四十八人目 森田草平 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)毛利小平太《もうりこへいだ》は |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)辻版小屋|筋違《すじか》い前 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数) (例)宗徧《そうへん》 -------------------------------------------------------      一  毛利小平太《もうりこへいだ》は小商人《こあきゅうど》に身《み》を扮《やつ》して、本所《ほんじょ》二つ目《め》は相生《あいおい》町三丁目、ちょうど吉良左兵衛邸《きらさひょうえやしき》の辻版小屋|筋違《すじか》い前にあたる米屋五兵衛こと、じつは同志の一人|前原伊助《まえばらいすけ》の店のために、今日《きょう》しも砂村方面へ卵の買い出しに出かけたが、その帰途《かえりみち》に、亀井戸天神の境内《けいだい》にある掛茶屋に立ち寄って、ちょっと足を休めた。葭簀《よしず》の蔭《かげ》からぼんやり早稲《わせ》の穂の垂れた田圃《たんぼ》づらを眺《なが》めていると、二十《はたち》ばかりの女中がそばへやってきて、 「お茶召しあがりませ」と言いながら、名物|葛餅《くずもち》の皿と茶盆《ちゃぼん》とを縁台の端に置いて行った。  小平太は片手に湯呑を取り上げたまま、どこやらその女の顔に見覚えがあるような気がして、後を見送った。女の方でもそんな気がするかして、二人の子供を連れた先客の用を聞きながらも、時々こちらを偸《ぬす》み見るようにした。小平太は「はてな?」と小首を傾《かし》げた。が、どうしても想いだせぬので、二度目にその女が急須《きゅうす》を持ってそばへ来た時、 「姐《ねえ》さん、わしはどっかでお前さんを見たように思うが――」と切りだしてみた。 「はい」と、女は極《きま》りの悪そうに顔を赧《あか》らめながら、丁寧《ていねい》に小腰を屈めた。「わたくしも最前からそう思い思いあんまりお姿が変っていらっしゃいますので……もしやあなたさまは元|鉄砲洲《てっぽうず》のお屋敷においでになった、毛利様ではございませぬか」 「して、お前さんは?」  小平太はぎょっとして聞き返した。 「わたくしは同じお長屋に住んでおりました井上源兵衛の娘でございます」 「ほう、井上殿のお娘御! そういえば、さっきから見たように思ったのもむりはない」と、小平太はあたりを見廻しながら低声《ていせい》につづけた。井上源兵衛といえば、九両三人|扶持《ぶち》を頂いて、小身ながらも、君候|在世《ざいせい》の砌《みぎ》りはお勝手元勘定方を勤めていた老人である。「それにしても変った所でお目にかかりましたな。で、お父上はその後御息災でいられるかな」 「はい」と言ったまま、娘はきゅうに下を向いて、はらはらと涙を滾《こぼ》した。 「ふうむ?」と、小平太は相手の容子を見い見い訊ねてみた。「では、何か変ったことでもござりましたか」 「は、はい」と、娘は前垂の端《はし》で眼の縁を拭《ぬぐ》って、ちらと背後《うしろ》を振返りながら、これもあたりへ気を兼ねるように小声でつづけた。「父は昨年の暮に亡《な》くなりました。それから引続いて母が永い間の煩《わずら》いに、蓄えとてもござりませねば、親子|揃《そろ》って一時は路頭に迷おうとしましたが、長屋の衆が親切におっしゃってくださいまして、この春からここで勤めさせていただくようになったのでございます」 「それはそれは、とんだ苦労をなされましたな」と、小平太も相手を労《いたわ》るように言った。「だが、これも時代《ときよ》時節《じせつ》というもの、そのうちにはまたいいことも運《めぐ》ってきましょう。あまりきなきな思って、あなたまで煩わぬようにされるがようござりましょうぞ」 「ありがとう存じます」と、娘は優しく言われるにつけて、またもやせぐりくる涙を前垂の端で押え押えした。 「で、母御《ははご》はその後ちっとはおよろしい方でござるかな」 「それがどうも捗々《はかばか》しくございませんので……この夏から始終寝たり起きたりしていましたが、秋口からはどっと床についたきりでございますの」 「それはまた御心配な」と、小平太は心から同情するように言った。「まあ、せいぜい大切《だいじ》にしておあげなさるがいい。手前もまた何かのおりにお訪ねすることもござろうが、ただ今のお住家《すまい》はこの御近所で?」 「はい、妙見様《みょうけんさま》の裏手の七軒長屋で、こちらの茶店へ出ているおしおと聞いていただけば、じき知れますの」と言いかけて、ふと気がついたように、「でも、大変|汚《むさ》い所でございますので、あなた方にいらしていただくような……」と、遠慮がちに言いなおした。 「いやなに、今では手前もごらんのとおりの身の上、その御遠慮にはおよびませぬわい」と、小平太はちょっと袖のあたりを振返りながら、わざとらしく笑ってみせた。こんな風に身を落してこそおれ、今に見よ、同志揃って吉良邸に乗りこみさえすれば、主君の仇を討った忠義の士として、世に謳《うた》われる身だというような意識がちらと頭の中を翳《かす》めたのである。 「それに」と、彼はまた何気なくつづけた。「あのへんは手前もちょくちょく参りますから、また通りがかりに寄せていただくこともございましょう。どうかお帰りになったら、小平太がよろしく申したと、母御にお伝えくだされい」  まだ何やら訊いてみたいような気もしたが、人目を惹《ひ》くのがいやさに、小平太は茶代を払って、そこそこに茶店を出てしまった。年が若いだけに、思わぬ邂逅《めぐりあい》から妙に心をそそられたところへ、女の涙に濡《ぬ》れた顔を見て、大事を抱えた身とは知りながら、ついそれを忘れるような気持にもなったものらしい。夕日を仰いで、田圃《たんぼ》の中の一筋道を辿《たど》りながらも、彼は幾度か後を振返ろうとして、そのたびにようようの思いで喰いとめた。      二  去年三月主君|浅野内匠頭《あさのたくみのかみ》、殿中《でんちゅう》にて高家《こうけ》の筆頭|吉良上野介《きらこうずけのすけ》を刃傷《にんじょう》に及ばれ、即日芝の田村邸において御切腹、同時に鉄砲洲の邸はお召《め》し上《あ》げとなるまで、毛利小平太は二十石五人|扶持《ぶち》を頂戴《ちょうだい》して、これも同志の一人大石瀬左衛門の下に大納戸係《おおなんどがかり》を勤めていた。当時年は瀬左衛門より一つ上の二十六歳であった。その後|赤穂《あこう》城中における評議が籠城《ろうじょう》、殉死《じゅんし》から一転して、異議なく開城、そのじつ仇討《あだうち》ときまった際は、彼はまだ江戸に居残っていたので、最初の連判状には名を列しなかった。が、その年の暮に大石内蔵助が、かねて城明渡しの際|恩顧《おんこ》を蒙《こうむ》った幕府の目附方へ御礼かたがた、お家の再興を嘆願するために、番頭《ばんがしら》奥野将監《おくのしょうげん》と手を携《たずさ》えて出府《しゅっぷ》した際、小平太は何物かに後から押されるような気がして、内蔵助の旅館を訪《たず》ね、誓書《せいしょ》を入れて義徒の連盟に加わった。何物かとはいわゆる時代の精神である。当時の侍《さむらい》は、君父《くんぷ》の仇をそのままに差|措《お》いては、生きて人交りができなかった。彼もその精神に押しだされたのである。そして、内蔵助の帰洛《きらく》に随行《ずいこう》して、上方《かみがた》へ上って、しばらく京阪の間に足をとどめていた。  時代の精神と、もう一つは、世が太平になったために、ひとたび主《しゅう》に放れた浪人は喰うことができない、何人《だれ》も抱え手がないという事実に圧迫されて、小平太のほかにも、誓書を頭領にいたして、新《あらた》に義盟につくもの前後|踵《くびす》を接した。いかに喰えない浪人生活よりも、時代の精神に追われて死につく方が、彼らにとって快《こころよ》く思われたかは、主家の兇変《きょうへん》の前に、すでに浪人していた不破数右衛門《ふわかずえもん》、千葉《ちば》三郎兵衛、間新六《はざましんろく》の徒《と》が、同じように連盟に加わってきたのでも分る。とにかく、元禄十四年の暮から明くる年の春にかけて、連判状にその名を列《つら》ねるものじつに百二十五名の多きに上った。しかも、その中には、内匠頭の舎弟《しゃてい》大学を守《も》りたてて、ならぬまでもお家の再興を計った上、その成否を見定めてから事を挙げようとするものと、そんな宛にもならぬことを当にして、便々と待ってはいられない、その間に敵《かたき》と覘《ねら》う上野介の身に異変でもあったらどうするかと、一|途《ず》に仇討の決行を主張するものとがあって、硬軟両派に分れていた。前者の音頭《おんど》を取るものは、さきに大石と同行した奥野将監を始めとして、小山、進藤の徒であり、後者は堀部安兵衛、奥田孫太夫などの在府の士、並びに関西では原総右衛門、大高源吾、武林唯七らの人々であった。その争いが烈しくなるにつれて、前者は後者を罵《ののし》って、あいつらがそんなに逸《や》るのは喰うに困るからだと言った。そして、それは事実でもあった。元禄十五年の正月二十六日に、堀部安兵衛、奥田孫太夫、高田郡兵衛三人の連名で、江戸から大石に宛てた書面に、上方の連中がゆっくりしていられるのは、敵《かたき》の様子を目の前に見ていないからだ、それを毎日見せつけられている吾々の胸中も察してもらいたいというような意味のことを述べた末に、「同志の中でも器用なものは、医者の真似《まね》をしたり鍼医《はりい》になったりして、それぞれ渡世の道を立てているが、吾々は仇討専門で、ほかに芸がないから日々喰い詰める一方である。願わくば、あまり見苦しき体《てい》になり下《さが》らぬうちに、一日も早く決行したい」といったような一節がある。これは浪士の実情をありていに道破したものといわなければならない。  ところで、内蔵助自身は、どちらかといえば前者に属していた。彼は仇討連盟の盟主になった。しかも、その裏面においては、全然それと反向《はんこう》するような主家の再興に力を尽していた。あるいは主家の再興は再興、仇討は仇討で遣る気であったと言うかもしれない。しかし主家を再興した後で、仇討のできないことは、何人《だれ》よりも内蔵助自身一番よく知っていた。仇討をしなければ、同志を欺《あざむ》いたことになるばかりでなく、永く世の指弾《しだん》を受けるかもしれない。しかも、一国の重寄《じゅうき》に任ずる城代家老としては、主《しゅう》の恨みを晴らすということも大切であろうが、それよりもまず主家の祭祀《さいし》の絶えざることを念とするのが当然だと信じたのである。この信念の下《もと》に、彼は去年の暮に出府した際も、あらゆる手蔓《てづる》を求めて目附衆《めつけしゅう》へ運動もしたし、それから後も山科に閑居して、茶屋酒にうつつを脱かしていると見せながら、暮夜《ぼや》ひそかに大垣の城下に戸田侯(内匠頭の従弟《じゅうてい》戸田采女正氏定《とだうねめのしょううじさだ》)老職の門を叩いて、大学|擁立《ようりつ》のことを依嘱《いしょく》した事実もある。もっとも、そうした運動の奏効《そうこう》おぼつかないことは、彼といえどもよく承知していた。が、全然徒労に終るものとも思っていなかった。再興の望みが絶対になかったように思うのは、事後においてそれを見るからで、当時にあっては、四囲《しい》の情勢から見て、かならずしもその望みがなかったとは言われない。幕府がいったん取潰した家を再興した先例はいくらもある。ましてや、相手の吉良家に何のお咎めがなかった点から見ても、その渦中にあった浅野家の浪人どもには、今にも再興の恩命が下るように思われたかもしれない。  とにかく、内蔵助からしてそういう気持であったために、正月の山科《やましな》会議では、持重派《じちょうは》が勝ちを制して、今年三月亡君の一周忌を待って事を挙げようというかねての誓約も当分見合せとなった。そして、二月の初めには、一党の軍師といわれる吉田忠左衛門が、内蔵助の命を含んで、関東の急進派|鎮撫《ちんぶ》のために江戸へ下ることになった。彼が浪士どもに分配するために、軍用金の中から若干《そこばく》の金を携《たずさ》えて行ったことはいうまでもない。  江戸の急進派の中でも一番あせっていた堀部安兵衛は、それからも絶えず書を寄せて一挙の即行を迫っていたが、とかくに煮えきらぬ内蔵助の態度をもどかしがって、六月の末には単身東海道を押上ってきた。そして、山科の大石の許《もと》へも立ち寄らず、大阪の原総右衛門、京の大高源吾など上方《かみがた》の急進派を糾合《きゅうごう》して、大石の一派とは別に、自分たちだけで大事を決行しようと計った。ここに赤穂義士の連盟も分裂の危機に瀕《ひん》したのである。が、幸か不幸か、七月の二十二日になって、江戸の吉田忠左衛門から浅野大学が芸州《げいしゅう》広島へ流謫《りゅうたく》を命ぜられたことを報じてきた。同じく二十五日には、奥田孫太夫からも同様の書面がとどいた。こうなればもう是非《ぜひ》がない、主家再興の望みは永久に絶えたのである。で、内蔵助もついに意を決して、七月二十八日、京、伏見、山科、大阪、赤穂などに散在する同志と円山重阿弥《まるやまじゅうあみ》の別墅《べっしょ》に会合した上、いよいよ仇討決行の旨《むね》を宣言した。そして、自分も十月の末には江戸へ下るから、面々においてもそれまでに、二人三人ずつ仇家《きゅうか》へ気づかれぬよう内々で下向《げこう》せよと言いわたした。それを聞いて、義徒は皆|踴躍《ゆうやく》した。中にも堀部安兵衛は、大石と離れてさえ決行しようとしていただけに、明くる朝すぐに発足《ほっそく》して、潮田《うしおだ》又之丞とともに江戸に走《は》せ下った。この二人は、途中浜松の駅で、芸州へ流されて行く浅野大学の一行に出逢ったが、後難の相手の身に及ばんことを恐れて、わざとお目通りを願わないで、素知らぬ顔に行き過ぎてしまったと言われる。  横川勘平は円山会議に先立って、七月の末にはすでに江府へ下っていた。つづいて岡野金右衛門、武林唯七、それに毛利小平太の三人も八月の二十七日に江戸へ着いた。それに次いでは、吉田沢右衛門、間瀬孫九郎、不破数右衛門の三人が九月二日、矢頭右衛門七も単独にて同じく九月二日、千馬三郎兵衛、間重次郎、中田理平次は同月七日、木村岡右衛門、大高源吾も九月中というように、同志の士は続々江戸へ下った。しかも大石自身は、後を清くして立つためには何かと用事もあって、そうきゅうに京師《けいし》を引払うわけにも行かない。そこで同志の心を安んずるために、まず伜《せがれ》の主税《ちから》に老巧間瀬久太夫を介添《かいぞ》えとして、大石瀬左衛門、茅野《かやの》和助、小野寺幸右衛門なぞとともに、自分に先立って下向させることにした。一行は九月十七日に京都を立って、同月二十五日には無事江府に下着《げちゃく》した。そして、石町《こくちょう》の旅人宿《りょじんやど》小山屋に、江州《ごうしゅう》の豪家垣見左内公儀に訴訟の筋あって出府したと称して逗留《とうりゅう》することになった。それと見た一党の士気は、こうなればもはや太夫《たゆう》の出府も間はあるまいというので、いよいよ振いたった。      三  これより先《さき》前原伊助、神崎与五郎《かんざきよごろう》の両人は、内蔵助の命を帯びて、すでにその年の四月中江戸に下っていた。これは吉良、上杉両家の近情《きんきょう》を偵察するためで、内蔵助もそのころから主家《しゅうか》の再興をしょせんおぼつかなしと見て、そろそろそれに処する道を講じておいたものらしい。で、前原は米屋五兵衛と変名《へんみょう》して、相生町三丁目に店借《たなが》りして、吉良邸の偵察に従事するし、神崎は美作屋《みまさかや》善兵衛と名告《なの》って、上杉の白金の別墅《べっしょ》にほど近い麻布谷町に一戸を構えた。これは上野介が浪士の復讐を恐れて、実子上杉|弾正大弼綱憲《だんじょうだいひつつなのり》の別邸に匿《かく》まわれているというような風評《うわさ》があったからにほかならない。が、それは風評《うわさ》だけに止まって、主として本所の邸に住んでいることが分ったので、おいおい同志が出府してくるころには、与五郎も谷町の店をしまって、前原の米屋の店へ同居することになった。そして、美作屋では、自分の生国《しょうごく》から取ったものだけに、気が指《さ》したのか、あらためて小豆屋《あずきや》善兵衛と名告って、扇子や鬢《びん》つけの荷を背負《しょ》いながら、日々吉良邸の内外を窺《うかが》った。が、同邸でも見慣れぬ商人と見れば、いっさい邸内へ入れぬようにして、用心堅固に構えている。その中を潜ってはいりこもうとするのだから、こちらの苦心はひととおりでなかった。が、そんなことにあぐむような彼らでもなかった。日夜その機会を覘《ねら》っていて、それ火事だ! とでも言えば、真先に屋根へ駆け上って、肝心の火事はよそに、向側の吉良邸の動静を目を皿のようにして窺《うかが》ったものだ。  円山会議の後、真先に江戸へ下った堀部安兵衛は、浪人剣客長江長左衛門という触れ込みで、米屋の店にほど遠くない林町五丁目に借宅《しゃくたく》した。前哨《ぜんしょう》たる米屋の店と聯絡《れんらく》を取って、何かの便宜《べんぎ》を計るためであったことはいうまでもない。この借宅には、在府の士小山田庄左衛門を始めとして、七月中安兵衛より一足先に江戸へ下った横川勘平、一足後れてすぐその後から下ってきた、毛利小平太の三人が同居した。そして、横川は三島小一郎、小平太は水原武右衛門と変称した。なお前者は、身分こそ五両三人扶持の徒士《かち》にすぎなかったが、主家没落の際は、赤穂城から里余《りよ》の煙硝蔵に出張していて、籠城《ろうじょう》殉死《じゅんし》の列に漏《も》れたというので、それと聞くや、取る物も取りあえず城下へ駈けつけて、内蔵助の許《ところ》へ呶鳴《どな》りこんだほどの気鋭の士であったから、偵察の任務についても人一倍大胆に働いた。小平太も安兵衛だの勘平だのという気性の勝った連中といっしょにいては、一人ぐずぐずしてはいられない。それに同宿の士の中では比較的小身者であっただけに、横川とはことに仲よくしていたので、同じように仲間小者《ちゅうげんこもの》に身を扮《やつ》して、仇家の偵察にも従事すれば、江戸じゅうを走り廻って、諸所に散在している同士の間に聯絡《れんらく》をも取っていた。で、誰一人小平太の心底を疑うものもなければ、彼自身もそれを疑うような心は微塵《みじん》もなかった。  ところで、十月の半《なかば》ごろまでには、後れて上方を発足した原総右衛門、小野寺十内、間喜兵衛なぞの領袖株《りょうしゅうかぶ》老人連も、岡島|八十《やそ》左|衛門《えもん》、貝賀弥左衛門なぞといっしょに、前後して、江戸へ着いた。最も後れた中村清右衛門、鈴田重八の両人も、十月の三十日には江戸へ入って、安兵衛の長江長左衛門の借宅に同宿することとなった。中村は小山田庄左衛門なぞと同じく百五十石取りの上士で、鈴田は三十石の扶持米を頂いていたものであった。  頭領大石内蔵助もいよいよ十月の七日には京師《けいし》を発足した。それに従う面々は、潮田又之丞(前に安兵衛とともに下って、ふたたび上方へ取って返したもの)、近松勘六、菅谷《すがのや》半之丞、早水《はやみ》藤左衛門、三村次郎左衛門、それに若党仲間どもを加えて、同勢すべて十人、「日野家用人垣見五郎兵衛」と大書した絵符を両掛長持に附《ふ》して、関所関所の眼を眩《くら》ましながら、五十三駅を押下った。そして、二十三日には鎌倉雪の下着、ここで江戸から迎いに出た吉田忠左衛門と出会って、打合せをした上、三日の後いっしょにそこを立った。そして、かねて準備しておかれた川崎在平間村の一|屋《おく》に入った。ここに十日間ばかり滞在して、江戸の情勢を窺《うかが》っていたが、差閊《さしつか》えなしと見て、十一月の五日にはとうとうお膝元へ乗りこんできた。そして、前月来伜主税が逗留している石町の旅人宿小山屋に、左内の伯父と称して宿泊することになった。江戸にあった同志は、それとばかりに、人目を忍んで、かわるがわる内蔵助の許《ところ》に伺候《しこう》した。いよいよ年来の宿望を達する日が近づいたのである。  が、内蔵助の到着とともに、かねて連盟の副頭領とも恃《たの》まれていた千石取りの番頭奥野|将監《しょうげん》、同じく河村伝兵衛以下六十余人の徒輩《ともがら》が、いよいよ大石の東下《とうげ》と聞いて、卑怯《ひきょう》にも誓約に背《そむ》いて連盟を脱退したことが判明した。もっとも、その中には、前から態度の怪しかったものもあるにはあった。が、内蔵助の叔父小山源五右衛門、従弟《じゅうてい》進藤源四郎など、義理にも抜けられない者どもまで、口実《こうじつ》を設けて同行を肯《がえ》んじなかったと聞いては、先着の同志も惘《あき》れて物が言えなかった。中にも、血気の横川勘平のごときは、 「あいつらもともと汚い奴輩《やつばら》だ。この春討って捨てようと思ったのに、手延びにして残念だ!」と、歯噛みをして口惜しがった。  が、神崎与五郎はそばからそれを宥《なだ》めるように、 「なに、今になって退《の》くような奴らは、皆大学様の御左右《ごさう》をうかがって、万一お家お取立てになった場合、真先にお見出しに預《あず》かろうという了簡《りょうけん》から、心にもない義盟に加わってきたのだ。そんな奴らが何人いたって、まさかの時のお役に立つものでない。仇討は吾々だけで十分遣《や》ってみせるよ」と言った。  勘平もそれには異存がなかった。  とにかく、一時百二十余名に上《のぼ》った義徒の連盟も、江戸へ集まった時には、こうして五十人余りに減ってしまった。が、それだけにまた後に残ったものの心はいっそう引締ってもきた。少なくとも、人数の減少によってぐらつくようには見えなかった。  が、十一月の二十日になって、麹町《こうじまち》四丁目|千馬《ちば》三郎兵衛の借宅に、間喜兵衛、同じく重次郎、新六なぞといっしょに同宿していた中田理平次が、夜逃げ同様に出奔《しゅっぽん》したという知せが同志の間に伝わった。江戸へ下った者はまさかだいじょうぶだろうと思っていただけに、同志もこれには吐胸《とむね》を吐いた。現在同志と思っている者も宛にはならぬというような感情も湧いて、互に相手を疑うような気持にもなった。中にも、小平太は少なからぬ衝撃《しょうげき》を受けた。 「そうだ、同志も宛にはならぬ。だが、俺はどうだ、俺は宛になるか」  そう思った時、彼はぎょっ[#「ぎょっ」に傍点]として思わず身を竦《すく》めた。彼といえども、最初連盟に加わった時から、一死はもとより覚悟していた。仇家《きゅうか》に討入る以上、たといその場で討死しないまでも、公儀の大法に触れて、頭領始め一同の死は免《まぬか》れぬということも知らないではなかった。が、一方ではまた、仇討は仇討だ、君父の仇を討ったものが、たとい公儀の大法に背《そむ》けばとて、やみやみ刑死に処せられるはずはない。お上《かみ》でも忠孝の士を殺したら御政道は立つまいというような考えが、心の底にあって、それが存外深く根を張っていたらしい。 「だが、相手には何しろ上杉家という後楯《うしろだて》がある」と、小平太は今さらのように考えずにはいられなかった。「その上杉家はまた紀州家を仲にして将軍家とも御縁つづきになっているのだ。去年三月の片手落ちなお裁《さば》きから見ても、また今度の大学様の手重い御処分から見ても、吉良家に乱入したものをそのまま助けておかれるはずはない。必定《ひつじょう》一党の死は極《きわ》まった!」  彼は頸《うなじ》の上に振上げられた白刃《はくじん》をまざまざと眼に見るような気がした。同じように感ずればこそ、理兵次も垢《はじ》を含んで遁亡《とんぼう》したものに相違ない。といって、自分は今さら命惜しさに同志を裏切る気にもなれなければ、またそれだけのあつかましさも持合せていない。 「なに、俺一人で死ぬのじゃない」と、彼はしばらくしてようよう乾燥《かっぱしゃ》いだような声で呟《つぶや》いた。「死ねば皆いっしょに死ぬのだ!」  こう自分で自分に言って聞かせてから、何人《だれ》も見ていたものはなかったかと心配するように、そっと眼を上げてあたりを見廻した。気がついてみると、じっとりと頸筋《くびすじ》のまわりに汗を掻いて、自分ながら顔色の蒼醒《あおざ》めているのがよく分った。  その後も、小平太はできるだけ自分の心の動揺《どうよう》を同志の前に隠すように努《つと》めた。もっとも、彼が同志に心のうちを覚《さと》られまいとするには、もう一つほかに理由があった。それは彼に一人の情婦《おんな》があったからだ。亀井戸天神の境内《けいだい》で井上源兵衛の娘おしおに出逢って、あわれな身の上話を聞いてからというもの、宿へ帰ってもその女のことが気になって、どうも心が落着かなかった。で、明くる日はさっそくわずかばかりの手土産を持って、かねて聞いておいた七軒長屋に母親の病気を尋ねてみた。が、行ってみると、聞いたよりはいっそう惨《みじ》めで、母親は持病の痛風で足腰が立たず、破れた壁に添うて寝かされたまま、娘が茶店の隙間《ひま》をみては、駈け戻って薬餌《やくじ》をすすめたり、大小便の世話までしてくれるのを待っているというありさまであった。あまりの気の毒さに、小平太はその後もちょくちょく見舞いに寄ったが、若い者同志とて、いつしか二人の間に悪縁が結ばれてしまった。小平太にしてみれば、母娘に対する同情から出たとはいえ、大事を抱えた身の末の遂《と》げないことはよく知っている。悔恨と愛慾とは初めから相鬩《あいせめ》いだ。が、女の方では、そんなこととは知らないから、世にも手頼りない身の盲亀《もうき》の浮木に逢った気で、真心籠めて小平太に仕《つか》える。小平太もそうされて嬉しくないことはない。同志に隠れて、使走りの廻道をしては、夕方からこそこそと妙見堂の裏手へはいって行く。夜分どうしても都合の悪い時は、茶店へ顔を見に行く。そういうおり、彼はいつでも上方における大石の廓通《くるわがよ》いのことを想いだして、自分で自分に弁解《いいわけ》をした。もちろん、頭領がしたから自分も遣っていいというのではない。ただ内蔵助が茶屋酒に酔い痴《し》れながら、片時《へんじ》も仇討のことを忘れなかったように、自分も女のために一大事を忘れようとは思わない。それだけにしばしの不埓《ふらち》は容赦《ようしゃ》されたいというのが、せめてもの彼の願いであった。そして、暇《ひま》さえあれば、足は柳島の方へ向った。      四  ところが、おしおの母親は、十一月の半ばから陽気のせいか、どっと重態《じゅうたい》になって、娘の精根を尽した介抱も甲斐なく、十日余りも悩みに悩んだあげく、とうとう死んで行った。おしおは身も浮くばかりに泣いた。そばにいた小平太も、母親がわが身の苦しさも忘れて、息を引取る間ぎわまで、「おしおのことを頼む頼む」と言いつづけにしたことを思うと、何だか目に見えぬ縄《なわ》で縛《しば》られているような気がして、ぼんやり考えこんでしまった。が、これまでの行きがかりからいっても捨ててはおかれないので、同志の前は大垣の支藩戸田|弾正介氏成候《だんじょうのすけうじしげこう》の家来で、彼には実兄にあたる山田新左衛門の許《ところ》に世話になっている母親の病気と繕《つくろ》って、二日ばかり同宿の家を明けて、型ばかりの葬式でも出させるようにした。  で、それがすんでからいったん宿へ帰ったが、気になるので、一日置いてまた出かけてみた。おしおはもう片時《かたとき》も小平太のそばを離れない。「どんな苦労でも厭いませぬから、どうかわたしをおそばへ引取ってくださいませ。一人の母にさえ別れては、こうしているのが女の身では心細うてなりませぬ」と、男の膝《ひざ》に縋《すが》ってかき口説《くど》いた。 「そう言《い》やるのももっともじゃが、わしも今では他人の家に厄介《やっかい》になってる身……」 「では、どうぞあなたがここへ引移ってくださいませ。こんな穢《むさ》い所でお気の毒ですが、たとい賃仕事《ちんしごと》をしてなりとも、わたしはわたしで世過《よす》ぎをして、あなたに御迷惑は懸けませぬ」と、女の腰はなかなか強い。  これには小平太も当惑した。心の中では、こうしてだんだん身抜きのできない深みへはまってきた自分の愚しさが、何よりもまず悔《く》いられた。が、今となってはどうにもしかたがないので、一時|遁《のが》れの気休めに、 「それもそうだが、わしもいつまで浪人をしているつもりでもない。戸田様に御奉公をしている兄にも頼んで、方々へ渡りがつけてあるから、近いうちには何とか仕官《しかん》の途《みち》も着こうかと思っている。その前に内密《ないしょ》でそなたといっしょにいることが、骨折ってくれている兄にでも知れたら悪い。たとい一合二合の切米《きりまい》でなりとも、主取《しゅど》りさえできたら、きっと願いを出して、表向きそなたを引取るようにするから、それまでのところは、寂しかろうが、このまま御近所の世話になっていてもらいたい。あんまり引っこんでばかりいては、気もくさくさするだろうから、初七日《しょなぬか》でもすんだらまた茶店へも出るようにしたがいい。なに、それも永いことではない。わしも暇さえあれば、ちょくちょく会いに来るからね」と、さまざまに言い拵《こしら》えて、やっと相手を納得させた。  で、その日の七つ下《さげ》りに、小平太は屈托《くったく》そうな顔をしながら、ぼんやり林町の宿へ戻ってきた。すると横川勘平が待ち構えていて、相手の顔を見るなり、 「おお水原か、いいところへ戻ってきた。貴公でなくちゃできない仕事がある」と、いきなり言いだした。そばには安兵衛の長左衛門も居合せて、何やら事ありげな様子に見えた。 「何だ何だ?」と、小平太も心のうちを見透《みすか》されまいと思うから、わざと威勢よく二人のそばへ顔を寄せて行った。 「じつはあの両国の橋の袂《たもと》にいる茶坊主|珍斎《ちんさい》な」と、勘平は声を潜《ひそ》めてつづけた。「あいつはいつかも話したとおり例の山田|宗徧《そうへん》の弟子で、やはり卜《ぼく》一(上野介の符牒《ふちょう》)の邸へ出入りをしている、茶会《さかい》でもある時は、師匠のお供《とも》をして行って、いろいろ手伝いもしているという話だから、またなにか聞きだすこともあろうかと、この間からそれとなく取入っておいたがね、今日はからずそいつの手から卜一の家老小林平八郎に宛てた書面を手に入れたんだよ」 「ふむふむ!」 「つい今の先のことだ、ぶらりとはいって行くと、これはいいところへ来てくれた、また一筆頼むと言うじゃないか。なに、この坊主がお茶はできるかしらんが、無類の悪筆でね。これまでも二三度頼まれたことがあるから、おやすい御用と引請《ひきう》けて、さて宛名はと聞いてみると、小林だ。しめた! とは思ったが、色にも出さず、相手の言うままに認《したた》めた上、自分もあちらの方面に所用があるから、何なら私が届けて進ぜましょう、御返事があるようならまた房路《もどり》にと、うまく言って使者《つかい》まで請合ってきた。それはいいが、何しろ俺はこの前あの邸へはいりこんで、うろうろしているところを掴《つか》みだされた覚えがあるから、二度とあそこへは行かれない。と言って、長左衛門どのでは顔が売れているから、どうも目に立つし、気はせきながらも、貴公の帰りを待っていたのだ」 「そうか」と、小平太はぐっと固唾《かたず》を呑み下しながら言った。「よし、それでは俺が引請けた」 「うむ、しっかり遣《や》ってくれ」 「心得た。で、念のために聞いておくが、この手紙の用件は?」 「いや、それは何でもない。かねて小林から頼まれていた品が見つかった。いずれ近日持主同道で持参するからよろしくというだけだ。いずれ茶器か何かのことだろうよ。だが、貴公は何にも知らない体《てい》で、ただ使者《つかい》に来たようにしておいた方がいい」 「それもそうだな」 「とにかく、またと得られない機会だ」と、勘平はさらに自分の注文をつづけた。「できるだけ邸内の様子を細かに見てきてもらいたい。近ごろ長屋と母屋《おもや》との間に大竹の矢来を結《ゆ》い廻して、たとい長屋の方へ打入られても、母屋へは寄りつかれないようにしてあるという噂《うわさ》も聞くが、このごろはあちらでもお出入り以外の物売はいっさい入れないようにしているから、最近の様子はさっぱり分らない。そのへんも十分見届けてきてもらいたいな」 「それに」と、安兵衛もそばから言葉を添えた。「かねがね山田宗徧のところへ弟子入りをしている脇屋氏《わきやうじ》(大高源吾のこと、京都の富商脇屋新兵衛と称して入りこむ)から、吉良邸では来月の六日に年忘れの茶会があるという内報もあった。すれば、五日の夜は必定《ひつじょう》上野介在宿に極《きわ》まったというので、討入はおおよそその夜のことになるらしい大石殿の口ぶりでもあった。だが、頭領としては、その前にもう一度邸内の防備の有無を見定めておきたいと言われるのだ。で、もしお手前の働きでそのへんの事情が確実に分ったら、吾々が待ちに待った日もいよいよ近づいたというものだ。大切《だいじ》な役目だ、しっかり遣ってきてもらいたい」 「心得ました」と、小平太はそれを聞いて、きゅうに胸をどきつかせながらも、きっぱり返辞をした。 「くれぐれも仕損じのないようにな」と、安兵衛はなお念を押すように言った。「この場になってしくじったら、それこそ大事去るだ! その心得で遣ってきてもらいたい」 「よく分っております」と、小平太も緊張にやや蒼味を帯びた顔を上げて言った。「万一|見咎《みとが》められるようなことがありましょうとも、一命に懸けて御一同の難儀になるようなことはいたしませぬ」 「その覚悟で行けば、しくじることもあるまい。だが、見破られないうちに、こちらの思う所を見てくるのが肝心《かんじん》だ。くどいようじゃが、その心得でな」 「畏承《かしこま》りました」  小平太はすぐに身支度をして、例の状箱を受取って立ち上った。何と思ったか、勘平も後から追い縋《すが》るように送ってでて、 「長左衛門どのの言われるとおり、向うの様子がもう少し知れないと、迂濶《うかつ》に手は出せないという頭領始め領袖方《りょうしゅうがた》の御意見だ。しっかり遣ってきてくれ」と、皮肉らしく小声でささやいた。「その代りに、うまく行ったら当夜の一番槍にも優る功名だぞ」 「うむ!」とうなずいたまま、小平太は黙って表へ飛びだした。      五  小平太が進んでこの危い役割を引請《ひきう》けたのは、一つは心のうちを見透《みすか》されまいとする虚勢《きょせい》からでもあったが、一つにはまた、ここで一番自分の働きぶりを見せて、中田理平次なぞとはまるで違った人間だということを同志の前にはっきり証拠立てておきたかったからでもあった。いや、同志の前というよりは、第一自分の前に証拠立てたかった。だって、小平太の心を疑っているものは、何人《だれ》よりもまず彼自身であったから! そこで彼は与えられた機会を、よく考えてもみないで、しゃにむに掴《つか》んでしまった。が、一党に対する責任を思えば、安兵衛から注意されるまでもなく、この任務はあまりにも重かった。もし怪しい奴と睨《にら》まれて、町奉行の手にでも引渡されたら……そして、どうしても密事を吐かねばならぬような嵌目《はめ》に陥《おちい》ったら…… 「そんなことにでもなれば、俺一人ではない、一党の破滅だ!」と、考えただけでも足の竦《すく》むような気がして、彼は思わず街《まち》の上に突立ってしまった。  が、それとともに、「一命に懸けても」と二人の前に誓った言葉が彼の心に泛《うか》んできた。 「そうだ」と、彼はふたたび自分で自分に誓うように呟《つぶや》いた。「どんなことになろうとも、俺はこの口を開けてはならない。――責めらりょうが、殺さりょうが、たとい舌を咬《く》い切ってでも!」  こんな烈しい言葉を用いながらも、彼はそれによって、不思議に、何の衝撃をも、不安をも、恐怖をも感じなかった。この場合、彼には命を投げだすということがきわめて訳もないことのように思われたのである。 「なに、死ぬ気でかかったら、何ほどの事があろう? こちらの覚悟一つだ!」  彼は力足《ちからあし》を踏《ふ》み緊《し》めるようにして歩きだした。見ると、もう吉良家の裏門に近く来ている。かねて小豆屋善兵衛の探知によって、家老小林の宅が裏門に近い所にあるとは聞いていた。が、それでは都合が悪いと思ったか、わざと表門へ廻って、門番にかかった。 「お願いでございます、ちょっと小林様のお長屋へ通らせていただきます」 「小林様へ通るはいいが、いずれから参った?」と、暇潰《ひまつぶ》しに網すきをしていた門番が面倒臭そうに聞き返した。 「へえ、両国橋のお茶道珍斎からお状箱を持ってまいりました」 「そうか、よし通れ!」  小平太はまず虎口《ここう》を免《のが》れたような気がした。が、ここでひとつ落着いたところを見せておこうと、 「私《わたくし》は新参者でよく存じませぬが、小林様のお長屋はどちらでございましょう?」と訊いてみた。 「なに、初めて御当家へ参ったと申すか」と、足軽はやっと手に持った網から顔を上げた。「小林様はお玄関の前を左に折れて、中の塀についてお長屋の前を真直に行くと、一番奥の一軒建ちがそれだ」 「へえ、どうもありがとうございます。こちらへ参りますか、は、分りました」と、お叩頭《じぎ》をしいしい、わざとゆっくり足を運んで、遠目に玄関口を覗《のぞ》いてみると、正面に舞楽《ぶがく》の絵をかいた大きな衝立《ついたて》が立ててあるばかりで、ひっそり閑と鎮《しず》まり返っていた。が、ここらで見咎《みとが》められてはならぬと思うから、言われたとおりに、すぐに左へ折れて、総長屋の前をぶらりぶらりと歩いて行った。長屋にはところどころ人声がして、どこからともなく水を汲む音、夕餉《ゆうげ》の支度をするらしい物音が聞えてきた。が、どちらを見ても、別段目に立つような異状はない。大竹の矢来といったような厳重な設備は、少なくともそのへんには見受けられなかった。  彼はその間も始終右手の塀に目を着けていた。腰から下が羽目板になって、上に小屋根のついたもので、その中が座敷のお庭先にでもなっているらしい。ところどころ風通しの櫺子窓《れんじまど》もついているが、一つ一つ内側から簾《すだれ》が下げてあるので、中の様子は見られない。爪先立ちをしてみても、植込《うえこみ》の間から母屋の屋根つづきが、それもほん[#「ほん」に傍点]の少々|窺《うかが》われるばかりだ。  そのうちに、ふと一枚戸の中門が眼にとまった。ぴたりと閉めきってあるので、そのまま行き過ぎようとしたが、念のためだと二三歩後戻りをして、前後を見廻しながら、そっとその扉《と》に手を懸けようとした。とたんに、行手の土蔵の蔭から声高な話声が聞えてきたので、小平太はぎょっとして飛び退《の》いた。見ると、二人連れの侍《さむらい》が何やら話しながら、すぐ目の前へ遣ってくるのだ。彼はすかさず、 「少々物をお訊ね申しますが」と、小腰を屈めながら言った。「小林様のお長屋はどちらでございましょうか」  二人は立ち留って、じろじろ小平太の様子を眺めていたが、年嵩《としかさ》の方が、 「なに小林様? 御家老のお長屋はついその左手のお家がそうだ」と、顋《あご》をしゃくって教えてくれた。 「へえ、ありがとう存じます、まことに相すみませぬ」と、ぴょこぴょこ頭を下げながら、急いでその家のくぐり戸に手を懸けた。  二人の侍も小平太が門をはいるまでじっと後を見送っていたが、仲間体《ちゅうげんてい》ではあるし、状箱は持っている、別に胡乱《うろん》とも思わなかったか、そのまま踵《きびす》を返して行ってしまった。  小平太はくぐり戸を閉めて、始めてほっと胸を撫《な》で下ろした。一歩違いで無事にすんだけれども、考えてみれば、実際危かった。剣呑《けんのん》剣呑《けんのん》! と思いながら、気を取りなおして、すぐ前の玄関にかかった。そして、 「お頼もうします、お頼もうします」と、二度ばかり声を懸けた。 「どうれ!」とどす[#「どす」に傍点]がかった声がして、すぐ隣の玄関脇の部屋から、小倉《こくら》の袴《はかま》を穿《は》いた爺さんが出てきた。  小平太はいきなり二つ三つ頭を下げて、 「私はお茶道珍斎からこの文箱《ふばこ》を持ってまいりました。どうかお取次ぎを願います」と、手に持った状箱を差出した。  取次の爺さんは黙ってそれを受取って、朱塗りの蓋《ふた》の上に書いた宛名《あてな》の文字をつくづく眺めていたが、「ちょっと待て」と言い捨てたまま、奥へはいった。が、間もなく引返してきて、「すぐ御返事があるそうだから、しばらく待っておれ」と伝えた。そして、自分はすぐに元の部屋へはいってしまった。  小平太はしばらくそこに立っていたが、だいぶ手間が取れるらしく、奥からは何の沙汰《さた》もない。この間だ! この間にそこらを見廻ってやれとも思ったが、さっきの失敗に懲《こ》りているので、もし自分のいない間に出てこられでもして、申し開きが立たなかったら、それこそ百年目だ! なに、まだ帰途《かえりみち》もあることだと、じっと辛抱《しんぼう》しているうちに、やっと奥で手の鳴る音がした。それを聞くと、例の爺さんはそそくさと襖《ふすま》を明けてはいって行ったが、すぐにまた取って返して、 「待ち遠であったな。この中に御返事が入っているそうだ。よろしくと伝えてくりゃれ」と、小平太の持ってきた状箱を渡した。 「畏承《かしこま》りましてございます。そのほかにお言伝てはござりませぬか」 「うむ、これを持ってまいれば分るそうだ」 「さようでございますか、どうもお邪魔いたしました」と、小平太はお叩頭《じぎ》をして、そのまま表へ出た。  さあ、これからはもう帰るばかりだ。が、これだけではせっかく来た甲斐がないような気もした。第一、同志の連中が何と言うか知れない。彼には何よりも同志の思わくが気になった。で、右へ行けば表門へ出るのを、わざと左へ取って、角の土蔵について廻ってみた。すると、もうそこに裏門が見えて、その正面にあたる所が裏口の小玄関にでもなっているらしい。それが眼に着くと、彼はすぐに踵《きびす》を旋《かえ》した。そちらの方面のことは、前原や神崎の手でおおよそ分っていたからである。  で、元来た道を引返していると、ふたたび例の中門が眼にとまった。見ると、前にはびたりと閉めきってあった戸が、どうしたのやら一寸ばかり透《す》いている。想うに、さっき逢った侍がここからはいって、つい閉め残したものでもあるらしい。小平太は天の与えとばかりに胸を躍《おど》らせた。が、遽《あわ》てるところではないと、前後を見廻して、人目のないのを見定めながら、つと扉《と》に身を寄せて、その隙間から覗《のぞ》きこんだ。目の前はやっぱりお庭先の植込らしく、木の枝に視線は遮《さえぎ》られるが、それでも廻縁になった廊下が長くつづいて、閉《た》てきった障子《しょうじ》にあかあかと夕日の射しているさまが、手に取るように窺《うかが》われた。上野介の居間がどのへんにあるかは、もとより知る由もない。が、左手に見える檜垣《ひがき》の蔭には泉水でもあるらしく、ぼちゃんと鯉の跳ねる音も聞えてきた。小平太はだんだん大胆になって、少しずつ門の扉《とびら》を開けて行った。もう少しで頭だけ入りそうになった時、すうと向うに見える障子が明いて、天目《てんもく》を持った若い女が縁側にあらわれた。彼はぎくりとして思わず後へ退った。が、間《あい》が離れているので、向うでは気のつくはずもない。そのまま廊下づたいに、音もなく下手《しもて》へはいって行く。  小平太は振返って、用心深くあたりを見廻した。幸いに、どこから見ていられた様子もない。この上危い思いをして覗いていても得るところはあるまい、ここらが見切り時だと、彼は急いで門を離れた。が、せめて長屋の戸前でも数えて行ってやれと、心の中でそれを読みながら歩いているうちに、不意に背後《うしろ》で「わあッ!」という声がして、五六人の子供が彼のそばをばたばたと駈《か》けだして行った。一人の吹矢を持った男の子の後から、大勢がいっしょになって駈けだして行くのだ。彼はまた胆《きも》を潰した。が、それと分ると、まあ、あそこにぐずぐずしていないで、いい塩梅《あんばい》だと思った。そのうちにとうとう表門まで来てしまった。で、 「どうもありがとう存じます、行って参《さん》じました」と、もう一度門番に挨拶《あいさつ》をして、街の上へ出た。      六  小平太は一丁ばかり来て、始めて吾に返ったように息を吐《つ》いた。別段取りたてて吹聴《ふいちょう》するようなこともないが、使命だけは無事に果した。これだけ見てくれば、同志の前に面目の立たぬようなこともあるまい。そう思って、彼はまた駈《か》けだすようにして林町の宿へ帰った。宿には安兵衛、勘平の両人はいうまでもなく、吉田忠左衛門の田口一真まで来合せて、彼の帰宅《かえり》を待っていた。気早の勘平は、足音を聞くや、縁先まで駈けだしてきて、 「おお帰ってきたな、首尾《しゅび》はどうだった?」と、いきなり訊《たず》ねた。 「うむ!」と言ったまま、小平太はもう一度振返って、後を跟《つ》けるものの有無《うむ》を見定めてから、始めて座敷へ上った。  奥の座敷には、忠左衛門と安兵衛の二人がひそひそと対談していた。小平太はまず忠左衛門に一礼して、さて安兵衛と勘平の前に持って帰った状箱を差出した。 「ふむ、これが返事だな」と、安兵衛は手に取って、ちょっとその上書に眼をやったが、すぐにまたそれを下に置いて訊ねた。「して、邸《やしき》の様子は存分に見てこられたか」 「あらまし見てまいりました」  こう前置をして、小平太は指先で畳の上に図を描いてみせながら、はいって行った時から出てくるまでの顛末《てんまつ》を仔細に述べはじめた。勘平はそばから硯《すずり》に料紙を取って渡した。で、それによって、ふたたび見取り図を描いて説明しながら、 「まずこういったあんばいでございます」と、話しを結んだ。「私の見たところでは、思いのほかに薄手な屋敷で、長屋にも母屋にも、噂に聞いた竹矢来なぞいっこう見当りませんでした。間々《まま》女子供の声は聞えましたが、いったいにひっそりとして、格別の手配りがあろうとも思われず、風説はただ風説にすぎないかと存ぜられました」 「なるほど」と、忠左衛門は大きくうなずいた。「だいたいわれらが考えていたとおりであるな」 「さようでございます」と、小平太はさらに語《ことば》を継《つ》いだ。「で、戻路《もどり》にはせめてもと存じまして、長屋の位置を見がてら、その家紋を読んでまいりましたが、だいたい表通りに向った一棟《ひとむね》と、南側に添うた一棟と、総長屋は二棟に別れておりまして、戸前の数は三十あまり四十戸前もございましょうか。そのほかに家老小林の住宅《すまい》は、別に一軒建ちになっておりました」 「いや、よく気がつかれた」と、忠左衛門は相手の労を犒《ねぎら》うように言った。「これで邸内の防備に対するだいたいの見当もついた上に、当夜出会いそうな相手方の人数もほぼ分ったというものだ。太夫《たゆう》に申しあげたら、さぞ喜ばれるじゃろう。小平太どの、大儀でござったな」 「ついては、横川、お身ひとつその文箱を茶坊主の許《ところ》へとどけてくれんか」と、安兵衛はそばから口を出した。「これは貴公でないといかんからな」 「心得ました。さっそくとどけることにいたしましょう」 「そうだ」と、忠左衛門も言った。「御苦労だが、そう願うことにしよう。ところで、小平太どのの内偵は、拙者から久右衛門殿(池田久右衛門、山科以来大石の変名)に伝えようが、それよりもお身自身の口から申しあげた方がいいかもしれない。どうだな、これからすぐに石町へ同行しては?」 「は、私が参った方がよろしければ、すぐに御同道いたします」 「ああ、そうなさい。それから横川氏、貴公もその文箱をとどけたら、あちらへ参られい。このたびのことは、一つはお手前の働きでもあるから、一足先へ行って、拙者から太夫によく申しあげておくよ」 「恐れ入りました。それでは、いずれ後ほど御意《ぎょい》を得ることにしまして、私は一走り行ってまいります」と、勘平は会釈《えしゃく》して立ち上った。ちょっと間を置いて、忠左衛門も小平太を伴《つ》れてその家を出た。  二人が小山屋の隠宅へ着いたのは、日脚の短い時節とて、もうそろそろ灯火《あかり》の点《つ》くころであった。寒がりの内蔵助は、上《かみ》の間の行灯《あんどん》の影に、火桶を前にして、一人物案じ顔に坐っていた。で、まず忠左衛門から口を切って、小平太が今日吉良邸へ入《い》りこむようになった次第を紹介した。その尾について小平太も、自分が見てきた邸内の様子を落ちなく報告に及んだ。内蔵助は眼を瞑《つぶ》ったまま、じっとそれに聴き入っていたが、やがて相手の言葉が途切れるのを待って、 「ふむ、そう分ってみれば、もはや遅疑《ちぎ》する場合ではないな」と、ぽっつり口を開いた。 「さよう!」と、忠左衛門はすぐにそれに応じた。「六日の茶会《さかい》を外したら、悔《く》いて及ばぬことにもなりましょう。それがすめば、さっそく白金《しろかね》の上杉家の別邸へ引移られるはずだと、たしかな筋から聞き及んでもいますからな」 「それもある」と言ったまま、内蔵助はまたしばらく眼を瞑っていた。が、ふたたび口を開いた時は、持前の低声ではあるが、いつになく底力が籠っていた。「で、いよいよそれと決定すれば、あらためて一同にも通告するが、面々においてもその心得で、それぞれその用意をして待っているように伝えてもらいたい。それにしても、小平太、今日は御苦労であったな。内蔵助からも厚く礼を言うぞ」 「は、ありがとう存じます」と、小平太は畳に手を突いたまま、きゅうに眼の中が熱くなるような気がした。彼としては太夫の前へ出て、自分で報告するさえ面晴《おもは》れであるのに、こんな言葉まで懸けられようとは、ゆめにも思い設けなかったのである。  彼はそれから次の間へ下って、同宿の諸士といっしょに夕飯の御馳走になった上、後から来た横川と連れだって、上々の首尾でその宿を辞した。  で、二人並んで歩きながら、小平太は相手から話しかけられても、すぐには返辞をしないほど、深く考えこんでしまった。第一には、自分の小さな手柄が太夫に認められたのも嬉しかった。が、そればかりではなかった。太夫に認められたことによって、ともすれば動揺《どうよう》しやすい自分の心が、何かこう支柱《つっぱり》でもかわれたように、しゃんとしてきた。それが彼には何よりも嬉しかったのだ。 「そうだ、ああ言ってもらえば、俺にも死ねる、立派に死んでみせられる!」と、彼は何度も心のうちで繰返した。  横川は横川で、延びに延びた討入の日取りがいよいよ決定したというので、妙に昂奮《こうふん》して、うきうきしていた。で、何かと小平太に話しかけるのだが相手は上の空で、いっこう手応《てごた》えがない。 「おい水原、最前から貴公は何を考えているんだ?」と、勘平はたまりかねて相手の肩を叩いた。 「俺? 俺は……俺はそうだ、太夫のありがたいお言葉を考えていたのだ」 「そうか」と、勘平もうなずいた。「昼行灯《ひるあんどん》の何のと悪く言うものの、やっぱり太夫は偉いところがあるね。時には何となく生温いように思って、俺なぞずいぶん喰ってかかったものだが、別に怒ったような顔もされない。いくらこちらがいきりたっていても、一言《ひとこと》あの仁《じん》から優しい言葉を懸けられると、すぐにまたころりとまいって、やっぱりこの人の下に死にたいと思うからね。人柄というか、何というか、あれが持って生れた人徳《にんとく》だろうな」 「うむ、だがしかし、ああいうお言葉を頂戴するにつけて、俺は貴公にすまないような気がする。これも貴公が手柄を俺に譲ってくれたおかげだからな」 「なに、そんなことはお互いだ」と、勘平は快活に笑った。「それに手柄を譲るも譲らないも、俺にはあの邸へはいれなかったんだからな。貴公の働きは貴公の働きだよ」 「いや、そうでない」と、小平太はあくまでまじめであった。「俺は貴公のおかげで救われた。この恩は忘れない、死んでも忘れない!」  彼はいきなり勘平の腕を掴《つか》んだまま、つづけざまに頭を下げた。その眼には涙が光っていた。勘平は妙な気はしたが、相手がまじめなだけに、黯然《あんぜん》としてそれを見守っていた。  こうして二人は長い間両国の橋の上に立っていた。      七  いよいよ討入は十二月五日の夜と決定して、その旨《むね》頭領大石からそれぞれ通達された。一同は一種の昂奮《こうふん》をもってそれを受取った。五日といえば、あますところ日もない。とうとう年来の宿望を遂《と》げる日がやってきたのだ。それとともに、生きてふたたびこの娑婆《しゃば》へ出てこられようとも思われない。で、それとは言わぬが、めいめいその覚悟をして、故国《くに》の親類縁者へ手紙を出すものは出す、また江戸に親兄弟のあるものは、それぞれ訪ねて行って、それとなく訣別《わかれ》を告げるというように、一党の気はいはどことなく騒《ざわ》だってきた。  十一月も晦日《みそか》のことであった。小平太は朝から小石川の茗荷谷《みょうがだに》にある戸田侯のお長屋に兄の山田新左衛門を訪ねて行った。おりよく兄も非番で在宿していた。久しぶりに来たというので、母親も喜んで、二人の前に手打ち蕎麦《そば》を出してくれた。で、しばらくよもやまの話しをしていたが、小平太はおりを見て、 「時に兄上」と切りだした。「永い間こちらへもいろいろ御迷惑を懸けましたが、今度西国筋のさる御大身のお供をして、もう一度|上方《かみがた》へ上《のぼ》ることになりました。で、今日はそのお暇乞《いとまご》いかたがた参上したような次第でございます」 「ほほう、それは重畳《ちょうじょう》」と、兄は何も気がつかぬように言った。「わしもお前のためには、これまで縁辺をたよって、ずいぶん方々へ頼んではおいたが、どうも思うに任せぬ。そういうことになれば、誠にけっこうな次第だ。で、今度の御主人というのはやはり御直参ででもあるのかな」 「いえ、それが」と、小平太はちょっと口籠《くちごも》った。「御陪身《ごばいしん》ではござりますが、さる西国大名の御家老格……私としては、もはや主人の選《え》り好みはしていられませぬ」 「それはそうだ。武士としては、主人を失って浪人しているくらい惨《みじ》めなものはない。主取《しゅうど》りさえできれば、何よりけっこうだ。時にお前は」と、新左衛門は何やら想いだしたように言い添えた。「去年の暮にも、元浅野家の城代家老大石殿のお供をして、上方へ上ったが、あの方はまだ山科とやらにおいでかな」 「大石様でございますか」 「うん、その大石殿さ」と、新左衛門はじっと弟の顔を見詰めながらつづけた。「じつはその大石殿が、何やら思いたつことがあって、近ごろ江戸に下られたという噂を耳にした。いや、大石殿ばかりではない、旧浅野家の浪人どもおいおい江戸に参着して、何やら不穏《ふおん》なことを企《たくら》んでいるという風説もある。もっとも、風説にすぎぬかもしれないが、去年以来の成行《なりゆき》を思えば、全然風説のようなことがないとも言われない。お前はどうだ? かねて上方《かみがた》ではだいぶ大石殿のお世話になったというが、まさかお前がその一味に加担しているようなことはあるまいな」 「はッ」と言ったまま、小平太はちょっと顔が上げられなかった。 「じつはその風説を耳にしてから、ぜひ一度お前に会って訊《き》いてみようと思っていたところだ。今聞けば、さる西国筋の御大身に主取《しゅうど》りをしたと言いながら、わしにその名を明そうともしない。で、万一お前がそういう企てに加担していたとしたら、兄弟のわしには包まず明すがいいぞ」  小平太はふたたび「はッ」と言ったまま、頸筋《うなじ》を垂れて、じっと考えこんでしまった。そこまで知っていられては、もう是非《ぜひ》がない。それに、そういう風説を耳にしながら、今日まで黙っていたところを見れば、兄もこのたびの一挙にまんざら同情がないわけでもあるまい。まして戸田家と浅野家とは御親類の間柄だ。ここで俺が戸田家の家来たる兄に有様《ありよう》を打明けてみたところで、別段|差障《さしさわ》りの生ずるようなこともあるまい。このたびの事は、親兄弟たりともいっさい漏《も》らすまいという誓約はある。しかも、その誓約はけっして正確に守られていないとすれば、俺一人頑固にそれを守り通してみたところで、何になろう? それよりも、ここで打明けて、兄の同情と支援とが得られたら、自分としてもどのくらい心強いかしれない。心強いばかりでなく、同情を寄せていてくれる兄の手前としても、俺は後へ退けなくなるではないか。そうだ、それが何より肝心だと心に思案して、 「で、もし私がその企てを知っているとしましたら?」と、上眼に兄の顔を見上げながら、おずおず言ってみた。 「知っているとすれば、お前は一味に加担しているのだな!」と、新左衛門の声は思わず筒抜《つつぬ》けた。 「はい、加担しております」と、小平太も度胸を定めて言いきった。「主家の没落に遇《あ》って武士の意気地《いきじ》を立てるには、そのほかに道もおざりませぬ。兄上、お察しくだされい」 「ふむ、それは困ったことになったな」と、新左衛門は両腕を拱《こまぬ》いたまま、溜息《ためいき》を吐いた。 「何とおおせられます?」と、小平太も顔色を変えた。「では、兄上は大石殿の一挙に不同意じゃとおおせられるか」 「ずんと不同意じゃ」と、新左衛門は相手の眼を見返したまま言った。「考えてもみい、今の浅野の浪人どもがそのような暴挙に出て、お膝元《ひざもと》を騒がしたら、戸田のお家はどうなると思う? 去年|内匠頭様《たくみのかみさま》刃傷《にんじょう》の際にも、大垣の宗家《そうけ》を始め、わが君侯にも連座のお咎《とが》めとして、蟄居《ちっきょ》閉門《へいもん》をおおせつけられたではないか。今度そんなことがあれば、お家の興廃《こうはい》にも係《かかわ》る一大事じゃ。お前にはそれが分らぬか」  そう言われてみると、小平太には何と返す言葉もなかった。で、しばらく俯向いたまま無言をつづけていたが、ややあって、 「では、兄上は、私に武士の道を捨てよとおっしゃるか」と、心外らしく聞き返した。 「そうだ、捨ててもらうほかないな」と、新左衛門は言いきった。「いや、お前の心中は察している。兄としても、お前に武士の道を立てさせたい。しかし、わしにはわしの主君がある。主君の大事になると知って、お前をこのままにはしておかれぬぞ」 「とおっしゃるが、かりに私が退くとしましても、大石殿始め一味の徒党が吉良殿の邸へ打入ったとしたら、どうなされます?」 「大石殿のことまでは、われら風情には力及ばぬ。ただ兄として弟がそんな大事に加担《かたん》するのを見てはおられぬと申すのじゃ」 「で、もし私がどうしても脱退せぬと申しましたら?」 「このまま引ったてて、当家の御重役に訴《うった》えでるまでじゃ」  こう言って、新左衛門はすぐにも立ち上りそうな気勢を見せた。 「ま、お待ちくだされ、しばらくお待ちくだされい」と、小平太は慌《あわ》てて押留めた。ひょん[#「ひょん」に傍点]なことを言いだしたばかりに、とんだことになってしまったとは思ったが、どうにもしかたがない。とにかく、ここは兄の言葉に従ったふりをして、この場を納めるほかないと思ったので、 「なるほど分りました」と、下を向いたまま言いだした。「一時の血気に速《はや》って、兄上の御迷惑になるとも知らず、一味に加担しましたのは、重々私の心得違いでした。では、お言葉に従って、大石殿始め同志の方々には相すみませぬが、誓約を破って脱退することにいたしましょう」 「しかとその気か」 「何しに虚偽《いつわり》を申しましょう? 私とてもしいて命を捨てとうはござりませぬ。その代りには、兄上、大石殿始め一党のことはどうぞ御内分にしてくださりませ」 「うむ、お前がそう心を改めた上は、わしも好んであの方々の邪魔をしようとは思わぬ。御一統の企てについては、ほかから漏れたら知らぬこと、わしからは金輪際《こんりんざい》口外《こうがい》すまい。それだけは固く約束しておくよ」 「どうかそのようにお願いいたします」 「しかし、お前としても今の言葉はどこまでも守ってくれねばならぬぞ」と、新左衛門はあらためて念を押すように言った。「お前が浪人した上に、二人|揃《そろ》って扶持《ふち》に離れるようなことがあってはならぬからな――ま、これはここだけの話しじゃけれど」  小平太は黙って相手の顔を見返した。 「俺たちには年を取った母親もある」と、新左衛門は気が指したのか言いなおした。「わしにも大切《だいじ》な阿母《おかあ》さんなら、お前にとっても一人の母親だ。この老母を路頭に迷わせるようなことがあってはならぬからな」 「ごもっともでございます」と、小平太も母親のことを言われた時は一ばん身に染みた。「ただこれまで事をともにしてきた関係上、にわかに同志に背を向けるようなこともいたしかねますが、近々のうちには機を見て身を引くことにして、けっして兄上と番《つが》えた言葉は違《たが》えませぬから、その段はどうぞ御安心ください」 「それでやっと安心した。なに、お前の立場の苦しいことは、わしも察している。ただくれぐれもその言葉を違えまいぞ」  小平太は唯々《いい》として頭を下げた。それから二三話しもしていたが、長居は無用と思ったので、いずれそのうちまた出なおしてくるからと言いおいたまま、そこそこにその家を出てしまった。  街の上へ出た時、彼は自分で自分が分らなくなるほど顛動《てんどう》していた。彼が予期したことはまるで反対の結果になった。兄に打明けて、兄から同情と激励《げきれい》の言葉でも受けようと思っていたのに、かえってこちらの勇気を挫《くじ》かれたばかりか、あんな一時|遁《のが》れの嘘まで吐かなければならぬ嵌目《はめ》に陥《おちい》ってしまった。といって、それを幸いに、その嘘を真実《ほんとう》にしようなぞという気はもうとう起らなかった。彼にはあまりにも自己本位な兄の性根がありありと見え透《す》いていた。 「そうだ、兄が本当に主家を憂うる真心から、ああ言って俺に迫ったのなら、俺はこのまま兄の言うことを聞いて、同志を裏切るような気になったかもしれない。危殆《あぶな》い、本当に危殆《あぶな》いところだった」  そう思いながらも、いっこうその兄に対する反撥心《はんぱつしん》の起らぬのが、自分でも不思議でならなかった。彼は心のうちのどこかで兄を是認《ぜにん》していた。しかも、それを突詰めてみることは、彼には怖ろしかった。  彼はただ何とも言われない侘《わび》しさと寂寥《せきりょう》とを感じて、とぼとぼと街の上を歩いていた。      八  林町の宿へ戻った時は、まだ日が高かった。同宿の者はたいてい出払って、一人小山田庄左衛門が人待ち顔にぼんやり居残っていた。そして、 「おお水原か、どこへ行ってこられた?」と声を懸けた。 「は」と言ったものの、小平太には兄の許《ところ》へと実を言うのが何となく心苦しかった。で、「ちょっと知人の許《もと》へ」と、その場をごまかしておいて、 「それにしても、あなたは江戸に親御もあれば、御縁者も多いはず、どうしてそちらへお出かけにはなりませぬか」と反問してみた。 「なに、この期《ご》に及んで縁故のものをたずねても、何にもならぬからな」と、庄左衛門はわざと快活に笑ってみせた。 「でも、お父上一閑様は寄るお年波でもあり、さぞあなたを待ち侘びていられましょう」 「なに、あの親爺が」と、庄左衛門はそれでも寂しそうに言った。「あれは御承知のとおりの一剋者《いっこくもの》、わたしが会いになぞ行こうものなら、今ごろ何しに来た? 主君の仇も討たないうちに、何用あって親になぞ会いに来た? と、頭から呶鳴《どな》りつけますわい。先ごろちょっと立ち寄った時にも、いかい不興な顔をしましてな、もう来ても、二度とは顔を見せぬと叩きだすように追い返しました。八十を越した年寄とて、気にかからんでもないが、そんな訳で遠慮しておりますのじゃ」 「それはそれは」と言ったまま、小平太は自分の兄に引較べて、ちょっと返辞ができなかった。「なるほど、お父上の気性ならそうもありましょう。立派な父御を持たれてお羨《うらや》ましい」  実際、彼は羨ましかった。そういう父親を持っていたら、自分も今になってこんなに心の動くこともあるまい。それにつけても、何と思って兄になぞ大事を打明けたかと、今さらのように自分の不覚を悔《くや》まずにはいられなかった。  二人がそうしているところへ、表から足音荒く横川勘平がはいってきた。そして、ぷんぷん腹を立てながら、 「おい、また裏切者が出たぞ!」といきなり喚《よ》ばわった。 「裏切者?」と二人はいっせいに相手を見上げた。 「そうだ、裏切者が出た、しかもこの宿から出たのだ!」  小平太はぎくりとして思わず飛び上った。何だか自分が今兄としてきた相談の一伍一什《いちぶしじゅう》をそのまま勘平に聞いていられたような気がしたのである。 「中村と鈴田の二人が朝から出て行った」と、勘平は委細かまわず続けた。「俺はどうもその出方が怪しいと思ったので、君らが出かけた後で、そっとその行李《こうり》を調べてみると、いつ持ちだしたものやら、何一つ残っていないではないか。それには惘《あき》れたね。が、捨ておかれぬと思ったから、すぐに頭領の許《ところ》へ駈《か》けつけてみた。すると、どうだ、太夫はもうちゃん[#「ちゃん」に傍点]と二人のことを知っていて、『どうも是非《ぜひ》におよばぬ』と言っていられるのだよ。聞いてみると、あいつらはもう書面でもって脱退の旨を届けてきたんだそうな。その文句がいいね。『自分ども存じ寄りの儀があって、今日限り同盟を退く。かねがね御懇情《ごこんじょう》を蒙《こうむ》ったが、年取った親もあることとて、どうも思召しどおりになるわけに行かない。よって自分どもは自分どもで一存を立てるつもりだから、どうぞ連判状から抜いてくれ』とあるんだとよ。奴らも今になってそんな卑怯《ひきょう》なことを言いだすくらいなら、何と思ってはるばる江戸まで下ってきたのだ? 俺にはその了簡《りょうけん》が分らないね」 「さあ」と言ったまま、小平太にはやっぱり返辞ができなかった。黙って聞いていると、何だか自分が罵《ののし》られているようにも思われた。 「たぶん江戸へ来れば、何かよいことでもあるように思ってきたんだろうが」と、勘平はまだ余憤《よふん》が去らないように、一人でつづけた。「それが、そんな話がないばかりか、討入《うちいり》の日取りまで極ったというので、吃驚《びっくり》して腰を抜かしたんだろうよ」 「まさかそうでもあるまい」と、小平太はようよう口を挾んだ。「円山会議でいよいよ仇討と決した時、太夫から諸士へ廻された廻状にも、ちゃんとそれは明記してあったからな」 「それが慾目で分らなかったのさ」と勘平は捨ててやるように言って、からからと笑った。「だが、あいつらのように恥を忍んで生き延びたところで、いつまで生きるつもりだ? この先百年も生きやしまいし、晩《おそ》いか早いか、どうせ一度は死ぬる身ではないか」 「そうだ、どうせ一度は死ぬる身だ」と、小平太は自分で自分に言って聞かせるように呟《つぶや》いた。 「それが分らないんだから情けないね」と、それまで黙っていた庄左衛門もぽっつり口を出した。そして、三人ともそれぎり黙ってしまった。 「しかしね」と、しばらくして勘平は、何やら一人で考えているように言いだした。「俺に言わせれば、今になって返らぬことじゃあるが、このように敵討《かたきうち》を延び延びにされた太夫のしかたもよくない。第一、それがために、吾々の仕事が方々へ漏《も》れてしまった。今までのところでは、それも別段|差支《さしつか》えないようなものの、しかしだんだん士気の沮喪《そそう》してきたことは争われないぞ。せめてこの春にでも事を挙げられたら、百二十五人が五十人を欠くまでには減らなかったろうに! それを思うと、どうも残念でたまらないよ」  聞いている二人は思わず顔を見合せた。なるほど五十一人残っていた同志が、二人の逃亡によって、もはや四十九人になっていた。 「最初の脱盟者は例の高田郡兵衛だ」と、勘平は相手がそこらにでもいるように、一方を睨《にら》みつけながらつづけた。「あいつもこの春までは、安兵衛殿、孫太夫殿と並んで、硬派中の硬派と目されていた。それがどうだ、脱盟者の魁《さきがけ》となってしまったではないか。安兵衛殿の話に聞けば、何でも旗本の叔父から養子にと望まれたが、だんだんそれを断《ことわ》っているうちに、そばにいた兄が弟は仇討の大望を抱いているから、お望みに応じかねるのだと、うっかり口を辷《すべ》らしてしまった。叔父はそれを聞いて、『なに仇討? それは大変なことを考えている。天下の直参《じきさん》として、そんなことを聞き捨てにはならぬ』と言い張って、どうしても承知しない。そこで、叔父の言葉に従わなければ、大事が漏れて御一統にも難儀をかけるから、恥を忍んで身を退くと断って、連盟から脱退したということだよ。なるほど、その言分だけを聞けば、いちおうもっとものようにも思われるが、そのじつはどうだか分ったものじゃないね。それほど儀を重んずる心があるなら、なぜ自分からまず腹を切らないのだ? 命を捨てたら、どんな分らない叔父でも、まさか一統に迷惑を懸けるようなこともしでかすまい。それをしえないで、おめおめと養子になって生き延びているのは、何といっても命が惜しいからだよ。ね、そうじゃないか」 「そうだ、命が惜しいからだ」と、小平太は反射するように言った。実際、彼は自分でも何を言っているか分らなかった。彼はただ郡兵衛の脱盟した前後の事情のあまりによく自分が兄から言われた言葉に似ていることだけが分っていた。そして、自分が郡兵衛の立場に置かれたらどうするだろうと、そればかり考えていた。  その晩横になってからも、小平太はやっぱり中村鈴田両人のことが気になって、どうしても寝つかれなかった。中田理平次一人の時は、まだしも考えなおした。が、その後からまた二人の反逆者が出た。しかも、自分が朝夕顔を合せていた者の中から出た。彼は考えこまずにはいられなかった。 「二人はさんざ勘平から恥じしめられた。が、その代りに命を助かった。そうだ、恥を忍べば、まだ助かる道はあるのだ」  そう思って、小平太は自分ながらはっとした。武士が命を惜しむの、卑怯者だのと言われたらそれまでだ。それが最後の宣告である。彼はまだそれを超越するほど頽廃的《たいはいてき》になってもいなければ、またそれほど人として悪摺《わるず》れてもいなかった。 「そうだ、高田郡兵衛が最初の脱盟者になって、俺が最後の脱盟者になる? そんなことはありえない、断じてあってはならない!」  彼は一晩中|輾々反側《てんてんはんそく》して、やっと夜明け方にうとうととした。      九  師走《しわす》の二日には、深川八幡前の一|旗亭《きてい》に、頼母子講《たのもしこう》の取立てと称して、一同集合することになっていた。討入前の重大な会議のこととて、その日は安兵衛も、勘平も、小平太も打揃《うちそろ》うて午過ぎから出かけた。  頭領大石内蔵助も定刻前から子息主税を連れて遣ってきた。そのかたわらには、吉田忠左衛門を始めとして、原総右衛門、小野寺十内、間瀬久太夫などの領袖連が坐流れた。で、一同の顔も揃って、いよいよ会議に入ろうとする段になっても、どうしたのやら、一足後れてすぐ後から来るはずになっていた小山田庄左衛門の姿が見えない。すでに同宿の者の中から二人まで裏切者を出していることとて、安兵衛も、勘平もしきりに気を揉《も》んだ。中にも勘平は、自分が一走り行って見てきよう、そこらにまごまごしていたら引掴《ひっつか》んで連れてくるとまで言いだした。が、吉田忠左衛門はしずかにそれを制して、 「この場に莅《のぞ》んで変心するような臆病者をむりに引張ってきてもしかたがない。ここに御出席の方々は、皆亡君のために一命を投げだしている者どもでござるぞ。その方々の手前もある。打捨てておきなされ」と、言葉鋭く言いきった。勘平も理《り》の当然に服して、そのまま黙って控《ひか》えていた。  いよいよ起請文《きしょうもん》の前書が読み上げられた。これは仇討の宣言綱領といったようなもので、次の四箇条からなりたっていた。いわく  一、冷光院殿《れいこういんでん》御尊讐《ごそんしゅう》吉良上野介殿《きらこうづけのすけどの》討取るべき志これある侍《さむらい》ども申合せ候《そうろう》ところ、この節におよび大臆病者ども変心《こころをかえ》退散|仕《つかまつり》候者|撰《えら》み捨て、ただ今申合せ必死相極め候|面々《めんめん》は、御霊魂|御照覧《ごしょうらん》遊《あそば》さるべく候こと。  一、上野介殿御屋敷へ押込《おしこみ》働《はたらき》の儀、功の浅深《せんしん》これ有《ある》べからず候。上野介殿|印《しるし》揚《あげ》候者も、警固《けいご》一通《ひととおり》の者も同前たるべく候。然《しかれ》ば組合《くみあわせ》働役《はたらきやく》好《このみ》申すまじく候。もっとも先後の争《あらそい》致すべからず候。一味合体《いちみがったい》いかようの働役に相当《あいあたり》候とも、少しも難渋《なんじゅう》申すまじきこと。  一、一味の各《おのおの》存寄《ぞんじより》申出《もうしいで》られ候とも、自己の意趣を含《ふくみ》申|妨《さまたげ》候儀これ有《ある》まじく候。誰にても理の当然に申合すべく候。兼て不快の底意これ有《あり》候とも、働の節互に助け合い急を見継ぎ、勝利の全《まったき》ところを専《もっぱら》に相働べきこと。  一、上野介殿十分に討取候とも、銘々《めいめい》一命|遁《のがる》べき覚悟これなき上は、一同に申合せ、散々《ちりぢり》に罷成《まかりなり》申まじく候。手負《ておい》の者これ有においては、互に引懸《ひっかけ》助け合い、その場へ集申べきこと。  右四箇条|相背《あいそむき》候わば、この一大事|成就《じょうじゅ》仕《つかまつら》ず候。然《しかれ》ばこの度退散の大臆病者と同前たるべく候こと。  この草案は吉田忠左衛門の手になった。忠左衛門のほかには、原総右衛門一人それに参与したと言われる。で、それを一同に読み聞かせた上、異議がなければ、ただちに神文《しんもん》へ血を注いでもらいたいと言いだされた。もちろん、誰一人として異議のあろうはずもなかった。そこで大石内蔵助良雄から同苗《どうみょう》主税良金、原総右衛門元辰、吉田忠左衛門|兼亮《かねすけ》というように、禄高《ろくだか》によって、順々に血判をすることになった。  小平太は小山田庄左衛門が姿を見せないと知った時から、ほとんど一語も口を利かなかった。が、起請文《きしょうもん》が自分の前へ廻された時には、顫《ふる》える手先を覚られまいと努めながら、それでも立派に毛利小平太元義と署名して、その下に小指の血を注いだ。そして、それを次の勝田新左衛門に渡した。  こうして大石内蔵助以下寺坂吉右衛門にいたるまで四十八人の血判がすんだ時、さらに当夜の人々心得《にんにんこころえ》が議に附《ふ》せられた。これも忠左衛門の手になったもので、当日定めの刻限が来たら、かねて申合せた三箇所へもの静かに集合すべきことという第一箇条を始めとして、敵の首《しるし》を揚げた時は、骸《かばね》は上衣に包んで泉岳寺に持参すること、子息の首《しるし》は持参におよばず打捨てること、なお味方の手負いは肩に引懸け連れて退くことが肝要だが、歩行|難渋《なんじゅう》の首尾になれば、是非《ぜひ》におよばす首を揚げて引取ること、そのほか合図の小笛、鉦《どら》、退口《のきぐち》のこと、引揚げ場所のこと、途中近所の屋敷から人数を繰《く》りだした場合の挨拶、上杉家から追手がかかった時の懸引、なおまた討入って勝負のつかぬうちに御検使が出張になった場合、それに応ずる口上にいたるまで、すべて十二箇条にわたって残る隈《くま》なく討入の手筈《てはず》を定めた上、最後に退口のことを念頭に置いては、かえって心臆するかもしれない、しかし退いても一定助からぬ吾らの身である、申すに及ばぬ儀なれど、めいめい必死の覚悟にて粉骨砕身《ふんこつさいしん》すべきことと結んであった。これには二三質問も出た。が、入念な忠左衛門の説明に、一同満足して、異議なくそれを承認した。  それから当夜の各自の扮装《いでたち》、討入の諸道具についても話しがあった。これはそれまでにめいめいその準備《したく》をしていることではあるが、持合せのないもの、または当夜に限って必要なもの、たとえば槍、薙刀《なぎなた》、弓矢の類を始めとして、斧《おの》、鎹《かすがい》、玄能《げんのう》、懸矢《かけや》、竹梯子《たけばしご》、細引《ほそびき》、龕灯提灯《がんどうぢょうちん》、鉦《どら》というようなものは、かねてその用意をして平間村に保管してあるから、明日、明後日両日の間に、それぞれ取寄せておいてもらいたい。ただしそんなことから事の破れになってはならぬというので、人目に立たぬように、それに関与する人数から役割まで定めて、それぞれ言いわたされた。  こういう風に相談が多端《たたん》に亙《わた》ったために、頼母子講《たのもしこう》は夜に入ってようやく散会となった。散会となるや、安兵衛と勘平とは庄左衛門のことが気になるので、宙を飛ぶようにして林町の宿へ駈け戻った。小平太もその後に随《つ》いて走った。が、そんな時分に、駈落者がそこらにうろうろしているはずもない。安兵衛は取散らした荷物の間に坐って、机の抽斗《ひきだし》を開けては、しきりに小首を傾げ始めた。 「何か見当りませぬか」 「ふむ、金子《きんす》が少々足りないようだ。それに、拙者の小袖《こそで》も見当らない」 「なに、金子?」と、勘平と小平太もあわてて駈け寄った。 「いや、御安心ください。大石殿からお預りして、おのおの方にお渡しするはずの金子は、別にしまっておいたからだいじょうぶでござる。ただ手前の小遣い銭が少々|紛失《ふんしつ》いたした」 「それはそれは」と、二人ともしばらく開いた口が塞《ふさ》がらなかった。 「それにしても」と、勘平はまた猛《たけ》りたった、「何という卑劣な所業《しょぎょう》でござりましょう。脱盟して吾々の顔を潰《つぶ》すさえあるに、他人の金品まで盗んで逐電《ちくでん》するとは!」 「いやなに」と、安兵衛はしずかに言った。「浪人すれば、永い間にはそんな気にもなりましょう。どうせ吾々を見限って一列を脱けた人だ、追及するにも当るまい」 「じゃと申して、吾々の面目にも――」 「だからまあ、金のことはあまり言わぬようにいたしたい。吾々にあってもあまり役に立たぬもの、これから先生き延びる人にはなくてならぬものだからな。はははは」 「そういえば、そんなものでもござろうか、あはははは」と、勘平もいっしょになって笑ってしまった。  小平太は最初庄左衛門が脱盟したと知った時、ほとんどその訳が分らなかった。ああいう一徹な父親を持っている上に、平生《ひごろ》からずいぶん口幅ったいことも言っていた男が、この期《ご》に及んで逐電する! 彼にはどうしてもありうべからざることのように思われた。が、その一面においては、どういうものか、先《せん》を越されたというような気もした。自分ではまだ遁亡《とんぼう》しようとも何とも思っていなかった。けれども、心のどこかで、やっぱりそういう気のしたことだけは争われない。そして、庄左衛門が満座の中で諸士から罵倒《ばとう》されるのを聞いていた時、まあまあ自分でなくってよかったというような安心を覚えた。しかるに、今宿へ戻って検《しら》べてみると、庄左衛門は他人の金品まで持ち逃げしている! これは下司《げす》下郎《げろう》の仕業《しわざ》で、士にあるまじきことだ。こうなると、小平太ももう自分のことのような気はしなかった。いくら勘平が罵倒しても、他人のこととして平気で聞き流すことができた。そのために、彼はかえって救われたような気もした。  明くる朝安兵衛は、とにかくこのことはいちおう頭領にも届けておく必要があるというので、早朝から出かけて行った。その後で小平太は、一人|火鉢《ひばち》に向って、ぼんやり考えこんでいた。隣の座敷では、勘平が何やらしきりに書状を認《したた》めている。この間にひとつおしおの許《ところ》へ行ってやろうか、あの女に逢うのももうこれがおしまいだなぞと考えているうちに、隣の間から勘平が片手に書状を持って出てきて、 「ちょっと出かけるから留守を頼むよ」と言った。  実際、中村、鈴田、小山田とだんだん同宿の者が減ってきては、飯焚《めしたき》の男を除けば、もう小平太のほかに留守をするものもなかった。小平太はまた先を越されたなと思いながら、「よろしい!」と言った。そして、「飛脚を頼みに行くのか」と訊《き》いてみた。 「うむ、あんまり臆病者がたくさん出るので、心外でたまらぬから、いちいち筆誅《ひっちゅう》を加えてやった」と、勘平は問わず語りに話した。(ついでながら、勘平のこの書状は、江戸における赤穂浪士の動静を知る貴重な材料として、今に伝わっている)「だが、戻路《もどり》にはちょっとよそへ廻るつもりだから、少し晩《おそ》くなるがいいか」 「ああ、ゆっくり行っておいで」  勘平はそのまま出て行った。が、それと入れ違いに、前に出た安兵衛が戻ってきて、 「小平太どの、ひとつ平間村まで御足労を願いたい」と言いだした。  聞けば、この宿が当夜の集合所の一つになっている。それについては、昨夜の相談では、当夜の諸道具はめいめいの宿へ持ちこむことになっていたが、やはり一部分はここへ集めておいた方がよかろうということに模様が変ったので、御足労だが、これからすぐに取りに行ってきてもらいたい。もっとも、大石殿の若党|室井《むろい》左六が仲間どもを連れて先へ行っているから、それらのものに持たせて、貴公はただ宰領してきてもらえばいいというのだ。小平太は領承《りょうしょう》してすぐに立ち上った。  平間村までは往復八里の道である。目黒から間道を脱けて行ったが、それでも帰路《かえり》は夜《よ》に入《い》った。小平太は亥《い》の刻前にようよう戻ってきて、自分で指図をして、それぞれ片づけるものは片づけさせてしまった。もちろん、安兵衛や勘平も手伝った。で、いよいよ寝《しん》につこうとした時、そばに寝ていた勘平が、 「おい、小山田の遁《に》げた原因《わけ》が分ったぞ」と、声を潜《ひそ》めてささやいた。 「ええ?」と、小平太は思わず振返った。「それはまたどうしたというのだ?」 「先達《せんだっ》てからあの男は」と、勘平は蒲団《ふとん》の上に起きなおったままつづけた。「よく湯島の伯母の許《ところ》へ行くといっては出かけたものだ。なに、それが伯母の家でも何でもない、天神下の湯女《ゆな》の宿だとは、俺もとうから見抜いていた。だが、なにも他人《ひと》の秘密を訐《あば》くでもなし、何人《だれ》にもありがちのことだと大目に見ておいたがね、今になってみると、それがこっちの手脱《てぬか》りだったよ。で、まだそこらにまごまごしていたら、引捕まえて糺明《きゅうめい》してやろうと、今日出たついでに、そちらへ廻ってみた。なに、天神下の湯女の宿は三軒しかないからすぐ分ったがね。だが、行ってみて驚いたよ。庄左衛門の相手の女というのも、昨夜から姿を見せないというので、向うでも大騒ぎをしているのだ。てっきり二人|諜《しめ》し合せて駈落《かけおち》をしたものに相違ないね。こうなると、どこまで下司にできているか方途《ほうず》が知れない。俺もよけいな暇潰《ひまつぶ》しをしたようなものの、そんな奴かと思ったら、やっと諦めがついたよ」 「そうか!」と言ったまま、小平太は何とも返辞ができなかった。ただもう自分が糺明を受けているような気がして、胸は早鐘《はやがね》を撞《つ》くように動悸《どうき》を打った。 「だが、女のために大儀を衍《あやま》る」と、勘平はまたごろりと横になりながら言った。「考えてみると、気の毒なものじゃね。こうしてだんだん籾《もみ》と糠《ぬか》とが撰《え》り分けられるんだよ」 「そうだ、籾と糠とが撰り分けられるのだ」と、小平太はようようそれだけ言った。  勘平は言うだけ言うと気が納まったか、そのまますやすやと寝入りかけた。が、小平太はそうは行かなかった。夜着の襟《えり》に手を懸けたまま、長い間蒲団の上に起きて坐っていた。そして、口の中では、絶えず「籾と糠、籾と糠!」と呟《つぶや》いていた。  最初彼は相手が自分に当てつけるために、わざと庄左衛門の女の話を持ちだしたのだと思った。が、考えてみると、そんなはずはない。もしおしおのことを感づいていたら、そんな遠廻しに持ちかけるようなことは言うまい。勘平はそんな男ではない! で、おしおのことはまだ何人《だれ》にも知られていない、それだけはたしかだ。が、それにしても、自分はもう二度とあの女に逢ってはならない。この間から四五日遠退いていたのを幸いに、このまま顔を見ないで行く! 不人情かはしらぬが、それよりほかに俺の取るべき道はない。あの女も後でそれを聞いたら、俺のことをさのみ悪くは思うまい。―― 「そうだ、俺はもう断じて逢わないぞ」  そう心に誓った時、彼はやっと安心して横になった。そして、眼を瞑《つぶ》ったまま、 「なに、俺はただ眼を瞑って吉良邸へ飛びこみさえすればいいのだ」と呟いた。「その後は生きるも死ぬるも向う次第だ。お上《かみ》でいいようにしてくださる!」  彼はいつになく晴れ晴れとした気持になった。それに昼間の労れもあって、そのままぐっすり寝こんでしまった。      十  明くる朝眼を覚した時は、またいつもの小平太になっていた。けれども、昨夜立てた誓いを守って、どこへも出まいと思った。そうだ、俺はどこへも出なければいい。そして、安兵衛と勘平の後に喰っついてさえいれば間違いはない、大義を衍《あやま》るような恐れは断じてない。そう思って、彼は一日じゅう宿に引籠っていた。そして、その日は何事もなく過ぎた。  ところが、四日の朝になって、思いも寄らぬ通知が頭領の手許から一般に達せられた。それは、来《きた》る六日には、将軍家がお側《そば》御用人松平右京太夫の邸へお成《な》りになる旨、不意に触れだされた。それによって、吉良家でも当日の茶会を御遠慮申しあげることになったについては、五日の夜と極めた一条も自然延期せずばなるまい。いずれ後からまた委《くわ》しいことは通達するが、それまではかまえて静穏にしているようにというのであった。  小平太は張り詰めた気が一時に弛《ゆる》んで、妙にがっかりしてしまった。彼には討入の日の延びたということがちっとも嬉しくなかった。なるほど、五日の夜は延びた。ぼうっ[#「ぼうっ」に傍点]として考えていると、何だか仇討というようなことは夢のように遠い空のかなたへ消えてしまって、そんな日は永久に遣ってこないような気もしないではない。しかもその日は厳然としてあるのだ。それだけはけっして動かない。いつかはまた弛んだ気を引締めて、いったんほぐした覚悟をもう一度しなおして懸らなければならない。それが彼には辛かった。そんなことはとても自分の力には及ばないような気もした。  彼はもうどうする気もなかった。で、一日二日は宿に引籠ったまま、うつらうつらとしていたが、そのうちにまたおしおのことが想いだされた。そうだ、この可厭《いや》な気持から免《まぬか》れるためには、やっぱりあの女に逢いに行くほかない。なに、庄左衛門は女のために大義を衍《あやま》ったかもしれないが、俺の怖ろしいものは別にある。それは自分の心だ! こうして一人でくつくつ考えていたら、しまいにはどんなことをしでかすか分らない。そうだ、そんなよけいなことを考えないためにも、俺はまずあの女に逢わなければならない。そう思った時、彼はもう矢《や》も楯《たて》もたまらなくなって、すぐに支度をして宿を飛びだした。  が、女の家に近づいた時には、それでもまた勘平に言われた言葉が気になった。といって、そのまま引返す気にもなれないので、うじうじしながら、とうとう女の家の軒端《のきば》をくぐってしまった。  女の方では、そんなこととは知らないから、久しく逢いに来てくれなかった恨みを言うことも忘れて、心《しん》から嬉しそうにしながら、 「久しく見えなんだのは、どこかお悪かったのか。そういえば、お顔の色もようない」と、心配そうに訊ねた。 「なに、そう気に懸けてくれるほどのことでもない」と、小平太は面倒臭そうに言った。彼にはもう当座の嘘を言うのが億劫《おっくう》になっていた。といって、真実《ほんとう》のことも言われなかった。 「だって、心配になりますわ」と、おしおもさすがに言い返した。「見えると言っても見えもせず、たまたま来れば、いやな顔ばかりしていらっしゃるんだものを」 「じゃ、来なければよかったね」と小平太は気短に言った。  すると、女はすぐに気を変えた。「わたしが悪うござんした。お気合いの悪いところへよけいなことばかりお訊ねして、もう何にも申しますまい」  こう言って、おしおは相手の気を逸《そ》らすように、ほかの事に話しを移した。「わたしもあなたの妻になる身で、あんな茶店に出ていたとあっては、後々どんな障《さわ》りになろうもしれない。幸い、さる人のお世話で、今度松坂町のさる御大家の仕立物を一手《ひとて》で縫わせていただくことになりました。まあ、これを見てくださいませ。今もこんなに来ているくらいだから、どうか、わたしのことは安心して――」 「なに松坂町?」と、小平太は思わず聞耳を立てた。「その御大家というのは、何という家だえ?」 「ええ、中島伊勢様とおっしゃる大奥お出入りの御鏡師ということでございますの」と言いながら、何と思ったか、おしおはきゅうに顔を赧《あか》らめた。「何でもそこの嫁御寮《よめごりょう》は、吉良様の御家老とやらから来ておいでじゃということでございますわ」 「ふむ、そうか」と、小平太は腕を拱《こまぬ》いで考えこんだ。そういうことがあるとすれば、いっそここでこの女に大望を打明けて、その手蔓《てづる》で何事かを聞きだすようにしようかとも思ってみた。が、この間兄に言ってしくじったことを思えば、迂濶《うかつ》に打明ける気にもなれなかった。それに、相手は女のこと、どんなことから事の破れになろうもしれない。まあまあと思い返して、「そうか、主家を滅ぼした敵《かたき》の片割れに縁のある家の仕事をして、身過ぎをするのも時代時節、まあ何事も辛抱だね」と言っておいた。  その日宿へ帰った時、小平太は勘平に向って、今日中島伊勢の宅へ出入りをするお物師とちょっと知合になったがと漏らしてみた。すると、相手は無性に喜んで、 「そいつはうまいことをした。中島伊勢に娘をくれた家老といえば、やっぱり小林平八郎のことに相違ない。ちょっとそんな話を耳に挾んだこともある。ぜひそいつはもっと立ち入って探索《たんさく》しろ」とすすめてくれた。  で、その明くる日からは、小平太も大びらで宿を出て、おしおを訪ねることができた。が、女の顔を見ると、別にそんなことも言いださなければ、女の方でも、その後中島伊勢のことはふっつり口にしなくなった。ただ小平太はこうして毎日女の顔を見に行った。  が、一方では、兄新左衛門のことも気にかかっていた。ああして一時をごまかしてきたもの、あれから一度も姿を見せないから、今ごろどんなに不安に思っているかしれない。もっとも、兄の気性としては、あれだけ言っておいたものを、自分に無断で、はやまって一党に迷惑を懸けるようなことはすまい。なれど、長い間には、自身の不安から、何をしでかさないとも限らない。五日の討入が延びた時には、いっそ安兵衛に事情を打明けて、兄の前だけでも同盟を脱退したように繕《つくろ》ってもらおうかとも考えてみた。が、高田郡兵衛のことを思うと、うっかりしたことを言いだして、どんな疑いを同志から受けまいものでもない。それを思えば、どうしてもそんなことは言いだされなかった。時には、打明けた方が疑いを除くゆえんだとも思わないではなかったが、やっぱり何物かがあって彼を引留めた。で、とつおいつ思案している間に、とうとう言いだす機会を失ってしまった。  ただ彼は自分の住所を兄に知られていた。そのうちには、向うから訪ねてくるかもしれない。訪ねてこられたら一大事だ。彼は戸口に聞える足音にも胆《きも》を冷すようになった。よそから戻ってきても、まず留守中に誰も訪ねてこなかったと知るまでは安心ができなかった。  そんな不安な日を送っているうちにも、日数は経って、師走《しわす》の十一日になった。この日同志の一人大高源吾はふたたび宗匠山田宗徧の許《ところ》から、来《きた》る十四日いよいよ上野介の自邸において納めの茶会が催《もよお》される、その後は年内に白金の上杉家の別墅《べっしょ》へ移られるはずだということまで聞きだしてきた。こうなればもう猶予《ゆうよ》はできない。それに十四日は先君《せんくん》の御命日でもあるから、その日を期して決行しようと、即座に一決して、頭領大石内蔵助からそれぞれ一党に通達《つうだつ》された。  小平太はまた黙りこんでしまった。何だか非常に遠い所にあるように思っていた黒雲が、きゅうに目の前へ覆《おお》い被《かぶ》さってきたのである。が、安兵衛も勘平も冷静にその通告を受けて、もうするだけの用意はしてしまった、いつでも来いと言わんばかりに落着きすましている。二人の前へ対しても、小平太は自分の落着きのないのが恥ずかしかった。どうかしてそれを覚られないように落着いていようと思うけれど、二人と顔を合せていると、何となく心の底まで見透されるような気がしてたまらない。それでも、その明くる日いっぱいは、じっと辛抱して宿に残っていた。が、夕方になると、もうたまらなくなって、兄の許へ母親に逢いに行くという口実《こうじつ》の下《もと》に、ぶらりと家を出てしまった。もちろん、兄の許へなぞ行く気はなかった。こうなればもう行く必要もなし、また事実行かれもしなかった。彼の行かれる所とては、天上天下、ただおしおの家だけであった。  彼は途を歩きながらも、「何のためにあの女に逢いに行く?」と考えてみずにはいられなかった。「俺はいったいあの女をどうしようと思っているのだ?」それには彼も自分ながら返辞ができなかった。 「可哀そうに」と、しばらくして彼はまた考えつづけた、「あの女も今に及んで俺がどんな心を抱いて、どんな苦しみを嘗《な》めているか、まるで知らないでいるのだ! こんな便りない男を手頼《たよ》りに生きてきて、その男さえこの世にいなくなったら、これから先どうして生きて行くだろう? 考えてみれば、まったく不仕合せの女には相違ない!」  ふと、「あの女を殺したら?」というような気が心のどこかでした。「そうだ、いっそのこと、あの女を手に懸けて殺したら、俺も本気で死ぬ決心がつくかもしれない」  が、そう思うと同時に、彼は自分でも自分の残忍な心に吃驚《びっくり》したように飛び上った。これまで自分の本心を明さないで、始終|欺《あざむ》き通しに欺いてきた上に、最後に自分が死の覚悟をする手段として、相手の女を手に懸けようとする? 俺の心は鬼か蛇《じゃ》か。まったく自分ながら愛憎《あいそ》の尽きた男だ!  彼は眼を瞑《つぶ》ってその心を払い退けようとした。いっそこのまま女の顔を見ないで引返してしまおうかとも思ってみた。が、そう思っただけで、足はやっぱり向いた方へ歩いて、だんだん女の家に近づいていた。  何《なんに》も知らないおしおは、例によって愛想よく男を迎えた。 「今夜は少しゆっくりしてもいいように、同宿の者へも頼んできた。晩《おそ》くなったら、ここで泊ってもいいのだ。これでひとつお酒を購《と》ってきてくれ」と、小平太は懐中《かいちゅう》から小粒を一つ出して渡した。 「まあ珍らしい、お酒を召しあがる?」と、おしおは可訝《けげん》そうに相手の顔を見返したが、「でも、ゆっくりしていいとおっしゃるのは嬉《うれ》しい。わたしもじつはこの間から聞いていただきたいと思っていることもある。では、すぐに行って参《さん》じましょ」と、いそいそとして出て行った。  ものの十分とは経《た》たないうちに、おしおは五合徳利に風呂敷に包んだ皿を提《さ》げて戻ってきた。そして、しばらく台所でこそこそ遣っていたが、間もなく膳の上に肴《さかな》と銚子とを揃えて持ちだした。小平太も火燵《こたつ》から這《は》いだして、膳に向ったが、さされるままに一つ二つと盃《さかずき》を重ねた。日ごろは三杯と飲まぬうちにもう真赧《まっか》になってしまうのだが、今夜はどうしたのやらいくら飲んでも酔いを発しない。薬でも呑むようにぐっと呑み乾しては、そのまままた猪口《ちょこ》を差出すので、 「まあ、そんなに召しあがってようござりますか」と、おしおは注ぎかけた銚子を控《ひか》えて、思わず窘《たしな》めるように言った。 「なに、かまわぬ、注いでくれ」と、小平太は持った盃《さかずき》を突きつけるようにした。 「まあ、泊って行ってもよいとおっしゃるなら、少しはお酔いになってもよかろ」と、おしおは思いなおしたように、またなみなみと注いだ。  小平太はその盃にちょっと唇をつけたまま、下に置いて、 「さっき言った、わしに話したいというのは、そりゃ何だ?」と、不意に言いだした。 「ええ」と、おしおはみるみる顔を赧《あか》らめながら、「そりゃまあ後でもいいことじゃわいな」と、その場をまぎらそうとした。 「そうか」と、小平太はまた盃を口へ持って行った。「言いたくなければ聞かんでもいい」  男の顔は蒼味《あおみ》を帯びて、調子は妙に縺《もつ》れかかっていた。 「いいえ、言いたくないことはない。どうしても聞いてもらわにゃならぬことだけれど……」 「じゃ、言ったらどうだ?」 「ええ、あのそれは」と、おしおは口籠《くちごも》りながらつづけた。「いつぞやから、今度逢ったら言おう言おうと思っていましたが、何だかまたよけいな御心配をかけるような気もして……じつは前の月からわたし見るものを見ませんの」 「え?」と、小平太はぎくりとしたように言った。「ではあの、お前が妊娠《にんしん》した?」  おしおは黙ってうなずいてみせた。 「そうか!」と、彼は太い息を吐《つ》いた。 「でも、まだよくは分りませんのよ」と、おしおは相手の顔色を見て、すぐに言いなおしにかかった。「ただわたしがそう思っただけ……そんなにお気に懸けるのなら、申しあげなければようござんしたのにねえ」 「なに、言ってくれた方がいいんだ」と、小平太は下を向いたまま言った。 「だって心配そうにしていらっしゃるんだものを」 「気に懸けんでもいい。子どもが生れるとなれば、俺もいっそう気が締るというものだ。とにかく、お前にこの上の苦労はさせんから、心配するな。それよりも一杯注いでくれ!」と、また盃を突き出した。  おしおはちょっと相手の顔を見返したまま、黙ってその盃を充《みた》した。 「心配せんでもいいぞ」と、小平太はまた繰返した。「日ごろ言ったわしの言葉に間違いはないからな。それに間違いさえなけりゃ、お前が気を揉《も》むことはあるまい」 「ええ、それはもうそうに違いございませんけれど……」 「それならもっと注いでくれ、わしは今夜久しぶりに酔ってみたいのだ」  こう言って、小平太はおしおに酌《しゃく》をさせては、ぐいぐいと飲み干した。そして、一本の銚子が空になると、また二本目までつけさせた。が、二本目を飲みきらないうちに、苦しくなって、そこに倒れてしまった。そして、横になったまま、苦しそうに胸を波打たせていた。おしおは気を揉んで、枕を当てがったり、頭を水で冷したり、いろいろ手を尽して介抱してくれた。それまでは覚えていたが、そのうちに少し胸先《むなさき》が楽になったと思ったら、いつの間にかうとうとと寝入ってしまった。  夜半《よなか》に咽喉《のど》が煎《い》りつくような気がして、小平太は眼を覚した。気がついてみると、自分はちゃんと蒲団の上に夜着を被《か》けて寝ていた。枕頭には古びた角行灯《かくあんどん》がとぼれて、その下の盆の上には、酔いざめの水のつもりであろう、土瓶《どびん》に湯呑まで添えておいてあった。彼はいきなり片手を伸ばして、それを引寄せようとしたが、ふと自分と床を並べて寝ているおしおの姿が眼にとまった。 「そうだ、俺はおしおの家に寝ているのだ!」  彼はぎょっとしたようにその手を引っこませた。それにしても、もう何時《なんどき》だろう? 晩《おそ》くなるとは言ってきたが、今夜自分が帰らないのを見たら、俺まで庄左衛門の二の舞いをしたものと極めて、横川がまたいつものように腹を立てていはせぬか。まあ、それは言い解《と》く術《すべ》もあろうし、明日の朝早く顔を見せさえすれば、それですむ。すまぬは宵《よい》におしおから聞いた話だ。もしあの話が真実《ほんとう》だとすれば、俺はどうしたらいいか。肚《はら》の子に惹《ひ》かれて、このままここに居坐りでもしたら、それこそ庄左衛門と選ぶところはない。俺も小山田といっしょにだけはなりたくない! 「いっそこの女を手に懸けたら!」と、途中で考えたことがふたたび彼の心に甦《よみがえ》ってきた。「そうだ、ここまで追詰められては、俺もこの女を道伴侶《みちづれ》にするほかに救われる道はない。不便《ふびん》ながらも、お前の命は貰ったぞ! 何事もお主《しゅう》のためと観念して、一足先に行ってくれい。それがお前にとっても一番いい道かもしれない、その肚《はら》に宿ったという不幸な子どものためにも!」  彼は頭だけ持上げて、そっと隣の寝床を見遣った。おしおは尋常に枕をしたまま、こちらを向いてすやすや寝入っている。その整った安らかな寝息が、いかにも男に信頼して、身も心も任せきっているように見えていじらしい。 「何も知らずに寝ているなあ!」  こう彼は呟いたまま、しばらく女の寝顔に見恍《みと》れていたが、何と思ったかきゅうに首を縮めて、またすっぽり夜着を引被《ひっかぶ》ってしまった。彼にはこの女を手に懸けるなぞということはできそうにもなかった。が、できなければどうしようというのだ? もう一日経てば、否でも応でも白刃《しらは》と白刃と打合う中へ飛びこまなければならぬ身ではないか。こんなことではならぬならぬと思いながら、思えば思うほど腕が萎《な》えるような気がして、どうにもならない。彼はただ暗がりの中にまじまじと眼を睜《みひら》いていた。  そのうちにどこかで一番鶏《いちばんどり》が鳴いた。 「もう夜が明けるのかしら?」  彼は夜着をはぐってもう一度顔を出した。が、宵《よい》まどいした鶏《とり》でもあったか、つづいて啼《な》く鳥の声も聞えなかった。 「そうだ、今のうちに決行しなければ、俺はいよいよ不義者になってしまうのだ!」  彼は一思いにがばと跳《は》ね起きて、いきなり壁ぎわに寄せておいた小刀を取るなり、すらりとその鞘《さや》を払った。そして、行灯《あんどん》の灯影《ほかげ》に曇りのないその刀身を透してみた。新刀ながら最近|研師《とぎし》の手にかけたものだけに、どぎどぎしたその切尖《きっさき》から今にも生血《なまち》が滴《したた》りそうな気がして、われにもなく持っている手がぶるぶると顫《ふる》えた。 「あなた、お目覚めになりましたか」と、不意に背後からおしおが声を懸けた。  小平太はぎくりとして、思わず振返った。そのはずみに、手に持った白刃がぎらりと闇に光った。それが眼に入ったのか、 「まあ、あなた!」と言ったまま、おしおはいきなり飛び起きてしまった。そして、 「あなた、どうなされました? 気でも狂ったのか、そんなものを手に持って!」と、やにわに男の腕に縋《すが》りついた。 「うむ、待て、危殆《あぶな》い! 待てと言ったら待て!」と、小平太は狼狽《うろた》えながら、その手を振り放そうとした。 「いえいえ放しませぬ、訳を話してくださらぬうちは、けっしてこの手を放すことではござりませぬ」と、女はいよいよ力を籠《こ》めて、一心に武者振《むしゃぶ》りついた。 「話す話す、訳を言うからその手を放してくれ」と、小平太はようよう女の手をほどいて、刀を鞘《さや》に納めた。 「さ、早う言ってくださいませ」と、女はその刀を取って自分の背後《うしろ》へ片づけてから、男の前に膝をすすめた。「わたしというものもある身で、短気な心を出さんしたその訳を、有様《ありよう》に言って聞かせてくださいませ」 「話すと言った上は、そう言わんでも、きっと話して聞かせる」と、小平太も蒲団の上に坐りなおした。「だが、どんなことを聞こうとも、かならず吃驚《びっくり》して騒ぐまいぞ」  おしおは黙ってうなずいてみせた。 「今まで隠しておいたは、なるほどわしが悪かった。とうに打明けようとも思ったが、それもならず、いわばわしは最初からそなたを瞞《だま》していたようなものじゃ。ま、せいてくれるな。よくしまいまで聞いてから、そなたの存分にしてくれたがいい、じつは去年三月のことがあって、一家中残らず浪人してちりぢりばらばらになったとはいうものの、相手の吉良家はあのとおり何のおかまいなし、このまま御主君の妄執《もうしゅう》も晴らさずにおいては、家中の者の一分《いちぶん》立《た》たずと、御城代大石内蔵助様始め、志ある方々が集まって、寄り寄り仇討の相談をなされた。その連名の中へ、わしも去年の暮から加わったのじゃ」  おしおは眼を睜《みは》ったまま、目《ま》じろぎもせず男の顔を見詰めていた。 「林町に家を借りて、堀部安兵衛どのそのほかの方々と同宿しているのも、じつを言えば仇家《きゅうか》の動静を窺《うかが》うためにほかならない。同志の方々はそれぞれ仲間小者、ないし小商人に身を落して、艱難《かんなん》辛苦《しんく》をされるのも皆お主《しゅう》のためだ。わしもその中に交って及ばずながら働いているうちに、天神の茶店でそなたに出逢ったのがわしの因果《いんが》、大事を抱えた身と知りながら、それを隠して、ついそなたと悪縁を結んでしまった。ああとんだことをしたと思った時は、もう晩《おそ》い。どうせ末《すえ》遂《と》げぬ縁と知りながら、これまで隠していたのは重々そなたに申訳ないが、これも前世の約束事と、どうか諦めてもらいたい」 「いえいえ、それをおっしゃってくださるにはおよびませぬ」と、おしおは顔に袂《たもと》を押当てたまま、おろおろ泣きだしてしまった。「そんな深いお心があるとも知らず、これまでいっしょになれの引取ってくれのと、女気の一筋に、おせがみ申したのが恥ずかしい。どうぞ、どうぞその後を聞かせてくださいませ」 「最初に嘘を言ったのがわしの因果《いんが》」と、小平太も顔を背向けながらつづけた。「その後は打明けるにも明けられず、悪いとは知りながら、だんだん悪縁を重ねているうちに、いよいよ吉良邸へ乗りこむ日が来てしまった」 「え、それはいつのことでござんすえ?」と、おしおは思わず顔を上げた。 「来る十四日、明くればもう明日の夜に迫っているのだ」 「それでは明日の晩吉良邸へ乗りこんだら、あなたはもうそれぎりお帰りにはなれませぬか」 「うむ、一党残らず死ぬ覚悟で乗りこむのだ。たといその場で討死せいでも、天下の御法《ごほう》に背《そむ》いて高家へ斬りこむ以上、しょせん生きては還《かえ》られぬ。だがな」と、小平太はきゅうに声を落してささやいた、「そなたの思わくも面目ないが、どうもわしは未練があって、この期《ご》に及んでまだ死ぬ決心がつかぬ。わしの死んだ後で、お前がどうして暮すだろう、どうしてその日を送るだろうと思うと、いくら考えなおしてみても、そなたを一人残してはどうも死にきれない。で、すまぬことじゃが、お主《しゅう》のためには代えられぬ、いっそお前を手に懸けて――」 「ええッ!」 「お前は思い違いをしたようじゃが、いっそお前を手に懸けておいて、その足でお供《とも》に立とうと、寝ているのを幸い、そっと刀に手を懸けたところをお前に眼を覚されたのじゃ」 「まあ!」と言ったまま、おしおは俯向《うつむ》いて考えこんでしまった。が、ややあって、思い入ったようにむっくり顔を上げた。「あなたのお心はよう分りました。だが、なぜそうならそうと訳を聞かせておいてから、手に懸けようとはしてくださらぬ。身分こそ卑《いや》しけれ、わたしも浅野家の禄《ろく》を喰《は》んだものの娘でござんす。父はあのとおりの病身な上に、そんな企てが皆様方のうちにあるとも知らず死んで行きました。私どもは女子のこと、そんな話を聞かしてくれる人もなければ、知りもせず、これまでは夢中で暮してきたようなものの、知らぬうちはともあれ、この上はあなたのお邪魔になってはすみませぬ。わたしは覚悟を極めました!」 「なに、覚悟を極めたとは?」と、小平太はうろたえ気味に聞き返した。 「はい、どうせあなたと別れては、誰一人たよるものもないわたしの身、後に残って、一人で生きて行こうとは思いませぬ。どうぞわたしを手に懸けておいて、潔《いさぎ》よう敵討《かたきうち》のお供をしてくださりませ」  こう言って、おしおは男の前へ身体を突きつけるようにした。 「さ、その刀で一思いに殺してくだされませ。それほどわたしの身を思うてくださるあなたのお手に懸って死ぬのは、わたしも本望でござんすわいな」 「ま、待て、待てと言ったら、少し待ってくれ!」と、小平太はすっかり周章《あわ》ててしまった。「そういちがいに言われても、わしにはお前を手に懸けることはできそうもないわい」 「え、何と言わしゃんす? そんならわたしゆえに未練が出るから殺しに来たとおっしゃったは、ありゃお前本気ではござりませぬかえ」 「いいや、本気じゃ、本気には相違ないが、殺せと言われて、現在かわいい女房、それも肚に子さえ宿ったというものを、そうやみやみと手に懸けられるものでない。ううむ、待て、わしは一人で行くと覚悟をした! お前はどうか後に残って、気の毒じゃが、その子を育てて行ってくれ」  子どものことを言われて、おしおは思わず帯のところへ手を遣って、じっと頸垂《うなだ》れたまま考えこんでしまった。 「それにわしの死んだ後で、たとい忠義の士よ、お主《しゅう》のために命を捨てた侍《さむらい》よと、世に持囃《もてはや》される身になっても、わしの身寄りの者が誰一人それを聞いていてくれるものがないかと思えば、何となくうら淋しい気もする。なに、わしの兄はあっても、あれはもうわしの身寄りではない。身寄りといっては、お前一人だ。そのお前が後に残って、忠義の侍よ、あれを見よと、わしが世間から囃されるのを聞いていてくれたら、同じ死ぬにも張合があるというもの。わしは思いなおした。どうかわしの言うことを聞いて、後に生き残ってくれ!」  おしおはやっぱり俯向いたまま、何とも言わなかった。小平太は気を揉《も》んで、 「な、わしの言うことは分ったろうな? 分ったら、どうか得心《とくしん》して、わしの言うことを諾《き》いてくれ、な、な!」と、女の背に手を懸けながら繰返した。 「そうあなたのお覚悟がつけば」と、おしおはようよう顔を上げた。「なるほど、わたしは後に残って、あなたの武名が上るのを蔭ながら見させていただきましょう。まだ海のものとも山のものとも分りませぬが、もしお肚の嬰児《やや》が無事に生れましたら、立派にあなたの跡目《あとめ》を立たせます。どうぞそれだけは安心して、後へ心を残さぬように、屑《いさぎ》ようお主の敵を討ってくださりませ」 「そうか、それでやっとわしも安心した」と、小平太は本当に安心したように言った。「なに、妻子を後に残して行くものは、わしばかりではない、同志の中にはいくらもある。わしだけが妻子に心を惹《ひ》かされたとあっては、同志の前へも面目ない。ただお前をこれまで内密《ないしょ》にしておいたのが気の毒じゃが、なに、それもわしは決心した。明日にもお頭《かしら》大石内蔵助様のお目にかかって、お前のことを包まず申しあげておくつもりだ。そうすれば、お前は天下晴れてわしの女房、誰に遠慮も気兼《きがね》もないというものだからね。ただどうもこれまで一同の前へ包んでおいたのがようないが、なに、こうなれば、そんなことに遠慮も要るまい。わしはそうすることに決心したよ」 「そうしてくだされば、わたしもどんなに嬉しいかしれませぬ」と、おしおも心《しん》から嬉しそうににっこりした。  こうして二人は夜の明けるまで互に尽きぬ思いを語り明した。そして、夜の白々明けを待って、「もう二度とは顔を見せないぞ」と言いおいたまま、小平太は思いきって、袂《たもと》を振りきるように、その長屋を出てしまった。      十一  小平太が林町の宿へ帰ってきた時は、まだ夜が明け放れたばかりであった。勘平は一人起きだして、雨戸を繰っていた。そして、小平太の顔を見ると、 「おお毛利か、帰ってきたな」と、いつものように声を懸けた。 「いや、昨夜は御心配をかけてすまなかった」 「なに、別段心配はせんがね、ただ時日が迫っているので、何かまた異変でも生じた時、君が居合せないために、後で臍《ほぞ》を噛むようなことがあってはならぬと、ただそれだけを案じたよ」 「ありがとう、母がまた癪《しゃく》を起してね、まあ、これが最後だと思って、宵終《よっぴて》ついていて看護してきたよ」 「で、別にたいしたことはないのか」 「いや、いつもの持病だ。気がかりなことはないさ」と言いながら、小平太は極《きま》りの悪そうに、こそこそ自分の居間へはいった。  同志から疑いの眼で見られるのも辛いが、それよりも、この期《ご》に及んでなおその前を繕《つくろ》うために、同志を欺《あざむ》かねばならぬということが、小平太にはいかにも心苦しかった。そうだ、これはどうしても頭領に届けでるほかはない。一刻も早く届け出でて、その御裁可《ごさいか》を得ておく。もっとも、こんなことまで太夫《たゆう》の耳に入れるのは、いかがとも思われないではないが、たとい女には関係しても、小山田などと一つでない証拠を見せるためには、思いきって何もかも白状してしまうほかない。そうすれば、俺もいよいよ後へは退かれなくなる道理だ! ただこんなことを太夫に申入れるには、誰か人をもってするのが本当かもしれないが、差当ってそれを打明けるのに恰好《かっこう》な相手も同志の中には見当らない。なに、かまうものか、場合が場合だ、面《つら》押拭《おしぬぐ》って自分で申しあげることにしよう。そう決心するとともに、彼はその日の昼過ぎから、ちょっと石町《こくちょう》まで伺候《しこう》してくると同宿の二人に断って、ぶらりと表へ出た。  急ぎ足に小山屋の隠宅まで来てみると、頭領大石は今国元へ送る書面を認《したた》めていられるというので、すぐには面会ができなかった。同じ宿に泊っている潮田《うしおだ》又之丞、近松勘六、菅谷《すがのや》半之丞、早水《はやみ》藤左衛門なぞという連中は、一室置いた次の間に集まって、上《かみ》の間に気を兼ねながらも、何やらおもしろそうに談話《はなし》をしていた。時にはわれを忘れて大きな声も出した。小平太はその中に加わったようなものの、ほかの連中は皆百五十石、二百石取りの上士《じょうし》ばかりで、三村次郎左衛門を除いては、元の身分が違うから、何となく話しもそぐわないような気がして、黙って隅の方に控《ひか》えていた。同志は「もっとこちらへ出られよ」と勧めてくれたが、遠慮してそばへ寄らなかった。次郎左衛門はもともと士分とも言われぬ小身ものだけに、自分もそのつもりで、始終起ったり坐ったりしながら、忠実《まめ》に一同の用を達していた。  内蔵助の書いている書面というのは、赤穂の元浅野家|菩提所《ぼだいしょ》華岳寺の住職|恵光《えこう》、同新浜正福寺の住職良雪、自家の菩提所|周世《すせ》村の神護寺住職三人に宛《あ》てたもので、自分が江戸へ下ってからの一党の情況を報じて、いよいよ一挙の日も迫ったことを告げた上、 「このたび申合せ候《そうろう》者《もの》ども四十八人にて、斯様《かよう》に志を合せ申す儀も、冷光院殿この上の御外聞と存ずることに候。死後御見分のため遺しおき候口上書一通写し進じ候。いずれも忠信の者どもに候《そうろう》間《あいだ》、御回向《ごえこう》をも成《なされ》下《くださる》べく候。その場に生残り候者ども、さだめて引出され御尋ね御仕置にも仰附《おおせつ》けらるべく、もちろんその段|人々《にんにん》覚悟の事に候。御心易かるべく候云々」と書いてあった。死後御検分のため遺しおく口上書とは、二日に深川八幡前で認めた仇討《あだうち》の宣言書と起請文《きしょうもん》のことで、その中には毛利小平太の名も歴然として記載されてあるこというまでもない。なお内蔵助はそれについで、己《おの》が妻子のことにも言い及んで、 「はたまた拙者妻こと、京より離別|仕《つかまつ》り縁者方へ返し申候。伜、娘儀いかように罷成《まかりな》り候ともそれまでの事に候」といい、さらに平常《ひごろ》方外の友として、その啓沃《けいよく》を受けた良雪に対しては、 「良雪様、去年以来の御物語、失念|仕《つかまつ》らず、日々存じ出し、このたび当然の覚悟に罷成りかたじけなき次第に御座候。日ごろ御心易く御意を得《え》候《そうろう》各々様ゆえ、別して御残多く、御暇乞かたがたかくのごとく御座候、恐惶謹言」と結んでいる。で、それを書いてしまうと、若党室井左六、加瀬村幸七の両人をそばへ喚《よ》んだ。かねてその旨|吩咐《いいつ》けられていたので、両人とも旅支度をして脚絆《きゃはん》まで穿《は》いていたこととて、その書状を受取るなり、一同に暇乞《いとまご》いして、涙を拭き拭き出て行った。  で、この隙間《ひま》に太夫に会ってと、小平太は腰まで上げたが、吉田忠左衛門が来て、何やら太夫と打合せをしていると聞いて、またその腰を卸《おろ》してしまった。そして、ふたたび黙って諸士の話しに耳を傾けた。 「今ごろから出かけて、あの二人は日のあるうちにどこまで延しますかな」と、一人が言った。 「さ、脚の早い者とて、六郷までは参りましょうか。今夜は川崎泊りですよ」 「日の短いごろですからな」と、また一人がそれに応えた。「それにしても、あの主思いな二人の忠節といい、それを出してやられる太夫のお心のうち、昔の鬼王、童三《どうざ》が古事《ふるごと》も想いだされて、拙者は思わず貰い泣きをしました」 「さようさよう。同じ大石殿の家来の中《ちゅう》にも、瀬尾孫左衛門のような人非人《にんぴにん》もあれば、またあんな忠義なものもある。まさかの場合になって、始めて人の心は分るものでござるな」  こんな話しを聞いていると、小平太には、せっかく太夫に聞いてもらおうとした自分の用事が取るに足りないばかりでなく、何だが滑稽《こっけい》のようにも思われてきた。自分としては一生懸命だが、人が聞けば、何と思って今ごろそんなことを言いだすかと、頭から一笑に附《ふ》せられるかもしれない。そう思うと、彼は自分が何のために遣ってきて、何のためにこうして待っているのか分らなくなった。それに、忠左衛門の用談はよほど大切なことと見えて、いつまで待っても果てそうにない。彼はだんだん尻をもじもじし始めた。 「時に太夫は京師《けいし》を出発される前に妻子を離別してこられたと承《うけたま》わるが」と、一人がまた言いだした。「後々《のちのち》のことを思えば、それも分別あるしかたと申すもの、近松どの、貴殿はいかがなされた?」 「妻子のことはとん[#「とん」に傍点]と忘れてい申した」と、勘六はむっつり口を開いた。「なに、なるようになる分のこと、そこまでは考えていられませぬわい」 「拙者は離縁状だけは渡してまいりました。しかし相続人とてはなし、渡さぬからとて、女子どもにはお咎《とが》めもござりますまい」 「拙者も御同様」 「拙者も……」  が、こんな話しになると、さすが死を決した面々もだんだん悒鬱《ゆううつ》になって、しまいには皆黙ってしまった。聞いている小平太には、いよいよ自分の用事が滑稽《こっけい》に見えてきた。 「他人は皆、ある妻子まで離別して、出かけてきている。それだのに、自分は今生死の境に立って、新《あらた》に妻を迎えたと、それも内密《ないしょ》で、拵《こしら》えたと、そんなことがどうしてお頭の耳に入れられよう? ばかな!」  そう思うとともに、きゅうに身繕《みづくろ》いして、 「誠に長座をして失礼いたしました」と、諸士に一礼して立ち上った。 「おお小平太どの、お帰りか。何か太夫に火急な用事でもあったのではござらぬか。お急ぎなら、吾々からお取次ぎいたそうか」と、口々に言ってくれた。が、そんな明らさまに、他人に言われるような用事ではない。 「いや、ありがとうはござりますが、さしたることでもござりませぬ。おりもあらば、また重ねて参上しまして」と言い捨てたまま、そこそこにその隠宅を出てしまった。  彼は真直に林町の宿へ戻ってきた。そして、一間《ひとま》に閉じ籠ったまま、誰とも顔を合せないようにしていた。彼としては、何よりもおしおにした約束を果さなかったことが気に懸った。こうなれば、あの女はもう自分の死後も自分の妻と名告《なの》ることはできない。妻も子も永遠に日蔭の身である。もっとも、同志の士は皆妻子を離別してきたというが、それとこれとは話が違う。あの女は一生|己《おの》れを扶助《ふじょ》してくれるはずの良人を失った上に、しかもその良人を誰と名指すこともできない。そして、その名指されぬ良人の子を繊弱《かよわ》い女手一つで育てて行かなければならない――これから先永い永い一生の間! あの女としては、そんな思いをして生きて行くよりも、自分の妻として、公然お上のお咎《とが》めに逢いたかったかもしれない。お咎めに逢って、もしお仕置《しおき》になるものならなって死にたかったかもしれない。それを知りながら、せっかく石町《こくちょう》まで出かけて行って、何にも言わずに還ってきた自分はいったいどうしたというのだろう? 「どうかしたら」と、彼はまた一人で考えつづけた、「俺は太夫にそんな内情まで打明けるが恐ろしかったのではないか。そんな内情まで打明ければ、俺は義理にも太夫に背《そむ》くことができなくなる。もちろん、俺は太夫を裏切るような気はない。気はないが、なおそこに一分の余裕を存《そん》しておくために、わざと太夫に逢わずに帰ってきたのではあるまいか。考えてみれば、兄新左衛門のいきさつを同宿の安兵衛に打明けようとして、とうとう打明けずにしまったのもそれだ。打明けずにさえおけば、いつでも兄とした約束を真実《ほんとう》にすることができるというゆとり[#「ゆとり」に傍点]がある。不埓《ふらち》でも、狡猾《ずる》いのでもない、俺はただそのゆとり[#「ゆとり」に傍点]が欲しかったのだ。今日でももし太夫に会って、いつぞやのような優しい言葉でも懸けられようものなら、俺はすぐにもこの人のために死にたくなる。それが怖ろしかったのだ!」  彼はもうそんな風にして自分の心を見詰めるに堪えられなかった。で、夜はまだ早いが、蒲団を敷いて一人でごろりと横になった。が、どうしても瞼眼《まぶた》が合わないで、とうとうまんじりともせずに一夜を明した。      十二  いよいよ十二月十四日、吉良邸討入の当日とはなった。その日は朝から霏々《ひひ》として雪が降っていた。月こそ変れ、先君内匠頭の命日である上に、今生《こんじょう》の名残りというので、大石内蔵助を始め十余名の同志は、かねての牒合《しめしあわ》せに従って、その日早く高輪泉岳寺にある先君の墓碣《ぼけつ》に参拝した。堀部安兵衛も同宿の毛利小平太、横川勘平を代表して、その席に列《つら》なった。で、ひととおり読経と焼香《しょうこう》がすんだ後、白銀三枚を包んで寺僧に致《いた》して、一同別席でお斎《とき》についた。それから暫時《ざんじ》人払いをした上、その席上で内蔵助から最後の打合せがあった。そして、後刻を約して散会になった。  安兵衛は八つ前に宿へ戻ってきた。すぐに小平太と勘平の二人を前へ喚《よ》んで、今日の次第を物語った上、「討入の手配はかねて覚書によってめいめいに伝えられたとおりでござる。一同は今夜|丑《うし》の上刻までに、この宿と、本所三つ目杉野十兵次どのの借宅と、前原神崎両人の店と、この三箇所へ集合することになっている。なおわれら三人のうち、横川氏は大石殿の手に属して表門へかかり、拙者と小平太どのとは主税どのの手に属して裏門へ廻ることになったから、その心得でいてもらいたい。で、それまでは格別用事もござらぬによって、用の残っている方は用達しに出られるのも御勝手だが、当家は一党の集合所になっていることでもあり、かたがた晩《おそ》くとも子《ね》の刻までにはここへ戻ってきているようにしてもらいたい。拙者はこれからこの旨を伝えるために、両国米沢町の養父の宅まで参るが、約束の刻限までにはかならず戻ってくるから」と言いおいたままふたたび出て行った。  その後で、勘平と小平太とはしばらく顔を突合せていた。小平太には、何よりもこうして同志の者と向い合って、落着かぬのに落着いた顔をしているのが辛かった。時刻は一分刻《いちぶきざ》みに刻々と移って行く。いっそ早く定めの刻限が来てくれたらとも思ってみた。そうしたら、この苦しみから免《のが》れられるかもしれない。その刻限が来るのは恐ろしい。しかしそれを待っているのはいっそう怖ろしい! そんなことを考えているうちに、勘平は何と思ったのか、小平太に向って、 「おい、今日はどうして出かけないのだ?」と言いだした。「俺はこちらに縁辺もなし、訪ねてやる知人《しりびと》とてもない。ま、留守は俺がしているから、今夜が最後だ、何方《いずかた》へなりとも行ってこられい」  小平太はその言葉に救われたような気がした。で、考える間もなく、 「そうか。では、気の毒じゃが、何分《なにぶん》頼むよ」と言ったまま、そわそわと宿を出てしまった。  が、出るには出ても、小平太には別段どこへ行く宛もなかった。おしおとはもう昨日の朝「二度とは会わんぞ!」と言いおいて別れてきた。それに、あの女と交した約束も果さないで、今さら逢いに行かれるものでない。そうはいうものの、いつもの癖か、足はおのずと柳島の方角へ向いていた。が、気がつくと、弾《はじ》かれるように方向を転じて、わざと向島の土手へ出た。それから渡船《とせん》を待ち合せて、待乳山《まつちやま》の下へ渡った時は、もう日もとっぷりと暮れていた。彼は先を争って上る合客の後から、のっそり船着場を上って行きながら、何のためにこうして雪の降る中を宛もなしに歩いているのか、自分でもよく分らなかった。 「そうだ」と、彼は河岸《かし》の上に立って、真黒な水の面《おもて》を見返りながら考えた。「俺はまだ死ぬ覚悟がついていないのだ! ついていなければこそ、こうして亡者のようにふらふら歩き廻っているのだ。だが、死ぬ覚悟をするために、俺はどれだけ苦しんできたろう? なるほど、俺は命が惜しい! 生れついての卑怯者かもしれない。だが、命が惜しいからといって、俺はまだ一度も命を助かろうとしてもがいた覚えはない。ただどうしたら命が捨てられるか、安んじて死んで行かれるかと、ただそればかりを今日まで力《つと》めてきた。それがためには、俺はかわいい女房をも殺そうとした。兄に大事を打明けたのも、じつはそのためだ。それでいながら、俺にはまだ死ぬ覚悟がつかない――この期《ご》に及んで、この土壇場《どたんば》に莅《のぞ》んで! 俺はいったいどうしたらいいのだ?」  どうしたらいいかは、彼にももちろん分ろうはずがなかった。彼はまたふらふらと歩きだした。 「ほかの連中は皆命を軽石ほどにも思っていないらしい。俺はどうしたらこの未練らしい執着《しゅうじゃく》の根を絶って、ああいう風になれるのだ?」  そう思いながら、彼はさすがに人通りの罕《ま》れな日本堤の上を歩いていた。後から「ほい、ほいッ!」と威勢のいい懸声をしながら、桐油《とうゆ》をかけた四つ手籠が一丁そばを摺《す》り抜けて行く。吉原の情婦《おんな》にでも逢いに行く嫖客《きゃく》を乗せて行くものらしい。が、彼はそんなことにも気がつかなかった。賑《にぎ》やかな廓《くるわ》の灯《ひ》を横目に見ながら、そのまま暗い土手の上を歩きつづけた。そして、だんだん歩いているうちに、とうとう坂本から上野の山下へ出てしまった。  山下へ出た時は、手も足も寒さに凍《こご》えて千断《ちぎ》れそうな気がしたので、とある居酒屋が見つかったのを幸い、そっと暖簾《のれん》をくぐった。あり合せの鍋物を誂《あつら》えて、手酌《てじゃく》でちびりちびり飲みだしたが、いつもの小量にも似ず、いくら飲んでも思うように酔わなかった。それでも彼は、自分で自分を忘れようとでもしているように、後から後からと銚子《ちょうし》を重ねた。  一刻《いっとき》ばかりして、彼がその居酒屋を出た時は、もう子《ね》の刻に近かった。が、彼はすぐに両国の方へ引返そうとはしないで、何と思ったか、元来た坂本の道を真直に千住の大橋に向って歩きだした。その時はもう雪も止んで、十四日の月が皎々《こうこう》として中天《ちゅうてん》に懸っていた。通りの町家は皆|寝鎮《ねしず》まっていた。前を見ても後を見ても、人通りはない。自分では酔わぬつもりでも、脚はかなりふらふらしていた。彼はその千鳥足《ちどりあし》を踏み締めながら、狂人《きちがい》のように、どんどん雪を蹴《け》って駈《か》けだした。  大橋の上まで来た時、小平太ははっとしたように吾に返った。 「いったい、俺はどこまで行く気だろう? それよりも、今はもう何剋《なんどき》だろう?」  彼は橋の上に立ち停ったまま、頭の上の北斗星を見遣《みや》った。 「そうだ、丑《うし》の上刻! それまでに宿へ帰らなければ、もう間に合わない!」  彼は背後《うしろ》から鉞《まさかり》で殴打《どや》されたように躍《おど》り上った。 「もう何剋だか知らないが、千住の大橋から両国までは一里あまり、丑の刻までには行き着かれそうにもない。俺はとうとう時刻を逸した。俺は同盟から外《はず》れてしまった。俺は人外《じんがい》に堕《お》ちた、蛆虫《うじむし》同様になってしまった。もう明日から人にも顔は合わされない。同志は今ごろ俺を何と言ってるだろう、何と言って罵《ののし》っているだろう? 安兵衛は? 勘平は?」  彼はよろよろと橋の欄干《てすり》に凭《もた》れかかって、両手に頭髪《かみ》の毛を引掴《ひっつか》んだまま、「そうだ、俺は時刻に後れると知りながら、わざと後れるようにしかけたのだ、わざとこんな所へ来てしまったのだ。何という俺は卑怯者だ、臆病者だ! 生れついての臆病が最後にとうとう俺に打克《うちか》ったのだ!」と呟《つぶや》いた。そして、そう呟きながら、だんだん雪の中に顔を埋《うず》めてしまった。  が、しばらくして、彼はまたむっくり顔を上げた。月は依然《いぜん》として照っていた。が、その月も彼の眼には入らなかった。 「だが、俺はそんなに臆病者かしら?」と、彼はぼんやりあたりを見廻しながら呟いた。「俺はとにかく万死を冒《おか》して吉良邸へ入りこんだこともある。そして、当夜の一番槍にも優る功名ぞと、仲間の者から称美されるほどの手柄も立てた。しいて言えば、今夜の討入も俺の探索のおかげで極ったとも言われないことはない。それほどの手柄を立てた俺が、こんなことになってしまった。一生世間へ顔出しもできない卑怯者になってしまった。なぜだ? なぜだか俺にも分らない! 「いや、分らないことはない」と、彼は自分で自分に反抗するようにつづけた。「俺にはちゃんと分っている。なるほど、吉良邸に入《い》りこむということは、九死に一生の危険を冒したものかもしれない。が、九死に一生でも、一生は一生だ。十が十の死ではない。そこに一つだけは、とにかく、生きられるかもしれないという宛がある。俺はその一つを宛にして吉良邸に入りこんだのだ。あの場合、俺はけっして本当に死ぬ覚悟なぞしてはいなかったのだ。けれども、今夜吉良邸へ斬《き》りこんだら、それこそ本当に十が十の死だ! 公儀の手に召捕《めしと》られて、お仕置場《しおきば》へ引きだされたら、どんなことがあっても免《のが》れようはない。牛や馬のように、首玉へ縄《なわ》を結《いわ》えつけておいて、むざむざと屠《ほふ》られるのだ。それはあまりに怖ろしい、あまりに人間性を蔑《ないがし》ろにしたものだ。そんな怖ろしい犠牲《ぎせい》を主君は家来に向って要求することのできるものだろうか。家来に扶持《ふち》を与えておけば、その家来からそんな人間性を奪うような犠牲を要求してもいいのか。なに、殿の御馬前に討死せよというのなら、俺は立派に死んでみせる。けれども、けれども、今夜吉良邸へ討入ることだけは、俺にはできない、俺にはどうしてもできない! 「なに、ほかの連中は皆忠義の士と言われたさに、名という餌《えさ》に釣られて、眼を瞑《つぶ》って死の関門へ飛びこもうとしているのだ。眼を瞑って死の関門へ飛びこむことは易い。難かしいのは、それよりも死の関門に到るまでの道程だ。死の関門を正視しながら、眼を開いてその中へ飛びこむだけの用意をすることだ。俺はこれまでそのためにあらゆる苦しみを嘗《な》めてきた。死に到る道程の全部を歩いてきた。全部を経験してきた。それは同志の中の何人《なんびと》も知らないような焦熱地獄《しょうねつじごく》の苦しみであった。おお、俺はそれだけでも許さるべきではないか。他人は何とも言わば言え、俺は俺自身に対して言訳が立つのではあるまいか」  こう考えてきた時、彼にはそれが動かすべからざる真理のような気がして、やや落着いてきた。で、雪の積った街路の上をじっと見詰めていたが、何と思ったか、またふらふらと立って歩きだした。 「考えてみれば」と、彼はまた歩きながら呟《つぶや》いた。「横川も言ったように、頭領大石が討入の日をこんなに延び延びにされたのもよくない。俺が死の苦しみを日々に嘗《な》めてきたのも、そのためだ。最後にこんなことになってしまったのも、そのためだと言わば言われないこともない! もし仇討《あだうち》がこの春決行されたら、百二十余名の同志があったはずだ。七十名に余る落伍者《らくごしゃ》の中には、俺と同じように苦しんだものもあったに相違ない。それをいちがいに不忠喚《ふちゅうよば》わりするのは当を得ない」  彼は在来の落伍者のためにも弁ぜずにはいられなかった。が、その下から、在来の落伍者と自分とを同じように見るということが、何となく彼の反感を唆《そそ》った。 「だが」と、彼はまたすぐに考えなおさずにはいられなかった、「仇討の連盟が百二十余名に達した時、ただちにそれを決行したら、なるほど百二十余名の者が一列に死についたかもしれない。百二十余名は立派だが、その中にはまだ本当に死の覚悟のできていないものもあったに相違ない。そういう生半可《なまはんか》のものを引連れて、吉良邸へ乗りこむということは仇討の美名の下《もと》に、一種の悪事を行うようなものではないか。死にたくないものを死なせる――というよりも、仇討に値いしないものを引率して仇討をするということが、悪事でなくて何であろう! よし吉良邸へ乗りこむことはできても、それでは御主君冷光院殿の前へは出られまい。そんな者の来ることを御主君は喜ばれないに相違ない。頭領はそこを考えていられた。いや、大石殿がそこまで意識していられたかどうかは分らないが、故意《こい》にしても偶然にしても、とにかく仇討を延び延びにすることによって、そういう生半可なものをすぐり落された、籾《もみ》と糠《ぬか》とを選《え》り分けられた。つまり俺もその試練に堪えないで篩《ふる》い落されてしまったのだ。俺は糠であった、これまでの落伍者と同じように糠にすぎなかったのだ!」  彼は押潰《おしつぶ》されたように、へたへたと雪の中に倒れてしまった。 「そうだ、俺は糠だ、糠にすぎない! 今夜討入った同志が真実《ほんとう》の籾であったのだ。あの連中だとて、俺のような苦しみを嘗《な》めなかったとは、どうして言われよう? 彼らはよくその試練に堪えて、自分が籾であることを立証したばかりだ。俺は生れながらに実《みの》らない糠であった。そして、永遠に救われない地獄《じごく》の鬼となってしまった」  彼は自分で自分の頭を打って、雪の中を転げ廻った。そして、「糠だ、糠だ!」と叫びながら、身体が痙攣《ひきつ》るようにのた[#「のた」に傍点]打ち廻った。 「そうだ」と、そのうちにふと頭を擡《もた》げた。「そうだ、まだ晩《おそ》くはない。これからすぐに駈けつけよう! 吉良邸へ駈けつけて、まだ一党が引上げないうちであったら、同士に詫びて、せめて公儀へ召しあげられる囚人《めしゅうど》の中へでも入れてもらおう!」  そう決心するとともに、彼は立ち上ってよろよろと駈けだした。が、一丁ばかり駈けだした時、またよろよろと雪の中に倒れてしまった。そして、もう二度とは立ち上らなかった。      十三  明くる日は雪晴れのうらうらした日和《ひより》であった。その日一日じゅう、小平太はどこをどう歩いていたのか、人も知らず、おそらく自分でも分らなかったに相違ない。とにかく、江戸の市中を、喰うものも喰わず、喪家《そうか》の狗《いぬ》のように、雪溶けの泥濘《でいねい》を蹴たててうろつき廻っていた。そして、その暮方に、憔悴《しょうすい》しきった顔をして、ぼんやり両国の橋の袂《たもと》へ出てきた。  見ると、橋の袂の広場に人簇《ひとだか》りがしている。怪しげな瓦版《かわらばん》売りが真中に立って、何やら大声に呶鳴《どな》っているのだ。―― 「さあさあ、これは開闢《かいびゃく》以来の大仇討、昨夜本所松坂町吉良上野介様の邸《やしき》へ討入った浅野浪士の一党四十七人、主《しゅう》の仇《あだ》の首級《しるし》を揚げて、今朝《こんちょう》高輪の泉岳寺へ引上げたばかり、大評判の大仇討! 忠義の侍四十七人の名前から年齢《とし》まで、すっかり分って、ただの三文! ええ、大評判の大仇討、もうこれだけしかない、売れきれぬうちにお早く、お早く!」 「吉良……浅野浪士!……」という声が耳に入った時、小平太は思わず足を留めた。そして、群集の頭越しに、喚売《よびうり》の男の顔をじっと穴の開くほど見詰めていたが、何と思ったか人込みを分けて、つかつかと前へ進み出で、 「おい呼売、一枚くれ!」と喚《よ》んだ。 「へえありがとうさま、一枚! もう後は五六枚しかありませんよ」  彼は手に掴《つか》んだ小銭を渡して、それを受取るなり、群集の眼を恐れるように、こそこそと薄暗い横丁へはいって行った。ひろげてみると、なるほど大石内蔵助をはじめ寺坂吉右衛門に到るまで――中にはもちろん間違ったのもあるが――同志の名をずらりと並べて、この方々は、去年三月殿中において高家の筆頭吉良上野介に斫《き》りつけ、即日切腹、お家断絶となった主君浅野内匠頭の泉下の妄執《もうしゅう》を晴さんために、昨夜吉良邸に乗こんで、主君の仇上野介の首級《しるし》を揚げ、今朝泉岳寺へ引取って、公儀の大命を待っている。お上ではただ今老中方御評議の真最中だと、事の概略《あらまし》が載《の》せてある。 「さては首尾よく仇を討たれたか……そして、予定のごとく泉岳寺へ……」  彼はその華々《はなばな》しい進退行蔵《しんたいこうぞう》を目の当り見るような気がした。堀部安兵衛|武庸《たけつね》の名も出ている、横川勘平宗房の名も出ている。が、毛利小平太の名は? もちろん、そこに出ていようはずはない。彼は義士たちの明るい功名を想いやるにつけて、いよいよ自分の眼の前が暗くなるような気がした。 「どうしよう、俺はどうしよう?」  こう呟きながら、彼は手を負った獣のように走りだした。が、どこへ行く宛もない。両国の橋を渡れば、もうじきそこが松坂町の吉良邸である。彼はそこへ近づくことを一番恐れているくせに、やっぱりここへ来てしまった。が、今ごろそこへ行って何になろう? 「ああ、俺はもうどこへも行く所がない!」  もちろん、彼にはまだおしおの家があった。が、こうなった上は、もうおしおにも逢われる身ではない。今ごろ顔を見せたら、あの女がどんなに落胆《がっかり》して、どんなに泣くことであろう! 事によったら、自分を軽蔑するあまり、物をも言わずに突き出してしまうかもしれない。  で、女にも逢われないとすれば、小平太はいったいどこへ行くのだ? 逢われない逢われないと思いながら、彼の足はやっぱり柳島の方角へ向っていた。あれだけ近寄るのを恐れていた両国の橋を渡ったのも、考えてみれば、やっぱりおしおに逢いたさの一念からであった。  彼はいつの間にか妙見堂の裏手まで来ていた。雪明りに透《すか》しておしおの家が眼にとまった時、彼はぎくりとしたように足を駐《と》めた。そして、ためらうように窓の明りを眺《なが》めていたが、きゅうに足を旋《めぐ》らして二歩三歩帰りかけた。が、すぐにまた踏みとどまって、 「そうだ、これを最後に逢いに来たのだ。せめてよそながらでも顔を見て行こう」と呟《つぶや》いた、そして、考えなおしたように、また女の家に近づいて行った。が、すぐに戸口をはいろうとはしないで、積った雪を踏んで裏手の方へ廻ってみた。おしおの家の裏手には長屋じゅうで使うようになっている釣瓶井戸《つるべいど》があった。小平太はそのそばに立って、月影を避けるようにしながら、じっと家の中に耳をすました。が、家の中はしんとして物音一つしない。そのうちに、窓の障子《しょうじ》に女の影が射して、それが消えたかと思うと、「ちーん!」と鈴《りん》の音が聞えてきた。 「そうだ、今日はおしおの母の三七日《みなぬか》だ! 仏壇にお灯《ひ》でもあげているのだな」  が、おしおは下に坐ったまま、なかなか立ち上らない。小平太は窓のそばへ寄って覗《のぞ》いてみようかとも思ったが、長屋の者が水汲《みずく》みにでも出て、見つけられたらというような気がして、じっと我慢して立っていた。が、たまらなくなって、一歩ずつだんだん裏の戸口に近づいた。そして、そっと戸の隙間から覗《のぞ》いてみようとした時、不意におしおの立ち上る気はいがした。どうもこちらへ近づいてくるらしい。小平太は思わず一歩後へ退ったが、もう晩《おそ》かった。女は何の気もなくがらりと裏の戸を開けた。そして、思わぬ人の影に、「あっ!」と吃驚《びっくり》したような声を上げた。それでも気丈な女だけに、手燭《てしょく》を上げて、おずおず相手の顔を見遣りながら、 「まあ、旦那様でしたか。こんな所に立っていらして、本当に吃驚《びっくり》しました!」と言いだした「いったいどうなすったのでございます?」  小平太は棒立ちになったまま、返辞もしなければ、また動こうともしなかった。 「今ごろお出でになろうとは存じませんので、一人で仏壇にお灯明《あかし》をあげていたところでした。さあ、どうぞこちらへおはいりくださいませ」  こう言いながら、おしおは先に立って家の中へはいろうとした。 「はいってもいいね?」と、小平太は始めて口を利《き》いた。 「まあ、何をおっしゃいますことやら、あなたのお家ではござりませぬか」と、おしおは手を取るようにして男を座敷へ上げた。それから行灯《あんどん》を持ちだして、小平太の前に手をつかえながら、あらためて挨拶《あいさつ》をした。「もう二度とはお目に懸れぬようにおっしゃってでしたのに、今ごろお出で遊ばしたのは、ああ分った、お話しのことはまたぞろ日延べになったのでござりましょうね?」  小平太は苦しそうに、ただ「いいや」とばかり頭振《かぶ》りを棹《ふ》ってみせた。 「へえ? 日延べにはならぬ。では、もう討入はすみましたかえ」と、おしおは思わず膝《ひざ》を乗りだしてたずねた。  小平太はまた苦しげにうなずいてみせた。 「討入はすんだ! それに今ごろここへお出でになったのは?」と、おしおはいよいよ合点《がてん》が行かなそうに、男を見返した。 「おしお、もう何にも言ってくれるな」と、小平太は相手の顔を見ぬように、目眩《まぶ》しそうに眼を反《そら》しながら言った。「わしは、わしは討入《うちいり》の数に漏《も》れたのだ!」 「ええッ!」と、おしおは思わず身をのけ反《ぞら》したが、また気を取りなおしたように、男の前へ詰め寄りながら、「討入の数に漏れた……とおっしゃるからには、やっぱりまだわたしに未練が残って……?」  小平太はやっぱり押黙ったまま俯向《うつむ》いていた。  おしおは男の膝に取りついて、「わたしいわれに、大切《だいじ》の場合にあなたに後《おく》れを取らしたとあっては……わたしは生きている瀬がない……あの時も早う死のうと思ったに、あなたのお言葉に絆《ほだ》されて、生き残ったがわしゃ口惜しい! どうしよう、わしゃどうしよう?」と、おろおろ泣きだしてしまった。 「いや、そうでない、そうでない!」と、小平太はさも苦しそうに顔面神経を引釣《ひきつ》らせながら、ようよう口を切った。「この前来た時、お前に未練があって死にきれないように言ったのは、ありゃわしの嘘じゃ。わしはやっぱり自分の命が惜しかったのだ。命惜しさに、どうしても死ぬ覚悟ができなかったのだ。おしお、堪忍《かんにん》してくれ、俺はこういうやくざな臆病者に生れついたのだ!」  おしおは思いも懸けぬ男の言葉に、ただもう訳も分らぬような顔をして、相手の顔を見返していた。 「ただ俺はこの臆病な心に打克《うちか》って、立派に死んでみせようと、どれだけ心を砕《くだ》いたことか。お前を手に懸けようとしたのも、そなたに未練があるというよりは、せめてお前でも殺したら、もう後へは退《ひ》かれぬようになって、未練なわしの心にもどうぞ死ぬ覚悟がつこうかと、それを恃《たの》みにあんな真似《まね》をしてみたのだ。が、生れついて臆病なわしには、さあ殺せと身体を突きつけられては、手も下せず、せめて大石殿に二人の仲を打明けて、こうこういう訳だと申しあげてしまったら、その打明けたということが力になって、義理にも後へは退かれまいと、またそれを恃《たの》みに帰って行った。が、明くる日大石殿に逢ってみると、大事を挙げる前日とて、そんなつまらぬことを言いだす暇もなく、すごすご戻ってきたのが破滅の原因《もと》、それからはいっそう心がぐらついて、昨日《きのう》の夕方宿を出たきり、宛もなく町中《まちなか》をぶらついている間《ま》に、だんだん約束の刻限を切らして、大事の場合に間に合わず、わしはとうとう世間へ顔の向けられない身となってしまった。おしお、これを見てくれ、これを!」と言いながら、袂《たもと》からさっき両国の橋の袂《たもと》で買った瓦版《かわらばん》を取りだして渡した。 「そこにもあるように、わしを除いた四十七人は立派に上野介の首級を上げて、泉岳寺へ引上げ、お上のお仕置《しおき》を待っていられる。わしはその仲間に外れた。その仲間に外れたばかりでなく、人間の仲間からも外れてしまった!」  こう言って、小平太は男泣きにしくしく泣きだしてしまった。  おしおは渡された紙片《かみきれ》をひろげて、行灯の灯影に透して見たが、なるほど四十七人の名はあっても、小平太の名は出ていない。彼女はそれを手に持ったまま、そこに泣き崩《くず》れている小平太の姿と見較べていたが、恥も見得《みえ》も忘れて、心の底を曝《さら》けだした男の意気地なさに、ただもう胸が迫るばかりで、何とも言うことができない。怺《こら》えに怺えた涙が胸に痞《つか》えて、 「ひ、ひ、ひ――ッ!」と、これもその場に泣き伏してしまった。  小平太はその泣声にむっくり顔を上げた。そして、しばらく女の打顫う胴体を見入っていたが、何と思ったか、 「おしお、さらばじゃ!」と言ったまま、すっくと立ち上った。  おしおも吃驚《びっくり》して顔を上げた。 「血相変えて、今ごろどこへ行きなさんす?」 「どこへという宛もない」と、小平太は立ったまましおしおとして言った。「わしはただ、よそながらでもお前の顔が見たさに、恥を忍んでここまで来たばかりだ。わしはもうお前の良人と呼ばれる値打はない。お前もわしのようなものと縁を結んだのが因果《いんが》じゃと諦《あきら》めてくれい。こうしてお前の顔を見たのをせめてもの慰めに、わしはただわしの行く所へ行くつもりだ!」 「まあまあ待ってくだされ」と、おしおは立って小平太の袖《そで》に取縋《とりすが》った。「お前がそのように言わんすのももっともじゃ。もっともじゃが、わたしはわたしでまだ言うことがある。まあまあ下に坐《い》てくださんせいなあ」  言われるままに小平太はふたたびなよなよと下《しも》に坐った。おしおはその膝に取縋って、涙を持った眼に下からじっと男の顔を見上げながら、 「今お前は俺のようなものと縁を結んだのが因果じゃと言わんしたが、ほんに思えば、因果同志の寄合でござんすぞえ」と、しんみりと言いだした。「どんな男でも良人に持てば、わたしはお前の女房じゃ。お前が卑怯なら、わたしも卑怯、お前が臆病者なら、わたしも臆病者でござんす。女一人で身は立てられぬ。たとい世間で笑われようが、どうしょうが、わたしはどこまでもお前に随《つ》いて行く……行きますわいなあ」  二人はいつかいっしょに固く手を取合っていた。 「わたしはそういう気じゃほどに、かならず短気な心を出したり、悒々《くよくよ》してわずらわぬようにしてくださんせ。なに、お江戸ばかりに日は照りませぬ。もし世間の笑いものになって、ここで生きて行かれぬというなら、唐《から》天竺《てんじく》の果《はて》までも、いっしょに行く気でおりますわいな」 「よう言うてくれた、よう言うてくれた!」  小平太は握《にぎ》った女の手の甲の上に、はらはらと涙を落した。 「それでもまだ笑う者があったら、是非《ぜひ》がない、二人でいっしょに笑われましょう。どこまでも一人の男を守るのが女の道でござんすぞえ」      ×   ×   ×   ×  二人はなお夜を籠《こ》めて語り明した。が、その夜のまだ明けきらぬうちに、二人手に手を取って、日の光を恐れるもののように、いずくともなく姿を晦《くら》ましてしまった。 底本:「日本文学全集18 鈴木三重吉・森田草平集」集英社    1969(昭和44)年9月12日発行 入力:土屋隆 校正:浅原庸子 2006年10月16日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。