親鸞 吉川英治 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)歎異鈔《たんいしょう》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)三十歳|台《だい》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数) (例)捥 ------------------------------------------------------- [#1字下げ][#大見出し]序[#大見出し終わり] [#2字下げ]歎異鈔《たんいしょう》旅にもち来て虫の声――  わたくしの旧《ふる》い拙《まず》い句である。こんな月並に耽《ふけ》っていた青年ごろから、自分の思索にはおぼろげながら親鸞《しんらん》がすでにあった。親鸞の教義を味解《みかい》してというよりも――親鸞自身が告白している死ぬまで愚痴鈍根《ぐちどんこん》のたちきれない人間として彼が――直ちに好きだったのである。  とかくわたくし達には正直に人へも対世間的にも見せきれない自己の愚悪《ぐあく》や凡痴《ぼんち》を、親鸞はいとも自然に「それはお互いさまですよ、この親鸞だって」と何のかざりもなくやすやすといってくれているので、あのひとですらそうだったかとおもい、以後どれほど、自分という厄介者《やっかいもの》に、また人生という複雑なものにも、気がらくになったことかしれない。  もっともそのころ一時文壇にも親鸞が思潮の大きな対象となり、若い文学心と若き親鸞の求道心とが、幾世紀もおいた後世で生々とふれあい、現実の社会を鐘とし親鸞を撞木《しゅもく》として、どんなひびきを近代人のこころに生むか? ――をしきりに書かれたり演劇化されたりしたことがある。大正十年前後のことだ。あきらかに私なども、その文芸|梵鐘《ぼんしょう》にひきつけられていたものに違いなく、有名な遺文の中の――「善人なおもて往生をとぐ、いかにいわんや悪人をや。」とか「親鸞は父母の孝養のためとて、念仏一返にてももうしたることいまだそうらわず。そのゆえは、一切の有情《うじょう》はみなもて世々生々《せせしょうじょう》の父母兄弟なり。」とか、また「親鸞は弟子ひとりももたずそうろう。」などという語は、わたくし達には、七世紀も前の古人の言というような気はしない。むしろ最も官能の正しくひろく澄みきった近代人の声として常に新しい反省と若い思索《しさく》をよび起されるのである。  そして親鸞の生涯したそのころの時代苦をおもい、今もかわらない人間の相《すがた》をかえりみると、自《みずか》ら下根《げこん》の凡夫といい愚禿《ぐとく》と称した彼の安心の住みかは、求めればいまでもたれの目の前にもあるのだという事実を観《み》ずにいられないのだった。けれどわたくしの場合はそれも信仰のかたちでなく憧憬の中にいつも育っていた。親鸞といえばすぐ青年時代の文芸梵鐘が同時にひびいてくるせいかもしれない。事実また親鸞ほど詩人的な肌あいをもった宗教人も世界に稀れであろう。  わたくしの作家生活と親鸞とは忘れ得ないものがある。いまおもえば恥かしい限りだが、私が初めて小説というものを書いた最初の一作が親鸞だったのである。当時わたくしはT新聞社の駈け出しの学芸部記者だった。三上於菟吉氏去り尾崎士郎氏退社し、そのあとへ入ったばかりで編輯の仕事すらろくにのみこめていなかった。その私へどうしたことか連載小説として親鸞伝を書けという社命なのである。いいつけた社も社であるがひきうけた私も私だ。知らないということほど気のつよいものはない。私は毎朝、他の同僚たちより二時間も早く出勤し、社用のザラ紙へ鉛筆書きで毎日の掲載分をその日その日書いた。下版《げはん》の時間が迫ると、工場の植字さんがやって来て私の肩越しに原稿をのぞきこみ「そこんとこは会話にしておきなさいよ」とか、ひどく時間がつまると「もう今日はこれでいい」と、まだ書いてるものを後ろから持って行ってしまったりした。  連載中もよく本願寺関係のひとや篤学家などに社へやって来られて、堂々たる親鸞論を以て駁《ばく》されるには閉口した。事《こと》信仰に関《かか》わるので読者の投書も痛烈だった。社内でも時代考証や文学論にやかましいのがいてゲラ刷りの出るたび手きびしくやッつけられた。何分、社では参考書も見ていられないので、途中からは帰宅後、家で夜半《よなか》に書いて行ったが、それでも思わぬ誤謬や不備を指摘されてきゅうきゅういわせられたことが幾度あったことかしれない。ついには社に行くこと屠所《としょ》の羊のごときものがあった。でもようやく何とか一年半余の連載を果した。それが「親鸞記」として社から出版の運びになったところで関東大震災が来た。かくて私の処女作は世間へ出ずに製本されたまま社屋とともに焼けてしまった。わたくしの出発にとっては意義のあるまた有難い業火《ごうか》であった。  中年になってふたたび親鸞を書いた。台日《たいにち》、福岡、名古屋、北海タイムス等、地方紙五社の連合掲載のために書きおろしたのであり、昭和十三年に刊行された講談社版の「親鸞」がそれである。新聞紙上の連載は三年近くにも及んだかとおもう。  十余年まえにいちど書いた基礎はあるが、わたくしはいろは[#「いろは」に傍点]の習い直しをやる気でそれをつづけた。こんどは作家生活の中でやれたので参考書も自由にえらび見ることができた。そしてこんどはつつがなく出版もされた。――だが自分の胸には依然T新聞社時代の痛い批判が消されることなくそのまま自省《じせい》のうちに残っていた。以後、わたくしの通ってきた人生も決して平坦ではなかったが、かえりみて自分がどれほど人間として成人したかをこの作品でみるとわれながら恥かしいと思わぬわけにゆかなかった。で、講談社刊行の一巻の序文にはこんな意味のことをしるした。 [#ここから2字下げ]  三十歳|台《だい》に書いた親鸞は、めくら蛇に怖《お》じずだったが、四十台になると生《なま》なか人生や人間を観《み》るにも、うす目のあいてきたせいか、深嶽《しんがく》に足をふみ入れたようなもので、かえって迷いにとらわれがちだった。正直にいえば親鸞をかくにはまだ自分が力不足だし何よりも人間がそこに至っていない。五十台になったらもう一ぺん書きあらためたい。 [#ここで字下げ終わり]  いまこの書が講談社から再刊となるにあたって、私は初版の序文に約した自己の良心にたいして、どうしても黙《もく》しているわけにゆかない。私の年齢はすでにさきの公約の時期に来ているからである。  ところが私はまだ三度めの親鸞をかいていない。いつかはと意欲は決して失っていないが、機に会わずにいるのである。また自分の成長も依然たる未熟にとどまっていることを知ってるからでもある。――が、出版社側のすすめとしては、それは将来の課題としておいて、現在の読書子にこの書を再刊する意義は充分にある。――おたがいがすでに痲痺を怖れあうほどにまで眼に見、肉体に知り、耳にききあいている敗戦後のひどい世相の転変と荒《すさ》んだ虚無感にたいし、またその中にもなお何か求めてやまぬ人たちへたいしても――と熱意をかえない希望なのである。著者としてはさきの序文の公約もあるし、さまでには――と青年時代の山を見ぬ猟夫の意気にもなれない躊躇《ちゅうちょ》をなお持つのだったが、終戦以後、出ずべくして出でない宗教小説ないし宗教面の書のこれが一投石ともなれば再刊もまた多少の意義にはなろうかなどとも思い直してみた。その結果、多少の加筆校訂をする程度でついに出すことにしたわけである。諸子のご諒恕《りょうじょ》を仰いでおく。  内容についても、一言附しておきたい。  親鸞の出現は、その時代にあっては、実に宗教の世界ばかりでなく、思想の上にも、庶民生活にも劃期的な変革をよび起した先駆者の炬火そのものだった。  久しいあいだの貴族宗教の弊《へい》や門閥教団の害を彼は打ちやぶった。法悦の楽土を殿堂の神秘から庶民社会へひき下ろした。また秘仏の壮厳《しょうごん》よりも赤裸な人間のなかに菩提の因子《いんし》を求めて、これに偽《いつわ》りのない平明な教義を附したのも彼だった。いわば平民主義新宗教の宣布者であり、日本では前後に見ない民主的な教義をひっさげて出た革新児であった。  だが、その親鸞においてすら、伝記の史料となると、偶像の瑤珞《ようらく》や粉飾《ふんしょく》とひとしく、余りに常套的な奇蹟や伝説が織りまぜられていて、これの科学的な分解と小説的調整は決して容易なことではない。  月の世界に兎がいるとしていた時代には、事実、月の世界に兎が見えていたのであるから、それらの奇蹟伝説も、かつては一価値のものであったにはちがいないが、現代人にはそのままうけ入れられるはずもない。当然、わたくしの小説構成の上ではそうした既成構造がかなり変更され、また敢て無視した箇所もあり、創意も加えられてあることを憚《はばか》りなくいっておく。そしてただ著者の惧《おそ》れるのは、旧著の不備と、菲才にして懶惰《らんだ》、まだ十年の約を果していない罪とである。ふかくお詫びするのほかはない。 [#2字下げ]昭和二三・初冬 吉野村菴にて [#地から2字上げ]著者 [#改丁] [#1字下げ][#大見出し]乱国篇[#大見出し終わり] [#3字下げ][#中見出し]第一の声[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  朱雀《すじゃく》の辻に、鈴《れい》を鳴らして、今朝から、喚《わめ》いている男があった。  蜂《はち》にでもさされたのか、陽にやけた顔が、腐《くさ》った柘榴《ざくろ》みたいに凸凹《でこぼこ》にゆがんでいる。大きな鼻と、強情《ごうじょう》らしい唇を持ち、栗のイガみたいに、ぼうぼうと伸びた坊主頭には、白い埃《ほこり》がたかっていた。  年ごろは、そんな風なので、見当がつかない。三十とも見えるし、四十かとも思われる。身は、やぶれ衣《ごろも》に、縄《なわ》の帯《おび》一つ。そして、沓《くつ》よりは丈夫らしい素裸足《すはだし》で、ぬっと、大地から生《は》えているというかたちである。  りいん! りいん! 振り鳴らす鈴《れい》の音《ね》も、凡《なみ》な力ではないのだった。群衆は、取りまいて、 「何じゃ」 「どこの山法師かよ」と囁《ささや》き合った。  残暑の往来を、牛車《ぎっしゃ》が、埃《ほこり》をたてて軋《きし》る。貴人の輿《こし》が通って行く。  また、清盛入道の飛耳張目《ひじちょうもく》――六波羅童《ろくはらわっぱ》と呼んで市人《まちびと》に恐れられている赤い直垂《ひたたれ》を着た十四、五歳の少年らが、なにか、平相国《へいしょうこく》の悪口でも演じているのではないかと、こましゃくれた眼を、きょろきょろさせ、手に鞭《むち》を持って、群れの蔭からのぞいている。  だが、男は、憚《はばか》らない大声で、自分のシャがれ声に熱し切ると、われを忘れたように、右手の鈴《れい》を、宙《ちゅう》にあげて、 「清聴《せいちょう》っ、清聴っ――」と呶鳴った。 「――沙弥文覚《しゃみもんがく》、敬《うやま》って、路傍の大衆《だいしゅ》に申す。それ、今《いま》世《よ》の相《すがた》を見るに、雲上の月は、絶えまなく政権《まつり》の争奪と、逸楽の妖雲に戯《たわ》むれ下天《げてん》の草々は、野望の武士の弓矢をつつむ。法城は呪詛《じゅそ》の炎に焼かれざるはなく、百姓、商人、工匠《たくみ》たちの凡下《ぼんげ》は、住むべき家にも惑《まど》い、飢寒《きかん》に泣く。――まず、そうした世の中じゃ。――そうした世に生きる人間どもは、必然、功利に溺れ、猜疑《さいぎ》深く、骨肉|相食《あいは》み、自己を省《かえり》みず、利を獲《う》れば身をほろぼし、貧に落つれば、人のみを呪《のろ》う。富者も餓鬼《がき》! 貧者も餓鬼! そして、滔々《とうとう》と、この人の世を濁流にする――」額《ひたい》に汗をして、そこまで、一息にいった。  そして、りいん! とさらに、鈴を振りかけると、 「乞食《こじき》法師、待てっ」誰か、呶鳴った。  赤い直垂《ひたたれ》が、人垣を掻きわけて、前へ出てきた。 (六波羅小僧)人々は、眼と眼で、ささやき合った。不安な顔をして、法師の鈴と、少年の鞭《むち》とを、見較《みくら》べた。法師は、傲然《ごうぜん》と、 「何かっ」と、いった。  平家の庁《ちょう》の威光をかさに着て、いかにも、小生意気《こなまいき》らしい町隠密の少年は、鞭で、大地をたたきながら、 「おのれは今、――富者も餓鬼、――貧者も餓鬼、――そして、雲上は政権《まつり》の争奪と、逸楽の妖雲におおわれていると」 「ははは……人の話は、仕舞いまで聞け、それは、昨日《きのう》の源氏の世をいうたのだ。……これから、今日のことをいう。だまって、そこにいて、聞いておれ!」  鈴《れい》を、ふところに入れて、その懐中《ふところ》から、文覚《もんがく》は、何やら、紙屋紙《かみやがみ》に書いた一連の反故《ほご》を取り出した。 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり] 「これは、勧進《かんじん》の状」文覚は、群衆へいって、それから、おもむろに書付をひろげだした。  眼の隅から、刎《はじ》き飛《と》ばされたように、六波羅|童《わっぱ》は、手もちぶさたに、人混みの中へ、引っ込んでしまう。 (ざまを見ろ)というように、人々は、赤い直垂《ひたたれ》の尻を、眼で嗤《わら》った。  文覚は、勧進の文《ふみ》をひろげ、胸をのばして、さてまた、大声を揚げ直した。 「――今、いったは、昨日のこと。さても明日の世はまた、冥々《めいめい》としてわからない。今日が、平和というたとて、生死流転《しょうじるてん》、三界苦海、色に、酒に、金に、跳猿《ちょうえん》の迷いから醒《さ》めぬものは、やがて、思い知る時があろうというもの。白拍子《しらびょうし》の、祇王《ぎおう》ですらも歌うたではないか―― [#ここから2字下げ] 萌《も》え出《いず》るも 枯るるも同じ 野辺の草 いずれか 秋にあわで果つべき [#ここで字下げ終わり]  心し給え、大衆《だいしゅ》。いずれか秋にあわで果つべきじゃ。ここに不肖《ふしょう》文覚、いささか思いをいたし、かくは路傍に立って、われらの同血に告ぐるゆえん。ねがわくは、貴賤《きせん》道俗の助成によって、高雄山《たかおさん》の霊地に、一院を建立《こんりゅう》し二世安楽の勤行《ごんぎょう》を成就《じょうじゅ》させ給え」と眸《ひとみ》をあげた。  燃えるような眸である。人間同志の今の不安を見過し得ない憂世《ゆうせい》の血が、その底を流れている。咳《がい》一咳《いちがい》して、 「よって、勧進の状」と、手にひろげていた文を高々と読みはじめた。 [#ここから2字下げ] それ惟《おもん》みれば 真如《しんにょ》広大なり 法性随妄《ほっしょうずいもう》の雲 あつく覆《おお》って 十二因縁《じゅうにいんねん》の峯にたなびきしより この以降《かた》 本有《ほんう》心蓮の月のひかり 幽《かす》かにして まだ、三毒四曼《さんどくしまん》の太虚《たいきょ》に あらわれず 悲しいかな 仏日はやく没して 生死流転の巷《ちまた》冥々《めいめい》たり ただ色に耽《ふけ》り、酒にふける いたずらに人を謗《ぼう》し また世を毒す 豈《あに》、閻羅《えんら》獄卒の責めを免《まぬが》れんや ここにたまたま、文覚《もんがく》 俗を払い法衣《ほうえ》を飾るといえども 悪行なお心にはびこり 善苗《ぜんびょう》[#ルビの「ぜんびょう」は底本では「ぜんぴょう」]、耳に逆《さから》う いたましいかな 再び三途《さんず》の火坑《かこう》に回《めぐ》り 四生《ししょう》の苦輪《くりん》を廻らんことを 故に、われ 無常の観門に涙し 上下の真俗をすすめて 菩提《ぼだい》の悲願に結縁《けちえん》のため 一《ひとつ》の霊場を建てんとなり それ、高雄は山高うして 鷲峯山《しゅうほうざん》の梢《こずえ》に表し…… [#ここで字下げ終わり]  声かぎり読んでゆくうち、汗はだくだくと彼の赤黒い顔に筋を描いているのだった。群衆は一人去り、二人去って、誰も、懸命な彼の声に、衝《う》たれている者はなかった。 (なんじゃ、また勧進か)大衆は、銭乞いに、懲《こ》りている。惜《お》しげなく、彼を残して、散ってしまう。ただ一人、立ち残って、 「おい、盛遠殿《もりとおどの》」と呼びかけた旅商人《たびあきゅうど》がある。 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり] 「盛遠殿」旅商人はまた、辻の柳樹《やなぎ》の蔭から声をかけて、 「もう誰も、お身のまわりに聞いている者はないぞ。――盛遠殿」文覚は、はっと、勧進の文《ふみ》から顔を離して、いつのまにか、犬もいない辺りの空地に、舌うちをした。そして、腹だたしげに、 「やんぬるかな!」つぶやいて、勧進の文をぐるぐると巻き、ふところに突っ込んで、歩みかけた。  すると、日除笠《ひよけがさ》で顔を縛《しば》った旅人は、ついと、彼のそばへ寄ってきて、文覚の肩をたたいた。文覚は、じろりと眼を向けて、 「おう。堀井弥太《ほりいやた》か」初めて、驚いたらしい顔をして手をのばした。  弥太と呼ばれた旅の男は、なつかしげに、握り合った手を、なぜか急に離して、 (しっ……)と、眼じらせをしながら、路傍《みちばた》へわかれた。  さっきの赤直垂《あかひたたれ》の小僧が、ちんと、手洟《てばな》をかみながら、二人のあいだを、威張って通って行った。そして、小馬鹿にしたような眼を振向けて、ヘヘラ笑いを投げた。  旅商人は、その眼へ、わざと見せるように、ふところ紙を出して、銭をつつんでいた。そして、文覚の手へ、 「御寄進――」といって、渡した。 「や」文覚は、真面目に受けとって、押しいただいた。 「一紙半銭のご奉加も、今の文覚には、かたじけない。路傍にさけんでも、人は、耳をかさず、院の御所へ、合力《ごうりき》をとて願いに参れば、犬でも、来たかのように、つまみ出される……」  旅商人《たびあきゅうど》の堀井|弥太《やた》は、先へ、足を早めながら、 「磧《かわら》へ」と、顎《あご》をしゃくって、見せた。  頷《うなず》きながら、文覚は、てくてくと後からついてゆく。牛の糞《ふん》と、白い土が、ぽくぽくと乾いて、足の裏を焦《や》くような、京の大路であった。  だが、加茂《かも》の堤に出ると、咸陽宮《かんようきゅう》の唐画《からえ》にでもありそうな柳樹《やなぎ》の並木に、清冽《せいれつ》な水がながめられて、冷《ひや》りと、顔へ、濡《ぬ》れ紙《がみ》のような風があたる。 「ここらでよかろう」二人は堤《どて》に坐った。汗くさい文覚の破《や》れ衣《ごろも》に、女郎花《おみなえし》の黄いろい穂がしなだれる。 「しばらくだなあ」弥太がいうと、 「無事か」と、文覚もいう。 「いや、俗身はそこもとのように、なかなか無事ではない」 「俺とても、同じことだ」からからと、文覚は、笑って、 「聞かぬか、近頃の噂《うわさ》を」 「今日、京都《みやこ》へついたばかり。何のうわさも聞いておらぬ」 「そうか。……実は、神護建立《じんごこんりゅう》の勧進《かんじん》のため、院の御所へ踏み入って、折から、琵琶《びわ》や朗詠に酒宴《さかもり》していた大臣《おとど》どもに、下々《しもじも》の困苦の呪《のろ》い、迷路の呻《うめ》きなど、世の実相《さま》を、一席講じて、この呆痴輩《たわけばら》と一喝《いっかつ》した所、武者所の侍どもに、襟がみ取って抛《ほう》り出され、それ、その時の傷や瘤《こぶ》が、まだこの頭から消えておるまいが……」イガ栗の頭を撫《な》でて、笑いながら示すのだった。顔の凸凹に腫《は》れ上《あ》がっているのも、その時の棒傷《ぼうきず》であったらしい。 [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり]  文覚は、まだ十九の頃に、若い髻《もとどり》を切って、大峰《おおみね》、葛城《かつらぎ》、粉河《こかわ》、戸隠《とがくし》、羽黒、そしてまた那智《なち》の千日籠《せんにちごも》りと、諸山の荒行を踏んできた、その昔の遠藤武者《えんどうむしゃ》盛遠が成れの果てであった。どこかに、面影がある。  いや、ありすぎる――と旅商人《たびあきゅうど》の堀井弥太は、そう思いながら、彼の磊落《らいらく》な話しぶりに、誘いこまれて、腹をかかえた。 「はははは。――道理で、疱瘡神《ほうそうがみ》のように、顔も頭も、腫《は》れておる」 「まだ、いたい」 「懲《こ》りたがよい」 「何の、懲りる男じゃない」 「法衣《ころも》はきても相かわらずの武者魂《むしゃだましい》、それでこそ、生きている人間らしい」 「生れ変ってこぬうちは、その魂というやつ、氷の上に坐らせても、滝に打たせても、たやすくは、変らぬものじゃて」 「わけて弓矢にきたえられた根性は。――したが一別以来、お互いに、変らぬ身こそ、まずめでたい」 「いや、おぬしの身装《みなり》は、ひどう変っておるぞよ。初めは、誰かと見違えた」 「これは砂金売《かねう》りの旅商人《たびあきゅうど》、よも、侍と見るものはあるまい」 「陸奥守藤原秀衡《むつのかみふじわらのひでひら》が身うち、堀井弥太ともある者が、いつの間に、落魄《おちぶ》れて、砂金商人《かねあきゅうど》にはなりつるか、やはりおぬしも、無常の木々の葉――。梢《こずえ》から、何かの風に、誘われたな」 「何の」と、弥太は手を振った。 「これは、世をしのぶ、仮の姿じゃ」 「さては、京都《みやこ》へ、密使にでも来たという筋あいか」 「ま、そんなもの」 「俺の身の上ばかり糺《ただ》さいで、その後のおぬしの消息、さ、聞こう。――それとも、旧友文覚にも、洩らせぬほどの大事か」 「ちと、言い難《にく》い」 「では聞くまい」 「怒ったか」 「ム、怒った」文覚は、わざと、むっとして見せたが、すぐ白い歯を剥《む》きだして、 「そういわずと、話せ。法衣《ころも》は着ても、性根は遠藤盛遠、決して、他言はせぬ」 「…………」弥太は、立って、堤のあなたこなたを、見まわしていた。頭に物を乗せた大原女《おはらめ》が通る。河原の瀬を、市女笠《いちめがさ》の女が、女《め》の使童《わらべ》に、何やら持たせて、濡れた草履で、舎人町《とねりまち》の方へ、上がってゆく。  ほかには、蝉《せみ》の音《ね》と、水のせせらぎと、そして白い水鳥の影が、気《け》だるく、淀《よど》に居眠っているだけである。 「盛遠」坐り直すと、 「わしの名は、文覚。盛遠は、十年も前に捨てた名まえ、文覚と呼んでくれい」 「つい、口癖が出てならぬ。ならばついでに、俺の変名《かえな》も、おぼえておいて、もらおうか」 「ほ。名を変えたか」 「旅商人《たびあきゅうど》が、堀井弥太では、おかしかろう。――一年に一度ずつ京都《みやこ》へ顧客《とくい》廻りに来る、奥州者の砂金売《かねう》り吉次《きちじ》とは、実は、この弥太の、ふたつ名前だ」 「え。吉次」 「そう聞いたら、何か、思いだしはせぬか」 「思いだした。……おぬし、鞍馬《くらま》の遮那王《しゃなおう》様へ、密《ひそ》かに、近づいているな」 [#7字下げ][#小見出し]五[#小見出し終わり]  鞍馬の遮那王《しゃなおう》。ずば[#「ずば」に傍点]と、そういったのである。  この金的は、よも外《はず》れてはいまい――というように、自信をもった眸《ひとみ》で、文覚《もんがく》は、じいっと、相手の顔いろを見る。 「……うむ」堀井|弥太《やた》の砂金売《かねう》り吉次は、えくぼをたたえて、頷《うなず》いた。ふとい――大きな息で、 「……そうか」文覚も、うなずき返した。  遮那王といえば、源家の嫡男《ちゃくなん》、前左馬頭義朝《さきのさまのかみよしとも》の末子で、幼名《おさなな》を、牛若といった御曹子《おんぞうし》のことだ。常磐《ときわ》とよぶ母の乳ぶさから捥《も》ぎ離《はな》されて、鞍馬寺へ追い上げられてから、もう、十年の余になる。 「…………」文覚は、黙って、指を繰っていた。弥太の吉次も、黙然《もくねん》と、大文字山の雲を見ていた。 「今年は、承安《じょうあん》三年だな」 「さよう――」 「すると、遮那王様には、お幾歳《いくつ》になられるか」 「十五歳」吉次が、答えると、 「ほ……。はやいものじゃ。もう、あの乳くさい源家の和子《わこ》が、お十五にも相成ったか」 「文覚、おぬしも稀《まれ》には、お会いなさるか」 「いや、一昨年《おととし》、書写山《しょしゃざん》に詣《もう》でた折、東光房の阿闍梨《あじゃり》を訪ねて、その折、給仕に出た稚子《ちご》が、後で、それと聞かされて、勿体ない茶を喫《の》んだわと、涙がこぼれた。――噂によれば、僧正《そうじょう》ヶ|谷《だに》や、貴船《きぶね》の里人《さとびと》どもも、もてあましている暴れン坊とか」 「さればさ、寺でも、困っておるらしい」 「その困り者へ、眼をつけて、はるばる奥州路から年ごとの鞍馬|詣《もう》では……。ははあ、読めた」小膝を打って、 「――奥州|平泉《ひらいずみ》の豪族が、奢《おご》り振舞う平氏の世を憎んで、やがて源家へ加担《かたん》の下地でなくて何であろう。これは、世の中が、ちと面白くなりそうだの」それには答えないで、 「おや」吉次は、空を仰向《あおむ》いた。ポツ、と雨が顔にあたる。  加茂の水には、小さな波紋へ、波紋が、無数に重なった。東山連峰の肩が、墨の虹を吐き流すと、蒼空《あおぞら》は、見るまに狭められて、平安の都の辻々や、橋や、柳樹《やなぎ》や、石を載せた民家の屋根が、暮色《ぼしょく》のような薄暗い底に澱《よど》んでゆく。 「ひと雨来るな」文覚も、立ちあがって、 「弥太。――いや奥州の吉次殿、して、宿は」 「いつも、あてなしじゃ。塒《ねぐら》を定めぬほうが、渡り鳥には、無事でもあるし……」 「高雄の神護寺《じんごじ》へ参らぬか」 「いや、さし当って、日野《ひの》の里まで参らねばならぬ」 「日野へ。何しに?」 「遮那王《しゃなおう》様のお従姉《いとこ》がいらせられて、いつも、鞍馬へのお言《こと》づてを聞いてゆくのだ」 「はて、誰だろう?」 「また、会おう。――そのうちに」 「うむ、気をつけて行くがいいぞ」 「おぬしこそ」二人は、別れ別れに、駈けだした。楊柳《かわやなぎ》の並木が、白い雨に打ち叩かれて、大きく揺れている中を。 [#7字下げ][#小見出し]六[#小見出し終わり] 「雨は、やんだかよ」 「やんだらしいぞ」どこかで、誰か、つぶやいた。  兵燹《へいせん》で、半焼けになったまま、建ち腐れになっている巨《おお》きな伽藍《がらん》である。そこの山門へ駈けこんで雨宿りをしていた砂金売《かねう》り吉次《きちじ》は、そっと首を出してみた。  町は、もう、たそがれている。濡れた屋根の石が、夕星《ゆうずつ》の光に魚みたいに蒼《あお》く光る。どこかで、ぱちぱちと火のハゼる音がするのだった。赤い火光が、山門の裏から映《さ》してくる。そこから、がやがやと、 「阿女《あま》、何を、うまそうに、さっきから、ぴちゃぴちゃと、嘗《ねぶ》っているだ、俺にも、分前《わけまえ》をよこせ」 「嫌《や》だよう」 「吝《しみ》ッたれめ、よこさぬか」 「鶏《とり》の骨だに、分けようがないだよ。なあ、菰僧《こもそう》さん」 「鶏《にわとり》を盗んできて、この阿女《あま》め一人で腹を肥《こや》してくさる」 「その、味噌餅くれれば、鶏《とり》の片股をくれてやるだ」 「ふざけるな」 「だって、おら、子持ちだから。他人《ひと》よりは、腹がすくのは、当りめえだに。……あれっ、嫌《や》だっていうに、傀儡師《くぐつし》さんよ、その、鶏《とり》の骨、奪《と》り返してくんな」餓鬼のように何か争っているのである。覗《のぞ》いてみると、女のお菰《こも》だの、業病《ごうびょう》の乞食《こつじき》だの、尺八を持った骸骨《がいこつ》みたいな菰僧《こもそう》だの、傀儡師だの、年老いた顔に白いものを塗っている辻君だの、何して喰べ何しに生きているのやら分らない浮浪人の徒が、仁王《におう》のいない仁王門の一廓《いっかく》を領して、火を焚《た》いたり着物を干したり、寝そべったり、物を食ったり、宛《えん》として、一つの餓鬼国《がきこく》を作っている。  院の御所とか、六波羅《ろくはら》の館《やかた》とかまた平家の門葉《もんよう》の第宅《ていたく》には、夜となれば月、昼となれば花や紅葉、催馬楽《さいばら》の管絃の音《ね》に、美酒と、恋歌《こいうた》の女性《たおやめ》が、平安の夢を趁《お》って、戦いと戦いとの、一瞬の間を、あわただしく、享楽しているのであったが、一皮《ひとかわ》剥《む》いた京洛《みやこ》の内部には、こうした、飢《う》えと飢えとの寄り合い家族と、家なき浮浪人が、空寺《あきでら》、神社、辻堂、石垣、およそ屋根と壁の形さえあれば――そして住む主《ぬし》さえいなければ――巣を作って、虫螻《むしけら》のごとく、獣《けだもの》のごとく、生きていた。 (噂より、ひどい)吉次は、異臭に、顔をひそめながら、衝《う》たれて、見ていた。 (――五穀《ごこく》にも、風土にも、また唐土の文化にも恵まれぬ奥州《みちのく》でさえ、こんな図はない)  憮然《ぶぜん》として、吉次は、見ていた。まざまざと、悪政の皮膚病がここにも膿《うみ》を出しているのである。平家の門閥《もんばつ》が、民を顧《かえり》みるいとまもなく、民の衣食を奪って、享楽の油に燃し、自己の栄耀《えよう》にのみ汲々《きゅうきゅう》としている実相《さま》が、ここに立てば、眼にもわかる。 (これでいいのか)天に問いたい気がした。 (どうかしなければならない。――神の力でも、仏の力でも駄目だ、兵燹《へいせん》は、神をも、仏をも、焼いてしまったではないか。――人の世を正しく統《す》べるものは、人の力だ、真実の人間だ。ほんとうの人間こそ、今の時世に、待たれるものだ)  そう考えて、彼は、鞍馬の遮那王《しゃなおう》に近づきつつある自身の使命に重大な任務と、張合いを感じた。 「やいっ、誰だ」すると、一人の乞食《こつじき》が、彼を見つけて、咎《とが》めた。 [#7字下げ][#小見出し]七[#小見出し終わり]  去りかけるとまた、 「やいっ、何だ汝《わり》ゃあ?」傀儡師《くぐつし》だの、菰僧《こもそう》だのが、起《た》って来そうにしたので、 「へい」吉次は、戻って、 「雨宿りをしていた旅人でございます」 「旅鴉《たびがらす》か」 「やみましたから、出かけたいと思いますが、日野の里へは、まだ、だいぶございましょうか」 「日野なら、近いが、日野のどこへ行くのだ」 「藤原有範《ふじわらのありのり》様のお館まで。はい、使いに参りますので」 「あ、あのお慈悲ぶかい吉光御前《きっこうごぜん》様のお住居《すまい》だよ」頓狂《とんきょう》な声をして、女のお菰《こも》が立った。  すると、浮浪たちも、にわかに丁寧になって、 「吉光御前様のところへ行かっしゃるなら、誰か、案内してあげやい」 「おらが行こう」竹の棒を持った河童《かっぱ》みたいな小僧が、吉次の側へ寄ってきて、 「旅人、案内しよう」 「すまないな」 「なあに、吉光御前様には、おらたち、どれほど救われているかしれないのだ。あのお館《やかた》は、そういっちゃ悪いが、落魄《おちぶ》れ藤家《とうけ》の、貧乏|公卿《くげ》で、ご全盛の平家とちがい、築地《ついじ》の崩《くず》れも修築《つくろ》えぬくらいだが、それでいて、俺たちが、お台所へ物乞いに行っても、嫌な顔をなされたことはない……」  一人がいうと、女のお菰《こも》も、 「冬が来れば、寒かろうとて、わしらばかりでなく、東寺《とうじ》や、八坂《やさか》の床下に棲《す》む子らにまで、古いお着物は恵んで下さるしの」口をそろえて、その他の浮浪たちもいうのであった。 「化粧《けわい》に浮身を窶《やつ》すおしゃれ女や、身の安楽ばかり考えている慾ばり女は、お館という厳めしい築地の中にうんといるが、あんなやさしい女性《にょしょう》が、今の世のどこにいるかよ。――あのお方こそ、ほんとうの、観世音菩薩《かんぜおんぼさつ》というものだろう」 「そういえば、如意輪《にょいりん》観世音がご信仰で、月ごとに、ご参詣に見えておいでだが、この春ごろからお姿を見たことがない。――もしや、お病褥《いたつき》ではないかと、わしらは、案じているのじゃ」  鶏《とり》の骨を嘗《ねぶ》りながら、女のお菰は、そういって、山門の外まで、送ってくる。  吉次は、心のうちで、うれしかった。その吉光御前というお方こそ、自分が主命をうけて、機会さえあれば世に出そうと苦心している鞍馬の稚子《ちご》遮那王《しゃなおう》の従姉《いとこ》にあたる人なのであった。 「水溜《みずたま》りがあるぜ、小父さん」河童《かっぱ》は、竹の棒で、真っ暗な地をたたいて、先に歩いていく。  鼻を抓《つま》まれてもわからない小路《こうじ》の闇に、野良犬が、吠《ほ》えぬいている。犬すら、飢えているように、しゃがれた声に聞えた。  小川がある、土橋を越える。やや広い草原をよぎると、河童は、竹の先っぽで、 「あそこに、大銀杏《おおいちょう》が見えるだろう」と、指《さ》していった。 「……あの銀杏のそばの土塀が、正親町《おおぎまち》様だよ。藤原|有範《ありのり》様のお館《やかた》は、あそこを曲がると、すぐさ」 「や、ありがと」道をすすんで、二人は目じるしの大銀杏を横に曲がりかけた。すると河童は、何かに、驚いたように、 「おやっ?」と、立ちすくんでしまった。 [#7字下げ][#小見出し]八[#小見出し終わり] 「なんだ? ……、なんだろう……あれは?」河童は、眼を大きくしたまま、怯《おび》えたように、そうつぶやいた。 「あ――」吉次も、その前に、足をとめていたのだった。  二人とも、呼吸《いき》をのんだ。そこの大銀杏から小半町先の一廓《ひとかこ》いに、館構《やかたがま》えが見え、古びた殿作《とのづく》りの屋根が、墨で刷《は》いたように、赤松の梢《こずえ》と、築地《ついじ》の蔭に、沈んでいる。それはいい。  それはさっき河童がいった有範|朝臣《あそん》の館にちがいないのである。しかし、二人は、そのほかに、異《い》なものを見たのであった。  異なものというのは、そこを曲がった途端に、眼を射た光である。およそ、夜といえば、光に乏しい世界に住んでいる人間にとって、光ほど、尊く、有難く、また、妖《あや》しく考えられるものはなかった。  その光だった。白い虹といおうか、彗星《ほうきぼし》の尾のような光が、有範|朝臣《あそん》の屋《や》の棟《むね》とおぼしい辺りから燿々《ようよう》と映《さ》して、二人が、(あっ?)といった間に、眼を拭《ぬぐ》ってみれば、何事にも思えない元の闇なのであった。 「見たか、お前も」 「見た」と、答えて、河童《かっぱ》は急に、 「小父さん、おら、ここで帰るよ」尻ごみをした。 「ご苦労だった」吉次は、銭を与えて、 「――今の光ものを、お前は何だと思う?」 「わかんない」 「俺にもわからぬ。ふしぎなこともあるものだ」 「皆んなに、話してやろう」 「こらこら、うかつなことを、言い触らしてはいけないぞ」 「ああ!」河童は、鴉《からす》みたいな返辞を投げて、一目散に、もとの道へ、駈けて行った。  砂金《かね》売りの吉次は、築地《ついじ》の外に立った。どこを眺めても、盲目《めくら》のように門が閉まっている。雑草が、ほとんど、門の腰を埋めているのである。野良犬ならば、すぐ跳び越えられるように、崩れている所もある。蔓《かずら》の絡《から》んでいる椋《むく》の樹の上で、キチキチと、栗鼠《りす》が啼いた。 「変遷《かわ》るなあ……世の中は」しみじみと、彼は、思う。  藤原氏の一門といえば、人間のなしうる豪華な生活図を地上に描き尽したものである。それが、武家同士の興亡となり、武家政治となり、今の平家の全盛になってからは「落魄《おちぶ》れ藤家《とうけ》」と嘲《あざ》けられて、面影もない存在になってしまった。狐狸《こり》でも住みそうな、この古館《ふるやかた》のしいんとしていることはどうだ。灯《ひ》の気《け》も見えぬし、犬すらもここにはいないとみえる。  とん、とん、とん……試みに、裏門とおぼしい所を、吉次は、そっと叩いてみた。そして、低声《こごえ》で、 「こん晩は――」何度か、訪れてみた。 「駄目だ」考えていたが、やがて、小石をひろって、侍部屋らしい屋根を目あてに、投げつけた。  蔀《しとみ》を上げる音がした。――間もなく、壺《つぼ》のうちで、灯《あか》りが揺らぐ、そして、木履《ぼくり》の音が、カタ、カタ、と近づいてきた。 [#7字下げ][#小見出し]九[#小見出し終わり] 「誰じゃ」姿は見えない。門をへだてて、中にいる侍が訊《たず》ねた。 「砂金《かね》売りの吉次《きちじ》と申しまする。お館《やかた》様か、御奥《おんおく》の方《かた》に、さよう、おつたえ下されば、おわかりでございまする」 「吉次?」考えているらしい。  雨あがりの草叢《くさむら》に、虫が啼《な》きぬれている。吉次はまた、ことばを足《た》して、 「――奥州の堀井|弥太《やた》と仰っしゃってくだされば、なおよくお分りのはずでございます。かねがね、ご書状をもちまして」いいかけると、ガタンと、門の扉《と》がうごいて、 「秀衡《ひでひら》殿のお身内人《みうちびと》、堀井殿か」 「いかにも」 「それは、失礼を――」すぐ開けて、 「拙者はいつも、おん奥の御代筆を申し上げ、また、そちらよりの御書面にも、拙者の宛名で御状をいただいておる、当家の家来、侍従介《じじゅうのすけ》でござる」と二十歳《はたち》ぐらいな若侍が顔を出した。 「や、そこもとが」 「初めて、御意を――」二人は、旧知のように、あいさつを交わした。 「おん奥の方には、先つ頃、上洛《のぼ》りました節、清水《きよみず》の御堂《みどう》のほとりで、よそながらお姿を拝したことがござりますが、お館《やかた》には、今宵が初めて」 「よう御座った、まず」と、内に入れて、侍従介は、門を閉めた。  壺の内も外も、境のないほど、秋葉が生《お》いしげっている。まだ、萩に早く、桔梗《ききょう》も咲かぬが、雨後の夜気は、仲秋のように冷々《ひえびえ》と感じる。  召使も、極めて少ないらしい。侍《さむらい》部屋へ通されて、吉次は、畏まっていたが、燭《しょく》を運ぶのも、茶を煮てくるのも、みな侍従介だった。しかし、ここに入ってから感じたことは、外から見たようすとはちがって、なにか、藹々《あいあい》とした和《なご》やかな家庭味とでもいうものが、さすがに教養の高い藤原氏の住居《すまい》らしく、身をくるんでくれることだった。あら削りな武人の家庭や、でなければ、浮浪の餓鬼《がき》の生活にしか接してない吉次には、 (やはり、ゆかしいものがある……)とそこらの調度や、どこかで薫《くゆ》らしている香木《こうぼく》のかおりにも、そう思えた。 「失礼いたした」侍従介は、座に着いて、 「実は、ちと、お館におとり混みがござるので」 「ほ」吉次は、途中で耳にした噂を想いだして、 「どなたか、ご病人でも」 「なんの」と笑った。その侍従介の顔の明るさに、彼は、むしろ意外な気持がした。 「およろこびごとでござる。――この春、承安《じょうあん》の三年|弥生《やよい》の朔日《ついたち》、珠《たま》のようなお子様がお生れ遊ばしたのでござる。それがため御当家は百年の春が回《めぐ》ったように、お館様も、おん奥の方も、御一門の若狭守《わかさのかみ》様も、宗業《むねなり》様も、朝に夜に、お越しなされて、あのとおり、奥でのお団欒《まどい》。折から今宵は、お喰べ初《ぞ》めとやら、お内輪の祝いでな」  吉次は、そう聞くと、とたんに、ここへ来る前に見た、屋《や》の棟《むね》の光を想いだしていた。 [#7字下げ][#小見出し]十[#小見出し終わり] 「で……お目通りはなりかねるが、貴所の来られたこと、お取次ぎはしておいた」侍従介《じじゅうのすけ》は、そういった。  しかし、吉次の用件よりは、彼自身、一緒になって、主家の慶事にほくほくしていて、すぐ、そのほうに、話題をもどすのだった。  お子は、いと健《すこ》やかで、貴相気高く、珠のような男子《おのこ》であること。  また、おん名は、母|御前《ごぜん》の君が、胎養《たいよう》のうちに、五葉の松を夢見られたというので、十八公麿《まつまろ》君と名づけられたということ。また、十二ヵ月も、御胎内にあったということ。  それから――母の吉光《きっこう》御前が、なみならぬご信仰であったせいか、御入胎《ごじゅたい》のまえに、如意輪観世音《にょいりんかんぜおん》のお夢をみられたり、そのほかにも、いろいろな奇瑞《きずい》があったということ。  そしてまた、さる聖《ひじり》が、わざわざ訪ねてきていうようには、今年は、釈尊《しゃくそん》滅後二千一百二十二年にあたる、あるいは、霊夢やもしれぬ。松は十八公と書く、弥陀正因本願《みだしょういんほんがん》の数につうじる。この嬰児《やや》こそ、西方弥陀如来《さいほうみだにょらい》のご化身《けしん》ぞとおもうて、よくよく慈《いつく》しまれたがよい――と、母体の君の枕べを、数珠《じゅず》をもんで伏し拝んで去ったということ。  彼の話は尽きない。吉次も、耳よりな話と、心にとめて、聞いていた。  鞍馬の御曹子《おんぞうし》に告げたらば、さだめし、一人の源家の味方がふえたと、力づよくも思われよう。すると、奥まった東の屋《おく》で、 「侍従介《じじゅうのすけ》」と、誰やらが呼ぶ。 「はい」会釈《えしゃく》して、彼は、立って行った。  この次、遮那王《しゃなおう》に会う時には、ちと、渡して欲しい物があるゆえ、立ちよってもらいたい――と、かねて、吉光《きっこう》御前からの書面の約束で、吉次は、来たのであった。 (お従弟《いとこ》へ、渡してくれとは、一体、何かな)吉次は、しびれた足を、少しくずして、待っていた。そして、吉光御前の、初産《ういざん》の美を、そっと、瞼《まぶた》で想像した。  一、二度、清水《きよみず》のあたりで、姿はよそながら見たことがある。まだ、年もお若いはずだ。人妻でこそあるが、まことに、清純な麗人でおわした印象が今もふかい。気品においては、源家の正統、鎮守府将軍義家《ちんじゅふしょうぐんよしいえ》の嫡男《ちゃくなん》、対馬守義親《つしまのかみよしちか》の息女、云い分のあろうわけはない。  同じ、義家将軍を祖父として、源|義朝《よしとも》は、いうまでもなく、彼女の従兄《いとこ》にあたるが、その義朝こそは、平相国清盛《へいしょうこくきよもり》の憎悪そのものであった。  幸いといおうか、不幸といおうか、彼女は、見るかげもない不遇な藤家《とうけ》に、十五の年から嫁《かた》づいていたので、まさしく相国の仇敵義朝の従妹《いとこ》ではあったが、清盛の眼には、そのために、無視されて、無事のうちに暮して来られたのであった。  無視の中から、十八公麿《まつまろ》は生れた。――のちの親鸞|聖人《しょうにん》である。  もし、彼女の良人である有範朝臣《ありのりあそん》が、時めく才人であるか、政権をめぐる時人であったらば、十八公麿《まつまろ》は、生れていなかったかも知れない。  なぜならば――その前に、吉光御前の血統《ちすじ》は六波羅の忌《い》むところとなって、義朝の子たちである――頼朝《よりとも》や遮那王《しゃなおう》(義経)のような厳しい追放をうけないまでも、何らかの監視と、束縛に、家庭は呪《のろ》われずにいなかったに違いないからである。 「や。お待たせした」侍従介は、やがて何やら、小筥《こばこ》を持って入ってきた。 [#7字下げ][#小見出し]十一[#小見出し終わり] 「これを、鞍馬《くらま》の遮那王様へ、さし上げてくれいと、おん奥の方のお伝えでござる」  小筥を前に、侍従介がいう。平たい塗筥《ぬりばこ》である。ゆるしをうけて、吉次は、そっと、蓋《ふた》をとって見た。伽羅《きゃら》の香が、煙かのように、身をくるむ。  白絹でつつんで、さらに、帙《ちつ》で抱いた愛らしい一帖《いちじょう》の経本《きょうほん》がはいっていた。紺紙に金泥《きんでい》の細かい文字が、一字一字、精緻《せいち》な仏身のように、端厳《たんげん》な気と、精進《しょうじん》の念をこめて、書かれてあった。 「どなたの、ご写経でございまするな」吉次がいうと、 「されば」侍従介は、改まった。 「お従弟《いとこ》にあたる遮那王様の孤独を、人知れず、おいとしがられて、吉光御前様が、日頃から、心にかけて遊ばされたもの。……その由、鞍馬へ、おつたえして賜われ」吉次は、ちょっと、不満な顔いろを見せたが、押しいただいて、ふところに納めながら、 「そのほかには?」 「おことばでよいが――くれぐれも、亡き義朝公、源家ご一門のため、回向《えこう》おこたらずご自身も、朝暮《あけくれ》に仏道をお励みあって、あっぱれ碩学《せきがく》とおなりあるようにと……。おん奥の方、また、お館《やかた》様からも、ご伝言にござりまする」 「承知つかまつりました。では、これで……」吉次は、辞して、元の裏門から外に出た。  宵よりも、星明りが冴えていた。夜は通る人もない日野の里だった。 「なんのこった……」苦労して、訪ねてきただけに、期待が外《はず》れて、彼は、がっかりした。  吉光御前の思いやりと、自分や自分の主人《あるじ》秀衡《ひでひら》が考えている思いやりとは、同じ遮那王《しゃなおう》にもつ好意にしても、まるで、性質がちがっていたことを、はっきり、今、知った。  自分の主人《あるじ》、秀衡《ひでひら》は、遮那王を、仏界から下ろして、源氏再興の旗挙げをもくろんでいるのであるし、吉光御前や、有範朝臣《ありのりあそん》は、あべこべに、遮那王が身の終るまで、鞍馬寺に、抹香弄《まっこういじ》りをしていることを、祈っているのだ。  なるほど、それは、遮那王の身にも、彼の従姉《いとこ》にも、無事な世渡りにちがいない。だが、そうして、源家のわずかな血脈が、一身の安立ばかり願っていたら、源氏はどうなる。平家をいつまでも、ああさせておくのか。また、路傍の飢民《きみん》をどうするかである。  彼はもちまえの東北武士らしい血をあらだたせて、さりげなく、預かって出た写経の塗筥《ぬりばこ》を、手につかんで、唾《つば》をした。 「こんなもの! 遮那王様に渡しては、ご立志のさまたげだ」  築地《ついじ》の下の溝《みぞ》へ向って、砕けろとばかり、たたきつけた。  汚水にそれを叩きつけたが、とたんに彼はふと、吉光御前のやさしい姿を瞼《まぶた》に見た。光りある人間のあたたかな魂へ、土足をかけたような、惧《おそ》れに襲われた。  椋《むく》の葉のしずくが、背にこぼれた。ぶるっと、何げなく、築地のうちの屋根の棟を振り向いた。しかし、さっきの光りものも見えない、何の異も見出せなかった。  だが、その時、彼の耳をつよく衝《う》ったものがある。生れて間のない嬰児《えいじ》の声だ。十八公麿《まつまろ》が泣くのだった。その声は、ただごとでない、地殻を割って、万象《ばんしょう》の芽が、春へのび出すような力のある、そして、朗かな、生命の誕生を、世に告げるような声だった。 「あっ……」吉次は何ということもなく、竦《すく》みあがった。両手で耳をおおって、暗い野を、後ろも見ずに駈けていた。 [#3字下げ][#中見出し]唖《おし》の世《よ》[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  空地が半分以上も占《し》めている六条の延寿院《えんじゅいん》附近は、千種町《ちぐさまち》というのが正しいのであるが、京の者は、源氏町と俗に称《よ》んだり、また、平家方の雑人《ぞうにん》たちになると、 「牛糞町《うしぐそまち》」などといって、振わない門族の果てを、住宅地の呼び名にまで嘲侮《ちょうぶ》することを忘れなかった。  若狭守範綱《わかさのかみのりつな》は、そこに住んでいた。源氏ではないが、院の歌所の寄人《よりゅうど》たちの官舎は、昔からその地域内にあるのだからしかたがなかった。  なぜ、この辺を牛糞町というかというに、人間の住む地域に、 「六条お牛場《うしば》」というのが割り込んでいて、汚い牛飼長屋だの、牛小屋だのが、部落みたいに散在している上に、空地には野放しの牛が、白いのだの、斑《ぶち》だの、茶だの、随所に草を喰っていて、うッかり歩くと、文字どおり、豊富な牛糞を踏みつけるからであった。  だから、秋になっても、なかなか蠅《はえ》が減らなかった。歌人である範綱朝臣《のりつなあそん》は、永く住み馴れた邸《いえ》ではあったが、それでも時々、 (蠅のいないところに住んでみたい――)と、つくづく思うくらいだった。  しかし保元、平治|以来《このかた》の戦つづきに、歌人などは、まったく、無用の長物と忘れ去られて、ことに、為政者《いせいしゃ》の眼からは、 (歌よみか。歌よみなら、牛糞町に住ませて置くのが、ちょうどよろしいのだ)と、視《み》られているかのようであった。  生活力のない歌所の歌人《うたよみ》たちは、それに対して、不平の不の字もつぶやけなかった。 「ちっ」範綱は、机をわきに寄せた。  硯《すずり》に、紙に、たかっていた秋の蠅が、彼と共に、うるさく、起つ。 「奥所《おく》――」妻をよんで、 「粟田口《あわたぐち》の慈円《じえん》様へ、久しゅう、ごぶさた申し上げているで、おあずかりの歌の草稿、お届けいたしながら、ご機嫌をうかがってくる」 「きょうは、ご舎弟様が、お見え遊ばしはしませぬか」 「御所の戻りに、寄るとはいうたが……。よいわ、いずれ、帰りには、日野の有範《ありのり》の邸《やしき》へ立ち寄るほどに、そこで、会おう」  日野へ寄るというと、彼の妻は、 (またか)というように、微笑んだ。  子のない彼は、弟夫婦の邸《いえ》に、子が生れてからというもの、三日に一度は、どうしても、訪れてみねば気がすまないらしかった。 「行っていらっしゃいませ」妻の声をうしろに、籬《まがき》の菊花《きく》に眼をやりながら、我が邸《や》の門を出ると、 「やあ、兄上」末弟の宗業朝臣《むねなりあそん》が、ちょうど、門前に来あわせて、 「どこへ、お出かけですか」と、肩をならべた。 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり] 「弟か、よいところへ」と範綱《のりつな》は、もう宗業《むねなり》が同行するものと独りぎめに決めて、歩みだしていた。 「粟田口《あわたぐち》の大僧正のもとへ、添削《てんさく》の詠草《えいそう》を、持って参ろうと思う。そちも来ぬか」 「参りましょう」 「そして、帰りには、日野へ立ち寄って、十八公麿《まつまろ》の笑顔を見よう」 「見るたびに、大きゅう育って参りますな」 「ははは。嬰児《あかご》じゃもの、育つは、当りまえだ」 「でも、十日も見ぬと、まるで変っているから驚く」 「おまえも、こしらえたらどうだ」 「なかなか」宗業は、首を振って、 「平家といえば、平家の端《はし》くれでも嫁に来てがあるが、落魄《おちぶ》れ藤家の、それも、御所の書記などの小役人へは、今の女性《おんな》は、嫁にも来ないからなあ」と喞《かこ》った。 「――といって、従四位藤原|朝臣《あそん》と、痩せても枯れても、位階があれば、雑人《ぞうにん》や、凡下《ぼんげ》の娘を、妻にも持てず……」  空地の牛が、晩秋の長閑《のど》かな陽なたに寝そべって、悠長な声を曳いて、啼《な》いていた。  弟の喞《かこ》ち語《ごと》に、範綱《のりつな》は、同情をもって、うなずいた。  けれどまた、妻をもち、沢山な子をもち、位階と貧乏の板ばさみになって、老いさらぼっている同族の誰彼よりは、まだまだ独り身が気楽なのだ――とは、いつも、彼が弟をなだめる言葉の一つであった。  範綱、有範《ありのり》、宗業《むねなり》。こういう順に、男のみの三人兄弟ではあるが、長兄《うえ》の範綱は歌人だし、中の有範は、皇后|大進《だいしん》という役名で、一時は御所と内裏《だいり》とに重要な地位を占めていたが、今は洛外《らくがい》にああして隠遁《いんとん》的にくすぶっているし、末弟《すえ》の宗業は、書記局の役人で、どれもこれも時勢に恵まれない、そして生活力に弱い公卿《くげ》ぞろいなのである。  そのくせ、当代、和歌では、藤原範綱といえば、五指のうちに数えられるほど著名な人物であるし、また末弟《すえ》の宗業も、天才的な名筆で、早くから、写経生《しゃきょうせい》の試験には合格し、十七歳のころには、万葉集全巻を、たった十日で写したというので、後白河帝の御感《ぎょかん》にもあずかったほどな、秀才なのであった。  だが、どんな天才でも秀才でも、歌人《うたよみ》や、書家では、今日の社会が、その天稟《てんぴん》を称《たた》えもせず、用いもしないのである。それが、藤氏や源氏の家系の者の場合は、なおさらのことで、むしろ、自分を不幸にする才能とすらいえないことはない。  しかし、そうした生き難い世に生きても、兄弟は、心まで貧しくなかった。眺めやる七条、五条の大路には、糸毛の輦《くるま》、八葉《はちよう》の輦、輿《こし》や牛車が、紅葉《もみじ》をかざして、打たせているし、宏壮な辻々の第宅《ていたく》には、昼間から、催馬楽《さいばら》の笛が洩れ、加茂川にのぞむ六波羅《ろくはら》の薔薇園《しょうびえん》には、きょうも、小松殿か、平相国《へいしょうこく》かが、人招きをしているらしく、蝟集《いしゅう》する顕官の輦《くるま》から、眼もあやなばかり、黄金《こがね》の太刀や、むらさきの大口袴《おおぐち》や、ぴかぴかする沓《くつ》や、ろうやかな麗人がこぼれて薔薇園の苑《にわ》と亭にあふれているのが、五条橋から眺められたが、 (羨《うらや》ましい)とは、感じもしなかったし、なおのこと、(不都合な平家)などとは、思いもしなかった。  平家を憎悪する気力すらないのが、今の藤原氏であり、源氏の果てであった。 「オ。……ここじゃ」いつか、粟田口《あわたぐち》へ、二人は来ていた。十禅師《じゅうぜんじ》の辻まで来ると、範綱は、足をとめて、 「弟、御門外で、待っているか、それとも入るか」と宗業に訊いた。 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり] 「私は、外で待っていましょう」と、宗業はいった。 「そうか」範綱は、ちょっと、考えていたが、眼の前の、青蓮院《しょうれんいん》の小門を片手で押しながら、 「じゃあ、今日は、わし一人で、ご拝謁《はいえつ》をしてこよう。すぐに、戻ってくるからな」と、中へ隠れた。  宗業は、塀の外をしばらくぶらぶらしていたが、やがて、鍛冶《かじ》ヶ|池《いけ》のそばへ行って、雑草の中の石に、腰をおろし、鮒《ふな》かなにか、水面《みなも》をさわがしている魚紋に見恍《みと》れていた。時々、顔を上げて、 (まだか)というように、青蓮院の方を、振向いた。  そこから見ると、青蓮院の長い土塀と、土塀の中の鬱蒼《うっそう》とした樹林は、一城ほどもあって、どこに伽藍《がらん》があるのか、どこに人間が住んでいるのか、わからなかった。 「和歌《うた》の話になると兄上は好きな道だし、大僧正も、わけてご熱心だから、つかまると、すぐには帰れまいて」宗業は、退屈のやり場をさがしながら、兄と、慈円《じえん》僧正とが、世事を忘れて、風雅《ふうが》を談じている姿を、瞼《まぶた》にえがいた。  僧正はまだ若かったが、山門六十二世の座主《ざす》であり、法性寺関白忠通《ほっしょうじかんぱくただみち》の[#「法性寺関白忠通の」は底本では「法性寺関白忠道の」]第三子で、月輪禅定兼実《つきのわぜんじょうかねざね》とは兄弟でもあるので、粟田口の僧正といえば、天台の法門にも、院や内裏《だいり》の方面にも、格別な重さをもっていた。  案のじょう、兄は、入ったきりなかなか戻ってこなかった。魚紋の戯《たわむ》れにも見飽いて、宗業は、退屈な足を的《あて》なくそこらの草原に彷徨《さまよ》わせていた。  テーン、カーン、  鎚《つち》の音がする。  白い尾花の中に、屋根へ石を乗せた鍛冶《かじ》小屋が見えた。  尾花の中から痩せ犬が、野鼠をくわえて駈けて行く。犬は、一軒の鍛冶の床下へもぐりこんで、わん! わん! 遠くから、宗業へ向って吠えるのだった。  この野原の部落には、三条小鍛冶《さんじょうこかじ》という名工がひところ住んでいて、それから、ここの池の水が、刀を鍛《う》つのによいというので、諸国から、刀鍛冶が集まって、いつのまにか、一つの鍛冶|聚落《ぶらく》ができていた。そして、下手くそな雑工までが、粟田口|某《なにがし》だの、三条|小鍛冶某《こかじなにがし》だのと、銘《めい》を切って、六波羅武者に、売りつけていた。 「なるほど……。今の世には、書をかくより、歌をよむより、刀を鍛《う》つ人間のほうが、求められているとみえる」一軒の鍛冶《かじ》小屋の前に立って、宗業は、漠然と、鍛冶のする仕事を眺めていた。真っ黒な小屋の中には、あら金のような、男たちが、韛《ふいご》をかけたり、炭を焚《た》いたり、鎚《つち》を振ったり、そして、  テーン! カアーン! 火花を、鉄敷《かなしき》から走らせていた。  あっちの小屋でも、こっちの仕事場でも、無数の刀が、こうして作られている。――やがて、この刀が、何につかわれるのかを考えると、気の弱い宗業は、怖ろしくなって、そこに立っていられなかった。 「おウい」振向くと、兄の範綱が、青蓮院の方から、駈けてくるのが見えた。宗業は、救われたように、 「御用は、済みましたか」 「いや、やっと、お暇《いとま》を告げてきた。午《ひる》にもなるゆえ、食事をして行けと、仰せられてな、弱った」と、範綱は、貴人の前にひれ伏していた窮屈さから解かれて、伸び伸びと、晩秋の明るい野を、見まわした。 [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり] 「僧正は、おすこやかですか」 「ウム、お変りない」 「和歌《うた》も、おすすみでしょうな」 「ご上達だ。われらにも、およばぬお歌が時々ある」 「しかし、俗衆の中に生活《くらし》ている吾々のうたうのと違って、ああして、名門に出《いで》て、深堂《しんどう》の座主《ざす》となられていては、花鳥風月の心はわかっても、ほんとに、人間の悩みとか、涙とか、迷いとか、そういう歌は、お分りにならぬでしょう」 「いや」範綱《のりつな》は、首を振った。山萩の寝ている野道を曲がって、狭いだらだら坂を先へ降りて行きながら、 「そうでないな」 「そうでしょうか」 「世間のことも、実によう知っておられる。武家達の行動、政治の策謀、院のお出入り。……ただ、知らん顔をしておられるだけじゃよ」 「ははあ」 「知った顔をせぬことが、今の時代には、賢明な、君子の常識じゃ。まして、名門のお子はな」 「なるほど」 「こんな事も仰せられた。――この坂下の吉水《よしみず》に、ちかごろ、年四十ばかりの、ひょんな法師があらわれて、念仏専修の教義をしきりと説いておるが、凡僧の月並《つきなみ》とちがって、たまたま、よいことばがある。――参内《さんだい》のせつ、おうわさ申し上げたことじゃったが、武権争奪、武門栄華の世ばかりつづいて、助からぬは民衆ばかり。その民衆のために、民衆の魂を、心から、救うてとらすような聖《ひじり》が出てくれねば、仏法の浄土とは、嘘になる。――そうした折に、吉水の法師は、待たれていた旱《ひでり》の雲じゃ。帰途《かえり》に、一度、そちたちも聴聞《ちょうもん》してゆくがよいと、いわれたがの」 「ほ。……そんなことまで、ご存じでしたか」 「おしのびで、御門を、お出ましになるのであろう」 「吉水のあたりに、このごろ、熱心な念仏行者が出て、雨の日も、風の日も、説法しているという噂は聞きましたが」 「道のついでじゃ、廻ってみようか」 「さよう――」たいして、心をひかれるのでもなかったが、二人は、粟田口の僧正が、それほど、称《たた》える僧とあれば、どんな法師か、姿だけでも、見ておいてもいいというくらいな気持で、立ち寄った。  歌の中山や、清水《きよみず》の丘や、花頂山《かちょうざん》の峰々に抱かれて、そこは、京の町を見下ろした静かな盆地になっていた。 「お……なるほど……たいへんな人群《ひとむ》れだ」吉水の近くへ来ると、祇園林《ぎおんばやし》や五条の坂や、また、四方《よも》の道を遠しとも思わないで、ぞろぞろと、集まってくる往来に、二人は、顔を見あわせた。  仕事の隙間に駈けてきたような百姓や、木挽《こびき》や、赤子の手を引ッぱった婢《かみ》さんや、頭へ荷を乗せている物売りや旅人。――またやや反感を眼にもって紛《まぎ》れこんでいる他宗の法師とか、被衣《かずき》で顔をかくしている武家の娘とか、下婢《かひ》とか、侍とか、雑多な階級が、一色になって、そこの小さい三間《みま》ばかりの禅室へ、ひしひしと、集まって行くのだった。 「……何という勢いだろう」宗業も、範綱も、唖然《あぜん》として、このすさまじい人間の群れに衝《う》たれていた。  すり切れた草履に、埃《ほこり》を立て、わらわら、ここへ群れてくる人々の眼には、一滴の水でもいい、何ものでもいい、心のやすみばを――心の息づきを――干乾《ひから》びきった魂の糧《かて》となるものならばと、必死に求めているような顔つきに見えた。 [#7字下げ][#小見出し]五[#小見出し終わり]  丘一つむこうでは、鍛冶聚落《かじむら》の刀鍛冶たちが、戦国の招来を謳歌するように、鎚音《つちおと》を谺《こだま》させているし、ここでは、迷える民衆が、 「なむあみだぶ――」 「なむあみだぶ」一人の念仏行者をかこんで、飢《う》えた子のごとく、群れ寄って、救われようとしているのである。 「兄上、こちらへ来たら、少しは聞えるかも知れませぬ」宗業は、人々に押されながら、禅室の横へ迫った。  混雑するはずである。禅室の庭は、二十坪ほどしかない。柴垣も破れ、庭の内にも外にも、群集が、笠を敷いたり、筵《むしろ》をひろげたりして、いっぱいに、坐りこんでいる。後ろの方にも、三重四重に人間が立っているのである。  八畳、六畳、小部屋が一つ。わずか三間《みま》しかない禅室も、明り障子をとり払って、縁や、土間の隅にまで、坐れるだけの人間が坐っていた。  その、真ん中の一室に、うわさの人、法然房源空《ほうねんぼうげんくう》は、坐っていた。  高壇もない。金色の仏具などもない。  ただ、畳台《たたみだい》を一じょう、少し奥のほうへ引き下げて、古びた経机《きょうづくえ》を一つ置き、それを前に、法然は、坐っているのである。朽葉色の衣《ころも》に白い木綿を下に着て、そう高くはないが、よくとおる声で「念仏|往生義《おうじょうぎ》」の心を、子どもにも、老人にもわかる程度に、噛みくだいて話しているのであった。 「ウーム……」範綱は、何を感じたのか、宗業の耳のそばで、うめいていた。やがて宗業へ、 「あの僧、なるほど、異相をそなえておる。……慈円《じえん》僧正は、さすがに、お眼がたかい」と、ささやいた。  兄は、相学《そうがく》に造詣《ぞうけい》があるので、そういわれてから、宗業も法然《ほうねん》の横顔に注意を向け直した。見るとなるほど、なか[#「なか」に傍点]凹高《くぼだか》な頭のかたちからして、凡僧とは異《ちが》っているし、眸《ひとみ》が、眉毛の奥に、ふかく隠れこんで、烱々《けいけい》と、射るものを、うける。坐《い》ながらにして、社会の裏まで、人類の千年先までを見とおしているような、怖《こわ》い光にも見えるし、ふとまた、そこらにいる赤子にでも慕われそうな、やさしい眼《まな》ざしに、思われる時もある。 [#ここから2字下げ] 疑われるなよ人々 浄土《じょうど》はあり、浄土はやすし 源空《げんくう》が、九年の苦学に 得たるは一つにそうろう ただ念仏往生の一義に 候なり [#ここで字下げ終わり]  朗詠でもするように、法然の声は、澄んでいた。さわぎ立っている無数のたましいの波が、やがてしいんと、法《のり》の声《こえ》に、耳を傾けだしたころに、彼の声は、熱をおび、信念そのものとなって、ぐいぐいと、民衆をつかんで説く。 「――疑うな!」法然は、第一にいうのである。 「まず、念仏を先に唱え候え。――自分の有智《うち》、無智、悪行、善行、職業、骨肉、すべての碍障《げしょう》に阻《はば》められず、ひたすら、仏光に向って、一念十念、称名《しょうみょう》あること浄土の一歩にて候ぞや」  ――何事が起ったのか、その時後ろの方で、がやがや騒ぎだす者があって、 「え、文覚《もんがく》が」 「文覚が、どうしたと?」 「行ってみい、行って見い」崩れだして、十人、二十人ずつ、わらわらと四条の方へ、駈け降りて行った。 [#7字下げ][#小見出し]六[#小見出し終わり]  水に映《うつ》された月のように、澄みきっていた法話の筵《むしろ》も、風がたったように掻きみだされた。 「なにや」 「なんじゃと」  振り向く。起つ。そして、次々に、「行ってみい」と、崩れては、走り去る。もうこうなっては、何ものも映らない大衆《だいしゅ》の心理を法然は、知っていた。 「きょうは、これまでにしておきましょうぞ」  経机《きょうづくえ》に、指をかけて、頭を、人々のほうへすこし下げた。  残り惜しげな顔もある。また、なお何か、質疑をしている老人もあるし、 「ふん……」せせら笑って去る他宗の法師もあったりしたが、多くは、わらわらと、木《こ》の葉《は》舞《まい》して、ふもとへ散った。  範綱《のりつな》と、宗業《むねなり》とが、そこへ降りてきたころには、六波羅大路《ろくはらおおじ》から、志賀山道への並木へかけて、 「わあっ――」 「あれじゃ」人の波であった。埃《ほこり》がひどい。その中を、 「寄るなっ」 「凡下《ぼんげ》ども!」竹や、棒を持ったわらじばきの役人が、汗によごれながら、群衆を、叱ってゆく。  見ると――人間のつなみ[#「つなみ」に傍点]に押しもまれながら、一台の檻車《かんしゃ》が、ぐわらぐわらと窪《くぼ》の多い道を揺られてゆく。  曳《ひ》くのは、まだらの牛、護るのは、眼をひからした刑吏《けいり》と雑兵《ぞうひょう》であった。 「文覚《もんがく》文覚」追っても、叱っても、群衆はついてゆくのである。その埃《ほこり》と、潮《うしお》に巻きこまれて、範綱、宗業のふたりも、いつか、檻車のまぢかに押されて、共にあるいている。  丸太か石材でも運ぶような、ふつうの牛車のうえに、四方尺角ばかりの太柱《ふとばしら》をたて、あらい格子組《こうしぐみ》に木材を横たえて、そのなかに、腕をしばられた文覚は、見世物の熊のように、乗せられているのだった。  よろめくので、彼は、脚をふんばって、突っ立っていた。役人が、なにかいうと、 「だまれっ」と、呶鳴ったり、 「ぶち壊すぞっ」と、檻車のなかで、暴れたりするのである。 (手がつけられん)というように、役人たちが、見ぬふりをしてゆくと、 「俺たちの、同胞《はらから》よ」文覚は、檻《おり》のなかから、いつもの元気な声をもって、呼びかけた。 「この檻車は、東《あずま》を指してゆくのだぞ。日出《ひいず》る東《あずま》の果てを指して――。俺は、伊豆にながされてゆく。だが、そこから必ず窮民の曙光《しょこう》が、遠からぬうちに、さし昇って、この世の妖雲をはらうだろう」 「しゃべってはいかん」刑吏が、ささらになった竹の棒で、檻車《かんしゃ》をたたくと、彼は、雷のような声で、 「おれは、唖《おし》じゃないっ」 「だまれ」 「だまらんっ。――この世は唖になろうとも、この文覚の口は塞《ふさ》げぬぞ」 [#7字下げ][#小見出し]七[#小見出し終わり]  それからまた、 「天に口なし、人をもっていわしむ」文覚は、よけいに声を張って、尾《つ》いてくる群衆へ、朗々と歌って聞かせた。 [#ここから2字下げ] 宝財|永劫《とわ》の珠《たま》ならず 位冠栄衣《いかんえいい》も何かせん 民の膏血《あぶら》に灯《ひ》ともして 奢《おご》りの華ぞあやうけれ 明日《あす》にしもあれ一《ひと》あらし あらじと誰か知るべきや [#ここで字下げ終わり] 「こらッ」竹棒は檻車《かんしゃ》を撲《なぐ》って、 「歌をやめんと、水をかけるぞっ」 「かけろ」文覚は、動じもしない。 「――俺を捕えて、伊豆へながすなどとは、野に、虎を放つものだ。あわれや、平家の末路は見えたっ」 「走れ」役人は、牛飼《うしかい》へいって、牛を走らせた。  軌《わだち》が、すさまじい地ひびきを立て、そして、漠々《ばくばく》と、黄いろい土ぼこりを、群衆の上へ舞わせた。 「――この世に、無限の栄華はない。いわんや、平家においてをや。民よ、大衆よ、気を落さずに、世の変るのを待てっ!」 「わあっ」民衆は、どよめいて、 「変れっ、改革《あらた》まれ」発狂したようにさけんだ。  びし、びし、と鞭《むち》に趁《お》われて、檻車を曳いてゆくまだらの牛は、尾をふって、狂奔《きょうほん》してゆく。  文覚は、遠ざかる人々へ、 「おさらば」群衆も、眼に涙をためて、 「おさらば――」埃《ほこり》で、陽《ひ》が昏《くら》くなった。 「ああ」と、力なく、草いきれのような嘆息《ためいき》が、そこやここに聞える。そして、人々が見聞《みきき》したうわさを持って町の方へながれて行くと、その間を、例の六波羅|童《わっぱ》が、しきりと、小賢《こざか》しい眼をして、罪を嗅《か》いであるく。 「どこへ、お出でたのか」 「こっちでもないらしい」三人の寺侍《てらざむらい》だった。  いちど、鳥居大路へ、群衆と一緒に、もどって行ったが、また引っかえしてきて、 「これだから困る」 「あの御曹子《おんぞうし》には、まったく、手を焼いてしまう。外出《そとで》は、禁物だ」誰をさがしているのか、きょろきょろと、走ってきて、 「あいや、卒爾《そつじ》でござるが――」と、並木の下で、ばったりと会った範綱《のりつな》と宗業《むねなり》の兄弟に、すこし息をきって、唐突に、たずねた。 「なんですか」宗業は、足をとめた。 「このあたりで、十四、五歳の御曹子を、お見かけになりませんか」 「さ?」兄を、ふりかえって、 「見ましたか」 「いや」範綱が、かぶりを振ると、三名の寺侍は、彼の方を見て、また、言葉の不足をつぎたした。 「――御曹子《おんぞうし》と申しても、実は、鞍馬寺の預かり稚子《ちご》でござるゆえ、ちと、身装《みなり》にも、特徴があるし、体は、年ごろよりは小つぶで、一見《いっけん》、きかないお顔をしているのですが」 「知らぬの」兄弟《ふたり》とも、そう答えた。 [#7字下げ][#小見出し]八[#小見出し終わり] 「いやどうも」会釈《えしゃく》も、そこそこ、寺侍たちは、彼方《かなた》へ駈けて行った。宗業《むねなり》は、見送って、 「兄上、今の侍どもは、鞍馬寺の者と申しましたな」 「そういうた」 「もしや……」小首をかしげていうのである。 「あの者たちが、見うしなった御曹子と申すのは、遮那王《しゃなおう》ではありますまいか」 「遮那王とは」 「義朝の遺子《わすれがたみ》――幼名牛若ともうす稚子です」 「ははあ」 「どうも、そんな気がする」血縁はあらそわれない、血が知らせるのである、宗業は足をとめたまましきりと見まわしていた。  すると、すぐ後ろの、源頼政《みなもとのよりまさ》の碑《ひ》のある中山堂の丘に、白い尾花《おばな》を折り敷いて、にこにこ笑っている稚子髷《ちごまげ》の顔が、ちらと見えた。 「あっ、居《お》る……」兄の袖をひくと、範綱も、見あげていた。そこは、さっき、文覚護送の檻車《かんしゃ》が通った時、たくさん、見物がいた所である。稚子は、背がひくいので、そこへ登って眺めていたものと思われる。  すぐ、彼のそばの尾花の中に、もう一人、誰か屈《かが》みこんでいた。旅商人《たびあきゅうど》の砂金《かね》売り吉次だった。  何かささやいているらしい。しかし、遮那王は、吉次のほうへは顔を向けないで、いかにもうつろな眸《ひとみ》をしているように、真っすぐに、雲を見ていた。ただ、時々うなずきながら微笑するのである。 「――疑ぐられてはいけませぬ。はやく、お帰りなさいませ」吉次がいう。遮那王は、首をふる。 「いいよ」 「でも」 「いいというのに」 「まだ、時機が熟しませぬ。――今日のところは、山へお帰りあって」 「わかったよ」 「では」 「いいと申すに。ふだん、わしを、うるさく見張ってばかりおるゆえ、あの三人に、すこし、窮命させて、探させてやるのじゃ、あれ見い、阿呆顔《あほうがお》して、焦《じ》れておるわ」並木を、四、五町も先へ行って、寺侍たちは、つかれた顔をして、また、こっちへもどってくる。それを、おかしげに、遮那王《しゃなおう》の小さい顎《あご》がさして笑う。やがて、 「やっ、あんな所に」見つけたとみえて、寺侍たちは、わらわらと丘の下へ駈けてきた。そして、 「遮那王さま!」手を振って、呼びたてる。吉次は、とっさに、 「ではまた」と、一言《ひとこと》のこして、野狐のように、中山堂のうしろへ、隠れこんでしまった。  けろりとした顔で、遮那王は立っていた。なるほど、十五歳にしては小つぶである。指で突いたように、頬にはふかい笑靨《えくぼ》がある。歯が細かくて、味噌ッ歯の質《たち》だった。なつめ[#「なつめ」に傍点]のように、くるりとしてよくうごく眼は、いかにも、利《き》かん気と、情熱と、そして、やはり源家の家系に生れた精悍《せいかん》な血潮とを示して、それが、稚子《ちご》であるために、単純化されて、凡《ただ》の者《もの》が何気なく見ては、悪戯《いたずら》ッぽい駄々っ子としか見えないであろうほど、無邪気な眸であった。 [#7字下げ][#小見出し]九[#小見出し終わり] 「そんな所に、何をしておいでなされましたか」附人《つけびと》の寺侍は、叱るように、丘を仰向《あおむ》いていった。稚子の遮那王は、 「何もしておりはせん」首を振って、 「おまえ達を、探していたんだ」と、あべこべにいう。下の者は、呆《あき》れ顔《がお》をして、 「早く、下りておいでなさい」 「行くぞっ」遮那王は、凧《たこ》のように、両袖をひろげて、丘の上から姿勢をとって、 「ぶつかっても、知らないぞ――」丘のうえから、鞠《まり》をころがすように、駈け下りてきた。 「あっ――」身をよけるまに、一人の寺侍へ、わざとのように、遮那王は、どんと、ぶつかった。大きな体が仰向けざまに転がった。小さい遮那王は、それを踏んづけて、彼方《かなた》へ、跳びこえた。 「ハハハハ。ハハハハ」手を打って、笑いこける。 「おろかなお人じゃ。だから、断っておいたのに」  見向きもしないで、もう、すたすたと先へ行く。――足の迅《はや》さ。寺侍たちは、息をきって、その小さくて颯爽《さっそう》たる姿を追ってゆくのであった。宗業《むねなり》は、見送って、 「兄上、やはり、鞍馬寺の牛若でございますな」 「ウム」範綱《のりつな》も呆れ顔であった。 「よう、成人したものだ。……常磐《ときわ》のふところに抱かれて、ほかの幼い和子《わこ》たちと、六波羅《ろくはら》殿に捕われたといううわさに、京の人々が涙をしぼった保元《ほうげん》の昔は、つい昨日《きのう》のようだが」 「義朝《よしとも》殿に似て、なかなか、暴れンぼらしゅうござります」 「附人も、あれでは、手を焼こう」 「いや、手を焼くのは、附人よりも、やがて六波羅の平家衆ではございますまいか。伊豆には、兄の頼朝が、もうよい年ごろ」 「しっ……」たしなめるように、範綱は顔を振った。並木のうしろを、誰か、通ったからである。 「われらの知ったことではない。歌人《うたよみ》や文書《ふみかき》には、平家の世であろうが、源氏の世であろうが、春にかわりはなし、秋に変りはなし、いつの世にも、楽しもうと思えば楽しめる」 「けれど」宗業は声をひそめて、 「なんとなく、ぶきみな暴風雨《あらし》が、京洛《みやこ》の花を真っ黒に打ちたたきそうな気がしてなりませぬ、――高雄の文覚《もんがく》がさけんだ予言といい、そちこち、源氏の輩《ともがら》が、何やら動きだした気配といい……」 「いうな」と二度も、たしなめて、 「唖《おし》になれ。ものいうことは、罪科《つみとが》になるぞ」 「文覚《もんがく》もいいました。唖の世だと」 「……そう」と、範綱は、何かべつなことを思いだしたように、 「唖といえば、有範《ありのり》の和子、十八公麿《まつまろ》は、生れてからもう半歳にもなるに、ものをいわぬと、吉光の前《まえ》が、心をいためているが」 「それは、無理です、半歳《はんとし》の乳のみ児では、ものをいうはずがありません」 「でも、意志で、唇《くち》ぐらいは、うごかそうに」 「ははは、取越し苦労というものですよ。吉光の前も、日野の兄君も、余りに愛しすぎるから」 [#7字下げ][#小見出し]十[#小見出し終わり]  露と、虫の音ばかりである。日野の里は、相かわらず、草ぶかい。  藤原有範が子飼《こがい》の家来、侍従介《じじゅうのすけ》は、築地《ついじ》の外の流れが、草に埋《うも》って、下水が吐けないので、めずらしく、熊手をもって、掃除をし、落葉焼《おちばやき》をやっていた。 「おや?」何を見つけたのであろうか、そのうちに、水草のなかへ手を突っこんで、 「オ、これは、いつぞや奥の御方《おんかた》が、鞍馬の遮那王《しゃなおう》様へ贈るといって、心をこめて、お書きあそばした写経じゃないかな。――吉次のやつ、かような所へ捨ておって、鞍馬へは持って行かなんだとみえる」水びたしになった塗筥《ぬりばこ》や、巻《かん》をひろいあげた。そして、 「憎いやつめ」腹だたしげに、踏み折れている草の足痕《あしあと》を、睨《ね》めつけている。  そこへ、範綱、宗業《むねなり》の二人が、連れだって姿をみせた。昂奮した顔つきで、侍従介が写経のことを訴えると、 「ふむ……捨てて行ったか」二人はそれを見つめて、しばらく考えこんでいた。けれど、範綱も宗業も、べつだん不快な顔いろは出さなかった。捨て去る者には捨て去るものの心がまえがあるのであろう、浄土の幸《さち》は人に強《し》うべきものではないし、また、この社会《よのなか》には、浄土をねがうよりも、すすんで地獄の炎をあびようとすら願う者もあるのである。――たとえば、文覚のように。  二人は、そう考えた。そして、遮那王の将来《ゆくすえ》を心のうちで占《うらな》った。中山堂の丘に、ちらと見えた野狐のような男の影は、ことによると、先ごろの夜、この日野を訪れた吉次であったかもしれぬと、それをも、同時に、覚《さと》っていた。 「よいわ、どこぞ、人が足をふまぬところへ、そっと、埋《う》めておけ」 「勿体ない、畜生じゃ」侍従介は、腹が癒《い》えないように、まだ罵《ののし》っていた。 「お館《やかた》はおらるるか」 「はい、おいで遊ばします」 「取次いでくれい」 「どうぞ」と、熊手を引いて、先に立つ。わが家《や》も同じようにしている館なので、わざと、式台にはかからずに、網代垣《あじろがき》をめぐって、東の屋《おく》の苑《にわ》へはいると、 「まあ」ゆくりなく、そこの南縁の陽《ひ》だまりに、乳のみ児を抱いた吉光《きっこう》の前《まえ》と、有範《ありのり》との夫婦が、むつまじく、児をあやして、くつろいでいた。  よく、女性の美は初産《ういざん》に高調するというが、吉光御前のこのごろのやつれあがりの面《おも》ざしや、姿は、真夏を越えた秋草の花のように、しなやかで、清楚《せいそ》で、常に見なれている二人にも、その﨟《ろう》やかさが、時に、眩《まば》ゆくさえ見えた。 「おそろいで、ようこそお越し……。さ、こちらの室へ」 「十八公麿《まつまろ》は」 「よう、眠っておりまする」 「どれどれ」何よりも先にというように、範綱は吉光の前の腕《かいな》のうちをのぞきこむのであった。  珠《たま》が珠を産むとは、これをいうのではあるまいか。母の麗質をそのままにうけている。すやすやと小さい鼻腔からやすらかな呼吸をしている。甘い乳の香と、母性の愛を思わすにおいが、この故郷《ふるさと》からはすでに遠く人生を歩んできた範綱や宗業の心をもやわらげて、何がな、自分たちの生命《いのち》の発生にも、ふかしぎなものを考えさせるのであった。 [#7字下げ][#小見出し]十一[#小見出し終わり]  ここには、諸悪の魔も、ひそむ蔭がない。明るさで、いっぱいだ。 「どれ、私にすこし」宗業が、抱きとると、 「わしにも、抱かせてみい」眠っている十八公麿《まつまろ》を、手移しに、膝へ取って、 「重うなったの」父の有範《ありのり》は、 「そうじゃろう、凡《なみ》の子《こ》よりは、ずんと健《すこ》やかじゃ」と、自慢気である。するとまた、吉光の前は、 「もう、何か、ものをいうてもよいころではございませぬか」案じ顔にいった。 「ははは、今も兄上と、途々《みちみち》話したことですが、まだまだ」 「まだでしょうか」 「ご心配はない」 「でも、かた言《こと》ぐらいは」 「泣けば、よいのです、泣くことは、泣くでしょう」 「時々、耳のひしげるような大声で、泣きまする」 「それでいい」有範はべつに気にはしていなかった。何よりも、膝にのせると、ずっと重いものを感じるこの子の健康さに信頼ができる。親ごころに、唖《おし》かと案じれば唖のようにも思えるほどきちり[#「きちり」に傍点]と結んでいる唇は、なかなかあかなかったけれど、眸《ひとみ》は、つぶらで、よく澄んで、青空のような白眼のうちに耀《かがや》きをもって、この世への意志を睜《みひら》きかけている、そして、眠る時は、ふかぶかと、濃い睫毛《まつげ》をふせているのだった。 「大丈夫じゃ」父みずからが、こう、折紙をつけていた。  けれど――やがて、翌年になった。まる一年の誕生日がくる。かぞえ年では、二歳《ふたつ》になったのだ。夏もすぎ、秋にもなった。  ところが、それにもかかわらず、十八公麿はまだ、ものらしい言《こと》を唇《くち》からもらしたことがない。  乳母は、ようやく不安らしい眉をひそめて、侍従介《じじゅうのすけ》へ、 「和子《わこ》さまは、やはり、唖《おし》でいらっしゃるかもしれません」そっと、洩らしたというし、父の有範も、 「よいわ、五体さえ、そろうていれば」と、かなしい諦《あきら》めをもちかけて、妻に気を落させまいとした。誰ともなく、出入りする雑人のあいだにも、 「日野のお館に生れた嬰児《やや》は、唖子《おしこ》じゃそうな」と、噂された。  母性の人には、それが、冷たく聞えた。彼女もまた、そう信じて、 「なんの因果」と、悲しみ沈んだが、子のない不幸をなげいて、如意輪観世音《にょいりんかんぜおん》に、 (どうぞ、夫婦に子を)と、祈願をこめたことを忘れて、授かった珠に、わずかな、瑕《きず》があったからというて、不平をいうのは慾のふかさというものであると思った。  ことには、自分の血液というものも考えだされた。源家の戦人《いくさびと》である祖先たちは、どれほど、この世に修羅《しゅら》を作ったかしれない。父の義親《よしちか》や、従兄《いとこ》の義朝《よしとも》が殺した人間の数だけでも、千塔万塔を建ててもおよばぬくらいな罪業であろう。その血統《ちすじ》の末に、ひとりの唖《おし》の子が産れるぐらいは、諸行応報のさばきから遁《のが》れ得ない人間の子としては、むしろ慈悲のお酬《むく》いと、有難く思っていいのではないか。彼女は、そう考え直した。  だが、母性としての悲しみは、依然として、悲しみであり、世間へも良人《おっと》へも、いいしれない負《ひ》け目《め》を感じて、その憂いは拭《ぬぐ》うことができなかった。 [#7字下げ][#小見出し]十二[#小見出し終わり]  ともあれ今の吉光の前自身なり、有範《ありのり》の家庭というものは、謙譲にして清楚な、足るを知って不平を思わない生活を持して、ひたすら、精神《こころ》の位置を、信仰と、そして、夫婦愛と、子の愛育とに置いて、いわゆる世間の名聞《みょうもん》利慾からは遠く離れて住み澄ましていたのであった。  で――朝《あした》にも夕べにも、この館《やかた》の持仏堂には、一刻《いっとき》のあいだ、有範夫婦のたのしげな念仏の唱名《しょうみょう》がもれる。  また、それに慣《なら》って、若い郎党の侍従介《じじゅうのすけ》も、顔をあらい、口を漱《そそ》ぐと、太陽を礼拝して、 「…………」黙然と念仏する。  下婢《かひ》も、そうであった。乳母《うば》も、そうであった。水を汲《く》み、使いに走る童僕《わっぱ》までがそれを習うようにいたって、この古館《ふるやかた》は何か、燦然《さんぜん》たる和楽につつまれているかのように、他人からも羨《うらや》ましく見えるのであった。事実、六波羅殿の栄耀《えよう》も、小松殿の豪華も、この草間がくれの夫婦の生活にくらべれば、その平和さにおいて、幸福さにおいて、遥かに、およばなかったに違いない。  雁《かり》がわたる――秋は深み行く。仲秋の夜だった。 「兄上、ちとばかり、酒瓶《さけがめ》に美酒《うまざけ》さげて参りました」宗業《むねなり》が訪れた。  やがて、範綱《のりつな》も見える。十五夜ではあり、こう三名の兄弟がそろうと、ぜひとも、一献《いっこん》なければなるまい。吉光の前は、高坏《たかつき》や、膳のものを用意させて、自分も十八公麿《まつまろ》を抱いて、円《まど》かな月見の席につらなっている。  わざと、燭《しょく》は燈《とも》さずにある。すすきの穂の影が、縁や、そこここにうごいている。廂《ひさし》から射《さ》し入る月は燈火《ともしび》よりは遥かに明るかった。  杯《さかずき》のめぐるままに、人々の顔には微醺《びくん》がただよう。――詩の話、和歌《うた》の朗詠、興に入って尽きないのである。と、思い出したように、 「そうそう」吉光の前へ向って、宗業がいった。 「六波羅《ろくはら》の探題《たんだい》から、なんぞ、お許様《もとさま》へ、やかましい詮議《せんぎ》だては、ありませんでしたか」 「いいえ……」吉光の前は、顔を横に振って、 「べつに、六波羅役人から、さようなことは申して参りませんが? ……何ぞそのような噂でもあるのでございまするか」 「いや何、私の取越し苦労です。――というわけは、お従弟《いとこ》の鞍馬の遮那王《しゃなおう》どの、とうとう、山を下りて、関東へと、身をかくしてしまわれたということです」 「えっ……遮那王殿が」 「油断をしていたため、だしぬかれたと、平家の人たちは、地団駄をふんでおります。そうでしょう、謀叛気《むほんぎ》がなければ逃げるはずはありません。忽然《こつぜん》と、あの稚子《ちご》が、姿をかくしたのは、まだ、少年ではありますが、明らかに源家の挑戦と見られる」 「でも、まだ十六歳の小冠者《こかんじゃ》が、どうして、逃げおおせましょう。……傷《いた》ましいことでございます」  彼女は、ふと、月にかかる雲を見た。ひそかに心のうちで祷《いの》っていた従弟《いとこ》の失踪に、また幾人《いくたり》の血につながる者たちが哭《な》くのではないかと戦慄した。  そして、気がつくと、自分の膝に戯れていた十八公麿《まつまろ》が、いつのまにか、月の光の中を、他愛《たわい》なく這いまわって、縁へ出ていた。 [#7字下げ][#小見出し]十三[#小見出し終わり] 「あぶない」と、有範は、彼女が起つまえに立って、十八公麿を抱きとってきた。そして、自分の膝へのせて、 「近ごろは、もう、眼が離せぬわい」と、わらった。宗業や、範綱は、こもごもに、十八公麿を、あやしながら、 「今のうちに眼の離せぬのはまだよいが、やがて、遮那王のように成人してからが、子をもつ親は一苦労じゃ」 「いや、あの冠者のようにはなるまい、なぜならば、この子は、唖《おし》じゃ。――ものいえば罪科《とが》になる唖の世に、唖と生れてくれたのは、これも、われら夫婦が信心のおかげであろう」有範は、膝の子を、上からのぞいて、そういった。  十八公麿は、仲秋の月よりも澄んだひとみをして、じいっと、まるい月を見つめていた。 (この子は、将来、どうなるであろう?)と、母である者も、叔父である人々も、今、鞍馬の冠者のうわさが出たところだけに、ひとしく、同じことを、考えていたらしくあった。  誰もが、十八公麿のその無心なひとみを、無心になって、見合っていた。  十八公麿は、ふたつの小さい掌《て》を、ぱちとあわせて、笑くぼをうかべた。子どもの掌は、菩薩《ぼさつ》の御手《みて》のように丸ッこいものである。人々は、思わずにこ[#「にこ」に傍点]と微笑をつりこまれた。すると―― 「な、む、あ、み、だ仏」誰か、いった。  低音で、聞きとれなかったのであるが、すぐ次に、かた言《こと》で、はっきりと、 「――南無阿弥陀仏」と、つづいて唱えた。  十八公麿を膝にのせていた父の有範が、その時、 「あっ?」愕然《がくぜん》として、 「十八公麿が、ものをいうたぞ。十八公麿が、ものをいうた!」と、絶叫した。吉光の前も、さけんだ。 「十八公麿じゃ。ほんに、今いうたのは、十八公麿じゃ」うれしさに、狂いそうな表情をして、宗業《むねなり》に告げ、範綱に告げた。 「? ……」だが、そのふたりは、茫然と自失していた。なぜならば、今の無心に出た十八公麿の声は、ただの嬰児《あかご》の初声《うぶごえ》ではない。あきらかに六字の名号を唱えたのである。眼《ま》のあたりの奇蹟にうたれて、慄然《りつぜん》と、体がしびれてしまったかのように、沈黙しているのであった。 「ふしぎだ……」 「そも、何の菩薩《ぼさつ》の御化身《ごけしん》か」と、ふたりは、後になってまで、解けないことのように首ばかりかたげていたが、有範は、それはなんらの奇瑞《きずい》でもふしぎでもないといった。 「真如《しんにょ》を映すものは、真如である。――妻のまごころは、胎養《たいよう》のうちに、十八公麿の心をつちかっていた。また、生れては、この家の和楽や、この家にあふるる法《のり》の感謝に、いつとなく、幼いたましいまでが、溶和されていたのは当然なこと。なんの奇蹟であろうぞ」  そう説明したが、ありがたさに彼も、彼の妻も、掌《て》をあわせて、真如《しんにょ》の大空に、 「南無《なむ》――」と、思わず大きく唱えて、泣きぬれた。 [#改ページ] [#1字下げ][#大見出し]紅玉篇[#大見出し終わり] [#3字下げ][#中見出し]かげろう記[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  承安《じょうあん》四年は、仏法《ぶっぽう》日本にとって、わけて念仏道にとって、忘れがたい春秋であった。  誕生して、まだ、まる二つにならない日野の十八公麿《まつまろ》が、十五夜の名月に心のひとみをひらいて、無心のうちに、南無――の六音を唱えたということが、いつか隠れもない噂ばなしと伝えられる前に、洛東《らくとう》の吉水禅房《よしみずぜんぼう》では、期せずして同じ年に、法然上人《ほうねんしょうにん》が、専修念仏の新教義を唱道《とな》えだしていたのである。  後に思うと――法然上人の第一声と、幼い親鸞《しんらん》の第一声とは、ゆくりなくも、生るべき時代に――約束のない約束のもとに――秋《とき》を同じゅうして世に出たともいえる。浅からぬ因縁《いんねん》といえる。  法然の堂には、毎日、求法《ぐほう》の民衆が、草のなびくように、寄って行った。  宮廷からも、お招きがあった。関白|兼実《かねざね》も、聴聞した。はなはだしい平家の跋扈《ばっこ》と、暴政と、いつそれがくずれて火をふくかもわからない危険な地熱とが感じられる一方に、そよと、冷《ひや》やかな泉声《せんせい》でも流るるように、それは、民衆の不安と渇《かわ》いた心に、争って、汲まれるのであった。  六条上皇が崩ぜられた。  改元して安元二年。吉光の前は、一年おいて、また一人の男の子をもうけた。――十八公麿《まつまろ》の弟、朝麿《あさまろ》である。  その朝麿が二歳《ふたつ》、十八公麿が四歳《よっつ》となった。乳人《めのと》にだかれている弟を、 「あさ殿、お目あけ……」と、もう幼い兄ぶりを示す彼であった。その兄弟のために召抱《かか》え入れた乳母《うば》が、ある時、 「介《すけ》どの、介どの」侍従介《じじゅうのすけ》を、よびたてて、二人して、仏間のふすまの間から、中をのぞき合っていた。  そして、笑いさざめいているので、吉光の前は、自分の居間を出て、 「和子《わこ》たち、何を見ておりますか?」と、後ろから訊ねた。乳母は、 「まあ、ご覧《ろう》じませ、あのように、十八公麿さまが、小さいお手へ、数珠《じゅず》をかけて、御像《みぞう》を拝んでおいでなされます。誰も、教えもせぬに、何というしおらしい――」と眼をほそめて告げるのであった。 「ほんに……」と、吉光の前の眸《ひとみ》にも、思わず微笑がただよう。  子は、母の鏡であった。黒業《こくごう》も白業《びゃくごう》も、自分たちのなすことはすぐ映《うつ》してみせるのである。彼女は、おそろしい気がした。 「お母さま」人々の気配に気づくと、十八公麿《まつまろ》はふりかえって、数珠《じゅず》をすてて彼女の膝へすがった。壇のまえに坐って、拝んでいた相《すがた》には、無邪無心の光があって、仏の再生でもあるように、何か尊いものに心を打たれたが、そうして、母の膝にからみついて、母の乳に戯れた十八公麿の容子《ようす》は、やはり世間の誰の子とも変りのない子どもであった。  翌年の春のことであったが、一家を挙げて、珠《たま》とも慈《いつく》しんでいるその十八公麿が、ふと、家のうちから見えなくなって、乳母や侍従介や、召使たちは、色を失って、騒ぎまわっていた。 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり] 「ここにも、お見えがない」侍従介は、いつもの持仏堂をのぞいて、乳母を、責めた。 「おぬしが、よくない。朝麿さまを抱いておれば、朝麿さまにのみ気をとられているから、かようなことになるのだ」 「今しがたまで、そこの前栽《せんざい》に、おひとりで遊んでおいでなされたので、つい、気をゆるしている間に……」乳母は、自責に駆られながら、おろおろといった。 「――裏の竹叢《たけむら》へでも」とつぶやきながら、走って行った。  侍従介は、眉をひそめながら、草履を突っかけて、ふたたび、庭へ下りた。――そして邸内の畑だの、竹林だの、小山だのを、 「和子《わこ》さま――」呼びたてつつ、そしてまた、奥のおん方やお館《やかた》の耳へは入れたくないように、心をつかいながら、血眼《ちまなこ》で、十八公麿のすがたを探しまわっていた。  ちょうど、折もわるく。  東の屋《おく》の一室に、あるじの有範《ありのり》は、この安元二年の正月から病《やまい》にかかって臥せ籠っていたのである。そのために吉光の前も良人の病室から一歩も出たことがないような有様であったので、それも一つは、こういう間違いの起る原因でもあった。  で、召使たちは、よけいに心を傷《いた》めて、病室にこの過失を知らすまいと努めたのであったが、ひとつ館のうちの出来事ではあるし、そこへ呼ばれてきた侍女《こしもと》の素振《そぶ》りにも不審が見えたので、母である彼女が覚《さと》らないはずはなかった。 「十八公麿のすがたが見えぬとて、そう、噪《さわ》ぎたてることはない」侍女のことばを窘《たしな》めて、彼女は、静かに良人の枕元を離れた。彼女もまた、それを知るとすぐ、病人の心づかいを惧《おそ》れたからであった。廊下へ出て、 「まさか、築地《ついじ》をこえて、館の外へ走り出はすまい。池の中の渡殿《わたどの》を見てか?」 「はい、あそこも、探したようでございます」 「池の亀を、面白がって、よう汀《みぎわ》で遊んでいることもあるが、よも、水へ落ちたような様子はないでしょうね」 「そんなことは……」侍女《こしもと》も、落着かない、そして自信のないことばつきで、答えるのである。 「穿物《はきもの》を、だしてください」沈着に、静かなことばで、そういうのであったが、さすがに心のうちでは胸が痛いほど案じられているらしい。廊下の階《きざはし》に立って、侍女が、穿物《はきもの》をもってくるまも、もどかしげにその眉が見えた。すると、 「姉君、どちらへ?」前栽《せんざい》の木蔭から、誰か、そういって、近づいてくる者が見える。  橡色《つるばみいろ》の直衣《のうし》に、烏帽子《えぼし》をつけた笑顔が、欄干《おばしま》の彼女を見あげて、 「ひどく、お顔いろがわるいが? ……。それに、介《すけ》も見えず、裏の木戸も、開け放しになっているではありませんか」 「宗業《むねなり》様、よい所へ来てくださいました。……今、十八公麿が見えぬというて、介《すけ》も乳母《うば》も、出て行ったところでございます」 「えっ、和子《わこ》の姿が、見えなくなったと申すのですか」 「このごろ、陸奥《みちのく》の方から、人買いとやら、人攫《ひとさら》いとやらが、たくさん、京都《みやこ》へ来て徘徊《うろつ》いているそうな、もしものことがあっては、良人の病《やまい》にもさわりますし、私とても、生きたそらはありません」といううちに彼女の眸《ひとみ》は、もう、いっぱいに沾《うる》んでしまう。 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり]  まるい丘と丘が重なりあっている。丘の赤松の蔭からは、瓦《かわら》焼きの竈《かま》の煙が、まっすぐに立ち昇っていた。それを見ても、風のないのがわかる。  蝶の群れが、逃げてきた。キキキ、キッ、と軌《わだち》の音がどこからかしてくる。見ると、日永《ひなが》の遊山《ゆさん》に飽いたような牛が、一台の輦《くるま》を曳いてのろのろと日野の里を横に過ぎて行く。 「七郎っ。――七郎よっ」輦《くるま》の中で、少年の声がした。武家の息子であろう、ばらっと、乱暴に、簾《れん》をあげて、首を外へ出した。 「どこへ行った、七郎は?」牛飼は、足をとめて、後ろの道をふり向いた。郎党ていの青侍が三名、何かふざけながら、遠く遅れて歩いてくるのが見える。 「ちッ」と、輦《くるま》の上の少年は、大人《おとな》びた舌打ちをした。赤い頬と、悪戯《いたずら》ッぽい眼をもって、 「――わしを、子どもと思うて、供の侍どもまで、馬鹿にしおる」両方の手を、口のはたに翳《かざ》して、おうーいっと、大声で呼んだ。その声に、初めて、気がついたように、郎党たちは、輦《くるま》のそばへ駈けてきた。 「馬鹿っ、馬鹿っ、何をしてじゃっ」少年は、頭から怒りつけて、それからいった。 「あれ、あの丘の裾《すそ》に、うずくまっている小童《こわっぱ》があろう。――怪しげなことをしておるぞ。何をしてるのか、すぐ見てこい」 「え? ……どこでございますか」七郎とよばれた郎党は、少年の指さす先をきょろきょろ見まわした。 「見えぬのか、眼がないのか。呆痴《うつけ》た奴のう。……あそこの、梅か、杏《あんず》か、白い花のさいておる樹の下に」 「わかりました」 「見えたか」 「なるほど、童《わらべ》がおります」 「さっきから、ああやって、じっと、うずくまったままだぞ。怪《け》っ態《たい》なやつ。何しているのか、見とどけてこい」 「はいっ」七郎は、駈けて行った。  白い花は、梅だった。後ろからそっと近づいて見ると、まだ、四、五歳ぐらいな童子《どうじ》が、梅の老樹の下に坐って余念なく、土いじりをしているのである。 (や?)七郎は、眼をみはった。  童子の前には、童子の手で作られた三体の仏像ができている。まぎれもない弥陀如来《みだにょらい》のすがただ。もちろん、精巧ではないが、童心|即《そく》仏心である。どんな名匠の技術でも生むことのできないものがこもっている。  それだけなら七郎はまだそう驚きはしなかったろう。――だが、やがて、童子は、土にまみれた掌《て》をあわせて何か、念誦《ねんず》しはじめた。  その作法なり、態度なりが、いかにも自然で、そして気《け》だかかった。ひら、ひら――と童子のうない[#「うない」に傍点]髪にちりかかる梅の白さが、何か、燦々《さんさん》と光りものでも降るように七郎の眸には見えた。 (凡人《ただびと》の子ではない)こう感じたので、彼は、気づかれぬうちにと、足をめぐらして、腕白な主人の待ちかまえている輦《くるま》のほうへ、いそいで、引っ返してきた。 「やい、どうあったぞ?」まるッこい眼をかがやかせて、少年は、輦《くるま》の上から、片足をぶら下げて、すぐ訊いた。 [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり] 「べつに、面白いことではございません」七郎がいうと、 「でも、なんじゃ」と、腕白少年は、しつこい。 「輦《くるま》を進《や》りながら話しましょう」 「待て待て」少年は、首を振って、 「話を先にせい」 「ちと、驚きましたので、落着きませぬと、お話ができません。……七郎めも、たくさんな童《わらべ》を知っておりますが、あんな童は、見たことがありません」 「それみい。面白うないというが、庄司《しょうじの》七郎ほどな侍を、そう驚かしたことなら面白いにちがいない。――何じゃ一体、あの童《わっぱ》は?」 「どこぞ、この辺りの麿《まろ》でござりましょう。私が、近づいて窺《うかが》っているのも知らず、一念に、三体の弥陀《みだ》の像を土で作っているのでございます」 「なアンじゃ」少年は、赤い口で嘲笑《あざわら》った。 「馬鹿よのう、そんなことに、驚いたのか」 「いえいえ、さようなことに、庄司七郎は、驚きはしませぬ。……やがて、誦念《ずねん》いたしている姿の気だかさに驚きました。衝《う》たれたのでございます。何か、こう五体がしびれるように思いました。ちる梅花《うめ》も、樹洩《こも》れ陽《び》も、土の香から燃える陽炎《かげろう》も、真《まこと》の御仏《みほとけ》をつつむ後光のように見えました」 「ふむ……」 「凡《ただ》の和子《わこ》ではございません。作られている三体の御像《みぞう》の非凡さ、容子《ようす》のつつましさ」 「ふーむ……」 「世の中に、あんな和子もあるものかと、ほとほと感服いたしました」腕白な主人の顔がおそろしく不機嫌なものに変っているのに気がついて、七郎は、ちと賞《ほ》めすぎたかなと後悔して口をつぐんでしまった。案のじょうである。 「小賢《こざか》しいチビめ」輦《くるま》のうえから、少年は唾《つば》をして、罵《ののし》りだした。 「そんな、利巧者ぶるやつに、ろくな童《わっぱ》はないぞよ。第一、まだ乳くさいくせに、仏いじりなどする餓鬼《がき》は、この寿童丸《じゅどうまる》、大ッ嫌いじゃ」家来たちの顔を、じろじろ見まわして、どうだというように、待っていたが、誰も、雷同しないので、寿童丸は、いよいよ不機嫌になった。 「やい、やいっ。あの餓鬼めの作ったとかいうその土偶像《でく》を奪《と》ってきて、わしの前で、蹴つぶして見せい」 「滅相もないことを」一人の侍がとめると、 「嫌か?」 「でも」 「主命だぞっ」この腕白者は、身装《なり》こそ小さいが、口は大人を負かしそうであった。主命といわれて、家来たちは、持てあました。  七郎は、扱い馴れているらしく、かりそめにも、仏の像に、そんな真似《まね》をしたら、罰《ばち》があたって、脚も曲がろうと、なだめたり、説いたりした。 「罰?」寿童丸は、かえって、罰ということばに、反感を燃やしたらしく、 「右大将小松殿の御内《みうち》でも、成田兵衛為成《なりたのひょうえためなり》と、弓矢にしられた父をもつ寿童丸だぞ。――罰がなんじゃ。あたらばあたってみるがよい。おぬしら、臆病かぜにふかれて、それしきのことができぬなら、わしが行って、踏みつぶして見せる」と、輦《くるま》の轅《ながえ》に片足をかけて、ぽんと飛び下りた。 [#7字下げ][#小見出し]五[#小見出し終わり]  七郎は、驚いて、 「まま、待たせられい」だだっ子の寿童丸を、他の家来たちとともに、無理やりに、輦の上へ、抱いて、押し上げようとする。 「嫌だっ、嫌だっ」小暴君は、轅へ、足を突っ張って、家来の頭をぽかぽか打ったり、七郎の顔を爪で引っ掻いた。 「離せっ、こらっ、馬鹿っ」 「お待ち遊ばせ。成田兵衛の若様ともあるものが、さような、泥足になって、人が笑います」 「笑ってもよいわ。わしは、侍の子だ。いちどいったことは、後へ退《ひ》くのはきらいだ。わしが行って、小賢《こざか》しの童《わっぱ》めの土偶仏《でくぼとけ》を、蹴砕いて見せるのじゃ。罰《ばち》があたるか、あたらぬか、そち達は、見ておれ」 「さような、つまらぬ真似は、するものではございませぬ」 「何が、つまらぬ」寿童丸は、家来たちの肩と手に支《ささ》えられながら、足を宙にばたばたさせた。持てあまして、 「それほど、仰っしゃるなら、やむを得ません、七郎が参りましょう」 「行くか」 「主命なれば――」 「それみい。どうせ、行かねばならぬもの、なぜ早く、わしのいいつけに従わぬのだ」やっと、小暴君は、輦《くるま》の中に納まって、けろり[#「けろり」に傍点]という。 「――はやく、奪ってこい」愚昧《ぐまい》な若君だが、こんな懸け引きは上手である。七郎は、いくら主人の子でもと、ちょっと小憎く思ったが、泣く子と地頭だった。 「承知いたしました」気のすすまない足を急がせて、丘の下へ、戻ってきた。 (まだいるかどうか?)むしろ、立ち去っていることを祈りながら、七郎は梅花《うめ》の樹蔭《こかげ》をのぞいた。見ると、自身で作った三体の土の御像をそこにすえたまま、あの髫《うない》がみの童子は、合掌《がっしょう》したまま、さっきと寸分もたがわぬ姿をそこにじっとさせていた。  虻《あぶ》のかすかな羽うなりも鼓膜《こまく》にひびくような春昼《しゅんちゅう》である。七郎は、跫音《あしおと》をぬすませて、童子のうしろへ近づいた。――近づくにつれて、その童子のくちびるから洩れる念仏の低唱が耳にはいった。怖ろしい強兵《つわもの》にでも迫ってゆく時のように、七郎は、脚のつがいが慄《ふる》えてきた。どうにも、脚がある程度を越えられない気がした。いっそのことやめて引っ返そうかと惑《まど》った。  寿童《じゅどう》の呼ぶ声が、おうウいと、彼方《かなた》で聞えた。彼は、主人の邸《やしき》へ帰った後《あと》の祟《たた》りを考えて眼をつぶった。 (そうだ、人の来ぬ間に!)七郎は、跳びかかった。  無想になって合掌している童子の肩ごしに、むずと手をのばした。一体の像を左の小脇にかかえた。そして、もう一体の弥陀如来《みだにょらい》をつかみかけると、童子は、びっくりしたように起って、 「あれっ? ――」愛らしい叫びをあげた。そして幼子《おさなご》らしく、手ばなしで、わあっと、泣くのであった。  二つの像をかかえて、もう一体の像を七郎が蹴《け》とばしたせつなである。 「おのれッ、この下司《げす》!」ぐわんと、彼の耳たぶを、烈しい掌《て》のひらが革《かわ》のように唸《うな》って打った。 「あっ――」耳を抑えながら、七郎は、横にもんどり[#「もんどり」に傍点]打った。仏陀の像は、また一つ彼の手から離れ、粉々になって、元の土にかえった。 [#7字下げ][#小見出し]六[#小見出し終わり] 「大人げない奴めっ」叱咤《しった》が、頭のうえで聞えた。  七郎は、起き上がって、自分を撲《う》った相手を見た。  十九か、二十歳《はたち》か、せいぜいそんな年頃の若党である。腕を捲《まく》って、右の肩をすこし昂《あ》げ、左の手に、泣いている髫《うない》がみの童子を抱きよせていた。 「何処の青侍か知らぬが、よい年をして、なんで、稚《おさな》い和子様のお作りなされた弥陀《みだ》の像を足蹴にして砕いたのじゃ。それへ、両手をついて、謝《あやま》れっ」こう正面を切って罵《ののし》られると、庄司七郎も陪臣《ばいしん》でこそあれ時めく平家の郎党である。尾を垂れて退《ひ》くわけにはゆかなくなった。 「おのれ、このほうを撲《う》ったな」 「撲《う》った!」昂然《こうぜん》と、若者は、いって憚《はばか》らなかった。 「人もあろうに、わしの主人の和子様に、無礼を働いたゆえ、打ちのめしたのだ。それが、どうしたっ」 「おのれは、どこの若党か」 「前《さき》の皇后大進《こうごうのだいしん》、藤原有範卿《ふじわらのありのりきょう》に仕える侍従介《じじゅうのすけ》というものじゃ」 「落魄《おちぶ》れ藤家の雑人《ぞうにん》か」 「なんであろうと、この身にとれば、天地無二の御主君。……ささ、和子様、もうお泣きあそばすな」と、侍従介は泣きじゃくる十八公麿《まつまろ》をなだめながら、手の泥や衣服の塵を払って、 「お母《はは》様も、叔父様も、乳母も和子様のおすがたが見えぬとて、どんなに、お探し申しているかしれませぬ。泣き顔をおふき遊ばして、介《すけ》と一緒に、はよう、お館へもどりましょう」肩を叩いて、歩みかけると、七郎は、跳び寄って、 「待てっ。用は済まぬ」と、介《すけ》の刀の鐺《こじり》をつかんだ。介は、振り向いて、 「何か、文句があるか」 「おうっ、今の返報を」いきなり、拳《こぶし》をかためて、介《すけ》の頬骨をくだけよと撲《なぐ》りかかった。  しかし、予期していた介は、巧者に、半身をすばやく沈めて、七郎の小手を抱きこむように手繰《たぐ》ったと思うと、 「何をさらすっ――」どさっと、草むらへ抛《ほう》り捨てた。草むらには、狭い野川が這っていたとみえて、七郎が腰を打った下から、泥水が刎《は》ねあがった。 「や、や。あの若党めが、七郎を投げつけたぞよっ。七郎の仇《かたき》じゃ、おいかけて、ぶちのめせ」  鞭《むち》を打たせて走ってくる輦《くるま》の上から寿童《じゅどう》がわめいた。介は、それを眺めて、 「和子様、はよう、介の背なかに、おすがりあそばせ。……相手が悪い。逃げましょう」  平家の御家人《ごけにん》と見て、彼は、無事な策をとった。  と――もう小石の礫《つぶて》が、そちらへ、飛んできた。輦《くるま》をとび下りた寿童が、石をひろって、ぶつけているのである。そして、 「あやつら、藤家《とうけ》の者じゃないか。平家のお身内に、指一本でも傷つけたら、相国《しょうこく》のおとがめがあることを知らぬのか。逃がしては、なるまいぞっ。捕まえろ、牛の背にひっ縛《くく》って、六波羅の探題《たんだい》へ、突き出してくれる」と、遠くから喚《わめ》いた。  そして、介の逃げ走る方へ、牛飼や、侍たちと共に、先廻りして陣を布《し》いた。介は、背中の十八公麿《まつまろ》へ、手をのばした牛飼の男の腰ぼねを、 「慮外者《りょがいもの》っ」と、蹴って、また走った。 [#7字下げ][#小見出し]七[#小見出し終わり]  下婢《かひ》も、下僕《しもべ》も、仕事が手につかないように、厨《くりや》を空《から》にして外へ出ていた。  箭四郎《やしろう》は、牛小屋の牛を世話したり、厨や湯殿の水汲みをする雑人《ぞうにん》だったが、やはり心配になって、井口の筧《かけひ》に、水桶を置きはなしたまま、 「於久里《おくり》どん、和子様は、見つかったかい」  築地《ついじ》のそとを、うろうろしていた下婢の於久里は、首をふって、 「どこにも――」と、昏《くら》い顔をした。 「見えぬのか」 「うん……」 「ふしぎだなあ」箭四郎は、於久里とならんで、腕ぐみをしていた。  この頃、しきりと、洛外《らくがい》のさびしい里を脅《おび》やかしている風説が胸の底にさわいでくる。それは、洛外ばかりでなく、どうかすると、白昼、玄武や朱雀《すじゃく》の繁華な巷《ちまた》でも行われる「稚子攫《ちごさら》い」のうわさである。  巷の説によると、稚子攫いを職業にする悪者は、男の子ならば室《むろ》の津《つ》の唐船《からふね》へ売りわたし、眉目《みめ》よい女子《おなご》だと京の人々が、千里もあるように考えている東《あずま》の国から那須野《なすの》の原をさらに越えて、陸奥《みちのく》のあらえびすどもが、京都《みやこ》の風をまねて文化を創《つく》っている奥州平泉の城下へ遠く売りとばされてゆくのだという。それを思い出して、 「もしや、稚子さらいの手にかかったのじゃあるまいかなあ」箭四郎がつぶやくと、 「そうかも知れない」於久里も、かなしい眼をした。だが、すぐに二人の眸《ひとみ》が、 「おやっ」と、かがやいた。 「介《すけ》だ!」箭四郎が、突然さけぶと、 「おっ、和子様がっ」於久里は、転《ころ》ぶように、木戸のうちへ、駈けこんで行った。 「和子様がもどった」 「和子様」 「和子様」館《やかた》のうちにつたわる狂喜の声が、外まできこえた。 「介ッ。介ッ」箭四郎は、両手をあげて、呼んでいた。十八公麿《まつまろ》を背に負って、野をななめに、草を蹴って駈けてきた侍従介《じじゅうのすけ》の顔には、すこしばかり血がにじんで、水に突っこんだように襟《えり》くびにまで汗がながれていた。 「箭四《やし》っ。うしろを閉めてくれっ」あえぎ声でいって、築地《ついじ》の中へ飛びこんだ。  箭四郎は、介にいわれた通り、そこを閉めた。西の木戸も、表門のくぐりも、堅く閉めておくようにと介はいいつけながら、奥の庭へ駈けて行った。 「おお」階梯《きざはし》のうえに見えた吉光《きっこう》の前《まえ》は、介が、十八公麿を下ろすのも待たないで、駈け下りて、わが子を抱きとった。そのまま廻廊の上に戻って抱きしめたまま暫くはうれしいのと緊《は》りつめた心のゆるみで、泣きぬれているのであった。 「和子」やがて、頬ずりの顔を離すと、母は、心のうちとは反対に、すこしきびしい眼をして、 「この母も、叔父様も、どのように案じていたことか。つねづね、よう教えてありますのに、なぜ、一人で外へなど出ましたか」と、叱った。 [#7字下げ][#小見出し]八[#小見出し終わり] 「あ、もし」介《すけ》はあわてて、吉光の前のことばを遮《さえぎ》った。 「――おしかり遊ばすな。和子様のは、世間のいたずら童《わっぱ》が、飛びまわるのとは違いまする」 「でも、こういう時には」 「ごもっともです。けれど、介《すけ》のぞんじますには、おそらく、和子様は、お父君のお病気《いたつき》に、小さな胸をおいためあそばして、それを、お祈りしていたのではないかと思われます」 「ほ……どうして?」 「介が、諸方をお探しして行きますと、いつか、和子様をおぶって粘土《こねつち》を取りに参りました丘の蔭にこう、坐っておいであそばしました」介は、庭へ坐って、十八公麿《まつまろ》がしていたとおりに真似《まね》をして合掌した。  そして、三体の弥陀如来《みだにょらい》の像を作っていたこと、一心に何か祈念していたこと、それがとても幼い者の振舞《ふるまい》とは思われないほど端厳《たんげん》な居ずまいであったことなど、目撃したままを、つぶさに話した。 「まあ……和子が……」母の眸《ひとみ》には、涙がいっぱいで、それが笑顔《えがお》にかわるとたんに、ぽろりと、白いすじが頬に光った。 「では……そなたは、お父君のおいたつきが癒《なお》るようにと、その小さい手で、御仏《みほとけ》の像《かたち》を作っていたのですか。……そうかや?」頭髪《つむり》をなでると十八公麿は、母の睫毛《まつげ》を見あげて、幼《おさな》ごころにも、なにか、すまないものを感じるようにそっと、うなずいて見せた。  報《し》らせを聞いて、宗業《むねなり》も戻ってくる、乳母《うば》も、眉をひらいて駈けてくる。  侍女《こしもと》や、下婢《しもべ》までが、そこへかたまって、口々に、十八公麿の孝心を称《たた》えた。それに、粘土《こねつち》で仏陀《ぶっだ》の像を作っていたということが、大人たちの驚異であった。  宗業だけは、そう口に出して、賞《ほ》めそやしたり称《たた》えはしなかったが、家族たちの手にかわるがわる抱き上げられて嘻々《きき》としている十八公麿の姿に、まったく、心を奪われたように見入っていた。そして、 (この子は――)と、将来の眩《まば》ゆさを感じ、ひざまずいて、礼拝したいような気もちに搏《う》たれた。  すると、築地の外に、黄いろい砂ほこりが舞って、がやがやと、口ぎたない喚《わめ》き声《ごえ》がきこえた。 「ここじゃな、貧乏|公卿《くげ》の有範《ありのり》の邸《やしき》は」介《すけ》の後を追ってきた寿童丸《じゅどうまる》と、その家来たちらしかった。 「やいっ、今の若党、出てうせいっ。ようも、わしが家来を、投げおったな。出てうせねば、討ち入るぞよ。こんな、古土塀の一重《ひとえ》や二重《ふたえ》、蹴つぶして通るに、なんの雑作《ぞうさ》もないわ」そしてまた、 「臆病者っ、答《いら》えをせぬか。寿童|冠者《かじゃ》が勢いに怯《お》じて、音《ね》も出さぬとみえる。――皆の者、石を抛《ほう》れっ、石を抛れっ」声がやむとすぐ、ばらばらっと、石つぶてが、館《やかた》の廂《ひさし》や、縁に落ちてくる。一つは、宗業の肩を打った。 「なんじゃ、あの業態《ぎょうてい》は?」介は、睨《ね》めつけて、 「おのれ」と、口走った。そして太刀の反《そ》りを打たせて、 「おうっ、たった今、出会うてやるほどに、そこ、うごくなっ」 [#7字下げ][#小見出し]九[#小見出し終わり]  血相を変えて、介《すけ》が、出て行こうとする様子に、宗業《むねなり》は驚いて、彼の太刀の鞘《さや》をとらえた。 「これっ、どこへ参る」 「あの悪口がお耳には入りませぬか。最前は、十八公麿《まつまろ》様にお怪我《けが》をさせてはならぬと、じっと怺《こら》えて、お館の内へ逃げこんでは参りましたものの、もう堪忍はなりませぬ。介は、斬って出て、斬りまくってくれまする」 「逆上したか、相手は、平家の侍の子じゃぞ」 「あの嘴《くちばし》の黄いろい小冠者までを、思いあがらせている平家の横暴さが憎うござります。素ッ首斬って、介《すけ》が、斬り死にしましたら、少しは、見せしめになって、世間の人が助かりましょう」 「用もない生命《いのち》を捨てるな。蠅《はえ》が小癪《こしゃく》にさわるとて、一匹二匹の蠅をたたいたら、数万の蠅がうるさいしぐさをやめるであろうか。まして、お館も御病中、怺《こら》えておれ、黙っておれ」 「ええ、いかに、何でも」 「ならぬぞ、決して、築地《ついじ》の外へ出てはならぬぞ。唖《おし》になれ、耳をないと思え」 「耳も眼も、血もある人間に、それはご無理。――おのれっ、成田兵衛《なりたのひょうえ》の小伜《こせがれ》に、雑人ばら、今日のこと、覚えておれよ」築地越しに、呶鳴ると、どっと外で嘲笑《あざわら》う声がした。牛糞や、棒切れが、ばらばらと庭の内へ落ちた。  介ばかりではない。厨《くりや》の召使たちも、歯がみをしてくやしがった。けれど、宗業もなだめるし、吉光《きっこう》の前《まえ》もおののきふるえて、 「怺《こら》えて賜《た》も。相手になることはなりませぬぞ」頼むばかりにいうので、涙を溜めながら、つんぼのように鳴《な》りをしずめていた。  すると、奥の小者が、あわただしく廊下を駈けてきて、 「おん方様、宗業様、すぐおこし下さいませ、すぐに」語気のふるえに、二人は、ぎょっとして、 「どうしやった?」 「お館様の御容体が、にわかに変でござります。唇のいろも、お眸も、急に変って……」 「えっ、お悪いとな」宗業《むねなり》は、走りこんだ。吉光の前も、裳《すそ》をすべらせて、良人の病間へかくれたが、やがてすぐ、宗業が沈痛な眉をして、そこから出てきた。そして早口に、 「介っ、介――」と、呼んだ。介は、階段の下に、黙然《もくねん》と浮かない顔で腕ぐみに沈んでいたが、 「はいっ、介は、これにおりますが……」 「オオ、急いで、お医師の所と、その足ですぐに、六条の兄君のところへ、お報《し》らせに走ってくれい」 「では、お病状が……」 「ウム、もはや望みがないかも知れぬ。いそいでゆけよ」 「はいっ、はいっ」木戸へと、駈けて行くと、 「介っ――」と、宗業はもいちど、声をかけた。 「くれぐれも、六波羅衆の息子などにかまうなよ。何と罵《のの》しられても、耳をおさえて、走って行くのだぞよ。よいか」 「はいっ」 「頼むぞ、はやく」介《すけ》は、築地の木戸を開けて、夢中で外へおどり出した。 [#7字下げ][#小見出し]十[#小見出し終わり]  洛内のほうへ向って、介《すけ》が、わき目もふらずに急いでゆくと、寿童丸《じゅどうまる》とその家来たちは早くも彼の姿を見つけて、 「犬が行く、痩せ犬が、尾をたれて行くぞ」 「さっきの広言《こうげん》、何としたぞ」 「腰ぬけっ」またしても、悪《あく》たれ[#「たれ」に傍点]や小石を、後ろから浴びせるのであったが、介は宗業のことばを思いだして耳の穴をふさぎながら、 「――堪忍、堪忍、堪忍」と口の裡《うち》で唱《とな》えて、後ろも見ずに洛中へ急いで行った。  そうして、六条の範綱《のりつな》の館《やかた》まで、一息に来たが、折わるく範綱は後白河法皇の院の御所へまかり出ていて、まだお退《さ》がりにならないという。  院へは、法皇のまわりに、平家の人々がたくさん取り巻いて、閥外《ばつがい》の人間を遠ざけるから、範綱などは、めったに伺候《しこう》することはなかったのであるが、近ごろはまた、法皇のお心もちが少し変って、あまりな平家|閥《ばつ》に、眉をひそめられることが多く、ときどき、範綱にもお招きがある。むろん政治上の事にかかわる範綱ではないから、和歌のお相手や、稀に、御宴《ぎょえん》の端につらなるくらいの程度であった。 「いつも、お帰りは、遅うございますか」介が、当惑そうに訊《き》くと、館《やかた》の者が、 「お出ましの時は、たいがい遅くなるのが常でございます」と答えた。 「それは困った」介は、院の御所へ行って、衛士《えじ》に取次ぎを頼んでみようと思った。で、そこを辞して、また駈けだして行くと、途中で、範綱に会った。 「介ではないか」呼びとめられて、 「おおよい所でした、六条様、たいへんです。有範様の御容体がにわかにわるうござりまして、医師|薬師《くすし》も、むずかしいという仰せ。奥のおん方様も、宗業様も、お枕べに、付ききりです。すぐ、お越しくださいませ」 「や……有範が」そんな予感があったように、範綱は、すぐに、牛輦《くるま》を引っ返して、日野の里へいそがせた。病室は、しいんとしていた。胸さわぎが先に立った。だが有範はよいあんばいに小康を得て、すこし落着いていたのだ。  しかし、医師は、決してよい状態ではないから油断をしてはいけないといった。そのことばを裏切って、四月になると、有範はたいへん快《よ》くなった。そして自分はいつ死んでも心のこりはないが、こんな激しい社会の中に、生活力のない女や幼子《おさなご》をのこしてゆくだけが心がかりであるなどと、それが冗談に聞えるくらい明るい顔をしていった。範綱もまた、戯れのように、 「そんなことは、心配には及ばぬ。微力でも、わしというものがいるではないか」といった。有範は、にことして、うなずいた。冗談ではなかったのである。それが生涯中の重大な一言であったのである。五月にはいると、やがて病が革《あらた》まって、藤原有範は、美しい妻と、二人の子をおいて、帰らない人になってしまった。 (生活力のない女《おんな》子《こ》ども。――流転《るてん》闘争の激しい社会には、それのみが心配だ)といった彼の遺言をまもって、範綱は、やがて、未亡人と二人の遺子を、六条の館のほうへ引きとって、自分には子のないところから、十八公麿《まつまろ》と朝麿《あさまろ》は、養子として、院へお届けの手続きをした。 [#3字下げ][#中見出し]北面乱星《ほくめんらんせい》[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  草の育つ夜の雨であった。乳のようにしとしとと蔀《しとみ》にしたたる雨だれの宵――  範綱《のりつな》は、すこし疲れた筆をおいて、燭《しょく》の丁字《ちょうじ》を剪《き》った。どこからか入る濡れた風には若葉のにおいがして、この雨上りの後に来る初夏が思われる。 「はやいの――。もう一年になる」机に、肱《ひじ》をやすめて、範綱は弟の死を憶《おも》い回《かえ》した。  有範《ありのり》の世を去ったのが、ちょうど去年の五月である。それから間もなく、二人の遺子と、若後家とを、この六条の家にひき取ったが、自分にそれだけの生活力がにわかに増したわけではないので、範綱は、院のお手当の他《ほか》に、何か収入を計らなければならなかった。色紙や懐紙に歌を書いたとて、それは足しにもならないし、大きな寺院から写経の仕事をひそかにもらって、筆耕に等しい夜業《よなべ》をしたりしていた。  だが、それも倦《う》む。倦むと時々、 「時勢が時勢なら――」と、平家の世をのろわしく思うてもみるが、結局、無力なものの愚痴と自嘲して、子どもの顔でも見て忘れようと思うのであった。今も、 「……もう寝たか」自分の室《へや》を出て、渡り廊下をこえた一棟のうちをのぞくと、 「おお、入らせられませ」若後家の吉光《きっこう》の前《まえ》は、帳《とばり》の蔭に、添寝《そいね》して寝かしつけていた朝麿《あさまろ》のそばからそっと起きてきて、敷物をすすめた。 「この二、三日は、朝麿の泣き声が、ひどう、むずかるようだが……」 「ちと、虫気《むしけ》でございましょう」 「十八公麿《まつまろ》は」 「あれにおりまする」 「まだ、起きているか」次の狭い室をのぞくと、なるほど、ほたる火のような淡暗い燈心を立てて、今年五歳になる十八公麿は、小机へ坐って、手習いをしていた。 「勉強か。えらい」賞《ほ》めながら、立って行って、墨に濡れた草紙をのぞきこんだ。 「うーむ、以呂波《いろは》歌か。……その手本は、誰がいたした」十八公麿は、ふりかえって、 「叔父さまに」と答えた。 「宗業《むねなり》が、そちのために、書いたのか。……これほどの仮名《かな》の名手は、探してもそう数はない。よい師を持っていて、お汝《こと》は、しあわせ者だ」 「お父様も、おうたを書いてくださいませ」 「書にかけては、宗業にはかなわぬ。わしは、今にお汝《こと》がもっと大きゅうなったら、和歌の道を教えよう。和歌は日本人《やまとびと》の心の奏《かな》でじゃ。成人して、何になろうと、たしなみほどはあってもよい」  誰か、その時、渡殿《わたどの》の廊下を、みしみしと歩いてきた。 「――誰じゃ」 「箭四郎《やしろう》でございます」日野の家を移る時から従《つ》いてきた下僕《しもべ》は、この箭四郎と、若党の介《すけ》だけであった。介は、先ごろ故郷《くに》にのこしてある老母の病があついという報《し》らせで、田舎《いなか》へ帰っていてこの二月《ふたつき》ほどいなかった。 「吉光《きっこう》様へといって、ただいま、かような文を投げ入れて参った者がございますので――」と、箭四郎は、雨によごれた一通の書状を、彼女の前へさし出した。 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり] 「はての?」彼女は首をかしげた。  名も告げずに、投げこんで行った文とは、一体誰からよこしたものであろう。さし当たって、思いあたる人も泛《う》かばないように、封を解いた。  燭《しょく》を寄せて、読みかえしていたが、やがて、吉光の前は、ほっと嘆息《ためいき》をもらして、つぶやいた。 「まあ、とうとう、鞍馬を下山《おり》てしまわれたか。――あの稚子《ちご》ばかりは父御の末路を踏ましとうないと祈っていたが」範綱は、さしのぞいて、 「誰からじゃ?」と、たずねた。 「めずらしくも、鞍馬の遮那王《しゃなおう》から――」 「なんというて?」 「どうして、あれほどきびしい平家の付人《つけびと》の眼を晦《くら》ましたか、関東へ逃《のが》れて、身を潜《ひそ》め、今では、奥州《みちのく》の藤原|秀衡《ひでひら》の懸人《かかりゅうど》になっているとやら……」 「では、噂は嘘ではなかったとみえる。ひところ、鞍馬の遮那王が逃げたと、やかましい沙汰《さた》であったが」 「よもやと疑っていましたが……これを見れば、元服して、名も源九郎|義経《よしつね》と改めたと書いてありまする」 「血はあらそえぬもの」 「野心のある豪族に、利用されるのでございましょう。……それにつけても十八公麿《まつまろ》の将来《ゆくすえ》が案じられます。十八公麿のどこかにも、源氏の血がひそんでいるのではないかと」 「そう取越し苦労はせまいものじゃ。また、源家の血が、呪《のろ》われた末路を踏むものとばかりは限らぬ。白いか、紅いか、咲いてみねばわからぬ」 「どうか、平和で、静かで、風にも散らぬ樹となり、花を結ぶよう――」母性のうれいを眸にこめて、隣の室の隅《すみ》をながめた。  燈心の光の下に、十八公麿は、眠るのを忘れて、まだ草紙に文字を書いていた。 「磨《まろ》よ」 「はい」 「もう、お寝みなさい」 「はい」 「また、あしたにしたがよい」侍女《こしもと》が来て、彼の衣服をぬがせた。そして、十八公麿がすなおに帳《とばり》の蔭の衾《ふすま》にかくれると、間もなくであった。小侍が、足早に、 「お館《やかた》様」と、よんだ。 「なんじゃ」 「新大納言様からのお使者がみえられて、ぜひ、お目にかかりたいと仰せられます」 「お使者が」 「お通し申しますか」 「この深夜に、成親卿《なりちかきょう》のお使いとは……」いぶかしげに、考えていたが、 「ま、ともあれ、ご鄭重《ていちょう》に」 「かしこまりました」小侍が去ると、すぐ立って、範綱は、客室へ出て行った。  客室には、二人の侍が、威儀をただして待っていた。主《あるじ》の会釈《えしゃく》をうけると、 「てまえは、北面の兵衛所《ひょうえどころ》に詰めておりまする多田蔵人《ただのくろうど》と申す者です」次席の侍も、それに次いで、おごそかに、 「同じく、北面の武士、近藤右衛門尉師高《こんどううえもんのじょうもろたか》」と名乗った。 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり]  沈湎《ちんめん》として青じろい面《おもて》に、どこか策士的なふうのある多田蔵人《ただのくろうど》と、北面の侍所に豪《ごう》の者として聞えのある近藤右衛門尉との訪れは、この二人の組みあわせを考えただけでも、時節がら、漫然たる用向きでないことは想像されるのであった。  まして、深夜。その深夜を冒《おか》し、雨を冒して来た客の二人は、二人とも、直垂《ひたたれ》から袴《はかま》ごし、太刀の緒まで、片袖ずつ、ぐっしょり濡れて坐っていた。 「時に……」と蔵人は、果たして声をひくめた。 「ちと、折入って、密々にお話し申しとう存ずるが」 「ご心配なく」と範綱はいった。 「――ここへは、許しなくば下僕《しもべ》の者も参りませぬ。見らるる通り塗籠《ぬりごめ》の一間《ひとま》、外にお声のもれることもない」 「うむ……」近藤と、うなずきあわせて、 「ほかではないが、新大納言の君の御発意《ごほつい》で、この月十三日ごろ鹿《しし》ヶ|谷《たに》俊寛僧都《しゅんかんそうず》の庵《いおり》に、同気の輩《ともがら》がうち集《つど》うて、何かと、お談じ申したいとのことであるが、貴公にも、枉《ま》げてもご出席あらるるようにとのお伝えでござる。――ご都合は、どうお座ろうか」 「さ……」範綱は、返辞をためらった。  院を中心にして、先ごろから、思いあわされることがないでもない。相国《しょうこく》清盛に対して、瞋恚《しんい》を燃やしておらるるという噂がもっぱらにある。原因は、相国の嫡子《ちゃくし》の小松|重盛《しげもり》が左大将に、次男の宗盛《むねもり》が右大将に昇官して、徳大寺、花山院の諸卿をも超え、自分の上にも坐ったということが、何としても新大納言|成親《なりちか》には、虫のおさまらない不平であるらしい。  院の内政はいうまでもなく、叙位《じょい》、除目《じもく》のことまで、清盛父子のためにこう自由にされては、やがて、自分たちの官位もいつ剥奪《はくだつ》されて、平家の門葉《もんよう》の端くれへ頒《わ》けられてしまうかも知れない――という疑心暗鬼《ぎしんあんき》も手つだってくる。  法皇にも、近ごろは、平家のこの専横ぶりを憎く思《おぼ》し召《め》されている容子《ようす》があると見てとると、成親の謀心《ぼうしん》は、油がそそがれた。北面の武士といわれる侍所《さむらいどころ》にも、同じような不平分子がたくさんいる。また、民衆も平家の顛覆《てんぷく》するのを旱《ひでり》に雲を待つように望んでいる秋《とき》である。今、策を立てれば、必ず成功するにちがいない。いわゆる時期到来だ。  こうした考えの人々がいつのまにか院のうちに、秘密結社をつくって、暗躍しているらしいことを、範綱は、あぶない火悪戯《ひいたずら》を見るように察していたので、 (――それだな)とは早くも察していたのであるが、わざと、何もしらない顔をして、 「十三日……」考えこんでいた。蔵人は、膝をすすめて、 「ぜひ、お繰《く》りあわせをつけて欲しいが」 「して、当日の集りに見えらるる方々は」 「されば」と、右衛門尉《うえもんのじょう》は、懐《ふところ》をさぐって、燭の下に、連名の一巻をひろげながら、 「――近江《おうみの》中将|蓮浄《れんじょう》どの、法勝寺《ほっしょうじ》の執行《しゅぎょう》俊寛僧都《しゅんかんそうず》、山城守基兼《やましろのかみもとかね》どの、式部大輔正綱《しきぶだいふまさつな》どの、平判官康頼《へいほうがんやすより》どの、また、新判官資行《しんほうがんすけゆき》どのを始めとして、かく申す右衛門尉《うえもんのじょう》、ならびに、蔵人行綱《くろうどゆきつな》」と、読んだ。 [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり]  院の文官と、北面の武士と、ものものしく連判してあるのである。  範綱は、眼をそらした。そして蔵人《くろうど》の眼をみると、蔵人は、じっと自分の眼を見つめて、こう秘密をうちあけた以上は、是が非でも加盟させずにはおかない、拒《こば》めば即座に左の手によせている太刀にものいわせても――という殺気のある眸《ひとみ》をかがやかしていた。 「なるほど」範綱は、すこし後へ退がった。そのあいだに、彼は思案を決めていた。 「――では僧都《そうず》の庵《いおり》にあつまると申しても、歌、猿楽などいたして、半日を、風雅に遊ぼうというわけでもないですな」 「もとより、表面は――そういう態《てい》にしてあるが、まことは……」右衛門尉は、深沈《しんちん》と更《ふ》けてゆく燭の蔭を、見まわした。 「――まことは、北面の侍ども、また、ただいま読み申した連判の輩《ともがら》が、血をすすりあって、院の法皇を仰ぎ奉り、新大納言の君を盟主として、暴悪な平氏を一挙に、覆《くつが》えさんと思うのでござる。洛内《らくない》にては、人目もあるゆえ、鹿《しし》ヶ|谷《たに》へ集った当日、万端お謀《う》ちあわせする考え。――ついては、源家に御縁の浅からぬお家であり、わけても、法皇の御信任もふかい貴公のこと、むろん、お拒《こば》みのあろうはずはないが、改めて、御加盟のことおすすめに、一党の使者として、わざと夜中《やちゅう》、推参《すいさん》したわけでござる」蔵人が、一息にいうと、右衛門尉も、 「範綱どの。ご返辞は――」と、つめよった。 「…………」眼を閉じて考えている範綱の眉を、二人は左右から射るように見つめた。返辞によっては、太刀にものをいわせかねない気色であった。 (何と答えたらいいのか?)範綱は、当惑した。  平家がどうあろうと、政治がどう動こうと、自分は、歌人である、武士でも政客でもない、また高位栄職をのぞんでもいない、歌に文学に、自分の分を守っておればよいのであると、常に、そうした渦中に巻きこまれることは避けるように努めているのだったが、周囲は遂にそれをゆるさないことになってしまった。  一言《いちごん》でも、大事の秘密を聞かれた時は、秘密に与《くみ》すか、秘密に殺されるかどっちか二つに一つを選ばなければならない――。範綱はそれに迫られて、自身の窮地を感じるとともに、上《かみ》は、法皇の御危険なお立場と、小さくは、奥の北殿に、はや平和に眠ったであろう幼い二人の者と、薄命な弟の若後家の境遇を、考えずにはいられない。 「……ご返辞のこと、一両日、お待ちねがわれまいか」 「ご即答は、できぬとか」蔵人の手は、太刀をにぎっていた。ただの握りかたではない、微《かす》かなふるえすら現しているのである。 「法皇に仕え奉つる身、法皇のおこころのほども臣として――」いいかけると、 「あいや、六条どの、その儀ならばご懸念はいらぬ。秘中の秘、いいのこしたが、実は、当日の謀議には、上皇にも、おしのびにて院をお出ましある手筈……」その時、家の外で、樹の枝でも踏み折ったような音が、ばりっと寂《しずか》な夜気をやぶって、この三人の耳を驚かした。 「やっ? ……」右衛門尉《うえもんのじょう》は、太刀のこじりを立てて、中腰になった。 [#7字下げ][#小見出し]五[#小見出し終わり]  一瞬のまをおいて、 (曲者《くせもの》っ――)と、ふたたび遠い所で誰やらの声がした。  ばたばたと屋外《そと》で――今度はやや間近な窓の下あたり、烈しい跫音《あしおと》が駈けた。  暗い雨の音が、さあっと、その跫音を前栽《せんざい》の木立のそよぎと追うらしい。 (曲者っ)つづいて、 (お出合いなされっ――)追いつめて、組みついたか、烈しい物音がする。喚《わめ》く、打つ、そして、 (逃がすなっ)と、声が割れた。  蔵人《くろうど》も、右衛門尉も、また主《あるじ》の範綱も、思わず立ち上がっていた。そして、廊下の蔀《しとみ》を開け放って、 「何事じゃっ」雨に向って、範綱がいった。  しかし、それに答える遑《いとま》もないように、木蔭や亭《てい》のまわりを、逃げる者と追う者の黒い影がみだれ合っていた。そのうちには、蔵人の供人《ともびと》もまじっているらしかった。  いつのまにか、右衛門尉は袴《はかま》をくくり上げていた。武人らしく、さっと雨のなかへ躍り出て、築地《ついじ》を越えて出ようとしている曲者《くせもの》をひっ捕えた。そして範綱と蔵人のあきれ顔をしている前へ、ずるずると引き摺ってくるのであった。  室内の明りは、吹きこむ風に消されていた。範綱は奥へ向って、 「紙燭《ししょく》、紙燭《ししょく》――」と、どなった。  ふすまや、几帳《きちょう》の蔭から、小さい燈火《ともしび》の光が、掌《て》に庇《かば》われながらそこへ運ばれてきた。雨の打つ階梯《きざはし》の下に、曲者はねじ伏せられている。右衛門尉は、直垂《ひたたれ》の胸紐をひき抜いて、曲者の両の手くびを背にまわして縛りつけていた。 「面《おもて》を上げい」泥土によごれた革足袋《かわたび》が、曲者の肩を蹴った。曲者は横に倒れたが、すぐに坐り直して、剛毅《ごうき》な態度をとった。しかし俯向《うつむ》いたきりで、顔を見せないのである。  蔵人は、廂《ひさし》の下にかたまった自分の供人と、この家《うち》の召使たちを眺めて、 「こやつは、館《やかた》の者でござるか」 「いえ、当家には、かような者はおりませぬ」と、中にまじっていた箭四郎《やしろう》が答えた。 「すると、外から忍び入ってきたものじゃな」 「察するところ、お後《あと》を尾行《つけ》てきて、なお、去りやらず、築地《ついじ》を越えて入りこんだものと思われます」 「立ち聞きしていたか」 「されば、ちょうど、お客間の窓の下あたりに佇《たたず》んで――」 「うぬっ」蔵人は、憎そうに、睨《ね》めつけて、 「さては平家の諜者《いぬ》じゃ。右衛門尉《うえもんのじょう》、打ちすえて、口をお開かせなされ」 「諜者《いぬ》か、おのれは」右衛門尉は、曲者《くせもの》の耳を引っ張っていった。痛さに顔をしかめた曲者の顔が斜めに長く伸びた。その顔には誰も見覚えがなかったが、りりしい身支度や度胸をすえこんでいる態度を見ると、決して雑人《ぞうにん》や凡下《ぼんげ》の輩ではない。平家のうちでも、相当な家の郎党にちがいなかった。 「おのれ、誰にたのまれたっ。いえっ、いわぬかっ――」右衛門尉のこぶしが、曲者の頭蓋骨《ずがいこつ》を、三つ四つ撲《なぐ》った。 [#7字下げ][#小見出し]六[#小見出し終わり]  見ている者すら面《おもて》をそむけるほど烈しい折檻《せっかん》を加えられたが、曲者は、頑として口をあけなかった。 「主人の名を申せっ」 「…………」 「頼まれたものの名をぬかせ」 「…………」 「何のために、立ち聞きしたっ。六波羅《ろくはら》のまわし者とは分っているが、誰のさしがねで、ここへは忍びこんだか」 「…………」  いくら拷問《ごうもん》してみたところで、石にものを訊くようなものであった。  そのうちに、曲者は、うめいたまま、気を失ってしまった。夜も更けてくるし、大きな声をだしているのは、近隣の館《やかた》に対しても、考えなければならなかった。 「忌々《いまいま》しいやつ……」と、右衛門尉は、手をやいたようにつぶやいた。そして、この曲者を、充分に調べあげるまで、どこか邸内の仮牢《かりろう》に預かっておいてくれという。 「承知いたしました」範綱《のりつな》は迷惑した。しかしこんな縄付《なわつき》を、二人の使者が曳いて歩けないことは分りきっている。平家の眼の光っている京の往来では――。 「箭四郎、この曲者を、裏庭の納屋へでも入れて、縛っておけ」 「かしこまりました」気を失った曲者の体を、二、三人して雨の闇へ運んで行くと、右衛門尉は、足を洗って、席へもどった。そして蔵人とともに、ふたたび、新大納言の大《だい》それた謀叛《むほん》の思いたちを、熱心に説いて、範綱にも加盟をするようにすすめて、やがて、やっと立ち帰った。  範綱は寝所にはいっても、まんじりとも眠られなかった。自分は自分の分というものを知っている。不平をいだく北面の武士や、院の政客と聯脈をとって、栄権を夢みるような野望はさらさら持ったことがない。決して、明るい御世《みよ》とは思わないけれど、歌人として自然を相手に生きている分には、これでも不足とは思っておらぬし、また、弟の遺《のこ》した二人の幼子《おさなご》や若後家の将来《ゆくすえ》などを思えば、なおさら自分の進退は自分だけの運命を決しるものではない。  考えは決まっているのである。そう初めから決している範綱であった。  だが、後白河法皇も、新大納言の私怨《しえん》にひとしい企《たく》らみにお心が傾いているというのは、彼として、自身以上の危惧《きぐ》であった。万が一にも法皇が御加担となれば、臣として眺めているわけにはゆかないことは当然である。おんみずから業火の裡《うち》へ、平家|膺懲《ようちょう》のお名宣《なのり》をあげて、院の政庁を武人の甲冑《かっちゅう》で埋《うず》めるような事態にでもなったならば、それこそ怖ろしいことである。 (ああ、どうしたものか)悪夢のなかに、範綱はもだえた。茜《あかね》いろの都の空にまたしても悪鬼《あっき》や羅刹《らせつ》のよろこび声が聞える時の迫りつつあるのではないかと戦慄した。  夜明けごろ、北の寝屋《ねや》の奥に、朝麿《あさまろ》がむずかるのであろう、幼子《おさなご》の泣き声がしばらく洩れていた。 (そうだ……。何よりは、法皇のおこころが第一、法皇さえおうごきにならなければ――)  うとうとと眠りぎわに彼は何か心の落着きを見つけていた。とたんに眠りに入ったのである。  眼がさめたのは従って常よりも遅かった。雨あがりの陽《ひ》が強烈に眸《ひとみ》を刺し、空は碧《あお》く、五月の若葉は、新鮮であった。 [#7字下げ][#小見出し]七[#小見出し終わり]  院の御座所をさがってくると、範綱はすこし眉をひらいた。法皇の御けしきによっては、随分、面《おもて》をおかしても御諫言《ごかんげん》するつもりであったが、 (さすがは、老練でいらせられる、あの御烱眼《ごけいがん》ならば――)と、まずまず、安心して、いわんとすることは、暗示ぐらいな程度にとめて、御簾所《みすどころ》を退がってきたところであった。  院を中心にして、策動し、流言し、暗中飛躍をする無数の政客や、武人や、策士を、法皇はやはり高い御座《みくら》のうえからよく観ておられると、今さら心服するのであった。もっとも、平治、保元の動乱期にあって、法皇ほど、御苦労もなされ、また、人間の表裏反覆と、烈しい権力の争奪を眺められたお方はない。  そういう法皇を奉じて、まだまだ、衰兆《すいちょう》の見えない平家を廟堂《びょうどう》から追い落そうなどとしても、所詮《しょせん》、躍るもの自身の自滅以外、何らの運動となるわけのものではない。まして、それが私怨と私慾の不平から結ばれた策動であるにおいては、言語に絶した不忠な悪謀《わるだく》みである。法皇の御運命がそういう野望家のために決しられるようなことでもあっては断じてならない。  範綱の意志は、そこに決まっていた。――だが、それを極言するまでもなく、法皇御自身が、院の内外にうずいている野心家の空気と、野心家の性格とを、ことごとく知り抜かれているようなので、 (このぶんなら――)と、彼は、自分の取越し苦労を、むしろ恥じて、 (くれぐれも、御自重)と、ばかり奏して、あとは、いつもの和歌の話などして、心までが、はればれとしていた。  南苑《なんえん》の橘《たちばな》には、春のよごれを降りながした雨あがりの陽が強く照りかえしていた。伶人《れいじん》たちが、院の楽寮《がくりょう》で、器楽をしらべているし、舎人《とねり》たちは、厩舎《うまや》の前にかたまって、白馬に水を飼っていた。 「六条どの」後ろで呼ぶ者がある。廻廊の曲がり角に、待っていたように佇《たたず》んでいた男だった。 「――おおこれは」見ると、故《こ》少納言|信西《しんぜい》の息子、浄憲法師《じょうけんほうし》という、才子で、人あたりがよくて、そして院のうちの切れ者といわるる人物だった。  時々、歌の詠草《えいそう》などを届けてよこして、評を求めるので、そのつど、歌はみてやるけれど、範綱とは、べつな世界に生きている人間であって、いくら永く知ってはいても、ほんとの知己にはなれないでいる男だった。  にやりと、浄憲は寄ってきた。何ということもなく、欄《らん》へ誘って丸柱に、背をもたせながら、 「何か、御内奏でもあって、御伺候《ごしこう》かの?」と、そろりと探りを入れる。 「いや、相かわらず、歌よみは、歌よりほかにはお相手のしようものうて……」範綱も、そっと、逃げると、浄憲はねちねちとした眼で、ぶしつけな正視を相手へ与えながら、 「ほ……。それにしては、だいぶ、お永い話であったの」 「きょうは、御興《ごきょう》にいったとみえて――」 「歌の話に、お人ばらいまでせらるるとは、ご入念なことだ」 「…………」 「ときに」と浄憲は、すり寄ってきた。そして、範綱の耳のそばで、 「新大納言の君から、なんぞ、そこもとにも、耳うちがあったはずだが……」 [#7字下げ][#小見出し]八[#小見出し終わり] 「ゆうべの使者から、あらましのことは、お聞き取りと思うが――」浄憲の眼は、しきりと、廻廊や南苑の人影へうごく。  人が来ないとみると、小声で、早口にことばをついで、 「どうじゃ、何とみらるる、平家の暴状、癪《しゃく》ではおざらぬか、忌々《いまいま》しゅうは思われぬか、小松|重盛《しげもり》を左大将に、これは、まあ我慢もなるとして、その次男坊の宗盛《むねもり》――木偶《でく》に冠《かんむり》じゃ――猿に履《くつ》じゃ。それを、一躍、徳大寺や花山院の諸卿をとび超えて、右大将に任ずるとは、なんと、阿呆《あほ》らしい――」白馬が、遠くでいなないた。浄憲は、眸の小さい眼で、ぎらりと、あたりを見た。 「――この手で、まだまだ、勝手気ままに、清盛入道は、叙位《じょい》除目《じもく》を私《わたくし》するじゃろう。おそれ多いが、お上《かみ》も、あるやなしの振舞、いわんや、吾々輩《われわれはい》をや」 「……ちと、今日は館に、約束の客を待たしてもあれば」 「まあ」と、浄憲は、範綱の袖をとらえて、 「それと、これとは、事の大きさが違いましょう。貴所も、院の御信任あさからぬ臣下の御一名ではないか」 「こういう所では」 「いや、改まった場所では、すぐ、平氏の者がうるさい。……ではご一言、伺っておこう。新大納言のお考えに、そこもとは、ご加担か、お断りの肚かを」 「今は、申しかねる」 「二心おもちか」 「いや」 「さなくば、仰せられても、さしつかえおざるまい。かほどまで、平家の門葉《もんよう》ばらに、蹂《ふ》みにじられ、無視されても、腹のたたぬやつは、うつけか、畜類《ちくるい》でおざろうぞよ」 「…………」 「法皇とても、おなじお気持でいらせられる。御気《みけ》しきにこそ出されぬが、お憤りはどんなにか、鬱積していらるるのじゃ。さものうては、新大納言はじめ、われらどう歯ぎしりしたところで、うごきはせぬ。……」 「…………」 「加盟にお拒《こば》みあることは、せんずるところ、法皇の御意にそむき奉ることにもなる。……それでも、ご不承か」 「考えておきます」 「ゆうべも、そう仰せられたままと聞く」 「大事の儀は、大事に考えねば、ご返答はなりませぬ」 「賢いの……六条どの」 「さようか」 「ふ、ふ、ふ、ふ」  浄憲法師は、嘲《あざ》むがごとく笑って、ついと、背を向けた。 「では、いずれ再度――」すたすたと奥へ衣《きぬ》さばきを切って行った。  ほっと、虎口をのがれた気もちである。範綱は、誰にも会いたくない気がして、いそいで、院の門を出た。  車寄《くるまよせ》には、誰彼の参内の諸卿《しょけい》の牛輦《くるま》が、雑鬧《ざっとう》していた。舎人《とねり》や、牛飼たちが、口ぎたなく、陽《ひ》あたりの下に争っている。 「箭四郎《やしろう》、箭四郎」供待ちへ、こう呼びたてて、範綱は、あわただしく牛輦《くるま》の裡へかくれた。そして、揺られゆく途々《みちみち》に、ふとまた、不安なものを感じてきた。法皇のおことばに、もしや表裏があるのではないかという点だった。浄憲法師には浄憲へいうように、また自分には自分に対して下されるように、扱《あし》らわれているのではないかという疑念である。  なぜならば、策士にかこまれている法皇御自身がまた、ひとかどの策略家でいらせられるからであった。 [#7字下げ][#小見出し]九[#小見出し終わり]  それ以来、範綱は、病気といって引き籠っていた。  一室に閉じ籠っていても、世間の物音は、ごうごうと、聞えてくる。 (また、山法師の強訴《ごうそ》じゃ) (白山の僧が、神輿《しんよ》をかついで、延暦寺《えんりゃくじ》へ押しかけたそうな)  そんな噂は、もう珍らしくもない。政治好きな法皇でさえ、山門政策には手を焼かれて、 (双六《すごろく》の賽《さい》と、山法師ばかりは、朕《ちん》の心のままにならぬ)と、嘆じられたという。  その僧徒たちが、示威運動をやったり、延暦寺の座主《ざす》が、そのために流されたり、院の政務も、洛内も、騒擾《そうじょう》を極めていたので、新大納言一派の暗躍も、五月中は、ついに、法皇へはたらきかける機会がなくて、過ぎてしまった。範綱は、ひそかに、 (いずれも、一時の不平の寄り集まりじゃ、このまま、自壊してしまうかも知れぬし、そうなれば、かえって法皇のおんためというものだが)近ごろ、どことなく鬱結《うっけつ》しているものが、院のほかから炎を噴《ふ》いて出ることが祈られた。  だが、最初に、密使としてここへ訪れた多田蔵人《ただのくろうど》は、洛中の騒擾にまぎれて、あれからも、しきりと一人でこっそりと訪《や》ってきた。 「――お不快なそうじゃが、だいじにせられい。いやなに、強《た》ってお目にかからいでもよろしい。拙者は、お預け申してある平家の諜《まわ》し者《もの》めを、調べて立ち帰る」そういって、家人に裏庭へ案内をさせた。  いつぞやの雨の夜、大騒ぎをやって捕えた曲者《くせもの》は、一時、納屋《なや》へ押し籠めておいたが、家人が物を出し入れするごとに不安だし、もし逃げられて、六波羅へ、あだ口をきかれたらばお館の御運命にもかかわるといって、箭四郎が、急ごしらえの牢を作った。空いている厩《うまや》へ、材木を組み立てて、その中へ抛《ほう》りこんでおいたのである。 「見るからに、強情そうな面《つら》がまえよ。きょうこそ肉をたたき破っても、口を割らせてくれるぞ」蔵人は、牢の外から宣言して、曲者を、縄目のまま、外へ出させた。馬を打つ革鞭《かわむち》を持って、 「こらっ、下司《げす》」 「…………」 「六波羅のまわし者とは分っているが、誰にたのまれたかっ。何を探れと、いいつけられたのか」 「…………」 「いわぬかっ」ぴしいっと、鞭が一つ鳴る。 「ぬかせっ」 「…………」 「ぬかさぬかっ」二つめが唸る。鞭のうなるたびに、曲者《くせもの》の顔に赤いすじが一つずつ腫《は》れあがった。そして、しまいには、紫いろになり、耳や、唇や、いたる所から、血しおが流れた。 「ううーむ……ううーむ……」ついには、大きなうめき声と、鞭の音とが、根くらべをするだけであった。蔵人《くろうど》は、精をきらして、 「よしっ、きょうはこれで、帰るとするが、また来るぞ。生命《いのち》が惜しくば、口をあくことだ。考えておけ」いいすてて、帰ってしまった。  館《やかた》の者たちは、眼をふさぎ耳をふさいでいた。しかし、こんな程度のことは、今の京洛《みやこ》の内には、ざらに行われていることだ。見馴れている蔵人などは、まだまだ手ぬるいと思って帰った様子なのである。 [#7字下げ][#小見出し]十[#小見出し終わり]  意地になって、蔵人はそれから後も、たびたびやって来ては、厩牢《うまやろう》の曲者を拷問《ごうもん》した。  曲者の体は、そのために業病《ごうびょう》のように腫れあがって、やぶれた傷口は柘榴《ざくろ》の如く膿《う》み、そこから白い骨が見えるほどだった。 「ころせ」曲者はいった。  そしてまた、打てば打つほど、あざ笑って、 「これくらいな折檻《せっかん》で、口を割るような男に、なんで大事な役目を主人が申しつけるものか。無益なことをせずに、ひと思いに、この首を落せ」むしろ自分の克己心《こっきしん》を誇るかのように彼は屈しなかった。  ついには、蔵人の方が、根気も尽き、不気味にもなって、だんだんに足が遠くなっていた。  六月に入った。葉ざくらの葉蔭に、珊瑚《さんご》いろの赤《あか》い実《み》が、陽《ひ》に透《す》いて血のように見える。熟《う》れきった桜の実は、地にもこぼれていた。  十八公麿《まつまろ》は、それを、小さな掌《て》にひろい集めていた。すると、裏庭の奥で、 「和子様《わこさま》――」と、誰か呼ぶ。 「和子様……」何度目かの声に、十八公麿はやっと気がついたように、無邪気な目をやって、辺りを見まわした。  誰も、人影はなかった。だが、やや脅《おび》えたらしい童心は、急に、白昼《まひる》の庭の広さが怖くなったらしく、あわてて、館《やかた》の方へもどりかけた。と――また、 「和子様、ここですよ」 「? ……」十八公麿はふりかえって、じいっと、厩牢《うまやろう》の中にみえる人間の影をふしぎそうに見つめていたが、やがて、怖々《こわごわ》と寄って行って、 「おまえは、誰?」 「わたくしは、お館にしのび込んで捕まった曲者《くせもの》ですよ」 「曲者さん?」 「名まえではありません、いわゆる曲者です。けれど、和子様には何も悪いことはしませんから、安心して、少しここで遊んで行ってください」 「? ……」 「わたしは、淋しくてたまらないのです。いま、和子様のすがたを見たら、この胸が張り裂けるようになりました。私にも、ちょうど和子様ぐらいな子があります。また私の御主人の息子様も、和子様よりすこし年上ですが、やはり無邪気な少年です」 「曲者さん、おまえは、どうしてこんな所へ入っているの」 「忠義のためです」 「忠義のためなら、よい侍と皆が賞《ほ》めてくれるでしょう」 「そうは行きません、味方に忠義な侍は、敵にとれば憎むべき悪魔に見えます」 「では、曲者さんは、悪魔なの?」 「ここに捕われている間は」 「外へ出れば」 「善人です。少なくも、悪人ではありません。その証拠には、和子様は私とこうして話していてもちっとも恐いことはないでしょう。あなたに危害は加えませんから――」 「初めは、怖ろしかったが、もう何ともないよ」  そういって、その言葉を証拠だてるように、十八公麿《まつまろ》は、牢の隙間から掌《て》を差し入れて、 「曲者さん、桜んぼを、上げようか」 [#7字下げ][#小見出し]十一[#小見出し終わり]  にこと笑って、 「――これは甘そうですね」曲者は、桜の実《み》の一顆《ひとつぶ》を口にいれて、ぽつりと噛んだ。  永い牢獄の飢えと苦熱に渇《かわ》いた舌に、一顆の桜の実の汁が、何ともいわれない物の味を走らせた。思わず、四顆《よつぶ》、五つ顆。 「これは、うまい」むさぼるように、掌《て》のうえの紅玉を口へ入れて、胚子《たね》を吐きちらした。  食物にも、人情にも、渇《かわ》き切っているらしい曲者のよろこびかたを見ると、十八公麿は、どこかへ走って行った。やがてまた、そこへ戻ってきた彼の手には、草紙の反古《ほご》につつんだ麦菓子がつつまれていた。 「お食べ。――お菓子」 「えっ」牢格子の隙間からそれを見た曲者《くせもの》の眼は飛びつくように光っていた。 「私に菓子を下さるのですか。ありがとう! こういう所に永く押し込まれていると、気が狂うほど、甘い物が、欲しくなります。……ああ、ありがとう!」おののく手にそれを取ると、獣《けもの》が人の跫音《あしおと》を憚《はばか》るように、四辺《あたり》を見まわして、口の中へ一つを押しこんで、残りを懐中《ふところ》へかくしてしまった。  十八公麿は、去りがてに、その前へしゃがみこんで、 「曲者さん、おいしいの」 「はい、これで、死んでもようございます。食物に飽いている平常《ふだん》の頭では考えられないほど、食物の尊さがわかりました。ああうまかった」舌つづみを打って、 「慾には、これで、家《うち》にいる妻子《つまこ》の顔を一目見て死にたいと思いますが、それは煩悩《ぼんのう》と申すものですから諦《あきら》めています」 「…………」 「和子様、私が首を斬られたら、どうぞ、私の髪の毛を一すじ切って、御門の外へ捨ててください。――西風のふく日に、私の髪の毛は、妻子のいる家へ帰ってゆきます」 「おまえは、そんなに、妻子の顔が見たいのかい」 「それは、和子様でもお分りになるでしょう。もし、和子様のお父上が、よそへ行ったまま、いつまでも帰らなかったら、和子様はどうお思いあそばすか」 「…………」十八公麿は、突然、牢格子へ手をかけて、そこを押した。しかし牢は開くはずもなかった。 「和子様、和子様、何をするのですか」 「おまえを、ここから、出してあげようと思って――」 「飛んでもない」曲者は、首を振った。 「私が、牢を破って逃げたらば、新院の大納言や北面の武士たちから、あなたのお父上は、裏切者と睨まれて、お生命《いのち》がありません」 「では、おまえは、ここを出たくはないの」 「出たいのは山々です。……けれど、私が助かれば、和子様のお父上に迷惑がかかると思うと、逃げる気にもなりません」曲者は、そういって寂然《じゃくねん》と首をたれていたが、やがて首を上げると、発狂したように、牢の外へ向って呶鳴った。 「お館《やかた》のうちへ申し入れる。どなたなりと、お出でください。火急申しあげたいことがござる! どなたなりと、お出合ください!」 [#7字下げ][#小見出し]十二[#小見出し終わり]  厩牢《うまやろう》からの喚《わめ》き声に、 「なぜ騒ぐかっ」箭四郎《やしろう》がまず駈けだしてきて、曲者《くせもの》を叱った。  何事かと、範綱《のりつな》も、奥から姿をあらわした。曲者は、牢格子にすがって、 「お館へ、申しあげたいのでござる。今日までは、骨を砕かれ、肉をやぶられても、この口は開《あ》くまいと、心を夜叉《やしゃ》にし、固く誓っておりましたが、十八公麿《まつまろ》様のやさしさに、あわれこの夜叉《やしゃ》も、弱い人間の親に立《た》ち回《かえ》りました。いわずにはおれぬ気持が急なのでござる。お聞きとり下さい。それがしの自白を――」と、叫ぶのだった。その声には真実がある。その顔には涙がながれている。範綱はいった。 「箭四《やし》、牢から出してやれ」 「えっ、出しても仔細はございませぬか」 「縄も解いてやれ」箭四郎は、いわれる通りにした。縄を解くのだけは不安な気もしたが、曲者は神妙だった。範綱の足もとに両手をついたまま、しばらく、男泣きに泣いているのであった。  わけをただすと、曲者は、十八公麿のやさしい童心に対して、醜悪な自己の姿がたまらないほど恥かしくなったのだという。奉公のためとはいえ、呪詛《じゅそ》と虚偽の仮面をかぶって、牢獄につながれている自分の浅ましい姿も恥かしいし、また、家にのこしてある妻子に対する思慕にも耐えられなくなったというのである。 「もう何をかくしましょう、わたくしは小松殿の御内人《みうちびと》です。成田兵衛《なりたのひょうえ》の郎党で庄司七郎《しょうじのしちろう》という者です。先年はまだ和子様が日野の里においでのころ、無礼を働いたこともあるので、うすうす、和子様のお顔は存じ上げておりました」 「ではやはり、蔵人殿のご推察どおり、六波羅方の諜《まわ》し者じゃな」 「いかにも」と七郎は、きっぱりいった。 「新院大納言が、相国《しょうこく》に不満をいだいて、何やら密謀のあるらしい気配、夙《と》く、それがしの主人成田兵衛が感づいて、あの衆の後を尾行《つけ》よというおいいつけなのです。すでに、小松殿も、それをお気づきある以上は、もはや、事を挙げても、成就《じょうじゅ》せぬことは、火をみるよりも、瞭《あきら》かです。決して、お館には、さような暴挙にご加担なされぬように……。申しあげたいといったのは、その一事です」 「ほう、それでは、すでに小松殿を初め六波羅では、新大納言の策謀を感づいておられるのか」 「一兵なりと動かしたらばと、手具脛《てぐすね》ひいて、待ちかまえているのです」範綱は心の裡《うち》で、 (あぶない!)と、思わず大息につぶやいた。さしあたって不安になるのは、法皇のおん身であった。あれほど、仰せられたことであるから、新大納言一味の策《て》にのせられることは万《ばん》あるまいとは思うが、 (もしかして? ……)という気もしないではなかった。 「よう教えてくれた。――箭四郎、この曲者を、裏門から放してつかわせ」範綱は、そういいすてて、あわただしく自分の室へかくれた。 [#7字下げ][#小見出し]十三[#小見出し終わり]  やがて、玄関のほうで、 「箭四《やし》っ、箭四っ」と呼ぶ声がした。  箭四郎は、曲者の七郎を、裏門からそっと放してやったところだった。 「はいっ」駈けてゆくと、玄関の式台には、範綱が直垂《ひたたれ》を改めて立っていた。 「馬をっ――。急いで」 「はっ」箭四郎は、厩《うまや》から馬を曳きだしたが、病気と偽ってひき籠っている主人が、何でにわかに外出を思い立ったのか、そしてまた、世間の耳目にも憚《はばか》りはないのかと、ひとりで危惧《きぐ》していた。 「いそげよ」門の外へ出ると、範綱は、鞍の上から再びいった。  あぶみの側へ寄って、馬と共に駈けながら、箭四郎が、 「お館《やかた》様」 「なんじゃ」 「世間へ仮病《けびょう》が知れても大事ございませんか。裏道を通りましょうか」 「それには及ばん」 「して、お行く先は」 「仙洞《せんとう》――」さては参内《さんだい》であったのかと彼は初めて気がついた。仙洞というのは、後白河法皇の離宮である院の別名なのである。六条からはそう遠くはない。しかし本道《ほんみち》の五条大橋を越えてゆくと、橋の東に小松殿の薔薇園《しょうびえん》があり、その向い側には入道相国の六波羅の北門《ほくもん》があって、その間を往来するのはいつも何となく小気味がよくないし、肩身の狭い気がするのであった。  わけても、今日は主人が何かつよい決心を眉宇《びう》にもって、にわかに参内するらしい途中でもあるので、箭四郎はいそげといわれながら、道を迂回《うかい》して、三条の磧《かわら》から仮橋を越えて、十禅師《じゅうぜんじ》の坂へかかった。 「箭四」 「はい」 「きょうは、たしか二日じゃの」 「六月二日でございます」 「…………」範綱は、時刻を考えるように、陽《ひ》を仰いだ。陽はずっと加茂川の末のほうへ傾いている。 「駈けるぞ」一鞭《ひとむち》あてると、箭四郎は坂道にとり残された。やっと、追いついてみると、もう仙洞御所《せんとうごしょ》の東門に、主人の姿はそこになかった。  範綱は、院の中門へ、駈けるように急いで行った。そして、 「あっ……」と、立ち竦《すく》んでいる。  北の中門の外に、お微行《しのび》の鳳輦《くるま》が横づけになっているではないか。法皇は、ひそかにお出御《でまし》になろうとしている。  いずこへ? それは範綱には分っていた。六月二日の参会《さんえ》ということは、いつか多田|蔵人《くろうど》の口から聞いていたのである。それを思い出したれば急いで来たのであるが、ここへ来るまでは、よもや、法皇がいつかのお言葉をひるがえして、新大納言や北面の不平武者にそそのかされて、そんな会合へ敢てお微行《しのび》をなさろうなどとは、十中の八、九まで、ないことと信じていた。  けれど、事実は、範綱の正直な考え方とはあべこべだった。やがて、薄暮のころになると、武者所の人々がひそかに支度をととのえて、法皇の出御をうながした。  範綱は、樹蔭に身をひそめて、そこの動静を、じっと窺《うかが》っていた。 [#7字下げ][#小見出し]十四[#小見出し終わり]  藍草《あいくさ》の汁をしぼったように、水っぽい夕闇が四囲《あたり》をこめてきた。燭《しょく》の影が、深殿の奥から揺れてきた。法皇のおすがたらしい影が、側近の人々の黒い影にかこまれて、お沓《くつ》へ御足《みあし》をかけている。 「しばらくっ――」そんな大きな声を出すつもりはなかったが、範綱は思わず大声でさけびながら、驚く人々を割って、法皇のまえに、平伏した。 「誰ぞ」法皇は、いちど、お沓《くつ》へかけられた足を引いて、廻廊の上へ、立たれた。 「六条の朝臣《あそん》らしゅうござります」側近がささやくと、 「範綱か」 「はっ」 「病気と聞いていたが……」 「仮病《けびょう》でござりました。上《かみ》を、偽《いつわ》りました罪、いくえにも、お罰し下さりませ」範綱は、そういって、さらに、語気をあらためて諫奏《かんそう》した。 「きょうは六月二日とあれば、さだめし、鹿《しし》ヶ|谷《たに》の俊寛僧都《しゅんかんそうず》の庵《いおり》に衆会《しゅうえ》のお催しあることと存じまするが、院の御深《みふか》くに在《お》わしてすら、道聴途説《どうちょうとせつ》、とかく、世上のうるさい折から、さような集まりの席へ、しかも夜中《やちゅう》のお出ましはいかがなものかと存ぜられまする。――それについて、折り入っておん耳に入れたいこともござりますゆえ、しばらく、お見あわせ遊ばして、お人ばらいの儀願わしゅう存じまする」  法皇は、黙っておられた。  先に、範綱へ仰せられた言質もあるので、やや気まり悪く思われたようなお顔いろでもあった。  新大納言に同心の側近の者や、侍所の人々は、一文官の、しかも歌よみの範綱が、何を、かような大事に、嘴《くちばし》をだすかと、憎むように、睨《ね》めつけていた。  法皇は、板ばさみになったお顔つきで、ちょっと、当惑していられたが、範綱が沓《くつ》のまえに死を賭《と》して坐りこんでいる姿をみると、むげに、退《しりぞ》けられなかった。 「しばしの間、遠慮せい」側近は、お声の下《もと》に、無言の頭《かしら》を下げて、去るよりほかなかった。  範綱は、その人々が去るのを待ってから、すでに、新大納言に謀叛《むほん》の下ごころがあることを、平家方では、察知しているということを、今日の庄司七郎の言葉を例証として、つぶさに、内奏した。  法皇は、さすがに、顔いろを変えられた。御自身が、謀主《ぼうしゅ》になっても亡《ほろぼ》したいほど憎悪する平家ではあるが、それほどにまた、怖ろしい平家でもあるのだった。わけて、法皇は清盛入道が感情的に激発したらどんなことでもやりかねない男であるということを、幾つもの実例で骨身にこたえて御承知なのであった。 「やめよう」すぐ、こういわれた。  たちまち、鹿《しし》ヶ|谷《たに》への行幸《みゆき》は、沙汰やめになった。武者所の人々は、 「いらざる諫言《かんげん》だてをする歌よみめ」と、範綱を憎み、 「このままでは、味方の気勢にかかわる」といって、調《ととの》えた御輦《みくるま》を、空《から》のまますすめて、松明《たいまつ》をともし、暗い道を鹿《しし》ヶ|谷《たに》の集まりへと急いで行った。  だが、その列の中にいた多田蔵人《ただのくろうど》だけは、途中から闇にまぎれてただ一人どこかへ姿を消してしまった。 [#7字下げ][#小見出し]十五[#小見出し終わり]  法皇の行幸《みゆき》はなかったが、すでに、暮れる前から、鹿ヶ谷の俊寛《しゅんかん》の山荘には、新大納言以下、不平組の文官や武官が、おのおの、微行《しのび》のすがたで集まっていた。 「六条の範綱《のりつな》めが、いらざるさしで口を――」と、人々は、空御輦《からみくるま》をながめて口々に怒ったが、 「なに、法皇のお心変りは、時雨《しぐれ》のようなもの、降ると思えば照る、照ると思えば降る――。明日《あす》にてもまた、麿《まろ》が参内して御心を励ませば、必ず次の集まりには、御参会《ごさんえ》あるにちがいない」  大納言成親《だいなごんなりちか》は、自信をもって、席の人々へいった。浄憲《じょうけん》法師も、相槌《あいづち》を打って、 「よう喩《たと》えられた。まことに、法皇の御気色《みけしき》は、照り降り雨、われらが側近にあれば、また変る。お案じあるな」席には、近江《おうみの》入道蓮浄、山城守|基兼《もとかね》、平判官《へいほうがん》康頼、その他の人々がいた。  主《あるじ》の俊寛は、折角すすみかけた平氏|顛覆《てんぷく》の相談が、法皇のおすがたの見えないために、やや出鼻の白けたような様子を見て、 「軍立《いくさだ》てのことは、次の会に改めて謀《はか》るといたして、今宵は、盟約の酒もりとしよう。ご異議ないか」 「よかろう」新大納言は、虚勢を張って、 「祝おうではないか」と、音頭をとった。やがて、酒杯《さかずき》がまわされると、 「亭主殿――、ご馳走をなされ」と、俊寛へ向って、浄憲法師がよびかけた。 「馳走とは?」 「猿楽《さるがく》なと」 「心得申した」俊寛は立って、おどけた手振りをしながら舞った。笙鼓《しょうこ》を鳴らして、人々は歌う。 [#ここから2字下げ] 住吉《すみよし》四所《よとこ》のおん前には 顔よき女体《にょたい》ぞおわします 男は誰ぞとたずぬれば 松ヶ崎なるすき男 [#ここで字下げ終わり] 「ようできた、ようなされた。――次には、新大納言の君こそ、遊ばされい」 「そのこと、そのこと」手を引き出されて、 「さらば、舞い申す」と大納言は床《ゆか》を一つふんで、 [#2字下げ]この時、都に流行《はや》るもの―― 「やんや、やんや」 [#ここから2字下げ] 流行《はや》るもの―― 肩当《かたあて》、腰当《こしあて》、烏帽子《えぼし》とどめ 襟《えり》の立つ、片さび烏帽子 布打《ぬのうち》の下の袴《はかま》 四幅《よの》の指貫《さしぬき》 武者《むさ》の好むもの 紺よ、紅《くれない》 山吹、濃い蘇芳《すおう》 茜《あかね》、寄生樹《ほや》の摺《すり》 よき弓、胡簶《やなぐい》、馬鞍太刀《くらたち》 遊女《あそびめ》の好むもの 雑芸、つづみ、小端舟《こはしぶね》 大笠かざして 艫《とも》取り女《め》 [#ここで字下げ終わり] 「あっ!」酒の瓶子《へいし》を踏んで大納言がよろめくと、人々は、歌の調子をそのままつづけて、 「たおれた! たおれた!」 「瓶子《へいし》がわれた」 「瓶子がたおれた」 「わはははは」 「はははは」そして、めでたいと、はしゃいでいい合った。 [#3字下げ][#中見出し]炎《ほのお》の辻《つじ》[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  叡山《えいざん》の騒擾《そうじょう》はその後もつづいていた。院政の威光も、平家の権力も、山門の大衆《だいしゅ》だけには及ばない有様なのである。  天台千年の法城《ほうじょう》は、帝室や、国家からの破格な待遇《たいぐう》に狎《な》れて、仏徒は思い上がっていた。平家一門が、人臣の分を忘れて、  この世をば我が世とぞ思う――といったような思い上がりと同様に、仏徒もまた、仏弟子の分《ぶん》をわすれて、政治を持ち、武力をすら持って、社会を仏徒の社会と思い違えているかのように傲慢《ごうまん》で、理窟ッぽくて、特権意識のみが旺《さかん》だった。 (山門を討て)という声は、その前から北面の侍たちの間に起っていた輿論《よろん》であった。新大納言や、浄憲法師《じょうけんほうし》や、鹿《しし》ヶ|谷《たに》に集まった人々は、その政機を利用して、にわかに、山門討伐の院宣《いんぜん》を名として、軍馬の令をくだした。  物の具を着けた武者たちは、夕方までに、数千騎、御所のまわりに集まった。武臣のうちでも、重要な数名の将のほかは、院宣のとおりに思って、叡山を攻めるのだとばかり思っていたらしい。 「今宵こそ、山法師ばらに、一泡ふかせてくれねば――」と、弓弦《ゆづる》を試し、太刀の革《かわ》を巻いて、夜を待っていた。  だが、院の中枢部の人々の肚は、敵は叡山にはなくて、六波羅にあった。山法師を討つと見せて、平家一門へ私怨と公憤の火ぶたを切ろうとする密策なのであって、刻々と、夜の迫るのを、待っていた。  そこの仙洞御所《せんとうごしょ》と、清盛のいる西八条の館《やかた》とは、目と鼻の先だった。物々しい弓馬のうごきは、すぐ六波羅の御家人《ごけにん》から、 「何事か、院の内外に、侍どもがただならぬ軍支度《いくさじたく》にござりますぞ」と注進されたが、すぐ、次々に来る物見の者からは、 「あれは、先ごろからの強訴《ごうそ》一件で、院のおさばきに楯《たて》つく山門の衆を捕り抑えよと令せられて、それで御発向《ごはっこう》の兵馬と申されておりまする」と、訂正した報告が、一致していた。  清盛は、聞くと、 「さもあるはず」と、うなずいた。  誰が、自分のすぐ足許《あしもと》から、平家の今の権勢に対して、弓をひくほどな不敵な行動をしようと、安心しきっているのであった。ところが、 「お取次ぎねがいたい。折入って、火急、相国《しょうこく》へお目どおりの上で、一大事を、お耳に達したいと駆けつけてきた者でござる」と、息をきって、西八条の邸《てい》に訴え出た者があった。侍たちが、 「名は?」と問うと、 「院の北面に勤《つか》えまつる多田蔵人行綱《ただのくろうどゆきつな》でござる」と、いった。驚いて、その由を、主馬判官盛国《しゅめのほうがんもりくに》まで取次ぐと、 「なに、蔵人が」不審顔をして、平盛国は、奥から出てきた。蔵人は、彼を見るとすぐ、 「お人伝《ひとづ》てには、ちと申し兼ねる大事です。相国《しょうこく》へ直々《じきじき》に、お会わせ下さるならば申しのべるし、さもなくば、このまま立ち戻る所存でござる」と、昂奮した声でいった。 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり]  蔵人は、庭へまわされた。庭には、侍たちが、きびしい眼をして、彼の姿を、一歩一歩監視していた。 「坐れっ!」大喝《だいかつ》されて、蔵人は、 「はっ」思わず、敷物も求めずに、大地へひざまずいてしまった。  ふと見ると、相国《しょうこく》清盛は、中門の廊《ろう》まで出て、立っていたのである。五尺二、三寸の中背な人物で、体も肥満質なほうではない、むしろ肩が尖《とが》っているし、頬骨は高く痩せているといったが近いであろう。それでいて、廊《ろう》の天井へいっぱいになるほど、偉《おお》きく見えるのであった。左右の足もとに、ずらりと並んだ近侍たちの頭《ず》が低いためもあるし、また、彼の一身にかがやいている勢威というものが、そう見せるのでもあろう。  色は白く鼻ばしらが鋭いほど通っている。平家一門の多くの者がそうであるように、彼もどこか貴族的な美男型の容貌をそなえているが、きかない気性は大きな唇元《くちもと》にあらわれているし、武士らしい睨みは、やや窪《くぼ》んでいる眼と、毛のこわい眉毛《まゆげ》にあり余っていた。 「蔵人行綱というか」清盛はいった。 「はっ」 「――めずらしい者が舞い込む……」と、これは独《ひと》り語《ごと》のように笑いながらつぶやいて、 「院に仕える武将が、忍びやかに、この西八条へは、何しに来たか」 「されば……」蔵人の声は渇《かわ》いていた。 「きょうの昼中より、あわただしゅう、院の内外に軍兵を催されておる仙洞《せんとう》のさまを、相国には、なんと御覧《ごろう》ぜられまするか」清盛は事もなげに、 「山攻めと聞くが」といった。 「滅相もない偽りざたです」 「なに、嘘じゃと」 「まことは、真夜半《まよなか》のころを計って、この西八条の邸《てい》を取り巻かんとする軍《いくさ》の催しでござる」 「わはははは」清盛は、扇子《せんす》で膝を打ちながら肩を揺すぶって、哄笑《こうしょう》した。 「こやつ、なにを賢《さかし》げに、訴えるかと思えば、夢でも見てきたような囈言《たわごと》。この清盛に弓をひく者はおろか、西八条の邸に小石一つ投げつけ得るほどの者が、天下にあろうか」 「その御油断こそ、院中の不平もの輩《ばら》が窺《うかが》う隙でござります」 「院中の不平者とは、誰をさしていうか」 「新大納言を初め、浄憲法師、その他、北面の侍ども、挙《こぞ》って、世を不平といたし、相国の御一門をば、呪《のろ》っております」 「まったくか」 「なんで、かような大事に、虚言《きょげん》を構えましょうや。山攻めとは、怖れながら、間近の敵を詐《いつわ》る詭計《きけい》にござりまする」 「法皇は、それを、ご存じか」 「俊寛法師の鹿《しし》ヶ|谷《たに》山荘にも、ひそかに、行幸《みゆき》ましまして、このたびの盟約には、ひとしお、お力を入れているように承《うけたまわ》りまする」  清盛は、入道頭を、ついと横へ向けた。そして眼下の蔵人《くろうど》はもうその眼の隅にもないように、侍部屋の廊へ向って、 「筑後っ。筑後やあるっ」と、呶鳴った。  その声に威圧されて、蔵人は、白洲《しらす》に居たたまれなくなった。思わず腰をうかして、挨拶《あいさつ》もせずに、こそこそと中門の方へ走って消えようとすると、清盛が手の扇子《せんす》を上げて、背後《うしろ》から叱咤した。 「しゃつ! 捕えて置けっ」 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり]  侍たちが、跳びかかって、彼のきき腕をねじ上げると、 「あっ、それがしに、なんのお咎《とが》めをっ」蔵人は、もがいた。  清盛は、答えもしない。筑後守貞能《ちくごのかみさだよし》に向って、何事かいいつけていた。貞能が去ると、左馬頭行盛《さまのかみゆきもり》が呼ばれ、行盛があわただしく廊を駈けてゆくころには、もう右大将宗盛《うだいしょうむねもり》や、中将重衡《ちゅうじょうしげひら》などが、庭や、侍部屋に姿をあらわして、何事かさけんでいた。  一瞬のまに、西八条の邸《やしき》は、兵の殺気にみちていた。甲冑《かっちゅう》、弓箭《きゅうせん》を、身によろって、またたく間に、兵に、兵の数が加わって、殖《ふ》えてゆく。  こういう空気はまた、清盛の最も好むことらしかった。彼の眼は、別人のように燿《かが》やいて、奥の間を閉じこめた。  そこへ召された安倍資成《あべのすけなり》は、二十騎ばかりを具《つ》れて、仙洞御所《せんとうごしょ》へ、急使として駈けて行った。  また、烏丸の新大納言の宿所へも、これは、平服を着た身分のひくい者が、書面をもって、使いに行った。  大納言は、何食わぬ顔をして、真夜半《まよなか》の火の手を自身の住居《すまい》から待っていたのである。そこへ、相国からの使いが来て、 (即刻、お出でを乞う)とあるので、 「ははあ、これは、山攻めの結構を聞いて、相国が、法皇を申し宥《なだ》めようとする肚《はら》とみえる」  そうつぶやいたことだった。  行かなければ、疑われる。大納言は、常のとおり、布衣《ほい》、冠《かんむり》を婀娜《たおや》かに着なして、鮮やかな輦《くるま》に乗った。雑色《ぞうしき》、牛飼、侍十人以上をつれて、すぐに、西八条へと行った。 「や?」夜の巷《ちまた》は、真っ赤だった。  諸方に、篝火《かがりび》が立っている。暗い小路《こうじ》には、松明《たいまつ》がいぶっていた。道に捨てられてある武器や、人間の首や、胴などを、幾つも見た。 「あらわれたか」と、大納言は、狼狽した。そして、 「返せっ。輦《くるま》を、もどせっ」にわかに、さけんだ。  しかし、もうそこは、五条の平家の庁《ちょう》に近くもあったし、いつのまにか、辻々からついてきた甲冑《かっちゅう》の兵が、道の前後を取り巻いているのであった。 「新大納言の卿《きみ》におわすか」兵の中から、一人の将が、薙刀《なぎなた》の柄《え》をもって、簾《みす》を刎《は》ねあげた。大納言は、おののいて、虚勢も張れなかった。部将は、 「それっ、お迎え申せっ」 「あっ――」と、兵は、輦《くるま》にたかって、牛を打ち、轅《ながえ》をつかみ、また輦の後を押して、 「牛頭《ごず》、馬頭《めず》だ」 「地獄車だ」 「押せっ」 「曳けっ」わあっと、声を揚げながら、輦《くるま》のまま、西八条の邸の中門の際《きわ》まで、ぐわらぐわらと引っ張りこんだ。  武者の手が、大納言を地に引《ひ》き摺《ず》り下ろした。 「縄をかけまするかっ」問うと、廊のうえで、 「縄目には及ぶまい」清盛の声である。大納言の顔いろはもう生きた人間のようではなかった。 [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり]  辻々で、小戦《こぜり》あいが始まった。不意に逆襲《さかよ》せをくった院の兵はもろかった。  一群れ、一団ずつ、武器を奪《と》りあげられて、降人《こうにん》となる組があるし、反抗して、大薙刀《おおなぎなた》で、首を打ち落されている者や、組み敷かれて、 「斬れっ、おれの首は宙をとんで、西八条の入道に、噛みついてやるぞっ」と、呪いを、絶叫しながら、朱《あけ》になってすぐ路傍の死骸になる者もある。  その中を、首魁《しゅかい》の浄憲法師が、素裸足《すはだし》のまま、院の内から縄がらめになって突き出されてきた。  近江中将蓮浄《おうみのちゅうじょうれんじょう》、山城守基兼《やましろのかみもとかね》、その他の文官や武官も、ぞくぞくと衣冠《いかん》や太刀を剥《は》がれて、西八条へ召し捕られてゆくし、また、鹿ヶ谷の俊寛も、手あらい雑兵に縛《いま》しめられ、犬か牛のように、鞭《むち》で打たれながら、引っ立てられてきた。  清盛が、その人々を、どんな憎悪と怒りの眼をもって見たかは、想像に難《かた》くない。  浄憲法師に向っては、 「この畜類めらが首、滅多には斬るな。手足を、枷《かせ》に噛《か》ませ、糺問《きゅうもん》に糺問した上で、河原にひき出して、頭《かしら》を刎《は》ねい」と、罵《ののし》った。  浄憲は、自暴自棄になって、白洲《しらす》から口を裂いて吠えた。 「やよ清盛、そもそも、ご辺《へん》は、故《こ》刑部忠盛《ぎょうぶただもり》の嫡子《ちゃくし》であったが、十四、五の頃まで出仕にもならず、京童《きょうわらんべ》は、高平太《たかへいた》の、眇《すがめ》のといっておった。さるを保延《ほうえん》のころ、海賊兵二十人ほど搦《から》め捕った恩賞に、四位の左兵衛佐《さひょうえのすけ》となったのですら、その当時、人は過分なと沙汰してあったに、その後は、とんとん拍子に、殿上のまじわりもなり、今は太政《だいじょう》大臣の高位にお在《わ》すこと、自身にても、不思議な冥加《みょうが》とは思わぬかっ。それを、なおこの上にも一門の栄達ばかりを計り、すこしの善政も施さないでは、やがて、この西八条の大棟《おおむね》に、怨嗟《えんさ》の炎が燃えつかずにはおるまいぞよ。……ははは、平家の亡ぶ日が、眼に見えるようだっ。おぬしの入道首が磧《かわら》の烏に啄《ついば》まれる日が、眼に見ゆるわ!」清盛は、あおい眉間《みけん》をして、 「しゃつ! その口を八裂きにしてくるるぞよっ。侍ども、この人非人めの皮膚《かわ》を剥《は》いで、焼けたる金鞭《かなむち》をもって打ちすえろ」廊《ろう》から唾《つば》をして、奥にかくれた。  空いている物の具部屋の板敷の上には、大納言が泣きぬれて、人心地もなく仆《たお》れていた。入道は、跫音《あしおと》あらく、そこの障子を開けて、彼へも、いった。 「大納言、大納言。恩を知るをもって、人は人間とこそいえ、恩を知らいでは、畜生にひとしい。ご辺は、平治のころにも、すでに誅《ちゅう》せられる所であったのを、小松内府《こまつないふ》が、身に代えて、その首をつないでやったのではないか。さるを、その恩を忘れて、当家を傾けんとは、憎い為打《しうち》。見せしめには、こうして進ぜる」大口袴《おおぐち》の片脚をあげて、つよく蹴った。そして、 「まだ、かようなことでは、腹は癒《い》えぬ。誰ぞある! この恩知らずめを、もっと、もっと、喚《わめ》かせいっ」具足をつけた兵が、板敷へ踏みこんで、大納言の手足をつかんだ。大納言成親は、清盛の望みどおりに、ひいっ――と声をあげて、もがき喚《わめ》いた。 [#7字下げ][#小見出し]五[#小見出し終わり]  憎む者というと、その髪の毛を抜き、肉を裂いても、清盛の怒りは、容易に解けないのであった。余憤《よふん》は、院の法皇にすら向けられて、西八条は、夜明けにかけて、いよいよ兵気が旺《さかん》になる。  薔薇園《しょうびえん》の邸にいる子息の小松|重盛《しげもり》は、それを聞くと、悲壮な決意をもって、父の清盛を訪ずれた。そして、面を冒《おか》して、重盛は、聖徳太子の古言をひいて、憤怒《ふんぬ》の父を諫《いさ》めた。  それは、聖徳太子の憲法十七条のうちにあるおことばだった。 [#ここから2字下げ] 人、みな心あり 心、各〻|執《しゅう》あり 彼を是《ぜ》し 我れを非《ひ》し 我れを是し 彼を非す 是非の理、誰か定むべき 相共《あいとも》に賢愚なり 環《たま》のごとく端《はし》なし たとえ、人怒るとも わが咎《とが》をこそ恐れよ [#ここで字下げ終わり]  清盛はうつ向いて、内府の声を聞いていた。大納言を殺すことは、思いとまったらしい。しかし、怒りが解けたのではない。  やがて、囚人車《めしゅうどぐるま》に乗せられて、都から遠国へ差し立てられてゆく流人《るにん》が毎日あった。京の辻は、日ごとに、それを見物する者で雑鬧《ざっとう》した。  新大納言は、備前の児島へ。  近江の蓮浄《れんじょう》、山城守基兼、式部正綱、等々々、一介《いっかい》の平人《ひらびと》になって、無数の檻車《かんしゃ》が、八方の遠国へ、生ける屍《しかばね》を送って行った。  わけても、極刑にひとしい厳罰をうけたのは、鹿《しし》ヶ|谷《たに》の俊寛《しゅんかん》であった。流されて行く先が、鬼界ヶ島と聞いただけでも、人々は魂をおののかせた。  六条の範綱は法皇の御行動を、あやうい業火の淵《ふち》からおすくいした心地がした。もしあの時、西八条へ一筋の矢でも射《ひ》いてから法皇が、その軍勢のうしろにおいでになると分ったら、清盛の手は、院中にまでのびて、勢い、法皇のおん身にまで、どんな禍《わざわい》を及ぼしたか分らない。 「おそろしい世の中だ」と、今さらに思うのだった。  つとめて、身を慎しみ、処世の一歩一歩に、細心な自適を心がけるよりほかはない。 「箭四《やし》、箭四はいるか」ふと、思いついて呼ぶと、ほかの召使が、 「箭四郎どのは、今しがた、和子《わこ》様を背に負って、流人《るにん》の檻車《くるま》を、見物に参りました」やがてその箭四郎が、十八公麿《まつまろ》を負って、帰ってくると、範綱は、 「和子に、さようなものを見せてはならぬ」と、いって叱った。  しかし、十八公麿は見たがるのである。六条の館《やかた》は、以前の日野の里とはちがって、都の町中である。眼をふさぎ、耳をふさいでも、ごうごうと騒がしい世態の物音や、恟々《きょうきょう》と脅《おび》える人々のうわさなどが、敏感な童心のかがみに映らないはずはなかった。  母の病気のために、久しく郷里に帰っていた侍従介《じじゅうのすけ》も、やがて、帰ってきたが、わずかな間に激変した都のさまや、人間の栄枯盛衰《えいこせいすい》におどろいて、 「こんなふうに、世の中が、三年も経ったら、一体、どう変るのでございましょうな」しみじみと、無常のつぶやきを洩らしていた。 [#3字下げ][#中見出し]貧乏《びんぼう》ぐるま[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  壁は、墨汁《すみ》によごれていた。四側《よかわ》に並んだ机には、約二十人ほどの学童が、強《し》いて姿勢を正して、師の講義を聞いていた。 「孝経《こうきょう》」であった。日野民部《ひのみんぶ》の講学が終ると、 「先生……」と、次の部屋に待っていた学僕が、側へすすんでいった。 「ただ今、御入門したいと申す児童が、二人の随身を供に連れて、お玄関に控えておりまするが」 「そうか。通しておくがよい。――しかし何家《どこ》のお子だ」 「まだ伺っておりませぬ」学僕が去る間に、児童たちは、もう机の書物を、あわただしく仕舞って、立ち騒いでいた。 「これっ」民部は叱って、 「誰が、立てといいましたか、まだ、書物を仕舞ってはなりませぬ。今、先生が、読み解いた一節を、声をそろえて、復習するのじゃ」すぐ静粛になる。  児童たちは、書《ほん》を両手にもって、孝経の一節を、高らかに、読んだ。 「よろしい」ばたばたと、また騒ぎかける。 「――よろしいが、まだ、学課はおしまいではありませぬぞ。硯《すずり》に、水をおいれなさい、そして、草紙を出す」命じられるままに、手習《てならい》が始まった。よしと見て、民部は、ほかの室へ立って行った。  その室には、何もなかった。儒学者の家らしい唐机《からづくえ》が一脚と、書物の箱が、隅にあるだけである。  そこの板縁を後ろにして、一人の少年が、さっきから待たされて控えていた。民部は、そこへ何気なく入って行ったが、足をふみ入れるとすぐに、はっと思った。  この学舎《がくしゃ》には、堀河、京極、五条、烏丸などの、権門《けんもん》の子をはじめ、下は六、七歳から十五、六歳の子弟を預かっていて、民部は今日までずいぶん多くの少年を手にかけてきているが、まだこんな感じを初対面の時にうけた例《ため》しはなかった。 (凡《ただ》の子《こ》ではない)すぐ、感じたのである。  永年の体験で、教育者として直感したのではあるが、べつに、その少年の容貌《かおだち》とか、身装《みなり》とかに変った点があるわけではない。少年は、手を膝にかさねて、入ってきた民部を、ちらと見上げている。そして、すこし後《あと》へ退《さ》がって両手をつかえた。  良家の子ならば、これくらいな作法は、どこの子弟でも仕込まれている。だのに、民部は、そのあたりまえな動作のうちに、やはり感じるのであった。 (はてな? ……何家《どこ》の子だろうか。これは、鳳凰《ほうおう》の雛《ひな》だ)そう思いながら、 「入門したいというのは、そこもとか」 「はい」すずやかな返辞である。 「お年は」 「八歳《やつ》になりました」 「おん名は」 「十八公麿《まつまろ》と申します」 「お父君は、武家か」 「いいえ」 「どなたで、何といわるる」 「六条源氏町の藤原|範綱《のりつな》の子でございます」 「や、範綱うじの、御猶子《ごゆうし》か。……ウーム、道理で」 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり]  自分の眼が間違っていなかったことに、民部は、膝を打って、 「道理で――」と、何度も、うなずいた。 「六条どのは、和学、歌道の方では、当代での指折りである。その御猶子とあれば、なるほど、あらそえぬ」 「お父上か、叔父様が、共に参って、おねがい申すところですが、学問の徒になるには、自分で参って、ひとりで、おねがいするのが、ほんとだと教えられて、こうして、参りました」 「お気持が、ようわかる」 「先生、どうか、私を、今日から儒学のお弟子にしてくださいませ」 「お家庭《うち》にいるあいだは何を学んでおられたか」 「お父上から和歌を、また、叔父様から、書道や、やさしい和学を、教えていただきました」 「よろしい、明日から、お通いなさい。民部が、学び得たかぎりの学問を、おつたえいたしましょう」 「ありがとうございます」十八公麿の頬には、希望のいろが、紅《あか》くかがやいた。やはり、少年である。そう聞くと、いそいそと、玄関へ駈けて、 「介《すけ》」と、弾《はず》んで呼んだ。侍従介《じじゅうのすけ》と、箭四郎《やしろう》は、式台のすみに、うずくまっていたが、 「お、和子様、どうなされました」 「おゆるしを受けた」 「それは!」と、二人も胸を伸ばして、よろこんだ。 「上出来でございました。はやく、お父君にも、このことを」穿物《はきもの》をそろえて、塗《ぬり》の剥《は》げた貧しい輦《くるま》の轅《ながえ》を向ける。彼が、それに乗ると、学舎の窓から、 「やあ、どこの子だ」と、師の見えない隙をぬすんで暴れていた悪童たちが、墨だらけな顔や、悪戯《いたずら》ッぽい眼を外へのぞかせて、 「貧乏|車《ぐるま》」 「ぼろ車」 「なんぼ、くるくる廻っても」 「貧乏車は、ぼろ車」と、謡《うた》って、囃《はや》した。箭四郎は、窓のそばへ駈けて、 「雀ッ。何をいうぞ」 「わっ」と、笑いながら、いちどに、窓の首は引っ込んだ。 「箭四、大人気《おとなげ》ないぞ、行こう」介《すけ》は、牛の手綱をとった。 「わしが曳《ひ》く」と、箭四郎は手綱を彼の手から取って、まだ、腹だたしげに、窓をふりかえりながら、 「こんな、悪さのいる学舎へ、大事な和子様をかよわせても、よいものかの」 「それも、ご修業だ」 「朱にまじわればということもあるではないか――」 「染まるようなご素質であったら、それは、ご素質がわるいのじゃ」 「いまいましい、童《わっぱ》どもだ」 「だが、貧乏車とは、童も嘘は歌っていない。このお粗末な車を見て、たれが、貧乏でないといおうか。……ああ、なんぼ、くるくる廻っても、貧乏車は、ぼろ車。世の中が回《まわ》らぬうちは、どうもならん」  牛飼も、雑色《ぞうしき》も持たない古車は、轍《わだち》の音さえも、がたことと、道の凸凹《でこぼこ》を揺れてゆく。 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり]  次の日から、十八公麿《まつまろ》のすがたは、雨の日も、風の日も、欠かさずに、学舎に見えた。  師の日野民部|忠経《ただつね》は、元|南家《なんけ》の儒生《じゅせい》で、儒学においては、朝《ちょう》に陰陽師《おんみょうじ》の安倍|泰親《やすちか》、野《や》に日野民部といわれるほどであったが、磊落《らいらく》な質《たち》で、名利を求めず、里にかくれて、児童たちの教育を、自分の天分としていた。  民部は、十八公麿を、愛した。日のたつに従って、その天稟《てんぴん》を認めてきた。 (これこそ、双葉《ふたば》の栴檀《せんだん》だ)まったく、十八公麿の才能は、群をぬいていた。むしろ、余りにも、ほかの児童と、かけ離れ過ぎているくらいなのである。で児童のうちにも、嫉妬《しっと》はある。 [#ここから2字下げ] がたがた車 がたぐるま 貧乏ぐるまの 音がする―― [#ここで字下げ終わり]  学舎の往き帰りに、さかんに、そんな歌がうたわれた。  まったく、十八公麿のような古車で通ってくる者は一人もない。家の近い者は、従者に、唐傘をささせて来たり、綺羅《きら》びやかな沓《くつ》をはいて通うし、遠い者は、蒔絵《まきえ》車や螺鈿《らでん》車を打たせて、牛飼にも衣裳をかざらせ、 「おれの牛は、こんなに毛艶《けつや》がよいぞ」と、牛までを誇った。  そうした中に、学舎のうちでも最も年上な一人の生徒がいた。十八公麿はわすれていたが、お供の介《すけ》は見覚えていた。小松殿の御家人、成田兵衛《なりたのひょうえ》の子である。まだ十八公麿が日野の館《やかた》にいたころ、強《したた》かな仇をした小暴君の寿童丸《じゅどうまる》なのである。  寿童は、知っていた。  虫が好かないというのか、いまだに、あのことを根にもっているのか、とかく、意地がわるい。そして、  貧乏車の音がする――という歌を流行《はや》らせた発頭人《ほっとうにん》も彼であることが、後にわかった。 「介《すけ》、あの悪童が、張本《ちょうぼん》じゃ、和子様のため、何とかせねばいかぬ」 「うむ、懲《こ》らしてくれたいとは思うが」 「一つ、この拳固《こぶし》を、馳走してやろうか」 「よせよせ」  箭四郎が、しきりと逸《はや》るのを、介はあぶながった。  介も、当然、憎々しくは思っているが、いかんせん、平家のうちでも、時めいている権門の子だ、侍の子だ、それに、学舎に通ってくるのでも、毎日五、六人ずつの郎党が車についてやってくる、撲《なぐ》りなどしたら、自分の首があぶないし、第一に主人の身にも災難のかかるのは知れている。  また、寿童丸の郎党たちも、傍若無人である。主人の子の学業が終るのを待っている間には、近所の里の女をからかったり、石つぶてで、雀を打ち落して、供待部屋《ともまちべや》の炉《ろ》で炙《あぶ》って喰いちらしたり、はなはだしい時は、こっそり、酒などをのんでいる。そして、 「おい、介《すけ》、公卿《くげ》奉公もよいが、選《よ》りに選ってお牛場の落魄《おちぶ》れ藤家《とうけ》などへ、なんで、物好きに住みこんだのだ。おれの主人の邸《やしき》へ来い、厩《うまや》掃除をしても、もうちっと、身ぎれいにしていられるぞ」などと、無礼をいう。 (よせ。かまうな)と、介は、そのたびに、箭四郎を眼で抑えていた。箭四郎の方が、年上であるけれど、介がいつも止め役だった。若い血気さにおいては、当然、介の方が先に逸《はや》るべきであるが、彼には、以前の苦い経験があるので、じっと虫を抑えているのであった。 [#3字下げ][#中見出し]燎原《りょうげん》の火《ひ》[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  朝だった。奥の御用で、何か町まで買物に出た箭四郎《やしろう》が、 「介《すけ》っ、大変だぞっ」と、その買物も持たずに戻ってきていった。 「どうした?」 「戦《いくさ》だっ」 「またか」めずらしくもないように介はつぶやく。箭四郎は、昂奮して、 「いや、こんどの火の手は、ほんものらしい。源氏の一類が、いよいよ我慢がならずに、起ったらしい」 「ふーむ」介も、そう聞くと、若い眼をかがやかした。 「うわさか、見てか」 「五条、四条、出陣の六波羅《ろくはら》の軍馬で、通れるどころではない。――聞けば、高倉の宮をいただいて、源氏の老強者《ふるつわもの》、三位頼政《さんみよりまさ》が、渡辺党や、三井寺《みいでら》法師の一類をかたらって、一門宇治|平等院《びょうどういん》にたてこもって、やがて、都押しと聞いた」 「ほう、それは、六波羅もあわてたろう」 「勝たせたいものだ」 「…………」介《すけ》は、何か考えこんでいたが、やがて、吉光《きっこう》の前《まえ》の住む北殿《きたどの》へ走って、そこで、彼女としばらく何か話していた。範綱も、やがて知って、 「その様子では、洛中《らくちゅう》のさわぎも、ただごとであるまい。怪我《けが》してはならぬゆえ、十八公麿《まつまろ》も、きょうは、学舎をやすんだがよいぞ」と、いった。十八公麿は、聞くと、 「気をつけて参ります。決して、あやうい所へは寄りませぬから、学舎へ、やって下さいませ」  と、縋《すが》った。泣かないばかりに熱心なのである。心もとない気もするが、 「では、気をつけて。――軍馬で通れぬようであったら、戻ってくるのじゃ」注意して、ゆるした。  箭四郎が見てきた通り、洛中は、大路も小路《こうじ》も、鎧武者《よろいむしゃ》と、馬と、弓と長刀《なぎなた》とに、埋《うず》まっていた。  心棒の弛《ゆる》んだ軌《わだち》が、その中を、十八公麿をのせて、ぐらぐらと、傾《かし》いで通った。車の前に、薙刀《なぎなた》が仆《たお》れかかったり、あらくれた武者が、咎《とが》めたりしたが、十八公麿は、その中で、孝経を読んでいた。 「箭四、見たか。和子様の、なんという大胆な……」介《すけ》でさえ、舌を巻いた。そして思わず、 「やはり、和子様にも、どこかに、源氏武者の血があるとみえる」と、つぶやいた。箭四郎は、袖をひいて、 「しっ」と、たしなめた。  平家の武者の眼が道には充満しているのである。けれど、その日は、無事だった。次の日も、無事だった。  源三位《げんざんみ》頼政が旗をあげたという沙汰は、洛内はおろか、全国の人心に、 (やったな!)という衝撃をつよくあたえた。  だが、潮《うしお》のように、宇治川を破り、平等院をかこんだ平家の大軍は、数日のうちに、三位頼政父子の首、その他《ほか》、渡辺党、三井寺法師の一類の首《しるし》を、剣頭にかけて、凱旋《がいせん》してきた。その首数、二千の余といい触らされ、血によごれた具足の侍が、勝ち祝の酒に酔っぱらって、洛中を、はしゃいで歩いた。 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり]  一敗地にまみれて、壮烈な死をとげた源三位頼政の軍に、民心は同情と、失望をもった。  そして心のうちで、 「どこまで、悪運がつよいのか」といよいよ、傲《おご》り栄《さか》える平家を憎んだ。石の上の雑草みたいな、うだつの上がらない自分たちの生活に、また当分、陽《ひ》があたらない諦《あきら》めを嘆いた。  だが、頼政の死は、犬死でなかった。彼の悲壮な一戦は、むしろ老後の花だった。 (あの源氏の老武者《おいむしゃ》ですら、これほどのことを、やったではないか)ということは、諸国に潜伏している源氏の者を、はなはだしく強く衝《う》った。  彼の挙兵に刺戟された源家の血統は、永い冬眠からさめて起ち上がったように、諸方から、兵をうごかし始めた。  まず、八月七日には、関東の伊豆に、頼朝《よりとも》が義朝《よしとも》滅亡以来、絶えて久しく、この天《あめ》が下《した》に見なかった白旗を半島にひるがえす。  その飛報が、京の六波羅を驚かして、まだ、軍備も整わないうちに、第二報は、彼らの思いもしなかった木曾の検非違使《けびいし》から来て、 「木曾の冠者《かじゃ》義仲《よしなか》、近江《おうみ》以北の諸源氏をかたらって、伊豆の頼朝に応じて候」とある。愕然《がくぜん》と、六波羅の人心は、揺れうごいた。  折もわるく、清盛は、このころから、不快で、大殿|籠《ごも》りの陰鬱《いんうつ》な気にみたされている時である。夜ごとに、悪夢をみるらしく、宿直《とのい》の者に、不気味をおぼえさせた。大熱を発して、昼も、どうかすると大廂《おおびさし》に、三位頼政の首がぶら下がっているの、屋根のうえを、義朝の軍馬が翔《か》けるの、閻王《えんおう》を呼べの、青鬼、赤鬼どもが、炎の車について、厩舎門《うまやもん》の外に来ているのと、変なうわ[#「うわ」に傍点]言ばかりを洩らすのであった。  だが、宗盛をはじめ、平家の親族は、かたく、清盛の病気を秘して、 「口外無用」と、宿直《とのい》や、典医や、出入りする将へも言いわたしていた。  頼朝の兵は、枯れ野の火のように、武蔵《むさし》を焼き、常陸《ひたち》へ入る。  義仲は、近江路《おうみじ》へと、はや、軍馬をすすめていると聞えた。  そうした、眼まぐるしい、一刻の落着きもない都のなかを、毎日、十八公麿《まつまろ》は、がたがた車で、日野の学舎へ一日も怠らずに通いつづけているのである。  すると、ある日、悪童組の寿童丸《じゅどうまる》や、ほかの年上の生徒が五、六名、民部の留守を見すまして、 「やい、牛糞《うしぐそ》町の童《わっぱ》」と、十八公麿をとりまいていった。 「おまえの父親は、六条の範綱《のりつな》ではあるまい。ほんとは、日野の有範《ありのり》の子じゃろう」  それは十八公麿も、知っているので、かなしくはなかった。黙って、澄んだ、まるい眼をして、そういう悪太郎達の顔をながめていた。  寿童は、脅《おびや》かすように、 「よいか。まだ、おまえの知らないことがあるぞ。教えてやろうか――それはな、おまえの実の父、藤原有範は、世間には、病死といいふらしてあるが、まことは、こっそり館をぬけだして、数年前から、源三位頼政の一類と一緒に謀叛《むほん》をたくらんでおったのじゃ。そして、頼政入道や、その他の者と、宇治河原で、首を打たれたのだ。……どうだ知るまい。知っているのは、わしの父、成田兵衛《なりたのひょうえ》だけだ。わしの父はな、宇治の平等院で、源氏武者の首、七つも挙げたのだぞ」 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり]  今の父は、後《のち》の養父だと人がいう。  どうして自分には真の父がないのか。寿童丸のことばをそのまま、信じはしないでも、十八公麿《まつまろ》は、しきりと、それを考えるようになった。母に、訊ねると、 「お父君は、和子が四歳《よつ》の年の春に、お亡くなり遊ばされたのじゃ」  吉光の前は、そう明らかに教えた後で、いいたした。 「けれど、和子は、そのために、この六条の伯父君の手にそだてられて、御猶子《ごゆうし》となられたのです。世のことわざにも、生みの親よりは育ての親という、御養父様の恩は大きい。忘れてはなりませぬぞ」 「はい」  十八公麿は、うなずいたが、すぐ次の問いに、母を驚かせた。 「父君は、戦に出て、死んだのですか」 「いいえ、お病気《いたつき》で」 「でも、源三位《げんざんみ》頼政の軍《いくさ》に加わって、討死したのじゃという人がありました」 「世間というものは、種々《さまざま》に、人の生活《たつき》を臆測してみるものじゃ。そんなことはありません。母も、伯父さまも、介《すけ》も、その折のご臨終の時には、お枕元に侍《かしず》いていたのじゃもの」 「どうして、世間は、そんなことをいうのでしょう」 「いわれのないことでもない。――それは、この母の従姉弟《いとこ》に、今は、奥州《みちのく》の藤原|秀衡《ひでひら》のもとに潜《ひそ》んでいる源九郎|義経《よしつね》があり、また、近ごろ、伊豆で旗挙げをしたと沙汰する頼朝がある。――それで、亡きおもとの父も、必ずや、頼政の軍にでも加担して果てたのであろうと、邪推《じゃすい》するのでしょう」そして、十八公麿《まつまろ》の頭《つむり》をなでた。 「そなたは、大きゅうなっても、頼朝、義経たちのように、血の巷《ちまた》に、刃《やいば》をとって、功名をしようなどと思うてはなりませぬぞ」 「母《はは》さま」 「なんじゃ」 「人が死ぬと、どこへ行くのでございますか」 「さあ?」吉光の前は、常には、分りきっているようなことが、子に、そう訊かれると、すぐ答えができなかった。 「行くとて、行く姿はありませぬ。無にかえるだけです。ただ、人の心だけが、残ります。心の業《ごう》だけが残ります。ですから、生ける間に、よい事をしたものは、よい名をのこし、悪業をしたものは千載の後《のち》までも、悪の名をたましいに持って、死しての後は、それを拭《ふ》き改めることもできません」  死を考えることは、生を考えることである。十八公麿の眼は、うっすらと、そのころから、実社会の相《すがた》に、みひらいてきた。  路傍に、飢《う》えて、菰《こも》をかぶっている人間のすがたにも、刀槍を晃《きら》めかせて、六波羅|大路《おおじ》を練り歩く武将にも、新たな、観る眼があいて世の中を考えだした。  そして、こういう人々の種々《さまざま》な仮の相《すがた》が、一様に、死の無に回《かえ》って、そのたましいの名だけが、宇宙にのこる。  無限に死に、無限に生れ、無限のたましいの名だけが、不滅にある。 「ふしぎな? ……」と、彼は、つぶらな眼をじっとこらして、見ても見ても見飽かぬように、深碧《しんぺき》な、そして深く澄んだ、空に見入っていることがあった。  そういう間《あいだ》も、日野民部の学舎に通うことは、日々怠らなかった。 [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり]  孟子、老子、五経、論語と、十八公麿の学業が目ざましい進み方で上がってゆくのを見て、寿童丸《じゅどうまる》を餓鬼《がき》大将にする学舎の悪童連は、 「あいつ、生意気じゃ」と、いよいよ、仇敵視して、 「びんぼう車の机は、このガタ机でたくさんじゃ」と、脚の曲がった机とすりかえたり、草紙筥《そうしばこ》の中に、蛙をひそませて置いたり、襟元へ、松葉をそっと落したり、墨や筆をかくしたり、あらゆる悪戯《いたずら》をもって、挑戦しかけた。  だが、十八公麿は相手にならなかった。 「こいつ、唖《おし》か」と寿童は、いった。  二歳まで、ものをいわなかった十八公麿は、今でも時々、そのころのように、唖になった。どんな声にとり巻かれても知覚がないように澄ましていることがある。  いよいよ、悪童たちは、莫迦《ばか》にした。 「おい、きょうは、あいつを慰さんでやろう」発議《ほつぎ》は、いつも、寿童丸であった。 「どうするのじゃ」 「帰りは、いつも、糺《ただす》の原《はら》で日が暮れる。あの辺を、びんぼう車の通るのを待ち伏せして、四方から、野火焼きしてやるのじゃ」 「おもしろい」  乾いた風が、北山から吹きなぐって、屋根の石に、ときどき、霰《あられ》のような音が走り、冬の雲が、たそがれの空をおそろしく迅《はや》く翔《か》けている。 「和子様、お風邪《かぜ》を召されまするな。何ぞ、車のうちで、被《かず》いておいでなさいませ」供は、介《すけ》が一人だった。牛曳きが一人。  日野の学舎を出て、ぐわらぐわらと、夕霜の白い草原を走らせてきた。  車のうちでは、簾《れん》をあげて、書を読む声が聞える。往きと、帰りと、十八公麿は、書を読んでいた。もう、星が白く、地は暗かった。それでも、寒風《さむかぜ》に顔を出して、書を手から離さないのであった。 「あっ……」牛飼は、立《た》ち竦《すく》んだ。  行くてに当って、大きな炎が、真っ赤に、大地を焦《や》いていた。この風であるし、萱原《かやはら》であるし、まるで、油をそそがれたように火はまわる。 「牛飼」 「へい」 「横へ曲がれ。少し、遠くはあるが、道はあろう」介《すけ》は、煙に咽《む》せながらいった。  車は、すこし戻って、石ころの多い萱原《かやはら》の小道を西へ駈けた。するとまた、 「駄目だっ」 「なぜ」問うまでもない、介の眼にも、すぐわかった。そこら一面も、焼けているのだ、後《あと》へ戻ると、そこにも火、あちらにも火、車は、みるまに十方の炎につつまれて、立ち往生してしまった。 「わはははは」 「あはははは」どこかで、嗤《わら》う声《こえ》がした。  真っ黒な煙を、天飇《てんぴょう》から、たたきつけてくる。十八公麿は、車の中で、しきりと、咳声《せき》をして苦しがっていた。 「さては、成田|兵衛《ひょうえ》の小せがれだな」介は、もう許せないというように、太刀の柄《つか》をにぎって、笑い声のした萱《かや》の波へ躍って行った。 [#7字下げ][#小見出し]五[#小見出し終わり]  そこの萱《かや》むらから十名ほどの悪童が、蝗《ばった》のように逃げだした。  中に、寿童丸《じゅどうまる》の姿も見えた。介《すけ》は、眼をいからせて、 「おのれっ、今日こそ、もうゆるさん」  追いかけると、寿童は、半泣きに叫びながら、携《たずさ》えていた竹の鞭《むち》を揮《ふる》って、介を打とうとした。 「小癪《こしゃく》なっ」介は、鞭《むち》をもぎ奪《と》って、寿童丸の顔を、平手で、はたいた。  枯れ草の燃えているなかへ、寿童は尻もちをついて、何か喚《わめ》いた。すると、そこらの草むらから、 「やっ、若殿を」 「うぬ、よくも」子どもの背後には、大人が隠れていた。叫びあって、太刀や長刀《なぎなた》を構えながら、成田家の郎党たちが、 「うごくなっ」と、介を取り巻いて、斬りつけてきた。  介は、驚いた。ここまで企《たくら》んである悪戯《わるさ》とは思わなかったのである。 「なにをッ」彼も太刀の鞘《さや》を払った。  ばちばちと、枯れ草を焼く火や、萱《かや》の吐く黒い煙が、その剣《つるぎ》をくるむ。  平氏の家人《けにん》とは、構えて事を争うなとは、常々、口が酸《す》くなるほど、主人から誡《いまし》められていることではあるが、かくなっては、相手を斃《たお》さねば、自分が斃されるのである。生をまもることは、人間の絶対だ。介は、眼《ま》なじりをつりあげて、闘かった。  しかし、成田の郎党たちは、常に、こういう、あら業《わざ》には馴れている侍どもだし、人数も多いので、介は、見るまに、斬りたてられた。袖はやぶれ、小手は血に染んだ。頬から耳の辺へかけて、薄傷《うすで》を負うと、血のすじが、顔中にちらかって、悽惨《せいさん》な二つの眼だけが、穴みたいに光っている。  肩で、あらい呼吸《いき》をつきながら、介は、一歩一歩と、後ずさった。 (和子様は、どうしたか?)それが気にかかる。  十八公麿《まつまろ》の車は、萱叢《かやむら》の彼方《かなた》に、位置も変えずに見えるが、そこへ行こうと思っても、炎と煙と、そして相手の刃とが妨《さまた》げて、近よれないのであった。 「和子さまあっ――」介は、ついにさけんだ。  すると、ひーっという声が、車の方で聞えた。思わず、炎を見ずに、介は駈けだした。 「逃がすなっ」と、刃は追う。 「あっ」と、介は、仰天《ぎょうてん》した。  もう、十八公麿の車は、炎々と紅蓮《ぐれん》を上げて、燃えているのだ。軌《わだち》も、車蓋《おい》も。  うわうーっ。地が揺るぎだすように、牛が吼《ほ》えた。牛は、炎の車を背負って、突然、ぐわらぐわらと狂奔した。  八方に、かくれていた悪童たちは、怖れて、きゃっと、逃げ廻った。うろたえて、みずから火の方へ走って、火の海から逃げられなくなった子供もある。 「助けてーっ」自分で放《つ》けた火に溺《おぼ》れて、寿童丸も悲鳴をあげていた。しかし、怒りだした火牛は、仮借《かしゃく》がなかった。悪童たちを蹴ちらし、郎党たちの刃《やいば》を轢《ひ》いて、暗い野末へ、団々たる火のかたまりを負って駛《か》けて行く。 「和子さまっ。――和子様あっ」介《すけ》は、夢中で、それを追った。 [#7字下げ][#小見出し]六[#小見出し終わり]  火に狂った奔牛《ほんぎゅう》は、三、四町ほど駈けて行って、忽然《こつぜん》と横に仆《たお》れてしまった。  牛が仆れると、燃えていた車蓋は、紅い花車《はなぐるま》が崩れるように、ぐわらぐわらと響きを立てて、解《ほぐ》れてしまった。そして、蓋《おい》も、御簾《みす》も、轅《ながえ》も、一つ一つになって、めらめらと地上に美しい炎の流れを描いた。介は、発狂したように、 「和子様ッ」と、飛んで行った。  そして、必死になって、崩れた炎の板や柱を、ばらばらと、手で退《の》けてみた。何らの熱さも感じなかった。  当然、その中にいる十八公麿《まつまろ》は、彼の想像では、もう焼け死んでいるはずだった。けれど、車の下に何ものもなかった。 「あっ……。途中で?」介は、不安とよろこびと、二つの中に立って、そういった。 「……途中で、振り落されたか、ご自身で飛び降りたかなされたであろう、ああ、よかった」  見ると、牛は、もう焼け死んでいた。巨《おお》きな横っ腹を膨《ふく》らませて、足を曲げたまま、真っ黒になっていた。  まだ多少の呼息《いき》をしているらしく、唇から白い泡が煮えていた。介は、思わず眼をそらした。  曠野《こうや》は、真っ赤に染まっている。誰か来て消さない以上、この火は、あしたの朝までつづくかも知れない。  それにしても、十八公麿が、こちらに見えないのはまだ不安である。安心するには早すぎる。一人で、六条まで帰れるはずはないし、さだめし、どこかで泣いて、自分の姿をさがしているにちがいない―― 「おうっ――いッ」介は、両手を唇のはたに当てて、全身の声で呼んでみた。 「和子さまあッ――」返辞はなく、声は、いたずらに、野末のあらしになって、真っ暗に、消えてゆく。 「…………」呼ぼうとして、涙が、眼につきあげてきた。もしものことがあったらどうしよう、腹を切って、おわびをしても済まないことだ。  さっきの牛よりも、狼狽して、狂気じみた彼の影が、それから脱兎のように、野を駈けまわったが、十八公麿は見えないのである。 「どこへおいで遊ばしたぞ。――介《すけ》はここにおりますぞ。十八公麿様っ」声も、おろおろとしてくるのであった。  すると、河岸へ寄った堤《どて》の上を一人の男が、誰やら、背に負って走って行くのが見えた。堤の下まで、炎は這っていたし、空が赤いので、黒い人影が、はっきりと介の眼に映じた。 「やっ、和子様ではないか。――そうだ、和子様にちがいない。おのれ、成田の郎党めが」  夜叉《やしゃ》のように、介は、堤《どて》を目がけて飛んで行ったが、枯れ芦の沼がいちめんに、そこを隔てているので、遠く迂回《まわ》らなければ、堤にはのぼれなかった。  気が急《せ》くし、足は自由にならない。沼水はかなり深かった。介は膝まで濡れた足をもどして、半町ほど後ろから、堤へ這い上がった。  もう、さっき見た人影は、遠く去って、わからなかった。介は、地だんだを踏んで、 「畜生」と、さけんだ。  そして、堤の上を、鬼のように髪を後ろへなびかせて走った。烏帽子《えぼし》は背へ落ちて、躍っていた。 [#7字下げ][#小見出し]七[#小見出し終わり] 「また、空が赤い」 「どこぞのお館《やかた》へ、盗賊が押しこんだのではないか」往来へ出て、町の者は、首を空に上げて見ていた。  戦いに次ぐ恐怖は、強盗《ごうとう》だった。  こそこそと出没するのではない。十人、二十人、多い時には五十人も手下をつれて、どこへでも堂々と押しこむのであった。少し、きかない家来などがいると、忠義だてして闘《あらそ》うので、邸宅《やしき》はたちまち火を放《つ》けられて焼かれてしまう。 「貧乏人には、盗賊の心配だけはない」町の人々は、赤い空をながめて、せめての慰さめのように、つぶやき合った。  その往来を、向う見ずに、駈けて行った男がある。介《すけ》であった。 「待てっ」と、京極の辻でさけんだ。  先へ走ってゆく影も、これまた、おそろしく迅《はし》っこい。ちらと、近くで見たところでは、それは、河原や枯れ野などによく寝ている物乞いか、菰僧《こもそう》の類《たぐい》であるらしかった。  初めは、てっきり、成田の郎党と見て追いかけてきた介は、いよいよ、狼狽した。  十八公麿《まつまろ》さまを誘拐《かどわ》かして、遠国へでも売ろうとする野盗か人買いにちがいあるまい、と今度は考えた。 「待てツ、待てッ」叫べば、叫ぶほど、先の男は、背中に十八公麿を負っているにかかわらず魔のように迅くなる。  そして、どう抜けてきたか、六条のお牛場へと駈けこんだ。 「おおここだ」男は、築地《ついじ》を見上げて、佇《たたず》んだ。そして裏門をどんどんと叩く。  誰か、開《あ》けた。開けると同時に、男は、背に負ってきた十八公麿を、抛《ほう》りこむように、門の中へ渡して、さっさと、元の道へ、引《ひ》っ回《かえ》した。 「この乞食めっ、和子さまを、どこへやった」いきなり組みついてきたのは介である。 「あっ」よろめいたが、男は、何もいわなかった。身をねじって、介の体を、勢よく振りとばした。  介は、男の足をつかんだ。男は前へのめって転んだ。得たりと、介はのしかかって、拳固で、ぽかぽかと撲《なぐ》りつけた。  初めの勢いは、どこへやら、菰僧《こもそう》ていの男は、両手で顔をおおって、痛いとも叫ばなかった。介は、腹が癒えないように、なおも、打って打って、打ちすえた。  すると、築地のそばから走って来た十八公麿《まつまろ》が、それを見ると、わっと大声で泣いた。滅多に、泣いたことなどない十八公麿が、しかも、異様な感情をあらわして泣いたので、介は、びっくりした。 「和子様、こいつは、野盗か、人買いか、悪党です。なぜお泣きなさるのです」  十八公麿は、そういって、肩で息をしている介を、うらめしげに見ていった。 「その人を、わしは覚えている、悪党ではない」 「えっ、和子様の知っている人ですって」 「館《やかた》のお厩《うまや》に、縛られていたことがある……。そうそう、もと成田兵衛《なりたのひょうえ》の家来であった庄司七郎《しょうじのしちろう》というのじゃ」 「げっ」介は意外な顔をして、 「あの寿童丸に付いていた成田兵衛の家人《けにん》、庄司七郎が、その男ですか」振りかえって、見直すと、菰僧《こもそう》は両手で顔をかくしたまま、不意に起って、恥かしそうに逃げてしまった。 [#7字下げ][#小見出し]八[#小見出し終わり]  十八公麿の手をひいて、館の坪《つぼ》の内へ入ると、養父の範綱《のりつな》も、吉光の前も、 「おお、無事か」 「怪我《けが》はなかったか」一家が、こぞって転ぶように縁先へ出てきた。  先に逃げ帰った車の牛飼から、途中の変を聞いて、おろおろと案じていたところだった。  その危うい野火の中から、十八公麿を救って、ここまで負《おぶ》ってきてくれた男が、以前、成田兵衛の郎党だった庄司七郎であったと話すと、範綱は、 「さてこそ……」と、思いあわして、うなずいた。 「ここの厩舎《うまや》の獄《ひとや》から、縄を解いて、放ってやった七郎というあの侍は、その後、主家の兵衛から、役に立たぬ不届き者と、家をも扶持《ふち》をも奪われて牢人となり、菰僧に落ち魄《ぶ》れていると聞いたが……。それでは、当時の和子の情けや、当家の恩義を忘れかねて、あやうい機《おり》に、働いてくれたとみえる。人には情けをかけておくものじゃ、ありがたいお人ではある」  彼が、介や箭四郎《やしろう》たちに、そう語っているあいだに、吉光の前は、十八公麿をつれて、坪《つぼ》の石井戸のそばに立たせ、下碑《かひ》の手もからずに、自身で水を汲みあげて、よごれている足や手を洗ってやっていた。  そして奥の部屋へ、抱き上げてくると、衣服を出して、着かえさせたり、摺《す》り傷《きず》をあらためて、薬を塗《つ》けたりして、 「和子よ」と、涙ぐんだ。 「――今日の禍《わざわ》いは、幸いに怪我もなくすぎたが、この後とも、一身を大事にまもらねばなりませぬぞ。心に、油断があってはならぬぞ。そなたの身に、もしものことがあったら、この母は、どうしましょう」それから、夜の更《ふ》けるまで、いろいろと、十八公麿のゆく末のことを案じて、いいきかせた。  それが、母と子との、最もしみじみと心で抱き合った最後の夜であった。  石井戸に立って、水づかいをしていた時に、寒気がするとつぶやいていた彼女は、その夜から、寝間を出ずに、幾日も閉じこもった。  良人《おっと》にわかれてから、とかく、病みがちであった彼女には、病気以外に、二人の遺子を抱えて、また、範綱の苦しい家計や、世難《せなん》の悩みをながめて、共々に、やすらかな日を味わう暇もなく暮してきた。  風邪《かぜ》気味と、かろく自分でも考えていた数日のあいだに、彼女の若さも、肌も、病魔の鉋《かんな》に削られて、眼にも驚かれるばかり、痩せ細ってしまった。 「オオ……何やら美しい……蓮花《はちす》がにおう……妙なあの音《ね》は、笙《しょう》の音か、頻伽《びんが》の声か。……蓮華《れんげ》が降る、皆さま、蓮華が降って、私の顔にかかります」信仰のふかい彼女は、熱がたかくなると、うわ言《ごと》をいって、細い蝋《ろう》のような手を、うごかした。 (これはいけない――)範綱は、暗然として、枕もとに泣いている十八公麿と、朝麿、二人の幼い者のすがたを見た。 「六条さま、どうぞ、お慈愛をおかけくださいませ。……その二人のものを」衰えた眼が、かなしげに、枕からじっと仰いだ。そして、何ものかに命じられたように、白い掌《て》を合せて、にこと、微笑んだ。 [#3字下げ][#中見出し]花《はな》は夜風《よかぜ》に乗《の》って[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  雨あがりの大路《おおじ》の黒い土は、胡粉《ごふん》をこぼしたように白い斑《ふ》で描かれている。キリ、キリ、とさびしい軌《わだち》の音が、粟田口《あわたぐち》あたりの閑寂《かんじゃく》な土塀や竹垣、生垣の桜花《はな》の下蔭を通ってゆく―― 「ああ」牛と並んで歩きながら、侍従介《じじゅうのすけ》は、鼻さきの涙を指さきで、そっと拭いた。 「――昼間だが、なんとなく、夜を歩いているような気がするなあ」独り語につぶやいたのを、 「そのはずじゃ」と、牛飼が、答えた。 「――なんとこの正月は正月も早々からじゃて。さきには、高倉上皇さまがおかくれあそばされたと思うと、――つづいて去年から大熱をわずろうていた平相国《へいしょうこく》清盛公が、忽然《こつぜん》と、あの世へ去っておしまいなされた……。それでのうても、お館《やかた》さまや、和子さまには、吉光御前さまをお亡《な》くしなされて、さびしい年を越えられたのじゃものなあ」 「空虚《うつろ》な……とは、今の御主人さまや、俺たちの心だ」 「ひっそりとして、蝶も舞わぬ。堂上堂下、悲しみに沈んでいるこの春の御諒闇《ごりょうあん》に、虫けらまでも、さびしさが、わかるとみえます」 「夜だ、どうしても、昼間とは思えない――」介《すけ》は、道を曲がる。  その道もまた、しいんと、冷《ひや》やかで、人影がなかった。  明けて――十八公麿《まつまろ》が九歳になった春の三月中旬のことだった。  牛車のうちには、墨のごとく、沈んだ人影がみえる。養父|範綱《のりつな》の膝にだかれた十八公麿であった。母をうしなってからの十八公麿はさらにちがってきた。面ざしすらにわかに吉光の前に似かようてきたかに見えて端麗《たんれい》を加えたのも変り方の一つであったし、さらに、範綱さえ、介さえ、ときどき、驚かされることは、彼の眸であった。黒く、飽くまで黒く、そして湖のごとく澄んでいる眼であった。  星を見――雲を見――風を仰ぎ――そして地上の人間が描く修羅遊戯の種々《さまざま》な事象に、じっと、いつも、不審をだいて考えこんでいるような彼の双眸《そうぼう》であった。  久しく、書を教えていた叔父の宗業《むねなり》は、はやくも、筆を投げて、 「もう十八公麿には、あまり教えぬほうがいい」と、いったほどである。 「怖い才だ」といった人もあった。また、 「こういう、麒麟児《きりんじ》は悪うすると若死をしますでな」と注意した老人もある。  どっちにせよ、不安であった。周囲の大人たちは、ちょっと、戯れかねた。まだ稚《おさ》ない九歳《ここのつ》の子ではあるが、軽く抱いて、置き換えられないような巨《おお》きさというか、気品というか、威というか、そんな気持をうけた。  しかしさすがに、範綱だけにはよく、甘えるし、範綱も、人がいうほどにも思っていなかった。ただ、なぜか、 「容貌《かお》は、母御前《ははごぜ》に似よ。血は父に似よ」と、口ぐせにいった。  母系の源氏の血が、この子にうずくことを彼は極度に、怖ろしく思った。  それでなくとも、平家の眼は、近ごろ急に、十八公麿《まつまろ》の母系と、十八公麿の身について、警戒を怠らないのみか、何か、あわやという機会さえあれば、虎狼《ころう》の爪が、跳びかかってきそうに思えてならないのである。 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり]  古びた青銅|瓦《がわら》の山門を仰いで、 「ここでよい」介《すけ》は、牛飼に、車を止めさせた。そして、間近う、 「お館《やかた》さま、青蓮院《しょうれんいん》でございまする」と、箱の簾《す》にささやいた。  轅《ながえ》には、鷺脚《さぎあし》の榻《とう》を据え、前すだれの下には、沓台《くつだい》を置く。 「先へ」 「はい」と、十八公麿が、片脚をそっと下ろした。藤むらさきの袴《はかま》に、うす紅梅の袖を垂れる。介は、抱き下ろして、美しい塗靴をその足にはかせた。  家計のくるしい養父の範綱が、きょうばかりは、車も飾らせ、十八公麿の小袖も沓《くつ》も何から何まで、清浄で新しいものを身につけさせた。 (きょうが、この子の俗世の最後の日――)と思うてのことである。  介が、門を訪れて、僧正の在否を問うと、 「おいで遊ばします」と、寺侍が、山門から、内玄関へと、走ってゆく。 「よいお寺――」と、十八公麿は、しきりと、そこらを見まわして、他愛がない。 「よかろう、僧院は」 「ええ」うなずいて、佇《たたず》んでいるそばへ、鶺鴒《せきれい》が下りて、花の散っている泥土の水に戯れている。 「六条どの、お通りあれ」廻廊の階《きざはし》に、寺僧や、侍たちが、立迎える。誰も彼も、十八公麿の愛くるしさに、微笑をもった。 「おいくつ?」と、ささやく者がある。 「九歳《ここのつ》です」青蓮院の廻廊は長かった。そこからまた、橋廊下をこえると、さらに、寂《じゃく》とした僧正の院住がある。むら竹の葉がどこからか欄《らん》や蔀《しとみ》に青い光を投げている。鶯《うぐいす》がしきりと啼くのである。せんかんと泉声《せんせい》が聞えて、床をふむ足の裏が冷々《ひえびえ》とする。僧正とは、天台六十二世の座主《ざす》、慈円和尚《じえんおしょう》のことである。月輪関白《つきのわかんぱく》の御子《みこ》であり、また連枝《れんし》であった。介《すけ》は、廊下の端に坐る。  範綱《のりつな》と、十八公麿《まつまろ》とは、大柱の客間をもう一間《ひとま》こえて、東向きのいつも、拝謁《はいえつ》する小間まで通って平伏していた。粟田《あわた》山の春は、その部屋いっぱいに香《にお》って、微風が、龕《がん》か、瓔珞《ようらく》か、どこかの鈴《れい》をかすかに鳴らした。 「六条どのか」声に、おそるおそる、頭《つむり》を上げると、慈円《じえん》僧正は、そこの襖《ふすま》を払っていた。  若い、まだ二十七歳の座主《ざす》であった。あいさつをのべると、 「ほ……」すぐに、眼をみはっていうのである。 「きょうは、お子連れか」 「お見知りおき下さいませ。猶子《ゆうし》、十八公麿と申しまする」 「ふーム」にこやかに、唇《くち》で笑う。範綱は、十八公麿の水干《すいかん》の袖をそっとひいて、 「僧正さまですぞ。ごあいさつを申しあげなさい」 「はい」十八公麿は手をついて、貝のような肌の白い顔をあげた。慈円と彼と、師弟の縁をむすんだ初めての眸《ひとみ》である。 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり] 「よい、童形《どうぎょう》じゃ」慈円僧正は、しげしげと見入っていたが、卓に手をのばして、そこにある銅鈴を、しずかに振った。鈴の音を聞くと、 「お召しでございますか」執事の高松|衛門《えもん》が、次の間まで来て、手をつかえた。 「衛門か。この和子に点心《てんしん》(菓子)を与えてください」慈円がいうと、 「かしこまりました」衛門は、やがて、高盆に白紙を敷き、その上に、紅白の花形をした捻頭《むぎかた》や餅餤《べいだん》とよぶ菓子をたくさんに盛ってきて、 「よい和子、僧正さまの賜わり物、召し上がれ」と、十八公麿にすすめた。そして、範綱には、古雅な器《うつわ》に汲んだ緑色の飲みものを供えた。  器からのぼる香りに、範綱は、渇《かつ》をおぼえて、喫してみようかと思ったが、どうして飲む物かがわからなかった。  青蓮院《しょうれんいん》を訪れると、時々、こういう目馴れない食味や、什器《じゅうき》を見せられて、僧正の知識に驚かされるのであった。 「ぶしつけなことをうかがいまするが、この、緑いろの湯は、何というものでございますか。――よい香りがいたしますが」範綱が、問うと、僧正はわらって、 「茶というものだ」と、教えた。 「ははあ」これも唐から舶載《はくさい》してきたものにちがいないと範綱は器《うつわ》を手にとって、 「このまま、いただくのでございますか」 「そうじゃ」 「頂戴いたしまする」辞儀をして、範綱はひとくち、口へ含んで、 (苦い……)と思ったが、かろい甘味が、舌頭にわいてくると、何か、爽《さわ》やかな気分をおぼえた。 「どうじゃ、味は」 「けっこうに存じまする」 「うまくは、なかろう」 (はい)ともいえないので、範綱は、なにか、爽やかになると答えた。慈円は笑いながら、 「近ごろ、仏書と共に、わずかばかり手に入れたので、試みておるが、なかなか捨てがたい風味がある。聞けば、茶の木の胚子《たね》は、夙《はや》くから舶載《はくさい》されて、日本にも来ているそうな。どんな花か、花が見たいと思う……」  などと、かたり出《い》で、中華では魏《ぎ》晋《しん》のころから紳士のあいだで愛飲されだして、唐の陸羽《りくう》は、茶経《さきょう》という書物《しょもつ》さえあらわしている。また、鬱気《うつき》を散じるによく、血滞《けったい》を解くによろしい。医家でも、用いているし、栽培もすすんでいる。日本でもぜひ胚子《たね》を植えて、上下の民衆に、用いさせてみたいものだ――などと若い知識をもつ僧正の話はなかなか該博《がいはく》で、経世的《けいせいてき》であった。  ことにまた、慈円は、僧院の奥ふかい所にいるが、政治にも、社会のうごきにも、なかなか達眼があって、時事にも、通じている。それとなく、世間ばなしのようにする話のうちには、熱があった。 「それについて、今日、折入って、僧正にお願いの儀があって、うかがいましたが」と、範綱は、やっと話のすきを見つけて、いいだした。  十八公麿《まつまろ》をつれてきたことや、衣服の改まって見えることや、座談のあいだに、慈円も、今日の彼の訪問が、いつもの和歌《うた》の遊びや、閑談でないことは、察していた。 [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり] 「いうてみい」慈円はいった。 「――身にかなうことならば、ほかならぬ六条どのの頼み。――してどういうことな?」 「……実は、この十八公麿に、お得度《とくど》を賜わりまして、末ながくお弟子の端にお加えくださるわけには、参りますまいか」 「ほ……」慈円は、眼をみはって、 「この端麗な童形《どうぎょう》を、あたら、剃《そ》りこぼちて、僧院へ入れたいと、仰せらるるか」 「されば、幼少からの仏心の性《さが》とみえて、常に、御寺《みてら》を慕うています」 「さあ、それだけでは」 「ことに、母を亡《うしの》うてから、なおさらに……」 「あいや、六条どの、それは稚《おさ》な心というものではないか。母に仏心あれば、子に仏心のうつること当然、家《うち》に仏音あれば、子の声に仏韻《ぶついん》の生じることまた当然。――すべて稚《おさ》な子《ご》は、澄んだ水でござる。それを、奇瑞《きずい》の、奇童のと、見るのはすでにわれら凡俗の眼があやまっている。――あらゆる童心はすべて仏性《ぶっしょう》でござろうぞよ、おわかりか」 「は……」 「それを、老成の者が、この子、仏者の縁がふかいなど思いすごして、僧院の沙弥《しゃみ》になされたら、成人の後、どう恨めしく思うやも知れぬ」 「御意に相違ありませぬ」 「せめて、自身を自身で考えられる年ごろまでお待ちなされ。得度《とくど》と申しても、まだ九歳《ここのつ》では」 「――御訓誡《ごくんかい》、ありがとう存じまする。……にも拘《かか》わらず、慈悲の御袖《みそで》にすがって、おねがい申さねばならぬ儀は」ここならば、どんなことを口外しても大事はないと思いながらも、範綱は、あたりを、つい見て、 「十八公麿《まつまろ》の一身、仏陀《ぶっだ》のお膝のほかには、置きようがないのでござります」 「なぜ」 「源氏の人々、諸国に興って、平家を勦滅《そうめつ》せよの声、巷《ちまた》を、おののかせておりまする……。血まようた平家の衆は、源氏のもの憎しの一図《いちず》で、およそ、源家の係累《けいるい》のものと聞けば、婦女子でも、引っ縛《から》げて、なにかの口実をとって必ず斬りまする」 「…………」だまって、慈円僧正はうなずきを見せる。 「すでに、お聞き及びでもござりましょうが、この子の生みの母は、源系《げんけい》義家の孫、義朝の従兄妹《いとこ》にてさいつころから、大軍を糾合《きゅうごう》して、関東より攻めのぼるであろうと怖れられている頼朝、義経《よしつね》は、この十八公麿には、復従兄弟《またいとこ》にあたるのでございます」 「ム。なるほど」 「母は、みまかりました。子はまだ九歳、ことに、私の猶子《ゆうし》となっておりますゆえ、いかな平家のあらくれ武士も、よもやと思ってはおりますが、私に、恨みをふくむ者もあって、十八公麿の実父|有範《ありのり》こそは、源三位《げんざんみ》頼政公の謀叛《むほん》に加担して、宇治川のいくさの折に、討死したものであるなどと、あらぬ沙汰《さた》も撒《ま》きちらされ、ゆく末、怖ろしい気がいたすのでございます」  じっと、僧正は、考えこむのであったが、ややあって、 「いさい、わかった。頼みのこと、諾《き》いてとらそう」意を決めて、きっぱりと答えた。 [#7字下げ][#小見出し]五[#小見出し終わり] 「衛門《えもん》――」ふたたび僧正は呼んだ。襖《ふすま》のさかいに、 「はいっ」高松衛門はすぐ手をついて、 「お召しでございますか」 「火急に使いを立ててもらいたい。中務省《なかつかさしょう》へ」 「畏《かしこ》まりました。――して御口上は」 「前若狭守範綱《さきのわかさのかみのりつな》どのの御猶子《ごゆうし》、十八公麿どのが望みにまかせ、今宵、得度の式を当院において仕る由を――」 「え」衛門は、耳を疑うように、 「まいちど、うかがいまするが、お得度あるおん方は? ……」 「ここにおられる、十八公麿どのである」 「や、その和子様が……。して、お幾歳《いくつ》でござりまする」 「九歳《ここのつ》です」と、範綱が答えた。 「それでは、まだ童形《どうぎょう》でご修行あるはずの法規《おきて》でございます。古来からの山門の伝習をお破りあそばしては、恐れながら、一山の衆《もの》が、不法を鳴らして、うるそう騒ぎはいたしませぬか」 「慈円《じえん》が、身にひきうけたと申せ。しかし、中務省の役人から、なにかの、諮問《しもん》はあろう」 「その折は、なんと、申したものでございましょうか」 「ただ、こういえ。不肖《ふしょう》ながら、天台六十二世の座主、覚快法親王《かくかいほうしんのう》より三昧《さんまい》の奥儀《おうぎ》をうけて、青蓮院《しょうれんいん》の伝燈をあずかり申す慈円が、身にかえての儀と」 「はっ」 「一山|三塔《さんとう》の衆《もの》へは慈円より、あらためて道理《ことわり》を明白に申し伝うびょう候と。――わかったか」 「わかりました」 「使者の帰りを、待つのじゃ。いそいで」 「はいっ」高松|衛門《えもん》は、廊《わたり》を、つつつと小走りに退《さ》がった。  範綱は、幾度となく、僧正の好意に、感涙をのんだ。そして、十八公麿《まつまろ》の頭《つむり》をなでて、 「うれしいか」 「はい」十八公麿は、無心にいう。  しかし、慈円僧正が、身にひきうけてとまでいいきって、官へ印可《いんか》をとりにやったのは一朝の決断ではなかった。先刻からの座談のうちに、烱眼《けいがん》、はやくも、十八公麿の挙止《きょし》を見て、 (この子、凡にあらず)と見ていたに、ちがいないのである。  これとよく似た話が、後に十八公麿が師とあおいだ黒谷の法然《ほうねん》上人にもある。  法然房の君が、まだ勢至丸《せいしまる》といった稚《おさな》いころ、父を亡《うしな》ってひとり故郷《ふるさと》の美作国《みまさかのくに》から京へのぼってくる道すがら、さる貴人が、白馬の上から彼の姿を見かけて、 (あの童子は、凡者《ただもの》ともおぼえない。どこへ参るのか、身の上を聞いてやれ)と、従者にいった。  従者がなぜですかと、問うと、白馬の貴人は、こういった。 (おまえ達には、わからぬか。あの童子の眸は、褐色《かっしょく》をおびて、陽《ひ》に向うと、さながら瑪瑙《めのう》のように光る。なんで、凡人の子であろうぞ)と、いったという。  果たせるかな、勢至丸は、やがて後の法然上人となった。  その時の白馬の貴人は、九条関白|忠通《ただみち》公で、縁といおうか、不思議といおうか、慈円《じえん》僧正の父君であった。 [#7字下げ][#小見出し]六[#小見出し終わり]  中務《なかつかさ》省へ、使に走った者は、省の役人から、むずかしい法規と諮問《しもん》をうけて、手間どっているのであろうか、なかなか、戻ってこなかった。  青蓮院のひろい内殿は、どこかの筧《かけひ》の水の音が、寒い夕風を生み、塗籠《ぬりごめ》からは、黄昏《たそが》れの色が、湧いてくる。  供の侍従介《じじゅうのすけ》は、さっきから、廊の端に、坐ったまま、苑面《にわも》にちりしく白い桜花《はな》をじっと見入っていた。 「おそいのう」慈円僧正は、気の毒そうにこうつぶやいた。  ゆらゆらと、短檠《たんけい》の灯が、運ばれてくる。 「官の小役人には、法にしばられて、法の精神を知らぬものがまま多い……。こう遅うては、みずから参って、説かねばならぬかも知れぬ」 「なんの、待ちどおしいことがございましょうぞ。お案じなく」と、範綱はいった。 「したが、あまりにおそい――。こうしてはどうじゃ」 「はい」 「明日《あす》か、明後日《あさって》、まいらば、十八公麿を伴《ともの》うてござれ。それまでには、官のこと、一切、御印可をいただいておくが」 「では、そう願いましょうか」範綱が、答えて、立ちかけると、 「お父さま」十八公麿が、いう。 「僧正さまの仰せじゃ。帰ろうぞ」 「いいえ」かぶりを振って―― 「いつまでも私は、待っていとうござります」 「わからぬ駄々をいうではない、さ……」うながすと、十八公麿は、父が、朗詠する時の節をそのまま真似《まね》て、 [#ここから2字下げ] あすありと おもうこころの あだざくら 夜半《よわ》にあらしの ふかぬものかは…… [#ここで字下げ終わり]  愛らしい唇で、童歌のようにうたった。 「おお」慈円《じえん》僧正は、背を寒くしたように、その声に打たれた。 「よういった。……六条どの、待たねばなるまい、夜が明くるとも」 「はい」ほろりと、範綱《のりつな》はいった。  うれしいのである。この子の才智のひらめきが。同時におそろしい。  こんなに光る珠を、なんで、平家の者が、眼をつけずにおくものか。待とう。  ――夜半《よわ》にあらしのない限りもない。介《すけ》は、今の童歌の声に、 「ああ、あのお可愛らしいお姿も、今宵かぎりか」と、洟《はな》をすすった。  夕闇にちる花は、白い虫のように、美しく、気味わるく、光のように明滅している。  と――そこへ、 「お使いの者、もどりました」高松|衛門《えもん》が、あわただしく、告げてきた。待ちかねて、 「どうあった?」と、僧正がたずねると、使者は、次の間にぬかずいて、 「中務《なかつかさ》省の御印可、無事、下《さ》がりましてござります」と、復命した。 [#7字下げ][#小見出し]七[#小見出し終わり]  人々の顔に、喜色が、かがやいた。 「そうか、ではすぐに、得度の式をしてとらそうぞ。衛門、用意を」僧正の一令に、 「はっ」と、衛門は立つ。やがて、どっぷりと墨いろに暮れた御堂《みどう》の棟木《むなぎ》をつたわって、梵鐘《ぼんしょう》の音が、ひびいてくる。  廊には、龕《がん》の灯が、ほのかに点《とも》る。勤行《ごんぎょう》の僧たちの姿が、かなたの本堂で、赤くやけて見えた。 「どうぞ、こなたへ――」と一人の僧が、それへ来て、用意のできたことを告げると、範綱は、十八公麿《まつまろ》の手をとって、静々と、橋廊下をわたって行った。  供の侍従介《じじゅうのすけ》も、影に添って、おそるおそる、二人のうしろから従《つ》いてゆく。  伽藍《がらん》には、一山の僧が、居ならんで、粛《しゅく》としていた。  座談の時とはちがって、慈円僧正は、やや恐いような厳《おご》そかな顔をもって、七条の袈裟《けさ》を、きちっと裁《さば》いて正面に坐っていた。その前にある経机《きょうづくえ》には香炉《こうろ》と、水瓶《すいびょう》をのせ、やや退《さ》がって、阿闍梨性範《あじゃりしょうはん》の席、左右には、式僧が、七名ずつ、これも、眼たたきもせずに、それへ入ってくる九歳《ここのつ》の発心者《ほっしんしゃ》を、じっと、見つめていた。僧が、そっと側《わき》へきて、 「和子、お召し物を、かえられい」と、教えた。 「はい」十八公麿は、すらり、と水干《すいかん》を脱いだ。  冷やかな、木綿の素服が、その前へ、与えられる。――範綱はふと、胸がせまった。 「こちらへ」  僧が手をひいて、壇《だん》の前へ、坐らせた。小さな彼の手は、彼がするともなく、また、人が教えるともなく、ひたと、合掌して、頭《つむり》をすこし下げた。 [#ここから2字下げ] 流転三界中《るてんさんがいちゅう》 恩愛不能断《おんないふのうだん》…… [#ここで字下げ終わり]  むらさきの糸がのぼるように、縷々《るる》と、香炉《こうろ》の中から、においが立って、同時に、列座の衆僧の声が朗々と、唱和した。 [#ここから2字下げ] 帰依大世尊《きえだいせそん》 能度三有苦《のうどさんうく》 [#ここで字下げ終わり]  十八公麿のくちびるも、共に、かすかにうごいていた。彼の姿は、この天井のたかい大伽藍《だいがらん》の底にすわると、よけいに、小さく見えるのであった。 「…………」慈円僧正は、座を立った。  僧が二人、左右から、紙燭《ししょく》を捧げる。  一人の僧はまた、盤のうえに、剃刀《かみそり》をささげ、また、一人は十八公麿のそばに寄って、水瓶《すいびょう》を捧げていた。  僧正の法衣《ころも》の袖が、ふわりと、十八公麿の肩にかぶさった。その手には、剃刀《かみそり》が執られている。剃刀は、水瓶の水に濡らされて、きらりと、青く光った。 「…………」範綱は、思わず、横の方へ、体をまわしてにじり出していた。 (どんな顔して――)と、十八公麿のすがたが、僧正や、他の僧のために見えないのが、もどかしいのであった。  しゃくっ……と、後ろで、誰かしのび泣きをもらした者がある。はっと思って、範綱はふり返った。板床の方に離れて控えた侍従介《じじゅうのすけ》である。まだ、十八公麿が、乳もふくまないうちから、あやしたり、負ったり、抱いたりしていた介としては、たまらない感情がこみあげていたに違いない。 [#7字下げ][#小見出し]八[#小見出し終わり] (不作法者め!)声には、出さなかったが、範綱は、はたと、睨みつけた。  はっと、介《すけ》は、自分の腕くびに、噛みついて、顔を俯《う》つ伏《ぶ》せた。  介を、叱りはしたものの範綱自身こそ、瞼《まぶた》のものが、あやうく、こぼれそうだった。 (凡夫――)われを嘲《あざけ》りつつ、彼は、つい眼をそらしていた。あの、小さい頭《つむり》がと想像すると、たまらないのである。――見たら、泣けてしまうだろうと思った。すると、 「ご得度の式、すみました」と、式僧がいった。  見ると、十八公麿の頭《つむり》は、もう、あのふさふさしている若木の黒髪を剃《そ》り落して、瓜《うり》のように、愛らしい青さになっていた。 「もしっ……僧正様ッ、おねがいでござりますっ」突然、一人の男が壇の前へ飛びだしてきて、べたっと、手をつかえた。 「あっ」範綱は、驚いた。  僧正の足もとへ来て、泣いているのは、介であった。 「ぶしつけなっ、退がれっ」範綱が、叱りつけると、 「あ、いや」やさしく、僧正はささえて、 「なんじゃ」と、介へたずねた。介は、肩をふるわせて、 「お願いの儀、ほかではござりませぬが、永年、お乳の香のするころより、お傅《もり》の役、いたしました私、今、その和子様が、御得度あそばしますのを、なんで、このままよそにながめて、俗界にもどられましょう。……どうぞ、いやしい雑人ではござりますが、この私も今宵の式のおついでに、お剃刀《かみそり》をいただかせて、くださいませ」 「ふーむ、そちも、主《しゅう》に従って僧籍に入りたいというのか」 「はい」 「しおらしいことを」僧正は、にこと、うなずいて、 「主従の情、そうもあろう――六条どの、この者の望み、かなえて取らせたいが、おもとには」 「さしつかえござりませぬ」 「では」と、僧正は、ふたたび剃刀を執った。  花は、夜の風にのって、御堂《みどう》の廊に、雪のように吹きこむ。音誦朗々《おんずろうろう》――衆僧の読経もまたつづく。 (主従は三世《さんぜ》――)と、介《すけ》はうれしかった。  十八公麿は、もう、成りすました道心のように、彼の、剃《そ》られてゆく、頭《つむり》をながめていた。  一炷《いっしゅ》、また一炷。香《こう》は、春の夜を、現世を、夢ぞと教えるように立ちのぼる。  式は、済んだ。白衣《びゃくえ》円顱《えんろ》のふたりのために、僧正は、法名をつけてくれた。  十八公麿は、範宴少納言《はんえんしょうなごん》。介は、性善坊《しょうぜんぼう》。 「ありがとうぞんじまする」二人は、手をつかえて、寒々とした頭《つむり》を下げた。        *  その夜――、更けてから。キリ、キリ、と牛車の軌《わだち》は、ただひとり、黙然と、袖を掻きあわせてさし俯向《うつむ》いた六条の範綱をのせて、青蓮院《しょうれんいん》から粟田口《あわたぐち》の、さびしい、花吹雪の中を、帰ってゆくのであった。 [#改ページ] [#1字下げ][#大見出し]登岳篇[#大見出し終わり] [#3字下げ][#中見出し]くろかみ[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  銀杏《いちょう》が、黄ばんでくる――  秋となると、うるさいほどな鵙《もず》の声《こえ》であった。  コウン、コウン、コン――青蓮院《しょうれんいん》の山門には、足場がかかっていた。夏の暴風《あらし》で破損した欄間彫《らんまぼり》へ二人の塗師《ぬりし》と三人の彫刻師《ほりし》とが来て、修繕していた。 「おい、祥雲《しょううん》」ひとりが、鑿《のみ》を休めていう。 「なんだ」 「可愛らしい子じゃないか」 「ム、あの新発意《しぼち》か」 「どこかで、見たような気がするが……」 「おれも、そう思っている」塗師が、 「飯にしようぜ」足場を下りて行った。 「もう、午《ひる》か」木屑を払いながら、彫刻師《ほりし》たちも、下へ辷《すべ》った。  秋蝉《あきぜみ》が、啼いている。石井戸のそばに、坐りこんで、工匠《たくみ》たちは弁当をひらき初めた。  すると、院の廊下を、噂していた小さな新発意《しぼち》が、ちょこちょこと通って行った。 「もし、もし」光斎《こうさい》という彫刻師《ほりし》がよびとめた廊下のうえで、範宴《はんえん》少納言はにこと笑った。 「なあに、おじさん」 「あなたは、お幾歳《いくつ》」 「九歳《ここのつ》」 「ヘエ、それでは、お小さいわけだ、いつから、この青蓮院へおいでになりました」 「春ごろから」 「じゃあ、半年にしかなりませんね」 「え、え」 「おっ母さんの乳がのみたいでしょう」 「ううん……」範宴は、首を振った。 「お邸《やしき》は、どこですか」 「六条」 「では、源氏町のご近所で」 「え」 「ご両親が、戦《いくさ》に出て、討死にでもしたのですか」 「いいえ」 「どうして、お坊さんなぞに、なったんですか」 「知らない……」 「ご存知ない?」 「はい」 「お父様は、どなた」 「六条の朝臣《あそん》範綱」 「え、六条さま。――道理で」光斎《こうさい》は、仲間の祥雲《しょううん》と、何かささやき合っていたが、やがて、 「範宴《はんえん》さん」 「はい」 「じゃ、あなたは、日野の里で、お生れなさったでしょう。私たちは日野のご実家の方へ、半月ほど、仕事に参ったことがありましたっけ――大きくおなりになった」 「では、日野の館《やかた》の仏間は、おまえたちがこしらえたの」 「あの中のご仏像を、やはり、修繕《なお》しにゆきました」 「おじさんたちは、仏像を彫るのがお仕事なの」 「そうです」光斎は、しげしげと、欄《らん》にもたれている範宴をながめて、 「その顔を、そのまま彫ると、ほんとに、いい作ができるがなあ」と、つぶやいた。 「じゃあ、彫ってもいいよ」範宴は、すぐにでもできるように、そういって笑った。 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり] 「彫らしてくれますか」光斎と、祥雲の二人は、顔を見あわせた。 (彫りたい) (彫ろう)という創作慾にそそられて、 「じゃあ、明日《あした》から、飯やすみのたびに、ここへ来てください」と、約束した。  午《ひる》になると、二人は、足場を下りてきた。範宴は、欄の上に立った。  材は、かなり大きな木を用いた。三尺ぐらいな坐像に仕上げるつもりらしい。二人の仏師は、飯を噛みながら毎日、鑿《のみ》を持って、範宴の輪郭を少しずつ写して行った。  介《すけ》の性善坊《しょうぜんぼう》は、それを知ってから、毎日、側へ来て見ていた。  山門の足場に、白い霜が下りるころになると、その足場はこわされて、仏師や塗師《ぬりし》たちも来なくなった。  すると、初冬のある日、 「ごめん下さい」範宴のいる僧院の外で、聞き馴れない声がした。次の間にいた性善坊が、 「どなた?」障子をあけると、 「おお! 介じゃないか」 「箭四郎《やしろう》か」 「変ったのう」 「まあ、上がれ」 「山門のうちも、なかなか広くて、諸所に、僧房があるので、さんざん迷うた」 「達者か」 「おぬしも」 「六条のお館は、和子様が、青蓮院《しょうれんいん》にお入りあそばしてから、まるで、冬枯れの家《うち》のようにおさびしくてな」 「そうだろう。――して、お館《やかた》様にも、おかわりないか」 「む……まず、ご無事と申そうか」 「して、今日は」 「この近くまで、お使いに来たので、そっと立ち寄って、和子様のご様子を聞いて帰ろうかと……」 「そうか、よく寄ってくれた。世間を去ると、世間が恋しい」ふたりは、手をとり合って、涙ぐんでいた。性善坊《しょうぜんぼう》は、やがて立って、 「範宴《はんえん》さま」 「はい」範宴は、書を読んでいた。 「――誰が見えたの」 「箭四《やし》が、参りました」 「おお」と、さすがに、なつかしそうに、縁のほうへ走ってきた。 「和子様か」変った彼のすがたに、箭四郎は、洟《はな》をすすった。 「お養父様《とうさま》は」 「おかわりもございませぬ」 「朝麿《あさまろ》は」 「おげん気で、日にまして、ご成人でございまする」 「わしのこと、問うか」 「はい……。このごろは、やっとすこし、お忘れのようでございますが」 「さびしがっておろうの」範宴は、庭へ下りて、籬《まがき》に咲いていた白菊《しらぎく》を剪《き》った。 「これ、朝麿に、持って行って賜《た》も。――わしの土産《みやげ》に」そういうと、性善坊が、 「よい土産がある。範宴さま、あれを箭四に持たせておつかわしなされてはいかがですか」 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり] 「おお、ほんに」範宴は、箭四郎の手をとって、 「よいものがある」 「なんでございますか」 「まあ、来てみやい」自分の居間へ伴《つ》れて行った。 「あ……」箭四郎は、ぺたんと、部屋のまん中に坐って、一隅にある木彫《きぼり》の坐像にまろい眼をみはった。  それは、得度をうける前の十八公麿《まつまろ》のすがたのままであった。頭《つむり》には、黒髪まで、ふさふさと植えられてあるのである。 「これは、どうしたものでございますな」 「されば」と、性善坊は、側から、その坐像のできた由来《わけ》を話すのに、つぶさであった。  光斎《こうさい》と、祥雲《しょううん》の二人の仏師は、十八公麿の面《おも》ざしを見て、よほど、心をひかれたらしい。生ける菩薩《ぼさつ》のようだといって、慾も得もなく、彫ったのである。そして、彫りあがると、 (よい勉強をいたしました)と、坐像は礼に置いて行ったのであるという。 「ははあ……」箭四は、見恍《みと》れて、 「そういわれれば、生きうつしでござりますな。して、黒髪は」 「和子さまが、得度の時の黒髪を、そっくり、仏師たちが、植えこんでくれたのじゃ」 「道理で……。ウウム、ようできている」 「箭四よ」 「はい」 「これを、お養父《ちち》君と、弟の朝麿《あさまろ》とに、十八公麿のかたみじゃと申して、そなたが、負うて帰ってくれぬか」 「なによりの儀にござります。これを、お館《やかた》にお置き遊ばしたら、すこしは、おさびしさが、紛《まぎ》れましょうに」 「もう、二度と、この身にない相《すがた》じゃ。――御恩のほどは、この像に、たましいをこめて、朝夕に、忘れずにおりますと、よう、お伝え申しての」 「しおらしいことを仰せあそばす……」箭四郎は、それから、少し話していたが、日が暮れると、近ごろは気味がわるいといって、あわてて、坐像を帯で背に負って、もどって行った。そして、山門まで送ってくる二人へ、 「ここにいては、町のことは、見も、お聞きも、遊ばしますまいが、いやもう、この夏の旱《ひでり》やら、木曾勢を討つつもりで出かけた宗盛卿《むねもりきょう》が、さんざんに敗れて、都へ逃げもどって来るやらで、京は、ひどい騒ぎの渦でござります」歩きながら、尽きない話を、喋舌《しゃべ》っていた。 「――そんなかのう」 「現世で、地獄の風のふかない所は、まず、御所にもなし、お寺の庭だけでございましょうよ。――昨夜《ゆうべ》あたり、五条の近くまで、用たしに出ると、磧《かわら》に、斬られたか、飢え死にしている死骸の着ている衣《もの》を、あさましや、野武士か、菰僧《こもそう》か、ようわかりませぬが、二、三人して、あばき合って、果ては掴《つか》みかかって争っているではございませんか。まったく、眼を掩《おお》うてでなければ、町は歩いていられませぬ」山門には、鴉《からす》が啼いていた。 「ああ、暮れる……」と、つぶやいて、袖門《そでもん》の潜《くぐ》りを出て、箭四郎は、もいちど、振りかえった。 「では――ごきげんよろしゅう、和子さま、いや範宴《はんえん》様、これから寒くなりますから、おからだをな……介《すけ》どの、さようなら」 [#3字下げ][#中見出し]雪千丈[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  粟田口《あわたぐち》の雑木の葉がすっかり落ちきって、冬日の射す山肌《やまはだ》に、塔《とう》の欄《らん》が赤く見える。  霜は、朝ごとに、白さを増した。  範宴少納言《はんえんしょうなごん》は、暗いうちに起きて、他の僧たちといっしょに、氷のような廻廊を、水で拭く、庭を掃く、水を汲む。  それから勤行《ごんぎょう》の座にすわる。  やっと、南天の赤い実《み》に、陽のあたるころとなって、厨《くりや》の一仕事をいいつけられる。それが済むと、学寮に入って、師の坊の講義だの、僧たちの討論をきいて、やっと、自分のからだになって、机に坐るのが、もう午《ひる》であった。 「おいたわしい」と、性善坊は、範宴のかわりに、水を汲んだり、拭き掃除をしようとしたが、他の僧に見つかると、 「ばか者、なんで寺へ入れた」といわれる。慈円《じえん》僧正もまた、 「庇《かば》うことはならぬ」と、叱った。  以来、見て見ぬふりをしているが、時折、「ああ手が腫《は》れていらっしゃる……」と、彼のあかぎれ[#「あかぎれ」に傍点]を見ても、胸が迫った。  こういう、世間なみの人情を、寺では、凡情《ぼんじょう》とわらう。もっと、ほんとうの愛をもてという。 「そうかなあ」彼自身もまた、自身の勉強にせわしかった。  十二月に入ると初旬の三日には、慈円僧正が叡山《えいざん》にのぼるということを、範宴《はんえん》は、弟子《でし》僧から聞いた。  叡山の座主《ざす》であり、慈円僧正の師でもある覚快《かくかい》法親王が、世を去られたために、その後にのぞんで、一山の大衆《だいしゅ》を導くことになったのである。  だが、慈円は、そんな身辺の変化が、明日《あした》に迫っているとも知らないように、一室で、例の支那から渡来した茶の葉を、独りで、煮ている。 「お師さま」範宴は、そっと手をついた。 「なにか」 「おねがいがあります」 「ほ……。菓子でもほしいか」 「いいえ、ちがいます。――お師さまは、明日、叡山《えいざん》へおのぼりになると聞きました」 「うむ」 「私を、連れて行って下さい」慈円は、笑った。 「叡山を、知っているか」 「朝夕《ちょうせき》、ながめています」 「うららかな日は、慈母のように、やさしく見える。だが、あのお山のふところには、どんな苦行があるか、それを、おまえは知るまい」 「聞いています。修行は、苦しいものだと、皆さまが申します」 「でも、登る気か」 「一人では、ゆかれません、お師様のお供をしてなら、どんな、苦しいところへでも、従《つ》いてゆける気がします」 「もののふの戦よりも、もっと、辛いぞ」 「そういう、苦難とやらに、この身をためしてみたいのです」 「それほどに、決心してか」 「はい」ぱちりと、範宴は、眼をみはっていった。  じっと、僧正を見つめていた。うっかり、下ろし忘れた茶瓶《ちゃびん》のふたが、かたかたと、おどった。そっと、火鉢から下ろして、 「よろしい」慈円は、うなずいた。  それまで、恐いものの前に坐っているように硬くなっていた範宴は、 「ほんとですか」よろこんで、小さい掌《て》を、ぱちっと叩いた。 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり]  ばたばたと、廊下を走ってきて、 「性善坊《しょうぜんぼう》」範宴が、部屋をのぞいた。 「はい」 「お師さまのおゆるしが出た。明日は、早う立つぞ。脚絆《きゃはん》や、笠の支度をしてたも」 「どこへ、お立ちでございますな」 「そなた、知らぬのか。お師さまは叡山の座主におなりなされたのではないか」 「それは、存じていますが」 「だから、わしも、叡山へ登って、苦行と学問をするのだ」 「ははは」 「なにを笑う?」 「お得度をうけたことでも、お師の僧正さまは、天台の宗規《しゅうき》を破ったとか、横暴だとか、世間からも中務省《なかつかさしょう》の役人からも、非難されているのですから、とても、叡山《えいざん》などへ、範宴《はんえん》さまを、お連れくださるわけはありません」 「だって、ゆるすと仰っしゃった。仏につかえる師の君が、嘘《うそ》を仰っしゃるはずはない」 「でも、だめでございます。まだ、九歳《ここのつ》のお弟子に、登岳《とうがく》をおゆるしになるはずがあるものですか」性善坊は、ほんとにしないのである。山の苦行にたえられるはずもなし、山の掟《おきて》というものは、町の寺院とはちがって、峻厳《しゅんげん》にして犯すべからざるものであるから、それを破っては、座主《ざす》として、一山の示しもつかないというのである。 「そうかしら?」範宴は、不安になった。  寝床へ入っても、範宴は、眼をぱちぱちさせていた。夜半《よなか》ごろから、窓の小障子に、さらさらと雪のさわる音がしていた。  範宴は、起きだして、そっと庫裡《くり》の方へあるいて行った。雨戸のない濡れ縁には、雪がまるく溜《たま》っていた。  慈円《じえん》僧正は、未明のうちに、脚絆《きゃはん》をつけて身支度を済ましていた。供に従《つ》いて行く者と、後に残って見送る者とが、山門の両側にならんで、列を作っていた。  夜来の雪は、明け方にかけて、風を加えて降りしきっている。僧正は、笠のふちに手をかけて、 「さらば――」と、一同へ訣別《わかれ》を告げた。  三人の弟子は、かいがいしく身をかためて、師僧の供について歩きだした。すると、山門を降りた所の木蔭から、思いがけない範宴が、藁沓《わらぐつ》をはき、竹の杖を持って、ふいに横から出て、供の僧のいちばん後に尾《つ》いてあるきだした。弟子僧たちは驚いて、 「おや、おまえは、どこへ行くつもりだね?」 「叡山《えいざん》へ、お供して参ります」 「冗談じゃない。叡山というところは、お小僧なぞの行けるところではなし、また、掟《おきて》として、年端《としは》もゆかぬ者や、入室して、半年や一年にしかならぬ者の登岳《とうがく》はゆるされぬ」 「でも、参ります」 「叱られるぞよ」 「叱られても参ります」 「帰れ」 「こいつ、剛情なやつ」と、弟子僧たちが、止めているのを、振りかえって、慈円僧正は、困り顔をしながらも、苦笑をうかべて、眺めていた。  範宴は、弟子僧たちの間を、くぐり抜けてきて、師の袂《たもと》をつかまえて、訴えるような眼をした。 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり] 「お師さま。きのう仰っしゃったおことばは、嘘ですか」慈円は、笑いながら、首を横にふった。範宴はたたみかけて、 「――でも、きのうは、供をゆるすと仰っしゃりながら、今朝は、知らぬ顔して、お山へ立って行こうとなさるではございませんか」 「…………」慈円はまた顔を振った。 「では、どうなんですか」 「忘れたのじゃよ」やむなく、僧正はこういって、範宴をつれてゆくことに、肚をすえてしまったようであった。  しばらく行くと、雪の中に、性善坊が立っていた。彼は、ゆうべからの範宴のすることを知っていたが、自分が生《なま》なかことばを挟んでは、かえって、範宴の意志が徹らぬようなことになるであろうと、わざと知らぬ顔をして、先へ廻って待ちもうけていたのである。  範宴の登岳《とうがく》をゆるした以上、当然、性善坊の供をゆるさぬわけにはゆかなかった。で、そこから僧正に従《つ》いてゆく供の弟子僧は、すべてで五名になった。  雪は、吹きつのってくるので、 「今日は、麓口《ふもとぐち》でおやすみになって、明日《あす》でも、雪の霽《あ》がるのを待ってから、お登りになっては――」と、供僧のうちで、いう者があったが、気性のはげしい、そしてまだ若い僧正は、 「なんの」と、脚もとめないのであった。  もっとも、新|座主《ざす》の登岳は、今日ということに、半月も前から叡山へは通牒《つうちょう》してあるので、それを違《たが》えれば、中堂の人々や、一山の大衆に多大な手ちがいをかけなければならないから、 「では」と、供の者も、強《た》ってとは、止めることもしなかった。 「おうーい」後ろで、誰か呼ぶような気がするので、五名は振り向いた。白い光の縞《しま》が、斜《なな》めに天地をかすめている、遠くからながめると、飛んでくる白鷺《しらさぎ》とも見える二つの蓑笠《みのかさ》をかぶった者が、 「おうーい」声をあげつつ、来るのであった。 「誰だろう? ……」しばらくの間、雪にふきつけられたまま、五名は佇《たたず》んで待っていた。  蓑笠の二人はやがて、近づいてきて、 「その中に、少納言《しょうなごん》どのは、おいであるか」と、いった。 「はい」範宴は、答えて前へ出た。 「おお」と、蓑を刎《は》ね上げて、一人は前へすすみ、一人は、雪の中に、手をつかえた。  彼の小さい手を、握りしめた人は、彼の儒学《じゅがく》の師範であった日野民部|忠経《ただつね》だった。うしろで、手をつかえているのは、この間、範宴がかたみぞといって植髪《うえがみ》の坐像をもたせて帰した六条の召使、箭四郎《やしろう》なのである。 「先生」範宴は、思いがけなかったように、そして、欣《うれ》しさに、こみあげらるるように、瞼《まぶた》を赤くした。民部は、ことばに力をこめて、 「たった今、青蓮院へ伺ったところが、かくとのことに、追ってきたのじゃ。箭四郎をも、誘ってきた。――六条どのは、わざと来ぬが、くれぐれも、身をいとしめとのお言伝《ことづ》て……。修行の一歩、こなたも、欣《うれ》しくぞんずる。誓って、勉学しなければなりませぬぞ」 「はい」怺《こら》えていたものを、範宴は、ぽろりと一雫《ひとしずく》、こぼしてしまった。 [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり]  性善坊は、そばから、 「範宴さま。先生のお気もちや、お養父《ちち》君のお心を、お忘れあそばすな」範宴は、うなずいて、 「はい」といった。そして、 「忘れません、きっと、勉学して、お目にかかります」 「和子さま」箭四郎《やしろう》は、にじり寄って、雪の中から彼の笠のうちを見上げた。 「おからだを、お大事に遊ばせや」 「あい。……お養父《ちち》君や、弟にも、からだを気をつけてあげておくれ。……おまえも」 「…………」箭四郎は、顔を俯伏《うつぶ》せたまま、降る雪を、背につもらせて、泣いていた。 「参ろうぞ」慈円は弟子僧たちを、うながして、先へあゆみ出した。範宴はあわてて、 「さようなら」 「おさらば」と、日野民部が去った。 「和子さま」箭四郎は、立ち上がって、もいちど大きく呼んだが、声は、風と雪に攫《さら》われて、宙にふかれてしまった。  ――後ろも見ずに、範宴は、先へゆく師の房と弟子たちの後を追って走ってゆくのであった。幾たびか、雪にまろんで。  そして、叡山《えいざん》口へかかって行く。  山にかかると、山はなおひどかった。師の慈円をはじめ弟子僧たちは、誰からともなく、経文《きょうもん》を口に誦《ず》して、それが、音吐高々と、雪と闘いながら踏みのぼってゆくのであった。  範宴も、口の裡で真似《まね》て、経を誦した。はじめのうちは、声も出なかったが、いつのまにか、われを忘れていた。  辷《すべ》っても、ころんでも、傍《はた》の者は、彼をたすけなかった。性善坊ですら、手をとって、起してはやらないのである。それが、師の慈悲であった、弟子僧たちの友情なのであった。 「――誰か知る、千丈の雪」慈円は、つぶやいた。 「おつかれになりませんか」弟子僧たちがいたわると、 「なんの」と、首を振られるばかりであった。  範宴は、おくれがちであった。雪が、雪の中をころがって行くように、峰を這った、谷道を越えた。性善坊は、後ろについて、 「もうすこしです」と励ました。 「大丈夫」と、範宴はいう。  幾たびか、ころぶので、竹の杖をにぎっている指の間から血が出ていた。  それでも、 「大丈夫」と、いうのである。  なんという意志の強さだろう、強情さであろう、負けん気であろう、そして、熱情だろう――と性善坊は、小さい範宴のうしろで、ひそかに思った。  やはり、この和子の五体には、義家からの母御の血――義経《よしつね》、頼朝と同じな、源家の武士の脈搏《みゃくはく》がつよく搏《う》っているらしい。  境遇と、生い立ちの置き所によれば、この少年もまた、平家に弓をひく陣頭の一将となっていたかもわからない。 「御仏《みほとけ》が、それを救うてくださるのだ。有縁《うえん》の山だ」と、彼は踏みしめる雪に感激をおぼえた。 [#3字下げ][#中見出し]大衆《だいしゅ》[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  夜がすみ、朝がすみ――叡山《えいざん》の春秋はしずかだった。  宙《ちゅう》のなかに無辺のすがたを浮かべている虚《きょ》のようであった。  永い冬が過ぎる。そしてやがて春ともなると、木の芽時のほの赤い樹々のあいだに、白くみえるのは、残雪ではない。山ざくらの花である。  迦陵頻伽《かりょうびんが》の声ともきこえる山千禽《やまちどり》のチチとさえずる朝《あした》――根本中堂《こんぽんちゅうどう》のあたりから手をかざして、霞《かすみ》の底の京洛《みやこ》をながめると、そこには悠久《ゆうきゅう》とながれる加茂《かも》の一水が帯のように光っているだけで、人間の箇々《ここ》の消長や、文化の変転の何ものをも見ることはできなかったけれども、麓《ふもと》から登ってくるものの噂によると、どうして、この半年ほどの間に、世間《よ》のなかの変りようは、絵にも口にも尽すことができないという――  まず、去年からの飢饉《ききん》のために、盗賊がふえたことは大変なものであるとのことだ。都といわず、田舎といわず野盗の類、海盗の輩《ともがら》が跳梁《ちょうりょう》して、政府をあるかなきがごとく、横行して、良民を泣かしているということである。  それも、平家の政庁が、あるにはあって、なんらの善政をしこうともせず、中央は、中央で一時的の享楽にこの幾年を送り、地方は地方で、小吏が京洛《みやこ》の悪風をまねて、ただ良民をくるしめて、自己の悦楽を事としていたので、その余憤も駆られ、その隙にも乗じたのが、皆、矛《ほこ》をとって、賊に化《な》ったような傾きもある。  のみならず、昨年来、関東の方から起った源氏の革新的な軍勢は、日のたつにしたがってその勢いはあなどり難いものになっている。  伊豆の頼朝には、いわゆる、坂東武者とよばれる郷族が、草を薙《な》いで、呼応してくるし、熊野の僧兵が呼応するし、これだけでも平家の狼狽はかなりみぐるしいものであったところへ、 「朝日将軍木曾義仲――」と、みずから名乗って出た思いがけない破竹の強兵が、これも、夢想もしていなかった北国の空から、琵琶湖《びわこ》の湖北に迫って、兵《へい》鼓《こ》をうちたたき、声をうしおと揚げて、京洛《みやこ》に近づきつつあるという情報の頻々《ひんぴん》たるものがある。 「木曾山の小冠者ばらをして、都へ、近づけしむるな」と、中央の政庁は、街道の諸大名へ向って、飛令《ひれい》をとばしたけれど、人の心はいつのまにか、この二、三年のあいだに、掌《て》のひらかえしたように変ってしまっているのであった。  誰あって、木曾軍に対して、 「われこそ」と、阻《はば》める一国すらないのであった。  あわてて都から、討伐に向った城資永《じょうのすけなが》は斃《たお》れ、新たに、精鋭を組織して、薩摩守忠度《さつまのかみただのり》は今、北国路へ発向《はっこう》している。  だが、これもどうか?  一方にまた、東海道方面へは、平知盛《たいらのとももり》と清経《きよつね》の二将が、ものものしく押し下ったが、頼朝の軍に出遭うと、一《ひと》たまりもなく、墨俣川《すのまたがわ》にやぶられて、散走乱離《さんそうらんり》に、味方の統制すらつかない状態であるという沙汰も、政庁では秘密にしていたが、いつのまにか、うわさになって、 「――平家武者は、さすがに、花武者じゃ、露には咲くが、風には弱うて、よう散るよう散る」  などと、俗歌にまで、謡《うた》われて、市民たちにまで、小馬鹿にされ初めてきた。  平家は、あせりだした。迷い出した。――で、彼らは、叡山《えいざん》に使者をたてて、一山の衆僧に、源氏調伏《げんじちょうぶく》の祈祷《きとう》をすべく命じた。いつでも、敗者のすがる神仏の力でこの時勢をささえようとした。 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり] 「源氏調伏」の祈願は、そうして、叡山の日課として、日々、くりかえされていた。  仏燈の油や、壇《だん》の費《つい》えを惜しまず、誦経《ずきょう》、梵鐘《ぼんしょう》の音は、雲にこたえ、谷間にひびいた。  いかなる魔魅《まみ》も、こういう人間の一念な行《ぎょう》には、近よりがたいであろうと思えた。  しかし、行《ぎょう》の座にすわる僧たちの心には、今の平家に飽きたらぬものや、不平こそあるが、国家改革の新しい源氏とよぶ勢力に対して、なんの恨みもないのである。調伏の灯は、壇に満ち、誦経《ずきょう》に喉《のんど》は嗄《か》らしていても、それは、職業としてやっているに過ぎなかった。  司権者の命令であるし、近衛摂政《このえせっしょう》からのお沙汰というので、(やらねばなるまい)でやっているお役目であった。形式的な、勤めであった。  その一七日《いちしちにち》の勤めが終ったので惣持院《そうじいん》の学寮に、若い学僧たちが寄り集まって、 「ああ」伸びをしたり、 「肩がこった」と、自分で叩いたり、 「麦餅《ばくへい》が食いたいな」と食慾をつぶやいたりして、陽溜《ひだま》りに、くるま座を作って、談笑していた。  ひとりが、どこからか持ってきた麦餅を、盆に盛って、 「喰べんか」自分が先に、一枚とって、ばりばりと、噛む。 「もちっと、塩味があると美味《うま》いのだが、この麦餅は、麦の粉ばかりじゃないか」 「ぜいたくをいうな、塩でも、なかなか近ごろは、手に入らぬ」 「せめて、塩ぐらいは、われわれの口へも、豊かに入るような政治が欲しいものだ」 「今になるよ」 「源氏が天下をとればか」 「ウム」 「武家の天下の廻り持ちも、あまり、あてにはならん。――天下をとるまでは、人民へも、僧侶にも、いかにも、善政をしくようなことをいうが、おのれの望みを達して、司権者の位置に就くと、英雄どもは、自分の栄華《えいが》に忙しくなって、旗を挙げた時の意気や良心は、忘れてしまうよ」 「それでも、現在のままでいるよりはましだ」 「この叡山の上から見ていると、栄華も凋落《ちょうらく》も、一瞬の間《ま》だ、まったく、浮世の変遷というものが、まざまざとわかる」 「つい昨日《きのう》までは、天下の春は、六波羅の政庁と、平氏一門に聚《あつ》まって、平氏の家人《けにん》でなければ、人にあらずといわれていたのが、今日は、源氏調伏の祈願に、浮身を窶《やつ》していなければならないとは、なんという醜態《しゅうたい》だろう」 「笑止、笑止」学僧たちは、手を打って、笑いあった。 「南都の大伽藍《だいがらん》を焼き払ったり、大仏殿の炎上を敢てしたりした平家が、その仏にすがって、調伏の祈願するとは、何という勝手なことだ」 「先には、十禅師《じゅうぜんじ》の神輿《しんよ》をさえ、踏《ふ》み躙《にじ》った、あの羅刹《らせつ》どもが、祈願をしたとて、何の効《かい》があるものか」学僧たちの話しているのを聞けば、むしろ、平家調伏の声であった。  すると、実相院《じっそういん》の朱王房《しゅおうぼう》という若い堂衆《どうしゅう》がいった。 「あまり、自己を、侮蔑《ぶべつ》するな、聞き苦しい」 「何だと、朱王房」学僧たちの眼は、彼の顔にあつまった。 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり]  口論や、なぐり合いは、日常茶飯事であるし、何か事ある時は、身を鎧《よろ》い、武器をひっさげて、戦をもする当時の僧であった。  気のあらい学僧たちは、朱王房のことばに、すぐ、眼にかどを立てて、 「誰が、いつ、自己を侮蔑したか」 「したじゃないか」朱王房も、負けていないのである。 「なるほど、皆のいう通り武家というやつは、勝手者だ、わけても、平家の如きは旺《さかん》な時には、神仏を焼き、衰えてくると、神仏にすがる、怪《け》しからぬ一族だが、その武家に養なわれて、平家の世には、源氏を呪《のろ》い、源氏の世には平家調伏の祈りをする、われわれ僧侶という者のほうが、いくら、役目とはいえ、神仏を馬鹿にしているものだ。――だから、平家を罵《ののし》ることは、自分たちを罵っているのも同じことだといえる。――そういったのは間違いだろうか」 「…………」 「三塔の権威がどこにある」皆が、黙ったので、朱王房は、得意になってなおいった。 「――この一山には、三千の僧衆がこもって、真言《しんごん》を修め、経典を読んではいるが、堂塔も、碩学《せきがく》も、社会にとっては、縁なき石に等しい。武家が天下を取ったり取られたりするたびに、心にもない祈祷をし、能も、智恵もなく、暮しているのが今の僧徒だ。恥しいことではないか」  すると、妙光房《みょうこうぼう》という学僧が、 「いかにも、朱王房の説のとおりだ――。僧徒だからとて、時の司権者に、圧《おさ》えられて、無為無能に、納まってばかりいていいものではない」と、共鳴した。 「いや、違う」という者も、出てきた。 「なぜ違う?」 「僧には、僧の使命がある。――政治だの、戦だの、そんな有為転変《ういてんぺん》を超えて、社会よりも、高いところにあるのが僧だ、叡山《えいざん》だ。――平家が悩む時には、平家も救ってやろう、源氏が苦しむ時には源氏もなぐさめてやろう。それが仏徒の任務だと思う」 「ばかなっ」朱王房は、一言に退けて、 「支配者ばかりが、人間か――平家という司権者の下には、何百万の人民がいることを忘れてはならない。その民たちが、望むところを、助成してやるのが、僧徒の使命だ」 「じゃあ、僧徒は革命家か。……飛んでもないことをいう」 「そんな、大それたことを、いうのじゃない」 「でも、朱王房のいうことは、そういう結論になる」 「俺は、悪政の下に、虐《しいた》げられている民へ、諦《あきら》めの哲学や、因果などを説法して、司権者の代弁人ばかりしているのが、僧徒のつとめではないということだけをいうのだ」 「じゃ、僧徒は、何をすべきか――。それを聞かせてもらおうじゃないか」 「することは、沢山ある。――だが第一に、なさねばならぬことは、まず、僧徒自身の粛正《しゅくせい》だろう。叡山《えいざん》自体が、腐敗していては何もできない。――実社会にとって用のない、穀《ごく》つぶしの集まりだ、堂塔が鴉《からす》の巣にならないように、番人をしているだけの者に過ぎない」 「生意気をいうなっ」と、学僧の一人が、法衣《ころも》をたくしあげて、朱王房の横顔を、拳《こぶし》で撲った。 [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり] 「あっ」打たれた頬を抑えながら、 「生意気とはなんだ」朱王房も、拳をかためて、立ち上がった。  あわや、組み打ちになろうとする双方の血相なので、 「まあ、待てっ」 「議論のことは、議論でやれ」学僧たちは、引きわけて、 「朱王房のことばも、あまり過激すぎる。そんなに腑甲斐《ふがい》のない叡山なら、自分から、さっさと山を下りたらいいじゃないか」 「そうだ、いくら、叡山が無能だからといって、自己の生涯を托している御山《みやま》のことを、今のように、いうのはよくない」 「若い、若い。口では誰でも、悲憤慷慨《ひふんこうがい》はいえるものだが、自分で、やれといわれたら、何もできるものじゃない」 「社会もそうだ、山もそうだ」多勢《おおぜい》の声には、朱王房も、争えなかった。打たれた頬の片方を、赤くして黙りこんだ。  すると、さっき、彼のことばに賛意を表した妙光房が責任を感じたように、 「いや、朱王房のことばは、露骨で、云いかたが悪いのだ。彼には、何かほかに、感じることがあって、ついその余憤が出たのだろう。なあおい、そうじゃないのか」 「うん……」朱王房は、うなずいた。 「この間も、俺をつかまえて、憤慨していたから、あのことをきっと、いいたかったに違いない」 「あのこととは?」 「新座主《しんざす》の問題だ」 「ふーム」学僧たちは、新しい話題に、好奇な眼を光らしあって、 「新座主といえば、こんど、青蓮院《しょうれんいん》からのぼられた慈円《じえん》僧正だが、その座主について、何か問題があるのか」 「朱王房、いってみろ」と、いわれて、 「ないこともない――」と、朱王房は、顔を上げた。 「どんなこと?」 「ほかではないが」 「うむ」 「俺のような、一介の末輩がいうのは、おそれ多いとも思ってだまっていたが……。慈円僧正の態度は、三千のわれわれ大衆を無視しているばかりでなく、真言《しんごん》千古の法則を、座主|自《みずか》ら、勝手に紊《みだ》しているものと、俺は思うのだ。――そんなだらしのないことでは、山の厳粛《げんしゅく》がたもてるわけのものじゃない。だから吾々の法城《ほうじょう》は、もう実のところ何の力もないのだ。鴉《からす》の番人だというような嘆息が、つい出てしまう……。いい過ぎだろうか」 「座主が、自ら、山の法則を紊《みだ》したとは、どんなことか」 「誰も、知らないのか」 「知らん」 「じゃ、いうが……。この冬、新座主と共に、登岳した範宴《はんえん》少納言という者を、各〻は、見ていないか」 「あの小《ち》さい稚僧《ちそう》か」 「そうだ」 「あれなら、よく見かけるが、まるで嬰《あか》ん坊《ぼう》じゃないか。未丁年者を、山へ連れてきたということは、ちょっと、碩学《せきがく》の中で、問題になったが、結局、取るにたらん子どものことだし、僧正が青蓮院に在住のころから、お側に侍《かしず》いていた者でもあるし……と黙認になっているのだから、そのことなら、問題にはならんぜ」 [#7字下げ][#小見出し]五[#小見出し終わり] 「いや、問題は範宴少納言を、登岳させたというだけではない」朱王房は、語気をつよめて、 「――それだけなら、何もたいして、騒ぐこともないが、近ごろ、チラと聞くところによると、座主は、何と心得ているのか、あのわずか十歳の稚僧《ちそう》に、授戒入壇《じゅかいにゅうだん》の式を、許されるという噂なのだ」 「はははは」学僧たちは、一笑に附して、 「そんな、馬鹿げた話が、あるものか。それや、朱王房の聞きちがえだろう」 「なに、たしかなことだ」 「うそだよ」 「ほんとだ!」笑い去ってしまうには、あまりに、彼の顔つきは、真顔だった。 「誰に聞いた」 「中堂の執務から――」 「何日《いつ》」 「近いうちに、授戒入壇をさせるからと、支度を命じられたという」 「はてな?」解《げ》せない顔つきで、人々は、小首をかしげたが、 「朱王房、よもや、嘘ではあるまいな」 「誰が、こんな嘘をいうか」 「事実とすれば、言語道断だぞ」 「怪《け》しからぬ儀だ」 「私情というほかはない」 「法規の蹂躙《じゅうりん》だ」学僧たちは、不平と、公憤に、熱して、怒りをおびた。 「まだ、十歳《とお》や十一の小童を、山へ連れ登られたことさえ、奇怪であるのに、ものものしい入壇授戒を、あの洟《はな》っ垂《た》れの稚僧に、ゆるすとあれば、すこし、狂気の沙汰である」 「陽気のせいだろう」 「笑いごとじゃないっ」憤然と、立つ者がある。鼎《かなえ》のように沸いてきた。昂奮した顔が、 「諸公!」と拳《こぶし》を振って、演舌《えんぜつ》した。 「聞いたか、朱王房のことばを、もし、それにして、事実ならば、吾々は、黙っていられないッ」 「そうだっ」衆が、答える。 「――範宴《はんえん》少納言とやら、どんな天才か、麒麟児《きりんじ》かしらぬが、そもそも、授戒入壇《じゅかいにゅうだん》のことは、円頓菩薩《えんどんぼさつ》の大戒として、吾々が、この山にあって、十年、二十年の修行をしても、容易にゆるされない格式のものだ」 「然り、ここにいる者を、見渡しても、まだ一人も、入壇をうけたものはないぞ」 「それをだ」と、憤激の手は空《くう》を打つ。 「まだ、去年の十二月に、麓《ふもと》から、よたよた這い上がった十歳の稚僧《ちそう》に、突如として、これを授けるとは何事だ。依怙《えこ》にも、ほどがある。私情をもって、大法を紊《みだ》すといわれても、いい開きはあるまい。それでも、吾々は、一山の座主《ざす》のする業《わざ》であるからと、黙過するか」 「ならん」 「断乎と、排撃すべきである」また、座の一角から立つ者があらわれて、 「かかる、悪例をひらいては、日本四大山の戒壇《かいだん》にも、悪影響を及ぼそう。また、叡山《えいざん》そのものの恥辱である。こぞって、吾々は、座主の私心を糺弾《きゅうだん》しようじゃないか」 「そうとも、おのおのは、宿房に帰って、院主や阿闍梨《あじゃり》たちにも、このことを告げて、一山をうごかせ!」と、さけんで、別れた。 [#7字下げ][#小見出し]六[#小見出し終わり]  根本中堂は、静かだった。  一山の若い学僧たちのあいだに範宴の問題から、座主の慈円僧正に、ごうごうと、非難が起っているなどとは登岳以来、そこに、常住していた僧正も、範宴も、性善坊も、すこしも、知らないことであった。  中堂の薬師瑠璃光如来《やくしるりこうにょらい》のまえに小さな範宴は、朝《あした》に夕べに、生涯の精進をちかっていた。この北嶺《ほくれい》の頂《いただき》へのぼってからは、何か、今までよりは、仏の側へ、一歩、近づいてきたような心地がして、うれしかった。  範宴が、師の僧正に仕えているように、その範宴のゆく所に添って、影のように、彼を守っているのは、性善坊であった。  その性善坊は、今日、東塔の南谷まで、使いに行って帰ってくる途中であった。 「おいっ」誰か、呼ぶので、 「はい」性善坊は、ふり向いた。肱《ひじ》を突っ張った一人の大法師がつかつかと、寄ってきて、 「中堂の宿房《しゅくぼう》にいる性善坊というのは、おまえか」 「そうです」 「おれは、西塔《さいとう》の双林寺《そうりんじ》にいる妙光房浄峨《みょうこうぼうじょうが》というものだが」 「はい」 「ま、そこへ掛けろ」と、妙光房は、岩を指さした。素直に、腰かけると、 「範宴少納言という童《わっぱ》は、おまえの主人だそうだな」 「主従とは、もとの俗縁でございます。ただいまでは、この性善坊にとりまして、天地にお一人の師の御房でございます」 「はははは」大法師は、歯の裏が見えるような、大きな口を開いて、 「あの、人形みたいな小法師が、おまえの師か。うわははは……」肩を揺すぶっておかしがるのである。性善坊は、まじめに、 「はい、私の師は、範宴さまお一人にございます」 「ものずきな奴もある。まあ……そんなことはどうでもいい、訊きたいのは、別儀でもないが、その小法師が、近いうちに、入壇いたして、大戒を授かるとかいう噂がもっぱらにあるが、嘘だろうな」 「さあ?」 「ほんとか」 「ありそうなことに存じます。けれど、嘘かも知れませぬ」 「あいまいなことをいうな。貴様の師のことを、貴様が、知らんはずはない」 「これは、迷惑なおたずねです。入壇授戒の大法は、一に、御仏《みほとけ》のお心にあることです。それを執り行う碩学《せきがく》のお眼にかのうた者が授かるものだと伺っております。なんで、私のような末輩《まっぱい》が、知ろう道理はありません」 「こいつ、胡魔化《ごまか》し言《ごと》をいうて、このほうを、小馬鹿にいたすな」 「決して」 「じゃあ、嘘か、真《まこと》か、はっきりといえ」 「いえないものは、いえないではございませんか」まだ、登岳してから、半年も経《た》たない新参《しんざん》なので、性善坊は、できる限り、辞を低く答えてはいるけれど、根が、侍である。公卿《くげ》の館《やかた》にはいても、太刀をさしていた人間の根性として、余りに、相手が横柄《おうへい》であったり、人をのんでかかってくると、つい、憤《む》っとするものが、こみあげてくる。 [#7字下げ][#小見出し]七[#小見出し終わり] 「知らぬことはあるまい。いわなければ、ここを通すわけにはいかん」と、妙光房は、くどいのである。立ちはだかって、性善坊を責めていた。  すると、そこの坂道を、降りてきた一人の堂衆が、 「やあ、妙光房」と、声をかけた。 「おお朱王房か」 「何しているのだ」 「何、今ここで、範宴少納言の弟子という性善坊に出会ったから、例のことを、糺《ただ》しているところだ」 「あの問題か。さりとは、貴公のほうが、よほど迂遠《うえん》だぞ」 「どうして」 「たった今、一山の諸院と各房へ宛《あ》てて、中堂から、触れ状がまわった。――今、それを見てきたが、この月二十八日に、少納言授戒入壇の式を執り行うによって、そのむね、心得ありたしとある」 「ふーム」と、妙光房は、うなって、 「さては、いよいよ、事実なのか。座主《ざす》には、宗祖の大法を枉《ま》げても我意と私情を押し通そうというお心とみえる。――だが、山には山の則《おきて》がある、よしや、座主はゆるされても、則《おきて》がゆるさぬ、弥陀如来《みだにょらい》がゆるし給うまい」と、妙光房は、口から唾《つば》をとばして、罵《ののし》った。そして、性善坊へ、 「やい、新発意《しぼち》」 「はあ」 「はあじゃない。中堂の宿房へ帰ったら、貴様の師の少納言へ、きっと、申しつたえておけ」 「…………」 「まだ人なみの骨《こつ》がらも持たぬ乳臭児《にゅうしゅうじ》の分際で、宗規《しゅうき》を紊《みだ》し、烏滸《おこ》がましい授戒など受けると、この叡山の中にただはおかぬぞと」朱王房も、彼のことばの後について、 「――授戒の場を去らせず、童《わっぱ》の首をひきぬいて、千年|槙《まき》の木の股に梟首《さら》し、鴉《からす》に眼だまをほじらせるぞと告げるがいい」と、脅《おど》しつけて、肩をそびやかして、立ち去った。 (うぬ!)と性善坊は、後に立って、歯がみをした。追いかけて行って、谷間へ、一投げにしてやりたいような激憤が、体を熱くさせたが、中堂から鳴る鐘の音を聞いて、 「ああ、遅くなった」と、暮れかかる道をいそいだ。 「修行だ、何事も修行だ。こんなことに、心をうごかされてどうするか。――範宴《はんえん》さまが、案じておいでになるだろう」後を見まいとするように、登って行く。  中堂のあたりには、夕べの灯がついていた。もう、僧正の勤行《ごんぎょう》も終った時刻である。  使いの返書を、執務の僧にわたして、性善坊は、宿房の方へ、曲がって行った。範宴が佇《たたず》んでいた。 「帰ったか」 「ただいまもどりました」 「おそかったのう」 「ちと、道に迷いましたので」性善坊は、途中の出来事を話さなかった。範宴にいえば、範宴は、師の僧正の難をおそれてきっと、入壇を拒《こば》むだろう。 (だが、困ったものだ)と、彼は一人で案じていた。法燈の山も、なかなかうるさい。暗闘、嫉妬、愛憎、毀誉《きよ》、人間のもつあらゆる葛藤《かっとう》はここにもある。 [#7字下げ][#小見出し]八[#小見出し終わり] (そっと、座主のお耳に入れておこうか。――いやいや、座主には、何か、お考えもお覚悟もあって、なされたことに違いはない)性善坊は、思い悩んだ。  朝の厨《くりや》の用意を、夜のうちにしておいて、ぼんやりと、院の外へ、あるきだした。  水っぽい春の月が、峰よりも低いところに、いくらか、黄いろ味をもって懸かっていた。 「山も山だが、下の巷《ちまた》は、なおさらだろう」  喘《あえ》ぐ人間社会の息が、月を黄いろくしているように思えた。  超然と、その人間の聚落《むら》を離れて、高嶺《たかね》の法城は、理想の生活に恵まれているかと思ったのは、いとも愚かな考えであった。ここも、下も、変りはないのである。人間のいる所、人間の世界でない地上はない。  西塔《さいとう》へ行った帰りに、自分を強迫した荒法師のことばや、態度から察しると、どうも、問題は、穏やかに納まりそうもない。一つものが間違えば、三井寺へも、攻めてゆくし、神輿《しんよ》をふって、御所へも強訴《ごうそ》に出かけるというような乱暴な学僧のあつまりである。 (座主《ざす》へ対しても、どんなことをするかわからぬし、師の少納言を、取って懲《こ》らすぐらいなことは、やりかねない)性善坊は、寝られない気がする。――やはり、一言《ひとこと》、座主のお耳にいれておいたほうが――とまた迷うのであった。すると、朧《おぼろ》なものの蔭から、 「少々、うかがいますが」 「あっ? ……誰だ」 「旅の者でございます」 「参詣者か」 「いいえ、すこし、お訪ねしたいお方がございまして」よく分らないが、見すぼらしい菰僧《こもそう》のような容《かたち》をしている。背に、菰《こも》を負い、手に、尺八とよぶ竹をたずさえていて、足は、藁《わら》で縛っている。 「どなたを、お訪ねですか」 「去年ごろ、粟田口《あわたぐち》から上《のぼ》られた、範宴少納言さまは、どこの房に、おいででしょうか」 「ほ、範宴様を、おたずねか」 「そうです」性善坊は、そういわれて、どこか聞き覚えのある声だとは思ったが、思い当る者もなかった。 「範宴様は、根本中堂の宿房においでになるが、して、おもとは」 「東山の弥陀堂《みだどう》にいる孤雲《こうん》という菰僧でございます」 「なんの御用で」 「すこし、お願いやら……またお顔も見たいと存じまして」 「以前に、お会いしたことが、あるのですか」 「はい、ふしぎなご縁で、六条のお館に、捕われていたこともございますし、また、その後《のち》も、一、二度」 「やっ」性善坊は、びっくりして、 「成田兵衛《なりたのひょうえ》の家人《けにん》、庄司《しょうじの》七郎どのじゃないか」 「あっ……」かえって、その七郎のほうが、びっくりしたように、光る眼を、大きくみはって、しばらくじっと性善坊の顔を見つめていたが、 「おお、貴殿は、そのむかし、日野のお館《やかた》にいた侍従介《じじゅうのすけ》どのか」 「そうじゃ」 「これは……めずらしい」今は、孤雲《こうん》とよぶ庄司七郎の菰僧と、性善坊とは、かつての争いも、恨みもわすれて、手を握りあって、互いの変った姿に、しばらくはことばもない……。 [#7字下げ][#小見出し]九[#小見出し終わり] 「どうしたのじゃ、七郎どの。――いや孤雲どの」 「まあ、聞いて下さい」庄司七郎の孤雲は、岩に腰をおろした。性善坊も、草むらへ坐った。  憮然《ぶぜん》として、孤雲は、宵の月をながめていた。何か、回顧しているように。やがて、そっと、瞼《まぶた》をふいて、 「――もう、何年前になるか、あの六条様のお館へ、間者《かんじゃ》に入って、捕まった年からのことです」 「うむ……」 「主人の成田兵衛から、不首尾のかどで、暇《いとま》を出されたので、家にある老母や妻子にはすぐ飢えが見舞います。そのうちに、京の大火の晩に、足弱な老母は、煙にまかれて死ぬし、妻は病気になる、子は、流行病《はやりやま》いにかかるという始末。とやこうと、悪いことつづきのうちに、この身一人、生きながらえて後の家族どもは、皆、あの世の者となってしまい申した」 「それは、御不運な……」性善坊は、慰めようのない気がした。あの、平家の郎党としての兵《つわもの》ぶりは、今の孤雲《こうん》の影のどこにも見あたらない。 「一時は、死のうかと、思いましたが、戦ならば、死ねもするが、武家の飯をたべた人間が、飢《う》えや、不運に負けて、路傍で死ぬのも、残念でなりません。――そのうちに不幸は、私のみでなく、旧《もと》の主人、成田|兵衛《ひょうえ》さまも、宇治川の戦で、何かまずいことがあってから、御一門のお覚えもよからず、また、御子息の寿童丸《じゅどうまる》様は、次の、源氏討伐の軍《いくさ》に、元服して初陣したはいいが、人にそそのかされたか、臆病風にふかれたか、陣の中から、脱走して、お行方《ゆくえ》知れずになってしまいなされた」 「おお、あの、日野塾でも、範宴《はんえん》さまとご一緒に、机をならべていた若殿でござったな」 「そうです。……ために、父の兵衛様は、人に顔向けができないといって、門を閉じておられましたが、近ごろ、沙汰するところによると、宗盛《むねもり》公から、死を賜わって、自害されたという話……」 「ああ、悲惨。――誰に会っても、そんな話ばかりが多い」 「ふりかえってみると、十幾歳のお年まで、お傅役《もりやく》として、寿童丸様のおそばに仕えていたこの私にも大きな責任がございます。――自体、わがままいっぱいに、お育てしたのが、悪かったのです。ひとり、寿童丸さまばかりでなく、平家の公達《きんだち》のうちには、戦を怖がって、出陣の途中から、逃げてしまうような柔弱者が、かなり多いのではございますが、まったく、私のお傅《もり》のいたし方にも、多大な過ちがありました」 「しかし、そのもとばかりの罪ではない。ご両親の罪――また平家自身のつくった世間の罪――。何ごとも、時勢ですから」 「でも、どうかして、いちど、故主の霊をなぐさめるために、寿童丸さまの行方をさがして、ご意見もし、また、微力をつくして、一人前の人間におさせ申さなければ、済まないと思うのです」 「よういわれた。暇を出された故主のために、そこまで、義をわすれぬお心がけは、見あげたものだ。――して、範宴さまを、訪ねてきた御用は」 「人のうわさによると、戦ぎらいの公達《きんだち》は、よく、三井《みい》や、叡山《えいざん》や、根来《ねごろ》などの、学僧のあいだに、姿をかえて匿《かく》れこむよしです。御像《みぞう》にすがって、中堂の座主から、もしや寿童さまに似た者が、山に登っているか、いないか、お調べねがいたいと思って、やって参ったのでございます」話し終って、孤雲は、首を垂れた。足もつかれているらしい、胃も渇《かわ》いているらしかった。 [#3字下げ][#中見出し]鳴《な》らぬ鐘《かね》[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  霧がくると、窓の外は、海のように青かった。  霧が去れば、机の上に、仄《ほの》かな峰の月が映《さ》す。  範宴《はんえん》は、宿房の一間《ひとま》に、坐っていた。机のうえには、儒学《じゅがく》の師、日野民部から学んだ白氏文集《はくしもんじゅう》が載っている。これは、山へのぼってからも、離さない書物であった。  短檠《たんけい》の灯が、窓をあけておいても、揺れないほどに、夜は静かなのである。――中堂の大厨《おおくりや》の方では、あしたの朝の僧衆のために、たくさんな豆腐を製《つく》っているとみえて、豆を煮るにおいがどこともなく流れてくる。 「誰です?」範宴は、机から、板敷の方を振り向いた。かたんと、音がしたようであったが、返辞《へんじ》がないので、 「栗鼠《りす》か」と、つぶやいた。よく、板の間を、栗鼠が後足で踊ってあるく。  時には、巨《おお》きな禽《とり》が来たり、床下から、山猫が、琥珀色《こはくいろ》の眼で、人の顔を、のぞきあげたりする。  食物が、失《な》くなることは、たびたびであるし、狐の尾に、衣《ころも》の裾《すそ》を払われることは、夕方など、めずらしくない。 (怖い)山に馴れないうちは、範宴は、恐ろしくて幾たびも、都の灯が恋しかった。座主から、 (そんなことでは)  と、笑われても、本能的に、恐かった。座主はまた、 (世に、恐いものがあるとすれば、それは人間だ。人間に、恐いものがあるとすれば、それは自分だ。――自分の中に棲《す》む狐や、鷲《わし》や、栗鼠《りす》は、ほんとに恐い)と、いわれた。範宴にも、すこし、その意味がわかる気がした。  稚《おさな》い者に話す時には、稚い者にもわかるように、よく噛んで話してくれるのが、慈円座主の偉さであった。都という話が出た時に、 (範宴――、よう見えるか)と、ある時、比叡《ひえい》の峰から、京都の町を指さしていう。範宴が、うなずいて、 (見えまする)と答えると、 (何が)と、訊ねた。 (町が、加茂《かも》川が、御所が。――それから、いろんなものが) (もっと、よく見よ) (遠いから、人は見えません) (その人間の、生きる相《すがた》、亡びる相、争う相、泣く相、栄える相、血みどろな相――。見えるか) (そんなのは、見えるわけはありません) (いけない。……それでは、何も見えることにはなりはしない。おまえは、世間にいれば、世間が見えてると思っているだろう) (ええ) (大違いだ。――魚は河に棲《す》んでいるけれど、河の大きな相《すがた》は見えないのだ。悠久な、大河の源《みなもと》と、果てとを見極めるには、魚の眼ではいけない) (では、何の眼ですか) (仏の眼) (ここは、河の中ではありません) (叡山は、河の外だよ)範宴は、なにか、うっすらと、教えをうけた。それからは、都の灯を見ても、恋しいと思わなかった。 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり]  短檠《たんけい》の丁字《ちょうじ》を剪《き》って、範宴が、ふたたび、机の上の白氏文集へ眼を曝《さら》しはじめると、 「さ……水を汲んできた、足を洗いなさい」と、入口の方で、また、物音と人の気配がした。やはり、狐狸《こり》ではなかった。  範宴《はんえん》は、すこし、燭《しょく》の位置を移して、うしろへ身をのばしながら、 「性善坊か」すると、はっきり、 「ただ今帰りました」彼の返辞であった。すぐ上がってきて、 「範宴さま。ただいま、戻ってくる途中で、ふしぎな人に会いました。後ろに従《つ》れて参りましたから、お会い下さいまし」といって、 「孤雲《こうん》どの。こちらへ」と、呼んだ。  怖る怖る、庄司《しょうじの》七郎の孤雲は、そこへ来て、うつむきがちに坐った。範宴は、小首をかしげて、 「はての?」 「おわかりになりませんか」 「知らないお方だ」孤雲は、その時、しずかに顔を上げて―― 「ああ、よう御成人なさいましたな」 「あ。……七郎か」 「やはり覚えていらっしゃった」と、孤雲は、ぼうぼうとした髯《ひげ》の中で、うれしげに、微笑した。 「忘れてなろうか。糺《ただす》の原《はら》で、あやういところを、救うてくれた庄司七郎……。あの時、そなたは、なぜ逃げたのか」 「その仔細は――」と、性善坊がひき取って、 「途々《みちみち》、聞いてきたところでございまする。私から、代って、お話いたしましょう」  範宴は、眼を、つぶらにして、聞いていた。そして、 「ほう……、では、日野の学舎《まなびや》でこの身と共に机をならべていた寿童丸は、いまでは、行方が知れぬのか」 「里のうわさによると、この叡山《えいざん》に、知人があるゆえ、戦がやむまでその辺りに、隠れているのではないかと申すのだそうで」 「座主に、お願い申して、よう尋ねてあげよう」 「ありがとうぞんじます」 「だが――」と、性善坊は側から――「この叡山には、三千の学僧と、なお、僧籍のない荒法師やら堂衆《どうしゅう》やら、世間を逃げてきた者たちが、随分と、一時の方便で、身を変えているのも多いゆえ、容易には、知れまいと思うが……」 「ま……。いつまでも、おるがよい」と範宴は、なぐさめた。  孤雲は、ともすると、燭に面《おもて》を伏せてしまった。――もう五、六年も前になるが寿童丸の腕白から、まだ、十八公麿《まつまろ》といったころのこの君が、土で作っていた仏像を足蹴《あしげ》にかけたことだの、日野の館へ石を投げこんで罵《ののし》りちらしたことだの……過去を思い出すと、背なかに、冷たい汗がながれる。  だが、範宴も、性善坊も、そんなことは、さらりと、忘れたように、 「孤雲どの、空腹《すきばら》ではないか」と、いたわる。 「はい……実は……」と、ありのままに答えると、 「では、粥《かゆ》でも、煮てあげい」範宴がいう。  やはり菊の根には菊がさき、蓬《よもぎ》の根には蓬しか出ぬと、孤雲の七郎は、旧主の子と、範宴とを心のうちで較べて、さびしい気がした。 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり]  月も末に近くなる。  範宴少納言の入壇の式は、近くなった。  それが、いよいよ、実現されることが、明確に知れわたると、若い学僧だけの騒ぎでなくなった。 「よし、よし、われらが参って、お若い新座主をたしなめてやろう。……誰でも、一山の司権の座にすわると、一度は、その権力を行使してみたいものだよ。……騒ぐな、必ず説服いたして、思いとどまらせて見せる」  年齢と苔《こけ》の生《は》えているような長老や、碩学《せきがく》たちが、杖をついて、根本中堂へ上《のぼ》って行った。  そして、座主に、面談を求めて入りかわり立ちかわり、少納言の入壇授戒を、反対した。  今日もである。  静慮院《じょうりょいん》と、四王院《しおういん》の阿闍梨《あじゃり》が先に立って、その中には、少壮派の妙光房だの、学識よりは、腕ぶしにおいて自信のありそうな若い法師たちが、中堂の御房《ごぼう》の式台へ、汚い足をして、ぞろぞろと、上がり込んで行った。座主の僧正は、 「おう、おそろいで」と、にこやかに、書院をひらいて、待っていた。  ひろい部屋の三分の一が、人で埋《うず》まった。みしみしと、荒い跫音《あしおと》で入って来た学僧どもも、ここへ入ると、 「さ、そちらへ」とか、 「どうぞ」とか、席をゆずり合って、さすがに、壁ぎわへ、硬くなって坐るのだった。  四王院と、静慮院の二長老が、代表者として、むろん、一同の前へ出て、座を占めた。  毎日のことなので、慈円《じえん》僧正は、この人々が、何の用事で来たかは、訊くまでもなく、分っていた。で、機先を制して、 「二十八日の通牒《つうちょう》は、もう、おのおののお手許へも、届いたことと思うが、当日の式事については、諸事、ご遺漏《いろう》のないように頼みますぞ」 「…………」誰も、答えなかった。  不満と、不平とが、ぴかぴかと眼に反抗をたたえて、そういう座主の面《おもて》を見つめているだけなのである。 「座主」四王院の阿闍梨《あじゃり》が、老人のくせに、柘榴《ざくろ》のような色をしている口をまずひらいた。 「なにか」と、慈円の眸《ひとみ》は、静かである。 「今の御意《ぎょい》、正気でおわすか」 「ほ……異《い》なおたずねである。おのおのにも、よろこんで、大戒《だいかい》の席に列していただきたいということが、酒にでも、酔うているように聞えますか」 「酔うているどころか、狂気の沙汰と思う」  相手の冷静な容子《ようす》は、かえって、彼らの赫怒《かくど》を熾《さかん》にした。 「よもやと存じて、今日まで、ひかえていたが、座主、御自身のお口から、さよういわるるからには、もう、黙してはおられん」 「何なりとも、仰せられい。叡山は、慈円のものにあらず、また、学僧のものにあらず、長老のものでもない」 「もちろん」 「衆生《しゅじょう》のものでござる」 「いや、仏のものだ」 「仏は、衆生を利したもうばかりに、下天《げてん》しておわす。どちらでもよろしい」 [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり]  後ろでひしめいている学僧たちの中で、 「阿闍梨《あじゃり》、よけいなことは仰せられずに、一同の疑問について、疾《と》く、糺《ただ》されい」と、誰かがどなった。四王院は、うなずいて、 「座主《ざす》!」と膝をすすめた。 「――今日、吾々が推参いたしたのは、二十八日の大戒について、ちと、解《げ》せん儀があって参ったのでおざる」 「ご不審とな、何なりと、問われい」 「ほかではない」静慮院《じょうりょいん》も、共々に、詰問《きつもん》の膝を向けて、 「当《とう》、叡山《えいざん》はおろか、日本四ヵ所の戒壇《かいだん》においても、まだかつて、範宴《はんえん》のごとき童僧が、伝法授戒《でんぽうじゅかい》をうけた例《ため》しは耳にいたさぬが、そも、座主には何の見どころがあって、敢て、法城の鉄則を破ってまで、あの稚僧《ちそう》に、戒《かい》を授けらるるのか……。それが解《げ》せんことの第一義でござる」  返答によっては、貴人の系門であろうと、座主であろうと、ゆるすまいとするような殺伐《さつばつ》な空気が、四王院と静慮院の二長老を背後から煽《あお》りたてていた。  慈円は、ほほ笑んで、 「はてさて、仏徒のまじわりもひろい。一院一寺をもあずかるおのおののことゆえ、それくらいなことは、ようご会得《えとく》と存じていたが」 「山の鉄則を紊《みだ》すような、さような心得は、相持たん」 「ははは、余りにも、お考えが狭い。いわゆる、法を作るもの法に縛らるの喩《たと》え。そもそも、授戒のことは、必ずしも、年齢を標準にはせぬものじゃ。年さえ、加えれば、誰でも、大戒をゆるさるるとあっては、刻苦する者がなくなるであろう」 「詭弁《きべん》っ」と、またうしろの法師頭の中から強くいう者があった。四王院は、それに激励されて、 「――あいや、おことばには候うが、十年二十年、この叡山《えいざん》に、苦行を積んでも、なおかつ、入壇はおろか、伝法のことすら受けぬものが、どれほどあるか」 「それは、その人の天稟《てんぴん》がないか、あるいは、勉学が足らぬかの、ふたつでおざろう。――容《かたち》のみ、相《すがた》のみ、いかにも、荒《あら》らかに、苦行精進いたすようになっても、秋栗の皮ほども、心のはじけぬ者もある。生れながらの団栗《どんぐり》であればぜひなき儀と思うよりほかはない」 「いや! 谷の者らが、専ら取り沙汰《ざた》するところによると、座主の僧正には、少納言に対して、依怙《えこ》を持たれると承る」 「それは、問わるるまでもなかろう」 「何ですと――では、明らかに、依怙贔屓《えこひいき》だと仰せられるか。――何とおのおの、そう聞いては、もう議論のほかじゃないか。座主は範宴を盲愛《もうあい》していられるのだ。私情のために、大法を蹂躙《ふみにじ》らるるとの自白だ」喚《わめ》き立てると、 「ひかえなされい!」若い座主の面《おもて》に、初めて、青年らしい血しおが、漲《みなぎ》った。 「わしは、範宴の天稟《てんぴん》を愛す。わしは、範宴のすぐれた気質を愛す。見よ、彼は将来の法燈を、亡すか、興隆するか、いずれかの人間になろう。叡山人多しといえど誰か、十歳を出たばかりの範宴にすら勝る法師やある。――その才において、その克己《こっき》において、その聡明において、その強情我慢なことにおいて。……嘘と思わるる方あらば、彼をここへ呼んで、まず、法論を闘わせてみられるがよい。和歌といわば和歌、儒学とあらば儒学、おそらく少納言は否《いな》むまい。望みの者は、仰せ出られい」 [#7字下げ][#小見出し]五[#小見出し終わり]  誰も、進んで、応じる者はなかった。――わずか十歳の童僧と、衆人の中で、法論をやって、いい破ったところで、誇りにはならないし、敗れたらざまはない。  そういう打算は、すぐ、誰の胸にもうかぶことだし、御連枝《ごれんし》の出で名門の深窓から、青蓮院《しょうれんいん》へ坐ったのみで、世間知らずの若い座主と心であまく見ていた慈円が、白皙《はくせき》な面《おもて》を、やや紅らめて、きびしい態度に出たので、 (これは……)と少し意外にも思ったことに違いなかった。慈円は、壁ぎわにいる人々の顔までを、ずっと見わたして、 「誰か、仰せ出られる人はないのか」 「…………」いつまでも、座はしんとしていた。二人の長老も、実は、そこまで、争う本心はなかったとみえて、尻押しの学僧たちが、だまってしまうと、立場を失ったように、もじもじしていた。 「そも、おのおのは、入壇とか、授戒とかいうことを、俗人が、位階や出世の階梯《かいてい》でものぼるように、考えていられるのではないか、とんでもない間違いでおざる」慈円は、そこでもう、常の温柔《おんじゅう》な面《おもて》と語気にかえっていた。濃い眉毛《まゆげ》のうえに、ぼつんと、黒豆ぐらいな黒子《ほくろ》がある。この容貌に、二位の冠を授けたら、どんなに、端麗《たんれい》であろうといつも人は見つつ想像することであった。 「いうまでもなく、入壇と申す儀は菩薩心《ぼさつしん》への、達成でなければならぬ。生きながらすでに菩薩たる心にいたれる人に、仰讃《ぎょうさん》の式を行う、それが、授戒入壇の大会《だいえ》である。なんで、いたずらに、その域へ達せぬものに、この大会大戒の儀をゆるそうか」 「…………」静かではあるが、慈円の声は、たとえば檜《ひのき》の木蔭を深々《しんしん》と行く水のひびきのように、耳に寒かった。 「――また、菩薩心に達したものはかの龍女《りゅうじょ》のごとく、八歳にして、もう壇に入ることをゆるされた。後白河法皇の大戒をうけられたのも、たしか、お十歳に満たぬうちであった。おのおののうちで、すでに白髯《はくぜん》をたれ、老眼にもなりながら、まだその心域にいたれぬ方があらば、まず、自身を恥じるがよい――また、若輩《じゃくはい》な学僧たちは、そんな他人のことに、騒ぎたてて、無益の時間をつぶす間に、なぜ、自身の修行を励まれぬか」 「…………」 「ふたたび申すが、わしは、ふかく範宴少納言の天質を愛しておる、同時におそれておる。師として、指導のよろしきを得ねば、梵天《ぼんてん》の悪魔に化《け》すかも知れず、その珠《たま》たる質のみがきによって、この荒《すさ》び果てた法界の暗流《あんる》と濁濤《だくとう》をすくう名玉となるかも知れない。その任を重く思うのだ。ひとたび、山を追われて、今の修羅《しゅら》の世に出て、あの雄叫《おたけ》びを聞いたなら、おそらく、彼は、源|義朝《よしとも》の嫡男《ちゃくなん》たちと共に、業火《ごうか》の下に、鉄弓《てっきゅう》もしごく男となろう」 「…………」黙々と、人々は、慈円の顔をみているばかりだった。慈円の眉には、弟子として、また一個の人間範宴のゆくすえや、範宴の性格や才や、あらゆる些細《ささい》なものまでを朝夕《ちょうせき》の眼にとめて、ふかく、その将来を案じている容子《ようす》が歴々と読めた。 「いや、ようわかりました」初めは脱兎のごとく、終りは処女のように、四王院がそこそこに座をすべると、他《ほか》の若法師たちも、気まりわるげに、退散してしまった。 [#7字下げ][#小見出し]六[#小見出し終わり]  朝はまだ早かった。  霧に濡れている一山の峰や谷々で、寺の鐘が、刻《とき》をあわせて、一斉《いっせい》に鳴りだした。  揺するように、横川《よかわ》で鳴ると、西塔《さいとう》や、東塔の谷でも、ごうん、ごうん……と鐘の音が答え合った。 「おや、当院の鐘は、どうしたのじゃ」西塔の如法堂《にょほうどう》で、学頭の中年僧が、方丈《ほうじょう》から首を出した。 「鐘楼《しょうろう》へは、誰も行っていないのか」 「けさの番は、朱王房です、たしか参っているはずです」と、中庭を隔てた学僧の房で、多勢《おおぜい》の学僧たちが、新しい袈裟《けさ》をつけながら返辞した。 「耳のせいか、わしには、聞えんが……」 「そういえば、鳴らんようです」 「困るではないか。今日は、根本中堂で、範宴《はんえん》少納言の授戒《じゅかい》入壇式が、おごそかに上げられる日だ」 「吾々も、これから、阿闍梨《あじゃり》に従《つ》いて、参列することになっています」 「それよりも、一山同鐘《いっさんどうしょう》の礼を欠いては、当院だけが、中堂の令に叛《そむ》く意志を示すわけになる。台教興隆のよろこびの鐘だ。――誰か、見てこい」 「はっ」学僧の一人が、駈けて行った。  鐘楼《しょうろう》の下から仰ぐと、誰かそこに立っている。腕ぐみをして、ぼんやりと、鐘楼の柱に凭《もた》れているのである。  つい一昨年《おととし》ごろ、坂本から上《のぼ》って来た若者で、はじめは、房の厨中間《くりやちゅうげん》として働いていたが、なかなか、学才があるし、賤《いや》しくないし、少し才気走った嫌いはあるが、感情家で負け嫌いなところから、堂衆に取り立てられて、今では学僧のなかに伍している朱王房だった。  今朝は、彼が鐘楼役なのに、そこへ上《のぼ》ったまま、腑抜《ふぬ》けのように腕ぐみをしているので、見にきた彼の友は、 「おいっ、朱王房じゃないか」下から呶鳴《どな》った。  朱王房は、上から、にやりと笑った。しかし、元気がないので、 「どうしたっ」訊《たず》ねると、膠《にべ》のない顔つきで、 「どうもしやしない……」 「なぜ、礼鐘《れいしょう》を撞《つ》かん?」 「…………」 「知らぬはずはあるまい。――今朝《けさ》の一山同鐘を」 「知ってる」 「横着なやつだ」とととと、石段を駈け上がって行って、 「退《ど》けっ、俺が撞《つ》く」と、朱王房の肩を押しのけた。 「よし給え」 「なんだと」 「いまから撞いたって、間に合いはしない」 「じゃ、貴様は、故意に撞《つ》かなかったのだな」 「そうだ」はっきり、朱王房はいった。持ちかけた撞木《しゅもく》の綱を放して、気色《けしき》ばんだ彼の友は、朱王房の胸ぐらをつかんで睨みつけた。 「不届きな奴だ、承知して怠ったのだと聞いては許されん、さっ、来いっ」  ずるずると、段の方へ、引き摺《ず》った。 [#7字下げ][#小見出し]七[#小見出し終わり] 「どこへ? ――」不敵な眼をしながら、朱王房は鐘楼《しょうろう》の柱へ足を踏んばって動かなかった。 「阿闍梨《あじゃり》の前へ連れて行くのだ。さ、来い」 「いやだ」 「卑怯者め、承知のうえで、礼鐘を撞《つ》かぬといったくせに。――お処罰《しおき》をうけるのが怖いなら、なぜ撞かなかったか」 「ばか、ばかばかしくって……おれには、こんな鐘はつけないんだ……」と、朱王房は、唇をかんだ。 「貴様、それを本気でいうのか」 「いうとも。――今朝の一山の鐘の音は、虚偽だ、おべっかだ、仏陀《ぶっだ》は、笑っていなさるだろう」 「…………」呆《あき》れて、友の顔を、見ているのだった。朱王房は、昂奮した眼で、 「貴公は、そう思わないか」 「朱王房、貴様こそ、気はたしかなのか」 「たしかだから、おれは、この鐘を撞《つ》かんのだ。いいか、考えてもみろ、まだ十歳を出たばかりの範宴を、座主の依怙贔屓《えこひいき》から、輿論《よろん》と、非難を押しきって、今朝の大戒を、強行するのじゃないか。――それが仏陀の御心かっ。一山衆望かっ」 「執念ぶかい奴だ……。まだ貴様は、いつぞやの議論を、固持しているのか」 「あたりまえじゃないか。阿闍梨《あじゃり》や碩学《せきがく》たちは、蔭でこそ、とやこういうが、一人として主張を持ち張るものはない。みんな、慈円僧正に、まるめられて、ひっ込んでしまった」 「座主には座主の、ふかい信念があってのことだ」 「見せてもらおうじゃないか、その信念というやつを」 「それは、現在では、水かけ論だ。範宴が、果たしてそういう天稟《てんぴん》の質であったか否かは、彼の成長を見た上でなければ決定ができない」 「それみろ。――神仏にもわからぬことを、どうして、僧正にだけわかるか。ごまかしだっ、依怙贔屓《えこひいき》だっ」 「大きな声をするなっ」 「するッ――おれはするっ――仏法を亡すものは仏弟子《ぶつでし》どもだっ」 「これっ、若輩のくせに、いいかげんにしろ」 「いってわるいか」 「わるい!」 「じゃあ、貴公も、まやかし者だ、仏陀にそむいて、山の司権者におべッかるまやかし[#「まやかし」に傍点]者だ」 「生意気をいうなッ」朱王房の襟《えり》がみをつかんで、そこへ仆《たお》した。すると、房の人々が、 「どうしたのだ、どうしたのだ……」と、駈け上がってきて、 「おいっ、離せ」 「いや、縛ってしまえ。そして、阿闍梨のまえに曳いて行って、たった今、この青二才がほざいた言葉を、厳密な掟《おきて》の下《もと》に、裁かなければならない」 「どんな暴言を吐いた」 「仏法を亡すものは、仏弟子どもだといいおった」 「こいつが」と、一人は、彼の横顔を蹴って、 「一体、新参のくせに、初めから口論ずきで、少し自分の才に、思い上がっているんだ。縛れ、縛れ、くせになる」と、罵《ののし》った。 [#3字下げ][#中見出し]黒白《こくびゃく》[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  座主《ざす》の室で、銅鈴が鳴った。役僧のひとりが、執務所の机を離れて、 「お召しですか」ひざまずくと、帳《とばり》の蔭で、 「範宴《はんえん》をよべ」と、いった。 「はっ」 「――ここではなく、表の方へ」 「かしこまりました」座主の慈円《じえん》僧正は、そういってから後も、しばらく帳《とばり》の蔭の机に凭《よ》って、紙屋紙《かみやがみ》を五、六枚|綴《と》じてある和歌の草稿に眼をとおしていた。それが済むと、何やら消息を書いて、 「待たせたの」と、縁の方へ、眼をやった。  京から使いにきた小侍がひとり板縁に、畏《かしこ》まっていたが、 「どう仕りまして」と、頭《かしら》を下げた。 「では、これは月輪《つきのわ》殿へおわたしいたして、よろしくと、伝えてください。――慈円も、登岳《とうがく》の後、このとおり、つつがのう暮しているとな」 「はい」草稿と、消息をいただいて、京の使いは帰って行った。  月輪の関白|兼実《かねざね》は、すなわち座主の、血をわけた兄であった。で、時折に便りをよこして、便りを求めるのである。  慈円も、関白も、この兄弟は共に和歌の道に長《た》けている。ことに、僧門にあって貴人の血と才分にゆたかな慈円の歌は、当代の名手といわれて、その道の人々から尊敬に値するものという評であった。  座主は、使いを返すと、そこを立って、中堂の表書院へ出て行った。  居間へ呼ばれるなら常のことであるが、表の間に待てとは、何事であろうかと、範宴は、ひろい大書院の中ほどに、小さい法体《ほったい》を、畏まらせて、待っていた。 「近う」と、慈円はいう。  畏《おそ》る畏る、範宴は、前に出る。  そのすがたを、慈円は、眼の中へ入れてしまいたいように、微笑で見て、 「入壇《にゅうだん》のことも、まず、済んだの」 「はい」 「うれしいか」 「わかりません」 「苦しいか」 「いいえ」 「無か」 「有です」 「では、どういう気がする」 「この山へ、初めて、生れ出たような……」 「む。……しかし、入壇の戒を授けたからには、おもともすでに、一個の僧として、一山の大徳や碩学《せきがく》と、伍して行かねばならぬ」 「はい……」 「白髪《はくはつ》の僧も、十歳の童僧も、仏のおん目からながめれば、ひとしく、同じ御弟子《みでし》であり、同じ迷路の人間である」 「はい……」 「わが身を、珠《たま》とするか、瓦《かわら》とするか、修行はこれからじゃ。いつまで、わしの側にいては、その尊い苦しみをなめることができぬ、わしに、少しでも、いたわりが出てはおもとのためにならぬ。――師を離れて、真《まこと》の師に就け。真の師とは、いうまでもなく、仏陀《ぶっだ》でおわす。――ちょうど東塔の無動寺に人がない。枇杷《びわ》大納言どののおられた由緒《ゆいしょ》ある寺。そこへ、今日からおもとを、住持として遣《つか》わすことにする。よろしいか、支度をいたして、明日からは、そこに住んで、ひとりで修行するのですぞ」 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり]  範宴は、うなずきながら、ほろりと涙をこぼした。小さい手で、その眼を横にこすっているのを見て、慈円は笑った。 「明日から、一ヵ寺の住職ともなる者が、涙などこぼしてはいけない。……元気で行きなさい」 「はい」衣《ころも》の袖で、涙を拭いてしまうと、範宴は、別れ難《がた》ない眸《ひとみ》をあげて、師の顔を仰いだ。 「では、行ってまいります。お師さまの教えを忘れないで、励みまする」礼をして、立って行くのである。その姿を廊下の方で待ちうけていたのは、さっきから板縁に坐って、案じ顔に控えていた性善坊であった。  すぐ手を取って、堂の階を降りてゆく。そして、房の方へ歩いてゆくうちに、性善坊が明るい顔で、何か訊ねているし、範宴も、今泣いたことなど忘れて、嘻々《きき》として、彼の手をつかんで振ったり、その肩へ、ぶら下がったりして、戯れながら行くのだった。 (――何といっても、まだ子どもだ)慈円も、欄《らん》まで出て、うしろ姿を見送っていた。  だが、どうしてか、慈円には、その子どもである範宴が、巨《おお》きな姿に見えてならなかった。一代の碩学《せきがく》だの、大徳だのという人に会っても、そう仰ぎ見るような感じは滅多にうけない自分なのに――と、時には冷静に自己の批判を客観してみても、やはり、どこか範宴には凡《なみ》の人間の子とは、違うところがある。 (どこか?)と人に訊かれたらこれも困る。  どこも違いはない。十歳の少年は、やはり十歳の少年である。  弘法大師や、古き聖《ひじり》の伝などには、よく、誕生の奇瑞《きずい》があったり、また幼少のうちからあたかも如来《にょらい》の再来のような超人間的な奇蹟が必ずあって、雲を下《くだ》し、龍を呼ぶようなことが、その御伝記を弥尊《いやとうと》く飾ってはいるが、これは慈円僧正も、必ずしも、すべてが然りとは信じていないのである。むしろそれは、民衆が捧げた花環《はなわ》や背光であって、釈迦《しゃか》も人間、弘法も人間と考えてさしつかえないものと思っている。  近くは、黒谷の法然《ほうねん》上人のごときも、民衆の崇拝がたかまるにつれ、 (聖《ひじり》のお眸《ひとみ》は二つあって、琥珀色《こはくいろ》をしていらっしゃる)とか、 (ご誕生の時には、産屋《うぶや》に紫雲《しうん》たなびいて天楽《てんがく》が聞えたそうな)とか、 (文殊《もんじゅ》のご化身《けしん》だ)とか、また、 (いや、唐の三蔵《さんぞう》の再生だとおっしゃった)など、本人はすこしも知らない沙汰が、まちまちにいいふらされて、それにつられて、 (どんなお方か)と、半ば好奇な気もちで集《つど》う信徒すらあるとのことだ。しかし、その法然房《ほうねんぼう》には、慈円は、幾たびか会ってもみたが、いわゆる、異相《いそう》の人にはちがいないが、決して、如来の再生でもなし、また、眸が二つあるわけのものでもない。ただ、違うのは、 (どこか、ふつうの人間よりは、一段ほど、高いお方だ)と思うことである。  範宴《はんえん》に対して、慈円の感じていることも、要するにその、 (どこか?)であった。  しかし、慈円のその信念は、決して、あやふやな――らしい[#「らしい」に傍点]の程度ではなく、山の巌根《いわね》のごとく、範宴の将来に刮目《かつもく》しているのであった。 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり]  翌《あく》る日の未明である。  まだ仄暗《ほのぐら》いうちに、範宴は房を立った。供は、性善坊と菰僧《こもそう》の孤雲《こうん》の二人だった。  性善坊は、しきりと、 「きょうからは、少納言さまも無動寺のお主《あるじ》、一ヵ寺のご住持でございますから、もう山の衆も、お小さいからといって、馬鹿にするような振舞いはいたしますまい」といった。彼には、それが、 (これ見よ)と見返したような晴《はれ》がましさであり誇りであった。しかし、範宴は、 「わしに、そんな重いお勤めが、できるかしら」と、今朝は、心配していた。 「おできにならぬことを、座主がおいいつけになるわけはありません。及ばずながら、性善坊もお仕え申しておりますし、無動寺には、留守居衆が、そのまま、役僧として万事の御用はいたしますから、決して、お案じなさるには及びません」範宴はうなずいて、 「座主は、きっと、私を、お試しになるお心かも知れぬ。わしに、怠りが出たら、そちが、鞭《むち》を持って、打ってたも」 「勿体《もったい》ない」と、性善坊はいった。 「そのお心がけで参れば、きっとご修行をおとげあそばすにきまっている。――私こそ、お師さまのお叱りをうけなければ」 「お互いに、修行しようぞ」  彼と性善坊とが、主従ともつかず、師弟ともつかず、親しげに話してゆく様子を後ろから眺めながら、ぽつねんと、独りで遅れて歩いて、孤雲は、淋しそうだった。  その気持を察して、 「孤雲どの。――いいあんばいに、お日和《ひより》じゃな」などと、話しかけては、性善坊が、足をとめて振りかえった。 「――そうですね、降るかと思いましたら、霧が散って、八瀬《やせ》の聚落《むら》や、白川あたりの麓《ふもと》が見えてきました」孤雲は、どこか、元気がない。  範宴のすがたを見ると、彼は、それにつれて、旧主の寿童丸を思いだすのであろう。羨《うらや》ましげに、独りで、嘆息をもらしている容子《ようす》が、時々見える。 (むりもない――)と性善坊は、察しるのだった。ちょうど、孤雲と寿童丸との主従の関係は、自分と範宴との間がらに似ている。さだめし、何かにつけて、 (寿童丸は、どうしているか)と、旧主に厚い彼の心は傷《いた》むのであろうと思いやった。  陽がのぼるほどに、谷々や、峰で、小禽《ことり》の音《ね》が高くなった。中堂の東塔院から南へ下りて、幾つかの谷道をめぐって、四明《しめい》ヶ|岳《だけ》の南の峰を仰いでゆくと、そこが、南嶺《なんれい》の無動寺である。――もう、大乗院だの、不動堂だのの建物の屋根の一端が、若葉時のまっ青な重巒《ちょうらん》の頂《いただき》に、ちらと仰がれてくる。 「おや、孤雲は」 「ひとりで、沢へ下りてゆきました。おおかた、口が渇《かわ》いて、竹筒へ、水でも汲みに行ったのでございましょう」二人が、崖《がけ》の際《きわ》に立って、孤雲の影をさがしていると、どこかで、 「やいっ、十八公麿《まつまろ》」と、甲《かん》だかい声で、呼ぶ者があった。思いがけない鋭さなので、思わず、足を竦《すく》めて振りかえると、彼方《かなた》の山蔭に、土牢《つちろう》の口が見えた。 [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり]  山蔭の土牢の口には、雑草が蔓《はびこ》っていた。じめじめとした清水が辺りを濡らしていた。  牢の口は、そこらの木を伐《き》って、そのまま組んで頑丈に組んである。誰やら、暗い中に、人影がうごいているようだった。  ふつうの音調を失って、獣《けもの》じみた声で、何かいった者は、その土牢の中の人間で―― 「そこへ来たのは、十八公麿ではないか。やいっ、耳はないのかっ」と、叫ぶのである。  もう忘れていた幼名を呼ぶばかりでなく、悪気《わるげ》のこもった罵《ののし》り声に、範宴も性善坊も、ちょっと、胆《きも》を奪われて立っていた。  すると、牢の内からする声は、いよいよ躍起となって、 「俗名を呼んだから返辞をせぬというのか。だが俺は、いくら貴様が、入壇したからといっても、まだ乳くさい十歳《とお》やそこらの洟《はな》ッ垂《た》れを、一人前の沙門《しゃもん》とは、認めないのだ。――座主が、いくら勿体《もったい》らしく大戒を授けても、一山の者が、座主におもねって、盲従しても、俺だけは、認めないぞ」そう一息にいって、また、 「だから俺は、十八公麿と呼ぶ。――貧乏|公卿《くげ》のせがれ、なぜ、返辞をせぬのか。――がたがた牛車《ぐるま》で、日野の学舎《まなびや》に通ったころを忘れたのか。いくら澄ましても、俺のまえでは駄目だぞ、何とかいえっ」自身が、こっちへ来ることも、迫ることもできないだけに、何とかして、明るい中に立っている二人を、自身の牢の前まで引きつけようとして、必死なのであった。声に、魔魅《まみ》の力すら覚えるのだった。  じっと、遠くから見ていた性善坊は、牢の口に、顔を押しつけている獣のような眸《ひとみ》を見て、思わず、 「あっ! ……」と、驚きの声を放った。範宴《はんえん》も、思いだして、 「おお」牢の前へ、走って行こうとするので、性善坊は、袂《たもと》をとらえて止めた。 「お師さま。寄ってはなりません! 寄ってはなりません!」 「なぜ、なぜ?」範宴は、その袂を、振りもぎろうとさえするのであった。 「その中にいるのは、悪魔です。悪魔のそばへ、寄っては、お身のためにならないからです」 「悪魔? ……」と、範宴は、牢にかがやいている二つの鋭い眸を見直して、 「悪魔ではない。あれは、日野の学舎《まなびや》で、わしと机をならべていた寿童丸《じゅどうまる》じゃ」 「いいえ。……それには違いありませんが、今では、西塔の堂衆で、朱王房という悪魔です。その側《わき》に立っている高札をごらんなさい」と、性善坊は、指さしていった。  ――この者、元坂本の中間《ちゅうげん》僧たりし所、西塔《さいとう》の学僧寮に堂衆として取りたてられ、朱王房と称しおる者なり。しかる所、近来浅学小才に慢じ、事ごとに、山令に誹議《ひぎ》を申したて、あまっさえ、範宴少納言入壇の式に、その礼鐘《れいしょう》の役目を故意に怠り、仏法を滅するものは仏徒なりなど狂噪暴言《きょうそうぼうげん》を振舞うこと、重々罪科たるべきに附《つき》、ここに、百日の禁縛《きんばく》を命じ、謹しんで、山霊に業悪《ごうあく》を謝せしむる者なり [#地から2字上げ]西塔諸院奉行《さいとうしょいんぶぎょう》 「おわかりでしょう。怖ろしい悪魔です。近づかない方が、お身のためです」 [#7字下げ][#小見出し]五[#小見出し終わり]  しかし、範宴は、 「かわいそうじゃ」と、かぶりを振って、肯《き》かないのである。  性善坊が止める手を退《の》けて、牢のそばへ、走り寄っていた。そして、懐かしげに、 「寿童どの」と、声をかけた。朱王房は、かっと、闇の中からにらみつけて、 「十八公麿《まつまろ》、おぼえておれ、よくもこの俺を、土牢へいれたな」性善坊は聞くに耐えないで、 「だまれっ」と側からいった。 「――お師さまには、何もご存じないことだ。糺命《きゅうめい》されたのは、汝の自業自得《じごうじとく》ではないか」 「いや、貴様たちが、手を下したのも、同様だ。恨みは、こんどのことばかりではない、糺《ただす》の原《はら》でも、あの後で、野火のことを、六波羅の庁《ちょう》に、訴えたろう」 「根も葉もないことを」 「いやいや、幼少の時に、俺が、日野の館へ、石を投げこんだことを遺恨《いこん》に思って、それから後は、事ごとに、貴様たちが、わしの一家を陥《おとしい》れようと計っていたに違いない。噂は、俺の耳に入っている」 「これだから……」と、呆れ果てたように、性善坊は、範宴の顔を見て、 「……救えない悪魔です」 「なにっ、悪魔だと」朱王房は、聞き咎《とが》めて、かみつくように、罵《ののし》った。 「よくも、俺を、悪魔といったな。ようし、悪魔になってやろう。こんな偽瞞《ぎまん》の山に、仏の法《のり》のと、虚偽な衣《ころも》に、僧の仮面《めん》をかぶっているより、真っ裸の悪魔となったほうが、まだしも、人間として、立派だ」 「こういう毒口《どくぐち》をたたくのだから、土牢に抛《ほう》りこまれるのも、当然じゃ。自体、幼少から、悪童ではあったが」 「大きにお世話だ。十八公麿のような、小ましゃくれた、子どものくせに、大人じみた、俺ではない。俺は、真っ裸が好きだ、嘘がきらいだ。――今にみろ、うぬらの仮面《めん》や、偽装の衣《ころも》を剥《は》いでくれる」ものをいうだけが無益であると見たように、性善坊は、範宴の手をとって、 「さ、お師さま、参りましょう……」と促《うなが》した。  ベッと、土牢の中から、白い唾《つば》がとんで範宴の袂《たもと》にかかった。範宴は、何を考えだしたのか、性善坊が手をとっても歩もうとせず、両手を眼にやって泣いていた。 「……参りましょう、こんな悪魔のそばにいると、毒気をうけるだけのことです。ことばを交わすのも、愚かな沙汰です」 「…………」動こうともしないで、さめざめと範宴は泣き竦《すく》んでいるので、 「なにがお悲しいのですか」と、性善坊がたずねると、範宴は、紅い瞼《まぶた》をあげて、 「かわいそう」と、唯それだけを、くりかえすのであった。  ものに感じることの強い範宴の性質を性善坊はよく知っているが、かくまで、宿命的に己れを憎んでいる敵をも、不愍《ふびん》と感じて、嗚咽《おえつ》している童心の気《け》だかさに、性善坊も、ふたたび返すことばもなく、心を打たれていた。  すると、どこからか、拙《つたな》い尺八の音《ね》がしてきた。――緑の谷間から吹きあげる風につれて、虚空《こくう》にながれてゆくのである。 [#7字下げ][#小見出し]六[#小見出し終わり]  どこからともなく流れてくる尺八の音に、 (おや)というように、二人は眼を見あわせた。  性善坊は、ここに姿の見えない菰僧《こもそう》の孤雲《こうん》を思い出して、 「孤雲です……きっと水を飲みに行って、この下の谷で、何か考え出して、携《たずさ》えている尺八をすさびたくなったのでしょう」といった。範宴は、すぐ、 「はよう呼べ。――あの孤雲が多年たずねている寿童丸は、ここにいる。それを、孤雲はまだ知らぬのじゃ」 「そうだ、孤雲が来たら、どんなによろこぶか知れません。呼んでやりましょう」性善坊はすこし離れた崖の際まで駈けて行って、 「オオーイ」谷間をのぞいて呼んだ。  姿は青葉や山藤の花などで、見えないが、尺八の音は、糸の切れたように、やんだ。  孤雲はその時、ずっと下の渓流のふちに平たい巌《いわ》を選んで、羅漢《らかん》のように坐っていた。ここへは、性善坊が察したとおり、口が渇《かわ》いたので、水を飲みに下りてきたのであるが、孔雀《くじゃく》の尾のような翠巒《すいらん》と翠巒の抱《いだ》くしいんとして澄んだ静寂《しじま》のなかに立っていると、彼は、傷だらけな心を、ややしばし慈母のふところにでも安らいでいるように、いつまでも、去りがてな気持がして、そこの岩の上に、坐ってしまった。  何かは知らず、とめどもなく涙があふれてくる。昼の雲が、静かな峡《かい》のあいだを、ふわりと漂っていた。母も妻も子も、また家もない自分の境遇と似ている雲を、彼は、じっと見ていた。  誰にとも訴えようのない気持がやがて、尺八の歌口から、哀々と思いのかぎり、細い音を吹きだしたのであった。その音のうちには人生の儚《はか》なさだの、煩悩《ぼんのう》だの、愚痴《ぐち》だの、歎きだのが、纒綿《てんめん》とこぐらかっているように聞えた。 「おうーい」誰か、上で呼ぶ声に、孤雲はその尺八の手を解いて、 「あ……。性善坊どのだな」行く先は、分っているので、自分は遅れて後から追いつくつもりであったが、範宴《はんえん》たち二人が自分を待っているとすれば、これは、済まないことをしたと思った。にわかに、立ち上がって、 「おうーい」と、下からも、峰の中腹を見上げて答えた。  そして、崖道を、攀《よ》じながら、元の所へのぼってゆくと、性善坊はそこへ駈けてきて、 「孤雲どの。よろこばしいことがあるぞ」 「え?」唐突《とうとつ》なので、眼をしばたたいていると、性善坊は、はや口に、そこの土牢の中にいる若い僧こそ、寿童丸《じゅどうまる》であると告げて、 「わし達は一足先に無動寺へ参っておるから、ゆるりと、旧主にお目にかかって、ようく、不心得を、諭《さと》してあげたがよい」といい残して、立ち去った。  範宴と性善坊の姿が、山蔭にかくれるまで、孤雲は、茫然《ぼうぜん》と見送っていた。半信半疑なのである。自分が多年探している寿童丸が、ついそこの土牢の中にいるなどとは、どうしても、信じられないことだった。  ふと見ると、なるほど、土牢の口が見える。高札が立っている。――彼は、怖々《こわごわ》と、やがてその前へ近づいて行った。 [#7字下げ][#小見出し]七[#小見出し終わり] 「おうっ――」孤雲は、土牢の口へ、われを忘れて飛びついていた。 「若様。――寿童丸様」朱王房は、牢内の闇から、じっと、孤雲の面《おもて》を見つめていたが、躍り上がるように立って、 「やっ。七郎ではないか」 「七郎ですっ。わ、若様、七郎でございまする」 「なつかしい」と、朱王房は、痩せた手を牢格子のあいだから差し伸べて、 「会いたかった……」 「七郎めも、どれほど、お行方を尋ねていたか知れませぬ」 「おお」と、朱王房は、思い出したように、牢格子へ手をかけて、 「いいところへ来てくれた。お前の腰の刀《もの》を貸せ」 「どうなさるのでございますか」 「知れたこと、この牢を破るのだ。斬り破るのだ。――人の来ないうちに、早く」 「でも……」と、孤雲はおろおろして、厳《いか》めしい高札に憚《はばか》ったり、道の前後を見まわしたが、折ふし、人影も見えないので、彼も、勃然《ぼつぜん》と、大事を犯す気持に駆られた。  脇差を抜いて、牢格子の藤蔓《ふじづる》を切りはじめた。朱王房は、渾身《こんしん》の力で、それを、揺《ゆ》りうごかした。  四、五本の鎹《かすがい》が、ぱらぱらと落ちると、牢の柱が前に仆《たお》れた。  炎の中からでも躍りだすように、朱王房は外へ出て、青空へ、両手をふりあげた。 「しめた。もう俺の体は、俺の自由になったぞ。――うぬ、見ておれ」走り出そうとするので、 「あっ、若様っ、どこへ――」と、孤雲は彼が歓びのあまりに気でも狂ったのではないかと驚いて抱きとめた。 「離せ」 「どこへおいでになるのです。若様の行く所へなら、どこへまでも七郎とてもお供をいたす覚悟でございます」 「山を去る前に、範宴の細首を引ン捻《ねじ》ってくれるのだ」 「滅相もない。範宴さまと、性善坊どのとは、この身に恩こそあれ、お恨み申す筋はありません」 「いや、俺は、嫌いだ」 「嫌いだからというて、人の生命《いのち》をとるなどという貴方《あなた》様のお心は、鬼か、悪魔です」 「貴様までが、俺を、悪魔だというか。俺は、その悪魔になって、範宴とも、闘ってやるし、この山とも、社会とも、俺は俺の力のかぎり、争ってやるのだ」 「ええ、貴方様はっ」満身の力で、狂う彼をひきもどして、道へ捻《ね》じふせた。そして、 「まだ、そのねじけたお心が、直《すぐ》におなり遊ばさぬかっ。お父上のご死去を、ご存じないのですか。家名を何となされますか。ここな、親不孝者っ」と主人の子であることも忘れて、胸ぐらを締めつけた。 「あっ、くるしい。こらっ七郎、貴様は俺を撲《なぐ》りに来たのか」 「打ちます、撲ります。亡きあなた様のお父上に代って、打たせていただきます」 「この野郎」刎《は》ね返《かえ》そうとすると、七郎は、さらに力をこめて、朱王房の喉《のど》を締めつけた。うウむ……と大きな呻《うめ》きを一つあげて、朱王房は、悶絶《もんぜつ》してしまった。 [#7字下げ][#小見出し]八[#小見出し終わり]  ぐったりと四肢《しし》を伸ばしている朱王房の姿をながめて、孤雲は、落涙しながら、 「若様、おゆるし下さい。あなたを、範宴御房にも劣らぬ立派な者にしたいばかりに、かような、手荒な真似もするのですから」取り縋《すが》って、詫びていたが、気づいて、 「そうだ人が来ては」と、にわかに鋭くなって、四辺《あたり》を見まわした。  幸に、性善坊の落して行った笠がある、それを、朱王房の頭にかぶせて、背に負おうとすると、朱王房は、うーむ、と呻《うめ》いて、呼吸《いき》をふきかえした。  だがもう暴れ狂う気力はなかった。永い土牢生活のつかれも一度に出たのであろう、孤雲の肩にすがったまま、ぐったり首を寝せていた。  孤雲は、谷間に下り、水にそって、比叡《ひえい》の山から里へと、いっさんに逃げて行った。        *  東塔の無動寺には、近ごろ、稚《おさな》い住持が来て、日ごとに勤行《ごんぎょう》の場《にわ》へ見えるようになった。いうまでもなく範宴《はんえん》である。  境内の一乗院が、彼のいる室と定《き》められた。そこで、彼は、四教義の研究に指をそめた。  その四教義を講義してくれる人は、東塔第一という称のある篤学家の静厳法印《じょうごんほういん》だった。  静厳は、彼の才をひどく愛した。少納言《しょうなごん》少納言といって、自分の子のように寺務の世話までよく面倒を見てくれた。  するとある日、その静厳が、何か、報《し》らせに来た若い法師たちを罵《ののし》っていた。 「なに、まだ見つからん。そんなはずはないぞ、山狩りを始めてから、もはや今日で二十日《はつか》にもなるではないか」 「しかし、木の根をわけても、分らないのです。所詮《しょせん》、この様子では、麓《ふもと》へ走ったにちがいないから、一度山狩りを解いて、世間のほうを探してはどうかと、西塔《さいとう》の衆も、申しておりますが」 「西塔の者は、西塔の考えでやるがよい。こちらは、飽くまで、本人が、食物に困って、姿をあらわしてくるまで、固めを解いてはいかん」静厳に一喝《いっかつ》されてすごすごと、谷の方へ下りてゆく法師たちの疲れた姿を、範宴は、一乗院の窓から見ていた。  何のための山狩りか、範宴には、よくわかっていた。で、心のうちで、 (どうか、見つからないように……。無事に、里へ逃げてくれるように)と祈っていた。大雨が降ると、 (どこかの樹木の下で、あの主従は、この雨に打たれているのではないか)と人知れず案じたり、また、朝夕の食事に、箸《はし》をとる時も、ふと、 (あの主従は、何を食べているだろう?)と思いやった。  しかし、それから、七日すぎても、十日過ぎても、土牢を破った者が捕まったという噂は聞えてこなかった。  叡山には、夏が過ぎ、秋が更《ふ》け、やがて雪の白い冬が訪れた。  雪に埋った一乗院の窓からは、どんな寒い晩も、四教義を音読する範宴の声が聞えてこない晩はなかった。 [#改ページ] [#1字下げ][#大見出し]去来篇[#大見出し終わり] [#3字下げ][#中見出し]大和路《やまとじ》へ[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  大自然のすがたには、眼に見えて、これが変ったということもないが、人間の上にながれる十年の歳月には、驚かれるほどな推移《すいい》があった。  建久二年の年は、範宴《はんえん》少納言がこの東塔《とうとう》の無動寺《むどうじ》に入ってから、ちょうど九年目に当たる。  彼は、十九歳になった。白衣《びゃくえ》を着て、黒い袈裟《けさ》をかけて、端麗で白皙《はくせき》な青年は俗界の塵《ちり》の何ものにもまだ染まっていなかった。処女のように、きれいであった。 「何と気高いお姿だろう」と、その九年の間、一日も離れることなく侍《かしず》いている性善坊《しょうぜんぼう》ですら、時には、見惚れることがあった。  背は高く、肩幅もひろいほうであった。無動寺の奥ふかく閉じ籠っているのが多いので、色は白く、唇は丹《に》のようであった。眉は濃く太く、おそろしく男性的である。ことに、きっと一文字に結んでいる口もとには不壊《ふえ》の意志がひそんでいるように見えた。ある者は、 「範宴御房《はんえんごぼう》のお貌《かお》は、前から見るとやさしいお方だと思うが、横からふと見ると、実に怖いお貌《かお》だ」といった。そういわれてから、性善坊も、 「なるほど」と気がついた。怖いと見れば怖い。やさしいと見れば優しい。  健康の点では、骨格も、気力も頼もしい頑健さを天質的に備えていた。これも母系の祖父の遺伝に恵まれているのかも知れないと彼は思った。たくましい肋骨《ろっこつ》の張った胸幅の下には、どんな大きい心臓が坐っているのかと思われるくらいだった。  その実証を、性善坊は、この九年間に眼《ま》のあたりに見てきて、ひそかに、 (自分にはとてもできない)と舌を巻いて驚いているのであった。それは、範宴の知識慾の旺《さかん》なことと、それを、満たしてゆく究学心の強さであった。  唯識論《ゆいしきろん》とか、百法問答|鈔《しょう》とかいう難解なものすら、十二歳のころに上げてしまったし、十五歳の時には、明禅法印《めいぜんほういん》から、密法《みっぽう》の秘奥《ひおう》をうけて、かつて、慈円僧正が大戒《だいかい》を授けた破例を、(依怙贔屓《えこひいき》である)と、罵《ののし》った一山《いっさん》の大衆《だいしゅ》も、今では、口を黙して、 (やはり、彼の質は天稟《てんぴん》なのだ)と認めるようになっていた。  けれど範宴自身は、それに誇るようなふうは少しもなく、林泉院の智海に随って、天台の三大部を卒業するし、また、仁和寺《にんなじ》の慶存《けいぞん》をたずねて、華厳《けごん》を聴き、南都の碩学《せきがく》たちで、彼はといわれるほどな人物には、すすんで、学問を受けた。 「お体を、おこわしにならないように――」と性善坊は、日夜の彼の精進に、口ぐせのようにいっていたが、それは杞憂《きゆう》にすぎなかった。  やがて範宴《はんえん》の体質がそんなことでこわれるような脆弱《ぜいじゃく》なものでないことがわかると、 「まったく、異常なお方だ」と心から頭が下がってきて、もう、そんな通常人にいうようないたわりはいえなくなってきたのであった。そして、同じ侍《かしず》いて仕えているにしても、九年前と今日とは、まったく違った畏敬の心をもって、 (師の御房)と呼び、そして範宴から垂示《すいじ》を受ける一弟子となりきっていた。 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり]  七月の末だった。かねてから、範宴の宿望であった大和《やまと》の法隆寺へ遊学する願いが、中堂の総務所に聴き届けられて、彼は、この初秋《はつあき》を、旅に出た。 「何年ぶりのご下山でございましょう……」と性善坊は、無論、供に従《つ》いていた。そして、下山するごとに変っている世間を見ることが、やはり、軽い楽しみであるらしかった。  それでも、性善坊の方は、麓《ふもと》や町へ使いに下りることが、年に幾度かあったが、範宴は、ほとんどそれがなかった。 「すべてが、一昔前になったな」京都の町へ入ると、範宴は、眼に見るものすべてに、推移を感じた。 「ごらんなさい」と性善坊は、五条の橋に立って、指さした。 「――あの空地《あきち》の草原で、子供たちや、牛が遊んでおりましょう。あれは、小松殿のお館《やかた》のあった薔薇園《しょうびえん》の跡でございます。また、右手の東詰《ひがしづめ》には、平相国清盛《へいしょうこくきよもり》どのの、西八条の館があったのですが、荒れ果てている態《さま》を見ると、今は、誰の武者溜《むしゃだま》りになっておりますことやら」 「変ったのう」しみじみと、範宴はいって、ふと、橋の欄《らん》から見下ろすと、そこを行く加茂の水ばかりは、淙々《そうそう》として変りがない。  いや、水にも刻々の変化はあるが、人間のような儚《はかな》い空骸《くうがい》や相《すがた》を止めないだけのことである。西八条や薔薇園の女房たちの脂粉《しふん》をながした川水に、今では、京洛《きょうらく》に満ちる源氏の輩《ともがら》が、鉄漿《かね》の溶《と》き水や、兵馬の汚水を流しているのである。 「変れば変るもの――」いつまで立っていても飽かない心地がするのだった、無限の真理と直面しているように――。そして、生ける経典を眼《ま》のあたりに見ているように。  儚《はかな》いと見ればただ儚い。進歩とみれば進歩。また、虚無とみれば虚無――  社会はあまりに大きすぎて、人生の真がつかみ難い。  そこらを往来する物売りや、工匠《たくみ》や、侍や、雑多な市人《まちびと》は、ただ、今日から明日への生活《たつき》に、短い希望をつないで、あくせくと、足を迅《はや》めているに過ぎないのだった。  鞍馬の峰にあって、奥州へ逃げのびた遮那王《しゃなおう》の義経《よしつね》も、短くて華やかなその生涯を、つい二年ほど前に閉じて、人もあろうに、兄の頼朝の兵に伐《う》たれてしまった。そして、その頼朝が、今では鎌倉に覇府《はふ》をひらいて、天下に覇を唱えているのであるから、平家の文化が一変して、世も、京洛《みやこ》も、加茂川の水までが、源氏色に染め直されてしまったのは当然な変遷なのである。  だが、あまりに眼まぐるしい人生の流相《るそう》を見てしまった民衆たちは、 (また、明日《あす》にも)という不安と虚無観が消え去らないと見えて、往来の市人《まちびと》の顔には、どれもこれも、落着かない色が見えていた。 「――行こうか」範宴は、そう見ながら、ただの雲水の法師のように、五条を北川の方へ歩みだした。 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり]  それから六条の大路《おおじ》へ足を入れると、二人はさらに、 「変ったな」というつぶやきをくりかえした。  辻の市場は、目立って繁昌しているし、往来の両側にある商《あきな》い家《や》も、平氏の世盛りのころより、ずっと、数が殖えていた。  空地《あきち》にさえも、傀儡師《くぐつし》か、香具師《やし》か、人寄せの銅鑼《どら》を鳴らしている男が、何か喚《わめ》いているし、被衣《かずき》をかぶって、濃い脂粉《しふん》をほどこした女が、あやしげな眼《まな》ざしをくばって、鼻の下の長い男を物色している。 「人間の社会《よのなか》というものは、ちょうど春先の野火焼とおなじようなものでございますな。――焼けば焼くほど、後から草が伸びてくる……」と、性善坊は、感心していった。  一見、戦《いくさ》は、急速に社会《よのなか》を進化させるもののように見える。そして、誰一人、ここに生きているものは戦を呪《のろ》っていなかった。  その代りに、人間は、おそろしく、刹那主義になっていた。平家の治世がすでにそうだったが、一転して、源氏の世になると、なおさら、その信念を徹底してきたかのように、女は、あらん限り美衣をかざり、男は、絶えず、息に酒の香をもって歩いていた。 「――坊《ぼ》んさん」 「お法師さま」六条のお牛場《うしば》のあたりを、二人は、見まわしていると、かつて、その辺の空地に寝ころんでいた斑《まだ》ら牛《うし》や、牛の糞《ふん》に群れていた青蠅《あおばえ》のすがたは一変して、どこもかしこも、入口の瀟洒《しょうしゃ》な新しい小屋や小館《こやかた》で埋《うま》っていた。  店の前を、網代垣《あじろがき》でかこんだ家もあるし、朽葉色《くちばいろ》や浅黄の布《ぬの》を垂れて部屋をかくしている構えもある。また塗塀《ぬりべい》ふうに、目かくし窓を作って、そこから、呼んでいる女もあるのだった。 「これが、元のお牛場であろうか――」と、範宴も、性善坊も、茫然としてたたずんでしまった。  このつい近くであったはずの六条の範綱《のりつな》の館《やかた》はどこだろう。跡かたもない幼少のころの家をさがし廻って、範宴は、ここでもまた、憮然《ぶぜん》とした。 「きれいなお坊んさんと、お供の方――」黄いろい女たちの声が、家々の窓や垂《た》れ布《ぬの》の蔭から、しきりと、呼びぬくのであったが、自分が呼ばれているのであるとは二人とも気がつかない。  で、なお、狭い露地へまで入って行こうとすると、低い檜垣《ひがき》の蔭から、 「いらっしゃいよ」と、白い手が法衣《ころも》の袂《たもと》をつかんだ。範宴は、眼をまろくして、 「なにか御用ですか」女は、白い首を二つそこから出して、 「あなた方は、何を探しているんです」 「六条の三位《さんみ》範綱さまのお館を」 「ホ、ホ、ホ。……そんな家は、もう一軒もありませんよ。ここは、遊女町ですからね」 「え。……遊女町」 「往来から見れば分りきっているじゃありませんか。お入りなさいよ」性善坊が横から、 「馬鹿っ」と叱って、範宴の袂《たもと》をつかんでいる女の手を、ぴしりと打った。 [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり] 「よくも人を打《ぶ》ったね」遊女は、怒った。  性善坊も怒っていった。 「あたりまえだ」  遊女はまけずに、 「人を打つのが当りまえなら私も打ってやる」と手を出して、性善坊の横顔を打つ真似《まね》したが、性善坊は顔を避けて、 「けがらわしい」とその手を払った。  今度は、ほんとに怒って、遊女は性善坊の胸《むな》ぐらをつかまえた。 「何がけがらわしいのさ」 「離せ、僧侶に向って、不埒《ふらち》なまねをする奴だ」 「ふン……だ……」と、遊女は嘲笑《ちょうしょう》のくちびるを、柘榴《ざくろ》の花みたいに毒々しくすぼめて、 「坊さんだから、女は汚らわしいっていうの。……ちょッ、笑わすよ、この人は」と、家のうちにいる朋輩《ほうばい》の女たちをかえりみて、 「あそこにいる花扇《はなおうぎ》さん、その隣にいる梶葉《かじは》さん、みんな、坊さんを情夫《いろ》に持ってるんだよ。私のとこへだって、叡山《えいざん》から来る人もあるし、寺町へ、こっちから、隠れて行くことだってあるんだよ」 「人が見る。離せ」性善坊が、むきになっていうと、 「そう。人が見るから、いけないというなら、話は分っている。人が見てさえいなければいいんだろう。……晩にお出で」と、女は、胸ぐらを離して、性善坊の肩をぽんと突いた。  泥濘《ぬかるみ》に足を落して、性善坊は、脚絆《きゃはん》を泥水によごした。 「こいつめ」いち早く、家の中へ逃げこんだ女を追って、何か罵《ののし》っていると、露地の外で、 「性善坊――」範宴の呼ぶのが聞えた。 「はいっ」彼は、大人げない自分の動作に恥じて、顔をあからめながら、往来へ出てきた。そして、範宴へ、 「とんだことをいたしました」と謝った。 「ほかを探そう」範宴が歩みだすと、 「ちょっと、お待ち遊ばせ」と性善坊は、師の法衣《ころも》の袂《たもと》をつかんで、そのまま、道傍《みちばた》の井戸のそばへ連れて行った。 (何をするのか)と範宴はだまって彼のするとおりにさせていた。性善坊は、井戸のつる瓶《べ》を上げると、師の法衣《ころも》の袂をつまんで、ざぶざぶと洗って、 「さ……これでよろしゅうございます。不浄な浮かれ女《め》の手に、お袖をけがしたままではいけませんから」と水を絞って、それから自分の手も洗って、やっと、気がすんだような顔をした。  それからはもう遊女の手につかまらないように注意して二人は歩いたが、脂粉《しふん》のにおいは、袂を水で洗っても消えないような気がするのだった。  のみならず六条の館は、どう探しても見つからなかった。 [#7字下げ][#小見出し]五[#小見出し終わり]  あきらめて、二人はまた、もとの五条口の方へ引っ返した。そして五条大橋を、こんどは東の方へと渡って行く姿に、もう黄昏《たそが》れの霧が白く流れていた。  粟田口《あわたぐち》の青蓮院《しょうれんいん》についたころは、すでにとっぷりと暮れた宵《よい》の闇だった。ここばかりは、兵燹《へいせん》の禍《わざわ》いもうけず、世俗の変遷にも塗られず、昔ながらに、寂《せき》としていたので二人は、 (やはり法門こそ自分たちの安住の地だ)という心地がした。  かたく閉じられてある門の外に立って、性善坊は、 「おたのみ申す」と、ほとほと叩いた。  範宴は、うしろに立って、錆《さ》びた山門の屋根だの、楼《ろう》の様《さま》だの、そこから枝をのばしている松の木ぶりだのを眺めて、 「十年……」なつかしげに眼を閉じて、十年前の、自分の幼い姿を瞼《まぶた》に描いていた。ぎいと、小門が開いて、 「どなたじゃの」番僧の声がした。 「無動寺の範宴にござりますが、このたび、奈良の法隆寺へ遊学のため、下山いたしましたので、僧正の君に、よそながらお目にかかって参りとう存じて、夜中《やちゅう》ですが、立ち寄りました。お取次ぎをねがわしゅう存じまする」 「お待ちください」しばらくすると、番僧がふたたび顔をだして、 「どうぞ」と、先に立って案内した。  慈円《じえん》僧正は、その後、座主《ざす》の任を辞して、叡山《えいざん》からまたもとの青蓮院へもどって、いたって心やすい私生活のうちに、茶だの和歌だのに毎日を楽しんでくらしているのだった。  清楚な小屋に、二人を迎えて、慈円は、心からよろこんだ。 「大きゅうなったのう」まず、そういうのだった。得度《とくど》をうけた時の小さい稚子僧《ちごそう》の時のすがたと、十九歳の今の範宴とを思い比べれば、まったく、そういう声が出るのだった。  しかし、四、五年見ない慈円のすがたは、まだ初老というほどでもないが、かなり老《ふ》けていた。 「僧正にも、お変りなく」範宴がいうと、 「されば、花鳥風月と仏の道におく身には、年齢《とし》はないからの」と若々しく慈円は微笑した。そして、 「このたびは、法隆寺へ修学のよしじゃが、あまり励《つと》めて、からだを、そこねるなよ」 「覚運僧都《かくうんそうず》について、疑義を、御垂示うけたいと存じて参りました。からだは、このとおり健固にございますゆえ、どうぞ、御安心くださいまし」後ろの小縁にひかえていた性善坊が、そのとき、畏る畏るたずねた。 「ついては、この折に、御養父の範綱様や、また御舎弟《ごしゃてい》の朝麿《あさまろ》様にも、十年ぶりでお会いなされてはと、私からおすすめ申しあげて、実は、これへ参る先に、六条のお館をさがしました所が、まるで町の様子は変って、お行き先も知れません。で、――青蓮院でおうかがいいたせば分るであろうと、戻って参ったわけでございますが、範綱様にはその後、どこにお住まいでございましょうか」 「その儀なれば、心配はせぬがよい。かねて、約束したとおり、変りがあれば当所から知らせるし、知らせがないうちは、お変りのないものと思うていよ――とわしが申したとおりに」 [#7字下げ][#小見出し]六[#小見出し終わり]  無事さえ知ればよいようなものの、やはり範宴《はんえん》は一目でも会いたいと思った。  僧正は、その顔いろを見て、明日《あす》の朝でも寺の者に案内させるから久しぶりに訪れて行ったがよかろうといった。 「まあ、今宵は、旅装を解いて、ゆるりと休んだがよい」 「ありがとう存じます」範宴は、退《さ》がって、風呂所《ふろしょ》で湯浴みを終えた後、性善坊と共に、晩の膳を馳走されていた。するとそこへ、執事が来て、 「ただ今、僧正のお居間へ、おひきあわせ申したい客人《まろうど》がお見えになりましたから、お食事がおすみ遊ばしたら、もいちど、お越しくださるようにとの仰せでござる」と告げた。 (誰であろう? ……自分に紹介《ひきあ》わせたい客とは)範宴は、ともかく、行って見た。  見ると、寛《くつろ》いだ衣《きぬ》を着て、大口袴《おおくち》を豊かにひらいた貴人が、短檠《たんけい》をそばにして、正面に坐っている。  僧正よりは幾歳《いくつ》か年上であろう。四十四、五と見れば大差はあるまい。鼻すじのとおった下に薄い美髯《びぜん》を蓄《たくわ》えている。その髯を上品に見せているのは、つつましくて、柔和な唇のせいである。 「…………」範宴を見ると、貴人は、前から知っているように、にこと眼で微笑《ほほえ》んだ。慈円僧正はそばから、 「兄上、これが、範宴少納言でございます」と秘蔵のものでも誇るように紹介した。 「うむ……」貴人は、うなずいて、 「なるほど、よい若者じゃの」間のわるいほど、じっと、見ているのであった。僧正はまた、範宴に向って、 「月輪関白《つきのわかんぱく》様じゃ」と教えた。 「お……月輪様ですか」範宴は驚いた。そして礼儀を正しかけると、関白|兼実《かねざね》は、 「いやそのまま」といって、いたって、気軽を好まれるらしく、叡山《えいざん》の近状だの、世間ばなしをし向けてくるのであった。  月輪兼実が、師の僧正の血を分けた兄君であることは、かねがね承知していたが、関白の現職にある貴族なので、こんな所で、膝近くこうして言葉を交わすことなぞは思いがけないことなのである。 「華厳《けごん》を研究して、叡山の若僧《じゃくそう》のうちでは、並ぶ者がないよしを噂に聞いたが」 「お恥かしいことです。まだ、何らの眼もあかぬ学生《がくしょう》にござりまする」 「弟も、おもとのうわさをするごとに、精進の態《てい》を、わがことのように、よろこんでおる」 「高恩を、無にせぬように、励むつもりでございます」 「いちど、月輪の館《やかた》の方へも、遊びに出向いて賜《た》もれ」 「ありがとう存じます」 「若くて、求法《ぐほう》に執心な者も多勢《おおぜい》いるから、いちど、範宴御房の華厳経《けごんきょう》の講義でもしてもらいたいものじゃ。――この身も、聴いておきたいし」と兼実はいった。  それから僧正が、自慢の舶載の緑茶を煮たり、一、二首の和歌を作って、懐紙に認《したた》め合ったりして、間もなく、兼実は、舎人《とねり》をつれて、待たせてある牛車《くるま》に乗って帰った。 [#7字下げ][#小見出し]七[#小見出し終わり]  修行の山を下りて十年目の第一夜だった。久しぶりで範宴は人間の中で眠ったような温か味を抱《いだ》いて眠った。  眼をさまして、朝の勤めをすますと、きれいに掃《は》かれた青蓮院の境内には、針葉樹の木洩《こも》れ陽《び》が映《さ》して、初秋の朝雲が、粟田山《あわたやま》の肩に、白い小猫のように戯《たわむ》れていた。 「性善坊、参ろうぞ」範宴は、いつの間にか、もう脚絆《きゃはん》や笠の旅仕度をしていて、草鞋《わらじ》を穿《は》きにかかるのであった。 「や、もうお立ちですか」とかえって、性善坊のほうが、あわてるほどであった。 「僧正には、勤行《ごんぎょう》の後で、お別れをすましたから」と範宴は、何か思い断《き》るように足を早めて山門を出た。  性善坊は、笈《おい》を担《にな》って、後から追いついた。  すると、執事の高松|衛門《えもん》が、山門の外に待っていて、 「範宴殿、ご出立ですか」 「おせわになりました」 「僧正のおいいつけで、今日は、六条|範綱《のりつな》様のお住居《すまい》へ、ご案内申すつもりで、お待ちうけいたしていたのですが――」 「ありがとう存じます」 「まさか、このまま、お発足のおつもりではございますまいが」 「いや」と、範宴はゆうべから悶《もだ》えていた眉を苦しげに見せていった。 「……養父《ちち》の顔も見たし、弟にも会いたしと、昨日は、愚かな思慕に迷って、一途《いちず》に養父《ちち》の住居を探しあるきましたが、昨夜《ゆうべ》、眠ってから静かに反省《かえり》みて恥かしい気がいたして参りました。そんなことでは、まだほんとの出家とはいわれません。僧正もお心のうちで、いたらぬ奴と、お蔑《さげす》みであったろうと存じます。いわんや、初歩の修行をやっと踏んで、これから第二歩の遊学に出ようとする途中で、もうそんな心の弛《ゆる》みを起したというのは、われながら口惜《くちお》しい不束《ふつつか》でした。折角のご好意、ありがとうぞんじますが、養父《ちち》にも弟にも、会わないで立つと心に決めましたから、どうぞ、お引きとり下さいまし」 「さすがは、範宴御房、よう仰せられた。――それでは、その辺りまで、お見送りなと仕ろう」  衛門は、先に立って、青蓮院《しょうれんいん》の長い土塀にそって歩きだした。そして、裏門の方へと二十歩ほど、杉木立の中を行くと、小《ささ》やかな篠垣《しのがき》に囲まれた草庵があって、朝顔の花が、そこらに、二、三輪濃く咲いていた。 「きれいではございませぬか」衛門は、垣の内の朝顔へ、範宴の注意を呼んでおいて、そこから黙って、帰ってしまった。  性善坊は、何気なく、垣のうちを覗《のぞ》いて、愕然《がくぜん》としながら、範宴の袂《たもと》をひいた。 「お師さま。……ここでござりますぞ」 「なにが」 「ご覧《ろう》じませ」 「おお」  性善坊に袖をひかれて、草庵のうちを覗いた範宴の眼は、涙がいっぱいであった。  姿は、ひどく変っているが、日あたりのよい草堂の縁に小机を向けて、何やら写《うつ》し物の筆をとっている老法師こそ、紛《まぎ》れもない、養父《ちち》の範綱なのであった。 [#7字下げ][#小見出し]八[#小見出し終わり] 「いつ、ご法体《ほったい》になられたのか」範宴は、涙で、養父のすがたが見えなくなるのだった。 「……面影もない」と昔の姿とひき比べて、十年の養父の労苦を思いやった。  性善坊は、たまりかねたように、そこの門を押して、入ろうとした。 「これ、訪れてはならぬ」範宴は叱った。そして、心づよく、垣のそばを離れて、歩きだした。 「お会いなされませ、お師様、そのお姿を一目でも、見せておあげなされませ」 「…………」範宴は、首を横に振りながら、後も見ずに足を早めた。  すると、鍛冶《かじ》ヶ|池《いけ》のそばに二人の若い男女が、親しげに、顔を寄せ合っていたが、範宴の跫音《あしおと》に驚いて、 「あら」と、女が先に離れた。  この辺の、刀|鍛冶《かじ》の娘でもあろうか、野趣があって、そして美しい小娘だった。  男も、まだ十七、八歳の小冠者《こかんじゃ》だった。秘密のさざめ語《ごと》を、人に聞かれたかと、恥じるように、顔を赧《あか》らめて振りかえった。 「おや……? ……」範宴は、その面《おも》ざしを見て、立ちすくんだ。  若者も、びくっと、眼をすえた。  幼い時のうろ覚えだし、十年も見ないので、明確に、誰ということも思いだせないのであったが、骨肉の血液が互いに心で呼び合った。  ややしばらく、じっと見ているうちに、どっちからともなく、 「朝麿《あさまろ》ではないか」 「兄上か」寄ったかと思うと、ふたつの影が、一つもののように、抱きあって、朝麿は範宴の胸に、顔を押しあてて泣いていた。 「――会いとうございました。毎日、兄君の植髪《うえがみ》の御像《みぞう》をながめてばかりおりました」 「大きゅうなられたのう」 「兄上も」 「このとおり、健《すこ》やかじゃ。――して、お養父《ちち》君も、その後は、お達者か」 「まだ、お会い遊ばさないのでございますか」 「たった今、垣の外から、お姿は拝んできたが」 「では、案内いたしましょう。養父も、びっくりするでしょう」 「いや、こんどは、お目にかかるまい」 「なぜですか」 「自然に、お目にかかる折もあろう。ご孝養をたのむぞ」すげなく、行きすぎると、 「兄上――。どうして、養父上《ちちうえ》に、会わないのですか」朝麿は、恨むように、兄の手へ縋《すが》った。女は、池のふちから、じっとそれを見ていた。処女心《むすめごころ》は、自分への男の愛を、ふいに、他人へ奪《と》られたような憂いをもって、見ているのだった。 「…………」性善坊は、すこし、傍《わき》へ避けて、兄弟の姿から眼をそむけながら、ぽろぽろと、頬をながれるものを、忙しげに、手の甲でこすっていたが、そのうちに、範宴は、何を思ったか、不意に、弟の手を払って、後《あと》も見ずに、走ってしまった。 [#3字下げ][#中見出し]川霧《かわぎり》[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  ちらと、彼方《あなた》に灯が見えた。町の灯である。  生紙《きがみ》へ墨を落したように町も灯も山も滲《にじ》んでいた。 「宇治だの」範宴《はんえん》は立ちどまった。足の下を迅い水音が聞える。やっと、黄昏《たそが》れに迫って、この宇治川の大橋へかかったのであった。 「さようでございまする。――もういくらもございますまい」云い合わしたように、性善坊《しょうぜんぼう》も、橋の中ほどまで来ると、欄《らん》に身を倚《よ》せかけて、一憩《ひとやす》みした。  ひろい薄暮の視野を、淙々《そうそう》と、秋の水の清冽《せいれつ》が駈けてゆく。範宴は冷ややかな川の気に顔を吹かれながら、 「――治承《じしょう》四年」とつぶやいた。 「わしはまだ幼かった。おもとはよく覚えておろう」 「宇治の戦でございますか」 「されば、源三位《げんざんみ》頼政殿の討死せられたのは、この辺りではないか」 「確か。……月は、五月のころでした」 「わしには、母の君が亡逝《みまか》られた年であった。……母は源家《げんけ》の娘であったゆえ、草ふかく、住む良人《おっと》には、貞節な妻であり、子には、おやさしい母性でおわした以外、何ものでもなかったが、とかく、源氏の衆と、何か、謀叛気《むほんぎ》でもあったかのように、一族どもは、平家から睨まれていたらしい。さだめし、子らの知らぬご苦労もなされたであろう」 「いろいろな取り沙汰が、そのころは、ご両親様を取り巻いたものでございました」 「さあれ、十年と経てば、この水のように、淙々《そうそう》と、すべては泡沫《うたかた》の跡形もない。――平家の、源氏のと、憎しみおうた人々の戦の跡には何もない」 「ただ、秋草が、河原に咲いています。――三位殿は、老花《おいばな》を咲かせました」範宴は、法衣《ころも》の袂《たもと》から数珠《じゅず》を取りだして、指にかけた。  高倉の宮の御謀議《おんくわだて》むなしく、うかばれない武士《もののふ》たちの亡魂が、秋のかぜの暗い空を、啾々《しゅうしゅう》と駈けているかと、性善坊は背を寒くした。  母の吉光《きっこう》の前と源三位頼政とは、おなじ族の出であるし、そのほか、この河原には、幾多の同血が、屍《しかばね》となっているのである。範宴は、復従兄弟《またいとこ》にあたる義経の若くして死んだ姿をも一緒に思いうかべた。そして、そういう薄命に弄《もてあそ》ばれてはならないと、わが子の未来を慮《おもんぱ》かって、自分を、僧院に入れた母や養父や、周囲の人々の気もちが、ここに立って、ひしとありがたく思いあわされてくるのでもあった。  その霜除けの囲いがなければ、自分とても、果たして、今日この成長があったかどうか疑わしい。自分の生命は、決して、自分の生命でない気がする。母のものであり同族のものであり、そして、何らかの使命をおびて、自身の肉体に課されているこの歳月ではあるまいか――などとも思われてくるのであった。 「…………」数珠《じゅず》が鳴った。性善坊も、瞑目《めいもく》していた。  すると、その二人のうしろを、さびしい跫音《あしおと》をしのばせて、通りぬけてゆく若い女があった。 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり]  ふと、振りかえって、女のうしろ姿を見送りながら、 「もし……」性善坊は、範宴の袂《たもと》を、そっと引いた。 「――あの女房、泣いているではありませんか」 「町の者であろう」 「欄干へ寄って、考えこんでいます。おかしな女子《おなご》だ」 「見るな、人に、泣き顔を見られるのは憂《う》いものじゃ」 「参りましょう」二人は、そういって、歩みかけたが、やはり気にかかっていた。五、六歩ほど運んでから再び後ろを振り向いたが、その僅かな間《あいだ》に、女のすがたはもう見えなかった。 「や、や?」性善坊は、突然、笈《おい》を下ろして、女のいたあたりへ駈けて行った。そして、欄干から、のめり込むように川底をのぞき下ろして、「お師様っ、身投げですっ」と手を振った。範宴は、驚いた。そして自分の迂濶《うかつ》を悔いながら、 「どこへ」と側へ走った。性善坊は、暗い川面《かわも》を指さして、 「あれ――、あそこに」といった。  水は異様な渦を描いていた。女の帯であろう。黒い波紋のなかに、浮いては、沈んで見える。 「あっ、あぶないっ……」性善坊が驚いたのは、それよりも、側にいた範宴が、橋の欄《らん》に足をかけて、一丈の余もあるそこから、跳び込もうとしているからであった。抱きとめて、 「滅相もないっ」と、叫んだ。 「――私が救います、お大事なお体に、もしものことがあったら」と、彼は手ばやく、法衣《ほうえ》を解きかけた。すると、河原の方で、 「おウい……」と、男の声がした。  二、三人の影が呼び合って、駈けつけてきたのである。川狩をしていた漁夫《りょうし》であろうか、一人はもうざぶざぶと水音を立てている。川瀬は早いが、幸いに浅い淵《ふち》に近かったので苦もなく救われたのであろう、間もなく、藻《も》のようになった女の体をかかえて岸へ上がってきた。 「ありがとう」範宴は、礼をいいながら、男たちの側へ寄って行った。  女は、まだ気を失っていないとみえて、おいおいと泣きぬいていた。両手を顔にあてながら身を揺すぶって泣くのである。 「どう召された」性善坊が、やさしく、女の肩に手をやってさし覗《のぞ》くと、女は不意に、 「知らないっ、知らないっ」その手を振り払って、まっしぐらに、宇治の橋を、町の方へ、駈けだして行くのであった。 「あっ、また飛びこむぞ」男たちは、そういったが、もう追おうともしないで、舌打ちをして見送っていた。 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり]  捨てておけない気がした。範宴は駈けだしつつ、 「ああ迅《はや》い足だ、性善坊、おもと一人で、先に走ってあの女を抱きとめい」 「かしこまりました」性善坊は、宙《ちゅう》をとんで、もう宇治の大橋を彼方《かなた》へ越えてしまった女の影を追って行った。  案のじょう、女は橋をこえると、町の方へは向わないで、河原にそって上流の方へ盲目的に取り乱したまま駈けてゆく。 「これっ、どこへ参る」性善坊がうしろから抱き竦《すく》めると、女は、甲《かん》ばしった声で、 「どこへ行こうと、大きなお世話ですよ、離してください」 「離せません。おまえは死のうとする気じゃろう」 「死んでわるいんですか」青白い顔を向けて、女は、食ってかかってくる。その眼《まな》ざしを見て、 (これは)と性善坊は思わず面《おもて》を背《そむ》けてしまった。  つりあがった女の眼は、光の窓みたいに尖《とが》っていた。髪は肩へ散らかっているし、水|浸《びた》しになった着物だの、肌だのを持って、寒いとも感じないほど、逆上してしまっている。 「なぜ悪いのさ」女は僧侶《そうりょ》のすがたを見て、ことさらに反感を抱いたらしく、かえって、詰問してくるのだった。 「わるいにきまっています。人間にはおのずから、定められた寿命がある。一時の感情で、生命《いのち》をすてるなどは、愚か者のすることです」 「どうせ私は、愚か者です。愚か者なればこそ」しゅくっと、嗚咽《おえつ》して、 「男に……男に……」他愛なくわめいて、また、 「死なして下さい」 「そんなことはできない」 「面当《つらあて》に、死んでやるんです」と、おそろしい力でもがいた。  性善坊が持ち前で、そのかぼそい手頸《てくび》を捻《ね》じ上げて、範宴の来るのを待っていると、女は性善坊が憎い敵ででもあるように、指へ噛みつこうとさえするのだった。 「落着きなさい。……痴情《ちじょう》の業《わざ》のするところだ、醒《さ》めた後では、己れの心が、己れでもわからないほど、呆《あ》っ気《け》ないものになってくる」 「お説教ならお寺でおしなさい。私は、坊さんは嫌いです」 「そうですか」苦笑するほかはない。範宴が、追いついてきた。 「どうした、性善坊」 「抑《おさ》えました」 「ひどいことはせぬがよい」 「なに、自分で狂い廻って、泣きさけぶのです」 「お女房――」範宴は背をなでてやって、 「行きましょう」 「どこへさ」 「あなたのお宅まで、送ってあげます。風邪《かぜ》をひいてはなりません、着物も濡れているし……」 「死ぬ人間に、よけいなおせっかいです。かまわないで下さい」女人は救い難いものとはかねがね聞かされているところであったが、こういうものかと、範宴は、しみじみと見つめていた。 [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり]  あさましいこの女の狂態を見るにつけて、範宴は、一昨日《おととい》、鍛冶《かじ》ヶ|池《いけ》の畔《ほとり》で逢った弟のことを思い出した。  弟は、あの時、池のふちで年ごろの若い娘と列《なら》んでいた。  まさか、人目にとやこういわれるほどのことではあるまいが、弟は、自分とちがって、蒲柳《ほりゅう》だし、優しいし、それに、意志がよわい。  範宴が、今度、叡山《えいざん》を下りてから、何よりもふかく多く心に映ったものは、「女」だった。女のいない山から下りてみると、世間は女の国に見える。女だらけに見える。わずらわしいことにも思い、何か急に明るい気もちもして、自分の年頃に、おぼろな不安と温かさを醸《かも》していた。 「お師さま、弱りました」さっきから、女をなだめすかしていた性善坊は、持てあましたようにいった。 「どうしても、家へ帰らないというのです」範宴が今度は、 「宇治かの、おもとの家は」と訊いた。 「いやです。帰るくらいなら、一人で帰る」 「そういわないで、私たちも、宇治の町へ行く者です。送ってあげよう」 「くどい坊さんだね」 「私たちの使命ですから、気に食わないでも、ゆるして下さい。私は、おもとを幸福にしてあげたいのだ」 「笑わすよ、この人は。人間を幸福にしてやるなんて、そんな器用なまねが、人間にできるものか」 「私の力ではできません。仏の御力《みちから》で――」 「その仏が、私は大嫌いだよ。――死にたいというのに、邪魔をするし、嫌いだというものを押しつけるし、お前たちは、人を不幸にするのが上手だよ」 「とにかく、歩きましょう」 「嫌《いや》――」 「おもとの望みのようにして上げたらよかろう」 「わたしの望みは、わたしの男を自分のものにすることだ」 「やさしい願いではありませんか」 「とんでもないことおいいでない、男には、ほかに、女ができているんだよ」 「その男とは、おもとの良人《おっと》でしょう」 「まだ、ちゃんと、何はしないけれど……」 「ようございます。私どもが真ごころを尽して、男の方《かた》に申しましょう。わるいようにはしない……さ、歩いてください」やっと、宇治の町まで連れてきて、女の家をたずねると、 「そこ――」と、裏町の穢《きたな》い板長屋の一軒を指さした。  御烏帽子作国助《おんえぼしづくりくにすけ》と古板に打ちつけてある。範宴が、板戸をたたいて、 「こん晩は」訪れると、その隙《すき》に、女は性善坊の手を振り捥《も》いで、逃げようとした。 [#7字下げ][#小見出し]五[#小見出し終わり] 「はい、どなた?」若い男の返辞だった。すぐ家の中から板戸を開けて、そこに立っていた者が、二人の僧であったのに意外な顔をしたが、さらに、性善坊の手から逃げようともがいている女の姿を見ると、 「この阿女《あま》」と、裸足《はだし》で飛び出してきて、女の黒髪をつかんだ。 「どこへ行っていやがったのだ。――おや、ずぶ濡れになって、また、馬鹿なまねをしやがったな」あまり無造作に家の中へ引き摺り上げてしまったので、範宴は、 「もしっ、そんな乱暴はせずに下さい」共に、家のうちへ入ったが、もうその時は、女のほうが、俄然、血相を烈しくして、 「何をするんだッ、そんなに、私が憎いかっ。殺せ」 「気ちがいめ」 「さ、殺せ」いいつつ、男の胸ぐらへつかみかかって、 「そのかわりに、私一人じゃ死なないぞ。この浮気男め、薄情者め。口惜しいっ」  範宴も、これには手を下しかねた顔つきで、眺めていた。しかし、抛《ほ》っとけば限《き》りもないので、 「止めてやれ」と、性善坊にいうと、 「こらっ」彼は、まず男のほうを隔《へだ》て、 「やめぬか、まさか、仇《かたき》同士でもあるまい」 「仇より憎い」と女はさけんだ。  それからは油紙に火がついたように、男のざんそ[#「ざんそ」に傍点]を人前もなく喋舌《しゃべ》り立てて、男が自分を虐待《ぎゃくたい》して、ほかで馴染んだ売女《ばいじょ》をひき入れようとしていることだの、この家が貧乏なために、自分が持ち物を売りつくして貢《みつ》いだのと、あらゆる醜悪な感情をおよそ舌のつづく限り早口でいった。  さすがに、間がわるくなったと見えて、烏帽子師《えぼしし》の男は、青白い顔して、うつ向いていた。  そして今になってから、気がついたように、範宴へ、 「どうも相すみません」と、いった。 「あなたの内儀《ないぎ》ですか」と性善坊が口を入れた。 「いいえ、でき合って、ずるずるに暮している萱乃《かやの》という女です。けれど、萱乃のいうような、そんな、私は悪い男じゃないつもりです」 「仲を直してはどうじゃ」 「私は、可愛いくって、しかたがないくらいなんだが、ご覧のとおりな……」女は、眸《め》から針を放って、 「嘘をおつきッ」 [#7字下げ][#小見出し]六[#小見出し終わり]  女がさらに血相を持ち直して、甲《かん》だかく猛《たけ》りかけると、その時、門《かど》の戸を開けて、 「娘、われはまた、ここへ来ていくさるのか」誰やら、老人らしい声がした。  その声を聞くと、萱乃《かやの》は、びくりとして、 「あっ、お父さん」水を浴びたように、今までの狂態を醒《さ》まし、にわかに、穴へでも入りたいように、居竦《いすく》んでしまう。  烏帽子師の国助も、面目なげにうろうろとしていた。するともう案内もなく上がって来た萱乃の父なる人は、厳《いか》つい顔を硬《こわ》ばらしてそこに突っ立ちながら、若い男女を見下ろして、さも忌々《いまいま》しげに、 「恥さらしめっ」と、唾《つば》でも吐きかけたいように睨《ね》めつけた。  宇治の郷士《ごうし》でもあろうか、粗末な野太刀を佩《は》いた老人だった。 「さ、家へこい、家へ帰れ。こんな怠け者の職人と、痴話狂《ちわぐる》いをさせようとて、親は、子を育てはせぬぞ。不届き者め」  萱乃《かやの》の襟《えり》がみをつかんで、叱りながら、引っ立てると、 「嫌です、嫌です」娘は、筵《むしろ》へしがみ伏して、 「――家へは帰りません」と必死でいった。 「なぜ帰らない」 「でも私は、国助さんと、どんな苦労でもしたいのです」 「親の許さぬ男に?」 「かんにんして下さい」 「ならぬっ」と老人は一喝《いっかつ》して、 「こんな男に、見込みはない。親のゆるさぬ男の家へ入りこんで、仲よくでも暮していることか、町の衆が、笑っている。嫌ならよし、親の威光でも、しょッ引いて行かねばならぬ」  憤怒《ふんぬ》して、老人は、娘の体を二、三尺ずるずると門《かど》の方へ引きずり出した。  皺《しわ》の深い唇《くち》のまわりに、ばらっと、針のような無精髯《ぶしょうひげ》の伸びているその老人の顔と、物言い振りを、それまでじっと傍観していた性善坊は、その時始めて口をひらいて、 「待て。――おぬしは、六条のお館《やかた》に奉公していた箭四郎《やしろう》じゃないか」といった。 「げっ?」老人は開《あ》いた口をしばらくそのまま、 「…………」小皺《こじわ》の中の眼をこらして、いつまでもいつまでも性善坊の顔を見つめ、一転して、その側にきちんと坐っている範宴の姿を見て、 「や、や、や……」萱乃の襟がみから手を離して、そこへ、べたっと坐ってしまった。 「お――。……おぬしは元の侍従介《じじゅうのすけ》?」 「介《すけ》じゃよ」 「では、これにお在《わ》すのは……」 「わからぬか、あまりご成長あそばしたので、見違うたも無理じゃない。日野の和子《わこ》さま……十八公麿様《まつまろさま》じゃ」 「あっ、何としよう」  箭四老人は、両手をつき、額《ひたい》を筵《むしろ》につけたまましばらくは面《おもて》を上げようとしない。 [#7字下げ][#小見出し]七[#小見出し終わり]  彼の鬢《びん》の白さに、 「おもとも、変ったのう」しみじみと、範宴も見入っていた。  箭四老人の語るところによると過ぎつる年のころ、木曾殿乱入の時にあたって、平家は捨てて行く都に火を放ち、また日ごろ、憎く思う者や、少しでも源家に由縁《ゆかり》のある者といえば、見あたり次第に斬って、西国へと落ちて行った。  その折、六条の館《やかた》も、あの附近も、一様に焼き払われて、範綱《のりつな》は身辺すら危ない身を、朝麿《あさまろ》の手をひいて、からくも、青蓮院《しょうれんいん》のうちに隠れ、箭四郎も供をして、しばらく世の成りゆきを見ていたが、つらつら感じることのあったとみえて範綱は、ふたたび世間へ帰ろうとはせず、髪を下ろして、院の裏にあたるわずかな藪地《やぶち》を拓《ひら》いて草庵をむすび、名も、観真《かんしん》とあらためていた。  で、箭四郎にも暇《いとま》が出たので、宇治の縁家に一人の娘が預けてあるのを頼りに、故郷へ戻って、共に、生活《なりわい》を励もうと一家をもったのであるが、久しく離れていた実《まこと》の父よりは、年ごろの娘には思い合うた若者の方が遥かによいとみえて、家に落着いていることなどはほとんどなく、姿が見えないと思えば、烏帽子師《えぼしし》の国助の家に入りびたっている始末なのでほとほと持て余しているところなので――と彼は長物語りの末に、 「どうしたものでございましょう」と面目ないが、包み隠しもならず、恥をしのんで、打ち明けるのであった。 「なるほど」それで仔細は分ったが、そう聞けば、萱乃《かやの》の恋もいじらしいものである。それを、男の国助は、ほかにも女があって、かくばかり萱乃を苦しませているのはよろしくない。遊女とかいう国助の一方の情婦《おんな》をこそ、この際、どれほど、深い仲なのか、正直に聞かしてもらおうではないか。それが、解決の一策というものだと、まず性善坊が、なれない話ながら、相談あいてになってみると、国助のいうには、 「てまえが、遊女屋がよいをいたしたのは、まったくでございますが、決して、浮いた沙汰ではなく、何を隠しましょう、東国を流浪しているうちに、木賊四郎《とくさのしろう》という野盗に誘拐《かどわ》かされて、この宇治の色町へ売られた妹なのでございまする。――けれど、妹が売女《ばいじょ》だなどという沙汰が、人に知られては外聞もわるし、この萱乃にも、つい初手に打ち明けかねて、近ごろになって、そう申しても、もう信じてもくれないのでございます。けれどてまえは、決して、萱乃が憎いのではございません。どうかして、妹の身代金《みのしろきん》だけを、兄妹《きょうだい》して稼いで抜こうとお互いに慰《なぐさ》めていますので、少しでも生活《くらし》の剰《あま》りができれば妹にわたし、妹も幾らでも客にもらえば私に見せて、共々に、月に二度か三度の会う日を、楽しんでいたのでございます。決して、萱乃がいうような浮いた話ではありません」吶々《とつとつ》ということばには真実があって、むしろ、妹思いな兄と、兄思いな妹とが、髣髴《ほうふつ》として、眼を閉じて聞いている人々の瞼《まぶた》に迫ってくるほどなのである。 「すみませんッ……」突然、泣き伏したのは萱乃であった。身悶《みもだ》えをして咽《むせ》びつづけた。 [#7字下げ][#小見出し]八[#小見出し終わり]  悔いと慚愧《ざんき》に、うちたたかれて萱乃は、 「――何もかも、私の嫉妬《しっと》からでした。……すみません、国助さんにも、お父さんにも」くりかえすばかりだった。  嫉妬は、女を炎にするが、その迷いから出ると、女は、不愍《ふびん》なほど、真実な姿にかえって、浄化される。性善坊は、箭四郎に、 「おぬしは、娘御のこれほど慕っている国助が、気に喰わぬのか」とたずねた。 「いや、気に喰わんというわけじゃないが、世間でとかくよういわぬから、娘の行く末を託するに足らぬ男と思うていたまでじゃ」 「その誤解も、今は、解けたであろうが」 「うむ……」 「解けたついでに、心まで打ち溶《と》けてみる気はないか。――親がゆるして、添わせてやるのじゃ」 「わしにも、落度があった。国助の心ばえも、今夜はよう分ったゆえ、男女《ふたり》の望みにまかせましょう。――そして萱乃」 「はい……」 「良人の力になって、共稼ぎに働いて、一日もはやく、遊女の群れに落ちている国助の妹とやらを救うてあげるのだ」 「きっと、働きます」初めて、和《なご》やかなものが、家のうちに盈《み》ちた。範宴も、うれしく思った。夜も更けたほどに、人々は、空腹であった。炉《ろ》に薪《たきぎ》を加えて、萱乃は、粥《かゆ》などを煮はじめる。  話がつきないまま、人々は、明け方のわずかを、炉のそばに、まどろんだきりであった。  夜が明けると、 「では――機嫌よう、暮せよ」二人は旅の笠を持つ。  きのうとは、生れ代ったような萱乃と国助は、明るい顔して、途中まで見送ってきた。箭四郎《やしろう》も、従《つ》いてきた。 「もう、この辺で結構です。職人は、時間が金、きょうからは、約束したように、共稼ぎで働いてください」範宴は、そういって、宇治川の河原にたたずんだ。名残惜しげに、 「では、渡船場《わたしば》まで」と話しつつ、歩いてゆく。 「あれをごらんなさい」別れ際に、範宴は、悠久とながれている大河の姿を指さして、若い男女《ふたり》へいった。 「――天地の創造された始めから、水は、天地の終るまで、無窮の相《すがた》をもって流れています。われわれ人間とてもその通り、人類生じて以来何万年、またこの後人類の終るまで何億万年かわからぬ。その、無窮にして無限の時の流れから見ると、人の一生などは、電光《いなずま》のような瞬間です。その瞬間に、こうして、同じ時代に生れ合ったというだけでも、実に奇《く》しき縁《えにし》と申さねばならぬ。いわんや、同じ国土に生れ、同じ日のもとに、知る辺《べ》となり、友となり、親となり、子となり、また、夫婦となるということは、よくよくふかい宿命です。……だのに、そのまたと、去っては会い難い機縁の者同士が、憎みあい、呪《のろ》いあい、罵《ののし》りあうなどということは、あまりにも、口惜しいことではないか。――見るがよい、こう話している間も、水は無窮に流れて、流れた水は、ふたたびこの宇治の山河に、会いはしない……」 [#7字下げ][#小見出し]九[#小見出し終わり] 「わかりました」若い夫婦《ふたり》は、しみじみと、範宴のことばを心に沁《し》み入れてうなずいた。  渡船《わたし》が出る。範宴は、性善坊と一緒に、舷《ふなべり》へ立った。  狭霧《さぎり》が霽《は》れてきた。箭四《やし》老人は、幾たびも、 「和子《わこ》様――おからだをお大切に――ご修行を遊ばしませ」彼にはまだ、範宴が、昔の十八公麿《まつまろ》のように稚《おさな》く見えてならなかった。今も、和子様と、呼ぶのであった。 「爺《じい》も、無事に」と、範宴が答えると、 「おさらばでございます」萱乃《かやの》と国助が、うるんだ眼をして、じっと見送る。  早瀬へ、渡船《わたし》はかかっていた。下流《しも》へ下流へと、船脚はながされてゆく。箭四郎のすがたが、次第に小さくなった。若い男女《ふたり》のすがたに、朝の陽《ひ》が、かがやいていた。 (あの夫婦に、永く、幸福のあるように)と範宴は、仏陀《ぶっだ》に祈った。  河原には、小禽《ことり》が、いっぱいに啼いている。何ともいえない、清々《すがすが》しさが、皮膚から沁み入るように覚えた。  だが、範宴は、山を下りてから事ごとに何か考えさせられた。それは、 (学問のための学問ではだめだ)ということだった。  自分が、きょうまで、霧の中に、刻苦してきたことは、要するに、それである。人間を対象としない、古典との燃焼であった。いくら、研学に身を燃焼しても、それがただ、古典に通ずるだけのものであったら、意味はとぼしい。  生きた学問とはいえない。衆生《しゅじょう》に向って、心の燈火《ともしび》となる学問ではない。自分の胸に、明りを点《つ》けて、自分のみ明るしとする狭いものでしかない。  人間を知ろう。社会を知ろう。――それこそ生々しい大蔵《だいぞう》の教典だ。それによってこそ、初めて、真の仏教がものをいう。  河内路《かわちじ》の白い土を踏みながら、範宴は、そんなことを考えたりした。 (しかし? ……)とまた、惑《まど》いもするのだった。 (そういう考えは、まだ、生意気かもしれない。人生だの、社会だのというのは、そんな簡単なものではない。それに……まだ古典のほうだって、自分はまだ、ほんの九牛の一毛を、学んだばかりの黄口《こうこう》の青年ではないか。まず、しばらくは、無想と、無明《むみょう》の中に入って、専念、学ぶことが必要だ。――ただ専念に)と、行く手の法隆寺に、その希望をつなぎ、おのずから足に力が入るのを覚えつつ大和《やまと》へ急いだ。 [#3字下げ][#中見出し]柿色《かきいろ》の集団《しゅうだん》[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり] 「はてな?」性善坊は、雑鬧《ざっとう》する駅路《うまやじ》の辻に立って、うろうろと、見まわしていた。  木津川を渡って直ぐの木津の宿《しゅく》であった。  源氏の府庁から布《し》かれた大きな高札が立っている。  その官文《かんぶん》の前にも、範宴《はんえん》は見えなかった。  汚い木賃宿《きちん》だの、馬飼の馬小屋だの、その前に立って罵《ののし》っている侍だの、川魚を桶にならべて売る女だの、雑多な旅人の群れだのが、秋の蠅《はえ》と一緒になって騒いでいる。 「この、阿呆《あほう》っ、高い所にのぼりたけれや、鴉《からす》になれっ」と、柿売りの男が、屋根の上にあがって遊んでいる子どもを、引きずり下ろして、往来の真ン中で、尻を、どやしつけていると、その子の女親が、裸足《はだし》で駈けてきて、 「人の子を、何で、打《ぶ》ちくさるのじゃ」と柿売りの男を、横から突く。 「てめえの家の餓鬼《がき》か。この悪戯《わるさ》のために、雨漏《あまも》りがして、どうもならぬゆえ、懲《こ》らしめてくれたのが、何とした」 「雨が漏るのは、古家のせいじゃ、自分の子を、打《ぶ》て」 「打ったが、悪いか」と、またなぐる。子どもは泣き喚《わめ》く。 「女と思うて、馬鹿にしくさるか」と、子どもの母親は、柿売りに、むしゃぶりついた。  親同士の喧嘩になって、見物は蠅のようにたかってくるし、駅路《うまやじ》の馬はいななくし、犬は吠えたてる。性善坊は、探しあぐねて、 「お師様あ」と呼んでみたが、そこらの家の中に、休んでいる様子もない。  木津の渡船《わたし》で、すこし、うるさいことがあったので、宿《しゅく》の辻で待ちあわしているようにと、自分は、一足後から駈けつけてきたのであったが――。  ここに見えないとすると、もう奈良も近いので、あるいは、先へ気ままに歩いて、奈良の口で待っているおつもりか? 「そうかも知れない」性善坊は、先の道へ、眼をあげながら、急ぎ足になった。  その足もとが、鶏《とり》に蹴つまずいた。埃《ほこり》をあげて、鶏が、けたたましく、往来を横に飛ぶ。  宿場を出ると、やがて、相楽《さがら》の並木からふくろ坂にかかった。その埃の白い草むらに、 [#1字下げ]西、河内《かわち》生駒路、東、伊賀上野道。  道しるべの石碑《いしぶみ》が立っていた。  さっきからその石碑のそばに、黙然《もくねん》と、笈《おい》ずるを下《お》ろし、腰かけている山伏がある。 「……喉《のど》が渇《かわ》いた」つぶやいて、辺りを見まわした。清水が欲しいらしいのであるが、水がないので、あきらめて、またむしゃむしゃと柏《かしわ》の葉でくるんだ飯《いい》を食べている。  その前を、性善坊が、急ぎ足に通ったので、山伏はふと顔を上げたが、はっと突き上げられたように立ち上がって、 「おいっ、おいっ」杖をつかんで、呼びとめた。 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり]  つい、行き過ぎると、山伏はふたたび、 「坊主、耳がないのか」性善坊は聞きとめて、 「何?」思わずむっとした顔いろをして振りかえった。  傲岸《ごうがん》な態度をもって、自分へ、手をあげている山伏は、陽に焦《や》けて色の黒い、二十七、八の男だった。  雨露に汚れた柿いろの篠懸《すずかけ》を着て、金剛杖を立て、額《ひたい》に、例の兜巾《ときん》とよぶものを当てていた。 「なにか御用か」性善坊がいうと、 「おお、用があればこそ、呼んだのだ」 「急ぎの折ゆえ、宗法のことならゆるされい」 「宗旨の議論をやろうというのじゃない。まあ、戻りたまえ」はなはだ迷惑に思ったが、由来、修験者《しゅげんじゃ》と僧侶とは、同じ仏法というものの上に立ちながら、その姿がひどく相違しているように、気風もちがうし、礼儀もちがうし、経典の解釈も、修行の法も、まるで別ものになっているので、ことごとに反目して、僧は、修験者を邪道視し、修験者は僧を、仏陀《ぶっだ》を飯のためにする人間とみ、常に、仲がよくないのであった。  ことに、山伏の一派は、山法師のそれよりも、兇暴なのが多かった。また、社会《よのなか》から姿をくらます者にとって、都合のよい集団でもあったので、腰には、戒刀《かいとう》とよび、また降魔《ごうま》のつるぎとよぶ鋭利な一刀を横たえて、何ぞというと、それに物をいわそうとするような風《ふう》もあるのである。 (からまれては、うるさい……)性善坊は、そう考えたので、面持《おもも》ちを直して、 「では、御用のこと仰せられい」と、素直に彼の方へ、足をもどして行った。  山伏は、いい分が通ったことに優越感をもったらしく、 「うむ」とうなずいた。  そして、近づいた性善坊へ向って、横柄《おうへい》に、 「貴様、一人か」と訊いた。 「何のことじゃ、それは」 「わからぬ奴、一人旅かと、訊ねるのだ」 「連れがおる。その連れを見失うたので、急いで行くところじゃ。御用は、それだけか」 「待て待て。それだけのことで、呼びとめはせぬ。……では連れというのは、範宴《はんえん》少納言であろうが」 「どうして知っているのか」 「知らいでか。貴様も、うとい男だ。この朱王房の顔を忘れたか。俺は、叡山《えいざん》の土牢《つちろう》から逃亡した成田兵衛《なりたのひょうえ》の子――寿童丸《じゅどうまる》が成れの果て――今では修験者の播磨房弁海《はりまぼうべんかい》」 「あっ? ――」思わず跳びさがって、 「寿童《じゅどう》めかッ」と性善坊は見直した。  山伏の弁海は、赤い口をあけて、げたげた笑った。 「奇遇、奇遇。……だが、ここに範宴のいないのは残念だ。範宴はどこにいるか」 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり]  弁海と名は変っても、腕白者はやはり腕白者、寿童丸といったころの面影が、今でも、彼の姿のどこかにはある。 「おい、範宴は、どこにいる? ……」と、重ねて訊く。  性善坊は、この男の眼に合うと何かしら、むかむかとしてならなかった。呪詛《じゅそ》の火みたいに粘《ねば》りこい眼である、また、いつでも、人を挑《いど》むような眼であった。  それに釣り込まれて、くわっと激したがる自分の血を、性善坊はおそれるのであった。 「存じませぬ」穏やかに顔を振ると、弁海は、ずかと一歩前へ迫ってきて、 「知らぬはずはあるまい。汝《うぬ》の師《し》ではないか」 「でも、今日は、わたくし一人ですから」 「嘘をつけ。たった今、連れがあるので先を急いでゆくところだとその口でいったじゃないか。範宴は、俺の生涯の敵《かたき》だ、久しぶりで、会ってやろう。案内せい」と、強迫する。  性善坊は、唇の隅に、哀れむような微笑をたたえた。 「寿童《じゅどう》殿――いや弁海どの」 「なんじゃ」 「どうして、そのもとは、範宴様に、さような恨みをふくんでいるのか」 「今では、理由よりも、ただ生涯のうちに、あいつを、俺の足もとに跪《ひざま》ずかせてやれば、それでよい。それが、望みだ」 「ああ、お気の毒|千万《せんばん》です。人を呪《のろ》う者は、終生呪いの苦患《くげん》から救われぬと申します」 「貴様も、いつの間にやら、坊主くさい文句を覚えたな。まあなんでもいい範宴のいる所へ、案内しろ」 「まず、断ります」 「なんだと」 「師の御房は、そのもとのような閑人《ひまじん》と、争っている間《ま》はありません。一念ご修行の最中です。不肖《ふしょう》ながら、私は、身をもって、邪魔者を防ぐ楯《たて》となる者です。用があるなら、私に、仰っしゃってください」 「生意気な」と弁海《べんかい》は、唾《つば》を横に吐いて、 「俺に、会わせんというのか」 「そうです」 「そんなに、弁海が怖いか。……いや怖かろう、あいつは、日野の学舎《まなびや》にいても、叡山《えいざん》にいても、師に取り入るのが巧く、長上に諂《へつら》っては、出世したやつだ。俺に会うと、その偽面を剥《は》がれるので嫌なのだろう、――しかし、俺は生涯に、きっと、範宴の小賢《こざか》しい仮面《めん》を剥ぎ、あいつの上に出て、あいつを、大地に両手をつかせて見せると心に誓っている」 「その意気で、おん身も、勉強なされたがよい。孤雲《こうん》どのは、お達者かの」 「そんなことは、問わいでもよいさ……範宴を出せ、いる所を教えろ、これ以上、口をきかせると、面倒だから、このほうでものをいわすぞ」  じりっと、左に腰をひねると、腰の戒刀が、鞘《さや》を脱して、性善坊の胸いたへ、その白い光が真っすぐに伸びてきた。 [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり]  二十歳《はたち》のころまでは太刀を帯びて侍奉公したこともある性善坊なので、刃《やいば》を突きつけられたからといって、にわかに顔色を失うほどの臆病者ではなかった。 「貴様は、身をもって、範宴の楯《たて》になるといったな」 「はい」 「くだらぬ強がりはよせ。それよりは、俺に、範宴を会わせろ。……嫌か、嫌ならば、抜いた刀だ、ただは鞘《さや》にかえらぬが、覚悟か」 「…………」 「覚悟か、やい」ふた声目がかかると、弁海の手は、刃をさっとふりかぶって、睨《ね》めつけた。  風を割って、白い光が、相手のすがたを斜めにかけて走ったと思うと、小さい埃《ほこり》が上がって、性善坊のすがたは、彼方《かなた》の草むらへ跳んでいた。 「弁海、さほど、自分の愚鈍が口惜しいならば、心を砥《と》にかけて、勉学をし直してこい。そうして、一人前の人間になれたら、師の御房に会わせてやろうし、第一、そのほうも、救われるというものだ」そこから性善坊がいうと、 「なにをっ」柿色の篠懸《すずかけ》を躍らして、 「野郎、うごくな」と弁海は、眼をいからせて、躍りかかってきた。 「あっ――」よろめくように、性善坊は逃げだした。 「待てっ」うしろから迫る怒号を耳にしながら、彼は、坂の上まで、息もつかずに出た。そこまで登るともう広やかなる耕地の彼方《かなた》に、奈良の丘や、東大寺の塔の先や、紅葉《もみじ》した旧都の秋が、遥かに望まれてきたのであったが、ふと思うことには、万一このまま奈良の町へ入って、範宴が、そこに自分を待ってでもいたらはなはだまずいものになろうという懸念であった。  いったい、弁海と師の房とは、どういう宿縁なのか。師の房は、彼を憎んだことも、墜《おと》し入れたこともないのに、幼少から今日まで弁海が範宴を憎悪することはまるで仇敵のようである。  日野の学舎《まなびや》で、自分より小さい者に、学問や素行においても、絶えずおくれていたことが、幼少の魂に沁みて、口惜しくて、忘れられないのか。  糺《ただす》の原《はら》で、他人《ひと》を、野火に墜《おと》し入れようとした悪戯《わるさ》が、かえって、自分を焼く火となって手痛い目に会ったので、その遺恨が、今もって、消えないのか。  いや、なかなかそんなことではあるまい。要するに、成田|兵衛《ひょうえ》という者の家庭は知らないが、家庭の罪に違いない。全盛の世には、思いあがらせて育て、没落する時には、ねじけ者に作ってしまったものだろう。そして、すべての逆境が、みな自分の罪とは思えず、他人《ひと》のせいのように考える人間が、いつとはなく、今日の弁海になってきたのではあるまいか。 (こんな、ねじけ者に、範宴様を会わせて、怪我《けが》でもおさせ申したらつまらぬことだ。逃げるに如《し》くはない)性善坊は、道を横に反《そ》らして、眼をつぶって、どこまでも逃げた。 [#3字下げ][#中見出し]青春譜《せいしゅんふ》[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  どこで行きちがったのか、範宴《はんえん》は性善坊とはぐれて、奈良の杉林のあたりに、ただ一人でたたずんでいた。  そして町の方から来る人影を黄昏《たそが》れのころまで克明に待ちつつ見まもっていたが、性善坊らしい者は見えなかった。  もうここまで来れば、行く先の法隆寺は近いし、先にそこへさえ行っていれば、後から彼の来ることはわかっているが、 「どうしたのか」と性善坊の身も案じられ、またせっかくの連れを捨てて、先へ行く気も出なかった。  幾百年も経たような杉の梢《こずえ》が、亭々《ていてい》と、宵の空をおおっていた。空は月の冴えに、黄昏《たそが》れのころよりは澄明な浅黄いろに澄んでいて、樹蔭《こかげ》の暗い所と、月光で昼間のような所とが、くっきりと、縞《しま》や斑《まだら》になっていた。  ほう、ほう、と鹿の啼《な》く声がする――。それに気づいて眸《ひとみ》をこらして見ると、牝鹿《めじか》や牡鹿《おじか》が、月の夜を戯れつつさまよっているのだった。範宴の腰をかけた杉の根のまわりにも、一、二|疋《ひき》寝そべっていて、彼が手を伸べると、人馴れた眸を向けて、体をそばへ摺り寄せてくる。 「おう」範宴は鹿の背を撫でながら膝へ抱きよせた。若い牝鹿の毛なみはつやつやとして、肌は温かだった。 「鹿は、餌《え》に飢《う》えているらしいが。……はて、何もやる物がない」と、範宴はつぶやいて、 「飢えているといえば、わしにも何か飢えが感じられる。食ではない。眠りでも、安逸でもない。……この飢えた気持は、母の肌を恋うような血しおの淋しさだ。たまたま、山を下りて、俗界の灯を見、世間の享楽をのぞいたので、若い血が、うずきたがるのだろう」  彼は牝鹿の体温をおそれるように、膝から突《つ》き退《の》けようとした。けれど、鹿は動こうともしなかった。  思春期の若い鹿たちは、牝鹿の声にあやつられて、追いつ追われつ夜を忘れているのだった。範宴は、立ちあがって、もいちど、猿沢《さるさわ》の池《いけ》の方へ戻ってみた。  ここにはまた、町の男女が、月見にあるいていた。恋をささやきながら肩を並べて行く男女は、しょんぼりと、さまよっている範宴のすがたを振向いて、気の毒そうな眼を投げた。  彼らは今が幸福にちがいない。だが、やがて生活を蝕《むしば》んでくる毒を呷《あお》っているに等しい。清浄身《しょうじょうしん》の沙門《しゃもん》からみれば、むしろ、あわれなのはああした儚《はかな》い夢の中に生きがいを焦心《あせ》っている多くの男や女たちではあるまいか。  範宴《はんえん》は、そう考えて、むしろあわれと見て過ぎたが、しかし、なんとはなく自身の中に、自身をさびしがらせるものがあることは否《いな》めなかった。ただ、彼の理念と、修行とが、石のようにそれを冷たく抑えていて、うすく笑っておられるに過ぎないのである。  ばたばたと誰か駈けてくる跫音《あしおと》がして、 「お師さま!」と、呼んだ。  さがしあぐねていた性善坊《しょうぜんぼう》の声なのであった。 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり]  範宴は性善坊をさがし、性善坊は範宴をさがして、半日を徒労に暮したが、それでもここで会えたことはまだ僥倖《ぎょうこう》のように思えて、 「どうなさったかと思いました」と性善坊は、師の無事を見て、欣《よろこ》ぶのだった。 「そちこそ、木津で行きちがったにしても、余りに晩《おそ》かったではないか」範宴にいわれて、性善坊は返辞に窮した。途中で、山伏の弁海《べんかい》に会い、執念深く追いかけられて、それを撒《ま》くためにさんざん道を迂回《うかい》した事情を告げればいいことであるが、ああいう呪魔《じゅま》みたいな人間が師の房の影身につきまとっていることを、話したがいいか、話さないほうがいいかといえば、むろん聞いて愉快になるわけのものではなし、知らさずにおけるものなら、いわないに限ると、独りで決め込んでいたので、 「いえ、私もちと、どうかしておりました。木津の宿《しゅく》で、師の房に似たお方が、河内路《かわちじ》へ曲がったと聞いたので、方角ちがいをしてしまったので」そんなふうに、あいまいに紛《まぎ》らして、さて、疲れてもいるが、月明を幸いに、これから二里とはない法隆寺のこと、夜をかけて、歩いてしまおうではないかとなった。  それから月の白い道を、露に濡れて、法隆寺の門に辿《たど》りついたのは、夜も更けたころで、境内の西園院《さいおんいん》の戸をたたき、そこに、何もかもそのままに一睡《いっすい》して、明る日、改めて、覚運僧都《かくうんそうず》に対面した。  僧都《そうず》には、あらかじめ、叡山《えいざん》から書状を出しておいたことだし、慈円《じえん》僧正からも口添えがあったことなので、 「幾年でも、おるがよい」と覚運は、快く、留学をゆるしたうえで、 「しかし、わしもまだ、一介の学僧にすぎんのじゃから、果たして、範宴どのの求められるほどの蘊蓄《うんちく》がこちらにあるかないかは知らぬ」と謙遜《けんそん》した。  しかし、当代の碩学《せきがく》のうちで、華厳《けごん》の真髄《しんずい》を体得している人といえば、この人の右に出ずるものはないということは、世の定評であり、慈円僧正も常にいわれているところである。範宴はなんとしても、この人の持っているすべてを自分に授け賜わらなければならないと思って、 「鈍物《どんぶつ》の性《さが》にござりますが、一心仏学によって生涯し、また、生きがいを見出したいと念じまする者、何とぞ、お鞭《むち》を加えて、御垂示《ごすいじ》をねがいまする」と、大床の板の間《ま》にひれ伏して、門に入るの礼を執《と》った。  ふつうの学生《がくしょう》たちとまじって、範宴は、朝は暗い内から夜まで、勤行《ごんぎょう》に、労役に、勉学に、ほとんど寝る間もなく、肉体と精神をつかった。 「あれは、九歳《ここのつ》で入壇して大戒《だいかい》を受けた叡山《えいざん》の範宴少納言だそうだ」と、学寮の同窓たちは、うすうす彼の生い立ちを知って、あまりな労働は課さなかったが、範宴は自分からすすんで、薪《まき》も割り、水も汲んで、ここ一年の余は、性善坊とも、まったく、べつべつに起居していた。  冬の朝など――まだ霜の白い地をふんで炊事場《すいじば》から三町もある法輪寺川へ、荷担《にない》に水桶を吊《つ》って水を汲みにゆく範宴のすがたが、よく河原に見えた。  すると、ある朝のこと、 「もしや、あなたは、範宴様ではございませんか」若い旅の娘が、そばへ来て訊ねた。 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり] 「はい、私はおたずねの範宴ですが……」答えながら、彼は、自分の前に立った娘に対して、どこかで見たような記憶をよび起したが、どこでとも、思い当らなかった。 (ああよかった)というように娘は安堵《あんど》の色を見せ、同時にすこし羞恥《はじら》いもしている容子《ようす》。  年ごろは十七、八であろうか。しかし年よりはやや早熟《ませ》た眸と、純な処女《おとめ》とも受けとれない肌や髪のにおいを持っている。それだけに、男には蠱惑《こわく》で、面《おも》ざしだの姿だの、総体から見て、美人ということには、誰に見せても抗議はあるまいと思われるほどである。 「あの……実は……私は京都の粟田口《あわたぐち》の者でございますが」 「はあ」範宴は、水桶を下ろして、行きずりの旅の娘が、どうして、自分の名を知っているのかと、不審な顔をしていた。 「一昨年《おととし》の秋でございましたか、鍛冶《かじ》ヶ|池《いけ》のそばをお通りになった時、よそながら、お姿を見ておりました」 「ははあ……私をご存じですか」 「後で、あれが、肉親のお兄上様だと、朝麿《あさまろ》様からうかがいましたので」 「え、弟から?」 「私は、あの時、朝麿様と一緒にいた梢《こずえ》という者でございますの。……父は、粟田口|宗次《むねつぐ》といって、あの近くで、刀鍛冶《かたなかじ》を生業《なりわい》にしています」 「……そうですか」と、驚きの眼をみはりながら、範宴は、なにか弟の身にかかわることで、安からぬ予感がしきりと胸にさわいでくるのだった。 「梢どのと仰っしゃるか。――どこかで見たようなと思ったが」 「私も、一昨日《おととい》から、法隆寺のまわりを歩いて、幾人《いくたり》も、同じお年ごろの学僧様が多いので、お探しするのに困りました。……というて、寺内へおたずねするのも悪いと思うて」 「なんぞ、この範宴に、御用があっておいでなされたのか」 「え……」梢は、足もとへ眼を落して、河原の冬草を、足の先でまさぐりながら、 「ご相談があるんですの」 「私に」 「あの……実は……」うす紅い血のいろが、耳の根から頬へのぼって、梢は、もじもじしていた。 「相談とは?」 「弟御さまと、私のことで」範宴《はんえん》は、どきっと、心臓に小石でも打《ぶ》つけられたような動悸《どうき》をうけた。 「弟が、どうかしましたか」 「あの……みんな私が悪いんでございます……」範宴の足もとへ、泣きくずれて、梢《こずえ》は次のようなことを、断《き》れ断《ぎ》れに訴えた。  朝麿と梢とは、ちょうど、同じ年の今年が十九であるが、二年ほど前から、恋に墜《お》ちて、ゆく末を語らっていたが、それが、世間にも知れ、男女《ふたり》の家庭にも知れ、ついにきびしい監視の下《もと》に隔てられてしまったので、若い二人は、諜《しめ》しあわせて、無断で家を脱け出してきたというのである。 「あの弟が」と範宴は、霜を踏んだまま、凍《こお》ったように、唇の色を失って、梢のいうのを聞いていた。 [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり]  なお仔細に事情を訊くと、弟の朝麿は、梢と逃げてくる旅の途中|風邪《かぜ》をこじらせて、食物もすすまぬようになり、この附近の木賃|旅籠《はたご》に寝こんでしまって、持ち合せの小遣《こづか》いは失《な》くなるし、途方にくれているところだというのである。 「では……弟はわしに会いたいというて、おもとを使いによこしたわけか」 「ええ……」梢は、打ち悄《しお》れたまま、 「いっそ、二人して死んでしまおうかと、何度も、刃物を手に取ってみましたが、やはり、死ぬこともできません」と、肩をふるわせて泣き入るのであった。  無考えな若い男女《ふたり》も、途方に暮れたことであろうが、より以上に困惑したのは範宴であった。  まず第一に思いやられるのは、髪をおろして、せっかく、老後の安住を得た養父の気持だった。次には、生来、腺病質《せんびょうしつ》でかぼそい体の弟が、旅先で、金もなく、落着くあてもなく、これも定めて悶《もだ》えているだろう容子《ようす》が眼に見える心地がする。病のほども、案じられる。 「どこですか、その旅籠《はたご》は」 「ここから近い、小泉《こいずみ》の宿端れでございます。経本を商《ひさ》ぐ家の隣で、軒端に、きちんと板札が、打ってあります」 「見らるる通り、わしは今、朝のお勤めをしている途中、これから勤行《ごんぎょう》の座にすわり、寮《りょう》の日課をすまさねば、自分の体にはなれぬのじゃ。……それを了《お》えてから訪ねてゆくほどに、おもとは、弟の看護《みとり》をして下さるように」 「では、来て下さいますか」梢は、ほっとした顔いろでいった。兄は、きっと怒るであろうと弟からいわれていたものとみえ、範宴の返辞を聞くと、迷路に一つの灯を見たように彼女はよろこんだ。 「参ります。何でまた、捨てておかれよう。きっと行くほどに、弟にも、心をつよく持てといってください」 「はい。……それだけでも、きっと、元気がつくでしょう」 「では……」と範宴は、学寮の朝の忙しさが思いだされて、急に、水桶を担《にな》いだした。  すべらぬように藁《わら》で縛ってある足の裏は、冷たいとも痛いとも感覚は失せているが、血がにじみ出していた。  真っ黒な天井《てんじょう》の下に、三つの大きな土泥竈《どべっつい》が並んでいた。その炊事場には、薪《まき》を割る者だの、襷《たすき》がけで野菜を刻んでいるものだのが朝の一刻《いっとき》を、法師に似げない荒っぽい言葉や唄をうたい交わして働いていた。  範宴が、水桶を担《にな》って入ってきたのを見ると、泥竈《へっつい》のまえに、金火箸《かなひばし》を持っていた学頭が、 「範宴っ、何をしとった?」と、焼けた金火箸を下げて、彼の方へ歩いてきた。 [#7字下げ][#小見出し]五[#小見出し終わり] 「どこまで、水を汲みに行ったのだ?」学頭は、睨みつけていった。 「はい」範宴が、詫びると、 「はいじゃない」と金火箸で、胸を突いて―― 「貴公、この法隆寺へ、遊びにきたのか、修行にきたのか」 「…………」 「怠惰の性《しょう》を、懲《こ》らしてやる」学頭は、金火箸をふりかぶって彼の肩を打ちすえた。  範宴は炊事場の濡れている土に膝も手もついて、 「わるうございました」 「不埒《ふらち》なっ」庖丁《ほうちょう》を持ったり、たすきを掛けたりした同僚たちが、がやがやと寄ってきて、 「俺たちが、働いているのに、怪《け》しからん奴」と、一緒になって罵詈《ばり》する学僧もあるし、 「荒仕事に馴れないから、無理もないよ」と庇《かば》う者《もの》もあった。  だが、庇う者のことばに対して学頭はよけいに呶鳴った。 「こんなことがなんで荒仕事か、僧院に住む以上、当りまえな勤めだ。叡山《えいざん》あたりでは、中間僧《ちゅうげんそう》や、堂衆《どうしゅう》をこきつかって、据膳《すえぜん》下げ膳で朝夕《ちょうせき》すんでいるか知らんが、当寺の学生寮《がくしょうりょう》では、そんな惰弱な生活はゆるさん。――また、貴族の子でも誰の子でも、身分などに、仮借もせんのだ。それが覚運僧都の仰せでもあり、法隆寺の掟《おきて》でもあるのだぞ。よいかっ」 「はい」 「おぼえておけ」法衣《ころも》の上は何ともなかったが、打たれた肩の皮膚がやぶれたのであろう。土についている手の甲へ、袖《そで》の奥から紅い血が蚯蚓《みみず》のように走ってきた。  血を見て、学頭は、口をつぐんだ。範宴は桶の水を、大瓶《おおがめ》にあけて、また、川の方へ水を汲みに行った。  もう、梢《こずえ》のすがたは見えなかった。白い枯野《かれの》の朝靄《あさもや》から、鴉《からす》が立ってゆく。 「かるい容態ならよいが……」弟の病気が、しきりと、胸に不安を告げていた。――仏陀《ぶっだ》の加護を祈りながら、範宴は、同じ大地を、何度も踏みしめて通った。  半日の日課がすんで、やっと、自分の体になると、範宴は、性善坊にも告げず、法隆寺から一人で町の方へ出て行った。  小泉の宿《しゅく》には、この附近の寺院を相手に商《あきな》いしている家々や、河内《かわち》がよいの荷駄の馬方や、樵夫《きこり》や、野武士などかなり聚合《しゅうごう》して軒をならべていた。 「あ……。ここか」範宴は、立ちどまって、薄暗い一軒のあばら屋をのぞきこんだ。大きな古笠が軒に掛けてあって、 「きちん」と書いてある。  何か、煮物をしていると見えて家の中は、榾火《ほたび》の煙がいっぱいだった。ぎゃあぎゃあと、嬰児《あかご》の泣く声やら、亭主のどなる声やらして、どうして、それ以外の旅人を泊《と》める席があるだろうかと疑われるような狭さであった。 [#7字下げ][#小見出し]六[#小見出し終わり]  とにかく、此宿《ここ》には違いないので、範宴が門口に寄って尋ねると、 「ああ、病人の旅のもんならば、裏の離れにおるだあ。この露地から、裏へ廻らっしゃい」木賃《きちん》の亭主が、煙っている家の中で呶鳴る。 「少々、その者に、会いとう存じますから、それでは、裏へ入らせていただきます」と範宴は、一応断って、教えられた裏の方へ廻ってみた。  百姓もするのであろう、木賃|旅籠《はたご》の裏には、牛なども繋いであるし、農具だの、筵《むしろ》だのが散らかっている。  亭主のいう離れとはどこかと見まわしていると、飼蚕小屋《しさんごや》でも繕《つくろ》わしたのであろう、ひどい板小屋を二間《ふたま》に仕切って、その一方に、誰やら寝ている者がある。 (こんな所に寝ているのか)弟の境遇は、その板小屋を見ただけでわかった。旅の空に病んでいる気持、恋のために世間から追いつめられて、その恋をすら楽しめずに死を考えている気持――。まざまざと、眼に見せられて、彼は、胸が痛くなった。  驚かせてはならないと、しのび足に、板屋の口へ寄って、異臭のする薄暗い中を覗きながら、 「朝麿」と、呼んでみた。  すると、そこに見えた薄い蒲団《ふとん》を刎《は》ねのけて、寝ていた者は、むっくりと、起き上がった。 「あ……これは」と範宴は、あわてて頭を下げて謝った。蒲団のうえに坐りこんで、こっちを見つめているのは、似ても似つかない男なのである。  年ごろ二十四、五歳の、色浅ぐろい苦み走った人物であった。鷹《たか》のように精悍《せいかん》な眼をして、起きるとたんに右の手には、枕元にあった革巻《かわまき》の野太刀を膝へよせていた。野武士の着るような獣皮の袖無しを着、飲みからしの酒壺《さかつぼ》が、隅の方に押しやってある。 「失礼いたしました。人違いをして、お寝《やす》みのところを」と詫び入ると、男は、 「なんだ、坊主か」と、口のうちでつぶやいて―― 「誰をたずねてきたのだ」 「身寄りの者が、この木賃にわずろうていると聞きましたので」 「それじゃ、若い女を連れている小伜《こせがれ》だろう」 「はい」 「隣だよ」無造作に、顎《あご》で板壁を指して、男はまた、蒲団をかぶって、ごろりと横になってしまう。 「ありがとうございました」すぐ足を移して、隣を見ると、そこには、破れた紙ぶすまが閉めてある。 「ごめん……」と今度は念を入れて、範宴は小声におとずれた。 [#7字下げ][#小見出し]七[#小見出し終わり]  けさ、法輪寺川のほとりで会った梢《こずえ》が、声をきくとすぐそこを開けて、 「お兄さんが見えましたよ」と、病人の枕へ、顔をよせて告げた。 「えっ……兄君が」待ちかねていたのであろう。朝麿《あさまろ》は聞くや否や、あわてて褥《しとね》の外へ這いだした。 「朝麿、そのままにしていなさい、寒い風に、あたらぬように」 「兄君っ……」涙でいっぱいになった弟の眼を見ると、範宴も、熱いものが瞼《まぶた》を突いてくるのを覚えた。 「め……めんぼく次第もございません……。こ、こんなところで」 「まあよい。さ……梢《こずえ》どの、衾《ふすま》のうちへ、病人を」寝るようにすすめたが、朝麿は、兄のまえにひれ伏したまま、ただ泣き濡れているのであった。範宴は、手をとって、 「何年《いつ》であったか、おもとと、鍛冶《かじ》ヶ|池《いけ》のそばで会った時に、わしは、およそのことを察していた。今日のことがなければよいがと案じていました」 「すみませぬ」 「今さら、どういうたとて、及ばぬことだ。――それよりは、体が大切、また後々の思案が大事。とにかく、衾《ふすま》のうえにいるがよい、ゆるりと話そう」無理に、蒲団の中へもどして、弟にも梢にも、元気がつくように努めて微笑をもちながら先行きの覚悟のほどを聞いてみると、もちろん、恋し合ってここまで来た若い二人は、死ぬまでも、別れる気もちはないというし、またふたたび、親たちのいる都へ帰る気もないという。  そして絶えず、死への誘惑に迷っている影が、朝麿にも、梢にも、見えるのだった。  範宴は、そのあぶない瀬戸ぎわにある二人の心を見ぬいて当惑した。沙門《しゃもん》の身でなければ、当座の思案だけでもあるのであったが、きびしい山門のうちへ二人を連れてゆくわけにはゆかないし、このまま、この風の洩《も》れる汚い板屋に寝かせておけば、弟の病勢がつのるのは眼にみえているし、その病気と、心の病気とは、何時《いつ》、死を甘い夢のように追って、敢《あえ》ない悔いを後に噛むことに立ちいたるかもわからない。  すると、外に、その時|跫音《あしおと》がしてきた。ここの木賃の亭主であった。無遠慮に入口を開けて、 「沙門さん、おめえは、法隆寺で勉強している学生《がくしょう》かい?」と訊くのであった。範宴は、自分の顔を見て問われたので、 「さようでございます」と答えると、亭主は、 「そして、この病人の兄弟ということだが、ほんとかね」 「はい」 「じゃあ、木賃の代だの、薬代だの、病人の借財は、もちろん、おぬしが払ってくれるだろうな」答えぬうちに、亭主は、ふところから書きつけたものを出して、範宴の前へ置くのであった。 [#7字下げ][#小見出し]八[#小見出し終わり]  もとより金などは持ちあわせていないけれど、弟の借財があるというならば、性善坊に相談したうえで、どうにでもしなければなるまいと、四、五日の猶予《ゆうよ》を頼むと、亭主は首を振って、 「ふざけては困る」頑然《がんぜん》と、怒った。 「そう幾日も幾日も、病人などを置いておかれるか。毎晩、ほかの泊り客もあるのに、それを断っていては、おいらの嬶《かか》や餓鬼《がき》が干ぼしになるわい」 「迷惑でございましょう」 「大迷惑じゃ。とうに、追ん出したいのは山々だったが、薬代のたてかえもあるで、法隆寺に身寄りがいるという言い訳をあてにして、おぬしの来るのを待っていたのじゃ、持ち物なり、衣類なり、抵当《かた》において、すぐ連れて行ってくれい」 「ごもっともです。けれど、永いご猶予はおねがいしませぬゆえ――」 「…………」 「両、三日でも」 「ばかをぬかせ。病人なればこそ、きょうまででも、こらえていたのじゃ」 「私は、僧門の身、この病人と女子《おなご》を、山門へ連れもどるわけには参りませぬ」 「――だから、知らぬというのか、借りをふみ倒す気か」 「決して」 「ならば、その法衣《ころも》を脱いで出せ、女の帯を貰おう、いや、そんなことじゃまだ足りんわ、そうだ、よい数珠《じゅず》を持っておるな、水晶じゃろう、それもよこせ」  すると――いつのまにやら彼の後ろから入ってきて、のっそりと突っ立っていた隣の野武士ていの若い男が、左手《ゆんで》に提《さ》げている革巻《かわまき》の刀の鞘《さや》で、わめいている亭主の横顔を、がつんと撲《なぐ》った。 「あっ、痛っ」顔を抑えて振りかえった亭主は、そこに立っている野武士の顔を仰いで、 「おぬしは、隣に泊っているお客じゃないか」 「さよう」 「なにをさらすのじゃ、なんでわしを、撲ったか」 「やかましい」野武士ていの男は、逞《たくま》しい腕を亭主の襟がみへ伸ばしたかと思うと、蝗《いなご》でも抓《つま》んで捨てるように、 「おととい来い」吊り上げて、その弱腰を蹴《け》とばした。 「わっ」亭主は、外へもんどり打って、霜解けのぬかるみへ突っ込んだ泥の手で、 「おれを。……畜生っ、おれをよくも」むしゃぶりついてくる手を払って、野武士ていの男は、その鷹《たか》のように底光りのする眼でつよく睨みつけた。 「さっきから隣でだまって聞いていれば、慈悲も情けもない云い草、もういっぺん吐《ほ》ざいてみろ」 「貸しを取るのが、なぜわるい。おれたちに、飢え死にしろというのかい」 「だまれ、誰が、汝《うぬ》らの貸しを倒すといったか。さもしい奴だ、それっ、俺が立て替えておいてやるから持ってゆけ。その代りに、病人のほうも、俺のほうも、客らしく鄭重《ていちょう》にあつかわないと承知せぬぞ。……何をふるえているのだ、手を出せ」と野武士ていの男は、ふところから金入れを出して、まだ疑っている亭主の目先へ、金をつきつけた。 [#7字下げ][#小見出し]九[#小見出し終わり]  金を見ると木賃の亭主は、平蜘蛛《ひらぐも》のように謝《あやま》り入って、それからは手のひらを返すように、頼みもしない薪《まき》を持ってきたり、粥《かゆ》を煮ようの、薬はあるかのと、うるさいほど、親切の安売りをする。 「……現金な奴だ」野武士ていの男は苦笑しながら梢《こずえ》にむかって、 「お女房。ご病人のようすはどうだな、すこしはいいか」 「いつも、ありがとうございまする、おかげ様で、きょうあたりは……」梢は、範宴にむかって、 「お兄さま。この隣のお方には、毎日何くれとなくお世話になっております。お礼を申しあげて下さいませ」といった。  範宴はそういわれぬうちから、なんと礼をいったらよいかと、胸のうちでいっぱいに感謝しているのだった。  世には奇特な人もある、弱肉強食の巷《ちまた》とばかり世間を見るのは偏見《へんけん》であって、こういう隣人があればこそ、修羅火宅《しゅらかたく》のなかにも楽土がある。あえぐことのみ多い生活のうちにも清泉に息づく思いができるというものであろう。  かかる人こそ、仏心を意識しないで仏心を権化《ごんげ》している奇特人というべきである。何を職業としている者かありがたい存在といわねばならぬ。  範宴は、両手をつかえて、真ごころから礼を述べ、立て替えてくれた金子《きんす》は、沙門《しゃもん》の身ゆえ、すぐには調達はできないが、両三日うちには必ず持ってきて返済するというと、男は磊落《らいらく》に笑って、 「そんな義理がたいことには及ばないさ。奈良の茶屋町で、一晩遊べば、あれくらいな金はすぐにけし飛んでしまう。お坊さんへ、喜捨《きしゃ》いたしますよ。はははは」 「それでは余り恐れいります。失礼ですが、ご尊名は」 「名まえかい。――名をいうほどな人間でもないが、これでも、先祖は伊豆の一族。今では浪人をしているので、生国《しょうごく》の名をとって、天城《あまぎの》四郎とよんでいる田舎《いなか》武士だよ」 「では、旅先のお体でございますか。さすればなおのこと、路銀のうちを私どもの難儀のためにお割《さ》きくだされては、ご不自由でございましょうに」 「なんの、長者ほどはないが、路銀ぐらいに、不自由はしない。くれぐれも、心配しなさるな。そう案じてくれては、せっかくのこっちの好意がかえって無になる。……ああ思わず邪魔をした。どれ、自分の塒《ねぐら》に入ろうか」そういうと、男は隣の間《ま》に入って、ふたたび顔を見せもしない。  やがて、黄昏《たそが》れの寒鴉《かんあ》の声を聞きながら、範宴も、法隆寺へ帰って行った。そして、山門の外から本堂の御扉《みとびら》を拝して、弟のために、祈念をこらした。  その夜――凍りつく筆毛《ふでげ》を走らせて、彼は、粟田口《あわたぐち》の草庵にいる養父《ちち》の範綱――今ではその俗名を捨てて観真《かんしん》とよぶ養父へ宛てて、書くにも辛い手紙を書き、あくる朝、駅使《うまやづかい》にたのんで京へ出しておいた。 [#3字下げ][#中見出し]怪盗[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  食物だの、衣服だの、また心づいた薬などの手に入るたびに、性善坊《しょうぜんぼう》は、範宴の旨をうけて、町の木賃へ運んで行った。 「きょうは、たいへんお元気でございました。あのご容子《ようす》ならば、もう明日《あす》あたりは、お床を上げられましょう」きょうも、町から戻ってきた性善坊が、彼の部屋へ来て告げた。  範宴の眉は、幾分か、明るくなって、 「――そうか。それではまず、弟の病気のほうは、一安心だが……」 「後が、もう一苦労でございますな」 「あの女子《おなご》との問題はどうしたものか。……もう養父上《ちちうえ》から、誰か迎えの者が来るころだが」 「観真様にも、さだめし、御心痛でございましょうに」 「それをいうてくれるな、わしたち兄弟は、生みの母君もともに、今の養父にひきとられて、乱世の中を、また貧困の中を、どれほど、ご苦労ばかりおかけ申してきたことか。……思うても胸がいとうなる」 「ぜひないことでございまする……」 「やや世の中がしずまって、養父も、頭《つむり》を落し、せめて老後の月日をわずらいなく自適していらっしゃると思えばまたもこうしたことが起きてくる。……朝麿の罪ばかりは責められぬ、この範宴とても、いつ、養父にご安心をおさせ申したか。わしも、もっと励まねばならぬ。弟は病身じゃ、せめてわしだけでも、養父上の長いご苦労に酬《むく》わねばならぬ。それが、亡き母君への唯一のお手向《たむ》けではあるまいか」性善坊は、胸がいっぱいになって、何もいえなくなった。範宴の肉体に赫々《かっかく》と燃えている火のような希望も頼もしく思いながらも、目前の当惑には、つい弱いが嘆息が出てしまうのであった。 「範宴どの。――都から早文《はやぶみ》が着いておるぞ。寮の執務所まで、取りにおいでなさい」庭先で、誰かいった。  さては――と範宴はすぐ書面を取ってきて、封を切った。待ちわびていた養父《ちち》からの返事である。返書が来たところをみると、若い二人を迎える使いはよこさないものとみえる。養父はどう考えているのだろうか、どう処置をせよと仰《お》っしゃるのだろうか。  読みくだしてゆくうちに、彼は養父の筆のあとに、養父の顔つきだの心だのがなまなまと眼にみえた。親子の恩愛というものが、惻々《そくそく》と胸をうってくる。  しかし養父が書中にいっている要点は、その慈愛とは反対に次のような厳格な意見であった。 (女子《おなご》の親とも相談したが、言語にたえた不所存者《ふしょぞんもの》である。家を捨てて出た以上、かまいつけることはないと決めた。おもとも、不埒《ふらち》な駈落ち者などに関《かま》っておらずに、専心勉学をされたがよい。当人たちが困ろうと、飢えようと自業自得《じごうじとく》であり、むしろ生きた学問となろう。親のことばより実際の社会《よのなか》から少し学ばせたほうが慈悲というものだ。迎えの使いなどは断じて出さぬ)というのである。 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり]  手紙の一字一字が養父の顔つきであり声であるように範宴には感じられた。慈愛をかくして峻烈《しゅんれつ》に不肖《ふしょう》の子を叱りながらもどこやらに惻々《そくそく》と悩んでいる厳父のこころが傷《いた》ましい強さで、(かまいつけるな)といってある。  しかし、手紙の養父のことばを、そのままに解して、自分までが厳格な態度をとったら、弟は、どこへ行くのだろうと思った。おそらく、死を選ぶほかに彼の道はないのではないかと考えた。  性善坊が案じるのもそれだった。恋というものは熱病のようなものである。健康な人間が、自分の健康な気もちを標準にして荒療治をしようとすると、若気な男女は、春をいそぐ花のように、夢を追って身を散らしてしまうことをなんの惜しみともしないものである。その弱い木を揺りうごかして、傍《はた》から花の散るのを急がすような心ない処置をとっては、なんにもならない。――ましてや人間の苦患《くげん》に対しては絶対な慈悲をもって接しなければならない。仏の御弟子《みでし》である以上はなおさらのことである。 「どうしたらよいか」範宴は、その夜、眠らずに考えた。  しかし、よい解決は見つからなかった。それは、範宴自身が、仏の御弟子《みでし》であり、きびしい山門の学生《がくしょう》であるから、おのずから法城の道徳だの、行動の自由にしばられて考えるからであった。ふと、彼は、 (もし、ここに、兄弟《ふたり》の母がまだ生きておいでになったら、どうなさるだろうか)と考えた。  するとすぐ、範宴も、決心がついたのであった。 (――自分が母にかわればよい)ということであった。  何といっても、朝麿も自分も、幼少に母を亡《うしな》っているので、母のあまい愛に飢えていることは事実である。――何ものよりも高い養父の御恩は御恩としても、男性の親にはない母性の肌や、あまえたいものや、おろかなほど優しい愛撫だのに――飢えていたことは事実であろう。  自分にすらそれを時折は感じるのであるから、あの病身な、気の弱い弟は、なおさらであるにちがいない。  そういう永年のさびしさが、青春の処女《おとめ》と、燃えついたのは、人間の生理や心理からいえば、当然である。けれど、人間の作った社会の道徳から、見る時には、ゆるしがたい不良児の行為として、肉親からも社会からも追われるのが当然であって、誰をうらむこともない。  もしも今なお世に在《いま》すものとすれば、こんな時こそ、母性は身をもっても、この不良の児を救うにちがいない。あらゆるものを敵としても、母は、敢然と子のために戦うにちがいないのだ。  範宴は、朝になってから、もいちど胸のうちでつぶやいた。 「――そうだ、わしは、母になって、母がいてなさるように、弟の苦境を考え、弟と共に考えてやればよい!」 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり]  いつものように、学生《がくしょう》たちへ、華厳法相《けごんほっそう》の講義をすまして、法隆寺の覚運《かくうん》が、橋廊下をもどってくると、 「僧都《そうず》さま」と、いう声が足もとで聞えた。  覚運は、橋廊下から地上へ、そこに、手をついている範宴のすがたへ、じろりと眼を落して、 「――何じゃ」 「おねがいがございまして」と、範宴は顔を上げた。  そして、覚運が眸《め》でうなずいたのを見て、十日ほどの暇《いとま》をいただいて京都へ行ってきたいという願いを申し出ると、覚運は、 「観真どのでもご病気か」と、たずねた。 「いえ、弟のことについて」範宴は、そういう俗事に囚《とら》われていることを、僧都から叱咤《しった》されはしないかと、おそれながらいうと、 「行ってくるがよい」と案外な許しであった。  そればかりでなく、覚運はまたこういった。 「おん身が、ここへ参られてからはや一年の余にもなる。わしの持っている華厳の真髄は、すでに、あらましおん身に講じもし、また、おん身はそれを味得せられたと思う。このうえの学問は一に自己の発明にある。ちょうど、よい機《おり》でもある。都へ上《のぼ》られたならば、慈円《じえん》僧正にもそう申されて、次の修行の道を計られたがよかろう」  そういわれると、範宴はなお去り難い気もちがして、なおもう一年もとどまって研学したいといったが、僧都は、 「いやこれ以上、法隆寺に留学する必要はない」といった。  計らぬ時に、覚運との別れも来たのである。範宴は、あつく礼をのべて引《ひ》き退《さ》がった。性善坊にも告げ、学寮の人々にもそのよしを告げて、翌る日、山門を出た。同寮の学生たちは、 「おさらば」 「元気でやり給え」 「ご精進を祈るぞ」などと、口では祝福して、見送ったが、心のうちでは、 (ここの烈しい苦学に参ってしまって、とうとう、僧都にお暇をねがい出たのだろう)と、わらっていた。  範宴は、一年余の学窓にわかれて、山門を数歩出ると、 (まだなにか残してきたような気がしてならぬ)と、振りかえった。そして、 (これでいいのか)と自分の研鑽《けんさん》を疑った。なんとなく、自信がなかった。  そして、朝夕に艱苦《かんく》を汲んだ法輪寺川ともわかれて、小泉《こいずみ》の宿場町にはいると、すぐ、頭のうちは弟のことでいっぱいになっていた。 [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり]  朝麿《あさまろ》は、見ちがえるほど恢復《かいふく》して、病床《とこ》を離れていた。  兄と、性善坊とが、旅装《たびよそお》いをして、ふいに訪ねてきたので、彼は梢《こずえ》とともに、驚きの眼をみはって、 「どこへお旅立ちですか」と、もう淋しげな顔をした。性善坊が、 「いや、お師様には、もはや華厳をご卒業あそばしたので、南都にとどまることはないと、法隆寺の僧都様からゆるしが出たために、お別れを告げてきたのです」と話すと、朝麿は、 「では、叡山《えいざん》へ、お帰りですか」と、なお心細げにいうのであった。 「されば……帰ろうと思う」範宴はそういって、 「ついては、おもとも京都へ共に帰らぬか」 「…………」 「わしが一緒に行ってあげよう。そして、ともどもに、養父上《ちちうえ》へお詫びをするが子の道ではないか」 「兄上。ご心配をかけて、なんともおそれ入りまする。けれど、今さら養父の家へは帰れません」 「なぜ」 「……お察しくださいまし……どの顔をさげて」 「そのために、兄がついて行くではないか。何事も、まかせておきなさい」  そばで聞いていた梢は、不安な顔をして、朝麿がそこを立つと、寝小屋の裏へ連れて行って、 「あなたは、帰る気ですか」と男を責めていた。 「――わたしは嫌《いや》です、死んだって嫌ですよ。あなたの兄様は、きっと、お父さんのいいつけをうけて、私たちを、うまく京都へ連れ帰ってこいといわれているに違いありません」女には、いわれるし、兄には叛《そむ》けない気がして、朝麿は、板ばさみになって当惑そうに俯《う》つ向いていた。  すると、性善坊が様子を見にきて、 「梢どの、それは、あなたの邪推です。お師様には、決して、お二人の心を無視して、ただ生木《なまき》を裂《さ》くようなことをなさろうというのではなく、あなたの父上にも、朝麿様の養父君《ちちぎみ》にも、子としての道へもどって、罪は詫び、希望《のぞみ》は、おすがり申そうというお考えなのです」諄々《じゅんじゅん》と、説いてきかせると、梢もやっと得心《とくしん》したので、にわかに、京へ立つことになった。  ところで、このあいだ宿の借財をたて替えてくれた親切な相客の浪人にも一言《ひとこと》、礼をのべて行きたいがと、隣の寝小屋をさしのぞくと、誰も人気《ひとけ》はない。亭主にきくと、 「はい、今朝ほどはやく、お立ちになりました。皆さまへ、よろしくといい残して――」 「や。もうお立ちになったのか。……今日は、改めてお礼を申しあげようと思うていたのに……。済まぬことであった」  範宴は、胸に借物《かりもの》でも残されたように、自分の怠りが悔いられた。 [#7字下げ][#小見出し]五[#小見出し終わり]  若い男女《ふたり》は、先にあゆみ、範宴と性善坊とは、ずっと離れてあるいた。  冬の日ではあるが、陽がぽかぽかと枯れ草に蒸《む》れて、山蔭は、暖かだった。 「――幸福にさせたい」範宴は、先にゆく、弟と弟の愛人のうしろ姿を見て、心から、いっぱいに思った。 「のう、性善坊」 「はい」 「粟田口《あわたぐち》の養父上《ちちうえ》にお会いしたらそちも共に、おすがり申してくれ」 「はい」 「万一、どうしても、お聞き入れがなかったら青蓮院《しょうれんいん》の師の君におすがりしてもと、わしは思う……。あの幸福そうなすがたを見い、あの二人は、世間も何もわすれている、ただ青春をたのしんでいる姿じゃ」  黄昏《たそが》れになった。  女連れでもあるし、夜になるとめっきり寒いので、泊りを求めたが、狛田《こまた》の部落を先刻《さっき》すぎたので富野の荘《しょう》までたどらなければ、家らしいものはない。  だが、そこも今のぼっている丘を一つ越えれば、もう西の麓《ふもと》には、木賃もあろうし、農家もあろうと思われる。丘の上に立つと、 「おお……」と、範宴は笠《かさ》をあげた。  河内平《かわちだいら》のあちこちの野で、野焼きをしている火がひろい闇の中に美しく見えたからである。  平野の闇を焼いてゆく野火のひかりはなんとなく彼の若い心にも燃え移ってくるような気がした。  範宴は自分の行く末を照らす法《のり》の火《ひ》のようにそれを見ていた。彼の頬の隈《くま》が、赤くなすられていた。黙然《もくねん》と、火に対して、祈祷《いのり》と誓いをむすんでいた。すると―― 「いや、弟御様は」と、性善坊があわてだした。 「先へ行ったのであろう」 「そうかも知れません」足を早めかけると、どこかで、ひいっッ――という少女の悲鳴がきこえた。  耳のせいではなかった。たしかに、梢《こずえ》の声なのである。そこはもう下りにかかった勾配《こうばい》で、真っ暗な道が、のぞきおろしに、雑木ばやしの崖へとなだれこんでいた。 「――誰か来てえッ……」ふた声めが、帛《きぬ》を裂くように、二人の耳を打った。  それにしても、朝麿の声はしないし、いったい、どうしたというのだろうか? 「あっ、お師さま」先へ駈けだした性善坊は、何ものかにつまずいたらしく、坂道に、もんどり打っていた。範宴も、駈けつづいて、 「どうしたのじゃ」 「朝麿様が、そこに」 「えっ、弟が」びっくりして、地上をすかしてみると、たしかに人らしいものが、顔を横にして、仆《たお》れていた。 [#7字下げ][#小見出し]六[#小見出し終わり]  その時から、原のあなたで、女の泣きさけぶ声がして、範宴と性善坊の耳のそばを糸のように流れた。 「やあっ、あの声は梢ではないか」ここには、朝麿が、なに者かにふいに棒かなんぞでうちたたかれたように気を失っているし、あなたには、けたたましく救いを呼ぶ梢の声がきこえるし、事態はただごととは思われない。兄に抱き起されて、気がつくと、朝麿は、 「梢が――梢が――」と、必死になって、道もない萱原《かやはら》の中へまろび入った。  遠い野火の炎が、雨もよいの、ひくい雲を紅《あか》くなすっていた。  火光に透《す》いて、萱原の中に駈けおどって行く、十名ほどの人影が黒く見える。 「梢――」朝麿が、さけぶと、なにか罵《ののし》る声が激しく聞えて、彼はまたそこで、中の一人の一撃にあってよろめいた。  性善坊と範宴は、朝麿の身を案じながら、すぐその後《あと》に駈けつけていた。  まぢかに迫ったとき、二人の瞳があざやかに見た十名ほどの人影は、うたがうまでもなく、人里といわず、山野といわず、野獣のように跳梁《ちょうりょう》する野盗の群《む》れにちがいない。  それはいいが、中に、たしかに、目立って屈強な男が、梢のからだを横向きに抱いていた。範宴は、 「やっ、あなたは、小泉の宿《しゅく》でお会い申した、天城四郎《あまぎのしろう》殿ではありませんか」いうと四郎は、からからと四辺《あたり》へ響くような声で笑った。 「そうだ、この女は小泉の木賃に宿《やど》り合わせたときから、それと言い交わした約束があるので、もらってゆく、天城四郎とは偽《いつわ》り、天城四郎とも、木賊《とくさの》四郎ともいう盗賊だ。異存があるなら、なんなりとそこでほざいて見るがいい」範宴は、この怖ろしい魔人の声を聞くと、世の中のすべてが、暗澹《あんたん》とわからないものになってしまった。つい、今がいままで、世にも奇特な人として、胸のうちに、あの時の感謝を忘れなかった、その人物が、仮面を剥《は》いで、そういうのであるだけに、唖然《あぜん》として、しばらくはいいかえすべき言葉もない。 [#7字下げ][#小見出し]七[#小見出し終わり] 「ははあ……。それではあなたは、真面目な職業のお方ではなく、天城の住人で、木賊《とくさの》四郎と呼ぶ野盗の頭《かしら》であったのですか。――けれど、そういわれても、私にはまだ信じられません」範宴がいうと、四郎は、 「なにが信じられねえと?」聞《き》き咎《とが》めて、兇悪な眼で睨みつけた。 「――さればです。いつぞや、小泉の宿《しゅく》で、私や弟の難儀な場合をああして救って下された時のありがたいあなたの姿が、今もって、私の瞼《まぶた》から消え去らないのでございます。どうあっても、あなたは善根の隣人に思われて、さような、魔界に棲《す》む人とは、考えても考えられないのでございます」 「馬鹿者!」四郎は、歯ぐきを剥《む》きだして、嘲笑《あざわら》いながら、 「あれは悪事をする者の資本《もと》も同じで、悪党の詐術《さじゅつ》というもの。俺という人間は、善根どころか、悪根ばかりこの社会に植え歩いている、魔界の頭領なのだ。またこの先、こんな策《て》に乗らねえように、よく面《つら》をおぼえておけ」範宴の身をかばいながら、杖を横に構えていた性善坊は、たまりかねて、 「おのれが、人をあざむき世を毒す食わせ者であることはもう分った。多言をつがえる要はない。ただ、その女子《おなご》をおいて、どこなと立ち去るがいい」 「ふざけたことを申すな。この美貌の女子を手に入れるために、俺は、二十日《はつか》あまりの日を費やし、旅籠《はたご》料やら何やらと、沢山な資本《もと》もかけたのだ。これからは、しばらく自分の持ち物として楽しんだうえで港の遊女へ売るなり、陸奥《みちのく》の人買いに値をよく渡すなりして資本をとらなけれやあならない。なんで貴様などに、返していいものか」 「渡さぬとあれば――」 「どうする気だっ、坊主」 「こうしてやる」性善坊が、振り込む杖を、天城四郎は、かろく身をひらいて右手につかみながら、 「汝《うぬ》ら、下手《へた》なまねをすると、地獄へ遍路《へんろ》に行かせるぞよ」 「だまれっ」杖を、奪いあいながら、性善坊は、全身を瘤《こぶ》のようにして、怒った。 「われらを、ただの僧侶と思うとちがうぞ。これにおわすおん方こそ、六条の三位範綱朝臣《さんみのりつなあそん》の御猶子《ごゆうし》少納言範宴様。また、自分とてもむかしは、打物とった武家の果てじゃ」 「はははは。それほど、腕立てがしたいならば、四郎の手下にも、ずいぶん、血を見ることの好きなのが大勢いるから、まず、そこいらの男どもと、噛み合ってみるがいい。――おいっ」と、後は後ろにいる八、九名の手下をかえりみて、 「この二人の坊主を、どこかその辺の木へ、裸にして、縛り付けてしまえ」と、いいつけた。  それまで唖のように眼を光らしていた男たちは、おおという声とともに、兇悪な餓狼《がろう》となって、範宴と性善坊を輪のなかにつつみ、八方から、躍りかかった。 [#7字下げ][#小見出し]八[#小見出し終わり]  範宴が、止めるのもきかず、衆に向ってかかったので、性善坊は、さんざんに打ちのめされてしまった。  そして、ほとんど半死半生のすがたになった彼を、萱原《かやはら》の枯れ木の幹に賊たちは縛《くく》りつけて、やがて、範宴の身も、朝麿の身も、同様に、うしろ手に縛《いま》しめて、 「ざまあみろ、いらざる腕立てをしやがって」と、凱歌《がいか》をあげた。  そして、野盗の手下は、当然の労銀を求めるように、性善坊のふところから、路銀を奪い取って、 「生命《いのち》だけは、お慈悲に、助けてやる」といった。  性善坊は、そんな目にあっても、まだ、賊に向って罵《ののし》ることばをやめなかった。 「悪魔どもめ! 汝らは、他人の財物をうばい、他人を苦しめて、それで自分が利を得たとか、勝ったとか思うていると大間違いだぞ。そうやって、横手を打っていられるが、それらの罪業《ざいごう》はみな、自分に回《かえ》ってくるものなのだ。おのれの天禄《てんろく》をおのれで奪い、おのれの肉身をおのれで苦患《くげん》へ追いやっているのだ。今にみろ、汝らのまえには、針の山、血の池が待っているだろう」 「あははは」野盗の手下たちは、放下師《ほうかし》の道化ばなしでも聞くように、おもしろがった。 「この坊主め、おれたちに向って、子どもだましの説法していくさる。地獄があるなら、見物に行ってみたいくらいなものだ」一人がいうと、また一人が、 「地獄というのは、今のてめえの身の上だ。いい加減な戯言《たわごと》ばかりいって、愚民をだましてきた罪で、坊主はみんな、地獄に落ちるものと相場がきまっているらしい」悪口雑言を吐いて、 「お頭《かしら》、行きましょうか」と、天城《あまぎの》四郎をうながした。四郎は、梢《こずえ》の手をひいて、 「俺は、この女と一緒に、しばらく、都の方へ行き、半年ほど町屋住《まちずま》いをするつもりだ。てめえたちは、勝手に、どこへでも散らかるがいい」と、いま、性善坊のふところから奪った金に、自分の持ち合せの金を、手下たちに分配して、すたすたと、先に立ち去ってしまった。  もう反抗する力を失ってしまったのか、梢は、四郎の小脇に、片方の腕をかかえ込まれたまま、彼の赴《おもむ》く方へ、羊のように、従《つ》いてゆくのだった。 「あばよ」賊の乾分《こぶん》たちは、そういって、性善坊や朝麿の口惜しげな顔を、揶揄《やゆ》しながら、夜鴉《よがらす》のように、おのおの、思い思いの方角へ、散り失せてしまった。  範宴は、木の幹に、縛られたまま、耳に声をきかず、口に怒りを出さず、胸にはただ仏陀《ぶっだ》の御名《みな》だけをとなえて、じっと、眼をつむっていた。  夜半《よなか》の霜がまっ白に野へ下りて月が一つ、さむ風の空に吹き研《と》がれていた。  しゅくっ……と朝麿の泣く声だけが、ときどき、性善坊の耳のそばでした。 [#7字下げ][#小見出し]九[#小見出し終わり]  暁に近くなると、大地は霜の針を植えならべ、樹々の枝には、氷柱《つらら》の剣《つるぎ》が下がり、八寒の地獄もかくやと思うばかり、冷たい風が、手脚の先を凍らせてくる。  肉体の知覚がなくなると、範宴は自分の肉体のうちに、冬の月のような冴えた魂が無想の光にかがやいているのを見いだして、 (ありがたや、自分のような穢身《えしん》のうちにも、弥陀《みだ》如来が棲《す》みてお在《わ》す)と思った。  わが身を、かくまで尊いものに感じたのは、今夜が、初めてであった。天城四郎が、八寒地獄の氷柱《つらら》の樹にこうして、自分たちを縛《いま》しめてくれたお蔭である。  範宴は、彼をうらむ気にはなれなかった。彼を救うことのできない自分の無力さの方が遥かにうらみといえばうらみであった。  なおのこと、肉親の弟をすら救うてやることのできない自分が口惜《くちお》しい。  叡山《えいざん》に苦行《くぎょう》し、南都に学び、あらゆる研鑽《けんさん》にうきみを窶《やつ》していたところで、それが単なる自分の栄達だけにすぎないならば、なんの意義があるのであろう。学問のための学問や栄達のための修行ならば、あえて僧籍に身をおいて、不自然な戒律《かいりつ》だの法規だのにしばられずに、黄金を蓄えても同じである。武士となって、野望のつるぎを風雲に賭しても目的はとげられるのだ。けれど仏徒の大願というものは、そんな小我を目的とするものではないはずである。衆生《しゅじょう》の救船《ぐせん》ともなり、人生を遍照《へんじょう》する月ともならなければならない。飄々《ひょうひょう》と、雲水にあそび、悠々と春日をたのしむ隠遁僧《いんとんそう》のような境界《きょうがい》を自分はのぞんでいるのではなかった。この骨肉争闘の世をながめていても立ってもいられない心地がするのだ。身をもって、この悪濁《あくだく》の世にうめいている人々を両の手に、しっかとかかえ入れてやりたいという気持にすらなって、そのたくましい広大な自分をつくり上げたいがために、かく学び、かく苦しみ、かく悶《もだ》えているのではないか。  その大願にもえている身にとっては、ひとりの野盗に対して怒る気も出ないかわりに、ひとりの弟をすら救えない自分を、範宴は、慟哭《どうこく》して嘆かずにいられなかった。  けれど、さらに深く考えてみると、弟はおろか、わが身というものさえ、まだ自分で解決もできていなければ、救えてもいないのである。 (なんで、人の身をや)と範宴は、痛切に今思うのだった。  自分をすら解決し得ない自分に、自分以外の人間の解決ができうるはずはない。その根本は、学問も思念も、すべてが、到らないためだというほかはない。こういう悩みをすることすら、僭越《せんえつ》なのかも知れぬ。何よりもまず自身の解決からしとげなければならぬ。――栄達や功名の小我のためでなく、濁海の救船《ぐせん》となって彼岸《ひがん》の大願へ棹《さお》さすために。 「おや、坊さんが、縛《しば》られてるぜ……」 「やれやれ、追剥《おいはぎ》にでも会ったのか、かわいそうに」夜はいつか明けて、範宴のまわりにも、性善坊や朝麿のそばにも、旅人だの馬子《まご》だのが、取り巻いていた。 [#7字下げ][#小見出し]十[#小見出し終わり]  すると、旅人の群れのうちから、 「おお、おお」一人の老婆が、同情の声をあげて、そこらに立っている往来の者たちに、 「おまえ方は、なんで手をつかねて、見物していなさるのじゃ。人の災難がおもしろいのか」と、叱りつけた。  そして、すぐ自分は、範宴のそばへ寄って、 「この辺は、野伏《のぶせ》りが多いから、悪いやつに遭《あ》いなされたのじゃろう。オオ、オオ、体も氷のように冷《つめ》とうなって、さだめし、お辛いことでござったろうに」老婆の行動に刺戟されて、それまで憚《はばか》っていた往来の者が、われもわれもと、寄りたかって、性善坊の縄を解いたり、朝麿をいたわったりして、ある者はまた、 「わしの家は、この丘のすぐ下じゃ。火でも焚《た》いて、粥《かゆ》でも進ぜるほどに、一伴《いっしょ》にござれ」と、いいだした。  馬を曳いている馬子はまた、 「駄賃はいらぬほどに、そこまで乗って行かっしゃれ」と、朝麿へすすめて歩きだした。 「路銀を奪《と》られなすったろう。これはすくないが」と、金をつつんで喜捨《きしゃ》する人々もある。  天城四郎のことばを聞けば、この社会《よのなか》ほど恐ろしい仮面につつまれているものはないと思えるし、こうして、うるわしい人情の人々にあえば、この世ほど温かい人情の浄土はないと思われもする。  三名は、麓《ふもと》の農家で、充分に体をあたため、飢えをしのぎ、あつく礼をのべて、やがて昨日《きのう》とかわらぬ冬の日の温かい街道へ立ち出でた。  河内《かわち》ざかいの竜田街道の岐《わか》れまで来ると、範宴は、足をとめて、 「性善坊、わしは、少し思う仔細があって、これから磯長《しなが》の里《さと》へまわりたいと思うが……」 「ほ、石川|郷《ごう》の叡福寺《えいふくじ》のある? ……」 「そうじゃ、聖徳太子《しょうとくたいし》と、そのおん母君、お妃《きさき》、三尊の御墳《みつか》がある太子|廟《びょう》へ詣《もう》でて、七日ほど、参籠《さんろう》いたしたい」 「さようでございますか。よい思い立ちとぞんじますが、朝麿様もおつれ遊ばしますか」 「いやいや、ちと、思念いたしたいこともあるゆえ、この身ひとりがこのましい。そちは、朝麿を伴《ともの》うて、京都のお養父上《ちちうえ》にお目にかかり、かたがた青蓮院の師の君にもおとりなしを願うて、ひとまず弟の身を、家に帰してくれい」 「かしこまりました」 「朝麿」と、向き直って―― 「おもとにも、異存はあるまいの」 「はい……」しかし、朝麿の心には、どうしても、梢《こずえ》のことが、不安で、悲しく、このまま自分ばかり京都へもどることは心がすまない様子であった。 「たのみますぞ」範宴は、性善坊にそういうと、やがてただ一人で河内路の方へ曲がって行った。 [#3字下げ][#中見出し]壁文《へきぶん》[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  真空のような静寂《しじま》と、骨のしんまで霜になりそうな寒さである。  夜も更けると、さらに生物の棲まない世界のような沍寒《ごかん》の気が、耳も鼻も唇もほとんど無知覚にさせてしまう。  どこかで、先一昨日《さきおととい》から、法華経《ほけきょう》をよむ声がもれていた。  それは今夜で、四晩になるが、夜があけても、日が暮れてきても、水のように絶え間がなく、ある時は低く、ある時にはまた高く、やむ時のない誦経《ずきょう》であった。 「誰だろう」と、磯長《しなが》の叡福寺《えいふくじ》の者は、炉のそばでうわさをしていた。 「また、ものずきな雲水だろう」と、笑う者もあるし、 「廟《びょう》のうちで、まさか、火などは焚《た》いていまいな」と火の用心を案じる者もあった。 「いや、火の気はないようだ」と一人がいう。 「そうか、それならよいが……。だが、どんな男か」 「まだ、二十歳《はたち》ぐらいな若い僧さ。三尊の拝殿から入って、いちばん奥の廟窟《びょうくつ》の床《ゆか》に、ひとりで坐りこんだまま、ものも食わずに、参籠《さんろう》しているのだ」――そんな話を、だまって、眼をふさいで聞いている四十ぢかい僧があった。その僧は、この寺の客とみえて、他《ほか》の者から、法師、法師と敬称されて、時々、寺僧のかたまる炉《ろ》ばたにみえて冗談をいったり、飄然《ひょうぜん》として見えなくなったり、また、裏山から木の根瘤《ねこぶ》などを見つけてきて、小刀でなにか彫《ほ》っていたり、仙味のあるような、俗人のような一向つかまえどころのない人間のように見える男だったが、太子廟《たいしびょう》の奥に、この四日ばかり、法華経の声がもれるようになってからは、いつも、じっと、さし俯向《うつむ》いて、聞き入っているのであったが、今、寺僧のうわさを聞くと、なにを思いだしたか、ふいと、その部屋を出て、どこかへ、立ち去ってしまった。  今夜も、まっ白に、月が冴えていた。法師は、庫裡《くり》から草履《ぞうり》をはいて、ぴたぴたと、静かな跫音《あしおと》を、そこから離れている太子廟の方へ運んで行った。  法華経の声は、近づいてくる。  石垣をあがると、廟の廻廊に、金剛獅子の常明燈が、あたりを淡く照らしていて、その大屋根を圧《あっ》している敏達帝《びだつてい》の御陵のある冬山のあたりを、千鳥の影がかすめて行った。  廻廊の下をめぐって、法師は、御墳《みつか》のある廟窟《びょうくつ》の方へまわった。もうそこへゆくと、身のしまるような寒烈な気と、神秘な闇がただよっていて、寺僧でも、それは何となく不気味だと常にいっている所である。  風雨に古びたまま、幾百年も手入れもしていない建物に、月の白い光が、扉《と》の朽ちた四方の破れから刃のように中へさしこんでいた。  法師が、そっと覗《のぞ》いてみると、なるほど、瑯玕《ろうかん》みたいに白く凍《こご》えきった若者が、孤寂として、中の床《ゆか》にひとりで端座しているのである。そして、彼の跫音《あしおと》も耳へは入らないらしく朗々と、法華経《ほけきょう》を誦《ず》しつづけていた。 「あ……。やはり範宴《はんえん》少納言であった……」法師はつぶやいて、そっと、跫音をしのばせながら、そのまま、寺の方へ帰って行った。 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり]  ここに参籠してから六日目の朝が白々と明けた。  二日め、三日めは、飢えと寒気に、肉体の苦痛がはなはだしかったが、きのうあたりからは、身心ともに痺《しび》れて生ける屍《しかばね》のような肉体の殻《から》に、ただ、彼の意念の火が――生命の火だけが――赫々《あかあか》と求法《ぐほう》の扉《と》に向って燃えているのであった。  一椀《いちわん》の食も、一滴の湯も、喉《のど》にとおしていないのである。声はかれ、眸《ひとみ》はかすみ、さしも意志のつよい範宴もその夕がたには、がたっと、痩せおとろえた細い手を床について、しばらく、意識もなかった様子である。  すぐ御葉山《みはやま》の下の鐘楼の鐘が、耳もとで鳴るように、いんいんと初更をつげわたると、範宴は、はっとわれに回《かえ》って、思わず大喝《だいかつ》に、 「南無《なむ》っ。聖徳太子」そして、廟窟《びょうくつ》の石の扉《と》に向い、無我の掌《てのひら》をかたくあわせた。 「――迷える凡愚範宴に、求通《ぐつう》のみちを教えたまえ。この肉身、この形骸《けいがい》を、艱苦《かんく》に打ちくだき給わんもよし。ただ、一道の光と信とを与えたまえ」思念をこらすと、落ちくぼんだ彼のひとみは、あたかも、韛《ふいご》の窓のように、灼熱《しゃくねつ》の光をおびて、唇《くち》は一文字にかたくむすばれて、太子の廟窟から求める声があるか、この身ここに朽ち死ぬか、不退の膝を、磐石《ばんじゃく》のようにくみなおした。  彼が、この古廟《こびょう》に詣でて、こうした思念の闘いに坐したのは、必ずしも、途中の出来ごころや偶然ではない。範宴は夙《と》くから、聖徳太子のなしたもうた大業と御生涯とを、景慕していて、折もあらば、太子の古廟にこもって、夢になりと、その御面影《おんおもかげ》を現身《げんしん》にえがいてみたいと宿望にしていたのである。  若い太子は、日本文化の大祖《おおおや》であると共に、仏教興隆の祖でもあった。日本の仏法というものは、青年にして大智大徳の太子の手によって、初めて、皇国日本の民心に、 (汝らの心の光たれ)と点《とも》された聖業であった。  かつては、弘法大師も、この御廟《ごびょう》に百日の参籠をして、凡愚の闇に光を求めたといいつたえられている。  凡愚のなやみ、妄闇《もうあん》のまよい、それは、誰でも通ってこなければならない道であろう。弘法大師ですらそうであった。いわんや、自分のごときをや。  範宴は、この生命力のあらんかぎりは――と祈念した。叡山《えいざん》で学んだところの仏学と世間の実相と自身という一個の人間と、すべてが、疑惑であり、渾然《こんぜん》と一になりきれない矛盾《むじゅん》に対して、解決の光をみたいと念願するのであった。  しかし、およそ人間の体力に限りがあると共に、精神力というものにも、限度があるのであろう。夜がふけて、深々と、大気の冷澄《れいちょう》がすべて刃《やいば》のように冴えてくると範宴は、ふたたび、ぱたっと、昏倒してしまった。  すると、誰か、 「範宴御房――」初めは遠くの方で呼ぶように思えていたが、 「範宴どの。少納言どの」いくたびとなく、耳のそばでくりかえされているうちに、はっとわれに回《かえ》った。  紙燭《ししょく》を、そばにおいて、誰やら自分を抱きかかえているのであった。 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり] 「……お気がつかれたか」と、その人はいう。  範宴は、自分の凍《こご》えている体を、温い両手で抱いてくれている人を、誰であろうかと、半ば、あやしみながら瞳をあげて見た。 「お……」彼は、びっくりして叫んだ。 「あなたは、叡山《えいざん》の竹林房静厳《ちくりんぼうじょうごん》の御弟子《みでし》、安居院《あごい》の法印|聖覚《しょうかく》どのではありませんか」 「そうです」法印は微笑して、 「去年《こぞ》の秋ごろから、私も、すこし現状の仏法に、疑問をもちだして、ただ一人で、叡山を下《お》りこの磯長《しなが》の叡福寺に、ずっと逗留《とうりゅう》していたのです。……でもあなたの、剛気には驚きました。こんな、無理な修行をしては、体をこわしてしまいますぞ」 「ありがとう存じます……。じゃ私は、気を失っていたものとみえます」 「よそながら、私が注意していたからよいが、さもなくて、夜明けまで、こうしていたら、おそらく、凍死してしまったでしょう」 「いっそ死んだほうが、よかったかも知れません」 「なにをいうのです。人一倍、剛気なあなたが、自殺をのぞんでいるのですか。そんな意志のよわいお方とは思わなかった」 「つい、本音を吐いて恥しく思います。しかし、いくら思念しても苦行しても、蒙《もう》のひらき得ない凡質が、生《なま》なか大智をもとめてのたうちまわっているのは、自分でもたまらない苦悶ですし、世間にも、無用の人間です。そういう意味で、死んでも、生きていても、同じだと思うのです」範宴の痛切なことばが切れると、聖覚法印は、うしろへ持ってきている食器を彼のまえに並べて、 「あたたかいうちに、粥《かゆ》でも一口おあがりなさい。それから話しましょう」 「七日《なのか》のおちかいを立てて、参籠したのですから、ご好意は謝しますが、粥は頂戴いたしません」 「今夜で、その満七日ではありませんか。――もう夜半《よなか》をすぎていますから、八日の暁《あさ》です。冷《さ》めないうちに、召上がってください、そして、力をつけてから、あなたの必死なお気もちもうかがい、私も、話したいと思いますから……」そういわれて、範宴は、初めて、椀《わん》を押しいただいた。うすい温湯《ぬるゆ》のような粥であったが、食物が、胃へながれこむと、全身はにわかに、火のようなほてりを覚えてきた。  叡山の静厳《じょうごん》には、範宴も師事したことがあるので、その高足《こうそく》の聖覚法印とは、常に見知っていたし、また、山の大講堂などで智弁をふるう法印の才には、ひそかに、敬慕をもっていた。  この人ならばと、範宴は、ぞんぶんに、自分のなやみも打ち明ける気になれた。聖覚もやはり彼に似た懐疑者のひとりであって、どうしても、叡山の現状には、安心と決定《けつじょう》ができないために、一時は、ちかごろ支那から帰朝した栄西《えいさい》禅師のところへ走ったが、そこでも、求道《ぐどう》の光がつかめないので、あなたこなた、漂泊《ひょうはく》したあげくに、去年の秋から、磯長《しなが》に来て無為の日を送っているのであると話した。 [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり] 「迷える者と、迷える者とが、ここで、ゆくりなくお目にかかるというのも、太子のおひきあわせというものでしょう」聖覚法印は、語りやまないで、語りゆくほど、ことばに熱をおびてきた。 「いったい、今の叡山《えいざん》の人々が、何を信念に安住していられるのか、私にはふしぎでならない。――僧正の位階とか、金襴《きんらん》のほこりとかなら、むしろ、もっと赤裸な俗人になって、金でも、栄誉でも、気がねなく争ったがよいし、学問を競うなら、学者で立つがよいし、職業としてなら、他人《ひと》に、五戒だの精進《しょうじん》堅固などを強《し》いるにも及ぶまい、また、強いる権能もないわけではありませんか」  範宴は、黙然とうなずいた。 「あなたは、どう思う。おもてには、静浄を装って、救世《ぐせ》を口にしながら、山を下りれば、俗人以上に、酒色をぬすみ、事があれば、太刀|薙刀《なぎなた》をふるって、暴力で仏法の権威を認めさせようとする。――平安期のころ、仏徒の腐敗をなげいて、伝教大師《でんぎょうだいし》が、叡山をひらき、あまねく日本の仏界を照らした光は、もう油がきれてしまったのでしょう、現状の叡山は、もはや、われわれ真摯《しんし》な者にとっては、立命の地でもなし、安住の域《いき》でもありません。……で、私は、迷って出たのです、しかし実社会に接して、なまなましい現世の人たちの苦悩を見、逸楽を見、流々転相《るるてんそう》のあわただしさをあまりに見てしまうと、私のような智の浅いものには、魚に河が見えないように、よけいに昏迷してしまうばかりで、ほとんど、何ひとつ、把握《はあく》することができないのであります」  法印の声は、切実であった。  若い範宴は、感激のあまり、思わず彼の手をにぎって、 「聖覚《しょうかく》どの。あなたがいわるることは、いちいち私のいおうとするところと同じです。二人は、ほとんど同じ苦悶をもって同じ迷路へさまよってきたのでした」 「七日七夜《なのかななよ》の参籠で、範宴どのは、何を得られたか」 「何も得ません。飢《う》えと、寒気とだけでした。――ただ、あなたという同じ悩みをもつ人を見出して、こういう苦悶は自分のみではないということを知りました」 「私はそれが唯一のみやげです。あしたは叡福寺《えいふくじ》を立とうと思うが、もう叡山には帰らないつもりです」 「して、これから、どこへさして行かれるか」 「あてはない……」聖覚はうつ向いて、さびしげに、 「ただ、まことの師をたずねて、まことの道を探して歩く。――それが生涯果てのない道であっても……」二人の若い弥陀《みだ》の弟子たちは、じっと、そばにある紙燭《ししょく》の消えかかる灯を見つめていた。  すると、更けた夜気を裂いて、どこかで、かなしげな女のさけび声がながれ、やがて、嗚咽《おえつ》するような声にかわって、しゅくしゅくと、いつまでも、泣きつづけている―― 「はて、怪しい声がする」範宴が、面《おもて》をあげると、聖覚法印も立ちあがって、 「どこでしょう。この霊地に、女の泣き声などがするはずはないが……」と、縁へ顔を出して、白い冬の夜を見まわした。 [#7字下げ][#小見出し]五[#小見出し終わり] 「はての……普請《ふしん》の経堂《きょうどう》の中でする声らしい。……ちょっと見てきましょう」法印は外へ出て、経堂のほうへ出て行ったが、やがて、しばらくすると戻ってきて、 「世間には、悪い奴が絶えぬ」と義憤の眼を燃やしながら、範宴へいうのであった。 「若い女でも誘拐《かどわ》かしてきたのですか」 「そうです。――行ってみると、野武士ていの男が、経堂の柱に、ひとりの女を縛りつけ、凄文句《すごもんく》をならべていましたが、どうしても、女が素直な返辞をしないために、腕ずくで従がわせようとしているのでした」 「この附近にも、野盗が横行するとみえますな」 「いや、どこか、他国の者らしいのです。私が、声をかけると、賊は、よほど大胆なやつとみえて、驚きもせず、おれは天城《あまぎの》四郎という大盗だとみずから名乗りました」 「えっ、天城四郎ですって?」 「ごぞんじですか」 「聞いています。どこの街道へもあらわれる男で、うわべは柔和にみえますが、おそろしい兇暴な人間です」 「――と思って、私も、怪我《けが》をしてはつまらないと思い、わざとていねいに、ここは清浄な仏地であるから、ここで悪業をすることだけはやめてくれと頼みますと、天城四郎はせせら笑って、さほどにいうならば、まず第一に、醜汚《しゅうお》な坊主どもから先に追い退《の》けなければ、仏地を真の清浄界とはいわれまい。坊主が、偽面をかぶって醜汚な行いをつつんでいるのと、俺たちが素面のままでやりたいと思うことをやるのと、どっちが、人間として正直か――などと理窟をならべるのです。これには、私もちと返答にこまりました」 「そして……どうしました」 「理窟はいうものの、やはり、賊にも本心には怯《ひる》むものがあるとみえ、それを捨《す》て科白《ぜりふ》に、ふたたび、女を引っ張って、どこへともなく立ち去りました」 「では、その女というのは、十九か、二十歳《はたち》ほどの、京都ふうの愛くるしい娘ではありませんでしたか」 「よく見ませんでしたが、天城四郎は、梢《こずえ》、梢と呼んでいたようです」 「あっ、それでは、やはり……」範宴は、弟の愛人が、まだ弟に思慕をもちつつ、賊の四郎に反抗し、彼の強迫と闘っている悲惨なすがたを胸にえがいて、たえられない不愍《ふびん》さを感じた。 「どの方角へ行きましたか」彼は、そういって、立ちかけたが、衰えている肉体は、朽ち木のようにすぐ膝を折ってよろめいてしまうのであった。法印は、抱きささえて、 「賊を追ってゆくおつもりですか。およしなさい、一人の女を救うために、貴重な体で追いかけても、風のような賊の足に、追いつくものではありません」 「ああ……」涙こそながさないが、範宴は全身の悲しみを投げだして、氷のような大床《おおゆか》へ俯《う》つ伏《ぶ》してしまった。  自分の無力が自分を責めるのであった。弟はあれで救われたといえようか。弟の女は、どうなってゆくのだろうか。裁く力のない者に裁かれた者の不幸さが思いやられる。 「――もうやがて夜が明けましょう。範宴どの、またあすの朝お目にかかります」燈《あか》りだけをそこにおいて、聖覚法印は、木履《ぼくり》の音をさせて、ことことと立ち去った。 [#7字下げ][#小見出し]六[#小見出し終わり]  遠くで、夜明けの鶏《とり》の声がする――  しかし、顔をあげてみると、まだ外は暗いのであった。  ジ、ジ、ジ……と燈《あか》りの蝋涙《ろうるい》が泣くように消えかかる。  その明滅する燈火《ともしび》の光が、廟《びょう》の古びた壁にゆらゆらうごいた。 「? ……」夜明けまでのもう一刻《いっとき》をと、しずかに瞑想《めいそう》していた範宴は、ふと、太子の御霊廟《みたまや》にちかい一方の古壁に何やら無数の蜘蛛《くも》のようにうごめいているものをみいだして眸《ひとみ》を吸いつけられていた。  燈灯《あかし》が消えかかるので、彼はそっと掌《て》で風をかこいながら、そこの壁ぎわまで進んで行った。  見ると、誰が書いたのか、年経た墨のあとが、壁の古びと共に、消えのこっていて、じっと、眼をこらせば、かすかにこう読まれる―― [#ここから2字下げ] 日域《にちいき》は大乗相応の地たり あきらかに聴け 諦《あきら》かに聴け、 我が教令を 汝の命根まさに十余歳なるべし 命終りて 速かに浄土に入らん 善信、善信、真の菩薩《ぼさつ》 [#ここで字下げ終わり]  幾たびか口のうちで範宴はくりかえして読んだ。そして、 (誰の筆か?)と考えた。  弘法大師や、また自分のような一学僧や、そのほかにも、幾多の迷える雲水が、この廟《びょう》に参籠したにちがいない。それらのうちの何者かが、書き残して行った字句にはちがいない。  けれど、範宴のこころに、その数行の文字は、決して偶然なものには思えなかった。七日七夜、彼が死に身になって向っていた聖徳太子の御声《みこえ》でなくてなんであろう。自己の必死な思念に答えてくれた霊示にちがいないと思った。闇夜に一つの光を見たように、範宴は、文字へ眸《ひとみ》を焦《や》きつけた。わけても、 [#2字下げ]汝の命根まさに十余歳なるべし  とは明らかに自分のことではないか。指をくれば、かぞえ年二十一歳の自分にちょうどその辞句は当てはまる。しかも、 [#2字下げ]命終りて――  とは何の霊示ぞ。迷愚の十余歳は、こよいかぎり死んだ身ぞという太子のおことばか。 「――日域は大乗相応の地たり……日域は大乗相応の地たり。ああ、この日《ひ》の本《もと》に、われを生ましめたもうという御使命の声が胸にこたえる。そうだ……自分はゆうべ、法印へ向って、死の気もちがあることまで打ち明けた。太子は、死せよと仰っしゃるのだ。そして迷愚の殻《から》を脱いだ誕生身《たんじょうしん》に立ち回《かえ》って、わが教令を、この日の本に布《し》けよと自分へ仰っしゃるのだ」  もう、戸外《そと》には、小禽《ことり》がチチと啼《な》いていた。紙燭の蝋《ろう》がとぼりきれると共に、朝は白々とあけて、御葉山《みはやま》の丘の針葉樹に、若い太陽《ひ》の光がチカチカと耀《かがや》いていた。 [#3字下げ][#中見出し]春のけはい[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  この世に――この日《ひ》の本《もと》に生れてきた自分の使命が何であるかを、範宴《はんえん》は自覚した。  同時に、 (自分は二十歳にして死んだものである)という観念の下《もと》から新しく生れかわった。  この二つの信念は、磯長《しなが》の廟《びょう》に籠った賜物《たまもの》であった。聖徳太子からささやかれた霊示であると彼は感激にみちて思う。けれど、 (では一体、自分は何をもって、その重い使命を果すか)となると、彼はまた混沌《こんとん》たる迷いの子になった。  太子|廟《びょう》の壁文《へきぶん》には、 [#1字下げ]――日域《にちいき》は大乗相応の地、あきらかに聴けわが教令を。  とあった。けれどもそれは暗示であり、提案である、「わが教令を聴け」といわれても、太子のふまれた足蹟《そくせき》はあまりに偉大であり、あまりに模糊《もこ》としている。 「――聴く耳がなければ」と範宴は新しくもだえた。 「聴ける耳がほしい」迷える彼は、それからいずこともなく二年のあいだをさまよいあるいた。  東大寺の光円を訪れ、唐招提寺《とうしょうだいじ》をたたき、そのほか、法燈のあるところといえば、嶮《けわ》しさに怯《ひる》まず、遠きに倦《う》まず、雨や風に打たれても尋ねて行った。  けれど、彼の求める真理の鍵《かぎ》はなかった。太子がひろめられた教令のかたちはあっても、いつか、真理のたましいはどこにも失われていた。堂塔伽藍《どうとうがらん》はぬけ殻《がら》であった。ひとり叡山《えいざん》ばかりがそうなのではない。  求めるものが求められないのみか、さまよえば、さまようほど、彼の迷いは濃くなってゆく。  二年あまりを、そうして、あてどもなく疲れあるいた彼は、ふいに、青蓮院《しょうれんいん》の門前にあらわれて、取次を乞い、見ちがえるほど痩せおとろえた姿で、師の慈円《じえん》僧正のまえに坐った。慈円は、ひと目みて、 「どうしたのじゃ」と驚いていった。  範宴は、あまりに消息を欠いたので、師の房《ぼう》を見舞うつもりで来たのであるが、その師の房から、先に見舞われて、 「べつに、自分は変りもございませんが……」と答えた。  彼のつよい精神力は、ほんとに、自分の肉体のおとろえなどは、少しも気にしていなかったのである。 「かわりはないというが、ひどく痩せたではないか。第一、顔の色つやも悪い。叡山《えいざん》にいたころのおもかげもありはしない」 「そう仰せられてみますと、あるいはそうかもしれませぬ。どうか、一日もはやく生涯の――いや人類|永劫《えいごう》の安心と大決定《だいけつじょう》をつかみたいと念願して、すこし修行に肉体をいじめましたから……」 「そうであろう」慈円は、傷《いた》ましいものを見るように、彼の尖《とが》った肩や膝ぶしを見まもるのであった。稚子髪《ちごがみ》の時代の十八公麿《まつまろ》が、いつまでも、慈円の瞼《まぶた》にはのこっていて、そのころの何も思わない艶《つや》やかな頬と今の範宴とを心のうちで思いくらべているのであった。 「おん身は今、焦心《あせ》っている。火のように身を焦《や》いて真理をさがしているのであろう。それはよいが、体をこわしてはなるまいが」と、慈円は愛《いと》し子《ご》を諭《さと》すようにいった。 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり]  師にお目にかかったら――と幾つもの疑問を宿題にして範宴は胸に蓄《た》めていたが、あまりに、彼が憔悴《しょうすい》しているさまを見たせいか、慈円僧正は、彼が、なにを問うても、 「まあ、養生をせい」というのみで、法問に対しては、答えてくれなかった。  実際、そのころの範宴は、食物すらいつも味を知らずに噛むせいか、すこしも胃に慾がなく、梅花《うめ》を見れば、ただ白いと見、小禽《ことり》の声を聴けば、ただ何か啼《な》いていると知るだけであった。  それが、青蓮院《しょうれんいん》へ辿《たど》りついて、師のやさしいことばにふれ、ふと安息を感じたせいか、二年余りのつかれが一時に出てきたように、病人のように、日ごとに頬の肉がこけ、眼はくぼんで、眸《ひとみ》の光ばかりがつよくなってきた。  範宴自身が感じているより幾層倍も、慈円のほうが、案じているらしくみえた。 「どうじゃ範宴、きょうは、わしに尾《つ》いてこないか」陽が暖かくて、梅花《うめ》の薫《かん》ばしい日であった。庭さきでも歩《ひろ》うように、慈円はかろく彼にすすめる。 「どちらへお出ましですか」 「五条まで」 「お供いたしましょう」何気なく、範宴は従《つ》いて行ったのである。  もとより仰山な輿《こし》など好まれる人ではなかった。というて、あまり往来の者に顔をみられたり、礼をされるのもうるさいらしく、慈円は、白絖《しろぬめ》の法師|頭巾《ずきん》をふかくかぶって、汚い木履《ぼくり》をぽくぽくと鳴らしてゆくのである。  五条とはいわれたが、何しにとは訊かなかったので、範宴は、師の君はいったいどこへゆくのかと疑っていると、やがて、五条の西洞院《にしのとういん》までくると、この界隈では第一の構えに見える宏壮な門のうちへ入って行った。  範宴は、はっと思った。 「ここは、月輪関白《つきのわかんぱく》どのの別荘ではないか」と足をとめて見まわしていると、 「範宴、はようこい」と、慈円はふり向いて、中門のまえから手招きをした。  正面の車寄《くるまよせ》には、眩《まば》ゆいような輦《くるま》が横についていた。慈円は、そこへはかからずに中門を勝手にあけ、ひろい坪のうちをあるいて東の屋《おく》の廻廊へだまって上がってゆく。 (よろしいのでございますか)範宴は訊こうと思ったが、関白どのは、師の君の実兄である。なんの他人行儀もいらない間がらであるし、ことには、骨肉であっても、風雅の交わりにとどめているおん仲でもあるから、いつもこうなのであろうと思って、彼もまた無言のまま上がって行った。  奥まった寝殿には、催馬楽《さいばら》の笛や笙《しょう》が遠く鳴っていた。時折、女房たちの笑いさざめく声が、いかにも、春の日らしくのどかにもれてくる。 「きょうは、表の侍たちも見えぬの。たれぞ、出てこぬか。客人《まろうど》が見えてあるぞ」慈円は、中庭の橋廊下へ向いながら、手をたたいた。 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり]  小侍が走ってきて、 「あっ、青蓮院様でいらっしゃいますか」と、平伏した。慈円は、もう橋廊下の半ばをこえながら、 「お客人《まろうど》ではあるまいな」 「はい、お内方《うちかた》ばかりでございます」答えつつ、小侍は、腰を屈《かが》めながら慈円の前を、つつと抜けて、 「――青蓮院さまがお越し遊ばしました」渡殿《わたどの》の奥へこう告げると、舞曲の楽《がく》が急にやんで、それから、華やかな女たちの笑い声だの、衣《きぬ》ずれの音などが、楚々《そそ》とみだれて、 「おう、青蓮院どのか」月輪|兼実《かねざね》がもうそこに立っている。  兼実は、手に、横笛を持っていた。それをながめて慈円が、 「おあそびか、いつも、賑《にぎ》わしいことのう」と、微笑しながら、兼実や、侍たちに、伴《ともな》われてゆく。  漆《うるし》と、箔《はく》と、砂子《すなご》と、うんげん[#「うんげん」に傍点]縁《べり》の畳と、すべてが、庶民階級の家には見馴れないものばかりで、焚《た》きにおう名木《めいぼく》のかおりが、豪奢《ごうしゃ》に鼻をむせさせてくるし、飼い鶯《うぐいす》の啼くねがどこかでしきりとする。  しかし、その十畳ほどなうんげん[#「うんげん」に傍点]縁《べり》のたたみの間《ま》には、今はいって来た客と主《あるじ》のほか一人の人かげも見えないのである。ただ、扇だの、鼓《つづみ》だの、絃《げん》だの、胡弓だの、また笙《しょう》のそばに濃《こ》むらさきの頭巾布《ずきんぎ》れだの、仮面《めん》だのが、秩序なく取り落してあって、それらの在りどころに坐っていた人々は、風で持ってゆかれてしまったように消えうせていた。 「――なんじゃ、誰も見えんではないか」慈円がいぶかると、兼実は、 「はははは――。お身が参られたので、恥かしがって、みんなかくれたのじゃ」 「なにも、かくれいでもよいに」 「きょうは、姫の誕生日とあって、何がなして遊ぼうぞと、舎人《とねり》の女房たちをかたろうて、管絃のまねごとしたり、猿楽などを道化《どうけ》ていたので、むずかしい僧門のお客と聞いて、あわてて皆|失《う》せたらしい」 「女房たちは、どうして、僧を嫌うかのう」 「いや、僧が女房たちを、忌《い》むのでござろう。女人は禁戒のはずではないか」 「というて、同じ人ではないか」 「ははは。ただ、けむたい気がするのじゃろ」 「そうけむたがらずに、呼ばれい、呼ばれい、わしも共に笛吹こう」  慈円が、笛をふこうというと、唐織《からおり》の布《ぬの》を垂れた一方の几帳《きちょう》が揺れて、そのかげに、裳《もすそ》だけを重ね合って潜《ひそ》んでいた幾人もの女房たちが、こらえきれなくなったように、一人がくすりと洩らすと、それをはずみに、いちどに、 「ホ、ホ、ホ、ホ」 「ホホホ……」と笑いくずれ、さらに、嘻々《きき》としていちだんたかく笑った十三、四歳かと見えるひとりの姫が、几帳の横から、 「ああ、おかしや」と、お腹《なか》を抑えながら、まだ笑いやまないで姿を見せた。  つづいて、侍女《こしもと》だの、乳人《めのと》だのが、後から後からと、幾人もそこから出てきた。 [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり] 「姫、ごあいさつをせぬか、叔父さまに――」  兼実《かねざね》がいうと、まだどっかこうあどけ[#「あどけ」に傍点]ない姫は、笑ってばかりいて、 「後で」と、女房たちの後ろにかくれた。  慈円には姪《めい》にあたる姫であって、兼実にとっては、この世にまたとなき一人息女《ひとりむすめ》の玉日姫《たまひひめ》である。 「玉日――」慈円は呼んで、 「あいさつは、あずけておこうほどに、猿楽の真似《まね》を一つ見せい」すると、また、玉日も、女房たちも、何がおかしいのか、いよいよ笑って、返辞をしない。 「せっかく、面白う遊戯していたに、この慈円が来たために、やめさせては悪い。舞わねば、わしは帰るほかあるまい」  すると、玉日は、父のそばへ小走りに寄ってきて、その膝に甘えながら、 「叔父さまを、帰しては嫌《いや》です」 「それでは、管絃を始めたがよい」 「叔父さまも、なされば――」 「するともよ」慈円は、わざと興めいて、 「わしは、歌を朗詠しよう」 「ほんとに?」姫は、念を押して、女房たちへ向いながら、 「叔父さまが、朗詠をあそばすと仰っしゃった。そなた達も、聞いていらっしゃい」 「はい、はい、僧正さまのお謡《うた》など、めったにはうかがえませぬから、ちゃんと、聞いておりまする」 「そのかわりに、姫も、舞うのじゃぞ」 「いや」玉日は、慈円のうしろをちらと見た。そこに、青白い顔をして梅の幹のように痩せてはいるが凜《りん》としてひとりの青年がさっきからひかえている、その範宴をながめて、はにかむのであった。慈円は気がついて、 「そうそう、姫はまだこのお人を知るまい」 「…………」玉日は、あどけなく、うなずいて見せた。父の兼実《かねざね》が、 「叔父さまの御弟子《みでし》で、範宴少納言という秀才じゃ。そなたがまだ、乳人《めのと》のふところに抱《いだ》かれて青蓮院《しょうれんいん》へ詣《もう》でたころには、たしか、範宴も愛くるしい稚子《ちご》僧でいたはずじゃが、どちらも、おぼえてはいまい」 「そんな遠い幼子《おさなご》のころのことなど、覚えているはずはありませんわ」 「だから、恥らうことはないのじゃ」 「恥らってなどおりません」姫も、いつか、馴れていう。 「じゃあ、舞うて見せい」 「舞うのは嫌、胡弓か、箏《こと》なら弾《ひ》いてもよいけれど」 「それもよかろう」 「叔父さま、謡《うた》うんですよ、きっと」 「おう、謡うとも」慈円が、まじめくさって、胸をのばすと、兼実も、女房たちも、笑いをこらえている。  範宴は、ほほ笑みもせず、黙然《もくねん》としたきりで、澄んだ眸をうごかしもしない。 [#7字下げ][#小見出し]五[#小見出し終わり]  そこへ、侍女《こしもと》が、菓子を運んできて、慈円のまえと、範宴のまえにおいた。  慈円は、その菓子を一つたべ、白湯《さゆ》にのどをうるおして、 「えへん」と咳《せき》ばらいした。  姫も、女房たちも、おのおの、楽器をもって、待っていたが、いつまでも慈円が謡《うた》わないので、 「いやな叔父さま」と、姫はすこしむずかって、 「はやくお謡いあそばせよ」あどけなく、鈴のような眼をして、玉日姫が睨むまねをすると、慈円はもう素直に歌っていた。 [#ここから2字下げ] 西寺《さいじ》の、西寺の 老い鼠《ねずみ》、若鼠 おん裳《も》喰《つ》んず 袈裟《けさ》喰《つ》んず 法師に申せ いなとよ、師に申せ [#ここで字下げ終わり]  歌い終るとすぐ、 「兄上、ちと、話したいことがあるが」と、兼実へいった。 「では、あちらで」と兼実は、慈円と共に、そこを立って、別室へ行ってしまった。  姫は、つまらなそうな顔をして、二人の後を追って行ったが、父に何かいわれて、もどってきた。  乳入《めのと》や女房たちは、機嫌をそこねないようにと、 「さあ、お姫《ひい》さま、もう、誰もいませんから、また、猿楽あそびか、鬼ごとあそびいたしましょう」 「でも……」と、玉日は顔を振った。  範宴が、片隅に、ぽつねんと取り残されていた。女房たちのうちから、一人が、側へ寄って、 「お弟子さま。あなたも、お入りなさいませ」 「は」 「鬼ごとを、いたしましょう」 「はい……」範宴は、答えに、窮していた。 「お姫《ひい》さまが、おむずかりになると、困りますから、おめいわくでしょうが」と手を取った。そして、 「お姫《ひい》さま、この御房《ごぼう》が、いちばん先に、鬼になってくださるそうですから、よいでしょう」玉日は、貝のような白い顎《あご》をひいて、にこりとうなずいた。  いうがごとく、迷惑至極なことであったが、拒《こば》むまもなく、ひとりの女房が、むらさきの布《ぬの》をもって、範宴のうしろに廻り、眼かくしをしてしまった。  ばたばたと、衣《きぬ》ずれが、四方にわかれて、みんなどこかへ隠れたらしい。時々、 [#ここから2字下げ] 東寺の鬼は 何さがす―― [#ここで字下げ終わり]  と歌いつつ、手拍子をならした。  範宴は、つま先でさぐりながら、壁や、柱をなでてあるいた。そしてふと、眼かくしをされた自分の現身が、自分の今の心をそのままあらわしているような気がして、かなしい皮肉にうたれていた。 [#7字下げ][#小見出し]六[#小見出し終わり]  くすくすと、そこらで忍びわらいがする。  それを目あてに、範宴は手さぐりをしては、室内をさまよった。  そして、几帳《きちょう》の蔭にかくれていた人をとらえて、 「つかまえました」と、目かくしをとった。それは、玉日姫であった。姫は、 「あら……」と困った顔をし、範宴は、何かはっとして、捕えていた手を放した。 「さあ、こんどは、お姫さまが鬼にならなければいけません」と、乳人や女房たちは、彼女の顔をむらさきの布《きれ》で縛ろうとすると、 「嫌っ」と姫は、うぐいすのように、縁へ、逃げてしまった。出あいがしらに小侍《こざむらい》が、 「範宴どの、青蓮院《しょうれんいん》さまが、お帰りでございますぞ」と告げた。範宴はほっとして、 「あ。おもどりですか」人々へ、あいさつをして、帰りかけると、姫は、急に、さびしそうに、範宴のうしろ姿へ、 「また、おいで遊ばせ」といった。振向いて、範宴は、 「はい、ありがとうございます」  しかし――彼は何か重くるしいものの中から遁《のが》れるような心地であった。こういう豪華な大宮人の生活に触れることは夢のように遠い幼少のころの記憶にかすかにあるだけであって、九歳の時からもう十年以上というもの、いつのまにか、僧門の枯淡と寂寞《せきばく》が身に沁みこんで、かかる絢爛《けんらん》の空気は、そこにいるだにもたえない気がするのであった。  慈円はもう木履を穿《は》いて、丁子《ちょうじ》の花のにおう前栽《せんざい》をあるいていた。  供をして、外へ出てから、範宴はこういって慈円にたずねた。 「お師さまは、叡山《えいざん》にいれば、叡山の人となり、青蓮院にいらっしゃれば、青蓮院の人となり、俗家へいらっしゃれば、俗家の人となる。女房たちや、お子たちの中へまじっても、また、それにうち解けているご様子です。よく、あんな謡《うた》など平気におうたいになれますな」すると、慈円はこういった。 「そうなれたは、このごろじゃよ。――つまり、いるところに楽しむという境界《きょうがい》にやっと心がおけてきたのじゃ」 「――いるところに楽しむ。……」  範宴は、口のうちで、おうむ返しにつぶやきながら考えこんだ。慈円はまた、 「だが、おもとなどは、そういう逃避を見つけてはいけない。わしなどは、いわゆる和歌詠《うたよ》みの風流僧にとどまるのだから、そうした心境《こころ》に、小さい安住を見つけているのじゃ。やはり、おもとの今のもだえのほうが尊い――」 「でも、私は、真っ暗でございます」 「まいちど、叡山へのぼるがよい。そして、あせらず、逃避せず、そして無明《むみょう》をあゆむことじゃ。歩むだけは歩まねば、彼岸《ひがん》にはいたるまいよ」  どこかの築地《ついじ》の紅梅が、風ともなく春のけはいを仄《ほの》かに陽なたの道に香《にお》わせていた。 [#7字下げ][#小見出し]七[#小見出し終わり]  青蓮院の門が見えた。その門を潜《くぐ》る時、慈円はまた、ことばをくりかえして、 「もいちど叡山へもどったがよいぞ」と、いった。 「はい」範宴はそう答えるまでに自分でも心を決めていたらしく、 「明日、お暇《いとま》をいたしまする」 「うむ……」慈円はうなずいて、木履の音を房《ぼう》のほうへ運んで行った。すると、房の式台の下にかがまって、手をついている出迎えの若僧があった。  慈円は、一瞥《いちべつ》して、ずっと奥へはいってしまったが、つづいて範宴が上がろうとすると、若僧はふいに彼の法衣《ころも》の袂《たもと》をつかんで、 「兄上」と、呼んだ。  思いがけないことであった。それは性善坊と共に、先年、都に帰った弟の朝麿なのである。  常々、心がかりになっていたことでもあるし、この青蓮院へついてもまっ先にその後の消息をたずねたいと思っていたのでもあるが、まさか、髪を剃《お》ろして、ここにいるとは思わなかったし、師の慈円も、そんなことは少しも話に出さなかったので、彼は驚きの眼をみはったまま、 「おお……」とはいいながらも、しばらく、弟の変った姿に茫然《ぼうぜん》としていた。  朝麿はまた、兄の痩せ尖った顔に、眼を曇らせながら、 「――ここでお目にかかるも面目ない気がいたしますが、ご覧のとおり、ただ今では、僧正のお得度《とくど》をうけて、名も、尋有《じんゆう》と改めておりまする。……どうか、その後のことは、ご安心くださいますように」と、さしうつむいていった。 「そうか」範宴は、大きな息をついて、うなずいた。それで何か弟の安住が決まったように心がやすらぐと共に、もういっそう深刻な弟の気もちを察しているのでもあった。 「お養父君《ちちぎみ》も、ご得心ですか?」 「わたくしのすべての罪をおゆるしくださいまして、今では、兄上と共に、仏の一弟子として、修行いたしておりまする」 「それはよかった……さだめしお養父君もご安心なされたであろう。おもとも、発心《ほっしん》いたしたうえは、懸命に、勉められい。精進|一途《いちず》におのれを研《みが》いているうちには、必ず、仏天のおめぐみがあろう。惑わず、疑わずに……」  範宴は弟にむかって、そう諭《さと》したが、自分でも信念のない声だと思った。しかし、尋有《じんゆう》は素直であった。兄のことばを身に沁み受けて、 「はい、きっと、懸命に修行いたしまする」と、懺悔《さんげ》のいろをあらわしていうのであった。  あくる朝、範宴は、叡山《えいざん》の道をさして、飄然《ひょうぜん》と門を出た。尋有の顔が、いつまでも、青蓮院の門のそばに立って見送っていた。  どこかで、やぶ鶯《うぐいす》のささ鳴きが、風のやむたびに聞えていた。 [#3字下げ][#中見出し]古いもの新しいもの[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり] 「範宴《はんえん》が山へもどってきた――」叡山《えいざん》の人々のあいだに、それは大きな衝動であった。  彼らの頭には、範宴という人物が、いつのまにか大きな存在になっていた。自分たちに利害があるないにかかわらず、範宴のうごきがたえず気がかりであった。  それというのも、この山の人々の頭には、十歳にみたない少年僧であった時から、授戒登壇をゆるされて、その後も、群をぬいて学識を研《みが》いてきた範宴というものが、近ごろになって何となく自分たちの脅威に感じられてきたからであった。 「一乗院が帰山したというが、いつごろじゃ」 「もう、十日ほど前にもなろう、例の性善坊《しょうぜんぼう》は、それよりもずっと前に戻っていたが、範宴のすがたが見えたは、ついこのごろらしい」 「ちょうど、三年ぶりかの」 「そうさ。範宴が下山《おり》たのは、先一昨年《さきおととし》の冬だったから……」 「だいぶ修行もつんだであろう」 「なあに、奈良は女の都だ、若い範宴が何を修行してきたかわかるものか」 「それは、貴僧たちのことだ。範宴がおそろしい信念で勉学しているということは、いつか山へ来た宇治の客僧からも聞いたし、麓《ふもと》でもだいぶうわさが高い」一人が口をきわめて範宴の学才とその後の真摯《しんし》な態度を賞めたたえると、怠惰な者の常として、かるい嫉妬《しっと》をたたえた顔がちょっと白けてみえた。 「その範宴が、明日《あす》から横川《よかわ》の禿谷《かむろだに》で、講義をひらくということだが――」と、思いだしたようにいうと、 「そうそう、小止観《しょうしかん》と、往生要集《おうじょうようしゅう》を講義するそうだが、まだ二十二、三の若年者が、山の大徳や碩学《せきがく》をまえにおいて、どんなことをしゃべるか、聞きものだて」 「碩学《せきがく》たちも意地がわるい、ぜひにと、懇望しておいて、実は、あげ足をとって、つッ込もうという肚じゃないかな?」 「そうかもしれん。いや、そうなるとおもしろいが」  惰眠《だみん》の耳もとへ鐘をつかれたように、人々は、範宴を嫉妬した。  禿谷には、その翌日、一山の人々が踵《きびす》をついでぞろぞろと群《む》れてきた。講堂は立錐《りっすい》の余地もなく人で埋《うま》った。若い学僧がむろん大部分であったが、中には、一院の主《あるじ》も、一方の雄僧も見えて、白い眉毛《まゆげ》をしかめていた。  やがて、講壇のむしろに、一人の青年が法衣《ほうえ》をさばいて坐った。色の青じろい肩の尖った姿を、人々はふと見ちがえて、 「ほ……あれが範宴か」と、その変りように思わず眼をみはった。 「痩せたのう」 「眼ばかりがするどいではないか」 「病気でもしたとみえる」  聴座《ちょうざ》の人々のあいだに、そんな囁《ささや》きがこそこそながれた。しかし、範宴の唇だけは誰よりも紅かった。そして一礼すると、その唇をひらいて、おもむろに小止観を講義して行った。 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり]  その日の範宴の講義は、あくまで範宴自身の苦悩から生れた独自の新解釈の信念に基づいたものであって、従来の型にばかり囚《とら》われた仏法のための仏法であったり、学問のための学問であったりするものとは、大いに趣《おもむき》が変っていた。  従って、今までの碩学《せきがく》や大徳の説いた教えに養われてきた人々には、耳馴れない範宴の講義が、いちいち異端者の声のように聞えてならなかったし、新しい学説を取って、若い範宴の衒学《げんがく》だと思う者が多かった。 「ふふん……」という態度なのである。中には明らかに反感を示して、 「若いものが、すこし遊学でもしてくると、あれだから困るのじゃよ」と、嘲《あざ》むようにいう長老もあった。  ただ、終始、熱心に聞いていたのは、権智房《ごんちぼう》ひとりであった。権智房は、青蓮院《しょうれんいん》の慈円僧正から、きょうの講義の首尾を案じて、麓《ふもと》からわざわざ様子を見によこした僧である。  それと、もうひとり、どこの房に僧籍をおいているのかわからないが、おそろしい武骨な逞しい体躯をもった法師が、最も前の方に坐りこんで、睨むような眼《まな》ざしで、範宴の講義が終るまで身うごきもせずに聞き入っていたのが目立っていた。  長い日も暮れて、禿谷《かむろだに》の講堂にも霧のようなものが流れこんできた。講堂の三方から壁のように見える山の襞《ひだ》には、たそがれの陰影が紫ばんで陽は舂《うすず》きかけている。  範宴は、およそ半日にわたる講義を閉じて、 「短い一日では、到底、小止観の真髄《しんずい》まで、お話はできかねる。きょうは、法筵《ほうえん》を閉じて、また明日《あす》、究めたいと思います」礼をして、壇を下りた。  大勢のなかには、彼の新しい解義に共鳴したものも何人かあったとみえて、 「範宴御房! 夜に入っても、苦しゅうない。ねがわくは、小止観の結論まで、講じていただきたいが」という者もあるし、また、 「きょうのお説は、われらが今まで聴聞《ちょうもん》いたしてきた先覚の解釈とは、はなはだ異なっている。われわれ後輩のものは、従来の説を信じていいか、御房の学説に拠《よ》っていいか、迷わざるを得ません」と訴える人々もあるし、 「学問には、長老や先覚にも、遠慮はいらぬはずだ。どうか、もっと話してもらいたい。堂衆たち! 明りを点《つ》けろ」  立ちさわぐものもあったが、範宴は、もう席を去って、いかにもつかれたような面もちを、夕方の山影に向けながら、縁に立って、呼吸をしていた。  すると、そこへもまた、若い学徒がすぐ行って、彼を取り巻きながら、 「きょうのご講義のうちに、ちと腑《ふ》に落ちない所があるのですが」とか、 「あすこのおことばは、いかなる意味か、とくともう一度、ご説明をねがいたい」とかいって、容易に、彼を離さなかった。  席をあらためて、範宴は、その人々の質疑へ、いちいち流れるような回答を与えていたが、そのうちに、互いの顔が見えないほど、講堂のうちはとっぷりと暮れてしまった。 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり]  性善坊が迎えにきていた。 「お師さま、あまり遅くならぬうち――」そばへ寄って促《うなが》した。  それを機《しお》に[#「機《しお》に」は底本では「機《しお》いに」]範宴は人々の群れを抜けて講堂の外へでた。夜の大気が冷《ひ》んやりと山の威厳を感じさせる。 「お待ち下さいませ」性善坊は、松明《たいまつ》をともして、彼のあゆむ先へ立って明りをかざした。  松明は、焔《ほのお》よりも多く、墨のような煙を吐いてゆく。明滅する山の道は浮きあがって眼に迫ってきたり、眼から消えて谷のように暗くなったりする。 「崕道《がけみち》にかかります、なるべく、左の方へ寄っておあるきなさいませ」そう注意しながら――「お師さま」と、性善坊は改まっていった。 「きょうのご講義は、わたくしがよそながら、聴いておりましても、胸のおどるほど、ありがたいお教えと存じましたが、そこらでささやく声のうちには、とかく嫉《ねた》みや、反感も多かったようでございます。やはり、あまり真情に仰っしゃるのは、かえって、ご一身のおためによくないのではないかと案じられてなりませんが」 「真情にいうて悪いとすると、自分の信念は語れぬことになる」 「郷《ごう》に入っては、郷にしたがえと申します。やはり叡山《えいざん》には叡山の伝統もあり、ここの法師たちの気風だの、学風だのというものもございますから……」 「それに順応せいというのか」 「ご気性には反《そむ》きましょうが」 「ここの人々の気にいるようなことを説いて、それをもって足れりとするくらいなら、範宴は何をか今日までこの苦しみをしようか。たとえ、嫉視《しっし》、迫害、排撃、あらゆるものがこの一身にあつまろうとも、範宴が講堂に立つからには御仏《みほとけ》を偽瞞《ぎまん》の衣《きぬ》につつむような業《わざ》はできぬ」いつにないつよい語気であった。性善坊は、その当然なことを知っているだけに、後のことばが出なかった。  右手の闇の下には、横川の流れが、どうどうと、闇の底に鳴っていた。松明《たいまつ》の火が、時々、蛍《ほたる》みたいな粉になって谷へ飛んだ。  崕道《がけみち》がきれると、ややひろい、平地《ひらち》へ出た。一乗院までには、もう一つの峰をめぐらなければならない。しかし、そこに立つと、遥かに京都の灯がちらちらとみえ、あさぎ色の星空がひらけて足もとはずっと明るくなった。 「待てっ!」突然、草むらの中から、誰かそう呶鳴ったものがある。範宴の眼にも、性善坊の眼にも、あきらかに黒い人影が五つ六つそこらから躍り出したのが見えた。 「誰だっ」性善坊は、本能的に、範宴の身をかばった。ばらばらとあつまってきた五、六人の法師たちは、たしかに昼間、講堂の聴衆の中にいた者にちがいなかった。棒のような物を引っさげているのもあるし、剣をつかんでいるものもあった。 「異端者め!」と一人がいうのである。そして、いっせいに、 「若輩のくせにして、異説を唱える不届きな範宴は、この山にはおけぬ、山を下りるか、ここで、自分の学説は過りであること、仏陀に誓うか、返答をせいっ」と、威たけだかに、脅《おど》すのであった。 [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり]  眉の毛もうごかさず相手の顔を正視していた範宴は、唇で微笑した。 「わたくしの学説はわたくしの学説であって、それを摂《と》ると摂らぬとは聴く人の心々にあることです。いかなる仰せがあろうとも、学徒が信念する自己の説を曲げたり変えたりすることはできませぬ」静かにいうことばがかえって相手の怒りきっている感情を煽《あお》りたて、 「よしっ、それでは、叡山から去れ、去らねば、抓《つま》みだすぞ」と、法師たちは、袖を肩へたくしあげた。  範宴の脚は、地から生《は》えているように動じなかった。 「なんで私に山を去れと仰っしゃるのか、私には、御山《みやま》を追われる覚えはない」 「貴様がきょう講堂でしゃべったことは、すべて、仏法を冒涜《ぼうとく》するものだ」 「それを指摘してください」 「いちいちいうまでもないことだ。汝の精神に訊け。汝は仏弟子でありながら、仏陀《ぶっだ》を心から信仰しているのではあるまい」 「そうです、私は、仏陀を偶像的に拝みたくありません、仏陀もわれらと等しい人間であり、われらの煩悩《ぼんのう》を持ち、われらと共に生きつつある凡人として礼拝したいのであります。そういう気持から、きょうの講義のうちには、多少、偶像として仏陀にひざまずいているあなた方には、すこし耳なれない言辞があったかも知れませんが、それも私の信念でありますから、にわかに、その考え方を曲げろの変えろの仰っしゃられてもどうすることもできません」範宴のことばが終るか終らないうちに一人の法師がかためていた拳《こぶし》がふいに彼の肩先を烈しく突きとばして、 「この青二才め、仏陀も人間もいっしょに考えておる。懲《こ》らしめてやれ」 「思い知れ、仏罰をッ」つづいてまた一人の者の振り込んだ棒が、範宴の腰ぼねを強《した》たかに打った。性善坊はすでに、暴力になったとたんに二人の法師を相手に取っくんでいた。  ここの山法師には僧兵という別名さえあるほどで、武力においては、常に侍に劣らない訓練をしているのであるから、性善坊といえども、そのうちの二人を相手に格闘することは容易でなかった。  ましてや範宴には力ではどうする術《すべ》もなかった。性善坊があちらで格闘しながらしきりに逃げろ逃げろと叫んでいるようであったが、範宴は逃げなかった。  四人の荒法師は、そこへ坐ってしまった範宴に向って、足をあげて蹴ったり、棒を揮《ふる》って打ちすえたりしながら、 「生意気だッ」 「仏陀に対して不敬なやつ!」 「片輪にしてやれ」と口々に罵《ののし》って、半殺しの目にあわせなければ熄《や》まぬような勢いだった。  すると、最前から彼方《かなた》の草のなかに、腕ぐみをしながらのそりと立っていた大男があって、もう見るにたえないと思ったか、大きな革巻《かわまき》の太刀を横につかみながら範宴の方へ駈けてきた。 [#7字下げ][#小見出し]五[#小見出し終わり]  その法師武者は、昼間、範宴が講堂で小止観《しょうしかん》を講義しているながい間を、法筵《ほうえん》のいちばん前に坐って終始じっと居眠っているもののようにうつ向いて聞いていた、この山に見馴れない四十前後の――あの男なのであった。  駈けてきて、 「狼藉者《ろうぜきもの》っ」と叱りつけた。声に、ただならぬ底力《そこぢから》があって、鉄《くろがね》のような拳《こぶし》をふりあげると、 「法《のり》の御山《みやま》において暴力を働くものこそ、仏賊だ、仏敵だ。疾《と》く、消えうせぬと、太夫房覚明《たゆうぼうかくみょう》が[#「太夫房覚明が」は底本では「太夫房覚明がが」]ただはおかぬぞ」と、一人の横顔を、頬の砕けるほど打った。撲られた法師は、 「わっ」と顔をかかえて、崖のかどを踏み外《はず》した。  他の者たちは、 「おのれ、叡山《えいざん》の者とも見えぬが、どこの乞食法師だ。よくも、朋輩を打ったな」太刀や棒切れが、こぞって彼の一身へ暴風のように喚《わめ》きかかってきた。  自分から太夫房覚明と名乗ったその男は、面倒と思ったか、腰に横たえている陣刀のような大太刀をぬいて、 「虫けらめ! なんと吐《ほ》ざいたッ――」ぴゅんと、刃《やいば》のみね[#「みね」に傍点]が鳴って、一人の法師の首すじを打った。刎《は》ねとばされた棒切れは、宙に飛んで二、三人が左右へもんどり打ってちらかった。 (かなわぬ)と思ったのであろう、法師たちは、何か犬のように吠えかわしながら、尾を巻いて逃げてしまった。性善坊と組みあっていた者も、仲間の者が怯《ひる》み立って逃げだすと、もう、勇気も失《う》せて、彼を捨てていちばん後から鹿のように影を消してしまった。 「どなたか存じませぬが……」性善坊は、あらい息を肩でついて、 「――あやうい所を……ありがとうございまする」 「どこも、お怪我《けが》はなさらぬか」 「はい」範宴も頭をさげて、心から礼をのべた。そして、星明りに、自分よりも背のすぐれて高い逞しい大法師の姿を見あげながら、どこかで見たように思った。  太夫房覚明は、あたりの草むらや樹蔭をなお入念に見まわしながら、 「いずこの房の者か、卑怯な法師|輩《ばら》じゃ、学問の上のことは、当然、学問をもって反駁《はんばく》するがよいに、公《おおやけ》の講堂では論議せずに、暴力をもって、途上に、範宴どのを要して、無法なまねをいたすとは、仏徒のかざ上《かみ》にもおけぬ曲者《くせもの》、まだどんな、卑怯な振舞いをせぬとも限らぬ、一乗院まで、お送りして進ぜよう」  そういって、彼は先にあゆみだした。その足ぶみや、物腰には、どこか武人らしい力があって、 「おそれいりまする」といいつつも、範宴は心づよい気がして、彼の好意に甘えて後ろに従《つ》いて行った。  それにしても、太夫房覚明などという名は、この叡山でも南都でも聞いたことがない、いったいこの人物は何者なのだろうかと考えていた。 [#7字下げ][#小見出し]六[#小見出し終わり]  やがて無動寺《むどうじ》の一乗院へたどりついた。その間に、太夫房覚明と性善坊とは、範宴を先に立ててかなり親しく話していたが、一乗院まで来ると、 「どうぞ、幾日でもお泊りください。師の房も、あのように無口なお方ではございますが、決して、お気がねなさるようなお人ではございません」性善坊はしきりと覚明をひきとめていた。  覚明も、元よりどこへ泊るというあてもないのであって、すすめられたことは、幸いであったらしい、 「それでは」と、草鞋《わらじ》の緒《お》を解き、範宴へも断って、奥へ通った。  師弟はまだ食事をすましていないし、覚明も空腹らしかった。性善坊は炉のある大きな部屋に薪《たきぎ》をかかえて行って、 「お客人《まろうど》には、失礼じゃが、かえってここが親しかろう、どうぞ炉《ろ》べりへ」と席をすすめた。  範宴もやがてそこへ来て、師弟も客も一つ座になって粥《かゆ》をすすりあった。  覚明はうち解けたもてなしにすっかり欣《よろこ》んで、 「家の中に眠るのは久しぶりでおざる。ゆうべは、塔の縁に、一昨日《おととい》はふもとの辻堂に、毎夜、冷たい床にばかり眠っていたが、おかげで、今夜は人心地がついた」といった。範宴は苦笑して、 「あなたも何か迷うているお人と見える。私も、時々この山から迷いだすのです」 「いや」と、覚明は武骨に手を振って―― 「御房の迷いと、拙者の迷いとは、だいぶ隔《へだた》りがある。――われらごとき武辺者《ぶへんしゃ》は、まだまだ迷いなどというのも烏滸《おこ》がましい。ただ余《あま》りに血に飽いて荒《すさ》んだ心のやすみ場を探しているに過ぎないので」 「武辺者と仰せられたが、そもあなたのご本名は何といわるるか、おさしつかえなくばお聞かせください」 「お恥しいことだ」覚明は、憮然《ぶぜん》としながら、榾火《ほたび》の煤《すす》でまっ黒になった天井を見あげた。そして、 「今は、それも前身の仮《かり》の名《な》にすぎぬが、実は、拙者は海野信濃守行親《うんのしなののかみゆきちか》の子です」 「えっ」思わず範宴は眼をみはった。 「――では勧学院の文章博士《もんじょうはかせ》であり、また進士蔵人《しんしくろうど》の職にあった海野|道広《みちひろ》どのは、あなたでしたか」 「いかにもその道広です。木曾どのの旗挙《はたあ》げにくみして、大いに志を展《の》べようとしたものですが、義仲公は時代の破壊者としては英邁《えいまい》な人でしたが、新しい時代の建設者ではなかったのです。ことすべて志とちがって、ご承知のような滅亡をとげました。拙者も、男児の事業はすでに終ったと考えて、一時は死なんとしましたが、どういうものか、最後の戦いにまで生きのこって、はや、世俗のあいだに用事のないこの一身を、かように持てあましているわけでござる」自嘲《じちょう》するように太夫房覚明はそういってわらった。 [#7字下げ][#小見出し]七[#小見出し終わり]  炉辺の夜がたりは尽きない。  覚明は昼間、範宴の講義を聴いた時から、 (これは凡僧でない)とふかく心を囚《とら》われていたが、さらに一夜を語り明かしてから、 (この人こそ、虚無と紛乱《ふんらん》と暗黒の巷《ちまた》にまよう現世界の明しとなる大先覚ではなかろうか)という気がした。で、あくる日あらためて覚明は範宴のまえに出た。 「お願いがござるが」範宴はやわらかい眼ざしを向ける。この処女《おとめ》のような眸のどこにきのう講堂で吐いたような大胆な、そして強い信念がかくされているのかと覚明はあやしくさえ思う。 「拙者を、今日から、御弟子《みでし》の端に加えていただきたいのですが――」 「弟子に」 「されば」覚明は力をこめていった。 「今日までの自分というものは、昨夜も申しあげたとおり、武辺《ぶへん》の敗亡者であり、生きる信念を欠いた自己のもてあましたものでありましたが、もういちど、人間として真に生き直ってみたいのでござる。おききとどけ下さらば、覚明は、今日をもって、誕生の一歳とおもい、お師の驥尾《きび》に附いて、大願の道へあゆみたいと存ずるのでござる」 「あなたは、すでに、勧学院の文章博士《もんじょうはかせ》とし、学識も世事の体験も、この範宴よりは遥かに積まれている先輩です。――私がおそるるのはその学問です。あなた、今までのすべてを――学問も智慧も武力も――一切かなぐりすてて、まこと今日誕生した一歳の嬰児《あかご》となることができますかの」 「できる。――できるつもりです」 「それをお誓いあるならば、不肖《ふしょう》ですが、範宴は、一歳のあなたよりは、何歳かの長上ですからお導きいたしてもよいが」 「どうぞ、おねがいいたします」覚明は誓った。  かつて、木曾義仲にくみして、矢をむけた時の平家追討の返翰《へんかん》に、  ――清盛は平家の塵芥《じんかい》、武家の糟糠《そうこう》なり。  と罵倒《ばとう》して気を吐いた快男児|覚明《かくみょう》も、そうして、次の日からは、半僧半俗のすがたをすてて、誕生一歳の仏徒となり、性善坊に対しても、 (兄弟子)と、よんで、侍《かしず》く身になった。  覚明ひとりではない。時勢は、源|頼朝《よりとも》の赫々《かっかく》たる偉業を迎えながら、一方には、その成功者以上の敗亡者を社会から追いだしていた。  壇《だん》の浦を墓場とした平家の一族門葉もそうである。  それを討つに先駆した木曾の郎党も没落し、また、あの華やかな勲功を持った義経《よしつね》すらが、またたくまに帷幕《いばく》の人々と共に剿滅《そうめつ》されて、社会の表からその影を失ってしまった。  だが――亡びた者、必ずしも死者ではない。生きとし生けるものの慣《なら》いとして、生き得る限りはどこかに生きようとしているのである。平家の残党、木曾の残党、義経の残党、その一門|係累《けいるい》はことごとく世間にすがたは消していても、どこかで呼吸し、何かの容《かたち》で、更生にもがいている。  太夫房《たゆうぼう》覚明も、そういう中の一人なのである。 [#7字下げ][#小見出し]八[#小見出し終わり]  新しい力が興《おこ》ろうとする時には必ず古いものの力がこぞってそれを誹謗《ひぼう》してくる。 「範宴の講義を聴いたか」一山の者の眼は、彼の声にその新しい力を感じて不安に駆られた。 「どんなことをいうのか」 「まあ、いちど行ってみろ」禿谷《かむろだに》の講堂は、一日ごとに大衆で埋《うず》まった。法筵《ほうえん》にすわれない人々は講堂の縁だの窓の外に立って彼の声だけを聞いていた。  彼の講義が熱をおびるほど、大衆も熱し、そして、内心深く考え直して衝《う》たれているものと、範宴に対して飽くまでも闘争的に反感をいだいている者とが、はっきりと分れていた。  むろん彼に帰依《きえ》する者よりは、彼を嫉視《しっし》し、彼を憎悪する者のほうが遥かに多い。その険悪な大勢の顔からは、殺気が立ちのぼっていて、講義の要点にすすむと、 「邪説っ、邪説っ」と、どなったり、 「奇を衒《てら》うなっ」と弥次《やじ》ったりして、時には、立って講壇へ迫ろうとするような乱暴者があったりした。  そして範宴の帰りは、いつも薄暮《はくぼ》になるので、性善坊は師の一身を案じて、 「どうか、はやくご講義を切りあげて下さるように」と、頼むようにいった。  範宴はうなずいたが、やがて、小止観《しょうしかん》の講義が終ると、すぐ続いて、往生要集《おうじょうようしゅう》の解《かい》をあたらしく始めた。 「困ったことだ」  性善坊は大不服である。 「講義が大事か、お体が大事か、それくらいなことは、お分りと存じますに、毎日、危険をおかしてまで、禿谷《かむろだに》へお出かけになるのはいかがと存じます。ことに、一山の大部分のものは、日にまして、師の房を悪《あ》しざまに沙汰するのみか、伝教《でんぎょう》以来の法文を自分一個の見解でふみにじる学匪《がくひ》だとさえ罵《ののし》っているではございませぬか。このうえ講義をおつづけになることは、火に油をそそいでみずから焔《ほのお》に苦しむようなものだと私は思いますが」  口を極めて苦諫《くかん》するのであった。けれど範宴は、 「初めの約束もあるから――」というのみで、彼を叱って説伏しようともしない代りに、思いとまって講義をやめる様子もない。  ただこの際、性善坊にとって心づよいことは、新しく弟子となった太夫房覚明《たゆうぼうかくみょう》が、範宴の身を守ることは自分の使命であるかのように、範宴のそばに付いて、見張っていてくれることであった。そのためか、往生要集の解《かい》も、無事にすんで、範宴は、翌年の夏までを一乗院の奥に送っていたが、やがて秋の静かな跫音《あしおと》を聞くと、 「興福寺へ行ってまいる」と、性善坊も覚明もつれずに、ただ一人で、雲のふところを下りて、奈良へ行った。  彼の念願は、興福寺の経蔵《きょうぞう》のうちにあった。許しをうけて、その大蔵《だいぞう》の暗闇にはいった範宴は、日も見ず、月も仰がず、一穂《いっすい》の燈《とも》し灯《び》をそばにおいて、大部な一切経《いっさいきょう》に眼をさらし始めたのである。  ふつうの人間の精力では五年かかっても到底読みつくせないといわれている一切経を、範宴は五ヵ月ばかりで読破してしまった。おそらく眼で読んだのではあるまい、心で読んだのだ、そして充血して赤く爛《ただ》れた眼と、陽にあたらないために蝋《ろう》のように青白くなった顔をもって、大蔵《だいぞう》の闇から彼がこの世へ出てきた時には、世は木枯《こがら》しのふきすさぶ建久《けんきゅう》七年の真冬になっていた。 [#改ページ] [#1字下げ][#大見出し]女人篇[#大見出し終わり] [#3字下げ][#中見出し]風水流転《ふうすいるてん》[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  暗黒の大蔵の中から光のなかへ、何ものかを自分はつかんで出たと信じた。五ヵ月ぶりで一切経《いっさいきょう》の中から世間へ出た時の範宴《はんえん》のよろこびは、大きな知識と開悟とに満たされて、肋骨《あばらぼね》のふくらむほどであった。 (もう何ものにも迷うまい)彼は、信念した。 (もう何ものにも挫《くじ》けまい)彼は足を踏みしめた。  そして心ひそかに、 [#2字下げ]我れこの世を救わん  の釈尊の信願をもって自分の信願とし、雪の比叡《ひえい》へ三度目にのぼったのである。  仏祖|釈迦如来《しゃかにょらい》は、大悟の眼をひらいて雪山《せっせん》を下りたという。彼は、新しい知識に信をかためて伝統の法城へ勇躍してのぼってゆく。  どのくらいな心力と体力のあるものか、範宴は、不死身のように死ななかった。骨と皮ばかりになって、しかも、麓《ふもと》への道さえ塞《とざ》された雪の日に、 「範宴じゃ、今帰った――」と、一乗院の玄関へふいに立った彼のすがたを迎えて、覚明《かくみょう》も性善坊《しょうぜんぼう》も、 「あっ……」と驚いたほどであった。  休養というような日はそれからも範宴には一日もなかった。おそろしい金剛心である、彼はその冬を華厳経《けごんきょう》の研究のなかに没頭して、覚明や性善坊と、炉辺に手をかざして話に耽《ふけ》ることすらない。  そうした範宴の日々の生活をながめて、覚明はある時、しみじみと、 「命がけということは、武士の仕事ばかりと思うていたが、どうして、一人の凡人が、一人の僧といわれるまでには、戦い以上な血みどろなものじゃ」と、心《しん》から頭を下げていうのであった。  翌年の五月の下旬であった。難波《なにわ》から京都の附近一帯にわたって、めずらしい大風がふいて、ちょうど、五月雨《さみだれ》あげくなので、河水は都へあふれ、難波あたりは高潮が陸《おか》へあがって、無数の民戸《みんこ》が海へさらわれてしまった。  そういう後には必ず旱《ひでり》がつづくもので、疫病《えきびょう》が流行《はや》りだすと、たちまち、部落も駅路《うまやじ》も、病人のうめきにみちてしまった。都は最もひどかった。官では、施薬院《せやくいん》をひらいて、薬師《くすし》だの上達部《かんだちべ》だのが、薬を施《ほどこ》したり、また諸寺院で悪病神を追い退《の》ける祈祷《きとう》などをして、民戸の各戸口へ、赤い護符《ごふ》などを貼《は》りつけてしまったけれど、旱《ひでり》にこぼれ雨ほどのききめもない。  犬さえ骨ばかりになって、ひょろひょろあるいている。町には、行路病者の死骸が、乾物《ひもの》みたいにからからになって捨てられてあったり、まだ息のある病人の着物を剥《は》いで盗んでゆく非道な人間だのが横行していた。  突然、召状《めしじょう》があって、範宴は叡山《えいざん》を下り、御所へ行くあいだの辻々で、そういう酸鼻《さんぴ》[#ルビの「さんぴ」はママ]なものを、いくつも目撃した。 (ああ、たれかこの苦患《くげん》を救うべき)若い範宴のちかいは、心の底にたぎってきた。 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり]  なんのお召しであろうか。  庁の中務省《なかつかさしょう》へゆくまでは範宴にも分らなかったが、出頭してみると、意外にも、奏聞《そうもん》によって、範宴を少僧都《しょうそうず》の位に任じ、東山の聖光院門跡《しょうこういんもんぜき》に補《ほ》せらる――というお沙汰《さた》であった。叡山では、またしても、 「あれが、少僧都に?」と、わざとらしく囁《ささや》いたり、 「二十五歳で、聖光院の門跡とは、破格なことだ。……やはり引《ひ》き人《びと》がよいか、門閥《もんばつ》がなくては、出世がおそい」などと羨望《せんぼう》しあった。  彼らの眼には、位階が僧の最大な目標であった。さもなければ勢力を持つかである。そして常に、武家や権門と対峙《たいじ》することを忘れない。  たれが奏聞したのか、範宴は、それにもこれにも、無関心のように見える。どんな毀誉褒貶《きよほうへん》もかれの顔いろには無価値なものにみえた。ただ、さしもの衆口も近ごろは範宴の修行を認めないではいられなくなったことである。一つの事がおこると、それについて一時はなんのかの蝉《せみ》のように騒ぎたてても、結局は黙ってしまう。心の底では十分にもう範宴の存在が偉《い》なるものに見えてきて、威怖《いふ》をすら感ずるのであるが、小人の常として、それを真っ直にいうことができないで、彼らは彼ら自身の嫉視《しっし》と焦躁《しょうそう》でなやんでいるといったかたちなのである。  翌年秋、範宴は、山の西塔《さいとう》に一切経蔵《いっさいきょうぞう》を建立《こんりゅう》した。 (他を見ずに、諸子も、学ばずや)と無言に大衆へ示すように。  無言といえば、彼はまた、黙々として余暇に刀《とう》をとって彫った弥陀像《みだぞう》と、普賢像《ふげんぞう》の二体とを、彫りあげると、それを、無動寺に住んでいた自身のかたみとして残して、間もなく、東山の聖光院へと身を移した。  東山へ移ってからも、彼の不断の行願《ぎょうがん》は決してやまない。山王神社に七日の参籠をしたのもその頃であるし、山へも時折のぼって、根本中堂《こんぽんちゅうどう》の大床に坐して夜を徹したこともたびたびある。  彼が、その前後に最も心のよろこびとしたことは、四天王寺へ詣《まい》って、寺蔵の聖徳太子の勝鬘経《しょうまんぎょう》と法華経《ほけきょう》とを親しく拝観した一日であった。  太子の御聖業は、いつも、彼の若いこころを鞭《むち》打つ励みであった。初めて、その御真筆に接した時、範宴は、河内《かわち》の御霊廟《みたまや》の白い冬の夜を思いだした。 「あなたは、聖徳太子のご遺業に対して、よほど関心をおもちとみえる。まあ、こちらでご休息なさいませ」そばについて、寺宝を説明してくれた老僧が気がるに誘うので、奥へ行って、あいさつをすると、それは四天王寺の住持で良秀僧都《りょうしゅうそうず》という大徳であった。  この人に会ったことだけでも、範宴にとっては、有益な日であったし、得難い法悦の日であった。  この年、鎌倉では、頼朝が死んだ。そして、梶原景時は、府を追われて、駿河路《するがじ》で兵に殺された。武門の流転《るてん》は、激浪のようである。法門の大水《たいすい》は、吐かれずして澱《よど》んでいる。  正治二年、少僧都範宴は、東山の山すそに、二十八歳の初春をむかえた。 [#3字下げ][#中見出し]時雨《しぐれ》の罪《つみ》[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  この春を迎えて、聖光院《しょうこういん》の門跡《もんぜき》として移ってからちょうど三年目になる。  門跡という地位もあり、坊官や寺侍たちにも侍《かしず》かれる身となって、少僧都範宴《しょうそうずはんえん》の体は、おのずから以前のように自由なわけにはゆかなくなった。時には省《かえり》みて、 (このごろは、ちと貴族のような)と聖光院のきらびやかな生活を面映《おもは》ゆくも思い、 (狎《な》れてはならぬ)と、美衣美食をおそれ、夜の具《もの》の温まるを懼《おそ》れ、経文《きょうもん》を口で誦《よ》むのをおそれ、美塔の中の木乃伊《ミイラ》となってしまうことを懼《おそ》れたが、門跡として見なければならぬ寺務もあり、官務もあり、人との接見もあり、自分の意見だけにうごかせない生活がいつの間にか彼の生活なのであった。 「お牛車《くるま》の用意ができました」木幡民部《こばたみんぶ》が手をついていう。  民部というのは、範宴が門跡としてきてから抱えられた坊官で、四十六、七の温良な人物だった。  範宴は、すでに外出の支度をして、春の光のよく透《とお》る居室の円座に、刃もののように衣紋《えもん》のよく立っている真新しい法衣《ころも》を着、数珠《じゅず》を手に、坐っていた。  こういう折、朝夕《ちょうせき》に見る姿でありながら、坊官や侍たちは、時に、はっとして、 (ああ、端麗な)思わず眼がすくむことがある。  実際、このごろの範宴は、ひところの苦行惨心に痩せ衰えていたころの彼とはちがって、下頬膨《しもぶく》れにふっくらと肥え、やや中窪《なかくぼ》で後頭部の大きな円頂《あたま》は青々として智識美とでもいいたいような艶《つや》をたたえ、決して美男という相では在《おわ》さないが、眉は信念力を濃く描いて、鳳眼《ほうがん》はほそく、眸《ひとみ》は強くやさしく、唇《くち》は丹《に》を噛《か》んでいるかのごとく朱《あか》い。そして近ごろはめったに外出《そとで》もせぬせいか、皮膚は手の甲まで女性《にょしょう》のように白かった。  だが、ふとい鼻骨と、頑健な顎骨《がっこつ》が、あくまで男性的な強い線をひいていた。肩は磐石《ばんじゃく》をのせてもめげないと思われるような幅ひろく斜角線をえがき、立てば、背は五尺五寸のうえに出よう、ことに喉《のんど》の甲状腺は、生れたての嬰児《あかご》の、拳《こぶし》ほどもあるかと思われるほど大きい。  この端麗で、そして威のある姿が、朝の勤行《ごんぎょう》に、天井《てんじょう》のたかい伽藍《がらん》のなかに立つと、大きな本堂の空虚もいっぱいになって見えた。  口さがない末院の納所僧《なっしょそう》などは、 「御門跡のあの立派さは、どうしても、童貞美というものだろうな」などと囁《ささや》き合った。  けれど、師の幼少から侍《かしず》いている性善坊は、どうしても、 「だんだん、母御前の吉光《きっこう》さまに生き写しだ」と思えてならない。  ただ、濃い眉、ふとい鼻ばしら、嬰児《あかご》の拳《こぶし》大もある喉《のんど》の男性《おとこ》の甲状腺《しるし》――それだけは母のものではない、強《し》いて血液の先をたずねれば、大曾祖父《おおそうそふ》源義家のあらわれかもしれない。 「では、参ろうかの」民部の迎えに、その姿が、今、円座を立って、聖光院の車寄せへ出て行った。  ちょうど松の内の七日である。範宴は、網代牛車《あじろぐるま》を打たせて、青蓮院《しょうれんいん》の僧正のもとへ、これから初春《はる》の賀詞《がし》をのべにゆこうと思うのであった。 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり]  供には、いつものように、性善坊と覚明との二人が、車脇についてゆく。  牛飼の童子まで、新しい布直垂《ぬのひたたれ》を着ていた。  慈円《じえん》僧正の室には、ちょうど、三、四人の公卿《くげ》が、これも賀詞の客であろう、来あわせていて、 「御門跡がおいでとあれば――」と、あわてて、辞して帰りかけた。慈円はひきとめて、 「ご遠慮のいる人物ではない。初春《はる》でもあれば、まあ、ゆるりとなされ」といった。範宴は、案内について、 「よろしゅうございますか」蔀《しとみ》の下からいった。 「よいとも」僧正は、いつも変らない。  範宴も、ここへ来ては、何かしらくつろいだ気がする。僧正のまえに出た時に限って、童心というものが幾歳《いくつ》になっても人間にはあることを思う。客の朝臣《あそん》たちは、 「は……。あなたが、聖光院の御門跡で在《おわ》すか。お若いのう」と、おどろきの眼をみはった。 「おん名はうかがっていたが、もう五十にもとどく齢《よわい》の方であろうと思っていたが」べつな一人も同じような嘆声を発すると、僧正はそばから、 「はははは、まだ、見たとおりな童子でおざる」といった。 「御門跡をつかまえて、童子とは、おひどうございます」  範宴は、師の房のことばに、何か自分の真の姿をのぞかれたような気がして、 「師の君の仰っしゃる通りです」と、素直《すなお》にいった。  僧正は、相かわらず和歌《うた》の話へ話題をもって行った。そして、 「初春《はる》じゃ、こう顔がそろうては、歌を詠《よ》まずにはおれん。範宴も、ちかごろは、ひそかに詠まれるそうな。ここに在《おわ》す客たちも、みな好む道――」と、もう手を鳴らして、硯《すずり》を、色紙を、文机《ふづくえ》をといいつける。客の朝臣たちは、 (はて、どうしよう)というように、当惑そうな眼を見あわせた。そのくせ、青蓮院の歌会には、いつも、席に見える顔であり、四位、蔵人《くろうど》、某《なにがし》の子ともあれば、公卿《くげ》で歌道のたしなみがない人などはほとんどないはずである。何を、眼まぜをしているのだろうか。とにかく、しきりと、もじもじして、運ばれてくる色紙や硯などを見ると、さらに、眉をひそめていた。  慈円は、いっこうに、頓着がない。好きな道なので、もう何やら歌作に余念のない顔である。 「いっそ、申しあげたほうが、かえってよくはあるまいか」 「では、そこもとから」 「いや、おん身から……」何か、低声《こごえ》で囁《ささや》きあっていた朝臣《あそん》たちは、やがて思いきったように、「ちょっと、僧正のお耳へ入れておきたいことがありますが」と、いいにくそうにいいだした。 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり] 「ほ? ……何でおざろう」 「実は、この正月にも、あちこちで、僧正のおん身に対して、忌《いま》わしい沙汰する者があるのでして」 「世間じゃもの、誰のことでも、毀誉褒貶《きよほうへん》はありがちじゃ」 「しかし、捨てておいては、意外なご災難にならぬとも限りませぬ。僧正には、まだ何もお聞きなさいませぬか」 「知らぬ」と、慈円はこともなげにかぶりを振った。範宴は、側から膝をすすめて、 「お客人《まろうど》」と、呼びかけた。 「師の君のご災難とは心がかり、して、それの取沙汰とは何を問題にして」 「やはり、和歌《うた》のことからです。――この正月、御所の歌会始めに主上から恋という御題《ぎょだい》が仰せ出されたのです。その時、僧正の詠進《えいしん》されたお歌は、こういうのでありました」と客の朝臣は、低い声に朗詠のふしをつけて、 [#ここから2字下げ] わが恋は 松をしぐれの そめかねて 真葛《まくず》ヶ|原《はら》に 風さわぐなり [#ここで字下げ終わり] 「なるほど……。そして」 「人というものは意外なところへ理窟をつけるもので、僧正のこの歌が、やがて、大宮人や、僧門の人々に、喧《やか》ましい問題をまき起す種《たね》になろうとは、われらも、その時は、少しも思いませんでした」 「ほほう」僧正自身が、初耳であったように、奇異な顔をして、 「なぜじゃろう?」と、つぶやいた。 「さればです」と、べつな朝臣が、後をうけて話した。 「――僧正の秀歌には主上よりも、御感《ぎょかん》のおことばがあり、女《め》の局《つぼね》や、蔵人《くろうど》にいたるまで、さすがは、僧正は風雅《みやび》なる大遊《たいゆう》でおわすなどと、口を極めていったものです。ところが、心の狭い一部の納言《なごん》や沙門《しゃもん》たちが、その後《あと》になって、青蓮院の僧正こそは、世をあざむく似非《えせ》法師じゃ、なぜなれば、なるほど、松を時雨《しぐれ》の歌は、秀逸にはちがいないが、恋はおろか、女の肌も知らぬ清浄《しょうじょう》な君ならば、あんな恋歌《こいか》が詠《よ》み出られるはずはない。必定、青蓮院の僧正は、一生|不犯《ふぼん》などと、聖《ひじり》めかしてはおわすが、実は、人知れず香《こう》を袂《たもと》に盗んで口を拭《ふ》く類《たぐい》で、祇園《ぎおん》のうかれ女《め》の墻《かき》も越えているのだろう、苦々《にがにが》しい限りである、仏法の廃《すた》れゆくのも、末法の世といわれるのも、ああいう位階のたかい僧正の行状ですらそうなのだから、まことにやむを得ないことだ、嘆かわしいことだなどと、讒訴《ざんそ》の舌を賢《さかし》げに、寄るとさわると、いい囃《はや》しているのです」  範宴は、自分のことでもいわれているように、眸を恐《こわ》くさせて聞いていた。聞き終ってほっと息をつぎながら、僧正の面《おもて》が、どんな不快な気《け》しきに塗られているであろうと、そっとみると、慈円は、 「ははは」と、肩をゆすぶって笑うのであった。 [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり] 「妙な批判もあるものじゃな、そんなことを沙汰しおるか」 「中には、僧正を、流罪《るざい》にせよなどと、役所の門へ、投文《なげぶみ》した者もあるそうです」 「おどろき入った世の中じゃ、それでは人生に詩も持てぬ。文学も持てぬ。僧が、恋歌を作って悪いなら、万葉や古今のうちの作家をも、破戒僧というて責めずばなるまい」 「しかし、僧正の時雨《しぐれ》のお歌は、あまりにも、実感がありすぎるというて、女を知らぬ不犯《ふぼん》の僧に、かような和歌《うた》の作れるわけはないというのです」 「それがおかしい。僧とても、人間じゃ、美しい女性《にょしょう》を見れば美しいと思うし、真葛ヶ原の風でのうても、血もさわげば、恋も思う。まして、詩や歌の尊さは、人間としての真を吐露するところにあって、嘘や、虚飾では、生命がない」そういって、慈円は、世評の愚を一笑に附したが、客の朝臣《あそん》は、 「しかし、衆口金を熔《と》かすということもありますから、ご注意に如《し》くはありません」 「いわしておくがよい。自体、僧じゃから女には目をふさげ、酒杯《さかずき》の側にも坐るなとは、誰がいうた。仏陀《ぶっだ》も、そうは仰せられん。信心に自信のない僧自身がいうのじゃ。また、僧を金襴《きんらん》の木偶《でく》と思うている俗の人々がいうのじゃ。われらには、自分の信心を信ずるがゆえに、さような窮屈なことは厭《いと》う。たとえば、いつであったか忘れたが、室《むろ》の津《つ》へ、船を寄せ、旅の一夜を、遊女《あそびめ》と共に過ごしたこともある。その折の遊君は、たしか、花漆《はなうるし》とかいうて、室《むろ》の時めいた女性《にょしょう》であったが、津に入《い》る船、出る船の浮世のさまを語り、男ごころ女ごころの人情を聴き、また、花漆の問法《もんぽう》にも答えてやり、まことによい一夜であったと今も思うが、みじんもそれが僧として罪悪であったとは考えぬ。月は濁池《だくち》にやどるとも汚れず、心|浄《きよ》ければ、身に塵《ちり》なしじゃ、そして、娯《たのし》みなきところにも、娯み得るのが、風流の徳というもの、誹《そし》るものには、誹らせておけばよい」  慈円は、筆をとって、はや、想《そう》のできた和歌《うた》を、さらさらと書いていた。  朝臣たちも、僧正のことばに感じ入って、歌作の三昧《さんまい》にはいり、いつとはなく、そんな話題もわすれてしまったらしい。  ほどよく、範宴は辞して、聖光院へかえった。しかし、きょうの話題は、牛車《くるま》のうちでも、寝屋《ねや》のうちでも、妙に胸に蝕《く》い入ってならなかった。  そして、僧正がいわれただけの言葉では、まだ社会へ対して、答えきれていない気がするのであった。仏法と女性、僧人と恋愛、それは、決して、一首の和歌《うた》の問題ではない。  この数日、範宴はそのことについて、熱病のように考えてばかりいた。解けない提案にぶつかると、それの解けきれるまでは夢寐《むび》の間《あいだ》にも忘れ得ないのが彼の常であった。  それから十日ほど後。青蓮院の文使《ふづか》いが見えた。  師の僧正からで、頼みの儀があるから来てもらいたいという文面であった。 [#7字下げ][#小見出し]五[#小見出し終わり]  僧正は待っていた。いつもながら明快で、元気である。訪れた範宴の顔を見ると、 「よう来てくれた。実はちと頼みおきたいことがあって」と、人を遠退《とおざ》けた。 「何事でございますか」範宴は、何となく、青蓮院のうちに、静中の動とでもいうような波躁《なみさわ》ぎを感じながら師の眉を見た。 「ほかではないが、ことによると、わしはしばらく遠地へ参るようになるかもしれぬ。で、留守中のことども、何分、頼みおきたい」 「突然なことをうけたまわります……して何地《いずち》へ?」 「何地へともまだわからぬが、行くことは確からしい。いつ参るともさしつかえないように、これに、いろいろ覚え書をいたしておいた。後の始末、頼むはおもとよりほかにない」と書付を一通、手筐《てばこ》のうちから出して、範宴のまえにおいた。 「かしこまりました」何も問わずに、範宴はそれを襟に秘めた。そして、 「さだめない人の世にござりますれば、仰せのよう、いつお旅立ちあろうも知れず、いつ不慮のお移りあろうも知れず、とにかく、おあずかり申しておきます、どうぞ、いかなる時もお心やすくおわされませ」といった。 「うむ」慈円は、自分の心を、鏡にかけて見てとるように覚《さと》っている範宴のことばに、満足した。 「たのむぞ」 「はい。しかしお心ひろく」 「案じるな、わしは、身の在るところに娯《たのし》み得る人間じゃよ、風流の余徳というもの。――いや、風流の罪か、ははは」玄関のほうには、しきりと、訪客の声や、取次の跫音《あしおと》が客殿との間をかよう。  範宴は、長座《ながい》を憚《はばか》って、師の居室《いま》を辞した。そして、廻廊をさがってくると、 「兄上」見ると弟の尋有《じんゆう》だった。  尋有は、憂いにみちた顔をしていた。いつもながら病身の弱々しさと、善良で細かい神経につかれている眸《ひとみ》である。 「――もうお帰りですか」 「うむ、近ごろ体は」 「丈夫です」 「それはよい、真心をあげて、御仏《みほとけ》にすがり、僧正に仕えよ」 「はい。……あの、ただいま、師の御房から、どんなお話がありましたか」 「おまえも、心配しているの」 「お案じ申さずにはおられません。わたくしのみでなく、ほかの弟子一統も、お昵懇《ちかづき》の人々も、みな、客殿につめかけて、あのように、毎日、協議しておりますが……」弟のことばに、ふと、そこから院の西の屋《おく》を見やると、なるほど、僧正の身寄りだの、和歌の友だの、僧俗雑多な客が、二十人以上も、通夜のように暗い顔をして、ひそひそと語らっているのが遠く見えた。 [#7字下げ][#小見出し]六[#小見出し終わり]  尋有は、眼をうるませて、 「あのうちに、師の御房の和歌の御弟子《みでし》、花山院の若君がいらっしゃいます」 「お、通種卿《みちたねきょう》もおいでか」 「その他《ほか》の方々も、兄上にお目にかかって、ご相談いたしたい儀があると仰せられますが、おもどり下さいませんか」 「そうか」範宴は考えていたが、 「お会いいたそう」 「お会いくださいますか」尋有はよろこんで先に立った。客殿の人々は、 「聖光院の範宴御房じゃ」と、ささやきあって、愁いの眉に、かすかな力づよさを持った。 「時に、ご承知でもあろうが」と花山院の通種《みちたね》や、弟子の静厳《じょうごん》や、僧正の知己たちは、範宴を、膝でとりまいて、声をひそめた。 「――困ったことになりました。なんとか、貴僧に、よいお考えはあるまいか」と、いう。僧正の例の問題である。  一首の和歌が、こんなに、険悪な輿論《よろん》を起そうとは思わないので、僧正はじめ、僧正に親しい人々もわらって抛《ほ》っておいたところが、その後、問題は、禁中ばかりでなく、五山の僧のあいだにも起って、慈円|放逐《ほうちく》の問責《もんせき》がだんだん火の手をあげてきた。そして、 (青蓮院《しょうれんいん》を放逐せよ)とか、はなはだしいのは、 (遠流《おんる》にせよ)などという排撃のことばをかざして、庁に迫る者など、仏者のあいだや、官のあいだを、潜行的に運動してまわる策士があるし、朝廷でも、放任しておけない状態になったというのである。  で――いちど僧正を参内させ、御簾《ぎょれん》の前にすえて、諸卿列席で糺問《きゅうもん》をした上、その答えによって、審議を下してはどうかというので、この間うちから、青蓮院へ向って、たびたび、お召しの使いが立っている。ところが、僧正は、 (古今、詩歌に罪を問われたる例《ためし》なし、また、詩歌のこころは、俗輩の審議に向って、説明はなし難し)と、いって、参内の召しに、応じようともしないのである。  再三の使者に、しまいには、頑然と首を振って、 「慈円は、病で臥しております」といって、居室に、籠ってしまった。  前《さき》の関白|兼実《かねざね》の実弟にあたる僧正として、この不快、不合理な問題に対して、それくらいな態度を示したのは当然であり、歌人の見識としても、はなはだもっともなことなのであるが、そのために、朝廷の心証はいっそう悪くなって、 「さらば、不問のまま、遠流の議を奏聞すべし」という声が高まってきた。  月輪兼実《つきのわかねざね》が、朝廟《ちょうびょう》にあって、関白の実権をにぎっている時代なら、当然、こんなことは起らないのであるが、その月輪公は、両三年前に、すでに官をひいて、禅閤《ぜんこう》ととなえ、今では隠棲しているので、それに代って、朝《ちょう》に立った政閥《せいばつ》と、それを繞《めぐ》る僧官とが結んで、弟の慈円僧正をも、青蓮院から追い出して、自党の僧で、その後にすわろうという謀《たく》らみなのでもあった。 「すてておいては、僧正の罪を大きくするばかりです。範宴御房、師の君に代って、貴僧が、御所へ参って、申し開きをして下さるわけにはゆきませんか」 [#7字下げ][#小見出し]七[#小見出し終わり]  事件は複雑だ、裏と表がある。問題となった和歌などはむしろ排撃派の表面の旗にしか過ぎない、僧正があってはとかく思うままに振舞えない僧門の一派や、月輪|兼実《かねざね》が隠棲《いんせい》したこの機《しお》に、旧勢力を一掃して、完全に自分たちの門閥《もんばつ》で朝廷の実権を占めようとする新任の関白|藤原基通《ふじわらのもとみち》や鷹司《たかつかさ》右大臣などの意志がかなり微妙に作用しているものと見て大差ない。  したがって、この事件に対して、範宴には範宴の観察と批判があった。大体、彼は僧正の態度に、賛同していた、僧正の覚悟のほどにも、さもあることと共鳴していた。  自分が叡山《えいざん》の大衆に威嚇され嘲罵《ちょうば》されても、その学説は曲げ得られないように、もし僧正が、堂上たちの陰険な小策に怯《お》じて、歌人としての態度を屈したら、詩に対する冒涜《ぼうとく》であり、また僧正自身の人格をも同時に捨てて踏みつけることになる。  で範宴は、師の房が、遠流《おんる》になろうとも、あくまで正義を歪《ま》げないようにと心に祷《いの》り、今も、暗黙のうちに、師弟の心がまえを固めてきたところであるが、こうして、慈円の弟子や知己や、和歌の友人たちが、一室のうちに憂いの眉をひそめたり嘆息をもらして胸を傷《いた》めあっている状《さま》を見ると、あわれにも思い、また師の老齢な体なども思われて、むげに、自己の考え方を主張する気にもなれなかった。 「おすがりいたします、範宴御房、この場合、あなたのお力に頼むよりほかに、一同にも、思案はないのでございます」  花山院の公達《きんだち》もいうし、静厳《じょうごん》もいうし、他の人々も、すべて同じ意見だった。範宴はやむなく、 「さあ、私の力で、及ぶや否やわかりませぬが、ご一同の誠意《まごころ》を負って、師の御房に代って参内してみましょう」と答えた。ちょうど、その翌る日にも、冷泉《れいぜい》大納言から、慈円に病を押しても参内せよという督促の使者が来た。弟子の静厳から、 「先日もお答えいたした通り、僧正は病中にござりますが、もし、法弟の範宴|少僧都《しょうそうず》でよろしければ、いつでも、参内いたさせますが」と代人を願った。使者が、折返して、 「代人にても、苦しゅうないとの朝命です」といってきた。そして、日と時刻とを、約して行った。  その日は、寒々と、春の小雨が光っていた。  身を浄めて、範宴は、参朝した。御所の門廊をふかく進んで、 「聖光院|門跡《もんぜき》範宴少僧都、師の僧正のいたつきのため、召しを拝して、代りにまかり出でました」  取次の上達部《かんだちべ》は、 「お待ち候え」と、殿上へかくれた。  初めて、御所の禁苑まで伺候した範宴は、神ながらの清浄《しょうじょう》と森厳な気に打たれながら、また一面に、いかにして今日の使命をまっとうするか、僧正の名を辱《はずかし》めまいかと、ひそかに、心を弓のごとくに張っていた。 [#7字下げ][#小見出し]八[#小見出し終わり] 「使僧範宴とは、何者の子か」関白|基通《もとみち》が、鷹司《たかつかさ》右大臣を見ていった。 「さあ?」と鷹司卿はまた、冷泉《れいぜい》大納言のほうを向いて、 「おわきまえか」と訊ねた。 「されば、あの僧は、亡き皇后|大進有範《だいしんありのり》の子にて日野|三位《さんみ》の猶子《ゆうし》にてとか」 「ほ。藤原有範の子か」基通は、黙った。  公卿《くげ》たちの頭には、姓氏《せい》や家門というものが、人を見るよりも先に支配する。  無名の者の家の子なら、大いに蔑《さげす》んでやろうと思ったかも知れないのである。 「そうか、有範の子か」囁《ささや》きがその辺りをながれた。時刻を指示してあるので、公卿たちは、衣冠をつらねて、範宴の参内を、待ちかまえていたところであった。  やがて次々《つぎつぎ》から、関白まで、取次がとどく。基通は、またその由を、御簾《ぎょれん》のうちへ奏聞《そうもん》した。  一瞬、公卿たちは、固唾《かたず》をのむ。末座遠く、範宴のすがたが見えた。いっせいに、人々の眼が、それへ射《い》た。  人々は、はっと思って、 (不作法者っ)と顔色を騒がせた。  なぜなら、ふつう、初めて参内する者は、遠い末席にある時から、脚はおののき、頸《うなじ》は、俯向《うつむ》き、到底、列座の公卿たちを正視することなどできないものであるのに、範宴少僧都は、怯《お》じるいろもなく、砧《きぬた》の打目のぴんと張った浄衣《じょうえ》を鶴翼《かくよく》のようにきちんと身に着け、眸《ひとみ》を、御簾《ぎょれん》から左右にいながれる臣下の諸卿へそっと向けて、二歩三歩、座のところまで進んできた。  公卿たちが、はっと感じたのは、あまりに、彼のすがたが巨《おお》きく見えたためであった。およそどんな武将や聖《ひじり》でも、この大宮所で見る時は、あの頼朝ですらも小さく見えたものである。それが、まだ一介《いっかい》の若僧《にゃくそう》にすぎない範宴が、いっぱいに眼へ映《うつ》ったことは、 (不遜《ふそん》な)という憤《いきどお》りを公卿たちに思わすほどであった。  しかし静かに、座をいただいて玉座のほうへむかい、やがて拝をする彼のすがたを見ると、公卿たちの憤りも消えていた。  作法は、形ではなくこころである。範宴の挙止には真《まこと》が光っていた。  天皇も仏子《ぶっし》であり、仏祖も天皇の赤子《せきし》である。仏祖|釈尊《しゃくそん》もこの国へ渡ってきて、東なる仏国日本に万朶《ばんだ》の仏華《ぶつげ》を見るうえは、仏祖も天皇のみ心とひとつでなければならないし、天皇のおすがたのうちにも仏祖のこころがおのずから大きな慈愛となって宿されているはずである。  この国のうえに多くの思想や文化を輸入《いれ》たもうた聖徳太子のこころを深く自己の心の根に培《つちか》っていた範宴は、そういう常々のおもいがいま御座《ぎょざ》ちかくすすむと共に全身をたかい感激にひたせて、眩《まばゆ》い額《ぬかずき》をいつまでも上げ得なかったのである。  御簾《ぎょれん》のうちはひそやかであったが、土御門《つちみかど》天皇も、彼のそうした真摯《しんし》な態度にたいして、しきりにうなずかせられていた。 [#7字下げ][#小見出し]九[#小見出し終わり]  やがて、鷹司卿《たかつかさきょう》が、 「使僧」と、よんだ。 「は」範宴は顔をあげた。 「おもと、何にても、師の慈円にかわって、答え得るか」 「師のお心をもって――」 「うむ」うなずいて少し膝をすすめ、 「さらば問うが、不犯《ふぼん》の聖《ひじり》たる僧正が、あのような艶《なま》めかしい恋歌を詠み出でたは、そも、どういう心情《こころ》か」 「僧も人間の子にございますゆえ――」 「なんじゃ」大胆な範宴の答えに、諸卿は色をなして、 「――では、僧正も人間の子なれば、女犯《にょぼん》あるも、恋をするも、当りまえじゃと、おもとはいうか」 「さは申しあげませぬ」 「でも今、僧正も人間の子なればと、返答したではないか」 「いかなる聖《ひじり》、いかなる高僧といえ、五慾|煩悩《ぼんのう》もなく、悪業《あくごう》のわずらいもなく、生れながらの心のまま白髪になることはできません。大地はふかく氷を閉ざしても、春ともなれば、草は萌《も》え、花は狂う。その花もまた、永劫《とわ》に散らすまいとしても、やがて、青葉となり、秋となるように。――これを大地の罪といえましょうか、大いなる陽の力です、自然の法則です」 「さような論は、云い開きにはならぬ、いよいよ、僧正の罪を、証拠だてるようなものじゃ」 「しかし」範宴の頬には若い血が春そのもののように紅《あか》くさした。 「しかし何じゃ」 「釈尊は、人間が、その自然の春に甘えて、五慾におぼれ、煩悩に焦《や》かれ、あたら、永劫《とわ》の浄土を見うしのうて、地獄にあえぐ苦患《くげん》の状《さま》を、あわれとも悲しいこととも思われました。さらば弥陀《みだ》は第一に、五戒を示し、五戒の条のひとつには、女色を戒《いまし》めておかれたのです」 「それを犯した僧正は堕落僧じゃ、遠流《おんる》に処して、法門の見せしめとせねばならん」 「僧正の身はご潔白です。あのお歌が、若々しい人間の恋を脈々とうたっているのでもわかります。密《ひそ》かに、女犯《にょぼん》の罪をかさね、女色に飽いている人間ならば、あのお年齢《とし》をもって、あのような若々しい歌は詠《よ》み出られません。もう、人間の晩秋に近い僧正の肉体です。それなのに、まだあのような歌が詠まれるのは、いかに、僧正が、今日もなおお若いお心でいるかという証拠であり、そういう肉体を老年まで持つには、清浄な禁慾をとおしてきたお方でなければならないはずです。ことにまた、ご自身に、お疑いのかかるような後ろぐらい行状があれば、なんで、情痴《じょうち》の惻々《そくそく》と打つような恋歌などを、歌会の衆座になど詠みましょうか。もっと、聖《ひじり》めかした歌を詠んで、おのれの心をも、人の眼をも、あざむこうとするにちがいありません」  範宴はすずやかにいって退《の》けた。ことばの底には、人を打つ熱があった。彼は、僧の禁慾がいかに苦しいものか、自分にとって尊いものか、現在の自分に比べても余りに分りすぎている。彼は、師の弁護をするという気持よりも、いつか自分の行《ぎょう》の深刻な苦悩に対して、思わず涙を流していっているのであった。 [#7字下げ][#小見出し]十[#小見出し終わり]  弥陀《みだ》は、人間になし難いことを強《し》いた。五戒の約束がそれである。  求法《ぐほう》の僧衆《そうしゅう》が、最も苦しみ闘うのは、そのうちでも「女色禁」の一戒であった。女に対して、眼をつぶることは、生れながらの盲人《めくら》でさえもなし難い。  肉体の意慾を、押しふせ、押しふせ、ある年月までの行《ぎょう》を加えてしまうまでは、たいがいな僧門の若者は、この一戒だけにも、やぶれてしまう。  しかも、この至難な行《ぎょう》をのりこえて、聖《ひじり》とか、高僧とかいわれるほどの人は、そのほとんどが、ふつうの人以上に、絶倫な体力や精根の持ち主であるので、その行のくるしいことも、人以上なものである。それはちょうど、一刻、一日ごとに、血まみれな心になって磨いてゆく珠玉《たま》にひとしい。磨けば磨いてゆくほど愛着のたかまるかわりに、ひとたび手から落してしまえば、十年の行も、二十年の結晶も、みじんに砕《くだ》けて、その人の求法《ぐほう》生活は、跡かたもないものになる。  ――なんで慈円僧正のような人がそんな愚をなそうか、僧正はすでに珠《たま》である、明朗と苦悩の域《いき》をとうに蝉脱《せんだつ》した人格は、うしろから見ても、横から見ても、「禁慾の珠玉」そのものである。  そのすずやかな蝉脱のすがたは、歌人としては、随所に楽しむ――という主義の下《もと》に、人生を楽しみあそび、僧としては、浄土を得て、法燈の守りに、一塵《いちじん》の汚れもとめない生活をしている。いかに、さもしい俗人の邪推《じゃすい》をもって僧正の身のまわりをながめても、僧正に、それ以上なものがなければ淋しかろうとか、不幸だろうとかいうようなことは考えもつかない沙汰である。さまでの僧正を、なおも強《し》いて穢《きた》なき臆測で見ようとする人々には、よろしく、僧正と共に青蓮院に起臥《おきふし》してみるがよい。いかに、僧正が、女性《にょしょう》のない人生をとおってきても、そこに少しの淋しさも不自然さもなく、いる所に楽しんでいるかの姿がきっとわかるに違いない。  範宴は、縷々《るる》として、以上のような意味を、並いる人々へ説いた。そして、 「若輩者《じゃくはいもの》が、おこがましい弁をふるいたてましたが、お師の君に、あらぬ世評のふりかかるは、弟子の身としても、口惜しい儀にぞんじます。何とぞ、煌々《こうこう》たる天判《てんぱん》と、諸卿《しょきょう》の御明断とを、仰ぎあげまする」といって、ことばを終った。  僧である以上、さだめし難かしい仏典をひきだしたり、口賢い法語や呪文《じゅもん》で誤魔化すだろうと心がまえしていた人々は、彼の人間的な話に、 (正直な答弁である)と感じたらしく、その間に、口をさし挟む者がなかったばかりでなく、誰にもよく、僧正の人格というものが得心《とくしん》された。  主上は、御簾《ぎょれん》のうちへ、関白|基通《もとみち》を召されて、何か仰せられている御様子であった。  基通は、退がって、 「範宴に、料紙と硯《すずり》――を」と、側の者へいいつけた。  料紙台に、硯と、そして、主上からの御題《ぎょだい》が載って、範宴のまえに置かれた。 [#7字下げ][#小見出し]十一[#小見出し終わり]  御題を詠じてさしだすと、こんどは、堂上たちが、 「この題で、一首」と、わざと困らすような難題を、次々にだした。  範宴は、筆を下に擱《お》かなかった。公卿たちは、 「ほ……」と、その一首一首に、驚嘆をもらして、 「なるほど、歌才があれば、僧侶でも、どんなことでも自在に詠まれるものらしい」と、今さららしく、うなずいている者もあった。 「慈円は、よい弟子を持たれたものじゃ」範宴に対する諸卿の眼は、急にものやわらかになり、そして、慈円の咎《とが》めも、不問になった。  御簾《ぎょれん》を拝して、範宴は、退がろうとした。すると、 「ちと、待とう」と基通《もとみち》がいった。伝奏から、 「御下賜」とあって、檜皮色《ひわだいろ》のお小袖を、範宴に賜わった。  範宴は、天恩に感泣しながら、御所を退出した。  牛車《くるま》の裡に身をのせてから、初めて、ほっと心が常に返った。肌着にも、冷たい汗が感じられる。 「ああ、危ういことであった」しみじみと思うのである。  もし、きょうの使命をし損じたらどうであろう。堂上たちのあの空気では、恩師の流罪もあるいは、事実として現れたかもしれない。  女色だの、食物だの、生活のかたちは、僧は絶対に俗の人と区別されているけれども、政権の中にも僧があるし、武力の中にも僧の力がある、あらゆる栄職や勢力の争奪の中にも、僧のすがたのないところはない。  もともと一笠一杖《いちりゅういちじょう》ですむ僧の生涯に、なんで地位だの官位だのと、そんなわずらわしいものを、求めたり、持たせられたり、するのだろうか。  それがなければ、法門も、少しは浄化されるだろうに。衣食や女人ばかり区別しても、根本の生活行動が、政治や陰謀や武力と混同してあるいているのでは、何にもなるまい。 「だが……」と範宴は、自分を省《かえり》みて、自分のすがたに恥じないでいられなかった。自分の身にも、いつのまにか、金襴《きんらん》のけさ[#「けさ」に傍点]や、少僧都の位階や、門跡という栄職までついているではないか。  そして、今となっては、捨てるに捨てられない――  自己を偽《いつわ》れない範宴の気もちは、すぐにも、金襴や位階をかなぐりすてて、元の苦行の床《ゆか》へ返りたくなった。 「やがてまた、この身も、僧都となり、僧正となり、座主《ざす》となり、そして小人の嫉視《しっし》と、貴顕《きけん》の政争にわずらわされ、あたら、ふたたび生れ難き生涯を、虚偽の金襴にかざられて終らねばならぬのだろうか」頬に手をあてて、湖《うみ》のごとく静かに、しかし悶々《もんもん》と、心には烈しい懐疑の波をうって考えこんでいる範宴少僧都をのせて、牛車の牛は、使いの首尾を晴れがましく、青蓮院の門前へ返った。 [#3字下げ][#中見出し]きらら月夜《づきよ》[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり] 「火事じゃないか」廊下に立って、覚明《かくみょう》は、手をかざしている。  空は、ぼやっと白かった。夜霞のふかいせいか、月の明りはさしていながら、月のすがたは見えないのだった。 「そうよな……」性善坊《しょうぜんぼう》も、眉をよせて、 「五条あたりか」 「いや、川向うであろう」 「すると、師の房の参られたお館に近くはないか」 「離れてはいようが、心もとない。上洛《じょうらく》中の鎌倉の大名衆や執権の家人《けにん》たちが、一堂に集まって、夕刻から、師の房に、法話をうかがいたいというので参られたのだが……」 「おぬし、なぜ、牛車《くるま》と共に、お待ち申していなかったのじゃ」 「でも先方で、夜に入《い》れば、必ず兵に守らせて、聖光院《しょうこういん》へお送り申しあげるゆえ、心おきなく、帰れというし、師の房も、戻ってよいと仰せられたから――」 「万一のことでもあっては大変じゃ。ちょっと、お迎えに行ってくる」 「いや、わしが行こう」覚明が、駈け出すと、 「覚明、覚明、今夜は、坊官の民部殿もおらぬのだから、おぬし、留守番していてくれい」  性善坊はもう、庫裡《くり》の方から外へ出ていた。  町へ近づくと、大路《おおじ》には、しきりに、犬がほえている。しかし、空の赤い光をたよりに駈けてきたが、加茂川の岸まで来ぬうちに、火のいろは消えて、その後ろの空が、どんよりと暗かった。  ばらばらと、辻から出てくる町の者に、 「凡下《ぼんげ》、火事はもう消えたのか」 「へい、消えたようでございますな」 「どこじゃったか」 「六条の、なんとやらいう白拍子《しらびょうし》の家と、四、五軒が焼けたそうで」 「ははあ、白拍子の家か。――では、近くに、貴顕のお館《やかた》はないのか」 「むかしは、存じませんが、今はあの辺り、遊女や白拍子ばかりがすんでおりますでな」 「やれ安心した」ほっとしたが、凡下のことばだけでは、まだ何となく不安な気もするし、もう、師の房の法話もすんだころであろうと、性善坊は、走ることだけはやめて、足はそのまま五条の大橋を北へ渡って行った。  橋のうえから北は、さすがに、混雑していた。いつまでも去りやらぬ弥次馬が、遊女町の余燼《よじん》をながめて、 「また、盗賊の仕業か」 「そうらしいて。悪酔いして、乱暴するので、遊ばせぬと断ったところが、手下どもを連れて、すぐひっ返し、見ているまえで、火を放《つ》けて逃げおったということじゃ」 「なぜ、見ていた者が、すぐ消すなり、人を呼ばぬのじゃ」 「そんなことすれば、すぐあだ[#「あだ」に傍点]をされるに決まっとるじゃないか。鎌倉衆のお奉行ですら、あいつばかりは、雲や風みたいで、どうもならん人間じゃ」  そんな噂をしあって、戦慄をしていた。 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり]  その夜、範宴《はんえん》が求められて法話に行った武家邸《ぶけやしき》は、火事のあった六条の遊女町とはだいぶ距《へだ》たっていたが、それでも、性善坊が息せいて行きついてみると、門前には高張《たかはり》をつらね、数多《あまた》の侍だの、六波羅衆の鞍をおいた駒などが市《いち》をなしていななきあい、こもごもに玄関へ入って、火の見舞いを申し入れていた。  法話に集《つど》っていた人々も、火事ときいて、あらかたは帰ったのであろう。性善坊は、混雑のあいだをうろうろしながら、家の子らしい一人の侍に、 「うかがいますが」と、腰を下げた。 「こよいの法筵《ほうえん》にお越しなされた聖光院の御門跡は、どちらにおいで遊ばしましょうか」 「御門跡? ……。おお、あのお方なら、今し方、戻られた」 「ははあ、では、もうご帰院にござりますか」 「たった今、お館《やかた》の牛車《くるま》に召されて」 「お供は」 「郎党が、二、三名|従《つ》いて行ったはずだが、折悪く、火災があってのう、充分なお送りもできず、申しわけのないことじゃった。おぬしは聖光院の者か」 「はい」 「いそいで行ったら追いつこうもしれぬ。ようお詫びしておいてくれい」性善坊はふたたび巷《ちまた》へもどって往来《ゆきき》の牛車《くるま》の影に注意しながら駈けて行った。けれど、どこで行きちがったか、五条でも会わず、西洞院《にしのとういん》でも会わず、西大路でも会わない。  聖光院へもどるとすぐ、 「覚明、師の房は、お帰りなされたか」 「いいや。……おぬし、お供してもどったのではないのか」性善坊は、早口に、巷のありさまや行った先の口上を話して、 「わしは、駈けてはきたが、それにしても、もう師の房の方が先にお着きになっていると思うたが……」 「それは、心もとないぞ」覚明は、房の内から顔を出して、空を仰ぎながら、 「遅いのう」 「うム……いくらお牛車《くるま》でも」 「胸さわぎがする」と、奥へかくれたと思うと、覚明は、逞しい自分の腰に太刀の革紐《かわひも》を結《ゆわ》いつけながら出てきて、ありあう下駄を穿《は》き、 「行ってみよう」と、山門をくぐった。  ひところ、叡山《えいざん》の西塔《さいとう》にもいたという義経《よしつね》の臣、武蔵坊|弁慶《べんけい》とかいう男もこんな風貌ではなかったかと性善坊は彼のうしろ姿を見て思った。  東山の樹下から一歩一歩出てゆきながらも、二人は今に彼方《かなた》から牛車《くるま》の軌《わだち》の音が聞えてくるか、松明《たいまつ》の明りがさすかと思っていたが、ついに祇園《ぎおん》へ出るまでも、他人の牛車《くるま》にすら会わなかった。 「いぶかしい?」 「牛車に召されたとあるからは、この大路よりほかにないが」並木の辻に立って見廻していると、松のこずえから冷たいものが二人の襟《えり》へ落ちてくる。 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり]  性善坊や覚明が、その夜も更けるまで血まなこになって探しているのに、どうしても師の牛車も見あたらなければ、院へも帰って見えなかったのは、次のような思いがけない事故と事情が、範宴の帰途に待っていたからだった。  …………  まだ六条の燃えている最中。  鎌倉者の郎党が三人ばかり、松明《たいまつ》をいぶし、牛車の両わきと後ろに一人ずつ従《つ》いて、 「退《の》け、退けっ」火事を見に走る弥次馬だの、逃げてくる凡下《ぼんげ》や女子供を押しわけて、五条大橋を東へこえてきたのが範宴をのせて聖光院へ送ってくる牛車であった。  川をへだてているものの、火とさえいえば、六波羅のまえは、四門に兵を備え、出入りや往来へ、きびしい眼を射向けている。  辛《から》くも、そこを押し通って、西洞院《にしのとういん》の辻まで来ると、鎌倉者にしては粗末な具足をつけた小侍が、 「待てっ」と、ふいに闇から槍をだした。  供をしてきた郎党は透《す》かさず、 「怪しい者ではござらぬ、これは頼家公のお身内|土肥兼季《どひのかねすえ》が家の子にござるが、こよい法話聴聞のために、聖光院よりお迎え申した御門跡|範宴《はんえん》少僧都の君を、ただ今、主人のいいつけにてお送りもうす途中でござる」といった。辻警固《つじがため》の小侍は、 「範宴少僧都とな」と、念をおした。 「されば」明答すると、 「役目なれば――」つかつかと牛車のそばへ寄ってきて、ぶしつけに簾《れん》の内をのぞき見してから、 「よろしい通れ」と許した。会釈《えしゃく》して、まっすぐに進もうとすると、また、呼びとめて、 「あいや、こう行かれい」と、西を指さした。  それでは廻り道になると説明すると、小侍は、一方の大路にはこよい探題の邸《やしき》へしのんで賊を働いた曲者《くせもの》があって、討手が歩いているし、胡散《うさん》な者と疑われるとどんな災難にあうかもしれぬから親切に注意するのだといって、 「それをご承知ならばどう参ろうとこちらの知ったことじゃない」と、そら嘯《うそぶ》いた。  辻警固《つじがため》にそういわれるものを無用にも進みかねて、範宴の意をうかがうと、 「遠くとも、廻り道をいたしましょう、軌《わだち》の入らぬ細道へかかりましたら、降りて歩くも苦しゅうはありません」 「では牛飼」 「へい」 「すこしいそげ」西へ曲がって進ませた。  その牛車《くるま》と松明《たいまつ》の明りを見送って、下品な笑いかたをして、舌を出した。すると、並木の暗がりで、 「あははは」突然、大勢の爆笑が起って、ぞろぞろと出てきた異様な人影が、偽役人《にせやくにん》の彼をとり巻いてその肩をたたき、 「まったく、うめいや、てめいの作り声だの素振りだのは、どう見たって、ほんものの小役人だ。おかしくって、おかしくって、あぶなく、ふき出すところだったぞ、この道化者《どうけもの》め」と、ある者は、彼の薄い耳を引ッぱって賞《ほ》めそやした。 [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり]  黒い布《ぬの》を顔にぐるぐると巻いた背の高い男である。裁著《たっつけ》の腰に革巻《かわまき》の野太刀の背にふさわしい長やかなのを横たえ、五条大橋の方から風のように疾く駈けてきたが、そこの辻に佇《たたず》んで笑いあっている一群《ひとむれ》を見ると近づいてきて、 「阿呆ども、そんなところに立って、何をげたげた笑っているのだ」 「あッ、親分ですか」 「並木の蔭へでも引込んでいろ。それでなくとも、六条の町の火放《ひつ》けは、天城四郎《あまぎのしろう》のしわざだと、もう俺たちの噂が、火よりも迅く迫っている」 「なあに、たった今まで、そこの並木の後ろにかくれて、親分の見えるのを待っていたんですが、そのうちに誰かが、退屈がって、通りかかった坊主の牛車《くるま》を止めて、六波羅役人の真似《まね》をし、南へ行こうとする奴を西へ行けと、遠廻りをさせたもんだから、みんなうれしがって、囃《はや》していたところなんで」 「馬鹿野郎、いたずら事ばかりしてよろこんでいやがる。同じ悪戯《わるさ》をするならば、でっかいことを考えろ、もっと途方もない慾を持て。どうせ悪党の生涯は、あの炎のように、派手で狂おしく風のまま、善業悪業《ぜんごうあくごう》のけじめなく、したい放題にこの世の物を慾の煙の中に攫《さら》って短く往生してしまうのだ。ケチなまねをしても一生、大慾大罪の塔《とう》を積んでも同じ一生――」骨柄といい弁舌といい、この男がこの一群の頭領であって、すなわち、京の人々が魔のごとく恐れているところの天城の野武士|木賊四郎《とくさのしろう》にちがいない。  四郎は部下たちへ、こうひと演舌してすぐに、 「いや、それどころじゃねえ」とつぶやいた。  そして、西洞院《にしのとういん》の白い大路を透《す》かしてみながら、 「もう追ッつけ来る時分だ……手はずをきめておかなくっちゃいけねえ、蜘蛛太《くもた》、てめえは柄《がら》が小さいから人目につかなくっていい。五条のたもとまで行って、轅《ながえ》に螺鈿《らでん》がちりばめてある美しい檳榔毛《びろうげ》の蒔絵輦《まきえぐるま》がやってきたら、そっと、後を尾《つ》けてこい。――それから他《ほか》の者は、並木の両側にかがんで輦《くるま》の行くままに気どられないようにあるいてゆけ。俺が、口笛を吹いたら、前後左右から輦《くるま》へかかって、中の者を引っさらい、何も目をくれずに、淀《よど》の堤までかついで行くのだ」 「なんですか、その中の者てえな」 「後で拝ませてやる、俺が今、火事場に近い巷《ちまた》から見つけてきた拾い物だ、今夜、こんな拾い物があろうたあ思わなかった」 「ははあ、親分が見つけたというからにはまた、きりょうの美《い》い女ですね」 「何を笑う。――自分を楽しませた後に、室《むろ》の港へもってゆけば、大金《おおがね》になる女だ、しかも今夜のは、やんごとなき上﨟《じょうろう》の君で、年ばえも瑞々《みずみず》しく、金釵《きんさ》紅顔という唐《から》の詩にある美人そのままの上玉だ、ぬかるなよ」四郎は、いい渡して、 「蜘蛛太《くもた》はどこへ行った?」と見廻した。  すると、群れのあいだから、河童頭《かっぱあたま》のおそろしく背の短い男が出てきて、 「ここにいます」と四郎の顔を見上げて立った。 [#7字下げ][#小見出し]五[#小見出し終わり]  四郎の命をうけて、蜘蛛太の小さい影が、五条口のほうへ駈けてゆくと、いつのまにか他《ほか》の手下たちも、両側の並木の闇へ、吸われるように隠れ込んでしまう。  一人――四郎だけが辻に立っていた。  火事の煙がうすらぐと共に、世間の騒音も鎮《しず》まって、おぼろな月明りが更《ふ》けた夜をいちめんの雲母《きらら》光りにぼかしていた。  やがて――そう間もないうちに――五条口から西洞院《にしのとういん》の大路を、キリ、キリ、とかすかな軌《わだち》の音が濡れた大地を静かにきしんでくる。 (来たな)  と、四郎は知るもののごとく知らないもののごとく、依然として、腕ぐみをしたまま辻に突っ立っていると、たしかに、彼がさっき、朱雀《すじゃく》のあたりで火事のやむのを待っている雑鬧《ざっとう》の中で見とどけた一輛《いちりょう》の蒔絵輦《まきえぐるま》が、十人ほどの家の子の打ちふる松明《たいまつ》に守られながら、大路の辻を西へ曲りかけた。  すると、そこに、天城四郎が石仏のように、腕ぐみをしながら立っているので、 「しッ!」牛飼が、声をかけた。  それでも動かないので、輦《くるま》のわきにいた公卿侍《くげざむらい》が、 「退《の》かぬかっ」叱りつけると、四郎は、初めて気づいたように顔をふり向け、赤々と顔をいぶす松明に眼をしかめながら、 「あ、ご無礼いたしました」 「かように広い道を、しかも、人も通らぬに、何で邪魔な所に立っているか、うつけた男じゃ」 「実は、手前はこよい関東の方から、初めて京へ参ったばかりの田舎侍《いなかざむらい》で、道にまようて、ぼんやりと、考えていたもんですから」 「退《の》け退け」 「はい、退きますが、少々ものをおうかがいいたす」と四郎は初めて、二、三歩身をうごかして、一人の公卿侍のそばへ寄って頭《かしら》を下げ、 「鳥羽へ参るには、どの道をどう参ったらよいでござろうか」何気なく方角を指さして教えていると、四郎は、その侍が胸に革紐《かわひも》でかけている小筥《こばこ》をいきなりムズとつかんで、奪《と》りあげた。 「あっ、何をする!」と叫んだ時は、すでに彼の影は輦《くるま》から九尺も跳《と》んでこっちを見ながら、 「欲しくば、奪《と》り回《かえ》せ」と、筥《はこ》をさしあげて見せびらかした。  供の家の子たちは仰天して、 「おのれ、それには、今日の御所の御宴《ぎょえん》で、姫君がさるお方からいただいた伽羅《きゃら》の銘木《めいぼく》が入っているのじゃ、下人などが手にふれたら、罰があたるぞ、返やせ、返やせ!」 「はははは、ちっとも、罰があたらないからふしぎだ」 「おのれっ」  松明《たいまつ》が飛ぶ――  ぱっと火の粉を浴びながら四郎は駈けだした。口笛をふきつつ駈けだした。悪智の計ることとは知らずに、輦《くるま》をすてて、侍たちは彼一人を追いまわして行った。 [#7字下げ][#小見出し]六[#小見出し終わり]  眼のいろ変えた供の侍たちを、ほどよい所までおびき寄せて、四郎は、 「よしっ」と自分へいって立ちどまった。そして、銘木の小筥《こばこ》を、 「これも金になる」と、その革紐を自分の首にかけて、やおら、長い野太刀の鯉口を左の手につかみながら、追ってきた人々を睨んで、 「貴様たち、命はいらないのか。おれを誰と思う、天城の住人|木賊四郎《とくさのしろう》を知らないやつはないはずだが、心得のない奴には、俺が、どんな人間かを示してやる。のぞみのやつは出てこいっ」  天城四郎と聞いて、人々はぎく[#「ぎく」に傍点]としたように脚の膝ぶしをすくめたが、 「だまれっ、鎌倉衆の探題所はすぐそこだぞ。わめけば、すぐに役人たちが辻々へ廻るぞ。足もとの明るいうちに、その銘木を返せ、お姫様《ひいさま》にとっては、大事な品じゃ」 「わははは、役人が怖くて、悪党として天下を歩けるか。ばかな奴だ。試しに呼んでみろ、天城四郎と聞けば、役人のほうで逃げてしまうわ」 「ほざきおったな」十人もおればと味方の頭かずをたのんでいっせいに刃を抜きつらねて斬ってかかると、四郎は好む業《わざ》にでもありつくように、野太刀の鞘《さや》を払って天魔のように持ち前の残忍を揮《ふる》いだした。  逃げ損《そこ》ねた者が二、三人、異様な声をあげて横たわった。折も折、彼らが二町も後ろに置き捨ててきた輦《くるま》のあたりから、姫の声にまちがいない帛《きぬ》を裂《さ》くような悲鳴が流れてきた。それにも狼狽《ろうばい》したであろうし、四郎の暴れまわる殺気にも胆を消したとみえ、侍たちは、足も地につかないでいずこへか逃げてしまった。  死骸の衣服で、ぐいぐいと刀の血をふきしごいて四郎は、肩のこりでもほぐしたように、両手の拳《こぶし》をたかく空へあげ、 「はははは」何がおかしいのか独りで笑った。  するとそこへ、河童頭《かっぱあたま》の侏儒《こびと》に似た小男が駈けてきて、 「親分」 「蜘蛛《くも》か、どうした?」 「うまくゆきました」 「女は」 「ひっかついで、この道は、人に会うといけないから、並木のうしろの畑道を駈けてきます」 「そうか」跳ぶが如く、堤《どて》を一つこえて、畑のほうを見ていると、蜘蛛太のことばのように、一《ひと》かたまりの人影が、輿《こし》でもかつぐように、肩と肩とを寄せ合って、堤と畑とのあいだを、いっさんに駈けてくる。  黙って、四郎も走る、蜘蛛太も走る、そして、四、五町も来るとようやく安心したもののように息をやすめて、 「おい、一度下ろせ」と四郎がいった。  露をもった草の上に、ふさふさとした黒髪と、五《いつ》つ衣《ぎぬ》の裳《すそ》を流した、まだうら若い姫の顔がそっと横に寝かされた。 「かわいそうに夜露に冷えてはいけない、俺の膝に、女の頭をのせろ」と、四郎は堤の蔭に腰をすえた。 [#7字下げ][#小見出し]七[#小見出し終わり] 「どこかへ、体をぶつけやしまいな」  自分の膝に、姫の顔をのせて、琅玕《ろうかん》のように透《す》きとおっているその面《おもて》と、呼吸をしていない紅梅のような唇元《くちもと》を見て、四郎はいった。 「手荒なことはしませんぜ」手下どもは、首をあつめて、その顔を見入った。  そして、仮死したままうごかない黛《まゆずみ》と、五《いつ》つ衣《ぎぬ》につつまれた高貴さとに、女性美の極致を見たように茫然と打たれながら、 「ウーム……なるほどすごい」 「気だかい」 「上品だ、やはり、氏《うじ》のよい女には、べつなものがあるなあ」四郎は、悦に入って、 「どうだ、俺の眼は」姫の額《ひたい》にかかっている黒髪のみだれをまさぐりながら、 「そこらの田に、水があるだろう、何か見つけて、掬《すく》ってこい」 「淀《よど》から舟に乗せてしまうまで、このまま、気を失っているままにしておいたほうがよかアありませんか、なまはんか、水をくれて、気がつくとまたヒイヒイとさわぎますぜ」 「しかし、淀まではだいぶある、その間に、これきりになってしまっちゃあ玉なしだ、いちど、泣かせてみたい、心配だからとにかく水をやってみろ」 「甘いなあ、親分は」一人が水を掬《すく》いに行くと、そのあいだに四郎は、 「女にあまいのは、男の美点だ、女にあまいぐらいな人間でなくて何ができるか、男の意欲のうちで、いちばん大きなものが、他人《ひと》は知らず、俺は女だ。清盛にせよ、頼朝にせよ、もし女嫌いだったら天下を取ろうという気も起さなかったろう。その証拠には、あいつらが天下をとると、なによりもまっ先に振舞うのは、自分がほしいと思う女はすぐ手にかけることじゃないか、俺は無冠の将軍だ、天下の大名どものうえに坐ってみようたあ思わないかわりに、きっと、これと思う女は、手に入れてみせる」そこへ、土器《かわらけ》の破片《かけら》に、水をすくってきた男が、 「親分、水を」 「口を割ってふくませろ」姫は微かにうめいて、星のような眸《ひとみ》をみひらき、自分をとりまいている怖ろしい人間どもの顔を悪夢でも見ているように見まわしていた。 「生きている」四郎がつぶやくと、手下どもが、どっと腹をかかえて笑った。その声は、雲間から吹き落ちた天飇《てんぴょう》か魔のどよめきのように姫のうつつを驚かしたに違いない。姫は、ひいっ――と魂の声をあげて、四郎の肩を突きのけて走りかけた。 「どこへ行くっ?」四郎は、裳《すそ》をつかんで、 「姫、もう諦《あきら》めなければいけない、落着いて、俺の話を聞け」 「誰ぞ、来て賜《た》も」姫は、泣きふるえた。  黒髪は風に立って、姫の顔を、簾《すだれ》のようにつつんだ。 [#7字下げ][#小見出し]八[#小見出し終わり]  それよりは少し前に清水坂《きよみずざか》の下を松原のほうへ曲がって、弥陀堂《みだどう》の森からさらに野を横切ってくる二つの人影がある。  師の範宴の帰途《かえり》を案じてさまよっている性善坊と覚明《かくみょう》のふたりで、 「覚明、あれではないかな」 「どれ?」 「むこうの畷《なわて》」 「ほ、いかにも」 「松明《たいまつ》の明りらしい」野を急いでゆくと、果たして、牛車に三、四人の郎党がつき添って西へ向って行くのであるが、どうやら道を迷っているものの如く、自信のない迷者の足どりが時折立ちどまってはしきりと不安な顔をして方角を案じているのである。 「うかがい申すが――」不意に、こう覚明が声をかけると、車のそばの眼がいっせいにふり向いて、 「何かっ?」と、鎌倉ことばで強くいった。 「車のうちにおわすのは、もしや聖光院の御門跡様ではござりませぬか」すると、簾《れん》の内で、 「おう」と、範宴の声がした。 「お師様」性善坊はそばへ駈け寄って、宵の火事さわぎや、諸処を探し廻ったことを告げ、 「なぜ、いつもにもなく、かような道へお廻りなされましたか。これでは、いくらお迎えに参っても、分るはずはございませぬ」 「いや、西洞院《にしのとういん》から東の大路《おおじ》は、なにやら、六波羅に異変があって、往来を止めてあるとのことで……」と、送ってきた従者が答えると、性善坊は、不審な顔をして、 「はて、あの大路は、つい先ほども幾たびとなく、師の房を探すために往還《ゆきかえ》りしたが、なにも、さような気配はなかった」 「でも、明らかに、役人が辻に立っていて、そう申すので、やむなく、並木からこの畷《なわて》へ出てきたが、馴れぬ道とて、いっこう分らず、困《こう》じ果てていたところ、お弟子衆が見えられて、ほっといたした」 「ご苦労でござった」と、覚明も共に、礼を述べて、 「これから先は、吾々両名でお供して帰院いたすほどに、どうぞ、お引取りねがいたい」 「では、牛車《くるま》はそのまま召されて」 「明日、ご返上申します」 「いや、雑色《ぞうしき》をつかわして、戴きに参らせる、それでは、お気をつけて」送ってきた鎌倉者の侍たちは、牛飼も連れて、そこから戻ってしまった。  おぼろな野の中に牛車《くるま》をとめて師弟は、宵の火事のうわさだの、法筵《ほうえん》の様子だのを話しあって、しばらく春の夜の静寂《しじま》に放心を楽しんでいたが、やがて、覚明は牛の手綱を握って、 「兄弟子、そろそろ参ろうじゃないか」 「行こうか。――急に安心したせいか、すっかり、落着きこんでしもうた。牛は、わしが曳こう」 「いや、わしのほうが、馴れているぞ」覚明は、もう先に歩いていた。つづいて夜露に濡れて汚れた軌《わだち》が重たげに転《まわ》りだす。  そして、およそ三、四町ばかり元の道へ引っ回《かえ》して、並木の入口が彼方《あなた》に見えたかと思うころ、覚明は、足をとめて、空の音でも聞くような顔をした。 [#7字下げ][#小見出し]九[#小見出し終わり] 「……耳のせいかな?」と、覚明がつぶやくと、 「なんじゃ」性善坊も立ちどまった。  するとこんどは明らかに、田か、野か、ひろい夜霞の中で笛のさけぶような女の声がながれて行った。 「あっ……」車廂《くるまびさし》へ、簾《れん》をあげて、範宴も遠くを見ていた。何ものかをその眼が見とどけたらしく、 「不愍《ふびん》な……」といった。そして、 「あれはまた、里の女が、悪い者にかどわかされてゆく泣き声ではないか。鎌倉殿の世となって、世は定まったようにうわべは見ゆるが、民治はすこしも行きわたらず、依然として、悪者は跳梁《ちょうりょう》し、善民は虐《しいた》げられている」  眉をひそめて嘆かわしげにいったが、とたんに、覚明は、手綱を、牛の背へ抛《ほう》って、 「救うてとらせましょう」すぐ走って行った。  性善坊は、師のそばを離れることは不安だし、覚明ひとりではどうあろうかと、しばらく、佇《たたず》んだまま見ていたが、おぼろな中に消えた友のすがたは、容易に帰ってこなかった。 「人を救うもよいが、覚明は、勇に逸《はや》るのみで、一人を救うがため千人をも殺しかねない男じゃ、性善坊、見て参れ」範宴も、心もとなく思われたか、車のうちからそういった。 「では、しばらくお一人で」いい捨てると、彼の体も、弦《つる》から放たれたように迅かった。堤《どて》のすそを流れる小川を跳んで、まだ冬草の足もとに絡《から》みつく野を、いっさんに走ってゆく。  行くほどに、やがて、罵《ののし》る声だの、得物《えもの》を打ちあう音だのが、明らかに聞きとれてきて、雲母《きらら》月夜の白い闇を、身を低めて透《す》かしてみると、覚明法師ただ一人に、およそ、十四、五名の魔形《まぎょう》の者が諸声《もろごえ》あわせて挑《いど》みかかっているのだった。 「助勢に来たぞよ、覚明」近づきつつ、性善坊は、身を挺《てい》して、悪人たちの中へ割り入ろうとしたが、その時、突《とつ》として横あいに傍観していた一人の男が、野中の一本杉の根本からついと彼の前へ寄ってきて両手をひろげ、彼をして、覚明の助勢をすることを不能にさせてしまった。 「おのれも、賊の組か」前に立った人影の真っ向へ拳《こぶし》をかためて一撃をふり下ろすと、相手は、飄《ひょう》として、身をかわしながら、 「てめえは、性善坊だな」 「やや」 「天城《あまぎの》四郎を忘れはしまい」 「オオ、何で忘れよう、おのれとあっては、なおゆるせぬ」 「邪魔をすると、気の毒だが、命がないぞよ、常とちがって、今夜の仕事は、大事な玉だ」  見れば、一本杉の根もとには、彼らがここまでかついで走ってきた姫の体が、要心ぶかく縛《くく》りつけてある。その姫の顔には、声を出さないように、猿ぐつわ[#「ぐつわ」に傍点]が噛ませてある。 [#7字下げ][#小見出し]十[#小見出し終わり]  正義を踏んで立つ背には仏神がある。 「南無っ」といって性善坊は武者ぶりついて行った。  どこの女御《にょご》かわからぬが、この悪人の餌《え》にさせてはならぬ。今もって、悪業《あくごう》を行《ぎょう》とし、京都を中心に近畿《きんき》いったいをあらし廻る浄土の賊天城四郎の贄《にえ》にさせてなろうかと、相手の正体を見、被害者の傷々《いたいた》しい姿を見ると、彼の怒りはいやが上にも燃えて、 「南無っ」組んで倒さんとすると、四郎も満身を怒肉《どにく》に膨《ふく》らませて、 「うぬっ」 「南無っ」 「うぬっ」死力と死力とでもみあううちに、仏神の助勢も、この魔物の悪運には利益も施《ほどこ》す術《すべ》なく見えて、 「あっ――」といったとたんに、性善坊の体は、大地へめりこむように叩きつけられていた。四郎はすぐ跳びかかって、 「どうだ、この野郎」馬乗りになって、彼の体に跨《また》がり、短刀をぬいて、切先を擬《ぎ》しながら、 「ふだんから望んでいる西方浄土へ立たしてやる」すでに刺されたものと性善坊が観念したときである、彼方《あなた》の大勢を、ただひとりの腕力で、蜘蛛《くも》の子のように蹴散らした太夫房覚明がふと振向いて、 「おのれっ」投げたのは、彼が、賊の手下から奪って賊を痛めつけていた金輪《かなわ》の嵌《はま》った樫《かし》の棒であった。  あたったら四郎の頭蓋骨は粉になっていたろう、四郎はしかしハッと首を前へかがめた。棒が、ぶうんと唸って背なかを越してゆく。それと、性善坊が足をあげて下から彼を刎《は》ね返し、また、覚明が駈けてきて、四郎の肩をつよく蹴ったのと、三つの行動が髪|一《ひと》すじの差もない一瞬だった。 (しまったっ)というような意味のことばを何か大きく口から洩らしながら、四郎の体は、性善坊の上を離れて、亀の子のように転がったが、そこで刎《は》ね起きたり、土をつかんだりするような尋常な人間ではなかった。蹴転がされると、そのまま、自分の意地も加えてどこまでもごろごろと転がって行って、四、五|間《けん》も先へ行ってから、ぴょいと突っ立ち、 「やいっ、範宴の弟子ども」と、こなたを見ていうのだった。 「よくも、邪魔をしたな、忘れるなよ」呪詛《じゅそ》に満ちた声で、こういい捨てると、まるで、印をむすんで姿を霧にする術者のように、影は、野末へ風の如く走って行った。 [#7字下げ][#小見出し]十一[#小見出し終わり] 「女性《にょしょう》、もうご心配はない」 「吾々は、聖光院の者じゃ、お供達もおわそうに、どう召された」 「負って進ぜる、背におすがりなされ」二人のこういう劬《いた》わりの言葉さえも、姫の耳に、はっきり入っているかどうか、姫は気もなえて、ただ、向けられた覚明の背を見ると、わなわなと顫《おのの》きつつ、しがみついた。  二人は師の房の牛車《くるま》のそばまで戻ってきて、 「お待たせいたしました。やはり、参らねば一人の女性《にょしょう》が、悪人の贄《にえ》になるところでした」範宴は、車からさしのぞいて、 「どこのお方か」 「まだ訊いてみませぬ」 「供の人でもおらぬのか」 「いるかもしれませぬが……見あたりません」 「いずこまで戻るのやら、負うても参れまい、わしが降りてやろう」 「お師さまはお歩きになりますか」 「うむ……」もう、範宴は足をおろしていた。姫は、疲れきった意識の下《もと》にも、何か、気がねをするらしく見えたが、覚明の背から、車のうちに移されると、初めて、真に安堵《あんど》をしたらしく、 「ありがとうぞんじまする」微かにいってまた、 「西洞院《にしのとういん》の並木までゆけば輦《くるま》もあり、供もいるはずでございますから……おことばに甘えて」 「お気づかいなさるな」牛車《くるま》はすでにゆるぎ出した。範宴は、なにか空想に囚《とら》われていたらしく、牛車が廻りだしたのに驚いたかのような容子《ようす》をした。そして、それに添って歩みだした。  しかし、姫のいう並木まで来ても、姫の従者は誰もいなかった。ただ一輛《いちりょう》の蒔絵輦《まきえぐるま》が、路ばたの流れの中へ片方の軌《わだち》を落して傾《かし》いでいた。 「誰も見えんわ。女性《にょしょう》、お住居《すまい》はいずこでおわすか、ことのついでにご門前まで送ってとらせようと師の房が仰せられる。いず方の姫君か、教えられい」覚明が、車のうちへいうと、 「月輪禅閤《つきのわぜんこう》の息女《むすめ》です」と、かすかに裡《うち》でいう。 「えっ」驚いたのは、覚明や性善坊ばかりではない、範宴も意外であったように、 「では、あなたは、月輪殿のご息女《そくじょ》……するとあの玉日姫《たまひひめ》でいらっしゃるか」 「はい」だいぶ落着いたらしく、はっきりと姫は答えた。 「やはり……仏天のおさしずじゃった……道に迷うたのも、吾々が師の房をさがし求めて行きあわせたのも……。なんと、ふしぎじゃないか」性善坊は覚明と顔を見あわせて、そういった。  青蓮院の僧正の姪《めい》にあたる姫の危難を、僧正のお弟子にあたる師の房が救うということは、そもそも、どうしてもただの偶然ではない。仏縁の他《ほか》のものではない。ありがたい大慈の奉行《ほうこう》に勤めさせていただいたものであると、二人は、涙をながさないばかりによろこび合った。 [#7字下げ][#小見出し]十二[#小見出し終わり]  月輪《つきのわ》の里まで送って行くつもりであったが、姫を乗せた牛車《くるま》が四、五町行くと、彼方《かなた》から一団の焔《ほのお》と人影とが駈けてくるのと出会った。  人々は、手に手に松明《たいまつ》をかざしていた。また、太刀だの、長柄《ながえ》だの、弓だのを携《たずさ》えていた。そして此方《こなた》の牛車を見かけると、 「怪しげな法師、通すな」と取り囲んで騒《ざわ》めいた。性善坊は、疾《と》く察して、 「もしや、おのおのは、月輪殿のお召使ではありませぬか」 「さればじゃが……そういうところを見ると、おぬし達は、姫ぎみの身について、なにか存じているところがあるに相違あるまい。姫は、どうしたか、存じ寄りもあらば教えてくだされい」 「その玉日様ならば、これからお館へお送りしようと考えてこれまで参ったところです。おつつがなく、牛車《くるま》のうちにおいで遊ばされる」嘘かと疑っているらしく、初めは、そういう性善坊の面《おもて》を睨みつけていたが、やがて、前後の事情をつぶさに訊かされたうえ、姫のために車を与えて、車の側《わき》に歩行しているのは聖光院門跡の範宴であるときかされて、月輪家の人々は、大地へ手をつかえて、 「知らぬこととは申せ、無礼の罪、おゆるし下さいませ」 「これこそ、あらたかな御仏《みほとけ》の御加護と申すものでございましょう」 「館《やかた》のおよろこびもいかばかりか……」 「いずれ改めてご挨拶に出向きまする」 「ああ、ほっとした」 「ありがたい」と、いってもいってもいい足りないような感謝の声をくりかえして、人々は、姫の側近《そばちか》くに集まった。覚明は牛の手綱を渡して、 「では、確かに、姫の身は、お渡しいたすぞ」 「はい。……それでは」と月輪家の者が代って曳いた。姫は、車の裡《うち》から、 「この車まで、いただいては」と、遠慮していった。 「どうぞ、そのまま」範宴は、姫の顔を、前よりも鮮やかに見た。  姫は、涙でいっぱいになった眸《ひとみ》で、頭《かしら》を下げた。その黒髪の銀釵《ぎんさ》はもう揺れだした軌《わだち》に燦々《きらきら》とうごいていた。召使たちは、何分にもお館の心配を一刻もはやく安んぜねばと急ぐように、車の返却や礼のことばは明日改めてとばかり先を焦《せ》いて曳いて行った。  廻る輪の光を迅《はや》く描いて、軌《わだち》は白い道に二筋の痕《あと》をのこして遠ざかった。キリ、キリ、と朧《おぼろ》な闇に消えてゆく車の音に、範宴は、いつまでも立ちすくんでいた。おそろしい力が、今自分の信念もいや生命までも肉と魂とを引き裂いて胸のうちから引っ張ってゆくのではないかと気づいて、慄然《りつぜん》と、われに回《かえ》った眼で、雲母《きらら》曇りの月を探した。 [#3字下げ][#中見出し]牡丹《ぼたん》の使《つか》い[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  冷《つめ》たい円座に身を置き、冷たい机に肱《ひじ》をよせ、範宴《はんえん》は何かの筆を執っていたが、その筆を投げるようにおいて眼をとじた。眉に一すじの針が立つ。  かろく頭をふりうごかしている。そしてまた、筆を執った。 「…………」無我になろうとする、無想の境にはいろうとする、写経の一字一字に、筆の穂に、あらゆる精をこめて――雑念《ぞうねん》を捨てて――  怖いような横顔であった。筆の軸にかけている指の節々にさえ異様なものがこもっているように見える。 「……少僧都《しょうそうず》様、御門跡様、御写経中を恐れいりまするがちと申し上げまする」  坊官の木幡民部《こばたみんぶ》である。最前からうしろに両手をつかえて機《おり》を見ているのであったが、容易に範宴の耳に入らないらしい。――で、少しすり寄って畏る畏るこういうと、 「何か」と、範宴は顔を向けた。きっと射るような眼を向けた。 「お客殿に、あまり永うお待たせ申し上げておりますが」 「誰が?」と、考えるようにいう。  これには民部もちょっと意外な面指《おもざし》を示した。花山院の公達《きんだち》がいつぞやの僧正の件についての礼に来ているということはもう半刻《はんとき》も前に取次いであるのに――と思ったが、もういちど改めて、 「花山院の御公達が見えられて、先ほどより、お客間にいらっしゃいますが」 「そうそう、そうであったな」 「お通し申し上げましょうか」 「いや、待て。……今日は範宴、何とも体がすぐれぬゆえにと――ようお詫びして帰してくれい」 「は……。ではお会いなさいませぬので」 「何とも、会いとうない」やむを得ず民部は退《さ》がってゆくのであったが、いつに似気《にげ》ないこともあるものだと思った。客に接するのにこういうわがままなどいったことのない範宴である。それに、この数日来というものは、語気にも霜のようなきびしさと蕭殺《しょうさつ》たる態度があって、ほとんど人をも近づけぬ烈しさが眉にあらわれることがある。 (師の君は、近ごろ、どうかなされている)それは民部のみが感じるのではない。性善坊もいうし、あの神経のあらい覚明でさえ気づいている。  いや、気づいていることは範宴自身が誰よりも知っていた。そして、こういう自分の焦躁《しょうそう》を、自ら省《かえり》みて口惜しいとも浅ましいとも思い、あらゆる行《ぎょう》に依ってこの焦《いら》だちを克服してしまおうと努めるのであったが、意識すればするほどかえって心はみだれがちになり、あらぬもののほうへ囚《とら》われてしまうのであった。  こういう現象は、つい七日ほどまえの夜からであった。あの夜以来、範宴の眸《ひとみ》にも、心にも、常に一人の佳人《かじん》が棲《す》んでいた。追おうとしても、消そうとしても、佳人はそこから去らなかった。そしてある時は夢の中にまで忍び入って、範宴の肉体を夜もすがら悩ますのであった。 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり]  一日ごとに春は熟《う》れてくる。  範宴は狂わしい眼で外を見た。聖光院の庭は絢爛《けんらん》な刺繍《ししゅう》のようだった。連翹《れんぎょう》のまっ黄いろな花が眸に痛い気がする。木蓮《もくれん》の花の白い女の肌にも似た姿が意地わるい媚《こび》のように彼には見えた。  何を見ても触れても、甘酸《あまず》っぱい春の蜜を湛《たた》えている自然である。蜂も、鳥も、猫も、恋をしていた。 (人間もその自然の下《もと》にあるものなのに)範宴は自分に宿命した自分の秘密を、時には、不幸な胎児《たいじ》のように不愍《ふびん》に思うことがあった。  絶対に、この世の光を浴《あ》みさせることのできない秘密の胎児――生れでる約束をもたずに出命した暗闇《くらやみ》の希望――こういう煩悶《はんもん》に彼は打ち勝とうとすればするほど人格の根柢から崩《くず》されてしまうのだった。 「玉日《たまひ》……」思わず口の裡《うち》でこう呼んでみて、せめてもの心遣《こころや》りにすることすらあった。熱い息の中で、 「玉日……」と、声なくいってみるだけでも幾らかの苦悶のなぐさめにはなる気がしたが、とたんに、自己のすがたを振向いて、聖光院|門跡《もんぜき》範宴という一個の人間を客観すると、 「ああ……」手を顔におおって潸然《さめざめ》と御仏《みほとけ》のまえに罪を謝したくなる。  つよい慚愧《ざんき》と、自責《じせき》の笞《しもと》に、打って打って打ちぬかれるのだった。誰か、杖をあげて、 (この外道《げどう》)と肉の破れるほど、肉体がいまわしい空想や欲望を抱《いだ》く知覚を失ってしまうほど、打ちすえてくれる人はないものかと思う。  彼は、泣いて、仏陀《ぶっだ》のまえへ走った。そして、ほとんど狂人のようになって誦経《ずきょう》した。また、一室にこもって凝坐《ぎょうざ》した。 (だめだ)脆《もろ》くも、そういう叫びが雑念《ぞうねん》の底からもりあがる。  磯長《しなが》の太子堂に、叡山の床《ゆか》に、あの幾年《いくとせ》かの苦行も今はなんの力のたしにもならなかった。瞼《まぶた》をとじれば瞼の中に、心をしずめればその心の波に、空を仰げば空の藍《あい》の中に、玉日の姿が見えて去らない。 「いっそ、僧正におうち明けして、僧正のお叱りをうけようか」とも考え、また、南都の覚運|僧都《そうず》のもとへ行って、ありのままに訴えてみようかとも幾たびか思い悩んだが、聖光院の門跡という地位がゆるさないことだし、彼自身の性格としても、自分の力で解決しなければならない問題だと思うのであった。そして、この苦悶を克服することが、自分を完成するかしないかの境目であるとも考えていた。いかにして、精神が肉体に克《か》つか、信仰が肉体を服従させきれるか、彼は、二十八歳の青春と旺《さかん》なその血液とを、どうしたら灰のような冷たいものにさせてしまうことができるかということにこの三月《みつき》を懊悩《おうのう》の裡《うち》に暮していた。 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり]  東山に雲が低く降りていた。白く乾いた道に、埃《ほこり》が舞う。 「おお、ひどい」どこかの奥仕えらしい中年の女が、立ちすくんで、裳《もすそ》を押えた。落花を捲いてゆくつむじ風が、女の胸にかかえている一枝《ひとえだ》の牡丹《ぼたん》の葉を挘《むし》るように強く吹いた。 「童女《わらべ》、童女、傘をさして賜《た》も」風がすぎると、もうぱらぱらと雨がこぼれてきた。  柄《え》の長い飴色《あめいろ》の大きな傘を、童女《わらべ》はうしろから翳《さ》しかけた。 「聖光院はまだかの」 「あの白い壁の御門がそうではありませんか」雨は小粒になって、風も止み、雲も切れて、湯気のような春光の中に、どこかで啼く鶯《うぐいす》の声がしていた。  童女は、濡れた傘をたたんだ。そして聖光院の式台へかかって、 「おたのみ申します」といった。  坊官が出てきてひざまずいた。そして、女の姿と、牡丹の枝に眼をみはった。女はしとやかに、 「私は、月輪禅閤《つきのわぜんこう》の奥に仕える万野《までの》と申すものでございますが、御門跡様へお目にかけたいとて、室咲《むろざき》の牡丹を一枝、お姫様《ひいさま》の思し召で持参いたしました。また、この御書面は、お父君の禅閤様《ぜんこうさま》からのお墨、御返事をいただけますれば倖せにぞんじます。……どうぞよしなに、お執次《とりつ》ぎを」と、牡丹に添えて、書面をさしだした。  坊官は、木幡民部へ、その由を告げた。民部は、月輪からの使いと聞いて、 「どうぞご休息を」と、万野《までの》を控えの間へ通した。 「これはお見事な……」と、牡丹をながめて民部はつぶやいた。花はまだ開いていないが、雨に濡れた葉の色が美しかった。  さっそく、範宴の室へ、民部はそれを持って行った。範宴は、姫からの贈り物と聞いて、眉に、よろこびをたたえた。  書面を一読して、すぐ、返事を認《したた》めた。そして使いを帰した後で、みずから白磁《はくじ》の壺をとりだして、それへ牡丹を挿《い》けた。 「……あの人の姿のままだ」白磁の水ぎわから生々と微笑《ほほえ》んでいる枝ぶりをながめて、範宴はその日の憂鬱を忘れていた。  禅閤からの書面には、いつぞやの礼を尽してあった。玉日姫《たまひひめ》の難を救ってもらったことが、父として、どれほどかありがたくうれしかったものとみえて、その礼の使者は今日ばかりではない、青蓮院の僧正を通じたり、直接に家臣を向けてよこしたり、あらゆる感謝の意を示したのであるが、範宴にとっては、今日の牡丹の一枝ほどうれしい贈り物はなかった。  しかし、それでもまだ禅閤は恩人に対しての誠意があらわしきれない気がするものと見えて、今日の書面では、ぜひ、青蓮院の僧正と共にいちど館へ遊びにきていただきたい、なにも、ご歓待はできないが、月輪の桜も今がさかり、月もこのごろは夜はわけても佳《よ》し、折から、めずらしい琵琶《びわ》法師が難波《なにわ》から来て滞在しているから、平家の一曲をお耳に入れ、姫や自分からも、親しく、先ごろのお礼を申しのべたい、という懇切な招きなのであった。  範宴は、いずれ僧正と相談の上で――と返辞したが、心はむろん行くことに決めていた。 [#3字下げ][#中見出し]峰阿弥《みねあみ》がたり[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  吉野の桜はもう散って吹雪になっていたが、月輪《つきのわ》の里の八重桜は今が見ごろだった。  雪のように梢《こずえ》に積んだ厚ぼったい花は、黄昏《たそがれ》と共に墨のように黒ずんでいたが、やがて宵月《よいづき》の影がその花の芯《しん》にしのび入るころになって、万朶《ばんだ》の桜が、青銀色な光をもって、さわさわと乾いた音を風の中に揺り動かした。 「こよいの客人《まろうど》は、姫の生命《いのち》の親じゃ、粗略がないように」と、月輪の館では、禅閤《ぜんこう》を初め、家族たちや召使の端までが、細かい気くばりをもって、門《かど》を清掃して、待っていた。  やがて、一輛の牛車《くるま》に、二人の客が同乗してきた。むろん、範宴《はんえん》と慈円僧正である。 「お待ち申しておりました」家臣は、列を作《な》して迎えた。禅閤は式台まで出迎えて、 「ようこそ」と、みずから客殿へ導いてゆく。  前《さき》の摂政太政《せっしょうだいじょう》大臣であり関白の重職にまでなった禅閤|兼実《かねざね》の住居《すまい》だけあって、その豪壮な庭構えや室内の調度の贅沢さには眼も心も奪われるような心地がする。  範宴《はんえん》は、数年前に、師の僧正と一伴《いっしょ》に、いちどここへ来たことがある。その時は、見るかげもなく痩せおとろえて旅から帰ってきたばかりであったし、自身もまだ名もない一学徒にすぎなかったので、ここの家臣たちは誰もその時のみすぼらしい若法師がこよいの主客であるとは気がついていないようであった。大勢の侍女《こしもと》たちと一緒に何か遊戯をしている所へ来あわせたので、自分にも眼かくしをせよといって困らせられたことを範宴は今ぼんやりと思い出していた。  その姫はまだ顔を見せなかった。たくさんな燭《しょく》のあいだを美しい人々が高坏《たかつき》やら膳やら配ってまわる。みな一門の人々であろう、範宴と僧正とを中心にして十人以上の人々がいながれている。 「酒《ささ》は参られるのか」まず主客の範宴に、禅閤からすすめると、範宴は、 「いただきませぬ」と、はっきりいった。  僧なのでむげにはすすめなかった。僧正はすこしは嗜《たしな》む口なのである。それに、主《あるじ》の禅閤とは骨肉の間がらではあるし、ここへ来てはなんのわけ隔てもない。 「範宴のいただかぬ分は、わしがちょうだい申そう、こよいは、お志に甘えて、堪能《たんのう》するほど飲もうと思う、帰りには、車のうちまでかいこんでもらいたいものだ、それだけは頼んでおくぞ」僧正はそういっていかにも帯紐《おびひも》を解いたような容子《かたち》で杯をかさねはじめた。褝閤も、今は隠棲して老後をたのしむ境遇である。こういう夜は、客よりも、彼自身の生活のふくらみであった。 「青蓮院どの、それでは、主客|顛倒《てんとう》というものではないか」 「なに、範宴には、料理をたんと出しなされ」 「範宴御房、どうぞ、お箸《はし》をおとりくだされい」 「いただいています、僧正のこういう自由なお姿を見ているのは、私として、何よりの馳走に存じます。また、羨《うらや》ましくも思われます」 「ははは、範宴が、何かいうとる」僧正はもう陶然《とうぜん》と酒仙の中の人だった。 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり] 「姫が見えぬが」とやがて僧正が訊ねた。月輪禅閤は、侍臣をかえりみて、 「まだ支度か。客人《まろうど》もお見えになっているのに」と、つぶやいた。 「お伝えして参りましょう」侍臣の一人が立って行った。花明りの廊下の彼方《あなた》へその姿が朧《おぼろ》になってゆく。廊には、燈《ともし》の入った釣龕燈《つりがんどう》が幾つとなく連なっていて、その奥まった一室に、姫は、帳《とばり》を深く垂れて、化粧をしていた。  湯殿から上がったばかりの黒髪はまだ濡れていた。童女《わらべ》たちは、柳裏の五《いつ》つ衣《ぎぬ》を着た彼女のうしろに侍《はべ》っていいつけられる用事を待っていた。侍女の万野《までの》は、姫の黒髪の根に伽羅《きゃら》の香を炷《た》きこめたり、一すじの乱れ髪も見のがさないように櫛をもって梳《す》いたりしていた。  やがて、姫は鏡を擱《お》いた。そこへ廊下からの声が、 「お姫様《ひいさま》。叔父君にも、お客人《まろうど》にも、お待ちかねでございまする」万野《までの》がすぐ、 「はい、もううかがいます」と答えた。  窓から花明りの風がさやさやと流れこんで姫の黒髪を乾かした。 「お姫様、それでは」促《うなが》すと、玉日《たまひ》は、静かに立って童女《わらべ》や万野と連れだって自分の部屋を出た。そして、客殿の輝かしい明りが池殿の泉に映って見えてくると、玉日は、立ちどまってしまった。  万野が振り向いて、 「お姫さま。どう遊ばしたのですか」姫は、欄《らん》の柱へ顔をかくして、 「何やら、面映《おもは》ゆうなった」 「まあ……何の面映ゆいことがございましょう、お内輪の方ばかりですのに」 「でも……」  龕《がん》のうえから、白い花びらが一《ひと》ひら蛾《が》のように舞って、姫の黒髪にとまった。万野が手をのばす前に、姫は自身の手でそれをとって、指の先で、弄《もてあそ》びながら、 「私が、ご挨拶に出ないでもいいのでしょう。お父君から、ようく、お礼をいってくださるから」 「そんなことはなりません」万野は、姫が、いつものわがままを出して、駄々をこねるのであろうとばかり受け取っていたので、ややうろたえた。 「さ……参りましょう。なんで、こよいに限って、そんなにお羞恥《はにか》み遊ばすのですか」 「羞恥むわけではないけれど……」 「では、よいではございませぬか」手を引くようにして、万野と姫とが、客殿のほうへ近づいてゆくと、眼ばやく、叔父の僧正が、 「見えられたな、さあ、ここへこい、わしのそばへ」と、さしまねく。  僧正の眼には玉日姫が、いつまでたっても、無邪気な少女としか見えなかった。今になっても、時々範宴を子ども扱いするように、玉日をも、幼子《おさなご》のままに見て、膝の上へでも乗せそうに呼ぶのであった。 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり]  僧正が戯《たわむ》れでもいわなければ誰も座を和《やわ》らげる者はなかった。姫のひとみは眩《まば》ゆいものの前にあるように、絶えず俯向《うつむ》きがちであるし、範宴も口かずをきかないのである。ことに、かんじんなその主客が酒をたしなまないので、禅閤は興のしらけるのを懼《おそ》れるように、しきりとみずから銚子を取って杯に心づかいをしたり、世事のうわさなどを持ち出して話題を賑わせたりしていたが、やがて側の者に何かささやくと、その家臣は館のどこからか一人の盲目法師の手をひいて、この客殿へ伴《ともな》ってきた。 「これは近ごろ名高い琵琶《びわ》の上手で、峰阿弥《みねあみ》という法師です」禅閤が、紹介《ひきあ》わせると、盲目の峰阿弥法師は与えられた席へ琵琶をかかえてもの静かに坐って、黙然《もくねん》と頭《かしら》を下げた。  もう五十に近かろう、長い眉毛《まゆげ》には霜がみえる、深く窪《くぼ》んでいる眼は針のように細い線があるだけだった。盲人の癖として、首をすこし傾《かし》げたまま、客の容子《ようす》や灯りの数や自分の位置がどういう辺りにあるかを勘で見ているらしい面持ちであった。 「峰阿弥といわれるか」僧正がたずねると、 「はい」声のほうへ頭《かしら》を向けて、 「かような貴人のおん前に召されまして、冥加《みょうが》のいたりでございます」 「酒《ささ》はのむか」 「むかしは過ごしましたが、このごろは……」 「眼はすこしも見えぬようじゃな」 「業《ごう》の報《むく》いでございましょう」 「幼少から?」 「いいえ十年ほどまえからでございました。いかなる病毒をうけましたやら、ほとんど一夜のうちに眼がつぶれ、その当座はまったく世の中が闇になったように思いましたが、馴るるに従って不便もわすれ、いささか好む琵琶を弾《ひ》いて生業《なりわい》といたし、こうして花に月に、風のままに召さるる所へ参じては御宴《ぎょえん》の興をたすけ、独りになれば琵琶を妻とも子とも思うて暮しておりますと、いっそ、眼が開《あ》いて五慾の煩悩《ぼんのう》にくるしんでいた時よりは、心も清々《すがすが》としてよいように存じまする」 「ははは、ようしたもののう」禅閤は、範宴へ向って、 「何ぞ曲をのぞんでやってください、唐曲《とうきよく》も弾《ひ》くし、平家も詠《うた》う」峰阿弥は、手を振って、 「なかなか、唐曲などは」と謙遜《けんそん》した。  範宴は、曲を聴くことものぞましいが、もっと、この法師の身の上やまた眼が見えぬ人間の生活が訊きたかった。  だが峰阿弥は、客が倦《う》まぬうちにと思ったか、琵琶をかかえ直して、はやくも絃《いと》を調べにかかる。四絃《しげん》のひびきがすると、端居《はしい》していた侍たちだの、次の間にいた童女《わらべ》や召使までが、席へ近くにじり寄って皆耳をすましていた。 [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり]  琵琶《びわ》の海老尾《えびお》に手をかけて、四つの絃《いと》の捻《ねじ》をしきりと合せていた峰阿弥《みねあみ》は、やがて、調べの音が心にかなうとやや顔を斜めに上げて、客か主人かが所望の曲をいい出すのを待っているような容子《ようす》であった。そこで、僧正が問を入れた。 「法師」 「はい」 「そちの琵琶は唐作《からづく》りのように見ゆるが、やはり舶載物《はくさいもの》か」 「いいえ、古くはございますが、日本でできたものでございましょう、銘《めい》に、嵯峨《さが》とありますゆえに。それに、唐琵琶は多く胴を花梨《かりん》でつくりますが、これは、日本の黄桑《こうそう》でございます」 「日本に琵琶の渡ってきたのは、いつのころからであろう」 「さよう――」峰阿弥は、見えない眼をしばたたいて、 「よう、存じませぬが、推古朝《すいこちょう》の時代、小野妹子《おののいもこ》が隋《ずい》の国から持ってきたと申す説、また、仁明帝《にんみょうてい》の御世に遣唐使|藤原貞敏《ふじわらのさだとし》が学んで帰朝したのが始まりであると申す説と、いろいろにいわれておりまするが、いずれにしても天平《てんぴょう》のころからあったということは光明皇后から東大寺へ御寄進なされました御物《ぎょぶつ》を拝見いたしましても頷《うなず》けることでございましょう」 「本朝で、琵琶の上手といわれる人は」 「ただ今申しました藤原貞敏|卿《きょう》や宇多源氏の祖|敦実親王《あつざねしんのう》、また親王の雑色《ぞうしき》で名だかい蝉丸《せみまる》」 「当代では」 「畏れ多いおうわさでございますが、高倉天皇の第四の王子、上皇とおなり遊ばしてからは後鳥羽院と申し上げているあの御方《おんかた》ほどな達人は先ずあるまいと下々《しもじも》の評でございまする」禅閤|兼実《かねざね》はうなずいて、 「いかにも」と相槌《あいづち》をうった。  峰阿弥は問わず語りに、 「私などが存じあげた沙汰ではございませんが、世評によると、後鳥羽院と仰せられる御方は、よほど秀才だと申すことです。新古今和歌集の撰《せん》を御裁定あそばしたり、故実の講究にもおくわしく、武道に長じ、騎馬と蹴鞠《けまり》はことのほか優《すぐ》れておいで遊ばすそうで、わけても下々の驚いているのは、画なども、ふつうの画工などは遠く及ばないものだと申すことでございます。――その後鳥羽院はまた、御気性のすぐれておいで遊ばすだけに、今は亡き源|義経《よしつね》公とは、たいそうお心が合って、勤王の志のあつかった義経公を、いまだに時折、ご側近の方々へ嘆きをお洩らしなさるそうでございます。そして、頼朝公の亡き後《あと》の北条一族の専横《せんおう》を御覧《ごろう》ぜられ、武家幕府の奢《おご》りを憎み給い、やがては鎌倉の末路も久しからずしてこうぞよという諷刺《ふうし》をふくめて、前司行長《ぜんじゆきなが》に命じて著作《つく》らせましたのが、このごろ、しきりと歌われる平家の曲でございます。上皇はそれを、性仏《せいふつ》という盲人に作曲させ、民間へ流行《はや》らせることまでお考えになりました。その御心《みこころ》は忠孝な道の節義を教え、奢《おご》る者の末路を誡《いまし》められましたものでございまして、私の語るところも、実はその性仏から教えをうけたものでございますゆえ、まだ糸にも歌にも馴れぬ節が多いので、さだめし、お聞きづらかろうと思うのでございます」 [#7字下げ][#小見出し]五[#小見出し終わり]  燭《しょく》が白々と峰阿弥の肉の削《そ》げた頬にゆらいでいた。人々は、平家の曲が近ごろ流行していることは知っていたが、後鳥羽院のお心にそういう深いお考えがあることは、誰も初めて知ったようであった。  僧正は側にいる範宴をさして、 「これにいる少僧都《しょうそうず》範宴は、今峰阿弥のいうたように、後鳥羽院より格別な寵遇《ちょうぐう》を賜うた義経公とは復従兄弟《またいとこ》の間がらじゃ、院の御心を偲《しの》び参らせ、また、こよいの主客とは由縁《ゆかり》もふかい平家の曲を聞くのは何よりの馳走に思う。法師どの、早速に語られい」といった。  源家の英雄児義経とここにいる範宴とが、復従兄弟にあたるということは、禅閤のほかは皆初めて聞いたらしく、主客の端厳な姿に改まった眼を、そっと向けあうのであった。  つつましく燭を羞恥《はにか》んでいる姫のひとみさえ、深い睫毛《まつげ》の蔭から眩《まば》ゆいものでも見るように範宴の横顔を見たようであった。  峰阿弥は、 「かしこまりました」一礼して、撥《ばち》を把《と》り直した。  四絃《しげん》をぴたと構え、胸を正しくのばすと、芸の威厳といおうか、貴人の前も忘れたような彼だった。このとき位階や権門も芥《あくた》のようなものでしかなかった。しいんとしずまる人々を睥睨《へいげい》して―― [#ここから2字下げ] 祇園精舎《ぎおんしょうじゃ》の鐘のこえ 諸行無常のひびきあり 沙羅双樹《さらそうじゅ》の花のいろ 生者《しょうじゃ》必衰の理《ことわり》をあらわす おごれるもの久しからず ただ春の夜の夢のごとし 猛《たけ》き人もついには亡びぬ ひとえに風のまえの塵《ちり》のごとし 遠く異朝を訪《と》ぶらうに 秦《しん》の趙高《ちょうこう》 漢の王莽《おうもう》、梁の朱异《しゅい》、唐の禄山《ろくさん》 旧主先皇の政《まつり》にもしたがわず 楽しみを極め 諫《いさ》めをも思い入れず 天下の乱れをも悟らずして 民の愁《うれ》いも知らざりしかば みな久しからずして 亡《ぼう》じにし者どもなり 近く本朝を慮《おもんぱか》るに…… [#ここで字下げ終わり]  峰阿弥の顔は怪異にさえ見えてきた。撥《ばち》は四絃を刎《は》ね、黄桑《こうそう》の胴を恐ろしい力でたたいた。彼はもう芸以外に何ものも天地にないように額《ひたい》に汗を光らしてくる。聞く人々も彼の芸の中にひきこまれて我に回《かえ》ることができなかった。かの白楽天の琵琶行《びわこう》の話を湓江《ぼんこう》の湖上に聞くような気持に囚《とら》われていて、その間《かん》は無心な燈火《ともしび》さえうっとりとしているのであった。 [#ここから2字下げ] 間近くは六波羅《ろくはら》の入道 さきの太政《だいじょう》大臣|平《たいら》の朝臣《あそん》 清盛公と申しし人のありさまこそ 詞《ことば》も筆おろかよ、及ばね その先祖をたずぬれば 桓武《かんむ》天皇第五の皇子 葛原《かつらばらの》親王九代の後胤《こういん》―― [#ここで字下げ終わり]  曲はすすみ、夜は更けて行った。人は在るが無いように。ただ、落花《はな》の影だけが、暗い蔀《しとみ》の外に舞っていた。 [#7字下げ][#小見出し]六[#小見出し終わり]  平家の曲の大部を残らず弾《ひ》くとすれば、夜の明けるまで語ってもとても語り切れる長さではない。峰阿弥《みねあみ》はその大部なものの要所だけを縫《ぬ》って、たくみに、平家一門の華やかな一時代と幾多の儚《はかな》い物語とを綴《つづ》って、やがて屋島から壇《だん》の浦《うら》の末路へまで語りつづけてきた。 [#ここから2字下げ] 二位殿は日頃より 思い設け給える事なれば にぶ色の二《ふた》つ衣《ぎぬ》うち被《かず》き 練袴《ねりばかま》のそば高くとり 神璽《しんじ》を脇に掻《かい》ばさみ 宝剣を腰にさし 主上をいだき参らせて [#ここで字下げ終わり]  聞き入っている人々はいつか眼に涙をいっぱい持っていた。蒼《あお》い海づらに逆まく渦潮《うずしお》のあいだに漂《ただよ》う弓だの矢だの檜扇《ひおうぎ》だの緋《ひ》の袴《はかま》だのがいたましく瞼《まぶた》に映ってくるのであった。そして驕《おご》り栄えた一族門葉の人々の末路を悲しいとも哀れとも思ったが、涙はその人々にこぼしているのではない、等しく同じ運命の下《もと》におかれている人間というものの自分に対して無常を観じ、惻々《そくそく》と、おのれの明日《あした》が考えられてくるのであった。 [#ここから2字下げ] われ女なりとも 敵の手にはかかるまじ 主上の御供に参るなり 御志《みこころざし》おもい玉わん人々は 急ぎつづきたまえやと 舷《ふなべり》へぞ歩みいでられける [#ここで字下げ終わり]  発矢《はっし》と、撥《ばち》の音、聞くものの魂をさながらに身ぶるいさせた。大絃《たいげん》は嘈々《そうそう》として急雨のように、小絃は切々として私語《しご》のごとしという形容《ことば》のままだった。そして、四つの糸が突然|断《き》れたかと思われるように撥が止まったと思うと、曲は終っていたのである。峰阿弥はまるで雨を浴びたように濡れた顔になっていた。撥を鳩尾《みずおち》に当てたまま、大きな息を全身でついている。 「ああ」誰とはなく皆がいった。われに回《かえ》った顔なのである。口々に、峰阿弥の技《わざ》を称《ほ》めたたえた、しかし、峰阿弥はにんやりともしなかった。 「拙《つた》ない曲を、永々とおきき下さいましてありがとう存じまする。それでは、退《さ》がらせていただきます」早速、琵琶をかかえて席をすべってゆく。いかにも恬淡《てんたん》な容子《ようす》がいっそう人々にゆかしく思われた。  彼が去って人々が雑談に入りかけたので、範宴はそっと席をぬけて庭へ出ていた。庭は境がわからないほど広かった。花明りの下、彼はまだ恍惚《こうこつ》と立っていた。背に樹の幹が触れたのでそのまま体を凭《もた》せかけていた。ちらちらと眸《ひとみ》のまえを白いものが遮《さえぎ》って降る。手を出してもつかまらない幻《まぼろし》のような気がするのである。心のうちにもそれに似た幻影が離れなかった。姫の黛《まゆ》である、唇である、黒髪である、どうしても打ち消すことができなかった、熱病のように何か大きな声でものを口走りたいような衝動がじっともの静かに立っている彼の内部を烈しく駈けまわっているのだった。 「是空《ぜくう》、是空」うめくようにいった唇《くち》はすぐ歯で噛み縛《しば》っていた。拳《こぶし》を二つの胸にくみあわせて苦しげに闇へ闇へ歩みだしている。たった今、無常観の大部な話を聞いたばかりの耳は彼自身でもどうにもならない若い血で、火のように熱くなっていた。 「あっ……。粗忽《そこつ》をいたしました。どなた様か、ごめん下さいまし」先で早くも避けたが、肩の端をぶつけてしまった。それは、盲人の峰阿弥の声であった。 [#7字下げ][#小見出し]七[#小見出し終わり] 「オ、最前の琵琶法師どのか」 「あなたは、範宴|僧都《そうず》でいらっしゃいますな」 「そうです」 「よい所でお目にかかりました。ちと、話したいと思いますが」 「私に」 「いけませんか」 「なんの、どうせこうしている折です」峰阿弥は寄り添って、 「私の今夜の琵琶は、お聞きづらかったでございましょう」 「そんなことはない、興に入って聞いていた」 「いや、そうでございますまい。盲人の勘にはわかります。また、自分の撥《ばち》にかけている糸の勘でもわかります。今夜の主客は、時々そら耳になっておいででした。食らえども味を覚えず、聴けども音をわきまえず、そういう空虚《うつろ》を時々あの席で感じたのでございます。これは、私の弾《だん》じる琵琶の技《わざ》が足らないかと思って額《ひたい》に汗をして語りましたが、やはりそうではありません。芸味はすべて聴くもの聴かす者が一体になった時に神《しん》に入ります。あなたのお気持が、時々ぷつんと糸の切れたようにどこかへ離れて行く。――どこへ行くのであろうと私はひそかに心で探っていました。すると、私のいた左側から留木《とめき》の薫《かお》りがぷうんと漂ってまいります。あなたは確かに玉日《たまひ》様に心を奪《と》られていたに違いありません」 「…………」範宴はぎょっとして盲人の窪《くぼ》んだ眼を見直さずにはいられなかった。何とずばずばとものをいう法師だろうか、いやそれよりも怖いような六感の持主ではあるまいか。範宴は、足をもどしたくなった。すると峰阿弥は、 「おかけなさいまし」と、築山の裾《すそ》にある亭《ちん》の柱を撫で、そこにある唐製《からもの》の陶器床几《すえものしょうぎ》をすすめた。 「どうぞ」何か、抑えられているようで拒《こば》まれない。峰阿弥は自分も腰をおろして、 「ありがちなことでございますな、私なども……」といった。そして、しばらく回顧的な面持ちを傾《かし》げていたが、 「実は、わしも、元からの琵琶法師ではありません、これでも以前はしかるべき寺院におり、仏典にも一心を没し、南都の碩学《せきがく》にもつき、自身苦行もいたして、禅那《ぜんな》の床《ゆか》に、求法《ぐほう》の涙をながしたものでござりましたが、ちょうど、御房ぐらいな年ごろでござった。ふと、半生の苦行を女一人に代えてしもうてな、女犯《にょぼん》の罪に科せられ、鞭《むち》の生傷を負って寺を追われましたのじゃ。それ幸いと、加古川の辺りで、その女と、女の死ぬ年まで暮しましたがの、さて、過ぎ越し方をつらつらと憶《おも》うに、女ある道、女なき道、どう違いがあろうか、有るとしているのは仏者のみではございませんか。――それ、一路を難行道《なんぎょうどう》といい、一路を易行道《いぎょうどう》という。おかしい」峰阿弥は独りでわらう。そして話も独り言のように、 「わしが眼をつぶれたのを見て、世間は罰《ばち》だというが、わしの身にとってみれば、黒い浄土じゃ、安心の闇ともいえよう。眼が明いているうちは、なし難い道を踏もうとし、踏み辷《すべ》っては悶《もだ》えたが、今では、すべてが一色の盲目、坦々《たんたん》として易行道をこうして歩いていますのじゃ……ははは」 [#7字下げ][#小見出し]八[#小見出し終わり]  峰阿弥の顔に、一《ひと》ひらの落花《はな》がとまった。手で払いのけながら、 「思うても御覧《ごろう》じ、どうして、この始末のわるい人間が生身のまま化仏《けぶつ》できよう。あのまま寺にいて、僧正になっていたのと、加古川の片田舎で女と暮したあげく女に死にわかれて、盲目《めしい》の芸人となって、座興の席を漂泊《さすろ》うてあるく今の境遇と、どちらがよいかは分らぬが、わしは、決して、後悔はしていない。――すこしも現在に不満と迷いはない。身を難行苦行の床におき、戒律《かいりつ》の法衣《ころも》に心をかためていた時よりも、かえって、今の身の方が仏身に近い気持がいたすのは一体どうしたものでしょうな。年のせいとばかりは考えられません。まだまだ、眼こそ見えぬが、これでもまあ、女性《にょしょう》の側《そば》にいればわるい気はしない男なのですから」  範宴は一句の答えもし得なかった。しないでも峰阿弥は問わず語りに喋舌《しゃべ》りつづけるので気づまることはないが、余りにも怖ろしい話だった、というて耳を蔽《おお》おうとすればかえって自身を偽《あざむ》く気もちが自身を責める、忌《いま》わしいようで真があり、醜いと感じながら自分にもある相《すがた》だった。 「ははは、破戒僧《はかいそう》のくり言は、これくらいにしておきましょう。そこで、御房《ごぼう》のお考えはどうあるの? ……仏教も近年はずっと進んできたようですから、御房のような新知識から、わしらは学びたいと思うているがの。黒谷の法然《ほうねん》上人など、なかなかよいことを申されるそうな、北嶺《ほくれい》の駿馬《しゅんめ》といわれる聖光院範宴どのの女性《にょしょう》に対してのお考えをうかがいたいものじゃ。あるいは、戒律についてのご信念でもよろしい……」意地悪く追求するのである。範宴には、当然今日まで血みどろになって築いてきた信念の砦《とりで》があった。巌根《いわね》のように堅固に、あらゆる心機をここに征服するだけの備えもかたまったつもりであるが、なぜか、この一盲人の極めて平俗な問に対して、きっぱりと、邪弁の舌を断《た》ってみせるような言葉が胸に出てこなかった。 「また、自分のことに回《かえ》るが、わしが御房の年ごろには、畏れ多いが、仏陀《ぶっだ》の御唇《みくち》も女に似て見え、経文《きょうもん》の宋《そう》文字も恋文に見えた。夜が待ち遠い、秘密が慕わしい、抑止《とどめ》ようとかかっても、血は、鉄の鎖《くさり》も断《き》る――。そんなふうであったものじゃが、御房のような秀才はちがうものでございましょうかな、あの無言の山、冷たい寺の壁、そこにそのお体を封じこめて、なんの迷いも苦しみも覚えませぬのかの。……ないとは申されますまい。その覚えのないような人間になにができる。釈尊もまた一度はくぐられた焔《ほのお》ではありませぬか。女魔《にょま》、女魔、焔《ほのお》の踊りをする女魔にとりつかれたような覚えはございませぬかの」僧侶が念慮しても罪悪といわれることを、この盲人は掌《てのひら》へのせて差し出すように平気でいう。範宴は胸苦しくなった。 「法師っ」 「はい」 「おん身は一体それを聞いてどうしようというのですか」 「べつに……」と、峰阿弥は首すじを伸ばして下を見た。「……どうするということもございませんが、あなたさまに、後でお渡しいたす一品《ひとしな》をさるお人からお預りしておりますので、事のついでに、うかがって見たまででございまする」 [#7字下げ][#小見出し]九[#小見出し終わり] 「しかし、頼まれはしたものの、その品を、お渡しいたしたほうがよいものか、悪いものか、迷わざるを得ません……範宴僧都、あなた様には、思いあたることがございましょう」 「私に? ……誰から? ……」 「お麗《うつく》しいお方です。いやよしましょう、わしの半生がそうだったからあなた様にもそうなれとはおすすめできない。人間の運命は、その人間自身が作るものだ、わしはその品を、ここへ置いてゆきますが、それを手に触れるなともお受けなされとも、わしは申しません。あなた様ご自身でとくとお決めなさるがよろしい」峰阿弥はそういって袂《たもと》の蔭から一葉の短冊を取り出した。なにやら書いたほうを下にして床几《しょうぎ》のうえに伏せた。石を拾って風で飛ばないようにするまでの綿密な心づかいをこの盲人はして立ち去ろうとするのだった。 「お待ち下さい」範宴は呼びとめて訊ねた。 「おん身の峰阿弥という名は、琵琶を持ってからの仮の名でしょう。その以前、寺においでのころはなんと仰せられていたお方か、さしつかえなくば聞かせて欲しい」 「さよう……。恥の多い前身の名を申し上げるは面映《おもは》ゆいが、実は、わしは、興福寺にいた教信沙弥《きょうしんしゃみ》でおざるよ」 「あ……教信」聞いたことがある、奈良ではかなり有名な人だ、学徳兼備の僧のようにいわれていたこともある、それが、奈良の白拍子《しらびょうし》との噂が立って放逐《ほうちく》され、播州《ばんしゅう》の加古川《かこがわ》で渡し守をしているということが世間の笑い話になってから「加古川の教信|沙弥《しゃみ》」といえば堕落僧《だらくそう》の代名詞のようになって落首《らくしゅ》や俗謡《ぞくよう》にまでうたわれたものだった。その教信沙弥がこの人なのか――範宴はそう聞くとこの盲人が前にいったことばももう一応考え直してみなければすまないような気持がしてきた。  だが峰阿弥のすがたは、白いものの飛ぶ朧《おぼろ》な樹蔭をもうとぼとぼと彼方《かなた》へ去っていた。そして、彼のいた床几《しょうぎ》のあとには、一葉の短冊が謎のように置き残してある。  眼の見えるつもりでいた自分は、眼の見えない峰阿弥になにもかも見透《みす》かされていた。彼のいう通り自分は今おそろしい心の顛倒《てんとう》を支えている。今日までの信念をあくまで歩みとおすか「加古川の沙弥」の行った道を歩くか、その岐路《きろ》に立っている。 「? ……」小石に抑《おさ》えられている短冊は、鶺鴒《せきれい》の尾のように風におののいていた、誰の文字か、何が書いてあるか、範宴の心も共におののくのであったが、彼は、 (見まい)と心でいった。彼の強い情熱をより強い智慧の光がねじふせるように抑止《よくし》した。 (触れてはならぬものだ)彼は亭《ちん》を出た。自分に打ち勝ってさらに高い自分へ帰着した爽《さわ》やかな心もちへ夜風がながれた。すると、亭のうしろにでも潜《ひそ》んでいたのであろう、すぐその後へまわって短冊を手に持って、追ってくる女があった。呼びとめる声にふり向いてみると、それは姫に附いている侍女《こしもと》の万野《までの》であった。 「範宴様、せっかくのお歌でございますのに、後《あと》でお捨て遊ばすまでも、どうぞ、見てあげて下さいませ」  短冊を範宴の手へ無理に持たせると、万野は、逃げるように、落花の闇へかくれてしまった。 [#3字下げ][#中見出し]白磁《はくじ》を砕《くだ》く[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  自分の血液のなかにはいま、かつておぼえない破壊がはじまっている。範宴《はんえん》はありありとそれを感じる。この二、三日の頭の鈍痛《どんつう》などがその一例である。夜の熟睡を久しく知らないのもその現象である。眸《ひとみ》の裏がいつも熱い、思索力はすっかり乱れてしまった。これが自分かと改めて見直すほどいろいろな変化が肉体に見出されるのだった。 (この叛逆《はんぎゃく》に負けては)と、強く意思してみる。しかし数日前の月輪家の招宴から帰った後の状態はさらに悪くなっている、刻々と、意思は蝕《むしば》まれ、信念は敗地へ追いつめられて行く、どうしようもない本能の圧《あっ》す力である。  ぼんやりと空虚《うつろ》なものが今日も彼を坐らせていた、他人が見たらどんな鈍《にぶ》い眸をしているだろうと、自身ですらも思う。で、病気と誰にもいってある、来訪者にも勿論会うことは避け通しているし、第一|仏陀《ぶっだ》の前に出ることが怖かった。朝の勤行《ごんぎょう》だけは欠かせないものと本堂に坐るのであるが、面《おもて》をあげて仏陀の顔を仰ぎ得ないのだ。やましいものの塊《かたま》りのように、自分をそこに置いているに耐えられなくなる。 (ご無理をなされてはいけません、どうぞ、ご病床にいて下さい。あなた様お一人のお体ではない、幾多の学徒や衆生の信望を負って、師とも、光とも、仰ぎ慕われていらっしゃるおん身。彼こそは、と五山の大徳や一般の識者からも嘱目《しょくもく》されておいで遊ばす大事なおん身です)周囲の者は極力そういって、静養をすすめる、まったくの病人と案じているらしい。そして、性善坊も覚明もともども憂わしげに朝夕《ちょうせき》彼の恢復を祈念しているのだった。範宴はそれを知るがためにいっそう自責の悶躁《もんそう》につつまれた、彼らに対してすら師として臨む資格はないように思われてくる、あらゆる周囲のものに対して範宴は今まったく裸身になって手をついてしまいたい。 (この身は偽瞞《ぎまん》の塊りである)と。  白磁《はくじ》の壺に、牡丹《ぼたん》は、青春の唇を割りかけている、先ごろ、月輪《つきのわ》の姫から贈られた室咲《むろざき》のそれである。悩ましい蠱惑《こわく》の微笑《はほえみ》をこの花は朝《あした》に夕べに、夜半《よわ》の枕へも、投げかけていた。  その笑《え》みはまた、誰かの笑みとあたかも似ている、ふくらみかけた花弁の肌も香《にお》いも。  ゆうべもその香《にお》いにあくがれて自分は越ゆべからざる墻《かき》を越えた、一昨日《おととい》の夜も越えた、世の中の人の誰も知らないことを自分はした、知る人は、姫と、姫の侍女《こしもと》の万野《までの》と、自分だけであった。  ちょうど曇っていた、星すらも眼をふさいでいた、闇の中に捨ててきた跫音《あしおと》は完全に消されている、誰も知ろうはずはないのだ、けれど待て、三人のほかに秘密を知った者はほんとうにいないのだろうか、あるような気がされてならない、どうしてもまだ他《ほか》に何者かが一人知っていると思う。  それは誰だろうと範宴はさっきから考えるのだ。するとそれはやはり自分の中にいるものだということが分った。 (自分は二つの人間になっている)と気がついたのである。相反している二つのものが、範宴という一個の若い肉体をかりて、心のうちで、血液のうちで、すさまじく闘っているのがわかる。そして肉体の主《ぬし》は沈湎《ちんめん》として終日《ひねもす》、白磁の牡丹にうつつな眸を消耗したまま蒼白《あおじろ》い秘密の夢をみているのだった。 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり]  東山の夜は早く更《ふ》ける。三十六峰のふところは星の光も届かないで宵闇がふかい。怖いと思い出したら足も竦《すく》んで出ないのであった。  万野《までの》は姫の心を思うと、その怖さも忘れていた。女ごころは女でなくては理解できないものとして、彼女はあえてこの暗い夜をものともせず姫のためにすすんで、秘密な使いに出てきた。――その使いを果たした後で、姫が、あの可憐《いじら》しい眸《ひとみ》にうれし涙をたたえ、掌《て》を合せて拝まんばかりによろこぶがために、(もし、お父君に知れたならば、自分がすべての罪を負って)とまで、悲壮な覚悟すらしているのであった。  それにつけても男心ほど浅いものはないと思う。次の夜には必ずまた訪れようとかたく誓っていたのにその人はあれきりついに姿を見せないではないか。一昨日《おととい》も姫は夜もすがら眠らずに待ちこがれておいでになった。ゆうべも泣いて夜を明かされた。女ごころは女が知る、はたの見る眼のほうが辛い。 (憎いお人)と、彼女は、そこの築地《ついじ》を見あげて、うらめしく思う。  聖光院の土墻《つちがき》は、万野の眼に鉄壁のように見えた。穢土《えど》の闇と浄界の闇とを厳《いか》めしく境しているのだった。 「? ……」礫《つぶて》をほうって耳をすましている、なんのこたえもない、二つめを投げた、そして、築地《ついじ》の下に、被衣《かずき》の影をじいっと佇《たたず》ませていた。  葉柳の露が、蛍《ほたる》のようにきらきらと光る。たしかにこの前はこの辺から今のように抛《ほう》った礫《つぶて》へすぐ答えがあったにと思う。さてはやはり世の浮かれ男のようにこの前のことばも嘘であったかもしれぬ、真にうけて痩せ細るほど信じている姫はいよいよご不愍《ふびん》である。もし、そういうことでもあるならば礫のみでは済ませない、明らさまに表門をたたいて男の酷薄《こくはく》を責めなければならない。  万野《までの》は、焦々《いらいら》しつつ、もう一度と小石をひろった、小石は柳の葉をちらして、遠い築地の中へ音もなく落ちた。薄情な男へこぼす涙のようになんの反応もありはしない。 「どうしよう」当惑した顔が被衣《かずき》のうちで嘆息《ためいき》をつく。このまま空しく帰るとしたら姫の泣き沈む姿を見なければならない。あの傷々《いたいた》しい失意の眸《ひとみ》が涙でいっぱいになって物も得いわずに打ち伏すかと思うと、万野は帰るにも帰れない心地がするのだった。  彼女は半刻《はんとき》も立ちすくんでいた。夜露が被衣をじっとりと寒くしてくる。もう人を憚《はばか》る自制心すらなくなった。今度は、廂《ひさし》を目がけて石を抛《ほう》った。つづけざまに幾つか投げた。  すると、築地の裏戸がそっと鳴った。紛《まぎ》れもない人影である。万野は、自分の恋人でも見たように走り寄って、 「範宴さま」恨みで胸がつまった。  その人は黒い布《ぬの》を頭からかむっていた、唖《おし》のように物をいわない、絶えずなにものかに趁《お》われるように、またなにものかを趁《お》うように、足を早めて彼女の先を歩いてゆく。 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり]  暁を惜しむまで話しても語り尽きないものと人はいうけれど、二人の場合はそうでなかった。会えば相見た満足だけでいっぱいになってしまった。万野が気をきかしていなくなっても同じである。なんの話をするということもなく、もちろん燈灯《ともしび》をともしては館の者に気づかれる惧《おそ》れがあるから、明りもない閨戸《ねやど》の帳《とばり》を空《うつ》ろにしては、蔀《しとみ》の下近く端居《はしい》したまま夜半《よなか》の冷たいものがじっとりと五《いつ》つ衣《ぎぬ》の裳《もすそ》と法衣《ころも》の袖に重たくなるのも忘れ果てて、相思の胸のときめきをお互いにただじっと聞き合っているに過ぎない二人なのであった。  ――あなたは春が好きですか、それとも秋がおすきですか。書《ほん》はなにを読みますか。古今《こきん》のなかでは誰を好みます、万葉のうちではどの歌を愛誦されますか。――などと他愛のない話をするのさえも、なにか息ぎれを覚えて、痛いほど心臓がつまって、乾いた唇は思うように意示もできない。  ことに姫はうつ向いたきりといってよいほど顔を斜めに俯伏《うつぶ》せている。どうかしてその黒髪をそっと風が越えてくると、蘭麝《らんじゃ》のかおりなのか伽羅《きゃら》なのか範宴は眩《めま》いを覚えそうになった。加古川の沙弥《しゃみ》のささやきが臆病な耳もとで嘲《わら》うように聞える。まざまざと偽瞞《ぎまん》の法衣《ころも》につつまれた獣心の相《すがた》を自身の中に発見する、万葉の話も、春秋のうわさも実はうわの空なのだった。勇猛で野性な血液が烈しい抗争を起して本能を主張する、いかなる聖経《しょうぎょう》も四囲の社会も無視してかかる猛悪な精神が彼の全霊を炎々と焦《や》くのだった。 「…………」しかし、範宴その人の外表は水そのもののような冷たい相《すがた》をしていた。対坐している愛人の細かな神経をもってしても彼の内部を針の目ほどものぞくことはできない。また、決して許そうともしない範宴なのである。鉄で作られた虚偽の函《はこ》のように範宴の膝はいつまでも痺《しび》れを知らずに真四角なのである。そして彼はついにその虚偽を生れながらに生みつけられている人間であったという今さら追いつかない嘆涙《たんるい》にさんさんと魂を濡らして、そこに恋人のあることも忘れ果てる。  とこうする間《ま》に鶏《とり》の声が聞えてくる、万野は自分の寝屋《ねや》の妻戸をそっと押して、別れ難かろう二人に別れを促《うなが》しにくるのであったが、そこへ来てみると初めのままの位置に初めのままの居住いを硬くして黙り合っている二人なので、自分があんな苦心をして一方を誘ってきたのは一体なんのためかと歯がゆくもなり焦々《じりじり》と思うのでもあったが、夜が白みかけては一大事を醸《かも》す惧《おそ》れがあると、姫にかわって次に来る夜の言質《げんち》をとって、そっと壺のうちを脱けて裏門の戸を開け、夢遊病者のような黒い人影を見送るのだった。  すると、そういう幾度かの事実をいつの間に知っていたものか、あるいは、偶然その晩に限って運悪くぶつかったものか、範宴の後ろをしばらく尾《つ》けてきた夜固めの警吏《やくにん》が、 「こらっッ」大喝《だいかつ》を浴びせておいて不意に後ろから組みついた。  帛《きぬ》の裂《さ》ける音がぴっと鳴った。警吏は法衣《ころも》の片袖だけをつかんで前へのめっている。  おそろしく迅い跫音はもう闇のうちへ遠くかくれていた。 [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり] 「待てっ、待たんかっ」警吏《やくにん》は忌々《いまいま》しげに喚《わめ》いて追いつづけてゆく。けれど四、五町も駈けると彼自身がそうしてまで捕えるほどの者かどうかを疑って舌打ちを鳴らした。 「盗賊ではないらしい、また、公卿《くげ》の女部屋へ忍んだ女犯僧《にょぼんそう》だろう、そんな者を捕まえていた日には限りがない」警吏は額《ひたい》の汗を、手につかみ忘れている法衣《ころも》の片袖でこすった。そして汚い物でも投げうつように傍らの流れへ向って捨てようとしたが、すぐその崖の上から凄まじい滝水のように鳴って落ちる琵琶の音《ね》に気がついて、 「誰だっ、今ごろそんな所で」と仰向いて呶鳴った。  しかし、琵琶の主《ぬし》は答えようはずもない、その音を聞けばわかるように身も魂も四絃《しげん》の中に打ちこんでいて、虚空の音《ね》が彼か、彼が虚空の音か、その差別《けじめ》をつけることは至難であるほどな存在であった。 「ははあ……例の峰阿弥《みねあみ》法師がまた独り稽古をしているのだな、あいつも変り者だ、銭を与えても嫌だといえばどんな目にあわせても弾《ひ》かないし、そうかと思うと、誰も聞いていない真夜中の山に入ってあの通り独りで弾いて独りで夜を明かしていたがる」何の罪科《とが》もあるまいに、警吏《やくにん》はその琵琶の音のあまりに楽しげなのが嫉《ねた》ましくでもなったか、おおウい――と声をあげて再三呼ばわるのに、いっこう答《いら》えがないので、石を拾って松林の丘を見上げながら抛《ほう》り投げた。  ちょうど一曲を弾き終ったところであるとみえ、石が届くとしばらくして撥《ばち》が止んで、こんどは丘の上から、 「誰だっ、つまらない悪戯《わるさ》をする奴は」 「篝屋《かがりや》の警吏《やくにん》だ」 「警吏ならなおよろしくない。なにがゆえに、この法師の琵琶をおとめなされますか。人家に近い所でもあるなら悪かろうが」 「ちと訊ねることがあるから再三呼んでいるのに、返辞をせぬから石を投げたのだ。その丘へ、今し方、一人の僧侶が逃げこんでは行かなかったか」 「人にものを訊くのに石を投げて訊くという作法がありましょうか。そんな者は、この丘へは上がって参りません」 「それならよいが……」警吏《やくにん》は歩みかけたがまた、 「おい峰阿弥。おまえは先ごろ、月輪公の御宴《ぎょえん》に招かれたそうだが、あの館《やかた》には美しい女がたくさんいるだろうな。……待てよ、そう訊ねても盲人ではわかるまい。無駄ごとばかりする晩だ、よし、月輸公の下部《しもべ》の者をたたき起して将来を誡《いまし》めておいてやろう」 「もしお警吏、つまらないことに、おせっかいはおよしなさい。誡めたからとて、この世に忍び男《お》と、忍び男を待つ女性《にょしょう》が尽きるはずはございません」 「堕落《だらく》僧が、堕落僧を庇《かば》っている。おお夜が明けるぞ」 「もう明けますか。……ああそういえばすこし疲れた、わたしはこれから楽々と無我の眠りに遊べるが、人間に与えられたこの甘睡《かんすい》すらできずに悶々と今日の空の下《もと》に圧《お》されて暮す人もあろう。そうだ、黒谷の法然《ほうねん》上人の御口授《ごくじゅ》を思いだした。――南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》、南無阿弥陀仏」丘の上の破《や》れ果てた御堂の縁に、彼が易々《やすやす》と木の葉虫のようにごろりと横になったころ、一方の警吏《やくにん》は、月輪家の裏門の戸をどんどんとたたいていた。 [#7字下げ][#小見出し]五[#小見出し終わり]  おとといも昨日《きのう》もまた今日も、聖光院の人々は師の房の姿を見なかった。針ほどの光も忌《い》むように一室へ閉じ籠ったきりの範宴は、その中から鋭い声でいったのである。 「誰もここへ参ってはならぬ。私のゆるさぬうちに入ってきてはなりません」坊官の木幡民部《こばたみんぶ》は捨てておかれないというように、性善坊や覚明《かくみょう》と膝ぐみになって憂いの眉をよせ、 「医家を迎えて、診《み》ていただいては――」と嘆息《ためいき》にいう。 「お怒りになろう」二人は首を振った。 「この身に、医や薬師《くすし》はと、先ごろもきついお顔で仰っしゃられた。吾々には推し計られぬご気質なのじゃ、また、そのご気質でぶつかったものを解くなり頷《うなず》くなり打ち砕くなりしてしまわぬうちは、よい加減にご自身をなだめて生きてはおられぬお方なのだ。心配になることはご同様だが、まあもうしばらくなされるままにして見ているより他《ほか》あるまい」誰よりも幼少から師の房の性質を知っている性善坊がいう言葉なので、それに従うほかはないと民部も覚明も黙ってしまう。民部は師の房にかわって寺務の一切を見ておるのでそれに心をとられて落着いてもいられなかった。覚明の方は楽天的なところがあって、 「そうだとも、われらよりは深い思慮で遊ばすことだ。つまらぬ憂いは、かえってご思念の邪《さまた》げになる」すると黄昏《たそがれ》の寂《じゃく》とした物静かな空気が、伽藍《がらん》の高い天井から圧《あっ》しるように下りてきて、若僧が内陣の釣燈籠《つりどうろう》に灯《ひ》をくばりかけたころであった。まだほの白い方丈の庭面《にわも》にあたって、何か、大きな物音がしたのである。つづいて、性善坊の名を呼ぶ声がする、幾度もつづけざまにする、紛《まぎ》れもなく師の房の声だった。 「はいっ、はいっ」性善坊は何ごとかと思いつつ駈けていた。一室の戸はあいているが範宴の姿は見えない。ふと見るとその範宴は庭に立っていた、足もとにはちょうど今日あたりがいっぱいに開いていたと見える白磁《はくじ》の壺《つぼ》の牡丹《ぼたん》が、その壺ぐるみ庭石に抛《なげう》たれて微塵に砕けているのだった。 「あっ……どうなされました」 「性善坊か」範宴の声は静かだった、壺と牡丹を微塵に砕いた人とはみえない、夕明りの下に立って、凄いほど蒼白くその顔は見えたけれど、雲の切れ間を見つけて一縷《いちる》の光を投げかけているような眉にも見える。 「わしの部屋の隅に竹の杖《つえ》があろう」 「杖ですか」 「そうだ、苦行の旅に、この身と共に、幾年《いくとせ》も歩いたあの竹杖。それを持って庭へ下りてくれ」 「どうなさるのですか」いわるるまま、杖を持ってくると、範宴は大地に坐っていた。ひざまずいてさし出すと、範宴はその杖を性善坊に持たせて、首を垂れていった。 「性善坊、おん身を仏陀《ぶっだ》と思い参らすゆえ、おん身はかりに仏陀となれ。わしは仏子《ぶっし》にあるまじい心病にとりつかれ恥かしい迷路を幾日も踏み迷うていた、犯さねどすでに心は汚罪を冒《おか》したに等しい。――打ってくれい。その竹杖で打たれたら、過去の苦行が甦《よみが》えってこよう。皮肉の破れるまで打て、わしを師と思わず打て、仏陀のお怒りをその杖にこめて――」 [#3字下げ][#中見出し]霧《きり》の扉《と》[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  あらゆるものを断《た》ちきってまっしぐらに歩み出した闇であった。範宴《はんえん》は四、五町ほど駈けてから聖光院《しょうこういん》の方を振りかえった。  門の潜《くぐ》り戸を開けて、その前に立って見送っていた性善坊の姿もすでに見えない、しきりと天地の寂寞《せきばく》を翔《か》り立《た》てる暗い風があるばかりだった。白い小糠星《こぬかぼし》は有明《ありあ》けに近い空をいちめんに占《し》めていた。 「ゆるせ、おまえにも苦労ばかりかける……」  詫びないでいられないものが、範宴の胸を突きあげてくる。まだ僧門に入らない幼少のころから起居を共にしてきた性善坊には、骨肉以上な恩愛をさえ抱いているのにその性善坊に対しては、省《かえり》みてみると、ほとんど、安心というものを与えた遑《いとま》がなかった。彼はなにか、自分のこういう不羈《ふき》な性格の人間に常識的な支えをしてくれるために生れてきたような男に思われる、自分のために彼を犠牲にしてきたことが実に多かったことを範宴はしみじみと今ここで感じる。 「しかし決して、わしはそれを無駄にはしないぞ」掌《て》を合せていう心持になるのであった。――同時に、青蓮院の僧正に対しても、そこにいる弟の尋有《じんゆう》にも、また、世を遁《のが》れて竹林の奥深くに一切を断《た》っている養父《ちち》の観真に対しても、ひとしく心からな謝罪の念が湧いてこずにはいない。 「後ではさだめし、不浄者とお思いになりましょうが、範宴はもいちど自分を鍛《う》ち直《なお》して参ります。決して、敗れて遁《のが》れるのではありません、世評を怖れて隠れるのでもございません、また、罪の発覚を知って姿を消す次第でもないのです、ただ、この一身一命を奉じて、もいちど大蔵の闇へ閉じこもって、御仏《みほとけ》の膝下《ひざもと》へ確乎《しっか》とすがりつきたいのです、おゆるしください、しばらくのあいだ」この夜半《よなか》すぎに聖光院を捨ててそもいずこへ走ろうとするのか、範宴の身にはすでに聖光院門跡の纒《まと》う綾の法衣《ころも》や金襴は一切着いていなかった、一笠一杖《いちりゅういちじょう》の寒々とした雲水のすがたであった。  そうして聖光院を捨てて出た彼の心は、性善坊だけには、いい残してきた。彼にはすべての秘密もうちあけて――また後々のこともたのんで。  木幡民部《こばたみんぶ》と覚明《かくみょう》には、遺書を認《したた》めておいて来たのである、どんなに彼らは後で驚くだろう、悲しむだろう、しかしそういう目前の感情は、範宴の今の大きな覚悟のまえにはあまりに小さい問題だ、もっともっと大きなものすら踏み越えてゆく決心なのだ、女々《めめ》しくてはこれからの万難の一つも越えられまいと、自身を叱って自身の心をかたく鎧《よろ》う。 「そうだ、夜の明けない間に――」歩み出そうとすると、彼の法衣《ころも》のすそを引くものがあった、大きな黒い犬である。 「しっ」範宴は追い払って駈けた。  犬は、寝しずまっている世間へ告げるように吠えたてる。彼は、犬の声にすら趁《お》われるような気持がした。  まだ暗い加茂の瀬にそって、彼は足のつづくかぎり急いだ。幸いにも、京の町では誰にも咎《とが》められなかった。そしてやがて、息を喘《せ》いて上ってゆくのは叡山《えいざん》の麓《ふもと》だった。彼の心には常にこの山があった。この山は範宴にとって、心の故郷《ふるさと》なのである。 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり]  鷺《さぎ》のように風に吹かれて佇《たたず》んでいる二人の女性《にょしょう》があった。雲母坂《きららざか》の登り口なのである。ここから先は女人《にょにん》の足を一歩もゆるさない浄地の結界《けっかい》とされているのだ。  千年杉の鬱蒼《うっそう》とつつんでいる登岳道《とうがくどう》も、白々と夜明けの光に濡れていた。 「姫《ひい》さま、お寒くはございませぬか」  自分のかぶっている被衣《かずき》を一方の女性《にょしょう》へ羽織ってやろうとする。これを拒《こば》んでいるのは上﨟笠《じょうろうがさ》に顔をかくしている姫と呼ばれた人であった。年ばえもうら若いし、足もとや体つきまでがいかにもこんな所のあらい風には馴れぬらしい嫋《なよや》かな姿なのである。 「いいえ」と、微かにいう。 「そなたも、寒かろうに」 「なんの私などは」どこの女性《にょしょう》でどういう身分の者なのであろうか。今ごろ、まだ夜も白みかけたばかりなのに、里から登ってきたとは思われぬし、なおのこと、上から降りてきたのではあるまい。思うにこの若い二人はゆうべすぐそこの赤山|明神《みょうじん》の拝殿にでも一夜の雨露をしのいだに相違ない。四明《しめい》ヶ|岳《だけ》の壁にはまだ残雪の襞《ひだ》が白く描かれているが、この辺りではもう寒いというには足らない春のことである、その証拠にはあちらこちらの沢や谷で鶯《うぐいす》の啼声《なきごえ》がしぬいている。二人の肌に限ってそう寒いのは夜もすがら戸を立てぬ拝殿の縁の端で山風にさらされていたためにちがいない。  それにしても誰を待つのか、麓からここへかかる人を待ちうけているものらしく、一方の召使らしい女は絶えず眼をくばったり、うち悄《しお》れた姫を励ましたり、その気づかいというものは並たいていな侍女《こしもと》のよくすることではなかった。 「あっ……姫《ひい》さま」麓の方を眺めていたその女が、突然、こう大袈裟《おおげさ》なくらいにいったのは、待ちかねていたその人の影がやがて認められてきたのであろう、ばたばたと姫のそばへ走り戻って、 「ごらんあそばせ、たしかに、あのお方でございまする」袂《たもと》をひいて、指さすのであったが、そう聞くと姫はにわかに自分を省《かえり》みて、無表情なうちにもありありと狼狽のいろを示して、 「人違いではありませんか」というと一方の女は、 「いいえ、なんでこの私が」と、自信をこめていう。  間もなく低いうねり道を回《めぐ》って来るその人なる者の姿が見えた。なにか一念に誦経《ずきょう》の低声を口に含《ふく》んでわき眼もふらずに登ってくるのだった。近づいてみれば風雨によごれた古笠に古|法衣《ごろも》を身に纒《まと》ったきりの範宴|少僧都《しょうそうず》だった。聖光院|門跡《もんぜき》の栄位と、あらゆる一身につきまとうものを、この暁方《あけがた》かぎり山下《さんか》に振りすてて、求法《ぐほう》の一道《いちどう》をまっしぐらに杖ついて、心の故郷《ふるさと》である叡山《えいざん》に登ってきた彼なのである。  そこに二人の女性《にょしょう》が自分を待っていることすら眼に映らなかった。すたすたと前を通りかけたのである。姫は、その姿を見るとはっと胸を打たれてしまった。胸につまるいっぱいの涙と羞恥《はにか》ましさに樹蔭へかくれてしまうのである。侍女《こしもと》はそれを歯がゆがるように、自分だけ走り出して、 「範宴さま」と、彼の前に立った。 「あっ……」杖をすくめて立ちどまった網代《あじろ》の笠は、微かに打ちふるえた。 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり] 「あなたは万野《までの》どのですな」しばらくしてから範宴の低く洩らした声であった。 「びっくりなさいましたでしょう」 「驚きました……」ありのままに範宴はいった。樹蔭には姫のすがたまで見えるのである。どうして自分の登岳を知ったのであろうか。笠に潜《ひそ》めていた彼の面《おもて》は、それをとれば狼狽《ろうばい》にかき乱されていたに違いなかった。 「きのう、さるお人から、ふと大乗院へお籠りの由を、ちらとうかがいました」 「? ……」そういう人があるはずはない。自分の心の裡《うち》で独りで決めたことだ。それを打ち明けた性善坊にしても、つい昨日《きのう》話したことである。月輪《つきのわ》へまで、それが伝わるわけはなかった。 「ご不審でございましょう。実はそれを、教えてくれたのは、いつかの琵琶《びわ》法師でございます。――私と姫《ひい》さまとが、あまりに傷《いた》ましいといって、こう申しました。それほど、範宴御房に会いたいならば、これから、叡山の登り口の赤山明神に参籠なされ、この二、三日のうちには、必ず範宴御房がそこを通るに相違ないと仰っしゃいました」 「あの加古川の沙弥《しゃみ》が、そう申しましたか。……あの法師は怖ろしい眼あきじゃ」 「その峰阿弥《みねあみ》のいうには、おそらく、範宴御房の行く道は一つしかあるまい。それは叡山だ。きっと叡山へ登ると信念をもっていいました……で、お姫様《ひいさま》と心を決めて、お待ち申していたのでございます。私たちも、ふたたびお館へは帰れませぬ。また、世間のいずこへも戻る家はございませぬ。どうか、不愍《ふびん》と思し召すならばお姫さまを連れて御山《みやま》へ登ってくださいまし、お縋《すが》り申しまする」万野《までの》は、膝を折って泣き伏した。姫も、樹蔭で泣いているのである。女のつかんでいる強い力が範宴の足を大地へ釘で打ったようにしてしまった。昏惑《こんわく》と慚愧《ざんき》とが、いちどに駈けあらした。ここまでは澄明《ちょうめい》を持ちこたえて聖域へ攀《よ》じのぼる一心に何ものの障碍《しょうげ》もあらじと思い固めて来た決心も、いったん心の底に響きをあげて埋地《うめち》のような陥没《かんぼつ》を見てしまうと、もうそこに藁《わら》一本の信念も見出せなかった。彼もゆるされるならば、万野と一緒に膝をついて泣いてしまいたい。いや、死ねるものなら死んだほうがはるかによいとすら思うのであった。 「もう、お館にも、あのことが知れたのでございます。世間も薄々知ったかもわかりません。姫さまは髪を下ろしても、共にと、仰せられますし……」万野《までの》の立場は苦しいものに違いなかった。いずれやがてはと覚悟していたことが余りにはやく足もとへ迫ってきたのだ。自分の行為から起ったこの問題のために苦しんでいる姫と万野とを残して、自分のみが、山へかくれて安心が得られるものだろうか。彼の道徳は自分に対して強く責めずにいられなかった。  と、いってこの聖域へ女人《にょにん》を連れて上るなどということは思いもよらない望みである。叡山《えいざん》の高嶺《たかね》はおろかなこと、この雲母《きらら》坂から先は一歩でも女人の踏み入ることは許されない。帝王も犯し得ない千年来の掟《おきて》として厳然たる俗界との境がここに置かれてある。 [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり] 「姫をつれて、どうか帰ってください」自分を石の如くして、範宴はそういうよりほかなかった。頼むよりほかになかった。充分に、自己の罪と責めは感じながらもである。  しかし万野は、姫をうしろに置いて、容易にそれに従おうとはしなかった。 「きっとそう仰っしゃることと前から存じてはおりました。けれど、姫さまのお可憐《いじ》らしいお覚悟をどういたしましょう。姫さまはもう心の底に、黙って、死をも誓っていらっしゃいます、あなたのおことばは、そのお方に死ねと仰っしゃるのも同じでございまする」範宴には一語も返すことばがなかった。それまでに心がすわっているものかと今さら女性《にょしょう》の一途な心の構えに驚きを覚えると共に、自分のなしたことに対する責めの重さを感じるばかりだった。 「この御山《みやま》が、伝教大師のご開山以来、六里四方、女人禁制ということも、よう存じておりまする。けれど釈尊《しゃくそん》は、目連《もくれん》尊者の女弟子の蓮華色《ウッタラバルナ》と申す比丘尼《びくに》に、おまえこそ真の仏道を歩んだものだと仰っしゃったという話があるではございませぬか、法華経《ほけきょう》には女人は非器なりとございますが、女には御仏《みほとけ》にすがる恵みはないのでしょうか。そんなことはあるまいと思います。女でも人であるからには」と、万野は情と理をもって迫るのだった。そして姫にもここへ来て頑《かたくな》な範宴の心をうごかせとすすめるように姫の方を見たが、姫は地へ泣き伏しているのみである。 「わかります、そのとおりに違いないのです。けれど――」範宴は膝を折って万野と姫の二人へいうのだった。いつの間にか全霊を打ちこめていた自分の声に気がつく。それは死ぬか生きるかのように必死なものであった。 「よく落着いて聞いてください、この御山《みやま》は仏法の道場なのです、一箇の解釈で法規をやぶることはできません、それを矛盾といいましょうが、伝教以来の先人が定めおかれた大法であって、この後、何人《なんぴと》かが、それは間違っているという真理をつかみ、その真理を大衆に認めさせない限りはどうにもならない掟《おきて》です。それをも押して、姫と共に山へ上るとしましょうか、いたずらに一山を騒擾《そうじょう》に墜《おと》し、世の罵《ののし》りと物笑いをうけるに過ぎず、私はともあれ、姫のおん身は、ただ淫《みだ》らな一|女性《にょしょう》のはした[#「はした」に傍点]ない行為としかいわれますまい。さらに、お父君は元より、青蓮院の僧正、一族の方々のお困りも必然です。それもこれも皆この範宴が罪とおもえばこそ、私は死以上の決意をもって罪の償いに、この山へ参ったのです、どうか私にそれをさせてください、無限の暗黒へ落ちてゆくか、大願を貫かれるか、この一身を人間|億生《おくしょう》のために捧げてしまいたいのです。姫おひとりに捧げきれない私となっているのです。それを無情と呼ばば呼べです。玉日様《たまひさま》、お帰りなさい、おさらばです」この人にこんな厳しいものがあったのか、こんな冷たい声も持っていたのか、霜のような、巌《いわ》のような、何という人間味のない宣告だろう、万野は泪《なみだ》も出なくなった。 [#改ページ] [#1字下げ][#大見出し]大盗篇[#大見出し終わり] [#3字下げ][#中見出し]あられ[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  この辺りは新しい仏都をなしかけていた。  仁和寺《にんなじ》の十四|宇《う》の大廈《たいか》と、四十九院の堂塔伽藍《どうとうがらん》が御室《おむろ》から衣笠山《きぬがさやま》の峰や谷へかけて瑤珞《ようらく》や青丹《あおに》の建築美をつらね、時の文化の力は市塵《しじん》を離れてまたひとつの聚楽《じゅらく》をふやしてゆくのだった。  鏡ヶ池には夏は蛍《ほたる》がりに、宇多野《うたの》には秋を虫聴きに、洛中の人は自然を慕い、四季の花に月に枯野見《かれのみ》にかこつけてよく杖をひく所であるが、わけても今年の秋から冬へ、また冬から年を越えての正月まで、仁和寺をはじめ、化蔵院《けぞういん》や、円融寺《えんゆうじ》や、等持院《とうじいん》、この辺りの仏都市へ心から素直になって詣《もう》でる者が非常に多いといわれだしていた。 「おのずから世の推移が、人の心をこういう方へ向けてきたのじゃ」とここの人々は、それを仏教の繁栄といい、興隆といい、また復興といった。  そういえばそういわれないこともない。戦《いくさ》が生活であり、戦が社会の常態だった一時代はもう大きな波を通った船から振りかえるように後ろのものだった。鎌倉幕府というものの基礎や質のいかんにかかわらず人心はもう戦に倦《う》み、ここらで本然《ほんねん》の生活に回《かえ》って静かな生活をしてみたいことのほうに一致していた。すでに国政の司権が武門の手に左右されてからは、それが平家でなければ源氏であるし、両者を不可としたところで姑息《こそく》な院中政治がかえってそれを複雑にするぐらいなもので、どっちにしろ民衆の望みとは遠いものが形になるだけのことだった。民の心の底でほんとに渇《かわ》くように望んでいる真の王道というような明るい陽ざしはここしばらく現れそうもないと賢者は見ている。覇道《はどう》を倒して興るものはまた覇道政治だ。それならば何を好んでか全国土を人間の修羅土《しゅらど》にして生きる心地もなく生きている要があろうか。そういう疑問が当然に疲れた人々の考えの中に芽《め》ざしている。武士階級ほどことにそれがつよい。公卿《くげ》はいつでもなるべくは現在のままで安易にありたいのだ。天皇の大民族《おおみたから》といわれる大本の農民はほとんどそういう興亡からは無視されているので、これは幕府が鎌倉に興ろうがどうしようが今日の天気と明日《あした》の天気のように見ている――  建仁元年一月はめずらしい平和な正月だった。四民がみな王道楽土を謳歌《おうか》しての泰平ではなくて、疲れと昏迷から来たところの無風状態――無力状態なのである。  そうした庶民たちが、 「寺へでも詣《もう》でようか」とか、 「説教でも聴いたら」と、洛外へ出るのだった。  したがってこういう人々が仏法へ奉じる行作《ぎょうさ》は決まって形式的だった、遊山気分だった、派手だった。  山内の修復を勧進《かんじん》しましょう、塔を寄進いたそう、丹《に》を塗ろう、瑤珞《ようらく》を飾ろう、法筵《ほうえん》には能《あた》うかぎり人をよび、後では世話人たちで田楽を舞おう。そういうふうに仏教を享楽するのでなければ、彼らの空虚は満たされなかった。求めて来る者に対して満たし与うものを、この十四宇と四十九院の堂塔|伽藍《がらん》も実は何も持ちあわせていない。  しかし形の上では仏教復興は今や顕然《けんぜん》たる社会事実だった。  時代思潮は何ものかを確かに求めていた。 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり]  きょうも仁和寺《にんなじ》の附近は賑《にぎ》わっていた。一つの供養塔を建立《こんりゅう》した奇特な長者が、一族の者や朝野の貴顕を招いて、その棟上《むねあ》げの式を行い、それを見ようと集まった有縁《うえん》の人々やこの界隈《かいわい》に住む部落の貧民たちには、銭を撒《ま》いたり米を施《ほどこ》したりしたので、雪でも降りそうな一月の寒空だというのに、地上は時ならない慈雨のよろこびに混雑をみせているのだった。 「よいことをした。わしの家もこの功徳《くどく》で何代も栄えよう」  八十に近い長者はほくほくして自分の撒いた銭を拾う群れを見ていた。何でもこの長者は戦のためにわずか一代で莫大な富を得た商人《あきんど》であったが、仁和寺の法筵で説教を聞いてからにわかに何事か悟ったらしく、その富の大半を挙げて今日の慈善を思い立ったのだという噂であった。  自分で蓄えた黄金のために、自分の晩年に絶えず負担と警戒を感じていた長者は、肩がかるくなったように、 「ああ、これで助かった」といったそうである。そして長者の善行を賞《ほ》め称《たた》える僧や門族や知己《しるべ》たちに囲まれて、長者は脱殻《ぬけがら》のように老いた体を授けられつつ、仁和寺の客間へ請《しょう》ぜられて行った。 「ありがたいお人じゃ」 「大慈悲人じゃ」群衆はその姿へ感謝したが、救われたのは実は長者自身だった。かつてこの長者から酷《ひど》い利息をしぼられたり、この長者の爪に燈《ひ》をともすような強慾ぶりを憎んで、鬼長者の何のと陰口をきいた人たちもまじっていたが、そういう過去はさておいて、人々はとにかく今の長者の行いにすっかり感激して、それも仏陀《ぶっだ》の教化《きょうげ》であるとして、等しく法悦につつまれていた。  そういう群れの中で、誰かがふいに、泥棒っと呶鳴った。泥棒という声をきくと傍《そば》の者はすぐ自分の懐中《ふところ》や袖へ手をやって検《あらた》めてみた。すると、せっかく骨を折って拾った銭が紛《な》くなっていた者だの、笄《こうがい》を抜かれている女だの、袂《たもと》を刃物で切られている者だのが数名あって、 「泥棒がいる。この中に泥棒がいる」と、あちらこちらから騒ぎ立てた。無数の眼はついに紛《まぎ》れこんでいる人間を調べ出して追いかけた。群れを離れて逃げてゆく風態《ふうてい》のわるい男が二人、鏡ヶ池のふちから山の中へ逃げこんでゆくのだった。兇器を持っていることは分りきったことなので、誰も山へまでは追っては行けなかった。  二人の悪者は山歩きには馴れているらしく、衣笠《きぬがさ》の峰づたいに千本へ出て、やがて蓮台野《れんだいの》の枯れた萱《かや》の中を半身も没しながらざわざわとどこかへ歩いてゆく。 「寒いっ」 「ウウ寒い」悪者はそんなことしかつぶやき合わなかった。毎日の平凡な仕事をして当り前の稼《かせ》ぎから帰ってくるのと変りがない。  やがて、土民の家らしい一軒の家の戸をたたいて、 「俺だ、開けてくれ」という。  野の上には雪にもならず低迷している冬雲が暮れかけていて、鳥が、風の中の木の葉みたいに飛ばされている。 「蜘蛛太《くもた》か」  酒を飲んでいる炉《ろ》べりの者たちが戸口へ振りかえった。 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり] 「蜘蛛太じゃねえ、俺だよ」外で再びいうと、 「あ、平次か」起ってきて一人が内から腐りかけている戸をがたぴしと開ける。家のうちに充満していた炉の煙は疾風《はやて》のようにむうっと軒から空へ逃げて行った。 「遅かったなあ兄弟」中でごろごろしている仲間の者たちが等《ひと》しくいうと、寒空に曝《さら》されてきた赤ら鼻を煤《く》べるように炉へ向って屈《かが》みこんだ二人の手下は、 「あたりめえよ、汝《てめえ》たちみてえに、飲んじゃ怠けているのとは違わあ」誇るように、自分たち二人で盗んできた小銭や笄《こうがい》を出して、頭領の四郎のまえへ並べてみせた。  賞《ほ》められるかと思って期待していると、天城《あまぎの》四郎は眼もくれないで、 「これが仁和寺へ行った稼ぎか」 「へい、昼間仕事で、案外うまいこともできませんでしたが、それでも、撒《ま》き銭を拾ったやつの袂《たもと》を切って、これだけ掻《か》っ攫《さら》ってきたんで」 「ばか野郎っ」  呆っ気にとられた子分の顔を見すえて、四郎は酒をつがせながら、 「誰が、こんな土のついた小銭などを拾ってこいといった、仁和寺で働いてこいといったのは、今日、供養塔の棟上げをした長者が必ず寺へ大金を納めたにちがいないから、それを奪うか、または長者の親族たちが、それぞれ贅沢な持物や身装《みなり》をして来ているだろうと思って汝《てめえ》たちにいいつけたのだ。誰が、こんなはした金を持ってこいといったか」  眼の前の物をつかんでそれへ叩きつけた。そして、おそろしく不機嫌な顔に、酒乱のような青すじを走らせて、 「やい、酒を酌《つ》げ」 「頭領《かしら》、酒はもうそれだけです」 「酒もねえのか」いよいよ、苦りきって、 「なんてえ不景気なこった」と、つぶやいた。  戦がなくなってからは彼らには致命的な不況がやってきた。女をかどわかしたり民家を襲ったり、火を放《つ》けたりして、小さい仕事をしても、何十人もいる野盗の一族ではすぐ坐食してしまうのだった。それに都会の秩序がだんだんに整ってきて、六波羅の捕吏《やくにん》たちの追うこともきびしくなった。一頃《ひところ》ならば市中《まちなか》の塔や空寺《あきでら》でも堂々と住んでいられたものが、次第に洛外に追われて、その洛外にも安心しては棲《す》めなかった。 「蜘蛛太《くもた》だよ、開けてくれ」その時また、戸をたたく者があった。子分のうちの侏儒《こびと》の蜘蛛太がどこからか帰ってきたのである。四郎は待ちかねていたように、 「はやく開けてやれ」といった。そして入って来た彼のすがたを見ると、 「蜘蛛か、どうだった?」 「親分、だめでした」蜘蛛太は悄《しお》れたが、 「その代りに、おもしろいことを聞き込んできましたぜ」と、怪異な顔をつき出した。 [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり]  四郎の数多い手下のうちでも、異彩のある男はこの蜘蛛太だった。背は四尺に足らず、容貌は老人のようでもあり、子供のようにも見える。幼少から親兄弟というものの愛情をわきまえない孤児なので、生れながらの盲人が物の色を識《し》らないように人間社会に愛というものがあることを知らないのである。残忍酷薄、生きんがためにはどんなことをやってもかまわないものだとこの男は信じて生きている。  したがって蜘蛛太でないとできない仕事があった。頭領《かしら》の四郎でさえ手を下し得ない惨虐《さんぎゃく》をこの男は平気でやる、また、どんな、警固《かため》のきびしい館《やかた》でもこの小男は忍び込むのに困難を知らなかった。今日もそうしたことで、どこかへ仕事に行ったらしいが、稼ぎはなかったらしかった。しかしなにか耳よりな噂を聞いてきたというのである。そこで天城四郎はすこし機嫌を直して、 「ふうむ……面白いこと? ……それは金儲《かねもう》けになりそうな話か」 「なりますとも、金にならない話を頭領《かしら》に聞かせてもつまらねえでしょう」 「その通りだ。何しろこの霜枯れだ。一仕事当てなくっちゃ息がつけぬ」 「金になるばかりでなく、復讐《しかえし》にもなる、いわば一挙両得なんで」 「能書《のうがき》はさしおいて、早くいえ」 「ほかじゃありませんが、いつか、六条の遊女町に火事のあった晩、頭領《かしら》が目をつけてうまく手に入れかかった堂上の姫君があったでしょう」 「ウム、あの時の忌々《いまいま》しさは忘れねえ、あれは月輪《つきのわ》の前関白《さきのかんぱく》の娘だった」 「こっちの仕事の邪魔をした奴は誰でしたっけ」 「聖光院|範宴《はんえん》の弟子どもだ」 「頭領《かしら》」蜘蛛太は、膝をにじり出して、 「その範宴のことですが」 「ふウム、範宴が、どうしたのか」四郎はあの時以来、彼に対する呪詛《じゅそ》を忘れていなかった。利得の有無にかかわらず、折があったら返報してやるとは常に手下の者に洩らしていたことである。  ところが今――蜘蛛太のいうところによると、その範宴の身辺には昨年の夏ごろから大きな問題が起っている。それは月輪家の息女と彼との恋愛問題だというのである。範宴はごうごうたる世間の攻撃に怖れをなして叡山《えいざん》へ閉じこもり、一切世間人との交渉を断《た》って、彼の師や彼の弟子や、また女の側《がわ》の月輪家などが、必死になって、その問題の揉み消し運動やら善後の処置に狂奔しているらしいというのであった。 「どうです」蜘蛛太は鼻をうごめかして、 「こんなおもしろい聞き込みは近ごろありますまい。ひとつその破戒坊主の範宴をさがし出して、うんと強請《ゆす》ってやったらどうでしょう」 「ほんとか、その話は」 「懸値《かけね》はありません」 「こいつは金になる。ならなかったら範宴のやつを素裸にして、都大路《みやこおおじ》へ曝《さら》し物にして曳き出し、いつぞやの腹癒《はらい》せをしてやろう」  それから数日の間、ここに巣くう悪の一群《ひとむれ》は、毎日、範宴の居所と、噂の実相をさぐることに交《かわ》る交《がわ》る出あるいていた。 [#7字下げ][#小見出し]五[#小見出し終わり] 「おウい、一休みやろうじゃないか」谷へ向って一人が呼ぶ。 「おウいっ」そこから声が湧《わ》いた。  四、五人の若い学僧だ。雪が解けたので、この冬籠りのうちに焚《た》き尽くして乏しくなった薪《まき》を採りに出てきたのである。雪に折れた枯れ枝や四明颪《しめいおろ》しに吹かれた松葉が沢にも崖にも埋《うず》まっていた。その谷間はようやく浅い春が訪れてきて、谷川の裾《すそ》の方には鶯子啼《ささな》きが聞え、樹々はほの紅《あか》い芽を点じてはいるが、ふり仰ぐと、鞍馬《くらま》の奥の峰の肩にも、四明ヶ岳のふかい襞《ひだ》にも、まだ残雪が白かった。 「やあ、ここは暖かい」南向きの谷崖へ、学僧たちは薪《まき》の束を担《にな》いあげて車座になった。太陽の温《ぬく》みを持っている山芝が人々の腰を暖かに囲んだ。 「長い冬だったなあ」 「やっと、俺たちに春が来た」 「春は来たが……。山は依然として山だ、谷は依然として谷だ。明けても暮れても霧が住居《すまい》じゃ」 「味気ないと思うのか」 「人間だからな」 「それに克《か》つのが修行だ」 「時々、自信が崩れかかるんだ。修行修行といっても、俺たちはどうしても、抜け道を作らずにいられない。そっと山を下りて人間の空気を吸いに出ることだ。そんなことをしていたって、克《か》つことにはならないじゃないか、ただ、矛盾《むじゅん》の中に生きているだけだ」 「そう、むきになって考えたら、僧院の中に住めるものか、よろしく中庸《ちゅうよう》を得てゆくことだ、たとえば、大乗院へ籠《こも》り込んだ範宴少僧都などをみるがよい」 「いろいろな噂があるが、あれは一体、どうしたことだ」 「おい」と、一人の背中をのぞいて、 「貴公は今朝、ここへ来る前に、横川の飯室谷《いいむろだに》へ、何か使いをたのまれて行ってきたのじゃないか」 「うむ、四王院の阿闍梨《あじゃり》から、書面をたのまれて置いてきた」 「範宴はいたか」 「わからん」 「誰がいるのだ、今あの寺には」 「党衆らしいのが庫裡《くり》にいた。がらんとして、空寺《あきでら》のように奥は冷たくて暗かった。たしか、去年の初夏のころから、東山聖光院の門跡《もんぜき》範宴が上《のぼ》ってきて、あれに閉じこもっているわけだが、彼の姿など見たこともない。坊官も弟子もいるのかいないのかわからん。おかしなことだ」 「それやいない理《わけ》だ」と一人が唇でうすく笑って、 「範宴は、聖光院の方には勿論いないし、大乗院にも、いると見せても、実はそこにもいないのだから……眉唾《まゆつば》ものだよ」  何か火のような光が近くの灌木《かんぼく》の中から谷間の空を斜めに切って行った。人々の眼は、そこへ流れて行った雉子《きじ》の雌《めす》をじっと見ながらなにやら考えこんでいた。 [#7字下げ][#小見出し]六[#小見出し終わり]  やがて、一人が沈黙を破って、 「じゃあいったい少僧都《しょうそうず》は、どこに体を置いているのか、怪《け》しからぬ行状ではないか」と口吻《こうふん》に学僧らしい興奮をもらしていった。 「さあ、それが分らぬて」するとまたほかの一名が、 「なあに、大乗院にいることはいるのさ。姿を見せないだけだ。なにかよほどな悶《もだ》えがあって閉じ籠ったまま密行《みつぎょう》しているという」 「やがて、僧正の位階にも上《のぼ》れる資格ができているのじゃないか、なにを不足に」 「いや、その栄位も捨てて、遷化《せんげ》する心だという者がある。四王院の阿闍梨《あじゃり》や、青蓮院の僧正などは、それでひそかに、心配しているらしい」 「あの若さで遷化するなどと……。それは一体ほんとうか」 「青年時代には、お互いに、一度はわずらう病気だよ。あまりに学問へ深入りして、学問の病《やみ》に捕われると、結局、死が光明になってしまうのだ」 「範宴は、そんな厭世家だったかなあ」 「仁和寺の法橋《ほっきょう》や、南都の覚運|僧都《そうず》などへも、遺物《かたみ》を贈ったというくらいだから嘘ではあるまい」 「では密行に入ったまま、ずっと、絶食でもしているのか」 「噂を聞いて、幼少から彼を育てた慈円僧正が、たびたび使いをのぼせて思いとまるように苦言しているというが、どうしても、死ぬ決意らしい」 「そうか……」と、人々は太い息をもらし合って、 「それや、姿の見えない理《わけ》が解《と》けた。おたがいに学問もよいほどにしておくんだなあ」  と――薪《まき》を枕にして寝そべっていた一人の僧が、 「あははは」手を打って哄笑した。 「お人良し! お馬鹿さん! 君たちはおめでたい人間たちだ。もっとも、これだから僧侶は飯が食えるのだがね」 「誰だ、そんな悪魔の口真似《くちまね》をする奴は」振向いてみると、この山の学僧のあいだで提婆達多《だいばだった》と綽名《あだな》をして呼んでいる乱暴者であった。 「提婆《だいば》、何を笑うんだ」 「これが笑わずにいられるか。範宴が遷化するって。……ははは、臍《へそ》がよれる。なるほど、密行はしているだろう、しかし、その密行がちがっているんだ」 「ひどく悪口をいうではないか」人々は提婆に対してむしろ反感をもった。そんな顔つきに関《かま》わず提婆は笑いやまず厚い唇をひるがえしていった。 「でも、あまりに諸賢が、愚かしき噂を信じているから、その幼稚なのに愍笑《びんしょう》をもらしたのだ」 「では、範宴は一体、なにを大願として、そんな必死の行《ぎょう》に籠っているのか」 「知れているじゃないか。恋だ! 範宴だって人間だよ、隠し女があるのだ!」 「えッ、女があるって」人々は大胆な放言に眼をみはった。 [#7字下げ][#小見出し]七[#小見出し終わり]  意外そうな顔をする人々の迂遠さを提婆《だいば》はあわれむように薄く笑って、 「眼を、君たちは、持っているのかいないのか。お互いに人間だ、叡山《えいざん》だって、人間の住んでいる社会だ。してみれば、若いくせに、聖《ひじり》めかしている奴が、実はいちばん食わせ者だということが分るはずだ。自体、範宴という人物を、俺は元からそう高く買っていない――」人々は、提婆の鋭い観察に黙って聞き入っていた。提婆は自分の才舌に酔っているように喋舌《しゃべ》りつづけた。 「考えてみろ。まだ彼奴《きゃつ》は今年でやっと二十九歳の青沙弥《あおしゃみ》じゃないか。その青二才で、一院の門跡となり、少僧都となり、やれ秀才の駿馬《しゅんめ》の、はなはだしきは菩薩《ぼさつ》の再来だとかいって、ちやほやいう奴があるが、それが皆、あの男のためには毒になっているのだ。世間は少し、彼を買いかぶり過ぎているし、君たちもまた、それに附随して認識を誤っているんだ」 「提婆、貴様はまた、何を証拠に、そんな大胆なことがいい断《き》れる?」 「大乗院の出入りを監視しているのは俺だけだろう。なぜ俺が、彼の行動に監視の眼を向けているかといえば、それにも理由がある。……たしか去年の初夏のころだった。俺は範宴の隠し女をこの眼で見たのだ」 「ふウム……どこで」 「麓《ふもと》の赤山明神の前で」 「…………」提婆のことばには曖昧《あいまい》らしさがなかった。信じることをいっている眼であった。人々も彼の態度にその真剣さを見てから狐疑《こぎ》を離れて熱心な耳を傾けだした。 「……範宴は誰も見ていまいと思っているだろうが、それが仏罰だ。ちょうど俺はその前の晩、学寮の連中と謀《たく》らんで、例の坂本の町へ飲みに降りたのだ。つい飲み過ぎて眼をさますと、もう夜が白みかけている、朝の勤行《ごんぎょう》におくれては露顕ものだと、大慌《おおあわ》てに飛び出して、今いった赤山明神の近くまで来ると、どうだおい、美しい女が、範宴の袖にすがって泣いているのだ、範宴の当惑そうな顔ったらなかった」 「八瀬《やせ》の遊女《うかれめ》か、それとも京の白拍子《しらびょうし》か」 「ちがう、そんな女とは断然ちがう。どう見ても貴族の娘だ、﨟《ろう》たけた五《いつ》つ衣《ぎぬ》の裾《すそ》を端折《はしょ》って、侍女《こしもと》もついていた。二人して泣いてなにかせがんでいるらしい。俺は、樹蔭にかくれて、罪なことだが、そっと見ていた。男女《ふたり》の話こそ聞えなかったが、それだけの事実でも、範宴がいかに巧みな偽瞞者《ぎまんしゃ》であるかは分るじゃないか。あいつに騙《だま》されてはいかん」 「そうか。さすれば、遷化《せんげ》するとか、京の六角堂へ参籠するため、夜ごとに通っているなどということも」 「嘘の皮さ。通っているとすれば、それは今いった女の所へだろう」 「なんのこった」 「この社会に生きた聖《ひじり》などはない」 「範宴でさえそうとすれば、吾々が、坂本へ忍んで、女や酒を求めるのは、まだまだ罪の軽いほうだな」 「なんだか、社会がばからしくなってきた。この叡山までが嘘でつつまれていると思うと――」 「今ごろそんなことに気がついたのか。どれ、行こうぜ……」 「晩にはまた、坂本へ抜け出して、鬱憤《うっぷん》を晴らせ」薪《まき》を担《かつ》いで、人々は立ち上がった。いつもの薪よりは重い気がするのだった。 [#7字下げ][#小見出し]八[#小見出し終わり]  峰づたいに、十町ほど歩いてゆくと、薪を担いでいるその群れへ、谷の方から呼ぶ者があった。  提婆《だいば》が、耳にとめて、 「待て待て、誰か呼んでいるぞ」若い旅僧の姿が下の方に見えた。笠に手をかけながらその若い僧は喘《あえ》いで上《のぼ》ってきた。 「もしっ、お山の衆」 「おう、なんだ」 「おうかがいいたしますが、大乗院はまだ峰の方でしょうか」 「大乗院なら横川《よかわ》の飯室谷《いいむろだに》だ。この渓流にそうて、もっと下る、そして対《むこ》う岸へ渡る。こんな方へ来ては来過ぎているのだ」若僧はそう教えられて深い渓谷《けいこく》の道をかなしそうに振向いた。雪解《ゆきど》けの赤い濁流が、樹々の間に奔濤《ほんとう》をあげて鳴っていた。 「ありがとうございました」やむなく若僧は岩にすがってまた谷の方へ降りて行くのである。綿のように疲れているらしいその足どりを見送って、提婆は、 「あぶないぞッ……」と注意していた。  まったくこの谷に馴れない者には危険な瀬や崖ばかりであった。対岸へ越えるにしても、橋もなし、岩伝いに行く頼りもない。若僧は、怖ろしい激流の形相《ぎょうそう》をながめたまま、嘆息《ためいき》をついていた。そして、休んでは下流《しも》へ辿《たど》ってゆく。雪で折れた朽ち木に道を塞《ふさ》がれ、そこでも、茫然と、気がくじけてしまう。  心細さはそればかりではなかった。沢の樹々の間はもうほのぐらく暮色が迫っている。そして、四明《しめい》の山ふところから飛んでくる氷った雪か、また灰色の雲がこぼしてゆく霰《あられ》か、白いものが、小紋のように、一《ひと》しきり音をさせて沢へ落ちてきた。 「寒い」若僧は意気地なく木の葉の蔭へ兎《うさぎ》のように丸まっていた。笠の下に竦《すく》んでいる眼は、この山の荒法師などとちがって気の小さい善良な眸をしていた。それに、色の白い皮膚や、腺病質な弱々しい骨ぐみからして、こういう旅をする雲水の資格はない若者なのである。 「会いたい。ここで凍《こご》え死《じ》にたくない。死んでも兄に会わなければ……」彼は、つぶやいて、凍えた両手を息で暖めた。必死になって身を起した、そして、沢の湿地を歩みだしたが、腐った落葉に足を辷《すべ》らせて、渓流の縁《ふち》まで辷《すべ》り落ちた。 「…………」腰でも打ったのか、痛そうな眉をしかめていた。笠はもう、濁流に奪われて下流《しも》へながされていた。いつまでも起き上がり得ないのである。その肩へ、その顔へ、痛い痛い霰《あられ》は打つように降っている。  その高貴性のある上品な面《おも》ざしは、どこか、範宴に似ていた。似ているはず――範宴の弟、今は青蓮院にいる尋有《じんゆう》なのであった。 [#3字下げ][#中見出し]手長猿[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  むささびでも逃げるように、木の葉を騒《ざわ》めかせて崖を辷《すべ》ってきた者がある。灌木の枝と枝とを掻き分けて、ひょいと首を出したのを見ると、それは四郎の手下の蜘蛛太《くもた》であった。  もうほの暗い谷間をのぞいて、 「だめだ、ここも」と、舌打ちした。  断崖の上にはまだ大勢の人声が残っていた。降りやんだ霰《あられ》の空は星になって青く冴え返っている。そのかわりに刃《は》ものを渡るような風が出て、断崖の際《きわ》にうごいている黒々とした一群の影を吹きなぐっていた。 「蜘蛛っ」とその群れが上から呼ぶと、 「おウい……」彼は首を仰向けて呶鳴った。 「降りてきたって駄目だ。ここの淵《ふち》も、越えられそうな道はねえぞっ」蜘蛛の足もとへ、ざらざらと土が鳴って崩れてきた。彼が止めているにもかかわらず、上の者どもは藤蔓《ふじづる》にすがったり、根笹を頼りにして道もない傾斜を手長猿のように繋《つな》がって降りてくる。そして、一応渓流のあたりを俯瞰《みお》ろしてから、 「こう、雪解けで水嵩《みずかさ》が増していちゃあ、どこまで行っても、やすやす、越えられる瀬はあるものか。この辺は、川幅のせまいほうだ。なんとかして渡ってしまえ」 「そうだとも、まさか、俺たちが、溺れもしまい」蜘蛛が、先を歩いていて、 「あぶないっ!」と、また止めた。 「なんだ」 「この下は、洞窟《ほらあな》だ」 「ひさしを這《は》って歩け」 「松明《たいまつ》を点《とも》そうか」 「火はよせ」天城《あまぎの》四郎だということが声がらではっきりと分る。  暗いのでおのおのの眼ばかりが光る。手に持っている斧《おの》だの長刀《なぎなた》の刃が時々青い光を闇で放つのだった。 「松明など点《とも》して歩いてみろ、すぐ山の者が眼を瞠《みは》って、怪しむに違いねえ、どんな武家の館《やかた》でも、禁裡のうちでも、怖いと思って忍びこむ所はねえが、この叡山《えいざん》だけは気をつけないと少し怖い。なぜなれば、ここの山法師ときては、俺たち野伏《のぶせり》以上に殺伐で刃ものいじりが好きときている。のみならず、一山諸房には鐘があって、すわといえば、九十九鐘の梵音《ぼんおん》が一時に急を告げて坂本口を包んでしまう。まだ峰には雪があるから四明《しめい》へ逃げのびるにはやっかい。八瀬《やせ》へ降りては追いこまれる。めッたに大きな声も出すなよ」  盗賊でも将帥《しょうすい》たる者は一歩一歩兵法に等しい細心な思慮を費やして行かなければならない。そうして、忍びやかな自重を持つと、四郎の分別に率《ひき》いられた十四、五人の群れは、やがて断崖を下り切って、激流の白い泡が岩を噛んでいる淵《ふち》に立った。 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり]  渦、飛沫《しぶき》、狂激する水の相《すがた》。  ごうっ――と鳴って闇の中をすごい水の描線《びょうせん》が走っている。手下たちは、そこの淵まで降りたもののちょっと顔白んで腕ぐみをしてしまった。 「どうして渡るのだ、この濁流《ながれ》を」すると四郎がいった。 「樹を伐《き》れ」斧《おの》を持っていた手下の者が、 「へい」と飛びだしたが、渓谷《けいこく》である、樹は多い、どれを伐るのかと見まわしていた。  瀬にのぞんだ岩と岩とのあいだに柏樹《かしわのき》の喬木が根を張っていた。四郎は指さして、 「そいつを河の方へ、ぶっ倒せ」と命じる。 「そうだ、なるほど」斧《おの》をひっさげた二人の者が、根方へ寄って、がつんと刃《やいば》を入れた。斧の光が丁々《ちょうちょう》と大樹の白い肉片を削って飛ばした。空にそびえている梢《こずえ》と葉が、この兇猛な人間の息にかかって、星のような涙をちらして戦慄する。みりっと、ややそれが、傾《かし》ぎかけると、大勢の手が幹の背を押して、 「もう一丁、もう一丁」と斧の努力を鞭撻《べんたつ》した。  ぐわあん――と地盤の壊《こわ》れるような音がして、白い水のはねあがった光が闇をまっ二つに割った。 「しめた」と黒い群れは叫ぶ。  仆《たお》れた大樹の梢の先が、ちょうど対岸の岩磐《いわ》にまでとどいている。四郎のわらう声が高らかに動く影の間を流れた。もう先走った者どもは、架けられた喬木の梢のうえを、四つ這いになって猿《ましら》のように渡っているのだった。 「あぶねえ、静かに来い」 「ひとつ廻ると、みんな振落されるぞ」 「おッと、どっこい」ひらり、ひらりと十幾つの人影は難なく跳び移った。そして戯《ざ》れ言をかわしながらどっとそこで一つ笑うと、声もすがたも、たちまち四明颪《しめいおろし》につつまれて暗い沢の果てへ去ってしまった。  夢の中の人影を見るように尋有《じんゆう》はさっきからそれをやや離れた所からじっと見ていた。所詮《しょせん》、この激流を越える術《すべ》はなし、夜にはなったし、こよいはこの沢で落葉を衾《ふすま》にして眠るよりほかないものと霰《あられ》の白くこぼれてきた黄昏《たそが》れから木蔭におとなしい兎のような形になってうずくまっていたのである。 「おお……」思わず彼は立って巨木の架けられた淵まで歩んできた。 「この身の心をあわれみ給うて、弥陀《みだ》が架けて下された橋ではないか」彼は先に越えて行った人々の態《さま》をまねて、手と膝とでその上を這った。先の者は苦もなく一跳《ひとと》びにして行ったように見えたが、尋有にとっては、怖ろしい難路であった。樹はまだ息があるように動くし、水はすごい形相《ぎょうそう》をもって呑もうとするような飛沫《ひまつ》を浴びせる。  尋有は眼をつむって、 「御仏《みほとけ》」と硬くなって念じた。 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり]  仰ぐと、高い所に、ぼちとたった一つの燈《ひ》が見える。  宙《ちゅう》は、無数の星だったが、人間の手に点《とも》された光といえばそれ一点しか見あたらない。右を見ても山、左を振返っても山、ただ真っ黒な闇の屏風《びょうぶ》だった。 「こよいのうちに、会えればよいが――」  尋有はやっとそこの谷間を出てから心を希望へ結びなおした。なつかしい兄はもうここからほど近い飯室谷《いいむろだに》の大乗院にいる。骨肉のみが感じるひしとしたものが思慕の胸を噛んでくる。 「はやくお目にかかりたい」足はおのずからつかれを忘れていた。彼の心は真向《ひたむ》きだった、一心であった。一刻もはやく会わねばならない。会ってそして自分の誠意をもって兄の心を打たなければならない。  兄は知っているのか知らずにいるのか、今、世上の兄に対する非難というものは耳をおおうてもなお防ぐことができない。兄|範宴《はんえん》は今や由々《ゆゆ》しい問題の人となっているのである。囂々《ごうごう》として社会は兄を論難し、嘲殺し、排撃しつつあるのだ。  兄の恩師でありまた自分の師でもある青蓮院の僧正も、玉日姫《たまひひめ》の父である月輪の前関白《さきのかんぱく》も、夜の眠りすら欠くばかりに、心を傷《いた》めていることを、よもや兄も知らぬわけではあるまいに。――また、その問題も問題である。あろうことかあるまいことか、貴族の姫君と、法俗の信望を担《にな》う一院の門跡とが、恋をしたというのだ、密会をしたというのだ、しかも六波羅の夜の警吏《やくにん》に、その証拠すらつかまれているという。  尋有はじっとしていられなかった。老いたる師の体が毎夜、鉋《かんな》に削《か》けてゆくように痩せてゆくのを側目《はため》に見ても。 (こういう問題を残したまま、聖光院を捨てて、ただ御山《みやま》の奥へ、逃避されている兄がわからぬ。ご卑怯だ、いや、兄君のお為にもならぬ。このまま抛《ほう》っておいたら、世論はなお悪化するばかりではないか。玉日様を愛するならば、玉日様の立場も考えてみるがよい。師の君のお心のうちはどんなか、姫の父君の身になってみらるるがよい。どうなりと、この際、善処のお考えをなさらぬ法はあるまい。その兄が救われるならば、この自分などの一命はどうなろうがかまわぬ。どういう御相談《おはからい》でもうけてこよう、兄の胸をたたいて聞いてこよう)こう決心して、彼は、師の慈円にも黙って山へさして登ってきたのである。山へ登るについても、世人の眼にふれてはと思い、はるか鞍馬口の方から峰づたいに、山の者にも遠くから来た雲水のように見せかけつつやっと辿《たど》り着いたのだった。  だが――尋有は世上で論議しているような不徳な兄とは信じていない。兄の本質は誰よりも自分が知っている。兄は決して多情な人ではない、溺れる人ではない、そういう情涙も脆《もろ》さも多分にある人には違いないが、一面に剛毅と熱血を持っていることでは誰にも劣らない生れつきである。これと心をすえたことには断じて退《しりぞ》かない性格の人でもある。それは源家の血を多分にうけた母の子である兄の長所でもあり、またみずから苦しむところの欠点でもあって、それが兄をしていつも安穏な境遇から求めて苦難の巷《ちまた》へ追い立てる何よりの素因であると、彼は今も歩みつつしみじみ考えてみるのだった。 [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり]  この世のあらゆる音響から隔離《かくり》している伽藍《がらん》の冷たい闇の中から突然起った物音なのである。  すさまじい狼藉《ろうぜき》ぶりで、それは次から次へと、仏具や什器《じゅうき》を崩したり、家鳴りをさすような跫音《あしおと》をさせて、広い真っ暗な本堂を中心として、悪魔の業《ごう》が動き出している。  勿論、凡者《ただもの》の所業《しわざ》ではない、夕方、横川を渉《わた》って飯室谷《いいむろだに》へかかった天城四郎とその手下どもの襲ったことから始った事件であった。  洛外の蓮台野《れんだいの》の巣を立ってきた時から彼らはすでにあらかじめ大乗院を目的として来たに相違なく、四郎がまず先に立って、妻扉《つまど》をやぶって歩き、つづいて十数名の者が内陣へ入って、まず厨子《ずし》の本尊仏をかつぎだし、燭台|経机《きょうづくえ》の類をはじめ、唐織《からおり》の帳《とばり》、螺鈿《らでん》の卓、瑩《えい》の香炉、経櫃《きょうびつ》など、床《ゆか》の一所《ひととこ》に運び集める。  それを頭領の四郎がいちいち眼をとおして、 「こんな安物は捨ててゆけ」とか、これは値《ね》になるとか、道具市のがらくた[#「がらくた」に傍点]でも選《え》り分《わ》けるように分けているうちに、慾に止まりのない手下どもは、土足の痕《あと》をみだして方丈の奥にまで踏み入り、なおどこかに、黄金でもないかと探し廻って行く。  すると、ようやくこの物音を知った庫裡《くり》の堂衆が二人ほど、紙燈心を持って駈けてきたが、賊の影を出合いがしらに見て、 「わっ!」と腰をついて転んだ。 「騒ぐと、ぶった斬るぞっ」刃を突きつけると、堂衆の一人は盲目的に賊へ武者ぶりついた。他の賊があわててその堂衆の脾腹《ひばら》へ横から刃を突っこんだので、異様な呻《うめ》きをあげて床へ仆《たお》れた。 「畜生っ」と血刀をさげて、賊は逃げてゆくもう一人の堂衆を追い込んで行った。堂衆は驚きのあまり、何か意味のわからない絶叫を口つづけに喚《わめ》きながら暗い一室へ転げ込んだ。 「野郎っ」と賊はすぐ追いつめて、隅へ屈《かが》まった堂衆の襟がみをつかんだが、その時、漆《うるし》のような室内のどこかで、 「誰だ――」といった者がある。  おや? と振りかえって闇を透《す》かすように眼をかがやかせたのである。見ると、床の上に円座を敷いて、あたかも一体の坐像でもすえてあるかのように一人の僧が坐っていた。 「うぬは何だ」賊がいうと、僧は静かに、 「範宴《はんえん》である」と答えた。 「えっ」思わずたじろいで、 「範宴? 聖光院の範宴か」 「さよう」低い声のうちに澄みきったものがある。その澄みきった耳は最前からの物音を知らぬはずはないが、その態度には小波《さざなみ》ほどの愕《おどろ》きも出ていなかった。 [#7字下げ][#小見出し]五[#小見出し終わり] 「お身たちは何者か」範宴の問いに対して賊たちは賊であることを誇るように答えた。 「盗人《ぬすびと》よ」 「ほ」半眼を閉じていた眼をみひらいて範宴はまたいった。 「盗賊なれば、欲しい物さえ持って行けば、人を殺《あや》めるには及ぶまいが」 「元より、殺生はしたくないが、この堂衆めが騒ぐからよ」 「騒がぬように、わしがいい聞かせておくほどに、そちたちは、安心して、仕事をしてゆくがよい」 「こいつが、うまいことをいう。そんな古策《ふるて》に誰が乗るか。油断をさせて、鐘を撞《つ》くか、山法師どもを呼び集めてこようという肚《はら》だろう」  彼らは当然に信じなかった。そこの様子を聞いて頭領の四郎は、範宴を本堂へ連れてこいと伝えてきた。手下どもは彼の両手を捻《ね》じあげて立てと促《うなが》した。悪びれた様子もなく範宴は引ッ立てられてそこを出て行くのである。天城四郎はといえば、本堂にあって、経櫃《きょうびつ》の上に傲然《ごうぜん》と腰をおろし、彼の姿を見ると突っ立って、頭から一喝《いっかつ》をくらわした。 「いたか! なまくら坊主」そして、さらに声高に、 「そこへ、坐らせろ」いわるるまでもなく範宴はすでに坐っているのである。頭領と仰ぐ四郎の身に万一があってはと警戒するように手下どもはいったん物々しく取り囲んだが、その必要がないと見るとおのおの掻き集めた盗品を持ちやすいように包んだり束《たば》に括《から》げたりし始めた。  四郎は、範宴の眼をじっと睨まえていた。範宴もまた四郎の顔から眼をそらさなかった。大和の法隆寺に近い町の旅籠《はたご》で会った時からすでに七、八年の星霜を経ているが、その折の野武士的な精悍《せいかん》さと鋭い熊鷹眼《くまたかまなこ》とは今も四郎の容貌にすこしの変りもなかった。それと、ふしぎにもこの男は、弟の尋有の場合でも、自分の所へ襲ってきた今夜でも、何か女性《にょしょう》にからむ問題があるたびに現れてきて迫害を加えることが、あたかも約束事のようになっている。――範宴はその宿縁を思いながら四郎の影に対していた。われの懶惰《らんだ》と罪に鞭《むち》を享《う》けて弥陀《みだ》が遣《つか》わさるるところの使者であると思った。 「やいっ、範宴」四郎はまずいうのである。 「俺のつらを忘れはしまいな。きょうは返報に来たのだ。ちょうど一年目になるが、よくもいつかの夜には、俺が月輪《つきのわ》の姫を奪ってゆく途中、邪魔させたな。手を下したのは汝《おのれ》じゃないと吐《ぬか》すだろうが、汝《うぬ》の意志をもって弟子どもがやったことである以上、その返報は当然てめえにかかってくるのが物の順序だ。そこで今夜は、この大乗院の什器《じゅうき》と在金《ありがね》を残らず貰ってゆくつもりだが、何か、いいたい苦情があるか。あるならば聞いてやろう、範宴、吐《ぬ》かしてみろ」野太刀の大きな業物《わざもの》はここにあるのだといわないばかりに、左腰へ拳《こぶし》をあてて少し身を捻《ねじ》りながら睥睨《へいげい》した。  範宴の眸《ひとみ》はまだ四郎の面《おもて》を正視したきりであった。そして静かにいった。 「欲しいものは、それだけか」 [#7字下げ][#小見出し]六[#小見出し終わり] 「まだある!」押しかぶせるように四郎は右の肩を上げていった。 「おれは天下の大盗だ。盗賊の慾には限りというものがない。汝《うぬ》の生涯につきまとうて、汝《うぬ》を囮《おとり》に財宝を集めさせてはせびりに来る。今夜は初手の手付《てつけ》というものだ」 「生涯、この範宴から財をしぼるというか」 「おれは、貴様の弱点を握っているからな。――いやともいえまい」 「さように財物を集めておもとはいったい何を築きたいのか」 「死ねば、おさらばを告げるこの世に、物を築いて置く気などはさらさらない。みな、飲む、買う、耽《ふ》ける、あらゆる享楽にして、この一身を歓《よろこ》ばせるのだ」 「歓ばせて、どうなるか」 「満足する」 「それは、肉体がそう感じるだけのもので、心は、その幾倍もの苦しみや、空虚を抱きはせぬか。人間は、霊と肉体とのふたつの具現じゃ。肉のみに生きている身ではない」 「小理窟は嫌いだ、理窟をいってるやつに一人でも幸福そうに生きている者はない。とにかく俺はその日その日が面白くあればいい、したいことをやって行く」 「あわれな男のう」 「誰が」 「お汝《こと》じゃ」 「わはッはははは」四郎は高い天井の闇へ洞然《どうぜん》と一笑をあげて、 「こいつが、てめえ自身の不倖《ふしあわ》せも知らずに、俺を不愍《ふびん》だといやがる」かた腹が痛そうにしていったが、ふと、範宴の一語が頭の隅で気になるらしく、 「おれのどこが、あわれなのか、あわれらしいのか、いってみろ」 「おもとのような善人が、会うべき御法《みのり》の光にも浴さず、闇から闇を拾うて生きていることの、何ぼう不愍にも思われるのじゃ」 「やいっ、待て」四郎は大床を一つ踏み鳴らして、 「おれを善人だと」 「されば、そういった」 「すこし気をつけてものを吐《ぬ》かせ。この天城四郎を善人だといった奴は、天下に汝《うぬ》をもって嚆矢《こうし》とする。第一、俺にとって大なる侮辱だ。おれは悪人だ、大盗だ」威丈《いたけ》だかに彼がいうのを冷寂《れいじゃく》そのもののような容姿《かたち》でながめ上げながら、範宴は、片頬にうすい笑《え》くぼをたたえた。 「おもとは弱い人間じゃ。偽悪の仮面《めん》をつけておらねば、この世に生きていられないほどな――」 「偽悪だと。ふざけたことをいえ、俺の悪は、本心本性のものだ。人のうれいを見て欣《よろこ》び、人の悲しみや不運を作って自分の快楽とする。自分一つの生命《いのち》を保つためには、千人の人間の生命を殺《あや》めてもなお悔いを知らぬ。かくのごとく天城四郎は、無慈悲だ、強慾だ、殺生ずきだ! そして、女を見れば淫《みだら》になり、他人の幸福を見れば呪詛《じゅそ》したくなる。――これでも俺を善人というか」 「まことに、近ごろめずらしい真実の声を聞いた。話せば話すほど、おもとはいつわらぬよいお人じゃ」 [#7字下げ][#小見出し]七[#小見出し終わり]  四郎は自分が世に隠れなき大悪の張本人であることをもって誇りとしているのである。しかるに、今夜の相手は、自分の兇悪ぶりに対して、一向に驚かないのみか、自分を目《もく》して、素直だといい、正直者だといい、善人だという。  これでは、天城四郎たる者の沽券《こけん》はない。彼は足蹴にされたよりも大きな侮辱を感じて、いちいち範宴のことばに腹が立った。ことばすずしく自分を揶揄《やゆ》するものであると取って、 「やかましいっ」と最後には大喝を発して、顔にも、肩にも、腕にも、怒りの筋肉をもりあげ、全身をもって悪形《あくぎょう》の威厳を示した。 「おれを、賞《ほ》めそやしたら、おれが喜ぶとでも思っているのか。甘くみるな。そんな生やさしい人間とは人間のできがちがう。四の五はよいから、金を出せ」 「この無住にひとしい官院に、黄金《こがね》があろうわけはない」 「家探《やさが》しするぞ」 「心すむまでするがよい」 「それ、探してこい」手下どもへ顎《あご》を振って、四郎は再び範宴を監視した。  終始、範宴の姿なり面《おもて》からはなんの表情もあらわれなかった。四郎との一問一答がやむと、睫毛《まつげ》が半眼をふさぐだけのことだった。散らかって方丈へなだれ込んだ手下たちは、やがて戻ってきて、範宴の室《へや》から一箇の翡翠《ひすい》の硯屏《けんぺい》と堆朱《ついしゅ》の手筥《てばこ》とを見出してきただけであった。金はなかったけれど、その翡翠の硯屏は、四郎の慾心をかなり満足させたらしい。 「寺には、こういう代物《しろもの》があるからな」と見恍《みと》れていた。そしてすぐ、 「引き揚げよう。そこいらの物を引っ担いで先へ出ろ」と命じた。  手下たちは、めいめい盗品を体につけて本堂の外へ出た。四郎は、動かしかけた足を回《かえ》し、最後の毒口をたたいた。 「範宴、また来るぞ」鏃《やじり》のような鋭い彼の眸に対して、範宴の向けた眼《まな》ざしは春の星のように笑っていた。 「オオ、また参るがよい」 「ふふん……負惜しみのつよい男だ。人もあろうに、俺のような人間に、女犯《にょぼん》の証拠をにぎられたのが汝《てめえ》の災難。一生末生、つきまとって金をせびるものと観念しておけよ」 「ふかいご縁じゃ。いつかはこの浅からぬ宿縁に、法《のり》の華《はな》が咲くであろうよ」 「まだ囈言《たわごと》を吐いていやがる。おれの悪を偽面とぬかしたが、汝《てめえ》も、聖《ひじり》めかしたその偽面を、ぬぎ捨てて、凡下《ぼんげ》は凡下なりに世を送ったほうが、ずんと気が楽だろうぜ。はははは、坊主に説教は逆さまだが、俺の経文《きょうもん》は生きた人間へのあらたかな極楽の近道なのだ。……どれ、だいぶ寒い思いをしたから、今夜は八瀬の傾城《けいせい》に会ってその極楽の衾《ふすま》に、迦陵頻伽《かりょうびんが》の声でも聞こう。おさらば」  盗賊の習性として、現場を退《ひ》く時の身ごなしは眼にもとまらないほど敏捷《びんしょう》であった。廻廊へ出たと思うと、四郎の影も、手下どもの影も、谷間を風に捲かれて落ちる枯葉のように、たちまち、その行方を掻消《かきけ》してしまう。  さっきから歯の根もあわず、縁の柱の蔭にすくんでいた尋有は、悪夢をみているような眼でそれを見送っていた。 [#3字下げ][#中見出し]九十九夜[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  魔の荒して行った伽藍《がらん》のひろい闇を、その後の惨たる泥足の跡を、冷たい風がふきぬけていた。  尋有《じんゆう》はいつまでもからだの顫《ふる》えがとまらなかった。脚ぶしをがくがくさせて、廻廊の扉口《とぐち》から大床のうちを覗《のぞ》いた。  一点の灯《あか》しもない。いるのかいないのか範宴《はんえん》のすがたも見えない暗さである。尋有は這うように進んで行った。――と、賊が捨てて行った経巻が白蛇のように解けて風にうごいている。その側に、坐っている者の影が見えた。 「兄君ッ……」つき上げて出た声だった。範宴のほのかに白い面《おもて》がじっと自分のほうへ向いたことがわかると、尋有は跳びついて兄の膝にしがみついてしまった。 「おっ! ……」愕《がく》とした兄の手が尋有の背をつよくかかえた。かかえる手もかかえられる手も氷のようだった。ただ、範宴の膝をとおす弟の涙ばかりが熱湯のようにあつい。そして、範宴は弟が何のために山へ来たかを、また尋有は兄が自分の姿をどう心の裡《うち》で見ているかを、何もいわないうちに分ってしまったような気がするのであった。兄を責めるとか諫《いさ》めるとかいうようなことはみじん[#「みじん」に傍点]も忘れ果てて、ただ、肉親の情涙の中に泣き濡れていることだけで満足を感じてしまった。 「よう来たのう、道にでも迷うてか、この夜更けに入って――」 「兄君……」とだけで、尋有は舌がつってしまう。何もいえないのだ。ただなつかしいのだった。 「寒かろう、それに飢《ひも》じいであろう。はての……なんぞ温い食べ物でもあればよいが」 「いいえ、私は、飢《ひも》じいことはありません。何もいりません。……それよりは、どこもお怪我《けが》なさいませんか」 「なんで?」 「天城四郎のために」 「…………」黙って、微笑して、範宴は顔を横に振って見せる。まるで他人事《ひとごと》のようにである。  尋有は、兄の膝から顔を離し、兄の手をつよくつかんだ。 「ご存じですか。世間の声を、都の者の喧《やかま》しい非難や論議を」 「うむ……」 「師の君の御苦境やら、また、姫のお父君でおわす月輪様の御心痛も」 「……知っておる」 「すべてをご存じですか」 「この山にいても、眼にみえる、心に聞える、身はふかく霧の扉《と》にかくれても、心は俗界の迷路からまだ離れきらぬためにの。――そんなことではならないのだ、今のわしは、今の範宴は」  つよい語尾であった。尋有はこの期《ご》になっても屈しない兄の厳《おごそ》かな眉にむしろ驚くのだった。会うごとに兄の性格が高い山へ接してゆくように、深く嶮《けわ》しく、そして登れば登るほど高さが仰がれてくる心地がするのである。 「心配すな、それよりは寝《やす》め。――わしの室《へや》へきて」静かに立った時、堂衆の紙燭《しそく》が、奥のほうでうごいていた。 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり]  眼をとじてもいつまでも眠りに入れない尋有であった。  兄は自分を寝《やす》ませておいてどこかへ出て行った。廊下で堂衆の寒さにふるえているような声がきこえる。堂衆のうちで賊に斬られた者があるというから、その男の手当やら後の始末をしているのであろう、微かな物音が更けるまで庫裡《くり》に聞えた。  それが止むと、やがて範宴はそっと室へ帰ってきた。尋有は自分の寝顔をさしのぞいている兄の容子《ようす》を感じながら眠ったままに装っていた。兄もすぐ側に眠るであろうと考えていたのである。ところが範宴は法衣《ころも》の紐《ひも》をしめ直したり、脚絆《きゃはん》を当てたりして、これから外へでも出るような身仕度をしているのだった。 (今ごろ?)と尋有は怪しんで冴えた心になっていた。ふっと、息《いき》の音《ね》がしたと思うと、短檠《たんけい》の燈《ひ》は消えていた。寝ている者の眼をさまさせまいとするように、しのびやかな跫音《あしおと》が室を出て、後を閉めた。 「はて……? いずこへ」尋有は起き直った。  しばらくためらっていたがどうしても不安になった。あわてて、枕の下へ手を入れる、そこらに脱いでおいた法衣《ころも》を体に着ける。  外へ出た。彼方《あなた》を見、此方《こなた》を見廻したが、もう兄のすがたは見えない。山門の方まで駈けてみる。そこにも見えないのである。  峰と峰とのあいだの空が研《と》がれた鏡のように明るかった。寒さは宵とは比較にならない、この寒気《かんき》を冒《おか》して、この深夜をこえて、兄は一体どこへ出て行ったのか。  翌《あく》る朝になってみると、兄は、自分のそばに法衣《ころも》も解かずに寝ていた。眠る間があったのだろうか、さりげなく朝の食事はひとつ座に着いて喫している。 「兄君、ゆうべあれから、どこかへお出になりましたな」 「うむ、行った」それきりしか問わなかったし、それきりしか答えもしない。範宴はすぐ斎堂《さいどう》を立って、 「わしは、ずっと、黙想を日課にしておる。行室《ぎょうしつ》におるあいだは、入ってくれるな」といった。  昼間は、顔をあわす折もないし、夜はまた、ただ一人でどこかへ範宴が出て行ってしまう。一夜も、欠かした様子がない。  山へかくれた去年から今年への間に、範宴の心境は幾たびとなく苦悶のうちに転変していた。死を決して、食を断《た》ったという噂も事実であろう。この寂土《じゃくど》から現実の社会を思って、種々《さまざま》な自分を中心として渦まくものの声や相《すがた》を、眼に見、耳に聞き、生きながら業火《ごうか》の中にあるような幾月の日も送っていたに違いない。そうして今は何か一《ひと》すじに求めんとするものへ向って、夜ごとにこの大乗院を出ては、朝になると帰ってくる彼であった。 「今夜こそ、そっと、お後を尾《つ》けて行ってみよう」尋有は、兄の行動を、半ばは信じ、半ばは世間のいう悪評にもひかれて、もしやという疑いをふと抱いた。 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり]  その晩、尋有は先に臥床《ふしど》を出て、大乗院の外に忍んでいた。  ぽつ――と冷たいものが頬にあたった。雨である。しかし、雲が明るい、綿のような雲が翔《か》けている。 「降らねばよいが」夜ごとにこの闇を歩む兄の身を思いやって祈るのだった。  静かな跫音《あしおと》が今山門を出て行った。範宴である。勿論気づいているはずはない、尋有はその後から見え隠れに兄の影を追って行くのだった。  昼ですら危険の多い横川の谷間を、範宴は、闇を衝いて下って行く。なにか、赫々《かっかく》とした目的でもあるような足だ。むしろ尋有のほうが遅れがちなのである。  渓流にそって、道は白川へ展《ひら》けている。そのころから風が変って、耳を奪うような北山|颪《おろし》に、大粒な雨がまじって、顔を打つ、衣を打つ。  すさまじい空になった。黒い雨雲がちぎれて飛ぶ間に、月の端が、不意に顔を出すかと思うと、一瞬にまたまっ暗になった。がらっと鳴る水音は、絶えず足もとを脅《おびや》かすのである。尋有はともすると見失いそうな先の影に、喘《あえ》ぎをつづけていた。  草鞋《わらじ》の緒《お》でも切れたのではないか。範宴は浄土寺の聚落《むら》あたりで、辻堂の縁にしばらく休んでいた。禅林寺の鐘の音が、吠える風の中で二更《にこう》を告げた。 「この道を? ……いったいどこへ行こうとなさるのか」いよいよ、兄の心が尋有には謎だった。粟田山の麓《ふもと》から、長い雑木林の道がつづく。水をもった落葉を踏んで飽かずに歩むと、やがて、黒い町の屋根が見え、三条磧《さんじょうがわら》の水明りが眼の前にあった。  河はもうこの一降《ひとふ》りで水量《みずかさ》を増していた。濁流が瀬の石に白い泡を噛んでいる。五条まで下がれば橋はあるが、範宴は浅瀬を見まわしてそこを渡渉《こえ》て行こうとする。 「あ、あぶない」尋有は、自分の危険をわすれて、河の中ほどまで進んだ兄の姿に気をとられていた。法衣《ころも》のすそを高くからげても、飛沫《しぶき》は腰までかかるのだった。それに、この水の冷たさはどうだろう。尋有は歯をかみしばって、一歩一歩、河底の石を足の爪先で探りながら歩いた。  と――砂利でも掘ったような深い底へ、尋有は足を踏み入れた。あっ――と思った時はもう迅い水が喉首《のどくび》を切って流れていた。 「兄君――」思わず尋有は叫んでしまった。そして、四、五間ほど流されて、水面に手をあげた時、範宴は水煙《みずけむ》りを上げて、彼の方へ駈け戻ってきた。 [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり] 「尋有っ」眼の前に伸ばしてきた範宴の手へ、尋有は、両手ですがりついた。 「兄君」 「よかった。怪我はせぬか」 「い、いいえ」唇は紫いろになっていた。声もふるえて出ないのである。 「手を離すな」範宴は、濡《ぬ》れ鼠《ねずみ》になった弟を抱えて、河原へ上がった。 「寒かろうが、行く先まで怺《こら》えておれ」すぐ堤を越えて、また歩いた。三条の大路をまっ直ぐ西へ。  一叢《ひとむら》の森がある。頂法寺《ちょうほうじ》の境内だった。そこの六角堂へ来ると、範宴は、堂の一隅に置いた櫃《ひつ》の中から、肌着と法衣《ころも》を出して、弟に着かえさせた。  尋有は、縁の床《ゆか》に手をついたまま、いつまでも面《おもて》を伏せていた。 「おもと、なにを泣いているか」 「自分が恥かしいのです」 「なぜ」 「私までが、世評に耳を惑わされて、実は、兄君をお疑い申しておりました。それで、今夜は、お行き先を見届けようと、お後を尾《つ》けて来ましたところ、兄君の夜ごとのお忍びは、この六角堂にご参籠のためと分りました」 「叡山《えいざん》から三里十六町、この正月の十日から発願《ほつがん》して、ちょうど今宵で九十九夜になるのじゃ、お汝《こと》の案じてくれるのもわかっておる、また、師の僧正を初め、月輪殿の御心痛のほども、よう汲んではおるが、範宴が今の無明海《むみょうかい》をこえて彼岸《ひがん》に到るまでは、いかなる障碍《しょうげ》、いかなる情実にも邪《さまた》げられぬと武士が阿修羅に向うような猛々しい心を鎧《よろ》うて参ったのだ。そのために、この六角堂へ参籠のことも、誰にも告げず、ただ、深夜の天地のみが知っていた。お汝《こと》が、大乗院からわが身の後に慕うて来たことも、知らぬではなかったが、すでに九十九夜になる今宵のことゆえ、打ち明けてよかろうと、また、師の僧正にも、範宴はかくのごとくまだ無明海にあることをお汝《こと》の口から告げてもらいたい。――しかし必ずとも、永劫《えいごう》の闇にやわかこのままに溺れ果つべき。必ずやこの身が生涯のうちにはこの惑身《わくしん》に、玲瓏《れいろう》の仏光を体得して、改めて、今のお詫《わび》に参ずる日のあることを誓って申し添えておいてくれい、……よいか、わかったか尋有」 「はい……。よく分りました」 「わかってくれたら、早う帰れ、青蓮院の師のもとへ帰れ。それまでは、この兄もあると思うな。ただ、天地の大きな力と、御仏《みほとけ》の功力《くりき》を信じておれ。ことに、お汝《こと》は肉体が弱い、せめて、安らかな心のなかに住むことを心がけて下されい」範宴はひざまずいて、弟の胸へ向って掌《て》を合わせた。 [#7字下げ][#小見出し]五[#小見出し終わり]  ふかい樹立《こだち》が静寂《しじま》の闇と漆《うるし》を湛えたような泉の区域を囲んでいた。六角堂のすぐ裏にあたる修学院の池である。  そこに、この真夜中《まよなか》、水音がしていた。裸体になって水垢離《みずごり》をとっている者がある。白い肌がやがて寒烈な泉に身を浄《きよ》めて上がってきた。  範宴だった。寒いといっても、このごろはもう樹の梢《こずえ》にも霜がないが、彼がこの六角堂の参籠を思い立った一月上旬のころには、この池には夜ごとに薄氷が張っていたものであった。その氷を破って全身を八寒のうちに没して、あらゆる妄念《もうねん》を洗って後、御堂《みどう》の床《ゆか》に着くのだった。  ――それが今宵で九十九夜も続いた。よくこの肉体がつづいたと彼は今も思う。  しかし、行《ぎょう》は、行のための行ではない。出離生死《しゅつりしょうじ》の妄迷を出て彼岸《ひがん》の光明にふれたい大願に他《ほか》ならない。九十九夜の精進が果たして仏の御心《みこころ》にかなったろうか。  凍《こご》える身を拭いて、範宴は白い浄衣を肌に着、少僧都の法衣《ほうえ》を上に纒《まと》った。そして、六角堂の扉《と》を排《お》しながらはっと思った。 「百夜はおろか、二百夜、千夜、出離の御功力《みくりき》をたまわるまでは、振り向いてはならぬ。まだ真向《まむき》にこの御扉《みとびら》のうちへこそ向え」  自分を叱咤して、精舎《しょうじゃ》の扉《と》を排した。  床に坐る。一点の御灯《みあかし》を霊壇《れいだん》の奥に仰ぐ。――範宴は、ここに趺坐《ふざ》すると、弱い心も、強い心も、すべての我《が》が溶けてくるのを感じる。そして肉体を忘れる。在るのは生れながらの魂のみであった。人間とよばるるあわれにも迷いの多い一箇のものだけであった。 「南無《なむ》、如意輪観世音菩薩《にょいりんかんぜおんぼさつ》」合掌をこらして、在るがままに在るうちに、我ともあらぬものが満身の毛穴から祈念のさけびをあげてくる。 「――仏子《ぶっし》範宴、人と生れてここに二十九春秋、いたずらに国土の恩に狎《な》れて長じ、今もって、迷悟を離れず悪濁《おだく》の無明《むみょう》にあえぎ、幾たびか籠り幾たびか彷徨《さすら》い、ひたすら行道のあゆみを念じやまぬ者にはござりまするが、愚かや、山を降りては世相の謎《なぞ》に当惑し、愚痴《ぐち》貪欲《どんよく》に心をいため、あまつさえ、仏陀の誡《いまし》めたもう女人に対しては、忘れんとしても、夢寐《むび》の間も忘れ得ず、仏戒の力も、おのれの力も、それを制圧するに足らず、日々夜々の妄魔《もうま》との戦いに、あわれ心身も蝕《むしば》まれて滅びんとしている愚か者がこの範宴であります。一度《ひとたび》は、死なんといたしましたが、死に赴くも難《かた》く、生《しょう》を願うては煩悩の濁海にもてあそばれているのみ。あわれ、救世菩薩《ぐぜぼさつ》、わが行く道はいずくに在るか。示したまえ! 出離生死の大事を! これ、一人の範宴にとどまる悩みではありません。同生《どうしょう》の大衆のために、われら人間の子のために」  いつか涙の白いすじが、彼のすさまじい求法《ぐほう》の一心を焚《た》いている眸《ひとみ》から溢れて、滂沱《ぼうだ》として頬にながれ落ちるのであった。 [#7字下げ][#小見出し]六[#小見出し終わり]  雨に洗われた路面は泥濘《でいねい》をながして白い小石が光っていた。樹々の芽がほの紅くふくれ、町の屋根にはうすい水蒸気があがっている。  範宴は、歩いていた。生々《せいせい》とした朝の町に、彼の顔だけが暗かった。力も、目標もない足つきだった。 「この大願が解決されねば、生きているかいはない」と思いつづけていた。  ゆうべは、宵の騒ぎで、すでに大乗院を出る時刻が遅かったので、けさは、六角堂で夜が明けてしまったのである。もうこうして、ひたむきに山から通うことも昨夜で九十九夜になる。 「何を得たか?」範宴は、依然として、十万暗黒のうちに自分の衰えつかれた姿を見出すだけだった。往来の人とぶつかっても気がつかない、輿《こし》を荷担《にな》ってくる舎人《とねり》に呶鳴られても気がつかない、物売りの女が怪しんで、気狂《きちが》いらしいと指さして笑っているのも気がつかない……。  今朝の彼は、気狂い僧と見られても無理がなかった。法衣《ころも》は、ゆうべの雨で河水に濡れてまだよく乾いてもいないのをそのまま着ていた。その裾《すそ》も破れているし、足はどこで傷ついたのか血を滲《にじ》ませているのである。時々、辻へ来て、はっと上げる眼ざしは、うつつで、底光りがして、飛び出しそうな熱をもって、無心な者はぎょっとする。  だが、彼の姿を、往来の誰もが、そこらにうろついている物乞い僧と同一視していたのは、むしろ幸いといわなければならない。なぜなら、もし、聖光院の門跡《もんぜき》範宴|少僧都《しょうそうず》が、そんな身装《みなり》をして、この朝まだきに町の中を通っているのを見つける者があったら、さなきだに今、彼の行方は社会の問題になっているし、月輪の姫との恋愛沙汰なども、喧《やか》ましくいわれているところなので、たちまち、 (破戒僧がいた) (範宴少僧都があるいている)と、興味や蔑《いや》しみの眼《まなこ》があつまってきて、彼の姿を見世物のように人が見に集まってきたかも知れないのである。  そういう実は危険な往来であったが、範宴その人は、少しも、それには意《こころ》をつかっていない。――ただ、求法《ぐほう》のもがきだけだった。今の闇を脱する光明をつかみたい。出離生死の大事――それにのみ全能はかかっている。 「ああ」四条の仮橋の欄《らん》を見ると、綿のようにつかれた体は、無意識にそれへ縋《すが》った。夜来の雨で、加茂川は赤くにごっていた。  濁流の瀬は逆《さか》まいて白い飛沫《しぶき》をあげていた。折角、萌《も》えかけた河原の若草も、可憐な花も、すべてその底に没している。ちょうど、彼自身の青春のように。 「もし……。あなたは、範宴少僧都ではありませんか」ふいに誰か、彼の肩をうしろから叩く者があった。人の多い京の往来である。ついに、彼の顔を見知っている者に出会ってしまった。 [#7字下げ][#小見出し]七[#小見出し終わり] 「これは、おめずらしい」と、その人はいった。  範宴は、橋の欄《らん》から振向いて、 「お、あなたは」 「ご記憶ですか、安居院《あごい》の法印聖覚《ほういんしょうかく》です」 「覚えております」 「意外なところで……」と法印はなつかしそうに眼を細めた。  磯長《しなが》の聖徳太子の廟《びょう》に籠って厳寒の一夜を明かした折に、そこの叡福寺《えいふくじ》に泊っていた一人の法印と出会って、互いに、求法《ぐほう》の迷悟と蝉脱《せんだつ》の悩みを話しあって別れたのは、もう十年も前のことである。その折の旅の法印が、今も相変らず、一杖一笠《いちじょういちりゅう》の姿で洒脱《しゃだつ》に眼の前で笑っている。安居院の聖覚なのである。 「しばらくでしたなあ。――いろいろご消息は聞いているが」と、法印は範宴の眉を見つめていった。 「お恥かしい次第です」範宴はさし俯《う》つ向《む》いて、 「磯長《しなが》の太子廟で、あなたに会った年は、私の十九の冬でした。以来十年、私はなにをしてきたか。あの折も、仏学に対する懐疑で真っ暗でした。今も真っ暗なのです。――いやむしろ、あのころのほうがまだ、実社会にも、人生の体験も浅いものであっただけに、苦悶も、暗い感じも、薄かったくらいです。自分ながら時には暗澹として、今も、加茂の濁流を見ていたところなのです。私のような愚鈍は、所詮《しょせん》、死が最善の解決だなどと思って……」  そういう淋しげな、そして、蒼白い彼の作り笑顔《えがお》を見て、法印は礼拝するような敬虔《けいけん》な面持ちをもって、 「それが範宴どのの尊いところだと私は思う。余人ならば、それまでの苦闘を決してつづけてはいないでしょう。たいがいそれまでの間に、都合のよい妥協《だきょう》を見つけて安息してしまうものです。あなたが他人《ひと》とちがう点は実にそこにあるのだ」 「そういわれては、穴へも入りたい心地がします。すでに、世評にもお聞き及びでしょうが、私という人間は、実に、矛盾《むじゅん》だらけな、そして、自分でも持てあます困り者です。その結果、がらにもない求法《ぐほう》の願行《がんぎょう》と、実質にある自分の弱点が呼んだ社会的な葛藤《かっとう》とが、ついに、二進《にっち》も三進《さっち》もゆかない窮地へ自分を追い込んでしまい、今ではまったく、御仏《みほとけ》からは見離され、社会からは完全に葬りかけられている範宴なのです。まったく、自業自得と申すほかはありません」  夜来|一椀《いちわん》の水も喉へとおしていない彼の声は、乾《から》びていて、聞きとれないくらいに低い。しかしその音声《おんじょう》のうちには烈々と燃ゆる生命の火が感じられ、そして、みずからを笑うがごとく、嘲《あざけ》るがごとく、またなおこのまま斃《たお》れてしまうことを無念とするような青年らしい覇気と涙がその面《おもて》をおおっていた。 「お察しする」と、法印は呻《うめ》くようにいって、同情に満ちた眼で、範宴の痩せて尖《とが》った肩に手をのせていった。 「立ちどまっていては、人目につく。歩きながら話しましょう」 [#7字下げ][#小見出し]八[#小見出し終わり]  肩を並べて、二人は歩みだした。四条の橋を東へ渡りかけて、 「法印、あなたは、西の方へお渡りのところではありませんか。こう行っては、後へ戻ることになりましょう」範宴が、ためらうと、安居院《あごい》の聖覚は、首を振って、 「何、かまいません。友が生涯の彼岸《ひがん》に迷っていることを思えば、一日の道をもどるくらい、何のことでもありません」そういいつつ、歩む足も言葉もつづけて、 「今、あなたの真摯《しんし》な述懐を聞く途端に、私の頭へ閃めいたものがあります。それは、きっとあなたに何らかの光明を与えると思う」 「は、……何ですか」 「範宴どのは、黒谷の吉水《よしみず》禅房に在《お》わす法然《ほうねん》上人にお会いになったことがありますか」言下に範宴は答えた。 「かねて、お噂は承っていますが、まだ機縁がなく、謁《えっ》したことはございません」 「大きな不幸ですな」と法印はいった。 「ぜひ、一度、あの上人にお会いになってごらんなさい。私がここで、その功力《くりき》を百言で呶々《どど》するよりは、一度の御見《ぎょけん》がすべてを、明らかにするでしょう。私も初めのほどは、ただ奇説を唱える辻の俗僧とぐらいにしか思わないで、訪れを怠っていましたが、一度、法然|御房《ごぼう》の眉を仰いでからというものは、従来の考えが一転して、非常に明るく、心づよく、しかも気楽になりました。なぜもっと早くにこの人に会わなかったのかと機縁の遅かったことを恨みに思ったほどでした。ぜひあなたも行ってごらんなさい」熱心にすすめるのだった。  黒谷の念仏門で、法然房《ほうねんぼう》の唱道している新宗教の教義や、またそこに夥《おびただ》しい僧俗の信徒が吸引されているという噂は、もうよほど以前から範宴も耳にしていることであって、決して、安居院《あごい》の聖覚の言葉が初耳ではなかった。  けれど、法印も今告白したとおり、在家|往生《おうじょう》とか、一向念仏とか、易行《いぎょう》の道とか、聞く原理はいわゆる仏教学徒の学問の塔にこもって高く矜持《きょうじ》している者から見ると、いかにも、通俗的であり、民衆へ諂《おもね》る売教僧の看板のように見えて、そこの門を訪ねるということは、なにか、自己の威権にかかわるような気のしていたものである。  ことに、凡《ただ》の学徒や究法の行者とちがって、生きるか死ぬかの覚悟で、まっしぐらに大蔵の仏典と人生の深奥に迷い入って、無明《むみょう》孤独な暗黒を十年の余も心の道場として、今もなお血みどろな模索《もさく》を続けている範宴にとっては、そういう市塵《しじん》や人混みの中に、自分の探し求めているものがあろうなどとは絶対に思えなかったのである。吉水の禅房と聞き、黒谷の念仏門と聞き、法然房源空と聞き、幾たびその噂が耳にふれることがあっても、まるで他山の石のような気がしていたのであった。それが今――今朝ばかりは―― 「お! 黒谷の上人」何か、胸の扉をたたかれたような気がした。 「ぜひ、行ってご覧なさい」法印は、重ねてすすめた。そして、別れて立ち去った。 「黒谷の上人」範宴はつぶやきつつ、後を見た。もう法印の姿は往来に見えない。頂法寺の塔の水煙《すいえん》に、朝の陽《ひ》がちかと光っていた。 「法然――。そうだ法然御房がいる」九十九日目の明けた朝であったのも不思議といえば不思議である。如意輪観世音《にょいりんかんぜおん》の指さし給うところか、範宴はすぐ心のうちで、 (行こう!)と決心した。 [#3字下げ][#中見出し]離山《りざん》[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  どこに臥《ふ》し、どこに食を得ていたか、ここ数日の範宴《はんえん》の所在はわからなかったが、あれから叡山《えいざん》へは帰っていないことと、洛内《らくない》にいたことだけは確実である。  粟田山《あわたやま》の樹々は、うっすらと日ごとに春色を加えてきた。黒谷の吉水《よしみず》には、夜さえ明ければ、念仏のこえが聞えやまなかった。信徒の人々の訪れては帰る頻繁な足に、草原でしかなかった野中はいつのまにか繁昌な往来に変っていた。  その人通りの中に範宴のすがたが見出された。  勿論、彼を範宴と知る者はなかった。安居院《あごい》の法印のように、よほど記憶のよい人か、親しい者でなければ、その笠のうちをのぞいても気がつくまい。 (どこの雲水か)と、振りかえる者もない。  女も老人《としより》も、子供も、青年《わかもの》も通る。その階級の多くは元より中流以下の庶民たちであるが、まれには、被衣《かずき》をした麗人もあり、市女笠《いちめがさ》の娘を連れた武人らしい人もあった。また、吉水禅房《よしみずぜんぼう》の門前の近くには、待たせてある輦《くるま》だの輿《こし》だのもすえてあった。  範宴は、やがて、大勢の俗衆と共に、そこの聴聞《ちょうもん》の門をくぐってゆく。法筵《ほうえん》へあがる段廊下の下には、たくさんな草履だの、木履《ぼくり》だの、草鞋《わらじ》だのが、かたまっている。彼もそこへ穿物《はきもの》を解き、子の手をひいて通る町の女房だの、汗くさい労働者だの、およそ知識程度のひくい人々のあいだに伍して、彼もまた、一箇の俗衆となって聴法の床に坐っていた。  こうして、範宴がここへ来る願いは、まだ法然上人に会って、心をうち割ってみるとか、自分の大事についてただしてみるとかいうのではなくて、自分もまず一箇の俗衆となって、これだけの民衆をすがらせている専修念仏門の教義を、学問や小智からでなく、凡下《ぼんげ》の心になって、素直に知ってみたいと思うのであった。  四条の畔《ほとり》で、安居院《あごい》の法印《ほういん》からいわれた示唆《しさ》は、今もまだ耳にあって、天来の声ともかたく信じているのであるが、範宴には、いきなり法然の門へ駈けこんで、唐突に上人に会ってみるより、上人の唱える念仏門が何であるか、それを知ってから改めて訪れるべきだと考えられた。また、従来の自分というものを深く反省《かえりみ》てみると、学問に没しすぎてきたため、学的にばかり物を解得《げとく》しようとし、どんな教義も、自分の学問の小智に得心がゆかなければうけ取ることができない固執をもっていた。理論に偏しすぎて、実は、理論を遊戯していることになったり、真理を目がけて突きすすんでいると思っていたのが、実は、真理の外を駈けているのであったりしてきたように思われていたのであった。――で、この期《ご》にこそ、まず自分の小智や小学やよけいな知識ぶったものを一切かなぐり捨てて、自分も世間の一凡下《いちぼんげ》でしかないとみずから謙虚な心に返って、この説教の席にまじって、耳をすましているのであった。 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり]  十日ほど、範宴は通った。  そのあいだに、一般の聴法者のあつまりには、法然上人のすがたは、いちども、説教の座に見られなかった。 「お風邪《かぜ》をひいて、臥せっていらっしゃるのだそうだ」信徒の人々のうわさだった。  で、教壇には、法然|直門《じきもん》の人々がこもごもにあらわれて、念仏の要義を、極めてわかりやすく、しかも熱心に説くのだった。  その中には、他宗にあって相当に名のあった学徒たちが、顕密諸教の古い殻《から》から出て、この新しい宗祖の下《もと》に集まって来ている者も尠《すく》なからずあった。  西仙房《さいせんぼう》の心寂《しんじゃく》、聖光房《しゃっこうぼう》の弁長《べんちょう》、また空源《くうげん》とか、念阿《ねんあ》とか、湛空《たんくう》などの人たちは、範宴も以前から知っている顔であった。  また、鎌倉殿の幕府うちでも、武名の高い坂東武者の熊谷直実《くまがいなおざね》、名も、蓮生房《れんしょうぼう》とあらためて、あの人がと思われるような柔和な相をして、円頂黒衣《えんちょうこくえ》のすがたを、信徒のあいだに見せているのも眼についた。 「ここの壇《だん》こそは、生きている声がする」  範宴は、一日来ると、必ず一つ感銘を抱いて帰った。世間そのものの浄土を見て帰った。 「もし! ……」ぞろぞろと禅門から人々の帰って行く折であった。老婆と幼子《おさなご》とを門前にのこして、範宴の後をついてきた商人《あきゅうど》の妻らしい女が、 「もしや、範宴さまではございませんか」と後ろから呼んだ。 「どなたです」 「お見わすれでしょう」と女はわらう。範宴は、女の笑顔《えがお》に、 「おお、梢《こずえ》どのか」と驚いていった。  弟の尋有の今の姿が、すぐ梢の変りきった眼の前の姿と心のうちで比べられた。二人の恋ももう遠い過去のものであった。天城四郎にかどわかされて後のこの女の運命を思わないこともなかったが、こんなに幸福な陽《ひ》の下で見られようとは想像もしていなかったことである。 「あのせつは、ご心配をおかけいたしましたが、今では、小《ささ》やかですが、穀商人《こくあきゅうど》の内儀《ないぎ》になり、子どもまでもうけて、親どもと一緒に暮らしております。よそながら、お噂もうかがって、いつも蔭ながらご無事をおいのりしておりましたが、ここでお目にかかれましたのも、ありがたいお上人様のおひきあわせでございましょう」と、ことばの下から念仏をとなえて、吉水の門を拝むのだった。  あの盗賊の四郎の手にかけられた上は、当然、遠国の港へ売られたか、浮《うか》れ女《め》の群れに入って東国《あずま》まで漂泊したか、いずれ泥水の中に暗い月日も送ったことであろうに、梢の顔にはそうした過去の陰影はすこしも見られない。母としてのつつましさと、妻としての落着きをたたえている顔に、明るい笑靨《えくぼ》がうごいているだけだった。 「そうか」範宴はうれしいことに会ったと思った。そして、彼女の今の幸福はなにかと問うと、梢は、ためらいなくいった。 「お念仏でございます。良人のそばでも、子供に乳をやりながらでも、お念仏を申している日がつづいてから、不幸と思った日は一日もございません」 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり]  梢のそういう恵まれた姿を見たばかりではない。範宴は彼女とわかれて歩みだしながら考えた。ふしぎな事のように思うのだ。この黒谷の上人の門へ群れあつまる人々の姿にはみなその恵みがかかっている。どの顔にも歓びと生活の幸《さち》が輝いている。自分のごとく懊悩《おうのう》の陰影をひきずっている者はない。心の見窶《みすぼ》らしさがあの群れの中では目立つ。  しかし、その時にはもう深い決意が範宴の肚《はら》にはすわっていた。彼の姿はやがて叡山《えいざん》の森々《しんしん》と冷たい緑の気をたたえている道をのぼっている。大きな決意を抱いて一歩一歩に運ぶ足だった。 「や、範宴じゃないか」杉林の小道から出て来た四、五名の学僧たちが、眼まぜで、囁《ささや》き合いながら摺《す》れちがって、 「うふふ……」手で口を抑え、次にすぐ、 「あははははは」と大きく笑った。  範宴はふり向きもしない。ただこの山の人間と黒谷の人々との持っている心の平常にいちじるしい差をすぐに感じただけであった。かほど森厳《しんげん》な自然と、千年の伝統をもっている壇《だん》には、なんらの仏光を今日の民衆にもたらさなくて、市井の中のささやかな草庵の主《あるじ》から、あのような大道が示されているのは、何という皮肉であろうと思った。 (奇蹟が事実にある)範宴はやはり今の世に生れてよかったと思う。今の世に生れなければ、あの奇蹟は見られないのである、法然御房《ほうねんごぼう》にも会えないのである。安居院《あごい》の聖覚《しょうかく》法印は、やはり嘘をいわなかった。  彼の心は急いできた。といっても、先ごろのような焦躁《しょうそう》では決してない。いそいそと明るいほうへ心は向いている。  大乗院へもどると、彼はすぐ麓《ふもと》へ向けて使いをやった。使いは、青蓮院と、聖光院へまわった。  この一年ほど、まるでたましいのない廃寺のように、寂《じゃく》として、憂暗のうちにあった聖光院と、そこに留守をしていた人々は、思いがけない師の書状を手にすると、 「お帰りになるそうだ」といって狂喜した。  小幡民部《こばたみんぶ》から性善坊《しょうぜんぼう》につたえられ、性善坊はその報を持って、 「覚明」と、友の室《へや》へ駈けこんだ。そして、 「師の房が、おもどりになるゆえ、迎えにこいというおてがみだ」と告げると、覚明は、 「ほんとか」と、眼をみはった。  よほどうれしかったのであろう、またそれほどに今日までの一日一日が憂惧《ゆうぐ》の底であったにちがいない。 「よかった」と抱き合って、ふたりは泣いた。 [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり]  山南天《やまなんてん》の実が赤い。  藪蔭《やぶかげ》の陽《ひ》はもう暖かな草萌《くさも》えのにおいに蒸《む》れていた。 「ここじゃ」大乗院の山門の額《がく》を仰いで、人々はほっと汗ばんだ息をやすめた。 「ようこんな廃《や》れ寺《でら》で、一年もご辛抱なされたものだ」と、覚明がうめいていう。  坊官の木幡民部を初め性善坊やその他十名ほどの弟子たちは、そこを入る時から胸が高鳴っていた。玄関へ向って、 「聖光院のお留守居の者ども、お迎えに参じました。師の御房へおつたえして給われ」  堂衆が、奥へ入って行く。やがて、 「御本堂へ」と、一同を通した。  明けひろげた伽藍《がらん》の大床には、久しぶりで四面からいっぱいな春光がながれこんでいた。  だが、ふと内陣の壇を仰ぐと、御厨子《みずし》のうちには本尊仏もなかった、香華《こうげ》の瓶《びん》もない、経机《きょうづくえ》もない、龕《がん》もない、垂帳《とばり》もないのである。吹きとおる風だけが爽《さわ》やかであった。 (はてな?)不審ないろが誰の面《おもて》にもあった。しかしことばを洩らす者はなかった。より以上に、師のすがたが胸につまるほどな感謝で待たれていたからである。民部、性善坊、覚明、その以下の順で膝ぶしを固めてじっと控えていた。 (どんなに窶《やつ》れておいで遊ばすことか)と、その衰え方を誰もが眸にいたましく描いてみるのであった。  奥まった所で扉《と》のあく音が聞え、やがて静かな跫音《あしおと》が近づいてくる、廻廊の蔭にあたって人の来る気配なのであった。――と、そこに、うぐいす色の袈裟《けさ》をかけて、念珠を携《たずさ》えた背のすぐれた人が立っていた。 「あ。……師の御房」いうまでもなく範宴なのである。ひれ伏した人々はふたたび顔を上げ直して、自分の眼を疑った。なぜならば、骨と皮とのようになっていられるだろうとすら想像していた彼の面《おもて》は、多少やつれてこそいるが、若い血色に盈《み》ちていたし、何よりは、熒々《けいけい》として見える双眸の裡《うち》に、驚くべき意志の力が、かつて誰も見なかったような希望をかがやかせていたからだった。  円座も敷かずに、範宴は床へじかに坐った。彼もまた、一年ぶりに会った愛弟子《まなでし》たちに対して、なんともいい得ない感情につつまれているらしいのであった。ただ一言《ひとこと》、 「皆に、心労をかけましたのう」といった。 「……何の、お健やかなご様子さえ拝せば、私たちの苦労はすぐ解けてしまうものでございまする」性善坊は、はらり落つる涙を掌《て》にうけて、答えた。剛毅な覚明すら、久しく離れていた嬰児《あかご》が母のすがたを見たように羞《は》にかんでいるのであった。 [#7字下げ][#小見出し]五[#小見出し終わり]  麓《ふもと》の白川口には、一|輛《りょう》の輦《くるま》が待っていた。二人の稚子《ちご》と牛飼の男が、そばの草叢《くさむら》に腰をすえて、さびしげに雲を見ている。  そこは、志賀山越えと大原道《おはらみち》との岐《わか》れ目であった。一面の琵琶《びわ》を背に負い、杖をついてとぼとぼと志賀の峠から下りてくる法師があった。足もとの様子で盲人と見たので、草の中から稚子《ちご》が、 「琵琶法師さん、輦《くるま》があるよ」と、気をつけてやる。  盲の法師は杖をとめて、 「ありがとう」背を伸ばし、空を仰いで、 「どなたのお輦ですか」 「聖光院の御門跡さまが、山をお下りになるんです」 「あ! ……。範宴どのが、山を離れられるとか」 「御門跡さまをご存じですか」 「月輪《つきのわ》公の夜宴でお目にかかったことがあります。そうですか、やはり、離山なされることになったか。そうなくてはならないことでしょう。……範宴|少僧都《しょうそうず》の君をことほぐために、一曲|奏《かな》でたい気持さえ起るが、ここは路傍、やがての事にいたしましょう。私は、峰阿弥《みねあみ》と申すものです。どうぞ、よそながらこうとお伝え置きねがいまする」  独りで喋《しゃべ》って、独りでうなずきながら、旅の琵琶法師は、落陽《おちび》のさしている風の中を、大原道《おはらみち》のほうへとぼとぼと歩み去った。 「なんじゃ、あの法師めは、盲というものは口賢《くちがしこ》いことをいうから嫌いだ」牛飼の男が、つぶやいた時、戯《たわむ》れ合っていた稚子《ちご》たちが、 「あ、お見えじゃ」と立ち上った。  雲母坂《きららざか》を越えて斜めに降りてくる範宴の姿や、その他の迎えの人々が見え初めたのである。輦《くるま》の簾《れん》をあげて、牛飼は軌《わだち》の位置を向きかえた。 (範宴離山)の噂は、半日の間に、叡山《えいざん》にひろがっていた。ひそかに、彼へ私淑している人々だの、彼の身を気づかっていた先輩だの、また、一部の学徒の人々だのが、真っ黒なほど範宴のうしろに列を作っていた。  その人々へ対《むか》って、慇懃《いんぎん》に、別辞の礼を施《ほどこ》してから、範宴は、輦の中へ移った。彼の胸には、この時すでに、十歳の春から二十九歳のきょうまで、生れながらの家のように、また、血みどろな修行の壇《だん》としてきた、叡山に対して、永遠の訣別《けつべつ》を告げていたのであったが、送る人々は、なにも気づかなかった。 「範宴御房、おすこやかに」 「またのお移りを待つぞ」などといった。  輦《くるま》がゆるぎだすと、白河の上にも、如意《にょい》ヶ|岳《たけ》のすそにも、白い霧のながれは厚ぼったく揺らいでいた。そして、どこからともなく、淙々《そうそう》と四絃《しげん》を打つ撥《ばち》の音《ね》がきこえてきた。 「お、琵琶の音がする。……加古川の法師は? ……」輦のうちで眼をふさぎながら、範宴は、玉日姫《たまひひめ》のすがたを、おぼろ夜の白い桜《はな》を思いうかべていた。 [#改ページ] [#1字下げ][#大見出し]恋愛篇[#大見出し終わり] [#3字下げ][#中見出し]門[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  すさまじい荒法師の一群《いちぐん》が、肩をいからし、高足駄を踏みならして、 「もの申すっ」と聖光院の玄関に突っ立ち、こう呶鳴《どな》った。 「範宴少僧都《はんえんしょうそうず》に会いたいことがあって、遥けく罷《まか》りこした僧どもでござる。お取次をねがう」坊官たちは、玄関脇の一室で、 (や、また来た)と眼まぜをしあい、当惑顔をするのであった。  根来《ねごろ》の誰とか、三井寺のなにがしとか、また聖護院《しょうごいん》の山伏だの、鎌倉の浪人者だの、名もない市井《しせい》の無頼漢《ならずもの》までが、きのうも今日もこれまで幾組来たことかわからない。  いい合わしたように、皆、 (範宴に会わせろ)とか、 (範宴をこれへ出せ)とかいう。  彼が叡山《えいざん》を下りて、ここへ帰ったという事実は、一日のうちに洛中洛外に知れわたってしまった。――燃えている炎の中へ、油の壺でも投げこんだように。  破戒不浄の似非門跡《えせもんぜき》に会って、面皮を剥《む》いてくれねば帰らぬと、玄関に立ちふさがる輩《やから》もあるし、嫌がらせをいって、金を強請《ゆす》りにくる無頼漢や浪人もあった。 「あくまで、お留守だと申せ」執事の木幡民部《こばたみんぶ》は、坊官たちへかたくいい渡して、いよいようごかないと、自身が追い返していた。  今も、訪れた一組は、 「不在ならば、行く先を聞こう」といって、階《きざはし》に、腰をすえこんで、 「四、五日前に、叡山からここへ帰ったことをたしかめて来たのだ。それから、どこへ隠れたのか」坊官たちはもてあまして、 「存じませぬ」というと、 「たわけッ」一人がわれがね声で、 「おのれたち、役僧として、門主《もんしゅ》のいどころを知らんですむのか。たとえば、今にでもあれ、公庁の御用でもあったらどこへつたえるつもりか」 「でも、そう命じられておりますから、お教えするわけにはゆきません」 「汝らでは、話がわからん。執事を出せ、まさか、執事まで雲がくれしているのではあるまい」 「どなたが仰せられても、御門跡にお会い申すことは絶対にできません」 「うるさい」薙刀《なぎなた》の石突きで、一人が坊官の腰を突いた。  坊官が逃げこむと、 「やあ、聞けよ範宴。汝、それほどに自己の行状《おこない》を恥じるならば、なぜ、ここへ出て、両手をつかえ悔悟《かいご》の真実を示すなり、世上へ謝罪の法を執るなりせぬか。それとも、異論あらば、論議するか。人のうわさも七十五日と、隠れていても、事は済まぬぞ」 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり]  ぞんぶんな悪態をついて、 「馬鹿門跡っ」 「欺瞞者《ぎまんしゃ》」そして天狗のように、 「わはははは」そこらへ、唾《つば》を吐きちらして、帰ってゆくのだった。  やっと一群れ帰ったと思うと、また、次の一群れが来る。  同じように罵詈《ばり》か、強請《ゆすり》か、論議売りであった。  夜になると、聖光院の大屋根へ、ばらばらと石が降った、塀の外を大声で、 [#ここから2字下げ] 夜ごと夜ごとの 恋猫は 人目の築地《ついじ》越えて 煩悩の辻こえて 月輪《つきのわ》へ しのぶとよ 朝な朝なの 恋猫は 諸人《もろびと》の鞭《むち》に追われ 御仏《みほとけ》の裳《もすそ》にかがまり 昼もなお しのぶとよ [#ここで字下げ終わり]  破《や》れ扇《おうぎ》で手拍子《てびょうし》を打ちつつ、聞えよがしに歌って通る者があったりする。  朝、門を開ける者は、必ずそこら一面に落ちている瓦《かわら》だの、牛の草鞋《わらじ》などを見た。ある朝は、大きな墓石が投げこまれてあったりした。  ――仏誅《ぶっちゅう》必ず汝に下らん。  などと書いた投げ文は毎日のことである。しかし範宴その人の生活は、ここへ移ってからも依然として変らない、思索の寂室に、いつもひっそりと住んでいるのだった。  青蓮院《しょうれんいん》の慈円《じえん》僧正と、そのほかへ四、五|度《たび》の消息をつかわしたり、慈円からも幾回となく書状の来た形跡はあるが、外へは、一歩も出なかった。彼の身辺のそうした静けさは、ちょうど颱風《たいふう》の中心のように、いつ破壊と暗黒が襲ってくるかわからない不気味な一刻《ひととき》に似ていた。  突然にいい出されたので、扈従《こじゅう》の人々は狼狽した。その範宴が、室《へや》を出ていったのである。 「きょうは黒谷の上人《しょうにん》のもとへ参ろうよ」と。坊官たちは、 「えっ、ただ今?」思わず問いかえした。 「うむ」つよく顎《あご》をひいていう。  問い返すまでもないことだった。範宴のすがたを見ると、白絹の法衣《ほうえ》に白金襴《しろきんらん》の袈裟《けさ》をかけ、葡萄《ぶどう》のしずくを連ねたような紫水晶の数珠《ずず》を指にかけていた。その数珠は、母の吉光《きっこう》の前《まえ》の遺物《かたみ》であり、白金襴の袈裟は、このまえ師の慈円僧正に対する堂上の疑惑をとくために参内した折に着けたもので、めずらしくも、正装しているのである。  民部も、覚明も、性善坊も、師の装いに倣《なら》って、あわただしく身仕度した。  階前には、稚子《ちご》たちがそろう。牛飼は、小八葉《こはちよう》の新しい輦《くるま》を、車寄《くるまよせ》にひきだしていた。 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり]  吉水《よしみず》の丘はちょうど花頂山《かちょうざん》の真下にあたっている。ひところの黒谷の草庵はあまりに手狭なのでいつの年かここに移ってこられたが、その当時のまま世間では黒谷の上人といっている。そこに法然《ほうねん》はもう三十年以上も住んでいた。旅に出たり、他に幾月かの起き臥しを過ごしたことはその間には勿論あっても、西山の黒谷に遁世《とんせい》して名を法然房と称《とな》えたのは実に彼が十八歳の時であったから、その機縁からいえば上人のこの黒谷や吉水附近の土地とは、すくなくとも四十数年来――短い人の一生涯ほども宿世《すくせ》を経てきているのである。 (縁《えにし》――)しみじみと、範宴は、それを今、輦《くるま》の中で感じる。  聖光院も、青蓮院も、この吉水とは垣の隣といってもよいほど近いのだ。そして、自分が、青蓮院の門を手をひかれて行って、髪を下ろした九歳《ここのつ》のころには、もう黒谷の上人は、西山の広谷から吉水へ移って、浄土の門をひらき、称名《しょうみょう》専修をとなえていた。  それから、二十年ものあいだ、百歩の近くに住みながら、どうして、お親懇《ちかづき》を得る折がなかったのか。  念仏の声はしきりと吉水の樹《こ》の間《ま》からもれてきて耳には入っていながら、心までは沁みなかったかと思う。 (御縁である)ふかく――それだけに範宴は今日の日を――不可思議な参会《さんえ》であると考えて、この通る道、ここを巡《めぐ》りゆく軌《わだち》の音にも、掌《たなごころ》をあわせて謝したいような感謝にくるまれるのであった。  儀装をこらした小八葉《こはちよう》の輦《くるま》は、そうして、道程《みちのり》にすれば実に短い――時間にすれば何万何千里にも値する歳月の遥けさをとおって、吉水禅房の前に着いた。  門の近くを憚《はばか》って、十間ほどてまえで範宴は輦を下りた。覚明が、内へ訪れると、 「上人も、お待ち申しあげておられます」と、玄関へ出て迎えた弟子僧の面々がいう。 (はてな?)覚明は、性善坊と眼を見あわせて、いつのまに今日の訪問をあらかじめ師が通じておいたのかといぶかった。  白金襴《しろきんらん》の袈裟《けさ》がわけて背をたかく見せている範宴のすがたが、式体《しきだい》する吉水門の人々に身を低めつつ静かに奥へとおった。さすがに貴公子らしいと後にただようほのかな人格のかおりを禅房の人々はゆかしく思いあうのであったが、誰も、その人と同じ人間が先ごろから数日のうち道場の聴法の筵《むしろ》に俗衆のうちにまじっていたとは気のつく者はなかった。  茶を煮て、檜折《ひおり》のうえに、伏兎餅《ふともち》と椀《まり》とをのせて奥へ運んでゆくと、 「呼ぶまでは、誰も来るな」という上人の声がする。  縁のつま戸はかたく閉められて、近づく者はなかった。 [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり] 「あなたが範宴御房ですか。お名まえはとうにうかがっていたが……」と、法然からいう。  ものやわらかな声である。範宴は礼儀をして、 「永年、お近き辺りに住まいながら、今日まで、会縁《ええん》にめぐまれず、初めて御門に参じた者にございます。なぜもっと早く、今日の心が出なかったろうかと思うことでありました」 「いやいや、遠くても近い者があるし、一《ひと》つ家《いえ》にいても遠い者もある、こうして幾千刻の月日を経てお目にかかったあなたと私こそは、まことに、遠くて近い者であったのです。こういう対面こそ、真の会縁《ええん》とは申すのでしょう」 「実は……」と、面《おもて》を上げた時、範宴の耳に、ぱっと紅い血がのぼった。なにか必死なものがその眉から迫ってくるのを上人は見てとったにちがいなかった。  微笑をふくんで、 「ご来意は――」と、しずかに誘《いざな》う。 「余の儀でもありませぬが、今日、おうかがいいたした仔細は、わたくしのこの一身を、ご迷惑でも、慈悲の門に拾っていただきたいと思って、窮鳥のごとく、お膝へすがって参ったのでございます。ついては、これから陳《の》べたいと思うわたくしの愚かしい過去のことどもを、お聞きとり下さいましょうか」 「ぜひうかがいましょう」上人のことばには少しもお座なりなところはなかった。熱心に膝をすすめて、 「なんなりと仰せられい」という。  範宴は、骨のゆるんだように両手をついた。慈父に会った気もちである。一朶《いちだ》の白雲が漂うかのような法然の眉、のどかな陽溜《ひだま》りを抱いている山陰《やまかげ》のように、寛《ひろ》くて風のないそのふところ。 (この人へならどんなことでもいえる)という気持がする。  同時に、範宴は、きょうまでの難路や風雪の苦行に虐《さいな》まれぬいてきた自分の肉体と心が、この人の前では、あまりに甲斐なき惨憺《さんたん》にばかり傷ついていて、どこかに、人間として不自然な頑《かたく》なな容《かたち》に凝固《かたま》っていることに気づいた。 「ここには、私のほか、聞いている者はありません、ご遠慮なく、いいたいことを仰っしゃってもさしつかえない」  法然《ほうねん》もすすんで訊こうとするのである。会いがたい人に今こそ会っているのだ。範宴はそう感じると、どんな恥かしいことでも、どんな愚かなことでも、また罪悪でも、一切をここで吐いてしまおうと思った。  で、彼が縷々《るる》として話しだす事々には微塵《みじん》の飾り気も偽りもなかった。二十年来の難行道の惨心《さんしん》は元よりのことである。現在つき当っている大きな矛盾《むじゅん》――どうにもならない恋愛と社会、若い一身との複雑な昏迷の労《つか》れについても、自己の犯した罪業を包まず陳《の》べて、解脱《げだつ》の道をたずねたのであった。 [#7字下げ][#小見出し]五[#小見出し終わり]  見栄《みえ》もない、恥もない。 (この人ならでは――)と一心にすがる気もちで、少僧都の白金襴をまとう身を懺悔《ざんげ》の涙にぬれ伏して一切を訴えていう声である。  法然は終始じいっと眦《まなじ》りをふさいで聞いていたが、やがて半眼にひらいた眼には同情の光がいっぱいあふれていた。いじらしげに、二十九歳の青年の惨《さん》たる求法《ぐほう》の旅の姿を見るのであった。ひたむきに難行道の嶮路にかかって、現在の因習仏教の矛盾と闘い、社会と法門のあいだの混濁を泳ぎぬき、さらに、その旺《さかん》な情熱と肉体とは、女性との恋愛問題とぶつかって、死ぬか、生きるかの――肉体的にも精神的にも、まったく、荊《いばら》と暗黒のなかに立って、どう行くべきか、僧として、人間として、その方向さえ失っているというのである。 「わたくしは、ついに、だめな人間でしょうか。忌憚《きたん》なく仰っしゃって下さい」と、範宴は、熱い息でいった。 「いや……」法然の顔が、わずかに左右へうごくのを見て、 「だめな人間ならば、死ぬのが、もっとも自分に与えられた道だと思うのですが」 「あなたは、選まれた人だと私は思う。この人間界に、五百ヵ年に一度か、千年に一度しか生れないもののうちのお一人だと思う」 「どうしてでしょう」 「今に、ご自身で、慧解《えげ》なさる日が必ず来る」 「そうでしょうか」 「お寛《くつ》ろぎなさい。もっと、楽な気もちにおなりなさい。あなたの歩いてきた道は、わたくしも通ってきた道だ。風波と戦うばかりが彼岸《ひがん》の旅ではありません。――しかし、よくそこまでやられた。自力難行の従来の道にある人が、いちばん怠っているその自力を出すことと難行を嫌うことでした。それへあなたは真向《まっこう》にぶつかって行った。そして当然な矛盾につき当ったのです。けれど、今の突き当った境地こそ実に尊いものであります。誰がここ数百年の間、それへ突きあたるまでの難路を歩んだでしょうか。あなたのような人こそ、まことに法然の知己だ、法《のり》の友だ、この後とも、どんなご相談にもあずかりましょう」上人は手をのべて、範宴の手をとった。 「ありがとう存じます」範宴は、瞼《まぶた》をあつくした。上人のあたたかな手を感じると、勿体なさに、体がすくむのであったが、いつかは会う約束の人に会ったのである。この手は、自分が結んだのでも上人が結んだのでもない、御仏《みほとけ》が、こうして結ばせているのであると思って、にこと笑った。上人もほほ笑んだ。  範宴の笑顔からは、ぱらぱらと涙がこぼれた。涙は、随喜の光だった。        *  半日も、上人と二人きりで話していた範宴は、やがて室《へや》を出て、禅房の入口にすがたを見せると、自分のつれてきた供の人々をそこへ呼び入れた。 [#7字下げ][#小見出し]六[#小見出し終わり]  花頂山の肩に、うすい夕月がにじみ出ている。 「めずらしくご長座だ、上人とのお話がよほど合っているとみえる」と、輦《くるま》の轅《ながえ》のそばにかたまって、覚明だの性善坊だのが噂しているところへ、木幡民部が、門のうちから、 「お召しじゃ」という。 「やっとお帰りか」と人々は入って行ったのである。  ところが、範宴は、帰るのではなかった。そこへうずくまった人々をじっと見下ろして、何か改まった顔いろである。いおうとする言葉を心のうちで整えている容子《ようす》だった。  沓《くつ》ぬぎの穿物《はきもの》をそろえかけた性善坊は、その唇を仰いで、はっとした。 「何か? ……御用でございましょうか」と、手をつかえ直す。 「されば」と範宴は、一同を見わたして、 「突然こう申しては、そち達の心もわきまえぬ無情の師よと恨むでもあろうが、範宴はただ今、上人のおゆるしを得て、今日よりは当《とう》吉水に止《とど》まって、念仏門の一沙弥《いちしゃみ》となって修行をし直すことに決めた」 「えっ……。この門に」あまりにも大きなこの驚きを、いう人のことばはまたあまりにも穏やかで、こういう大事を、ほんとに胸に決しているとは思えないくらいであった。 「上人の一弟子として、ここに止まるうえは、もはや、少僧都の鮮衣《ありぎぬ》も、聖光院門跡の名も、官へおもどしすべきものである。おのおのは帰院して、範宴|遁世《とんせい》のよしを叡山《えいざん》へ伝えあげてもらいたい。なお一山の大衆には、べつに宝幢院《ほうどういん》へ宛てて、後より範宴の信じるところを認《したた》めてさし出すつもりである」そういって、傍らの室《へや》へ入ると、範宴は、白金襴《しろきんらん》の袈裟《けさ》や少僧都の法服をすでに脱いでいるのである。 (真実《ほんと》なのだ)と思うと、覚明も性善坊も胸もとまでつきあげていた涙がいっさんに顔を濡らして、両手のうえに肩をくずしてしまった。  こうといわれたら揺るいだことのない師のことである。しかも、今の決意の眉はただ事ではない意志の表示であった。  袈裟、法衣《ほうえ》などを、自分の手で畳んで、自分の手にのせた範宴は、再びそこへ来て性善坊へそれを渡した。見ればもう、薄ら寒い黒衣《こくえ》を袈《か》けた師であった。 「では、そち達も身をいとえよ。叡山へ帰るなり、折を見て、この範宴と共に念仏門へ参るも心まかせ。永いあいだの真心の侍《かしず》きは、袂《たもと》を別った後《のち》も忘れはせぬ……」と、範宴は頭を下げた。  弟子たちは嗚咽《おえつ》を怺《こら》えきれなかった。師の脱いだ袈裟《けさ》だけを乗せて、空《から》の輦《くるま》は、花のちる夕風の中を、力なく、帰って行くのだった。 [#3字下げ][#中見出し]吉水夜話《よしみずやわ》[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  生れかわった一日ごとの新しい呼吸であった。範宴は死んで、範宴は生れたのである。  法然《ほうねん》は、ある時、 「これへ参られよ」彼を、室《へや》へ招いていった。 「世上のうわさなどを、気に病むことはないが、とかくうるさい人々が、いつまでもおん身のなした過去の業《ごう》をとらえて非難しているそうな。そしてまた、叡山《えいざん》の衆は、おん身が浄土門に入ったと聞いて恩義ある宗壇《しゅうだん》へ弓をひく者、師の僧正を裏切る者だなどと、さまざまに、誹謗《ひぼう》し、呪詛《じゅそ》する声がたかいという」 「もとよりの覚悟でございます。ただ惧《おそ》れますことは、私の願いをおきき下さったために、この念仏門の平和をみだしては済まないと思うことです」 「心配をせぬがよい」上人《しょうにん》は明るく笑って、 「おん身の非難の余波ぐらいで乱されるこの門であったら、億衆の中に立って、救世《ぐぜ》の樹陰《こかげ》となる資格はない」と、いった。そして、 「しかしまた、世の風に、われから逆らうこともあるまい。おん身もこの際に、名を改めてはどうか。いくらかでも、人の思いも薄らごうし、また自身の生れかわったという気持にも、意味がある」 「願うてもないことです。甘えて、お願い申しまする、なんぞ、私にふさわしいような名をお与え下さいまし」上人は、唇をむすんだ。しばらくして、 「綽空《しゃっくう》」と力づよい声でいった。  綽空――彼は自分の今のすがたにぴったりした名だと思った。 「ありがとうございまする」うれしげである。  綽空は、まったく変った、ここへ入室してからの彼は、他の法門の友と共に、朝夕《ちょうせき》禅房の掃除もするし、聴聞《ちょうもん》の信徒の世話もやくし、師の法然にも侍《かしず》いて、一沙弥《いちしゃみ》としての勤労に、毎日を明るく屈託《くったく》なく送っていた。どこか、今までの彼の相《すがた》に、無碍《むげ》の円通が加わってきた、自由さ、明るさ、宏《ひろ》さである、一日ごとが、生きがいであった。生きているよろこびであった。  法然は、綽空を愛した。何かにつけ、道場の奥から、 「綽空」と呼ぶ声がもれる。  禅房の友だちたちには、熊谷蓮生房《くまがいれんしょうぼう》がいた。空源がいた。念阿《ねんあ》がいた。湛空《たんくう》がいた。安居院《あごい》の法印も時折にみえる。そして綽空の更生を心からよろこんだ。  一年はすぐ経った。冬になるとこの吉水の人々は、夜の炉《ろ》ばたを囲んで、おのおのの過去や、教義のことについて、膝を交えて語るのが何よりも楽しそうであった。 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり]  皆、つつましく唇をむすんでいた。しかし、この無言はいたずらな空虚ではなかった。誰も声は出さないが炉のまわりの者はこれで充分に語り合っているのである。  じっと、炉の中の美しい焔《ほのお》に眼を落したまま――。  外には落葉の音がする。冬の夜の訪れが、しきりと、禅房の戸をがたがた揺すぶってゆく。 「綽空どのは、頬のあたりがすこし肥えられた」蓮生房がつぶやくと、炉をかこんでいる心寂《しんじゃく》や、弁長や、念阿《ねんあ》や、禅勝《ぜんしょう》などの人々が、そっと彼の顔を見まもって、 「ほんとに」といい合った。綽空は、うなずいて、 「ここにいて、肥えなければ嘘でしょう」 「初めて、お見かけした時は、痩せておられた」 「あのころの私は、形骸《けいがい》だけでしたから。――今はこうして炉に向っていても、魂までが、ほこほこ温《ぬく》もるのを感じてきます」  心寂が、まるくしていた背をのばして、 「誰にも、一度はそれがあったのだ――。わしなども」恥かしそうに何か回顧する。 「そうそう」と、念阿がそれを話した。  求菩提《ぐぼだい》の心にもえていたころの心寂には、こういう俗縁や市塵の中にいては常に心が乱されて、ほんとの往生境《おうじょうきょう》には入り難い。――こう彼は考えて、上人に、遁世《とんせい》を願った。上人はゆるされた、心寂は草鞋《わらじ》をはく時、 (いずれ、再会は極楽で)といって、立ち去った。  それから彼は、河内《かわち》の讃良《ここら》にながれていた。そこの奇特な長者の後家が、まことに信心のふかい善尼《ぜんに》なので、彼の望みをかなえてやろうと、林の中に、一つの草庵をつくり、食物はあげるから、思うさま念仏してお暮らしなさいといった。心寂は、 (ここぞ、わが菩提林《ぼだいりん》)と、鳥の音に心を澄まし、三昧《さんまい》に入っていたが、やがて、三年四年となるうちに、同門の人々はどうしたろうかとか、上人はご無事でおられるだろうかと、やたらに人間のことばかり考えられてきて、朝夕《ちょうせき》長者の住居から食べ物を運んでくれる小さい子供にまで話しかけてみたくなったり、雨ふるにつけ、風ふくにつけ、心は、かえって、世間にばかり囚《とら》われてしまって、まったく最初考えてきたような雑念なき俗縁なき清澄《せいちょう》な菩提《ぼだい》は求められなくなってしまった。  あわてて四年目に草鞋《わらじ》をはいてふたたび都の上人のもとへ帰ってきて、面目なげにその由をいうと、上人は、 (よい旅をなされた。学問があっても、智者でも、道心のない者には、その迷いは起らない。菩提へ一足近づかれたのじゃから)  叱られるかと思いのほか、上人は随喜されたというのである。 「いや、そんな昔ばなしをなされては、面目ない」と、心寂は、友の話をうち消して笑った。 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり] 「念阿どの」と、こんどは心寂から攻めた。 「他人のことばかり仰せられずに、ちと、あなたのことも、話していただきたいものじゃが」 「いや、わしにはなんの話もない。――それよりは、蓮生《れんしょう》殿こそ」と隣にいる蓮生房の顔をのぞいた。  治承、寿永の戦いに幾多の生死の下を実際に歩いてきた熊谷次郎|直実《なおざね》の話を、同房の人たちはよく彼の口から聞きたがった。だが、蓮生は、 「は、は、は、は」もう白髪《しらが》まじりのまばらな髯《ひげ》の中で、坂東武者らしい大きな口をすこし開《あ》いて笑うだけだった。  いつも、こう笑うのが、彼の答えなのである。  でも今夜は、それに少し言葉をつけ加えて、 「この年になって、何の戦《いくさ》ばなし、お恥かしいことでおざる。てまえも、ここの上人にお目にかからぬうちは、いっぱしわれも坂東侍の強者《つわもの》と、大人びた豪傑気どりを持っていたものでおざったが、ひとたび、発心《ほっしん》して、念仏門に心の駒をとめてからは、回顧のことども、すべて児戯のような心地がするのでおざった。なんといわれても、冷や汗が出申すのじゃ」といった。つつましく、数珠《ずず》を爪《つま》ぐっていた禅勝が、 「なかなかおゆかしい」とつぶやいて、 「蓮生どのは、あのように謙虚には仰せられるが、わたくしが、法然上人の教義というものを初めて存じ上げたのは、まったく、蓮生どののお手引でした。永年の間、天台の古学にも救われず、秋葉の蓮華寺《れんげじ》に、ただ老《お》い朽《く》ちる私であった所を、そのころ、一筋に浄土門へ入って、名も恋西《れんせい》と申されていた熊谷入道どのにふとお目にかかり、吉水にかかる上人のおわすと聞いて、一途《いちず》に都へ上ってきたのでございました。もし入道が熊谷の帰途に、私の寺にお立ち寄りくださらなかったら、あるいは、私は生涯ここで有縁《うえん》のよろこびを皆さまと共に味わうことができなかったのではないかといつも思うことでござります」と、感謝していった。  綽空は、黙然《もくねん》と、人々の話を聞いていたが、ことに、熊谷蓮生と禅勝の話には、心をひかれて、 (自分にも、もしあの朝、安居院《あごい》の法印と四条の橋で会わなかったら……)と今さらに、その時の機縁に対して、掌《て》を合わせずにいられない気がする。奥で、咳声《しわぶき》がきこえた。 「お目ざめか」上人の気配は、室を距《へだ》てていても、すぐ弟子僧たちの胸にうつった。この寒気に、この間うちから喉《のど》を傷められているふうなのである。 「お寝《やす》みを障《さま》たげてはならぬ」 「お煎薬《せんやく》をわかそうか」思い思いに、人々は、炉のそばから冷たい室へちらかって行った。 [#3字下げ][#中見出し]屋根の下[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  年を越えて間もない正月の半ばだった。  白い驟雨《しゅうう》が、煙のようにふきかけて暮れた宵からである。刻々と夜半にかけて、暴風雨《あらし》はひどくなってきた。眠りについた人たちが、 「雨がもる」と起き出して騒ぎたてた。  綽空《しゃっくう》は、紙燭をつけて、室の外へ顔を出したが、すぐ消されてしまった。禅房の戸が、ふくらむように、がたがたと鳴っていたが、そのうちに、上人《しょうにん》の寝屋の戸が外《はず》れて、車を廻すように、豪雨の庭へころがった。 「お師さま」 「上人様」まっ暗で、誰かわからないが、もう幾人もの弟子が、上人の室を案じて、そこに集まっていた。  屋根の一端が暴風雨《あらし》にさらわれてしまったものと見えて、白い雨水が、ぶちまけるように梁《はり》から落ちているのである。もちろん、灯《あか》りは努力しても一瞬《いっとき》も持っていなかった。  綽空を初め、蓮生《れんしょう》や、念阿《ねんあ》などの弟子たちは、その暗い片隅に念仏の低い声がきこえたので、皆、その一所《ひとところ》にかたまり合った。それが、師の法然《ほうねん》だったのである。  せっかく、年暮《くれ》のうちからすこしよくなったお風邪《かぜ》をぶりかえさぬように、弟子たちは、身をもって法然をかこみながら、念仏に和していた。  暴風雨《あらし》はなかなかやみそうにもない。みりみりと、梁《はり》や柱がさけぶのだった。戸は、二枚三枚と奪われて行って、庭が、湖のようになっているのが豪雨の中にものすごく見える。  その中を、誰か、ざぶざぶと膝まで水に浸《ひた》して歩いてくる者があった。 「綽空様」と、家のまわりを呶鳴ってあるいていたが、やがて、戸の外《はず》れたところから、 「綽空様はおられますか」と中をのぞいている。  頭からずぶ濡《ぬ》れになっているその男を、人々が見て、隅のほうから、 「おられるが、どなたじゃ」と、たずねた。 「性善坊《しょうぜんぼう》でございます」と、その影はいう。 「おう」綽空はすぐ立ってゆこうとしたが、思いとまったように、法然のそばに坐ったまま、 「なんぞ、用か」といった。 「この暴風に、お変りもあらせずやと、お見舞いにうかがいました」 「よう来てくだされた。しかし、見るとおり、上人にも、お変りはない」すると他の人々が、 「町はどうですか」と、訊いた。 「いやもうひどい有様です。ここへ来る間にも、塔《とう》の仆《たお》れたのを見ました。門や築地《ついじ》の壊された所は限りもありません。粟田《あわた》の辻のあの大きな銀杏《いちょう》の樹すら折れていました」 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり]  このひどい大風が明け方までも吹きつづけたら京の町はどうなることか。  丸木組みのいたって粗末なこの吉水禅房の道場などは、ひとたまりもあるまいと、人々は、上人のまわりに固唾《かたず》をのんでいた。危険を冒《おか》して、その中を見舞いに来た性善坊はやがて、 「では、お暇いたします」ざぶざぶと、ふたたび豪雨の闇の中へ帰って行った。  上人は、自分の側から立たない綽空の顔を見て、 「垣の外に流れがある。常に来て案内《あない》を知る者ならば墜《お》ちることもあるまいが、見てやりなさい」と、ささやいた。 「はい」綽空は、上人の思いやりをありがたく思いながら、廊下を伝《つた》わって行って、性善坊の影を、窓からさがした。 「綽空さま」性善坊は、まだそこに立っていた。篠《しの》をつくような雨を浴びて――。  ここの門で、師弟の袂《たもと》をわかつ時に、決して、訪ねてくるな、会いにくるなと、かたく誡《いまし》められていたので、常に、心にかけながら来ることができなかったのであるが、今夜の大暴風雨《おおあらし》を幸いに、性善坊は、駈けつけてきたのであった。――でも、同門の人々や、上人の前で、親しい言葉をかわすことができなかったので、心残りに、まだそこに佇《たたず》んでいたものと見え、窓に、綽空の顔を見ると、とびつくように寄ってきて、昔ながらのことばで、 「お師さま!」と、濡れた顔を下からのばした。 「上人のお心づけじゃ、そのあたりに、山水《やまみず》の流るる溝《みぞ》がある、気をつけてゆけよ」 「はい」 「そちは、以来、無事か」 「聖光院の御門跡もかわりましたゆえ、青蓮院の僧正におすがりして、尋有《じんゆう》様と共に、僧正のお給仕をいたしております」 「弟もやっているか」 「静かに、ご修行でございます。しかし、近いうちに、慈円僧正には、ふたたび、叡山《えいざん》の座主におつきになられるようなお話でございますから、そうなると、滅多にお目にもかかれなくなろうと思われまする」 「わしのことは、くれぐれ、案じてたもるな、この通り、ひところよりは、心の決定《けつじょう》を得て、体もすこやかに暮しておる」 「慈円様にも、御安堵《ごあんど》のようにお見うけ申されます」 「こよいの暴風雨《あらし》で、青蓮院のほうも何かと騒がしかろう。わしの見舞よりは、僧正のお身のまわりこそ――」と、吠える空の雲に眸《ひとみ》をあげて、 「はやく、もどれ」といいながら、窓をしめた。 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり] 「ひどいことでしたな」 「えらい暴風雨《あらし》もあったもので」 「こんな大風は、もの心ついてから覚えがないわ」けろりと晴れた翌る日の青い空を仰ぎながら、町の人々は、倒壊した人家だの、流された橋の跡だの、巨木の薙倒《なぎたお》された並木などを見て歩いていた。  吉水の禅房は、山ふところに抱かれていたせいか、比較的に、被害のすくないほうだったが、それでも、屋根は半分も剥《は》ぎとられていた。 「降ったらすぐ困る」 「雨よりは、寒さが防げぬ。せめて、上人のお部屋でも先に」と、禅房の人々は、軒へ梯子《はしご》をかけ、法衣《ほうえ》の袂《たもと》をからげて、屋根へのぼっていた。 「手伝わせて下さい」 「茅《かや》を持ってきました」 「雨戸を繕《つくろ》いましょう」信徒たちが群れてきて、米を炊《かし》いでくれたり、門を起してくれたり、思いのほかに、この損害はたちまち直されそうに見える。  下から揃えて送る茅《かや》を受け取って、屋根のうえでは、蓮生《れんしょう》と綽空と、四、五人の者が、せっせと、屋根の繕いをしていた。梯子の途中にも一人いて、それを取り次ぐ。  綽空や蓮生は、もとより馴れない仕事であったが、弟子僧のうちには、自分で人手を借らずに一庵を建てたというような経験のある者もいて、屋根は巧《たく》みに葺《ふ》かれていく。  押しぶちを打ったり、茅《かや》の先を切ったり、綽空も働いていた。そのうちに、温かい握り飯も下からくる。食べ終るとまたすぐに作業にかかる。  誰の口からともなく、念仏の声がながれ初めた。屋根のうえにも門を起す群れにも、家の中に働いている者からも、念仏が洩れて、ひとつの明るい唱和となった。  庭先に、巨《おお》きな栂《つが》の木が泥水の中に倒れていた。他の樹も、あらかたは、根を剥《む》きだしているのである。――見ると、そこに一人の体の巨きな僧が、毛脛《けずね》をだし、袖をたくしあげて、まるで土工のように真っ黒になって働いている。溜《たま》り水《みず》に道をつけ、鍬《くわ》で土を掘っては、一本一本、樹の姿勢を元のように起しているのだった。  その僧だけは、初めは、むッつりと汗と泥にまみれて黙っていたが、いつか他の人々の唱名につりこまれて、やはり、念仏をとなえながら鍬をふるっていた。  屋根のうえからふとその男を見て綽空は、あっと、意外らしい声をもらした。  気がついたのであろう、鍬をやすめて、下の僧も屋根を仰いだ。そして、 「…………」何もいわずに、ただ、にこと笑った。以前の弟子の覚明《かくみょう》なのである。  すると、綽空のそばにいた熊谷|蓮生《れんしょう》が、 「おう、太夫房」と、これは久しい前からの知り人らしく、屋根の上から声をかけた。 [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり]  熊谷蓮生の毛脛《けずね》が、屋根から梯子《はしご》を伝わって降りてきた。  下にいた覚明は、泥を浴びた顔に笑みをたたえながら、鍬をそこに抛《ほう》って、 「やあ」と、懐かしげに近づいてきていった。 「久しぶりだ、実に何年目だろう」 「十七、八年になる」熊谷蓮生も手を伸べて、旧友の手をにぎりしめる。 「貴公と初めて会ったのは、寿永《じゅえい》の年か」 「いや、治承《じしょう》四年だ」 「貴公たちは、木曾義仲の幕下《ばっか》として、京師《けいし》に入り、われらは、頼朝公の東国兵と共に、平家の本拠をついて都へなだれ入った。――たしかあの年だったかなあ」 「その以前にも、一、二度はお目にかかっていたが」 「なにしろ、久しい」 「変ったのう」 「世の中も、わが身も」 「夢だ、一瞬だ」 「しかし、お互いに、戦場を駈けあるいて、修羅のなかに、幾多の人を殺《あや》め、羅刹《らせつ》にひとしい血をあびて、功名を争った者どもが、こうして、無事安心のすがたを陽《ひ》の下に見合うことができたのは、倖《さいわい》といおうか、めでたいといおうか、思いもよらぬことだった」蓮生が、沁々《しみじみ》といって、樹陰の石に腰をおろすと、 「まったく!」と、和しながら、覚明もそこに身を並べていう。 「――これも皆、仏光のおかげだ。もし、いささかの発心もなかったら、俺などは、今ごろ、どうなっていたか知れぬ。けれど、俺は木曾殿がああいう亡滅をつげたので、流浪の身となったもやむを得ぬし、身の安住を求めながら心の安住も求めてついに仏門に辿《たど》りついたのだが、熊谷殿などは、俺とは比較にならぬほどの武功もあり、時めく鎌倉の幕臣として、これから大名《だいみょう》暮しもできる身を、どうして、武門を捨ててしまわれたのか。俺には少しわかる気もするが、世間の者は、ふしぎに思おう」 「それが一向、ふしぎでも何でもないのだ。今考えても、こうなるのが当然だった」 「そうかなあ」 「考えてみるがいい。功名に燃え、野望に燃え、物質の満足を最大な人間の行く先と夢みていたころなら知らず、年齢《よわい》をかさね、泰平に帰って、よくよく落着いて自己のまわりを考えてみると、そこには、修羅の声や、血なまぐさい死骸の山こそ失《な》くなったが、依然として、功利を争う餓鬼《がき》のような犬は絶えない。譎詐《きっさ》や権謀《けんぼう》や、あらゆる醜い争闘は、むしろ、血の巷《ちまた》よりは陰険でそして惨鼻《さんび》だ。そういう仲間にいれば、自分もまた、生涯その醜い争いに憂身《うきみ》をやつしていなければ、たちまち、他から陥《おと》しいれられてしまう。どうして、そういう所に、人間の安住があろうか。――かたがた、過去の罪業のおそろしさや、世観《せかん》の一転が、地位名誉をかなぐり捨てさせて、自分をこの吉水の上人の名を慕わせてきたのじゃ。なんの不思議もない、自然の歩みだった」 [#7字下げ][#小見出し]五[#小見出し終わり] 「なるほど」覚明は、大きくうなずいた。そして、熊谷蓮生の黒い法衣《ほうえ》のほか一物も着けない姿を見直して、おのずから頭のさがる気がした。 「その醜土から抜け出してみると、よくもまあ、あんな中で、たとえ半生でも送っていたと、俺も時々、過去をふり向いて慄然《りつぜん》とすることがある」 「して、太夫房」と、蓮生は、覚明の顔をまじまじと見て、 「貴公は、常々、法筵《ほうえん》でも見かけたことはないが、どうして、今日はここへきて手伝っているのか」 「いや、飛入りだ」覚明は、磊落《らいらく》に、頭へ手をやった。 「――実は、こういう場合でもなければ、師のお側へ近づけないし、師の房が、屋根の上で、あんな下人《げにん》のする業《わざ》をもなすっているのに、手をこまぬいて見ているわけにもゆかん。そこで俺は、誰に頼まれたわけでもないが、倒れている庭木を起して植え直しているのだ」 「ふうむ……。貴公の師とよぶ人は、上人ではないのだな」 「あれに上がって、屋根|繕《つくろ》いをしている範宴|少僧都《しょうそうず》――。いやここへ入ってから綽空と名をあらためたあのお方だ」 「ほ……。綽空殿の?」 「時に、頼みがあるが肯《き》いてくれないか」 「わしに? 何か」 「ほかではないが、俺は、どうしても、師の綽空様のお側にいたい。けれどそれを師にすがって見ても無駄はわかっているので、きょうまで、控えていたが、師と離れている俺は、飼主を失った野良犬のようにさびしい。ともすると、せっかく、築きかけてきた信仰もくずれそうな心地さえする」 「そうか。綽空殿と共に、ここにいたいと願うてくれというのじゃな」 「そうだ」 「師弟の心情としてそうあるはずだ。待っておれ、綽空殿に、話してきてやる」 「いや」あわてて覚明は手を振った。 「綽空様からは、必ずとも、ここへも訪ねてくることならぬといい渡されているのだから、今日、俺がここで労《はたら》いているのでも、あるいは、お叱りの種となるかも知れぬ。どうか、上人へおすがり申して、お声をかけて戴きたいのだ」 「ははは。木曾殿の猛将といわれた太夫房覚明も、法《のり》の師《し》には、気が弱いの。よしよし、上人にお打ちあけして、貴公の頼みをとりなしてみよう」 「たのむ」覚明がふたたび鍬《くわ》を持って立つのを後にして、蓮生は、上人のいる室のほうへ歩いて行った。そして、壊れたつま戸や屏風《びょうぶ》を立てまわして端居《はしい》している法然の前へ行って、何かしばらく話しているらしく見えた。 [#7字下げ][#小見出し]六[#小見出し終わり] 「綽空どの」屋根を仰いで、念阿《ねんあ》が呼んだ。 「――上人が、お召しですぞ」と、下からいう。  綽空は、屋根から下りて、流れで手足を洗ってから上人の室へ行った。熊谷蓮生がそばにいる。 「なにか御用ですか」 「うむ」上人の顔は明るい。ゆうべの暴風に禅房をふき荒されてかえって自身の風邪《かぜ》の気はすっかり癒《い》えたような顔つきである。 「……太夫房覚明という者が労仕の衆の中におるそうじゃの」 「はい、見えております」 「おん身を慕って、この禅房に、置いてくれという頼みを、蓮生からすがってきた。なんといたそう」 「成らぬことに存じます」 「なぜの」 「綽空にはまだ、人の師たる資格ができておりませぬ。また、上人に給仕し奉る一|沙弥《しゃみ》の私に、付人などは持たれませぬ」 「じゃが……」上人は考えこんだが、すぐ白い眉をあげて、 「この法然がゆるすと申したらどうあろうか。念仏門の屋根の下には、階級も、事情もないはずじゃ。何ものにもこだわらず、あるがままに平等な姿であるのが念仏者じゃ」 「お返し申すことばはございませぬ」 「では、おまかせあれ」 「はい」 「蓮生、伝えてやれ」熊谷蓮生はすぐ起って、 「よろこびましょう」と、外へ出て行った。  覚明は、雀躍《こおど》りして、やがて綽空の前にひざまずいた。綽空は、叱った。 「なぜそんな礼儀をする。上人のおゆるしによって、お汝《こと》も入室されたのだ。今日からは、いわば綽空とも同様な同寮の清衆《せいしゅう》であるのだ。この身に侍《かしず》くなどと思う心をすてて、お身と共に、念仏に専念することじゃ」 「ありがとう存じます」覚明はそういわれた旨《むね》をよく体して、禅房の末座に加わって、薪《まき》を割り、水を汲んだ。  念仏の屋根の下に、またこうして一人の信仰の友がふえたのである。暴風雨《あらし》の破損もやがてすっかり修繕されて、冬の夜の炉べりは賑やかだった。  生む力、殖《ふ》えてゆく力、念仏門の信仰は、春の土壌《どじょう》のような無限さをもって、日月の光のとどかない所にも念仏の声はあるように弘まって行った。したがって、 (ぜひ、上人のお膝元に)と、入室を願ってうごかない熱心な求道者も、断りきれないほど日々訪ねてくる。  綽空は、同房の混雑に、その年のすえ、岡崎に小《ささ》やかな草庵を見つけて、そこへ身を移すことにした。  勿論、日ごとに、岡崎から吉水へ通って、上人に仕えることと易行《いぎょう》念仏門の本願に研鑽《けんさん》することは一日とて、怠るのではなかった。 [#3字下げ][#中見出し]岡崎《おかざき》の家《いえ》[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  岡崎の草庵の地は、松に囲まれた林の陰で、その松のあいだから白河《しらかわ》の流れが透《す》いて見えた。うしろは、神楽岡《かぐらがおか》の台地である。近衛坂《このえざか》を下る人の姿が、草庵の台所から小さく望まれるのであった。  綽空《しゃっくう》は、毎日、その坂を越えた。吉田山から鳥居大路へ出て、吉水《よしみず》の禅房へ通うことが、どんな風雨の日でも、休みなき日課であった。  もちろん、炊《かし》ぎのことも、朝夕《ちょうせき》の掃除も、まったく一人でするのであって、まだ筧《かけひ》が引いてないので飲水《のみみず》は白河へ出て汲んでくる。  冬空の星を仰いで、吉水から帰ってくると、いつも夜はかなり遅くなった。それから薪《まき》をくべたり炊ぎをしたりするので、寂《せき》として独りで粥《かゆ》をすするころには、もう、洛内のすべての灯が消えて、天地の中には、ここに粥をすする独りの彼のみが起きているのではないかと思われるような時刻になってしまう。 「はての? ……」ある日の夕方である。  綽空は、草庵の戸を開ける前に、ふしぎな思いに打たれて辺りを見まわした。  今朝、草庵を出る時は、落葉で埋まっているほどだった門口が、きれいに掃かれていて、しかもその落葉まで一所《ひとところ》に集めて焼いてある。  裏へ廻れば、水桶には水が汲みたたえてあるし、板敷も拭き潔《きよ》めてあるではないか。また、屋内へ入って見てから、綽空はさらに眼をみはってしまった。  燭の灯皿には、油がつぎいれてあって、付木の火を移せば足りるばかりになっているし、夕餉《ゆうげ》の膳までもそこにできていた。 「誰であろう」と、考えこんだ。  この草庵へ移る時に、実直に手伝ってくれた近くの農家の夫婦か――でなければ聴法《ちょうほう》の席へ来るうちの信徒の者か。 「いぶかしい」誰を挙げてみても、思い当る者はなかった。同時にまた、その人の思い出せないうちは、この夕餉の箸も、取ってよいか悪いかに迷わずにいられない。  だが、行きとどいた細かい心づかいは、すべて、好意の光であることに間違いはない。その好意に対して、徒《いたず》らな邪推や遅疑《ちぎ》を抱くべきではあるまい。綽空はそう解して、箸を取った。  翌る日もそうだった。次の夜も帰ってみると草庵は清掃されてあった。  それのみではない。薄い夜の具《もの》に代って、べつな寝具が備えてある。決して、ぜいたくな品ではないが、垢《あか》のにおいのないものであった。 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり]  それは、幾日かの謎だった。しかもほのかに、女性のにおいの感じられる謎《なぞ》なのである。  陶器《すえもの》一つにも、身に着ける肌着の一針にも、絶対に、女性の指に触れないもののみで潔浄《けつじょう》を守っている僧の生活なのである。どんな微かにでも、女粉《じょふん》に触れたものはそれを感じる。なやましい移り香を感じる。  綽空は、その夜の具《もの》にくるまれて、この幾夜かを、ふたたび夢魔に襲われとおした――いや魔というべくは余りに和《やわ》らかい悩ましさである。梨の花の甘い香《にお》いにも似ている、木蓮の肌理《きめ》の細かな感触にも似ている、どうしても、この蒲団《ふとん》の綿は、女手でつつまれたものである――女の真ごころのように綿が温かい。若い一寒僧には、余りに温かすぎるのだった。  しかし、謎は謎のまま、幾日かつい過ぎた。そういう詮議《せんぎ》だてさえしている遑《いとま》のないほど現在の綽空は、吉水の法門がその日その日の心の梁《うつばり》であった、張りつめていた。  その日は、どういうこともなく、信徒たちの集まりもなく、師の法然上人も不在でありするので、まだ陽の明るいうちに、めずらしく岡崎の草庵へ綽空は帰ってきたのである。  すると、草庵に近い松林の小径《こみち》で、ひとりの被衣《かずき》の女に行き会った。ちらと、樹《こ》の間《ま》にそれを見たとたんに、綽空は、どきっと、妙なものに胸をつかれた。  すぐ、常に抱いている謎へ、 (あの女《ひと》だ)と、いう囁《ささや》きがのぼって、何か犯している罪に耳でも熱くなるような動悸《どうき》が打ってくる。  そういう軽い狼狽《ろうばい》を、綽空は、その女ばかりでなく往来でゆき会う女性にもよく覚えるのだった。その度ごとに彼は、自分の道念《どうねん》の未熟さを悲しむのであるが、二十年の難行道も、新しく享《う》けている易行道《いぎょうどう》の法の慈雨にも、これだけはどうにもならないものを感じるのである。そういう鍛《きた》えのある自分と、女にときめきを覚えさせられる刹那《せつな》の自分とは、まったくべつな者のようにしか思えなかった。 (もし……)と、よほど、彼は声をかけてみようと思った。松落葉のうえを、音もなく歩いてくる女性は、ほかに避ける道もないので、彼の法衣《ころも》のそばを、そっと、摺《す》れちがって行こうとするのである。  が――女は、やや姿態《しな》を曲げてわざとのようにその時|被衣《かずき》を横にして顔をかくして通った。で、綽空も、 (どこかで見たような?)と思いつつ、ことばをかけずに行き過ぎてしまった。  十歩ほどあるいてから振向くと被衣の女も、ちらとこなたを見て足ばやに行ってしまった。ふところから小鳥でも逃がしたように、綽空は心をひかれて、その影が、白河の河原の低い蔭になってしまうまで佇《たたず》んで見送っていた。 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり]  ――なぜあの時よびとめて、名だけでも訊いてみなかったか。  綽空は、草庵をとざして、夜の孤寂《こじゃく》に入ってからも、瞑想《めいそう》の澄心《ちょうしん》を、それのみに結ばれてしまうことを、どうしようもなかった。  ほとほとと外を軽く打つ者がある。また悪戯《いたずら》な林の獣どもかと、しばらくすてておくと、 「庵《いおり》の主《あるじ》はお留守か」明らかにそういう。 「――燈火《あかし》の影を見うけて立ち寄ったものでおざる。苦しゅうなくば宿をおかしくださるまいか。決して、怪しい者などではありません」綽空は起って、 「旅のお方か」 「されば」と、戸の外で言葉をうける。 「さすらいの琵琶法師《びわほうし》です」 「ただ今、あけて進ぜよう」戸を開《あ》けると、星明りの下に、一面の琵琶を負った盲人が杖ついて佇《たたず》んでいた。こなたから声をあげぬうちに、 「はての?」盲人は小首をかしげて、 「あなたは、範宴少僧都《はんえんしょうそうず》ではないか」 「おう、加古川の峰阿弥《みねあみ》どのか」 「やっぱり範宴どのか」 「今では念仏門の法然上人のもとへ参じて、綽空と名を改めておりますが、仰せのごとく、その範宴です」 「そうそう、そういう噂は疾《と》く聞いていた。……しかし、ご縁があるのじゃのう、なんでも、この辺りに住まわれているとは承っていたが、よもやこの庵《いお》が、あなたのお住居《すまい》とは思わなかったに」 「まず、お上がりなさい」綽空は、取りとめのない雑念から救われたような気がして、峰阿弥の手をとった。松《まつ》の実《み》を、炉に焚《た》き足して、 「お久しいことでしたな」 「まことに」峰阿弥は、琵琶の革緒《かわお》を解いて後ろへ置きながら、 「あなたは、ずんとお変りになりましたな。お体も健やかになられた。お心も明るくなった。そして真向《ひたむ》きに現在のご信念に坐っておられる。祝着《しゅうちゃく》にたえませぬ」と、見えるようなことをいう。  けれど綽空は、この法師のすさまじい「勘」の力を知っている。目あきに見えないものすらこの漂泊人《さすらいびと》は見えることを知っていた。 「そうでしょうか。そうお感じになりますか」 「よう分ります。あなたの五韻《ごいん》の音声《おんじょう》が数年前とはまるで違っております」  この通りな峰阿弥である。そう説明されてみれば、わずか四つの絃《いと》に、森羅万象《しんらばんしょう》の悲喜さまざまな感情を奏《かな》でて人を動かそうとする芸術家である以上、人間の音声《おんじょう》をもって人間の健康や心境を聞きわけるぐらいな耳は当然に持たなければならないはずであるし、わけてこの法師のするどい官能からすればいとやすいことに違いなかろうが、綽空は、そういいあてられると、さらに、その奥の奥までを、透明に、見すかされているような気がして、恬然《てんぜん》としておられなかった。 [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり]  炉《ろ》にくべた松の実は、ほどよい火になって、ほかほかと無言の二人を暖めた。峰阿弥は外の木枯らしに耳を澄まして、 「冬もよいなあ」と、しみじみという。 「行きなやむ霙《みぞれ》の夕ぐれは辛いと思いますが、辿《たど》りついた家の情けで、こうして人心地のついた時、そして、家の主《あるじ》と共に話しながら炉の温《ぬく》もりに浸《ひた》る時、やはり生きている欣《よろこ》びを覚えますわい」 「ですが、峰阿弥どの」綽空は、真面目な態度を見せて、こう改まった。 「私には、まだこの寂境《じゃっきょう》の独り居が、ともすると、雑念の思いにふける巣になって、しみじみ、孤独をよろこぶまでにはいたらない。近ごろは念仏専念に、いささか心の安らぎはあるが――」 「ご無理もない……。人間じゃもの。なぜあなたは、もう一歩出ないか」 「出ないかとは」 「申しかねることじゃが、そのお若い血を、制《おさ》えようとなさるか」 「…………」 「わしのような破戒僧になり召されとはいわぬ。風雅へ逃避なされともすすめぬ。しかし僧侶の生活を離れて見て初めて僧侶の生活が分ったような気がします。大きな問題じゃ、まずその生活の根本義から僧侶は今の矛盾《むじゅん》をすてて、大道に立ち直らなければなりますまい」 「私も考えているのです」 「人間の中の仏教でなければならぬ、あの世の浄土ではもう人が承知せまい、現世が極楽であり、現世が住みよく、楽しく、明るいものでなければなりますまい。その教化《きょうげ》に立つ僧侶の生活はどうでしょうか。――わしがまずお手本じゃ、隠れてすることなら咎《とが》めぬが、人に見つかったが最後、女犯《にょぼん》という、堕地獄《だじごく》という、破戒僧という、あらゆる鞭《むち》に追いまわされる。  そのくせ、高野の学文路《かむろ》にせよ、叡山《えいざん》の坂本にせよ、法城のある麓には必ず脂粉の女があつまる。その女たちの相手は誰か。また、寵童《ちょうどう》の行われるのも、僧侶のあいだに多いと聞きまする。おかしなことのようですが、考えてみると深刻な問題です、人間の第一義ですからな」 「…………」綽空はそこにいるのかいないのか分らぬように黙然《もくねん》としていた。峰阿弥は、ふと話題を一転して、 「はははは。あなたとお目にかかるといつもこうした話だ。私に何かそういうことをいわせるものをあなたが感じさせるのじゃな。肩がころう。……そうじゃ、かかる夜こそ、一曲|弾《ひ》きたい、聞いてくださるか」 「望むところです。ぜひ、聴かせていただこう」 「何を語りましょうな」後ろの琵琶をひきよせて、峰阿弥はその痩せている膝の上へかかえあげた。 [#7字下げ][#小見出し]五[#小見出し終わり] 「オオ寒!」風の子のように、冬の月の下を白河の河原へ駈け下りてきた足の迅《はや》い人影がある。  子どもでもなし、大人とも思えない、矮小《わいしょう》で脚の短い男だった。頭の毛を、河童《かっぱ》のように、さんばらに風に吹かせて、 「こん夜は、貧乏|籤《くじ》を引いちゃったぞ、仲間の奴らは、さだめし今ごろは、暖まっているにちげえねえ」洛内のどこかへ、急な用でもいいつけられて行ってきた帰りか、それは、天城《あまぎの》四郎の手下のうちでも、一目でわかる例の蜘蛛太《くもた》。  河鹿《かじか》が跳ぶように、石から石へと、白河の流れを、足も濡らさずに渡り越えて、神楽岡《かぐらがおか》をのぼりかけたが、 「おや?」と、立ちどまって耳をたてている―― 「琵琶の音がするぜ。はてな、こんな所に邸《やしき》はなし……」ふと見下ろすと、赤松の林の中に、ポチとかすかな灯があった。琵琶の上手下手を聞きわける耳のない蜘蛛太《くもた》も、足をしばられたように聴《き》き恍《ほ》れていた。 「誰だろう?」好奇心も手伝って、――またその妙な音色にも釣られて――蜘蛛太は坂の途中から熊笹《くまざさ》の崖《がけ》を降りていた。 [#ここから2字下げ] やがて出《いず》るや秋の夜の 秋の夜の 月毛の駒よ心して 雲井にかけた時の間も 急ぐ心の行衛《ゆくえ》かな 秋や恨むる恋のうき 何をかくねる女郎花《おみなえし》 我もうき世のさがの身ぞ 人に語るな この有様も恥かしや [#ここで字下げ終わり] 「小督《こごう》だな」平曲《へいきょく》はちかごろ流行《はや》っているので蜘蛛太にも、それだけわかった。  忍び足して、裏の水屋の隙間《すきま》からのぞいてみた。ぬるい煙が顔を撫でる。炉ばたには黙然と首をうなだれて聞き入っている人があるし、一人はやや離れて琵琶を弾じている。主客ともに四絃の発しる音に魂を溶《と》けこませて、何もかも忘れているらしい姿が火に赤々と映《うつ》し出されている。 「や? ……叡山《えいざん》にいた範宴だ、法然《ほうねん》のところにかくれて、綽空と名をかえたと聞いたが、こんな所《とこ》に住んでいたのか」蜘蛛太は、拾い物でもしたようにつぶやいて、そのとたんに、琵琶の音などは頭から、掻き消えていた。 「頭領《かしら》も、知らないに違いない。こいつはまた、一杯飲める」松林を駈けぬけると、近衛坂《このえざか》の崖へつかまって、むささびのように迅《はし》こく登って行った。 [#3字下げ][#中見出し]火焔舞《かえんま》い[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  神楽岡《かぐらがおか》から北へ十町ばかり、中山を越えて如意《にょい》ヶ|岳《たけ》の裾《すそ》にあたる、一望|渺々《びょうびょう》と見はらされる枯野の真っただ中に火事かと思われるばかり大きな炎の柱が立っていて、そこに黒豆を撒《ま》いたような小さな人影がむらがっている。  この辺りは、洛外《らくがい》の端で、洛内を去ること遠い辺鄙《へんぴ》な地なので、都の人は勿論用はなし、旅人もめったに通う路ではないが、もし道に迷った者があって、これこそよき人里と思いなどして、そこへ近づいて行ったらそれこそ飛んだ目に会うにちがいない。  なぜなれば、近づいて見るがよい。  そこに大きな焚火《たきび》をしてかたまっている人間たちは、みな、羅生門《らしょうもん》の巣を追い出されてきたかのごとき異装《いそう》怪異《かいい》な男どもばかりであって、この寒い吹《ふ》き研《と》がれた冬の月の下に、野の枯草を積みあげて、人も無げに笑いさざめいている様子は、さながら、地獄絵に見る八寒の曠野《こうや》に似ている。 「頭領《かしら》、熱いのを、どうです」酒を暖めて、一人がいう。 「今夜は、酒はいくらでもある」と、べつな一人が、このよき夜を謳歌《おうか》すると、 「ただ、不足は、女がねえことだ」誰かが答える。 「ぜいたくをいうな。きのうまでは、酒どころじゃねえ。近江《おうみ》くんだりまで仕事に行って、その仕事は物にならず、地武士《じざむらい》には追んまわされ、警吏《やくにん》には脅《おど》かされ、そのうえ逃げこんだ三井寺の法師武者にゃ大薙刀《おおなぎなた》をお見舞いされて、二日二晩、食うや食わずで、ようやく生命びろいをしてきたところじゃねえか。それを思えば、こん夜の酒は、どうせ百姓家から盗みだした地酒で味はわるいが、時にとっての天禄《てんろく》の美味っていうやつだ」 「理窟はよせ」と、かたわらの者が叱った。  もう少しろれつ[#「ろれつ」に傍点]の廻らないのが、 「そうだ、俺ッちにゃ、理くつは禁もつだよ。その日その日を、こうやって、暢気《のんき》にたのしく、してえ三昧《ざんまい》に送れりゃあそれでいいんだ。なあ、頭領《かしら》、そうじゃありませんか」  天城《あまぎの》四郎は火より赤い顔をして、大きな酒の息を、氷のような月へ吐いて、 「芸なしめ、呑むと、寝言ばかり吐《ほ》ざいている。そんなこたあ、泥棒商売に入る時になぜ考えておかなかったのだ。――人間のなしうることはすべて人間がしてよいことに天地創造の神様っていう者が決めておかれてあるんだ、それをして悪いならば、神様に苦情をいえ」 「そうだとも、だから俺たちは、したいことをする」四郎は、唐突《とうとつ》に、 「汝《てめえ》たち、歌を謡《うた》いたかねえか」 「謡《うた》いてえ!」 「踊りたくねえか」 「踊りてえな!」異口同音である。 「じゃ、踊れ、謡え。――酒の尽きるまで、夜の明けるまで、騒げ、騒げ」 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり]  酒壺《さけつぼ》をたたく、鍋《なべ》をたたく。  山刀を抜いて、突如、一人が踊り出すと、また二人、また三人、浮かれ腰をあげて、道化《どうけ》た舞をしはじめる。 [#ここから2字下げ] 行きたやな 八瀬《やせ》の燈《ともし》の 夕ざれば 呼ぶよ招《まね》くよ 逢いたやな 江口の舟の 君しおもえば よぶよ招くよ 行《ゆ》いて何問わん 会うて何いわん 否とよ ものも得いわず ただ寝《いね》ましを 秋は長々し夜を 冬は戸ざして 春は眸《ひとみ》も溶《と》くる 夏は黒髪のねばきまで 世を外に ただ寝《いね》ましものを [#ここで字下げ終わり] 「あはははッ。つまらねえ歌を謡《うた》やあがる。だが、おもしれえや、わけもなくおもしろいぞ。もっと、底抜けの道化歌はねえか」四郎が、手をうってよろこぶと、図に乗って、 「あるとも!」と、焔《ほのお》をめぐり廻って、また舞いだした。 [#ここから2字下げ] 住吉|四所《よとこ》のおん前にゃ 顔よき女体《にょたい》ぞおわします 男は誰ぞと尋ぬれば 松が崎なるすき男 [#ここで字下げ終わり]  舞いぶりがおかしいといって、一同は、やんやと手拍子をあわせて爆笑した。  盗人にも盗人の理窟があり哲学があるとみえて、ここにいる限りの人間どもは、こうして家なきを憂えない、妻なく子なく身寄りなきを淋しがらない、また、明日《あす》の食い物もなく、明日は獄吏の手にかかって河原のさらし首となろうも知れない一寸さきの運命さえも、決して悲しもうとはしない。  しかも、今の一瞬に、大満足をしているのだった。この刹那《せつな》さえ楽しくあればよいとして――  ところへ。  野末のほうから風に乗って悟空《ごくう》のように素ッ飛んできた一粒の黒い人影があって、近づけば、それは子供か大人かわからない例の蜘蛛太《くもた》であった。 「頭領《かしら》、行ってきました」新しく加わった仲間を見ると、連中は、彼の首っ玉にからみついて、 「ご苦労、ご苦労」 「さあ、飲め」蜘蛛太はその手や顔を払い退《の》けて、 「頭領に話をすましてから飲むよ。酒はいいから、少し静かにしてくれ」 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり] 「どうだった、様子は?」四郎が、蜘蛛太に向ってこういった仔細《しさい》は、明日の夜、仕事に入ろうと目をつけているさる長者の家構えを、敏捷《びんしょう》なこの小男に、あらかじめ探りにやったものであった。 「だめですぜ、あの邸《やしき》は」 「ふーむ、見かけ倒しか」 「そうでもねえが、五十日ほどまえに、こちとらがあの村は荒してあるので、長者の親爺《おやじ》は、腕のできる郷士を大勢召し抱えて、今度賊が来たら、村の者とも合図しておいて、一あわ吹かせてやると待ちかまえているんです。――そんな所へ押し襲《か》けて行ってごらんなさい、これだけの人間が、半分も生きて帰るはずはない」 「そいつアいけねえ」天城四郎も、生命《いのち》が惜しむべきものであることは知っていた。 「じゃあ、ほかはどうだ」 「あっちこっちと、見て廻ったがどこだって、戸じまりのゆるそうな邸はねえ。ここは、楽に忍べると思えば、金けも什器《じゅうき》もねえがらん洞《どう》だし、ここには、みっしりと金がうなってるなと思うような邸には、今いったとおり、用心棒が頑張っているといったようなわけで……」 「だんだん、世の中が悪くなった……」四郎はやや興を失った。 「源氏や平家の有象無象《うぞうむぞう》が、討ッつ討たれつ、双六《すごろく》の賽《さい》みてえに天下の土地をあばき[#「あばき」に傍点]合っていたころには、こんな野原にも、金目な鎧《よろい》や太刀を佩《は》いた死骸が野良犬に食わせて捨てられてあったし、俺たちも、どこの邸へ火を放《か》けようが、女をさらってこようが、金をかついでこようが、咎《とが》める奴はなかったもんだが、戦《いくさ》がやんで、侍が役人になって、百姓が豊年満作を貪《むさぼ》るようになっちゃあ、もう、俺たちのほうは上がッたりで、すっかり仕事がしにくくなってしまった。――どうもこのごろの世の中はおもしろくねえ」述懐して、暗《あん》に乾児《こぶん》たちへも、このごろの収穫《みいり》の貧しい理由をいって聞かせると、蜘蛛太は、小賢《こざか》しい眼をかがやかし、 「頭領《かしら》、そう落胆《がっかり》するにもあたりませんぜ。こんな時にゃいつでも用の弁じる金箱《かねばこ》を頭領は持っているはずじゃありませんか」 「金箱を」 「忘れたんですか。――前《さき》の聖光院の門跡を」 「綽空《しゃっくう》か。あいつのことも、思い出さねえではないが、今では、法然《ほうねん》上人の門にかくれているんではどうにもならねえのだ。俺は、いちど吉水へ忍びこんで法然房と問答したことがあるが、あの上人だけは何だか怖い気がして、二度と吉水へ行く気になれねえ。それにあの吉水院の僧房には、平家や源氏の侍くずれが沢山いて、下手《へた》に捕まりでもしたら飛んだ眼にあうからな」 「ところが、そんな心配は御無用というやつですぜ。綽空は、ついここから、二十町ばかり先の岡崎に住んでいるんで」 「岡崎に?」四郎は、眼を光らせて、 「そいつは初耳だ。ほんとに岡崎にいるとすれば、汝《てめえ》たちにも、また美味《うま》い酒を飲ませてやれるが……」 [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり]  大きな唇をむすび、顎《あご》をすこしひいて、熒々《けいけい》と邪智のかがやく眼をすえながら、四郎は考えこんでいた。そして呻《うめ》くように、 「そうか。したが綽空がそんな所にただ一人で草庵をむすんでいるのはすこしおかしいぞ。聖光院の門跡の地位を捨て、吉水院の房にかくれ、またそこから一人で通うなどとは何か曰《いわ》くがありそうじゃないか」 「ひとつ探ってみましょうか」賢《さか》しく蜘蛛太がいうと、 「そうだ、俺が出かける前に、彼奴《きゃつ》の痛いところをつかんでおけば、なおさら都合がいい」 「じゃあ二、三日待っておくんなさい。きっと何か突きとめてくる」酒は乏しくなりかけたが、焚火《たきび》の焔《ほのお》はいよいよさかんであるし、明日の的《あ》てもついたという理《わけ》なので天城四郎初め元気づいて、なお蛮歌と乱舞をそれからも夜の四更《しこう》にかけて続けていたが、やがて見張役の下っ端が、遠くから、 「警吏《やくにん》が来たっ」と、呶鳴《どな》ると、 「なに、警吏《やくにん》だと?」狩矢《かりや》が、途端に二、三本、ひゅっと彼の耳のそばを唸って通った。  ばたばたと起って、いっせいに焚火の火を踏みにじるが早いか、暗澹たる煙《けぶり》の低く立ち迷う中を、見るまに、それだけの人数が一人も余さずどこかへ逃げ散ってしまった。その敏速なことといっては、到底、警吏《やくにん》などの及ぶところではない。  だが、警吏《やくにん》と見たのは、まったく手下の錯覚《さっかく》で、事実は、如意ヶ岳の尾根を通って、これから朝陽《あさひ》のでるころまでに峰へかかろうと隊伍を組んでゆく十人ほどの狩猟夫《かりゅうど》の連中だった。  そのうちの二、三名が、野の火をながめて、 「また土蜘蛛《どぐも》めが、この世をわが物顔に踊っているわい。一つ脅《おど》してやろうか」商売物の太い猪矢《ししや》をとって、ひょっと四、五本お見舞申したのであった。  煙のごとくかき消えた賊の影はいったいどこへ行ったかと思うと、曠野《こうや》のそれぞれな要所に潜《もぐ》りこむ穴があって、寒さをしのぐにも不足はなかった。  ぐっすりと寝たいだけは眠ったであろう、その翌る日、蜘蛛太はただ一人で、岡崎の綽空の庵から帰ってゆく、一人の被衣《かずき》の女を見つけて、しめたとばかりにその後を尾行《つけ》ていた。 [#7字下げ][#小見出し]五[#小見出し終わり]  幾日か後《のち》のことだ、綽空のすがたが夕方のほの明るい草庵の戸の前にもどってきて、例のごとく独り居のわが家へすがたを隠すとすぐに、がさがさと裏の林のあたりから落葉を踏む跫音と人声とが近づいて、やがて草庵の前に立ちはだかった天城四郎以下、数名の賊が、 「綽空、おるか」と、大声で内へいった。 「おう」と静かな答《いら》えである。  綽空はすぐ縁にすがたをあらわした。そこに、肩をいからせて立ち並んでいる者たちをながめても、かくべつな顔いろではなかった。  四郎は例によって野太刀のこじりを高く後へ刎《は》ね、 「また、来たぞ」一言《ひとこと》で相手を刺したつもりであろう、こういって、陰性な笑みを唇にゆがめて見せる。  綽空はわずかに顎をひいて、友でも迎えるようにいった。 「上がらぬか」四郎の左右に、これは四郎よりさらに獰猛《どうもう》な人相をそろえて、山刀の柄《つか》をにぎったり、拳《こぶし》をかためたりして示威していた手下たちは、案に相違した対手《あいて》の態度にやや張りあいを失って、頭領の顔と綽空のすがたを見くらべた。 「話がついてから上がろうじゃないか。もっとも、話がつかなけれや、俺たちは、当分、ここへご滞在となるかも知れねえが」四郎の嫌がらせは例によってモチのように粘《ねば》る。 「わしに、話とは」と、綽空。 「とぼけるなっ!」と、ここで四郎は特有な声に凄味と張りを急に上げて―― 「この前、飯室谷《いいむろだに》の大乗院で会った時に、いいおいた言葉を忘れはしまいが」 「うむ」 「ここのとこ、職業《しょうばい》が不じるしで、久しくうめえ酒ものめず、乾《ひ》あがりかけている始末。そこでおもいだしたのがおぬしだ、金が欲しい、金をもらいに来た」 「いつかも、答えおいた通り、僧門の身に、金はもたぬ、この庵《いお》にあるものなれば、何なりと持ってゆくがよい」 「いや、ないといわさん、おぬし、手紙を書け」 「誰に」 「九条殿へ、あの月輪《つきのわ》殿へ」 「月輪殿へさしあたって書状をもって申しあげる用もないが」 「あるっ」 「…………」 「綽空、おぬしは、世間をうまく誤魔化《ごまか》したつもりだろうが、この四郎は騙《だま》されぬぞ。月輪の姫とのことで、ぼろを出すと叡山《えいざん》に逃げこみ、叡山もあやうくなると吉水へかくれ、そろそろ、世間のうわさが下火になったと思うと、またぞろ、岡崎の一ツ家に移っている。なかなかうまい! だが四郎の眼力はそんな魔術にはかからぬぞ」 「何をいっているのか、綽空には一向にわからぬが」 「よしっ、その面《つら》の皮をひん剥《む》いてやるから待て。蜘蛛太《くもた》、てめえの見たことを、この売僧《まいす》に話してやれ」 「へい」待ち構えていたように、蜘蛛太は手下の中から怪異な顔を出した。 [#7字下げ][#小見出し]六[#小見出し終わり]  そこで蜘蛛太が頭領の四郎にかわって野良犬がほえるようにいうことを聞くと、この草庵へ毎日のように通ってくる女がある、のみならず女は、綽空の留守には、洗い物をしたり夜の支度までして帰る。その帰るところを尾行《つけ》てみると、九条の月輪殿のお館《やかた》で、女は、姫の侍女《かしずき》の万野《までの》だということまで洗ってあるのだ――といって力《りき》み返《かえ》るのだった。 「おぬしと、姫とが、きれいに手の断《き》れたものなら、姫の侍女《かしずき》が来て水仕業《みずしわざ》の世話まで焼くはずはねえ。そうして、てめえは世間を甘くごまかしているのだ。どうだ、恐れ入ったろうが」止刀《とどめ》を刺したもののように四郎が言葉の結びを付けると、綽空はそれに対して、一言のいいわけをするのでもなく、 「いかにも、お汝《こと》らのいうとおりな事実はある。しかし、それは貧燈の一僧をあわれむお方の布施《ふせ》であるほかに何ものでもない」 「女と男の間のこと、何といおうが、俺たちは合点せぬ。それとも、俺たちのいい分に不服があるか」 「ない」 「ふん……さすがに返す言葉がねえわ」と、あざ笑って、 「しからば、月輸殿へ、手紙を書け。この男に応分の喜捨《きしゃ》を頼むと。――話のすじはこっちでする」 「月輪殿に、何の科《とが》があろう、みな綽空のいたらぬことによる。綽空を責めよ、綽空の法衣《ほうえ》なりと剥《は》げ」 「ばかなっ、そんな破《や》れ衣《ごろも》がいくらの飲《の》み代《しろ》になると思うか。――もうよし、くどい問答は切りあげて、また出直そう」もっと粘《ねば》るかと思いのほか、四郎は手下を連れて、あっさりと引揚げてしまった。  しかし、それから四、五日後のこと。  どこへ行って戻られたのか、九条の月輪殿の門前に、一|輛《りょう》の輦《くるま》がついて、その中から主《あるじ》の月輪禅閤《つきのわぜんこう》が降りた姿を見とどけると、突然、物蔭から精悍《せいかん》な眼を光らせて走って来た天城四郎が今しも邸内に入ろうとする禅閤の法衣《ほうえ》の袂《たもと》をとらえて、 「待てっ」と、どなった。  禅閤はふり向いて白い眉毛の蔭からじろりと男の顔を見、すぐ何かを感じ取ったもののように、 「用事は、執事《とりつぎ》にいうてくれ」と落着いた顔でいった。だが、驚いたのは、周囲にいあわせたこの館《やかた》の小侍や稚子《ちご》や牛飼たちで、 「こらっ、何するか」 「無礼者っ」隔てようとして立ち騒ぐと、 「うるせえっ」一喝《いっかつ》して、 「めったに、俺のからだに触ると、蹴ころすぞっ。てめえ達に用があって来たのじゃねえ、この間から、いくら使いをよこしても、ウンともスンとも返事がねえので、今日は自身で月輪殿に談合に来たのだ。黙ってひかえていろ」そして、たとえ、刃物沙汰に及んでも離すまじく示して、 「月輪殿、おれの談《はなし》を聞け」と、喚《わめ》きたてた。  すわ、九条殿の館の前に、何事かが起ったぞと、物見だかい往来の者が、一人立ち二人立ち、もう垣をなすほど集《たか》っていた。 [#7字下げ][#小見出し]七[#小見出し終わり]  供の侍は、ついにたまりかねて、 「おのれ、慮外な振舞いをなすと、六波羅の糺明所《きゅうめいじょ》へ突き出すぞよ」四郎の袴腰《はかまごし》をつかんで、月輪殿の側から引きもどそうとすると、振向きざま、 「何、おれを警吏《やくにん》へ引き渡す? おもしろい、糺明所へでもどこへでも突き出してもらおうじゃねえか」 「いいおったな」組んで捻じ伏せようとすると、 「見損なうなっ」いきなり拳《こぶし》を侍の横顔へ見舞って、あっとよろめく腰を蹴とばした。そして、なおもかかってくる牛飼や家人《けにん》たちを、ほとんど、人間視せぬほど蹴ったり投げ飛ばした揚句《あげく》、そこに人垣をつくってわいわいと騒いでいる往来の者たちへ向って、 「おい見物人、めったに白昼は拝ませねえことにしている俺の面《つら》を、今日はぞんぶんに見せてやる、よく見覚えておけば何かの時の徳になろう、俺こそは天城四郎という賊の頭領《かしら》だ」傲然《ごうぜん》と見得を切って――さらにまた、 「月輪殿へ忠義だてしてえ奴は、今のうちに、六波羅の警吏《やくにん》へ訴えてやるがいい。――だが一言《ひとこと》断っておくが、俺が今日ここへ来たのは、決して、押込に来たのでなし、強請《ゆすり》かたりに来たのでもない。ただ月輪殿に会って、談合《はな》したい事件《こと》があって、それも前々から手紙をよこしたうえで来ているのだ。ところが、なんのかのといって、会わせねえから、ここで当人を捕えたという仔細。――いったいこれが何の罪になるかよっ! 往来人に一つ聞きてえものだ! しかもだ、その相談というのは、この館の愛娘《まなむすめ》と、さる坊主との間に忌《いま》わしい噂が立っている。その坊主とかくいう四郎とは、切っても切れない宿縁があるところから、その喧《やかま》しい問題に、一つ思案の口を利《き》こうと思うてやってきたのに――その親切気をも無にしやがって、この剣もほろろの扱いはどうだ。怒る方が無理か、木戸を突く奴が無理か」喚《わめ》きたてて、暗に、事あれかしな群集の心理を煽動《せんどう》し、かたがた、自己の目的をとげようという四郎の狡獪《こうかい》な陰険なゆすり[#「ゆすり」に傍点]の手段は、思わず身の毛をよだたせる。  往来人は、彼にそういわれると、めったにそこを去ったら六波羅へ密告に行った奴と睨まれるかと、後難を怖れてただ釘づけになっていた。  しかし、その隙《すき》に、かんじんな月輪殿が、彼をおいて、門のうちへ隠れこんでしまったので、ふと、気がついた四郎は、再び火の玉のような怒気を燃やして、 「あっ、逃げやがったな」立ちふさがる家来たちを、縦横にふりとばしながら邸内へ暴れこんで、 「会わせろ、禅閤がどうしても会えないならば、姫に会おう、俺が何で来たかは、姫に話してやる、まず、侍女《かしずき》の万野《までの》という女を出せ」  前栽《せんざい》に突っ立ちながら、奥殿のうちまで鳴りわたるような声していつまでもどなっていた。  ところへ、誰か急を訴えたとみえ、六波羅|侍《ざむらい》が四、五人、馬で駈けつけてくるがはやいか、群集を追って、門前でひらりと鞍から降りた。  邸内にはまだ四郎のわめくのが、聞えているのである。 [#7字下げ][#小見出し]八[#小見出し終わり] 「まったくの四郎か」六波羅侍は、念を押す。月輪殿の家来は、 「まちがいございませぬ」ふるえながら答えた。 「よろしい、召捕ってしまうから心配いたすな」やがて後から殺到した捕吏《とりて》の者を、館の外へ配置して、太刀の反《そ》りを打たせながら侍たちはずかずかと前栽のうちへ入って行った。 「あれだな」四郎の姿を認めて、六波羅侍の三名が佇《たたず》むと、天城四郎は、奥殿へ喚《わめ》いていたその赭《あか》ら顔を、こっちへ向けて、 「? ……」じっと無言になった。 「不敵な兇賊《きょうぞく》めっ、うごくなっ」呶鳴った侍が、逞しい体をいきなり打《ぶ》つけて行くと、 「畜生っ、六波羅へ告げやがったな!」呪詛《じゅそ》の一声を、館のうちへ投げるが早いか、四郎は猛然と格闘をうけた。そして、 「野郎っ」と、相手に充分組ませておいて、ふところから抜いた短刀で、その侍のわき腹を抉《えぐ》りつけ、 「どいつも、近寄ると、こうだぞ」死骸をどんと突き放した。 「や、や」気を呑まれた他の顔へ、血潮で塗られた短刀を投げつけると、彼の体は、ひらりっ――と寝殿の前にある大きな松の根がたまで、風を孕《はら》んだように飛んでいた。  追いすがる間もない――するすると、その幹へ、四郎の姿は栗鼠《りす》のように迅《はや》く登っていた。 「おのれ」その下まで、侍たちが駈け寄った時は、四郎の身はすでに、一つの枝から大屋根の上へ跳び移っていて、 「馬鹿っ」と、下へ呶鳴りつけた。  言葉のうえのみでなく、顔つきにまで、その罵倒《ばとう》の意味を表現して、白い歯を剥《む》きだしながら、からからと、大屋根の上で高くあざ笑った。 「てめえ達とは、体のできが違うぞ、天城四郎は、不死身なのだ、源三位《げんざんみ》の矢も、俺には通るまい」憎々しい見得を切って、大殿の屋根の峰を濶歩《かっぽ》するように、手を振って、ばらばらと東の方へ翔《か》けだした。 「捕れ」 「射ろ」騒ぐうちに、どこからどう失せたか、姿は見えなくなって、ただ門前の群集だけが、絵巻の妖怪を白昼に見せられたように、わいわいと騒ぎ立っていた。 「おもしろい男だ」 「悪党もあのくらいになれば、大したものだ」 「つまり、武家だの僧侶ばかりが、あまり威ばっているので、ああいう反逆者が生れるんでしょうな」 「たくさんは困るが、一人や二人は、あんなのもいたほうがいい」そんなことをいって容易に立ち去らない群集の中に、黒い法師の頭巾を頭からかむって天城四郎はいつの間にかまじっていて、 「盗賊は、まだ捕《つかま》らぬか。はて、のろまな警吏《やくにん》だ」と、後ろへ供につれている童《わっぱ》のような小男――蜘蛛太《くもた》を顧みてにやりと笑っていた。 [#3字下げ][#中見出し]春信佳便《しゅんしんかびん》[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  他人が窮すれば窮するほど、それを眺めて、おのれの快味に供えるのが、天城四郎の性格である。  まして。  月輪殿へ押しかけて行って見事に苦杯を舐《な》めた彼は、それへ報うに、あだをもってしずにはいない。  あのことがあって間もなく、巷《ちまた》には誰がいい出すともなく、月輪殿に対して、はなはだ好ましくない風説がさかんに凡下《ぼんげ》どもに取り沙汰されて今や九条のその館《やかた》は、市人の興味の的《まと》になっている。  どんなことかというに、いずれも取るにたらない中傷に過ぎないのであるが、衆口は金をも熔《と》かすたとえに洩れず、それがいかにも秘密箱らしく、また、真をなして語りつたえられているから怖ろしい。  月輪殿の人格へ。末姫の玉日姫へ。その家族へ。  あらゆる嘘を飛ばして中傷の泥を塗るのであった。無論、その出どころは、四郎だった。  年を越えても冬空は蕭殺《しょうさつ》として灰色の暴威をふるっていた。建仁三年の一月の朝である。  綽空《しゃっくう》は、その朝――まだ暗いうちに岡崎の草庵を出て、白河のほとりを、いつもならば西へ下るのに、叡山《えいざん》のほうへ真向《ひたむ》きに歩いていた。  雲母坂《きららざか》へかかっても、まだ夜は明けなかった。  憮然《ぶぜん》として、彼はそこに立っていた。見覚えのある樹、見覚えのある石、このあたりの草は、かつて玉日姫の涙でぬれたことがある、万野《までの》の膝の下に敷かれたことがある。  暁闇《ぎょうあん》の空で、大きく鴉《からす》が啼く。――綽空はまた、無言で山へかかった、力のある足どりである、この山坂を九十九夜通いつづけていたころのあの迷いを追っている足ではない。  びっしょりと、満身が汗になる。白い息を吐きながら、彼は、根本中堂の前に立った。そのころ、やっと雲は紫いろの海と化して、ほのかに、今日の太陽を生みかけている。 「……まだお寝《やす》みか」綽空は一つの僧房の裏に立って閉ざされてある戸をながめた。そこは、座主《ざす》の寝所である。  やがて、中堂の鐘が大きく鳴る。汗はすぐ氷になって、綽空の肌を噛むように凍えさせた。しかし、綽空は凝然《ぎょうぜん》として佇立《ちょりつ》していた。  何気なく、彼の眼の前の戸をあけた僧は、そこに立っている人影を見て、びっくりしたように尋ねた。 「あッ、どなたでござるか」 「綽空にござります。座主お眼ざめなれば、お取次ぎくださいまし」 「お、範宴どのか」僧は、思い出して、いよいよ、いぶかしい面持ちをしながら、あわてて奥へかくれた。  すぐ戻ってきて、 「お通りください」と、いう。  すでに、清掃された一室に慈円《じえん》は坐っていた。青蓮院《しょうれんいん》を出て、慈円僧正は昨年から二度目の座主の地位について、この山にあるのであった。 「綽空か」久しく聞かなかったこの声を綽空は下げている頭の上に浴びて、 「はい……」しばらくは顔を上げ得なかった。 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり]  手をつかえて、顔を上げる前に、綽空はこもごもにわきあがる慚愧《ざんき》やら懐かしさやらで胸がふさがってしまうのだった。  九歳の童《わらべ》の時から子のように教えられ育てられてきたこの老師と会う時は、どういうものか、いつも御苦労をかけるようなことの場合のみである、済まないといってよいか、申し訳ないといっていいか、いやそんな生やさしい言葉ではいい現わせない感情なのである。  しかも、今朝、唐突にここへ来た用向きは、さらにこの老師にまたもや深刻な御苦労をわずらわすかも知れない問題をひっさげて来たのであった。いや、あるいは、場合によって叡山《えいざん》の座主たる老師をも敵とするかも知れない大事なのだ。 (どうお話し申そう)綽空はそれに思い惑う。  しかし、慈円はいつもと変らない。――幾歳《いくつ》になってもまだ子供のように彼を見るくせがついている。 「見えたの、めずらしゅう」 「はい」老師の近ごろの健康のもようとか、時候の挨拶とか、また、自分が吉水へ入室してからのことどもなど、いうべきことも、詫びることも、山ほど胸にはあるのだったが、今朝はそれさえも長々と述べてはいられない綽空の気持であった。  顔を上げて、すでにここを訪《と》おうと思い極めた時の決心を、今、磐石《ばんじゃく》のように自身の胸に甦《よみが》えらせて、 「今朝《こんちょう》は、師にお願いがあって、参じたのでございます」と、いった。  語気が、異様な力を持って、慈円の耳を打ったと見え、慈円は、きらと、眉の下に眸を澄ました。 「む。……なにかの?」 「お驚きくださいませぬように……」すると慈円は和《なご》やかに笑って、 「おもとが、さようにまでいったことは、九歳《ここのつ》の時、得度《とくど》を授けてから今日まで、わしは初めて聞いた。よほど大願よな」 「大願。……真実、綽空が大誓願《だいせいがん》にござります」 「なんじゃ、それは」 「月輪殿のお末女《すえ》の方、玉日姫を、わたくしの妻として乞いうけたいのでございます」 「ウウむ……」喉《のど》で何かを抑えつけたような慈円のうめきであった。さすがに動じない老師の面《おもて》もただならない波立ちである。綽空はとたんにぺたっと両手をついて耳もとを茜《あかね》のようにしているのだった。 「玉日を……妻に……。……妻にとか?」 「はいっ」 「…………」慈円は大きく唇《くち》をむすんで天井を仰いでいるのであった。いつまでも、そうして、ふさいだままの眼であった。ポロ、ポロ……と綽空の顔の下では涙のこぼれる音がする。  やがて、慈円が、 「どういう決心で」重圧を加えるような低声でこう問うと、弦《つる》のごとく緊張《はり》つめていた綽空は言下に、 「この一身に、念仏門の実相《まこと》を具現いたすために。――また、この身をも、念仏門の実光《ひかり》に救われたいがためにです」と、全身すべて信念の塊《かたま》りのように構えて、そう答えた。 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり]  それなり慈円|座主《ざす》も綽空もじっと黙って坐っていた。ふたつの巌《いわお》がそこへ生《は》えているように。  ――これは死を決して来たな。と、慈円は感じた。すくなくもそれくらいな覚悟がなければ今のことばは吐けないはずである。  ――傷《いた》ましい。とも思い遣るのだった。きょうまでの経緯《けいい》を何もかも慈円は知っている。そして、誰よりも案じている。誰よりも綽空の大成を祈っている。  ――しかし。彼が今、突然にいい出した希望は、あまりに問題が大きすぎる。綽空のあらゆる苦悶と仏法に対する内燃がここ数年前からその問題にあることは慈円もよく知っていたし、芽生えのころから彼を見ている師としての理解も充分持っているつもりであるが、さて、こう現実にその解決を迫られても、所詮《しょせん》、僧として、いわんや天台の座主として、 (よし)とも、 (よかろう)とも、いい得ることではない。けれどまた、綽空が、 (玉日姫をわたくしの妻に乞いうけたい)という率直な叫びをここでするまでには、実に、何年間の苦悩、疑問、自責、そして肉体との血みどろな闘いをもとげてきた上であって、決して、一朝一夕の思いではないことも分る。  そうした暗黒の彷徨《さまよい》から出離して、念仏門へ一転した綽空は、そこでも、ただ易行往生の教えだけに安んじていられなかったと見える。いや、自身がすでに信念していたある真理への「鍵」に対して、法然の教理からさらにつよい信念を加えてきて、いよいよ、 (こう行くのがほんとだ)  と、臍《ほぞ》を固めに固めたあげくここへきたに相違ないのである。たとえ、自分が反対しようが、社会が挙げて拒《こば》もうが、彼は百難と闘っても、その誓願へまっしぐらに進むかも知れない。  ――弱ったことだ。慈円は、たった一言《ひとこと》をいうのに、こうまで深刻にためらったことはない。ものを思判する自分の脳髄《のうずい》が是非の識別をする力を失ってしまったのではないかと疑われるほどいつまでも考え込まずにいられなかった。 「――朝のおつとめのお邪《さまた》げをいたしました。お暇《いとま》申しまする」綽空は、そっと、縁のほうへ身を退《しさ》らせていた。  慈円は、瞑目したまま、 「待て」といった。 「はい……」素直に、綽空はうずくまる。 「すぐ下山するか」 「いえ」しばらく間をおいて―― 「登りましたついでと申しては憚《はばか》りがございますが、根本中堂、山王七社を巡拝して、なつかしい飯室谷《いいむろだに》へも久しぶりに、立ち寄って参るつもりです」 「体を、大事にせい」是とも非とも、綽空の希望に対してはなにも答えないで、慈円は顔をそむけて眼をうるませていた。 [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり] 「この梅も大きくなったな」綽空は、山王の社前にある梅の樹を見あげていた。  そこらの石、燈籠、すべてに懐かしげな眼をやって、 「二十年経った……」と、独り想う。  峰から東塔《とうとう》の沢へ出て、やがて飯室谷へ来る間の眼にふれる物も、すべて彼とは旧知の山水である。  ――十歳の年から二十年の今日まで。  彼は、ひそかに、別れを告げていた。ことに長い間、自力難行の惨身《さんしん》を曝《さら》した大乗院の門を仰ぐと、いい知れない感慨につつまれて、しばらく、立ってそれを仰いでいた。  今や自分は、この自力難行道の床《ゆか》を捨てただけに飽き足らないで、さらに、すべての僧人が鉄則としている持律戒行《じりつかいぎょう》のすべての古い殻《から》を蹴破ろうと決意しているのだ。三十一歳までの清浄身《しょうじょうしん》を、擲《なげう》って、現在の僧侶にいわせれば、汚濁《おじょく》の海、罪業の谷ともいうであろう、蓄妻《ちくさい》噉肉《たんにく》の徒《やから》になろうという意志を固めているのだ。所詮、叡山は二度と自分を容れまい――容れる雅量があるまい――今日が別れである。あしたは、綽空一箇を法敵としてこの山は鳴り怒るであろう。彼はそう思いながら、飯室谷を去った。  だが――彼の信念がそうしていかに強く固まってさても、玉日姫を力で奪ってくるわけにはいかなかった。また、彼の夢みている大誓願も、彼女以外の女性では絶対にならないのである。綽空はまた、以前とはちがう苦悶に堕ちた。 (どうしたら彼女を獲られるか)それを考えることは、真理の影を追うよりも困難に思われた。誰よりも、人間として自分を知っていてくれる師の慈円ですら、黙して答えなかった。 「いっそ月輪殿へ、自分で――」と考えつめることすらある。しかし、それがいかに狂人に似た振舞であるかをも同時に思わずにはいられない。  今、玉日姫は、世間のうわさがうるさいために、西洞院《にしのとういん》の別荘のほうへひそかに身をかくしているといううわさである。例の天城四郎が館《やかた》を脅《おび》やかしてから侍女《かしずき》の万野《までの》もその後はふッつりと岡崎へすがたを見せない。おそらく、禁足を命じられているのであろう。  そこへは、近づき難いし、姫の便りも断ち切られたが、綽空の夢は、ほとんど、ある夜はそっと彼の肉体をぬけて、姫のすがたを見ることもあった。  ことに、一夜一夜、星の光も温かい春の宵となるにつれて――  ある朝だった。  綽空は、ゆうべの夢を、紙片に書きとめて、誰にも見すべきものではないとして、自分の手箱の底に秘めておいた。 [#ここから2字下げ] 行者宿報設女犯《ぎょうじゃしゅくほうせちにょぼん》 我生玉女身被犯《がしょうぎょくにょしんひぼん》 一生之間能荘厳《いっしょうしけんのうしょうごん》 臨終引導生極楽《りんじゅういんどうしょうごくらく》 [#ここで字下げ終わり]        *  叡山《えいざん》から降りて来た一人の寺侍がある。一枝《いっし》の梅に、文書《てがみ》を結《ゆ》いつけて、五条の西洞院へはどう行きますかと、京の往来の者に訊《たず》ねていた。 [#7字下げ][#小見出し]五[#小見出し終わり]  父の禅閤《ぜんこう》は、日課のように、九条からこの西洞院の別荘へよく通っていた。  そして、奥へ通ると、 「今日はどんな様子じゃな」と、まず声をひそめて、薬湯《くすり》のにおいの中に寂《しん》としてかしこまっている侍女《かしずき》のものに訊くのが例であった。  昼も妻戸をほのぐらく垂れこめて、青金《せいきん》の砂子《すなご》のみが妖美《あやし》く光るふすまの隅に、薬湯《くすり》の番をしている侍女《かしずき》たちも、そこを隔てた姫の部屋を憚《はばか》るようにして、低声《こごえ》に答えるのであった。 「ゆうべは、常になく、ようお寝みあそばしました」 「……眠れたか」父の君は、それだけのことでもほっとしたように眉をひらく。 「食べ物は……」 「お食は、どうもまだ」 「すすまぬか」と、顔が曇る。  ――やがて姫の病間に入ってゆくと、そこもまた、春の訪れをかたく拒《こば》んで、昼も蔀《しとみ》をおろし、鏡は袋に、臙脂皿《べにざら》や櫛は筥《はこ》のうちにふかく潜《ひそ》められたまま、几帳《きちょう》の蔭に、春はこれからのうら若い佳人が、黒髪のなかに珠の容貌《かお》を埋めて、もう幾月かを病に臥《ふ》しているのだった。 「どうじゃな」父の禅閤は、そういって、姫のそばに坐る。  姫は、眸で、 (え、え……)うなずいてみせるが、何ということばもなく、そのまま、眼《まなこ》をとじて、黙ってしまう。  閉じている姫の瞼《まぶた》が、すぐ泪《なみだ》をつつんでしまうことが父にはわかる。不愍《ふびん》――とすぐ思うのでもあったし、また、 (困ったものだ)という嘆息《ためいき》もつい出てくる。  いったい禅閤の君は、まだ法体《ほったい》にならぬまえは――月輪関白|兼実《かねざね》として朝廟《ちょうびょう》の政治に明け暮れしていたころは、非常に気も昂《たか》く強く、七人もいる息女《むすめ》たちのことにでも屈託《くったく》などしたことのない性格であったが、いつの年であったか、最愛の長男が不慮の死をとげたり、また、政敵のために廟堂《びょうどう》から職をひく身になったり、いろいろ晩年の境遇が変ってくるにつれ、その人生観にも大きな変化がきて、禅閤という一法体になってからは、すっかり性格までが柔かになって、子にもひどく甘くなってきて、自分でも、 (わしは子煩悩でならぬ)と、人にも語るほどだった。わけても玉日は、いちばんの末娘ではあり、他の姉はみな嫁《とつ》ぐべき所を得ているのに、この姫《むすめ》だけが、とかく幾ら縁談があっても、 (まだ――)とか、 (あの一族の家《とこ》では)とか、容易に嫁ぐといわないでもう世間なみからいえば、遅い婚期になっているのでもあるが、せめてこの姫《むすめ》一人だけは、老《お》いの身の側から離したくない気もするしで、盲愛といってもよいほど、父の禅閤の君は、この姫が、可憐《いじら》しくて可愛くてならないのであった。 [#7字下げ][#小見出し]六[#小見出し終わり] 「なんぞ、食べとうないか」父の君が、やがていう。  姫は、水藻《みずも》の中の月のような白い顔と黒髪とを、かすかに、横に振るだけである。 「食べんでは、人間、生きておられぬぞ」 「…………」 「若い身で、なんじゃ」そっと――病人の感傷に気がねしつつ――叱るのである。 「女子《おなご》の楽しみ、人と生れたよろこび、すべての春は、これからではないか」 「…………」 「気をとりなおして、すこし、食べたい物でも考えたがよい。医薬士《くすし》もいうた、お汝《まえ》のからだには、どこというて、病はないのじゃと。ただ、心がわずろうているのじゃと」姫は、じっと睫毛《まつげ》に白珠《しらたま》をためながら、 「でも、お父さま……」何かいおうとしたが、 「すみません」と、ただ微《かす》かに詫びる。 「すむも、すまぬもない。そんな気づかいがそもそもわるい。そうじゃ、もうこの別荘の梅林も、きょうあたりはだいぶ綻《ほころ》びていよう、そこの蔀《しとみ》を上げてみい。――万野《までの》」いたのかいないのかわからぬように、几帳《きちょう》のうしろで、じっと俯向《うつむ》いていた万野は、その時はじめて、 「はい……」と返辞をして、 「姫《ひい》さま、すこし、戸外《おもて》の光をご覧あそばしますか」  身をのばして、姫の顔へ訊いた。 (嫌《いや》……)というように、姫は、よけいに沈んだ顔いろを見せ、さらにまた、父へ、 「わたくしは、どうしてこう不孝者に生れついたのでございましょう」それから――よよと低くすすり泣くのであった。  禅閤は、なぐさめる言葉もなく、腕をこまぬいてしまった。押し出されるように太い息が出るのであった。  姫のこういう状態が、何に原因しているかを、この父の君は、薄々知らないこともないのである。――しかしそれは父子《おやこ》の仲でも口にのぼせない問題だった、もし口にするならば、姫の状態をもっと悪くすることが分りきっているし、父としてのいうべき意見もいわなければならない――。それが、禅閤はおそろしかった。  願わくは、姫が、何らかの動機でこのままその心のものを解消するか、忘れてくれれば――と祈るのであったが、事実は、反対に、日と共に、姫の胸には、その病源がふかく蝕《く》い入ってゆくように思われる。 (何としたものか)ほとほと困りぬいているらしい父の禅閤の眉はまた、子をもつ親の苦悩を深刻に抉《えぐ》っていた。と――次の室《へや》で、侍女《かしずき》が、 「万野《までの》さま。ちょっと……」と、小声で呼ぶ。 「お医士ですか」 「いえ、お文状《ふみ》でございます――禅閤様へ」 「わしへ」禅閤はふりむいて、この別荘へ、誰からの使いであろうかと疑った。 「そちらへ置け。今参る」そういって、姫の枕元からそっと起ちあがった。姫は、かすかに、弱い眸《ひとみ》で、その父の顔いろを枕からじっと仰いでいた。 [#7字下げ][#小見出し]七[#小見出し終わり] 「文状《ふじょう》は、どこへ置いてじゃ」東園《とうえん》の広い梅林に向っている一室へ出てきて、月輪殿は、眼をしばたたいた。多分、暗い病室から急に明るい陽ざしの前へ出てきたので、まばゆさに、眸がじらっとしたのであろう。  表の召使が、縁の端から、 「おてがみは、お館様へ、直々《じきじき》におわたし申しあげたいと、使いの者は申しおりまする」 「どこからじゃ、その使いとは」 「叡山《えいざん》の座主《ざす》様から」 「ほ。……弟から?」といって、にわかに、なつかしそうに、 「通せ」 「いえ、もうそれに控えておりますので」見るとなるほど――縁の西側に、一人の坊官《ぼうかん》が庭上に屈《かが》まっていて、声のかかるのを待っている態《てい》である。 「お汝《こと》か、慈円からの使いは」 「はい。……畏《おそ》れ多いことにござりますが、この文状《ふじょう》ばかりは、直《じか》に、お渡しせいと、申しつかって参りましたので」 「大儀じゃった」梅の枝を、その寺侍の手から取って、 「やすんで行け」と、ねぎらった。  月輪殿は、その後で、召使たちをも退《しりぞ》けて、ただ一人になってから心静かに文状を解いた、そして読みゆくうちに顔いろに沈痛な影がうごいてきた。明らかに当惑な――そして最大な苦悩を心のうちで揺りうごかされている眉だった。 「弟も、弟ではある」その文状には、こういう意味のことが書いてあった――。今ここに一人の青年が死か生かの岐路《きろ》に立っている。見ごろしになし得ない仏者である自分にも、この青年をすくうて取らす力がない。青年とはいうまでもなく自分が九歳の時から手しおにかけて愛育した綽空《しゃっくう》であるが、なんとか、ご分別はないか――よいご思案はないか――。師たる自分からも満腔《まんこう》の念祷《ねんとう》をもってご賢慮《けんりょ》におすがり申す――というような内容なのである。 「弟も、弟じゃ……」月輪殿はふたたびこうつぶやいて、眼をふさいだ、脆《もろ》い老涙《ろうるい》が睫毛《まつげ》からはらはらと下る。 「その分別があるくらいなら、この身とて、こう苦労はせぬ。……弟は綽空がことしか知るまいが、わしは、現実に我が子の病躯を朝夕に見て苦しんでいるのじゃ」弟の慈円が、今さらそんなことをいって遣《よこ》すことが、月輪殿には、むしろ不満だった。骨肉的な軽い憤《いきどお》りすらおぼえて、 「この身の苦悩は、それどころか」一門の長上という身でなければ、愚に返って、よよと泣いてしまいたいほどな感傷に禅閤ほどの人も子のためにはつつまれるのであった。だが、その感情の波をしずめて、もいちど、常の平常さをもって弟の慈円の文状を見直すと、なるほど、辞句のうえではそれだけのことしか書いてないが、言外に、一つの大きな意義を伝えているようでもある。それは、窮《きわ》まる所に通ずる道のあることを暗示しているのだった。 (なんらかのご分別はないか)という言葉は、決して、単にそれだけの言葉ではなく、なにか、兄の月輪殿を叡山から叱呼《しっこ》して励ましているようにも聞えるのであった。 [#7字下げ][#小見出し]八[#小見出し終わり]  親戚《しんせき》という名に繋《つな》がっていても、平常《いつも》はめったに顔を見せない不沙汰《ぶさた》者までが、今夜は一堂に寄ったのである。月輪殿の一門といえば、それぞれ顕栄の地位にあるか、社会的に相当な生活をしている者ばかりで、いわゆる上流人のみの一族なので、よほどの問題でもなければ、こうして皆が集まることはなかった。 「なんの相談と思うて来たら、玉日を、綽空とやらいう念仏の一|沙弥《しゃみ》に娶《めあ》わそうと仰せらるるよ。月輪殿の言葉と思うて、誰も、遠慮していわぬらしいゆえ、わしが、親戚一同にかわって、真っ先に申そうならば、もってのほかな沙汰という他《ほか》はない。わしは、一門のために、こよいの話には、承服できぬ」いつも親戚評議というと、重きをなす老翁《ろうおう》が、一同の沈黙をやぶってこう意見を述べると、その尾に従《つ》いて、 「どうものう……」と、賛意を拒《こば》む色が、誰の顔にも濃くあらわれた。 「第一、僧が妻帯するなどということは、法外もない沙汰じゃ。それへ、末姫《すえむすめ》を嫁《や》りなどしたら、月輪の一門は、気が狂うたかとわらわれよう」 「いかに、綽空とやらの家柄がよいにせよ、秀才にせよ――」 「まして、悪い噂がある折じゃ。姫がどう望んでいようと、家名には換えられぬ、一族|門葉《もんよう》の者が、挙げて、世間から非難されても、かまわぬという決心ならやむを得ぬが」 「いったい、お身があまりに、玉日を、末姫《すえこ》じゃと思うて、可愛がりすぎるゆえ、こんなことも起るのじゃ」 「断念されい。皆が、この通りに不承知なもの――」と、誰ひとり、月輪殿の心を酌《く》んで、それについて、方法なり策なりを考えようとする者さえなかった。  禅閤は、絶えず、沈黙して、親戚たちの詰問を浴びているほかなかった。自分から招いて相談を持ち出したことであるが、 「月輪殿も、少々、お年を召されたらしい。こんな、明白な分別がつかぬというのは、お年のせいじゃろう」などと親類たちから笑われたに過ぎなかった。  また、それに対して、禅閤自身も、押しきるだけの自信がなかった。親類たちの言葉はみな彼自身が考えもし悶《もだ》えてもいることなのである。そして、自分の常識が、やはり大勢の者の常識であることが分ると、彼はなおさら、手も足も出なくなってしまうのだ。 「断じて、さような考えは、おすてなさるがよい。なあに、姫の病気《いたつき》なども、若いうちにはありがちなこと。ほかに、よい聟《むこ》ができれば、忘れてしまうものじゃ」親戚たちは、釘を打つように、そういって立ち帰った。  当惑の闇が、幾日も月輪殿の胸から晴れなかった。西洞院《にしのとういん》の別荘へゆけば、そこにもまた、冬のままに閉した病間が、氷室《ひむろ》のように彼を迎えた。  きょうも、その西洞院へ、姫の容態を見にゆくといって月輪を出た禅閤は、途中でなにを思いついたか、 「吉水《よしみず》へやれい」と、輦《くるま》のうちから供の者へ向って、唐突にいいだした。 [#7字下げ][#小見出し]九[#小見出し終わり]  吉水の念仏道場は、およそ三つの房《ぼう》にわかれていた。二つ岩の房(中の房)――松の下の房(東の新房)――吉水の房(西の本房)の三箇所である。  上人《しょうにん》は多く西の本房に住んでおられた。月輪殿はもう幾度かここを訪ねているので、轅《ながえ》をそこへ向けて、 「上人に拝謁《はいえつ》申しあげた上、折入って、御垂示をねがいたい望みでござるが、御都合のほどはいかがでござりましょうか」と、供の者に訪れさせた。  ――お目にかかろう。という上人の返辞であった。  しかし今は、随身の人々へ法話の最中であるからしばらく一室でお待ちねがいたいという取次の者の挨拶なので、月輪禅閤は、庭前に小さな滝の見える一間《ひとま》に入って、法話のすむのを待っていた。  春はもう去りかけている。滝つぼには落花《はな》の芥《あくた》が浮いたり沈んだりしていた。どこかで、老鶯《おいうぐいす》が啼きぬくのである。 「――ただ今までの法然《ほうねん》の話にて、ほぼ、往生の要に、二つの道のあることをご会得《えとく》召されたであろうと思う。往生とは、必ずしも最期という意義にはあらず、死にも非ず、文字どおり、往《ゆ》きて生きること、すなわち、往生なのでござる。――往きて生きんかな、往きて生れんかな。御仏《みほとけ》の功力《くりき》――大慈悲の恵みこそは――生きんとする者にのみこそ、始めて無辺の照光あるものでござる」彼方《あなた》の道場から若々しい力のこもった法話の声がきこえてくるのだった。法然の声なのである。  月輪殿はそこに控えている間を、黙然と、うつ向いて耳を澄ましていた。  法然の声はさらにつづいてゆく。 「――しかしながら昨日《きのう》まで、おのおのの歩まれてきた道は、自力|難行《なんぎょう》の聖道門《しょうどうもん》でござった。同じ住むを目的《めあて》とするも、その道のいかに難《かた》く、いかに惑い多く、またいかに達し難き道門であるかは、つぶさにご体験あったことと存ぜられる。では、わが浄土門他力の御法《みのり》はいかにといえば、かの竜樹菩薩《りゅうじゅぼさつ》も仰せられたごとく――仏法に無量の門あり、世間の道に難《なん》あり易《い》あり、陸路のあゆみは則《すなわ》ち苦しく、水路の舟行は則《すなわ》ち楽し――とあるとおりでござる。天親菩薩《てんじんぼさつ》は、千部の論師といわれたお方なれど、往生の一段にいたっては、あまねく諸〻《もろもろ》の衆と共に、安楽国に往生せん――と、一心に尽十方無碍光如来《じんじっぽうむげこうにょらい》に帰命《きみょう》したまい、曇鸞大師《どんらんだいし》は、仙経を焼きすてて、他力に帰し、道綽禅師《どうしゃくぜんじ》は、大集月蔵経《だいじゅうがつぞうきょう》のうちに億々の衆生《しゅじょう》、行《ぎょう》を起し道を修すといえども、まだ一人も得たるものあらず――と末法の世を喝破してある言葉を一読して、翻然《ほんぜん》と悟って、聖道《しょうどう》自力の旧教を捨て、浄土他力の真門に入ったということでござる。その他、わが朝の先徳にも、空也《くうや》、源信、良忍、永観などみな、習い研《みが》きたる智恵も行《ぎょう》もすてて皆、念仏の一行《いちぎょう》に、往《ゆ》いて生れたる人々ではござらぬか。お疑いあるな、善人も悪人も、智者も愚者も、男子《なんし》も女人も、ただ、南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》とのみ唱えて、深く思い入れ給うならば、百人が百人ながら、往生には洩れぬものでござる――往いて生れざる者は一人もあるべきはずのものではござらぬぞ。この身は、煩悩悪業《ぼんのうあくごう》の身なればなどと、大慈悲光の下《もと》に、要らざる退身《ひけみ》など持ち給うなよ。弥陀《みだ》は、深業《しんごう》の衆生のためにと起したまえるこの本願にてあるものを、強悪《ごうあく》の身とて、煩悩の身とて、なんの障《さわ》りがありましょうぞ」  滝つぼの水音と共に、上人の遠い声は、とうとうと、月輪殿の胸の底へ流れこんでくるのであった。 [#7字下げ][#小見出し]十[#小見出し終わり]  そればかりでなく、月輪殿は、この念仏道場へ来ると、いつも不思議な一つの世帯《しょたい》というものを感じるのだった。  この法然上人を家長とする一つ軒《のき》の下には、今、随身の弟子だけでも八十八名いるといわれているが、その八十余名の前身を尋ねてみると、小松内府重盛《こまつのないふしげもり》の子の心蓮《しんれん》だの、無官大夫敦盛《むかんのたゆうあつもり》の子の法信房|盛蓮《せいれん》だの、その他、栄華を極めた平家の人々の没落してここに剃髪《ていはつ》している者がかなり多くある中に源氏の大将であった熊谷次郎|直実《なおざね》のような人物も一つ法筵《ほうえん》の弟子として在るのであった。ことに、直実の蓮生房《れんしょうぼう》と、敦盛の子の盛蓮とは、仇敵の間でさえあるのに、その二人がわけても親しげにしているのを見ると、まったくこの道場こそは、呉越の人間が、前身の怨讐《おんしゅう》なく、法然のいわゆる往《ゆ》いて生きている人々の浄土であることが、実証されているような心地がして、はた眼にも見よいし、また、人間はこうも和楽《なごやか》に生活のできるものであるかと、凡《ただ》の世間に馴れた眼から見ると、一種の不思議をも覚えてくるのであった。 「――お待たせいたしました。上人のご法話が終りましたゆえ、どうぞ、お居間のほうへ」  一人の弟子僧が、やがてこういって、月輪殿を、奥へ導いた。間もなく、 「失礼しました」法然のすがたが現われる。月輪殿は、 「いつもながらお健やかで――」と、慇懃《いんぎん》なあいさつを述べ、また上人のほうからも鄭重に会釈《えしゃく》があって、しばらくは、さりげない四方山《よもやま》の話に移っている。  そのうちに月輸殿は、改まった面持ちで、 「実は、今日のご法談を、よそながらうかがっておりましたが、とりわけ、今日はなにやら身に沁みる心地がいたしました。しかし私は、はやこの老齢、それに、病もあれば、かかる有難いご法話を聴き得る余生も、そう長くはないと存じおります。……ついては、今生《こんじょう》に思い残りのないよう、今日は、心の隅まで、お打明けもいたし、お尋ねもいたしてみたいと存ずるが、おさしつかえありますまいか」法然は、ふかくうなずいて、 「何にても、お尋ねなされ。この源空が知りたらんほどは、心を傾けてお物語り申しましょう」と、打ち解けた態《てい》でやさしくいう。  月輪殿は、ほろりと眼をうるませた。よほど、思いあまったものが胸に沈んでいることがわかる。上人は、見て取って、 「わしが呼ぶまで、誰も来るな。そこの廊架《ろうか》のつま戸も閉《た》てておかれい」そういって、附随の弟子たちを遠ざけた上―― 「さて、この法然に、さまでのご談合とは、いかなる儀にて候ぞ。ご懸念なく、おきかせくだされい」と、膝をすすめた。 [#7字下げ][#小見出し]十一[#小見出し終わり] 「――余の儀ではございませぬが、上人はもとより、持律戒行《じりつかいぎょう》の清浄身《しょうじょうしん》におわすし、また、八十有余の御弟子《みでし》たちも、みな、おごそかに戒《かい》を守っている浄行の御出家のみと存じますが。……さるを、かく申す私などは」  月輪殿は、ふと言葉を切って――自分の長い政治的な生涯を心のうちで振り返るように―― 「容《かたち》こそ、染衣《せんえ》を纒《まと》っておりますなれど、蓄妻《ちくさい》噉肉《たんにく》の俗に馴れて、いまだに、美食玉住の在家《ざいけ》をふり捨てもかなわず、こうしてただ心と行《おこな》いとに、大きな矛盾を持ちながら念仏を申しておることゆえ、上人の仰せられる念仏や、御弟子たちの称《とな》える念仏とは、おのずから功力《くりき》が違うものではないかと思われますがいかがなものでござろうか」 「ご疑念とは、そのことですか」上人は、月輪殿の素直な問いをよろこぶようにうなずいて、 「いわれのないお疑いです。経には、十万衆生《じゅうまんしゅじょう》と説かれ、釈《しゃく》には、一切善悪凡夫得生《いっさいぜんなくぼんぷとくしょう》とあるではございませぬか。僧と、俗との間に、何の隔てがありましょうぞ。あなたの唱うる念仏も、この法然の念ずる念仏も、一です、二《ふた》いろはありません」 「――けれど、女人を避け、不浄を噉《く》らわぬ清僧の念仏と、朝夕《ちょうせき》に、妻子の恩愛には惑い、酒肉や五辛《ごしん》の物味《ぶつみ》にわずかな慰安をむさぼっている吾々のような不浄の口でいう念仏とは、どうしても、差があるように思われますが」 「――お考え違いである」上人は、胸をのばした。 「――常々、申すとおり、念仏門は、一切他力本願です、愚者悪者も、浄土に、洩らすまいというのが本願である道に、なんで、さような差別がありましょう、疑われるな、ただ、念仏さえ申せば、往生を得ること、法然が牢固として信じるところでござる」 「その御教《みおし》えは、幾度かうかがって、自分では解っている気がしながら、時折、また同じような疑いに惑《まど》うのでござります、怖《おそ》らくこれは私一人の疑いとは覚えませぬ。――なぜならば、ではなぜ、僧は妻を持たぬか、肉を忌《い》むかということに考えいたるからであります」 「いと易《たやす》いお質問《たずね》じゃ、それらの行《ぎょう》はすべて、修行の障《さわ》りとなるために、自力を頼んで排した難行道の相《すがた》なのです、他力易行の門には敢てないことじゃ、あるがままの相《すがた》にまかせておくのみで、こうあれと強《し》いることはすでに難行道になろう。自力門の修行は、智恵を窮めて生死《しょうじ》を離れ、易行門《いぎょうもん》の修行は、痴愚《ちぐ》にかえって極楽に生れるところにあるのでござる。法然とても、好むままの生活《くらし》をとっているに過ぎません、努めて、肉食を忌《い》み、女人を避けている次第ではない、ただ、今のままが、気楽であるし、自分にぴったりしているために、容《かたち》をかえないだけのことです」 「では……」月輪殿は、何か大きな救いの手の下へ、歓喜してひれ伏すように、思わず声を弾《はず》ませていった。 「御弟子《みでし》のうちから、一人の若人をちょうだいして、私の末姫《すえ》の女《むすめ》と娶合《めあわ》せたいと考えまするが、上人に、お言葉添えをしていただかれましょうや? ……」琥珀《こはく》の珠でもあるような上人の眸《ひとみ》が、和《なご》やかな皺《しわ》の中で――何もかも知りぬいて――またいかにも本意そうに、にっと笑みをたたえていた。 「それは至極なお考えじゃ、法然も、骨を折りましょう。――したが、誰を、お望みか?」 [#7字下げ][#小見出し]十二[#小見出し終わり]  ひろい講堂に隣り合って、そこも広い板敷の僧房だった。  念阿《ねんあ》だの、心寂《しんじゃく》だの、蓮生のような長老たちは見えないが、若い弟子僧たちは、そこの大きな炉を中心にして、大家族の母屋《おもや》みたいに、閑談しているのが常だった。 「茶でもさし上げようかと思うているが、いっこう、お客間から、手が鳴らんのう」 「うむ、月輪殿も、きょうはだいぶお長座《なが》いことだ」そこへ、奥から一人の僧が、まだ生後やっと十月《とつき》ぐらいな嬰児《あかご》を抱えてきて、 「困った困った、米《よね》の粉を掻いてくれい」 「オオ、眼をさましたか」 「泣き出すと、黙らんのじゃ」 「盛蓮《せいれん》は、あやし[#「あやし」に傍点]上手よ、盛蓮に負《お》わせい」 「わたしが、負いましょう」 「わたしが、負いましょう」僧房のうちで、いちばん年下の盛蓮が、その赤ん坊を負って、ひろい講堂のうちを、 [#ここから2字下げ] ねんねん、寝たまえ 寝ねんぶつ ねんねん、居《い》たまえ 居《い》ねんぶつ 立つも、あゆむも ねんぶつに 浄土の、門では 何が咲く いつも、ぼだい樹 沙羅双樹《さらそうじゅ》 [#ここで字下げ終わり]  子守唄をうたって巡《めぐ》っていると、くるま座になっている人々が、 「ははは、盛蓮がまた、でたらめを唄っておる」 「しかし、盛蓮も、いつか大きくなったな。――平家が今も盛んならば、無官の大夫敦盛の公達《きんだち》なのだが」 「あの盛蓮も、平家の没落後、路ばたに、捨てられてあったのを、旅の途中、上人が拾っておいでなされたのだそうな……」 「上人は、子どもがお好きだのう。あの乳のみ子も、四、五日前に、拾いあげておいでなされたのだし……」 「捨子が、捨子を負うて、子守唄をうたっている禅房などは、日本広しといえども、この吉水よりほかにない」笑いさざめいていると、突然、奥の上人の室《へや》から、その上人と月輪殿とが、姿をそろえて、床を歩んできた。 「綽空《しゃっくう》はいますか」上人が見廻していう。 「はい、これにおります」隅のほうで読書していた綽空が、静かに、書物をおいて、上人の前へすすんだ。そして、両手をついた。 「なんぞ、御用ですか」 [#7字下げ][#小見出し]十三[#小見出し終わり]  上人は、いつも講義をする道場の壇《だん》におごそかに坐り、月輪殿は、その側《わき》へ、さらに厳粛な面持《おもも》ちをして、坐っていた。 (何事を仰せだされるのか)と、綽空は、その前へ、手をつかえたままである。  上人は、静かに、僧房の者をかえりみていった。 「心寂や、蓮生など、これに見えぬ者も皆呼んで参るように。そして一同、ここへ集まってもらいたいが」 「はい」奥房にいた長老たちも、やがて、何事かとそれへ出てきた。すでに四、五十人のいあわす弟子僧がほとんどそこにずらりと並んでいるのだ。そして綽空一人が、一同の環視の中に平伏している。どうしても凡《ただ》ごとでない容子《ようす》なのである。  人々は、固唾《かたず》をのんで、しいんとしていた、一同が揃ったと見ると、法然は、おもむろに、こういった。 「綽空――。ここにおられる月輪殿が、この法然を介して、おん身に、ひとりの妻を娶《めあ》わせたいと、今日、これへ見えられての仰せじゃ。……どうじゃの、妻をめとる心があるか、ないか?」  じっと、居並んでいた弟子僧たちの顔いろが、無言の裡《うち》に、明らかに動揺しだした。あまりにも意外な師の言葉として、自分の耳を疑《うたぐ》っているような顔もあるし、また、法然と月輸殿の心理を不審《いぶ》かって、二人の顔を横から額《ひたい》ごしに凝視している者もある。 「…………」綽空はと見ると、彼は、血液のある石みたいに、五体を硬くし、耳は真っ紅にそめて、依然として、大勢の凝視を浴びたまま、手をつかえているだけだった。上人が、重ねて、 「そういう意志はないか」と訊くと、綽空は初めて身を上げて――そして再び幾分か俯目《ふしめ》になって、 「望んでおります」と、答えた。  案外にも平常の声であった。 「うむ――」と、大きく息を内へ引くように上人が頷《うなず》かれたので、弟子たちは、いよいよ、この師弟の心の底になにがあるのかと思い惑った。 「では、こちらのご意中を伝えるが、おん身に、娶《めあ》わせたい女性《にょしょう》というのは、月輪殿の末姫の玉日とよばるるお方じゃという。綽空には、かねて、存じおろうと思うが……。異存あるか、ないか」綽空は、体がふるえた。  わっと、泣いて、師の上人へも、姫の父なる人へも、素裸《すっぱだか》な自分というものを目に見せてしまいたかった。そのうえで、今日までの、また今日以後の、自己の信行《しんぎょう》を語りたかった。しかしさすがに、こみあげる感激に、眸《ひとみ》が熱くなってしまうし、胸いっぱいな歓喜と同時に、三界の大世間を、一人の肩へ乗せて立つような重任も感じてくるし、しばらくは、答えることばが出なかった。  しかし、かねてより自分から望んで、やむにもやまれなかった大誓願である。綽空は、毅然《きぜん》と、胸を正していった。 「ありがとう存じまする。玉日のおん方のほかには考えておりませんが、あのご息女なれば、妻にもちたいと思います。仏陀《ぶっだ》も照覧あれ、私は、偽りなく、玉日のおん方が今日まで、好きでならなかったのでございます。どうぞ、お計らい下さいませ」  同房数十の僧たちは、呆然《ぼうぜん》として、そういう綽空のひたむきな態度をながめていた。 [#改ページ] [#1字下げ][#大見出し]同車篇[#大見出し終わり] [#3字下げ][#中見出し]熊野犬[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  何という忙《せわ》しなさ。――夏から秋へかけて、月輪家《つきのわけ》の人々は暑さを口にしている間もない。――盆と正月がいちどに来たようだとは、召使たちのぐちだった。  何十度の親族会議がくりかえされたかわからない。親族たちも一時は、 「木《き》の端《はし》とさえいう僧侶に、姫をくれるような家とは、もはや交際《つきあ》いもせぬ」  とまで、いいだしたが、断乎として、秋には婚儀を挙げさせるという禅閤《ぜんこう》のうごかない意志をみては、 「それほどにいうならば――」  と、匙《さじ》を投げる者があり、また中庸をとって、和を計る者もあって、どうにか、婚儀のことが、一決したのは、土用の暑いころだった。  叡山《えいざん》の慈円座主《じえんざす》は、山を降りて青蓮院《しょうれんいん》にあった。そこから、月輪へは絶えず使いが走るし、月輪から吉水《よしみず》へ、また、五条|西洞院《にしのとういん》とも、絶えず、文書の往復が交わされたりして、あわただしい日の続くうちに、もう残暑の町を、婚儀の荷が、きのうも今日も、西洞院の別荘のほうへ運ばれて行った。 「さすがは、前関白《さきのかんぱく》の聟取《むことり》、たいそうな調度じゃわえ」 「お式は、西洞院のほうでなさるのか」 「そうらしいて」 「お道具などは、ともかく、あの花のような末の姫を、わがものにする若法師めは、いったい、何という果報者だ」 「法師は、木の端《はし》けら[#「けら」に傍点]というに」 「ああ、俺も、木の端になりたい」巷《ちまた》の人々は、西洞院へゆく荷物の通るたびに、羨望《せんぼう》の眼を辻から送っていた。 「もし、ちょっとお訊ね申すが……」と、その人群《ひとむれ》へ、錫杖《しゃくじょう》を止めた山伏がある。久しぶりに、峰入りから都へもどってきたものとみえ、山伏は、髯《ひげ》をのばし、皮膚は、松の皮みたいに赭黒《あかぐろ》かった。 「はい、なんですか」一人の凡下《ぼんげ》が、剽軽《ひょうきん》にいう。  山伏は、するどい眼で、今通った婚儀の荷を振りかえりながら、 「何か、めでたい儀式があるというが、その聟殿《むこどの》は、何者でござるか」 「まあ、聞きなさい」  凡下は、手振りをして、 「九条様も、物好みでいらっしゃる。七人もご息女のあるうちでも、眼の中へ入れてしまいたいほど、可愛くてならない末姫を、どうでしょう、人もあろうに、法然《ほうねん》上人の弟子の端から選《よ》り出して、それへ、くれるというわけなんです」 「その弟子とは」 「綽空《しゃっくう》というんです。――なんでも、氏素性《うじすじょう》はよい人だそうですがね。……それにしても」 「綽空?」小首を傾げて―― 「幾歳《いくつ》ぐらいな男だろう?」 「三十一、二でございましょう。なんでも、そんな話で」 「それでは以前、青蓮院の慈円僧正につかえ、後に、叡山《えいざん》へ入った範宴《はんえん》少納言ではあるまいか」 「そうそう、前には、範宴といったそうです」 「うむ!」鼻腔でこう太く呻《うめ》くと、 「そうか。やはり、そうだったのか!」  怖ろしい形相《ぎょうそう》を作って、山伏は、無言になった。一匹の黒くて逞《たくま》しい熊野犬を後ろにつれ、杖をこつこつついて、人混みから離れて行った。 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり]  わん――  足の迅《はや》い飼主に追いついて、大きな熊野犬は、尾を振って絡《から》みつく。 「黒」と山伏は、呼んで、 「馬鹿な奴だ、おれのような宿なしに従《つ》いてきてどうする、帰れ」といい聞かせている。  しかし、杖で追われても、黒は帰ろうとしなかった。山伏はてこずりながら、 「帰れといっても、貴様も帰る故郷がないのか。この弁円《べんえん》と同じように――」  わん――  黒は、山伏の袂《たもと》を噛む。山伏は旅の道から尾《つ》いてきたこの三界無縁の犬を、さすがに、酷《むご》くも捨てかねて、 「その代り、黒、俺と一緒に、野たれ[#「たれ」に傍点]死をしても、俺を恨むな。……それでもいいのか、おお、それでも」じゃれ[#「じゃれ」に傍点]る黒の首根っこを膝へ寄せて、山伏は、路傍の樹の根へ、どっかりと坐ってしまう。 「疲れたなあ……腹も減《へ》るし――」  蜩《ひぐらし》の声が雨のようである。四辺《あたり》の木立は暮れかけているのだ。ふと、後ろを仰ぐと、寺院の山門が見える、そして、七、八名の学僧がかたまって、立ち話になにか論議していた。 「いよいよ、世は末法だ、僧が、公然と、貴族の娘と、結婚するなどという沙汰が、なんの不思議に思われないほど、仏法も、人心も、堕落してきたのだ」一人が、書物を抱えながら、眼を剥《む》いていう。  他の僧も、肩をそびやかしたり、法衣《ほうえ》の袂《たもと》をたくしあげて、 「聞けば、法然はそれを、むしろすすめたというじゃないか」 「なんでも、大衆大衆と、庶民の低いほうへばかり媚《こ》びている俗教だからな。――しかし、法然はとにかく、綽空のような、いやしくも北嶺《ほくれい》の駿足といわれた者が、なんたる破廉恥《はれんち》か」 「僧の体面にかかわる」 「五山の僧衆は、黙認する気か」 「苦情をいっても、個人の意志でやる分には、どうもなるまい」 「仏誅《ぶっちゅう》を加えろ、仏誅を」 「どうするのだ」 「撲《なぐ》る!」 「まさか、暴力も――」 「さなくば、婚儀の当夜、大挙して襲《お》しかけ、彼の破戒行為を責める」  黒の毛を撫でて、蚤《のみ》を取っていた山伏は、不意に杖を立てて、 「黒っ、来いっ」と跫《あし》を早めた。  石運びだの、大工だの、屋根葺《やねふき》などの住む狭くて汚い裏町を、山伏は、布施《ふせ》を乞うて軒から軒へとあるいて行った。しかし、どこの家にも、近ごろは、念仏の唱えが洩れていて、修験者《しゅげんじゃ》の経《きょう》に耳をかす者がなかった。 「――お通り」とどこでもすげなくいわれる。山伏は、舌打をして、 「忌々《いまいま》しいことばかり聞く日だ」と、革嚢《かわぶくろ》の小銭をかぞえて、なにか、油物をじりじり揚げている食べ物売りの裏口をのぞいて、 「飯を食わせんか。俺と、犬に、これだけで――」と、貧しい銭を手にのせて、揚物をしている女にいった。 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり]  椀《わん》に盛った玄米《くろごめ》と、胡麻揚《ごまあげ》をのせた木皿とが、山伏の前に置かれた。  飢《う》えている黒は、山伏の持つ箸《はし》へ向って、跳びつきそうに、吠え立てる。 「餓鬼《がき》めが、うるさいぞ」揚物を一つ抛《ほう》ってやると、黒は、尾を振って噛《か》ぶりつく。山伏もまた、がつがつと、飯を掻っ込み初める。  傍《かたわ》らには、彼よりも前に、床几《しょうぎ》に掛けていた二人の客があって、板を囲んで酒を酌《く》んでいた。これもまた、貧乏そうな法師だったが、その一人がいい機嫌になって、気焔《きえん》をあげていることには、 「べらぼうめ! 僧侶だって、人間じゃないか。吾々、人間たる僧侶を、木偶《でく》かなんぞのように、酒ものむな、女にも触《さわ》るななどと、決めた奴がそもそもまちがっている。矛盾《むじゅん》、秘密、卑屈、衒《てら》い、虚偽、あらゆる陰性の虫が僧院に湧く原因はそこにあるんだ。人間にできないことを人間がやっている顔つきしているんだから無理もないわさ! 俺は、前《さき》の少僧都《しょうそうず》範宴――今は吉水の綽空《しゃっくう》が、公々然と、妻を娶《も》つということを聞いて、こいつはいいと思った。俺は、綽空に双手《もろて》をあげて、賛礼《さんらい》する」 「しかり、おれも同感じゃ」と、一方の相手も、唾《つば》を飛ばして、 「東寺《とうじ》の鴉《からす》みたいに、ガアガア反対する奴もあるが、そいつら自身は、どうだ!」 「成ッちゃあおらん。五山の坊主に、一人だって、ほんとの童貞がいるかッてんだ!」 「綽空は、むしろ、正直者だ」 「ああいう人間が出てこなければ嘘だ。俺たちが、日蔭でぶつぶつぼやいていても始まらん、行動で示すことは、勇気が要《い》るが、そいつを、堂々と、実践しようっていうんだから愉快だ」 「見ようによっては、彼は、仏教の革命児だ、英雄だ」 「彼のために、加盞《かさん》して、大いに、祝してやろう」杯《はい》を挙げて、交驩《こうかん》しながら、 「あははは」 「わははは」 「世の中が、明るくなった」 「出かけようか」銭をおいて、二人は、ひょろひょろ出て行った。  さっきから黙って聞いていた山伏の顔には、なんともいえない不快な色が漲《みなぎ》っていたが、ふと、後ろ姿へ、憤怒の眼《まなこ》を射向けると、ついと起ち上がって、外へ出た。  黒はまだ、木皿に残っている飯や揚物を、ぺろぺろと長い舌で貪《むさぼ》っていた。 「黒っ」口笛を鳴らして、山伏は走った。そして先へいい機嫌で歩いてゆく二人の法師の影へ向って、しっと、ケシかけたのである。  わん、わん! 獰猛《どうもう》な声をあげて、黒はもう一人の法師の脛《すね》へいきなり咬《か》みついていたのである。 「あ痛っ」 「畜生」その狼狽ぶりを目がけて、山伏は、杖を振り上げながら、 「外道《げどう》っ」と、喚《わめ》いた。  二人が、道ばたへ仆れたのを見ると、黒と山伏は、後も見ずに、闇へ紛《まぎ》れてしまった。 [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり]  一枚の蓆《むしろ》を、山伏は、河原へ敷いた。四条大橋裏が、蛇腹《じゃばら》のように大きく闇へ架《か》かって、屋根になっている。 「寝ろ」黒の首っ玉をかかえ込んで、山伏は、自分も眠ろうと努めた。  しかし、寝つかれそうもなかった。枕元に近く瀬の水音がしているからではない。橋の上を、時折、馬や人が通るからでもない――山伏のこめかみ[#「こめかみ」に傍点]には青い筋がふくれていた。ひどく昂《たか》ぶっているのだった。 「あんな、酔いどれの法師を撲《なぐ》ったとて、なんになるか、俺は愚《おろ》かな真似《まね》をした。俺の相手は、綽空ではないか」黒へ向っていうようにつぶやく。 「俺は、かつて放言した。――一生のうちには、必ず貴様の上に立ってみせると。――だが容易に俺の地位は上がらない。二十年前に、彼奴《きゃつ》と会った時は、俺は叡山の仲間僧《ちゅうげんそう》だったし、彼奴《きゃつ》はすでに、授戒《じゅかい》登壇《とうだん》をゆるされた一院の主《あるじ》だった。またそれから十年後に、大和路の旅先で出会った時には、彼は、もう少僧都範宴となり、南都にも聞えた秀才であったが、俺は、聖護院《しょうごいん》の端くれ山伏にすぎなかった……」黒を刎《は》ねのけて、彼は、むっくりと坐り直した。汀《なぎさ》に刎《は》ねた魚の影を見て、黒は、ぱっと、水際へ走った。 「それから数年、俺は、大峰へ入り、葛城《かつらぎ》へわけ登り、諸国の大山《だいせん》を経巡《へめぐ》って、役《えん》の優婆塞《うばそく》が流れを汲み、孜々《しし》として、修行に身をゆだねてきたが、それでもまだ聖護院の役座にさえ登れず、旅山伏の弁海が、やっと本地印可《ほんじいんか》の播磨房弁円《はりまぼうべんえん》と名が変って、山伏仲間で、すこし顔が知れてきただけのものだ。――そして久しぶりに、都の様子を見に来てみれば、綽空めは、またぞろ、前関白家《さきのかんぱくけ》の聟《むこ》になるとか、ならぬとか、いつもながら、問題の人物になっている」忌々《いまいま》しげに、弁円は、小石をつかんで、叩きつけた。  その昔の寿童丸《じゅどうまる》――成田兵衛《なりたのひょうえ》の子の成れの果て、播磨房弁円は、自分の幼少と、綽空の幼少時代とを、瞼《まぶた》に描き較《くら》べていた。  二十幾年の歳月が経っている――。綽空が、十八公麿《まつまろ》とよばれ、自分が寿童丸といわれたころは、共に、一つ学舎へ通っていたものである。そして、彼が落魄《おちぶ》れ公卿《くげ》の子と嗤《わら》われ、ガタガタ牛車《ぐるま》で日野の学舎へ通う時、自分は時めく平相国《へいしょうこく》の家人《けにん》の嫡子《ちゃくし》として、多くの侍《さむらい》を供につれ、美々しい牛車に鞭打《むちう》たせて、日ごとに、学舎の門で誇ったことも覚えている。  それからは、平家の衰運と共に、すべてが、逆になってしまった。彼が、一歩ごとに、名と実力を蓄《たくわ》えてゆくのにひきかえて、自分は、どうだったか、自分の辿《たど》ってきた道と、現在のこの姿は――  弁円は、とても、眠られるどころではない瞳をあげて、強《こわ》い眉毛の蔭から、星を仰いだ。 「俺は負けた、形において。……しかしそれは俺が懶惰《らんだ》だからではないぞ、俺は、この通り、修行しているのだ。しかし、俺には、あいつのような世渡りのお上手や才気がないためだ。この際、綽空の奴を懲《こ》らしてやることは、仏界の粛正になる、彼奴《きゃつ》のような小才子が、権門にとり入り、戒律を紊《みだ》し、世に悪風を撒《ま》くのを、俺は、黙視していられない立場にあるのだ。よしっ! 俺はやる! 俺は、身を挺して、この奸僧《かんそう》を追わねばならぬ使命をうけている!」何事か、決意したように、弁円は強くつぶやいた。  すると――満身をつつむ彼の毒炎に水をそそぎかけるように、暗い河原のどこかで淙々《そうそう》と、琵琶《びわ》の音がながれてきた。 [#7字下げ][#小見出し]五[#小見出し終わり]  眠ろうと努めてさえ眠れないでいる所へ、耳近くで、琵琶を掻鳴らされては、なおさら眠れようはずがない。  弁円《べんえん》は、横になりかけたが、憤《む》ッと、身を起して、 「やかましいっ」と、音のするほうへ、呶鳴りつけた。しかし、琵琶は、やまない。超然と、平家を謡《うた》っているのである。 「やめんかっ」といって、つづけざまに、 「こら、乞食法師!」と、罵《ののし》った。  すると――はた[#「はた」に傍点]と、撥《ばち》をおいて、 「なんじゃの、山伏どの」と、彼方《あなた》でいう。 「眠りの邪魔になるからやめろというのに、聞えないか」弁円が、権《けん》ぺいに叱ると、 「ここは眠る場所ではありませんが」と、琵琶法師も負けずにいい返す。  弁円は、いよいよ業《ごう》を沸《に》やして、 「では、琵琶を弾《ひ》く場所か」 「興がわけば、琵琶はどこででも弾くのです。しかし、眠りは、そういうものではありません。人間の起居には、おのずから、嗜《たしな》みというものがあるはずです」 「生意気な」と、杖を横につかんで彼は起ってきた。逃げるかと思いのほか、琵琶法師は琵琶をかかえて泰然たるものである、撲《なぐ》りそうな人間を前にして、見えない眼でじっと、見ているのである。 「盲目か」弁円がつぶやくと、 「盲目は、お手前のことであろう、わしは、肉眼はつぶれているが心眼は開《あ》いている、いやはや、未熟な山伏どのじゃ」と、盲目は薄く笑う。  見ると、この法師も、河原の橋下を、一夜の宿として明かす者らしく、石ころの上に菰《こも》を敷き、それへ薄汚い包みや持物を置いて、自分は、水際《みずぎわ》の石に腰をすえていた。加古川の教信|沙弥《しゃみ》の成れの果て――かの峰阿弥《みねあみ》なのである。 「おれを未熟といったな。どこが、なんで、未熟かっ」 「されば――あなたは役《えん》の優婆塞《うばそく》が流れを汲む山伏ではないか」 「そうだ」 「樹下石上《じゅげせきじょう》はおろかなこと、野獣や毒蛇の中でも平然と眠れるぐらいな修行がなくて、山伏といわれましょうか、峰入りは何のためになさるか、兜巾《ときん》、戒刀《かいとう》、八ツ目の草鞋《わらんじ》は、何のために身につけておらるるのか。琵琶の音に眠れぬなどとはいとおかしや。……思うにおぬしは、何か、腹にわだかまりがあるのじゃろう、はははは」心眼が開《あ》いているといったのも決して大言ではないかもしれぬ。弁円は、肚の底まで見透かされたような気がして、ややしばらく、じっと峰阿弥の面《おもて》を見つめていたが、 「ウーン、なかなか面白い理窟をこねる奴だ、それほど、人の心がわかるなら、俺がなにを思っているか、それも分るか」 「わからいでか」 「いってみい」 「おぬしは、綽空が、月輪殿の姫と婚儀を挙げることを怒っているのじゃ」 「ばかっ、それは今、俺が独り言に洩らしたのを聞いていたのだろう。そんな知れきったことでなく、俺が、それについて、なにをするか、胸で思っていたことをあててみろというんだ」 「わしは、陰陽師《おんみょうじ》ではないから、そんな先のことは知らん……」 [#7字下げ][#小見出し]六[#小見出し終わり]  峰阿弥は、語を次いで、 「だが、山伏どの、他人《ひと》が眉目《みめ》よい妻を娶《めと》るのを、嫉《ねた》むものは、あさましゅうござるぞよ。どういうお怒りか存ぜぬが――」  すると弁円は、 「おれの怒りは、公憤だ、私憤ではない」 「ははは。その両方ではありませんか。野暮な青筋をたてるよりも、妻が欲しくば、ご自分もよい女房を持つのが一番よいではございませんか」 「だまれ、俺をそんな破戒無道な山伏と思うているか。ヘタ口をたたくと、金剛杖をくらわすぞ」 「なぜでしょう? ……」と峰阿弥は、癖のように、頭を傾《かし》げて―― 「なぜ、妻を持つことが、破戒無道でございましょう、戒《かい》は人間が決めたもの、仏がお決めなされたものではありません」 「知らぬか! 蓄妻|噉肉《たんにく》は、堕獄《だごく》の罪にひとしい掟《おきて》になっていることを」 「では、東大寺の明一和尚《みょういちおしょう》はいかがですか、元興寺《がんこうじ》の慈法《じほう》和尚は堕落僧でございましょうか。遠く、仏法の明らかな時代に溯《さかのぼ》ってみますると、奈良朝のころには、明一や、慈法のような碩学《せきがく》で、妻を持たれたお方は、幾人もあったようでございます。続日本紀《しょくにほんぎ》をお読みになったことはありませんか、あの中の延暦《えんりゃく》十七年の条に、太政官《だいじょうかん》の法令として―― [#ここから2字下げ] 自今、僧侶ノ子ハ 一切|還俗《ゲンゾク》セシメテ 以而《モッテ》、将来ヲ懲《コラ》ス [#ここで字下げ終わり]  ――と出ているのを見ても思い半ばに過ぎるものがございましょう。ために、滔々《とうとう》と、軟弱な弊風《へいふう》があったことも否めません。自力|聖道門《しょうどうもん》が、絶対力を礎《きず》いたのは、そういう時代の反動でございました。けれど、自力といい、他力と申しましても、道は一《ひと》すじです、同じ高嶺の月であります、ただ、世道人心のあるところをよくよく見究めてやらなければ、億衆の手をとって、親切に、安住へ導いてやることはできません。ただ闇雲《やみくも》に、外面如菩薩《げめんにょぼさつ》の、噉肉外道《たんにくげどう》の、自力絶対のと、社会《よのなか》が変っても、人心や生活《くらし》の様式《ありさま》が推移《うつ》っても、後生大事に旧学に齧《かじ》りついているのは、俗にいう、馬鹿の一つ覚えと申すもので……。はははは、失礼なことを申しましたが……それでは進化がございません、いつまで、己《おの》が身一つ救えずに、うろうろと乞食するがやっとの行《ぎょう》で、それでは、野良犬も修験者も、変りがないといってもよいくらいなものでございましょう」 「この、おびん頭盧《ずる》めッ!」ぴゅう――と杖がとたんに唸《うな》ったと思うと、 「あっ……」と、峰阿弥は、俯《う》つ伏《ぷ》[#ルビの「ぷ」はママ]した。 「生意気なっ、生意気なっ」つづけざまに、弁円は、打ちすえた。峰阿弥の抱《いだ》いていた琵琶は、糸が刎《は》ね、海老尾《えびお》が折れ、胴が、砕けた。 「黒っ。――さあ寝よう」吠えたける犬を抱いて、弁円は、元の場所で眠ってしまった。  …………  白々と夜の明けてきたころだった、呼び起されて、弁円がふと眼をさますと、ゆうべの峰阿弥が、火を焚いている。恨みがましい顔もせず、にこと笑って、 「山伏どの、干飯《ほしいい》が炊《た》けました。味噌を舐《ね》ぶって食うと美味《うま》い、ここへ来て召食《めしあ》がらぬか」と、いうのである。  見れば、欠けた土鍋の下に、燻《く》べているのは、砕かれた琵琶であった。  飯のにおいに、黒は吠える。弁円は、その首をつかまえて、 「餓鬼めっ、後で食わす、乞食法師の残りなど、食いたがるな」抱きしめて、再び、仰向けになった。  橋のうえには、もう、朝の人々が、往来していた。その中には、大身《たいしん》から贈る祝い物であろう、これ見よがしに僕《しもべ》に担《にな》わせて、月輪殿《つきのわどの》を訪れるらしい幾荷《いくか》の吊台《つりだい》も通って行った。 [#3字下げ][#中見出し]不退《ふたい》の輦《くるま》[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  庭造師《にわつくり》が入って、古枝を刈ったり、病葉《わくらば》をふるい落したり、五条西洞院の別荘は、きれいな川砂に、箒《ほうき》の目《め》が立っていた。  すぐ裏を行く加茂川の水には、もう、都から遠い奥の紅葉《もみじ》が浮いてくる。近くは、東山の三十六峰も真紅《しんく》に燃えている秋なのである。  建仁《けんにん》三年の十月。綽空《しゃっくう》にとっては一つの到達であり、玉日《たまひ》にとっては忘れ得ない生涯の日が来た。二人は、婚儀の座に並んだ。  日の座と、月の座のように。いかに佳《よ》い対《つい》の夫婦《みょうと》であったろうかと、街の者は、ただ、想像に描いた。  しかも、当夜の華燭《かしょく》から七日七夜にもわたる招宴や賀車《がしゃ》の往来の生きた絵巻を繰るにも勝《まさ》る典雅婉麗《てんがえんれい》な盛事《せいじ》は、藤原氏の栄えたころにも稀れなくらいであろうとさえいわれた。また、月輪殿は、この七日に、俗世の財を、傾け尽しても惜しゅうないといったという噂もつたえられていた。  聟《むこ》の君《きみ》である綽空もまた、必ずしも、この一法師の嫁とりにはふさわしくない豪華と盛大とを、固辞しなかった。 (――すべてこれ仏陀《ぶっだ》のわれに飾りたもう七宝珠玉《しっぽうしゅぎょく》)と、甘んじてうけている風であった。  さて。式の翌る日からは、貧民への餅撒《もちま》きやら、施粥《せがゆ》やら、寺院への勧進《かんじん》やら、それも済むと、新郎新婦は、やがて、新しい愛の巣へ、二人だけで移って住むことになった。  ところが――、かほどな財を費やしながら、かんじんな若夫婦《わかみょうと》の住む家は、べつに、新しく普請《ふしん》されてもいなかった。場所は岡崎の松林のうち――家は、綽空がいなければ、栗鼠《りす》が畳を駈けているあの岡崎の草庵なのである。  それも、屋根葺《やねふき》一人、入るではなく、まったく、元のすがたのままに。 「あれでは、新妻が、お可哀そうじゃよ」 「月輪殿は、いったい、何のために黄金《こがね》をお費《つか》いなされたのか、どういう量見なのか、とんと、分らぬ」と、知己の者は、首を傾《かし》げた。  誰にも、わかろうはずはない――綽空と、玉日と、その父のほかは。  新妻が、身と共に、そこへ持って行った荷物といえば、一荷《いっか》の衣裳と、髪道具と、そして、一輛《いちりょう》の輦《くるま》だけであった。その輦だけは、さすがに、今度の儀式に新調した月輪殿の好みのものだけあって、綺羅《きら》を極めた物だった。松林の中にそれを置くと樹洩《こも》れ陽《び》に、螺鈿《らでん》や砂子《すなご》や緋《ひ》の房《ふさ》がかがやいて、妖《あや》しいほど美しいのであった。 (わたしは、こうして暮そうと思うが、それは、嫌か) (忌《いと》いませぬ)新婚の夜の誓いであった。  これは、綽空の希望した生活であり、盛事は、月輪殿の肚だった。共に、小乗な考え方ではなく、この婚儀は、わが娘、わが聟だけの生活ではなく、仏の旨《むね》を体してする対大衆世間への仏婚であり、また、天意をもってする天婚であると固く信じていたのであった。  べつに、召使をおく寝小屋もないので、朝になると、小禽《ことり》のさえずる赤松の林の奥へ、西洞院《にしのとういん》から、牛飼や雑色《ぞうしき》が、ぞろぞろと、新郎新婦の草庵へ憚《はばか》りながら、用を聞きにくるのであった。 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり]  姫は――いや新妻は――朝は夙《と》く小鳥と共に起きて、ただ一人の侍女《かしずき》の万野《までの》をあいてに、林の薪木《たきぎ》をひろい、泉の水を汲み、朝の家事に余念がない。  すがすがと、清掃された草庵の部屋に、やがて、ささやかな膳が出る。  茶碗が二つのっている。  綽空は、膳を見ても、それが、衆生《しゅじょう》の世界に見え、仏法を考え、感激が胸にあふれた。  箸も二つ、木皿も二つ、このうえの物はすべて二《ふた》つの対《つい》であった。生きる営みが、すべて、二つという数から初まることは、この膳が語っているではないか――と。  日月。――この二つの下《もと》に生きる人間は、やはり、孤《こ》であってはならない、西行《さいぎょう》のごときさすらい人とならない限りは。  彼岸《ひがん》へ、一人でわたれる者は、選ばれた者のみだ。衆生は、二人で棹《さお》さすのでなければならない。陰陽の波にのせて。  そのいずれにも徹しきれないで、混濁の汚海《おかい》にあえぐ愚かな今の僧人よ! 衆生よ!  綽空は、箸をとりつつ、ひそかにこう思う。 (いかに、今朝の自分の姿が、安心と、満足とにかがやいているかを。なぜ、人々はこうなれないのか)飯《いい》を盛った茶碗の中へ思わず微笑んでいたのである。まばゆげに、それを見て、新妻の玉日も、白珠《しらたま》のような歯を、ちらと見せて、ほほ笑んだ。 「ははは」綽空の今朝の明るさ。体が、軽いのである。  太陽の下へ出て、人間と生れさせてくれたことを、感謝したい。御仏の足もとにぬかずいて、二十年の蒙《もう》をひらいてくれたことを心から感謝したい。草へも木へも、よろこびを伝えたい。  なおさらなこと、わがよき妻へはなんと、感謝しよう。 (おん身は、わが凡身を浄化するために、かりに、人間に添い給う観世音菩薩《かんぜおんぼさつ》でおわすぞ)と、いおうか。それともまた、 (玉日、そなたはわしに救われ、わしはそなたに救われた、この結縁《けちえん》から、わしら夫婦は、何を生まねばならないか)といおうか。  しかし、胸がいっぱいだ、綽空は何も今朝はいえないのである。玉日はまして、俯向《うつむ》きがちだし……。  膳を、水屋へ運んで行った万野《までの》も、ひとりで、何か満足している。松の樹洩《こも》れ陽《び》が、台所の棚にまでさしこんで、そこも、今朝から塵もない。 「お迎えに参りました」と、門口《かどぐち》で西洞院から来た小侍と雑人《ぞうにん》が声をかけた。 「おお」われに返って、綽空は、妻へいった。 「今日から、日々、吉水へ参るのだ、そなたも、一緒に」 「はい」 「かねて、わしが、そなたに向って申し聞かしたことども、よく、胸にこたえておるか」 「わかっております」 「ここから吉水までは、道は近うもあれ、百難の障碍《しょうげ》が必ずあるぞよ、不退の二字、胸に、わすれるな。いかなることがあろうとも、揺《ゆ》るぐな、躁《さわ》ぐな、怯《おび》えまいぞ、綽空が、一緒だと思え、良人《おっと》の力、御仏《みほとけ》の御加護があると思え」雑人たちは、輦《くるま》のそばで、牛飼をさがしていた。牛飼は、稚子《ちご》と共に、牛を泉のほとりへ曳いて行って、のどかに、草を飼っているのであった。 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり] 「ご用意ができました」と、庵《いおり》のうちへ雑人の一人がいう。 「おう」と、綽空は立つ。玉日も、庵を出る。  その日二人の装粧《よそお》いは、晴の席へ臨むような盛装であった。わけても、新婦は、まだ華燭《かしょく》のかがやきの褪《あ》せない金色《こんじき》の釵子《さいし》を黒髪に簪《さ》し、五《いつ》つ衣《ぎぬ》のたもとは薫々《くん》と高貴なとめ木《き》の香りを歩むたびにうごかすのだった。 「…………」声でなく、眼で――お先に――というように良人へ羞恥《しゅうち》の襟《えり》あしを見せて、輦《くるま》にのる。  綽空は、その後から、新妻とならんだ。絢爛をきわめた新調の糸毛輦《いとげのくるま》である。それへ、膝をつめあわせて共に乗った盛装の若い男女は、どんな絵の具や金泥《きんでい》を盛りあげても描《か》きあらわせないほど華麗であった。随身の牛飼や雑人たちも、うっかり見恍《みと》れてしまうのである。 「進《や》れよ……」綽空が、輦《くるま》の上からいう。 「あっ」と、牛飼は、手綱で牛を打つ。八瀬牛《やせうし》の真っ黒な毛なみの背がもりあがった。巨《おお》きくて、鈍々《どんどん》と、しかし決して後《あと》へは退かない牛の脚である。――それが首を突きだして巨躯をまわすと、きりきりと、軌《わだち》は土を掘って林の道を揺るぎだした。 「どう参りますか」わきに添ってゆく侍がいう。綽空は、それに答えて、 「――野川の御所から白河泉殿を西へ――二条|末《すえ》をのぼって、鳥居|大路《おおじ》へ出る」 「ちと、廻り道ではございませぬか」 「かまわぬ、――鳥居大路からは十禅師《じゅうぜんじ》の辻へ。そして祇園《ぎおん》の御社《みやしろ》を横に、吉水まで。悠々とやろうぞ」 「かしこまりました」――だが、野川の御所の曲がりから、もうその糸毛輦《いとげのくるま》は人の目をよび集めた。加茂川原の向う側からさえ童《わらべ》や凡下《ぼんげ》が、人だかりを見て、ざぶざぶと水を越えて駈けてくるのだった。わけてもこの辺りには、吉田殿、近衛《このえ》殿、鷹司《たかつかさ》殿などの別荘が多いのである。窓や、門や、路傍は、たちまちのうちに奇異な物へ瞠《みは》る無数の眼が光っている。 「なんじゃ?」 「なにが通るのじゃ?」河原で衣《きぬ》を晒《さら》していた女たちは、濡れた手で人混みを掻きわけた。脚と脚のあいだで、野良犬が吠えたてるし、嬰児《あかご》が泣くし、物々しいことである。 「やあ、美しい上﨟《じょうろう》が、若い法師と、添乗《そいの》りして、行くぞや」 「怪《け》ったいな!」 「知らんかい、あれや、岡崎の松林に住んでいる坊《ぼん》じゃげな」 「では、綽空法師かよ」 「九条殿の法師聟《ほうしむこ》じゃ」 「なんじゃ、法師聟が通ると? ……。ほ、それでは、あれが、嫁御寮《よめごりょう》か」  さても天下の大変でも往来に起ったように、町の凡下たちは、人にも見よと手を振ったり指をさして騒ぐし、通る先々の別荘や寺院の門前には、自失したような眼と、呆れたような口が、物も得いわず立ち並んでいた。 [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり]  輦《くるま》が、鳥居大路へかかると、もうその輦が、人を轢《ひ》き殺さない限りは、後へも前へも動かせないような群集だった。 「人前も無《の》う、九条殿の法師聟と、その嫁御寮とが、一つの輦で通ってゆくぞ」 「気でも狂うたのか」 「果報すぎて――」 「いや、仏罰《ぶつばち》で」 「気ちがい聟!」 「破戒僧っ」 「地獄車よ!」追っても追っても、輦の後《あと》から蛆《うじ》のように群集は尾《つ》いてくるのである、そして、辻にかかるほど、その数は増した。  花頂山《かちょうざん》のいただきも、粟田山も、如意ヶ岳も、三十六峰は唐《から》の織女《おりめ》が繍《ぬ》った天平錦《てんぴょうにしき》のように紅葉《もみじ》が照り映えていた。空は澄むかぎりな清明を見せて、大路から捲きあがる黄いろい埃《ほこり》が、いくら高く昇《あが》っても、その碧《あお》さに溶け合わないくらいであった。  輦《くるま》の先に立ってゆく、牛方と、侍とは、額《ひたい》を黒い汗にして、 「退《の》けっ」 「道を開け」 「往来の邪《さまた》げする者は軌《わだち》にかかっても知らぬぞよ」鞭《むち》を上げてみせたり、叱咤したり、一歩一歩、轅《ながえ》をすすませて行くのであったが、衆は、衆を恃《たの》んで、そんな威嚇《いかく》に、避ければこそ、 「あれみろ!」と、指さして、町の天狗のように、わあわあと嘲笑《わら》う。 「あの、法師の顔は、どうじゃよ。真面目くさって、白金襴《しろきんらん》の法衣《ほうえ》をまとうて清浄めかしているけれど――」 「夜は、どんな、顔することやら……」 「女性《にょしょう》も、女性」 「よくよくな、面《つら》の皮《かわ》よ! 二人ともに!」  そんなところではない。野卑《やひ》な凡下の投げることばのうちには、もっと露骨な、もっと深刻な、顔の紅くなるような淫《みだ》らな諷刺《ふうし》をすら、平気で投げる者がある。  そしてもう、十禅師《じゅうぜんじ》の辻へ出ようとするころには、輦《くるま》は人間で埋められて、一尺も進み得なくなっていた。  ――が、綽空は、端厳なすがたを少しも崩してはいない。眉の毛|一《ひと》すじうごかさないという態度である。  余りにも、傷々《いたいた》しく思われるのは、玉日であった。被衣《かずき》してさえ若い新妻は昼間の陽の下を歩み得ないほどなのが、そのころの深窓に育った佳人の慣わしであるものを。  しかし――こういう試練《しれん》にかかることは、この人が良人《おっと》ときまる前からの覚悟であった、父からもいわれ、綽空からもとくといわれた上で、はっきりと誓いしていたことだった。玉の肌《はだえ》を白日の下《もと》に曝《さら》すほどな辛さも、彼女は、辛いとは思わなかった。むしろ、嫁いでまもないうちに、良人と共に、良人の信行《しんぎょう》の道へ、こうして、忍苦をひとつにすることができた身を、倖《しあわ》せとも、妻の大きな欣びとも、思うのであった。 [#7字下げ][#小見出し]五[#小見出し終わり]  群集に加担もせず、また、その渦中に揉《も》み罵《ののし》られている輦《くるま》の人にも共鳴せず、ただ傍観者としてこの成行きをながめている者は、  ――どうなることか。  興味と不安とを併せて抱きながら、自分たちも、余波をうけて、人の怒濤に押しつけられていた。  すると、ひしめきあっている群集の後ろから、背のすぐれた大坊主と肉のかっちりと緊《し》まった四十前後の痩せがちの僧とが、 「退《の》け」 「邪魔だ」と、弥次馬を掻き分け掻き分けして、一心に、輦《くるま》のほうへ近づこうとして焦《あせ》っていた。  ――誰か、熱鬧《ねっとう》の人渦《ひとうず》のうちから、その時綽空の輦を眼がけて、 「――堕落僧っ」と、石を投げた者がある。  一人の弥次馬が、暴行に率先して、悪戯《あくぎ》の範を垂れると、火がつくように浮かされている人間の渦が、いちどに、 「わあっ」と、喝采をあげて、 「外道《げどう》めっ――」とまた、石を抛《ほう》り投げた。  ばらばらっと、牛の草鞋《わらじ》だの、棒切れなどが、軌《わだち》や、簾《れん》へ向って、暴風《あらし》みたいに飛んできた。  だらだらと、こめかみに、汗をながして弥次馬を掻き分けてきた大坊主と、もう一名の僧とは、 「ややや」と立ち淀《よど》みながら、法衣《ころも》の袖を腕高くからげて、 「この慮外者めが」痩せた僧のほうが、側に、小石を拾っている凡下の頭へごつんと鉄拳を与えると、大坊主はまた、弥次馬の蔭にかくれて、今しも、輦《くるま》へ向って、物騒な瓦の欠《かけ》らを投げつけようとしているどこかの法師の顔を見つけて、 「この蛆虫《うじむし》ッ」と、腕を伸ばすが早いかその襟《えり》がみを前へつかみ寄せて、眼よりも高くさしあげると弥次馬の上へ、 「くたばれっ!」と抛《ほう》り投げた。  群集は、わっとそこを開いて、四坪ほど大地の顔を見せた。投げられた法師は鼻の頭を柘榴《ざくろ》のようにして、人のあいだへ這いこんだ。  大坊主と、痩せた僧は、その隙間に、輦《くるま》のそばへ走り寄って、 「お師様っ」 「綽空様っ」轅《ながえ》にすがりついて、顔を、汗と涙でよごしながら叫んだ。 「おお、性善坊《しょうぜんぼう》に、太夫房覚明《たゆうぼうかくみょう》か」綽空は、初めて、唇《くち》をひらいた。彼の眼にも、きらと、涙が光った。二人は、焔《ほのお》のような呼吸《いき》で、 「おゆるしなく、参りました。けれど、何でこれが他所事《よそごと》に見ておられましょうか。どうぞ、吉水の御門前まで、お供の儀、おゆるしくださいませ」性善坊がいうと、あの木曾殿の荒武者といわれた覚明も泣かんばかりに、 「おゆるし下されい。いや、おゆるしがなくとも、輦について参りますぞ」と、訴えた。 [#7字下げ][#小見出し]六[#小見出し終わり]  おうとも、否とも、綽空の答えを待っている二人ではなかった。轅《ながえ》の両側にわかれて、 「雑人、鞭を貸せ」覚明が、牛飼の鞭を奪って、百万の魔神もこの輦の前を阻《はば》めるものがあれば打ち払っても通らんと巨《おお》きな眼を瞋《いか》らすと、性善坊も、八瀬黒の牡牛《おうし》の手綱を確乎《しっか》と把《にぎ》って、 「それっ、易行《いぎょう》念仏門の先行者《せんぎょうしゃ》が行く手の道を邪《さまた》げして、あえなく、軌《わだち》にむだな生命《いのち》を落すなっ」と、叱咤しながら、むらがる弥次馬の影を打ちつつ、万丈の黄塵《ほこり》の中へ、むげに、ぐわらぐわらと輦《くるま》を押しすすめた。  大地を鳴りとどろかせて迫る軌《わだち》の音と、露はらいの二人の勢いに気押されて、群集は、足をみだしてわっと道をひらいたが、小石や、泥や、瓦のつぶては、悪戯《いたずら》から反抗へ、反抗から激昂《げっこう》へと、かえって、険悪なものを孕《はら》んできて、 「何をッ、外道の眷族《けんぞく》めっ」 「通すなっ、その、穢《けが》れ車をッ――」  疾風《はやて》か、大魔軍の征矢《そや》かのように、ばらばらと、輦の扇びさしや左右の簾《す》や、性善坊の肩や、また、玉日と綽空の膝の近くへも飛んできて、弾《はじ》き返《かえ》った。  ついきのうまで、深窓のほか、生きている社会とはどんなものか、近づいても見なかった玉日は、さすがに、この凄まじい人間の数が激昂したり、面白がったり、煽動したり、また、耳にするさえ顔の赤くなる猥褻《わいせつ》な言葉を平気で叫んだり――あらゆる能力をもつ大魔小魔を地へ降《お》ろしたかのごとく、それらの大衆が、自分の輦《くるま》一つへ向って、吠え、猛《たけ》び、喰ってかかるのを眺めると、さすがに、女性《にょしょう》のたましいは、萎《な》えおののいてしまって、生ける心地もないらしいのであった。  じっと、俯向《うつむ》いたきりの顔は、紙のように白かった、釵子《さいし》の光も、黒髪も、肩も、かすかに戦慄していて、そのまま、今にも失神して横に仆《たお》れはしまいかと危ぶまれる。  ――玉日! そんなことでどうするかっ?  玉日は、誰かに、呼ばれたような気がしてはッと我れにもどった。側にいる良人《おっと》の声ではなかった。綽空は、岡崎の草庵を出た時からほとんど膝に組んでいる指一つうごかしていない。ただ、濃い眉に、揺るがない信念をきっとすえているだけだ。ここより後へは退《しりぞ》く大地を持たない唇をむすんで、輦《くるま》のまえの大衆に憑《の》りうつッている大魔小魔の振舞いをながめているだけなのである。そして、その結ばれたままの唇から、微かに、  ――なむあみだぶつ。なむあみだぶつ。なむあみだぶつ。  玉日は、恐怖のあまり、いつの間にか、片時も離してはならないものから離れている自分に気がついた。  ――なむあみだぶつ!  ――なむあみだぶつ!  彼女も、良人と共に、一念に唱えた。  そう唱えると共に、ふしぎな力がわいて、彼女は、蒼白《まっしろ》に萎《な》えていた面《おもて》を、きりっと、真っ直に上げた。自分の力でないようなものが、その貌《かお》を厳然とささえた。  わんッ! その時、犢《こうし》のような一匹の熊野犬が、いきなり、輦《くるま》の前に躍って鞭《むち》をあげた覚明《かくみょう》の脚へ噛みついた。 [#7字下げ][#小見出し]七[#小見出し終わり] 「畜生っ」覚明は、噛まれた脚をあげて、黒犬の顎《あご》を蹴った。  きゃんッ――悲鳴をあげて、熊野犬は、薄赤い腹を見せてころがったが、その尾の端へ、勢いよく廻っている輦《くるま》の轍《わだち》が乗ったので、さらに、ふた声ほど、鋭く啼《な》きたてて、横っ飛びに、群集の中へかくれこんだ。  そこに――その犬の逃げこんだ所に、一人の山伏の顔が見えた。聖護院に籍《せき》を持つ播磨房《はりまぼう》弁円である。  さっきから、群集の中にまじって、煽動したり、自分も怒号したりしていたのであったが、黒が、血まみれになって、足もとへ帰ってきたのを見ると、もう、理性のささえを失ったように、 「この野郎ッ」喚《わめ》いて、輦《くるま》のそばへ、寄ってきたかと思うと、腕をのばして、藤色の縁《ふち》に朱の絹房《きぬふさ》の垂れているそこの簾《すだれ》を、ぱりっと、力にまかせて、引き千断《ちぎ》った。  裂けた御簾《みす》の糸や竹が、蜘蛛《くも》の巣のように、弁円の兜巾《ときん》へかぶさった。そして、輦のうちの綽空の横顔が、雲を払った月のように、鮮やかに彼の目に映った。  積年の憎悪と、呪いとが、弁円の踵《くびす》の先から満身へ燃えあがった。彼は、輦《くるま》のうちへ、唾《つば》を吐きかけて、早口に、 「堕地獄ッ」と、罵《ののし》り、 「それでも、貴様、人間か、僧侶かっ。なんの態《ざま》だっ、馬鹿っ、仏法千年の伝統を蹂躙《じゅうりん》する痴漢《しれもの》め! こうしてやる!」杖を持ち直して、ふりかぶると、性善坊は後ろから組みついて、 「無礼者っ」投げようとしたが、弁円も強《したた》かに反抗した。かえって、性善坊のほうが危ないのである。覚明はそれを見て、 「おのれ」と、弁円の肩を、鞭《むち》で打った。  輦《くるま》の上からその時初めてした綽空の声であった。 「――これっ、二人とも控えぬか」 「はっ……」 「他見《わきみ》すな! 道ぐさすな!」 「はいっ」 「轍《わだち》にかかる石、雑草にひとしいもの、それらに関《かま》うな、惑うな。ゆくては、本願の彼岸《ひがん》、波も打て、風もあたれ、ただ真澄《ますみ》の碧空《あおぞら》へわれらの道は一《ひと》すじぞと思うてすすめ、南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》の御名号のほか、ものいう口はなしと思え。石に打たるるも南無阿弥陀仏と答え唾《つば》さるるも南無阿弥陀仏と答えるがよい。――見よやがて、この数万の大衆皆、それについて、南無阿弥陀仏を一音にとなえ奉る日のあることを!」 「笑わすな!」弁円が、ふたたび跳びかかろうとするのを振りすてて、  ――なむあみだぶつ。  ――なむあみだぶつ。  血にまみれた頭も拭《ぬぐ》わず、汗にまみれた顔も拭わず、性善坊と覚明は真向《ひたむ》きに輦《くるま》をひき出した。この声、この力、天地に響けとばかりに。  ――なむあみだぶつ。  ――なむあみだぶつ。 [#3字下げ][#中見出し]浄土万華《じょうどまんげ》[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  ちょうど吉水《よしみず》の道場には、その朝、月輪禅閤《つきのわぜんこう》が訪れていて、上人《しょうにん》としばらく対談してから後、いつもの聴法の席へまじって、他の三百余の学生《がくしょう》たちと、上人の講義を聴いていたところであった。 「たいへんだ!」と、誰か、弾《はず》んだ声でいうのが講堂の外できこえる。 「――今、十禅師《じゅうぜんじ》の辻で、人々が、戦のように騒ぎ合っているので、何事かと行ってみたら、綽空《しゃっくう》と玉日の前とが、この吉水へ参るとて、一《ひと》つ輦《くるま》に乗り、町を、華《は》でやかに打たせてきたので凡下どもは激昂《げっこう》し、ひきずり降ろせの、打ちのめせのと、いやもう、乱暴|狼藉《ろうぜき》、はやく、救いに行ってやらねば、ほんとに、あの二人は、これへ着くまでのあいだに、ぶち殺されてしまうかも知れぬぞ」はらはらして禅房の者へ告げ廻るのであった。しかし、屈竟《くっきょう》な者はほとんど皆、講堂のうちに粛然と膝をつめ合って上人の熱心な講義に耳を傾けているので、その声を聞いても、顔色を動かしただけで起つ者はなかった。上人もまた、耳に入ったらしいが、それについて一言もいわなかった、月輪殿も、じっとしておられた。 「どうしたらよいだろう? ……一人や二人で行ったところで、どうもならぬし」  二、三の者が門前でこうつぶやきながら、はらはらと眺めている間に、やがて泥土の戦場を駈け抜けてきたような糸毛輦《いとげのくるま》と、摩利支天《まりしてん》のように硬《こわ》ばった顔をした二人の勇者とが、その轅《ながえ》について、ぐわらぐわらとこなたへ曳いてくるのが見えた。 「おお!」 「無事に、見えられた」思わず、門前に立っていた者は手を挙げた。  綽空は、すぐ道場へ入った。玉日も、その後に添って、良人と共に、そのまま講堂の中へ坐った。  朽葉色《くちばいろ》の法衣《ころも》や、黒い法衣《ほうえ》ばかりの中に、たった一人、彼女の装粧《よそおい》だけが眼ざめるほど鮮麗だった。  学生《がくしょう》たちの眼が、どうしてもそれへ動かされずにいなかった。講義をしながら上人はそれを感じたであろう、粛然としていた中に、何となく、無言の動揺がながれ始めたのを。  しかし――。綽空と玉日のふたりだけは、いかにも、安心そのものの象《かたち》であった、幸福そのものの相《すがた》だった。他へ、何ら気の散ることなく、上人の講義の終るまで、心静かに、聴いていた。  その日の話は長かった。講義が終ると、月輪殿はすぐ玉日を、上人の座下《ざか》へ連れて行って、紹介《ひきあ》わせた。上人は、さも、満足そうに、 「おう……この女性《にょしょう》でおわすか」と、慈悲の眼をほそめて、玉日の姿へ見入った。そして、独りうなずきながらまたいうのであった。 「まことに、仔細《しさい》なき坊守《ぼうもり》よな。綽空の望みも、これで一つとどいた。弘誓《ぐぜい》の海はまだ遠いが、本願の大船は、ひとまず、陸《おか》に浪を憩《いこ》うがよい……」 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり]  翌日も、若い夫婦《ふたり》は、きのうのように輦《くるま》で吉水の門へ通ってくる。  雨の日も、風のふく日も、それからは、一日とて怠る日のない綽空と玉日であった。四百に近い諸弟子のうちで、この二人だけがいつも講堂で眼立った。老いたる沙弥《しゃみ》たちは、 「健気なご精進よ」といったが、若い沙弥たちには、玉日の麗《うる》わしさと、綽空の幸福そうな落着きとが、とかく、眼に障《さわ》った。うらやましいと思わずにいられなかった。そして浄土門の教義をめいめいが、もう一遍《いっぺん》深刻な気持になって考え直し出したらしい容子《ようす》なのである。 「よいことだ」と、上人はいわれた。  また、ある時は、講義の壇から、上人はこういう意味のことも洩らされた。 「この中で、法然房《ほうねんぼう》のことばを真に汲みとって、即座に、仏陀《みだ》の恩寵を感じ、この世をば、この肉眼で、万華《まんげ》の浄土と眺め得られるものは、おそらく、綽空とその妻とが、第一であろう」――と。上人もまた、二人の境地を、心から羨《うらや》んでおられるのだった。――もちろん、未熟な若い沙弥のそれとは違うが。  ああ、感謝。綽空の心は今、感謝でいっぱいだった。この幸福感こそ、念仏行者が、ひとたび、絶対の摂取《せっしゅ》にあずかるの時に、誰人《たれびと》でも、うけることのできる大悲の甘露なのである。ただ、それを汲み得ないで、人は好んで、未だに、聖道門《しょうどうもん》の自戒や懐疑にさまようているだけなのだ。  日の出る朝には、岡崎の草庵を二人の輦《くるま》が出た、夕月のさしのぼる黄昏《たそが》れには、二人の輦が、吉水から帰った。  ――そうして、毎日、欠かすことなく道に見ているうちに、町の大衆は、もう、怪しまなくなってしまった。二人の輦に行き会って頭《かしら》を下げる者はあっても、石を抛《ほう》る者はなくなってしまった。 「あのように円《まど》かに、夫婦《みょうと》が、一つ道を歩み、一つ唱名をして生活《くら》すことができたら、ほんに、幸福であろうに」と、凡下たちも、自分たちの、歪《ゆが》んでいる家庭や、倦怠期《けんたいき》に入っている夫婦仲や、すさびかけている心をかえりみて、やがて、吉水の説教の日には、夫婦して打ち連れてくる者がにわかにそのころ殖《ふ》えてきたという。  しかしまた、浄土門を、呪詛《じゅそ》する側《がわ》の他宗の僧は、いっそう、彼を悪罵《あくば》し、彼を嫉《そね》んだ。わけても播磨房《はりまぼう》弁円は、 「末法だ、末法だ」と、人に会えば、必ずその人に向って、綽空のことを、悪《あ》しざまにいい、もしその者が綽空の弁護でもすれば、敵のように喰ってかかって、その者が、 「まったくだ! まったく貴公のいう通りだ」  と、うなずかなければ、承知しなかった。  今日も――輦の軌《わだち》に轢《ひ》かれて、尻尾を半分失った例の大犬の黒をつれて、五条の裏町のきたない酒売店《さかや》の土間で、弁円が、そこの亭主を相手に、頻《しき》りと、悲憤をもらしていると、隅のほうで、さっきから黙ってちびりちびり飲んでいた野武士ていの男が、 「修験者どの」と、呼びかけた。そして、 「なかなか、貴公はおもしろいことをいう男だ、一杯|献《けん》じよう」と、杯をほして、彼の方へつきだした。 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり] 「修験者は、どこの方人《かとうど》か」 「聖護院の御内《みうち》」と、弁円は一語で答えて、 「――貴公は」 「浪人だ」 「平家の落ちぶれか」 「いや、源氏の――」 「源氏の侍が、浪人しているのはおかしいではないか。今しも、源氏の全盛は、ひところの平氏に取ってかわっておる」と、酒杯《さかずき》を返して、じっと、相手の顔を見すえた。その浪人というのは、天城《あまぎの》四郎であった。 「武家奉公は、もう飽いた。それも、熊谷|蓮生房《れんしょうぼう》のとは、すこし趣《おもむき》がちがうが」 「では、浪人して、何で衣食しているのか」 「大きな声ではいえぬが盗賊だ」 「え?」弁円は、四郎の大胆なことばに呆《あき》れたが、四郎は、泥棒を人間の正業と信じているので、憚《はばか》るいろもなく、 「戦を起せば、人馬を殺し、平時になれば、権謀と術策を是れ事とする武家よりは、まだ、盗人のほうがましじゃないか。人間を殺したり泣かせる数からいっても、比較にならない。ことに、俺などは、涙もろい質《たち》だから、貧乏な人はいじめない。――例えば権門とかまた、綽空のような、天《てん》人《ひと》倶《とも》に許さざる虚偽の人間に対《むか》っては、生命《いのち》がけで、ぶつかってゆく」 「それで貴公は、俺に酒杯《さかずき》をくれたわけだな」 「どうやら、おぬしも、綽空の行為には反感を持っているらしいから、昵懇《ちかづき》を求めたのだが」 「善いかな」弁円は、すっかりよい機嫌になって、そこの酒代も、自分で払って、 「出かけようぞ」 「遊里《あそび》にか」 「いや、女になど触れたら、十数年、諸国の深岳《しんがく》で苦行した通力《つうりき》を一夜にして失ってしまう」 「あはははは、いかにも、おぬしは、修験者だったな、久米《くめの》仙人のように、地へ堕ちては、困りものだ」 「ここで、酒をもらって行って、どこか、幽寂な所で大いに語ろうではないか」二人は腕を拉《らっ》しあって、祇園《ぎおん》神社の暗がりへと入って行った。どっかと石段に腰をすえて、 「おぬし、綽空と、どういう縁故があるのか」 「縁故ではない。怨恨だ。ひと口にいえば、互いに呪《のろ》い呪われする宿命に生みづけられたのかも知れない――」と寿童丸のむかしから今日にいたるまでの身の上を弁円は語り終って、 「――しかし、今日では、彼に対する俺の憎悪は、決して、私怨ではない、公憤であると信じている。天にかわって、あの法魔綽空を誅罰《ちゅうばつ》するのは、自分に与えられた使命とまで考えておるのだ」 「これは、俺より上手《うわて》な人間がいる。俺も、綽空には、仇をする一人だが、殺そうとまでは思わない、八十までも、九十までも、生かしておいて、どっちが、人間らしく生き通すか、あいつの体から、黄金を強請《ゆす》りながら、あいつと、生き較《くら》をしてみたいのだ」 「それもいい。――それもいいがあのような仏魔を、永くこの世に置くことは、取りも直さず、社会《せけん》の害毒になるではないか」 [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり] 「社会《せけん》の害毒に? ――」と天城四郎は、弁円の思想の浅薄さをあざ笑うように反問して、 「そういうと、いかにも、この社会《せけん》というものが清浄《きれい》に聞えるが、どこにそんな清い社会《せけん》があったか。藤原、平家、源氏、いつの治世でも、俗吏は醜悪の歴史を繰り返し、人民は、狡《ずる》く、あくどく、自己のことばかりで生きている。それが社会《せけん》だ」 「そうばかりはいえぬ。それでは、俺たちは、何で、修験道に精進する張合いがあろう。そういう社会《せけん》の中にも、真実を探し、浄化の功力《くりき》を信じればこそ、吾々は、身を潔斎して、生きている」 「ははは。百年|河清《かせい》を待つという奴だ。なんで、この社会《よのなか》が、そんな釈迦《しゃか》や聖者のいうとおりになるものか。第一に、聖者めかしている奴からして、眉唾者《まゆつばもの》が多いじゃないか。だが、おれはその眉唾者とも妥協《だきょう》するよ、だから、綽空も、生かしておかなければ、商売にならない」 「いや、俺の立場としては、断じて、生かして置くことはゆるされない。見ていてくれ、今にきっと、喉笛《のどぶえ》を掻っ切られた綽空の空骸《むくろ》が、往来に曝《さら》される日がやってくるから」  おのおの、信じるところは譲らないのだ。天城四郎にも信念があり、弁円にも弁円の信念がある。 (案外、話せない奴だ)酒の上で、いちど共鳴はしたけれど、心の底をたたき合ってみて、二人は、お互いに軽蔑《けいべつ》してしまった。 「また、縁があったら、どこかで会おう」ぶつかり物は離れ物――ということばの通りに、二人は、あっさり別れてしまった。  ――年は暮れて、元久《げんきゅう》元年になる。  岡崎の愛の巣では、若い妻と、法悦のうちにある綽空とが、初めての正月を迎えた。――玉日も、もう、草庵の水仕事にも馴れて。  七日には、二人して、粟田口《あわたぐち》の青蓮院《しょうれんいん》の僧正へ、賀詞をのべに行った。尋有《じんゆう》も、いよいよ健やかな勉学期に入っている。ただ思いだされるのは、養父の範綱――観真となって、老後を、孤寂のうちに養っていたあの養父《ちち》が――もうこの時には、世にいなかったことである。綽空や尋有が、こういう欣びの法境に到らないうちに、夙《と》く他界の人になっていた。 (養父《ちち》がいたら、どんなに……)という良人の述懐を、若い妻は何度も聞くことであった。  二月になると、良人は、 「近くへ、旅に出たいが」と、妻へいった。  ――淋しくはないか、と若い妻を宥《いた》わり思うのであった。元より沙弥《しゃみ》の妻である。玉日は顔を振って、微笑んだ。  そして良人の立つ朝は、まめやかに、旅衣《りょい》をととのえて、門口へ出て、笠を渡した。 「……二十日ほどで帰ります」どこへともいわずに綽空は、岡崎の松林から出てゆくのである。玉日は、良人のうしろ姿へ、掌《て》を合せて、 「ご無事に」と仏陀《ぶっだ》へ祈った。――虫が知らすか、別れともない気がして。 [#7字下げ][#小見出し]五[#小見出し終わり]  今の法悦につつまれている身のしあわせを思うにつけて、綽空は、自分をして、今日あらしめてくれたものの恩を思わずにいられなかった。  父母、師の君の、慈育の恩。また、叱咤、鞭打《べんだ》の先賢の恩。  かぞえれば、叡山《えいざん》の雲にも、路傍の一木一草にも、ひざまずいて、掌《て》をあわせたい恩を感じる――  わけても、彼の心に、今もふかく刻みこまれているのは、十九歳のころのまだ惨心|傷《いた》ましい時代にうけた聖徳太子の霊告だった、年ふるたびに御宏恩の偉大さを思わずにいられない彼であった。この国土にあっての仏教であり、この国の人民たる一沙弥《いちしゃみ》として、苦難もあり、試練もあり、今日の法悦もある身であった。これから先もまた、どう、生涯するにしても、その浄土仏国の建立《こんりゅう》のほかに、自分の使命があろうとは思えない。  太子は、それを、まだ真の闇だった若い惨心|一穂《いっすい》の灯となって、暗示して下すった第一のお方だった。後の苦難にたえた力は、その時の灯りの力である。  難波江《なにわえ》へ――岡崎を出た綽空が、まっすぐに、摂津《せっつ》の四天王寺へ向っていたのは、その宏恩に対して、今日の報告をするためであったにちがいない。  しばらく、四天王寺に停《とど》まっていた。そして、ふたたび草鞋《わらじ》の緒を結ぶと、足を、河内路《かわちじ》へ向けて、二月末の木の芽時を楽しむように、飄々《ひょうひょう》と、袂《たもと》を東風《こち》にふかせてゆく。 「奴。……まだ気がつかぬ容子《ようす》らしい」大きな黒犬が、彼の後からついて行った。その犬を連れているのは、いうまでもなく、播磨房《はりまぼう》弁円。  兜巾《ときん》をあてた眉間《みけん》には、去年の秋以来、狙《つ》けまわしている必殺の気がみなぎっている。綽空の後を尾《つ》けてくる前に、京の刀師に、その腰におびている戒刀も充分に研《と》がせてきたくらいだった。  だが――京から難波津《なにわづ》――四天王寺から河内路と、こう、往来の多い場所では、とかく、寄りつく機会が見出せなかった。やや淋しい並木などで、今だと、心を奮い起そうとした折もないではないが、なぜか、そんな時に限って、妙に気が怯《ひる》む。――隙がないというか、あまりに、綽空の身が放胆に投げだされてあるのでかえって手が出難《でにく》いのか、いつも、機を逸してしまう。  怖ろしい黒犬が、絶えず後になり先になりしているのを、綽空は、知っているのか否か、やがて、磯長《しなが》の叡福寺へ彼の姿はかくれた。聖徳太子の御霊廟《みたまや》のある御葉山《みはやま》の松の丘へ――その松風の中へ。  わんッ! 黒が、山門の前で、急に吠えだしたので、 「畜生」弁円は、そこからいちど、里の方へ逃げだした。そして、黒を遠い松林の奥へ荒縄で縛りつけて出直そうとした。  わん、わんっ、わんっッ――  彼の姿を見送って、黒は、発狂しそうに吠える。何となだめても畜生のかなしさである、弁円は、研《と》ぎすました戒刀を抜いて、犬の鼻へ突きつけていい聞かせた。 「おとなしく、一晩、ここで待っていろ。――いいか、褒美《ほうび》には、後で、似非聖者《えせひじり》の生き血をぞんぶん舐《な》めさせてやろう」 [#7字下げ][#小見出し]六[#小見出し終わり]  まだ春は浅い、月は若い、肌寒い初更《しょこう》なのである。  山清水の溜井《たまりい》に垢離《こり》をとって、白い下着に、墨の法衣《ころも》をつけ、綽空は、叡福寺の厨《くりや》から紙燈芯《かみとうしん》を一つもらって、奥の御霊廟《みたまや》へ一人すすんで行った。  寂《じゃく》とした窟《いわあな》、その前の荒れ果てた、一宇《いちう》の堂、昔ながらである、何もかも、ここだけは変っていない。 「アア!」思わず出た真実の息である、永い旅のさすらいから戻ってきた人間の子が、心の故郷《ふるさと》へ立ち帰った時の感激にも似ている。  綽空は、胸の底から湧き出た声と一緒に、廟前《びょうぜん》の床にひれ伏していた。 [#ここから2字下げ] 日域ハ大乗相応ノ地 諦《アキラカ》ニ聴ケ諦ニ聴ケ我《ワガ》教令ヲ [#ここで字下げ終わり]  今も耳にある。十九の冬、この床に骨ばかりの身を坐らせて、七日七夜の祈念のうちに、夢ともなく、太子のおん姿を見、そして、壁に見出した御告命《ごこくみょう》の文字を。 [#ここから2字下げ] 汝ノ命根|応《マサ》ニ十余歳ナルベシ 命《メイ》終ッテ速《スミヤカ》ニ清浄土《ショウジョウド》ニ入レ善信《ゼンシン》善信、真ノ菩薩《ボサツ》 [#ここで字下げ終わり] 「おそろしいほどです。御告命に違いなく、範宴は死し、綽空は生れました。ああ、綽空はここに生れました。ひとえに、太子の御宏徳によるところです。今の私の法悦は喩《たとう》るものもありません。そうです、お礼に参籠した今宵を記念《しるし》として、ただ今からは御告命の二字をいただいて、善信と名乗ることにいたしまする。善信、善信、今の私はさながらその二字の相《すがた》に現わされておりまする」自分の歓びは、太子の歓びである。綽空は、信じて疑わない。  その歓びを、どういい現わそうか。  更けてゆく夜も忘れて、綽空は――いや善信は、紙燭《しそく》を寄せて、懐紙に何やら筆を染めていたが、やがて、わきあがる感激を抑えようもなく、無我の声を、朗々と張りあげて、みずから書いた懐紙の讃歌《さんか》を唱えていた。 [#ここから2字下げ] 仏智不思議の誓願を 聖徳皇《しょうとくこう》のめぐみにて 正定衆《しょうじょうしゅ》に帰入して 補処《ふしょ》の弥勒《みろく》の如くなり 救世《ぐせ》観音|大菩薩《だいぼさつ》 聖徳皇と示現して 多々《たた》の如く捨てずして 阿摩《あま》の如くに添い給う [#ここで字下げ終わり]  ……みりっと、後ろの床が歯ぎしり[#「ぎしり」に傍点]をするようにその時鳴った。  身軽に扮装《いでた》った播磨房弁円が、研《と》ぎすました戒刀を背なかに潜《ひそ》め、軒から洩れる月影を避けながら、そろ、そろ、と這いすすんでくるのであった。 [#ここから2字下げ] 大慈|救世《ぐせ》の聖徳皇 父の如くに在《おわ》します 大悲|救世《ぐせ》の観世音 母のごとくに在します [#ここで字下げ終わり]  ……自作の讃歌をうとうていながら、善信の頬に白い涙のすじが止めどなく流れていた。随喜の甘い涙である。その歓涙に瞼《まぶた》は霞んで、御霊廟《みたまや》の龕《がん》は、虹のような光をぽっと滲《にじ》ませ、あたりには、馥郁《ふくいく》と、蓮華《れんげ》が舞う心地がし、その寂光|万華《まんげ》の燦《かが》やきの裡に、微笑したもう太子三尊のおん姿が見え、亡母の吉光御前や、妻の玉日も、その辺りに在るがような心地がして、ありがたさに、われをも忘れて声をあげて、 [#ここから2字下げ] 和国教主の聖徳皇 広大恩徳|謝《しゃ》しがたし 一心に帰命《きみょう》したてまつり 奉讃不退ならしめよ! [#ここで字下げ終わり]  ――刻、刻、刻、一瞬の間を刻《きざ》んで、彼のうしろには、鋭い刃が近づいていたのである。深沈と、夜は更《ふ》け、灯は白く、どこかで遠く、飢《う》えた野犬の声がきこえる。 [#改ページ] [#1字下げ][#大見出し]法敵篇[#大見出し終わり] [#3字下げ][#中見出し]氷柱《つらら》の下《もと》[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  冴《さ》え返った春先の夜である。月明りは雪のように白かった、樹々の細い枝は水晶を思わせる。 「オオ寒……」心蓮《しんれん》は、立ちすくんだ。  八寒の底から吹いてくるような風が、裾《すそ》を払《はら》って、河内《かわち》街道の彼方《かなた》へひゅうと翔《か》けてゆく。  昼間は、もう草萌《くさも》えの温《ぬく》む土、温《ぬる》む水に、春の肌心地を感じるので、油断して、薄着のまま出てきたが、夜になると、急に棘《とげ》のある空気が、風邪心地《かぜごこち》の肌を寒気立《さむけだ》てる。  心蓮は、水洟《みずばな》をこすって、 「宿をとればよかった……」と、悔いを洩らした。  一日も早く帰りたい――師の房の顔を見たい――友の声も浴びたい――と矢も楯《たて》もなく立ってきた彼の気持が、この深夜をも、ひた向きに、京へと足を急がせてきたのであったが、無理だった、体に微熱があるせいか、脚がだるい、鼻のしんが風に痛む  立ちどまれば、風は、裾を吹いて、よけいに悪寒《おかん》がしてくるし、果ては、坐ってしまいたくさえなる。  わんッ、わんッ――どこかで、猛々しい犬の声がした。静寂《しじま》をつんざいて、幾声もつづく。 「おや?」凡《ただ》の犬の声とも思えないのである。畜生の吠えるうちにも喜怒哀楽はあるものだ。心蓮は、釘を打ちこまれたように、犬の傷《いた》む心を、共に傷んだ。 「――この林には、家も見えぬが?」彼は疎林《そりん》の中へ入って行った。まだ葉を持たない痩せた雑木が、どこまで行っても、同じような密度と芝地の肌を見せてくる。  がさ、がさと、心蓮の足に、落葉が踏まれてゆくのが、敏感な動物に、人間を感じさせたものとみえ、やがて不意に間近な樹蔭から、  ――わ、わ、わんッ!  発狂しているような犬の声が猛り立った。 「オオ」心蓮は、恐《こわ》かった。  しかし――不愍《ふびん》さに捨てては逃げられなかった。  そこの一つの樹の根に、荒縄で縛《しば》りつけられている大きな黒犬は喉《のど》から断《き》られてしまいそうに首を長く伸ばして、ほとんど、飛び出しそうな眼を、心蓮の影へ向けているのだ、訴えているのだ、何とも、言語のある人間には表情のできないような表情を必死に示して―― 「どうしたのだ、百姓の子でも、咬み殺したのか、おまえは……」心蓮は、恐々《こわごわ》、寄って行った、黒犬の体は、狂いに狂っていたためであろう、自分の血でよごれていた。  それを摺《す》りつけて、犬は、心蓮にからみついてくる――。眼やにをもって、そして、血ばしった眼に、涙のようなものをもって。 「待て。――これっ、そうからんでは、解《と》いてやることもできないではないか。離せ、お離し……」やっと、振りもいで、木の根の縄を解いてやったのである。すると犬は躍ってよろこんだ、狂喜というのはこういう態《てい》であろうと心蓮は眺めていた。  突然、黒犬は、征矢《そや》みたいに駈け出した。 「あっ……」と、呆れてながめている間に、もうその影は、灌木《かんぼく》の下を突き切って、街道へ出たかと思うと、いっさんに、彼方《あなた》の丘へ向って飛んでいた。  丘には、松が多く見える。そして初めて心蓮も気づいたのである。そこに、チラと灯がまたたいていることを。 「お……あの山門は磯長《しなが》の叡福寺ではないか。……そうだ、聖徳太子の御廟《ごびょう》のある……」  彼は、犬の後から、遥かに遅い脚で、その灯をあてに歩みだした。 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり]  山門は閉まっている。心蓮は、丘の下まで来て、 「はて、今ごろ、門をたたいても……」と、ためらっていた。  太子の御霊《みたま》を感じるので、その山は、神々しかった。しかし、もし魔が棲む山と見たなら、轟々《ごうごう》と鳴る暗い松風もものすごい形相《ぎょうそう》なのである。 「どんな所でもよいが――」心蓮は、寝どこが欲しかった。ともかく、ここまで来たことである、訪れてみよう、そう考えて、崖の段を踏みかけた。  さっき――林の中で縄を解いてやった犬の声が――その時ふたたび遠い寺域《じいき》の裏山で聞こえだした。  ぞっと、心蓮は背に水を浴びた。その時の犬の声は、さっき、街道で耳をとめたそれよりは、いっそう陰惨な殺気さえおびている――一種異様な吠え方である。  しかも。その犬の声は、恐ろしい迅さで、またこっちへ近づいてくるらしい。それと共に、誰なのか、大股《おおまた》に幅ひろく駈けてくる人間の跫音も近づいてきた。 「盗賊か?」咄嗟《とっさ》には、そんな程度にしか想像できなかった。心蓮は、大きな樫《かし》のうしろへ走りこんだ。  上の柵《さく》を破って、崖の竹むらへ飛び込んだ人間がある。――一人なのだ。手にキラと何か光ったものを心蓮はたしかに見た。 「畜生っ」すさまじい怒りをふくんでいる男の声がすぐ側へ来て聞こえた。見ると、それは額《ひたい》に兜巾《ときん》をあてている山伏である。  けん! けんっ! 黒犬は、山伏の袂《たもと》に――裾に――まるで死にもの狂いの慕い方をして、追い纒《まと》っているのである。それを、腹立たしげに、 「うるせえっ」山伏は、蹴った。悲鳴を上げて、犬は腹を見せて仆れた、しかし、屈しないのだ、すぐにまた、噛みつくように、山伏の後を追う。 「ぶッた斬るぞ」ひっさげている直刃《すぐは》の戒刀を、山伏は、怒っている眼の上にふりかぶって見せた。――それには、さすが血迷っている犬も怖れをなして、いと悲しげな声をあげて、尾を垂れて逃げすくむ。 「――みろっ、てめえが飛びこんできたおかげに、綽空の奴を、どこぞへ、逃がしてしまったじゃアねえか。おれを追うより、綽空をさがせ! 今夜こそ、あいつの息のねを止めてしまわなければならねえ。――よっ黒犬《くろ》、おれを主人と思うなら、おれの狙う綽空を一緒にさがしてくれ」  しかし――犬に聞きわけのあろうはずもない。犬はただ、浅ましい飼主の血相を悲しみ、そして恐れるだけだった。 「――どこへ失《う》せやがったか?」唇を噛んで、山伏は、そこらを睨《ね》めまわして歩くのである。心蓮は、たましいが竦《すく》んでしまった。――見つかったら、人違いでもしかねまい。逃げようか、じっとしていようか。彼は、ひとりでに五体がぶるぶるふるえてくるのをどうしようもなかった。 「街道のほうだな」そのうちに、こうつぶやくと、山伏は引っさげ刀のまま、彼方へ韋駄天《いだてん》のように走り去ってしまった。  もちろん、黒犬《くろ》もその後について――心蓮は、ほっとした。  われに返ってくると、冷たい汗が腋《わき》の下をぬらしていた。ふたたび戻ってこないものでもない、今のうちだ。  彼は、崖を駈け上がった。そして山伏が破って出た柵《さく》の間から寺内へ入ってみると、ここは、寂《じゃく》として樹海の底に沈んでいる真夜中の伽藍《がらん》が眼にうつるだけなのである。 「お、誰か起きている」心蓮は、奥ふかい堂の渡り廊下に、一つの小さい燈火が流れてくるのを眼にとめた。 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり] 「お願いの者にござります」近づいて、心蓮が地上に額《ぬか》ずくと、紙燭《しそく》を持って、ちょうど橋|廊架《ろうか》のうえを通りかけた寺僧が、 「――旅のお方か」と、下を覗いていう。  心蓮が、疲れを訴えて、一宿のおゆるしを賜われまいかと乞うと、 「はい、それは承知しましたが、ただ今、頻りに猛々しい犬の声がしたのは、貴僧の姿を見て、野良犬でも吠えたのですか」 「いえ、その犬ならば、今、当寺から駈け出して行った山伏の飼犬らしゅうございます」 「山伏が」 「さようです、刃《やいば》を持って」 「はてな?」 「恐い血相でござりました」寺僧は、そう聞くと、あわてて奥へ駈けて行った。盗賊が入ったのではあるまいかといい交わしつつにわかに人々が右往左往し始めた。  すると、太子廟のほうを見に行ったうちの一人が、 「こよい御霊廟《みたまや》に参籠していた善信御房《ぜんしんごぼう》(親鸞《しんらん》)のすがたが見えませぬぞ」と、告げ廻った。  さては何か、奇禍に罹《かか》られたのではあるまいかと、老僧までが先に立って、松明《たいまつ》を点《とも》させ、裏の御葉山《みはやま》へまで、その赤い灯が点々と登って、 「善信どの――。善信御房うっ……」と、呼び歩いた。  心蓮は心の裡《うち》で驚いていた。  善信というからには、都にある、法然上人の室《へや》にあって、共々に師事していた同門の綽空ではあるまいか。  つい昨年――建仁三年。その人は、前《さき》の九条|関白家《かんぱくけ》――月輪|禅閤《ぜんこう》の息女と結婚して、法門に未曾有《みぞう》な問題を起した人物である。  また、叡山を去って、吉水の念仏門に身を投じ、自力難行から他力易行《たりきいぎょう》へ転向して、その折も、ごうごうと世上の輿論《よろん》に渦まかれた人でもある。  以前には、綽空といい、結婚して後、善信と名を改めたという風評も田舎《いなか》で耳にしたことがある。 「もしや……かの綽空なら」心蓮は、急に、自分もじっとしていられない気持になり、そして胸噪《むなさわ》ぎに駆らるるまま、どこというあてもなく、叡福寺《えいふくじ》の人々と共に探し歩いた。 「そうだ」彼は、山門を出て、街道のほうへ走ってみた。さっき、山伏はこの道の方へ刃をさげて走ったのだ。――綽空が難を避けて行ったとすれば、この道にちがいない。  だがもうその山伏の影も見えないし、黒犬の声も聞えなかった。心蓮は、霜をふくむ風の中に、ただうろうろと立ち迷っていた。  寺へもどっても、この騒ぎに――また、自分と同じ師を持つ同門の者の不安をよそに、楽々と、眠るわけにはゆかない気がする。心蓮は、背中を風に押されながら、風の行く方へただ歩みつづけた。  すると、どこからともなく、誦経《ずきょう》の声が聞えた。耳のせいかとも思ったが、そうでもない。 「? ……」風に顔を反向《そむ》けて振向いた。  水車小屋がある。水車は晒布《さらし》を掛けたように、氷りついて止まっていた。その小屋の廂《ひさし》の下に人影が屈《かが》んでいるのだ、石のうえに腰かけて。  心蓮は、眼をみはった。やはり自分と同じような貧しい法衣《ころも》の旅人である。 「もし……あなたはもしや、以前綽空といわれた善信御房ではありませぬか」 「そうです」人影は、石から起って、いぶかしげに、 「そう仰っしゃるあなたは?」 「三年前に、上人からお暇《いとま》を賜わって、笠置《かさぎ》の田舎《いなか》へかくれ込んだ心蓮です。――あなたとも半年ほど、吉水で共に暮したことのあるあの心蓮です」 [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり] 「善信御房――」心蓮は、いぶかしげに、また訊ねて、 「軒からは、氷柱《つらら》が下がっているし、風は吹きさらすし、さような所であなたは、何を好んで誦経《ずきょう》しておられたのですか」 「実は、ある者の刃に趁《お》われて、逃げてきたのです」 「逃げるならば、叡福寺の僧房へでも、おかくれになればよいのに」 「僧房を騒がすのは気の毒でしたから。――それに皆、静かに眠っているところを驚かしてはと思うて」 「なるほど」心蓮は心を衝《う》たれたように、 「危急に迫って、自分の生命《いのち》が脅《おびや》かされる間際にも、あなたは、慈悲を忘れないお方とみえますな」 「――お恥しいことだ」善信は微笑して、 「そんなつもりではありません。山伏の刃が恐くて、ただひた走りに、ここまで走ってきたに過ぎない。――そして、奇蹟のように危ないところを助かったのが、何かこう御仏《みほとけ》の手でこれへ体を運ばれたような心地がして――有難さに、われを忘れて、経を誦《ず》していたものでございまする」 「一体、あの山伏は、何者ですか。何を怨みにふくんで、あなたを殺そうとしたのですか」 「さ……それをお話し申すには長いことになりますが、掻いつまんで申さば、心蓮どのも見かけたらしいあの山伏は、私が幼少からの学友で、今では聖護院《しょうごいん》の印可をうけ、播磨房《はりまぼう》弁円と名乗っておる人物」 「弁円? ……私もどこかでその名は聞いたような気がする。――して今夜は」 「私は、あの叡福寺の御葉山《みはやま》のふもとにある聖徳太子の御廟へ、ちと、心願がありまして、籠っていたのです」 「ふむ」 「すると、弁円が、いつの間にか私の背後に、抜刀《ぬきみ》をしのばせていたらしいのですが、すでに、その刃が私の頭《こうべ》に下ろうとした瞬間、アア今思い出しても奇蹟です――いや私にとって、慈父たり、恩師たり、母たり、常に心のうちで渇仰《かつごう》し奉る聖徳太子のお救いかもわかりません――その髪一すじの危機に迫った時、忽然《こつねん》と、弁円の開《あ》けて入った妻扉《つまど》から中へ躍りこんできた一頭の黒犬があったのです」 「えっ? 犬が」 「弁円の飼犬なのでしょう、一声、もの凄い声をあげて吠えました。驚いて振向いたので、私は初めて、私を殺そうとしている人間がすぐ後ろにいることを知ったのです。犬も、飼主に力を協《あわ》せて、私へ向って噛みついてくるのかと思っていますと、さはなくて、弁円の刃《やいば》を持っている腕へ武者ぶりついて離れないのです――私が辛《から》くも逃げることができたのは、その隙があったからで、思えばあの犬は、畜生とはいえ、怖ろしい殺害の罪を犯すところであった飼主をも、同時にその罪から救うたものといえまする」 「ほ……」心蓮は、いよいよ心を衝《う》たれ、 「さても、ふしぎなこともあるものですな。その犬は、この先の雑木林の中に縛りつけられてあったのを、私が、縄を解いて放してやったのですが」 「あなたが?」 「そうです――私が」 「…………」氷柱《つらら》の軒下に立ったまま、二人は黙然と、いつまでも顔を見合っていた。眼に見えぬものの大きな力をこの宇宙に感じずにいられないもののように。  もし心蓮が、あの時、黒犬の縄を解いてやる気にならなかったら、善信は今ごろどうなったろうか。  二人は坐ってしまった。御葉山《みはやま》の御廟《ごびょう》のほうへ向って、われを忘れて、数珠《ずず》の掌《て》をあわせ、仏の弟子である欣《よろこ》びに声を出して念仏していた。  ちかっと、朱《あか》い光が、御葉山の肩に映《さ》した。  夜が明けたのである。  ――雲にも、野にも。二人のうえの氷柱《つらら》の刃は、いつの間にか麗朗な珊瑚《さんご》のすだれのように輝いていた。 [#3字下げ][#中見出し]春雷《しゅんらい》[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  ――いつまでこの春はこう寒いのだろうか。  門外の御弟子《みでし》、聖信房湛空《しょうしんぼうたんくう》は、たまたまその夜、吉水禅房の一間《ひとま》に泊ったのであるが、夜もすがら花頂山のいただきから吹きおろす風や、三十六峰の樹々の音や、戸を洩る針のような寒さに、 「よく皆は寝ていられる」と、夜の具《もの》に襟《えり》を埋《うず》めながら思った。  ミリッと時折に、柱や梁《はり》が、乾燥した空気と寒《かん》に裂ける音を走らせる。 「上人《しょうにん》もお年を老《と》られた――この禅房の建物も」湛空は、ふと、人間の寿命と、建物の盛衰などを思うて、うら寂《さび》しい「無」の観念にとらわれてしまった。――こうして有りと見える柱も天井も、寒いと感じている肉体も、その「無」でしかない空《くう》でしかない。 「いつかは、形を失う日が来る……。それを早めようとしているのが、叡山《えいざん》の人々だ、南都の大衆《だいしゅ》だ、高雄《たかお》の一山だ」  ――今。この新しい芽ばえの宗教、浄土宗の屋《おく》を吹きめぐる木枯しは、三十六峰の風ばかりではない。おそろしい法敵がほかにはある。  叡山の大衆は、伝統の威権と、その社会的な力の上から。  明慧上人《みょうえしょうにん》をいただく高雄の僧団は、主として、教理の検討の上から。  また、奈良の解脱《げだつ》上人たちは、主にその教化《きょうげ》の方面から、 (流行《はやり》ものの邪教を仆せ)と、叫んでいるのである。  その手段として、あらゆる運動の方法と、迫害の手が、法然《ほうねん》上人の身には今、潮《うしお》がつつむように寄せつつある―― 「ああ、どうなることか」  湛空《たんくう》は、いよいよ、身をちぢませた。 「上人は、そも、どんなお気持でおられるだろうか……」その師の法然房《ほうねんぼう》の寝所は、高縁《たかえん》を一つ隔てて彼方《あなた》にあった。――おや? と湛空はそう思った時に頭をもたげて、自分の耳を疑うように眸《ひとみ》をすました。  唱念の声が聞えるのである。凜々《りんりん》とした声ではないが、低いうちにも一念の倦《あ》くことなき三昧《さんまい》が感じられる念仏の声であった。 「――誰だろう?」次の瞬間、彼は、われを忘れたように身に法衣《ころも》をつけ、つうと、縁へ出て行った。 「上人のお部屋だ……」さまたげてはならないと誡《いまし》めながらも、彼は、次の間まで忍ぶように入って行った。――何を思い出されて、この深夜に。  近ごろは、めっきりお体もすぐれないのだ。ことにこの冬は、たびたび邪熱を発しては床《とこ》に臥せられていた有様である。  湛空が隙間見た燭《ひ》は白く冴えていた、氷の部屋のようにそこは冷たい、火の気のあろうはずはない。  彼は、次の間に、凍《こお》りついたように坐ったまま、師の心を、さまざまに思いいたわって、上人が眠らぬうちは、自分もこうしていようと決心した。しんしんと草も木も眠っているこの真夜中に、ただ一人でも、師の房の念仏をどこかで魂に受けとっている者があるとすれば、一塊《ひとかけ》の炭火ほどでも、師の心を温かにしはせまいか――と。湛空は、そう考えたので、 「えへん」次の間に、侍側《じそく》している御弟子《みでし》がございます――ということを知らせるつもりで、軽く咳《しわぶき》をした。  すると、翌日。いつものように大勢の弟子たちの朝礼《ちょうらい》を受けに出てきた上人は、常になく不機嫌な顔色をして、いった。 「その辺に湛空はおらぬかの、ちょっと呼んでくだされい」 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり]  湛空は、その朝、師の御房がお呼びでございますぞ――と同門の者からいわれて、 「はい、ただ今」答えながら、心のうちで、すぐこう思った。  さては昨夜の自分の真心を上人もお酌《く》み下すって、何か、ご機嫌の麗しいおことばでもかかるに違いない――と。  彼はいそいそと、法然の前へ出て行った。そこには随身の他《ほか》の弟子たちも大勢いて、上人が何で改まって湛空を呼ばれたのかと、まだ解《げ》せない面持ちでいたが、湛空はひそかに得意であった。 「お召しでございましたか」 「む……」法然の眉は霜のようにちと峻厳であった、琥珀《こはく》のように茶色をおびたいつもの眸がじっと湛空の面《おもて》を射た。 「――昨夜、この法然が、称名《しょうみょう》しておる折に、近くの室《へや》で、咳《せき》ばらいをしたのはおもとでござったの」 「はい、私でございました」 「なにゆえに?」 「は」 「なにゆえに、さようなことをなされたか、申されい」 「…………」湛空は、案に相違した師のきびしい語気に、肩を竦《すく》ませたままであったが、 「……されば」と唾《つば》をのんで答えた。 「ゆうべは、臥床《ふしど》の中にあっても、爪も凍《こお》るかと思う寒さでござりました。その深夜に、ふと上人の御称名《ごしょうみょう》の声を聞きまして、勿体なや、あの御齢《おんよわい》に――とありがたさにお居間に近づき、四隣《あたり》は眠り、人はみな知らぬ時刻ではあれど、わたくし一人は、ここにいて聴聞《ちょうもん》いたしておりまする――侍坐いたしておりまする――さような心持を持って、何気のう咳ばらいをしたのでございまする」法然は、それを聞くと、近ごろにもいつにもめずらしい不機嫌で、声を励ましていった。 「湛空一人のみならず、皆もよう聞き候え。この法然が念仏を申すのは、人に聞かそうためではさらさらない。念仏専修の門をひらいて、ここもう幾十年、おもとらの修行もすすみて、いつ、この法然が世を去るとも、この吉水に咲いた座行往生《ざぎょうおうじょう》の菩提華《ぼだいげ》は散り果てる日もあるまいぞと、常に喜ばしゅう思うていたに、さような心得ちがいの者がまだあると思えば法然は心もとのう存ずる」心から悲しまれているらしい様子なので、弟子たちは皆、粛然《しゅくぜん》と襟《えり》を立てて、一人として、師の顔を仰ぎ見る者はなかった。法然は、ことばを続けて、 「はや、法然も老いの身、ゆうべの寒さも一しお身に沁みた。――が、それにつけわしの思うたのは、かく温かに夜の衾《ふすま》を重ねても堪えられぬ心地のするものを、その昔、法蔵菩薩《ほうぞうぼさつ》の御苦労などはいかばかりであったろうか。火の中にも幾千劫《いくせんごう》、水の中にも幾万劫。それも畢竟《ひっきょう》、誰のために。……誰のために」  つよい語尾だった。打ちふるえていったのである。そういう熱情がどうしてこの老齢な人の舌端から走るだろうかと疑われるくらいであった。 「衆生|行《ぎょう》を起し、口に常に仏を称せば、仏はすなわちこれを聞きたもう――。称《とな》えあらわす称名《しょうみょう》の声は、たとえ、誰ひとり聞く者はなくても、仏は、一声一声これを受けたもうのじゃ。念仏は人に聞かすものではない。法然はただ一人で喜びそして満足に思うている。――湛空を初め一同も、他人に聞かそう念仏などと心得ては大きな誤りでありまするぞ」  朝の陽《ひ》が、上人の背の近くまで映《さ》していた、人々はいつまでも、峻厳に打たれていた。  湛空は、涙をながし、 「不心得を仕りました」手をつかえたまま泣いているのである。  そこへ、弟子の一人が、 「心蓮どのが戻って参りました」と、法然へ告げにきた。 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり] 「心蓮が?」――これは法然にも他の弟子たちにも意外らしいことであった。  なぜならば、もう三年も前になる。  その心蓮は、この吉水禅房で、ひたすら修行していたが、ある時、師の法然に向って、突然、お暇を下さいといい出して、この門から自分で出て行った男である。理由というのは、 (こうして、繁華な都の中に、大勢して念仏門の道場をかまえ、夜も朝も、雑多な、信徒や、様々な心をもった同門の人々と起き臥しを共にしていたのでは、どうも、ほんとに心を澄まして、一念の称名《しょうみょう》に入ることができません。こういう修行のしかたは私の考えでは、誤っていると思います。――で、自分だけは、まったく、世俗の塵《ちり》を絶った遠い田舎《いなか》へ参って、人間の騒音から離れ、清浄孤寂な生活をまもって、一心|三昧《さんまい》に入って、道を得たいとぞんじます、どうか、私を破門して下さいまし)そういって、心蓮はここを出て行ったのである。  ――それが、忽然《こつねん》と、またこの門へ帰ってきたというのだ。  人々は、法然が、それに対してなんというであろうかと、推し測るように顔を見ていた。――と、法然は、 「通しなさい」そういってから、すぐ、 「疲れておるようであったら、休ませて、粥《かゆ》など与え、その後でもよいぞよ」しかし、心蓮は、すぐ導かれてそこへ入ってきた。 「お……」なつかしい旧友。  久しく仰ぎ見ない師の房。  この柱、この天井、また庭の樹々――  心蓮は坐ると、瞼《まぶた》を赤くしてしまった。何かいおうとしたが手をつかえると、それなりしばらく黙ってしまった。 「心蓮か」 「はい……戻って参りました……。面目もございませぬ」 「よう戻ってこられた」 「穴にでも入りたい心地がいたしますが……。ほかに、心蓮の行く所はございませぬ。やはり、この吉水禅房のほかに、往生の床《ゆか》はないと、こんどはよく分って戻って参りました」 「よい修行をされたとみえる。この三年、お汝《こと》はどこにおられたぞよ」 「ずっと、都遠く離れて、笠置《かさぎ》の山里のさる豪家の持っている山の中に、一庵を借りておりました。一日一度、食物を運んでもらうほか、人の顔も見ず、夜も昼も、念仏に送って、まったく世間の音から離れ、草が伸び、木の葉が散るのを見て、月日を知るような生活をしておりました」 「そして、何を得たかの」 「何も得ません。初めの半年ぐらいは、これこそ、念仏行者の道ぞと、澄みきった心のつもりで、行い澄ましておりました、一年経つと、なにかこう自分が空虚《うつろ》のような不安を感じて参りました、二年目には、心がみだれ出し、自然の中の寂寞《じゃくまく》さが常に心をおびやかしてきました。――一念無想に念仏をとなえているつもりなのが明けても暮れても、都のことを考え出してきたのです。眼をとじれば、京の灯が見え、耳をふさげば人間の恋しい声が聞えてくる。そして、夢にまで、人間と交わったり、都へ帰った夢ばかり見るのです。……堪まらないほど、私は、口がききたくなりました。――旧友と、世間の人と、信徒たちと。――すべて初めに厭《いと》って逃げてきた者がやたら無性《むしょう》に慕わしくなり、矢もたても無くなったので、実は、お恥かしい限りですが、夜逃げのように、笠置の奥から舞い戻ってきたのでございまする」心蓮の正直な体験の告白を、一同は、興味ふかく、また教えられるところもあって、和《なご》やかに聞き入っていた。  法然は、もうすっかり、常の柔和な眼ざしに返っていて、 「それが分ったのはなによりじゃった。したが、三年はちと長うあったの……」と、微笑すらたたえて、さて、侍坐の一同をかえりみて、 「今朝はまことに、おもとたちにとって、尊い朝でおざったの。法然にとっても、うれしい朝――」と、くりかえしていった。 [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり]  往生。それは、往《ゆ》きて生きん、ということであるとここでは説くのだ。安楽に眼をねむったり、寂滅《じゃくめつ》の終りを意味する言葉ではない。――往きて生きん――往きて生きん――人生へのあくまで高い希望とつよい向上の欲求。それを往生とはいうのである。  吉水の講堂では、きょうも厳粛のうちに和《なご》やかな半日が禅房のひさしに過ぎた。講義をしている上人の声は、粛《しゅく》としている奥の方から表まで聞えてくるのだった。あれが齢《よわい》もすでに七十を出ている老人の声だろうかと疑われるくらいであった。  しかし、その老人から先になって、この浄土門では、 (往きて生きん)の理想に専念しているのだ。  また、そのため、 (人間いかに生くべきか)の真理を求め探してやまないのであった。  上人はそれに対して、 (ただ念仏。一にも二にもただ念仏を)と、教えた。ただ念仏のみが、最も前のふたつの人生の欲求を充《み》たしてくれるものだと説いた。  戸外《そと》の春も、一日ごとに、菁々《せいせい》と大地から萌《も》えていたが、この吉水の禅房も、若草のようだった。新しく興り、新しく起ち、すべての旧態の殻《から》から出て、この人間の世に、大きな幸福の光燈《あかし》をかかげようとする青年のような意気が、七十をこえた法然上人にさえあった。  他の年の若い弟子には勿論、聖覚法印《しょうかくほういん》とか、蓮生《れんしょう》とか、分別ざかりの人々にも、なお、叡山《えいざん》をはじめ、ほかの歴史あり権威ある旧教の法城が、なんとなく、落莫《らくばく》としてふるわない傾向があるのに、それらの大法団から比べれば、隠者の一草庵にもすぎないこの吉水の禅房が、いつとなく時代の支持をうけ、精神社会の中心かのような形にあるのは、なんとしても不思議な現象といわなければならない。  だが、社会はその不思議を正視しようとはしなかった。むしろ、畸形《きけい》なもの、邪《よこし》まなものとして、あくまで白眼視するのみか、その成長ぶりを見るに及んでは、 (これは捨ておけない)とにわかに、迫害を以て、この浄土門を今のうちに踏み潰《つぶ》してしまおうという形勢にさえあるのだった。  今日も――ようやく講堂のひさしに陽もうすずいて、上人の説法が了《おわ》り、一同が礼儀を終って、静かに席を散ろうとすると、それへ外から息をあえいで戻ってきた一人の弟子が、 「たいへんですぞ、おのおの」眼のいろを変えて、自分を取り囲む人々へ話すのであった。 「慈円《じえん》僧正が、とうとう天台|座主《ざす》を退《ひ》かれて、叡山から降りてしまわれたという噂だ」 「え、座主をおやめなされたって?」 「罷《や》めたというよりは、いたたまれなくなって、ついに、自決なすったというほうがあたっているだろう。――何せい、慈円僧正がいなくなっては、いよいよ、これから吉水と叡山《えいざん》とは、うるさいことになろうぞ」 「上人のところへは、まだ、僧正からなんの御消息もないのかしら」 「あるまい、不意なことだ。――そして叡山では、またぞろ、今夜も何度目かの山門の僉議《せんぎ》をひらいて、本格的に、吾々の念仏門へ対して、闘争の備えを立てなおし、一方には、政治問題にして、念仏|停止《ちょうじ》の請願を院へ向ってする企《くわだ》てだと聞いた」 「ふーム、それは容易ならぬことだ」 「吾々も、じっとばかりしていたのでは、ついには、彼らのために、せっかくここまで築いてきた念仏|易行《いぎょう》の門を、めちゃめちゃにされてしまうかも知れぬ」 「上人は、どうお考えになっているのだろうか」 「まだ、何もご存じあるまいと思う。――ひとつ吾々が打ち連れて行って、お気持をうかがってみようではないか」 [#7字下げ][#小見出し]五[#小見出し終わり] 「いや、待ちたまえ」一人が、頭を振った。 「上人は、ああして揺るがぬおすがたはしているが、なにもかも、ご存じあるにちがいない。なまなか、吾々が参って、顔に血をのぼせたりすることは、かえって、上人にご心配を加えるようなことになる」 「では、叡山のなすままに、吾々は、じっと自滅を待っているのか」 「そうもなるまい」若い弟子たちは、なにかささやき合って、禅房の外へ出て行った。そして裏の森にかたまったのは、この不穏な空気を上人に感じさせて、さなきだに近ごろ健康のすぐれない法然に胸を傷《いた》ましめまいという師弟の思いやりからであった。 「どうする?」そこで再び前《さき》の問題を評議に上《のぼ》せて、人々は、もう憚《はばか》るところのない声でいい合った。 「いったい、叡山の凡衆どもは、何を原因《もと》にして、この吉水を、そんなに敵視しているのか」 「知れているじゃないか、嫉妬《しっと》――ただ嫉妬にすぎないのだ」 「人を救おうという者が。しかも、千年の伝統と、あの巨《おお》きな権力をもつ叡山が。――考えられないことだ」 「それは、人間の感情というものを外においてのことで、叡山の者にも、感情はあるから、近年の吉水と、自分たちの蟠踞《ばんきょ》している叡山と、どっちが社会に支持されているか、較《くら》べてみれば、おのずから焦々《いらいら》せずにはおられまい」 「卑屈だ」 「もちろん旧教の殻《から》に入っている僧侶などは、卑屈でなければ、ああしておられるものじゃない。――彼らはただ、伝来の待遇を無事にうけて、実社会からは、遊離しようと、なんであろうと、自分たちだけで威張っていたいのが願望なのだ。――そういうところへ、新しい教義を称えて、民衆をうごかす者が出てくることは、それだけでもすでに禁物なのだからな」  森の木洩《こも》れ陽《び》が、若い弟子たちの黒い法衣《ほうえ》の肩に斑《ふ》をうごかしていた、ちらちらと風の戦《そよ》ぎに光るのだった。 「それさえあるのに」――と他の者が次にいった。 「叡山には、一日ごとに、有力な檀徒《だんと》や碩学《せきがく》が、みな山を見捨てて去ってゆく。……今朝ほど上人からあんな手痛いお叱りをうけた二尊院の湛空《たんくう》どのもその一人だ。弁長《べんちょう》、念阿、証空《しょうくう》、数えきれない人々が、叡山から吉水へ移ってきている」 「うム」眼がみなうなずき合う。 「中でも、安居院《あごい》の法印聖覚どの。西塔《さいとう》の名僧といわれた鐘下房《しょうかぼう》の幸西《こうさい》法師。――それから、先ごろ、月輪殿のご息女を妻としてごうごうと喧《やかま》しい取沙汰の中に、毅然として、念仏門の行者の範を垂れている善信どの。――みな以前は叡山にいた方々で、後に、念仏門へ参られた人たちだ」 「なるほど、そう数えあげてみると、叡山が、嫉妬するのも無理ではないの」  前関白月輪《さきのかんぱくつきのわ》公が、まず第一に指を折られる。次に、大炊御門《おおいみかど》左大臣、花山院兼雅《かざんいんかねまさ》、野々宮左大臣、兵部卿基親《ひょうぶきょうもとちか》など、殿上《てんじょう》の帰依者《きえしゃ》だけをかぞえても、十指に余る。  武門の人々では。熊谷直実《くまがいなおざね》の蓮生《れんしょう》をはじめ、甘糟《あまかす》太郎忠綱、宇都宮《うつのみや》頼綱、上野《こうずけ》の御家人《ごけにん》小四郎隆義、武蔵の住人|弥太郎親盛《やたろうちかもり》、園田|成家《なりいえ》、津戸三郎|為盛《ためもり》。  また、ことに女性《にょしょう》の檀徒はというと、今までの旧教の経典は、とかく女人《にょにん》を悪魔視していたが、念仏門には、女人のためにも、差別なく、救いの扉をひらかれたものとして、鎌倉の将軍家|実朝《さねとも》の母の政子が、遥かに、信仰をよせている他《ほか》、越前三位の妻|小宰相《こざいしょう》、資賢《すけかた》の娘|玉琴《たまこと》、信実《のぶざね》の伯母人《おばびと》、三条の小川|侍従《じじゅう》の姫、花園|准后《じゅんごう》の侍女三河の局《つぼね》、伊豆の走り湯の妙真尼など、ここにも旧教に眺められない特色があった。 [#7字下げ][#小見出し]六[#小見出し終わり]  聖人《ひじり》も俗人も、本来、人間の相《すがた》というものは一《ひと》つである。いわんや女人、いわんや悪人、なんの差別があろう。むしろ、そういう人々こそ、念仏門は、よろこんで迎え入れ、求法《ぐほう》の悩みに答えたい。いかにせば、よくこの先を、人生を、よく往《ゆ》いて生き得るか――共々に考えよう、念じよう。  悪人もこい、女人も参り給え。  また、在家の方々よ。従来の聖道《しょうどう》自力の僧は、やたらに自分にも行いがたい禁慾を強いる。いたずらに、物絶ちをもって、清浄《しょうじょう》とし、形式にばかり囚《とら》われて、実はかえって、裏には大きな矛盾《むじゅん》を秘しているようなことになる。  浄土門の易行道《いぎょうどう》では、そういう似非聖《えせひじり》の真似《まね》をもっとも嫌う。ありの相《すがた》のままを清浄とする。  肉もよし、酒もよし。女人を男性が持つ、女人が男性を持つ。これも自然の人間の相《すがた》のままを尊ぶ。おのずからそこには男女の道というものがある。道を外《はず》さぬほどならばよい。  在家の方々よ。それでよろしいのだ。  職業も、他の生活も、そのありのままで、お身たちは立派に「往生」することができる。菩提《ぼだい》にいたることができる、聖《ひじり》たることができる。  むずかしいことではないのだ。それには、ただ念仏を仰っしゃればよい。それも、勤めを苦にして称《とな》えることはない。思い出したらいうがよい。一日に一遍《いっぺん》でも、また、申したくなったら千遍でも、なお万遍でも。  烏帽子打《えぼしう》ちが職業であったら烏帽子を打ちながらいってもよい、弓師であったら弓を張りながらいうもよい、眠りの前にふといいたくなったら一声でも胸のうちでいうもよい、茶碗を持つ時、何かおのずから称《とな》えたくなったら箸を持ちつつ胸のうちでつぶやくのも立派な行《ぎょう》である。  新しい教門の祖師法然はこういうのであった。従来の教えとは較べものにならないほど平民主義だ。また、実社会というものを尊重している、人間の生活というものを本義にしている。  法然の教義では、決して、信仰のために、個々の生活を変更させたり、ゆがめたりはしない。宗教のための社会のようには存在しないで、むしろ、社会のための宗教、社会機能のうちの宗教として、立場を、今までの叡山や他の旧教団体の尊傲《そんごう》な君臨のしかたとはまるで地位をかえて、民衆のうちの僧侶として、門は開かれているのである。  果然。 (これこそは、ほんとの宗教というものだ)  民衆が支持するし、知識階級もうごいてくる。  当然な、新勢力となってきたのである。法然が作ったわけではない。また、法然門人の人々がこしらえた勢力でもない。時代が生んだものである。だが、新しいものが興ることはそれだけずつ、旧《ふる》いものの勢力が侵蝕《しんしょく》されることだった。 (仏敵が現れたぞ)と、叡山では見ている。  叡山は、その大きな権力と、自尊心から、度々、これを問題に取りあげて、いわゆる「山門の僉議《せんぎ》」をひらいて、 (まず、態度のあいまいな、慈円僧正から先に座主《ざす》を退《ひ》いてもらおう)と決議文を作って、挑戦の気勢としたらしい。  時の叡山の座主は、慈円僧正であった、僧正と月輪禅閤とは肉親である。  その月輪公は、吉水の檀徒のうちでも、最も熱心な念仏の帰依者であるばかりでなく、その息女の玉日姫は元の範宴少僧都《はんえんしょうそうず》――今では善信といっている青年僧と結婚して――大きな社会的問題の波紋を投げている者の妻となっている。その善信も、元は叡山に学び、叡山に奉じていた裏切り者である、それが今では吉水へゆき、法然に参じ、月輪公の聟《むこ》となり、座主《ざす》の僧正とも、縁につながる者となっている。 (売教徒め!)ここにも、彼らの感情や、憤恨があった。 [#7字下げ][#小見出し]七[#小見出し終わり] 「それで、座主は罷《や》められたわけだな」 「もう鎮撫《ちんぶ》の道がなく――」 「お苦しい立場だった」森の中に集まった吉水の弟子たちは、話してみればみるほど、 [#1字下げ]叡山と吉水  こう二つの対立が、複雑であることに気づいた。 「つまり、叡山が騒《ざわ》めいているのは、宗教が問題ではなく、権力の争いを売りかけているのだな」 「その裏に、自尊心だの、嫉妬だの、いろんな感情も潜在して」 「こいつは、どうしても、ぶつからずにいまい、吉水の吾々にしても、黙って見ているのも芸はない、売られる喧嘩なら買ってやる、彼らが、座主を山から追い下ろすなら、われらはその慈円僧正を擁《よう》して、飽くまで立つし、彼らが、朝廷へ讒訴《ざんそ》するなら、われらも、朝廷へ弁解しても、闘ってやる」 「でも、そんなこと、上人がおゆるしあるまい」 「こういう、うるさいこと、上人のお耳には入れとうないが」 「いずれ、他の信徒の口から、お耳に入らずにはいない」 「おれたちは、おれたちとして、黙ってやるのだ。師へ、ご迷惑や心配をかけないように――」 「そして」 「そしてとは」 「さし当って、どうするのか。これから慈円僧正のいらっしゃる青蓮院へでも行って、おれたちの熱意をつげ、お計らいを仰ぐか、それとも――」 「会って下さるまい、僧正は」皆、不安な顔色で、 「むずかしいな」とつぶやいた。  今にも、四明《しめい》ヶ|岳《だけ》の彼方《かなた》から吉水の一草庵におおいかぶさってくるように険悪な風雲を感じながら、さて、 (どう対立するか)という問題になると、この若い人々だけの間では、なんの策も考えられなかった。 「そうだ、誰か、このうちの一名が――叡山に明るいものならなお都合がよい、山へのぼって、どんな空気か、つぶさに内偵してきてはどうだ」 「む。――その上でもよい、対策は」 「わしが行こう」と、一人の青年僧がすぐいった。それは、つい一昨年《おととし》ごろまで、叡山にいた者で、実性《じっしょう》という若い末弟子だった。 「オ、実性ならば、この役は易《やす》いことだろう。ひとりでよいか」 「一人のほうがよい」実性は、気を負って、すぐにも行くように、起ち上がった。ところへ、 「おい、おまえたち、そんな所へ寄って何をしているか」禅房から出てきた先輩の念阿《ねんあ》が近づいてきて咎《とが》めた。  一同は、さあらぬ顔で、 「いえ、べつだん何をしているということもございません」 「黄昏《たそがれ》ではないか」 「はい」 「禅房のお掃除もある」 「やります」素直に、若い弟子たちは、散らかって行った。  しかし、実性だけは、念阿の気がつかない間に、森の奥へ走っていた。そして、叡山の肩に低く垂れている夕雲を仰ぎながら、どこともなく姿をかくしてしまった。 [#3字下げ][#中見出し]宣戦《せんせん》[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  眼だけを出して、頭から顔はぐるぐると袈裟《けさ》で包んでいる。  誰やら分りようもない。手には「入道杖」とよぶ四尺ほどの杖をつき、破《や》れ法衣《ごろも》に高足駄を穿《は》き、 「満山の大衆《だいしゅ》」手で鼻を抑え、声まで変らせて、西塔《さいとう》、東塔、叡山《えいざん》の峰、谷々にある僧院の前へ行っては、厄払《やくはら》いのように、呶鳴ってあるくのであった。 「こよい、山門へ立ち廻られよ。こよい立ち廻られよ」すると、僧房のうちで、 「もっとももっとも」と答える声がする。  そう聞くと法師はまた、ほかの寺院の前へ行って、 「――満山の大衆《だいしゅ》、こよい、山門へ立ち廻られよ」と呼ぶ。 (承知)という返事の代りらしい。 「もっとももっとも」と、ここでも同じ答えがする。  これが、叡山名物の、いわゆる「山門の僉議《せんぎ》」の布令《ふれ》なのである。  その布令が、きょうも夕方のうす暗いころに廻った、四明《しめい》ヶ|岳《だけ》の雪もすっかり落ちて、春の夜のぬるい夜靄《よもや》が草むらや笹叢《ささむら》から湯気のように湧いている晩である。――やがて初更の鐘が合図。  暈《かさ》をかぶった月が淡くかかっている、月は円くなかった。 「おうい――」 「ほーい」互いに、影を見て呼び合いながら、谷から、沢から、峰の中腹から、思い思いに頂《いただき》の根本中堂をさして上ってゆく法師たちの影が、まるで猿《ましら》のように見出される。  集まる場所は、いつでも大講堂の広場ときまっているのだ。 「ほーい」 「おうい」梟《ふくろう》のような鼻声を交わしながら、途中から、めいめい、手ごろな石を担《かつ》いでそこへ群れてくる。そして芝地の露へ、  どすん、どすん、石を抛《ほう》る。  それが座席である、彼らは、その石のうえに腰を下ろし、入道杖を前に立てて、うんうんと眼を光らし、口をむすんで、燈火《あかり》もない大講堂の階段を中心ににらまえているのだった。  いつのまにか、そこは、黒、朽葉《くちば》、鼠色の人影で埋《うず》まってしまう。三塔の大衆《だいしゅ》三千がこうして集まると、元は、院の御政治すらうごかしたものである、武力のあった平氏も源氏も、叡山だけは意のままにならなかった。――時勢は刻々と移ってはいるが、しかしまだ、彼らには、そうした自尊心は衰えていない、座主も、この大衆の支持がなくては、その地位を保つことができないのは勿論であった。 「しイーっ」闇の中から、誰かが、やがてこういって、杖を宙へあげると、大衆は一斉に、皆、左の手で自分の両眼を塞《ふさ》いでいた。  次に、二度めの声がかかると、その手を払った。  見ると、大講堂の階段の上に――広縁の一端に、誰か、一人の法師がのぼっている。頭巾の上から、さらに口も鼻も縛っているので、常々、顔をあわせている者でも、まったく誰であるか見当はつかないのである。 「山門の僉議《せんぎ》」の目的は、自分たちの包まない意見も感情もぶちまけて討議するところにあるので、口が禍いになって、後難を恐れていては行われない。  ――で、こういう作法のもとに、討議が初まるのは、以前からの例であり、問題のなんであるにかかわらず一つの儀式になっていた。 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり] 「建議」と、大講堂の縁に立った法師は、こうすばらしい豪壮をこめて呶鳴った。  開会の宣言である。  大衆は、石のようにうずくまったまま、人間の河原を作っていた。 「まず――吾々の第一の目的は貫徹した。座主《ざす》の交迭《こうてつ》は行われた」壇上の法師は、拳をふり上げて熱弁をふるう。 「心に邪教念仏を信じ、肉親に、多くの念仏帰依者を持ち、そして、自分はこの叡山《えいざん》の首座にあって、天台の法燈に、欺瞞《ぎまん》の襟《えり》をかさねていた慈円僧正は、われわれの輿論《よろん》に追われていたたまれず、尾を巻いて山を逃げ降りた。――次にわれらの座主として真性《しんしょう》僧正を迎えたことを、まずここに祝そう」その語句がきれると、大衆は、海嘯《つなみ》が応えるように、おうっといった。 「だが」と、熱弁の法師は一息こめ、 「――それだけが、先ごろから幾度かひらいたこの山門の僉議《せんぎ》の目的ではない。吾々の目ざすものは、吉水の禅房にある、あの邪教の徒を一掃しなければやむものではない」大衆のうちから、 「もっとも、もっとも」無数の声が飛ぶ。 「ふた股《また》者《もの》の座主を追っても、吉水の禅門が、相変らず、他宗を誹《そし》り、流行《はや》り病《やまい》の念仏をふり撒いて、社会を害することは、すこしも変りがあるまい。――いや、抛《ほ》っておけば、あの法然房《ほうねんぼう》以下、善信、聖覚法印、そのほかの裏切者や、売教徒どもが、いよいよなにをしでかすかわからぬ。かくては、宗祖大師の遺業も、叡山の権威もどこにあるか、世人は疑うだろう、三塔三千の大衆は、木偶《でく》かと。いやすでに、そういわれても余儀ないことになっている。――すでに当山の座主たる者までが念仏門にひざまずき、また、当山を捨てて吉水へ走った卑劣な背徳漢も数えあげたら限りがない」壇にある法師は、憑《つ》き物《もの》でもしたように、時折、拳《こぶし》で空《くう》を搏《う》って、 「この現状を、一山の大衆はなんと見らるるか。この趨勢《すうせい》のまま、抛《ほ》っておいてよいものか。しからずんば一山皆吉水へ降《くだ》って、袈裟《けさ》を脱ぐか」こう反問的に煽動すると、 「だまれっ」 「いわれなしッ」 「その条《じょう》、いわれなしっ」ごうごうと大衆は沸いて、 「引っこめ」 「下壇《げだん》、下壇」と後をもう聞こうとしない。  すると、その法師と入れ代って、また一人の法師が、ひらりと壇に起った。 「静粛にせられい」老声である、声から察しるに、この法師は叡山でもかなりの長老らしい。 「いたずらに騒いでは、幾度《いくたび》、会集を催しても、ただ鬱憤を吐くに過ぎん。益のないことだ。われらは、熟慮しなければならない秋《とき》にぶつかっているのじゃ」 「わかりきっている」 「――売僧法然《まいすほうねん》ひとりに対して、叡山三塔の者が、かくものものしく騒いだとあっては、大人げない。叡山は、吉水の一団に対して、私憤をもって起ったのではない、社会の清浄化、社会を毒す悪僧どもを敵として起つのでなければならん。社会のために、戦うのでなければいかん」 「もっとももっとも」 「肉食《にくじき》はする、酒はのむ、あまつさえ弟子善信には、妻帯の媒立《なかだ》ちまでしたという売僧《まいす》法然、口賢《くちさかし》く、女人|教化《きょうげ》などと申しおるが、その実いかがやら、まさしく仏教の賊、末法の悪魔」 「いかんぞするっ、その法賊を!」一人がさけぶと、大衆は波のように揺るぎだして、 「売教徒《ばいきょうと》の僧団を叩きつぶせ!」 「吉水を焼き払え」と、怒号を揚げた。 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり]  ことばの上の論議や、憤《いきどお》りをやるだけでは、もう大衆は納まらない心理になっていた。 「やれやれッ」と、誰かいいだす。 「黒谷《くろだに》へ襲《よ》せて行け」 「吉水を葬《ほうむ》れ」 「売教徒の巣を焼き払え」大講堂の縁には、さらに二人立ち、三人立ち、七、八名の煽動者《せんどうしゃ》がおどり上がって、激越な口吻《こうふん》で、 「念仏退治へ」と、指さした。 「待てっ」するとまた、そこへ四、五名が上がって大手をひろげていう。 「暴力|妄動《もうどう》はよろしくない。かえって、山門の威厳を失墜することになろう。よろしく、合法的に、邪教のうえに天譴《てんけん》をくだすべきであろう」大衆は、波を打って、 「いかんぞする! 策は」 「いかんぞする! 手段は」と、吠《ほ》えたけぶ。  しわがれ声をしぼって、老齢らしい弱法師《よろぼうし》が懸命にいった。 「上訴《じょうそ》上訴。――われらのうち数名のものが、まず政庁に赴いて、念仏|停止《ちょうじ》の願文《がんもん》をさし出し、朝廷へ訴え奉るが何よりの策じゃ」  論議は、ふた派にわかれ、壇上に立った者が、互いに譲らないで、舌戦を交わし初めたが、それが熱してくると、ついには、一方が一方の者を壇から突き落す、這いあがって行った者はまた、その相手の胸を突く、そして撲《なぐ》る、撲り返す、騒ぎは帰するところがない。  すると、混乱している大衆のうちから、 「こいつ、念仏の廻し者じゃ。吉水の探《さぐ》り者《もの》じゃ。逃がすなっ」と、大声でわめき出した者がある。見るとその者は、一人の法師の襟がみをつかんで捻《ね》じつけていた。捕われた法師は、三塔の大衆と同じように頭へ袈裟巻《けさまき》をし、入道杖を持っていたが、なにか挙動のうえで見咎《みとが》められてしまったのであろう、吉水の弟子僧たちと相談して、叡山の動向を見にきていた例の実性《じっしょう》という若者であった。 「おお、こやつは、元叡山におって、今では吉水の門下で実性とか呼ばれている売僧《まいす》じゃ」 「さては、法然にいいふくめられわれらの動静を間諜《かんちょう》しにうせたな」 「いうまでもない、隠密《おんみつ》じゃ」 「どうしてくれよう」 「懲《こ》らしめのため、ぶち殺せ」この殺気の中で見つかったのであるから堪《たま》ろうはずはない。実性は、悲鳴をあげて、逃げかけたが、無数の杖の下に乱打されて、そこへ仆《たお》れてしまった。  手を取り足を取り、彼のからだは山門の外へ担ぎ出された。  首を刎《は》ねて、その首を麓《ふもと》に晒《さら》してやろうとする者もあったが、それではかえって、見せしめにも懲らしめにもならない、よろしく耳を削《そ》いで追い返すがよいと多くがいう。大衆はすぐ、実性の両耳を、鋭利な刃物で切り取って笑った。そのうえ、 「それ、好きな念仏でも吠《ほ》ざけ」と、杖や足蹴《あしげ》に弄《もてあそ》んで、彼のからだを血泥《ちどろ》にまろばせて抛《ほう》り出した。 [#3字下げ][#中見出し]沙門《しゃもん》の妻《つま》[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  﨟《ろう》やかな五《いつ》つ衣《ぎぬ》にくるまれて、前《さき》の関白家の深窓に育った新妻も、女の覚悟というものか、嫁いでから後は、いつか草ぶかい岡崎の草庵にも住み馴れていた。 「もうお帰りのころであろうに」玉日は、黄昏《たそが》れになると、草庵の廂《ひさし》から夕雲をながめて、旅にある良人《おっと》の上へ、うっとりと心を走《は》せた。  摂津《せっつ》から大和路《やまとじ》を巡ってくる――そういったまま飄然《ひょうぜん》と旅に出た良人のことを。  もとより沙門《しゃもん》の人に嫁《か》したからには、町家の人や在家《ざいけ》の武士《さむらい》や公卿《くげ》の家庭のような夜ごとのまどいや朝夕のむつまじい日ばかりを彼女も予期してはいなかった。けれど―― 「ここにおいで遊ばしたら……」と、燈火《あかり》をともすにつけ、夕餉《ゆうげ》の膳に向うにつけ、女らしい哀愁は、当然にうごく。  月輪《つきのわ》の実家方《さとかた》からついてきた、たった一人の侍女《かしずき》と、牛車《くるま》の世話をする牛飼と、弟子の性善坊と覚明《かくみょう》と――このせまい草庵にもおよそ七、八名の家族はいるのであったが、夜に入ると、それらの人はめいめいの部屋にこもってしまって、暗い松風の音が海鳴りを思わせるばかり淋しかった。 「しっ、盗《ぬす》っ人《と》め!」勝手口の水屋の外でこう大きく召使の誰かが呶鳴《どな》った。  馴れぬうちは、そんな声にも、たましいを脅《おびや》かされた玉日であったが、近ごろは、人里を離れたこの岡崎の住居《すまい》にも馴れたので、また、裏の松ばやしに棲む狐の類《たぐい》が、納屋《なや》の穀物や、流し元の野菜屑《やさいくず》を漁《あさ》りにきたのであろうと思うだけで、かくべつ驚きもしなくなった。  嫁いで後、新たに建て増した持仏堂と二つのせまい部屋とに、宵の燈火《あかり》を入れると、彼女はささやかな調度と机のある辺《あた》りに坐って、やはり良人のことを考えているのであった。  ――どこに?  こよいの灯を、良人はどこに見ているのか。そして良人は、自分のことを思うていてくれているかしら、自分がこうして良人を思慕《しぼ》しているように。 「いや」ふと、彼女の寂寥《せきりょう》は、落莫《らくばく》と青春の葉をふるい落した林のように悲しみを奏《かな》でてくるのであった。 「良人は、わたしのことなど、わたしの万分の一も思うてはいらっしゃるまい。……ただ念仏を、ただ御仏を、そしてまっしぐらに念々と求めていらっしゃるのは、どうしたら、仏と一体になれるか、それしかないに違いない。――こんどの旅の思い立ちも、その御修行であるからには」玉日は、女として悲しかった。たえられぬさびしさに身を蝕《く》われる気がする。  よよと、声を打ちあげて泣き伏したい気もしてくるのである。  だが――その良人をえらび、この運命を作ったのは、誰でもない、自分自身であった。しかも、あらゆる周囲の反対や世間のごうごうと非難するものと闘って、ついに克《か》ち得た恋の冠《かんむり》ではないか。  ああこの恋の冠。それは、七宝《しっぽう》の珠玉や金銀のかがやかしいものではなかった、氷柱《つらら》の簪《かんざし》と棘《いばら》の環《わ》にひとしいものである。  さびしさに嘆く時、かなしむ時、その氷柱や棘は、心を刺す。彼女は、これは自分の心がいたらないために仏が傷《いた》みを与えるのだと思った。自分の心のもちようでは、恋の冠は、七宝|万朶《ばんだ》の花となって誇り楽しめる栄耀《えよう》でなければならないはずだと考えた。 「――そうだ、良人が仏と一体な心になるなら、自分も仏と一体にならなければならない。良人が偉《おお》きくなってゆくのに、自分が取り残されてはならない」持仏堂の御燈火《みあかし》の油を見まわって、彼女は、氷の花のように、美しく冷たくそこへ坐った。そして、静かに口のうちで念仏をとなえていた。 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり]  念仏――ただ念仏を。  父は、自分の幼い時から、なにかにつけそう教えた。師の法然もまたいった。良人も、常にそれをいう。 (ただ念仏を)彼女の教養と婦《おんな》の道は、したがって、まだ処女《おとめ》のころから信仰がその根本になっていた。掌《て》をあわせ、心を静寂《しじま》の底に澄ませると、どんな時でも、清々《すがすが》と、真如《しんにょ》の月を胸に宿すことができた。  夜が更けてゆくらしい。  この草庵は、玉日と善信と二人の愛の巣であり、また新世帯であると共に、生活は、厳格な寺となんの変りもなかった、朝夕の勤行《ごんぎょう》はいうまでもなく、夜は学び、朝は早い習慣なのである。  弟子僧たちは、宵のうちは、それぞれ貧しい灯をかかげて、書を読み、経《きょう》を写し、ひそやかな話し声が洩れていたが、やがて、定めの時刻がくると、彼女の坐っている持仏堂の外の縁まで来て、 「おやすみなされまし」 「先にやすませて戴きます」と、次々にあいさつをいって、ほどなく、しいんと、寝しずまってしまった様子であった。  ――その後は、近くに人家とてはないこの岡崎の一草庵は、ただ松をふく暗い風の声があるばかりで、人々が寝《しん》についてからは、よけいに寂《せき》として、かなり離れている白河の水音までが、淙々《そうそう》と松風にまじって聞こえてくる。  だが――その松風や水音が、玉日の耳に聞こえる時は、玉日は、口に念仏をとなえながらも、心はいつのまにか、良人を考えているのであった。はっと気がついて、 (これではならない――)と思って、一念になろうと努めるのであったが、努めようとする気持は、かえって、心をみだしてきて、父のいうような、また師の教えるような、ただ念仏の三昧《さんまい》にはかえって遠くなってしまう。 (女というものは、どうしてこんなに、情痴《じょうち》なのであろう)玉日は、自分の心をふかく掘り下げてみて、そこにわれながら浅慮《あさはか》なさまざまな邪推やらひがみが根を張っているのに気がついた。  口に念仏をとなえていても、その奥底の心からは、 (もしや良人は、自分がいやになったので、このまま、帰らないつもりではないかしら)とか、 (旅の先で、誰かまた、お目にうつる女性《にょしょう》でもあるのではないかしら)とか、それはおよそ、教養のある女性などが持つ邪推ではないと、自分でもいやしめられるような想像までが、頭のすみにのぼって、念仏をみだすのであった。  あさましい。こんなことに悩み、こんな程度の寂しさに堪えられないくらいなら、なぜ自分は、沙門の妻になったかと、自身を自身で叱ってみても無駄だった。  生命を賭《と》しても――一族の者はおろか、社会の全部に反《そむ》かれても――とあれほどな意志のもとに恋してかかったころの強い自分を今、呼びかえしてみても、なんのかいもなかった。 「ああ、お会いしたい」思慕は、身を焦《や》いてくる。  くるしい冷寂《れいじゃく》な中にある炎の身が彼女であった。  すると――風でもない、狐狸《こり》とも思えない。誰か、草庵の外で、跫音《あしおと》がする。そして、しきりと戸をたたく者があった。 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり] 「あっ……」すぐ彼女の胸には、良人が帰ってきたのではないかという狂喜に似たものが走った。しかし、しばらく耳をすましていると、戸をたたく者のことばは、良人の声とは似もつかぬものであった。  それは、なにかに後ろから追われているようなあわただしさで―― 「房《ぼう》のお方! 房のお方! わたくしは吉水の者です、上人のお弟子の端につらなる実性《じっしょう》と申す者です。はやくここをお開けください、お救いください。わたくしは今、殺されかかっております」ことばに連れて、戸を打つ音も激しくなった。  性善坊か、覚明が、すぐ起きて行って、そこを開けてやったらしい。がたがたと、なにか表のほうに物音がつづいて、急に草庵のうちに一度消された灯《あか》りがまた点《とも》っていた。 「裏方さま」性善坊の声である。  玉日は、声のするほうへ、眼をみはって、 「はい」といった。 「まだ御寝《ぎょし》なさいませぬか」 「ええ、起きておりました」 「おそれ入りますが、私と覚明とでは、計らいかねることが起りましたので、ちょっと、お立ち出でを願われますまいか」 「なにが起りましたか」玉日が、持仏堂を立って行った縁には、性善坊が、紙燭《しそく》を持って、かがまっているのである。 「今――なにやら表のほうで、物音がしましたが?」 「されば、困った者が、救うてくれといって、血みどろになって、転げこんできたのでございます」 「えっ、血みどろの人が」 「おそらく、裏方さまには、ご承知もない者でございましょうが、吉水の端におる者で、実性と申しますが……」 「それがどうしましたか」 「叡山へ、隠密に行ったものでござります、物ずきにも」 「なにをさぐりに」 「近ごろ、南都、高雄《たかお》、そのほか叡山なども、主《しゅ》となって、吉水を敵視し、上人以下の念仏門の人々を、どうかして、堕《おと》し入《い》れてやろうという企《くわだ》てがあることは、専ら世上の風説にもあるところでござります。――それを案じて、吉水の学僧たちの若い人たちが実性に命じて、叡山の様子を密偵《みってい》しにやったとみえまする」 「ま……」玉日は、動悸《どうき》をおぼえたように、そっと胸を抱えた。 「で――実性は忠実に、幾日かを、叡山にかくれておるうち、ちょうど今宵、大講堂の山門の僉議《せんぎ》がひらかれたので、山法師の群れにまぎれ込み、その評定《ひょうじょう》の様子を見聞きしていたところ、誰からともなく、あれは吉水の人間だと看破されたために気のあらい法師たちに取り囲まれ、半死半生の目に遭って、足腰も立たないほどにされた身を、からくも、ここまで逃げのびてきたのだと申すのです。――すぐ吉水へ帰るにも、今申したとおり、ひどい怪我《けが》をしておるので、歩めもせず、上人のお目にふれれば、必ずお叱りをうけるにちがいなしというて、その辺りにまごついているうちに、また山法師の目にかかったら、今度は命も危ないゆえ、体の癒《い》えるまで、どうかこの草庵の物置のうちでもよいから匿《かくま》ってくれい――と、かようにいうのでございまするが」  草庵には今、師の善信《ぜんしん》が留守ではあるし、そういう複雑な事情の者を入れることは、自分たちだけの考えではできないので、どうしたものかと、性善坊は裏方へ計るのであった。けれど、玉月にも、 「さあ……」と考えたきり、にわかに、その処置をこうせいといいつけることも迷わせられた。 [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり]  迷ってはいたものの、 (人の一命)と考えると、玉日は、捨てておかれない気がして、 「どこにおりますか、その者は」 「血にまみれておりますゆえ、輦小舎《くるまごや》へ入れました」 「行ってみましょう」 「ええご自身で?」性善坊は、それまでには及ばないという顔を示したが、彼女はもう先へ歩いていた。  牛部屋の隣である、そこには糸毛輦《いとげのくるま》が雨にかからないように囲いのうちへ入れてあった。  近づいて行くと、呻《うめ》きが聞こえた、怪我人《けがにん》の実性《じっしょう》は、むしろの上に横たわって、苦悶しているらしかった。 「ああ裏方さま」側に黙然《もくねん》と付いていた覚明が、彼女のすがたを見てこうつぶやいた。  性善坊のかざす紙燭《しそく》の下《もと》に、実性の傷の程度を眺めて、彼女は眉をひそめた。 (助かるかしら)すぐそう思われるほどな重傷なのである。片脚の足首は柘榴《ざくろ》のように割れているし、顔の半分は樽《たる》みたいに腫《は》れあがっているのだった。 「神酒《みき》を持ってきてください。それから、薬、布《ぬの》――」彼女は、そういうと、もう事情とか、この草庵の立場とか、そんな前後のことなど考えていられなかった。覚明は、ためらって、 「さ、酒はあるか」と性善坊へ計っている。 「あろうも知れぬが……」 「いそいで下さい」玉日に急《せ》かれて、 「はい」と納屋《なや》へ駈けて行った。  やがて、それらの品が来ると、彼女は、性善坊や覚明さえ手の下しかねるほどな不気味な傷口を洗ってやった、足や腕や、数ヵ所の繃帯《ほうたい》をも、懇《ねんご》ろに巻いて与えた。  そして、夜具を運ばせ、 「薬湯《やくとう》を煎《せん》じてやったがよい。朝になったら、粥《かゆ》なりと与えて」  と、細々《こまごま》、手当をいいつけて出て行った。  やや人心地のついた実性は、それが、裏方の君であったと後で聞かされて、 「勿体ない」と、わら蒲団のうちで、合掌していた。  気が落着くと、彼は一時、そこの輦小舎《くるまごや》のうちでスヤスヤ眠ったらしいが、夜が明けてから覚明が粥を持って行ってやると、充血した眼をにぶく開いて、 「粥? ……粥ですか……いりません、食べられません」顔を振っていい張るのである、それでも無理に食べさせようとすると、彼は、大熱のあるらしい乾いた唇からさけんだ。 「……駄目です、いただいても無駄です、私はもう助からない、死がそこに見えている」うわ言のようにいって、かたく眼を閉じたと思うと、その眼から一《ひと》しずく涙のようなものを流して、 「――この草庵の主《あるじ》、善信御房はまだ旅からお帰りになりませんか。わたしは、善信御房にお会いして、告げなければならないことがあるんです。……おう、おう、吉水禅房はどうなりましょう……。このままに、手をこまねいていたら、叡山や南都の法敵のために、上人のお身も気づかわれます。せっかく、築きあげてきた浄土門の寂土《じゃくど》は、あいつらのために、踏みあらされてしまうに決まっている……。私は、善信御房にひと目会って、私がさぐってきた叡山の様子をお告げしたい……それから死にたいのです……善信御房は、まだお帰りになりませんか」 [#7字下げ][#小見出し]五[#小見出し終わり]  一人の侍女《かしずき》は、勝手元で朝餉《あさげ》の後の水仕事をしている。  玉日は、持仏堂や、居室の掃除を、日課としている。また、良人のものの濯衣《すすぎ》なども、すべて馴れないながら自分の手ですることに努めていた。  ゆうべ、実性の傷口の手当をしてやった折に、彼女は朝になって、自分の小袖が血しおでよごれているのに気づいた。それを脱ぎかえて、草庵の裏の川へ、洗い物をしに出たのである。  吉田の崗《おか》から白河へ落ちてゆくそこの流れも、冬のうちは氷が張りつめていて、なにをするにも、手の切れるような冷たさであったが、もう水も温《ぬる》んで、春の樹洩《こも》れ陽《び》は衣《きぬ》を洗う彼女の白い手に傷々《いたいた》しくなくこぼれている。  小袖についていた血の汚染《しみ》は、はやい瀬の水に淡《うす》い脂《あぶら》をひろげてすぐ消えて行った。 「今朝は、どんな容態であろうか」彼女は、今も、怪我人《けがにん》の生命《いのち》がふと気がかりになっていた。――それと共に、社会の浄土化を願う以外に使命のないはずである僧門の同士が、こういう生々《なまなま》しい鮮血をながして、争わなければならない理由がわからなかった。  僧門のうちだけは、すくなくとも、闘争や陥穽《かんせい》の実社会とはちがって、浄《きよ》く、気高く、和気藹々《わきあいあい》として生活の楽しめる世界であろう――と彼女は善信に嫁《とつ》ぐ日まで信じていたのである。  嫁いだ翌日から、その想像は裏切られ、僧門の世界も社会の一部でしかないことを、彼女は、事ごとに見せつけられてきた。それを悲しんでいれば、毎日が悲しみでなければならないほどに――  だが、つらつら考えてみると、自分自身ですら、決して、新妻でありまた菩薩《ぼさつ》であることはできにくいことであった。嫉妬――ひがみ――情痴――さまざまなものを持った世間なみの妻でしかあり得ないのである。 「どうして、人間というものは、こういう悩み争いに、この楽しめる世を楽しまずに、血みどろに暮さねばならないのか」そんなことを考えながら、流れに濯《すす》いだ衣《きぬ》をしぼっていると、その向う側の道を誰か歩いてくるらしい跫音なのである。 「女」そう呼ばれて、彼女は初めて、顔を上げた。  明らかに、それは叡山の法師たちに違いないのである、特徴のある法衣《ころも》の裾《すそ》を短かに着、手に薙刀《なぎなた》をかかえている、二人づれで、川の向う側に突っ立っているのだ。 「なんぞ、御用事か」玉日が答えると、二人の法師は、彼女のそういった言葉や身ごなしに、ただならぬ気品を感じたものであろう、ちょっと、口をつぐんで、じっとこっちを見直している。 「…………」二人はなにか囁《ささや》いていた。  おそらく、玉日の面《おも》ざしから、広い京都にも稀れな美を射られて、惑ったり、考え直したりしているものと見える、ぶしつけに、いきなり「女」と呼んだことを狼狽しているふうにも取れる。  しばらくして、法師の一方が、 「あいや」といい直した。 「失礼でござるが、おんもとには、九条家から善信御房へ嫁がれた玉日姫でおわすか」 「はい……」やはりそうだった、というように法師二人はまた、顔を見あわせてなにか笑っていた。 [#7字下げ][#小見出し]六[#小見出し終わり]  いやしい声が向うでひびく。笑っている前歯が唇から飛び出し、その法師が何を語っているかが、川のこなたにいる彼女にもわかる気がする。  それきり言葉をかけられないのを幸いに、玉日も川向うを見なかった。洗い物はもうすんでいた。絞《しぼ》ってはやく草庵へもどろう。  丸木橋はずっと下流《しも》でなければならないのに、どこを越えてきたろうか、しかもいつの間にと思うような速さで、その法師二人は、大薙刀に陽《ひ》の光《ひかり》を刎《は》ね返《かえ》して、小脇に持ち、 「裏方――」こんどは彼女のすぐ背後《うしろ》へ来ていうのだった。 「ゆうべ……いや明け方かも知れんな。この附近、傷《て》を負った学僧が一名、歩み迷ってはいなかったか。――まだ生若い末輩《まっぱい》じゃよ。ご存じないかの」 「ぞんじませぬ」 「知らん?」鼻を鳴らすように一人はつぶやいて、 「じゃあ、執拗《しつこ》くはうかがうまい、そのかわり、あれなる草庵へちょっと案内を頼む」 「どうなされますか」 「そこらの納屋、床下など、ちょっと探させてもらうのじゃ」 「折悪しゅう、ただ今、主人の御房は旅に出て不在でござりますし、さような若僧《にゃくそう》も見かけませぬゆえ、どうぞ御無用になされませ」 「裏方、そう仰っしゃられると、吾らはよけいに邪推をまわしたくなる。主人の御房が留守であろうと、在《おわ》そうと、それはおのずから別問題じゃ。実をいえば、その附近へ逃げこんだに違いないその傷負《てお》いというのは、裏方とはご縁の浅くない吉水禅房の末輩で、法然房が叡山へ諜者《ちょうじゃ》に放った人間なのじゃ」 「…………」玉日が、歩みかけると、喋舌《しゃべ》っていたその法師は、先へ廻って、薙刀《なぎなた》の柄《え》をわざと横に構え、 「お手間はとらせまい」と、いった。  玉日は、貴族的な高い気位を知らぬ間に眉にも態度にもあらわしていた。下司《げす》を見くだす眸でじっと二人を凝視した。 「ははは、お怒りか」黄色い歯がまた飛出す。だが、法師の一人は絶えずうさんくさそうに草庵の方を見るのである。玉日は、是非の判断なくいいきってしまった言葉のてまえ、その狡智《こうち》な眼が怖くもあり、なんとしても防がなければならない気持に駆られた。 「半分実をいって、半分いわずにおいては、なにやら胸《むな》つかえがしてならん。事のついでになにもかも吐いてお聞かせするがの、裏方」  顔を近づけてきて唾《つば》まじりにいうではないか。玉日は、忌《いま》わしさに、体がふるえた。息までが臭い気のする作法知らずの山法師である。 「その傷負《てお》いの男、名は実性《じっしょう》というのじゃ。山門の僉議《せんぎ》を盗み聞きしている折を看破する者あって、半死半生にしてくれたが、後で、一山の大衆《だいしゅ》がいうには、あのまま逃がしたるこそ残念、生《い》け擒《ど》っておいたなら、朝廷へ上訴の折には、よい生き証拠であるものをと――後から出た智恵じゃ、それからの手分《てわ》けとなって、谷間谷間|麓《ふもと》から白河のあたり、隈《くま》なくたずねて来たのでおざるよ。――するとな、仏神のおみちびきといおうか、誰か、川の下流《しも》へうっすら血のような物を洗いながした者がある。来てみると、おんもとがここにおられた。……ははは、まさか血しおを洗われたのではあるまい。したが、一応は吾らにその謎を明白にしてもらわにゃならん。さもなくば、足もつかれたところ、草庵のご縁先で白湯《さゆ》なりと一服いただこうか――」 [#7字下げ][#小見出し]七[#小見出し終わり]  朝の清掃が済むと、性善坊は六条まで行く用事があるといって、後をたのんで出ていった。  輦小屋《くるまごや》の中の実性は、まだすやすやと昏睡《こんすい》に墜《お》ちている。  その隣の牛小舎は空《から》で、陽がいっぱい射《さ》しこみ、牛は遠いほうで草を喰《は》んでいた。 (――牛のかわりに、この中へ入っていたら、暢気《のんき》であろうな。おれのように、なかなか雑念《ぞうねん》も煩悩《ぼんのう》も捨てられない奴は、それがいちばん解脱《げだつ》の近道かも知れないぞ)  太夫房|覚明《かくみょう》は、牛小屋の外に積んである干《ほ》し草《くさ》のうえに坐りこんで寝足らない顔を陽《ひ》なたに曝《さら》していた。  いつの間にか後ろへ倚《よ》りかかって、覚明は、居眠っていた。まるで子どものように他愛ないのである。  この男も、善信(親鸞《しんらん》)を師と仰いでから、もう年久しい。善信自身が、ここに落着きを得るまでは、ほとんど席の暖まる間はなかったし、他からの迫害に追われなければ、自身の悩みと求道のため、波瀾から波瀾へ年月を送ってきたので、弟子たちとこうして静かな草庵の陽《ひ》を守ることもきょうまでなかったといってよい。  でも、行きはぐれても、離れても、いつのまにか、性善坊と、この覚明のふたりだけは、善信のそばへ戻ってきていた。――もっとも今は、その善信は旅に出ていて留守ではあるが。  牛が、のどかに啼く――覚明は、ゆうべの思わぬ怪我人《けがにん》の世話をやいて、ろくに眠られなかったせいであろう、唇《くち》から涎《よだれ》をこぼしている、いかにも、快《こころよ》げに居眠っているのだ。  壮年時代には、進士《しんし》覚明といわれて、その学才は都に聞こえ渡っていたし、木曾殿が兵を挙げた時には、一方の侍大将として、平家の武者を心から寒からしめたほど豪勇な人物であったが、こうして見ていると、まるでその当時の猛々しさなどは、影にも見えない。  自分ではいつまでも、 (まだいかん、まだ脱《ぬ》けきらん)と、しきりに常々いっているが、この居眠り顔は、いかにも生ける羅漢であった、菩提《ぼだい》の光がうしろに映《さ》しているかのようだった。  ばたばたと跫音がしたので彼は眼をあけた、渋そうにその眼を横に向け、なんとはなく驚いて立ち上がったのである。 「覚明さん、はやく来てください」誰か呼ぶ――そして跫音はまた、小屋の蔭へあわただしく消えてゆく。 「なんじゃ」覚明は、駈けて行った。  すぐその眼に映ったのは、草庵の裏にある川べりで、二人の大法師が、薙刀《なぎなた》をかかえ込み、裏方の玉日を取り巻いて、なにか穏やかならぬ暴言を吐いている様子。  覚明の大きな体が、あんなにも軽捷《けいしょう》なるかと思われるほど、その行動は迅《はや》かった。 「――あ痛っ」法師の一人は、撲られた横顔をかかえ、よろめきつつ、 「何をするかっ」いうまに、覚明の手は、もう一人の襟《えり》がみへ伸び、 「こうする」ひき寄せて、腰帯をつかむと共に、ぶんと振廻して大地へたたきつけた。 [#3字下げ][#中見出し]輦《くるま》を焼《や》く[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  三月|初旬《はじめ》の朝である。  京都六角堂の精舎《しょうじゃ》から、かがやかしい顔いろを持って、春かぜの吹く巷《ちまた》へ出てきた旅の沙門《しゃもん》がある。 「ああ」太陽を仰いで、いかにも自己の生命を抱《いだ》きしめるように、足を止め、やがて礼拝《らいはい》していた。  善信(親鸞)であった。  冬から春まで、旅のあいだを、着どおしに汚れている僧衣――うすい法衣《ころも》――旅づつみ――誰が知ろう、この人が、嫉視《しっし》と羨望《せんぼう》の的《まと》になって世を騒がせた月輪《つきのわ》の九条殿の法師|聟《むこ》であろうとは。  そして、まだ結婚して間のない新妻の玉日を、独り草庵の孤閨《こけい》に残して、旅に出ている人であろうとは。  ――で、巷《ちまた》の往来の者は、彼とすれちがっても、 (や、昔の範宴《はんえん》少納言が)とも、 (吉水の綽空《しゃっくう》が行く)とも気のつく者はない。  善信もまた、わき見もしないで歩いてゆく。さすがに、彼も、この京都の地を踏んでは、岡崎の家がなつかしいのであろう、新妻の笑顔《えがお》にも早く接したいのであろう、加茂川にそって、白河のほうへ行くのである。  しかし、この京都へ戻ってきて彼がすぐ訪れたのは、その草庵でも、新妻のそばでもなかった。  ゆうべ、おととい、先おととい。――こう三日三晩を彼が送っている所は、六角堂の精舎《しょうじゃ》であった。  河内《かわち》の磯長《しなが》の里の叡福寺《えいふくじ》にある聖徳太子の御廟《ごびょう》へ参ることと、この六角堂へ籠って、心ゆくまで、感謝と、礼念《らいねん》をささげ、また、過去の追想からしずかに将来を考えてみたいということが、そもそも、こんどの旅の目的であったから――。  太子廟は、聖徳太子が、かつて自分の惨憺《さんたん》たる迷いと苦悩のある時代に、  ――汝の命根まさに十余歳。という夢中の告示《つげ》をうけた青春の遺跡であった。  あの時、あの転機がなかったなら、きょうの自分はないものであった。どうして、今のこの輝かしい生命があろう。  また、京都の六角堂は、そこの精舎へ、叡山《えいざん》から百夜《ももよ》のあいだ、求道《ぐどう》に燃え、死ぬか生きるかの悲壮なちかいを立てて通った床《ゆか》である。  ここにも、如意輪観世音《にょいりんかんぜおん》の有縁《うえん》の恩が浅くない、さまざまな思い出が多い――  そうした半生の闇から彼は今ぬけ出した心地である。  聖道門《しょうどうもん》から易行門《いぎょうもん》へ。そして、恋は成って玉日との結婚へ。 「ああ」善信は、思わず胸がふくらむ。――自分ほど今、祝福されている人間があるだろうか。  だが――ひとみを拭《ぬぐ》って、都の巷《ちまた》を見てゆくと、なんと、ここには皆、暗い顔や、迷いのある影や、屈託《くったく》の多い俯向《うつむ》き顔や、せかせかと物に追われているすがたや――およそ貧相な人間ばかりが多いことだろう。  物に富んでいても、心の貧しい――いわゆる貧相な人々のことである。善信は、自分の幸福をかえりみて、 「そうだ、自分の満足だけに酔ってはいられない。――自分の幸福は、頒《わ》けなければならないものだ。そして、世間の人がみな自分のような幸福を感じた時に、初めて自分も真から幸福になったといえるのだ。それまでは、小さな自己満足でしかない。――そんな小我の満足をきょうまで求めてきたのではなかった」  白河を過ぎると、いつか、右手の丘に岡崎の松ばやしが見えていた。善信は、久しぶりに帰る家と妻を見るまえに、自分の心をきびしく叱っていた。 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり] 「あっ、お師さまが」 「師の御房がお帰りなされた」草庵のうちにこの声が起ると、なぜかこの春の日を寂《せき》として沈んでいた空気が、いちどに爛漫《らんまん》と明るくなった。  わけても、その中で誰よりも、深刻なよろこびを、無表情に似た表情のうちにつつんでいる人が、裏方の玉日であることはいうまでもない。  旅すがたのまま、いちど持仏堂へ入り、やがて、静かに出てきた善信は、自分のまえに額《ぬか》ずいて、無事な帰りを祝う法弟たちに向って、 「留守中、御仏《みほとけ》のおまもり、忝《かたじ》けなく思います」といった。  なにか、ずきんと胸の傷《いた》むように顔いろが、皆の面《おもて》を横ぎった。  しかし、誰も口を切る者はなかった。――師の善信の旅の垢《あか》によごれた姿を仰いでも、そういう気持になれなかった。  その旅の衣《ころも》をぬぎ、やがて善信はひさしぶりに自分の一室に落着いた。 「よう、お窶《やつ》れもなく」玉日は、この良人《おっと》を、どうして慰めようか、自分の女としての真心をあらわすのに苦しんだ。 「そうかの」善信は、自分の頬を手でそっと撫《な》でて、和《なご》やかに笑った。 「もう、この頬には、どんな苦難が襲ってきても、病《やまい》のほかは、窶《やつ》れさすことはできなかろう。そういう自信が近ごろできてきた」 「うれしいことでございます」 「そなたは」 「さ……」玉日は自分の心に問うてみて、留守中の自分にそんな信念がなかったことに気がついた。この先もまだ、なかなか危ない気がするのである。 「わたくしは、痩せたでしょうか」 「そうのう」 「痩せたかもわかりません、ほんの少し……」善信は笑った。  さすがに、新妻のすがた――やわらかい姿態《しな》――女のにおいというようなものが、善信の旅にすがれた眸を、しみじみ、見入らせるのであった。  ――この女《ひと》なくば、自分は。と、ひそかに思う。 (どうなったか)と回顧するのである。  青年時代の何ものをも烈々と焼くか突き貫《とお》さずにはおかない情熱と、その時代を久しくつつんでいた真っ黒な懐疑と、当然、それから行きはぐれてしまう所だった青春と求道《ぐどう》のわかれ道に――もしこの女《ひと》が心になかったら――あるいはついに、 (虚無)の二字を宙に書いて、人生の絶望か、人生への絶縁かに、一気に墜ちて行ったかもわからない。  打っても、打っても、血の出るほど叩いても、ついに開かれなかった過去の聖道門《しょうどうもん》から、一転、法然上人の易行《いぎょう》の道へ行ったあの機縁も、 (もし、この女《ひと》がなくば)と思わずにいられないことが彼にはある。  なにもかもが、明朗に、こうして今の一つの生活のうちに解けて、生に法悦《ほうえつ》を感じられる功力《くりき》は、あの六角堂の参籠《さんろう》や、安居院《あごい》の聖覚法印のみちびきのほかに、まさしくこの女《ひと》の功力《くりき》もある。 「自分にとって、妻こそは、如意輪観世音|菩薩《ぼさつ》である」――そう善信は、心のうちでつぶやきをもらしていた。  と。何かその時、草庵の外に、騒がしい跫音《あしおと》がし、下等な悪たれ[#「たれ」に傍点]が聞えた。 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり] 「会わせろっ」と、戸外《おもて》の声は吠えているのである。 「――いいや、そんなお座なりの応対に、欺瞞《ぎまん》されて立ち帰るような吾々ではない。こう見えても叡山《えいざん》の大衆《だいしゅ》を代表して出向いておるのだぞ。善信をこれに出せっ」それに対して、 「ただ今、師の御房は、旅先にあってこの草庵にはおりませぬ」と、ひたすら陳弁《ちんべん》に努めているのは、性善坊であるらしい。  しかし、戸口に騒《ざわ》めいている四、五人の荒法師たちは、頑然《がんぜん》と肩をいからせて、 「だまれっ、なんど同じことをくりかえさせるのだ。そんな甘手《あまて》にのって戻るような使者《つかい》か使者でないか、よう眼で見ろっ。貴様の云い訳は、きのうまでは通用したが、きょうはもうその手では吾々を追い返せぬぞ」一人の怒号がやむと、また一人が、 「たしかに善信は今朝あたり立ち帰っておるはずだ。白河ですがたを見たという者がある」 「出せっ、どうしても顔を出さぬとあれば、踏み込んで会うがどうじゃ」いちいちその声は手にとるように奥へ響いてくる。  妻が、はっとしたように、眸をすくめているのを見て、善信は訊《たず》ねた。 「あの訪れは、誰か」玉日は、自分の罪ででもあるように、 「――おゆるし下さいませ。お留守中の不行届《ふゆきとどき》から、あのように叡山の衆を怒らせたのでございます」 「どうして?」 「実は、かようでございます」怪我人《けがにん》の実性《じっしょう》を匿《かくま》ってやったことから、その翌る日、彼を捕えにきた叡山の者を、太夫房覚明がひどく懲《こ》らして追い返したために、山門の荒法師たちが、それ以来毎日のようにああして狼藉《ろうぜき》に来るのですと、彼女は良人の前に詫びて話した。 「実性」と、善信は口のうちでいって、 「――その実性とは、あの吉水の上人のもとに仕えている若い学生《がくしょう》かの」 「はい、そのようでございまする」 「今はどこにおる」 「亡くなりました」 「え。――この草庵で」 「皆の者が、手をつくしてやったかいものう、二日ほどの大熱に、昏々《こんこん》と、うわ言をいいながら」善信が沈黙して、ふと眉を曇らせたのは、その無意味な犠牲者に対して、心を傷《いた》めたばかりでなく、師|上人《しょうにん》の身に、やがての禍《わざわ》いがなんとなく予感されていたからであった。  叡山や、高雄や、南都の反念仏宗《はんねんぶつしゅう》のものが、こぞって法然を誹謗《ひぼう》し、吉水の瓦解を工作し、打倒念仏の呪詛《じゅそ》が、一日ごとに昂《あが》っているという取り沙汰は、善信も旅のあいだに、眼にも見、耳にも聞いていたことであった。  だが、そういう反動は、いつか来るものと、これは自分よりも師の上人がよう知っておられる。  元より善信も、あえて、巷の風評に、にわかな驚きはしなかった。――けれど、今、戸外に呶鳴っている法師たちの悪罵《あくば》には、時こそよけれと、いい機会をつかまえて襲《よ》せてきたらしい気色《けしき》が濃厚である。 (……困ったことを)誰のことよりも先に、彼は、師の上人への禍いを気づかうのであった。  静かに立ち上って、 「わしが会おう」歩み出してゆく良人を見て、玉日は顔いろを失った。覚明に懲《こ》らされて復讐に来た山門の法師たちのいかに獰猛《どうもう》であるかを知っているからである。 [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり] 「あっ……覚明」彼女は思わず、彼方《かなた》の部屋へむかっていった。 「――覚明っ、お止めしてください。お師さまが」太夫房覚明は、この事件を大事にした発頭人《ほっとうにん》と皆から叱られていたのである。そのために、彼は、叡山から報復《しかえし》に来る者があっても、一切顔を出すなといわれ、一間《ひとま》のうちに、恐縮して首をすくめていたのだ。  ――きょうもその相手が来た。  さっきからがんがん呶鳴っている戸外《おもて》の声を、彼もそこで聞いていたのである。腕がうずくくらいなものだ。彼としては、飛び出して行って、自己の鉄腕ですっぱり解決してしまいたいことは山々だったが、これ以上争いに油をかけることは、裏方の心を傷《いた》めるだけでもよくないとじっと我慢していたところなのだ。  そこへ―― 「覚明、お止めして」と、玉日の声が聞えたので、 「あっ」何かと驚きながら板縁を駈け出してゆくと、師の善信が、出あいがしらに、奥の一室を出てきたのであった。 「しばらく」覚明はひざまずいて、善信のたもとをとらえた。 「――私が追い返します、大事なおからだをもって、あのような乱暴一てん張りの荒法師に、お会い遊ばすことは要《い》りませぬ」玉日も、おののきながら、良人の足もとへ来て止めた。 「どうぞ、性善坊と覚明のふたりに、おまかせおきくださいませ……。もしお怪我《けが》でもなされては」しかし、静かに、善信は微笑した。 「おことらこそ、さわがしい。わしが会うのは、相手の知識や人物を計ってではない、ただ、いささかのゆき違いがあっても、お師の上人にかかわること。人まかせには致し難い。――案じるな」踏みしめてゆく跫音は荒くないが、背には信念と、つよい性格が見えるのである。止めて止まる人でないことを覚明は知っているので、そのまま、不安そうな眼を光らして板縁に坐りこんでいた。  ――すでにその時は、応対に出ている性善坊も持てあましていた時だった。五、六名の荒法師は、例の大薙刀《おおなぎなた》を掻《か》い込《こ》んだのや、大太刀を横たえたのが、ごうごうと呶鳴るだけでは足らないで、性善坊の腕くびをつかみ、一人は今にも、草庵の板の間へ、土足を踏みかけて中へ躍ろうとしていたところ。 「お。……これは」と、落着きはらった主人の姿をその咄嗟《とっさ》に見たので、 「やっ、出てうせたか」法師たちは、一応身を退《ひ》き、その殺伐《さつばつ》を好む眼《まな》ざしを一斉に彼へあつめて、 「嘘つきめ」 「いるではないかっ」 「なぜはやく面《つら》を見せんかっ」いわしておいて、善信はその間に円座をとり寄せ、入口のわきの広床《ひろゆか》へ、客の敷物もめいめいに配らせて、 「上がられい」と、慇懃《いんぎん》であり、あくまで物静かである。  そういう作法や鄭重《ていちょう》は、暴客たちにはかえって苦手である。赤いまばら髯《ひげ》の中から、熊鷹《くまたか》のような眼をひからせている大法師が、拳《て》を振って、善信の冷静を打ち砕いた。 「馬鹿っ、ふざけるなっ。さような悠長な話で来た吾々ではない、事は、山門の体面にかかわるほど重大なのだ。おぬしの首をもらうかも分らない。ここで、罪状を申し聞かすから答弁してみい」 [#7字下げ][#小見出し]五[#小見出し終わり]  暴客の暴言を浴びながら、善信はその前に神妙に坐っていた。 「耳のない顔するなっ」荒法師たちは、あまりに反射のない彼の態度に、こう鬼面をもって脅《おど》しつけながら、 「――よいか善信。これから申すことに一々答弁が立たん時は、この小屋をぶっ潰《つぶ》し、汝の首《こうべ》を薙刀《なぎなた》の先に梟《か》けて、山門のみやげに持ち帰るぞっ」 「…………」微笑を見せて、善信はうなずくのであった。 「第一には――」と、荒法師のひとりが、山麓《さんろく》できたえた声に底力をこめて云いだした。 「わが聖域たる叡山のうちへ、密偵を入れこみたる理由はいかん」 「…………」 「第二には――その密偵、実性《じっしょう》なる下司《げす》、山門の僉議《せんぎ》を盗み聞き、世上へ怪《け》しからぬ風説を流布《るふ》いたしたる罪状はいかん」 「…………」 「第三には、山門法師の者、それについて、この草庵へかけあいに参りたるを、門輩《もんぱい》の暴僧を出して、腕力をもって打擲《ちょうちゃく》したる理由はいかん」 「…………」 「以上三つ、なんとあるかっ、善信房」 「…………」 「無言でおるは、一言《いちごん》の申しひらきもないという表示か。しからば、約束どおり、この小屋を踏みつぶし、そちの素首《すこうべ》をたたき落して持ち帰るぞ」すでに一人は土足を板縁にかけ、一人は善信の腕くびをつかんで、外へ引きずり出そうとする。 「何をするッ――」うしろへ来て、猛虎のように師のからだを警戒していた覚明は、たまらなくなって、突っ立った。 「――控えいっ」善信の声は、その覚明へ向って投げられたのである。 「今、仰せ承《うけたまわ》る三つのこと。すべて、善信としていい開きもない落度です。いかようとも召さるがよい。……誰も、手出しの儀はなりませぬぞ」 「おう、よくいったっ」引き下ろされて、善信のからだは、草庵の外へ転んで落ちた。  顔いろも失わない善信であった。  すぐ大地へ坐り直して、彼らの兇暴な腕力の下《もと》に体を与えてなんの惜しみもおののきもない容子《ようす》なのである。 「どうしてくれよう」今となって、多少のためらいを感じているもののように、一人がつぶやくと、 「――斬れっ、勿論、斬るのだッ」一人が、薙刀の柄《え》を持ち直して、鍔《つば》を鳴らした。 「いや、斬らせんっ」覚明は、師の善信が叱咤《しった》することばに耳をかさないで、板縁から飛び降りた。そして彼らと善信のあいだに、諸手《もろて》をひろげて、 「悪僧どもっ、三つの答えは、おれがしてやる。さあ来いっ」善信はうしろに在って、その態《てい》を悲しむように、覚明を叱りつけた。しかし、覚明は肯《き》かないのである。 「――地獄にも堕ちろ、師の破門も忌《いと》わぬ。このために数珠《ずず》を断《た》って、外道《げどう》へ落ちるともやむを得ん。魔に対しては、降魔《ごうま》の剣、邪に対しては破邪の拳《こぶし》、まごまごすると、おのれらの素っ首から先に申しうけるぞっ」 [#7字下げ][#小見出し]六[#小見出し終わり]  薪《まき》に油である、覚明の投げたことばは、山法師たちの顔を、すべて火にさせた。 「吐《ほ》ざいたな、広言《こうげん》を」 「いつぞや、山門の者を、手痛い目にあわせた下手人《げしゅにん》も、こいつであろう」 「こやつから先に成敗《せいばい》してしまえっ」吠《ほ》え合うと、一人が、 「かくのごとく」と、いきなり薙刀《なぎなた》を舞わせ、覚明の頭蓋骨《ずがいこつ》を横に狙って、ぶんと払ってきた。 「児戯《じぎ》。何するものぞっ」覚明は身を沈め、宙を切って行く薙刀の柄をのぞんで手をのばした。ぐっとつかんで自分の脇の下へかかえ込むと、 「ウヌ」彼の二つの眼は、そのむかし木曾軍の猛将と呼ばれたころのものにかえって、顔から飛び出すような光を発した。  はっ――と相手が竦《すく》んだせつなに、薙刀はもう覚明の手に持ち直されていたのである。覚明は、それを斜めに振りかむると、敵のことばを真似《まね》て、 「かくのごとくにかっ」と、呶鳴った。善信が、 「待てっ」と、止めた声も、相手の山法師たちが、 「あっ」と怯《ひる》んで後ろへ退がった行動も、弦《つる》にかけられた覚明の勢いには効《き》き目《め》がなかった。  ――異様なものがギャッという音と共に破裂した、赤い泥をぶつけたような脳漿《のうしょう》の血しぶきだった。  ――同時に一箇の胴体は地ひびきを打って仆《たお》れていた。 「や、やりおったなッ」 「おう、阿修羅《あしゅら》が今、地獄を現じて見せてやる。地獄もまた、わいらのような似非法師《えせほうし》の性《しょう》を懲《こ》らすためには、この世に現じる必要がある」三振り。四振り。彼の渾身《こんしん》から湧きあがる憤りをこめて薙刀を舞わすと、山法師たちは、それに当り難いことを自覚したのか、それとも、最初からとても手出しはしまいと見縊《みくび》って来たのが案外な反撃を食って、急に怯《ひる》みだしたのか、 「忘れるなよ」 「その広言を」 「後日来るぞっ――。それまで、そこの死骸は、あずけておくぞ」こう云い捨てて、わらわら、後も見ずに逃げ去った。 「卑怯っ」覚明は、満足しない。 「返せっ、この死骸、持って失せろっ」呼びかけながら、一町ほど追いかけて行った。  しかし、逃げ足の早い敵を、遠く見失うと、彼もまた、一時の激発から醒《さ》めて立ちどまった。そして、血しおのついている薙刀――手――法衣《ころも》の袂《たもと》を――急に浅ましい顔をしてながめた。 「あ……たいへんなことをしてしまった」  覚明は、自分の行為に、戦慄《せんりつ》をおぼえた。いや、この結果として自分のうける罪の裁きよりは――師の善信にかかる禍いを考えて、 (しまった……)と、心で叫ばないではいられなかった。  そう気がつくと、一時《ひととき》も、手にしていられない気持がして、彼は血によごれた薙刀を、草むらへ抛《ほう》り捨てた。そして、草庵のほうへ戻りかけたが、急に、何か戻るのが怖ろしくなって、少年のように、樹蔭にかくれて、しばらく彼方《かなた》の様子を窺《うかが》っていた。 [#7字下げ][#小見出し]七[#小見出し終わり]  覚明はその時、叱られる子が、怖い親の姿を見たように、はっと、眸をすくめた。 「……なんといってお詫びしよう」頭がそれでいっぱいになっていた。  ――彼方《あなた》から師の善信はこっちへ歩んでくるのだった。いつになく恐い顔を持って。 「…………」覚明は樹蔭に息をころしていたが、師のすがたが、立ちどまって、怒っている濃い眉毛に、一抹《いちまつ》の憂いをたたえ、その眼を、あなたこなたへやりながら、いかにも心配らしく、自分の姿を探しているらしい様子なのをながめると、堪らなくなって、 「師の御房……不埒者《ふらちもの》の覚明はここにおりました」走り出て、その前へ、ぺたっと両手をつかえた。善信は、眼を落して、 「むむ……」なんともいいようのない感情をその顔に燃やした。  憎んでいいのか、いたわっていいのか、善信は自分もまた余りにこの覚明と近い感情の持主であるがゆえになんともいう言葉がなかった。  ――だが、自分たち師弟は、一に仏の僕《しもべ》であって、どういう場合の裁きも、小さな我見であってはならない、御仏《みほとけ》の旨をもって、自分も裁き、人も裁くのでなければならない。  閉じていた善信の眸は、やがて、静かにみひらいた。 「覚明……。お身は二十年の精進と徳行とを一瞬に無に帰してしまわれたの。千日|刈《か》った萱《かや》を、一時の憤懣《ふんまん》に焼いてしまわれた――」 「お師様っ。この愚鈍な男を、どうぞ、打って下さい。踏みにじって、お怒りをおなだめ下さいまし」 「打ちすえてくれと?」 「はい……。さもなくば、ここの樹に私を荒縄で縛《くく》り付けて、叡山の狼どもに、この体を与えて下さい」 「……もう遅い」善信は、自分の胸が痛むように、熱い息をついていった。 「なぜ一瞬前に、それへ気づいてくれなかったか。今となって、おことの肉体を縛《くく》って贄《にえ》となそうとも、わしが足蹴にかけて叱ろうと、それが叡山へ対してなんの効《か》いがあろう、吉水の上人に向ってなんのおわびとなろう。……ただわしという者と、お身という者との感情を一時しのぎになだめてみるに過ぎないことだ」 「…………」覚明はその逞しい肩を大地へ埋《うず》め込むように、顔を俯伏《うつぶ》せたまま、声をあげて哭《な》いた。 「――さらばじゃ」師の声に、彼は、泣き濡れた顔をふりあげて、 「あっ、では……。ではこのまま、再びお側には」善信は答えなかった。  破門――師のうしろ姿は、無言の宣言をいいわたしているかに見える。  その破門をうけようと、地獄へ墜ちようと、覚悟のうえで敢てしたことであったが、覚明は悲しまずにはいられなかった。 「……そうだ」われにかえると、彼は、こうして自分が師の草庵の近くにいることは、よけいに師を苦しませるものだと思った。――悄然《しょうぜん》と、覚明の姿は、やがて岡崎の松林を去って、いずこへともなく落ちて行った。 [#7字下げ][#小見出し]八[#小見出し終わり] 「――弟子の未熟はいうまでもなく師の未熟。覚明の犯した大殺《だいさつ》の科《とが》は、申すまでもなくこの善信の犯せる罪に相違ないのです。……なんの貌《かんばせ》あって、弥陀《みだ》本尊のまえに、私は安坐しておられましょう」善信は、そこの持仏堂を閉じこめて、自身へ責めをうけていた。 「――思うに、まだ私の生活や私の行《ぎょう》が仏のみこころに莞爾《かんじ》として受け容れていただくほどになっていないためと存じます、今日の出来事も、妻を娶《めと》り、法悦に甘えて、懈怠《けたい》を生じた私の心へ、笞《しもと》をお与え下さったものと考えます」あたりが暗くなっても、彼はそこを出なかった。彼の心が今、暗澹《あんたん》と責められているように、壇にも燈明《あかり》が点《とも》っていない。 「おゆるし下さい。覚明の罪をいや私の科《とが》を。――同時に吉水の上人のおん身にこの禍いの暴風雨《あらし》がつらく当りませぬよう。――吹かばこの身へ、降らばこの身へ、何事もこの善信へ、百難百苦を降《くだ》させたまえ」――祈るうちに、その暴風雨《あらし》というほどではないが、かなり強い風が、草庵の廂《ひさし》を翔《か》けていた。  起って――善信は消えていた燈明へ灯《ひ》を点じた。どこからともなく吹き入る風に揺れて、小さな火の舌は焼くものを求めるように白く狂った。  その灯を見つめて、善信はふと、自身の身のまわりに、いつの間にか、自分の生命《いのち》を生かす必要以上なものが蓄《たくわ》えられているのに気づいた。  自分の若い生命は、たしかに、異性というものに結びついて、一つの安定を得てはいるが、その形が、これからの生活に、複雑を生み、贅《ぜい》に安んじ、懶惰《らんだ》になってゆき易いことを、彼はひそかに怖れていた。  現在の安定が、もしそういう人間の堕ち入り易い病弊《びょうへい》の産褥《さんじょく》のようなものであったら、安定は、やがて次の苦悩の芽をかくしている苗床《びょうしょう》に他《ほか》ならない。――善信は、慄然《りつぜん》とした。  覚明や、その他の弟子たちの気持も、いつのまにか、自分のこういう生活の形に影響されて、変っているのじゃないか。ひとつの逆境時代――苦難時代というものを通り越して、ほっと、陽なたの春を楽しむような人間の気持のたるみというものは、誰にもある、自分にすらある。 「そうだ」黙って、善信は外へ出た。  風はあるが、星月夜だった。彼は、牛小屋の隣に眠っている小者をよび起して、 「彼方《あなた》へ、輦《くるま》を曳け」といいつけた。  牛方の小者は、ふいに、善信がどこへ外出するのかと驚きの目をみはった。いわるるままに、輦を遠くへ曳き出し、次に、牛を解こうとすると、 「牛をつけるには及ばぬ」善信は、持仏堂の御燈明《みあかし》から紙燭《しそく》へ灯をうつして再び出てきた。そして、その灯を、絢爛《けんらん》な糸毛輦《いとげのくるま》のすだれの裾《すそ》へ置いた。  この輦《くるま》は、昨年の秋、彼と玉日とが婚儀をあげるについて、月輪の九条家が新調した華美を極めたものである。――ある日は、新郎新婦が、その裡《うち》に乗って、岡崎から吉水までの大路《おおじ》を牛飼に曳かせ、都の人々から嫉妬《しっと》の石を雨のようにぶつけられたその輦でもあった。 「……あっ。師の房様が、輦《くるま》をッ、輦を焼かっしゃる」牛飼の者は、彼方の小さい火が、やがて、真っ赤な一団の炎《ほのお》となったのを見て、草庵の中へ向って、大声でわめいていた。 [#7字下げ][#小見出し]九[#小見出し終わり]  みな驚いて戸外《そと》へ出てきた。  昼の事件が、誰の頭にもあったので、すぐ、 「すわっ」と感じたのは、叡山の者が復讐に来たということであった。  ところが、牛飼の者は、 「師の房様が、気でも狂わしゃったか、輦《くるま》を、ご自分の手で、あのように焼いておしまいなされた」と、舌をふるわせていうのである。  まことに、誰が見ても、怪しむほかない善信の姿だった。彼が放《つ》けた火は、もう消すにも消しようのない大きな焔《ほのお》のかたまりとなって、炎々と、妖《あや》しい火の粉を星月夜へ噴きあげている。  黙然《もくねん》と、その火を、善信はすこし離れた所に立って見惚《みと》れているのだ。――照らされている白い顔が、微笑すらうかべているように見える。 「なんで」 「どうなされましたか」 「師の御房――」口々にいいながら、性善坊やその他の人たちが、彼のそばへ、驚きの顔をあつめてきた。そして、焔と、師の顔いろを、粛然と見くらべた。 「芥《あくた》を焼いているだけのことじゃ」善信のことばは、一丈もある焔のかたまりに対して、水のように冷静だった。 「――こういう物に、ふたたび乗る善信でないゆえに。また、この草庵に無用な雑物は、念仏の邪《さまた》げとなるゆえに。――なお、きょうの出来事すべて、この身の落度と思うにつけ、自戒のためにも、こうするのじゃ」人々は、首を垂れていた。  すると、その人たちのあいだから、侍女《かしずき》に手つだわせて、見事な衣裳や女の道具を、惜し気もなく、焔のうちへ投げ込む者があった。  見ると、裏方の玉日なのである。その調度の品々は、みな彼女が、生家の九条家からほんの手廻りの物として運んできた婚礼道具であった。 「……むむ」善信の唇は、それを眺めて、なんともいえないうれしさを綻《ほころ》ばした。  ――それでこそわが妻。と、心のうちでいっているように、また、この焔こそ、夫婦の心を、一つに熔《と》かす真実の鉱炉《こうろ》であると見入るように、さばさばとした顔をあくまで紅蓮《ぐれん》に向けていた。  輦《くるま》を焼いたので、牛は牛小屋から解かれ、牛飼と共に、翌る日、九条家へ帰された。玉日は、たった一人の侍女《かしずき》もそれにつけて、実家方《さとかた》へもどした。  さて、その他の弟子たちへも、善信は、思う仔細があればといって、暇《いとま》を出した。絶縁というわけではないので、性善坊も、師の気持を察して、旅に出た。――めいめいも、行く先を求めて、岡崎を離れた。  草庵は、二人だけになった。――急に無住のようなさびしさにつつまれた。 「こうして待とう」善信は、妻へいった。玉日もうなずいた。  待つとは――いうまでもなく、叡山の者の報復《しかえし》である。あのまま黙っている山門の大衆《だいしゅ》ではない。あれから数日、音沙汰《おとさた》のないのは、むしろ大挙して襲《や》ってくる険悪な雲の相《すがた》を思わせるものがある。 (襲《き》たらば? ――)というようなことも、その時の覚悟なども、善信は一切、妻にいっていなかった。けれど、玉日の容子《ようす》を見るに、朝な朝な、身ぎれいに、いつでも死ねる支度は心にしているらしくあった。 [#3字下げ][#中見出し]風やまず[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  不気味なほど、比叡《ひえい》の一山は、このところ静かな沈黙を守っている。  どんな形をもって、再度の報復に出てくるかと思ったが、岡崎の草庵へも、あれなりなんの行動も起してこないのである。  ――だが、それをもって、叡山が、山門の僉議《せんぎ》の決議を変更し、対念仏門の考え方を好転したかと見るのは早計で、事実はかえって、いっそう険悪の度を加えていたのだった。  山にも、智者がいる。 「岡崎のごときは、法敵の中核ではない。敵の中枢は、吉水ではないか。吉水こそ、念仏門の本城なのだ。したがって、吉水さえ打《ぶ》っ仆《たお》してしまえば、後は、岡崎の善信だろうが、何だろうが、みな支離滅裂《しりめつれつ》となって、社会へ何の力も持たなくなるのは知れきっている」こう、智者は説いて―― 「それを、一草庵の岡崎へなど、度々出向いて、争うなどとは、愚の骨頂だ。聞けば、善信夫婦は、あの後、草庵の法弟にみな暇を出し、自分たちの什器《じゅうき》から輦《くるま》まで焼いて、吾々の成敗の手を心静かに待っておるらしい様子とか――そういう覚悟の者へ、物々しい返報は、かえって、こちらが大人げなく、世上のわらい草となり、念仏打倒の輿論《よろん》を邪《さまた》げることとなろう。ただ、吉水を仆せばよいのだ。吉水を仆せば、岡崎などは、そのついでに自滅する。もうくだらぬ暇つぶしはやめて、目的へ邁進《まいしん》することこそ肝要である」 「善哉《よいかな》――」この説は、山の者を風靡《ふうび》した。そこで彼らは、 「下山《くだ》ろうぞ」と、日を諜《しめ》し合った。下山《くだ》ろう――とは彼らの仲間にだけつかわれる合言葉であって、 (やろうぞ)という示威運動の掛声にも通じる。  座主《ざす》にも、それを止めるほどな、力はなかった。  彼らは、すぐ、日吉《ひえ》山王三社の神輿《みこし》を出して磨き立てた。  一山三千の大列のまえに、三社の神輿をかついで、京へ下りる時には、どんな者でも、その前を遮《さえぎ》らせなかった。山法師の強訴《ごうそ》といえば、弓矢も道を避けたものである。  準備はできた。朝廷へ捧げるための――「念仏停止奏請《ねんぶつちょうじそうせい》」の訴文《そぶん》も認《したた》めて、いよいよ明日は大衆が山を練り出そうと息まいている日であった。 「おいっ、中堂から布令《ふれ》だ」と、呶鳴って廻る者があった。 「集まれ」と、誰いうとなく、山上の根本中堂へ人々は駈けて行く。  大講堂には、もう、人が蝟集《いしゅう》していた。明日、担《かつ》いで下山するばかりに用意のできている三社の神輿《みこし》は飾られてあった。 「吉水は、降伏してきたぞ。うわさを聞いて、縮みあがったのだろう、かくの通り、法然上人《ほうねんしょうにん》以下、門弟百九十余名、連名をもって、叡山へ謝罪文を送ってきた。今、それを読みあげるから、静かにして聞かれい」  一人の山法師は、大講堂の縁《えん》に立って、吉水から法然上人以下百九十余名の名をもって送ってきたという誓文《せいもん》を、朗々と、高声《こうせい》で読み初めた。 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり]  近ごろは健康もすぐれず、吉水禅房の一室に閉じこもって、めったに庭先の土も踏まない法然であったが、彼にはなにもかも分っていた。 (捨てておけない)と感じたのが、つい二、三日前のことであった。 「信空《しんくう》、筆を執って賜《た》も」高弟の法蓮房信空《ほうれんぼうしんくう》が、 「はっ、何事を」 「わしの申すままを」と、法然はしばらく眼を閉じていたが、やがて―― [#ここから2字下げ] 敬《ウヤマ》ッテ当寺|住持《ジュウジ》三宝 護法前神ノ宝前ニ投ズ [#ここで字下げ終わり]  と低い声で、口述し初めた。  信空は、上人の唇から、糸を吐くように出る文言《もんごん》をそのまま筆写して行った。かなり長文であった。 「……しばらく」と、信空は、上人の息もつかせない口述を待ってもらって、そっと懐紙を出して、涙を拭いた。  写してゆくうちに涙が出て、ともすると、紙の上へ落涙しそうになるのだった。怺《こら》えても、怺《こら》えても、泣かずにいられない言葉なのであった。  それは、上人が、叡山の大衆に対して、誤解をとくために送ろうとするものであった。言々、血涙の声だった。  ひたすらに、自己を責め、自己の不徳のいたすところであると上人はいっている。同時に、念仏門の真意は決して、とかくに臆測され、疑われ、邪視されているようなものではなく、浄土の行《ぎょう》のほかに何らの他意のないことも縷々《るる》として述べている。  なお、他《ほか》に、七箇条の起請文《きしょうもん》を書かせて、翌る日、 「火急のことあり、禅房までお越し候え」と、門下のすべての者へ、使いをやって、告げた。 「何事」と、朝から、続々と、禅房の門には人々が集まってきた。  上人は、前の日、認《したた》めさせた起請文を一同へ示して、 「法然と同心の者は、これへ、連判《れんぱん》なされたい」といった。ある者は、一読して、 「これは叡山に対する降伏状にひとしいものではないか」と蔭へ来て、無念そうな唇を噛んだ。ある者は、また、 「あまりなご謙譲だ」と、壁の隅へ来て、落涙するものもあった。  七箇条の誓文と、叡山へ送る一文には、法敵を責めている論争は一つもない。ただもう自己の謹慎《きんしん》を述べて、彼の疑いを一掃しようとするものであった。人々が、残念がるのもむりはなかった。けれど、それも上人の気持とあればぜひがない、順々に、門弟たちは署名して行った。  そして、三日のあいだに、百九十名がそれに書かれたのである。岡崎の草庵から駈けつけた善信も、もちろん、そのうちに連判していた。  それが叡山に届けられ、大講堂で今日読み上げられたのである。  山門の大衆は(われ勝てり)と凱歌をあげ、 「ざまを見ろ」と、降伏者を見下《みくだ》すように、誇りきった。 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり]  激昂《げっこう》していた大衆は、すっかり溜飲《りゅういん》を下げて、 「頭を下げ、手をついて、降伏した者を、この上、踏みにじってもしかたがあるまい」と、「念仏|停止《ちょうじ》」の奏請運動は、せっかく、山王権現の神輿《みこし》まで磨《みが》いたところであったが、 (沙汰止《さたや》み――)ということになってしまった。  その後、安居院《あごい》の法印|聖覚《しょうかく》が、個人として、山へのぼってきて、 「一山の人に話したい」と、熱心に、遊説《ゆうぜい》して廻った。  要するに、こういう紛争が起るのも、仏教に対する解釈のまちがいである、認識不足が因《もと》である。――という法印の考えから、 (聖道門と、浄土門)という演題を引っさげて、仏徒に対して、仏教の初学にひとしいことを、教育しに登ったのである。山の者は、 「あいつも、今では、吉水の高足とかなんとかいわれ、世間は彼のことを、 [#ここから2字下げ] 四海の唱導師《しょうどうし》 一元の能説《のうぜい》 [#ここで字下げ終わり]  とか称《ほ》めたたえて、ひどく偉い者あつかいにしているが、いったい、どんなことをいうのか一つ聴いてやろう」と、悪くすれば揶揄《やゆ》するつもりで、法印の立ち寄る寺へぞろぞろと腕ぐみして集まってきた。  聖覚法印は、吉水と叡山との小さい事件や、感情には触れないで、ただ熱心に、道の真諦《しんたい》を説くだけだった。 「――どなたも、すでにご存じのあるように、生死《しょうじ》の惑いをのがれ、仏道の安心立命《あんじんりゅうめい》に至る道に、二つの道があります。その一つの方法を聖道門《しょうどうもん》といい、その一つの方法を浄土門というのでありますが、目的とするところは、いずれも、この娑婆《しゃば》世界にあって、行《ぎょう》を立て、功《こう》を積みて、今生《こんじょう》の証《あかし》をとろうと励むことにあるのは、二道、方法のちがいはあっても、目ざす所に変りはないのでございます」噛んでふくめるように、法印聖覚の話はやさしいのである。 「そこで、浄土門というのは、どういう方法に依って、往生《おうじょう》を願うかというと、それにも二すじの道が分れていて、一は諸行往生《しょぎょうおうじょう》といい、二には念仏往生といっています。諸行往生というのは、あるいは父母につかえ、あるいは師や主につかえ、菩薩《ぼさつ》の行《ぎょう》をとって凡身の浄化を念じるものであり、また、念仏往生と申すのは、行は、依って興《おこ》るものゆえ、第二義といたして、なによりはただ、念仏をとなえよ、一にも二にも念仏をもって、仏の本願へ行き迫るべしと、かように教えているものでござる。――かるがゆえに、吉水の上人が説きさとし給うところに従えば、いかなる職業の態《てい》にも、貴賤のすがたにけじめなく、ありのままに、いるがままの生活《くらし》の形にても、仏の御手《みて》は、本願へ導き給うぞかしと、仰せられるので、いと易い道であるがゆえに、道俗の男女《なんにょ》は、旱天《ひでり》に雨露をうけたように、ここへ息づきを求めてくるのであります」と説き、そして、 「――あえて、私どもは、この教義をもって、旧教の聖道門へ対立するとか、または、勢力を植えるとか、そんな考えでは毛頭ないのです。大体、私どもの念願は、僧侶に向って教えたり、僧侶に対して僧侶の勢力を示すとか、そんな目的では少しもなく、私たちの目標は、すがる物なく、現世を悲観し、虚無に落ちている不愍《ふびん》な民衆に、光を与えてやろうという所にあるのでございます。――ただただあわれな民衆と弥陀《みだ》の手をつないでやろうとするのが本願なので、どうか、この辺をよくご諒解ねがいたいものだと存じます、同時に、叡山としても、今の社会に対して、もっと、大きな慈悲の眼をもって、働きかけていただきたいと、衷心《ちゅうしん》からお願い申すわけであります」 [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり]  聖覚法印の遊説は、効果があったらしい。  山門は、わりあいに、彼の、 (浄土門とはどんな教えか)という講演に、好感をもったようであった。  先には、七箇条の誓文と、法然の謙譲な文書が来ているし、その後から、法印聖覚が、こうして山を説いてあるいたので、叡山の感情は、非常にやわらいできたように見えた。  すくなくとも、表面だけは。  だが、風は――波は――依然としてやんではいない。  果然。吉水の教壇へ向って、巨弾を放ってきた第二の法敵があらわれた。  高雄《たかお》栂尾《とがのお》の明慧《みょうえ》上人である。この上人は、そこらにざらにあるいわゆる碩学《せきがく》とは断じてちがう。満身精神の人だった。学問の深さも並ぶ者がまずあるまいという人物だ。 (栂尾の上人がこういった)といえば、その一言《いちごん》は、思想界をうごかす力があった。  しかも、明慧は、めったに言論を弄《もてあそ》ぶような人でなかった。自重して、深く晩節を持し、権力とか、名聞《みょうもん》とか、そんなことに軽々しくうごく人でも決してない。  ところが――その明慧《みょうえ》が、奮然、起ち上って、吉水へ挑戦したのである。その峻猛《しゅんもう》の意気を世に示したものが、 [#ここから2字下げ] 「摧邪輪《さいじゃりん》」三巻 「摧邪輪荘厳記《さいじゃりんしょうごんき》」一巻 [#ここで字下げ終わり]  こう二つの著であった。 「――読んだか、栂尾《とがのお》の上人の著書を」 「うむ、見た」 「全文、熱烈な念仏批判の文字だ。念仏門の教義も、あれには木ッ葉|微塵《みじん》に説破されてしまった形だ。――空谷《くうこく》の天飈《てんぴょう》というのは、ああいう文章のことではないか。何しろ、痛烈にやったものだな」 「吉水も、こんどは参ったろう。栂尾の上人の人格と、学識の前には、いやでも念仏の声をひそめてしまわずにはいられまい」世評は、たちまち、これを問題にとりあげて、さらに巷《ちまた》へ拡大した。  あまり評判がたかいので、吉水の学僧たちも、ひそかに「摧邪輪」を手に入れて、かくれて読む者が多かった。そして読んだものは必ず、 「――はてな」と、今まで信念していた念仏門の教義に疑いを抱いて、信仰の根本に、動揺を感じ出した。  それほど、明慧の学説には、確乎とした仏教精神がこもっていたし、また、整然とした理論と、的確な考証をも併《あわ》せて持っていた。  権力や、伝統や、自己の位置を擁護するために、ただ暴圧的に、吉水を押しつぶそうと試みる叡山などの反撃とは、それはまるで比較にならない真摯《しんし》な反駁《はんばく》であった。 「痛手だ。なんといっても、これは吉水の教団にとっては、致命的な打撃だろう」と、人々はいい合った。  事実、明慧上人のこの獅子吼《ししく》があらわれてから、吉水禅房の内部にも、かすかな信仰の揺るぎが萌《きざ》してきた。その証拠には、法然の講義を聴く学僧たちが、このところ、めっきり数が減ってきたのでもわかるし、また、在家の信徒の訪れは、目立って少なくなってきたことは争えない。 [#7字下げ][#小見出し]五[#小見出し終わり]  たとえまだ吉水へ残っている学僧たちでも、表面は平静を装っているものの、内心では、みな多少の懐疑を持っているらしく、 「一体、栂尾《とがのお》の明慧の論は、念仏門のどこがいけないというのだろうか」寄るとさわると、それが話の中心になって、やはり気にかけているふうだった。 「いうまでもなく師の法然上人のお書きになった、選択本願念仏集《せんじゃくほんがんねんぶつしゅう》の中にある教理をつかまえて、それを反駁《はんばく》しているのが、明慧の摧邪輪《さいじゃりん》なのじゃないか」 「それは分っているが、双方の信念のちがう点は」 「それは明慧が、幾ヵ所も指摘しているが、最もちがうところは、吉水の教理では、念仏をもって往生の第一義としておるが、明慧は発菩提心《ほつぼだいしん》をもって仏者の要諦《ようたい》としている」 「つまり、念仏か、菩提か。――という議論だな」 「議論などを明慧はしていないのだ。――発菩提心《ほつぼだいしん》、往生安楽国――という見地から、法然上人の選択《せんじゃく》本願念仏集を真っ向から粉砕している口吻《こうふん》で、念仏門の邪見十六条というものをかぞえあげている」と、その学僧は、眼をつむって、暗記している明慧の著書のうちのことばをそら読みに読みはじめた。 [#ここから2字下げ]  ――夫《ソ》レ、仏日没スト雖《イエド》モ、余輝《ヨキ》未ダ隠レズ、法水《ホウスイ》乾クト雖モ、遺潤《イジュン》ナオ存セリ。吾等、之《コレ》ニヨリテ毒酔《ドクスイ》ヲサマシ、之ニヨリテ覚芽《カクガ》ヲ萌《キザ》ス。豈《アニ》、幸《サイワイ》ニアラズヤ。  然リト雖モ、愚子狂子、稀レニ良薬ヲウケテ嘗《ナ》メズ、何ゾソノ拙《ツタナ》キヤ。爰《ココ》ニ近代、一|聖人《ショウニン》アリ、一巻ノ書ヲ作リ、名《ナヅ》ケテ、「選択本願念仏集《センジャクホンガンネンブツシュウ》」トイウ。経論ニ迷惑シテ諸人ヲ欺誑《キキョウ》シ、往生《オウジョウ》ノ行《ギョウ》ヲ以テ宗《シュウ》トナストイエドモ、却ッテ、往生ノ行ヲ妨碍《ボウガイ》セリ。  高弁《コウベン》、年来|聖人《ショウニン》ニ深キ信仰ヲ懐《イダ》キ、聞《キコ》ユルトコロノ邪見ハ、在家ノ男女《ナンニョ》等、聖人ノ高名ヲカリテ妄説《モウゼイ》スルトコロト思イ居タリ。コノ故ニマダ以テ一言モ聖人ヲ誹謗《ヒボウ》セズ。然ルニ近日、コノ「選択集《センジャクシュウ》」ヲ披閲《ヒエツ》スルニ、悲嘆甚ダ深シ。名ヲ聞キシ初メハ、聖人ノ妙釈《ミョウシャク》ヲ礼《ライ》サントヨロコビ、巻ヲ披《ヒラ》クノ今ハ恨ム、念仏ゾ真宗ヲ黷《ドク》セシコトヲ。  今ツマビラカニ知リヌ、在家、出家、千万門流ノ起ストコロノ種々ノ邪見ハ、ミナコノ書ヨリ起ルトイウ事ヲ。 [#ここで字下げ終わり] 「――こう書き出してあって、総じて、選択集には、十六の過《あやま》ちがあるといっている。――第一は、菩提心をもって往生極楽の行《ぎょう》としないこと。第二は、弥陀《みだ》の本願の中《うち》に菩提心なしということ。第三は、菩提心をもって小利とするの過ち――第四は、菩提心は念仏を抑えるという過ち――等、等、等」 「むずかしいな」 「どっちがほんとだか、読んでいても、実は、吾々には分らなくなる」 「いったい、菩提心《ぼだいしん》というのはなんだろう」 「明慧は、こう説いている―― [#ここから2字下げ]  菩提心トハ何ゾ。  曰ク、向上ノ心即チ是《コレ》ナリ。菩提、訳シテ覚《カク》トイウ。仏果《ブッカ》一切ノ智々ナリ。コノ智々ノ上ニ起ス衆生ノ希望心ニテアルナリ。コノ故ニ、仏道ヲ修メ、往生ヲ願ウモノ、如何《イカン》ゾコノ心ナクシテ可《カ》ナランヤ」 [#ここで字下げ終わり] 「――なるほど、そう聞くと、人間が安心を得たいために、仏教に耳を傾ける発心のはじめは、やはり菩提心が先だろうな」 「けれど、吾々の教えをうけている法然上人の仰せには、菩提心も仏果の助けにはなるが、頼みにはならぬと仰っしゃるのだ。ただ念仏こそ、真の安心へ導くものだと常々仰っしゃっている」 [#7字下げ][#小見出し]六[#小見出し終わり]  明慧《みょうえ》上人の駁論《ばくろん》を読んだ者は、また必ず、もういちど法然上人の選択集《せんじゃくしゅう》を読んで、両方の教理を比較してみた。その結果、 「これは念仏門に止《とど》めを刺したな」と、観る者が多かった。  いつの世でも、新しく勃興《ぼっこう》するものには、必ずこういう痛撃が出るし、受け身になるものよりは、駁撃《ばくげき》するほうへ痛快がるのが、言論の世界の通有性である。かなりの識者のうちでも、 「やったな」 「愉快だよ」そういうことがよろこばれるものだ。  まして、叡山の大衆、南都の大衆などは、手を打って、 「これで、念仏も黙った」と、明慧説を、絶対に支持した。  ――なるほど、吉水禅房は、その一時の隆盛ぶりから見ると、表面いちじるしく衰弱したように見える。しかし、そこを訪れた者は当の法然上人を初め、高足たちが、意外に泰然として、しかもすこしも明慧説を陰で誹謗《ひぼう》するようなこともなく、その信仰にも、毛ほどな揺るぎも見せないことを、むしろ奇異に思うくらいであった。  いや、人出入りや、房の学僧などの数こそ、ひところよりは減ったが、残った人々のあいだには、外部の迫害に対して、かえって、いっそうその結束と信仰のつよさを固めてきた風さえあった。  念仏か、菩提心か。  そんな問題や、  聖道《しょうどう》か、易行《いぎょう》か。  というようなことは、もうここの人々には初学であった。今さら、そんなことに疑義を持っている者は、上人の高足たちの間には、一人もいないといってよい。  もっと、もっと、この人々の研究心は、深い所へ根を下ろしていた。――外部の迫害とか、非難とか、教義の揚足《あげあし》とりなどはよそに、自己のうちに、論敵を求め、自己のうちに真理をつかもうとして、焦心《あせ》り合っているくらい、それは、すさまじい魂の磨き合いを見せていた。  岡崎の草庵から、善信も、度々そこへ通っていた。そして、いつも火の出るような議論の中へ彼もつかまるのだった。  ――ちょうどその日は、高足の聖信房|湛空《たんくう》だの、勢観房源智《せいかんぼうげんち》だの、念仏房|念阿《ねんあ》など初め、そのほか多くの人たちが来て集まっていた。  ふと、善信が、そこへ姿を見せたのである。  すると湛空が、 「オオよい折に」と、早速、 「善信御房、あなたならば、はっきりしたお考えをお持ちにちがいないからうかがうが――」と、質問し出すのである。 「実はただ今、これに集まっている人々の間で、いったい、信仰というものは、人に依って変りのあるものか、変りのないものか。つまり信仰は一か異か――とこういう問題が出たのですが、あなたは、どうお考えになられるのか」 「さよう」善信は一同のあいだへ静かに座をとって、よほど激論のあったらしい一同の熱した顔いろの跡をながめていた。湛空は、膝をつめよせ、 「たとえば、吾々は、ひとしく浄土に生きんという理想をもっている。けれど、凡夫の吾々と師の上人とは、信心の誠というものがどうしても異《ちが》うはずです。――そうしてみると、われらは、いつになったら師の上人のような心境になって、真の安心が得られるだろうかと考えたくなる。――生れつきの愚鈍や凡夫では生涯かかってもついにほんとの往生極楽の味はわからずにしまうのじゃないかと思うのです。……で、議論になったわけじゃ……信仰は万人一か異《ちがい》のあるものか。変か不変か……問題なんです」 [#7字下げ][#小見出し]七[#小見出し終わり] 「いかがです、善信御房」 「されば」善信は、居ずまいを直し、 「私の考えを述べます」はっきり答え出したので、同席の人々は、みな善信の眉へ視線を向けた。善信の眼には、彼のここまで研《みが》きぬいてきた信心が、こって眸《ひとみ》となっているように燿《かがや》いていた。 「信心に、二つはありません。唯一なものです。人に依って、その誠にも変りがあると仰せられるのは、古い考え方です。聖道門の人たちのいった言葉が、まだあなたがたにどこかこびりついているせいでありましょう」  こう彼が、確信をもっていいきると、一同の顔いろに、ちょっと白けたものが流れて、唖《おし》のように、黙り合った。  彼に、問題を提出して、問題の解決に努めていた湛空は、 (これは意外なことを聞く)といったように、ちょっと唖然《あぜん》としているし、念仏房念阿も、勢観房源智も、その他のほとんどといっていい大勢が、 (もってのほかな説)と、明らかに、反対な眸をして、善信の眉を見つめ合った。 「では、承るが――」と、湛空はその人たちの意見を代表して、詰問《きつもん》するように、 「――善信御房は、そういうお考えとすると、御自身の信心も、師の上人の信心も、同じである、一つである、少しも異《ちがい》はないと仰せられるのか」 「そうです」 「ちと、僭越《せんえつ》なおことばと存ずるが」 「なぜですか」 「年齢と申し、体験といい、また学問の程度と、あらゆることにおいて、師の上人と、まだ三十歳を出たばかりの御房とは」 「ちがいません」 「はて強情な。――しからば、この湛空の信心と、あなたとでは」 「なんの異るところもない。信心は一です」 「どうして」 「今さら申すまでもないことと私は思う。ひとたび、他力信心のおさとしをうけてから、私は、そんな問題に今日まで迷っていたことはありません。そのいわれは、師の上人の信心も他力によって身に持ち給うもの。また、この善信の信心も、他力によって持つところのもの。――どこにこの両者にちがいがありましょう。否、師と弟子のみではなく、他力門の信心は、すべて一つであって、異《ちがい》があってはならぬものと思うのです」だが、善信がいっただけでは、皆屈しなかった。やむなく、法然の前へ出て、一同は、この解決を求めた。  すると法然は、こういった。 「人により、信心に異《ちがい》があると観るのは、自力の信心のことをいうのじゃ。智慧とか、身分とか、男女《なんにょ》の差とか、そういうものを根本《もと》にして考えるから、信心もまた、智慧、境遇などに依って、差のあるもののように考えられてくる。――しかし、念仏門の他力の信心というものは、善悪《ぜんなく》の凡夫、みな等しく、仏のかたより給わる信心であって、みずからの智慧や境遇の力に依ってつかみとる信心ではないのでござる。――ゆえに、法然が信心も、善信が信心も変りはないはず。信心に変りありと考えておわす方々は、この法然が参る浄土へは、手をとりおうても、よも共々参り給うことはかのうまいに……。ようもいちど考えてみられい。いつも一つこと繰り返すようでござるが、もいちどここでも申そう。念仏は絶対他力の教えであるということを」 [#7字下げ][#小見出し]八[#小見出し終わり]  善信は、その後、独りでこういう問題について考えてみた。 「この間のああいう論争が起るところを見ても、まだ他力念仏をこれほどお説きになっている上人の真意は、幾人もほんとに理解していないのだ」心細い気持がするのであった。 「叡山《えいざん》三千房が、こぞって迫害の手をのばそうとしている折、また、栂尾《とがのお》の明慧《みょうえ》上人があのような論駁《ろんばく》を世上に投じている場合、ご随身の高足ともあろう人々が、まだあんなことをいっているようでは、浄土門の真理の芽は、せっかく大地を割ったばかりで無碍《むげ》に踏みにじられてしまう」そう、彼には、案じられた。 「――一つ師を仰ぎ、一つ真理にすがり、室を共にし、寝食までを同じゅうしても、それが、真《まこと》の道の友とはいい難い。学問や利を同じゅうして集まっていても、その称《とな》える念仏には、まだまだ自力の声があり、他力の声があり、迷いの声がまじっている」  今は、聖道門の旧教と、自分たちの新しい宗教との、いわゆる聖浄《しょうじょう》二教というものが、二つの太い潮流を作って、日本の思想界において、それが、ひところの対立時代から、さらに迫って、まさに、正面衝突をしようとしている。  そういう重大な時機なのだ。――だのに吉水の内部にある人々のあたまに、まだ、そんな脆弱《ぜいじゃく》なものが残っているようではならない。断じて、その質を、もっと強固に、明確に、みんなの信念からして、統一したものになっていなければならない。  こう善信は痛感した。  そのありのままの意見を、師の法然に述べてみると、 「よいところへ思いつかれた」と、その翌る日、すべての門縁の人々へ、集まることをいい触らされた。  その日、法然は、禅房のうちのいちばん広い室へ、席を二つに分けて、人々の集まりを待っていた。  三百名に近い法縁が集まった。――ころを見て、法然は、 「きょうは、御覧《ごろう》じあるように、信不退《しんふたい》の座と、行不退《ぎょうふたい》の座と、二つに席をわけておいた。――おのおのはそのいずれの方の座に着き給うか、法然に、示して給われい」  はっ……と人々は顔を見あわせてしまった。誰も、黙っていた。容易に、先へ立って座を取る者もなかった。 「みなご遠慮あるとみえる、ではお先に」と、起ち上がった人を見ると、それは、釈信空《しゃくしんくう》であった。  迷うところなく、信空は、信不退の座へすわった。 「わしも……」とつづいて、信不退のほうへ坐ったのは、安居院《あごい》の法印聖覚であった。  が――それなり、ふたたび、満座には、迷いの眼ばかりが白くうごいていた。  しいんとして、起つ者がない。  すると、禅房の木戸をあけ、庭石に木履《ぼくり》の音を高くさせて入ってきた大兵《たいひょう》の僧がある。 「やあ」と、広座《ひろざ》のていを見て、快活な声を外から投げていうのだった。 「善信どの。なにか、おん身はそこで執筆役をおひきうけのご様子、いったい、きょうは何事があるのでござるか」  まだ失せない武骨な関東|訛《なま》りでそういうのだ。これは、熊谷蓮生房《くまがいれんしょうぼう》であることはいうまでもない。善信が、 「あなたへは、ご通知が洩れていましたかの。実は、今日は同門一統の者、ここへ集まって、信不退と行不退の二つに座をわけておるところです」 「オオ、しからば、この蓮生も、法縁に洩れてはならん。やつがれはまず、こちらの座をいただこう」蓮生房は、どかと、これもまた、信不退のほうへと坐った。 [#7字下げ][#小見出し]九[#小見出し終わり]  信か。行か。二つの座のどっちを選ぶか。 (――試されるのだ)  そう思うと数百名の門徒は、よけいに迷っているふうであった。唾《つば》をのんで、人の気色《けしき》にばかり敏覚である。しいんとして、 (吾は――)と進んで、自分の態度を、はっきり示すほどの者がない。  坂東武者上がりの熊谷蓮生房は、なんのためらいもなく、信の座へ着いたが、人々は、 (あれは神経のあらい人《じん》だ。先に釈の信空と、聖覚法印が信の座へ着いたので、それで、自分も追従《ついしょう》したに過ぎない)こう見ているのであろう、むしろ彼の態度を、軽蔑《けいべつ》するように、じろじろ眺めて、そして自分たちの態度は、なお決しかねているのだった。  執筆役の善信は、机のうえに紙をのべ、筆を握って、 (これだけの門徒のうち、どれほどの数の者が、真の信仰をもっているか)――を、じっと、恐《こわ》いような気持と、真摯《しんし》な興味をもって、眸《ひとみ》をすまして、その実証が数に出るのを待っていた。  ――だが、誰も咳声《しわぶき》もしなかった。無音から無音へ、ときが過ぎてゆく。 「? ……」寂《じゃく》としたきりである。――と、善信の手にある筆が、さらさらと紙の上に微かに走った。 [#1字下げ]信の座  彼は、自分の名を、その下へ署名したのである。すると、やや間をおいて、 「わしも、信不退の座につらなり申そう。善信、法然房の名を信の座に書かれい」  上人の声であった。  数百名の門徒たちは、はっと思ったように顔いろを革《あらた》めた。しかしもう遅い気がして、 「わしも、そう思ったのじゃが……」 「いや、自分も、心では」などとにわかに騒《ざわ》めき出す。  信不退か、行不退か、の試判はこれで明瞭になった。  信の座についた者は、結局、 [#ここから2字下げ] 法印|大和尚位《だいかしょうい》聖覚 釈の信空法蓮 熊谷蓮生房 [#ここで字下げ終わり]  それに―― [#ここから2字下げ] 善信(親鸞) 法然 [#ここで字下げ終わり]  と、こう五名だけしかなかったのだ。群居する数百名の門徒のうちで、わずかこれだけの人しか真に信仰をつかんでいた人はなかったことが明らかにされたのである。  後は、おそらく、念仏はとなえても、他力の門に籍はおいても、どこかに小さい自力がこびりついていた人々だった。旧教の殻《から》が脱けきれないのか、研鑽《けんさん》が浅いのか、とにかく、肚の底まで、念仏そのものに、澄明《ちょうめい》になりきれない者たちだった。善信は、心のうちで、 「これでも、今の時代は宗教が旺《さかん》だといえるだろうか。旧教の仏徒から、嫉視《しっし》を受けるほど、勃興していると見られている念仏門が――」と、嘆息していた。だが、法然は、 (そうもあろう)当然なことでもあるように、騒《ざわ》めいている門徒たちの上を、嘆きもせず、欣びもせず、いつものような眼でながめていた。 [#7字下げ][#小見出し]十[#小見出し終わり]  叡山の大衆《だいしゅ》は、その後、 (吉水は降伏した)と、例の法然とその門下の名をつらねた七箇条の誓書に、凱歌をあげていたが、 (あれは、奴らの戦術だぞ)という者があり、また、 (吉水の念仏者たちは、いよいよ結束して、信仰をかためているし、外部の門徒たちも、なお殖えるような勢いにある)と聞くと、 (それは捨ておけぬ)ふたたび持ち前の嫉視を向け、弾圧、迫害、誹謗《ひぼう》、あらゆる反動を煽《あお》って、とうとう、朝廷へ向って「念仏|停止《ちょうじ》」の訴えを起した。  一方――栂尾《とがのお》の明慧《みょうえ》上人が、学理の上から、法然の「選択《せんじゃく》本願念仏集」やその他の教理を反駁して、大きな輿論《よろん》を学界によび起しているので、 (今だ) (この図《ず》に乗って、打《ぶ》っ倒せ)と、呼応して出た形もある。  社会の眼もまた、 (いよいよ念仏門の受難が来た)と、吉水禅房の無事を危ぶんで、どうなることかと、不安な予感を抱いて、この大きな二大思潮の正面衝突をながめていた。  事実――吉水のうちの頼もしげな高足たちの間にすら、徐々と、その動揺をうける者があって、 「近ごろは、誰の顔が少しも見えんが」と囁《ささや》き合っていると、その囁きをなした者が、翌る日は、 「しばらく、郷里へ帰って、故山で信仰と勉学にいそしみたいと思いますが」とか、 「国元《くにもと》の老いたる親どもが、にわかに、病気の由《よし》ゆえ」とか、口実を構えて、吉水を去ってゆく者が、日に幾人かずつ出てくるような有様であった。  ことに、信不退、行不退の二つの座に試みられ、その信仰の浅くて晦《くら》いことを曝露《ばくろ》された人々のうちには、ひそかに、不快とする者もあって、理由も告げず、だんだんに、足の遠退《とおの》いた者もある。  そういう状態にある吉水へ、さらにまた、一方から不意な法敵があらわれて、 (邪教をつぶせ)と、波瀾のうえに、波瀾をあげてきた一派がある。  奈良の興福寺の衆徒と、その衆徒が、当代の生き仏と仰いでいる、笠置《かさぎ》の解脱上人《げだつしょうにん》とであった。 [#1字下げ]興福寺|奏状《そうじょう》  という一文を草して、表《ひょう》を朝廷にさし出し、つぶさに、吉水の罪状というものをかぞえ上げたものである。  その罪状は、九箇条になっていて、第一、邪教をいい立つるの罪から筆を起し、 [#ここから2字下げ] ――新像図を私販《しはん》するの罪(摂取不捨《せっしゅふしゃ》の曼陀羅《まんだら》) ――釈尊を軽んずるの罪 ――万善を廃するの罪 ――神霊に背《そむ》くの罪 ――国家を壊乱《かいらん》するの罪 [#ここで字下げ終わり]  等、等、かぞえ立てて、その一箇条ごとに、解脱上人がつぶさな意見を誌《しる》し、全文をもって痛烈な念仏|撲滅論《ぼくめつろん》としたものであった。  吉水は今や、文字どおりな四面楚歌《しめんそか》だった。 [#ここから2字下げ] 叡山は、権力の上から。 高雄は、学理の上から。 [#ここで字下げ終わり]  そして今は、奈良の衆僧が、 [#2字下げ]念仏門の教化とその手段  というものの上から、難を拾いあげて、徹底的に、吉水へ向って、最後のとどめを刺そうとしてきたのであった。 [#7字下げ][#小見出し]十一[#小見出し終わり]  ――だが、しかし。一方に、打倒念仏の猛運動が起れば、一方にもまた、念仏の支持者も社会に少なくはなかった。 「吉水の上人は、何を聞いても、よそごとのように聞き流しておられるが」と、心痛している人々が、意外なところに多かった。  わけても、朝廷には今、叡山の訴状が出ているし、南都の衆僧からも、念仏悪の罪状をかぞえて、その弾圧を、廟議《びょうぎ》に建言している際なので、 (この両方の訴えを、取り上げたものか否か)という問題は、毎日のように、堂上の朝臣《あそん》たちの政議にのぼっていた。  京極摂政師実《きょうごくせっしょうもろざね》の孫――大炊御門経宗《おおいみかどつねむね》とか、花山院の左大臣|兼雅《かねまさ》とか、京極大夫隆信とか、民部卿範光《みんぶきょうのりみつ》、兵部卿基経《ひょうぶきょうもとつね》などという人々は、日ごろから、法然に帰依している人たちであるしまた政治的にも、 「言論の上ならばともかく、ただ新しい宗教を排斥するための強訴《ごうそ》や誹謗《ひぼう》は、これを御政治にとりあげて、軽率に、主権の御発動を仰ぐべきでない」という意見を持って、廟議にのぞんでいた。  もちろん、ここにも、叡山に加担する公卿《くげ》や、南都の云い分や、明慧《みょうえ》上人の学説に共鳴する者は少なくないので、二つの思潮は、二つの政治的な分野にもわかれ、いつも、激論に終ってしまった。  こうして、廟議の方針が、にわかに一決しないのを見ると叡山は、 (念仏方の公卿たちの策謀を、まず先に打ち懲《こら》せ)と、いつもの手段に出て、近いうちに、日吉《ひえ》、山王の神輿《みこし》をかついで一山三千が示威運動に出るらしいという警報が都へ入ってきた。  山門の強訴《ごうそ》といえば、いつも血を見るか、または、なにか社会的な大事件の口火になるのが例であった。 「すわ」と、堂上にも、そのうわさに、脅《おびや》かされる色があった。  しかし、念仏支持の公卿は、 「叡山の態度こそ、怪《け》しからぬものである。吉水の法然と、それとを比較すれば、いずれが、仏者として正しいか、瞭《あきら》かではないか」と、かえって硬化して、廟議《びょうぎ》は、いっそう激越になり、二派の対抗は、政治から感情へまで尖《とが》り合ってきた。  こういう険悪な成行きをながめて―― 「困ったものだ」誰よりも、ひそかに、胸を傷めていたのは、前《さき》の関白|月輪禅閤《つきのわぜんこう》であった。  彼は今はもう、まったく、政界からも、廟堂《びょうどう》の権勢からも、身を退《ひ》いて、ただ法然門下の一|帰依者《きえしゃ》として、しずかに余生を送っている人であったが、現在、自分の息女の一人は、善信の妻として嫁いでいるし、弟の慈円僧正は、叡山の座主であったが、その座主にもいたたまれないで下山しているのだ。 「なんとか、和解の途《みち》はないものだろうか」禅閤は、自分の力で、この大きな対立の調停ができるものなら、どんな骨を折ってもよい、老い先のない身を終っても忌《いと》わないと考えていた。  で――高雄の明慧上人へ、ぜひ一度、個人的に会って談合したいが――と使いをもって申し送ると、明慧からも、承諾の旨をいってきた。 「かの上人ならば」と、禅閤は、一縷《いちる》の望みを抱いて、今の大きな危機を、自分の信念と誠意をもって、未然に、打開できれば、それはただ吉水の門派や一箇の法然の幸いであるばかりでなく、社会不安の一掃であり、また、一般の法燈のためにもよろこぶことだと信じていた。  ところが――意外な大事件が、誰も考えていないところから突発した。――まったく、吉水でも、その法敵でも、夢想もしていなかった社会の裏面から、それは燃えひろがった魔火《まび》であった。 [#改ページ] [#1字下げ][#大見出し]悪人篇[#大見出し終わり] [#3字下げ][#中見出し]松虫《まつむし》と鈴虫《すずむし》[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  暦《こよみ》の上ではもう秋といわねばならぬが、気象は夏型のままだった。久しく雨を忘れているような空に、きょうもうごかぬ雲を見せ、宇宙は大きな倦怠状《けんたいじょう》そのものだった。  この倦怠と無変化を、残暑とよんで、人の生態も、ふしだらや無気力が自然とされ、東山の高さから洛内《らくない》をながめても、炎天のうちは、大路《おおじ》大橋《おおはし》を往く人影もなく、乾《かわ》きぬいた町家の屋根は反《そ》りかえり、加茂川の水は涸《か》れほそって、堤《どて》の柳も埃《ほこり》に白くうなだれた列としか見えない。  月見も近い八月の中旬《なかば》というのに今年はこれである。――変化が欲しい。何がな、変化を求めてやまないような意欲が、息ぐるしげな木々の葉にも、道《みち》の辺《べ》に這う露草の花の頸《うなじ》にさえあった。 「なんという暑さでしょう」 「山を歩くと、汗が出て」 「ま……せっかくのお美しい化粧《けしょう》が、だいなしに汚れましたこと」 「あなたも」 「ホホホ。――でも、御所の局《つぼね》のうちに、じっと装束《しょうぞく》を着て、かしこまっているよりは」 「それはもう、較《くら》べものにならないほど、きょうは楽しゅうございました」 「この大空を、伸々《のびのび》と、見ているだけでも――」  東山のあちこちを、そぞろ歩きしている二人の若い女性《にょしょう》があった。  籠《かご》から放たれた小鳥のように、この女性たちは、他愛なく、嘻々《きき》としていた。清水《きよみず》へも行った、祇園《ぎおん》へも詣《もう》でた。――そして今、黒谷《くろだに》のほうへ降りてきたのである。 「松虫様」と一人は、一人のほうを呼んでいたし、松虫は、連れの者を、 「鈴虫さま」と呼んでいた。  どっちも、似たような身装《みなり》をしているが、面《おも》ざしは、違っていた。松虫は、すこし年上で、十九ぐらいと見えるし、鈴虫は、十七歳ほどに見える。  すらりと、上背丈《うわぜい》があって、面長《おもなが》のほうが、その年上の松虫だった。愛くるしい――何かにつけて、表情に富んでいて、深い笑《え》くぼが、絶えず明るい顔にただよっている――どっちかといえば、時世的な容貌を鈴虫のほうは持っていた。 「あら」と、その鈴虫が、とある門前へ来て、かるくさけんだ。 「松虫さま、どうしたんでしょう、牛車《くるま》が見えません」 「ま。――ほんとに」 「あの、暢気者《のんきもの》の牛飼は、いったい、どこへ行ってしまったんでしょう」 「すこし耳が遠いようですから、私たちが、ここへ来て待つようにといったことばを、聞き違えて、飛んでもない所へ行って、悠々と、昼寝でもして、待っているのじゃないでしょうか」 「そうかもしれない」ちょっと、麗《うる》わしい眉をひそめて―― 「どうなさいます」 「歩きましょう」 「まだ疲れません?」 「ええ、ちっとも」二人はまた、木蔭の日陰をたどって、歩きだした。  町家の娘ではなかった。といって、武家の息女とも見えない。――どこかに、絶えずこの明るい外気《がいき》を楽しんだり、往来のさまや、空の青さを、心から珍しがっている様子から見るに、よほど、ふだんは外に出ない境遇にある人だということはわかる。  町の女のように賤《いや》しくなくて、そういう生活にある者といえば、さしずめ、このふたりは、御所の裡《うち》に仕えている女官にちがいあるまい。――松虫といい、鈴虫という名も、局名《つぼねな》とすれば、うなずける。 「――鈴虫様、これからどこへ行きますか」 「さ? ……どこでも」 「御所へ帰るのは、まだ早いし……」と、焦《こ》げるような空の陽《ひ》を仰いで、 「なんだか、少しの刻《とき》でも、惜《お》しい気がしますものね」 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり] 「せっかく、きょう一日、お暇《いとま》をいただいたのですから、日いっぱい、歩けるだけ、歩いてみようではありませんか」年下の鈴虫は、そういって、羅《うすもの》の被衣《かずき》に、埃《ほこり》まじりの風をなぶらせながら、子供っぽく、走ってみたり、道《みち》ばたの清水を、手で掬《すく》ってみたり、 「おお冷たい!」そして―― 「飲めないかしら?」と、愛くるしい首をかしげて、友を見た。 「ホホホホ。誰も見ていないから、どんなことして飲んでも、笑う人はありませんよ」松虫がいうと、 「じゃあ」と、鈴虫は、手でそれを掬《すく》って、唇から顔を、雫《しずく》で濡らし、その顔を、被衣の端《はし》で拭いた。  そんなことが、二人には、わけもなく楽しかった。御所の日常が――禁裡《きんり》の後宮《こうきゅう》生活というものが――まったく儀式化され、粉飾化《ふんしょくか》され、そこに生きるものは、ただ、美しくて作法のよい人形のようでしかなかったので、二人は、野の土へ、解放された羊のような欣《よろこ》びを、感じるのだった。 「……おや、松虫さま、嘘ばかりおっしゃって」 「どうして」 「誰も通らないといったくせに、あんなに、ぞろぞろと、どこかへ人が行くではありませんか」 「この辻へ来てからでしょう。ごらん遊ばせ、みな同じ横から曲がってくる」 「どこへ行く人達でしょう」 「鹿《しし》ヶ|谷《たに》の方」 「何があるのかしら?」 「問うてみましょう」二人は、樹蔭に陽をよけて、佇《たたず》みながら、往来をながめていた。  奴袴《ぬばかま》をはいた男たちや、烏帽子《えぼし》を汗によごしてゆく町の者や、子どもや、老人や、髪をつかねた女や――中には太刀を厳《おごそ》かに横たえた武士とか、良家の女房らしい姿も、まじってみえた。  如意《にょい》ヶ|岳《たけ》のふもとの方へ近づいてゆくにつれて、並木から、細い小路《こうじ》から、辻へ出るごとに、その人数は増していた。そして、蟻《あり》のように、同じ方角の道へ、つづいて行くのだった。 「もし」と、松虫が、これも汗ばんで行く一人の女へ、そっと訊ねてみた。 「――あの、今日は、皆さまの行く方に、何かあるのでございますか」女は、髪の生《は》え際《ぎわ》の汗を、袂《たもと》で拭いて、松虫と鈴虫のすがたを、じっと見ていた。 「――あなた方は、御所のお方でございますね」 「え」と、松虫は、なんだか、生々とした生活力の中にある同性の眼にながめられるのが、肩身のせまいように覚えて、小さい声で答えた。 「……じゃあ、ご存じないのも無理はない。きょうは、鹿《しし》ヶ|谷《たに》へ、わざわざ吉水《よしみず》のお上人《しょうにん》様が出向いて、私たちのために、有難いお勤めをして下さるのです」 「あ……吉水の」 「ご存じですか」 「御所のうちでも、おうわさはよく聞いておりますが」 「それで、こうしてみんな、鹿ヶ谷へ行くのですよ」遅れては――と心の急《せ》くらしい足つきで、女は、そういうともうふたりの先を歩いていた。 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり]  なるほど――そう知ってから、道をゆく人々の口から洩れる言葉に耳をとめていると、 「えらい人出じゃの」 「何せい、お上人様のおすがたは、この春から、初めて拝むのじゃ、冬ごろから、久しく、お病気であったからの」 「もう、すっかり、お健康《すこや》かになったかの」 「さ……お年がお年じゃで、すっかりとはゆくまいが」 「衆生《しゅじょう》のためには、わが身もない、病気もいとわぬと、こういう意気の法然《ほうねん》様じゃによって、押して、お出ましになるのじゃろう」 「この暑さに――」 「もったいないことよ」 「でもきょうの専修念仏に、このように、多くの人が、お上人様の徳を慕うて集まるのを御覧《ごろう》じたら、さだめし、ご本望じゃあるまいか」 「そねむのは、叡山《えいざん》の衆や、南都の坊さまたちじゃ」 「これ……。うかつなことをいいなさんな、法師のすがたも見える」 「何といおうが、わしらは、念仏宗じゃ、念仏宗に変ってから、この身も心も、軽うなった気がする――」 「わしなどは、女房が先で、女房に説かれて、初めて、吉水のお話を聞き初めたのじゃが、今となってみると、もし、吉水のお上人様の声というものが、この身の耳に触れなかったら、相変わらず、ばくちはする、酒は飲む、稼業《かぎょう》は打ッちゃらかし、どうなるものかと、太く短く、女房子を不幸にして暮していたかも知れんのじゃ」そういう人々があるかと思うと――また、 「きょうの別時《べつじ》念仏には、住蓮様《じゅうれん》や、安楽房様も、何か、お話をするのでしょうか」 「え、あのお二方は、いつも、鹿《しし》ヶ|谷《たに》にいらっしゃるのですから、きっと、きょうもお見えになりましょう」 「私は、安楽房様のお話を聞いていると、何かしら、嬰児《あかご》のように、心がやわらいで、それから幾日かは、心が清々《すがすが》となります」 「幾日だけではいけないではございませんか」 「でもまだ、念仏に入りまして、日が浅いのですから為方《しかた》がありません」などと、歓びを語り合ってゆく若い女たちの群れもあった。  松虫は、そういう人たちの輝いている顔を見ると、 (――羨《うらや》ましい)と、心から思った。  御所へ帰る時刻ばかり気にして、陽脚《ひあし》の短さを、生命《いのち》のちぢむように惧《おそ》れている自分たちに較べて―― (みんな生々《いきいき》している)と思うのであった。 (あの人たちの張りきった生活と、御所の奥のほの暗い壁絵のような動きのない自分たちの日常と――)  こう比較して、考えずにいられなかった。  ふたりは、若かった。うずうずと、今日はその若い血や、夢や、さまざまな青春が、日常のいましめから解かれて、皮膚の外へ出ていた。 「鈴虫さま。行ってみましょうか」 「ええ」二人は、往来をながれてゆく白い埃《ほこり》と、群集の足について、うかうかと歩いていた。  鹿ヶ谷のふもとに来ると、そこは、夏木立と涼しい蝉時雨《せみしぐれ》につつまれていたが、人の数は、一《ひと》すじの山路に、錐《きり》を立てる隙もないほどだった。 [#3字下げ][#中見出し]空蝉《うつせみ》[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  鹿《しし》ヶ|谷《たに》――ここの夏草を踏み、夏木立の梢《こずえ》を仰ぐと、都の人は、すぐ治承《じしょう》のむかし――もう二十幾年か前になったころの悲痛な社会事件を、思い出さずにはいられなかった。  この峰の中腹には、その当時、住蓮山《じゅうれんざん》安楽寺といって――以前は法勝寺《ほっしょうじ》ともいった一院があって、そこを山荘として住んでいたのが、例の、俊寛僧都《しゅんかんそうず》であったのだ。  平家一族のあの当時の栄華というものは、いまだに、語り草になっているように、 [#ここから2字下げ] ――この世をば わが世とぞ思うもち月の   かけたるくまも無しと思えば [#ここで字下げ終わり]  と歌った藤原道長の世盛りもおろかなほどであった。  俊寛《しゅんかん》は、多感な人だった。  平家の横暴なふるまいを、この人は、あたりまえだと見ていられなかった。  新大納言|成親《なりちか》とか、平判官康頼《へいほうがんやすより》とかいう反動分子を語らって、法皇を擁《よう》し奉り、幾たびも、この山荘に集まって、 (平家を討たん)という策謀をめぐらしたものである。不幸にも、それは、まだ旭《あさひ》のような勢いにあった平氏の者に、事を挙げるまえに嗅《か》ぎつけられる所となって、この山荘に出入りしていた者のほとんど全部が、極罪に処せられたり、遠流《おんる》になった。  俊寛もまた、縛《ばく》をうけて、洛内《らくない》を引きまわされ、あらゆる恥《はず》かしめと、平氏の者の唾《つば》を浴びせられて、鬼界ヶ島へ流されてしまった――  以来。  この忌《いま》わしい歴史のある山には、住む者がなかった。  二十余年のあいだ、雨や風に、法勝寺の山荘も荒るるにまかせてあり、その当時の司権者であった平氏の一族が亡んでもまだ、ここには、一穂《いっすい》の法燈も点《つ》かずにあった。  それがふと、数年前から、この鹿《しし》ヶ|谷《たに》にも、人の足が通い初めて、都の人が、 (おや?)と、不審《いぶか》るほど、いつの間にか、夜になっても、真っ暗な洛東の空に、ポチと灯《あか》りが見えるようになっていた。 (――誰だろう?)と、当然、うわさにのぼった。  閑人《ひまじん》が、詮索《せんさく》してみると、近ごろ、二人の若僧《にゃくそう》がそこに住んでいるのだと知れた。  荒れ果てた法勝寺の床《ゆか》をつくろい、屋根の茅《かや》を葺《ふ》いて、そのわきに、べつに粗末な一庵を建てて、やがて、朝夕《ちょうせき》の勤行《ごんぎょう》の鐘も聞えだした。 (若いのに、奇特な)と、供物《くもつ》を贈る者や、花や御灯《みあかし》を捧げてゆく者もふえ、日と共に、法勝寺の宝前は二十余年の元のすがたに返って、 (鹿ヶ谷の住蓮様) (お若い安楽房様)といえば、もう誰も知らない者はないようになっていた。  その奇特な――若い僧という者の素姓を洗ってみると、二人とも、以前は北面の侍《さむらい》で、一人は前身を清原次郎左衛門といい、もう一人は、安部次郎盛久《あべのじろうもりひさ》と名乗っていた者であるという。  そして、何かの機縁で、この二人は、法然《ほうねん》上人の新教義にふかく帰依《きえ》して、その門に入ると共に、太刀をすてて、一|沙門《しゃもん》になり、同時に、 「この教えのためには」と、身をも打ち捨てるほどな熱心さをもって、その布教に当ってきたのであった。そして鹿ヶ谷の廃寺を興したのも、この社会に、一燈でも多く念仏の火をかかげたいと願う二人の真摯《しんし》な若者の情熱から出た仕事にほかならないのであった。 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり]  布教の前線に立つ人々は、いつも、実社会や反対派の法敵に素面で触れているだけに、 「叡山《えいざん》が何だ」 「奈良、高雄、みな旧教の蒙《もう》をかぶって、象牙《ぞうげ》の塔に籠っている過去の人間どもばかりではないか」  住蓮も、安楽も、気がつよかった。迫害があればあるほど、むしろ、強くなり得るのだった。  従って、民衆は、飽くまで対象としているが、旧教の反対などは、てんで眼中にないといっていい。 「社会は、うごいているのだ。百年でも、千年でも、黙っていれば、どこまでも眠っている人間どもに、この生きている実社会に、何の発言権があるか」と、一方がいえば、 「そうだとも、おれたちこそ、今の民衆の唯一な希望の対象にあるのだ。あんなものは、無視して、俺たちはただ、新しい民衆の希望の地を開拓してゆけばいい」と一方も、眉《まゆ》を昂《あ》げた。  そういう気概の二人だった。それに寄ってくる民衆が、彼らの行《ぎょう》と智に心服して、慕えば慕うほど若い開拓者は、 「この事実を見ろ」という気持で、精進《しょうじん》に励んだ。――民衆のよろこびを自己のよろこびとして、まったく、こここそ、浄土そのもののように、社会人の実生活と、仏弟子《ぶつでし》の法業とが、渾然《こんぜん》と、一つものになって、一韻《いちいん》の鐘《かね》の音《ね》にも、人間のよろこびが満ちあふれているように洛内の上を流れていた。 「――下から見たよりは、思いのほか高い」  松虫は、ほの紅くなった顔に、白珠《しらたま》のような汗をながして、道の笹《ささ》の根につかまった。 「でも、これくらい」と鈴虫は、喘《あえ》ぎながら、強いことをいって、自分でも、おかしくなったとみえ、 「ホホホホ」  被衣《かずき》で、汗をふいた。  後から登ってくる者が、どんどん先へ追い越してゆく。  そのたびに、ふたりは、自分たちの足の弱さや、日蔭と同じような後宮生活の不自然さを、自身の皮膚や心臓に省《かえり》みて、 (毎日、こんな山や、空や、自由な風のふく所で汗をながして働いていたら、どんなにいいだろう、生きがいのあることだろう)と、思うのであった。 「あれ、鐘が鳴っています。――松虫さま」 「ほんに。……もう別時念仏の法筵《ほうえん》が始まったのでしょう」 「行きましょう」汗の歓びだった。足のつかれも欣びだった。  ふだん絹につつまれて、帳《とばり》の奥に、弱々しい生活をしている皮膚が、たまたま、ほんとの生活力を起して爽快《そうかい》な山の風に触れたのである。自然の大気に吹かれたのである。――ふたりは、鹿ヶ谷へゆく道が、どれほど高くても、難路であっても、苦痛などということはまるで考えないような様子であった。 「オオ……」法勝寺の前へゆくと、もうそこは、いっぱいの人であった。堂の上も、堂の下も、また廻廊の隅まで。すると、鈴虫が、 「おや、あそこに――」と誰のすがたを見つけたのか、松虫へ顔をよせて、微笑《ほほえ》みながら指さした。 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり] 「ね……あの御堂《みどう》の端に。……来ているでしょう」 「どなたが」 「坊門の局《つぼね》が」 「あ……ほんとに」 「局《つぼね》のわきに、まだ三、四人ほど局の女房たちがいるようです」 「え……」 「あの方たちは、いつでも、ここへ来ていると見えますね。御僧たちと、何か、親しそうに話していますもの」二人が、外にたたずんで、こう囁《ささや》き合っていると、やがて、御堂のうちの群集は、だんだん席をつめ合って、そのうちから親切な者が、 「さ、外に立っているお人は、順々に、お入りなさい。――坐れますよ」鈴虫は、松虫の顔を見て、 「どうします?」 「上がってみましょうか」 「え、え」二人は、大勢の人いきれに、何かしら含羞《はにか》みと、恐《こわ》さを抱《いだ》きながら、そっと、隅の柱の下《もと》へ、坐っていた。まばゆそうに正面を見る――  そこには、戸外《おもて》の大地を焦《や》いている大夏《たいか》の太陽にも劣りのない旺《さかん》な仏灯《みあかし》が赫々《かっかく》と燃えていた。  ふたりは、内陣や宝前の整いには、何も驚きを感じなかったが、その灯の色と、ここにぎっしり詰め合っている庶民たちの熱心な眼に驚いた。 (こんなにも、世間の人は、法然上人の話を聞きたがっているのかしら?)と、ふしぎな疑いさえ抱いていた。  そして、軽い気まぐれに、遊山《ゆさん》の足のついでに、こうして、紛《まぎ》れこんでいるような自分たちが、悪いような、済まないような、気咎《きとが》めを、ひそかに感じた。 「ああ、涼しい」ふと、鈴虫がつぶやいたので、松虫も、そういえば自分の肌の汗もいつかひいて――と気がついた。 (何という涼しさでしょう)しみじみと、眼を細めて、彼女もそうつぶやいた。  濤《なみ》の音に似ている樹々の風が、ここへはいっぱいに吹きこんでくる。松の青々としたにおいが鼻にも感じられる。そして、宝前にゆらぐ星のような無数の灯のまたたきまでが、すずしげに見える。  十名ほどの僧が出て、背をならべて、誦経《ずきょう》していた。磬《けい》の音《ね》が、谷までひびいて行った。そして、谷間からも、経《きょう》の声と、磬の音が、谺《こだま》になって返ってきた。  ――いつとはなく。  ――また、誰からともなく。  念仏の唱和が起っている。  な、む、あ、み、だ、ぶつ。――と六音のうちに、何百何千の人間のたましいが一声ごとに洗われてゆくように、そして、無碍《むげ》、無我――から無心にまで澄んでゆくように、樹波《きなみ》の声のうちに、くりかえされているのだった。 「…………」鈴虫は、ぽかんとしていた。  そして、松虫の顔をそっとのぞいて、 (帰りましょうか)というような眼を向けたが、松虫が、どこかを、じっと、見つめているので、こらえているかっこうだった。 (念仏宗というものは、こういうものか?)  と、松虫のほうは、ちょっと、好奇に囚《とら》われて、初めのうちは、それを傍観者のように見ていたのであるが、気がつくと、自分のすぐ側にいる若い女房も、老婆も、また、町の男たちも、等しく、胸に掌《て》をあわせて、一念に称名《しょうみょう》しているので、自分だけが、この広い御堂のうちで、空虚を作っているように思われて、何だか、取り残されたような心地であった。 [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり] 「……ね、松虫様」 「え?」 「つまらない。帰りましょう」 「でも、せっかく来たのに」その席を立ちたくもあるし、立ちたくない気持もする。 「法然《ほうねん》様のお話だけでも聞いて行こうではありませんか」 「そうね……」気のすすまない顔つきで、鈴虫は、それだけを、待っていた。 (早くやめないかしら)と思っている念仏の唱和は、それからも、足のしびれるほど永くつづいた。初めのうちは、彼女たちは、軽い悔いばかり考えて、 (来なければよかった)と思っていたが、そのうちに、前の人も、後ろの人も、また隣の者も、およそこの御堂にいる人々のすべてが、ほとんど一つ人格になりきって、なむあみだぶつの称《とな》えをくりかえしているので、鈴虫もいつの間にか、 (な、む、あ、み、だ、ぶつ)そう口のうちで、少し、きまりの悪いような怯《ひる》みを抱きながらつぶやいていると、松虫も、それを真似《まね》て、 「な、む、あ、み……」と、いいかけて、俯向《うつむ》いて、ちょっと笑った。  ――でも、たとえ、戯《たわむ》れにでも――何か口につぶやいていないと、まわりの人々に対して、異分子のように自分たちの存在が感じられるので、 (笑ってはだめ)と、叱りあうような眼をそっと交わしながら―― 「南《な》、無《む》、阿《あ》、弥《み》、陀《だ》、仏《ぶつ》」 「南、無、阿、弥、陀、仏……」と、となえていた。  初めは、何となく、舌にもつれて、不自然にしか出なかった称名が、いつのまにか、鈴虫も松虫も、自然にくりかえされていた。  そればかりではない――ふッと、水《みず》の面《も》に、月の影が浮かび出たように、ふたりのすこし澄んできた胸のうちに、自分でも知らなかった自分のたましいが、うっすら、感じられてきた。  念仏は、彼女たちの唇がいっているのではなかった。――初めのうちは、その唇だけのものだったが、いつのまにか、唇の声は失《う》せて、その胸の奥所《おくか》にあるたましいが、称《とな》えているのだった。  正しい人間のすがた。――今の自分のすがたが、それに近いものになっていることを、松虫も鈴虫も、うすうす感じてきた。 (自分にも、こんな素直な自分があったのかしら?)と、自分を見直すほどに。  理窟や小智恵は、その間、働かなかった。わけもなく人間らしいよろこびと強さが体にわいてくる。  まわりの人々が、われなく、他人《ひと》なく、称名しているすがたを、初めは、おかしく見ていたが、その安心しぬいている生命の光が、次には、尊く見えてきた。 「――お上人様が」 「お上人様のおはなしじゃ」  あたりの者が、もう、念仏をやめて、正面に身のびをしながら、こう少し騒《ざわ》めき合っても、松虫は、まだ掌《て》を胸につけて、俯向《うつむ》いたまま、称名していた。 「松虫さま。御法話です」鈴虫にそっと注意されて、彼女は初めて、気がついたらしく、顔を上げたが、その睫毛《まつげ》には、涙のようなものが光っていた。 [#3字下げ][#中見出し]あの灯《ひ》・この灯《ひ》[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  もう暑い夏の陽ざしは、山ふところの樹々にうすずいていた。  蝉《せみ》の音は、ひぐらしの啼く声にかわっていた。  ひろい御堂の内は、いっぱいの人間《ひと》のすがたで暗かった――が、それほどな人がいようとも見えないほど、静かであった。  壇に坐して、法然《ほうねん》上人は、先刻からおよそ一刻半《いっときはん》も法話をつづけている――。その声だけが、しいんとしている衆生のうえに、強く、低く、流るるように、また、訥々《とつとつ》として、際限のない底力をもって迫っているのが聞こえているだけであった。 (お弱そうだ、近ごろは――) (あのお体で、よく、あんな声がな――)と、人々は、話のとぎれるごとに、ほっと息をつきながら、法然のすがたを見入るのであった。  もう彼は七十四歳であった。  誰にも気づくほど、近ごろは、痩せが見えているが、ただ、あの茶いろをした眸《ひとみ》だけが、烱々《けいけい》として、相変わらず光っている。そのうえに、繭《まゆ》を植えたような白雪の眉がある。  身には、麻のうす茶の袈裟《けさ》をかけておられた。――初め、そこに坐って、 「きょうは、出家|功徳経《くどくきょう》の一部を話しましょう」と、くだけた優しいことばで話にかかり出した時、左右から、二人の弟子が、大きな団扇《うちわ》をもって、師の袂《たもと》をあおぎかけたが、 「いらぬ……」軽く首を振られたので、 「は」と、恐縮して退《さ》がった。  それから、清水で巾《きん》をしぼって、そっと、側へすすめたり、煎《い》り麦《むぎ》のさまし湯を上げたりしたが、長話のうち、一度も手にしなかった。  聴く人々の眼が、貪《むさぼ》るように熱心なので、上人も、自分の体力とか、健康とかを、まったく忘れてしまっているらしいのである。弟子たちは、蔭で、 (ご無理ではないか)はらはらしていたが、止めようもないのであった。  出家功徳経のはなしは今、釈尊《しゃくそん》が、毘舎離国《びしゃりこく》に入って、弟子の阿難《あなん》と共に、その国の王子の生活ぶりをながめて、嘆いている――という例話に入っていた。 「ちょうど、食事の時刻でした。毘舎離国の城へ参って、仏《ぶつ》は、食を乞われました。城中には、一王子があって、名を勇軍《ゆうぐん》と呼ぶ者です。  ――仏が来たと。あの有名な釈迦《しゃか》が来たのか。  勇軍は、仏に食を乞われたのは、わが家の誇りだと思ったのでしょう。こういうと、みずから出迎えて、  ――どうぞ。と、豪奢《ごうしゃ》をこらした城内の一室へ迎え入れたのです。多くの、後宮の女には、粉黛《ふんたい》をさせ、珠をかざらせ、楽《がく》を奏《そう》し、盤《ばん》には、山海の珍味を盛って。  仏は、たのしまない顔つきでした。食物も多くは摂《と》りません。さらに、夜に入ると、王子|勇軍《ゆうぐん》は、不夜の楼殿に百|石《こく》の油を燈《とも》して、歓楽、暁を知らないありさまです。  彼と、彼をめぐる後宮の女性《にょしょう》たちの生活をながめて、仏は、翌日、弟子の阿難《あなん》を招いて、こう告げたのであります」 「…………」松虫と鈴虫の二人は、自分のことでも話されているように、じっと、上人のほうへ眸を向けていた。  もちろん、上人の眸は、彼女たちがそこにあるとも無いとも知ろうはずはない。――ただここに集まっている衆生《しゅじょう》とひろい実社会の現状だけが、彼の対象であった。 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり]  やさしい、わかりよい、そして自分たちの生活に近い話なので、松虫と鈴虫の二人だけに限らず聴法の人々は、聞き入っていた。 「――阿難に向って仏《ぶつ》は、  阿難、おまえは、この城の人間たちをどう見るか。  こう問われたことでした。  ――浅ましいと思います。  阿難の答えに、仏《ぶつ》はまだ、不満であったのでしょうか。こう仰せられたのです。 [#ここから2字下げ] ワレ知ル、五慾ノ楽シミヲ貪《ムサボ》ルモノハ、必ズ、久シカラズシテ命《メイ》終ルコトヲ。 コノ人(王子勇軍)日夜閣上ニ後宮ノ美嬪《ビヒン》ヲ擁《ヨウ》シ、色慾ニ耽湎《タンメン》スルコト極《キワマ》リナシ。 ワレ云ウ。 コノ人必ズ七日ノ後、マサニ是《カク》ノ如キ快楽《ケラク》ト眷族《ケンゾク》ヲステ、決定《ケツジョウ》必ズ死ニイタルベシ。 [#ここで字下げ終わり]  こう予言されたのです。そして、 [#2字下げ]阿難ヨ、カクノ如キ人モシ慾惑《ヨクワク》ヲステズ、マタ出家セズンバ、必ズ地獄ニ堕《ダ》セン。  阿難は、仏のおことばを聞くと、これは彼を救わなければならないと、その利益《りやく》を胸にもって、ふたたび王子のもとへ訪れました。  王子は、彼がまたもどってきたのを見ると、 [#ここから2字下げ] 好友来ル ワレニ仏ノ教エヲ説ケ。 [#ここで字下げ終わり]  しかし、阿難は、ここに彼へ大利益《だいりやく》を与えたいと思うので、黙したまま、何事も答えない。王子は再三、阿難に向って説法をせがみましたが、阿難が、なお唖《おし》のごとく口をむすんでいるので、ついには、悄然《しょうぜん》として、 [#2字下げ]大仙、仏法蔵ヲ持《ジ》シテ一切|衆生《シュジョウ》ヲ利益《リヤク》ス。何ノ怨恨カアッテ、独リワレノミニ法ヲ説カザル。  すると、阿難は初めて口をひらいて、さて、惨然《さんぜん》と告げるには、 [#ここから2字下げ] 汝ヨク聴ケ 七日ノ後、汝マサニ死スベシ。 [#ここで字下げ終わり]  仏のおことばを、そのまま告げて去ったのでした。王子は、わらいました。次には、何か、怏々《おうおう》として楽しまない気持になってきたのです。――けれど、そうかといって、仏所をたたいて教えを乞う気にもなれない。悶々《もんもん》、七日目の日は来ました。 [#ここから2字下げ] 仏ヨ。ワレヲ助ケテ。 [#ここで字下げ終わり]  王子は、仏の膝へ走ってきて号泣しました。仏は、一日一夜、これに説き、これに教え、浄戒《じょうかい》をさずけたのです。――果たして、王子勇軍の醜い骸《むくろ》は七日めに死んだのであります。そして、新しく生れたものは、仏、阿難《あなん》と共に、この世の、真の光に浴することのできる身をもった、素直な一箇の生命であったのでござる……」こう例話をむすんで、法然は、 「さて――」と、話を、現在の実社会の世相へもってゆくのであった。  今の民衆のうちにも、こういう可惜《あたら》、空《むな》しい人生に蝕《むしば》まれている人はないだろうか。  いや――他人《ひと》を見ずにまず自己《おのれ》を見よう。  ひさしい戦乱も、いつのまにか、遠い過去になり、平氏が興り、平氏が亡び、人は、人生の無常を感じると共に、刹那的な快楽《けらく》を趁《お》い、そして虚無観にとらわれ、その風潮は、今日の民力を、どんなに弱めているか知れない。  これは、国家の病《やまい》となるのみでなく、個々の人間のかなしい相《すがた》だ。人間とは、そんなあさましいはかない夢を短くみて、それで人間として完全な「生れてきた欣《よろこ》び――」を尽したものといえようか。同時に、生れてきた使命を、勤めを、生きがいを、果たしたものといえるだろうか。 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり]  快楽《けらく》、娯楽、きりのない人間の慾心。  わけて色慾や虚栄や、そういうものが、人間にとって、どんなに、人間の真実と、生命の充実を蝕《むしば》むか。  そして、くだらないか。  また、はかない刹那刹那か。  法然は、若人のように、頬に紅潮をもって、出家功徳経のうえから、切々と、話すのだった。  無慮|二刻《ふたとき》に余る時間を――大なり小なり、快楽、五慾をもたない人間はない。また、その五慾の度を、みずからほどよく――生命の薬ぐらいに――生活に入れている人はすくない。聞き入っていた人々が、 「ああ」ほっと、自責から顔をあげてみると、もう、御堂のうちは、まったく暗くなって、上人のすがたは綿のようにつかれたらしく、弟子たちに、抱えられて休息の間《ま》へ入っていた。  鐘、磬《けい》の音――そして、明々《あかあか》と、つぎ直された灯《あか》しに、蓮華が、ひらひらと、撒《ま》かれていた。  そろそろと、御堂のうちは、空席がひろがって行く。そこらにいた人々が、帰ってゆくのである。人の起った後には、青い夕空のいろがほのかにながれていた。 「…………」ひぐらしの啼く音が、雨のようであった。松虫と鈴虫の二人は、起つのをわすれていた。 「…………」ふたりとも、先刻から、じっと、うつ向いたまま、にわかに抱《いだ》き切れないような大きなものを、その胸にかかえて、さんぜんと、涙ばかりが先に流れてしまう。 (人にこの顔を見られては――)そう思うので、顔も上げ得なかったし、また、いつまでも、ここを去りたくない気がした。  大きな衝動をうけたのである。法然の一語一語が、肺腑《はいふ》をつきさすようだった。――さながら、きょうの仏陀《ぶっだ》と阿難とそして王子との話は、自分たちの住んでいる城――いやあの御所のうちに似ている。 [#2字下げ]快楽《ケラク》、虚栄、又アラユル欲望ニ惑溺《ワクデキ》シテサメザルモノハ、必ズ、命《メイ》七日ニ終ラン――  ほんとうに仏陀はそう仰っしゃったのかしら? ――いやあの上人のことばではない、それは経にあることだ、仏陀の声そのものなのだ。 (仏陀の声を――)松虫は、何か、飛び上がりたいような歓喜をおぼえた。何千年のむかしの聖者《ひじり》の声を、今まざまざとこの耳で聞くことのできた機縁に、感謝の涙があふれてきた。 (何という自分だったろう)この鹿《しし》ヶ|谷《たに》へ登ってくる前の、自分と――ここへ坐った後の自分とをくらべて見て、そう思った。  ――と急に、御所のあの生活へもどるのが嫌になった。たそがれの灯を見るにつけ、そこにある幾多の醜いものが瞼《まぶた》にういてきて、 (だが、帰らなければならない)と思うと、よけいに足がすすまないのであった。  鈴虫も、同じような気持らしかった。あのよく笑ってばかりいる、はしゃぎやの彼女が、じっと、深い眼をして、階段を下り、自分の穿物《はきもの》をさがし、そして暗い大地へ、黙り合って足を運びだしたのである。  ――すると、廻廊の筵《むしろ》を巻いていた若い僧が、 「お……」と、声をかけた。 [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり] 「松虫様ではありませんか」先では、こういって、馴々《なれなれ》しくほほ笑みかけながら近づいてきたのであったが、 「どなた?」松虫には、思い出せなかった。鈴虫にも考えつかない若僧《にゃくそう》であった。  若僧は、側へ来て、いんぎんに礼儀をして、 「安楽房でございます」といった。  それでもまだふたりが不審な顔をしているので、 「私は今、法友の住蓮《じゅうれん》と二人して、この鹿《しし》ヶ|谷《たに》に住み、今日もかように吉水の師の房を迎えて、幸いに、盛な法筵《ほうえん》を営みましたが、ずっと以前、師の君に随身して、仙洞御所へうかがったことがございます。その折、あなた様にも、鈴虫様にも、お目にかかっておりました」 「お……そう仰っしゃれば」やっと解けたらしく、 「思い出しました」松虫は、何とはなく、羞恥《しゅうち》に顔を染めた。 「住蓮をお紹介《ひきあ》わせしましょう」安楽房は、ちょっと戻って行って、すぐ友の住蓮を伴《つ》れてきた。武士として鍛《きた》えた体に、聡明な知識を持ったこの二人の若くて逞しい男性のすがたは、すぐふたりの気持をつよく囚《とら》えてしまった。  間もなく、ふたりは山を降りていたが、ふたりとも妙に無口になっていた。加茂の岸に立って振向くと、山にはまだポチと二つの灯が残っていた。――住蓮と安楽房の眸《ひとみ》がそこで呼んでいるように。  同時に、松虫も鈴虫も、これから帰って行かなければならない御所の奥の生活と、そこの灯の色を想像してよけいに心が暗くなった。 「もう何刻《なんどき》でしょう、松虫様」 「さあ……」 「すっかり遅くなってしまいました。何と、云い訳をしたらよいでしょうね」鈴虫は、もうその心配に、胸をいためているらしかった。  御所の規律のやかましいことはいうまでもない。まして、後宮は、貞操の檻《おり》である。松虫も、同じように、局《つぼね》の老女や役人の猜疑《さいぎ》な眼や針のような言葉が、帰らぬうちから頭を刺して、さっきから足がすすまないのであった。  ちょっと出るにも、帰るにも、こんな憂いが離れない内裏《だいり》の生活を思うと、彼女たちは、 (なぜ御所へなど上がったのか)と、悔《く》いの嘆息《ためいき》が出るのだった。  町家にいたころは、御所の内裏といえば、どんなに典雅《てんが》で平和で女性《にょしょう》の幸福を集めているところかと、あこがれていたものである。――そして、そこの多くの女性のうちでも最も羨望《せんぼう》される寵妃《ちょうひ》となって、上皇の愛を賜うほどな身になった今日になってみれば、昔の憧憬《あこが》れは、まことに幼稚な少女の夢にすぎなかった。  なるほど、身にだけは、珠をかざり、綾を着て、和歌や絵にある生活のままな姿はしているが、上皇は、御政治のことさえ、今帝《きんてい》におまかせしきれないほど、御気質の烈しいお方であるので、後宮の彼女たちには、口にも出せない気苦労がある。  その上に、寵妃たちを取り巻く、典侍とか、女官たちのあいだには、閥《ばつ》の争いだの、意地わるい嫉視《しっし》だのがあって、日蔭で冷ややかに歪《ひね》くれた眼と眼が、絶えず、行儀作法の正しいなかで、根強い呪《のろ》いと闘いを交わしているのが、ほとんど、明けても暮れてものことなのである。 「ああ……」松虫がこうつぶやくと、鈴虫も俯向《うつむ》いたまま、重い吐息をついて歩いた。 [#3字下げ][#中見出し]有閑宮《ゆうかんきゅう》[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  その年の十一月であった。  仙洞《せんとう》の後鳥羽院は、熊野|詣《もう》でを仰せ出《いだ》されて、紀伊路《きいじ》へ行幸《みゆき》された。  降るか降らないかのような時雨《しぐれ》が道を濡らしていたが、鳳輦《みくるま》が御所を出るころには、冬陽《ふゆび》が射《さ》し、虹の立ちそうな美しい鹿島立ちになった。  洛内は、行幸を拝む人々で、どこもかしこも人の列であった。  若い娘、若い男たちは、 「一日でも、あんな鳳輦に侍《かしず》いてみたら」と、雲上《うんじょう》の生活に、あこがれと諦《あきら》めをもって、自分たち庶民の宿命を、その後でさびしく眺め合った。  上皇が、お留守になると仙洞御所は、大きな空虚《うつろ》を抱いて、 「ああ、これで」ほっとしたり、 「御用なしで、明日《あした》から、何をしたものか」  と、女官たちは四、五日すると退屈と淋しさを持てあました。  投扇興《とうせんきょう》、すごろく、和歌合《うたあわ》せ、といったような遊戯にも、すぐ飽いてしまうし、誰や彼の、垣間見《かいまみ》の男性たちのうわさも、ままにならない身がかえって苦しくなるだけで、恋をするには、盗賊以上の勇気がいる。  それでも、深夜になると、局《つぼね》のどこかに、男性のにおいがするのだった。越えられそうもない高い塀の下に、男の沓《くつ》が落ちている朝もある。  はなはだしいことには、上皇のお留守を見込んでであろうが、どこの公達《きんだち》どもか、四、五人ほど党を組んで来て、局《つぼね》のうちから、眉目《みめ》のよい女官を攫《さら》って逃げ去ったという椿事《ちんじ》まであった。  けれど、不可思議なことには、攫われてゆく女性《にょしょう》のほうが、そういう場合に、決して、悲鳴をあげたり、大声で救いを呼ぼうともしないのである。そして、いつのまにかまた、元の局にもどって、取り澄まして、その怖ろしさをも人に語ろうとはしない。  衛府《えふ》の小者たちは、そんな例を毎晩のように見かけるけれど、これも、大して異《い》ともしない顔つきで、多くは見のがしていることが当り前になっていた。 「鈴虫様……。何を泣いていらっしゃるんですの」独りがさびしくなると、松虫はきっと仲のよい鈴虫の局《つぼね》を訪ねるし、鈴虫が何か思いあまることがあると、松虫の局へ行って、姉のように、何事も打明けていた。 「…………」今、ふとそこを訪ねると、鈴虫がただひとりで、燈火《ともしび》の下に俯伏《うつぶ》しているので、 「また、あの御老女に、何かきびしいことでもいわれたのですか」顔をさし覗《のぞ》くと、 「いいえ」 「そうでしょう、きっと、そうに違いない。ふだんの御寵愛《ごちょうあい》がふかいだけに、こういう折こそと、事ごとに、辛く当たられる私たちです。私も、何度も、唇を噛んでいるのです。わけて、あなたはおとなしいから」 「もう、そんなことなど、忍びもしますが、今日は、余りにひどいことを、皆《みんな》して、つけつけというばかりか、誰やら、戯《ざ》れ和歌《うた》にまで詠《よ》んで人を謗《そし》るので、口惜しくなってしまったのです」 「どうした理《わけ》です、それは」 「わたくしが、花山院の少将様と恋をしているというのではございませんか。誰の悪戯《いたずら》か、私の笄《こうがい》や小扇を、御所の墻《かき》の外へ捨てて、それが証拠だなどといい、少将様の恋文とやらを、御老女がひろったなどと……」 「まあ、人の悪い」 「今もさんざん、皆の前で」 「罵《ののし》られたのですか」 「それなら、云い訳もしますが、ただ針のようにちくちくいっては、私を笑い者にして弄《なぶ》るのです」 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり]  めずらしいことではない、鈴虫が身をわななかせて訴えるようなことは、松虫も幾たびか経験していることなのである。  しかし、鈴虫は、今日のその口惜しさだけを悲しんだり泣いたりするのではなかった。そういう陰険な悪戯《いたずら》や邪視の中に、毎日を暮していなければならない自分の青春を傷《いた》むのであった。 「こんな中に幾年もいるうちには、今に、自分も、あの意地わるな御老女のようなねじけた人間になるんでしょう。そして、自分でもそれを不思議にしないようになるんでしょう。私は、怖ろしいと思います」膝にすがって、そう泣きふるえていう鈴虫のことばは、松虫にも、深刻に考えさせられることだった。  何も、感激のない生活――それだけでも人間は苦しいのに。  この後宮を見まわして、どこに、真実の人間らしい生活が少しでもあるか。飢えや、寒さや、汗を流すことを知らない世界には、また、人情の発露もない、同情の涙もない、物に対する欣びもない。  すべてがカサカサなのだ。有り余るものは、腐《す》えたる脂粉《しふん》のにおいである。絖《ぬめ》や錦《にしき》や綾にくるまれた棘《とげ》である。珠に飾られた嫉視《しっし》や、陥穽《かんせい》である。肉慾ばかり考えたがる彼女らの有閑である。 「もう、泣かないで……」松虫は、そのくせ自分も共に、泣いているのだった。抱《いだ》き合って、 「もう、泣きますまい。泣いたとて、この運命が、どうなりましょう」 「阿難《あなん》を伴《つ》れた釈尊《しゃくそん》が、ふいに、この御所へ来てくれないものでしょうか」 「ほんに、いつか鹿《しし》ヶ|谷《たに》で聴いた法話を思い出しますね」 「ここに、釈尊がお出であそばしたら、何というでしょうか」 「眉をひそめるでしょう」 「印度《インド》の何とかいう王子のお城の中で仰っしゃったように、私たちの生活に面《おもて》を反《そむ》けるに違いありません。……ああどうにかならないでしょうか」 「どうにかとは」 「生きることです」 「でも、生きてだけはいるではありませんか」 「いいえ、これは、人間の生きているすがたではありません。私たちは息をしている空骸《なきがら》です。これも、鹿ヶ谷のご説法でうかがったように、往生《おうじょう》――往《ゆ》きて生《い》きん――という道まで行かなければ、ほんとの生命《いのち》は呼吸《いき》をして参りません」 「あなたは、そんなことを考えますか」 「考えます。――寝てもさめても」 「鈴虫さま」ひしと抱きしめて、その耳へ、松虫は熱い息でささやいた。 「ほんとに」 「え。ほんとに」 「逃げましょうか」 「…………」塗りぼねの妻戸の外に、さらさらと衣《きぬ》ずれの音が通った。後宮の夜を見まわる恐い老女官であろう。二人は、息がとまったように、じっと、眼をすくめていた。 「……誰にも覚《さと》られてはいけませんよ。隙を見て」 「え……」 「だから、泣かないで」ふっと、そこの灯りが消えると、松虫は跫音《あしおと》を忍ばせて、自分の部屋へ帰って眠った。 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり]  上皇が熊野へ行幸《みゆき》のあいだは、御所のお留守の者ばかりなので、参内する公卿《くげ》もなかったし、公用もほとんどなかった。 「かかる折こそ」とばかり、舎人《とねり》たちは、宵の早くから酒を持ち込んでいるし、上達部《かんだちべ》たちは、宴楽に耽《ふ》けっているし、衛府《えふ》の小者などは、御門が閉まると、交《かわ》る交《がわ》る町へ出ては、遊んで帰った。  今も、一人の衛府の者が、酒のにおいを隠して、どこからか戻ってきたが、彼が、衛府の溜《たま》りへ入りかけると行きちがいに、小門の外へ、すうっと出て行った人影がある。 「おや? ……」と、振向いて、彼はそれを見ていたのである。  人影は二人であった。被衣《かずき》をふかくかぶっていた。  ちょうどその夜は二日月の研《と》がれた影が薙刀《なぎなた》のように大樹の梢《こずえ》に懸かっていた。青い月明りに、何か夢の中の人間みたいにその被衣は光っていた。  ――ひらっと、蛾《が》のように、御所の外へ二つの影が消えてから、衛府の男は、独り言につぶやいたのである。 「局《つぼね》の女房たちも、こんな晩は、男が恋しいとみえる。……だが、忍びでもすることか、御門を大びらに恋の通い路にされちゃあ困る。何ぼなんでも、俺たちがお役目として困るじゃないか」  それから、衛府の番小屋に入って、ほかの同役の者たちと笑いさざめいていると、大宿直《おおとのい》の公卿《くげ》から下役の吏員《りいん》が駈けてきて、 「これ、衛府の者」と、外で喚《わめ》く。 「はっ」小舎《こや》を開けると、吏員は、何か狼狽した顔つきで、息を昂《たか》めていうのだった。 「――今し方、誰か、御門の外へ出た者を見なかったか」 「さ? ……誰か、御門を通ったろうか。おれは知らぬが」一人がいうと、 「おれも知らん」 「わしも」恍《と》ぼけた顔を見合せた。 「はてな、小門のほうは」 「小門は、宵のうちは開けておりますが」 「では、誰が外出《そとで》してもわかるまいが」 「そのために、私どもが視《み》ておりますので、出入りに不審があれば咎《とが》めまする」さっき、外から戻ってきた男は、すれちがいに見かけた二人の被衣《かずき》の女房を胸のうちで思い泛《う》かべたが、 (下手《へた》なことを云い出しては)と、口をつぐんで黙っていた。大宿直《おおとのい》の吏員は、 「では、裏門の方かも知れん」つぶやいて駈け去った。 「何じゃろう」――しばらくすると、その騒ぎは、波紋のようにひろがって、衛府や大宿直の室に止まらず、上達部《かんだちべ》や舎人《とねり》たちも、総出になって、仙洞御所のうちの大きな事件となってあらわれた。  いや、それは御所の表方ばかりではない。後宮の局々《つぼねつぼね》でも躁《さわ》ぎ立った。 「松虫のお局がいなくなったそうです」 「いいえ。松虫のお局ばかりでなく、鈴虫様も一緒に見えなくなったんですって」 「えっ、二人とも」 「どうしたのでしょう」 「上達部は、逃げたのだと申しています」 「ま! 大胆な」無事に飽いているここの女性《にょしょう》たちにとっては、自分たちの身に関《かか》わらない限り、それは眼をみはるに足る驚異であり、興味であった。 [#3字下げ][#中見出し]脱走《だっそう》[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  五《いつ》ツ衣《ぎぬ》の裳《すそ》をたかく紐《ひも》でくくり上げて、白い素足を露《あら》わにしていた。  十一月の大地は凍《い》てきっていた。夜霜はその珠のような足を刺す。しかし、ふたりはその痛さも冷たさも覚えないもののようであった。 「あっ……松虫さま」 「どうしました?」 「何か踏んで……」 「え、踏んで?」 「芒《すすき》の根です」 「まあ、血が――」と松虫は、鈴虫の足もとへ身をかがめて、布を裂いた。  自分の肩にすがらせて、彼女は年下の鈴虫の足を布《ぬの》で縛ってやる、布は血ですぐに紅くなった。 「すみません」鈴虫は、涙ぐんで、 「――勿体ない」と何度もいった。 「なんの、お互いです」跛行《びっこ》をひいて歩く鈴虫の腕《かいな》を抱えて、二人は糺《ただす》の森《もり》をいそいだ。  樹蔭《こかげ》に入ると、真暗だった。いつもなら、松明《たいまつ》にかこまれても怖くて通れそうもない道である。それが、少しも意識にならないばかりか、大きな光明が彼方《かなた》に見える気持すらするのである。  友の腕《かいな》を授《たす》けてやったり、凍《い》てた大地に血をこぼして歩くだけでも、二人は、何かしら充《み》ち足《た》りてくる生命のよろこびを感じるのだった。急激に生きている身であることを全身で知ってくるのだった。  森を出ると、狐色の枯れすすきに、細い月影が一すじの小道を見せている。道はだんだん登りになる。やがて、鹿《しし》ヶ|谷《たに》は近いのであった。 「――誰も追ってきませんね」 「よいあんばいに」 「ああ、ほっとしました」 「もうそこが」 「ええ、鹿ヶ谷です」顔を見あわせて、ほほ笑みを見あわせた。  彼女たちはこの山を、半年のあいだどんなにあこがれていたか知れない。この夏の専修|念仏会《ねんぶつえ》の日からである。 「とうとう、来てしまいました。……けれど、これでほんとの人間に生《い》き甦《かえ》った気がします」  よくぞ思い切って脱《のが》れてきたと、自分で自分の勇気を宥《いた》わるのであった。しいんと、冬の夜は冴え返っている。眼を閉じて、捨ててきた過去の生活を考えると、よくも、そこに長々といたものかなと今さらに思うのであった。  あの嫉視《しっし》と邪智の泥沼に。嘘と見栄《みえ》だけにつつまれた臙脂《えんじ》地獄に。 「も少しです、ご庵室は」 「いそぎましょう」 「住蓮様は、おりましょうか」  鈴虫は、よく住蓮の名を口にする。――松虫はまた、若い安楽房のすがたが、なぜか忘れ得なかった。  彼女たちは女である、彼らはまた、若い男性なのだ。こうして、生命がけで、御所をすてて逃げてきたのは、ただ仏陀だけが魅力だったとは思われない。やはり、恋にちがいないのだ。鈴虫は住蓮を、松虫は安楽房をあの専修念仏会の夕べから忘れ得なくなっていることは否めないことであった。――けれどそれは、醜い生活の殻《から》から真実の生活へ出ようとする真剣な願望に、仏陀を力とし、法《のり》の礼讃《らいさん》を明りとしてきたので、二人の胸には、恋しつつ、恋とは自覚していないかもしれぬ。さればといって、まだ信仰というほどの開悟もないふたりであることは、いうまでもなかろう。 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり]  法勝寺の山荘は閉まっていた。昼は、信徒の参詣や、山と町との往来もあるが、夜は、この鹿《しし》ヶ|谷《たに》一帯が、一点の灯もない闇であった、海のようなうなりが樹々をゆすっている谷や峰つづきであった。 「住蓮、もう眠ろうか」安楽房は、ちょうど衰えかけた榾《ほた》の火《ひ》を見つめていった。  その榾《ほた》の明りで、住蓮は書物を読んでいたが、根気をつめた背骨を伸ばして、 「む……更《ふ》けたらしいな」 「しんしんと、寒うなった」 「もすこし焚《た》こうか」薪《まき》を加えると、炉はまた、赫々《あかあか》と炎をあげた。煤《すす》で黒くなった天井が赤く映《うつ》る。 「はやいものだな、この無住の山荘へ来てから、もう数年」 「その数年の間に、とにかく微力ながら、念仏門の一道場を、社会に加えたのだ、一枚の田を、開墾したのだ。それを思うと、おたがいに愉快だな」 「ウム、御仏《みほとけ》も、おれたちの奉仕を嘉《よみ》してくださるだろう。――同時に、おれたちの生活も、今は、感謝と輝きに充ちきったものだ」 「こういう、憂いなき、安らかな感謝の一日一日を、どうかして、今の昏迷《こんめい》な埃《ほこり》の中にある実社会の人々たちへも、知らしめたい、頒《わ》けてやりたい。――おれはそればかりを思う」 「吉水《よしみず》の上人が、あの老躯をひっさげて、自身のご病気もわすれてなお、法《のり》のために、一日一日をおやみもなく遊ばしていらっしゃるお気持も、その願望にほかならない」 「上人のことを思えば、われわれはまだ安閑としていすぎるかも知れぬ」 「榾《ほた》に暖《ぬく》まっているのも何か勿体《もったい》ない気がするのう」 「励もう」 「ム。人を救うには、まずみずからをだ。――もすこしおれは勉強する」住蓮が、また、書物を取り初めたので、安楽房も立って、暗い壇のまえに坐って、念仏の三昧に入った。  パチパチと、炉の火がハゼる音だけが聞えた。時折、雨戸のふくらむような峰の風がぶつかってくるが、それの過ぎた一瞬は、死界のような静寂《せいじゃく》に返ってしまう。  ふと住蓮は眼をあげ、 「――安楽房」と、呼んだ。 「お。何か?」 「御本堂のほうの戸を誰かたたいておりはせぬか」 「そうか」耳を澄ましていたが、やがて笑って、 「あれは鹿だよ、それ、いつかこの峰で、捕まえた白毛の鹿が、廻廊へあがって、何かいたずらしておるのじゃ」 「そうかしら」しかし、またしばらくすると、こんどは二人のいる庵室のすぐ外に跫音《あしおと》がして、そこを叩く者があった。 「もしもし……」初めて、二人は、 「や? どなたじゃ」 「ここをお開けくださいまし。お願いがあって来た者でござりまする」女性《にょしょう》の声なので、いよいよ怪しみながら、 「どちらから?」ためらって、こう訊くと、 「お目にかかってからお話しいたしまする。私たちは、御所のうちから来た者でございますが」 「え。――御所から?」住蓮は、あわてて、そこの戸を開けた。 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり]  二尺ほど開けた戸の隙から、霰《あられ》を持って山風がふきこんで、庵室のうちは、炉の赤い炎に、大きく明滅を描いた。 「あっ? ……」鮮やかに二つの白い顔が見えた。あまりにも、この冬の夜や、世を離れた庵室に、ふさわしくない女性たちである。 (閉めようか)住蓮は、ふと、一瞬にそう惑った。――何か怖ろしい悪魔でも見うけたように慄《おのの》きが背を走った。 「どなたじゃ? ……あなたがたは」そういう声までが、われ知らず、尖《とが》っていた。 「おわすれでございましたか――」と、松虫がいう。 「私たちは、この夏ごろ、法勝寺のお広間で、専修念仏をあそばされた時、お目にかかりました、あの松虫の局《つぼね》と鈴虫の局の二人でございますが」 「オオ」住蓮は、外をじっと見て、 「ちがいない。あの折のお二方じゃな。……したが、時ならぬこの夜中、しかも、御所にお仕えするあなた方が、何で、かような山路を辿《たど》ってござったか」 「それを聞いていただきたいばかりに、鈴虫様と、一心をこめて、ここへ参りました。くわしいことは、上がってお話し申しますから、ご縁の端にでも、座をおゆるし下さいませ」  住蓮は、振向いて、 「安楽房、どうしたものであろう? ……」 「どうといって、まさか」 「そうじゃの、この寒い夜を越されて来たものを、追い返すことも」 「仏の御心《みこころ》であるまい」 「うむ」何か、囁《ささや》き合っていたが、やがて躊躇《ためら》いを払って、 「どうぞ」改めて、礼儀をし直した。  被衣《かずき》を脱ぐ二人の上﨟《じょうろう》めいたしなやかな手から霰《あられ》がこぼれた。――住蓮も安楽も、その匂《にお》わしい麗姿《れいし》に眼をそむけた。見ているには、あまりに美し過ぎるからである。 「霰が、こぼれ出したと見えますの。――さぞ、お寒かったであろうに」 「おそれ入りますが、井水《いみず》はどこにございましょうか」 「水? ……水を何に遊ばすのか」 「足を洗うのでございます」 「えっ。……では裸足《はだし》で?」 「はい」 「裸足でここまで……」住蓮も安楽も、顔を見あわせてしまったのである。  何かの仔細で、たとえ夜を冒《おか》して来たにしても、供の者や輦《くるま》を待たせてあるのであろうと想像していたのに、裸足《はだし》で来たとは? ――しかも――内裏《だいり》の奥ふかくに住む上﨟《じょうろう》が。 (これは、ただ事ではないぞ)住蓮は、友へ、眼をもっていったが、もう遅かった。上がれとゆるしてしまったものを、急に、戸を閉めるわけにもゆかない。  やむなく、ふたりを導いて、裏の筧《かけひ》で足を洗わせ、そして炉のそばへ誘うと、凍《こご》えきった鈴虫は、恥かしさも、遠慮もわすれて、炎のそばへ、辷《すべ》り寄った。  松虫も、おののく手を、榾《ほた》の火《ひ》にくべるようにかざした。紅玉を透かして見るように、その指の一つ一つが、美麗だった。安楽房は、何かすばらしい名工の細工物でも見るようにその手に見恍《みと》れていた。  住蓮は、黙っていた。ふたりもしばらくは言葉も出ないのであった。 [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり]  松虫と、鈴虫――  ことばは慄《ふる》えがちだし、胸にいっぱいな今の気持も、充分にいいあらわせないのであったが、ふたりは、こもごもに、御所を逃げてきたわけを話し出した。  その動機と。また、半年あまりの苦しい迷いだの悩みだのを。  そして、自分たちの、虚偽な生活を、住蓮と安楽房の前に、残りなく懺悔《ざんげ》して、 「どうぞ、この草庵に置いて、私たちを御弟子《みでし》にしてくださいませ」いい終ると、ふたりとも、そこへ艶《あで》やかな黒髪を投げ伏して、さめざめと泣くばかりだった。 「…………」住蓮も安楽房も、それを聞いて茫然としていた。  御所の女性《にょしょう》――しかも上皇の寵妃《ちょうひ》である局《つぼね》が、人目をしのんで、この山庵《さんあん》へ来たということだけでも、重大な問題だ、事件である。 (こんなことなら、上へあげるでなかったに――)という悔《く》いの色は、住蓮にも安楽房の顔にも、同じようにうごいていたが、彼女たちの命がけな熱意を聞いてみると、 (さもあろう)と、同情の念がうごき、やがては、ふたりの泣き入るすがたに、 (これほどまでに、自己の生活の非を悔いて、真実の生命に甦《よみが》えろうとしている者を、どうして、すげなく振り捨てられよう)と、共々、涙がにじんでしまうのであった。  しかし――おそろしいことだ、とも思うのであった。眼前の事実に戦慄をせずにいられなかった。  もし、ふたりの乞いを容《い》れて、このまま草庵に匿《かく》しておいたらどうなるか? ――である。たいへんな結果になることは分りきっている。 「? ……」腕をこまぬいたまま、二人の若い沙門《しゃもん》は、ただため息をつきあうだけであった。二人が、自分たちの生命がけな願いを容れてくれそうもないと見ると、松虫も鈴虫も、 「二度と、御所へは帰れぬ身です。もし、ここにも私たちはいることができないとすれば、死ぬほかはございませぬ」もう泣いていなかった。  彼女たちは、あらかじめ死を賭しているのである。死をうしろにしている強さが眸《ひとみ》の底にあった。むしろ狼狽《ろうばい》しているのは安楽房であり住蓮のほうであった。 「……弱ったのう」 「む……む……」果てしのない困惑が、いつまでも重苦しい吐息をつかせていたが、 「では、御所へは、どうあっても、お帰りなさらぬ覚悟ですか」 「帰りませぬ」 「しかし……」懇々《こんこん》と、諭《さと》しかけると、 「いいえ、私たちの願いの無謀なことは分っておりますが、こうなることを、よく知っても、こうせずにいられない気持で御所を出たのですから……」教養も常識もあるこの女性《にょしょう》たちである、何を今になって、常識めいたことを受け容れよう。諭《さと》しかけた住蓮は、かえって自分が恥かしくなった。 「……安楽房。ちょっと、あちらへ行って、相談しよう」 「うむ」 「では、しばらくお待ちください。中座して失礼ですが、篤《とく》と、別室へ参って、相談したうえでお答えいたしますから――」と、二人はそこを立った。 [#7字下げ][#小見出し]五[#小見出し終わり]  真っ暗な縁を、住蓮は先に立って行く。 「どこへ」安楽房が、ふと疑って、こう訊くと、 「御仏《みほとけ》の前へ」 「そうか」二人は、縁づたいに、法勝寺の本堂まで行った。  そこには、明りもない、火の気もない。  暗黒の中を、二人は、足さぐりで、弥陀《みだ》の聖壇の前に、黙然と坐った。 「こういう時には、御仏のまえで、弥陀のお心にたずねて事を決めるにかぎる」 「よう気づかれた」 「さて……どうするか?」 「それだ……」ここでも、ふたたび重い嘆息が先にくりかえされる。  住蓮の考えとしては、もう一応、ふたりをよく説得してみて、それでどうしても御所へ帰らぬならば、やむを得ない手段ではあるが、これからそっと自分が御所の吏員《りいん》へ訴えに行き、ふたりの身を穏便のうちに内裏《だいり》へ帰してもらうように頼もう――というのであった。 「さ? ……」安楽房は、彼の考えを、欣ばない顔つきでいった。 「それは、どうかと思う。――死を賭しているあのふたりを、それでは、むざむざと、殺してしまうことにはなりはせぬか」 「では、そのもとの考えは」 「わしは、助けたい」 「助けたいのは、この住蓮も同じだが、その方法があるまい」 「わしは、とても、ああまで縋《すが》ってきた者たちを、山荘から突き出すには忍びない」 「では、望みを容《い》れてやろうというのか」 「ウム……」 「もってのほかだ」住蓮は、声を励まして、 「わしも若い、そのもとも若い。しかも清浄《しょうじょう》を尊ぶこの山荘に、あんな麗人を二人留め置いたら、世間は、何と見る?」 「御弟子にしてくれというているのだから、二人は、麗《うるわ》しい黒髪も剃《そ》ってしまう覚悟じゃないか」 「それにしても」と、住蓮は、闇の中でつよく顔を振った。 「女と、男ではないか。――しかもお互いが若いのに」 「ちがう、ちがう!」安楽房も、友のことばにつれて、ひとりでに声が激して行った。 「そういうおん身の考え方は、浄土門でもっとも忌《い》み嫌う聖道門的考えかただ。師の上人のお教えでは、男女《なんにょ》の差はないはずだ、そういうけじめ[#「けじめ」に傍点]を捨てよという所に念仏門の新味もある、狭い旧教とちがった意義もあるのだ」 「わかっている。――だが、世間は」 「おん身は、この処置を、世間へ訊くのか、御仏の心に訊くのか」 「ウム」と、住蓮は声をつまらせて、 「そういわれると困るが」 「おれたちは、信仰の子ではないか。御仏《みほとけ》の心をもって信念とするからには、世俗の思わくなどを考えていては、何もできやしない」  安楽房の情熱的なことばは、諄々《じゅんじゅん》と、友の意見を圧してゆく。彼は彼女たちを救うために、多少の難儀はかかっても、何とか、あのふたりの喘《あえ》いでいる地獄の淵《ふち》へ、手をさしのべてやりたいという。 「どんな者にでも、弥陀《みだ》の慈悲はひとしくなければなるまい。――場合や事情に惑っていては、人はおろか、自分すら救うことはできまい。あの女性《にょしょう》たちは、そこに目醒めて、死を賭して、脱け出してきたのだ。どうして救わずにいられるものか」彼のそういう眼には、涙が光っていた。 [#3字下げ][#中見出し]葉隠《はがく》れの花《はな》[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  あの後。御所の大宿直《おおとのい》の公卿《くげ》たちや、上達部《かんだちべ》の吏員《りいん》などは、 「どうしたものだろう?」茫然と、事件の裡《うち》に自失して、その処置も方針もつかず、幾日かを、ただ困惑と空《むな》しい捜索に暮れていた。 「――仙洞《せんとう》のご帰還までに」と、最初のうちは、躍起になって、焦心《あせ》ったのである。  だが、松虫の局《つぼね》と鈴虫の局の行方は、あの晩かぎり、杳《よう》としてわからない。 「深草の辺に、あやしげな女房が二人して住んでいるそうな」そういう報《し》らせに、 「それ」と、すぐさま衛府《えふ》の侍を走らせてみると、それは、郷住《さとず》まいになったさる武家の姉妹《きょうだい》であった。 「志賀から北国路への道を、被衣《かずき》した若い女がふたり、駅伝の駒を雇って行った」と、その方面の役人から飛札《ひさつ》が来ると、 「きっと、それだぞ」と、ばかり、大宿直《おおとのい》の公達《きんだち》は、侍をつれて、騎馬で追って行った。  吉報いかに? ――と、御所では鳴りをしずめて待っていたが、やがて、四日も過ぎて、へとへとに帰ってきた公達輩《きんだちばら》の話では、 「追いついてみれば、何の事じゃ、越前の庄司が娘と、その腰元ではないか」告げるほうも、がっかりであったが、聞くほうも落胆した。――この上はと、今までの秘密の裡に事件をつくろってしまおうとした方針を変えて、中務省《なかつかさしょう》捕吏《ほり》の手も借りて、洛内から近畿にいたるまで触れを出した。  辻には、高札を立て、松虫の局と鈴虫の局の年ごろや面貌《おもざし》を書きそえ、院の衛府まで、そのありかを告げてきた者には、恩賞をとらせるであろうと告示した。  しかし、それを見て、衛府へやってくる民衆の密告が、一つとして、あたっていたものはなかった。 「なんのことじゃ、これでは、よけいに繁雑になるばかりではないか」院の吏員《りいん》たちは、よけいに、方針の混乱をきたして、悲鳴をあげた。  とこうする間に、その月も越えて、十二月の上旬、後鳥羽上皇は、すでに熊野からお帰りになった。  逆鱗《げきりん》は申すまでもない。お留守をあずかっていた公卿輩《くげばら》はもちろんのこと、行幸《みゆき》に従《つ》いてもどった人々も、その御気色《みけしき》に慴伏《しょうふく》して、 「必ずとも詮議《せんぎ》して、日を経ぬうちに、ふたりを捕えて御所へ引き連れますれば――」と、お答えするほかなかった。  先に、告示された布令《ふれ》は、さらに広く諸国へまでわたった。そして恩賞にも、金銀ならば幾額《いくら》、荘園なれば田何枚と、書き加えられた。  大津口の並木の辻にも、その高札をとりまいて、黒山のように人が立っていた、その中に、黙然と腕をくんでいる牢人《ろうにん》ていの男があった。 「――おい、何を見ている?」ひとりの山伏が、その後ろから肩をたたいた。牢人ていの男は、かぶっていた笠をくるりと振向けて、 「や、播磨房《はりまぼう》」笠の下に、笑う歯が見えた。 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり] 「しばらくじゃないか」牢人ていの男は、天城四郎《あまぎのしろう》であった。呼びかけられた山伏の播磨房|弁円《べんえん》に、肩を寄り添えて歩み出しながら、 「どうした、その後は?」 「どうもこうもないさ。相かわらず飄々《ひょうひょう》たる行者の道をさまよっている」 「犬は?」と、弁円のうしろを見て、 「あの黒犬は連れていないのか」 「ウム」 「死んだのか、かわいそうに」 「いや、斬ってしまった」 「誰が」 「元よりおれがだ」 「飼主が飼犬を斬った、むごいことをする男だ」 「四郎、おまえでも、酷《むご》いということを知っているのか」 「人間は、勝手放題な真似《まね》をしたあげくだから、殺された奴でも、そう酷いという気はしない。――だが、犬なんぞは、ろくな思いもしていないし」 「はははは。おかしな感情を持っている男だ」 「なぜ斬ったのだ」 「忌々《いまいま》しいことがあったからだ。聞いてくれ、こうだ」堤の上に、腰をおろした。すすきや秋葉の枯れたのが、根に霜を持っているのか、腰の下でばりばりと折れる。 「この春先だ。まだひどく寒かったよ。おまえと別れてから間もなく、おれは、例の善信の奴が、岡崎の草庵を出て、難波《なにわ》から河内《かわち》のほうへ旅に出たのを知ったから尾《つ》けて行った。そして、磯長《しなが》の太子廟《たいしびょう》に夜籠りをしたのを知ったから、こよいこそと、忍び寄って、善信めを斬ろうと計ったところが、あの連れている犬のやつが、縛っておいた縄を噛みきって、大事な刹那に、堂の中へ飛び込んできたろうじゃないか」 「フーム、ありそうなことだな。――そして?」 「わずかな隙に、犬が、吠えたので、善信の奴は、逸早《いちはや》く、おれの刃《やいば》の先から逃げてしまった」 「追いついて、一太刀と行かなかったのか」 「それへも、犬のやつが、足や袖にからみついて邪魔するために、とうとう、逸してしまったのだ。――何とも残念でしようがない。そこで、忌々《いまいま》しい余りに、狂《きちが》い犬《いぬ》を、斬ッて捨てたというわけだが、しかし、それからはなお怏々《おうおう》として胸が晴れない。聞けば、善信は、あれから間もなく、またこの都へ帰っているそうだな」 「いるとも。――岡崎の草庵で、妻の玉日と、人も羨《うらや》む生活《くらし》をしている」 「まあいい」弁円は慰めるように、 「そのうちに、またよい機《おり》もあろうて。――ところで四郎、あの松原の高札を読んだか」 「読んだ」 「おぬしなどは、この洛中洛外はおろか、およそひろい世間のことは闇の裏まで知っている職業だから、あんなことは、造作もなく分っているのだろうな」 「松虫と鈴虫の行方のことか」 「そうだ」 「いくら闇夜を働いている盗賊でも、そんなことはわからねえよ。分っていれば、すぐ院の衛府へ駈けつけて、褒美の黄金《こがね》にありつこうというもんじゃねえか。……ところが近ごろは、この四郎も、見たとおり尾羽《おは》打ち枯らしての不景気だ。何と弁円、知っているなら、松虫と鈴虫のありかでもおれに教えてくれねえか」 「はははは、そいつあ、あべこべだ。おれのほうこそ、訊きたいところだ」 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり] 「弁円、山伏のおめえにも、やはり慾はあるんだな」 「ばかをいえ」 「でも、松虫と鈴虫のありかを知りたがっているのは、いわずとも知れている、恩賞の金にありつこうというのだろう」天城四郎は、そういうことを愉快がる男だった。自分の悪魔主義を肯定してよろこぶのである。 「ちがう」弁円は、首を振って、 「おれは、知行《ちぎょう》だの金だの、そんな物は要《い》らん」 「じゃあ何のために――」 「善信の奴に、痛い目を見せてやるためだ、復讐の一つとなるためだ」 「はてね?」解《げ》せない顔をして、四郎は、きのうあたり剃《そ》ったばかりらしい青い頬から腮《あご》をなでた。 「はてなあ……」 「わからぬか」 「分らぬよ」 「おれの想像だが……しかしこの想像は外《はず》れていないつもりだ。――松虫と鈴虫のふたりは、きっと、吉水《よしみず》の法然上人の所にかくれていると思うのだ」 「えっ、吉水に」 「さればよ」 「どうして」 「――いや、確証はない。けれども、そういう気がしてならないのだ。なぜならば、今、女性《にょしょう》のあいだで、最も持て囃《はや》されている教義は何だと思う」 「法華経《ほけきょう》かな?」 「法華経も、上流の女性のあいだにはひところ行われたというが、それは極めて小乗的にだ。もっと、はっきりと、今の社会の女の気持をつかんでいる教義があるじゃないか」 「あ。念仏門だ」 「そうれみろ。庶民から上層の女まで、念仏に帰依《きえ》した女性というものはたいへんな数だ。内裏《だいり》の女官のうちにも、公卿《くげ》の家庭にも」 「ムーなるほど」 「おれはそこでふと思いついたのだが、上皇の寵妃《ちょうひ》が、二人までも、御所を脱け出すなどというのは、容易にできることじゃあない。世間では、当然、恋愛だといっているが、色恋の沙汰なら、二人づれでは走るまい」 「そうもいえる」 「第一、男があって、そこへ走ったものなら、その男の周囲からすぐ知れる。また、死ぬ気なら別だが、さもなければ、御所を脱け出したからとて、満足に添いとげて行かれるものではなし、いくら恋は熱病でも、ありえないことだとおれは考える」 「いや、そうでもないぞ。若い女のことでは」 「まあ、それも疑問があるとしておいてもだ、衛府の役人や、捕吏《ほり》が、教門のほうへは少しも手を廻していない様子ではないか、それはどうだろう」 「まさか――と思っているからさ」 「それが手落ちだ」 「手落ちかなあ」 「お上《かみ》も、世間の者も少しも眼をつけないその方面を探るとしたら、叡山《えいざん》でもない、高雄でもない、奈良でもない、やはり吉水がいちばん臭いという結論になるのだ。――どうだ四郎、ひとつおぬしの自由自在に暗闇を見る眼と足で、そいつを一つ突きとめてみないか」 「ム、やってもよいが」 「恩賞の金はそっちで取るがいい。その代り、お上へ密告するほうのことは、おれにまかせてもらいたいのだ」 [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり] 「おもしろい」四郎はいった。弁円がこの事件をもって、自己の復讐に利用しようとする肚だくみ以上に、天城四郎は、そういう社会的な秘密を暴露《ばくろ》してみることに、悪魔的な興味を多分におぼえるのだった。 「では、俺がひとつ、腕によりをかけて、探ってみよう。そこで、松虫と鈴虫のありかは、やがて近いうちに、きっと俺が突き止めるにちがいないが、そうしたら、どこへ知らせるか」 「すぐ、おれの所まで」 「――といって、宿所が分らなくちゃ、知らせるにも、知らせようがないじゃねえか」 「たいがい、毎日こうして歩いているが、京にいる間は、聖護院の西の坊を宿にしているから、そこまで、やって来てくれまいか」 「よし、待っていろ、吉報は近いうちだ」  そう約束して、二人は、加茂|堤《づつみ》を北と南へわかれた。翌晩、四郎は身軽ないでたちに黒い布《ぬの》を頭から顔へ巻いて、吉水禅房の外をうろついていた。  何気ない風《ふう》を装《よそお》って、禅房の門の前を通りながら、奥をのぞくと、まだ燈火《ともしび》が見えた。  客が話し込んでいるらしいのである。四郎は、樹蔭に立っていた。しばらくすると、一人の武士と二人の法師が、禅房を辞去して、門の外へ出てきた。  その訪客が出てゆくと入れちがいに、四郎はツイと門の中へ入った。――彼が入り込んだのを気づかない禅房の者は、その後で、門の扉を閉め、やがて、奥の燈火《ともしび》も消されて、静かな闇の底に眠りについた。  四郎は、易々《やすやす》と、墻《かき》の内《うち》へ入って、そこらの建物を見まわした。  講堂、房、書院、厨《くりや》、寐屋《ねや》などの棟が、かなり奥の林まで曲がりくねって建ててある。初めは、上人《しょうにん》とその弟子の少数だけが住むに足るだけの、ほんの一草庵に過ぎなかったものが、いつのまにか、必要に迫られて、次々に建増して行ったので、屋根と棟に統制のないのが目につく。 「? ……」のそりのそり、四郎は腕ぐみしながら、その戸の外を忍び足に歩いた。時折、雨戸のふし穴へ眼をつけたり、じっと、耳を寄せたりしながら、彼らしい神経を研《と》ぎすまして、視覚、聴覚、嗅覚《きゅうかく》、あらゆる官能を働かせていた。  ――すると。一棟の戸のうちから嬰児《あかご》の声がもれてきた。乳でも欲しがるように泣きぬくのであった。彼はハッと立ち竦《すく》んでいる。 「この棟だな、女のいるのは」と床下へしゃがみ込んだ。  誰か、その声で起きたらしい。しきりと、夜|啼《な》きする嬰児《あかご》をあやしているようであったが、やがて、雨戸を開け、 「オオ、泣くな、泣くな……」縁の上から、嬰児《あかご》に尿《しし》をさせ初めた。  霜の立っている土の上に、無心な嬰児《あかご》の尿《しし》が湯みたいにそそがれた。四郎は狼狽して、 「あっ……」奥へ身を退《ひ》いたが、その弾《はず》みに、床下の横木に頭をぶつけ、眼から火が出たような痛さを、顔をしかめて怺《こら》えていた。 [#7字下げ][#小見出し]五[#小見出し終わり] 「ひどい奴だ」頭の上の戸が閉まったので、彼は床下でほっとしながらつぶやいた。 「……坊主め」そんな些細《ささい》な――偶然なことにも――彼の眼は遺恨をふくむのだった。 「――見ていやがれ、間もなく、この吉水の禅房も、ぺしゃんこにしてくれるから」  嬰児《あかご》の泣き声がするようでは、この一棟の房にこそ、女人《にょにん》がいるに違いないと、彼は、根気よく、耳をすましていたが、時おり、床下へ洩れてくる人声や跫音《あしおと》は男のものであって、女のいるらしい気配はなかった。 「では、他の室かな? ……。そうだ、あんな大事件を惹き起した内裏の女だ。うかつな所へ起《お》き臥《ふ》しさせておく気づかいはない。もっと、誰にも気づかれないような密室だろう」  真冬の暗い風がふき抜けるので、床下は、身が硬《こわ》ばるほど寒かった。古い鉋屑《かんなくず》が水気をふくんで溜《たま》っていた。天城四郎は、蟇《がま》のように四つ這いになって、奥へ奥へと這いすすんで行きながら、 「わずかな恩賞の金では、割に合わねえ仕事だぞ」と、思った。  だが、その恩賞の金よりも、彼には、露悪的な興味があり、この念仏門という大きな勢力の崩壊《ほうかい》を、他人の火事のように傍《かたわ》らから見る楽しみのほうが大きかった。 「あ……。誰か、起きているな」ふと、縁の隙間から洩れている針ほどな細い灯影《ほかげ》を見つけた。四郎は用心ぶかく、それを見つめて、しばらくは、近づかなかった。  ――と、どこかで、 [#ここから2字下げ] な、む、あ、み、だ、仏《ぶつ》 な、ま、み、だ、仏 な、ま、み、だ なまみだ [#ここで字下げ終わり]  念仏の声が地底から湧くように起ってきた。  非常に大勢の声のように思えたが、それはただ一人の唱名《しょうみょう》であった。 「誰だ、今ごろ」四郎は、いぶかった。 「金にもならねえものを、この寒い真夜半《まよなか》に、何で、ぶつぶつあんな文句を称《とな》えていやがるのか……。世の中にゃあ、酔狂な野郎もある」奥へすすむには、どうしても、その唱名の声のする下を這って行かなければならなかった。  四郎は、念仏がやむのを待っていた。すぐやめてしまうだろうと思っていたのである。――だが、深々と、更ければ更けるほど、その唱名には、熱と、無我の信力が加わって、やがて夜が白みかけても、容易にやみそうな様子も見えなかった。 (何も、待っていることはねえのに!)と、彼は自分でも思うのであったが、何となく、その音声《おんじょう》には、天井でも床下でも、十方の暗闇を見破っている人間の五韻《ごいん》が感じられて、その人間のいるすぐ下を通ることが、危険に思われてならないのであった。 「ばかな!」と、彼は、自分のそうした観念を、時によって生じた理由のない気怯《きおく》れと自嘲して、ずかずかと、這い出した。  そこはまた、一段、床《ゆか》が低くなっているので這いにくかった。何か、竹の竿みたいな物に、膝をかけたのであろう、ばりっと、細竹の折れるような音がした。 「? ……」  すると、頭の上の念仏の声が、ぴたと止んだ。 [#7字下げ][#小見出し]六[#小見出し終わり]  唱名の声がしている間は、その唱名の声に威圧され、今また、その声が糸の切れたようにぷつと止むと天城四郎は、 「? ……」ハッと身を竦《すく》ませた。 「気《け》どられたかな?」彼は、いつもの不敵なたましいを失って、疑心暗鬼の眼を、床下から上げた。  すると――案のじょうである。廊下のうえをギシギシと誰か踏む音がした。そして、戸の開く音がしたと思うと、 「たわけ者っ」外へ向って一喝《いっかつ》した者がある。錆《さび》のある太い坂東声《ばんどうごえ》だ。  四郎は、ぎょっとして、息《いき》を嚥《の》んだ。僧房とはいえ、吉水の門下には、熊谷蓮生房《くまがいれんしょうぼう》とよぶ関東武者の果てや、その他、源平の役《えき》で働いた名だたる侍の末が幾人も剃髪《ていはつ》しているとはかねて聞き及ぶ所である。 (――そんな奴に捕《つかま》っては)首をすくめて、 (駄目だ)ついに、気を挫《くじ》いてしまった。  それから二日ほど経った白昼である。冬も、昼中《ひるなか》は暖かかった。上人はまた、病中の由で、きょうはお顔が拝まれまいと噂していたが、吉水の法筵《ほうえん》に、老幼にもわかるようなやさしい法話の会があると聞いて、ぞろぞろと、在家の人々が集まった。  つい四、五年前までは、そういう法話を催しても、百人か二百人がせいぜいしか寄らなかったが、近ごろでは、吉水に幾日の日にと、分りさえすれば、洛外の遠い土地から、百姓たちまでが、話を聞きに来るので、講堂や僧房の全部をあげて、その日は、民衆たちへ開放することになっていた。 「ほう? ……銭が要らぬことと思って……閑人《ひまじん》がよく寄って来やがる」四郎は、一般の聴衆の中にまじって、大あぐらをかいていた。  ――それでも、多少は気がひけるとみえ、なるべく、他人の背中を楯《たて》にして、講壇のほうから直接自分の顔が見えないように注意していた。  元より、説教を聞こうなどという意志は少しもない。彼は、眼ばかりうごかしていた。足がしびれると、すぐ立って、縁へ出て、 「う、あ、ワあ……」と、欠伸《あくび》をする。  また、用ありげに、僧房の中を、うろうろ歩き廻った。わざと、道をまちがえた振りをして、台所のほうへまで、歩いて行った。 「いねえな。どう嗅《か》いでも、ここには女のにおいがしねえわい。やはり、吉水には匿《かくま》われていねえとみえる」彼は、弁円のことばが、腹立たしくなって、 「あの野郎、とんだ無駄骨をさせやがった……」と、恨んだ。  見限《みき》りをつけて帰ろうと思ったが、禅房の門まで人がいっぱいなのである。それに、何となく気懶《けだる》くもあったので、彼はまた、人混みの中に坐り込んで、ケロリとした顔をしていた。  法然門《ほうねんもん》の人々が出て、代る代るに、念仏門の教えを説いている。聴者は、咳声《しわぶき》もしないで熱心に聞き入っていた。四郎は、そういう人々を見まわして、 「何がいったい面白くて? ――」と、不思議な顔をした。  そのうちに、彼は眠くなってしまった。南縁の猫のように、眼を細め、涎《よだれ》をながして、こくりこくり居眠り始めた。 [#7字下げ][#小見出し]七[#小見出し終わり]  時々、はっと、自分の居眠りに気づいて、四郎は赤い眼をあいた。そして、さすがに少し間《ま》のわるい顔をしながら、まわりの聴衆を見まわした。  だが、聴衆は、水を打ったように静かな空気を守りつづけ、眼も、耳も、全身をもって、法話の壇のほうへ向けていた。一人として、そこに居眠っている四郎の様子などに気を散らしている者はない。 「ホ? ……」仏教の話などには、何の感興も持たないはずの四郎が、その時、やや眸をあらためて、前の者の肩越しに、壇のほうへ、大きな眼をみはった。 「善信だ……」思わずつぶやいたので、そばの者が、ふと彼の顔を見た。  四郎は、下を向いた。てれ隠しに顔を撫でる。  ――聞くともなく、善信の声が耳へ流れこんでくる。覚えのある声だ。 (しばらくぶりだな)と、思う。  壇の上に立って、岡崎の善信は今、低い音吐《おんと》のうちに何か力強いものを打ちこめて、諄々《じゅんじゅん》と、人々と、人々のたましいへ自己のたましいから言葉を吐いているのだった。  めっきり体が弱くなって、法然上人が人々へ顔を見せることができない日でも、 (オオ、善信様が)と、彼のすがたを仰ぐと、聴衆はそれだけでも満足するのだった。随喜《ずいき》して、もう口のうちの念仏に素直な心を示すのだった。  その善信が、かなり長い時間にわたって、庭面《にわも》の暮れるのもわすれて、自己の信念を説き聞かせていると、人々は、いつか、涙をながして、 (おれは間違っていた) (生き直ろう) (もっとよく生きよう)懺悔《ざんげ》の気持をいっぱいに持って、耳にも口にも眼にも、念仏の光のほか何ものもなく聞き入っているさまであった。  四郎は、腮《あご》へ手をやって、 「笑わせやがる」と、肚のそこで嘲《あざ》んだ。 「――裏と表が見えねえから坊主は有難がられるのかと思っていたら、善信などは、坊主のくせに、女房を持ち、岡崎の庵室で、あの玉日というきれいな女と、破戒の生活を大びらにやっているのに、それでもまだ、愚民どもは、有難がっていやがる。度し難い奴らだ」  彼は、むかむかしてきて、そこに坐っていられない気がした。ひとつ、ここから起ち上がって、 (みんな! 眼をさませ)と、呶鳴ってやろうか。そして善信が、いかに、破戒の堕落僧《だらくそう》であるかを、おれが一席弁じ立ててやろうか。  そう思ったが、考えてみると、自分もあまり人中で大びらに顔を晒《さら》すことのできる人間ではない。誰か、気がついて、 (天城四郎だ) (大盗の四郎だ)  指さされたら、大変なことになる、さっそく、自分から先に逃げ出さなければならない。 「ちいッ……いつまで同じことをいってるんだ」彼は、うるさい意見でも聞くように、口のうちで舌打ちを鳴らし、「わ、わ、あ――」と、大きな欠伸《あくび》をかみころした。 [#7字下げ][#小見出し]八[#小見出し終わり]  悪人――といったような声がふと耳に入った。四郎はぎょっとして首をもたげた。 (俺のことを何かいっているんじゃねえか?)猜疑《さいぎ》の眼を光らして見まわすのであった。  善信の法話の言葉のうちにである。幾度《いくたび》も、悪人という語が用いられた。悪人という語が出るたびに、四郎はぎくりとして、 (俺へ面当《つらあ》てをいってやがる)と思った。  だが、周囲に充ちている聴衆は、相変らず熱心に、善信の法話に耳をすましているだけであって、四郎のほうを見る者などは一人もないのである。  しかし四郎は、多くの人々が、自分に無関心であるとないに拘《かか》わらず、悪人という言葉が癪《しゃく》にさわった。こんど何か自分の面当てがましいことをいったら、躍り立って、壇にいる善信の襟《えり》がみを引《ひ》っ掴《つか》んでやろうと心に企《たくら》んでいるらしく、じっと、聞き耳を欹《た》てて、善信のことばを聞いていた。  ――すると、その耳へ諄々《じゅんじゅん》と入ってきたのは、善信の説いている真実な人間のさけびであった。他力の教えであった。念仏の功力《くりき》だった。――また、どんな人間でも、心をそこに発した日から、過去の暗黒を捨てて、往《ゆ》いて生《い》きる――往生《おうじょう》の道につけるものだという導きであった。  それが、実証として、善信は今、こうもいっているのであった。  善人でさえなお往生がとげられる。  なんで! 悪人が往生できないということがあろうか。  聴いている人々は、最初は何か間違いをいっているのではないかと思ったが、だんだんと善信が説いてゆくのを聞いて、 (なるほど)と皆、深くうなずいた。  単に、悪いことをしないという善人よりは、むしろ、悪いことはしても、人間の本質に強い者のほうが、はるかに、菩提《ぼだい》の縁に近いものだということもわかってきたし、また、そういう悪人がひとたび悔悟して、善に立ち直った時は、その感激と本質が加わるので、いわゆる善人の善性よりも、悪人の善性のほうが、かえってはやく御仏《みほとけ》の心へ近づくこともできる――  ひとたび悪業の闇に踏みこむと、無間《むけん》の地獄に堕ちるように、聖道門《しょうどうもん》のほうではいうが、われわれ他力本願の念仏行者は、決して悪人といえども、それがために、憎むこともできない、避ける必要も持たない。ただ、どうかして、その悪性が善性となる転機に恵まれることを願いもし、信じもするものである。  こう善信は話した。  およそ人間の中に真の悪人などはいない。善人の心にも悪があり、悪人の心にも善はある。悪人と呼ばれるものは、社会からそういうけじめ[#「けじめ」に傍点]をつけられて、自身も、悪を嘆美《たんび》したり、悪人がったり、悪を最善のものと思ったりしているが、その実、彼も人間の子であるからには、常々、風の音にも臆《おく》したり、末のはかなさを考えたりして、必ず、われわれのような生きがいは感じることができないでいるのだ。世の中に、不愍《ふびん》な人間という者をかぞえれば、路傍の物乞いより、明日《あす》の知れない瀕死の病人より、そういう日常坐臥に、人間のくせに、人間に対して負《ひ》け目《め》をもっている悪人である。  善信の話は、それから先も尽きなかった。人々は、まったく、水の底のようにひっそりして、皆顔をうなだれて聞き入っていた。――すると、誰ともなく、聴衆の真ん中で、不意にオイオイと声をあげて泣き出した者がある。 「おや? ……」初めて、人々は、眼をそこにあつめた。見ると、天下の大盗といわれる天城四郎ではないか。四郎は、子供のように泣きやまなかった。 [#7字下げ][#小見出し]九[#小見出し終わり]  人々は驚き怪しんだ。  その無数の眼につつまれていることも忘れて、四郎は、手放しで泣きじゃくった。 「なんじゃ」 「どうしたのか」そのうちに、誰ともなく、 「あれは、天城四郎とよぶ、強賊だそうな」 「えっ、賊?」  ――法話はすでに終っている。暮色につつまれた禅房のむしろは、その混雑と、不審な男のあらわれに、いつまでもがやがやしていたが、やがて一人の法師が来て、泣きじゃくっている四郎の手を取り、宥《なだ》めながらどこかへ連れて行った。  今までとはまるで違って、しいんとした一室に、短檠《たんけい》の灯だけが、ボッと橙色《だいだいいろ》の小さな光を立てていた。 「ここで、お待ちなされませ」法師がいうと、 「はい」四郎は、顔も上げ得ないで、まだ何か嘆いている。  ほど経て、静かな跫音《あしおと》がしてきた。四郎はうしろの戸があくと、怖《お》じるように隅へ身を退《ひ》いた。 「オウ、久しぶりのう」先ほど、法話の壇にすがたを見せていた善信であった。  四郎は打ちのめされたように平伏していた。善信はすり寄って、 「お汝《こと》、きょうはよう話を聞きにござられたな。……したが、何でそう泣かれるのか、解《げ》せぬが」 「善信どの」しがみつくように四郎は訴えた。 「――怖ろしくなった。おれは、おそろしくなった」 「はて、何が?」わざと訊ねると、 「こうしている身の果てが」 「うむ。……それだけでござるかの」 「いや、何もかもだ。……今日まで盲滅法《めくらめっぽう》に生きてきたが、過去も怖ろしい、現在の悪業《あくぎょう》もおそろしい。しかもその悪業から抜けることができない宿命かと吐息《といき》をついていると、お身様の話には、善人ですらなお救われる、いわんや悪人をやと仰っしゃった、これが、泣かずにいられるだろうか。――仏の弘大な慈悲というものが初めて身に沁《し》みてわかった気がする。……するともう、何だか、泣くよりほかはなくなってしまった」 「オ、四郎。お汝《こと》は心の眼がさめたの。何という倖《しあわ》せな男ぞ」 「え、おれが倖せ?」 「見よ、善信をはじめ、この禅房の誰も彼も、御仏の胸にしっかり抱かるるまでには、みな切磋琢磨《せっさたくま》、幾十年の苦しみや迷いをしてここに至るものを、そちは、わずか一日のうちに、御仏の手から生れ変った嬰児《あかご》のように誕生したではないか。世にもまれな倖せ者ではある」 「じゃあ、おれのように、あらゆる悪業をし、五体の爪の先まで、悪念悪心に充《み》ちているような人間でも」 「即菩提心《そくぼだいしん》。もうお汝《こと》は悪人でもなんでもない」 「過去現在のあらゆることもゆるして下さろうか」 「善信――いや仏《ぶつ》は嘘を仰っしゃらぬ」 「あ……ありがたい」ふたたび泣きふす手を取って、善信は膝を立てた。 「さ。――師の上人におひきあわせ申そう」 [#7字下げ][#小見出し]十[#小見出し終わり]  導かれて行く縁を踏んで、四郎はその縁の下に忍び込んだ夜の念仏の声を思い出した。 「しばらくそこに……」と、彼を次の部屋に待たせておいて、善信だけが奥の間へ入った。ややしばらくのあいだ、四郎はじっとそこに坐りこんでいた。と、やがて、 「入るがよい」と、隔《へだ》ての襖《ふすま》が開《あ》いて善信の半身が見える。 「はい」  四郎は、容易にそこへ入り得なかった。何か怖ろしい重圧をうける感じだった。また、自分のすがたが――いや心がいかにも見窶《みすぼ》らしく思えて負《ひ》け目《め》を感じるらしいのである。 「遠慮のう」これは善信と向い合っている眉雪《びせつ》の老僧のことばだった。はっと四郎は頭を下げてしまった。うっかりしていたがそれが法然上人であると気づいたからだった。 「ここで。はい、ここでもう充分結構でございます」 「寒風が洩る――」と、善信がいって、 「上人は、ちとお風邪《かぜ》のきみでいらっしゃるのだ。おことばに甘えて」 「でも、同座にはあまりに」  すると上人は、叱るように、 「そんな心はそちの習性じゃぞ、直さねばいかぬ、何のけじめ[#「けじめ」に傍点]を」と、いった。 「はっ……」すすんで後《あと》を閉《た》て切ると、上人のまわりをつつんでいる暖かな部屋の空気が、やがて、四郎の凍《こご》えている心をもつつんだ。 「善信から今、そちのこと、つぶさに聞いて、近ごろのうれしいことの一つに思うているのじゃ。弥陀超世《みだちょうせい》の悲願というのは、たとえ十悪の凡夫でも、五逆の大罪を犯した者でも、ひとしく慈悲をもって見、飽くまで救ってとらそうという御誓願を申したのじゃ。それゆえ、どんな悪逆無道の者とても、如来の悲願を信じて、一念に称名念仏すれば、必ず、生れかわることができる」四郎は、眼をうるませながら、思わず身をのり出して、 「――生れかわる。……オオ私でも、生れ変ることができましょうか」 「見よ」上人の強いことばだった。そして指を、そういう四郎の胸にさし向けていった。 「そちはもうすでに生れかわっているではないか。邪智、妄念《もうねん》の鬼になって、この縁下に、寸前の闇を、猜疑《さいぎ》の眼にさぐりながら、息をころしていた時の自分と、こうして、明らかに、安らかに、われらと語り合っている自分と、思い較べてみたら分るであろうが」 「ああ。上人様」四郎は、合掌したまま、頭《こうべ》をすりつけてさけんだ。 「おゆるし下さいませ。何もかも、今までのことは。……善信様にも」こんな弱い男であったろうかと疑いたいほど、四郎は、変ってしまった。木賊四郎《とくさのしろう》、天城四郎と、その悪名を洛内はおろか、近国に鳴らしていた男とは受けとれないほどな姿だった。  四郎は、過去のこと――犯した罪業――あらゆる事どもを喋舌《しゃべ》ってしまいたかった。五臓の毒物を吐くように、彼は懺悔《ざんげ》しては泣きぬれた。そしてこれからは、それを償《あがな》うだけの善根をしなければならないと嘆いた。  また、彼は、禅房の床下へ忍んだり、法話を聴く信徒の中に交《ま》じってきたりした目的も、一切、上人と善信に告げた。そして、ここの教門を倒そうとする策謀が行われていることも注意したが、元より善信もそれは感知していることだし、上人はなおさら戸を打つ冬の風とも心にかけない風《ふう》なのであった。 [#7字下げ][#小見出し]十一[#小見出し終わり] (あいつ、どうしたのか?)播磨坊弁円は、こう舌打ちをならして、人通りもない辺りへ向って、人でもいるように罵《ののし》った。 「いい加減な法螺《ほら》をふきおって――。口ほどもない奴だ、もう今日で十日以上にもなるではないか。……だのにあれきり音沙汰もない」  いつぞや天城四郎と立ち話でかたい約束をして別れた加茂川の堤だった。そこへ彼はおとといも来てみた。きのうも来てみた、そしてまた今日も、 (もしや?)と思って来たのである。  しかるに天城四郎は影もかたちも見せないではないか。聖護院《しょうごいん》のほうへやって来るかと心待ちにして、毎日、帰るとすぐ宿房の下男に聞いてみるが、手紙も来なければ、使いも見えない。 (まあ、見ていろ。近いうちにおれが吉報を持ってゆくから――)と、さも無造作にいって、松虫と鈴虫の局《つぼね》のありかを突きとめてくるように広言して行ったくせに、十日以上も沙汰なしとは、いくら盗賊の通癖とはいってもあまりにずぼら[#「ずぼら」に傍点]過ぎる。 「あいつが広言を吐いてひきうけるようなことをいわなければ、おれが自身で探したものを――」弁円は、腹が立って、たまらなかった。しかし、その文句をいう相手がいないので、彼はつい、独り言に、そうつぶやいて、河原の方を見たり、堤の上を眺めたり、ややしばらくを、意味なくそこで立ち迷っていることしかする術《すべ》はないのであった。  彼がしきりと焦心《あせ》っているのも、実は無理でないのであって、仙洞御所《せんとうのごしょ》の命はいよいよきびしく、中務省《なかつかさしょう》の吏員《りいん》はやっきになって、二人の局《つぼね》の詮議《せんぎ》に今は白熱しているかたちなのである。  それに、市中《まちなか》へ立てた官の高札は、たちまち効《き》き目《め》があって、それに掲示された恩賞を利得しようとする洛内の雑人《ぞうにん》たちが、密偵になりきったように、寄るとさわると、松虫の局《つぼね》と鈴虫の局のありかについて、目鼻をするどくし合っているのだ。弁円が悠々と待っていられない気持はそこにあった。まごまごしていれば何人《なんぴと》かがきっと探し当てて官へ密訴して出るにちがいない。虻《あぶ》蜂《はち》とらずの目を見てしまうに違いない。 「ええ、ばかな」彼は、自分の迂愚《うぐ》を罵《ののし》って、 「――あんな男をあてにして、のんべんだらりと待っている奴が間抜けというものだ。よし、もう当てにすまい。自分の力で突きとめてみせる」弁円は、杖を持ち直して歩き出した。――といっても、彼にもすぐ的《あて》があるわけではないが。 (吉水)と、思ったが、さすがに彼には、そこへ近づく気になれない。こっちの探らぬうちに、先に疑われてしまうだろうと思った。  ――どこか、吉水の浄土門に関係のあるほうから探ってやろう。外廓《がいかく》から手繰《たぐ》ってゆくのも案外おもしろいかも知れない。  そんなことを考えながら、三条のほうへ、並木にそって、半町ほど歩みかけると、誰か、後ろで自分を呼ぶ声がする――  振向いてみると、今、自分が立っていた堤の上に、一つの人影が見え、手をあげて招いているのだった。 「ア。……四郎か?」と思ったが、それにしては姿がちがっている。どうやら自分を呼んでいるその男は、黒い法衣《ほうえ》を着た僧らしいのである。 [#7字下げ][#小見出し]十二[#小見出し終わり]  ――誰だろう? 弁円がいぶかりながら元の道へ足をもどして行くと、遠くから呼びとめた僧体《そうてい》の男も、彼方《かなた》から歩み出して、お互いに距離をちぢめた。  そして、双方の顔がわかる程度まで近づくと、 「あっ?」弁円は大げさに叫んだ。  いや、驚くのが当りまえで、彼があっといったのも、あながち誇張ではない。 「――四郎じゃないかっ」駈け出して、その僧体《そうてい》の男の前に立ち、もいちど、呆れ返ったように眼をみはった。  天城四郎はきれいに頭を剃《そ》っていた。見るからに剽悍《ひょうかん》なあの野武士ていの姿はどこにもない。この寒空にうすい墨の法衣《ころも》一枚なのだ。そして、惨忍にかがやいていた眼も、酷悪《こくあく》に尖《とが》っていた鼻ばしらや顎骨《がっこつ》も、どことなく和《なご》んでしまって、つい先ごろここで、 (よしっ、待っていろ)と、悪業《あくごう》へ勇み立って行ったあの大盗らしい面影もないのである。弁円はあまりのことに、 「うむむ……」ややしばらく唸《うめ》いているばかりであったが、 「おいっ」いきなり四郎の肩へ手をかけ、揺すぶるようにしていった。 「ど、どうしたんだ一体、その姿は。――毎日、どれほどここでおれは待っていたか知れないぞ。してまた、頼んだことは、突きとめたか」四郎は、にやりと笑って、 「弁円……」 「なんだ」 「おれはもう、神通力《じんずうりき》を失ってしまった。その代りに、この通り、仏果《ぶっか》の功力《くりき》というものを授かった」 「待てオイ。――貴様はいったい正気か」 「正気だ」 「そんな姿に変ったのは、あの事件の秘密を探るために、吉水禅房の奴らをあざむくための手段にやったのではないのか」 「たれが、嘘や手段に、頭を剃《そ》るか。――わしはついきのう、上人のおゆるしを賜わって、岡崎の善信どのの手で得度《とくど》していただいたのだ」 「得度を」 「おれは初めて、明るいこの世を見た。うれしくて、欣《うれ》しくて、堪らないのだ。このさわやかな心持を誰に話そう? ……。考えてみると、おれの母も父も、おれを生れぞこないの悪鬼だとばかり嘆いていた。その両親《ふたおや》もどうしているやら。……ああ誰かにこの欣びを告げたいがと――そこで貴様のことを思い出してやって来たのだ」 「――えっ、そんなことで、この弁円を思い出したのか。じゃ松虫鈴虫の行方を突きとめてくれと頼んだことは」 「もうよせ」 「な、なんだと」 「つまらぬ邪念に躍起となって、おのれも苦しみ、人も苦しめてどうするか」 「待て、ば、ばかっ。――おれは貴様から意見を聞こうなどと思わぬ」 「悪いことはいわぬから、人を呪詛《じゅそ》することはやめにしろ。善いことはしなくとも、それだけでもよほど自分が楽になるから」 「さては、てめえは吉水へ忍び込んで行って、あべこべに吉水禅房の法然や善信に騙《たば》かられたな」 「勿体ない、おれを生《うま》れ甦《かえ》らせてくれた師に対して、悪口《あっこう》をたたくと承知せぬぞ」 「何をいうかっ」弁円は杖をふりあげて、四郎の横顔へ、ぴゅっとそれを揮《ふ》り下《お》ろした。 [#7字下げ][#小見出し]十三[#小見出し終わり]  四郎は、身をひねって、弁円の打ち込んできた杖を小脇へ抱きこんだ。 「何をするッ、弁円」 「知れたことだ。よくも約束を裏切ったな。貴様は、念仏門の魔術にかかったのだ。察するところ、吉水の法然や善信に、こっちの策略を喋舌《しゃべ》ったであろうが」 「元より、何も――かも懺悔《ざんげ》した。して悪いか」 「うぬっ、見損なった。もう、生かしてはおけん!」 「うろたえるな、髪は剃《そ》り落しても、まだ、天城四郎の腕の力は抜けていねえぞ」 「おもしろい」弁円は、足をあげて、四郎の腰骨を蹴とばした。そしてふたたび、杖を持ち直して、りゅうりゅうと暴れまわってくる。  四郎は、跳びさがって、 「心得た」と、法衣《ころも》の袖をたくしあげ、拳《こぶし》をかためて罵《ののし》った。 「よしっ、こんどは汝《てめえ》を得度してやる。眼を醒《さ》ませ」 「しゃら臭《くさ》い」二人は、ついに、四つになって取っ組んだ。背に笈《おい》を負っているので弁円の体は自由を欠いていた。あっ――と声を横に流して並木の根がたへ彼は顔と肩をぶつけていた。 「ざまあ見ろ」四郎は、そういって、思わず凱歌をあげたが、ふと、自分はもうすでに元の天城四郎ではない念仏門の一弟子であることを思い出して、 (しまった)と思った。  得度をうける時に、かたくかたく戒《いまし》められていたのである。我《が》を出すな――我を出すときには必ず元の四郎が出るぞ――御仏をもってそれを抑えろ――それには何事にふれても念仏を怠るな、ここと思う時には念仏をとなえかかれ、そしてそれを、寝る間も、醒《さ》めても、不断のものにせよ、おのれのものにせよ――と。  したたかに投げつけられて、額《ひたい》の血と泥とをこすって、無念な顔をしている弁円のすがたを見て、四郎はすぐそれを思い出した。――彼は、子供が覚えたてのいろは[#「いろは」に傍点]を口誦《くちず》さむようにあわてて、 「な、む、あ、み、だ、仏」そういって、 「痛かったか弁円」と、抱き起した。 「ち……」弁円は、眼に流れこんだ血を、手でこすって、彼に支えられながら、よろりと立ち上がった。 「おいっ、勘弁しろ。おれはもう元の天城四郎じゃなかった、仏弟子《ぶつでし》だ、このとおり謝《あやま》る――」  と、頭を下げるとたんに、弁円は起き上がる時につかんでいた杖を真っ向にかむって、 「野郎っ!」天飇《てんぴょう》から振り落すような力で撲《なぐ》りつけた。 「ウーム……」さしもの四郎も、二つ三つ、足をよろめかせたまま、ばたっと、そこへ昏倒してしまった。  その背を、弁円は、また、二つ三つ撲りつけた。それでもなお腹の癒《い》えない様子であったが、ちょうど、河原から堤へ上がってきた人影があったので、見つかっては面倒と思ったのであろう、 「馬鹿野郎、思い知ったか」そう捨てぜりふ[#「ぜりふ」に傍点]を吐き捨てると八《や》ツ乳《ぢ》の草鞋《わらじ》に砂を蹴って、まっしぐらにどこともなく逃げ去った。 [#3字下げ][#中見出し]火と火[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  鹿《しし》ヶ|谷《たに》の法勝寺《ほっしょうじ》は、月に幾日かは、必ず法話や専修念仏の衆会《しゅうえ》が催されるのに、この十一月《しもつき》から師走《しわす》になってからは、 (住蓮が病気のために)といって、一回もそれがなかった。  誰も、それを怪しみはしなかった。むしろ常々ここへ詣《もう》でる人々は、 (こういう薬は)とか、 (手製《てづく》りの甘い物を)とかいって、何か見舞を携《たずさ》えてきて、病人に上げてくれと置いて行った。その度に、 「住蓮……」 「安楽房……」  二人は、顔を見あわせて、自責にたえない眉を見合った。 「ああいう善良な人たちを、わしとお身は、あざむいているのだ。――仮病《けびょう》とは知らない信者たちは、見ていると、一刻もはやく御病気が癒《い》えますようにと、御本堂で祈念をこめて帰って行きなさる。――あれを見ていると、たまらないほど苦しい」安楽房は、重い息をついて、山荘の奥でうつ向いた。  沈黙していると、二人の胸には、今さら、悔いがのぼってきた。――あの松虫の局《つぼね》と鈴虫の局さえここに匿《かくま》わなければと。  だが、一日ましに、事情が苦しくなるほど、一日ましに、二人は、あの匿《かくま》い人《びと》をふり捨てる気になれなかった。 「おれたちは、邪道に落ちているぞ――」と、ある時は、住蓮が告白した。 「なぜ」 「ようく自分の胸に手を当てて考えてみることだ、いつの間にか、お身のことは知らないが、わしは鈴虫の局《つぼね》に恋をしているらしい。……鈴虫の局の眼がものをいう。すると、自分にあらぬ血が奏《かな》で初めるのだ」 「それは、おぬしばかりじゃない。……実をいえば、わしもだ。わしも何か、そういう自分の気持に気づいていないことはないが」 「やはり、女人《にょにん》をここへ入れたのは、わしらの誤りだった。御仏の旨にちがっていた」 「いや、御仏がではない――つまり自分たちの修行が未熟なためだ。女人を魔視し、女人を避けることを教えているのは、旧教だ、聖道門《しょうどうもん》だ、それではならぬと法然上人も仰せられたことだし、善信御房のごときは、身をもって、あの通り示されている。――しかも、善信御房の信心は、誰が見ても、玉日さまを妻となされてからの方が、確固として、頼もしげに見えているではないか」 「だから吾々も、女人に対して、もっと近づいていいと仰せられるか」 「だめだ、こんな心では」自分の未熟を無念がるように、安楽房はそういってもだえた。 「おれなどは、とても善信御房のように、そこからすぐ安心をつかむことはできそうもない」 「では、どうしたものじゃ。……このままあのお二人をここに置けば、自分の信仰がくずれてしまうか、そうならぬ間に、厳しい詮議《せんぎ》の者の眼に見つかってしまうのは知れたことだが……」 「お気の毒だが、出てもらおう、この山荘を」 「えっ、追い出すのか」 「そうではない、どこか他《ほか》のまったく人の気づかぬ所へ、そっと、夜陰にでも、移っていただくのだ」 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり]  希望の光明に燃えて、御所を脱けだした鈴虫の局《つぼね》であった、また松虫の局であった。  ――だが、二人がじっと半月も住んでいた狭い部屋は、明りも入らない冷たい部屋だった。 「どうか、髪を剃《おろ》してくださいませ。髪を剃してしまえば、もう御所へもどれといっても、戻ることはできませぬ」二人は、住蓮と安楽房に、何度もせがむのであった。だが、さすがに、一方はそういう決心もつきかねていた。 「何か、ご用事を、いいつけて下さい。――働きたいのです、どんな辛い水仕事でもしたいのです」これも、彼女たちが、幾度《いくたび》も願うところだったが、 「滅相もない」と、安楽房がいい、 「――もうしばらくは、ここにじっと隠れておらねば」と、住蓮もたしなめた。しかし、日が経つほど、世間はうわさを忘れても、その筋の探索《たんさく》はきびしくなるばかりである。 「いつになったら」と、闇の小鳥のような眼をして鈴虫と松虫は、そこにすくみ合っていた。 「もし……」閉めてある妻戸の境で、人の跫音《あしおと》がとまった。住蓮の声である。安楽房の影もうしろに見えた。  ふたりは、何事かと、小さな胸を躍らせた。もう、夜が更《ふ》けているのである。日が暮れてから、男性の二人が、女ふたりのこの密室を訪《と》うことはなかった例である。 「――すぐ、お支度をなされませ。吾々が、ご案内する」 「え? ……。どこへ」 「もう、この法勝寺では、危険になりました。何となく、世間が知ってきたようです。で……相談したのですが、これからずっと山伝いに奥へ入ると、私たちが、仮に住んでいたことのある小屋があります。そこまで行ってください。――それからのことは、後でまた、よくご相談いたしましょう」あわただしい気持が、ふたりを駆りたてた。何かもう足もとから火がついたように落着かなかった。  被衣《かずき》して、裾をからげて、ふたりは住蓮と安楽房に従《つ》いて行った。星あかりもない樹の下を登るのだった。松明《たいまつ》が欲しいのであるが、それも危険だと考えられるので、まったく手さぐりで歩くのだった。 「あぶのうございますぞ」 「はい……」 「まだ、誰が知ったというわけではないから、ご心配には及びません。いよいよ、この山では、危ないとなったら、遠くへ、お落し申しましょう」 「……え。……ですが、私たちは、このお山に、死んでもいたい気がするのです」鈴虫は、そういった。住蓮は、いつとはなく、彼女の手を引いてやっていた。安楽房は、急な坂にかかると、松虫の局を背に負って這い登った。  ――捨てられない。若い住蓮は心のうちでそう思った。おそらく安楽房も同じであろう。どうして、この無力な、そして自分たちを、かくまで信じきっている女性《にょしょう》を、このまま振り捨てられよう。  あたりの樹々は、露が凍《こお》って、白珠《しらたま》をつらねたように氷が咲いていた。大地は、針の山に似ている冱寒《ごかん》の深夜だった。けれど、四人の若人《わこうど》の息は、血は、さながら火と火のように熱かった。  やがて、二十町も登ると、 「やっと来ました。ここです……」と、住蓮は、戸の閉まっている一軒の小さな空家を指さした。どこかで、滝が鳴っていた。 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり]  めったに開けたこともないような一軒家である。廂《ひさし》や戸は朽ちているし、床《ゆか》に敷いてある物も黴《かび》のにおいで蒸《む》れていた。ある堂守《どうもり》が住んでいた後に、住蓮と安楽房がしばらくここに生活《くら》していたことがあるので、貧しい炊《かし》ぎの道具や灯《あか》りをともす器具などはあった。 「ここならば、しばらくの間は、世間の眼にもふれずにおられよう」木を拾ってきて、二人は火を焚いた。明日《あした》はまた、隙を見て、寝具なども法勝寺の庵《いおり》から運んで来ようと慰めるのであった。  松虫と鈴虫は、この二人の親切に、ただ涙がながれてならなかった。そして、御所の絢爛《けんらん》な襖《ふすま》やあつい綿を思っても、少しも悔いを感じなかった。  美食や、脂粉や、絹のものや音曲や、そういう雰囲気《ふんいき》の生活よりも、ここにある真実こそ人間の生活だと思った。――ただ彼女たちはまだ自分たちの装いが、俗のままにあることがともすると意志を弱めているようでならない。もっと、今の感激をつきつめて、髪を剃《おろ》し、袖も裳《もすそ》も、断《た》ちきって、清楚な尼《あま》のすがたになりきってしまいたい念だけがあった。 「おねがいです」 「どんなお誓いでも立てまする……」そこへ来てからも、彼女たちは、掌《て》をあわさないばかりに縋《すが》った。  安楽房と、住蓮は、ついにそれを拒《こば》みきれなかった。――というよりも自分たちの若い情熱と信仰に多分な危うさを覚えだしていたので、 (そのほうがいい)と思った。  おそらくまた、鈴虫と松虫のほうにも、同じような怖い動揺が血の中にあったであろう。お互いが若いのだ、そして極めて危ない火と火を持ち合っているのだ。もしその薄紙にひとしい一線を越えたがさいご、もうふたたび今の安心と信念はあるわけに行かないのである。それには、彼女たちの黒髪を剃《おろ》すことは、どっちに取っても、絶対な誓いであり、反省の姿を持つことになる。 「では、明日《あした》にも」と、二人はいったん山を降りて法勝寺へ帰った。そして、改めてまた登ってきた。  麗わしい尼が二人できた。  安楽房は、松虫の黒髪を。――住蓮は鈴虫の黒髪を、ひとりずつ、剃刀《かみそり》をとって、得度をさずけた。 「ああ……」住蓮は、裏へ飛び出して、ややしばらく入って来なかった。安楽房も、この麗わしい若尼《わかあま》のすがたを正視しているにたえなかった。しかも、相抱いて、寒々と、うれし泣きに泣いているふたりのすがたを見ては、――それをもうれしいほどな彼女たちの過去の生活であったかと思った。 「御仏の道に生きまする」 「信仰に生きまする」そういって、彼女たちはもう、次の日から、柴《しば》を拾って、貧しい炊《かし》ぎをしていた。いつ行っても、ただ一体の仏陀《ぶっだ》を壇において、その前で、念仏をとなえていた。  住蓮と、安楽房とは、交《かわ》る交《がわ》るそこへ彼女たちの不便な物を運んでやっていた。――すると、何時とはなく、こう二人の者の行動を知って、 (はてな? どこへ行くのか……)と、眼をつけていた者がある。  吉水禅房や、岡崎を初め、あらゆる念仏門系の法壇のある所を、所きらわず歩きまわって、狩犬のような鼻を働かせていた播磨房《はりまぼう》弁円であった。 [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり]  あれほど、月々の法会《ほうえ》や、念仏の唱導を、活溌にやっていた鹿《しし》ヶ|谷《たに》の法勝寺が、近ごろ、はたと戸をとざしている。住蓮か安楽房かが、病気のためだとは称しているが、弁円は、そのうわさを麓《ふもと》で聞くと、すぐ、 (こいつはおかしい)と直感した。 (病気なら、吉水から、誰か代る者をよんできても、説法日の法筵《ほうえん》ぐらいは開かれる。それに、住蓮も安楽も、少しも麓に姿を見せないというから、何か、べつな理由があるにちがいない)弁円が、鹿ヶ谷へ目をつけだしたのは、そんな動機からであった。彼は、山伏のすがたではまずいと考えた。笈《おい》や杖や服装をすっかり解いて、木樵《きこり》か農夫かと思われるように身装《みなり》を代えた。  山刀を一本さして、弁円は毎日山をあるいていた。法勝寺と山荘のまわりをうろついて、裏へ迷いこんだり、夜は床下へ這ってみたり、種々《さまざま》に探ってみたが、 (はてな?)と、思われるだけだった。  もう鈴虫も松虫もいなかったのである。何の怪しいふしも発見できなかった。だが、弁円は、干飯《ほしい》を噛みながらも、そこを去らなかった。  なぜならば、一人が病気のためと触れているのに、住蓮も安楽も健在でそこにいることを確かめたからだった。 「臭い。どうもここよりほかにない。見ておれ、今にあばいてやるから」彼の執着心というものは幼少からの持ち前といっていい。思いこんだことにはどんな蹉跌《さてつ》があろうと屈しないのだ。それは彼が寿童丸《じゅどうまる》とよばれた昔から持っている善信(親鸞)への呪詛《じゅそ》と報復とを、今になっても金輪際《こんりんざい》捨てていない異常な粘《ねば》り方と根気を見てもわかるのである。 「おや……誰か出てゆくぞ……こんな深夜に」四日目の晩だった。法勝寺の裏にひそんでいた弁円は、星明りの下《もと》に一つの人影を見つけた。頭から衣《きぬ》をかぶっていてよくわからないが住蓮らしい背かっこうである。  尾行《つけ》てゆくと、麓《ふもと》へではなく、住蓮は鹿ヶ谷からなお上の山路へ一人で登って行くのだった。手になにやら包みを提《さ》げている。非常にあたりを憚《はばか》るような挙動なのだ。 (しめた!)という気持が弁円の胸をいっぱいに躍らせていた。勿論、住蓮はそういう犬がついて来るとは知るよしもなかった。彼は、もう上の尼たちが、食糧がなくなるころなので、深夜をはかって、それをそっと運びに行くのだった。  この上には人家もないはずだと弁円は考えていたが、肌の汗ばむような嶮《けわ》しい道をのぼりつめてゆくと、ポチと、灯が見えたのである。――朽ちた板戸の破《わ》れ目《め》から。 「あっ……」意外とせざるを得なかった。住蓮が立つと、そこが開《あ》いたのだ。そして、炉《ろ》の火をうしろにして、美しい尼が二人、何か囁《ささや》き合って、彼を中へ導いた。  すぐ閉められた戸の外へ走り寄って、弁円は、板戸の穴へ顔を押しつけた。息をころして覗《のぞ》くのだった。 「……ウウム」思わず大きな息をつく。  風は満山に轟々《ごうごう》と鳴って、どこかですさまじい滝水のひびきがする。星は研《と》げて、一つ一つが魔の目みたいに光っていた。猿《ましら》がしきりと暗い谷間で叫びぬく。 [#3字下げ][#中見出し]七花八裂《しちかはちれつ》[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  樵夫《きこり》のような男が、ぶらりと叡山《えいざん》の根本中堂の前に立った。座主《ざす》の執事らしい僧が、 「うろんな奴、あれを糺《ただ》せ」と、院務を執っている一人へ囁《ささや》くと、 「これっ」ばらばらと、二人ほど、駈けてきて、男の腕をつかまえた。逃げもしなかった。 「はいっ」と、明晳《めいせき》に―― 「なんですか」 「おまえは何者だ」 「私は、十数年前、当山にいて仲間僧《ちゅうげんそう》を勤めていたことのある朱王房《しゅおうぼう》といっていた者です。もっとも只今では、聖護院の印可《いんか》をうけ、名も播磨房《はりまぼう》弁円とかえて、山伏となっておりますが」 「なに、山伏じゃ」と、異様な彼のふうていを見直して―― 「山伏たる者が、何でさような姿をし、山刀など差して、お山をうろついているか」 「ゆうべの夜中から、鹿《しし》ヶ|谷《たに》の奥峰から山づたいに参ったので、麓にある山伏の行衣《ぎょうえ》を取り寄せて身にまとう遑《いとま》もなかったのでござる。それゆえに――」 「待て、いちいちいうことが不審である」 「そのご不審は、座主にお目にかかってお話する。座主がお会いできなければ、それに代わるお方でもよろしい」傲岸《ごうがん》な態度である。  しかし、狂人ではないらしい。僧たちは、執事までありのままに取り次いだ。――鹿ヶ谷からと聞いて首をかしげたが、とにかく会ってみようという。  それから、弁円は、足を洗って、一室へ入った。人を遠ざけての密談で、なにか長い時間そこを出なかった。それのみか、中堂からは、にわかに使いが走り、主なる長老や叡山の中堅が二十名も集まってくる。  ――何事が起るのか、末輩には分らなかったが、やがてその日の夕方には、弁円は一人麓に降りて、かねて預けておいた所から笈《おい》や服装をとりよせて、元の山伏にかえり、京の町を大股に急いでいた。 「ここだな」仙洞御所《せんとうのごしょ》の前に立って、弁円は杖をとめた。御門垣から少し離れた所には、例の松虫、鈴虫の詮議《せんぎ》に関する厳達が高く掲示されてあり、その板も、もう雨露《うろ》に墨がながれていた。 「おねがい仕る」衛府の門を入って、弁円は高らかにいった。 「おそれながら、松虫の局と鈴虫の局のありかを、まさしく見届けて参った者でござる。御上申のほど願わしゅう存ずる」 「なに」と、衛府のうちでは色めき立って、すぐ、彼は評定所《ひょうじょうしょ》のほうへ廻された。  問注所の役人がいならぶ。  弁円は、雄弁に、自身で探りあててきた次第を述べたてた――勿論、鹿ヶ谷の安楽房と住蓮のことは、極力それを誇張して。 「よしっ」いちいち書きとめて、 「確《しか》と相違ないな」 「神仏につかえる身、何として」 「拇印《ぼいん》を」と、彼の証《しるし》を取って、 「追ってお沙汰があろう」と帰した。  弁円は、問注所から衛府を通って、御門の外へ出た。門の外には、叡山の法師たちが、頭巾《ずきん》の裡《うち》から眼をひからして待っていた。 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり] 「弁円どの。どうだった」法師たちの影は、彼を囲んだ。  弁円は、小声で、 「上々の首尾さ。――確《しか》と、中堂の執事と、叡山の大衆《だいしゅ》へ、この由、触れておいてくれ」 「心得た」 「――では、後を楽しもう」 「応《おう》」弁円とわかれて、法師たちは山へ走った。  彼らがもどってくることを、もう中腹の寺々では待っていた。  一人が聞くと、先へ走って行って、一人へ伝える。その者がまた、次の者へ伝える。わずかなうちに、このことは、一山のうちに知れていた。 「いよいよ念仏門の滅亡の日も近づいた」  と、人々は暗黙のうちに、叡山天台の独り誇り得る時代が来ることを祝福して、法敵|吉水《よしみず》へやがて襲うであろうところの暗風黒雨を想像し、 「こんどは、ちと烈しいぞ。いくら強情な法然でも、善信でも、致命的な悲鳴をあげるにちがいない」いかに吉水禅房の人々がそれに処すか――見ものであろうなどという言葉は、かなり長老といわれ碩学《せきがく》といわれている者の口からも洩れた。 「好機。ここを外《はず》すな」叡山はまた、鳴動しだした。  そういう裏面のことなどは元よりおくびにも出すのではない。例の打倒念仏の理論をかかげて、洛中へあふれ出した。  南都も、それを伝え聞いて起った。彼らは、朝廷へ向って、再び、 「念仏停止願文《ねんぶつちょうじがんもん》」  をさし出すと共に、辻に立ち、寺に立ち、檄《げき》を貼り、声をからして、念仏門を誂謗《ひぼう》した、批判という中正は元々欠いているのだ、ただ、念仏を仆せ、法然を追え、善信を葬れ――とさけぶ。  だが、民衆は、まだ耳をかさなかった。笛ふけど踊らず、民衆の批判のほうが、遥かにもう進んでいたのである。        *  今――眠ろうとしていたところであった。破《わ》れんばかりに戸を叩いて、 「お二人っ! 起きていますか。――住蓮と安楽です。すぐ、すぐに! 逃げる支度をしてください、逃げる支度を」まるで、山海嘯《やまつなみ》のような、不意であった。  松虫と鈴虫は、 「アッ……」と全身を凍《こお》らせた。だが、松虫はさすがに年上であった。 「あわててはいけません」わざと静かに、こうなだめて、咄嗟《とっさ》に身仕度をし、足ごしらえまでして戸を開けた。  その時のほうが、彼女はぎょっとした。いつも暗澹《あんたん》と樹々の風ばかりしている山裾のほうが、真っ赤なのである。そこらの樹木の一本一本がかぞえられて、葉や幹の下草までが、赤い火光にかがやいているではないか。 「火事ですか」  住蓮と安楽は、小屋のうしろで突く這っていた。岩清水へ口をつけて吸っているのである。濡れた顔のまま、 「さ! 逃げるんです」と、いった。 「あの火事は、法勝寺ですか」 「火事だけなら、こんなにあわてはしません。衛府《えふ》の者がやって来たのです。とうとうやって来た! 何十人という捕吏を連れて――」 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり]  住蓮は、ことばを続けて、 「この峰づたいに――どこまでもどこまでも――人里を避けて、西のほうへお逃げなさい。他宗の者や、田舎《いなか》の役人などに気をつけて」おののいて、足も地につかないでいる松虫と鈴虫とへ、 「こうしている間に、捕吏が登ってくると、もう最期になります。私たちが、付いて行ってあげたいが、私たちは、これからなお、吉水の上人に、事の由を申しあげて、この禍いが他へ及ぼさぬようにしなければなりません」  安楽房も、急《せ》き立てて、 「さ、早くなされい。……なあに人界は追われても、到る所に、仏界はあります、浄土はあります」 「では……」と、転ぶようにふたりは細い杣道《そまみち》を攀《よ》じてゆく。 「気をつけて――」 「はい」 「……気をつけておいでなされよ。……松虫どの、鈴虫どの」 「住蓮様――安楽房様」 「おさらば」法勝寺を焼いている炎は、遠い眼の下に見えるが、吠えくるう風の音と火のハゼる音がそこまで聞えてきた。  峰の背へ――ふたりの影を見送って、 「住蓮」安楽房は、友の肩をつかんで、嗚咽《おえつ》しながら、 「法勝寺が焼ける」 「ム……ム……自分で放《つ》けてきた火だ。焼けたほうが潔《いさぎよ》い」 「みんなおれたちの火悪戯《ひいたずら》だった。世を救う力もない者が世を救おうとし、人を救う力もない者が人を救おうとした結果だ、仏陀《ぶっだ》の見せしめだ……」 「だが、安楽房、あんな物は焼けても、また、焼け土の下から若い草は萌《も》えるよ、見ろ、念仏門の胚子《たね》が、あんなに火になって、空へ舞うじゃないか」 「殉教者となるのは、元より覚悟のことだ。ただこれによって、念仏者の精神が、社会へ大きく映《うつ》ってくれればいいが」 「自分に力のないまでも、魂をもって哀れを訴えてくる者には、ここまで、身をもって、救おうとした自分らの犠牲――いやそういってはいけない――真心だけは世間にもわかってもらえるさ。……それで満足じゃないか」 「どうだか、心もとないことだ」 「分らなければ、自分だけが、正しくあったということだけでも、おれはみずから安らぐ。――ただ案じられるのは、おれたちの行為が、吉水の上人の御迷惑にならなければよいがという点だが」 「上人はなにも御存じないことだ。上人ばかりでなく、吉水の誰も関《かか》わりないことだ」 「でも、一応は、お詫びもし、またあらかじめ事情をお話し申しておこう」 「元より、それは必要だ。……どう参ろうか」 「二人では、かえって人目につく。――こうしよう、おれは山づたいに、吉水の上人の所へゆくから、そこもとは、岡崎のほうへ走って善信御房に、この仔細を伝えてくれ」 「よしっ……」と、走りかけて、 「では安楽房、お互いにこれ限りいつまた会えるかわからないぞ……。達者に」 「……お身も」 「だが、どこの山野で暮そうとも念仏は捨てまいな」 「捨てない! ……捨てるものか! ……。オオ、そこへもう捕吏《ほり》らしい影がのぼって来るぞ。さらば――」 [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり]  法勝寺はまたたく間に焼けた。附近の樹木は黒い人骨のように手足を突っ張ったまま立っていた。余燼《よじん》の煙のかなたから鈍《にぶ》い朝陽《あさひ》はのぼった。  安楽房は、五日ほど、山の中に潜《ひそ》んで草の根を食っていた。 (吉水の上人に――)と、心は焦心《あせ》るし、 (洛中では、どう噂しているか、同門の人々に、何か迷惑はかかっていないか)と、案じぬいて、どうかして、一刻もはやく山を――と降りる道を窺《うかが》うのであったが、どの道にも、捕吏の影が立っていて、うかつに里へ出て行ったらたちまち捕われてしまうことはわかりきっていた。 「住蓮は、首尾よく、岡崎の善信御房のところへ行き着いたろうか」そう考えると、彼もじっとしていることは、卑怯《ひきょう》に思われてきた。 「よしっ、今夜は」死を覚悟して、花頂山の麓《ふもと》へ降りて行ってみた。わざと道のない崖や谷間を、熊みたいに這って。  真夜中だった。なつかしや吉水禅房の棟《むね》は黒くもうそこに見える。彼は涙ばかりが先に立った。――どういってお詫びしようかと。  けれど、禅房の前へ立ってみると、夜半《よなか》といっても、いつでも、一穂《いっすい》の灯は必ず見える奥の棟にもどこにも、人の気はいはなかった。墓場のようにしいんとしているのである。試みに門を打ちたたいてみても、石つぶてを抛《ほう》ってみても。 「やっ……。これは」やがて愕然《がくぜん》と気づいたのは、常に人々の出入りする表の門に、大きな丸太が二本、斜交《はすか》いに打ちつけてあり、そこに、何やら官《かみ》の高札らしいものが掲げてあった。  ぎょっとしながら――安楽房は顔をそれへ近づけたが、その時、 「誰だっ」闇の中で大きな声がひびいた。いや跫音《あしおと》も飛ぶように近づいてくる。安楽房ははね飛ばされたように、附近の林へ逃げこんだ。振向いてみると、二、三点の松明《たいまつ》が方角ちがいを探している。明らかに、捕吏《ほり》だった。――彼の目には地獄の火と邏卒《らそつ》のようにそれが映った。  生きたそらはなかった。絶えず何者かに追われるように――そしてさまざまな疑いと迷いに乱れながら加茂川まで走ってきた。研《と》ぎたての刀を横に置いたように、加茂川の水は青かった。ふり仰ぐと冱寒《ごかん》の月は冷々《ひえびえ》と冴えているのだった、かかる折には望ましい雲もいつか四方にくずれて。 「ああ……」  安楽房は、橋の袂《たもと》にもたれて、骨に沁み入るような瀬の水音を聞いていた。――お師の上人はどうなされたのか? 吉水門の人々はどうなったのか?  ふと、その答えが、傍らの橋畔《きょうはん》に見出された。いかめしい厚札《あつふだ》の高札に書かれてある官《かみ》の掲示である。吸いつけられるように、彼はその前に立った。読み下してみると、 [#ここから2字下げ] 此度《このたび》、南北の議奏、叡聞《えいぶん》に達し、諸宗の依怙《えこ》、人心の謀《はか》りに依る。茲《ここ》に源空《げんくう》(法然上人)安元元年より浄土門を起す、老少ことごとく稼業を捨て、あまつさえ法外科五十余、之《こ》れに依って、自今、浄土念仏禁止せらる。 猶《なお》、一声もこれを停止《ちょうじ》す。 [#ここで字下げ終わり] 「あっ……あっ……。なお一声もこれを停止《ちょうじ》す。……では……」  安楽房は、凍《い》てた大地へ打ち伏して、わっと男泣きに、泣いてしまった。 [#7字下げ][#小見出し]五[#小見出し終わり]  安楽房は、血を吐いたように、失神していた。嗚咽《おえつ》をもらすだけで、身も骨も髪の毛も、冬の月と大地に、氷になるのさえ感じないでいた。 「……済みません! お詫びのいたしようがありません! わたくしはこれをどうしてお詫びしたらいいでしょうか。上人様以下、念仏門の諸信徒と諸檀家に対して」彼はすぐ、頭のしん[#「しん」に傍点]で、 (死!)と意識したが、 (死ぬくらいなことで、このお詫びができようか)と、もっと重い苛責《かしゃく》を心のうちで求めた。  念仏停止《ねんぶつちょうじ》の官命。  一声もこれを許さず――とあるこの峻厳《しゅんげん》な朝命。  その禍根が、自分と住蓮の二人のことから起ったのはいうまでもない。 「そうだ」彼は、高札の前から、よろよろと立ち上がった。悽愴な決意が、その顔を月より青く見せていた。 「――自分の行為を、明らかに官《かみ》へ申しあげて、衷情《ちゅうじょう》を訴えて、上人の罪をゆるしていただこう。せめて……せめてそれが……」残酷にまで、冬の月が、彼の蹌踉《そうろう》として行く足もとを照らしていた。  西洞院《にしのとういん》の西評定所《にしひょうじょうしょ》の門には、赤い篝火《かがりび》が消えかけていた。閉まっている門を打ちたたくと、 「たれだっ」と、べつな小門から侍が顔を突き出した。 「おねがいあって参りました。鹿ヶ谷に住む安楽房という者です。自分のいたした罪状について自首いたして出ました。御奉行《ごぶぎょう》にお会わせ下さい」 「なに、鹿ヶ谷の」わらわらと四、五名の侍たちが彼の両手を扼《やく》して、 「おおっ、安楽房っ」意外な獲物《えもの》に、 「はやく」一人が眼くばせする、一人が評定所の奥へ駈けこむ。奉行の右衛門尉経雅《うえもんのじょうつねまさ》は、 「――会いたいと」 「そう申しまする」 「引《ひ》っ搦《から》めて、白洲《しらす》へ曳《ひ》け」夜半をすぎていたが、松明《たいまつ》の火は、諸方に焚《た》かれ、そこばかりが赤く明るかった。  安楽房は、縄目《なわめ》をうけ、白洲に坐ると、すべてを隠さなかった。ありのままにいった。そして、 「師|上人《しょうにん》は元よりのこと、その他の同門信徒たちには、なにも知らない儀であります。この身は、いかような極刑に処せられましょうとも、決して、お恨みはいたしませぬが、あわれ、御仁恕《ごじんじょ》をもって、念仏門|閉止《へいし》のお罰は、ひとえにお寛大を賜わりますよう、わけても師の上人は、ここ年来、病弱、且《か》つ、専念御行状をも慎まれている折でもありまするし」  血を吐かないばかりに、彼の声は、慚愧《ざんき》と哀涙《あいるい》と熱烈な真心をつくして縋《すが》るのであった。――だが経雅《つねまさ》は、彼のいうところなどは聞こうともしないのである。 「汝と共に、鹿《しし》ヶ|谷《たに》におったはずの住蓮は、いずこへ潜伏したか」と、追求し、また、 「松虫の局《つぼね》と、鈴虫の局のお二人は、何地《いずち》へ落とした。それをいえ」安楽房が、それについては、一言も吐かないので、経雅《つねまさ》は、 「こいつ、自分の勝手なことには、饒舌《じょうぜつ》を恣《ほしいまま》にし、奉行の糺問《きゅうもん》には唖《おし》を装っておる。容易なことでは、泥を吐くまい、拷問《ごうもん》にかけろ、拷問にかけい!」と叱咤した。  侍たちは、篝火《かがりび》の中から、炎のついている松明をつかみ出して、安楽房の顔をいぶした。 [#7字下げ][#小見出し]六[#小見出し終わり]  一方、住蓮はどうしたろうか。  彼が友の安楽房とわかれて取った道も、元より荊棘《いばら》でないはずはない。いや、住蓮のほうは、もっと酷《ひど》かった。 「岡崎の善信御房へ――」と、彼は短気にそこを目ざして人里へ降りて行ったので、たちまち、捕吏の眼にとまって、 「鹿ヶ谷の売僧《まいす》!」と、まるで悪魔のように追いまわされた。  遠く叡山のふもとの方まで、彼は逃げ走って、山林の中へかくれたが、そこは実に、捕吏の屯《たむろ》以上に、危険な地域であった。なぜならば、念仏門の敵地だからである。叡山の山僧たちは、この附近へ鹿《しし》ヶ|谷《たに》の一名が逃げこんだと聞くと、奮《ふる》い立って、山狩りに奔命していた。――その人々の声高《こわだか》にいい交《か》わして通る言葉を聞いて、住蓮は、叡山の策動や、この虚に乗じて、素志をとげようとしつつある彼らの肚をまざまざと見た。 「この分では、善信御房の岡崎のお住居《すまい》も、どうあろうか」と、心もとなく思いながら、深夜、山林からそっと出て近づいてみると、果たして、遠く竹や柴で柵《さく》を作って、そこへ通う道には、官の見張が立っている。  河原づたいに、彼は、洛中へまぎれ込んだ。そして、様子を聞くと、市中は沸《わ》くような騒ぎなのだ。そして、口々に、 「御停止《ごちょうじ》じゃ」 「念仏は、一言《ひとこと》も」 「ああ、南無《なむ》」 「それ、うかつに口へ出すと」  恟々《きょうきょう》と、人心はおののいている。彼らには、なぜ念仏を口にすれば国法にふれるのか、いってならないのか、分らなかった。――つい幾年《いくとせ》前には、畏《かしこ》きあたりまで召されて、その講義を嘉《よみ》し賜い、堂上や多くの尊敬すべき人たちまでが、かつてはこれこそ人生最高のかがやきと仰ぎ唱えた念仏を、それを、口にしても、国法の犯人になる。――どうしても解かれない疑いだった。  そうして、御所の陽明門のあたりを見ると、制札が、ここにも墨黒々と立っていて、傍らの武者|溜《だま》りには、伊賀判官末貞《いがのほうがんすえさだ》とか、周防元国《すおうのもとくに》などという人々が、市中警備の奉行となって、夜もあかあかと松明《たいまつ》や篝火《かがりび》に冬の月をいぶしているのだった。  ぽつ、ぽつ、と時折その前を通る人影は、槍の光を見て、遠く足を浮かして歩いて行ったり、また、高札の前に立って、 「えらいこっちゃなあ」と、嘆息《ためいき》と共に読んで去る者もあった。  ――と、一人の男が、頭には法衣《ほうえ》をかぶって、足には破れた草履を穿《うが》ち、じろりと、奉行の武者溜りを横目に見て通りかけたが、突然肩をゆすぶって笑いだした。 「あはははっ……。口で唱える念仏の声は禁じても、心のうちで唱える念仏を停《と》められようか。ばかなッ!」と、人も無げに罵《ののし》って、 「――輪王《りんのう》位高けれど、七宝《しっぽう》永くとどまらず。世は末だ! 澆季澆季《ぎょうきぎょうき》」泣くように、月へさけんで、悠々と歩みをつづけて行く。 「やっ、何奴だ」判官末貞は、その声を聞いて、 「捕えろッ」と呶鳴った。  その叱咤《しった》を、後ろ耳で聞きながら、先へゆく法師はまだ足も早めず、大きな声に抑揚《よくよう》をつけて慷慨《こうがい》の語気を詩のように呶鳴りつづけていた。 「――天上楽しみ多けれど、五衰《ごすい》早くも現じける。五衰早くも現じける……」そして、腹の底から、二声―― [#ここから2字下げ] 南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》 南無阿弥陀仏 [#ここで字下げ終わり] 「待てッ!」と、武士たちが、槍をおどらして追いかけると、 「わしか」と、法師はくわっと炬《ひ》のような眼を振り向けた。 [#7字下げ][#小見出し]七[#小見出し終わり]  躍りかかって、有無《うむ》をいわせず縄を打とうとした判官末貞の部下も、振向いた僧の一喝《いっかつ》と、その眼光にはっと足をすくめて、 「待ちおろうっ」と、距離をおいて取り囲んだ。僧は、笑って、 「待っているではないか。何用じゃ」 「おのれ、そこの御高札を見ぬか、いや、辻々の掲示はもちろん、あれほど、厳しゅう官《かみ》より布令《ふれ》てある念仏|停止《ちょうじ》のことを知らぬのか」 「知っておる」 「なに」と、その傍若無人《ぼうじゃくぶじん》ぶりにあきれて―― 「知っていながら、しかも御所の御門の前を、今なんと吠《ほ》ざいて歩いたか」 「――南無阿弥陀仏! と」 「あっ、またいったな」 「オオ、南無阿弥陀仏」 「う、うぬ、怖《おそ》れ気《げ》もなく、お上《かみ》に対して、反抗を示しおるな。――名を申せっ、何者だ」 「念仏を唱えずには一日も生きておられぬ者だ!」 「よしっ、後悔するなっ」さらにまた、その間に、奉行小屋から加勢の人数も加わってきた。今までの物いいぶりから見て、尋常な法師でないと見たからである。  案のじょう、法師は、死にもの狂いになって抵抗した。――剣《つるぎ》、喚《わめ》き、地ひびき。――そこはたちまち修羅を現出して、一人を縛るために大勢の死傷を出した。  だが、鬼神のように暴れた法師も、ついに、力がつきて、折り重なる武者の下《もと》に十文字にくくり上げられた。よほど忌々《いまいま》しかったのである。判官《ほうがん》の部下たちは、土足をあげて法師の体を鞠《まり》のように蹴った。 「畜生――」  そう罵《ののし》りながら、縄尻を引っ張って、ずるずると評定所の門のうちへ引っ張りこんだ。法師は決して悲鳴をあげなかった、そんなにされても、時折、慨然《がいぜん》と元気な声を張って、為政者《いせいしゃ》の処置を罵り、そして手先になっている侍たちを、嘲殺《ちょうさつ》するように笑ったりした。  奉行の伊賀判官末貞は、 「名を申せ、寺籍をいえっ」と、彼を責めた。僧侶は、大地に坐り直し、 「おれは、鹿《しし》ヶ|谷《たに》の住蓮だ、おれの念仏を停《と》めてみい」といって、それから牢へ打ちこまれても、念仏を唱えていた。 「げっ、住蓮?」捕えてから驚いたことである、奉行は、もろもろへ達して、彼の顔を見知っている者を求めた。その結果、誰のことばも、 「住蓮にちがいございませぬ」と、証明した。  意外な獲物に、奉行の屯《たむろ》は、凱歌をあげた。一方の安楽房もすでに獄舎にいるので、断獄は、即日に決まった。  ――不明なのは、依然として、松虫の局《つぼね》と鈴虫の局の行方《ゆくえ》であったが、そのうち、師走も暮れ、新春の松の内も過ぎたので、いよいよこの二人から先に処刑することになった。  ――承元の元年、二月の初旬。  六条河原の小石は、まだ氷が張っていた。暖かい日だったので、加茂の水は雪解《ゆきげ》ににごっていた。  近衛牢《このえろう》から曳きだされた住蓮と安楽房のふたりは、矢来のそばの杭《くい》につながれていたが、やがて時刻が来ると、官の命によって刑刀をうけた獄吏たちの手で、仮借《かしゃく》なく、刑場の中央にひき出されて、氷石《こおりいし》の座に、筵《むしろ》も敷かず据えられた。 [#7字下げ][#小見出し]八[#小見出し終わり] 「――鹿ヶ谷の坊様たちが斬られなさる」群衆は、河原へ集まった。矢来の外へもひしめいて来る。 「おお、あれじゃの」刑吏の手でひきすえられた住蓮と安楽房のすがたを遠く見て、思わず、 「な、む、あ、み、だ、ぶつ」口走ると、 「しっ……」と、傍《そば》の者が袖をひいて、 「お停止《ちょうじ》ですぞ」と注意してくれた。 「そうだった」と、民衆は口を抑えた。 「たった一声、唱名《しょうみょう》をとなえても、厳罰というお布令《ふれ》、あぶない、あぶない」 「弥陀《みだ》のお力も、お上《かみ》のご威光には、及ばぬものか」 「時じゃ、時勢じゃ――法然《ほうねん》様さえほかのお弟子方と共に、御蟄居《ごちっきょ》といううわさ。御門の前を通ると吉水の元のおもかげもなく、今日このごろは、いかめしい武士《さむらい》や刃物の光ばかり……」 「では、もう上人のお姿は」 「オオ拝めまいぞ。――この世では」 「何という恐ろしいことを見るものじゃ――ああ、南無阿《なむあ》」 「これ、気をつけなされ」 「つい、上人様のことを思うと、口から出てしまう。唖《おし》になるのも、難かしいことじゃ」そのうちに、 「アッ……」人々は足のつま先を立てて矢来へ顔を寄せた。  ――見ると、あちらには、住蓮と安楽房の二人の後ろに、刃《はもの》を取った刑吏が廻って、なにか、最後のことばをかけている。  それだけは、獄吏の情けであったとみえる。二人とも、法衣《ころも》だけは着ていた。そして、数珠《ずず》も持っていた。 (遺言は)と刑吏が聞いてやったのであろう、住蓮も安楽房も、 (…………)静かに首を横に振った。  カラカラと矢来の竹の先が寒風にふるえて鳴った、しいんと一瞬天地は灰色に凍っていた。すると一声、安楽房の口から、「南無阿弥陀仏!」はっと、刑吏はあわてて、刀を斜めに振り落した。住蓮も、念仏をとなえた。しかし、二声という間がなかった。見るまに、二箇の死骸から血しおが蚯蚓《みみず》のように河原を走って、加茂川へひろがった、草も石もみな赤く染めるかと思うほどひろがって行った。  群集はわれを忘れて、 「なむあみだ仏……」もうそれは停《と》めようとしても停まらない声であった。十人や百人が唱えるのではない、あらゆる民衆の口からついて出るのである。獄吏や役人たちは、苦々しい顔をしたが、どうすることもできなかった。        * 「――たいへんでございます、鹿ヶ谷から四里ほど奥の小屋のうちで、若い尼《あま》様が二人、自害して死んでおります」猟師の駈け込み訴えに、 「それこそ、松虫と鈴虫の局《つぼね》」役人はすぐ、如意ヶ岳へ分け入った。想像どおり、彼女たちであった。形ばかりの位牌《いはい》二つ――住蓮と安楽房の霊に香華《こうげ》をそなえて、水晶の数珠《ずず》を手にかけたまま美しい死をとげていたのである。  ――仙洞御所の逆鱗《げきりん》!  南都、叡山、その他の諸宗諸国の反念仏派は、この時と、なお輿論《よろん》をあげた。そして功を奏した。徹底的に、念仏は地上から一掃され、彼らのいうところの法敵吉水は、潰滅《かいめつ》を予想された。 [#改ページ] [#1字下げ][#大見出し]氷雪篇[#大見出し終わり] [#3字下げ][#中見出し]花《はな》紛々《ふんぷん》[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  ――急転直下である。  承元の元年、二月二十八日。宣下《せんげ》は吉水へ降《くだ》った。 [#ここから2字下げ] 罪アリ。 法然房源空ヲ、俗名藤井|元彦《モトヒコ》ノ名ニ帰《キ》セシメ、土佐ノ国ニ遠流《オンル》ヲ命ズ。 [#ここで字下げ終わり]  洛内《らくない》はこの不安なうわさで、埃《ほこり》が黄いろく漲《みなぎ》っていた。諸国の信徒に、不穏な行動でもないかと、官の駅伝は、諸街道へ向けて、国司《こくし》へ早馬を送っていた。  罪は勿論、法然ひとりに下ったのではない。  吉水門下のうちでは、浄聞房《じょうもんぼう》、禅光房などの高足八名に対して、備後、伊豆、佐渡、阿波の諸国にわけて、それぞれへ、 (流罪《るざい》――)という厳達であった。  その他《ほか》には、性願房《しょうがんぼう》、善綽房《ぜんしゃくぼう》という二人は、かねてから鹿《しし》ヶ|谷《たに》の安楽房や住蓮と親密であり、かたがた、平常のこともあって、これは、 (死罪――)という酷命《こくめい》であった。  吉水の禅房を中心として、洛内の信徒の家屋敷は、おのおの、暴風雨《あらし》の中のような様であった。  突然、荒々しい武者どもが来て、 「調べる」と、たった一言《いちごん》の下《もと》に、家財を掻き回して、家宅捜索をする、そして、わずかばかりな一片の手紙でも、不審と見れば、 「こやつ、念仏門の亡者と、深い企《たくら》みがあったな」  有無をいわせないのだ。食事中の主《あるじ》を引っ張って行ったり、乳のみ児の泣く母親の手を曳いて行ったり、それはもう地獄の図にひとしいありさまだった。  わけても、今度の事変で、法然上人以上に、一身を危機に曝《さら》された者は、岡崎の善信であった。  叡山《えいざん》からは特に、と、かねてから注目の的《まと》になっていた善信である、念仏門の大提唱は、法然によって興ったとはいえ、その法然の大精神と信念とを体して、自己の永いあいだの研鑽《けんさん》をあわせて、強固不抜ないわゆる一宗のかたちを完《まった》からしめてきたのは、より以上、善信その人の力であると、今では人も沙汰するところである。 「彼こそ、この際、断じて死刑に処されなければいかん」とは、彼の大を知る反対側の他宗において、勃然《ぼつぜん》と揚《あが》っている気勢であった。  で――法然門下中の逸足《いっそく》としてこんどの処刑のうちには、真っ先にその名が書き上げられてあった。  他宗の希望どおりに「死罪」として。その罪として、  ――彼は肉食《にくじき》妻帯をしている。  ――彼は公然、しかも白昼、その妻玉日の前と同乗して、洛中を憚《はばか》りもなく牛車を打たせて歩いた。  ――彼はまた、何々。  善信の今日までの苦難力学はみな罪条にかぞえ立てられ、叡山《えいざん》の大衆《だいしゅ》はひそかに、 (異端者の成れの果てはこうなるのが当然だ、こうして初めて社会も法燈も正大公明ということができる)と、いった。  ひとり六角中納言親経《ろっかくちゅうなごんちかつね》は、その罪を決める仁寿殿の議定《ぎじょう》でそれが公明の政事《まつりごと》でないことを駁論《ばくろん》した。  中納言のこの日の議論はすさまじかった。太上《だいじょう》天皇のおん前ではあったが、面《おもて》を冒《おか》して善信の死罪はいわれのない暴刑であると論じ立てたのである。――しかし彼は吉水の味方でもなく叡山の味方でもなかった。  天皇の臣として。また、この国の文化と精神をつかさどる一員として、極力、反対したのである。その結果、善信は死一等を減じられて、 (越後国、国府《こう》へ遠流《おんる》)と決まったのであった。 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり] 「この老年《とし》になって――このあるまじき世の態《さま》を見ようとは……」月輪公《つきのわこう》は老いた。一夜のうちに白髪になったかと思うばかりに。  こんどの大事変で――いやそれより前からも心配は絶えない立場にあったが――誰よりも悲しみ、そして誰よりも肉体へこたえたのは、月輪|禅閤《ぜんこう》であったにちがいない。  帰依《きえ》する上人に対して。また、愛《いと》しいわが娘《こ》の聟《むこ》――善信に対して。 「……何たること!」老いの唇を噛みしめ、 「わしの身で代われるものなら」めったに嘆いたり狼狽《うろた》えたりしない彼が、 「いても立ってもおられぬ――」とさえ口走って、幾日かを、物狂わしげに悲しまれていたという町の人々のうわさも、決して、誇張ではなかったろう。  そしていよいよ宣下《せんげ》の日になると、彼は、老いの身を牛車《くるま》に託して、 「吉水へ」と、命じた。  吉水へ――これが最後の彼の運びであった。――光明の道、易行往生《いぎょうおうじょう》の信をもって通った道を、どうして、暗澹《あんたん》たる悲嘆の泥濘《ぬかるみ》として踏まなければならないか、禅閤は、 「……死にたい、もう、人の世がいやになった」牛車《くるま》の内で、つぶやいていた。  ――来てみれば、ああと、禅閤は思わず太い息をもらした。なんたる変りようだろう、これが昔日の念仏の声にみちたあの吉水のお住居だろうか。 「…………」禅閤は、しばらく、牛車《くるま》のすだれを垂れ籠めたまま泣いていた。従僕が、 「着きましてございますが」とうながしても、降りようとしなかった。  門のあたりは、焚火《たきび》のあとを蹴散らした燃えさしの薪《まき》だの、警固の武士がぬぎすてた切れた草鞋《わらじ》だの、馬の糞だの、狼藉《ろうぜき》を極めた光景だった。  役人の小者や、あばれ武者が、所かまわず飲食するので、野犬がたくさん集まって、禅房の中へまで上がり込んでいる。垣は破れ、門の扉《と》には、今も依然として、丸太の十文字が打ちつけてあって、出入りはすべて、警固の者の槍ぶすまに囲まれている横の小門からすることになっている。でも―― 「月輪公がお越しだ」 「えっ、禅閤《ぜんこう》が」こう警固の者にささやきが伝わると、さすがに、前《さき》の関白に対する敬意をよび起され、 「いざ……こちらから」と、丸太の十文字を取外し、静粛になって、警固の者が案内した。 「上人《しょうにん》は、おいでられるのかの」禅閤は、そばの者に訊ねた。 「おられまする。――以来、おらぬような謹慎《きんしん》をされていますが、奥のほうに」と、役人の一人が答えた。  衣食や――お薬や――そういうことなどもどうしておられたかと、禅閤は、もう誰もが、土足のまま勝手に踏み荒らしている禅房のうちへ、やはり常のように、沓《くつ》を脱《と》って、静かに上がった。 「オオ」ちらと姿を見た禅房の弟子が、うれしさやら悲しさやらで、思わずこう叫ぶと、上人の常に起《お》き臥《ふ》ししている奥の一室へ向って、まろぶように駈け込み、 「――月輪殿がお見えなされました。月輪殿が」と、あわただしくそこにいる上人に告げた。 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり]  ――どんなに惟悴《しょうすい》しておられるだろう、どんなに絶望的な老後をかなしまれているだろう。そう上人のすがたを想像していた月輪禅閤は、 「おう」と、上人のほうから、常のとおりな声で、先にことばをかけられると、はっと、なにものかに衝《う》たれて、 「……おお」同じように答えたまま、両手をつかえて、その手をしばらく上げることができなかった。  自分の至らなさを、禅閤はすぐ恥じた。そういう上人であろうはずはなかったのに、自分の悲嘆から推して、そうあろうと、上人を凡夫《ぼんぷ》のように想像していたことが恥かしくなってきたのである。  今度の兇変についても、 「なんと申しあげてよいやら」と、禅閤がいいかけると、 「なにも仰せられな」と上人は微笑すらふくんで、それに触れないのだった。  そして、相かわらず、上人の唇から流れる静かなことばは、法《のり》の話であった、弥陀光《みだこう》の信念につつまれた和《なご》やかな顔をもって説くところの人間のたましいの話であった。 「――かかる時に持ちくずれるような信仰では、なんの役にたちましょうぞ。こういう折こそ、ご修行のかいがのうてはならぬ、月輪どのはややおやつれに見ゆるが、さようなことでは、法然が都を去るにも心のこりでござりまするぞ」これはどういう人だろうと、禅閤は今さらに上人を見直すのであった。日ごろの病苦などはかえって膝の下へ組みしいてしまったような法然なのである。しかし、どれほどこの事実が禅閤の信仰を強固にしたか知れなかった。自分が救われると共に、久しぶりでここへ来て心が明るくなった。  ――それはそれとして、眼の前にはすでに刻々といろいろ問題がさし迫っている。遠流《おんる》の日はまだ決まらないが、それまでのわずかの日の間でも、禅閤《ぜんこう》は、上人の身をどこか安らかな所へおいて、心から名残《なごり》を惜しみたいと考えてここへ来たのであった。  で――そのことについて、上人の内意を聞くと、官のほうさえおゆるしなればという答え。その官のほうのことは、すっかり禅閤が諒解をとげてきてあるので、お案じには及ばぬ由を告げると上人も、 「では、お心に甘え申そう」という。  翌る日――牛車《くるま》の支度をととのえて、禅閤はふたたび吉水へ出直した。そして、上人の身を一時、阿弥陀《あみだ》ヶ|峰《みね》のふもと蓮華王院《れんげおういん》の辰巳《たつみ》にあたる小松谷の草庵に移した。  もちろん蟄居《ちっきょ》の身のままであるから、ここにも、物具《もののぐ》を着けた警固はつく。  けれど、吉水の荒らされた禅房よりも、はるかにくつろぐことができるし、禅閤を初め月輪家の人々も、 「これぞお名残――」と、真心こめて、上人の起《お》き臥《ふ》しの世話をすることができた。  そうして上人の身を荊棘《けいきょく》の門から抱え出すと、禅閤はまた、一方のわが聟《むこ》と、いとしい息女《むすめ》とが、事変以来どう暮しているか――それも心がかりでならなかったことなので、 (――明日《あした》は)と思いながら、なにかのことに慌《あわ》ただしく日ばかり暮れて行かれず、 (明日こそは、岡崎へ)と、また今日も心のうちで思うだけで、訪客だの、蟄居《ちっきょ》中の上人への心づかいだの、官へ対しての哀訴だの、さまざまな忙《せわ》しなさに暮れてしまうのであった。 [#3字下げ][#中見出し]母乳《ちち》の香《か》の庵《いおり》[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり] 「裏方様――裏方様」あわただしく、生信房《しょうしんぼう》は、こういって、草庵の縁から、奥へ告げた。  生信房というのは、つい先ごろ――去年の暮に――この岡崎の草庵へ新しく侍《かしず》いて、実直に働いている新沙弥《しんしゃみ》であった。  その実直ぶりや、起居《たちい》のはやい様子だけを見ては、誰もその新沙弥がついさきの年まで、世の人々から、魔か鬼かのように怖れられていた大盗|天城《あまぎの》四郎がその前身と思いつく者はあるまい。  彼は、吉水の上人に、その前名である天城四郎とか、木賊四郎《とくさのしろう》とかいう悪名を捧げてしまって、そのかわりに、信をもって生れかわる――という意をこめた「生信房」の名をいただいたのである。上人は、その折、 「わしはもう老年であるから、そちに附随を申しつけて、永い先の道を手をとってやることができない。善信はまだ年も若く、年来、そちとは有縁《うえん》の間がら、また、師と頼んでわしにもまさる人物であるゆえ、善信について、向後《こうご》の導きと教えをうけたがよい」といわれた。  それ以来、彼は、岡崎の草庵へ来て、草庵の拭《ふ》き掃除やら裏方の用やら、夜の番人やら、なにくれとなく忠実に下僕《しもべ》の勤めをしていたのだった。 (狼が、良犬になったような――)と、彼の前身を知る者は、奇異な思いをして見ていた。それほど生信房は、正しく生れかわっていた。  ――今度の吉水崩壊の大変を知ると、彼は、歯がみをして、くやしがった。それが、かねて弁円から聞いていることによって叡山《えいざん》の卑劣な奸策《かんさく》が大きな動因となっているのをよく知っているからである。(この身一つを捨てる気で、叡山に火をつけてやろうか)などと口走ったりすることもあったが、裏方の玉日の前《まえ》からたしなめられると、 (はい、そんなことは誓っていたさないことに、仏様にも約束いたします)と、素直に服従した。  玉日の前は、もう、前の年から妊娠《みごも》っていて、彼女の室《へや》には、いつのまにか、珠のような嬰児《やや》の泣き声がしていた。――仏前に詣《まい》るにも、弟子と話すにも、南縁《みなみえん》から、三十六峰の雲をながめているにも、その膝には、母乳《ちち》を恋う良人《おっと》の分身をのせていた。  このところ、彼女は母乳《ちち》が出ないので、悩んでいた。良人はどこへ行ってどうなっているのか。その消息はいっこうにわからない。騒擾《そうじょう》のうちに、暗殺されたといううわささえ巷《ちまた》には飛んでいる。そんなことがないともいいきれない良人の身辺であり、またその烈しい強い性格を知っているだけに彼女は胸がいたむのであった。  今――生信房が縁から、 「お師さまが、おかえりですぞ。――たしかにあのおすがたは、師の善信様にちがいない。はよう、出てごらんなさい」そう呶鳴るので、玉日の前は、胸がずきっと痛むほど大きな衝動をうけた。 「ほんに……」縁へ転《まろ》び出て彼女は伸び上がった。  白川《しらかわ》のほうからこの岡崎の丘の林へのぼって来る小さい人影が分るのだ、飄々《ひょうひょう》として、春のかぜに、黒い法衣《ほうえ》のたもとがうごいている。 (良人だ)そうはっきりわかると、彼女は、ふところに抱いているまだなにも知らないわが子へ、ひしと頬ずりして、 「お父さまが……そなたのお父様が……ご無事でおかえりなされたぞや。……うれしいか、うれしいかや」何度もくりかえして、もう、涙をぬらしているのだった。生信房も、横を向いて、拳《こぶし》でそっと眼をこすった。 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり]  ――生きて在《お》わした。――ご無事で。と玉日もそう思い、生信房もそう思うほど、奇蹟の心地がするのであったが、やがて、草庵の一室へ通った善信は、 「さびしかったであろ」と、妻をいたわって、自分の身のことなどは、なんのこともなかったような容子《ようす》に見える。  ――生きている! いかにも久しぶりにわが家《や》へ戻ってきた善信は生きている人のすがただった。相かわらず、はちきれるような健康を持ち、皮膚はすこし焦《や》けて浅黒く、何か、山が崩れてきても動じないよう、いつも濃い眉がよけいに強い意思の象《しるし》に見えて、悠揚として寛《くつろ》いでいるのだった。 「さだめし、都のうわさ、吉水御一門の凶事、お汝《こと》らも、聞いたであろうが」とやがていう。  それも、若い妻の実社会のどんなものかを多く知らない胸に、唐突な驚きをさせまいと気づかうように、静かなことばで――  玉日は、生れてまだ二歳《ふたつ》の房丸《ふさまる》を、胸に抱いていた。 「はい、存じあげておりました」 「かねて、上人にも、期《ご》しておられたことだ。驚くにはあたらぬ」 「心はいつも決めております」 「それでこそ」と善信はにこと笑って、 「――むしろよろこんでいいことだとさえわしは思う」それは少し意外に感じたのであろう、玉日は、解きかねたような眉を上げて、良人の顔を見た。善信は、低くことばを続けて、 「なぜならば、今までは、都会の中の吉水禅房であった、都会人へ多く呼びかけた念仏であった。したがって、われらの説《と》く声――わたしたちの信も――都を中心として思うままには行きわたらなかったが、このたびの御停止《ごちょうじ》と処罰によって、上人を初め、われらの末弟までが、諸州の山間|僻地《へきち》、流罪《るざい》に科せらるるにおいては、これよりはいやでも、念仏信者が日本の全土にわたってその信を植えることになる――」こういいながら、善信は、眼に何ものかを見ているように頭《かしら》をすこし下げて、 「これは、まったく、御仏《みほとけ》のお計いじゃ、これを天祐《てんゆう》といわずして何ぞや。――小さな都の一箇所に、多年、跼蹐《かがま》りこんでおったわしたちに、さらに眼界を宇内《うだい》にひろくし、そして、赴く所に、仏果の樹を植えよ、念仏の華を咲かせよ、浄土をたがやせという御仏のお心でのうてなんとしよう。……されば、善信は上人へも申しあげたことじゃ。――このたびの儀は、こよなきおよろこびでござりましょうとな。……すると、上人もほほ笑まれて、善信ようこそ申されたと、お賞めのおことばを戴いたことであった」  玉日は、乳をすう幼児《おさなご》の顔をじっと見ていた。自分が一つの母胎《ぼたい》であると共に、良人が、億万の民衆に愛と安心の乳をそそぐ偉大な母胎《ぼたい》でなければならないことがよく分った。  ――だが、女としては、まして若い母としては、胸の傷むことであった。良人の話に、うなずきながらも、睫毛《まつげ》の先には、白い露がかすんでこぼれかけた。 「すこし見ぬ間に……」と、善信は、房丸《ふさまる》を抱きとって、頬ずりした。 「――重うなったの、さだめし、そなたは丹精なことであろう。だが、風にもあたれ、雨にも当れ、弥陀《みだ》の子は、きっと育つ」  生信房は次の間の物蔭に手をついていたが、善信のことばが、いちいち腸《はらわた》に沁みてくるように思った。 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり]  善信が岡崎へもどって来たのは、決して罪がゆるされたからではない。  むしろ、その重罪が決定したからである。  越後の国府《こう》へ流罪《るざい》とさだまると、彼は一先ず、評定所の門から出され、その日の来るまでは、岡崎に蟄居《ちっきょ》と決まった。  勿論――上人を訪れることも、官のゆるしがなければできない。同門の友との往来も厳禁されている。  それでも不平はいえないことだった。遠国へ流されるまでのたとえ幾日でも、こうして、妻と共に、子と共に、起居がゆるされることになったのは、その裏面に、舅《しゅうと》の月輪|禅閤《ぜんこう》のどれほどな運動があったか知れないのである。あのよき舅御がなかったら、こういう寛大があるどころではない、善信の死刑は、念仏|停止《ちょうじ》の宣下《せんげ》があった後、三日を待たずに行われていたにちがいない。その禅閤も、やがて、岡崎を訪れ、 「わしはもう嘆かぬ」といった。  善信は、師の法然《ほうねん》上人の消息を舅から聞いて、 「さもござりましょう」と、安堵《あんど》の笑みを泛《う》かべ、 「ただ、このうえの慾には、上人御流罪のまえに――またこの善信が配所に下される前に――たった一目でもお目にかかってゆきたいことです」禅閤は、もっともであるとうなずいて、それもなんとか、朝廷の人々にすがって、願ってみようといった。また、玉日と房丸のことについては、 「わしが護っておる、必ず、案じぬがよかろうぞ」といいたした。善信は、何事も、吹く風にまかせて咲いている蘭のように、 「どうぞ」と、いうだけであった。なんの苦悩らしいものもその眉には見あたらない。わが娘《こ》の聟ながらさすがと禅閤は思うのであった。そして、法然のことばをも思いあわせ、 「これがなんの悲しみぞ」と過去数ヵ月の自分の悲嘆が今ではおかしくさえ思えた。  二月か――と巷《ちまた》でもうわさしていた上人の配流《はいる》の日は、その二月には沙汰《さた》が下らず、三月に入った。  都の杉並木の間には、もう彼岸桜《ひがんざくら》の白っぽい花の影が、雪みたいに見える。春を揺《ゆ》らぐ洛内の寺院の鐘は、一日一日、物憂《ものう》げに曇っていた。  若い一人の僧が、急ぎ足に、青蓮院《しょうれんいん》を出て行った。善信の弟、尋有《じんゆう》である。  兄の善信や、吉水の上人の配所護送の日が、いよいよこの三月の十六日と師の慈円《じえん》から聞いたので、 「一目、兄のすがたを」と、或いは警固の役人に追い返されるであろうかも知れないことを覚悟して、師にもゆるしをうけて、出てきたのであった。案のじょう、白川のほうから行く道にも、神楽岡《かぐらがおか》から降る道にも、すべて、岡崎の草庵へかよう道には、鹿垣《ししがき》が囲《かこ》ってあって、 「ならぬ!」と、そこにいる武士《さむらい》に、剣もほろろに一喝《いっかつ》されてしまった。  事情を訴えても、大地に手をついても、許されなかった。やむなく尋有は日の暮れるのを待って、道のない崖道から、岡崎の松林の奥谷へ、生命がけで這い降りて行った。 [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり]  風ではない――ほとほと戸を打つ者がある。今ここを訪れる者は絶対にないはずであるがと思いながら、 「生信房《しょうしんぼう》」と、善信は呼んでみた。  もう夜更けであった。答えがないところを見ると、生信房も眠っているらしい。玉日も嬰児《やや》を寝かしつけている。 「――どなたでおざるの」善信は自身で立って行った。戸の外では、 「わたくしです」と誰かいう。何気なく、草庵の戸をあけて、善信はびっくりした。 「おお弟《おとと》っ……」 「兄上……」 「どうして此庵《ここ》へは……。まあ上がれ」手を取って一室へ。  坐ると、もう兄弟《ふたり》は、胸がいっぱいだった。  同じ都の、すぐ目と鼻の先にいながら、二人の会う折は極めて稀れだった。会うごとに、何から話し出してよいかと思い惑うほどに…… 「近いうちに、越後へお立ちなされますそうな」 「む。――十六日というお沙汰じゃ」 「十六日。……ではもう間近に」 「されば、お汝《こと》とも、これがお別れじゃ。ひたすら、修行をされい」 「はい」 「お汝《こと》の師、慈円僧正は、わしにとっても、幼少からの恩師。思えば、お手をとって童蒙《どうもう》のお導きをして賜うたころから今日まで、憂《うれ》いご心配のみかけて、その後のご報恩とては何一つしていなかった。……この兄の分も共々に尽してたもるようにの」 「きっと、励みまする。そして今のおことば忘れませぬ。……けれど、遠流《おんる》の日が、十六日ということでは、兄上には、もう慈円僧正にお会いあそばす折も」 「むずかしかろうの。……吉水の上人にも、一目お会い申しとうて、月輪の老公におねがいしてあるが、どうやら官のおゆるしはならぬらしい。……しかし弟《おとと》、この善信は遠国へ流さるるとても、決して、悲しんでたもるまい。念仏|弘世《ぐせ》のため、衆生《しゅじょう》との結縁《けちえん》のため、御仏の告命《こくみょう》によって、わしは立つのだ。教化《きょうげ》の旅立ちと思うてよい」 「お心のうち、そうあろうかと、尋有も考えておりまする」 「重ねていうが、お汝《こと》はまだ若年、都にあっても、くれぐれ勉強してあれよ」 「はい、その儀は、お案じ下さいますな。いささか平常の修行を認められまして、私も、近いうちには、叡山《えいざん》の東谷善法院へ下されて一院を住持する身となりました」 「ほう……叡山の東谷へ移られるか。奇《く》しき縁じゃ。兄は、叡山の大衆より、法魔仏敵のそしりをうけて追われてゆくに」 「善信の血縁の者とあって、反対もあったようにござりますが、師の慈円様のお計らいで」 「よいことだ、そういう中にやって、そちの人間を作ってやろうという師の房のお心にちがいない」 「闘います、百難と」 「兄は、他力門の弘通《ぐずう》に北国へ。――弟のお身は、自力|聖道門《しょうどうもん》の山へ。こう二つの道は、西と東ほど違うようだが、辿《たど》り登れば、同じ弥陀《みだ》の膝なのじゃ。……弥陀のお膝でまた会おうの」奥で――その時、なにをむずかり出したか、嬰児《やや》の房丸が泣きぬいていた。尋有は、ふと、そこから洩れる甘い母乳《ちち》の香に、自分の幼いころを思いだした。 「――十六日のお時刻は」 「卯《う》の刻に出立する」 「その朝の鐘は、尋有が撞《つ》きます。青蓮院の卯の刻の鐘が鳴りましたら、弟が、見えぬ所から見送っていると思うて下さいませ」といって、尋有はやがて、初更《しょこう》のころ、山づたいに忍んで帰って行った。 [#3字下げ][#中見出し]未明《みめい》の光《ひかり》[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  ゆうべは、小松谷の小御堂《こみどう》には夜もすがら念仏の声が揚《あが》っていた、念仏をおくびにいっても、厳科《げんか》に処すという禁令が出て以来、官の取締り方も民衆の自戒も、針のような神経質になっている折なのに。  十六日の暁方《あけがた》は、刻々と、小御堂をつつむ暗い樹々の風と、白い星のまたたきに、近づきつつあった。  法然《ほうねん》は、宵のうちに、わずかの間を眠っただけで、まだ初更《しょこう》の鐘も鳴らないうちから起きていた。そして起きているまは、一秒一瞬のあいだも、念仏を怠らないのである。 (今朝はおわかれぞ――)と、庵《いおり》のうちには、いっぱいな人が詰めていた。俗の人、沙門《しゃもん》の人、官途にある人、遠国から馳せつけた人々など、雑多に宿直《とのい》していた。その人たちは、時折、上人の居間から念仏が洩れるので、 「垣の外へ聞こえては」と、他聞を惧《おそ》れて、開いている妻戸やふすまも閉《た》て籠《こ》め、 「……もちっと、お低い声音《こわね》で仰っしゃって下さればよいが」と、ささやいた。  恟々《きょうきょう》として、官を恐れる気持が、このごろの日常であった。――たった一声、南無《なむ》とつぶやいただけで、牢獄へ打《ぶ》ちこまれたり、河原へひきすえられて、鞭《むち》で打ちすえられている老人などを、毎日のように目撃しているのである。  柴垣の外には、それでなくとも、絶えず獄人を見る眼で、牛頭馬頭《ごずめず》のように、槍をひっさげている官の小者たちがここを警戒していて、時折、中へずかずか入ってきて覗《のぞ》きこんだり、つまらぬことを取り上げて威張り散らしたりしているのだった。 「――あまり官を憚《はばか》らぬようにある。上人が、きょうぞ名残《なごり》と、一念御唱名なさるお気持はわかるが、つい、禁令をおわすれになって、お唇《くち》から高く出てしまうのであろう。誰か、ちょっと、ご注意申しあげてはどうか」と、いう者があった。 「さ……」誰も、顔を見あわせて、上人へそれをいいに行く者はなかった。すると、やはり流罪《るざい》を命じられて、今朝、上人と共に、配所へ護送される善恵房《ぜんえぼう》が、 「では、てまえが」と起った。 「オオ、善恵房どのからなれば、上人も、お気にかけられまい。月輪の老公のご奔走で、なにかと、護送のことまでも、ご寛大になってきたところ――ここでまた、法令にたてつくようなことが官へ聞こえては上人のお不為《ふため》になるで」 「それとなくご注意申しあげて来ます」善恵房が、上人の前へ出て、畏《おそ》る畏る一同が案じているよしを述べると、上人は、もってのほか機嫌を損じたらしく、厳《いかめ》しく、膝を革《あらた》めてこういった。 「たとえこの法然房が舌を抜かれ身を八ツ裂きの刑にせんと御命あっても、わしは念仏|勤行《ごんぎょう》を止めることはいたさぬ。よし新羅《しらぎ》百済《くだら》の海の果てへ流さるるも、死を賜うも、大聖釈尊《だいしょうしゃくそん》をはじめ無量|諸菩薩《しょぼさつ》が、われら凡愚|煩悩《ぼんのう》の大衆生《だいしゅじょう》のために、光と、証《あかし》とを、ここにぞと立て置かれたもうた念仏の一行《いちぎょう》であるものを。――何ぞや、権力、詐謀《さぼう》、威嚇《いかく》、さようなものでこれを阻《はば》め、その不滅の大御文章《だいごもんじょう》を、人類のうちから抹殺《まっさつ》することなどできようか。わろうべき人間の天に向ってする唾《つば》でしかない。――そちたちも、夢、法然が信をさまたげ給うな」 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり]  夜はまだ明けない――ほの明るいのは桜並木だ。咲いている花のうえには残月があった。 「いそいで――」と、月輪の館《やかた》から、老公をのせて、ぐわらぐわらと曳き出した牛車《くるま》のうしは、手綱に泡をふいて、小松谷の法勝寺|小御堂《こみどう》へ駈けつけてゆく。 「待てっ」 「どこへ行く」小御堂の近くへ来ると、小具足を纒《まと》った武者たちが、牛車《くるま》のまえに立ちふさがって咎《とが》めた。 「――通ること相ならん。官符《かんぷ》を持ちおるかっ」老公は牛車《くるま》の裡《うち》から、 「誰の御人数であるか」と、たずねた。武者の一人が、 「領送使《りょうそうし》清原武次《きよはらのたけつぐ》が手の者と、奉行《ぶぎょう》周防判官元国《すおうのほうがんもとくに》が家臣」という。老公は、うなずいて、 「ご両所を、ここへ召されい。儂《み》は、月輪|禅閤《ぜんこう》でおざる」 「や、月輪の御老公におわすか」驚いて、武者が走ってゆく。  法勝寺の別院に屯《たむろ》をしていた領送使の清原武次は、すぐ老公を迎えて、仮屋の一室へ迎えた。 「このたびの役目、ご大儀である」と、老公は、一応の挨拶をした後、 「火急、未明のうちに参ったのは余の儀でもおざらぬ。上人がこのたび下向《げこう》の命を沙汰された土佐国は、御老躯に対し、あまりにご不便。で――儂《み》が所領する讃岐国《さぬきのくに》小松の庄へお預かり申したいと、実は、先ごろから朝廷へお願いいたしてあったところ、昨夜おそく、評定所において、願いの儀ゆるすとの御決定がござった。――それゆえ今暁の土佐|下向《げこう》は、讃岐へ変更と相成るによって、篤《とく》おふくみくださるように」武次は驚いた。 「はっ、承知仕りました」とはいったものの、 (そういう寛大な変更がどうしてあったか?)と、疑問を挟まざるを得ない。  老公が、そこを去って、小御堂のほうへ足を運ばれてゆくのを送ってから、すぐ奉行の周防元国と相談して、 (讃岐|中郡《なかごおり》へ、変更の儀は、実《まこと》か訛伝《かでん》か)と、官へ急使をやって、問いあわせた。  それと入れちがって、評定所から、騎馬の使者が飛んできた。にわかに、上人の配所先が、変更されたのは事実だった。  うっすらと、そのころ、朝の薄浅黄いろの空が、花の梢《こずえ》に明るみ初めていて、そこらの篝火《かがりび》は、燃えつきている――  寅《とら》の刻。まさに定めの時刻だった。  法然《ほうねん》上人は、静かに、法衣《ころも》を脱いで、俗服の粗末な直垂衣《ひたたれ》に着かえていた。十幾歳のころから今日まで、およそ六十年のあいだ、一日とて、脱いだことのない法衣《ころも》を官へ返上して、名も、今朝からは俗名の藤井|元彦《もとひこ》と呼ばれることになったのである。  白い髪が、綿のように伸び、顎《あぎと》にも、伸びた髯《ひげ》が光ってみえる。それへ、梨子地《なしじ》の烏帽子《えぼし》をかむり、領送使のすすめる輿《こし》のうえに身をまかせた。輿へ移る前、 「月輪どの」と、法然は、自分を取り囲んで今朝を見送る人々のうちに、老公のすがたを探していた。 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり] 「ここに――」と、月輪の老公は、混みあう人々の間から、上人の前へすすんで出た。 「おお」と、さすがに法然もその人のすがたを見ると、名残が惜しまれて、しばらく、老眼にうるみをたたえ、 「おわかれが参った」と、いった。 「…………」老公は、無言だった。いわぬはいうにまさる悲しみだった。 「永い間、月輪どのには、陰に陽に、念仏門のために、一方ならぬお力を貸して賜われた。偏《ひとえ》に仏陀《ぶっだ》と衆生《しゅじょう》のためとは申せ、浅からぬご法縁、たとえ法然、遠国に朽ち果てようとも、ご高誼《こうぎ》のほどは忘れませぬぞ」と、法然は、老公の手をとっていった。――そしてまた、 「善信が出立も、卯《う》の刻の由に承る。もう時刻もやがてに迫っておろう。くれぐれも、身をいとうように仰せ伝え賜われ。――同時に、法然が身には、仏の御加護あれば、必ず、案じるに及ばぬことをも」 「承りました」 「では」輿《こし》は、その言葉の終るのを待って、舁《か》き上《あ》げられた。  法勝寺の門を出てみると、そこには、多年、上人から直接に間接に、教えを受けた受学の僧俗や、檀徒《だんと》や、ただ徳を慕うて群れ集まってきた洛中の男女が、 「オオ……」思わず、口のうちに唱える念仏が、涙となり、声となって、輿も通れぬほど、立ちふさがる。 「お退《の》き下さい」 「念仏は、おつつしみ下さい」弟子のうちでも、大力の聞こえある角張成阿随蓮《すみばりじょうあずいれん》が先に立ち、そのほか十二、三名の随身が、群集の涙の中を、頻りに宥《なだ》めて道を開かせていた。法勝寺から半町もすすむと、 「その輿、われに舁《か》かせ給え」と、弟子たちは、領送使の輿舁《こしかき》たちから、それを奪うようにして、自分たち、随身の者ばかりの手で、師の輿を捧げて行った。  ――七条を西へ。大宮を下って、鳥羽街道を真っすぐに進んでゆくのであった、その途中の辻々や、畷《なわて》や、民家の軒や、いたる所に、上人の輿を見送る民衆が雲集して、 「おいたわしや」 「勿体ない」 「なむあみだ仏――」貴賤のべつなく押し合って、中には輿の前へ走り寄り、 「あなたのお体は、遠国へながされても、あなたの生命は――念仏は――この日《ひ》ノ本《もと》の大地から失われません」と、絶叫する若者だの、 「これを上人様に――」と、真心こめた餅や、紙や、花などの供物を捧げる老媼《おうな》だの、 「せめて、お足の痕《あと》の土を」と、輿の通った後の砂を紙にすくっている女だの、名状し難い哀別のかなしい絵巻が、到るところで描き出された。 「――さらば」と、大地に坐って伏し拝む人々とまじって、月輪の老公は、大宮口まで従《つ》いてきて、その輿を見送り、すぐ牛車を返して、岡崎のほうへ急いだ。  ――もう一刻《いっとき》後の卯の下刻には、上人を見送ってまだ乾《かわ》く間のない涙の目で、さらに、わが息女聟《むすめむこ》の善信を、こんどは、北の雪国へ向って送らなければならなかった。 [#3字下げ][#中見出し]日野善信《ひのよしのぶ》[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  花明りであろう、ほのかに廂《ひさし》の外は白い。音もなく、まだ人声もなく、ただ微《かす》かにうごく花の香のうちに、暁は近づいている。 「……吉水《よしみず》の上人《しょうにん》には、はや今ごろは」善信は、持仏堂を出て、縁に立った。未明の空を仰ぎながら、ふとつぶやいて、憮然《ぶぜん》となった。 「…………」遠心的に、彼のひとみは、今朝、都を離れてゆく上人の前途をそこから見送った。――と共に、自分もこれから間もなく、この岡崎の草庵から、雪の越路《こしじ》へ立って行かなければならない身であることを思う。  乳のみ児の世話や――配所へ送られる良人への心遣《こころや》りに――妻の玉日の前《まえ》は、ゆうべは、一睡もしなかったはずである。  だのに――せまい厨《くりや》のほうでは、もう貧しい燈《ひ》をともして、彼女が、乳のみ児の房丸《ふさまる》が眠りからさめない間にと――朝餉《あさげ》の支度をしているらしい。  陶器《うつわ》ものを洗う音やら、炊《かし》ぎの支度する気配が、静かに、そこで聞えた。もうこのごろは、水仕業《みずしごと》に馴れているとはいっても、月輪の前関白家《さきのかんぱくけ》に生れて、まったく深窓《しんそう》にそだった彼女が――と思うと、 (不愍《ふびん》な)と、ふと、あたりまえな人間のもだえるような悶《もだ》えを、善信も感じずにはいられなかった。  ――と、草庵の外に、二つの人影が、跫音《あしおと》をひそめて近づいて来たかと思うと、 「師の房ではござりませぬか」と、声をかけて、縁先の大地に、ひたと両手をつかえた。  見るとそれは、今は東塔《とうとう》の無動寺にいる木幡民部《こばたみんぶ》と、性善坊の二人だった。 「おう」善信の顔に、微笑が泛《う》いた。刻々と明るんでくる夜明けの光が、彼の顔からすがたを見ているうちに鮮《あざ》やかにしてきた。 「久しいのう。……それにしても、勅勘《ちょっかん》の流人《るにん》が門出《かどで》へ、よう参ることができたの」 「月輪の老公が、さまざまなおとりなしによって」 「では、舅《しゅうと》様にも」 「今朝、吉水の上人をお見送り申しあげて後――すぐこちらへお越しあそばされるはずでござります」  ところへまた、太夫房|覚明《かくみょう》もみえ、そのほか、十名ほどの近親の人々が、それだけと、人数を制限された上で、この草庵へ別離を惜しみに集まってきた。  室には、妻の玉日《たまひ》が手ずからした名残の膳が、もう整えられてあった。善信を上座にして、近親の人々が、さびしいうちにも、なにか、爽《さわ》やかな潔《いさぎよ》い心地にも打たれて、その膳についていながれた。すこしも、不吉らしい、不安らしいものは、人々の胸になかった。――なぜならば、善信は今日の出立を、 (御仏《みほとけ》の命のもとに出で向く晴れの聖使――)と、願うてもない幸いと考えているのであるし、裏方の玉日も、 (良人は、辺土の北国へ、念仏をひろめ賜うために立って今朝は教化《きょうげ》の旅の門出《かどで》――)と信じているので、そこに悲惨らしい影や、流人的《るにんてき》な傷心《いた》みとか悶えなどは、見られないからであった。  白々と、朝の光はほっとした人々の面《おもて》に、明るさを加えてくる。  玉日も、髪を櫛《くし》けずって、房丸を抱いて、良人のそばへ、給仕に坐った。――と、生信房が、 「月輪の老公が、お見え遊ばされました」と、次室《つぎ》から知らせた。 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり]  そこへ通ってきた老公の顔も、決して暗くなかった。 「おお」 「おう」見あわせる顔ごとに、言外の感慨が、いっぱいに胸へせまってくる。善信は、あらためて、 「なんのご孝養もせず、今日まで、お舅君《しゅうとぎみ》には、わずらいのみおかけ申し、その儀ばかりは、玉日とも、申し暮しておりました。その上、かような御命を下されて、越路《こしじ》へ旅立つからには、ふたたび善信が、生命のあるうちに、朝夕《ちょうせき》の御見《ぎょけん》も望み得ぬことかと思われます。なにとぞ、老後をいとい遊ばされて、善信がことは、心ひろく、なるがままに、世の波へおまかせ置き下さりますように。――また、玉日が身と、房丸が身とは、かように勅勘《ちょっかん》を蒙《こうむ》って流さるる私が、配所へ連れ参ることもかないませぬよって、何ぶんともに、ご不愍《ふびん》をおかけ賜わりませ」  月輪の老公は、黙然と、何度もうなずいて、聞くのであったが、 「玉日や、房丸が身は、わしが手にひきとって、守ろうほどに、必ず、お案じなさらぬがよい」といった。善信は、にっこと笑って、 「それをうかがって、私も、なんの心がかりもありませぬ」 「ただ、おん身こそ、気候風土の変る越路へ下られて、身を害《そこ》ねぬように」 「お気づかい下さいますな、幸いにも、善信は、幼少から身を鍛《きた》えておりますほどに」 「む。……おん身が歩まれてきた今日までの艱苦《かんく》の道を思えばの」 「このたびの流難などは、ものの数でもございませぬ」思わず話し込んだことに気づいて―― 「玉日」と、善信は妻をかえりみ、 「支度いたそう」といって、奥へ入った。  一室のうちで、善信は法衣《ころも》を脱いだ。朽葉色の直垂衣《ひたたれ》に着かえ、頭には、梨子打《なしうち》の烏帽子《えぼし》を冠《かむ》る――。  玉日は、その腰緒を結んだり、持物をそろえて出したりしながら、さすがに涙があふれてきてならなかった。こうしている間が、二人だけの別れを惜しむ間であったが、何も、いえなかった。 「……お健やかに」と、だけいって、良人の足もとへ、泣き伏した。 「房丸をたのむ」 「はい……」 「お舅君《しゅうとぎみ》へ、わしに代って、孝養をたのみますぞ」 「はい」 「配所からでは、便りもままにもなるまい。たとえ幾年《いくとせ》、便りがのうても、この善信には、御仏の加護がある、必ず案じぬがよい。……憂いのおこる時は、念仏の怠りを思え。越路の空で善信がいう念仏に、心をあわせて、おもとも、都にあって念仏を申されよ。毎日を法悦のうちに、楽しんで送られよ。――それが善信にとっては、なによりもおもとへたのんで置くことじゃ」  ――遠く、花の神楽岡《かぐらがおか》の空を越えて、その時、鐘がなった。 「お……卯《う》の刻《こく》」善信は思い出した。いつぞやここへ別れに来た時の尋有《じんゆう》のことばを。――弟が撞《つ》く青蓮院の鐘の音を。 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり]  鐘は、鳴りつづいていた。その――一撞一韻《いっとういちいん》ごとに、善信は、青蓮院の鐘楼に立っている弟の尋有の気もちを、胸にうけ取っていた。玉日は、そっと、 「抱いてやって下さいませ」と、房丸を、良人にわたした。善信は、子を抱いて、 「オオ」と、無心なその顔に、頬ずりを与えた。 「――すこやかに、よい和子《わこ》に、育ってゆけよ。父は今朝、遠い国へ旅立つが、心はいつも、そなたの上に、父としてあろう」  その間に、戸外《おもて》のほうは騒《ざわ》めいていた。室内にあった人々も、すべて戸外《おもて》へ出ていた。 「時刻っ」と、大きな声が、草庵の門で聞えて―― 「時刻でござるっ。疾《と》くお立ちなされ」ふたたび荒々しい声音《こわね》がひびく。  迎えの武者たちの群れだった。馬蹄《ひづめ》の音や、草摺《くさずり》の音が、にわかに、仮借《かしゃく》ない厳しさをそこに漲《みなぎ》らせ、 「まだかっ」 「なにを猶予《ゆうよ》」などと、雑言《ぞうごん》を吐きちらしているのも、手にとるように聞えた。  流人《るにん》護送の追立役《おったてやく》、小槻蔵人行連《おつきのくろうどゆきつら》は、 「退《の》けっ」と、駒のまま、馳せつけて、鞍の上から草庵の墻越《かきご》しに、 「善信っ。――いや今日よりは俗名の日野善信《ひのよしのぶ》に申し入れる。はや、卯の刻限であるぞ。妻子の別離に暇どるのをのめのめ待ってはおられぬ、はよう、支度いたせっ」善信は、同時に、 「おう」と答えて、表へあらわれた。門には、罪人の張輿《はりごし》が舁《か》きすえてあり、領送使の右衛門尉兼秋《うえもんのじょうかねあき》の部下が、 「これへ召されい」万一を固めるのか、善信の左右を鉄槍や刀の柄で囲みながら、そういった。 「ご苦労です」善信は、官の人々へ、静かに一礼して、輿《こし》のうちへかくれた。  すすり泣く声が、その時、誰からともなく流れた。――嗚咽《おえつ》する者もあった。粛《しゅく》とした一瞬に、 「輿を上げい」と、右衛門尉兼秋がいう。玉日は、われを忘れて、 「もしっ……」房丸を抱いて、輿の下へよろめいた。 「ひと目、もうひと目」 「邪魔だっ」と、官人たちは罵《ののし》って、 「歩め、歩め」と猶予する輿《こし》を急《せ》きたてた。  房丸が――母のふところでいつまでも泣いていた。――その声をうしろに、どやどやと人馬の列は草庵を離れて行く。  性善坊や木幡民部《こばたみんぶ》や覚明《かくみょう》、弟子の人々も、遠くまでは許されないまでも、せめて行ける所まで、師のおん供を――とその後から慕って行った。だが、生信房《しょうしんぼう》ひとりは、 「裏方さまが」と、後《あと》へも、心をひかれて、泣きぬく房丸をあやしながら、自分も共に泣いている玉日の姿を見ると、そこを去りかねていた。 「さ、裏方さま。お嘆きはさることながら、それでは、師の房のお心にもとりまする。内へお入りあそばして、生信房と一緒に、静かに念仏を申しましょう」手をとって、彼は、涙の母と子を、庵《いおり》のうちへ誘い入れた。――もう大風の後のように寂《じゃく》として、どの部屋も、空虚を思わせる岡崎の家だった。 [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり]  輿《こし》には、墨黒々と、 [#ここから2字下げ] 太政官符《だいじょうかんぷ》越後流人 [#9字下げ]日野善信 [#ここで字下げ終わり]  と書いた札が打ってある。  善信は、その輿のうちに揺られていた。戛々《かつかつ》と、おびただしい蹄《ひづめ》の音や、草摺《くさずり》のひびきや、その人馬の足もとから揚るほこりにつつまれながら―― (玉日……)と、心にさけび、さすがに、わが子の声が、まだ後ろに聞える心地がして、幾たびか、岡崎の林を振りかえった。  禁柵《きんさく》の外へ出ると、そこには、知縁の人々が、百人以上も待っていた。輿に添って来た覚明や性善坊を介して、人々は、わっとむらがり寄って、 「善信御房っ」 「おすこやかに――」 「また来る時節をお待ちなされ」 「おさらば」 「おさらば」  輿を追って、無数の人が、手を振って見せる。善信は、その群れに、目礼していた、その一つ一つの顔に、さまざまなる過去の記憶を呼び起されつつ、 (おわかれだ)と、つよく思った。  月輪の老公から特に付けられた伊賀寺貞固《いがでらさだかた》と、朝倉|主膳《しゅぜん》の二人は、騎馬で、前駆の万一に備えて、前駆のうちにまじっていた。――万一というのは、叡山《えいざん》の荒法師や、無頼な僧のうちに、不穏な行動に出ようとする者があるという風聞が、この朝、伝わっていたからである。 (流罪《るざい》は軽い。善信を途中で引きずり下ろせ。そして、ぞんぶんに私刑を与えてから、都から追ん出してやるがよろしい)そういう煽動をしている者があるという専らな風説なのだ。――しかし、官の警士や、領送使の侍や、そのほか、善信の徳をしたう人々が、輿の見えないほど取り囲んで、その上にも、進んでゆくほど、五十人、七十人と途々《みちみち》人数が増してゆくので、たとえそういう計画があったにせよ、手の出せる余地はまったくなかった。  岡崎から粟田口《あわたぐち》へ――そして街道を一すじに登って蹴上《けあげ》の坂にかかるころは、もう、道路のかきも、樹々の間も、人間で埋まっていた。  民衆は黙然《もくねん》と、眼で輿を見まもっていた。だが、心のうちでは、念仏を思わないものはなかった。声に出せないので、胸のうちでとなえていた。  逢坂山《おうさかやま》の関へかかると、追立《おったて》の役人たちは、役目をすまして、引返した。都からついて来た多くの人々も、思い思い別れの言葉を残して戻ってゆく。  大津へ着く。――船は帆を寝せて一行を待っていた。  性善坊も、民部も、すべての側近者もまた、いよいよここで師を捨てて帰らなければならなかった。  だが、太夫房覚明だけは、どこまでも師の善信に附随してゆきたいと、役人たちへ言い張って、とうとう願いを通してしまった。 「生信房は、どうしたろう」  彼は、初めから、師の給仕人として、お供をゆるされていたはずなのに、その姿が見あたらないので、人々は、いぶかっていた。  領送使の侍たちは、 「帆をあげい」猶予をゆるさなかった。 「さらば――さらば――」呼び交わす船と陸《おか》との間は、見るまに波の距離がひろがってゆく。  ――すると、笈《おい》を背にして旅支度をした生信房が、息をきって後から追いついてきた。彼は、後に残った裏方の玉日をなぐさめていたために、輿《こし》の列におくれたのであった。 「待ってくれっ、オオウイ、その船待ってくれっ」生信房は、ザブザブと腰の辺まで水に入って、湖をすべってゆく流人船《るにんぶね》へ手を振りあげた。 [#3字下げ][#中見出し]机《つくえ》にふる雪《ゆき》[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  ひゅうっ――と風の翔《か》けてゆくたびに、万樹は、身ぶるいをし、木の葉が、雨のように天地に舞う。  日が暮れると、裏日本の海は、漆《うるし》のような闇につつまれるが、月のある夜は、物凄い青味をもって、ここの廂《ひさし》の下から望まれるのであった。 「曇ってきたなあ」弟子のひとりは、あまりの淋しさに、声を出してこういった。  庵室の中で、しきりと、さっきから燧打石《ひうちいし》を摩《す》っていたべつな僧が、舌打ちして、 「だめだ、いくら骨を折って、明りを燈《とも》そうとしても、こう風がひどくては、ひとときも灯が持っていやしない」 「やめたがいいだろう」 「でも……闇では」 「そのうちに、月がのぼるよ。――月明りで間に合せておいたほうがいい」 「ところが、あいにくと、今夜は時雨雲《しぐれぐも》だ」 「この庵《いおり》の北口が、垂《た》れ薦《ごも》でなく、せめてどんなでもよいから板戸であったら、風も防げるし、夜もすこしは暖かに眠れるのだがなあ……」 「もう夏のころから、願書を出してあるが、あの依怙地《えこじ》な代官の萩原年景《はぎわらとしかげ》が、今もって、許すとはいわぬ。――これでは獄舎《ひとや》よりもひどい住居《すまい》じゃ」 「しっ……あまり声高《こわだか》に何か申されぬがよい。番人の耳へでも入って代官の年景に告げ口されたら、これ以上、酷《ひど》い所へ移されようも知れぬ」  松の――皮の付いたままの柱に、粗雑な茅《かや》を葺《ふ》き、板壁は少部分で、出入口は裏も表も薦《こも》を垂れているに過ぎない。  雨でも降れば、廂《ひさし》の下の竹簀子《たけすのこ》は元よりのこと、奥の床まで吹きこむので、身の置き所もない庵室だった。  ここは、越後国の国府《こう》で竹内《たけのうち》という土地だった。都から遠くながされてきた流人《るにん》善信の師弟は、もう二年の歳月をここに送っていた。  領送使|右衛門尉兼秋《うえもんのじょうかねあき》は、善信の一行をここへ送りとどけると、国府《こう》の代官萩原年景へ、当然、その身がらを渡して、すぐ都へ還ったのである。 (――飛んだ厄介者が来おった)年景は、つぶやいた。  越後の文化は、都と比較にならないほど遅れていた。したがって、人間は粗野であり、学問はうとまれ、ただ、権力だけが、なによりも絶対的な威力をもってものをいう。  代官の萩原年景は、その権力をここで握っている男だった。強慾でわがままで、都の顕官などよりは、はるかに威張っていた。 (なに、あれが噂にきいた、念仏僧の善信なのか。おれは念仏など大っ嫌いだ。――その大嫌いなおれの支配下へ流されてきたのは、よくよく仏罰のあたった坊主。ずいぶん粗末に扱ってやれ、不愍《ふびん》などかけるとゆるさぬぞ)  初めからこういう調子の年景であったから、部下の態度はおよそ推して知ることができる。――情けというようなものは、みじんも今日までかけられなかった。  で――そろそろ青黒い裏日本の冬の風が波立ってきても、彼のゆるしがないために、板戸一枚造ることができないのだった。 「……おお寒い。日が暮れると、とたんに陽気が変る。――今日は誰が、町へ托鉢《たくはつ》に出られたのか」 「生信房どのと、教順どののお二人じゃ」 「はやく帰ればよいにな。……わるくすると、今夜あたり、時雨《しぐれ》でのうて、雪になるかも知れん」人々は、灯《あか》りのない室《へや》の中に、風の音を聞いてかたまっていた。 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり]  その三人の弟子たちは、皆、善信が京都からこの越後へ送られてくる途々《みちみち》の間に、善信の徳を慕って従《つ》いてきた新弟子たちであった。  大町の如道《にょどう》とか、和田の親性《しんしょう》とか、松住《まつずみ》の円貞《えんてい》などという人々も、善信と知りあう機縁を得て、みな旧教をすてて念仏門の帰依者《きえしゃ》になった。  彼のあゆむ所には、必ず彼の信仰が、何かの形でこぼれて行った。それは、無心な風が、花粉を撒《ま》いて、土のある所には必ず次の花となる母胎《ぼたい》を作ってゆくように、善信の身に、自然に備わっている力のようにみえる。  越前の新川村《にいかわむら》へ来た時には、こういうことがあった。  その土地の常願寺村には、慧明院《えみょういん》という寺の住持で、おそろしく問答好きな和尚《おしょう》があって、 (こんど、都の流人《るにん》で、法然門下の善信という者が、ここを通るそうな)と聞くと、 (そうか、かねて、法然房と善信の名は、聞き及んでいる。ここを通ったら、思い上がった念仏門の鼻ばしらをくじいてくれよう)手ぐすね引いて、待ちかまえていたものである。  そして、善信の一行が、百貫橋《ひゃっかんばし》という所へかかると、立ちあらわれて、種々《いろいろ》な問答をしかけた。善信は、彼の稚気《ちき》を、おかしく思いながら、彼の過《あやま》った信念を、事ごとに説いて聞かせ、凡夫|直入《じきにゅう》の真髄《しんずい》を噛んでふくめるように諭《さと》してやると、和尚は、善信の輿《こし》の前にひざまずいて、 (世には、かかるお人もあるものか、まだ年ばえもお若いのに)と、衷心《ちゅうしん》から恥じ入ったふうで、そこから越後の国府《こう》まで、一行に従《つ》いてきてしまったのみか、以来、配所のあばらやに侍《かしず》いて、ひたすら念仏教に参じていた。  これが――ちょうど今日は、相《あい》弟子の生信房といっしょになって、国府《こう》の町へ托鉢《たくはつ》に出ている教順房と呼ぶ人物なのである。  彼が元いた越前宮崎の慧明院《えみょういん》には、末寺があって、教順房に学んでいた三名の弟子たちはそこにいたが、師の教順房が、流人《るにん》の僧に従《つ》いて、そのまま越後へ行ってしまったので、 (狐にでもつままれたのではないか)と、後を追ってきた。  そして国府《こう》へ来て、善信につかえている師のありさまを見ると、彼らも、心服して、配所の庵室にとどまってしまった。  一人は、定相《じょうそう》、一人は石念《じゃくねん》、もう一人は念名房《ねんみょうぼう》といった。こうして、ここの配所も、今では、善信をかしらにして、いつのまにか、七人の家族になっていたのである。 「おや」定相は、竹窓へ、顔をよせて―― 「とうとう、白いものが落ちてきたぞ、――雪が」 「ほ……」と、ほかの二人も、顔をあつめて、 「ことしの初雪じゃ」 「それにしても、教順房と生信房どのは、なんとなされたことか、いつになく帰りがおそいではないか」案じているところだった。庵室の入口のほうで、物音がした。そして外から帰ってきたらしい教順房の声が―― 「どなたか、急いで、水をくだされ、――洗足《すすぎ》ではない、生信房どのが、怪我《けが》をなされたので、やっと抱えて戻ってきたのじゃ。――はやく一口、水をあげて下されい」 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり]  教順房の声なのである。  何事かと驚いて、人々が出てみると、その教順房と共に托鉢に出た生信房が、どうしたのか、両手で顔をおさえたまま、友の脇に抱えられて、よろよろと、縁端《えんばた》へ来て、俯伏《うつぶ》した。 「あっ、どうなされたっ、生信房どの」人々が、騒ぎ立てると、 「しっ……静かにしてくれ。……師の房のお耳に入る、……静かに」と、生信房は、血しおで真っ赤になった手を振って、またそこへ俯伏してしまう。 「水を――」 「生信房どの、水をおあがりなさい」取り囲んでいたわる法《のり》の友《とも》たちの背へ、粉雪《こなゆき》が、さやさやと光って降りそそいでいる。ある者は、薬をさがし、ある者は布《ぬの》を裂いて、彼の額《ひたい》の血しおを拭いてやる。 「ひどい傷だ。――一体これはどうなされたのです」 「な、なに……大したことはありません。戻る途中、滑川《なめりがわ》の崖で転んで、石で打ったのだ」  生信房は、いぶかる人々へ、こう打ち消して、暗い部屋の中へ、苦しげに這いこんだ。  傷口へ寒風を入れてはいけないと気遣《きづか》って、人々は、筵《むしろ》や破《や》れ屏風《びょうぶ》をもってきて、そのまわりを囲んだ。  ――やや風がやむと共に、雪もすぐやんで、今までの空もようは嘘みたいに霽《は》れてきた。裏日本の海が、松の森と山鼻のあいだに、染め出したように鮮明に見えてきたのは、どこかに、月が出ているからであろう。 「……有難い、やっと、風がやんだらしい」ほっとして、人々は、燈火《ともしび》を点《つ》けるのをわすれて、白い月明りに、夜の静寂《しじま》を見まもっていた。  ――と、奥の師の房の一室で、善信の声がひびいた。 「誰か、いますか」 「はい」 「よい月夜になったらしい。この垂薦《たれごも》を揚げて賜《た》もらぬか」 「はっ……」生信房の枕元に坐っていた石念《じゃくねん》が立ち上がって、そこへすすんだ。 「これでよろしゅうございますか」 「おお……それでよい。……まことに今宵は、後《のち》の月《つき》ではないか。都の今ごろとは、大きな相違。……この冴えた月に、もう初雪がこぼれてくるとは」 「なにかにつけ、都におわした日ごろのことが、思い出されましょう」 「なんの――都の秋には都の趣《おもむき》があれば――越路の秋には越路の風物がある。――自然と共に生きんとすれば、人間はおる所に楽しめるものじゃ」 「ご書見でござりましたか」 「む……書を読んでいるうちのたのしさはかくべつ。没我、無我、身なく、古今なく、思わず長い夜も忘れる」 「お燈《あかり》が持ちませぬので、さだめし、読書にも暗うて、ご難儀でござりましたでしょう」 「いや、この真如《しんにょ》の月と、この雪明りとに向えば、盲心も、眼《まなこ》をひらく心地がする」 「夕のお斎《とき》をさしあげましょうか」 「そうそう、忘れていた、わしはまだ夕餉《ゆうげ》をいただいていなかったの。――生信房や教順はもう托鉢《たくはつ》からもどられたかの?」 [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり] 「教順どのと、生信房どのは、今し方もどられましたが、まだ、西仏房《さいぶつぼう》どのが、帰られませぬ」と石念《じゃくねん》が答えた。  西仏房というのは、太夫房|覚明《かくみょう》が、都を離れる時に改めた名で、そのむかし木曾殿の猛将として三軍を叱咤した彼も、今では、まったく善信の法相《ほっそう》をうけて、この配所では、誰よりも彼が高弟であると共に、またいつも同室の者たちを賑わしていた。 「道理で――」善信はうなずいて、 「静かな宵じゃと思うたら、まだ西仏《さいぶつ》がもどらぬせいよの」 「こよいは、お師さまへ、栗粥《くりがゆ》をあげたいといって、山へ入ってゆきましたが、あの気軽な御房のことゆえ、先刻のこぼれ雪に遭って、また炭焼き小屋へでも入って、話しこんでしもうたのでございましょう」 「そうかも知れぬ」配所にいても、少しも配所にいるらしい拘束《こうそく》もうけなければ、不平も感じていない西仏の生活ぶりを、善信は心のうちで、 (さすがに)と、微笑《ほほえ》まれていた。石念《じゃくねん》はふと、 「お師さま、お机の端に、雪が積もっております、すこしお立ち遊ばして下さい、掃除いたしましょう」 「机ばかりか、膝までもじゃ。夜半《よわ》にはもっと降るかも知れぬ、このまま溶けねば、よい燈火《あかり》になる、そっとして置こう」善信には、机の雪が愛されて、払い捨てるに惜しい気がした。雪を見ていると、叡山の苦学や、法隆寺の苦行や、若年の修学時代が思い出されるのだった。――今もその心は失ってはいないが、幸いにまた、失うまいとする心がけもあった。  その時、磊落《らいらく》な声が表の軒下で聞えた。――と思う間に足音大きく上がってきたらしい。 「や、西仏どの、お帰りなされませ」と、室内の者がいう。西仏は、 「寒いのう、今夜は」と言って、すぐ思い出したように、 「そうだ、町の者に聞いたが、生信房が怪我《けが》をしたというではないか。生信房は、どうしてござるの」と、何気なく言った。 「しっ……」と、そこにいた者は、奥の師の耳を憚《はばか》って、手を振った。 「え? ……」西仏は、眉をひそめ、 「怪我は、そんなにおもい様子か」困った顔して、 「奥には」と、もいちど、手を振って見せた。だが、その声はすぐ、善信の耳へはいってしまった。 「石念《じゃくねん》」 「はい」 「生信房が怪我をしたというておるが、真《まこと》かの」 「は……はい」 「なぜ、わしに黙っているか」 「申しわけございませぬ、ご心配をかけたくないと、当人が申しますので」 「どんな容子《ようす》じゃ」 「落着いておられます」 「呼んでおいでなさい――苦痛でなければ」そう告げて、善信は、皆のいる夕餉《ゆうげ》の部屋へ、自身も出て来た。 [#3字下げ][#中見出し]愚禿《ぐとく》[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  師は、 「呼べ」という。かくしていたことが、つい西仏のことばの端からわかったのである。どんなお叱りをうけるか。弟子たちは、しいんと黙りこんで、にわかに起つ者もない。善信はかさねて、 「呼びなさい」と、いった。 「は」もう否《いな》まれなかった。  定相《じょうそう》が立って、暗い一間《ひとま》の中へ入って行った。やがて、恐縮そうに教順が出てきた。その後から、生信房は、布《ぬの》で巻いた額《ひたい》の傷口を抑えながら、悄々《しおしお》と出てきて、師のまえに坐った。  ――俯向《うつむ》いている。一同は、気の毒そうにその姿を見、また、きびしい師の面《おもて》をそっと仰いだ。 「痛そうな」自然に師の唇から洩れた声であった。――そして次にいった。 「深傷《ふかで》か」 「いえ、ほんの浅い傷でございます」いつも元気な生信房が、元気なく答えた。 「どうなされたのじゃ。おもとはまたあれほど、御仏へ返し参らせてある我心《がしん》を出して、むかしのような悪業をしたのではないか」  ぎくと、生信房は、顔いろをうごかした。――むかしのという一語ほど彼にとって痛みを感じるものはなかった。天城四郎という異名《いみょう》で、怪力と大盗の業《わざ》を誇りにして、世人を怖れしめていたころの自分が――その当時の自分のしたことの怖ろしさ浅ましさが――いまだに頭のすみに絶えず悔いているのであった。 「ちがうか」 「はい」 「では――」と、師のことばは追求する。 「馬に蹴られたのでございまして、べつに」 「馬に?」 「はい」 「うかつな」善信は、なおじっと、俯向《うつむ》いている彼を見つめて、 「それだけではおざるまい」 「それだけです」 「かくされな」 「はっ……」 「およそ、察しはつくが、かくしていては、おもとがかえって苦しもう、いっておしまいなさい」  しばらく、手をつかえていたが、 「――悪うございました、実は今日」と生信房は唇《くち》をひらいた。 「かようでござります、あの新川村《にいかわむら》へ托鉢《たくはつ》に廻りますと、いつかお師様がお寄りになられて、御勧化《ごかんげ》をしておやりになった、因果つづきでまことに不倖せな三日市の源左衛門夫婦が、私を見かけ、まろぶように、往来へ出て参りました」 「む」 「夫婦の申すには、聖人《しょうにん》様に、念仏の道を諭《さと》していただいてからは夫婦の気持もすっかり変り、家は明るく、良人はよく稼ぎ、病人も絶えて、近ごろは、以前のわが家《や》は、夢のようにおぼえ、朝夕《ちょうせき》、聖人様のお徳を拝んでおりまする。――かようにうれし涙を流して申しまして、こんな有難い教えを、どうかして、近所の衆、近郷の衆へも知らせてやりたい、どうか、私に今日は善根をさせてやると思し召して、説教をしてくれとせがみまするゆえ、かねて、お代官から布教はならぬと禁じられてはおりましたが、あまり熱心に乞われるままに、その家の近くの松の木の幹へ、所持の御名号《ごみょうごう》を掛けて、拙《つた》ない法話を初めたのでございました」 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり]  生信房の真面目な話しぶりに、人々も耳をすましていた。  そして、彼の前身を知っているほどの者はみな、心のうちで、 (この御房も、よくここまで変ったもの――)と密《ひそ》かに感じ入っていた。  生信房は、そっと、師の面《おもて》へ眸《ひとみ》を上げ、 「そうして、私が、説教をしておりますと、その説教なかばのことでございます」と、話しつづけてゆく。 「折わるく、もう稲田の検見《けみ》でもございますまいが、代官の萩原年景《はぎわらとしかげ》が、七、八名の家来をつれて、そこの並木へさしかかって参りました。――武士《さむらい》たちの装束《よそおい》を見ると、どうやら、狩猟《かりくら》の帰りでもあったかもわかりません」 「む……。そして」と、善信は初めてつよくうなずいた。 「みな騎馬でした。威勢におそれている百姓衆は、みな、説教をよそにして、逃げちります。――するとそれを侍たちは鞭《むち》を上げて追いかけ、勅勘《ちょっかん》の流人《るにん》が布《ふ》れる説教を聞くやつ輩《ばら》は同罪に処すぞ! ――こう呶鳴りながら、追いまわすのでございました」 「ムム……」人々は、無念そうに眼を光らして、うめき合った。  生信房もまた、そこでしばらくことばを句切って、拳《こぶし》を膝にかためていたが―― 「あれよ――あわれなことを――と私が見ておりますと、私の前にも、ハタと駒のひづめを止めた者がございます。見ると、それがうわさに聞く代官の萩原年景であったとみえます、馬上からはったと私を睨《ね》めつけ、――これッ囚僧《しゅうそう》! ――そうです囚僧と呼ぶのでした。聞けよ、そちは都にて邪教をいいふらし、罪を得てこの北国に流されたものではないか。しかるに、それにもなお懲《こ》りず、この地へ来てまでも、なお邪教を道へ撒《ま》こうといたすか、代官をおそれぬ致しかたである、かような物など見るも嘔吐《おうと》が催す――と、そう罵《ののし》りまして、私が、松の木にかけておいた御名号を、いきなり鞍のうえから手をのばして、かように、引きむしッて……勿体ない……だ、大地へ」いつか自分の話に自分でつり込まれて、生信房の顔には、大粒のなみだがぽろぽろとながれていた。  はっと、気づいて、彼はあわてて法衣《ころも》のたもとで顔を拭《ふ》いた。 「――私は、ほかの物とはちがいますので、やおれ待ち給え、と立ち塞《ふさ》がって、その乱暴を止めようとしたのです。――とたんに、蹴仆《けたお》されていました。アッと、自分の額に手をやった時には、黒い血が、顔を染めていたのでございます。――馬のひづめで、どこかを蹴られた上、鞭《むち》で、二つほど打たれたとみえます」 「…………」傷《いた》ましげに、人々は、生唾《なまつば》をのんだ。しいんと、声もないうちに。と、生信房は、くわっと大きな眼を一方に向け、 「おのれッ! ……。わたくしはそう叫びました。以前は天城四郎である私です。むらむらっと起てば、代官の素ッ首ぐらいは、すぐ引《ひ》ン捻《ねじ》ってしまったでしょう。――だが、そのとき、ふと見ると御名号は彼の手に奪《と》られずに、まだ松の幹に、風にヒラヒラしていたのです。――それをふと見ましたとたんに、私は、はッと思って眼にながれこむ血も知らず、仰向けに倒れたまま、虚空をにらんで念仏をとなえておりました」 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり]  なんにもいわなかった。善信はただ黙然と聞き終って、 「傷口に風を入れてはならぬ。大事にされよ」と、いった。師の房がなにもいわないにしても、その夜の人々は、生信房の話を聞いて、大きな感激につつまれたらしい。みな敬虔《けいけん》な面持ちをたたえて、 「さ、お寝《やす》みなされたがよい」と、生信房をいたわった。  幾日かたつと、その傷口も癒《い》え、体の熱もさがった。生信房は、はればれと床を出て、あしたはまた、町へ布教に出たいなどと友と話していた。 「生信房どの、お師さまが、お呼びになっていますぞ」 「え、お部屋で」 「いや、あの岩にお腰をすえられて」 「あ……」と、生信房は、庵室の裏のほうへ眼をやって笑った。師の房は、外で、初冬の陽ざしを楽しんでいるのだった。 「およびですか」そこへ行くと、 「お掛け」と、気がるである、師の房の顔までが、きょうは小春日の太陽のようにかがやかしい。 「もう傷口は」 「すっかり癒りました。ご心配をおかけしてすみません」 「さて、それについてじゃ」――と、善信はことばを改め、 「生信房、おことの身にも、ようよう念仏の光がついて参られたの。いつぞやの話――善信もありがたく聞きました。よい御修行をなされたことを、わしも共々に欣びましょう。このうえとも、その心を、忘れてくださるな」と、手をとって、わが子がよいことをした折によろこぶ母のように、善信はよろこぶのであった。 「はい……」生信房は、眼が熱くなった。どうしてこのごろは、こう涙っぽくなったのかと自分でも思う。しかし、その涙は、ただごとの涙とも思われない。 (――随喜)それだ、随喜の涙である。生信房は、涙にまたたきながらそう思った。 「そこで――わしもこの間うちから考えていたが」と、今日はいとも寛《くつろ》いだていで善信は何か述懐しようとするらしい、眼をふさいで、空へ顔を上げていたが、 「――善信。……これはわしの名だが、わしに取ってはなんとのう実《まこと》しやかで、あまりに浄《きよ》い名でもありすぎる。何かこのごろは、わしにはこの名がぴったりしないように思われてきたのじゃ。――やがて年も四十の坂にちかいのでの、三十九歳となったこの身に、なにやら、心にも変化が起ってきたのかも知れん。――とにかく、善信は、わしをあらわすには、ふさわしい名でないように思う」めずらしいことを話し出される――と生信房は、師の顔を見て、 「そうでしょうか。私などには、すこしもそんな気はいたしませぬが」と、いった。 [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり]  心境に大きな変化が起っていたのである、たえまなく自己を考え、また真理を究握《きゅうあく》しようとしてやまない善信の内省のうちに、このごろ、ふと、今も生信房にいったような気持がたしかにわいてきている。 「……おもうてみると、自力聖道の門から他力|易行《いぎょう》の道へかかるまで、そのあいだの幾多のまよい、もだえ、苦行、またよろこびなど、三十九歳の今日となって、振りかえってみれば、実にただ愚の一字でつきる。おろかしや――われながら今、その愚かさにおどろかれる」つぶやくように、善信はいうのである。  師のことばに、生信房はおのずと頭《かしら》が下がった。そして、賢《さか》しくも、自分などが近ごろ、やや念仏門の真実がわかったような顔をしていることが、恥かしくなった。善信は、なおいう。 「このごろ、しみじみとわしは自分がわかってきたような気がする。――飽くまで凡夫を出でない人間じゃと。――さきの夜、あの生信房がいうのを聞くにつけて思いあわせられたのじゃ。極悪無道の大盗四郎であった彼が、たちまち、なんの苦行や迷いや悶えもなく、嬰児《あかご》が這って立つように、素直に念仏を体得している様を見ると、そこに、凡夫|直入《じきにゅう》のわが念仏門の真理が手近にある。――三十年の懊悩《おうのう》をみぐるしゅう経てきたわしと、ついきのう念仏に帰依した生信房と――較べてみよ、どれほどの差があろうぞ。……わしはむしろ彼に教えられている。  わしも本体の愚のすがたに帰ろうと思うのじゃ。そして、いっそう真《まこと》の念仏を――凡夫直入の手びきしようと存ずる。――名も今日よりは、愚禿《ぐとく》とかえる。昨夜ふと真如《しんにょ》の月を仰ぎながら、親鸞《しんらん》という名もよいと思うたゆえ、その二つをあわせ、愚禿《ぐとく》親鸞とあらためた。――愚禿親鸞、なんとふさわしかろうが」 「はい……」生信房もふかい内省にひき込まれていた。それ以上答えができなかった。善信はその日から、自分を愚禿とよび、名を親鸞と改めた。一同へも、告げた。  冬になる。やがて――春がくる。伸びた黒髪に、網代《あじろ》の笠をかぶって、親鸞はよく町へ出て行く。着のみ着のままの破《や》れ法衣《ごろも》――見るからに配所の人らしくいぶせかった。だが、彼の頬には、いつも誰に対しても、人なつこい親しみぶかい、愚禿の微笑《ほほえ》みがかがやいていた。  国府《こう》を中心にして、新川《にいかわ》や頸城《くびき》あたりから、ある時は、赤石、小田《おだ》の浜の地方まで、親鸞は、ひょうひょうと布教にあるいた。  彼のすがたが、道の彼方《かなた》から来るのを見かけると、 「おお、愚禿《ぐとく》さまがお出でだ」 「お上人がおいでだぞい」浜の童《わらべ》も、畑の女たちも、彼を見知っていて、彼をとり巻いた。 「きょうは、なんのお話をしようかの」と、親鸞は、畑にも、砂の丘にも、坐りこんだ。  彼の坐るところには、手をあげて呼ばなくても、人が集まってくる。いつのまにか、一家族のような丸い輪になるのだ。 「この間の法話も、もういちどお聞かせしてくらっせ」仏の法話を、漁民《ぎょみん》も農夫も、聞くのを楽しんだ。なぜならば、親鸞の話は、誰にもよくわかったし、このお上人様は、自分たちへ高僧として臨むのでなく、まるで友達のようになって、親しく、なんでも教えてくれるからであった。 [#7字下げ][#小見出し]五[#小見出し終わり]  妬《やき》もちやきの女房も、極道者の亭主も、彼には服した。飢餓や病魔のお化けにとッつかれて多年不幸の底にあった因果な家庭も、そこへ、親鸞の明るい顔が訪ねてゆくと、 (このごろ、おめえちの家は、どうしてそんなに皆が機嫌よく働くようになったのけ?)と、隣り近所がいぶかるほど、打って変って、健康で明るい家族たちの住む家となってしまうのだった。  ある部落では、親鸞のすがたが三日も見えないと、 (ご病気ではないのか) (なんぞ、お慰め申さでは)と、竹内《たけのうち》の庵室へ、草餅を持って来たり、そっと野菜を置いて行ったり、親鸞も弟子たちもみな留守だと、 「ここが壊れている」 「垣も荒れている」と、屋根の繕《つくろ》いもしたり、雑草をむしったり、掃除までして、奉仕することをよろこぶのだった。代官の萩原年景の部下が、配所の見廻りに来て、 「こらっ、下民《げみん》ども、都から流されて来た流人《るにん》の小屋を、さように、手入れいたしたり、立ち寄ってはならん」と叱って追い払うと、 「それ、鬼の子が来た」と、彼らは争って逃げるが、もう翌朝にはまた来て、 「これを、お上人様へ上げてください」と、温かい食物など置いて行く。親鸞は、いつも、 「ここはありがたい仏国である。都のうちでは、こういう仏果にめぐりあうことはすくない」といって、彼らの喜捨《きしゃ》に手をあわせたが、極く質素な朝夕《ちょうせき》の衣食に足るものだけを受けて、後は貧しい家の病人のいる家へ、弟子たちの手でわけてとらせた。代官の萩原|年景《としかげ》は、 「売僧《まいす》めが、愚民をたぶらかしおる」と、意識的に、いよいよ配所の人々を苛酷《かこく》に取り扱ったが、親鸞も弟子たちも、少しも意にかける様子はなくて、国司の法には何事もよく従うので、憎んではいるものの、危害を加えることはできなかった。  ――親鸞は、今日も、国府《こう》から四里ほどある漁村をすぎて、裏日本の青い海《うな》ばたを歩いていた。  すると、この辺には見馴れない眉目《みめ》のよい女房が、磯べを悄《しょ》んぼり彼方《かなた》から辿《たど》ってくる――摺《す》れちがって、ふと、 「はて、どこかで――」と、親鸞は、小首をかしげながら振り向いた。女は、摺《す》れちがった人も気づかずに、波打ち際を、俯《う》つ向《む》いて行きすぎた。 「もし……」こう声をかけると、女は初めて驚いたようにこっちを見て、 「あ……」眼をみはった。  親鸞が歩み寄って行くと、どう考えたものか、女は突然、まっしぐらに反対の方へ走り出した。親鸞は手を振りあげた。  折よく、彼方《かなた》から二、三名の漁師《りょうし》の姿が見えたので、親鸞は、それへ声をかけたのである。  漁師《りょうし》たちは、逃げてくる女をつかまえた。人々にかこまれると、女は砂の上へ打ち伏して、泣きくずれた。 [#7字下げ][#小見出し]六[#小見出し終わり] 「オオ、山吹《やまぶき》さまだ」漁師たちは、その女性《にょしょう》をよく見知っていた。  驚いた顔つきで、口々に、 「このお方は、お陣屋のお側妾《そばめ》さまだが――お上人様――どうしたわけでございます」 「わしも知らぬが……ふとすれちごうた折に、ぞっと、わしの心に寒いものが触れた。この女子《おなご》は死に場所をさがして歩いているな――と、こう感じたゆえ、呼びとめると急に走りだした」親鸞は、漁師たちが、好奇な眼をあつめて、泣き伏している彼女をながめているので、 「――だが、それはわしだけの考えたこと、間違うているかも知れぬ。おことたちは、仕事もあろう、どうか退《の》いてくだされ」彼が頼むようにいうと、 「そうだ、わしらはこれから沖へ出にゃならぬ。ではお上人様――」  一人一人が、ていねいに頭を下げた。そして漁船へ乗ると、やがて、後ろの浜辺には、親鸞と――山吹とよぶその女性と、二人きりになった。 「ここは風があたる」親鸞は、山吹を導いて、砂丘の陰へ歩いて行った。 「坐りなされ」といって、自分も坐る。うしろは砂丘にかこまれて、晩春のあたたかい陽に静かに抱かれている。山吹はくずれるように、砂へ坐って、さし俯向《うつむ》いた。 「お坊さま、あなたは竹内《たけのうち》の配所へ来ていらっしゃる都の上人様ですか」 「そうです、親鸞といいます」 「元は、善信様と仰っしゃいましたね」 「ご存じか」 「吉水の禅房で、一、二度」 「それで思いあたりました。どこかでお見かけしたように思われたのは、都であったか。それでは、吉水の房へ、聴聞《ちょうもん》に来られたこともあったのじゃな」 「まだ私が京都にいた折、しきりと、念仏はよいものと、町の衆がうわさしますので、おもしろ半分に――」と、いって、あわてて、 「人に連れられ、見に参ったことがございました。その折、あなた様の御法話をうかがいましたので」 「それで、わしの眼にも残っていたものとみえる。――あなたは、その折、他人《ひと》が念仏にゆくので、流行《はやり》ものでも見るような気持で参られたのであろうが、そういうかりそめの人にさえ、御仏《みほとけ》はきょうの慈縁《じえん》を結んでくだされた」 「ほんとに……」と山吹は初めて、沁々《しみじみ》と、親鸞のことばに耳を傾けだした。 「――もしわしが、あの時、おん身を振り向かずに、そのまま行き過ぎてしもうたら、あなたは、ふたたび明日《あす》の陽を見ない人だったでしょう」 「そうです、仰っしゃるとおり、きょうこそは、死のうと覚悟して、家へ遺書《かきおき》まで残して出てきたのでございました。――ですが、上人さま、ただ私とすれちごうただけで、どうして私が死ぬ気持でいたことが、あなた様にはわかりましたか」 「わからなくてどうしましょう。おん身のたましいも、わしのたましいも、人間のたましいに二つはありません、ひとつものであるのです、自他無差別、本来|無垢《むく》、澄みとおって純なるものです。――ただそれが肉体というものの、貌容《かおかたち》とか、身装《みなり》とか、うわべのものにつつまれているので、おん身とわしとが、べつな者に見えたり、敵に思われたり、憎んだり、嫉《ねた》んだり、あらゆる愛憎の霧がかかってきて、そこに他人という観念が起って参るに過ぎません。自分という我執《がしゅう》もそこからわいてくるしの……」 [#7字下げ][#小見出し]七[#小見出し終わり]  山吹は聞き入っていた。あたたかい砂丘の陽なたは、彼女の寒々と硬《こわ》ばっていた暗い顔を、やや明るくしてきた。 「……では、上人様、わたくしはあなた様に、どんなことを申しあげても、あなた様は、自分のことのように聞いてくださいますか」すると親鸞はむしろ待っていたように、 「オオ、なんなと話されい」 「ありがとうございます、わたくしには、この胸にいっぱいな苦しみを、話す人さえこの世にないのでございました。――さびしい世の中、あるのは皆、私を呪《のろ》う邪智の鬼や、羅刹《らせつ》ばかり……。それゆえ、死のうと思い決めたのでした」 「死ぬ……それはいつでもできることじゃ、まあ、その理《わけ》をいうてみなされ」 「醜い――恥かしい――それはもう上人様のまえで申すも面映《おもは》ゆいことでござりますが、実は」と、山吹は、坐っている海砂をまさぐりながら―― 「わたくしは元、京都の六条で、白拍子《しらびょうし》をしておりました。そのころこの国府《こう》の代官萩原|年景《としかげ》によばれ越路《こしじ》へ来ぬか、国府《こう》の館《やかた》へ来れば身の妻として、終生|安穏《あんのん》に暮らさせてやろうにと、ことば甘くいわれましたので、後前《あとさき》の考えもなく年景について参りました。――ところが来てみると、年景には、妻子もあるばかりか、国府《こう》の住居《すまい》には、幾人もの側女《そばめ》がいて、その人々が、めいめい、年景の寵《ちょう》を争うので、嫉《そね》みぶかい女同士の争いが、絶えたこともございませぬ」 「そうか……」親鸞は、領民たちの呪詛《じゅそ》の声と、年景の生活のさまとを思いうかべて、うなずいた。 「――でも、この遠い国へ来ては、どうする術《すべ》もございません。幾年《いくとせ》かを忍んで参りました。けれど、忍ぶにも忍べない日がついに参りました。年景は、わたしに飽いて、酷《ひど》くあたります、ほかの側女《そばめ》たちも手をたたいて事毎に告げ口する。あろうことかあるまいことか、年景の召使で、蜘蛛太《くもた》という侏儒《こびと》と、わたくしが、不義をしているなどと云いふらすではございませぬか」 「蜘蛛太?」と親鸞は小首をかしげた。 「お上人様など、ご存じある者ではございません。その侏儒《こびと》の蜘蛛太という者は、わたくしが京の六条にいたころから、よく町をうろついていた者で、主人を失って、路頭に迷っているので年景にたのんで、その越路へ来る折、雇い入れてもらった男なのでございます。――ですから、蜘蛛太は、わたくしには親切にしてくれます、共に泣いたり心配してくれます。それがかえって悪かったので、あらぬ噂を立てられたのでございますが、気だてこそ、そんな可愛い所のある人でも、顔はおどけているし、背は四尺ぐらいしかない片輪者、なんでわたくしが不義などいたしましょう」 「およそわかった。それで、死のうとなされたのか」 「いッそ! ……と口惜《くや》しまぎれに……」山吹は、砂の上へ、打ち伏して泣いた。 「……かわいそうに、蜘蛛太は、わたしのために、仕置小屋に抛《ほう》りこまれて、これも、覚えのないことを、責め折檻《せっかん》されているそうでございます」 [#3字下げ][#中見出し]炎《ほのお》の家族《かぞく》[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  国府《こう》の丘の小高いところに、良い庭木や石をあつめて、戦いでもある折は、小さな砦《とりで》ぐらいな役には立とうと思われる豪奢《ごうしゃ》な一構えの屋敷がある。  代官の官衙《かんが》とその住宅であった。萩原|年景《としかげ》は、ここの中心として、絶対の権力を振舞った。住居も、一廓《いっかく》のうちに、家族たちのいる奥とよぶ所と、彼の愛妾《あいしょう》たちを置く、下《しも》の棟《むね》とよぶところと、ふた所にわかれている。  したがって、その一廓のうちで、年景をめぐって、いろいろな媚《こび》や、讒訴《ざんそ》や、排撃や、嘘や、あらゆる小さな争闘が毎日行われている。  だが、年景は、家庭とその女たちの群れへも、自分の政治的な手腕を信頼していた。 「萩《はぎ》の井《い》さま」と、一人の女がいう。  寝そべっていた女が、 「なあに」甘ったるい返辞をし、敷物から顔をあげた。  窓から、外をながめていた女が、二人の会話にふり向いて、これも話にまじろうとするように、坐り直す。  この下の棟には、五、六人の女たちが、棟つづきに住んでいるのだった。  彼女たちは皆、ひとりの年景に飼われている美しい動物の境遇であった。年景をめぐって、彼の寵愛を争う時には、おのおのが、爪を研《と》ぎ、毒舌に火をちらすのであったが、無智で節操のない彼女たちは、昼間の長い退屈にわずらうと、いつかこうして一間《ひとま》に寄り集まって冗談《じょうだん》をいったり、物を食べ合ったり、奥の悪口をいい合ったりしてその無聊《ぶりょう》をなぐさめ合いもするのだった。 「きょう、山吹さまは、見えないじゃありませんか」 「……そういえば、ほんに」 「あの人の部屋、見た?」 「いいえ」 「誰か見てこない?」 「でも」 「かまわないよ」一人が長い板縁をわたって姿をかくした。しばらくすると、帰ってきて、 「いない」と、顔をふっていう。 「なにも変ったことはない」 「きれいに部屋が掃除してあって、小机のうえに、香が焚《た》いてあっただけ」 「香が焚いてあった。おかしいね。香など焚いたことのない人が」 「行ったんじゃない」 「どこへ」 「死出の旅路へ」 「ホ、ホ、ホ」盗むように一人がわらって、 「――そうかも知れない。毎日、泣いてばかりいた様子だから」 「でも、身から出たさび――仕方がないもの」 「ものずきな――あんな侏儒《こびと》の片輪者を、殿様の目をぬすんで、閨《ねや》へ入れるなんて、気がしれない」 「あれ……ほんとのことなのかしら」 「だって、みながそういうもの、火のない所にけむりは立たないでしょう」 「けれど、誰が先に、そんな煙を立てたのか」 「どうだって、いいじゃありませんか。どうせあの人は、ふだんから、死にたいが口癖だったんだから、本望でしょうに」そういって、よそごとのように、戯《ざ》れ口《ぐち》をきいていたが、それでもどこかに気がかりになるとみえ、 「ほんとに、帰ってこないらしい……」と少し不安な眼をしだした。 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり] 「もいちど、見に行ってみましょうか」と、一人がいう。女たちは、皆立った。そして、山吹の部屋をのぞいてみると、香のにおいがまだ残っていて、小机の下を見ると、何か、手紙らしいものがあった。頓狂《とんきょう》に、一人が、 「あっ、遺書《かきおき》」と、さけんだ。 「え、遺書ですって」 「ま……」 「おおいやだ」身ぶるいして、そして、にわかにあわてた顔いろを見あわせ、 「どうしましょう」 「どうって……」 「殿様へ、お知らせしておかなければ――」その部屋にいるのが、何か、怖いもののように、女たちは外へ出て、 「誰か来てください」と呼び立てた。お下婢《はした》が駈けてきた。小侍もそれへ来た。  すぐ、役所のほうへ向って、一人が走って行った。  間もなく、代官の年景が、やや狼狽した顔色を湛《たた》えて、 「なんじゃ、山吹がいない?」と、それへ上がってきた。  女たちは一ヵ所にかたまって、みな自分のせいではないように黙っていた。年景は、自分にあてた山吹の遺書《いしょ》をひらいていたが、それは呪《のろ》いの文字にみちていた。たちまち、裂いて袂《たもと》へ丸めこんだが、血相は濁りきって、何か、憤《いきどお》ろしいものを、そこらへ打《ぶ》っつけたい眼つきをしていた。 「馬鹿っ」それがついに爆発して、突然こう呶鳴りだしたのである。彼の狂暴性を知りぬいている女たちは、びくとしたように、小さな眼をすくませた。 「なぜ、お前たちは、気をつけていないのだ。誰も、知らなかったのか」 「…………」 「この間うちから、様子がおかしいから、気をつけておれといったのに、どいつもこいつも」と、睨《ね》めつけて、跫音《あしおと》あらく、女たちの前を踏んで通ってみせた。 「これっ、おいっ」 「はい……」側女《そばめ》の一人が答えると、 「おまえなど呼んだのじゃない。源次、源次」と、家来を縁先へよんで、 「きょうはすこし頭のぐあいがわるい。役所のほうの仕事は、いいつけておいたように、ほかの者と片づけてくれ。いいか、わしはここですこし休んでおるからな」 「はい」と、家来が行きかけると、 「おいおい、奥へはそういうなよ。役所におるようにいうておけよ」ごろりと、年景は、大きな体を部屋のまん中に横たえた。焦々《いらいら》とした眼を、開いたりふさいだりしているのだった。さすが、愉快ではないらしい、どこかで、自分を責めたり、また惑ったり怒ったりするものが、顔の皮膚をどす黒く濁していた。 「酒を持ってこないか。おいっ……酒を」と、呶鳴って、額《ひたい》へ手をあてた。――奥の棟にいる妻だの子だのが、げらげらどこかで笑っているような声がする。むっくりと、彼は起き上った。 「これ、誰か、山吹をさがしに行っておるのか?」 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり]  側女《そばめ》たちは顔を見あわせた。誰も黙りこんだまま答えずにいると、年景の額に、青筋が膨《ふく》れあがった。 「だまっているところを見ると、誰も、彼女《あれ》の身を案じて、見に行った者はないのだな。――遺書《かきおき》をのこして、出て行った者を、おまえらは、笑って見ているのだな」 「…………」 「どいつも、こいつも、なんという薄情な奴ばかりだ。山吹は、もう死んでいるかもしれない」年景は、こううめいて、自悶《じもん》に耐えられぬように、 「――ああっ、彼女《あいつ》は、もう死んでいるかも知れない。おれは心から彼奴が憎いわけじゃなかった。おまえらがなんのかのと讒訴《ざんそ》をするので、おれも疑いの目で見初めたのだ。山吹はおれを恨んで死んだに違いない」また――ごろりと仰向《あおむ》けになる。そして側女《そばめ》が出した杯を引ったくるように取った。こういう場合の年景に、酒が入ることは、炎に油をそそぐようなものであることを、側女たちは常に知っているので、めいめい、眸《ひとみ》のそこに、おどおどと戦慄を持っていた。 「つげッ」と、飲みほした杯をつき出すので、ひとりがこわごわ、銚子を近づけると、 「この、おべんちゃら」ついだ酒を、その側女の顔へ、浴びせかけた。  杯はまたすぐ、べつな側女の顔へ、独楽《こま》みたいに飛んで行った。 「この毒草め、どいつもこいつも、皆、毒の花だ。みすみす、おまえたちと朝夕ひとつに暮していた山吹が、遺書《かきおき》して出て行ったのに、のめのめ見ごろしにするという法があるか。なぜ手分けして、探しに行くなり、召使たちを走らせて、心配しないか。――気に喰わない奴らだ。薄情者めが、よくもそうしゃあしゃあした面《つら》ばかりが揃ったものだ」と、年景はまるで、この不愉快な事件が、すべて他人《ひと》のせいであるように罵《ののし》って、 「出て行けっ」と、部屋を揺るがすような声でわめいた。 「きょう限り、みんな暇をくれる。誰の彼のといわず、一人残らず出て行けっ。女など、世間に降るほどある。年景はもう実をいえば、貴さまたちには、あきあきしている所だ。そこへ持ってきて、貴さまたちの醜い冷酷な根性を見せつけられては、なおさら、嫌になってしまった」手がつけられない怒り方である。理窟ではない、これが年景の遊びなのだ、何事も意のままになり過ぎて、これくらいな刺戟を起こさないと、年景の気《け》だるい神経はなぐさまないのである。それまた初まったというように、側女《そばめ》たちは、隅のほうへ避けて青白いおののきを集めていた。年景は、銚子をつかんで、 「出て行けっ」と、それへ投げつけた。すると、家の外である。廂《ひさし》を蔽《おお》って、ずっと聳《そび》えている大きな樹のうえで、誰か、年景の口|真似《まね》をしたものがある。 「そうだっ、出て行け!」年景が気づかずに、 「出て行かんかっ」と、身を起たせて、足蹴《あしげ》の形を示すとまた、 「――出て行かんかっ」と、谺《こだま》のように、樹のうえから同じ声がした。 「……や、どいつじゃ」縁へ出て、年景がこずえを仰ぐと、老人か子供か、見当のつかない顔した怪異な小男が、葉陰に白い歯を剥《む》いてわらっていた。 [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり]  その侏儒《こびと》は、京都から雇ってきた蜘蛛太《くもた》とよぶ男で、庭掃除の小者として使っていたが、側女《そばめ》の山吹とのあいだに、おかしな噂があったので、年景が怒って、先ごろ、牢へ押し籠めてしまった者である。その蜘蛛太が? ――  年景は、驚いた。アッと顔を上げたまましばらくは眼を奪われていた。どうして、牢内から出てきたのか。猿みたいに、樹の上にあがって、こっちを見ているのだ。自分を嘲笑《あざわら》うように歯を剥いている。 「おのれっ」年景は、縁板を踏み鳴らし、 「化け物っ、降りろッ」――すると蜘蛛太は、 「化け物っ、眼をさませ」と口真似して、 「やい代官」 「な、なんじゃと」 「使われているうちは主人と敬《あが》め奉っていたが、もうこうなれば、主《しゅ》でもねえ下僕でもねえ、おれはむかしの天城四郎の手下になってみせるぞ」 「やっ、おのれは、賊か」 「オオ、以前は、泥棒を商売にしていたが、自分の頭領が発心して、僧門に入る時、てめえも真人間になれと懇々《こんこん》いわれたので、それ以来、泥足を洗って、てめえのような凡くらに、きょうまで、おとなしく仕えていたが、もう止《や》めた。真人間になるなんて、こりごりした。いったいこの世の中のどこに真人間なんて者がいるかってんだ。てめえのような悪代官を見ると、おれたちの昔の友だちのほうがはるかに正直で涙がある」 「よくもいうたな、おのれ、引きずり降ろして、鋸引《のこぎりび》きの刑にしてくれる」 「わらわすな」と、蜘蛛太《くもた》は、依然としてそこに落着きこんで―― 「おれが逃げようと思えば、こんな田舎《いなか》の陣屋の牢ぐらい、幾らでも破ってみせる」 「よしっ、その舌の根を」憤然と、年景は、家の内へ走りこんだと思うと、弓と矢を持って、ひらりと、縁先から跳び降りた。酒気のある顔に、血をそそいで、弓に矢をつがえ、キリリと引きしぼって、こずえの空を狙うと、 「やい待てっ。――おれを射る気か」 「…………」ぴゅっと、返辞のかわりに矢は空へ翔《か》けた。――しかしあわてたので蜘蛛太の体を外《そ》れていた。ただ二、三枚の若葉がばらばらと散ってきただけである。 「なんていう下手《へた》な弓だ、そんなヘロ矢で人を射落そうなどというのは、量見ちがいだぞ。――それよりはヤイ代官、なぜその矢で、自分の胸を射ないか、てめえの胸のうちには、おれより怪異な魔ものが住んでいるじゃねえか。その魔ものの名を、増長というんだ。よくも、この蜘蛛太と山吹さまに汚名を着せやがったな、その返報は、きっとしてやる、覚えていろ」いうことばのうちに、年景は、二の矢をつがえていた。ぷつんと、弦《つる》が高く鳴った。矢はたしかに前よりも正しく飛んだ。――けれど、蜘蛛太はとたんに、ほかの梢《こずえ》へ跳び移っていた。 「出合えっ、家来どもっ、破牢者をとらえろッ」  年景の声に、廓内《くるわない》は跫音《あしおと》にみだれ合った。だが、役所の屋根のうえを、一度、勢いよく躍り駈けてゆく姿が見えただけで、蜘蛛太の影は、どこへ失《う》せたか、それきり幾ら探しても見出すことができなかった。 [#7字下げ][#小見出し]五[#小見出し終わり]  家来や下僕の者を叱咤《しった》して、 「蜘蛛めを探せ」と、年景は、庭に出ていた。  屋根へのぼってゆく者がある、床下を竹竿《たけざお》でかき廻している者がある。そこへどこからか、小石が降ってきた。 「――痛いっ」と叫んで、人々はまた、樹の上を仰いだ。鴉《からす》の群れがパッと立つ。――しかし、蜘蛛太の影は見あたらない。 「まだ、外へ失せてはいない。どこかに潜《ひそ》んでいるに違いないぞ。探しだして、たたき伏せい」年景は、自分も狂奔していた。そして、いつか、妻子たちの住んでいる奥の棟のほうまで走ってくると、 「あなた」と、針をふくんだような――冷たい甲《かん》ばしった声が――ついそこの住居《すまい》から走った。 (妻だな)すぐ年景は、その声の主《ぬし》を、振向かないでも感じていたが、 「なんだ」よいほどに答えると、 「ちょっと、話があるから来てください」と、彼の妻がいった。  彼の妻は、田弓《たゆみ》の方《かた》といって、七人もの子供を育《はぐく》んでいた。年景は、舌うちして、 「それどころじゃないっ」呶鳴ると、 「何が、それどころでないんですか。妻の私が、たまに話があるというのに、話も聞いて下さらないのですか」 「昼中は、お役目が忙しい。妻の相手になぞなっておれるか」 「ふん……」と、田弓は良人の挙動をながめて笑った。 「公《おおやけ》のお役目がせわしいなどとよくいわれたものです。――あなたは、側女《そばめ》の山吹がいなくなったので、それで狼狽《うろた》えているのでしょう」 「ばッ、ばかっ。――何をいうか」 「そうです、そうに違いありません。――今、私のところへ使いに来た浜辺の女房が、ちゃんと告げて行きました。山吹は、浜へ行って身を投げようとしたそうですよ。そこを、親鸞という配所のお坊さんに救われて、泣く泣く町を歩いて行ったそうです。――なんという恥さらしでしょう」 「なに、親鸞が、連れて行ったと……」 「それごらんなさい、それでも、山吹のことでなく、お役目で忙しいのですかっ」 「うるさいっ」立ち去ろうとすると、田弓が縁から庭へ追ってきた。そして、良人の袂《たもと》をつかまえて、 「どこへ行らっしゃるんです」 「離せっ」 「いい加減に、あなたも、眼をさましたらどうですか。――そんなことで、一国のお代官が勤まりましょうか」 「だまれっ、良人に対して、何をいうか。女は良人に従って、子どもに乳さえやっていればいいのだ」 「その子供さえ、もう皆、大きくなっています。父の行状を見て、眉をひそめるほどになっているのです。――なんですか、もう白髪《しらが》のふえる年配をして」 「ちッ、こ、こんな所で、見苦しいっ」 「見苦しいのは、あなたという人間の行いではありませんか。あんな牝《めす》の獣《けだもの》のような白粉《おしろい》の女たちを、五人も六人も飼いちらして」 「まだいうかっ」頬を一つ、ぴしゃっと打つと、 「打ちましたね」と、田弓も負けずに、良人の胸へむしゃぶりついた。 [#7字下げ][#小見出し]六[#小見出し終わり]  こういう家庭の常として、田弓ももちろん、貞淑な妻ではあり得なかった。多分に、女に多い女のやまいを持っていた。 「ええ、この牝《めす》の獣め」と、年景が、こんどは平手を拳《こぶし》にして、もう一つ、頬へ加えると、 「口惜しいっ」田弓は、盲目になって、 「さ、殺しなさい。……さ、もっと、お打ちなさいっ」と、身を押しつけて行った。年景は、もてあまして、 「気ちがいっ」と、罵《ののし》った。 「気ちがいに、誰がしたんですか、五人も、六人も、眼の前に側女《そばめ》を飼われておいて、気のちがわない妻がありましょうか。それで、一国の代官といわれるんですかっ。領民たちは、あなたを怨んでいますっ」 「な、なんでわしを」 「いいえ、多くの女に贅沢をさせるために、百姓たちの膏血《こうけつ》をしぼることは、隣国の国司《こくし》にまで聞えています。――今にごらんなさい、隣国の兵が攻めてきますから、その時には、自分の領民だと思っている百姓や町人が、皆、あなたに叛旗《はんき》をひるがえして、この館《やかた》へ襲《よ》せかけてくるでしょう」 「こいつめが! いわしておけば存分な囈言《たわごと》を」 「でも、それが、悪因悪果というものです、妻や、子の呪《のろ》いだけでも」 「おのれは、良人がそうなる日を待っているのかっ」 「そうなったら眼がさめるでしょうから」 「出て行けッ」蹴とばすと、ひいっと、田弓は泣き仆《たお》れた。――と同時に、彼女は眼をつり上げて、わが子の寝ている部屋へ走りこんだ。 「――あっ」と、年景は、後を追って行った。なぜならば、もういつもの半狂乱のていになった田弓は、そこに仲よく遊んでいる頑是《がんぜ》ない二人の幼児《おさなご》を、縊《し》め殺《ころ》しかねない血相で抱きしめ、手に、懐剣を抜いているからだった。――飛び込んで行って、 「な、なにをする」年景が、懐剣を引ッたくって庭のかなたへ遠く抛《ほう》ると、そこの樹陰にたたずんでいた一人の僧が、 「……あぶない」と、静かにいって、飛んできた懐剣の光から、そっと身を交《か》わした。破《や》れ笠《がさ》をかむって、竹の杖をついていた。――年景が、ぎょっとして、その僧を睨《ね》めつけた。 「……ご主人でござりますか」僧は、いんぎんに、笠のまま頭を下げた。 「誰だっ……何者だっ、そのほうは」年景は、見も知らぬ他人に、見られたくない所を見られて、腹立たしかった。縁へ突っ立って、傲然《ごうぜん》と叱りつけたのである。 「――なんで、無断でこんな所へ入ってきたかっ。どこの乞食じゃ」 「わしは、配所の親鸞でござる……。お裏口にて、先ほどから、しきりと訪《おとな》いましたが、どなたも出てお越しがない。それによって」 「なに、親鸞?」と、年景は、さっき妻から聞いたことばをふと思い出して、 「その親鸞が、何しにやって来たかっ」と、鬼のような顔を作った。 [#7字下げ][#小見出し]七[#小見出し終わり]  どんな烈しい人間の悪感情に向っても、親鸞は親鸞の気の持ち方に、さざ波ほどの揺るぎもうけなかった。澄んだ湖のように、彼の眸は穏やかなのである。 「托鉢《たくはつ》に参ってござる」こう彼がその面《おもて》のような静かなことばでいうと、 「なに、托鉢に」と、年景の声は、よけいに荒々しく棘立《とげだ》って、 「ば、ばかなっ。ここはただの民家でない、かりそめにも、代官萩原年景の役宅と住居《すまい》のある所、流人僧の出入りなど相成らん」 「ご存じないか、出家には門がないことを。――権門も、富者の門も、貧者の門も、すべて僧には同じものでしかない」 「貴さま、この年景に、理窟をいいに来たのか」 「ちがいます、托鉢のためでござる。そして、わしが布施《ふせ》を受けると共に、おん身にも布施したいものがあって」 「乞食坊主から、なにを貰おうぞ、無礼者め」 「仰せられな、この親鸞の眼から見れば、おん身は気の毒な貧者でしかない」 「おれが、貧者だと」 「眼に見える物の富の小ささを、年景どの、ご存じないか。なんと、この北国の貧村と、痩せたる民の膏血《こうけつ》で作った第宅《ていたく》の見すぼらしさよ。京の朱雀《すじゃく》、西洞院《にしのとういん》のあたりの官衙《かんが》や富豪の邸《やしき》ですら、われらの眼には、ただもののあわれを誘う人間の心やすめの砂上の楼閣としか映《うつ》らぬものを。――いわんや北国貧土の小代官が奢《おご》り沙汰、片腹いたいというほかはない」 「罪囚!」年景は、大地を蹴って、怒った。 「おのれ、流人の身をもって、代官たるこの身を、罵《ののし》ったな」 「あたりまえなことを申しあげたのです。今わからなければ、後になって分りましょう。――そういう折へ、無駄な説法、わしもやめにする。……だが用向きは果たしてもどらねばならぬ。年景どの、お身が養っていた山吹という女子《おなご》、海辺から親鸞が連れて参った、どうぞ親鸞がたのみを聞き入れて下さるまいか」 「人を悪《あ》しざまに罵《ののし》って、その上の頼み事、聞き入れる耳はない」 「では、多年、寵愛した女子《おなご》が、死のうと生きようと、お身はかまわぬというか。親鸞ですらかなしいものを」 「よけいな世話をやくな」 「わしがやくのではない、御仏が世話をやかれるのじゃ。山吹は、わしが庵室へかくれて剃髪《ていはつ》したいというが、親鸞は今、かくの通り、流人の身のうえ。――朝命に対して、憚《はばか》りあること。その願いは聞かれぬによって、山吹の縁者たちの住む土地――京へもどって、願いを達したがよいといい諭《さと》して連れてきたのじゃ。おん身の手をもって、どうぞ、山吹を元の京都へ返してやって欲しい。……どうじゃ、その頼みなら聞いてくださるであろうが」 「……置いて行けっ」年景は、噛んで吐き出すようにいった。自分の側女《そばめ》が、彼の手によって届けられたことは、感謝するどころではなく、むしろ忌々《いまいま》しくて堪らなかった。 「頼みもせぬに、山吹を連れてきたか。連れてきたなら仕方がない、その女を置いて、疾《と》く立ち帰るがよかろう。物欲しげに、うろうろいたしておると、承知せぬぞ」てれ[#「てれ」に傍点]隠しである。年景はそういって、まだ騒いでいる家来たちへ、何か当りちらしながら、住居《すまい》のうちへ姿を消した。 [#3字下げ][#中見出し]蜘蛛《くも》の笑《わら》い[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  石念《じゃくねん》は眠ると歯ぎしりをする癖がある、よく定相《じょうそう》や念名《ねんみょう》などに注意されるが癒《なお》らない。  もう隣の室の西仏《さいぶつ》も教順も眠っていた。奥の師の房の室もしいんとして暗い。生信房ひとりは、常に、寝る間もその師のそばを離れないのが彼の勤めであって、師のやすんでいる部屋の垂薦《たれごも》のすぐ外に、ごろりと、薄い衾《ふすま》をかぶって寝ている――  この配所の一棟は、雨の日は雨こそ洩るが、風の日は風にこそがたがた揺れるが――実に幸福そうな寝息を夜ごとにつつんでいる。  今は、ことに幸福らしかった。  ほのかな月が、破《や》れ廂《びさし》から映《さ》しこんでくる。裏の菜種畑の花から、甘いにおいもしのび込む―― 「むむむ……」昼間は托鉢《たくはつ》のために、何里となく歩くので、石念《じゃくねん》だの定相《じょうそう》だの、若い者は寝相がわるい。しきりと、あばれるのである。石念はまた、歯ぎしりを噛む。 「これ」ふと、そばに寝ていた定相が、石念の肩を突ッついた。 「風邪《かぜ》をひくぞ、夜具の外にまろび出しているじゃないか」 「あ……ありがと」眼をさまして、石念は、間がわるそうに夜具を担《かつ》ぎ直したが、 「――おや」首をもたげて、 「定相」 「なんじゃ」 「外がいやに明るいじゃないか」 「月の光だろう。この冬の雪で、すっかり廂《ひさし》も雨戸も壊れてしまったから、月の夜は、家の中まで明るい」 「まあ、起きてみい。月明りではない、赤いぞ」 「赤い?」定相も、むっくり身を起して、 「……あっ、火事じゃ」 「そうだ」 「どこだろう」二人は出て行った。ガタガタと建付けのわるい雨戸を繰り開ける音がする。そこから立って見まわすと、ちょうど西のほうに当る空がいちめんに赤く、チラチラと、金の屑《くず》を噴くように火の粉が夜空にうごいていた。 「ほんに……。町とすれば、いつもわしらの托鉢に行く家が軒並に焼けているのではあるまいか」 「皆も、起そう」師の眠りはさまたげたくないが、西仏《さいぶつ》や教順には告げようと思った。すぐ人々は起きそろって来た。 「懇意の衆が多いから、わしはちょっと見舞ってくる」気のはやいのは、西仏であった。――また、炎を見ると、なにかうずうずと血管が唆《そその》かされるような眼をしているのは、生信房《しょうしんぼう》であった。  その二人は、いつのまにか、炎を目あてに、町のほうへ走って行ってしまった。  竹内《たけのうち》から国府《こう》へ通じている丘の道へ来ると、炎は、眼のまえに見えた。 「あっ、代官の館《やかた》だ」 「えっ、年景の」生信房は、しばらくの間、立ちすくんで火災の美しさに見恍《みと》れていた。――そして、いつであったか、ずっと以前に、代官の萩原年景のために、鞭で打たれ、馬に蹴られて、御名号を奪われかけたあの時のことをふと思いうかべ、(仏罰じゃ)ちょっと、小気味よい気がしたが、生信房は、すぐ自分のその気持を、自分で蔑《さげす》んだ。 「そうだ」もう西仏はそばにいなかった。――何を感じたか、彼もまた、まっしぐらに西仏の後から赤い空の下を走って行った。 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり]  場所が小高い丘であるし、正面海の風をうけるので、国府《こう》の代官所と年景の住居《すまい》をくるめたそこの一廓は、焔々《えんえん》と、紅蓮《ぐれん》のほしいままな勢いにまかされていた。 「――魔火《まび》じゃ」 「どうして、火の気もない、御文書庫《ごもんじょぐら》から?」と、役人や小者たちも、手をこまねいて、猛火のすごい勢いに、気をのまれたかのように、傍観していた。  火事だっ――と誰かさけんだ時は、もう役所の奥の書類のつまっている一棟が完全に火の中にあったのである。原因のわからない火だった。  夜なので、役所のほうには、三、四人の小役人が宿直《とのい》をしていたに過ぎなかった。丘の東の麓《ふもと》に、代官所の部下がだいぶ住んでいるが、そこへも火がかぶるので、めいめいが、わが家のことや家族の処置にいっぱいで、誰も、ここへは駈けつけて来ない。  国府《こう》の領民も、初めは、 (たいへんだ)と、驚いたが、すぐ、 (なんじゃ、代官所か)と、すぐ冷静になってしまった。 (日ごろ、わしらを、牛か馬のように思うて、苛税《かぜい》を取り立てた酬《むく》いじゃ、あの赤い火は、代官所を呪《のろ》うている貧しい百姓たちの思いが燃えるのじゃ、常々、威張りくさってばかりいる代官の顔を笑うて見てやれ)そういう感情が、領民の誰にもあった、口にいう者はなかったが、他国の火事でも見るように、この人々も、そこへ走《は》せつけて行こうとはしない。  大きな火ばしらは、音をたてて今、一棟を焼き仆《たお》していた。廓内の大樹にもみな火がついて、火の葉、火の華《はな》が、宙《ちゅう》に咲いた。  ――その下に、女たちや、幼子《おさなご》の悲鳴が聞えた。年景の側女《そばめ》だの、家族たちのいる棟へも、とうに火は移っていたのである。 「おいッ……おいッ……」煙のうちから、泣くようなわめきが響く。それは、年景の声らしかった。 「――小者っ、こっちだっ、こっちへ助《す》けに来いっ」咽《む》せながら、呼んでいる。  だが――奥に仕えている小侍や小者たちも、いったいどこへ行ってしまったのか、半分も影が見えなかった。そのくせ、真っ先に、暴徒のような勇気を奮って、奥の金目な物や、大事な什器《じゅうき》などを、争って外へ担ぎ出していたのは彼らであったが、その品物も見あたらなければ、奉公人たちも見えないのである。年景はようやく気づいて、 「ふッ、不埒《ふらち》者めッ。主人の難儀を幸いに、あの奴らはみな、家財を盗んで逃亡しおったな。……ど、どうするか、後で見ておれ」  地だんだ踏んで、煙の中で、ただ二、三の召使と、必死になって、右往左往していた。  彼は、役目上、役宅のうちから、領土の検見張《みはり》だの、京都との往復の文書だの、政治上の大事な書類などを、死んでも担《かつ》ぎ出さなければならなかった。  ――だが、火の手はもう、逃げ口をふさいでいた。自分の狼狽よりも、彼は、煙の中から聞えてくる家族たちの悲鳴に、逆上してしまった。抱えている書類の束にも、火がついていた。 「――誰かいないかっ、おれはいいが、妻だの、幼い子たちを、炎の中から出してくれっ。誰かっ……誰かっ……」絶叫すると、どこかで、 「代官、代官。――泣き代官」と、笑い声がした。 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり] 「やっ」仰ぐと――その声のする空もいちめんの煙であったが、そこに、まだ火をうけていない大きな楢《なら》の木があった。 「おい、泣き代官、今にみろといったおれのことばが、今夜は思い知ったろう」声は、その梢《こずえ》からするのであった。――じっと見ると、猿のような人影が葉がくれに登っている。 「アッ、おのれ」萩原年景は、樹の下へ駈け寄って、 「蜘蛛太《くもた》だなっ」 「そうだ、おれは蜘蛛太だ」 「こよいの火放《ひつ》けは、おのれの仕業《しわざ》か」 「いうまでもあるめえ。人われに辛《つら》ければ、われまた人に辛し。――火はおれが放《つ》けたんだが、今夜の憂き目は、てめえの自業自得というものだ」 「ムムッ……悪魔め」 「悪魔とは、てめえのことじゃねえか」 「残念だ」年景は、部下を呼んだ、召使の名をさけんだ。  しかし、答えもない、聞えるものは、ただごうごうと炎のすさまじい音が、いよいよ風に猛っているだけだった。 「ざまを見ろ。――あれを見ろ、親の因果は、子にまで祟《たた》るというが、火の中で、てめえの子や妻が、悲鳴をあげて、逃げ口をさがしている。……アア綺麗な火だなあ」 「悪魔っ、外道《げどう》っ」 「なんとでもいえ、おれの眼には、この火事が綺麗に見えてこたえられねえ。酒があれば、肴《さかな》にして、一杯飲みてえくらいなものだ」  ぴゅっ――と年景の手から白い光が梢《こずえ》へ走って行った。彼の帯びていた短剣だった。それが外《そ》れると、太刀のほうも抜いて投げた。  キキキキと、猿のような笑い声がして宙の木の葉が騒いだ。  石、瓦、木片、手当り次第にひろって、年景は宙へ投げたが、みな自分の頭上へ返ってくるだけだった。蜘蛛太は、どう逃げたのか、もうその樹にいなかった。  ――すると、もういちめんの焔になっている館の囲いを躍りこえてきた勇猛な一つの人影があった。  彼の家来でも、役所の者でもなかった。真っ赤な火光《ひかり》の中を走ってくる影を見ると、明らかに、それは僧形《そうぎょう》の人だった。 「おうっ……」年景は、振りかえって、ぎょっとした。――それは忘れもしない――かつて領下の田を、狩猟《りょう》に出た帰《かえ》り途《みち》に見廻ってくる途中で、松並木に、念仏の名号をかけて、村民たちに説教をしていた配所の流人僧《るにんそう》である。――その時、自分は大の念仏ぎらいであるし、自分の通過も怖れず、突っ立っているその僧を憎い奴と思って、馬上から名号の掛物を引きやぶッてやろうとすると、それを拒んで、自分の馬蹄《ばてい》の下に倒れ、顔かどこかに怪我《けが》をしたあの僧である。後に聞けば、それは親鸞の弟子僧のうちでも、最も、前身にすごい経歴を持っている人物で、以前は天城四郎といっていた強悪の賊であったが、今では、念仏の行者になって、名も生信房《しょうしんぼう》と改めている男だと聞いている――  その生信房が、今、忽然《こつぜん》とこの炎のなかへ駈けつけてきたのである。年景は、ぶるぶると体がふるえてしまった。――刹那《せつな》に、彼の頭を突き抜くように走ったのは、 (復讐《しかえし》に来たな)という恐怖だった。 [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり]  すでにその前から、憤怒、滅失、狼狽、あらゆる感情のみだれに、われというものすら失っている萩原年景である。 (いつかの流人僧だな)と、眼のまえに生信房のすがたを見ると、彼は蒼白になり、体はふるえ、口は渇《かわ》ききって、恐怖のさけびも出なかった。 (――今こそおれは、復讐されるのだ、存分に、苦悶を味わわせられて、ここで人間の終りを告げるのだ)と思うと、生への未練やら、なんとか生きたいと思うもだえやら、悔悟やら、またさまざまな人間的の弱さがこぐらかってきて、醜い眼を、うつつにキョロキョロうごかし、隙を見たら、逃げそうな挙動をした。 「年景どのか」と駈け寄ってくるなり生信房は喘《あえ》いだ息でいった。それすら、年景の耳には、うつつなのであった。 「…………」 「代官の萩原殿ではないか。――オオそうだ、あなたは年景殿にちがいない」 「…………」 「なにを茫然としているのだ」生信房は、叱咤するようにいって、彼の肩をたたいた。 「官衙《かんが》のうちの、大事な書類はすっかり持ち出されたか。……やっ……焔のかなたには、女子供の悲鳴が聞えるが、あれはご家族ではないか」 「……そ、そうじゃ」危害を加える様子がないので、年景はやっとこううなずいた。生信房は、愕然《がくぜん》として、 「ええ家族の者も、まだ救い出されずにいるのか。……ええっ、ぐずぐずしていては焼け死んでしまうわ、あなたは一体、何をしているのだッ、あの悲鳴は、あなたの子ではないか、妻ではないか」 「――じゃが、まだ、役宅のうちに、大事な書類があるし、あちらへも救いに行けず、ここも炎」 「炎がなんだッ。信念をもって行くところには炎も避けるわ。――そうだ、わしは奥の棟へ行って、おぬしの子や妻たちを抱え出して進ぜるほどに、おん身は代官として、公《おおやけ》の文書や、印鑑、絵図など、政《まつり》に要《い》る大事なものを火の裡から持ち出されい」いいすてると、生信房は奥の館へ向って、煙をくぐって行った。  役所と、奥の棟とよぶ住居《すまい》のあいだに、板塀があった。そこには門もあるはずだが煙で見つからない。恐らく中で悲鳴をあげている女子供らも、うろたえて、そこの木戸が見つからずに、右往左往しているのではあるまいか。そう考えたので、生信房は、その辺りにあった太い栗丸太を横にかかえて、板塀を突き破った。二ヵ所も三ヵ所も、同じ手段でたたき壊した。仆れた塀のうえには、わっと、多勢の女たちが、煙に追われてなだれてきた。仆れる者の上へ、仆れる者が重なった。 「――年景どのの奥方ッ」生信房は、さがし廻った。逃げまどってくる者は、みな召使の下婢《はした》や側女《そばめ》たちばかりで、子を抱いているはずの年景の妻は見あたらなかった。  すると、煙の裡に、泣きさけぶ嬰児《あかご》の声が聞えた。見ると、年景の妻が、幼子《おさなご》の手をひいて、発狂したように、炎へ向って、なにかさけんでいるのだった。 [#7字下げ][#小見出し]五[#小見出し終わり]  生信房のすがたを見ると、 「――助けてくださいっ」年景の妻は、しがみついた。ふところの乳のみ子が泣く、手をつないでいる数名の子たちも泣く。 「……あれっ、あの棟の奥の部屋に、まだ一人、逃げおくれた和子《わこ》が、母の名を呼んでいます。あれ、影が見えるっ……。どうしようぞ……和子がようっ……和子よう……」半狂乱になっている彼女なのである、乳ぶさの子も、袂《たもと》にしがみついている子たちも、みな振りすてて一人の子を救うために、紅蓮《ぐれん》のうちへ駈けこみそうにも見える血相だった。 「だいじょうぶです」生信房は、彼女の肩をつかまえていった。 「あの棟にはまだ、火がまわっていないらしい。私が、抱いてきてあげる」ことばと共に、生信房は、焔のうちへすすんで行った。年景の妻は、 「おおっ、御仏《みほとけ》っ」泣いてさけんだ、焔へ向っても狂わしいほど感謝した。まったく、赫光《かっこう》の大紅蓮《だいぐれん》のうちに見える生信房の男々《おお》しい働きは、生ける御仏としか見えなかった。  やがて、生信房は、法衣《ころも》のすそも袂《たもと》も焦《こが》された姿で、三歳《みっつ》ばかりの幼子《おさなご》を引っ抱えて駈け戻ってきた。その上に彼はまた、ほかの七歳《ななつ》ばかりの子を背中に負い、 「さっ、早く」と、以前の大樹の下までのがれてきた。年景の妻は、 「忘れませぬ、忘れませぬ、死んでもこのご恩は――」と、手をあわせた。子たちは、まだ泣いていた。 「父様《ととさま》あ」 「父《とと》は……父《とと》は……」いじらしいほど、小さい瞳に真剣をもって探しまわる。そこへまた、西仏《さいぶつ》のすがたが見えた。西仏に聞けば、萩原年景は、生信房が奥の家族を救いに行ったのを見ると、敢然と、燃えさかっている役所のうちへ駈けこみ、火達磨《ひだるま》のようになって、今や内部の重要な書類を廓外《かくがい》へ持ち出しているという。 「そうか、じゃあわしも」と、生信房が、助けに駈け行こうとすると、 「いや、お身はこの女子《おなご》どもを、もっと安全な所まで連れて行ってくれい。年景どのへは、わしが手伝っているから」と、西仏はあちらへ駈け去ってしまった。  そのうちに、風はいよいよ烈しくなって、乾ききった地上を、板のような火の粉が、ぐわらぐわらところがり廻る。子は泣きさけぶ。年景の妻の髪の毛にまで、火が落ちて、燃えかかる。  生信房は、彼自身さえ、ともすると煙に巻かれそうになったが必死になって、その一人一人を、曲輪《くるわ》の外へ、かかえ出した。  そして、熱風をうしろに、火から遠い野原まで逃げ走ってきながら、万一|多勢《おおぜい》の子どものうちの一人でも、途中で迷《はぐ》らせてはと、時々、振りかえって、頭数を読んでいた。  ――すると、後から従《つ》いてくる子たちの中に、背の短い、眼のぎょろりとした侏儒《こびと》が一人まじっていて、足弱な女の子のうちの一人を、その侏儒が背に負って駈けつづいてくるのであった。 [#7字下げ][#小見出し]六[#小見出し終わり]  多くの召使もあるうちで、続いて来る者といってはその侏儒《こびと》しかなかった。生信房は、 (奇特な男)と思っていたが、やがてだいぶ火の手からも遠ざかり、この辺りならばと思われたので、とある辻堂に人々をやすめさせ、 「これ、そこの男、負うている和子《わこ》を、御堂《みどう》の縁へ下ろしたがよい」と、ことばをかけた。 「はい」と、侏儒は素直に背に負っている子どもを下ろし、そして、生信房の前へつかつかと歩いてきて、 「お頭領《かしら》、しばらくでございました」と、あいさつした。 「えっ」愕然《がくぜん》と、生信房は、とたんに自分の過去をも思い出した。 「蜘蛛太《くもた》か」 「へい」 「ど、どうして、こんな所へ……」蜘蛛太は、自分が以前からここに来ていた境遇を話して、こよいの火は、自分が悪代官の年景へ向ってなした復讐だと、これも昂然《こうぜん》と、憚《はば》かる色もなくいった。  おどろきと――悲しみの深い吐息のうちに――生信房は聞き終って、やがて、ほろりと涙を流した。 「蜘蛛太……。おまえはまだ、そんな怖ろしい心を持っているのか。あれほどわしがいったのに、まだ、悪行《あくぎょう》をやめてくれないのか」 「頭領《かしら》――いや生信房様、あっしはあなたが坊さんになる時の意見を、決して忘れていやしません。……だけど、あまりといえば憎い奴――悪い代官――それにおれが恩人とも思っている山吹さまを、酷《ひど》い目《め》にあわすので、つい復讐《しかえし》をしてやる気になったんです、悪いことは重々《じゅうじゅう》知っておりましたが」 「ああ、怖ろしいことをしたものだの。……今となっては追いつかぬが」 「…………」 「だが蜘蛛太、それほどなおまえが、なにゆえに、自分で火を放《つ》けておきながら年景どのの家族について、和子を負ってここへ逃げてきたのか、解《げ》せぬ仕業《しわざ》ではないか」 「あなた様が、あの炎のうちに入って、女子《おなご》どもを救ったり、また、西仏という坊さんが、年景を助けて、共に役所の大事な物を持ち出しているのを見て、なんだか、急に自分が済まなくなったんです。……そしてつくづく考えたのは、やはり火を放《つ》けて人の難儀を見ているおもしろさより、火の中へ自分を捨てて人を助けることのほうが、ずっと、おもしろいというのもおかしいが、いい気持がするってことが、初めて分った気がするんです」 「そこへ気がついてくれたか。――だが、遅かった……もう少し早くそこに気がつけば」といったが、生信房はすぐ、自分があれほどの罪業をなした身ですら、一滴《いってき》の悔悟《かいご》のなみだの後には、法然上人と師の親鸞から、そのままのすがたですぐ往生《おうじょう》仏果が得られるものだと説かれたあの時のことばを思い出して―― 「いや、遅くない、蜘蛛太、さきほどの心があるならば、おぬしはすぐ引っ返して、年景どのの手にかかって、ご処罰をうけたがよい」 「望むところです」蜘蛛太はいさぎよくいって、再びかなたの炎の下へ向って駈け去った。そのすがたにはもう仏の光があった。――生信房は掌《てのひら》をあわせて、彼の行く先に御仏の慈悲あれと心から祈った。 [#3字下げ][#中見出し]草《くさ》の月《つき》[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  農家の女房らしい女が、 「お上人《しょうにん》様」と、縁から奥をさしのぞいて、 「きょうは、死んだ嬰児《やや》の日でござりますで、供養に餅をすこしばかり拵《こしら》えましたで、召し上がってくださいませや」 「おう、鷺《さぎ》の森《もり》のご家内か」奥で親鸞の声―― 「かたじけない、おそれ入るが、親鸞は後で頂戴するほどに、仏前へお供えください」  その女房が、仏前に餅をささげて、ちいん――と小さい鉦《かね》をついていると、 「上人様、あまり草が伸びたで少しばかり、草を採らせてもらいますが」と断って、村の男たちが三、四人来て、配所の家のまわりの夏草を刈《か》り初めた。  一人はまた、いつ見ておいたのか、上人の居室の窓に西陽《にしび》があたるので、そこへ高い垣を結《ゆ》って、糸瓜《へちま》の苗を植えようかなどと話している。  親鸞は、縁へ出てきた。一同のほうへ向って、彼は仏陀《ぶっだ》に礼拝するのと同じように、おごそかな礼儀を施して、 「みなの衆、ちと待ってくだされ、お心のほどは辱《かたじ》けないが、親鸞は勅勘《ちょっかん》の流人《るにん》、この家は罪を慎む配所でござる。されば、冬は寒いがよく、夏は暑くてこそ、流人の糾明《きゅうめい》になりまする。人なみに夏草を刈って、すずやかに朝夕を楽しんではなりませぬ。――朝命に反《そむ》きまする、どうぞ、さようなことはせずにおいてくだされい」 「なんの、お上人様は、あまりにご遠慮ぶかい、草ぐらい刈ったとて」 「いや、そうでない、よしお上《かみ》でお咎《とが》めなくとも、親鸞の心が苦しみます。――また、そもそも人間は、家の中に棲むものか、心のうちに棲むものか、それを思うて御覧《ごろう》ぜられい。親鸞は常に心のうちに住んでおるゆえ、心のうちの雑草は刈ろうと思うが、家のまわりの草などはどうでもよいのじゃ」 「ほほおもしろいことを仰っしゃる。心のうちに住むとは、どういうものでございますな」 「今もろうた餅がござる、皆して、おやつにあれを食べ、ここで一休みしたがよい。わしも食べながらそれを語ろう」  もうこの国も青葉の六月だった。梅雨《つゆ》を越えると急に暑くなって、草も木も一日に何寸ずつ伸びるのかと思われる。  春――魔火の禍《わざわ》いにかかった国府《こう》の役所は、もう前の丘に、新しい壁と建物とを見せている。再建築は、意外に早かった。うわさに聞けば代官の萩原年景は、あれ以来、帯も解かず焼け跡に立って、大工や左官たちを督励し、またたくうちに先に役所のほうを建て直し、焼け失った書類を再調したり、領内の政治一新に心がけて、 (すこし、あのお代官、このごろ変だぞ)といわれるほど、以前とはまるで態度がちがってきたということであった。 「上人様、今日は、皆さま一人のこらず、托鉢《たくはつ》でござりますか」 「そうと見える。皆いないようじゃ」 「さだめし、ご不自由でございましょうな、お一人では」 「なんの……不自由と考えたこともない。親鸞の心はいつも、自由|無碍《むげ》でござるゆえな」 「そうじゃ、今の、人間は家のうちに住むのでなく、心のうちに住むものだというお話をうかがわせてくださいませ」 「おお、みんな寄れ」と、彼が縁先へ人々をさし招いて、語り出そうとすると、一人がふいに逃げ腰になって、 「あっ、代官が来よった」と、おどおどした眼で告げた。 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり]  代官が来たと聞くと、百姓たちは、垣の間や裏の方から、われ勝ちに逃げ散ってしまって、縁には、親鸞ただ一人取り残されていた。  表のほうで、その時、 「上人はご在宅か」と、訪れが聞えていた。  供も連れていなかった、馬も曳いてきた様子がない、代官萩原年景は、藁草履《わらぞうり》一つの粗朴《そぼく》な身装《みなり》で、 「上人ご在宅なれば、お目にかかりたいと存じてうかがいました。当所の支配をなす萩原年景にござりまする」と、まだ主《あるじ》の声もすがたも見えないうちから、年景は、荒れ果てた配所の破《や》れ廂《びさし》へ向って、いんぎんに頭《こうべ》を下げている。 「はい」と、親鸞は立った。ずっと出て―― 「どなたで在《おわ》すか」 「お忘れにござりますか、年景です。折入って、ご拝顔を得とう存じて、参上いたしました」 「やれ、ようお越された、案内もいらぬ風ふき通すこの住居《すまい》、ささ、おあがりなされ」 「御免を」と、年景は身を屈《かが》めたまま屋根の下へ入ったが、この暑さに腐れている筵《むしろ》や、壁の穴や、屋根から洩る陽の光を見て、暗然と、そこへ坐ったまま、しばらく顔も上げ得なかった。  改めて、親鸞が、 「愚禿《ぐとく》でござります」あいさつすると、年景は、はっと後ろへ身を退《ひ》いて、平伏した。 「ここへかく真昼中《まひるなか》、参上できた面《おもて》でもござりませぬが、きょうは改めてのお詫び――また、あわせて年景が慚愧《ざんき》を吐いてのお願いの儀あって推参いたしました。なにとぞ、宏大なご仁慈を垂れ給って、お聞き届けを」と、満身に汗を流しての言葉なのであった。 「なにか知らぬが、身にかなうほどのことなれば承ろう」親鸞がいうと、 「今も、御覧《ごろう》ぜられたでござりましょう、上人のおすがたを見れば、親のごとく慕い、この年景のすがたを見れば、鬼かのように逃げてゆく領民どもを――。年景は、あれが淋しゅうなりました」 「ウム」親鸞は初めて大きくうなずいた、なにか心にかなう時にする大きな眸《ひとみ》をぱっと見ひらいて、 「おもとは、この親鸞に、何を求めに来られたか」 「はっ……」年景は、わなわなと肩をふるわせ、双眼からは湯のような涙をこぼしていた。 「……何か? ……さ、それがなにかは、分りませぬ。ただ、この身をお救い賜わるおん方は、上人おひとりこそと思いきわめ、この幾十日、日夜|懊悩《おうのう》いたした末、恥をしのんで参ったのです。なにをつつみましょう、私は七名の側女《そばめ》を置いておりました。それを皆、あの火災の翌る日、それぞれの国元親もとへ帰しました。また、山吹も仰せのように計らいました。妻へは両手をついて、過去を詫び、この後《のち》も誓いあいました。わが子たちへも、多年の父らしからぬ行いを謝しました。領民には、来る年より、年貢《ねんぐ》を下げるつもりでおりまする。側女の衣装や身のぜいたくに費やす金をもって、召使の功を賞し、貧しい民をうるおしたいと思い出しました。――だが、まだ私の心は、それだけでは慰みません。――上人、どうしたら過去の償《つぐな》いができましょうか。それを教えていただきたいのです」 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり]  親鸞は黙然と眼をふさいで聞いていた。初めのうれしげな面《おもて》のかがやきが次第に沈黙に変ってゆく――。明らかに年景のことばが何か胸を重くふさいできたのである。 「ようわかりました」こういうと、またしばらく黙っていた。年景は、悔悟《かいご》の涙の中に顔をしずめたままであった。 「おん身が、そうした心に責められているらしいことは、あの火災の後よそながら愚禿《ぐとく》もながめておった。――したが、その悔いに責められるのあまり、善根にいそぐお心はうれしゅうござらぬ。幾つの悔いをなしたゆえ、幾つの善をなして埋めようなどという心は仏心でありませぬ。さような形に囚《とら》われた振舞いは自分で蔑《さげす》んだがよい。――悪を浅ましいというが、善根のための善をしようとする人間の心根はなお浅ましゅうはおざらぬか」 「はっ……はい……」 「流人《るにん》の親鸞を見れば親のように慕う領民が、代官のすがたを見れば鬼のように逃げてゆくが、淋しいと先刻いわれた――あのお心が菩提《ぼだい》じゃ、それだけでもう御仏《みほとけ》はおん身の胸に宿られ給うに、なんで事にわかに、石を積むように悩まるるか」 「ただ、慚愧《ざんき》でござります、悔悟《かいご》の念でござります。そして一時もはやく、自責の苦悶からのがれたいために」 「そのためにまた、悩みの中へ入ってゆくを、愚とは思《おぼ》されぬか。心とは、そうしたものでない。発菩提《ほつぼだい》の一瞬から、心は爽《さわや》かに、眉すずやかに、寝るも起きるも、この浄土でのうてはならぬ」 「そのようになれましょうか」 「おん身は、生半可《なまはんか》な知識があるので、かえって仏の御座《みざ》の一歩まえにこだわって、ずっと、安心の座にお着座ができぬ。たとえば、この親鸞のおる屋《や》の下へ通られたように、何ものもない気持で、ずばと仏のお膝まですすまれい。――それには、小智、小惑、すべて小人の痴愚《ちぐ》を脱《と》って、裸々《らら》たる一個の人間のままでお在《わ》せ」 「はい」 「役人である、代官である、父である、そうした雑念《ぞうねん》も無用じゃ。ただ、こう掌《て》をあわせ、念仏をお称《とな》えあるがよい。そのままついとお帰りあって、妻に会い、子を抱えてごらんぜよ、また、役所にあって政《まつり》を見られるがよい――そしてふと思い出されるごとに、また、こうして念仏されい。心がけてなされようとすることは仏に対するそれだけの勤めでよいのじゃ」 「分りました。……かえすがえす恥じ入りました。この掌《たなごころ》は上人に合せていただいたものです、必ず、こう生涯を仕ります」 「おん身のゆく先には仏光がある。怠られな、それだけを」 「いたしまする。――ついては、この機縁をもって、私を在家《ざいけ》の帰依者の一人と思し召し下さりませ。妻もやがて、ご拝顔を得て、お礼を申しあげたいといいおります」  話しているうちに、西仏《さいぶつ》も教順も、生信房《しょうしんぼう》たちも、托鉢《たくはつ》から帰ってきた。  年景は、生信房のまえに、両手をついて、いつかの年、並木で馬上から御名号へ無礼をした罪をわびた。 「あのお怨みも深かろうと思うていたに、いつぞやの危難の折には、炎の下より、私の家族どもを救い出してくだされた……あの時のおん身の姿の神々しさ……有難さ、忘るることのできないものでありました」 「いや、そう、そんなに、礼をいわれては」と、生信房は恐縮して、年景のあまりに大きな感激に対して、彼はかえって羞恥《はにか》ましげな顔さえした。 [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり]  年景はまた、西仏にも先ごろの礼をいって、 「おかげで、大事な書類も、大半は炎のうちから救い出し、役向きのことも、そのため、滞《とどこお》りなく運び直しておりまする」と告げた。  ――そのうちに、貧しい灯《あか》りが燈《とも》る。一日の托鉢からもどって、いとも質素な夕飯を楽しみ合っているこの人々の中にあると、年景は帰るのを忘れてしまった。 「そうそう、まだお告げしたいことがある。それはあの蜘蛛太《くもた》です」思い出して、年景がいうと、そのことは、生信房も胸につかえていたとみえ、 「……あの蜘蛛太は、どうしましたか」 「自首して来ました」 「む……。自首しましたか」 「役目ですから、私は彼を縛りました、しかし、その縄目をかける時に、私は疑ったのでござる。――いったいこの縄目は蜘蛛太にかけるのがほんとか、この年景にかけるのがほんとかと」 「…………」一同は眼をかがやかして、そういう代官の顔を見入っていた。こうも人間は心の一転から、その姿の持つ光までがちがってくるものか――と感じ入りながら。 「――が、やはり私は、代官でござる、縛るのは国法です、蜘蛛太は牢に入れました、所へ折よく佐渡へ渡る僧がござりましたゆえ、その僧に托《たく》して彼を流しました、怖らく蜘蛛太も、私以上に、前非《ぜんぴ》を悔いておりますことゆえ、やがて仏弟子となるか、真面目な町人となって、幾年かの後には、訪ねてくる折がござろう」生信房は、ほっとしたように、眉に明るいものをたたえた。 「ありがとうございました」自分のことのように礼をいう。 「では、夜も晩《おそ》うなりましたゆえ……」と、やがて彼は、上人にも暇《いとま》を告げて、暗い道を歩いて国府《こう》へ帰っていった。――その晩は楽しかった。 「わしらの住む所、みな浄土になる」と人々はいったが、 「いや、わしらというのは、誇りがましい、念仏の声のわく所――じゃ」こんなひどい茅《あば》ら屋《や》と食物とに生きながら、夏も一人の病人も出なかった。  盆が来る――草からのぼる夏の月は、夜ごとに配所の人々をなぐさめた。[#「なぐさめた。」は底本では「なぐさめた」]  村々の踊りには、剽軽《ひょうきん》な西仏《さいぶつ》もまじって踊り、生信房《しょうしんぼう》も、歌をうたった。――その歌にはいつの間にか、上人のことだの、念仏のよろこびが流れこんで、郷土の人々の血の中にまで、仏の精神が入った。  秋になって、桔梗《ききょう》の芯《しん》に朝ごとの露が美しくなると、 「どうぞ、小丸山《こまるやま》のほうへ、お住居《すまい》をお移しねがいたい」といって、国府《こう》代官所の役人たちが年景の使者として、鄭重《ていちょう》に迎えにきた。  誰も知らなかったのである。そこから数里離れた小丸山の明るい土地に、先ごろから、寺のような物が新築されているとは聞いていたが、それが、年景が私財をもって建てて親鸞へ寄進になる住居《すまい》であろうとは、夢にも考えられていなかった。  親鸞は、勅勘《ちょっかん》の身と、一度はかたく辞退したが、すでに京都へは年景から文書をもって届け出てあるとのことに、 「それでは――」と、六、七名の弟子を連れて、竹内《たけのうち》の配所から小丸山の新しい木の香のする家に移った。何年目かで、初めて人の住むらしい屋根の下に彼の体と机が置かれたのであった。 [#3字下げ][#中見出し]憂春《ゆうしゅん》[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  冬となると想像もできないような雪となった。あらゆるものが、この北国では、雪の下だった。その万丈の雪の下にも、微かに念仏の声はしていた。  そうした冬を幾《いく》めぐりか体験すると、ここの師弟たちにとって、冬はむしろ内省的な修練をする好ましい期間でさえあった。貧しさと寒飢《かんき》にさえ感謝することができた。 (はやく春が来ればいい)とか、 (こう寒くてはやりきれぬ)とか、そんな弱い、今日を空《むな》しくして先ばかりを空望《くうぼう》するような声は、この小丸山の法室ではまったく聞かれなかった。  一日一日が、法悦の日だった。どうしてここが流人の住む配所だろうかと疑われるくらいに。そうして、今年も、また、幾年目かの春は巡《めぐ》ってきた―― 「石念《じゃくねん》、だいぶ採れたな」 「もうよいでしょう」師の御房は、韮《にら》がお好きだ。 「冬ごもりの間は、乾物《かんぶつ》ばかり召しあがっておいでだから、こんな青々した木の芽や菜《な》をさし上げたら、きっとおよろこびになるだろう」  まだ渓谷《たに》には雪があったが、南へ向っている傾斜の崖には、朽葉の下から蕗《ふき》や若菜がわずかに萌《も》え出ていた。 「ひと休みしよう」籠に摘《つ》んだ韮《にら》や蕗《ふき》をそばへ置いて、石念《じゃくねん》と西仏は、崖の中途に腰をおろした。山すその部落は紫いろに煙っているし、木々の芽はほの紅《あか》く天地の力を点じている。 「西仏どの」まばゆげな眼をして、陽を仰いでいた石念がふいにいった。 「春は苦しいものですね」 「どうして」 「どうということなしに、春になると、私は苦しい気がします。若い血が暴れ出して」 「そうか……」西仏は年老《としと》っていたが、二十六、七歳の石念のそういったことばには、思い当るところがあった。 「その気持はわかるよ。わしなどは、若い時代を、木曾殿の軍《いくさ》に加担して、ぞんぶんに合戦の中で果してしまったが……」 「僧の生活には、気を吐くとか、腕力を出すとか、汗をながすとかいう生活はありませんから、常人の若い者より、よけいになにか、こう体のうちに鬱屈《うっくつ》している元気とでもいうようなものが、血の底に溜《たま》って、それがひどくなると、暗鬱《あんうつ》にさえなってくるのじゃないかと思います」 「ひとつ、そんな時には、うんとこさと、暴れるんだな」 「暴れるったって、どういうことをしていいか分りませんし」 「なんでもいいから、汗と鬱気《うっき》を出してしまうんだ。……そうだ」と、後ろを仰いだ。里の者が粘土《ねんど》でも採った跡であろう、崖の中腹から上へ真っすぐに二丈ばかり山肌が削《そ》ぎ取られてあった。  西仏は指さして、 「あの上まで登って行っては下へ飛び降りるんだな。それを何十|遍《ぺん》でもくりかえしてやる。――登るのは行心《ぎょうしん》、飛び降りるのは破心、闘いの生活だと思って、倒れるまでやってごらん。若い暗鬱なんてものは、汗の塩になってしまう」 「なるほど」石念は、よほど深刻に考えていることとみえて、真面目になってそれを実行する気らしく、立ち上がった。すると西仏もまた、一緒に腰を上げて、 「おや……誰だろう」麓《ふもと》のほうへ眸《ひとみ》をこらしていたが、何か驚いた表情をし、 「石念、あれ見よ」と、指さしていった。 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり] 「何をです? ……私には何も見えませんが」 「見えるじゃろうが、あれへ来る人影が」 「どこに」 「ふもとの方に。……いやいやそんな方角じゃない。もっと、部落から先の国府《こう》へ通う街道のほうに」 「お……」 「わかったろう」 「ほんに」巨《おお》きな白樺の幹へ手をかけながら、石念と西仏は、そこの崖からじっと遠い麓の街道を見ていた。  国府の方からうねうねと山や丘や林や耕地を繞《めぐ》って、この小丸山の山ふところへ続いてくる一すじの道に、ぽちと、小さな人影が二つ辿《たど》ってくる。 「はて」西仏はいぶかしげに、 「この辺の風俗とは見えぬ。どこの女性《にょしょう》であろう」 「都の女子《おなご》にちがいありません。笠の緋《ひ》の房、衣《きぬ》の袂《たもと》、都の女性にしても、町家の女ではございますまい」 「したが、どこへ行くのであろう。この街道の先には、山家ばかりだのに」 「もしや……裏方様の」石念《じゃくねん》が、西仏の顔を見ていうと、 「わしもそう思うのだ。もしかしたら、師の房のもとへ、都の裏方様からのお便りでもと――」 「そうかも知れません……。いやそうだ」石念は、韮《にら》や野芹《のぜり》を摘《つ》み入れてある籠を抱えた。  西仏はもう崖の下へ向って、雑木《ぞうぼく》にすがりながらずるずると先へ、辷《すべ》り降りていた。――と、その山裾までさしかかった二人の旅の女性も、西仏と石念の姿を見つけて、道の辺《べ》に、杖を止めて待っていた。 「もし、女御《にょご》たち」西仏が声をかけつつ近づいてゆくと、 「オオ、あなたは」と、一方の女性は走ってきた。 「西仏さまではございませぬか」 「えっ……オッ、万野《までの》どのだったか」 「お久しゅうござりました」 「もう一方は」 「やはり月輪のお召使で、裏方様に侍《かしず》いておりました鈴野というお方」 「ああ、やはり都の」 「上人様のお住居は、もうこの辺りでございますか」 「この鳥屋野《とやの》という里からわずかばかり。――それあの山のふところに竹林《ちくりん》が見えましょう、小丸山の里のお住居《すまい》の裏手にあたる竹林です」と、振向いて、 「石念、後からご案内してきてくれ、わしは先に走って、一刻もはやく、都から見えた裏方のお使いたちのことを、ご披露しておこう。――師の房にも、さだめしびっくりなされよう」  いい残して、西仏は先に駈けて行った。彼は自分の欣びよりも、師の親鸞の欣びを思って胸がおどるのだった。この越後へ来てからすでに四年のあいだの別離となる都の消息を――裏方やお子たちのその後のことどもを――月輪の老公や、友や、知己の様子もさだめし聞かれるであろうし、師の房も、口へは洩らされた例《ためし》もないが、どんなにお胸のうちではそれを欲しておられるであろうと思って――。 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり] 「生信房《しょうしんぼう》、おられるか」庵室の前まで来ると、西仏は奥へ向って、思わず呶鳴った。  ここは以前の竹内《たけのうち》の配所とちがって、萩原年景が心を尽して寄進した建築だけに、貧しいながらも一つの僧院らしい形はしていた。 「なんじゃ、西仏」庵室の横を走っている細い流れのそばから生信房は歩いてきた。 「オオ、そこにいたのか、今のう、この御庵室へ都から二人のお使いが見えるによって、師の房へお告げしてくれい」 「えっ、ご赦免《しゃめん》のお使いでも?」生信房は早合点して、体の肉がぶるぶると顫《ふる》えるような心地がした。 「いや――お使いといっても、公卿《くげ》たちではない。月輪殿の御内《みうち》に仕えている局《つぼね》たちが来られたのだ」 「女か」と、すこし落胆したが、それでもこの配所へは空谷《くうこく》の跫音《きょうおん》だった。 「一刻もはやく」と、西仏にいわれて、生信房はいそいで師の室《へや》へ上がって行った。振りかえると、後に残してきた石念を案内にして、月輪家の万野《までの》と鈴野の二人はもうそこへ姿を見せている――  彼女たちは、ようやく目的地へ辿りついたと思うと、張りつめていた心が急にゆるんだように、茫然とそこに杖をとめ、 「ああ……」と、息をついて、顔を見あわせていた。  石念は、そうしている二人のすがたを、物珍らしげに眺めていた。彼は都を知らない若僧《にゃくそう》だった。この北国の山や樹や田舎人《いなかびと》しか見ない眼には、眩《まば》ゆいように二人のすがたや肌が美しく見えたらしい。――が、はっと気づいて、 「ここが、上人のおいで遊ばす小丸山の御庵室です、さ、どうぞ」というと、万野《までの》は建物の様をしみじみとながめて、 「配所と申せば、どのようなひどいお住居《すまい》かと思うて来ましたが、思いのほかおおきな」 「いやいやここへ移ったのは後《のち》のことで、それまでの竹内のお住居は、物乞いの寝小屋のような物でございました」 「お師さまは、ご在室でいらっしゃいましょうか」 「おられまする。……さ、こちらで足をお洗《すす》ぎなさいませ」声を聞いて、親鸞は自分の室《へや》から縁へ出てきた。二人が流れへ寄って足を洗っている様子をだまって見ていたのである。  万野は、玉日の前が未婚のころから侍《かしず》いていた忠実な侍女であった――親鸞のまだ若い日の事どもを何かとよく知っている女であった。 「……万野も老《ふ》けてきたことよ」と、親鸞はふと自分の若い日を胸に忍び浮べた。万野はふと振りかえって、 「まあ!」と、親鸞のすがたを見あげた。そしてなつかしげに、 「お変りものう」と、走り寄った。すぐ語尾は涙にかすれてしまうのであった。親鸞は手を取って、 「――はるばると、この遠国へ、さてもよう参ったのう。疲れたことであろう、ともあれ、体をやすめたがよい」と何も問わずに、ふたりの労をいたわった。 [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり]  室は明るかった。  都から来た二人の女性《にょしょう》の客をそよそよ吹いて、春のにおいを持つ微風が、静かにそこへ坐った親鸞との間を通って、裏の竹林《ちくりん》をそよがせる。 「――まず何より先に承りたいのは、師の法然御房の御消息、月輪のお館へは、讃岐の上人より折々のおたよりもあろう、その後のご様子はどうおざるか……。お変りもおわさぬか」親鸞は訊《たず》ねた。  埃《ほこり》にまみれた髪を梳《す》き、旅衣《たびごろも》の腰紐を解いて、彼の前に坐った万野と鈴野の二人は、 (なにから先にいおう)と、胸がつまってしまったように、ややしばらくの間、俯目《ふしめ》に指をつかえていた。  次の間には、西仏や生信房などの人々が、これも、都の消息を聞きたさに、膝をかたくして控えていた。 「――はい、讃岐の上人様には、お館の御領地、讃岐国《さぬきのくに》塩飽《しあく》の小松の庄とやらいう所に、新たに一寺を建てて生福寺《しょうふくじ》と申しあげ、お変りもなくご教化《きょうげ》の由にござりまする」万野の答を聞くと、 「おお、そうか」親鸞は、ほっと深いうなずきをした。その安心が顔いろに現われて明るい眉になった。 「それをうかがって、まず安堵《あんど》した。――さて、次には、お舅君《しゅうとご》の月輪老公にも、さだめしおすこやかでおられましょうな」 「……はい、その禅閤様《ぜんこうさま》は」万野のことばが濁ったので、親鸞はふと膝をゆるがせて、 「お病気《いたつき》でもあるか」 「おかくれなさいました」 「なに」はっと胸を上げて、 「老公には、御死去とか。……してまた、それはいつ?」 「去年《こぞ》の――承元四年の四月五日のことでございます。その前からのかりそめのお病《やまい》が因《もと》となりまして」 「ああ知らなんだ……」と、親鸞は思わず声を落して―― 「この身、配所にあるとは申せ、きょうまで、何も知らずにおった。――念仏門の大恩人、讃岐におわす師の法然御房もさだめしお力を落されたことであろう」 「そればかりではございませぬ……。まだまだ、お耳を驚かさねばならぬことが」もうこれ以上の悲しいことを、親鸞へ告げるにたえない気がしてきたのである。万野《までの》は、怺《こら》えていたものを瞼《まぶた》からはふりこぼして、袖口を眼に押し当てた。 「この上にも、親鸞が驚くこととは何か。……はて心がかりな。万野、まだ誰ぞその上に凶事でもあるか」 「は、はい……」 「親鸞は何事にも驚かぬことを誓う。気づかいなくいうがよい」 「裏方の玉日様が……」 「玉日が?」 「お師さまの御流謫《ごるたく》の後は、和子様を護り育てて、青蓮院《しょうれんいん》の叔父君から名も範意《はんい》といただき、行く末は、お父君にもまさる名僧になれかしと、ひたすら和子様のお育ちをたのしみながら、また朝夕に、越後の空を恋い慕うておいでなされましたが、月輪様の御逝去やら、何かの憂《う》さが、積もられて、この冬、ふとお風邪《かぜ》をひいたが因《もと》となって――」そこまでいうと、万野《までの》はわっと、顔に袂《たもと》をおおって咽《むせ》び泣いてしまった。 [#7字下げ][#小見出し]五[#小見出し終わり]  ……よよと嗚咽《おえつ》に沈んだまま、万野は後のことばを継げないのである。  親鸞の面《おもて》は、はっと驚きを湛えて白く冴えてしまう。  また――次の部屋にひかえて、都の消息はいかにと耳を澄ましていた弟子の人々も、氷室《ひむろ》のようにしいんとしてしまった。冷たいものがすべての人の姿を撫でた。その中に、万野はなおすすり泣いていた。 「――ちょうど、霜月の二十六日でござりました」万野に代って、鈴野が後の話をつづけた。 「看護《みとり》の方の心づくしも医薬のかいもなく、裏方様には、とうとうお亡くなり遊ばしました。まだご幼少の範意様を残して。――そのお胸のうちを偲《しの》びますと、どのようであろうかと私どもまでが」と、鈴野のことばもすぐ涙のうちに乱れてしまう。  その玉日の最期まで、枕元に侍《かしず》いて、看護《みとり》をしていたこの二人であった。二人はどうしてもこのことを越路《こしじ》の親鸞に親しくお告げしなければならないと思った。――で、越路の雪の解けるのを待って、裏方の遺物《かたみ》をたずさえ、はるけくも、都を立ってきたのであった。 「……玉日も。……また月輪の老公も。……ムム、そうであったか」親鸞はつぶやくようにいった。かえりみれば自分の生涯もすでに初老の坂へかかっていた。はっきりと時の流れが眼に見える心地がする。  無言の裡《うち》に親鸞の胸へ湧きあがってくるものは、悲愁ではなくて念仏であった。――念仏がふと胸にやむとき、悲愁の思いが、堤《つつみ》を切って溢《あふ》れる水のように、彼を涙に溺らせかけた。  憂いに重い春の一日は暮れた。人々は心を遠く都へ送って、幾月かを、裏方のために――また、亡き月輪禅閤のために、冥福《めいふく》を祈って送った。  万野と鈴野のふたりは、幾日かをここに送るうちに、ふたたび都へ帰る気持を失ってしまった。――帰っても今では仕える人のない都はあまりに闘争の巷《ちまた》だった。  「どうぞ、この御庵室の端になと置いてくださいませ。――お弟子としてお許しなければ、しばらくはお下婢《はした》の者としても」ふたりの願いを、親鸞はゆるした。もちろん、代官の萩原年景へ事の仔細をとどけ出た上で。  ほととぎすが啼く。春から夏のはじめにかけて、流人《るにん》親鸞の髪は蓬々《ぼうぼう》と伸びていた。――何とはなくこの幾月を、彼は病む日が多かった。 「ご無理でない」と、西仏も生信房も、そっと涙をうかべてつぶやいた。師のかなしみは弟子の悲しみであった。師の心もちを考えるとき、彼らも胸が痛くなって、裏の山に鳴く昼時鳥《ひるほととぎす》の声にも腸《はらわた》を断たれるような心地がした。  ――だが親鸞は、そうした弟子たちの沈んだ顔いろを見ると、それが自分の悲しみの反射だと知って、心を取り直したものとみえる。彼は、髪の伸びた頭《つむり》へ網代笠《あじろがさ》をいただいて、また、近郷の教化《きょうげ》に出歩いた。  その姿は、いよいよ、ただ念仏の道へひた向きに生きようとする尊い光を加えていた。やがて四十になろうとする親鸞のうしろ姿は、はっきりと、この越後へ来る前の親鸞とは違った高さをその人品にも持ってきた。  教化につかれた夏の夕べを、鈴野と万野のふたりは、畑の野菜を煮て、親鸞や弟子たちの終日《ひねもす》の労をなぐさめた。――そんな夕餉時《ゆうげどき》の一瞬には、誰の胸にも、信仰生活の悦びが溢《あふ》れて、この小丸山の家は、さながら夕顔の花に囲まれた浄土そのもののようであった。 [#3字下げ][#中見出し]仏《ほとけ》を見《み》た弟子《でし》[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり] 「はての?」今気がついたように、定相《じょうそう》はつぶやき出した。  三人の弟子は、縁先で、榧《かや》の枯れ木を蚊遣《かや》りに焚《た》いていたのである。 「なんじゃ、定相」と、教順が不審がる。念名《ねんみょう》も共に、 「なにを思い出して?」と、笑った。定相は真面目な顔つきで、 「いや何、石念《じゃくねん》のことだが……石念は夕餉《ゆうげ》のときに、皆と共に、斎《とき》の膳についていたろうか」 「さ、いたようにも思うし、おらなんだようでもあるが……」 「怪《け》しい男じゃ」 「どうしての」 「どうしてというて、おのおのには、石念のこのごろの様子が、いぶかしいとは見えぬか」 「そういわれれば、なにやら、妙なふしもあるが」 「あるが――どころじゃないわ。あれは近ごろ、どうかしておる、よほどどうかしておる。憑《つ》きものにでも憑かれたような」 「ふむ……。なんぞ、そうした原因があるのかの」 「それはあろうとも」 「なんじゃ、一体、石念の憑きものというのは……」 「いや、それはいわれぬ、滅多に口にすることじゃない」定相はにがり切って、蚊遣りの煙のうちに、唇《くち》をむすんでしまった。  暗黙のうちに、他の二人もうなずいた。やはり口に出せなかった気持なのである。それは、彼らの潔癖にとって、最も忌《いま》わしく感じられることなので、それを是認することは、自分たち法《のり》の同胞《はらから》の醜悪を認めるような気がするからだった。  もっとも、石念のそれは、あの都から来たふたりの女性《にょしょう》がここに共に住むようになる前から、本質的に、なにか焦々《いらいら》しているふうが見えた。  それが、火となって鈴野への恋となっていることを、こう三人はうすうす知っていた。  恋を――女への仏弟子《ぶつでし》のそういう態度を、極端に冷蔑《れいべつ》し、むしろ醜《しゅう》にさえ考えている三人には、石念のそれからの挙動が、ことごとにおかしくて、馬鹿らしくて、そしてこんな男が同房のうちにいるということだけでも、何かしら、腹立たしかった。  この教順を初め、三名の弟子は、元々、京都から従《つ》いてきた親鸞の古い弟子ではなかった。親鸞が北国へ来る途中からの随縁であった。それだけに、この人々のどこかに旧教の――聖道門《しょうどうもん》の観念とにおいが強くこびりついていた。 「また、あの竹林の奥へ入って、ぽつねんと考え事に耽《ふけ》っているのじゃないか」と、人々は、すずしげな夏の月を見あげた。  月光の下《もと》には、深い篁《たかむら》が夜露に重くうなだれていた。 「そうかも知れぬ……」定相は、苦笑した。そして、 「救われぬやつだ」と、嘆くような眼をした。 「見てこようか」 「いや、よしたほうがよい。魔に憑《つ》かれているうちは、人のことばなど耳に入るものか。いずれそのうちに、師の房からお叱りがあるだろう」  その親鸞の室には、もう灯《あか》りが消えていた。三名もまた、あしたの炎天の托鉢《たくはつ》を考えて、戸を閉めて、眠りについた。 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり]  石念《じゃくねん》はおそくなってからこっそり帰ってきた。もう同房の者が皆、眠りについてからだった。 (……どこへ行っておったのか?)定相《じょうそう》は気がついて、うす眼をあけて彼が臥床《ふしど》へもぐり込むのを見ていたが、わざと言葉はかけなかった。 「……ああ」それは石念のつぶやきだった。彼は臥床へ横になってからも、しばらく寝がえりばかり打っていた。  ふいと、身を起して、またどこかへ立って行く様子だった。定相は、 (おやっ?)と怪しんで首をもたげかけたが、厨《くりや》のほうで石念が水をのんでいる様子なので、また眠りを装っていた。  そのうちに、定相は彼に対する注意も気懶《けだる》くなって、ぐっすり眠りに落ちてしまった。  ほかの教順や、念名《ねんみょう》などは、その前から高鼾《たかいびき》を掻いているのだった。……だが石念だけはいつまでも寝つかれないで、悶々と自分を持てあましているかに見えた。  側に熟睡している人々の寝息が、羨《うらや》ましくもあるしまた、 (動物のような奴だ)と、その単純さを腹立たしげに軽蔑しても見た。けれど結局、自分の眠られないのは、何としても苦しかったし、それに決して、正しい悶《もだ》えでないことも彼自身知っていた。 (――どうしてだろう、おれはこのままで自分を抑えつけていれば発狂するかもしれない)  かっかっと耳たぶは血で熱くなるばかりだった。――ふいに枕から顔を上げてどこかを見まわす彼のひとみは底光りがしていた。何か夢遊病者のように彼のたましいが彼をあやつっていた。 (……そうだ、もうおれは、どうなってもいい、地獄へも落ちろ、この今の炎に焦《や》かれて苦しむよりは)何か怖ろしいことに意を決したらしいのである。あたりの者の寝息をうかがって、彼は這い起きた。  みしりと、棟《むね》の梁《はり》が軋《きし》む。そのかすかな物音にも、彼はギクッと身をすくめるのだった。 (いや……よそう……)われに返って、彼は醜い自身を恥じるよう、ふたたび寝夜具のうちへ身をひそめた。けれど、所詮《しょせん》、それは理性と本能のたたかいを血管のうちでくりかえしているに過ぎなかった。  ずいぶん長い間のそれは苦悶だった。一刻《いっとき》ほどたつと、彼はまた、そうっと自分の体を起して、やどかり[#「やどかり」に傍点]が這い出るように、手さぐりで真っ暗な房のうちからどこかへ忍びかけていた。 「……ム……ウムム……」うしろで、念名がこううめいた。石念は白い盗人《ぬすびと》のような眼をギョッと振向けたが、何事でもなかったのを知ると、こんどは、全身の勇をふるい起すように――しかし針ほどな物音にも心をくばって、一尺か二尺ほどずつ、手さぐりでその部屋の外へ出た。  彼はついに、寝所の外へ出てしまったのだ。もうそこには常の反省も常の石念もなかった。――柱、戸、壁などを撫でまわしながら、廊下をつたわって、一歩一歩、足音をぬすんで行った。その突当りの一間《ひとま》に、鈴野が寝ていた。 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり]  ふるえていた。がたがたと、熱いような寒いようなふるえが、石念《じゃくねん》の全身を走っていた。  眼をつぶって、石念は、突当りの板戸へ手を触れた。それはもう、鈴野の寝息のかおりを肌に感じさせるに足るものだった、彼の手は、恐ろしいものと、甘い夢みる興奮とに、錯雑《さくざつ》と逸《はや》りおののきながら、ついに、板戸の引手をさぐり当てた。  満身の血が、毒のように頭にだけ逆上《のぼ》っていたのである。――彼はそこへ耳をつけた。  寝息が聞える……  黒髪と、やわ肌の、蒸《む》れた丁字《ちょうじ》のような異性のにおいがする。  ズ、ズ、ズ……と二、三寸ほど石念の手がそこを開けたのである。――と、その刹那に、白い電《いなずま》のような光が、彼の眼をさっと射た。  鈴野の寝すがただけあるとのみ思っていた暗い部屋の中に、そんな顕然《けんぜん》たる光があったのである、仏陀《ぶっだ》の光のように石念は心を打ちのめされてしまった。 「あッ――」と、思わず眼を抑えたのである――。次にわれ知らず口から走った慚愧《ざんき》のことばは、 「南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》!」という無意識のさけびだった。物音に、眼をさまして、 「誰です! 誰ですかっ」鈴野が起きた様子。  あわてて、どどどと、廊下の壁へぶつかりながら逃げてくると、 「なんじゃ」 「なんの音……」同房の友だちも、みな、夜具を刎《は》ねて、突っ立っていた。 「……あっ、石念」人々は、板敷のうえに雑巾のように平べたくなっている彼のすがたを見つけて、太いため息をつくばかりだった。 「こ、こ、この馬鹿めっ」いちばん年上の教順が、怒りに引ッつれた顔をふるわせて、思わず拳《こぶし》をかためながら彼の側へせまった。 「呆《あき》れ果てた外道《げどう》。……ウム、外道の夢、醒ましてやる」むずと、襟《えり》がみを引き寄せて、打ちすえようとすると、なに思ったか、石念はパッと起って、厨《くりや》の戸を突き破るようにして外へ逃げ出してしまった。  ――その朝は、朝から重い不愉快なものに人々の顔色はつつまれていた。鈴野はなにもいわなかった。けれど、その小さな胸が、不気味な、なんともいえない恐怖と懐疑につつまれていることは、誰の眼にも読めた。 「……申し上げてしまおうか」 「いや、こんなことを、どうして、師の房のお耳に入れられるものか」 「どこへ行ったか、あいつめ」 「抛《ほ》っておいたがよい」人々は、囁《ささや》き合っていたが、やがてさり気なく、それぞれ日課としている托鉢へ出て行った。  親鸞は、きょうは奥に籠っていた。べっして、体のわるいようなせいではない――。鈴野はなにかしら秘密を抱《いだ》いたようで、独りで胸が傷《いた》んでならなかった。  ――蝉《せみ》の音が、午《ひる》の窓へすずやかに啼いていた。芭蕉《ばしょう》の葉が、時折大きく風に揺れる。  その蔭へ、石念は、いつの間にか来ていて、じっとかがみこんでいた。 [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり] 「――誰じゃ」ふと窓の外へ眼をやった時、親鸞が静かに芭蕉の蔭へ訊ねた。 「石念《じゃくねん》ではないか」 「は……はい」 「何しておる」 「……私は……お師さま! ……御庵室の床《ゆか》に上がれない不浄な人間でございます、外道《げどう》へ落ちた人間です」 「何をいう」ほほ笑みが親鸞の顔に泛《う》かんだ。他愛ないことでも聞くように、 「お上がりなさい」と、それだけいった。 「…………」石念はなおそこにじっとかがまり込んでいたが、やがて思い切ったように、 「よろしゅうございましょうか」おそるおそる立った。  そしてやがて、縁から科人《とがにん》のような卑屈な眼を俯《ふ》せて、親鸞の室へ坐り、自分の頭に下るであろう罪の鉄槌《てっつい》を待っていた。 「……なんじゃ、どうしたのか」親鸞はまだ何も知らないらしいのである。だが、それはかえって石念の苦痛であった。  何も知らない師の房へ、新しく口を切り出すのが辛かった。――だが、石念は思い切って、事実を告げた。 「私は幾たびも、自分で自分の心をいやしみ、一心に、念仏をもって、邪心を退けようとして、幾日もたたかいました。――けれど、一度、鈴野様の美しさに囚《とら》われた煩悩《ぼんのう》は、何としても去らないのでございます」親鸞は眼を閉じていた。――じっと聞き入って、次のことばを静かに待っていた。 「それで――」 「昼間は、炎天を、教化《きょうげ》して歩いているので、かえって胸の苦しみはわすれました。けれど、夜のすず風に、わが身にかえってくつろぐと、身内の炎は、昼間の炎天どころではありません」 「むム……」 「いけない! そんなことで、どう修行がなろうぞ! そう我を叱って、水を浴びたり、竹林の中で、夜もすがら念仏したり、岩に伏したりしましたが、克《か》つことができません。――とうとう私は、犯してならない垣を踏み越えてしまいました。――鈴野様の部屋へ忍んで行ったのでございました」 「…………」 「その時の心は、自分ではわかりません……われながら、まったく夢中の仕業《しわざ》でありました」 「石念、待ちなさい」 「はい」 「おことの声に、真実がある、嘘のないその声を、鈴野にも聞かそう」 「え、鈴野どのへ」 「……誰ぞおりませぬか、鈴野をよんで下さい、ここへ」後ろの部屋へ向って、こういうと、誰かが鈴野を呼びに行ったらしい。――そこに石念と師の房との対坐しているすがたを見ると、鈴野はさっと顔を紅《あか》めてしまった。 「お師さま、何か御用事でございますか」 「そこへ坐っていて下さい。……石念のいう言葉を聞いておればよい。……わしも聞こう、石念、話しなされ」 「はい」といったが、さすがに、そこに鈴野がいては、穴にも消え入りたい気がするのであろう、石念は硬《かた》くなって、しばらく両手を膝についたまま沈黙していた。 [#7字下げ][#小見出し]五[#小見出し終わり] 「――なにもかも懺悔《ざんげ》いたしまする」と、こう石念はまた、素直にことばを継ぐと、もう邪《さまた》げるもののない気持で、いおうとすることがすらすらいえた。 「その時の私は、情火の獣でした。もし鈴野どのが私の愛を拒んだら力ずくでもという気持でした。戸に手をかけました。そして二、三寸ばかりそこを開けたのです。すると同時に、ハッと私は眼が眩《くら》んで両眼を抑えたまま俯伏《うつぶ》してしまったのです。なぜならば鈴野どのの部屋に、一道の白い光が、仏光のように映《さ》して見えたからでした」沈痛な声である。[#「沈痛な声である。」は底本では「沈痛な声である」]  筧《かけひ》の水の音がどこかでして、鈴野も親鸞も、そこになく、彼一人が独りで口走っているかのように静かであった。 「――後でよく考えて見ますと、その光というのは、鈴野どのの部屋の窓が隙《す》いていたので、夜明けの光が射し込んでいただけのことだったのです。……けれど夜もすがら、熱病のように悶々としていた私は、夜が明けていたとも考えておりません。真っ暗な部屋の中とばかり思っていた眸《ひとみ》を、不意に、怖ろしい光明で射られたので、そのまま、うッ伏《ぷ》してしまうと、思わず、念仏をさけんでしまいました。次には、しまったと思う悔いと涙とでうろたえながら、逃げ出しました。身の置きどころもないように」 「…………」 「どうぞ、お師さま、私を今日かぎり、破門して下さいませ、私は、外道《げどう》に落ちました、改めて修行をし直した上、ふたたびお膝下《ひざもと》へお詫びしに参ります」親鸞は瞑目していた眸《ひとみ》をうすく開いて、そういう石念のすがたを愛《いと》し子のように見入った、彼はまだ道念の至らないこの若僧の悔《く》いに打ちのめされて慚愧《ざんき》している有様を見ると、あだかも二十歳《はたち》だいのころの自分を見ているような気がするのであった。 「石念」 「は……はい」 「泣かでもよい、さてさておことはまたとない不思議な仏陀《ぶっだ》の示顕《じげん》にお会いなされたの」 「えっ、示顕とは」 「おことが、罪の戸に手をかけたとたんに、その眸を射た光こそ、弥陀《みだ》本体の御光《みひかり》でのうてなんとするぞ」 「……?」 「わからぬか、おことはそれをもって窓にさしていた夜明けの光というたが、おことはそのせつなに念仏をさけんだというではないか。窓の明りではない、それこそ弥陀本体の御光じゃ、尊い弥陀の示顕に試《ため》されたのじゃ、その折に出た念仏こそ、真《まこと》の念仏、生涯忘れまいぞ」 「わかりました、お師さま!」と、石念は合掌して、 「私は、なんたる、果報者でしょう、この眼で御仏《みほとけ》を見ました」と、狂喜した。親鸞は、ことばをかさね、 「そなたはまた、この草庵を出て、修行し直すというたが、それにも及ばぬ、他力|易行《いぎょう》の行者は、ありのままこそ尊い、配所の囚人《めしゅうど》であれば囚人のままで、在家《ざいけ》にあれば在家のままで、ただいつも、本体の弥陀のすがたを、しかと見て、見失わずに――」  慈父のような教えだった。石念の心の傷は洗われた、いや大きな欣《よろこ》びにさえなった。  それからまもなく、石念と鈴野とは、師の媒介《なかだち》で添うことになった。親鸞の寛大と英断に驚く者もあったが、それからの石念の道行《どうぎょう》はたしかに一歩も二歩も進んでいた。同房の法友たちは、彼のために、また念仏門のために、この一組の若い夫婦《めおと》を心から祝福した。 [#3字下げ][#中見出し]蝉脱《せんだつ》[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  夕餉《ゆうげ》の煙が露草に這う。万野《までの》は、厨《くりや》の竈《かまど》に火を焚《た》き、鈴野はもうほの暗い流れで野菜を洗っていた。  もう初秋である。暮れると急に、この山間《やまあい》は陽かげになって、寒かった。 「……はての?」里人に道を教えられて、一途《いちず》にこの小丸山へ来たらしいのであったが、旅の老武士は、そこに働いている卑《いや》しくない女性《にょしょう》をながめて、ここが配所であり僧の住居とは考えられないようにいぶかって佇《たた》ずんでいた。  狩衣《かりぎぬ》のすそを旅支度にくくり、襟《えり》の下には鎧《よろい》の小実《こざね》が煌《きら》めいていた、長やかな銀作りの太刀を、革紐《かわひも》で横佩《よこば》きにし、それでいて烏帽子《えぼし》をいただいた髪の毛は真っ白なのである、年齢はもう六十がらみに違いないのだ、けれど足もとも身体も、壮者のようにがっしりしていた。 「ちと、もの承りたいが――」こういって、鈴野のそばへ老武士は寄って行った。めずらしくその言葉は、上方の語音《ごいん》である。鈴野はハッと思って、濡れ手のまま立った。 「はい……何ぞ」 「つかぬことを承るが、親鸞|上人《しょうにん》のご配所は」 「こちらでございますが」 「オ……やはり」と、老武士は安堵《あんど》したように、 「上人は、ご在宅かの」 「おいでなされます」 「あれが、お入口か」 「いえ、厨《くりや》でございます、どうぞこちらへお越しなさいませ」小走りに、鈴野は先へ駈けてゆく。――駈けつつも、 (どなたであろうか)不審でならなかった。  玄関を教えると、老武士は、裾《すそ》を解き、塵《ちり》を払って、烏帽子のゆがみをも正しながら、 「たのむ」おごそかに訪れた。いあわせた教順房が、 「どなた様でいらっしゃいますか」と、眼をみはった。  老武士は慇懃《いんぎん》な――どこやらに卑《いや》しくない教養と世に練《ね》れたものごしで、 「突然おたずねして参って、ご不審に思《おぼ》し召そうが、それがしは近江《おうみ》の住人佐々木三郎|盛綱《もりつな》とよぶ者――折入って上人に御意《ぎょい》得とう存じて、はるばるこれまで身ひとつで参った者でござる。――おつとめの折とあらば、他の室にてお待ち申すも苦しゅうござらぬ、お取次だけを」と、行きとどいている会釈。  はっ――と教順は胸に大きなものをぶつけられた気がした。近江《おうみ》の佐々木|盛綱《もりつな》といえばこの辺土にも知れ渡っている源家方の豪族である。  あわただしく、奥へ告げに行くと、ちょうど廊下でぶつかった西仏房《さいぶつぼう》がそれと聞いて、 「なに、佐々木殿が見えたと」つかつかと彼は玄関へ出てきたのである、そしてほの明るい夕暗《ゆうやみ》の軒端《のきば》に、その人の影を透かして見て、 「やあ」と、なつかしげにいった。 「三郎盛綱どのか。珍らしい珍らしい、元の木曾の幕下《ばっか》太夫房|覚明《かくみょう》じゃ」 「えっ?」と、盛綱は、意外な旧知を見出して驚きながら、 「木曾の覚明じゃと。……オオなるほど、世も変ったが、おぬしがかような所におろうとは、さてさて時の流れは、思いがけないことになるのう」 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり] 「まず上がれ」と、西仏は遠来の旧友に、昔の武者言葉を出して、 「師の上人もご在室、ゆるりと昔語りもしよう」先に立って、いそいそ奥の室へ案内して行く。三郎盛綱は、太刀の緒《お》を解いて、左手に提《さ》げ、 「さらば」と、彼の後に従《つ》いた。  広くはないが、配所とも見えぬほど閑寂《かんじゃく》な幾室かがある、短い二|間《けん》ほどの橋|廊架《ろうか》を越えると、そこには何か非凡人のいるものの気配が尊く感じられて、三郎盛綱は、いわれぬうちから、 (ここが上人のお住居《すまい》であるな――)と感じて、おのずから襟《えり》を正しめられて控えていた。  西仏は、妻戸の外にひざまずいて、両手をつかえ、 「師の房様。おさしつかえござりませぬか」くんくんと何かのにおうそこの室の内から、親鸞の声がすぐ答えた。 「どなたか」 「西仏です。――じつは只今、私の旧友で、師の房にもとくご存じでおわしましょうが、近江《おうみ》佐々木の庄の住人、佐々木三郎盛綱が、なにか親しくご拝眉を得たうえで、お願いのすじがあると申し、はるばるこれまで訪《たず》ねてござりましたので、お会い下さるなれば、有難う存じますが」 「…………」何か黙考しているらしくもあるしまた、机のうえでも片づけているのか、しばらく返辞がなかったが、やがて―― 「どうぞ」と、いうのが聞えた。  西仏は振向いて、三郎盛綱のうれしげなうなずきを見た。そして、静かに妻戸を引いてそこを窺《うかが》うと、朽葉色《くちばいろ》の法衣《ほうえ》のすそがすぐ盛綱の眼に映った。 (ああ多年、会いたいとお慕い申していたおん方、今こそ会えるか)と、盛綱は若者のような胸のときめきを覚えて、屈《かが》み腰《ごし》に、そっと進む。  ――すぐ後ろから、鈴野が短檠《たんけい》を持ってきて、主客のあいだへ、静かに明りを配る。――そしてこの老《おい》武者が有名な源氏のさむらいであるかと、尊敬と物めずらな眼を客に向けて、退がって行った。  時の流れはあわただしかった。治承《じしょう》、寿永《じゅえい》という風雲乱世は、つい昨日《きのう》のようであったが、今はもう鎌倉幕府という言葉さえ、民衆には新しいひびきが失《な》くなっている。鎌倉幕府自体にさえ、種々《さまざま》な弊政《へいせい》やら、葛藤《かっとう》やら、同族の相剋《そうこく》やら、醜いものの発生が醸《かも》し出されて、そろそろ自壊作用の芽をふきだしていた。  その源氏が、隆々と興って、治承、寿永の世にわたって、平家を剿滅《そうめつ》して行ったころには、源平両軍が戟《ほこ》を交《まじ》えるところに、佐々木三郎|盛綱《もりつな》の名が功名帳に輝かないところはなかった。  ――だが、そうした武運のめでたい男も、鳥坂城《とさかじょう》に城資盛《じょうのすけもり》を討った老後の一戦から、ふッつりと、明けても暮れても血の中の武士《さむらい》生活に無常を感じて、 (何がゆえに?)と大きな悩みと迷いを生じ、子のある親を討ち、親のある子を討って、それを兜《かぶと》の八幡座のかがやきと誇る武者のこころが忌《いま》わしくなり、武具馬具|打物《うちもの》などのすべてのそうした血なまぐさい物に囲まれている日常が、耐えられない苦痛になっていた。 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり]  武者の生涯ほど、一刻一刻が、真剣で血まみれなものはない。  五十余年は夢の間だった。なんであんな血なまぐさい生涯を、獣《けだもの》のように働いてきたか。――人を斬っておのれが生きる道としてきたか。  果たしてそれが、国家のため、民くさのためだったろうか。  主君はそう受け取ってくれたろうか。平家が亡《ほろ》んだ後の源家の政治は、果たして国民の幸福を増してきたろうか。三郎盛綱はもだえた。 (怖ろしい、浅ましい。人は知らず、自分の肚《はら》の奥底を割ってみれば、そこには華やかな武者の道があって、ひたぶるに、君家《くんけ》のおんためという気持もあったが、何よりも自分を猛《たけ》く雄々しくさせたものは、領地や位階であった、出世の欲望だった)こう考えつくと、彼はたまらなくなった。そしてついに、 (せめて、老後の一日だけでも、阿鼻叫喚《あびきょうかん》の中からのがれて、こころのどかに、人らしく生きてみたいものだが――)そう気づいてから先の三郎盛綱は、往年の烈しい気性を、急角度に向きかえて、ひたぶるにそれを望み出した。――実に、多年のあいだの宿望だった。 (領地が何か? 位階が何か。――あさましやおれはこれで釣られて、一生を屠殺《とさつ》で送ってきた)  館《やかた》も財宝も、もう彼の眼には、芥《あくた》としか見えなかった。――だがすでに、彼の身は由々しき所領の大名となっていた、一族|門葉《もんよう》も少なくはない、鎌倉との交渉も、簡単には参らない。彼はそれを捨てることに、どんなに長い腐心を費やしたか知れない。  ――すると、すでに鎌倉では、彼のそうした憂悶《ゆうもん》のあらわれを、敏感に知っていた。三郎盛綱は、鎌倉に対して近ごろ不満をいだいているらしいと沙汰する者があったり、それに尾ひれを付け加えて、彼こそは油断のならぬ男で、今のうちに処置をせねば乱をなす者であろうと流言する者がある。  突然、鎌倉幕府では、彼が四十年に近いあいだ、幾千の部下の血と、自己や一族の刃《やいば》の働きで築き上げたところの城地を、何の理由も明示しないで、強制的に没取してしまったのである。元の三郎盛綱なら、 (理不尽な致し方)と、激情して、一戦にも及んだであろうが、盛綱は、その権謀術策《けんぼうじゅっさく》の人々のすることを、笑って見ていることができた。 (この機に!)彼は、身一つになって、所領、位階、一族妻子、あらゆるものに袂別《べいべつ》を告げ、そしてまっしぐらに、多年のあいだよそながら慕っていた親鸞を遠くこの北国まで訪ねてきたのであった。 「この身の発心《ほっしん》をあわれみ給うて弥陀《みだ》がお手びき下されたことと存ずる。何とぞ、お慈悲をもってこの後《ご》の安住を老骨へおさずけ下されい」  親鸞の前へ出た三郎盛綱の偽らない物語りはこうだった。――終始、じっと聞いていた親鸞は、 「無自覚の四十年五十年は夢中の一瞬です。おん眼《まなこ》をひらかせ給わば、一年も百年千年の生き心地を覚え給うに相違ない。何日《いつ》なとご発心はおそくはない。ようこそ来るべきところへ参られた、いでこの上は親鸞が、ご仏縁の仲だちをお授け申しあぐるであろう」  その夜すぐ、親鸞は彼のために剃刀《かみそり》を取った。そして、法善房光実《ほうぜんぼうこうじつ》という名を選んで授けた。 [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり] 「どうじゃ盛綱どの……いや光実御房《こうじつごぼう》。生れかわった気がするじゃろうが」四、五日たって、西仏は新しくここに加わった佐々木三郎盛綱の光実にこう話しかけた。 「ありがたい、ただありがたさで、今は胸がいっぱいだ」と、光実は心からいった。 「どうして今までおれは、あんな絆《きずな》に惑《まど》ったり悶《もだ》えたりしていたのか、ふしぎでならない」 「そこが、俗世間だ、濁流の中に住んでいるうちは、濁流から出る道もわからない」 「そればかりか、上人から聞かされる一語一語が、いままで、鎌倉の将軍家から貰った武功の恩賞より身に沁みてうれしい。――頼朝がおれに与えたものは、皆自己のわけ前であり、自己のため以外のものでなかった。――然るに上人は何もご自身に求めるのではない、あのお眸《め》に映《うつ》るすべての者を、ひとしく倖せにしてやろうというほかに、他意はない。――またこの御庵室のなごやかな朝夕を見ても、なぜ今まで、あのように刃《やいば》と鉄と人馬で囲んでも、枕を高くして寝られない所領や城にかじりついて生きてきたのかと、初めて、無明《むみょう》の闇《やみ》から出てきたように思う」 「おそいぞおそいぞ、今ごろ、さようなことに気づいて、この西仏などは――」と、西仏は自分が発心したことの早さを、快活に自慢したが、 「はははは、それは、おぬしの大将の木曾殿が早く滅び、おぬしも志を武門に得なかったからではないか」と、盛綱に反駁《はんばく》されて、 「や、いかにも、そのせいも幾分かあるな。あはははは」と、哄笑《こうしょう》した。夜になると、 「馴れぬうちは淋しかろ、田舎酒《いなかざけ》でも温《ぬく》めようか」と、西仏は飽くまで友に親切であった。炉《ろ》を囲んで、初秋の夜の静心《しずごころ》をたのしみ、 「――時に、いつか訊こう訊こうと思っていたが、ご舎弟の四郎|高綱《たかつな》どのは、近ごろ、どうしているな?」 「さ……久しゅう会いもせぬが、世上の沙汰では、やはりこの兄同様に、怏々《おうおう》として楽しまずに暮しているらしい」 「備前|児島《こじま》の城へ当てて、この春ごろだったか、手紙を出してみたが、何の便りも返ってこぬ」 「あれの一徹にも困る、わるくすると、この兄とは逆に行って、鎌倉どのへ、忿懣《ふんまん》の矢を引きかねぬ男でな」 「さ……そういう噂を世間でちらと耳にしたので、万一の事でもあってはと、昔なじみの誼《よし》みで、この西仏が胸を打ち割って存分なこと認《したた》めてやったのだが……あの利《き》かぬ気の四郎高綱、手紙を見て立腹し、引き裂いてしもうたかも知れんな」 「――いや、烈しい一徹ではあるが、心の底には情誼《じょうぎ》にふかい所もある弟《おとと》――というと弟自慢になるが、旧友の気もちが分らぬような男ではない」 「では、何かの都合で、返事を忘れてござるのかな」 「書けんのじゃろう、気持を偽われない質《たち》なので。……だが、何事もなくてくれればよいが」わるいことをいい出したと西仏は軽く悔いた。弟思いの光実は、うつ向いて、遠く弟四郎高綱の児島の城を案じているらしい。六十歳になっても、骨肉の情愛はすこしも幼少の時と変っていなかった。 「……さ、温《ぬく》まったぞ、もう一杯過ごさぬか」  もう秋くさが秋風の戸を撫でて戸外は雨かのような虫の声だった。 [#3字下げ][#中見出し]蛆《うじ》[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  南海の潮は鯖《さば》の背のようにぎらぎら青かった。――時はまだ夏の初めだった。  備前|児島《こじま》の城の本丸。  城主の佐々木四郎高綱は、兄の盛綱《もりつな》よりも武者としては勇武があった、髪もまだ白くはない、骨ぶしもまだ強弓《つよゆみ》を引くに耐える、それだけに満ち溢《あふ》るる覇気《はき》もあった。  その覇気へ、彼は、大杯で酒をそそいでいるのだった。彼の血潮と酒とは、燃え合うと、多分な危険のあるものだった。それは家臣もはらはらしていることであったが、主君のことなので、どうにもならないのである。 「聞けっ、玄蕃《げんば》」語気に癇癖《かんぺき》がほとばしっている。こういう癇癖は、戦いがあれば戦場で散じてしまうだろうが、もう世の中は泰平だった。 「はっ……うかがっております」と、重臣の浅倉玄蕃は、この殿のこころの底を充分に知っているだけに――またその良い性格の半面もわかっているだけに――ただ涙ぐましくて、困惑に暗くなるのだった。 「わしはの……」と高綱は唇の乾きを舐《な》めずりしていう。 「……わしはの玄蕃、ただ理由なく欲望を募《つの》らせていうのじゃないぞ。天下の将軍家たるものが、そういう態度であっていいものか――また、武門のことばの誓いというものが、そんな不信なものでいいか、正義のためにいうのだ」 「わかっております。――殿のお気持は、玄蕃《げんば》めも充分に」 「わかっているなら、なぜ意見などするか。――よう昔を考えてみろ、わしのいい条が無理か否か」 「は」 「そもそも――石橋山の合戦だ。あの時わしは、兄三郎|盛綱《もりつな》とともに、まだ二十歳《はたち》にも足らぬ生若《なまわか》い頼朝を助けに馳《は》せ参じた。あの旗挙げの第一戦に、頼朝はさんざんにやぶれ、石橋山から土肥《とい》の杉山へと落ちのびた。付き従う郎党とても指折るほどじゃった。この小冠者《こかんじゃ》を大将にかついでも、大事は成らぬと見限《みき》りをつけ、生命からがら逃げたのが多い。――彼は孤立した。ほとんど自刃するほかなかったのだ。――そこへこの四郎高綱、三郎盛綱、二人の兄弟が千余騎をひきつれてご加勢に駈けつけた時、頼朝は、わしら二人の兄弟に何といったか!」 「……殿、もう仰せられますな、そのことは、天下の誰もよく知っていることでございます、余りにも有名なお話です。殿が仰せなくとも」 「だまれ。わしがいわんで誰がいうか。北条や梶原《かじわら》のおべッか者や、またその権力に怯《お》じ怖れている小心者の大名輩《だいみょうばら》に、どうして、これがいえるか。――あの時の小冠者《こかんじゃ》頼朝が、わしら兄弟の手を取って、加勢を欣んだ顔つきは、今に眼に見えておるわ。そして頼朝はこういったのだぞ――(もしもこの身が天下を取ったあかつきには日本半国は二つにして、兄弟の者に取らせる)と……。玄蕃《げんば》」 「はっ」 「どこにこの誓言《せいごん》が行われたか。――わしは今もって、この中国七州しか持たぬ」 「しかし……殿」 「口返しするか。――そちは頼朝の肩持ちか。高綱のことばは偽りと思うか。弓矢八幡も照覧、北条時政もその他も、確かに側で聞いていたことだ。……だが、頼朝が天下を取ってからは、あのおべッか者は、一人として噯《おくび》にもさようなことはいい出さぬ。狡獪《こうかい》な頼朝は口を拭いて、知らぬ顔にこの言葉を葬《ほうむ》ろうとしている――。いやそのうちに頼朝めは死んでしもうた。しかし、彼は死んでも、天下の公約は死んでないはずじゃ。――そうではないか、玄蕃」 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり] 「ごもっともです」  臣下として、玄蕃はそういうほかなかった。 「しかし殿……すでに鎌倉の右府《うふ》もおかくれ遊ばした今日、今さら事新しゅう、亡き将軍家のおことばを取り立てて……」 「いうて悪いか」 「怖れながら、潔白な御心事を、天下の俗衆が、誤解することを、玄蕃は怖れまする」 「いうな、わしは、まだ頼朝が在世のうちから、このことは申していたのだ。――(天下を取ったら日本半国二つにして佐々木兄弟に取らせる)と申したあの一言を、旗差物《はたさしもの》へ書いて、鎌倉へ登ろうと幾度《いくたび》かいっていた、その度ごとに、汝を初め、老臣どもが、とやかく申して遮《さえぎ》ったために、千載《せんざい》の機を逸して、いつまでも高綱の胸中に、鬱々《うつうつ》とこの不快なものを抱かせているのではないか」 「お家のためを存ずればこそでござります。不肖《ふしょう》も老臣衆も」 「なに、これが」 「殿のご不平は、小者の端にいたるまで、よっく胆《きも》に銘じてはおりますなれば」 「玄蕃玄蕃。――分った面《つら》がまえせずとわしの胸中をよく聞け。わしは今、中国は七州の太守だ、何の不自由もなし、近江《おうみ》源氏の末として恥かしい身分でもない。……だがの、宇治川の晴れ場で、梶原源太の先駈けしたこの四郎高綱が、武門には長《た》けて、智恵は浅い男よと、末代まで笑い者にされては口惜しい。――頼朝めの肚《はら》をいえば、自分が天下の権を握ったからには、高綱に不平があろうと、約束を反古《ほご》にしようと、手出しはなるまいと、この佐々木家を見縊《みくび》ッてそらうそぶいたのだ。何と、気色《けしき》のよくないことか。――たとえ頼朝、実朝《さねとも》の亡い後でも、この名分は明らかにせねばならぬ。大将の嘘が、かくのごとく堂々と通っては、戦場においての武士《もののふ》の信義は地に堕《お》ちてしまうわ。――武門のためわしは主張するのだ」 「今日まで、お怺《こら》え遊ばしたものを、何でまた、俄かにさまで仰せあるか。玄蕃も、この儀には、ほとほと困《こう》じ果てました」 「わしばかりではない、命を槍先にかざして働いた多くの大名、武士たちの末路を見ろ! 泰平の後は皆、片田舎《かたいなか》の荒れ地へ追いやられ、ただ口先の弁巧《べんこう》で、ぬらりくらり身を這い上げた諂《へつら》い者が、廟《びょう》に立ち、政治を私しているのではないか。――近くは兄の盛綱は何の科《とが》があってか、所領を没取されているではないか。――やがてはその手がわしへ来ることは見え透《す》いておる。こうしているのは自滅を待っているにひとしい」 「さような事のある場合は、殿のおことばを待つまでもなく、われら臣下が、四ツ目の御旗《おんはた》を陣前に押し立て、北条、梶原の輩《ともがら》を一挙に懲《こ》らしめてくれますれば」 「それでは遅い、後手《ごて》だわ」 「では、どう遊ばします」 「こなたから、不意に軍勢をのばすのじゃ、彼奴《かやつ》らの虚を突くのだ」 「かえってそれこそ、鎌倉方の策にのるものです、反逆の軍と呼ばれましょう」 「な、なに」と、四郎高綱は、面《おもて》に朱《しゅ》をそそいでいった。 「盟約を正す軍《いくさ》を反逆というか!」 「たとえ、君命にござりましてもさような不利な軍《いくさ》は」 「よし、老臣どもの手はからぬ、陣ぶれの状を廻せ!」 「殿っ――」と玄蕃は涙をたたえて、 「泰平をよろこぶ民を憐《あわ》れみ遊ばせ。――軍《いくさ》は私憤をもってするものではございませぬ。……ご賢慮を」と、袖にすがって諫言《かんげん》しているところへ、小侍が、一個の文筥《ふばこ》を捧げてきて、 「御状でございます」と、そこへ差し置いた。ふと見ると―― [#ここから2字下げ] 北越《ほくえつ》小丸山配所中          沙門《しゃもん》西仏《さいぶつ》 [#ここで字下げ終わり]  と差出人の名が目についた。 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり] 「――沙門西仏、沙門西仏、はてのう――どうも覚えのない名じゃが」四郎高綱はつぶやいた。  手にとった書面の名に、酔眼をぼうとみはって、小首をかしげているていであったが、やがて封を切ってみると、中の書状には、太夫房|覚明《かくみょう》という別名が記してあった。 「なんじゃ、あの覚明か」大きく笑ったのは何か懐かしい者を思い出したものであろう、玄蕃のほうをちらと見てこういった。 「そのむかし木曾殿の手についておった荒法師じゃ。今では西仏と名を変えて北越におるものとみえる。……何を思い出して書面をよこしたか」杯を片手に、気懶《けだる》い体を脇息《きょうそく》にもたせかけながら高綱はそれを読んでいた。  初めは、昔なつかしい戦場の友を偲《しの》んで、微笑をたたえてこれに向っていたが、ふと、苦《にが》いものでも噛みつぶしたように唇をむすんでしまうと、同じ所を何遍《なんべん》もくりかえしつつ、 「ウーム……」と、心を抉《えぐ》られたように呻《うめ》いているのであった。  さっと酔のひいた眉には、深い苦悶と自省の皺《しわ》が彫り込まれていた。引き裂いて嘲笑《あざわら》ってしまおうとする気持と、そうできない本心の重圧とが、ややしばらく彼の顔いろの中に闘っていた。 [#ここから2字下げ] 残水《ざんすい》の小魚《しょうぎょ》 食を貪《むさぼ》って 時に渇《かわ》くを知らず 糞中の穢虫《えちゅう》 居《きょ》を争って 外《そと》の清きを知らず [#ここで字下げ終わり]  達筆にかいてある西仏の手がみの中には、そういう文句などもあった。高綱は幾度《いくたび》も、その一章をくりかえしては見入っていた。 「――残水の小魚、糞中の穢虫《えちゅう》とは――心憎くも喩《たと》えおったな。忌々《いまいま》しい奴、北越でもこの高綱のうわさは伝えられているものとみえる」睨むように天井を仰いだ。その顔にはもう酒の気はなかった。充血していた眼には涙があふれかけていた。 「……だが、違いない! 西仏に喝破《かっぱ》されたとおり、思えばこの高綱も糞中の穢虫《えちゅう》、世の中にうごめく蛆《うじ》の中にもがいていたこの身もまた蛆であった。……ああつまらぬ物に、永いあいだ業《ごう》を煮やしたものよ」卒然と彼は身ぶるいした。涙のすじが頬を下って止めどなかった。 「――蛆《うじ》、蛆、蛆。……ああ外の清きを知らぬ蛆」  ふいと、彼は起ち上がった。――玄蕃や近習が呆《あ》ッ気《け》にとられている間にである。つつつと、奥の一室へかくれてしまった。  そのまま――誰も彼の居室へ近づくことを許されなかった。四郎高綱は、およそ四日ほどの間、ほとんど、そこから出なかった。  めずらしくも、そこには酒杯《さかずき》を絶った高綱の寂然《じゃくねん》たる瞑想《めいそう》のすがたがあったのである。――しかし、六日目の朝には、そのすがたもついに城内には見えなかった。  城主の失踪《しっそう》! 備前児島の城は、一時、城下城内ともに、覆《くつがえ》るような騒ぎであった。――四郎高綱の消息はそれきり分らなくなってしまったのである。  ――だがやがて、一ヵ月ほど経って、誰からともなくこういう噂が備前をはじめ中国へ伝わってきた。 (さすがは近江《おうみ》源三|秀義《ひでよし》の子四郎高綱ほどあって、怒りもするが思い切ったあきらめもする。頼朝の不信は責めたが、卒然と何か悟って、中国七州を弊履《へいり》のごとく捨ててしまい、先ごろから高野《こうや》へ入って出家しているそうじゃ……。何といさぎよい、侍らしいやり口ではないか)――と。 [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり]  世間ではそれを、 「心地よいことだ」と噂したが、城主を失った家臣と一族の人々は、 「すわ」と、あわてて、高綱が上《のぼ》ったという高野へさして走《は》せつけた。四郎高綱は、そこにいた。  しかしもう先ごろの高綱ではなかった。剃髪《ていはつ》して、高野行人《こうやぎょうにん》の一人となっている沙門《しゃもん》高綱であった。家来たちが、その姿を見て、 「あまりといえば……」と、恨みまじりに嘆き合うと、高綱は、彼らのそうして嘆くことさえ、今ではおかしく見えるように、 「所領も、児島城の財産も、すべて一同でよいように頒《わ》けてくれい。――勝手な主人と思うであろうが、わしは再び武門へは帰らぬ。永いあいだを、そちたちには、無駄な奉公させたように思われて、それが何より済まぬと詫びておるぞ。これへ参らぬ旧臣どもへも、ありのままに、今のことばを、伝えておくりゃれ」そういったきりであった。  うごかない決心のほどを見て、何とかもいちど児島の城へ帰ってもらおうと考えて来た家臣たちも、断念するほかなかった。悄然《しょうぜん》として、佐々木家の人々は、武名天下に聞えた四郎高綱ともある人を、山に捨てて帰らなければならなかった。  高綱は、一個の新沙弥《しんしゃみ》となって、当年の高野《こうや》行人派のひとりとなって、修行を志した。 [#ここから2字下げ] 糞中の穢虫《えちゅう》 居を争って 外の清きをしらず [#ここで字下げ終わり]  彼は、西仏の手がみにあったその痛烈な一章を忘れなかった。そして、この高野の大自然と七宝《しっぽう》の大伽藍《だいがらん》の中につつまれて生き直った時、 「こここそは、蛆《うじ》の棲家《すみか》の外だ――」と思って、大きな呼吸《いき》をついて独り天地に感謝した。  ところが、ここにも彼の想像し得ない世間があった。そのころ、この山では行人派の一派と学頭派とよぶ一派とが、事ごとに対立していて、学問の上ばかりでなく勢力の抗争が烈しかった。そしてその奉持する宗教では、飽《あ》くまで禁慾的な――難行苦行主義な――自力|聖道《しょうどう》の道を極端にまでやかましくいっていたが、高綱が見たところでは、それは形の上にだけ行われていて、僧たちの個人生活には、それと矛盾《むじゅん》している無数の醜《しゅう》が隠されていた。  隠されて行われているために、それはよけいに人間の醜を感じさせるものになる。――のみならず高綱自身も、その外面的な禁慾主義と難行主義に、迷いと疲れが重《おも》るばかりで、真の出家のたましいはここでは得られそうにもない気がした。 「だめだ」彼は山を見まわした。 「ここも糞中の外ではなかった。――ああどこにそれがあるのか?」ふと、彼は西仏の居どころを思い出した。  北越――小丸山の草庵。  そこには、高野《こうや》のような金堂宝塔の美はないが、何か慕わしいものがあるように思われた。その慕わしいものの心根《しんこん》をさぐってみると、高綱もまたいつとはなく世上で耳にしていたところの親鸞という名であった。 「そうだ」彼は高野を下りた。――何の惜《お》し気《げ》もなく七堂|伽藍《がらん》の善美や九百余坊の繁昌|仏国《ぶっこく》をすてて、北へ北へ、たましいの住《す》み家《か》を求めて、孤影を旅の風にまかせて歩いた。 [#7字下げ][#小見出し]五[#小見出し終わり]  裏日本の風にはもう冬の訪れが肌を刺してくる。越後ざかいの山脈は、すべて銀衣《ぎんい》をかむっていた。  薪《たきぎ》をかこい、食糧を蓄え、そして雪除《ゆきよ》け廂《びさし》の下に、里では冬を籠る支度だった。 「もの申す、もの申す……」たそがれ刻《どき》である。小丸山の庵室のまえに、四郎高綱は網代笠《あじろがさ》を脱《ぬ》いで立っていた。  親鸞――その名を慕って、高野を下り、幾山河の長途をこえて、ようやく今、ここに辿《たど》り着いてきた彼だった。 (ああ、ここがお住居《すまい》か)高綱は、そこはかとなく見まわして、高野の七堂|伽藍《がらん》の金壁《こんぺき》と――ここの粗朴な荒壁だの貧しげな厨《くりや》だのを心のうちに対照していた。  親鸞という名は、今ではこの国において、いつのまにか大きなものとなっているが――何とその名の大きさに較べて、その住む家の小さくて粗末なことだろう。しかも高野の金堂|宝塔《ほうとう》には、すでに真の仏教は失われてしまって、この石を乗せた茅《かや》の屋根と荒壁のうちに、日本の民衆苦をすくう真《まこと》の弥陀光《みだこう》がつつまれているかと思うと四郎高綱は、そうして、訪れの答《いら》えを門口《かどぐち》で待っている間も、なんとなく有難くて――うれしくて勿体なくて――思わずそこへひざまずいてしまった。  そして彼は、奥へ向って、まず掌《たなごころ》をあわせて瞑目した後、ふたたび、こういった。 「――もの申します、これは紀州高野の山よりまかり下りました行人《ぎょうにん》にござりますが、当所の上人《しょうにん》に拝顔を得とう存じて参じてござる。お取次の衆より上人まで、よろしゅうお願い仕る」ついさきごろまで、備前児島の城主であった彼である、鎌倉の覇主《はしゅ》頼朝に対してすら、ついに頼朝の死ぬまで屈しなかった彼の膝であった。  その高綱が、大地に手をつかえて、こういった。――と、厨《くりや》のほうから、縁づたいに、紙燭《しそく》を持って通りかけた石念《じゃくねん》の妻鈴野が、ふと、門口にうずくまっている人影を見て、 「どなた様ですか」こういうと、高綱は起って、ふたたび来意を述べ直した。  その声が、奥へ聞えたのであろう、誰か出てくる足音が聞えたと思うと、 「旅のお人」と、ほの暗い家のうちの端に、六十ばかりの僧が佇《たたず》んで、鈴野のほうへ向いて訊いた。  鈴野の手にある紙燭の小さい灯が、老僧の顔にゆらゆらとうごいた。  四郎高綱は、何気なく門口からその人を仰いで、 「あっ!」さけぶとともに、身を弾《はず》ませて、飛びついてきたのである。 「兄者人《あにじゃひと》っ」 「ええ?」老僧は、愕《がく》として、自分の法衣《ころも》の袂《たもと》をつかんでいる旅人をじっとしばらくのあいだ見つめていた。  眸《ひとみ》と眸――それはとたんに血縁のつよい情愛をたぎらせあい、眼《ま》たたきもせず、しばらくはお互いが呼吸《いき》さえもせずにいたが、やがて四郎高綱の眼からも、三郎盛綱の眼からも、滂沱《ぼうだ》として、湯のような涙があふれ下ってきた。 「お……おう……四郎か」 「高綱です」 「弟」 「兄者人」ふたつの体は、かたく抱き合った。 [#7字下げ][#小見出し]六[#小見出し終わり]  兄弟《ふたり》は、何年ぶりかで会ったのである。戦場から戦場の生涯に行き迷《はぐ》れたままのように――久しぶりの邂逅《かいこう》だった。しかも、変った姿で。  もう六十になる兄の盛綱と、五十という人生を越えてきた弟の四郎高綱と、二人は、幼少ごろの兄弟《はらから》の血をそのまま覚えて、いつまでも、抱き合っていた。やがて―― 「兄者人、どうしてここには? ……」と、高綱は不審がる。盛綱もまた、 「どうして、おん身こそ、ここへは来たか。……しかも沙門《しゃもん》の姿で?」と、これも夢かのように、弟のすがたに見入るのだった。鈴野が告げに行ったのであろう。  ――奥のほうから、西仏が、 「なに、佐々木の舎弟《しゃてい》が見えられたと。――それは真《まこと》か」あわただしく出てきて、紛《まぎ》れない四郎高綱の姿を見るなり、 「おお」と、手をのばした。 「やあ、太夫房|覚明《かくみょう》か」と、高綱も手をさし出す。 「いや、今では、念仏門の西仏房じゃ」 「そうそう、ここの御弟子《みでし》とな。うらやましい」 「高綱どの、ずっと前に、わしから児島の城へさし出した手紙、見てくれたか」 「見たっ」と、強く答えて、四郎高綱は、沈痛にいった。 「――持つべきものは友達だ、あの書状がなかったら、わしはまだ児島の城の業火《ごうか》の中に、みすみす昼夜の苦患《くげん》にわずらっていたかも知れぬ。……糞中の穢虫《えちゅう》も、おぬしの喝破《かっぱ》に眼がさめて、やっと、外の清さを知ってここへ来たのじゃ。……兄者人、西仏房、どうかこのことを、上人へお取次をたのむ、残水の小魚を、宏大無辺の慈泉にすくい取らせたまわるよう、二人から、おとりなしの程をたのむ」真実が声にもあふれていた。  盛綱は、そっと、眼をふいていた。もちろん、西仏も、自分のやった一片の手紙が、この仏縁をつくったと思えば、うれしくてたまらなかった。  その翌る朝――朝のすがすがしい気持をもって、四郎高綱は、渇仰《かつごう》していた親鸞に会った。もちろん、親鸞は、 「ようござった」と、ことばは短いものであったが、高綱の発心に対して、共々、よろこんでくれたし、その日から、弟子のひとりとして彼を許すことに何のためらいもなかった。  釈了智《しゃくりょうち》。それは四郎高綱がこの朝、親鸞から与えられた再生の名であった。  兄の盛綱は、そのまえに、光実《こうじつ》という名を授けられていた。――光実と了智と――ふたりの名だたる源氏の武将が、今では、よそ目にもうらやましい睦《むつ》まじさで、親鸞のもとに、法悦の日を送っているのを見ると、この越後や隣国の人々は、さらに親鸞に帰依《きえ》の心を厚くした。  そうして、小丸山の庵室は、一夕《いっせき》の法話でもあると、真冬の大雪を冒《おか》しても、聴聞に寄ってくる人々が、目立って数を増してきた。――万丈の白雪の下から、蕗《ふき》の芽《め》のように、念仏の声は萌《も》えていた。 [#3字下げ][#中見出し]春は南へ[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  雪に明け、雪に暮るる日ばかりがつづいた。灰色の空には、いつ仰いでも、白いものが霏々《ひひ》と舞っていた。  小丸山の庵室は、万丈の雪の底に丸く埋《うず》まっていて、わずかに朝夕《ちょうせき》炊煙《すいえん》が立つので、そこに人が住んでいることが分る――  しかし。北国特有の月が、ふと、吹雪の空に冴える夜など、ふと、そこから朗々と、無量寿経《むりょうじゅきょう》の声が聞えることがある。  親鸞が起っているのだ。弟子たちも、それに和して、寒行をしているのだった。  建暦《けんりゃく》元年の十一月――ある日の昼間であった。めずらしく、雪がやんで、青い空が見えていた。 「オオ、麓《ふもと》から、見馴れぬお方が見える」万野《までの》と鈴野が、こういいながら佇《たたず》んでいた。  ――と、藁沓《わらぐつ》を穿《は》いた三名の武士が、息を喘《あえ》いで登ってきたのである。萩原年景の家来だった。 「鈴野どの! 万野《までの》どの! 房の方々に、はやくお告げしてあげなされ、吉報がある」と、呶鳴った。 「え……吉報とは」 「お勅使だ。――お勅使が着いて今すぐこれへおいでなさる」 「えっ、御下向《ごげこう》ですか」ふたりは、転《まろ》び込《こ》むように、奥の房へ駈けこんだ。  年景の家来たちは、表へ廻って、庵室のうちへ春を告げるように、大声でいって廻った。 「――皆さま皆さま。お欣びあれ、勅使岡崎中納言|範光卿《のりみつきょう》が御下向なされ、主人の年景が案内してただ今これへ見えられましょうぞ」そういって、雪を蹴立てながら、人々はすぐ麓《ふもと》へ引っ返して行った。伝え聞いて、 「さては、御赦免《ごしゃめん》の宣下《せんげ》」と、房の人々は、にわかに色めき立った。  西仏などは、子どものように、雀躍《こおど》りして、 「御赦免じゃ、御赦免じゃ」と、はしゃぎ廻った。まだ何も知らなかった生信房《しょうしんぼう》は、西仏があまりはしゃいでいるので、 「この、おどけ者」と背をどやした。だが、その理《わけ》を聞くと、 「えっ、御赦免の勅使が? ……そ、それはほんとか」と、どっかと坐ってしまって、うれし泣きに、泣き出した。  静かなのは――依然として親鸞のいる――奥の一室であった。  勅使の一行が通ってきた北国の駅路《うまやじ》には、綸旨《りんし》下向《げこう》のうわさが、当然、人々の耳目からひろがった。そして、念仏門の栄《さか》えが謳歌《おうか》された。 [#1字下げ]愚禿《ぐとく》親鸞|言上《ごんじょう》  のお請状《うけじょう》の一通をおさめて、勅使の岡崎中納言の一行は、その翌日、すぐ帰洛《きらく》の途についた。  やがて、そのよろこびのうちに、建暦二年の初春は来たのであった。  ――こういう新春を迎えようとは、親鸞をはじめ、誰も予測《よそく》していない年であった。 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり]  赦免《しゃめん》の御綸旨《ごりんし》をおうけしたからには、いずれ近いうちに都へご帰洛なさることであろう――  弟子の人々は、そう臆測《おくそく》していた、もちろん、親鸞のこころにも、慕郷《ぼきょう》のおもいは燃えていた。 (玉日が生きていたら)彼は、妻に一言《ひとこと》、このよろこびを聞かせたかった。  添う日までは、お互いにあらゆる苦患《くげん》と闘い、添うての後は、身も心もやすらぐ間もなく流別《るべつ》して、そして、離れたままこの世を去ってしまった薄命なあの妻に――また、次には、 (月輪の舅御《しゅうとご》殿にも)と、思った。  かの人はどうして在《あ》るか。都の様はいかに。  さて――こういうよろこびに遭えば親鸞も凡夫である。さまざまに、人を想い、郷《さと》を想い、年暮《くれ》の日と共に、心も忙《せわ》しない。  だが――そういう彼の気《け》ぶりや、弟子たちの支度を見て、慈父を失うように悲しみだしたのは、国司《こくし》の萩原年景をはじめ、この国の頑是《がんぜ》ない土民たちであった。 「上人さまは、お帰りになるそうじゃ」 「ほんまか」 「どうして、この片田舎《かたいなか》に、御赦免の後まで、お在《い》でになろう」彼らは、そう聞くと、日ごとに庵へやって来て、 「せめて、もう一年《ひととせ》」と、拝むばかりに、引き止めるのであった。  親鸞は、そういう頑是ない土民には、何とも振り切り難い弱さを持っていた。土着の人々の切ない気持も無下《むげ》にできない気がして、初春《はる》には、北国を立つつもりでいた予定を云い出しかねていた。  そしてつい、正月は、小丸山の庵室で迎えた。  ここへ来てから四年になる罪の黒髪は、もう肩にかかるほど伸びていた。今は、晴れてそれを剃り落すことのできる身となった。その剃刀《かみそり》の日を、親鸞は、元日に選んだ。  西仏が、剃刀を取った。弟子たちは、居ながれて、劇的な感激に打たれながら、新しい親鸞のすがたを見出していた。今年、親鸞は、四十の年を迎えたのである。孔子のいった――四十にして不惑《まどわず》の年へ彼もかかったのである。  二日の朝、都にある叡山《えいざん》の横川《よかわ》の旧友から、赦免を祝う手紙がとどいた。そのほかの人々からも急に、ここへ届けられる書状が殖《ふ》えだした。  それらの消息から親鸞は知ることができたのである。――行住坐臥、心のうちで、気にかけている師の法然《ほうねん》上人の安否を。  で――彼が知り得たところによると、師の法然は、去年の十一月下旬には、早くも、恩命に接して、配所の讃岐《さぬき》を船で立たれ、元の吉水禅房へ帰っておられるということであった。 「お目にかかりたい」師を思う時、親鸞は甘える子のように、自分を抑えきれなかった。 (一刻も早く)と思い、 (越しかたのつもる話を)と、矢もたてもなく、慕わしくて会いたくて、じっとしていられなかった。 「わしは、都へ立つ。――すぐに立つほどに、支度してくだされ」急に、こういい出したのが、正月の二十五日だった。雪で里の者も通えなくなったころである。 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり] 「えっ、すぐに?」と、人々は疑ったほどだった。  親鸞の決心は固い。 「そうじゃ、どうしても、師の法然御房《ほうねんごぼう》にお会い申したい。雪解《ゆきど》けを待っていては、三月になろう。同じ雪のあるうちなら、今の間に――」と、いうのであった。  供には、生信房《しょうしんぼう》と西仏《さいぶつ》と――また、新しく弟子となった佐々木|光実《こうじつ》、釈了智《しゃくりょうち》の兄弟。  師弟あわせて五人。  小丸山の庵室の留守居としては、教順房をかしらにして、石念《じゃくねん》夫婦や、そのほかの者をすべて残した。支度といっても、笠と藁《わら》ぐつ。 「この雪では、とても国府《こう》の町までも、お歩《ひろ》いはかないますまい」と、佐々木了智は、侍のたしなみとして、すぐ思いついた駒を曳いてきて親鸞にすすめた。そして、光実と了智の兄弟が、馬の口輪を取ってすすむ。  雪は、この日も、小やみなく降っていた。師弟の影は、すぐ雪の中へ埋《うず》みこむように白くかくれてしまう。 「お気をつけて――」 「お師さま」 「皆様」小丸山に残る人々は窓や門口に集まって、その影が、豆つぶのように小さくなるまで見送っていた。誰とはなく、 「上人様が、都へお立ちなされたそうな――」  と里へも伝えられて行ったとみえて、国府《こう》の町へ来ると、もう、彼の駒の前には、雪など物ともしない民衆でいっぱいだった。萩原年景は、雪の中を駈けてきて、 「何とて、一夜のお名残《なごり》も賜わずに」と、恨むばかりに、別れを惜しがった。 「またのご縁もあろうに――親鸞の慕師の情をゆるしたまえ。親鸞は去るとも、仏果の樹《き》は、もうこの土に成長して見えた。後の守りをたのみまするぞ」年景は、そういわれて、涙をふいた。そして二、三の郎党と共に街道を何里となく従《つ》いてきたが、 「尽きぬおわかれ……」と、暇《いとま》を告げて、やっと元の道へもどって行った。  古多《こた》の浜からは、路は南へかかる。裏日本を背にして、次第に信濃路《しなのじ》へ入ってゆくのだった。  国境《くにざかい》を越える難路のなやみは、とても想像のほかだった。親鸞の手も、弟子たちの手も、凍傷《とうしょう》で赤くただれていた。  やっと、善光寺平《ぜんこうじだいら》へ出て、人々はややほっとした。しかし、あれから松本の里へ出て、木曾路の通路《かよいじ》をたずねると、今はまだ、猟師《りょうし》さえ通れない雪だというのである。生命《いのち》がけで行っても福島まで行けるかどうかという者があった。 (大事なお体に、もしまちがいでもあっては――)と、佐々木兄弟もいうし、木曾路に明るい西仏も、 (引っ返して、東海道へ出たがよい)という意見なので、一行はまた、むなしく善光寺へもどって、さらに、道をかえて、浅間山のけむりをあてに、碓氷越《うすいご》えを指してすすんだ。  そして、辛くも、峠をこえ、眼の下に、上野領《こうずけりょう》の南の平野をながめた時は、すでに暦《こよみ》は、二月の下旬で、にわかに暖国の風につつまれた五名は、春に酔うような気持がした。 [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり]  かすみの上に、妙義の山の峨々《がが》とした影が、淡《うす》むらさきに眺められた。  碓氷《うすい》川の水にそって、松井田をすぎ、四辻という部落まで来ると、 「おや」摺《す》れちがった一人の旅僧が、踵《きびす》を回《かえ》してきて、 「もし――」と、声をかけた。親鸞と弟子たちの五名も、その旅僧のすがたが、念仏僧らしかったので、何とはなく、振向いている所だった。 「オオ!」眸《め》と眸とを見合すと、旅僧は飛びつくように、親鸞の脚もとへ来て、 「もしや、あなた様は、越後路からご上洛の途中にある親鸞御房ではござりませぬか」といった。  親鸞は、見忘れていたが、西仏は思い出して、 「あっ、そう仰っしゃるは、明智房《みょうちぼう》ではないか」 「おお、西仏御房か。……あやうくお見違え申すところでした」 「久しいのう。これにおいであそばすは師の上人《しょうにん》じゃ」 「では、やはり」と、明智房は、あわててそこへ両手をつかえかけた。――が、人々に誘《いざ》なわれて、傍らの地蔵堂の縁へ寄り、思い思いに足をやすめた。親鸞は彼にたずねた。 「おもとには、何ぞ、都のたよりを聞いておられぬか。何より知りたいのは、師の法然《ほうねん》御房の消息じゃが」 「さ……そのことでござります。実は私は、念仏|停止《ちょうじ》のため、都を追い払われてから、この先の赤城《あかぎ》の麓《ふもと》に草庵をかまえておりましたが、このほど、恩師法然様が讃岐《さぬき》よりご帰洛と聞いて、すぐ都へ馳せ上り、そしてまたも、この地へ帰ってきたばかりの所でございます」 「ホ……恩師ご帰洛のために、都へ上ってお帰りの途中とか。……それは、よい者に会いました。――して法然様には、都へご安着の後、いずれにお渡りあらせてか。元の吉水にお住いか、それともほかに」親鸞の懐かしむ様子に、 「ちょっとお待ち下さい」と、明智房は、暗い顔して、うつ向いた。 「……その儀につきまして、実は、都において席のあたたまる遑《いとま》もなく、あなた様へ、お使いを齎《もたら》すために、私はすぐ東海道をいそいで下ってきたのでございます。――あなた様のご一行が、木曾路の雪に引っ返して、碓氷《うすい》へ出たという善光寺からの便りを手にいたしましたので」 「え?」親鸞は、いぶかしげな眼をみはって、 「――では、おもとが下られたのは、この親鸞へ、お使いのためにですか」 「そうです」 「師の法然様から?」 「いえ――」と、明智房は、いよいよいい難《にく》そうであったが、 「法然上人からではございませぬ。――安居院《あごい》の聖覚法印《しょうかくほういん》から」といって、あわてて旅包みを解き初めた。そして、取り出した一通を、親鸞の手へ差し出すと、 「仔細は、このお文《ふみ》に」と、口をつぐみ、そのまま、後へ退がって、ぱらぱらとこぼれる松の雫《しずく》を背に浴びていた。 [#7字下げ][#小見出し]五[#小見出し終わり]  はっ――と白けたものが弟子僧たちの顔いろに走った。何事にもかつてものに動じた例《ため》しのない親鸞の眉にすら、 「なに、聖覚法印から……このお文《ふみ》とな?」  不安の影がちらと曇って、やがて読み下してゆくうちに、書状をくりかえしている手がかすかに顫《ふる》えを見せた。 (唯事ではない)と、人々の胸には重いものがのしかかった。  親鸞のまつ毛には、明らかに、涙が光っていたのである。――誰が、この上人の涙ぐんだ睫毛《まつげ》を今まで一遍でも見た者があるであろうか。 「……お哀傷《なげき》はさることながら、御赦免《ごしゃめん》の天恩を浴《あ》み、おなつかしい京都《みやこ》の土をお踏み遊ばしてからおかくれなされたことが、せめてものことでござりました」明智房のことばに、 (さては、大祖法然様には)と、弟子僧たちは、初めて、安居院《あごい》の聖覚法印の書面が、法然の死を報じてきたものであることを知った。明智房は、さらにことばを継いで―― 「初めて、お病床《とこ》におつき遊ばしたのは、ちょうど正月二日でございました。ほんの風邪《かぜ》ぐらいなご様子であったのが、にわかに、おわるくなって、お年もはや八十のご老体とて、重《おも》るままにお息も弱り正月二十五日、眠るがように、大往生をおとげ遊ばされました」といって、瞼《まぶた》を抑えた。 「――その、ご書面にも、つぶさに法印からお認《したた》めございましょうが、大谷に集まった法弟の人々は、この後の念仏興法の道を、いかにしたものかと、評議もまちまちに迷っておりまする。今はただ、越後の親鸞が、帰洛の上に、よい策もあろうぞと、人々はひたすらあなた様の都に入《い》る日をお待ち申しておる有様、何とぞ、一刻もはやく、ご帰洛下さいますよう、安居院の法印からも、くれぐれお言伝《ことづ》てでございました」化石したように、親鸞は瞼《まぶた》をふさいだ面を空に上げていた。  蕭々《しょうしょう》と並木の松は鳴っていた。つき上げて胸にせまるものが、容易に心を落着けさせなかった。――同時に、大祖法然という中心の巨星を失った都の念仏者たちのかなしみや失望や彷徨《ほうこう》や、あらゆる周囲も彼の眼にはありありと映ってくる。明智房は、膝をすすめ、 「さだめし、ご落胆もあろうぞと、安居院の法印も申されておりました。しかし、ここぞ、念仏門の浮沈《ふちん》、せっかく、御大赦《ごたいしゃ》の天恩が下ったと思えばこの悲報に、人々は、暗黒の中に迷う思いをしておりまする。おつかれもござりましょうし、定めし、お力落しでもございましょうが、何とぞ、一刻もはやく京都《みやこ》へお出まし下さいますよう、私からも、お願い申しまする。どうぞ、皆様にも、ともども師の御房をお励まし下さって、お急ぎ下さいますように」  と、西仏、生信、光実、了智などの人たちへも顔を向けていった。――が、親鸞は、 「いや……」と、かすかに顔を横へ振って、こういった。 「小松谷のおわかれに、この法然の舌はたとえ八ツ裂きになるとも、念仏は止めまいと仰せられた――あのお声は、もう二度と聞かれぬことになったのじゃ。――その京都に何たのしみあって参ろうぞ、この上は、親鸞はもう上洛をいたしませぬ。……ああ、深くて、うすい現世《うつしよ》のご縁であった」 [#7字下げ][#小見出し]六[#小見出し終わり]  大祖の法然上人が亡《な》い後の旧吉水禅房《きゅうよしみずぜんぼう》の人々が、これからどううごくか――また、叡山《えいざん》やその他の旧教の徒が、それを機会にどう策動するか。  親鸞は今、かなしさでいっぱいである。さびしさで身も世もない。そういう紛乱《ふんらん》の巷《ちまた》のことを、思うてみるだけでも煩《わず》らわしかった。  ――もう京都《みやこ》へ帰る張合いもない――といったことばは、彼の真実であった。ありのままな気持だった。 (一刻もはやく)と、親鸞を急ぎ迎えるために、安居院の法印聖覚から、文使《ふみづ》てを持って下って来た明智房は、それでは、自分がまったく意味をなさないものになるし、また、京都で親鸞を待ちかねている人々の失望のほども思いやられて、 「何とか、お考え直し下さいませぬか、大祖法然様を失って、悲嘆にくれている念仏宗の方々が、今また、あなた様も、都を見限ってお帰洛にならぬと聞いたら、もう大谷《おおたに》の法燈は、真ッ暗なものになり終ってしまうでしょう。――どうぞお師法然上人のご遺志を、ふたたび都において、赫々《かっかく》と弘通《ぐずう》あそばすというご勇気をもって、これより東海道をお上りくださいますように、吉水一門の遺弟を代表いたしまして、私からもおねがい申し上げまする」 「いや、それは、親鸞の任ではありませぬ、都において、そういうご遺志をついで賜わるお弟子は他に幾人もおります。――親鸞は、むしろ、これから、文化に恵まれない辺土の田舎人《いなかびと》のあいだに交じって、土と共に生きもし、自分の心も、もっと養いたいと思います。そのほうが、愚禿《ぐとく》には性が合ってもおるし……」と、ことばはおだやかであるが、信念はひるがえしそうもないのであった。  やむなく、明智房はまた、そこから親鸞のことばを伝えるために、京都《みやこ》へ引っ返してゆくほかなかった。  師弟五人の旅は、にわかに、その日から的《あて》を失ってしまった。ひょうひょうと風にまかせて流浪をつづける親鸞の心らしいのである。二日も三日も、黙々として、その的《あて》のない道を、五名は歩いた。 「もしもし……それへおいであるのは、角間《かくま》の蔵人殿《くろうどどの》ではおざらぬか」碓氷《うすい》川のほとりで、こう声をかけた一群《ひとむれ》の旅人があった。三頭の荷駄を曳《ひ》かせて、四、五人の男を連れた郷士ふうの男だった。 「角間《かくま》の?」と、親鸞に付き添うている人々は一様につぶやいて、 (誰のことをいうのか?)と、いぶかった。  駒の上から下りた郷士ていの男は、西仏房のそばへ来て、肩をたたいた。 「ウム、やはりそうじゃった、角間の蔵人《くろうど》うじ、わしらは、穂波《ほなみ》村の者だよ、あんたの若いころから知った者だ、まア何年ぶりだか分らねえが」西仏は思い出した。彼の故郷は信州角間村である、そのころは、角間の蔵人と呼ばれていたが、あまり遠い昔のことで、自分の名とも思われなかったのである。  この人々に出会ったのが機縁で、親鸞と西仏と、光実、了智の四名は、ふたたび碓氷《うすい》を越えて、信州|佐久郡《さくごおり》へ行くことになった。  そのうち、生信房が一人ぬけたのは、彼もこの機に、久しぶりで郷里へもどって、多年の悪名を洗い、郷土のために、これからの半生を念仏の弘通《ぐずう》にささげたいという心願を訴えたので、親鸞もそれをゆるして、碓氷川から北と南へ袂《たもと》を分ったためであった。 [#改ページ] [#1字下げ][#大見出し]田歌篇[#大見出し終わり] [#3字下げ][#中見出し]第二《だいに》の華燭《かしょく》[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  一粒の胚子《たね》がこぼれる所、やがて青々と仏果の穂《ほ》がそよいでゆく。  花はまたおのずからな花粉を風に撒《ま》き、自然の命《めい》によって自然に行為する昆虫がまた実《み》をみのらせ胚子《たね》を落とし花のかずを地に満たした。  山水の因果、四季の因果、人のあいだの因果も、かわることはない。  ひとりの聖者が、そこの土に住む力、それは偉大な精神の花の繁殖だった。  親鸞が、北|信濃《しなの》の山村に移ってから、わずか二年とたたないうちがそうであった。角間から佐久郡《さくごおり》一帯は、田に野に山に、生きるをたのしむ人の顔がどこにも見られた。人生を生々とたのしむ歌、それが念仏の声になってながれ、菜畑、麦の色、馬小屋そのものが浄土に見えた。  ――親鸞さん。といえば、木樵《きこり》も、百姓も、市人《いちびと》も、自分たちの慈父のようになつかしみ、彼のすがたは、地上の太陽のように、行く所にあたたかに、そして親しみと尊敬をもって迎えられた。  その地方の布教に、努力の効《かい》を見た親鸞は、暇があると、山をこえて、越後や越中の国々へもよく杖をひいた。――また、碓氷《うすい》を越えて、上野《こうずけ》や下野《しもつけ》の方面へもたびたび出た。 「しばらくでございました」突然、二年ぶりに、こういって角間の草庵へ顔を見せたのは、故郷《ふるさと》の天城《あまぎ》へもどっていた生信房《しょうしんぼう》であった。 「おう、生信房か、きのうも噂していたところ、よう戻ってこられた」西仏や光実は、いつも変りのない温情で彼を迎えた。 「上人は」と、何よりも先に訊く。 「お変りもない。いよいよお元気でいらせられる」 「それ聞いて、安心した」と、生信房は落着いて、やがてその後での話だった。  彼は、故郷の天城に、一人の老母をのこしていたが、母の生家が元々、常陸《ひたち》の下妻《しもつま》なので、そこで老後を養いたいというので、母を背に負って、何十年ぶりかで、常陸へ帰って行った。  下妻の人々は、老母を背に負って帰ってきた生信房をながめて、誰も彼も驚き顔をした。――なぜならば、この老母のひとり息子というのは、天下に隠れもない兇悪な大盗で、天城四郎といわれている者だという噂を前から聞いていたからである。 (その悪名隠れもない一人息子の四郎が、頭をまるめ、しおらしい真似事《まねごと》して、老母《はは》の故郷《くに》の者を騙《だま》そうというつもりであろう。誰が、そのような手にたぶらかされようぞ)と、相手にする者もなかったが、やがて半年経ち、一年経っても、彼の母につくす様子に少しも怠りがみえないのみか、世間の人々に対しても、思いやり深く、老幼にやさしく、身は奢《おご》らず、人には施《ほどこ》すという風なので、 (はてな?)と、人々の視る眼がようやくちがってきたところへ、その老母が病んで逝去《みまか》ると、生信房のなげきは傍目《はため》にも痛々しいほどで、幾日も食を断って、母の墓掃《はかはき》に余念なく暮している様子を見、 (いよいよ本ものだ)と、彼の今日《こんにち》を、世間で認めてきたのであった。そして同時に、 (いったい、あのすごい悪党の頭領が、どうしてあんな人間に生れ変ったのか?)という疑問が人々の胸にのぼりだんだん彼に今日までの経過を糺《ただ》す者があって、その結果、親鸞上人に師事しているということがわかると、(そういえば、近ごろ、信州に草庵をむすんで、時折、下野《しもつけ》の辺りまで布教に来る高徳なお上人があると聞いているが、そのお方ではあるまいか)と伝え合う者があって、やがてその評判が、常陸国《ひたちのくに》真壁《まかべ》の代官小島|武弘《たけひろ》の耳へも入った。 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり]  また常陸《ひたち》の下妻という土地には、そのほかにも念仏宗には浅からぬ縁故がある。  それは、親鸞の同門の――法然《ほうねん》上人随身のひとりである熊谷蓮生房の親友|宇都宮頼綱《うつのみやよりつな》もその地方の豪族であった。――そしてその頼綱はまた、蓮生房のすすめで、早くから念仏一道に帰依して、名も実心房《じっしんぼう》といっている。  なお、その実心房以外に、稲田九郎頼重《いなだくろうよりしげ》とか、笠間長門守時朝《かさまながとのかみときとも》などという関東の武門において名のある人々のうちにも、吉水禅房の帰依者が少なくないので、 (そのむかしの天城四郎が、今では生信房《しょうしんぼう》といって、親鸞門下の有徳者《うとくしゃ》になっている)という評判は、民間《みんかん》ばかりではなく、そうした上級にまで、大きな感動を与えながら伝わった。その結果、 (ぜひとも、親鸞上人を、この常陸《ひたち》へお迎え申したい)という希望が、声となり、運動となって、やがてついに実現せずにいられなくなったのである。  生信房は、真壁の代官小島武弘から旨をうけて、 「ぜひ、上人をお請《しょう》じ申しあげてこいと、以上のような縁故から、わたくしがお迎えのため、その使いをいいつけられて来たのでございます……何とぞ東国の衆生《しゅじょう》のために、常陸へ御布教を賜わりますように」と、親鸞に会って告げた。  親鸞は、その機縁に対して、感謝した。また、そのむかしは郷里からも肉親からも、悪蛇《あくだ》のように指弾《しだん》されていた生信房に、そういう余徳が身についてきたことを、どんなにかうれしく思った。 「聞けば、よほど宿縁のある地とみえる。ぜひ参らずばなるまい。――この信濃《しなの》の教化《きょうげ》も、後は、佐々木光実と釈了智《しゃくりょうち》の二人に頼んでおけばよかろう」親鸞は、快諾した。そして、 「わしはまた、明日《あす》から、次の新しい荒地《こうち》を耕やそう。仏の御光《みひかり》のとどかぬ所を、またその法悦を知らぬ衆生を導くのが、この愚禿《ぐとく》にふさわしいお勤めでもある」と、いった。  すぐその翌日だった。何という身軽さであろう、親鸞は、生信房を案内として、西仏、光実、了智の五人づれで、もう角間の草庵を引き払い、みすずかる信濃を後に――浅間の煙のなびく碓氷《うすい》の南へ――峠を越えているのだった。  もっとも、佐々木光実と了智の兄弟は、碓氷峠のあたりまで見送って、元の地へ引っ返した。もちろん、親鸞によって開拓された信濃地方の帰依地をなお培《つちか》い守るためである。  親鸞と生信房と西仏は、間もなく、常陸の下妻にわらじを解いた。  そしてこの地方の――大利根《おおとね》のながれと、赤城《あかぎ》おろしと、南は荒い海洋に接している下総境《しもうさざかい》の――坂東平野をしずかにながめ、ここにまだ、文化のおくれている粗野な人情と、仏縁のあさい飢《う》えたる心の民衆を見出して、 (われここに杖を立てん)と、親鸞はひそかな誓いと覚悟とを抱いた。  下妻に、三月寺という、もう荒れ果てた廃寺があった。  彼を請《しょう》じた第一の檀徒《だんと》である小島郡司《こじまのぐんじ》武弘が、さっそく、お住居《すまい》をといって、住院の結構を心配するのを退けて、親鸞は、「あれに住もう」と、廃寺の三月寺を乞いうけて師弟三人が、雨の漏る茅屋根《かややね》の下に、生活《くらし》を初めた。 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり]  晴れた日は、西仏と生信房が、梯子《はしご》を架けて屋根へのぼり、何年も手入れをしたことなく腐ってる茅屋根へ、新しい茅を葺《ふ》きたして、屋根を修繕した。  また、大工道具を持って本堂の破損している所や、野盗に踏み荒らされている内陣を繕《つくろ》って、とにかく住めるだけの屋根の下と、御仏《みほとけ》を置く壇だけを作った。 「野に働く百姓衆――」親鸞は、そこから呼びかけた。 「あなた方は、太陽のもとに食し、汗の中に働いている。体はよく肥え、力は逞しい。――けれどかなしいかな、あなた方の生きている内面をうかがうと、あなた方もまた、人間である。人間と人間とが一《ひと》つ棟《むね》に住み、村に営み、一つの社会というものを作って、その中に生活していると、必然に起ってくるのは、邪智、嫉視《しっし》、反感、陥穽《かんせい》、迷い、悶え、あらゆる人間の持つ――生きとし生けるものの宿命的な悩みというものがやはり何家《どこ》の中《うち》にもあるだろう。――富める者は富めるがゆえに、貧しき者は貧しきがゆえに、心の悩みは形こそちがえ、誰の胸にも巣をつくるものだ。――心に病のない者でも、肉体に病魔があるとか、骨肉のうちに生活力のない者があるとか、また、嫁と舅《しゅうと》の仲、親と子の仲、あによめと兄弟の仲、近所隣り同士の争い、およそ人間とはそうした煩《わずら》いばかりに罹《かか》って喘《あえ》ぎ悩むのが持ち前なのである。――それがために、あなた方は、よく働き、よく肥えて、いかにも逞しくは見えるが、心のうちというものは皆さびしくて暗い。衣食に貧しい上に、心までが貧乏人である。――心の富むすべを――心はいつも幸福で無碍《むげ》自由にこの世を楽しむことができるのが常であるのを――それを知らないあなた方は、それを宿命のように、鈍々《どんどん》と、牛か馬のようにただ喰って働いている。まことにあわれな生活といわなければならない。食物は鳥獣でさえ天禄《てんろく》というものがあるのに、万物の霊長といわれる人間が、ただ喰うためにのみ働いて、この世を楽しむすべも知らないというのは、情けないことではないか。楽しまずして何の人生ぞや――である。ではこの毎日を、どうしたら楽しんで、この大地と生命に、生きる感謝を持って生きることができるかというならば、お互いのこの世間を、まず浄土にしなければならない。この世間を浄土にするには、まずその前に人間であるおのおのが、心の病巣《びょうそう》を取り除かなければその実現はむずかしい。われのみひとり幸福になろうとしても幸福にはなれない。そこに気づいた衆は、妻をも誘い、舅《しゅうと》もさそい、隣の衆も誘い合って、昼間の野良仕事が終ったら、ほんの半刻《はんとき》の暇をさいて、この親鸞の寺へござれ、親鸞はいかなる重い苦患《くげん》になやむお方とも、御仏《みほとけ》に代って、心の友となろうほどに――」  噛んでふくめるように、平易なことばをもって、親鸞は説く。  彼の声は、野の人々へひびいて行った。  だが、文化もおくれているし、精神的にも、かさかさしているここの民衆の耳には、彼のそうした声もうるさいことにしかひびかなかったとみえ、 「おいおい、このごろ、下妻の三月寺に、変な坊主が来て、寝言みたいなことを云い出したが、聞いたか」 「聞くほどもねえわさ、一文《いちもん》にも金になるわけじゃなし、念仏さえ唱えていれば、倖せになるっていうなら、歌を唄っても、長者になれそうなもんじゃないか」 「そうとも、欠伸《あくび》をしていても、如来《にょらい》様になれるわけだ」 「念仏いうひまに、縄でもなえば、寝酒の銭ぐらいは溜《たま》る。そのほうが、ご利益《りやく》があらたかだて」野の反響は、そんなふうであった。 [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり]  親鸞は、根気がよかった。偉大な彼の根気は、あらゆる嘲罵《ちょうば》や、無智の者の無自覚に対しても、叡山《えいざん》や南都の知識大衆と闘ったような、不屈さを示して、意力を曲げなかった。  機縁があれば、たとえ一人でも二人でも、それに対して、噛んで含めるように、教えて行った。  彼の根本義は、もとより凡夫|直入《じきにゅう》の道だった。「その姿のままでの信心」であった。  だが、由来、この地方にも、聖道門《しょうどうもん》の形式的な仏教が、先入主になっているので、親鸞のいわゆるありのままの仏果を得ている――という易行道《いぎょうどう》の教えは、説いても容易に、人々の理解に受け容《い》れられなかった。  在りのままな姿の信心――在家|往生《おうじょう》の如実をどうしたらそういう人々に解《わか》らせることができるだろうか。  理論ではだめだ。学問や知識のうえからそれを野に働く土民たちに教えることは、かえって、厭《きら》われることになるだろう。――親鸞は考えた。  説くよりも、実際の生活をして見せることだ――と。  だが、玉日はすでに世を去っていた。一子の範意《はんい》は京で育てられている。法衣《ころも》を着て、孤独の身を寺のうちに寂然《じゃくねん》と置いていては、口に、在家仏果を説き、在りのままの易行極楽《いぎょうごくらく》の道を説いても、自身の生活は、やはり旧来の仏家の聖道門の僧と何らの変りなく見えるにちがいない。一般の人たちは、ここに矛盾《むじゅん》を見出して、 (あの坊主が、何をいうか)と、多分な狐疑を感じているのも無理ではないと思った。  まず、自分の生活から、この百姓たちと、何らの変りのないことを示さなければならないと気づいて彼は、 「妻をもちたい」と、周囲の者にもらした。  西仏と、生信房は、師の房の気持にはやくから共感していたので、さっそく檀徒《だんと》の小島武弘に話した。武弘は聞くと、 「まことに、そう仰っしゃったのか」と欣んだ。  その前から、武弘のところに、縁談があったのである。真岡《もおか》の判官|三善為教《みよしためのり》の息女で朝姫《あさひめ》という佳人《かじん》がその候補者であった。  そういう話が――親鸞の身辺に起りかけていると――すべての人間の運命というものの動いてゆく機微な時節が、いろいろな方から熟してきているように、同時にまた念仏門の帰依者の稲田九郎|頼重《よりしげ》とか、宇都宮一族などの地方の権門たちが、 「いつまでも、上人のおん身を、あのような廃寺においては、ご健康のためによろしくない。お心を曲げても、ぜひとも、もすこし人の住むらしい所へお移し申し上げねばわれらの心が相済まぬ」そう結束して、下妻の庄からほど近い稲田山の麓――吹雪《ふぶき》ヶ|谷《たに》に新しく一院を建てて、そこへ、移住するようにすすめてきたのである。  建保二年の春。菜の花の咲きそめる坂東平野の一角に、力ある大工たちの手斧初《ちょうなぞ》めの音から、親鸞が四十二歳の人生のさかりにかかる稲田生活の一歩は初まった。  間もなく、庵室はできあがった。木の香のにおう新院へ、三月寺のほうから親鸞師弟は移ってきた。  間もなく、小島郡司武弘《こじまのぐんじたけひろ》の媒介《なこうど》で、嫁御寮は、嫁いできた。真岡の判官兵部大輔三善為教の息女といえば、里方も里方であり、媒人も媒人であるが、親鸞の目的は、身をもって、凡夫|直入《じきにゅう》の生活をして見せるのにあった。在家往生の本願を実践するのにあった。――で、もちろんその華燭《かしょく》の典《てん》は、いとも質素に行われた。 [#3字下げ][#中見出し]一念一植《いちねんいっしょく》[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  親鸞にとって、朝姫は、第二の玉日であった。  嫁《かし》ずいてきてからすぐ翌年に、その裏方は、後に、小黒《おぐろ》の女房とよばれた昌姫《まさひめ》を生み、やがてまた、二年おいて、男子《おのこ》の明信《みょうしん》を生んだ。  親鸞の望みどおりな、一庶民の生活図がそこに広がって行った。  嬰女《あかご》のお襁褓《むつ》の乾《ほ》してある稲田の草庵の軒先からは、いつもうす紫に霞んでいる筑波の山が見えた。窓からは、加波山《かばさん》の連峰が見え、吾国山《わがくにさん》の襞《ひだ》が、澄んだ日には、あきらかに手にとるように見える。  裏方は、子を抱いて、よく陽の下に出ていた。そして、彼女のうたう子守唄は、すぐ庭先をながれている吹雪《ふぶき》ヶ|谷《たに》の渓水《けいすい》に乗って、ひろい沃野《よくや》へ聞えて行く――  稲田、福原をあわせて何千石という広茫《こうぼう》な青田をわたって来るすず風が、絶えず、この僧俗|一如《いちにょ》の家庭を清新に洗っていた。  建保《けんぽう》の六年六月には、後に善鸞《ぜんらん》といった男の子が生れた。その翌年の八月には、有房《ありふさ》が生れ、はやくも四十九歳になった親鸞は、京にのこしてある長男の範意をあわせると、ちょうど五人の父となったわけである。 (いつの間に――)と、自分でも思うことがある。こんな子沢山になろうとは、自分でも予期しなかったのであろう。  だが彼は、それらの子たちの生い育ってゆく間に、幾多の新しい学問と生きた教えを見出した。やはり妻をもってよかったと思った。子を持ってありがたいと思った。そして、その法恩を、弥陀《みだ》に感謝せずにはいられなかった。 「お父さま、お父さま。……アノおもしろい何日《いつ》もの田植歌をうとうて」  七歳《ななつ》になった昌姫《まさひめ》は、父の法衣《ころも》のたもとに絡《から》んでよくこうせがむ。  裏方は、有房《ありふさ》に乳をふくませながら、その他愛ない子と自然の父とを、幸福そうにながめていた。 「ホホホホ。昌姫は、お父様の田植歌が、ほんにお好きじゃの」  すると、男の子らしく、ひとりで悪戯《いたずら》していた善鸞も、 「お父さま、歌うて、はやく聞かせて」と、一緒になって、父の肩へ取りついた。 「はははは、ははは……」と、親鸞は、ただもううれしいのだった。どうして、人間というものは、かくも楽しくあるものかと、今の幸福が勿体《もったい》ないほど、ただ笑いが出る。 「離せ。……歌うてはやろうが、あの田植歌は、昌姫やそなたらのお守《も》り歌ではない。……それ、野良にあって、ああして働いておりましょうが。……あの百姓衆に聞かせてやろうためじゃ」 「でも、お父様、お百姓たちは、みんな大人でしょ、子どもじゃないのに、どうしてお父様が歌をうたってあげるの」と、昌姫《まさひめ》はもう、そんな疑いを父にたずねたという。 「なんの」と、親鸞は、この子にも、法《のり》の悦《よろこ》びを知る芽が宿れと祈りながら答えた。 「お百姓たちも、この父にとっては、皆、そなたたちと変りないわしの子じゃ。……どれ、きょうも好い日和《ひより》、わしの可愛い子たちのために外へ出て、田植歌をうたおうか」親鸞が起ちかけると、 「お父さま、昌姫も、連れて行ってくだされ」 「わたしも」と、善鸞と昌姫は、両方から父のたもとにぶら下がった。 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり] 「そちたちも行くか」と、親鸞は、二人の子に手を引っぱられて、藁草履《わらぞうり》をはいた。裏方の朝姫も、 「どれ、お父さまのお出まし、お門《かど》までお送りしましょうかの」乳のみを抱《いだ》いて、裏口へ出た。  親鸞は、草庵の裏へ出て、少し歩むと、井戸のそばに草履をぬいで、跣足《はだし》になった。そして、法衣《ころも》のすそを高くからげると、毛のふかい脛《すね》が剥《む》き出されたので、子どもたちは、父のそうした姿をよろこんで、 「お父さまが、お百姓になった。お父さまが、田植しにござる」と、手をたたいた。親鸞は、僧房の窓を振向いて、 「生信房《しょうしんぼう》はいるか」するとすぐ、生信房は外へ出てきて、 「おお。……今日もお出かけなされますか」 「大地を素足で踏むと、一日も踏まずにはおられぬような気のするほど、よい心地じゃ。西仏にも、後から来よと告げてくだされ」 「はい」と、生信房が、あわてて支度にもどってゆくと、その間にもう、親鸞は、檜《ひのき》の大きな笠をかむって、すたすたと田の方へ出て行った。  稲田数千石の田の面《も》は、一眸《ひとめ》のうちに入ってくる。植えられた田――まだ植えられない田が――縞《しま》になって見えた。あなたこなたには、田植笠が行儀よく幾すじにもなって並んでいるのである。その笠の列も、空を飛ぶ五位鷺《ごいさぎ》の影も、田水に映っていた。 「お上人さまがいらっしゃったげな」田の者が、彼の姿を見つけて、すぐ伝え合った。 「おお、ほんとに」 「あんなお姿で来る所を見ると、さっぱりわしらと見分けがつかんわ」 「都にあれば、尊いお身でいられるというのに、なんで、わしらと一緒になって、この泥田の中へ、好んでお入りになるのじゃろ」 「お上人さまの功徳でも、この秋は、ふッさりと穂が実《みの》ろうぞや」そういうことばの下から、はや晩の教えを思い出して、念仏を口にする声もながれた。親鸞は、そこへ来て、 「みなの衆」と、にこやかに呼びかけた。 「また、お邪魔に来ましたぞ、手伝いといえば、ていさいはよいがの、お百姓仕事には、親鸞はまだ未熟ゆえ、お邪魔にというたほうがほんとであろう」 「さあさあ、お上人さま、ここの列へ入って、植えて下され」 「苗《なえ》をくだされ」親鸞は、深々と、泥田の中へ脛《すね》を入れていた。  そして、苗束《なえたば》を持って、四、五本ずつ田へ植え込んでゆきながら、 「だんだん巧みになる。――生信房の植えた苗より、わしのほうが行儀がよいようじゃ」などと戯《たわむ》れた。  生信房は、負けない気になって、 「お師さま、そのかわりに、私はあなた様よりも、ずっと植え方が早うございます」 「はははは、でも秋になって、どちらが稲穂がよけいにつくじゃろか。……生信房も皆の衆も、ただこう苗の根を泥の中へ突っ込んでいるだけらしいが、親鸞のはそうでない、一念一植のこころを持っていたしておる。それゆえに、秋になれば、わしの植えた苗は、暴風雨《あらし》にも倒れず、必ず、稲穂もよけいに実るであろう」と、いった。 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり] 「はての」生信房にも分らなかった。百姓たちには元より親鸞の今のことばは、難かしい。 「お上人様、一念一植とは、いったいどういうことでございますか」 「されば……同じこうして田に苗を植えるにしても、ただぼんやりと植えたり、仕事を厭《いと》うて嫌々植えたりしていては、苗も、確乎《かっこ》と大地に根を張って、お陽《ひ》さまの恵みをいっぱいに吸うて育つはずがない。――わしが植えるには、ただ手を動かしているのみでなく、一つまみの苗の根を田へ下ろすごとに、有難や、この苗のために、わしらは今日|飢《う》えもせず、日々《にちにち》幸福《しあわせ》に生きている。――しかのみならず、親鸞を養い、子を育てている。もっと大きくいえば、この日《ひ》の本《もと》の国民《くにたみ》を、この汗とこの苗の功徳をもって養うているのじゃ。――思えばかたじけなや苗の恩、何とぞ、わが家族たち丈夫に肥え、この日の本の国民《くにたみ》の糧《かて》やすらかにあるように、伸びて賜《た》もれ、実って賜もれ、たのみ参らすぞ――と心に念じて、一つ植える」と親鸞は田を植えながら、泥によごれた脛《すね》を、蛭《ひる》に食われているのも気がつかずに、熱心に話した。  そして、ことばを切って、腰を少し持ち上げると、蛭《ひる》が脛《すね》にかみついていたのに気づいて、あわてて泥の手で蛭を取りのけた。 「あはははは」 「はははは」 「さすがに、お上人様は、やはり都人《みやこびと》でござらっしゃる」と、並んでいる百姓たちは、皆田植笠の下から笑った。 「そのような長い文句を仰っしゃって、一念しては、一植《ひとうえ》なさってござらっしゃるゆえ、なるほど、それでは田植がおそいはずじゃ――。百姓どもが、そのようなことをしていた日には、飯《まま》になりませぬわい」 「いやいや、皆の衆、それは聞きちがえじゃ。――親鸞とても、一つまみの苗を植えるたびに、胸のうちで、そういうのじゃござらぬ、今申したのは、田の中へ足を入れる時に、心で念じ申すので、苗を植える手を動かすには、もっと短いことばでよいのじゃ」 「もっと短いことばというと、どんなことを念じまするか」 「それ、晩に、わしがいつも話しておるではないか。なむあみだぶつ。――ただそれだけ」 「なむあみだぶつと申せば、今、お上人様の仰っしゃったような長い文句を念じる代りになりまするか」 「なりますとも、なむあみだぶつの六音のうちには、もっと宏大無辺な感謝と真心と希望《のぞみ》とがこもっておりますのじゃ」 「では易いことじゃ、わしらも、苗《なえ》を植えながら申しまする」人々は、笠をそろえて、親鸞のいわゆる一念一植を行念《ぎょうねん》した。仕事に対する不平不満、生活の懈怠《けたい》や憂鬱も、すべてその声念のうちに溶かされて、百姓たちは、心から働くよろこびに浸《ひた》りきった。  その時、親鸞は、左に苗の束《たば》を持ち、右の手にそれを少しずつ頒《わ》け取っては、田水へ植え下ろしてゆきながら、心のどかに――静かなよい声で、農民のために彼が自分で作った田植歌を歌った。 [#ここから2字下げ] 五劫《ごこう》思惟《しい》の苗《なわ》しろに 兆載《ちょうさい》永田《えいでん》のしろとして 一念|帰命《きみょう》の苗を植え 念々|称名《しょうみょう》の水をかけ 往生《おうじょう》の秋になりぬれば 実りを見るこそうれしけれ [#ここで字下げ終わり] [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり]  親鸞の歌う楽しげな節につり込まれて、百姓たちも、 [#ここから2字下げ] 一念帰命の苗を植え 念々称名の水をかけ 往生の秋になりぬれば 実りを見るこそうれしけれ [#ここで字下げ終わり]  歌の通ってゆく後へ後へと、青い田ができて行くのだった。植えられた苗にはすぐ、生々と青いそよ風がうごいていた。 「ああ、自分も教えられるし、人にもこの教化《きょうげ》は生かされてゆくだろう」  親鸞は、泥田に感謝した。この泥田こそ、どんな荘厳な教殿にも七宝の伽藍《がらん》にも勝《まさ》る教化の道場であるぞと思った。  ――こういう生きた道場があるのに、前人|有徳《うとく》の聖者たちが、誰ひとりあって、土と汗の中で、こういう生きた教化に従事した例があるだろうか。  師|法然《ほうねん》の訃《ふ》を途上で聞いて、都へ上洛《のぼ》るのを断念して、野《や》へ去った親鸞の本願は、今こそ届いた。  ありのままに――愚のままに――衆と共に――と願った彼の生活にも、今は焦躁《しょうそう》もない。  百姓たちは、自分たちの群れの中に、上人を交えているのさえ大きな歓びだったのに、昨日までは、働くことは厭《いや》なことであり、辛いことだとばかり考えていたのに、汗というものに対して、 「これで安心して食えるばかりでなく、この汗のために、家族が肥え、世間が富む。働きもせずぐちをいってるなんて馬鹿なことだ。百姓こそは、国の宝じゃ、百姓は国の大みたからだ。なるほど嘘じゃない。働いて働いて――念々称名していれば、この大安心があるものを……」  農の仕事は、いやしい仕事と、自分で自分の天職を卑下《ひげ》していたものが、彼らのそれは誇りとなってきた。幸福感と張合いにみちてきた。汗は希望となり光となり、一日のあいだ、仕事の嫌悪《けんお》を、思い出す間がなかった。  腰を伸ばして、ふと空を仰ぐと、いつの間にか、夕月があった。 「おお、もう手元が暗い、田から上がって、嬶《かか》や子と、晩飯じゃ。飯がすんだら、お上人様のところへお邪魔に寄って、なんぞまた、有難いお話しを聞きたいものよの」そのうちに一人が、 「お上人様、お上人様」と、呼んだ。 「おい」と、上人は泥によごれた足を、畦《あぜ》の流れで洗いながら、百姓ことばで答えた。 「なんじゃの、与茂作《よもさく》どの」 「あれごろうじませや、あちらの田《た》ン圃《ぼ》の向こうから、裏方様の背におぶさった姫さまが、こちらを見て、可愛いお手々を振ってござらっしゃるではないか」 「ほ、ほ……ほんにの」親鸞も、微笑を送った。 「可愛や、お父さまの姿を見て、はよう田から上がりなされと呼んでござらっしゃるのじゃ、お父様も、手を振っておあげなされ」 「こうか、こうか」親鸞は、いわれるまま、手を振りまわした。 [#ここから2字下げ] ――念々|称名《しょうみょう》の水をかけ 往生の秋になりぬれば [#ここで字下げ終わり]  と、百姓たちは、農具を肩にかついで、三々伍々、唄って帰った。――そして、稲田の草庵の前を通る時には、どんな幼い者でも、必ず、 「――なむあみだぶつ」と、御堂の中の阿弥陀如来《あみだにょらい》へ向って、外から礼をして通った。 [#7字下げ][#小見出し]五[#小見出し終わり]  筑波《つくば》の山の影が、田水に落ちていた。親鸞は、泥足を洗って、 「アア、今日もよい一日を送らせていただいた」と、腰を伸ばした。草庵へ帰っても、 「愚禿《ぐとく》の親鸞には、いとも覚つかない大任ですが、今日も御力《みちから》をもって、よい教化の一日を暮らさせていただきました」弥陀如来の壇に灯を燈《とも》して、そう感謝しつつ、念仏していた。その灯影《ほかげ》をのぞいて、 「お上人さま、有難うございました」 「お上人さま、おやすみなされませ」  帰ってゆく百姓たちも、声をかけ、礼拝して、散々《ちりぢり》に、宵暗《よいやみ》の中へ消えて行く。と――そこへ。  蓮位《れんい》という弟子の取次であった。 「柿岡|在《ざい》の者が、折入って、お願いの儀があると申して参りましたが……」というのである。  親鸞は振向いて、 「そちらの涼しい端へ、通してください」親鸞が、そこへ起つと間もなく、柿岡の庄屋と、二、三人の者が恐る恐る庭先へ廻ってきた。 「ずっと、お上がりなされ、なにを遠慮してござる」庄屋たちは、縁の端へうずくまって、 「いえもう、夜になりましたゆえに、ここでお願いだけをいわせてもらいまする」 「この親鸞に、おそろいで、願いとは何事な」 「先ごろ、世間のうわさでは、お上人様が、大沢の池に棲んでいる恐ろしい魔主《ぬし》を、念仏の功力《くりき》でお払いくだされたとかで――えらい噂でございます。わしのほうの柿岡でも、念仏でなければ極楽へは行かれぬと、皆がにわかに説教場をこしらえ、そこへぜひお上人様に時折来てもらって、有難い法話《おはなし》を聞かせていただきたいものじゃと申しまするので。……いかがでござりましょうな、村の者一同のおねがいでござりますが」と、こもごもに頼むのだった。親鸞は、すぐ承知して、 「参りましょう」と答えた。  あまりにかんたんに承知してくれたので、使いにきた庄屋たちは、かえって意外な顔をしたが、親鸞は、それは当然自分のするおつとめであって、頼まれるまでもなく、そういう気持を抱いている人々のいる村なら、どんな都合をくりあわせてもすすんで行くというので、庄屋たちは、 「なるほど、うわさに違《たが》わぬ上人様じゃ」と、よろこんで日やその他の打合せをして、いそいそ帰った。  と、須弥壇《しゅみだん》のある一室には、いつものように、上人を囲んで夜語りを聞こうとする百姓たちが、もう八、九名つめかけていたが、柿岡の者が帰ってゆくと、すぐ親鸞を囲んで、 「お上人様、なぜ柿岡へゆくことを、承知してやったのでございますか」 「なんとかいって、後からでも、お断りなされたほうがようございます」と、不安に満ちた眼をしていった。  親鸞は、顔を振って、 「なんの、ああいう頼みでは、千里の旅でも、断れぬ。――あなた方はまた、なんでわしを止めなさるのか」 「でも……」と、口籠《くちごも》っていたが、顔を見あわせた後、一人が膝をすすめて言った。 「お上人様のお命を狙っている者がござりますでな。……ご油断はなりませぬぞ」 [#7字下げ][#小見出し]六[#小見出し終わり] 「ほう、わしの生命《いのち》を」親鸞は、もの珍らしいことでも聞くように、微笑をうかべて、 「それは何かの間違いでおざろう。この愚禿の頭《こうべ》など狙ったとて、なんの手柄になるものぞ」 「いえ」と、その時まで、黙っていた蓮位《れんい》が、今度は、村の者たちに代って膝をすすめた。 「お師さま、その噂は、真《まこと》らしゅうございます。私も疾《と》うから耳にしておりましたが、近ごろは、ご遠方へお出ましもなく、また御気色《みけしき》を損じることも無益《むやく》と考えて今日まで黙っておりましたが……」百姓たちは、蓮位のことばに裏書を得たので、口を揃えていい足した。 「――なんでも、那珂郡《なかごおり》の塔《とう》の尾《お》とやらに住んでいる山伏じゃそうな。役《えん》の優婆塞《うばそく》の流れを汲む豊前《ぶぜん》の僧都《そうず》と自分から名乗って、あの辺では、信者も多く、偉《えろ》う権式ぶっている修験者《しゅげんじゃ》だそうでござります」 「ホウ……その修験者が、なんでまた、この親鸞の生命《いのち》をうかごうているのですか」 「私の聞きましたところでは――」と蓮位が述べた。 「お師さまに対して、宗門の恨みを抱いているのではないかと存じます。――もと、その修験者は、京都の聖護院《しょうごいん》の御内《みうち》にあって、学識も修行も相応にすぐれた先達《せんだつ》のように承っております。――で、那珂《なか》領の国主|佐竹末賢《さたけすえかた》殿が、はるばる領下の祈願所へ京都から召し呼ばれ、国中の山伏の総司《そうつかさ》として崇《あが》め、末派十二坊の支配をさせているのでござります」 「む……なるほどのう」 「そのため、当の修験者は、数年来、諸人の尊敬をあつめ、飛ぶ鳥も落す勢いにござりましたが――折から、お師様がこの稲田へお越し遊ばされ、ひたすら念仏|弘通《ぐずう》の教化にお尽しなされましたので、それからというものは、一日ごとに、この地方一帯に、念仏者は殖えて行くばかりですし、修験者の一派は、十二坊ともに、目に見えて衰微して参りました」 「…………」親鸞はかろく顎《あご》をひいて苦笑した。さてこそ、ここにも小人の嫉視《しっし》かと、蠅《はえ》のようなうるささを感じるだけだった。  ――が蓮位も百姓たちも、いつかは上人の耳に入れて、その対策を講じようとしていたものらしく、 「衰微《すいび》したと申しても、なにぶん、国主佐竹家の庇護《ひご》もあり、末派十二坊の勢力は、なかなか侮《あなど》り難いものの由にござります。――のみならず、極く、近ごろのうわさによれば、その豊前の僧都《そうず》をはじめ、十二坊の優婆塞《うばそく》の輩《ともがら》が、かくては安からじと、この稲田の草庵を法敵と見なし、街道や諸郡へは、邪教を調伏《ちょうぶく》せよと、愚民をそそのかし、一方、板敷山《いたじきやま》には、呪詛《じゅそ》の壇をしつらえて、日々夜々、山伏の群れが、念仏滅亡、上人《しょうにん》調伏の護摩《ごま》を焚《た》き、精と根のあらんかぎり、親鸞を呪殺《じゅさつ》せずばおかぬといっているそうでございます」村の人々も、蓮位のことばの後を継いで、 「何せい、怖ろしい修験者でござりますな」 「役《えん》の小角《しょうかく》の再来じゃと、人もいい、自分もいうておりますげな。一度、呪いの行《ぎょう》にかかれば、大地を打つ槌《つち》は外《はず》れようとも、豊前の僧都が調伏は外れぬとは、前からいうておりますことでの」 「どうぞ、柿岡へお越しあそばすことは、お見あわせ下さいませ」 「その板敷山を越えて、どうして、柿岡へ無事で参れますものか」口々にいって案じる人たちへ、親鸞は、いちいちうなずいて謝しながら、こういった。 「――だが、皆の衆。あなた方が、田に苗を植える時、田に蛇がいるからといって、蛇のいる田を残して行かれるか。今日も話したとおり一念一植、その信業のまえには、何物があろうと恐れることはない。――ご心配なさるな、親鸞は一人で参るのではありません、御仏《みほとけ》と二人づれじゃ、ははは……御仏と二人づれでおざるぞよ」 [#3字下げ][#中見出し]孔雀明王《くじゃくみょうおう》[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり] 「おういっ」岸々《がんがん》と肩をいからしている声だった。すると、木魂《こだま》のように、 「――おういっ」と、どこかで答える。  ここは板敷山の胸突坂《むなつき》である。  その坂道から、岩の上に向って小手をかざしている男があった。  柿いろの笹袿《ささがけ》に、黒い脛巾《はばき》を穿《は》いて、頭には兜巾《ときん》を当て、足には八ツ目の草鞋《わらじ》をきびしく固めている。  いうまでもなく優婆塞《うばそく》の一人である、同じ姿の山伏が、そこから切ッ立てに聳《そび》えている岩の上にも一人突ッ立っていた。それは、笈《おい》を負い、手に半弓を掻い挟んで、じっと、麓《ふもと》の道をさっきから見すましているのだった。 「小川坊っ、まだ見えないか」下の者がいうと、 「まだ!」と、上の山伏は頭《こうべ》を振る。しばらくしてまた、 「おウウい」 「なんじゃ」 「甲賀坊は、どうしたか」 「あれか、甲賀坊は、万一の場合にと、筑波《つくば》の野武士を狩り集めに行った。そう、人数はいるまいと思うが、水も洩らさぬ手配はしておいたほうがいい。……やがてもうその甲賀坊も戻ってこようが」 「そうか、ではそこの見張りは、しかと頼むぞ」 「峠の者こそ、抜かるなといってくれ」乾《ひ》からびた笑い声をながして、下の者は、すたすたと胸突坂《むなつき》を登って行った。すると、不意に、 「常陸坊《ひたちぼう》」と、高き松の樹の上から誰かが呼びとめる。  振り仰ぐと、その樹の上にも、一人の山伏が、蝉《せみ》のように止まって物見をしていた。 「オオ、なんだ」 「まだ来ぬか――親鸞は」 「物見の役が、人にものを訊くのはおかしい。そこから、渓川道《たにがわみち》はよく見えるはずだが」 「あまりいつまでも見えないので、もしやほかの裏道へでもかかりはせぬかと気をもんでいるのだ」 「なに、峠の上で、貝が鳴らぬうちは、懸念はない」常陸坊はいいすてて、なおも先へ足を早めた。  と――峠の絶巓《ぜってん》に、四方へ竹を立て、注連縄《しめなわ》を結《ゆ》い、白木の壇を供《そな》えた祈祷場《いのりば》が見えた。  先ごろから親鸞|調伏《ちょうぶく》の護摩《ごま》を焚《た》いて、一七日《いちしちにち》のあいだ、必死の行をしていた那珂《なか》の優婆塞院《うばそくいん》の総司《そうつかさ》――播磨公弁円《はりまのきみべんえん》は、銀づくりの戒刀《かいとう》を横たえて、そこの筵《むしろ》に坐っていた。  京都の聖護院から国守の佐竹家に招請《しょうせい》されて下ってきたという豊前の僧都というのは、この弁円であった。  彼のまわりには、同じ装いの山伏が、ものものしく居ながれていた。ざっとそこだけでも、十二、三名はいる。その他、あちらこちらに潜んでいる者をあわせたら、どれほどの人数が、この板敷山の樹や岩かげに息をひそめているものか分らない。 「オオ常陸坊か。――途中の物見や合図は、手ぬかりはあるまいな」 「もう、親鸞の師弟どもが、見えてもよい時刻ですが」 「焦心《あせ》るな、今日あいつが柿岡へ出向くことはたしかなのだ。……七日の祈祷《きとう》は顕然と効《かい》があらわれたものといえる、前祝いに、一杯飲め」 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり]  素焼の酒瓶《さけがめ》と、素焼の盃が、山伏たちの手から手へ移されていた。 「まず、物見の報《し》らせがあるまで、英気を養っておくがいい」と、弁円も、幾杯か傾けて、朱泥《しゅでい》のように顔を染めていたし、他の者も、毒がまわったように、酔いしれているのだった。  その酒の気《け》が、言葉となって、一人がいう。 「思えば、業《ごう》の煮える奴は、あの親鸞。――越後の片田舎から流れてきて、わずか、八、九年のあいだに、優婆塞《うばそく》の聖壇十六坊の信徒を荒らし、われわれの行法の光をこの近国から奪い去ってしもうた」 「そればかりでない」と、いったのは、総司《そうつかさ》の弁円だった。 「この播磨公《はりまのきみ》弁円ともあろう者が、親鸞ごとき堕落《だらく》僧に、行力《ぎょうりき》及ばぬものと噂され、この近国の地盤をかすめられては、何よりも、本山聖護院へ対して、この弁円の顔向けがならぬ。大きくは、日本国中の修験者の恥辱ともいえる。――今日こそは、孔雀明王《くじゃくみょうおう》も照覧あれ、この身が帯びる破邪《はじゃ》の戒刀をもって、売僧《まいす》親鸞の首根を打ち落し、生き血を壇にお供えする」 「一七日《いちしちにち》のあいだに、一万度の護摩《ごま》を焚《た》いて、祈りに祈り、呪《のろ》いに呪った験《しるし》もなく、なおこの上柿岡へ立ち越えて、愚婦愚男をたぶらかそうとする親鸞も、この板敷山の嶮路《けんろ》へかかるが最期」 「そうよ! 摂政《せっしょう》関白の聟《むこ》になったことのあるのを鼻にかけて、白昼、都の大路をあるいた気で、この東国は歩かせぬ。――あの折は、この弁円も見のがし、また、次の河内《かわち》の太子廟《たいしびょう》でも、むなしく彼奴《きゃつ》を取り逃がしたが、今日はそうはさせぬ。――あのころは、まだ、弁円一人の私怨であったが、今日となっては、私怨ではない。――修験道と念仏道との争いなのだ。彼の他力と、われの行力と、いずれが勝ち、いずれが敗るるか、分け目となった――やれ在家往生の、念仏なんのと、有難なみだに曇っている痴呆《たわけ》どもに、この板敷山の谷底で、鳥、狼の餌《え》となって食い荒らさるる親鸞の終りを見せてくれたなら、少しは、念仏の末路と、極楽《ごくらく》往生の夢がやぶれて、よい薬になるだろう、これこそ真《まこと》の衆生済度《しゅじょうさいど》というものだ」  飽くなき罵詈《ばり》だった。舌の先からめらめらと紫いろの毒焔が見えるような――。  折もあれ、遠く―― 「やっ……法螺《ほら》の音《ね》」皆、黙った。  麓のほうからかすかに貝の音がながれたのである。 「合図らしいぞ」杖をつかみ、戒刀のつかを握って、山伏たちは一斉にそこを立った。  ――だが、それきりで、貝の音はすぐ止んだ。そこから見える松の上の物見は、手を振って、 (まだ、まだ)という意味を示していた。そこへ、稲田の禅房《ぜんぼう》へ、朝から密偵に行っていた一人が、杖を横にかかえて、喘《あえ》ぎ喘ぎ駈け登ってきた。 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり] 「どうだった様子は」と、面々は急《せ》いて訊《き》く。 「見届けてきた。――例によって、親鸞は、今日も夜明け方に稲田の草庵を出、柿岡の説教に参って、やがて帰る時刻はいつも陽のあるうちの夕刻ということ。稲田の弟子どもは、首を長くして、待っている様子であった」 「では否《いや》おうなく、笠間新治《かさまにいばり》かけて、この剣《つるぎ》の関所は通らねばならぬはずだな」 「陽あしの様子――追ッつけ間もあるまい、そろそろ、手《て》わけにかかろうか」 「待て待て、柿岡の説教場へも、こっちの密偵が行っている、何か報《し》らせてくるだろう」と、弁円は、刻一刻と、血相に殺気をたたえてきて、 「甲賀坊、矢頃《やごろ》の所へ逆茂木《さかもぎ》は」 「抜かりはございませぬ。――しかも逆茂木打った道へは、八重《やえ》十文字に素縄を張りめぐらし、その上に、墜《おと》し穽《あな》まで仕掛けてありますれば」 「ウム、入念だな。多年の鬱懐《うっかい》もこの一瞬に晴らすか。そのせいかあの雲、血のように筑波《つくば》の空をかけて赤い――。オオ、筑波といえば、あれへ来るのは柿岡へやった野武士たちらしい」待ちかまえている所へ、毛皮の胴着に、野刀を佩《は》いた荒くれ男が四、五人、息をせいて、 「弁円殿、ここにか」 「待ちかねていた。柿岡は」 「説教が終って、もう立った。念のため、途中まで見えがくれに尾行《つけ》ながら来たのだ。今しも、この先の渓間《たにあい》を、野馬に乗って参るのが親鸞」 「なに、もう下の渓道《たにみち》まで来たと? ……して、親鸞の身を守る弟子どもは、五人か、十人か」 「一人」 「えっ、一人?」 「生信房というて、元、京都から中国九州にまでわたって、悪名をとどろかせた天城四郎が成れの果――今では頭をまるめている弟子《でし》坊主が、親鸞の手綱を取って、毎日、ここを越えて柿岡まで通うている」 「あっ……四郎がか」と、播磨公《はりまのきみ》弁円は、遠い過去の彼を思い、また、最後に四郎とわかれた加茂川堤の時の宿怨を胸に新たにした。  親鸞といい――その四郎の生信房といい――共に弁円の心頭をあおる毒炎の中《うち》の仇敵《あだがたき》である。その怨みのふかい人間が、共に、連れ立って来るというのも、何か、今日という鬱懐をはらす日の特異な宿命のように考えられる。 「ウーム、そうか」弁円は太くうめいて、もう体を武者ぶるいが走ってならないように、手に持っていた半弓を、ぶん、ぶん、と二、三|遍《べん》弦《つる》鳴りを試みながら、 「一の手は、甲賀坊。――二の手、三の手、みな抜かるな」と、下知《げじ》した。  鹿を狩るように、一同はわらわらと駆け散って、おのおのの部署へ身をひそめた。  筑波の野武士たちは、三の手になって、野刀を閃《ひら》めかせながら、岩蔭や、草むらへ、影をかくした。  ――かくて親鸞の来るのを、今か今かと板敷山の草も木もみな息をひそめたかのように、しいんとして待ち構えていた。 [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり] 「――すわっ」弁円は、肋骨《あばら》の下に、どっと血を搏《う》たせた。  彼は、第一の柵《さく》、第二の柵、第三の柵とこの峠の通路をかためて潜伏している人々とはべつに、小高い所の岩に乗って、背よりも高い熊笹《くまざさ》をかぶっていた。  そして、鉄弦《てつげん》のような半弓に、毒矢をつがえ、鏃下《やじりさ》がりに、峠道を狙いすましているのである。 (今日こそ)心のうちに、孔雀明王《くじゃくみょうおう》の加護を念じて――  がさっ……と今、音がしたのである。  曲がり道になっている熊笹の崖と林の間に。  だが、それは、親鸞の来た跫音《あしおと》ではなかった。  虹のように尾を曳いて、笹むらから雉子《きじ》が飛び立って行ったのであった。  ざ、ざ、ざ……とどこかで土の音が静寂《しじま》を破る。 (今度こそは)弓をしぼっていると、その音は後ろの谷間へいつまでも続いている。自然の土崩れなのであった。  今か、今か――とそうして心気を緊《は》りつめているうちに、弁円は、疲れてきた。疲れを感じると、なんとなく焦躁《しょうそう》してきて、根気よく鳴りをしずめている他《ほか》の者へ、何か、大声で呶鳴ってみたい気がしたが、もし親鸞にさとられてはと、なおも、じっと、疼《うず》きを抑えつけていた。  からかうように、山鳩が、ばたばたと無遠慮につばさを鳴らして、谷へ舞って行った。――空しい水音が、ぐわうとその谷底を揺《ゆ》すり流れている。すると、 「おのれッ」声が揚った。一喝《いっかつ》、山に谺《こだま》をさせ、二の手の柵《さく》から躍り出した者がある。  甲賀坊だった、脱兎のように、一の手のほうへ、戒刀を引っさげて駈け出して行った。 「来たっ」 「逃がすなっ」先駆した甲賀坊につり込まれて、二の手の者五、六人、皆穂すすきが流れるように太刀をひっさげ、 「――どこだっ」すさまじい旋風《つむじ》をつくって、われがちに飛ぶ。 「どこだっ」同じような言葉を返して、一の手の者も、どっと、一斉に起ち上がった。そして、走ってきた二の手の者とぶつかって、混乱しながら、 「どこだどこだ」わめき合った。  弁円はこなたからその様子を見て、さては、矢にも及ばなかったかと半弓を投げすてて、そこへ駈けつけた。  だが、怪《け》しからぬことには、彼がそこまで来る間にも、まだ一の手の者、二の手の者、すべてが一致を欠いて、林の中へ入ったり、崖を登ってみたり、谷間を探したり、ただうろついているに過ぎないのである。 「たわけ者めが、なにを猶予しているのだ。――親鸞は、親鸞は」 「さがして居《い》申す」 「ばかっ。逃がしたのか」 「いや」 「ではどうしたのだ。先に、起ち上がったのは誰だ」 「甲賀坊でござる」 「甲賀坊、親鸞を見たのか」 「見ました」 [#7字下げ][#小見出し]五[#小見出し終わり] 「――見たというても、その親鸞の姿がどこにも見えぬのは何としたものだ」 「いや、たしかに」 「ではどこに――」 「あの爼板岩《まないたいわ》の辺りから――そういえば沢辺《さわべ》のほうへ降りたのかも知れぬ」  弁円と甲賀坊の押し問答を聞きながら、その親鸞の影を、きょろきょろ眼《まなこ》で探しているほかの者たちは、 「不審な」と、つぶやきあって、 「幻ではないか」迷路の辻に立ち迷っているような気がして、何か自身の錯覚《さっかく》に、背すじを寒いものに襲われた。  ――すると、その錯覚感と静寂《しじま》の不気味な空気をやぶって、どこかで、馬のいななきが高く聞えた。  明らかに、それは馬のいななきであったし、また、小石を弾《はじ》くような蹄《ひづめ》の音と共に、 「しいッ……しい」と呶鳴る馬方の濁《ど》す声《ごえ》が、はるか谷の下の加茂部《かもべ》へ行く道の辺でひびいた。  そこは、また、石岡へ出る道路《みちすじ》でもある。当然、そこへも万一を慮《おもんぱ》かって、逆茂木《さかもぎ》を仕掛けておいたはずであるのに―― 「しまった!」と、樹の上から谷街道のほうを見下ろして、一人があわてて叫んだ。 「ばかな奴、あれは石岡へ炭を積んで出る荷駄馬だ。落し穽《あな》へ落ちた馬を、大汗掻いて引き出しておるわ。こっちで仕掛けた逆茂木を滅茶滅茶にしてしまいおった」 「忌々《いまいま》しい馬子《まご》め」 「血祭《ちまつり》を与えろ」  ピュッ――と誰かの手から弦唸《つるうな》りを切って毒矢が飛んだ。けたたましい馬の悲鳴が、ふたたび谷間に谺《こだま》して、腹に矢を突き立てた馬は渓流の中へ飛びこんで、渓水《たにみず》を真っ赤にした。  馬子は驚いた様子で、盲走りに、向側の絶壁へかじりついた。見ていると、そこにも杣道《そまみち》があるらしく、馬子の姿は、たちまち見えなくなった。弁円は、歯がみをして、 「察するところ親鸞と生信房のふたりは、どこか、俺たちの気づかぬ間道を廻ったと見えるぞ。それっ、手わけをして、谷の下、峰の上、八方の細道をさがして引っ捕えろ」  猟人《かりゅうど》のように、山伏たちは、熊笹や木の中へ飛びこんだ。陽はいつか山の端《は》にかくれて、冷たい気が白々と降りてくる。衣の袖は湿《しめ》っぽく濡れ、はなればなれになった人数は、おのおの道に迷って、おおウいと仲間を呼んでも、谺《こだま》のほかの答えはしなかった。 「弁円殿っ。――播磨公《はりまのきみ》殿っ」  声では返事がないので、そうしきりに呼んでいた一人の山伏は、岩の上から法螺貝《ほらがい》をふいた。――大きく二度、三度、四度と。 (何事やある) (さては、親鸞を)と山伏は方々から再び峠の一ヵ所に群《む》れ集まった。その中には、眉間《みけん》に青白い焦躁を刻んでいる弁円の顔もあった。 「なんだ、相模《さがみ》坊」 「残念です」 「どうしたと」 「ただ今、麓《ふもと》からの報《し》らせです。親鸞と生信房のふたりは、もう疾《と》くに、稲田の庵室へ立ち帰って、弟子どもや妻子と和《なご》やかに笑いさざめいているとのこと。……いったいここや谷道の幾重もの柵《さく》は、何に備えていたのでござるか」 「げッ、親鸞は、もう稲田へ帰っていると……そ、それは真《まこと》か」弁円は、信じられないような顔をしていった。 [#7字下げ][#小見出し]六[#小見出し終わり]  疑っても疑いようのない事実が、麓から弁円の前へ、次々に注進された。  どうして、水も漏らさぬこの備えを潜《くぐ》り抜けたか、この板敷山の嶮《けん》を無難に通って行ったか?  弁円を初め、山伏たちには、不審でならなかったが、親鸞がすでに稲田の草庵に帰り着いているという事実はもう動かせない。 「やはり、あの僧には、ふしぎな霊覚があるのではないか」 「こっちで、法力をもってすれば、親鸞も法力をもって覚《さと》り、こっちで呪殺《じゅさつ》の縄を張れば、彼も破邪の呪《じゅ》を行って、吾々の眼をくらましたに違いない」山伏たちは、今日の失敗を招いたことから、かえって親鸞に対する恐怖と畏敬を高めてしまった。やはり彼は非凡人であったと心から考え出して、そういう有徳《うとく》の僧に毒矢をつがえた身のほどが恐ろしくなってしまった。平常は冷笑してた天譴《てんけん》とかいうことも、真剣に思い出されて、初めの元気を喪失《そうしつ》してしまったばかりでなく、寒々と峠の笹《ささ》むらを渡る夕風の中に、ぶるぶるっと心の底からおじけに似た戦慄を抱《いだ》いた。 「――出し抜かれた」独りこう呻《うめ》いて、やり場のない憤怒に、眉をあげているのは弁円であった。 「かくまで、吾々を愚弄して、なにおめおめと十六房の主権、播磨公《はりまのきみ》弁円といわれて人に面《おもて》をあわされよう。――よしっ、この上は、稲田の売僧《まいす》小屋を踏み破って、親鸞の首|捻《ね》じ切ってくれる。――見ておれっ」  ガラリと、手の弓を投げ捨てて一散に麓《ふもと》へ向って駈けて行った。  すでに、怯気《おじけ》に襲われ、最初の気勢を失ってしまった他の山伏たちは、呆《あ》っ気《け》にとられて、魔王弁円のすさまじい後ろ姿を、ただ見送っている。  板敷山から三十余丁を、弁円は、一気に駈けてしまった。火焔のような息をきって、彼方《かなた》に見えた灯影へ向って近づいて行った。 「――ここだな」  稲田の庵室と見るや否、弁円は、柴の折戸を土足で蹴って、案内もなく、つかつかと庭の闇へ駈け込んだ。そして、仁王立ちとなって、 「親鸞はおるかっ」と、呶鳴った。  こよいは村の者も寄っていなかった、いやもう夜も深いので、それらの者も帰り、禅房の弟子たちも室《へや》に眠り、親鸞の妻子も夢の中に入っているのかも知れない。  寂《じゃく》として――庵室のうちは静かなのである――ただ短檠《たんけい》の一穂《いっすい》の灯が、そこの蔀簾《しとみすだれ》のうちで夜風に揺れていた。  満顔を汗に濡らし、声は百雷の墜《お》つるように弁円は、全身を怒気に満ちた瘤《こぶ》にして再び呶鳴った。 「親鸞はおらぬかっ、愚禿《ぐとく》はどこにおるかっ。すでにここに立ち帰っておろうが。常陸《ひたち》一国の修験の司《つかさ》、播磨公《はりまのきみ》弁円が、破戒|無慙《むざん》の念仏|売僧《まいす》に、金剛杖の灌頂《かんじょう》をさずけに参った。われこそは正しき仏陀《ぶっだ》の使者、破邪顕正の菩薩《ぼさつ》、孔雀《くじゃく》明王がお旨をうけて参った者。――出てこずば、踏みこんで、愚禿の素首《すこうべ》を打ち落すがよいか。――会おう、親鸞っ、出てきませいっ」  横たえている三尺の戒刀に反《そ》りを打たせ、大魔の吼《ほ》えるように、ひっそりした庵室の中の一つ灯へ向っていった。 [#7字下げ][#小見出し]七[#小見出し終わり] 「おう」と、垂れこめた簾《すだれ》を徹《とお》して、その時、明らかな親鸞の答えがひびいた。次に―― 「誰じゃ」それも親鸞の声であった。  静かに、簾《すだれ》の内《うち》の灯のあたりからその人が、起ってくる気配がした。弁円は、 「うぬっ、ここへ出てうせたが最後――」  八ツ目のわらんじをじりじりと縁近くへ踏みすすめ、手をかけている戒刀の柄《つか》は、もう血ぶるいをするかのようにガタガタとおののき鳴る。  ――サラと簾を片手で上へかかげて、親鸞はそこから半身を見せた、そして、朱泥《あけ》で描いた魔神のような弁円の顔をじろと眺め、その眦《まなじり》に、ニコリと長い笑《え》み皺《じわ》を刻むと、 「オオ」と、なんのためらいもなく――なつかしい人にでも接しるようにいって――つかつかと竹縁の端まで踏み出してきたのであった。 「――誰かと思うたら」手をさし伸ばさないばかりな親鸞の様子なのである。弁円は、春風のような彼の姿と――その手の先から、思わず一歩|退《ひ》いて、 (そんな欺瞞《ぎまん》に)と、呼吸《いき》のうちで叱咤し、 (そんな甘手《あまて》にかかるおれではない)と、満身の殺気を眸《ひとみ》にあつめて、炬《きょ》のように睨《にら》まえたが、なんとはなく、体の筋を抜かれたように、眸にも、ここへ来るまでの憎悪や兇暴な勢いを断ちきれなくなった。 「…………」 「…………」親鸞は、それなりものをいわないし、弁円も黙ってしまった。――ただ呼吸《いき》をしているのみで、じっと、縁の上と下で、対し合っているのだった。――火と水のように。  燃えるだけのものを、弁円は今、五臓から四肢《しし》全体に燃やしきっていた。毛の一すじまで、針のごとくさせて汗をふき、内面の毒炎を、湯気のように立てていた。 「ウウーム」爪を怒らせて迫った猛虎が、はたと、何かにためらって、その飛躍を遮《さえぎ》られているように、弁円は、いたずらに自分の威嚇《いかく》に持ち疲れてきた。  この一瞬、弁円の眼に映っている親鸞は、まったく、常々彼が思い憎んでいた親鸞ではなかったのである。彼の憎悪は、とたんに鉾《ほこ》を鈍《にぶ》らせてしまったのである。  板敷山の呪壇《じゅだん》に、一七日《いちしちにち》のあいだ、護摩《ごま》を焚《た》き、呪念《じゅねん》をこらして、眼に描きだしていた怨敵《おんてき》親鸞は、さながら自分を呪《のろ》う悪鬼とばかり見えていたが――今、眼のまえにある親鸞を仰げば、三十二相円満な如菩薩《にょぼさつ》の笑顔《えがお》そのままではないか。  弁円は、踏みしめている踵《かかと》の裏から、だんだんに力の抜けてゆく自分をどうしようもなかった。  彼も、仏者である、聖護院の御内《みうち》に僧籍のある仏子《ぶっし》である。菩薩の顔と、邪人の顔と、見わけのつかない人間ではない。――なんで親鸞は前からこんなよい顔を備えていたろうか。このほほ笑みが一体人間のものだろうか。彼の殺意は、だんだんに冷えて行った。 「……ああ……」思わずうめいたものである。――京都《みやこ》の巷《ちまた》で見たころの親鸞の顔には、もっと険《けわ》しいものがあった、勝ち気があった、世に負けまいとする鋭い眼があった、物いえば烈々と人を圧しる唇あり、起てば、群小を睥睨《へいげい》する威風があった。  けれど今のすがたには、そんな烈しい強いものは微塵もない。これは、弁円にして初めて思い出される記憶であった。――今の親鸞の和《なご》やかな顔は、十八公麿《まつまろ》と呼ばれていたころの幼顔《おさながお》にそっくりである。四十を超えてからの親鸞は、いつの間にか幼少の顔のほうへ近くなっていたものと見える。 [#7字下げ][#小見出し]八[#小見出し終わり] 「――ああっ、おれは過《あやま》っていた」ぐわらりと、大地に地ひびきさせて、弁円は坐っていた。両手で顔を蔽《おお》うてさけんだ。 「……不覚不覚、一生の不覚だった。何十年のあいだ、おん身を敵《かたき》と見ていたのは、この弁円の心に棲んでいた魔のしわざ。……ああ返らぬ年月を仇に送った、四十年を空しく迷路にさまよってきた」  憤怒の眼に血ばしっていたものは、潸然《さんぜん》と下る涙に変った。  慈悲温光のなごやかな眸を、じっとそれへ向けていた親鸞は、 「どうなされた弁円どの、おん身が佐竹侯に迎えられ、修験《しゅげん》の司《つかさ》としてこの地方へ下られていると聞き、いつかは折を得て、ゆるりと話したいと思うていたが、つい機縁ものう打ち過ぎてあった。……だが、ようぞござった、幼顔《おさながお》はお互いに幾歳《いくつ》になっても忘れぬもの、なつかしや……ご無事で在《おわ》したの」そういう彼の言葉には、少しも策とか上手とかいうものは認められなかった。心からいう言葉だった。弁円のあれほどな意気込みを挫《くじ》いたものもその親鸞の素裸《すはだか》な態度にほかならない。  弁円は、愚に返った老人のように――また、稚《ち》に返った成人のように――両手で顔をかくして泣き入りながら、 「お覚えがあってか――その昔は成田兵衛《なりたのひょうえ》の遺子《わすれがたみ》――寿童丸《じゅどうまる》といわれた者。アア、消え入りたい心地がする。――そもそもおん身とおれとは、なんの宿縁か、まだ上人が日野の里で、十八公麿《まつまろ》と仰せられていたころからの学びの友でありながら――すでに、あのころから、おれは、おん身が嫌いだった、虫が好かなかった、おん身の学才が小癪《こしゃく》にさわっていた、そして事ごとに、おん身を苦しめることのみ考えていた」 「そうだ……もうあれは四十年のむかしになる、しかし、瞼《まぶた》をふさげばまた、きのうのような心地もする」 「三ツ子のたましいは百までもというが、その後、おれは父を亡《うしな》い、町にさまよい、叡山《えいざん》を追われ、家はなく、ただ知るのは、世間の人の冷たさのみで……おれの心はひねくれ[#「ひねくれ」に傍点]るばかりだった。――そのころすでにおん身は、範宴《はんえん》少納言といわれ、北嶺《ほくれい》の麒麟児《きりんじ》の聞えたかく、若くして、聖光院《しょうこういん》の門跡となってゆくのを見、ねじけ者のおれは、いよいよ、陰に陽に、おん身を呪詛《じゅそ》しはじめた」 「……ウム」親鸞はうなずいてみせ、 「わしは、なんとも思うてはいない、むしろおん身のために、励まされたことがあろうとも」 「――いや、その蔭は、むしろおれのほうが受けている。それを今、はっきりと気がついた。常におん身を呪詛しつつも常におん身を仮の敵と見、おん身の進んでゆく道を、自分も負けまいという目標にして励んでいた。今思えば、おん身が他力門の真の聖者であったればこそ、ねじけ者、怠け者のこの弁円も、とにかく孜々《しし》として鈍才に鞭《むち》打ち、聖護院の御内《みうち》から少しは頭角を出して、播磨公《はりまのきみ》弁円といわれるまでになったのだ。……その余のことすべて、今となっては、詫言《わびごと》もない、五十になって、弁円は初めて、おん身を知り、自分の愚鈍を知り申した。――迷いの夢がさめたとは、このことでござろう。ゆるされい。親鸞どの、このとおり手をつかえ……弁円が初めて、おん身の足もとにこう手をつかえて、詫び入るのだ。……どうか、今日までの大罪をゆるしてくれ」  大地へ顔を伏せて、弁円は嗚咽《おえつ》していった。 [#7字下げ][#小見出し]九[#小見出し終わり]  親鸞は慰めるに困ったように、縁を下りて、なお慟哭《どうこく》してやまない弁円を、いたわった。 「なんの……なにを嘆かれることがあろう。――弁円どの、おん身の今のことばは、あまりにこの親鸞を高く見過ぎている。親鸞とても、もう四十九になるが、今もって、真俗二諦《しんぞくにたい》のあいだに、多分な迷いを抱《いだ》いて、一心の帰教する所は、決して定まったとは申されぬ。ともすれば、愛慾の広海《こうかい》に溺れ、ともすればまた、名利《みょうり》の大山《たいせん》に踏み迷っている凡夫なのじゃ、聖者などとは、滅相もない過賞、幼なじみのおん身にいわれては、この愚禿《ぐとく》こそ、穴にも入りたい」 「親鸞どの」弁円は、しかと、その人の手をにぎりしめて、 「幼少から、これほどのおん身を、友として持ちながら、なぜ弁円は、早くからおん身のその真実と徳に触れることができなかったであろうか。今さらながら口惜しい。……のみならず、このよい年ごろをしてまで、この稲田の草庵の栄えを嫉《ねた》み、自己の行法や道門の衰えを、ただおん身あるがためと憎み、板敷山に待ち伏せて、お生命《いのち》をちぢめんものと、つい今日も、毒矢を研《と》いでいたのであった。……怖ろしい、思えば、怖ろしい自分の心であった」 「だが――親鸞を害《あや》めなさろうとしたその心が、真の宿縁となって、ここにおん身が真実を吐き、わしが真実の手をのぶることとなったと思えば、その害心に、わしは掌《て》をあわせる。まことをいえば、親鸞は、いつかおん身がこうして訪ねてくる日のあることを信じていた」 「えっ、それまで、この弁円の心が、わかっておいでであったか」 「何か、通ずるものがあったとみえる。わしの心には、おん身の心が映って、ぼんやりそんな気持がしていた。――その日が来たと思えばよろこばしい」 「おれの果報は、まだ尽きなかった。――そういって下さるからには、弁円の願いも聞き届けて下さろう。思えば得難い生《しょう》を同じ時にうけ、得難い明師《めいし》におれはめぐり会ったのだ。――親鸞どの」と、弁円は大地に膝を改めて、両手をついた。 「今日から、この弁円を、どうか御弟子《みでし》の端になりと、加えてくだされまいか。――いやと仰せあっても、おれはすがりつく、しがみつく。……それよりほかに、弁円の生きる道は見あたらない。お願い申しあげる、お聞き下されい」真実の声だった。  親鸞は、かろく、顔を横に振ってみせ、 「いやいや、おことばが違う。――若年《じゃくねん》のころは知らず、近ごろに至って、親鸞がひそかに思うに、この愚禿《ぐとく》が、人に何を教えてか、弟子を持つなどといわれるより、それゆえに親鸞は一人の弟子も持たぬ者と思いおります。身のそばにいる人々は、みな如来《にょらい》の御弟子、本願の同行《どうぎょう》」 「オオ」飛び退《しさ》って、 「そのおことば……そのおことばこそ……」  弁円は、掌《て》を合せて、いつまでも身を伏していたが、やがて、兜巾《ときん》や戒刀を身から取り除けて、 「この場を去らず」と、頑固な意志を示して誓った。――だが、親鸞は、その手をすくい取って、 「まあ、部屋へござれ。四方《よも》の話、越し方の訪れ、語り明かそうほどにの――」  そして奥へ向って、親鸞は、ただの百姓家の翁《おきな》のように、無造作に呶鳴った。 「これよ、誰ぞ出てこんか、わしの親しい幼友《おさなとも》だちが見えてござる。ここへ洗足《すすぎ》を持ってきてくだされ」 [#3字下げ][#中見出し]河和田《かわだ》の平次《へいじ》[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  そこはつい昨日《きのう》まで、ぼうぼうと芦《あし》の生えていた沼だった。所々の水田も、地味が悪くて、稲は痩せていた。  人の数より、はるかに、五位鷺《ごいさぎ》のほうが多かった。灰色の害鳥の群れが、わが物顔に、田を占《し》め、木《こ》の実《み》を盗んで、人間は鷺以下の者としか見えないほど、文化の光がなかったのである。  下野国《しもつけのくに》芳賀郡《はがごおり》の大内の庄《しょう》とよぶ土地だった、そこの柳島に、一粒の念仏の胚子《たね》がこぼれたのは、二、三年前だった。  事はその胚子《たね》の結果である。  このころになって、常陸《ひたち》とか下総《しもうさ》、上総《かずさ》あたりの念仏の諸弟子が踵《きびす》をついで、この柳島の地方へ入ってきた、遠くは、陸奥《みちのく》の果てからさえ、聞き伝えた門徒が来て、旅装をここで解いている。  小屋が建った。人々は、そこへかたまって、炊事《すいじ》の煙を立て初めた。  土工や石工《いしく》が集まってくる。大規模な土木が興ろうとするものらしい。たちまち、附近の山が削《けず》り取られて、赤土の肌が南向きにだんだんに拡がってゆく。  蟻《あり》が物を運ぶように、山を切り崩した土は、柳島の芦《あし》の沼地を埋めて行った。原始人の踏んだままにひとしかった茅原《かやはら》や青い沼水が、またたくうちに新しい土で盛り上げられて行った。その地盤の上に十二|間《けん》四面の伽藍《がらん》の礎《いしずえ》が、さながら地軸のように置かれた、堂塔内陣の墨縄は張りめぐらされ、やがて檜《ひのき》の太柱《ふとばしら》と、巨大な棟木《むなぎ》と、荘重な梁《はり》も組まれた。 「人の力は偉いものだのう……いや仏のお力だ。――ついきのうまで、ここが五位鷺の巣であった古沼とは、もう思うてみても、考えられぬ」大内国時《おおうちくにとき》はつぶやいた。  普請場《ふしんば》の新しい大地に床几《しょうぎ》をすえ、側にいる建立奉行《こんりゅうぶぎょう》の藤木|権之助忠安《ごんのすけただやす》へ話しかけたのである。  国時は、当国の下野城《しもつけじょう》の城主だった。いつか親鸞の徳に帰依して、そこへ参室していたが、稲田の上人の庵室は、あまりに手狭くもあり、裏方や子たちの生活にも不便が多いので、自分の領地の宮村へ、上人を迎えたほどの彼であった。  けれど大内国時は、それではまだ満足しなかった。近国はおろか、陸奥《みちのく》にまで、すでに上人の徳はあまねく行きわたっているし、念仏宗に対する人々の信仰は、日に月に旺《さかん》になってきている。そして、その敬礼《きょうらい》の中心を求めてやまない勢いにもなっていた。  国時はそこで、自分の手によって、東国念仏門第一の伽藍《がらん》の建立を発願《ほつがん》したのである。――もちろん、親鸞もそれをゆるすところとなって。 「権之助」 「は」 「この分では、案外、棟上げもまたたくうちだの。すくなくも、竣工《しゅんこう》には二、三年はかかろうというていたが」 「御意にございます」 「そちの精励じゃ」 「滅相もない」と、建立|奉行《ぶぎょう》の藤木権之助は、恐れるように手を振った。 「畏《おそ》れながら、かように工事の早く運んだのは、殿のご威光もさることながら、ひとえに上人の徳が人をうながすものと思われます。――御覧《ごろう》じませ、あちらの作事場《さくじば》を――あのように幼い女子供から、髪の白い老人までが、賃銀も求めずに、しかも嬉々《きき》として、石を運び、材木の綱を曳いております。なお、この近郷の者ばかりでなく、伽藍《がらん》建立の噂がつたわると、招かずして、遠国から、無数の信徒が集まってきて、お手伝いをさせて賜われと、これも、慾得なく働いているのでございます。――これには私も、心のうちで、実は驚き入っておりまする」 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり] 「そうだ……」城主の大内国時はうなずいて、 「わしの国が今、かりに戦いに亡《ほろ》んで、二度《ふたたび》ここに下野城を築こうとしても、武力や財力では、この真心を集めることはできない」 「この工事を奉行いたしてから、私も、心から、念仏に帰依いたしました」 「権之助、おまえも、そう考えてきたか」 「あの真心のもとに打つ手斧《ちょうな》の音――あの信念そのものの姿で働いている法師たちや門徒の者を見ては」 「そちは、そちの胸にも、たましいの伽藍を建てたのだ」 「殿にも近いうちに、ご帰依の上人から、得度をおうけ遊ばせられる由をうかがいましたが」 「ウム、家督は舎弟|国行《くにゆき》に譲ると決めた。で――この柳島の造営は、わしが武家の生涯をすてて、僧門に入る手はじめの御奉公として、上人へ寄進《まい》らせたのじゃ」 「や……」権之助は、城主の前につかえていた手を大地から離して、起ち上りながら、 「おうわさをするうちに、あれへ、上人がお見えなされました」 「なるほど……」と、国時も、床几《しょうぎ》を離れて、彼方《かなた》へ笑顔を送りながら、 「やはり、お楽しみであると見えて、普請場《ふしんば》へは、度々お運びだの」 「ある時は、大工どもの中にまじって、物をおさげなされたり、左官どもへ、土の手伝いをなされたり、あまりお気軽くなされるので、初めは、職人どももおそれ入っておりましたが、近ごろでは馴れて、上人のおすがたを見ると、普請場は華やいで、老人や子供までが綱曳《つなひ》き唄の声をいちだんと張り上げまする」 「もう五十四というお年ながら、なんとお元気で若うあらせられる……。や、わしの顔にお気づきなされた、笑いながら、こちらへお足を向けられてくる」  国時を初め、家来の人々が、そこを立ち開いていると、親鸞は、朽葉の古法衣《ふるごろも》に、そこらで付けた鉋屑《かんなくず》をそのまま、いよいよこの東国の土と人間とを、その姿のうちに渾然《こんぜん》と一つのものにして無造作に歩いてきた。 「おお、おそろいだの」国時は、礼儀をして、 「上人にも、度々」 「うむ……なんとのう、来てみたくなるでの」と、後ろをふり向き、 「証信《しょうしん》」と、呼んだ。 「はい」と、従《つ》いてきた弟子のひとりが、上人の顔をのぞいた。 「……喉《のど》がかわいた。あの湯のみ場から、白湯《さゆ》を一碗《ひとわん》もろうてきてくれ」 「お待ちください、すぐ持って参ります」証信は、湯のみ小屋へ向って、駈けて行った。  その後ろ姿を見て、権之助が、 「上人。――今あれへ行ったお弟子は、三、四年前まで、この地方の修験者の司《つかさ》として怖ろしい勢力を持っていた播磨公弁円《はりまのきみべんえん》ではございませぬか」 「そうだ、あの弁円じゃよ」 「変りましたなあ」権之助がつぶやくと、城主の国時も、 「あれが、元の弁円か」と、彼方《かなた》の湯呑み小屋から、土瓶《どびん》の湯と盆をさげてくる証信のすがたを眺めて、感じ入っていた。 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり]  そこで白湯《さゆ》を一碗のむと、親鸞は、もう八分どおりまで竣工《でき》かけている伽藍《がらん》の足場の下まで行って、 「見事な棟木《むなぎ》、結構な欄干、これはちと贅沢《ぜいたく》じゃの」と、つぶやいたり、 「来るたびに、眼にみえて、作事が進んでいる。これ皆、有縁《うえん》の方々の尊い汗、贅沢とはいわれまい、信仰の集積、ただ、この伽藍《がらん》が親鸞ひとりの隠居所となっては、いかい贅沢じゃ、そうならぬように、親鸞はこの棟木を負うた気で住まねばならぬ」そんなことも、独り言のようにいった。  証信房は、側から、 「先ごろ、京都《みやこ》へのぼられた真仏《しんぶつ》御房が、勅額をいただいて参られるころには、伽藍の普請《ふしん》も、悉皆《しっかい》、成就《じょうじゅ》いたしましょう」 「うム……」うなずいて、 「そう、そう」親鸞は、城主の国時をかえりみ、急に思い出したようにいった。 「――この親鸞も、近々に、いちど信州路まで出向かねばならんのう。国時どの、しばらく、宮村の庵《いおり》を、留守にいたしますぞ」 「ホ……それはまた俄《にわ》かな、急に、ご巡錫《じゅんしゃく》でも思い立たれて」 「いやなに、この伽藍に安置して、末世まで、衆生《しゅじょう》を導かせたもう本尊仏を請い受けに」 「あ、では善光寺へ」 「お迎えに行って参る」 「お供の方々は」 「本尊仏のお迎え、親鸞ひとりでもなるまい。これにおる証信房、鹿島《かしま》の順信房、そのほか二、三名は召し連れましょう」  話の半ばだった。  大工|棟梁《とうりょう》の広瀬|大膳《だいぜん》と、その部下の者が、血まみれになった一人の男を抱え、ばらばらと駈けてきて、 「権之助殿、これにか」と、いった。  奉行《ぶぎょう》の藤木権之助が、その様子を見て、なにか仕事の上の急用かと、 「オオ、何事」 「また、例の――」と、大膳や部下たちは、なにか喋舌《しゃべ》りかけたが、そこの丸太足場の蔭に、城主や上人のすがたがちらと見えたので、 「あ……殿も、上人もこれに」急に、はばかって、大地へひざまずいてしまった。  国時は、ずかずかとそこへ来て、 「なんじゃ、何事が起ったのか」 「は……」口籠って―― 「お奉行までご相談に参りましたので、殿のお耳を煩《わずら》わすほどの儀ではございませぬ」と、恐縮する。 「何か、大工どもの、賃銀のもめごとでもあるのか」 「さようなことではございませぬ」  権之助が側から、 「大膳どの、殿のお耳へ入ってしまったこと、お隠し申しては、かえってよろしゅうない、なんなりと、申し上げられい」 「……実は、これへ連れて参った屋根葺《やねふき》の職人」 「オオ、怪我《けが》をしているな」 「鋭い鑿《のみ》で、片腕を傷つけられ、それを交《か》わそうとして、只今、あれなる足場から転び落ちたのでございます」 「職人どもの喧嘩か」 「は……」 「下手人は何者じゃ。……不埒《ふらち》な、下手人は誰だ」と国時は激怒していった。 [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり]  大工|棟梁《とうりょう》の広瀬|大膳《だいぜん》は、自分の不取締りを恥じ入るように、平伏して、 「されば――この屋根|葺《ふき》は、至って、おとなしい人間でござりますが、なにか、仕事の上で、ちょっと口返しをしたというのが、相手の癇《かん》にさわったらしく、いきなり乱暴をしかけられ、足場から傷《て》を負って落ちたものにござります」 「しからば、いよいよもって、不埒《ふらち》な奴は、その相手の者、下手人はどうした」 「引っ捕えて、ただ今、あちらに縛《いま》しめておきましたが、その処分を、いかがいたしたものかと……ただ今、お奉行まで、ご相談に参ったわけでござります」 「む」と、国時は、峻厳《しゅんげん》な面持ちをして―― 「その相手も、屋根|葺《ふき》か」 「大工組の職人で、河和田《かわだ》の平次郎という者です」すると、奉行の藤木権之助が、 「あっ、またあの平次めが、そんな乱暴をしおッてか」と、口走った。  国時は、苦りきって、 「しからば、こういうことは、一度ならず、幾度《いくたび》も、重ねておる奴じゃの」 「は……この先の河和田《かわだ》に住んでおる若い職人で、平常《いつも》、酒ばかり飲んで、喧嘩ばかり仕かけ、村でも仲間でも、手におえぬ厄介者とされておる奴でござります」 「たわけが」と、国時は、棟梁へも、奉行へも、叱りつけるようにいった。 「さような身持ちのわるい無頼な人間と分り切っていながら、なぜ、伽藍建立《がらんこんりゅう》の清浄《しょうじょう》なお作事に使っておるかっ、そのほうどもの人事の不行届きでもあるぞ」 「はっ……その儀は、重々私どもの責任と思うて恐れ入っておりまする。……がしかしその河和田の平次郎という職人の性質は、今も申し上げた通り、酒乱、無頼、凶暴、何一つ取得のないやくざ[#「やくざ」に傍点]者にはござりまするが、ただひとつ、鑿《のみ》を持たせては、不思議な腕を持っていて、天稟《てんぴん》と申しましょうか、格天井《ごうてんじょう》の組みとか、欄間細工《らんまざいく》などの仕事になると、平次郎でなければほかの大工にはできないというので、仲間の者も、つい、憎みながらそれには一目《いちもく》おいておりますので」 「だまれ」国時は、叱咤して、 「たとえ、建立の仕事の上で、どのように必要な職人であろうと、畏れ多くも、勅額を奉じ、衆生のたましいの庭ともなろうこの浄地に、しかも、まだ普請中から、血をもって汚《けが》すようなさような無頼の徒を、なぜ、使用しているか。ゆるしておるか。――他の職人どもへの見せしめにも相成らん、きっと、厳罰を申しつけい」 「恐れいりました」 「すぐにせい。――そうじゃ、この地域の内では刑罰はならん、あちらの草原へ曳き出して、首を刎《は》ねい」 「はっ」 「猶予するなっ」 「かしこまりました」城主の命である、奉行の藤木権之助も、大工棟梁の大膳も、色を失って、蒼惶《そうこう》と立ちかけた。すると、 「あ……お待ちなされ」静かな親鸞のことばであった。  人々のあいだへ歩み寄って、 「もいちど、今のお話を、聞かせてもらいたいが――」と、その辺の材木の端へ腰かけた。 [#7字下げ][#小見出し]五[#小見出し終わり]  大膳と権之助のふたりから、平次郎の常々の行状やきょうの出来事を、改めて、もいちど審《つぶ》さに話すと、親鸞はいちいちうなずいて聞いていたが、 「どうじゃろ」と、親鸞は、領主の大内国時へ謀《はか》った。 「その平次郎とやらいう者、なんとか、このたびだけ、免じてやるわけにはなりませぬかの」国時は、意外な顔して、 「せっかくながら、今も家来どもの怠慢を、叱っておったほどの者でござる。上人のご広徳をもってしても、救われがたい無頼の徒、お聞きながしてくだされい」 「だがの……」親鸞は、未練のように、 「招いても、縁のない衆生《しゅじょう》さえあるに、この伽藍《がらん》の造営に、柱の穴一つ穿《うが》った者でも、わしの眼から見ると、まことに浅からぬ仏縁のある者」 「悪を懲《こ》らし、罰を明らかにせねば国守《こくしゅ》の法も立ちませぬ」 「ごもっともでござる」親鸞は、国時のことばを大きく肯定《こうてい》しながら、すぐにまた、 「しかし、国法のこころは、人を罰するをもって、最高なりとはせぬものでおざる、罰法は元、それによって、兇悪の徒《ともがら》も真《まこと》の道に生き直るための罰でなければなりません。――この御堂《みどう》が、真《まこと》の生きた、伽藍であるならば、此堂《ここ》をめぐって、造営に働く人たちも、いつか必ず仏縁のご庇護によって、精神《こころ》のうちに、弥陀《みだ》の慈光《ひかり》をうけねばならぬはずと存じます。……宥《ゆる》しておやりなされ、親鸞に免じて、お聞き届け願わしゅうござる」 「…………」国時は、考えこんだまま、即答を与えなかった。親鸞は、足を運びかけて、 「では、大内殿。旅の支度もあるで、わしは、今日はこれで戻ります」 「お戻りか」国時は、顔を上げて、五、六歩親鸞のあとに尾《つ》いて送って行きながら、 「ただ今のおことばによって、今日の罪人は、宥《ゆる》してつかわすことにいたしまする」といった。親鸞は、自分のことのように、 「かたじけない」と、足を止《と》めて、国時へ向って頭《かしら》を下げた。  親鸞が戻って行くと、間もなく、城主の国時も館へ帰って行った。  大工|棟梁《とうりょう》の広瀬大膳と、奉行の藤木権之助は、 「命冥加《いのちみょうが》な奴めが」と、捕えておいた河和田《かわだ》の平次郎の側へ来て、懇々《こんこん》と、説諭を加え、 「上人の有難いお旨を、忘れるでないぞ」と、いい聞かせた上、縄を解いて、放してやった。 「へい」平次郎は、神妙そうに、頭《かしら》を下げて、逃げるように、丸太足場の上へ登って行った。――だが、役人たちの眼から離れると、彼はすぐいつもの兇悪なひねくれ[#「ひねくれ」に傍点]者に返っていた。 「ちぇっ、ふざけやがって。誰も生命《いのち》を助けてくれとはいやあしねえ、おれがいなくっちゃ造営の仕事に困るから助けて置くんだろう、それを恩着せがましくいやがって笑わせるな」  その日は、ろくに仕事もしなかった。彼を使っている大工|頭《がしら》も、彼にだけは、叱言《こごと》もいえないで、見ぬ振りをしているのである。 [#7字下げ][#小見出し]六[#小見出し終わり]  楊柳《かわやなぎ》のみどりを煙らして、春の陽《ひ》はうすずきかけていた。  広い造営の庭には、傍目《わきめ》もふらずに、多くの者が汗にまみれていた。その雑工の中で働いている者は、たいがい賃銀を求めずに、自分たちの家事や畑仕事の暇を見ては、半刻《はんとき》でもと奉仕の労働に来ている人々だった。 [#ここから2字下げ] 一念|帰命《きみょう》の 苗をうえ 念々|称名《しょうみょう》の水をかけ 雑行《ぞうぎょう》、雑修《ぞうしゅ》の 草をとり―― [#ここで字下げ終わり]  親鸞が稲田で作った田植の歌はここの汗の中でも唄われていた。二丈あまりの材木が、その人々の粒々《りゅうりゅう》とながす汗に引き摺られて、作事場のほうへ曳かれて行くのだった。  巨材の木口《こぐち》には、かすがいを打って、鎹《かすがい》には、綱がくくり付けられてある。その綱に、三十人余りの老人や女や童《わらべ》がつかまって、 「えいやあ、えいやあ」と、蟻《あり》のように曳いては、 [#ここから2字下げ] 一念帰命の 苗をうえ―― [#ここで字下げ終わり]  汗は、その人たちの顔に、光りかがやいていた。  単に、自分たちの、飢えをふさぐためや、酒をのむために流す安価な労働では得られない、何かしら大きな幸福感につつまれて、彼らは、声を張りあげていた。  すると、一人若い女房が、かいがいしく、着物の裾《すそ》を端折《はしょ》って、 「もし、皆さま。どうか私にも、その綱の端など、つかまらせて下さいまし」といいながら駈け寄ってきた。皆は、振向いて、 「やあ、河和田のお吉《きち》さんか。――また、見つかると悪いぞ、止したがいいぜ」と、遮《さえぎ》った。  年老《としよ》りたちも、皆いった。 「ほんに、お前さんの良い心もちは不愍《ふびん》じゃが、見つかると、わしらまで、後で怖ろしい目に会わされるでの」 「そうじゃ、やめなされ、やめなされ」お吉は、拝むように、そういって拒《こば》む人《ひと》たちへ、なお縋《すが》った。 「いいえ、今日はもう、洗濯物もすみました。夕餉《ゆうげ》の支度から、うちのお良人《ひと》のお酒まで買っておいて、なにからなにまで済まして、ほんに用のない体でございます。昼寝などしていては勿体ないし……どうぞ後生でございますから、私にも、ご造営のお手つだいなどということはできませんが、せめて、その綱の端でも持たせて下さいまし……。この通り、拝みまする、たのみまする」涙さえ浮かめていう。その気持にうごかされて、 「では、なるべく早う、家へ帰っておらっしゃれ」と、人々はいたわりながら、彼女を仲間に入れてまた、材木を曳《ひ》いていた。 「ありがとうございます」と、お吉は、心のそこからうれしそうだった。そして、奉仕の綱にすがって、懸命に、働いていると、その青白く面窶《おもやつ》れした頬に、若い娘のような紅潮がさしてきて、世帯|痩《や》せの苦労も何もかも、その間は、忘れているように見えた。 [#7字下げ][#小見出し]七[#小見出し終わり] 「この阿女《あま》っ」不意だった。ぐわんと、鼓膜《こまく》がやぶれるほど、お吉の横顔を撲《なぐ》りつけて呶鳴った者がある。  二十七、八の壮《さか》んな筋肉を持っている男だった。職人|烏帽子《えぼし》を後ろへ落し、仕事着の片肌を脱いでいて、汗の光っている毛穴には、鋸屑《のこぎりくず》がたかっていた。お吉の亭主の平次郎なのである。 「あっ――皆さん」お吉は、隼《はやぶさ》に見込まれた小鳥のように、よろめきながら、綱曳きの仲間の者のかげにかくれ、 「謝ッて下さいっ、皆さん、良人《うち》のひとへ」と、もう泣き声だった。 「うぬ」と、平次郎は、女房のそばへ寄ってきた。 「性《しょう》なしめが」と、平次郎の手は、すばやくお吉の襟《えり》がみをつかんでいた。そして、大地を引きずり廻しながら、 「いってもいってもこの阿女《あま》は、碌《ろく》でもねえことをしやがって、おれのいいつけを、なんだと思っていやがる」足を上げて、蹴飛ばした。 「すみません、もう決して、ここへは参りません」 「ここばかりじゃねえ、おれの念仏嫌いを承知のくせに、亭主のいやがることを、うぬは、故意にするのだっ。さっ、きょうはもう勘弁できねえからそう思え」腹巻から鑿《のみ》を抜いて、右の手にひらめかせた。 「あれっ、助けてっ――」お吉は逃げ廻った。人々も、うろたえて、 「あぶないっ、平次さん、そ、そんな乱暴なことをしないでも」 「何をいやがる」平次郎は、眼をつりあげて、自分を遮《さえぎ》る者を睨《ね》めまわし、 「おれの女房を、おれが折檻《せっかん》するのだ、自体、てめえ達が、ばかなお手本を出すからよくねえ」そういって、 「やいっ」とまた、お吉の方へ、怖ろしい形相《ぎょうそう》を向け直してわめくのだった。 「あれほど、いっても懲《こ》らしても、また家を留守にしやがって、こんな所へ来てよくも粋狂な真似をしてやがるな。……ははア分った。この普請場《ふしんば》にゃ、和介《わすけ》の野郎が仕事にきているので、てめえは、信心にことよせて、和介の顔を見に来やがるのだろう。……いや、そうだ、そうに違えねえ」 「ま……なにをお前さん」 「いいや、てめえが、和介の奴に、妙な素振りを見せていることは、おらあとうに知っているんだ。――さもなくて、べら棒め、その日暮しの貧乏人が、駄賃も出ねえタダ働きをなんでする」 「…………」 「なぜその閑《ひま》に、亭主の晩の酒代の足《た》しにでもなるように、魚でも漁《と》るとか、縄でも綯《な》うとか、他人《ひと》の仕事の縫物《ぬいもの》でもするとか、小費《こづか》いの多足《たそく》になることを考えねえのだ――この浮気者め」鑿《のみ》を振りかざしたので、お吉は必死にもがいて、平次郎を突きとばした。 「こいつ」一度、よろめいて、腰をつきかけた平次郎は、起ち上がって、女房の帯際《おびぎわ》を後ろからつかんだ。 [#7字下げ][#小見出し]八[#小見出し終わり]  蹴る、撲る、そして鑿《のみ》をふりかざして、お吉を追う。  元よりこれは脅《おど》しにすぎないと人々は思っていたが、兇暴になると手のつけられない平次郎のことだし、何か、お吉に対して嫉妬《しっと》らしいものを含んでもいる様子なので、辺りの者は、どうなることかと、色を失っていた。 「おいッ、兄哥《あにき》、何をばかな真似をするのだ、あぶねえじゃねえか」普請場《ふしんば》の方で、この態《てい》を見て飛んできた、仲間の大工の一人だった。うしろから平次郎に組みついて、 「離しねえ」と、鑿《のみ》を持っている利《き》き腕《うで》をねじあげた。  平次郎は、暴れ狂って、 「誰だっ、邪魔するな」 「誰でもねえ、和介だよ」 「なに、和介だと」 「オオ、おめえは何か、おれとお吉さんと、変なことでもあるように邪推《じゃすい》しているってえことだが、それじゃ、お吉さんがかわいそうだ」 「離せっ、畜生」 「いや、そいつがわからねえうちは、離さねえ。なるほど、おれはお吉さんの相談相手にはなってやるが、決して色恋の沙汰じゃねえ、おめえというれっきとした亭主のある女――なんでおれがそんなばかなまねをするものか。よしまた、おれにそんな気持があったって、貞女のお吉さんが、おめえを裏切るようなことは、死んだってあるはずはねえ。お吉さんの貞操《みさお》ただしいことや、亭主に尽しなさる行いは、この近郷で、誰だって、感心なものだといっていねえ衆はねえんだぜ。それをおめえが、事ごとに、邪険にしたり辛く当るので、お吉さんは、泣き痩せている。そこへ持ってきて、毎日の稼ぎ以上に、おめえは大酒を食らっているじゃねえか。その酒代をこしらえるのでも、人知れぬ苦労をしているお吉さんだ。そんなことから、何かとおれの家へも相談にくるので、おれも不憫《ふびん》と思って、小費《こづか》いの都合をつけてやったりしているのに、それを、おかしい方へ気を廻して、おれとお吉さんとが、妙な仲ででもあるようにいわれちゃ、おれも、男が立たねえ」 「……痛えっ……おい和介。……痛えじゃねえか、手を離しやがれ」 「わかったかい、今の話は」 「わ、わかったよ」 「じゃあ、お吉さんの今日のこともおれに免じて、勘弁してくれるだろうな」 「女房のことあ、亭主の一存だ。他人のさしずはいらざる世話じゃねえか」 「それあ、兄哥《あにき》のいうとおりだ。おめえとは、元からの兄|弟子《でし》、その弟|弟子《でし》が、小生意気な真似をして済まねえが、これも、どうかして、お吉さんとおめえと、仲よく暮してもらいてえためにやったこと、腹を立てないで宥《ゆる》しておくんなさい。……それに、ここはただの普請場《ふしんば》とちがって、御城主様の発願《ほつがん》による大事な御造営の場所――しかも勅額までいただくことになっている建立《こんりゅう》だ、そんな場所へ、万一、不浄な血でもながすようなことがあったら……」同じ大工仲間ではあったが、弟|弟子《でし》の和介は気だてのやさしい男だった。涙さえ浮かめて、諄々《じゅんじゅん》と説いて聞かせたので、さすが兇暴な平次郎も、やや落着いて、 「離せよ、やいっ。……もう手荒なことはしねえから離せっていうのに」 「じゃあ、堪忍してくれるか」 「腹の立つ阿女《あま》だが、今日のところは、助けてやら。早く家へ帰って、酒の支度でもしやがれ」と、いいすてて、ぷいと、平次郎は普請場の蔭へ走ってしまった。 [#7字下げ][#小見出し]九[#小見出し終わり] 「さ、お吉さん……はやく家へもどったがいい」和介も、他の者も、ほっとしながら、彼女をいたわって、着物の土など払ってやった。 「お上人様も、いつか仰っしゃった。念仏の功力《くりき》は、寺へ来ていうからよいというものじゃない、剃髪《ていはつ》して僧侶《そうりょ》になったから、念仏の功力《くりき》が増すわけでもない。在家の衆も、心さえ、そこにあれば、どこで申そうと、仏の御加護はあるものじゃと……。のう、お吉さん、ご亭主が念仏ぎらいなら、ご亭主の眼や耳にふれない限りでいうたがよい。……さ、また晩に、文句をつけられないように、早く帰って、酒など買っておかっしゃれ」 「ご心配をかけました」お吉は、悄々《しおしお》と、そこから立ち去った。  河和田の家は、遠かった。田の畦《あぜ》や、森の蔭を、俯向《うつむ》いて――自分の一足一足を見つめながら歩いてゆく。 「ああ、どうして、私はこう……」つい身の不運が、涙をさそってくる、歩む足もとへ、涙がこぼれて、道の草も枯れるかと思う。  ――嫁にきたころは、良人の平次郎も、あんな気荒な人ではなかった。信心こそ持たない人だったが職人として腕はあるし、気だてもよい良人だった。  それが、二人の仲にできた一つぶだねの男の子が、やっと、笑ったり這いだしたりする可愛いい年ごろに、ふと病みついてしまった。――その時またちょうど、村へ来ていた修験者が、病気ならわしにまかせろ、きっと癒《なお》してやるというので、加持祈祷《かじきとう》に、夫婦も共に、精を打ちこんで、病児の恢復を祈っていたところ、病気は日ましに悪くなって、とうとう死んでしまった。  それからである――平次郎の気が急に変ってしまったのは。 (神も、仏も、あるものか。あいつらあ、神とか仏とか、ありもしねえ嘘ッぱちをいい触らして、飯のたねに、食い歩く山師だ)  仏壇も、神棚も、平次郎は川へ運んで行って流してしまった。  それからというものは、急に、酒は飲むし、飲めば酒乱になる。そして、仕事はろくにせず、すこし余裕《ゆとり》があれば、博奕《ばくち》、女狂い、喧嘩、手がつけられない人間になった。  お吉は、良人の気持を、無理もないと思って、初めは素直にしていたが、元より貧しい職人の世帯である。折にふれて何かいうと、平次郎は、ふた言めには、 (出て行けっ)であった。彼女の体には、生傷がたえなかった。けれど、 (今に――今に、眼がさめる日も……)と、お吉は、貞節を守りとおしてきた。なんと怒られても、疑われても、彼女は、心のうちに、じっと涙をのんできた。  それも久しい年月である。いちど毒をあおった良人は、このごろは、心までその毒にまわされたように、直るどころか、いよいよ荒《すさ》んでゆくばかりに見える。  他人の家庭を見ると、お吉はうらやましかった。誰も皆、生々と、楽しげに働いている、また、その人たちの生活を見ていると、働く暇には皆、近くの宮村にある上人の庵室へ通《かよ》って、一体になって、念仏をとなえていることがわかった。  ふと、彼女の真っ暗な胸へも――その念仏の一声がながれ込んで、微《かす》かなる光のように思い初めた。  けれど、良人は、神仏を仇敵《かたき》のように呪っている人である。お吉は、平次郎の眼をぬすんでは、宮村の上人の庵室へ行って――それも庵室の中へは入らないで――垣の外へ佇《たたず》んで中から洩れる法話の声や念仏に耳をすましていたのであった。 [#3字下げ][#中見出し]浄土《じょうど》の小鳥《ことり》[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  秋の収穫も終っていた。 「――お上人様がお帰りになった。信州からおもどりになったげな」稲田から宮村の辺りへかけて、その日、人々はこぞって出迎えに出ていた。  親鸞が、自身信州へ赴いて乞い請《う》けてきた一光三尊の善光寺|如来《にょらい》の御分身を出迎えたのである。  帰依の大檀那《おおだんな》たる大内|国時《くにとき》も城を出て親鸞たちの一行をむかえた。小栗の城主|尚家《ひさいえ》もきていた。相馬、笠間などの大小名をはじめその家臣、郷士《ごうし》、町人、それを観る雑多な民衆――なにしろおびただしい人出である。この地方の文化が興ってから始めての盛観だという老人もある。  一光三尊の御分身は、伽藍《がらん》の建築が完成するまで、先ず宮村の庵室へ、仮に安置することになった。  夜になると、田や畑の者が、それを礼拝したさと、ここの法話を聞こうとして、狭い庵室に入りきれないほど押しかけた。毎夜のように、草庵は、明々《あかあか》とかがやく灯と、そうした人々の膝でいっぱいに埋められた。  ――秋も暮れてくる。野や田や、木々の葉は、蕭々《しょうしょう》と冬枯れを告げてくるが、宮村の草庵の灯は、いよいよ、常世《とこよ》の光明にみちていた。  年が明け、春が来る。さながらここは法《のり》の万華《まんげ》の咲きみだれた浄土曼陀羅《じょうどまんだら》であった。 「ありがとうござりまする」 「また、あした参りまする」 「どなた様も、御免なされませ」 「どれ、わしらも――」  その日の集まりは、たそがれに終って、昼間の法筵《むしろ》であったので、多くは野に出て働かない町方の女房だの、老人だの、病人や子どもたちであった。  みな、よろこびにあふれて、庵室からぞろぞろもどってゆくのである。――今、法話《はなし》を終って、ほっと、ほの紅い顔して白湯《さゆ》をのんでいる親鸞の前へ一人一人出て、こう挨拶をしながら――  その中に、一人の女が、壁のすみにうつ向いていた。すべての人が、立ってから出ようとするもののように、つつましやかに、まだ坐っていた。  もう庵室のうちは暗かった。そこらには、灯りがきている。夜風に明滅する明りの影に、その女の削《けず》ったように痩せている顔のおくれ毛が、淋しげに、うごいていた。 「……あ」女は、気がついたように、眸を上げた。もうまわりに人はいなかった。急に恥かしくなったように、女は、上人の前へおそるおそる両手をついて、 「ありがとうございました」そして、一光三尊仏の壇へ向って、白い手をあわせ、 「なむあみだぶつ」何遍《なんべん》かとなえて立ちかけた。  親鸞は、さっきから、その女を見ていたのである。――いやその夜に限らなかった。もう幾度《いくたび》となく法筵《むしろ》のある時には、いつでも、壁の隅のほうに小さくなって、熱心に自分の話に聞き入っているこの女のあることを知っていた。――ふと姿の見えない時は、親鸞も心のすみで、 「きょうはどうしたか」と、軽く案じられるほど、いつでも注意していた女性《にょしょう》なのである。 「――お内儀《ないぎ》、ちょっと、お待ちなされ」と、親鸞は今までことばをかけたことのないその女に向って、初めてその日、こう声をかけた。 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり]  思いがけなく、上人にこう呼びかけられると、女は、冥加《みょうが》におののいて、 「は、はい……」と、綿のようにやわらかに、そのまま、ひれ伏した。 「同行衆《どうぎょうしゅう》は、もはや皆、おもどりなされた。おさしつかえなくば、もすこし、話して行かれぬか」 「もったいないお言葉でございまする」 「そう、堅うならずともよろしい。親鸞は、誰とも親しい仲じゃ、お寄りなされ、隔てのう、もそっと、こちらへお寄りなされ」 「はい」 「お内儀。――お帰りは遠いのでおざるか」 「河和田の者でござります」 「それでは近い……。して、主《あるじ》どのは?」 「平次郎と申しまして、柳島の御造営に働いている大工でございます。わたくしは、平次郎の女房で、吉《きち》といいまする」 「ほ……平次郎……。あの酒ずきでよう喧嘩をする男のお内儀か」 「さようでございまする」お吉は、顔をあからめて、聞き取れないような小さい声になった。 「ようお上人様にも、良人《うち》のひとの噂をお聞きでございましょうが、おそろしい一徹者のうえに、大の念仏ぎらい。そのため、御庵室へ詣でたいと思っても、有難いお教えを聞きたいと願っても、良人《うち》のひとの手前、いつも思うにまかせませぬ」 「ム……」親鸞はうなずいて、 「さだめし、良人《おっと》の気に入るには、なかなかご苦労がお在《わ》そうのう」 「い、いいえ……」お吉は、こんなやさしい言葉を初めて人の口から聞いた。村の人々も、自分を知ってくれる者は皆、なぐさめてはくれるが、親鸞の短いことばのうちには、何か胸を衝くような慈悲大愛の温かい息がこもっていた。張りつめていた胸の氷が溶けるように、彼女はつい、ほろほろと涙をこぼしてしまった。 「お内儀」 「はい」 「お身ひとりが、苦患《くげん》の底に苦しんでいると思われるなよ。お身の貞節、お身の苦しみ、みな御仏も御覧《ごろう》ぜられている、この親鸞も、よう見ております。……なんぞ思いあまることなとあるなら、ちょうどよい折じゃ、わしに話してみるがよい」 「……有難うございます」お吉は、畳へひれ伏したまま合掌して、 「この身に負わされた約束事と思うておりますから」 「それではならぬ、約束事、宿命と諦《あきら》め、ただそれのみで抑えていては容易に、心は安らぐまい、かよわい女の身、もっと心持を楽におもちなされ、この親鸞とて、そなたと変りのない凡夫じゃ、愚人じゃ、ただ何事も御仏と二人づれなればこそ、こうして、気づよくもおられまする。……その御仏の力をお借りなされたがよい、なんぞ、胸に思いあまることがあれば、縋《すが》って、申されたほうがよいのです」 「お上人様……思いあまることというのは、信心をすれば、良人《うち》の心に逆らい、信心を離れては、今の私は、生きているそらもないのでございます。この女の道と、人の道とを、一体、どうしたらよいのでございましょうか、それをお教えなされて下さいませ」 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり] 「そうか、よう解った」親鸞はうなずいて―― 「良人の心に添おうと思えば弥陀《みだ》に離れ、弥陀のおむねにすがろうとすれば良人の意志に反《そむ》く。――そういわれるのじゃの」 「はい……」お吉は、頬に涙をまろばせながら、膝を、前へにじり寄せた。 「お上人様」 「おう」 「それはもう言葉にもいいようのない辛いことや恐ろしいことが、朝にも夜にも、この身を責め折檻《せっかん》するのでござります。……おねがいでござります、お上人さま、どうぞ私を、尼《あま》にして、お弟子の末の末にでも、おつかいなされて下されませ」 「尼に?」眼をみはって、泣きおののく黒髪を見つめながら、 「まて。……尼になられたらどうなると思うておざるか」 「この黒髪さえ断《き》りましたならば、あの恐ろしい良人も、眼をさまして、心を持ち直してくれるかもわかりません。――また、私も永い年月、どんな辛抱しても、うちの良人《ひと》が真人間になってくれるよう、そして、世間のよい夫婦のよう、行く末に、今日の辛さや悲しみも、語り草にしてと思うて参りましたが……もうこのごろはその望みも持てなくなりました。身には生傷が絶えません、心には、暗いものがとれません、明けても暮れても眼を泣き腫《は》らしているようでは、うちの良人《ひと》の気持も荒《すさ》ぶばかりでございます。所詮《しょせん》、二人が一つ軒下に添っているのは、この世ながらの地獄を作っているようなもの、あの人のためにも、疲れた、私の身にも、尼になるのが、いちばんよい道だと存じます。どうぞ、お慈悲と思うて、お剃刀《かみそり》をいただかせてくださいませ」 「うむ、一応はご無理のないおたのみじゃが、しかしの、外の姿は尼と変えても、心のすがたをなんで変える」 「え……」 「黒髪を剃《お》ろしただけでは、心のすがたまで変えたとはいわれぬ。真実、今いうたようなお内儀の心ならば、まず黒髪はいつでもよい、なぜ、その心から先に変えようとはなさらぬか」 「お教えくださいまし、それが分れば、私は、お上人さまの仰っしゃるとおりに行います」 「よういわれた。真《まこと》、御仏《みほとけ》に仕えようというご発心《ほっしん》ならば、いつも親鸞が申すとおり、朝念暮念《ちょうねんぼねん》、ただ念仏を忘れぬことです。念仏を申すことならば、血の池の底、針の山のいただきからでも、いえることじゃ。声を出していうて悪ければ、口のうちでいう一声の念仏は、寺入りして千万度いう唱名よりは尊いのでおざるぞよ。その日その日の生活の苦労のうちに申してこそ、その念仏は生ける人の声として、御仏のお耳へもきっと届く。――疑いたもうなお内儀。雑業|俗生《ぞくしょう》の生活《なりわい》の忙しきうちから申す念仏とて、きっと弥陀《みだ》は受けたもうにぞ。……そうじゃ、親鸞が今、よい物を進ぜよう」そういって、 「蓮位、蓮位」と、呼んだ。  弟子僧に、硯《すずり》や筆や紙を運ぶようにいいつけて、親鸞は、六文字の名号を書き、それをお吉に与えて、 「これからは、ここへもお出でにならぬがよい。御仏は今かりに、平次郎の身にやどって、お身の信心を試しておられる。良人の平次郎を御仏と思うて仕えたがよい」と、諭《さと》した。 [#3字下げ][#中見出し]獣夫仏妻《じゅうふぶっさい》[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり] 「お吉っ、お吉っ」  朱《しゅ》を捺《な》すったような顔に、青すじを膨《ふく》らませて、河和田の平次郎は、こよいも、仕事|袴《ばかま》も脱《と》らずに、帰るとすぐ膳の酒に向ってまた例のわめきだった。 「やいっ、いねえのか」  暮れたばかりのほの暗い所では、お吉が、何か野菜でも刻んでいるらしく、細かい庖丁《ほうちょう》の音がしていた。 「はい」答えると、 「だって今、おまえさんが、漬物を持ってこいとおいいだから、漬物を出しているんじゃありませんか」 「べら棒め、漬物を出したって、酒のほうがもう空っぽだ。酒はあるか」 「ま、もうおしまいですか」 「買ってこいっ。……何かそこらの物を持って行って、市で叩き売ってしまうなり、借りるなりして、酒を持ってこい」 「そんな算段をしないでも、もッと召し上がるなら、お酒はまだたんと買ってございますから、安心しておあがりなさいませ」 「ふうむ……このごろはいやにいつでも断《き》れたことがねえな。いったい、その酒の金はどうしているのだ」 「ですから私が、あなたの寝た後も、昼のうちも、こうして一生懸命に、機《はた》を織ったり、櫛《くし》を削《けず》ったり、賃仕事をしているではございませぬか」 「普請場《ふしんば》の綱ッ引きには出ず、説教を聞きにゆく様子はなし、歯の浮くような念仏もふッつり止めて、このごろは気味のわるいように嫌に素直になりやがった。……やッぱり女って奴は、時々、半殺しの目に会わせてくれるのが薬だとみえる」 「さ、暖めて参りました、お酌《しゃく》をいたしましょう」 「ばかっ」一口飲んで、 「何だ、まだぬるいじゃねえか。酒飲みの亭主を持ったら、酒の燗《かん》ぐらいはおぼえておけ」 「すみません、暖め直してきますから」 「いいいい。後のやつを、もっと熱くしておくんだぜ。それに、肴《さかな》といやあ、毎晩、芋《いも》か蓮根だ。あしたは弓を持って、裏山の小鳥でも猟《と》って焼いておけよ」 「いつも、そう思いながら、つい織仕事の暇も惜しいものですから」 「云い訳は止せ、酒がまずくならあ。気のきかねえ阿女《あま》を嬶《かかあ》に持つと、こうも世話が焼けるものかなあ」 「さ、こちらのが燗《つ》きました。熱いのをお酌《つ》ぎいたしましょう」 「熱ッ。……どじめッ、こぼさねえように酌《つ》げねえのか」 「あ、かんにんして下さい」 「う、うーい」平次郎は、おくびをしながら、 「ここんとこ、久しくこの腕ッぷしを振り廻さねえから、癇《かん》の虫が退屈しやがって、なんだか、こううずうずしているのだぞ」 「あまり過ぎると、体にこたえますし、あしたの仕事もありますから、もう横になってお寝みなさいませ」 「この横着者め、おれを寝かせて、てめえも早く楽をしてえのだろう。……ま、まだいくらも飲んじゃいねえ、もう少し燗《つ》けてこい」 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり]  良人の酔いは、もう充分の度を超えているし、あしたの仕事に出る体のためにも気づかわれたので、 「お酒はもうございませぬ、それよりも、もうお寝みなさいませ」臥床《ふしど》へ夜具をしきかけると、その顔をかすめて、いきなり一枚の小皿が飛んできた。小皿は、幸いに彼女の顔へはあたらなかったが、うしろの壁へぶつかって、烈しい音と共に、粉《こ》になって砕けた。 「この嘘つきめ」と、平次郎は険しい顔を向けてわめいた。  お吉は、何を怒られたのかちょっとわからなかった。その、呆っ気にとられたような顔がまた、酒乱の良人の気持をさらに焦《いら》だてたものらしく、 「たった今、いくらでも酒は買ってあるから安心して飲めと吐《ぬ》かしやがって、もう無《ね》えとは、なんのいい草だ」突っ立ってくると、何を云いわけする間もなかった。もっとも、こんな場合、云いわけをすることは、よけいに良人の兇暴癖《きょうぼうへき》を募らせるものであることもお吉はよく知っている。 「畜生っ」黒髪をつかんで、平次郎は妻の体を前へぐっと引いた。そして、左右に振り廻したと思うと、烈しく、平手で妻の横顔をなぐった。 「……あっ、か、かんにんして下さい」  お吉は、それだけしかいわなかった。平次郎は、睨《ね》めすえて、 「すべためッ」自身も息がきれたのであろう、肩で大きく息を吐《つ》いて、しばらく、拳《こぶし》をかためていたが、酔いにたえかねたものとみえ、彼女の敷きかけている蒲団《ふとん》のうえに斃《たお》れると、そのまま、野獣のように、大きな鼾《いびき》をかいて眠ってしまった。 「……もし、枕を、枕を」お吉は、酒顛童子《しゅてんどうじ》のようになって寝入った良人を、怖々《こわごわ》とのぞいて、そっと、その顔を木枕へのせてやり、足の上へ夜《よる》の具《もの》をかけて、ほっと自分に回《かえ》った。  それから、勝手元の片づけものを済まし、それが片づくと、土間の機織台《はたおりだい》の前に腰をかけた。  松の根を焚《た》いて、お吉は、それから夜のふけるまで、あしたの良人の酒代を稼ぐのであった。自分の体に生傷をこしらえたり、苛責《かしゃく》の毒舌をあびせる酒を、寝ずに働いて、求めなければならなかった。  ――だが、そうした不合理な苦役も、しんしんと夜が更《ふ》けて、涙もわすれ、愚痴もわすれ、心に念仏を置いて、一念に筬《おさ》をうごかしていると、その筬の音は、いつか自分のかなしみを慰める音楽のように、一つの諧調を持って、苦役も苦役とは思わなくなってしまう。 「そうだ……こんな時に」彼女は、そっと奥をのぞいた。良人の鼾《いびき》を聞きすまして、彼女は、肌着の奥から何か大事そうに取り出した。――それはいつか稲田の親鸞上人が、彼女のために書いてくれた六文字の名号《みょうごう》であった。お吉はそれを、良人の眼をしのんで、小さな軸《じく》に仕立て、自分の心のまもりとして常に肌に秘めていた。  ふと、生きる力を失った時、ただ独りで泣きじゃくりたいような時――お吉は名号を取り出して、それに掌《て》をあわせる。すると、親鸞の慈悲にみちあふれた姿に会う心地がしてくる。親鸞の手にみちびかれて、無碍光《むげこう》如来の膝近くへ連れてゆかれる心地がしてくる……。  今も、彼女はそれを思い出したのである。すると、かたと、奥の暗い中で物音がした。ハッと心の騒ぐほうが先で、お吉は、あわてて名号を巻きもせずに懐中《ふところ》へかくした。 「何を見ていたっ」良人の平次郎が、いつの間にか恐ろしい形相を持って、後ろに立っていたのだった。 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり] 「出せっ、今見ていた物を見せろっ」良人の怒号を浴びて、お吉は、紙のように白くなってしまった。 「かくしたなっ、何か」 「いえ……」 「なんだっ、今、ふところへ隠した物はなんだ」 「……これは」胸を抱いて、彼女はすくんでしまった。 「ははあ、読めた。どうもこのごろ、おれに向って、てめえの様子がやさしすぎるわいと変に思っていたが、さては、隠し男をこしらえていやがるな」 「めっ、滅相《めっそう》もない」 「うんにゃ、そうに違いねえ。うぬが隠し男を持っているので、なんとか、おれを甘口に乗せて誤魔化《ごまか》していやがるのだろう」 「ど、どうしてそんな、大それたことを私が……。あまりといえば、情けないお疑いでございます」お吉は、鬢《びん》の毛《け》をふるわせて、良人のことばを、恨めしく思った。 「じゃあ見せろ。――見せられめえが、それは、男からきた艶文《ふみ》にちげえねえ」 「とんでもない……そんな物ではございません」 「いうなっ、もう何も吐《ぬ》かすなっ。おれにはちゃんと解《わか》っている。てめえの相手は、仲間の和介《わすけ》だろう」 「えっ?」 「どうだ、おれの眼に、くるいはあるめえ。弟|弟子《でし》の和介の野郎と、てめえは、艶文《ふみ》を交わしているのだろうが」 「なんで私が……ええあんまりな」 「しぶとい阿女《あま》めが」平次郎は、猜疑《さいぎ》の鬼《おに》になっていた。妻のやさしい情けも、苦役して稼《かせ》ぐ小費《こづかい》も、みなその和介にむすびつけて日ごろから邪推していたものである。 「よくも……男のつらに泥を塗りゃあがったなっ。……ウウム、見ていやがれっ、うぬも、和介の野郎も」どん――とお吉を一つ蹴放しておいて、平次郎は、奥へ駈けこんで行った。そして片肌を脱いで、逞しく盛り上がっている筋肉を見せ、再び躍り出してくると、 「この不貞腐《ふてくさ》れめっ」振り上げたのは、彼の仕事道具である磨《と》ぎ澄ました大手斧《おおちょうな》だった。 「――キャッ」お吉は、自分の身をどううごかしたか知らなかった。機《はた》の陰へ、俯《う》ッ伏《ぷ》したのであった。平次郎が振り下ろした手斧《ちょうな》の刃は、その機《はた》に懸《か》けてある千《ち》すじの糸をばらばらに切ったので、糸は蜘蛛《くも》の巣のように、彼の体にもお吉の髪の毛にも乱れかかった。 「――待って」と、お吉は絶叫したが、 「くそっ」平次郎の眼はまったく夜叉仮面《やしゃめん》のように吊り上がって、酒と、邪推と、白刃の三つに毒を仰飲《あお》ったように狂っているのであった。 「い、いいますッ――いいますから――まって、待って」 「ええ、今さら、聞く耳はねえ、思い知れ」手斧《ちょうな》の光は、せまい土間の中を大きく二振り三振り、風を斬った。  お吉は、壁にぶつかった、機《はた》にぶつかった。また、雨戸にぶつかって、転げた。  外へ、どんと仆《たお》れた雨戸は、彼女の体をまろばせて、次に、平次郎の荒い足にベリベリッと踏み破られた。 「――あれッ、どなたか、どなたか、来てくださいっ」闇へ向ってさけびながら、お吉は、家の外へ走っていた。何もかも夢中であった。 [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり] 「――うぬっ」平次郎は夜叉になっていた。その手に提《さ》げられていた手斧《ちょうな》は、彼女のすぐ後ろへ迫って、 「思い知れっ」と、また烈しい力で振り下ろした。  仏の加護といおうか、紙一重の差で、鋭い手斧《ちょうな》の刃は、お吉の黒髪をかすめたのみで、横へ反《そ》れた。 「ちぇッ」平次郎は、悪鬼の舌打ちをならした。そしてなお逃げ転《まろ》ぶお吉を追って、 「阿女《あま》っ、逃がしゃあしねえぞっ」と、さけんで躍った。  ――お吉は走った。どこへどういう目的《あて》などは元よりないのである。藪《やぶ》や畑や雑草の中を、ただ怖ろしさに駆けられるだけ駆けたのだった。 「……アア」しかし、女の足には限りがあった。心臓が圧《お》しつぶされるように苦しい。お吉は、大きな息をあえいで、べたと大地に坐ってしまった。  と――その大地を打って、ばたばたと追いかけてくる者の跫音《あしおと》がひびいてくる。お吉はハッとしてまた起った。――起ち上がったが、もう、肺はそれ以上に走ることに耐えなくなっていた。よろよろと蹌《よろ》めいてしまう。 「待たねえかっ、畜生っ」平次郎の声だった、声までがもう夜叉《やしゃ》の叫びのように物凄くしゃがれ[#「しゃがれ」に傍点]ているのである。 「ど、どうしよう」お吉は髪の根まで熱くなった。息は喘《き》れるし、助けを呼ぶにもこの深夜に誰がいよう。  もう後ろから来る荒い跫音《あしおと》は、すぐ近くまで追いついてきた。――彼女は前にはもう何も見えなくなっていた。真っ暗な足の先が、たとえ淵《ふち》でも、崖でも、池でも、駈けずにはいられなかった。  と――彼女の眸《ひとみ》のまえは、谷間の壁のような高い影に塞《ふさ》がれてしまった。お吉は、何物かにつまずいた。手をついた触感で、それが階段であると分ると、再び無我夢中にそれを駈けのぼった。  よろめく身を支《ささ》える弾《はず》みに、なにか冷たい金属の肌が手にふれた。それは階段の上の擬宝珠《ぎぼうし》柱であった。 「オオ、ここは柳島の御造営の伽藍《がらん》じゃな。……オオ新しい御堂《みどう》の縁」ほとんど無意識に近いうちに彼女はふと仏のふところを思った。慈悲の御廂《みひさし》の下ならば、同じ死ぬにも――狂乱した良人の刃物で殺されるにしても――幾分かなぐさめられる心地がする。  その時、平次郎がもう御堂の下まで来ていた。ドギドギと光る手斧《ちょうな》の刃が、闇の中をうろついている。獣《けだもの》に似た恐い眼が、御堂の床下をのぞいていた。それから廻廊の横のほうへ廻りかけたが、気配を感じたものとみえ、やがてのしりと、お吉の上がった階段を彼も上がってきた。  つよい木の香が鼻を打つ。柳島のこの御堂も、昨日ですっかり落成していたのである。丸太足場も、筵掛《むしろかけ》もすっかり取払われて、きのうの夕方は、かんな[#「かんな」に傍点]屑《くず》一つないようにきれいに掃き浄められていた。そして、御堂の庭には、敷砂まで撒《ま》いてあった。 「いッ、いやがったなッ」吠えたける一声がしたかと思うと、平次郎は、お吉の影を見つけて、タタタタタと躍り上がって、駈けてきた。 「――あッ、あれっ」 「うるせえっ」二十幾|間《けん》かある廻廊を、お吉は黒髪をながして逃げまわり、夜叉《やしゃ》の手斧《ちょうな》はあくまでそれを追いつめにかかった。 [#7字下げ][#小見出し]五[#小見出し終わり]  ――もうだめだ。お吉はそう観念した。  全身が、死をおもうて硬《こわ》ばってしまった。妙に、走る意力もくじけて、 (御仏さま……お上人さま)とのみ心で叫んでいた。――と彼女は眼の先に、深い死の谷間を見た。ちょうど――御堂の廻廊の曲り角であった――お吉は欄干の角《かど》へ仆れるように手をかけた。 「ざまを見ろッ」  だっ――と躍ってきて、後ろから振りかざしてきた平次郎の手斧《ちょうな》は、彼女の肩骨から頸《うなじ》へかけて、柱でもけずるように、ぴゅッ、とななめな光を描いた。 「――きゃッ!」これが――彼女が良人へ残して行った悲愴《ひそう》な終りの一声であった。それと共に、彼女のからだは、欄干からのめり落ちて、御堂の真下へもんどり打った。  ずうん――とその闇の下に、不気味な地ひびきを聞くと、 「斬ッたっ」平次郎は青白い笑みをゆがめて、さけんだ。 「キ、斬ッた……」手斧《ちょうな》をだらんとぶらさげたまま、彼はよろりと御堂の扉へよりかかった。そして、しばらくは茫然と眸をひらいて白痴のような口を開《あ》いていたが、何か、冷やっこいものが、額《ひたい》から顔へかけて、たらたらと流れているのに気づいて、 「血……血だッ……」掌《てのひら》で、彼は顔をこすった。――と、彼の酒気はすっかり醒《さ》めていたのである、ぶるるッと、背ぼねから慄《ふる》いを立てて、 「――オ、オ吉っ」と、うつろな声でよんだ。  急に、身の毛がよだってきたらしい。平次郎は、きょろきょろと鋭い眼を闇にくばった。――手にさげている手斧《ちょうな》の白い刃をながめた。 「あーっ、おれは」大変なことをしてしまったと彼は初めて気がついた。自分のすがたが自分の眼に見えてきたのである。 「……わ、わ、わ、……われアあ、どこへ行った、お吉っ」怖々《こわごわ》、欄干からのぞいてみると、永年、連れ添ってきた妻は、暗い墓場の穴みたいな闇の底に、死骸になって仆れている。  よろよろと、平次郎はあゆみだした。――眼も、耳も、口も、ぽかんとうつろにしたまま。  一段一段、彼は、悔悟の階段を下りてゆく。  ――しかしもう悔いも男泣きも間にあわない。  大地は、冷々《ひえびえ》していた。――ひょっとして、自分のあるいている今の闇が――あの世という冥途《よみ》の国ではあるまいかなどと思った。ぞっとして、うしろを振返った――亡妻《なきつま》の顔が――血みどろになって――黒髪のあいだから怨みの眼を光らせて、自分の襟元へ、青白い手を伸ばしてきそうな心地が幾度もするのだった。 「そ、そうだ」柳島の境内を出ると、彼は、後《あと》も見ずに韋駄天《いだてん》のように駈け出した。息をきって、わが家《や》へ帰ってきた。裏の蓮根の古沼へ、どぼっと手斧を投げすててしまった。そして、家の中へ入るなり戸をかたく閉め込んで、頭から夜具をかぶって眠ろうと努めた。 [#3字下げ][#中見出し]柳《やなぎ》と菩提樹《ぼだいじゅ》[#中見出し終わり] [#7字下げ][#小見出し]一[#小見出し終わり]  どこか遠くの方で、嬰児《あかご》の泣く声がする。平次郎は、夜具の中で、ふと、数年前に死んだお吉と自分との間にできた――亡《な》き児《こ》の声を思い出した。 「……似ている」彼はぞっとした。  嬰児の泣き声は、地の底からするように聞えた。――また、ともすると、手斧《ちょうな》の刃で、ぱんと、後頭部を一撃に斬って殺したお吉の亡霊が、血みどろな顔をして、自分と共に、この家に帰ってきているような気がしてならない。 (――ゆるしてくれ)必死に叫んだと思ったら、それは夢だった。――びっしょりと冷たい汗の中に身は硬《こわ》ばって眠っている。  死んだ児の泣き声――亡妻《なきつま》のうらめしげな顔――火の車、地獄、鬼、赤い火、青い火。  怖ろしい幻覚ばかりが、眼がさめても、瞼《まぶた》の前を往来《ゆきき》している。がたがたと骨ぶしがふるえる。夜の明けるのが、刻々と、待ちどおしい。 「おッ」ふと寝床から顔を上げると、窓の破れ戸の隙間が赤く見えた。日の出だ、と彼は救われたように飛び起きた。そしてガラリと戸を開けてみたのである。 「――あっ」だが、空はまだ真っ暗だった。そして彼方《あなた》の原を、十二、三名の僧形《そうぎょう》の人影が、おのおの、真っ赤な焔《ほのお》をかざして――それはもちろん松明《たいまつ》であるが――粛々と無言を守って通って行くのが眼に映った。 「な、なんだろう」行列の先には、白木の箱を担《にな》ってゆく者だの、きらきらとかがやく仏具や幟《はた》をささげて行く者もあった。 「……そうだ。わかった。すっかり忘れていたが、今日は柳島の御堂の建立《こんりゅう》が成就《じょうじゅ》したので、その入仏供養《にゅうぶつくよう》がある日だった」――まアよかったと安心したように、平次郎は戸を閉めたが、すぐ次の不安に襲われて、そわそわしだした。 「待てよ……お吉のやつの死骸を……あのまま捨てておいたが、今日は入仏の供養に、朝早くからたくさんな人が集まる。……すぐ死骸が見つけられて、お吉とわかると……それにつれて、下手人も」すこしもじっとしていられないような彼の眼つきだった。 「まずいぞ」つぶやくと、帯をしめ直して、家の外へ駈けだした。 「人が集まってからじゃあ間にあわねえ。誰も知らねえうちに、お吉の死骸を……そうだ死骸さえかくしてしまえば」そしてふたたび、柳島のほうへ駈けて行ったが、その時、彼のうしろから、赫々《かっかく》と大きな太陽の光が、下野《しもつけ》の山々を朱《あけ》にそめてかがやき出していた。 「……しまった、夜が明けてしまった……。ええ、どうなるものか」太っ腹をきめて、平次郎はなお先へ急いだ。もう、伽藍《がらん》は暁のさえざえした光の中に浮き出していた。ちらほらと、廻廊や広庭には人影もあるいていた。新しい御堂の大扉はすでに開かれて、内陣の壇には、先刻の僧たちが、仏具や帳《とばり》や蓮華《れんげ》や香台などをせわしげに飾っていた。 「……はてな……この辺だったが……たしかに、この角《かど》の欄干から」平次郎は、自分で殺した女房の死骸を、血眼でさがしていたが、死骸はもうそこに見あたらなかった。 [#7字下げ][#小見出し]二[#小見出し終わり] 「こいつあ、いけねえ」彼は、自分の危急を感じた。  お吉の死骸を、他人の手に持って行かれたとすると――平次郎の身に嫌疑のかかってくるのは当然である。  ぱっと、彼はそこを逃げだした、家の方へも行かなかった。そのまま足を他国へ向けて、永久にこの土地を捨てるつもりだった。  だが――村境まで来て、すこし落着くと、それもまずいと思った。自分から土地を捨てて逃げれば、お吉の殺害を、自分で証明していることになる。  いくら脛《すね》を飛ばしても、領主の令が伝われば、郡境《こおりざかい》や村境の木戸で、すぐ捕まるにきまっている。半日とは逃げきれないかも知れない。 「――山へ」と、眼を上げたが、意地わるく、胃の腑《ふ》は空になっていた、それに、炭焼や木樵《きこり》まで、自分の顔を知らない者はない。 「……そうだ」彼は、その時もう高くのぼっている朝の陽《ひ》で、初めて、自分のすがたを見直した。さだめし血みどろになっているであろうと思った、着物にも、何も血らしいものはついていないのだ。  だんだん腹がすわってきた。平次郎は、田へ下りて水で顔や手足を洗い、農家の裏にあった藁草履《わらぞうり》を足に履《は》いた。そして、わが家へも廻らずに、そのまま元の柳島へ引っ返してきたのである。  ――入仏式の鐘はしきりに鳴りだしていた。この日は、嘉禄《かろく》元年の四月の半ばであった。沃野《よくや》には菜の花がけむっていた、筑波も、下野《しもつけ》の山々も、霞《かすみ》のうちから、あきらかに紫いろの山襞《やまひだ》を描いていた。  もみ烏帽子《えぼし》や市女笠や、白い頭巾――桃いろの被衣《かずき》などが、野や畦《あぜ》を、ぞろぞろとあるいてゆく。  山家の娘や、老人や、若い者たちまで、新しい衣裳を着て、芳賀郡《はがごおり》の大内へ――柳島の建立を見に――詣《もう》でに――たいへんな人出なのである。  平次郎は、びくびくとして、その人たちの中にまじって入って行った。自分の袂《たもと》にさわる人間にもぎょっとした。しかし、人に馴れるに従って、大胆になってきた。彼は、いつのまにか、にこやかな笑い顔を作り、平然と装《よそお》って、 「よいあんばいですな」と、そばの者に話しかけたり、 「よう、おはよう」と、仲間の者を見ると、こっちからわざと挨拶して行ったりしていた。 「平次、おめえは、仕事着のままじゃねえか。どうして今日は、垢《あか》のつかねえ衣裳を着てこねえんだ。お吉さんといういい女房もついているのに、気がきかねえ」大工仲間の老人にいわれて、平次郎は、ぎょっとしたが、 「ところがね、あのお吉が、ゆうべ隣村の身寄りの者の家へ行ったきり、どうしたのか、今朝まで帰ってこねえんでさ。……で、面倒だから、つい、いつもの仕事着で来てしまったんですが、これじゃいけねえんですか」 「わるいことはないが、今日は、仕事は何もありゃあしねえ、みんなお上人様のお式を拝みに来ているのだから……」 「あっしも、きょうは、御本堂へ坐って、ありがたい入仏供養のありさまを、拝ませていただこうと思うんで」 「ふウむ、おめえ急に、信心家になったんだな」  平次郎は、そんな軽いことばにも、すぐ顔色をうごかした。 [#7字下げ][#小見出し]三[#小見出し終わり]  平次郎は空虚《うつろ》だった、人浪と念仏の声にただふらふらと押されているに過ぎない。心のどこかでは絶えず自分の犯した大罪の発覚をおそれ、あらゆる人間に向って鋭い警戒と神経が休まらなかった。 「ホウ、御本堂じゃ」 「なんとお見事な」 「あれに、御勅額も」群衆の顔がみな上を仰いで、眼をみはりながらつぶやいているので、平次郎も初めて、本堂の正面に来て立っている自分に気づいた。  十二|間《けん》四面の新しい木の香にかがやいている伽藍《がらん》には、紫の幕が張りまわされ、開かれた内陣の御扉《みとびら》には、おびただしい灯りが耀《かがや》いて見える。  下野《しもつけ》の城主大内|国時《くにとき》の一族をはじめ、久下田太郎《くげたのたろう》秀国、真壁の郡司や相馬《そうま》の城主|高貞《たかさだ》など――そういった歴々の帰依者《きえしゃ》も、きょうはすでに家臣をひきいて、本堂の左右にいながれ、伽藍《がらん》成就のよろこびを囁《ささや》き合っていた。  平次郎は、遠くからその光景を仰ぎ見たが、太刀を帯びている国主や武士は皆、やがて自分を縛る鬼のように見えて、じっとしていられなかった。 「――誰か今朝のことを、噂していないか」  猜疑《さいぎ》に尖《とが》った眼は、群集をかき分けて、ふたたび廻廊の角《かど》にあたる所の――自分が殺人を犯した場所へ――怖々《こわごわ》と行ってみた。  けれど、そこにも、人がいっぱいにいるだけで、なんの異状も見出されないし、 (河和田のお吉さんが殺された――)と、ささやいている者もない。  平次郎は、独り合点に、 「アア分った」と、胸のうちでつぶやいた。 「きょうはめでたい伽藍《がらん》開きと共に、入仏供養という、この村|創《はじ》まって以来の日だ。……それで、お吉の死骸を、寺の者があわてて始末して、伽藍が血によごれたなんてことも、そっと隠しているにちがいない」こう自分勝手に解釈をきめると、平次郎は、なんだか不安心でもあるし、安心したような気もしてきた。 (落着いていろ、口を拭《ふ》いていろ)と、彼は自分へつよくいって聞かせた。  急に、辺りの者が、一斉《いっせい》にべたべたと大地へ土下座し始めたので、平次郎もあわてて坐った。  いや、その辺りばかりでなく、山門から境内の者すべて、一人として、立っている者がなくなったのである。萱《かや》の風に伏すように、すべての人々が、頭《かしら》を下げ、念仏を唱和し、やがて、撞《つ》き出された梵鐘《ぼんしょう》の音と共に、しいんとした静寂が見舞った。 「……親鸞さまじゃ」 「……お上人様じゃ」ひそかな囁きに、平次郎はそっと首をのばして本堂のほうを見た。その時本堂の内では今しも稲田の草庵から移された善光寺如来の御分身が、金堂厨子《こんどうずし》の内ふかく納められ、導師《どうし》親鸞がおごそかな礼拝を終っているところだった。 「――やっ」突然、こう頓狂《とんきょう》なさけび声を揚げて、平次郎は、すべての人が頭を下げている中から、たった一人、発狂したように飛び上がった。  導師親鸞|聖人《しょうにん》のそばには、大勢の御弟子たちが従《つ》いていたが、その中に――親鸞のすぐうしろに、俗体の女すがたが、ただ一人まじっているのであった。 「――お吉だっ。……オオお吉にちげえねえっ」彼はふらふらと歩き出したが、すぐ群集につまずいて群集の中へ仆れた。 [#7字下げ][#小見出し]四[#小見出し終わり] 「なんじゃ、この男は」 「怪態《けたい》な」 「気が狂うてか」 「癲癇《てんかん》じゃろ」人々から眉をしかめられて、平次郎はハッと思った。 (気のせいだ)なんで、お吉が生きているはずがない。しかも、国主、城主、侍衆などのいならんでいる本堂の上に、親鸞の側近くに従《つ》いているわけなどが絶対にない。 (しまった……自分で自分の罪を口走るようなものだ)彼は、こそこそと、人の後ろへかくれ込んだ。しかし、どうしてもまだ気にかかるのであった。またそっと首をもたげて――じっと気を落着けて――本堂のほうを窺《うかが》った。  親鸞のすがたの側に、やはりお吉の姿が明らかに見えるのである。導師親鸞は、式事をすまして、中央に坐っていた。お吉はうしろのほうに、両手をひたとつかえている。  国司《こくし》と親鸞とのあいだに、なにか話が交わされているらしい。お吉も時々、おそるおそる顔をあげて、親鸞のうしろで答えているかのように見えた。 「生きてるっ――。おう、おう、お吉。――お吉じゃあねえか」憑《つ》き物《もの》でもしたように、平次郎は両手をあげてまた狂った。もうこんどは止らなかった。群衆の頭の上を踏みつけて、本堂の階段のほうへ遮二無二《しゃにむに》近づいてゆくと、前後もわすれて、 「女房っ、女房っ」唸《うめ》きながら、そこを駈け登ってしまった。 「無礼者っ」廻廊にいながれている国司の家来たちがいちどに立ち上がり、群衆もこの異様な狼藉者《ろうぜきもの》に、わっと、驚いて立ちくずれた。 「ま、おまえ様は」お吉は、真っ蒼になって、絶叫した。  平次郎は、群衆へ何か告げ知らせたいような手振りで、 「生きていたっ、生きていたっ――」と、さけびつづけた。 「ひかえろ」飛びかかってきた侍は、左右から彼の狂いまわる腕をつかまえて引き据えた。藤木権之助と広瀬|大膳《だいぜん》の二人であった。 「言語道断な奴めが」 「お場所がらをわきまえぬか」と、叱咤《しった》して、 「こりゃ平次、いつもの仕事場とはちがうぞ、ゆるし難い狼藉《ろうぜき》、きょうこそ、その素《そ》っ首を打ち落してやるから立てっ」襟《えり》がみを引摺《ひきず》ると、平次郎はもう痩せ犬のように身を縮めているだけだった。  すると、凜《りん》として一方から、 「お待ちなされ」  つと、声がひびいた。  何者が遮《さえぎ》るのかと、権之助が振り向いた。法名を乗念房《じょうねんぼう》という尾張守親綱《おわりのかみちかつな》の声だったのである。権之助は心のうちで、 (なぜ止めるのか)と、問い返すような眼を彼へ向けた。親綱は、 「上人の御意です」と、次にいった。  その一言に、誰もみな黙った。しいんと鳴りをしずめて、眸《ひとみ》は上人のほうへ集まっている。親鸞は、やおら法衣《ころも》のたたずまいを改めて、 「その者を、これへ」と、さし招いた。 [#7字下げ][#小見出し]五[#小見出し終わり]  そこに、彼は初めて、ありありと、うわさに聞いていた親鸞の姿を眼に見た。 「ヘ……ヘイ……」どうしても、面《おもて》をあげることができないのである。 「おもとが、木匠《たくみ》の平次郎か、わしが稲田の親鸞でおざる、よい折に会った、おそろしいことは何もない、いやむしろよろこばしいことすらある」  人の声か、仏の声か。  平次郎の耳の垢《あか》の隙間から諄々《じゅんじゅん》と入ってくる上人のことばは、皆平次郎にとって救いであり慰めであり、そして温かかった。 「――おもと、ふるえているの。そうか、おそらくはなんぞ勘ちがいしてござるのじゃろう、それでは、その恐怖から先に取り除《の》けてあげよう」親鸞は、諭《さと》して聞かせた。 「今朝方じゃった――まだ夜の明けたばかりのころ、この御堂《みどう》の角《かど》に、不愍《ふびん》や、一人の女房が悶絶《もんぜつ》している。誰ぞやと手当してやれば、それはおもとの内儀――このお吉どのだった。お吉さんは、よく稲田のわしの所へも信心に見えられたが、良人の心に逆ろうてはと、ふっつり、足を止めていたのじゃ。わしがその折、御名号を書いて与えたが、見ると、今朝気を失うている折も、確乎《しっか》と、それをふところに抱いていた。――やがて、弟子衆の介抱で、われに回《かえ》ると、さめざめ泣いてばかりおる。で――きょうのお式の前にと、別室へよび、仔細をつぶさに話してもらいました。平次郎どの、わしが証《あかし》を立ててもよい、お吉さんは、おもとの疑うているようなそんな女子《おなご》では決してない。世にもめずらしい仏性《ぶっしょう》の女子じゃ、許してあげてくだされ、そして、愛《いと》しんでおやりなされよ」 「…………」 「のう、よいか」 「……ヘ、ヘイ……」 「お内儀、念のため、良人に疑われた品、ここへ出して見せてやりなさい」 「はい」お吉は、摺《す》り寄って―― 「おまえ様……おまえ様は……」人々の前もわすれて泣き濡れていたお吉であった。磐石《ばんじゃく》にひしがれたように首をうつ向けている平次郎の前に、名号をくりひろげて、良人の手をつかみ、良人の茫然としている意識を揺《ゆ》り醒《さ》ますようにいった。 「わたしが不義をしている――男からの手紙を内密《ないしょ》で見ていると――おまえ様が邪推をまわしたのは、この名号でございまする。……勿体なくも、上人様のお筆でございますわいな、拝みなされ、良人《うち》のひと、これ、よう拝んで、お前様が人殺しの罪に墜《お》ちなかったお礼をいうてくださんせ」恐々《こわごわ》と、平次郎は、顔をもたげ、名号の文字をじっと見つめた。 「おお……」 「わかりましたか」 「……ウム」うなずいて、初めて彼は、妻の手をにぎり返した。 「……だが、お吉、おらあどうしても、おめえを手斧《ちょうな》で斬った覚えがあるんだが……どこにも、おめえは怪我《けが》をしていないか」 「いいえ……。ああわかりました――それではお前様は、御堂の大廂《おおびさし》から廻廊の角《かど》へ下がっている太竹《ふとだけ》の雨樋《あまどい》を斬ったのじゃ、それがわたしの身代りになって、今朝までは二つに斬れてぶらんとしておりましたが、お坊さんが、供養式《くようしき》の目ざわりというて外《はず》しておしまいなされたのじゃ」 「……あ、じゃあおれが手斧《ちょうな》でたたっ斬ったと思ったのは」 「雨樋じゃ、それを、わたしと思うて、勘ちがいしていたのでござんしょう」 「……ウウウ……そ、そうだったか」肚の底からうめきながら、平次郎は初めて、人間らしい眼が開《あ》いた心地がした。 [#7字下げ][#小見出し]六[#小見出し終わり]  すべてが自分の心から映して、心を恐怖させたり、呪《のろ》わせたりしていた錯覚《さっかく》だった。  水に映っていた形相《ぎょうそう》の悪い影だった。  平次郎は、水に返った。まだ澄みきったそれにはなれないが、本来の性《しょう》が心の底から湧きあがって、 「すまない……お吉……すまなかった……」  両手をついて、自分の妻へいったのである。お吉は、夫婦となってから、初めて良人の口から、こんな真実の声を聞いた。 「あれ……勿体ない」良人の手をすくい取って、 「女房に向って、すむもすまぬもござんせぬ。その詫びなら、なぜ、わたしよりも、御仏さまへいうては下さいませぬか」 「? ……」平次郎は、唖《おし》のように、黙ってしまった。慚愧《ざんき》にふくれあがっている額《ひたい》の青すじが、彼の性格の中でありありと苦悶していた。 「のう、お前さま」お吉は、今こそ、良人の年来の気もちをここで一転させようとするのだった。 「? ……」だが、平次郎は、うなずかなかった。  じっと、圧《お》し黙っている。強情な一徹な気性を、さながら二つの拳《こぶし》にあらわして、膝にかためたまま、黙っている。 「のう……」お吉のやさしい耳元のささやきにも答えないで。  前には、上人がいる。弟子たちがいる。  また、城主、郡司《ぐんじ》、その臣下、そして、集まっている無数の民衆がいる。  そのすべてが、仏の帰依者である。けれど、平次郎にはまだ、 (ウム)と、素直にいえないらしい。  なぜ。それを平次郎は今、あたりの人々に憚《はばか》って口にいえないらしかったが、彼の気持をもし率直にいわせるならば、 (仏なんてない)と、自分に教えたのは、仏に仕える人であり、 (神もない)と、自分の頭脳《あたま》へ沁みこませた人も、また、神に仕える人だったのである。  彼が、お吉との間にもうけた愛児は、ない神をあるように思い、ない仏をあるように信じたから、死なしてしまったのだと考えていた。  いいかげんな僧侶だの、怪しげな山伏だの、そういう類《たぐい》の者に信仰へ導かれて、彼は、たった一人の可愛い子を死なすために、夫婦して、食べる物も食べず、着るものも着ず、稼《かせ》いだ金や、ささやかな蓄《たくわ》えを、みんなそれらの祈祷料《きとうりょう》だのなんだのに捧げてしまったのである。  そのあげく、子は死んだ。お神札《ふだ》だの、お水だの、仏壇だの、なんだの、すべては彼の眼に忌《いま》わしく見える物を、一抱えも持って行って、溝川《みぞがわ》へ芥《ごみ》のように打ちすててしまった時に、平次郎は、 「――笑わかしゃアがる、これで罰があてられるものならあててみろ」と、天へ向って罵《ののし》った。  それからは、 (神だと、仏がだと、ふふん……)彼の性格は、また信念は、そうなってしまった。  誰にだって、彼は、そう信じていることでは、退《ひ》かずにいい争ったものである。――だが、親鸞だけは、さっきから、なんとなくべつもののような気はしていた。 [#7字下げ][#小見出し]七[#小見出し終わり] 「――いってください、後生です。女房へ下げるその手を、どうして御仏《みほとけ》さまには下げられないのでござんすか」 「お……お吉」 「いってくれますか」平次郎は、突っ張っていた肩を、がたっと落して、 「……いう、いう……」と、顔をおおった。 「オオ、お前様」お吉はうれしさに、われを忘れて、良人の手を引っ張った。  二人は、かがやく灯《あかし》へ向って、並んで坐った。善光寺|如来《にょらい》の分身が、新らしいお厨子《ずし》の内に、皎々《こうこう》と仰がれた。  平次郎は、ふと、羞恥《はにか》むように、妻のほうを見てたずねた。 「……だが女房、なんというて、お詫《わ》びをいうたらよいのか」 「さ……」彼女は考えて、 「やはりただ、なむあみだ仏《ぶつ》――と、そう仰っしゃればようござんす」 「それだけでよいのか」 「ええ」 「たったそれだけで、おれが今日までやったいろんな悪いことが、みんな、お詫びになるだろうか」 「先の願いにもなりまする」 「では……」ふたりの掌《てのひら》がいっしょに揃って、合掌した。  燦《さん》として、外陣内陣の仏燈が、いちどに、光を改めた。 「なむあみだ仏――」 「なむあみだ仏――」 「おお、おいいなされた」お吉のほほ笑みは、さながら、菩薩《ぼさつ》の笑みに似ていた。平次郎は、やめなかった。 「なむあみだ仏、なむあみだ仏――」ぼろぼろと涙がやまない。 「もう、ようござんす、ここは、家ではございませぬから」心から、笑って、夫婦は急に、親鸞のうしろへ退《さ》がった。  城主も、侍たちも、二人をながめている間、平次郎の過去の罪を考えている者はなかった。ただ美しいものを見るように見惚《みと》れていたのである。藤木権之助がすすんで、 「追ってお上《かみ》よりも、何かのお沙汰があろうという仰せであるぞ。ようお礼を」と、二人のそばへ来てささやいた。  平次郎は、あわてて、武士たちの居ならんでいるほうへ頭を下げた。それは、家来たちの席であると注意されて、急いで、城主のほうへまた、お辞儀をし直した。  梵鐘《ぼんしょう》が鳴り出した。人々は、座を立つ。供養の式は終ったのである。  だが、群衆はまだ去らないで騒いでいる。御堂へ向って前栽《せんざい》の両側に、これから、城主と親鸞とが手ずから鍬《くわ》を持って、双《ふた》つの樹を植える式があるというので――。  その樹は、一方に柳樹《りゅうじゅ》、一方には菩提樹《ぼだいじゅ》であった。  下野《しもつけ》の城主|国時《くにとき》と、親鸞とは、大地へ下り、東西にわかれて、鍬をとった。  植えられる樹のうえに、もう無数の禽《とり》が舞って来て、浄土の歌を囀《さえず》っていた――。 [#7字下げ][#小見出し]八[#小見出し終わり]  いつまでも、境内を去らない群衆は、鳴りひびく梵鐘《ぼんしょう》のあいだに、念仏を和して、 「あの平次郎でさえ、お上人さまは、お救いくだされた」 「親鸞さまのようなお方こそ、生ける御仏さまというのであろう」 「ありがたい」 「これでわしらの精神《たましい》の曼陀羅《まんだら》もできるというもの」 「安心して働こうぞ」 「楽しんで世を送ろうぞ」 「楽しみがのうてなんの人生ぞや、といつかも仰せなされた。ありのままの相《すがた》をもって、念仏し、世をたのしめとも仰っしゃった」 「こんな歓ばしい日はない」 「吉《よ》い日じゃ」 「めでたい日よの」百姓たちは百姓たちと、工匠《たくみ》らは工匠たちと、商人《あきゅうど》は商人たちと――またその家族たちと――人々はこぞって親鸞の徳を称《たた》え、国主の善政に感謝し、法悦の諸声《もろごえ》は、天地《あめつち》に盈《み》ちあふれていた。  城主の大内国時も、 「政治のための政治ではいけない――まことの民心をつかむのは、まことの心になって、支配者も、一体になることにあるということを今日わしは教えられた。上人は、仏法最高の真理の把握者《はあくしゃ》であると共に、経世救民のうえからも、共に偉大な民治の父でいらせられる――」と、いった。  相馬の城主高貞や、久下田太郎《くげたのたろう》秀国や、真壁、小栗《おぐり》などの近国の領主たちも、当日の参会《さんえ》によって、みな、少なからぬ感銘をうけていた。  そして、おのおのが、この新しい伽藍《がらん》へ、応分の寄進を約して、いとも満足げに、やがてそれぞれ帰館の途《と》について行った。 「おまえ様――」お吉は、そっと、良人の手をとって、ささやいた。 「……もう御堂の内には、どなた様もおりませぬぞえ。お式はすんだのでございます。……さ、さ、おまえ様も、階下《した》へ降りて、お上人様へ、まいちどよく、お礼をいうてくださいませ」 「……ウム、ウム」素直な唖《おし》のように、平次郎はただうなずくばかりだった。  御堂《みどう》の両側に、柳と菩提樹を植えて、手を洗《すす》いでいた上人の前へ、夫婦は、おそるおそる来て、大地に両手をつかえ、 「ありがとうございまする。……お上人様、なんとお礼を申しあげてよいやら、今はまだ、あまりうれしゅうて、ことばもございませぬ」といった。  上人は夫婦のよろこび以上に、大きな歓びにつつまれて、ほほ笑んだ。 「みなも帰った。おもとたちも、はよう家へ戻って、きょうから、家の中も、明るくするように努めたがよい。良人、妻、どっち一人の力だけでも、家は明るうならぬ。よいかの、心を共に協《あわ》せて――」 「わすれませぬ」お吉は掌《て》をあわせた。  すると、平次郎は、大地を摺《す》り寄って、泣き濡れた顔を上げながら上人の袂《たもと》へすがってさけんだ。 「――お救い下さいまし……お救い下さいまし。末永く」 「平次郎は何を悩む、おもとはもう充分に御仏の救いに会っておらるるのじゃ」 「では……私を、御仏のお弟子に加えてくださいまし。上人様のお弟子の端に」 「よし」――とすぐ上人はうなずかれた。そして、唯円房《ゆいえんぼう》という法名を、彼のために選んで与えた。 [#7字下げ][#小見出し]九[#小見出し終わり]  唯円房――  唯円房――  いくたびも平次郎は口のうちでくりかえしてみる。救いの師、親鸞に名づけられて、きょうから在家の弟子となった自分の名を――。  お吉も、共に、 「よい名でござります」と、よろこびにかがやく。平次郎は、改まって、 「お吉よ」と、やさしく呼んだ。 「あい」 「おまえのお蔭だ、おれがこうなって生れかわったのは――」 「勿体ない」 「二つにはまた、死んだ児のおかげだ。――こうして、御仏に導かれる縁を作ってくれたのは」 「ほんに……」 「また、仲ようして、よい子を生もう、お吉、生んでくれ」 「はい」 「そして、きのうまで、おれのしたことはすべて忘れてくれ。――きょうからは、生れかわった唯円房、きっと、人いちばい働いて、貧乏も取り返すぞ、おまえにさせた苦労も埋《う》め合せしてやるぞ」 「そのおことばだけで、私はもう、なんといってよいか分りません。……私も、きょうの暁、いちど死んだも同じ体です。これからは、唱名《しょうみょう》一念、夫婦して、御仏さまへおつとめをいたしましょう」 「オオ、お上人様が手ずから植えて――やがてあの御堂の両側に伸びてゆく――柳と菩提樹《ぼだいじゅ》のようにな」        *  九条殿の執奏《しっそう》によって、弟子の真仏房《しんぶつぼう》がはるばる、都から奉じてきた、後堀河の帝《みかど》の勅額は―― [#1字下げ]専修阿弥陀寺《せんしゅうあみだじ》  と下賜《くだ》しおかれた。  今ものこる高田専修寺はこの寺である。――親鸞が稲田にあっての農田生活十年のあいだに、こうして建立された伽藍《がらん》なのであった。  もっとも、その十年のあいだには、ここばかりではなく、親鸞の師弟が杖《つえ》をついた地方――たとえば越後、信州、上州、武州などの各地にも、蒔《ま》かれてあった胚子《たね》が、春に会ったように、簇々《ぞくぞく》と芽《め》となり、ふた葉となり樹となり花となって、念仏|曼陀羅《まんだら》の浄地を、各地に生み殖《ふ》やしても行った。  それは、あたかも大地が植物を伸ばして行くあの自然の力にも似た必然の勢いで――。  この勢いと時代のまえには、多年念仏門を呪詛《じゅそ》していたあらゆる呪詛も、声をひそめてしまった。権力も、それには従うほかなかった。  だが――親鸞も、人間である、いつの間にか、よいお爺《じい》さんになってきた。  もう六十にちかいのである。そして五、六人の子供たちの父であった。――その以前に、前の玉日の前とのあいだに生《あ》げた一つぶ種《だね》の範意《はんい》は、京都で、父の顔を知らずに亡くなってしまったけれど――とにかく彼は今、一個の家庭の父としても幸福であった。  しかし、彼は、その幸福の中に、綿帽子《わたぼうし》をかぶって、屈《かが》んでしまう人でなかった。体力もまだ旺《さかん》なものだった、異常な精神力は、六十ぢかいとはどうしても、見えないくらいな艶《つや》のいい皮膚にもみなぎっている。 「雪が解けたら、また教化《きょうげ》の旅に出かけたいの。――信州へも、越後へも。――久しぶりに東海道も遊行《ゆぎょう》してみたい」ことしの冬は、云い暮している。この分では、まだまだ裏方の朝姫との間に、次の嬰児《あかご》が二人や三人は生れない限りもない。 底本:「親鸞(一)」吉川英治歴史時代文庫、講談社    1990(平成2)年8月11日第1刷発行    2010(平成22)年2月23日第34刷発行    「親鸞(二)」吉川英治歴史時代文庫、講談社    1990(平成2)年8月11日第1刷発行    2011(平成23)年9月1日第34刷発行    「親鸞(三)」吉川英治歴史時代文庫、講談社    1990(平成2)年9月11日第1刷発行    2009(平成21)年8月5日第31刷発行 初出:「名古屋新聞」    1934(昭和9)年9月28日〜1935(昭和10)年8月9日、1936(昭和11)年1月19日〜8月    「台湾日日新報 夕刊」    1934(昭和9)年9月30日〜1935(昭和10)年8月12日、1936(昭和11)年1月7日〜8月4日    「京城日報」    1934(昭和9)年9月〜1935(昭和10)年8月、1936(昭和11)年1月10日〜8月    「神戸新聞」    1936(昭和11)年1月5日〜8月6日    「福日新聞」「北海タイムス」    1935(昭和10)年9月〜1936(昭和11)年8月 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 ※「群衆」と「群集」、「輦」と「牛輦」、「木樵」と「樵夫」、「山蔭」と「山陰」、「樹蔭」と「樹陰」、「日蔭」と「日陰」、「葉蔭」と「葉陰」、「偽瞞」と「欺瞞」、「輝」と「耀」の混在は、底本通りです。 ※「抛」に対するルビの「ほ」と「ほう」、「三昧」に対するルビの「ざんまい」と「さんまい」、「乞食」に対するルビの「こじき」と「こつじき」、「法筵」に対するルビの「ほうえん」と「むしろ」、「捕吏」に対するルビの「やくにん」と「とりて」と「ほり」の混在は、底本通りです。 ※底本巻末の編者による註解は省略しました。 ※「名古屋新聞」に初出時の表題は「親鸞聖人」「親鸞聖人 後編」です。 ※「台湾日日新報」に初出時の表題は「親鸞聖人」「紙衣祖師」です。 ※「京城日報」に初出時の表題は「親鸞聖人」「愚禿頭巾」です。 ※「神戸新聞」に初出時の表題は、前編の掲載が確認できていないため、後編が「愚禿親鸞」であることのみ確認されてます。 ※誤植を疑った箇所を、「親鸞 上巻」角川文庫、角川書店、1972(昭和47)年2月20日改版初版発行、「親鸞 下巻」角川文庫、角川書店、1972(昭和47)年2月25日改版初版発行の表記にそって、あらためました。 入力:川山隆 校正:トレンドイースト 2021年7月27日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。