松の葉 泉鏡太郎 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)團子《だんご》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)七八|年《ねん》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数) (例)𢌞 /\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号) (例)ふら/\ *濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」 ------------------------------------------------------- [#8字下げ]一[#「一」は中見出し] 「團子《だんご》が貰《もら》ひたいね、」  と根岸《ねぎし》の相坂《あひざか》の團子屋《だんごや》の屋臺《やたい》へ立《た》つた。……其《そ》の近所《きんじよ》に用達《ようたし》があつた歸《かへ》りがけ、時分時《じぶんどき》だつたから、笹《さゝ》の雪《ゆき》へ入《はひ》つて、午飯《ひる》を濟《す》ますと、腹《はら》は出來《でき》たし、一合《いちがふ》の酒《さけ》が好《よ》く利《き》いて、ふら/\する。……今日《けふ》は歸《かへ》りがけに西片町《にしかたまち》の親類《しんるゐ》へ一寸《ちよつと》寄《よ》らう。坂本《さかもと》から電車《でんしや》にしようと、一度《いちど》、お行《ぎやう》の松《まつ》の方《はう》へ歩行《ある》きかけたが。――一度《いちど》蕉園《せうゑん》さんが住《す》んで居《ゐ》た、おまじなひ横町《よこちやう》へ入《はひ》らうとする、小《ちひ》さな道具屋《だうぐや》の店《みせ》に、火鉢《ひばち》、塗箱《ぬりばこ》、茶碗《ちやわん》、花活《はないけ》、盆《ぼん》、鬱金《うこん》の切《きれ》の上《うへ》に古《ふる》い茶碗《ちやわん》、柱《はしら》にふツさりと白《しろ》い拂子《ほつす》などの掛《かゝ》つた中《なか》に、掛字《かけじ》が四五幅《しごふく》。大分《だいぶ》古《ふる》いのがあるのを視《み》た、――こゝ等《ら》には一組《ひとくみ》ぐらゐありさうな――草雙紙《くさざうし》でない、と思《おも》ひながら、フト考《かんが》へたのは此《こ》の相坂《あひざか》の團子《だんご》である。――これから出掛《でか》ける西片町《にしかたまち》には、友染《いうぜん》のふつくりした、人形《にんぎやう》のやうな女《をんな》の兒《こ》が二人《ふたり》ある、それへ土産《みやげ》にと思《おも》つた。  名物《めいぶつ》と豫《かね》て聞《き》く、――前《まへ》にも一度《いちど》、神田《かんだ》の叔父《をぢ》と、天王寺《てんわうじ》を、其《そ》の時《とき》は相坂《あひざか》の方《はう》から來《き》て、今戸《いまど》邊《あたり》へ𢌞《まは》る途中《とちう》を、こゝで憩《やす》んだ事《こと》がある。が、最《も》う七八|年《ねん》にもなつた。――親《おや》と親《おや》との許嫁《いひなづけ》でも、十年《じふねん》近《ちか》く雙方《さうはう》不沙汰《ぶさた》と成《な》ると、一寸《ちよつと》樣子《やうす》が分《わか》り兼《かね》る。況《いはん》や叔父《をぢ》と甥《をひ》とで腰掛《こしか》けた團子屋《だんごや》であるから、本郷《ほんがう》に住《す》んで藤村《ふぢむら》の買物《かひもの》をするやうな譯《わけ》にはゆかぬ。  第一《だいいち》相坂《あひざか》が確《たしか》でない。何處《どこ》を何《ど》う行《ゆ》くのだつけ、あやふやなものだけれど、日和《ひより》は可《よ》し、風《かぜ》も凪《な》ぎ、小川《をがは》の水《みづ》ものんどりとして、小橋際《こばしぎは》に散《ちら》ばつた大根《だいこん》の葉《は》にも、ほか/\と日《ひ》が當《あた》る。足《あし》にまかせて行《ゆ》け、團子《だんご》を買《か》ふに、天下《てんか》何《なん》の恐《おそ》るゝ處《ところ》かこれあらん。  で、人通《ひとどほ》りは少《すくな》し、日向《ひなた》の眞中《まんなか》を憚《はゞか》る處《ところ》もなく、何《なに》しろ、御院殿《ごゐんでん》の方《はう》へ眞直《まつすぐ》だ、とのん氣《き》に歩行《ある》き出《だ》す。  笹《さゝ》の雪《ゆき》の前《まへ》を通返《とほりかへ》して、此《こ》の微醉《ほろゑひ》の心持《こゝろもち》。八杯《はちはい》と腹《はら》に積《つも》つた其《そ》の笹《さゝ》の雪《ゆき》も、颯《さつ》と溶《と》けて、胸《むね》に聊《いさゝ》かの滯《とゞこほり》もない。  やがて、とろ/\の目許《めもと》を、横合《よこあひ》から萌黄《もえぎ》の色《いろ》が、蒼空《あをぞら》の其《それ》より濃《こ》く、ちらりと遮《さへぎ》つたのがある。蓋《けだ》し古樹《ふるき》の額形《がくがた》の看板《かんばん》に刻《きざ》んだ文字《もじ》の色《いろ》で、店《みせ》を覗《のぞ》くと煮山椒《にざんせう》を賣《う》る、これも土地《とち》の名物《めいぶつ》である。  通《とほり》がかりに見《み》た。此《こ》の山椒《さんせう》を、近頃《ちかごろ》、同《おな》じ此《こ》の邊《あたり》に住《すま》はるゝ、上野《うへの》の美術學校出《びじゆつがくかうで》の少《わか》い人《ひと》から手土産《てみやげ》に貰《もら》つた。尚《な》ほ其《そ》の人《ひと》が、嘗《かつ》て修學旅行《しうがくりよかう》をした時《とき》、奈良《なら》の然《さ》る尼寺《あまでら》の尼《あま》さんに三體《さんたい》授《さづ》けられたと云《い》ふ。其《そ》の中《なか》から一體《いつたい》私《わたし》に分《わ》けられた阿羅漢《あらかん》の像《ざう》がある。般若湯《はんにやたう》を少《すこ》しばかり、幸《さいは》ひ腥《なまぐさ》を口《くち》にせぬ場合《ばあひ》で、思出《おもひだ》すに丁《ちやう》ど可《い》い。容姿端麗《ようしたんれい》、遠《とほ》く藤原氏時代《ふぢはらしじだい》の木彫《きぼり》だと聞《き》くが、細《ほそ》い指《ゆび》の尖《さき》まで聊《いさゝか》も缺《か》け損《そん》じた處《ところ》がない、すらりとした立像《りつざう》の、其《そ》の法衣《ほふえ》の色《いろ》が、乃《いま》し瞳《ひとみ》に映《うつ》つた其《そ》の萌黄《もえぎ》なのである。ほんのりとして、床《ゆか》しく薄《うす》いが、夜《よる》などは灯《ともしび》に御目《おんまな》ざしも黒《くろ》く清《すゞ》しく、法衣《ほふえ》の色《いろ》がさま/″\と在《いま》すが如《ごと》く幽《かすか》に濃《こ》い。立袈裟《たてげさ》は黒《くろ》の地《ぢ》に、毛《け》よりも細《ほそ》く斜《なゝめ》に置《お》いた、切込《きりこ》みの黄金《きん》が晃々《きら/\》と輝《かゞや》く。  其《そ》の姿《すがた》を思《おも》つた。  燒芋屋《やきいもや》の前《まへ》に床几《しやうぎ》を出《だ》して、日向《ひなた》ぼつこをして居《ゐ》る婆《ばあ》さんがあつた。  店《みせ》の竈《かまど》の上《うへ》で、笊《ざる》の目《め》を透《すか》すまで、あか/\と日《ひ》のさした處《ところ》は、燒芋屋《やきいもや》としては威嚴《ゐげん》に乏《とぼ》しい。あれは破《わ》れるほどな寒《さむ》い晩《ばん》に、ぱつといきれが立《た》つに限《かぎ》る。で、白晝《はくちう》の燒芋屋《やきいもや》は、呉竹《くれたけ》の里《さと》に物寂《ものさび》しい。が、としよりの爲《ため》には此《こ》の暖《あたゝか》な日和《ひより》を祝《しゆく》する。 「お婆《ばあ》さん、相坂《あひざか》へ行《ゆ》くのは、」 「直《ぢ》き其《そ》の突當《つきあた》りを曲《まが》つた處《ところ》でございますよ。」  と布子《ぬのこ》の半纏《はんてん》の皺《しわ》を伸《のば》して、長閑《のどか》さうに教《をし》へてくれた。 [#8字下げ]二[#「二」は中見出し]  其《それ》を、四五軒《しごけん》行《い》つた向《むか》う側《がは》に、幅《はゞ》の廣《ひろ》い橋《はし》を前《まへ》にして、木戸《きど》に貸屋札《かしやふだ》として二階家《にかいや》があつた。四五本《しごほん》曲《まが》つたり倒《たふ》れたりだが、竹垣《たけがき》を根岸流《ねぎしりう》に取《とり》まはした、木戸《きど》の内《うち》には、梅《うめ》の樹《き》の枝振《えだぶ》りの佳《い》いのもあるし、何處《どこ》から散《ち》つたか、橋《はし》の上《うへ》に柳《やなぎ》の枯葉《かれは》も風情《ふぜい》がある。……川《かは》も此《こ》の邊《あたり》は最《も》う大溝《おほどぶ》で、泥《どろ》が高《たか》く、水《みづ》が細《ほそ》い。剩《あまつさ》へ、棒切《ぼうぎれ》、竹《たけ》の皮《かは》などが、ぐしや/\と支《つか》へて、空屋《あきや》の前《まへ》は殊更《ことさら》に其《そ》の流《ながれ》も淀《よど》む。實《まこと》や、人《ひと》住《す》んで煙《けむり》壁《かべ》を洩《も》るで、……誰《たれ》も居《ゐ》ないと成《な》ると、南向《みなみむ》きながら、日《ひ》ざしも淡《うす》い。が、引越《ひきこ》すとすれば難《なん》には成《な》らぬ。……折《をり》から家《いへ》も探《さが》して居《ゐ》た。  入《はひ》つて見《み》よう……今《いま》前途《ゆきさき》を聞《き》いたのに、道草《みちぐさ》をするは、と氣《き》がさして、燒芋屋《やきいもや》の前《まへ》を振返《ふりかへ》ると、私《わたし》に教《をし》へた時《とき》、見返《みかへ》つた、其《そ》のまゝに、外《そと》を向《む》いて、こくり/\と然《さ》も暖《ぬく》とさうな懷手《ふところで》の居睡《ゐねむ》りする。後生樂《ごしやうらく》な。嫁御《よめご》もあらば喜《よろこ》ばう……近所《きんじよ》も可《よ》し、と雪《ゆき》にも月《つき》にも姿《すがた》らしい其《そ》の門《かど》の橋《はし》を渡懸《わたりか》けたが、忽《たちま》ち猛然《まうぜん》として思《おも》へらく、敷金《しききん》の用意《ようい》もなく、大晦日近《おほみそかぢか》くだし、がつたり三兩《さんりやう》と、乃《すなは》ち去《さ》る。  婆《ばあ》さんに聞《き》いた突當《つきあた》りは、練塀《ねりべい》か、高《たか》い石《いし》の塀腰《へいごし》らしかつたが、其《それ》はよく見《み》なかつた。ついて曲《まが》ると、眞晝間《まつぴるま》の幕《まく》を衝《つ》と落《おと》した、舞臺《ぶたい》横手《よこて》のやうな、ずらりと店《みせ》つきの長《なが》い、廣《ひろ》い平屋《ひらや》が、名代《なだい》の團子屋《だんごや》。但《たゞ》し御酒肴《おんさけさかな》とも油障子《あぶらしやうじ》に記《しる》してある。  案《あん》ずるに、團子《だんご》は附燒《つけやき》を以《もつ》て美味《うま》いとしてある。鹽煎餅《しほせんべい》以來《このかた》、江戸兒《えどつこ》は餘《あま》り甘《あま》いのを好《す》かぬ。が、何《なに》を祕《かく》さう、私《わたし》は團子《だんご》は饀《あん》の方《はう》を得意《とくい》とする。これから土産《みやげ》に持《も》つて行《い》く、西片町《にしかたまち》の友染《いうぜん》たちには、どちらが可《い》いか分《わか》らぬが、しかず、己《おの》が好《この》む處《ところ》を以《も》つてせんには、と其處《そこ》で饀《あん》のを誂《あつら》へた。  障子《しやうじ》を透《す》かして、疊《たゝみ》凡《およ》そ半疊《はんでふ》ばかりの細長《ほそなが》い七輪《しちりん》に、五《いつ》つづゝ刺《さ》した眞白《まつしろ》な串團子《くしだんご》を、大福帳《だいふくちやう》が權化《ごんげ》した算盤《そろばん》の如《ごと》くずらりと並《なら》べて、眞赤《まつか》な火《ひ》を、四角《しかく》な團扇《うちは》で、ばた/\ばた、手拍子《てびやうし》を拍《う》つて煽《あふ》ぐ十五六の奴《やつこ》が、イヤ其《そ》の嬉《うれ》しいほど、いけずな體《てい》は。  襟《えり》からの前垂《まへだれ》幅廣《はゞびろ》な奴《やつ》を、遣放《やりぱな》しに尻下《しりさが》りに緊《し》めた、あとのめりに日和下駄《ひよりげた》で土間《どま》に突立《つツた》ち、新《あたら》しいのを當《あて》がつても半日《はんにち》で駈破《かけやぶ》る、繼《つぎ》だらけの紺足袋《こんたび》、膝《ひざ》ツきり草色《くさいろ》よれ/\の股引《もゝひき》で、手織木綿《ておりもめん》の尻端折《しりはしより》。……石頭《いしあたま》に角《かど》のある、大出額《おほおでこ》で、口《くち》を逆《さかさ》のへの字《じ》に、饒舌《おしやべり》をムツと揉堪《もみこた》へ、横撫《よこな》でが癖《くせ》の鼻頭《はなさき》をひこつかせて、こいつ、日暮里《につぽり》の煙《けむり》より、何處《どこ》かの鰻《うなぎ》を嗅《か》ぎさうな、團栗眼《どんぐりまなこ》がキヨロリと光《ひか》つて、近所《きんじよ》の犬《いぬ》は遠《とほ》くから遁《に》げさうな、が、掻垂眉《かいだれまゆ》のちよんぼりと、出張《でば》つた額《ひたひ》にぶら下《さが》つた愛嬌造《あいけうづく》り、と見《み》ると、なき一葉《いちえふ》がたけくらべの中《なか》の、横町《よこちやう》の三五郎《さんごらう》に似《に》て居《ゐ》る。  人《ひと》を見《み》ると、顏《かほ》を曲《ま》げて、肩《かた》を斜《はすつ》かひにしながら、一息《ひといき》、ばた/\、ばツと團扇《うちは》を拍《たゝ》く。 「饀子《あんこ》のは――お手間《てま》が取《と》れますツ。」 「ぢや、待《ま》たうよ。」  と障子《しやうじ》を入《はひ》つて、奴《やつこ》が背《せ》に近《ちか》い土間《どま》の床几《しやうぎ》にかけて、……二包《ふたつゝみ》誂《あつら》へた。  處《ところ》へ入違《いれちが》ひに一人《ひとり》屋臺《やたい》へ來《き》た。 「七錢《なゝせん》だけ下《くだ》さいな。」  奴《やつこ》、顏《かほ》を曲《ま》げ、肩《かた》を斜《なゝ》めにしながら、一息《ひといき》ばた/\團扇《うちは》をばツばツと煽《あふ》いで、 「餌子《あんこ》のはお手間《てま》が取《と》れますツ。」 「然《さ》う、」  と云《い》つて其處《そこ》に立《た》つて考《かんが》へたのは、身綺麗《みぎれい》らしい女中《ぢよちう》であつたが、私《わたし》はよくも見《み》なかつた。で、左《ひだり》の隅《すみ》、屋臺《やたい》を横《よこ》にした處《ところ》で、年配《ねんぱい》の老爺《おとつさん》と、お婆《ばあ》さん。女《をんな》が一人《ひとり》、これは背向《うしろむ》きで、三人《さんにん》がかり、一《ひと》ツ掬《すく》つて、ぐい、と寄《よ》せて、くる/\と饀《あん》をつけて、一寸《ちよいと》指《ゆび》で撓《た》めて、一《ひと》つ宛《づゝ》すつと串《くし》へさすのを、煙草《たばこ》を飮《の》みながら熟《じつ》と見《み》て居《ゐ》た。  時《とき》に、今《いま》來《き》た女中《ぢよちう》の註文《ちうもん》が、何《ど》うやら饀子《あんこ》ばかりらしいので、大《おほい》に意《い》を強《つよ》うして然《しか》るべしと思《おも》つて居《ゐ》ると、 「では、最《も》う些《ちつ》と經《た》つて來《き》ませうね。」  と一度《いちど》、ぶらりと出《だ》した風呂敷《ふろしき》を、袖《そで》の下《した》へ引込《ひつこ》めて、胸《むね》を抱《だ》いて、むかうを向《む》く。 「へーい、」  と甲走《かんばし》つた聲《こゑ》を浴《あ》びせて、奴《やつこ》また團扇《うちは》を、ばた/\、ばツと煽《あふ》ぐ。 [#8字下げ]三[#「三」は中見出し]  手際《てぎは》なもので、煽《あふ》ぐ内《うち》に、じり/\と團子《だんご》の色《いろ》づくのを、十四五本《じふしごほん》掬《すく》ひ取《ど》りに、一掴《ひとつか》み、小口《こぐち》から串《くし》を取《と》つて、傍《かたはら》に醤油《したぢ》の丼《どんぶり》へ、どぶりと浸《つ》けて、颯《さつ》と捌《さば》いて、すらりと七輪《しちりん》へ又《また》投《な》げる。直《す》ぐに殘《のこ》つたのに醤油《したぢ》をつける。殆《ほとん》ど空《くう》で、奴《やつこ》は、此《こ》の間《あひだ》に例《れい》の、目《め》をきよろつかせる、鼻《はな》をひこつかせる、唇《くちびる》をへし曲《ま》げる。石頭《いしあたま》を掉《ふ》る、背《せ》ごすりをする、傍見《わきみ》をする。……幾干《いくら》か小遣《こづかひ》があると見《み》えて、時々《とき/″\》前垂《まへだれ》の隙間《すきま》から、懷中《くわいちう》を覗込《のぞきこ》んで、ニヤリと遣《や》る。  いけずがキビ/\した事《こと》は!……私《わたし》は何故《なぜ》か嬉《うれ》しかつた。  客《きやく》は私《わたし》のほかに三人《さんにん》あつた。其《そ》の三人《さんにん》は、親子《おやこ》づれで、九《こゝの》ツばかりの、絣《かすり》の羽織《はおり》に同《おな》じ衣服《きもの》を着《き》た優《おとな》しらしい男《をとこ》の兒《こ》。――見習《みなら》へ、奴《やつこ》、と背中《せなか》を突《つゝ》いて遣《や》りたいほどな、人柄《ひとがら》なもので。  母親《はゝおや》は五十ばかり、黒地《くろぢ》のコートに目立《めだ》たない襟卷《えりまき》して、質素《じみ》な服姿《みなり》だけれど、ゆつたりとして然《しか》も氣輕《きがる》さうな風采《とりなり》。古風《こふう》な、薄《うす》い、小《ちひ》さな髷《まげ》に結《ゆ》つたのが、唐銅《からかね》の大《おほき》な青光《あをびか》りのする轆轤《ろくろ》に井戸繩《ゐどなは》が、づつしり……石築《いしづき》の掘井戸《ほりゐど》。それが、廂《ひさし》の下《した》にあの傍《かたはら》の床几《しやうぎ》に、飛石《とびいし》、石燈籠《いしどうろう》のすつきりした、綺麗《きれい》に掃《は》いて塵《ちり》も留《と》めず廣々《ひろ/″\》した、此《こ》の團子屋《だんごや》の奧庭《おくには》を背後《うしろ》にして、膝《ひざ》をふつくりと、きちんと坐《すわ》つて、頭《つむり》に置手拭《おきてぬぐひ》をしながら、女持《をんなもち》の銀煙管《ぎんぎせる》で、時々《とき/″\》、庭《には》を指《さ》し、空《そら》の雲《くも》をさしなどして、何《なに》か話《はな》しながら、靜《しづか》に煙草《たばこ》を燻《くゆ》らす。  對向《さしむか》ひに、一寸《ちよいと》背《せな》を捻《ひね》つた、片手《かたて》を敷辷《しきすべ》らした座蒲團《ざぶとん》の端《はし》に支《つ》いて、すらりと半身《はんしん》、褄《つま》を内掻《うちがい》に土間《どま》に揃《そろ》へた、九《く》か二十《はたち》と見《み》えた、白足袋《しろたび》で、これも勝色《かついろ》の濃《こ》いコートを姿《すがた》よく着《き》たが、弟《おとうと》を横《よこ》にして、母樣《おつかさん》の前《まへ》であるから、何《なん》の見得《みえ》も、色氣《いろけ》もなう、鼻筋《はなすぢ》の通《とほ》つた、生際《はえぎは》のすつきりした、目《め》の屹《きつ》として、眉《まゆ》の柔《やさ》しい、お小姓《こしやう》だちの色《いろ》の白《しろ》い、面長《おもなが》なのを横顏《よこがほ》で、――團子《だんご》を一串《ひとくし》小指《こゆび》を撥《は》ねて、唇《くちびる》に當《あ》てたのが、錦繪《にしきゑ》に描《か》いた野《の》がけの美人《びじん》にそつくりで、微醉《ほろゑひ》のそれ者《しや》が、くろもじを噛《か》んだより婀娜《あだ》ツぽい。髮《かみ》は束髮《そくはつ》に、白《しろ》いリボンを大《おほ》きく掛《か》けたが、美子《みいこ》も喜《き》いちやんも爲《す》なる折《をり》から、當人《たうにん》何《なに》の氣《き》もなしに世《よ》とゝもに押移《おしうつ》つたものらしい。が、天《てん》の爲《な》せる下町《したまち》の娘風《むすめふう》は、件《くだん》の髮《かみ》が廂《ひさし》に見《み》えぬ。……何處《どこ》ともなしに見《み》る内《うち》に、潰《つぶ》しの島田《しまだ》に下村《しもむら》の丈長《たけなが》で、白《しろ》のリボンが何《なん》となく、鼈甲《べつかふ》の突通《つきとほ》しを、しのぎで卷《ま》いたと偲《しの》ばれる。  此《こ》の娘《むすめ》も、白地《しろぢ》の手拭《てぬぐひ》を、一寸《ちよいと》疊《たゝ》んで、髮《かみ》の上《うへ》に載《の》せて居《ゐ》る、鬢《びん》の色《いろ》は尚《な》ほ勝《まさ》つて、ために一入《ひとしほ》床《ゆか》しかつた。  が、其《そ》の筈《はず》で、いけずな奴《やつ》が、燒團子《やきだんご》のばた/\で、七輪《しちりん》の尉《じよう》を飛《と》ばすこと、名所《めいしよ》とはいひがたく雪《ゆき》の如《ごと》しであつたから。  母樣《おつかさん》が、膝《ひざ》を彈《はじ》いて、ずらりと、ずらすやうに跨《また》いで下《お》りると、氣輕《きがる》にてく/\と土間《どま》を來《き》た。 「其《それ》では、土産《みやげ》の包《つゝみ》を何《ど》うぞ。」と奴《やつこ》に言《い》ふ。 「へーい。」  すとんきような聲《こゑ》を出《だ》し、螇蚸《ばつた》壓《おさ》へたり、と云《い》ふ手《て》つきで、團扇《うちは》を挾《はさ》んで、仰向《あふむ》いた。 「二十錢《にじつせん》のを一《ひと》ツ、十五錢《じふごせん》のと、十錢《じつせん》のと都合《つがふ》三包《みつゝみ》だよ。」 「饀子《あんこ》ならお手間《てま》が取《と》れますツ。」  と、けろりとして、ソレ、ばた/\ばた、ばツばツばツ。 「皆《みんな》附燒《つけやき》の方《はう》さ。」 「へーい。」 「ぢや、分《わか》つたかね。」  と一寸《ちよいと》前《まへ》を通《とほ》る時《とき》、私《わたし》に會釋《ゑしやく》して床几《しやうぎ》へ返《かへ》つた。  いしくも申《まを》された。……殘《のこ》らずつけ燒《やき》のお誂《あつら》へは有難《ありがた》い、と思《おも》ふと、此《こ》の方《はう》目《め》のふちを赤《あか》くしながら、饀《あん》こばかりは些《ちつ》と擽《くすぐつた》い。  また其《そ》の饀《あん》がかりの三人《さんにん》の、すくつて、引《ひ》いて、轉《ころ》がして、一《ひと》ツ捻《ひね》つてツイと遣《や》るが、手《て》を揃《そろ》へ、指《ゆび》を揃《そろ》へて、ト撓《た》めて刺《さ》す時《とき》、胸《むね》を据《す》ゑる處《ところ》まで、一樣《いちやう》に鮮《あざや》かなものである。が、客《きやく》が待《ま》たうが待《ま》つまいが、一向《いつかう》に頓着《とんぢやく》なく、此方《こつち》は此方《こつち》、と澄《すま》した工合《ぐあひ》が、徳川家時代《とくがはけじだい》から味《あぢ》の變《かは》らぬ頼《たの》もしさであらう。 [#8字下げ]四[#「四」は中見出し]  處《ところ》へ、カタ/\と冷《つめ》たさうな下駄《げた》の音《おと》。……母《はゝ》ぢや人《びと》のを故《わざ》と穿《は》いて來《き》たらしい、可愛《かはい》い素足《すあし》に三倍《さんばい》ほどな、大《おほき》な塗下駄《ぬりげた》を打《ぶ》つけるやうに、トンと土間《どま》へ入《はひ》つて來《き》て、七輪《しちりん》の横《よこ》へ立《た》つた、十一二だけれども、九《こゝの》ツぐらゐな、小造《こづく》りな、小《ちひ》さな江戸《えど》の姉《ねえ》さんがある。縞《しま》の羽織《はおり》の筒袖《つゝそで》を細《ほそ》く着《き》た、脇《わき》あけの口《くち》へ、腕《かひな》を曲《ま》げて、些《ちつ》と寒《さむ》いと云《い》つた體《てい》に、兩手《りやうて》を突込《つツこ》み、ふりの明《あ》いた處《ところ》から、赤《あか》い前垂《まへだれ》の紐《ひも》が見《み》える。其處《そこ》へ風呂敷《ふろしき》を肱《ひぢ》なりに引挾《ひつぱさ》んだ、色《いろ》の淺黒《あさぐろ》い、目《め》に張《はり》のある、きりゝとした顏《かほ》の、鬢《びん》を引緊《ひきし》めて、おたばこ盆《ぼん》はまた珍《めづら》しい。…… 「五錢《ごせん》頂戴《ちやうだい》。」 「へーい。」 「さあ、」  と片手《かたて》を出《だ》して、奴《やつこ》に風呂敷《ふろしき》を突《つき》つけると、目《め》をくるりと天井《てんじやう》覗《のぞ》きで、 「饀子《あんこ》ならお手間《てま》が取《と》れますツ。」 「あら、燒《や》いたのだわよ、兄《にい》さん。」  とすつきり言《い》つた。  奴《やつこ》、一本《いつぽん》參《まゐ》つた體《てい》で、頸《くび》を竦《すく》め、口《くち》をゆがめて、饀《あん》をつける三人《さんにん》の方《はう》を、外方《そつぱう》にして、一人《ひとり》で笑《わら》つて、 「へーい。」  と七輪《しちりん》の上《うへ》を見計《みはか》らひ、風呂敷《ふろしき》を受取《うけと》つて、屋臺《やたい》へ立《た》ち、大皿《おほざら》からぶツ/\と煙《けむり》の立《た》つ、燒《や》きたてのを、横目《よこめ》で睨《にら》んで、竹《たけ》の皮《かは》の扱《しご》きを入《い》れる、と飜然《ひらり》と皮《かは》の撥《は》ねる上《うへ》へ、ぐいと尻《しり》ツ撥《ぱ》ねに布巾《ふきん》を掛《か》ける。  障子《しやうじ》の外《そと》へすつと來《き》て、ひとり杖《つゑ》を支《つ》いて立《た》つた翁《おきな》がある。  白木綿《しろもめん》の布子《ぬのこ》、襟《えり》が黄色《きいろ》にヤケたのに、單衣《ひとへ》らしい、同《おな》じ白《しろ》の襦袢《じゆばん》を襲《かさ》ね、石持《こくもち》で、やうかん色《いろ》の黒木綿《くろもめん》の羽織《はおり》を幅廣《はゞびろ》に、ぶわりと被《はお》つて、胸《むね》へ頭陀袋《づだぶくろ》を掛《か》けた、鼻《はな》の隆《たか》い、赭《あか》ら顏《がほ》で、目《め》を半眼《はんがん》にした、眉《まゆ》には黒《くろ》も交《まじ》つたけれど、泡《あわ》を塗《なす》つた體《てい》に、口許《くちもと》から頤《おとがひ》へ、短《みじか》い髯《ひげ》は皆《みな》白《しろ》い。鼠《ねずみ》のぐたりとした帽子《ばうし》を被《かぶ》つて、片手《かたて》に其《そ》の杖《つゑ》、右《みぎ》の手首《てくび》に、赤玉《あかだま》の一連《いちれん》の數珠《じゆず》を輪《わ》にかけたのに、一《ひと》つの鐸《りん》を持添《もちそ》へて、チリリリチリリリと、大《おほき》な手《て》を振《ふ》つて鳴《な》らし、 「なうまくさんまんだばさらだ、なうまくさんまんだばさらだ、南無成田山不動明王《なむなりたさんふどうみやうわう》をはじめ奉《たてまつ》り、こんがら童子《どうじ》、せいたか童子《どうじ》、甲童子《かふどうじ》、乙童子《おつどうじ》、丙童子《へいどうじ》、いばらぎ童子《どうじ》、酒呑童子《しゆてんどうじ》、其《そ》のほか數々《かず/\》二十四童子《にじふしどうじ》。」  と、丁《ちやう》ど私《わたし》と向《む》き合《あ》ひに、まともに顏《かほ》を見《み》る處《ところ》で、目《め》を眠《ねむ》るやうにして爽《さわや》かに唱《とな》へた。  私《わたし》が懷《ふところ》の三《み》つ卷《まき》へ、手《て》を懸《か》けた時《とき》であつた。 「お進《しん》ぜ申《まを》せ。」  と、向《むか》うで饀《あん》をつけて居《ゐ》た、其《そ》のお婆《ばあ》さんが聲《こゑ》を懸《か》ける。 「へーい。」と奴《やつこ》が、包《つゝ》んだ包《つゝ》みを、ひよいと女《をんな》の兒《こ》に渡《わた》しながら、手《て》を引込《ひつこ》めず、背後《うしろ》の棚《たな》に、煮豆《にまめ》、煮染《にしめ》ものなどを裝並《もりなら》べた棚《たな》の下《した》の、賣溜《うりだ》めの錢箱《ぜにばこ》をグヮチャリと鳴《な》らして、銅貨《どうくわ》を一個《ひとつ》、ひよい、と空《そら》へ投《な》げて、一寸《ちよいと》掌《てのひら》へ受《う》けながら持《も》つて出《で》る。  前後《ぜんご》して、 「はい、上《あ》げます。」  と絣《かすり》の衣服《きもの》の、あの弟御《おとうとご》が、廂帽子《ひさしばうし》を横《よこ》ツちよに、土間《どま》に駈足《かけあし》で、母樣《おつかさん》の使《つかひ》に來《き》て、伸上《のびあが》るやうにして布施《ふせ》する手《て》から、大柄《おほがら》な老道者《らうだうじや》は、腰《こし》を曲《ま》げて、杖《つゑ》を持《も》つた掌《たなそこ》に受《う》けて、奴《やつこ》と兩方《りやうはう》へ、……二度《にど》頂《いたゞ》く。  私《わたし》も立《た》つた。  氣《き》の寄《よ》る時《とき》は、妙《めう》なもので……又《また》此處《こゝ》へ女《をんな》一連《ひとつれ》、これは丸顏《まるがほ》の目《め》のぱつちりした、二重瞼《ふたへまぶた》の愛嬌《あいけう》づいた、高島田《たかしまだ》で、あらい棒縞《ぼうじま》の銘仙《めいせん》の羽織《はおり》、藍《あゐ》の勝《か》つた。――着物《きもの》は、茶《ちや》の勝《か》つた、同《おな》じやうな柄《がら》なのを着《き》て、阿母《おふくろ》のおかはりに持《も》つた、老人《としより》じみた信玄袋《しんげんぶくろ》を提《さ》げた、朱鷺色《ときいろ》の襦袢《じゆばん》の蹴出《けだ》しの、内端《うちわ》ながら、媚《なま》めかしい。十九にはなるまい新姐《しんぞ》を前《さき》に、一足《ひとあし》さがつて、櫛卷《くしまき》にした阿母《おふくろ》がついて、此《こ》の店《みせ》へ入《はひ》りかけた。が、丁《ちやう》ど行者《ぎやうじや》の背後《うしろ》を、斜《なゝめ》に取《とり》まはすやうにして、二人《ふたり》とも立停《たちど》まつた。 [#8字下げ]五[#「五」は中見出し] 「お前《まへ》、細《こまか》いのはえ?」  と阿母《おふくろ》が言《い》ふ。 「あい、」と頤《おとがひ》を白《しろ》く、淺葱《あさぎ》の麻《あさ》の葉《は》絞《しぼ》りの半襟《はんえり》に俯向《うつむ》いた。伏目《ふしめ》がふつくりとする……而《そ》して、緋無地《ひむぢ》の背負上《しよひあ》げを通《とほ》して、めりんすの打合《うちあ》はせの帶《おび》の間《あひだ》に、これは又《また》よそゆきな、紫鹽瀬《むらさきしほぜ》の紙入《かみいれ》の中《なか》から、横《よこ》に振《ふ》つて、出《だ》して、翁《おきな》に與《あた》へた。  道者《だうじや》は、杖《つゑ》を地《つち》から離《はな》して、手《て》を高《たか》く上《あ》げて禮《れい》したのである。  時《とき》に、見《み》るもいたいけだつたのは、おたばこぼんの小姉《ちひねえ》さん。  先刻《さつき》から、人々《ひと/″\》の布施《ふせ》するのと、……もの和《やは》らかな、翁《おきな》の顏《かほ》の、眞白《まつしろ》な髯《ひげ》の中《なか》に、嬉《うれ》しさうな唇《くちびる》の艷々《つや/\》と赤《あか》いのを、熟《じつ》と視《なが》めて、……奴《やつこ》が包《つゝ》んでくれた風呂敷《ふろしき》を、手《て》の上《うへ》に据《す》ゑたまゝ、片手《かたて》を服《きもの》の中《なか》へ入《い》れて、其《そ》れでも肌薄《はだうす》な、襦袢《じゆばん》の襟《えり》のきちんとして、赤《あか》い細《ほそ》いのも、あはれに寒《さむ》さうに見《み》えたのが、何《なん》と思《おも》つたか、左手《ゆんで》を添《そ》へて、結《むす》び目《め》を解《と》いて、竹《たけ》の皮《かは》から燒團子《やきだんご》、まだ、いきりの立《た》つ、温《あたゝか》いのを二串《ふたくし》取《と》つて、例《れい》の塗下駄《ぬりげた》をカタ/\と――敷居際《しきゐぎは》で、 「お爺《ぢい》さん、これあげませう、おあがんなさいな。」  と出《だ》した時《とき》、……翁《おきな》の赭《あか》ら顏《がほ》は、其《そ》のまゝ溶《と》けさうに俯向《うつむ》いて、目《め》をしばたゝいた、と見《み》ると、唇《くちびる》がぶる/\と震《ふる》へたのである。  床几《しやうぎ》の娘《むすめ》も肩越《かたごし》に衝《つ》と振向《ふりむ》いた。一同《いちどう》、熟《じつ》と二人《ふたり》を見《み》た。 「南無御一統《なむごいつとう》、御家内安全《ごかないあんぜん》。まめ、そくさい、商賣繁昌《しやうばいはんじやう》。」  と朗《ほがら》かな聲《こゑ》で念《ねん》じながら、杖《つゑ》も下《おろ》さず、團子《だんご》持《も》つたなりに額《ひたひ》にかざして、背後《うしろ》は日陰《ひかげ》、向《むか》つて日向《ひなた》へ、相坂《あひざか》の方《かた》へ、……冷《ひや》めし草履《ざうり》を、づるりと曳《ひ》いて、白木綿《しろもめん》の脚絆《きやはん》つけた脚《あし》を、とぼ/\と翁《おきな》は出《で》て行《ゆ》く。 「や、包《つゝ》みなほして上《あ》げようぜ。」  と、徳《とく》は孤《こ》ならず、ちよろつかな包《つゝ》み加減《かげん》。拔《ぬ》いた串《くし》に皮《かは》が開《あ》いて、小姉《ちひねえ》の手《て》の上《うへ》に飜《ひるがへ》つたのを、風呂敷《ふろしき》ごと引奪《ひつたく》るやうに取《と》つて、奴《やつこ》は屋臺《やたい》で、爲直《しなほ》しながら、 「えゝ……まけて置《お》け、一番《いちばん》。」と、皿《さら》から捻《ねぢ》るやうに引摘《ひつつか》んで、別《べつ》に燒團子《やきだんご》を五串《いつくし》添《そ》へた。 「此處《こゝ》へも、お團子《だんご》を下《くだ》さいな。」  と櫛卷《くしまき》の阿母《おふくろ》が衝《つ》と寄《よ》つた。  きよろりと見向《みむ》いて、 「饀子《あんこ》ならお手間《てま》が取《と》れますツ。」と又《また》仰向《あふむ》く。 「否《いゝえ》、燒《や》いたのですよ。」 「へーい。」と相《あひ》かはらず突走《つツぱし》る。 「十錢《じつせん》のを二包《ふたつゝみ》、二包《ふたつゝみ》ですよ――可《い》いかい。其《それ》から、十五錢《じふごせん》のを一包《ひとつゝみ》、皆《みな》燒《や》いたのをね。」 「へーい、唯今《たゞいま》。」 「否《いゝえ》、歸途《かへり》で可《い》いのよ。」 「へーいツ」 「あのね、母樣《おつかさん》。」と、娘《むすめ》があたりを兼《か》ねた體《てい》で、少《すこ》し甘《あま》えるやうに低聲《こごゑ》で言《い》つた。 「然《さ》う……では其《そ》の十五錢《じふごせん》のなかへ、饀《あん》のを交《ま》ぜて、――些《ちつ》とで可《い》いの。」 「些《ちつ》と、」  と口眞似《くちまね》のやうに繰返《くりかへ》して、 「へーい。」 「さあ、それぢやおまゐりをして來《こ》ようね。」 「あい、」  と言《い》つて、母娘《おやこ》二人《ふたり》、相坂《あひざか》の方《はう》へ、並《なら》んで向《む》く。  饀《あん》がかりは澄《す》ましたもので、 「家内安全《かないあんぜん》、まめ、そくさい、商賣繁昌《しやうばいはんじやう》、……だんご大切《たいせつ》なら五大力《ごだいりき》だ。」と、あらう事《こと》か、團子屋《だんごや》の老爺《とつ》さまが、今時《いまどき》取《と》つて嵌《は》めた洒落《しやれ》を言《い》ふ。 「何《なに》を言《い》はつしやる。」と……お婆《ばあ》さんは苦笑《くせう》した。  あの、井戸《ゐど》の側《そば》を、庭《には》を切《き》つて裏木戸《うらきど》から、勝手《かつて》を知《し》つて來《き》たらしい。インキの壺《つぼ》を、ふらここの如《ごと》くに振《ふ》つて、金釦《きんぼたん》にひしやげた角帽《かくばう》、かまひつけぬ風《ふう》で、薄髯《うすひげ》も剃《あた》らず遣放《やりつぱな》しな、威勢《ゐせい》の可《い》い、大學生《だいがくせい》がづか/\と入《はひ》つて來《き》た。 「いや、どつこいしよ。」  と――あの弟《おとうと》が居《ゐ》る、其《そ》の床几《しやうぎ》の隅《すみ》に腰《こし》を投下《なげおろ》すと、 「おい、饀《あん》のを一盆《ひとぼん》。……お手間《てま》が取《と》れます、待《ま》つてらつしやい。」  と恐《おそろ》しく鐵拐《てつか》に怒鳴《どな》つて、フト私《わたし》と向合《むきあ》つて、……顏《かほ》を見《み》て……雙方《さうはう》莞爾《につこり》した。同好《どうかう》の子《し》よ、と前方《さき》で思《おも》へば、知己《ちき》なるかな、と言《い》ひたかつた。  いや、面喰《めんくら》つたのは奴《やつこ》である。……例《れい》に因《よ》つて「お手間《てま》が取《と》れますツ。」を言《い》はない内《うち》に、眞向《まつかう》高飛車《たかびしや》に浴《あび》せられて、「へーい、」とも言《い》ひ得《え》ず、鳶《とんび》に攫《さら》はれた顏色《がんしよく》。きよとんとして、小姉《ちひねえ》に再《ふたゝ》び其《そ》の包《つゝみ》を渡《わた》すと、默《だま》つて茶《ちや》を汲《く》みに行《ゆ》く、石頭《いしあたま》のすくんだ、――背《せ》の丸《まる》さ。 「しばらく、――お二人《ふたり》しばらく。」  と後《あと》じさりに、――いま出《で》て行《ゆ》く櫛卷《くしまき》と、島田《しまだ》の母娘《おやこ》を呼留《よびと》めながら、翁《おきな》の行者《ぎやうじや》が擦違《すれちが》ひに、しやんとして、逆《ぎやく》に戻《もど》つて來《き》た。  店頭《みせさき》へ、恭《うや/\》しく彳《たゝず》んで、四邊《あたり》を見《み》ながら、せまつた聲《こゑ》で、 「誰方《どなた》もしばらく。……あゝ、野山《のやま》も越《こ》え、川《かは》も渡《わた》り、劍《つるぎ》の下《した》も往來《わうらい》した。が、生《うま》れて以來《このかた》、今日《けふ》と云《い》ふ今日《けふ》ほど、人《ひと》の情《なさけ》の身《み》に沁《し》みた事《こと》は覺《おぼ》えません。」と、聲《こゑ》が途絶《とだ》えて、チリ/\と鐸《りん》が鳴《な》つた。  溜息《ためいき》を深《ふか》く、吻《ほ》と吐《つ》いて、 「私《わし》は行者《ぎやうじや》でも何《なん》でもないのぢや。近頃《ちかごろ》まで、梅暮里《うめぼり》の溝《みぞ》へ出《で》て、間《ま》に合《あは》せの易《えき》を遣《や》つて居《ゐ》ましたが、好《す》きなどぶろくのたしにも成《な》らんで、思《おも》ひついた擬行者《まがひぎやうじや》ぢや。信心《しんじん》も何《なに》もなかつたが、なあ、揃《そろ》ひも揃《そろ》つた、あなたがたのお情《なさけ》――あの娘《こ》も聞《き》かつしやれ。」  と小姉《ちひねえ》に差出《さしだ》した手《て》がふるへて、 「老人《らうじん》つく/″\身《み》に染《し》みて、此《こ》のまゝでは、よう何《ど》うも、あの蹈切《ふみきり》が越切《こしき》れなんだ。――  あらためて、是《これ》から直《す》ぐに、此《こ》の杖《つゑ》のなり行脚《あんぎや》をして、成田山《なりたさん》へ詣《まう》でましてな。……經一口《きやうひとくち》も知《し》らぬけれども、一念《いちねん》に變《かは》りはない。南無成田山不動明王《なむなりたさんふどうみやうわう》、と偏《ひとへ》に唱《とな》へて、あなた方《がた》の御運長久《ごうんちやうきう》、無事《ぶじ》そくさい、又《また》お若《わか》い孃《ぢやう》たちの、」  とほろりとして、老《おい》の目《め》に涙《なみだ》を湛《たゝ》へ、 「行末《ゆくすゑ》の御良縁《ごりやうえん》を祈願《きぐわん》します、祈願《きぐわん》しまする。」 [#地から5字上げ]明治四十三年一月 底本:「鏡花全集 巻二十七」岩波書店    1942(昭和17)年10月20日第1刷発行    1988(昭和63)年11月2日第3刷発行 ※題名の下にあった年代の注を、最後に移しました。 ※表題は底本では、「松《まつ》の葉《は》」とルビがついています。 入力:門田裕志 校正:川山隆 2011年9月4日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。