黒壁 泉鏡花 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)各々方《おのおのがた》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)機会|是《これ》なり [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数) (例)瞢 ------------------------------------------------------- [#10字下げ]上[#「上」は中見出し]  席上の各々方《おのおのがた》、今や予が物語すべき順番の来りしまでに、諸君が語《かたり》給いし種々《くさぐさ》の怪談は、いずれも驚魂奪魄《きょうこんだっぱく》の価値《あたい》なきにあらず。しかれども敢《あえ》て、眼の唯《ただ》一個《ひとつ》なるもの、首の長さの六尺なるもの、鼻の高さの八寸なるもの等、不具的仮装的の怪物を待たずとも、ここに最も簡単にして、しかも能《よ》く一見《いっけん》直ちに慄然《りつぜん》たらしむるに足る、いと凄まじき物躰《ぶったい》あり。他なし、深更《しんこう》人定まりて天に声無き時、道に如何なるか一人の女性に行逢《ゆきあい》たる機会|是《これ》なり。知らず、この場合には婦人もまた男子に対して慄然たるか。恐らくは無かるべし、譬《たと》い之《これ》ありとするも、そは唯腕力の微弱なるより、一種の害迫を加えられんかを恐るるに因《よ》るのみ。  しかるに男子はこれと異なり、我輩の中に最も腕力無き者といえども、なお比較上婦人より力の優れるを、自ら信ずるにも関《かかわ》らず、幽寂《ゆうじゃく》の境《きょう》に於て突然婦人に会えば、一種|謂《い》うべからざる陰惨の鬼気を感じて、勝《た》えざるものあるは何ぞや。  坐中の貴婦人方には礼を失する罪を免《まぬか》れざれども、予をして忌憚《きたん》なく謂《い》わしめば、元来、淑徳、貞操、温良、憐愛、仁恕《じんじょ》等あらゆる真善美の文字を以て彩色《さいしき》すべき女性と謂うなる曲線が、その実陰険の忌《いま》わしき影を有するが故に、夜半《やはん》宇宙を横領する悪魔の手に導かれて、自《おのず》から外形に露《あら》わるるは、あたかも地中に潜《ひそ》める燐素《りんそ》の、雨に逢いて出現するがごときものなればなり。  憤《いきどお》ることなかれ。恥ずることを止めよ。社会一般の者ことごとく強盗ならんには、誰か一人の罪を責むべき。陰険の気は、けだし婦人の通有性《つうゆうせい》にして、なおかつ一種の元素《げんそ》なり。  しかして夜間は婦人がその特性を発揮すべき時節なれば、諸君もまた三更無人《さんこうぶじん》の境《きょう》人目を憚《はばか》らざる一個の婦人が、我より外《ほか》に人なしと思いつつある場合に不意《ゆくりなく》婦人に邂逅《かいこう》せんか、その感覚|果《はた》していかん。予は不幸にしてその経験を有せり。  予は去《い》にし年の冬十二月、加賀国随一の幽寂《ゆうじゃく》界、黒壁《くろかべ》という処にて、夜半一箇の婦人に出会いし時、実に名状すべからざる凄気《すごさ》を感ぜしなり。黒壁は金沢市の郊外一里程の所にあり、魔境を以て国中に鳴る。けだし野田山の奥、深林幽暗の地たるに因《よ》れり。ここに摩利支天《まりしてん》の威霊を安置す。  信仰の行者を除くの外、昼も人跡|罕《まれ》なれば、夜に入りては殆《ほとん》ど近《ちかづ》くものもあらざるなり。その物凄き夜を択《えら》びて予は故《ことさ》らに黒壁に赴けり。その何のためにせしやを知らず、血気に任せて行《ふるま》いたりし事どもは、今に到りて自《みず》からその意を了《りょう》するに困《くるし》むなり。昼間黒壁に詣《いた》りしことは両三回なるが故に、地理は暗《そらん》じ得たり。提灯の火影に照らして、闇《くら》き夜道をものともせず、峻坂《しゅんはん》、嶮路《けんろ》を冒《おか》して、目的の地に達せし頃は、午後十一時を過ぎつらん。  摩利支天の祠に詣《もう》ずるに先立ちて、その太さ三拱《みかかえ》にも余りぬべき一本杉の前を過ぐる時、ふと今の世にも「丑《うし》の時詣《ときまいり》」なるものありて、怨ある男を咒《のろ》う嫉妬深き婦人等の、此処に詣で来《き》て、この杉に釘を打つよし、人に聞きしを懐出《おもいい》でたり。  げに、さることもありぬべしと、提灯を差翳《さしかざ》して、ぐるりと杉を一周せしに、果せるかな、あたかも弾丸の雨注せし戦場の樹立《こだち》の如き、釘を抜取りし傷痕ありて、地上より三四尺、婦人の手の届かんあたりまでは、蜂の巣を見るが如し。唯《ただ》単に迷信のみにて、実際|成立《なりた》たざる咒詛《のろい》にもせよ、かかる罪悪を造る女心の浅ましく、はたまた咒わるる男も憐むべしと、見るから不快の念に堪えず直ちに他方に転ぜんとせし視線は、端無《はしな》くも幹の中央に貼附《はりつ》けたる一片の紙に注げり。  と見れば紙上に文字ありて認《したた》められたるものの如し。  予は熟視せり。茂れる木の葉に雨を凌げば、墨の色さえ鮮明に、 「巳の年[#「巳の年」に「一二三」の注記]、巳の月[#「巳の月」に「四五六」の注記]、巳の日[#「巳の日」に「七八九」の注記]、巳の刻[#「巳の刻」に「十十一十二」の注記]、出生[#「出生」に「十三十四」の注記]。二十一歳の男子[#「二十一歳の男子」に「十五十六十七十八十九二十廿一」の注記]」と二十一文字を記せり。  第一の「巳」より「男」まで、字の数二十に一本|宛《ずつ》、見るも凄まじき五寸釘を打込みて、僅《わずか》に「子」の一文字を余《あま》せるのみ。  案ずるに三七二十一日の立願《りゅうがん》の二十日の夜は昨夜に過ぎて今夜しもこの咒咀主《のろいぬし》が満願の夜にあらざるなきか。予は氷を以て五体を撫でまわさるるが如く感せり。「巳の年巳の月巳の日巳の刻生」と口中に復誦するに及びて、村沢浅次郎の名は忽《たちま》ち脳裡に浮びぬ。  実に浅次郎は当年二十一歳にして巳の年月揃いたる生なり。或《あるい》は午《うま》に、或は牛に、此般《こんはん》の者も多かるべし。しかれども予が嘗《かつ》て聞知《ききし》れる渠《かれ》が干支《かんし》の爾《しか》く巳を重ねたるを奇異とせる記憶は、咄嗟《とっさ》に浅次郎の名を呼起《よびおこ》せり。しかも浅次郎はその身より十ばかりも年嵩《としかさ》なる艶婦に契《ちぎり》を籠《こ》めしが、ほど経て余りにその妬《ねたみ》深きが厭《いと》わしく、否|寧《む》しろその非常なる執心の恐ろしさに、おぞ毛《け》を振《ふる》いて、当時予が家に潜めるをや。「正に渠なり」と予は断定しつ。文化、文政、天保間の伝奇小説に応用されたる、丑の時詣なんど謂えるものの実際功を奏すべしとは、決して予の信ぜざるところなるも、この惨怛《さんたん》たる光景は浅次郎の身に取りて、喜ぶべきことにはあらずと思いき。  浅次郎は美少年なりき。婦人に対しては才子なりき。富豪の家の次男にて艶冶無腸《えんやむちょう》の若旦那なりき。  予は渠を憎まず、却《かえ》りてその優柔なるを憐《あわれ》みぬ。  されば渠が巨多《きょた》の金銭を浪費して、父兄に義絶せられし後、今の情婦|某《なにがし》年紀《とし》三十、名を艶《つや》と謂うなる、豪商の寡婦に思われて、その家に入浸《いりひた》り、不義の快楽を貪りしが、一月《ひとつき》こそ可《よ》けれ、二月こそ可けれ、三月四月に及びては、精神|瞢騰《もうとう》として常に酔《よえ》るが如く、身躰《からだ》も太《いた》く衰弱しつ、元気次第に消耗せり。  こは火の如き婦人の熱情のために心身|両《ふたつ》ながら溶解し去らるるならんと、ようやく渠を恐るる気色を、早く暁《さと》りたる大年増は、我子ともすべき美少年の、緑陰《りょくいん》深き所を厭《いと》いて、他に寒紅梅一枝の春をや探るならんと邪推なし、瞋恚《しんい》を燃す胸の炎は一段の熱を加えて、鉄火五躰を烘《あぶ》るにぞ、美少年は最早数分時も得堪《えた》えずなりて、辛くもその家を遁走したりけるが家に帰らんも勘当の身なり、且《かつ》は婦人に捜出《さがしい》だされんことを慮《おもんぱか》りて、遂に予を便《たよ》りしなり。予は快く匿《かくま》いつ。  しかるに美少年はなお心を安《やす》んせずして言いぬ。 「彼《か》の婦人は一種の魔法づかいともいうべき者なり。いつぞや召使の婢が金子を掠《かす》めて出奔せしに、お艶は争《いか》で遁《のが》すべきとて、直ちに足留《あしどめ》の法といえるを修したりき、それかあらぬか件の婢は、脱走せし翌日より遽《にわか》に足の疾《やまい》起りて、一寸《ちょっと》の歩行もなり難く、間近の家に潜みけるを直ちに引戻せしことを目撃したりき。その他咒詛、禁厭《きんえん》等、苟《いやしく》も幽冥《ゆうめい》の力を仮《か》りて為すべきを知らざるはなし。  さるからに口説《くぜつ》の際も常に予を戒めて、ここな性悪者め、他《あだ》し女子《おなご》に見替えて酷《むご》くも我を棄つることあらば呪殺《のろいころ》してくれんずと、凄まじかりし顔色は今もなお眼《まなこ》に在り。」  と繰返しては歎息しつ。予は万々|然《さ》ることのあるべからざる理をもて説諭すれども、渠《かれ》は常に戦々兢々《せんせんきょうきょう》として楽《たのし》まざりしを、密《ひそ》かに持余《もてあま》せしが、今|眼前《まのあたり》一本杉の五寸釘を見るに及びて予は思《おもい》半《なか》ばに過ぎたり。 [#10字下げ]上の二[#「上の二」は中見出し]  有恁《かくて》予は憐むべき美少年の為に、咒詛《のろい》の釘を抜棄《ぬきす》てなんと試みしに、執念《しゅうね》き鉄槌の一打は到底指の力の及ぶ所にあらざりき。  洵《まこと》に八才の龍女がその功力を以て成仏せしというなる、法華経の何の巻かを、誦《ずん》じては抜き、誦じては抜くにあらざれば、得て抜くべからざるものをや。  誰にもあれ人無き処にて、他に見せまじき所業を為せばその事の善悪に関わらず、自から良心の咎むるものなり。  予も何となく後顧《うしろぐら》き心地して、人もや見んと危《あやぶ》みつつ今一息と踏張《ふんば》る機会に、提灯の火を揺消《ゆりけ》したり。黒白《こくびゃく》も分かぬ闇夜となりぬ。予は茫然として自失したりき。時に遠く一点の火光《あかり》を認めつ。  良《やや》有りて予はその燈影なるを確《たしか》めたり。軈《やが》て視線の及ぶべき距離に近《ちかづ》きぬ。  予が曩《さき》に諸君に向いて、凄まじきものの経験を有せりと謂いしは是《ここ》なり。  予は謂《い》えらく、偶然人の秘密を見るは可《よ》し。然《しか》れども秘密を行う者をして、人目を憚る行《ふるまい》を、見られたりと心着かしめんは妙ならず。ために由《よし》無き怨《うらみ》を負いて、迷惑することもありぬべしと、四辺を見廻わして、身を隠すべき所を覓《もと》めしに、この辺には屡《しばしば》見る、山腹を横に穿《うが》ちたる洞穴を見出したり。  要こそあれと身を翻して、早くも洞中に潜むと与《とも》に、燈《ともしび》の主は間近に来りぬ。一個の婦人なり。予は燈影を見し始《はじめ》より、今夜《こよい》満願に当るべき咒詛主の、驚破《すわ》や来ると思いしなりき。  霜威《そうい》の凜冽《りんれつ》たる冬の夜に、見る目も寒く水を浴びしと覚《おぼ》しくて、真白の単衣《ひとえ》は濡紙を貼りたる如く、よれよれに手足に絡《まと》いて、全身の肉附は顕然《あらわ》に透きて見えぬ。霑《うるお》いたる緑の黒髪は颯《さっ》と乱れて、背と胸とに振分けたり。想うに、谷間を流るる一条《ひとすじ》の小川は、此処に詣ずる行者輩の身を浄《きよ》むる処なれば、婦人も彼処《あすこ》にこそ垢離《こり》を取れりしならめ。  と見る間に婦人は一本杉の下に立寄りたり。  ここに於て予がその婦人を目して誰なりとせしかは、予が言を待たずして、諸君は疾《とう》に推し給わむ。  予は洞中に声を呑みて、その為《せ》んようを窺《うかが》いたり。渠は然りとも知らざれば、金燈籠に類したる手提の燈火を傍に差置き、足を爪立てて天を仰ぎ、腰を屈《かが》めて地に伏し、合掌しつ、礼拝しつ、頭を木の幹に打当つるなど、今や天地は己が独有に皈《かえ》せる時なるを信じて、他に我を見る一双の眼あるを知らざる者にあらざるよりは、到底|裏恥《うらはず》かしく、為しがたかるべき、奇異なる挙動《ふるまい》を恣《ほしいまま》にしたりとせよ。  最後に婦人は口中より一本の釘を吐《はき》出して、これを彼二十一歳の男子と記したる紙片に推当《おしあ》て、鉄槌をもて丁々《ちょうちょう》と打ちたりけり。  時に万籟《ばんらい》寂《せき》として、地に虫の這う音も無く、天は今にも降《ふら》せんずる、霙《みぞれ》か、雪か、霰《あられ》か、雨かを、雲の袂《たもと》に蔵しつつ微音をだに語らざる、その静《しずか》さに睡りたりし耳元に、「カチン」と響く鉄槌の音は、鼓膜を劈《つんざ》きて予が腸を貫けり。  続きて打込む丁々は、滴々《たらたら》冷かなる汗を誘いて、予は自から支えかぬるまでに戦慄せり。  剰《あまつさ》え陰々として、裳《もすそ》は暗く、腰より上の白き婦人が、長《たけ》なる髪を振乱《ふりみだ》して彳《たたず》める、その姿の凄じさに、予は寧ろ幽霊の与易《くみしやす》さを感じてき。  釘打つ音の終ると侔《ひとし》く、婦人はよろよろと身を退《すさ》りて、束ねしものの崩るる如く、地上に摚《どう》と膝を敷きぬ。  予をして謬《あやま》たざらしめば、首尾好く願《がん》の満ちたるより、二十日以来|張詰《はりつ》めし気の一時に弛《ゆる》みたるにやあらん。良《やや》ありて渠《かれ》の身を起し、旧《もと》来し方に皈《かえ》るを見るに、その来りし時に似もやらで、太く足許《あしもと》の踽《よろめ》きたりき。 底本:「文豪怪談傑作選 泉鏡花集 黒壁」ちくま文庫、筑摩書房    2006(平成18)年10月10日第1刷発行 底本の親本:「鏡花全集 別卷」岩波書店    1976(昭和51)年3月26日第1刷発行 初出:「詞海 第3輯第9巻、第10巻」    1894(明治27)年10月、12月 入力:門田裕志 校正:noriko saito 2015年5月24日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。