神樂坂七不思議 泉鏡花 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)世《よ》の中《なか》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#ここから2字下げ] /\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号) (例)ぴしや/\と *濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」 ------------------------------------------------------- [#ここから2字下げ] 世《よ》の中《なか》何事《なにごと》も不思議《ふしぎ》なり、「おい、ちよいと煙草屋《たばこや》の娘《むすめ》はアノ眼色《めつき》が不思議《ふしぎ》ぢやあないか。」と謂《い》ふは別《べつ》に眼《め》が三《み》ツあるといふ意味《いみ》にあらず、「春狐子《しゆんこし》、何《ど》うでごす、彼處《あすこ》の會席《くわいせき》は不思議《ふしぎ》に食《くは》せやすぜ。」と謂《い》ふも譽《ほ》め樣《やう》を捻《ひね》るのなり。人《ひと》ありて、もし「イヤ不思議《ふしぎ》と勝《か》つね、日本《につぽん》は不思議《ふしぎ》だよ、何《ど》うも。」と語《かた》らむか、「此奴《こいつ》が失敬《しつけい》なことをいふ、陛下《へいか》の稜威《みいづ》、軍士《ぐんし》の忠勇《ちうゆう》、勝《か》つなアお前《めえ》あたりまへだ、何《なに》も不思議《ふしぎ》なことあねえ。」とムキになるのは大《おほ》きに野暮《やぼ》、號外《がうぐわい》を見《み》てぴしや/\と額《ひたひ》を叩《たゝ》き、「不思議《ふしぎ》だ不思議《ふしぎ》だ」といつたとて勝《か》つたが不思議《ふしぎ》であてにはならぬといふにはあらず、こゝの道理《だうり》を噛分《かみわ》けてさ、この七不思議《なゝふしぎ》を讀《よ》み給《たま》へや。 [#ここで字下げ終わり] 東西《とうざい》、最初《さいしよ》お聞《きゝ》に達《たつ》しまするは、 「しゝ寺《でら》のもゝんぢい。」 [#ここから1字下げ] これ大弓場《だいきうば》の爺樣《ぢいさん》なり。人《ひと》に逢《あ》へば顏相《がんさう》をくづし、一種《いつしゆ》特有《とくいう》の聲《こゑ》を發《はつ》して、「えひゝゝ。」と愛想《あいさう》笑《わらひ》をなす、其顏《そのかほ》を見《み》ては泣出《なきだ》さぬ嬰兒《こども》を――、「あいつあ不思議《ふしぎ》だよ。」とお花主《とくい》は可愛《かはい》がる。 [#ここで字下げ終わり] 次が、 「勸工場《くわんこうば》の逆戻《ぎやくもどり》。」 [#ここから1字下げ] 東京《とうきやう》の區《く》到《いた》る處《ところ》にいづれも一二《いちに》の勸工場《くわんこうば》あり、皆《みな》入口《いりぐち》と出口《でぐち》を異《こと》にす、獨《ひと》り牛込《うしごめ》の勸工場《くわんこうば》は出口《でぐち》と入口《いりぐち》と同一《ひとつ》なり、「だから不思議《ふしぎ》さ。」と聞《き》いて見《み》れば詰《つま》らぬこと。 [#ここで字下げ終わり] それから、 「藪蕎麥《やぶそば》の青天井《あをてんじやう》。」 [#ここから1字下げ] 下谷《したや》團子坂《だんござか》の出店《でみせ》なり。夏《なつ》は屋根《やね》の上《うへ》に柱《はしら》を建《た》て、席《むしろ》を敷《し》きて客《きやく》を招《せう》ず。時々《とき/″\》夕立《ゆふだち》に蕎麥《そば》を攫《さら》はる、とおまけ[#「おまけ」に傍点]を謂《い》はねば不思議《ふしぎ》にならず。 [#ここで字下げ終わり] 「奧行《おくゆき》なしの牛肉店《ぎうにくてん》。」 [#ここから1字下げ] (いろは)のことなり、唯《と》見《み》れば大廈《たいか》嵬然《くわいぜん》として聳《そび》ゆれども奧行《おくゆき》は少《すこ》しもなく、座敷《ざしき》は殘《のこ》らず三角形《さんかくけい》をなす、蓋《けだ》し幾何學的《きかがくてき》の不思議《ふしぎ》ならむ。 [#ここで字下げ終わり] 「島金《しまきん》の辻行燈《つじあんどう》。」 [#ここから1字下げ] 家《いへ》は小路《せうぢ》へ引込《ひつこ》んで、通《とほ》りの角《かど》に「蒲燒《かばやき》」と書《か》いた行燈《あんどう》ばかりあり。氣《き》の疾《はや》い奴《やつ》がむやみと飛込《とびこ》むと仕立屋《したてや》なりしぞ不思議《ふしぎ》なる。 [#ここで字下げ終わり] 「菓子屋《くわしや》の鹽餡娘《しほあんむすめ》。」 [#ここから1字下げ] 餅菓子店《もちぐわしや》の店《みせ》にツンと濟《す》ましてる婦人《をんな》なり。生娘《きむすめ》の袖《そで》誰《たれ》が曳《ひ》いてか雉子《きじ》の聲《こゑ》で、ケンもほろゝ[#「ほろゝ」に傍点]の無愛嬌者《ぶあいけうもの》、其癖《そのくせ》甘《あま》いから不思議《ふしぎ》だとさ。 [#ここで字下げ終わり] さてどんじりが、 「繪草紙屋《ゑざうしや》の四十《しじふ》島田《しまだ》。」 [#ここから1字下げ] 女主人《をんなあるじ》にてなか/\の曲者《くせもの》なり、「小僧《こぞう》や、紅葉さん[#「紅葉さん」に白丸傍点]の御家へ參つて[#「の御家へ參つて」に傍点]……」などと一面識《いちめんしき》もない大家《たいか》の名《な》を聞《き》こえよがしにひやかし[#「ひやかし」に傍点]おどかす奴《やつ》、氣《き》が知《し》れないから不思議《ふしぎ》なり。 [#ここで字下げ終わり] [#地より5字上げ]明治二十八年三月 底本:「鏡花全集 巻二十七」岩波書店    1942(昭和17)年10月20日第1刷発行    1988(昭和63)年11月2日第3刷発行 ※題名の下にあった年代の注を、最後に移しました。 入力:門田裕志 校正:米田進 2002年4月24日作成 2003年5月11日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。