霊魂の話 折口信夫 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)却々《なかなか》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)たま[#「たま」に傍線]  [#(…)]:訓点送り仮名  (例)秦[#(ノ)]河勝 /\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号) (例)追ひ/\ *濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」 -------------------------------------------------------        たま[#「たま」に傍線]とたましひ[#「たましひ」に傍線]と たま[#「たま」に傍線]とたましひ[#「たましひ」に傍線]とは、近世的には、此二つが混乱して使はれ、大ざつぱに、同じものだと思はれて居る。尤、中には、此二つに区別があるのだらうと考へた人もあるが、明らかな答へはない様である。私にもまだ、はつきりとした説明は出来ないが、多少の明りがついた。其を中心に話を進めて見たいと思ふ。 古く日本人が考へた霊魂の信仰は、後に段々変つて行つて居る。民間的に――知識の低い階級によつて――追ひ/\に組織立てられ、統一づけられた霊魂の解釈が加はつて行つた為だと思ふ。だから其中から、似寄つたものをとり出して、一つの見当をつける事は、却々《なかなか》困難であるが、先大体、たま[#「たま」に傍線]とたましひ[#「たましひ」に傍線]とは、違ふものだと言ふ見当だけをつけて、此話を進めたい。いづれ、最初にたま[#「たま」に傍線]の考へがあつて、後にたましひ[#「たましひ」に傍線]の観念が出て来たのだらう、と言ふ所に落ちつくと思ふ。        たま[#「たま」に傍線]の分化――神ともの[#「もの」に傍線]と 日本人のたま[#「たま」に傍線]に対する考へ方には、歴史的の変化がある。日本の「神」は、昔の言葉で表せば、たま[#「たま」に傍線]と称すべきものであつた。それが、いつか「神」といふ言葉で飜訳せられて来た。だから、たま[#「たま」に傍線]で残つて居るものもあり、神となつたものもあり、書物の上では、そこに矛盾が感じられるので、或時はたま[#「たま」に傍線]として扱はれ、或所では、神として扱はれて居るのである。 たま[#「たま」に傍線]は抽象的なもので、時あつて姿を現すものと考へたのが、古い信仰の様である。其が神となり、更に其下に、もの[#「もの」に傍線]と称するものが考へられる様にもなつた。即、たま[#「たま」に傍線]に善悪の二方面があると考へるやうになつて、人間から見ての、善い部分が「神」になり、邪悪な方面が「もの」として考へられる様になつたのであるが、猶、習慣としては、たま[#「たま」に傍線]といふ語も残つたのである。 先、最初にたま[#「たま」に傍線]の作用から考へて見る。 我々の祖先は、もの[#「もの」に傍線]の生れ出るのに、いろ/\な方法・順序があると考へた。今風の言葉で表すと、其代表的なものとして、卵生と胎生との、二つの方法があると考へた。古代を考へるのに、今日の考へを以てするのは、勿論いけない事だが、此は大体、さう考へて見るより為方がないので、便宜上かうした言葉を使ふ。此二つの別け方で、略よい様である。 胎生の方には大して問題がないと思ふから、茲では、卵生に就いて話をする。さうすると、たま[#「たま」に傍線]の性質が訣つて来ると思ふ。        なる[#「なる」に傍線]・うまる[#「うまる」に傍線]・ある[#「ある」に傍線] 古いもので見ると、なる[#「なる」に傍線]と言ふ語で、「うまれる」ことを意味したのがある。なる[#「なる」に傍線]・うまる[#「うまる」に傍線]・ある[#「ある」に傍線]は、往々同義語と考へられて居るが、ある[#「ある」に傍線]は、「あらはれる」の原形で、「うまれる」と言ふ意はない。たゞ「うまれる」の敬語に、転義した場合はある。万葉などにも、此語に、貴人の誕生を考へたらしい用語例がある。けれども、厳格には、神聖なるものゝ「出現」を意味する言葉であつて、貴人に就いて「みあれ」と言うたのも、あらはれる[#「あらはれる」に傍線]・出現に近い意を表したと見られるのである。即、永劫不滅の神格を有する貴人には、誕生と言ふ事がない。休みからの復活であると信じたのである。ある[#「ある」に傍線]が「うまれる」の敬語に転義した訣が、そこにある。 うまる[#「うまる」に傍線]の語根は、うむ[#「うむ」に傍線]である。うむ[#「うむ」に傍線]は「はじまる」と関係のある語らしい。うぶ[#「うぶ」に傍線]から出て居る形と見られる。此に対して、なる[#「なる」に傍線]と言ふ語がある。ある[#「ある」に傍線]は、形を具へて出て来る、即、あれいづ[#「あれいづ」に傍線]であるが、なる[#「なる」に傍線]は、初めから形を具へないで、ものゝ中に宿る事に使はれて居る。くはしくは、なりいづ[#「なりいづ」に傍線]と言ふべきである。 此なる[#「なる」に傍線]の用語例が多くなつて来ると、な[#「な」に傍線]と言ふ語だけに意味が固定して、な[#「な」に傍線]を語根とした、なす[#「なす」に傍線]と言ふ語なども出来て来た。なる[#「なる」に傍線]と言ふ語には、別に、ものゝ内容が出来てくる――充実して来る――と言ふ同音異義の語があるが、元は一つであるに相違ない。同音異義でなく、意義の分化と見るべきであらう。        発生に於ける三段の順序 たまご[#「たまご」に傍線]の古い言葉は、かひ(穎)である。「うぐひすの、かひこ[#「かひこ」に傍線]の中のほとゝぎす」などの用語例が示してゐる様に、たまご[#「たまご」に傍線]の事をかひこ[#「かひこ」に傍線]と言うた。蚕にも此意味があるのかも知れぬが、此は姑く、昔からの「飼ひこ」として預けて置かう。 ものを包んで居るのが、かひ[#「かひ」に傍線]である。米のことをかひ[#「かひ」に傍線]と言うたのは、籾に包まれて居るから言うたので、即、籾がかひ[#「かひ」に傍線]なのだが、延いてお米の事にもなつたのである。ちかひ[#「ちかひ」に傍線]・もゝかひ[#「もゝかひ」に傍線]・しる[#「しる」に傍線]にもかひ[#「かひ」に傍線]にもなどの、用語例で見ると、昔は籾のまゝ食べたのかとも思はれる。籾は吐き出したのであらう。さうでないと、かひ[#「かひ」に傍線]の使ひ方が不自然である。 かひ[#「かひ」に傍線]は、もなか[#「もなか」に傍線]の皮の様に、ものを包んで居るものを言うたので、此から、蛤貝・蜆貝などの貝も考へられる様になつたのであるが、此かひ[#「かひ」に傍線]は、密閉して居て、穴のあいて居ないのがよかつた。其穴のあいて居ない容れ物の中に、どこからか這入つて来るものがある、と昔の人は考へた。其這入つて来るものが、たま[#「たま」に傍線]である。そして、此中で或期間を過すと、其かひ[#「かひ」に傍線]を破つて出現する。即、ある[#「ある」に傍線]の状態を示すので、かひ[#「かひ」に傍線]の中に這入つて来るのが、なる[#「なる」に傍線]である。此がなる[#「なる」に傍線]の本義である。 なる[#「なる」に傍線]を果物にのみ考へる様になつたのは、意義の限定である。併し果物がなると言うたのも、其中にものが這入つて来るのだと考へたからで、原の形を変へないで成長するのが、熟する[#「熟する」に傍線]である。熟する[#「熟する」に傍線]といふ語には、大きく成長すると言ふ意も含んで居るのである。 かやうに日本人は、ものゝ発生する姿には、原則として三段の順序があると考へた。外からやつて来るものがあつて、其が或期間ものゝ中に這入つて居り、やがて出現して此世の形をとる。此三段の順序を考へたのである。        なる[#「なる」に傍線]の信仰から生れた民譚 竹とり物語のかぐや[#「かぐや」に傍線]姫は、此なる[#「なる」に傍線]の、適切な例と見られる。此物語には、なる[#「なる」に傍線]と言ふ語は使つてないが、ないだけに、却つて信用が出来る様に思はれる。 なよ竹のかぐや姫は、山の中の竹の、よ[#「よ」に傍線]――節と節との間の空間――の中にやどつて育つた。其を竹とりの翁が見つけてつれて来る。此物語は、純粋の民間説話でなく、其をとつて平安朝に出来た物語であるから、自然作意がある。姫がどうして、竹のよ[#「よ」に傍線]の中に這入つたかなどゝ言ふことも言はれてはない。天で失敗があつて下界に降り、或期間を地上に居てまた天へ還つたといふ風に、きれいに作られてゐる。 類型の話は、猶幾つかある。桃太郎の話が、やはり其一つである。我々の考へから言へば、桃の中にどうして人が這入つたらうと疑はないでゐられないが、昔はそこまで考へる必要はなかつたのだ。此話では、桃の実が充実して来ると言ふ考へと、桃太郎が大きくなつて出て来る時期を待つて居ると言ふ考へとが、一つになつて居る。朝鮮には、卵から生れた英雄の話がたくさんある。日本と朝鮮とは、一部分共通して居る点がある。あめのひぼこ[#「あめのひぼこ」に傍線]は、朝鮮からやつて来た神だが、やはり卵の話に関聯して居る。 卵の話は、日本にも全然ない事はないが、日本には、卵でなく、もつと外の容れ物があつた。瓜に代表させていゝと思ふが、瓜といふと、平安朝頃まではまくわ[#「まくわ」に傍線]の事で、喰べられるものゝ事を言うた。古くは、主としてひさご[#「ひさご」に傍線]を考へた。其ひさご[#「ひさご」に傍線]の実が、だん/\膨れて来て、やがてぽんとはじける時がくる。其は其中に、或ものが育つて居ると考へたのである。 更にかうした話は、もつと異つた形でも残つて居る。聖徳太子に仕へ、中世以後の日本の民俗芸術の祖と謂はれて居る、秦[#(ノ)]河勝には、壺の中に這入つて三輪川を流れて来た、との伝説が附随して居る。此壺には、蓋があつた。桃太郎の話よりは、多少進化した形と見られる。        たま[#「たま」に傍線]のいれもの 日本の神々の話には、中には大きな神の出現する話もないではないが、其よりも小さい神の出現に就いて、説かれたものゝ方が多い。此らの神々は、大抵ものゝ中に這入つて来る。其容れ物がうつぼ[#「うつぼ」に傍線]舟である。ひさご[#「ひさご」に傍線]のやうに、人工的につめ[#「つめ」に傍点]をしたものでなく、中がうつろ[#「うつろ」に傍点]になつたものである。此に蓋があると考へたのは、後世の事である。書物で見られるもので、此代表的な神は、すくなひこな[#「すくなひこな」に傍線]である。此神は、適切にたま[#「たま」に傍線]と言ふものを思はす。即、おほくにぬし[#「おほくにぬし」に傍線]の外来魂の名が、此すくなひこな[#「すくなひこな」に傍線]の形で示されたのだとも見られる。 此神は、かゞみ[#「かゞみ」に傍線]の舟に乗つて来た。さゝぎ[#「さゝぎ」に傍線]の皮衣を着て来たともあり、ひとり[#「ひとり」に傍線]虫の衣を着て来たともあり、鵝或は蛾の字が宛てられて居る。かゞみ[#「かゞみ」に傍線]はぱんや[#「ぱんや」に傍線]の実だとも言はれるが、とにかく、中のうつろ[#「うつろ」に傍点]なものに乗つて来たのであらう。嘗て柳田国男先生は、彼荒い海中を乗り切つて来た神であるから、恐らく潜航艇のやうなものを想像したのだらうと言はれた。 かやうに昔の人は、他界から来て此世の姿になるまでの間は、何ものかの中に這入つてゐなければならぬと考へた。そして其容れ物に、うつぼ[#「うつぼ」に傍線]舟・たまご[#「たまご」に傍線]・ひさご[#「ひさご」に傍線]などを考へたのである。        ものいみ[#「ものいみ」に傍線]の意味 何故かうしてものゝ中に這入らねばならぬのであつたか。其理由は、我々には訣らぬ。或は、姿をなさない他界のものであるから、姿をなすまでの期間が必要だ、と考へたのであつたかも知れない。併し、もう一つ、ものがなる為には、ぢつとして居なければならぬ時期があるとの考へもあつた様だ。えび[#「えび」に傍線]・かに[#「かに」に傍線]が固い殻に包まれてぢつとしてゐるのも、蛇が冬眠をするのも、昔の人には、余程不思議な事に思はれたに相違ない。光線もあたらない、暗黒の中に、ぢつとして居たものが、やがて時がくれば、其皮を脱いで、立派な形となつて現れる。古代人は、そこに内容の充実を考へたのであらう。 此話は、日本の神道で最大切な事に考へて居た、ものいみ[#「ものいみ」に傍線]と関聯がある。ものいみ[#「ものいみ」に傍線]は、此自然界の現象から思ひついた事であるかとも考へられるが、或は、さうした生活があつた為に、此話が出来たのかも知れない。此は今のところ、どちらとも言へないが、とにかく、古く日本には、神事に与る資格を得る為には、或期間をぢつと家の中、或は山の中に籠らねばならなかつたのである。 も[#「も」に傍線]に籠ると言ふことは、蒲団の様なものを被つてぢつとして居る事であつた。大嘗会の真床覆衾(神代紀)が其である。さうして居ると、魂が這入つて来て、次の形を完成すると考へた。其時は、蒲団がものを包んでゐるので、即かひ[#「かひ」に傍線]である。さうして外気にあたらなければ、中味が変化を起すと考へた。完成したときがみあれ[#「みあれ」に傍線]である。此は昔の人が、生物の様態を見て居て考へたことであつたかも知れない。        うつ[#「うつ」に傍線]・すつ[#「すつ」に傍線]・すだつ[#「すだつ」に傍線]・そだつ[#「そだつ」に傍線] 話が多少複雑になつて来たので、こゝらで単純に戻したいと思ふ。 古い言葉に、此はうつぼ[#「うつぼ」に傍線]にも関係があると思ふが、うつ[#「うつ」に傍線]と言ふ語がある。空・虚、或は全の字をあてる。熟語としては、うつはた[#「うつはた」に傍線](全衣)・うつむろ[#「うつむろ」に傍線](空室)などがある。うつ[#「うつ」に傍線]は全で、完全にものに包まれて居る事らしい。このはなさくや[#「このはなさくや」に傍線]姫のうつむろ[#「うつむろ」に傍線]は、戸なき八尋殿を、更に土もて塗り塞いだとあるから、すつかりものに包まれた、窓のない室の意で、空の室を言つたのではないと思ふ。たゞ其が、空であつた場合もあるのである。 うつ[#「うつ」に傍線]に対してすつ[#「すつ」に傍線]と云ふ語がある。うつ[#「うつ」に傍線]には二通りの活用がある。うて[#「うて」に傍線]・うて[#「うて」に傍線]・うつ[#「うつ」に傍線]・うつる[#「うつる」に傍線]・うつれ[#「うつれ」に傍線]と活く場合と、うつて[#「うつて」に傍線]・うつて[#「うつて」に傍線]・うつゝ[#「うつゝ」に傍線]・うつゝる[#「うつゝる」に傍線]・うつゝれ[#「うつゝれ」に傍線]と活く場合と、此二様がある。なげうつ[#「なげうつ」に傍線]は、ものを投げた時の音の聯想から、うちつける[#「うちつける」に傍点]に感じが固定した様であるが、古くはさうでなかつた。現在の語感から古語を解剖すると、往々誤りを生じる。此なげうつ[#「なげうつ」に傍線]も、たま[#「たま」に傍線]の信仰に照して見ると、どうして此語が出来たか、元の形が訣ると思ふ。 琉球の古語のすぢゆん[#「すぢゆん」に傍線]は、ものゝ中から生れ出ることを意味した語らしい。此は蘇生する・復活するなどに近い気分を持つた語である。日本のうつ[#「うつ」に傍線]にも、其がある。此すぢゆん[#「すぢゆん」に傍線]の語根すぢ[#「すぢ」に傍線]は、他界から来る神を表した語らしく、日本のたま[#「たま」に傍線]と略、同義語の様である。柳田先生は、此すぢ[#「すぢ」に傍線]を、我国の古語いつ[#「いつ」に傍線](稜威)と一つものに見られた。 いつ[#「いつ」に傍線]は「みいつ[#「いつ」に傍線]を祈りて」とか「いつ[#「いつ」に傍線]のちわきにちわきて」などの用語例に入つて来ると、多少内容が変つて来るが、ほんとうは、い[#「い」に傍線]列とう[#「う」に傍線]列とが近くて区別のなかつたとき、いつ[#「いつ」に傍線]ともうつ[#「うつ」に傍線]とも言うたらしく、ちはやぶる[#「ちはやぶる」に傍線]はいつはやぶる[#「いつはやぶる」に傍線]で、またうつはやぶる[#「うつはやぶる」に傍線]とも言うて、魂の荒ぶる方面を言うたのだが、其がいつか、神の枕詞になつてしまうた。恐らく、さうした暴威を振ふ神のあつたことを考へた事から出来た語であると思はれる。 とにかく、琉球のすぢ[#「すぢ」に傍線]と日本のうつ[#「うつ」に傍線]とは、おなじ意味の言葉である。すだつ[#「すだつ」に傍線]は、巣に聯想が向いた為に、巣立つ[#「巣立つ」に傍線]と説いて、主として鳥を聯想するやうになつたが、語根 stu である事を考へれば、すだつ[#「すだつ」に傍線]・そだつ[#「そだつ」に傍線]は同じものであると見ていゝ。すつ[#「すつ」に傍線]は、一方すてる[#「すてる」に傍点]と言ふ意を持つ様になつた。うつ[#「うつ」に傍線]も、うつぼ[#「うつぼ」に傍線]舟・うつせみ[#「うつせみ」に傍線]など、からつぽ[#「からつぽ」に傍点]の意にも、目のないものゝ意にも考へられる様になつた。 うつ[#「うつ」に傍線]・すつ[#「すつ」に傍線]・すだつ[#「すだつ」に傍線]・そだつ[#「そだつ」に傍線]は、何れもたま[#「たま」に傍線]の出入に就いて言うた語である。たま[#「たま」に傍線]がものゝ中でなりいづ[#「なりいづ」に傍線]――あるゝ[#「あるゝ」に傍線]に至る――までの期間に用ゐた言葉であつたのだが、其がいつか、かひ[#「かひ」に傍線]の中に出入することを表す動詞ともなつた。ものゝ中に這入つて来る事を考へたと同時に、外へ出る事を考へた。さうして出る方ばかりに使はれる様になつて、這入る方の考へが段々薄らいで行つた。すだつ[#「すだつ」に傍線]・そだつ[#「そだつ」に傍線]は其の代表的な言葉だと見られよう。        石成長の話 日本には、古くから石成長の話がある。また漂著神《ヨリガミ》の信仰がある。此もたま[#「たま」に傍線]成長の信仰と関係があつて出来たものだと思ふ。たま[#「たま」に傍線]が成長をするのに、何物かの中に這入つて、或期間を過すと考へた事から、其容れ物として、うつぼ舟[#「うつぼ舟」に傍線]・ひさご[#「ひさご」に傍線]を考へ、また衣類・蒲団の様なものにくるまる事を考へたのであるが、更に此たま[#「たま」に傍線]は、石の中にも這入ると考へた。どうして石の様なものゝ中に這入ると考へたか、とにかく、日本の古代にはさうした信仰があつた。此が後に、たま[#「たま」に傍線]が神に飜訳せられて考へられる様になると、神が石になると信じられる様になつた。今度アルスの児童文庫の中の一冊として書かれた柳田先生の「日本伝説集」にも、石の成長する話が出て居るが、先生はこれまでにも、さうした石の成長する話をたくさん書かれて居るので、「君が代は千代に八千代に」の歌なども、単に詩人の空想から、あゝした言葉を連ねたゞけではない。既に古くさうした信仰があつて、あの歌は出来たのだと論じられた事もある。 どうして、石の様なものが成長する、と考へたのであらうか。拾うて来た石が、家に帰りつくまでに大きくなつたとか、祠に祀つたのが一晩の中に大きくなつて祠を突き破つたとかいふ話が、数限りなく諸国にある。古代人はさうした信仰をもつた。小さい間は、大きくなると思うて居るのだらうが、其から後は信仰である。目に見えない事を信ずるのだから、信仰といふより外に、説明のしようがない。どうしてそんな信仰を持つ様になつたか。先生にも既に説明があつたが、茲で少しばかり、私の考へを述べて見たい。        神の容れ物としての石 前に、此石成長の話も、たま[#「たま」に傍線]成長の信仰と関係がある、木や竹の中に這入つて成長すると考へたたま[#「たま」に傍線]が、石の中にも這入る、と考へたと述べたが、後世の考へからすると、木や竹ならば、這入つても成長するだけの空間があると考へられるが、石のやうなものでは、第一這入る事も出来ず、其が大きくなるなどゝいふ事は、到底考へられない事だと思ふが、昔はさう信じたので、即、たま[#「たま」に傍線]が其中で成長すると信じたので、成長してある時期が来ると、前のうつぼ[#「うつぼ」に傍線]・たまご[#「たまご」に傍線]・ひさご[#「ひさご」に傍線]の場合の様に、やはり石が割れて神が出て来ると考へたのであるが、其石から神が出て来ると言ふ話の中間の一部分――石が大きくなると言ふ一部分だけ――が発達して来たので、遂に我々には、訣のわからぬ話になつて了うたのである。 人や動物が化石したと言ふ話も、実はこの信仰の中間に出来たものだと思はれる。石の中にたま[#「たま」に傍線]が這入つたとだけを考へると、人が石になつた、犬が石になつた、と考へる様になる。沖縄には、殊にさうした話が多い。此を逆に考へると、死んで石になつたとの考へも出て来る。さよ[#「さよ」に傍線]姫の化石譚の様なものが出来て来るのだが、此考へは反対だと思ふ。 此石が、神の乗り物・容れ物と考へられた例が、段々ある。石がぢつとして居ないで、よそからやつて来る場合がある。石にたま[#「たま」に傍線]が這入ると言ふ信仰には、たま[#「たま」に傍線]がよそからやって来て這入るのと、既に入つたものが、他界からやつて来ると考へたのと、此二つがあつた様だ。後者は、海岸に殊に多い。古くからあつた像石《カタイシ》信仰が其である。大洗の磯崎神社の像石は、此有名な一つで、一夜の中に、海中から出現した神だ、といはれて居る。        おほくにぬし[#「おほくにぬし」に傍線]とおほものぬし[#「おほものぬし」に傍線]と おほなむち[#「おほなむち」に傍線]とすくなひこな[#「すくなひこな」に傍線]とが一つものに考へられたには、理由がある。すくなひこな[#「すくなひこな」に傍線]が他界から来た神である事は前に述べたが、おほくにぬしの[#「おほくにぬしの」に傍線]命が、此すくなひこな[#「すくなひこな」に傍線]を失うて、海岸に立つて愁へて居ると、海原を光《テラ》して、依り来る神があつた。「何者だ」と問ふと、「俺はお前だ。お前の荒魂《アラミタマ》・和魂《ニギミタマ》・奇魂《クシミタマ》だ」と答へたとある。大和の三輪山に祀つたおほものぬしの[#「おほものぬしの」に傍線]命であるが、此三つの魂が、おほなむち[#「おほなむち」に傍線]について居たのである。たま[#「たま」に傍線]には、形はないが、少くとも此話では、光りをもつて居た事が考へられる。 日本の神々に、いろ/\な名があるのは、一の体に、いろ/\な魂が這入ると考へたからで、其魂に、其々の名があるからだと思ふ。元は、体はたま[#「たま」に傍線]の容れ物だと考へた。三輪山のおほものぬしの[#「おほものぬしの」に傍線]命は、此神自身は、人格を具へて居ない、即、眼に見えない精霊で、おほものぬし[#「おほものぬし」に傍線]のもの[#「もの」に傍線]其ものが示して居るやうに、純化した神ではないのである。其で、おほくにぬし[#「おほくにぬし」に傍線]自身ではないが、又、おほくにぬし[#「おほくにぬし」に傍線]でもある事になるのである。        漂著石――石移動の信仰 かやうにたま[#「たま」に傍線]だけがやつて来る事もあり、其が体にくつつく場合もあり、更に此たま[#「たま」に傍線]が、石に這入る事もあり、石に這入つてやつて来ることもあると考へたので、一夜の中に、常世の波にうち寄せられて、忽然と石が現れ、見る/\中に、大きくなつたといふ信仰譚が、其処から発生した。石が流れ寄るなどゝは考へられない事だが、たま[#「たま」に傍線]が依り来る一つの手段として、こんな方法を考へたのだと見ればよい。其所に石移動の信仰も生れた。柳田先生の生石の話が其である。 石が大きくなつたと言ふ話に、石と旅行をした話が附随して居るものがある。後世では、熊野へ行つたとき、或は伊勢へ参つたとき、淡路へ行つたときに、拾うて来た石といふ事になつて居るが、此は、巫女の類が、従来あつた石成長の話を、諸国に持つて歩いた印象が、残つたのだと見られる。 私は、恐らく其前に、石其ものがあちこち移動をし、歩くものだといふ話が、必出来て居たのだと思ふ。それがさうした話に、不審を懐く時代になつて、次の携帯して歩く人の話が出来たのではなかつたらうか。        石こづみの風習 此は、石の中にたま[#「たま」に傍線]が這入る、と考へた事から生じた、一つの風習と考へられるが、石の中に人をつみ込む風習が、古く日本にあつた様だ。男子が若者になる為には、成年戒を受けねばならなかつた。彼等は、先達に伴はれて山に登り、或期間、山籠りをして来るのであるが、其間に、此風習が行はれた様だ。修験道の行者仲間には、かなり後々まで、此風習が残つて居た様で、謡曲の谷行《タニカウ》を、あゝした読み方をするのにも、何か訣があるのだと思はれる。彼等の仲間では、死んだものがあると、谷に落して、石をふりかける。悪い事をした者は、石こづみ[#「こづみ」に傍点]にする。こづむ[#「こづむ」に傍点]とは、積み上げる事である。此が、後に石こづめ[#「こづめ」に傍点]と言はれる様になつて、奈良の猿沢の池の石こづめ塚の様な伝説も出来たのであるが、元は、山伏し仲間の風習であつた。其が、後には、山伏し以外の者にも、刑法として行はれる様になつた。 併し、山伏し仲間では、此が刑罰としてゞはなく、復活の儀式として行はれた時代があつたに相違ない。前に述べた、衣類や蒲団にくるまつて、魂が完全に、体にくつゝく時期を待つた、と同じ信仰のもので、石の中には、這入る事が出来ない為に、石を積んだのである。さうすると、生れ変ると信じたのである。        山伏し生活の起り 一体山伏しの為事は、何から始まつたかと言ふと、あれは元来、仏教から出て居るのではない。日本の古い神々の教へが、さうした形をもつてゐたので、村の若者を山籠りをさせて、男にする事が、其一つであつた。此時期が、後の山伏しの精進・行と言はれるものであつたので、山伏しの籠りに行くのは、即、若者になりに行つた風習の名残りである。 此風習は、山伏しを専門にしない者の間にも残つた。近年まで、羽後の三山などへ出かけたのが、其である。此は、従来の神道や仏教では、説明の出来ない事なので、たゞ山籠りの事を考へて見ると、山伏しの生活の始まつた、元の姿が訣ると思ふ。そして、此が宗教化し、毎年、時期を定めて行はれて居る中に、一種の宗教的な形をもつ様にもなつたのだが、更に此が、奈良朝以前から既にあつた、山林仏教の影響を受けて、遂に其一派の様に説明せられて来たのである。其山伏しに、石を積んで、人を入れる法式が残つて居るといふのは面白い。 二三年前、三河の山奥へ這入つて、花祭りといふ行事を見た。旧暦を用ゐた頃は霜月に行はれたが、今は初春の行事となつて居る。古い神楽の一部分で、神楽は三日三晩続いた、其一部分だと説明せられて居るが、要するに、村の若者に、成年戒を授ける儀式の名残りと見られるもので、白山と言ふものを作つて、若者に行をさせる。人にならせるといふ、信仰があつたのだと思はれる。 かやうに、若者になる為には、石につめたり、山の中に塗りこめたりする事が行はれたので、普通、山ごもりは、単なる禁欲生活だと思はれて居るが、実は其間に、かうして、一度自然界のものゝ中に這入つて来なければならなかつた。其をしなければ、人にもなれなかつたのである。此は、神の魂が育つのと、同じことになるので、他界から来るたま[#「たま」に傍線]をうける形なのであつて、さうする事によつて、村の聖なる為事に、与る資格が得られる、と考へたのである。 かういふ風に考へて見ると、他界からやつて来るたま[#「たま」に傍線]は、単に石や木や竹の様なものゝ中に宿るのではなく、人自身が、ものゝ中に這入つて、魂をうけて来るのであつた。をかしな考への様であるが、日本人が、最初から、現実に魂を持つて来て居ると考へたら、こんな話は出来なかつたと思はれる。即、容れ物があつて、たま[#「たま」に傍線]がよつて来る。さうして、人が出来、神が出来る、と考へたのであつた。        たま[#「たま」に傍線]とたましひ[#「たましひ」に傍線]との区別 たま[#「たま」に傍線]からたましひ[#「たましひ」に傍線]に這入つて見ると、用語例が、さま/″\に混乱してゐて、自分にも、賛成の出来ない様な、矛盾した気持ちで話をしなければならぬが、たま[#「たま」に傍線]とたましひ[#「たましひ」に傍線]とは、並んで居るのだから、此はどうしても、別のものと考へねばならぬ。たましひ[#「たましひ」に傍線]はたま[#「たま」に傍線]のひ[#「ひ」に傍線]で、即、火光を意味する、と説明した学者があつたけれども、其は信じられない説である。少くとも、第二義に堕ちた説明だと思はれる。やはり実際に使うてゐる例から、考へねばならぬと思ふが、大和だましひ[#「だましひ」に傍線]とか、其外、平安朝に書かれた用語例などで見ると、此は知識でなく、力量・才能などの意味に使はれて居るので、活用する力・生きる力の意を持つた、極端にいへば、常識といふことにもなるので、或学者は、大和魂を常識として説明したが、其までには考へなくとも、少くとも、働いてゐる力、といふ事にはなるのである。 沖縄へ行つて見ると、此二者の使ひ方が、明らかに違ふ。たま[#「たま」に傍線]は、我々の謂ふたましひ[#「たましひ」に傍線]の事で、たましひ[#「たましひ」に傍線]は、才能・技倆を意味する。ぶたましぬむん[#「ぶたましぬむん」に傍線](不魂之者《ブタマシノモノ》)と言ふのは、器量のないもの・働きのないものと言ふことになるので、平安朝時代の用語例と、非常によく似た近さを、持つて居るのである。 さうすると、たま[#「たま」に傍線]とたましひ[#「たましひ」に傍線]との区別は、どこにあるかと言ふ事になつて来るのだが、其説明は、簡単には出来ない。とにかく、少くとも、たましひ[#「たましひ」に傍線]と言ふものは、目に見える光りをもつたもの、尾を曳いたものではない。抽象的なもので、体に、這入つたり出たりするものがたま[#「たま」に傍線]だつたのであるが、いつか其が、此を具体的に示した、即、たま[#「たま」に傍線]のしんぼる[#「しんぼる」に傍線]だつたところの礦石や動物の骨などだけが、たま[#「たま」に傍線]と呼ばれ、抽象的なものゝ方は、たましひ[#「たましひ」に傍線]と言ふ言葉で、現される様になつた。大変な変化が起つた訣である。 此、たま[#「たま」に傍線]とたましひ[#「たましひ」に傍線]との区別に就いては、いづれ機会を見て、もう一度話をして見たいと思ふ。 底本:「折口信夫全集 3」中央公論社    1995(平成7)年4月10日初版発行 初出:「民俗学 第一巻第三号」    1929(昭和4)年9月 ※「郷土研究会講演筆記」の記載が底本題名下にあり。 ※底本の題名の下に書かれている「郷土研究会講演筆記、昭和四年九月「民俗学」第一巻第三号」はファイル末の「初出」欄、注記欄に移しました。 ※底本では「訓点送り仮名」と注記されている文字は本文中に小書き右寄せになっています。 入力:高柳典子 校正:多羅尾伴内 2006年3月20日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。