さうに違《ちが》ひありません。御覽《ごらん》のとほり、初《はじ》めの句《く》が、四音《しおん》になつてゐるが、ともかく、5・7・5といふ三《みつ》つの句《く》の形《かたち》を、基礎《きそ》としてゐます。これが、われ/\で知《し》れる限《かぎ》りの、歌《うた》の古《ふる》い形《かたち》で、このように五音《ごおん》でなく、四音《しおん》であるのと反對《はんたい》に、五音《ごおん》・七音《しちおん》であるところを、音數《おんすう》多《おほ》くしたものもあります。現《げん》に、この歌《うた》と同樣《どうよう》に、おほくめ[#「おほくめ」に傍点]の命《みこと》と神武天皇《じんむてんのう》とのかけあひに謠《うた》はれたといふ歌《うた》が、それであります。 [#ここから3字下げ] やまとの たかさじ野《ぬ》を、なゝ行《ゆ》く をとめども。たれをしまかむ[#1段階小さな文字](おほくめ[#「おほくめ」に傍点]の命《みこと》)[#小さな文字終わり]      × かつ/″\も、いやさき立《だ》てる 長《え》をしまかむ[#1段階小さな文字](神武天皇《じんむてんのう》)[#小さな文字終わり] [#ここから2字下げ] この大和《やまと》のたかさじ野《の》を、七人《しちにん》通《とほ》るをとめたち。そのうちの誰《たれ》を、お后《きさき》になさいますか。 ちっとばかり先《さき》になつてゐる、あの年長者《ねんちようしや》を、后《きさき》にしよう。 [#ここで字下げ終わり]  この二《ふた》つの歌《うた》について見《み》ると、片方《かたほう》は、4・6・4・5・7といふへんな形《かたち》になつてゐるが、大體《だいたい》、短歌《たんか》の5・7・5・7・7といふのと、句《く》の數《かず》も似《に》てゐます。それでは、これが短歌《たんか》かといふと、第一《だいゝち》、片歌《かたうた》の約束《やくそく》に叛《そむ》きます。片歌《かたうた》は、片歌《かたうた》どうし合《あは》せるもので、けっして、短歌《たんか》と一組《ひとく》みにはなりません。さうすると、おほくめ[#「おほくめ」に傍点]の命《みこと》の歌《うた》も、片歌《かたうた》の音數《おんすう》を増《ま》して、早《はや》く謠《うた》はれたものとおもふ外《ほか》はありません。最初《さいしよ》の一句《いつく》は、『やまとのたかさじ[#「たかさじ」に傍点]野《ぬ》』の十音《じゆうおん》から出來《でき》てゐます。二番《にばん》めの句《く》は、『なゝ行《ゆ》くをとめども』の九音《くおん》が、七音《しちおん》の句《く》の長《なが》さで謠《うた》はれた、といふことが考《かんが》へられます。さうして見《み》ると、この時《とき》、二對《につい》の片歌《かたうた》の、かけあひがあつたのです。けれども、うっかり見《み》ると、そのうちに、短歌《たんか》の古《ふる》い形《かたち》のようなものが、混《まじ》つてゐるようにも見《み》えます。もちろん、かういふ音數《おんすう》の多《おほ》い片歌《かたうた》も、三句《さんく》から出來《でき》てゐるのだといふことを忘《わす》れて、五句《ごく》になつたところからも、短歌《たんか》は、出來《でき》て來《く》るのであります。だから、この長《なが》い片歌《かたうた》は、短歌《たんか》の歴史《れきし》の上《うへ》から、疎《おろそ》かに出來《でき》ない材料《ざいりよう》であります。 [#5字下げ]四、やまとたける[#「やまとたける」に傍点]の尊《みこと》のこと。竝《なら》びに旋頭歌《せどうか》[#「四、やまとたけるの尊のこと。竝びに旋頭歌」は中見出し]  おなじような片歌《かたうた》の話《はなし》が、やまとたける[#「やまとたける」に傍点]の尊《みこと》にもあります。この尊《みこと》東國《とうごく》平定《へいてい》の時《とき》、甲斐《かひ》の國《くに》酒折《さかをり》の宮《みや》に宿《やど》られて、火《ひ》を燃《もや》してゐた翁《おきな》に、いひかけられました。 [#ここから3字下げ] にひばり つくばを過《す》ぎて、いく夜《よ》か 寢《ね》つる [#ここから2字下げ] あの新治《にひばり》の近邊《きんぺん》の筑波《つくば》をとほり過《す》ぎて、今夜《こんや》で幾晩《いくばん》寢《ね》て來《き》たとおもふ、といはれたのです。 [#ここから4字下げ] かゝなへて、夜《よ》には こゝの夜《よ》。晝《ひ》には とをかを [#ここから2字下げ] 指折《ゆびを》り屈《かゞ》めて勘定《かんじよう》して、今晩《こんばん》は、夜《よる》で申《まを》せば、九晩《こゝのばん》。晝《ひる》で申《まを》せば、十日《とをか》を經過《けいか》いたしましたことよ。かういふお答《こた》へをしたのです。 [#ここで字下げ終わり]  これは、前《まへ》の神武天皇樣方《じんむてんのうさまがた》の御歌《おうた》よりも、もっと名高《なだか》く、傳《つた》はつてゐます。それは、この二《ふた》つの片歌《かたうた》を連歌《れんが》[#1段階小さな文字](れんが)[#小さな文字終わり]といふものゝ初《はじ》めだ、と信《しん》じてゐるからであります。ところが、さういふふうに考《かんが》へるのなら、もっと時代《じだい》の古《ふる》い、神武天皇頃《じんむてんのうころ》の片歌問答《かたうたもんどう》の方《ほう》が、連歌《れんが》の初《はじ》まりだ、といつてよいわけではありませんか。まづ、日本《につぽん》の歌《うた》においては、長《なが》い形《かたち》のものがたり[#「ものがたり」に傍点]から、次第《しだい》に變化《へんか》して、長歌《ながうた》[#1段階小さな文字](ながうた)[#小さな文字終わり]といふものが出來《でき》て來《き》た一方《いつぽう》に、そのうちえきす[#「えきす」に傍点]とも、えっせんす[#「えっせんす」に傍点]ともいつてよい片歌《かたうた》が、二《ふた》つ合《あは》さつて、旋頭歌《せどうか》といふものに發達《はつたつ》して行《ゆ》くと同時《どうじ》に、片歌《かたうた》自身《じしん》が、短歌《たんか》を作《つく》り上《あ》げるように、次第《しだい》に、音《おん》の數《かず》を増《ま》し、内容《ないよう》が複雜《ふくざつ》になつてゐました。私《わたし》の話《はなし》は、短歌《たんか》のみならず、日本《につぽん》の歌《うた》の大凡《おほよそ》に亙《わた》つて、知識《ちしき》をお附《つ》けしたいと思《おも》ふのですから、こんなことから、初《はじ》めたわけです。それで一口《ひとくち》だけ、旋頭歌《せどうか》について申《まを》しませう。この歌《うた》の形《かたち》は、つまり、前《まへ》の問答《もんどう》の歌《うた》を一《ひと》つとすれば、それなのです。萬葉集《まんにようしゆう》から例《れい》をひいて見《み》ると、 [#ここから3字下げ] 新室《にひむろ》を蹈《ふ》み鎭《しづ》め子《こ》が 手玉《ただま》鳴《な》らすも。 玉《たま》の如《ごと》 照《て》りたる君《きみ》を、内《うち》にと まをせ [#ここから2字下げ] 新築《しんちく》の家《いへ》を蹈《ふ》んで、屋敷《やしき》のわるい魂《たましひ》を鎭《しづ》め舞《ま》ふ女《をんな》の子《こ》が、手《て》に捲《ま》きつけた玉《たま》を、今《いま》鳴《な》らしてゐることよ。その玉《たま》のように、輝《かゞ》やいていらつしやる美《うつく》しいお客樣《きやくさま》を、どうぞ内《うち》らへ、と御案内《ごあんない》申《まを》し上《あ》げてくれ。 [#ここで字下げ終わり]  このとほり、三番《さんばん》めの句《く》で、かっきりと切《き》れて、四番《よばん》めの句《く》から、新《あたら》しく、同《おな》じ形《かたち》をくり返《かへ》してゐます。それで、頭《はじめ》の句《く》に旋《かへ》る歌《うた》といふ意味《いみ》で、旋頭歌《せどうか》と名《な》づけられたのでありました。中《なか》には旋頭歌《せどうか》が、まだ片歌《かたうた》の一組《ひとくみ》であつた時《とき》の姿《すがた》を、殘《のこ》してゐるものすらあります。やはり萬葉集《まんにようしゆう》の、 [#ここから3字下げ] 水門《みなと》の葦《あし》の末葉《うれは》を 誰《たれ》か た折《を》りし。 わが夫《せこ》が振《ふ》る手《て》を見《み》むと われぞ たをりし [#ここから2字下げ] 川口《かはぐち》の、葦《あし》のたくさん生《は》えてゐる、その葦《あし》の先《さき》の葉《は》が、みんなとれてゐる。これは、誰《たれ》が折《を》つたのかと申《まを》しますと、それは、私《わたし》です。私《わたし》の夫《をつと》なるあなたの、私《わたし》を見《み》つけてあひずに振《ふ》つていらつしやるお袖《そで》を、よく見《み》ようと考《かんが》へて、私《わたし》が折《を》つたのです。 [#ここで字下げ終わり]  これなどは、一首《いつしゆ》のうちに、自問自答《じもんじとう》のように、歌《うた》つてあります。 [#5字下げ][#中見出し]五、すさのを[#「すさのを」に傍点]の尊《みこと》の短歌《たんか》[#中見出し終わり] [#ここから3字下げ] やくもたつ いづもやへがき。つまごめに 八重垣《やへがき》つくる。その八重垣《やへがき》を [#ここで字下げ終わり]  この名高《なだか》[#ルビの「なだか」は底本では「ながか」]い、すさのを[#「すさのを」に傍点]の尊《みこと》のお歌《うた》は、實《じつ》は、よく意味《いみ》がわからないのです。でも普通《ふつう》はかう説明《せつめい》してゐます。 [#ここから2字下げ] 幾《いく》すぢもの雲《くも》が、どん/\と騰《のぼ》つてゐる。その現《あらは》れてゐる雲《くも》の廻《めぐ》つて作《つく》つた、幾重《いくへ》の垣《かき》のような雲《くも》。私《わたし》の妻《つま》を中《なか》に入《い》れるために、幾重《いくへ》もの垣《かき》を作《つく》つてゐる、その幾重《いくへ》もの垣《かき》よ。これがわれ/\の結婚《けつこん》を祝《いは》ふ自然《しぜん》のしるしである。 [#ここで字下げ終わり]  細《こま》かいところになると、昔《むかし》から多少《たしよう》、別々《べつ/\》の意見《いけん》はあつても、大體《だいたい》かういふふうに、意見《いけん》が一致《いつち》してゐます。ところが、私《わたし》にいはせると、意味《いみ》が大《だい》ぶん違《ちが》つて來《き》ます。 [#ここから2字下げ] 出雲人《いづもびと》の作《つく》つた、幾重《いくへ》にも取《と》り廻《まは》す、屏風《びようぶ》・張《とばり》の類《るい》よ。われ/\、新《あたら》しく結婚《けつこん》したものを包《つゝ》むために、幾重《いくへ》の圍《かこ》ひを作《つく》つてあることよ。あゝ、その幾重《いくへ》の屏風《びようぶ》・張《とばり》よ。 [#ここで字下げ終わり]  このやくもたつ[#「やくもたつ」に傍点]といふ言葉《ことば》が、歌《うた》の上《うへ》でいふ枕詞《まくらことば》なのです。すなはちこの場合《ばあひ》は、いづも[#「いづも」に傍点]といふ言葉《ことば》を起《おこ》すための、据《す》ゑことばなのです。枕詞《まくらことば》は、元《もと》の意味《いみ》のわかるのもあり、わからないのもありますが、わかるのは、大體《だいたい》に、新《あたら》しいものゝようです。このやくもたつ[#「やくもたつ」に傍点]なども、古《ふる》い書物《しよもつ》の説明《せつめい》にさへ、幾《いく》すぢもの雲《くも》が立《た》ち圍《かこ》んだところから、いはれたものとしてゐます。けれども、それはいけないので、ほかに、いづも[#「いづも」に傍点]といふ言葉《ことば》と、特別《とくべつ》の關係《かんけい》があつたに違《ちが》ひありません。  これは結婚《けつこん》に先立《さきだ》つて、新《あたら》しい家《いへ》を建《た》てる、その新築《しんちく》の室《むろ》の讃《ほ》め言葉《ことば》で、同時《どうじ》に、新婚者《しんこんしや》の幸福《こうふく》を祈《いの》る意味《いみ》の言葉《ことば》なのです。それはともかくとして、この歌《うた》は、あなた方《がた》がお讀《よ》みになつても、大體《だいたい》わかるほど、意味《いみ》がよく通《つう》じます。ところが、このお歌《うた》よりも、遙《はる》かに新《あたら》しい時代《じだい》のたくさんな歌《うた》が、けっしてあなた方《がた》ばかりでなく、大人《おとな》の、しかも專門《せんもん》の學者《がくしや》たちにさへも、わからないものが多《おほ》いのです。ちょっと考《かんが》へても、時代《じだい》が新《あたら》しくなるほど、歌《うた》がわからなくなるといふような、不自然《ふしぜん》な事實《じじつ》を、あなた方《がた》はまともに、うけ入《い》れますか。だからこの歌《うた》は、遙《はる》かに後世《こうせい》、短歌《たんか》が盛《さか》んになつて後《のち》、行《おこな》はれ出《だ》して、その作《つく》つた人《ひと》もわからなくなり、また、非常《ひじよう》に重々《おも/\》しい力《ちから》のあるものと信《しん》じられた時代《じだい》に、こんな歌《うた》だから神代《かみよ》の神樣《かみさま》で、ことに出雲《いづも》に關係《かんけい》深《ふか》い、名高《なだか》い方《かた》のお作《さく》だ、と信《しん》じられたものに違《ちが》ひはなからう、と考《かんが》へてゐます。  大昔《おほむかし》の歌《うた》には、この歌《うた》に限《かぎ》らず、歴史《れきし》では傳《つた》へてゐても、作《つく》つた人《ひと》は別《べつ》であり、時代《じだい》も違《ちが》つてゐると見《み》ねばならないものが、だん/\あるのです。  私《わたし》はこのお歌《うた》が、神武天皇《じんむてんのう》のお歌《うた》だといふ片歌《かたうた》よりも、古《ふる》いものだとは、あるひはもったいないかも知《し》れないが、信《しん》じるわけにはまゐりません。短歌《たんか》の形《かたち》といふものは、もっともっと、遲《おく》れて出來《でき》たもので、すさのを[#「すさのを」に傍点]の尊《みこと》はもちろん、神武天皇《じんむてんのう》も、やまとたける[#「やまとたける」に傍点]の尊《みこと》も、御存《ごぞん》じにならなかつたに違《ちが》ひない、と考《かんが》へてゐるのです。 [#5字下げ]六、景色《けしき》を詠《よ》んだ歌《うた》[#「六、景色を詠んだ歌」は中見出し] [#ここから3字下げ] 狹葦川《さゐかは》よ 雲立《くもた》ちわたり、うねびやま 木《こ》の葉《は》さやぎぬ。風《かぜ》吹《ふ》かむとす [#ここから2字下げ] さゐ川《かは》から、雲《くも》がずっと立《た》ち續《つゞ》いて、この畝傍山《うねびやま》、その山《やま》の木《こ》の葉《は》が、騷《さわ》いでゐる。今《いま》、風《かぜ》が吹《ふ》かうとしてゐるのだ。 [#ここから3字下げ] 畝傍山《うねびやま》 晝《ひる》は雲《くも》と居《ゐ》、ゆふされば、風《かぜ》吹《ふ》かむとぞ 木《こ》の葉《は》さやげる [#ここから2字下げ] 畝傍山《うねびやま》。それには、山《やま》の木《こ》の葉《は》が、晝《ひる》は、雲《くも》がかゝつてゐるように、ぢっと靜《しづ》まつてゐて、日暮《ひぐ》れが來《く》ると、風《かぜ》が吹《ふ》き出《だ》すといふので、その木《こ》の葉《は》が騷《さわ》いでゐる。 [#ここで字下げ終わり]  この二首《にしゆ》の歌《うた》は、疑《うたが》ひもなく、景色《けしき》を詠《よ》んだ歌《うた》であります。畝傍山《うねびやま》附近《ふきん》の、小《ちひ》さな範圍《はんい》の自然《しぜん》を歌《うた》つた、いはゆる敍景詩《じよけいし》といふものであります。ところが、この歌《うた》を讀《よ》んだゞけで、別《べつ》の氣持《きも》ちが浮《うか》びませんか。それはなんだか、この歌《うた》のうちに、違《ちが》つた氣持《きも》ちが隱《かく》されてゐる、といふ氣分《きぶん》の起《おこ》ることであります。歌《うた》の表面《ひようめん》は一種《いつしゆ》の譬《たと》へで、何《なに》か別《べつ》のことがいつてあるのだらうといふ心持《こゝろも》ちが、起《おこ》りませんか。きっと起《おこ》るとおもひます。それで昔《むかし》の人《ひと》も、このたゞ敍景《じよけい》の歌《うた》に過《す》ぎない、二種《にしゆ》の歌《うた》に對《たい》し、かういふ傳《つた》へを語《かた》つてゐました。  神武天皇《じんむてんのう》がおかくれになつて後《のち》、先《さき》に申《まを》したいすけより[#「いすけより」に傍点]媛《ひめ》が、自分《じぶん》のお生《う》みになつた三人《さんにん》の皇子《みこ》たちを、殺《ころ》さうとするものゝあることを、むきだしにいふことは出來《でき》ないから、かういふふうに仄《ほの》めかして諭《さと》されたのだ、と古事記《こじき》といふ書物《しよもつ》にさへ傳《つた》へてゐます。日本《につぽん》の古代《こだい》の人々《ひと/″\》は、かういふふうに、一首《いつしゆ》の歌《うた》についても、何《なに》か神《かみ》の心《こゝろ》あるひは、諭《さと》しが含《ふく》まれてゐるのだ、といふ考《かんが》へ癖《くせ》を持《も》つてゐました。その習慣《しゆうかん》が、久《ひさ》しく續《つゞ》いて來《き》て、ごく近代《きんだい》に及《およ》んでゐます。だから偶然《ぐうぜん》起《おこ》つて來《き》た、一《ひと》つゞきの歌《うた》の文句《もんく》にも、たゞ歌《うた》の表面《ひようめん》の意味《いみ》以外《いがい》に、何《なに》か變《かは》つた内容《ないよう》がありそうな感《かん》じを持《も》つたのであります。  この歌《うた》は別《べつ》ですが、多《おほ》くさうしたふうにどこからともなく、風《かぜ》の吹《ふ》き起《おこ》るようにはやつて來《く》る歌《うた》を、不思議《ふしぎ》な氣持《きも》ちで、びく/\しながら、耳《みゝ》を立《た》てゝ聞《き》いてゐました。さうしてさういふ種類《しゆるい》の歌《うた》を、一般《いつぱん》に、わざうた[#「わざうた」に傍点]と申《まを》しました。字《じ》では、童謠《どうよう》とあて字《じ》をします。が、ほんとうの意味《いみ》は、神《かみ》の意志《いし》の現《あらは》れた歌《うた》、といふことらしいのです。たゞ多《おほ》く子《こ》どもたちが、さういふ歌《うた》を、無心《むしん》で謠《うた》ひ擴《ひろ》げて行《ゆ》くところから、あて字《じ》をしたのでありませう。この二首《にしゆ》の歌《うた》も、恐《おそ》らく、いすけより[#「いすけより」に傍点]媛《ひめ》のお歌《うた》でも、お作《さく》でもなく、またさうした惡人《あくにん》が、騷動《そうどう》を起《おこ》さうとしてゐる、注意《ちゆうい》をなさい、といつた意味《いみ》のものでもありますまい。それにしても、こんなに古《ふる》い時代《じだい》に、このような敍景《じよけい》の歌《うた》が、歌《うた》はれるわけはないのです。その證據《しようこ》は、これから以後《いご》、ずっと遙《はる》かな後《のち》まで、ほんとうに景色《けしき》を詠《よ》んだ歌《うた》といふものが、出《で》て來《こ》ないのであります。いくらか、さうしたものゝ見《み》えるのは、或時《あるとき》仁徳天皇《にんとくてんのう》が、吉備《きび》のくろ[#「くろ」に傍点]媛《ひめ》といふ人《ひと》を訪問《ほうもん》せられたところが、青菜《あをな》を摘《つ》んでゐたのを見《み》て作《つく》られたといふお歌《うた》であります。 [#ここから3字下げ] 山縣《やまがた》に蒔《ま》ける青菜《あをな》も、吉備《きび》びとゝ 共《とも》にし摘《つ》めば、たぬしくもあるか [#ここから2字下げ] 天子《てんし》の御料《ごりよう》の、畑《はたけ》のある山里《やまざと》に蒔《ま》いた青菜《あをな》も、そこの吉備《きび》の國人《くにびと》と、二人《ふたり》で摘《つ》んでゐると、氣《き》がはれ/″\とすることよ、といふ意味《いみ》のことをいはれたのです。 [#ここで字下げ終わり]  これなどは、まづ自然《しぜん》のものに對《たい》して、緻密《ちみつ》に觀察《かんさつ》をしたものゝ、書物《しよもつ》に出《で》たはじめといつてよからうとおもひます。山《やま》がた[#「がた」に傍点]といひ出《だ》して、土地《とち》の樣子《ようす》からその性質《せいしつ》を述《の》べて、そこに青々《あを/\》と芽《め》を出《だ》した野菜《やさい》の色《いろ》を、印象深《いんしようぶか》くつかんで、示《しめ》してゐます。それ以前《いぜん》の歌《うた》は、皆《みな》表面《ひようめん》は景色《けしき》を詠《よ》んだように見《み》えても、ほんとうに味《あぢ》はつて見《み》ると、たゞのうはっつらだけのところで、實際《じつさい》景色《けしき》を見据《みす》ゑたものだ、といふことが出來《でき》ません。  かういふふうに、ごくわづかづゝ、自然《しぜん》に對《たい》する見方《みかた》が据《すわ》つて來《き》ました。そして、ほんとうの敍景詩《じよけいし》といふものが出來上《できあが》るのは、奈良朝《ならちよう》に近《ちか》くなつてからのことであります。或《あるひ》は、もっと精確《せいかく》にいふと、奈良朝《ならちよう》になつてからといはなければならないかも知《し》れません。それにも拘《かゝは》らず、神武天皇《じんむてんのう》の時分《じぶん》に、ちゃんとあゝいふ調《とゝの》つた、景色《けしき》の歌《うた》があるといふことは、どうしても、不自然《ふしぜん》なように考《かんが》へられます。だからこの二首《にしゆ》のお歌《うた》も、實《じつ》は後世《こうせい》のもので、なんだか、へんな暗示《あんじ》を感《かん》じさせるところからして、しぜん、畝傍山《うねびやま》・さゐ川《かは》――さゐ川《かは》は、いすけより[#「いすけより」に傍点]媛《ひめ》のお屋敷《やしき》のあつた所《ところ》――などいふ地名《ちめい》から、歴史上《れきしじよう》の事實《じじつ》に結《むす》びつけて、考《かんが》へられたものだとおもひます。 [#5字下げ]七、旅行《りよこう》の歌《うた》[#「七、旅行の歌」は中見出し]  それではどうして、景色《けしき》を詠《よ》む歌《うた》が生《うま》れて來《き》たかといふと、それはわれ/\の祖先《そせん》が、よく旅行《りよこう》をしたからです。或《あるひ》は、旅行《りよこう》をした時《とき》と同《おな》じ心持《こゝろも》ちで、歌《うた》を作《つく》る場合《ばあひ》があつたからです。旅行《りよこう》をした先《さき》で、いつも新《あたら》しく小屋《こや》がけをして、それに宿《やど》りました。さうしてかならず、その小屋《こや》をほめ讃《たゝ》へる歌《うた》を詠《よ》んで、宴會《えんかい》を開《ひら》きました。これを、新室《にひむろ》の宴《うたげ》といひます。その習慣《しゆうかん》は、旅行《りよこう》をしないでも、一年《いちねん》のうちに、かならず一回以上《いつかいゝじよう》は、自然《しぜん》の村《むら》にゐて行《おこな》うたものでした。毎年《まいねん》、田《た》の穫《と》り入《い》れがすむと、やはり家《いへ》を作《つく》りかへ、或《あるひ》は屋根《やね》を葺《ふ》き替《か》へたりして、おなじく、新室《にひむろ》のうたげを行《おこな》ひました。かういふ場合《ばあひ》にはかならず、建《た》て物《もの》の内外《ないがい》にある物《もの》を、目《め》に觸《ふ》れるに從《したが》つて詠《よ》み出《だ》して、それが最後《さいご》に、一《ひと》つの喜《よろこ》びの氣持《きも》ちに纏《まと》まる、といふふうな作《つく》り方《かた》になつてゐました。  譬《たと》へば、萬葉集《まんようしゆう》にある皇極天皇《こうぎよくてんのう》のお歌《うた》として、傳《つた》はつてゐるものがそれです。 [#ここから3字下げ] 我《わ》が夫子《せこ》は假廬《かりほ》作《つく》らす。かやなくば、小松《こまつ》が下《した》のかやを刈《か》らさね [#ここから2字下げ] 私《わたし》の大事《だいじ》の方《かた》は、假《か》り小屋《こや》を作《つく》つていらつしやる。がどうも、葺《ふ》き草《くさ》がないので、困《こま》つてゐられるようだ。そんなにかやがないならば、向《むか》うに見《み》える、あの小松《こまつ》の茂《しげ》つてゐる、その下《した》のかやをば、お刈《か》りなさいな。 [#ここで字下げ終わり]  これなどはいかにも、旅行中《りよこうちゆう》の新室《にひむろ》の宴《えん》らしく、明《あか》るくてゆったりとした、よいお歌《うた》であります。現在《げんざい》かやが、向《むか》うに生《は》えてゐる、と教《をし》へてゐられるのではありません。尠《すくな》くとも、さうして落《お》ちついて宴會《えんかい》を開《ひら》く數時間《すうじかん》前《ぜん》までは、皆《みんな》で苦勞《くろう》して、かやを刈《か》り集《あつ》めてゐたのです。その勞力《ろうりよく》を思《おも》ひ出《だ》してのお歌《うた》なのですが、その席上《せきじよう》にゐる人《ひと》は、皆《みな》この經驗《けいけん》をつい今《いま》の先《さき》にしたのですから、このお歌《うた》を、きっと、自分自身《じぶんじしん》の氣持《きも》ちを詠《よ》んで貰《もら》つたように、愉快《ゆかい》な氣《き》がしたに違《ちが》ひありません。家《いへ》のうちにゐて、その内外《ないがい》の樣子《ようす》を詠《よ》むといふところから、景色《けしき》の歌《うた》が生《うま》れて來《く》るのであります。それが次第《しだい》に進《すゝ》んで、旅行中《りよこうちゆう》の歌《うた》にはほんとうに自然《しぜん》を詠《よ》みこなした立派《りつぱ》なものが、萬葉集《まんようしゆう》になると、だん/\出《で》て來《き》てゐます。 [#ここから3字下げ] いそのさき漕《こ》ぎ廻《た》み行《ゆ》けば、あふみの海《うみ》 八十《やそ》のみなとにたづさはに鳴《な》く [#ここから2字下げ] 岩《いは》はなをば、漕《こ》ぎ廻《まは》つて行《ゆ》くごとに、そこに一《ひと》つづゝ展《ひら》けて來《く》る、近江《あふみ》の湖水《こすい》のうちのたくさんの川口《かはぐち》。そこに鶴《つる》が多《おほ》く鳴《な》き立《た》てゝゐる。 [#ここで字下げ終わり]  八十《やそ》の湊《みなと》といふのは、ひょっとすると、土地《とち》の名前《なまへ》で、今《いま》の野洲川《やすかは》の川口《かはぐち》をいつたのかも知《し》れません。さうすると、歌《うた》の意味《いみ》が、しぜん變《かは》つて來《き》ます。がどちらにしても、いかにも鶴《つる》の啼《な》いてゐることが、生《い》き/\と寫《うつ》されてゐます。これがまだ、奈良朝《ならちよう》になつたかならない前《まへ》の歌《うた》なのです。高市黒人《たけちのくろひと》といふ人《ひと》の作《つく》つたものであります。この人《ひと》は、日本《につぽん》の敍景《じよけい》の歌《うた》の、まづはじめての名人《めいじん》といつてもさし支《つか》へのない人《ひと》で、この後《のち》は次第《しだい》に、かうした方面《ほうめん》にすぐれた人《ひと》が出《で》て來《き》ます。山部赤人《やまべのあかひと》なども、この黒人《くろひと》に、似《に》せて作《つく》つたと思《おも》はれるものがあります。譬《たと》へば、 [#ここから3字下げ] 和歌《わか》の浦《うら》に潮《しほ》みち來《く》れば、潟《かた》をなみ、葦《あし》べをさして鶴《たづ》鳴《な》きわたる [#ここから2字下げ] 和歌《わか》の浦《うら》に潮《しほ》がさして來《く》ると、遠淺《とほあさ》の海《うみ》の干潟《ひがた》がなくなるために、ずっと海岸《かいがん》近《ちか》くに葦《あし》の生《は》えてゐるところをめがけて、鶴《つる》が鳴《な》いて渡《わた》つて來《く》る。 [#ここで字下げ終わり]  これは、赤人《あかひと》の名高《なだか》い和歌《わか》の浦《うら》ですが、黒人《くろひと》に、既《すで》にそのお手本《てほん》があります。 [#ここから3字下げ] さくら田《た》へ鶴《たづ》鳴《な》き渡《わた》るあゆち潟《がた》。潮干《しほひ》にけらし。たづ鳴《な》き渡《わた》る [#ここから2字下げ] さくら[#「さくら」に傍点]といふところに、田《た》の作《つく》つてあるところへ、鶴《つる》が鳴《な》いて渡《わた》つて行《ゆ》く。その手前《てまへ》にあるあゆち潟《がた》。そこは潮《しほ》が退《ひ》いてゐるに違《ちが》ひない。それであゝいふふうに、鶴《つる》が鳴《な》き渡《わた》つて行《ゆ》くのだ。 [#ここで字下げ終わり]  どちらも今日《こんにち》から見《み》ると、少《すこ》しおもしろみが勝《か》ち過《す》ぎました。趣向《しゆこう》を凝《こら》してゐるところが露骨《ろこつ》に見《み》えるが、赤人《あかひと》の方《ほう》は、よく讀《よ》み返《かへ》して見《み》ると、いかにもごた/\してゐるでせう。殊《こと》に、二番《にばん》めの句《く》、三番《さんばん》めの句《く》に、注意《ちゆうい》なさい。おなじく趣向《しゆこう》を凝《こら》したところはあつても、さくら田《た》への方《ほう》は、いかにもすっきりと、頭《あたま》に響《ひゞ》くように出來《でき》てゐます。これはやはり、親《おや》と子《こ》と、師匠《ししよう》と弟子《でし》と、先輩《せんぱい》と後輩《こうはい》といふほどの違《ちが》ひが現《あらは》れてゐるのであります。でも、この赤人《あかひと》といふ人《ひと》は、かういふ傾向《けいこう》の景色《けしき》を詠《よ》む歌《うた》ひてを亡《な》くして、だん/\自分《じぶん》の進《すゝ》むべき領分《りようぶん》を見出《みいだ》して行《ゆ》きました。そしてつひには、日本《につぽん》の歌《うた》が、赤人《あかひと》の風《ふう》のものになる時機《じき》を、待《ま》ち屆《とゞ》けたのでありました。そのことをお話《はなし》するのには、今《いま》一人《ひとり》、赤人《あかひと》の先輩《せんぱい》とも、先生《せんせい》ともいはなければならない、柿本人麿《かきのもとのひとまろ》のことを申《まを》さねばなりません。 [#5字下げ]八、日本《につぽん》短歌《たんか》の第一人者《だいいちにんしや》、柿本人麿《かきのもとのひとまろ》[#「八、日本短歌の第一人者、柿本人麿」は中見出し]  今度《こんど》のお話《はなし》では、短歌《たんか》と竝《なら》べ稱《しよう》せられてゐる長歌《ちようか》のことは、省《はぶ》きたいとおもひます。がこれは、大體《だいたい》第一章《だいいつしよう》のところで述《の》べてある物語《ものがたり》の歌《うた》から、變化《へんか》して來《き》たものと見《み》てさし支《つか》へありません。  柿本人麿《かきのもとのひとまろ》は、平安朝《へいあんちよう》の末《すゑ》になると、神樣《かみさま》として祀《まつ》られる程《ほど》の尊敬《そんけい》をうけるようになりました。それは、短歌《たんか》の上《うへ》の成績《せいせき》によつてゞありますが、人麿《ひとまろ》が生《い》きてゐた時分《じぶん》、或《あるひ》はその後《ご》、久《ひさ》しく人麿《ひとまろ》の評判《ひようばん》[#ルビの「ひようばん」は底本では「ひようぼん」]の高《たか》かつたのは、この長歌《ちようか》を作《つく》る力《ちから》が非常《ひじよう》にあつた點《てん》でありました。だがそれと共《とも》に、人麿《ひとまろ》が短歌《たんか》にすぐれてゐたといふことも、誰《たれ》も疑《うたが》ふものもなく、更《さら》に私《わたし》などからいふと、長歌《ちようか》よりは寧《むし》ろ、短歌《たんか》の方《ほう》で、立派《りつぱ》なものをたくさん殘《のこ》してゐます。がこの人《ひと》の功勞《こうろう》は、それには限《かぎ》りません。實《じつ》のところは、人麿《ひとまろ》が出《で》て、短歌《たんか》といふものが、非常《ひじよう》に盛《さか》んになつたのであります。人麿《ひとまろ》の歌《うた》を見《み》ると、なるほど天才《てんさい》といふものはえらいものだといふ心持《こゝろも》ちが、つく/″\します。あなた方《がた》にも、たゞ昔《むかし》からのいひ傳《つた》へだからといふ以上《いじよう》に、ほんとうに、人麿《ひとまろ》のねうちを知《し》つてほしいと思《おも》ふのです。  實《じつ》のところ人麿《ひとまろ》が出《で》るまでは、短歌《たんか》は、まだ海《うみ》のものとも山《やま》のものともきまらないありさまでありました。この人《ひと》が短歌《たんか》といふ形《かたち》を、はじめて獨立《どくりつ》さしたものと見《み》て、まづさし支《つか》へはないと考《かんが》へます。あんまりえらい人《ひと》だつたので、人麿《ひとまろ》が死《し》ぬとまもなく、いゝ歌《うた》であれば人麿《ひとまろ》の歌《うた》だ、と考《かんが》へるようにさへなつて、今日《こんにち》殘《のこ》つてゐる萬葉集《まんにようしゆう》の人麿《ひとまろ》の歌《うた》といはれてゐるものにも、どこまで、ほんとうに當人《とうにん》の作物《さくぶつ》か、判斷《はんだん》のつかぬところがあります。それと共《とも》に、人麿《ひとまろ》の歌《うた》だと傳《つた》へられてゐないもので、人《ひと》のために代《かは》つて作《つく》つた、この人《ひと》の歌《うた》も非常《ひじよう》にたくさんあるようにおもひます。こゝには大體《だいたい》、まづ人麿《ひとまろ》に違《ちが》ひないと信《しん》じられてゐる歌《うた》について、少《すこ》し申《まを》しませう。 [#ここから3字下げ] あらたへの ふぢえが浦《うら》に鱸《すゝき》釣《つ》る海人《あま》とか見《み》らむ。旅《たび》行《ゆ》くわれを あまさかる 鄙《ひな》の長道《ながぢ》ゆ 戀《こ》ひ來《く》れば、明石《あかし》の門《と》より、大和《やまと》しま見《み》ゆ [#ここから2字下げ] 外《ほか》にも、とほつてゐる舟《ふね》がある。自分《じぶん》も舟《ふね》に乘《の》つて、旅《たび》をしてゐる。あゝして、向《むか》うとほつてゐる舟《ふね》から見《み》れば、われ/\をばこの藤江《ふぢえ》の浦《うら》で、鱸《すゝき》釣《つ》りをしてゐる海人《あま》の村人《むらびと》と見《み》てゐるだらうよ。この旅行《りよこう》をしてゐる私《わたし》であるのに。 [#ここで字下げ終わり]  こゝのあらたへの[#「あらたへの」に傍点]といふのは、やはり枕詞《まくらことば》です。たへ[#「たへ」に傍点]は着物《きもの》といふことで、手觸《てざは》りの粗《あら》いものが、あらたへ[#「あらたへ」に傍点]なのです。さうした着物《きもの》は、山《やま》の藤《ふぢ》の纎維《せんい》で織《お》つたものが多《おほ》かつたので、藤江《ふぢえ》のふぢ[#「ふぢ」に傍点]を起《おこ》すために、あらたへの[#「あらたへの」に傍点]といふ言葉《ことば》を、据《す》ゑたのであります。次《つ》ぎの歌《うた》、 [#ここから3字下げ] われ/\は、遠《とほ》い都《みやこ》を離《はな》れた地方《ちほう》の長《なが》い距離《きより》をば、焦《こが》れてやつて來《き》た。そして、今《いま》この時《とき》に氣《き》がつくと、この明石《あかし》の海峽《かいきよう》から内《うち》らに、畿内《きない》の山々《やま/\》が見《み》えてゐる。 [#ここで字下げ終わり]  あまさかる[#「あまさかる」に傍点]は、やはり枕詞《まくらことば》で、ひな[#「ひな」に傍点]のひ[#「ひ」に傍点]といふ語《ご》を起《おこ》してゐます。意味《いみ》は、天《てん》に遠《とほ》くかゝつてゐる日《ひ》といふことなんです。それから、ひな[#「ひな」に傍点]といふ言葉《ことば》には、意味《いみ》の上《うへ》では無關係《むかんけい》で、たゞ音《おん》の上《うへ》に、續《つゞ》けて來《き》たのであります。  やまとしま[#「やまとしま」に傍点]といふのは、天皇《てんのう》の御領地《ごりようち》或《あるひ》は、自分《じぶん》の親《した》しい國《くに》のことを、しま[#「しま」に傍点]といつた時代《じだい》に、やまとの國《くに》或《あるひ》は、畿内《きない》の國《くに》をさして、やまとしま[#「やまとしま」に傍点]といつたのです。けっして、海中《かいちゆう》の島《しま》をさしたのではありません。  かういつて來《く》ると、歌《うた》が非常《ひじよう》に、おもしろくなく聞《きこ》えるかも知《し》れませんが、一度《いちど》この意味《いみ》を頭《あたま》に入《い》れて、その後《のち》度々《たび/\》、讀《よ》み返《かへ》して見《み》て下《くだ》さい。さうすると、自然《しぜん》にわかつて來《く》るでせう。譬《たと》へば、こんな歌《うた》になると、さうしなければ、けっして味《あぢは》ひを知《し》ることが出來《でき》ません。 [#ここから3字下げ] 印南野《いなびぬ》も 行《ゆ》き過《す》ぎがてにおもへれば、心《こゝろ》戀《こほ》しき加古《かこ》の島《しま》見《み》ゆ [#ここで字下げ終わり]  なんだかはじめての方《かた》には、外國語《がいこくご》でも聞《き》いてゐる感《かん》じがするかも知《し》れません。印南野《いなびぬ》といふのは、播州《ばんしゆう》の海岸《かいがん》に廣《ひろ》く亙《わた》つた地名《ちめい》で、加古川《かこがは》を中心《ちゆうしん》として、印南郡《いなぐん》、加古郡《かこぐん》に擴《ひろ》がつてゐます。そして、歴史上《れきしじよう》名高《なだか》いところとなつてゐます。この歌《うた》では、人麿《ひとまろ》が都《みやこ》から西《にし》へ下《くだ》つたのか、それとも遠《とほ》い國《くに》から都《みやこ》へ戻《もど》つて來《き》たのか、その事情《じじよう》がわかりませんが、この歌《うた》を考《かんが》へる上《うへ》には、別《べつ》にさし支《つか》へはありません。私《わたし》はまづ、遠《とほ》い國《くに》へ行《ゆ》く時《とき》のものとして見《み》ておきませう。 [#ここから2字下げ] だん/\とほり過《す》ぎて行《ゆ》く。どこも皆《みな》なごり惜《を》しいが、今《いま》とほつてゐる播州《ばんしゆう》の海岸《かいがん》の印南野《いなびぬ》も、とほりすぎきれないほどになつかしく思《おも》つてゐると、ちょうど向《むか》うの方《ほう》に、なんだか、近《ちか》よつて行《ゆ》きたい心《こゝろ》を起《おこ》させる、加古川《かこかは》の口《くち》の、加古《かこ》の島《しま》が見《み》えてゐるといふ意味《いみ》です。 [#ここで字下げ終わり] [#5字下げ]九、人麿《ひとまろ》の歌《うた》の傳《つた》へにいろ/\あること[#「九、人麿の歌の傳へにいろ/\あること」は中見出し]  この人《ひと》の歌《うた》は名高《なだか》かつたので、歌《うた》によつて、いろ/\に文句《もんく》が變《かは》つて傳《つた》はつてゐます。この歌《うた》にも、五番《ごばん》めの句《く》が、『かこのみなと見《み》ゆ』といふふうに書《か》いた本《ほん》もありました。そしてその方《ほう》が、歌《うた》としては遙《はる》かに勝《すぐ》れてゐると考《かんが》へます。 [#ここから3字下げ] 沖《おき》を通《とほ》つてゐて、印南野《いなびぬ》の草原《くさはら》を、遙《はる》かに見《み》てゐる。そのうちに、遠《とほ》く加古川《かこかは》の川口《かはぐち》が見《み》えて來《き》た。あの川口《かはぐち》は、知《し》つてゐるんだ。なつかしい舟泊《ふなどま》りのあるところだ。 [#ここで字下げ終わり]  心細《こゝろぼそ》い氣持《きも》ちで眺《なが》めてゐるのです。さぁこれで、も一度《いちど》、讀《よ》み返《かへ》して下《くだ》さい。  こんな歌《うた》をあげて來《く》ると、人麿《ひとまろ》といふ人《ひと》は、かなしい歌《うた》ばかり詠《よ》んでゐた人《ひと》のようですが、なか/\どうして、どっしりとした強《つよ》い歌《うた》を、たくさん殘《のこ》してゐます。寧《むし》ろこの方《ほう》が得意《とくい》であつたのかも知《し》れません。 [#ここから3字下げ] おほきみは神《かみ》にしませば、あまぐもの 雷《いかづち》が上《うへ》にいほりせるかも [#ここで字下げ終わり]  この歌《うた》は、持統天皇《じとうてんのう》のお伴《とも》をして、雷《いかづち》の岳《をか》――また、神岳《かみをか》ともいふ――へ行幸《ぎようこう》なされた時《とき》に、人麿《ひとまろ》が奉《たてまつ》つたものなのです。 [#ここから2字下げ] 天皇《てんのう》は、神樣《かみさま》でいらつしやる。それでこの普通《ふつう》ならば、空《そら》の雲《くも》の中《なか》で鳴《な》つてゐる雷《かみなり》、その雷《かみなり》であるところの山《やま》の上《うへ》に、小屋《こや》がけをして、お泊《とま》りになつてゐることよ。えらい御威勢《ごいせい》だ。 [#ここで字下げ終わり]  かういふふうに、天皇《てんのう》を讃美《さんび》してゐます。この人《ひと》の歌《うた》は、自然物《しぜんぶつ》を寫《うつ》す場合《ばあひ》にも、自分《じぶん》の感情《かんじよう》を述《の》べる敍情詩《じよじようし》といふものゝ場合《ばあひ》にも、實《じつ》に見事《みごと》に出來《でき》てゐるので、どちらがよいといひ切《き》ることは出來《でき》ませんが、世間《せけん》では、人麿《ひとまろ》は感情《かんじよう》をうたふのに達《たつ》してゐた人《ひと》だ、といふことにしてゐます。私《わたし》はさうも思《おも》はないが、先《さき》に申《まを》した黒人《くろひと》と較《くら》べて話《はな》すのに便利《べんり》なため、まづ普通《ふつう》の考《かんが》へを採用《さいよう》しておきませう。 [#5字下げ]一〇、山部赤人《やまべのあかひと》[#「一〇、山部赤人」は中見出し]  この二人《ふたり》の先輩《せんぱい》の歌《うた》を手本《てほん》にして、だん/\自分《じぶん》の本領《ほんりよう》を出《だ》して來《き》たのが、先《さき》に述《の》べた山部赤人《やまべのあかひと》なのです。この人《ひと》の歌《うた》では、特別《とくべつ》に名高《なだか》いものとして、 [#ここから3字下げ] み吉野《よしの》の象山《きさやま》の際《ま》の木《こ》ぬれには、こゝだも さわぐ鳥《とり》のこゑかも ぬばたまの 夜《よ》のふけ行《ゆ》けば、楸生《ひさぎお》ふる清《きよ》き川原《かははら》に、千鳥《ちどり》頻鳴《しばな》く [#ここで字下げ終わり]  これなどは、人《ひと》も認《みと》めまた實際《じつさい》にねうち[#「ねうち」に傍点]もあるものです。  一體《いつたい》文學《ぶんがく》などいふものは、一人《ひとり》がよいといひだすと、いつまでもその批評《ひひよう》が續《つゞ》くもので誰《たれ》も彼《かれ》も、前《まへ》の人《ひと》の言葉《ことば》から離《はな》れて考《かんが》へることの出來《でき》ないものであつて、存外《ぞんがい》つまらないものでも、昔《むかし》の人《ひと》が讃《ほ》めたのだからといふので、安心《あんしん》してよいものだと思《おも》つてゐることがたび/\あります。赤人《あかひと》で例《れい》を取《と》つて見《み》ると、先《さき》の、 [#ここから3字下げ] 和歌《わか》の浦《うら》に潮《しほ》みち來《く》れば、潟《かた》をなみ、葦《あし》べをさして鶴《たづ》鳴《な》きわたる [#ここで字下げ終わり]  のようなもので、これがよいと思《おも》ふようでは、あなた方《がた》の文學《ぶんがく》を味《あぢは》ふ力《ちから》が足《た》りないのだと反省《はんせい》して貰《もら》はねばなりません。他人《たにん》がよいからよいと思《おも》ふのは、正直《しようじき》でよいことですが、さういふのを支那《しな》の人《ひと》はうまくいひました。それは、耳食《じしよく》といふ言葉《ことば》で、人《ひと》がおいしいといふのを聞《き》くとおいしいと思《おも》ふのは、口《くち》で食《た》べるのではなくて、耳《みゝ》で食《た》べるのだ。見識《けんしき》がないといふ意味《いみ》に使《つか》つてゐます。書物《しよもつ》はたくさん讀《よ》まなくても、耳食《じしよく》の人《ひと》にならない用心《ようじん》が必要《ひつよう》です。歌《うた》を解釋《かいしやく》して見《み》ると、 [#ここから2字下げ] 吉野川《よしのがは》の傍《そば》にある象山《きさやま》の山《やま》のま、すなはち空《そら》に接《せつ》してゐるところの梢《こずゑ》を見上《みあ》げると、そこには、ひどくたくさん集《あつま》つて鳴《な》いてゐる鳥《とり》の聲《こゑ》、それが聞《きこ》える。 [#ここで字下げ終わり]  これなどは、高《たか》い山《やま》の上《うへ》を見《み》つめて歌《うた》つてゐるので、口《くち》から出放題《でほうだい》に作《つく》つたものでは、けっして、かうはうまくゆきません。つぎのは、 [#ここから2字下げ] ぬばたまの[#「ぬばたまの」に傍点]は、黒《くろ》いものゝ枕詞《まくらことば》。それで、夜《よる》にも關係《かんけい》があります。  夜《よる》がだん/\更《ふ》けて來《く》ると、晝《ひる》見《み》ておいたあのきさゝげの木《き》のたくさん生《は》えてゐる、そして、景色《けしき》のさっぱりしてゐたあの川原《かはら》に、今《いま》この深夜《しんや》に、千鳥《ちどり》がしっきりなく鳴《な》いてゐる。 [#ここで字下げ終わり]  これも夜《よる》靜《しづ》かに室《むろ》のうちに籠《こも》つて、耳《みゝ》を澄《すま》し、眼《め》には、その鳥《とり》の鳴《な》いてゐる場所《ばしよ》の光景《こうけい》を、明《あき》らかに浮《うか》べてゐるのであります。こんな歌《うた》になると、赤人《あかひと》は、人麿《ひとまろ》にも黒人《くろひと》にも負《ま》けることはありません。ところが、だん/\變化《へんか》して行《い》つたと見《み》えて、世間《せけん》から騷《さわ》がれてゐるかういふ歌《うた》を作《つく》つてゐます。 [#ここから3字下げ] 春《はる》の野《の》に すみれ摘《つ》みにと來《こ》し我《われ》ぞ、野《の》をなつかしみ、一夜《ひとよ》寢《ね》にける あすよりは 春菜《はるな》摘《つ》まむと標《し》めし野《ぬ》に、きのふも 今日《けふ》も 雪《ゆき》は降《ふ》りつゝ [#ここで字下げ終わり]  かういふ歌《うた》が、先《さき》にいつたとほり、後世《こうせい》持《も》てはやされて、これを學《まな》ぶ人《ひと》が多《おほ》かつたのであります。後《あと》の歌《うた》からいひませう。 [#ここから2字下げ] 二三日《にさんにち》前《まへ》に、私《わたし》はかういふ計畫《けいかく》をした。あしたからは、こゝで春《はる》の若菜《わかな》を摘《つ》まうと繩張《なはば》りをしておいたこの野《の》に、いよ/\摘《つ》まうと思《おも》つて、朝《あさ》出《で》て見《み》ると、雪《ゆき》が降《ふ》つてゐる。きのふも、降《ふ》り/\してゐた。今日《けふ》も、降《ふ》り/\してゐる。 [#ここで字下げ終わり]  ちょっとおもしろいとおもふでせう。そのおもしろいと思《おも》ふ心《こゝろ》が、文學《ぶんがく》から縁遠《えんどほ》いものなのです。この歌《うた》の興味《きようみ》は、ごく際《きは》どい工夫《くふう》にあるので、若菜《わかな》を摘《つ》まうとしてゐた心《こゝろ》に、自然《しぜん》が適《かな》つてくれないといふことを、自分勝手《じぶんかつて》に、つごうよく作《つく》り直《なほ》したものであります。或《あるひ》はさういふふうな趣向《しゆこう》で作《つく》れば、人《ひと》がおもしるがると考《かんが》へて作《つく》つてゐる痕《あと》が、ありありと見《み》えてゐます。でもこの歌《うた》などは、まだよろしい。はじめの歌《うた》などになると、とてもいけません。 [#ここから2字下げ] ゆふべ、實《じつ》はこの春《はる》の野《の》へ、れんげ草《そう》を摘《つ》みにと思《おも》つて來《き》た、その自分《じぶん》が、あんまり野《の》のなつかしさに、家《いへ》へも歸《かへ》らないで、つひ/\、そこで一晩《ひとばん》寢《ね》て暮《くら》したといふ意味《いみ》です。 [#ここで字下げ終わり]  この頃《ころ》のすみれ[#「すみれ」に傍点]は、今《いま》のれんげ草《そう》、もっと普通《ふつう》に、げんげ[#「げんげ」に傍点]といつてゐる花《はな》で、あの紫《むらさき》のすみれではありません。 [#5字下げ]一一、文學《ぶんがく》のねらひどころ[#「一一、文學のねらひどころ」は中見出し]  そんなことはさておいて、この歌《うた》の考《かんが》へてゐるところは、ほんとうのことではありません。あなた方《がた》のうちには、すでに風流《ふうりゆう》といふ言葉《ことば》を御存《ごぞん》じな方《かた》がありませう。かういふのが、風流《ふうりゆう》な歌《うた》といふのであります。  けれども實際《じつさい》、われ/\の生活《せいかつ》とは關係《かんけい》のないことを歌《うた》つてゐるので、文學者《ぶんがくしや》だから、普通《ふつう》の人《ひと》とは違《ちが》つた考《かんが》へをしなければならないと思《おも》つて作《つく》つたものです。ほんとうにげんげを摘《つ》みに來《き》て、野《の》に寢《ね》る人《ひと》がありませうか。狐《きつね》にでもつまゝれなければ、さういふことをするはずがありません。かういふのがよいと考《かんが》へるのは、實際《じつさい》の生活《せいかつ》から離《はな》れたところに、文學《ぶんがく》があるのだとする考《かんが》へで、もう今《いま》の人《ひと》とは關係《かんけい》のない、優美《ゆうび》といふ趣味《しゆみ》であります。だからこの歌《うた》は、全然《ぜん/\》嘘《うそ》の歌《うた》だといはねばなりません。かうした嘘《うそ》を重《かさ》ね/\して來《き》た日本《につぽん》の歌《うた》が、だん/\惡《わる》くなつて來《く》るのは、もちろんのことであります。で先《さき》にいつた平安朝《へいあんちよう》の古今集《こきんしゆう》の一番《いちばん》お手本《てほん》になつたのは、赤人《あかひと》のかういふふうのもので、そのために歌《うた》は、次第《しだい》に空想的《くうそうてき》になり、實際《じつさい》を離《はな》れ、それとゝもに惡《わる》くなつて來《き》ました。文學《ぶんがく》といふものは、われ/\の實際《じつさい》の生活《せいかつ》から離《はな》れたものが、よいのではありません。  萬葉集《まんにようしゆう》には、まだ/\上手《じようず》な人《ひと》が、たくさんにゐます。だが日本《につぽん》の歌《うた》の歴史《れきし》は、とても私《わたし》のために與《あた》へられた紙數《しすう》では書《か》き盡《つく》すことは出來《でき》ないので、このへんで切《き》り上《あ》げて、つぎの時代《じだい》に移《うつ》ります。 [#5字下げ]一二、古今集頃《こきんしゆうごろ》の歌《うた》[#「一二、古今集頃の歌」は中見出し]  つぎに名高《なだか》い歌《うた》の書物《しよもつ》は、萬葉集《まんにようしゆう》が書物《しよもつ》になつて後《のち》、百年《ひやくねん》以上《いじよう》經《た》つてから出《で》た、古今集《こきんしゆう》といふ歌集《かしゆう》であります。これは御存《ごぞん》じの醍醐天皇《だいごてんのう》の御代《みよ》に出來《でき》たもので、普通《ふつう》、天子《てんし》の仰《おほ》せでつくつた歌集《かしゆう》の第一番《だいゝちばん》のものだといふことになつてゐます。かうした歌集《かしゆう》を敕撰集《ちよくせんしゆう》といひます。敕撰集《ちよくせんしゆう》の第一《だいゝち》のものであるために、古今集《こきんしゆう》の歌《うた》が、それ以後《いご》の歌《うた》の動《うご》かすべからざる手本《てほん》となつてしまひました。  この古今集《こきんしゆう》を見《み》ると、不思議《ふしぎ》なことには、古今集《こきんしゆう》の出來《でき》た當時《とうじ》に生《い》きてゐた人《ひと》の歌《うた》は、たいていよくなくて、死《し》んで久《ひさ》しくなつて、名《な》さへ傳《つた》はらない人《ひと》の歌《うた》、或《あるひ》は宮中《きゆうちゆう》でのお祭《まつ》りに傳《つた》へられてゐた歌《うた》などが、とびぬけて勝《すぐ》れてゐます。それは一《いつ》たいどういふわけでせうか。つまり古今集《こきんしゆう》の時分《じぶん》には、歌《うた》はかういふものだと小《ちひ》さな標準《ひようじゆん》をきめてかゝつて、それにあてはまるものを集《あつ》めたから、規模《きぼ》の小《ちひ》さい、方向《ほうこう》を誤《あやま》つたものが、多《おほ》く出《で》たわけであります。  古今集《こきんしゆう》を撰《えら》んだ人《ひと》は四人《よにん》あるが、そのうちもっとも名高《なだか》いのは、あの紀貫之《きのつらゆき》といふ人《ひと》であります。この人《ひと》は、さういふ歌《うた》を詠《よ》むことが上手《じようず》だつたけれども、本式《ほんしき》の文學《ぶんがく》らしいものを作《つく》ることは、ほとんど出來《でき》ませんでした。さうして見《み》ると、やはり下手《へた》といふより爲方《しかた》がありません。 [#ここから1字下げ] 一、近江《あふみ》より朝《あさ》たち來《く》れば、うねの野《の》にたづぞ鳴《な》くなる。明《あ》けぬ。この夜《よ》は 二、まがねふく吉備《きび》の中山《なかやま》。おびにせる、細谷川《ほそたにがは》の音《おと》のさやけさ 三、みさぶらひ。み笠《かさ》と申《まを》せ。宮城野《みやぎの》の木《こ》の下露《したつゆ》は、雨《あめ》にまされり [#ここから天付き、折り返して2字下げ] (一)朝《あさ》[#1段階小さな文字](只今《たゞいま》の朝《あさ》の意味《いみ》とは少《すこ》し違《ちが》つてゐます。まだ夜《よ》のあけない時分《じぶん》をいふのです)[#小さな文字終わり]立《た》つて、近江《あふみ》の國《くに》をばやつて來《く》ると、このうねの野《の》に、鶴《つる》が鳴《な》いてゐることだ。あゝ明《あ》けた。この夜《よ》は。 [#ここで字下げ終わり]  いかにも、暗《くら》い夜《よる》の朝《あさ》に代《かは》つた喜《よろこ》びが、『あけぬこの夜《よ》は』といふ簡單《かんたん》な句《く》のうちに、漲《みなぎ》つてゐるではありませんか。そして暗《くら》がりから明《あか》るくなつて來《き》て、今《いま》まで歩《ある》いてゐた道《みち》のほとりに、鶴《つる》の寢泊《ねとま》りしてゐた沼地《ぬまち》のようなものゝあつたことに、氣《き》のついた樣子《ようす》が、明《あき》らかに感《かん》ぜられます。ほとんど、なんのやかましい思想《しそう》も強《つよ》い感情《かんじよう》もないが、明《あか》るい、にこにこした氣持《きも》ちが、われ/\を心《こゝろ》の底《そこ》からゆすり立《た》てるように感《かん》じないでせうか。 (二)まがねふくは、枕詞《まくらことば》。 [#ここから2字下げ] 吉備《きび》の國《くに》の中山《なかやま》――美作《みまさか》にある――よ。それが腰《こし》のひきまはしにしてゐる、細谷川《ほそたにがは》の音《おと》の澄《す》んで聞《きこ》えることよ。 [#ここで字下げ終わり]  あなた方《がた》は、この歌《うた》を見《み》ると、内容《ないよう》がからっぽだと感《かん》じるかも知《し》れません。しかしさういふふうに早合點《はやがつてん》してしまふようでは、日本《につぽん》の歌《うた》はわかりません。日本《につぽん》の歌《うた》には、意味《いみ》や思想《しそう》から離《はな》れて、また特別《とくべつ》のねうちを持《も》つたものさへあるのです。そしてその代表的《だいひようてき》なものがこの歌《うた》です。まづ第一《だいゝち》に、調子《ちようし》の高《たか》いことを感《かん》じるでせう。のびやかで、ひっぱり上《あ》げるような調子《ちようし》が、ある點《てん》まで行《い》つて、ぴったりと落《お》ちつきよく納《をさ》まつてゐるではありませんか。  かういつても、あなた方《がた》が考《かんが》へて見《み》てくれなければわからないことだが、幾度《いくど》もくり返《かへ》して貰《もら》ひたく思《おも》ひます。意味《いみ》からいへば、川《かは》の音《おと》がよいといふだけのことです。そして吉備《きび》の中山《なかやま》が帶《おび》にしてゐるといふようなことは、別《べつ》に珍《めづら》しくもなんともないのであるにも拘《かゝは》らず、われ/\はそれに對《たい》して、朗《ほが》らかな氣持《きも》ちを受《う》けずにゐられません。この歌《うた》は、萬葉集《まんにようしゆう》にも似《に》たものがあつて、 [#ここから3字下げ] おほぎみの御笠《みかさ》の山《やま》の帶《おび》にせる、細谷川《ほそたにがは》の音《おと》のさやけさ [#ここで字下げ終わり]  となつてゐます。だが私《わたし》は、前《まへ》の方《ほう》が好《よ》いとおもひます。なぜなれば、『おほぎみの御笠《みかさ》の山《やま》』といふところに、人《ひと》の頭《あたま》が、もつれを感《かん》じます。純粹《じゆんすい》に單純《たんじゆん》にすっきりとはひつて來《こ》ないのです。  まがねふく[#「まがねふく」に傍点]は、鐵《てつ》を吹《ふ》きわけるといふ元《もと》の意味《いみ》を忘《わす》れてゐて、こゝでは、單《たん》に吉備《きび》を起《おこ》すための枕詞《まくらことば》にすぎません。こんな單純《たんじゆん》なうちに、われ/\の心《こゝろ》を豐《ゆたか》にする文學《ぶんがく》の味《あぢは》ひが歌《うた》にはあるのです。かういふ味《あぢは》ひは、祖先《そせん》以來《いらい》與《あた》へられてゐる大事《だいじ》なものだから、それを失《うしな》はないようにするのが、われ/\の務《つと》めといふよりも、われ/\の喜《よろこ》びと感《かん》じなくてはなりません。  三番《さんばん》めになると大《だい》ぶん複雜《ふくざつ》で、 [#ここから天付き、折り返して2字下げ] (三)お附《つ》きの人《ひと》よ。お笠《かさ》であると申《まを》し上《あ》げい。この宮城野《みやぎの》の木《き》の上《うへ》からふり落《お》ちる露《つゆ》は雨《あめ》以上《いじよう》である。 [#ここで字下げ終わり]  これは、自分《じぶん》の大事《だいじ》に思《おも》つてゐる人《ひと》に對《たい》する篤《あつ》い心《こゝろ》の現《あらは》れで、何《なに》もわざ/\お附《つ》きの人《ひと》を呼《よ》んでいつてゐるのではなく、かりにさうしたありさまを、胸《むね》に浮《うか》べたゞけです。獵《りよう》に出《で》かけた人《ひと》が、露《つゆ》に濡《ぬ》れてお出《い》でになるだらう。お附《つ》きの人《ひと》が、お笠《かさ》をさし上《あ》げてくれゝばよいのにと感《かん》じてゐるのを、直接《ちよくせつ》にいひかけたように、詠《よ》んだのであります。  この歌《うた》になると、あなた方《がた》にもおもしろみはわかりませう。だがなほこの歌《うた》について、注意《ちゆうい》せねばならぬのは、みさぶらひ[#「みさぶらひ」に傍点]のみ[#「み」に傍点]、みかさ[#「みかさ」に傍点]のみ[#「み」に傍点]、みやぎの[#「みやぎの」に傍点]ゝみ[#「み」に傍点]が重《かさ》なつてゐる點《てん》であります。もっといふと、み[#「み」に傍点]の音《おん》と關係《かんけい》の深《ふか》いま[#「ま」に傍点]行音《ぎようおん》の、まをせ[#「まをせ」に傍点]、まされる[#「まされる」に傍点]のま[#「ま」に傍点]があります。これを頭韻《とういん》といつて、日本《につぽん》の歌《うた》では、豫《あらかじ》め計畫《けいかく》してかういふことをするのは尠《すくな》いが、偶然《ぐうぜん》こんな形《かたち》の出來《でき》ることがあります。この歌《うた》の快《こゝろよ》い調子《ちようし》も、似《に》た音《おん》の重《かさ》なつてゐるところから來《き》てゐるのであります。けれどもこれは、始終《しじゆう》くり返《かへ》されると、あき/\するものだといふことを考《かんが》へなければなりません。  その外《ほか》に、まう二三首《にさんしゆ》、古今集《こきんしゆう》から勝《すぐ》れた歌《うた》やら、變《かは》つた歌《うた》を附《つ》け加《くは》へておきませう。 [#5字下げ]一三、在原業平《ありはらのなりひら》[#「一三、在原業平」は中見出し]  平安朝《へいあんちよう》のたくさんの歌人《かじん》のうち、ことに名高《なだか》く、また實際《じつさい》ねうち[#「ねうち」に傍点]もあつた人《ひと》の一人《ひとり》は、在原業平《ありはらのなりひら》といふ人《ひと》であります。この人《ひと》の歌《うた》は、大人《おとな》でなければわからない氣持《きも》ちをあまり詠《よ》みすぎてゐるので、今度《こんど》は説明《せつめい》をすることは出來《でき》ないが、一例《いちれい》をあげると、自分《じぶん》の親《した》しくつきあつてゐた人《ひと》が、行《ゆ》くことも出來《でき》ぬところに隱《かく》れてしまつて後《のち》、その人《ひと》のゐた家《いへ》を訪問《ほうもん》して一人《ひとり》悲《かな》しんだ名高《なだか》い歌《うた》があります。 [#ここから3字下げ] 月《つき》やあらぬ。春《はる》や昔《むかし》の春《はる》ならぬ。わが身《み》ひとつは、もとの身《み》にして [#ここで字下げ終わり]  ちょっと見《み》たゞけでは、わかつたようでわからぬ歌《うた》です。同《おな》じような句《く》が重《かさ》なつてゐると、自然《しぜん》片一方《かたいつぽう》の方《ほう》は、一部分《いちぶぶん》略《りやく》する習慣《しゆうかん》があります。この一句《いつく》、二句《にく》は、『月《つき》や昔《むかし》の月《つき》にあらぬ。春《はる》や昔《むかし》の春《はる》ならぬ』といふのがほんとうなのです。歌《うた》でなく普通《ふつう》の文章《ぶんしよう》なら、さう書《か》かねばとほりません。それをかういふふうにして、意味《いみ》を表《あらは》す間《あひだ》に、外《そ》れ易《やす》い氣分《きぶん》を保存《ほぞん》しようとするのが、歌《うた》の上《うへ》の工夫《くふう》であります。工夫《くふう》でなくとも、自然《しぜん》にその作者《さくしや》の心《こゝろ》が燃《も》え立《た》つてゐると、かういふふうにつごうのよい氣分風《きぶんふう》な現《あらは》し方《かた》が、口《くち》をついて出《で》て來《く》るのであります。 [#ここから2字下げ] 春《はる》は昔《むかし》の春《はる》ではないか。月《つき》は昔《むかし》の月《つき》ではないか。月《つき》も春《はる》も、昔《むかし》のまゝのものである。自然物《しぜんぶつ》はさうして變《かは》らないでゐるに拘《かゝは》らず、自分《じぶん》の身《み》だけは元《もと》のまゝにして、さうして…… [#ここで字下げ終わり]  と後《あと》は誰《たれ》にも感《かん》ぜられることだから、いひ盡《つく》さなかつたのです。これはわざといひ盡《つく》さなかつたといふより、いひ盡《つく》したゞけでは滿足《まんぞく》出來《でき》なかつたので、かういふ尻切《しりき》れとんぼのようになつてゐるのですが、かへって讀《よ》む人《ひと》の心《こゝろ》に、深《ふか》い印象《いんしよう》と聯想《れんそう》とを起《おこ》させるものなのです。つまりこの後《あと》へ來《く》る言葉《ことば》を補《おぎな》へば、私《わたし》の知《し》りあひの人《ひと》は元《もと》の身《み》ではないといふ言葉《ことば》にすぎません。さうした言葉《ことば》を入《い》れるのと讀《よ》む人《ひと》の氣持《きも》ちに任《まか》せるのと、どちらが好《よ》いと思《おも》ひますか。  私《わたし》はこの歌《うた》が譬《たと》へば百點《ひやくてん》の歌《うた》だといふ程《ほど》には、讃《ほ》める氣《き》にはなりません。が尠《すくな》くとも、平安朝《へいあんちよう》の短歌《たんか》のうちでは勝《すぐ》れたものであるといふことだけはいひたいとおもひます。いかにもねばり強《づよ》い、あきらめにくい悲《かな》しみの心《こゝろ》が、ものゝ纏《まと》ひついたように、くね/\した調子《ちようし》の現《あらは》れてゐるのが感《かん》じられませう。かういふ歌《うた》が、この後《のち》また一《ひと》つのお手本《てほん》となつて來《く》るのであります。しかしながら、完全《かんぜん》にこの手本《てほん》をまねをうせ或《あるひ》はのり越《こ》したといふものは、さうありませんでした。  ついでに、秋《あき》の歌《うた》のうちから、二首《にしゆ》ぬいておきませう。 [#5字下げ]一四、作者《さくしや》のわからぬ歌《うた》に、よい物《もの》のあること[#「一四、作者のわからぬ歌に、よい物のあること」は中見出し] [#ここから3字下げ] 蜩《ひぐらし》の鳴《な》きつるなべに、日《ひ》は暮《く》れぬ。とおもふは、山《やま》のかげにぞありける 木《こ》のまより漏《も》り來《く》る月《つき》の かげ見《み》れば、心《こゝろ》づくしの秋《あき》は 來《き》にけり [#ここで字下げ終わり]  これは二首《にしゆ》ながら、よみ人《びと》知《し》らずといつて、作《つく》つた人《ひと》のわからない歌《うた》となつてゐます。ところが、先《さき》にもいつたとほり、古今集《こきんしゆう》のよみ人《びと》知《し》らずの歌《うた》のうち、勝《すぐ》れたものが多《おほ》いので、これなどはどこへ出《だ》しても恥《は》づかしくない立派《りつぱ》な歌《うた》であります。 [#ここから2字下げ] 蜩《ひぐらし》が鳴《な》いたと共《とも》に、日《ひ》は暮《く》れてしまつた、と自分《じぶん》がふっとさう考《かんが》へたのは、山《やま》のかげが、家《いへ》の方《ほう》へさして來《き》て、うす暗《ぐら》くなつたためだつたのだ。 [#ここで字下げ終わり]  かういふ歌《うた》になると、先《さき》の話《はなし》の調子《ちようし》でいふと、或《あるひ》は趣向《しゆこう》をもつていつた歌《うた》だとおもふ方《かた》があるかも知《し》れません。「日《ひ》はくれぬとおもふは」などいふところがよくのみこめなければ、さういふふうな感《かん》じがしそうです。けれどもこの作者《さくしや》の中心《ちゆうしん》として詠《よ》んでゐるのは、そんなところでなく、何事《なにごと》もないごく退《たい》くつな生活《せいかつ》をしてゐる人《ひと》が、けふもまた暮《く》れて、蜩《ひぐらし》が鳴《な》いてゐるとかう思《おも》つてゐて、暫《しばら》く經《た》つて後《のち》よく/\見《み》ると、それはほんとに、日《ひ》が暮《く》れたのでなかつたといふことを、説明《せつめい》でいつてゐるのでなく、氣持《きも》ちから讀《よ》む人《ひと》の心《こゝろ》に觸《ふ》れて行《い》つてゐるのであります。  あなた方《がた》がこの歌《うた》から受《う》ける感《かん》じは、確《たし》かにさうした方面《ほうめん》が主《おも》なのだと考《かんが》へて貰《もら》はねばなりません。とおもふ[#「とおもふ」に傍点]はなどいふ調子《ちようし》は、いかにも日《ひ》を暮《くら》しかねてゐる退《たい》くつな人《ひと》のあくびでもしたいような氣持《きも》ちが出《で》てゐるとおもひます。  今《いま》の人《ひと》は、秋《あき》だつて春《はる》だつて、さう變《かは》つた心持《こゝろも》ちを持《も》ちません。それがほんとうはよろしいので、あなた方《がた》が特別《とくべつ》に、秋《あき》は悲《かな》しいものだといふふうに感《かん》じてゐてはいけないのです。しかしながら昔《むかし》の歌人《かじん》は、秋《あき》は悲《かな》しいものだと感《かん》じることの出來《でき》るのは、自分《じぶん》の歌人《かじん》としての大事《だいじ》の資格《しかく》だとおもつてゐました。秋《あき》のさびしさ悲《かな》しさのわからぬものは、文學者《ぶんがくしや》でないと恥《は》ぢてゐたのです。それはかういふ歌《うた》がいくつも積《つ》み重《かさ》なつた結果《けつか》、秋《あき》は悲《かな》しいものだといふ約束《やくそく》が出來《でき》てしまつたのです。だがさういふ不自由《ふじゆう》な約束《やくそく》の出來《でき》ない前《まへ》の歌《うた》を見《み》ると、譬《たと》ひ秋《あき》の悲《かな》しくさびしいものだと詠《よ》んでゐても、それが各《かく》個人《こじん》の實際《じつさい》の感《かん》じとして人々《ひと/″\》の胸《むね》に強《つよ》く觸《ふ》れるのであります。強制《きようせい》せられて爲方《しかた》なしやつてゐるのと、自《みづか》ら進《すゝ》んでやつてゐるのと違《ちが》ふわけであります。 [#ここから2字下げ] いつも、秋《あき》になるといふと、心《こゝろ》をめちゃくちゃにする、その秋《あき》はまたやつて來《き》たとおもふ。木立《こだ》ちの間《あひだ》から、漏《も》れてさして來《く》る月《つき》の光《かげ》が、色《いろ》が變《かは》つて感《かん》じられる。それを見《み》ると、あゝまた寂《さび》しい秋《あき》だ、とかうおもふといふ歌《うた》です。 [#ここで字下げ終わり]  あなた方《がた》の若《わか》い心《こゝろ》には、かういふ歌《うた》の興味《きようみ》はわからないかも知《し》れませんが、日本《につぽん》の文學《ぶんがく》には、かういつた靜《しづ》かなかすかな味《あぢは》ひが、よい作物《さくぶつ》にはずっととほつてゐます。それを物《もの》を單純《たんじゆん》に考《かんが》へる人《ひと》は、悲觀的《ひかんてき》だ涙脆《なみだもろ》い氣持《きも》ちだといつて、いけないものとしてゐるが、人間《にんげん》はいつもにこ/\笑《わら》つてゐるものばかりのものではありません。さびしく或《あるひ》は悲《かな》しい氣持《きも》ちになつた時《とき》に、はじめてほんとうの自分《じぶん》といふものを考《かんが》へて見《み》るものです。だからかういふ歌《うた》も、強《あなが》ちに排斥《はいせき》することは出來《でき》ません。もちろんかういふ歌《うた》をまねたものが多《おほ》いからといつて、日本《につぽん》の文學《ぶんがく》は悲觀的《ひかんてき》な文學《ぶんがく》だなどゝ、よくも道理《どうり》を知《し》らないで、一概《いちがい》にばかにしてかゝるのはいけない癖《くせ》だとおもひます。外國《がいこく》の譬《たと》へにも、金持《かねも》ちが天國《てんごく》へ行《ゆ》くのは、大《おほ》きな象《ぞう》に針《はり》の穴《あな》をとほらせるよりもむつかしいといつてゐますが、さういつた滿足《まんぞく》しきつた氣持《きも》ちばかりでゐては、人間《にんげん》にはしみ/″\と、自分《じぶん》を省《かへり》みる時《とき》が來《こ》ないのであります。 [#5字下げ]一五、歌《うた》の見方《みかた》[#「一五、歌の見方」は中見出し]  今一《いまひと》つ、古今集《こきんしゆう》の名高《なだか》い歌《うた》をあげて、評判《ひようばん》と實際《じつさい》とはこれ程《ほど》違《ちが》ふといふことを證明《しようめい》して見《み》たいとおもひます。  勅撰集《ちよくせんしゆう》第一番《だいゝちばん》の古今集《こきんしゆう》の春《はる》のはじめにあるものといへば、そのうちでも第一番《だいゝちばん》の歌《うた》といふことになるから、自然《しぜん》人《ひと》は、それを重《おも》く見《み》ます。在原元方《ありはらのもとかた》といふ人《ひと》の歌《うた》で、『舊年《ふるとし》に春立《はるた》ちける日《ひ》よめる』といふ題《だい》で、 [#ここから3字下げ] 年《とし》のうちに、春《はる》は來《き》にけり。一年《ひとゝせ》を、こぞとやいはむ。今年《ことし》とやいはむ [#ここで字下げ終わり]  この歌《うた》、偶然《ぐうぜん》よいものゝように考《かんが》へられてゐます。ところが明治《めいじ》になつて、古《ふる》い歴史《れきし》のある日本《につぽん》の短歌《たんか》を改正《かいせい》して、新派和歌《しんぱわか》といふものを唱《とな》へ出《だ》した一人《ひとり》の正岡子規《まさをかしき》といふ人《ひと》は第一《だいゝち》にこの歌《うた》を笑《わら》ひました。こんな歌《うた》がよいのならば、またかういふふうに詠《よ》んでも歌《うた》だといふことが出來《でき》るといつて、 [#ここから3字下げ] 日本人《につぽんじん》と、西洋人《せいようじん》とのあひの子《こ》を、日本人《につぽんじん》とやいはむ。西洋人《せいようじん》とやいはむ [#ここで字下げ終わり] といふのでした。  これは子規《しき》が、説明《せつめい》のわかり易《やす》いように作《つく》つて見《み》たゞけで、固《もと》より譬《たと》へにすぎません。子規《しき》のは三十一字《さんじゆういちじ》のたゞの文章《ぶんしよう》で、歌《うた》ではありません。いくらまづくともつまらなくとも、『年《とし》のうちに』の方《ほう》には、多少《たしよう》意味《いみ》以外《いがい》に安《やす》らかな、そして子《こ》どもらしい氣持《きも》ちになつて起《おこ》した氣分《きぶん》が出《で》てゐます。その點《てん》はもちろん考《かんが》へねばなりませんが、さうかといつて、この歌《うた》がよい歌《うた》だとおもふのは、たいへんいけないことです。  ふる年《とし》といふのは、新年《しんねん》に對《たい》する舊年《きゆうねん》であつて、昔《むかし》の暦《こよみ》では年《とし》の明《あ》けないうちに、立春《りつしゆん》の節《せつ》といふ暦《こよみ》の上《うへ》の時期《じき》がやつて來《く》ることもあつたのです。普通《ふつう》の考《かんが》へでは、春《はる》と正月《しようがつ》とが一致《いつち》するものとしてあります。これは、習慣《しゆうかん》から出《で》て來《く》る心持《こゝろも》ちであります。ところが時《とき》とすると、暦《こよみ》の上《うへ》にさういつた行《ゆ》き違《ちが》ひが出來《でき》て來《き》ます。年《とし》の變《かは》らないうちにもう春《はる》が來《き》たといふ氣持《きも》ちは、文學的《ぶんがくてき》ではないけれども、確《たし》かに文學《ぶんがく》の生活《せいかつ》の上《うへ》では、一種《いつしゆ》注意《ちゆうい》をひくことであります。それでこの歌《うた》が出來《でき》たのでありました。 [#ここから2字下げ] まだ、年《とし》の變《かは》らない舊年《ふるとし》の間《あひだ》に、あゝ春《はる》がやつて來《き》たことだ。して見《み》ると、この一年《いちねん》が二《ふた》つに分《わか》れて、きのふまでを去年《きよねん》といはうか。今日《けふ》から後《のち》を、今年《ことし》といはうか。 [#ここで字下げ終わり]  それも理《り》くつからはをかしいが、考《かんが》へればなんでもないところに、わづかな興味《きようみ》を起《おこ》したにすぎません。だからけっしてよい歌《うた》ではありませんが、子規《しき》のいふような、あひの子《こ》の歌《うた》見《み》たようなものでもありません。しかしながら、かういふ歌《うた》が後々《のち/\》、だん/\はやつてきて、數《かぞ》へきれないほどたくさん、同種類《どうしゆるい》のものが出來《でき》ました。つまり一種《いつしゆ》とぼけた歌《うた》といはなければなりません。 [#5字下げ]一六、西行法師《さいぎようほうし》と新古今集《しんこきんしゆう》[#「一六、西行法師と新古今集」は中見出し]  古今集《こきんしゆう》の後《のち》、たくさん勅撰集《ちよくせんしゆう》やらいろんな歌人《かじん》のめい/\の家集《かしゆう》といふものが出《で》てゐるが、歌《うた》のほんとうの性質《せいしつ》といふものは、だいたい、古今集《こきんしゆう》の讀《よ》み人《びと》知《し》らずの歌《うた》すなはち先《さき》に解釋《かいしやく》したようなものにあるといふふうに考《かんが》へ出《だ》されました。  古今集《こきんしゆう》の歌《うた》は、全體《ぜんたい》としてはいけない歌《うた》がありますが、短歌《たんか》はどんなものかと考《かんが》へると、古今集《こきんしゆう》の歌《うた》がまづ頭《あたま》に浮《うか》ぶのであります。その後《ご》二百年《にひやくねん》あまりの間《あひだ》に、だん/\歌《うた》といふものゝ、かういふものでなければならないといふ、漠然《ばくぜん》とした氣分《きぶん》が出來《でき》て來《き》ました。さうして皆《みな》さんも知《し》つてゐる鎌倉時代《かまくらじだい》に近《ちか》くなると、京都《きようと》の貴族《きぞく》たちの歌《うた》が、目《め》に立《た》つて變《かは》つて來《き》ました。それは、新古今集《しんこきんしゆう》といふ歌集《かしゆう》を見《み》ればよくわかることです。  後鳥羽上皇《ごとばじようこう》は、非常《ひじよう》に御熱心《ごねつしん》でもあり、ごく稀《まれ》なほどの名人《めいじん》でもいらつしやいました。いはゆる目《め》の寄《よ》るところに玉《たま》で、この新古今集《しんこきんしゆう》の時《とき》ほど、日本《につぽん》の歌《うた》の歴史《れきし》の上《うへ》で、名人《めいじん》・上手《じようず》といふべき人《ひと》が、たくさん揃《そろ》つて出《で》たことはありません。唯《たゞ》皆《みな》あまり仲間《なかま》づきあひが盛《さか》んに行《おこな》はれたゝめに、歌《うた》は、お互《たが》ひによい影響《えいきよう》ばかりでなく、わるい流行《りゆうこう》を起《おこ》すことになりました。文學《ぶんがく》の上《うへ》によい人《ひと》がたくさん出《で》たから、かならずしもよい文學《ぶんがく》が出來《でき》るといふわけのものではないといふ事實《じじつ》を、この時《とき》ほど、はっきりと見《み》せたことはありません。つまり上手《じようず》どうしが、皆《みな》肝腎《かんじん》の點《てん》よりもごく枝葉《えだは》にわたるところに苦勞《くろう》をして、それをお互《たが》ひに誇《ほこ》りあつたゝめに、それが重《かさ》なり/\して、いけないことが起《おこ》つて來《き》ました。それでも中《なか》には、よいものがずいぶん出來《でき》てゐます。なんといつてもすぐれた人《ひと》の作《つく》つた文學《ぶんがく》にはよいものが出《で》ないではゐないわけなのです。 [#ここから3字下げ] 樗《あふち》咲《さ》く外面《そとも》の木《こ》かげ 露《つゆ》おちて、さみだれ霽《は》るゝ風《かぜ》わたるなり[#1段階小さな文字](前大納言忠良《さきのだいなごんたゞよし》)[#小さな文字終わり] [#ここで字下げ終わり]  樗《あふち》は、普通《ふつう》『せんだん』といつてゐる木《き》で、紫《むらさき》がゝつた花《はな》が夏頃《なつごろ》に咲《さ》きます。それが家《いへ》の外側《そとがは》の木立《こだ》ちの中《なか》に、交《まじ》つてゐるわけであります。それを作者《さくしや》がさみだれの頃《ころ》に見《み》てゐる歌《うた》で、 [#ここから2字下げ] 樗《あふち》の咲《さ》いてゐる家《いへ》の外側《そとがは》の木立《こだ》ちの下蔭《したかげ》に、ぽた/\と露《つゆ》が落《お》ちる程《ほど》に、風《かぜ》が吹《ふ》きとほる。それは、幾日《いくにち》か降《ふ》り續《つゞ》いてをつた梅雨《ばいう》が上《あが》る風《かぜ》である、といふ意味《いみ》です。 [#ここで字下げ終わり]  かういつたところで、味《あぢは》ひは、あなた方《がた》がめい/\に、幾度《いくど》もくり返《かへ》し讀《よ》んで見《み》なければ起《おこ》つて來《こ》ないとおもひます。  この頃《ころ》の先輩《せんぱい》に、名高《なだか》い西行法師《さいぎようほうし》といふ人《ひと》があります。御存《ごぞん》じのとほり、世捨《よす》て人《びと》として一風《いつぷう》變《かは》つた、靜《しづ》かな、さびしい歌《うた》を作《つく》つたといはれてゐます。そしてこの人《ひと》の歌《うた》が、新古今集《しんこきんしゆう》の歌《うた》の風《ふう》に、非常《ひじよう》な影響《えいきよう》を與《あた》へたとも見《み》られてゐます。だがこの人《ひと》の歌《うた》全體《ぜんたい》に、かならずしも世間《せけん》でいふようなものばかりでなく、やはり當時《とうじ》流行《りゆうこう》の、はでなこせ/\したものもないではありません。だがこの人《ひと》のものでいゝのになると、かういふものがあります。 [#ここから3字下げ] 吉野山《よしのやま》。櫻《さくら》の枝《えだ》に雪《ゆき》散《ち》りて、花《はな》おそげなる年《とし》にもあるかな 雲《くも》かゝるとほやまばたの、秋《あき》されば、おもひやるだにかなしきものを [#ここで字下げ終わり]  吉野山《よしのやま》は、古《ふる》くからずいぶん長《なが》く、坊《ぼう》さんその外《ほか》修道者《しゆどうしや》といつて佛教《ぶつきよう》の修行《しゆぎよう》をする人《ひと》が籠《こも》つてゐたことは、明《あき》らかな事實《じじつ》でした。その經驗《けいけん》から、はじめの歌《うた》が出來《でき》たのであります。 [#ここから2字下げ] 吉野山《よしのやま》よ。その吉野山《よしのやま》の櫻《さくら》の木《き》の枝《えだ》に、見《み》てゐると、雪《ゆき》がちら/\降《ふ》りかゝつてゐて、これでは、花《はな》がいつ咲《さ》きさうにも思《おも》はれない。今年《ことし》は、花《はな》の咲《さ》くことの晩《おそ》くおもはれる年《とし》よ、といふのです。 [#ここで字下げ終わり]  さびしい修道者《しゆどうしや》の仲間《なかま》の尠《すくな》い山家《やまが》の暮《くら》しのうちにも、何《なに》か待《ま》ち設《まう》ける心《こゝろ》があつて、たのしみになつてゐるものです。もう春《はる》になつてゐながら、せめて樂《たの》しみにしてゐるその花《はな》さへも、とても咲《さ》きそうに見《み》えない。さういふ靜《しづ》かな人《ひと》の物足《ものた》りない心持《こゝろも》ちを、さびしいとも悲《かな》しいともいはないで、それかといつて、雪《ゆき》のふりかゝつてゐるのを怨《うら》むでもなく、自然《しぜん》の景色《けしき》をそのまゝに眺《なが》めてゐる氣持《きも》ちがよく出《で》てゐます。わりあひいゝ歌《うた》の多《おほ》い西行《さいぎよう》にも、これほどの歌《うた》は、さうたくさんにはありません。後《あと》の方《ほう》は、これに比《くら》べるといくらか露骨《ろこつ》に、西行《さいぎよう》の氣持《きも》ちを出《だ》しすぎてゐるが、こゝまでつっこんで歌《うた》つた人《ひと》がないものですから、一例《いちれい》としてあげました。 [#ここから2字下げ] 雲《くも》かゝる遠山《とほやま》はた[#「はた」に傍点]といふのは、雲《くも》のかゝつてゐる景色《けしき》が、見《み》えてゐるのではありますまい。恐《おそ》らく西行《さいぎよう》の知《し》つた人《ひと》が、西行《さいぎよう》と同《おな》じように、遠山《とほやま》にかすかな修道《しゆどう》の生活《せいかつ》をしてゐる。それが、秋《あき》になつて來《き》た時分《じぶん》に思《おも》ひ出《だ》される。その遠山《とほやま》ばた――このはた[#「はた」に傍点]は、山《やま》の傍《そば》といふことでなく、やはり、山《やま》の畠《はたけ》でせう――その秋《あき》の雲《くも》が、絶《た》えずかゝつてゐるはずの、遠《とほ》い山家《やまが》の畠《はたけ》のあるところが、秋《あき》が來《く》るといふと、たゞ想像《そうぞう》して考《かんが》へて見《み》るだけでも、その生活《せいかつ》が悲《かな》しく、胸《むね》に感《かん》じられる。まして、このさびしい秋《あき》を、山畠《やまばた》のあたりに住《す》んでゐる人《ひと》は、どんなに悲《かな》しからうといつたものらしいのです。 [#ここで字下げ終わり]  この歌《うた》の特徴《とくちよう》は、想像《そう/″\》してゐる景色《けしき》が、實際《じつさい》にあり/\と目《め》に浮《うか》んで來《く》るようになつてゐるところにあります。これを文學《ぶんがく》の上《うへ》で把持力《はじりよく》といつて、自分《じぶん》の經驗《けいけん》をいつまでも忘《わす》れずに、握《にぎ》りしめる力《ちから》があつて、機會《きかい》があると、それを文章《ぶんしよう》に現《あらは》す能力《のうりよく》をいふのであります。一句《いつく》・二句《にく》の景色《けしき》は、西行《さいぎよう》にその強《つよ》い力《ちから》のあることが窺《うかゞ》はれます。それによつて、その以下《いか》の思《おも》ひやるだに悲《かな》しきものをといふような、むしろありふれた言葉《ことば》まで、いき/\と人《ひと》の胸《むね》に、なんだか堪《たま》らないように迫《せま》つて來《く》るのであります。 [#5字下げ]一七、ほんとうに優美《ゆうび》な歌《うた》[#「一七、ほんとうに優美な歌」は中見出し]  同《おな》じ新古今集《しんこきんしゆう》に、藤原良經《ふじはらよしつね》といふ人《ひと》があつて、攝政太政大臣《せつしようだじようだいじん》にまでなつた人《ひと》ですが、よほどの歌《うた》よみでありました。 [#ここから3字下げ] うちしめり、あやめぞかをる。ほとゝぎす鳴《な》くやさつきの雨《あめ》の夕《ゆふ》ぐれ [#ここで字下げ終わり]  この歌《うた》などは、そんなにたくさん類例《るいれい》のないほどよいものであります。ものゝ感《かん》じ方《かた》が非常《ひじやう》に鋭敏《えいびん》で、鼻《はな》・耳《みゝ》・肌《はだ》などに觸《ふ》れるものを鋭《するど》く受《う》け取《と》ることの出來《でき》た珍《めづら》しい文學者《ぶんがくしや》であつたことを見《み》せてゐます。 [#ここから2字下げ] 五月《ごがつ》の雨《あめ》の降《ふ》つてゐる夕《ゆふ》ぐれのことです。どこからともなく、あやめの咲《さ》いた花《はな》のかをりがして來《き》ます。それが、かをりがするといふ程《ほど》でなく、なんとなく感《かん》じられるといふ程度《ていど》に匂《にほ》つて來《く》るのです。それを雨《あめ》のために、匂《にほ》ひが和《やは》らげられて、ほとんど、あるかないかのように、しんみりとしたふうに香《かを》つて來《く》る、と述《の》べてゐます。 [#ここで字下げ終わり]  説明《せつめい》したゞけではなんでもないことですが、この時代《じだい》に、これほど細《こま》かく捉《とら》へがたいことを現《あらは》した人《ひと》はないのです。 『ほとゝぎす鳴《な》くやさつき』といふのは、何《なに》もその時《とき》ほとゝぎすが鳴《な》いてゐるのではありません。さつき[#「さつき」に傍点]といふために、習慣的《しゆうかんてき》にほとゝぎすが鳴《な》くところのといふ言葉《ことば》が附《つ》いて來《き》たのであります。いはゞ一種《いつしゆ》の枕詞《まくらことば》で、かういふ風《ふう》に靜《しづ》かな歌《うた》では、少《すこ》しでもいひすぎたり内容《ないよう》が殖《ふ》えすぎると、全體《ぜんたい》の調和《ちようわ》が破《やぶ》れて來《き》ます。むしろ、内容《ないよう》のないものを入《い》れなければならないのです。それでかういふ言葉《ことば》が利用《りよう》せられてゐるのです。けれどもどうしてもほとゝぎす鳴《な》くやといふと、ほとゝぎすが鳴《な》いてゐる實際《じつさい》の樣子《ようす》が浮《うか》びます。これがこの歌《うた》の少《すこ》しの瑕《きず》であります。  この歌《うた》を作《つく》りかへて、別《べつ》に變《かは》つた領分《りようぶん》を開《ひら》いたものがあります。それは明治《めいじ》になつて死《し》んだ京都《きようと》の蓮月《れんげつ》といふ尼《あま》の作《さく》で、 [#ここから3字下げ] 朝風《あさかぜ》にうばらかをりて、ほとゝぎす鳴《な》くや うづきの志賀《しが》の山越《やまご》え [#ここで字下げ終わり]  これになると、ほとゝぎすは、實際《じつさい》に鳴《な》いてゐるように詠《よ》んでゐます。けっして枕詞《まくらことば》でなく、四月《しがつ》を意味《いみ》するうづきの、自然《しぜん》の景色《けしき》の一部《いちぶ》としてゐます。が、こゝを中心《ちゆうしん》として見《み》ると、どうしても良經《よしつね》の歌《うた》から、暗示《あんじ》を得《え》て作《つく》つたに違《ちが》ひありません。そして良經《よしつね》の歌《うた》の氣分《きぶん》をすっかり取《と》つて、一種《いつしゆ》の歌《うた》に纏《まと》めてゐます。更《さら》に今少《いますこ》し、さっぱりとした感《かん》じが出《で》てゐるようです。  四月頃《しがつごろ》には、野茨《のばら》の花《はな》が咲《さ》くものです。この匂《にほ》ひがまた非常《ひじよう》によろしい。風《かぜ》などにつれて匂《にほ》つて來《く》ると、なんだか新鮮《しんせん》な氣《き》のするものです。志賀《しが》の山越《やまご》えといふのは、昔《むかし》から歌《うた》にたび/\詠《よ》まれた、京都《きようと》から近江《あふみ》へ越《こ》えるところです。  この歌《うた》は恐《おそ》らく空想《くうそう》でせうが、この場所《ばしよ》或《あるひ》はさうした景色《けしき》は、蓮月《れんげつ》が始終《しじゆう》見《み》てゐたに違《ちが》ひありません。だから空想《くうそう》であつても事實《じじつ》と同《おな》じであり、むしろ事實《じじつ》より力強《ちからづよ》く人《ひと》の心《こゝろ》に響《ひゞ》くのです。野茨《のばら》の匂《にほ》ひがして來《き》て、自分《じぶん》の行《ゆ》く道《みち》の傍《そば》に、ほとゝぎすの鳴《な》く聲《こゑ》のするところの志賀《しが》の山越《やまご》えよ、といふのです。かういふ風《ふう》な作《つく》りかへが、また短歌《たんか》の上《うへ》にたびたび行《おこな》はれました。けれども、わざ/\作《つく》りかへようといふ考《かんが》へを持《も》つた時《とき》には、たいてい失敗《しつぱい》して、元《もと》の歌《うた》から獨立《どくりつ》したねうちのない、文學的《ぶんがくてき》にはだめなものが多《おほ》いのであります。蓮月尼《れんげつに》の歌《うた》などは、作《つく》る時《とき》には恐《おそ》らくうちしめりの歌《うた》のあることも忘《わす》れてゐながら、どこかに記憶《きおく》が殘《のこ》つてゐて、その調子《ちようし》、その氣分《きぶん》が、現《あらは》れて來《き》たものでありませう。 [#5字下げ]一八、調子《ちようし》の立《た》つた歌《うた》[#「一八、調子の立つた歌」は中見出し]  後鳥羽上皇《ごとばじようこう》のお歌《うた》は、その現《あらは》し方《かた》が非常《ひじよう》に手《て》がこんでゐて、ちょうど腕《うで》のよく利《き》いた人《ひと》の作《つく》つた、工藝品《こうげいひん》を見《み》るようでありますから、あなた方《がた》に、そのおもしろみを感《かん》じて貰《もら》ふのは、むつかしいと思《おも》ひます。こゝにはごく平凡《へいぼん》なものをあげておきませう。 [#ここから3字下げ] 秋《あき》ふけぬ。鳴《な》けや。霜夜《しもよ》のきり/″\す やゝかげさむし。蓬原《よもぎふ》の月《つき》 [#ここから2字下げ] 秋《あき》が深《ふか》くなつてしまつた。この霜空《しもぞら》の晩《ばん》に鳴《な》いてゐる、聲《こゑ》かれ/″\のきり/″\すよ。もっと出來《でき》るだけ鳴《な》け。空《そら》から照《てら》す光《ひかり》も、冷《つめた》く感《かん》じられる。その蓬原《よもぎばら》のようになつた家《いへ》を照《てら》す月《つき》よ。その下《した》で、きり/″\すが、ほのかに鳴《な》いてゐる。 [#ここで字下げ終わり]  きり/″\すといふのは、こほろぎだといつてゐます。  かういふ風《ふう》にくろうとらしい歌《うた》をお作《つく》りになつたので、歴代《れきだい》の皇族方《こうぞくがた》の中《うち》では、文學《ぶんがく》の才能《さいのう》から申《まを》して、第一流《だいゝちりゆう》にお据《すわ》りになる方《かた》です。けれども、時代《じだい》が先《さき》に申《まを》したようですから、そのお作《さく》も、自然《しぜん》おもしろさが片《かた》よつてゐて、完全《かんぜん》なものとは申《まを》し上《あ》げることが出來《でき》ません。  天皇《てんのう》さまをはじめ、皇族方《こうぞくがた》のうちで、圓滿《えんまん》な歌《うた》を作《つく》られたお方《かた》を探《さが》して見《み》ると、それから時代《じだい》が下《さが》つて、南北朝《なんぼくちよう》のはじめ頃《ごろ》の伏見天皇《ふしみてんのう》、それからその皇后《こう/″\》さまの永福門院《えいふくもんいん》といふお方《かた》、このお二方《ふたかた》が、まづとびぬけていらつしやると思《おも》ひます。勅撰集《ちよくせんしゆう》でいふと、新古今集《しんこきんしゆう》が八番《はちばん》めの歌集《かしゆう》、それから後六《あとむつ》つめすなはち、古今集《こきんしゆう》から勘定《かんじよう》して十四番《じゆうよばん》めの玉葉和歌集《ぎよくようわかしゆう》、十七番《じゆうしちばん》めの風雅和歌集《ふうがわかしゆう》、この二《ふた》つのものに、特別《とくべつ》に關係《かんけい》がお深《ふか》いのであります。 [#5字下げ]一九、發達《はつたつ》しきつた歌《うた》[#「一九、發達しきつた歌」は中見出し] [#ここから3字下げ] ゆふぐれの雲《くも》飛《と》びみだれ、荒《あ》れて吹《ふ》く 嵐《あらし》のうちに、時雨《しぐれ》をぞきく いつはとも 心《こゝろ》に時《とき》はわかなくに、をちの柳《やなぎ》の 春《はる》になる色《いろ》 [#ここで字下げ終わり]  これが伏見天皇《ふしみてんのう》のお歌《うた》です。後鳥羽上皇《ごとばじようこう》から、も一《ひと》つ進《すゝ》んで、更《さら》にその一種《いつしゆ》の癖《くせ》を拔《ぬ》いた素直《すなほ》なお歌《うた》になつてゐます。 [#ここから2字下げ] 夕方《ゆふがた》の空《そら》には、一《いつ》ぱい雲《くも》が亂《みだ》れてゐて、あちらこちらに早《はや》く飛《と》び廻《まは》つてゐる時《とき》に吹《ふ》きおろす山風《やまかぜ》が、あら/\しく吹《ふ》いてゐる。その目《め》にも耳《みゝ》にも、すさまじい景色《けしき》。殊《こと》にはげしい風《かぜ》の音《おと》にも打《う》ち消《け》されずに、靜《しづ》かな時雨《しぐれ》の音《おと》のしてゐるのを自分《じぶん》が聞《き》いてゐる。 [#ここで字下げ終わり]  これはちょっと見《み》ると、「雲《くも》飛《と》び亂《みだ》れ」、「荒《あ》れて吹《ふ》く」などいふ言葉《ことば》が、ごた/\してゐるようであるが、私《わたし》の解釋《かいしやく》したように荒《あ》れて吹《ふ》くから、別《べつ》に考《かんが》へて見《み》ると、空模樣《そらもよう》に更《さら》に加《くは》へて、はげしい風《かぜ》の樣子《ようす》が感《かん》じられます。このお歌《うた》は靜《しづ》かな時雨《しぐれ》の音《おと》を、さうした間《あひだ》に耳《みゝ》を留《と》めてゐたといふところに、變《かは》つた興味《きようみ》を起《おこ》されたので、かういふ詠《よ》み方《かた》の歌《うた》は、これ以前《いぜん》にもこれ以後《いご》にも、まづ類例《るいれい》のない新《あたら》しい、さうしていゝものだといふことが出來《でき》ます。あらし[#「あらし」に傍点]といふのは山《やま》おろしのことで、暴風《ぼうふう》ではありません。 [#ここから2字下げ] 今《いま》は、冬《ふゆ》か春《はる》か心《こゝろ》の上《うへ》で迷《まよ》はずにゐられない時分《じぶん》である。心《こゝろ》ではいつとも時候《じこう》の區別《くべつ》がつかないのに、目《め》に見《み》るものは、すでに尠《すくな》くとも、一《ひと》つだけは春《はる》らしいしるしを示《しめ》してゐる。これは遠方《えんぽう》に立《た》つてゐる柳《やなぎ》の木《き》の、いかにも春景色《はるげしき》になつて行《ゆ》く色《いろ》あひがそれである。 [#ここで字下げ終わり]  春《はる》になる色《いろ》といふのは、まだ春《はる》になり切《き》つてゐるわけではありません。春《はる》の樣子《ようす》が調《とゝの》つて行《い》つてゐることをいふのです。  色《いろ》といはれたのは、漠然《ばくぜん》とどこか春《はる》らしい樣子《ようす》・色《いろ》あひの見《み》えることを、氣分式《きぶんしき》に示《しめ》されたのです。をちの柳《やなぎ》といふのも、はっきりと、何本《なんぼん》あるとも、どの位《くらゐ》の距離《きより》にあるともいはれないで、まづほのかな色《いろ》あひで、幾本《いくほん》か竝《なら》んでゐるといふ感《かん》じを起《おこ》させるためなのです。いつは[#「いつは」に傍点]といふのは、いつ[#「いつ」に傍点]といふのとかはりがないと見《み》ておいてよろしい。 [#ここから3字下げ] やまもとの鳥《とり》の聲《こゑ》より明《あ》け初《そ》めて、花《はな》もむら/\ 色《いろ》ぞ見《み》え行《ゆ》く 何《なに》となき草《くさ》の花《はな》咲《さ》く野《の》べの春《はる》。雲《くも》に ひばりの聲《こゑ》ものどけき [#ここで字下げ終わり]  これが永福門院《えいふくもんいん》のお歌《うた》です。御覽《ごらん》のとほり、物《もの》の色《いろ》あひ、組《く》み合《あは》せが、非常《ひじよう》に美《うつく》しく作《つく》られてゐます。 [#ここから2字下げ] 山《やま》の麓《ふもと》の方《ほう》に、鳥《とり》の聲《こゑ》がする。その鳥《とり》の聲《こゑ》のするあたりから、だん/\夜《よ》が明《あ》けかけて、あちらに一《ひと》かたまり、こちらに一《ひと》かたまりといふふうに、山《やま》の櫻《さくら》の花《はな》も色《いろ》が現《あらは》れて、だん/\明《あき》らかになつて行《ゆ》く。 [#ここで字下げ終わり] 『花《はな》もむら/\色《いろ》ぞ見《み》え行《ゆ》く』などいふところに氣《き》のついたのは、やはり時代《じだい》がずっと新《あたら》しくなり、人《ひと》の心《こゝろ》が自然物《しぜんぶつ》に對《たい》して、敏感《びんかん》に動《うご》くようになつて來《き》たからです。しかし普通《ふつう》の人《ひと》は、文學《ぶんがく》の上《うへ》ではやはり昔《むかし》のまゝの型《かた》どほりに作《つく》つてゐるに拘《かゝは》らず、勝《すぐ》れた人《ひと》は、その時代《じだい》の人《ひと》らしい眼《め》で、物《もの》を見《み》、感《かん》じるものであります。さうして新《あたら》しいとはいひながら、柔《やは》らかで穩《おだ》やかなよい氣持《きも》ちを破《やぶ》らないで、上品《じようひん》さを持《も》ちながら歌《うた》はれてあるのが、この歌《うた》などのよいところです。殊《こと》に二番《にばん》めの歌《うた》などになると、ほとんど、只今《たゞいま》の人《ひと》が作《つく》つたものか、とうっかり思《おも》はれるようなお作《さく》であります。まづ普通《ふつう》の人《ひと》ならば、名《な》のない雜草《ざつそう》の花《はな》などは詠《よ》みません。ところがこの門院樣《もんいんさま》は、その雜草《ざつそう》の花《はな》に興味《きようみ》を持《も》つてゐられます。なんといふことのない變《かは》つた點《てん》もない草《くさ》の花《はな》、この咲《さ》いてゐる野《の》の春景色《はるげしき》、とぱっと廣《ひろ》い樣子《やうす》を現《あらは》して來《き》て、下《しも》の句《く》で、自分《じぶん》はどこにをつて、何《なに》をしてゐるかといふことを、はっきりと現《あらは》してあります。その草《くさ》の花《はな》の咲《さ》いてゐるところに据《すわ》りこんで空《そら》を仰《あふ》ぐと、雲《くも》が出《で》てゐる。その雲《くも》のあたりへ鳴《な》き上《あが》つて行《ゆ》く雲雀《ひばり》の聲《こゑ》に氣《き》がついて、そして、今《いま》かうしてゐることの外《ほか》に、なんの爲事《しごと》も煩《わづら》はしさも心《こゝろ》がかりもない、豐《ゆた》かな氣持《きも》ちを感《かん》じてゐることを、のどけきといふ言葉《ことば》で示《しめ》されてゐます。  この頃《ころ》にも、このお二方《ふたかた》を取《と》りまいて、名人《めいじん》といつてよい人々《ひと/″\》が大《だい》ぶんゐるのですが、そのお話《はなし》は、只今《たゞいま》いたしません。こんな勝《すぐ》れた歌《うた》が、しかも非常《ひじよう》に貴《たふと》い方々《かた/″\》のお作《さく》に出《で》て來《き》てゐるに拘《かゝは》らず、世間《せけん》の流行《りゆうこう》は、爲方《しかた》のないもので、だん/\、惡《わる》い方《ほう》へ/\と傾《かたむ》きました。さうして、この玉葉集《ぎよくようしゆう》、風雅集《ふうがしゆう》などの歌《うた》は、いけないつまらない歌《うた》だ、とねうち[#「ねうち」に傍点]をきめてしまふようになりました。これは世間《せけん》の評判《ひようばん》と、ほんとうの物《もの》のねうち[#「ねうち」に傍点]とは、たいていの場合《ばあひ》一致《いつち》してゐないそのもっとも適當《てきとう》な例《れい》であります。これから後《のち》、室町時代《むろまちじだい》から時《とき》が過《す》ぎて江戸《えど》の時代《じだい》に至《いた》るまで、そんなに勝《すぐ》れた歌人《かじん》は、多《おほ》くは出《で》てまゐりませんでした。つまり平凡《へいぼん》なお手本《てほん》を敷《し》き寫《うつ》しになぞつて行《ゆ》くものですから、だん/\つまらなく、その作者《さくしや》の特徴《とくちよう》を出《だ》すことが出來《でき》なくなつたわけであります。 [#5字下げ]二〇、江戸時代《えどじだい》の歌《うた》[#「二〇、江戸時代の歌」は中見出し]  ところが江戸時代《えどじだい》になると、徳川氏《とくがはし》の政治《せいじ》の方針《ほうしん》がさうであり、また世《よ》の中《なか》が治《をさま》つて來《き》たゝめか、學問《がくもん》が盛《さか》んになつて來《き》ました。そして支那《しな》の學問《がくもん》から更《さら》に進《すゝ》んで、日本《につぽん》の學問《がくもん》日本《につぽん》の文學《ぶんがく》の研究《けんきゆう》が行《おこな》はれ出《だ》して來《き》ました。さうして學者《がくしや》も文學者《ぶんがくしや》も、かならずしも上流社會《じようりうしやかい》の人々《ひと/″\》ばかりでなく、かへって低《ひく》い位置《いち》の人《ひと》の方《ほう》に中心《ちゆうしん》が移《うつ》つて來《く》るようになりました。  昔《むかし》の文學《ぶんがく》昔《むかし》の短歌《たんか》を研究《けんきゆう》した結果《けつか》、今《いま》までやつてゐたのはいけなかつた。五百年《ごひやくねん》も千年《せんねん》も前《まへ》の歌《うた》の方《ほう》が、自分《じぶん》たちのものより遙《はる》かに新《あたら》しく、もつと/\熱情《ねつじよう》が籠《こも》つてゐるといふことに、皆《みんな》が心《こゝろ》づくようになりました。さういふよい影響《えいきよう》を與《あた》へたのは、第一《だいゝち》に、萬葉集《まんにようしゆう》が新《あたら》しく讀《よ》み返《かへ》されたことであります。それから學者《がくしや》・文學者《ぶんがくしや》の間《あひだ》に、一足飛《いつそくと》びに、よい歌《うた》に激戟《しげき》せられて[#「激戟せられて」はママ]、新《あたら》しい歌《うた》を作《つく》る人々《ひと/″\》が殖《ふ》えて來《き》ました。  さういふ人《ひと》たちは、數《かぞ》へ上《あ》げることの出來《でき》ない程《ほど》たくさんありますから、こゝにはごくわづかの代表者《だいひようしや》だけを出《だ》しておきませう。 [#5字下げ]二一、歌人《かじん》としての國學者《こくがくしや》たち[#「二一、歌人としての國學者たち」は中見出し]  よくいふ國學《こくがく》の四大人《しうし》のうちで、一番《いちばん》文學者《ぶんがくしや》らしかつたのは賀茂眞淵《かものまぶち》であります。そしてそれ以前《いぜん》にも、だん/\萬葉《まんによう》ぶりの歌《うた》を作《つく》つた人《ひと》があるが、この人《ひと》から一《ひと》つの主義《しゆぎ》として、さういふ方面《ほうめん》に進《すゝ》む歌《うた》が出來《でき》て來《き》ました。でもこの人《ひと》の歌《うた》は、評判《ひようばん》ほども勝《すぐ》れたものではありません。だから一首《いつしゆ》だけ引《ひ》いて置《お》きませう。 [#ここから3字下げ] 秋《あき》の夜《よ》の ほがら/\と、天《あま》の原《はら》照《て》る月《つき》かげに、雁《かり》鳴《な》き渡《わた》る [#ここから2字下げ] ほがら/\といふと、夜明《よあ》けの空《そら》のあかるさを示《しめ》す言葉《ことば》です。それを、月《つき》の照《て》つてゐる空《そら》の形容《けいよう》に用《もち》ひたので、いかにも晝《ひる》のような明《あか》るい天《てん》が感《かん》じられます。隅《すみ》から隅《すみ》までからりと明《あか》るく、廣《ひろ》い空《そら》に照《て》つてゐる秋《あき》の夜《よ》の光線《こうせん》のさしてゐる中《うち》に、雁《かり》が鳴《な》き渡《わた》つて行《ゆ》くといふ歌《うた》です。 [#ここで字下げ終わり]  感《かん》じてゐるところはよろしいが、上《うへ》の三句《さんく》がごた/\として、感《かん》じた氣分《きぶん》がすっきりと現《あらは》れてゐません。けれどもこの人《ひと》は、まづ大體《だいたい》かういふ調子《ちようし》に、一筋《ひとすぢ》に歌《うた》ふのが得意《とくい》だつたと見《み》えます。  おなじような歌《うた》を竝《なら》べて見《み》ませう。上田秋成《うへだあきなり》といふ人《ひと》は、眞淵《まぶち》の孫弟子《まごでし》に當《あた》る文學者《ぶんがくしや》ですが、この人《ひと》も、歌《うた》はその散文《さんぶん》ほど上手《じようず》ではありませんが、かなり作《つく》れた人《ひと》であります。 [#ここから3字下げ] 照《て》る月《つき》に、雁《かり》のまれびと鳴《な》き渡《わた》る。わが待《ま》つ友《とも》は、こよひ來《こ》なくに [#ここで字下げ終わり]  こんな歌《うた》になると、この人《ひと》の方《ほう》が、遙《はる》かに勝《すぐ》れた才能《さいのう》を持《も》つてゐたことがわかります。 [#ここから2字下げ] 空《そら》に照《て》つてゐる秋《あき》の夜《よ》の月《つき》。その月光《つきかげ》のさしてゐる空《そら》を遠方《えんぽう》からやつて來《き》た雁《かり》が、列《れつ》をなして鳴《な》きとほつて行《ゆ》く。こんな晩《ばん》には、一《いつ》しょに親《した》しむ友《とも》だちの訪問《ほうもん》が待《ま》たれる。けれども私《わたし》の待《ま》つてゐる仲間《なかま》は、今晩《こんばん》はやつて來《こ》ないでゐるのに、さうして私《わたし》一人《ひとり》で明《あか》るくほがらかな天地《てんち》に照《て》る月《つき》に對《たい》してゐるのに、その上《うへ》を雁《かり》が鳴《な》き連《つ》れてとほる、といつた滿足《まんぞく》はしてゐながら、ある點《てん》に、自分《じぶん》の感《かん》じをいつて聞《き》かせたい仲間《なかま》のゐない、もの足《た》らなさを述《の》べてゐるのです。 [#ここで字下げ終わり]  しかしそれも、けっして理《り》くつらしくは出《で》てをらずに、このほがらかな調子《ちようし》に、玉《たま》のように包《つゝ》まれて、たゞ月《つき》の光《ひかり》に、及《およ》び雁《かり》の列《れつ》に動《うご》かされた氣分《きぶん》として、胸《むね》に觸《ふ》れて來《き》ます。かういふのが、ほがらかな、たけ高《たか》い調子《ちようし》といふのであります。先《さき》の歌《うた》に比《くら》べて見《み》ると、こんな形《かたち》の歌《うた》の出《で》るまでは、それでも相當《そうとう》に見《み》えたものが、なんだかつまらなく感《かん》じられるでせう。  まれびと[#「まれびと」に傍点]といふのは、お客《きやく》さまといふことですが、ごくたまに來《く》る珍《めづら》しい人《ひと》といふのが古《ふる》い意味《いみ》です。渡《わた》り鳥《どり》なる雁《かり》をば、この珍客《ちんきやく》に見立《みた》てたのであります。それを譬《たと》へのようにいはないで、直接《ちよくせつ》にまれびとなる雁《かり》といふふうにいつたところに、濁《にご》りがなくなつてをります。 [#5字下げ]二二、加納諸平《かのうもろひら》[#「二二、加納諸平」は中見出し]  眞淵《まぶち》の弟子《でし》の本居宣長《もとをりのりなが》、その弟子《でし》の夏目甕麿《なつめかめまろ》、この人《ひと》の子《こ》で、紀州《きしゆう》の醫者《いしや》の家《いへ》の養子《ようし》となつた加納諸平《かのうもろひら》といふ人《ひと》があります。小《ちひ》さな時《とき》から父《ちゝ》の伴《とも》をして、諸國《しよこく》を歩《ある》いて攝津《せつつ》の國《くに》へ來《き》た時《とき》に、酒飮《さけの》みの父親《ちゝおや》は、月《つき》を捕《とら》へるのだといつて、歌《うた》の友《とも》だちなどが止《と》めるのもきかずに、池《いけ》の中《なか》へをどり込《こ》んで死《し》にました。それからすぐに和歌山《わかやま》へ引《ひ》き取《と》られて行《い》つて、久《ひさ》しく國《くに》へ歸《かへ》ることもしませんでした。加納家《かのうけ》に住《す》みこんでから、はじめて遠江《とほたふみ》の母《はゝ》のところへ歸省《きせい》したことがあります。かういふ傳記《でんき》の一部《いちぶ》を知《し》つて諸平《もろひら》の歌《うた》を讀《よ》むと、誠《まこと》に思《おも》ひ深《ふか》いところが感《かん》じられます。  歌《うた》や俳句《はいく》の上《うへ》では、その形《かたち》が短《みじか》く小《ちひ》さいだけに、はしがき[#「はしがき」に傍点]――また、詞書《ことばが》きともいふ――や、その歌《うた》を作《つく》つた事情《じじよう》などを知《し》るといふことが、外《ほか》の文學《ぶんがく》とは別《べつ》で大事《だいじ》なことであります。つまりその作物《さくぶつ》の背景《はいけい》になつてゐるものをのみこんで、眞《しん》に歌《うた》なり俳句《はいく》なりを味《あぢは》ひ知《し》るといふことが、どうしても必要《ひつよう》なのです。 [#ここから3字下げ] 旅衣《たびごろも》わゝくばかりに 春《はる》たけて、うばらが花《はな》ぞ、香《か》に匂《にほ》ふなる [#ここで字下げ終わり]  青年《せいねん》が一人旅《ひとりたび》をしてゐるといふことを、頭《あたま》に持《も》つて下《くだ》さい。わゝく[#「わゝく」に傍点]といふのは、きれや着物《きもの》のぼや/\になつて來《く》ることで、長旅《ながたび》をしたゝめに、摺《す》り切《き》れて來《き》たりしたところがある樣子《ようす》です。 [#ここから2字下げ] 着《き》てゐる旅行《りよこう》の着物《きもの》が、わゝけるほどに早《はや》く出《で》た春《はる》の旅《たび》も、すでに春深《はるふか》くなつて、道傍《みちばた》に雜草《ざつそう》のように咲《さ》いてゐる野茨《のばら》の花《はな》が、匂《にほ》ひ立《た》つて感《かん》ぜられる、といふ意味《いみ》です。 [#ここで字下げ終わり] がそれはもちろん、實際《じつさい》以上《いじよう》に歌《うた》らしい味《あぢ》をつけようとしてゐます。理《り》くつっぽくいへば、和歌山《わかやま》を出《で》て遠江《とほたふみ》までの間《あひだ》に、旅《たび》ごろもがわゝけるといふ程《ほど》のこともあるまいし、また早春《そうしゆん》に出《で》たのが晩春《ばんしゆん》になつたといふ程《ほど》のこともありますまい。けれどもそれほどのことは、文學上《ぶんがくじよう》の一種《いつしゆ》の誇張《こちよう》といふもので、いくらか輪《わ》をかけて感《かん》じ深《ふか》くいひ表《あらは》すのが、文學《ぶんがく》のほんとうの爲方《しかた》だと、今《いま》ですらも考《かんが》へてゐる學者《がくしや》・文學者《ぶんがくしや》が多《おほ》いのですから、これくらゐのことは、昔《むかし》の歌《うた》としてあたりまへだと見《み》ていゝとおもひます。この頃《ころ》の人《ひと》はすべて、あまり自分《じぶん》の生活《せいかつ》が歌《うた》に現《あらは》れるといふことを嫌《きら》つたので、さういふふうなのを無風流《ぶふうりゆう》だとしりぞけてゐました。この中《うち》にこんなのが出《で》て來《く》ると、さすがにちょっと、胸《むね》をうたれる氣《き》がするのです。 [#ここから3字下げ] ゆふ月夜《づくよ》 ほの見《み》え初《そ》めしあぢさゐの、花《はな》も まどかに咲《さ》きみちにけり [#ここで字下げ終わり]  これはちょっと見《み》ると、いかにも紫陽花《あぢさゐ》の花《はな》の樣子《ようす》を細《こま》やかに寫《うつ》してあるように見《み》えますが、實《じつ》は紫陽花《あぢさゐ》を見《み》て作《つく》つたのでなく、見慣《みな》れてゐる花《はな》の模樣《もよう》を空想《くうそう》に浮《うか》べて、美《うつく》しく爲立《した》てたに過《す》ぎません。だから近頃《ちかごろ》の歌《うた》や文學《ぶんがく》の上《うへ》からは、かういふ態度《たいど》はよいとはいへないが、それにしても作《つく》つたものが相當《そうとう》によければ、やはりよいといふより外《ほか》はありません。空想《くうそう》で作《つく》りながらこれまでに作《つく》り上《あ》げたのだから、その作者《さくしや》に力《ちから》の十分《じゆうぶん》あつたことがわかります。この人《ひと》は學者《がくしや》であり文學者《ぶんがくしや》ですから、言葉《ことば》のあやを十分《じゆうぶん》に心得《こゝろえ》て、少《すこ》しのむだもしないでゐます。それがかへって、今《いま》では邪魔《じやま》になるのです。譬《たと》へばわれ/\の時代《じだい》には、夕《ゆふ》づく夜《よ》ならば、ほんとうに夕方《ゆふがた》のお月《つき》さまが出《で》てゐると感《かん》じるだけで滿足《まんぞく》するのに、この人《ひと》の歌《うた》では、昔《むかし》の習慣《しゆうかん》に從《したが》つて、ほの見《み》え初《そ》めしの枕詞《まくらことば》なる夕《ゆふ》づく夜《よ》といふ言葉《ことば》を、まづ据《す》ゑたのです。もちろんたゞの枕詞《まくらことば》だけでなく、夕月《ゆふづき》の頃《ころ》にほんのり見《み》えかけたといふ意味《いみ》にはいつてゐるのですが、學問的《がくもんてき》にもこの二《ふた》つの句《く》の連絡《れんらく》をつけてゐるわけなのです。昔《むかし》はかういふことの自由《じゆう》に出來《でき》るのが名人《めいじん》だと思《おも》はれたのですが、今《いま》ではかへって、文學《ぶんがく》を味《あぢは》ふ上《うへ》の足手纏《あしてまと》ひとして、避《さ》けねばならぬことであります。夕月夜《ゆふづくよ》といふのは夕月《ゆふづき》の夜《よ》といふことでなく、月夜《つきよ》は月《つき》のことです。で、夕月《ゆふづき》の頃《ころ》といふと、新月《しんげつ》の出《で》た時分《じぶん》といふことになります。 [#ここから1字下げ] その頃《ころ》にはまだ、ほんのり見《み》えかけてゐた紫陽花《あぢさゐ》のその花《はな》も、もう今《いま》では、まどかにまんまるく、圓滿《えんまん》に咲《さ》いてゐることだ。 [#ここで字下げ終わり]  紫陽花《あぢさゐ》の花《はな》のだん/\咲《さ》き調《とゝの》つて行《ゆ》くありさまが、よく詠《よ》んであります。その上《うへ》に、いかにも紫陽花《あぢさゐ》に適《てき》した氣分《きぶん》が出《で》てゐます。たゞそれだけで滿足《まんぞく》せずに、新月《しんげつ》の頃《ころ》から注意《ちゆうい》してゐたのが、こんなに大《おほ》きく立派《りつぱ》に咲《さ》いたといふようなおもしろみを附《つ》けたのは、ほんとうはよくないのです。けれどもそれはあなた方《がた》の年頃《としごろ》では、細《こま》かに説《と》いてもむりですから、もっと長《なが》く歌《うた》に親《した》しんで貰《もら》つて、自分自身《じぶんじしん》の批評《ひひよう》が出來《でき》るまでは、まづよい歌《うた》だと考《かんが》へて置《お》いて下《くだ》さい。その上《うへ》この歌《うた》では、まだ/\言葉《ことば》の外《そと》にいひ含《ふく》めたものがたくさんあります。  あぢさゐの花も[#「あぢさゐの花も」に傍点]とも[#「も」に傍点]の字《じ》を使《つか》つてゐるのは、空《そら》のお月樣《つきさま》がちょうどまんまるになつてゐる頃《ころ》、あぢさゐもまんまるになつた。かういふことを感《かん》じさせようとしてゐるのです。なかなか昔《むかし》の人《ひと》は苦勞《くろう》したものです。がそんなことは、文學《ぶんがく》の上《うへ》ではむだ骨折《ほねを》りといふものです。それをまた、おもしろいと思《おも》つてゐてはいけないのです。 [#5字下げ]二三、思《おも》ひを抒《の》べる歌《うた》[#「二三、思ひを抒べる歌」は中見出し]  この人《ひと》には歌《うた》の上《うへ》に、まだいろ/\の試《こゝろ》みがあつて、おもしろいことをしてゐるが、その一例《いちれい》をあげると、 [#ここから3字下げ] 月《つき》に吹《ふ》く市《いち》の植《う》ゑ木《き》の風《かぜ》高《たか》み 塵《ちり》も殘《のこ》らず 霽《は》れし空《そら》かな 月《つき》に聽《き》く波《なみ》の響《ひゞ》きも更《ふ》けにけり。誰《たれ》か うきねの袖《そで》絞《しぼ》るらむ 月《つき》にうつ大城《おほき》の鼓《つゞみ》しばし待《ま》て。くだちゆく夜《よ》を、誰《たれ》か 惜《を》しまぬ [#ここで字下げ終わり]  かういふ一續《ひとつゞ》きの歌《うた》が、まだ/″\あるのですが、これだけにして置《お》きます。 [#ここから2字下げ] 月《つき》の照《て》つてゐる所《ところ》に咲《さ》いてゐる、町《まち》のとほりに植《う》ゑてある木《き》に、當《あた》るところの風《かぜ》の音《おと》の高《たか》さに、なるほどひどい風《かぜ》だと思《おも》つて空《そら》を見《み》ると、吹《ふ》き上《あ》げられた塵《ちり》も、どこへ行《い》つたかわからぬほど澄《す》みきつて、霽《は》れきつてゐる月《つき》の空《そら》よ。 月光《げつこう》の照《てら》す下《もと》に聞《きこ》えて來《く》るその波《なみ》の響《ひゞ》きも、思《おも》へば夜《よ》の更《ふ》けた感《かん》じのすることだ。かうした晩《ばん》に、この海《うみ》に舟旅《ふなたび》をして、船《ふね》の中《なか》で目《め》の覺《さ》めてゐる人《ひと》もあらう。そして水《みづ》の上《うへ》に浮《う》いて寢《ね》てゐる袖《そで》を絞《しぼ》るほど、涙《なみだ》で濡《ぬ》らしてゐるだらう。 月《つき》の輝《かゞや》いてゐる空《そら》に響《ひゞ》くお城《しろ》の太鼓《たいこ》。それは、もう門限《もんげん》だといふ知《し》らせなのです。だがまう暫《しばら》く、打《う》つのを待《ま》つてくれと感《かん》じるのは、現在《げんざい》の心持《こゝろも》ちのなくなるのを惜《を》しむ心《こゝろ》なのです。それにも拘《かゝは》らず、太鼓《たいこ》はどん/\鳴《な》つてゐます。それに對《たい》して、なるほど夜《よ》はだん/\更《ふ》けて行《ゆ》くが、この更《ふ》けて行《ゆ》く夜《よ》を惜《を》しまない人《ひと》が、誰一人《たれひとり》としてあらうか、とかういふ心持《こゝろも》ちです。 [#ここで字下げ終わり]  全體《ぜんたい》月《つき》に何々《なに/\》といふふうに、頭《かしら》に句《く》を置《お》いてゐるために、幾分《いくぶん》歌《うた》が上調子《うはちようし》になつてゐるが、眞底《しんそこ》にはやはりよいものがあります。市《いち》といつても、今《いま》の市場《いちば》ではなく、商人《しようにん》の店《みせ》を列《つら》ねてゐる町通《まちどほ》りで、そこには、今《いま》の街路樹《がいろじゆ》に似《に》たものを植《う》ゑたのです。それは古《ふる》いことで、この歌人《かじん》のゐた時分《じぶん》のことではないが、歌《うた》の上《うへ》ではかういふふうに、現代《げんだい》を古《ふる》いものに爲立《した》てゝ作《つく》ることもあつたのです。まぁあなた方《がた》にわかり易《やす》いためには、東京《とうきよう》の銀座《ぎんざ》その外《ほか》、街路樹《がいろじゆ》の植《うわ》つてゐる商店街《しようてんがい》の、夜《よ》ふけて騷《さわ》いでゐた人《ひと》も、寢靜《ねしづ》まつた後《のち》の月光《げつこう》を思《おも》ひ浮《うか》べて見《み》ればよからうと思《おも》ひます。  浮《う》き寢《ね》といふのは、水鳥《みづとり》が、波《なみ》の上《うへ》で寢《ね》ることから移《うつ》つて來《き》て、人間《にんげん》にも、舟旅《ふなたび》の夜泊《よどま》りの場合《ばあひ》に用《もち》ひます。それにも、うきね[#「うきね」に傍点]といふ言葉《ことば》に憂《う》きといふ厭《いや》な、情《なさけ》ない悲觀《ひかん》すべき意味《いみ》の言葉《ことば》が、音《おん》から感《かん》じられる習慣《しゆうかん》になつてゐます。この歌《うた》も内容《ないよう》よりは、調子《ちようし》が流《なが》れすぎてゐるのですが、作者《さくしや》が月《つき》の晩《ばん》に、さびしい心《こゝろ》になつて、外《ほか》にもかうした人《ひと》があるといふことに思《おも》ひ及《およぼ》してゐる心持《こゝろも》ちが、この人《ひと》をなつかしく感《かん》じさせます。大城《おほき》の鼓《つゞみ》といふのは、和歌山城《わかやまじよう》の『時《とき》』の太鼓《たいこ》です。  この歌《うた》は別《べつ》に深《ふか》く思《おも》ひこんでゐるのでもない樂《たの》しみを、ぢっと續《つゞ》けてゐたといふだけの物《もの》ですから、調子《ちようし》と意味《いみ》とがぴったりとしてゐます。さうしてこれらの歌《うた》は、皆《みな》歌《うた》つて氣持《きも》ちの好《よ》いように、調子《ちようし》が調《とゝの》つてゐます。 [#ここから3字下げ] 沖《おき》さけて 浮《うか》ぶ鳥船《とりふね》。時《とき》のまに翔《かけ》りも行《ゆ》くか。いさな見《み》ゆらし [#ここから2字下げ] 熊野《くまの》の山《やま》めぐりをした時《とき》の歌《うた》ですが、沖《おき》遠《とほ》く離《はな》れて浮《うか》んでゐる鳥《とり》のような船《ふね》、それが今《いま》、そこにをつたかと思《おも》ふと、瞬間《しゆんかん》の目《め》も及《およ》ばない遠《とほ》いところにかけつて行《い》つてゐることよ。それは鯨《くぢら》が見《み》えたに違《ちが》ひない。 [#ここで字下げ終わり]  こんな歌《うた》になると、自由《じゆう》で浮《うか》れるような調子《ちようし》が、ぴったりともり[#「もり」に傍点]を衝《つ》く鯨船《くぢらぶね》のすばやい動作《どうさ》を表《あらは》すに適當《てきとう》してゐるではありませんか。鳥船《とりぶね》といふのは大昔《おほむかし》の國語《こくご》で、船《ふね》の名前《なまへ》でもあり、同時《どうじ》に舟《ふね》についていらつしやる神樣《かみさま》のお名前《なまへ》でもありました。あなた方《がた》ならば、船《ふね》が早《はや》いから鳥《とり》に見立《みた》てたのだと思《おも》つて置《お》いてさし支《つか》へありません。熊野《くまの》の鯨《くぢら》つきの歌《うた》です。 [#5字下げ]二四、香川景樹《かがはかげき》[#「二四、香川景樹」は中見出し]  この諸平《もろひら》のゐた時分《じぶん》に、近世《きんせい》でもっとも名高《なだか》い香川景樹《かがはかげき》といふ歌人《かじん》が京都《きようと》にゐました。非常《ひじよう》に上手《じようず》の評判《ひようばん》があり、門人《もんじん》も多《おほ》く、その一門《いちもん》は榮《さか》えて今《いま》までも續《つゞ》いてゐるほどの人《ひと》でありました。明治天皇《めいじてんのう》のお師匠番《ししようばん》になつた人《ひと》も、この流《なが》れのものであります。そのためにたいへん名人《めいじん》のように感《かん》じられてゐますが、これもまた、評判《ひようばん》と實際《じつさい》との價値《かち》の違《ちが》ふ生《い》きた手本《てほん》で、この人《ひと》の歌《うた》にはほとんど文學《ぶんがく》としてねうち[#「ねうち」に傍点]のあるものは見《み》えません。まづ一例《いちれい》を取《と》つて申《まを》しませう。 [#ここから3字下げ] 春日野《かすがの》に若菜《わかな》を摘《つ》めば、われながら 昔《むかし》の人《ひと》のこゝちこそすれ [#ここで字下げ終わり]  これはこの人《ひと》のものでもいゝ部類《ぶるい》の歌《うた》です。けれども、先《さき》の諸平《もろひら》に似《に》た歌《うた》があるのと竝《なら》べて見《み》ませう。 [#ここから3字下げ] 曳馬野《ひくまの》の木《こ》の芽《め》はり原《はら》。入《い》り亂《みだ》れ、春日《はるひ》くらすは、昔人《むかしびと》かも [#ここで字下げ終わり]  景樹《かげき》のは、『歴史的《れきしてき》にいろ/\な記念《きねん》のあるこの春日野《かすがの》で、自分《じぶん》が若菜《わかな》を摘《つ》んでゐると、昔《むかし》の人《ひと》も、かうして若菜《わかな》を摘《つ》んでゐたのだから、うっかりすると、自分《じぶん》でゐて昔《むかし》の人《ひと》のような氣《き》がする』といふのです。おもしろいと思《おも》ふでせうが、これは説明《せつめい》でおもしろく見《み》えてゐるので、歌《うた》その物《もの》は、たゞさういふおもしろさを考《かんが》へて見《み》たゞけで、ほんとうに氣分《きぶん》の上《うへ》にまで、昔《むかし》の人《ひと》になつた心持《こゝろも》ちが出《で》てゐません。これを知識《ちしき》の上《うへ》の遊《あそ》びといひます。それとゝもに、氣分《きぶん》が少《すこ》しも伴《ともな》はない[#「伴はない」は底本では「件はない」]のですから、散文的《さんぶんてき》な歌《うた》といはねばなりません。殊《こと》にわれながらといふのは、いかにも常識的《じようしきてき》で、自分《じぶん》で知《し》つてゐて、わざとそんなことをいつたゞけだといふことを見《み》せてゐます。  それと比《くら》べて見《み》ると、諸平《もろひら》のはさすがにもっと熱情《ねつじよう》が出《で》てゐます。自分《じぶん》が昔《むかし》の人《ひと》か知《し》らんとかう疑《うたが》つてゐるので、その疑《うたが》ひの起《おこ》る導《みちび》きとして、『曳馬野《ひくまの》――萬葉集《まんにようしゆう》などに見《み》えてゐる土地《とち》で、濱松《はまゝつ》から北《きた》へかけての平野《へいや》地方《ちほう》――の木《こ》の芽《め》が新《あたら》しく出《で》てゐる。――そのはる[#「はる」に傍点]と、はりの木《き》のはり[#「はり」に傍点]とをひっかけて歌《うた》つたもの――はり[#「はり」に傍点]の木原《きはら》にめちゃくちゃに入《い》りこんで、この春《はる》の日《ひ》を一日《いちにち》遊《あそ》んでゐるのは、あの萬葉集《まんにようしゆう》に出《で》て來《き》てゐる人《ひと》たちなのか知《し》らん』と疑《うたが》つたので、その一人《ひとり》として、諸平《もろひら》自身《じしん》も含《ふく》めていつてゐるわけです。  景樹《かげき》の歌《うた》の方《ほう》が、皆《みんな》にわかりやすからうと思《おも》ひますが、そこが散文《さんぶん》と詩《し》との違《ちが》ふところで、意味《いみ》の上《うへ》からおもしろいことが、きっと詩《し》や歌《うた》の完全《かんぜん》なねうち[#「ねうち」に傍点]をきめるものだといふわけにはいけないのです。世間《せけん》のものを見《み》ても、誰《たれ》にもわかるものが、きっとよい文學《ぶんがく》藝術《げいじゆつ》であると思《おも》つてゐる人《ひと》もあるが、それは大《たい》へんな間違《まちが》ひであるといはねばなりません。景樹《かげき》のことはこれでよします。  景樹《かげき》などが騷《さわ》がれてゐたかげに、評判《ひようばん》にならずにゐた人《ひと》が、まだ/\ありました。その一等《いつとう》目《め》につく人《ひと》は、越中《えつちゆう》富山《とやま》の橘曙覽《たちばなのあけみ》であります。この人《ひと》は明治《めいじ》以後《いご》の新派《しんぱ》の和歌《わか》といふものに、非常《ひじよう》な影響《えいきよう》を與《あた》へた人《ひと》ですが、それまではあまり人《ひと》から騷《さわ》がれなかつたのです。江戸《えど》の末《すゑ》から明治《めいじ》の始《はじ》めにかけて生《い》きてゐた人《ひと》です。いひ傳《つた》へでは、大《たい》へん貧乏《びんぼう》な暮《くら》しをしてゐて、しかも國學《こくがく》や歌《うた》の樂《たの》しみを捨《す》てなかつた人《ひと》であります。この人《ひと》にも、諸平《もろひら》同樣《どうよう》同《おな》じ句《く》をはじめに据《す》ゑて詠《よ》んだ歌《うた》があります。 [#5字下げ]二五、橘曙覽《たちばなのあけみ》[#「二五、橘曙覽」は中見出し]  中《なか》でも、『獨樂吟《どくらくぎん》』といふのは、五十首《ごじつしゆ》からもあります。名高《なだか》いものだから、そのうち、六七首《ろくしちしゆ》竝《なら》べておきませう。 [#ここから3字下げ] 樂《たの》しみは、草《くさ》のいほりの むしろ敷《し》き、ひとり 心《こゝろ》をしづめをる時《とき》 樂《たの》しみは、すびつのもとにうち仆《たふ》れ、ゆすり起《おこ》すも知らでねし時《とき》 樂《たの》しみは、めづらしき書《ふみ》人《ひと》に借《か》り、はじめ一枚《ひとひら》 ひろげたる時《とき》 樂《たの》しみは、妻子《めこ》むつまじくうち集《つど》ひ、頭《かしら》竝《なら》べてものを食《く》ふ時《とき》 樂《たの》しみは、心《こゝろ》に浮《うか》ぶはかなごと 思《おも》ひつゞけて、たばこ吸《す》ふ時《とき》 樂《たの》しみは、晝寢《ひるね》めざむる枕《まくら》べに、こと/\と湯《ゆ》の沸《に》えてある時《とき》 樂《たの》しみは、乏《とぼ》しきまゝに人集《ひとあつ》め、酒《さけ》のめ ものを食《く》へといふ時《とき》 樂《たの》しみは、童《わらは》墨《すみ》するかたはらに、筆《ふで》の運《はこ》びをおもひをる時《とき》 樂《たの》しみは、神《かみ》のみ國《くに》の民《たみ》として、神《かみ》のをしへを深《ふか》くおもふ時《とき》 [#ここで字下げ終わり]  かういふふうに、最後《さいご》の句《く》を皆《みな》『時《とき》』でをさめてゐます。恐《おそ》らく口《くち》から出任《でまか》せに、大《たい》して苦勞《くろう》なしに作《つく》つたとおもはれますが、それが皆《みな》下品《げひん》でなく、あっさりとほがらかに明《あか》るい氣持《きも》ちで詠《よ》み上《あ》げられてゐます。この外《ほか》、樂《たの》しみの歌《うた》はありますが、年《とし》の若《わか》いあなた方《がた》にはわかりにくいものは省《はぶ》きました。これらの歌《うた》ならば、あなた方《がた》にも大體《だいたい》わかりませう。そして年《とし》が行《ゆ》くと共《とも》に、これらの歌《うた》の味《あぢは》ひが、變《かは》つて感《かん》じられて來《く》るのです。だからまづ暗記《あんき》しておいてほしいとおもひます。  一番《いちばん》はじめの歌《うた》は、蓆《むしろ》を敷《し》いて、そこに坐《すわ》りこんで、ぢっとしてゐる心《こゝろ》の寛《くつろ》ぎを喜《よろこ》んでゐるのです。  たばこの歌《うた》で、はかなごと[#「はかなごと」に傍点]ゝいふのは、考《かんが》へなくてもよいようななんでもない、輕《かる》いことゝいふことです。これはやはり、大人《おとな》でないとわからない氣持《きも》ちです。第一《だいゝち》あなた方《がた》にはたばこを吸《す》ふ人《ひと》の氣持《きも》ちがわかるはずがないのです。貧乏《びんぼう》ながら、こせつかずに暮《くら》してゐたことは乏《とぼ》しきまゝの歌《うた》を見《み》て、いかにも人《ひと》なつかしい、善良《ぜんりよう》なこの歌人《かじん》の性質《せいしつ》が思《おも》はれます。  やはりあなた方《がた》にはわかり難《にく》い興味《きようみ》かも知《し》れませんが、わらはすみする[#「わらはすみする」に傍点]などの歌《うた》は、ぢっくりと落《お》ちついた、そしてなんともいへない心《こゝろ》のはづんでゐるのが感《かん》じられるものです。  最後《さいご》の歌《うた》は、よく世《よ》の中《なか》の人《ひと》の作《つく》りそうな道徳的《どうとくてき》な歌《うた》ですが、この人《ひと》は眞底《しんそこ》から、さう考《かんが》へてゐたゝめに、人《ひと》から頼《たの》まれて作《つく》つたといふような浮《う》いたところを見《み》せてゐません。ことに、神《かみ》のをしへを深《ふか》くおもふ時《とき》、などいふ味《あぢは》ひは、これから先《さき》、あなた方《がた》にだんだんわかつて來《く》るだらうと思《おも》ひます。  この人《ひと》は、また物《もの》の名前《なまへ》ばかり集《あつ》めて、一首《いつしゆ》の歌《うた》を作《つく》つてゐます。 [#ここから3字下げ] 木樵《きこ》り歌《うた》 鳥《とり》のさへづり 水《みづ》の音《おと》 ぬれたる小草《をぐさ》 雲《くも》かゝる松《まつ》 [#ここで字下げ終わり]  山中《さんちゆう》といふ題《だい》です。山中《さんちゆう》目《め》に見《み》、耳《みゝ》に聞《きこ》えるものを五《いつ》とほり竝《なら》べて、そしてもの靜《しづ》かな山《やま》の樣子《ようす》を考《かんが》へさせようとしたのです。けれどもこれは、和歌《わか》ではまづ出來《でき》ない相談《そうだん》で、恐《おそ》らくこの人《ひと》が、かういふふうな思想《しそう》の表《あらは》し方《かた》をする俳句《はいく》にも、興味《きようみ》を持《も》つてゐたから出來《でき》たものなのでせう。どう考《かんが》へても、この五《いつ》つの現象《げんしよう》が、一《ひと》つの完全《かんぜん》な山《やま》のありさまに組《く》み立《た》てゝ感《かん》じられては來《き》ません。こんな人《ひと》ですから、時々《とき/″\》おどけた歌《うた》を作《つく》つて、人《ひと》を笑《わら》はせようとしました。そしてやはり、下品《げひん》すぎるといふ程《ほど》でなく出來《でき》てゐるのは、人格《じんかく》によるのです。 [#ここから3字下げ] 着《き》る物《もの》の縫《ぬ》ひめ/\に、子《こ》をひりて、虱《しらみ》の神代《かみよ》はじまりにけり わたいりの縫《ぬ》ひめに頭《かしら》さし入《い》れて、ちゞむ虱《しらみ》よ。わがおもふどち やをら出《い》でゝ、ころもの首《くび》を這《は》ひ歩《あり》き、我《われ》に恥《は》ぢ見《み》する虱《しらみ》どもかな [#ここで字下げ終わり]  昔《むかし》の人《ひと》は、虱《しらみ》となじみが深《ふか》かつたゝめに、なんでもなく、かういふ歌《うた》を作《つく》つてゐます。そして汚《きたな》らしいあの昆蟲《こんちゆう》を憎《にく》んでばかりもゐません。  最初《さいしよ》の歌《うた》は、少《すこ》しおどけ過《す》ぎて、下《しも》の句《く》などはわるいとおもひます。二番《にばん》めのわがおもふどちは、おれの仲《なか》よしだといふくらゐの意味《いみ》で、おれだつて虱《しらみ》とおんなじことだ、とまるで、綿入《わたい》りの着物《きもの》の縫《ぬ》ひめに、頭《あたま》をつゝこんで縮《ちゞ》かんでゐる虱《しらみ》ばかりを笑《わら》ふことは出來《でき》ないといふのです。それを深《ふか》くおもひ込《こ》んだようにいはずに、輕《かる》く詠《よ》みすてゝゐるのです。 『やをら出《い》でゝ』といふのは、少《すこ》し説明《せつめい》しすぎてゐますが、下《しも》の句《く》の方《ほう》になると、いかにも自分《じぶん》の人《ひと》からうけた恥《は》づかしい經驗《けいけん》を、そのまゝ輕《かる》い心《こゝろ》で歌《うた》つてゐるところが見《み》えて、わるい歌《うた》ではありません。この人《ひと》の先生《せんせい》は、加納諸平《かのうもろひら》と同門《どうもん》の田中大秀《たなかおほひで》といふ飛騨《ひだ》の國《くに》の學者《がくしや》でした。その師匠《ししよう》を訪《と》うた時《とき》の旅行《りよこう》の歌《うた》。 [#ここから3字下げ] 旅衣《たびごろも》うべこそさゆれ。乘《の》る駒《こま》の 鞍《くら》の高《たか》ねに、み雪《ゆき》つもれり [#ここから2字下げ] 旅裝束《たびしようぞく》をとほして、寒《さむ》さが身《み》に應《こた》へると思《おも》つてゐたが、なるほど冷《ひ》やついたはずだ。あの向《むか》うに見《み》える、乘《の》るこまの鞍《くら》といふ名《な》まへの乘鞍《のりくら》の高山《たかやま》に、雪《ゆき》が積《つも》つてゐる。 [#ここで字下げ終わり]  この人《ひと》は、この山《やま》を甲斐《かひ》の國《くに》乘鞍山《のりくらやま》と書《か》いてゐるが、これはやはり只今《たゞいま》の飛騨山脈《ひださんみやく》(日本《につぽん》アルプス)の中《なか》のあの山《やま》でせう。この歌《うた》はどうかすれば、馬《うま》に乘《の》つて旅《たび》をしてゐて、それをすぐさま枕詞《まくらことば》として、鞍《くら》の高《たか》ねといつたようにも思《おも》はれるが、さう考《かんが》へてはいけません。 [#5字下げ]二六、大隈言道《おほくまときみち》[#「二六、大隈言道」は中見出し]  尚《なほ》明治《めいじ》より前《まへ》の歌人《かじん》として、忘《わす》れることの出來《でき》ないのは、福岡《ふくをか》の人《ひと》、大隈言道《おほくまときみち》であります。この人《ひと》も曙覽《あけみ》のように輕《かる》く明《あか》るくあまり考《かんが》へないで、自由《じゆう》に歌《うた》を作《つく》つたらしい人《ひと》であります。やゝおもしろさにつり込《こ》まれて、下品《げひん》な歌《うた》もないでもありません。けれども、歌《うた》よみとしては勝《すぐ》れた人《ひと》といふことが出來《でき》ます。ことに子《こ》どもらしい氣持《きも》ちを歌《うた》に自由《じゆう》に詠《よ》みこんだ人《ひと》で、そんなのになると、つい/\よいわるいを忘《わす》れて、同感《どうかん》せずにゐられません。しかし曙覽《あけみ》の歌《うた》で、さういふ種類《しゆるい》の歌《うた》をあげすぎましたから、こゝでは、まじめなものを二三首《にさんしゆ》竝《なら》べるだけにしておきませう。 [#ここから3字下げ] うちわたす をち方人《かたびと》の、道《みち》おそく行《ゆ》き果《は》つまじき 野《の》の景色《けしき》かな [#ここで字下げ終わり]  これも、歌《うた》には少《すく》ない材料《ざいりよう》で、春《はる》の野《の》の霞《かす》んで果《は》てがなく感《かん》じられる上《うへ》に、皆《みんな》の心《こゝろ》ののんびりしてゐる氣持《きも》ちが、よく出《で》てゐて、しかも非常《ひじよう》に古風《こふう》に上品《じようひん》に出來《でき》てゐます。  うちわたす[#「うちわたす」に傍点]は、見渡《みわた》すといふくらゐの意味《いみ》。をち方人《かたびと》といふのは、向《むか》うの方《ほう》を歩《ある》いてゐる人《ひと》。道《みち》おそくとは、足《あし》がはかどらないでゐる樣子《ようす》を少々《しよう/\》變《かは》つたいひ廻《まは》しでいつたのです。つまりさうしないと、平凡《へいぼん》に上《うは》すべりがすると思《おも》つたのでせう。だから、直譯《ちよくやく》して、道《みち》がはかどらないでと取《と》つておけばよいでせう。とても今日《こんにち》一日《いちにち》では行《ゆ》ききるまい、といふ氣持《きも》ちを、行《ゆ》き果《は》つまじき野《の》の景色《けしき》かな、とかういつたのです。  今《いま》までの歌《うた》と違《ちが》つて、重《おも》くるしいけれども、やはりよい感《かん》じがするでせう。 [#ここから3字下げ] かへり來《き》て、寢《ね》たるわらべの袂《たもと》より、頭《あたま》出《い》だせるつく/\しかな かへる雁《かり》、かへりて春《はる》もさびしきに、わらはのひろふ小田《をだ》のこぼれ羽《は》 [#ここで字下げ終わり]  この人《ひと》は子《こ》どもがすきだつたゝめに、同時《どうじ》に、子《こ》どもが讀《よ》んでもわかるような歌《うた》、或《あるひ》は自分《じぶん》が幼《をさな》い氣持《きも》ちになりきつて作《つく》つたものがたくさん出來《でき》たものらしく思《おも》はれます。  春《はる》になると雁《かり》が、北《きた》の方《ほう》へ歸《かへ》ります。その後《あと》に、雁《かり》の羽《はね》が、田圃《たんぼ》などによく殘《のこ》つてゐます。それを子《こ》どもが拾《ひろ》つておもちゃにして遊《あそ》んでゐるのを作《つく》つたので、さういふ材料《ざいりよう》をごく重々《おも/\》しく爲上《しあ》げてゐるのです。春《はる》に歸《かへ》る雁《かり》が、歸《かへ》つてしまつた後《のち》、花《はな》は咲《さ》いても、子《こ》どもは雁《かり》の姿《すがた》が見《み》えないので、『がん/\竿《さを》になれ棒《ぼう》になれ』といふ童謠《どうよう》を謠《うた》ふことも出來《でき》ないでゐるその子《こ》どものさびしい氣持《きも》ちを、春《はる》もさびしきといつたので、大人《おとな》の作者《さくしや》自身《じしん》の氣持《きも》ちを述《の》べたのではありません。さういふ場合《ばあひ》に、そんな子《こ》どもが、田《た》におりて行《い》つて、雁《かり》のこぼして行《い》つた羽《はね》を拾《ひろ》つて喜《よろこ》んでゐるといふ歌《うた》です。それをすっかり、大人《おとな》の側《がは》から見《み》て作《つく》つてゐるのです。  も一《ひと》つ、子《こ》どもを種《たね》にしながら、重《おも》い歌《うた》をあげておきませう。 [#ここから3字下げ] わが身《み》こそ何《なに》とも思《おも》はね。めこどもの 憂《う》してふなべに、うきこの世《よ》かな [#ここで字下げ終わり]  これも、あなた方《がた》にわかりにくい氣持《きも》ちかも知《し》れません。がお父《とう》さんお母《かあ》さんの年《とし》ごろになると、家《いへ》の生活《せいかつ》が、よくてもあしくても、なんだか社會的《しやかいてき》の暮《くら》しといふものが、重荷《おもに》に感《かん》じられて來《く》るものです。さういふ年《とし》ごろになると、この歌《うた》を詠《よ》んだ言道《ときみち》の心持《こゝろも》ちがわかるでせう。  言道《ときみち》もやはり、曙覽《あけみ》同樣《どうよう》の貧《まづ》しい暮《くら》しをしてゐました。けれどもそれについて普通《ふつう》の人《ひと》でありませんから、大《たい》して氣《き》にかけたりあせつたりはしてゐなかつたのです。が時々《とき/″\》、もっとよい暮《くら》しがしたいといふ氣持《きも》ちが起《おこ》らなくもありません。それは多《おほ》くは家族《かぞく》のものたちが、主人《しゆじん》に訴《うつた》へる場合《ばあひ》、或《あるひ》はさういふ心持《こゝろも》ちを顏《かほ》に現《あらは》してゐる場合《ばあひ》に起《おこ》つて來《く》る氣持《きも》ちなのです。 [#ここから1字下げ] 自分《じぶん》はそれはなんとも思《おも》つてゐないが、しかし、時々《とき/″\》悲觀《ひかん》すべき世間《せけん》だ、とおもふ氣《き》がする。自分《じぶん》の妻《つま》や子《こ》が、厭《いや》だ/\と世《よ》の中《なか》のことをいふにつれて、厭《いや》に思《おも》はれるこの世《よ》よといふのです。 [#ここで字下げ終わり]  少《すこ》しもの足《た》らないところもありますが、家《いへ》の主《あるじ》の持《も》ちそうな氣持《きも》ちをよくいつてゐます。なべに[#「なべに」に傍点]といふ語《ご》は、それと共《とも》にと同時《どうじ》になどいふ意味《いみ》ですが、この頃《ころ》の人《ひと》は、輕《かる》くゆゑに[#「ゆゑに」に傍点]といふくらゐの意味《いみ》にも用《もち》ひたのです。以上《いじよう》の人々《ひと/″\》で、江戸時代《えどじだい》の歌人《かじん》を代表《だいひよう》させたつもりです。 底本:「歌・俳句・諺」復刻版日本児童文庫、名著普及会    1982(昭和57)年10月20日発行 底本の親本:「歌・俳句・諺」日本兒童文庫、アルス    1930(昭和5)年1月10日発行 ※底本は旧字旧仮名づかいです。なお拗音、促音の大書きと小書きの混在は、底本通りです。 入力:しだひろし 校正:沼尻利通 2015年4月8日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。