畑の祭 北原白秋 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)お天道《てんとう》さん |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)火の玉|男《をとこ》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数) (例)挘 /\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号) (例)じめ/\ *濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」 ------------------------------------------------------- [#ページの左右中央] [#6字下げ]山景[#「山景」は大見出し] [#改ページ] [#ここから2字下げ] [#2字下げ]崖の上の麦畠[#「崖の上の麦畠」は中見出し] 真赤なお天道《てんとう》さんが上《あが》らつしやる。やつこらさと 鍬を下ろすと、ケンケンケンケン…… 鶺鴒《みそつちよ》めが鳴きくさる、 崖《がけ》の上の麦畠《むぎばたけ》、 天気は快《よ》し、草つ原《ぱら》に露がいつぱいだで、 そこいら中《ぢゆう》ギラギラしてたまんねえ。 九右衛門《くゑもん》さん、麦は上作だんべえ、 蚕豆《そらまめ》もはぢきれさうだ。 ええら、いい凪だな、沖ぢやまだ眠つてゐるだが、 俺《おれ》ちの崖の下は真蒼だ、 ――そうれ、また、さらさら、ざぶん、ざぶん、んん…… 尖《と》んがり岩に波がぶつかる、 怖《おつ》かねえほど静かぢやねえかよ、 まるで、はあ、鮑の殻見たいにチラチラするだね。 南風《はえ》が吹きあげる。 やれ、やれ、今日《けふ》も朝つぱらからむんむんするだぞ。 何でも構うこたねえ、 胸をづんと張りきつてな、うんとかう息を吸ひ込んで見るだ。 熟《う》れ返つた麦の穂がキンラキラして、 うねつたり、凹《くぼ》んだり、 扁平《ひらべつ》たく押《お》つかぶさると、 阿魔女《あまつちよ》でも、何でも、はあ、圧《お》つ倒してやつたくなるだあ。 真赤なお天道さんが燃えあがる、 雲がむくむく燥《わめ》き出す、 狂ひ出すと――吃驚《びつくら》しただが、 畔《くろ》の仔牛《こうし》が鳴き出す、 わあといふ声がする、 村中で穀物を扱《しご》き出す、 ぢつとして居らんねえ、 俺《おれ》ちも豆でも挘《もぎ》るべえ。 赤ちやけた麦と蚕豆、 ぐんぐん押しわけてゆくてえと、 たまんねえだぞ……素つ裸で、 地面《ぢべた》にしつかり足をつける、うんと踏んばろ、―― まん円いお天道さんが六角に尖《とが》つて 四方八方真黄色に光り出す。―― そこで、俺ちも小便《せうべん》をする。 赤ちやけた麦と蚕豆、 ほうれ見ろ、旦那さあが 手に一杯《いつぺえ》何だか拡げて 読んで行かつしやるだ、旦那さあ、 大《でつ》けえ新聞だね、東京の新聞けえ、 紙がぷんぷん匂ふだ。 おやあ、蝉が鳴いてるだな、 どうしただか、これ、ふんとに奇異《ふしぎ》だぞ、 熟《う》れ返つた麦ん中で真面目《まじめ》くさつて鳴いてるだ、 あつはつはつ……これ、ふんとに不思議《ふしぎ》だぞ、 何んでも、はあ、地面《ぢべた》にかぢりついて 一生懸命に鳴いてるだ。 夏が来ただな、夏が来ただな、 海から山から夏が来ただな。 あつはつはつはつ…… あつはつはつはつ…… [#2字下げ]崖の下の蚕豆畑[#「崖の下の蚕豆畑」は中見出し] 真赤なお天道《てんとう》さんが沈まつしやる……それだのにまだ、 紅雀《べにすずめ》が鳴きしきる。 輝く崖の上の麦畠、 くわつ[#「くわつ」に傍点]と燃え立つ杉の木、松の木、朱欒《ざぼん》の木。 うねつた坂から、 刈穂《かりほ》を背負《せお》つた大きな火の玉|男《をとこ》がをどつてゆく。 やつこらさ、やつこらさ。…… 俺《おれ》ちが畑《はたけ》は窪地《くぼち》の日かげ、 薄暗い三角|畑《はたけ》のゆきまつり、 夜《よ》が明けても、日が暮れても、陰気な畑《はたけ》。 辣韮《らつきよう》と蚕豆《そらまめ》と、 ずり落《お》ちた崖土《がけつち》に、無性《むしやう》矢鱈《やたら》に匍《は》ひ廻《まは》つたお薯《いも》の蔓《つる》、 地がじめ/\、風がじめ/\、 たまさか、真黄色《まつきいろ》に照り反《かへ》す 大船《たいせん》の帆は見えても、 海も見えずよ、 憖《なまじ》ひ、波の音ばかりが ぐわう[#「ぐわう」に傍点]と空《すき》つ腹《ぱら》を掻き廻《まは》す、 俺《おれ》ちの畑《はたけ》は窪地《くぼち》の日かげ。 真赤なお天道《てんとう》さんが沈まつしやるだに、 いつまで、そん中《なか》で挘《もぎ》つてるだ。 重い暗い蚕豆、 影のふかい蚕豆、 蚕豆が汝《われ》か、さういふ俺ちが蚕豆か、 はや、訳《わけ》がわかんねえ。 日が暮れるだあに、何時《いつ》まで唖《おほし》になつてるだ。 影のふかい蚕豆、 青臭い蚕豆、 蚕豆に触《さは》れば、 睾丸《きんたま》の下から、リリリリ…… 鈴虫が鳴きしきる。 やれ、痛《いた》や、勿体《もつたい》なや、 思はず拝《おが》めば、溜《たま》んねえで、 涙がながるる、 ええ、畜生め、 なけなしの霊魂《たましひ》づらまでが 光るやうだぞい、蚕豆。 青臭い蚕豆、 鬱陶《うつたう》しい蚕豆。 日が暮れるだあに、 いつまで挘《もぎ》つても挘りきれぬ蚕豆、 蚕豆は三段歩《さんだんぶ》、 俺ちの畑で、 俺ちが蒔《ま》いて、育てて、 肥《こ》やしたのによ、 何が鬱《ふさ》ぐことのあるべえ、 寂しいか、切《せつ》ねえか、 訳《わけ》はわかんねえだが、涙がながるる。 小便でもしてけつかれ。 真赤なお天道《てんたう》さんが沈まつしやる……三崎の丘から 海のどん[#「どん」に傍点]底まで鐘がごうん[#「ごうん」に傍点]と落つこちる。 くわつと燃え立つ杉の木、松の木、朱欒《ざぼん》の木。 麦が煽つて照りかへすと、 火のやうな裸馬《はだかうま》が、 や、や、や、や、手綱《たづな》を振りもぎつて崖の上を飛んでゆく、 怪我《けが》はしねいか権作《ごんさく》さん。 大丈夫《だいぢやうぶ》だ、大丈夫だ、大丈夫だ。 [#2字下げ]お婆らが登つてゆく路[#「お婆らが登つてゆく路」は中見出し] 暗い坂から坂の頂辺《てつぺん》を見れば、 「台《だい》」の空火事じや、野は火事じや。 山の段々畑《だんだんばた》みな火事じや。 やつこらさつさ、やつこらさ。 白髪《しらが》のお婆《ばゞ》らがやつこらさ。 もう日が暮れるぞ、危《あぶ》ないぞ、 石ころ坂ののぼり坂、 木の葉はきらめく、麓は真つ闇、 時雨はさんざと、 崖土《がけつち》やこぼれる、やつこらさ。 栗鼠《りす》の眼が光るぞ、 暗い坂、のぼり坂、山|葡萄《えび》どろの実が熟《う》れた。 涙垂らすな、お勘婆《かんばゞ》、 やれ、汝《われ》も尻拭け、お時婆《ときばば》、 慾《よく》ばれ、気ばれ、白髪染《しらがぞめ》塗《ぬ》れ、お熊婆《くまばば》。 やれ、上見りや限《き》りやなし、下見りや限《き》りやなし、 諦《あきら》めさんせの、因果《いんぐわ》なもんだよ、 泣いても焦《ぢ》れても、死《お》ちたらお陀仏《おだぶつ》、 やつこらさつさ、やつこらさ、 長命《ながいき》や為《す》まいぞ地獄の夕焼。 天竺《てんぢく》は火事じや、世《よ》は火事じや、 俺《わし》らが一生はなほ火事じや、 やれ、もひとつくだれ、下《くだ》り坂《ざか》、 やれ、もひとつあがれ、上《のぼ》り坂《ざか》、 やつこらさつさ、やつこらさ。 くわつと出《で》た、畑《はた》に出た、 粟穂《あはぼ》が真赤《まつか》に。麓《ふもと》の女郎屋にや灯《ひ》がついた。 畑道《はたみち》やうねり道 こほろぎはこほろころ、 やつこらさつさ、やつこらさ、 やれ、蜻蛉《とんぼ》が飛んだ、火が飛んだ。 電信柱《でんしんばしら》に燃えついた。 お薯《いも》はころげる。畑《はたけ》ぢや逃げ出す、 追つかけて取《と》つちめろ、お婆《ばば》も好《す》きだよ、お若いの。 ふはつはつは、いつひつひ。 天竺《てんぢく》は火事じや、世《よ》は火事じや、 長命《ながいき》や、耻《はぢ》かい、地獄の夕焼、 やれ、もひとつくだれ、下り坂 やれ、もひとつあがれ、上り坂 やつこらさつさ、やつこらさ。 [#2字下げ]丘の三角畑[#「丘の三角畑」は中見出し] 鍬打つ、鍬打つ、 裸で鍬打つ、 空は円天井、 地面《ぢべた》は三角、 光は薔薇いろ、藍いろ、利休茶。 鍬打つ、鍬打つ、 並んで鍬打つ。 とべらの木は山形《やまがた》、 反射《てりかへし》は三角、 光は銀いろ、薔薇いろ、灰いろ。 鍬打つ、鍬打つ。 離れて彼方此方《あちこち》、 黙《だま》つて鍬打つ、 向うにライ麦、こちらに人参。 光は利休茶、緑に、金色《こんじき》。 鍬打つ、鍬打つ、 うしろむきに鍬打つ、 一心に鍬打つ、 打たずにやゐられぬ、 とべらの木の周囲《まはり》を廻つて鍬打つ。 光は薔薇いろ、空いろ、利休茶。 鍬打つ、鍬打つ、 近寄つて鍬打つ、 キラキラするのは巡査のサアベル、 畑《はたけ》の上では蒸汽が旗振る。 光は薔薇いろ、湾内《わんない》や真青《まつさを》。 鍬打つ、鍬打つ、 振りかへつて鍬打つ、 とべらの木の下ではあかんぼがすやすや、 鶏がコケツコツコ。 光は薔薇いろ、藍いろ、利休茶。 鍬打つ、鍬打つ、 向きあつて鍬打つ、 拝《おが》んで鍬打つ、 打たずにやゐられぬ、心《しん》から鍬打つ。 光は薔薇いろ、向日葵《ひぐるま》、金色《こんじき》。 ぎあとあかんぼが啼き出した。 [#2字下げ]道路[#「道路」は中見出し] 道路《だうろ》が朱《しゆ》のやうに蜒《うね》つてゆく。 南は高い粟|畑《ばたけ》、 重く垂れ下がつた穂波がしみじみ、 雉猫《きじねこ》の尻尾《しつぽ》を振る、 無数に寂しく、熱《あつ》く。 道路は照りかへる。 一方は牛蒡、人参、里芋畑、 爽かな野菜がぷんぷん、 地から畝《うね》から真つ青《さを》だ。 こほろぎも鳴く。…… 田舎だね、鍬をかついで、 四角な西洋館のかげから 大きな百姓の姿が躍つて来る、 顔から胸までうつぴろげて 輝《かがや》く秋の空をふり仰ぐ。『今日は』 もう日が暮れるのだ、老年《としより》の異人さんが 白いヘルメツトに、気がるな紺背広の 太《ふと》つ腹を突き出して、 向ふの松林を過《よ》ぎつてゆく、 犬が二匹火の玉見たいに飛んでゆく。 百舌が鳴く、くゐい、くゐい、くゐい、りりり…… まん円い真赤《まつか》な太陽が、今、 蜒《うね》つて上《あが》つた段々畑の珊瑚樹に くわつと燃えあがる、―― 海には帆が光る、光る、光る。 朱のやうな道路が躍《をど》つてゆく、 丘から丘へ、谷から畑へ、 まるで、人間なら泥酔漢《よつたんぼ》だ。 それでも、しんから輝く一本路《いつぽんみち》、 野菜がぷんぷん、粟がそよそよ。 日が愈々暮れてゆくのだ、怪しい馬糞には、 絹灑《きぬごし》の余光が反《かへ》り、 露が早やしんみりと草つ葉をよぢのぼる。 而して崖《がけ》の暗いかづらに 玉虫がぢつと、来て留《とま》つた、凄いほど美しい凝視《ぎようし》。 [#2字下げ]崖[#「崖」は中見出し] 崖《がけ》は梢《やゝ》倦みそめぬ、蔦《つた》かづらの 厚く青き悲みは満ち傾《かたぶ》きぬ。 光は十方《じつぱう》無碍《むげ》に歎《なげ》きつつ、まづ、 最上層《さいじやうそう》の大きなる葉にふりそそぐ。 葉は今驚く、光の重みに堪へかねつつ、 下なる円葉《まろば》に照り傾く、その光 滾《こぼ》れもあへず、下葉《したは》の面《おもて》をゆり動かせば、 その次《つぎ》の葉は更に強く、光り、且つ、揺《ゆ》れくつがへる、 葉よりは葉へ、かづらみながら ただ燦爛《さんらん》と流るる如く、躍る如く。 その間《ま》も、銀の輪《わ》を画《ゑが》くもの 空に響く、何ともわかず、 麗らかに甘く、くるしく、湿気《しめり》さへ帯びて、 その輪は次第に一|点《てん》に縮まらんとす。 静けさや、かづらの葉、 光は溢《あふ》れつくして、また元のままに落ちつけば、 数しれぬ鈴なりの葉もまた静まる。 時に輪《わ》は点《てん》となり、うつくしき虫となり、 光りつつ、熟視《みつ》めつつ、 その中の青く青く最も厚く 光沢《つや》ふかき葉の中心《ちうしん》にぢつと留《とど》まる。 微妙《びめう》端厳《たんごん》の緑玉《エメロウド》。 正午すこし前 虫はいま金《きん》となる。 [#2字下げ]馬[#「馬」は中見出し] 不思議なる夕《ゆふべ》かな、その光は、 高く、熱《あつ》く、遠近《をちこち》を染め、 そして幽《かす》かに、 今し、思ひがけなき坂の上に 虔《つゝ》ましき馬を立たす。 馬は光る珊瑚樹《さんごじゆ》と 照りかへる村の間《あひだ》に見ゆ。 小さく赤く、 をりをりに耀《かがや》くは息つけるにか。 馬は動く、いつくしく。 静かなり、ただ遥かなり。 なにものの響をか、その中に 馬は霊《たましひ》かたむけて聴入《きゝい》る如し、 金色《こんじき》に閃めくはその智慧《ちゑ》か、 馬は赤く休《やす》らひぬ。 その時|雲間《くもま》より、 大きなる日輪《にちりん》半《なか》ば現はれ 遜《へりく》だる馬の上に虹ふりそそぐ。 赤き赤き赤金光《しやくきんくわう》。 あなあはれ、馬は焔《ほのほ》となる。 畏《かしこ》くもうつくしき夕《ゆふべ》かな、悲しき馬は 微妙《びめう》端厳《たんごん》なるその馬は 見るまに不浄の五体より光を放ち 仏の如き眩《まば》ゆさにしばしわななく。 南無馬頭観世音、頓生菩提。 馬は赤く浮かびあがる。 何たる法悦。馬は燦爛と天へ昇る。 [#2字下げ]秋の麝香[#「秋の麝香」は中見出し] 秋なり、豊《ゆた》かなる、掻きわけ難きかなしみは 草と金《きん》の毛莨《きんぽうげ》と、 もろもろの悪の麝香にぞ醸《かも》さるる。 こは路傍なり、猫目石《ねこめいし》の奢りかがやく 夕暮の崖の下なり、 熱《あつ》くちらばる花の中に、流石《さすが》女の 稚《いと》けなけれどなまめかしく、而も無心《むしん》に、 童《わらべ》は薔薇色《ばらいろ》薄きシヤツをかきあげつる、 尻も真白く、 病める、悲しき、取りみだしたるその溜息《ためいき》。 大きなる朱の太陽は空にかがやく。 凡ては歎き、小躍りし、光り、驚き、飛び去れり、 さて芳《かん》ばしく鳴り響く、子供ごころに。 その児はこの時、叢に顔さしあてつ、 ただ一心にさしのぞく、 美くしき譬へがたなき恍惚《くわうこつ》の奥の香《かを》りを。 挑むは季節、触《ふ》るるは鋭き草の尖《さき》、 沈まむとする太陽光はますます赤く。 童《わらべ》が髪に燃《も》えつきて仏《ほとけ》の如く透徹《とほ》らしめ、 またしばし、輝かす、ふくらかに臀部《しり》の円《まろ》みの 滑《すべ》りよく、白く、冷《つめ》たき肉《にく》づきを、銀《ぎん》のうぶ毛を。 [#2字下げ]墓[#「墓」は中見出し] 墓場は輝《かがや》く、何かを感ず。 墓場は銀光《ぎんくわう》燦爛《さんらん》たり。 秋なり、絶えず微風《びふう》はきたる、 麗《うる》はしき息の如く。 墓場は銀光《ぎんくわう》燦爛《さんらん》たり。 冷《ひや》やかに、よろこばしく。 草は光り、跳《は》ねあがる、 一心の弾機《ばね》。 墓場は銀光燦爛たり、 驚きは拡がる。 そが中にただひとつ、飛び跳《は》ぬるもの、 そは誰が愛せし白猫ぞや。 虔《つつ》ましき一時《ひととき》、墓場は何かを感ず、 墓場は銀光燦爛たり。 [#2字下げ]鰌[#「鰌」は中見出し] 鰌《どぜう》はいま赫耀《かくやく》燦爛《さんらん》たる光に住む。 鰌のをどるは苦しきなり。 耀《かがや》く沼は彼らを一団《いちだん》の焔《ほのほ》と縮《ちぢ》む。 深く燃え立つ悲哀《かなしみ》は彼らを擾《みだ》す。 鰌はをどれり、葦はそよがず、 ただ朱《しゆ》の太陽円く閃めく。 鰌のをどるは苦しきなり、 耀く沼《ぬま》は彼らを一団《いちだん》の焔と縮む。 黒く、いみじき力《ちから》重なる。 泥沼《どろぬま》はこれ金銀瑠璃《こんごんるり》 悪《あく》の驕奢《おごり》は言葉なくして 幻想界に身をうねらす。 鰌は一時《いちじ》に相《あひ》つるむ、如何なる波も 狂へる彼らを離すことなし、 歓楽《くわんらく》あまらば彼らはおのづと解けむ。 鰌のをどるは一心なり。 鰌の五感は鳴り響けり、 彼らは粗野《そや》なり、真《しん》に驚く、 鰌のをどるは苦しきなり、 彼いま燦爛かくやくたる光に飛ぶ。 [#2字下げ]遠樹[#「遠樹」は中見出し] 遠樹《ゑんじゆ》は金の甲《かぶと》なり、 明《あか》るけれども影《かげ》ふかく 高きにゐれども眼に低し、 ただ秋風ぞ彼を吹く。 遠樹にかゝる三日の月、 遠樹にのこる昼の雨、 遠樹の暮《く》れてかゞやくは、 かうかうとしてかつ寂《さび》し。 遠樹のかげをゆく人は、 身も金色《こんじき》に光るらん、 遠樹の雨を眺むれば 幽《かす》けき煙、野にぞ沁む。 遠樹の上にちらばるは、 これ釣舟の銀の櫂《かい》、 消ゆかにしてはまたいくつ、 光りて鳥も飛びゆけり。 遠樹にかかる三日の月、 遠樹にのこる昼の雨、 遠樹の空にわだつみの、 波かぎりなくうちつゞく。 遠樹の赤さ、野の暗《くら》さ、 かうかうと吹く秋の風。 遠望《ゑんばう》の中かげゆれて、 祈るがごとし、いつくしく。 遠樹は遂に遠樹なり、 明るけれどもゆめふかく、 高きに動《ゆら》げどなほ重し、 遠樹の背《せ》にぞ虹《にじ》かかる。 [#ここで字下げ終わり] [#改丁] [#ページの左右中央] [#6字下げ]海光[#「海光」は大見出し] [#改ページ] [#ここから2字下げ] [#2字下げ]城ヶ島の落日[#「城ヶ島の落日」は中見出し] 太陽が落ちかゝつた。大きな大きな大火輪《だいくわりん》が、 炎々《えん/\》と思ひあまつて廻転する。 雲は微塵気《みぢんけ》も無いが、虚空《こくう》にはたゞ、 渦《うづ》まく黄金色《わうごんしよく》の光ばかりが響き廻《まは》る。 その下に真碧《まつさを》な海が波うつ。輝き返る。 無窮に無辺際《むへんざい》に円く円く遥かに。 さく/\、さく/\、䦧寂《ひつそり》するとまた、 さく/\、さく/\、…… 山の下では一心《いつしん》に誰かゞ草を刈つてゆく。 波の音にもうち消されないで、その音が 四辺《あたり》に響き返る、さく/\、…… 刈らずにゐられないで刈る、鎌が 触《さは》りさへすれば火が出さうに動いてゆく。 夕方《ゆふがた》だし、外《ほか》に人間はゐないし、全《まつた》く 心の底から、力《ちから》いつぱいに動いてゆく。さく/\…… 『凪《なぎ》だね、まるで海がならした地面《ぢべた》のやうだ。 こんな上天気《じやうてんき》はこの城《じやう》ヶ|島《しま》にも滅多《めつた》に無《ね》え。 彼岸《ひがん》だといふのに、暑いことはこれ、 腕《うで》も両足《りやうあし》も汗《あせ》でびつしよりだ。 やあ、えゝら、大《でつ》かいお天道《てんたう》さんだなあ、 何《なん》の事《こと》、まるで朱盆《しゆぼん》をぶん廻すやうだぞ。』 男《をとこ》が網小屋《あみごや》の横から手を翳《かざ》す、と海には 鵜《う》の鳥が数《すう》百|羽《ぱ》、 雌鳥《めんどり》を追つかけて一直線に翔《か》けてゆく、 たちまち、朱《しゆ》の波の間《なか》に吸はれる。 くわつと四方八方が明るくなる。 不思議な日だ。たつた舟が一つ、 前面を一心に漕いでゆく。波が飛沫《しぶき》をあげる。 大きな大きな人間が くつきりと黒く、金色《こんじき》に浮きあがる。と、 遥かに目路《めぢ》から細い岬が尖《とが》りだす。 日輪《にちりん》が廻《まは》る、廻る、廻る、恐《おつ》そろしいほど真赤《まつか》な太陽が 今こそ心《しん》の心《しん》から輝く。三つ四つ五つ、 二十、三十、五十、 はては空いつぱいに飛び廻る真蒼《まつさを》な太陽の幻覚《げんかく》。 海を見れば海にも団々《だん/″\》。 山を振りかへれば山には更に緑色《りよくしよく》の大火輪《だいくわりん》が団々《だん/″\》、閃々《せん/\》、 輝く草の傾斜《けいしや》を転《ころ》がり廻《まは》る。何たる壮観《さうくわん》。 男《をとこ》はやつこらさと、刈草《かりくさ》を脊負つた。 幻覚《げんかく》が納《をさ》まると、朱紅《しゆべに》のやうに 落《おち》つきかへつた太陽がまん円《まる》く、平《ひら》べつたく、 大きく大きく、伊豆の岬へ落ちる。 今まで輝き狂つてゐた空の下から 在る可き山が在る可き処に確乎《かくこ》と姿を曳きはへる、 太陽が紅《あか》く/\、その向《むか》ふには入《い》つてゆく。…… 悲しい悲しい底光《そこびかり》の赤金光《しやつきんくわう》、 三角《さんかく》の頂点《ちやうてん》。 波が一時《いちじ》に騒《ざわ》めいて渚《なぎさ》に寄せる。…… 而《さう》して何時《いつ》かしら何《なに》かを計画《たくら》むでゐたある力が 周囲《まはり》から暗く、鼠色《ねずみいろ》に圧《お》し寄せる。 灰と赤の鋸《のこぎり》のギザ/\雲が一線《ひとすぢ》、 遠い岬に曳きはへる、と、余光《よくわう》の火焔《くわえん》が 更にパツと虚空《こくう》の八方《はつぱう》に反射《はんしや》する。 『愈々《いよ/\》沈《しづ》まつしやつたゞ、南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》。』 男《をとこ》が丘《をか》の上へ登りきつて了ふと、 今まで目にも見えなかつた沖の小舟が、 黒胡麻《くろごま》のやうにチラ/\、チラ/\、 遥《はる》かに一列《いちれつ》綴《つづ》られてゆく、千も万も、幽かに幽かに、 ――生活《くらし》むきが立たねば、夜《よ》も遅くまで、 泣いて烏賊《いか》つる、その舟の火の、やゝありて、イルミネエシヨン。 [#2字下げ]新月[#「新月」は中見出し] 断崖《きりぎし》の松の木に 月ほそくかゝりたり、 ほそき月、 金無垢《きんむく》の月。 入海《いりうみ》の波間《なみま》にも また、月はしづきゆく 沈々《ちん/\》と 金《きん》の鈎《はり》。 金無垢《きんむく》のするどさよ、 絹灑《きぬごし》の雨ののち、 しんじつに 走りいづるその蒼《あを》さ。 島黒く、海黒き 真《しん》の闇、 舟ひとつすゝみゆく、 そのうへにほそき月。 なにかわかね、 魚族《うろくづ》は目をさまし、 鈴虫は一心《いつしん》に鳴きしきる。 虔《つつしみ》の極《きは》まり。 闇の夜は断崖《きりぎし》も、松の木も、 かげわかず、ゆく舟も見えわかず、 ただ光るほそき月、 金無垢《きんむく》のほそき月。 [#2字下げ]鰻[#「鰻」は中見出し] 金光燦爛たる夜《よ》の海のほとり、 虔《つゝ》ましき胸壁の中《うち》、いと暗き芝生のあたり、 鰻はめざめつ、囚はれの身より逃れて 今こそ動け、幽かなる声の声、響の響。 空には金無垢のほそき新月、 大きなる銀星|連《つ》れて走りゆく、気も澄むばかり、 その時鰻は転《ころ》び出づ、鰻ならでは そのうれしさを誰か知らむ、鰻はすべる。 鰻のすべるは蛇のすべるに異ならねど、 こはもと海のものなれば、陸《くが》には馴れず、 凡て寂しく、痛々《いたいた》しく、草につまづき、 闇に燃え立つくれなゐの花にからまる。 鰻はさあれ一心にゆり動く、驚喜のあまり、 花より花をすりぬけつ、泣かむばかりに、 現はれ歎けばをりをり金の鰻となり、 をりをり消えては草葉の露をこぼす。 深く深く、現世《うつしよ》に命あり叡智あるもの、 皆真に光りいづべき縁《えにし》あり、ただの鰻も ここに万歓極まりて涙を落す。 この時彼方に燦爛とかがやくは大海の波。 静けさや、壮厳微妙の夜の鰻、 彼こそは実《げ》に光り滾《こぼ》るる力の電池、 渾身これ滑《すべ》りながるる精霊の姿そのまま、 闇を飛び越え、また、燃え立つくれなゐの花を飛び超ゆ。 [#2字下げ]雨中小景[#「雨中小景」は中見出し] 雨はふる、ふる雨の霞がくれに ひとすぢの煙《けぶり》立つ、誰《たれ》が生活《たつき》ぞ、 銀鼠《ぎんねず》にからみゆく古代紫、 その空に城ヶ島近く横たふ。 なべてみな空《あだ》なりや、海の面《おもて》に 輪《わ》をかくは水脈《みを》のすぢ、あるは離れて しみじみと泣きわかれゆく、 その上にあるかなきふる雨の脚《あし》。 遥なる岬には波もしぶけど、 絹漉《きぬごし》の雨の中《うち》、蜑《あま》小舟《をぶね》ゆたにたゆたふ。 棹あげてかぢめ採《と》りゐる 北斎の蓑と笠、中にかすみて 一心に網うつは安からぬけふ日《び》の惑《まど》ひ。 さるにてもうれしきは浮世なりけり。 雨の中《うち》、をりをりに雲を透かして さ緑に投げかくる金《きん》の光は また雨に忍び入る。音《ね》には刻《きざ》めど 絶えて影せぬ鶺鴒《せきれい》のこゑをたよりに。 [#2字下げ]波[#「波」は中見出し] 波は高くうねる、をりをり、 曇つた燻銀《いぶしぎん》の中から 金の蹠《あしのうら》をちらつかす。 可憐に、寂しく。 白い太陽が 海の空にある。 限りもない波は波のうへに重なり、 光は光のうへに暗く、 倦怠《けんたい》と愁《うれひ》が重なる。 ゆるく吹いてくる風にも、 恍惚《うつとり》と、 悩ましいものがある。 人間のえしらぬ匂《にほひ》が。 波がなだれる、無数の 女が仰向《あほむけ》になる、 ふくらかな胸が白く 幅《はば》いつぱい反りあがる、と、そろつて うしろへなだれる、 股《もゝ》が浮く、蹠《あしのうら》が 金《きん》いろにちらつく。 いつまでもいつまでも、 波は波に重《かさ》なり、 光は光に重なる、 陰影《かげ》の上に暗く。 波は高くうねる、をりをり 曇つた燻銀《いぶしぎん》の中から 金《きん》の蹠《あしのうら》をちらつかす、 可憐に、寂しく。 [#2字下げ]海雀[#「海雀」は中見出し] 海雀《うみすずめ》、海雀《うみすずめ》、 銀《ぎん》の点点《てん/\》、海雀、 波ゆりくればゆりあげて、 波ひきゆけばかげ失《う》する、 海雀、海雀、 銀《ぎん》の点点《てん/\》、海雀。 [#2字下げ]海景[#「海景」は中見出し] 帆が辷《すべ》る、その数が凡そ七八十、 はじめ白く、閃閃《せん/\》と黄色《きいろ》く、赤く、 晴れわたつた大海の真中《まんなか》に 帆が辷《すべ》る、自然《しぜん》と一つの輪《わ》が出来る。 何時か、大きな帆の女王《ぢよわう》を中心に 遂に白く白く旋転《せんてん》する。 その上に日光の五色の反射《はんしや》。 帆が辷《すべ》る、遥かの鋸形《のこぎりがた》の連山《れんざん》から、空には、 薔薇いろの霞が流れこみ、夏の雲が、 むくむくと銀と灰とに湧きあがる。 帆が辷る、だんだん沖の方へ走つてゆく、 帆が辷《すべ》る無窮《むきう》に、無辺際《むへんざい》に。 藍碧の円い海が拡がる。 その間を帆が走る、輪を作つて、一斉に、 独楽《こま》のやうに廻り出《だ》す。 何《なに》らかの力が底から加《くは》はる。 帆が廻《まは》る、廻るうちに、帆の側面が 何か強い力で内にひかれる……、波が時時《とき/″\》、 思ひあまつて飛沫《ひまつ》をあげる。 而も日中、晴れわたつた壮厳《さうごん》微妙《びめう》の海に、 一心に帆が廻る。光と輪《わ》との舞踏《ダンス》。 帆が辷《すべ》る、何処《どこ》へゆくのか、辷《すべ》つてゆく。 恐ろしい力で辷《すべ》つて行く。 密集《みつしふ》し、旋転し、 離れ去らむとし 今や今や廻り澄まうとして 言葉も、色も、光も、 感極まつた霊《たましひ》の法悦《はふえつ》。 帆が辷《すべ》る、何処《どこ》へゆくのか、辷《すべ》つてゆく、 恐ろしい力で辷《すべ》つてゆく。 [#2字下げ]油壺[#「油壺」は中見出し] 燦爛《さんらん》と世界が光る、さうして 深く黙《もだ》した油壺《あぶらつぼ》の入江《いりえ》に 青い銀《ぎん》の笑《わらひ》がはぢぎれると、また 漣《さざなみ》は心の底から 岸辺《きしべ》の小舟をうちゆるがす。 [#ここから4字下げ] いつまでもいつまでもゆるがす、 不変《ふへん》にうつくしく。 [#ここから2字下げ] あつ、はつ、はつ、は、 あつ、はつ、はつ、は。 ただ寂然《ひつそり》と、無言《むごん》の 大きな笑《わらひ》が空に伝はる。…… 其処《そこ》には白金《はつきん》の日輪《にちりん》が小《ちひ》さく ただ光つて廻るばかし、 時折《ときをり》、微風《びふう》が翼《はね》をかへして 雪のやうに散乱《さんらん》する。 [#ここから4字下げ] いつまでもいつまでもあるかなく、 いつまでもうつくしく。 [#ここから2字下げ] 裸《はだか》の子供も心の底から あづけた身体《からだ》をうちゆるがす、 たつた、ひとり。纜《もや》つた舟から 辷《すべ》りかかつた櫓櫂《ろかい》が波を擽《くす》ぐる、 [#ここから4字下げ] いつまでもいつまでも擽ぐる、 不変《ふへん》にうつくしく。 [#ここから2字下げ] あつ、はつ、はつ、は、 あつ、はつ、はつ、は。 何処《どこ》かで環《くわん》が鳴る、 岸《きし》と舟とを纜《もや》つた綱《つな》が、 何かの環《くわん》をひつぱるのだ。 心がゆらげばゆらぐほど、 小舟がゆらげばゆらぐほど、 環《くわん》が鳴る、何かしら鳴る。 [#ここから4字下げ] いつまでもいつまでもたよりなく、 何かしらうつくしく。 [#ここから2字下げ] あつ、はつ、はつ、は、 あつ、はつ、はつ、は。 漣《さざなみ》は心の底から 子供の小舟をうちゆるがす。 頭《あたま》の上には暗い大きな松が むかしむかしの話をする。 その松には鳥がゐる。 [#ここから4字下げ] いつまでもいつまでもうつくしく、 たつた一羽《いちは》、うつくしく。 [#ここから2字下げ] あつ、はつ、はつ、は、 あつ、はつ、はつ、は。 小舟がゆらげばお臍《へそ》がゆらぐ、 お臍《へそ》がゆらげば小舟がゆらぐ、 [#ここから4字下げ] いつまでもいつまでも恐ろしく、 いつまでもただ一人《ひとり》。 [#ここで字下げ終わり] [#ここから2字下げ] 子供はふいと泣き出した、 声を放つて。…… [#2字下げ]銃猟[#「銃猟」は中見出し] 燦爛と海は今光りかがやく、 何ものぞ、空を飛び翔《かけ》るは、 ただ、これ一面のうねりなり、泣くによしなき 銀の油の溶け合はむ、照り反《かへ》さんと狂ふのみ。 凡ては眩《まぶ》し、痛々《いた/\》し、笑ふよしなし、 小船は動き、輪に廻《まは》り、また一線《いつせん》に歎けども 落ちつかむ、狙《ねら》ひ射《う》たむとぞ燥《あせ》れども、 照星は照尺を超え、 銀《ぎん》の櫓櫂は日輪光《にちりんくわう》に欺かる。 光りかがやく何物かまた飛びめぐる、 雲母摺《きららずり》なる空高く、また、低く、 恐怖《おそれ》は銀の翼《つばさ》より響を拡げ、 声なき舟は一心に波に燦《きら》めく。 銃音《つつおと》響く、弾丸《たま》は光れり、―― 快《こころよ》き手《て》ごたへは空に驚く、 耀《かがやき》は矢と飛び下る。 擾乱《ぜうらん》は水面《すゐめん》に起つ。 凡ては眩《まぶ》し、痛々し、笑ふよしなし、 傷ける鳥と狂へる舟は 燦爛|赫耀《くわくやく》、 今こそ互に相憎め、言葉なき言葉激しく、 さてしばし、 深くひそめる鳥はまた飛び去らむとし、 たちまちに眼《め》をつらぬかる。 [#2字下げ]消防整列[#「消防整列」は中見出し] 玲瓏《れいろう》たり、燦爛《さんらん》たり、不尽《ふじ》の山、 麗《うら》らや大海はるかに辷りあがる。 消防渚に整列し、 まづ不尽山に一礼す。 纏《まとひ》は金的《きんてき》、梯子は青竹、 てつぺん玲瓏、人間さんらん、 はつと逆《さか》さで大の字|形《なり》。 耀く人数《にんず》はかたまりころげて しみじみ喞筒《ポムプ》をうち動かす。 喞筒《ポムプ》は一台、一念、一向 喞筒《ポムプ》の水はりうりうたり 玲瓏たり、さんらんたり、不尽の山、 喞筒の筒口《つゝぐち》りうりうたり。 水はひとずぢ、真実一心、 専《もつぱ》ら目的《めあて》は不尽の山、 弾《はぢ》き飛ばした、ぶん流せ。 よしか、それきた、 動かす喞筒《ポムプ》は飛び切り上等。 りうりうたり、さんらんたり。 驚き飛び立つ千鳥と鴎。 それ、雪がけし飛ぶ、 愈|霊山《おやま》が流れるぞ。 玲瓏たり燦爛たり、相模灘、 もう一息だぞ、えんやらえんや。 真実一念、十方玲瓏、 喞筒《ポムプ》の水はりうりうたり、 れいろうたり、さんらんたり、 えんやらえんや、えんやらえんや、 消防整列、一心一向、 消《け》えて失《な》くなれ不尽の山、やあれ、やあれ、えんやらな。…… [#2字下げ]湾光[#「湾光」は中見出し] 盥《たらひ》は数知れず光に動く。 盥の上には子供|座《すは》れり、 裸の子供は腕をひろげて 盥を廻す。晴れわたる海の面に。 正午なり、深くひそめる 精霊《せうりやう》の醒めゆく時なり、 銀星は空にあらはれ、 麗《うる》はしき人ごゑは湾にあつまる。 盥はしづかに迅《はや》さを増す。 盥は光れり、独楽《こま》のごとく、 一斉《いつせい》に、燦爛たるその飛沫《しぶき》。 夏なり、碧瑠璃《へきるり》の海は 円く、緑《みどり》の崖をうつす、 天心《てんしん》にかゞやくは、一《いち》の日輪《にちりん》。 その時ふと、笑ごゑは中より起る。 大きく大きく、笑ひくづるゝ純真《じゆんしん》。 [#2字下げ]生洲[#「生洲」は中見出し] [#地から2字上げ]小笠原にて 大きなる月は まんまろく転《ころ》び出でたり。 護謨《ゴム》の葉は豊《ゆた》かに動く。 いざや歩まん、二人《ふたり》して。 生洲《いけす》には瑠璃《るり》のさゞなみ、 ゆれゆれて金《きん》の輪《わ》となる、 ああいまし、 麗《うつ》くしき玳瑁《たいまい》の雄《を》は 雌《め》の上にそつと重なる。 静かなれ、深く潜《す》めかし、 月はいま蒼《あを》き暈《かさ》きる、 磯煙草《いそたばこ》みどりにゆらぐ。 ああ、しばし 玳瑁《たいまい》は幸福《しあはせ》に住む。 声もなし、さあれ、うつくし、 何物《なにもの》か、光りとろけて 霊《たましひ》をゆするがごとし、 玳瑁《たいまい》はふたつ重なる。 護謨《ゴム》の葉は豊かに動く。 いざや眠むらん、二人《ふたり》して。 [#ここで字下げ終わり] [#改丁] [#ページの左右中央] [#6字下げ]雑謡[#「雑謡」は大見出し] [#改ページ] [#4字下げ]畑の祭[#「畑の祭」は中見出し] 大正二年九月某日、相州三崎は諸磯神明宮祭礼当日の事、上層に人形、下段にお囃子の一座を乗せた一台の山車は漁師と百姓とを兼ねた素朴な村人の手に曳かれてゆく。先づその山車は鎌倉街道から横にそれて、一小岬の突鼻の神明宮まで、黍畑や粟畑の高い丘道をうねつてゆく。而も日中、日は天心にかかつてゐる。径は緩い傾斜を登つたり下りたりしてゆく。崖の高みを行くのでその両方に真碧な海が見える。径が山車の幅より狭い位なので、松や蜜柑にぶつかつたり何かする。而して畑の上でも何でも溝はず曳いてゆく。ぶつつかる時は人形の背後に居る奴が高い処からぽきぽきと松の枝でも木槿でも手当り次第にへし折つたり、押し曲げたりする。馬鈴薯は馬鹿囃子に浮かれて大喜びだが、立樹は可哀想だ。山車が進んでゆくと、そこから神明宮と相対した油壺の入江が見え、向ふの丘の上に破れかかつた和蘭風の風車が見えてくる。その下に大学の臨海実験所の白い雅致のある洋館がある。芝生が見えキミガヨランが見え、短艇が二三艘浮いて見える。まるで南伊太利あたりの風景にでも接するやうである。愈丘の畑をすべり下りると平たい、かつと明るい渚に出る。右も左も渚である。ここに神明宮の鳥居がある。そこから円い穏かな丘の登り道になつて、その向ふが愈海になつてゐる。社前の渚には漁船が幾艘も引揚げてある。その間であかい西瓜店や何かが出る。ここで山車を休まして、一同は赤々と日が暮れるまで盛んに酔つぱらつて踊つたり唄つたりする。中には白痴もゐるし、剽軽者もゐる。万祝衣きた大禿頭もゐる。而してここの神主は平素は三崎遊廓の検黴のお医者である。凡てが如何にも馬鈴薯式なので村の祭とか田舎とか云つたりするより却て「畑の祭」とした方が適当かも知れない。この俗謡調はその山車のお囃子として作つて見たのである。 [#ここから2字下げ] やれやあ引、さの、せえい、せえい、せえええい、 三浦三崎は女の夜業《よばひ》、男|後生楽《ごしやうらく》寝《ね》てまちる、 ようい、ようい、よやさのせえい。 ええ、そりや、なあ、 秋が来たぞよ、三崎《みさき》諸磯《もろいそ》の段々畑《だんだんばたけ》から百舌《もず》が出たで、 えええ、や、ほろほにや、や、ほろほ、 くゐくゐいろうにや、くゐろうにや。 やあれ、日はよし、地《ぢ》はよし、海や凪ぐし、 今年や豊年歳、穂に穂が咲いた、 やあれ、テケテケ、チヤンチキ、チヤンチキナ、 ありやりや、こりやりや、これわいさのせえい。 五郎作よ。太郎兵衛よ、杢十よ、ちよいと来なせ、 丘や畑は万作じや、おや、俺《おら》ちの陸穂《おかぼ》もやつと熟《う》れた。 やれ、南瓜《かぼちや》も飛び出せ、牛蒡も踊り出せ、 枝豆、隠元《いんげん》、ささぎ豆、 なた豆、落花生に胡麻の種、 莢《さや》がはぢけた、赤ちやけた、 化猫《ばけねこ》、雉猫《きじねこ》、かま鼬《いたち》、粟が尻尾《しつぽ》を黄に垂れた。 稗《ひえ》は真黒《まつくろ》、真黒、くろんぼ、玉蜀黍《たうもろこし》や赤髯、赤髯毛唐人が股くら毛。 蜻蛉《とんぼ》がからんだ、螽蟖《ばつた》がセ、栗鼠《りす》が駈け出す、鳶《とんび》がセ、 お薯《いも》もころげ出せ、馬鈴薯《じやがいも》、里芋、つくね芋。 子を生め、子を生め、山の芋。 こちのお嚊《かか》もどんと殖《ふや》せ、 俺《おれ》ちも壮健《がんぢやう》で、うんと肥《こや》せ、 種蒔け、種蒔け、蒔かずにやゐられぬ、蒔かねば憂《う》さやの、子種はどつさり、畑は上々で、畝高《うねだか》で、 水もよくきく、肥料《こやし》もよくきく、 種蒔け、種蒔け、づんと殖《ふや》せ、 そこら一面鋤いて返せ。 子をうめ、子をうめ、土《つち》の芋。 やれ、その子は誰《だれ》が子だ、俺《おら》が子だ、 汝《おめ》ちの畑にできた子だ、 それでも誰が子か知んねえだ、 麦だか、粟だか、芋だか、稗だか、子種はどつさり、畑はひとつよ、 誰《だれ》が子でもよかんべ、出来た子は俺《おれ》が子。 やあれ、なあ、三崎やよいとこ、女の夜|業《ばひ》、 ええ、凪にやええ、凪にや鱶《ふか》釣り、夜中は寝まる、 たまに風吹きや畑うち、 うんとこしよ、どつこいしよ、 惚れたその時や命もいらぬ、 いやで別れりや離《き》れよとままよ、 翌《あす》の晩にはまたできる、 おおさ、やれ、やれ、三崎よいとこ、男の後生楽、 子を生め、子を生め、土《つち》の芋。 やあれ、曳け、笛吹け、鉦《かね》うてよ、 太皷どんどと打つて囃せ、 子供は真《ま》つ先《さき》、地主《ぢぬし》どんの音頭で、 花笠そろへた、団扇をそろへた、よいと曳けよ、 お婆《ばば》も来《こ》、お嚊《かか》も後押せ、 畑の真中《まんなか》、お囃子《はやし》や、チヤンチキ、チヤンチキ、 浮かれて、はしやいで食《た》べ酔うて、 而《しか》も生真面目《きまじめ》で泣いて通《とほ》ろ。 やあれ、曳け、山車《だし》よ曳け、海が見ゆる、 沖はええ、沖はてるてる、風車《かざぐるま》は廻る、磯の神明様《しんめいさま》の片時雨《かたしぐれ》、 ようい、ようい、よういとなあ、 ええ、そりや、退《ずら》した、 お巡査《まはり》さんが逃げ出す、 神主《かんぬし》さんも笑ひ出す、 支《つか》える、支える、松の木に、木槿《むくげ》も邪魔《じやま》だよ、 切ろやれ、捨《すち》よやれ、やあ、 蜻蛉《とんぼ》がからんだ、螽蟖《ばつた》がセ、栗鼠《りす》が駈けだす、鳶がセ、 お薯もころげ出せ、馬鈴薯《じやがいも》、里芋、つくね芋、 子を生め、子を生め、山の芋、 南瓜《かぼちや》も飛び出せ、牛蒡も踊り出せ、この冥加《めうが》えな、 あれわいせの、これわいせの、この冥加。 さあさ、浮いた。浮いた。 [#2字下げ]百姓唄[#「百姓唄」は中見出し] 逢ひたかんべ、見たかんべ、添つたらよかんべ、 家《うち》に知れたらやかましかんべ、 世間がわるかんべ。 [#4字下げ]おさ、やれ、やれ。 何だつべこべ、惚れたがどうしただ、 家で知つたちゆて添はずにやをかねえだ、 世間が何だんべ。 [#4字下げ]おさ、やれ、やれ。 [#2字下げ]草の葉つぱ[#「草の葉つぱ」は中見出し] 草の葉つぱは風吹きや戦《そよ》ぐ、 地からしんしん揺り動く。 一|切合切《さいがつさい》投げいだせ、 私《わたし》ももとより泣き上戸。 草の葉つぱは雨降りや生《い》きる。 地までさんざと濡れしとる。 一切合切づぶ濡れだ、 私《わたし》ももとより一|途《づ》もの。 草の葉つぱは日が照りや躍る、 地から底から沁《し》み光る。 一切合切照りかへせ、 私ももとより命がけ。 [#2字下げ]三浦三崎[#「三浦三崎」は中見出し] その日ぐらしの山樵《やまがつ》が 斧鉞《まさかりよ》かついでたゞ涙。 通草《あけび》も真赤《まつか》にはぢきれた、 鳥もケンケン飛んでゆく、 うんとこどつこい、よいとこな。 急いで下《お》りなきや日が暮れる。 うんとこどつこい、よいとこな。 朝は元気な船頭衆も 夕日が転《ころ》がりや空矢声《からやごゑ》。 浮気な沙魚《ふか》めにや逃げられる、 漕いでも漕いでも波の上、 えんやらほいほい、えんやらほい、 急いで上《あが》らにや子が喚《わめ》く、 えんやらほいほい、えんやらほい。 郵便飛脚は命がけ、 いつさん走りに、豆畑、 三浦三崎にや燈《ひ》がついた。 小便《しよんべん》する間《ま》も気が揉める、 えつさつさ、えつさつさ、 急いで駆《か》けなきや首が切れる、 えつさつさ、えつさつさ。 [#2字下げ]城ヶ島の娘[#「城ヶ島の娘」は中見出し] むすめ、むすめ、城ヶ島の娘、 おまへは裸で海のそこ、 朝も早うから海のそこ、 素足《すあし》ちらちら、真逆様《まつさかさま》に 波を潜《もぐ》れば、青波ばかり。 むすめ、むすめ、城ヶ島の娘、 鮑《あはび》取ろとて海のそこ、 潜水眼鏡《もぐりめがね》で波のそこ、 あちらこちらといのちをちぢめ、 泳ぎ廻れど青波ばかり。 むすめ、むすめ、城ヶ島の娘、 海はしんしん、おへそはひえる。 息がつまれど波のそこ、 岩にべつたりしがみつく、 しがみついても青波ばかり。 むすめ、むすめ、城ヶ島の娘、 さぞや痛《いた》かろ、虎魚《おこぜ》の針に、 足を刺されて、揺りあげられて、 浮いて上れど青波ばかり、 前もうしろも青波ばかり。 むすめ、むすめ、城ヶ島の娘、 おまへは裸で海のそこ、 波にや揉まれる、生活《くらし》はたたず、 鮑取ろとて潜《もぐ》つて見たが、 鮑取らいで子ができた。 [#2字下げ]城ヶ島の雨[#「城ヶ島の雨」は中見出し] 雨はふるふる、城ヶ島の磯に、 利休鼠の雨がふる。 雨は真珠か、夜明の霧か、 それともわたしの忍び泣き。 舟はゆくゆく通り矢のはなを、 濡れて帆をあげたぬしの舟。 ええ、舟は櫓でやる、櫓は唄でやる。 唄は船頭さんの心意気。 雨はふるふる、日はうす曇る。 舟はゆくゆく、帆がかすむ。 [#1字下げ]〔『白秋詩集 第二巻』「畑の祭 補遺」より〕 [#2字下げ]小鳥[#「小鳥」は中見出し] 小鳥は飛ぶ、彼はその飛ぶことすらも 曾て悟らざるがごとし、 小鳥は飛ぶ、金色の光に飛ぶ。 小鳥はただ飛ぶ、形なき一線に飛ぶ。 さながら翼《はね》つけし独楽《こま》の とめてとまらぬその迅《はや》さ。 かぎりなき大海の上、 ただひとつころがれる日輪の 朱紅《しゆべに》の円《まろ》さ。 小鳥は飛ぶ、一線にその面《めん》を横ぎる。 かなしくも突き抜けむとす。 小鳥はこの時まさしく小鳥の姿となる。 [#ここで字下げ終わり] 底本:「白秋全集 3」岩波書店    1985(昭和60)年5月7日発行 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 入力:飛鷹美緒 校正:岡村和彦 2012年11月24日作成 2014年4月18日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。