印度更紗 泉鏡太郎 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)鸚鵡《あうむ》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)三|里《り》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数) (例)␼ /\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号) (例)ちら/\ *濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」 ------------------------------------------------------- [#8字下げ]一[#「一」は中見出し] 「鸚鵡《あうむ》さん、しばらくね……」  と眞紅《しんく》へ、ほんのりと霞《かすみ》をかけて、新《あたら》しい火《ひ》の␼《ぱつ》と移《うつ》る、棟瓦《むねがはら》が夕舂日《ゆふづくひ》を噛《か》んだ状《さま》なる瓦斯暖爐《がすだんろ》の前《まへ》へ、長椅子《ながいす》を斜《なゝめ》に、ト裳《もすそ》を床《ゆか》。上草履《うはざうり》の爪前《つまさき》細《ほそ》く嬝娜《たをやか》に腰《こし》を掛《か》けた、年若《としわか》き夫人《ふじん》が、博多《はかた》の伊達卷《だてまき》した平常着《ふだんぎ》に、お召《めし》の紺《こん》の雨絣《あまがすり》の羽織《はおり》ばかり、繕《つくろ》はず、等閑《なほざり》に引被《ひつか》けた、其《そ》の姿《すがた》は、敷詰《しきつ》めた絨氈《じうたん》の浮出《うきい》でた綾《あや》もなく、袖《そで》を投《な》げた椅子《いす》の手《て》の、緑《みどり》の深《ふか》さにも押沈《おししづ》められて、消《き》えもやせむと淡《あは》かつた。けれども、美《うつく》しさは、夜《よる》の雲《くも》に暗《くら》く梢《こずゑ》を蔽《おほ》はれながら、もみぢの枝《えだ》の裏《うら》透《す》くばかり、友染《いうぜん》の紅《くれなゐ》ちら/\と、櫛卷《くしまき》の黒髮《くろかみ》の濡色《ぬれいろ》の露《つゆ》も滴《したゝ》る、天井《てんじやう》高《たか》き山《やま》の端《は》に、電燈《でんとう》の影《かげ》白《しろ》うして、搖《ゆら》めく如《ごと》き暖爐《だんろ》の焔《ほのほ》は、世《よ》に隱《かく》れたる山姫《やまひめ》の錦《にしき》を照《て》らす松明《たいまつ》かと冴《さ》ゆ。  博士《はかせ》が旅行《たび》をした後《あと》に、交際《つきあひ》ぎらひで、籠勝《こもりが》ちな、此《こ》の夫人《ふじん》が留守《るす》した家《いへ》は、まだ宵《よひ》の間《ま》も、實際《じつさい》蔦《つた》の中《なか》に所在《ありか》の知《し》るゝ山家《やまが》の如《ごと》き、窓明《まどあかり》。  廣《ひろ》い住居《すまひ》の近所《きんじよ》も遠《とほ》し。  久《ひさ》しぶりで、恁《か》うして火《ひ》を置《お》かせたまゝ、氣《き》に入《い》りの小間使《こまづかひ》さへ遠《とほ》ざけて、ハタと扉《ひらき》を閉《とざ》した音《おと》が、谺《こだま》するまで響《ひゞ》いたのであつた。  夫人《ふじん》は、さて唯《たゞ》一人《ひとり》、壁《かべ》に寄《よ》せた塗棚《ぬりだな》に据置《すゑお》いた、籠《かご》の中《なか》なる、雪衣《せつい》の鸚鵡《あうむ》と、差向《さしむか》ひに居《ゐ》るのである。 「御機嫌《ごきげん》よう、ほゝゝ、」  と莟《つぼみ》を含《ふく》んだ趣《おもむき》して、鸚鵡《あうむ》の雪《ゆき》に照添《てりそ》ふ唇《くちびる》……  籠《かご》は上《うへ》に、棚《たな》の丈《たけ》稍《やゝ》高《たか》ければ、打仰《うちあふ》ぐやうにした、眉《まゆ》の優《やさ》しさ。鬢《びん》の毛《け》はひた/\と、羽織《はおり》の襟《えり》に着《つ》きながら、肩《かた》も頸《うなじ》も細《ほそ》かつた。 「まあ、挨拶《あいさつ》もしないで、……默然《だんまり》さん。お澄《す》ましですこと。……あゝ、此《こ》の間《あひだ》、鳩《はと》にばツかり構《かま》つて居《ゐ》たから、お前《まへ》さん、一寸《ちよいと》お冠《かんむり》が曲《まが》りましたね。」  此《こ》の五日《いつか》六日《むいか》、心持《こゝろもち》煩《わづら》はしければとて、客《きやく》にも逢《あ》はず、二階《にかい》の一室《ひとま》に籠《こも》りツ切《きり》、で、寢起《ねおき》の隙《ひま》には、裏庭《うらには》の松《まつ》の梢《こずゑ》高《たか》き、城《しろ》のもの見《み》のやうな窓《まど》から、雲《くも》と水色《みづいろ》の空《そら》とを觀《み》ながら、徒然《つれ/″\》にさしまねいて、蒼空《あをぞら》を舞《ま》ふ遠方《をちかた》の伽藍《がらん》の鳩《はと》を呼《よ》んだ。――眞白《まつしろ》なのは、掌《てのひら》へ、紫《むらさき》なるは、かへして、指環《ゆびわ》の紅玉《ルビイ》の輝《かゞや》く甲《かふ》へ、朱鷺色《ときいろ》と黄《き》の脚《あし》して、輕《かる》く來《き》て留《とま》るまでに馴《な》れたのであつた。 「それ/\、お冠《かんむり》の通《とほ》り、嘴《くちばし》が曲《まが》つて來《き》ました。目《め》をくる/\……でも、矢張《やつぱ》り可愛《かはい》いねえ。」  と艷麗《あでやか》に打傾《うちかたむ》き、 「其《そ》の替《かは》り、今《いま》ね、寢《ね》ながら本《ほん》を讀《よ》んで居《ゐ》て、面白《おもしろ》い事《こと》があつたから、お話《はなし》をして上《あ》げようと思《おも》つて、故々《わざ/\》遊《あそ》びに來《き》たんぢやないか。途中《とちう》が寒《さむ》かつたよ。」  と、犇《ひし》と合《あ》はせた、兩袖《りやうそで》堅《かた》く緊《しま》つたが、溢《こぼ》るゝ蹴出《けだ》し柔《やはら》かに、褄《つま》が一靡《ひとなび》き落着《おちつ》いて、胸《むね》を反《そ》らして、顏《かほ》を引《ひ》き、 「否《いゝえ》、まだ出《だ》して上《あ》げません。……お話《はなし》を聞《き》かなくツちや……でないと袖《そで》を啣《くは》へたり、乘《の》つたり、惡戲《いたづら》をして邪魔《じやま》なんですもの。  お聞《き》きなさいよ。  可《い》いかい、お聞《き》きなさいよ。  まあ、ねえ。  座敷《ざしき》は――こんな貸家建《かしやだて》ぢやありません。壁《かべ》も、床《ゆか》も、皆《みな》彩色《さいしき》した石《いし》を敷《し》いた、明放《あけはな》した二階《にかい》の大廣間《おほひろま》、客室《きやくま》なんです。  外面《おもて》の、印度洋《インドやう》に向《む》いた方《はう》の、大理石《だいりせき》の𢌞《まは》り縁《えん》には、軒《のき》から掛《か》けて、床《ゆか》へ敷《し》く……水晶《すゐしやう》の簾《すだれ》に、星《ほし》の數々《かず/\》鏤《ちりば》めたやうな、ぎやまんの燈籠《とうろう》が、十五、晃々《きら/\》點《つ》いて並《なら》んで居《ゐ》ます。草花《くさばな》の繪《ゑ》の蝋燭《らふそく》が、月《つき》の桂《かつら》の透《す》くやうに。」  と襟《えり》を壓《おさ》へた、指《ゆび》の先《さき》。 [#8字下げ]二[#「二」は中見出し]  引合《ひきあ》はせ、又《また》袖《そで》を當《あ》て、 「丁《ちやう》ど、まだ灯《あかし》を入《い》れたばかりの暮方《くれがた》でね、……其《そ》の高樓《たかどの》から瞰下《みお》ろされる港口《みなとぐち》の町通《まちどほり》には、燒酎賣《せうちううり》だの、雜貨屋《ざつくわや》だの、油賣《あぶらうり》だの、肉屋《にくや》だのが、皆《みな》黒人《くろんぼ》に荷車《にぐるま》を曳《ひ》かせて、……商人《あきんど》は、各自《てん/″\》に、ちやるめらを吹《ふ》く、さゝらを摺《す》る、鈴《ベル》を鳴《な》らしたり、小太鼓《こだいこ》を打《う》つたり、宛然《まるで》お神樂《かぐら》のやうなんですがね、家《うち》が大《おほき》いから、遠《とほ》くに聞《きこ》えて、夜中《よなか》の、あの魔《ま》もののお囃子《はやし》見《み》たやうよ、……そして車《くるま》に着《つ》いた商人《あきんど》の、一人々々《ひとり/\》、穗長《ほなが》の槍《やり》を支《つ》いたり、擔《かつ》いだりして行《ゆ》く形《かたち》が、ぞろ/\影《かげ》のやうに黒《くろ》いのに、椰子《やし》の樹《き》の茂《しげ》つた上《うへ》へ、どんよりと黄色《きいろ》に出《で》た、月《つき》の明《あかり》で、白刃《しらは》ばかりが、閃々《ぴか/\》、と稻妻《いなづま》のやうに行交《ゆきか》はす。  其《そ》の向《むか》うは、鰐《わに》の泳《およ》ぐ、可恐《おそろし》い大河《おほかは》よ。……水上《みなかみ》は幾千里《いくせんり》だか分《わか》らない、天竺《てんぢく》のね、流沙河《りうさがは》の末《すゑ》だとさ、河幅《かははゞ》が三|里《り》の上《うへ》、深《ふか》さは何百尋《なんびやくひろ》か分《わか》りません。  船《ふね》のある事《こと》……帆柱《ほばしら》に卷着《まきつ》いた赤《あか》い雲《くも》は、夕日《ゆふひ》の餘波《なごり》で、鰐《わに》の口《くち》へ血《ち》の晩御飯《ばんごはん》を注込《つぎこ》むんだわね。  時《とき》は十二月《じふにぐわつ》なんだけれど、五月《ごぐわつ》のお節句《せつく》の、此《これ》は鯉《こひ》、其《それ》は金銀《きんぎん》の絲《いと》の翼《つばさ》、輝《かゞや》く虹《にじ》を手鞠《てまり》にして投《な》げたやうに、空《そら》を舞《ま》つて居《ゐ》た孔雀《くじやく》も、最《も》う庭《には》へ歸《かへ》つて居《ゐ》るの……燻占《たきし》めはせぬけれど、棚《たな》に飼《か》つた麝香猫《じやかうねこ》の強《つよ》い薫《かをり》が芬《ぷん》とする……  同《おなじ》やうに吹通《ふきとほ》しの、裏《うら》は、川筋《かはすぢ》を一《ひと》つ向《むか》うに、夜中《よなか》は尾長猿《をながざる》が、キツキと鳴《な》き、カラ/\カラと安達《あだち》ヶ|原《はら》の鳴子《なるこ》のやうな、黄金蛇《こがねへび》の聲《こゑ》がする。椰子《やし》、檳榔子《びんらうじ》の生《は》え茂《しげ》つた山《やま》に添《そ》つて、城《しろ》のやうに築上《つきあ》げた、煉瓦造《れんぐわづくり》がづらりと並《なら》んで、矢間《やざま》を切《き》つた黒《くろ》い窓《まど》から、弩《いしびや》の口《くち》がづん、と出《で》て、幾《いく》つも幾《いく》つも仰向《あをむ》けに、星《ほし》を呑《の》まうとして居《ゐ》るのよ……  和蘭人《オランダじん》の館《やかた》なんです。  其《そ》の一《ひとつ》の、和蘭館《オランダくわん》の貴公子《きこうし》と、其《そ》の父親《ちゝおや》の二人《ふたり》が客《きやく》で。卓子《テエブル》の青《あを》い鉢《はち》、青《あを》い皿《さら》を圍《かこ》んで向合《むきあ》つた、唐人《たうじん》の夫婦《ふうふ》が二人《ふたり》。別《べつ》に、肩《かた》には更紗《さらさ》を投掛《なげか》け、腰《こし》に長劍《ちやうけん》を捲《ま》いた、目《め》の鋭《するど》い、裸《はだか》の筋骨《きんこつ》の引緊《ひきしま》つた、威風《ゐふう》の凛々《りん/\》とした男《をとこ》は、島《しま》の王樣《わうさま》のやうなものなの……  周圍《まはり》に、可《い》いほど間《ま》を置《お》いて、黒人《くろんぼ》の召使《めしつかひ》が三|人《にん》で、謹《つゝし》んで給仕《きふじ》に附《つ》いて居《ゐ》る所《ところ》。」  と俯目《ふしめ》に、睫毛《まつげ》濃《こ》く、黒棚《くろだな》の一《ひと》ツの仕劃《しきり》を見《み》た。袖口《そでくち》白《しろ》く手《て》を伸《の》べて、 「あゝ、一人《ひとり》此處《こゝ》に居《ゐ》たよ。」  と言《い》ふ。天窓《あたま》の大《おほ》きな、頤《あご》のしやくれた、如法玩弄《によはふおもちや》の燒《やき》ものの、ペロリと舌《した》で、西瓜《すゐくわ》喰《く》ふ黒人《くろんぼ》の人形《にんぎやう》が、ト赤《あか》い目《め》で、額《おでこ》で睨《にら》んで、灰色《はひいろ》の下唇《したくちびる》を反《そ》らして突立《つゝた》つ。 「……餘《あま》り謹《つゝし》んでは居《ゐ》ないわね……一寸《ちよいと》、お話《はなし》の中《なか》へ出《で》ておいで。」  と手《て》を掛《か》けると、ぶるりとした、貧乏動《びんばふゆる》ぎと云《い》ふ胴搖《どうゆす》りで、ふてくされにぐら/\と拗身《すねみ》に震《ふる》ふ……はつと思《おも》ふと、左《ひだり》の足《あし》が股《もゝ》のつけもとから、ぽきりと折《を》れて、ポンと尻持《しりもち》を支《つ》いた體《てい》に、踵《かゝと》の黒《くろ》いのを眞向《まむ》きに見《み》せて、一|本《ぽん》ストンと投出《なげだ》した、……恰《あたか》も可《よし》、他《ほか》の人形《にんぎやう》など一所《いつしよ》に並《なら》んだ、中《なか》に交《まじ》つて、其處《そこ》に、木彫《きぼり》にうまごやしを萌黄《もえぎ》で描《か》いた、舶來《はくらい》ものの靴《くつ》が片隻《かたつぽ》。  で、肩《かた》を持《も》たれたまゝ、右《みぎ》の跛《びつこ》の黒《くろ》どのは、夫人《ふじん》の白魚《しらうを》の細《ほそ》い指《ゆび》に、ぶらりと掛《かゝ》つて、一《ひと》ツ、ト前《まへ》のめりに泳《およ》いだつけ、臀《ゐしき》を搖《ゆす》つた珍《ちん》な形《かたち》で、けろりとしたもの、西瓜《すゐくわ》をがぶり。  熟《じつ》と視《み》て、 「まあ……」  離《はな》すと、可《い》いことに、あたり近所《きんじよ》の、我朝《わがてう》の姊樣《あねさま》を仰向《あをむけ》に抱込《だきこ》んで、引《ひつ》くりかへりさうで危《あぶな》いから、不氣味《ぶきみ》らしくも手《て》からは落《おと》さず…… 「島《しま》か、光《みつ》か、拂《はたき》を掛《か》けて――お待《ま》ちよ、否《いゝえ》、然《さ》う/\……矢張《やつぱり》これは、此《こ》の話《はなし》の中《なか》で、鰐《わに》に片足《かたあし》食切《くひき》られたと云《い》ふ土人《どじん》か。人殺《ひとごろ》しをして、山《やま》へ遁《に》げて、大木《たいぼく》の梢《こずゑ》へ攀《よ》ぢて、枝《えだ》から枝《えだ》へ、千仭《せんじん》の谷《たに》を傳《つた》はる處《ところ》を、捕吏《とりて》の役人《やくにん》に鐵砲《てつぱう》で射《い》られた人《ひと》だよ。  ねえ鸚鵡《あうむ》さん。」  と、足《あし》を繼《つ》いで、籠《かご》の傍《わき》へ立掛《たてか》けた。  鸚鵡《あうむ》の目《め》こそ輝《かゞや》いた。 [#8字下げ]三[#「三」は中見出し] 「あんな顏《かほ》をして、」  と夫人《ふじん》は聲《こゑ》を沈《しづ》めたが、打仰《うちあふ》ぐやうに籠《かご》を覗《のぞ》いた。 「お前《まへ》さん、お知己《ちかづき》ぢやありませんか。尤《もつと》も御先祖《ごせんぞ》の頃《ころ》だらうけれど――其《そ》の黒人《くろんぼ》も……和蘭陀人《オランダじん》も。」  で、木彫《きぼり》の、小《ちひ》さな、護謨細工《ゴムざいく》のやうに柔《やはら》かに襞襀《ひだ》の入《はひ》つた、靴《くつ》をも取《と》つて籠《かご》の前《まへ》に差置《さしお》いて、 「此《こ》のね、可愛《かはい》らしいのが、其《そ》の時《とき》の、和蘭陀館《オランダやかた》の貴公子《きこうし》ですよ。御覽《ごらん》、――お待《ま》ちなさいよ。恁《か》うして並《なら》べたら、何《なん》だか、もの足《た》りないから。」  フト夫人《ふじん》は椅子《いす》を立《た》つたが、前《まへ》に挾《はさ》んだ伊達卷《だてまき》の端《はし》をキウと緊《し》めた。絨氈《じうたん》を運《はこ》ぶ上靴《うはぐつ》は、雪《ゆき》に南天《なんてん》の實《み》の赤《あか》きを行《ゆ》く……  書棚《しよだな》を覗《のぞ》いて奧《おく》を見《み》て、抽出《ぬきだ》す論語《ろんご》の第一卷《だいいつくわん》――邸《やしき》は、置場所《おきばしよ》のある所《ところ》とさへ言《い》へば、廊下《らうか》の通口《かよひぐち》も二階《にかい》の上下《うへした》も、ぎつしりと東西《とうざい》の書《しよ》もつの揃《そろ》つた、硝子戸《がらすど》に突當《つきあた》つて其《それ》から曲《まが》る、……本箱《ほんばこ》の五《いつ》ツ七《なゝ》ツが家《いへ》の五丁目《ごちやうめ》七丁目《なゝちやうめ》で、縱横《じうわう》に通《つう》ずるので。……こゝの此《こ》の書棚《しよだな》の上《うへ》には、花《はな》は丁《ちやう》ど插《さ》してなかつた、――手附《てつき》の大形《おほがた》の花籠《はなかご》と並《なら》べて、白木《しらき》の桐《きり》の、軸《ぢく》ものの箱《はこ》が三《み》ツばかり。其《そ》の眞中《まんなか》の蓋《ふた》の上《うへ》に……  恁《か》う仰々《ぎやう/\》しく言出《いひだ》すと、仇《かたき》の髑髏《しやれかうべ》か、毒藥《どくやく》の瓶《びん》か、と驚《おどろ》かれよう、眞個《まつたく》の事《こと》を言《い》ひませう、さしたる儀《ぎ》でない、紫《むらさき》の切《きれ》を掛《か》けたなりで、一|尺《しやく》三|寸《ずん》、一口《ひとふり》の白鞘《しらさや》ものの刀《かたな》がある。  と黒目勝《くろめがち》な、意味《いみ》の深《ふか》い、活々《いき/\》とした瞳《ひとみ》に映《うつ》ると、何《なに》思《おも》ひけむ、紫《むらさき》ぐるみ、本《ほん》に添《そ》へて、すらすらと持《も》つて椅子《いす》に歸《かへ》つた。  其《それ》だけで、身《み》の惱《なや》ましき人《ひと》は吻《ほつ》と息《いき》する。 「さあ、此《こ》の本《ほん》が、唐土《もろこし》の人《ひと》……揃《そろ》つたわね、主人《しゆじん》も、客《きやく》も。  而《そ》して鰐《わに》の晩飯時分《ばんめしじぶん》、孔雀《くじやく》のやうな玉《たま》の燈籠《とうろう》の裡《うち》で、御馳走《ごちそう》を會食《くわいしよく》して居《ゐ》る……  一寸《ちよいと》、其《そ》の高樓《たかどの》を何處《どこ》だと思《おも》ひます……印度《インド》の中《なか》のね、蕃蛇剌馬《ばんじやらあまん》……船着《ふなつき》の貿易所《ぼうえきしよ》、――お前《まへ》さんが御存《ごぞん》じだよ、私《わたし》よりか、」  と打微笑《うちほゝゑ》み、 「主人《しゆじん》は、支那《しな》の福州《ふくしう》の大商賈《おほあきんど》で、客《きやく》は、其《それ》も、和蘭陀《オランダ》の富豪父子《かねもちおやこ》と、此《こ》の島《しま》の酋長《しうちやう》なんですがね、こゝでね、皆《みんな》がね、たゞ一《ひと》ツ、其《それ》だけに就《つ》いて繰返《くりかへ》して話《はな》して居《ゐ》たのは、――此《こ》のね、酋長《しうちやう》の手《て》から買取《かひと》つて、和蘭陀《オランダ》の、其《そ》の貴公子《きこうし》が、此《こ》の家《うち》へ贈《おく》りものにした――然《さ》うね、お前《まへ》さんの、あの、御先祖《ごせんぞ》と云《い》ふと年寄染《としよりじ》みます、其《そ》の時分《じぶん》は少《わか》いのよ。出《で》が王樣《わうさま》の城《しろ》だから、姫君《ひめぎみ》の鸚鵡《あうむ》が一|羽《は》。  全身《ぜんしん》緋色《ひいろ》なんだつて。……  此《これ》が、哥太寛《こたいくわん》と云《い》ふ、此家《こゝ》の主人《あるじ》たち夫婦《ふうふ》の祕藏娘《ひざうむすめ》で、今年《ことし》十八に成《な》る、哥鬱賢《こうつけん》と云《い》うてね、島《しま》第一《だいいち》の美《うつく》しい人《ひと》のものに成《な》つたの。和蘭陀《オランダ》の公子《こうし》は本望《ほんまう》でせう……實《じつ》は其《それ》が望《のぞ》みだつたらしいから――  鸚鵡《あうむ》は多年《たねん》馴《な》らしてあつて、土地《とち》の言語《げんご》は固《もと》よりだし、瓜哇《ジヤワ》、勃泥亞《ボルネヲ》の訛《なまり》から、馬尼剌《マニラ》、錫蘭《セイロン》、澤山《たんと》は未《ま》だなかつた、英吉利《イギリス》の語《ご》も使《つか》つて、其《それ》は……怜悧《りこう》な娘《むすめ》をはじめ、誰《だれ》にも、よく解《わか》るのに、一《ひと》ツ人《ひと》の聞馴《きゝな》れない、不思議《ふしぎ》な言語《ことば》があつたんです。  以前《いぜん》の持主《もちぬし》、二度目《にどめ》のはお取次《とりつぎ》、一人《ひとり》も仕込《しこ》んだ覺《おぼ》えはないから、其《そ》の人《ひと》たちは無論《むろん》の事《こと》、港《みなと》へ出入《ではひ》る、國々《くに/″\》島々《しま/″\》のものに尋《たづ》ねても、まるつきし通《つう》じない、希有《けう》な文句《もんく》を歌《うた》ふんですがね、檢《しら》べて見《み》ると、其《それ》が何《なん》なの、此《こ》の内《うち》へ來《き》てから、はじまつたと分《わか》つたんです。  何《なに》かの折《をり》の御馳走《ごちそう》に、哥太寛《こたいくわん》が、――今夜《こんや》だわね――其《そ》の人《ひと》たちを高樓《たかどの》に招《まね》いて、話《はなし》の折《をり》に、又《また》其《そ》の事《こと》を言出《いひだ》して、鸚鵡《あうむ》の口眞似《くちまね》もしたけれども、分《わか》らない文句《もんく》は、鳥《とり》の聲《こゑ》とばツかし聞《きこ》えて、傍《そば》で聞《き》く黒人《くろんぼ》たちも、妙《めう》な顏色《かほつき》で居《ゐ》る所《ところ》……ね……  其處《そこ》へですよ、奧深《おくふか》く居《ゐ》て顏《かほ》は見《み》せない、娘《むすめ》の哥鬱賢《こうつけん》から、妼《こしもと》が一人《ひとり》使者《つかひ》で出《で》ました……」 [#8字下げ]四[#「四」は中見出し] 「差出《さしで》がましうござんすが、お座興《ざきよう》にもと存《ぞん》じて、お客樣《きやくさま》の前《まへ》ながら、申上《まをしあ》げます、とお孃樣《ぢやうさま》、御口上《ごこうじやう》。――内《うち》に、日本《につぽん》と云《い》ふ、草毟《くさむしり》の若《わか》い人《ひと》が居《を》りませう……ふと思《おも》ひ着《つ》きました。あのものをお召《め》し遊《あそ》ばし、鸚鵡《あうむ》の謎《なぞ》をお問合《とひあ》はせなさいましては如何《いかゞ》でせうか、と其《そ》の妼《こしもと》が陳《の》べたんです。  鸚鵡《あうむ》は、尤《もつと》も、お孃《ぢやう》さんが片時《かたとき》も傍《そば》を離《はな》さないから、席《せき》へ出《で》ては居《ゐ》なかつたの。  でね、此《これ》を聞《き》くと、人《ひと》の好《い》い、氣《き》の優《やさ》しい、哥太寛《こたいくわん》の御新姐《ごしんぞ》が、おゝ、と云《い》つて、袖《そで》を開《ひら》く……主人《しゆじん》もはた、と手《て》を拍《う》つて、」  とて、夫人《ふじん》は椅子《いす》なる袖《そで》に寄《よ》せた、白鞘《しらさや》を輕《かる》く壓《おさ》へながら、 「先刻《せんこく》より御覽《ごらん》に入《い》れた、此《これ》なる劍《つるぎ》、と哥太寛《こたいくわん》の云《い》つたのが、――卓子《テエブル》の上《うへ》に置《お》いた、蝋塗《らふぬり》、鮫鞘卷《さめざやまき》、縁頭《ふちがしら》、目貫《めぬき》も揃《そろ》つて、金銀造《きんぎんづく》りの脇差《わきざし》なんです――此《こ》の日本《につぽん》の劍《つるぎ》と一所《いつしよ》に、泯汰腦《ミンダネヲ》の土蠻《どばん》が船《ふね》に積《つ》んで、賣《う》りに參《まゐ》つた日本人《につぽんじん》を、三|年《ねん》前《さき》に買取《かひと》つて、現《げん》に下僕《かぼく》として使《つか》ひまする。が、傍《そば》へも寄《よ》せぬ下働《したばたらき》の漢《をとこ》なれば、劍《つるぎ》は此處《こゝ》にありながら、其《そ》の事《こと》とも存《ぞん》ぜなんだ。……成程《なるほど》、呼《よ》べ、と給仕《きふじ》を遣《や》つて、鸚鵡《あうむ》を此《これ》へ、と急《いそ》いで孃《ぢやう》に、で、妼《こしもと》を立《た》たせたのよ。  たゞ玉《たま》の緒《を》のしるしばかり、髮《かみ》は絲《いと》で結《むす》んでも、胡沙《こさ》吹《ふ》く風《かぜ》は肩《かた》に亂《みだ》れた、身《み》は痩《や》せ、顏《かほ》は窶《やつ》れたけれども、目鼻立《めはなだ》ちの凛《りん》として、口許《くちもと》の緊《しま》つたのは、服裝《なり》は何《ど》うでも日本《やまと》の若草《わかくさ》。黒人《くろんぼ》の給仕《きふじ》に導《みちび》かれて、燈籠《とうろう》の影《かげ》へ顯《あらは》れたつけね――主人《しゆじん》の用《よう》に商賣《あきなひ》ものを運《はこ》ぶ節《せつ》は、盜賊《どろばう》の用心《ようじん》に屹《きつ》と持《も》つ……穗長《ほなが》の槍《やり》をねえ、こんな場所《ばしよ》へは出《で》つけないから、突立《つきた》てたまゝで居《ゐ》るんぢやありませんか。  和蘭陀《オランダ》のは騷《さわ》がなかつたが、蕃蛇剌馬《ばんじやらあまん》の酋長《しうちやう》は、帶《おび》を手繰《たぐ》つて、長劍《ちやうけん》の柄《つか》へ手《て》を掛《か》けました。……此《こ》のお夥間《なかま》です……人《ひと》の賣買《うりかひ》をする連中《れんぢう》は……まあね、槍《やり》は給仕《きふじ》が、此《これ》も慌《あわ》てて受取《うけと》つたつて。  靜《しづ》かに進《すゝ》んで禮《れい》をする時《とき》、牡丹《ぼたん》に八《や》ツ橋《はし》を架《か》けたやうに、花《はな》の中《なか》を𢌞《まは》り繞《めぐ》つて、奧《おく》へ續《つゞ》いた高樓《たかどの》の廊下《らうか》づたひに、黒女《くろめ》の妼《こしもと》が前後《あとさき》に三|人《にん》屬《つ》いて、淺緑《あさみどり》の衣《きぬ》に同《おな》じ裳《も》をした……面《おもて》は、雪《ゆき》の香《か》が沈《しづ》む……銀《しろがね》の櫛《くし》照々《てら/\》と、兩方《りやうはう》の鬢《びん》に十二|枚《まい》の黄金《こがね》の簪《かんざし》、玉《たま》の瓔珞《やうらく》はら/\と、お孃《ぢやう》さん。耳鉗《みゝわ》、腕釧《うでわ》も細《ほそ》い姿《すがた》に、拔出《ぬけで》るらしく鏘々《しやう/\》として……あの、さら/\と歩行《ある》く。  母親《はゝおや》が曲彔《きよくろく》を立《た》つて、花《はな》の中《なか》で迎《むか》へた處《ところ》で、哥鬱賢《こうつけん》は立停《たちど》まつて、而《そ》して……桃《もゝ》の花《はな》の重《かさな》つて、影《かげ》も染《そ》まる緋色《ひいろ》の鸚鵡《あうむ》は、お孃《ぢやう》さんの肩《かた》から翼《つばさ》、飜然《ひらり》と母親《はゝおや》の手《て》に留《と》まる。其《それ》を持《も》つて、卓子《テエブル》に歸《かへ》つて來《く》る間《ま》に、お孃《ぢやう》さんの姿《すがた》は、妼《こしもと》の三《みつ》ツの黒《くろ》い中《なか》に隱《かく》れたんです。  鸚鵡《あうむ》は誰《だれ》にも馴染《なじみ》だわね。  卓子《テエブル》の其處《そこ》へ、花片《はなびら》の翼《つばさ》を兩方《りやうはう》、燃立《もえた》つやうに。」  と云《い》ふ。聲《こゑ》さへ、其《そ》の色《いろ》。暖爐《だんろ》の瓦斯《がす》は颯々《さつ/\》と霜夜《しもよ》に冴《さ》えて、一層《いつそう》殷紅《いんこう》に、且《か》つ鮮麗《せんれい》なるものであつた。 「影《かげ》を映《うつ》した時《とき》でした……其《そ》の間《ま》に早《は》や用《よう》の趣《おもむき》を言《い》ひ聞《き》かされた、髮《かみ》の長《なが》い、日本《につぽん》の若《わか》い人《ひと》の、熟《じつ》と見《み》るのと、瞳《ひとみ》を合《あは》せたやうだつたつて……  若《わか》い人《ひと》の、窶《やつ》れ顏《がほ》に、血《ち》の色《いろ》が颯《さつ》と上《のぼ》つて、――國々《くに/″\》島々《しま/″\》、方々《はう/″\》が、いづれもお分《わか》りのないとある、唯《たゞ》一句《いつく》、不思議《ふしぎ》な、短《みじ》かい、鸚鵡《あうむ》の聲《こゑ》と申《まを》すのを、私《わたくし》が先《さき》へ申《まを》して見《み》ませう……もしや?……  ――港《みなと》で待《ま》つよ――  と、恁《か》う申《まを》すのではござりませぬか、と言《い》ひも未《ま》だ果《は》てなかつたに、島《しま》の毒蛇《どくじや》の呼吸《いき》を消《け》して、椰子《やし》の峰《みね》、鰐《わに》の流《ながれ》、蕃蛇剌馬《ばんじやらあまん》の黄色《きいろ》な月《つき》も晴《は》れ渡《わた》る、世《よ》にも朗《ほがら》かな涼《すゞ》しい聲《こゑ》して、  ――港《みなと》で待《ま》つよ――  と、羽《はね》を靡《なび》かして、其《そ》の緋鸚鵡《ひあうむ》が、高《たか》らかに歌《うた》つたんです。  釵《かんざし》の搖《ゆら》ぐ氣勢《けはひ》は、彼方《あちら》に、お孃《ぢやう》さんの方《はう》にして……卓子《テエブル》の其《そ》の周圍《まはり》は、却《かへ》つて寂然《ひつそり》となりました。  たゞ、和蘭陀《オランダ》の貴公子《きこうし》の、先刻《さつき》から娘《むすめ》に通《かよ》はす碧《あゐ》を湛《たゝ》へた目《め》の美《うつく》しさ。  はじめて鸚鵡《あうむ》に見返《みかへ》して、此《こ》の言葉《ことば》よ、此《こ》の言葉《ことば》よ!日本《につぽん》、と眞前《まつさき》に云《い》ひましたとさ。」 [#8字下げ]五[#「五」は中見出し] 「眞個《まつたく》、其《そ》の言《ことば》に違《ちが》はないもんですから、主人《しゆじん》も、客《きやく》も、座《ざ》を正《たゞ》して、其《そ》のいはれを聞《き》かうと云《い》つたの。  ――港《みなと》で待《ま》つよ――  深夜《しんや》に、可恐《おそろし》い黄金蛇《こがねへび》の、カラ/\と這《は》ふ時《とき》は、土蠻《どばん》でさへ、誰《だれ》も皆《みな》耳《みゝ》を塞《ふさ》ぐ……其《そ》の時《とき》には何《ど》うか知《し》らない……そんな果敢《はかな》い、一生《いつしやう》奴隷《どれい》に買《か》はれた身《み》だのに、一|度《ど》も泣《な》いた事《こと》を見《み》ないと云《い》ふ、日本《につぽん》の其《そ》の少《わか》い人《ひと》は、今《いま》其《そ》の鸚鵡《あうむ》の一言《ひとこと》を聞《き》くか聞《き》かないに、槍《やり》をそばめた手《て》も恥《はづ》かしい、ばつたり床《ゆか》に、俯向《うつむ》けに倒《たふ》れて潸々《さめ/″\》と泣《な》くんです。  お孃《ぢやう》さんは、伸上《のびあが》るやうに見《み》えたの。  涙《なみだ》を拂《はら》つて――唯今《たゞいま》の鸚鵡《あうむ》の聲《こゑ》は、私《わたくし》が日本《につぽん》の地《ち》を吹流《ふきなが》されて、恁《か》うした身《み》に成《な》ります、其《そ》の船出《ふなで》の夜中《よなか》に、歴然《あり/\》と聞《き》きました……十二一重《じふにひとへ》に緋《ひ》の袴《はかま》を召《め》させられた、百人一首《ひやくにんいつしゆ》と云《い》ふ歌《うた》の本《ほん》においで遊《あそ》ばす、貴方方《あなたがた》にはお解《わか》りあるまい、尊《たふと》い姫君《ひめぎみ》の繪姿《ゑすがた》に、面影《おもかげ》の肖《に》させられた御方《おかた》から、お聲《こゑ》がかりがありました、其《そ》の言葉《ことば》に違《ちが》ひありませぬ。いま赫耀《かくやく》とした鳥《とり》の翼《つばさ》を見《み》ますると、射《い》らるゝやうに其《そ》の緋《ひ》の袴《はかま》が目《め》に見《み》えたのでござります。――と此《これ》から話《はな》したの――其《そ》の時《とき》のは、船《ふね》の女神《をんながみ》さまのお姿《すがた》だつたんです。  若《わか》い人《ひと》は筑前《ちくぜん》の出生《うまれ》、博多《はかた》の孫一《まごいち》と云《い》ふ水主《かこ》でね、十九の年《とし》、……七|年《ねん》前《まへ》、福岡藩《ふくをかはん》の米《こめ》を積《つ》んだ、千六百|石《こく》の大船《たいせん》に、乘組《のりくみ》の人數《にんず》、船頭《せんどう》とも二十|人《にん》、寶暦《はうれき》午《うま》の年《とし》十|月《ぐわつ》六日《むいか》に、伊勢丸《いせまる》と云《い》ふ其《そ》の新造《しんざう》の乘初《のりぞめ》です。先《ま》づは滯《とゞこほ》りなく大阪《おほさか》へ――それから豐前《ぶぜん》へ𢌞《まは》つて、中津《なかつ》の米《こめ》を江戸《えど》へ積《つ》んで、江戸《えど》から奧州《あうしう》へ渡《わた》つて、又《また》青森《あをもり》から津輕藩《つがるはん》の米《こめ》を託《ことづか》つて、一|度《ど》品川《しながは》まで戻《もど》つた處《ところ》、更《あらた》めて津輕《つがる》の材木《ざいもく》を積《つ》むために、奧州《あうしう》へ下《くだ》つたんです――其《そ》の内《うち》、年號《ねんがう》は明和《めいわ》と成《な》る……元年《ぐわんねん》申《さる》の七|月《ぐわつ》八日《やうか》、材木《ざいもく》を積濟《つみす》まして、立火《たつび》の小泊《こどまり》から帆《ほ》を開《ひら》いて、順風《じゆんぷう》に沖《おき》へ走《はし》り出《だ》した時《とき》、一|人《にん》、櫓《やぐら》から倒《さかさま》に落《お》ちて死《し》んだのがあつたんです、此《これ》があやかしの憑《つ》いたはじめなのよ。  南部《なんぶ》の才浦《さいうら》と云《い》ふ處《ところ》で、七日《なぬか》ばかり風待《かざまち》をして居《ゐ》た内《うち》に、長八《ちやうはち》と云《い》ふ若《わか》い男《をとこ》が、船宿《ふなやど》小宿《こやど》の娘《むすめ》と馴染《なじ》んで、明日《あす》は出帆《しゆつぱん》、と云《い》ふ前《まへ》の晩《ばん》、手《て》に手《て》を取《と》つて、行方《ゆくへ》も知《し》れず……一寸《ちよいと》……駈落《かけおち》をして了《しま》つたんだわ!」  ふと蓮葉《はすは》に、ものを言《い》つて、夫人《ふじん》はすつと立《た》つて、對丈《つゐたけ》に、黒人《くろんぼ》の西瓜《すゐくわ》を避《さ》けつゝ、鸚鵡《あうむ》の籠《かご》をコト/\と音信《おとづ》れた。 「何《ど》う?多分《たぶん》其《そ》の我《わが》まゝな駈落《かけおち》ものの、……私《わたし》は子孫《しそん》だ、と思《おも》ふんだがね。……御覽《ごらん》の通《とほ》りだからね、」  と、霜《しも》の冷《つめた》い色《いろ》して、 「でも、駈落《かけお》ちをしたお庇《かげ》で、無事《ぶじ》に生命《いのち》を助《たす》かつたんです。思《おも》つた同士《どうし》は、道行《みちゆ》きに限《かぎ》るのねえ。」  と力《ちから》なささうに、疲《つか》れたらしく、立姿《たちすがた》のなり、黒棚《くろだな》に、柔《やはら》かな袖《そで》を掛《か》けたのである。 「あとの大勢《おほぜい》つたら、其《そ》のあくる日《ひ》から、火《ひ》の雨《あめ》、火《ひ》の風《かぜ》、火《ひ》の浪《なみ》に吹放《ふきはな》されて、西《にし》へ――西《にし》へ――毎日々々《まいにち/\》、百日《ひやくにち》と六日《むいか》の間《あひだ》、鳥《とり》の影《かげ》一《ひと》つ見《み》えない大灘《おほなだ》を漂《たゞよ》うて、お米《こめ》を二|升《しよう》に水《みづ》一|斗《と》の薄粥《うすがゆ》で、二十|人《にん》の一|日《にち》の生命《いのち》を繋《つな》いだのも、はじめの内《うち》。くまびきさへ釣《つ》れないもの、長《なが》い間《あひだ》に漁《れふ》したのは、二尋《ふたひろ》ばかりの鱶《ふか》が一|疋《ぴき》。さ、其《それ》を食《た》べた所爲《せゐ》でせう、お腹《なか》の皮《かは》が蒼白《あをじろ》く、鱶《ふか》のやうにだぶだぶして、手足《てあし》は海松《みる》の枝《えだ》の枯《か》れたやうになつて、漸《や》つと見着《みつ》けたのが鬼《おに》ヶ|島《しま》、――魔界《まかい》だわね。  然《さ》うして地《つち》を見《み》てからも、島《しま》の周圍《まはり》に、底《そこ》から生《は》えて、幹《みき》ばかりも五|丈《ぢやう》、八|丈《ぢやう》、すく/\と水《みづ》から出《で》た、名《な》も知《し》れない樹《き》が邪魔《じやま》に成《な》つて、船《ふね》を着《つ》ける事《こと》が出來《でき》ないで、海《うみ》の中《なか》の森《もり》の間《あひだ》を、潮《しほ》あかりに、月《つき》も日《ひ》もなく、夜晝《よるひる》七日《なのか》流《なが》れたつて言《い》ふんですもの……  其《そ》の時分《じぶん》、大《おほ》きな海鼠《なまこ》の二尺許《にしやくばか》りなのを取《と》つて食《た》べて、毒《どく》に當《あた》つて、死《し》なないまでに、こはれごはれの船《ふね》の中《なか》で、七顛八倒《しちてんばつたう》の苦痛《くるしみ》をしたつて言《い》ふよ。……まあ、どんな、心持《こゝろもち》だつたらうね。渇《かわ》くのは尚《な》ほ辛《つら》くつて、雨《あめ》のない日《ひ》の續《つゞ》く時《とき》は帆布《ほぬの》を擴《ひろ》げて、夜露《よつゆ》を受《う》けて、皆《みんな》が口《くち》をつけて吸《す》つたんだつて――大概《たいがい》唇《くちびる》は破《やぶ》れて血《ち》が出《で》て、――助《たす》かつた此《こ》の話《はなし》の孫一《まごいち》は、餘《あんま》り激《はげ》しく吸《す》つたため、前齒《まへば》二《ふた》つ反《そ》つて居《ゐ》たとさ。……  お聞《き》き、島《しま》へ着《つ》くと、元船《もとぶね》を乘棄《のりす》てて、魔國《まこく》とこゝを覺悟《かくご》して、死裝束《しにしやうぞく》に、髮《かみ》を撫着《なでつ》け、衣類《いるゐ》を着換《きか》へ、羽織《はおり》を着《き》て、紐《ひも》を結《むす》んで、てん/″\が一腰《ひとこし》づゝ嗜《たしな》みの脇差《わきざし》をさして上陸《あが》つたけれど、飢《うゑ》渇《かつ》ゑた上《うへ》、毒《どく》に當《あた》つて、足腰《あしこし》も立《た》たないものを何《ど》うしませう?……」 [#8字下げ]六[#「六」は中見出し] 「三百|人《にん》ばかり、山手《やまて》から黒煙《くろけぶり》を揚《あ》げて、羽蟻《はあり》のやうに渦卷《うづま》いて來《き》た、黒人《くろんぼ》の槍《やり》の石突《いしづき》で、濱《はま》に倒《たふ》れて、呻吟《うめ》き惱《なや》む一人々々《ひとり/\》が、胴《どう》、腹《はら》、腰《こし》、背《せ》、コツ/\と突《つゝ》かれて、生死《いきしに》を驗《ため》されながら、抵抗《てむかひ》も成《な》らず裸《はだか》にされて、懷中《くわいちう》ものまで剥取《はぎと》られた上《うへ》、親船《おやぶね》、端舟《はしけ》も、斧《をの》で、ばら/\に摧《くだ》かれて、帆綱《ほづな》、帆柱《ほばしら》、離《はな》れた釘《くぎ》は、可忌《いまはし》い禁厭《まじなひ》、可恐《おそろし》い呪詛《のろひ》の用《よう》に、皆《みんな》奪《と》られて了《しま》つたんです。……  あとは殘《のこ》らず牛馬《うしうま》扱《あつか》ひ。それ、草《くさ》を毟《むし》れ、馬鈴薯《じやがいも》を掘《ほ》れ、貝《かひ》を突《つ》け、で、焦《こ》げつくやうな炎天《えんてん》、夜《よる》は毒蛇《どくじや》の霧《きり》、毒蟲《どくむし》の靄《もや》の中《なか》を、鞭打《むちう》ち鞭打《むちう》ち、こき使《つか》はれて、三月《みつき》、半歳《はんとし》、一年《いちねん》と云《い》ふ中《うち》には、大方《おほかた》死《し》んで、あと二三|人《にん》だけ殘《のこ》つたのが一人々々《ひとり/\》、牛小屋《うしごや》から掴《つか》み出《だ》されて、果《はて》しも知《し》らない海《うみ》の上《うへ》を、二十日目《はつかめ》に島《しま》一《ひと》つ、五十日目《ごじふにちめ》に島《しま》一《ひと》つ、離《はな》れ/″\に方々《はう/″\》へ賣《う》られて奴隷《どれい》に成《な》りました。  孫一《まごいち》も其《そ》の一人《ひとり》だつたの……此《こ》の人《ひと》はね、乳《ちゝ》も涙《なみだ》も漲《みなぎ》り落《お》ちる黒女《くろめ》の俘囚《とりこ》と一所《いつしよ》に、島々《しま/″\》を目見得《めみえ》に𢌞《まは》つて、其《そ》の間《あひだ》には、日本《につぽん》、日本《につぽん》で、見世《みせ》ものの小屋《こや》に置《お》かれた事《こと》もあつた。一度《いちど》何處《どこ》か方角《はうがく》も知《し》れない島《しま》へ、船《ふね》が水汲《みづくみ》に寄《よ》つた時《とき》、濱《はま》つゞきの椰子《やし》の樹《き》の奧《おく》に、恁《か》うね、透《す》かすと、一人《ひとり》、コトン/\と、寂《さび》しく粟《あは》を搗《つ》いて居《ゐ》た亡者《まうじや》があつてね、其《それ》が夥間《なかま》の一人《ひとり》だつたのが分《わか》つたから、聲《こゑ》を掛《か》けると、黒人《くろんぼ》が突倒《つきたふ》して、船《ふね》は其《そ》のまゝ朱色《しゆいろ》の海《うみ》へ、ぶく/\と出《で》たんだとさ……可哀相《かはいさう》ねえ。  まだ可哀《あはれ》なのはね、一所《いつしよ》に連𢌞《つれま》はられた黒女《くろめ》なのよ。又《また》何《なん》とか云《い》ふ可恐《おそろし》い島《しま》でね、人《ひと》が死《し》ぬ、と家屬《かぞく》のものが、其《そ》の首《くび》は大事《だいじ》に藏《しま》つて、他人《たにん》の首《くび》を活《い》きながら切《き》つて、死人《しにん》の首《くび》へ繼合《つぎあ》はせて、其《それ》を埋《うづ》めると云《い》ふ習慣《ならはし》があつて、工面《くめん》のいゝのは、平常《ふだん》から首代《くびしろ》の人間《にんげん》を放飼《はなしがひ》に飼《か》つて置《お》く。日本《につぽん》ぢや身《み》がはりの首《くび》と云《い》ふ武士道《ぶしだう》とかがあつたけれど、其《そ》の島《しま》ぢや遁《に》げると不可《いけな》いからつて、足《あし》を縛《しば》つて、首《くび》から掛《か》けて、股《また》の間《あひだ》へ鐵《てつ》の分銅《ふんどう》を釣《つ》るんだつて……其處《そこ》へ、あの、黒《くろ》い、乳《ちゝ》の膨《ふく》れた女《をんな》は買《か》はれたんだよ。  孫一《まごいち》は、天《てん》の助《たす》けか、其《そ》の土地《とち》では賣《う》れなくつて――とう/\蕃蛇剌馬《ばんじやらあまん》で方《かた》が附《つ》いた――  と云《い》ふ譯《わけ》なの……  話《はなし》は此《これ》なんだよ。」  夫人《ふじん》は小《ちひ》さな吐息《といき》した。 「其《そ》のね、ね。可悲《かなし》い、可恐《おそろし》い、滅亡《めつばう》の運命《うんめい》が、人《ひと》たちの身《み》に、暴風雨《あらし》と成《な》つて、天地《てんち》とともに崩掛《くづれかゝ》らうとする前《まへ》の夜《よる》、……風《かぜ》はよし、凪《なぎ》はよし……船出《ふなで》の祝《いは》ひに酒盛《さかもり》したあと、船中《せんちう》殘《のこ》らず、ぐつすりと寢込《ねこ》んで居《ゐ》た、仙臺《せんだい》の小淵《こぶち》の港《みなと》で――霜《しも》の月《つき》に獨《ひと》り覺《さ》めた、年《とし》十九の孫一《まごいち》の目《め》に――思《おも》ひも掛《か》けない、艫《とも》の間《ま》の神龕《かみだな》の前《まへ》に、凍《こほ》つた龍宮《りうぐう》の几帳《きちやう》と思《おも》ふ、白氣《はくき》が一筋《ひとすぢ》月《つき》に透《す》いて、向《むか》うへ大波《おほなみ》が畝《うね》るのが、累《かさな》つて凄《すご》く映《うつ》る。其《そ》の蔭《かげ》に、端麗《あでやか》さも端麗《あでやか》に、神々《かう/″\》しさも神々《かう/″\》しい、緋《ひ》の袴《はかま》の姫《ひめ》が、お一方《ひとかた》、孫一《まごいち》を一目《ひとめ》見《み》なすつて、  ――港《みなと》で待《ま》つよ――  と其《そ》の一言《ひとこと》。すらりと背後《うしろ》向《む》かるゝ黒髮《くろかみ》のたけ、帆柱《ほばしら》より長《なが》く靡《なび》くと思《おも》ふと、袴《はかま》の裳《もすそ》が波《なみ》を摺《す》つて、月《つき》の前《まへ》を、さら/\と、かけ波《なみ》の沫《しぶき》の玉《たま》を散《ち》らしながら、衝《つ》と港口《みなとぐち》へ飛《と》んで消《き》えるのを見《み》ました……あつと思《おも》ふと夢《ゆめ》は覺《さ》めたが、月明《つきあか》りに霜《しも》の薄煙《うすけぶ》りがあるばかり、船《ふね》の中《なか》に、尊《たふと》い香《かう》の薫《かをり》が殘《のこ》つたと。……  此《これ》の船中《せんちう》に話《はな》したがね、船頭《せんどう》はじめ――白癡《たはけ》め、婦《をんな》に誘《さそ》はれて、駈落《かけおち》の眞似《まね》がしたいのか――で、船《ふね》は人《ひと》ぐるみ、然《さ》うして奈落《ならく》へ逆《さかさま》に落込《おちこ》んだんです。  まあ、何《なん》と言《い》はれても、美《うつく》しい人《ひと》の言《い》ふことに、從《したが》へば可《よ》かつたものをね。  七|年《ねん》幾月《いくつき》の其《そ》の日《ひ》はじめて、世界《せかい》を代《か》へた天竺《てんぢく》の蕃蛇剌馬《ばんじやらあまん》の黄昏《たそがれ》に、緋《ひ》の色《いろ》した鸚鵡《あうむ》の口《くち》から、同《おな》じ言《ことば》を聞《き》いたので、身《み》を投臥《なげふ》して泣《な》いた、と言《い》ひます。  微妙《いみじ》き姫神《ひめがみ》、餘《あま》りの事《こと》の靈威《れいゐ》に打《うた》れて、一座《いちざ》皆《みな》跪《ひざまづ》いて、東《ひがし》の空《そら》を拜《をが》みました。  言《い》ふにも及《およ》ばない事《こと》、奴隷《どれい》の恥《はぢ》も、苦《くるし》みも、孫一《まごいち》は、其《そ》の座《ざ》で解《と》けて、娘《むすめ》の哥鬱賢《こうつけん》が贐《はなむけ》した其《そ》の鸚鵡《あうむ》を肩《かた》に据《す》ゑて。」  と籠《かご》を開《あ》ける、と飜然《ひらり》と來《き》た、が、此《これ》は純白《じゆんぱく》雪《ゆき》の如《ごと》きが、嬉《うれ》しさに、颯《さつ》と揚羽《あげは》の、羽裏《はうら》の色《いろ》は淡《あは》く黄《き》に、嘴《くち》は珊瑚《さんご》の薄紅《うすくれなゐ》。 「哥太寛《こたいくわん》も餞別《せんべつ》しました、金銀《きんぎん》づくりの脇差《わきざし》を、片手《かたて》に、」と、肱《ひぢ》を張《は》つたが、撓々《たよ/\》と成《な》つて、紫《むらさき》の切《きれ》も亂《みだ》るゝまゝに、弛《ゆる》き博多《はかた》の伊達卷《だてまき》へ。  肩《かた》を斜《なゝ》めに前《まへ》へ落《おと》すと、袖《そで》の上《うへ》へ、腕《かひな》が辷《すべ》つた、……月《つき》が投《な》げたるダリヤの大輪《おほりん》、白々《しろ/″\》と、搖《ゆ》れながら戲《たはむ》れかゝる、羽交《はがひ》の下《した》を、輕《かる》く手《て》に受《う》け、清《すゞ》しい目《め》を、熟《じつ》と合《あ》はせて、 「……あら嬉《うれ》しや!三千日《さんぜんにち》の夜《よ》あけ方《がた》、和蘭陀《オランダ》の黒船《くろふね》に、旭《あさひ》を載《の》せた鸚鵡《あうむ》の緋《ひ》の色《いろ》。めでたく筑前《ちくぜん》へ歸《かへ》つたんです――  お聞《き》きよ此《これ》を! 今《いま》、現在《げんざい》、私《わたし》のために、荒浪《あらなみ》に漂《たゞよ》つて、蕃蛇剌馬《ばんじやらあまん》に辛苦《しんく》すると同《おな》じやうな少《わか》い人《ひと》があつたらね、――お前《まへ》は何《なん》と云《い》ふの!何《なん》と言《い》ふの?  私《わたし》は、其《それ》が聞《き》きたいの、聞《き》きたいの、聞《き》きたいの、……たとへばだよ……お前《まへ》さんの一言《ひとこと》で、運命《うんめい》が極《きま》ると云《い》つたら、」  と、息切《いきぎ》れのする瞼《まぶた》が颯《さつ》と、氣《き》を込《こ》めた手《て》に力《ちから》が入《はひ》つて、鸚鵡《あうむ》の胸《むね》を壓《お》したと思《おも》ふ、嘴《くちばし》を踠《もが》いて開《あ》けて、カツキと噛《か》んだ小指《こゆび》の一節《ひとふし》。 「あ、」と離《はな》すと、爪《つめ》を袖口《そでくち》に縋《すが》りながら、胸毛《むなげ》を倒《さかさ》に仰向《あをむ》きかゝつた、鸚鵡《あうむ》の翼《つばさ》に、垂々《たら/\》と鮮血《からくれなゐ》。振離《ふりはな》すと、床《ゆか》まで落《お》ちず、宙《ちう》ではらりと、影《かげ》を亂《みだ》して、黒棚《くろだな》に、バツと乘《の》る、と驚駭《おどろき》に衝《つ》と退《すさ》つて、夫人《ふじん》がひたと遁構《にげがま》への扉《ひらき》に凭《もた》れた時《とき》であつた。  呀《や》!西瓜《すゐくわ》は投《な》げぬが、がつくり動《うご》いて、ベツカツコ、と目《め》を剥《む》く拍子《ひやうし》に、前《まへ》へのめらうとした黒人《くろんぼ》の其《そ》の土人形《つちにんぎやう》が、勢餘《いきほひあま》つて、どたりと仰状《のけざま》。ト木彫《きぼり》のあの、和蘭陀靴《オランダぐつ》は、スポンと裏《うら》を見《み》せて引顛返《ひつくりかへ》る。……煽《あふり》をくつて、論語《ろんご》は、ばら/\と暖爐《だんろ》に映《うつ》つて、赫《くわつ》と朱《しゆ》を注《そゝ》ぎながら、頁《ペエジ》を開《ひら》く。  雪《ゆき》なす鸚鵡《あうむ》は、見《み》る/\全身《ぜんしん》、美《うつく》しい血《ち》に染《そま》つたが、目《め》を眠《ねむ》るばかり恍惚《うつとり》と成《な》つて、朗《ほがら》かに歌《うた》つたのである。  ――港《みなと》で待《ま》つよ――  時《とき》に立窘《たちすく》みつゝ、白鞘《しらさや》に思《おも》はず手《て》を掛《か》けて、以《もつ》ての外《ほか》かな、怪異《けい》なるものどもの擧動《ふるまひ》を屹《き》と視《み》た夫人《ふじん》が、忘《わす》れたやうに、柄《つか》をしなやかに袖《そで》に捲《ま》いて、するりと帶《おび》に落《おと》して、片手《かたて》におくれ毛《げ》を拂《はら》ひもあへず……頷《うなづ》いて……莞爾《につこり》した。 底本:「鏡花全集 巻十四」岩波書店    1942(昭和17)年3月10日第1刷発行    1987(昭和62)年10月2日第3刷発行 初出:「中央公論」    1912(大正元)年11月 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 ※「若《わか》い」と「少《わか》い」、「矢張《やつぱ》り」と「矢張《やつぱり》」、「商人《あきんど》」と「商賈《あきんど》」、「家《うち》」と「内《うち》」、「男《をとこ》」と「漢《をとこ》」、「言《い》ふ」と「云《い》ふ」、「簪《かんざし》」と「釵《かんざし》」、「艷麗《あでやか》」と「端麗《あでやか》」、「浪《なみ》」と「波《なみ》」、「倒《さかさま》」と「逆《さかさま》」、「駈落《かけおち》」と「駈落《かけお》ち」、「女《をんな》」と「婦《をんな》」、「處《ところ》」と「所《ところ》」、「分《わか》つた」と「解《わか》る」、「視《み》て」と「見《み》て」と「觀《み》ながら」、「苦痛《くるしみ》」と「苦《くるし》み」、「獨《ひと》り」と「一人《ひとり》」、「一《ひとつ》」と「一《ひと》つ」と「一《ひと》ツ」、「打《う》つ」と「拍《う》つ」、「言葉《ことば》」と「言《ことば》」、「明《あか》り」と「明《あかり》」、「合《あ》はせ」と「合《あは》せ」、「大《おほ》き」と「大《おほき》」の混在は、底本通りです。 ※「皆」に対するルビの「みな」と「みんな」、「私」に対するルビの「わたし」と「わたくし」、「言語」に対するルビの「げんご」と「ことば」、「日本」に対するルビの「につぽん」と「やまと」、「嘴」に対するルビの「くちばし」と「くち」、「主人」に対するルビの「しゆじん」と「あるじ」の混在は、底本通りです。 入力:門田裕志 校正:室谷きわ 2021年10月27日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。