わが俳諧修業 芥川龍之介 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)葉守《はも》り |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)落葉|焚《た》いて [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#地から1字上げ](大正十三年) -------------------------------------------------------  小学校時代。――尋常四年の時に始めて十七字を並べて見る。「落葉|焚《た》いて葉守《はも》りの神を見し夜《よ》かな」。鏡花《きやうくわ》の小説など読みゐたれば、その羅曼《ロマン》主義を学びたるなるべし。  中学時代。――「獺祭書屋俳話《だつさいしよをくはいわ》」や「子規随筆《しきずゐひつ》」などは読みたれど、句作は殆《ほとん》どしたることなし。  高等学校時代。――同級に久米正雄《くめまさを》あり。三汀《さんてい》と号し、朱鞘《しゆざや》派の俳人なり。三汀及びその仲間の仕事は詩に於ける北原白秋《きたはらはくしう》氏の如く、俳諧にアムプレシヨニスムの手法を用ひしものなれば、面白がりて読みしものなり。この時代にも句作は殆《ほとん》どせず。  大学時代。――略《ほ》ぼ前時代と同様なり。  教師時代。――海軍機関学校の教官となり、高浜《たかはま》先生と同じ鎌倉に住みたれば、ふと句作をして見る気になり、十句ばかり玉斧《ぎよくふ》を乞《こ》ひし所、「ホトトギス」に二句御採用になる。その後《ご》引きつづき、二三句づつ「ホトトギス」に載りしものなり。但しその頃《ころ》も既に多少の文名ありしかば、十句中二三句づつ雑詠に載《の》るは虚子《きよし》先生の御会釈《ごゑしやく》ならんと思ひ、少々尻こそばゆく感ぜしことを忘れず。  作家時代。――東京に帰りし後《のち》は小沢碧童《をざはへきどう》氏の鉗鎚《けんつゐ》を受くること一方《ひとかた》ならず。その他|一游亭《いちいうてい》、折柴《せつさい》、古原艸等《こげんさうら》にも恩を受け、おかげさまにて幾分か明《めい》を加へたる心地なり、尤《もつと》も新傾向の句は二三句しか作らず。つらつら按《あん》ずるにわが俳諧修業は「ホトトギス」の厄介にもなれば、「海紅《かいこう》」の世話にもなり、宛然《ゑんぜん》たる五目流《ごもくりう》の早じこみと言ふべし。そこへ勝峯晉風《かつみねしんぷう》氏をも知るやうになり、七部集《しちぶしふ》なども覗《のぞ》きたれば、愈《いよいよ》鵺《ぬえ》の如しと言はざるべからず。今日《こんにち》は唯|一游亭《いちいうてい》、魚眠洞等《ぎよみんどうら》と閑《ひま》に俳諧を愛するのみ。俳壇のことなどはとんと知らず。又格別知らんとも思はず。たまに短尺《たんじやく》など送つて句を書けと云ふ人あれど、短尺だけ恬然《てんぜん》ととりつ離しにして未《いま》だ嘗《かつて》書いたことなし。この俳壇の門外漢たることだけは今後も永久に変らざらん乎《か》。次手《ついで》を以て前掲の諸家の外《ほか》にも、碧梧桐《へきごどう》、鬼城《きじやう》、蛇笏《だこつ》、天郎《てんらう》、白峯《はくほう》等の諸家の句にも恩を受けたることを記《しる》しおかん。白峯と言ふは「ホトトギス」にやはり二三句づつ載りし人なり。 [#地から1字上げ](大正十三年) 底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房    1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行    1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行 入力:土屋隆 校正:浅原庸子 2007年4月13日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。