政談十二社 泉鏡花 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)町端《まちはずれ》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)二歩|行《ゆ》く内 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数) (例)眗《みまわ》した -------------------------------------------------------        一  東京もはやここは多摩の里、郡の部に属する内藤新宿の町端《まちはずれ》に、近頃新開で土の色赤く、日当《ひあたり》のいい冠木門《かぶきもん》から、目のふちほんのりと酔《えい》を帯びて、杖を小脇に、つかつかと出た一名の瀟洒《しょうしゃ》たる人物がある。  黒の洋服で雪のような胸、手首、勿論靴で、どういう好みか目庇《まびさし》のつッと出た、鉄道の局員が被《かぶ》るような形《かた》なのを、前さがりに頂いた。これにてらてらと小春の日の光を遮って、やや蔭になった頬骨《ほおぼね》のちっと出た、目の大きい、鼻の隆《たか》い、背のすっくりした、人品に威厳のある年齢《ねんぱい》三十ばかりなるが、引緊《ひきしま》った口に葉巻を啣《くわ》えたままで、今門を出て、刈取ったあとの蕎麦畠《そばばたけ》に面した。  この畠を前にして、門前の径《こみち》を右へ行《ゆ》けば通《とおり》へ出て、停車場《ステエション》へは五町に足りない。左は、田舎道で、まず近いのが十二社《じゅうにそう》、堀ノ内、角筈《つのはず》、目黒などへ行《ゆ》くのである。  見れば青物を市へ積出した荷車が絶えては続き、街道を在所の方へ曳《ひ》いて帰る。午後三時を過ぎて秋の日は暮れるに間もあるまいに、停車場《ステエション》の道には向わないで、かえって十二社の方へ靴の尖《さき》を廻《めぐ》らして、衝《つ》と杖《ステッキ》を突出した。  しかもこの人は牛込南町辺に住居《すまい》する法官である。去年まず検事補に叙せられたのが、今年になって夏のはじめ、新《あらた》に大審院の判事に任ぜられると直ぐに暑中休暇になったが、暑さが厳しい年であったため、痩《や》せるまでの煩いをしたために、院が開けてからも二月ばかり病気びきをして、静《しずか》に療養をしたので、このごろではすっかり全快、そこで届を出してやがて出勤をしようという。  ちょうど日曜で、久しぶりの郊外散策、足固めかたがた新宿から歩行《ある》いて、十二社あたりまで行こうという途中、この新開に住んでいる給水工場の重役人に知合があって立寄ったのであった。  これから、名を由之助《よしのすけ》という小山判事は、埃《ほこり》も立たない秋の空は水のように澄渡って、あちらこちら蕎麦の茎の西日の色、真赤《まっか》な蕃椒《とうがらし》が一団々々ある中へ、口にしたその葉巻の紫の煙を軽く吹き乱しながら、田圃道《たんぼみち》を楽しそう。  その胸の中《うち》もまた察すべきものである。小山はもとより医者が厭《いや》だから文学を、文学も妙でない、法律を、政治をといった側の少年ではなかった。  されば法官がその望《のぞみ》で、就中《なかんずく》希《こいねが》った判事に志を得て、新たに、はじめて、その方は……と神聖にして犯すべからざる天下控訴院の椅子にかかろうとする二三日。  足の運びにつれて目に映じて心に往来《ゆきき》するものは、土橋でなく、流《ながれ》でなく、遠方の森でなく、工場の煙突でなく、路傍《みちばた》の藪《やぶ》でなく、寺の屋根でもなく、影でなく、日南《ひなた》でなく、土の凸凹《でこぼこ》でもなく、かえって法廷を進退する公事《くじ》訴訟人の風采《ふうさい》、俤《おもかげ》、伏目《ふしめ》に我を仰ぎ見る囚人の顔、弁護士の額、原告の鼻、検事の髯《ひげ》、押丁《おうてい》等の服装、傍聴席の光線の工合《ぐあい》などが、目を遮り、胸を蔽《おお》うて、年少判事はこの大《おおい》なる責任のために、手も自由ならず、足の運びも重いばかり、光った靴の爪尖《つまさき》と、杖の端の輝く銀とを心すともなく直視《みつ》めながら、一歩進み二歩|行《ゆ》く内、にわかに颯《さっ》と暗くなって、風が身に染むので心着けば、樹蔭《こかげ》なる崖《がけ》の腹から二頭の竜の、二条の氷柱を吐く末が百筋《ももすじ》に乱れて、どッと池へ灌《そそ》ぐのは、熊野の野社《のやしろ》の千歳経《ちとせふ》る杉の林を頂いた、十二社の滝の下路《したみち》である。        二 「何か変ったこともないか。」と滝に臨んだ中二階の小座敷、欄干に凭《もた》れながら判事は徒然《つれづれ》に茶店の婆さんに話しかける。  十二社あたりへ客の寄るのは、夏も極暑の節|一盛《ひとさかり》で、やがて初冬にもなれば、上の社《やしろ》の森の中で狐が鳴こうという場所柄の、さびれさ加減思うべしで、建廻した茶屋|休息所《やすみどころ》、その節は、ビール聞し召せ枝豆も候だのが、ただ葦簀《よしず》の屋根と柱のみ、破《やぶれ》の見える床の上へ、二ひら三ひら、申訳だけの緋《ひ》の毛布《けっと》を敷いてある。その掛茶屋は、松と薄《すすき》で取廻し、大根畠を小高く見せた周囲五町ばかりの大池の汀《みぎわ》になっていて、緋鯉《ひごい》の影、真鯉の姿も小波《さざなみ》の立つ中に美しく、こぼれ松葉の一筋二筋|辷《すべ》るように水面を吹かれて渡るのも風情であるから、判事は最初、杖をここに留《とど》めて憩ったのであるが、眩《まばゆ》いばかり西日が射《さ》すので、頭痛持なれば眉を顰《ひそ》め、水底《みなそこ》へ深く入った鯉とともにその毛布《けっと》の席《むしろ》を去って、間《あい》に土間一ツ隔てたそれなる母屋の中二階に引越したのであった。  中二階といってもただ段の数二ツ、一段低い処にお幾という婆さんが、塩|煎餅《せんべい》の壺《つぼ》と、駄菓子の箱と熟柿《じゅくし》の笊《ざる》を横に控え、角火鉢の大《おおき》いのに、真鍮《しんちゅう》の薬罐《やかん》から湯気を立たせたのを前に置き、煤《すす》けた棚の上に古ぼけた麦酒《ビール》の瓶、心太《ところてん》の皿などを乱雑に並べたのを背後《うしろ》に背負い、柱に安煙草《やすたばこ》のびらを張り、天井に捨団扇《すてうちわ》をさして、ここまでさし入る日あたりに、眼鏡を掛けて継物をしている。外に姉さんも何《なんに》も居ない、盛《さかり》の頃は本家から、女中料理人を引率して新宿|停車場《ステエション》前の池田屋という飲食店が夫婦づれ乗込むので、独身《ひとりみ》の便《たより》ないお幾婆さんは、その縁続きのものとか、留守番を兼ねて後生のほどを行い澄《すま》すという趣。  判事に浮世ばなしを促されたのを機《しお》にお幾はふと針の手を留めたが、返事より前《さき》に逸疾《いちはや》くその眼鏡を外した、進んで何か言いたいことでもあったと見える、別の吸子《きゅうす》に沸《たぎ》った湯をさして、盆に乗せるとそれを持って、前垂《まえだれ》の糸屑《いとくず》を払いさま、静《しずか》に壇を上って、客の前に跪《ひざまず》いて、 「お茶を入替えて参りました、召上りまし。」といいながら膝《ひざ》近く躙《にじ》り寄って差置いた。  判事は欄干について頬を支えていた手を膝に取って、 「おお、それは難有《ありがと》う。」  と婆《ばば》の目には、もの珍しく見ゆるまで、かかる紳士の優しい容子《ようす》を心ありげに瞻《みまも》ったが、 「時に旦那様。」 「むむ、」 「まあ可哀そうだと思召《おぼしめ》しまし、この間お休み遊ばしました時、ちょっと参りましたあの女でございますが、御串戯《ごじょうだん》ではございましょうが、旦那様も佳《い》い女だな、とおっしゃって下さいましたあのことでございますがね、」  と言いかけてちょっと猶予《ためら》って、聞く人の顔の色を窺《うかが》ったのは、こういって客がこのことについて注意をするや否やを見ようとしたので。心にもかけないほどの者ならば話し出して退屈をさせるにも及ばぬことと、年寄だけに気が届いたので、案のごとく判事は聴く耳を立てたのである。 「おお、どうかしたか、本当に容子《ようす》の佳い女《こ》だよ。」 「はい、容子の可《い》い女《こ》で。旦那様は都でいらっしゃいます、別にお目にも留りますまいが、私《わたくし》どもの目からはまるでもう弁天様か小町かと見えますほどです。それに深切で優しいおとなしい女《こ》でございまして、あれで一枚着飾らせますれば、上《うえ》つ方《がた》のお姫様と申しても宜《い》い位。」        三 「ほほほ、賞《ほ》めまするに税は立たず、これは柳橋も新橋も御存じでいらっしゃいましょう、旦那様のお前で出まかせなことを失礼な。」  小山判事は苦笑をして、 「串戯《じょうだん》をいっては不可《いか》ん、私は学生だよ。」 「あら、あんなことをおっしゃって、貴方《あなた》は何ぞの先生様でいらっしゃいますよ。」 「まあその娘がどうしたというのだ。」と小山は胡坐《あぐら》をどっかりと組直した。  落着いて聞いてくれそうな様子を見て取り、婆さんは嬉しそうに、 「何にいたせ、ちっとでもお心に留っておりますなら可哀そうだと思ってやって下さいまし。こうやってお傍《そば》でお話をいたしますのは今日がはじめて。私《わたくし》どもへお休み下さいましたのはたった二度なんでございますけれども、他《ほか》に誰も居《お》りませず、ちょうどあの娘《こ》が来合せました時でよくお顔を存じておりますし、それにこう申してはいかがでございますが、旦那様もあの娘《こ》を覚えていらっしゃいますように存じます。これも佳《い》い娘《こ》だと思いまする年寄の慾目《よくめ》、人ごとながら自惚《うぬぼれ》でございましょう、それで附かぬことをお話し申しますようではございますけれども旦那様、後生でございます、可哀相だと思ってやって下さりまし。」と繰返してまた言った。かく可哀相だと思ってやれと、色に憂《うれい》を帯びて同情を求めること三たびであるから、判事は思わず胸が騒いで幽《かすか》に肉《ししむら》の動くのを覚えた。  向島《むこうじま》のうら枯《がれ》さえ見に行《ゆ》く人もないのに、秋の末の十二社、それはよし、もの好《ずき》として差措《さしお》いても、小山にはまだ令室のないこと、並びに今も来る途中、朋友なる給水工場の重役の宅で一盞《いっさん》すすめられて杯の遣取《やりとり》をする内に、娶《めと》るべき女房の身分に就いて、忠告と意見とが折合ず、血気の論とたしなめられながらも、耳朶《みみたぶ》を赤うするまでに、たといいかなるものでも、社会の階級の何種に属する女でも乃公《だいこう》が気に入ったものをという主張をして、華族でも、士族でも、町家の娘でも、令嬢でもたとい小間使でもと言ったことをここに断っておかねばならぬ。  何かしら絆《きずな》が搦《から》んでいるらしい、判事は、いずれ不祥のことと胸を――色も変ったよう、 「どうかしたのかい、」と少しせき込んだが、いう言葉に力が入った。 「煩っておりますので、」 「何、煩って、」 「はい、煩っておりますのでございますが。……」 「良《い》い医者にかけなけりゃ不可《いか》んよ。どんな病気だ、ここいらは田舎だから、」とつい通《とおり》の人のただ口さきを合せる一応の挨拶のごときものではない。  婆さんも張合のあることと思入った形で、 「折入って旦那様に聞いてやって頂きたいので、委《くわ》しく申上げませんと解りません、お可煩《うるさ》くなりましたら、面倒だとおっしゃって下さりまし、直ぐとお茶にいたしてしまいまする。  あの娘《こ》は阿米《およね》といいましてちょうど十八になりますが、親なしで、昨年《きょねん》の春まで麹町《こうじまち》十五丁目辺で、旦那様、榎《えのき》のお医者といって評判の漢方の先生、それが伯父御に当ります、その邸《やしき》で世話になって育ちましたそうでございます。  門の屋根を突貫いた榎の大木が、大層名高いのでございますが、お医者はどういたしてかちっとも流行らないのでございましたッて。」        四 「流行りません癖に因果と貴方《あなた》ね、」と口もやや馴々《なれなれ》しゅう、 「お米の容色《きりょう》がまた評判でございまして、別嬪《べっぴん》のお医者、榎の先生と、番町辺、津の守坂下《かみざかした》あたりまでも皆《みんな》が言囃《いいはや》しましたけれども、一向にかかります病人がございません。  先生には奥様と男のお児《こ》が二人、姪《めい》のお米、外見を張るだけに女中も居ようというのですもの、お苦しかろうではございませんか。  そこで、茨城の方の田舎とやらに病院を建てた人が、もっともらしい御容子《ごようす》を取柄に副院長にという話がありましたそうで、早速|家中《うちじゅう》それへ引越すことになりますと、お米さんでございます。  世帯を片づけついでに、古い箪笥《たんす》の一棹《ひとさお》も工面をするからどちらへか片附いたらと、体《てい》の可いまあ厄介払に、その話がありましたが、あの娘《こ》も全く縁附く気はございませず、親身といっては他《ほか》になし、山の奥へでも一所にといいたい処を、それは遣繰《やりくり》の様子も知っておりますことなり、まだ嫁入はいたしたくございません、我儘《わがまま》を申しますようで恐入りますけれども、奉公がしとうございますと、まあこういうので。  伯父御の方はどのみち足手まといさえなくなれば可《い》いのでございますよ、売れば五両にもなる箪笥だってお米につけないですむことですから、二ツ返事で呑込みました。  あの容色《きりょう》で家《うち》の仇名《あだな》にさえなった娘《こ》を、親身を突放したと思えば薄情でございますが、切ない中を当節柄、かえってお堅い潔白なことではございませんかね、旦那様。  漢方の先生だけに仕込んだ行儀もございます。ちょうど可い口があって住込みましたのが、唯今《ただいま》居《お》りまする、ついこの先のお邸で、お米は小間使をして、それから手が利きますので、お針もしておりますのでございますよ。」 「誰の邸だね。」 「はい、沢井さんといって旦那様は台湾のお役人だそうで、始終あっちへお詰め遊ばす、お留守は奥様、お老人《としより》はございませんが、余程の御大身だと申すことで、奉公人も他《ほか》に大勢、男衆も居《お》ります。お嬢様がお一方、お米さんが附きましてはちょいちょいこの池の緋鯉や目高に麩《ふ》を遣りにいらっしゃいますが、ここらの者はみんな姫様《ひいさま》々々と申しますよ。  奥様のお顔も存じております、私《わたくし》がついお米と馴染《なじみ》になりましたので、お邸の前を通りますれば折節お台所口へ寄りましては顔を見て帰りますが、お米の方でも私《わたくし》どものようなものを、どう間違えたかお婆さんお婆さんと、一体|人懐《ひとなつこ》いのにまた格別に慕ってくれますので、どうやら他人とは思えません。」  婆さんはこの時、滝登《たきのぼり》の懸物、柱かけの生花、月並の発句を書きつけた額などを静《しずか》に眗《みまわ》したから、判事も釣込まれてなぜとはなくあたりを眺めた。  向直って顔を見合せ、 「この家《うち》は旦那様、停車場《ステエション》前に旅籠屋《はたごや》をいたしております、甥《おい》のものでも私《わたくし》はまあその厄介でございます。夏この滝の繁昌《はんじょう》な時分はかえって貴方、邪魔もので本宅の方へ参っております、秋からはこうやって棄てられたも同然、私《わたくし》も姨捨山《おばすてやま》に居ります気で巣守《すもり》をしますのでざいましてね、いいえ、愚痴《ぐち》なことを申上げますのではございませんが、お米もそこを不便《ふびん》だと思ってくれますか、間を見てはちょこちょこと駆けて来て、袂《たもと》からだの、小風呂敷からだの、好《すき》なものを出して養ってくれます深切さ、」としめやかに語って、老《おい》の目は早や涙。        五  密《そっ》と、筒袖《つつそで》になっている襦袢《じゅばん》の端で目を拭《ぬぐ》い、 「それでございますから一日でも顔を見ませんと寂しくってなりません、そういうことになってみますると、役者だって贔屓《ひいき》なのには可い役がさしてみとうございましょう、立派な服装《みなり》がさせてみとうございましょう。ああ、叶屋《かのうや》の二階で田之助を呼んだ時、その男衆にやった一包の祝儀があったら、あのいじらしい娘に褄《つま》の揃ったのが着せられましょうものなぞと、愚痴も出ます。唯今の姿を罰《ばち》だと思って罪滅しに懺悔《ざんげ》ばなしもいいまする。私《わたくし》もこう申してはお恥かしゅうございますが、昔からこうばかりでもございません、それもこれも皆《みんな》なり行《ゆき》だと断念《あきら》めましても、断念められませんのはお米の身の上。  二三日顔を見せませんから案じられます、逢いとうはございます、辛抱がし切れませんでちょっと沢井様のお勝手へ伺いますと、何|貴方《あなた》、お米は無事で、奥様も珍しいほど御機嫌のいい処、竹屋の婆さんが来たが、米や、こちらへお通し、とおっしゃると、あの娘《こ》もいそいそ、連れられて上りました。このごろ客が立て込んだが、今日は誰も来ず、天気は可《よ》し、早咲の菊を見ながらちょうどお八ツ時分と、お茶お菓子を下さいまして、私《わたくし》風情へいろいろと浮世話。  お米も嬉しそうに傍《そば》についていてくれますなり、私はまるで貴方、嫁にやった先の姑《しゅうと》に里の親が優しくされますような気で、ほくほくものでおりました。  何、米にかねがね聞いている、婆さんお前は心懸《こころがけ》の良《い》いものだというから、滅多に人にも話されない事だけれども、見せて上げよう。黄金《きん》が肌に着いていると、霧が身のまわり六尺だけは除《よ》けるとまでいうのだよ、とおっしゃってね。  貴方五百円。  台湾の旦那から送って来て、ちょうどその朝銀行で請取っておいでなすったという、ズッシリと重いのが百円ずつで都合五枚。  お手箪笥の抽斗《ひきだし》から厚紙に包んだのをお出しなすって、私に頂かして下さいました。  両手に据えて拝見をいたしましたが、何と申上げようもございませぬ。ただへいへいと申上げますと、どうだね、近頃出来たばかり、年号も今年のだよ、そういうのは昔だって見た事はあるまい、また見ようたって見せられないのだから、ゆっくり御覧、正直な年寄だというから内証で拝ませるのだよ。米や茶をさしておやり、と莞爾《にこ》ついておいで遊ばす。へへ、」と婆さんは薄笑《うすわらい》をした。  判事は眉を顰《ひそ》めたのである、片腹痛さもかくのごときは沢山あるまい。  婆さんは額の皺《しわ》を手で擦《さす》り、 「はや実《まこと》にお情深い、もっとも赤十字とやらのお顔利《かおきき》と申すこと、丸顔で、小造《こづくり》に、肥《ふと》っておいで遊ばす、血の気の多い方、髪をいつも西洋風にお結びなすって、貴方、その時なんぞは銀行からお帰り匇々《そうそう》と見えまして、白襟で小紋のお召を二枚も襲《かさ》ねていらっしゃいまして、早口で弁舌の爽《さわやか》な、ちょこまかにあれこれあれこれ、始終|小刻《こきざみ》に体を動かし通し、気の働《はたらき》のあらっしゃるのは格別でございます、旦那様。」と上目づかい。  判事は黙ってうなずいた。  婆さんは唾《つ》をのんで、 「お米はいつもお情《なさけ》ない方だとばかり申しますが、それは貴方、女中達の箸《はし》の上げおろしにも、いやああだのこうだのとおっしゃるのも、欲《ほし》いだけ食べて胃袋を悪くしないようにという御深切でございましょうけれども、私《わたくし》は胃袋へ入ることよりは、腑《ふ》に落ちぬことがあるでございますよ。」        六 「昨年《きょねん》のことで、妙にまたいとこはとこが搦《から》みますが、これから新宿の汽車や大久保、板橋を越しまして、赤羽へ参ります、赤羽の停車場《ステエション》から四人|詰《づめ》ばかりの小さい馬車が往復しまする。岩淵《いわぶち》の渡場《わたしば》手前に、姉の忰《せがれ》が、女房持で水呑百姓をいたしておりまして、しがない身上《みのうえ》ではありまするけれど、気立の可《い》い深切ものでございますから、私も当《あて》にはしないで心頼りと思うております。それへ久しぶりで不沙汰《ぶさた》見舞に参りますと、狭い処へ一晩泊めてくれまして、翌日《あくるひ》おひる過ぎ帰りがけに、貴方、納屋のわきにございます、柿を取って、土産を持って行きました風呂敷にそれを包んで、おばさん、詰らねえものを重くッても、持って行ッとくんなせえ。そのかわり私が志で、ここへわざと端銭《はしたぜに》をこう勘定して置きます、これでどうぞ腰の痛くねえ汽車の中等へ乗って、と割って出しましただけに心持が嬉しゅうございましょう。勿体ないがそれでは乗ろうよ。ああ、おばさん御機嫌ようと、女房も深切な。  二人とも野良へ出がけ、それではお見送《みおくり》はしませんからと、跣足《はだし》のまま並んで門《かど》へ立って見ております。岩淵から引返して停車場《ステエション》へ来ますと、やがて新宿行のを売出します、それからこの服装《みなり》で気恥かしくもなく、切符を買ったのでございますが、一等二等は売出す口も違いますね、旦那様。  人ごみの処をおしもおされもせず、これも夫婦の深切と、嬉しいにつけて気が勇みますので、臆面《おくめん》もなく別の待合へ入りましたが、誰も居《お》りません、あすこはまた一倍立派でございますね、西洋の緞子《どんす》みたような綾《あや》で張詰めました、腰をかけますとふわりと沈んで、爪尖《つまさき》がポンとこう、」  婆さんは手を揃えて横の方で軽く払《はた》き、 「刎上《はねあが》りますようなのに控え込んで、どうまた度胸が据《すわ》りましたものか澄しております処へ、ばらばらと貴方、四五人入っておいでなすったのが、その沢井様の奥様の御同勢でございまして。  いきなり卓子《テエブル》の上へショオルだの、信玄袋だのがどさどさと並びますと、連《つれ》の若い男の方が鉄砲をどしりとお乗せなすった。銃口《つつぐち》が私《わたくし》の胸の処へ向きましたものでございますから、飛上って旦那様、目もくらみながらお辞儀をいたしますると、奥様のお声で、  おやお婆さん、ここは上等の待合室なんだよ、とどうでしょう……こうでございます。  人の胃袋の加減や腹工合はどうであろうと、私が腑《ふ》に落ちないと申しますのはここなんでございますが、その時はただもう冷汗びッしょり、穴へでも入りたい気になりまして、しおしお片隅の氷のような腰掛へ下りました。  後馳《おくれば》せにつかつかと小走《こばしり》に入りましたのが、やっぱりお供の中《うち》だったと見えまする、あのお米で。  卓子を取巻きまして御一家《ごいっけ》がずらりと、お米が姫様《ひいさま》と向う正面にあいている自分の坐る処へ坐らないで、おや、あなたあいておりますよ、もし、こちらへお懸けなさいましな、冷えますから、と旦那様。」  婆さんはまた涙含《なみだぐ》んで、 「袂《たもと》から出した手巾《ハンケチ》を、何とそのまあ結構な椅子に掴《つかま》りながら、人込の塵埃《ほこり》もあろうと払《はた》いてくれましたろうではございませんか、私が、あの娘《こ》に知己《ちかづき》になりましたのはその時でございました。」  待て、判事がお米を見たのもまたそれがはじめてであった。        七  婆さんは過日《いつか》己《おの》が茶店にこの紳士の休んだ折、不意にお米が来合せたことばかりを知っているが――知らずやその時、同一《おなじ》赤羽の停車場《ステエション》に、沢井の一行が卓子《テエブル》を輪に囲んだのを、遠く離れ、帽子を目深《まぶか》に、外套《がいとう》の襟を立てて、件《くだん》の紫の煙を吹きながら、目ばかり出したその清い目で、一場《いちじょう》の光景を屹《きっ》と瞻《みまも》っていたことを。――されば婆さんは今その事について何にも言わなかったが、実はこの媼《おうな》、お米に椅子を払って招じられると、帯の間《あい》からぬいと青切符をわざとらしく抜出して手に持ちながら、勿体ない私《わたくし》風情がといいいい貴夫人の一行をじろりと眗《みまわ》し、躙《にじ》り寄って、お米が背後《うしろ》に立った前の処、すなわち旧《もと》の椅子に直って、そして手を合せて小間使を拝んだので、一行が白け渡ったのまで見て知っている位であるから、この間のこの茶店における会合は、娘と婆さんとには不意に顔の合っただけであるけれども、判事に取っては蓋《けだ》し不思議のめぐりあいであった。  かく停車場《ステエション》にお幾が演じた喜劇を知っている判事には、婆さんの昔の栄華も、俳優《やくしゃ》を茶屋の二階へ呼びなどしたことのある様子も、この寂寞《せきばく》の境に堪え得て一人で秋冬を送るのも、全体を通じて思い合さるる事ばかりであるが、可《よ》し、それもこれも判事がお米に対する心の秘密とともに胸に秘めて何事も謂《い》わず、ただ憂慮《きづか》わしいのは女の身の上、聞きたいのは婆《ばば》が金貨を頂かせられて、―― 「それから、お前がその金子《かね》を見せてもらうと、」  促して尋ねると、意外千万、 「そのお金が五百円、その晩お手箪笥《てだんす》の抽斗《ひきだし》から出してお使いなさろうとするとすっかり紛失をしていたのでございます、」と句切って、判事の顔を見て婆さんは溜息《ためいき》を吐《つ》いたが、小山も驚いたのである。  赤羽|停車場《ステエション》の婆さんの挙動と金貨を頂かせた奥方の所為《しわざ》とは不言不語《いわずかたらず》の内に線を引いてそれがお米の身に結ばれるというような事でもあるだろうと、聞きながら推したに、五百円が失《う》せたというのは思いがけない極《きわみ》であった。 「ええ、すっかり紛失?」と判事も屹《きっ》と目を瞠《みは》ったが、この人々はその意気において、五という数《すう》が、百となって、円とあるのに慌てるような風ではない。 「まあどうしたというのでございますか、抽斗にお了《しま》いなすったのは私《わたくし》もその時見ておりましたのに、こりゃ聞いてさえ吃驚《びっくり》いたしますものお邸では大騒ぎ。女などは髪切《かみきれ》の化物が飛び込んだように上を下、くるくる舞うやらぶつかるやら、お米なども蒼くなって飛んで参って、私にその話をして行きましたっけ。  さあ二日|経《た》っても三日経っても解りますまい、貴夫人とも謂われるものが、内からも外からも自分の家のことに就いて罪人は出したくないとおっしゃって、表沙汰にはなりませんが、とにかく、不取締でございますから、旦那に申訳がないとのことで大層御心配、お見舞に伺いまする出入のものに、纔《わずか》ばかりだけれども纔ばかりだけれどもと念をお入れなすっちゃあ、その御吹聴《ごふいちょう》で。  そういたしますとね、日頃お出入の大八百屋の亭主で佐助と申しまして、平生は奉公人大勢に荷を担がせて廻らせて、自分は帳場に坐っていて四ツ谷切って手広く行《や》っておりまするのが、わざわざお邸へ出て参りまして、奥様に勧めました。さあこれが旦那様、目黒、堀ノ内、渋谷、大久保、この目黒|辺《あたり》をかけて徘徊《はいかい》をいたします、真夜中には誰とも知らず空のものと談話《はなし》をしますという、鼻の大きな、爺《じじい》の化精《ばけもの》でございまして。」        八 「旦那様、この辺をお通り遊ばしたことがございますなら、田舎道などでお見懸けなさりはしませんか。もし、御覧《ごろう》じましたら、ただ鼻とこう申せば、お分りになりますでございましょう。」  判事はちょっと口を挟んで、 「鼻、何鼻の大きい老人、」 「御覧じゃりましたかね。」 「むむ、過日《いつか》来る時奇代な人間が居ると思ったが、それか。」 「それでございますとも。」 「お待ち、ちょうどあすこだ、」と判事は胸を斜めに振返って、欄干《てすり》に肱《ひじ》を懸けると、滝の下道が三ツばかり畝《うね》って葉の蔭に入る一叢《ひとむら》の藪《やぶ》を指《ゆびさ》した。 「あの藪を出て、少し行った路傍《みちばた》の日当《ひあたり》の可《よ》い処に植木屋の木戸とも思うのがある。」 「はい、植吉でございます。」 「そうか、その木戸の前に、どこか四ツ谷辺の縁日へでも持出すと見えて、女郎花《おみなえし》だの、桔梗《ききょう》、竜胆《りんどう》だの、何、大したものはない、ほんの草物ばかり、それはそれは綺麗に咲いたのを積んだまま置いてあった。  私はこう下を向いて来かかったが、目の前をちょろちょろと小蛇が一条《ひとすじ》、彼岸|過《すぎ》だったに、ぽかぽか暖かったせいか、植木屋の生垣の下から道を横に切って畠の草の中へ入った。大嫌《だいきらい》だから身震《みぶるい》をして立留ったが、また歩行《ある》き出そうとして見ると、蛇よりもっとお前心持の悪いものが居たろうではないか。  それが爺《じじい》よ。  綿を厚く入れた薄汚れた棒縞《ぼうじま》の広袖《どてら》を着て、日に向けて背《せなか》を円くしていたが、なりの低い事。草色の股引《ももひき》を穿《は》いて藁草履《わらぞうり》で立っている、顔が荷車の上あたり、顔といえば顔だが、成程鼻といえば鼻が。」 「でございましょうね、旦那様。」 「高いんじゃあないな、あれは希代だ。一体|馬面《うまづら》で顔も胴位あろう、白い髯《ひげ》が針を刻んでなすりつけたように生えている、頤《おとがい》といったら臍《へそ》の下に届いて、その腮《あご》の処《とこ》まで垂下って、口へ押冠《おっかぶ》さった鼻の尖《さき》はぜんまいのように巻いているじゃあないか。薄紅《うすあか》く色がついてその癖筋が通っちゃあいないな。目はしょぼしょぼして眉が薄い、腰が曲って大儀そうに、船頭が持つ櫂《かい》のような握太《にぎりぶと》な、短い杖をな、唇へあてて手をその上へ重ねて、あれじゃあ持重《もちおも》りがするだろう、鼻を乗せて、気だるそうな、退屈らしい、呼吸《いき》づかいも切なそうで、病後《やみあが》り見たような、およそ何だ、身体《からだ》中の精分が不残《のこらず》集って熟したような鼻ッつきだ。そして背を屈《かが》めて立った処は、鴻《こう》の鳥が寝ているとしか思われぬ。」 「ええ、もう傘《からかさ》のお化がとんぼ[#「とんぼ」に傍点]を切った形なんでございますよ。」 「芬《ぷん》とえた村へ入ったような臭《におい》がする、その爺《じい》、余り日南《ひなた》ぼッこを仕過ぎて逆上《のぼ》せたと思われる、大きな真鍮《しんちゅう》の耳掻《みみかき》を持って、片手で鼻に杖をついたなり、馬面を据えておいて、耳の穴を掻きはじめた。」 「あれは癖でございまして、どんな時でも耳掻を放しましたことはないのでございます。」 「余り希代だから、はてな、これは植木屋の荷じゃあなくッて、どこへか小屋がけをする飾《かざり》につかう鉢物《はちうえ》で、この爺は見世物《みせもの》の種かしらん、といやな香《におい》を手でおさえて見ていると、爺がな、クックックッといい出した。  恐しい鼻呼吸《はないき》じゃあないか、荷車に積んだ植木鉢の中に突込《つっこ》むようにして桔梗を嗅《か》ぐのよ。  風流気はないが秋草が可哀そうで見ていられない。私は見返《みかえり》もしないで、さっさとこっちへ通抜けて来たんだが、何だあれは。」といいながらも判事は眉根を寄せたのである。 「お聞きなさいまし旦那様、その爺のためにお米が飛んだことになりました。」        九 「まずあれは易者なんで、佐助めが奥様に勧めましたのでございます、鼻は卜《うらない》をいたします。」 「卜を。」 「はい、卜をいたしますが、旦那様、あの筮竹《ぜいちく》を読んで算木を並べます、ああいうのではございません。二三度何とかいう新聞にも大騒ぎを遣って書きました。耶蘇《ヤソ》の方でむずかしい、予言者とか何とか申しますとのこと、やっぱり活如来《いきにょらい》様が千年のあとまでお見通しで、あれはああ、これはこうと御存じでいらっしゃるといったようなものでございますとさ。」  真顔で言うのを聞きながら、判事は二ツばかり握拳《にぎりこぶし》を横にして火鉢の縁《ふち》を軽く圧《おさ》えて、確めるがごとく、 「あの鼻が、活如来?」 「いいえ、その新聞には予言者、どういうことか私《わたくし》には解りませんが、そう申して出しましたそうで。何しろ貴方、先《せん》の二十七年八年の日清戦争の時なんざ、はじめからしまいまで、昨日《きのう》はどこそこの城が取れた、今日は可恐《おそろ》しい軍艦を沈めた、明日は雪の中で大戦《おおいくさ》がある、もっともこっちがたが勝じゃ喜びなさい、いや、あと二三ヶ月で鎮るが、やがて台湾が日本のものになるなどと、一々申す事がみんな中《あた》りまして、号外より前《さき》に整然《ちゃあん》と心得ているくらいは愚《おろか》な事。ああ今頃は清軍《ちゃんちゃん》の地雷火を犬が嗅《か》ぎつけて前足で掘出しているわの、あれ、見さい、軍艦の帆柱へ鷹《たか》が留った、めでたいと、何とその戦に支那へ行っておいでなさるお方々の、親子でも奥様でも夢にも解らぬことを手に取るように知っていたという吹聴《ふいちょう》ではございませんか。  それも道理、その老人《としより》は、年紀《とし》十八九の時分から一時《ひとしきり》、この世の中から行方が知れなくなって、今までの間、甲州の山続き白雲《しらくも》という峰に閉籠《とじこも》って、人足《ひとあし》の絶えた処で、行い澄して、影も形もないものと自由自在に談《はなし》が出来るようになった、実に希代な予言者だと、その山の形容などというものはまるで大薩摩《おおざつま》のように書きました。  その鼻があの爺《じじい》なんでございましてね。  はい、いえ、さようでございます、旦那様も新聞で御存じでも、あの爺のこととは思召しますまいよ。ちっとも鼻の大きなことは書いてないのだそうでございますから。  もっとも鐘馗《しょうき》様がお笑い遊ばしちゃあ、鬼が恐《こわ》がりはいたしますまい、私どもが申せば活如来、新聞屋さんがおっしゃればその予言者、活如来様や予言者殿の、その鼻ッつきがああだとあっては、根ッから難有味《ありがたみ》がございませんもの、売ものに咲いた花でございましょう。  その癖雲霧が立籠めて、昼も真暗《まっくら》だといいました、甲州街道のその峰と申しますのが、今でも爺さんが時々お籠《こもり》をするという庵《いおり》がございますって。そこは貴方、府中の鎮守様の裏手でございまして、手が届きそうな小さな丘なんでございますよ。もっとも何千年の昔から人足の絶えた処には違いございません、何|蕨《わらび》でも生えてりゃ小児《こども》が取りに入りましょうけれども、御覧じゃりまし、お茶の水の向うの崖だって仙台様お堀割の昔から誰も足踏をした者はございませんや。日蔭はどこだって朝から暗うございまする、どうせあんな萌《もやし》の糸瓜《へちま》のような大きな鼻の生えます処でございますもの、うっかり入ろうものなら、蚯蚓《みみず》の天上するのに出ッくわして、目をまわしませんければなりますまいではございませんか。」と、何か激したことのあるらしく婆さんはまくしかけた。        十  一息つき言葉をつぎ、 「第一、その日清戦争のことを見透《みすか》して、何か自分が山の祠《ほこら》の扉を開けて、神様のお馬の轡《くつわ》を取って、跣足《はだし》で宙を駈出《かけだ》して、旅順口にわたりゃあお手伝でもして来たように申しますが、ちっとも戦《いくさ》のあった最中に、そんなことが解ったのではございません。ようよう一昨年から去年あたりへかけて騒ぎ出したのでございますもの、疑《うたぐ》ってみました日には、当《あて》になりはいたしません。しかしまあ何でございますね、前触《まえぶ》が皆《みんな》勝つことばかりでそれが事実《まったく》なんですから結構で、私《わたくし》などもその話を聞きました当座は、もうもう貴方。」  と黙って聞いていた判事に強請《ねだ》るがごとく、 「お可煩《うるさ》くはいらっしゃいませんか、」 「悉《くわ》しく聞こうよ。」  判事は倦《う》める色もあらず、お幾はいそいそして、 「ええどうぞ。条《すじ》を申しませんと解りません。私《わたくし》どもは以前、ただ戦争のことにつきましてあれが御祈祷《ごきとう》をしたり、お籠《こもり》、断食などをしたという事を聞きました時は、難有《ありがた》い人だと思いまして、あんな鼻附でも何となく尊いもののように存じましたけれども、今度のお米のことで、すっかり敵対《むこう》になりまして、憎らしくッて、癪《しゃく》に障ってならないのでございます。  あんなもののいうことが当になんぞなりますものか。卜《うらない》もくだらない[#「くだらない」に傍点]もあったもんじゃあございません。  でございますが、難有味《ありがたみ》はなくッても信仰はしませんでも、厭《いや》な奴は厭な奴で、私がこう悪口《あっこう》を申しますのを、形は見えませんでもどこかで聞いていて、仇《あだ》をしやしまいかと思いますほど、気味の悪い爺《じじい》なんでございまして、」  といいながら日暮際のぱっと明《あかる》い、艶《つや》のないぼやけた下なる納戸に、自分が座の、人なき薄汚れた座蒲団のあたりを見て、婆さんは後《うしろ》見らるる風情であったが、声を低うし、 「全体あの爺は甲州街道で、小商人《こあきんど》、煮売屋ともつかず、茶屋ともつかず、駄菓子だの、柿だの饅頭《まんじゅう》だのを商いまする内の隠居でございまして、私《わたくし》ども子供の内から親どもの話に聞いておりましたが、何でも十六七の小僧の時分、神隠しか、攫《さら》われたか、行方知れずになったんですって。見えなくなった日を命日にしている位でございましたそうですが、七年ばかり経《た》ちましてから、ふいと内の者に姿を見せたと申しますよ。  それもね、旦那様、まともに帰って来たのではありません。破風《はふ》を開けて顔ばかり出しましたとさ、厭じゃありませんか、正丑《しょううし》の刻だったと申します、」と婆さんは肩をすぼめ、 「しかも降続きました五月雨《さみだれ》のことで、攫《さら》われて参りましたと同一《おんなじ》夜だと申しますが、皺枯《しわが》れた声をして、 (家中《うちじゅう》無事か、)といったそうでございますよ。見ると、真暗《まっくら》な破風の間《あい》から、ぼやけた鼻が覗《のぞ》いていましょうではございませんか。  皆《みんな》、手も足も縮《すく》んでしまいましたろう、縛りつけられたようになりましたそうでございますが、まだその親が居《お》りました時分、魔道へ入った児《こ》でも鼻を嘗《な》めたいほど可愛かったと申しまする。 (忰《せがれ》、まあ、)と父親《てておや》が寄ろうとしますと、変な声を出して、  寄らっしゃるな、しばらく人間とは交《まじわ》らぬ、と払い退《の》けるようにしてそれから一式の恩返しだといって、その時、饅頭の餡《あん》の製し方を教えて、屋根からまた行方が解らなくなったと申しますが、それからはその島屋の饅頭といって街道名代の名物でございます。」        十一 「在り来《きた》りの皮は、麁末《そまつ》な麦の香のする田舎饅頭なんですが、その餡の工合《ぐあい》がまた格別、何とも申されません旨《うま》さ加減、それに幾日《いくか》置きましても干からびず、味は変りませんのが評判で、売れますこと売れますこと。  近在は申すまでもなく、府中八王子|辺《あたり》までもお土産折詰になりますわ。三鷹《みたか》村深大寺、桜井、駒返《こまかえ》し、結構お茶うけはこれに限る、と東京のお客様にも自慢をするようになりましたでしょう。  三年と五年の中《うち》にはめきめきと身上《しんしょう》を仕出しまして、家《うち》は建て増します、座敷は拵《こしら》えます、通庭《とおりにわ》の両方には入込《いりごみ》でお客が一杯という勢《いきおい》、とうとう蔵の二|戸前《とまえ》も拵《こしら》えて、初《はじめ》はほんのもう屋台店で渋茶を汲出《くみだ》しておりましたのが俄分限《にわかぶげん》。  七年目に一度顔を見せましてから毎年五月雨のその晩には、きっと一度ずつ破風《はふ》から覗《のぞ》きまして、 (家中無事か。)おお、厭だ!」と寂しげに笑ってお幾婆さんは身顫《みぶるい》をした。 「その中《うち》親が亡《なく》なって代がかわりました。三人の兄弟で、仁右衛門と申しますあの鼻は、一番の惣領、二番目があとを取ります筈《はず》の処、これは厭じゃと家出をして坊さんになりました。  そこで三蔵と申しまする、末が家《うち》へ坐りましたが、街道一の家繁昌、どういたして早やただの三蔵じゃあございません、寄合にも上席で、三蔵旦那でございまする。  誰のお庇《かげ》だ、これも兄者人《あにじゃひと》の御守護のせい何ぞ恩返しを、と神様あつかい、伏拝みましてね、」  と婆さんは掌《たなそこ》を合せて見せ、 「一《ある》年、やっぱりその五月雨の晩に破風から鼻を出した処で、(何ぞお望《のぞみ》のものを)と申上げますと、(ただ据えておけば可い、女房を一人、)とそういったそうでございます。」 「ふむ、」 「まあ、お聞き遊ばせ、こうなんでございますよ。  それから何事を差置いても探しますと、ございました。来るものも一生奉公の気なら、島屋でも飼殺しのつもり、それが年寄でも不具《かたわ》でもございません。 (色の白い、美しいのがいいいい。)  と異な声で、破風口から食好みを遊ばすので、十八になるのを伴《つ》れて参りました、一番目の嫁様は来た晩から呻《うめ》いて、泣煩うて貴方、三月日には痩衰《やせおとろ》えて死んでしまいました。  その次のも時々悲鳴を上げましたそうですが、二年|経《た》ってやっぱり骨と皮になって、可哀そうにこれもいけません。  さあ来るものも来るものも、一年たつか二年持つか、五年とこたえたものは居りませんで、九人までなくなったのでございます。  あるに任して金子《かね》も出したではございましょうが、よくまあ、世間は広くッて八人の九人のと目鼻のある、手足のある、胴のある、髪の黒い、色の白い女があったものだと思いますのでございますよ。十人目に十三年生きていたという評判の婦人《おんな》が一人、それは私《わたくし》もあの辺に参りました時、饅頭を買いに寄りましてちょっと見ましたっけ。  大柄な婦人《おんな》で、鼻筋の通った、佳《い》い容色《きりょう》、少し凄《すご》いような風ッつき、乱髪《みだれがみ》に浅葱《あさぎ》の顱巻《はちまき》を〆《し》めまして病人と見えましたが、奥の炉《ろ》のふちに立膝をしてだらしなく、こう額に長煙管をついて、骨が抜けたように、がっくり俯向《うつむ》いておりましたが。」        十二 「百姓家の納戸の薄暗い中に、毛筋の乱れました頸脚《えりあし》なんざ、雪のようで、それがあの、客だと見て真蒼《まっさお》な顔でこっちを向きましたのを、今でも私《わたくし》は忘れません。可哀そうにそれから二年目にとうとう亡《なく》なりましたが、これは府中に居た女郎上りを買って来て置いたのだと申します。  もうその以前から評判が立っておりましたので、山と積まれてからが金子《かね》で生命《いのち》までは売りませんや、誰も島屋の隠居には片づき人《て》がなかったので、どういうものでございますか、その癖、そうやって、嫁が極《きま》りましても女房が居ましても、家へ顔を出しますのはやっぱり破風《はふ》から毎年その月のその日の夜中、ちょうど入梅《つゆ》の真中《まんなか》だと申します、入梅から勘定して隠居が来たあとをちょうど同一《おんなじ》ように指を折ると、大抵梅雨あけだと噂があったのでございまして。  実際、おかみさんが出来るようになりましてからも参るのは確《たしか》に年に一度でございましたが、それとも日に三度ずつも来ましたか、そこどこはたしかなことは解りません。  何にいたしましても、来るものも娶《と》るものも亡くなりましたのは、こりゃ葬式《とむらい》が出ましたから事実《まったく》なんで。  さあ、どんづまりのその女郎が殺されましてからは、怪我にもゆき人《て》がございません、これはまた無いはずでございましょう。  そうすると一年、二年、三年と、段々店が寂れまして、家も蔵も旧《もと》のようではなくなりました。一時は買込んだ田地《でんじ》なども売物に出たとかいう評判でございました。  そうこういたします内に、さよう、一昨年でございましたよ、島屋の隠居が家《うち》へ帰ったということを聞きましたのは。それから戦争の祈祷の評判、ひとしきりは女房一件で、饅頭の餡でさえ胸を悪くしたものも、そのお国のために断食をした、お籠《こもり》をした、千里のさき三年のあとのあとまで見通しだと、人気といっちゃあおかしく聞えますが、また隠居殿の曲った鼻が素直《まっすぐ》になりまして、新聞にまで出まする騒ぎ。予言者だ、と旦那様、活如来《いきにょらい》の扱《あつかい》でございましょう。  ああ、やれやれ、家《うち》へ帰ってもあの年紀《とし》で毎晩々々|機織《はたおり》の透見をしたり、糸取場を覗《のぞ》いたり、のそりのそり這《は》うようにして歩行《ある》いちゃ、五宿の宿場女郎の張店《はりみせ》を両側ね、糸をかがりますように一軒々々格子戸の中へ鼻を突込《つっこ》んじゃあクンクン嗅《か》いで歩行《ある》くのを御存じないか、と内々私はちっと聞いたことがございますので、そう思っておりましたが、善くは思いませんばかりでも、お肚《なか》のことを嗅ぎつけられて、変な杖でのろわれたら、どんな目に逢おうも知れぬと、薄気味の悪い爺《じじい》なんでございます。  それが貴方、以前からお米を貴方。」  と少し言渋りながら、 「跟《つ》けつ廻しつしているのでございます。」と思切った風でいったのである。 「何、お米を、あれが、」と判事は口早にいって、膝を立てた。 「いいえ、あの、これと定ったこともございません、ございませんようなものの、ふらふら堀ノ内様の近辺、五宿あたり、夜更《よふけ》でも行きあたりばったりにうろついて、この辺へはめったに寄りつきませなんだのが、沢井様へお米が参りまして、ここでもまた、容色《きりょう》が評判になりました時分から、藪《やぶ》からでも垣からでも、ひょいと出ちゃああの女《こ》の行《ゆ》くさきを跟《つ》けるのでございます。薄ぼんやりどこにかあの爺が立ってるのを見つけましたものが、もしその歩き出しますのを待っておりますれば、きっとお米の姿が道に見えると申したようなわけでございまして。」        十三 「おなじ奉公人どもが、たださえ口の悪い処へ、大事|出来《しゅったい》のように言い囃《はや》して、からかい半分、お米さんは神様のお気に入った、いまに緋《ひ》の袴《はかま》をお穿《は》きだよ、なんてね。  まさかに気があろうなどとは、怪我にも思うのじゃございますまいが、串戯《じょうだん》をいわれるばかりでも、癩病《かったい》の呼吸《いき》を吹懸《ふっか》けられますように、あの女《こ》も弱り切っておりましたそうですが。  つい事の起ります少し前でございました、沢井様の裏庭に夕顔の花が咲いた時分だと申しますから、まだ浴衣を着ておりますほどのこと。  急ぎの仕立物がございましたかして、お米が裏庭に向きました部屋で針仕事をしていたのでございます。  まだ明《あかり》も点《つ》けません、晩方、直《じ》きその夕顔の咲いております垣根のわきがあらい格子。手許《てもと》が暗くなりましたので、袖が触りますばかりに、格子の処へ寄って、縫物をしておりますと、外は見通しの畠、畦道《あぜみち》を馬も百姓も、往《い》ったり、来たりします処、どこで見当をつけましたものか、あの爺《じじい》のそのそ嗅《か》ぎつけて参りましてね、蚊遣《かやり》の煙がどことなく立ち渡ります中を、段々近くへ寄って来て、格子へつかまって例の通り、鼻の下へつッかい棒の杖をついて休みながら、ぬっとあのふやけ[#「ふやけ」に傍点]た色づいて薄赤い、てらてらする鼻の尖《さき》を突き出して、お米の横顔の処を嗅ぎ出したのでございますと。  もうもう五宿の女郎の、油、白粉《おしろい》、襟垢《えりあか》の香《におい》まで嗅いで嗅いで嗅ぎためて、ものの匂で重量《おもり》がついているのでございますもの、夢中だって気勢《けはい》が知れます。  それが貴方、明前《あかりさき》へ、突立《つった》ってるのじゃあございません、脊伸をしてからが大概人の蹲《しゃが》みます位なんで、高慢な、澄した今産れて来て、娑婆《しゃば》の風に吹かれたという顔色《かおつき》で、黙って、噯《おくび》をしちゃあ、クンクン、クンクン小さな法螺《ほら》の貝ほどには鳴《なら》したのでございます。  麹室《こうじむろ》の中へ縛られたような何ともいわれぬ厭《いや》な気持で、しばらくは我慢をもしましたそうな。  お米が気の弱い臆病ものの癖に、ちょっと癇持《かんもち》で、気に障ると直きつむりが疼《いた》み出すという風なんですから堪《たま》りませんや。  それでもあの爺の、むかしむかしを存じておりますれば、劫《こう》経《へ》た私《わたくし》どもでさえ、向面《むこうづら》へ廻しちゃあ気味の悪い、人間には籍のないような爺、目を塞《ふさ》いで逃げますまでも、強《きつ》いことなんぞ謂《い》われたものではございませんが、そこはあの女《こ》は近頃こちらへ参りましたなり、破風口《はふぐち》から、=無事か=の一件なんざ、夢にも知りませず、また沢井様などでも誰もそんなことは存じません。  串戯《じょうだん》にも、つけまわしている様子を、そんな事でも聞かせましたら、夜が寝られぬほど心持を悪くするだろうと思いますから、私もうっかりしゃべりませんでございますから、あの女《こ》はただ汚い変な乞食、親仁《おやじ》、あてにならぬ卜者《うらないしゃ》を、愚痴無智の者が獣《けだもの》を拝む位な信心をしているとばかり承知をいたしておりましたので、 (不可《いけ》ませんよ、不可ませんよ、)といっても、ぬッとしてクンクン。 (お前はうるさいね、)と手にしていた針の尖《さき》、指環《ゆびわ》に耳を突立《つった》てながら、ちょいと鼻頭《はながしら》を突いたそうでございます、はい。」  といって婆さんは更《あらた》まった。        十四 「洋犬《かめ》の妾《めかけ》になるだろうと謂われるほど、その緋の袴でなぶられるのを汚《けがら》わしがっていた、処女《むすめ》気で、思切ったことをしたもので、それで胸がすっきりしたといつか私《わたくし》に話しましたっけ。  気味を悪がらせまいとは申しませんでしたが、ああこの女《こ》は飛んだことをおしだ、外のものとは違ってあのけたい[#「けたい」に傍点]親仁。  蝮《まむし》の首を焼火箸《やけひばし》で突いたほどの祟《たたり》はあるだろう、と腹《おなか》じゃあ慄然《ぞっと》いたしまして、爺《じじい》はどうしたと聞きましたら、 (いいえ、やっぱりむずむずしてどこかへ行ってしまいました、それッきり、さっぱり見かけないんですよ。)と手柄顔に、お米は胸がすいたように申しましたが。  なるほど、その後はしばらくこの辺へは立廻りません様子。しばらく影を見ませんから、それじゃあそれなりになったかしら。帳消しにはなるまいと思いながら、一日ましに私もちっとは気がかりも薄らぎました。  そういたしますと今度の事、飛んでもない、旦那様、五百円紛失の一件で、前《ぜん》申しました沢井様へ出入の大八百屋が、あるじ自分で罷《まかり》出ましてさ、お金子《かね》の行方を、一番《ひとつ》、是非、だまされたと思って仁右衛門にみておもらいなさいまし、とたって、勧めたのでございますよ。  どうして礼なんぞ遣《や》っては腹を立って祟《たたり》をします、ただ人助けに仕《つかまつ》りますることで、好《すき》でお籠《こもり》をして影も形もない者から聞いて来るのでございます、と悪気のない男ですが、とかく世話好の、何でも四文《しもん》とのみ込んで差出たがる親仁なんで、まめだって申上げたものですから、仕事はなし、新聞は五種《いついろ》も見ていらっしゃる沢井の奥様。  内々その予言者だとかいうことを御存じなり、外に当《あたり》はつかず、旁々《かたがた》それでは、と早速|爺《じじい》をお頼み遊ばすことになりました。  府中の白雲山の庵室へ、佐助がお使者に立ったとやら。一日|措《お》いて沢井様へ参りましたそうでございます。そしてこれはお米から聞いた話ではございません、爺をお招きになりましたことなんぞ、私はちっとも存じないでおりますと、ちょうどその卜《うらない》を立てた日の晩方でございます。  旦那様、貴下《あなた》が桔梗《ききょう》の花を嗅《か》いでる処を御覧じゃりましたという、吉《きち》さんという植木屋の女房《かみさん》でございます。小体《こてい》な暮しで共稼ぎ、使歩行《つかいあるき》やら草取やらに雇われて参るのが、稼《かせぎ》の帰《かえり》と見えまして、手甲脚絆《てっこうきゃはん》で、貴方、鎌を提げましたなり、ちょこちょこと寄りまして、 (お婆さん今日は不思議なことがありました。沢井様の草刈に頼まれて朝|疾《はや》くからあちらへ上って働いておりますと、五百円のありかを卜《うらな》うのだといって、仁右衛門爺さんが、八時頃に遣って来て、お金子《かね》が紛失したというお居室《いま》へ入って、それから御祈祷《ごきとう》がはじまるということ、手を休めてお庭からその一室《ひとま》の方《かた》を見ておりました。何をしたか分りません、障子|襖《ふすま》は閉切ってございましたっけ、ものの小半時|経《た》ったと思うと、見ていた私は吃驚《びっくり》して、地震だ地震だ、と極《きまり》の悪い大声を立てましたわ、何の事はない、お居間の瓦屋根が、波を打って揺れましたもの、それがまた目まぐるしく大揺れに揺れて、そのままひッそり静まりましたから、縁側の処へ駆けつけて、ちょうど出て参りましたお勢さんという女中に、酷《ひど》い地震でございましたね、と謂いますとね、けげんな顔をして、へい、と謂ったッきり、気《け》もないことなんで、奇代で奇代で。)とこう申すんでございましょう。」        十五 「いかにも私だって地震があったとは思いません、その朝は、」  と婆さんは振返って、やや日脚の遠退《とおの》いた座を立って、程過ぎて秋の暮方の冷たそうな座蒲団を見遣りながら、 「ねえ、旦那様、あすこに坐っておりましたが、風立ちもいたしませず、障子に音もございません、穏かな日なんですもの。 (変じゃあないか、女房《おかみ》さん、それはまたどうした訳だろう、) (それが御祈祷をした仁右衛門爺さんの奇特でございます。沢井様でも誰も地震などと思った方はないのでして、ただ草を刈っておりました私の目にばかりお居間の揺れるのが見えたのでございます。大方神様がお寄んなすった験《しるし》なんでございましょうよ。案の定、お前さん、ちょうど祈祷の最中、思い合してみますれば、瓦が揺れたのを見ましたのとおなじ時、次のお座敷で、そのお勢というのに手伝って、床の間の柱に、友染の襷《たすき》がけで艶雑巾《つやぶきん》をかけていたお米という小間使が、ふっと掛花活《かけはないけ》の下で手を留めて、活けてありました秋草をじっと見ながら、顔を紅《べに》のようにしたということですよ。何か打合せがあって、密《そっ》と目をつけていたものでもあると見えます。お米はそのまんま、手が震えて、足がふらついて、わなわなして、急に熱でも出たように、部屋へ下って臥《ふせ》りましたそうな。お昼|過《すぎ》からは早や、お邸中寄ると触ると、ひそひそ話。  高い声では謂われぬことだが、お金子《かね》の行先はちゃんと分った。しかし手証を見ぬことだから、膝下《ひざもと》へ呼び出して、長煙草《ながぎせる》で打擲《ひっぱた》いて、吐《ぬか》させる数《すう》ではなし、もともと念晴しだけのこと、縄着《なわつき》は邸内《やしきうち》から出すまいという奥様の思召し、また爺さんの方でも、神業《かみわざ》で、当人が分ってからが、表沙汰にはしてもらいたくないと、約束をしてかかった祈《いのり》なんだそうだから僥倖《しあわせ》さ。しかし太い了簡《りょうけん》だ、あの細い胴中《どうなか》を、鎖で繋《つな》がれる様《さま》が見たいと、女中達がいっておりました。ほんとうに女形が鬘《かつら》をつけて出たような顔色《かおつき》をしていながら、お米と謂うのは大変なものじゃあございませんか、悪党でもずっと四天《よてん》で出る方だね、私どもは聞いてさえ五百円!)とその植木屋の女房《かみさん》が饒舌《しゃべ》りました饒舌りました。  旦那様もし貴方、何とお聞き遊ばして下さいますえ。」  判事は右手《めて》のさきで、左の腕《かいな》を洋服の袖の上からしっかとおさえて、屹《きっ》とお幾の顔を見た。 「どう思召して下さいます、私《わたくし》は口が利けません、いいわけをするのさえ残念で堪《たま》りませんから碌《ろく》に返事もしないでおりますと、灯《あかり》をつけるとって、植吉の女房《かみさん》はあたふた帰ってしまいました。何も悪気のある人ではなし、私とお米との仲を知ってるわけもないのでございますから、驚かして慰むにも当りません、お米は何にも知らないにしましても、いっただけのことはその日ありましたに違いないのでございますもの。  私は寝られはいたしません。  帰命頂来《きみょうちょうらい》! お米が盗んだとしますれば、私はその五百円が紛失したといいまする日に、耳を揃えて頂かされたのでございます。  どんな顔をされまいものでもないと、口惜《くやし》さは口惜し、憎らしさは憎らし、もうもう掴《つか》みついて引挘《ひきむし》ってやりたいような沢井の家の人の顔を見て、お米に逢いたいと申して出ました。」        十六 「それも、行《ゆ》こうか行くまいかと、気を揉《も》んで揉抜いた揚句、どうも堪《たま》らなくなりまして思切って伺いましたので。  心からでございましょう、誰の挨拶もけんもほろろに聞えましたけれども、それはもうお米に疑《うたがい》がかかったなんぞとは、噯《おくび》にも出しませんで、逢って帰れ! と部屋へ通されましてございます。  それでも生命《いのち》はあったか、と世を隔てたものにでも逢いますような心持。いきなり縋《すが》り寄って、寝ている夜具の袖へ手をかけますと、密《そっ》と目をあいて私《わたくし》の顔を見ましたっけ、三日四日が間にめっきりやつれてしまいました、顔を見ますと二人とも声よりは前《さき》へ涙なんでございます。  物もいわないで、あの女《こ》が前髪のこわれた額際まで、天鵞絨《びろうど》の襟を引《ひっ》かぶったきり、ふるえて泣いてるのでございましょう。  ようよう口を利かせますまでには、大概骨が折れた事じゃアありません。  口説いたり、すかしたり、怨《うら》んでみたり、叱ったり、いろいろにいたして訳を聞きますると、申訳をするまでもない、お金子《かね》に手もつけはしませんが、験《げん》のある祈をされて、居ても立ってもいられなくなったことがある。  それは⁈  やっぱりお金子《かね》の事で、私は飛んだ心得違いをいたしました、もうどうしましょう。もとよりお金子は数さえ存じません位ですが、心では誠に済まないことをしましたので、神様、仏様にはどんな御罰《おばち》を蒙《こうむ》るか知れません。  憎らしい鼻の爺《じじい》は、それはそれは空恐ろしいほど、私の心の内を見抜いていて、日に幾たびとなく枕許《まくらもと》へ参っては、 (女《むすめ》、罪のないことは私《わし》がよう知っている、じゃが、心に済まぬ事があろう、私を頼め、助けてやる、)と、つけつまわしつ謂うのだそうで。  お米は舌を食い切っても爺の膝を抱くのは、厭《いや》と冠《かぶり》をふり廻すと申すこと。それは私も同一《おんなじ》だけれども、罪のないものが何を恐《こわ》がって、煩うということがあるものか。済まないというのは一体どんな事と、すかしても、口説いても、それは問わないで下さいましと、強いていえば震えます、頼むようにすりゃ泣きますね、調子もかわって目の色も穏《おだやか》でないようでございましたが、仕方がございません。で、しおしおその日は帰りまして、一杯になる胸を掻破《かきやぶ》りたいほど、私が案ずるよりあの女《こ》の容体は一倍で、とうとう貴方、前後が分らず、厭なことを口走りまして、時々、それ巡査《おまわり》さんが捕まえる、きゃっといって刎起《はねお》きたり、目を見据えましては、うっとりしていて、ああ、真暗《まっくら》だこと、牢へ入れられたと申しちゃあ泣くようになりました。そんな容子《ようす》で、一日々々、このごろでは目もあてられませんように弱りまして、ろくろく湯水も通しません。  何か、いろんな恐しいものが寄って集《たか》って苛《さいな》みますような塩梅《あんばい》、爺にさえ縋って頼めば、またお日様が拝まれようと、自分の口からも気の確《たしか》な時は申しながら、それは殺されても厭だといいまする。  神でも仏でも、尊い手をお延ばし下すって、早く引上げてやって頂かねば、見る中《うち》にも砂一粒ずつ地の下へ崩れてお米は貴方、旦那様。  奈落の底までも落ちて参りますような様子なのでございます。その上意地悪く、鼻めが沢井様へ入《い》り込みますこと、毎日のよう。奥様はその祈の時からすっかり御信心をなすったそうで、畳の上へも一件の杖をおつかせなさいますお扱い、それでお米の枕許をことことと叩いちゃあ、 (気分はどうじゃ、)といいますそうな。」        十七  お幾は年紀《とし》の功だけに、身を震わさないばかりであったが、 「いえ、もう下らないこと、くどくど申上げまして、よくお聞き遊ばして下さいました。昔ものの口不調法、随分御退屈をなすったでございましょう。他《ほか》に相談相手といってはなし、交番へ届けまして助けて頂きますわけのものではなし、また親類のものでも知己《ちかづき》でも、私《わたくし》が話を聞いてくれそうなものには謂いました処で思遣《おもいやり》にも何にもなるものじゃあございません、旦那様が聞いて下さいましたので、私は半分だけ、荷を下しましたように存じます。その御深切だけで、もう沢山なのでございますが、欲には旦那様何とか御判断下さいますわけには参りませんか。  こんな事を申しましてお聞上げ……どころか、もしお気に障りましては恐入りますけれども、一度旦那様をお見上げ申しましてからの、お米の心は私がよく存じております。囈言《うわごと》にも今度のその何か済まないことやらも、旦那様に対してお恥かしいことのようでもございますが、仂《はした》ない事を。  飛んだことをいう奴だと思し召しますなら、私だけをお叱り下さいまして、何にも知りませんお米をおさげすみ下さいますなえ。  それにつけ彼《か》につけましても時ならぬこの辺へ、旦那様のお立寄遊ばしたのを、私はお引合せと思いますが、飛んだ因縁だとおあきらめ下さいまして、どうぞ一番《ひとつ》一言《ひとこと》でも何とか力になりますよう、おっしゃっては下さいませんか。何しろ煩っておりますので、片時でもほッという呼吸《いき》をつかせてやりたく存じますが、こうでございます、旦那様お見かけ申して拝みまする。」と言《ことば》も切に声も迫って、両眼に浮べた涙とともに真《まこと》は面《おもて》にあふれたのである。  行懸《ゆきがか》り、言《ことば》の端、察するに頼母《たのも》しき紳士と思い、且つ小山を婆《ばば》が目からその風采《ふうさい》を推して、名のある医士であるとしたらしい。  正に大審院に、高き天を頂いて、国家の法を裁すべき判事は、よく堪えてお幾の物語の、一部始終を聞き果てたが、渠《かれ》は実際、事の本末《もとすえ》を、冷《ひやや》かに判ずるよりも、お米が身に関する故をもって、むしろ情において激せざるを得なかったから、言下《ごんか》に打出して事理を決する答をば、与え得ないで、 「都を少しでも放れると、怪《け》しからん話があるな、婆さん。」とばかり吐息《といき》とともにいったのであるが、言外おのずからその明眸《めいぼう》の届くべき大審院の椅子の周囲、西北《さいほく》三里以内に、かかる不平を差置くに忍びざる意気があって露《あらわ》れた。 「どうぞまあ、何は措《お》きましてともかくもう一服遊ばして下さいまし、お茶も冷えてしまいました。決してあの、唯今のことにつきましておねだり申しますのではございません、これからは茶店を預ります商売|冥利《みょうり》、精一杯の御馳走《ごちそう》、きざ柿でも剥《む》いて差上げましょう。生の栗がございますが、お米が達者でいて今日も遊びに参りましたら、灰に埋《うず》んで、あの器用な手で綺麗にこしらえさして上げましょうものを。……どうぞ、唯今お熱いお湯を。旦那様お寒くなりはしませんか。」  今は物思いに沈んで、一秒《いっセコンド》の間に、婆が長物語りを三たび四たび、つむじ風のごとく疾《と》く、颯《さっ》と繰返して、うっかりしていた判事は、心着けられて、フト身に沁む外《と》の方《かた》を、欄干|越《ごし》に打見遣《うちみや》った。  黄昏《たそがれ》や、早や黄昏は森の中からその色を浴びせかけて、滝を蔽《おお》える下道を、黒白《あやめ》に紛るる女の姿、縁《えにし》の糸に引寄せられけむ、裾も袂《たもと》も鬢《びん》の毛も、夕《ゆうべ》の風に漂う風情。        十八 「おお、あれは。」 「お米でございますよ、あれ、旦那様、お米さん、」と判事にいうやら、女《むすめ》を呼ぶやら。お幾は段を踏辷《ふみすべ》らすようにしてずるりと下りて店さきへ駆け出すと、欄干《てすり》の下を駆け抜けて壁について今、婆さんの前へ衝《つ》と来たお米、素足のままで、細帯《ほそおび》ばかり、空色の袷《あわせ》に襟のかかった寝衣《ねまき》の形《なり》で、寝床を脱出《ぬけだ》した窶《やつ》れた姿、追かけられて逃げる風で、あわただしく越そうとする敷居に爪先《つまさき》を取られて、うつむけさまに倒れかかって、横に流れて蹌踉《よろめ》く処を、 「あッ、」といって、手を取った。婆さんは背《せな》を支えて、どッさり尻をついて膝を折りざまに、お米を内へ抱え込むと、ばったり諸共に畳の上。  この煽《あお》りに、婆さんが座右の火鉢の火の、先刻《さっき》からじょう[#「じょう」に傍点]に成果てたのが、真白《まっしろ》にぱっと散って、女《むすめ》の黒髪にも婆さんの袖にもちらちらと懸《かか》ったが、直ぐに色も分かず日は暮れたのである。 「お米さん、まあ、」と抱いたまま、はッはッいうと、絶ゆげな呼吸《いき》づかい、疲果てた身を悶《もだ》えて、 「厭《いやッ》よう、つかまえられるよう。」 「誰に、誰につかまえられるんだよ。」 「厭ですよ、あれ、巡査《おまわり》さん。」 「何、巡査さんが、」と驚いたが、抱く手の濡れるほど哀れ冷汗びっしょりで、身を揉《も》んで逃げようとするので、さては私だという見境ももうなくなったと、気がついて悲しくなった。 「しっかりしておくれ、お米さん、しっかりしておくれよ、ねえ。」  お米はただ切なそうに、ああああというばかりであったが、急にまた堪え得ぬばかり、 「堪忍よう、あれ、」と叫んだ。 「堪忍をするから謝罪《あやま》れの。どこをどう狂い廻っても、私《わし》が目から隠れる穴はないぞの。無くなった金子《かね》は今日出たが、汝《うぬ》が罪は消えぬのじゃ。女《むすめ》、さあ、私《わし》を頼め、足を頂け、こりゃこの杖に縋《すが》れ。」と蚊の呻《うめ》くようなる声して、ぶつぶついうその音調は、一たび口を出でて、唇を垂れ蔽《おお》える鼻に入《い》ってやがて他の耳に来《きた》るならずや。異様なる持主は、その鼻を真俯向《まうつむ》けに、長やかなる顔を薄暗がりの中に据え、一道の臭気を放って、いつか土間に立ってかの杖で土をことことと鳴《なら》していた。 「あれ。」打てば響くがごとくお米が身内はわなないた。  堪《たま》りかねて婆さんは、鼻に向って屹《きっ》と居直ったが、爺《じじい》がクンクンと鳴して左右に蠢《うご》めかしたのを一目見ると、しりごみをして固くお米を抱きながら竦《すく》んだ。 「杖に縋って早や助かれ。女《むすめ》やい、女、金子は盗まいでも、自分の心が汝《うぬ》が身を責殺すのじゃわ、たわけ奴めが、フン。我《わし》を頼め、膝を抱け、杖に縋れ、これ、生命《いのち》が無いぞの。」と洞穴の奥から幽《かすか》に、呼ぶよう、人間の耳に聞えて、この淫魔《いんま》ほざきながら、したたかの狼藉《ろうぜき》かな。杖を逆に取って、うつぶしになって上口《あがりぐち》に倒れている、お米の衣《きぬ》の裾をハタと打って、また打った。 「厭よ、厭よ、厭よう。」と今はと見ゆる悲鳴である。 「この、たわけ奴《め》の。」  段の上にすッくと立って、名家の彫像のごとく、目まじろきもしないで、一|場《じょう》の光景を見詰めていた黒き衣《きぬ》、白き面《おもて》、清癯《せいく》鶴に似たる判事は、衝《つ》と下りて、ずッと寄って、お米の枕頭《まくらもと》に座を占めた。  威厳犯すべからざるものある小山の姿を、しょぼけた目でじっと見ると、予言者の鼻は居所をかえて一足|退《すさ》った、鼻と共に進退して、その杖の引込《ひっこ》んだことはいうまでもなかろう。  目もくれず判事は静《しずか》にお米の肩に手を載《の》せた。  軽くおさえて、しばらくして、 「謂《い》うことが分るか、姉さん、分るかい、お前さんはね、紛失したというその五百円を盗みも、見もしないが、欲しいと思ったんだろうね。可《よ》し、欲しいと思った。それは深切なこの婆さんが、金子《かね》を頂かされたのを見て、あの金子が自分のものなら、老人《としより》のものにしたいと、……そうだ。そこを見込まれたのだ。何、妙なものに出会《でっくわ》して気を痛めたに違いなかろう。むむ、思ったばかり罪はないよ、たとい、不思議なものの咎《とがめ》があっても、私が申請けよう。さあ、しっかりとつかまれ。私が楯《たて》になって怪《あやし》いものの目から隠してやろう。ずっと寄れ、さあこの身体《からだ》につかまってその動悸《どうき》を鎮めるが可い。放すな。」と爽《さわや》かにいった言《ことば》につれ、声につれ、お米は震いつくばかり、人目に消えよと取縋った。 「婆さん、明《あかり》を。」  飛上るようにして、やがてお幾が捧げ出した灯《ともしび》の影に、と見れば、予言者はくるりと背後《うしろ》向になって、耳を傾けて、真鍮《しんちゅう》の耳掻を悠々とつかいながら、判事の言《ことば》を聞澄しているかのごとくであった。 「安心しな、姉さん、心に罪があっても大事はない。私が許す、小山由之助だ、大審院の判事が許して、その証拠に、盗《ぬすみ》をしたいと思ったお前と一所になろう。婆さん、媒妁人《なこうど》は頼んだよ。」  迷信の深い小山夫人は、その後永く鳥獣の肉と茶断《ちゃだち》をして、判事の無事を祈っている。蓋《けだ》し当時、夫婦を呪詛《じゅそ》するという捨台辞《すてぜりふ》を残して、我《わが》言かくのごとく違《たが》わじと、杖をもって土を打つこと三たびにして、薄月《うすづき》の十日の宵の、十二社の池の周囲を弓なりに、飛ぶかとばかり走り去った、予言者の鼻の行方がいまだに分らないからのことである。 [#地から1字上げ]明治三十四(一九〇一)年一月 底本:「泉鏡花集成2」ちくま文庫、筑摩書房    1996(平成8)年4月24日第1刷発行 底本の親本:「鏡花全集 第六卷」岩波書店    1941(昭和16)年11月10日発行 入力:門田裕志 校正:土屋隆 2007年2月18日作成 青空文庫作成ファイル: 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