獅子舞と石橋 折口信夫 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)赤頭《アカガシラ》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)二人|立《ダテ》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#ここから2字下げ]  [#…]:返り点  (例)声明師詣[#二]清凉山[#一]事 ------------------------------------------------------- 能楽の獅子舞には、本式に、赤頭《アカガシラ》に獅子口《シヽグチ》の面《オモテ》をつけて出る石橋《シヤクケウ》と、望月《モチヅキ》や内外詣《ウチトマウデ》のやうに、仮面の代りに扇をかづき、赤頭をつけるのとがある。現実の獅子として出て来るのが石橋で、獅子芸で世を渡る芸能者の役を勤める場合、扇をつけて出る訣なのである。小沢刑部《ヲザハギヤウブ》・伊勢の神主などは、望まれて世間の獅子芸能を舞ふのである。 江戸時代の歌舞妓所作事の獅子舞で、石橋うつしでありながら、扇に牡丹をつけ、赤頭で舞つたものゝ多かつたのは、見当違ひである。本行《ホンギヤウ》らしく為立て直した連獅子・鏡獅子の類は、石橋物らしい姿に還つた訣である。だが石橋は法被半切《ハツピハンギり》など言ふ姿で、首から下は全くの人である。だが、能楽以前は、石橋系統の獅子舞があつたとすれば、恐らく胴体も四つ脚も、やはり獣類の姿を模したものだつたらう。能の獅子へ来る一つ前の形は、延年舞の中にあつたのではなからうか。趣向の石橋に並行してゐるのは、延年小風流の「|声明師詣[#二]清凉山[#一]事《シヤウミヤウジシヤウリヤウセンニマウヅルコト》」と言ふ曲である。奥州出の僧一人、声明研究の為に都へ上る。又一人の僧、これと道で遇ふ。其志を聞いて、それなら一層本元の唐土の五台山、清凉山へ渡つたがよいと言ふ。奥州の僧、なる程昔寂昭法師――大江定基――も其山へ参詣して、種々不思議を見たと聞いてゐる。案内してくれ、お伴しよう、と言ひ出す。やがて清凉山に達する。こゝは文殊《モンジユ》の浄土だ。法号を唱へ、祈念せよと言ふ。 [#ここから2字下げ] 笙歌遥に聞え候 孤雲の上。是は聖衆《シヤウジユ》の来迎《ライガウ》か。まのあたりなる奇特かな。 [#ここで字下げ終わり] とある。寂昭の作と言はれた詩の一部だが、石橋の中入前にも、これに似た文がある。 能なら、後じてと言ふ風で、そこへ文殊菩薩獅子に乗つて、脇士二人を従へて出る。汝等の志にめでゝ現れ、声明の秘曲を授け給ふ、と言ふ。旅の僧、このついでに、極楽の歌舞の曲を見せ給へ、と願ふ。心安いこと。それでは見せてやらうと言つて、囃しになる。 霊山を訪ふといふ曲ばかり多い延年舞の事だから、此外にも、寂昭法師が清凉山で不思議を見たことを作つたものがあつた事は、想像して不都合でない。天台山の石橋[#「天台山の石橋」に傍点]を見て記録を作つたのは、成尋律師[#「成尋律師」に傍点]だつたのだが、其を延年を作つた何寺かの僧が、色々な点で錯覚をまじへたものだらう。延年舞には風流《フリウ》の被物《カヅキモノ》をした動物類が活躍するので、右の文殊菩薩を乗せて来た獅子が、大いに狂うた段があつたものと思はれる。 石橋の方でも、間狂言《アヒキヤウゲン》の仙人の這入つて後、して[#「して」に傍点]・つれ[#「つれ」に傍点]で文殊と獅子とが現れてよいはずだが、何時の間にか、獅子だけがはたらくことになつたのである。 [#ここから2字下げ] しばらく待たせ給へや。影向《ヤウガウ》の時節も今、いく程よも過ぎじ。 [#ここで字下げ終わり] と言ふ語は、前じての語が地にふり替つたのである。謡ひ地よりも、寧、間狂言に牽かれて、獅子の出る形になつてゐる。 石橋の順道な解釈からすれば、獅子が文殊の化身と言ふことになりさうだ。文殊菩薩であつてこそ、獅子の座にこそ直りけれが、適切なので、獅子が獅子の座に直つたのでは、へんてつもない洒落にもならぬ文章になる。併、恐らく今日では、もうさうした変化の痕を辿ることの出来る資料は残つて居ないで、却つて、後じての輝く様な獅子の姿が、目に妥当性を持つて、動すことが出来なくなつた。 能自身にも、石橋系統以外の民俗舞踊式の獅子のあつた事を示してゐる。歌舞妓の獅子舞も、本流は石橋から出たやうに見えるのも、さう見せたゞけの事である。牡獅子《ヲジヽ》牝獅子《メジヽ》の番《ツガヒ》――交《ツガヒ》――獅子、其に絡む嫉妬《ヤキモチ》獅子とでもいふべき二人|立《ダテ》の獅子、三人立の獅子と言つた形の石橋様式を流しこんだものが多かつた。 上方歌舞妓の立役の獅子舞から岐れて、江戸へ流れこんだ女形の踊りの獅子は、一時期も二時期も画することになつた。瀬川菊之丞の相生獅子――風流相生獅子――は、名でも訣る様に交ひ獅子であつて、両腕で使うた牝牡《メヲ》の手獅子であり、現に江戸下り以前は、番獅子と言つた様だ。菊之丞の第二曲は英獅子《ハナブサジヽ》――通称枕獅子――で、其名をとつたのが、中村富十郎の英執著獅子《ハナブサシフヂヤクジヽ》だつたのである。 元々石橋から出たものではない此系統の獅子が、踊りには多かつた。其外に、太神楽・角兵衛獅子をとりこんだ、鞍馬獅子・角兵衛の一人獅子、勢獅子《キホヒジヽ》のやうな二人だちがあり、「三人石橋」の類は、三人だちである。此等は皆石橋が出来る前から、既にその種は用意せられてゐたのである。 底本:「折口信夫全集 21」中央公論社    1996(平成8)年11月10日初版発行 底本の親本:「折口信夫全集 第十七卷」中央公論社    1967(昭和42)年3月25日発行 初出:「時事新報」    1947(昭和22)年1月27日 ※初出時の署名は「釈迢空」です。 ※底本の題名の下に書かれている「昭和二十二年一月二十七日「時事新報」」はファイル末の「初出」欄に移しました。 入力:門田裕志 校正:フクポー 2018年5月27日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。