瓜の涙 泉鏡花 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)年紀《とし》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)加賀国|富樫《とがし》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数) (例)﨟 -------------------------------------------------------        一  年紀《とし》は少《わか》いのに、よっぽど好きだと見えて、さもおいしそうに煙草《たばこ》を喫《の》みつつ、……しかし烈《はげ》しい暑さに弱って、身も疲れた様子で、炎天の並木の下に憩《やす》んでいる学生がある。  まだ二十歳《はたち》そこらであろう、久留米絣《くるめがすり》の、紺の濃く綺麗《きれい》な処は初々《ういうい》しい。けれども、着がえのなさか、幾度も水を潜《くぐ》ったらしく、肘《ひじ》、背筋、折りかがみのあたりは、さらぬだに、あまり健康《じょうぶ》そうにはないのが、薄痩《うすや》せて見えるまで、その処々色が褪《あ》せて禿《は》げている。――茶の唐縮緬《めりんす》の帯、それよりも煙草に相応《そぐ》わないのは、東京のなにがし工業学校の金色の徽章《きしょう》のついた制帽で、巻莨《まきたばこ》ならまだしも、喫《の》んでいるのが刻煙草《きざみ》である。  場所は、言った通り、城下から海岸の港へ通る二里余りの並木の途中、ちょうど真中処《まんなかどころ》に、昔から伝説を持った大《おおき》な一面の石がある――義経記《ぎけいき》に、…… [#ここから2字下げ] 加賀国|富樫《とがし》と言う所も近くなり、富樫の介《すけ》と申すは当国の大名なり、鎌倉|殿《どの》より仰《おおせ》は蒙《こうむ》らねども、内々用心して判官殿《ほうがんどの》を待奉《まちたてまつ》るとぞ聞えける。武蔵坊《むさしぼう》申しけるは、君はこれより宮の越《こし》へ渡らせおわしませ―― [#ここで字下げ終わり] とある……金石《かないわ》の港で、すなわち、旧《もと》の名|宮《みや》の越《こし》である。  真偽のほどは知らないが、おなじ城下を東へ寄った隣国へ越《こえ》る山の尾根の談義所村というのに、富樫があとを追って、つくり山伏の一行に杯を勧めた時、武蔵坊が鳴るは滝の水、日は照れども絶えずと、謡《うた》ったと伝うる(鳴《なる》は滝)小さな滝の名所があるのに対して、これを義経《よしつね》の人待石《ひとまちいし》と称《とな》うるのである。行歩《こうほ》健《すこや》かに先立って来たのが、あるき悩んだ久我《くが》どのの姫君――北の方《かた》を、乳母《めのと》の十郎|権《ごん》の頭《かみ》が扶《たす》け参らせ、後《おく》れて来るのを、判官がこの石に憩って待合わせたというのである。目覚しい石である。夏草の茂った中に、高さはただ草を抽《ぬ》いて二三尺ばかりだけれども、広さおよそ畳を数えて十五畳はあろう、深い割目《われめ》が地の下に徹《とお》って、もう一つ八畳ばかりなのと二枚ある。以前はこれが一面の目を驚かすものだったが、何の年かの大地震に、坤軸《こんじく》を覆して、左右へ裂けたのだそうである。  またこの石を、城下のものは一口に呼んで巨石《おおいし》とも言う。  石の左右に、この松並木の中にも、形の丈の最も勝《すぐ》れた松が二株あって、海に寄ったのは亭々《ていてい》として雲を凌《しの》ぎ、町へ寄ったは拮蟠《きっはん》して、枝を低く、彼処《かしこ》に湧出《わきい》づる清水に翳《かざ》す。……  そこに、青き苔《こけ》の滑《なめら》かなる、石囲《いしがこい》の掘抜《ほりぬき》を噴出づる水は、音に聞えて、氷のごとく冷やかに潔い。人の知った名水で、並木の清水と言うのであるが、これは路傍《みちばた》に自《おのず》から湧いて流るるのでなく、人が囲った持主があって、清水茶屋と言う茶店が一軒、田畝《たんぼ》の土手上に廂《ひさし》を構えた、本家は別の、出茶屋《でぢゃや》だけれども、ちょっと見霽《みはらし》の座敷もある。あの低い松の枝の地紙形《じがみなり》に翳蔽《さしおお》える葉の裏に、葦簀《よしず》を掛けて、掘抜に繞《めぐ》らした中を、美しい清水は、松影に揺れ動いて、日盛《ひざかり》にも白銀《しろがね》の月影をこぼして溢《あふ》るるのを、広い水槽でうけて、その中に、真桑瓜《まくわうり》、西瓜《すいか》、桃、李《すもも》の実を冷《ひや》して売る。……  名代《なだい》である。        二  畠《はたけ》一帯、真桑瓜が名産で、この水あるがためか、巨石《おおいし》の瓜は銀色だと言う……瓜畠がずッと続いて、やがて蓮池《はすいけ》になる……それからは皆|青田《あおた》で。  畑《はた》のは知らない。実際、水槽に浸したのは、真蒼《まっさお》な西瓜も、黄なる瓜も、颯《さっ》と銀色の蓑《みの》を浴びる。あくどい李の紅《あか》いのさえ、淡くくるくると浅葱《あさぎ》に舞う。水に迸《ほとばし》る勢《いきおい》に、水槽を装上《もりあが》って、そこから百条の簾《すだれ》を乱して、溝を走って、路傍《みちばた》の草を、さらさらと鳴して行《ゆ》く。  音が通い、雫《しずく》を帯びて、人待石――巨石の割目に茂った、露草の花、蓼《たで》の紅《くれない》も、ここに腰掛けたという判官のその山伏の姿よりは、爽《さわや》かに鎧《よろ》うたる、色よき縅毛《おどしげ》を思わせて、黄金《こがね》の太刀も草摺《くさずり》も鳴るよ、とばかり、松の梢《こずえ》は颯々《さつさつ》と、清水の音に通って涼しい。  けれども、涼しいのは松の下、分けて清水の、玉を鳴して流るる処ばかりであろう。  三|間《げん》幅――並木の道は、真白《まっしろ》にキラキラと太陽に光って、ごろた石は炎を噴く……両側の松は梢から、枝から、おのが影をおのが幹にのみ這《は》わせつつ、真黒《まっくろ》な蛇の形を畝《うね》らす。  雲白く、秀でたる白根《しらね》が岳の頂に、四時の雪はありながら、田は乾き、畠は割れつつ、瓜の畠の葉も赤い。来た処も、行《ゆ》く道も、露草は胡麻《ごま》のように乾《ひから》び、蓼の紅は蚯蚓《みみず》が爛《ただ》れたかと疑われる。  人の往来《ゆきき》はバッタリない。  大空には、あたかもこの海の沖を通って、有磯海《ありそうみ》から親不知《おやしらず》の浜を、五智の如来《にょらい》へ詣《もう》ずるという、泳ぐのに半身を波の上に顕《あらわ》して、列を造って行《ゆ》くとか聞く、海豚《いるか》の群が、毒気を吐掛けたような入道雲の低いのが、むくむくと推並《おしなら》んで、動くともなしに、見ていると、地《じ》が揺れるように、ぬッと動く。  見すぼらしい、が、色の白い学生は、高い方の松の根に一人居た。  見ても、薄桃色に、また青く透明《すきとお》る、冷い、甘い露の垂りそうな瓜に対して、もの欲《ほし》げに思われるのを恥じたのであろう。茶店にやや遠い人待石に――  で、その石には腰も掛けず、草に蹲《うずくま》って、そして妙な事をする。……煙草《たばこ》を喫《の》むのに、燐寸《マッチ》を摺った。が、燃さしの軸を、消えるのを待って、もとの箱に入れて、袂《たもと》に蔵《しま》った。  乏しい様子が、燐寸ばかりも、等閑《なおざり》になし得ない道理は解《よ》めるが、焚残《もえのこ》りの軸を何にしよう……  蓋《けだ》し、この年配《とし》ごろの人数《ひとかず》には漏れない、判官贔屓《ほうがんびいき》が、その古跡を、取散らすまい、犯すまいとしたのであった―― 「この松の事だろうか……」  ――金石《かないわ》の湊《みなと》、宮の腰の浜へ上って、北海の鮹《たこ》と烏賊《いか》と蛤《はまぐり》が、開帳まいりに、ここへ出て来たという、滑稽《おかし》な昔話がある――  人待石に憩《やす》んだ時、道中の慰みに、おのおの一芸を仕《つかまつ》ろうと申合す。と、鮹が真前《まっさき》にちょろちょろと松の木の天辺《てっぺん》へ這《は》って、脚をぶらりと、 「藤の花とはどうだの、下《さが》り藤、上《あが》り藤。」と縮んだり伸びたり。  烏賊が枝へ上って、鰭《ひれ》を張った。 「印半纏《しるしばんてん》見てくんねえ。……鳶職《とび》のもの、鳶職のもの。」  そこで、蛤が貝を開いて、 「善光寺様、お開帳。」とこう言うのである。  鉈豆煙管《なたまめぎせる》を噛《か》むように啣《くわ》えながら、枝を透かして仰ぐと、雲の搦《から》んだ暗い梢は、ちらちらと、今も紫の藤が咲くか、と見える。        三 「――あすこに鮹が居ます――」  とこの高松の梢に掛《かか》った藤の花を指《ゆびさ》して、連《つれ》の職人が、いまのその話をした時は……  ちょうど藤つつじの盛《さかり》な頃を、父と一所に、大勢で、金石の海へ……船で鰯網《いわしあみ》を曵《ひ》かせに行《ゆ》く途中であった……  楽しかった……もうそこの茶店で、大人たちは一度|吸筒《すいづつ》を開いた。早や七年も前になる……梅雨晴の青い空を、流るる雲に乗るように、松並木の梢を縫って、すうすうと尾長鳥が飛んでいる。  長閑《のどか》に、静《しずか》な景色であった。  と炎天に夢を見る様に、恍惚《うっとり》と松の梢に藤の紫を思ったのが、にわかに驚く! その次なる烏賊の芸当。  鳶職《とび》というのを思うにつけ、学生のその迫った眉はたちまち暗かった。  松野謹三、渠《かれ》は去年の秋、故郷《ふるさと》の家が焼けたにより、東京の学校を中途にして帰ったまま、学資の出途《しゅっと》に窮するため、拳《こぶし》を握り、足を爪立てているのである。  いや、ただ学資ばかりではない。……その日その日の米|薪《まき》さえ覚束《おぼつか》ない生活の悪処に臨んで、――実はこの日も、朝飯《あさ》を済ましたばかりなのであった。  全焼《まるやけ》のあとで、父は煩って世を去った。――残ったのは七十に近い祖母と、十ウばかりの弟ばかり。  父は塗師職《ぬししょく》であった。  黄金無垢《きんむく》の金具、高蒔絵《たかまきえ》の、貴重な仏壇の修復をするのに、家に預ってあったのが火になった。その償いの一端にさえ、あらゆる身上《しんしょう》を煙《けむ》にして、なお足りないくらいで、焼あとには灰らしい灰も残らなかった。  貧乏寺の一間を借りて、墓の影法師のように日を送る。――  十日ばかり前である。  渠《かれ》が寝られぬ短夜《みじかよ》に……疲れて、寝忘れて遅く起きると、祖母《としより》の影が見えぬ……  枕頭《まくらもと》の障子の陰に、朝の膳《ぜん》ごしらえが、ちゃんと出来ていたのを見て、水を浴びたように肝《きも》まで寒くした。――大川も堀も近い。……ついぞ愚痴《ぐち》などを言った事のない祖母《としより》だけれど、このごろの余りの事に、自分さえなかったら、木登りをしても学問の思いは届こうと、それを繰返していたのであるから。  幸《さいわい》に箸箱《はしばこ》の下に紙切が見着かった――それに、仮名《かな》でほつほつと(あんじまいぞ。)と書いてあった。  祖母《としより》は、その日もおなじほどの炎天を、草鞋穿《わらじばき》で、松任《まっとう》という、三里隔った町まで、父が存生《ぞんしょう》の時に工賃の貸がある骨董屋《こっとうや》へ、勘定を取りに行ったのであった。  七十の老《としより》が、往復六里。……骨董屋は疾《とう》に夜遁《よに》げをしたとやらで、何の効《かい》もなく、日暮方《ひぐれがた》に帰ったが、町端《まちはずれ》まで戻ると、余りの暑さと疲労《つかれ》とで、目が眩《くら》んで、呼吸《いき》が切れそうになった時、生玉子を一個《ひとつ》買って飲むと、蘇生《よみがえ》った心地がした。…… 「根気《こん》の薬じゃ。」と、そんな活計《くらし》の中から、朝ごとに玉子を割って、黄味も二つわけにして兄弟へ……  萎《しお》れた草に露である。  ――今朝も、その慈愛の露を吸った勢《いきおい》で、謹三がここへ来たのは、金石の港に何某《なにがし》とて、器具商があって、それにも工賃の貸がある……懸《かけ》を乞いに出たのであった――  若いものの癖として、出たとこ勝負の元気に任せて、影も見ないで、日盛《ひざかり》を、松並木の焦げるがごとき中途に来た。  暑さに憩うだけだったら、清水にも瓜にも気兼《きがね》のある、茶店の近所でなくっても、求むれば、別なる松の下蔭もあったろう。  渠《かれ》はひもじい腹も、甘くなるまで、胸に秘めた思《おもい》があった。  判官の人待石。  それは、その思を籠《こ》むる、宮殿の大なる玉の床と言っても可《よ》かろう。        四  金石街道の松並木、ちょうどこの人待石から、城下の空を振向くと、陽春三四月の頃は、天の一方をぽっと染めて、銀河《あまのがわ》の横たうごとき、一条《ひとすじ》の雲ならぬ紅《くれない》の霞が懸《かか》る。……  遠山の桜に髣髴《ほうふつ》たる色であるから、花の盛《さかり》には相違ないが、野山にも、公園にも、数の植わった邸町《やしきまち》にも、土地一統が、桜の名所として知った場所に、その方角に当っては、一所《ひとところ》として空に映るまで花の多い処はない。……霞の滝、かくれ沼、浮城《うきしろ》、もの語《がたり》を聞くのと違って、現在、誰の目にも視《なが》めらるる。  見えつつ、幻影《まぼろし》かと思えば、雲のたたずまい、日の加減で、その色の濃い事は、一斉《いっとき》に緋桃《ひもも》が咲いたほどであるから、あるいは桃だろうとも言うのである。  紫の雲の、本願寺の屋の棟にかかるのは引接《いんじょう》の果報ある善男善女でないと拝まれない。が紅の霞はその時節にここを通る鰯売《いわしうり》鯖売《さばうり》も誰知らないものはない。  深秘な山には、谷を隔てて、見えつつ近づくべからざる巨木名花があると聞く。……いずれ、佐保姫の妙《たえ》なる袖の影であろう。  花の蜃気楼《しんきろう》だ、海市《かいし》である……雲井桜と、その霞を称《たた》えて、人待石に、氈《せん》を敷き、割籠《わりご》を開いて、町から、特に見物が出るくらい。  けれども人々は、ただ雲を掴《つか》んで影を視《なが》めるばかりなのを……謹三は一人その花吹く天《そら》――雲井桜を知っていた。  夢ではない。……得《え》忘るまじく可懐《なつか》しい。ただ思うにさえ、胸の時めく里である。  この年の春の末であった。――  雀を見ても、燕《つばくろ》を見ても、手を束《つか》ねて、寺に籠《こも》ってはいられない。その日の糧《かて》の不安さに、はじめはただ町や辻をうろついて廻ったが、落穂のないのは知れているのに、跫音《あしおと》にも、けたたましく驚かさるるのは、草の鶉《うずら》よりもなお果敢《はか》ない。  詮方《せんかた》なさに信心をはじめた。世に人にたすけのない時、源氏も平家も、取縋《とりすが》るのは神仏《かみほとけ》である。  世間は、春風に大きく暖く吹かるる中を、一人陰になって霜げながら、貧しい場末の町端《まちはずれ》から、山裾《やますそ》の浅い谿《たに》に、小流《こながれ》の畝々《うねうね》と、次第|高《だか》に、何ヶ寺も皆日蓮宗の寺が続いて、天満宮、清正公《せいしょうこう》、弁財天、鬼子母神《きしぼじん》、七面大明神、妙見宮《みょうけんぐう》、寺々に祭った神仏を、日課のごとく巡礼した。 「……御飯が食べられますように、……」  父が存生《ぞんしょう》の頃は、毎年、正月の元日には雪の中を草鞋穿《わらじばき》でそこに詣《もう》ずるのに供をした。参詣《さんけい》が果てると雑煮を祝って、すぐにお正月が来るのであったが、これはいつまでも大晦日《おおみそか》で、餅どころか、袂《たもと》に、煎餅《せんべい》も、榧《かや》の実もない。  一《ある》寺に北辰《ほくしん》妙見宮のまします堂は、森々《しんしん》とした樹立《こだち》の中を、深く石段を上る高い処にある。 「ぼろきてほうこう。ぼろきてほうこう。」  昼も梟《ふくろう》が鳴交わした。  この寺の墓所《はかしょ》に、京の友禅とか、江戸の俳優|某《なにがし》とか、墓があるよし、人伝《ひとづて》に聞いたので、それを捜すともなしに、卵塔《らんとう》の中へ入った。  墓は皆暗かった、土地は高いのに、じめじめと、落葉も払わず、苔《こけ》は萍《うきぐさ》のようであった。  ふと、生垣を覗《のぞ》いた明《あかる》い綺麗な色がある。外の春日《はるび》が、麗《うらら》かに垣の破目《やれめ》へ映って、娘が覗くように、千代紙で招くのは、菜の花に交《まじ》る紫雲英《げんげ》である。……  少年の瞼《まぶた》は颯《さっ》と血を潮《さ》した。  袖さえ軽い羽かと思う、蝶に憑《つ》かれたようになって、垣の破目をするりと抜けると、出た処の狭い路《みち》は、飛々《とびとび》の草鞋のあと、まばらの馬の沓《くつ》の形《かた》を、そのまま印して、乱れた亀甲形《きっこうがた》に白く乾いた。それにも、人の往来《ゆきき》の疎《まばら》なのが知れて、隈《くま》なき日当りが寂寞《ひっそり》して、薄甘く暖い。  怪しき臭気《におい》、得《え》ならぬものを蔽《おお》うた、藁《わら》も蓆《むしろ》も、早や路傍《みちばた》に露骨《あらわ》ながら、そこには菫《すみれ》の濃いのが咲いて、淡《うす》いのが草まじりに、はらはらと数に乱れる。  馬の沓形《くつがた》の畠やや中窪《なかくぼ》なのが一面、青麦に菜を添え、紫雲英を畔《くろ》に敷いている。……真向うは、この辺一帯に赤土山の兀《は》げた中に、ひとり薄萌黄《うすもえぎ》に包まれた、土佐絵に似た峰である。  と、この一廓《ひとくるわ》の、徽章《きしょう》とも言《いっ》つべく、峰の簪《かざし》にも似て、あたかも紅玉を鏤《ちりば》めて陽炎《かげろう》の箔《はく》を置いた状《さま》に真紅に咲静まったのは、一株の桃であった。  綺麗さも凄《すご》かった。すらすらと呼吸《いき》をする、その陽炎にものを言って、笑っているようである。  真赤《まっか》な蛇が居ようも知れぬ。  が、渠《かれ》の身に取っては、食に尽きて倒るるより、自然《ひとりで》に死ぬなら、蛇に巻かれたのが本望であったかも知れぬ。  袂《たもと》に近い菜の花に、白い蝶が来て誘う。  ああ、いや、白い蛇であろう。  その桃に向って、行《ゆ》きざまに、ふと見ると、墓地《はかち》の上に、妙見宮の棟の見ゆる山へ続く森の裏は、山際から崕上《がけうえ》を彩って――はじめて知った――一面の桜である。……人は知るまい……一面の桜である。  行《ゆ》くに従うて、路は、奥拡がりにぐるりと山の根を伝う。その袂にも桜が充《み》ちた。  しばらく、青麦の畠になって、紫雲英で輪取る。畔づたいに廻りながら、やがて端へ出て、横向に桃を見ると、その樹のあたりから路が坂に低くなる、両方は、飛々|差覗《さしのぞ》く、小屋、藁屋を、屋根から埋《うず》むばかり底広がりに奥を蔽《おお》うて、見尽されない桜であった。  余りの思いがけなさに、渠は寂然《じゃくねん》たる春昼をただ一人、花に吸われて消えそうに立った。  その日は、何事もなかった――もとの墓地を抜けて帰った――ものに憑《つ》かれたようになって、夜《よ》はおなじ景色を夢に視《み》た。夢には、桜は、しかし桃の梢《こずえ》に、妙見宮の棟下りに晃々《きらきら》と明星が輝いたのである。  翌日《あくるひ》も、翌日も……行ってその三度《みたび》の時、寺の垣を、例の人里へ出ると斉《ひと》しく、桃の枝を黒髪に、花菜を褄《つま》にして立った、世にも美しい娘を見た。  十六七の、瓜実顔《うりざねがお》の色の白いのが、おさげとかいう、うしろへさげ髪にした濃い艶《つや》のある房《ふっさ》りした、その黒髪の鬢《びん》が、わざとならずふっくりして、優しい眉の、目の涼しい、引しめた唇の、やや寂しいのが品がよく、鼻筋が忘れたように隆《たか》い。  縞目《しまめ》は、よく分らぬ、矢絣《やがすり》ではあるまい、濃い藤色の腰に、赤い帯を胸高《むなだか》にした、とばかりで袖を覚えぬ、筒袖だったか、振袖だったか、ものに隠れたのであろう。  真昼の緋桃《ひもも》も、その娘の姿に露の濡色を見せて、髪にも、髻《もとどり》にも影さす中に、その瓜実顔を少《すこし》く傾けて、陽炎を透かして、峰の松を仰いでいた。  謹三は、ハッと後退《あとずさ》りに退《すさ》った。――杉垣の破目《われめ》へ引込むのに、かさかさと帯の鳴るのが浅間《あさま》しかったのである。  気咎《きとが》めに、二日ばかり、手繰り寄せらるる思いをしながら、あえて行《ゆ》くのを憚《はばか》ったが――また不思議に北国《ほっこく》にも日和が続いた――三日めの同じ頃、魂がふッと墓を抜けて出ると、向うの桃に影もない。……  勿体なくも、路々《みちみち》拝んだ仏神の御名《みな》を忘れようとした処へ――花の梢が、低く靉靆《たなび》く……藁屋はずれに黒髪が見え、すらりと肩が浮いて、俯向《うつむ》いて出たその娘が、桃に立ちざまに、目を涼しく、と小戻《こもどり》をしようとして、幹がくれに密《そ》と覗いて、此方《こなた》をば熟《じっ》と視《み》る時、俯目《ふしめ》になった。  思わず、そのとき渠《かれ》は蹲《しゃが》んだ、そして煙草《たばこ》を喫《の》んだ形は、――ここに人待石の松蔭と同じである――  が、姿も見ないで、横を向きながら、二服とは喫みも得ないで、慌《あわただ》しげにまた立つと、精々落着いて其方《そなた》に歩んだ。畠を、ややめぐり足に、近づいた時であった。  娘が、柔順《すなお》に尋常に会釈して、 「誰方《どなた》?……」  と優しい声を聞いて、はっとした途端に、真上なる山懐《やまふところ》から、頭《つむり》へ浴びせて、大きな声で、 「何か、用か。」と喚《わめ》いた。 「失礼!」  と言う、頸首《えりくび》を、空から天狗《てんぐ》に引掴《ひッつか》まるる心地がして、 「通道《とおりみち》ではなかったんですか、失礼しました、失礼でした。」  ――それからは……寺までも行《ゆ》き得ない。        五  人は何とも言わば言え……  で渠《かれ》に取っては、花のその一里《ひとさと》が、所謂《いわゆる》、雲井桜の仙境であった。たとえば大空なる紅《くれない》の霞に乗って、あまつさえその美しいぬし[#「ぬし」に傍点]を視《み》たのであるから。  町を行《ゆ》くにも、気の怯《ひ》けるまで、郷里にうらぶれた渠が身に、――誰も知るまい、――ただ一人、秘密の境を探り得たのは、潜《ひそか》に大《おおい》なる誇りであった。  が、ものの本の中《うち》に、同じような場面を読み、絵の面《おもて》に、そうした色彩に対しても、自《おのず》から面《おもて》の赤うなる年紀《とし》である。  祖母《としより》の傍《そば》でも、小さな弟と一所でも、胸に思うのも憚《はばか》られる。……寝て一人の時さえ、夜着の袖を被《かぶ》らなければ、心に描くのが後暗《うしろめた》い。……  ――それを、この機会に、並木の松蔭に取出でて、深秘なるあが仏を、人待石に、密《ひそか》に据えようとしたのである。  成りたけ、人勢《ひとけ》に遠ざかって、茶店に離れたのに不思議はあるまい。  その癖、傍《はた》で視《み》ると、渠が目に彩り、心に映した――あの﨟《ろう》たけた娘の姿を、そのまま取出して、巨石《おおいし》の床に据えた処は、松並木へ店を開いて、藤娘の絵を売るか、普賢菩薩《ふげんぼさつ》の勧進をするような光景であった。  渠は、空《くう》に恍惚《うっとり》と瞳を据えた。が、余りに憧《あこが》るる煩悩は、かえって行澄《おこないす》ましたもののごとく、容《かたち》も心も涼しそうで、紺絣《こんがすり》さえ松葉の散った墨染の法衣《ころも》に見える。  時に、吸ったのが悪いように、煙を手で払って、叺《かます》の煙草入を懐中《ふところ》へ蔵《しま》うと、静《しずか》に身を起して立ったのは――更《あらた》めて松の幹にも凭懸《よりかか》って、縋《すが》って、あせって、煩《もだ》えて、――ここから見ゆるという、花の雲井をいまはただ、蒼《あお》くも白くも、熟《じっ》と城下の天の一方に眺めようとしたのであった。  さりとも、人は、と更《あらた》めて、清水の茶屋を、松の葉|越《ごし》に差窺《さしうかが》うと、赤ちゃけた、ばさらな銀杏返《いちょうがえし》をぐたりと横に、框《かまち》から縁台へ落掛《おちかか》るように浴衣の肩を見せて、障子の陰に女が転がる。  納戸へ通口《かよいぐち》らしい、浅間《あさま》な柱に、肌襦袢《はだじゅばん》ばかりを着た、胡麻塩頭《ごましおあたま》の亭主が、売溜《うりだめ》の銭箱の蓋《ふた》を圧《おさ》えざまに、仰向けに凭《もた》れて、あんぐりと口を開けた。  瓜畑を見透《みとお》しの縁――そこが座敷――に足を投出して、腹這《はらば》いになった男が一人、黄色な団扇《うちわ》で、耳も頭もかくしながら、土地の赤新聞というのを、鼻の下に敷いていたのが、と見る間に、二ツ三ツ団扇ばかり動いたと思えば、くるりと仰向けになった胸が、臍《へそ》まで寛《はだ》ける。  清水はひとり、松の翠《みどり》に、水晶の鎧《よろい》を揺据《ゆりす》える。  蝉時雨《せみしぐれ》が、ただ一つになって聞えて、清水の上に、ジーンと響く。  渠は心ゆくばかり城下を視《なが》めた。  遠近《おちこち》の樹立《こだち》も、森も、日盛《ひざかり》に煙のごとく、重《かさな》る屋根に山も低い。町はずれを、蒼空《あおぞら》へ突出た、青い薬研《やげん》の底かと見るのに、きらきらと眩《まばゆ》い水銀を湛えたのは湖の尖端《せんたん》である。  あのあたり、あの空……  と思うのに――雲はなくて、蓮田《はすだ》、水田《みずた》、畠を掛けて、むくむくと列を造る、あの雲の峰は、海から湧《わ》いて地平線上を押廻す。  冷《つめた》い酢の香が芬《ぷん》と立つと、瓜、李《すもも》の躍る底から、心太《ところてん》が三ツ四ツ、むくむくと泳ぎ出す。  清水は、人の知らぬ、こんな時、一層高く潔く、且つ湧き、且つ迸《ほとばし》るのであろう。  蒼蝿《ぎんばえ》がブーンと来た。  そこへ……        六  いかに、あの体《てい》では、蝶よりも蠅が集《たか》ろう……さし捨《すて》のおいらん草など塵塚《ちりづか》へ運ぶ途中に似た、いろいろな湯具|蹴出《けだ》し。年増まじりにあくどく化粧《けわ》った少《わか》い女が六七人、汗まみれになって、ついそこへ、並木を来かかる。……  年増分が先へ立ったが、いずれも日蔭を便《たよ》るので、捩《よじ》れた洗濯もののように、その濡れるほどの汗に、裾《すそ》も振《ふり》もよれよれになりながら、妙に一列に列を造った体《てい》は、率いるものがあって、一からげに、縄尻でも取っていそうで、浅間しいまであわれに見える。  故あるかな、背後に迫って男が二人。一人の少《わか》い方は、洋傘《こうもり》を片手に、片手は、はたはたと扇子を使い使い来るが、扇子面に広告の描いてないのが可訝《おかし》いくらい、何のためか知らず、絞《しぼり》の扱帯《しごき》の背《せなか》に漢竹の節を詰めた、杖《ステッキ》だか、鞭《むち》だか、朱の総《ふさ》のついた奴《やつ》をすくりと刺している。  年倍《としばい》なる兀頭《はげあたま》は、紐《ひも》のついた大《おおき》な蝦蟇口《がまぐち》を突込《つッこ》んだ、布袋腹《ほていばら》に、褌《ふどし》のあからさまな前はだけで、土地で売る雪を切った氷を、手拭《てぬぐい》にくるんで南瓜《とうなす》かぶりに、頤《あご》を締めて、やっぱり洋傘《こうもり》、この大爺《おおじじい》が殿《しっぱらい》で。 「あらッ、水がある……」  と一人の女が金切声を揚げると、 「水がある!」  と言うなりに、こめかみの処へ頭痛膏《ずつうこう》を貼《は》った顔を掉《ふ》って、年増が真先《まっさき》に飛込むと、たちまち、崩れたように列が乱れて、ばらばらと女連《おんなれん》が茶店へ駆寄る。  ちょっと立どまって、大爺と口を利いた少《わか》いのが、続いて入りざまに、 「じゃあ、何だぜ、お前さん方――ここで一休みするかわりに、湊《みなと》じゃあ、どこにも寄らねえで、すぐに、汽船だよ、船だよ。」  銀鎖を引張って、パチンと言わせて、 「出帆に、もう、そんなに間もねえからな。」 「おお、暑い、暑い。」 「ああ暑い。」  もう飛ついて、茶碗やら柄杓《ひしゃく》やら。諸膚《もろはだ》を脱いだのもあれば、腋《わき》の下まで腕まくりするのがある。  年増のごときは、 「さあ、水行水《みずぎょうずい》。」  と言うが早いか、瓜の皮を剥《む》くように、ずるりと縁台へ脱いで赤裸々《まっぱだか》。  黄色な膚《はだ》も、茶じみたのも、清水の色に皆白い。  学生は面《おもて》を背けた。が、年増に限らぬ……言合せたように皆頭痛膏を、こめかみへ。その時、ぽかんと起きた、茶店の女のどろんとした顔にも、斉《ひと》しく即効紙《そっこうし》がはってある。 「食《や》るが可《い》い。よく冷えてら。堪《たま》らねえや。だが、あれだよ、皆《みんな》、渡してある小遣《こづかい》で各々《めいめい》持《もち》だよ――西瓜《すいか》が好《よ》かったらこみで行きねえ、中は赤いぜ、うけ合だ。……えヘッヘッ。」  きゃあらきゃあらと若い奴《やつ》、蜩《ひぐらし》の化けた声を出す。 「真桑、李を噛《かじ》るなら、あとで塩湯を飲みなよ。――うんにゃ飲みなよ。大金のかかった身体《からだ》だ。」  と大爺は大王のごとく、真正面の框《かまち》に上胡坐《あげあぐら》になって、ぎろぎろと膚《はだ》を眗《みまわ》す。  とその中を、すらりと抜けて、褄《つま》も包ましいが、ちらちらと小刻《こきざみ》に、土手へ出て、巨石《おおいし》の其方《そなた》の隅に、松の根に立った娘がある。……手にも掬《むす》ばず、茶碗にも後《おく》れて、浸して吸ったかと思うばかり、白地の手拭の端を、莟《つぼ》むようにちょっと啣《くわ》えて悄《しお》れた。巣立の鶴の翼を傷《いた》めて、雲井の空から落ちざまに、さながら、昼顔の花に縋《すが》ったようなのは、――島田髭《しまだ》に結って、二つばかり年は長《た》けたが、それだけになお女らしい影を籠《こ》め、色香を湛《たた》え、情《なさけ》を含んだ、……浴衣は、しかし帯さえその時のをそのままで、見紛《みまが》う方なき、雲井桜の娘である。        七  ――お前たち。渡した小遣《こづかい》。赤い西瓜。皆の身体《からだ》。大金――と渦のごとく繰返して、その娘のおなじように、おなじ空に、その時瞳をじっと据えたのを視《み》ると、渠《かれ》は、思わず身を震わした。  面《おもて》を背けて、港の方《かた》を、暗くなった目に一目仰いだ時である。 「火事だ、」謹三はほとんど無意識に叫んだ。 「火事だ、火事です。」  と見る、偉大なる煙筒《えんとつ》のごとき煙の柱が、群湧《むらがりわ》いた、入道雲の頂へ、海ある空へ真黒《まっくろ》にすくと立つと、太陽《ひ》を横に並木の正面、根を赫《かっ》と赤く焼いた。 「火事――」と道の中へ衝《つ》と出た、人の飛ぶ足より疾《はや》く、黒煙《くろけむり》は幅を拡げ、屏風《びょうぶ》を立てて、千仭《せんじん》の断崖《がけ》を切立てたように聳《そばだ》った。 「火事だぞ。」 「あら、大変。」 「大《おおき》いよ!」  火事だ火事だと、男も女も口々に―― 「やあ、馬鹿々々。何だ、そんな体《なり》で、引込《ひっこ》まねえか、こら、引込まんか。」  と雲の峰の下に、膚脱《はだぬぎ》、裸体《はだか》の膨れた胸、大《おおき》な乳、肥《ふと》った臀《しり》を、若い奴が、鞭《むち》を振って追廻す――爪立《つまだ》つ、走る、緋《ひ》の、白の、股《もも》、向脛《むかはぎ》を、刎上《はねあ》げ、薙伏《なぎふ》せ、挫《ひし》ぐばかりに狩立てる。 「きゃッ。」 「わッ。」  と呼ぶ声、叫ぶ声、女どもの形は、黒い入道雲を泳ぐように立騒ぐ真上を、煙の柱は、じりじりと蔽《おお》い重《かさな》る。……  畜生――修羅――何等の光景。  たちまち天に蔓《はびこ》って、あの湖の薬研の銀も真黒になったかと思うと、村人も、往来《ゆきき》も、いつまたたく間か、どッと溜《たま》った。  謹三の袖に、ああ、娘が、引添う。……  あわれ、渠の胸には、清水がそのまま、血になって湧《わ》いて、涙を絞って流落ちた。  ばらばらばら!  火の粉かと見ると、こはいかに、大粒な雨が、一粒ずつ、粗《あら》く、疎《まばら》に、巨石《おおいし》の面《おもて》にかかって、ぱッと鼓草《たんぽぽ》の花の散るように濡れたと思うと、松の梢《こずえ》を虚空から、ひらひらと降って、胸を掠《かす》めて、ひらりと金色《こんじき》に飜って落ちたのは鮒《ふな》である。 「火事じゃあねえ、竜巻だ。」 「やあ、竜巻だ。」 「あれ。」  と口の裡《うち》、呼吸《いき》を引くように、胸の浪立った娘の手が、謹三の袂《たもと》に縋《すが》って、 「可恐《こわ》い……」 「…………」 「どうしましょうねえ。」  と引いて縋る、柔い細い手を、謹三は思わず、しかと取った。  ――いかになるべき人たちぞ… [#地から1字上げ]大正九(一九二〇)年十月 底本:「泉鏡花集成7」ちくま文庫、筑摩書房    1995(平成7)年12月4日第1刷発行 底本の親本:「鏡花全集 第二十卷」岩波書店    1941(昭和16)年5月20日発行 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 入力:門田裕志 校正:noriko saito 2009年1月29日作成 2009年4月10日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。