棄轎 田中貢太郎 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)上州《じょうしゅう》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数) (例)姝 -------------------------------------------------------  上州《じょうしゅう》の田舎《いなか》の話である。某日《あるひ》の夕方、一人の農夫が畑から帰っていた。それは柄《え》の長い鍬《くわ》を肩にして、雁首《がんくび》を蛇腹《じゃばら》のように叩き潰《つぶ》した煙管《きせる》をくわえていた。そして、のろのろと牛のように歩いていると、路傍《みちばた》の松の木の下に異様な物を見つけた。 「ほう」  それは見る眼にも眩《まぶ》しい金と銀の金具をちりばめた轎《かご》であった。 「諸侯《だいみょう》の乗るような轎じゃねえか」  それにしても、轎夫《かごかき》もいなければ伴《とも》の者もいない。まるで投げ棄《す》ててでもあるように置いてあるのが不思議でならなかった。轎の中はひっそりとしていて、何人《たれ》も乗っていそうにないし、見ている漢《もの》もないので、轎の傍へ寄って往って垂《た》れをあげた。垂れをあげて農夫は驚いた。轎の中にはお姫さまのような姝《きれい》な女がいた。 「これは、どうも」  農夫はあわてて垂れをおろそうとしところで[#「おろそうとしところで」はママ]、女がちらとこっちを見た。同時に農夫はのけぞった。 「わ」  それは眼も鼻も口もないのっぺらぽうの顔であった。農夫は転げるように逃げ帰ったが、それから病気になって死んでしまった。  その農夫が怪しい轎を見た日のこと、それから数分と経《た》たない時刻に、その村からよっぽど離れた村の農夫が、これも畑から帰っていると、路傍《みちばた》に金と銀の金具のある轎があった。不思議に思って垂れをあげて見ると、中にお姫さまのような女がいた。そして、驚いて垂れを下ろそうとしたところで、女が顔をあげたが、それもやっぱりのっぺらぽうであった。で、その農夫も仰天して逃げ帰ったが、これも病気になって死んでしまった。 底本:「伝奇ノ匣6 田中貢太郎日本怪談事典」学研M文庫、学習研究社    2003(平成15)年10月22日初版発行 底本の親本:「日本怪談全集」改造社    1934(昭和9)年 入力:Hiroshi_O 校正:noriko saito 2010年10月20日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。