死者の書 折口信夫 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)彼《カ》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)偶然|強《コハ》ばつた [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数) (例)顬  [#(…)]:訓点送り仮名  (例)額田部[#(ノ)]子古 /\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号) *濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」 (例)した/\ ------------------------------------------------------- [#6字下げ]一[#「一」は中見出し] 彼《カ》の人の眠りは、徐《シヅ》かに覚めて行つた。まつ黒い夜の中に、更に冷え圧するものゝ澱んでゐるなかに、目のあいて来るのを、覚えたのである。 した した した。耳に伝ふやうに来るのは、水の垂れる音か。たゞ凍りつくやうな暗闇の中で、おのづと睫《マツゲ》と睫とが離れて来る。 膝《ヒザ》が、肱《ヒヂ》が、徐《オモム》ろに埋れてゐた感覚をとり戻して来るらしく、彼《カ》の人《ヒト》の頭に響いて居るもの――。全身にこはゞつた筋が、僅かな響きを立てゝ、掌《タナソコ》・足の裏に到るまで、ひきつれ[#「ひきつれ」に傍点]を起しかけてゐるのだ。 さうして、なほ深い闇。ぽつちりと目をあいて見廻す瞳に、まづ圧《アツ》しかゝる黒い巌の天井を意識した。次いで、氷になつた岩牀《イハドコ》。両脇に垂れさがる荒石の壁。した/\と、岩伝《イハヅタ》ふ雫《シヅク》の音。 時がたつた――。眠りの深さが、はじめて頭に浮んで来る。長い眠りであつた。けれども亦《マタ》、浅い夢ばかりを見続けて居た気がする。うつら/\思つてゐた考へが、現実に繋《ツナガ》つて、あり/\と、目に沁みついてゐるやうである。 [#ここから2字下げ] あゝ耳面刀自《ミミモノトジ》。 [#ここで字下げ終わり] 甦《ヨミガヘ》つた語《コトバ》が、彼の人の記憶を、更に弾力あるものに、響き返した。 [#ここから2字下げ] 耳面刀自《ミミモノトジ》。おれはまだお前を……思うてゐる。おれはきのふ、こゝに来たのではない。それも、をとゝひや、其《ソノ》さきの日に、こゝに眠りこけたのでは、決してないのだ。おれは、もつと/\長く寝て居た。でも、おれはまだ、お前を思ひ続けて居たぞ。耳面刀自《ミミモノトジ》。こゝに来る前から……こゝに寝ても、……其から覚めた今まで、一続きに、一つ事を考へつめて居るのだ。 [#ここで字下げ終わり] 古い――祖先以来さうしたやうに、此世《コノヨ》に在る間さう暮して居た――習《ナラハ》しからである。彼の人は、のくつと[#「のくつと」に傍点]起き直らうとした。だが、筋々が断《キ》れるほどの痛みを感じた。骨の節々の挫けるやうな、疼《ウヅ》きを覚えた。……そうして尚《ナホ》、ぢつと、――ぢつとして居る。射干玉《ヌバタマ》の闇。黒玉の大きな石壁に、刻み込まれた白々としたからだの様《ヤウ》に、厳《オゴソ》かに、だが、すんなりと、手を伸べたまゝで居た。 耳面刀自の記憶。たゞ其《ソレ》だけの深い凝結した記憶。其が次第に蔓《ヒロガ》つて、過ぎた日の様々な姿を、短い聯想の紐《ヒモ》に貫いて行く。さうして明るい意思が、彼の人の死枯《シニガ》れたからだに、再《フタタビ》立ち直つて来た。 [#ここから2字下げ] 耳面刀自。おれが見たのは、唯《タダ》一目――唯一度だ。だが、おまへのことを聞きわたつた年月は、久しかつた。おれによつて来い。耳面刀自。 [#ここで字下げ終わり] 記憶の裏から、反省に似たものが浮び出て来た。 [#ここから2字下げ] おれは、このおれは、何処《ドコ》に居るのだ。……それから、こゝは何処なのだ。其《ソレ》よりも第一、此《コノ》おれは誰《ダレ》なのだ。其をすつかり、おれは忘れた。 だが、待てよ。おれは覚えて居る。あの時だ。鴨が声《ネ》を聞いたのだつけ。さうだ。訳語田《ヲサダ》の家を引き出されて、磐余《イハレ》の池に行つた。堤の上には、遠捲きに人が一ぱい。あしこの萱原、そこの矮叢《ボサ》から、首がつき出て居た。皆が、大きな喚《オラ》び声を、挙げて居たつけな。あの声は残らず、おれをいとしがつて居る、半泣きの喚《ワメ》き声だつたのだ。 其でもおれの心は、澄みきつて居た。まるで、池の水だつた。あれは、秋だつたものな。はつきり聞いたのが、水の上に浮いてゐる鴨鳥《カモドリ》の声《コヱ》だつた。今思ふと――待てよ。其は何だか一目惚れの女の哭《ナ》き声だつた気がする。――をゝ、あれが耳面刀自。其瞬間、肉体と一つに、おれの心は、急に締めあげられるやうな刹那《セツナ》を、通つた気がした。俄《ニハ》かに、楽な広々とした世間に、出たやうな感じが来た。さうして、ほんの暫らく、ふつ[#「ふつ」に傍点]とさう考へたきりで……、空も見ぬ、土も見ぬ、花や、木の色も消え去つた――おれ自分すら、おれが何だか、ちつとも訣《ワカ》らぬ世界のものになつてしまつたのだ。 あゝ、其《ソノ》時きり、おれ自身、このおれを、忘れてしまつたのだ。 [#ここで字下げ終わり] 足の踝《クルブシ》が、膝の膕《ヒツカガミ》が、腰のつがひ[#「つがひ」に傍点]が、頸《クビ》のつけ根が、顳顬《コメカミ》が、ぼんの窪が――と、段々上つて来るひよめきの為に蠢《ウゴメ》いた。自然に、ほんの偶然|強《コハ》ばつたまゝの膝が、折り屈められた。だが、依然として――常闇《トコヤミ》。 [#ここから2字下げ] をゝさうだ。伊勢の国に居られる貴い巫女《ミコ》――おれの姉|御《ゴ》。あのお人が、おれを呼び活《イ》けに来ている。 姉御。こゝだ。でもおまへさまは、尊い御《オン》神に仕へてゐる人だ。おれのからだに、触《サハ》つてはならない。そこに居るのだ。ぢつとそこに、蹈《フ》み止《トマ》つて居るのだ。――あゝおれは、死んでゐる。死んだ。殺されたのだ。――忘れて居た。さうだ。此は、おれの墓だ。 いけない。そこを開《ア》けては。塚の通ひ路の、扉をこじるのはおよし。……よせ。よさないか。姉の馬鹿。 なあんだ。誰も、来ては居なかつたのだな。あゝよかつた。おれのからだが、天日《テンピ》に暴《サラ》されて、見る/\、腐るところだつた。だが、をかしいぞ。かうつと――あれは昔だ。あのこじあける音がするのも、昔だ。姉御の声で、塚道の扉を叩きながら、言つて居たのも今《インマ》の事――だつたと思ふのだが。昔だ。 おれのこゝへ来て、間もないことだつた。おれは知つてゐた。十月だつたから、鴨が鳴いて居たのだ。其鴨みたいに、首を捻ぢちぎられて、何も訣《ワカ》らぬものになつたことも。かうつと[#「かうつと」に傍点]――姉御が、墓の戸で哭き喚《ワメ》いて、歌をうたひあげられたつけ。「巌岩《イソ》の上《ウヘ》に生ふる馬酔木《アシビ》を」と聞えたので、ふと[#「ふと」に傍点]、冬が過ぎて、春も闌《タ》け初めた頃だと知つた。おれの骸《ムクロ》が、もう半分融《ト》け出した時分だつた。そのあと[#「あと」に傍点]、「たをらめど……見すべき君がありと言はなくに」。さう言はれたので、はつきりもう、死んだ人間になつた、と感じたのだ。……其時、手で、今してる様にさはつて見たら、驚いたことに、おれのからだは、著《キ》こんだ著物の下で、腊《ホジシ》のように、ぺしやんこになつて居た――。 [#ここで字下げ終わり] 臂《カヒナ》が動き出した。片手は、まつくらな空《クウ》をさした。さうして、今一方は、そのまゝ、岩|牀《ドコ》の上を掻き捜つて居る。 [#ここから3字下げ] うつそみの人なる我や。明日よりは、二上《フタカミ》山を愛兄弟《イロセ》と思はむ [#ここから2字下げ] 誄歌《ナキウタ》が聞えて来たのだ。姉御があきらめないで、も一つつぎ足して、歌つてくれたのだ。其で知つたのは、おれの墓と言ふものが、二上山の上にある、と言ふことだ。 よい姉御だつた。併《シカ》し、其歌の後で、又おれは、何もわからぬものになつてしまつた。 其から、どれほどたつたのかなあ。どうもよつぽど、長い間だつた気がする。伊勢の巫女様、尊い姉御が来てくれたのは、居睡りの夢を醒《サマ》された感じだつた。其に比べると、今度は深い睡りの後《アト》見たいな気がする。あの音がしてる。昔の音が――。 手にとるやうだ。目に見るやうだ。心を鎮めて――。鎮めて。でないと、この考へが、復《マタ》散らかつて行つてしまふ。おれの昔が、あり/\と訣《ワカ》つて来た。だが待てよ。……其にしても一体、こゝに居るおれは、だれなのだ。だれの子なのだ。だれの夫《ツマ》なのだ。其をおれは、忘れてしまつてゐるのだ。 [#ここで字下げ終わり] 両の臂は、頸の廻り、胸の上、腰から膝をまさぐつて居る。さうしてまるで、生き物のするやうな、深い溜め息が洩れて出た。 [#ここから2字下げ] 大変だ。おれの著物《キモノ》は、もうすつかり朽《クサ》つて居る。おれの褌《ハカマ》は、ほこりになつて飛んで行つた。どうしろ、と言ふのだ。此《コノ》おれは、著物もなしに、寝て居るのだ。 [#ここで字下げ終わり] 筋ばしるやうに、彼の人のからだに、血の馳《カ》け廻るに似たものが、過ぎた。肱を支へて、上半身が闇の中に起き上つた。 [#ここから2字下げ] をゝ寒い。おれを、どうしろと仰《オツシヤ》るのだ。尊いおつかさま。おれが悪かつたと言ふのなら、あやまります。著物を下さい。著物を――。おれのからだは、地べたに凍りついてしまひます。 [#ここで字下げ終わり] 彼の人には、声であつた。だが、声でないものとして、消えてしまつた。声でない語《コトバ》が、何時《イツ》までも続いてゐる。 [#ここから2字下げ] くれろ。おつかさま。著物がなくなつた。すつぱだかで出て来た赤ん坊になりたいぞ。赤ん坊だ。おれは。こんなに、寝床の上を這《ハ》ひずり廻つてゐるのが、だれにも訣らぬのか。こんなに、手足をばた/″\やつてゐるおれの、見える奴が居ぬのか。 [#ここで字下げ終わり] その唸《ウメ》き声のとほり、彼《カ》の人の骸《ムクロ》は、まるでだゞをこねる赤子のように、足もあがゞに、身あがきをば、くり返して居る。明りのさゝなかつた墓穴の中が、時を経て、薄い氷の膜ほど透《ス》けてきて、物のたゝずまひを、幾分|朧《オボ》ろに、見わけることが出来るやうになつて来た。どこからか、月光とも思へる薄あかりが、さし入つて来たのである。 [#ここから2字下げ] どうしよう。どうしよう。おれは。――大刀までこんなに、錆《サ》びついてしまつた……。 [#ここで字下げ終わり] [#6字下げ]二[#「二」は中見出し] 月は、依然として照つて居た。山が高いので、光りにあたるものが少かつた。山を照し、谷を輝かして、剰《アマ》る光りは、又空に跳ね返つて、残る隈々《クマグマ》までも、鮮やかにうつし出した。 足もとには、沢山の峰があつた。黒ずんで見える峰々が、入りくみ、絡みあつて、深々と畝《ウネ》つてゐる。其が見えたり隠れたりするのは、この夜更けになつて、俄かに出て来た霞の所為《セヰ》だ。其が又、此|冴《サ》えざえとした月夜を、ほつとり[#「ほつとり」に傍点]と、暖かく感じさせて居る。 広い端山《ハヤマ》の群《ムラガ》つた先《サキ》は、白い砂の光る河原だ。目の下遠く続いた、輝く大佩帯《オホオビ》は、石川である。その南北に渉《ワタ》つてゐる長い光りの筋が、北の端で急に広がつて見えるのは、凡河内《オホシカフチ》の邑《ムラ》のあたりであらう。其へ、山間《ヤマアヒ》を出たばかりの堅塩《カタシホ》川―大和川―が落ちあつて居るのだ。そこから、乾《イヌヰ》の方へ、光りを照り返す平面が、幾つも列《ツラナ》つて見えるのは、日下江《クサカエ》・永瀬江《ナガセエ》・難波江《ナニハエ》などの水面であらう。 寂《シヅ》かな夜である。やがて鶏鳴近い山の姿は、一様に露に濡れたやうに、しつとりとして静まつて居る。谷にちら/\する雪のやうな輝きは、目の下の山田谷に多い、小桜の遅れ咲きである。 一本の路が、真直に通つてゐる。二上山の男嶽《ヲノカミ》・女嶽《メノカミ》の間から、急に降《サガ》つて来るのである。難波《ナニハ》から飛鳥《アスカ》の都への古い間道なので、日によつては、昼は相応な人通りがある。道は白々と広く、夜目には、芝草の蔓《ハ》つて居るのすら見える。当麻路《タギマヂ》である。一降りして又、大|降《クダ》りにかゝらうとする処が、中だるみに、やゝ坦《ヒラタ》くなつてゐた。梢の尖《トガ》つた栢《カヘ》の木の森。半世紀を経た位の木ぶりが、一様に揃《ソロ》つて見える。月の光りも薄い木陰《コカゲ》全体が、勾配を背負つて造られた円塚であつた。月は、瞬きもせずに照し、山々は、深く眶《マブタ》を閉ぢてゐる。 [#ここから2字下げ] こう こう こう。 [#ここで字下げ終わり] 先刻《サツキ》から、聞えて居たのかも知れぬ。あまり寂けさに馴れた耳は、新な声を聞きつけよう、としなかつたのであらう。だから、今珍しく響いて来た感じもないのだ。 [#ここから2字下げ] こう こう こう――こう こう こう。 [#ここで字下げ終わり] 確かに人声である。鳥の夜声とは、はつきりかはつた韻《ヒビキ》を曳いて来る。声は、暫らく止んだ。静寂は以前に増し、冴え返つて張りきつてゐる。この山の峰つゞきに見えるのは、南に幾重ともなく重《カサナ》つた、葛城《カツラギ》の峰々である。伏越《フシゴエ》・櫛羅《クシラ》・小巨勢《コゴセ》と段々高まつて、果ては空の中につき入りさうに、二上山と、この塚にのしかゝるほど、真黒に立ちつゞいてゐる。 当麻路をこちらへ降つて来るらしい影が、見え出した。二つ三つ五つ……八つ九つ。九人の姿である。急な降りを一気に、この河内路へ馳けおりて来る。 九人と言ふよりは、九柱の神であつた。白い著物・白い鬘《カヅラ》、手は、足は、すべて旅の装束《イデタチ》である。頭より上に出た杖をついて――。この坦《タヒラ》に来て、森の前に立つた。 [#ここから2字下げ] こう こう こう。 [#ここで字下げ終わり] 誰の口からともなく、一時に出た叫びである。山々のこだま[#「こだま」に傍点]は、驚いて一様に、忙しく声を合せた。だが、山は、忽《タチマチ》一時の騒擾から、元の緘黙《シジマ》に戻つてしまつた。 [#ここから2字下げ] こう。こう。お出でなされ。藤原|南家《ナンケ》郎女《イラツメ》の御魂《ミタマ》。 こんな奥山に、迷うて居るものではない。早く、もとの身に戻れ。こう こう。 お身さまの魂《タマ》を、今、山たづね尋ねて、尋ねあてたおれたちぞよ。こう こう こう。 [#ここで字下げ終わり] 九つの杖びとは、心から神になつて居る。彼らは、杖を地に置き、鬘《カヅラ》を解いた。鬘《カヅラ》は此時、唯真白な布に過ぎなかつた。其を、長さの限り振り捌《サバ》いて、一様に塚に向けて振つた。 [#ここから2字下げ] こう こう こう。 [#ここで字下げ終わり] かう言ふ動作をくり返して居る間に、自然な感情の鬱屈と、休息を欲するからだの疲れとが、九体の神の心を、人間に返した。彼らは見る間に、白い布を頭に捲きこんで鬘とし、杖を手にとつた旅人として、立つてゐた。 [#ここから2字下げ] をい。無言《シジマ》の勤《ツト》めも此までぢや。 をゝ。 [#ここで字下げ終わり] 八つの声が答へて、彼等は訓練せられた所作のやうに、忽《タチマチ》一度に、草の上に寛《クツロ》ぎ、再《フタタビ》杖を横《ヨコタ》へた。 [#ここから2字下げ] これで大和《ヤマト》も、河内《カハチ》との境ぢやで、もう魂ごひの行《ギヤウ》もすんだ。今時分は、郎女さまのからだは、廬《イホリ》の中で魂をとり返して、ぴち/\して居られようぞ。 こゝは、何処《ドコ》だいの。 知らぬかいよ。大和にとつては大和の国、河内にとつては河内の国の大関《オホゼキ》。二上の当麻路《タギマヂ》の関《セキ》――。 [#ここで字下げ終わり] 別の長老《トネ》めいた者が、説明を続《ツ》いだ。 [#ここから2字下げ] 四五十年あとまでは、唯《タダ》関と言ふばかりで、何の標《シルシ》もなかつた。其《ソレ》があの、近江の滋賀の宮に馴染み深かつた、其よ。大和では、磯城《シキ》の訳語田《ヲサダ》の御館《ミタチ》に居られたお方。池上の堤で命召されたあのお方の骸《ムクロ》を、罪人に殯《モガリ》するは、災の元と、天若日子《アメワカヒコ》の昔語りに任せて、其まゝ此処《ココ》にお搬《ハコ》びなされて、お埋《イ》けになつたのが、此塚よ。 [#ここで字下げ終わり] 以前の声が、まう一層|皺《シワ》がれた響きで、話をひきとつた。 [#ここから2字下げ] 其時の仰せには、罪人よ。吾子《ワコ》よ。吾子の為《シ》了《ヲフ》せなんだ荒《アラ》び心で、吾子よりももつと、わるい猛び心を持つた者の、大和に来向うのを、待ち押え、塞《サ》へ防いで居ろ、と仰せられた。 ほんに、あの頃は、まだおれたちも、壮盛《ワカザカ》りぢやつたに。今ではもう、五十年昔になるげな。 [#ここで字下げ終わり] 今一人が、相談でもしかける様な、口ぶりを揷んだ。 [#ここから2字下げ] さいや。あの時も、墓作りに雇はれた。その後も、当麻路の修覆に召し出された。此お墓の事は、よく知つて居る。ほんの苗木ぢやつた栢《カヘ》が、此《コレ》ほどの森になつたものな。畏《コハ》かつたぞよ。此墓のみ魂《タマ》が、河内|安宿部《アスカベ》から石|担《モ》ちに来て居た男に、憑《ツ》いた時はなう。 [#ここで字下げ終わり] 九人は、完全に現《ウツ》し世《ヨ》の庶民の心に、なり還つて居た。山の上は、昔語りするには、あまり寂しいことを忘れて居たのである。時の更《フ》け過ぎた事が、彼等の心には、現実にひし/\と、感じられ出したのだらう。 [#ここから2字下げ] もう此でよい。戻らうや。 よかろ よかろ。 [#ここで字下げ終わり] 皆は、鬘をほどき、杖を棄てた白衣の修道者、と言ふだけの姿《ナリ》になつた。 [#ここから2字下げ] だがの。皆も知つてようが、このお塚は、由緒《ユヰシヨ》深《フカ》い、気のおける処ゆゑ、まう一度、魂ごひをしておくまいか。 [#ここで字下げ終わり] 長老《トネ》の語と共に、修道者たちは、再《フタタビ》魂呼《タマヨバ》ひの行《ギヤウ》を初めたのである。 [#ここから2字下げ] こう こう こう。 をゝ……。 [#ここで字下げ終わり] 異様な声を出すものだ、と初めは誰も、自分らの中の一人を疑ひ、其でも変に、おぢけづいた心を持ちかけてゐた。も一度、 [#ここから2字下げ] こう こう こう。 [#ここで字下げ終わり] 其時、塚穴の深い奥から、冰《コホ》りきつた、而《シカ》も今息を吹き返したばかりの声が、明らかに和したのである。 [#ここから2字下げ] をゝう……。 [#ここで字下げ終わり] 九人の心は、ばら/″\の九人の心々であつた。からだも亦《マタ》ちり/″\に、山田谷へ、竹内谷へ、大阪越えへ、又当麻路へ、峰にちぎれた白い雲のやうに、消えてしまつた。 唯畳まつた山と、谷とに響いて、一つの声ばかりがする。 [#ここから2字下げ] をゝう……。 [#ここで字下げ終わり] [#6字下げ]三[#「三」は中見出し] 万法蔵院《マンホフザウヰン》の北の山陰に、昔から小《チヒサ》な庵室《アンジツ》があつた。昔からと言ふのは、村人がすべて、さう信じて居たのである。荒廃すれば繕ひ/\して、人は住まぬ廬《イホリ》に、孔雀明王像《クジヤクミヤウワウザウ》が据ゑてあつた。当麻《タギマ》の村人の中には、稀に、此が山田寺である、と言ふものもあつた。さう言ふ人の伝へでは、万法蔵院は、山田寺の荒れて後、飛鳥《アスカ》の宮の仰せを受けてとも言ひ、又御自身の御発起《ゴホツキ》からだとも言ふが、一人の尊いみ子が、昔の地を占めにお出でなされて、大伽藍《ダイガラン》を建てさせられた。其際、山田寺の旧構を残すため、寺の四至の中、北の隅へ、当時立ち朽《グサ》りになつて居た堂を移し、規模を小《チヒサ》くして造られたもの、と伝へ言ふのであつた。 さう言へば、山田寺は、役君小角《エノキミヲヅヌ》が、山林仏教を創《ハジ》める最初の足代《アシシロ》になつた処だと言ふ伝へが、吉野や、葛城の山伏行人《ヤマブシギヤウニン》の間に行はれてゐた。何しろ、万法蔵院の大伽藍が焼けて百年、荒野の道場となつて居た、目と鼻との間に、こんな古い建て物が、残つて居たと言ふのも、不思議なことである。 夜は、もう更《フ》けて居た。谷川の激《タギ》ちの音が、段々高まつて来る。二上山の二つの峰の間から、流れくだる水なのだ。 廬の中は、暗かつた。炉を焚くことの少い此|辺《ヘン》では、地下《ヂゲ》百姓は、夜は真暗な中で、寝たり、坐つたりしてゐるのだ。でもこゝには、本尊が祀つてあつた。 夜を守つて、仏の前で起き明す為には、御灯《ミアカシ》を照した。 孔雀明王の姿が、あるかないかに、ちろめく光りである。 姫は寝ることを忘れたやうに、坐つて居た。 万法蔵院の上座の僧綱《ソウガウ》たちの考へでは、まづ奈良へ使ひを出さねばならぬ。横佩家《ヨコハキケ》の人々の心を、思うたのである。次には、女人|結界《ケツカイ》を犯して、境内深く這入《ハヒ》つた罪は、郎女自身に贖《アガナ》はさねばならなかつた。落慶のあつたばかりの浄域だけに、一時は、塔頭《タツチユウ》々々の人たちの、青くなつたのも、道理である。此は、財物を施入する、と謂つたぐらゐではすまされぬ。長期の物忌みを、寺近くに居て果させねばならぬと思つた。其で、今日昼の程、奈良へ向つて、早使《ハヤヅカ》ひを出して、郎女《イラツメ》の姿が、寺中に現れたゆくたて[#「ゆくたて」に傍点]を、仔細に告げてやつたのである。 其と共に姫の身は、此庵室に暫らく留め置かれることになつた。たとひ、都からの迎へが来ても、結界を越えた贖ひを果す日数だけは、こゝに居させよう、と言ふのである。 牀《ユカ》は低いけれども、かいてあるにはあつた。其替り、天井は無上《ムシヤウ》に高くて、而《シカ》も萱《カヤ》のそゝけた屋根は、破風《ハフ》の脇から、むき出しに、空の星が見えた。風が唸《ウナ》つて過ぎたと思ふと、其高い隙《スキ》から、どつと吹き込んで来た。ばら/″\落ちかゝるのは、煤《スス》がこぼれるのだらう。明王の前の灯が、一時《イツトキ》かつと明るくなつた。 その光りで照し出されたのは、あさましく荒《スサ》んだ座敷だけでなかつた。荒板の牀の上に、薦筵《コモムシロ》二枚重ねた姫の座席。其に向つて、ずつと離れた壁ぎはに、板敷に直《ヂカ》に坐つて居る老婆の姿があつた。 壁と言ふよりは、壁代《カベシロ》であつた。天井から吊《ツ》りさげた竪薦《タツゴモ》が、幾枚も幾枚も、ちぐはぐに重つて居て、どうやら、風は防ぐやうになつて居る。その壁代に張りついたやうに坐つて居る女、先から欬嗽《シハブキ》一つせぬ静けさである。 貴族の家の郎女は、一日もの言はずとも、寂しいとも思はぬ習慣がついて居た。其で、この山陰の一つ家に居ても、溜め息一つ洩すのではなかつた。昼《ヒ》の内|此処《ココ》へ送りこまれた時、一人の姥《ウバ》のついて来たことは、知つて居た。だが、あまり長く音も立たなかつたので、人の居ることは忘れて居た。今ふつと明るくなつた御灯《ミアカシ》の色で、その姥の姿から、顔まで一目で見た。どこやら、覚えのある人の気がする。さすがに、姫にも人懐しかつた。ようべ家を出てから、女性《ニヨシヤウ》には、一人も逢つて居ない。今そこに居る姥《ウバ》が、何だか、昔の知り人のやうに感じられたのも、無理はないのである。見覚えのあるやうに感じたのは、だが、其親しみ故だけではなかつた。 [#ここから2字下げ] 郎女《イラツメ》さま。 [#ここで字下げ終わり] 緘黙《シジマ》を破つて、却《カヘツ》てもの寂しい、乾声《カラゴヱ》が響いた。 [#ここから2字下げ] 郎女は、御存じおざるまい。でも、聴いて見る気はおありかえ。お生れなさらぬ前の世からのことを。それを知つた姥でおざるがや。 [#ここで字下げ終わり] 一旦、口がほぐれると、老女は止めどなく、喋《シヤベ》り出した。姫は、この姥の顔に見知りのある気のした訣《ワケ》を、悟りはじめて居た。藤原|南家《ナンケ》にも、常々、此年よりとおなじやうな媼《オムナ》が、出入りして居た。郎女たちの居る女部屋《ヲンナベヤ》までも、何時《イツ》もづか/″\這入《ハヒ》つて来て、憚《ハバカ》りなく古物語りを語つた、あの中臣志斐媼《ナカトミノシヒノオムナ》――。あれと、おなじ表情をして居る。其も、尤《モツトモ》であつた。志斐[#(ノ)]老女が、藤氏《トウシ》の語部《カタリベ》の一人であるやうに、此も亦、この当麻《タギマ》の村の旧族、当麻[#(ノ)]真人《マヒト》の「氏《ウヂ》の語部《カタリベ》」、亡び残りの一人であつたのである。 [#ここから2字下げ] 藤原のお家が、今は、四筋に分れて居りまする。ぢやが、大織冠《タイシヨククワン》さまの代どころでは、ありは致しませぬ。淡海公《タンカイコウ》の時も、まだ一流れのお家でおざりました。併《シカ》し其頃《ソノコロ》やはり、藤原は、中臣と二つの筋に岐《ワカ》れました。中臣の氏人で、藤原の里に栄えられたのが、藤原と、家名の申され初めでおざりました。 藤原のお流れ。今ゆく先も、公家摂籙《クゲセフロク》の家柄。中臣の筋や、おん神仕へ。差別《ケヂメ》々々明らかに、御代《ミヨ》々々の宮|守《マモ》り。ぢやが、今は今、昔は昔でおざります。藤原の遠つ祖《オヤ》、中臣の氏の神、天押雲根《アメノオシクモネ》と申されるお方の事は、お聞き及びかえ。 今、奈良の宮におざります日の御子さま。其前は、藤原の宮の日のみ子さま。又其前は、飛鳥《アスカ》の宮の日のみ子さま。大和の国中《クニナカ》に、宮|遷《ウツ》し、宮|奠《サダ》め遊《アソバ》した代々《ヨヨ》の日のみ子さま。長く久しい御代《ミヨ》々々に仕へた、中臣の家の神業《カミワザ》。郎女《イラツメ》さま。お聞き及びかえ。 遠い代の昔語り。耳明らめてお聴きなされ。中臣・藤原の遠つ祖《オヤ》あめの押雲根命《オシクモネ》。遠い昔の日のみ子さまのお喰《メ》しの、飯《イヒ》と、み酒《キ》を作る御料の水を、大和|国中《クニナカ》残る隈なく捜し覓《モト》めました。その頃、国原の水は、水渋《ソブ》臭く、土《ツチ》濁りして、日のみ子さまのお喰《メ》しの料《シロ》に叶《カナ》ひません。天《テン》の神|高天《タカマ》の大御祖《オホミオヤ》教へ給へと祈らうにも、国|中《ナカ》は国低し。山々もまんだ[#「まんだ」に傍点]天《テン》遠し。大和の国とり囲む青垣山《アヲガキヤマ》では、この二上山。空行く雲の通《カヨ》ひ路《ヂ》と、昇り立つて祈りました。その時、高天《タカマ》の大御祖《オホミオヤ》のお示しで、中臣の祖《オヤ》押雲根命《オシクモネ》、天の水の湧《ワ》き口《グチ》を、此《コノ》二上山に八《ヤ》ところまで見とゞけて、其《ソノ》後久しく、日のみ子さまのおめしの湯水は、代々の中臣自身、此山へ汲みに参ります。お聞き及びかえ。 [#ここで字下げ終わり] 当麻真人《タギマノマヒト》の、氏の物語りである。さうして其が、中臣の神わざと繋《カカハ》りのある点を、座談のやうに語り進んだ姥は、ふと口をつぐんだ。 外には、瀬音が荒れて聞えてゐる。中臣・藤原の遠祖が、天二上《アメノフタカミ》に求めた天八井《アメノヤヰ》の水を集めて、峰を流れ降り、岩にあたつて漲《ミナギ》り激《タギ》つ川なのであらう。瀬音のする方に向いて、姫は、掌《タナソコ》を合せた。 併しやがて、ふり向いて、仄暗《ホノグラ》くさし寄つて来てゐる姥の姿を見た時、言はうやうない畏《オソロ》しさと、せつかれるやうな忙しさを、一つに感じたのである。其に、志斐姥《シヒノウバ》の、本式に物語りをする時の表情が、此老女の顔にも現れてゐた。今、当麻《タギマ》の語部《カタリベ》の姥《ウバ》は、神憑《カミガカ》りに入るらしく、わな/\震ひはじめて居るのである。 [#6字下げ]四[#「四」は中見出し] [#ここから3字下げ] ひさかたの  天二上《アメフタカミ》に、 我《ア》が登り   見れば、 とぶとりの  明日香《アスカ》 ふる里の   神南備山隠《カムナビゴモ》り、 家どころ   多《サハ》に見え、 豊《ユタ》にし    屋庭《ヤニハ》は見ゆ。 弥彼方《イヤヲチ》に   見ゆる家群《イヘムラ》 藤原の    朝臣《アソ》が宿。  遠々に    我《ア》が見るものを、  たか/″\に 我《ア》が待つものを、 処女子《ヲトメゴ》は   出《イ》で通《コ》ぬものか。 よき耳《ミミ》を   聞かさぬものか。 青馬の    耳面刀自《ミミモノトジ》。  刀自もがも。女弟《オト》もがも。  その子の   はらからの子の  処女子《ヲトメゴ》の   一人  一人だに、  わが配偶《ツマ》に来《コ》よ。 ひさかたの  天二上《アメフタカミ》 二上の陽面《カゲトモ》に、 生ひをゝり  繁《シ》み咲く 馬酔木《アシビ》の   にほへる子を  我《ア》が     捉《ト》り兼ねて、 馬酔木《アシビ》の   あしずりしつゝ  吾《ア》はもよ偲《シヌ》ぶ。藤原処女 [#ここで字下げ終わり] 歌い了《ヲ》へた姥は、大息をついて、ぐつたりした。其から暫らく、山のそよぎ、川瀬の響きばかりが、耳についた。 姥は居ずまひを直して、厳《オゴソ》かな声音《コワネ》で、誦《カタ》り出した。 [#ここから2字下げ] とぶとりの 飛鳥の都に、日のみ子様のおそば近く侍る尊いおん方。さゝなみの大津の宮に人となり、唐土《モロコシ》の学芸《ザエ》に詣《イタ》り深く、詩《カラウタ》も、此国ではじめて作られたは、大友[#(ノ)]皇子か、其とも此お方か、と申し伝へられる御方《オンカタ》。 近江《アフミ》の都は離れ、飛鳥の都の再《フタタビ》栄えたその頃、あやまちもあやまち。日のみ子に弓引くたくみ、恐しや、企てをなされると言ふ噂《ウハサ》が、立ちました。 高天原広野姫尊《タカマノハラヒロヌヒメノミコト》、おん怒りをお発しになりまして、とう/\池上の堤に引き出して、お討たせになりました。 其お方がお死にの際《キハ》に、深く/\思ひこまれた一人のお人がおざりまする。耳面刀自《ミミモノトジ》と申す、大織冠のお娘御でおざります。前から深くお思ひになつて居た、と云ふでもありません。唯、此郎女も、大津の宮離れの時に、都へ呼び返されて、寂しい暮しを続けて居られました。等しく大津の宮に愛着をお持ち遊した右の御方が、愈々《イヨイヨ》、磐余《イハレ》の池の草の上で、お命召されると言ふことを聞いて、一目見てなごり惜しみがしたくて、こらへられなくなりました。藤原から池上まで、おひろひでお出でになりました。小高い柴の一むらある中から、御様子を窺うて帰らうとなされました。其時ちらりと、かのお人の、最期に近いお目に止りました。其ひと目が、此世に残る執心となつたのでおざりまする。 [#ここから3字下げ] もゝつたふ 磐余《イハレ》の池に鳴く鴨を 今日のみ見てや、雲隠りなむ [#ここから2字下げ] この思ひがけない心残りを、お詠みになつた歌よ、と私ども当麻《タギマ》の語部《カタリベ》の物語りには、伝へて居ります。 その耳面刀自と申すは、淡海公の妹君、郎女の祖父《オホヂ》君|南家太政《ナンケダイジヤウ》大臣には、叔母君にお当りになつてゞおざりまする。 人間の執心《シフシン》と言ふものは、怖《コハ》いものとはお思ひなされぬかえ。 其亡《ナ》き骸《ガラ》は、大和の国を守らせよ、と言ふ御諚《ゴヂヤウ》で、此山の上、河内から来る当麻路の脇にお埋《イ》けになりました。其が何《ナン》と、此世の悪心も何もかも、忘れ果てゝ清々《スガスガ》しい心になりながら、唯そればかりの一念が、残つて居る、と申します。藤原四流の中で、一番美しい郎女が、今におき、耳面刀自と、其|幽界《カクリヨ》の目には、見えるらしいのでおざりまする。女盛りをまだ婿《ムコ》どりなさらぬげの郎女さまが、其力におびかれて、この当麻《タギマ》までお出でになつたのでなうて、何でおざりませう。 当麻路に墓を造りました当時《ソノカミ》、石を搬《ハコ》ぶ若い衆にのり移つた霊《タマ》が、あの長歌を謳《ウタ》うた、と申すのが伝へ。 [#ここで字下げ終わり] 当麻語部媼《タギマノカタリノオムナ》は、南家の郎女の脅《オビ》える様を想像しながら、物語つて居たのかも知れぬ。唯さへ、この深夜、場所も場所である。如何《イカ》に止めどなくなるのが、「ひとり語《ガタ》り」の癖とは言へ、語部の古婆《フルババ》の心は、自身も思はぬ意地くね悪さを蔵してゐるものである。此《コレ》が、神さびた職を寂しく守つて居る者の優越感を、充《ミタ》すことにも、なるのであつた。 大貴族の郎女は、人の語《コトバ》を疑ふことは教へられて居なかつた。それに、信じなければならぬもの、とせられて居た語部の物語りである。詞の端々までも、真実を感じて、聴いて居る。 言ふとほり、昔びとの宿執《シユクシフ》が、かうして自分を導いて来たことは、まことに違ひないであらう。其にしても、つひしか[#「つひしか」に傍点]見ぬお姿――尊い御仏と申すやうな相好《サウガウ》が、其お方とは思はれぬ。 春秋の彼岸中日、入り方の光り輝く雲の上に、まざ/″\と見たお姿。此|日本《ヤマト》の国の人とは思はれぬ。だが、自分のまだ知らぬこの国の男子《ヲノコゴ》たちには、あゝ言ふ方もあるのか知らぬ。金色《コンジキ》の鬢、金色の髪の豊かに垂れかゝる片肌は、白々と袒《ヌ》いで美しい肩。ふくよかなお顔は、鼻|隆《タカ》く、眉|秀《ヒイ》で夢見るやうにまみ[#「まみ」に傍点]を伏せて、右手は乳の辺に挙げ、脇の下に垂れた左手は、ふくよかな掌を見せて……あゝ雲の上に朱の唇、匂《ニホ》ひやかにほゝ笑まれると見た……その俤《オモカゲ》。 日のみ子さまの御側仕へのお人の中には、あの様な人もおいでになるものだらうか。我が家《ヤ》の父や、兄人《セウト》たちも、世間の男たちとは、とりわけてお美しい、と女たちは噂するが、其すら似もつかぬ……。 尊い女性《ニヨシヤウ》は、下賤《ゲセン》な人と、口をきかぬのが当時の世の掟《オキテ》である。何よりも、其語は、下ざまには通じぬもの、と考へられてゐた。それでも、此古物語りをする姥には、貴族の語もわかるであらう。郎女は、恥ぢながら問ひかけた。 [#ここから2字下げ] そこの人。ものを聞かう。此身の語が、聞きとれたら、答へしておくれ。 その飛鳥の宮の日のみ子さまに仕へた、と言ふお方は、昔の罪びとらしいに、其が又何とした訣《ワケ》で、姫の前に立ち現れては、神々《カウガウ》しく見えるであらうぞ。 [#ここで字下げ終わり] 此だけの語が言ひ淀み、淀みして言はれてゐる間に、姥は、郎女の内に動く心もちの、凡《オヨソ》は、気《ケ》どつたであらう。暗いみ灯《アカシ》の光りの代りに、其頃は、もう東白みの明りが、部屋の内の物の形を、朧《オボ》ろげに顕《アラハ》しはじめて居た。 [#ここから2字下げ] 我が説明《コトワケ》を、お聞きわけられませ。神代の昔びと、天若日子《アメワカヒコ》。天若日子こそは、天《テン》の神々に弓引いた罪ある神。其《ソレ》すら、其後《ソノゴ》、人の世になつても、氏貴い家々の娘|御《ゴ》の閨《ネヤ》の戸までも、忍びよると申しまする。世に言ふ「天若《アメワカ》みこ」と言ふのが、其でおざります。 天若みこ。物語りにも、うき世語《ヨガタ》りにも申します。お聞き及びかえ。 [#ここで字下げ終わり] 姥は暫らく口を閉ぢた。さうして言ひ出した声は、顔にも、年にも似ず、一段、はなやいで聞えた。 [#ここから2字下げ] 「もゝつたふ」の歌、残された飛鳥の宮の執心《シフシン》びと、世々の藤原の一《イチ》の媛《ヒメ》に祟《タタ》る天若みこも、顔清く、声心|惹《ヒ》く天若みこのやはり、一人でおざりまする。 お心つけられませ。物語りも早、これまで。 [#ここで字下げ終わり] 其まゝ石のやうに、老女はぢつとして居る。冷えた夜も、朝影《アサカゲ》を感じる頃になると、幾らか温《ヌク》みがさして来る。 万法蔵院は、村からは遠く、山によつて立つて居た。暁早い鶏の声も、聞えぬ。もう梢《コズヱ》を離れるらしい塒鳥《ネグラドリ》が、近い端山《ハヤマ》の木群《コムラ》で、羽振《ハブ》きの音を立て初めてゐる。 [#6字下げ]五[#「五」は中見出し] [#ここから2字下げ] おれは活《イ》きた。 [#ここで字下げ終わり] 闇《クラ》い空間は、明りのやうなものを漂《タダヨハ》してゐた。併《シカ》し其は、蒼黒《アヲグロ》い靄《モヤ》の如く、たなびくものであつた。 巌ばかりであつた。壁も、牀《トコ》も、梁《ハリ》も、巌であつた。自身のからだすらが、既に、巌になつて居たのだ。 屋根が壁であつた。壁が牀であつた。巌ばかり――。触《サハ》つても触つても、巌ばかりである。手を伸《ノバ》すと、更に堅い巌が、掌に触れた。脚をひろげると、もつと広い磐石《バンジヤク》の面《オモテ》が、感じられた。 纔《ワヅ》かにさす薄光りも、黒い巌石《ガンセキ》が皆吸ひとつたやうに、岩窟《イハムロ》の中に見えるものはなかつた。唯けはひ[#「けはひ」に傍点]――彼《カ》の人の探り歩くらしい空気の微動があつた。 [#ここから2字下げ] 思ひ出したぞ。おれが誰だつたか、――訣《ワカ》つたぞ。 おれだ。此《コノ》おれだ。大津の宮に仕へ、飛鳥の宮に呼び戻されたおれ。滋賀津彦《シガツヒコ》。其《ソレ》が、おれだつたのだ。 [#ここで字下げ終わり] 歓びの激情を迎へるやうに、岩窟《イハムロ》の中のすべての突角が哮《タケ》びの反響をあげた。彼の人は、立つて居た。一本の木だつた。だが、其姿が見えるほどの、はつきりした光線はなかつた。明りに照し出されるほど、纏《マトマ》つた現《ウツ》し身《ミ》をも、持たぬ彼《カ》の人であつた。 唯、岩屋の中に矗立《シユクリツ》した、立ち枯れの木に過ぎなかつた。 [#ここから2字下げ] おれの名は、誰も伝へるものがない。おれすら忘れて居た。長く久しく、おれ自身にすら忘れられて居たのだ。可愛《イト》しいおれの名は、さうだ。語り伝へる子があつた筈だ。語り伝へさせる筈の語部《カタリベ》も、出来て居たゞらうに。――なぜか、おれの心は寂しい。空虚な感じが、しく/\と胸を刺すやうだ。 ――子代《コシロ》も、名代《ナシロ》もない、おれにせられてしまつたのだ。さうだ。其に違ひない。この物足らぬ、大きな穴のあいた気持ちは、其で、するのだ。おれは、此世に居なかつたと同前の人間になつて、現《ウツ》し身の人間どもには、忘れ了《ヲフ》されて居るのだ。憐みのないおつかさま。おまへさまは、おれの妻の、おれに殉死《トモジ》にするのを、見殺しになされた。おれの妻の生んだ粟津子《アハツコ》は、罪びとの子として、何処《ドコ》かへ連れて行かれた。野山のけだものゝ餌食《ヱジキ》に、くれたのだらう。可愛さうな妻よ。哀《アハレ》なむすこ[#「むすこ」に傍点]よ。 だが、おれには、そんな事などは、何でもない。おれの名が伝らない。劫初《ゴフシヨ》から末代まで、此世に出ては消える、天《アメ》の下《シタ》の青人草《アヲヒトグサ》と一列に、おれは、此世に、影も形も残さない草の葉になるのは、いやだ。どうあつても、不承知だ。 恵みのないおつかさま。お前さまにお縋《スガ》りするにも、其おまへさますら、もうおいでゞない此世かも知れぬ。 くそ――外《ソト》の世界が知りたい。世の中の様子が見たい。 だが、おれの耳は聞える。其なのに、目が見えぬ。この耳すら、世間の語を聞き別けなくなつて居る。闇の中にばかり瞑《ツブ》つて居たおれの目よ。も一度くわつと睜《ミヒラ》いて、現し世のありのまゝをうつしてくれ、……土龍《モグラ》の目なと、おれに貸しをれ。 [#ここで字下げ終わり] 声は再《フタタビ》、寂《シヅ》かになつて行つた。独り言する其声は、彼の人の耳にばかり聞えて居るのであらう。 丑刻《ウシ》に、静謐《セイヒツ》の頂上に達した現《ウツ》し世《ヨ》は、其が過ぎると共に、俄かに物音が起る。月の、空を行く音すら聞えさうだつた四方の山々の上に、まづ木の葉が音もなくうごき出した。次いではるかな谿《タニ》のながれの色が、白々と見え出す。更に遠く、大和|国中《クニナカ》の、何処《ドコ》からか起る一番鶏《イチバンドリ》のつくるとき[#「とき」に傍点]。 暁が来たのである。里々の男は、今、女の家の閨戸《ネヤド》から、ひそ/\と帰つて行くだらう。月は早く傾いたけれど、光りは深夜の色を保つてゐる。午前二時に朝の来る生活に、村びとも、宮びとも、忙しいとは思はずに、起きあがる。短い暁の目覚めの後、又、物に倚《ヨ》りかゝつて、新しい眠りを継ぐのである。 山風は頻《シキ》りに、吹きおろす。枝・木の葉の相軋《アヒヒシ》めく音が、やむ間なく聞える。だが其も暫らくで、山は元のひつそ[#「ひつそ」に傍点]としたけしきに還る。唯、すべてが薄暗く、すべてが隈を持つたやうに、朧ろになつて来た。 岩窟《イハムロ》は、沈々と黝《クラ》くなつて冷えて行く。 した した。水は、岩肌を絞つて垂れてゐる。 [#ここから2字下げ] 耳面刀自《ミミモノトジ》。おれには、子がない。子がなくなつた。おれは、その栄えてゐる世の中には、跡を貽《ノコ》して来なかつた。子を生んでくれ。おれの子を。おれの名を語り伝へる子どもを――。 [#ここで字下げ終わり] 岩牀《イハドコ》の上に、再《フタタビ》白々と横《ヨコタハ》つて見えるのは、身じろきもせぬからだである。唯その真裸な骨の上に、鋭い感覚ばかりが活きてゐるのであつた。 まだ反省のとり戻されぬむくろ[#「むくろ」に傍点]には、心になるものがあつて、心はなかつた。 耳面刀自の名は、唯の記憶よりも、更に深い印象であつたに違ひはない。自分すら忘れきつた、彼の人の出来あがらぬ心に、骨に沁み、干からびた髄の心《シン》までも、唯|彫《ヱ》りつけられたやうになつて、残つてゐるのである。 万法蔵院の晨朝《ジンテウ》の鐘だ。夜の曙色《アケイロ》に、一度|騒立《サワダ》つた物々の胸をおちつかせる様に、鳴りわたる鐘の音《ネ》だ。一《イツ》ぱし白みかゝつて来た東は、更にほの暗い明《ア》け昏《グ》れの寂けさに返つた。 南家の郎女は、一茎の草のそよぎでも聴き取れる暁凪《アカツキナ》ぎを、自身|擾《ミダ》すことをすまいと言ふ風に、見じろきすらもせずに居る。 夜《ヨル》の間《マ》よりも暗くなつた廬《イホリ》の中では、明王像の立ち処《ド》さへ見定められぬばかりになつて居る。 何処《ドコ》からか吹きこんだ朝山|颪《オロシ》に、御灯《ミアカシ》が消えたのである。当麻語部《タギマカタリ》の姥も、薄闇に蹲《ウヅクマ》つて居るのであらう。姫は再《フタタビ》、この老女の事を忘れてゐた。 たゞ一刻ばかり前、這入《ハヒ》りの戸を揺つた物音があつた。一度 二度 三度。更に数度。音は次第に激しくなつて行つた。枢《トボソ》がまるで、おしちぎられでもするかと思ふほど、音に力のこもつて来た時、ちようど、鶏が鳴いた。其きりぴつたり、戸にあたる者もなくなつた。 新しい物語が、一切、語部の口にのぼらぬ世が来てゐた。けれども、頑《カタクナ》な当麻氏《タギマウヂ》の語部の古姥《フルウバ》の為に、我々は今一度、去年以来の物語りをしておいても、よいであらう。まことに其は、昨《キゾ》の日からはじまるのである。 [#6字下げ]六[#「六」は中見出し] 門をはひると、俄《ニハ》かに松風が、吹きあてるやうに響いた。 一町も先に、固まつて見える堂伽藍――そこまでずつと、砂地である。 白い地面に、広い葉の青いまゝでちらばつて居るのは、朴《ホホ》の木だ。 まともに、寺を圧してつき立つてゐるのは、二上山《フタカミヤマ》である。其《ソノ》真下に涅槃仏《ネハンブツ》のやうな姿に横《ヨコタハ》つてゐるのが麻呂子山《マロコヤマ》だ。其頂がやつと、講堂の屋の棟に、乗りかゝつてゐるやうにしか見えない。こんな事を、女人《ニヨニン》の身で知つて居る訣《ワケ》はなかつた。だが、俊敏な此《コノ》旅びとの胸に、其《ソレ》に似たほのかな綜合の、出来あがつて居たのは疑はれぬ。暫らくの間、その薄緑の山色を仰いで居た。其から、朱塗りの、激しく光る建て物へ、目を移して行つた。 此寺の落慶供養のあつたのは、つい四五日|前《アト》であつた。まだあの日の喜ばしい騒ぎの響《トヨ》みが、どこかにする様に、麓の村びと等には、感じられて居る程である。 山颪《ヤマオロシ》に吹き暴《サラ》されて、荒草深い山裾《ヤマスソ》の斜面に、万法蔵院《マンホフザウヰン》の細々とした御灯《ミアカシ》の、煽《アフ》られて居たのに目馴れた人たちは、この幸福な転変《テンペン》に、目を睜《ミハ》つて居るだらう。此郷に田荘《ナリドコロ》を残して、奈良に数代住みついた豪族の主人も、その日は、帰つて来て居たつけ。此は、天竺《テンヂク》の狐の為《シ》わざではないか、其とも、この葛城郡に、昔から残つてゐる幻術師《マボロシ》のする迷はしではないか。あまり荘厳《シヤウゴン》を極めた建て物に、故知らぬ反感まで唆《ソソ》られて、廊を踏み鳴し、柱を叩《タタ》いて見たりしたものも、その供人《トモビト》のうちにはあつた。 数年前の春の初め、野焼きの火が燃えのぼつて来て、唯一宇あつた萱堂《カヤダウ》が、忽《タチマチ》痕もなくなつた。そんな小な事件が起つて、注意を促してすら、そこに、曽《カツ》て美《ウルハ》しい福田と、寺の創《ハジ》められた代《ヨ》を、思ひ出す者もなかつた程、それは/\、微かな遠い昔であつた。 以前、疑ひを持ち初める里の子どもが、其堂の名に、不審を起した。当麻《タギマ》の村にありながら、山田|寺《デラ》と言つたからである。山の背《ウシロ》の河内の国|安宿部郡《アスカベゴホリ》の山田谷から移つて二百年、寂しい道場に過ぎなかつた。其でも一時は、倶舎《クシヤ》の寺として、栄えたこともあつたのだつた。 飛鳥の御世の、貴い御方が、此寺の本尊を、お夢に見られて、おん子を遣《ツカハ》され、堂舎をひろげ、住侶《ヂユウリヨ》の数をお殖《フヤ》しになつた。おひ/\境内になる土地の地形《ヂギヤウ》の進んでゐる最中、その若い貴人が、急に亡くなられた。さうなる筈の、風水《フウスヰ》の相《サウ》が、「まろこ」の身を招き寄せたのだらう。よし/\墓はそのまゝ、其村に築くがよい、との仰せがあつた。其み墓のあるのが、あの麻呂子山だと言ふ。まろ子といふのは、尊い御一族だけに用ゐられる語で、おれの子といふほどの、意味であつた。ところが、其おことばが縁を引いて、此郷の山には、其《ソノ》後|亦《マタ》、貴人をお埋め申すやうな事が、起つたのである。 だが、さう言ふ物語りはあつても、それは唯、此里の語部《カタリベ》の姥《ウバ》の口に、さう伝へられてゐる、と言ふに過ぎぬ古《フル》物語りであつた。纔《ワヅ》かに百年、其短いと言へる時間も、文字に縁遠い生活には、さながら太古を考へると、同じ昔となつてしまつた。 旅の若い女性《ニヨシヤウ》は、型摺《カタズ》りの大様な美しい模様をおいた著《キ》る物を襲《ヨソ》うて居る。笠は、浅い縁《ヘリ》に、深い縹色《ハナダイロ》の布が、うなじを隠すほどに、さがつてゐた。 日は仲春、空は雨あがりの、爽《サワ》やかな朝である。高原《カウゲン》の寺は、人の住む所から、自《オノヅカ》ら遠く建つて居た。唯凡《タダオヨソ》、百人の僧俗が、寺中《ジチユウ》に起き伏して居る。其すら、引き続く供養|饗宴《キヤウエン》の疲れで、今日はまだ、遅い朝を、姿すら見せずにゐる。 その女人は、日に向つてひたすら輝く伽藍の廻りを、残りなく歩いた。寺の南|境《ザカヒ》は、み墓山の裾から、東へ出てゐる長い崎の尽きた所に、大門はあつた。其中腹と、東の鼻とに、西塔・東塔が立つて居る。丘陵の道をうねりながら登つた旅びとは、東の塔の下に出た。 雨の後の水気の、立つて居る大和の野は、すつかり澄みきつて、若昼《ワカヒル》のきらきらしい景色になつて居る。右手の目の下に、集中して見える丘陵は傍岡《カタヲカ》で、ほの/″\と北へ流れて行くのが、葛城川だ。平原の真中に、旅笠を伏せたやうに見える遠い小山は、耳無《ミミナシ》の山であつた。其右に高くつつ立つてゐる深緑は、畝傍山。更に遠く日を受けてきらつく水面は、埴安《ハニヤス》の池ではなからうか。其東に平たくて低い背を見せるのは、聞えた香具山《カグヤマ》なのだらう。旅の女子《ヲミナゴ》の目は、山々の姿を、一つ/\に辿《タド》つてゐる。天香具山《アメノカグヤマ》をあれだと考へた時、あの下が、若い父母《チチハハ》の育つた、其から、叔父叔母、又一族の人々の、行き来した、藤原の里なのだ。 もう此上は見えぬ、と知れて居ても、ひとりで、爪先立てゝ伸び上る気持ちになつて来るのが抑へきれなかつた。 香具山の南の裾に輝く瓦舎《カハラヤ》は、大官大寺《ダイクワンダイジ》に違ひない。其から更に真南の、山と山との間に、薄く霞んでゐるのが、飛鳥の村なのであらう。父の父も、母の母も、其又父母も、皆あのあたりで生ひ立たれたのであらう。この国の女子《ヲミナゴ》に生れて、一足も女部屋《ヲンナベヤ》を出ぬのを、美徳とする時代に居る身は、親の里も、祖先の土も、まだ踏みも知らぬ。あの陽炎《カゲロフ》の立つてゐる平原を、此足で、隅から隅まで歩いて見たい。 かう、その女性《ニヨシヤウ》は思うてゐる。だが、何よりも大事なことは、此|郎女《イラツメ》――貴女は、昨日の暮れ方、奈良の家を出て、こゝまで歩いて来てゐるのである。其も、唯のひとりでゞあつた。 家を出る時、ほんの暫し、心を掠《カス》めた――父君がお聞きになつたら、と言ふ考へも、もう気にはかゝらなくなつて居る。乳母があわてゝ探すだらう、と言ふ心が起つて来ても、却《カヘツ》てほのかな、こみあげ笑ひを誘ふ位の事になつてゐる。 山はづつしりとおちつき、野はおだやかに畝《ウネ》つて居る。かうして居て、何の物思ひがあらう。この貴《アテ》な娘|御《ゴ》は、やがて後をふり向いて、山のなぞへについて、次第に首をあげて行つた。 二上山。あゝこの山を仰ぐ、言ひ知らぬ胸騒ぎ。――藤原・飛鳥の里々山々を眺めて覚えた、今の先の心とは、すつかり違つた胸の悸《トキメ》き。旅の郎女は、脇目も触らず、山に見入つてゐる。さうして、静かな思ひの充ちて来る満悦を、深く覚えた。昔びとは、確実な表現を知らぬ。だが謂はゞ、――平野の里に感じた喜びは、過去生《クワコシヤウ》に向けてのものであり、今此山を仰ぎ見ての驚きは、未来世《ミライセ》を思ふ心躍りだ、とも謂へよう。 塔はまだ、厳重にやらひ[#「やらひ」に傍点]を組んだまゝ、人の立ち入りを禁《イマシ》めてあつた。でも、ものに拘泥することを教へられて居ぬ姫は、何時《イツ》の間にか、塔の初重《シヨヂユウ》の欄干に、自分のよりかゝつて居るのに、気がついた。さうして、しみ/″\と山に見入つて居る。まるで瞳が、吸ひこまれるやうに。山と自分とに繋《ツナガ》る深い交渉を、又くり返し思ひ初めてゐた。 郎女の家は、奈良東城、右京三条第七坊にある。祖父《オホヂ》武智麻呂《ムチマロ》のこゝで亡くなつて後、父が移り住んでからも、大分の年月になる。父は男壮《ヲトコザカリ》には、横佩《ヨコハキ》の大将《ダイシヤウ》と謂はれる程、一ふりの大刀《タチ》のさげ方にも、工夫を凝《コ》らさずには居られぬだて[#「だて」に傍点]者《モノ》であつた。なみ[#「なみ」に傍点]の人の竪《タテ》にさげて佩《ハ》く大刀を、横《ヨコタ》へて吊る佩き方を案出した人である。新しい奈良の都の住人は、まださうした官吏としての、華奢《キヤシヤ》な服装を趣向《コノ》むまでに到つて居なかつた頃、姫の若い父は、近代の時世装に思ひを凝して居た。その家に覲《タヅ》ねて来る古い留学生や、新来《イマキ》の帰化僧などに尋ねることも、張文成などの新作の物語りの類を、問題にするやうなのとも、亦違うてゐた。 さうした闊達《クワツタツ》な、やまとごゝろの、赴くまゝにふるまうて居る間に、才優《ザエスグ》れた族人《ウカラビト》が、彼を乗り越して行くのに気がつかなかつた。姫には叔父、彼――豊成には、さしつぎの弟、仲麻呂である。その父君も、今は筑紫に居る。尠《スクナ》くとも、姫などはさう信じて居た。家族の半《ナカバ》以上は、太宰帥《ダザイノソツ》のはな/″\しい生活の装ひとして、連れられて行つてゐた。宮廷から賜る資人《トネリ》・傔仗《タチ》も、大貴族の家の門地の高さを示すものとして、美々しく著飾らされて、皆任地へついて行つた。さうして、奈良の家には、その年は亦とりわけ、寂しい若葉の夏が来た。 寂かな屋敷には、響く物音もない時が、多かつた。この家も世間どほりに、女部屋は、日あたりに疎《ウト》い北の屋にあつた。その西側に、小《チヒサ》な蔀戸《シトミド》があつて、其をつきあげると、方三尺位な牕《マド》になるやうに出来てゐる。さうして、其内側には、夏冬なしに簾が垂れてあつて、戸のあげてある時は、外からの隙見を禦《フセ》いだ。 それから外廻《ソトマハ》りは、家の広い外郭になつて居て、大炊屋《オホヒヤ》もあれば、湯殿|火焼《ヒタ》き屋なども、下人の住ひに近く、立つてゐる。苑《ソノ》と言はれる菜畠や、ちよつとした果樹園らしいものが、女部屋の窓から見える、唯一の景色であつた。 武智麻呂|存生《ソンジヤウ》の頃から、此屋敷のことを、世間では、南家と呼び慣はして来てゐる。此頃になつて、仲麻呂の威勢が高まつて来たので、何となく其古い通称は、人の口から薄れて、其に替る称へが、行はれ出した様だつた。三条七坊をすつかり占めた大屋敷を、一垣内《ヒトカキツ》――一字《ヒトアザナ》と見倣して、横佩《ヨコハキ》墻内《カキツ》と言う者が、著しく殖えて来たのである。 その太宰府からの音づれが、久しく絶えたと思つてゐたら、都とは目と鼻の難波《ナニハ》に、いつか還り住んで、遥かに筑紫の政を聴いてゐた帥《ソツ》の殿であつた。其父君から遣《ツカハ》された家の子が、一車《ヒトクルマ》に積み余るほどな家づとを、家に残つた家族たち殊に、姫君にと言つてはこんで来た。 山国の狭い平野に、一代々々都遷しのあつた長い歴史の後、こゝ五十年、やつと一つ処に落ちついた奈良の都は、其でもまだ、なか/\整ふまでには、行つて居なかつた。 官庁や、大寺が、によつきり/\、立つてゐる外は、貴族の屋敷が、処々むやみに場をとつて、その相間々々に、板屋や瓦屋が、交りまじりに続いてゐる。其外は、広い水田と、畠と、存外多い荒蕪地の間に、人の寄りつかぬ塚や岩群《イハムラ》が、ちらばつて見えるだけであつた。兎や、狐が、大路小路を駆け廻る様なのも、毎日のこと。つい此頃も、朱雀大路《シユジヤクオホヂ》の植ゑ木の梢を、夜になると、鼯鼠《ムササビ》が飛び歩くと言ふので、一騒ぎした位である。 横佩家の郎女《イラツメ》が、称讃浄土仏摂受経《シヨウサンジヤウドブツセフジユギヤウ》を写しはじめたのも、其頃からであつた。父の心づくしの贈り物の中で、一番、姫君の心を饒《ニギ》やかにしたのは、此新訳の阿弥陀経一巻《イチクワン》であつた。 国の版図の上では、東に偏《カタヨ》り過ぎた山国の首都よりも、太宰府《ダザイフ》は、遥かに開けてゐた。大陸から渡る新しい文物は、皆一度は、この遠《トホ》の宮廷領《ミカド》を通過するのであつた。唐から渡つた書物などで、太宰府ぎりに、都まで出て来ないものが、なか/\多かつた。 学問や、芸術の味ひを知り初めた志の深い人たちは、だから、大唐までは望まれぬこと、せめて太宰府へだけはと、筑紫下りを念願するほどであつた。 南家《ナンケ》の郎女《イラツメ》の手に入つた称讃浄土経も、大和一国の大寺《オホテラ》と言ふ大寺に、まだ一部も蔵せられて居ぬものであつた。 姫は、蔀戸《シトミド》近くに、時としては机を立てゝ、写経をしてゐることもあつた。夜も、侍女たちを寝静まらしてから、油火《アブラビ》の下で、一心不乱に書き写して居た。 百部は、夙《ハヤ》くに写し果した。その後は、千部手写の発願をした。冬は春になり、夏山と繁つた春日山も、既に黄葉《モミヂ》して、其がもう散りはじめた。蟋蟀《コホロギ》は、昼も苑一面に鳴くやうになつた。佐保川の水を堰《セ》き入れた庭の池には、遣《ヤ》り水伝ひに、川千鳥の啼《ナ》く日すら、続くやうになつた。 今朝も、深い霜朝を、何処からか、鴛鴦《ヲシ》の夫婦鳥《ツマドリ》が来て浮んで居ります、と童女《ワラハメ》が告げた。 五百部を越えた頃から、姫の身は、目立つてやつれて来た。ほんの纔《ワヅ》かの眠りをとる間も、ものに驚いて覚めるやうになつた。其でも、八百部の声を聞く時分になると、衰へたなりに、健康は定まつて来たやうに見えた。やゝ蒼《アヲ》みを帯びた皮膚に、心もち細つて見える髪が、愈々《イヨイヨ》黒く映《ハ》え出した。 八百八十部、九百部。郎女は侍女にすら、ものを言ふことを厭《イト》ふやうになつた。さうして、昼すら何か夢見るやうな目つきして、うつとり蔀戸《シトミド》ごしに、西の空を見入つて居るのが、皆の注意をひくほどであつた。 実際、九百部を過ぎてからは筆も一向、はかどらなくなつた。二十部・三十部・五十部。心ある女たちは、文字の見えない自身たちのふがひなさ[#「ふがひなさ」に傍点]を悲しんだ。郎女の苦しみを、幾分でも分けることが出来ように、と思ふからである。 南家の郎女が、宮から召されることになるだらうと言ふ噂が、京・洛外《ラクグワイ》に広がつたのも、其頃である。屋敷中の人々は、上《ウヘ》近く事《ツカ》へる人たちから、垣内《カキツ》の隅に住む奴隷《ヤツコ》・婢奴《メヤツコ》の末にまで、顔を輝かして、此《コノ》とり沙汰《ザタ》を迎へた。でも姫には、誰一人其を聞かせる者がなかつた。其ほど、此頃の郎女は気むつかしく、外目《ヨソメ》に見えてゐたのである。 千部手写の望みは、さうした大願から立てられたものだらう、と言ふ者すらあつた。そして誰ひとり、其を否む者はなかつた。 南家の姫の美しい膚は、益々《マスマス》透きとほり、潤《ウル》んだ目は、愈々《イヨイヨ》大きく黒々と見えた。さうして、時々声に出して誦《ジユ》する経の文《モン》が、物の音《ネ》に譬《タト》へやうもなく、さやかに人の耳に響く。聞く人は皆、自身の耳を疑うた。 去年の春分の日の事であつた。入り日の光りをまともに受けて、姫は正座して、西に向つて居た。日は、此屋敷からは、稍《ヤヤ》坤《ヒツジサル》によつた遠い山の端《ハ》に沈むのである。西空の棚雲の紫に輝く上で、落日《ラクジツ》は俄かに転《クルメ》き出した。その速さ。雲は炎になつた。日は黄金《ワウゴン》の丸《マルガセ》になつて、その音も聞えるか、と思ふほど鋭く廻つた。雲の底から立ち昇る青い光りの風――、姫は、ぢつと見つめて居た。やがて、あらゆる光りは薄れて、雲は霽《ハ》れた。夕闇の上に、目を疑ふほど、鮮やかに見えた山の姿。二上山である。その二つの峰の間に、あり/\と荘厳《シヤウゴン》な人の俤が、瞬間|顕《アラハ》れて消えた。後《アト》は、真暗な闇の空である。山の端も、雲も何もない方に、目を凝《コラ》して、何時までも端坐して居た。 郎女の心は、其時から愈々澄んだ。併し、極めて寂しくなり勝《マサ》つて行くばかりである。 ゆくりない日が、半年の後に再《フタタビ》来て、姫の心を無上《ムシヤウ》の歓喜に引き立てた。其は、同じ年の秋、彼岸|中日《チユウニチ》の夕方であつた。姫は、いつかの春の日のやうに、坐してゐた。朝から、姫の白い額の、故《ユヱ》もなくひよめいた[#「ひよめいた」に傍点]長い日の、後《ノチ》である。二上山の峰を包む雲の上に、中秋の日の爛熟《ランジユク》した光りが、くるめき出したのである。雲は火となり、日は八尺《ハツシヤク》の鏡と燃え、青い響きの吹雪を、吹き捲《マ》く嵐――。 雲がきれ、光りのしづまつた山の端は、細く金の外輪を靡《ナビ》かして居た。其時、男嶽《ヲノカミ》・女嶽《メノカミ》の峰の間に、あり/\と浮き出た 髪 頭 肩 胸――。 姫は又、あの俤を見ることが、出来たのである。 南家の郎女《イラツメ》の幸福な噂が、春風に乗つて来たのは、次の春である。姫は別様の心躍りを、一月も前から感じて居た。さうして、日を数《ト》り初めて、ちようど、今日と言ふ日。彼岸中日、春分《シユンブン》の空が、朝から晴れて、雲雀《ヒバリ》は天に翔《カケ》り過ぎて、帰ることの出来ぬほど、青雲が深々とたなびいて居た。郎女は、九百九十九部を写し終へて、千部目にとりついて居た。 日一日、のどかな温い春であつた。経巻の最後の行、最後の字を書きあげて、ほつと息をついた。あたりは俄かに、薄暗くなつて居る。目をあげて見る蔀窓《シトミド》の外には、しと/\と――音がしたゝつて居るではないか。姫は立つて、手づから簾をあげて見た。雨。 苑の青菜が濡れ、土が黒ずみ、やがては瓦屋にも、音が立つて来た。 姫は、立つても坐《ヰ》ても居られぬ、焦躁に悶《モダ》えた。併し日は、益々暗くなり、夕暮れに次いで、夜が来た。 茫然として、姫はすわつて居る。人声も、雨音も、荒れ模様に加《クハハ》つて来た風の響きも、もう、姫は聞かなかつた。 [#6字下げ]七[#「七」は中見出し] 南家《ナンケ》の郎女《イラツメ》の神隠《カミカク》しに遭《ア》つたのは、其《ソノ》夜であつた。家人は、翌朝空が霽《ハ》れ、山々がなごりなく見えわたる時まで、気がつかずに居た。 横佩墻内《ヨコハキカキツ》に住む限りの者は、男も、女も、上《ウハ》の空になつて、洛中洛外を馳《ハ》せ求めた。さうした奔《ハシ》り人《ビト》の多く見出される場処と言ふ場処は、残りなく捜された。春日山の奥へ入つたものは、伊賀境までも踏み込んだ。高円山《タカマドヤマ》の墓原も、佐紀の沼地・雑木原も、又は、南は山村《ヤマムラ》、北は奈良山、泉川の見える処まで馳せ廻つて、戻る者も戻る者も、皆|空足《カラアシ》を踏んで来た。 姫は、何処《ドコ》をどう歩いたか、覚えがない。唯家を出て、西へ/\と辿つて来た。降り募るあらしが、姫の衣を濡《ヌラ》した。姫は、誰にも教はらないで、裾を脛《ハギ》まであげた。風は、姫の髪を吹き乱した。姫は、いつとなく、髻《モトドリ》をとり束ねて、襟から着物の中に、含《クク》み入れた。夜中になつて、風雨が止み、星空が出た。 姫の行くてには常に、二つの峰の並んだ山の立ち姿がはつきりと聳えて居た。毛孔の竪《タ》つやうな畏《オソロ》しい声を、度々聞いた。ある時は、鳥の音であつた。其後、頻りなく断続したのは、山の獣の叫び声であつた。大和の内も、都に遠い広瀬・葛城《カツラギ》あたりには、人居などは、ほんの忘れ残りのやうに、山陰などにあるだけで、あとは曠野《アラノ》。それに――、本村《ホンムラ》を遠く離れた、時はづれの、人|棲《ス》まぬ田居《タヰ》ばかりである。 片破れ月が、上《アガ》つて来た。其《ソレ》が却《カヘツ》て、あるいてゐる道の辺《ホトリ》の凄《スゴ》さを照し出した。其でも、星明りで辿《タド》つて居るよりは、よるべを覚えて、足が先へ/\と出た。月が中天へ来ぬ前に、もう東の空が、ひいわり[#「ひいわり」に傍点]白《シラ》んで来た。 夜のほの/″\明けに、姫は、目を疑ふばかりの現実に行きあつた。――横佩家の侍女たちは何時《イツ》も、夜の起きぬけに、一番最初に目撃した物事で、日のよしあしを、占つて居るやうだつた。さう言ふ女どものふるまひに、特別に気は牽《ヒ》かれなかつた郎女だけれど、よく其人々が、「今朝《ケサ》の朝目《アサメ》がよかつたから」「何と言ふ情ない朝目でせう」などゝ、そは/\と興奮したり、むやみに塞ぎこんだりして居るのを、見聞きしてゐた。 郎女は、生れてはじめて、「朝目よく」と謂つた語を、内容深く感じたのである。目の前に赤々と、丹塗《ニヌ》りに照り輝いて、朝日を反射して居るのは、寺の大門ではないか。さうして、門から、更に中門が見とほされて、此もおなじ丹塗りに、きらめいて居る。 山裾の勾配に建てられた堂・塔・伽藍は、更に奥深く、朱《アケ》に、青に、金色に、光りの棚雲を、幾重にもつみ重ねて見えた。朝目のすがしさは、其ばかりではなかつた。其|寂寞《セキバク》たる光りの海から、高く抽《ヌキ》でゝ見える二上の山。 淡海公《タンカイコウ》の孫、大織冠《タイシヨククワン》には曽孫。藤氏《トウシ》族長《ゾクチヤウ》太宰帥、南家《ナンケ》の豊成、其|第一嬢子《ダイイチヂヤウシ》なる姫である。屋敷から、一歩はおろか、女部屋を膝行《ヰザ》り出ることすら、たまさかにもせぬ、郎女《イラツメ》のことである。順道《ジユンタウ》ならば、今頃は既に、藤原の氏神河内の枚岡《ヒラヲカ》の御神《オンカミ》か、春日《カスガ》の御社《ミヤシロ》に、巫女《ミコ》の君《キミ》として仕へてゐるはずである。家に居ては、男を寄せず、耳に男の声も聞かず、男の目を避けて、仄暗い女部屋に起き臥《フ》しゝてゐる人である。世間の事は、何一つ聞き知りも、見知りもせぬやうに、おふしたてられて来た。 寺の浄域が、奈良の内外《ウチト》にも、幾つとあつて、横佩|墻内《カキツ》と讃《タタ》へられてゐる屋敷よりも、もつと広大なものだ、と聞いて居た。さうでなくても、経文の上に伝へた浄土の荘厳《シヤウゴン》をうつすその建て物の様は想像せぬではなかつた。だが目《マ》のあたり見る尊さは唯《タダ》息を呑むばかりであつた。之《コレ》に似た驚きの経験は曽て一度したことがあつた。姫は今|其《ソレ》を思ひ起して居る。簡素と豪奢《ガウシヤ》との違ひこそあれ、驚きの歓喜は、印象深く残つてゐる。 今の太上天皇様が、まだ宮廷の御あるじで居させられた頃、八歳《ハツサイ》の南家の郎女《イラツメ》は、童女《ワラハメ》として、初《ハツ》の殿上《テンジヤウ》をした。穆々《ボクボク》たる宮の内の明りは、ほのかな香気を含んで、流れて居た。昼すら真夜《マヨ》に等しい、御帳台《ミチヤウダイ》のあたりにも、尊いみ声は、昭々《セウセウ》と珠を揺る如く響いた。物わきまへもない筈の、八歳の童女が感泣した。 「南家には、惜しい子が、女になつて生れたことよ」と仰せられた、と言ふ畏れ多い風聞が、暫らく貴族たちの間に、くり返された。其後十二年、南家の娘は、二十《ハタチ》になつてゐた。幼いからの聡《サト》さにかはりはなくて、玉・水精《スヰシヤウ》の美しさが益々|加《クハハ》つて来たとの噂が、年一年と高まつて来る。 姫は、大門の閾《シキミ》を越えながら、童女《ワラハメ》殿上《テンジヤウ》の昔の畏《カシコ》さを、追想して居たのである。長い甃道《イシキミチ》を踏んで、中門に届く間にも、誰一人出あふ者がなかつた。恐れを知らず育てられた大貴族の郎女は、虔《ツツマ》しく併しのどかに、御堂々々を拝んで、岡の東塔に来たのである。 こゝからは、北大和の平野は見えぬ。見えたところで、郎女は、奈良の家を考へ浮べることも、しなかつたであらう。まして、家人たちが、神隠しに遭うた姫を、探しあぐんで居ようなどゝは、思ひもよらなかつたのである。唯うつとりと、塔の下《モト》から近々と仰ぐ、二上山の山肌に、現《ウツ》し世《ヨ》の目からは見えぬ姿を惟《オモ》ひ観《ミ》ようとして居るのであらう。 此時分になつて、寺では、人の動きが繁くなり出した。晨朝《ジンテウ》の勤めの間も、うと/\して居た僧たちは、爽《サワ》やかな朝の眼を睜《ミヒラ》いて、食堂《ジキダウ》へ降りて行つた。奴婢《ヌヒ》は、其々《ソレソレ》もち場持ち場の掃除を励む為に、ようべの雨に洗つたやうになつた、境内の沙地《スナヂ》に出て来た。 [#ここから2字下げ] そこにござるのは、どなたぞな。 [#ここで字下げ終わり] 岡の陰から、恐る/\頭をさし出して問うた一人の寺奴《ヤツコ》は、あるべからざる事を見た様に、自分自身を咎《トガ》めるやうな声をかけた。女人の身として、這入《ハヒ》ることの出来ぬ結界を犯してゐたのだつた。姫は答へよう、とはせなかつた。又答へようとしても、かう言ふ時に使ふ語には、馴れて居らぬ人であつた。 若《モ》し又、適当な語を知つて居たにしたところで、今はそんな事に、考へを紊《ミダ》されては、ならぬ時だつたのである。 姫は唯、山を見てゐた。依然として山の底に、ある俤を観じ入つてゐるのである。寺奴《ヤツコ》は、二|言《コト》とは問ひかけなかつた。一晩のさすらひでやつれては居ても、服装から見てすぐ、どうした身分の人か位の判断は、つかぬ筈はなかつた。又暫らくして、四五人の跫音《アシオト》が、びた/″\と岡へ上つて来た。年のいつたのや、若い僧たちが、ばら/″\と走つて、塔のやらひの外まで来た。 [#ここから2字下げ] こゝまで出て御座れ。そこは、男でも這入るところではない。女人《ニヨニン》は、とつとゝ出てお行きなされ。 [#ここで字下げ終わり] 姫は、やつと気がついた。さうして、人とあらそはぬ癖をつけられた貴族の家の子は、重い足を引きながら、竹垣の傍まで来た。 [#ここから2字下げ] 見れば、奈良のお方さうなが、どうして、そんな処にいらつしやる。 それに又、どうして、こゝまでお出でだつた。伴の人も連れずに――。 [#ここで字下げ終わり] 口々に問うた。男たちは、咎める口とは別に、心はめい/\、貴い女性をいたはる気持ちになつて居た。 [#ここから2字下げ] 山ををがみに……。 [#ここで字下げ終わり] まことに唯|一詞《ヒトコト》。当《タウ》の姫すら思ひ設けなんだ詞《コトバ》が、匂ふが如く出た。貴族の家庭の語と、凡下《ボンゲ》の家々の語とは、すつかり変つて居た。だから言ひ方も、感じ方も、其《ソノ》うえ、語《コトバ》其ものさへ、郎女の語が、そつくり寺の所化輩《シヨケハイ》には、通じよう筈がなかつた。 でも、其でよかつたのである。其でなくて、語の内容が、其まゝ受けとられようものなら、南家の姫は、即座に気のふれた女、と思はれてしまつたであらう。 [#ここから2字下げ] それで、御館《ミタチ》はどこぞな。 みたち……。 おうちは……。 おうち……。 おやかたは、と問ふのだよ――。 をゝ。家はとや。右京藤原南家……。 [#ここで字下げ終わり] 俄然として、群集の上にざはめきが起つた。四五人だつたのが、あとから後から登つて来た僧たちも加つて、二十人以上にもなつて居た。其が、口々に喋り出したものである。 ようべの嵐に、まだ残りがあつたと見えて、日の明るく照つて居る此|小昼《コビル》に、又風が、ざはつき出した。この岡の崎にも、見おろす谷にも、其から二上山へかけての尾根《ヲネ》々々にも、ちらほら白く見えて、花の木がゆすれて居る。山の此方《コナタ》にも小桜の花が、咲き出したのである。 此時分になつて、奈良の家では、誰となく、こんな事を考へはじめてゐた。此はきつと、里方の女たちのよく[#「よく」に傍点]する、春の野遊びに出られたのだ。――何時《イツ》からとも知らぬ、習《ナラハ》しである。春秋の、日と夜と平分《ヘイブン》する其頂上に当る日は、一日、日の影を逐《オ》うて歩く風が行はれて居た。どこまでもどこまでも、野の果て、山の末、海の渚《ナギサ》まで、日を送つて行く女衆が多かつた。さうして、夜に入つてくた/\になつて、家路を戻る。此《コノ》為来《シキタ》りを何時となく、女たちの咄《ハナ》すのを聞いて、姫が、女の行《ギヤウ》として、この野遊びをする気になられたのだ、と思つたのである。かう言ふ、考へに落ちつくと、ありやうもない考へだと訣《ワカ》つて居ても、皆の心が一時、ほうと軽くなつた。 ところが、其日も昼さがりになり、段々|夕光《ユフカゲ》の、催して来る時刻が来た。昨日は、駄目になつた日の入りの景色が、今日は中日《チユウニチ》にも劣るまいと思はれる華やかさで輝いた。横佩家の人々の心は、再《フタタビ》重くなつて居た。 [#6字下げ]八[#「八」は中見出し] 奈良の都には、まだ時をり、石城《シキ》と謂はれた石垣を残して居る家の、見かけられた頃である。度々の太政官符《ダイジヤウグワンプ》で、其を家の周《マハ》りに造ることが、禁ぜられて来た。今では、宮廷より外には、石城《シキ》を完全にとり廻した豪族の家などは、よく/\の地方でない限りは、見つからなくなつて居る筈なのである。 其に一つは、宮廷の御在所が、御一代々々々に替つて居た千数百年の歴史の後に、飛鳥《アスカ》の都は、宮殿の位置こそ、数町の間をあちこちせられたが、おなじ山河一帯の内にあつた。其で凡《オヨソ》、都遷しのなかつた形になつたので、後《アト》から/\地割りが出来て、相応な都城《トジヤウ》の姿は備へて行つた。其数朝の間に、旧族の屋敷は、段々、家構へが整うて来た。 葛城に、元のまゝの家を持つて居て、都と共に一代ぎりの、屋敷を構へて居た蘇我臣《ソガノオミ》なども、飛鳥の都では、次第に家作りを拡げて行つて、石城《シキ》なども高く、幾重にもとり廻して、凡《オヨソ》永久の館作りをした。其とおなじ様な気持ちから、どの氏でも、大なり小なり、さうした石城《シキ》づくりの屋敷を構へるやうになつて行つた。 蘇我臣|一流《ヒトナガ》れで最《モツトモ》栄えた島の大臣家《オトドケ》の亡びた時分から、石城《シキ》の構へは禁《ト》められ出した。 この国のはじまり、天から授けられたと言ふ、宮廷に伝はる神の御詞《ミコトバ》に背く者は、今もなかつた。が、書いた物の力は、其が、どのやうに由緒のあるものでも、其ほどの威力を感じるに到らぬ時代が、まだ続いて居た。 其飛鳥の都も、高天原広野姫尊様《タカマノハラヒロヌヒメノミコトサマ》の思召しで、其から一里北の藤井个原に遷され、藤原の都と名を替へて、新しい唐様《モロコシヤウ》の端正《キラキラ》しさを尽した宮殿が、建ち並ぶ様になつた。近い飛鳥から、新渡来《イマキ》の高麗馬《コマ》に跨つて、馬上で通ふ風流士《タハレヲ》もあるにはあつたが、多くはやはり、鷺栖《サギス》の阪の北、香具山の麓から西へ、新しく地割りせられた京城《ケイジヤウ》の坊々《マチマチ》に屋敷を構へ、家造りをした。その次の御代になつても、藤原の都は、日に益《マ》し、宮殿が建て増されて行つて、こゝを永宮《トコミヤ》と遊ばす思召しが、伺はれた。その安堵の心から、家々の外《ソト》には、石城を廻すものが、又ぼつ/″\出て来た。さうして、そのはやり風俗が、見る/\うちに、また氏々の族長の家囲ひを、あらかた石にしてしまつた。その頃になつて、天真宗豊祖父尊様《アメマムネトヨオホヂノミコトサマ》がおかくれになり、御母《ミオヤ》 日本根子天津御代豊国成姫《ヤマトネコアマツミヨトヨクニナスヒメ》の大尊様《オホミコトサマ》がお立ち遊ばした。その四年目思ひもかけず、奈良の都に宮遷しがあつた。ところがまるで、追つかけるやうに、藤原の宮は固より、目ぬきの家並みが、不意の出火で、其こそ、あつと言ふ間に、痕形もなく、空《ソラ》の有《モノ》となつてしまつた。もう此頃になると、太政官符《ダイジヤウグワンプ》に、更に厳《キビ》しい添書《コトワキ》がついて出ずとも、氏々の人は皆、目の前のすばやい人事自然の交錯した転変《テンペン》に、目を瞠《ミハ》るばかりであつたので、久しい石城《シキ》の問題も、其で、解決がついて行つた。 古い氏種姓《ウヂスジヤウ》を言ひ立てゝ、神代以来の家職の神聖を誇つた者どもは、其家職自身が、新しい藤原奈良の都には、次第に意味を失つて来てゐる事に、気がついて居なかつた。 最《モツトモ》早くそこに心づいた、姫の祖父淡海公《タンカイコウ》などは、古き神秘を誇つて来た家職を、末代まで伝へる為に、別に家を立てゝ中臣の名を保たうとした。さうして、自分・子供ら・孫たちと言ふ風に、いちはやく、新しい官人《ツカサビト》の生活に入り立つて行つた。 ことし、四十を二つ三つ越えたばかりの大伴家持《オホトモノヤカモチ》は、父|旅人《タビト》の其年頃よりは、もつと優れた男ぶりであつた。併し、世の中はもう、すつかり変つて居た。見るもの障《サハ》るもの、彼の心を苛《イラ》つかせる種にならぬものはなかつた。淡海公の、小百年前に実行して居る事に、今はじめて自分の心づいた鈍《オゾ》ましさが、憤らずに居られなかつた。さうして、自分とおなじ風の性向の人の成り行きを、まざ/″\省みて、慄然とした。現に、時に誇る藤原びとでも、まだ昔風の夢に泥《ナヅ》んで居た南家の横佩右大臣は、さきをとゝし、太宰[#(ノ)]|員外帥《ヰングワイノソツ》に貶《オト》されて、都を離れた。さうして今は、難波で謹慎してゐるではないか。自分の親旅人も、三十年前に踏んだ道である。 世間の氏上家《ウヂノカミケ》の主人《アルジ》は、大方もう、石城《シキ》など築《キヅ》き廻《マハ》して、大門小門を繋ぐと謂つた要害と、装飾とに、興味を失ひかけて居るのに、何とした自分だ。おれはまだ現に、出来るなら、宮廷のお目こぼしを頂いて、石に囲はれた家の中で、家の子どもを集め、氏人《ウヂビト》たちを召《ヨ》びつどへて、弓場《ユバ》に精励させ、棒術《ホコユケ》・大刀かき[#「大刀かき」に傍点]に出精《シユツセイ》させよう、と謂つたことを空想して居る。さうして年々《トシドシ》頻繁に、氏神|其外《ソノホカ》の神々を祭つてゐる。其度毎《ソノタビゴト》に、家の語部《カタリベ》大伴[#(ノ)]語《カタリ》[#(ノ)]造《ミヤツコ》の嫗《オムナ》たちを呼んで、之《コレ》に捉《ツカマ》へ処《ドコロ》もない昔代《ムカシヨ》の物語りをさせて、氏人《ウヂビト》に傾聴を強《シ》ひて居る。何だか、空《クウ》な事に力を入れて居たやうに思へてならぬ寂しさだ。 だが、其氏神祭りや、祭りの後宴《ゴエン》に、大勢《オホゼイ》の氏人《ウヂビト》の集ることは、とりわけやかましく言はれて来た、三四年以来の法度《ハツト》である。 こんな溜め息を洩しながら、大伴氏の旧《フル》い習しを守つて、どこまでも、宮廷守護の為の武道の伝襲に、努める外はない家持だつたのである。 越中守《ヱツチユウノカミ》として踏み歩いた越路《コシヂ》の泥のかたが、まだ行縢《ムカバキ》から落ちきらぬ内に、もう復《マタ》、都を離れなければならぬ時の、迫つて居るやうな気がして居た。其中《ソノウチ》、此針の筵《ムシロ》の上で、兵部少輔《ヒヤウブセフ》から、大輔《タイフ》に昇進した。そのことすら、益々脅迫感を強める方にばかりはたらいた。 今年五月にもなれば、東大寺の四天王像の開眼《カイゲン》が行はれる筈で、奈良の都の貴族たちには、すでに寺から内見を願つて来て居た。さうして、忙しい世の中にも、暫らくはその評判が、すべてのいざこざをおし鎮める程に、人の心を浮き立たした。本朝《ホンテウ》出来の像としてはまづ、此程物凄い天部《テンブ》の姿を拝んだことは、はじめてだ、と言ふものもあつた。神代の荒神《アラガミ》たちも、こんな形相《ギヤウサウ》でおありだつたらう、と言ふ噂も聞かれた。 まだ公《オホヤケ》の供養もすまぬのに、人の口はうるさいほど、頻繁に流説をふり撒《マ》いてゐた。あの多聞天と、広目天との顔つきに、思ひ当るものがないか、と言ふのであつた。此はこゝだけの咄《ハナシ》だよ、と言つて話したのが、次第に広まつて、家持の耳までも聞えて来た。なるほど、憤怒《フンヌ》の相《サウ》もすさまじいにはすさまじいが、あれがどうも、当今|大倭《ヤマト》一だと言はれる男たちの顔、そのまゝだと言ふのである。貴人は言はぬ、かう言ふ種類の噂は、えて[#「えて」に傍点]供をして見て来た道々《ミチミチ》の博士《ハカセ》たちと謂つた、心|蔑《サモ》しいものゝ、言ひさうな事である。 多聞天は、大師《タイシ》藤原[#(ノ)]恵美中卿《ヱミチユウケイ》だ。あの柔和な、五十を越してもまだ、三十代の美しさを失はぬあの方が、近頃おこりつぽくなつて、よく下官や、仕《ツカ》へ人《ビト》を叱るやうになつた。あの円満《ウマ》し人《ビト》が、どうしてこんな顔つきになるだらう、と思はれる表情をすることがある。其|面《オモ》もちそつくりだ、と尤《モツトモ》らしい言ひ分なのである。 さう言へば、あの方が壮盛《ワカザカ》りに、棒術《ホコユケ》を嗜《コノ》んで、今にも事あれかしと謂つた顔で、立派な甲《ヨロヒ》をつけて、のつし/\と長い物を杖《ツ》いて歩かれたお姿が、あれを見てゐて、ちらつくやうだなど、と相槌《アヒヅチ》をうつ者も出て来た。 其では、広目天の方はと言ふと、 [#ここから2字下げ] さあ、其がの――。 [#ここで字下げ終わり] と誰に言はせても、ちよつと言い渋るやうに、困つた顔をして見せる。 [#ここから2字下げ] 実は、ほんの人の噂だがの。噂だから、保証は出来ぬがの。義淵僧正の弟子の道鏡法師に、似てるぞなと言ふがや。……けど、他人《ヒト》に言はせると、――あれはもう、二十幾年にもなるかいや――筑紫で伐《ウ》たれなされた前太宰少弐《ゼンダザイノセウニ》―藤原広嗣―の殿《トノ》に生写《シヤウウツ》しぢや、とも言ふがいよ。 わしには、どちらとも言へんがの。どうでも、見たことのあるお人に似て居さつしやるには、似てゐさつしやるげなが……。 [#ここで字下げ終わり] 何しろ、此二つの天部《テンブ》が、互に敵視するやうな目つきで、睨《ニラ》みあつて居る。噂を気にした住侶たちが、色々に置き替へて見たが、どの隅からでも、互に相手の姿を、眦《マナジリ》を裂いて見つめて居る。とう/\あきらめて、自然にとり沙汰の消えるのを待つより為方がない、と思ふやうになつたと言ふ。 [#ここから2字下げ] 若《モ》しや、天下に大乱でも起らなければえゝが――。 [#ここで字下げ終わり] こんな咡《ササヤ》きは、何時《イツ》までも続きさうに、時と共に倦まずに語られた。 [#ここから2字下げ] 前《ゼン》少弐殿でなくて、弓削新発意《ユゲシンボチ》の方であつてくれゝば、いつそ安心だがなあ。あれなら、事を起しさうな房主《バウズ》でもなし。起したくても、起せる身分でもないぢやまで――。 [#ここで字下げ終わり] 言ひたい傍題《ハウダイ》な事を言つて居る人々も、たつた此一つの話題を持ちあぐね初めた頃、噂の中の大師|恵美朝臣《ヱミノアソン》の姪《メヒ》の横佩家の郎女《イラツメ》が、神隠しに遭うたと言ふ、人の口の端に、旋風《ツジカゼ》を起すやうな事件が、湧き上つたのである。 [#6字下げ]九[#「九」は中見出し] 兵部大輔《ヒヤウブタイフ》大伴[#(ノ)]家持は、偶然この噂を、極めて早く耳にした。ちようど、春分《シユンブン》から二日目の朝、朱雀大路を南へ、馬をやつて居た。二人ばかりの資人《トネリ》が徒歩《カチ》で、驚くほどに足早について行く。此《コレ》は、晋唐の新しい文学の影響を、受け過ぎるほど享《ウ》け入れた文人かたぎの彼には、数年来珍しくもなくなつた癖である。かうして、何処《ドコ》まで行くのだらう。唯、朱雀の並み木の柳の花がほゝけて、霞のやうに飛んで居る。向うには、低い山と、細長い野が、のどかに陽炎《カゲロ》ふばかりである。 資人《トネリ》の一人が、とつと[#「とつと」に傍点]ゝ追ひついて来たと思ふと、主人の鞍《クラ》に顔をおしつける様にして、新しい耳を聞かした。今行きすがうた知り人の口から、聞いたばかりの噂である。 [#ここから2字下げ] それで、何か――。娘御の行くへは知れた、と言ふのか。 はい……。いゝえ。何分、その男がとり急いで居りまして。 この間抜け。話はもつと上手に聴くものだ。 [#ここで字下げ終わり] 柔らかく叱つた。そこへ今《モ》一人の伴《トモ》が、追ひついて来た。息をきらしてゐる。 [#ここから2字下げ] ふん。汝《ワケ》は聞き出したね。南家《ナンケ》の嬢子《ヲトメ》は、どうなつた――。 [#ここで字下げ終わり] 出端《デハナ》に油かけられた資人《トネリ》は、表情に隠さず心の中を表した此頃の人の、自由な咄《ハナ》し方で、まともに鼻を蠢《ウゴメカ》して語つた。 当麻の邑《ムラ》まで、をとゝひ夜《ヨ》の中に行つて居たこと、寺からは、昨日午後横佩|墻内《カキツ》へ知らせが届いたこと其外《ソノホカ》には、何も聞きこむ間のなかつたことまで。家持の聯想は、環のやうに繋つて、暫らくは馬の上から見る、街路も、人通りも、唯、物として通り過ぎるだけであつた。 南家で持つて居た藤原の氏上《ウヂノカミ》職が、兄の家から、弟仲麻呂―押勝―の方へ移らうとしてゐる。来年か、再来年《サライネン》の枚岡《ヒラヲカ》祭りに、参向する氏人の長者は、自然かの大師のほか、人がなくなつて居る。恵美家《エミケ》からは、嫡子|久須麻呂《クスマロ》の為、自分の家の第一嬢子をくれとせがまれて居る。先日も、久須麻呂の名の歌が届き、自分の方でも、娘に代つて返し歌を作つて遣した。今朝《ケサ》も今朝、又折り返して、男からの懸想文《ケサウブミ》が、来てゐた。 その壻候補《ムコガネ》の父なる人は、五十になつても、若かつた頃の容色に頼む心が失せずにゐて、兄の家娘にも執心は持つて居るが、如何《イカ》に何でも、あの郎女だけには、とり次げないで居る。此は、横佩家へも出入りし、大伴家へも初中終《シヨツチユウ》来る古刀自《フルトジ》の、人のわるい内証話であつた。其を聞いて後、家持自身も、何だか好奇心に似たものが、どうかすると頭を擡《モタ》げて来て困つた。仲麻呂は今年、五十を出てゐる。其から見れば、ひとまはりも若いおれなどは、思ひ出にまう一度、此|匂《ニホヒ》やかな貌花《カホバナ》を、垣内《カキツ》の坪苑《ツボ》に移せぬ限りはない。こんな当時の男が、皆持つた心をどり[#「心をどり」に傍点]に、はなやいだ、明るい気がした。 だが併し、あの郎女は、藤原四家の系統《スヂ》で一番、神《カム》さびたたち[#「たち」に傍点]を持つて生れた、と謂はれる娘御である。今、枚岡《ヒラヲカ》の御神《オンカミ》に仕へて居る斎《イツ》き姫《ヒメ》の罷《ヤ》める時が来ると、あの嬢子《ヲトメ》が替つて立つ筈だ。其で、貴い所からのお召しにも応じかねて居るのだ。……結局、誰も彼も、あきらめねばならぬ時が来るのだ。神の物は、神の物――。横佩家の娘御は、神の手に落ちつくのだらう。 ほのかな感傷が、家持の心を浄めて過ぎた。おれは、どうもあきらめが、よ過ぎる。十《トヲ》を出たばかりの幼さで、母は死に、父は疾《ヤ》んで居る太宰府へ降つて、夙《ハヤ》くから、海の彼方《アナタ》の作り物語りや、唐詩《モロコシウタ》のをかしさを知り初《ソ》めたのが、病みつきになつたのだ。死んだ父も、さうした物は、或《アルヒ》は、おれよりも嗜《ス》きだつたかも知れぬほどだが、もつと物に執著《シフヂヤク》が深かつた。現に、大伴の家の行く末の事なども、父はあれまで、心を悩まして居た。おれも考へれば、たまらなくなつて来る。其で、氏人を集めて喩《サト》したり、歌を作つて訓諭して見たりする。だがさうした後の気持ちの爽やかさは、どうしたことだ。洗ひ去つた様に、心が、すつとしてしまふのだつた。まるで、初めから家の事など考へて居なかつた、とおなじすが/″\しい心になつてしまふ。 あきらめと言ふ事を、知らなかつた人ばかりではないか。……昔物語りに語られる神でも、人でも、傑《スグ》れた、と伝へられる限りの方々は――。それに、おれはどうしてかうだろう。 家持の心は併し、こんなに悔恨に似た心持ちに沈んで居るに繋らず、段々気にかゝるものが、薄らぎ出して来てゐる。 [#ここから2字下げ] ほう これは、京極《キヤウハテ》まで来た。 [#ここで字下げ終わり] 朱雀|大路《オホヂ》も、こゝまで来ると、縦横に通る地割りの太い路筋ばかりが、白々として居て、どの区画にも区画にも、家は建つて居ない。去年の草の立ち枯れたのと、今年生えて稍《ヤヤ》茎を立て初めたのとがまじりあつて、屋敷地から喰《ハ》み出し、道の上までも延びて居る。 [#ここから2字下げ] こんな家が――。 [#ここで字下げ終わり] 驚いたことは、そんな草原の中に、唯一つ大きな構への家が、建ちかゝつて居る。遅い朝を、もう余程、今日の為事に這入つたらしい木の道[#「木の道」に傍点]の者たちが、骨組みばかりの家の中で、立ちはたらいて居るのが見える。家の建たぬ前に、既に屋敷廻りの地形《ヂギヤウ》が出来て、見た目にもさつぱりと、垣をとり廻して居る。 土を積んで、石に代へた垣、此頃言ひ出した築土垣《ツキヒヂガキ》といふのは、此だな、と思つて、ぢつと目をつけて居た。見る/\、さうした新しい好尚《コノミ》のおもしろさが、家持の心を奪うてしまつた。 築土垣《ツキヒヂガキ》の処々に、きりあけた口があつて、其に、門が出来て居た。さうして、其処から、頻りに人が繋《ツナガ》つては出て来て、石を曳く。木を搬《モ》つ。土を搬び入れる。重苦しい石城《シキ》。懐しい昔構へ。今も、家持のなくなしたくなく考へてゐる屋敷廻りの石垣が、思うてもたまらぬ重圧となつて、彼の胸に、もたれかゝつて来るのを感じた。 [#ここから2字下げ] おれには、だが、この築土垣を択《ト》ることが出来ぬ。 [#ここで字下げ終わり] 家持の乗馬《ジヨウメ》は再《フタタビ》、憂鬱に閉された主人を背に、引き返して、五条まで上つて来た。此辺から、右京の方へ折れこんで、坊角《マチカド》を廻りくねりして行く様子は、此主人に馴れた資人《トネリ》たちにも、胸の測られぬ気を起させた。二人は、時々顔を見合せ、目くばせをしながら尚《ナホ》、了解が出来ぬ、と言ふやうな表情を交《カハ》しかはし、馬の後を走つて行く。 [#ここから2字下げ] こんなにも、変つて居たのかねえ。 [#ここで字下げ終わり] ある坊角《マチカド》に来た時、馬をぴたと止めて、独り言のやうに言つた。 [#ここから2字下げ] ……旧草《フルクサ》に 新草《ニヒクサ》まじり、生《オ》ひば 生ふるかに――だな。 [#ここで字下げ終わり] 近頃見つけた歌儛所《カブシヨ》の古記録「東歌《アヅマウタ》」の中に見た一首がふと、此時、彼の言ひたい気持ちを、代作して居てくれてゐたやうに、思ひ出された。 [#ここから2字下げ] さうだ。「おもしろき野《ヌ》をば 勿《ナ》焼きそ」だ。此でよいのだ。 [#ここで字下げ終わり] けゞんな顔を仰《アフム》けてゐる伴人《トモビト》らに、柔和な笑顔を向けた。 [#ここから2字下げ] さうは思はぬか。立ち朽《グサ》りになつた家の間に、どし/″\新しい屋敷が出来て行く。都は何時《イツ》までも、家は建て詰まぬが、其《ソレ》でもどちらかと謂へば、減るよりも殖《フ》 えて行つてゐる。此辺は以前、今頃になると、蛙めの、あやまりたい程鳴く田の原が、続いてたもんだ。 仰《オツシヤ》るとほりで御座ります。春は蛙、夏はくちなは、秋は蝗《イナゴ》まろ。此辺はとても、歩けたところでは、御座りませんでした。 [#ここで字下げ終わり] 今一人が言ふ。 [#ここから2字下げ] 建つ家もたつ家も、この立派さは、まあどうで御座りませう。其に、どれも此も、此頃急にはやり出した築土垣《ツキヒヂガキ》を築《キヅ》きまはしまして。何やら、以前とはすつかり変つた処に、参つた気が致します。 [#ここで字下げ終わり] 馬上の主人も、今まで其《ソレ》ばかり考へて居た所であつた。だが彼の心は、瞬間明るくなつて、先年|三形王《ミカタノオホキミ》の御殿での宴《ウタゲ》に誦《クチズサ》んだ即興が、その時よりも、今はつきりと内容を持つて、心に浮んで来た。 [#ここから2字下げ] うつり行く時見る毎に、心|疼《イタ》く 昔の人し 思ほゆるかも [#ここで字下げ終わり] 目をあげると、東の方春日《カスガ》の杜《モリ》は、谷陰になつて、こゝからは見えぬが、御蓋《ミカサ》山・高円《タカマド》山一帯、頂が晴れて、すばらしい春日和《ハルビヨリ》になつて居た。 あきらめがさせるのどけさなのだ、とすぐ気がついた。でも、彼の心のふさぎのむし[#「ふさぎのむし」に傍点]は迹《アト》を潜めて、唯、まるで今歩いてゐるのが、大日本平城京《オホヤマトヘイセイケイ》の土ではなく、大唐《ダイタウ》長安の大道の様な錯覚の起つて来るのが押へきれなかつた。此馬がもつと、毛並みのよい純白の馬で、跨《マタガ》つて居る自身も亦、若々しい二十代の貴公子の気がして来る。神々から引きついで来た、重苦しい家の歴史だの、夥しい数の氏人などから、すつかり截《キ》り離されて、自由な空にかけつて居る自分でゞもあるやうな、豊かな心持ちが、暫らくは払つても/\、消えて行かなかつた。 おれは若くもなし。第一、海東の大日本人《オホヤマトビト》である。おれには、憂鬱な家職が、ひし/\と、肩のつまるほどかゝつて居るのだ。こんなことを考へて見ると、寂しくてはかない気もするが、すぐに其は、自身と関係のないことのやうに、心は饒《ニギ》はしく和らいで来て、為方《シカタ》がなかつた。 [#ここから2字下げ] をい、汝《ワケ》たち。大伴|氏上家《ウヂノカミケ》も、築土垣を引き廻さうかな。 とんでもないことを仰せられます。 [#ここで字下げ終わり] 二人の声が、おなじ感情から迸《ホトバシ》り出た。 年の増した方の資人《トネリ》が、切実な胸を告白するやうに言つた。 [#ここから2字下げ] 私どもは、御譜第では御座りません。でも、大伴と言ふお名は、御門《ミカド》御垣《ミカキ》と、関係深い称へだ、と承つて居ります。大伴家からして、門垣を今様にする事になつて御覧《ゴラウ》じませ。御一族の末々まで、あなた様をお呪《ノロ》ひ申し上げることでおざりませう。其どころでは、御座りません。第一、ほかの氏々――大伴家よりも、ぐんと歴史の新しい、人の世になつて初まつた家々の氏人までが、御一族を蔑《ナイガシロ》に致すことになりませう。 [#ここで字下げ終わり] こんな事を言はして置くと、折角澄みかゝつた心も、又曇つて来さうな気がする。家持は忙てゝ、資人の口を緘《ト》めた。 [#ここから2字下げ] うるさいぞ。誰に言ふ語だと思うて、言うて居るのだ。やめぬか。雑談《ジヤウダン》だ。雑談を真に受ける奴が、あるものか。 [#ここで字下げ終わり] 馬はやつぱり、しつと/\と、歩いて居た。築土垣 築土垣。又、築土垣。こんなに何時《イツ》の間に、家構へが替つて居たのだらう。家持は、なんだか、晩《オソ》かれ早かれ、ありさうな気のする次の都――どうやらかう、もつとおつぴらいた平野の中の新京城《シンケイジヤウ》にでも、来てゐるのでないかと言ふ気が、ふとしかゝつたのを、危く喰ひとめた。 築土垣 築土垣。もう、彼の心は動かなくなつた。唯、よいとする気持ちと、よくないと思はうとする意思との間に、気分だけが、あちらへ寄りこちらへよりしてゐるだけであつた。 何時《イツ》の間にか、平群《ヘグリ》の丘や、色々な塔を持つた京西《キヤウニシ》の寺々の見渡される、三条辺の町尻に来て居ることに気がついた。 [#ここから2字下げ] これは/\。まだこゝに、残つてゐたぞ。 [#ここで字下げ終わり] 珍しい発見をしたやうに、彼は馬から身を翻《カヘ》しておりた。二人の資人はすぐ、馳け寄つて手綱を控へた。 家持は、門と門との間に、細かい柵をし囲らし、目隠しに枳殻《カラタチバナ》の叢生《ヤフ》を作つた家の外構への一個処に、まだ石城《シキ》が可なり広く、人丈《ヒトタケ》にあまる程に築いてあるそばに、近寄つて行つた。 [#ここから2字下げ] 荒れては居るが、こゝは横佩墻内《ヨコハキカキツ》だ。 [#ここで字下げ終わり] さう言つて、暫らく息を詰めるやうにして、石垣の荒い面を見入つて居た。 [#ここから2字下げ] さうに御座ります。此|石城《シキ》からしてついた名の、横佩墻内だと申しますとかで、せめて一ところだけは、と強《シ》ひてとり毀《コボ》たないとか申します。何分、帥《ソツ》の殿のお都入りまでは、何としても、此儘《コノママ》で置くので御座りませう。さやうに、人が申し聞けました。はい。 [#ここで字下げ終わり] 何時《イツ》の間にか、三条七坊まで来てしまつてゐたのである。 おれは、こんな処へ来ようと言ふ考へはなかつたのに――。だが、やつぱり、おれにはまだ/″\、若い色好みの心が、失せないで居るぞ。何だか、自分で自分をなだめる様な、反省らしいものが出て来た。 [#ここから2字下げ] 其にしても、静か過ぎるではないか。 さやうで。で御座りますが、郎女のお行くへも知れ、乳母もそちらへ行つたとか、今も人が申しましたから、落ちついたので御座りませう。 [#ここで字下げ終わり] 詮索ずきさうな顔をした若い方が、口を出す。 [#ここから2字下げ] いえ。第一、こんな場合は、騒ぐといけません。騒ぎにつけこんで、悪い魂《タマ》や、霊《モノ》が、うよ/\とつめかけて来るもので御座ります。この御館《ミタチ》も、古いおところだけに、心得のある長老《オトナ》の一人や、二人は、難波へも下らずに、留守に居るので御座りませう。 もうよい/\。では戻らう。 [#ここで字下げ終わり] [#6字下げ]十[#「十」は中見出し] をとめの閨戸《ネヤド》をおとなふ風《フウ》は、何も、珍しげのない国中の為来《シキタ》りであつた。だが其にも、曽《カツ》てはさうした風の、一切行はれて居なかつたことを、主張する村々があつた。何時《イツ》のほどにか、さうした村が、他村の、別々に守つて来た風習と、その古い為来りとをふり替へることになつたのだ、と言ふ。かき上る段になれば、何の雑作《ザフサ》もない石城《シキ》だけれど、あれを大昔からとり廻して居た村と、さうでない村とがあつた。こんな風に、しかつめらしい説明をする宿老《トネ》たちが、どうかすると居た。多分やはり、語部《カタリベ》などの昔語りから、来た話なのであらう。踏み越えても這入《ハヒ》れ相《サウ》に見える石垣だが、大昔|交《カハ》された誓ひで、目に見えぬ鬼神《モノ》から、人間に到るまで、あれが形だけでもある限り、入りこまぬ事になつてゐる。こんな約束が、人と鬼《モノ》との間にあつて後、村々の人は、石城《シキ》の中に、ゆつたりと棲むことが出来る様になつた。さうでない村々では、何者でも、垣を躍り越えて這入つて来る。其は、別の何かの為方《シカタ》で、防ぐ外はなかつた。祭りの夜でなくても、村なかの男は何の憚りなく、垣を踏み越えて処女の蔀戸《シトミ》をほと/\と叩く。石城《シキ》を囲うた村には、そんなことは、一切なかつた。だから、美《クワ》し女《メ》の家に、奴隷《ヤツコ》になつて住みこんだ古《イニシヘ》の貴《アテ》びともあつた。娘の父にこき使はれて、三年五年、いつか処女に会はれよう、と忍び過した、身にしむ恋物語りもあるくらゐだ。石城《シキ》を掘り崩すのは、何処からでも鬼神《モノ》に入りこんで来い、と呼びかけるのと同じことだ。京の年よりにもあつたし、田舎の村々では、之《コレ》を言ひ立てに、ちつとでも、石城を残して置かうと争うた人々が、多かつたのである。 さう言ふ家々では、実例として恐しい証拠を挙げた。卅年も昔、――天平八年厳命が降つて、何事も命令のはか/″\しく行はれぬのは、朝臣《テウシン》が先《サキダ》つて行はぬからである。汝等《ミマシタチ》進んで、石城《シキ》を毀《コボ》つて、新京の時世装に叶《カナ》うた家作りに改めよと、仰せ下された。藤氏四流の如き、今に旧態を易《カ》へざるは、最《モツトモ》其《ソノ》位に在るを顧みざるものぞ、とお咎《トガ》めが降つた。此時一度、凡《スベテ》、石城《シキ》はとり毀《コボ》たれたのである。ところが、其と時を同じくして、疱瘡《モガサ》がはやり出した。越えて翌年、益々盛んになつて、四月北家を手初めに、京家・南家と、主人から、まづ此|時疫《ジエキ》に亡くなつて、八月にはとう/\、式家の宇合卿《ウマカヒキヤウ》まで仆《タフ》れた。家に、防ぐ筈の石城《シキ》が失せたからだと、天下中の人が騒いだ。其でまた、とり壊した家も、ぼつ/″\旧《モト》に戻したりしたことであつた。 こんなすさまじい事も、あつて過ぎた夢だ。けれどもまだ、まざ/″\と人の心に焼きついて離れぬ、現《ウツツ》の恐しさであつた。 其は其として、昔から家の娘を守つた邑々《ムラムラ》も、段々えたい[#「えたい」に傍点]の知れぬ村の風に感染《カマ》けて、忍び夫《ヅマ》の手に任せ傍題《ハウダイ》にしようとしてゐる。さうした求婚《ツマドヒ》の風を伝へなかつた氏々の間では、此は、忍び難い流行であつた。其でも男たちは、のどかな風俗を喜んで、何とも思はぬやうになつた。が、家庭の中では、母・妻・乳母《オモ》たちが、いまだにいきり立つて、さうした風儀になつて行く世間を、呪ひやめなかつた。 手近いところで言うても、大伴|宿禰《スクネ》にせよ。藤原|朝臣《アソン》にせよ。さう謂ふ妻どひ[#「妻どひ」に傍点]の式はなくて、数十代宮廷をめぐつて、仕へて来た邑々のあるじの家筋であつた。 でも何時《イツ》か、さうした氏々の間にも、妻迎への式には、 [#ここから2字下げ] 八千矛の神のみことは、とほ/″\し、高志《コシ》の国に、美《クハ》し女《メ》をありと聞かして、賢《サカ》し女《メ》をありと聞《キコ》して…… [#ここで字下げ終わり] から謡ひ起す神語歌《カミガタリウタ》を、語部に歌はせる風が、次第にひろまつて来るのを、防ぎとめることが出来なくなつて居た。 南家の郎女《イラツメ》にも、さう言ふ妻覓《ツママ》ぎ人が――いや人群《ヒトムレ》が、とりまいて居た。唯、あの型ばかり取り残された石城《シキ》の為に、何だか屋敷へ入ることが、物忌み――たぶう[#「たぶう」に傍点]――を犯すやうな危殆《ヒアヒ》な心持ちで、誰も彼も、柵まで又、門まで来ては、かいまみしてひき還すより上の勇気が、出ぬのであつた。 通《カヨ》はせ文《ブミ》をおこすだけが、せめてものてだて[#「てだて」に傍点]ゞ、其さへ無事に、姫の手に届いて、見られてゐると言ふ、自信を持つ人は、一人としてなかつた。事実、大抵、女部屋の老女《トジ》たちが、引つたくつて渡させなかつた。さうした文のとりつぎをする若人《ワカウド》―若女房―を呼びつけて、荒けなく叱つて居る事も、度々《タビタビ》見かけられた。 [#ここから2字下げ] 其方《オモト》は、この姫様こそ、藤原の氏神にお仕へ遊ばす、清らかな常処女《トコヲトメ》と申すのだ、と言ふことを知らぬのかえ。神の咎めを憚るがえゝ。宮から恐れ多いお召しがあつてすら、ふつ[#「ふつ」に傍点]においらへを申しあげぬのも、それ故だとは考へつかぬげな。やくたい者。とつとゝ失せたがよい。そんな文とりついだ手を、率《イザ》川の一の瀬で浄めて来くさらう。罰《バチ》知らずが……。 [#ここで字下げ終わり] こんな風に、わなり[#「わなり」に傍点]つけられた者は、併し、二人や三人ではなかつた。横佩家の女部屋に住んだり、通うたりしてゐる若人は、一人残らず一度は、経験したことだと謂つても、うそ[#「うそ」に傍点]ではなかつた。 だが、郎女は、つひに[#「つひに」に傍点]一度そんな事のあつた様子も、知らされずに来た。 [#ここから2字下げ] 上つ方の郎女《イラツメ》が、才《ザエ》をお習ひ遊ばすと言ふことが御座りませうか。それは近代《チカツヨ》、ずつと下《シモ》ざまのをなご[#「をなご」に傍点]の致すことゝ承ります。父君がどう仰《オツシヤ》らうとも、父御《テテゴ》様のお話は御一代。お家の習しは、神さまの御意趣《オムネ》、とお思ひつかはされませ。 [#ここで字下げ終わり] 氏の掟の前には、氏上《ウヂノカミ》たる人の考へをすら、否みとほす事もある姥たちであつた。 其老女たちすら、郎女の天稟《テンピン》には、舌を捲きはじめて居た。 [#ここから2字下げ] もう、自身たちの教へることもなうなつた。 [#ここで字下げ終わり] かう思ひ出したのは、数年も前からである。内に居る、身狭乳母《ムサノチオモ》・桃花鳥野乳母《ツキヌノママ》・波田坂上刀自《ハタノサカノヘノトジ》、皆|故知《ユヱシ》らぬ喜びの不安から、歎息し続けてゐた。時々伺ひに出る中臣志斐嫗《ナカトミノシヒノオムナ》・三上水凝刀自女《ミカミノミヅゴリノトジメ》なども、来る毎、目を見合せて、ほうつとした顔をする。どうしよう、と相談するやうな人たちではない。皆無言で、自分等の力の及ばぬ所まで来た、姫の魂の成長にあきれて、目をみはるばかりなのだ。 [#ここから2字下げ] 才《ザエ》を習ふなと言ふなら、まだ聞きも知らぬこと、教へて賜《タモ》れ。 [#ここで字下げ終わり] 素直な郎女の求めも、姥たちにとつては、骨を刺しとほされるやうな痛さであつた。 [#ここから2字下げ] 何を仰せられまする。以前から、何一つお教へなど申したことがおざりませうか。目下《メシタ》の者が、目上のお方さまに、お教へ申すと言ふやうな考へは、神様がお聞き届けになりません。教へる者は目上、ならふ者は目下、と此《コレ》が、神の代からの掟でおざりまする。 [#ここで字下げ終わり] 志斐[#(ノ)]嫗《オムナ》の負け色を救ふ為に、身狭乳母《ムサノチオモ》も口を揷《サシハサ》む。 [#ここから2字下げ] 唯知つた事を申し上げるだけ。其を聞きながら、御心がお育ち遊ばす。さう思うて、姥たちも、覚えたゞけの事は、郎女様のみ魂《タマ》を揺《イブ》る様にして、歌ひもし、語りもして参りました。教へたなど仰《オツシヤ》つては私めらが、罰《バチ》を蒙らねばなりません。 [#ここで字下げ終わり] こんな事をくり返して居る間に、刀自たちにも、自分らの恃《タノ》む知識に対する、単純な自覚が出て来た。此は一層、郎女の望むまゝに、才《ザエ》を習《ナラハ》した方が、よいのではないか、と言ふ気が、段々して来たのである。 まことに其為には、ゆくりない事が、幾重にも重《カサナ》つて起つた。姫の帳台の後から、遠くに居る父の心尽しだつたと見えて、二巻の女手《ヲンナデ》の写経らしい物が出て来た。姫にとつては、肉縁はないが、曽祖母《ヒオホバ》にも当る橘夫人の法華経《ホケキヤウ》、又其|御胎《オハラ》にいらせられる――筋から申せば、大叔母|御《ゴ》にもお当り遊ばす、今の皇太后様の楽毅論《ガクキロン》。此二つの巻物が、美しい装ひで、棚を架《カ》いた上に載せてあつた。 横佩大納言と謂はれた頃から、父は此二部を、自分の魂のやうに大事にして居た。ちよつと出る旅にも、大きやかな箱に納めて、一人分の資人《トネリ》の荷として、持たせて行つたものである。其魂の書物を、姫の守りに留めておきながら、誰にも言はずにゐたのである。さすがに我強《ガヅヨ》い刀自たちも、此見覚えのある、美しい箱が出て来た時には、暫らく撲《ウ》たれたやうに、顔を見合せて居た。さうして後《ノチ》、後《アト》で恥しからうことも忘れて、皆声をあげて泣いたものであつた。 郎女は、父の心入れを聞いた。姥たちの見る目には、併《シカ》し予期したやうな興奮は、認められなかつた。唯|一途《イチヅ》に素直に、心の底の美しさが匂ひ出たやうに、静かな、美しい眼で、人々の感激する様子を、驚いたやうに見まはして居た。 其からは、此二つの女手《ヲンナデ》の「本《ホン》」を、一心に習ひとほした。偶然は友を誘《ヒ》くものであつた。一月も立たぬ中《ウチ》の事である。早く、此都に移つて居た飛鳥寺《アスカデラ》―元興寺《グワンコウジ》―から巻数《クワンズ》が届けられた。其には、難波《ナニハ》にある帥の殿の立願《リフグワン》によつて、仏前に読誦した経文の名目が、書き列ねてあつた。其に添へて、一巻の縁起文が、此御館へ届けられたのである。 父藤原豊成朝臣、亡父贈太政大臣七年の忌みに当る日に志を発《オコ》して、書き綴つた「仏本伝来記」を、其後二年立つて、元興寺《グワンコウジ》へ納めた。飛鳥以来、藤原氏とも関係の深かつた寺なり、本尊なのである。あらゆる念願と、報謝の心を籠めたもの、と言ふことは察せられる。其一巻が、どう言ふ訣《ワケ》か、二十年もたつてゆくりなく、横佩家へ戻つて来たのである。 郎女の手に、此巻が渡つた時、姫は端近く膝行《ヰザ》り出て、元興寺の方を礼拝した。其後で、 [#ここから2字下げ] 難波とやらは、どちらに当るかえ。 [#ここで字下げ終わり] と尋ねて、示す方角へ、活き/\した顔を向けた。其目からは、珠数の珠の水精《スヰシヤウ》のやうな涙が、こぼれ出てゐた。 其からと言ふものは、来る日もくる日も、此元興寺の縁起文を手写した。内典・外典其上に又、大日本《オホヤマト》びとなる父の書いた文《モン》。指から腕、腕から胸、胸から又心へ、沁み/″\と深く、魂を育てる智慧《チヱ》の這入つて行くのを、覚えたのである。 大日本日高見《オホヤマトヒタカミ》の国。国々に伝はるありとある歌諺《ウタコトワザ》、又|其旧辞《ソノモトツゴト》。第一には、中臣の氏の神語り。藤原の家の古物語り。多くの語り詞《ゴト》を、絶えては考へ継ぐ如く、語り進んでは途切れ勝ちに、呪々《ノロノロ》しく、くね/\しく、独《ヒト》り語《ガタ》りする語部や、乳母《オモ》や、嚼母《ママ》たちの唱へる詞が、今更めいて、寂しく胸に蘇つて来る。 [#ここから2字下げ] をゝ、あれだけの習しを覚える、たゞ其だけで、此世に生きながらへて行かねばならぬみづから[#「みづから」に傍点]であつた。 [#ここで字下げ終わり] 父に感謝し、次には、尊い大叔母《オホヲバ》君、其から見ぬ世の曽祖母《オホオバ》の尊に、何とお礼申してよいか、量り知れぬものが、心にたぐり上げて来る。だが[#「だが」に傍点]まづ、父よりも誰よりも、御礼申すべきは、み仏である。この珍貴《ウヅ》の感覚《サトリ》を授け給ふ、限り知られぬ愛《メグ》みに充《ミ》ちたよき人[#「よき人」に傍点]が、此世界の外に、居られたのである。郎女は、塗香《ヅカウ》をとり寄せて、まづ髪に塗り、手に塗り、衣を薫るばかりに匂はした。 [#6字下げ]十一[#「十一」は中見出し] [#ここから2字下げ] ほゝき ほゝきい ほゝほきい――。 [#ここで字下げ終わり] きのふよりも、澄んだよい日になつた。春にしては、驚くばかり濃い日光が、地上にかつきりと、木草の影を落して居た。ほか/\した日よりなのに、其《ソレ》を見てゐると、どこか、薄ら寒く感じるほどである。時々に過ぎる雲の翳《カゲ》りもなく、晴れきつた空だ。高原を拓《ヒラ》いて、間引《マビ》いた疎《マバ》らな木原《コハラ》の上には、もう沢山の羽虫が出て、のぼつたり降《サガ》つたりして居る。たつた一羽の鶯《ウグヒス》が、よほど前から一処を移らずに、鳴き続けてゐるのだ。 家の刀自《トジ》たちが、物語る口癖を、さつきから思ひ出して居た。出雲宿禰《イヅモノスクネ》の分れの家の嬢子《ヲトメ》が、多くの男の言ひ寄るのを煩しがつて、身をよけ/\して、何時《イツ》か、山の林の中に分け入つた。さうして其処《ソコ》で、まどろんで居る中に、悠々《ウラウラ》と長い春の日も、暮れてしまつた。嬢子は、家路と思ふ径《ミチ》を、あちこち歩いて見た。脚は茨《イバラ》の棘《トゲ》にさゝれ、袖は、木の楚《ズハエ》にひき裂かれた。さうしてとう/\、里らしい家群《イヘムラ》の見える小高い岡の上に出た時は、裳も、著物も、肌の出るほど、ちぎれて居た。空には、夕月が光りを増して来てゐる。嬢子はさくり上げて来る感情を、声に出した。 [#ここから2字下げ] ほゝき ほゝきい。 [#ここで字下げ終わり] 何時《イツ》も、悲しい時に泣きあげて居た、あの声ではなかつた。「をゝ此身は」と思つた時に、自分の顔に触れた袖は袖ではないものであつた。枯《カ》れ原の冬草の、山肌色をした小《チヒサ》な翼であつた。思ひがけない声を、尚《ナホ》も出し続けようとする口を、押へようとすると、自身すらいとほしんで居た柔らかな唇は、どこかへ行つてしまつて、替りに、さゝやかな管のやうな喙《クチバシ》が来てついて居る――。悲しいのか、せつないのか、何の考へさへもつかなかつた。唯、身悶《ミモダ》えをした。するとふはり[#「ふはり」に傍点]と、からだは宙に浮き上つた。留めようと、袖をふれば振るほど、身は次第に、高く翔《カケ》り昇つて行く。五日月の照る空まで……。その後《ゴ》、今の世までも、 [#ここから2字下げ] ほゝき ほゝきい ほゝほきい。 [#ここで字下げ終わり] と鳴いてゐるのだ、と幼い耳に染《シ》みつけられた、物語りの出雲の嬢子が、そのまゝ、自分であるやうな気がして来る。 郎女は、徐《シヅ》かに両袖《モロソデ》を、胸のあたりに重ねて見た。家に居た時よりは、褻《ナ》れ、皺立《シワダ》つてゐるが、小鳥の羽《ハネ》には、なつて居なかつた。手をあげて唇に触れて見ると、喙《クチバシ》でもなかつた。やつぱり、ほつとり[#「ほつとり」に傍点]とした感触を、指の腹に覚えた。 ほゝき鳥《ドリ》―鶯―になつて居た方がよかつた。昔語《ムカシガタ》りの嬢子は、男を避けて、山の楚原《シモトハラ》へ入り込んだ。さうして、飛ぶ鳥になつた。この身は、何とも知れぬ人の俤にあくがれ出て、鳥にもならずに、こゝにかうして居る。せめて蝶飛虫《テフトリ》にでもなれば、ひら/\と空に舞ひのぼつて、あの山の頂へ、俤びとをつきとめに行かうもの――。 [#ここから2字下げ] ほゝき ほゝきい。 [#ここで字下げ終わり] 自身の咽喉《ノド》から出た声だ、と思つた。だがやはり、廬の外で鳴くのであつた。 郎女の心に動き初めた叡《サト》い光りは、消えなかつた。今まで手習ひした書巻の何処《ドコ》かに、どうやら、法喜と言ふ字のあつた気がする。法喜[#「法喜」に傍点]――飛ぶ鳥すらも、美しいみ仏の詞に、感《カマ》けて鳴くのではなからうか。さう思へば、この鶯も、 [#ここから2字下げ] ほゝき ほゝきい。 [#ここで字下げ終わり] 嬉しさうな高音《タカネ》を、段々張つて来る。 物語りする刀自たちの話でなく、若人《ワカウド》らの言ふことは、時たま、世の中の瑞々《ミヅミヅ》しい消息《セウソコ》を伝へて来た。奈良の家の女部屋《ヲンナベヤ》は、裏方五つ間《マ》を通した、広いものであつた。郎女の帳台の立ち処《ド》を一番奥にして、四つの間に、刀自・若人、凡《オヨソ》三十人も居た。若人等は、この頃、氏々の御館《ミタチ》ですることだと言つて、苑《ソノ》の池の蓮《ハス》の茎を切つて来ては、藕糸《ハスイト》を引く工夫に、一心になつて居た。横佩家の池の面を埋めるほど、珠を捲いたり、解けたりした蓮の葉は、まばらになつて、水の反射が蔀《シトミ》を越して、女部屋まで来るばかりになつた。茎を折つては、繊維を引き出し、其片糸を幾筋も合せては、糸に縒《ヨ》る。 郎女は、女たちの凝つてゐる手芸を、ぢつと見て居る日もあつた。ほう/\と切れてしまふ藕糸《ハスイト》を、八|合《コ》・十二|合《コ》・二十合《ハタコ》に縒《ヨ》つて、根気よく、細い綱の様にする。其を績《ウ》み麻《ヲ》の麻《ヲ》ごけ[#「ごけ」に傍点]に繋ぎためて行く。奈良の御館《ミタチ》でも、蚕《カフコ》は飼つて居た。実際、刀自たちは、夏は殊にせはしく、そのせゐで、不機嫌《フキゲン》になつて居る日が多かつた。 刀自たちは、初めは、そんな韓《カラ》の技人《テビト》のするやうな事は、と目もくれなかつた。だが時が立つと、段々興味を惹かれる様子が見えて来た。 [#ここから2字下げ] こりや、おもしろい。絹の糸と、績《ウ》み麻《ヲ》との間を行く様な妙な糸の――。此で、切れさへしなければなう。 [#ここで字下げ終わり] かうして績《ツム》ぎ蓄《タ》めた藕糸は、皆一纏めにして、寺々に納めようと、言ふのである。寺には、其々《ソレソレ》の技女《ギヂヨ》が居て、其糸で、唐土様《モロコシヤウ》と言ふよりも、天竺風な織物に織りあげる、と言ふ評判であつた。女たちは、唯|功徳《クドク》の為に糸を績《ツム》いでゐる。其でも、其が幾かせ[#「かせ」に傍点]、幾たま[#「たま」に傍点]と言ふ風に貯つて来ると、言ひ知れぬ愛著を覚えて居た。だが、其がほんとは、どんな織物になることやら、其処《ソコ》までは想像も出来なかつた。 若人たちは茎を折つては、巧みに糸を引き切らぬやうに、長く/\と抽《ヒ》き出す。又|其《ソノ》、粘り気の少いさくい[#「さくい」に傍点]ものを、まるで絹糸を縒り合せるやうに、手際よく糸にする間も、ちつとでも口やめる事なく、うき世語りなどをして居た。此は勿論《モチロン》、貴族の家庭では、出来ぬ掟になつて居た。なつては居ても、物珍《モノメ》でする盛りの若人たちには、口を塞いで緘黙行《シジマ》を守ることは、死ぬよりもつらい行《ギヤウ》であつた。刀自らの油断を見ては、ぼつ/″\話をしてゐる。其きれ/″\が、聞かうとも思はぬ郎女の耳にも、ぼつ/″\這入《はい》つて来《キ》勝ちなのであつた。 [#ここから2字下げ] 鶯の鳴く声は、あれで、法華経《ホケキヤウ》々々々と言ふのぢやて――。 ほゝ、どうして、え――。 天竺のみ仏は、をなご[#「をなご」に傍点]は、助からぬものぢやと、説かれ/\して来たがえ、其果てに、女《ヲナゴ》でも救ふ道が開かれた。其を説いたのが、法華経ぢやと言ふげな。 ――こんなこと、をなごの身で言ふと、さかしがりよと思はうけれど、でも、世間では、さう言ふもの――。 ぢやで、法華経々々々と経の名を唱へるだけで、この世からして、あの世界の苦しみが、助かるといの。 ほんまにその、天竺のをなごが、あの鳥に化《ナ》り変つて、み経の名を呼ばゝるのかえ。 [#ここで字下げ終わり] 郎女には、いつか小耳に揷んだ其話が、その後、何時《イツ》までも消えて行かなかつた。その頃ちようど、称讃浄土仏摂受経《シヨウサンジヤウドブツセフジユギヤウ》を、千部写さうとの願を発《オコ》して居た時であつた。其が、はかどらぬ。何時までも進まぬ。茫《バウ》とした耳に、此|世話《ヨバナシ》が再《フタタビ》また、紛れ入つて来たのであつた。 ふつと、こんな気がした。 [#ここから2字下げ] ほゝき鳥は、先の世で、御経《オンキヤウ》手写の願を立てながら、え果《ハタ》さいで、死にでもした、いとしい女子がなつたのではなからうか。……さう思へば、若《モ》しや今、千部に満たずにしまふやうなことがあつたら、我が魂《タマ》は何になることやら。やつぱり、鳥か、虫にでも生れて、切《セツ》なく鳴き続けることであらう。 [#ここで字下げ終わり] つひに一度、ものを考へた事もないのが、此国のあて人の娘であつた。磨《ミガ》かれぬ智慧《チヱ》を抱いたまゝ、何も知らず思はずに、過ぎて行つた幾百年、幾万の貴い女性《ニヨシヤウ》の間に、蓮《ハチス》の花がぽつちりと、莟《ツボミ》を擡《モタ》げたやうに、物を考へることを知り初《ソ》めた郎女であつた。 [#ここから2字下げ] をれよ。鶯《ウグヒス》よ。あな姦《カマ》や。人に、物思ひをつけくさる。 [#ここで字下げ終わり] 荒々しい声と一しよに、立つて、表戸と直角《カネ》になつた草壁の蔀戸《シトミド》をつきあげたのは、当麻語部《タギマノカタリ》の媼《オムナ》である。北側に当るらしい其外側は、牕《マド》を圧するばかり、篠竹が繁つて居た。沢山の葉筋《ハスヂ》が、日をすかして一時にきら/\と、光つて見えた。 郎女は、暫らく幾本とも知れぬその光りの筋の、閃《ヒラメ》き過ぎた色を、眶《マブタ》の裏に、見つめて居た。をとゝひの日の入り方、山の端に見た輝きが、思はずには居られなかつたからである。 また一時《イツトキ》、廬堂《イホリダウ》を廻つて、音するものもなかつた。日は段々|闌《タ》けて、小昼《コビル》の温《ヌク》みが、ほの暗い郎女の居処にも、ほつとりと感じられて来た。 寺の奴《ヤツコ》が、三四人先に立つて、僧綱《ソウガウ》が五六人、其に、大勢の所化《シヨケ》たちのとり捲いた一群れが、廬へ来た。 [#ここから2字下げ] これが、古《フル》山田寺だ、と申します。 [#ここで字下げ終わり] 勿体《モツタイ》ぶつた、しわがれ声が聞えて来た。 [#ここから2字下げ] そんな事は、どうでも――。まづ、郎女《イラツメ》さまを――。 [#ここで字下げ終わり] 噛みつくやうにあせつて居る家長老《イヘオトナ》額田部子古《ヌカタベノコフル》のがなり[#「がなり」に傍点]声がした。 同時に、表戸は引き剥がされ、其に隣つた、幾つかの竪薦《タツゴモ》をひきちぎる音がした。 づうと這《ハ》ひ寄つて来た身狭乳母《ムサノチオモ》は、郎女の前に居たけ[#「居たけ」に傍点]を聳《ソビヤ》かして、掩《オホ》ひになつた。外光の直射を防ぐ為と、一つは、男たちの前、殊には、庶民の目に、貴人《アテビト》の姿を暴《サラ》すまい、とするのであらう。 伴《トモ》に立つて来た家人《ケニン》の一人が、大きな木の叉枝《マタブリ》をへし折つて来た。さうして、旅用意の巻帛《マキギヌ》を、幾垂れか、其場で之《コレ》に結び下げた。其を牀《ユカ》につきさして、即座の竪帷《タツバリ》―几帳―は調つた。乳母《オモ》は、其前に座を占めたまゝ、何時までも動かなかつた。 [#6字下げ]十二[#「十二」は中見出し] 怒りの滝のやうになつた額田部[#(ノ)]子古は、奈良に還つて、公に訴へると言ひ出した。大和[#(ノ)]国にも断つて、寺の奴ばらを追ひ払つて貰《モラ》ふとまで、いきまいた。大師《タイシ》を頭《カシラ》に、横佩家に深い筋合ひのある貴族たちの名をあげて、其《ソノ》方々からも、何分の御吟味を願はずには置かぬ、と凄い顔をして、住侶たちを脅かした。 郎女は、貴族の姫で入らせられようが、寺の浄域を穢《ケガ》し、結界まで破られたからは、直にお還りになるやうには計《ハカラ》はれぬ。寺の四至の境に在る所で、長期の物忌みして、その贖《アガナ》ひはして貰はねばならぬ、と寺方も、言ひ分はひつこめなかつた。 理分にも非分にも、これまで、南家の権勢でつき通して来た家長老《オトナ》等にも、寺方の扱ひと言ふものゝ、世間どほりにはいかぬ事が訣《ワカ》つて居た。乳母《オモ》に相談かけても、一代さう言ふ世事に与《アヅカ》つた事のない此人は、そんな問題には、詮《カヒ》ない唯《タダ》の女性《ニヨシヤウ》に過ぎなかつた。 先刻《サツキ》からまだ立ち去らずに居た当麻語部の嫗が、口を出した。 [#ここから2字下げ] 其《ソレ》は、寺方が、理分でおざるがや。お随ひなされねばならぬ。 [#ここで字下げ終わり] 其を聞くと、身狭[#(ノ)]乳母は、激しく、田舎語部《ヰナカカタリベ》の老女を叱りつけた。男たちに言ひつけて、畳にしがみつき、柱にかき縋《スガ》る古婆《フルババ》を掴《ツカ》み出させた。さうした威高さは、さすがに自《オノヅカ》ら備つてゐた。 [#ここから2字下げ] 何事も、この身などの考へではきめられぬ。帥《ソツ》の殿《トノ》に承らうにも、国遠し。まづ姑《シバ》し、郎女様のお心による外はないもの、と思ひまする。 [#ここで字下げ終わり] 其より外には、方《ハウ》もつかなかつた。奈良の御館《ミタチ》の人々と言つても、多くは、此人たちの意見を聴いてする人々である。よい思案を、考へつきさうなものも居ない。難波へは、直様《スグサマ》、使ひを立てることにして、とにもかくにも、当座は、姫の考へに任せよう、と言ふことになつた。 [#ここから2字下げ] 郎女様。如何《イカガ》お考へ遊ばしまする。おして、奈良へ還れぬでも御座りませぬ。尤《モツトモ》、寺方でも、候人《サブラヒビト》や、奴隷《ヤツコ》の人数を揃へて、妨げませう。併《シカ》し、御館《ミタチ》のお勢ひには、何程の事でも御座りませぬ。では御座りまするが、お前さまのお考へを承らずには、何とも計ひかねまする。御思案お洩し遊ばされ。 [#ここで字下げ終わり] 謂はゞ、難題である。あて人の娘御に、出来よう筈のない返答である。乳母《オモ》も、子古《コフル》も、凡《オヨソ》は無駄な伺ひだ、と思つては居た。ところが、郎女の答へは、木魂返《コダマガヘ》しの様に、躊躇《タメラ》ふことなしにあつた。其上、此《コレ》ほどはつきりとした答へはない、と思はれる位、凜《リン》としてゐた。其が、すべての者の不満を圧倒した。 [#ここから2字下げ] 姫の咎《トガ》は、姫が贖《アガナ》ふ。此寺、此二上山の下に居て、身の償《ツグナ》ひ、心の償ひした、と姫が得心するまでは、還るものとは思《オモ》やるな。 [#ここで字下げ終わり] 郎女の声・詞を聞かぬ日はない身狭乳母《ムサノチオモ》ではあつた。だがつひしか[#「つひしか」に傍点]此ほどに、頭の髄まで沁み入るやうな、さえ/″\とした語を聞いたことのない、乳母《チオモ》だつた。 寺方の言ひ分に譲るなど言ふ問題は、小い事であつた。此|爽《サワ》やかな育ての君の判断力と、惑ひなき詞に感じてしまつた。たゞ、涙。かうまで賢《サカ》しい魂を窺《ウカガ》ひ得て、頬に伝ふものを拭ふことも出来なかつた。子古にも、郎女の詞を伝達した。さうして、自分のまだ曽て覚えたことのない感激を、力深くつけ添へて聞かした。 [#ここから2字下げ] ともあれ此上は、難波津《ナニハヅ》へ。 [#ここで字下げ終わり] 難波へと言つた自分の語に、気づけられたやうに、子古は思ひ出した。今日か明日、新羅《シラギ》問罪の為、筑前へ下る官使の一行があつた。難波に留つてゐる帥の殿も、次第によつては、再《フタタビ》太宰府へ出向かれることになつてゐるかも知れぬ。手遅れしては一大事である。此足ですぐ、北へ廻つて、大阪越えから河内へ出て、難波まで、馬の叶《カナ》ふ処は馬で走らう、と決心した。 万法蔵院に、唯一つ飼つて居た馬の借用を申し入れると、此は快く聴き入れてくれた。今日の日暮れまでには、立ち還りに、難波へ行つて来る、と歯のすいた口に叫びながら、郎女の竪帷《タツバリ》に向けて、庭から匍伏《ホフク》した。 子古の発つた後は、又のどかな春の日に戻つた。悠々《ウラウラ》と照り暮す山々を見せませう、と乳母が言ひ出した。木立ち・山陰から盗み見する者のないやうに、家人《ケニン》らを、一町・二町先まで見張りに出して、郎女を、外に誘ひ出した。 暴風雨《アラシ》の夜、添下《ソフノシモ》・広瀬・葛城の野山を、かち[#「かち」に傍点]あるきした娘御ではなかつた。乳母と今一人、若人の肩に手を置きながら、歩み出た。 日の光りは、霞みもせず、陽炎《カゲロフ》も立たず、唯《タダ》をどんで見えた。昨日眺めた野も、斜になつた日を受けて、物の影が細長く靡いて居た。青垣の様にとりまく山々も、愈々《イヨイヨ》遠く裾を曳いて見えた。 早い菫《スミレ》―げんげ―が、もうちらほら咲いてゐる。遠く見ると、その赤々とした紫が一続きに見えて、夕焼け雲がおりて居るやうに思はれる。足もとに一本、おなじ花の咲いてゐるのを見つけた郎女は、膝を叢《クサムラ》について、ぢつと眺め入つた。 [#ここから2字下げ] これはえ――。 すみれ、と申すとのことで御座ります。 [#ここで字下げ終わり] かう言ふ風に、物を知らせるのが、あて人に仕へる人たちの、為来《シキタ》りになつて居た。 [#ここから2字下げ] 蓮《ハチス》の花に似てゐながら、もつと細《コマ》やかな、――絵にある仏の花を見るやうな――。 [#ここで字下げ終わり] ひとり言しながら、ぢつと見てゐるうちに、花は、広い萼《ウテナ》の上に乗つた仏の前の大きな花になつて来る。其がまた、ふつと、目の前のさゝやかな花に戻る。 [#ここから2字下げ] 夕風が冷《ヒヤ》ついて参ります。内へと遊ばされ。 [#ここで字下げ終わり] 乳母が言つた。見渡す山は、皆影濃くあざやかに見えて来た。 近々と、谷を隔てゝ、端山の林や、崖《ナギ》の幾重も重つた上に、二上《フタカミ》の男嶽《ヲノカミ》の頂が、赤い日に染つて立つてゐる。 今日は、又あまりに静かな夕《ユフベ》である。山ものどかに、夕雲の中に這入つて行かうとしてゐる。 [#ここから2字下げ] まうし/\。もう外に居る時では御座りません。 [#ここで字下げ終わり] [#6字下げ]十三[#「十三」は中見出し] 「朝目よく」うるはしい兆《シルシ》を見た昨日は、郎女にとつて、知らぬ経験を、後から後から展いて行つたことであつた。たゞ人《ビト》の考へから言へば、苦しい現実のひき続きではあつたのだが、姫にとつては、心驚く事ばかりであつた。一つ/\変つた事に逢ふ度に、「何も知らぬ身であつた」と姫の心の底の声が揚つた。さうして、その事毎に、挨拶《アイサツ》をしてはやり過したい気が、一ぱいであつた。今日も其続きを、くはしく見た。 なごり惜しく過ぎ行く現《ウツ》し世のさま/″\。郎女は、今目を閉ぢて、心に一つ/\収めこまうとして居る。ほのかに通り行き、将《ハタ》著しくはためき[#「はためき」に傍点]過ぎたもの――。宵闇《ヨヒヤミ》の深くならぬ先に、廬《イホリ》のまはりは、すつかり手入れがせられて居た。灯台も大きなのを、寺から借りて来て、煌々《クワウクワウ》と、油火《アブラビ》が燃えて居る。明王像も、女人のお出での場処には、すさまじいと言ふ者があつて、どこかへ搬《ハコ》んで行かれた。其よりも、郎女の為には、帳台の設備《シツラ》はれてゐる安らかさ。今宵は、夜も、暖かであつた。帷帳《トバリ》を周《メグ》らした中は、ほの暗かつた。其でも、山の鬼神《モノ》、野の魍魎《モノ》を避ける為の灯の渦が、ぼうと梁《ハリ》に張り渡した頂板《ツシイタ》に揺《ユラ》めいて居るのが、たのもしい気を深めた。帳台のまはりには、乳母や、若人が寝たらしい。其ももう、一時《ヒトトキ》も前の事で、皆すや/\と寝息の音を立てゝ居る。姫の心は、今は軽かつた。 たとへば、俤に見たお人には逢はずとも、その俤を見た山の麓に来て、かう安らかに身を横《ヨコタ》へて居る。 灯台の明りは、郎女の額の上に、高く朧ろに見える光りの輪を作つて居た。月のやうに円《マル》くて、幾つも上へ/\と、月輪《グワチリン》の重つてゐる如くも見えた。其が、隙間風《スキマカゼ》の為であらう。時々薄れて行くと、一つの月になつた。ぽうつと明り立つと、幾重にも隈の畳まつた、大きな円《マド》かな光明になる。 幸福に充ちて、忘れて居た姫の耳に、今宵も谷の響きが聞え出した。更けた夜空には、今頃やつと、遅い月が出たことであらう。 物の音。――つた つたと来て、ふうと佇《タ》ち止るけはひ。耳をすますと、元の寂《シヅ》かな夜に、――激《タギ》ち降《クダ》る谷のとよみ。 [#ここから2字下げ] つた つた つた。 [#ここで字下げ終わり] 又、ひたと止《ヤ》む。 この狭い廬の中を、何時《イツ》まで歩く、跫音《アシオト》だらう。 [#ここから2字下げ] つた。 [#ここで字下げ終わり] 郎女は刹那《セツナ》、思ひ出して帳台の中で、身を固くした。次にわぢ/″\[#「わぢ/″\」に傍点]と戦《ヲノノ》きが出て来た。 [#ここから2字下げ] 天若御子《アメワカミコ》――。 [#ここで字下げ終わり] ようべ、当麻語部嫗《タギマノカタリノオムナ》の聞《キカ》した物語り。あゝ其お方の、来て窺ふ夜なのか。 [#ここから2字下げ] ――青馬の 耳面刀自《ミミモノトジ》。 刀自もがも。女弟《オト》もがも。 その子の はらからの子の 処女子《ヲトメゴ》の 一人 一人だに わが配偶《ツマ》に来《コ》よ [#ここで字下げ終わり] まことに畏《オソロ》しいと言ふことを覚えぬ郎女にしては、初めてまざ/″\と、圧《オサ》へられるやうな畏《コハ》さを知つた。あゝあの歌が、胸に生き蘇《カヘ》つて来る。忘れたい歌の文句が、はつきりと意味を持つて、姫の唱へぬ口の詞から、胸にとほつて響く。乳房から迸《ホトバシ》り出ようとするときめき。 帷帳《トバリ》がふはと、風を含んだ様に皺《シワ》だむ。 つい[#「つい」に傍点]と、凍る様な冷気――。 郎女は目を瞑《ツブ》つた。だが――瞬間|睫《マツゲ》の間から映《ウツ》つた細い白い指、まるで骨のやうな――帷帳《トバリ》を掴んだ片手の白く光る指。 [#ここから2字下げ] なも 阿弥陀ほとけ。あなたふと 阿弥陀ほとけ。 [#ここで字下げ終わり] 何の反省もなく、唇を洩れた詞。この時、姫の心は、急に寛《クツロ》ぎを感じた。さつと――汗。全身に流れる冷さを覚えた。畏《コハ》い感情を持つたことのないあて人の姫は、直《スグ》に動顛した心を、とり直すことが出来た。 [#ここから2字下げ] なう/\。あみだほとけ……。 [#ここで字下げ終わり] 今一度口に出して見た。をとゝひまで、手写しとほした、称讃浄土経《シヨウサンジヤウドキヤウ》の文《モン》が胸に浮ぶ。郎女は、昨日までは一度も、寺道場を覗《ノゾ》いたこともなかつた。父君は家の内に道場を構へて居たが、簾越しにも聴聞《チヤウモン》は許されなかつた。御経《オンキヤウ》の文《モン》は手写しても、固《モト》より意趣は、よく訣《ワカ》らなかつた。だが、処々には、かつ/″\気持ちの汲みとれる所があつたのであらう。さすがに、まさかこんな時、突嗟《トツサ》に口に上らう、とは思うて居なかつた。 白い骨、譬《タト》へば白玉の並んだ骨の指、其が何時《イツ》までも目に残つて居た。帷帳《トバリ》は、元のまゝに垂れて居る。だが、白玉の指ばかりは細々と、其に絡《カラ》んでゐるやうな気がする。 悲しさとも、懐しみとも知れぬ心に、深く、郎女は沈んで行つた。山の端に立つた俤びとは、白々《シロジロ》とした掌をあげて、姫をさし招いたと覚えた。だが今、近々と見る其手は、海の渚《ナギサ》の白玉のやうに、からびて寂しく、目にうつる。 長い渚を歩いて行く。郎女の髪は、左から右から吹く風に、あちらへ靡き、こちらへ乱れする。浪はたゞ、足もとに寄せてゐる。渚と思うたのは、海の中道《ナカミチ》である。浪は、両方から打つて来る。どこまでも/\、海の道は続く。郎女の足は、砂を踏んでゐる。その砂すらも、段々水に掩はれて来る。砂を踏む。踏むと思うて居る中に、ふと其が、白々とした照る玉だ、と気がつく。姫は身を屈《コゴ》めて、白玉を拾ふ。拾うても/\、玉は皆、掌《タナソコ》に置くと、粉の如く砕けて、吹きつける風に散る。其でも、玉を拾ひ続ける。玉は水隠《ミガク》れて、見えぬ様になつて行く。姫は悲しさに、もろ手を以て掬《スク》はうとする。掬《ムス》んでも/\、水のやうに、手股《タナマタ》から流れ去る白玉――。玉が再《フタタビ》、砂の上につぶ/″\並んで見える。忙《アワタダ》しく拾はうとする姫の俯《ウツム》いた背を越して、流れる浪が、泡立つてとほる。 姫は――やつと、白玉を取りあげた。輝く、大きな玉。さう思うた刹那、郎女の身は、大浪にうち仆《タフ》される。浪に漂ふ身……衣もなく、裳《モ》もない。抱き持つた等身の白玉と一つに、水の上に照り輝く現《ウツ》し身。 ずん/″\と、さがつて行く。水底《ミナゾコ》に水漬《ミヅ》く白玉なる郎女の身は、やがて又、一幹《ヒトモト》の白い珊瑚《サンゴ》の樹《キ》である。脚を根、手を枝とした水底の木。頭に生ひ靡くのは、玉藻であつた。玉藻が、深海のうねりのまゝに、揺れて居る。やがて、水底にさし入る月の光り――。ほつと息をついた。 まるで、潜《カヅ》きする海女《アマ》が二十尋《ハタヒロ》・三十尋《ミソヒロ》の水底《ミナゾコ》から浮び上つて嘯《ウソブ》く様に、深い息の音で、自身明らかに目が覚めた。 あゝ夢だつた。当麻まで来た夜道の記憶は、まざ/″\と残つて居るが、こんな苦しさは覚えなかつた。だがやつぱり、をとゝひの道の続きを辿《タド》つて居るらしい気がする。 水の面からさし入る月の光り、さう思うた時は、ずん/″\海面に浮き出て来た。さうして悉く、跡形もない夢だつた。唯、姫の仰ぎ寝る頂板《ツシイタ》に、あゝ、水にさし入つた月。そこに以前のまゝに、幾つも暈《カサ》の畳まつた月輪の形が、揺《ユラ》めいて居る。 [#ここから2字下げ] なう/\ 阿弥陀ほとけ……。 [#ここで字下げ終わり] 再、口に出た。光りの暈《カサ》は、今は愈々明りを増して、輪と輪との境の隈々《クマグマ》しい処までも見え出した。黒ずんだり、薄暗く見えたりした隈が、次第に凝り初めて、明るい光明の中に、胸・肩・頭・髪、はつきりと形を現《ゲン》じた。白々と袒《ヌ》いだ美しい肌。浄《キヨ》く伏せたまみ[#「まみ」に傍点]が、郎女の寝姿を見おろして居る。かの日《ヒ》の夕《ユフベ》、山の端《ハ》に見た俤びと――。乳のあたりと、膝元とにある手――その指《オヨビ》、白玉の指《オヨビ》。 姫は、起き直つた。天井の光りの輪が、元のまゝに、たゞ仄《ホノ》かに、事もなく揺れて居た。 [#6字下げ]十四[#「十四」は中見出し] [#ここから2字下げ] 貴人《ウマビト》はうま人どち、やつこは奴隷《ヤツコ》どち、と言ふからの――。 [#ここで字下げ終わり] 何時《イツ》見ても、大師《タイシ》は、微塵《ミヂン》曇りのない、円《マド》かな相好《サウガウ》である。其《ソレ》に、ふるまひのおほどかなこと。若くから氏上《ウヂノカミ》で、数十|家《ケ》の一族や、日本国中数万の氏人《ウヂビト》から立てられて来た家持《ヤカモチ》も、ぢつと対《ムカ》うてゐると、その静かな威に、圧せられるやうな気がして来る。 [#ここから2字下げ] 言はしておくがよい。奴隷《ヤツコ》たちは、とやかくと口さがないのが、其為事《ソノシゴト》よ。此身とお身とは、おなじ貴人《ウマビト》ぢや。おのづから、話も合はうと言ふもの。此身が、段々なり上《ノボ》ると、うま人までがおのづとやつこ[#「やつこ」に傍点]心になり居つて、いや嫉むの、そねむの。 [#ここで字下げ終わり] 家持は、此が多聞天《タモンテン》か、と心に問ひかけて居た。だがどうも、さうは思はれぬ。同じ、かたどつて作るなら、とつい[#「つい」に傍点]聯想が逸《ソ》れて行く。八年前、越中[#(ノ)]国から帰つた当座の、世の中の豊かな騒ぎが、思ひ出された。あれからすぐ、大仏|開眼《カイゲン》供養が行はれたのであつた。其時、近々と仰ぎ奉つた尊容、八十種好《ハチジフシユガウ》具足した、と謂はれる其|相好《サウガウ》が、誰やらに似てゐる、と感じた。其がその時は、どうしても思ひ浮ばずにしまつた。その時の印象が、今ぴつたり、的にあてはまつて来たのである。 かうして対ひあつて居る主人の顔なり、姿なりが、其まゝあの盧遮那《ルサナ》ほとけの俤だ、と言つて、誰が否まう。 [#ここから2字下げ] お身も、少し咄《ハナ》したら、えゝではないか。官位《カウブリ》はかうぶり。昔ながらの氏は氏――。なあ、さう思はぬか。紫徴中台《シビチユウダイ》の、兵部省のと、位づけるのは、うき世の事だは。家《ウチ》に居る時だけは、やはり神代以来《カミヨイライ》の氏上《ウヂノカミ》づきあひが、えゝ。 [#ここで字下げ終わり] 新しい唐の制度の模倣ばかりして、漢土《モロコシ》の才《ザエ》が、やまと心[#「やまと心」に傍点]に入り替つたと謂はれて居る此人が、こんな嬉しいことを言ふ。家持は、感謝したい気がした。理会者・同感者を、思ひまうけぬ処に見つけ出した嬉しさだつたのである。 [#ここから2字下げ] お身は、宋玉《ソウギヨク》や、王褒《ワウハウ》の書いた物を大分持つて居ると言ふが、太宰府へ行つた時に、手に入れたのぢやな。あんな若い年で、わせ[#「わせ」に傍点]だつたのだなう。お身は――。お身の氏では、古麻呂《コマロ》。身の家に近しい者でも奈良麻呂。あれらは漢《カン》魏《ギ》はおろか、今の唐の小説なども、ふり向きもせんから、言ふがひない話ぢやは。 [#ここで字下げ終わり] 兵部大輔は、やつと話のつきほを捉へた。 [#ここから2字下げ] お身さまのお話ぢやが、わしは、賦《フ》の類には飽きました。どうもあれが、この四十面さげてもまだ、涙もろい歌や、詩の出て来る元になつて居る――さうつく/″\思ひますぢやて。ところで近頃は、方《カタ》を換へて、張文成を拾ひ読みすることにしました。この方が、なんぼか――。 大きに、其は、身も賛成ぢや。ぢやが、お身がその年になつても、まだ二十《ハタチ》代の若い心や、瑞々しい顔を持つて居るのは、宋玉のおかげぢやぞ。まだなか/\隠れては歩き居《ヲ》る、と人の噂ぢやが、嘘ぢやなからう。身が保証する。おれなどは、張文成ばかり古くから読み過ぎて、早く精気の尽きてしまうた心持ちがする。――ぢやが全く、文成はえゝなう。あの仁《ジン》に会うて来た者の話では、豬肥《ヰノコゴ》えのした、唯の漢土《モロコシ》びとぢやつたげなが、心はまるで、やまとのものと、一つと思ふが、お身なら、諾《ウベナ》うてくれるだらうの。 文成に限る事ではおざらぬが、あちらの物は、読んで居て、知らぬ事ばかり教へられるやうで、時々ふつと思ひ返すと、こんな思はざつた考へを、いつの間にか、持つてゐる――そんな空恐しい気さへすることが、ありますて。お身さまにも、そんな経験《オボエ》は、おありでがな。 大ありおほ有り。毎日々々、其よ。しまひに、どうなるのぢや。こんなに智慧づいては、と思はれてならぬことが――。ぢやが、女子《ヲミナゴ》だけには、まづ当分、女部屋のほの暗い中で、こんな智慧づかぬ、のどかな心で居させたいものぢや。第一其が、われ/\男の為ぢやて。 [#ここで字下げ終わり] 家持は、此了解に富んだ貴人に向つては、何でも言つてよい、青年のやうな気が湧いて来た。 [#ここから2字下げ] さやう/\。智慧を持ち初めては、あの鬱《イブセ》い女部屋には、ぢつとして居ませぬげな。第一、横佩墻内《ヨコハキカキツ》の―― [#ここで字下げ終わり] 此はいけぬ、と思つた。同時に、此|臆《オク》れた気の出るのが、自分を卑《ヒク》くし、大伴氏を、昔の位置から自ら蹶落《ケオト》す心なのだ、と感じる。 [#ここから2字下げ] 好《エエ》、好《エエ》。遠慮はやめやめ。氏[#(ノ)]上づきあひぢやもの。ほい又出た。おれはまだ、藤原の氏[#(ノ)]上に任ぜられた訣《ワケ》ぢやあ、なかつたつけの。 [#ここで字下げ終わり] 瞬間、暗い顔をしたが、直《スグ》にさつと眉《マユ》の間から、輝きが出て来た。 [#ここから2字下げ] 身の女姪《メヒ》が神隠しにあうたあの話か。お身は、あの謎見たいないきさつ[#「いきさつ」に傍点]を、さう解《ト》るかね。ふん。いやおもしろい。女姪の姫も、定めて喜ぶぢやらう。実はこれまで、内々消息を遣《ツカハ》して、小あたりにあたつて見た、と言ふ口かね、お身も。 大きに。 [#ここで字下げ終わり] 今度は軽い心持ちが、大胆に押勝の話を受けとめた。 [#ここから2字下げ] お身さまが経験《タメシ》ずみぢやで、其で、郎女の才高《ザエダカ》さと、男|択《エラ》びすることが訣りますな――。 此は――。額《ヒタヒ》ざまに切りつけるぞ――。免《ユル》せ/\と言ふところぢやが、――あれはの、生れだちから違ふものな。藤原の氏姫ぢやからの。枚岡《ヒラヲカ》の斎《イツ》き姫《ヒメ》にあがる宿世《スクセ》を持つて生れた者ゆゑ、人間の男は、弾《ハジ》く、弾く、弾きとばす。近よるまいぞよ。はゝはゝゝ。 [#ここで字下げ終わり] 大師は、笑ひをぴたりと止めて、家持の顔を見ながら、きまじめな表情になつた。 [#ここから2字下げ] ぢやがどうも――。聴き及んでのことゝ思ふが、家出の前まで、阿弥陀経の千部写経をして居たと言ふし、楽毅論から、兄の殿の書いた元興寺縁起も、其前に手習ひしたらしいし、まだ/\孝経などは、これぽつち[#「これぽつち」に傍点]の頃に習うた、と言ふし、なか/\の女博士《ヲナゴハカセ》での。楚辞《ソジ》や、小説にうき身をやつす身や、お身は近よれぬはなう。霜月・師走の垣毀雪女《カイコボチヲナゴ》ぢやもの。――どうして、其だけの女子《ヲミナゴ》が、神隠しなどに逢はうかい。 第一、場処が、あの当麻で見つかつたと言ひますからの――。 併し其は、藤原に全く縁のない処でもない。天[#(ノ)]二上は、中臣寿詞《ナカトミノヨゴト》にもあるし……。斎《イツ》き姫《ヒメ》もいや、人の妻と呼ばれるのもいや――で、尼になる気を起したのでないか、と考へると、もう不安で不安でなう。のどかな気持ちばかりでも居られぬて――。 [#ここで字下げ終わり] 押勝の眉は集つて来て、皺《シワ》一つよせぬ美しい、この老いの見えぬ貴人の顔も、思ひなし、ひずんで見えた。 [#ここから2字下げ] 何しろ、嫋女《タワヤメ》は国の宝ぢやでなう。出来ることなら、人の物にはせず、神の物にしておきたいところぢやが、――人間の高望《タカノゾ》みは、さうばかりもさせてはおきをらぬがい――。ともかく、むざ/″\尼寺へやる訣にはいかぬ。 ぢやが、お身さま。一人出家すれば、と云ふ詞が、この頃はやりになつて居りますが…。 九族が天に生じて、何になるといふのぢや。宝は何百人かゝつても、作り出せるものではないぞよ。どだい[#「どだい」に傍点]兄公殿《アニキドノ》が、少し仏|凝《ゴ》りが過ぎるでなう――。自然|内《ウチ》うらまで、そんな気風がしみこむやうになつたかも知れぬぞ――。時に、お身のみ館の郎女《イラツメ》も、そんな育てはしてあるまいな。其では、家《ウチ》の久須麻呂が泣きを見るからの。 [#ここで字下げ終わり] 人の悪いからかひ笑みを浮べて、話を無理にでも脇へ釣り出さうと努めるのは、考へるのも切ない胸の中が察せられる。 [#ここから2字下げ] 兄公殿《アニキドノ》は氏[#(ノ)]上に、身は氏助《ウヂノスケ》と言ふ訣なのぢやが、肝腎斎き姫で、枚岡に居させられる叔母御《ヲバゴ》は、もうよい年ぢや。去年春日祭りに、女使ひで上られた姿を見て、神《カン》さびたものよ、と思うたぞ。今《モ》一代此方から進ぜなかつたら、斎き姫になる娘の多い北家の方が、すぐに取つて替つて、氏[#(ノ)]上に据《スワ》るは。 [#ここで字下げ終わり] 兵部大輔にとつても、此はもう[#「もう」に傍点]、他事《ヒトゴト》ではなかつた。おなじ大伴幾流の中から、四代続いて氏[#(ノ)]上職を持ち堪《コタ》へたのも、第一は宮廷の御恩徳もあるが、世の中のよせ[#「よせ」に傍点]が重かつたからである。其には、一番大事な条件として、美しい斎き姫が、後から後と此家に出て、とぎれることがなかつた為でもある。大伴の家のは、表向き壻《ムコ》どりさへして居ねば、子があつても、斎き姫は勤まる、と言ふ定めであつた。今の阪[#(ノ)]上[#(ノ)]郎女は、二人の女子《ヲミナゴ》を持つて、やはり斎き姫である。此は、うつかり出来ない。此方《コチラ》も藤原同様、叔母御が斎《イツキ》姫で、まだそんな年でない、と思うてゐるが、又どんなことで、他流の氏姫が、後を襲ふことにならぬとも限らぬ。大伴・佐伯《サヘキ》の数知れぬ家々・人々が、外の大伴へ、頭をさげるやうになつてはならぬ。かう考へて来た家持の心の動揺などには、思ひよりもせぬ風で、 [#ここから2字下げ] こんな話は、よそほかの氏[#(ノ)]上に言ふべきことでないが、兄公殿《アニキドノ》があゝして、此先何年、難波にゐても、太宰府に居ると言ふが表面《オモテ》だから、氏の祭りは、枚岡・春日と、二処に二度づゝ、其外、週《マハ》り年には、時々鹿島・香取の東路《アヅマヂ》のはてにある旧社《モトヤシロ》の祭りまで、此方で勤めねばならぬ。実際よそほかの氏[#(ノ)]上よりも、此方《コチラ》の氏[#(ノ)]助ははたらいてゐるのだが、――だから、自分で、氏[#(ノ)]上の気持ちになつたりする。――もう一層なつてしまふかな。お身はどう思ふ。こりや、答へる訣にも行くまい。氏[#(ノ)]上に押し直らうとしたところで、今の身の考へ一つを抂《マ》げさせるものはない。上様方に於かせられて、お叱りの御沙汰《ゴサタ》を下しおかれぬ限りは――。 [#ここで字下げ終わり] 京中で、此恵美屋敷ほど、庭を嗜《タシナ》んだ家はないと言ふ。門は、左京二条三坊に、北に向いて開いて居るが、主人家族の住ひは、南を広く空《ア》けて、深々とした山斎《ヤマ》が作つてある。其に入りこみの多い池を周《メグ》らし、池の中の島も、飛鳥の宮風に造られて居た。東の中《ナカ》み門《カド》、西の中《ナカ》み門《カド》まで備つて居る。どうかすると、庭と申さうより、寛々《クワンクワン》とした空き地の広くおありになる宮よりは、もつと手入れが届いて居さうな気がする。 庭を立派にして住んだ、うま[#「うま」に傍点]人たちの末々の様が、兵部大輔の胸に来た。瞬間、憂鬱な気持ちがかぶさつて来て、前にゐる大師の顔を見るのが、気の毒な様に思はれる。 [#ここから2字下げ] 案じるなよ。庭が行き届き過ぎて居る、と思うてるのだらう。そんなことはないさ。庭はよくても、亡びた人ばかりはないさ。淡海公の御館はどうだ。どの筋でも引き継がずに、今に荒してはあるが、あの立派さは。それ[#「それ」に傍点]あの山部《ヤマベ》の何とか言つた、地下《ヂゲ》の召《メ》し人《ビト》の歌よみが、おれの三十になつたばかりの頃、「昔見し旧《フル》き堤は、年深み……年深み、池の渚に、水草《ミクサ》生ひにけり」とよんだ位だが、其後が、これ[#「これ」に傍点]此様《コノヤウ》に、四流にも岐れて栄えてゐる。もつとあるぞ――。なに、庭などによるものぢやないは。 [#ここで字下げ終わり] 恃《タノ》む所の深い此あて人は、庭の風景の、目立つた個処々々を指摘しながら、其拠《ソノヨ》る所を、日本《ヤマト》・漢土《モロコシ》に渉《ワタ》つて説明した。 長い廊を、数人の童《ワラハ》が続いて来る。 [#ここから2字下げ] 日ずかしです。お召しあがり下されませう。 [#ここで字下げ終わり] 改つて、簡単な饗応の挨拶をした。まらうどに、早く酒を献じなさい、と言つてゐる間に、美しい采女《ウネメ》が、盃を額より高く捧げて出た。 [#ここから2字下げ] をゝ、それだけ受けて頂けばよい。舞ひぶりを一つ、見て貰ひなさい。 [#ここで字下げ終わり] 家持は、何を考へても、先を越す敏感な主人に対して、唯虚心で居るより外は、なかつた。 [#ここから2字下げ] うねめ[#「うねめ」に傍点]は、大伴の氏[#(ノ)]上へは、まだくださらぬのだつたね。藤原では、存知でもあらうが、先例が早くからあつて、淡海公が、近江の宮から頂戴した故事で、頂く習慣になつて居ります。 [#ここで字下げ終わり] 時々、こんな畏まつたもの言ひもまじへる。兵部大輔は、自身の語づかひにも、初中終《シヨツチユウ》、気扱ひをせねばならなかつた。 [#ここから2字下げ] 氏[#(ノ)]上もな、身が執心《シフシン》で、兄公殿を太宰府へ追ひまくつて、後にすわらうとするのだ、と言ふ奴があるといの――。やつぱり「奴はやつこどち」ぢやの。さう思ふよ。時に女姪《メヒ》の姫だが――。 [#ここで字下げ終わり] さすがの聡明第一の大師も、酒の量は少かつた。其が、今日は幾分いけた、と見えて、話が循環して来た。家持は、一度はぐらかされた緒口《イトグチ》に、とりついた気で、 [#ここから2字下げ] 横佩墻内《ヨコハキカキツ》の郎女《イラツメ》は、どうなるでせう。社・寺、それとも宮――。どちらへ向いても、神さびた一生。あつたら惜しいものでおありだ。 気にするな。気にするな。気にしたとて、どう出来るものか。此は――もう、人間の手へは、戻らぬかも知れんぞ。 [#ここで字下げ終わり] 末は、独り言になつて居た。さうして、急に考へ深い目を凝《コラ》した。池へ落した水音は、未《ヒツジ》がさがると、寒々と聞えて来る。 [#ここから2字下げ] 早く、躑躅《ツツジ》の照る時分になつてくれぬかなあ。一年中で、この庭の一番よい時が、待ちどほしいぞ。 [#ここで字下げ終わり] 大師藤原[#(ノ)]恵美[#(ノ)]押勝朝臣の声は、若々しい、純な欲望の外、何の響きもまじへて居なかつた。 [#6字下げ]十五[#「十五」は中見出し] [#ここから2字下げ] つた つた つた。 [#ここで字下げ終わり] 郎女は、一向《ヒタスラ》、あの音の歩み寄つて来る畏しい夜更けを、待つやうになつた。をとゝひよりは昨日、昨日よりは今日といふ風に、其跫音《ソノアシオト》が間遠になつて行き、此頃はふつ[#「ふつ」に傍点]に音せぬやうになつた。その氷の山に対《ムカ》うて居るやうな、骨の疼《ウヅ》く戦慄の快感、其が失せて行くのを虞《オソ》れるやうに、姫は夜毎、鶏のうたひ出すまでは、殆《ホトンド》、祈る心で待ち続けて居る。 絶望のまゝ、幾晩も仰ぎ寝たきりで、目は昼よりも寤《サ》めて居た。其間に起る夜の間の現象には、一切心が留らなかつた。現にあれほど、郎女の心を有頂天に引き上げた頂板《ツシ》の面《オモテ》の光り輪にすら、明盲《アキジ》ひのやうに、注意は惹かれなくなつた。こゝに来て、疾《ト》くに、七日は過ぎ、十日・半月になつた。山も、野も、春のけしきが整うて居た。野茨《ノイバラ》の花のやうだつた小桜が散り過ぎて、其に次ぐ山桜が、谷から峰かけて、断続しながら咲いてゐるのも見える。麦原《ムギフ》は、驚くばかり伸び、里人の野為事《ノシゴト》に出た姿が、終日、そのあたりに動いてゐる。 都から来た人たちの中、何時《イツ》までこの山陰に、春を起き臥《フ》すことか、と佗《ワ》びる者が殖えて行つた。廬堂の近くに掘り立てた板屋に、かう長びくとは思はなかつたし、まだどれだけ続くかも知れぬ此生活に、家ある者は、妻子に会ふことばかりを考へた。親に養はれる者は、家の父母の外にも、隠れた恋人を思ふ心が、切々として来るのである。女たちは、かうした場合にも、平気に近い感情で居られる長い暮しの習《ナラハ》しに馴れて、何かと為事を考へてはして居る。女方の小屋は、男のとは別に、もつと廬に接して建てられて居た。 身狭乳母《ムサノチオモ》の思ひやりから、男たちの多くは、唯さへ小人数な奈良の御館《ミタチ》の番に行け、と言つて還され、長老《オトナ》一人の外は、唯|雑用《ザフヨウ》をする童と、奴隷《ヤツコ》位しか残らなかつた。 乳母《オモ》や、若人たちも、薄々は帳台の中で夜を久しく起きてゐる、郎女の様子を感じ出して居た。でも、なぜさう夜深く溜め息ついたり、うなされたりするか、知る筈のない昔かたぎ[#「かたぎ」に傍点]の女たちである。 やはり、郎女の魂《タマ》があくがれ出て、心が空しくなつて居るもの、と単純に考へて居る。ある女は、魂ごひの為に、山尋ねの咒術《オコナヒ》をして見たらどうだらう、と言つた。 乳母は一口に言ひ消した。姫様、当麻に御安著なされた其夜、奈良の御館へ計はずに、私にした当麻真人《タギマノマヒト》の家人たちの山尋ねが、わるい結果を呼んだのだ。当麻語部とか謂《イ》つた蠱物《マジモノ》使ひのやうな婆が、出しやばつての差配が、こんな事を惹き起したのだ。 その節、山の峠《タワ》の塚で起つた不思議は、噂になつて、この貴人《ウマビト》一家の者にも、知れ渡つて居た。あらぬ者の魂を呼び出して、郎女様におつけ申しあげたに違ひない。もう/\、軽はずみな咒術《オコナヒ》は思ひとまることにしよう。かうして、魂《タマ》の游離《アクガ》れ出た処の近くにさへ居れば、やがては、元のお身になり戻り遊《アソバ》されることだらう。こんな風に考へて、乳母は唯、気長に気ながに、と女たちを諭《サト》し/\した。 こんな事をして居る中に、早一月も過ぎて、桜の後、暫らく寂しかつた山に、躑躅《ツツジ》が燃え立つた。足も行かれぬ崖の上や、巌の腹などに、一群《ヒトムラ》々々咲いて居るのが、奥山の春は今だ、となのつて居るやうである。 ある日は、山へ/\と、里の娘ばかりが上つて行くのを見た。凡《オヨソ》数十人の若い女が、何処《ドコ》で宿つたのか、其次の日、てんでに赤い山の花を髪にかざして、降りて来た。廬の庭から見あげた若女房の一人が、山の躑躅林《ツツジバヤシ》が練つて降るやうだ、と声をあげた。 ぞよ/″\と廬の前を通る時、皆頭をさげて行つた。其中の二三人が、つくねんとして暮す若人たちの慰みに呼び入れられて、板屋の端へ来た。当麻の田居も、今は苗代時である。やがては田植ゑをする。其時は、見に出やしやれ。こんな身でも、其時はずんと、をなごぶりが上るぞな、と笑ふ者もあつた。 [#ここから2字下げ] こゝの田居の中で、植ゑ初めの田は、腰折れ田と言うて、都までも聞えた物語りのある田ぢやげな。 [#ここで字下げ終わり] 若人たちは、又例の蠱物姥《マジモノウバ》の古語りであらう、とまぜ返す。ともあれ、かうして、山ごもりに上つた娘だけに、今年の田の早処女《サウトメ》が当ります。其しるしが此《コレ》ぢや、と大事さうに、頭の躑躅に触れて見せた。 もつと変つた話を聞かせぬかえと誘はれて、身分に高下はあつても、同じ若い同士のことゝて、色々な田舎咄《ヰナカバナシ》をして行つた。其を後《ノチ》に乳母《オモ》たちが聴いて、気にしたことがあつた。山ごもりして居ると、小屋の上の崖をどう/″\と踏みおりて来る者がある。ようべ、真夜中のことである。一様にうなされて、苦しい息をついてゐると、音はそのまゝ、真下へ/\、降つて行つた。がら/″\と、岩の崩《ク》える響き。――ちようど其が、此盧堂の真上の高処《タカ》に当つて居た。こんな処に道はない筈ぢやが、と今朝起きぬけに見ると、案の定《ヂヤウ》、赤岩の大崩崖《オホナギ》。ようべの音は、音ばかりで、ちつとも痕は残つて居なかつた。 其で思ひ合せられるのは、此頃ちよく/\、子《ネ》から丑《ウシ》の間に、里から見えるこのあたりの峰《ヲ》の上《ヘ》に、光り物がしたり、時ならぬ一時颪《イツトキオロシ》の凄い唸りが、聞えたりする。今までつひに[#「つひに」に傍点]聞かぬこと。里人は唯かう、恐れ謹しんで居る、とも言つた。 こんな話を残して行つた里の娘たちも、苗代田の畔に、めい/\のかざしの躑躅花を揷《サ》して帰つた。其は昼のこと、田舎は田舎らしい閨《ネヤ》の中に、今は寝ついたであらう。夜はひた更けに、更けて行く。 昼の恐れのなごりに、寝苦しがつて居た女たちも、おびえ疲れに寝入つてしまつた。頭上の崖で、寝鳥の鳴き声がした。郎女は、まどろんだとも思はぬ目を、ふつと開いた。続いて今ひと響き、びし[#「びし」に傍点]としたのは、鳥などの、翼ぐるめ[#「ぐるめ」に傍点]ひき裂かれたらしい音である。だが其だけで、山は音どころか、生き物も絶えたやうに、虚しい空間の闇に、時間が立つて行つた。 郎女の額《ヌカ》の上の天井の光の暈《カサ》が、ほの/″\と白んで来る。明りの隈はあちこちに偏倚《カタヨ》つて、光りを竪《タテ》にくぎつて行く。と見る間に、ぱつと明るくなる。そこに大きな花。蒼白い菫。その花びらが、幾つにも分けて見せる隈、仏の花の青蓮華《シヤウレンゲ》と言ふものであらうか。郎女の目には、何とも知れぬ浄らかな花が、車輪のやうに、宙にぱつと開いてゐる。仄暗い蕋《シベ》の処に、むら/\と雲のやうに、動くものがある。黄金の蕋《シベ》をふりわける。其は黄金の髪である。髪の中から匂ひ出た荘厳な顔。閉ぢた目が、憂ひを持つて、見おろして居る。あゝ肩・胸・顕《アラ》はな肌。――冷え/″\とした白い肌。をゝ おいとほしい。 郎女は、自身の声に、目が覚めた。夢から続いて、口は尚《ナホ》夢のやうに、語を逐《オ》うて居た。 [#ここから2字下げ] おいとほしい。お寒からうに――。 [#ここで字下げ終わり] [#6字下げ]十六[#「十六」は中見出し] 山の躑躅《ツツジ》の色は、様々ある。一つ色のものだけが、一時に咲き出して、一時に萎《シボ》む。さうして、凡《オヨソ》一月は、後から後から替つた色のが匂ひ出て、禿《ハ》げた岩も、一冬のうら枯れをとり返さぬ柴木山も、若夏の青雲の下に、はでなかざしをつける。其間に、藤の短い花房が、白く又紫に垂れて、老い木の幹の高さを、せつなく、寂しく見せる。下草に交つて、馬酔木《アシビ》が雪のやうに咲いても、花めいた心を、誰に起させることもなしに、過ぎるのがあはれである。 もう此頃になると、山は厭《イト》はしいほど緑に埋れ、谷は深々と、繁りに隠されてしまふ。郭公《クワツコウ》は早く鳴き嗄《カ》らし、時鳥が替つて、日も夜も鳴く。 草の花が、どつと怒濤《ドタウ》の寄せるやうに咲き出して、山全体が花原見たやうになつて行く。里の麦は刈り急がれ、田の原は一様に青みわたつて、もうこんなに伸びたか、と驚くほどになる。家の庭苑《ソノ》にも、立ち替り咲き替つて、栽ゑ木、草花が、何処《ドコ》まで盛り続けるかと思はれる。だが其も一盛りで、坪はひそまり返つたやうな時が来る。池には葦が伸び、蒲が秀《ホ》き、藺《ヰ》が抽《ヌキ》んでゝ来る。遅々として、併し忘れた頃に、俄かに伸《ノ》し上るやうに育つのは、蓮の葉であつた。 前年から今年にかけて、海の彼方の新羅《シラギ》の暴状が、目立つて棄《ス》て置かれぬものに見えて来た。太宰府からは、軍船を新造して新羅征伐の設けをせよ、と言ふ命のお降しを、度々都へ請うておこして居た。此忙しい時に、偶然流人太宰員外帥として、難波に居た横佩家《ヨコハキケ》の豊成は、思ひがけぬ日々を送らねばならなかつた。 都の姫の事は、子古の口から聴いて知つたし、又、京・難波の間を往来する頻繁な公私の使ひに、文をことづてる事は易かつたけれども、どう処置してよいか、途方に昏《ク》れた。ちよつと見は何でもない事の様で、実は重大な、家の大事である。其だけに、常の優柔不断な心癖は、益々つのるばかりであつた。 寺々の知音に寄せて、当麻寺へ、よい様に命じてくれる様に、と書いてもやつた。又処置方について伺うた横佩墻内の家の長老《トネ》・刀自《トジ》たちへは、ひたすら、汝等の主の郎女を護つて居れ、と言ふやうな、抽象風なことを、答へて来たりした。 次の消息には、何かと具体した仰せつけがあるだらう、と待つて居る間に、日が立ち、月が過ぎて行くばかりである。其間にも、姫の失はれたと見える魂が、お身に戻るか、其だけの望みで、人々は、山村に止つて居た。物思ひに、屈託ばかりもして居ぬ若人たちは、もう池のほとりにおり立つて、伸びた蓮の茎を切り集め出した。其を見て居た寺の婢女《メヤツコ》が、其はまだ若い、まう半月もおかねばと言つて、寺領の一部に、蓮根《ハスネ》を取る為に作つてあつた蓮田《ハチスダ》へ、案内しよう、と言ひ出した。 あて人の家自身が、それ/\、農村の大家《オホヤケ》であつた。其が次第に、官人《ツカサビト》らしい姿に更《カハ》つて来ても、家庭の生活には、何時《イツ》までたつても、何処《ドコ》か農家らしい様子が、残つて居た。家構へにも、屋敷の広場《ニハ》にも、家の中の雑用具《ザフヨウグ》にも。第一、女たちの生活は、起居《タチヰ》ふるまひ[#「ふるまひ」に傍点]なり、服装なりは、優雅に優雅にと変つては行つたが、やはり昔の農家の家内《ヤウチ》の匂ひがつき纏《マト》うて離れなかつた。刈り上げの秋になると、夫と離れて暮す年頃に達した夫人などは、よく其家の遠い田荘《ナリドコロ》へ行つて、数日を過して来るやうな習しも、絶えることなく、くり返されて居た。 だから、刀自たちは固《モト》より若人らも、つくねん[#「つくねん」に傍点]と女部屋の薄暗がりに、明し暮して居るのではなかつた。てんでに、自分の出た村方の手芸を覚えて居て、其を、仕へる君の為に為出《シイダ》さう、と出精してはたらいた。 裳《モ》の襞《ヒダ》を作るのに珍《ナ》い術《テ》を持つた女などが、何でもないことで、とりわけ重宝がられた。袖の先につける鰭袖《ハタソデ》を美しく為立《シタ》てゝ、其に、珍しい縫ひとりをする女なども居た。こんなのは、どの家庭にもある話でなく、かう言ふ若人をおきあてた家は、一つのよい見てくれ[#「見てくれ」に傍点]を世間に持つ事になるのだ。一般に、染めや、裁ち縫ひが、家々の顔見合はぬ女どうしの競技のやうに、もてはやされた。摺《ス》り染めや、擣《ウ》ち染めの技術も、女たちの間には、目立たぬ進歩が年々にあつたが、浸《ヒ》で染めの為の染料が、韓《カラ》の技工人《テビト》の影響から、途方もなく変化した。紫と謂つても、茜《アカネ》と謂つても皆、昔の様な、染め漿《シホ》の処置《トリアツカヒ》はせなくなつた。さうして、染め上りも、艶々《ツヤツヤ》しく、はでなものになつて来た。表向きは、かうした色の禁令が、次第に行きわたつて来たけれど、家の女部屋までは、官《カミ》の目も届くはずはなかつた。 家庭の主婦が、居まはりの人を促したてゝ、自身も精励してするやうな為事は、あて人の家では、刀自《トジ》等の受け持ちであつた。若人たちも、田畠に出ぬと言ふばかりで、家の中での為事は、まだ見参《マヰリマミエ》をせずにゐた田舎暮しの時分と、大差はなかつた。とりわけ違ふのは、其家々の神々に仕へると言ふ、誇りはあるが、小むつかしい事がつけ加へられて居る位のことである。外出には、下人たちの見ぬ様に、笠を深々とかづき、其下には、更に薄帛《ウスギヌ》を垂らして出かけた。 一時《イツトキ》たゝぬ中に、婢女《メヤツコ》ばかりでなく、自身たちも、田におりたつたと見えて、泥だらけになつて、若人たち十数人は戻つて来た。皆手に手に、張り切つて発育した、蓮の茎を抱へて、廬の前に並んだのには、常々くすり[#「くすり」に傍点]とも笑わぬ乳母《オモ》たちさへ、腹の皮をよつて、切《セツ》ながつた。 [#ここから2字下げ] 郎女《イラツメ》様。御覧《ゴラウ》じませ。 [#ここで字下げ終わり] 竪帳《タツバリ》を手でのけて、姫に見せるだけが、やつとのことであつた。 [#ここから2字下げ] ほう――。 [#ここで字下げ終わり] 何が笑ふべきものか、何が憎むに値するものか、一切知らぬ上﨟《ジヤウラフ》には、唯常と変つた皆の姿が、羨《ウラヤマ》しく思はれた。 [#ここから2字下げ] この身も、その田居とやらにおり立ちたい――。 めつさうなこと、仰せられます。 [#ここで字下げ終わり] めつさうな。きまつて、誇張した顔と口との表現で答へることも、此ごろ、この小社会で行はれ出した。何から何まで縛りつけるやうな、身狭乳母《ムサノチオモ》に対する反感も、此ものまね[#「ものまね」に傍点]で幾分、いり合せがつく様な気がするのであらう。 其日からもう、若人たちの糸縒《イトヨ》りは初まつた。夜は、閨《ネヤ》の闇《ヤミ》の中で寝る女たちには、稀に男の声を聞くこともある、奈良の垣内《カキツ》住ひが、恋しかつた。朝になると又、何もかも忘れたやうになつて績《ウ》み貯める。 さうした糸の、六かせ七かせを持つて出て、郎女に見せたのは、其数日後であつた。 [#ここから2字下げ] 乳母《オモ》よ。この糸は、蝶鳥の翼よりも美しいが、蜘蛛《クモ》の巣《イ》より弱く見えるがよ――。 [#ここで字下げ終わり] 郎女は、久しぶりでにつこりした。労を犒《ネギラ》ふと共に、考への足らぬのを憐むやうである。 刀自は、驚いて姫の詞を堰《セ》き止めた。 [#ここから2字下げ] なる程、此は脆《サク》過ぎまする。 [#ここで字下げ終わり] 女たちは、板屋に戻つても、長く、健やかな喜びを、皆して語つて居た。 全く些《スコ》しの悪意もまじへずに、言ひたいまゝの気持ちから、 [#ここから2字下げ] 田居とやらへおりたちたい――、 [#ここで字下げ終わり] を反覆した。 刀自は、若人を呼び集めて、 [#ここから2字下げ] もつと、きれぬ糸を作り出さねば、物はない。 [#ここで字下げ終わり] と言つた。女たちの中の一人が、 [#ここから2字下げ] それでは、刀自に、何ぞよい御思案が――。 さればの――。 [#ここで字下げ終わり] 昔を守ることばかりはいかつい[#「いかつい」に傍点]が、新しいことの考へは唯、尋常《ヨノツネ》の婆の如く、愚かしかつた。 ゆくりない声が、郎女の口から洩れた。 [#ここから2字下げ] この身の考へることが、出来ることか試して見や。 [#ここで字下げ終わり] うま人を軽侮することを、神への忌みとして居た昔人である。だが、かすかな軽《カル》しめに似た気持ちが、皆の心に動いた。 [#ここから2字下げ] 夏引きの麻生《ヲフ》の麻《アサ》を績《ウ》むやうに、そして、もつと日ざらしよく、細くこまやかに――。 [#ここで字下げ終わり] 郎女は、目に見えぬものゝさとし[#「さとし」に傍点]を、心の上で綴つて行くやうに、語を吐いた。 板屋の前には、俄かに、蓮の茎が乾《ホ》し並べられた。さうして其が乾《カワ》くと、谷の澱みに持ち下りて浸す。浸しては晒《サラ》し、晒しては水に漬《ヒ》でた幾日の後、筵《ムシロ》の上で槌の音高く、こも/″\、交々《コモゴモ》と叩き柔らげた。 その勤《イソ》しみを、郎女も時には、端近くゐざり出て見て居た。咎めようとしても、思ひつめたやうな目して、見入つて居る姫を見ると、刀自は口を開くことが出来なくなつた。 日晒しの茎を、八針《ヤツハリ》に裂き、其を又、幾針にも裂く。郎女の物言はぬまなざしが、ぢつと若人たちの手もとをまもつて居る。果ては、刀自も言ひ出した。 [#ここから2字下げ] 私も、績《ウ》みませう。 [#ここで字下げ終わり] 績《ウ》みに績み、又績みに績んだ。藕糸《ハスイト》のまるがせが、日に/\殖えて、廬堂《イホリダウ》の中に、次第に高く積まれて行つた。 [#ここから2字下げ] もう今日は、みな月に入る日ぢやの――。 [#ここで字下げ終わり] 暦《コヨミ》の事を言はれて、刀自はぎよつ[#「ぎよつ」に傍点]とした。ほんに、今日こそ、氷室《ヒムロ》の朔日《ツイタチ》ぢや。さう思ふ下から歯の根のあはぬやうな悪感を覚えた。大昔から、暦は聖《ヒジリ》の与る道と考へて来た。其で、男女は唯、長老《トネ》の言ふがまゝに、時の来又去つた事を教《ヲソ》はつて、村や、家の行事を進めて行くばかりであつた。だから、教へぬに日月を語ることは、極めて聡《サト》い人の事として居た頃である。愈々魂をとり戻されたのか、と瞻《マモ》りながら、はら/\して居る乳母であつた。唯、郎女は復《マタ》、秋分の日の近づいて来て居ることを、心にと言ふよりは、身の内に、そく/\と感じ初めて居たのである。蓮は、池のも、田居のも、極度に長《タ》けて、莟《ツボミ》の大きくふくらんだのも、見え出した。婢女《メヤツコ》は、今が刈りしほだ、と教へたので、若人たちは、皆手も足も泥にして、又田に立ち暮す日が続いた。 [#6字下げ]十七[#「十七」は中見出し] 彼岸中日 秋分の夕。朝曇り後晴れて、海のやうに深碧《フカミドリ》に凪《ナ》いだ空に、昼過ぎて、白い雲が頻《シキ》りにちぎれ/\に飛んだ。其が門渡《トワタ》る船と見えてゐる内に、暴風《アラシ》である。空は愈々青澄み、昏《クラ》くなる頃には、藍の様に色濃くなつて行つた。見あげる山の端は、横雲の空のやうに、茜色《アカネイロ》に輝いて居る。 大山颪。木の葉も、枝も、顔に吹きつけられる程の物は、皆活きて青かつた。板屋は吹きあげられさうに、煽《アフ》りきしんだ。若人たちは、悉《コトゴト》く郎女の廬に上つて、刀自を中に、心を一つにして、ひしと顔を寄せた。たゞ互の顔の見えるばかりの緊張した気持ちの間に、刻々に移つて行く風。西から真正面《マトモ》に吹きおろしたのが、暫らくして北の方から落して来た。やがて、風は山を離れて、平野の方から、山に向つてひた吹きに吹きつけた。峰の松原も、空様《ソラザマ》に枝を掻き上げられた様になつて、悲鳴を続けた。谷から峰《ヲ》の上《ヘ》に生え上《ノボ》つて居る萱原は、一様に上へ/\と糶《セ》り昇るやうに、葉裏を返して扱《コ》き上げられた。 家の中は、もう暗くなつた。だがまだ見える庭先の明りは、黄にかつきり[#「かつきり」に傍点]と、物の一つ/\を、鮮やかに見せて居た。 [#ここから2字下げ] 郎女様が――。 [#ここで字下げ終わり] 誰かの声である。皆、頭の毛が空へのぼる程、ぎよつとした。其が、何だと言はれずとも、すべての心が、一度に了解して居た。言ひ難い恐怖にかみづゝた女たちは、誰一人声を出す者も居なかつた。 身狭[#(ノ)]乳母は、今の今まで、姫の側に寄つて、後から姫を抱へて居たのである。皆の人のけはひで、覚め難い夢から覚めたやうに、目をみひらくと、あゝ、何時の間にか、姫は嫗の両腕《モロウデ》両膝《モロヒザ》の間には、居させられぬ。一時に、慟哭するやうな感激が来た。だが長い訓練が、老女の心をとり戻した。凜《リン》として、反り返る様な力が、湧き上つた。 [#ここから2字下げ] 誰《タ》ぞ、弓を――。鳴弦《ツルウチ》ぢや。 [#ここで字下げ終わり] 人を待つ間もなかつた。彼女自身、壁代《カベシロ》に寄せかけて置いた白木の檀弓《マユミ》をとり上げて居た。 [#ここから2字下げ] それ皆の衆――。反閇《アシブミ》ぞ。もつと声高《コワダカ》に――。あっし、あっし、それ、あっしあっし……。 [#ここで字下げ終わり] 若人たちも、一人々々の心は、疾くに飛んで行つてしまつて居た。唯一つの声で、警驆《ケイヒツ》を発し、反閇《ヘンバイ》した。 [#ここから2字下げ] あっし あっし。 あっし あっし あっし。 [#ここで字下げ終わり] 狭い廬の中を蹈《フ》んで廻つた。脇目からは、遶道《ネウダウ》する群れのやうに。 [#ここから2字下げ] 郎女様は、こちらに御座りますか。 [#ここで字下げ終わり] 万法蔵院の婢女《メヤツコ》が、息をきらして走つて来て、何時《イツ》もなら、許されて居ぬ無作法で、近々と、廬の砌《ミギリ》に立つて叫んだ。 [#ここから2字下げ] なに――。 [#ここで字下げ終わり] 皆の口が、一つであつた。 [#ここから2字下げ] 郎女様か、と思はれるあて人が――、み寺の門《カド》に立つて居さつせるのを見たで、知らせにまゐりました。 [#ここで字下げ終わり] 今度は、乳母《オモ》一人の声が答へた。 [#ここから2字下げ] なに、み寺の門に。 [#ここで字下げ終わり] 婢女を先に、行道の群れは、小石を飛《トバ》す嵐《アラシ》の中を、早足に練り出した。 [#ここから2字下げ] あっし あっし あっし……。 [#ここで字下げ終わり] 声は、遠くからも聞えた。大風をつき抜く様な鋭声《トゴヱ》が、野面《ノヅラ》に伝はる。 万法蔵院は、実に寂《セキ》として居た。山風は物忘れした様に、鎮まつて居た。夕闇はそろ/\、かぶさつて来て居るのに、山裾のひらけた処を占めた寺庭は、白砂が、昼の明りに輝いてゐた。こゝからよく見える二上《フタカミ》の頂は、広く、赤々と夕映えてゐる。 姫は、山田の道場の牕《マド》から仰ぐ空の狭さを悲しんでゐる間に、何時かこゝまで来て居たのである。浄域を穢《ケガ》した物忌みにこもつてゐる身、と言ふことを忘れさせぬものが、其でも心の隅にあつたのであらう。門の閾《シキミ》から、伸び上るやうにして、山の際《ハ》の空を見入つて居た。 暫らくおだやんで居た嵐が、又山に廻つたらしい。だが、寺は物音もない黄昏《タソガレ》だ。 男嶽《ヲノカミ》と女嶽《メノカミ》との間になだれをなした大きな曲線《タワ》が、又次第に両方へ聳《ソソ》つて行つてゐる、此二つの峰の間《アヒダ》の広い空際《ソラギハ》。薄れかゝつた茜《アカネ》の雲が、急に輝き出して、白銀《ハクギン》の炎をあげて来る。山の間《マ》に充満して居た夕闇は、光りに照されて、紫だつて動きはじめた。 さうして暫らくは、外に動くものゝない明るさ。山の空は、唯白々として、照り出されて居た。 肌 肩 脇 胸 豊かな姿が、山の尾上《ヲノヘ》の松原の上に現れた。併し、俤に見つゞけた其顔ばかりは、ほの暗かつた。 [#ここから2字下げ] 今すこし著《シル》く み姿|顕《アラハ》したまへ――。 [#ここで字下げ終わり] 郎女の口よりも、皮膚をつんざいて、あげた叫びである。山腹の紫は、雲となつて靉《タナビ》き、次第々々に降《サガ》る様に見えた。 明るいのは、山際《ヤマギハ》ばかりではなかつた。地上は、砂《イサゴ》の数もよまれるほどである。 しづかに しづかに雲はおりて来る。万法蔵院の香殿・講堂・塔婆・楼閣・山門・僧房・庫裡《クリ》、悉《コトゴト》く金に、朱に、青に、昼より著《イチジル》く見え、自《ミヅカ》ら光りを発して居た。 庭の砂の上にすれ/\に、雲は揺曳《エウエイ》して、そこにあり/\と半身を顕した尊者の姿が、手にとる様に見えた。匂ひやかな笑みを含んだ顔が、はじめて、まともに郎女に向けられた。伏し目に半ば閉ぢられた目は、此時、姫を認めたやうに、清《スズ》しく見ひらいた。軽くつぐんだ唇は、この女性《ニヨシヤウ》に向うて、物を告げてゞも居るやうに、ほぐれて見えた。 郎女は尊さに、目の低《タ》れて来る思ひがした。だが、此時を過してはと思ふ一心で、御姿《ミスガタ》から、目をそらさなかつた。 あて人を讃へるものと、思ひこんだあの詞が、又心から迸《ホトバシ》り出た。 [#ここから2字下げ] なも 阿弥陀ほとけ。あなたふと 阿弥陀ほとけ。 [#ここで字下げ終わり] 瞬間に明りが薄れて行つて、まのあたりに見える雲も、雲の上の尊者の姿も、ほの/″\と暗くなり、段々に高く、又高く上つて行く。 姫が、目送する間もない程であつた。忽《タチマチ》、二上山の山の端《ハ》に溶け入るやうに消えて、まつくらな空ばかりの、たなびく夜になつて居た。 [#ここから2字下げ] あっし あっし。 [#ここで字下げ終わり] 足を蹈み、前《サキ》を駆《オ》ふ声が、耳もとまで近づいて来てゐた。 [#6字下げ]十八[#「十八」は中見出し] 当麻の邑《ムラ》は、此頃、一本の草、一塊《ヒトクレ》の石すら、光りを持つほど、賑《ニギハ》ひ充ちて居る。 当麻真人家《タギマノマヒトケ》の氏神|当麻彦《タギマヒコ》の社へ、祭り時に外れた昨今、急に、氏[#(ノ)]上の拝礼があつた。故上総守|老《オユノ》真人以来、暫らく絶えて居たことである。 其上、まう二三日に迫つた八月《ハツキ》の朔日《ツイタチ》には、奈良の宮から、勅使が来向はれる筈になつて居た。当麻氏から出られた大夫人《ダイフジン》のお生み申された宮の御代に、あらたまることになつたからである。 廬堂の中は、前よりは更に狭くなつて居た。郎女が、奈良の御館からとり寄せた高機《タカハタ》を、設《タ》てたからである。機織りに長けた女も、一人や二人は、若人の中に居た。此女らの動かして見せる筬《ヲサ》や梭《ヒ》の扱ひ方を、姫はすぐに会得《ヱトク》した。機に上つて日ねもす、時には終夜《ヨモスガラ》織つて見るけれど、蓮の糸は、すぐに円《ツブ》になつたり、断《キ》れたりした。其でも、倦《ウ》まずにさへ織つて居れば、何時《イツ》か織りあがるもの、と信じてゐる様に、脇目からは見えた。 乳母は、人に見せた事のない憂はしげな顔を、此頃よくしてゐる。 [#ここから2字下げ] 何しろ、唐土《モロコシ》でも、天竺《テンヂク》から渡つた物より手に入らぬ、といふ藕糸織《ハスイトオ》りを遊ばさう、と言ふのぢやものなう。 [#ここで字下げ終わり] 話相手にもしなかつた若い者たちに、時々うつかりと、こんな事を、言ふ様になつた。 [#ここから2字下げ] かう糸が無駄になつては。 今の間にどし/″\績《ウ》んで置かいでは――。 [#ここで字下げ終わり] 乳母《チオモ》の語に、若人たちは又、広々として野や田の面におり立つことを思うて、心がさわだつた。 さうして、女たちの刈りとつた蓮積み車が、廬に戻つて来ると、何よりも先に、田居への降り道に見た、当麻の邑《ムラ》の騒ぎの噂《ウハサ》である。 [#ここから2字下げ] 郎女様のお従兄《イトコ》恵美の若子《ワクゴ》さまのお母《ハラ》様も、当麻[#(ノ)]真人のお出《デ》ぢやげな――。 恵美の御館《ミタチ》の叔父君の世界、見るやうな世になつた。 兄御を、帥の殿に落しておいて、御自身はのり越して、内相の、大師《タイシ》の、とおなりのぼりの御心持ちは、どうあらうなう――。 [#ここで字下げ終わり] あて人に仕へて居ても、女はうつかりすると、人の評判に時を移した。 [#ここから2字下げ] やめい やめい。お耳ざはりぞ。 [#ここで字下げ終わり] しまひには、乳母が叱りに出た。だが、身狭刀自《ムサノトジ》自身のうちにも、もだ/″\と咽喉《ノド》につまつた物のある感じが、残らずには居なかつた。さうして、そんなことにかまけることなく、何の訣やら知れぬが、一心に糸を績《ウ》み、機を織つて居る育ての姫が、いとほしくてたまらぬのであつた。 昼の中多く出た虻《アブ》は、潜《ヒソ》んでしまつたが、蚊は仲秋になると、益々あばれ出して来る。日中の興奮で、皆は正体もなく寝た。身狭までが、姫の起き明す灯の明りを避けて、隅の物陰に、深い鼾を立てはじめた。 郎女は、断《キ》れては織り、織つては断れ、手がだるくなつても、まだ梭《ヒ》を放さうともせぬ。 だが、此頃の姫の心は、満ち足らうて居た。あれほど、夜々《ヨルヨル》見て居た俤人《オモカゲビト》の姿も見ずに、安らかな気持ちが続いてゐるのである。 「此機を織りあげて、はやうあの素肌のお身を、掩《オホ》うてあげたい。」 其ばかり考へて居る。世の中になし遂げられぬものゝあると言ふことを、あて人は知らぬのであつた。 [#ここから2字下げ] ちよう ちよう はた はた。 はた はた ちよう……。 [#ここで字下げ終わり] 筬《ヲサ》を流れるやうに、手もとにくり寄せられる糸が、動かなくなつた。引いても扱《コ》いても通らぬ。筬の歯が幾枚も毀《コボ》れて、糸筋の上にかゝつて居るのが見える。 郎女は、溜め息をついた。乳母に問うても、知るまい。女たちを起して聞いた所で、滑らかに動かすことはえすまい。 [#ここから2字下げ] どうしたら、よいのだらう。 [#ここで字下げ終わり] 姫ははじめて、顔へ偏《カタヨ》つてかゝつて来る髪のうるさゝを感じた。筬の櫛目を覗《ノゾ》いて見た。梭もはたいて見た。 [#ここから2字下げ] あゝ、何時になつたら、したてた衣《コロモ》を、お肌へふくよかにお貸し申すことが出来よう。 [#ここで字下げ終わり] もう外の叢で鳴き出した、蟋蟀《コホロギ》の声を、瞬間思ひ浮べて居た。 [#ここから2字下げ] どれ、およこし遊ばされ。かう直せば、動かぬこともおざるまい――。 [#ここで字下げ終わり] どうやら聞いた気のする声が、機の外にした。 あて人の姫は、何処から来た人とも疑はなかつた。唯、さうした好意ある人を、予想して居た時なので、 [#ここから2字下げ] 見てたもれ。 [#ここで字下げ終わり] 機をおりた。 女は尼であつた。髪を切つて尼そぎにした女は、其も二三度は見かけたことはあつたが、剃髪《テイハツ》した尼には会うたことのない姫であつた。 [#ここから2字下げ] はた はた ちよう ちよう。 [#ここで字下げ終わり] 元の通りの音が、整つて出て来た。 [#ここから2字下げ] 蓮の糸は、かう言ふ風では、織れるものではおざりませぬ。もつと寄つて御覧じ――。これかう――おわかりかえ。 [#ここで字下げ終わり] 当麻語部[#(ノ)]姥の声である。だが、そんなことは、郎女の心には、問題でもなかつた。 [#ここから2字下げ] おわかりなさるかえ。これかう――。 [#ここで字下げ終わり] 姫の心は、こだま[#「こだま」に傍点]の如く聡《サト》くなつて居た。此|才伎《テワザ》の経緯《ユキタテ》は、すぐ呑み込まれた。 [#ここから2字下げ] 織つてごらうじませ。 [#ここで字下げ終わり] 姫が、高機に代つて入ると、尼は機陰に身を倚《ヨ》せて立つ。 [#ここから2字下げ] はた はた ゆら ゆら。 [#ここで字下げ終わり] 音までが、変つて澄み上つた。 [#ここから2字下げ] 女鳥《メトリ》の わがおほきみの織《オロ》す機。誰《タ》が為《タ》ねろかも――、御存じ及びでおざりませうなう。昔、かう、機殿《ハタドノ》の牕《マド》からのぞきこうで、問はれたお方様がおざりましたつけ。――その時、その貴い女性《ニヨシヤウ》がの、 たか行くや 隼別《ハヤブサワケ》の御被服料《ミオスヒガネ》――さうお答へなされたとなう。 この中《ヂユウ》申し上げた滋賀津彦《シガツヒコ》は、やはり隼別でもおざりました。天若日子《アメワカヒコ》でもおざりました。天《テン》の日《ヒ》に矢を射かける――。併し、極《キハ》みなく美しいお人でおざりましたがよ。 截《キ》りはたり、ちようちよう。それ――、早く織らねば、やがて、岩牀の凍る冷い冬がまゐりますがよ――。 [#ここで字下げ終わり] 郎女は、ふつと覚めた。あぐね果てゝ、機の上にとろ/\とした間の夢だつたのである。だが、梭をとり直して見ると、 [#ここから2字下げ] はた はた ゆら ゆら。ゆら はたゝ。 [#ここで字下げ終わり] 美しい織物が、筬の目から迸る。 [#ここから2字下げ] はた はた ゆら ゆら。 [#ここで字下げ終わり] 思ひつめてまどろんでゐる中に、郎女の智慧が、一つの閾を越えたのである。 [#6字下げ]十九[#「十九」は中見出し] 望《モチ》の夜の月が冴《サ》えて居た。若人たちは、今日、郎女の織りあげた一反《ヒトムラ》の上帛《ハタ》を、夜の更けるのも忘れて、見讃《ミハヤ》して居た。 [#ここから2字下げ] この月の光りを受けた美しさ。 縑《カトリ》のやうで、韓織《カラオリ》のやうで、――やつぱり、此より外にはない、清らかな上帛《ハタ》ぢや。 [#ここで字下げ終わり] 乳母も、遠くなつた眼をすがめながら、譬《タト》へやうのない美しさと、づゝしりとした手あたりを、若い者のやうに楽しんでは、撫でまはして居た。 二度目の機は、初めの日数の半《ナカラ》であがつた。三反《ミムラ》の上帛《ハタ》を織りあげて、姫の心には、新しい不安が頭をあげて来た。五反《イツムラ》目を織りきると、機に上ることをやめた。さうして、日も夜も、針を動した。 長月の空は、三日の月のほのめき出したのさへ、寒く眺められる。この夜寒に、俤人の肩の白さを思ふだけでも、堪へられなかつた。 裁ち縫ふわざは、あて人の子のする事ではなかつた。唯、他人《ヒト》の手に触れさせたくない。かう思ふ心から、解いては縫ひ、縫うてはほどきした。現《ウツ》し世《ヨ》の幾人にも当る大きなお身に合ふ衣を、縫ふすべを知らなかつた。せつかく織り上げた上帛《ハタ》を、裁《タ》つたり截《キ》つたり、段々布は狭くなつて行く。 女たちも、唯姫の手わざを見て居るほかはなかつた。何を縫ふものとも考へ当らぬ囁《ササヤ》きに、日を暮すばかりである。 其上、日に増し、外は冷えて来る。人々は一日も早く、奈良の御館に帰ることを願ふばかりになつた。郎女は、暖かい昼、薄暗い廬の中で、うつとりとしてゐた。その時、語部《カタリ》の尼が歩み寄つて来るのを、又まざ/″\と見たのである。 [#ここから2字下げ] 何を思案遊ばす。壁代《カベシロ》の様に縦横に裁ちついで、其まゝ身に纏《マト》ふやうになさる外はおざらぬ。それ、こゝに紐《ヒモ》をつけて、肩の上でくゝりあはせれば、昼は衣になりませう。紐を解き敷いて、折り返し被《カブ》れば、やがて夜の衾《フスマ》にもなりまする。天竺の行人《ギヤウニン》たちの著る僧伽梨《ソウギヤリ》と言ふのが、其でおざりまする。早くお縫ひあそばされ。 [#ここで字下げ終わり] だが、気がつくと、やはり昼の夢を見て居たのだ。裁ちきつた布を綴り合せて縫ひ初めると、二日もたゝぬ間に、大きな一面の綴りの上帛《ハタ》が出来あがつた。 [#ここから2字下げ] 郎女様は、月ごろかゝつて、唯の壁代をお織りなされた。 あつたら 惜しやの。 [#ここで字下げ終わり] はり[#「はり」に傍点]が抜けたやうに、若人《ワカウド》たちが声を落して言うて居る時、姫は悲しみながら、次の営みを考へて居た。 [#ここから2字下げ] 「これでは、あまり寒々としてゐる。殯《モガリ》の庭の棺《ヒツギ》にかけるひしきもの[#「ひしきもの」に傍点]―喪氈―、とやら言ふものと、見た目にかはりはあるまい。」 [#ここで字下げ終わり] [#6字下げ]二十[#「二十」は中見出し] もう、世の人の心は賢しくなり過ぎて居た。独り語りの物語りなどに、信《シン》をうちこんで聴く者のある筈はなかつた。聞く人のない森の中などで、よく、つぶ/\と物言ふ者がある、と思うて近づくと、其が、語部の家の者だつたなど言ふ話が、どの村でも、笑ひ咄《バナシ》のやうに言はれるやうな世の中になつて居た。当麻語部《タギマノカタリベ》の嫗なども、都の上﨟《ジヤウラフ》の、もの疑ひせぬ清い心に、知る限りの事を語りかけようとした。だが、忽《タチマチ》違つた氏の語部なるが故に、追ひ退《ノ》けられたのであつた。 さう言ふ聴きてを見あてた刹那に、持つた執心の深さ。その後、自身の家の中でも、又|廬堂《イホリダウ》に近い木立ちの陰でも、或は其処《ソコ》を見おろす山の上からでも、郎女に向つてする、ひとり語りは続けられて居た。 今年八月、当麻の氏人に縁深いお方が、めでたく世にお上りなされたあの時こそ、再《フタタビ》己《オノ》が世が来た、とほくそ笑み[#「ほくそ笑み」に傍点]をした――が、氏の神祭りにも、語部を請《シヤウ》じて、神語りを語らさうともせられなかつた。ひきついであつた、勅使の参向の節にも、呼び出されて、当麻氏の古物語りを奏上せい、と仰せられるか、と思うて居た予期《アラマシ》も、空頼みになつた。 此はもう、自身や、自身の祖《オヤ》たちが、長く覚え伝へ、語りついで来た間、かうした事に行き逢はうとは、考へもつかなかつた時代《トキヨ》が来たのだ、と思うた瞬間、何もかも、見知らぬ世界に追放《ヤラ》はれてゐる気がして、唯驚くばかりであつた。娯《タノ》しみを失ひきつた語部《カタリベ》の古婆は、もう飯を喰べても、味は失うてしまつた。水を飲んでも、口をついて、独り語りが囈語《ウハゴト》のやうに出るばかりになつた。 秋深くなるにつれて、衰への、目立つて来た姥は、知る限りの物語りを、喋りつゞけて死なう、と言ふ腹をきめた。さうして、郎女の耳に近い処をところ[#「ところ」に傍点]をと覓《モト》めて、さまよひ歩くやうになつた。 郎女は、奈良の家に送られたことのある、大唐の彩色《ヱノグ》の数々を思ひ出した。其を思ひついたのは、夜であつた。今から、横佩墻内へ馳けつけて、彩色《ヱノグ》を持つて還れ、と命ぜられたのは、女の中に、唯一人残つて居た長老《オトナ》である。つひしか、こんな言ひつけをしたことのない郎女の、性急な命令に驚いて、女たちは復《マタ》、何か事の起るのではないか、とおど/\して居た。だが、身狭乳母《ムサノチオモ》の計ひで、長老《オトナ》は渋々、夜道を、奈良へ向つて急いだ。 あくる日、絵具《ヱノグ》の届けられた時、姫の声ははなやいで、興奮《ハヤ》りかに響いた。 女たちの噂した所の、袈裟《ケサ》で謂へば、五十条の大衣《ダイエ》とも言ふべき、藕糸《グウシ》の上帛の上に、郎女の目はぢつとすわつて居た。やがて筆は、愉《タノ》しげにとり上げられた。線描《スミガ》きなしに、うちつけに絵具《ヱノグ》を塗り進めた。美しい彩画《タミヱ》は、七色八色の虹のやうに、郎女の目の前に、輝き増して行く。 姫は、緑青を盛つて、層々うち重《カサナ》る楼閣|伽藍《ガラン》の屋根を表した。数多い柱や、廊の立ち続く姿が、目赫《メカガヤ》くばかり、朱で彩《タ》みあげられた。むら/\と靉《タナビ》くものは、紺青《コンジヤウ》の雲である。紫雲は一筋長くたなびいて、中央根本堂とも見える屋の上から、画《カ》きおろされた。雲の上には金泥《コンデイ》の光り輝く靄《モヤ》が、漂ひはじめた。姫の命を搾《シボ》るまでの念力が、筆のまゝに動いて居る。やがて金色《コンジキ》の雲気《ウンキ》は、次第に凝《コ》り成《ナ》して、照り充ちた色身《シキシン》――現《ウツ》し世の人とも見えぬ尊い姿が顕れた。 郎女は唯、先《サキ》の日見た、万法蔵院の夕《ユフベ》の幻を、筆に追うて居るばかりである。堂・塔・伽藍すべては、当麻のみ寺のありの姿であつた。だが、彩画《タミヱ》の上に湧き上つた宮殿《クウデン》楼閣は、兜率天宮《トソツテングウ》のたゝずまひさながらであつた。しかも、其|四十九重《シジフクヂユウ》の宝宮の内院《ナイヰン》に現れた尊者の相好《サウガウ》は、あの夕、近々と目に見た俤《オモカゲ》びとの姿を、心に覓《ト》めて描き顕したばかりであつた。 刀自・若人たちは、一刻々々、時の移るのも知らず、身ゆるぎもせずに、姫の前に開かれて来る光りの霞に、唯見|呆《ホホ》けて居るばかりであつた。 郎女《イラツメ》が、筆をおいて、にこやかな笑《ヱマ》ひを、円《マロ》く跪坐《ツイヰ》る此人々の背におとしながら、のどかに併《シカ》し、音もなく、山田の廬堂を立ち去つた刹那、心づく者は一人もなかつたのである。まして、戸口に消える際《キハ》に、ふりかへつた姫の輝くやうな頬のうへに、細く伝ふものゝあつたのを知る者の、ある訣《ワケ》はなかつた。 姫の俤びとに貸す為の衣に描いた絵様《ヱヤウ》は、そのまゝ曼陀羅《マンダラ》の相《スガタ》を具へて居たにしても、姫はその中に、唯一人の色身《シキシン》の幻を描いたに過ぎなかつた。併し、残された刀自・若人たちの、うち瞻《マモ》る画面には、見る/\、数千地涌《スセンヂユ》の菩薩《ボサツ》の姿が、浮き出て来た。其は、幾人の人々が、同時に見た、白日夢《ハクジツム》のたぐひかも知れぬ。 底本:「死者の書」中公文庫、中央公論社    1974(昭和49)年5月10日初版    1989(平成元)年8月5日21版 底本の親本:「折口信夫全集 第廿四巻」中央公論社    1955(昭和30)年6月刊 初出:「日本評論 第十四巻第一号〜三号」    1939(昭和14)年1月〜3月 入力:菅野朋子 校正:成宮佐知子 2012年7月17日作成 2016年7月1日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。