片しぐれ 泉鏡太郎 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)今《いま》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)千|石《ごく》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数) (例)𢌞 /\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号) (例)きび/\ *濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」 -------------------------------------------------------  今《いま》も恁《か》う云《い》ふのがある。  安政《あんせい》の頃《ころ》本所南割下水《ほんじよみなみわりげすゐ》に住《す》んで、祿高《ろくだか》千|石《ごく》を領《りやう》した大御番役《おほごばんやく》、服部式部《はつとりしきぶ》の邸《やしき》へ、同《おな》じ本所林町《ほんじよはやしちやう》家主惣兵衞店《いへぬしそうべゑたな》、傳平《でんぺい》の請人《うけにん》で、中間《ちうげん》に住込《すみこ》んだ、上州《じやうしう》瓜井戸《うりゐど》うまれの千助《せんすけ》と云《い》ふ、年《とし》二十二三の兄《せなあ》で、色《いろ》の生白《なまじろ》いのがあつた。  小利口《こりこう》にきび/\と立𢌞《たちまは》る、朝《あさ》は六《む》つ前《まへ》から起《お》きて、氣輕《きがる》身輕《みがる》は足輕《あしがる》相應《さうおう》、くる/\とよく働《はたら》く上《うへ》、早《はや》く江戸《えど》の水《みづ》に染《し》みて早速《さつそく》に情婦《いろ》を一《ひと》つと云《い》ふ了簡《れうけん》から、些《ち》と高《たか》い鼻柱《はなばしら》から手足《てあし》の爪《つめ》まで、磨《みが》くこと洗《あら》ふこと、一|日《にち》十|度《ど》に及《およ》んだと云《い》ふ。心状《しんじやう》のほどは知《し》らず、中間《ちうげん》風情《ふぜい》には可惜《あたら》男振《をとこぶり》の、少《すくな》いものが、身綺麗《みぎれい》で、勞力《ほね》を惜《をし》まず働《はたら》くから、これは然《さ》もありさうな事《こと》で、上下《じやうげ》擧《こぞ》つて通《とほ》りがよく、千助《せんすけ》、千助《せんすけ》と大《たい》した評判《ひやうばん》。  分《わ》けて最初《さいしよ》、其《そ》のめがねで召抱《めしかゝ》へた服部家《はつとりけ》の用人《ようにん》、關戸團右衞門《せきどだんゑもん》の贔屓《ひいき》と、目《め》の掛《か》けやうは一通《ひととほ》りでなかつた。  其《そ》の頼母《たのも》しいのと、當人《たうにん》自慢《じまん》の生白《なまじろ》い處《ところ》へ、先《ま》づ足駄《あしだ》をひつくりかへしたのは、門内《もんない》、團右衞門《だんゑもん》とは隣合《となりあ》はせの當家《たうけ》の家老《からう》、山田宇兵衞《やまだうへゑ》召使《めしつか》ひの、葛西《かさい》の飯炊《めしたき》。  續《つゞ》いて引掛《ひつかゝ》つたのが、同《おな》じ家《いへ》の子守兒《こもりつこ》で二人《ふたり》、三|人目《にんめ》は、部屋頭《へやがしら》何《なん》とか云《い》ふ爺《ぢゞい》の女房《にようばう》であつた。  いや、勇《いさ》んだの候《さふらふ》の、瓜井戸《うりゐど》の姊《あねえ》は、べたりだが、江戸《えど》ものはころりと來《く》るわ、で、葛西《かさい》に、栗橋《くりはし》、北千住《きたせんぢゆ》の鰌鯰《どぢやうなまづ》を、白魚《しらうを》の氣《き》に成《な》つて、頤《あご》を撫《な》でた。當人《たうにん》、女《をんな》にかけては其《そ》のつもりで居《ゐ》る日《ひ》の下開山《したかいざん》、木《き》の下《した》藤吉《とうきち》、一番鎗《いちばんやり》、一番乘《いちばんのり》、一番首《いちばんくび》の功名《こうみやう》をして遣《や》つた了簡《れうけん》。  此《こ》の勢《いきほひ》に乘《じよう》じて、立所《たちどころ》に一國一城《いつこくいちじやう》の主《あるじ》と志《こゝろざ》して狙《ねらひ》をつけたのは、あらう事《こと》か、用人《ようにん》團右衞門《だんゑもん》の御新姐《ごしんぞ》、おくみと云《い》ふ年《とし》は漸《やうや》う二十《はたち》と聞《き》く、如何《いか》にも、一國一城《いつこくいちじやう》に較《たぐ》へつべき至《いた》つて美《うつく》しいのであつた。  が、此《これ》はさすがに、井戸端《ゐどばた》で名《な》のり懸《か》けるわけには行《ゆ》かない。さりとて用人《ようにん》の若御新姐《わかごしんぞ》、さして深窓《しんさう》のと云《い》ふではないから、隨分《ずゐぶん》臺所口《だいどころぐち》、庭前《にはさき》では、朝《あさ》に、夕《ゆふ》に、其《そ》の下《した》がひの褄《つま》の、媚《なまめ》かしいのさへ、ちら/\見《み》られる。 「千助《せんすけ》や」 と優《やさ》しい聲《こゑ》も時々《とき/″\》聞《き》くのであるし、手《て》から手《て》へ直接《ぢか》に、つかひの用《よう》の、うけ渡《わたし》もするほどなので、御馳走《ごちそう》は目《め》の前《まへ》に唯《たゞ》お預《あづ》けだと、肝膽《かんたん》を絞《しぼ》つて悶《もだ》えて居《ゐ》た。  其《そ》の年《とし》押詰《おしつま》つて師走《しはす》の幾日《いくにち》かは、當邸《たうやしき》の御前《ごぜん》、服部式部《はつとりしきぶ》どの誕生日《たんじやうび》で、邸中《やしきぢう》とり/″\其《そ》の支度《したく》に急《いそ》がしく、何《なん》となく祭《まつり》が近《ちか》づいたやうにさゞめき立《た》つ。  其《そ》の一|日前《にちまへ》の暮方《くれがた》に、千助《せんすけ》は、團右衞門方《だんゑもんかた》の切戸口《きりどぐち》から、庭前《ていぜん》へ𢌞《まは》つた。座敷《ざしき》に御新姐《ごしんぞ》が居《ゐ》る事《こと》を、豫《あらかじ》め知《し》つての上《うへ》。  落葉《おちば》掃《は》く樣子《やうす》をして、箒《はうき》を持《も》つて技折戸《しをりど》から。一寸《ちよつと》言添《いひそ》へる事《こと》がある、此《こ》の節《せつ》、千助《せんすけ》は柔《やはら》かな下帶《したおび》などを心掛《こゝろが》け、淺葱《あさぎ》の襦袢《じゆばん》をたしなんで薄化粧《うすげしやう》などをする。尤《もつと》も今《いま》でこそあれ、其《そ》の時分《じぶん》中間《ちうげん》が、顏《かほ》に仙女香《せんぢよかう》を塗《ぬ》らうとは誰《たれ》も思《おも》ひがけないから、然《さ》うと知《し》つたものはない。其《そ》の上《うへ》、ぞつこん思《おも》ひこがれる御新姐《ごしんぞ》お組《くみ》が、優《やさ》しい風流《ふうりう》のあるのを窺《うかゞ》つて、居𢌞《ゐまは》りの夜店《よみせ》で表紙《へうし》の破《やぶ》れた御存《ごぞん》じの歌《うた》の本《ほん》を漁《あさ》つて來《き》て、何《なん》となく人《ひと》に見《み》せるやうに捻《ひね》くつて居《る》たのであつた。  時《とき》に御新姐《ごしんぞ》は日《ひ》が短《みじか》い時分《じぶん》の事《こと》、縁《えん》の端近《はしぢか》へ出《で》て、御前《ごぜん》の誕生日《たんじやうび》には夫《をつと》が着換《きか》へて出《で》ようと云《い》ふ、紋服《もんぷく》を、又《また》然《さ》うでもない、しつけの絲《いと》一筋《ひとすぢ》も間違《まちが》はぬやう、箪笥《たんす》から出《だ》して、目《め》を通《とほ》して、更《あらた》めて疊直《たゝみなほ》して居《ゐ》た處《ところ》。 「えゝ、御新姐樣《ごしんぞさま》、續《つゞ》きまして結構《けつこう》なお天氣《てんき》にござります。」 「おや、千助《せんすけ》かい、お精《せい》が出《で》ます。今度《こんど》は又《また》格別《かくべつ》お忙《いそが》しからう、御苦勞《ごくらう》だね。」 「何《ど》う仕《つかまつ》りまして、數《かず》なりませぬものも陰《かげ》ながらお喜《よろこ》び申《まを》して居《を》ります。」 「あゝ、おめでたいね、お客《きやく》さまが濟《す》むと、毎年《まいとし》ね、お前《まへ》がたも夜《よ》あかしで遊《あそ》ぶんだよ。まあ、其《それ》を樂《たのし》みにしてお働《はたら》きよ。」  ともの優《やさ》しく、柔《やはら》かな言《ことば》に附入《つけい》つて、 「もし、其《それ》につきまして、」  と沓脱《くつぬぎ》の傍《そば》へ蹲《うづくま》つて、揉手《もみで》をしながら、圖々《づう/\》しい男《をとこ》で、ずツと顏《かほ》を突出《つきだ》した。 「何《なん》とも恐多《おそれおほ》い事《こと》ではござりますが、御新姐樣《ごしんぞさま》に一《ひと》つお願《ねがひ》があつて罷出《まかりいで》ましてござります、へい。外《ほか》の事《こと》でもござりませんが、手前《てまへ》は當年《たうねん》はじめての御奉公《ごほうこう》にござりますが、承《うけたまは》りますれば、大殿樣《おほとのさま》御誕生《ごたんじやう》のお祝儀《しうぎ》の晩《ばん》、お客樣《きやくさま》が御立歸《おたちかへ》りに成《な》りますると、手前《てまへ》ども一統《いつとう》にも、お部屋《へや》で御酒《ごしゆ》を下《くだ》さりまするとか。」 「あゝ、無禮講《ぶれいかう》と申《まを》すのだよ。たんとお遊《あそ》び、そしてお前《まへ》、屹《きつ》と何《なに》かおありだらう、隱藝《かくしげい》でもお出《だ》しだと可《い》いね。」  と云《い》つて莞爾《につこり》した。千助《せんすけ》、頸許《えりもと》からぞく/\しながら、 「滅相《めつさう》な、隱藝《かくしげい》など、へゝゝ、就《つ》きましてでござります。其《そ》の無禮講《ぶれいかう》と申《まを》す事《こと》で、從前《じうぜん》にも向後《これから》も、他《ほか》なりません此《こ》のお邸《やしき》、決《けつ》して、然《さ》やうな事《こと》はござりますまいが、羽目《はめ》をはづして醉《よ》ひますると、得《え》て間違《まちがひ》の起《おこ》りやすいものでござります。其處《そこ》を以《も》ちまして、手前《てまへ》の了簡《れうけん》で、何《なん》と、今年《ことし》は一《ひと》つ、趣《おもむき》をかへて、お酒《さけ》を頂戴《ちやうだい》しながら、各々《めい/\》國々《くに/″\》の話《はなし》、土地《とち》所《ところ》の物語《ものがたり》と云《い》ふのをしめやかにしようではあるまいか。と、申出《まをしで》ました處《ところ》、部屋頭《へやがしら》が第一番《だいいちばん》。いづれも當御邸《たうおやしき》の御家風《ごかふう》で、おとなしい、實體《じつてい》なものばかり、一人《ひとり》も異存《いぞん》はござりません。  處《ところ》で發頭人《ほつとうにん》の手前《てまへ》、出來《でき》ませぬまでも、皮切《かはきり》をいたしませぬと相成《あひな》りませんので。  國許《くにもと》にござります、其《そ》の話《はなし》につきまして、其《それ》を饒舌《しやべ》りますのに、實《まこと》にこまりますことには、事柄《ことがら》の續《つゞき》の中《なか》に、歌《うた》が一《ひと》つござります。  部屋《へや》がしらは風流人《ふうりうじん》で、かむりづけ、ものはづくしなどと云《い》ふのを遣《や》ります。川柳《せんりう》に、(歌《うた》一《ひと》つあつて話《はなし》にけつまづき)と云《い》ふのがあると、何時《いつ》かも笑《わら》つて居《を》りました、成程《なるほど》其《そ》の通《とほ》りと感心《かんしん》しましたのが、今度《こんど》は身《み》の上《うへ》で、歌《うた》があつて蹴躓《けつまづ》きまして、部屋《へや》がしらに笑《わら》はれますのが、手前《てまへ》口惜《くや》しいと存《ぞん》じまして、へい。」  と然《さ》も/\若氣《わかげ》に思込《おもひこ》んだやうな顏色《かほいろ》をして云《い》つた。川柳《せんりう》を口吟《くちずさ》んで、かむりづけを樂《たのし》む其《そ》の結構《けつこう》な部屋《へや》がしらの女房《にようばう》を怪《け》しからぬ。 「少々《せう/\》ばかり小遣《こづかひ》の中《なか》から恁《か》やうなものを、」  と懷中《ふところ》から半分《はんぶん》ばかり紺土佐《こんどさ》の表紙《へうし》の薄汚《うすよご》れたのを出《だ》して見《み》せる。 「おや、歌《うた》の、お見《み》せな。」  と云《い》ふ瞳《ひとみ》が、疊《たゝ》みかけた夫《をつと》の禮服《れいふく》の紋《もん》を離《はな》れて、千助《せんすけ》が懷中《ふところ》の本《ほん》に移《うつ》つた。 「否《いや》、お恥《はづ》かしい、お目《め》を掛《か》けるやうなのではござりません、それに夜店《よみせ》で買《か》ひましたので、御新姐樣《ごしんぞさま》、お手《て》に觸《ふ》れましては汚《きたな》うござります。」  と引込《ひつこ》ませる、と水《みづ》のでばなと云《い》ふのでも、お組《くみ》はさすがに武家《ぶけ》の女房《にようばう》、中間《ちうげん》の膚《はだ》に着《つ》いたものを無理《むり》に見《み》ようとはしなかつた。 「然《さ》うかい。でも、お前《まへ》、優《やさ》しいお心掛《こゝろがけ》だね。」  と云《い》ふ、宗桂《そうけい》が歩《ふ》のあしらひより、番太郎《ばんたらう》の桂馬《けいま》の方《はう》が、豪《えら》さうに見《み》える習《ならはし》で、お組《くみ》は感心《かんしん》したらしかつた。然《さ》もさうずと千助《せんすけ》が益々《ます/\》附入《つけい》る。 「えゝ、さぐり讀《よ》みに搜《さが》しましても、どれが何《なん》だか分《わか》りません。其《それ》に、あゝ、何《なん》とかの端本《はほん》か、と部屋頭《へやがしら》が本《ほん》の名《な》を存《ぞん》じて居《を》りますから、中《なか》の歌《うた》も、此《これ》から引出《ひきだ》しましたのでは、先刻《せんこく》承知《しようち》とやらでござりませう。其《それ》では種《たね》あかしの手品《てじな》同樣《どうやう》、慰《なぐさ》みになりません。お願《ねがひ》と申《まを》しましたは爰《こゝ》の事《こと》。お新姐樣《しんぞさま》、一《ひと》つ何《ど》うぞ何《なん》でもお教《をし》へなさつて遣《つか》はさりまし。」  お組《くみ》が、ついうつかりと乘《の》せられて、 「私《わたし》にもよくは分《わか》らないけれど、あの、何《ど》う云《い》ふ事《こと》を申《まを》すのだえ、歌《うた》の心《こゝろ》はえ。」 「へい、話《はなし》の次第《しだい》でござりまして、其《それ》が其《そ》の戀《こひ》でござります。」  と初心《うぶ》らしく故《わざ》と俯向《うつむ》いて赤《あか》く成《な》つた。お組《くみ》も、ほんのりと、色《いろ》を染《そ》めた、が、庭《には》の木《き》の葉《は》の夕榮《ゆふばえ》である。 「戀《こひ》の心《こゝろ》はどんなのだえ。思《おも》うて逢《あ》ふとか、逢《あ》はないとか、忍《しの》ぶ、待《ま》つ、いろ/\あるわねえ。」 「えゝ、申兼《まをしか》ねましたが、其《それ》が其《そ》の、些《ち》と道《みち》なりませぬ、目上《めうへ》のお方《かた》に、身《み》も心《こゝろ》もうちこんで迷《まよ》ひました、と云《い》ふのは、對手《あひて》が庄屋《しやうや》どのの、其《そ》の、」と口早《くちばや》に云《い》ひたした。  お組《くみ》は何《なん》の氣《き》も附《つ》かない樣子《やうす》で、 「お待《ま》ち、」  と少々《せう/\》俯向《うつむ》いて、考《かんが》へるやうに、歌袖《うたそで》を膝《ひざ》へ置《お》いた姿《すがた》は、亦《また》類《たぐひ》なく美《うつく》しい。 「恁《か》ういたしたら何《ど》うであらうね、 [#ここから2字下げ] 思《おも》ふこと關路《せきぢ》の暗《やみ》のむら雲《くも》を、    晴《は》らしてしばしさせよ月影《つきかげ》。 [#ここで字下げ終わり]  分《わか》つたかい、一寸《ちよいと》いま思出《おもひだ》せないから、然《さ》うしてお置《お》きな、又《また》氣《き》が附《つ》いたら申《まを》さうから。」  千助《せんすけ》は目《め》を瞑《つむ》つて、如何《いか》にも感《かん》に堪《た》へたらしく、 [#ここから1字下げ] 「思《おも》ふこと關路《せきぢ》の暗《やみ》の、     むら雲《くも》を晴《は》らしてしばしさせよ月影《つきかげ》。 [#ここで字下げ終わり]  御新姐樣《ごしんぞさま》、此《こ》の上《うへ》の御無理《ごむり》は、助《たす》けると思召《おぼしめ》しまして、其《そ》のお歌《うた》を一寸《ちよいと》お認《したゝ》め下《くだ》さいまし、お使《つかひ》の口上《こうじやう》と違《ちが》ひまして、つい馴《な》れませぬ事《こと》は下根《げこん》のものに忘《わす》れがちにござります、よく拜見《はいけん》して覺《おぼ》えますやうに。」  と、しをらしく言《い》つたので、何心《なにごころ》なく其《そ》の言《ことば》に從《したが》つた。お組《くみ》は、しかけた用《よう》の忙《せは》しい折《をり》から、冬《ふゆ》の日《ひ》は早《は》や暮《く》れかゝる、ついありあはせた躾《たしなみ》の紅筆《べにふで》で、懷紙《くわいし》へ、圓髷《まるまげ》の鬢《びん》艷《つや》やかに、もみぢを流《なが》す……うるはしかりし水莖《みづぐき》のあと。  さて祝《いはひ》の夜《よ》、中間《ちうげん》ども一座《いちざ》の酒宴《しゆえん》。成程《なるほど》千助《せんすけ》の仕組《しく》んだ通《とほ》り、いづれも持寄《もちよ》りで、國々《くに/″\》の話《はなし》をはじめた。千助《せんすけ》の順《じゆん》に杯《さかづき》が𢌞《まは》つて來《き》た時《とき》、自分《じぶん》國許《くにもと》の事《こと》に擬《なぞら》へて、仔細《しさい》あつて、世《よ》を忍《しの》ぶ若《わか》ものが庄屋《しやうや》の屋敷《やしき》に奉公《ほうこう》して、其《そ》の妻《つま》と不義《ふぎ》をする段《だん》、手《て》に取《と》るやうに饒舌《しやべ》つて、 「實《じつ》は、此《これ》は、御用人《ごようにん》の御新姐樣《ごしんぞさま》に。」  と紅筆《べにふで》の戀歌《こひか》、移香《うつりが》の芬《ぷん》とする懷紙《くわいし》を恭《うや/\》しく擴《ひろ》げて、人々《ひと/″\》へ思入《おもひいれ》十分《じふぶん》に見《み》せびらかした。  自分《じぶん》で許《ゆる》す色男《いろをとこ》が、思《おもひ》をかけて屆《とゞ》かぬ婦《をんな》を、かうして人《ひと》に誇《ほこ》る術《て》は。 底本:「鏡花全集 巻十四」岩波書店    1942(昭和17)年3月10日第1刷発行    1987(昭和62)年10月2日第3刷発行 ※「おくみ」と「お組」の混在は、底本通りです。 ※「一寸」に対するルビの「ちよつと」と「ちよいと」の混在は、底本通りです。 入力:門田裕志 校正:室谷きわ 2021年8月28日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。