犬の八公 豊島与志雄 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)或《あ》る [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#4字下げ]一[#「一」は中見出し] /\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号) (例)だん/\ ------------------------------------------------------- [#4字下げ]一[#「一」は中見出し]  或《あ》る山奥の村に、八太郎《はちたらう》といふ独者《ひとりもの》がゐました。呑気《のんき》な男で、皆のやうに一生懸命に働いてお金をためることなんか、知りもしないし考へもしないで、のらくらとその日その日を送つてゐました。食物がなくなると、日傭稼《ひやとひかせ》ぎに出たり、遠い町へ使ひに行つたりして、僅《わづ》かの賃金を貰《もら》つてきて、それで暮してゐました。  その八太郎が、或《あ》る日、やはり遠い町へ使《つかひ》に行つた時のことです。用を済《すま》してぼんやり帰りかけると町外れの木の下に、白と黒との小さな子犬が二匹、一つ処《ところ》にかたまつて、くんくん泣いてゐました。雨が少し降りだしてゐまして、その雨の雫《しづく》が木から落ちかゝる度に、二匹の子犬はさも悲しさうに泣きたてるのです。  八太郎は暫《しばら》くつゝ立つて、不思議さうに子犬を見てゐました。彼の山奥の村には、まだ犬が一匹もゐませんでしたから、彼にはその子犬が珍らしかつたのです。  すると子犬は、くんくん泣きながら、彼の足元に寄つてきました。 「捨てられたんだな。可哀《かはい》さうだなあ。……俺《おれ》が拾つていつてやらう。」  八太郎はさう独語《ひとりごと》を云《い》つて、二匹の子犬を拾ひ上げて、懐の中に入れてやりました。子犬は温《あたたか》い懐の中で、嬉《うれ》しがつて鼻を鳴らしました。 「よしよし、俺《おれ》が育てゝやる。」  八太郎は雨の降る中を、傘《かさ》もさゝずに、二匹の子犬を懐の中に抱いて、山奥の村へ帰つて行きました。 [#4字下げ]二[#「二」は中見出し]  八太郎が子犬を二匹拾つて来たことは、すぐに村中の評判になりました。前に言つた通り、まだ犬なんか一匹もゐない村でした。 「あんな貧乏な八太郎が、犬なんか拾つてきてどうするのだらう。」と或《あ》る者は云《い》ひました。 「犬なんて、金持か町人かの慰み物だのにね。」と或《あ》る者は云ひました。 「呑気者《のんきもの》のすることは違つたものだ。今に自分も犬と一緒に腹を空《す》かすやうになるまでさ。」と或《あ》る者は言ひました。  然《しか》し八太郎は一向平気でした。その白と黒との二匹の子犬が、まるまると肥《ふと》つて、ふざけ散らしてるのを見て、さも嬉《うれ》しさうに笑つてゐました。村の子供|達《たち》がまた始終、犬を見にやつて来ました。そしていろんな食べ物を持つてきてくれました。八太郎は犬のために特別に働かなくても済みました。  犬は見る見るうちに大きくなり、一年二年たつともう立派な親犬になりました。一匹のが男で、一匹のが女でした。そして、二年目の末には、女犬が四匹子供を産みました。  八太郎はびつくりしました。 「ほう、一度に四匹も産むのかな。」  子犬は四匹とも、元気に丈夫に育ちました。  ところが、それからが大変です。親犬は一年に二度づゝ、一度に四匹も五匹も、子供を産みました。子犬もやがて親犬になつて、それがまた子供を産み初めました。八太郎の家はもう犬で一杯で、わんわん、くんくん、吠《ほ》えたり鳴いたり、喧嘩《けんくわ》したりふざけたり、大変な騒ぎでした。  村の人達は呆《あき》れ返りました。彼のことを八太郎といふ者はなく、いつのまにか犬の八公といふやうになつてゐました。 「やあ、犬の八公さんか、犬共の御機嫌《ごきげん》はどうですか。」  誰《たれ》でも彼に出逢《であ》ふと、そんな風に挨拶《あいさつ》しました。 「はゝゝ、みんな元気ですよ。」と犬の八公は笑ひながら答へました。  けれども、実は笑ひごとではありませんでした。もう村の子供達も犬にあきて、食物《たべもの》を持つて来てくれる者がありませんでした。犬の八公は一人で、何十匹もの犬を養はなければなりませんでした。自分一人が漸《やうや》く食べてゆけるだけの貧乏人でありましたから、いくら一生懸命に働いても、さう沢山の犬を養ふことはとても出来ませんでした。その上、これからまた、犬は次から次へと子供を産んでいつて、どれだけふへるか分りませんでした。 「困つたなあ。」  犬の八公は途方にくれて考へてみました。然《しか》し、犬を一匹でも捨てる気にはどうしてもなれませんでした。  一日どこへ行つても仕事がなくて、ぼんやり戻《もど》つてくると、犬達は腹を空《す》かして待つてゐます。 「おう、みんな腹が空《す》いたらう。」  犬の八公はさう云つて、泣きたい思ひをしながら家に残つてる食べ物をみんな、犬にやつてしまひました。 「もうこれきり、お金も食べる物もなくなつたよ。明日《あした》の朝は何にもないんだ。それに俺《おれ》の仕事もないときてる。我慢してくれ、な、我慢してくれ。その代り、こんど仕事があつて稼《かせ》いできたら、うんと御馳走《ごちそう》してやるからな。」  彼はさう犬に云つて、泣きながら布団《ふとん》をかぶつて寝てしまひました。犬達も彼の言葉が分つたか、土間におとなしく並んで、じつとしてゐました。 [#4字下げ]三[#「三」は中見出し]  翌日の朝、犬の八公は遅くまで寝てゐました。起き上つたところで、どうせ稼《かせ》ぎに出る仕事もないし食べる物もないし、寝てる方がましだつたのです。  ところが、犬|達《たち》が朝早くから、わんわん騒ぎ出しました。しまひには座敷へ上《あが》つてきて、彼の布団を引きはがさうとします。彼は初め、それを叱《しか》つてゐましたが、たうとう仕方なく起き上りました。  起き上つてみるとびつくりしました。庭の隅《すみ》の蓆《ござ》の上に、鶏や鯉《こひ》や鮒《ふな》や芋や蕪《かぶ》などが、山のやうにつみ重ねてあつて、そのまはりに犬達が並んでゐます。 「ほう、これは……。お前達が持つてきてくれたんだな。有難い、有難い。」  犬の八公は急に元気づきました。そして、鶏や魚や野菜を料理して、犬達と一緒に食べました。四五日では食べきれないほどありました。  ところが、村では大変な騒ぎでした。俺《おれ》のところの鶏がゐなくなつた、俺《おれ》のところの池の魚が見えなくなつた、俺《おれ》のところの畑が荒された……とあちらでもこちらでも騒ぎです。そしてそれがみな一晩のうちの出来事です。それからだん/\調べてみるとみな犬の八公のところの犬達の仕業と分りました。  村の人達は腹を立てゝ、犬の八公のところへ押しかけて来ました。  犬の八公は話を聞いて、またびつくりしました。そして犬達を叱《しか》りながら、もう二度とこんなことはさせませんと村の人達に誓ひました。 「お前が知らないことで、犬の畜生共のしたことなら、こんどだけは許してやらう。その代り、二度とこんなことをしたら、もう容捨はしないからね、よいか。」 「いえもう、決して……。」  彼の堅い約束をきいて、村人達は帰つてゆきました。  彼は困りました。自分のためにしてくれたのですから、犬達をひどく叱《しか》るわけにもゆきませんし、それかつて、村人達から怨《うら》まれたら、この後仕事に雇つて貰《もら》へないかも知れません。 「まあいゝや、そのうちにどうにかなるだらう。」  呑気《のんき》な性分からさう諦《あきら》めて、彼は犬達と一緒に、鶏や魚や野菜の御馳走《ごちそう》を食べました。四五日は大丈夫でした。彼も犬達も腹が一杯になり、元気になり陽気になつて、飛び廻《まは》つたりはね廻《まは》つたりしました。  そして御馳走《ごちそう》がだんだん無くなつてくると、彼も犬達もまたしよげ返りました。彼は腕をくんで首を垂れ、犬達はそのまはりを取巻いて、黙つて考へ込みました。 [#4字下げ]四[#「四」は中見出し]  するうちに、或《あ》る夜中のこと、村の真中《まんなか》で大騒動が起りました。犬が一匹|吠《ほ》え出したのをきつかけに沢山の犬が吠《ほ》え出して、やがて一団《ひとかたまり》になつて、激しい争ひを初めました。それが普通と違つて、死にもの狂ひの騒ぎだつたものですから、村の人|達《たち》は皆|眼《め》を覚して、飛び出してきました。  見ると、真黒《まつくろ》な着物をきた男が、四方から犬にとり巻かれて、身動きも出来ないで地面につゝ伏してゐます。見馴《みな》れない男です。犬の八公のところの犬達です。  犬の八公も飛び起きてきました。犬達を押しのけて、真黒《まつくろ》な着物の男を引捕《ひつとら》へました。調べてみると懐に一杯お金をつめこんでゐます。泥坊《どろばう》なんです。村一番の金持のところにはひつて、お金を盗み出したところを、犬達に見付かつたのです。  村の人達はお金をすつかり取戻《とりもど》し、泥坊《どろばう》を袋叩《ふくろたた》きにして追つ払ひました。  そのために、犬の八公は大変得意になりました。犬達はなほ得意でした。そして村の人達は、初めて犬の有難いことを知りました。毎日汗を流して働いてためたお金を、泥坊《どろばう》に盗まれてしまつては、これほど馬鹿《ばか》げたことはありません。 「犬の八公さん、」と金持の主人は云《い》ひ出しました、「私《わたし》に犬を一匹譲つてくれませんかね。」  すると村の人達は、私《わたし》にも、私《わたし》にも……と、四方から犬をほしがりました。 「へえー……ですが私《わたし》は、犬を手放すのが措しくてどうも……。」  犬の八公は、一匹でも犬を人手に渡すのが、悲しいやうな惜しいやうな気がして仕方ありませんでした。  そこで、村の人達はいろいろ相談した上で、犬達を村全体の番人にして、犬の八公をその係りとすることにし、犬の八公と犬達との食べ物は、一切村から出すことにしたいと、さう云ひ出しました。犬の八公も、それならばと喜んで承知しました。 [#4字下げ]五[#「五」は中見出し]  それからは、もう何の心配もありませんでした。犬の八公は毎日、犬|達《たち》を相手に、ぶらぶら遊んでをればよいのでした。  村の人達も安心でした。犬の八公とその犬達とがをれば、泥坊《どろばう》も何も恐《こは》いことはありません。昼間は云《い》ふまでもなく夜分でも、家《うち》を空けて構ひませんし戸を開いたまゝ眠つても構ひません。小さな子供のある家《うち》では、犬達が遊び相手になつてくれますので皆で田圃《たんぼ》に出て働くことも出来ます。  ところが、そのうちにも、犬は次から次へと子供を産んで、次第に数がふえてきました。 「ほゝう、よく産むなあ。」  さう云つて、犬の八公はにこにこしてゐました。  けれども、村の人達はやがて眉《まゆ》をひそめるやうになりました。もう村中犬だらけになつてゐました。その調子で犬がふえていつたら、後にはどうなるか分りませんでした。犬の数が人間の幾倍にも幾倍にもなつていつたら、その食物ばかりでも大変です。  犬の八公が沢山の犬を引きつれて歩き廻《まは》つてるのを見て、村の人達は小声で囁《ささや》き合ひました。 「どうかしなくつちやあ……。」 「どうしたものかな……。」  そしてたうとう或《あ》る日、村の重立つた人達が犬の八公のところへ来て、犬の数を何とか出来ないかと相談しました。 「へえー、なるほど、犬の数が多すぎると云ふんですね。」と彼は答へました。「そこで、犬に子供を産ませないやうにするか、産まれた子供を殺してしまふか、まあそれより外に仕方はないわけですが……然《しか》しそんなことは、どうも私《わたし》には……。まあ考へてごらんなさい。これがもし人間だつたら……。」 「人間だつたら……。」  そこで村の人達は、何とも云ひやうがありませんでした。  犬の八公と村の人達とは、不満のまゝ別れました。  犬の八公はむつつり考へ込んでしまひました。そのまはりには多くの犬が、大きいのや小さいのや、ずらりと並んで、心配さうに彼の顔を眺《なが》めてゐました。  翌日、犬の八公と多くの犬達とは、もう村にゐませんでした。  村の人達が騒ぎ出しました。がいくら探しても、一匹の犬の姿も見えませんでした。何処《どこ》へ行つたのかも分りませんでした。  多分、犬の八公がその犬達をみんな連れて、遠く山の奥へでもはいつてしまつたのだらう、と村の人達は想像して、心配なやうな安心なやうな気持になりました。心配なのは、泥坊《どろばう》のことでした。安心なのは、やたらに犬の数がふえる恐れのなくなつたことでした。  そしてそれきり、犬の八公とその犬達とのことは、全く分らなくなつてしまひました。 底本:「日本児童文学大系 第一六巻」ほるぷ出版    1977(昭和52)年11月20日初刷発行 底本の親本:「童話」コドモ社    1926(大正15)年7月 初出:「童話」コドモ社    1926(大正15)年7月 入力:菅野朋子 校正:門田裕志 2011年12月3日作成 2012年12月19日修正 青空文庫作成ファイル: 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