天井裏の妖婆 田中貢太郎 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)鏑木清方《かぶらぎきよかた》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)夜半|比《ごろ》 -------------------------------------------------------  鏑木清方《かぶらぎきよかた》画伯の夫人が産褥《さんじょく》熱で入院した時の話である。  その夫人が入院した時は夜で、しかもひどく遅かった。夫人はその時吊台で病院に運ばれたが、その途中吊台の被《おおい》の隙《すき》から外の方を見ると、寒詣《かんまい》りらしい白衣《びゃくえ》の一面に卍《まんじ》を書いた行者らしい男が、手にした提灯《ちょうちん》をぶらぶらさせながら後になり前になりして歩いていた。そして、目的の病院へ著《つ》いたが、玄関の扉が締《しま》っているので、しかたなく死体を出入する非常口から入った。  それから二三日してのことであった。夜半|比《ごろ》、何かのひょうしに眼を覚ました夫人が、やるともなしに天井の方へ眼をやったところで、そこに小紋の衣服を著《き》て髪をふり乱した老婆がいて、それが折釘のような頸《くび》をさしのべて夫人の顔をぎろりと見た。夫人はびっくりしたが、すぐ、かかる際に取るべき伝説《いいつたえ》に気が注いた。 (此奴《こいつ》に負けてはたいへんだ)  と思ったので、きっと唇を噛んで老婆の顔を睨《にら》みかえしたが、一所懸命であるから数瞬《またたき》もしなかった。と、老婆が忌《いま》いましそうに舌打ちをして、 「おまえさんは、剛情な女だね」  と云ったかと思うと、後すさりして隅の方へ往くなり、消えて見えなくなった。そこへどたどた跫音《あしおと》がして、受持《うけもち》の看護婦が飛びこんで来たが、看護婦は呼吸をはずませながら、 「何か変ったことはありませんでしたか」  と云った。夫人が、 「べつに、なにも」  と云うと、看護婦ははじめてほっとしたような顔をして、 「今、奥さんの室から何人《たれ》か出て往ったような気配がしますから、不思議に思ってますと、この次の次の病室にいる患者さんが、ふいに天井へ指をさして、何か来た、何か来たと云いながら、呼吸を引きとりました」  と云った。それを聞くと気丈な夫人も思わずぞっとした。 底本:「伝奇ノ匣6 田中貢太郎日本怪談事典」学研M文庫、学習研究社    2003(平成15)年10月22日初版発行 底本の親本:「新怪談集 実話篇」改造社    1938(昭和13)年 入力:Hiroshi_O 校正:noriko saito 2010年10月20日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。