多神教 泉鏡花 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)美濃《みの》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)一連皆|素朴《そぼく》な [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数) (例)鱛《なます》も ------------------------------------------------------- [#ここから4字下げ、折り返して8字下げ] 場所  美濃《みの》、三河《みかわ》の国境。山中の社《やしろ》――奥の院。 名   白寮権現《はくりょうごんげん》、媛神《ひめがみ》。(はたち余に見ゆ)神職。(榛貞臣《はしばみさだおみ》。修験《しゅげん》の出)禰宜《ねぎ》。(布気田《ふげた》五郎次)老いたる禰宜。雑役の仕丁《しちょう》。(棚村《たなむら》久内)二十五座の太鼓の男。〆太鼓《しめだいこ》の男。笛の男。おかめの面の男。道化の面の男。般若《はんにゃ》の面の男。後見一人。お沢。(或男の妾《めかけ》、二十五、六)天狗《てんぐ》。(丁々坊《ちょうちょうぼう》)巫女《みこ》。(五十ばかり)道成寺《どうじょうじ》の白拍子《しらびょうし》に扮《ふん》したる俳優《やくしゃ》。一ツ目小僧の童男童女。村の児《こ》五、六人。 [#ここで字下げ終わり] [#改ページ] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 禰宜 (略装にて)いや、これこれ(中啓《ちゅうけい》を挙《あ》げて、二十五座の一連《いちれん》に呼掛《よびか》く)大分《だいぶ》日もかげって参った。いずれも一休みさっしゃるが可《よ》いぞ。 [#ここから4字下げ] この言葉のうち、神楽《かぐら》の面々、踊《おどり》の手を休《や》め、従って囃子《はやし》静まる。一連皆|素朴《そぼく》なる山家人《やまがびと》、装束《しょうぞく》をつけず、面《めん》のみなり。――落葉散りしき、尾花《おばな》むら生《お》いたる中に、道化《どうけ》の面、おかめ、般若《はんにゃ》など、居《い》ならび、立添《たちそ》い、意味なき身ぶりをしたるを留《とど》む。おのおのその面をはずす、年は三十より四十ばかり。後見《こうけん》最も年配なり。 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 後見 こりゃ、へい、……神《かん》ぬし様。 道化の面の男 お喧《やかま》しいこんでござりますよ。 〆太鼓の男 稽古中《けいこちゅう》のお神楽で、へい、囃子《はやし》ばかりでも、大抵|村方《むらかた》は浮かれ上《あが》っておりますだに、面や装束をつけましては、媼《ばば》、媽々《かか》までも、仕事|稼《かせ》ぎは、へい、手につきましねえ。 笛の男 明後日《あさって》げいから、お社《やしろ》の御《ご》祭礼で、羽目《はめ》さはずいて遊びますだで、刈入時《かりいれどき》の日は短《みじけ》え、それでは気の毒と存じまして、はあ、これへ出合いましたでごぜえますがな。 般若の面の男 見よう見真似《みまね》の、から猿《ざる》踊りで、はい、一向《いっこう》にこれ、馴《な》れませぬものだでな、ちょっくらばかり面をつけて見ます了見《りょうけん》の処《ところ》。……根からお麁末《そまつ》な御馳走《ごちそう》を、とろろも鱛《なます》も打《ぶ》ちまけました。ついお囃子に浮かれ出《だ》いて、お社の神様、さぞお見苦しい事でがんしょとな、はい、はい。 禰宜 ああ、いやいや、さような斟酌《しんしゃく》には決して及ばぬ。料理|方《かた》が摺鉢《すちばち》俎板《まないた》を引《ひっ》くりかえしたとは違うでの、催《もよおし》ものの楽屋《がくや》はまた一興じゃよ。時に日もかげって参ったし、大分《だいぶ》寒うもなって来た。――おお沢山な赤蜻蛉《あかとんぼ》じゃ、このちらちらむらむらと飛散《とびち》る処へ薄日《うすび》の射《さ》すのが、……あれから見ると、近間《ちかま》ではあるが、もみじに雨の降るように、こう薄《うっす》りと光ってな、夕日に時雨《しぐれ》が来た風情《ふぜい》じゃ。朝夕《あさゆう》存じながら、さても、しんしんと森は深い。(樹立《こだち》を仰いで)いずれも濡《ぬ》れよう、すぐにまた晴《はれ》の役者衆《やくしゃしゅう》じゃ。些《ち》と休まっしゃれ。御酒《みき》のお流れを一つ進じよう。神職のことづけじゃ、一所《いっしょ》に、あれへ参られい。 後見 なあよ。 太鼓の男 おおよ。(言交《いいかわ》す。) 道化の面の男 かえっておぞうさとは思うけんどが。 笛の男 されば。 おかめの面の男 御挨拶《ごあいさつ》べい、かたがただで。(いずれも面を、楽しげに、あるいは背、あるいは胸にかけたるまま。) 後見 はい、お供して参りますで。 禰宜 さあさあ、これ。――いや、小児衆《こどもしゅ》――(渠《かれ》ら幼きが女の児《こ》二人、男の子三人にて、はじめより神楽を見て立つ)――一遊び遊んだら、暮れぬ間《ま》に帰らっしゃい。 後見 これ、立巌《たちいわ》にも、一本橋《いっぽんばし》にも、えっと気をつきょうぞよ。 小児一 ああ。 [#ここから4字下げ] かくて社家《しゃけ》の方《かた》、樹立《こだち》に入《い》る。もみじに松を交《まじ》う。社家は見えず。 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 小児二 や、だいぶ散らかした。 小児三 そうだなあ。 小児一 よごれやしないやい、木《き》の葉だい。 小児二 木の葉でも散らばった、でよう。 女児一 もみじでも、やっぱり掃くの? 女児二 茣蓙《ござ》の上に散っていれば、内でもお掃除《そうじ》するわ。 女児一 神様のいらっしゃる処よ、きれいにして行きましょう。 女児二 お縁は綺麗《きれい》よ。 小児一 じゃあ、階段《だんだん》から。おい、箒《ほうき》の足りないものは手で引掻《ひっか》け。 女児一 私《わたし》は袂《たもと》にするの。 小児二 乱暴だなあ、女のくせに。 女児三 だって、真紅《まっか》なのだの、黄色い銀杏《いちょう》だの、故《わざ》とだって懐《ふところ》へさ、入《い》れる事よ。 [#ここから4字下げ] 折れたる熊手《くまで》、新しきまた古箒《ふるぼうき》を手《て》ん手《で》に引出《ひきいだ》し、落葉《おちば》を掻寄《かきよ》せ掻集め、かつ掃きつつ口々に唄《うた》う。 [#ここから3字下げ] 「お正月は何処《どこ》まで、  からから山の下まで、  土産《みやげ》は何《なん》じゃ。  榧《かや》や、勝栗《かちぐり》、蜜柑《みかん》、柑子《こうじ》、橘《たちばな》。」…… [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] お沢 (向って左の方《かた》、真暗《まっくら》に茂れる深き古杉の樹立《こだち》の中より、青味の勝ちたる縞《しま》の小袖《こそで》、浅葱《あさぎ》の半襟《はんえり》、黒繻子《くろじゅす》の丸帯《まるおび》、髪は丸髷《まるまげ》。鬢《びん》やや乱れ、うつくしき俤《おもかげ》に窶《やつ》れの色見ゆ。素足《すあし》草履穿《ぞうりばき》にて、その淡き姿を顕わし、静《しずか》に出《い》でて、就中《なかんずく》杉の巨木《きょぼく》の幹に凭《よ》りつつ――間《ま》。――小児《こども》らの中に出《い》づ)まあ、いいお児《こ》ね、媛神《ひめがみ》様のお庭の掃除をして、どんなにお喜びだか知れません――姉《ねえ》さん……(寂《さびし》く微笑《ほほえ》む)あの、小母《おば》さんがね、ほんの心ばかりの御褒美《ごほうび》をあげましょう。一度お供物《くもつ》にしたのですよ。さあ、お菓子。 [#ここから4字下げ] 小児《こども》ら、居分《いわか》れて、しげしげ瞻《みまも》る。 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] お沢 さあ、めしあがれ。 小児一 持って行《ゆ》くの。 女児一 頂いて帰るの。(皆いたいけに押頂《おしいただ》く。) お沢 まあ。何故《なぜ》ね。 女児二 でも神様が下さるんですもの。 お沢 ああ、勿体《もったい》ない。私《わたし》はお三《さん》どんだよ、箒を一つ貸して頂戴《ちょうだい》。 小児二 じゃあ、おつかい姫だ。 女児一 きれいな姉《ねえ》さん。 女児二 こわいよう。 小児一 そんな事いうと、学校で笑われるぜ。 女児一 だって、きれいな小母《おば》さん。 女児二 こわいよう。 小児二 少しこわいなあ。 [#ここから4字下げ] いい次ぎつつ、お沢《さわ》の落葉を掻寄《かきよ》する間《ま》に、少しずつやや退《すさ》る。 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 小児一 お正月かも知れないぜ。この山まで来たんだ。 小児二 や、お正月は女か。 小児三 知らない。 小児一 狐《きつね》だと大変だなあ。 小児二 そうすりゃこのお菓子なんか、家《うち》へ帰ると、榧《かや》や勝栗だ。 小児三 そんなら可《い》いけれど、皆《みんな》木の葉だ。 女の児たち きゃあ―― 男の児たち やあ、転《ころ》ぶない。弱虫やい。――(かくて森蔭《もりかげ》にかくれ去る。) お沢 (箒を堂の縁下《えんした》に差置き、御手洗《みたらし》にて水を掬《すく》い、鬢《かみ》掻撫《かきな》で、清き半巾《ハンケチ》を袂《たもと》にし、階段の下に、少時《しばし》ぬかずき拝む。静寂。きりきりきり、はたり。何処《どこ》ともなく機織《はたおり》の音聞こゆ。きりきりきり、はたり。――お沢。面《おもて》を上げ、四辺《あたり》を眗《みまわ》し耳を澄ましつつ、やがて階段に斜《ななめ》に腰|打掛《うちか》く。なお耳を傾け傾け、きりきりきり、はたり。間調子《まぢょうし》に合わせて、その段の欄干を、軽く手を打ちて、機織の真似し、次第に聞惚《ききほ》れ、うっとりとなり、おくれ毛《げ》はらはらとうなだれつつ仮睡《いねむ》る。) 仕丁 (揚幕《あげまく》の裡《うち》にて――突拍子《とっぴょうし》なる猿《さる》の声)きゃッきゃッきゃッ。(乃《すなわ》ち面長《つらなが》き老猿《ふるざる》の面を被《かぶ》り、水干《すいかん》烏帽子《えぼし》、事触《ことぶれ》に似たる態《なり》にて――大根《だいこん》、牛蒡《ごぼう》、太人参《ふとにんじん》、大蕪《おおかぶら》。棒鱈《ぼうだら》乾鮭《からざけ》堆《うずたか》く、片荷《かたに》に酒樽《さかだる》を積みたる蘆毛《あしげ》の駒《こま》の、紫なる古手綱《ふるたづな》を曳《ひ》いて出《い》づ)きゃッ、きゃッ、きゃッ、おきゃッ、きゃア――まさるめでとうのう仕《つかまつ》る、踊るが手もと立廻り、肩に小腰《こごし》をゆすり合わせ、と、ああふらりふらりとする。きゃッきゃッきゃッきゃッ。あはははは。お馬丁《べっとう》は小腰をゆするが、蘆毛《あしげ》よ。(振向く)お厩《うまや》が近うなって、和《わ》どのの足はいよいよ健かに軽いなあ。この裏坂《うらざか》を帰らいでも、正面の石段、一飛びに翼《つばさ》の生じた勢《いきおい》じゃ。ほう、馬に翼が生《は》えて見い。われらに尻尾《しっぽ》がぶら下る……きゃッきゃッきゃッ。いや化《ばけ》の皮の顕われぬうちに、いま一献《いっこん》きこしめそう。待て、待て。(馬柄杓《まびしゃく》を抜取る)この世の中に、馬柄杓などを何《なん》で持つ。それ、それこのためじゃ。(酒を酌《く》む)ととととと。(かつ面を脱ぐ)おっとあるわい。きゃッきゃッきゃッ。仕丁《しちょう》めが酒を私《わたくし》するとあっては、御前《おんまえ》様、御機嫌むずかしかろう。猿が業《わざ》と御覧《ごろう》ずれば仔細《しさい》ない。途《みち》すがらも、度々《たびたび》の頂戴《ちょうだい》ゆえに、猿の面も被ったまま、脱いでは飲み被っては飲み、質《しち》の出入《だしい》れの忙《せわ》しい酒じゃな。あはははは。おおおお、竜《たつ》の口《くち》の清水《しみず》より、馬の背の酒は格別じゃ、甘露甘露。(舌鼓《したつづみ》うつ)たったったっ、甘露甘露。きゃッきゃッきゃッ。はて、もう御前《おんまえ》に近い。も一度馬柄杓でもあるまいし、猿にも及ぶまい。(とろりと酔える目に、あなたに、階《きざはし》なるお沢の姿を見る。慌《あわただ》しくまうつむけに平伏《ひれふ》す)ははッ、大権現《だいごんげん》様、御免なされ下さりませ、御免なされ下さりませ。霊験《あらたか》な御姿《おすがた》に対し恐多《おそれおお》い。今やなぞ申しましたる儀は、全く譫言《たわごと》にござります。猿の面を被りましたも、唯おみきを私《わたくし》しょう、不届《ふとどき》ばかりではござりませぬ、貴女様御祭礼の前日夕、お厩《うまや》の蘆毛を猿が曳《ひ》いて、里方《さとかた》を一巡いたしますると、それがそのままに風雨順調、五穀|成就《じょうじゅ》、百難|皆除《かいじょ》の御神符《ごしんぷ》となります段を、氏子中《うじこじゅう》申伝《もうしつた》え、これが吉例《きちれい》にござりまして、従って、海つもの山つものの献上を、は、はッ、御覧の如く清らかに仕《つかまつ》りまする儀でござりまして、偏《ひとえ》にこれ、貴女様御威徳にござります。お庇《かげ》を蒙《こうむ》りまする嬉《うれ》しさの余り、ついたべ酔いまして、申訳《もうしわけ》もござりませぬ。真平御免《まっぴらおゆる》され下されまし。ははッ、(恐る恐る地につけたる額《ひたい》を擡《もた》ぐ。お沢。うとうととしたるまま、しなやかに膝《ひざ》をかえ身動《みじろ》ぎす。長襦袢《ながじゅばん》の浅葱《あさぎ》の褄《つま》、しっとりと幽《かすか》に媚《なま》めく)それへ、唯今それへ参りまする。恐れ恐れ。ああ、恐れ。それ以《もっ》て、烏帽子きた人の屑《くず》とも思召《おぼしめ》さず、面《つら》の赤い畜生《ちくしょう》とお見許し願わしう、はッ、恐れ、恐れ。(再び猿の面を被りつつも進み得ず、馬の腹に添い身を屈《かが》め、神前を差覗《さしのぞ》く)蘆毛よ、先へ立てよ。貴女様み気色《けしき》に触《ふる》る時は、矢の如く鬢櫛《びんぐし》をお投げ遊ばし、片目をお潰《つぶ》し遊ばすが神罰と承る。恐れ恐れ。(手綱を放たれたる蘆毛は、頓着《とんじゃく》なく衝《つ》と進む。仕丁は、ひょこひょこと従い続く。舞台やがて正面にて、蘆毛は一気に厩《うまや》の方《かた》、右手もみじの中にかくる。この一気に、尾の煽《あおり》をくらえる如く、仕丁、ハタと躓《つまず》き四《よ》つに這《は》い、面を落す。慌《あわ》てて懐《ふところ》に捻込《ねじこ》む時、間近《まぢか》にお沢を見て、ハッと身を退《すさ》りながら凝《じっ》と再び見直す)何《なん》じゃ、人か、参詣《さんけい》のものか。はて、可惜《あったら》二つない肝《きも》を潰《つぶ》した。ほう、町方《まちかた》の。……艶々《つやつや》と媚《なま》めいた婦《おんな》じゃが、ええ、驚かしおった、おのれ! しかも、のうのうと居睡《いねむ》りくさって、何処《どこ》に、馬の通るを知らぬ婦があるものか、野放図《のほうず》な奴《やつ》めが。――いやいや、御堂《みどう》、御社《みやしろ》に、参籠《さんろう》、通夜《つや》のものの、うたたねするは、神の御《お》つげのある折じゃと申す。神慮のほども畏《かしこ》い。……眠《ねむり》を驚かしてはなるまいぞ。(抜足《ぬきあし》に社前を横ぎる時、お沢。うつつに膝を直さんとする懐中より、一|挺《ちょう》の鉄槌《かなづち》ハタと落つ。カタンと鳴る。仕丁。この聊《いささか》の音にも驚きたる状《さま》して、足を爪立《つまだ》てつつ熟《じっ》と見て、わなわなと身ぶるいするとともに、足疾《あしばや》に樹立《こだち》に飛入《とびい》る。間《ま》。――懐紙《かいし》の端《はし》乱れて、お沢の白き胸《むな》さきより五寸|釘《くぎ》パラリと落つ。) [#ここから4字下げ] 白寮権現《はくりょうごんげん》の神職を真先《まっさき》に、禰宜《ねぎ》。村人《むらびと》一同。仕丁続いて出《い》づ――神職、年四十ばかり、色白く肥えて、鼻下《びか》に髯《ひげ》あり。落ちたる鉄槌を奪うと斉《ひと》しく、お沢の肩を掴《つか》む。 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 神職 これ、婦《おんな》。 お沢 (声の下に驚き覚《さ》め、身を免《のが》れんとして、階前には衆の林立せるに遁場《にげば》を失い、神職の手を振りもぎりながら)御免なさいまし、御免なさいまし。(一度|階《きざはし》をのぼりに、廻廊の左へ遁ぐ。人々は縁下《えんした》より、ばらばらとその行く方《ほう》を取巻く。お沢。遁げつつ引返《ひきかえ》すを、神職、追状《おいざま》に引違《ひきちが》え、帯|際《ぎわ》をむずと取る。ずるずる黒繻子《くろじゅす》の解くるを取って棄て、引据《ひきす》え、お沢の両手をもて犇《ひし》と蔽《おお》う乱れたる胸に、岸破《がば》と手を差入《さしいれ》る)あれ、あれえ。 神職 (発《あば》き出したる形代《かたしろ》の藁《わら》人形に、すくすくと釘の刺《ささ》りたるを片手に高く、片手に鉄槌を翳《かざ》すと斉しく、威丈高《いたけだか》に突立上《つッたちあが》り、お沢の弱腰《よわごし》を摚《どう》と蹴《け》る)汚らわしいぞ! 罰当《ばちあた》り。 お沢 あ。(階《きざはし》を転《まろ》び落つ。) 神職 鬼畜、人外《にんがい》、沙汰《さた》の限りの所業をいたす。 禰宜 いや何とも……この頃《ごろ》の三《み》晩|四《よ》晩、夜《よ》ふけ小《さ》ふけに、この方角……あの森の奥に当って、化鳥《けちょう》の叫ぶような声がしまするで、話に聞く、咒詛《のろい》の釘かとも思いました。なれど、場所|柄《がら》ゆえの僻耳《ひがみみ》で、今の時節に丑《うし》の刻参《ときまいり》などは現《うつつ》にもない事と、聞き流しておったじゃが、何と先《ま》ず……この雌鬼《めすおに》を、夜叉《やしゃ》を、眼前に見る事わい。それそれ俯向《うつむ》いた頬骨《ほおぼね》がガッキと尖《とが》って、頤《あご》は嘴《くちばし》のように三角|形《なり》に、口は耳まで真赤《まっか》に裂けて、色も縹《はなだいろ》になって来た。 般若の面の男 (希有《けう》なる顔して)禰宜様や、私《わし》らが事をおっしゃるずらか。 禰宜 気《け》もない事、この女夜叉《にょやしゃ》の悪相《あくそう》じゃ。 般若の面の男 ほう。 道化の面の男 (うそうそと前に出《い》づ)何と、あの、打込む太鼓…… 〆太鼓の男 何じゃい。何じゃい。 道化の面 いや、太鼓ではない。打込む、それよ、カーンカーンと五寸釘……あの可恐《おそろし》い、藁の人形に五寸釘ちゅうは、はあ、その事でござりますかね。(下より神職の手に伸上《のびあが》る。) 笛の男 (おなじく伸上る)手首、足首、腹の真中(我が臍《へそ》を圧《おさ》えて反《そ》る)ひゃあ、みしみしと釘の頭も見えぬまで打込んだ。ええ、血など、ぼたれてはいぬずらか。 神職 (彼が言《ことば》のままに、手、足、胴|腹《はら》を打返して藁人形を翳《かざ》し見る)血も滴《た》りょう。…藁も肉のように裂けてある。これ、寄るまい。(この時人々の立かかるを掻払《かいはら》う)六根清浄《ろっこんしょうじょう》、澄むらく、浄《きよ》むらく、清らかに、神に仕うる身なればこそ、この邪《よこしま》を手にも取るわ。御身《おみ》たちが悪く近づくと、見たばかりでも筋骨《すじぼね》を悩み煩《わず》らうぞよ。(今度は悠然《ゆうぜん》として階《きざはし》を下《くだ》る。人々は左右に開く)荒《あら》び、すさみ、濁り汚れ、ねじけ、曲れる、妬婦《ねたみおんな》め、われは、先ず何処《いずこ》のものじゃ。 お沢 (もの言わず。) 神職 人の娘か。 お沢 (わずかに頭《かぶり》ふる。) 神職 人妻《ひとづま》か。 禰宜 人妻にしては、艶々《つやつや》と所帯気《しょたいげ》が一向《いっこう》に見えぬな。また所帯せぬほどの身柄《みがら》とも見えぬ。妾《めかけ》、てかけ、囲《かこい》ものか、これ、霊験《あらたか》な神の御前《みまえ》じゃ、明かに申せ。 お沢 はい、何も申しませぬ、ただ(きれぎれにいう)お恥《はずか》しう存じます。 神職 おのれが恥を知る奴か。――本妻正室と言わばまた聞こえる。人のもてあそびの腐れ爛《ただ》れ汚《よご》れものが、かけまくも畏《かしこ》き……清く、美しき御神《おんかみ》に、嫉妬《しっと》の願《ねがい》を掛けるとは何事じゃ。 禰宜 これ、速《すみやか》におわびを申し、裸身《はだかみ》に塩をつけて揉《も》んでなりとも、払い浄《きよ》めておもらい申せ。 神職 いや布気田《ふげた》、(禰宜の名)払い清むるより前に、第一は神の御罰《ごばつ》、神罰じゃ。御神《おんかみ》の御心《みこころ》は、仕え奉る神《かん》ぬしがよく存じておる。――既に、草刈り、柴《しば》刈りの女なら知らぬこと、髪、化粧《けわい》し、色香《いろか》、容《かたち》づくった町の女が、御堂《みどう》、拝殿とも言わず、この階《きざはし》に端近《はしぢか》く、小春《こはる》の日南《ひなた》でもある事か。土も、風も、山気《さんき》、夜とともに身に沁《し》むと申すに。―― [#ここから4字下げ] 神楽の人々。「酔《よい》も覚《さ》めて来た」「おお寒《さむ》」など、皆《みんな》、襟《えり》、袖を掻合《かきあ》わす。 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 神職 ……居眠りいたいて、ものもあろうず、棺《かん》の蓋《ふた》を打つよりも可忌《いまわし》い、鉄槌《かなづち》を落し、釘《くぎ》を溢《こぼ》す――釘は?…… 禰宜 (掌《たなごころ》を見す)これに。 [#ここから4字下げ] 神楽の人々、そと集《つど》い覗《のぞ》く。 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 神職 即《すなわ》ち神の御心《みこころ》じゃ――その御心を畏み、次第を以て、順に運ばねば相成らん。唯今|布気田《ふげた》も申す――三晩、四晩、続けて、森の中に鉄槌の音を聞いたというが、毎夜、これへ参ったのか、これ、明《あきらか》に申せよ。どうじゃ。 お沢 はい、(言い淀《よど》み、言い淀み)今《こん》……夜《や》……が、満……願……でございました。 神職 (御堂を敬う)ああ、神慮は貴《とうと》い。非願非礼はうけ給《たま》わずとも、俗にも満願と申す、その夕《ゆうべ》に露顕した。明かに邪悪を退け給うたのじゃ。――先刻も見れば、その森から出て参って、小児《こども》たちに何か菓子ようのものを与えたが、何か、いつも日の中《うち》から森の奥に潜みおって、夜ふけを待って呪詛《のろ》うたかな。 お沢 はい……あの……もうおかくしは申しません。お山の下の恐しい、あの谿河《たにがわ》を渡りました。村方《むらかた》に、知るべのものがありまして、其処《そこ》から通いましたのでございます。 [#ここから4字下げ] 神楽の人々|囁《ささや》き合う。 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 禰宜 知っておるかな。 [#ここから4字下げ] ――「なあ。」「よ。」「うむ。」「あれだ。」口々に―― [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 後見 何が、お霜婆《しもばあ》さんの、ほれ、駄菓子屋の奥に、ちらちらする、白いものがあっけえ。町での御恩人ぞい。恥しい病《やまい》さあって隠れてござるで、ほっても垣《かき》のぞきなどせまいぞ、と婆さんが言うだでな。 笛の男 癩《かったい》ずらか。 太鼓の男 恥しい病ちゅうで。 おかめの面の男 ほんでも、孕《はら》んだ娘だべか。 禰宜 女子《おなご》が正しい懐妊は恥ではないのじゃ。それでは、毎晩、真夜中に、あの馬も通らぬ一本橋を渡ったじゃなあ。 道化の面の男 女の一念だで一本橋を渡らいでかよ。ここら奥の谿河《たにがわ》だけれど、ずっと川下《かわしも》で、東海道の大井川《おおいがわ》より大《で》かいという、長柄《ながら》川の鉄橋な、お前様。川むかいの駅へ行った県庁づとめの旦那どのが、終汽車《しまいぎしゃ》に帰らぬわ。予《かね》てうわさの、宿場《しゅくば》の娼婦《ふんばり》と寝たんべい。唯おくものかと、その奥様ちゅうがや、梅雨《つゆ》ぶりの暗《やみ》の夜中《よなか》に、満水の泥浪《どろなみ》を打つ橋げたさ、すれすれの鉄橋を伝ってよ、いや、四つ這いでよ。何が、いま産れるちゅう臨月腹《りんげつばら》で、なあ、流《ながれ》に浸りそうに捌《さば》き髪《がみ》で這うて渡った。その大《おおき》な腹ずらえ、――夜《よ》がえりのものが見た目では、大《でか》い鮟鱇《あんこう》ほどな燐火《ふとだま》が、ふわりふわりと鉄橋の上を渡ったいうだね、胸の火が、はい、腹へ入《はい》って燃えたんべいな。 仕丁 お言《ことば》の中《なか》でありますがな、橋が危《あぶな》くば、下の谿河は、巌《いわ》を伝うて渡られますでな、お厩《うまや》の馬はいつも流を越します。いや、先刻などは、落葉が重なり重なり、水一杯に渦巻いて、飛々《とびとび》の巌が隠れまして、何処《どこ》を渡ろうかと見ますうちに、水も、もみじで、一面に真紅《まっか》になりました。おっと……酔った目の所為《せい》ではござりませぬよ。 禰宜 棚村《たなむら》。(仕丁の名)御身《おみ》は何《なん》の話をするや。 仕丁 はあ、いえ、孕婦《はらみおんな》が鉄橋を這越《はいこ》すから見ますれば、丑《うし》の刻参《ときまいり》が谿河の一本橋は、気《け》もなく渡ると申すことで。石段は目につきます。裏づたいの山道《やまみち》を森へ通《かよ》ったに相違はござりますまい。 神職 棚村、御身まず、その婦《おんな》の帯を棄てい。 禰宜 かような婦の、汚らわしい帯を、抱いているという事があるものか。 仕丁 私《わし》が、確《しか》と圧《おさ》えておりますればこそで、うかつに棄てますと、このまま黒蛇《くろへび》に成って踠《のた》り廻りましょう。 禰宜 榛《はしばみ》(神職|名《な》)様がおっしゃる。樹《き》の枝へなりと掛けぬかい。 仕丁 樹に掛けましたら、なお、ずるずると大蛇《だいじゃ》に成って下《お》ります。(一層胸に抱く。) 神職 棚村、見苦しい、森の中へ放《ほか》し込め。 [#ここから4字下げ] 仕丁、その言《ことば》の如くにす。―― [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] お沢 あの……(ふるえながら差出す手を、払いのけて、仕丁。森に行く。帯を投げるとともに飛返《とびかえ》る。) 神職 何《なん》とした。 仕丁 ずるずるずると巻きましたが、真黒な一幅《ひとはば》になって、のろのろと森の奥へ入《はい》りました。……大方《おおかた》、釘を打込みます古杉の根へ、一念で、巻きついた事でござりましょう。 神職 いずれ、森の中において、忌《いま》わしく、汚らわしき事をいたしおるは必定《ひつじょう》じゃ。さて、婦。……今日《きょう》は昼から籠《こも》ったか。真直《まっすぐ》に言え、御前《おんまえ》じゃぞ。 お沢 はい、(間《ま》)はい、あの、一七日《いちしちにち》の満願まで……この願《ねがい》を掛けますものは、唯|一目《ひとめ》、……一度でも、人の目に掛《かか》りますと、もうそれぎりに、願《ねがい》が叶《かな》わぬと申します。昨夜《ゆうべ》までは、獣《けもの》の影にも逢《あ》いません。もう一夜《ひとよ》、今夜だけ、また不思議に満願の夜《よ》といいますと、人に見られると聞きました。見られたら、どうしましょう。口惜《くちおし》い……その人の、咽喉《のど》、胸へ喰《く》いつきましても…… 神職 これだ――したたかな婦《おんな》めが。 お沢 ええ、あのそれが何《なに》になりましょう。昼から森にかくれました方が、何がどうでも、第一、人の目にかかりますまいと、ふと思いついたのです。木の葉を被り、草に突伏《つッぷ》しても、すくまりましても、雉《きじ》、山鳥《やまどり》より、心のひけめで、見つけられそうに思われて、気が気ではありません。かえって、ただの参詣人《さんけいにん》のようにしております方《ほう》が、何《なん》の触《さわ》りもありますまいと、存じたのでございます。 神職 秘《ひ》しがくしに秘め置くべき、この呪詛《のろい》の形代《かたしろ》を(藁人形を示す)言わば軽々《かるがる》しう身につけおったは――別に、恐多《おそれおお》い神木《しんぼく》に打込んだのが、森の中にまだ他《ほか》にもあるからじゃろ。 お沢 いいえ、いいえ……昨夜《ゆうべ》までは、打ったままで置きました。私《わたし》がちょっとでも立離れます間《ま》に――今日はまたどうした事でございますか、胸騒《むなさわ》ぎがしますまで。…… 禰宜 いや、胸騒ぎが凄《すさま》じい、男を呪詛《のろ》うて、責殺《せめころ》そうとする奴が。 お沢 あの、人に見つかりますか、鳥獣《とりけもの》にも攫《さら》われます。故障が出来そうでなりません。それで……身につけて出ましたのです。そして……そして……お神《かん》ぬし様、皆様、誰方《どなた》様も――憎い口惜《くや》しい男の五体に、五寸釘を打ちますなどと、鬼でなし、蛇《じゃ》でなし、そんな可恐《おそろし》い事は、思って見もいたしません。可愛《かわい》い、大事な、唯一人の男の児《こ》が煩《わずら》っておりますものですから、その病を――疫病《やくびょう》がみを―― [#ここから4字下げ] 「ええ。」「疫病|神《がみ》。」村人《むらびと》らまた退《しさ》る。 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 神職 疫病神を―― お沢 はい、封じます、その願掛《がんが》けなんでございますもの。 神職 町にも、村にも、この八里四方、目下《もっか》疱瘡《ほうそう》も、はしかもない、何の疾《やまい》だ。 お沢 はい…… 禰宜 何病じゃ。 お沢 はい、風邪《かぜ》を酷《ひど》くこじらしました。 神職 (嘲笑《あざわら》う)はてな、風に釘を打てば何《なん》になる、はてな。 禰宜 はてな、はてな。 [#ここから4字下げ] 村人らも引入れられ、小首を傾くる状《さま》、しかつめらし。 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 仕丁 はあ、皆様、奴凧《やっこだこ》が引掛《ひっかか》るでござりましょうで。 [#ここから4字下げ] ――揃《そろ》って嘲《あざけ》り笑う。―― [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 神職 出来た。――掛《かか》ると言えば、身《み》たちも、事件に引掛りじゃ。人の一命にかかわる事、始末をせねば済まされない。……よくよく深く企《たく》んだと見えて――見い、その婦《おんな》、胸も、膝《ひざ》も、ひらしゃらと……(お沢、いやが上にも身を細め、姿の乱れを引《ひき》つくろい引つくろい、肩、袖、あわれに寂しく見ゆ)余りと言えば雪よりも白い胸、白い肌《はだ》、白い膝と思うたれば、色もなるほど白々《しろじろ》としたが、衣服の下に、一重《ひとえ》か、小袖か、真白い衣《きぬ》を絡《まと》いいる。魔の女め、姿まで調《ととの》えた。あれに(肱《ひじ》長く森を指《さ》す)形代《かたしろ》を礫《はりつけ》にして、釘を打った杉のあたりに、如何《いか》ような可汚《けがらわ》しい可忌《いまいま》しい仕掛《しかけ》があろうも知れぬ。いや、御身《おみ》たち、(村人と禰宜《ねぎ》にいう)この婦《おんな》を案内に引立《ひった》てて、臨場裁断と申すのじゃ。怪しい品々《しなじな》かっぽじって来《こ》られい。証拠の上に、根から詮議《せんぎ》をせねばならぬ。さ、婦、立てい。 禰宜 立とう。 神職 許す許さんはその上じゃ。身は――思う旨《むね》がある。一度社宅から出直す。棚村《たなむら》は、身ととも参れ。――村の人も婦を連れて、引立《ひった》てて―― [#ここから4字下げ] 村人ら、かつためらい、かつ、そそり立ち、あるいは捜し、手近きを掻取《かきと》って、鍬《くわ》、鋤《すき》の類《たぐい》、熊手、古箒など思い思いに得ものを携う。 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 後見 先へ立て、先へ立とう。 禰宜 箒で、そのやきもちの頬《ほお》を敲《たた》くぞ、立ちませい。 お沢 (急に立って、颯《さっ》と森に行く。一同|面《おもて》を見合すとともに追って入《い》る。神職と仕丁は反対に社宅―舞台|上《うえ》には見えず、あるいは遠く萱《かや》の屋根のみ―に入《い》る。舞台|空《むな》し。落葉もせず、常夜燈《じょうやとう》の光|幽《かすか》に、梟《ふくろう》。二度ばかり鳴く。) 神職 (威儀いかめしく太刀《たち》を佩《は》き、盛装して出《い》づ。仕丁相従い床几《しょうぎ》を提《ひっさ》げ出《い》づ。神職。厳《おごそか》に床几に掛《かか》る。傍《かたわら》に仕丁|踞居《つくばい》て、棹尖《さおさき》に剣《けん》の輝ける一流の旗を捧《ささ》ぐ。――別に老いたる仕丁。一人。一連の御幣《ごへい》と、幣ゆいたる榊《さかき》を捧げて従う。) お沢 (悄然《しょうぜん》として伊達巻《だてまき》のまま袖を合せ、裾《すそ》をずらし、打《うち》うなだれつつ、村人らに囲まれ出《い》づ。引添える禰宜の手に、獣《けもの》の毛皮にて、男枕《おとこまくら》の如くしたる包《つつみ》一つ、怪《あやし》き紐《ひも》にてかがりたるを不気味《ぶきみ》らしく提《さ》げ来り、神職の足近く、どさと差置く。) 神職 神のおおせじゃ、婦《おんな》、下におれ。――誰《た》ぞ御灯《みあかし》をかかげい――(村人一人、燈《とう》を開《ひら》く。灯《ひ》にすかして)それは何だ。穿出《ほりだ》したものか、ちびりと濡《ぬ》れておる。や、(足を爪立《つまだ》つ)蛇《へび》が絡《から》んだな。 禰宜 身《み》どもなればこそ、近う寄っても見ましたれ。これは大木《たいぼく》の杉の根に、草にかくしてござりましたが、おのずから樹《き》の雫《しずく》のしたたります茂《しげみ》ゆえ、びしゃびしゃと濡れております。村の衆は一目見ますと、声も立てずに遁《に》ぎょうとしました。あの、円肌《まるはだ》で、いびつづくった、尾も頭も短う太い、むくりむくり、ぶくぶくと横にのたくりまして、毒気《どくき》は人を殺すと申す、可恐《おそろし》く、気味の悪い、野槌《のづち》という蛇そのままの形に見えました。なれども、結んだのは生蛇《なまへび》ではござりませぬ。この悪念でも、さすがは婦《おんな》で、包《つつみ》を結《ゆわ》えましたは、継合《つぎあ》わせた蛇の脱殻《ぬけがら》でござりますわ。 神職 野槌か、ああ、聞いても忌《いま》わしい。……人目に触れても近寄らせまい巧《たくみ》じゃろ、企《たく》んだな。解け、解け。 禰宜 (解きつつ)山犬か、野狐か、いや、この包みました皮は、狢《むじな》らしうござります。 [#ここから4字下げ] 一同目を注ぐ。お沢はうなだれ伏す。 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 神職 鏡――うむ、鉄輪《かなわ》――うむ、蝋燭《ろうそく》――化粧道具、紅《べに》、白粉《おしろい》。おお、お鉄漿《はぐろ》、可厭《いや》なにおいじゃ。……別に鉄槌《かなづち》、うむ、赤錆《あかさび》、黒錆、青錆の釘《くぎ》、ぞろぞろと……青い蜘蛛《くも》、紅《あか》い守宮《やもり》、黒|蜥蜴《とかげ》の血を塗ったも知れぬ。うむ、(きらりと佩刀《はいとう》を抜きそばむると斉《ひと》しく、藁人形をその獣《けもの》の皮に投ぐ)やあ、もはや陳《ちん》じまいな、婦《おんな》。――で、で、で先ず、男は何ものだ。 お沢 (息の下にて言う)俳優《やくしゃ》です。 [#ここから4字下げ] ――「俳優《やくしゃ》、」「ほう俳優。」「俳優。」と口々に言い継ぐ。 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 神職 何《なん》じゃ、俳優《やくしゃ》?……――町へ参ってでもおるか。国のものか。 お沢 いいえ、大阪に―― 禰宜 やけに大胆に吐《ぬか》すわい。 神職 おのれは、その俳優《やくしゃ》の妾《めかけ》か。 お沢 いいえ。 神職 聞けば、聞けば聞くほど、おのれは、ここだくの邪淫《じゃいん》を侵す。言うまでもない、人の妾となって汚れた身を、鏝塗《こてぬり》上塗《うわぬり》に汚しおる。あまつさえ、身のほどを弁《わきま》えずして、百四、五十里、二百里近く離れたままで人を咒詛《のろ》う。 仕丁 その、その俳優《やくしゃ》は、今大阪で、名は何と言うかな。姉《あね》様。 神職 退《さが》れ、棚村。恁《かか》る場合に、身らが、その名を聞き知っても、禍《わざわい》は幾分か、その呪詛《のろ》われた当人に及ぶと言う。聞くな。聞けば聞くほど、何が聞くほどの事もない。――淫奔《いんぽん》、汚濁、しばらくの間《ま》も神の御前《みまえ》に汚らわしい。茨《いばら》の鞭《むち》を、しゃつの白脂《しろあぶら》の臀《しり》に当てて石段から追落《おいおと》そう。――が呆《あき》れ果てて聞くぞ、婦《おんな》。――その釘を刺した形代《かたしろ》を、肌に当てて居睡《いねむ》った時の心持は、何とあった。 お沢 むずむず痒《かゆ》うございました。 禰宜 何《なん》じゃ藁人形をつけて……肌が痒い。つけつけと吐《ぬか》す事よ。これは気が変になったと見える。 お沢 いいえ、夢は地獄の針の山。――目の前に、茨に霜の降《ふ》りましたような見上げる崖《がけ》がありまして、上《あが》れ上れと恐しい二つの鬼に責められます。浅ましい、恥しい、裸身《はだかみ》に、あの針のざらざら刺さるよりは、鉄棒《かなぼう》で挫《くじ》かれたいと、覚悟をしておりましたが、馬が、一頭《ひとつ》、背後《うしろ》から、青い火を上げ、黒煙《くろけむり》を立てて駈《か》けて来て、背中へ打《ぶ》つかりそうになりましたので、思わず、崖へころがりますと、形代《かたしろ》の釘でございましょう、針の山の土が、ずぶずぶと、この乳《ちち》へ……脇《わき》の下へも刺《ささ》りましたが、ええ、痛いのなら、うずくのなら、骨が裂けても堪《こた》えます。唯くわッと身うちがほてって、その痒《かゆ》いこと、むず痒さに、懐中《ふところ》へ手を入れて、うっかり払いましたのが、つい、こぼれて、ああ、皆さんのお目に留《とま》ったのでございます。 神職 はて、しぶとい。地獄の針の山を、痒がる土根性《どこんじょう》じゃ。茨の鞭では堪《こた》えまい。よい事を申したな、別に御罰《ごばつ》の当てようがある。何よりも先ず、その、世に浅ましい、鬼畜のありさまを見しょう。見よう。――御身《おみ》たちもよく覚えて、お社近《やしろぢか》い村里《むらざと》の、嫁、嬶々《かか》、娘の見せしめにもし、かつは郡《こおり》へも町へも触れい。布気田《ふげた》。 禰宜 は。 神職 じたばたするなりゃ、手取《てど》り足取り……村の衆《しゅ》にも手伝《てつだ》わせて、その婦《おんな》の上衣《うわぎ》を引剥《ひきは》げ。髪を捌《さば》かせ、鉄輪《かなわ》を頭に、九つか、七つか、蝋燭を燃《とも》して、めらめらと、蛇の舌の如く頂かせろ。 仕丁 こりゃ可《よ》い、可い。最上等の御分別《ごふんべつ》。 神職 退《さが》れ、棚村。さ、神の御心《みこころ》じゃ、猶予《ためら》うなよ。 [#ここから4字下げ] ――渠《かれ》ら、お沢を押取《おっとり》込めて、そのなせる事、神職の言《げん》の如し。両手を扼《とりしば》り、腰を押して、真《ま》正面に、看客《かんかく》にその姿を露呈す。―― [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] お沢 ヒイ……(歯を切《しば》りて忍泣《しのびな》く。) 神職 いや、蒼《あお》ざめ果てた、がまだ人間の婦《おんな》の面《つら》じゃ。あからさまに、邪慳《じゃけん》、陰悪の相を顕わす、それ、その般若《はんにゃ》、鬼女《きじょ》の面を被せろ。おお、その通り。鏡も胸に、な、それそれ、藁人形、片手に鉄槌。――うむその通り。一度、二度、三度、ぐるぐると引廻したらば、可《よし》。――何《なん》と、丑《うし》の刻《とき》の咒詛《のろい》の女魔《にょま》は、一本|歯《ば》の高下駄《たかげた》を穿《は》くと言うに、些《ち》ともの足りぬ。床几《しょうぎ》に立たせろ、引上げい。 [#ここから4字下げ] 渠《かれ》は床几を立つ。人々お沢を抱《だき》すくめて床几に載《の》す。黒髪高く乱れつつ、一本《ひともと》の杉の梢《こずえ》に火を捌《さば》き、艶媚《えんび》にして嫋娜《しなやか》なる一個の鬼女《きじょ》、すっくと立つ―― [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] お沢 ええ! 口惜《くや》しい。(殆《ほとん》ど痙攣的《けいれんてき》に丁《ちょう》と鉄槌を上げて、面《おもて》斜めに牙《きば》白く、思わず神職を凝視す。) 神職 (魔を切るが如く、太刀《たち》を振《ふり》ひらめかしつつ後退《あとずさ》る)したたかな邪気じゃ、古今の悪気《あくき》じゃ、激《はげし》い汚濁じゃ、禍《わざわい》じゃ。(忽《たちま》ち心づきて太刀を納め、大《おおい》なる幣を押取《おっと》って、飛蒐《とびかか》る)御神《おんかみ》、祓《はら》いたまえ、浄めさせたまえ。(黒髪のその呪詛《のろい》の火を払い消さんとするや、かえって青き火、幣に移りて、めらめらと燃上り、心火と業火《ごうか》と、もの凄《すご》く立累《たちかさな》る)やあ、消せ、消せ、悪火《あくび》を消せ、悪火を消せ。ええ、埒《らち》あかぬ。床《ゆか》ぐるみに蹴落《けおと》さぬかいやい。(狼狽《うろたえ》て叫ぶ。人々床几とともに、お沢を押落《おしおと》し、取包んで蝋燭の火を一度に消す。) お沢 (崩折《くずお》れて、倒れ伏す。) 神職 (吻《ほっ》と息して)――千慮の一失。ああ、致《いた》しようを過《あやま》った。かえって淫邪の鬼の形相《ぎょうそう》を火で明かに映し出した。これでは御罰《ごばつ》のしるしにも、いましめにもならぬ。陰惨|忍刻《にんこく》の趣は、元来、この婦《おんな》につきものの影であったを、身ほどのものが気付かなんだ。なあ、布気田《ふげた》。よしよし、いや、村の衆《しゅ》。今度は鬼女、般若の面のかわりに、そのおかめの面を被せい、丑《うし》の刻参《ときまいり》の装束《しょうぞく》を剥《は》ぎ、素裸《すはだか》にして、踊らせろ。陰を陽に翻すのじゃ。 仕丁 あの裸踊《はだかおどり》、有難い。よい慰み、よい慰み。よい慰み! 神職 退《さが》れ、棚村。慰みものではないぞ、神の御罰じゃ。 禰宜 踊りましょうかな。ひひひ。(ニヤリニヤリと笑う。) 神職 何さ、笛、太鼓で囃《はや》しながら、両手を引張《ひっぱ》り、ぐるぐる廻しに、七度《ななたび》まで引廻して突放せば、裸体《らたい》の婦《おんな》だ、仰向けに寝はせまい。目ともろともに、手も足も舞《まい》踊ろう。 [#ここから4字下げ] 「遣《や》るべい、」「遣れ。」「悪魔退散の御祈祷《ごきとう》。」村人は饒舌《しゃべ》り立つ。太鼓は座につき、早《は》や笛きこゆ。その二、三人はやにわにお沢の衣《きぬ》に手を掛く。―― [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] お沢 ああ、まあ、まあ。 神職 構わず引剥《ひきは》げ。裸体《はだか》のおかめだ。紅《あか》い二布《ふたの》……湯具《ゆぐ》は許せよ。 仕丁 腰巻《こしまき》、腰巻……(手伝いかかる。) 禰宜 おこしなどというのじゃ。……汚《よご》れておろうかの。 後見 この婦なら、きれいでがすべい。 お沢 (身悶《みもだ》えしながら)堪忍して下さいまし、堪忍して下さいまし、そればかりは、そればかりは。 神職 罷成《まかりな》らん! 当社《とうやしろ》の掟《おきて》じゃ。が、さよういたした上は、追放《おっぱな》して許して遣る。 お沢 どうぞ、このままお許し下さいまし、唯お目の前を離れましたら、里へも家へも帰らずに、あの谿河《たにがわ》へ身を投げて、死《しん》でお詫《わび》をいたします。 神職 水は浅いわ。 お沢 いいえ、あの急な激しい流れ、巌《いわ》に身体《からだ》を砕いても。――ええ、情《なさけ》ない、口惜《くちおし》い。前刻《さっき》から幾度《いくたび》か、舌を噛《か》んで、舌を噛んで死のうと思っても、三日、五日、一目も寝ぬせいか、一枚も欠けない歯が皆|弛《ゆる》んで、噛切《かみき》るやくに立ちません。舌も縮んで唇《くちびる》を、唇を噛むばかり。(その唇より血を流す。) 神職 いよいよ悪鬼の形相《ぎょうそう》じゃ。陽を以って陰を払う。笛、太鼓、さあ、囃せ。引立てろ。踊らせい。 [#ここから4字下げ] とりどりに、笛、太鼓の庭につきたるが、揃《そろ》って音《ね》を入《い》る。 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] お沢 (村人らに虐《しいた》げられつつ)堪忍ね、堪忍、堪忍して、よう。堪忍……あれえ。 [#ここから4字下げ] からりと鳴って、響くと斉《ひと》しく、金色《こんじき》の機《はた》の梭《ひ》、一具宙を飛落《とびお》つ。一同|吃驚《きっきょう》す。社殿の片扉《かたとびら》、颯《さっ》と開《ひら》く。 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 巫女 (階《きざはし》を馳《は》せ下《くだ》る。髪は姥子《おばこ》に、鼠小紋《ねずみこもん》の紋着《もんつき》、胸に手箱を掛けたり。馳せ出《い》でつつ、その落ちたる梭を取って押戴《おしいただ》き、社頭に恭礼し、けいひつを掛く)しい、……しい……しい。…… [#ここから4字下げ] 一同|茫然《ぼうぜん》とす。 御堂《みどう》正面の扉、両方にさらさらと開《ひら》く、赤く輝きたる光、燦然《さんぜん》として漲《みなぎ》る裡《うち》に、秘密の境《きょう》は一面の雪景《せっけい》。この時ちらちらと降りかかり、冬牡丹《ふゆぼたん》、寒菊《かんぎく》、白玉《しらたま》、乙女椿《おとめつばき》の咲満《さきみ》てる上に、白雪《しらゆき》の橋、奥殿にかかりて玉虹《ぎょっこう》の如きを、はらはらと渡り出《い》づる、気高《けだか》く、世にも美しき媛神《ひめがみ》の姿見ゆ。 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 媛神 (白がさねして、薄紅梅《うすこうばい》に銀のさや形《がた》の衣《きぬ》、白地《しろじ》金襴《きんらん》の帯。髻《もとどり》結いたる下髪《さげがみ》の丈《たけ》に余れるに、色|紅《くれない》にして、たとえば翡翠《ひすい》の羽《はね》にてはけるが如き一条《ひとすじ》の征矢《そや》を、さし込みにて前簪《まえかんざし》にかざしたるが、瓔珞《ようらく》を取って掛けし襷《たすき》を、片はずしにはずしながら、衝《つ》と廻廊の縁に出《い》づ。凛《りん》として)お前たち、何をする。 [#ここから1字下げ] ――(一同ものも言い得ず、ぬかずき伏す。少しおくれて、童男《どうだん》と童女《どうじょ》と、ならびに、目一つの怪しきが、唐輪《からわ》と切禿《きりかむろ》にて、前なるは錦《にしき》の袋に鏡を捧げ、後《あと》なるは階《きざはし》を馳《は》せ下《くだ》り、巫女《みこ》の手より梭《ひ》を取り受け、やがて、欄干《らんかん》擬宝珠《ぎぼうしゅ》の左右に控う。媛神、立直《たてなお》りて)――お沢さん、お沢さん。 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 巫女 (取次ぐ)お女中《じょちゅう》、可恐《おそろし》い事はないぞな、はばかり多《おお》や、畏《かしこ》けれど、お言葉ぞな、あれへの、おん前《まえ》への。 お沢 はい――はい…… 媛神 まだ形代《かたしろ》を確《しっか》り持っておいでだね。手がしびれよう。姥《うば》、預ってお上げ。(巫女受取って手箱に差置く)――お沢さん、あなたの頼みは分りました。一念は届けて上げます。名高い俳優《やくしゃ》だそうだけれど、私《わたし》は知りません、何処《どこ》に、いま何をしていますか。 巫女 今日《きょう》、今夜――唯今の事は、海山《うみやま》百里も離れまして、この姉《あね》さまも、知りますまい。姥が申上げましょう。 媛神 聞きましょう――お沢さん、その男の生命《いのち》を取るのだね。 お沢 今さら、申上げますも、空恐《そらおそろ》しうございます、空恐しう存じあげます。 媛神 森の中でも、この場でも、私《わたし》に頼むのは同じ事。それとも思い留《とま》るのかい。 お沢 いいえ、私《わたし》の生命《いのち》をめされましても、一念だけは、あの一念だけは。――あんまり男の薄情さ、大阪へも、追縋《おいすが》って参りましたけれど、もう……男は、石とも、氷とも、その冷たさはありません。口も利《き》かせはいたしません。 巫女 いやみ、つらみや、怨《うら》み、腹立ち、怒《おこ》ったりの、泣きついたりの、口惜《くや》しがったり、武《む》しゃぶりついたり、胸倉《むなぐら》を取ったりの、それが何《なん》になるものぞ。いい女が相好《そうごう》崩《くず》して見っともない。何も言わずに、心に怨んで、薄情ものに見せしめに、命の咒詛《のろい》を、貴女《あなた》様へ願掛《がんが》けさしゃった、姉《あね》さんは、おお、お怜悧《りこう》だの。いいお娘《こ》だ。いいお娘《こ》だ。さて何《なん》とや、男の生命《いのち》を取るのじゃが、いまたちどころに殺すのか。手を萎《なや》し、足を折り、あの、昔|田之助《たのすけ》とかいうもののように胴中《どうなか》と顔ばかりにしたいのかの、それともその上、口も利かせず、死んだも同様にという事かいの。 お沢 ええ、もう一層《いっそ》(屹《きっ》と意気組む)ひと思いに! 巫女 お姫様、お聞きの通りでござります。 媛神 男は? 巫女 これを御覧遊ばされまし。(胸の手箱を高く捧げ、さし翳《かざ》して見せ参らす。) 媛神 花の都の花の舞台、咲いて乱れた花の中に、花の白拍子《しらびょうし》を舞っている…… 巫女 座頭俳優《ざがしらやくしゃ》が所作事《しょさごと》で、道成寺《どうじょうじ》とか、……申すのでござります。 神職 ははっ、ははっ、恐れながら、御神《おんかみ》に伺い奉る、伺い奉る……謹《つつし》み謹み白《もう》す。 媛神 (――無言――) 神職 恐れながら伺い奉る……御神慮におかせられては――畏《かしこ》くも、これにて漏れ承りまする処におきましては――これなる悪女《あくじょ》の不届《ふとどき》な願《ねがい》の趣《おもむき》……趣をお聞き届け…… 媛神 肯《き》きます。不届とは思いません。 神職 や、この邪《よこしま》を、この汚《けがれ》を、おとりいれにあい成りまするか。その御霊《ごりょう》、御魂《みたま》、御神体は、いかなる、いずれより、天降《あまくだ》らせます。…… 媛神 石垣を堅めるために、人柱《ひとばしら》と成って、活《い》きながら壁に塗られ、堤《つつみ》を築くのに埋《うず》められ、五穀のみのりのための犠牲《いけにえ》として、俎《まないた》に載せられた、私《わたし》たち、いろいろなお友だちは、高い山、大《おおき》な池、遠い谷にもいくらもあります。――不断|私《わたし》を何と言ってお呼びになります。 神職 はッ、白寮権現《はくりょうごんげん》、媛神《ひめがみ》と申し上げ奉る。 媛神 その通り。 神職 そ、その媛神におかせられては、直《す》ぐなること、正しきこと、明かに清らけきことをこそお司《つかさど》り遊ばさるれ、恁《かか》る、邪《よこしま》に汚れたる…… 媛神 やみの夜《よ》は、月が邪《よこしま》だというのかい。村里に、形のありなしとも、悩み煩らいのある時は、私《わたし》を悪いと言うのかい。 神職 さ、さ、それゆえにこそ、祈り奉るものは、身を払い、心を払い、払い清めましての上に、正しき理《ことわり》、夜《よる》の道さえ明かなるよう、風も、病《やまい》も、悪《あし》きをば払わせたまえと、御神《おんかみ》の御前《みまえ》に祈り奉る。 媛神 それは御勝手、私《わたし》も勝手、そんな事は知りません。 神職 これは、はや、恐れながら、御声《おんこえ》、み言葉とも覚えませぬ。不肖|榛貞臣《はしばみさだおみ》、徒《いたず》らに身すぎ、口すぎ、世の活計に、神職は相勤めませぬ。刻苦勉励、学問をも仕《つかまつ》り、新しき神道を相学び、精進潔斎《しょうじんけっさい》、朝夕《あさゆう》の供物《くもつ》に、魂の切火《きりび》打って、御前《みまえ》にかしずき奉る…… 媛神 私《わたし》は些《ちっ》とも頼みはしません。こころざしは受けますが、三宝《さんぽう》にのったものは、あとで、食べるのは、あなた方《がた》ではありませんか。 神職 えっ、えっ、それは決して正しき神のお言葉ではない。(わななきながら八方《はっぽう》を礼拝《らいはい》す。禰宜《ねぎ》、仕丁《しちょう》、同じく背《そむ》ける方《かた》を礼拝す。) 媛神 邪《よこしま》な神のすることを御覧――いま目《ま》のあたりに、悪魔、鬼畜と罵《ののし》らるる、恋の怨《うらみ》の呪詛《のろい》の届く験《しるし》を見せよう。(静《しずか》に階《きざはし》を下《お》りてお沢に居寄《いよ》り)ずっとお立ち――私《わたし》の袖に引添うて、(巫女《みこ》に)姥《うば》、弓をお持ちか。 巫女 おお、これに。(梓《あずさ》の弓を取り出す。) 媛神 (お沢に)その弓をお持ちなさい。(簪《かんざし》の箭《や》を取って授けつつ)楊弓《ようきゅう》を射るように――釘《くぎ》を打って呪詛《のろ》うのは、一念の届くのに、三月《みつき》、五月《いつつき》、三|年《ねん》、五年、日と月と暦《こよみ》を待たねばなりません。いま、見るうちに男の生命《いのち》を、いいかい、心をよく静めて。――唐輪《からわ》。(女の童《わらべ》を呼ぶ)その鏡を。(女の童は、錦をひらく。手にしつつ)――的《まと》、的、的です。あれを御覧。(空《そら》ざまに取って照らすや、森々《しんしん》たる森の梢《こずえ》一処《ひとところ》に、赤き光|朦朧《もうろう》と浮き出《い》づるとともに、テントツツン、テントツツン、下方《したかた》かすめて遥《はるか》にきこゆ)……見えたか。 お沢 あれあれ、彼処《あすこ》に――憎らしい。ああ、お姫様。 媛神 ちゃんとお狙《ねら》い。 お沢 畜生《ちくしょう》!(切って放つ。) [#ここから4字下げ] 一陣の迅《はや》き風、一同|聳目《しょうもく》し、悚立《しょうりつ》す。 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 巫女 お見事や、お見事やの。(しゃがれた笑《わらい》)おほほほほ。(凄《すご》く笑う。) [#ここから4字下げ] 吹《ふき》つのる風の音|凄《すさ》まじく、荒波の響きを交う。舞台暗黒。少時《しばらく》して、光さす時、巫女。ハタと藁人形を擲《なげう》つ。その位置の真上より振袖落ち、紅《くれない》の裙《すそ》翻り、道成寺の白拍子の姿、一たび宙に流れ、きりきりと舞いつつ真倒《まっさかさ》に落つ。もとより、仕掛けもの造りものの人形なるべし。神職、村人ら、立騒ぐ。 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] お沢 ああ、どうしましょう、あれ、(その胸、その手を捜ろうとして得ず、空《むな》しく掻捜《かいさぐ》るのみ。) 媛神 それは幻、あなたの鏡に映るばかり、手に触《さわ》るのではありません。 お沢 ああ唯貴女のお姿ばかり、暗い思《おもい》は晴れました。媛神《ひめがみ》様、お嬉しう存じます。 丁々坊 お使いのもの!(森の梢に大音《だいおん》あり)――お髪《ぐし》の御矢《おんや》、お返し申し上ぐる。……唯今。――(梢より先ず呼びて、忽ち枝より飛び下《くだ》る。形は山賤《やまがつ》の木樵《きこり》にして、翼《つばさ》あり、面《おもて》は烏天狗《からすてんぐ》なり。腰に一挺《いっちょう》の斧《おの》を帯ぶ)御矢をばそれへ。――(女の童《わらべ》。階《きざはし》を下《お》り、既にもとにつつみたる、錦の袋の上に受く。) 媛神 御苦労ね。 巫女 我折《がお》れ、お早い事でござりましたの。 丁々坊 瞬《またた》く間《ま》というは、凡《およ》そこれでござるな。何が、芝居《しばい》は、大山《おおやま》一つ、柿《かき》の実《みの》ったような見物でござる。此奴《こやつ》、(白拍子)別嬪《べっぴん》かと思えば、性《しょう》は毛むくじゃらの漢《おのこ》が、白粉《おしろい》をつけて刎《は》ねるであった。 巫女 何を、何を言うぞいの。何ごとや――山にばかりおらんと世の中を見さっしゃれ、人が笑いますに。何を言うぞいの。 丁々坊 何か知らぬが、それは措《お》け。はて、何《なん》とやら、テンツルテンツルテンツルテンか、鋸《のこぎり》で樹《き》をひくより、早間《はやま》な腰を振廻《ふりまわ》いて。やあ。(不器用千万なる身ぶりにて不状《ぶざま》に踊りながら、白拍子のむくろを引跨《ひんまた》ぎ、飛越え、刎越《はねこ》え、踊る)おもえばこの鐘うらめしやと、竜頭《りゅうず》に手を掛け飛ぶぞと見えしが、引《ひっ》かついでぞ、ズーンジャンドンドンジンジンジリリリズンジンデンズンズン(刎上《はねあが》りつつ)ジャーン(忽《たちま》ち、ガーン、どどど凄《すさま》じき音す。――神職ら腰をつく。丁々坊《ちょうちょうぼう》、落着き済まして)という処じゃ。天井から、釣鐘《つりがね》が、ガーンと落ちて、パイと白拍子が飛込む拍子に――御矢《おんや》が咽喉《のど》へ刺《ささ》った。(居《い》ずまいを直す)――ははッ、姫君。大《おお》釣鐘と白拍子と、飛ぶ、落つる、入違《いれちが》いに、一矢《ひとや》、速《すみやか》に抜取りまして、虚空《こくう》を一飛びに飛返ってござる。が、ここは風が吹きぬけます。途《みち》すがら、遠州|灘《なだ》は、荒海《あらうみ》も、颶風《はやて》も、大雨《おおあめ》も、真の暗夜《やみよ》の大暴風雨《おおあらし》。洗いも拭《ぬぐ》いもしませずに、血ぬられた御矢は浄《きよ》まってござる。そのままにお指料《さしりょう》。また、天を飛びます、その御矢の光りをもって、沖に漂いました大船《たいせん》の難破一|艘《そう》、乗組んだ二百あまりが、方角を認め、救われまして、南無大権現《なむだいごんげん》、媛神様と、船の上に黒く並んで、礼拝《らいはい》恭礼をしましてござる。――御利益《ごりやく》、――御奇特《ごきどく》、祝着《しゅうじゃく》に存じ奉る。 巫女 お喜びを申上げます。 媛神 (梢を仰ぐ)ああ、空にきれいな太白星《たいはくせい》。あの光りにも恥かしい、……私《わたし》の紅《あか》い簪《かんざし》なんぞ。…… 神職 御神《おんかみ》、かけまくもかしこき、あやしき御神、このまま生命《いのち》を召さりょうままよ、遊ばされました事すべて、正しき道でござりましょうか――榛貞臣《はしばみさだおみ》、平《ひら》に、平に。……押して伺いたてまつる。 媛神 存じません。 禰宜 ええ、御神《おんかみ》、御神。 媛神 知らない。 [#ここから4字下げ] ――「平《ひら》に一同、」「一同|偏《ひとえ》に、」「押して伺い奉る、」村人らも異口同音にやや迫りいう―― [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 巫女 知らぬ、とおっしゃる。 神職 いや、神々の道が知れませいでは、世の中は東西南北を相失いまする。 媛神 廻ってお歩行《ある》きなさいまし、お沢さんをぐるぐると廻したように、ほほほ。そうして、道の返事は――ああ、あすこでしている。あれにお聞き。 [#ここから4字下げ] 「のりつけほうほう、ほうほう、」――梟《ふくろう》鳴く。 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 神職 何、あの梟鳥《ふくろどり》をお返事とは? 媛神 あなた方《がた》の言う事は、私《わたし》には、時々あのように聞こえます。よくお聞きなさるがよい。 [#ここから4字下げ] ――梟、頻《しきり》に鳴く。「のりつけほうほう」―― [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 老仕丁 のりつけほうほう。のりたもうや、つげたもうや。あやしき神の御声《おんこえ》じゃ、のりつけほうほう。(と言うままに、真先《まっさき》に、梟に乗憑《のりうつ》られて、目の色あやしく、身ぶるいし、羽搏《はばたき》す。) [#ここから4字下げ] ――これを見詰めて、禰宜と、仕丁と、もろともに、のり憑《つ》かれ、声を上ぐ。――「のりつけほう。――のりつけほうほう、ほう。」 次第に村人ら皆|憑《うつ》らる――「のりつけほうほう。ほうほう。ほうほう」―― [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 神職 言語《ごんご》道断、ただ事《ごと》でない、一方《ひとかた》ならぬ、夥多《おびただ》しい怪異じゃ。したたかな邪気じゃ。何が、おのれ、何が、ほうほう…… [#ここから1字下げ] (再び太刀《たち》を抜き、片手に幣を振り、飛《とび》より、煽《あお》りかかる人々を激しくなぎ払い打ち払う間《あいだ》、やがて惑乱し次第に昏迷《こんめい》して――ほうほう。――思わず袂《たもと》をふるい、腰を刎《は》ねて)ほう、ほう、のりつけ、のりつけほう。のりつけほう。〔備考、この時、看客《かんかく》あるいは哄笑《こうしょう》すべし。敢《あえ》て煩わしとせず。〕(恁《か》くして、一人一人、枝々より梟の呼び取る方《ほう》に、ふわふわとおびき入れらる。) [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 丁々坊 ははははは。(腹を抱《かか》えて笑う。) 媛神 姥《うば》、お客を帰そう。あらしが来そうだから。 巫女 御意《ぎょい》。 媛神 蘆毛《あしげ》、蘆毛。――(駒《こま》、おのずから、健かに、すとすと出《い》づ。――ほうほうのりつけほうほう――と鳴きつつ来《きた》る。媛神。軽く手を拍《う》つや、その鞍《くら》に積めるままなる蕪《かぶ》、太根《だいこ》、人参《にんじん》の類《るい》、おのずから解けてばらばらと左右に落つ。駒また高らかに鳴く。のりつけほうほう。――) 媛神 ほほほほ、(微笑《ほほえ》みつつ寄りて、蘆毛の鼻頭《はなづら》を軽く拊《う》つ)何だい、お前まで。(駒、高嘶《たかいなな》きす)〔――この時、看客の笑声《しょうせい》あるいは静まらん。然《しか》らんには、この戯曲なかば成功たるべし。〕――お沢さん、疲れたろう。乗っておいで。姥《うば》は影に添って、見送ってお上げ――人里まで。 お沢 お姫様。 巫女 もろともにお礼をば申上げます。 [#ここから4字下げ] 蘆毛は、ひとりして鰭爪《ひづめ》軽く、お沢に行く。 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 丁々坊 ははは、この梟、羽を生《はや》せ。(戯れながら――熊手にかけて、白拍子の躯《むくろ》、藁人形、そのほか、釘、獣皮などを掻《か》き浚《さら》う。) 巫女 さ、このお娘《こ》。――貴女様に、御挨拶《ごあいさつ》申上げて…… お沢 (はっと手をつかう)お姫様。草刈《くさかり》、水汲《みずくみ》いたします。お傍《そば》にいとう存じます。 媛神 (廻廊に立つ)――私《わたし》の傍《そば》においでだと、一つ目のおばけに成ります、可恐《こわ》い、可恐い、……それに第一、こんな事、二度とはいけません。早く帰って、そくさいにおくらし。――駒に乗るのに坐っていないで、遠慮のう。 お沢 (涙ぐみつつ)お姫様。 巫女 丁《ちょう》どや――丑《うし》の上刻《じょうこく》ぞの。(手綱《たづな》を取る。) 媛神 (鬢《びん》に真白《ましろ》き手を、矢を黒髪に、女性《にょしょう》の最も優しく、なよやかなる容儀見ゆ。梭《ひ》を持てるが背後《うしろ》に引添い、前なる女の童《わらべ》は、錦の袋を取出《とりい》で下より翳《かざ》し向く。媛神、半ば簪《かざ》して、その鏡を視《み》る。丁々坊は熊手をあつかい、巫女《みこ》は手綱を捌《さば》きつつ――大空《おおぞら》に、笙《しょう》、篳篥《ひちりき》、幽《ゆう》なる楽《がく》。奥殿《おくでん》に再び雪ふる。まきおろして)―― [#ここで字下げ終わり] [#地から3字上げ]――幕―― 底本:「海神別荘 他二篇」岩波文庫、岩波書店    1994(平成6)年4月18日第1刷発行    2001(平成13)年1月15日第4刷発行 底本の親本:「鏡花全集 第二十六巻」岩波書店    1942(昭和17)年10月15日第1刷発行 初出:「文藝春秋」    1927(昭和2)年3月 入力:門田裕志 校正:土屋隆 2007年4月9日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。