夫人利生記 泉鏡花 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)瑠璃色《るりいろ》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)十八九年|不沙汰《ぶさた》した [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数) (例)忉 -------------------------------------------------------  瑠璃色《るりいろ》に澄んだ中空《なかぞら》の樹《こ》の間から、竜が円い口を張開いたような、釣鐘の影の裡《なか》で、密《そっ》と、美麗な婦《おんな》の――人妻の――写真を視《み》た時に、樹島《きじま》は血が冷えるように悚然《ぞっ》とした。……  山の根から湧《わ》いて流るる、ちょろちょろ水が、ちょうどここで堰《いせき》を落ちて、湛《たた》えた底に、上の鐘楼の影が映るので、釣鐘の清水と言うのである。  町も場末の、細い道を、たらたらと下りて、ずッと低い処から、また山に向って径《こみち》の坂を蜒《うね》って上る。その窪地《くぼち》に当るので、浅いが谷底になっている。一方はその鐘楼を高く乗せた丘の崖《がけ》で、もう秋の末ながら雑樹が茂って、からからと乾いた葉の中から、昼の月も、鐘の星も映りそうだが、別に札を建てるほどの名所でもない。  居まわりの、板屋、藁屋《わらや》の人たちが、大根も洗えば、菜も洗う。葱《ねぎ》の枯葉を掻分《かきわ》けて、洗濯などするのである。で、竹の筧《かけひ》を山笹《やまざさ》の根に掛けて、流《ながれ》の落口の外《ほか》に、小さな滝を仕掛けてある。汲《く》んで飲むものはこれを飲むがよし、視《なが》めるものは、観《み》るがよし、すなわち清水の名聞《みょうもん》が立つ。  径《こみち》を挟んで、水に臨んだ一方は、人の小家《こいえ》の背戸畠《せどばたけ》で、大根も葱も植えた。竹のまばら垣に藤豆の花の紫がほかほかと咲いて、そこらをスラスラと飛交わす紅蜻蛉《あかとんぼ》の羽から、……いや、その羽に乗って、糸遊、陽炎《かげろう》という光ある幻影《まぼろし》が、春の闌《たけなわ》なるごとく、浮いて遊ぶ。……  一時間ばかり前の事。――樹島は背戸畑の崩れた、この日当りの土手に腰を掛けて憩いつつ、――いま言う――その写真のぬしを正《しょう》のもので見たのである。  その前に、渠《かれ》は母の実家《さと》の檀那寺《だんなでら》なる、この辺《あたり》の寺に墓詣《はかまいり》した。  俗に赤門寺と云う。……門も朱塗だし、金剛神を安置した右左の像が丹《に》であるから、いずれにも通じて呼ぶのであろう。住職も智識の聞えがあって、寺は名高い。  仁王門の柱に、大草鞋《おおわらじ》が――中には立った大人の胸ぐらいなのがある――重《かさな》って、稲束の木乃伊《みいら》のように掛《かか》っている事は、渠《かれ》が小児《こども》の時に見知ったのも、今もかわりはない。緒に結んだ状《さま》に、小菊まじりに、俗に坊さん花というのを挿して供えたのが――あやめ草あしに結ばむ――「奥の細道」の趣があって、健《すこやか》なる神の、草鞋を飾る花たばと見ゆるまで、日に輝きつつも、何となく旅情を催させて、故郷《ふるさと》なれば可懐《なつか》しさも身に沁《し》みる。  峰の松風が遠く静《しずか》に聞えた。  庫裡《くり》に音信《おとず》れて、お墓経をと頼むと、気軽に取次がれた住職が、納所《なっしょ》とも小僧ともいわず、すぐに下駄ばきで卵塔場へ出向わるる。  かあかあと、鴉《からす》が鳴く。……墓所《はかしょ》は日陰である。苔《こけ》に惑い、露に辷《すべ》って、樹島がやや慌《あわただ》しかったのは、余り身軽に和尚どのが、すぐに先へ立って出られたので、十八九年|不沙汰《ぶさた》した、塔婆の中の草径《くさみち》を、志す石碑に迷ったからであった。  紫|袱紗《ふくさ》の輪鉦《りん》を片手に、 「誰方《どなた》の墓であらっしゃるかの。」  少々|極《きまり》が悪く、……姓を言うと、 「おお、いま立っていさっしゃるのが、それじゃがの。」 「御不沙汰をいたして済みません。」  黙って俯向《うつむ》いて線香を供えた。細い煙が、裏すいて乱るるばかり、墓の落葉は堆《うずたか》い。湿った青苔に蝋燭《ろうそく》が刺《ささ》って、揺れもせず、燐寸《マッチ》でうつした灯がまっ直《すぐ》に白く昇《た》った。  チーン、チーン。――かあかあ――と鴉が鳴く。  やがて、読誦《どくじゅ》の声を留《とど》めて、 「お志の御|回向《えこう》はの。」 「一同にどうぞ。」 「先祖代々の諸精霊……願以此功徳無量壇波羅蜜《がんいしくどくむりょうだんはらみつ》。具足円満《ぐそくえんまん》、平等利益《びようどうりやく》――南無妙《なむみょう》……此経難持《しきょうなんじ》、若暫持《にゃくざんじ》、我即歓喜《がそくかんぎ》……一切天人皆応供養《いっさいてんにんかいおうくよう》。――」  チーン。 「ありがとう存じます。」 「はいはい。」 「御苦労様でございました。」 「はい。」  と、袖《そで》に取った輪鉦形《りんなり》に肱《ひじ》をあげて、打傾きざまに、墓参の男を熟《じっ》と視《み》て、 「多くは故人になられたり、他国をなすったり、久しく、御墓参の方もありませぬ。……あんたは御縁辺であらっしゃるかの。」 「お上人様。」  裾《すそ》冷く、鼻じろんだ顔を上げて、 「――母の父母《ふたおや》、兄などが、こちらにお世話になっております。」 「おお、」と片足、胸とともに引いて、見直して、 「これは樹島の御子息かい。――それとなくおたよりは聞いております。何よりも御機嫌での。」 「御僧様《あなたさま》こそ。」 「いや、もう年を取りました。知人《しりびと》は皆二代、また孫の代《よ》じゃ。……しかし立派に御成人じゃな。」 「お恥かしゅう存じます。」 「久しぶりじゃ、ちと庫裡《あれ》へ。――渋茶なと進ぜよう。」 「かさねまして、いずれ伺いますが、旅さきの事でございますし、それに御近所に参詣《おまいり》をしたい処もございますから。」 「ああ、まだお娘御のように見えた、若い母さんに手を曳《ひ》かれてお参りなさった、――あの、摩耶夫人《まやぶにん》の御寺へかの。」  なき、その母に手を曳かれて、小さな身体《からだ》は、春秋《はるあき》の蝶々蜻蛉に乗ったであろう。夢のように覚えている。 「それはそれは。」  と頷《うなず》いて、 「また、今のほどは、御丁寧に――早速御仏前へお料具を申そう。――御子息、それならば、お静《しずか》に。……ああ、上のその木戸はの、錠、鍵も、がさがさと壊れています。開けたままで宜《よろ》しい。あとで寺男《おとこ》が直しますでの。石段が欠けて草|蓬々《ぼうぼう》じゃ、堂前へ上らっしゃるに気を着けなされよ。」  この卵塔は窪地である。  石を四五壇、せまり伏す枯尾花に鼠《ねずみ》の法衣《ころも》の隠れた時、ばさりと音して、塔婆近い枝に、山鴉が下りた。葉がくれに天狗《てんぐ》の枕のように見える。蝋燭《ろうそく》を啄《ついば》もうとして、人の立去るのを待つのである。  衝《つ》と銜《くわ》えると、大概は山へ飛ぶから間違《まちがい》はないのだが、怪我《けが》に屋根へ落すと、草葺《くさぶき》が多いから過失《あやまち》をしでかすことがある。樹島は心得て吹消した。線香の煙の中へ、色を淡《うす》く分けてスッと蝋燭の香が立つと、かあかあと堪《たま》らなそうに鳴立てる。羽音もきこえて、声の若いのは、仔烏《こがらす》らしい。 「……お食《あが》り。」  それも供養になると聞く。ここにも一羽、とおなじような色の外套《がいとう》に、洋傘《こうもり》を抱いて、ぬいだ中折帽《なかおれ》を持添えたまま葎《むぐら》の中を出たのであった。  赤門寺に限らない。あるいは丘に、坂、谷に、径《こみち》を縫う右左、町家《まちや》が二三軒ずつ門前にあるばかりで、ほとんど寺つづきだと言っても可《い》い。赤門には清正公が祭ってある。北辰妙見《ほくしんみょうけん》の宮、摩利支天の御堂《みどう》、弁財天の祠《ほこら》には名木の紅梅の枝垂《しだ》れつつ咲くのがある。明星の丘の毘沙門天《びしゃもんてん》。虫歯封じに箸《はし》を供うる辻の坂の地蔵菩薩《じぞうぼさつ》。時雨の如意輪観世音。笠守《かさもり》の神。日中《ひなか》も梟《ふくろう》が鳴くという森の奥の虚空蔵堂。――  清水の真空《まそら》の高い丘に、鐘楼を営んだのは、寺号は別にあろう、皆梅鉢寺と覚えている。石段を攀《よ》じた境内の桜のもと、分けて鐘楼の礎《いしずえ》のあたりには、高山植物として、こうした町近くにはほとんどみだされないと称《とな》うる処の、梅鉢草が不思議に咲く。と言伝えて、申すまでもなく、学者が見ても、ただ心ある大人が見ても、類は違うであろうけれども、五弁の小さな白い花を摘んで、小児《こども》たちは嬉しがったものである。――もっとも十《とお》ぐらいまでの小児が、家からここへ来るのには、お弁当が入用《いりよう》だった。――それだけに思出がなお深い。  いま咲く草ではないけれども、土の香を親しんで。……樹島は赤門寺を出てから、仁王尊の大草鞋《おおわらじ》を船にして、寺々の巷《ちまた》を漕《こ》ぐように、秋日和の巡礼街道。――一度この鐘楼に上ったのであったが、攀《よ》じるに急だし、汗には且つなる、地内はいずれ仏神の垂跡《すいじゃく》に面して身がしまる。  旅のつかれも、ともに、吻《ほっ》と一息したのが、いま清水に向った大根畑の縁《へり》であった。  ……遅めの午飯《ひる》に、――潟で漁《と》れる――わかさぎを焼く香《におい》が、淡く遠くから匂って来た。暖か過ぎるが雨にはなるまい。赤蜻蛉の羽も、もみじを散《ちら》して、青空に透通る。鐘は高く竜頭《りゅうず》に薄霧を捲《ま》いて掛《かか》った。  清水から一坂上り口に、薪《まき》、漬もの桶《おけ》、石臼《いしうす》なんどを投遣《なげや》りにした物置の破納屋《やれなや》が、炭焼小屋に見えるまで、あたりは静《しずか》に、人の往来《ゆきき》はまるでない。  月の夜《よ》はこの納屋の屋根から霜になるであろう。その石臼に縋《すが》って、嫁菜の咲いたも可哀《あわれ》である。  ああ、桶の箍《たが》に尾花が乱るる。この麗《うらら》かさにも秋の寂しさ……  樹島は歌も句も思わずに、畑の土を、外套《がいとう》の背にずり辷《すべ》って、半ば寝つつも、金剛神の草鞋《わらじ》に乗った心持に恍惚《うっとり》した。  ふと鳥影が……影が翳《さ》した。そこに、つい目の前《さき》に、しなやかな婦《おんな》が立った。何、……紡績らしい絣《かすり》の一枚着に、めりんす友染と、繻子《しゅす》の幅狭《はばぜま》な帯をお太鼓に、上から紐《ひも》でしめて、褪《あ》せた桃色の襷掛《たすきが》け……などと言うより、腕《かいな》露呈《あらわ》に、肱《ひじ》を一杯に張って、片脇に盥《たらい》を抱えた……と言う方が早い。洗濯をしに来たのである。道端の細流《ほそながれ》で洗濯をするのに、なよやかなどと言う姿はない。――ないのだが、見ただけでなよやかで、盥《たらい》に力を入れた手が、霞を溶いたように見えた。白やかな膚《はだ》を徹《とお》して、骨まで美しいのであろう。しかも、素足に冷めし草履を穿《は》いていた。近づくのに、音のしなかったのも頷《うなず》かれる。  婦《おんな》は、水ぎわに立停《たちど》まると、洗濯盥――盥には道草に手打《たお》ったらしい、嫁菜が一束挿してあった――それを石の上へこごみ腰におろすと、すっと柳に立直った。日あたりを除《よ》けて来て、且つ汗ばんだらしい、姉《あね》さん被《かぶ》りの手拭《てぬぐい》を取って、額よりは頸脚《えりあし》を軽く拭《ふ》いた。やや俯向《うつむ》けになった頸《うなじ》は雪を欺く。……手拭を口に銜《くわ》えた時、それとはなしに、面《おもて》を人に打蔽《うちおお》う風情が見えつつ、眉を優しく、斜《ななめ》だちの横顔、瞳の濡々《ぬれぬれ》と黒目がちなのが、ちらりと樹島に移ったようである。颯《さっ》と睫毛《まつげ》を濃く俯目《ふしめ》になって、頸《えり》のおくれ毛を肱白く掻上げた。――漆にちらめく雪の蒔絵《まきえ》の指さきの沈むまで、黒く房《ふっさ》りした髪を、耳許《みみもと》清く引詰《ひッつ》めて櫛巻《くしまき》に結っていた。年紀《とし》は二十五六である。すぐに、手拭を帯に挟んで――岸からすぐに俯向くには、手を差伸《さしのば》しても、流《ながれ》は低い。石段が出来ている。苔も草も露を引いて皆青い。それを下りさまに、ふと猶予《ためら》ったように見えた。ああ、これは心ないと、見ているものの心着く時、褄《つま》を取って高く端折《はしょ》った。婦《おんな》は誰も長襦袢《ながじゅばん》を着ているとは限らない。ただ一重の布も、膝の下までは蔽わないで、小股をしめて、色薄く縊《くび》りつつ、太脛《ふくらはぎ》が白く滑《なめら》かにすらりと長く流《ながれ》に立った。  ひたひたと絡《まつわ》る水とともに、ちらちらと紅《くれない》に目を遮ったのは、倒《さかさま》に映るという釣鐘の竜の炎でない。脱棄《ぬぎす》てた草履に早く戯るる一羽の赤蜻蛉の影でない。崖のくずれを雑樹また藪《やぶ》の中に、月夜の骸骨《がいこつ》のように朽乱れた古卒堵婆《ふるそとば》のあちこちに、燃えつつ曼珠沙華《まんじゅしゃげ》が咲残ったのであった。  婦《おんな》は人間離れをして麗《うつく》しい。  この時、久米の仙人を思出して、苦笑をしないものは、われらの中に多くはあるまい。  仁王の草鞋の船を落ちて、樹島は腰の土を払って立った。面《つら》はいつの間にか伸びている。 「失礼ですが、ちょっと伺います――旅のものですが。」 「は、」 「蓮行寺《れんぎょうじ》と申しますのは?」 「摩耶夫人様のお寺でございますね。」  その声にきけば、一層奥ゆかしくなおとうとい忉利天《とうりてん》の貴女の、さながらの御《おん》かしずきに対して、渠《かれ》は思わず一礼した。  婦《おんな》はちょうど筧《かけひ》の水に、嫁菜の茎を手すさびに浸していた。浅葱《あさぎ》に雫《しずく》する花を楯《たて》に、破納屋《やれなや》の上路《のぼりみち》を指して、 「その坂をなぞえにお上りなさいますと、――戸がしまっておりますが、二階家が見えましょう。――ね、その奥に、あの黒く茂りましたのが、虚空蔵様のお寺でございます。ちょうどその前の処が、青く明《あかる》くなって、ちらちらもみじが見えますわね……あすこが摩耶夫人様でございます。」 「どうもありがとう――尋ねたいにも人通りがないので困っていました。――お庇様《かげさま》で……」 「いいえ……まあ。」 「御免なさい。」 「お静《しずか》におまいりをなさいまし……御利益がございますわ。」  と、嫁菜の花を口許《くちもと》に、瞼《まぶた》をほんのり莞爾《にっこり》した。  ――この婦人《おんな》の写真なのである。  写真は、蓮行寺の摩耶夫人の御堂《みどう》の壇の片隅に、千枚の歌留多《かるた》を乱して積んだような写真の中から見出《みいだ》された。たとえば千枚千人の婦女が、一人ずつ皆|嬰児《あかご》を抱いている。お産の祈願をしたものが、礼詣りに供うるので、すなわち活きたままの絵馬である。胸に抱いたのも、膝に据えたのも、中には背に負《おんぶ》したまま、両の掌《て》を合せたのもある。が、胸をはだけたり、乳房を含ませたりしたのは、さすがにないから、何も蔽《おお》わず、写真はあからさまになっている。しかし、婦《おんな》ばかりの心だしなみで、いずれも伏せてある事は言うまでもない。  この写真が、いま言った百人一首の歌留多のように見えるまで、御堂は、金碧蒼然《きんぺきそうぜん》としつつ、漆と朱の光を沈めて、月影に青い錦《にしき》を見るばかり、厳《おごそか》に端《ただ》しく、清らかである。  御厨子《みずし》の前は、縦に二十間がほど、五壇に組んで、紅《くれない》の袴《はかま》、白衣《びゃくえ》の官女、烏帽子《えぼし》、素袍《すおう》の五人|囃子《ばやし》のないばかり、きらびやかなる調度を、黒棚よりして、膳部《ぜんぶ》、轅《ながえ》の車まで、金高蒔絵《きんたかまきえ》、青貝を鏤《ちりば》めて隙間なく並べた雛壇《ひなだん》に較べて可《い》い。ただ緋毛氈《ひもうせん》のかわりに、敷妙《しきたえ》の錦である。  ことごとく、これは土地の大名、城内の縉紳《しんしん》、豪族、富商の奥よりして供えたものだと聞く。家々の紋づくしと見れば可い。  天人の舞楽、合天井の紫のなかば、古錦襴《こきんらん》の天蓋《てんがい》の影に、黒塗に千羽鶴の蒔絵をした壇を据えて、紅白、一つおきに布を積んで、媚《なまめ》かしく堆《うずたか》い。皆新しい腹帯である。志して詣《もう》でた日に、折からその紅《くれない》の時は女の児《こ》、白い時は男の児が産れると伝えて、順を乱すことをしないで受けるのである。  右左に大《おおき》な花瓶が据《すわ》って、ここらあたり、花屋およそ五七軒は、囲《かこい》の穴蔵を払ったかと思われる見事な花が夥多《おびただ》しい。白菊黄菊、大輪の中に、桔梗《ききょう》がまじって、女郎花《おみなえし》のまだ枯れないのは、功徳の水の恵であろう、末葉《うらは》も落ちず露がしたたる。  時に、腹帯は紅であった。  渠《かれ》が詣でた時、蝋燭《ろうそく》が二|挺《ちょう》灯《とも》って、その腹帯台の傍《かたわら》に、老女が一人、若い円髷《まるまげ》のと睦《むつま》じそうに拝んでいた。  しばらくして、戸口でまた珠数を揉頂《もみいただ》いて、老女が前《さき》に、その二人が帰ったあとは、本堂、脇堂にも誰も居ない。  ここに註《ちゅう》しておく。都会にはない事である。このあたりの寺は、どこにも、へだて、戸じまりを置かないから、朝づとめよりして夕暮までは、諸天、諸仏。――中にも爾《しか》く端麗なる貴女の奥殿に伺候《しこう》するに、門番、諸侍の面倒はいささかもないことを。  寺は法華宗である。  祖師堂は典正なのが同一棟《ひとつむね》に別にあって、幽厳なる夫人《ぶにん》の廟《びょう》よりその御堂《みどう》へ、細長い古畳が欄間の黒い虹《にじ》を引いて続いている。……広い廊下は、霜のように冷《つめと》うして、虚空蔵の森をうけて寂然《じゃくねん》としていた。  風すかしに細く開いた琴柱窓《ことじまど》の一つから、森を離れて、松の樹の姿のいい、赤土山の峰が見えて、色が秋の日に白いのに、向越《むこうごし》の山の根に、きらきらと一面の姿見の光るのは、遠い湖の一部である。此方《こなた》の麓《ふもと》に薄もみじした中腹を弛《ゆる》く繞《めぐ》って、巳《み》の字の形に一つ蜒《うね》った青い水は、町中を流るる川である。町の上には霧が掛《かか》った。その霧を抽《ぬ》いて、青天に聳《そび》えたのは昔の城の天守である。  聞け――時に、この虹の欄間に掛けならべた、押絵の有名な額がある。――いま天守を叙した、その城の奥々の婦人たちが丹誠を凝《こら》した細工である。  万亭応賀の作、豊国|画《えがく》。錦重堂板の草双紙、――その頃江戸で出版して、文庫蔵が建ったと伝うるまで世に行われた、釈迦八相倭文庫《しゃかはっそうやまとぶんこ》の挿画《さしえ》のうち、摩耶夫人の御《おん》ありさまを、絵のまま羽二重と、友染と、綾《あや》、錦、また珊瑚《さんご》をさえ鏤《ちりば》めて肉置の押絵にした。……  浄飯王《じょうぼんおう》が狩の道にて――天竺《てんじく》、天臂城《てんぴじょう》なる豪貴の長者、善覚の妹姫が、姉君|矯曇弥《きょうどんみ》とともに、はじめて見《まみ》ゆる処より、優陀夷《うだい》が結納の使者に立つ処、のちに、矯曇弥が嫉妬《しっと》の処。やがて夫人が、一度《ひとたび》、幻に未生《みしょう》のうない子を、病中のいためる御胸《おんむね》に、抱《いだ》きしめたまう姿は、見る目にも痛ましい。その肩にたれつつ、みどり児の頸《うなじ》を蔽《おお》う優しき黒髪は、いかなる女子のか、活髪《いきがみ》をそのままに植えてある。……  われら町人の爺媼《じいばば》の風説《うわさ》であろうが、矯曇弥の呪詛《のろい》の押絵は、城中の奥のうち、御台、正室ではなく、かえって当時の、側室、愛妾《あいしょう》の手に成ったのだと言うのである。しかも、その側室は、絵をよくして、押絵の面描《かおかき》は皆その彩筆に成ったのだと聞くのも意味がある。  夫人の姿像のうちには、胸ややあらわに、あかんぼのお釈迦様を抱《いだ》かるるのがあるから、――憚《はばか》りつつも謹んで説《い》おう。  ここの押絵のうちに、夫人が姿見のもとに、黒塗の蒔絵の盥《たらい》を取って手水《ちょうず》を引かるる一面がある。真珠を雪に包んだような、白羽二重で、膚脱《はだぬぎ》の御乳《おんち》のあたりを装《も》ってある。肩も背も半身の膚《はだえ》あらわにおわする。  牙《きば》の六つある大白象《だいびゃくぞう》の背に騎して、兜率天《とそつてん》よりして雲を下って、白衣の夫人の寝姿の夢まくらに立たせたまう一枚のと、一面やや大なる額に、かの藍毘尼園中《らんびにおんちゅう》、池に青色《せいしょく》の蓮華《れんげ》の開く処。無憂樹《むうじゅ》の花、色香|鮮麗《せんれい》にして、夫人が無憂の花にかざしたる右の手のその袖のまま、釈尊降誕の一面とは、ともに城の正室の細工だそうである。  面影も、色も靉靆《たなび》いて、欄間の雲に浮出づる。影はささぬが、香にこぼれて、後にひかえつつも、畳の足はおのずから爪立《つまだ》たれた。  畳廊下を引返しざまに、敷居を出る。……夫人廟《ぶにんびょう》の壇の端に、その写真の数々が重ねてあった。  押絵のあとに、時代を違えた、写真を覘《のぞ》くのも学問である。  清水に洗濯した美女の写真は、ただその四五枚めに早く目に着いた。円髷《まるまげ》にこそ結ったが、羽織も着ないで、女の児《こ》らしい嬰児《みどりご》を抱《いだ》いて、写真屋の椅子にかけた像《かたち》は、寸分の違いもない。  こうした写真は、公開したもおなじである。産の安らかさに、児のすこやかさに、いずれ願ほどにあやかるため、その一枚を選んで借りて、ひそかに持帰る事を許されている。ただし遅速はおいて、複写して、夫人の御《おん》人々御中に返したてまつるべき事は言うまでもなかろう。  今日は方々にお賽銭《さいせん》が多い。道中の心得に、新しく調えた懐中に半紙があった。  目の露したたり、口許《くちもと》も綻《ほころ》びそうな、写真を取って、思わず、四辺《あたり》を見て半紙に包もうとした。  トタンに人気勢《ひとけはい》がした。  樹島はバッとあかくなった。  猛然として憶起《おもいおこ》した事がある。八歳《やッつ》か、九歳《ここのつ》の頃であろう。雛人形《ひなにんぎょう》は活《い》きている。雛市は弥生《やよい》ばかり、たとえば古道具屋の店に、その姿があるとする。……心を籠《こ》めて、じっと凝視《みつめ》るのを、毎日のように、およそ七日十日に及ぶと、思入ったその雛、その人形は、莞爾《にっこり》と笑うというのを聞いた。――時候は覚えていない。小学校へ通う大川の橋一つ越えた町の中に、古道具屋が一軒、店に大形の女雛《めびな》ばかりが一体あった。﨟長《ろうた》けた美しさは註するに及ぶまい。――樹島は学校のかえりに極《きま》って、半時ばかりずつ熟《じっ》と凝視した。  目は、三日四日めから、もう動くようであった。最後に、その唇の、幽冥《ゆうめい》の境より霞一重に暖かいように莞爾《にっこり》した時、小児《こども》はわなわなと手足が震えた。同時である。中仕切の暖簾《のれん》を上げて、姉さんだか、小母さんだか、綺麗《きれい》な、容子《ようす》のいいのが、すっと出て来て、「坊ちゃん、あげましょう。」と云って、待て……その雛ではない。定紋つきの塗長持の上に据えた緋《ひ》の袴《はかま》の雛のわきなる柱に、矢をさした靱《うつぼ》と、細長い瓢箪《ひょうたん》と、霊芝《れいし》のようなものと一所に掛けてあった、――さ、これが変だ。のちに思っても可思議《ふしぎ》なのだが、……くれたものというと払子《ほっす》に似ている、木の柄が、草石蚕《ちょうろぎ》のように巻きぼりして、蝦色《えびいろ》に塗ってあるさきの処に、一尺ばかり革の紐がばらりと一束ついている。絵で見た大将が持つ采配《さいはい》を略したような、何にするものだか、今もって解《わか》らない。が、町々辻々に、小児《こども》という小児が、皆おもちゃを持って、振ったり、廻したり、空《くう》を払《はた》いたりして飛廻った。半年ばかりですたれたが、一種の物妖《ぶつよう》と称《とな》えて可《よ》かろう。持たないと、生効《いきがい》のないほど欲しかった。が樹島にはそれがなかった。それを、夢のように与えられたのである。  橋の上を振廻して、空を切って駈戻《かけもど》った。が、考えると、……化払子《ばけほっす》に尾が生えつつ、宙を飛んで追駈《おっか》けたと言わねばならない。母のなくなった、一周忌の年であった。  父は児《こ》の手の化ものを見ると青くなって震えた。小遣銭をなまで持たせないその児の、盗心《ぬすみごころ》を疑って、怒ったよりは恐れたのである。  真偽を道具屋にたしかめるために、祖母がついて、大橋を渡る半ばで、母のおくつきのある山の峰を、孫のために拝んだ、小児《こども》も小さな両手を合せた。この時の流《ながれ》の音の可恐《おそろし》さは大地が裂けるようであった。「ああ、そうとは知りませぬ。――小児衆の頑是ない、欲しいものは欲しかろうと思うて進ぜました。……毎日見てござったは雛じゃったか。――それはそれは。……この雛はちと大金《たいまい》のものゆえに、進上は申されぬ――お邪魔でなくばその玩弄品《おもちゃ》は。」と、確《しか》と祖母に向って、道具屋が言ってくれた。が、しかし、その時のは綺麗な姉さんでも小母さんでもない。不精髯《ぶしょうひげ》の胡麻塩《ごましお》の親仁《おやじ》であった。と、ばけものは、人の慾《よく》に憑《つ》いて邪心を追って来たので、優《やさし》い婦《ひと》は幻影《まぼろし》ばかり。道具屋は、稚《おさな》いのを憐《あわ》れがって、嘘で庇《かば》ってくれたのであろうも知れない。――思出すたびに空恐ろしい気がいつもする。  ――おなじ思《おもい》が胸を打った。同時であった、――人気勢《ひとけはい》がした。――  御廟子《みずし》の裏へ通う板廊下の正面の、簾《すだれ》すかしの観音びらきの扉《と》が半ば開きつつ薄明《うすあかる》い。……それを斜《ななめ》にさし覗《のぞ》いた、半身の気高い婦人がある。白衣に緋を重ねた姿だと思えば、通夜の籠堂《こもりどう》に居合せた女性《にょしょう》であろう。小紋の小袖に丸帯と思えば、寺には、よき人の嫁ぐならいがある。――あとで思うとそれも朧《おぼろ》である。あの、幻の道具屋の、綺麗な婦《ひと》のようでもあったし、裲襠姿振袖《うちかけすがたふりそで》の額の押絵の一体のようにも思う。……  瞬間には、ただ見られたと思う心を、棒にして、前後も左右も顧みず、衝々《つつ》と出、その裳《もすそ》に両手をついて跪《ひざまず》いた。 「小児は影法師も授《さずか》りません。……ただあやかりとう存じます。――写真は……拝借出来るのでございましょうか。」  舌はここで爛《ただ》れても、よその女を恋うるとは言えなかったのである。 「どの、お写真。」  と朗《ほがらか》に、しっとり聞えた。およそ、妙《たえ》なるものごしとは、この時言うべき詞《ことば》であった。 「は、」  と載せたまま白紙《しらかみ》を。 「お持ちなさいまし。」  あなたの手で、スッと微《かす》かな、……二つに折れた半紙の音。 「は、は。」  と額に押頂くと、得ならず艶《えん》なるものの薫《かおり》に、魂は空《くう》になりながら、恐怖《おそれ》と恥《はじ》とに、渠《かれ》は、ずるずると膝で退《さが》った。  よろりと立つ時、うしろ姿がすっと隠れた。  外套も帽も引掴《ひッつか》んで、階《きざはし》を下りる、足が辷《すべ》る。そこへ身体《からだ》ごと包むような、金剛神の草鞋《わらじ》の影が、髣髴《ほうふつ》として顕《あらわ》れなかったら、渠は、この山寺の石の壇を、径《こみち》へ転落《ころげお》ちたに相違ない。  雛の微笑《ほほえみ》さえ、蒼穹《あおぞら》に、目に浮《うか》んだ。金剛神の大草鞋は、宙を踏んで、渠を坂道へ橇《そ》り落した。  清水の向畠《むこうはた》のくずれ土手へ、萎々《なえなえ》となって腰を支《つ》いた。前刻の婦《おんな》は、勿論の事、もう居ない。が、まだいくらほどの時も経《た》たぬと見えて、人の来て汲《く》むものも、菜を洗うものもなかったのである。  ほかほかとおなじ日向《ひなた》に、藤豆の花が目を円く渠を見た。……あの草履を嬲《なぶ》ったのが羨《うらやま》しい……赤蜻蛉が笑っている。 「見せようか。」  仰向《あおむ》けに、鐘を見つつ、そこをちらちらする蜻蛉に向って、自棄《やけ》に言った。 「いや、……自分で拝もう。」  時に青空に霧をかけた釣鐘が、たちまち黒く頭上を蔽うて、破納屋《やれなや》の石臼も眼《まなこ》が窪み口が欠けて髑髏《しゃりこうべ》のように見え、曼珠沙華《まんじゅしゃげ》も鬼火に燃えて、四辺《あたり》が真暗《まっくら》になったのは、眩《めくるめ》く心地がしたからである。――いかに、いかに、写真が歴々《ありあり》と胸に抱いていた、毛糸帽子、麻の葉鹿の子のむつぎの嬰児《あかんぼ》が、美女の袖を消えて、拭《ぬぐ》って除《と》ったように、なくなっていたのであるから。  樹島はほとんど目をつむって、ましぐらに摩耶夫人の御堂に駈戻《かけもど》った。あえて目をつむってと言う、金剛神の草鞋が、彼奴《きゃつ》の尻をたたき戻した事は言うまでもない。  夫人の壇に戻し参らせた時は、伏せたままでソと置いた。嬰児《あかんぼ》が、再び写真に戻ったかどうかは、疑うだけの勇気はなかったそうである。 「いや、何といたしまして。……棚に、そこにござります。金、極彩色の、……は、そちらの素木彫《しらきぼり》の。……いや、何といたして、古人の名作。ど、ど、どれも諸家様の御秘蔵にござりますが、少々ずつ修覆をいたす処がありまして、お預り申しておりますので。――はい、店口にござります、その紫の袈裟《けさ》を召したのは私《てまえ》が刻みました。祖師のお像《すがた》でござりますが、喜撰法師のように見えます処が、業《わざ》の至りませぬ、不束《ふつつか》ゆえで。」  と、淳朴《じゅんぼく》な仏師が、やや吶《ども》って口重く、まじりと言う。  しかしこれは、工人の器量を試みようとして、棚の壇に飾った仏体に対して試《こころみ》に聞いたのではない。もうこの時は、樹島は既に摩耶夫人の像を依頼したあとだったのである。  一山に寺々を構えた、その一谷《ひとたに》を町口へ出はずれの窮路、陋巷《ろうこう》といった細小路で、むれるような湿気のかびの一杯に臭《にお》う中に、芬《ぷん》と白檀《びゃくだん》の薫《かおり》が立った。小さな仏師の家であった。  一小間《ひとこま》硝子《がらす》を張って、小形の仏龕《ぶつがん》、塔のうつし、その祖師の像《かたち》などを並べた下に、年紀《としごろ》はまだ若そうだが、額のぬけ上った、そして円顔で、眉の濃い、目の柔和な男が、道の向うさがりに大きな塵塚《ちりづか》に対しつつ、口をへの字|形《なり》に結んで泰然として、胡坐《あぐら》で細工盤に向っていた。「少々拝見を、」と云って、樹島は静《しずか》に土間へ入って、――あとで聞いた預りものだという仏《ぶつ》、菩薩《ぼさつ》の種々相を礼しつつ、「ただ試みに承りたい。大《おおき》なこのくらいの像《すがた》を一体は。」とおおよその値段を当った。――冷々《ひやひや》とした侘住居《わびずまい》である。木綿縞《もめんじま》の膝掛《ひざかけ》を払って、筒袖のどんつくを着た膝を居《すわ》り直って、それから挨拶した。そッときいて、……内心恐れた工料の、心づもりよりは五分の一だったのに勢《いきおい》を得て、すぐに一体を誂《あつら》えたのであった。―― 「……なれども、おみだしに預りました御註文……別して東京へお持ちになります事で、なりたけ、丹、丹精を抽《ぬき》んでまして。」  と吃《ども》って言う。 「あなた、仏様に御丹精は、それは実に結構ですが、お礼がお礼なんですから、お骨折ではかえって恐縮です。……それに、……唯今《ただいま》も申しました通り、然るべき仏壇の用意もありません。勿体なくありません限り、床の間か、戸袋の上へでもお据え申そうと思いますから、かたがた草双紙|風俗《ふう》にとお願い申したほどなんです。――本式ではありません。忉利天《とうりてん》のお姿では勿体ないと思うのですから。……お心安く願います。」 「はい、一応は心得ましてござります。なお念のために伺いますが、それでは、むかし御殿のお姫様、奥方のお姿でござりますな。」 「草双紙の絵ですよ。本があると都合がいいな。」  樹島は巻莨《まきたばこ》を吸いさして打案じつつ、 「倭文庫《やまとぶんこ》。……」 「え、え、釈迦八相――師匠の家にございまして、私《てまえ》よく見まして存じております。いや、どうも。……」  と胸を抱くように腕を拱《く》んで、 「小僧から仕立てられました、……その師匠に、三年あとになくなられましてな。杖とも柱とも頼みましたものを、とんと途方に暮れております。やっと昨年、真似方《まねかた》の細工場を持ちました。ほんの新店でござります。」 「もし、」  と、仕切一つ、薄暗い納戸から、優しい女の声がした。 「端本《はほん》になりましたけれど、五六冊ございましたよ。」 「おお、そうか。」 「いや、いまお捜しには及びません。」  様子を察して樹島が框《かまち》から声を掛けた。 「は、つい。」 「お乳《っぱ》。」  と可愛い小児《こども》の声する。…… 「めめ、覚めて。はい……お乳あげましょうね。」 「のの様、おっぱい。……のの様、おっぱい。」 「まあ、のの様ではありません、母《かあ》ちゃんよ。」 「ううん、欲《ほし》くないの、坊、のんだの、のの様のおっぱい。――お雛様《ひなちゃん》のような、のの様のおっぱい。」 「おや、夢を御覧だね。」  樹島は肩の震うばかり胸にこたえた。 「嬢ちゃんですか。」 「ええ、もう、年弱《としよわ》の三歳《みッつ》になりますが、ええ、もう、はや――ああ、何、お茶一つ上げんかい。」  と、茶卓に注《つ》いで出した。 「あ、」  清水にきぬ洗える美女である。先刻《さっき》のままで、洗いさらした銘仙《めいせん》の半纏《はんてん》を引掛《ひっか》けた。 「先刻は。」 「まあ、あなた。」 「お目にかかったか。」 「ええ、梅鉢寺の清水の処で、――あの、摩耶夫人様のお寺をおききなさいました。」  渠《かれ》は冷い汗を流した。知らずに聞いた路なのではなかったのである。 「御信心でございますわね。」  と、熟《じっ》と見た目を、俯目《ふしめ》にぽッと染めた。  むっくりとした膝を敲《たた》いて、 「それは御縁じゃ――ますます、丹、丹精を抽んでますで。」 「ああ、こちらの御新姐《ごしんぞ》ですか。」  と、吻《ほっ》として、うっかり言う。 「いや、ええ、その……師、師匠の娘でござりまして。」 「何ですね、――ねえ、……坊や。」  と、敷居の内へ……片手づきに、納戸へ背向《そがい》に面《おもて》を背けた。  樹島は謝礼を差出した。出来《しゅったい》の上で、と辞して肯《がえん》ぜぬのを、平にと納めさすと、きちょうめんに、硯《すずり》に直って、ごしごしと墨をあたって、席書をするように、受取を―― [#ここから2字下げ]   記 一金……円也 [#ここで字下げ終わり] 「ま、ま、摩……耶の字?……ああ、分りました。」 「御主人。」  と樹島が手を挙げて、 「夫人のお名は、金員の下でなく、並べてか、……上の方へ願います。」 「あ、あ、あい分りました。」 「御丁寧に。……では、どうぞ。……決して口を出すのではありませんが、お顔をどうぞ、なりたけ、お綺麗になすって下さい。……お仕事の法にかなわないかは分りませんが。」 「ああ、いえ。――何よりも御容貌が大切でございます。――赤門寺のお上人は、よく店へお立寄り下さいますが、てまえどもの方の事にも、それはお悉《くわ》しゅうございましてな。……お言《ことば》には――相好《そうごう》説法――と申して、それぞれの備ったおん方は、ただお顔を見たばかりで、心も、身も、命も、信心が起《おこ》るのじゃと申されます。――わけて、御女体、それはもう、端麗微妙《たんれいみみょう》の御面相でなければあいなりません。――……てまいただ、力、力が、腕、腕がござりましょうか、いかがかと存じまするのみでして、は、はい。」  樹島は、ただ一目散に停車場《ステエション》へ駈《かけ》つけて、一いきに東京へ遁《に》げかえる覚悟をして言った。 「御新姐の似顔ならば本懐です。」――  十二月半ばである。日短かな暮方に、寒い縁側の戸を引いて――震災後のたてつけのくるいのため、しまりがつかない――竹の心張棒を構おうとして、柱と戸の桟に、かッと極《き》め、極めはずした不思議のはずみに、太い竹が篠《しの》のようにびしゃっと撓《しな》って、右の手の指を二本|打《うち》みしゃいだ。腕が砕けたかと思った――気が遠くなったほどである。この前日、夫人像出来、道中安全、出荷という、はがきの通知をうけていた。  のち二日目の午後、小包が届いたのである。お医師《いしゃ》を煩わすほどでもなかった。が、繃帯《ほうたい》した手に、待ちこがれた包を解いた、真綿を幾重にも分けながら。  両手にうけて捧げ参らす――罰当り……頬を、唇を、と思ったのが、面《おもて》を合すと、仏師の若き妻の面でない――幼い時を、そのままに、夢にも忘れまじき、なき母の面影であった。  樹島は、ハッと、真綿に据えたまま、蒼白《あお》くなって飛退《とびしさ》った。そして、両手をついた。指はズキズキと身に応《こた》えた。  更《あらた》めて、心着くと、ああ、夫人の像の片手が、手首から裂けて、中指、薬指が細々と、白く、蕋《しべ》のように落ちていた。  この御慈愛なかりせば、一昨日《おととい》片腕は折れたであろう。渠《かれ》は胸に抱いて泣いたのである。  なお仏師から手紙が添って――山妻云々とのお言《ことば》、あるいはお戯《たわむれ》でなかったかも存ぜぬが、……しごとのあいだ、赤門寺のお上人が四五度もしばしば見えて、一定《いちじょう》それに擬《なぞら》え候よう、御許様《おんもとさま》のお母様の俤《おもかげ》を、おぼろげならず申伝えられましたるゆえ――とこの趣であった。  ――樹島の事をここに記して――  筆者は、無憂樹、峰茶屋心中、なお夫人堂など、両三度、摩耶夫人の御像《みすがた》を写そうとした。いままた繰返しながら、その面影の影らしい影をさえ、描き得ない拙《つたな》さを、恥じなければならない。 [#地から1字上げ]大正十三(一九二四)年七月 底本:「泉鏡花集成8」ちくま文庫、筑摩書房    1996(平成8)年5月23日第1刷発行 底本の親本:「鏡花全集 第二十二卷」岩波書店    1940(昭和15)年11月20日発行 入力:門田裕志 校正:noriko saito 2008年10月23日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。