父の俤 佐藤垢石 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)叉手《さで》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)網|魚籠《びく》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)はや[#「はや」に傍点] -------------------------------------------------------  手もとは、まだ暗い。  父は、池の岸に腹這いになって、水底の藻草を叉手《さで》で掻きまわしている。餌にする藻蝦《もえび》を採っているのである。  藻の間を掬《すく》った叉手を、父が丘《おか》へほおりあげると、私は網の中から小蝦を拾った。藻と芥《あくた》に濡れたなかに、小さな灰色の蝦がピンピン跳ねている。  母は、かまどの下で火を焚きはじめたらしい。池のあたりまで薪のはねる音が聞こえてくる。昧暗《まいあん》から暁へ移った庭へ、雄鶏《おんどり》が先へ飛び降りて、ククと雌鶏《めんどり》を呼んだ。  初夏とはいうけれど、時によっては水霜も降りるこの頃では、朝の気は私の小さな手に冷たかった。 『もう、行こうよ!』  私は、いくども父を促した。けれど父は、 『待て待て、餌が少ないと心細い――いい子だな』  と、言ってなおも、叉手を忙しく動かして池の水を濁している。  それは私が小学校へ入学して間もない時であったから、七、八歳の頃であったにちがいない。私はそんな小さい時から、父のお供をして若鮎釣りに使う餌採りの相手をさせられた。海から下総の銚子の利根の河口へ入って、長い旅を上州の前橋近くまで続けてくる若鮎の群れは、のぼる途々、淡水にすむ小蝦を好んで餌にするのである。だから、その頃まだ加賀国や土佐国で巻く精巧な毛鈎《けばり》が移入されなかった奥利根川の釣り人は、播州鈎や京都鈎に藻蝦の肉を絞り出し、餌としてつけたのであった。  若鮎の群れは、鈎先につけた蝦の肉を見ると、競い寄って食った。鈎の種類など選ぶ必要はないほど、数多い鮎が下流から遡《のぼ》ってきたのである。  竿は、薮から伐り出したばかりの竹でもよく、場合によれば桑の棒でもこと足りた。近年のことを想えば嘘のように釣れた。  朝の飯を食べると、私はちょこちょこと父の後にしたがった。前橋から下流一里ばかりの上新田の利根河原へ行ったのである。  父は、三十歳前後の、勘《かん》のいい盛りであったのだろう。私は、河原の玉石の上へ腰をおろして、竿さばき鮮やかな父を眺めた。いまから想い出しても、父は釣りが上手《じょうず》であったと思う。二間一尺の小鮎竿を片手に、肩から拳《こぶし》まで一直線に伸ばして、すいすいと水面から抜き上げる錘《おもり》に絡んで、一度に二尾も三尾も若鮎が釣れてくる。そのたびに、幼い私は歓声をあげて、網|魚籠《びく》の口を開けては、父の傍らへ駆け寄った。  私は、父より先にお腹が減った。包みから握り飯を出して頬張ったのを顧みて、父は、 『はじめたね』  と、言って竿の手を休めた。そして、竿を石の上へ倒しておいて、私と並んで小石の上へ胡座《あぐら》したのである。  五月の真昼は、何とすがすがしい柔らかい風が吹くことであろう。小石原から立つ陽炎《かげろう》がゆらゆらと揺れる。砂原の杉菜《すぎな》の葉末に宿《やど》った露に、日光が光った。  眼の前の、激流と淵の瀬脇で、ドブンと日本|鱒《ます》が躍り上がった。一貫目以上もある大物らしい。  日本鱒も、川千鳥と同じように、若鮎が河口へ向かうのと一緒に、遠い太平洋の親潮の方から、淡水を求めて遡ってくるのである。  夷鮫《えびすざめ》が、鰹《かつお》の群れと共に太平洋を旅して回るのは、鰹を餌食とするためであるが、日本鱒も若鮎を餌にしながら大河を遡る。だから、利根川筋では、昔から若鮎を餌に使って日本鱒を釣っていた。 『お父さんが、お弁当を食べる間、お前が釣ってごらん』  私は、父がこう言ってくれる言葉を、朝から待っていたのであった。  軽いとはいっても、子供には力負けのするような父の竿を握って、私は錘《おもり》を瀬脇へ放り込んだ。父のするように、竿先を少しずつ次第に水面近くへあげてくると、ゴツンと当たりがあった。びっくりするような強引な当たりである。  はじめて釣り竿を持った幼い私に、余裕も手加減もあろうはずがない。当たりと一緒に、激しく竿先を抜きあげると、大きな魚が宙に躍った。私は、夢中になって魚を丘へ振り落としたのである。そして、石の間を跳ね回る魚を双手で押さえつけた。  それは、若鮎ではなかった。腹に一杯卵を持った紅色鮮やかなはや[#「はや」に傍点]であった。子供の私の眼に一尺以上もある大物に見えたのである。鼓動が鳴った。手がふるえた。  父は、ただ手を拱《こまね》いて顔も崩れそうに笑っていた。そして、 『逃がすな、逃がすな』と、声援して『よくもまア、こんな細い糸であがったものだ』、こう言葉を続けて感嘆した声が、いまでも私の耳の底に残っている。  私が、生まれてはじめて魚を釣ったのは、この時である。回顧すれば遠い昔だ。四十年前にもなる。  このほども故郷の村へ帰って、崖の上から昔の河原を望んだが、流れを遮《さえぎ》る鬼岩は、その頃と変わらぬ安山岩の荒い肌を、激流の面へ現わして、白い飛沫を空に撒いていた。  河原の青い玉石も、松の黒い葉も、杉葉の浅緑も、幾十年の彩《いろどり》を、晩春の陽のなかへ漂わせていた。  だが、優しい父はいない。ただ、遙かに遠い想い出ばかりが残るのである。 底本:「垢石釣り随筆」つり人ノベルズ、つり人社    1992(平成4)年9月10日第1刷発行 底本の親本:「釣随筆」市民文庫、河出書房    1951(昭和26)年8月発行 初出:「釣りの本」改造社    1938(昭和13)年発行 入力:門田裕志 校正:仙酔ゑびす 2007年4月30日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。