死児変相 神西清 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)一寸《ちょっと》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)二三|間《けん》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数) (例)稍〻《やや》 -------------------------------------------------------  母上さま、――  久しくためらつてゐましたこの御報告の筆を、千恵はやうやく取りあげます。  じつは姉上のお身の上につき申しあぐべきことのあらましは、もう一月ほど前から大よその目当てはついてをりました。だのに千恵は、「わからない、わからない」と、先日の手紙でも申しあげ、またつい一週間前の短かい手紙にも繰りかへしました。それもこれも嘘でした。いいえ、嘘といふよりむしろ希望のやうなものでした。つまり千恵は、お母さまがそのうちいつか忘れておしまひになりはしまいかと、それを心頼みにしてゐたのでした。けれど一昨日いただいたお手紙(それは途中どこかで迷つてゐたらしく、十日あまりも日数がかかつてゐましたが――)の様子では、忘れておしまひになるどころか、なまじ御報告を一寸《ちょっと》のばしに延ばせば延ばすほど、却《かえ》つてますます御不安をつのらせるだけらしいことが、千恵にもよくよく呑《の》みこめました。三晩もかさねて、不吉な夢をごらんになつたのですね。それがどんな中身の夢だつたのか、お手紙には書いてありませんが、前後のお言葉から大よその察しのつかないものでもありません。そんな悪夢をまでごらんになるやうな母上を前にしては、千恵はもはや空しい希望を捨てなければなりません。それに、母上のあのお手紙をいただいたその明くる日――つまり昨日、まるで申し合はせでもしたやうに千恵がこの目で[#「この目で」に傍点]あのやうなことを見てしまつた今となつては、もう何もかも有りのままに申しあげて、あとは宏大な摂理の御手に一切をおゆだねするほかないことを感じます。    ………………………………………  ですが千恵のたどたどしい筆では、昨日見たことはもとよりのこと、姉上の身におこつた変りやうの一々を、ただしくお伝へする自信はとてもありません。ほんたうなら、たとへ二日でも三日でも休暇をとつて、人なみの帰省をし、ひと晩ゆつくり口づてから母上にお話しするのが一番にちがひありません。口づてならば曲りなりにも、なんとか見聞きしたことだけはお伝へできさうに思はれます。足りないところは顔色なり身ぶりなり、あるひは声音《こわね》なり涙なりが、補なひをつけてくれるでせうから。……信州の山かひは、さぞもう雪が深いことでせう。火燵《こたつ》もおきらひ、モンペもおきらひなお母さまが、どんなにしてこの冬を過ごされるのかと思ふと、居ても立つてもゐられないやうな気もし、同時にまた、クスリと笑ひだしたいやうな気持にもなります。お母さまにとつて、疎開地の冬はこれでもう五度目ですものね。ずいぶんお馴《な》れになつたに違ひありません。ずるい千恵は、戦争のすんだ冬のはじめに、さつさと東京へ飛びだしてしまひましたけれど、お母さまにはあれから二度三度と、千恵にとつては何としても居たたまれなかつた北ぐにの冬がつづいてゐるのですものね。あの陽気なお母さまが、それにお馴《な》れにならないはずはありません。それどころか、もうりつぱに「征服」しておしまひになつたに違ひありません。いつぞやのお手紙に、「頬《ほお》の色つやもめつきり増し、白毛《しらが》も思ひのほかふえ申さず、朝夕の鏡にむかふたびに、これがわが顔かと吾《われ》ながら意外の思ひを……」とありましたが、あのお言葉を千恵はそつくりそのまま安心して信じます。だつて千恵のお母さまは、どうしてもそんなお人でなくてはならないのですもの。それでこそ千恵のお母さまなのですもの。  なんだか急にお顔が見たくなりました。かうして土曜日の晩ごとに、みじかい或ひは長い手紙を書くたびに、かならずそんな気持がしてくるのですけれど、今夜はまた格別です。もちろんそれには、姉さまのことをたどたどしい筆で申しあげるよりは、一目でもお目にかかつてお話しした方がいいといふ気持も手伝つてゐるには違ひありませんが、といつてそればかりでもないやうです。千恵は「つやつやした」お母さまの顔を久しぶりで拝見したいことも勿論《もちろん》ですが、元気なこの千恵の顔も、ついでに見ていただきたいのです。しかも冬の休暇はつい目と鼻の先です。往きに十二時間、帰りに十一時間、それに中一日か二日の滞在――どうしてそれつぱかしの暇もないのかと、お疑ひかもしれません。ですがこれは誓つて申しますが、千恵はべつにれんあいをしてゐるわけではありません。たしかにまだ処女のままですし、ましてやおぽんぽもまだ大きくなつてはをりません。……こんな話が出ると、顔を赤くなさるのはきまつてお母さまの方で、姉さまや千恵は却《かえ》つてけろりとした顔をしてをりましたつけね。ずいぶん昔の思ひ出です。もう一つついでに、あれはまだお父様の御在世中のことで、もう十年あまりも前のことになるでせうか、姉さまの縁談で仲うどのCさんが見えてゐた時、お母さまは「……たしかあれはまだ処女のはずで……」と仰《おっ》しやいましたつけね。あの時ちやうどドアのかげで、こつそり立聴きしてゐた姉さまと千恵とは、もうをかしくつてをかしくつて笑ひがとまらず、両手で顔をおさへて這《は》ふやうにして奥へ逃げこんだものでした。あの頃のことを思ひ出すとまるで夢のやうな気がします。  そのCさん御夫妻が間もなく亡くなり、つづいてお父様が、やがて姉さまの縁づいた先のS家のお父様もなくなりました。あんまり死が立てつづけに続くので、ついその方に気をとられてゐるひまに、大陸の方の戦争はいつのまにか段々ひろがつて、たうとう潤吉兄さまは応召将校として大陸に渡つておいでになつたのでしたね。かうしてS家には、お母さまと姉さまと、それにまだ赤んぼの男の子――あの潤太郎さんと、それだけしかゐなくなつた時になつて、千恵ははじめて姉さまがじつは千恵の実の姉さまではなくて、亡くなつた前のお母さまの忘れがたみだつたといふことを初めて知つたのでした。いいえ、知つたのではありません、無理やり、いや応なしに、ざんこくな方法で知らされたのでした。それがあんまり残酷な方法だつたので、腹ちがひといふ事実そのものや、それからぢかに筋をひくさまざまな感動や驚きや怨《うら》みや憎しみなどは、何ひとつ感じないで済んだほどでした。羞《はず》かしめさへ感じないですんだのでした。やつと十九になつたかならぬの千恵の心の歴史にとつて、それはまだしも幸ひだつたとお母さまは言つて下さるのですか? けれど千恵は、そんなつもりでこれを申すのではありません。心にしろからだにしろ、どうせ傷つかずには済まぬものなら、いつそ早い時機に、なんとかまだ癒着力のあるうちに、思ひきり傷ついてしまつた方がいいと思ひます。……少くも……すくなくも昨日のあの怖ろしい姿をこの目で見てしまつた今になつては、千恵はさう信じないわけには行かないのです。    ………………………………………  何をかう、千恵はうろうろ書きまどつてゐるのでせうか? 今はもう怖れもありません。それにお母さまの前ですもの、なんの遠慮もあらう道理はありません。ええ、さうです。姉さまは生きておいでです。確かに生きておいでです。この一月ほどのうちに、なんども千恵は姉さまをこの目で見ました。現に昨日も見ました。それはいかにも怖ろしい姿でしたが、だといつて何も、姉さまのお顔に戦災で引つ攣《つ》れができてゐるわけでも、片眼がつぶれておいでのわけでも、虱《しらみ》だらけの乞食《こじき》のなりをしておいでのわけでも、またはそれとあべこべに、敗戦後の東京で特に大はやりのれいの職業婦人めいた毒々しい身なりをしておいでだつたわけでもありません。黒つぽいスーツに濃い茶色のオーヴァをぴつちり召して、帽子はかぶらず、かなり踵《かかと》の高い靴をはいておいでです。それに、両脚をまつすぐ伸ばして、やや気ぜはしく小刻みにこつこつ歩くところも、昔の姉さまそのままです。思ひなしか少しばかり猫背におなりのやうですが、それでゐて身丈《みたけ》は昔より一層すらりと高く見受けられるのは、やはり幾ぶんお痩《や》せになつたせゐかも知れません。そんなふうな恰好《かっこう》で、いつも看護婦のFさん(これも姉さまに劣らず背の高い人なのです――)の肩にもたれかかるやうにして、さつさと歩いておいでの様子は、遠目にはまず堅気《かたぎ》な西洋婦人の二人連れとも見えて、行きずりの人目をひくやうなものは何一つありません。……さうした点を一つ一つかぞへあげて、それで人間の生き死にを判断してよいものなら、たしかに姉さまは立派に生きておいでなのです。……生きて歩いておいでなのです。  ただどこかしら病気なだけなのです。これは連れのFさんが、その所属病院のきまりがあつて、濃紺の制服も、白い布のついた同じく濃紺の制帽も、けつして脱いだ例《ため》しのない人ですから、なんとしても疑ふわけにはいきません。千恵がはじめて姉さまの姿を見かけた時も、やはりそのままの二人連れでした。しかもその場所が聖アグネス病院の庭のなかでしたから、千恵はすぐさま、 「ああ、ご病気なのだ!」  と気がつきました。ふらふらつと立ちあがつて、思はず追ひかけようとさへしました。嬉《うれ》しかつたのです。思へば危ないところでした。もし千恵の坐《すわ》つてゐた場所がもう二三|間《けん》も小径《こみち》に近く、そして二人の足の運びがもう少し遅かつたら、千恵はきつと追ひすがつて、「姉さま!」と声をかける余裕があつたに違ひありません。そして姉さまはふり向いて、すぐもう千恵だといふことに気がおつきだつたに違ひありません。さうして千恵は今晩とはまつたく違つた性質の手紙を、もう一月も前にお母さまに書いたに相違ありません。偶然が救つてくれたのです。いいえ、偶然と言つたのでは嘘になります。ふらふらつと立ちあがつた瞬間からして、何かしら千恵の足をもつれさせるものがあつたのです。その変にもやもやした束の間のためらひ、それがみるみるうちに濃いはつきりした形をとりだして、千恵の足をほとんど意識的にゆるめさせたのです。そのまに二人はずんずん遠ざかつて、やがて白い病棟の角に消えてしまひました。  この千恵のためらひを、お母さまは何だとお思ひですか? 「そんなこと、わかつてるぢやないの!」  と仰《おっ》しやるお母さまの陽気な笑顔が、目の前にちらつくやうです。それは世の中の人がよくするやうなあの空とぼけたやうな笑ひでも、はぐらかすやうな笑ひでも、または何かしら眩《まぶ》しいやうな笑ひでもありません。それはあくまで明るい、あくまで快活な笑ひで、ただただ真つ正直な、それなりに気の毅《つよ》いところもある、そして何から何まで自分の良心で割り切つて、いつも清々《すがすが》しい気持でゐられるやうな人の顔にだけ浮ぶ――あの表情なのです。そんなすがすがしい気分のためには、その人は自分の下着の最後の一枚までぬいで、他人に投げ与へることも厭《いと》はないでせう。それどころか自分の腕一本、あるひは腿《もも》一本もぎとつて、飢ゑた虎《とら》にさつさと投げ与へさへするでせう。この何とも云へずさばさばした気前のよさ! それは千恵もだいぶお母さまから受けついでゐるので、かなりよく分るつもりです。それはひとへに良心の満足のためにあります。いいえむしろ、良心の勝利のためにあるのです!  千恵はさうした気性をお母さまから受けついで、そればかりかその善いことを確《かた》く信じさへして、おかげで少女時代を快活に満ち足りて過ごしてまゐりました。幸福に――とさへ言つていいでせう。それについては心からお礼を申したいほどです。しかもその一方、正直に申すと、あのS家のごたごた騒ぎがあつて以来、いいえそもそものあの騒ぎの最中から今申したやうな善行の意味に、千恵はかすかな疑ひを持つやうになりました。娘の幸福に何かしら影のやうなものが射して来ました。そのごたごたと云ふのが、潤吉兄さまの出征後まもなくもちあがつた姉さまの出るの出ないのといふ騒ぎだつたことは、今さら申すまでもないでせう。 「いいぢやないの。かうして先方の言ひなりにこつちはこの通り丸裸かになつてさ、この上なんの怨《うら》まれることがあるものかね!」と、たしか騒ぎが一応落着した頃、千恵の顔に何か心配さうな色を見てとられたのでせうか、相変らずの陽気な調子で、さうお母さまが慰めて下すつたことがありましたね。そのとき千恵は成程《なるほど》と思ひ、何かひどく済まないやうなことをしたやうな気のしたことも、はつきり覚えてをります。  まつたく仰《おっ》しやる通りに違ひありませんでした。もちろん千恵はまだほんの小娘でしたから、ほんたうの事情は当時はもとより今でもよく分つてはゐませんし、またべつに分りたいとも思ひません。とにかく普通の離婚|沙汰《ざた》だけのものでなかつたことは娘ごころにも察しがつきました。また一概に先方のお母さまの腹黒さのせゐばかりでもなかつたやうですし、また家風に合ふとか合はないとかそんな言ひがかりの古めかしさ馬鹿《ばか》らしさはまあそれとして、姉さま自身にだつて今になつて冷静に考へてみれば、やつぱり人間としてそれ相応の欠点はちやんと具《そな》へておいでなのでした。もつともこれは、実の姉いもうとと信じこんで永年一つ部屋に暮らしてゐた千恵が、今の身にひき比べてはじめて申せることなのですが。  まあそんな罪のなすり合ひを今更はじめたところで仕方がありません。結局はだれにも悪意はなかつたのだらうと思ひます。ただ人間どうしの関係といふものは、こじれだしたが最後どうにも始末のわるいものだといふことの、ほんの一例みたいなものだつたのかも知れません。第一かんじんの潤吉兄さまを差しおいて、出すの出るのといがみ合ふなどといふことは、「家」といふものが曲りなりにも解消した今日の眼からは勿論《もちろん》のこと、当時の常識から考へても随分と妙なものに違ひありませんでした。とどのつまりが別居といふことになつて、そこでお母さま一流の気前のよさが始まりました。一々おぼえてもゐませんが、別荘や家作《かさく》が片つぱしからS家の名義に書き換へられたやうでした。そのほか土蔵のなかの骨董《こっとう》や什器《じゅうき》の類《たぐ》ひから宝石類に至るまで、殆《ほとん》ど洗ひざらひ姉さまのところへ運び出されたやうな感じでした。あんまりぽんぽん整理されて行くので、千恵も娘ごころに寧《むし》ろ痛快なほどで、ある日お寝間の化粧|箪笥《だんす》のなかに最後にのこつた宝石|函《ばこ》を選りわけながら、 「まあこれとこれは千恵ちやんのお嫁入り道具にとつて置きませうかね。」  などとお母さまが仰《おっ》しやると、なんだか後ろめたい興ざめな気持がしたほどでした。  まあそんなことは一々みんな結構なのです。さうなるともう只《ただ》の気前のよさとか潔癖とかいふものではなくて、いはば女の意地の張りあひでした。千恵にもその気持は同感できましたし、またそのおかげでなんの後ろめたさも卑屈さも味ははずに、最近五六年の烈《はげ》しい時勢の波を、とにかくここまで乗り切つてくることができました。財産の焼けるのを空しく見まもつた人と、あらかじめそれを投げ捨てた人と、その差はほんの皮|一重《ひとえ》のやうに見えながら実に大きな余波のひらきのあることに、このごろ学友の誰かれを眺めながらつくづく思ひ当ります。お母さまの思ひきつたあの処理のため、千恵はほんとに打つてつけの時機に、依頼心といふものからも射倖心《しゃこうしん》といふものからも切り離されました。これはしみじみ有難いと思ひます。  おや、またお母さまの笑顔がちらつきます。こんどは何を笑つておいでなのですか? 「そんなこと、わざわざお礼には及びませんよ。母さんはただ自分のしたいことをしたまでの話ですよ」と仰しやるのですか? まさかさうではありますまい。「母さんのしたことがいいか悪いか、まあそんなことにはくよくよせずに、せつせと勉強しなさいよ。をかしな子だねえ」と仰しやるのですか? もちろんさうでもありますまい。どうぞ千恵の不遠慮な推量をおゆるし下さい。どうやら千恵の眼には、お母さまの苦しさうな笑顔がちらつくやうです。当りましたか、それとも……いいえ、これが当らないはずはありません。それでなくつてどうしてお母さまが、姉さまの行方をあんなに気になさるはずがありませう。どうして姉さまのことで、悪夢などまでごらんになるはずがありませう。それとも……    ………………………………………  いやいや、やつぱりこれは千恵の思ひすごしではないはずです。お母さまは姉さまを愛しておいでなのです。実の娘どうやうに、いえ実の娘以上にさへ愛しておいでなのです。「当り前ぢやないの!」つて、お母さまは小声でそつと抗議なさるでせう。千恵もさう信じます。それでこそあなたは千恵のお母さまなのです。けれどお母さまは、あんまり多くをお与へになつたのです。そのため何か大切なものをお失ひになつたのです。その報いが来たのです。……  千恵はお母さまを責めようなどとは考へてをりません。人間が人間を責めることができるものかどうか、そんなことすら考へてはをりません。罪は多分どこにも、誰にもありはしないのです。ただ人の子を躓《つま》づかせるものがあるだけなのです。  ……ここまで書いて来て、千恵はどうやらやつと覚悟がきまりました。ではお母さま、以下が千恵の御報告です。この報告を書くことを、おそらく千恵は後悔しないでせう。これをお読みになつて、お母さまもどうぞ後悔なさいませんやうに! 千恵はそれを祈りもし、またほとんど信じさへしてをります。    ………………………………………  千恵が姉さまの姿をはじめて見たのは、前にも書いたやうに今日から一月あまり前、あの聖アグネス病院の庭のなかでした。聖アグネス病院といふのは、ご存じないかも知れませんが、築地《つきじ》の河岸《かし》ちかく三方を掘割にかこまれてゐる一劃《いっかく》に、ひつそり立つてゐるあまり大きくない病院です。小さいながらも白堊《はくあ》の三階建なのですが、遠見にはかなり深い松原にさへぎられて、屋根のてつぺんにある古びた金色の十字架さへ、よつぽど注意して見ないことには分らないほどです。じつは千恵も学校の実習であそこへ配属されるまでは、かすかに名を聞いた覚えがあるだけで、どこにある病院なのかさつぱり見当もつかないほどでした。  実習といつても、勿論《もちろん》まだ自分で診察したり施術をしたりするのではなく、まあ看護婦の見習ひみたいな仕事が主でしたが、その三ヶ月の実習期間もそろそろ尽きようとする頃になつて、千恵は姉さまにめぐり会つたのです。つまり姉さまは、ついその二三日前に入院していらしたわけなのです。まつたくの偶然でした。今だからこそ白状しますが、あの湯島の別宅で戦災にあつた後の姉さまやS家の人たちの消息を、なんとかして探りだすやうにといふお母さまの強い御希望を伺ひながら、千恵はほとんど何もしなかつたのです。もとより一応は区役所へ行つて聞いてはみました。都庁の何とかいふ係りへも紹介状をもらつて行つてみました。けれど両方とも結局むだ足でした。なるほど近頃のお役所の人たちは、言葉づかひこそ少しは柔らかになつたやうですが、そのため却《かえ》つて中身の空つぽさや不親切さが露《あら》はになつて、見てゐる方ではらはらさせられるやうな気味があるやうです。民主化なんて大騒ぎをしてゐますが、つまるところは日本人にもう一つ別の狡《ず》るさを身につけさせるだけのことにならないものでもありません。お母さまのおいでの田舎《いなか》の方には、そんな現象は見えないでせうか?  それはとにかく、書類も焼け、なんの届けも出てゐないと言はれては、所詮《しょせん》のれんに腕押しです。一番ありさうなことは、姉さまも潤太郎さんも一緒に焼け死んでしまつたといふ想像でした。あの湯島のへんは火の廻りが早かつたせゐで、一家焼死の例が大そう多いとのことですから。……千恵はほとんどさう信じました。むしろ、さう信じたいと強く望んだ――と言つた方が当つてゐるかもしれません。これもやはり一種の狡るさなのかも知れません。もしさうでしたら、どうぞこの千恵をお気のすむまでお責めください。  幸ひ千恵は、頭もさう悪くないさうで、そのうへ医学にはぜひとも必要な或る沈着さが女には珍らしくあるとのことで、G先生には割合ひ信用のある方らしいのです。それで今度の学年のはじめから、夕方から夜にかけてG先生の自宅の方へ代用看護婦のやうな資格で住みこませていただくことができるやうになり、おかげでまたこの冬も、同級の誰かれがそろそろ気に病んでゐるやうなアルバイト苦労から一応たすかつてゐるのです。同級のかたがたの中には、洋裁店の外交や政党の封筒書きあたりならまだしものこと、キャバレーのダンサーだの絵かきのモデルだのをまで志願してゐる人があるのです。それどころか現に三人ばかり、平生《へいぜい》から半ば公然とお妾《めかけ》稼業をして学資にあててゐる人たちもあるくらゐです。でもみんな仲よく助け合つて毎日やつてをります。いづれ行き着く先はいろいろと違ひが出てくるのでせうが、まだ今のところはさつぱり分りません。ただその日その日があるだけです。  そんな生活をしてゐる千恵のことですから、当てどもなく姉さまの行方をさがすやうな時間のゆとりもなく、その伝手《つて》もないことは分つていただけるでせう。もし偶然の手助けがなかつたら、姉さまにめぐりあふ見込みはまづ全くなかつたのでした。  ですから一たん病院の庭で姉さまの姿を見てからといふもの、そして危く言葉をかけそこねて以来といふもの、千恵にはこのめぐりあひが只《ただ》の偶然ではなくて、何かもつと深い或る予定のあらはれとしか思へなくなりました。さう思ふのもやはり、はかない人間の気休めの一種なのかも知れませんが、とにかく千恵は、このめぐりあひの意味なり正体なりを、じつと見つめてやらうと心に誓ひました。さうなるともう、(申し訳のないことですが――)姉さま自身のその後の運命や、またそれに就いてのお母さまの心づかひなどは、第二第三の問題にすぎないのでした。千恵はつまり、こつちは一さい姿をあらはさずに、こつそり姉さまの跡をつけてやらうと決心したのです。  もちろん第一着手は、姉さまの病室や病名を調べることでした。これは診療カードを繰《く》れば造作もなく分りました。病名は抑鬱《よくうつ》症でした。軽度だが慢性に近いとも書いてありました。病室は三階の三一八号で、これはちやうどその頃わたしが同級のK子さんと一緒に看護婦見習をつとめてゐた三〇一号から三〇八号室までの一郭とは反対側の、東側病棟のほぼ中央にある部屋でした。受持の看護婦が、Fさんといふ殆《ほとん》ど婦長次席とも云つてもいいくらゐの格の人だといふことも、すぐに分りました。この病院では外部からの附添看護婦といふものを一さい受けつけず、どんな重症患者、どんな長期入院患者の場合でも、かならず病院直属の看護婦が受けもつことになつてゐるのです。  ところで、その三階の東側病棟といふのは、聖アグネス病院のなかでは一種特別の扱ひを受けてゐる、ちよつと神秘めいた一郭なのでした。看護婦仲間の通りことばでは、「神聖区域」と呼ばれてゐましたが、たしかにそこは、わたしたち実習生がやがてもう三ヶ月近くにもならうといふ実習期間を通じて、たえて足ぶみを許された例《ため》しのなかつた区域なのでした。うはさによれば、それは或る特別扱ひの患者だけを収容する大型の病室から成つてゐて、まあ一種の禁断の場所のやうなものだといふことでした。特別扱ひといつても、何もそれが財力だの門閥《もんばつ》だのといふ俗世の特権ばかりを目やすにしたものでないことは、もともとこの病院の帯びてゐる宗教的な性質から見て明らかでしたが、さうかと云つて別にとりわけ重症患者ばかりを収容してゐるわけでもないところを見ると(現に姉さまは庭をかなり足早やに散歩していらしたのですものね――)、或ひは何かしら俗世のものならぬ特権――いはば教団のえにしとか篤信のあかしとかいふものによつて、選ばれた人たちのための病棟なのかも知れません。まあそんなせんさくだてはともかくとして、姉さまの居場所が思ひのほか近いことを知つた千恵としては、さぐる上の大きな便宜をあたへられたと同時に、こちらの姿を感づかれないために一応の気をくばらなければならない羽目にもなつたのでした。  ですが、これには大して心配も苦労もいらないことが間もなく分りました。若い女にとつての五六年の歳月といふものは、ひよつとするとどんな上手な変装よりも効果が強いかも知れません。ましてや最近三年ほどの東京の生活は、優に戦争前の二十年にも三十年にも劣らぬほどの遷《うつ》り変りを含んでゐると言はれてゐます。のみならず千恵は、すくなくもこの実習の期間中は病院のさだめに従つて、鼠《ねずみ》色の質素な見習看護婦服のほかは一さい着ることができないのです。それに同じく鼠色のハンカチのやうな頭布をピンで留めてゐるのですから、これはもう姉さまの方でこの病院にはてつきり千恵がゐるにちがひないと思ひこんで、行きあふ女の顔を一つ一つじつと覗《のぞ》きこみでもなさらないかぎりは、決して見つけられる気づかひはないはずなのです。さう思ふと割に気持が楽になりました。千恵はわざわざ二階へ降りるのに東側の階段を使つたりして、なるべく廊下の往き来を頻繁《ひんぱん》にして、再び姉さまの姿をよそながら見る機会を、ひそかに窺《うか》がつてゐました。  ふしぎなもので、その二度目の機会はなかなか来ませんでした。こつちで会はうとする人には、あせればあせるほど益々《ますます》めぐり会へないものと見えます。千恵が三階の廊下を、わざと遠廻りに東側の階段へまはつてみたり、あるひは昇りしなにその逆の道順をとつてみたりするたびに、廊下にも階段にもまるつきり人影の見えないのが常でした。つやつやと拭《ふ》きこまれたリノリウムに、朝の日ざしが長く長くのびてゐたこともあります。ちやうど三一八号室の角のへんに、患者運搬用の白い四輪車が、置き忘れられたみたいに立つてゐたこともあります。けれど姉さまの姿もFさんの姿も、あの日以来ぱつたり見えないのでした。ただでさへひつそりしてゐるその「特別区域」が、そんな失望のあとではまるで無人の沙漠《さばく》のやうに味気なく思ひ返されるのでした。いつのまにか姉さまは退院なすつたのではあるまいか――そんな疑念さへきざすのでした。  やがて日曜が来ました。千恵が三階の受持ちになつてからたしか二度目の日曜でした。  カトリックの病院ですから、礼拝堂のあるのは当り前ですが、それが庭の一隅に別棟になつてゐるのではなくて、この病院では三階の中央の南側へ張りだした広間があてられてゐました。  そんなところに礼拝堂のあることを、三階の受持ちになつて初めて知つたほどですから、千恵もよくよくの不信心者にちがひありません、はじめの日曜は、ちやうど朝九時のおミサが始まつて間もなく、患者さんの体温表を下の医務室へとどけに行きがてら、その礼拝堂の前を通りかかり、ふと清らかな聖歌の歌ごゑを耳にしただけでした。下りるとそのまま或る若い婦人の急性虫状突起炎の手術のお手伝ひをすることになり(千恵は同級の人たちのあまり喜ばない手術や解剖に、むしろ進んでお手伝ひをすることにしてゐます。現在お世話になつてゐるG博士は、この病院の外科部長でもおありなのです――)おミサのことはそのまま忘れてしまひましたが、清らかな歌ごゑだけはその日の手術のあひだも妙に耳の底にのこつて、消えてはまたふつと現はれたやうな気がします。なんといふ聖歌なのか知りませんが、その旋律は日ましにおぼろになりながら却《かえ》つて印象はだんだん強くなつて、ある聯想《れんそう》と次第にはつきり結びついてゆきました。それは一口に言へば、姉さまはきつとあのおミサの会衆のなかにいらしたに違ひないといふ聯想でした。この聯想はやがて確信になりました。……  次の日曜日のことでした。折あしく受持ちの患者さんの一人が熱を出して、うは言までちよいちよい言ふ始末で、正規の看護婦はみんな信者ですからおミサに行つて留守《るす》ですし、千恵はなかなか病室をはなれられず、やつと隙を見て礼拝堂へ駈《か》けつけた時にはもうおミサは終りに近いらしく、静まり返つた堂内には一せいに跪《ひざまず》いた会衆のうしろ姿だけが、扉のない入口から見てとれました。その静寂をおして堂内へはいることは憚《はばか》られました。千恵は上靴《うわぐつ》の音を忍ばせて、こつそり廊下の小窓へ寄つて、唐草模様の銅|格子《ごうし》ごしにそつと堂内をのぞき込みました。すると姉さまがいらしたのです。思ひがけないほど近いところに、その小窓からほんの二三人目のところに、大柄な上半身をつつましく前こごみに跪いてゐるのが附添看護婦のFさんでした。その肩に頬《ほお》を寄せかけるやうにして、うつとりと祭壇の方を見あげてゐる蒼白《あおじろ》い横顔が、姉さまだといふことはすぐ分りました。予期の的中したあまりの思ひがけなさに、千恵がはつと息をつめた瞬間、姉さまの顔が閃《ひら》めくやうにこちらを振り向きました。千恵は思はずぞつと立ちすくみました。けれど気のせゐだつたのです。会衆が一どきに立ちあがりました。千恵はとつさに、さも入口のすぐ外に跪《ひざまず》いてゐたやうな身ぶりを装つて、流れ出る会衆の先頭に立つて礼拝堂を離れました。  廊下のわかれる角まで来て、千恵は四五人の見習看護婦や看護婦をやりすごしながら、そこにじつと立つて、東側の廊下へまがる人の群に目をつけました。ちらりとFさんの恰幅《かっぷく》のいい肩が見え、その陰からまたしても閃《ひら》めくやうに、姉さまの白い顔がこちらを振り返つたやうな気がしました。それもやはり気のせゐだつたらしく、何ごとも起りませんでした。姉さまの姿は人波にかくれて、そのまま、見えなくなつてしまひました。……    ………………………………………  かうして千恵は姉さまの姿を、はじめて近々と見たのです。それはほんの横顔にすぎず、いいえ寧《むし》ろ後姿とも云つていいほどでしたが、しかも二度までちらりと千恵の方を振り返つたやうな気がしたのは、一たいなぜでしたらうか? もちろん千恵の気のせゐに相違ありません。けれど、よしんば刹那《せつな》の錯覚だつたにせよ、その二度までも閃めいた蒼《あお》ざめた姉さまの顔には、何か言ひやうもないやうな或る表情がありました。その顔は白くやつれてゐました。五年前の姉さまには見られなかつた或るするどさ、或るとげとげしさがありました。それと同時に何かしら或る崇高さと、遠い遠いところを見つめるやうな視線の遠さがありました。そんなことを千恵は一どきに感じたのです。直覚とか霊感とかいふものだつたのかもしれません。髪のほつれが目につきました。それもこれもまんざら心の迷ひでなかつたことが、あとになつて段々たしかめられたのです。……  お母さま。――  もうためらはずに、何もかも申してしまひませう。千恵があの礼拝堂の銅|格子《ごうし》ごしに見た姉さまの顔は、まぎれもなく狂女の顔だつたのです。  そのあくる日も、またそのあくる日も、千恵は廊下で姉さまとすれ違ひました。二度ともお午《ひる》すこし過ぎた時刻で、中庭には冬の日ざしが満ちて、廊下は決して暗くはありませんでした。けれど二度とも、姉さまは千恵に気がつきませんでした。鼠《ねずみ》色の見習看護服が、千恵といふものの姿を殆《ほとん》ど見わけにくくしてゐることは確かでせう。ですが本当を申すと、姉さまはすれちがふ人にちらとでも目をくれるやうな目つきではありませんでした。あの印象ぶかい大きな眼は、どこか遠い遠いところにじつと注がれてゐたのです。  それから四五日して、千恵は三階の病室が二つまで空になつたのを機会に、附属の産院の方へ廻されました。こんどは夜勤でした。  千恵が姉さまの病状について色々とこまかいことを知つたのは、ほかならぬその産院の夜勤のあひだでした。それを申しあげる段どりになりました。決してお驚きになつてはいけません。それは病状といふよりも、むしろ運命とも言ふべきものでした。千恵はそれを冷静に書きしるしませう。運命の前に驚きあわてることは、ひよつとすると人間の傲慢《ごうまん》さなのかも知れません。それをどうぞお考へください。  産院といつても、千恵の廻されたのは施療別館の方で、それは殆《ほとん》ど川ぞひと云つてもいいほどの構内の東南隅にぽつんと立つてゐる木造の古びた別棟でした。夜が更けてあたりがひときはシーンとすると、川を上り下りするポンポン蒸汽の音が、たまらないほど耳につくのです。夜勤は九時から二時までとなつてゐましたから、番のあひだはその音が結構ねむけ覚ましになるのですが、いざ宿直室へ引きとつて眠らうとすると、その鈍い規則的な爆音が意地わるく耳について、なかなか寝つけないのでした。千恵の受持ちはその産院のなかでも、ふつう産児室と呼ばれてゐる二つの大きな部屋でした。そこへは廊下と扉にへだてられて、産児のにぎやかな泣声もそれをあやす貧しい母親たちの声も、ほとんど聞えて来ません。この二た部屋に収容されるのが、あるひは産褥《さんじょく》で母親と死別したり、またはその他の事情で生まれて早々母親と生別しなければならなかつた、不幸な嬰児《えいじ》たちに限られてゐたからです。そんな赤ん坊用の大小のベットはおよそ四五十もあつたでせうが、それがみんな四方にかなり高い鉄の手すりの附いた、まるで檻《おり》のやうな恰好《かっこう》のベットなのでした。大きな二つの部屋を、六人ほどの看護婦で受持たなければならなかつたからです。わざと燭光を低くした黄いろい電燈が、とろんとにぶく部屋を照らしてゐます。夜がふけると、まるで無人の死亡室にでもゐるやうな不気味さでした。ベットはほとんど満員なのですが、張りのある元気な泣声を立てるやうな赤ん坊は一人もゐないのでした。あの押しつぶされたやうなみじめな嗄《しわが》れ声で泣く赤ん坊――それも広い部屋のなかに二人か三人ぐらゐなものでしたが、産児室の夜勤をしてくらした十日ほどの経験を、千恵はもう二度とふたたび繰り返したくないと思ひます。子供を生むといふことの怖ろしさ、女に生まれたことの罪ぶかさ……そんなことがしみじみ思ひ知られるのでした。ベットはみんな、どうしたわけか水色に塗つてありました。  二号室のほぼ中央の列の、割合に窓に寄つたところにある大型ベットにゐる子は、そもそもの最初の晩から千恵の注意をひきました。それは大柄な男の子で、生後八ヶ月たらずでしたが二つにも三つにも見える青ぶくれの気味のわるい子でした。母親はお産のあとで肺浸潤と診断されて、本館の西病棟に寝てゐるといふことでしたが、この子もなりは大きいくせに智慧《ちえ》づきはひどく遅く、おまけに毎晩かならず一度は寝ぼけて起きあがる癖がありました。かと云つて泣いたり騒いだりするのではありません。時刻も大がい十時半ごろに限つてゐましたが、すうつと音もなく立ちあがつて、手すりにぼんやりつかまつてゐるのです。よだれを垂らし眼はうつろで、べつに手すりを伝はつて廻るのでもなく、幽霊みたいにじいつと立つてゐるのです。一晩目も二晩目も千恵は急に泣きだした窓ぎはの赤んぼに気をとられてゐて、この子の立ちあがるところは見ませんでした。いつのまにか立つてゐるのに暫《しばら》くしてから気がついて、思はずぞつとしたのです。幸ひその晩は古参の保姆《ほぼ》さんがまだ残つてゐて、その子の癖や扱ひ方などを千恵に教へてくれました。さはらずに放つておいても別に危険はないらしいのです。ただかうした頭でつかちの子供の常として、脚《あし》の発育はひどく後れてゐるから、手すりから手をはなす瞬間だけは気をつけないとあぶない。その時そつとうしろから手を持ち添へてやれば、ひとりでにまた元の場所に仰向《あおむ》けに寝てしまふ。決してあわてて声を立てたり、揺りおこさうなどとしてはいけない……まあそんな話でした。  そんな話をしてくれる保姆《ほぼ》さんと一しよに千恵がこはごはじつと見てゐると、その子は手すりに両手をかけたまま、まんじりともせずに中有《ちゅうう》をみつめてゐました。うつろな大きな眼でした。昼間みると青々と澄んだきれいな眼をした子なのでしたが、とろんと黄いろい電燈のしたで見るせゐでせうか、まるで浮きあがつた魚のやうな気味のわるい白眼に見えました。瞳孔《どうこう》もかなり大きく開いてゐるのですが、それの向いてゐる先は天井ともつかず壁ともつかず、かといつて真ん前からさし覗《のぞ》いてゐる保姆さんの顔でも千恵の顔でも勿論《もちろん》ありません。まるで何かそのへんにふわふわ漂つてゐるものがあつて、それにぼんやり見とれてゐでもするやうな様子でした。思ひなしかその視線は、じわじわと移つてゆくやうでもあります。けれどその動きは、決してあの分針の動きより速くはないやうに思はれました。……「覚めてゐるのでせうか?」と千恵は小声できいてみました。「さうではないでせう」と保姆さんが答へます。「これで笑ふか泣くかしてくれると、まだしも助かるんだけれどねえ……」まつたく保姆さんの言ふ通りでした。ものの三四分ほど、そんなふうにじつと立つてゐたあとで、その子はやがてそろそろと用心しいしいお尻《しり》をうしろへ突きだすやうにして腰を沈めると、ふわりと手を手すりからはなして、また仰向けに寝てしまひました。「ね、あの腰つきを見たでせう? ああしながらこの子はおしつこを漏《も》らすんですよ」と保姆さんは言ひながら、物馴《ものな》れた手つきでその子の前をはだけて、おむつを替へてやるのでした。千恵の手に渡された濡《ぬ》れたおむつには、なるほど湯気でも立ちさうな尿温がありました。…… 「ああ厭《いや》だ厭だ、もし自分にこんな子が生まれたら……」ふと千恵はさう思ひ、反射的にハッとしました。「済まない、こんなことを思つて!」と、部屋の隅にある洗濯物の籠《かご》へそのおむつを投げ入れながら、千恵は胸のなかで何ものかに手を合せました。本館に寝たままでゐる母親のいのちも、どうやら危いらしいといふ話でした。  三晩目のことです。病院にはさすがに停電こそありませんが、その晩は殊《こと》のほか電圧がさがつてゐるらしく、只《ただ》でさへうす暗い電球はどれもみんな、なかの繊《ほそ》い線が赤ぼんやりと浮いて見えるほどでした。交代になつて出た頃には子どもはみんな寝しづまつてゐて、寝つきのわるいのが癖の窓ぎはの赤んぼまでが、その晩はふしぎなほど穏やかでした。時をり隣の部屋から、まだ生まれたての赤んぼらしく、ひ弱さうな嗄《しわが》れた泣声がほそぼそと聞えて、またぱつたり絶えてしまひます。それが却《かえ》つてこちらの部屋の静けさを深めるのでした。例の古参の保姆さんはその晩は非番で、代りにゐるのはちよつと目に険のある若い人でした。もちろんその晩が初対面で、千恵が「どうぞよろしく」と丁寧に挨拶《あいさつ》しても、こくりと一つうなづいたきりで、ちやうどその時むづかりだした子の方へさつさと行つてしまひました。おそるおそるそのあとからついて行つた千恵には目もくれず、さつさと自分でおむつの処置をして寝せつけてしまふと、それなり壁ぎはの椅子《いす》にかけて雑誌か何かを読みはじめました。そんな取りつく島もないやうな人でしたので、千恵はなんだか一そう心細く、いつそ誰か子どもが二三人いちどきに泣きだしでもしてくれたら気がまぎれるのにと、すやすや寝息をたててゐる赤んぼの顔をそろそろ覗《のぞ》いて廻りながら、妙に怨《うら》めしい気持がしたほどでした。  やがてどこか遠いところで時計が一つ鳴りました。腕時計を見ると十時四十分です。そろそろあの子が寝ぼけだす頃だと思つて、千恵は保姆《ほぼ》さんと反対側の壁ぎはの椅子をはなれて、そつとその子のベットのそばへ寄つて行きました。かなり大きく薄眼をあけて、よく寝てゐる様子です。口も半びらきになつて、よだれが出てゐます。そつとガーゼで拭《ふ》いてやりました。青ぶくれの顔が却《かえ》つて透きとほるやうに見え、へんに不気味な大人つぽい感じなのですが、よく見るとさう悪い顔だちでもありません。きつとこの子は父親似なのだらうと思ひました。なんとなくそんな気がしたのです。しばらくその顔を見守つてゐましたが、べつに起きだすやうな気色《けしき》はなく、身じろぎ一つしません。薄く開いてゐる目蓋《まぶた》のあひだが、なんだか青い淵《ふち》のやうでした。……  そんなふうにしてどのくらゐ時間がたつたか知りません。五分か、たぶん十分にはならなかつたと思ひます。ふと千恵は何か白いものの気配を目の端に感じて、その方をふり向きました。そこは廊下の窓でした。その窓のそとから、姉さまがじつとこちらを見てゐました。……その白い顔が姉さまだといふことは千恵にはすぐ分りました。驚くひまも、あわてるひまもなかつたほどでした。暗い廊下の闇のなかに、くつきりと浮びあがつてゐる白い顔。それがもし姉さまの稍〻《やや》面《おも》やつれのした尖《とが》つたやうなお顔でなかつたら、千恵は却つて恐怖の叫びをあげたかも知れないのです。千恵は動じませんでした。落ちついてさへゐました。じつと姉さまの顔を見返しながら、「大丈夫、千恵の方は逆光線になつてゐる……」とそんな意識が心のどこかにあつたほどです。それでも動いたり顔色を変へたりしてはいけないと思ひました。姉さまは大きな眼で、食ひいるやうにこちらを見てゐましたが、そのくせ千恵には気づいてもゐず、眼の行く先もすこし外れてゐることが、すぐに分つたのです。でも、そのそれてゐる視線の先にやがて気がついたとき、千恵は思はずアッと声を立てるところでした。青ぶくれの男の子が起きあがつてゐたのです。いつのまにか、音もなく、まるで姉さまの眼の磁気に吸はれでもしたやうに立ちあがつて、手すりにつかまりながら、じつと姉さまの方を見てゐるらしい様子でした。……    ………………………………………  サラサラと衣ずれの音がして、すぐ後ろで人の気配が迫りました。ぎよつとして振り返ると、あの若い保姆さんでした。「また来たわね。ふん、厭《いや》んなつちまうね」と、ぞんざいな妙にガサガサした声で保姆さんは言ふと、千恵の顔にちらりと嘲《あざ》けるやうな眼を投げ、かなり手荒くその男の子をうしろ抱きにしてベットに寝かせました。子供はべつにもがくでもなく、弾力のなくなつたゴム人形みたいにそのまま寝息を立てはじめました。  ふと気がついて窓の方を見ると、顔はもう消えてゐました。 「あんた初めて? ぢや、ちよいとびつくりするわねえ」と保姆《ほぼ》さんは案外なれなれしげな調子で言つて、またちらりと千恵の顔を見ました。―― 「特別室の患者さんよ、三日にあげずああして覗《のぞ》きに来るわ。」 「何かこの部屋に、縁のつながつた子供でもゐるのですの?」 「ばかな! この部屋にゐるのはみんな貧民の子ばつかりよ!」  保姆さんは吐きすてるやうに言ひましたが、またチラッと千恵の顔へ走らせた眼のなかには、何か憫《あわ》れむやうな微笑がありました。そしていきなり、 「あの人かはいさうに」と人さし指で自分のこめかみをトンと叩《たた》いて、「脳バイだつて噂《うわさ》もあるわ」と、思ひがけないことを言ひだしました。  千恵は呆気《あっけ》にとられました。といふより、何か金槌《かなづち》のやうなもので脳天をガアンとやられたやうな気持でした。その千恵の表情にまたチラッと眼を走らせた保姆さんは、何を勘ちがへしたものか「可哀《かわい》さうに!」とまるで千恵をあはれみでもするやうな調子でつぶやくと、 「初めてぢや無理もないけど、でもばかに感動しちまつたものねえ。……けどね。ちよつとばかり不気味ぢやあるけど、あの人ほんとは可哀さうな人なんだわ。聞きたい、あの人のこと? 変てこな縁で、あたしあの人のことは割合よく知つてるのよ。」  ますます意外な話の成りゆきに、千恵はすつかり固くなつて、「ええ」とも「いいえ」とも答へられず、Hさん(これがその保姆さんの名前でした)の顔を見つめてゐました。唇がわれにもあらず顫《ふる》へてゐました。顔色もさぞ蒼《あお》かつたことでせう。  おびえあがつたやうな千恵の様子を見ると、Hさんはたちまち態度が変つて、さも世話ずきらしいおしやべりな女になりました。それが地金《ぢがね》だつたのです。つまりHさんは、残忍と親切とを半々につきまぜた、世間によくあるあの単純な女の一人だつたのです。なりに似合はず臆病《おくびょう》な小娘にぶつかつて、これはいい睡気《ねむけ》ざましの相手が見つかつたと内々ほくほくしてゐるらしいことは、つい先刻まであんなに不愛想だつた一重《ひとえ》まぶたの小さな眼が、生き生きと得意さうに輝きだしてゐることからも察しがつきました。思へば不思議な一夜でした。千恵はじつと聴耳《ききみみ》をたててゐました。Hさんは時どき横目を千恵の顔のうへに走らせて、そこに紛れもない恐怖の色をたしかめると、また安心して話の先をつづけるのでした。風が出たらしく、松林がざわざわと鳴つてゐました。急に温度がさがつて、Hさんも、千恵もショールを控室《ひかえしつ》へとりにいつて、それを首へ巻きつけたほどでした。  その晩Hさんが千恵にしてくれた話といふのは、おほよそ次のやうなものです。Hさんは、あの姉さまの湯島の家とおなじ町内にある大きな薬局の娘なのでした。それで姉さまはもとより、Sの兄さまや潤太郎さんのことまで、前々からそれとなしに知つてゐたらしい上、S家の事情にもかなりよく通じてゐる模様でした。この奇遇を、千恵は感謝していいものかどうかは知りません。……    ………………………………………  本郷の南から神田にかけての一帯が焼けたとき、Hさんはまだ産婆《さんば》学校へ通つてゐたので、やはり湯島の本宅で罹災《りさい》したのださうです。夜間の空襲がやつと始まつた頃のことで、「なあに大したことは……」といつた気分のまだまだ強かつた時分でした。その日ちよつと学校の帰りの遅くなつたHさんが暫《しばら》くぶりのお風呂にはいり、「さあ今のうちに寝とかなくちや」などと冗談を言ひながら二階の寝床へもぐりこんで、とろとろつとしたかしないかの間ださうです。隣に寝てゐた妹にいきなり手荒に揺りおこされ、ハッと気がついた拍子に、何やら自転車が二三台ほど空から降つて来でもしたやうな物音が、すぐ裏庭のあたりで立てつづけにしたと言ひます。あとはもう無我夢中で、暗がりの梯子段《はしごだん》をよくまあ踏みはづさなかつたと思ふくらゐ、下の座敷へ飛びこんでみると庭の雨戸はいつのまにか一枚のこらず外され、おやもう夜が明けるのかしらと思つたほど明るかつた。その中で甲斐々々《かいがい》しく立ち働らいてゐる人影が、お母さんやお祖母《ばあ》さんや若い女中だといふことにさへ咄嗟《とっさ》には気がつかなかつたさうです。そこへ縁先から飛びこんできた兄さんに何やら大きな声でどなりつけられ、やつと目が覚めたやうな思ひがしたのもほんの束の間で、あとはまたもや無我夢中。……「大学へ逃げろ。大学へ逃げろ」と、誰かの大声が耳のなかでがんがんするばかり、それにそこらぢゆう一面まるで花火をばら撒《ま》きでもしたやうな閃光《せんこう》で埋まつてゐるやうな気がしただけださうです。  Hさんがやつと炎の海に気づいた時は、大学病院寄りの電車道でお母さんの手をしつかり握つて立つてゐました。一しきり何か物凄《ものすご》い音がして、途方もなく大きな火の蛇《へび》が、ざざーつと這《は》ひ過ぎたのをはつきり覚えてゐるさうです。Hさんはお母さんと大学病院の繁《しげ》みのなかで夜を明かしました。朝の九時近くになつて、Hさんは先《ま》づ妹と女中に逢《あ》ひ、つづいて兄さんたちや弟と行き会つたさうですが、お祖母さんが道ばたの防空壕《ぼうくうごう》のなかで焼け死んでゐることが分つたのは、やつとお午《ひる》近くになつてからでした。……  とりあへずお母さんとHさんは駿河台《するがだい》の従姉《いとこ》の家へ、のこる家族は駒込《こまごめ》だかの親類の家に転がりこむことになりました。その従姉といふ人は後家《ごけ》さんで、あの有名なN会堂のすぐ崖《がけ》下に住んでゐました。その教会の古くからの信者で、それが縁で構内に宿をもらつて、司教館の家政婦のやうな役目をしてゐたのです。やつと持ち出した二つ三つの風呂敷包やリュックと一緒に、Hさん親子がその宿に移つたその夕方ちかく、N会堂では思ひがけない不思議なことが起りました。何百といふ焼死体が、トラックや手車でぞくぞくと本堂へ運びこまれたのです。Hさんは実際にその有様を見たのださうです。そればかりか、そのうち十体ほどは運び込む手伝ひをさへしたと言つてゐます。さすがに気持が悪くなつて、いそいで家へ逃げこんで蒲団《ふとん》にもぐりこんださうですが。……  なぜそんな奇妙なことが起つたかといふと、あとから考へれば理由は簡単なのでした。つまり警察当局がおびただしい焼死体の処置に窮したのでした。まさか引取人《ひきとりにん》を待たずに、すぐさま現場で焼いてしまふわけにも行かなかつたのでせう。そこで管内の焼け残つた学校などに収容したらしいのですが、それで収容しきれなくなつた屍体《したい》を、幸ひ最寄りにあるこの大きな会堂へ持ち込んできたといふわけなのです。この交渉を受けた司祭さんは、Hさんの形容によると太つ腹なはつきりした人ださうです。折から風邪《かぜ》気で引つ籠《こも》り中だつた司教の意向をただすまでもなく、「よろしい、わたしの責任でお引き受けしませう」と相手のお役人に答へると、言下に本堂の正面の扉を真一文字《まいちもんじ》に開かせたと言ふことです。これには相手の方が却《かえ》つて呆気《あっけ》にとられたほどだつたさうです。  引取人は翌《あく》る朝まだきから、続々とつめかけて来ました。その人たちの啜《すす》り泣きや号泣《ごうきゅう》の声が高い円《まる》天井に反響して、それが時折り構内へもれて聞えるのが、最初の二三日はなんとも言へず不気味だつたさうです。何かの用事で構内を横ぎる時など、思はず耳に蓋《ふた》をせずにはゐられなかつたと、Hさんはさすがに眉《まゆ》をひそめて話すのでした。けれど、それはまだまだよかつたのです。やがて二三日すると、屍体はあらかた引取られましたが、それでもまだ二三十体は残つてゐました。それがそろそろ屍臭《ししゅう》を発しはじめたのです。もちろん堂内の窓といふ窓は鉄扉《てっぴ》をかたくとざしてあります。入口の大扉も、引取人が殆《ほとん》ど来つくした今となつては閉めきりになつてゐるので、その異臭が外へもれる心配はまづありません、それなりに、いくら大きなあの本堂だとはいへ、密閉された空気は何しろ春さきのことですから、むうつと蒸れるやうな生温かさです。で、事情を知つた者の鼻には、その本堂から一ばん離れてゐる西門をくぐつた瞬間にすら、異様な臭気がどことなく漂よつてくるやうな気がしたと言ひます。  さすがの司祭さんもたうとう堪《たま》りかねて、残る屍体の引取り方をやかましく警察へ交渉しはじめましたが、さうなると中々らちが明きません、四日目になり五日目になり、たうとう六日目になつてから、やつとトラックが一台きて、どこかへ運んで行つたさうです。けれどやはり載せきれずに、まだ五六体ほど残つたのですが、もうそろそろ夕方近くだつたので、翌る朝でなければ残りは運べないことになりました。  その夕方はじめて、Hさんは本堂へ足を踏み入れてみたさうです。それがどれほど無残な有様だつたかを、Hさんはこまごまと物語りました。あとになつて思ひ合はせると、Hさんが一ばん力を入れて話したのは、ほかならぬその地獄絵のやうな光景だつたらしくさへ思はれるほどです。それを物語るHさんの頬《ほお》には、怪談をして幼い者をおびえあがらせる人の無邪気な情熱と、あの得意の色とがはつきり浮んでゐました。が今晩の千恵には、それを事こまかに母さまにお伝へする興味もなければ、またその必要もありません、地獄絵のあとに、聴く身にとつては何層倍も身の毛のよだつやうな物語が続いたのですから。……    ………………………………………  その夕方、空が晴れわたつてまだ堂内がかなり明るく、それに珍らしくその日は警報の気配がないのを見て、信仰の篤《あつ》いHさんの従姉《いとこ》は、久しく肉の汚れに染められた聖堂のなかを、一まづ清掃してはどうかと司祭さんに提議したのでした。――あすの朝になれば一体あまさず引取つてもらへるのだから、浄《きよ》めはまあそれからでもいいではないか、と司祭さんは一おう制したさうですが、「それは如何《いか》にもそれに違ひはないが、現に日ましに烈《はげ》しくなる空襲の模様をみると、あすまたどのやうな事がはじまるものやら分つたものではない。いやそれどころか、第一わたしたちの命にしたところで、あすの日は知られないではないか……」といふ、敬虔《けいけん》な家政婦の尤《もっと》もでもあれば熱心でもある言葉に、司祭さんも結局賛成せずにはゐられませんでした。Hさんもその清掃の手伝ひをさせられたわけです。さう事が決まると司祭さんは、ゲートルを巻いた防空服装のまま跣足《はだし》になつて、みづからその浄めの奉仕の先頭に立ちました。  奉仕の人数は四人でした。もう一人、古島さんといふ教僕が、すすんで手伝ひをしたからです。この古島さんといふ人は、なんでも九十九里あたりの漁村から来た青年ださうですが、奇妙なことには片腕――しかも右の腕が、根もとからありませんでした。その不具の原因は、千恵もたうとう聞き出すことができませんでしたが、決して戦地だの空襲だののせゐではなくて、幼いころ何か大病を患《わず》らつたときに切断されたものだといふことでした。そんな不幸な生ひ立ちの人ですから、子供の頃から教育も満足ではなく、信仰の道に入つたことはごく自然の成行きでせうが、もう一つ古島さんには、天成のすぐれた画才がありました。その画才と篤信《とくしん》が、どういふ筋道だつたかは存じませんが司祭さんに見出《みいだ》されて、だいぶ前からN会堂の教僕として住み込んでゐたのです。といふのはその司祭さんが、聖職者には珍らしく洋画(それも聖画ではなしに主に風景画ですが――)の道では、素人《しろうと》の域を脱した腕前を持つてゐたからでした。千恵はついこのあひだ、司祭さんの絵もそれとなく拝見する機会がありましたし、とりわけ古島さんの未完成の絵を見せられて、なんとも言へない感動にとらはれたのです。けれど絵のことは、とりあへず後廻しにしませう。……  その古島さんといふ青年は、見れば見るほど不思議な人でした。左手で立派に絵をかきます。のみならずほんのちよつとしたメモのやうなものを見たことがありますが、その筆蹟《ひっせき》もなかなか几帳面《きちょうめん》で、これが小学も満足に出てゐない人の書いたものかと思はれるほど正しい字づかひでした。しかもその左手で、掃除のバケツも握れば炊事の釜《かま》も洗ふのです。千恵はこの人と言葉こそ交はしたことはありませんが、よそ目ながらN会堂の構内で二度ほど行き会つたことがあります。その一度などは揚水ポンプのついた井戸端で洗濯物をしてゐるところでしたが、その片手の使ひ方の器用なことと云つたら、見てゐる方で妙に不気味な感じがしてくるほどでした。痩《や》せ細つて、背はむしろ低い方、両|頬《ほお》がこけて、ちよつとスプーンのやうな妙な恰好《かっこう》をした顎《あご》ひげを生やしてゐます。そのため青年のくせに何だか年寄りじみて見えましたが、年は二十七だとかいふことでした。するどい、まるで射るやうな眼をしてゐます。けれどその眼も、たつた一ぺんだけ視線を合はせたことがありますが、こちらがハッとした次の瞬間には、虔《つつ》ましく地に伏せられてをりました。声も扉ごしにふと耳にしたことがありましたが、それは一言々々尾をひくやうな物静かな柔和《にゅうわ》な声音《こわね》で、しかもその底に妙にはつきりした物に動じない気勢が感じられました。  ……それはまあさうとして、Hさんも加へた同勢四人の手で、聖堂の浄《きよ》めは手順よく運んでゆきました。青黒く変色した幾体かの焼死体は、左手の外陣の一隅に片寄せられて、上から真新らしい菰《こも》がかぶせられました。左右の外陣の窓の鉄扉はあけはなされて、春の夕暮の風がしだいに異臭をうすめてゆきました。あとは百坪は優にあらうかと思はれるコンクリートの床の水洗ひが残るだけでしたが、これが中々の大仕事でした。うづ高いほど積まれてゐた屍体《したい》からいつのまにか泌《し》みだした血あぶらで、床はいちめん足の踏み場もない有様だつたといふことです。しかもそれが、ちつとやそつとの水洗ひではいつかな落ちず、手に手に棒ブラシを持つた四人は思はず顔を見あはせて、深いため息をついたさうです。金色の壁面にさまざまの聖者の像の描いてある聖障は、もちろんぴつたり閉ざしてあります。けれど折からの夕日が西向きのバラ窓から射しこんで、内陣にあふれるその光が高い円《まる》天井に反射し、堂内はまるで夢のやうな明るさだつたと言ひます。その光のなかに、いくら拭《ふ》いても擦《こす》つてもぎらぎら浮いてゐる血あぶらの色だけは、とても一生涯わすれられさうもないと、さすがのHさんも話しの途中で殊勝らしく眼をつぶりました。  その夕日の色もだいぶ暗くなつて来た頃のことださうです。ふと何やらけたたましい人声がして、それが仰山《ぎょうさん》に円天井にこだましたので、Hさんがギョッとしてあたりを見廻すと、屍体を片寄せた左手の外陣のあたりを先刻から懸命に洗つてゐた小柄な古島さんが、誰かしら見知らぬ人影とまるで組打ちでもするやうな恰好《かっこう》で争つてゐるのが見えました。その異様な声は、争ひながら古島さんが夢中で立てた悲鳴だつたらしいのです。のこる三人は思はず棒ブラシを捨てて、その不意の闖入《ちんにゅう》者のそばへ走せ寄りました。それは紫色のモンペをはいた、かなり背の高い女でした。防空|頭巾《ずきん》もかぶらず、髪をふり乱して、透きとほるやうな蒼白《あおじろ》い顔をして、その婦人はぎろりと三人の方を振り向きました。それが……姉さまだつたのです。 「あ、Sの奥さま!」と、Hさんは思はず叫び声をたてました。湯島の同じ町内で、Hさんは姉さまの顔をよく見知つてゐたからでした。そればかりか罹災《りさい》のつい二三日前にも、ちやうどHさんが夕方ひとりで店番をしてゐた時、姉さまが心配さうな蒼い顔をして、小児用のイチジク灌腸《かんちょう》を買ひに見えたのださうです。もう都内の薬局は何によらず品薄になつてゐた頃で、もちろんイチジク灌腸もその例外ではありませんでしたが、普通ならにべもなく「お生憎《あいにく》さま」で済ますところを、Hさんは姉さまの真剣な顔つきに気押《けお》されて、気前よく手持ちのなかから半ダース譲つてあげたのださうです。そんなことがあつたので、尚《なお》のことHさんの眼は敏感にはたらいたわけなのでした。  そのHさんの叫び声に、姉さまはじいつとHさんの顔を見つめましたが、そのまなざしは全くうつろな、感動の色も識別力の気配も全然ない、いはばほうけきつたやうな眼だつたさうです。  そんな眼つきで暫《しばら》くHさんの顔を見てゐた姉さまは、やがてにたりと不気味な薄笑ひを蒼白《あおじろ》い顔にうかべると、その時までしつかり掴《つか》まへてゐた古島さんの片腕をはなして、すうつと足音も立てず出口の方へ出ていつてしまつたのでした。駈《か》けつけた三人は呆然《ぼうぜん》とその後ろ姿を見おくりました。ふとHさんが気がついてみると、古島さんはいつのまにかまた棒ブラシを拾ひあげて、そのくせ床を拭《ふ》きはじめるのでもなく、ぼんやりと眼の前の屍体《したい》の一つを見つめてゐたさうです。……  あとで古島さんが司祭さんに打明けたところによると、古島さんが姉さまの姿をその堂内で見かけたのは、その夕方がはじめてではなかつたのでした。何べんといふことははつきり覚えがないにしても、その眼つきのするどい、背のすらりと高い、色の抜け出るほど蒼白い婦人の姿は、たしかに三度か四度は屍体引取りに来た人の群のなかで見かけた記憶があつたさうです。もちろん身寄りの誰かれの屍体をたづねてN会堂を訪れた人びとは、もしそれが女ならば、みんな一様に血走つた眼つきをし蒼ざめた顔をしてゐたに相違ありません。が、そのなかで姉さまのお顔や眼だけがそんなふうに古島さんの印象にはつきり焼きついてゐたのには、もとよりそれ相応のわけがあるに相違ありません。一体なぜだつたのでせうか? それは「あのかた[#「あのかた」に傍点]の眼でした」と、古島さんはきつぱり言ひ切つたとHさんは語りました。千恵はそれを聞いたとき、思はずつい一時間かそこら前に廊下の窓からじいつと室内をのぞきこんでゐた姉さまの凝視を、まざまざと思ひ浮べました。さうです、いかにもあのかた[#「あのかた」に傍点]の眼つきに相違ありません。あのなんとも言ひやうのない凝視を一度でも見た者は、もはや決してその持主を思ひちがへる筈《はず》はないのです。  それにしても、姉さまは一たい誰をさがしてゐたのでせうか。Hさんのお祖母《ばあ》さんは道ばたの防空壕《ぼうくうごう》のなかで焼け死んだと言ひます。そんな聯想《れんそう》から、千恵はひよつとしたらS家のお母さまの行方が知れないのではあるまいかと一応は考へてみました。もちろんこの考へ方がほんの気休めにすぎまいことには、千恵も初めから気がついてをりました。行きがた知れずになつたのが、あの確かその頃六つだつたはずの潤太郎さんだといふことは、今ではもう色々の理由から千恵は疑へなくなつてをります。S家のお母さまなら、疎開などではなしに、とうから御殿場《ごてんば》の別荘にお住みだつたはずではありませんか。じつは千恵は、姉さまもとうに湯島の本宅は引払つて、もとより仲違《なかたが》ひをしたSのお母さまのところではないにしても、どこか軽井沢か五色《ごしき》か、あの辺の山小屋みたいな別荘へ疎開してらつしやることと思ひ、むりやりさう信じようとしてゐました。けれどこれは、はかない空頼みにすぎませんでした。現に姉さまは、ちやうどその頃Hさんの店へ、イチジク灌腸《かんちょう》を買ひに見えたといふではありませんか。そして恐らく方々の屍体収容所を探《たず》ねあぐねた末に、N聖堂の中をまで一度ならずうろついていらしたといふではありませんか。潤太郎さんはきつと何かの病気だつたに違ひありません。その病気の潤太郎さんと、姉さまはあの騒ぎの中ではぐれておしまひになつたに相違ありません。潤太郎さんは若い気の利かない小女《こおんな》か何かの手に抱かれたまま、どこかで一緒に焼け死んだのかも知れません。  不吉な予想です。それは重々わかつてをります。ですが千恵は、現にその姉さまの一人ぼつちの姿も見、その怖ろしい眼《まな》ざしも現にこの目で見、またHさんの物語も聞いてしまひました。これはもう予想ではありません。それでも母さまは無理に陽気な笑ひごゑをお立てになるのですか? 千恵はもしそんな母さまだつたら心からお怨《うら》みします。……古島さんの話によると、その夕方ふじゆうな片腕で一心に棒ブラシを使つてゐた古島さんは、ふと外陣《げじん》の暗がりの中でうごめいてゐる人の気配を感じて、ぎよつとしたのださうです。死人が蘇《よみが》へつたのではあるまいか――と、咄嗟《とっさ》にそんな錯覚をさへ感じたさうです。それがその婦人[#「その婦人」に傍点]なのでした。姉さまはいつの間にかこつそり忍び込んで、残る幾体かの青黒い屍体《したい》を、身をかがめて一つ一つ覗《のぞ》きこんでゐたさうです。古島さんが呆然《ぼうぜん》としてその姿を見守つてゐると、とつぜん足もとまで這《は》ふやうに寄つて来てゐた姉さまが、矢庭《やにわ》に片手で古島さんの二の腕をつかみ、のこる手を背の低い古島さんの顎《あご》へかけて、ぐいぐい恐ろしい力で突きあげながら、「ああ坊や、坊やだつたのね、ほんとに坊やだつたのね。お母さんは……」とまで言ひかけて、あとははらはらと落涙したのださうです。古島さんはもちろん無我夢中でした。あの落ちついた物に動じない青年が、夢中で悲鳴をあげたのでした。それでもさすがに古島さんは、驚きうろたへながらも、上からまじまじと自分を覗きこんでゐる婦人の眼を、ほんの束《つか》のま見返すだけの余裕があつたさうです。その眼の印象を古島さんは、前にも記しました通り、「それはあのかた[#「あのかた」に傍点]の眼でした、確かにあのかた[#「あのかた」に傍点]の眼でした……」と司祭さんに告げたのでした。この「あのかた」といふのが誰を指すものか、Hさんの話を聞いた当座の千恵には分りませんでした。Hさん自身にしても分つてゐなかつたのでせう。けれど、やがてあとになつて……  いいえ、千恵はなんだか頭がこんぐらかつて来ました。窓を、窓をあけようと思ひます。……    ………………………………………  夜気が流れこんで来ます。まるで霜《しも》のやうに白々《しらじら》とした夜気です。北の空は痛いほど冴《さ》えかへつて、いつのまにか母さまのお好きなあの七つ星が中ぞら近くかかつてゐます。もう夜半はとうに過ぎたのでせう。なんの物音もしません。しんしんと泌《し》みこむ夜気を、千恵の頭はむしろ涼しいやうに感じます。しばらく、向ふの森かげから覗《のぞ》いてゐる焼けただれた工場の黒々とした残骸《ざんがい》に、千恵はほうけたやうに見入つてをりました。  だいぶ頭が冷えて来ました。まだ頭の芯《しん》は妙にもやもや火照《ほて》つてゐますけれど、でももうあと一踏んばりです。千恵はこの手紙をとにかく最後まで書きあげて、封をしてしまはないことには、とても今夜は眠れさうもありません。あとほんの少しです。母さまももう暫《しばら》くがまんして下さい。……  どこまで書きましたかしら? ああさうさう、「あのかた」といふ文句で千恵は爪《つま》づいたのでした。  Hさんの話によると、姉さまの姿はその後もちよいちよいN会堂の構内に見受けられたさうです。残りの屍骸《しがい》は約束どほりその翌《あく》る朝には全部はこび去られ、聖堂の浄《きよ》めもすつかり済んだあとでは、日ましに烈《はげ》しくなる空襲のもと、正面の鉄扉は再び固くとざされてしまつたので、もちろん姉さまは堂内にはいつてわが子の屍体をさがし求める機会は二度と再びありませんでした。その頃はもう通り抜ける人影も稀《まれ》な上に、植込みのそこここには空掘《からぼ》りの防空壕《ぼうくうごう》も散在してゐようといふ荒れさびた聖堂の構内を、姉さまは当てもなくうろつくだけのことでした。その時間も、十分二十分と行きつ戻りつするならまだしものこと、時によると一時間ちかくも構内をさまよつてゐたことさへあつたと云ふことです。当のさがす相手も、もはや幼な子の惨死体などではなくて、まぎれもないあの古島さんの生ける姿だつたらしいことは、姉さまの挙動や眼つきを遠目ながら窺《うかが》ふ機会のあつたほどの人なら、異口同音に断言したさうです。もちろん古島さんはすつかり怖気《おぞけ》をふるつてしまつて、姉さまの紫色のモンペ姿がちらりと見えようものなら、血相かへて自分の部屋へ逃げこんでしまふのでした。それでも出逢《であ》ひがしらに危くつかまりさうになつたことも、一二度はあつたさうです。 「色きちがひぢやないかね……そんな噂《うわさ》までが、会堂の関係者のあひだに、ひそひそ声でささやかれたものでしたよ。もつとも私たちに言はせれば、あのSの奥さんは、やつぱりここんところ(と、自分の額《ひたい》を指さきで軽く叩《たた》いてみせて――)が、ちよいと変になつてゐるだけのことだといふぐらゐは、まあ見当がついちやゐましたがね。……」  とHさんは長談義をやうやく結びながら、ニッと冷やかな微笑を浮べて、またもやあの忌《いま》はしい病気の名を口にするのでした。……風が出て、一しきり松原を鳴らして過ぎました。飛行機が一台、かなりゆるい速度で海の方からはいつて来て、都心の方角へ遠ざかつてゆきました。そんな物音が夜の深さをしんしんと感じさせたのを千恵はよく覚えてをります。語りやんだHさんはさも誇らしげな目つきで、じろじろ千恵の顔を観察してゐました。もちろん千恵の唇には血の気が失《う》せてゐたでせう。そのくせ、「見たけりやたんと見るがいい!」とでも云つた捨鉢《すてばち》な、しかも妙な落着きのやうなものが千恵の胸のそこにはありました。ふてくされながら、かげで舌を出してるみたいな気持でした。汚辱とでも屈辱とでも云へる或る毒気のやうなものが千恵のおなかの中に渦巻いてゐるのは事実でしたが、しかもそれが鵜《う》の毛ほどもHさんに感づかれてゐないといふ自信は、なんとしても快いものでした。「ええ、わたしはこの通り臆病《おくびょう》な小娘ですのよ」――すなほに伏目《ふしめ》を作りながら、千恵は思ふぞんぶんHさんに凱歌《がいか》を奏させてあげたのです。それがせめてものお礼ごころなのでした。  交替の時間まではまだ少し間がありました。そのうちだんだん千恵も口をきく余裕が出てきて、二つ三つ腑《ふ》に落ちぬ点を聞き返すことができました。 「すると、あの奥さんは行方しれずになつたその坊ちやんのことがまだ思ひきれずに、ああして産院なんかを覗《のぞ》きにくるのでせうかしら?……」 「一口に言ふと、まあそんなことなのね。けれど実際に生きてる子にめぐり会へる気でゐるのかどうかといふことになると、そこがどうやら怪しいのよ。現にああして廊下の窓から覗《のぞ》いてゐる目附きにしたところで、何かを捜すやうな落着きのない目つきぢやなくて、何かじいつと一点を見つめるやうでゐて、そのくせ妙にとりとめのない、まあ要するに夢と現《うつ》つの間をさまよつてゐるみたいな目つきなんだわ。それだけに一層もの凄《すご》く感じられるわけなのね。……いつぞやわたし、附添ひのFさんにちよつと聞いてみたことがあるけれど、あれでゐてあの奥さんとても大人しいんだつて。へたに逆らはずにそつとして置きさへすれば、ふつうの人以上に扱ひやすい患者さんだつてFさん言つてゐたわ。分裂症であんなおだやかな人は珍らしいと、先生がたも言つてゐるさうよ。Fさんの話だけれど、あんなふうに窓を覗きにくるのだつて、何もはじめからその積りで来るのぢやなくて、夜の散歩のついでにふとこの産院の灯《あか》りが目にはいると、何か誘はれるみたいにふらふらつと庭のガラス戸を自分で押すのださうよ。あの奥さんちよつと不眠症の気があるので、夜九時になるときまつて一時間ぐらゐ庭の散歩に連れだすことになつてゐるんですつて。はじめは松原のなかを、ゆつくりゆつくり歩きまはる。それから河岸《かし》へ出て、闇夜でも月夜の晩でも、あすこのベンチに腰かけて、じいつと河の面《も》をみつめる。時たま発動機船がエンジンの鼓動を立てながら、黒々と貨物の山を盛りあげた艀《はしけ》を曳《ひ》いて河口をのぼつて行つたり、あべこべに河口から湾内の闇へ吸ひこまれて行つたりするけれど、奥さんはその黒い影が目にはいるのやら、そのエンジンの音が耳にはいるのやら、さつぱり分らない。身じろぎもせず、じいつと河の面をみつめてゐる。時たまは空を見あげて、何か或るきまつた星を、かなり長い間じつと見守つてゐる。それから突然たちあがると、自分からさつさと本館の方へとつて返す。そしてあの前の院長さんの胸像の立つてゐる円《ま》るい芝生のところまで来たところで、奥さんの足が右へ廻るか左へ廻るかによつて、その夜の散歩が伸びたり縮んだりする。左へ廻ればまつすぐ本館の裏口で、あとは三階の病室まで無口のままゆつくり登つていつて、精も根《こん》もつき果てたやうにベッドに倒れて、着替へもそこそこにぐつすり寝こんでしまふ。右へ廻ると、まづ大抵はこの産院の灯が目にはいる。そこで庭のガラス戸を自身の手でそつと押す。あの戸は本館の医務室へ通じる近道なので、夜でも錠はおろさないことになつてゐる。廊下を足音も立てず歩いて来て、まづ一号室の窓にたたずみ、それから二号室の窓にたたずむ。それぞれ二分か三分ぐらゐのあひだ、Fさんは黙つて二三歩さがつて見てゐる。やがて奥さんはまた先に立つて、さつさとガラス戸の方へとつて返す。そして芝生へおりる石段の上で立ちどまつて、ふーっと大きな溜《た》め息をもらす。……それからあとは、至極《しごく》おだやかに寝てしまふのださうですよ。」 「ではあの奥さん、べつにあの気味のわるい児《こ》だけを目がけて来るわけでもないのですね? さつきはちやうど覗いてゐる最中に、あの児がぬつと起きあがつたりしたので、余計にぞつとしたのですけど。……何かその行方しれずになつた子とあの子のあひだに、眉《まゆ》つきとか口もととかの似てゐるところでもあるのかしらと思つて……」  と千恵は、さりげなくHさんの口占《くちうら》を引いてみました。何しろ潤太郎さんのことは、ほんの幼な顔しか覚えがなく、その記憶も今では随分うすれて、どこか面影《おもかげ》がその児《こ》に通ふやうでもあり、さうかと思ふと通ふやうでもなし、そのため不気味さがますます募るやうに思はれ、やりきれなかつたからです。Hさんなら潤太郎さんの顔を、割合ひ最近まで折ふし見かける機会があつたに相違ありません。 「そりや、まるで似もつきはしないわ!」とHさんは言下に答へました。――「あの坊ちやんは眼のくりくりした、頬《ほお》の色つやのいい子で、あんな青んぶくれのぶよぶよぢやなかつたことよ!」  そんな語気から察するところ、その児と潤太郎さんとを同列に置いて考へることさへ、Hさんにはさもさも心外だといつたふうに取れました。それが千恵にはもちろん満足でもあり、と同時にHさんの人の好い気負《きお》つた様子が、なんだか少し滑稽《こっけい》でもありました。千恵がそのまま下を向いて黙つてゐると、やがてHさんはまだ腹の虫が収まらないといつた調子で、早口にこんなことを言ひだしました。 「さつきのあの青んぶくれが起きあがつたのなんか、ほんの偶然なのよ。ちやうど寝ぼける時刻にぶつかつたからなんだわ。これまでにも三度か四度そんな偶然の一致があつたけど、あの奥さんの眼、だいいちあの児をなんか見てゐやしなかつたわよ。もつと宙ぶらりんの、当てどもないやうな、妙に切ないみたいな見つめやうなんだわ。いはばまあ、この部屋や隣りの部屋にゐるのだけではない、子供ぜんたいをうつとり見つめてゐる……とでもいつたふうのね。一度なんか窓のすぐ内側にわたしが立つてゐて、近々とあの奥さんの眼を覗《のぞ》いたことがあつたけれど、そんな近くにわたしがゐることなんか、てんで目もくれやしないのよ。……だつてさうぢやない?」と、そこでHさんは言葉を切つて、効果をためすやうに千恵の顔をちらりと見ると、また先をつづけました。―― 「ね、さうぢやない? あのN堂へだつて、まだ時たま思ひだしたやうに姿を現はすんだものねえ!」  千恵は思はずどきりとしました。顔色も変つたに違ひありません。思はず眼を伏せましたが、やがておづおづと眼をあげたとき、Hさんはもうすつかり気が変つたみたいな顔をして、何やら小声で流行《はや》り唄《うた》か何かをうたつてゐました。そして交替時間が来て、わたしたちは別々の部屋へ引きとりました。……    ………………………………………  姉さまがいまだにN会堂へ姿を見せると聞かされて、なぜそんなにびつくりしたものやら、千恵はわれながらわけが分りません。ただ何がなしに寒気が背すぢを走つて、そのためぞおーっと総毛《そうけ》だつたのです。そこには何かしら異常なものがありました。千恵はよつぽどどうかしてゐたのに違ひありません。  その夜はなかなか寝つけませんでした。妙に風の音ばかり耳につきました。それでもやがて眠つてしまつたらしく、なんだか混み入つた夢を見ました。はじめは何でもその病院の庭を、ふらふら歩いてゆくやうでした。千恵ひとりで、もの凄《すご》いほど明るい月夜でした。芝生がいちめんまるで砂浜みたいに白く浮いて、遠くの松原が黒ぐろと影を描いてゐました。その黒い樹《こ》だちのなかに、ところどころ白い斑《まだ》らが落ちて、その一つ一つがよく見ると、まるで姉さまの姿のやうに思はれました。どれがほんとの姉さまかしら?……ふとそんな疑念がきざしたとたんに、夢がぐるぐると目まぐるしいほど急調子に展開しはじめて、あざやかな場面が際限もなく繰りひろげられたやうです。今ではもう跡形もないはずのあの大磯の別荘の芝生を、やはり月夜なのでせう、はつきり見える姉さまの顔と並びあひながら、何やらしきりと口論しながら歩いてゐる場面が妙にはつきり思ひだされるだけで、あとはきれいに忘れてしまひました。  まあつまらない夢の話なんかやめませう。あくる朝――といつてもお午《ひる》ちかく起きると、千恵はそんな夢のことより、N会堂のことが気になつて気になつて仕方がありませんでした。千恵はそれまでN会堂はあの大きなドオムを遠目に眺めるだけで、一度も門内へはいつたことさへありませんでしたが、さうなるともう、あの聖堂のなかに何か容易ならぬ謎《なぞ》がひそんでゐるやうな気がしきりにしだして、矢も楯《たて》もたまらなくなりました。ところが産院の方は本館づとめとは違つて色々と雑用が多く、受持も育児室から産室、それから分娩《ぶんべん》室といふ工合《ぐあい》にぐるぐる廻るものですから、外出の機会がなかなかありません。それでもやつと何かの用事にかこつけて抜けだして、まるで息せき切つた思ひであの会堂に寄つてみました。午後だつたせゐか本堂の扉はしまつてゐましたが、構内にはちらほら学生などの影も見えたので、千恵も暫《しばら》く散歩のふりをしながら、本堂から小会堂のあたり、裏門の方にある庵室《あんしつ》のへんなどをぶらぶらしてみました。あの古島といふ青年をはじめて見かけたのはこの時でした。片手にバケツをさげて、庵室の横手からひよつくり姿を現はしたのです。かねてHさんから聞いてゐた人相書にそつくりでした。はつと思つた瞬間、眼が合つてしまひました。その眼のことは前にも書いた通りです。無精《ぶしょう》ひげの生えたやつれた顔は、案外血色がわるくはなく、何やら微笑のやうなものが浮んでゐました。瞬間おもはずキッと見つめた千恵の眼に、何か異様なものがあつたのでせう、――古島さんの両眼はぎらりと不気味に光りましたが、すぐまたつつましい伏眼《ふしめ》になつて、そのまますれ違つてしまひました。  ふしぎな焼けつくやうな印象でした。なぜ姉さまはあんな妙な人にすがりつきなんぞしたのだらう?……千恵は帰りの混んだ電車のなかで考へました。しかも「坊やなのね、坊やなのね!」などとまで口走つたといふではないか。そしてあの人のあのぎらつくやうな眼のなかを一心に覗《のぞ》きこんだといふではないか。つかのまの幻覚だつたのだらうか。……それにしても姉さまがあの瘠《や》せこけた小柄な古島さんをしつかり掴《つか》まへて、上からしげしげと覗きこんでゐる図を目に浮べてみると、妙に切ない、それでゐて何かしら笑ひだしたくなるやうな感じを、どうにもできないのでした。千恵はしだいにこつちまで頭が変になつてくるやうな気がしました。  二三日たつて、千恵はまたN会堂へ行きました。それからまた一度、もう一度。……帰りの電車のなかでは、もう決して足ぶみもしまいと決心するのですが、暫《しばら》くするとまた例の謎《なぞ》がだんだん膨《ふく》れあがつて、ついまたふらふらと誘ひ寄せられてしまふのです。古島さんには行会ふ時も行会はない時もありました。本堂の扉はまるでわざとのやうに、いつもぴつたり閉ぢてゐました。いいえ、一度だけ扉がひろびろと開け放されてゐたことがありましたが、その日は何かお葬式でもあるらしい様子で、黒の盛装をした外国人の男女が急がしさうに出たりはいつたりしてゐました。その外国人は、盛装をしてゐるため却《かえ》つて変に貧しさが目につくやうな人たちでした。千恵は暫く物珍らしさうに樹《こ》かげに立つて眺めてゐましたが、古島さんの姿はたうとう見かけませんでした。……  さうかうするうちに病院の実習期も終つて、千恵はまたG博士のお宅で起居することになりました。Hさんにはその後かけちがつて聖アグネス病院ではたうとう会はずじまひでした……。    ………………………………………  さうです、母さま、いつそ本当に会はずじまひになつた方が、どれほどよかつたか知れないと思ひます。さうなれば千恵は、しぜん姉さまの消息からも遠のいて、やがて運命の波がふたたびめぐり会ふこともないくらゐ、遠く二人を隔ててくれたかも知れないのです。千恵もじつは内々それを願つてゐました。だのに結局きのふといふ日が来てしまつたのです。  きのふは朝からびしよびしよ降りの雨でした。おまけに季節はづれの生温い風がふいて、窓ガラスがすつかり曇つてしまふほどでした。お午《ひる》近くになつて突然、G博士は何か急な用事を思ひだしたと見え、分厚な封書を千恵に渡すと、すぐ神田O町のある外科病院へ行つて、院長さんの返事をもらつてくるやうに言ひつけました。雨降りの日によくある電話の故障で、あらかじめ院長の在否を確かめることはできませんでしたが、まあ大抵はおいでだらうと高《たか》をくくつて行つたところ、あいにく院長は埼玉県とかの患者の招きで朝おそく出かけてお留守《るす》、帰りは早くて五時にはなるだらうとのことでした。G病院との電話の連絡は相変らずつかず、よつぽど出直さうかと思ひましたが、行つたり来たりするうちには三時間ぐらゐすぐ経《た》つてしまふ、それに院長のお帰りだつて案外早いことがないとも限らないと思ひ返し、千恵は畳じきの狭い待合室の片隅でとにかく待つてみることにしました。外科の待合室なんてあんまり気味のいいものではありません。もつとも悪性の伝染病の心配だけはまづ無いはずですけれど、頁《ページ》のまくれあがつた手垢《てあか》だらけの娯楽雑誌なんか、手にとるより先に虫酸《むしず》が走ります。こんなことなら文庫本でも持つて出るのだつたと後悔しても今さら追ひつきません。仕方なしに長|椅子《いす》の一ばん隅つこに小さくなつて、居眠りの真似《まね》でもしようとしたのですが、どうしたものか妙に患者が立てこんで、ざわつく人々の出はいりに眼をねむつてばかりもゐられません。そのうちに、仮はうたいの上へどす黒い血がにじんでゐるやうな患者も、いやでも二人三人と目につきます。そんなことで二三十分もたつたでせうか。千恵は例のHさんに声をかけられてしまつたのです。  奇遇でした。いいえ、むしろ悪運といつた方がいいかも知れません。Hさんはちよつとした破傷風《はしょうふう》で二三日前から休暇をとり、その病院へ通つてゐるのだといふ話でした。今しがた繃帯《ほうたい》を更《か》へてもらつたところださうで、なるほど左の指が三本ほど一緒に真新《まあた》らしい繃帯でゆはへてありました。  Hさんもこの奇遇には驚いたと見えます。暫《しばら》く話してゐるうちに、千恵が時間を持てあましてゐることを知ると、そのまにN会堂の中を案内してあげようと熱心に言ひはじめました。なるほどN会堂はすぐ近所なのでした。「それに、あんたにちよいと見せたいものもあるのよ」とHさんは言ひました。このあんたに[#「あんたに」に傍点]といふ言葉は、まるで雷のやうに千恵の耳を打ちました。…… 「なぜですの? どうしてわたしに[#「わたしに」に傍点]ですの?」と、千恵は思はず言ひ返さうと身構へましたが、ふと思ひついてやめました。それは千恵の弱身からくる思ひすごしでした。Hさんは結局のところ好人物なのです。またもや怪談で千恵をおどかして、退屈しのぎをしようとしてゐるだけのことです。ほんとを言へば、千恵は手頃の案内人の見つかつたことが、むしろ嬉《うれ》しかつたのかも知れません。  外へ出ると、かなりの吹き降りになつてゐました。それが刻一刻とはげしくなるばかりで、やがてO町の交叉点からN会堂の方へのぼるだだつ広い鋪装《ほそう》道路にかかつた頃には、コウモリもまともには差してゐられないほどになりました。どうやら風向きも変つたらしく、北の空めがけてどす黒い鉛《なまり》いろの雲が、ひしめき上つてゆくのが見えました。そんな空を背景に、もうついそこに黒々と姿をあらはしてゐるN堂のドオムは、まるでゆらゆら揺れてゐるやうに見えました。千恵はさつきのHさんの言葉を思ひ出しました。「見せたいものもある[#「もある」に傍点]」なんて、一体なんのことなんだらう。……今度はさつきとは違つて、この変にぼやかした尻《し》つ尾《ぽ》の方が気になりました。「なあに、どうせHさんのことだ。ひよつとするとどこか柱のかげあたりに、例の血あぶらの染《し》みか何かがこびりついてゐでもして、それを千恵に自慢さうに見せてくれるぐらゐなところなのだらう。よし、今日はうんと平気なふりをしてやらう」……そんな妙なことを千恵は考へました。そのくせ胸の中はだんだん不安になつて行きました。  やがてHさんは見知らぬ横町へ折れました。するとすぐ会堂の裏門がありました。それまでもう何べんか会堂の構内をふらつき廻つてゐたくせに、千恵はそんなところに裏門のあることはつい知らずにゐました。白い門柱のあひだを通ると、そこはちよつとした谷間みたいな感じの一廓でした。両側には住宅風の小さな二階家が立ちならび、正面は幅のひろい切り立つやうな石の段々でした。その段々の上はすぐN堂の灰色のずしりと重たい胴体でした。もう大|円蓋《えんがい》は目に入らず、ただその寒ざむとした胴の灰色の壁だけが、のしかかるやうに聳《そび》えてゐるのでした。その谷間は風の吹きだまりになつてゐるらしく、雨に叩《たた》き落された柏《かしわ》や何かの大きな枯葉が、ところどころべつたり敷石に貼《は》りついてゐて、千恵は何べんも足を滑らせさうになりましたが(ほら、母さまもご存じのあの古いゴムの編上《あみあげ》靴をはいてゐたのです――)やがて石段を登りかけようとして、二人は思はずあッと声を立ててしまひました。それは石段ではなくて滝だつたのです。  ふしぎな光景でした。水はものの四五|間《けん》もありさうな石段の幅ぜんたいにひろがつて、音もなくゆつくり流れ落ちてゐるのでした。風が本堂の両側からこの谷間へ吹きおろすたびに、一段々々きれいなさざ波を立ててしぶくのでしたが、そのため水は片側に吹き落されるでもありませんでした。相変らずゆつくり一段ごとに流れおりてくるのです。その水は階段のすぐ足もとにかなりの大きさの水溜《みずたま》りを作つて、それから左右に分れて土の上を流れるのでしたが、そこはもう奔流といつてもいいくらゐの勢ひでした。さすがのHさんもこんな光景は初めてだと見えて、暫《しばら》く呆《あき》れたやうに立ちすくんでゐましたが、やがて何か冗談めいたことを言ふと、水溜りをぼちやぼちや渡つて、石段をのぼりだしました。千恵もそれに従ひました。  もちろん足をさらはれるほどの水勢ではありません。ただちよつと気味が悪いだけのことです。水はあとからあとから流れ落ちて来ます。それはちやうど、本堂の裾《すそ》から垂れてゐる経帷子《きょうかたびら》の裾を踏んで行くやうな気持だつたと言つたら、母さまはお笑ひになるでせうか。でも千恵は冗談どころではありませんでした。どうしたわけか胸が早鐘《はやがね》をうつてゐました。もつともそれは、ほとんど絶え間なしに本堂のあたりから吹きおろしてくる風に傘をうばはれまいとする、その努力のせゐも手伝つてゐたかも知れません。  それでも十段ほど登つて、そこで一休みし、また暫く登りつめたころ、横なぐりに吹きつけた風に傘をながされて、千恵の頭のうへが空つぽになりました。それで黒つぽい雨具をつけた婦人が二人、上からおりてくるのに気がつきました。「おや、あんなところに人が!」とは思ひましたが、まさかそれが姉さまとFさんだらうとは、その瞬間おもひもかけなかつたのです。あちらも用心しいしい悠《ゆっ》くり下りてくるのですから、すれ違ふまでにはだいぶ時間がかかつたのです。距離がやがて二三段にまで縮まつて、二人のレーンコートの黒い裾が目にはいりだした時、また千恵の傘がぐいと横にかしいで、思はず千恵は姉さまの顔を下から見上げてしまつたのです。その刹那《せつな》、眼と眼がぶつかつたやうな気がしました。ひやりとして、あわてて眼をそらしましたが、もうその時は傘がひとりでに立ち直つて、姉さまの上半身は隠れてしまつてゐました。その足もとが何かためらふやうに、ほんの二三秒動かなかつたのを、千恵は覚えてをります。その二三秒のあひだに、とても永い永い時間が流れたやうな気がいたします。ひよつとするとそれは、実際かなり長い時間だつたのかも知れません。やがて二人はそろそろと千恵の横をおりて行きました。二人とも傘はささずに手に持ち、Fさんが片つ方の腕を姉さまの背中へ軽く廻してゐました。  気がつくとHさんが五六段うへに立つて、千恵を見て笑つてゐました。片眼をつぶつて、舌でも出したさうな笑ひ顔でした。「ほらね、やつぱり私の言つた通りでしよ?」と、その顔には書いてありました。千恵はさも平気さうなふりをしてHさんに追ひつき、かうして「姉さま!」と呼びかける機会は千恵にとつて永遠に失はれてしまつたのです。  やがてHさんと千恵は、石段をのぼりきつたすぐ横手にある小さな潜《くぐ》り戸《ど》から、本堂へはいりました。閂《かんぬき》に錠がかけてなく、引くとすぐ開いたのに、Hさんはちよつと小首をかしげたやうな様子でした。……    ………………………………………  母さま、千恵はかうしてかねがね一目みたいと心にかけてゐたあの本堂の中へはいつたわけなのですが、思ひ構へてゐたやうな大層なことは、何一つそこにはありませんでした。千恵は何かしら姉さまの秘密をとく鍵のやうなものがあすこに隠れてゐるやうな気がして、その幻の鍵がしだいにふくれあがつて来て、一頃はどうにも始末がならなかつたものでしたが、いざこの眼で見てみれば、秘密も謎《なぞ》も鍵も、そんなものは初めから何もありはしなかつたのです。堂内は冷えびえした午後の薄ら明りでした。吹き降りの気配は忘れたやうに去つて、静寂がさむざむとあたりを籠《こ》めてゐるだけでした。その静寂のなかに、どこからかお香の匂ひが漂つてくるやうな気がしました。もつともこれは気のせゐだつたかも知れません。期待した血なまぐさい臭《にお》ひなんか、これつぱかしも残つてはゐませんでした。広びろしたコンクリートの床は掃除がきれいに行きとどいてゐて、血の痕《あと》はおろか、足跡ひとつ塵《ちり》つぱ一本落ちてはゐませんでした。ただ千恵たちが最初のぞきこんだ場所から少し離れたところに、ぽつぽつと小さな水の垂れた痕があつて、それが右手の外陣のあたりまでずうつと続いてゐただけです。何か漏《も》るバケツでも運んでいつた跡のやうに見えました。  内陣は金色の聖障にさへぎられて、何一つ見えないのですが、なんだかほんのりした光が中にこもつてゐるやうな気がしました。そのため内陣の天井のあたりは、うつすらと薔薇《ばら》色に煙つてゐるやうに思はれました。何かしら温かい感じのあるのはそこだけで、あとはそらぞらしい一面の散光でした。金色の聖障に描きならべてある聖者たちの像までが、そんな光線のなかでは変にけばけばしい、うそ寒い感じを吹きつけてくるのでした。 「ほら、あの辺が最後まで死骸《しがい》が残つてゐた場所なのよ」と、Hさんは外陣の一角を指さして見せました。それは例のバケツの水みたいな痕が行つてゐる先のところでした。質素な木の長|椅子《いす》が五六脚つみ重ねてあるだけで、もちろん何一つ目につくやうなものはありませんでした。  さうです、それは初めから分りきつてゐたことなのです。千恵がばかだつただけの話なのです。 「古島さんがゐると、内陣の中が見せてもらへるんだけどねえ」  と、Hさんがちよつと言訳めいた調子で言ひました、――「あいにくと今日はどこかへ出かけたらしいわ。いつもなら今じぶんあの部屋で勉強してゐるんだけれど。……内陣には色んな立派な宝物があるのよ。……」  さう言はれてみれば、さつき潜り戸から暗い廊下へはいつた時、とつつきの物置めいた小部屋の戸をHさんは軽く叩《たた》いて、返事がないので中を覗《のぞ》きこんだりしましたが、あれはつまりあの青年をさがしてゐたものと見えます。すると結局、さつきHさんが「見せたいもの」と言つたのは、その宝物のことだつたといふわけになります。「なあんだ!」と千恵は思ひ当つて、あやふく笑ひだしさうになりました。やつぱりHさんはHさんだつたので、とんだ取越し苦労が千恵はわれながらをかしかつたのです。  内陣があかないとなれば、そのまま引返すよりほかありません。また暗い廊下を通つて外へ出ようとした時、Hさんはまた例の小部屋のドアを開けてみました。千恵もふとした好奇心で、Hさんのあとから覗《のぞ》きこみました。中は相変らず空《から》つぽでした。 「出かけたんだわ、一張羅《いっちょうら》の上衣《うわぎ》がないもの」とHさんは呟《つぶや》いて、首を引つこめようとしましたが、うしろから覗きこんでゐる千恵に気がつくと、すぐまた気を変へて、 「ちよつとはいつてみる? あの人らしい絵がどつさりあるわよ。この物置、あの人のアトリエなんだもの。」  千恵はうなづきました。あの片腕のない奇妙な青年がどんな絵をかくのか、ちよつと見て置きたい気持がしたのです。  さして広くもない部屋が、半分ほどは椅子《いす》テーブルの山でした。小さな窓が一つあいてゐて、その下に白木のきたならしいデスクが押しつけてあります。その前に椅子が一つ、その背中に千恵にも見覚えのある油じみたブラウスが、だらんと投げかけてありました。床の入口に近いところに、これもやはり油じみて黒光りのしてゐる冷飯草履《ひやめしぞうり》が丁寧に揃《そろ》へてあり、身の廻りのものといつたら唯《ただ》それだけ、あとは足の踏み場もないほど、ぎつしり画架やカンヴァスで埋まつてゐるのでした。 「岡田さんなんかの話だと、これでなかなか見どころがあるんださうだけど、あたしにや何のことやらさつぱり分りやしない。……」  そんなことをぶつぶつ言つてゐるHさんを差し置いて、千恵はいつの間にか部屋の中ほどに立つて、互ひにもたれ掛つたり隠しあつたりしてゐる絵の上に、あてどのない視線をさまよはせてゐました。自画像らしい描きかけの絵もありました。白|鬚《ひげ》の老人の肖像もありました。風景画はほとんどなく、大抵は人物や街頭の光景を扱つたものでしたが、ふとその下から半分ほど覗いてゐるかなり大きな絵に目を惹《ひ》かれて、それを邪魔してゐる絵をそつと片寄せたとき、千恵の注意は思はずその画面に釘づけになつてしまひました。  あれは何号といふのでせうか、四|尺《しゃく》に三尺ほどの横長の絵でした。前景には瘠《や》せこけて骨ばつた男の裸体が、長々と画面いつぱいに横たはつてゐます。そのすぐ後ろの中央には、黒衣の婦人が坐《すわ》つて、どこか中有《ちゅうう》を見つめてゐます。そのうしろには氷河だか石の壁だか、とにかく白々《しらじら》とした帯が水平に流れ、背景ははるかな樅《もみ》の林らしく濃い緑いろでした。千恵が注意をひきつけられたのは、なかでもその婦人の眼つきでした。はじめは中有を見つめてゐるやうに思へたその眼が、よく見ると殆《ほとん》どねむつてゐるのでした。その重なり合つた上下の目蓋《まぶた》の間からかすかに漏《も》れてゐるらしい視線は、よく見ると、下に横たはつてゐる裸かの男の髯《ひげ》もじやの顔をじつと眺めてゐるやうでもありました。あごを突きだして、斜めに反らしたその白い顔には、まぎれもない深い悲哀が浮んでゐます。絵のことにはうとい千恵ですが、それが「悲しみの聖母」といふ画題をあらはした絵らしいといふことは、一目みて推量がつきました。その聖母のやつれた顔をじいつと眺めてゐるうちに、千恵にはそれがどことなく姉さまのあの時の[#「あの時の」に傍点]表情に似てゐるやうな気がしだしました。この「あの時」といふのは、いつぞやの晩あの育児室の窓ごしに覗《のぞ》きこんでゐた時のことかも知れません。つい今しがた石段の滝のなかで擦《す》れちがつた、その瞬間のことかも知れません。いいえひよつとすると、この聖堂の小暗《おぐら》い外陣の片すみで、いきなりあの古島さんといふ青年に抱きついた刹那《せつな》、下から見あげた古島さんの眼にうつつた姉さまの表情だつたのかも知れません。そのどれでもあるやうでもあり、そのどれでもないやうな気もしました。 「あんまり気味のいい絵でもないわねえ。いかにもあの古島さんらしいわ……」と、いつのまにか千恵の後ろに立つてゐたHさんが、持前のがさがさした嗄《しわが》れ声で言ひました。千恵は思はず夢から覚めたみたいになつて、いそいでその絵の前を離れようとしました。二三歩あるきかけて、ふとまた振返つてみました。そのとき眼にはいつたのは偶然その裸か男の髯《ひげ》もじやの顔でしたが、それがにたりと薄笑ひを浮べたやうな気がしました。もちろん千恵の心の迷ひだつたに違ひありません。けれどその薄笑ひをした顔つきが、ほかならぬあの古島さん自身の笑ひ顔に似てゐたことだけは、たしかに千恵の気の迷ひではありませんでした。……  Hさんは用心ぶかく、さつき千恵が片寄せた絵を元へ戻すと、千恵のあとから出てきてドアを閉めました。千恵は自分の胸が大きく波を打つてゐるやうな気がしてなりませんでしたが、Hさんは一向気づかない様子で、潜《くぐ》り戸《ど》の外へ出ると、 「悪かつたわね、大して面白いものも見てもらへないで……」と、千恵にあつさり別れを告げました。千恵はそのHさんから逃げだすやうな勢ひで、相変らずの吹き降りの中を、傘もささずに表門の方へ駈《か》けだしました。本堂の正面を駈け抜けるとき、千恵の耳には、堂内がごうごうと鳴つてゐるやうな凄《すさ》まじい音が、はつきり聞えました。それはまるで火焔《かえん》が堂内いつぱいに渦まいてゐるやうな音でした。くやしいことですけれど、あとはもう夢中でした。いつのまにO町の外科病院へたどり着いたものやら、さつぱり覚えがありません。気がついてみると、何か吐き気のやうなものがしてゐました。たうとう我慢がならず、お手洗ひへ立ちましたが、結局なんにも吐くものはありませんでした。ただの目まひだけだつたらしいのです。……    ………………………………………  母上さま、――  千恵にはもうこれ以上なんの御報告すべきこともございません。結局なんにも分らないぢやないかと、母さまはひよつとするとお咎《とが》めになるかも知れません。それも致し方のないことです。現にこの千恵自身にも、さつぱり訳が分らないのですから。  とにかくこれが、母さまのお求めになつた姉さまの消息について、千恵がさぐり出すことのできた全部です。もうこれで姉さまのことは御免をかうむりたいと存じます。姉さまが現にああして生きておいでになる以上、その消息をもとめる役目はこれで役ずみになる筈《はず》はありません。千恵もそれぐらゐのことはよく分つてゐます。けれどこの上の探索は千恵の力がゆるしません。そして恐らくこの手紙をお読みになつた母さまは、もう二度とふたたびこんな役目を千恵にお押しつけになる筈はあるまいと、千恵は固く信じてをります。あれは死んだ姉さまなのです。千恵は今こそはつきりさう申します。姉さまはあの業火《ごうか》のなかで亡くなつたのです。どうぞ母さまもさう信じてくださいますやうに!  こんなに度たび姉さまと顔を合せながら、つひに一度も「姉さま!」と呼びかけずにしまつた千恵の薄情さを、母さまはお咎《とが》めになるのですか? 「だから千恵さんは情《じょう》が剛《こわ》いといふのですよ!」と、そんな母さまのお声が耳の底できこえるやうです。そのお咎めなら千恵はいくらでも有難く頂戴《ちょうだい》するつもりです。どうせ千恵は情のこはい、現実のそろばんを弾《はじ》いてばかりゐるやうな女です。そのことは幼い頃から母さまにさんざ言はれましたし、この先もきつと一生涯さうに違ひありません。さうですとも、千恵は生きなければならないのです。生きてゆく以上、死人の世界になんぞかかづらはつてはゐられないのです。千恵はそこまではつきり申しあげてもいいのです。……  でも時たまは、姉さまをほんとにお気の毒だと思ふこともないではありません。なにかしら姉さまのためにお祈りしたいやうな気持の湧《わ》くこともあります。でもその祈りの気持といふのは、煎《せん》じつめてみると結局、このうへ姉さまに俗世のきづなの苦しみを与へてはならないのだ――といふことに落ちついてしまひます。もうすこしきれいな言ひ方をすると、それは姉さまの幸福を傷つけたくないといふ気持――そんなふうにも言へるのかも知れません。  母さま、――これは偽善の言葉でせうか? でも千恵は、偽善なら偽善でいいのです。そんな偽善よりももつと怖ろしい悪に、わたしたち人間は知らず知らず落ちこみがちなことに、千恵はやうやく気づいてをります。それを母さまの前ではつきり何と名ざすのは、なんぼ千恵でも随分とつらいことです。まあそんな話はやめに致しませう。そろそろ夜明けが近いやうな空気の薄さが感じられます。今日は朝十時から子宮|癌《がん》患者の手術があります。千恵はG先生のお手伝ひをすることになつてゐるので、明るくならないうちに一時間でも二時間でも眠つておかなくてはなりません。では御機嫌よう。これで千恵はおしまひに致します。  それにしても、お母さま、もしわたしたちのS家にたいする態度が、当時あれほど寛大でなかつたら、わたしたちは狂気の姉さまとふたたび仲よく暮らせたでせうに!…… 底本:「日本幻想文学集成19 神西清」国書刊行会    1993(平成5)年5月20日初版第1刷発行 底本の親本:「神西清全集」文治堂    1961(昭和36)年発行 初出:「別冊芸術」    1949(昭和24)年3月発行 ※ルビは新仮名とする底本の扱いにそって、ルビの拗音、促音は小書きしました。 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 入力:門田裕志 校正:川山隆、小林繁雄、Juki 2008年1月5日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。