朝倉一五〇 田中貢太郎 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)吾川《あがわ》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)橋田|庫次《くらじ》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数) (例)睜 -------------------------------------------------------  洋画家の橋田|庫次《くらじ》君の話であるが、橋田君は少年の頃、吾川《あがわ》郡の弘岡村へ使いに往って、日が暮れてから帰って来たが、途中に荒倉《あらくら》と云う山坂があって、そこには鬼火が出るとか狸がいるとかと云うので、少年の橋田君は鬼魅《きみ》がわるかった。  橋田君はその時自転車に乗っていた。やがて荒倉の麓へ来たので、自転車をおりて、それを押し押しあがって往ったが、暗くはなるし人っ子一人通らないのでひどく淋しかった。そしてやっとの思いで峠へたどりついた。峠には一軒の茶店があって、門口に提灯を点《つ》けた一台の人力車がいたが、それには朝倉一五〇としてあった。朝倉一五〇の提灯を持っているからには、朝倉の車夫であろう。兎《と》にかく一休しようと思って茶店の入口へ往った。すると傍から声がした。 「哥《にい》さん、どうせ乗って往きや」  どうせ乗って往きやという事は変ないいまわしであった。橋田君は厭な気がした。そこで、 「うん」  と云ったきりで、茶店へ寄る事もよして、そのまま自転車に飛び乗って坂路を駈けおりた。  かなり勾配のある坂路であるから、自転車はすうすうと滑って往った。そして、中央《なかごろ》まで往ったところで、後から一台の人力車が来て、橋田君の自転車を駈けぬけて走ったが、すこしも轍《わだち》の音を立てなかった。橋田君はどうした車だろうと思って眼をやった。車には朝倉一五〇の提灯が点いていた。橋田君は眼を睜《みは》った。一生懸命に駈けおりている自転車を、あれからすぐ追っかけて来たところで、人間わざでは駈けぬけることはできない。橋田君はちょっと変に思った。  やがて麓へおりて、途が二つに岐《わか》れた処へ往った。その路を左へ往けば、朝倉連隊に往くようになっていた。と、見ると、地の底からでも出て来たように、そこへ一台の人力車が来て、朝倉連隊へ往く方の路へ折れて往った。橋田君はおやと思ってそれに眼をやった。その車にも朝倉一五〇の提灯が点いていた。 底本:「伝奇ノ匣6 田中貢太郎日本怪談事典」学研M文庫、学習研究社    2003(平成15)年10月22日初版発行 底本の親本:「新怪談集 実話篇」改造社    1938(昭和13)年 入力:Hiroshi_O 校正:noriko saito 2010年10月20日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。