方言 折口信夫 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)着長《キタケ》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)首|長《ダケ》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数) (例)れ※[#小書き平仮名ん、87-16]ぞ  [#(…)]:訓点送り仮名  (例)西[#(ノ)]宮 /\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号) (例)まち/\な ------------------------------------------------------- ○くびだけ[#「くびだけ」に傍線] 今は方言と言はれぬ語であるが、くびだけ[#「くびだけ」に傍線]は首ばかりが水面に出てゐる様子で、沈湎・惑溺の甚しい事を言ふのだ、と思うてゐた処、大阪天満女夫池に、妻を追うて入つた夫の歌と言ふのに「水洩らぬ契りの末は首たけに思ひしづみし女夫池かな」極めて要領を得ぬ物であるが、首|長《ダケ》とは着長《キタケ》に対した語で、頭をもこめた長《タケ》の義であらう、と思ひあたつた。首が出る段でなく、ずんぶりつかつて了ふことであらう。東京人のくびつたけ[#「くびつたけ」に傍線]の促音は、くびのたけ[#「くびのたけ」に傍線]の積りであるので、だけ[#「だけ」に傍線](而已)に力をこめたのではなからう。 ○さくら[#「さくら」に傍線] 縁日などに出る香具師の仲間では、客の買ひ方を速める為に、囮になつて、馴れあひで物を買ふ。此類に限らず、其外にも、人目は関係ない様に見せかけて、実は、脈絡をもつて悪い事をする第三者、譬へば、手品師に於ける隠れ合図をする者・すり[#「すり」に傍線]のすつた品物を途中で受けとる人間など、すべて相掏り(あひずり)と言はれるものを、大阪ではさくら[#「さくら」に傍線]と言ふ。此は、花合せの札の三月の分が、殊に目につく藍刷りであつた為かと思ふが、他に案があつたら、教へて下さい。 ○祭りの翌日 祭りの前の日のよみや[#「よみや」に傍線]、祭日の本《ホン》まつり[#「まつり」に傍線]などは、何処でも通用するが、祭りの翌日には、行事のあるところと、ないところとがある様だし、用語も、地方によつて、まち/\な様である。熊本のおけあらひ[#「おけあらひ」に傍線](桶洗ひか)大阪のごえん[#「ごえん」に傍線](後宴か御縁か)などは聞いた。祭りのなごりを惜しむ人々の残つてゐる今の間に蒐めておきたい。 ○もろに[#「もろに」に傍線] 東京でも、今は諸国の人々の寄り合ひになつて了うた為、大抵の国々の語の包括を遂げた様に見える。其でも、下町の年よりの早口の会話を聞くと、かなり意の通ぜぬ語に出くはす。今の間に、小説家などが、もつと書きとめて置いてくれゝばと思ふ。もろに[#「もろに」に傍線]など言ふ副詞は、実の処、私にはまだ、的確に意義が掴まれぬ。初めは「両《モロ》に」で、両手でさしあげたりする意の、相撲とりの仲間からとり入られたものと考へて、其まはし[#「まはし」に傍線]を両手《モロテ》でひいて、軽々とさしあげる意から、軽々と・たやすくなど言ふ意が、胚胎せられて来たものと思うた。 処が、事実はすつかり違ふ様である。もろに[#「もろに」に傍線]は「脆く」と一つで、上方のぼろくそ[#「ぼろくそ」に傍線]・ぼろい[#「ぼろい」に傍線]など言ふ語と密接な関係があつたのである。其について思ひ起すのは、友人永瀬七三郎君が、北河内|三《サン》个|江《エ》の口《クチ》(野崎の近辺)に住んだ頃、こもろい[#「こもろい」に傍線]と言ふ形容詞をよく耳にした。だから、大阪のぼろい[#「ぼろい」に傍線]はこもろい[#「こもろい」に傍線]と一つで、脆いと言ふ語が語原であらう、と言うてゐたことである。ぼろい[#「ぼろい」に傍線]と言ふのは「手もなくうまい事をした」場合などに言ふ語で、過大な好結果を示すのである。言ひ換へれば、さのみの苦労をせずに、思ひがけぬ利益を得ることをいふ。今日の言語情調からすれば、ぼる[#「ぼる」に傍線](貪)と言ふ語と親類らしく感ぜられるのであるが、事実は、やはり別であらう。 其は、ぼろくそ[#「ぼろくそ」に傍線]と言ふ語が、同時に行はれてゐるのを、参考して見ても知れる。ぼろくそ[#「ぼろくそ」に傍線]は「苦労なくはかどる」或は「努力せずして思ひの外に速かに願ふ結果を獲る」意である。当方でなく、対象が脆く自分の思ふまゝになる、と言ふのが本義なので、貪《ボ》るが語原とすれば、ぼろい[#「ぼろい」に傍線]の意は訣つても、ぼろくそ[#「ぼろくそ」に傍線]は解釈がつかぬのである。ぼろい[#「ぼろい」に傍線]――こもろい[#「こもろい」に傍線]――もろに[#「もろに」に傍線]と並べて見れば、今も東京に行はれてゐるもろに[#「もろに」に傍線]といふ語の原義は、ほゞ辿られる様である。 ○へそくり[#「へそくり」に傍線]・しがいせん[#「しがいせん」に傍線] 雑誌郷土研究時代では、随分へそくり[#「へそくり」に傍線]・しがいせん[#「しがいせん」に傍線]などが、問題になつた。わたしは、へそくり[#「へそくり」に傍線]は綜麻繰《ヘソク》りで、家族の私有の利得は、其辺から得たものと信じてゐるので、しがいせん[#「しがいせん」に傍線]も、しんがい[#「しんがい」に傍線]・しがい[#「しがい」に傍線]など言ふ、糸鞋を作つて、めい/\の小遣ひ銭を作つた為と考へる。まつぼり[#「まつぼり」に傍線]なども、かういふ方面から、探りを入れて行くべきだらうと思ふ。 ○がしん[#「がしん」に傍線] 岡山辺では、飢饉年をがしん[#「がしん」に傍線]と言ひ、京阪ではいくぢなし[#「いくぢなし」に傍線]をがしん[#「がしん」に傍線]といふ。私の様に弱かつた子供は「がしんやな」「がしんたれ」など言ふ語で、批評せられ通しであつた。処が、狂言記に二个処ほど(一个処は餌さし十王)がしん[#「がしん」に傍線]を見た。其用語例は、岡山の凶年とまでは行かずとも、不景気の意であつた。さうすると餓死など言ふ宛て字が、相当の値うちを持つて来る様に思はれる。 ○てんごお[#「てんごお」に傍線]・てんご[#「てんご」に傍線]・てご[#「てご」に傍線] 浄瑠璃に屡《しばしば》見るてんごお[#「てんごお」に傍線]と言ふ語は、今も京阪に生きてゐる。多くの場合、てんご[#「てんご」に傍線]・てご[#「てご」に傍線]など短くつめられるを常とする。戯れ・いたづら、まじめな態度を欠いた総ての動作を表す語である。転業・手業など言ふ節用集流の宛て字は、おもしろくない。同じ系統の語らしいものに、口ごはい[#「口ごはい」に傍線]と言ふ語がある。思ふ存分人にあらがひ、罵倒することであるが、てんごお[#「てんごお」に傍線]ほどには、書物の上に残されずに、もう亡びかゝつてゐる。此語は、馬などにも言ふ口強《クチゴハ》と言ふ語の、謂はゞ、連体法のくちごはい[#「くちごはい」に傍線]が、くちごはい[#「くちごはい」に傍線]事など言ふ接続を忘れて、な[#「な」に傍線](<なる)を落す上方修飾語の常習と誤認して、名詞と思うたのである。「親に向うて口ごおはい。罰があたるぞ」或は「口ごおはいな[#「な」に傍線]わんぱく坊主」など使ふ。即ご[#「ご」に傍線]が重母音になつたのだ。扨、かのてんごお[#「てんごお」に傍線]もやはり、此と同じく、手強《テゴハ》の義で手|強《ゴハ》うする>てごわうする>てごお(する)>てごお>てんごお、と言ふ風に、名詞化して来たと見るべきであらう。京阪のが[#「が」に傍線]行音は、勿論、鼻音であるから、てごお[#「てごお」に傍線]になる迄の間に、既に、撥音ん[#「ん」に傍線]のわりこみのあつたことゝ思はれる。 ○晩と夜 晩と夜とは、今では多くの地方皆、おなじ事に考へてゐる様である。狂言記あたりに見える「晩ずる」といふ動詞は「夜になる」の意としか解かれてゐぬが「昏《クラ》くなる」位の意であらう。家忠日記天正十八年二月二十二日の条に「伊可御茶屋之普請は、晩より夜まで雨ふりかみなり」とあるのは、たそがれ・夕景などの意であらう。 ○よさもと[#「よさもと」に傍線] 紀伊北牟婁郡長島辺を歩いてゐた頃に、行き逢うた人の話では、午後をよさもと[#「よさもと」に傍線]と言ふ由。八つ下りなどの意であらうか。右の地方の方の教示を乞ふ。尚午前・正午・午後・夕・夜などを表す方言を蒐めたい。 ○つろく[#「つろく」に傍線] 東京・大阪の間を往来する者にとつては、東京と大阪とでは、すつかり語が違つてゐよう、と考へてゐた漠然たる予期が、思ひがけない語に会うて、其が外れて行くのに、驚くことが度々です。無機的な名詞の同・不同に就ては、さのみ意も牽かれぬが、動詞・副詞の同じものゝ多いのには、全く驚きます。相応・つりあひ・適当などの意のつろく[#「つろく」に傍線]といふ語、此も「身代につろく[#「つろく」に傍線]せぬおごり」或は「からだにつろく[#「つろく」に傍線]した着物」など言ひます。又、前のぼろい[#「ぼろい」に傍線]も、実は東京にも、下町辺の語の荒い人々の間には行はれてゐます。 ○よど[#「よど」に傍線]・いたじきばらひ[#「いたじきばらひ」に傍線] 日向児湯郡|三《ミ》納辺で宵祭《ヨミヤ》をよど[#「よど」に傍線]、祭りの翌日を、いたじきばらひ[#「いたじきばらひ」に傍線]と言ふ。前のをけあらひ[#「をけあらひ」に傍線]と、成り立ちが似てゐる。 ○ぜんじやく―に―おう[#「ぜんじやく―に―おう」に傍線]・れんじやく―に―おう[#「れんじやく―に―おう」に傍線]・ぢぞお―の―かんけ[#「ぢぞお―の―かんけ」に傍線]・かたくま[#「かたくま」に傍線]・ちゝくま[#「ちゝくま」に傍線] 負ひ方擁き方の名を蒐めたい。大阪辺では、子供を脊負ひ帯で負ふのをぜんじやくにおう[#「ぜんじやくにおう」に傍線]と言ふ。たまにはれんじやく[#「れんじやく」に傍線]と言ふ人もあるから、連尺に見立てたのだ、と言ふことは疑ひもない。但此場合、胸の方はやはり、帯が十文字に交叉してゐる。後向けに負うて、脊と脊との合うてゐるのをぢぞおのかんけ[#「ぢぞおのかんけ」に傍線](け、清音)と言ふ。地蔵の勧化なることは明らかである。「地蔵のかんけ[#「かんけ」に傍線](くわん[#「くわん」に傍線]とは言はぬ)」と節をつけて、子どもどうし負うて、遊んだことを覚えてゐる。肩車をかたくま[#「かたくま」に傍線]と言ふ事は、手習鑑以来変らぬが、多くはちゝくま[#「ちゝくま」に傍線]と言ふ。 ○たしむ[#「たしむ」に傍線]・たしなむ[#「たしなむ」に傍線] たしむ[#「たしむ」に傍線]とたしなむ[#「たしなむ」に傍線]とは、如何にも関係の深かりさうな語である。蕪村の「蓼の穂をま壺に蔵す法師かな」が、一書には、たしむ[#「たしむ」に傍線]となつてゐた筈である。夜半翁も必、たしむ[#「たしむ」に傍線]と蔵すとの間に、関係ある事を認めてゐたに違ひない。紀州日高では、物を貯へたり、用意したり、一部分残しておくと言ふ風な用語例に、たしなむ[#「たしなむ」に傍線]を使うてゐる。女のたしなみ[#「たしなみ」に傍線]など言ふのは、用意・心掛けなど言ふ意が、姿・形の上にも転用せられたので「芸事について、何のたしなみ[#「たしなみ」に傍線]がある」など言ふ事もある。思ふに「嗜」と言ふ字にくつゝいて残つてゐる、たしむ[#「たしむ」に傍線]と言ふ語の意味は、酒呑みが塩辛でも舐める様に、ちび/\玩味することを言ふのではなからうか。たし[#「たし」に傍線]と言ふ語根は、な[#「な」に傍線]と言ふ体言副詞語尾の有無に係らず、動詞語尾む[#「む」に傍線]に続いたので、たしむ[#「たしむ」に傍線]・たしなむ[#「たしなむ」に傍線]同じ語と言ふことが出来る。此語根たし[#「たし」に傍線]は可なり古いもので「確《タシ》か」系統のたし[#「たし」に傍線]とは、別に展びて来たものらしい。今も、京阪にも東京にも言ふ、少量で、使ふにも気のへる様な程度なのを、たしない[#「たしない」に傍線]と言ふのは「足しない」ではなくて、物惜しみする意のたし[#「たし」に傍線]の古意を存してゐるのであらうか。尚人をたしなめる[#「たしなめる」に傍線]など言ふ場合は、心掛け足らぬを叱つて、注意を喚び起す意とも思はれるが、どうやら、はしたなむ[#「はしたなむ」に傍線]の略転らしく考へられる。 ○おいによ[#「おいによ」に傍線] 大阪では、夫より妻が年がさな場合に、其の妻をおいによ[#「おいによ」に傍線]と言ふ。又さうした夫婦関係をも言ふ様で「向《ムコ》のうちは――や」などゝも使ひます。おいによおぼお[#「おいによおぼお」に傍線](老い女房)の略語なる事は勿論です。おい[#「おい」に傍線](連用)おゝ[#「おゝ」に傍線](終止)の二つの活用は見られます。連用はて[#「て」に傍線]に接して、おゝて[#「おゝて」に傍線]・おゝた[#「おゝた」に傍線]などゝなります。おい[#「おい」に傍線]・おゝ[#「おゝ」に傍線]は勿論老ゆ[#「老ゆ」に傍線]なのですが、単に老年を現すことはなく、齢を比較して、誰は誰よりもおゝてる[#「おゝてる」に傍線]と言ふのが、此語の普通の用例です。又、さう言ふ夫婦を、嘲笑の気味合ひで、だんじり[#「だんじり」に傍線]と呼んでゐます。あの地では、地車《ダンジリ》を囃すのに「おゝた/\」と言ふ語で、煽り立てゝ、地車を進めるのです。「追へ/\」「追うたり/\」などゝ同じ用語例です。だから、おゝた[#「おゝた」に傍線](老うてる)と言ふから、だんじり[#「だんじり」に傍線]を聯想したのです。此語は、二つともに、四十以上の人の外には使ひません。 ○もろに[#「もろに」に傍線] もろに[#「もろに」に傍線]と言ふ語、前にあゝは言うたものゝ、尚、不安な処があるので、いろんな人に問うて見た。清水組にゐる鈴木は、やはり「諸《モロ》に」の義で、全体の意とし、その使うてゐる為事為《シゴトシ》が、最近に「足場がもろに[#「もろに」に傍線]倒れるといかぬ」と言うたと教へてくれ、村田春雄君は「電柱がもろに[#「もろに」に傍線]倒れて来た」との例を寄せられた。山中共古先生の御相談願ふと、鈴木と同じく「諸・両」説で、恐らく、大工仲間の術語だらうと言はれた。此頃の色物席は恐ろしく不純で、お上品になつた為に、自在な東京下流の対話は、講釈場でなくては聞けぬ様になつた。わたしは、四五日方々の席に出かけて、下の用例を筆記して来た。 [#ここから2字下げ] なにしろ千鈞の鼎をもろに[#「もろに」に傍線]挙《サ》さうと言ふ力だからたまらない。(三国志、宝井馬琴) 為懸《シカ》けてあつた崖だから、孔明の合図と共に、もろに[#「もろに」に傍線]こいつが畳めると、魏の総勢が谷間へ落ちこんだ。(同じく) 砂袋切つて落すと、恐しい勢で、城の裏山から城を目がけて、もろに[#「もろに」に傍線]水が流れこむ。(同じく) 片岡は御家人《ゴケニン》だ。穢れ役人に、調べを受ける筋はねえ、とぐつと裾を捲つて、褌をもろに[#「もろに」に傍線]出して、坐りこんだ。(河内山、神田伯治) ぶつ倒れた奴の頭を、左手を伸して、もろに[#「もろに」に傍線]つかんだ。(清水次郎長、神田伯山) 杉の市が杖でもつて、川の水を払つたからたまらない。近江屋勘次、頭からもろに[#「もろに」に傍線]水を浴せられた。(藪原検校、小金井蘆州) [#ここで字下げ終わり] 一・二の例は、脆系統の軽々と[#「軽々と」に傍線]・たやすく[#「たやすく」に傍線]とも、受け入れられる。三・四・五は、無雑作と広義に拡充させて見ると、どうかかうか、説明はつくやうである。村田君の場合もまづ、訣りはするが、尚、不安心である。其で、今《モ》一度「両・諸」の方から探りを入れて見る。全体・すつかり[#「すつかり」に傍線]と拡げて見ると、一層訣り易い事は事実である。「電柱がもろに[#「もろに」に傍線]倒れた」なども「根柢から」と言ふ考へを下に持つた、全体・すつかり[#「すつかり」に傍線]と、説けばよい様だ。併し、現在の用語例は、全体・すつかり[#「すつかり」に傍線]にあるとしても、勢籠つた・鋭い・すばやい[#「すばやい」に傍線]などの言語情調を度外してはならぬ様である。今日の用語例は、語原的に言ふと、確かに「両《モロ》に」で、相撲などの術語から出たものと思はれる。さうでないとすると、近世的の語として「両《モロ》に」など言ふ語の発生は疑はしい。此処に尚、聊か「脆《モロ》に」語原の可能が許されさうに思ふ。さうとすれば、全体・すつかり[#「すつかり」に傍線]・根柢からなど言ふ用語例は、聯想から「両《モロ》」に結びつく為に出来たもの、と説明すべきであるやうだ。尚、序に注意すべきは、江戸語では副詞の語根を強くする為に、三音・四音になるのを避けようとしてゐる傾きが見える。「右の腕がぶら[#「ぶら」に傍線]になつた」「ぽか[#「ぽか」に傍線]とぶつ」「仰(あお)に倒れた」など言ふ類で、もろに[#「もろに」に傍線]が、脆くも[#「脆くも」に傍線]に、一縷の関係を繋いでゐるのである。 ○女の家 節供《セツク》は和漢土俗習合して出来たものと考へる。そして季節の替り目を恐れる風、及び祭り・物忌みに、男は皆宮社に籠り、女ばかりが家にゐて謹んで籠つたことがあるであらう。此は古いことだが、万葉集巻十四に、 [#ここから2字下げ] 誰ぞ。此家の戸《ト》押《オソ》ぶる。新嘗《ニフナミ》に我が夫《セ》をやりて、斎《イハ》ふ此戸を 鳰鳥《ニホドリ》の葛飾早稲《カツシカワセ》を新嘗《ニヘ》すとも、その愛《カナ》しきを、外に立てめやも [#ここで字下げ終わり] とある。近世まで、かういふ風に男女別居して、物忌みする風は、必、あつたであらう。西[#(ノ)]宮の居籠《ヰゴモ》りなども、宮籠りに対した語で、祭りに宮に籠つた風のなごりを逆に見せてゐるのである。それで恐ろしい季節の替り目を別つ節供の日に、男が宮籠り、女の居籠ることがあつたので、五月五日を女の家(女殺油地獄)と言ふ様な――男だけの祭り故――諺もあつたであらう。尤、近松の頃には、此語の意味は訣らなかつたであらう。 ○おとごぜ[#「おとごぜ」に傍線] 伝教大師・性空上人・皇慶律師などに使はれた、乙護法《オトゴホフ》といふ護法童子は、恐らく別々の者でなく、術者の手に転々して役せられて居た者、と考へられたであらう。さすれば、頗長命な役霊(すぴりつと[#「すぴりつと」に傍線])である。此護法の名が、民間に遍満して、一種滑稽な顔をした、ぱつく[#「ぱつく」に傍線]風の小魔と考へられ、乙護々々と略称されたのが、乙御と言ふ風の民間語原説から、乙御前《オトゴゼ》と還元する様になつて、一種の妖怪と考へる事になつたのであらう。 ○髪形と子ども 子どもを、髪の形で類別すること、古代・近代一列である。うなゐ[#「うなゐ」に傍線]・めざし[#「めざし」に傍線]・をはなり[#「をはなり」に傍線]・ひさごばな[#「ひさごばな」に傍線]・かぶろ[#「かぶろ」に傍線]は、あまりに古い名である。わらは[#「わらは」に傍線]なども、とり上げずに、乱れたい儘に、短くはらゝかした髪である事は、わらゝば[#「わらゝば」に傍線]・はらゝ[#「はらゝ」に傍線]などいふ、H音・V音の音価動揺時代を知つた人には訣りきつた、所謂ばらけ髪である。大童などいふ語も、子どもの髪に見立てたのでなく、わらは[#「わらは」に傍線]其者が、ばらけ髪を言うた事を示してゐる。河童の事を河郎《カハラウ》・かつぱ[#「かつぱ」に傍線]と言ふのが、河わらは[#「河わらは」に傍線]・河わつぱ[#「河わつぱ」に傍線]から来たのだ、と言ふことは疑ひがない。だから、河郎・かつぱ[#「かつぱ」に傍線]が、絵にある形の頭をした者に定つた事は、極《ゴク》の近代でないと知れる。唯、あんな小さな形にしたのは、例の民間語原と言うてよからう。山わろ[#「山わろ」に傍線]などは、爺さんの様に考へてゐた者も、多いではないか。此場合も、尠くとも、山住みの気安さに、髪をふり乱してゐたのを斥したものであらう。がつそ[#「がつそ」に傍線](<かふそ)が川獺から出た物で、河童と一類に考へられた事も、明らかで(山島民譚集)ある。大阪では、四五十からの上の人は、昔の医者・修験などの頭の、所謂総髪をがつそ[#「がつそ」に傍線]といひ、其に似て、子どもの四方へ髪を垂れた頭をも、がつそ[#「がつそ」に傍線]と言ふ。其脳天を小さく円く剃つたのが、けしこ[#「けしこ」に傍線]・けし房主[#「けし房主」に傍線]である。東京の子どもの、おかつぱさん[#「おかつぱさん」に傍線]とがつそ[#「がつそ」に傍線]とが、おなじもので、名も関係深いのはおもしろい。 ○さるぼ[#「さるぼ」に傍線] 虹が、雉の尾の様に見えた事は、推古紀かにあつたと思ふが、かの天象を、動物の尾に譬へる事は、外にもある様である。大和北葛城郡|志都美《シツミ》村辺で、虹の片脚の僅かに立つてゐたのを見て、七十歳の老婆が、さるぼ[#「さるぼ」に傍線]といふ名を教へてくれた。ぼ[#「ぼ」に傍線]は VO の発音で、大和人は、を[#「を」に傍線]を正しく WO とは言へぬのである。即、猿尾の義かと思ふ。 ○あおち[#「あおち」に傍線]貧乏 稼いでも/\世帯のよくならぬのを、大阪では、あおち[#「あおち」に傍線]貧乏と言ふ。あおつ[#「あおつ」に傍線]は煽つである。戸が風にあふられる事にも言へば、団扇で音たてゝ扇ぐ場合にも使ふ。思ふに、ばた/\と立ち働いて、ぢつとして居る間もないのに、而も貧乏すると言ふ意味の考へ落ちだらう。 ○祭りの日 徳島市中では、本祭りをほんま[#「ほんま」に傍線]、其前日がよみや[#「よみや」に傍線]、祭りの翌日がしよおじり[#「しよおじり」に傍線]である。しよおじり[#「しよおじり」に傍線]の日は、午後からお宮が賑ふ。尚、三月節供翌日を、やはり、しかのあくにち[#「しかのあくにち」に傍線]といふ。 ○れ※[#小書き平仮名ん、87-16]ぞ[#「れ※[#小書き平仮名ん、87-16]ぞ」に傍線]・れ※[#小書き平仮名ん、87-16]ど[#「れ※[#小書き平仮名ん、87-16]ど」に傍線] 此語は、大和国中に限る様である上に、殊に北南葛城郡が中心になつてゐる処を見ると、其処に、起原があると仮定しても、よい様だ。此で思ひ当るのは、当麻寺の練供養《ネリクヤウ》である。此は、頗名高い法会で、大和歳事記を拵へれば、春の部の王様とも言ふべき行事ゆゑ、此地方の人には、祭りとも、休日とも言ふ風の聯想が起つたのであらう。恐らく練道《レンダウ》供養のれんどお[#「れんどお」に傍線]が、れんど[#「れんど」に傍線]>れんぞ[#「れんぞ」に傍線]となつたものであらう。練道と言ふ語は、行道など言ふ語があるから、言はないとは思はれぬ。 底本:「折口信夫全集 3」中央公論社    1995(平成7)年4月10日初版発行 底本の親本:「『古代研究』第一部 民俗学篇第二」大岡山書店    1930(昭和5)年6月20日 初出:「土俗と伝説 第一巻第一―三号」    1918(大正7)年8〜9月 ※底本の題名の下に書かれている「大正七年八―十月「土俗と伝説」第一巻第一―三号」はファイル末の「初出」欄に移しました 入力:門田裕志 校正:仙酔ゑびす 2007年4月8日作成 青空文庫作成ファイル: 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