怪人の眼 田中貢太郎 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)香美郡《かみごおり》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)小坂|丹治《たんじ》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数) (例)睜 -------------------------------------------------------  小坂|丹治《たんじ》は香美郡《かみごおり》佐古村《さこむら》の金剛岩《こんごういわ》の辺《ほとり》で小鳥を撃っていた。丹治は土佐藩の侍《さむらい》であった。それは維新のすこし前のことであった。  秋風が山の木《こ》の葉《は》を吹いていた。丹治は岩と雑木《ぞうき》に挟まった径《みち》を登って、聳《そび》え立った大岩の上へ出たところで、ふと見ると、直《す》ぐ上の方の高い黒松の梢《こずえ》に一羽の大|鶴《つる》がとまっていた。 「おう、鶴がおるぞ」  丹治の眼は思わず輝いたが、鶴を捕《と》ることは禁じられていたので彼はしかたなく諦《あきら》めたものの、まだ二羽位しか小鳥の獲物を獲《と》っていないうえに、矢比《やごろ》が非常に好いので諦めて去ることができなかった。彼は銃を握りしめたままで鶴の方を見ていた。と、鶴は羽をばさばさとやりながら松から放《はな》れて空高く飛んだが、すぐまたぐるりと引返して来て元の枝へとまった。 「初めよりも撃ちよくなったぞ、撃ちたいな」  丹治は惜しそうに鶴を見詰めていた。 「撃ったら知れるだろうか、俺より他に、何人《だれ》もいそうにないぞ、こんな山の中じゃ、鉄砲の音は聞えても、鶴《つる》を撃っておるやら、鵯《ひよ》を撃っておるやら、わからないだろう、そうじゃ」  丹治はその鶴を人に知れないようにそっと撃とうと思いだした。彼は銃を持ちなおして雑木《ぞうき》にかくれて松の下の方へ往った。そして、覘《ねら》いを定めて火縄を差した。強い音がして弾《たま》の命中した手応《てごた》えがあった。丹治は大きな獲物の落ち来《きた》る刹那《せつな》の光景を想像しながら鶴の方を見た。鶴は平気で長い頸《くび》を傾《かし》げるようにしていた。丹治は眼を睜《みは》った。 「たしかに手応えがしたぞ、何故《なぜ》落ちないだろう」  鶴は依然として暢気《のんき》そうに頸を傾げていた。丹治は鬼魅《きみ》悪くなって来た。朝山を登る時|路傍《みちばた》の赤い実のついた茨《いばら》の中から、猿とも嬰児《あかんぼ》ともつかない怪しいものが、ちょろちょろと出て来て、一眼《ひとめ》じろりと丹治の顔を見た後《あと》で、また傍の草の中へ入ってしまった。丹治はそのことを思いだした。 「今日は、朝から、不思議な日じゃ」  丹治はもう山におるのが厭《いや》になった。そこから向うの渓《たに》へ降りる捷径《ちかみち》が岐《わか》れている。丹治は銃を引担《ひっかつ》いでその径《みち》の方へ往きかけた。鶴は動かなかった。 「今日はよっぽど悪い日じゃ」  径は直《す》ぐ渓間《たにま》の方へ低まって往った。丹治は眼を渓の下の方にやろうとした。赤い靄《もや》が眼の前を飛ぶような心地《きもち》がした。渓のむこうも己《じぶん》の立っている周囲《まわり》も、赤い毛氈《もうせん》を敷いた雛壇《ひなだん》のような壇が一面に見えて、その壇の上には内裏雛《だいりびな》を初め、囃子《はやし》、押絵《おしえ》の雛がぎっしり並んでいた。渓の上の方も渓の下の方も、眼に見える限りは一面の雛壇になっていた。丹治は眼が眩《くら》んだようになった。 「このままにしてはおられん、どうでもして逃げねばならん」  丹治は銃を持ち直してその台尻で叩き叩き下へ下へ走った。足に触《さわ》った雛壇《ひなだん》は足をあげて力まかせに踏みにじった。足の力が余ってひっくりかえることがあった。 「くそ、くそ、負けてたまるか」  丹治は狂人《きちがい》のようになっていた。彼はやたらに銃を揮《ふ》り廻した。 「くそ、くそ、くそ」  何時《いつ》の間にか丹治の体は雛壇の中から出ていた。丹治はふと足を止めた。藁葺《わらぶき》の家が直《す》ぐ前にあって人の声が聞えた。 「茶でも飲ましてもらおう」  丹治はその家へ入って往った。二時《やつ》過ぎの陽《ひ》が門口《かどぐち》に一本ある柿の木を染めていた。一人の老人が庭前《にわさき》の蓆《むしろ》の上で縄を綯《な》うていた。 「茶を一ぱい飲ましてくれ」  老人は縄を綯う手を止《と》めて顔をあげたが不審そうに云った。 「旦那はどうかなさいましたか、顔色が悪いじゃありませんか」  丹治も今あんな目にあったから己《じぶん》の顔色が悪いだろうと思ったが、何か飲まないとゆっくりそれを話すことができなかった。 「みょうなことがあったが、それは後《あと》で話す、まあ一ぱい茶を飲ましてくれ」  老人は頷《うなず》いた。 「よろしゅうございますとも」  と、云って家の中の方を揮《ふ》り返った。 「おい、お侍《さむらい》さんが、お茶を飲ましてくれと云うから、早う一ぱい汲《く》んで来い」  丹治は老人の傍にある藁《わら》打ち台の石の上に腰をかけた。息子の嫁らしい小柄な女が盆へ茶碗を載せて土間《どま》の口から出て来た。 「ああ汲んで来たか、そこにお出《い》でになるお侍さんにあげるが好い」  老人が腮《あご》で指図《さしず》をすると、女は黙って頷《うなず》きながら丹治の前へその茶碗を持って来た。丹治はちょと俯向《うつむ》いてから急いでその茶碗を執《と》りあげて一息に飲んだ。 「これはありがたい」  丹治は手にした茶碗を盆の上に返した。老人はそれを見ると、 「お侍さん、どんなことがありました」 「今朝《けさ》、山へあがる時に、茨《いばら》の中から、猿とも嬰児《あかんぼ》とも知れない者が出て来て、俺の顔を見るなり、草の中へ隠れたから、今日は朝からみょうな日じゃと思っておったところが、この山の上へ往くと、鶴《つる》が松にとまっておる、鶴は捕《と》られんことを知っておるが、他に何人《だれ》もおらんし、かまうまいと思うて、焼き撃ちにするように撃って、手応《てごた》えもあったが、鶴は平気な顔をして、動きもしなければ飛びもせん、朝のこともあるし、今日はろくなことはないと思うて、渓《たに》の方へおりかけてみると、その辺一面が雛壇《ひなだん》になって、雛が一ぱいに見えるじゃないか、びっくりして、その雛壇を、この鉄砲で、叩き割りながらやって来たところが、この家が見えだすと、雛壇が無《の》うなった、それにしても、今日はみょうなことだらけじゃ」  丹治はこう云って疲れたように息を吐《つ》いた。 「そうでございますか、それは容易なことでない、今日はもう何もなさらずに、これからすぐにお帰りになるがよろしゅうございます」  老人は慰めるように云った。丹治ももう猟《りょう》をする気はなかった。 「ああ、もう帰る、今日はもう何をするのも厭《いや》になった」 「それがよろしゅうございます、こんな日に、ぐずぐずしよると、まちがいが起らんものでもありません、早うお帰りなさいませ」 「帰る、帰る、もう厭になった」  女が二杯目の茶を汲《く》んで来た。 「もう一ぱい如何《いかが》でございます」 「これはありがたい、では、もう一杯もらおうか」  丹治は二杯目の茶碗を貰ってまたそれを飲んだ。彼の心は落ちついてきた。彼は帰ろうと思いだした。 「どうも厄介になった、それでは暇《いとま》をしよう」  丹治は老人に別れてその家の前を降りて往った。粟《あわ》や蕎麦《そば》の畑が路《みち》の左右にあった。畑のしもの方には、人家の屋根がそこに一軒ここに二軒と云うように見えだした。ちょうど路の曲り角を曲ったところで、むこうから来た背のばかに低い体の幅の広い人に往き会った。それが蟇《がま》の歩いているような感じのする男であった。丹治は厭《いや》な感じがした。そして、その男とすれ違う時、ぎらぎらする二つの眼が丹治の方を睨《にら》むように光った。丹治は二《ふ》た眼《め》と見返すことができなかった。  丹治が怪異に逢《あ》った噂は何時《いつ》の間にか知人の間に拡《ひろ》まった。土佐藩の有志で有名な小南《こみなみ》五郎右衛門は、某日《あるひ》路《みち》で丹治に会うとその実否《じっぴ》をたしかめようとした。丹治はしかたなく打ち明けて最後にこんなことを云った。 「鶴《つる》も、雛壇《ひなだん》も、それ程でもなかったが、背の低い男の眼は、今に忘れません」 底本:「伝奇ノ匣6 田中貢太郎日本怪談事典」学研M文庫、学習研究社    2003(平成15)年10月22日初版発行 底本の親本:「日本怪談全集」改造社    1934(昭和9)年 入力:Hiroshi_O 校正:noriko saito 2010年10月20日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。