海神に祈る 田中貢太郎 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)一木権兵衛《いちきごんべえ》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)七人|御崎《みさき》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数) (例)銍《かま》の  [#…]:返り点  (例)遂[#二] -------------------------------------------------------        一  普請奉行の一木権兵衛《いちきごんべえ》は、一人の下僚《したやく》を伴《つ》れて普請場を見まわっていた。それは室津港《むろつこう》の開鑿《かいさく》工事場であった。海岸線が欠けた銍《かま》の形をした土佐の東南端、俗にお鼻の名で呼ばれている室戸岬《むろとみさき》から半里の西の室戸に、古い港があって、寛文《かんぶん》年間、土佐の経世家として知られている野中兼山《のなかけんざん》が開修したが、港が小さくて漁船以外に出入することができないので、藩では延宝《えんぽう》五年になって、其の東隣の室津へ新しく港を開設することになり、権兵衛を挙げて普請奉行にしたのであった。  野中兼山の開修した室戸港と云うのは、土佐日記に、「十二日、雨ふらず(略)奈良志津《ならしず》より室戸につきぬ」と在る処《ところ》で、紀貫之《きのつらゆき》が十日あまりも舟がかりした港であるが、後にそれが室戸港の名で呼ばれ、今では津呂港《つろこう》の名で呼ばれている。兼山が其の室戸港を開修した時には、権兵衛は兼山の部下として兼山に代って其の工事監督をしていた。此の権兵衛は、土佐郡《とさぐん》布師田《ぬのしだ》の生れで、もと兼山の小姓であったが、兼山が藩のために各地に土木事業を興して、不毛の地を開墾したり疏水《そすい》を通じたりする時には、いつも其の傍にいたので、しぜんと其の技術を習得したものであった。  権兵衛は新港開設の命を請けると、まず浮津川《うきつがわ》の川尻から海中に向けて堰堤《えんてい》を築き、港の口に当る処には、木材を立て沙俵《すなだわら》を沈めて、防波工事を施すとともに、内部を掘鑿《くっさく》して、東西二十七間南北四十二間、満潮時に一丈前後の水深が得られるように計画して、いよいよ工事に着手したところで、沙の細かな海岸へ強いて開設する港のことであるから、思うように工事がはかどらなかった。  権兵衛は東側の堰堤を伝って突端の方へ往こうとしていた。その時五十二になる権兵衛の面長なきりっとした顔は、南の国の強い陽の光と潮風のために渋紙色に焦げて、胡麻塩《ごましお》になった髪も擦《す》り切れて寡《すくな》くなり、打裂《ぶっさき》羽織に義経袴《よしつねばかま》、それで大小をさしていなかったら、土地の漁師と見さかいのつかないような容貌《ようぼう》になっていた。  それは延宝七年の春の二時《やつ》すぎであった。前は一望さえぎる物もない藍碧《らんぺき》の海で、其の海の彼方《かなた》から寄せて来る波は、鞺《ど》どんと大きな音をして堰堤に衝突とともに、雪のような飛沫をあげていた。其処は左に室戸岬、右に行当岬《ぎょうどうざき》の丘陵が突き出て一つの曲浦《きょくほ》をなしていた。堰堤の内の半ば乾あがった赤濁った潮の中には、数百の人夫が散らばって、沙を掘り礁《はえ》を砕いていたが、其のじゃりじゃりと云う沙を掘る音と、どっかんどかんと云う石を砕く音は、波の音とともに神経を掻きまぜた。また掘りあげた沙や砕いた礁の破片《かけら》は陸へ運んでいたが、それが堰堤の上に蟻《あり》が物を運ぶように群れ続いていた。  権兵衛は所有《もちまえ》の烈しい気象を眉にあらわしていた。はかどらなかった難工事も稍緒《ややちょ》に就いて、前年の暮一ぱいに港内の掘りさげが終ったので、最後の工事になっている岩礁を砕きにかかったところで、思いの外に岩質が硬くて思うように砕けなかった。それに当時の工事であるから、岩を砕くにも大小の鉄鎚《かなづち》で一いち打ち砕くより他に方法がないので、それも岩礁砕破の工事の思うようにならない原因の一つでもあった。  堰堤の外側には鴎《かもめ》の群が白い羽を夕陽に染めて飛んでいた。陸《おか》の畑には豌豆《えんどう》の花が咲き麦には穂が出ているが、海の風は寒かった。権兵衛は沙や礁の破片《かけら》を運ぶ物[#「運ぶ物」はママ]を避け避けして往った。沙を運ぶ者は、笊《ざる》に容れて枴《おうこ》で担い、礁の破片を運ぶ者は、大きな簣《あじか》に容れて二人で差し担って往《ゆ》くのであった。 「よいしょウ、よいしょウ」 「おもいぞ、おもいぞ」 「いそぐな、いそぐな」 「急いでもわれんぞ、急ぐな急ぐな」 「居《お》るぞう、居るぞう」 「怕《こわ》いぞ、怕いぞ」  権兵衛の伴れている下僚《したやく》は武市総之丞《たけちそうのじょう》と云う男であった。総之丞は簣の一群《ひとむれ》をやりすごしておいて、意《いみ》ありそうに権兵衛を見た。 「お聞きになりましたか」 「何じゃ」 「今、人足が云った事でございますが」 「何と云った」 「居るとか怖いとか、口ぐちに云っておりましたが」 「あれか、あれは何じゃ」 「あれは、彼《あ》の釜礁《かまばえ》の事でございます」  釜礁は港の口に当る処に横たわった大きな礁で、それを砕きさえすれば工事も落著するのであった。 「釜礁がどうしたのか」 「此の二三日、彼の釜礁は、竜王が大事にしておるから、とても破《わ》れない、また破っておいても、翌日になると、元のとおりになっておるとか、いろいろの事を云っております」 「そうか、そんな事を云っておるか」  これも陽の光と潮風に焦げて渋紙色になった総之丞の顔には嘲笑《あざわらい》が浮んだ。 「しかし、今の世の中に、神じゃの、仏じゃの、そんな事が在ってたまりますものか、阿呆らしい」  権兵衛は足を停めた。 「待て待て、崎《さき》の浜《はま》の鍛冶屋《かじや》の婆《ばんば》じゃの、海鬼《ふなゆうれい》じゃの、七人|御崎《みさき》じゃの、それから皆がよく云う、弘法大師《こうぼうだいし》の石芋《いしいも》じゃの云う物は、皆|仮作《つくりごと》じゃが、真箇《ほんと》の神様は在るぞ」  総之丞は眼を円くした。 「在りますか」 「在るとも」  総之丞はもう何も云わなかった。総之丞は権兵衛の精神家らしい気もちを知っていた。権兵衛は歩きだした。総之丞も黙って跟《つ》いて往った。        二  六七人の人夫の一群が前方《むこう》から来た。礁《はえ》の破片《かけら》を運んでいる人夫であるから、邪魔になってはいけないと思ったので、権兵衛は体を片寄せて往こうとした。其の人夫の先頭に立った大きな男の背には一人の人夫が負われて、襦袢《じゅばん》の衣片《きれ》で巻いたらしい一方の手端《てくび》を其の男の左の肩から垂らしていた。そして、其の大きな男の後《うしろ》にも枴《おうこ》で差し担った簣《あじか》が来ていたが、それにも人夫の一人が頭と一方の足端《あしくび》を衣片《きれ》でぐるぐる巻きにして仰臥《あおむけ》に寝かされていた。見ると其の人夫の頭を巻いた衣片には生《なま》なました血が浸《にじ》んで、衣片の下から覗《のぞ》いている頬から下の色は蒼黒くなって血の気が失せていた。 「おう、これは」  権兵衛は眼を見はった。簣の横にいた横肥《よこぶとり》のした人夫の一人がそれを見て権兵衛の前へ出た。それは松蔵《まつぞう》と云う人夫の組頭の一人であった。 「どうした事じゃ」 「礁の上から転びました」 「転んだぐらいで、そんな負傷《けが》をしたか」 「物の機《はずみ》でございましょう、下に鋸《のこぎり》の歯のようになった処がございまして、その上へ落ちたものでございますから」 「そうか」  一行は其の前に停まっていた。松蔵は負《おぶ》われている男の衣片を巻いた手に眼をやった。 「虎馬《とらま》は、手端《てくび》を折りました」それから簣に寝かされている男へ眼をやって、「銀六《ぎんろく》は頭を破《わ》りました」  銀六と云われた簣の上の人夫は微《かすか》に呻《うめ》いていた。権兵衛はそれにいたわりの眼をやった。 「それは可哀《かわい》そうな事をした、早く役所へ伴れて往って手当をしてやれ」 「虎馬の方は此方《こちら》でもよろしゅうございますが、銀六の方は、安田《やすだ》へ往かんと手当ができませんから、いっその事、二人を伴れて往かそうと思いますが」 「そうか、それがええ、それでは早いがええ」 「そうでございます」松蔵はそこで気が注《つ》いて、「それでは、早う往け、安吾《やすご》さんは役所へ寄って、早川《はやかわ》さんから名刺《なふだ》をもろうて往くがええ」  安吾と云うのは後《うしろ》の方にいた。それは六十近い痩《や》せた老人《としより》であった。 「ええとも、それじゃ、往こうか」  安吾の声で一行は歩きだした。権兵衛はじっとそれを見送った。松蔵は権兵衛の方へぴったりと寄った。 「旦那」  松蔵の声は外聞を憚《はばか》ることでもあるように小さかった。 「うむ」 「妙な事を云う者がございますよ」 「どんな事じゃ」 「どんなと云いまして、妙な事でございますが、旦那はお聞きになっておりませんか」  傍には総之丞の顔があった。松蔵は総之丞へ眼をやった。 「武市の旦那は、お聞きになりませんか」  総之丞は好奇《ものずき》らしい眼をした。 「あれじゃないか」 「あれとは、あれでございますか」 「礁の事じゃないか」 「何人《たれ》かにお聞きになりましたか」 「聞いたと云う理《わけ》でもないが、釜礁の事じゃろう」 「そうでございますよ」それから権兵衛を見て「旦那様はお聞きになっておりますか」  権兵衛は頷《うなず》いた。 「今、総之丞から聞いたが、何か確乎《しっかり》した事を見た者でもあるか」 「乃公《おら》が見たと云う者はありませんが、妙な事を云いますよ」 「どんな事を云っておる」 「取りとめのない事でございますが、礁へ石鑿《いしのみ》を打ちこむと、血が出たとか、前日《まえのひ》に欠いであった処が、翌日《あくるひ》往くと、元の通りになっておったとか、何人《たれ》かが夜遅く酔《よっ》ぱらって、此の上を歩いておると、話声がするから、声のする方へ往ってみると、彼《あ》の礁の上に小坊主が五六人おって、何か理の解らん事を云っておるから、大声をすると河獺《かわうそ》が水の中へ入るように、ぴょんぴょんと飛びこんだとか、いろいろの事を云いまして」 「うむ」 「それに二三日、負傷《けが》をする者がありますから、猶更《なおさら》、此の礁は竜王様がおるとか、竜王様の惜《おし》みがかかっておるとか申しまして」 「そうか」 「それに、一昨日《おととい》も昨日も負傷《けが》はしましたが、石の破片《かけら》が眼に入ったとか、生爪を剥《は》がしたとか、鎚で手を打ったとか、大した事もございませざったが、今日はあんな事が出来ましたから、皆《みんな》が怕がって仕事が手につきません。私も傍におりましたが、二人で礁の頂上へあがって玄翁《げんのう》で破《わ》っておるうちに、どうした機《はずみ》かあれと云う間に、二人は玄翁を揮《ふ》り落すなり、転び落ちまして、あんな事になりましたが、銀六の方は、どうも生命《いのち》があぶのうございます」 「どうも可哀そうな事をしたが、あれには両親があるか」 「婆《ばんば》と女房と、子供が一人ございます」 「田畑《でんぱた》でもあるか」 「猫の額《ひたい》ぐらい菜園畑があるだけで、平生《いつも》は漁師をしておりますから」 「そうか、それは可哀そうじゃ、後《あと》が立ちゆくようにしてやらんといかんが、それはまあ後の事じゃ、とにかく本人の生命を取りとめてやらんといかん」 「そうでございます」 「それから、一方の手を折った方は、あれは生命に異状はなかろう」 「あれは、安田の柔術の先生にかかりゃ、一箇月もかからんと思います」 「しかし、可哀そうじゃ、大事にしてやれ、何かの事はつごうよく取りはかろうてやる」 「どうもありがとうございます」  権兵衛は其の眼を港の口の方へやった。其処には釜の形をした大きな岩礁が小山のように聳《そび》えたっていたが、人夫の影はなかった。 「それでは往こうか」  権兵衛は歩きだした。松蔵と総之丞は其の後から往った。        三  権兵衛は釜礁《かまばえ》の上の方へ往った。人夫たちは釜礁を離れて其の右側の大半砕いてある礁の根元を砕いていた。其処には赤|泥《どろ》んだ膝まで来る潮《うしお》があった。  どっかん、どっかん、どっかん。  権兵衛は右側の礁にかかっている人夫だちの方を見ていたが、やがて其の眼を松蔵へやった。 「松蔵」 「へい」  松蔵は権兵衛に並ぶようにして前へ出た。権兵衛は屹《きっ》となった。 「松蔵、岩から血が出るの、小坊主が出るのと云うのは、迷信と云うもので、そんな事はないが、神様は在る。神様はお在りになるが、神様は決して邪《よこしま》な事はなさらない、神様は吾われ人間に恵みをたれて、人間の為よかれとお守りくだされる。従って良《え》え事をする者は神様からお褒めにあずかる。此の港は、此の土佐の荒海を往来《ゆきき》する船のために、普請をしておるからには、神様がお叱りになるはずはない。此《こ》の比《ごろ》暫く大暴風《おおじけ》もせず、大波もないが、これは神様のお喜びになっておる証拠じゃ。それに此の普請は、此の釜礁を砕いてしまえば、すぐにりっぱな港になる。一日でも早くりっぱな港を作ることは、神様はお喜びにこそなれ、お叱りになることはないと思うが、其の方はどう思う」 「へい」  と云ったが、松蔵はそれに応える事ができなかった。総之丞が松蔵のために応えなくてはならぬ。 「それは一木殿のお詞《ことば》のとおりでございます。神様は人の為こそ思え、人を苦しめるものではございませんから、人のために作っておる港の、邪魔をするはずはありません」  権兵衛は頷いた。 「そうとも、其のとおりじゃ」松蔵を見て、「松蔵、判るか」  松蔵にもおぼろげながら其の意は判った。 「判ります」 「それでは、礁を破るに憚る事はないぞ」 「そりゃ、そうでございます」 「それが判ったなら、皆に其の事を云え」 「云いましょう、云います」 「云え、云い聞かせ」 「へい」  松蔵は何かに突き当って困ったような顔をしながら石垣を降りて往ったが、其のうちに彼方此方《あっちこっち》から松蔵の傍へ人夫たちが来はじめた。人夫の中には鉄鎚《かなづち》を手にした者もあった。権兵衛と総之丞は黙ってそれを見ていた。  松蔵の傍へは五十人ばかりの人夫が集まって来て、それが松蔵を囲んで頭を並べた。松蔵の話がはじまったところであった。  暫くすると其の人夫の中に、不意に口を開けて黄色な歯を見せる者があった。何かを笑っているところであろう。権兵衛は眼を見すえた。見すえる間もなく、人夫は松蔵の傍を離れて散らばって往った。総之丞は権兵衛に呼びかけた。 「話がすんだようでございますが」 「うん」  権兵衛は人夫の方から眼を放さなかった。総之丞もそれに眼をやった。人夫はまた右側の礁の方へ往って、どっかんどっかんとやりだしたが、釜礁にかかる者はなかった。 「かからんようでございますが、話が判りますまいか」 「判らん、困ったものじゃ」 「愚《おろか》な者どもでございますから、物の道理が判りません」 「うん」  権兵衛は眼をつむっていた。総之丞は口をつぐんだ。陸《おか》の方から堰堤の上をどんどん駆けて来た者があった。普請役場の小厮《こもの》に使っている武次《たけじ》と云う壮佼《わかいしゅ》であった。 「旦那、一木の旦那」  武次は呼吸《いき》をはずまして額に汗を浸ませていた。権兵衛は武次を見た。 「何か用か」 「用どころか、お殿様じゃ」  権兵衛は眼を睜《みは》った。 「なに、おとのさま」 「二十人も三十人も馬に乗って、氏神様のお神行《なばれ》のようじゃ」 「藩公が来られたか」 「はんこうか、鮟鱇《あんこう》か知らんが、高知の城下から来たそうじゃ」 「真箇《ほんと》か。真箇ならお出迎いをせんといかんが」 「早川《はやかわ》さんが、早く往って呼《よ》うで来いと云うたよ、早川さん、歯の脱けた口をばくばくやって、周章《あわ》てちょる」 「くだらん事を云うな」  権兵衛は叱りつけておいて陸の方へ急いだ。其の時沙と礁の破片《かけら》を運んでいた人足の群も、陸の方に異状を認めたのか、皆陸の方を見い見い口ぐちに何か云っていた。権兵衛は其の人夫の間を潜《くぐ》って陸の方へ往った。  磯の沙浜には処《ところ》どころ筆草《ふでくさ》が生えていた。其処は緩い傾斜になって夫其の登り詰《づめ》に松林があり普請役場の建物があった。其の役所の向前《むこう》は低い丘になって、其処に律照寺《りっしょうじ》と云う寺があったが、浜の方から其の寺は見えなかった。其の律照寺は四国巡礼二十五番の納経所《ふだしょ》で、室戸岬の丘陵の附根にある最御崎寺《ほずみさきじ》の末寺で、普通には津寺《つでら》の名で呼ばれていた。  権兵衛は役所の近くまで往った。其処に二疋の馬がいて傍に陣笠を冠った旅装束の武士が二人立ち、それと並んで権兵衛の下僚《したやく》の者が二三人いた。権兵衛は急いで陣笠の武士の傍へ往った。武士の一人は国老《かろう》の孕石小右衛門《はらみいしこえもん》であった。 「これは御家老様でございますか」 「おお、権兵衛か」 「承《うけたま》わりますれば、殿様がお成りあそばされたそうで、さぞお疲れの事と存じます」 「なに、急に御微行《ごびこう》になられる事になって、今朝城下を出発したが、かなりあるぞ」 「二十里でございますから、お疲れになられましたでございましょう、それで殿様は」 「東寺《ひがしでら》へずっとお成りになった」  東寺は最御崎寺の事で、其処は四国巡礼二十四番の納経所になり、僧|空海《くうかい》が少壮の時、参禅|修法《すほう》した処であった。 「それでは、私もこれからお御機嫌を伺いにあがります」 「今日は来いでもええ、明日此処へお成りになる事になっておる」 「さようでございますか、それでは、今日はさし控えておりましょうか」 「それがええ」それから物を嘲《あざけ》るような眼つきをして、港の方へ頤《あご》をやって、「権兵衛、池が掘れかけたようじゃが、彼処《あすこ》へ鯉《こい》を飼うか、鮒《ふな》を飼うか」  それは無用の港を開設するのを嘲っているようでもあれば、工事の遅延して港にならないのを嘲っているようでもあった。小右衛門は同行の武士を見た。それは大島政平《おおしままさへい》と云うお馬廻《うままわり》であった。 「政平、どうじゃ」  政平は莞《にっ》とした。 「なるほど」 「それとも、万劫魚《まんごのうお》でも飼うか」権兵衛の方をちらと見て、「今に大雨が降りゃ良え池ができる」  権兵衛は小右衛門の詞《ことば》の意《いみ》がはっきり判った。権兵衛はじっと考え込んだ。小右衛門と政平の二人は、すぐ馬の傍へ往って馬に乗った。 「権兵衛、精出して池を掘れ」  権兵衛が驚いて挨拶しようとした時には、馬はもう走っていた。権兵衛を追って来て遠くの方に控えていた総之丞が其の時寄って来た。 「殿様は、どうなされました」  権兵衛は何も云わなかった。        四  権兵衛は普請役場の内にある己《じぶん》の室《へや》にいた。其処は八畳位の畳も敷き障子も入っているが、壁は板囲の山小舎のような室であった。そして、室の一方には蒲団を畳んで積み、衣類を入れた葛籠《つづら》を置き、鎧櫃《よろいびつ》を置き、三尺ばかりの狭い床には天照大神宮《てんしょうだいじんぐう》の軸をかけて、其の下に真新しい榊《さかき》をさした徳利を置いてあった。権兵衛は其の床の前の小机の傍にいた。其の小机には半紙を二枚折にした横綴《よことじ》の帳面を数冊載せてあった。  権兵衛は思い詰めた顔をして考えこんでいたが、やがて何か考えついたようにして手を鳴らした。するとすぐ近くで返事があって、廊下にした板の間へ顔を出した者があった。磯山清吉《いそやませいきち》と云う下僚《したやく》で壮《わか》い小兵《こがら》な男であった。 「お呼びになりましたか」 「呼んだ」 「何か御用でございますか」 「総之丞はおるか」 「浜の方へ出て往きましたが、何か御用が」 「それじゃ、総之丞でなくてもええ、神様のお祭をするから、白木の台と、あ、台は普請初めの時にこしらえたものがある、それから雉子《きじ》か山鳥が欲しいが、それは無いかも知れんから、鶏の雌と雄を二羽買い、蜜柑も柿もあるまいから、芋でも大根でも、畑に出来る物を三品か四品。幣束《しで》も要る、皆《みんな》と相談して調《ととの》えてくれ」 「何時《いつ》お祭をします」 「すぐ今晩するから急いでくれ」 「何処でします」 「港の口じゃ。供物が出来たら、港の口へ幕を張って、準備《したく》をしてくれ」 「よろしゅうございます」  清吉が往こうとすると権兵衛が留めた。 「待て」 「へい」 「それから、供物の台は、沖の方へ向けて、つまり海の方へ向けるぞ」 「承知しました」 「普請初めの時のようにすればええ。判らん処があれば、総之丞が知っておる、総之丞に聞け」 「よろしゅうございます」 「それから、松明《たいまつ》の準備《したく》もしておいてくれ」  落日に間のない時であった。清吉は急いで出て往った。権兵衛は腕組みして考えこんだ。廊下へ武次がどかどかと来た。 「旦那、湯が沸いたが」  権兵衛は顔をあげた。 「湯か」 「後がつかえるから、早《はよ》う入ってもらいたいが」 「俺は今日は、入らん、今井《いまい》さんに入れと云え」 「殿様が来ておるに、湯に入って垢《あか》を落とせばええに」  武次はまだ何か云いながら往ってしまった。権兵衛は口元に苦笑をからめたが、すぐまた考えこんだ。  その時浜の方で法螺《ほら》の音がしはじめた。人夫に仕事を措《お》かす合図であった。仕事を措いた人夫が囂囂《がやがや》云いながらあがって来た。人夫は地元の者もあれば、隣村の者もあり、また遠くから来て小舎掛をして住んでいる者もあった。        五  間もなく夜になった。其の夜は月がないので暗かった。其の夜の八時《いつつ》すぎになって堰堤の突端に松明の火が燃えだした。其処には明珍長門家政《みょうちんながといえまさ》作の甲冑《かっちゅう》を著《つ》けて錦の小袴を穿《は》き、それに相州行光《そうしゅうゆきみつ》作の太刀を佩《は》いた権兵衛|政利《まさとし》が、海の方に向けてしつらえた祭壇の前にひざまずいていた。そして、其の周囲《まわり》には一木家の定紋《じょうもん》の附いた紫の幔幕《まんまく》を張りめぐらしてあった。 「どうか私の此の体を犠牲《いけにえ》に御取りくださいまして、釜礁《かまばえ》を除くお赦《ゆるし》を得とうございます」  下僚《したやく》たちは権兵衛が云いつけてあるので何人《たれ》も傍に来ている者がなかった。 「此の礁が一日も早く除《と》れまして、此の荒海を往来する諸人《もろびと》をお助けくださいますようにお願いいたします。こうして犠牲《いけにえ》に献《あが》りました私の生命《いのち》は、速刻お召しくださいましても厭《いと》うところでございません」  権兵衛は一人で朝まで祈願をこめていた。朝になって室戸岬の沖あいから朝陽が杲杲《きらきら》と登りかけたところで、人夫たちが集まって来た。  人夫たちは左右の堰堤を伝って己《じぶん》の持場につこうとしていた。礁の方にかかっている五六十人ばかりの人夫は其処からおりるべく祭壇の近くへ来た。それと見て権兵衛は幔幕の一方を解いて姿をあらわした。人夫たちは甲冑の武者を見て驚きの眼をそばだてた。 「あ」 「何事じゃ」 「何人《たれ》じゃ」 「彼《あ》の鎧武者は」  権兵衛は腰にさしている軍扇をさっと拡げた。それは赤い日の丸の扇であった。 「来い」  人夫たちは権兵衛と云う事を知ったので安心して傍へ寄った。権兵衛は凛《りん》とした顔をした。 「皆《みんな》よく聞け、拙者は此の釜礁が割れないから、己《じぶん》の身を竜王様に献《たてまつ》って、何時《いつ》なんどき此の生命《いのち》をお取りくだされてもかまいませんから、釜礁を一刻も早く取り除《の》けるようにしてくだされと、昨夜《ゆうべ》の八時《いつつ》すぎから一睡もせずにお願《がん》をこめたから、其の方たちにはもうおかまいがない」  人夫たちの中に囁《ささやき》が起った。権兵衛は呼吸を調えた。 「それに殿様も、此の普請を御心配なされて、昨日、御微行でお成りになったから、今日は此処へ御検分にお成りになる。それで皆《みんな》も気をいれかえて、新らしい気もちになってかかれ、決して其の方たちにお咎めはない、お咎めがあれば拙者《せっしゃ》じゃ」  人夫たちの眼は活《いき》いきとした。権兵衛は軍扇を揮《ふ》った。 「それでは、かかれ、かかれ」  人夫たちはわっ[#「わっ」に傍点]と歓声をあげながら、勇みたって下へおりて往った。総之丞はじめ五六人の下僚《したやく》が来ていた。総之丞は前へ出た。 「一木殿お疲れでございましょう、さあ、どうぞお食事を」 「飯は後でええ、此処をかたづけてくれ」  そこで総之丞はじめ下僚は幔幕を畳み、祭壇の始末をはじめた。権兵衛は釜礁の方を見おろしていた。  釜礁の方には、もうどっかんどっかんの音が盛に起っていた。それに交ってじゃりじゃりじゃりと砂を掘る音も聞えて来た。笊《ざる》と簣《あじか》の群はまた蟻のように陸《おか》へ往来《ゆきき》をはじめた。  空には何時の間にか鰯雲《いわしぐも》が出て、それが網の目のように行当岬の方へ流れていた。その時釜礁の方に当って歓声があがった。それは仕事の上の喜びにあがった歓声のようであった。権兵衛はじっと眼を見すえた。石を砕く音がやんで、其処には数人の者が手をあげて、はしゃいでいるのが見られた。  どっかんどっかんの音はまた聞えだした。権兵衛はやはり釜礁の方を見ていた。と、また其処から歓声があがった。今井|武太夫《ぶだゆう》と云う老年《としより》の下僚《したやく》が傍へ来た。 「あれは何でございましょう」  武太夫は視力が鈍いので遠くが見えなかった。権兵衛はそれを知っていた。 「礁がうまく除《と》れておるじゃないか」 「そうでございますか、それは結構なことでございます」 「うむ」  二人の人夫が石垣を這《は》ってあがって来た。組頭の松蔵とこれも組頭の一人の寅太郎《とらたろう》の二人であった。松蔵はにこにこしていた。 「旦那、神様のお蔭がございますよ」 「そうか、割れるか」 「どんどん割れます、今、鬨《とき》の声があがりましたろう」 「あがった」 「あれでございますよ、最初なんか、児鯨《こくじら》ほどの物が割れましたよ」 「児鯨はぎょうさんなが、そうか、そうか、それはよかった」 「此のむきなら、十日もやれば、割れてしまいますよ」 「大きな礁じゃ、そう早くもいくまいが、緒口《いとぐち》が立てば大丈夫じゃ」        六  権兵衛は二番鶏を聞いて起きた。其の晩は夕凪《ゆうなぎ》で風がすこしもなかったので、寝苦しくておちおち眠れなかったが、室津を引きあげる事になっているので、努めて起きて朝食を食うなり出発した。  外はまだ微暗《うすぐら》かったが、さすがに大気は冷えていた。権兵衛は二匹の馬に手荷物を積み、二三の下僚《したやく》を伴《つ》れていた。下僚の中には総之丞もいた。  権兵衛は悩まされた釜礁《かまばえ》が除《と》れて、工事が思いの外に捗《はかど》り、間もなく竣成《しゅんせい》したので、高知の藩庁に報告する必要から、急いで引きあげて往くところであった。其の時権兵衛が新港開鑿に要した夫役《ぶやく》は一百七十三万人役で、費用は十万二千五百両であった。それは野中兼山が寛永の古港を改修して、中掘普請と云っているに対して次普請と云われた。其の港は今、室津港と云われている。  沖の方が荒れているのか、波の音に狂いがあった。権兵衛は並んで歩いていた総之丞に声をかけた。 「今日は暑いぞ」 「そうでございますよ、彼《あ》の波の音が曲者《くせもの》でございますよ」 「そうじゃ、波の音がいかんぞ」  砂路の右側には藁葺《わらぶき》の小さな漁師の家が並び、左側には荻《おぎ》や雑木の藪《やぶ》が続いていた。漁師の家《うち》にはもう起きて火を焚いている処があった。 「やっぱり早いな」 「これまで、普請で、仕事がありましたが、これから当にならん漁に出んとなりませんから、気が気じゃございませんよ」 「其のかわり漁があれば、一日で一箇月分の夫役になるじゃないか」 「それがなかなかそういきませんから、漁師は昔から貧乏と相場が定まっておりますよ」 「そうか、そうかも知れん」  一行は室津の部落を離れて浮津の部落へかかっていた。其の時、右側の漁師の家から小さな老人が出て来て空を見た。 「さにし[#「さにし」に傍点]がせり[#「せり」に傍点]よる、朝のうちに一網やろうか」  それは地曳網《じびきあみ》を曳こうと云っているところであった。そして、権兵衛と総之丞が近ぢかと寄って往くと、老人は驚いたようにして家《うち》の内へ入って往ったが、家の中から、 「普請方のお役人が帰《いに》よる」  と云う声が聞えた。総之丞は笑った。 「御存じでございませんか、今の男は、夫役に来て縄を綯《な》うておりました者でございますが」 「そうか気が注《つ》かざったが、彼《あ》の鼻のひしゃげた老人か」  老人かと云うなり権兵衛は体を崩して倒れてしまった。総之丞は驚いて駈け寄った。 「如何《いかが》なされました」  権兵衛は右脇を下にして倒れていた。 「一木殿、気を確に一木殿」総之丞は蹲《しゃが》んで権兵衛の肩へ手をかけて、「如何なされました」  権兵衛は体をくねらすなり俯向《うつむ》きになった。 「五体が痺《しび》れた」 「痺れた、御病気でございますか」 「病気かも知れんがおかしいぞ」 「何か食物《たべもの》の啖《く》いあわせではございますまいか」 「其の方たちと同じ物を啖ったじゃないか、他には何も啖わん、啖いあわせなら其の方だちも同じようになるはずじゃが」 「そりゃそうでございます。それでは、とにかく、気つけをあげましょう」 「そうじゃ、拙者の印籠に気つけがある、取ってくれ」 「よろしゅうございます」  伴れの下僚《したやく》も傍へ来て心配そうに権兵衛を見ていた。総之丞はそれに眼をつけた。 「水を汲んで来てもらいたいが」  下僚の一人は彼《か》の老人の家へ往った。総之丞は権兵衛の腰につけた印籠を取って、其の中から薬を出したところへ彼の下僚が茶碗に水を容《い》れて引返して来た。総之丞は其の水を取って薬とともに権兵衛の口へやった。 「さあ、どうぞ」  権兵衛は口をもぐもぐさして飲んだ。 「御苦労、御苦労」 「御気分は如何でございます」 「気分は何ともない、筋のぐあいであろう」 「それでは、馬にお乗りになりますか」 「馬には乗れまい、今日は引返そう」  間もなく権兵衛は戸板に載せられて引返して来たが、普請役場の己《じぶん》の室《へや》へおろされたところで体の痺れはすっかり除《と》れていた。そこで権兵衛は起《た》ってみた。起っても平生《いつも》のとおりで体に異状はなかった。 「おかしいぞ、何ともない。これならもうすこし休んでおったら、癒《なお》ったかも判らなかった」  其処には総之丞がいた。総之丞は権兵衛に馬をすすめた事を思いだした。 「彼《か》の時、馬にお乗りになったら、よかったかも知れませんよ」 「そうじゃ、馬に乗って往けば、そのうちに癒ったにきまっておる」  翌日になって権兵衛はまた出発した。そして、また浮津に往って彼の老人の家の前まで往った。総之丞は権兵衛の右側を歩いていた。 「此処でございましたよ」  権兵衛も頷《うなず》いた。 「そうじゃ」  老人の家は其の朝は、まだ戸が開いていなかった。 「今日は、まだ起きておりませんよ」  総之丞は権兵衛の返事を聞こうとしたが、返事がないのでちらと見た。権兵衛の体は其の時よろよろしていたが、其のうちに倒れてしまった。 「一木殿、一木殿、また痺れでも」  権兵衛は仰臥《あおむけ》になっていた。夜はもう白《しら》じらと明けていた。 「一木殿、御気分は」  権兵衛は眼を開けた。 「気分は何ともない」 「それでは、また気つけでも」 「いや、待て」  と云って権兵衛は眼をつむって何か考えるようにした。 「それでは、馬にお乗りになりますか」 「すこし考える事がある、気の毒じゃが、また戸板へ載せて引返してくれ」  権兵衛はまた戸板に載って引返したが、帰りついてみると体は元のとおりになっていた。そこで権兵衛は己《じぶん》の代理として、総之丞に二三の下僚をつけて高知へやり、己は普請役所に留まっていると、十日ばかりして下僚の一人が引返して来て、藩庁の報告は滞《とどこお》りなく終ったと云った。  それは延宝七年六月十六日の事であった。権兵衛は其の時、普請役所に残っていた武太夫を呼んだ。 「釜礁《かまばえ》を割る時に、お願をかけて、其のままになっておる。今晩は其のお願ほどきをする、準備をしてくれ」  武太夫もお願のかけっぱなしはいけないと思った。 「早速そういたしましょう、お願のかけっぱなしはいけません」 「それでは頼む」  武太夫が出て往くと、権兵衛は一枚の半紙を取って筆を走らせ、それを封筒に容れて表に津寺方丈《つでらほうじょう》御房《ごぼう》と書き、そして、それを硯《すずり》の下へ敷いた。 [#ここから1字下げ]     口上書を以て残候事《のこしそうろうこと》 港八九は成就《じょうじゅ》に至《いたり》候得共《そうらえども》前度《せんど》殊《こと》の外《ほか》入口|六ヶ敷候《むずかしくそうろう》に付|増夫《ましぶ》入而《いれて》相支候得共《あいささえそうらえども》至而《いたって》難題至極と申《もうし》此上は武士之道之心得にも御座|候得《そうらえ》ば神明へ捧命《ほうめい》申処《もうすところ》の誓言《せいげん》則《すなわち》御見分の通《とおり》|遂[#二]本意[#一]《ほんいとげ》候事《そうろうこと》一日千秋の大悦《たいえつ》拙者《せっしゃ》本懐《ほんかい》之|至《いた》り死後御推察|可[#レ]被[#レ]下《くださるべく》候《そうろう》 不具《ふぐ》  十六日 [#ここで字下げ終わり]  [#地から4字上げ]一木権兵衛政利 花押《かおう》 [#ここから1字下げ]   津寺方丈 御房 [#ここで字下げ終わり]  其の夜は月があったが黒い雲が海の上に垂れさがっていたので暗かった。八時《いつつ》すぎになって港の左側の堰堤の上に松明《たいまつ》の火が燃えだした。其処には権兵衛が最初の祈願の時の武者姿で、祭壇を前にして額《ぬか》ずいていた。 「わたくしの体が痺れたは、竜王が犠牲《いけにえ》をお召しになる事と存じますから、喜んで此の身をさしあげます」  権兵衛はまず冑《かぶと》を除《と》って海へ投げた。蒼黒い海は白い歯を見せてそれを呑んだ。権兵衛はそれから鎧《よろい》を解いて投げた。冑も鎧も明珍長門家政の作であった。権兵衛はそれから太刀を投げた。太刀は相州行光の作であった。  翌朝になって下僚《したやく》の者が往ったところで、権兵衛は祭壇の前で割腹していたが、未明に割腹したものと見えて、錦の小袴を染めている血に温《あたたか》みがあった。  村の者はそれと聞いて慟哭《どうこく》した。そして、血に染まった権兵衛の錦の小袴を小さく裂いて、家の守神にすると云って皆《みんな》で別けあうとともに、その遺骸を津寺に葬って香華《こうげ》を絶《たや》さなかった。  それが明治維新になって、神仏の分離のあった時、其の墓石を地中に埋めて、其の上に一|宇《う》の祠《ほこら》を建てて一木神社として祭ったが、昭和四年になって、後《うしろ》の山を開いて社を改築し、墓石も掘り出すとともに、傍《かたわら》に記念碑まで建立《こんりゅう》した。  其の記念碑の表面は、伯爵《はくしゃく》田中光顕《たなかこうけん》先生の筆で、「一木権兵衛君|遺烈碑《いれつひ》」とし、裏面には土佐の碩学《せきがく》寺石正路《てらいしまさはる》先生の選文がある。 底本:「怪奇・伝奇時代小説選集3 新怪談集」春陽文庫、春陽堂書店    1999(平成11)年12月20日第1刷発行 底本の親本:「新怪談集 物語篇」改造社    1938(昭和13)年 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 入力:Hiroshi_O 校正:noriko saito 2004年9月25日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。