平山婆 田中貢太郎 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)即《すなわ》ち |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)福岡県|嘉穂《かほ》郡 -------------------------------------------------------  福岡県|嘉穂《かほ》郡|漆生《うるう》村に平山と云う処があって、そこに坑夫の一家が住んでいた。家族は坑夫の息子夫婦とその両親の四人であった。  明治末季|比《ごろ》、その両親夫婦、即《すなわ》ちお爺さんとお婆さんが、ちょっとした病気で僅《わず》かの間に死んでしまった。ところで、その爺さんと婆さんが死んでから間もない時のこと、そこの息子の細君が何かの用事で壁厨《おしいれ》を開けたが、開けるなり、 「わ」  と云って外へ飛び出した。庭では息子が薪を割っていた。息子はその声に驚いて、 「何だ、どうしたのだ」  と云って聞いたが、細君は真蒼《まっさお》な顔をして顫《ふる》えているばかりで何も云わなかった。そこで息子が又聞いた。 「おい、どうしたのだ、何かあったのか」 「お爺さんとお婆さんがおった」  と云って、細君は家の中を恐ろしそうに見た。息子はばかばかしかった。 「ばかだなあ、死んでしまった者が、どうしておる、神経だよ」 「神経じゃないよ、ほんとだよ、嘘と思や往って見るがいい」 「ばかだなあ、今の世に、そんな事があるものか」 「だって、ほんとだよ、往ってみるがいい」  細君の物脅えの顔色が治まらないので、息子はとうとう上へあがって、細君の締め残してあった壁厨《おしいれ》の襖を開けた。壁厨の中にはお爺さんとお婆さんが並んで、行儀よく坐っていた。息子もそれにはぎょっとしたが、家長として責任があった。 「何か云いたいことがあるかね、あるなら云ってもらおう、そんなことをせられては、みっともない」  と云うと二人の姿はぱっと消えてしまった。  夜になって細君が蒲団を出そうと思って壁厨を開けた。壁厨の中には昼間のとおりにお爺さんとお婆さんが坐っていた。細君は夫が傍にいるので気が強かった。 「そんなに、何時《いつ》も出てどうします、困るじゃありませんか」  細君は二人にかまわずさっさと蒲団を出そうとした。すると二人の姿は消えてしまった。  朝になって細君が蒲団をしまおうとしてその壁厨を開けると、また二人がその中に坐っていた。  それから昼でも夜でも、壁厨を開けさえすれば、二人の坐っている姿が見えたが、ただ坐っているばかりで何もしなかった。この壁厨の怪異は、やがて村中の評判になり、村の人はそれを平山婆《ひらやまばば》と呼んだ。  平山婆の噂があまり高くなったので、息子夫婦はそこにいられなくなって、別の炭坑地へ引越したが、そこにも爺さんと婆さんがやはり壁厨の中に姿を見せるので、又別の家へ移ったが、そこへも爺さんと婆さんは蹤《つ》いて来た。 底本:「伝奇ノ匣6 田中貢太郎日本怪談事典」学研M文庫、学習研究社    2003(平成15)年10月22日初版発行 底本の親本:「新怪談集 実話篇」改造社    1938(昭和13)年 入力:Hiroshi_O 校正:noriko saito 2010年10月20日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。