香気の尊さ 佐藤垢石 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)団欒《だんらん》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)鮎|田楽《でんがく》 -------------------------------------------------------  釣り人が、獲物を家庭へ持ち帰って賑やかな団欒《だんらん》に接した時くらいうれしいことはないであろう。殊に、清澄な早瀬で釣った鮎には一層の愛着を感じる。メスのように小さい若鮎でも粗末にはできないのである。そこで釣った鮎の取り扱いとか始末とかについて書いてみたいと思う。  鮎は釣ったならば、水に浸けた魚籠《びく》に入れて生かしておき帰るときに上げるか、大きなものはそのまま殺して風通しのいい籠にいれておくがよろしいのである。ところが釣ると直ぐ腸《はらわた》を取り出して、籠に入れる人があるが、それは鮎の本質を棄ててしまうのと同じである。鮎が人に好まれるのは清淡の味もさることながら元来特有な高い香気にあるのであるから、香気と渋味を尊ぶ腸を棄てては鮎を理解しないも甚だしい。また頭と骨にも特別な香気がある。これは落ち鮎頃のかたくなったのでは口にできないが、七、八月のまだ柔らかい頃には、頭も骨も共に食うと本来の味と香気が舌に応えるのである。  籠に入れた鮎が腐る恐れがあるとすれば、鮎を出して二枚に割《さ》き薄く塩して、河原の石にはり付け日光に晒《さら》して干物とすれば珍味として賞玩するに足りる。これはまことに贅沢な食べ物で、人に贈っても甚だ喜ばれるであろう。それから腸も棄てぬ方がいい。  弁当箱か空壜へ入れて塩をかきまぜて持ち帰れば一週間にはウルカとなる。  塩焼きの焼き方は、誰でも知っているから略するが、鮎|田楽《でんがく》にするには本焼きにして枯らしたものにほんとうの味がある。串に刺して火鉢の灰に立て、上から新聞紙をかぶせて火気の逃げないようにしておくと、一時間半か二時間の後には肉の中の水分が蒸発して本焼きとなる。それを風通しのいい所へ一両日籠に入れて吊るしておくと焼き枯らしとなるから、これを食べる時に取り出し再びあぶり直した上へ味付け味噌を塗り、更に一度火にあぶりコンガリと味噌がこげたならば、食膳にのせるのである。こうした田楽ならば香気が高くてまことに美味《おい》しい。  煮びたしにするには、焼き枯らしたものを鍋の水に入れ、ひたひたになるまで煮つめ味をつけるのだが、これを釜の中の炊いたばかりの飯に入れ鮎飯にすると喜ばれる。鮎飯にするのは、鮎の数が少なく家族一同の口へ平均にくばれない時がいい。  それからキャベツの葉か、ぬらした障子紙三、四枚に包み、灰の中へ埋めて上から火を焚くか炭火をおこすと鮎は蒸焼きになる。これも素敵に美味《おい》しいのである。 底本:「垢石釣り随筆」つり人ノベルズ、つり人社    1992(平成4)年9月10日第1刷発行 底本の親本:「釣随筆」市民文庫、河出書房    1951(昭和26)年8月発行 初出:「つり姿」鶴書房    1942(昭和17)年発行 入力:門田裕志 校正:仙酔ゑびす 2007年7月2日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。